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還 源 と Ek-sis
t
enz (吉
原)
還 源 と Ek-si
stenz
覚
る と ころ であ る。 し かも 自 己 存 在 の根 源 は、 そ こか ら真 に 本 来 的 に
自 己 存 在 が全 的 に可 能 と な る と こ ろ であ り、 単 に 自 己 の内 に 止 まら
な い超自 己 の場 であ る。 こ の超 自 己 の根 源 的 場 に お いては 内 在 的自
己 超 克 の主体 と し て の自 己 自身 (我、 現 身 ) は、 根源 的 生 命 の ﹁性
た個 体 的 生命 (﹁
無 我 の我 ﹂、宗 教 的 実 存 ) と し て、 そ れぞ れ 相 互主
薫 勧我 ﹂ の悲智 の力 動 に よ つて絶 対 的 に 否 定 さ れ て ﹁無 我 ﹂ と な つ
体 的 な限 定 に即 し つ つ響 和 的 共存 の場 (即 身、 法 界) に法身 如来 の
螢
本提 題 は、 弘 法 大師 空 海 (七 七 四-八 三 五) に お け る ﹁還 源 ﹂ と
が 発起 す る のであ る。 ﹁性 薫勧 我 ﹂ は ﹁法身 →現 身 ﹂、﹁還 源 為 思 ﹂
光 被 を浴 び て出 で立 た し め ら れ、 そ こ に 実 存 の ﹁帰 依 信 心 ﹂ の行 業
原
ハイデ ツガ ー (一八 八 九-) に お け る Eks
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s
t
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nz(
開 存 ) と の構 造
吉
的 特質 に関 す る 比較 哲 学 的 考 察 で あ る。
﹁即身 ﹂ であ り、 互 に逆 方 向 を と る両 者 を身 体 的 自 己を 基 軸 と し て
転換 す る ﹁生命 の円 環 ﹂ が、 即身 の 実践 的 統 一を 可能 な ら し め る の
は ﹁法身 ←現身 ﹂ であ り、 両 者 の往 還 相 即 不 二 の 生 命 力 動 の 場 が
で あ る。 大和 久 米寺 にお け る <
大 日経 > の開 顕 以 前 の空 海 の思索 と
﹁
弟 子 空海。 性薫 勧 我 還 源 為 思。 径 路 未 知 臨 岐 幾 泣。﹂ は、 空 海
な か の 一章 句 で あ り、 既 に ﹁即身 成仏 ﹂ を 現 証 し た空 海 の青 年 期 に
の詩 文 や 願 文等 を高 弟 真 済 が 編 集 した <
遍 照 発 揮性 霊 集 > 巻 第 七 の
おけ る熾烈 な 発 心 ・求 道 への挺 身 の次 第 の回 想 文 であ る が、 そ の真
体 的 実践 方 法を開 示 した <
大 日経 >開 顕 以 後 のそ れ へと持 続 的 に推
求 道 (﹁還 源為 思 ﹂
) の挺身 的 態 度 と そ の方 向 は ﹁如 実知 自 心 ﹂ の具
と いう べき <
三 教指 帰 > の所 論、 な かで も ﹁虚 空蔵 菩 薩 求 聞 持 法 ﹂
進 さ れ、 入唐 求 法 に よ つて 遂 に ﹁秘 密 三 昧 耶 仏 戒 ﹂ の整序 と ﹁即身
意 の理解 に は、 彼 の儒 ・道 ・仏 の 三教 批 判 と出 家修 道 への発 願 の書
の実 修 体 験 (深 層 意 識 の開発 ) に基 づ く 所 信 表 明 を、 そ の前 提 的 基
成 仏 ﹂ の現証 に 結 実 した の であ る。 空 海 の真 言 密 教 に は、 彼 の青 少
そう
礎 と し て念頭 に置 く こ とが 肝 要 であ る と 考 える。 根 源 的 生 命 そ のも
年期に形成 された広 い深 い教養と山林料撒 の体験が基盤とな つて、
抽象 的対象論理の限界を超出した包括 的な現実 的 生命 の人 格 的真
と
の であ る 真 如仏 性 (法身 ) の薫 習勧 発 に よ つ て自 己 の本 来 性 に目 覚
め た 日常 的 自我 (現 身) が自 己 の非 本 来 性 から 本 来性 へと 自 己 内 奥
理、すなわち世界 の根底からわれわれ の日常的自我を否定的 に包越
し、 これに真 の光と生命を与える法身 如来 (根源的生命) の絶対肯
へ自 己超 克 し て ゆ く と き、 個 体 的 自 己が 自 己を 全 体 と し て超 え出 た
と こ ろに、 そ こ か ら 迷執 的 自我 と し て個 体 的 生 が 縁 生縁 起 し てき た
菩提心)﹂ の当体である即身 (全人的 ﹁還源﹂体験)を基軸 とした、
定 の悲智 の三密喩伽 の活動が、﹁四種 心 (信 心 ・大悲心 ・勝義心・大
として開顕 されている。
密 教独自 の具体的行道実践 の論理と方法を通じ て曼茶羅世界 (
法界)
自 己自 身 の根 源 性 と し て の ﹁性 薫 ﹂ の生 命 的 光 耀 が 体 感 (﹁性 薫 勧
向 か つ て還帰 す る 行業 に よ つて 根源 的 生 命 (法 身 ) の菩 提 (覚 ) を
我﹂
) さ れ、 翻 然 と し て菩 提 心 の在 所を 尋 求 し、 自 己存 在 の 根 源 に
体認 身 証 し よ う と 志 念 (﹁発 心 ﹂) す る こ と が ﹁還 源為 思﹂ の意 味 す
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Obe
r de
n Humanism(
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19
s46を
)著 述 し、従 来 の Exi
s
t
enz (実
実存 在 と の両義 を も つみず か ら の実 存 の特 質 を 明 確 に す る た め に
ムとし て の実存 主 義 の 主張 に対 し て、 ハイデ ツガ ー は現 実 存 在 と真
実 存 (Existeを
nz
単)
に 現 実 性 と 解 し た サ ルト ルの ヒ ュー マ ニズ
ガ ーに よ れ ば、 現 代 人 を と り ま く ニ ヒリ ズ ム の風 潮 は、 人 間 の権 力
das
Man と いう現 存 在 の在 り 方 を 超 克 した 形 態 で あ る。 ハイ デ ッ
中 に定 位 し た開 存 は、 近 代 的 な 対 立 分裂 の合 理 性 の 人 間 と し て の
こと を 意 味 し て いる。 主 客 未 分 の根 源 的 統 一態 と し て の存在 の光 の
在 者) と は常 に区 別 さ れな が らも、 す べ てが存 在 と の関 係 に お い て
そ の基 本 的 立場 であ り、 し た が つ て se
i
n (存 在) と Seien(
d
存es
わゆ る Kehr(
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転 回 ) 以 後 の今 日も、 存 在 の学 (基 礎 的 存 在 論 ) が
時 間 性 と し て自 分自 身 の死 を 必 然 的 に担 う 死 へ の 存 在 (
sei
n zum
の根 底 が無 (Nichで
tあ
s)
る こと を 知 つて いる も の、 有 限性 ま た は
べき であ る。 実存 も 開 存 も 同 じ く ﹁世 界 -内-存 在 ﹂ と し て の自 己
自 己 の根 源 であ る存 在 そ のも の の世 界 へ帰 郷 (
Hei
mat
kebr
e
n) す
の ま ま の自 然 へと みず か ら を 開 く開 存 に 立ち 返 え る こ と によ つ て、
﹁存 在 忘 却 ﹂ の当 然 の帰 結 で あ る。 い ま こそ ﹁故 郷喪 失 ﹂か ら、あ り
考 え ら れ て いる。 Exi
s
t
enzと は Sei
nを とら え た Dase(
i
現n
存 在 )、
欲 に基 づ く技 術 的 知 性 に よ つて 自 然 を 支 配 の対 象 と み よ う と し た
存 在 の 形 態 を と つた現 存 在 で あ り、 現 存 在 が存 在 に対 し てあ れ こ れ
の在 り 方を と つた 状態、 す な わ ち ﹁存 在 絆現 存 在 ﹂ に お け る自 覚 的
Todeで
)あ る が、 現 存 在 が 主 客 未 分 の根 源 的 統 一態 と し て の 存 在
存) を 新 た に Eks
i
s
t
enz (開 存) と呼 び か え、 そ の 所 由 を 解 明 し
の態度 を と る こ とが で き、 ま た常 にな んら か の仕 方 で態 度 を と つ て
て いる。 ハイデ ッガ ー の哲 学 は、 Se
i
nund Ne
i
t(19
27) 発 表 以 来 い
いる当 の ﹁存 在 そ のも の﹂ であ る。 Ek-sisと
te
はn
存z在 の 光 の 中
あ る とは いえ、 脱 自 的超 越 の基 点 を ﹁存 在 ←現 存 在 ﹂ に 置く 実 存 と
境 位 とし て の実 存 と開 存 と は、 同 じ 現 存 在 の在 り方 の異 な る表 現 で
に おけ る 微妙 な差 異 のあ る こ とを 看 過 す べき で は な い。 所 詮、 ﹁存
(
Hi
naus-stで
eh
あe
りn
、)存 在
の真 理 の賜 物 (Geschiの
ck
中)
にあ る 人 間存 在 であ る。 存 在 の光 と
在 のな か に隠 さ れ て いる も の へ問 い返 え す ﹂ こと が、 ハイデ ッガ ー
に 立 つ こ と、 存 在 の真 理 への超 出
し て の現 (
Da
) を sorge (関 心) の中 に取 り 入 れ る 人 間 存 在 は、
開 存 す るも の (derEks
i
s
t
i
er
ende) と し て 現-存 在 (Das
ei
n) で
宗 教 的 実 践 の基 底 を な す ﹁性 薫 " 還 源 ﹂ の還 源 と、 ハイデ ッガ ー の
以 上 の考察 を 概 括 し て、 空海 に お け る 包括 的 な現 実 的 生命 思 想 の
﹁存 在 →現 存 在 ﹂ に と る開 存 と の間 に は、 ﹁思惟 と存 在 と の関 係 ﹂
﹁投 げ ら れた 現 存 在 ﹂ と し て 現 実 の中 に おけ る 人 間存 在 であ る が、
あ る こ とが でき る。 ﹁世 界-内-存 在 ﹂ とし て の現 存 在 そ のも のは、
の基 礎 的存 在 論 の中 心 テ ー マな ので あ る。
こ の非 本 来 的 な 現 存 在 が ﹁贈 る こと に よ つ て贈 ら れ たも の ﹂ と し て
存 在 の投 げ (Wur
f dessei
ns) の中 で存 在 す る み ず か ら の 本 来 性
そ れは 主 体 の脱 却 と し て脱 自 的 に存 在 の光 の中 に 出 で 立 つ (a
us
s
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と し て の存 在 の真 理 (aleth
非e
隠i
蔽a
性 ) へ超 出 す る こ と であ る。
範 型 には、 興 趣 あ る 構造 的 類 似 が 認 め ら れ る と いえ る。
思 想 史 的系 譜 の相 異 に も か か わ ら ず、 両 者 に お け る 人間 自覚 の思 惟
自 覚 的 境位 と し て の Eksi
st
enzと を 対 比 す れ ば、 時 代、 精 神 風 土、
を覚 知 す る 開存 と し て 生き 抜 く こと は、 あ るが ま ま の自 然 (
physis)
哲 人的 ・詩 人的 発 想 と 思索 に よ つて 究 明 され た ﹁
存 在 鉾 現存 在 ﹂ の
hen) こ と が、 没 主 体 的 な 主 体 性 と し て 自 己 の生 の源 底 に 還 帰 す る
還 源 と Ek-site
(吉
nz原 )
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