論文要旨・PDF

氏名(本籍)
佐藤 明恵(東京都)
学 位 の 種 類
博士(栄養学)
学 位 記 番 号
博甲第 36 号
学位授与年月日
平成 26 年 3 月 15 日
学位授与の条件
学位規則第 4 条第 1 項 該当
人間栄養学研究科 人間栄養学専攻
論 文 題
目
論文審査委員
脂質の嗜好性に関する研究
主査
教授
池本 真二
副査
教授
林 徹
副査
教授
加納 和孝
論文内容の要旨
第 1 章 緒論
平成 23 年国民健康・栄養調査の食品群別摂取量をみると、60 歳以上では魚介類摂取量は肉
類摂取量を上回っているのに対し、若年者では魚介類摂取量は肉類摂取量を下回っており、若
年者では“魚離れ”が生じている。動物性脂肪は飽和脂肪酸やコレステロールを多く含み、過
剰摂取は生活習慣病の原因となる。一方で、魚由来の脂質に含まれる eicosapentaenoic acid
(EPA)や docosahexaenoic acid(DHA)などの n-3 系多価不飽和脂肪酸は、血漿脂質低下作
用や抗血栓作用等があることが知られている。そこで、本研究では、若年者の動物性食品摂取
量が増加し、
魚介類摂取量が減少している原因の究明を目的に、
ラットを用いて研究を行った。
第 2 章 成長期ラットにおけるラード・大豆油・魚油添加飼料の摂取が成熟後の魚油の嗜好性
と必須脂肪酸摂取比率に及ぼす影響 (研究 1)
ラットを 3 群に分け、それぞれラード食(LD)
、大豆油食(SD)
、魚油食(FD)を 8 週間摂
取(実験食摂取期間)させた後、LD と FD の選択摂取を 3 週間(選択摂取期間)行わせ、FD
摂取割合[FD 摂取量/総飼料摂取量]を調べた。実験食摂取期間後の血漿トリアシルグリセロ
ール(TG)濃度は LD 群:158±47.6 mg/dL 、SD 群:116±36.0 mg/dL 、FD 群:84.7±24.5
mg/dL となり、FD 群が最も低かった。選択摂取開始直後の FD 摂取割合は LD 群:約 50%、
SD 群:約 35%、FD 群:約 15%の順に高かったが、LD 群と SD 群の FD 摂取割合は次第に
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低下し、
FD 群は増加し、
選択摂取開始 7-9 日目以降の FD 摂取割合は 3 群とも約 20%となり、
選択摂取期間終了時の血漿 TG 濃度は LD 群:92.6±30.3mg/dL、SD 群:61.3±19.2 mg/dL、
FD 群:79.8±31.2 mg/dL となり、3 群間で有意差はみられなくなった。3 群いずれのラット
も、実験食摂取期間に不足した脂肪酸を選択摂取開始直後に補足し、n-6/n-3 比が約 3 になる
ように LD と FD を摂取した。ラットは適正な比率で必須脂肪酸を摂取する能力を有すると推
察された。
第 3 章 ラード食摂取ラットの n-3 系脂肪酸の補足に及ぼす植物油および魚油由来の n-3 系多
価不飽和脂肪酸の影響 (研究 2)
ラットを 4 群に分け、実験 1 は LD 群と FD 群、実験2は LD 群とシソ油食(PD)群の 2
群ずつとしてそれぞれの飼料を 6 週間摂取させた
(実験食摂取期間)
後、
実験1では LD と FD、
実験 2 では LD と PD を同時に与え、両飼料の選択摂取を 3 週間行わせた(選択摂取期間)
。
実験食摂取期間後の血漿 TG 濃度は実験 1 では FD 群:83.3±25.6mg/dL、LD 群:160.1±
46.1mg/dL となり、FD 群は LD 群に比べて低かったが、実験 2 では PD 群:134±34mg/dL、
FD 群:165±41mg/dL となり、LD 群と PD 群で有意差はみられなかった。選択摂取開始直後
の FD 摂取割合は実験 1 では LD 群で 48%、FD 群で 13%となり、LD 群は FD 群に比べて高
かったが、選択摂取 7−9 日目以降は両群の FD 摂取割合は約 20%となり、有意差はみられな
くなった。実験 2 では LD 群と PD 群の PD 摂取割合は選択摂取期間を通して有意差はみられ
なかった。したがって、シソ油に含まれるα-linolenic acid(ALA)と魚油に含まれる EPA+DHA
の生理的な効果が異なることから、n-3 系脂肪酸の給源として魚介類の摂取は重要であると推
察された。
第4章 亜鉛欠乏飼料の摂取がラットのラード食と魚油食の嗜好性に及ぼす影響 (研究 3)
低亜鉛(Zn)食の摂取は食欲不振を引き起こし、脂質代謝が変化することから油脂の嗜好性
が変化している可能性が考えられる。そこで、Zn の不足した LD と FD をラットに選択摂取さ
せ、油脂の嗜好性を調べた。ラットを Zn 正常(ZnA:30.9mg Zn/kg)群、軽度 Zn 欠乏(ZnM:
5.9mg Zn/kg)群、Zn 欠乏(ZnD:0.9mg Zn/kg)群に分け、それぞれ ZnA-FD と ZnA-LD、
ZnM-FD と ZnM-LD、ZnD-FD と ZnD-LD の選択摂取を 24 日間行わせた。総飼料摂取量は
ZnD 群が 162±5g と最も低く、ZnA 群:243±9g、ZnM 群:235±9g で 2 群間では有意差は
なかった。FD 摂取割合は 1−3 日目には 3 群とも約 20%で有意差はなかったが、その後 ZnM
群と ZnA 群は増加し、ZnD 群は 4−6 日目に約 5%に低下した後、有意な増加はみられず、7
−9 日目以降は ZnD 群が最も低く、ZnA 群が最も高かった。Zn 摂取状態によって LD と FD
の摂取パターンは異なり、Zn の摂取不足によって魚油の嗜好性は低下することがわかった。
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第5章 成長期ラットにおける亜鉛欠乏飼料の摂取が成熟後の魚油の嗜好性と必須脂肪酸摂取
比率に及ぼす影響 (研究 4)
研究 1 で、成長期のラットには n-6/n-3 比が一定の割合になるように脂質を摂取する能力が
あることがわかったが、Zn 欠乏時に、この選択能力が維持されるかを明らかにするために、
Zn 欠乏時に LD と FD を選択摂取させて FD の摂取嗜好性を検討した。成長期ラットを1群
16 匹ずつの 4 群に分け、それぞれ Zn 欠乏・ラード食(−ZnLD)
、Zn 欠乏・魚油食(−ZnFD)
、
Zn 添加・ラード食(+ZnLD)
、Zn 添加・魚油食(+ZnFD)で 3 週間飼育後、各群 6 匹ずつ
を解剖した。残りの−Zn 群に−ZnLD と−ZnFD を、+Zn 群には+ZnLD と+ZnFD の飼料
を同時に与えて 3 週間選択摂取させた後解剖した。−Zn 群は+Zn 群に比べて血漿 Zn 濃度、
飼料摂取量、体重は有意に低く、血漿・肝臓脂質濃度も−Zn 群が有意に低かった。選択摂取期
間の+Zn 群の FD 摂取割合は LD 群、
FD 群ともに 1 週目から 3 週目を通して約 30%であった。
しかし、−ZnFD 群の FD 摂取割合はどの期間を通しても約 10%と低いままであり、−ZnFD
群では期間を通して約 50%と高かった。+Zn 群のラットの n-6/n-3 比は LD 群が 2.6、FD 群
が 3.1 となり、
n-6/n-3 比がほぼ 3 となるように LD と FD を選択摂取したが、
−Zn 群の n-6/n-3
比は LD 群で 1.9、FD 群で 6.6 となった。したがって、+Zn 群は一定の n-6/n-3 比で必須脂肪
酸を摂取する能力を有しているが、Zn が不足するとこの能力が消失すると推察された。
第 6 章 妊娠・授乳期の摂取油脂が離乳後の仔ラットの油脂摂取嗜好性に及ぼす影響 (研究 5)
乳児期の栄養は母乳を介して母親に依存しており、離乳食を介して乳児の食物の好みが形成
されることがわかっている。そこで妊娠・授乳期の LD または FD の摂取が離乳後の仔ラット
の油脂の摂取嗜好性に及ぼす影響を検討した。妊娠ラットを 2 群に分け、それぞれ FD と LD
で妊娠・授乳期間飼育し、離乳後、FD と LD の選択摂取を 27 日間行わせた。その結果、選択
摂取期間後の仔ラットの総飼料摂取量はオスでは LD 群で 369±40g、FD 群で 386±32g、メ
スでは LD 群で 344±25g、FD 群で 336±33g となり、オス、メスともに両群間で有意差はみ
られなかった。オス、メスともに選択摂取開始 1−3 日目では両飼料を同量ずつ摂取していた
が、7 日目以降になるとオスの FD 群で約 38%、LD 群で約 16%、メスの FD 群で約 32%、
LD 群で約 17%となり、オス、メスともに FD 群で FD 摂取割合は高くなった。したがって、
離乳後の仔ラットの油脂に対する嗜好性は、離乳する前に母親と一緒に摂取した摂取経験のあ
る油脂の影響を受けると推測された。
第7章 総括
若年者の魚介類摂取量が減少している原因の究明を目的とした本研究から、以下の事を明ら
かにすることができた。
1.正常なラットは、n-6/n-3 比が約 3 となるように FD を選択摂取する能力を有する。
2.ALA と EPA+DHA の生理的効果は異なり、n-3 系脂肪酸の給源として魚介類の摂取は重
3
要であると考えられた。
3.成長期のラットでは Zn 摂取量の低下とともに FD 摂取割合は低下し、Zn の不足は魚油の
嗜好性低下の要因の一つであると推察された。
4.成長期のラットでは Zn 欠乏状態で n-6/n-3 比を一定の割合で摂取する能力が失われる。
5.離乳後の仔ラットの油脂の嗜好性は妊娠・授乳期に母親が摂取した油脂の影響を受ける。
以上の結果から、Zn 摂取量の低下は魚油の嗜好性低下の一要因であること、また、妊娠・
授乳期の母親の FD 摂取量の低下によって仔ラットの FD の嗜好性は低下することが考え
られ、EPA・DHA といった n-3 系脂肪酸摂取不足になると推察された。
【基礎となる論文】
佐藤明恵,眞田匡代,小松﨑典子,中嶋洋子(2009) 成長期ラットにおけるラード, 大豆
油, 魚油添加飼料の摂取が成熟後の魚油の嗜好性と必須脂肪酸摂取比率に及ぼす影響.
日本栄養・食糧学会誌,62:245-251.
Akie SATO,Yoko NAKASHIMA(2011) Rats Allowed to Self -Select Zinc-Deficient
Lard and Fish-Oil Diets Did Not Develop a Preference for Fish-Oil Diet.Journal of
Nutritional Science and Vitaminology,57:156-161.
佐藤明恵・中嶋洋子(2013)亜鉛の摂取不足がラットのラード食と魚油食の嗜好性に及ぼ
す影響.日本栄養・食糧学会誌,66:25-33.
Yoko NAKASHIMA,Akie SATO,Miki SAITO(2009) Effect of Plant- and Fish-Oil
Derived n-3 Polyunsaturated Fatty Acids on Counteraction of n-3 Fatty Acid
Shortage in Adult Rats Fed a Lard Diet. Journal of Nutritional Science and
Vitaminology,55:346-352.
中嶋洋子,佐藤明恵(2010)妊娠・授乳期の母ラットの食餌油脂が離乳後の仔ラットの油
脂摂取嗜好性に及ぼす影響.日本栄養・食糧学会誌,63:247-252.
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博士論文審査の要旨
Ⅰ.論文審査の要旨
本論文は、若年者において、動物性食品の摂取量が増加し、魚介類の摂取量が低下して、い
わゆる“魚離れ”が生じている原因の究明を、脂質の嗜好性という観点から取り組んだ一連の
研究をまとめたものである。動物性脂質は、飽和脂肪酸やコレステロールを多く含み、過剰摂
取は動脈硬化や心疾患をはじめとする生活習慣病の原因となることが知られている、一方、魚
油に含まれる eiocosapentaenoic acid(EPA)や docosahexaenoic acid(DHA)などの n-3 系
多価不飽和脂肪酸は、血清脂質低下作用や抗血栓作用があることが分かっている。それ故、近
年の動脈硬化性疾患の増加が、脂質の嗜好性の観点から、魚油の選択摂取が減り動物性脂質の
選択摂取が増加した結果により、もたらされたのではないかとの仮説を明らかにするための新
規性の高い研究といえる。
第 2 章の研究 1 では、成長期の 4 週齢のラットを用いて、8 週間ラード食、大豆油食、魚油
食を摂取させた後、ラード食と魚油食の選択摂取期間(3 週間)を設け、成長期の摂取油脂の
違いが魚油の嗜好性に影響するかを調べた。その結果、成長期に摂取不足と考えられる脂肪酸
を、選択摂取開始直後に補足し、その後は必須脂肪酸摂取割合(n-6/n-3 比率)が 3 になるよ
うにラード食と魚油食を摂取することを明らかにした。このことはラットが適正な必須脂肪酸
比率で油脂を選択する能力を有することを示唆するものである。
第 3 章の研究 2 では、研究 1 の結果に基づき、ラード食摂取ラットが n-3 系脂肪酸を補足す
る際に植物油(シソ油)由来の n-3 系脂肪酸と魚油由来の n-3 系脂肪酸で差異があるかを検討
した。その結果、α-リノレン酸を多く含むシソ油には、EPA や DHA を多く含む魚油のような
血清脂質低下作用はなく、
また n-3 系脂肪酸の不足を補足する効果もないことを明らかにした。
両油脂の生理作用の違いが、自発的な油脂摂取欲である嗜好性に影響しているのではないかと
推測している。
第 4 章の研究 3 では、亜鉛(Zn)が皮膚炎や味覚障害、食欲不振、成長遅延などに関与して
いることから、亜鉛の欠乏が食欲不振を引き起こし、脂質代謝が変化した結果、油脂の嗜好性
が変化するのではないかと考え、Zn の不足したラード食と魚油食を選択摂取させ、油脂の嗜好
性を調べた。その結果、亜鉛の摂取レベルにより魚油食の選択摂取パターンが異なり、Zn の摂
取不足により魚油の嗜好性は低下することを明らかにした。
以上のように、ラットは不足した脂肪酸を補足し、必須脂肪酸比率(n-6/n-3 比率)が一定
の割合 3 で摂取する能力を有すること、Zn が不足すると魚油の嗜好性が低下することが明ら
かになったことから、第 5 章の研究 4 では、Zn が不足した場合に、n-3 系脂肪酸の不足を補う
能力、嗜好性が維持されるのかを調べた。その結果、Zn が不足すると、一定の n-6/n-3 比率で
必須脂肪酸を摂取する能力を消失することを明らかにした。
さらに、第 6 章の研究 5 では、妊娠・授乳期の母ラットの摂取油脂の違いが、離乳後の仔ラ
5
ットの油脂の摂取志向性に及ぼす影響を検討した。その結果、母ラットが魚油食を摂取してい
た場合は、仔ラットの魚油食摂取割合は、高く維持されるが、ラード食を摂取していた場合は
魚油食摂取割合が低いことを明らかにした。
以上の通り、申請者は、一連の研究で、油脂の嗜好性には、Zn が関与しており、母親の摂取
経験のある油脂の影響も受けることを明らかにした。今後の方向性として、妊娠・授乳期の亜
鉛摂取量の低下と魚油摂取量の低下が、仔ラットの油脂の選択摂取に及ぼす影響について研究
を進めることとしている。
本論文は、油脂の嗜好性のメカニズムの究明までには至っていないが、その究明に大きく寄
与する貴重な結果が示されており、博士論文として十分な内容であると判断した。
Ⅱ.諮問の結果の要旨
2 月 5 日の公開諮問(研究発表)に続き、申請者に対し、非公開の形で口頭試問を行った。
その主な観点は、油脂の嗜好性のメカニズム、特に Zn の関わりと、嗜好性の決定要因として
のおいしさと関わり、α-リノレン酸の生理作用に関するものであった。発表の内容はわかりや
すく整理されており、5 つの研究の流れや位置づけをきちんと説明され、Zn 摂取量の低下は魚
油の嗜好性低下の一要因であること、また、妊娠・授乳期の母親の魚油脂摂取量の低下によっ
て子供の魚油の嗜好性が低下すると考えられ、このことが EPA・DHA などの n-3 系脂肪酸摂
取不足の要因になっていると推察するに至る説明ができていたと判断した。一部質問に答えら
れない、あるいは不適切な対応もあったが、概ね問題はなく博士後期課程の評価に値するもの
と判断した。
また、プレゼンテーションに関して、内容をまとめてスライド数枚を減らして、聞く人が内
容を理解しやすくするように工夫するとさらに良くなるなどのアドバイスを行った。
諮問の過程から、申請者が、人間栄養学の研究、特に動物実験に関する研究の方法論につい
てよく把握し、研究内容、今後の研究方針なども定めていることから、諮問担当者全員が合格
と判断した。
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