第9章 成層流体中の波動 : 内部重力波

75
第9章
成層流体中の波動:内部重力波
6 章では, 密度が一様な静止した圧縮性流体を基本状態 (添え字 0 を付けて表した物理
量) としたとき, 音波が流体力学方程式の解として存在すること, 音波以外の平面波解の振
動数はゼロであることを示した(6.6 節参照). 大気や海洋のように重力場中に存在する
流体は, 鉛直方向に密度が変化する密度成層状態になる. そのような状況では, 流体力学方
程式には音波以外にどのような平面波解が存在するのかを調べてみる. 6 章と同様に, 物
理量を基本場(既知量)とそれからの揺らぎ(未知量)の和として表現し, 揺らぎが小さ
いとして流体力学の基礎方程式を線形化して議論を行う.
キーワード : 方程式の線形化, Boussinesq 近似, 内部重力波, 位相速度と群速度
9.1 問題設定
重力場中において静止した非粘性流体を考える. 流体は理想気体の状態方程式に従うと
する. 簡単化のために, 現象は 2 次元鉛直面内(x, z 平面内)で起こるとする. 定常な静
止状態(これを基本状態とする)の物理量に添え字 0 を, それからのズレ(揺らぎ)の量
をプライムをつけて表すことにする. このとき基本状態の物理量の従う方程式は, x, z 方
向の運動方程式より
∂p0
= 0,
∂x
∂p0
= −ρ0 g,
∂z
(9.1a)
(9.1b)
である. (9.1a) から基本状態の圧力 p0 は x に依存しないこと, したがって, p0 は z のみ
の関数である. また, 静水圧平衡 (9.1b) により ρ0 も z のみの関数とする. このような基
第 9 章 成層流体中の波動:内部重力波
76
本状態からの断熱的な揺らぎについて考察する.*1
9.2 線形近似
再び, 数学的な簡単化のため流体力学の基礎方程式を線形化する. 速度場 v, 圧力 p, 密
度 ρ, 温位 θ を基本状態とそれからの揺らぎとして表現する*2 :
u(x, z, t) = u′ (x, z, t),
w(x, z, t) = w′ (x, z, t),
(9.2a)
(9.2b)
p(x, z, t) = p0 (z) + p′ (x, z, t),
ρ(x, z, t) = ρ0 (z) + ρ′ (x, z, t),
(9.2c)
(9.2d)
θ(x, z, t) = θ0 (z) + θ′ (x, z, t).
(9.2e)
運動方程式は今の問題設定では,
∂u′
∂u′
∂u′
1
∂ ′
+ u′
+ w′
=−
p
′
∂t
∂x
∂z
ρ0 + ρ ∂x
∂w′
∂w′
1
∂
∂w′
+ u′
+ w′
=−
(p0 + p′ ) − g
′
∂t
∂x
∂z
ρ0 + ρ ∂z
(9.3a)
(9.3b)
である. 基本状態に比べて, 揺らぎの量の大きさはきわめて小さいと仮定する:
p′
≪ 1,
p0
ρ′
≪ 1,
ρ0
θ′
≪ 1.
θ0
(9.4a)
(9.4b)
(9.4c)
したがって, 揺らぎの 2 次以上の項は無視することにする. このとき (9.3) は
∂u′
1 ∂p′
=−
∂t
ρ0 ∂x
′
∂w
1 ∂p′
ρ′
=−
− g
∂t
ρ0 ∂z
ρ0
(9.5a)
(9.5b)
とかける. ここで, p0 は z のみに依存し, 静水圧平衡に従うことを用いている.
鉛直方向の運動方程式 (9.5b) について少し解説をしておく. この式の左辺は, 流体粒
子の加速度を表し, 右辺の第 1 項は圧力傾度力である. 右辺第 2 項は, 浮力項と解釈でき
る.*3 流体粒子の密度が基本状態の密度よりも軽ければ/重ければ ( ρ′ < 0 / ρ′ > 0 ), 流
*1
*2
*3
8 章では, 温位を定義する際の基準となる圧力 1000 hPa を p0 と表した. この章では p0 の意味は 8 章
とは異なることに注意してほしい.
密度と圧力の基本状態が z のみの関数ならば, 温位の基本状態は (8.5) より z のみの関数である. (8.5)
における p0 , ρ0 は基本状態の圧力, 密度ではなく, ある定数であることに注意する.
流体粒子に作用する重力そのものではない. 重力は基本場の密度成層と一部相殺している.
9.3 Boussinesq 近似
77
体粒子は鉛直上向き/下向きに加速されていくはずであるが, 実際 (9.5b) の右辺第 2 項は
そのようなセンスになっている.
線形化された連続の式は,
∂ρ′
dρ0
+ ρ0
+ w′
|∂t {z dz} |
Dρ
Dt を線形化
(
)
∂u ∂w
=0
+
∂x
∂z
{z
}
(9.6)
ρ∇·v を線形化
である.
熱力学方程式は, 断熱状態で温位が保存するという式, Dθ/Dt = 0, を線形化して,
∂θ′
dθ0
+ w′
=0
∂t
dz
(9.7)
である. 温位, 圧力, 密度は互いに関係式 (8.5) によって結びついている. (8.5) は 3 つの
熱力学量の間の関係式なので, 状態方程式とみなすことができる. (8.5) の両辺対数をと
り, 微分することによって
d ln θ′ =
1
d ln p′ − d ln ρ′
γ
(9.8)
を得る.
(9.5), (9.6), (9.7), (9.8) は, 5 つの未知変数 u′ , w′ , p′ , ρ′ , θ′ に対して 5 本の方程式が
あるので, 閉じた問題になっている.
9.3 Boussinesq 近似
6 章で流体の圧縮性は音波を生じることを見た. ここでは, 問題を簡単化するために, 非
圧縮性 Dρ/Dt = 0 を仮定することにより, 上で導いた方程式から音波を除去する.*4 こ
のとき, 連続の式 (9.6) は 2 つの式に分解できて,
∂ρ′
dρ0
+ w′
= 0,
∂t
dz
∂u′
∂w′
+
= 0,
∂x
∂z
*4
(9.9)
(9.10)
圧縮性を考慮して問題を解くこともできるが, 分散関係式が複雑になるので, ここでは非圧縮性を考慮し
て流体の密度成層によってもらたされる効果に注目することにする.
第 9 章 成層流体中の波動:内部重力波
78
となる. さらに z 方向の運動方程式に対して次のような近似を行う:
∂w′
1 ∂p′
ρ′
=−
− g
∂t
ρ0 ∂z
ρ0
′
∂ p
p′ dρ0 ρ′
=−
+ 2
− g
∂z ρ0 ρ0 dz ρ0
| {z } | {z }
(I)
≃−
(II)
∂ p′
ρ′
− g.
∂z ρ0
ρ0
(9.11)
このような近似は, 波動の鉛直波長が基本場の密度の鉛直方向の変化に比べて短い場合
((I) の項の大きさに比べて, (II) の項の大きさが小さい場合) に妥当な近似となる. この点
は, 後で再び議論することにする. さらに, 運動方程式 (9.5a) の圧力傾度力に現れている
密度 ρ0 は z のみの関数なので x の偏微分の中に入れることができる.
熱力学の式 (9.7) と (9.9) 見比べると, 密度が温位の役割を果たしていることがわかる.
以上をまとめると, 今の問題に対する支配方程式系は
∂u′
∂ p′
=−
,
∂t
∂x ρ0
∂w′
∂ p′
ρ′
=−
− g,
∂t
∂z ρ0
ρ0
′
′
∂u
∂w
+
= 0,
∂x
∂z
∂ρ′
dρ0
+ w′
= 0,
∂t
dz
(9.12a)
(9.12b)
(9.12c)
(9.12d)
であり, 未知変数は u′ , w′ , p′ , ρ′ である. 上の支配方程式系は, 順に今の問題設定におけ
る, x, z 方向の運動方程式, 連続の式, 熱力学方程式である.
上のように支配方程式を近似することを Boussnesq 近似と呼ぶ. この近似では, 流体は
基本的に非圧縮流体を想定しているが, 運動方程式の圧力傾度力項における密度は定数と
して扱い, 一方で z 方向の運動方程式の右辺第 2 項の浮力項では密度の変化を考えるよう
な近似である.
9.4 平面波解
79
9.4 平面波解
平面波解(等位相線が平面となる波),
p′
= ℜ [ˆ
p exp {i (kx + mz − ωt)}] ,
ρ0
ρ′
= ℜ [ˆ
ρ exp {i (kx + mz − ωt)}] ,
ρ0
u′ = ℜ [ˆ
u exp {i (kx + mz − ωt)}] ,
(9.13a)
(9.13b)
(9.13c)
′
w = ℜ [w
ˆ exp {i (kx + mz − ωt)}] ,
(9.13d)
を仮定する. (9.12) にこれらの平面波解を代入すると, 次の代数方程式が得られる:

−iω
 0

 ik
0
0
−iω
im
1 dρ0
ρ0 dz
ik
im
0
0
 
0
u
ˆ


g  w
ˆ

0   pˆ  = 0.
−iω
ρˆ
(9.14)
(ˆ
u, w,
ˆ pˆ, ρˆ)T が自明でない解を持つためには, (9.14) の係数行列の逆行列が存在しては
いけない. 即ち, (9.14) の係数行列の行列式がゼロである必要がある. この条件は, 以下の
様な ω に関する 2 次方程式になる:
(k 2 + m2 )ω 2 + k 2
g dρ0
= 0.
ρ0 dz
安定な成層流体では, 密度は鉛直上方に向かって減少しているので,
(9.15)
g dρ0
ρ0 dz
は負の量と考
えられる. これを,
NB2 ≡ −
g dρ0
ρ0 dz
(9.16)
とおくと, (9.15) の解は
kNB
ω = ±√
k 2 + m2
(9.17)
である. 分散関係式 (波動の振動数と波数の関係式) (9.17) で与えられる波動は, 重力波も
しくは内部重力波*5 と呼ばれる. この波動が生じる復元力は, 分散関係式に NB を通じて
g が含まれていることからも推測できるように, 運動方程式の浮力項の存在によって生じ
√
る波動である. |k/ k 2 + m2 | ≤ 1 なので, ω 2 ≤ NB2 であることに注意しておく.
*5
鉛直方向に伝播可能な波のことを内部波と呼ぶ. ここで扱った波動は ω/m の位相速度で鉛直方向に伝播
する波である. 水面を伝播する波動も, 重力波であるがこちらは表面重力波とも呼ばれる.
第 9 章 成層流体中の波動:内部重力波
80
なお, 8 章で議論した Brunt–V¨
ais¨
al¨
a 振動数と NB との関係について述べておく.
Brunt–V¨
ais¨
al¨
a 振動数 N の 2 乗はこの章の記号の使い方によると,
N2 =
g dθ0
θ0 dz
(9.18)
である. 温位と圧力, 密度の間の関係式 (9.1a) を上式に代入し, 静水圧平衡の関係式を用
いると
(
)
1 dρ0
1 dp0
N =g
−
γp0 dz
ρ0 dz
(
)
ρ0 g
1 dρ0
=g −
−
γp0
ρ0 dz
g2
= − 2 + NB2
cs
2
となる. ここで, cs は音波の速度である. 非圧縮性流体では音波は無限大の速度で伝播す
るので, cs → ∞ ととると, N 2 → NB2 である. つまり, 今の問題設定では, NB が, 8 章で
現れた Brunt–V¨
ais¨
al¨
a 振動数 N にあたる.
地球大気の対流圏と成層圏では, 浮力による振動の周期 2π/NB はそれぞれ 8 分, 5 分程
度である.*6
上の解析からわかるように, 流体力学方程式には音波の他に安定な密度成層の効果を考
慮すると, 8 章で議論した Brunt − V¨
ais¨
all¨
a 振動数に比例した波動(内部重力波)が 2 つ
(音波の場合と同様に, 互いに逆向きに伝播する)出てくることがわかった.
9.5 Boussinesq 近似の妥当性
平面波解 (9.13) を仮定して (9.11) の (I) 項と (II) 項の大きさをそれぞれ求めてみる.
ここで地球大気のように基本場の密度は指数関数的に減少している ρ0 = ρs exp[−z/H]
と仮定しよう.*7 このとき,
(9.11) 右辺 (I) 項 = −imℜ [ˆ
p exp {i (kx + mz − ωt)}] ,
1
p exp {i (kx + mz − ωt)}] .
(9.11) 右辺 (II) 項 = ℜ [ˆ
H
したがって, m ≫ 1/H もしくは 鉛直方向の波数 λz = 2π/m を導入して, H ≫ λz のと
きに (II) の項は (I) の項に比べて無視することができる.
地球大気では, H ∼ O(104 m) 程度である.
*6
*7
D. G. Andrews : An introduction to atmospheric physics. 2nd Ed. Cambridge Univ. Press,
(2010), p.131.
H は(密度)スケールハイトと呼ばれる.
9.6 内部重力波の特性
81
9.6 内部重力波の特性
9.6.1 分散性
ここで議論した内部重力波は音波や表面重力波と違って分散性を持っていることが特徴
である. ω が波数の 1 次関数であれば, さまざまな波数(もしくは波長)を持った波は同
じ位相速度で伝播する. しかし, ω が波数の 1 次関数でない場合には, 波の位相速度は波
数(波長)毎に異なる. 波のこのような特性を分散性という. さまざまな波数の波を重ね
合わせて空間的に局在した波(波束と呼ばれる)を作ったとき, 波に分散性があれば, 波束
は時間とともに形が変わる(波束はまさに分かれて散っていく). 波束の伝播する速さは
群速度と呼ばれる. 一般に, 位相速度と群速度は異なる.
内部重力波の特性で最も顕著なものは, 鉛直方向への伝播特性である. 内部重力波の鉛
直向きの位相速度は, 群速度の鉛直方向成分と逆向きであることが示される. 実際に k, m
を正の量として分散関係式 (9.17) から, 鉛直の位相速度 cz は
kNB
cz = ω/m = ± √
m k 2 + m2
(z)
である. 一方, 群速度の鉛直成分 cg
c(z)
g =
(9.19)
は
∂ω
NB km
= ∓ (√
)3 .
∂m
k 2 + m2
(9.20)
9.7 節で述べるように, 群速度は波のエネルギーの伝播方向なので, したがって, 位相が上
から下向きに進行しているときには, 波のエネルギーは上から下へと伝播する. なお, 水平
方向には位相の進行する向きと群速度の向きは一致している.
9.6.2 偏波関係
(9.14) から, (基本場の密度で割った) 圧力の振幅 pˆ を用いて, その他の物理量の揺らぎ
を書き表すことができる:
k
pˆ,
ω
k2
w=
ˆ −
pˆ,
mω
(k 2 + m2 )
ρˆ= −i
pˆ.
mg
u
ˆ=
(9.21a)
(9.21b)
(9.21c)
(9.21) は偏波関係式と呼ばれる. これを見ると, 圧力と x 方向の速度は同位相, z 方向の
速度は逆位相, 密度は π/2 だけ位相が遅れていることがわかる.
第 9 章 成層流体中の波動:内部重力波
82
9.7 Boussinesq 近似におけるエネルギー論
(9.12) に従う現象のエネルギーの時間発展について考えてみる. (9.12a) に ρ0 u′ ,
(9.12b) に ρ0 w′ を掛ける. ここで, Boussinesq 近似との妥当性から, 圧力傾度力項におけ
る密度 ρ0 はあたかも定数として扱う. このとき, 連続の式 (9.12c) の助けを借りて
∂
∂t
{
)
1 ( ′2
ρ0 u + w′2
2
}
=−
∂ ′ ′
∂ ′ ′
(p u ) −
(p w ) − ρ′ w′ g
∂x
∂z
(9.22)
を得る. (9.22) の右辺最終項は, (9.12d) に ρ′ を乗じた式を使って ρ′ w′ を消去し, 整理す
ると
(
)}
1
g 2 ρ′2
∂
∂ ′ ′
′2
′2
ρ0 u + w + 2 2
= − (p′ u′ ) −
(p w )
(9.23)
2
NB ρ0
∂x
∂z
( ′2
)
1
′2
ρ
u
+
w
は揺らぎの (単位体積当たりの) 運動エネルギーであり,
0
2
∂
∂t
と書ける.
2
1 g
2
2 NB
(
ρ′
ρ0
)2
{
は(単位体積あたりの)有効位置エネルギーと呼ばれる. 両者を足したもの
が揺らぎの(単位体積当たりの)全エネルギーである. (9.23) はある局所的な場所におけ
る揺らぎの全エネルギーの保存則を表しており, ある点における揺らぎの全エネルギーの
時間変化率は, その点を通過するフラックス p′ v ′ の収束発散に等しいことを述べている.
そこでこのフラックスはエネルギーフラックスと解釈できる.
エネルギーフラックスを偏波関係式 (9.21) を用いて見積もってみる. ⟨•⟩ を波の 1 周期
に渡る平均として,
(
)
k
k
2
|ˆ
p| 1, −
.
⟨p v ⟩ =
2ω
m
′ ′
(9.24)
一方, 群速度は
(
cg =
c(x)
g ,
c(x)
g
)
NB m2
= 2
(k + m2 )3/2
(
)
k
1, −
m
(9.25)
であり, 全エネルギーは
⟨
(
)⟩
1 k 2 + m2 2
1
g 2 ρ′2
′2
′2
ρ0 u + w + 2 2
=
|ˆ
p|
2
NB ρ0
2 NB2 m2
(9.26)
である. そこで, エネルギーフラックス, 全エネルギー, 群速度は
′ ′
⟨p v ⟩ =
⟨
(
)⟩
1
g 2 ρ′2
′2
′2
ρ0 u + w + 2 2
cg
2
NB ρ0
(9.27)
の関係で結ばれている. 即ち, エネルギーフラックスは全エネルギーと群速度の積で表さ
れる. (エネルギーの伝播方向は群速度の向きである.)
9.7 Boussinesq 近似におけるエネルギー論
83
演習問題
1. 分散関係式 (9.17) から, x 方向の群速度が c(x)
g
NB m2
= ± (√
)3
k 2 + m2
(9.28)
となることを確かめなさい. (ヒント: 水平方向の位相速度は ω/k で与えられる
のに対して, 群速度の水平成分は ∂ω/∂k で与えられる. )
2. 水平方向には位相の進行する向きと群速度の向きは一致していることを示しな
さい.