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2014 年 6 月発行 通巻 26 号
WE 21 ジャパン たま ニュース
発行責任者/特定非営利活動法人 WE21 ジャパンたま 代表 鈴木久子
川崎市多摩区中野島 6-29 新中野島ハイム 4 号 101
TEL&FAX 044-945-2427
平和と共生へ向けて
WE21 ジャパンたまは、5 月 18 日第 12 回目の総会を終えることができました。総会で承認された 2013 年度の支援活
動、事業活動、そして 2014 年度の計画等の概要を以下にご報告します。
また WE ショップは、オープン以来、地域の皆様と会員の方々に支えられ今日に至りましたが、最近この活動の役割が
かなりはっきりしてきたと考えています。地域の人々の楽しく集える場所として、小さいながらも社会の様々な情報を発信し、
支援相手の人々の暮らしに思いをはせ、平和と共生を求めて、本年度も前進したいと思います。
2013 年度 支援活動報告
東日本大震災関係支援
福島有機農業研究会 ・・・・・ ¥ 370,625
岩手県大槌町 ・・・・・・・・・・・
¥ 310,000
幼い難民を考える会(福島、宮城の保育支援)
・・・・・・・・・・・ ¥ 100,000
アジア学院 ・・・・・・・・・・・・・ ¥ 100,000
インド(インド連絡会と DRCSC との共同事業)
・・・・・・・・・・ ¥ 141,000
アフガニスタン(ペシャワール会)・・・ ¥ 50,000
カンボジア(幼い難民を考える会)・・ ¥ 70,000
フィリピン(ベンケットグリーンアクション)
・・・・・・・・・
¥ 50,000
支援総額 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ¥1,191,625
2013 年度 事業活動報告
WE ショップたま
の事業
WE21 ジャパンたま
の事業
2013 年度売上げ
5,009,575 円
布ぞうり教室
総事業費
4,641,800 円
ソーイング教室(おはり箱)
20 回 延べ 93 名
4 回 合計 67 名
1回 2名
顧客数
6,739 人
WE 講座
ボランティア延べ人数
1,243 人
・憲法改正ってどういうこと?
寄付品提供者
1,789 人
・アジア学院見学
等
2014 年度の計画
特定非営利活動法人 WE21 ジャパン たま は、5月 18 日(土)AM10:00~11:00 総会を開催。引き続き 13:00 から第
1回運営委員会を開き、今年度の運営方針を確認した。NPO 法人としては、地域の拠点としての役割を担って WE
講座の充実や支援先訪問を行うこと。WE ショップとしては、集客のための企画や WE の特性を伝える努力を行うこと
等で、具体的な年間計画の概要は下表のとおり。
月
NPO(WE21 ジャパンたま)企画
WE ショップ 企画
5月
・総会
・第1回 WE 講座―「幼い難民を考える会」報告)
6月
28 日/会員半額セール、おはり箱作品展示・販売
・たまニュース発行
・第2回 WE 講座 ―TPP で変わる食卓―
7月
8月
夏期半額セール
・支援先訪問(岩手県大槌町 1泊)
9月
ブランド食器フェア
・たまニュース発行
10 月
着物常設開始準備
・貧困なくそうキャンペーン
11 月
ブランドバックフェア
・カンボジア訪問
12 月
冬期感謝半額セール
・第3回 WE 講座(「憲法について」予定)
1月
会員半額セール、おはり箱作品展示・販売
・たまニュース発行
2月
冬物衣料一掃セール
・第4回 WE 講座(「支援先報告」予定)
3月
支援先紹介
幼い難民を考える会
私達、WE21 ジャパンたまが初めて支援をし、その後
現在まで継続して支援を続けている NPO 法人です。
5 月 18 日総会の後、第 1 回 WE 講座として、峯村里
香さんに報告講演をしていただきました。今回は、カ
ンボジアの保育園と、東日本大震災被災地・宮城と福
島での保育活動について話していただきました。
《 峯村里香さんの報告 》
カンボジア全州、特に外国人が行かない辺境地でも保育活動をしている。首都プノンペンは急速な発展の一方、スラム
が増え、そこの子ども達は貧しく不衛生な環境で暮らしている。このような場所で6ヶ所の保育所を作り、給食を出している。
学校にも給食を出し、食べることで子ども達は元気になり、学習に集中できるようになっている。
地方の村も貧しくて栄養不足の子どもが多く、カンダール州では4ヶ所で給食を出している。日本円 20 円分で、1人 3 回
分の給食が賄える。給食は、おかゆ、スープ、おやつなど。
タケオという町ではこの活動を20年続けている。あと3年後には地元の人達自身で運営できるまでになった。
※※※
宮城県仙台の多賀城では、津波で保育園の建物が倒壊した。震災直後は児童の母親達が場所を移転しながら保育を
続けていた。その保育所に、トレーラーハウスを借りて 20 人前後の保育活動を支援した。
福島は当初まったく情報が入らず、現地の市役所などを廻った。沿岸地域8ヶ所から避難している人達のところがあり、
保育園の園長、ボランティア、母親らが自主的に保育をしていた。そこでは、バラバラになった児童や保護者にお便りを
だし、その反応を文集にまとめることを始めていたので、その活動を支援した。
飯館村では週一回の子育てサロンを開いている。浪江町は全てがあの日のまま、人が住めないため荒れ果てている。