KE t 8 5

二O 一三年十一月六日
ニO 二二年九月二十四日
文学研究論集第必号川口・ 2
論文受付日
大学院研究論集委員会承認日
同
﹃平家物語﹄ の重衡と女人達
ー延慶本を中心に│
ω円。何回目見﹀包(目当0580
なる場所で異なる女人と対面しながら展開して行く。何故三人の女人との
対面を描いているか延慶本﹁平家物語﹄の内容に則して考察して行きたい。
め、重衡は執念を解消しようとした。自ら守護武士に許しを得て内裏女房
や北方と再会を来たし、その執念を解消しようとしたのである。また、千
手前と奏し合う事で遊びへの未練も解消ができた。このように往生を妨げ
る執念を解消する事によって重衡は現世で安心して死を迎える事ができた
のである。この安心こそが心の救いになる。しかし、女人達は対面後決し
て救われたと吾一口えない。内裏女房は重衡の戒めの付いた肌を目のあたりに
してからはもう内裏で仕えることができなくなった。北方は再会後もう会
えなくなった事を悲しみ、周囲の目も気にせず嘆いた。彼女は悲しみのあ
まり出家に至る。しかし千手前は離別の際、二人の異なる態度で﹁世界の
延慶本に於ける重衡物語は、対面によって重衡の現世での救済された心
すれ違い﹂が描かれている。
(延慶本第五末から第六本)にか
平家物語、延慶本、平重衡、救済、女
と女人達の悲しみに陥った心の交差が描かれているのである。
︻キーワード︼
はじめに
﹃平家物語﹄巻第十から巻第十
けて平重衡の記述が多くの分量を占めている。重衡は平清盛の五男で
あり、南都を焼き討ちした仏敵として一の谷で生け捕られ、京・鎌倉・
奈良で恥をかいた人物として描かれている。この重衡の記述には三人
りの世話をした千手前、そして北方の大納言典侍である。重衡は京で
(l)
の女人が登場する。それは長年恋仲であった内裏女房、鎌倉で身の周
執念を見せた。一方、千手前の場面では、彼女ではなく﹁遊び﹂への未練
内裏女房と再会し、鎌倉で千手前と出会い、日野で北方と再会した。
そのため、まずは対面動機について確認した。重衡は内裏女房と北方には
を見せ、千手前はそれを導く役割をした。執念は往生を阻害する。そのた
- 1
4
7
出2
w
m
w
B
O
ロo
m山片山江ョ
二O 一二年入学
、
可﹀ H同
N州
出町一宮
日
長
E
学
専
攻
-KEt85 開ロ句。│
博士後期課程
文
﹃平家物語﹄では重衡の記述が多くの分量を占めている。その物語は異
︻論文要旨︼
IC
.
宙
E
ト
キ
したのか。物語に則して重衡物語がどのように描かれているのかを確
行く。何故重衡は女人達と対面して行ったのか。物語は何を描こうと
即ち、重衡物語は異なる場所で、異なる女人に対面しながら展開して
必要があると考える。
延慶本の女人達の出家・供養記事の不在について、もう一度考察する
のにもかかわらず、重衡救済に関して随分異なっている事がわかる。
人の存在による重衡の心の救済を論じた。両者が同じ延慶本を論じた
事によって彼への供養を導き出したとした。確かに重衡と彼女達との
と離別した後、出家して彼の後世を訪ったという記述が繰り返される
像の造型という立場から女人達の記述に着目した。三人の女人が重衡
した研究も多々ある。その中で、佐伯真一氏は、覚一本に於ける重衡
重衡関連の先行研究は頗る多く、そのうち三人の女人について言及
中心に女性達の役割について考察しているが、本稿では延慶本に於け
段階に相応しい女性が配置されているとした。松尾葦江氏は党一本を
﹁三種のキャラクター﹂として描き分けられたと指摘し、それぞれの
ぞれの個性というよりは社会的立場や重衡との別様の関係を背負った
話を通して﹃平家物語﹂を考える﹂事を試みた。三人の女性述はそれ
松尾葦江氏は﹁﹃平家物語﹄の女性説話の考察﹂ではなく、﹁女性説
(7)
認し、それについて考察を加えたい。
各々の物語を女人の出家・供養で締め括った覚一本の解釈としては妥
る女人達の描写について確認したい。
(2)(3)
当だと考える。ただし、このような一貫した女人達の出家・供養記述
そのため、まず重衡が何故女人達との対面を望んだか、その動機に
(4)
は諸本の中でも覚一本のみに見られ、延慶本には見られない。延慶本
注目したい。それから重衡が願望を成就させるためにどのような動き
をするのか確認し、その後の女人達の行動をも確認したい。その上で、
(
5
)
の同場面に関して、石津備子氏は﹁古態である延慶本では、重衡の往
生に対する意識があったように考えられない。延慶本段階で重衡の往
延慶本﹁平家物語﹂に於ける重衡物語について考察する事にする。
小林美和氏は重衡像を考察する中で、次のように記述した。﹁﹃平家物
で生け捕られ、京に戻り、大路を渡された。その後、都落ち前に仕え
まず、内裏女房との対面動機について確認したい。平重衡は一の谷
対面動機│執念
生が可能であったならば、多くの女人が重衡の回向を願って仏門に入
る意味やその必要性が薄れ、これより成立年代が遅い諸本で重衡を救
済させようとする動きも起こりえないからである﹂と述べた。しかし、
垣間﹄の重衡説話の基本的枠組みが、その魂の救済の物語であるとすれ
た信時が許しを得て訪ねてきた。重衡は涙を流しながら次のように述
(
6
)
ば、これら女性たちも、それに重要な寄与をなしているのである。し
中将宣ケルハ、﹁①去比西国ヘ院宣下リシカパ、二位殿ノオワス
べた。
すなわち、この女性たちこそ、重衡の顔を見、その言葉を聞くことに
レパト、患シク待ツレドモ、其事既ニ空シ。於今者被切事必定也。
かし、この魂の救済とは、けっして重衡死後のことばかりではない。
よって、死に瀕した重衡の心を鎮める役割を担っている﹂とし、聞く
- 148-
時二、其ノ左右モ聞ザリキ。抑汝シテ時々文遺シ人ハ未ダ内裏ニ
③但最後ノ妄念トナリヌベキ事アリ。都ヲ出シ時モ、汝ガ無リシ
の﹁妄念﹂というのは執念であり、執念は往生を妨げる。﹁最後の妄念﹂
べた﹁最後の妄念﹂というのは、女房との再会であったのである。こ
中、﹁如何ニシテカ今一度相見奉ラム﹂としている。重一衡が信時に述
﹁世ミのちぎりはみな偽にでありけりと思ふらんこそはづかしけれ﹂
トヤ聞﹂ト宣ケレパ、﹁信時サコソ承候へ﹂ト申ケレパ、﹁彼ノ人
傍線部①は、後白河院が重衡と三種の神祇を交換するため送った院宣
と、代々の契りを偽りと思われたら面目がないと記した。延慶本の死
は小林美和氏の指摘のように﹁自らの往生を阻害する﹂ことになる。
が平家に受け入れられず交渉が成立し・なくなった事を指す。延慶本で
後往生に影響を与えそうな﹁妄念﹂と比べると、覚一本は契りを偽り
ノ許へ文ヲ遣パヤト思ヘドモ誰シテ可遣トモ不覚。信時持テ行ナ
は後白河院が西国に重国を行かせたのを内裏女房との対面前に置く
だと思われるのを心配し、往生や後世の影響とは関係ない現世に限ら
一方、覚一本では、妄念を告白した記述はなく、女房の安否を聞き、
が、覚一本では対面後に置くためこの記事は見られない。延慶本では
れた動機であると一吉守える。
ムヤ﹂トテ、御文ヲ書テ、
交渉が成立しなかった希望のない状況で重衡は自分の斬首を想定して
次は、北方との対面動機を確認したい。鎌倉に下った重衡は南都の
いる。そのような状況で傍線部②で﹁最後ノ妄念﹂になる事があると
述べ、昔文を交わした女房がまだ内裏にいるのかを聞いた。さらに守
大衆に渡されるため、奈良へ向かった。しかし、京には入る事ができ
ず、醍醐路を使って南都に向かうと木幡山の近くで守護の武士に次の
護の武士に許しを得て重衡は女房に手紙を書き、信時がそれを伝え
た。その内容は以下の通りである。
ラメト思へパ、人ヲモ恨ベカラズ。此世ニ有ム事モ今日ト明日ト
サラス事ノ心憂サ、此世一事ニハアラジ。先世ノ宿業ニテコソ有
申事モ有ナムトコソ思シニ、夫モ叶ワズ。生ナガラ被取テ、恥ヲ
何事ニ付テモ此世ニ思置ベキ事ハ一モナキニ、此事ノ心ニヵ、リ
ムユ度替ヌ林ヲモミヘパヤト思ハイカニ。我ハ一人ノ子モナシ。
ヲ可蒙事一アリ。年来相具タリシ者、日野ノ西、大門ニ有トキク。
月来日来情ヲ係ツル志シ、 ウレシトモ云尽シ難シ。同ハ最後ノ恩
ように述べた。
計也。知何ニシテカ今一度相見奉一フム﹂ト、哀ナル事共ツキセズ
テ、ヨミヂモ安ク行ベシトモ不覚
﹁何ナラム野山ノ末、海河ノ底マデモ、甲斐ナキ命、ダニアラパ、
書給テ。
を示し、最後の恩を蒙りたいと言い、日野にいる北方と再会をしたい
重衡は日ごろ優しくしてくれた事について守護の武士に感謝の気持ち
重衡は手紙で、生け捕られた恥はこの世の事だけではなく先世からの
と述べた。重衡の北方は安徳天皇の乳母である大納言典侍で、壇ノ浦
ナミダ河ウキ名ヲ流ス身ナレドモ今一シヲノ合瀬トモガナ
宿業であると述べた。また、生きている事も今日か明日という状況の
- 1
4
9一
べている。死を目前にして再会したいという思いが黄泉路への﹁障り﹂
いが心に懸かり黄泉路に容易に行くことができるともと思えないと述
ここでは傍線部が対面動機になる。重衡は北方と再会したいという思
で入水をしようとしたが、失敗し姉のいる日野で世話になっていた。
て、他の事を必要としない様子が窺える。覚一本では、﹁今は是程の
が涙を流した。ここでは重衡が頼朝との対面から斬首を覚悟してい
く恥にあらず、芳恩に利く首を召さるべきと述べて、これを聞いた皆
は先世の宿業であると述べた。また、末代に於いては捕られた事が余
その夜、鹿野介が郎等たちを引き連れて酒を持ってきて千手前に
いでもある。覚一本の重衡は救いを求めている事がわかる。
と出家願望を述べている。﹁出家﹂は現世の救いでもあり、後世の救
身になツて、何事をか申侠べき。たず思ふ事とては、出家ぞしたき﹂
一方、覚一本では、対
になるということは、北方への執念を表している。この執念も内裏女
房と同様、自らの往生を阻害するものである。
面動機を﹁いま一度対面して、後生の事を申をかばやと思ふ也﹂と述
べている。この場面は、南都に渡される前に位置しているので、﹁後
﹁一声﹂を命じ、千手前は朗詠をした。
伶人ニ噴﹂ト云朗詠ヲシタリ。三位中将被仰ケルハ、﹁重衡今世
世の事﹂とは供養の依頼である。
最後に千手前の対面について確認したい。重衡は鎌倉に下り、頼朝
ハ依罪業被捨三宝奉リヌ。罪業軽ミヌベキ事ナラパ奉ラム﹂ト被
﹁羅締ノ重衣タル無情機婦ニ妬ミ、管核ノ長曲ニアル、不終事ヲ
と対面した後伊豆国の住人である鹿野介宗茂に渡された。千手前が頼
申ケレパ、
朗詠を聴いた重衡は、今世は罪業によって三宝にも捨てられたが、罪
朝に命じられ、湯殿での世話をする事になり、そこで初めて出会った。
その際、重衡と次のような対話を交わした。
が軽くなるなら自分も奏すると述べた。罪が軽くなる事を望んでいる
女を芸能者として試したとも考える。しかし、これまで死を覚悟し、
此女房、﹁﹃何事モ思食候ハム事ハ被仰候ヘ﹄ト兵衛佐殿ノ仰候ツ
千手前は、何か思う事があればおっしゃるようにと頼朝の言葉を伝え
他の事を必要としなかった人物が自ら奏しようとした事は注目すべき
のは、南都を焼き討ちした事による後世への不安であろう。また、千
た。重衡はその返答として傍線部の﹁何を思うと言っても明日首を斬
である。覚一本でも﹁助音しても何かせん。罪障まろみぬベき事なら
ル﹂ト申ケレパ、三位中将、﹁何事ヲカハ。明日頚被切事モヤ有
られるかもしれないのに﹂と述べた。﹁明日首を斬られる﹂という事
ば従ふベし﹂と類似した表現が見られる。彼女の朗詠、今様を聞いた
手前の能力によっては自分も奏するという事で遊びに興味を示し、彼
から重衡が﹁死﹂を覚悟している様子が窺える。この章段は頼朝と対
重衡は琴を持ち、弾きはじめ、しばらくしてから﹁今世ノ楽ミトコソ
ラムズラン﹂ト被申ケレパ、
面した後に置かれる。重衡は帝王の敵を討つと七代まで朝恩が失せな
観ズベケレ。何事ニテモ今一度承ン﹂と、今の世の楽しみこそ思うべ
(
8
)
一門の運が尽きて都から落ち骸が山野に晒された事
い事は僻事とし、
-1
5
0一
きと述べた。﹁楽しみ﹂というのは、即ち﹁遊び﹂である。重衡が﹁遊
よ﹂と千手前を称賛し、どのような曲でも弾くように述べた。この記
以上、確認したように覚一本では、対面動機が女人達によって異
述からは遊びへの未練は見えなく、千手前との遊びを楽しんでいるよ
兵衛佐被仰ケルハ、﹁平家ハ弓矢ノ方ヨリ外ハ、暗ム事ハ無敗ト
なっている。 一方、延慶本では重衡は死が想定される状況で、内裏女
ぴ﹂に優れていた事は、翌日千手前が頼朝への報告をした際にも描写
思タルニ、三位終夜琵琶ノ事柄口ズサミ、優ナル物哉﹂トゾ宣ケ
房、北方に妄念や執念を見せ、遊びへの未練を見せた。このような執
うに見える。
ル。広元閤筆テ、﹁平家ハ代々相伝ノ才人、此人ハ当世無双ノ歌
念が対面の前提になっている。しかし、上で述べたように執念は往生
されている。頼朝と広元は次のような対話をした。
人ニテ候。彼一門ヲ花ニ喰侠シニハ、此殿ヲバ牡丹ノ花ニ例テコ
を妨げる。死を目前にした重衡の執念を解消するため物語がどのよう
執 念 の 解 消l 現 世 で の 救 済
に展開して行くのかを一一一章で確認したい。
ソ候シカ﹂トゾ申ケル。
この部分からも確認できるように重衡は、琵琶に優れ、当世無双の歌
人であり、牡丹に嘗えられる人物であった。このような﹁遊び﹂の才
執念の解消についても内裏女房から確認したい。重衡は女房も再会
能の持ち主であったからこそ﹁遊び﹂によって罪を軽くする事を自ら
求め、自ら奏したのであろう。また﹁今生﹂という事は文字通り今の
を望んでいるという返事を見て﹁二三日ハナグサム心地﹂であったが、
やはり再会したいと思ったのか守護の武士にその許しを得た。重衡に
生であって、重衡にとっては﹁今の遊び﹂は最後になるかもしれない
からこそ十分に堪能したいと言い、何でも良いので﹁今一度﹂交わそ
中将車寄ニ出向テ、﹁ナオリサセ給ソ。武士共ノ見ルガ恥敷キニ﹂
とって最後の妄念は再会であったため、手紙だけでは満足できなかっ
ういう気持ちも生じなかったかもしれない。しかし、千手前の芸能者
トテ、我身ハ顕ハニ居テ、車ノ簾ヲ打纏テ、手ニ手ヲ取組テ、互
うと勧めたのである。﹁観ずる﹂からは﹁遊び﹂に対する﹁未練﹂が
的な能力によって遊びへ導かれ、自ら今世の最後の楽しみとして遊び
ニ御涙不堰敢。袖ノシガラミセキカネテ、夜ヲ重ネ日ヲ重トモ、
たのであろう。信時が事を借り、女房の許へ迎えに行き、いよいよ﹁最
への執念を表した。千手前の場面は他の二人との対面と異なって、千
猶アキタラズゾ思給ケル。良久アリテ中将宣ケルハ、﹁西国へ向
窺える。当然であるかもしれないが、重衡は生け捕られてからこのよ
手前そのものに執念を覚えたのではなく、﹁遊び﹂への執念を見せた。
シ時モ隙ノ無リシカパ、乍思何事モ申ヲカズ。合戦ノ日モ矢ニ
後の妄念﹂であった女房との再会を果たした。
千手前はそれを導く人物として描かれたのである。しかし、覚一本で
中ッテ死ナパ、又モ音信申サテ、年来申契シ事共モ皆浮言ニテ、
うな﹁遊ぴ﹂の場がなかった。それに常に死と隣り合わせたので、そ
は、重衡が﹁あら思はずや、あづまにもこれ程ゅうなる人のありける
- 1
5
1
された事も内裏女房と再会するためであったとした。﹁妄念﹂となる
い事になってしまうと思ったと述べた。さらに生け捕られ、大路を渡
隙もなく、もし矢に当たって死んだら便りのないまま長年の契りも惨
手を取り組み、しばらく泣いた。それから西国に下った際便りを送る
重衡は内裏女房を配車して草から出ないように気を配り、彼女と手に
泣レケレパ、女房モ共ニ涙ニ咽テ、詞モ出サレザリ(ケリ)。
分の存在を忘れないようにと頼んでいる。忘れない事は﹁後世間ベキ
である。死を迎えた重衡が残される北方にどのような姿であっても自
は、﹁出家﹂、﹁再婚﹂などどのような姿であっても構わないという事
どのような有様であっても忘れるなと述べた。﹁どのような有様でも﹂
思う事はないと述べた。また、後世を訪ってくれる人がいないので、
され首を斬られる事になったが、この世で北方と再会する事以外には
重衡は罪の報いによって生け捕られ、京、鎌倉で恥をかき、奈良に渡
ドモ、後世間ベキ者モオボヘズ。何ナル御有様ニテオワストモ忘
程再会を懇願した理由がここで窺える。重衡は西国に下ってから常に
者モオボヘズ﹂から供養の依頼、だと考えられる。さらに、傍仙服部に注
サテヤハテムズラント思ツルニ、乍生トラレテ大路ヲ渡サレケル
便りを送れなかった事が心に懸かり、合戦に於いても便りなく死ぬ事
目したい。再会した事によって他に思う事もなく、今は思い残す事も
レ給ナ。
を心配していた。このような西国での思いが死を目前にして﹁妄念﹂
ないので、黄泉路も容易く行く、だろうと述べている。ここでは北方と
事ハ、人ニ再ピ見参スベキ事ニテ侍リケル物ヲ﹂ト、云モアエズ
となったのである。しかし、重衡は内裏女房と再会して﹁妄念﹂を解
の再会によって黄泉路への障りであった﹁執念﹂が解消された事が碓
確認したい。この章段では重衡が遊びに参﹁加してから未練が解消され
千手前の場合には﹁遊び﹂への未練がどのように解消できたのかを
残す事がなくなり、死に向かう事ができたのである。
認できた。重衡は北方と再会して﹁執念﹂を解消する事で現世に思い
消する事ができ、現世に思い残す事がなくなり、死に向かう事ができ
たと言える。
次に北方の場合を確認する。重衡は守護の武士から許しを得て北方
との再会を果たし、二人はしばらく涙を流した。重衡は泣きながら次
のように述べた。
被切ベシトテマカルヲ、命ノアラン事モ只今ヲ限レリ。此世ニテ
被取テ、京田舎恥ヲサラシテ、 ハテニハ奈良ノ大衆ノ中ニ出シテ
マこ一、中将閑ニ心ヲ澄テ、﹁廻骨﹂ヲゾ弾レケル。中将、﹁今世
女シパシハ琴ヲ付ケレドモ、後ニハ拍子アワデ弾止ヌ。夜深行
千手琴ヲ取テ、五常楽ノ急ヲ引澄ス。中将ハ琵琶ヲ取テ掻鳴サル。
たと言える。
今一度見奉ムト思ツルヨリ外ハ、又二思事無リッ。今ハ思ヲクベ
メ楽ミトコソ観ズベケレ。何事ニテモ今一度承ン﹂ト被仰ケレパ、
コゾノ春何ニモ成ベカリシ身ノ、セメテノ罪ノ報ニヤ、生ナガラ
キ事ナシ。ヨミヂモ安ク罷ナンズ。人ニ勝テ罪深コソ有ンズラメ
- 152-
千手前、﹁一樹ノ影ニ宿、
一河ノ流ヲ汲モ、多生ノ縁猶深シ﹂ト
が合わなかったのは、前一衡の高ぶった感情であろうか、それとも千手
通、如何心細ク恩給ツラン。雪山ノ鳥ノ ﹃今日ヤ明日ヤ﹄ト鳴ラ
人シモコソアレ、被生取給テ、見馴レヌ軍兵ニ伴テ下給ツラム道
是聞テ人々申ケルハ、﹁西国ニテ知何ニモ可成給人ノ、離一門テ、
数行虞氏ノ涙、夜深テハ四面楚歌ノ声﹂ト云朗詠ヲゾシ給ケル。
ケルコソ哀ナレ﹂と葬送に用いる曲と説明している。重衡は罪が軽く
只今被詠給ナムズル事ヲ恩給テ、彼異朝ノ例ヲ尋テ、葬送ノ楽ヲ弾レ
ト書テ候。大国ニハ葬送之時必ズ用ル楽成。而ニ中将今生ノ栄花尽テ、
関しては翌日持仏堂で広元が﹁彼廻骨ヲバ、文字ニハ﹃カパネヲ廻ス﹄
衡は心を澄まして﹁廻骨﹂を弾いたという記述が見える。﹁廻骨﹂に
前が付いていけなくなったのであろうか。延慶本のみ夜が更けると重
ムモ、又好勝ノアダナル露命思合セラレ給覧ト哀也﹂ト申テ、鹿
なる曲を弾き、自分自身の葬送のための曲を弾いたのである。彼はそ
カゾヘスマイタリケレパ、三位心ヲ澄テ、﹁燈晴シテハ
野介以下、聞人涙ヲゾ流ケル。中将、鹿野介ニ﹁各今ハ帰給へ。
の場をただ﹁遊び﹂を楽しんだのではなく、罪を軽くする曲や葬送の
観ズベケレ﹂という未練を見せたが、最後に千手前との遊、ぴを交わす
夢ミン﹂ト被仰テ、枕ヲ西ニゾ傾ケル給ケル。八音ノ鳥モ鳴渡リ、
千手前は重衡の罪を軽くするために﹁難十悪猶引接ス﹂と﹁極楽へ参
ことができた。千手前が﹁一樹ノ影ニ宿、
これを聞き、気に入ったか盃を傾けた。それから、傍線部に千手前が
ている。﹁極楽へ参ラン人ハ皆﹂も同じく﹁救済歌﹂である。重一衡は
重衡に対する救済の歌としてふさわしいものだといえる﹂と解釈され
り、南都炎上という重罪を犯してしまい、現世での救済を諦めている、
ば、極楽往生できるという弥陀の悲願の大きさをうたったものであ
は、﹁十悪を犯してしまった悪人でも、弥陀の名号を一回でも唱えれ
たかもしれない。鹿野介らの哀れの言葉によって﹁遊び﹂は終わった
いる所でもあり、西方浄土でもある。重衡は夢でそれらを見ょうとし
いて夢を見ょうと言い、彼らを帰して枕を西にした。西は平家一門が
門から離れて心細いだろうと哀れんだ。重衡は鹿野介らの哀れみを聞
況では何もできない事を示した。しかし、それを聴いた鹿野介らが一
暗シテハ数行虞氏ノ涙、夜深テハ四面楚歌ノ声﹂と朗詠し、自分の状
猶深シ﹂と、この出会いの﹁多生の縁﹂の深さを諦すると、重衡は﹁燈
(
9
)
琴を取って﹁五常楽ノ急﹂を弾くと彼自ら琵琶をならし始めたとする。
が、少なくとも重衡の未練は解消できたに違いない。
軽くするための曲を弾き始めた。しかし、千手前は琴の拍子が合わな
い残す事なく死に向かう姿を描いた。また千手前と最後の﹁遊び﹂を
物語は、重衡が内裏女房や北方と再会して、執念を解消する事で思
事は必要としない重衡の心を動かしたのである。さらに、自分の罪を
(叩)
ここでは、千手前の白拍子としての力量が窺える。死を覚悟し、他の
一河ノ流ア汲モ、多生ノ縁
ラン人ハ皆﹂という今様をした。ここで﹁難十悪猶引接ス﹂というの
曲を奏する事によって自ら慰めていたと考える。﹁今世ノ楽ミトコソ
ヲ
衣々ニナル暁、千手モイトマ申テ帰ニケリ。
ヱ
工
くなって弾くことを止めた。この記事が延慶本のみに見られる。拍子
1
5
3-
事
交わす事で、﹁遊び﹂への未練を解消することができた。上で述べた
あり、建礼門院に仕えていた。内裏女房と同様の愛人という立場で
集﹄を手掛かりに考えてみたい。建礼門院右京大夫は平資盛と恋仲で
さすが心ある限り、このあはれを言ひ思はぬ人はなけれど、かつ
ように執念は往生を妨げるものである。それが解消する事によって重
なる。小林美和氏が論じたように重衡物語は現世に於ける重衡の心の
見る人々も、わが心の友は誰かはあらむと覚えしかば、人にも物
あった彼女はどのように自分の心境を詠んでいたのか。
救済であったのである。ただし、聞く人の存在による心の救済という
も言はれず、 つくづくと思ひ続けて胸にも余れば、仏に向かひた
衡は現世で安心して死を迎える事になる。この安心こそが心の救いに
よりは自ら作り上げた心の執念を、自ら積極的に解消し、現世で救済
てまつりで、泣きくらすほかのことなし。されど、げに命は限り
たぐひも知らぬ憂きこと)
で、ひとり走り出でなど、はたえせぬままに、きであらるるが、
あるのみにあらず、様変ふることだにも身を思ふやうに心に任せ
する物語として描かれている。
女人達の心境
かへすがへす心憂くて、(九十七
この文では里に帰って周りの人にも言えず一人で思い続けて思いがあ
まると仏の前で泣くばかりで死ぬことも出家する事もできない心境を
記している。こういった周囲を意識する様子や出家も自殺もできない
ルニ、サテハ今日ヲ限ニテオワスラムコソ悲ケレ。サテモアラパ
ノ命、草葉ニ消ヤラズナガラヘテアラパ、風ノ使ニハトコソ思ツ
﹁イヅクノ浦ハニモオワシマサパ、自ラ申事コソカタクトモ、露
ると﹁女房畏シクハ恩給ケレドモ、志ノ切ナルニ依テ、急ギオワシケ
心境と再会したいという心境の葛藤が見られる。また、車が迎えに来
の水屑に共に﹂なりたいと心境を詠んだ。ここでは、浮名を気にする
のようにつらい思いをしていたのである。しかし、女房はそれでも﹁底
状況は彼女が滅びた平家の愛人であったからであろう。内裏女房もこ
我身トテナガラエム事モ有ガタシ。①何ニシテカムユ度可奉見﹂
リ。只先立物ハ涙計﹂という記述が見られた。この﹁畏しく思う﹂の
は、武士の多くいる所に行く恐怖かもしれないし、また浮名を流され
にもかかわらず、急いで車に乗ったのである。再会を果たして重衡は
②割判ぺ一一ワレモウキ名ヲ流セドモ底ノミクヅト共ニナラパヤ
部②では﹁あなたのために私もつらい噂が流された﹂と詠んでいる。
内裏女房を帰そうと﹁此比ハ夜深ヌレパ、大路ノ狼籍ニアンナルニ、
るかもしれない恐ろしきかもしれない。そのような恐ろしさがあるの
この君故の浮名について建礼門院右京大夫の家集﹃建札門院右京大夫
傍線部①を見ると、女房にも再会したい意志が見える。また、傍線
ト書給テ。
のが悪いと思って念入りな返事を書いた。
まず、内裏女房の場合、文を見てから暫く泣いて、使いを待たせる
白出刃 h u J
JU
正明-吉岡山1し乎
,
.
、
‘
。
は、対面した事による女人達の心境がどのように描かれているのかを
上で確認したように重衡は執念を解消する事ができた。この章で
四
た。内裏女房の帰り道を心配し、来世を約束したのである。しかし、
シヅマラヌ先ニトク/¥参ラセ給へ。来ム世ニハ必ズ一遮ニ﹂と述べ
の死後出家して後世菩提を訪う事に繋がるのであろう。
りの心が深い人であったと綴った。この思いやりの心の深い事が重衡
た後、再会はできなくなったが時々文を交わしたとした。延慶本にこ
見えない。しかし、延慶本に見られない記述が見られる。内裏に戻つ
はこのような重衡の姿を見て悲しむ描写も供養の依頼も来世の契りも
ためではなく、生き残る内裏女房のためであったのである。覚一本に
からではないか。ここでの重衡の供養依頼や来世の契りは重衡自身の
めの付いた肌を目のあたりにし、もう内裏での生活ができなくなった
らば、本来なら内裏で仕えるはずの女房が、重衡と再会をし、その戒
を延慶本の語り手は批判する事もなく﹁哀れ﹂だとしている。何故な
ができる事は内裏に戻らず、里に住む事だとしている。そしてその事
量ラレテ哀也﹂と記されている。重衡の依頼を記しつつも、内裏女房
行動は﹁内裏へハ参給ハズ、里ニゾ住給ケル。責テノ事ト覚ヘテ、押
内裏女房を慰めようとする重衡の配慮であろう。その後、内裏女房の
返歌を聞き、再び来世を契る。このように繰り返し来世を契る理由は
﹁カギリトテ立別ナパ露ノ身ノ君ヨリ先ニ消ヌベキ哉﹂という女房の
キ者ト聞給ハ
f、後世訪ヒ給へ﹂と供養の依頼をした。また、重衡は
しみが増すのみであったに違いない。その悲しむ様子を見て﹁世ニ無
あったが、女房にとっては彼の戒めの付いた肌を目のあたりにし、悲
トマ消入心地﹂になったのである。再会は重衡にとって執念の解消で
たのか、契りがあれば後の世に生れ合えるから一蓮を祈願するように
南都に向かった。泣き崩れた北方を見て、重衡は安心させようと思つ
有パ後ノ世ニモ又生合事モ有ナン。必ズ一蓮ト祈給へ﹂と言い残して
物語っている。それから別れを告げ、庭まで出た重衡が戻ってきて﹁契
る。それは凄まじい情景であったと想像でき、北方の悲しみの深さを
れている。北方が恥だと思わず倒れて悶える声が門外まで聞えたとす
フ。御音ノ遁ニ門外マデ聞へケレパ、馬ヲモエス、メ給ワズ﹂と描か
が﹁恥ヲモ顧給ワズ、御簾ノキワニマロビテ出給テ、 モダヘコガレ給
いた服を脱ぎ、歌を書くと北方は形見だと思い泣き崩れた。その様子
む様子を描き、二人の気持ちのずれを表している。その後重衡が着て
また会えると思って生きたのに、もうそのような希望もない事を悲し
る。重衡が再会する事で執念を捨てる事ができたのに対して、北方は
もしやと思ふたのみもありつる物を﹂と、類似する内容が書かれてい
に、けふを限りにておはせんずらんかなさよ。いままでのびつるは、
描いている。覚一本ではでつきながらいままでもながらへてありつる
のはもう一度会うためであったが、今を限りで会えない事を嘆く姿を
有ツル-一、今ヲ限ニテオワスラン事ノ悲サヨ﹂と、今まで生きていた
次のように述べた。﹁命有パ今一度見奉事モヤト、今日マデハ恵方モ
一方、北方はどうなのか。日野に訪ねてきた重衡と再会した彼女は
女房は重衡の﹁雪ノ様ナル御膚ヘニ械メノ付タリケル﹂を見て、﹁イ
の記事が見られないのは再会した事で執念が解消されたからであろ
と、慰めの言葉を残したのである。覚一本でも﹁契あらば、後世にて
(
ロ
)
ぅ。また、覚一本には民部卿入道親範の娘で外見も素晴らしく思いや
崩れて日が暮れると上人を請じ出家をした。しかし、北方は悲しむだ
出て重衡を追いかけようとしたが、さすがにできず泣き崩れた。泣き
ニ有ケル上人ヲ奉請テ、御グシヲロシ給テケリ﹂とした。北方は走り
へ給ケルヤラン、引カヅキテ臥給ヌ。クル、ホドニヲキ上テ、法戒寺
と、﹁北方ハ走出テヲワシヌベクオボシケレドモ、サスガニ物ノオボ
と記され、延慶本とほぼ同様な内容が見られる。重衡が南都に向かう
はかならずむまれあひたてまつらん。ひとつはちすにといのり給へ﹂
物語を締め括る表現として使われているとき守える。
現の一つとしてはなく、覚一本の内裏女房や千手前と同様な宜衡との
このような覚一本での北方の出家の位置は延鹿本のような悲しみの表
に措いている。 一方、覚一本は重衡死後に出家・供養記事が置かれた。
きた北方がもう会えない事を歎き、悲しみのあまり出家に至ったよう
記事の位置が日野を出た直後に置かれ、再会だけを希望として生きて
こそ哀なれ﹂と出家して後世をとぶらつたとしている。延慶本は出家
終わった位置に﹁北方もさまをかへ、かの後世菩提をとぶらはれける
(日)
けではなかった。
テゾ被切給ワンズラン。頚ヲパ奈良ノ大衆請取テ、奈良坂ニ可懸
執念の対象ではなかった。なので、内裏女房や北方とはまた異なった
千手前の場合は、枕を交わしたかもしれないが、彼女自身が重衡の
木公馬允時信ト云侍ヲ北方召テ、﹁中将ハ木津河、奈良坂ノ程ニ
ト間ユ。跡ヲ隠ベキ者ノ無コソウタテケレ。サリトテハ誰ニカ云
行動を見せる。重衡が伊一旦より鎌倉に移り、頼朝から品物が届いた。
モ宣ハズ。千手、﹁思ハズニ思テ、物モ仰候ハズ﹂ト申ケレパ、
使ニ千手参リテ、三位中将ニ申ス。中将打見給テ、トモカクモ物
ベキ。行テ最後ノ恥ヲカクセカシ。ムクロヲパ野ニコソ捨ンズラ
メ。夫ヲパイカニシテカキ返セ。教養セン﹂トテ、地戴冠者ト云
中間一人、十力法制ト云力者一人トヲ被付ニケリ。
あったからであろう。自分が悲しむだけでは供養する人がいない、現
しむ中でも役割を果たせたのは重衡からの来世の契りと供養依頼が
た様子と比較すると違和感を覚える程行動力を感じる。このように悲
し供養する事を時信に命じ、地蔵冠者と十力法師を付けた。泣き崩れ
奈良に向かう際、最後の恥をかかせないようにと斬首後その骸を回収
摘のように﹁二人の世界のすれ違い﹂を感じさせる。これに対して、
必要なかったと考えられる。 一方、千手前の言葉からは村上事氏の指
なかったので、﹁遊ぴ﹂への未練が解消された以上千手前との対話は
笑った。重衡にとって千手前は執念の対象ではなく、
﹁思いがけないと思って物を仰らない﹂と述べ、これを聞いて頼朝が
その使いとして千手前が来ても重衡は無言であった。それで千手前は
佐ハ打咲テゾオワシケル。
世に再会できなくても来世にまた結ぼれるという支えが北方の行動力
覚一本では、千手前が﹁中々にも思ひのたねとや成にけん﹂とし、彼
この北方の供養の段取りをみると悲しむ様子とは相反する。重衡が
になったのである。そして重衡の死後彼の骸と首の供養をし、後世を
女の思いの変化が見られた。この思いの種が後に出家記事とつながる
一芸能者に過ぎ
c覚一本では内容はほぼ一致するが、重衡死後骸と首の供養が
訪った
- 156-
と思われる。千手前は重衡が南都に渡され斬首されたと聞くと﹁やが
てさまをかへ、こき黒染にやつれはて、信濃国普光寺におこなひすま
して、後世菩提をとぶらひ、わが身もつゐに、往生の素懐﹂を遂げた
おわりに
上記で確認したように重衡は内裏女房と北方と再会したいという執
念や、遊びへの未練を見せたが、それを解消することができた。重衡
する心境が葛藤していたが、戒めの付いた肌を目のあたりにしてから
るのかが確認できた。内裏女房は再会したいという心境と浮名を気に
本章では、重衡との対面後、女人達の心境がどのように描かれてい
対し、覚一本の女人達による救いは後世における救済である。覚一本
の救いになる。この延慶本の心の救いが現世における救済である事に
は現世で安心して死を迎える事になったのである。この安心こそが心
参加した。執念は往生を妨げるものである。それが解消する事で重衡
という。
はもう内裏に仕える事ができなくなった。北方は再会後、もう会えな
で北方以外に執念が見られないのは女人達の出家・供養記事によって
はこの執念を解消するために自ら積極的に再会を懇願し、﹁遊び﹂に
くなった事を悲しみ、周囲の目も気にせず悲しむあまり出家に至つ
後世での救済が保障されていたので、現世での救済は記す必要がな
しかし、女人達は対面後決して救われたと言えない。内裏女房は重
た。また、千手前とも﹁二人の世界のすれ違い﹂が記された。この描
自分の死後、生き残る彼女達のため供養の依頼や後世の契りをしてい
衡の戒めの付いた肌を目のあたりにしてからはもう内裏に仕えること
かったからであろう。
た。しかし、千手前はそのような対象でなかったため、供養の依頼や
ができなくなり、北方は再会後もう会えなくなった事を悲しみ、周囲
き方は執念の対象であった内裏女房や北方とは異なっている。重衡は
後世の契りの記事は見られなかった。
後世を救済しようとする事がわかる。松尾葦江氏は﹁相対的に、覚一
後世菩提を訪ったとしている。当然、この記事からは重衡を供養し、
内裏女房や北方の心配をした。その心配は供養の依頼と来世の契りに
する事ができ、現世で救済された重衡は逆に対面によってより悲しむ
二人の異なる態度で﹁世界のすれ違い﹂も記されていた。執念を解消
の目も気にせず悲しむあまり出家に至った。また、千手前は離別の際、
本の女性たちのけなげさ、自立性に対して、読み本系や八坂系の諸本
繋がる。それは決して死ぬ目前の重衡自身のためではなく、生きる内
これに対して覚一本では一貫して重衡死後に女人達が出家し、彼の
の女性観には、何かしら違和感を覚えるものがある﹂と述べたが、女
裏女房と北方のためであった。しかし、彼女達の心境は悲しみに陥つ
た事には変わりはない。延慶本に於ける重衡物語は、重衡の現世での
救済された心と女人達の悲しみに陥った心の交差が描かれているので
- 157-
五
人達の異なる記述が見られる延慶本の方が自立性を描いていると言え
る
ある。即ち、死を目前にして対面した男女の心と心のずれを描いてい
るのである。
︻引用本文︼
北原保雄・小川栄一一樹﹃延慶本平家物語本文篇﹄勉誠社一九九O年六月(大東
X 蔵)、梶原正昭・山下宏明校注﹃平家物語新日本古典文学大系﹄
急記入 λT庫
岩波品川町応一九九八年四月第四刷発行(東京大学国語研究室蔵本)、久保田
一一日川
淳校注﹃建礼門院右京大夫集新編日本古典文学全集﹄小学館一九九一年十
︻
注
︼
(l) 重衡が鎌合に下った際、泊った池田宿で侍従という遊君が登場するが、和
歌を交わす以外接点が見られないため、本稿の女人の対象からは外す事にす
る
。
(2) 池田敬子﹁平家の重衡﹂﹃国諮問文﹂四六一九七七年三月(後に﹁悪人
往生│前一衡│て優にやさしき人│流布本の造型﹂として﹃箪記と室町物語﹄
消文堂二O O一年十月に収録)、尾崎勇﹁重衡と女性たち(上)﹂﹃防衛大学
校紀.英﹂三八一九七九年三月、﹁重衡と女性たち(下)﹂﹃防衛大学校紀要﹂
を繰り返す事で救済すべき人物としての重衡像を描き出していると論じた。
覚一本を参照
(
4
) 延鹿本、長門本、源平盛衰記、四部合戦状、源平闘静録、商都本、屋代本、
二O 一二年二月
(5) 石津倍子﹁延慶本﹃平家物語﹄に見る平市一衡往生部﹂﹃国文目白﹂五一
(6) 小林美和﹁﹃平家物語﹄の重衡像﹂﹃軍記物語の窓第一集﹄和泉計院一
九九七年十二月
南 文 学 ﹂ 一 六 二00=一年春
(7) 松尾葦江﹁女性説話による平家物語の考察│平家物語と太平記の附 1﹂﹃湘
(8) 村上等氏(﹁延慶本瞥見重衡物語を通じて 1﹂﹃国一ぬと悶文学﹂八五(卜
ご 二O O八年十一月特集号)は、この場面の重衡の反応を﹁組絶的な一バ葉﹂
であると指摘し、千手前を重衡に思いを寄せるものではなく、爪術から瞥滅
される対象として解釈している。
(
9
) 由井恭子氏(﹁平家物語﹁千手前﹂における芸能について﹂﹁梁鵬研究と
にみられるとした。また、﹃平家物語﹄の省略部分を﹁和歌朗詠集﹄で術、っと、
資料﹂十六一九九八年十二月)は、この朗詠は﹃本朝文粋﹄﹁和歌朗、旅集﹂
﹁十悪といへども引接す疾風の雲霧を披くよりも甚し一念といへども必
白井恭子(前掲論文)
ず感反すこれを巨海の滑館を納るるに聡ふ﹂になると記した。
(
ω
)
非仏教的な︿縁者の岡越﹀の発想の二つがあったと考えられ、椴初から必ず
﹁一連﹂について﹁この首梨の背品川には、仏教的な︿閃業の阿巡﹀の発想と、
しも仏教的とはいえない要素が埋め込まれていた。そして、むしろ非仏教的
(日)佐伯良一氏(﹁﹁ひとつはちす﹂考﹂﹃背山語文﹂四二二O 一一一年三月)は、
九二年五月に収録)、横井孝﹁重衡物語の輪郭│延鹿本平家物語の語りと本
な側而を拡大するような方向で広がったのであり、ついには男女の愛欲の強
間二一九八一年三月、水原一﹁﹃平家物一首﹂奈良炎上の論﹂﹁駒沢大学文学
文﹂﹁新典社研究鍛机九一古文学の流域﹄新典社一九九六年四月、山下
さを語る修辞にさえなったのである﹂と指摘している。
部紀嬰﹂四七一九八九年三月(後に﹃延慶本平家物語考証一﹄新典社一九
二O 一二年三月
宏明﹁﹃平家物語﹄論の行方│重術・宗盛と王権1﹂﹃軍記と語り物﹄四八
ばず、時ミ御文ばかりぞかよひける。此女房と申すは、民部卿入道親範のむ
(ロ)さて女.房は内装へ参り給ひぬ。其後は守護の武士共ゆるさねば、ちから及
すめ也。みめ形世にすぐれ、なさけふかき人なり。されば中将、商都へわた
六二一九八五年九月(後に﹃平家物語遡源﹄若草書一房一九九六年九月に収
録))は、﹃平家物一芭以外の文献では商都を焼討した仏敵としての重衡と、
て、彼後世菩提をとぶらはれけるこそ哀なれ。(覚一本巻第十内裏女一房)
されて、きられ給ぬと聞えしかば、やがてさまをかへ、こき黒染にやつれは
(3) 佐伯兵一氏(佐伯真一﹁重衡造型と﹃平家物語﹄の立場﹂﹃国語と国文学﹄
メージが﹃平家物語﹄にも見られるが、その分裂したイメージをつなぐのが
(日)田中貴子氏(﹁﹃平家物語﹄の女たち﹂﹃平家物語がわかる﹄朝日新聞社
公達としての重衡という対照的なイメージがあると述べ、その対照的なイ
焼釘ちの弁明や出家願望、供養の依頼、女性遠の出家に関する記述で、これ
- 158-
一九九七年十一月)は、走る行為に注目し、ただ歎き悲しむだけの無能力で
無知なその他の安と対比し、大納言佐の行動が例外とした。
下関に於ける研究発表を再考察したものである。席上、ご教示を賜った
︻付記︼本稿は、二O 一二年八月二十二日開催された軍記・諮り物研究会の大会、
方々に感謝申し上げる。
QJ