特,に~綴の破損が著しくなったため、一迎の修.ru!計図
7
9.長寿院諸堂の紹介
を た て 、 昭 和 例 年 8月まず綬門め修理工事にずf
手して、
5
5年 1
0月に完了し、その紫色屋根を雨漏りのひどい経践
f
圭が院 1
1彦 般 市 古 沢 町 に 所 在 し 、 大 綱 弁 才 天 の 名 で
5
年 8月 か ら は 同 1
1
r
事
m
助 事業 で 弁 才 天 堂
に移し 、 昭 和5
ら れ て い る . か つ て の 石 岡 三 成 の 居城 佐 和 山 の
よく知l
の修理E
にかかり 、現 税 化 椛 粁 姐 リ か ら 小t
量
産 に放 .
~:木
北 に 統 〈 小 山 で 、 東 海 道本:総米 原 か ら彦根駅に入る
部 修 迎 と 取 容 瓦 の 製 作 を 進 め て い る 。 以下修.ffl!工事中
m
1
1
1は こ の 山 憾 に ぎ り ぎ り に 嫁 し て 左 カ ー ブ し 、 し ば ら
く直逃して~に述するのであるが、この寺 lま彦桜械の
北京でいわゆる鬼門に依託している。彦総城主は下屋
u
め一部を紹介する.
楼門
;
1
今回の修理工事中に建立年次を明らかにする資料1
敷玄 i
f
淡々岡から舟でよグ〉寺に参持したといわれるが、
発 見 さ れ な か ったが、寺院の主要建築であり、弁_,t.天
i
胡が組めたてられて│
綾絞きになってしまった。
今はいl
堂に引*
,
J
f
.い て 怨 立 さ れ た も の と J与えられる 。
舟で山裾に消いたとするとそこには現花、子安地蔵聴
1全 国 の 緩 門 の 遺 構 で 段 も 多 い 三 間 一戸の
この機門 1
をまつる 小1~ があり 、お段を 71t生登ると 「大家主」と術
形 式 で 入 母 騒i
i
i本瓦司Iである 。 外 観 l
ま前代までに出
をかかげた丹獄。}の.c~居があり、更に 24段を王子.ると彫
品
l
iっ た 形 式 を 大 半 踏 鈍 し て い る が 一 部 に 次 の 特 色 が み
刻を多用した泣;派な四脚門がある.更に石段は1Ii
益し
二l
穏{ま三手先が多いがこの [
"
11
1二
ら れ る 。 ま ず 総門の J
1段 を 受 る と 総門 にj
茎する。これで正直l
参道は
ていて 7
乎先で、世l
i
宗 級 の 尾 選A
えを用いていることと、中俄は
1
66
段の石段を登ったことになるが、 Z
見花脇道か ら総
i
泌を総て五I!絞め下の駐車場まで到来1
することができる。
1s:があり、その後}]に史.に 4
8
段の
後円!の1E而に弁オヲe
t
*とで
1
m1
:・3
誌でi
並J
H水を受:けその上は l
順次問ご1
.
.j
必l
J
・
組 上I
fる 方 法 が 多 い が 、 こ こ で は 問'
:
1
・が双"
.
1となる珍
石段を上ると !;f~n 布11 の本殿があって、 .1:』 肘からこの本
殿 ま で 向 低 援 は あ っ て も 一 直 線 上 に 並 び、そ して速く
l'!;正而に ~m械のヲミ守を望む、まことに I~t望のよい立
地である . 反内 は 弁 才 天 設 に 向 か つ て 友 に 滋 殿 堂 、そ
tび、
の前に宝u儀があリ、弁オヲミ堂のおに阿弥陀念が2l
その pl司 て!なの 1111 のやや予前に乎*~号、阿弥陀.~~:のイ苛1î に
JoI[ ~lt カザある。
このみのおIl .lZについて『井伊家年 I~j に大 iltiI 1l\)ミ吹
は 彦 総 務 附 代 目 減 主)
f(
J
tj
'
l興 が 元 株 8.
i
f
.(1695)領 域 の
1
;
とj
f
r江 代 々 の 放 領 主 の 彼 を '
1
)うため、術i
ぜからs.
安1
一 文 の 得力日余を募り、これに多古賀の 滞 令 を 加 え て 同 9
.{f.滞手として処_\J.した記録がみられ、以米-J-H:Jト2誌の~~~
J
L
I
'
砂;
E
:として代々滞主により守波されてきたが、日行羽1
J
7
i
f
ミl
'
J
;
i
1i
長限州派総本山総側主r
:
}
]
I
J
院 長J
.
n
涜となった。
務与
』党内には前述のように沢山の蛍令が迷っており、 i
といえども既成の寺院と何ら変らず作機能に応じて巡
られている。ょの憾な寺院総築株l
:
tj
f
r
世 のj
立梢とはい
え V,~ I
勾には数少ない。,都建物の内、弁.J'天没、阿弥陀
水、桜門、経蔵、生i~織 の 5 れ11 が昭和41 停に ~Iì\ 指定 にな
け、弁〆「犬'
立
{
まi
府和 4
8
年 に 重 要 文化 財 に 指 定 さ れ た .
1
f
r
1
:
.
tl
i建立以米皮々修J'!t
lさ れ た 二 と が 知 ら れ
よれらの 1
るが、似本的な大修.ru!がないまま
3
0
0
.
q
.
:
.;
f
r<経治し、
後門修理竣工状況
後門事干先郊の小屋組
}
桃i
立で あるが今聞の修理1
1
I
:
t
.
しい形式 で ある . 次に │
付
古I
昆桜 l
(
.
:
i
J枠が主であるため必然的に調査純聞は小島*[
t
姐りに │
浪 られた . 小w.組織i
立も 1
Htと大差 l
まないが制│
部 に 新l
円入りま じっ た手法がHlいられていた 。 それは、
11~附lThイミと地iffi* を 一 木造')としたカ.!1!;オてを 10-}PI正
1
=
1
に配して軒先を支える工法を取り入れ泣世処築では
給木が粁先宮北村を支えるニとを 'i;~' ~緩めようにしている
の に 反 し て 、 一 木i
i
tリの奨水及び飛桁!ffi木によ ってが
(
.I
tiJlを支え、総本{ま d
J
史的に t
:
,
¥f
ま保!桁を支
れにかかる,
える精進としており、また '
J
I
段位;泣で梁行方的jに丸桁
楼門二階内部
弁才天堂
金 * を 入 れ て九桁にかかる .
(
.
:
F
Rを少しでも税減する }j
~lLï'L.ir~ 次については lìíJili にむ ふれたが現存のおi
l
札
法をとるなどの工夫がみられる 。 この機に中i!J:以降用
主 1)により 7
討議 8年から 9年にかけて,注てられたこ
いられてきた給本によ って粁先 .
(
.
l
t丞を文ノムするミとな
:は本堂、礼金、石の H
I
Jから
とが誕{寸けられる 。 この M
(
せずに、 'Iil・~リを恨闘に納め、脱線荷 iH とは>JIJ 々にそ
なり寺院建築には紛な俗現i
立の形態である 。 f
t
r
iJ,;見逃は
れぞれ If[:t~肢に平日:[Æ を伝える L法であ っ た 。
ié米神社主ß~誕の本殿形式の 一つ で本誕生と料般 の IIIJ を本u
の問で述絡する形式で三純の終な っ た平 1('両 Jf~ のため さ当
mも絞斜iに変化する 。 この JM'Ui'l<安時
然厳
代にまで泌i
ると云われ i
fi:也・の特に芯縦主I!築で
~んに JFI\ 、
ら
0
1
附 ,,.州
I I I II
,I I I
I
, ,I
i
U
i
川正形式が完成された j
登りで
ある o I多.fH城主 1(( 拠はずj'-,.J噌 天:;:~主ß iL前の 7GtJ
7己年に日光話術~~程修r~・ に総司長行として関与・
しているニとから武将の椛!成を象徴する i
l
l
築
とするため弁,j'天堂を権現迭にしたと A
6
・
えら
れる 。本 金 1
;
1
:
桁
行
:
1
1
.
1
1
司、後 I
H
J三l
lJで人 i
副長述
。
)
1
f
r
l
i
i
に_.
t
l
J
)i[Iリの庇を取リ込んだリ、その
後に 一 日"の rílJ~下を設けた変 Hリな形式からなる
内部は三 間 1
)
4方が内向{となるが、桁行の性筋
m初j凶りのはかは官l件t筋と異なる :千法でJri
1
仰は少ない 。ぬ l
;l:jIJf主、純物{ま :
l組 で あ る が
,''
f凶i
成部分はHi三 ツ 卜としている 。 イ干の l
J
は
桁行三IHJ 、 i制御三 IHI 、礼j,~: l
i桁 行三 H
l
J
、梁 t
f
t
j
ま
{
J
三 HII 入RJ: m 遣で山般H~巡の ー Il~jrí'J 汁:を設け て
いる 。 1:11物 li イI の IHj/j(平三 ツ '1 組、礼~1~ がJlJ.
楼門梁行断面
IH*で 紘 1
1
4
.
もに 1
r
f
j
:としてみ;
t
i
:に比べると前j
_ 2_
.t~な建物である。各昼H~ の礎的i りに
も変化を付けている。礼銭安 t
i!
J
[
梁
式首級、大JI
.、 J
J
t
*と一般に使
上に J
われる古式な納めん・に対して正而千
五~ t
ま
虫1
梁上に太平 J
I
ミに出三 '
'
1'
1
.とし、
J
l
l
本金裂は前記の太平東に挙ぬを付7
した珍しい形式としている。弁オ天
:lAの外観は極彩色を絡しているイb
I
l
f
i
f
r
をや:'}rl:は内法長押上三ト秩迄、石の問
l
i
J
I
.供問、礼設は}.!f!政Ji.迦 1
)、そし
Iに装飾を b
む
て名:u飾りと姥築の一宮S
し部分的とは云えどむ装飾の一目'牲
底的統一 を号1
をも ってま1¥物令体の:0:1
リ伝統的な形式をそなえている反間、
S
の本企 │
勾法小
内野I
u
n
*
-ぴ!Irr梁上に li
欄間同~~1J~す:を入tL、干し設も含めて喰
弁才天堂の E
塁
本
良
而には艇彩色を純i
し、装飾過剰なと
空宇から推定して短 J
U
JlnJであり完成年次は疑問伐されて
ころは元総 il寺代の主ß~誕の特色をよく笈・している 。
以降した瓦銘によ ヮて弁,i'
ヲ足立の完成年
次に今閉め i
l
まいたが1
列らかな資料むなか った。 ところが全ての大
関係にな った。今日まで敏札によ って元被 8年 箭
代 がl
桜鬼瓦に「玄永元年 r
t九月如意球目」云々の芸1
隠れがあリ
1
t永元年(1704)は元被 9年よリ 9年後で民1'1
{:
t
'
王
将
又l
正
取 相l
キにしては早すぎることと、瓦(I:工段上、鬼瓦r
f
x
付{ま最終j
Eくであることか ら完成年代は主永元年と姿
付けられる 。 その後の屋根瓦の修理!については、大線
J
7
9
5)
の主IJ銘があり宝永
新の似飾リ瓦大半に究政 7年 (
元年から 95.{j~後で創建後第 l 回 1=1の髭似司王替が行われ
た と考えられ、そ の 後 1
1
5年目の大J
E8i
p(1919)に尿
王H
'
fを行っている 。 大 正 8
A
F
・
の修史I
U
i給水の約
般会而i
4分の lと、部分的ではあるが化粧軒制。]の材
L取 P
s
えているよとか ら第 2I
司自の民総会前首:枠1
1
寺と忠われ
る。
阿弥陀堂
m
仰の阿弥陀 ,を犯り、線占しがノi
、反組内に現存し
本 地i
1
三代 l
i弁才7-となと同じでめる 。締 逃 1
1桁 行
ており姥立 5
弁才天堂正側面
五削、 U~ 問 lil旬、入母屋i容で正加に - lHJ の向搾を設け
ている . .
i
f
li
u
il
J
:i
l
l
J担当り - r,1jを外府[
Iとして内側はiEr
師三
[
m、
官
[
I
jj
f
u二 l
[
j
lとしているため桁行のね筋の中央通りは
u目純筋と災なリヂ~ _J'ヲ?をの本公と同 じ 珍しい乎法を J~4
いている 。 flllJ控~リは純孤より 12cm低いところに飛れを
とおしてねi
上t
i
)
削付木とする附司会な形主にである 。 内郎
については、内外 1~ltJえは内法小柄に弁・ 2天:次と同線、
~JI日1 彫刻l を入れたり、 1E師通り l立中何il を袋 11置とし、 l'町
j
R
g
而l
止中備に平三ッ 1
'
ーを問、、るなど安化を持たせてい
i{
i
J
l
H:.1ミで総丹古殺りとした当時として
る。全 体 に 外 部 l
絞ったnJ
i
紫な怨築て¥わずかに l
i
.
J持 組 リ 及 び
は古式に i
lるが、内部
姿飾りの彬刻や彩色から球やかさが見ら i
は、外 l
i
!
!
l
のj
好t:釘j誌をはじめ、彫刻l
獄
、
阿弥陀堂の内外陣境
'
1
.供、鋭天 )
1
二
板まで彩色を}jffiし、武家好みである過剰なほどに装飾
d
伶
A経
蔵
宝
玄品誌は桁行三1
日、後1
1
1
]
三1
1
1
1、校合泣、総:
J
い食りの.Hi.fト
をなし当 II.~ の特色をよく炎した ill物である。また 内外
陣 峻 の 欄1
1
1
1に l
;
t匁の ~J rlIする:t;; 1J(.III~.w1 で泌され、信仰
な ill物であるがhHl~1よ得似泌がはとんどで、村i に切必
と建築彫刻l
のl
地係の 1
m白い I
I
I
Iを此ることができる。
i1ìもあるが、この蔵 1;1 入f!H~ 泣である .又米伶上の台
経蔵
鎗上端をへ'{~形とせずに水‘1< としたり、
tß:.i'l.司王 1tlま、川,11E に元被拾弐有三己Op 八J1#日:i;々の ~lJ
II飾 I:t. 時ÍlJ 包上
に真家を主ß て仰木を 1t lt る附~{t予法を m いているの
$
1
1があり '
9
1らかである.万三1
日、::K形.
i
1
lで、内部には、
も珍しい o W< 内ではイT 山、,j' に伐る ii'H~( ,j奇術定)
とj
もに
主の回転^*t.I.
l
iを備えている.この主1!物 i
正祢宗様
八角 i
武滋な存花である .
式を主体とした-iRJ.rl似て-終局Itl
;
t
二i
f
{磁般になるもの
又、外郊の欄Ill
I
としては揮:長様の
•
弓側1
削 減 速 f)に限られるために、この形式が多いが、
~i布:I~lþ 央fm を i!H" とし た 1).
i
d
i
i脇
聞は I長級として外側に W}IJ~のほ':(彫刻を日止め込み装
以南刊制
飾した珍しい形式であると f,iJ8.~ に当時代の特徴をよ〈
宝蔵
、 官 大
f
干 陀
R . 天
持政選句
,
'
!
H
.
H
量主
"
r
-r
n
:1J(i,反
刊
m
m
h
払出剛門引H
久野払川氏出同州
一
湘
九
jJ
E ZドE
州布引行
羽 ん 加 わ H品 剛 門 医 皆 川
川住釘織内政野
Mm
川湘X釘恥剛門常 MR
HH谷 川 次 郎 両 片 品 同 行 "
山町ほ.山中河町丹釘倫門氏崎
羽 phS介 光 家
民川J・
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λ 抽削岬卯山門 H附行制叫臨剛削仰同村 A9
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抽問﹄埼品仲托双山附門&鴨川
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Iに.ijSi
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mm
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品
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制形加
4
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J
:年代 l
i不ぷであるが、主従i
l
l
築物であり前述の
一 巡 のi
l
l
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J
<
大~大
前1
純
I
郎
弁才天堂棟札
u
.
小二
1<している .
持河字法制r
u
m
(パン)
ニの戒め欄lUlli 、
議濠 U
聞締川町岨帽原副開ル仲庁伊氏以即時
が多い中で珍しい
(
大1
以降)
(
注 1)