2014.10.18 (Sat) 16:30 ~ AIR475 2014 VOL.2 「ハート&アロー

2014.10.18 (Sat) 16:30 ~
「ハート&アロー:カーン・リービデオ屋外上映 -中海夕暮れピクニックー」
10501 青山萌
「し ゃりしゃり しゃりしゃり…」
氷を削る音というのは案外、心地いいものだった。
始まっているのに映像がぼんやりしか見えなくて、一体何の音なのか把握するまでに時間がかかった。
想像させるという狙いはこの作品にはなかったのだろうけど、期待感が増した。
総合ディレクターの林さんの講演以降、ふとした“瞬間”もアートとして捉えることがあった。それが常に意識下に
あるような状態で作品にふれて、1時間15分の映像の中で、数えきれない空想や発見、ひらめきが頭の中を飛び回
っていた。
始 まってすぐ後ろの観覧者が「氷を削ってダイヤモンドになって、ちょうどそこで朝日がでてきて…。」と
話していた。「なんだよ、言っちゃうのかよ。結末知らないほうが見ごたえあるのになぁ。」そんなことを思いな
がらそれでも、氷でダイヤモンドなんて、分かっていてもきれいに見えるであろうそれを、わくわくしながら、映
像に集中した。ポスターに書いてあったお気に入りの飲物も持っていったけど、全然飲むタイミングがつかめなか
った。変わり続ける氷から目を離すことができなかった。
体の細い作者が、力のこもった繊細な作業を続けるその姿がとてもかっこよかった。正直、ダイヤモンドが完成し
て作者が画面から消えたとき、少し寂しかった。ものすごく丁寧に氷を整えていく、かんなを調整しているところ
もかっこよかった。どんどん形づくられて、それにともなって夜の空気になって、私たちの体温が下がってきて、
明るくなったバンクーバーのまちに温度もうつっちゃったような、そんな気がした。ぴかぴかのつるつるになった
氷を残して作者が画面から消えると、一気に“動”が“静”になった。日常でその切り替わりの瞬間を意識することはな
いから、ものすごく違和感を感じた。“静”のうえに“動”が成り立っていると思っていたけど、まったくの別物だ。
2つの作品を見ているような気分になった。急にまちの人や船が現れると、すごく不思議な感じがした。普段から
もっと“静”を感じながら生活してみたいな、と思った。太陽が米子からバンクーバーにいってしまって、こちらは
夜が始まるし、あちらは朝が始まる。世界はつながっているのだと改めて実感した。上映終了後の来間さんの「米
子とバンクーバーの時間がシンクロしていて…」という言葉で、時間も空間も途切れていないことに気づいた。
朝日に輝くダイヤモンドは輝き方を変えながら、その形であること(ハート&アロー)を主張していた。影ができ
たことでダイヤモンドがなんだか地球に見えた。影が大陸で光が海。最後、真っ白になった時、地球がすべてを吸
い込んでしまったようで、頭の中が壮大だった。
AIR475 2014 VOL.2 1
2014.10.18 (Sat) 16:30 ~
「ハート&アロー:カーン・リービデオ屋外上映 -中海夕暮れピクニックー」
10501 青山萌
あらゆることを考えすぎて、感じすぎて、何が言いたいのか分からなくなったけど、この作品に触れることができ
てよかったと思う。頭の中をこうして文字に表したいなんて思ったことなかったから、自分でも驚いている。
“アート” に近づきたくなった。
Yonago ――――― Vancouver
こ うして自分の中のものを、わぁーっと書いてみると、他の人は何を感じたのかなと気になってきた。参加
者の中には、私のおばあちゃんの年齢に近いような人も結構いて、びっくりした。きっと私とは感じ方が違って、
面白いんだろうなと思う。中海をバックに作品を見て、(中海も含めて作品カナ…)夕焼けの美しさも改めて感じ
て、これもやはり“アート”なのかと、可能性は無限大なようだ。私は中海に浮かぶ大根島の出身だから、この夕焼
けのある風景にもなじみがあって、久しぶりにじっくり見れたのでこれからも大事にしていこうと思えた。作者の
カーン・リーン氏に感謝の気持ちでいっぱい。素晴らしかった。
作 品を見て、美味しい料理をいただいて、今部屋に戻ってすぐパソコンに向かっているけど、あんなに頭の
中にたくさんあった自分なりの解釈というのが、ぽんぽん出てくる、とはいかない。今回この作品を見たことが”私
に大きな衝撃を与えたこと”と、”作品を心でも頭でも感じることができたときは、その思いを外に出したくなる”と
いう気付きがこのレポートに表れているといいな、と思う。
AIR475 2014 VOL.2 2