15世紀

回一
回
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テ ィムール帝国の最大領域
テ ィムールの進出
イン ドのイスラム諸国
シャイバーニー朝 (ア ブル =
ハイル時代 1428∼ 68)
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2八 フ ス 朝
1228∼ 1574
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1250-1517
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1320∼ 14
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● 15世 紀の概観
エチオビア帝国
(ア ビシニア)
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モガデ ィシュ
―
一
征服・侵攻
対立関係
友好・ 同盟関係
③英仏は国民国家の基礎を確立
スペイン ポル トガルは国土
回復運動を完成,新 航路を発見
オ 季 マ機 帯 国
マムルーク朝
→
②ティムール帝国が徐々に衰退
し,オ スマン帝国が再興
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①明は永楽帝治下で対外積極策
をとり鄭和の遠征も行う。帝
の死後は「北虜南倭」に苦しむ
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朝
トル
鮮
│
1明 の最大領域 (永 楽帝時代
)
布政使司所在地 ・
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フランフ→
× 1414
。ヵラコルム
タタール
(縫 担 )
衛所所在地
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pァ瀧蓼
浄見寺(南 京)蔵
鄭和の船団
寧波
南昌
肛州
福州
泉
○菓F和 (1371∼ 4434頃 )雲 南
出身のイスラム教徒 (色 目人の子
孫)。 12歳 で捕虜となり宦官とさ
れた。身長180cmの 偉丈夫で,靖
難の変で功績をあげた。
4隻
乗組員
2万 8千 人
乗組員
約170人
○ 泡盛
琉球では,15世 紀前半中山王尚巴志が北山 南山を減ぼし琉
球を統一した(琉 球王国,都 首里)。 明に朝貢する琉球は,シ ャ
ヽ
、ぬ
動物麒麟と現地語
で同音のキリンが
東アフリカからも
たらされ,永 楽帝
は喜んだ。
○首里城正殿(1992年 復元)。 赤い柱
や竜の装飾,二重の屋根など中国(紫 禁
∼15世 紀にアユ
タヤ朝か中国の
港)に よって栄え,各 地の文化を融合した琉球文化を築いた。
蒸留技術が伝わ
つたとされる。
●琉球王国
の交易
(14∼ 16世 紀)
アチン
泡盛
(米 焼酎)は ,14
ムのアユタヤ朝やマラッカ,朝 鮮や日本との中継貿易(那 覇
1609年 ,島 津藩の支配下に置かれたが,明 (清 )の 朝貢国と
しても存続した(1879年 琉球藩 ―→ 沖縄県)。
バ
ル
諸
曇
約120ト ン
3本 マス ト
62隻 (第 1回 )
琉球王国の繁栄
濯
ヴァスコ =ダ =ガ マの船団
約8000ト ン
9本 マス ト
○ キ リン 瑞祥
を告げる伝説上の
現在もタイから
│○ 沖縄の民族衣装「維塑」 日本の友禅染めや
インドネシアのバティックの影響があるといわれる。
1429尚 巴志
,
全島を統一
1609島 津家久
ヒト
王国
マジレヾ
マ ジ ャパ ヒ ト王 国
の最 大勢 力範 囲
(14世 紀 後半 )
500
1000km
,
琉球征服
清へも
(覇 讐
)
1879明 治政府
沖縄県設置
,
①琉球の進貢船 琉球船は毎年中国に渡航し中国
商品を東南アジア,朝 鮮,日 本に売りさばいた。進貢
船は中国のジャンク船と同タイプ。 琉球貿易図屏風J)
(「