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誤想防衛に関する一考察
庭山, 英雄
一橋研究, 11: 51-57
1964-11-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/6731
Right
Hitotsubashi University Repository
誤想防衛に関する一考察
庭 山 英 雄
は消極的構成要件要素の理論3)(Die Lehre von den
I は しがき negativen Tatbestandsmerkmalen)であり,もう一
誤想防衛に関しては,戦前の有名な草野・木村論 つは,事実一評価関係(Sach−Wertung Darste]1ung)
争1)以来,我が国ではかまびすしく論じられ,未だ である・わたくしなりの分析では・厳格故意説
に対立は続V・ている.ドイツでも戦前から一つの問 (Strenge Vorsatztheorie)は事実を重視する立場で
題として,諸家の論争があるが,戦後とくに目的々 あり,厳格責任説(Strenge Schuldtheorie)は評価
行為論の登場と』もに,激し\・論争の的2)となっ を重視する立場である・制限故意説(eingeschrankte
た.これら論争の禍中に更に一石を投ずる余地はも Vorsatztheorie)と制限責任説(eingeschrankte
はやないであろう.論争の過程を辿ってみて,対立 Schu]dtheorie)とは共に・事実評価二分説である。
点をうきぼりにし,自分の理論的立場をあきらかに 一方消極的構成要件要素の思想は,論者の意識する
したいというのが,さしあたっての意図である.す と否にはか〉わらず,厳格故意説・制限故意説・制
でに論点は出しつくされた感がある. 限責任説を導いており,これに対して厳格責任説は
方法論といっては大げさではあるが,整理の一応 当該理論に真向から反対している4).
の基準として,二つの視点をもってみたい.一っ
1) 参照;草野「法律の錯誤」 刑法改正上の重要問題172頁以下;同「誤想防衛論」「誤想防衛論補遺」
刑事法学の諸問題 122頁以下,174頁以下.
2)vgl. H. J. Hirsch:1)ゴθLθ〃θ〃oκ4θη〃⑭’ψθκτα彦bθs’α〃4∫〃zε7”%1εκ, S・220ff・正当化事由の
錯誤の歴史と理論についての最高の文献であろう.
3)支持…者としては,v. Werber:Dθγ”吻彿劾〃吻θ%1eεc均ε〃匁協8sgγ顕4, JZ 1951, S 260ff.;
Busch:功θ夕∂‘θ、4bgγε批耽g〃oκτατbθs’ακ45一砺4γ診7δoZ∫〃吻勉, Mezger.Festschrift, S.165 ff;
Arthur Kaufmann:ZμγLθカγ¢びoκ4θκ批富α;ψθηTατbθs’ακ4s勿¢γゐ〃鋤θκ, JZ 1954, S.653;Ders:
τα功εs’αカφ R¢c励々g批g望γ励謡θμη4 1〃㍑〃2,JZ 1956, S.353. Roxin:(励κθTα彦6¢∫万〃4θμη4
Rθψ励励加〃ん〃2α/θ,S.119 f£Lange l〃グ飢勿畝㎎εηbθゴ4ε夕∂γ2’1ゴc舵〃Sc乃碗η8・〃so乃φ彦5耽’θγ6夕θ.
吻η9,JZ 1953, S.9ff.;その他Mezger−Sauer流の構成要件論者はこれに属する筈・
4)Welzel:S〃ψ6ε加,7Auf1.,S.152ff;Maurach l S〃ψθc加A. T., S.398f£;Armin Kaufmann:
τατbθsωκ4sε仇5cん∂κん協8協4 Rθc乃φγ’ぼμ〃8・, JZ 1955, S.37f£;Hirsch,α.α.(λ;E. Schmidt,
Dゴθ 」Bθs彦θ6乃μκ8s加Zbθs痘η4ε, 1960, S.116.
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一
橋研究第11号
誤想防衛の解決に際して,以上四説が対立するの 却事由についでの積極的錯誤において,二っの場合
は,わたくしがさきに挙げた二視点に,事実的故意 があることをわけて考えておられない3】点であ
(Tatvorsatz)と不法故意(Unrecht v・rsatz)とV・ る.周知のとおり,違法阻却事由の前提事実
う故意論上の対立が加わってV・るからであることは (Rechtfertigungs−voraussetzungen)にっV・て誤っ
いうまでもない.この事実的故意と不法故意との対 た場合と,前提事実は正しく認識したがその相当性
立は実は構成要件の本質についての対立の裏返しに もしくは必要性という評価において誤った場合とで
過ぎない.すなわち,構成要件を違法性の認識根拠 ある.教授の立場では,たとえば暗い夜道で友人が
(ratio cognoscendi der Rechtswidrigkeit)とみる たわむれに嚇した場合,客観的には正当防衛の程度
か,違法性の存在根拠(ratio essendi der Rechts一 に至らぬ事情であり,しかもそれを正しく認識して
widrigkeit) とみるかの差異である・しかしこれだ いたにもかsわらず,なお正当防衛可能だと誤認し
けでは未だ故意と責任との関係は定かではない・故 て傷つけた場合でも,故意は阻却されることsな
意が体系上いかなる地位を占め・いかなる機能をも る.このような結論になるのは,違法性に関しては
つかゴ確かめられなければならない1)・ 構成要件要素も違法阻却事由も価値において差異が
・厳格故意説の立場 鑑麓㌫㌶㌶:も灘麟竃
論点を明確にするために,最初に,植松教授の説 とに対立せしめる教授の理論構成からも察しえられ
くところを聴いてみよう2).《誤想防衛はまた錯覚 る4)・か』る構成はメッガー=ザウアーのいわゆる
防衛とも称せられる.これは急迫不正の侵害がなV・ 二分的体系(zweistufiges Verbrechenssytem)であ
のに,それが存在すると誤信し,防衛するつもりで り,べ一リング=マイヤー流の三分的体系(drei一
行う行為である.この場合には,正当防衛の対象た stufiges Verbrechenssystem)に対立する意味では
る侵害が客観的に存在しないのであるから,正当防 消極的構成要件要素の思想を容認しているというこ
衛となり得ないことはいうまでもない・しかし,行 とSなろう・次に違法阻却事由の錯誤において事実
為者は,正当防衛をなし得る事実がないのに,それ と評価とをあえて区別しない点にっき理論的な不備
をなし得べき事実であると誤認したことになり,結 のそしりを受けることSなるであろうか.わたくし
局,事実の認識を欠いているのである・したがっ はそうは考えない.なんとなれば,教授の立場では
て,故意犯たることを得ない》.こSで注意しなけ 法律の錯誤とは科刑法の錯誤いわゆる《あてはめ》
ればならないのは,正当防衛という一つの違法阻 の錯誤である5)・あてはめとは積極的構成要件要素
1) かかる視点で消極的構成要件理論を論証したものとして,中義勝「厳格責任説と制限責任説」法学論集
13巻4・5・6合併号291頁以下. なおvg1. C]aus Roxin,:Z解1(夕漉々4〃ガηα1ε〃仇η41耽gs膓θ〃⑫,
ZStW Bd 74, S.531ff.
2) 植松正「刑法概論」昭32146∼7頁.
3) わける考え方がドイツでは通説である.
Vgl. Engisch:τα伽sταヵ4sゴγ酩吻耽4γ励o’sゴγγ似勿力θゴR鋤膨功g㈱gs夕拠∂θη, ZStW.70,1958,
S.588ff.その他メッガー,ザウアー,シャフシュタィン, V.ウエーバー,ブッシユ,アルツール・カ
ゥフマンがこの立場をとる.
4)植松前掲書94頁.同頁で教授は,犯罪を定義して《構成要件に該当する違法・有責の行為である》と
されるが,全体の犯罪論体系としては,メッガー流の行為・(構成要件的)違法・責任の構成をとると思
われる(同書目次参照).
5) 植松 前掲書214頁.
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誤想防衛に関する一考察
への包摂という操作である.構成要件の評価は関連 ぎり,規範に関する問題は行為者に,与えられてい
して来ても,構成要件外の違法阻却事由の評価は関 ないのであり,直接的な反規範的人格態度はみられ
するところではないD.もし,違法阻却事由の評価 ないのである・行為者が事実の評価を誤ったばあい
過程での誤りをとり上げるならば体系上その場所を と,評価の基礎となる事実を誤つたばあいとは,ど
得ず宙に浮くことさなる.評価の錯誤も事実の錯誤 こまでも峻別されなければならない》.
に包括せしめる2、所以である.しかも責任故意の要 先ず第一の点にっいて.教授は構成要件を違法有
件として違法性の意識を理論的に要求されるが,事 責の定型とされる.事実的故意は構成要件要素とは
実の認識と密接不可分なものとして理論づけられて なったが,違法要素とはなっていない4)・違法性を
おられる.事実の認識が正しくあるかぎり,評価の 基礎づけるものは,構成要件の客観的要素の存在と
あやまりは問題になりえないであろう・ 違法阻却事由の不存在とである.ところで事実的故
・制限蹴の検討 慧曝竺翼2灘量舗畿灘
従来の事実の錯誤と法律の錯誤との区別に代え 事実をも消極的にだが対象に組み入れられる5)・非
て,構成要件的錯誤(Ta亡bestandsirrtum)と禁止の 難可能性という責任判断を基礎づける要素として,
錯誤(Verb・tsirrtum)との区別を主張するヴェルツ 責任能力・故意一過失・期待可能性のみならず,広
エルー派に対し,団藤教授は次の様に自説を弁護3) い意味では違法行為も組み入れられる教授の理論構
される.《第一に,構成要件該当の事実も,それ以 成6)としては当然なのであろう.しかし違法阻却事
外の違法性を基礎づける事実も,どちらも違法性を 由の認識の結果,責任故意が脱落するにしても,事
基礎づけるものである点で異るところはない.責任 実的故意は残る.故意犯としての構成要件該当性も
論に関するかぎり,両者を区別する理由はない.第 違法性もあってはたとえ過失責任が認定されても過
二に,違法性阻却事由たる事実の錯誤も,事実の錯 失犯にはなりえなv・であろう7)・かくして,やはり
誤であることに変りはない.かような錯誤があるか 違法阻却事由も又消極的構成要件要素であるとの批
1) もし消極的構成要件理論を採用されているならば,違法阻却事由の錯誤において違法性に関する事実の
錯誤と,違法性の評価の錯誤とを区別しなけホばならない.
2) 植松 前掲書136頁に《法規を超えて条理の世界に多数の違法性阻却事由が存在するのである》との表
現がある.この表現からして,違法阻却事由について事実と評価とを分ける必要はな)・.厳格故意説では
事実の錯誤も違法性の錯誤も同じく故意阻却である.
3) 団藤 「刑法綱要(総論)」225頁.
4) 団藤 前掲書212頁.
5) 団藤 前掲書213頁.
6) 団藤 前掲書182頁参照.団藤教授は明言されておられないが,体系上そうなる筈である.大塚教授は
明言される(大塚仁「刑法概説」昭38280頁).
7) 同旨,福田平「違法性の錯誤」246頁.中義勝「誤想防衛と構成要件的故意」法学論集三・四号合併号
217頁以下はこの点を詳細に論じられる.この難点は団藤教授が事実的故意を構成要件要素として把握す
ることから来たものであるから,故意・過失をもっぱら責任要素と解する立場からはこのような非難は免
れるであろう.この非難を避けるためには団藤教授は違法性の意識もしくはその可能性を責任要素としな
ければならないであろう.その辺の事情にっいてvgL H. Schweikert:Z)ら〃吻4』83〃42γτ厩bεs励ゐ一
Zθんγ¢sθ∬βeZゴ%g, 1957, S. 156∼7.
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一
橋研究第11号
判を甘受しなければならないであろう. 限責任説は西ドイツで通説4)といわれている.が我
次に第二の点にっいて.評価の対象と対象の評価 が国では制限責任説の支持者は,中義勝教授以外を
とを峻別した態度1)は正しv・と評さねばなるまい. わたくしは寡聞にして知らない5).厳格責任説は違
そして,この峻別あってこそはじめて,教授の刑法 法の認識もしくは違法の認識可能性をもって責任要
第38条第3項但書に対する解釈論が生きてくるとい 素とする.これに対して制限責任説はそれらを構成
える2).教授においても同条本文は科刑法の錯誤を 要件的故意の要素でもあるとする.制限責任説によ
意味すると解しておられるから・問題は,違法阻却 れば,違法阻却事由の前提事実を積極に誤認した場
事由の前提事実の錯誤のばあい,規範に関する問題 合構成要件的錯誤となり故意を阻却する.中教授は
が行為者に与えられないかである.正当防衛の事実 その理由を次のように説明される6).《いわゆる違
を認識するかぎり,自己の行為は許されると誰しも 法な故意は,それ自体ではいまだ適否不明でただ刑
考えるであろう.しかし許されるというのは責任判 法的に重要な意思が,たまたま当該の場合に正当化
断の規範ではないであろうか.事実的故意はすでに 事由が介在するものではないという客観的事情によ
ある.規範を一般人を名宛人とする違法判断とする って違法な故意とされるものであるにすぎない.す
かぎり,事実的故意の所有者は違法評価を受けて然 なわちここでは.行為者がみずから正当化事由の事
るべきではあるまいか.そうとすれば,教授が,違 実的前提の不存在を心理的に確定するものではない
法阻却事由の不存在を認識しないかぎり,規範の問 から,右の事情の不存在はいまだ彼の表象内容を構
題は行為者に与えられていないと解するのは誤りと 成せず,したがってその提提機能も依然として自己
いうこととなる・福田教授はこの点で反対の立場に の行為の刑法的重要性を告げる以上には出でない.
立ち3)違法阻却事由の認識がなくても事実の認識が 真に不法の意識を直接的に喚起するための前提的表
あるかぎり,すでに規範の問題は行為者に与えられ 象は,右の事情の不存在をも確定したそれ,すなわ
ていると解される・したがって,事実の認識の有無 ち,行為者の全表象内容を前提にしたうえで,もし
によって,故意責任と過失責任との前提条件がすで それが実現されたならば客観的に評価して不法とさ
に備わると主張される.思うに,故意・過失は違法 れるような表象をおいて他にこれを求めることがで
性の段階ですでに区別される・そしてそれらは夫々 きない》.構成要件的故意の機能が本来行為者に不
広義の責任要素とされるのである.福田説に左祖し 法の意識を与えることにあるという見地から,違法
たい・ 阻却事由の不存在をも当該故意の対象とするもので
ある.
IV 制限責任説批判 しかしかかる構成は違法阻却事由を消極的構成要
責任説はその内部で,二説に岐れる・その一つ制 件要素と是認してはじめて可能な理論7)である.構
1) かかる二分説はグラーフ・ツウ・ドーナの創見にかかる (vgl. Graf zu Dohna:1)〃・4μ∫bα%4θγ
Wγbγθcん〃51ε〃θ,4Auf1.1950, S.49).爾来一般の承認するところとなっている・
2) 参照,団藤 前掲書234頁,
3) 福田平,前掲書243頁以下.
4)制限責任説の支持者としては,v. Weber, Schaffstein, Busch, Lange, Roxinの他,古くはHipPe1
が居り,現在BGHでも支配的な見解である. vg】. Maurach:Dθμ’sc〃εs&グαヵθεω,1954, S.406ff;
Sch6nke−Schr6der S’Gβ,11Aufl, S.386ff.
5) 制限責任説につき触れる中教授の論文としては,前掲「厳格責任説」のほか,「正当化行為の必要性の
誤認」法学論集12巻1号1頁以下;「競近錯誤理論の問題点」89頁以下,前掲「誤想防衛と構成要件的故
意」,「消極的構成要件要素の理論H⇔⇔⑧」法字論集10巻6号,11巻1・2・6号.
6)中義勝「厳格責任説と制限責任説」309頁.
7) vgl. Armin Kaufmann,α.α.α S.40.
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誤想防衛に関する一考察
成要件は違法有責な行為類型であり,いンかえれば 次のように批判される5).《これらの思想の根本に
禁止の素材ユ)である.積極消極の当罰的要素を包含 は,違法阻却事由をもってr消極的構成要件事実』
するところの犯罪類型2)ではない.そして構成要件 (negativer Tatumstand, negatives Tatbestand一
該当性ある行為に対してのみ違法性判断が可能なの smerkmal)といい,これを消極的な構成要件の要素
である・両者はそもそも次元を異にする判断であ と解し,そのような違法性を阻却する事情を誤って
り並行関係に立っものではない.一方,構成要件の 存在すると老えることは違法性を基礎づける事情を
客観的事実の認識からなる故意は,違法の認識を要 誤って認識しないことと同様に解すべきだという思
素として含みえない.構成要件は一面犯罪を個別化 想が前提せられている.ところがこのような思想
する機能をもつが,違法の認識もしくはその可能性 は,違法性が構成要件該当の事実を対象としてなさ
は類型化の機能はもたない.違法の認識は責任判断 れる無価値性又は無価値判断という評価であって,
の対象たるべきものである.故に違法の認識もしく 積極的にも消極的にも評価の対象たる構成要件の要
はその可能性を構成要件要素とすることは誤想防衛 素でないことを明確に認識・区別しないものとして
において不当な帰結を生ずるのではなかろうか.違 誤っている》消極的構成要件の思想に着目されてい
法阻却事由の前提事実の認識ある場合,時に過失犯 ることには異論はないが,構成要件が評価の対象6)
となるのであるが過失処罰の規定がないときには無 であるという点には承服しがたい.教授は認識根拠
処罰のまま放置することとなるであろう3)・これで としての構成要件を考えておられる7)ようである
は刑法の機能は保ちえないであろう・ が,構成要件は構成要件該当性という抽象的類型的
次に事実と評価という点をとり上げるならば,二 評価の面をもあわせもっ8)ことを忘れておられるの
説の立場を主張され,の違法阻却事由の前提事実と ではなかろうか、それは違法性・責任の判断の前提
評価とを区別される.前提事実は消極的要件だが,そ となる第一次的評価である・
れに対する評価は純粋な違法要素(reine Merkmal 事実と評価の峻別とV・う二分説的立場からすると
der Rechtswidrigkeit)と考えられるようである. この厳格責任説が評価を優先せしめてV・ることにつ
したがって,違法阻却事由の前提事実についての錯 いてはすでに触れた.ここでは違法阻却事由は事実
誤は構成要件の錯誤であるが,その要件・限界につ としてではなく,構成要件の違法性徴表機能を正当
いての錯誤は禁止の錯誤となる・ 化する価値的要素としてとらえられてv・る・したが
って違法阻却事由の前提事実の錯誤も違法性の錯誤
V 厳格責任説の妥当性
に組み入れられる9).従来の事実の錯誤・法律の錯誤
厳格責任説の支持者木村教授は従来の理論構成を の対応はここでは構成要件の錯誤・禁止の錯誤にと
1)vgl. Welzel:Dαs伽’s吻S’7ψθε加,7AufL, S.45ff.
2)vgL Arthur Kaufmann:α.仏σS.657.
3)vgl. Welzel:Dθγ〃励〃2励θ夕θ碗θη1eθc力膨γ’留㈱g▽耽4, NJW 1952, S.564.ヴェルッェルはこ
こで超法規的緊急状態についてであるが,その存在を誤認して妊娠中絶を施した医師は不可罰となるとの
例を挙げている.
4) 責任説の立場に立ちながら,従来の事実の錯誤・法律の錯誤の解決方法と同じである.vgL Mezger:
S〃ψθc加,S㍑4ゴθ励μ6乃,9Auf1., S.187ff.
5) 木村「刑法総論」昭34334−5頁.
6) 評価の対象は構成要件そのものでなくて構成要件該当の事実であろう.
7) 木村 前掲書133頁以下.
8) 福田 前掲書224頁以下.
9) vgl. We]zel:αα.(λS.148f£
ラ5
一
橋研究第11号
って代られている・主として次の理由による.構成 意阻却とすることは控え,その錯誤につきもう一度
要件の外にあるものの錯誤はたとえそれが事実に関 期待可能性理論を適用して期待不可能のときはじめ
するものであっても構成要件の錯誤にはなりえな て故意を阻却するとの構成をとっている.厳格故意
い・事実と評価という観念を徹底させ分析するなら 説でもおそらく同様の解決をはかるほかないであろ
ば・構成要件にも違法阻却事由にも事実の面も評価 う5).制限責任説ではどうなるのであろうか.構成
の面も出てくる・そこで・本来故意の対象でないも 要件的事実も違法阻却事由の不存在の確認もあるか
のの事実の錯誤についても故意阻却機能をいとなま ら故意犯としての取扱いに疑問はないであろうが,
しめるという無理を生じてくる・それゆえ,学者に 禁止の錯誤として場合により責任阻却とするのであ
よっては・違法阻却事由の前提事実の錯誤の理論を ろうか.責任説と銘打つ以上かかる解決をはかるべ
《援用して》と態々ことわっている向きも1)ある・ きであろう.
このような表現は,故意阻却機能をもっところの事
実の錯誤には,本質的には編入されないが理論上そ W 私見とむすび
う解してもさしっかえあるまいとの考慮があるので 以上,現在行なわれている学説を,消極的構成要
あろう.我が国では,故意の対象を,構成要件に示 件と,事実と評価二分説との,二っの指標にしたが
されている行為事情に限るとするドイツ刑法59条の って考察してみたが,そこに解決を迫られているも
ごとき成文2)を刑法上もっていない.だから消極的 う一っのポイントがあることを知った.それは故意
構成要件要素の理論を採用しなくても,故意の対象 の機能である・錯誤は故意阻却機能をいとなむもの
に違法阻却事由をもって来ても,あながち背理とも であるから・故意が問題となることは当然である
いえない・しかし消極的構成要件の思想に底礎され が,故意の体系的地位と機能とを定めることが,錯
る犯罪論体系では責任阻却事由の前提事実の錯誤の 誤理論に正しくアプローチする一ポイントである.
解決において行き詰りがあるのではないかと思われ 厳格故意説においては故意は責任論の問題であり
る・期待可能性の前提事実の錯誤にっいて考えてみ 故意の対象は構成要件と違法阻却事由とであった.
よう8).厳格責任説では,構成要件以外の違法阻却 制限故意説(団藤説)では故意は構成要件論の問題
事由も責任阻却事由も犯罪成立阻却事由としては構 でもあった・制限責任説では事実的故意は構成要件
成要件に対して同価値である.したがって,当該錯 論・違法論両域の問題であり,違法の認識もしくは
誤は禁止の錯誤となり,相当の理由があるときは, その可能性は構成要件・違法・責任のいずれでも問
責任は阻却される.規範的責任論の中核たる期待可 題となった.だが厳格責任説ではいわゆる犯意(
能性への処置として妥当な解決ではあるまいか. dolus ma】us又はbδser Vorsatz)は事実の認識と
これに対し,制限故意説の論者4)は,前提事実の錯 違法の認識とに二分され,責任論で問題にされるの
誤だからとして事実の錯誤とする・しかし直ちに故 は違法の認識もしくはその可能性となった.果して
D 大塚仁 前掲書301頁.大塚教授によれば,違法阻却事由の錯誤は,構成要件の錯誤にも禁止の錯誤に
もあたらないが,責任形式である故意の要件たる違法性に関する事実の認識が欠ける場合であるから構成
要件的錯誤に類似する一面をもつとされる、注目すべき解決ではある.
2) vgl. Sch6nke.Schr6der;α.α.(λ, S.363f£
3) かかる問題意識について,福田平前掲書248頁註(11).
の たとえば団藤 前掲書245頁.日く《かような責任に属する事実の錯誤は,違法性に属する事実の錯誤
とは区別されなければならないからである》.
5) 参照,佐伯千{匁「刑法総論」昭19,258頁・同「刑法に於ける期待可能性の思想」昭22,453頁以下.
vgl. Meger,α.α.0.,S.178;Baumann:S’夕ψεc万A. T,1961, S.322ff,
ラ6
誤想防衛に関する一考察
どの理論が一番妥当であるかは,構成要件の本質に 任非難に故意・過失責任の格差を与えることに欠け
まで遡らなければ決着はっかない. るところはないと考える.論者によっては,かかる
私見によれば,違法とは社会的不相当(SOzialina一 考え方では責任非難に格差を生じる故意・過失を分
daguat)のことである,構成要件は社会的不相当行 っ契機としては不充分であり,それでは,故意・過
為の類型化である.類型は形式であり原則である・ 失を責任の面では一元的平面的にとらえることとな
したがって構成要件は原則的違法類型であり,行為 り,両者の本質的差違をとらえないこととなるとい
類型として問題になり,違法徴表機能をもつ・かか うが,故意・過失は違法性の点ですでに格差があ
る構成要件の客観的事実が構成要件的故意の対象で り,それが責任にも影響を及ぼすのである・このこ
あるから,行為者には原則的違法を訴えるのみであ とは,広い意味での責任要素として違法行為も入る
る.決して確定的違法を訴えるものではない.そこ としている理論構成からすれば当然である.
では違法の認識は問題にならない.違法の認識は責 かくして.構成要件論・違法論・責任論どの分野
任要素である・すなわち,構成要件的故意として からの分析からしても,厳格責任説が妥当であると
は,原則的違法もしくは刑法的重要性を行為者に認 結論せざるを得ない・けだし,一方消極的構成要素
識せしめることをもって,その機能として充分であ 理論は採ることを得ず1),他方事実と評価とは峻別
ると解しなければならなV・.これだけで次段階の責 されるべきだからである. (39.10.30)
1) この点については稿をあらためて詳論する予定である、
5フ