ジ ュ ナ ー ナ ガ ル ヴ ァ(GJ)の二諦分別論(一) 松 下 (松 了 宗 ジ ュナ ー ナ ガ ルヴァ(GJ)の の著作態度- 二 諦 分 別 論(一) -そ (1) 下) 中観 派の歴史は八世紀 の沿と寂護 との登場に より、大きな変遷を ︹ 護 法 等 の︺優 れ た 自 宗 の者 た ち す ら も ︹そ れ に対 し︺ 全 く 愚 か で あ る の だ か ら、 ま し てや、(4 彼)ら の側 で指導 に従 って活 動 し て ﹃二 諦 の区 別 に 通 じ て い る人 々は、 牟 尼 (世尊 ) の お 説 き 示 し い る 他 の 者 た ち は な お さ ら であ る。 に な った も の (教 説 ) に 対 し愚 か では な く、 彼 ら は あ ら ゆ る 菩 提 への糧 (資 糧 ) を 集 め 終 え て、 ︹二利 を ︺ 完 成 し、 き っと 彼 岸 に 到 達 す る の であ る ﹄ (第 二偶 )﹂ Pは 次 の四 つ の立 場 の人 々を 念 頭 に置 い て、 SDを 著 述 し た。 即 ち、 (諦 1) に二 依 って説 法 な さ れ た 世 尊(2 二) 諦 の区 別 を 明確 に さ れ た 竜 樹 等、(3 そ)れ を 誤 解 し て いる 護 法 等(4 護) 法 等 に 従 が う 人 々と であ る。 と 略) に お い て、 二諦 説 に関 し て、 月称 ・清 弁 以 来 の伝 統 を 踏 ま え 称 ・清 弁 を は じ め とす る 多 く の註 釈 家 が存 在 す る。 だ が、 何 れ の註 文 面 を 通 し て明 ら か であ る。 と こ ろ で、 周 知 の様 に ﹃中 論 ﹄ に は 月 皿v がr 自t らtの 見 せ て い る。 沿は 主 著 ﹃二諦 分 別 論 ﹂(Satyadvayavibhanqa i立 場 Sを D竜 樹 の ﹃中 論 ﹄ の 上 に考 え て いた こと は、 以 上 の な が ら、 改 め て、 竜 樹 の説 を 提 示 し た と考 え ら れ る。 本 稿 は そう い 釈 家 も 竜 樹 の真 意 を 把 握 で きず に誤 解 を 重 ね て いる と 欝 は 考 え て い た よう であ る。 彼 は自 ら を ﹁ 無 自性 論 者 くNisabhaava﹂ dと ib (4) った 沿 の著 述 態 度 ・立 場 を 検 討 す る。 (3) 称 し、 竜 樹 の正 当 を 受 け 継 ぐ 者 と し て、 そう い った 誤 解 を 是 正 し よ 一 う とす る。 そ の批 判 の対 象 が(3 に) 示 さ れ た人 々 であ る。 但 し、 直 接 等 P は如 何 な る 態 度 で SDを 著 述 し た の か。 造 論 偶 及 び 註 釈 に言 う。 内 容 上 から 類 推 せ ら れ る に す ぎ な い ( 第 二十 五 偶、 第 三 十 偶 等 )。 ﹁二諦 を ︹人 々に ︺ あ り のま ま に 理 解 さ せる た め に、 私 は こ の 書 ﹃(1)︹ (尊 世 2) や 竜 樹 等 が ︺ 二諦 を 既 に 区 別 さ れ て い る の に、(3) か。 先 ず(2 の) 竜 樹 等 に、 月 称 ・清 弁 を 含 み難 い こと は 先 述 の通 り で 中 観 派 の人 々の名 は 一度 も言 及 さ れ てお ら ず、 彼 ら への不 満 が ︹ 護 法 等 ︺優 れ た 勇 士 た ち す ら も 全 く 愚 か で あ って、 ま し て や な い。 弼に と り 権 威 と な った 人 物 は 一体 誰 れ な の か、 直 接 に SD に の批 判 相 手 は、 護 法 ・天 主 覚 と い った唯 識 派 の人 々 であ って、 月 称 (の 1者 )他 たち は な お さ ら であ る。 そ れ 故、 私 は ︹二諦 を 新 た め て︺ 区 別 いた し ま す ﹄ (第 一偶 ) 名 称 が 出 る 訳 では な いが、 私 は そ れを 竜 樹 の弟 子 提婆 と 考 え た い。 物 を 著 述 いた し ま す。 即 ち、 (1 他) を利 起 こし、 利 他 に熟 達 せ る 世 尊 が、 智慧 浅 き 者 に 利 益 を 与 え る た め に、 二 諦 と い う 点 か ら、 多 く 区 別 さ れ て お り、 又、(2 尊) あ る。 少 な く とも 照 は彼 ら に全 面 的信 頼 を付 与 し て いた と は思 わ れ で は(2) の( 竜3樹 )等 ・護 法 等 と言 う の は 一体 誰 れ を 含 意 し て い る の 師 竜樹 た ちが 既 に明 確 に な さ れ て き て いる の に も か か わ ら ず、(3) -186- こと や、 欝 自身 の 思 想 形 成 の段 階 で 護 法 の 註 釈 を 媒介 と し て ﹃四 後 世、 チ ベ ット で、 提 婆 は常 に 竜 樹 と相 並 ん で中 観 派 の祖 と さ れ る て の確 実 な 認 識 方 法 に よ る 証 明 が 説 か れ よ う。﹂ 誰 れ か (汝 ) に よ って、 ︹ 知 識 が ︺ 対 象 の 形象 を持 つこ と に つ い 上 の様 に 批 難 さ れ て いる の に、 一体 ど う し て、陳 那 や 法 称 や 他 の の であ る。 ︹有 形 象 知 識論 は ︺ 既 に 無 形 象 知識 論 者 に よ って、 以 (5) 百 論 ﹄ の影 響 を か な り 受 け て い る こ と、 さ ら に、 寂 護 が SD の註 釈 の 彼 ら と対 立 す る 有 形 象 知 識 論 者 であ り、 従 って、 照は そ の両 者 の何 即 ち、 欝は 無 形 象 知 識論 者 で は な く、 又、 陳 那 や 法 称 や 対論 者 が、 中 で ﹃四 百論 ﹄ の 偶 頚 を 典 拠 と し て引 用 し て いる 事 実 等 か ら し て、 次 に(3 の) 護 法 等 と 言 わ れ る P の批 判 対 象 は誰 れな の か。 SD の寂 護 可 能 な 考 え と 思 わ れ る。 法 称 等 論 理 学 者 と を 一応 区 別 し 取 り 扱 って いる こと であ る。 即 ち、 ても 指 摘 せら れ る。 注 意 す べ き は、 鐙が ﹁汝 ﹂と 呼 ぶ 対 論 者 と陳 那 ・ 照 に と って、 陳 那 ・法 称 は 直 接 の対 論 者 では な か った の であ る。 結 れ にも 属 さ ぬと 考 え ね ば な ら な い。 これ は 第 十 三 偶 の添 加 偶 に よ っ 無 い。 問 題 は 後 二 者 の立 場 であ る。 寂 護 は 一方 で は彼 ら を ﹁ 汝 の内 局、 Bは 竜 樹 提 婆 の意 図 す る 二 諦 説 を 月 称 ・清 弁 等 の諸 説 を 批 判 的 註 に見 ら れ る 個 人 名 は、 護 法 ・天 主覚 ・安 慧 ・陳 那 ・法 称 の 五 者 に の最高 の論理学者達﹂ と呼 び、批判対象 の側 に含 め、又、第十四偶 に 取 り 入 れ な が ら 論 理 学 者 の説 を 考 慮 し 明 ら か に し た の であ る。 す ぎ ず、 前 三 者 に 就 い て は、 批 判 対 象 と し て扱 わ れ て お り、 問 題 は 註 の因果性否定 の場所 で対論者 の 一部 が法称 に同定 し う る こと が ed. 14a7. 20a6 12a8. と し て現 在、 和 訳 と西 蔵 文 校 訂 テ キ スト を用 意 し て い る。 判 的 研 究 の発 表 が あ る が、 未 完 成 で あ る。 筆 者 は そ の基 礎 研究 JG ・SD に つい て は、 既 に 長 沢 実 導 博 士 の 和 訳 研 究 (﹃喩 伽 行 思 想 と密 教 の研 究 ﹄ 再 録 ) が あ り、 近 年 二、 三 の学 者 に よ る批 1 SDとの類似文を持 つ ﹃現 観荘厳論 註﹄ の研究 より知 られる、他方、 玲は自説を補強す るために法称 の量詳釈量決釈 の 二書 を 用 いて い る。なお、彼 の ﹁論理学 者﹂に対する意識 は注目す べきであろう。 寂 護註によると、論理学 者として、陳 那 ・法称 の他、 中観 派や実在 論者が挙げ られている。Pは中観派として、自 らを ﹁無自性論者﹂ 以 下 和 訳 は寂 護 註 に よ り補 註 す る。 D. ed. 2 6 4D. と称し、論理学者 とは明らかに区別して いる。即 ち、彼 れ自身には 3b5-7. D. ﹃広 百 論 本 ﹄ 破 常 品 第 十 五偶 ed. 3 天 野 宏 英 ﹁因 果 論 の 一資 料 ﹂ (金 倉 博 士 百 稀 記 念 印 度 学 仏 教 以 下、97 頁63-4 行、 e t c.) 以下註記略 (竜 谷 大学 大学 院) 25-2 6行、 伽 頁 14行、 砲 頁 22-3 2行、 価頁 14-1 5行、 螂頁 26 行 なく と も 八 ケ所 見 出 さ れ る。 (39頁 20-2 3行、 45 頁 6行、 僻 頁 学 論 集 ﹄ 所 収 ) な お ﹃現 観 荘 厳 論 註﹄ に は SD か ら の 引 用 が 少 7 論理学者だとの意 識は全く無か ったと言うべきであろう。鴻は論理 学者に対しては時に批 判的 であり、肯定的でもある。概 ねBは、陳 那 ・法称等論理学 者 の説を批判的に採用したのであ り、又、常に彼 らに対し第三者的立場を保持し ていたと言えよう。弼は第六偶註自 証説批判 に際し、言う。 ﹁︹ 汝 の主張は不当 であ る。 ︺な ぜなら、整合せる確= 実な認識方法が な いからである。 ︹ 私 とは︺意見を異 にしてい る他 の 人 々は、必 ず しも自分たち の教義を表現する ことばかりに専注しては いな い ジ ュ ナ ー ナ ガ ルヴ ァ(GJ)の二諦分別論(一)(松下) -187-
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