4 離散トモグラフィーの基本定理

離散トモグラフィーの基本定理
4
この章では,離散トモグラフィーの基本定理を定式化し,それを用いてい
くつかの具体例の分析を行うのが目標である.
4.1
トーラス
まず,絶対値が 1 の複素数の全体を T とおく:
T = {z ∈ C; |z| = 1}.
そして,その n 個の直積を Tn と書き,n 次元トーラス(torus)とよぶ:
Tn = T × · · · × T .
|
{z
}
n
したがって,Tn の元は n 個の絶対値 1 の複素数 zi ∈ C (1 ≤ i ≤ n) の組
(z1 , · · · , zn ) として表すことができる.さらに,n 変数の複素数係数のローラ
ン多項式 f (z1 , · · · , zn ) の Tn における零点全体の集合を VTn (f ) で表す:
VTn (f ) = {(z1 , · · · , zn ) ∈ Tn ; f (z1 , · · · , zn ) = 0}.
より一般に Tn の部分集合 X に対して
VX (f ) = {(z1 , · · · , zn ) ∈ X; f (z1 , · · · , zn ) = 0}.
という記号も今後よく使うことになる.
4.2
基本定理の紹介
表題にいう「離散トモグラフィーの基本定理」
(同時にこの本の主定理で
もある)は,次のように簡潔な形で定式化される:
定理 4.1
Zn の任意のウインドウ w に対して
dimC A0w = ]VTn (mw )
念のために付け加えるが,この左辺は線形空間 A0w の次元を表し,右辺は
零点集合 VTn (mw ) の元の個数を表す.したがって,もし VTn (mw ) が無限個
の元を含むならば A0w は無限次元である,ということもこの定理は主張して
いる.この章では,この定理を使っていろいろなウインドウの例で計算して
1
みたい.
注意:定理を証明することが次章以降の目標である.そこでは「超関数」な
ど数学の一見取り付きにくそうな対象をあつかうことになるが,まずはこの
章で道具としての基本定理の威力を十分に味わっていただき,その切れ味は
超関数の理論に自然に由来している,というこの本の主題に踏み込んで行く
動機付けとしたい.
例 4.1. 1 次元のウインドウ wdomino .これは次のように定義されるウインド
ウである:
{
1, i = 0, 1 のとき,
0, i =
6 0, 1 のとき.
widomino =
注意.
「ドミノ(domino)」という名前は,wdomino のサポートが {0, 1} ∈ Z
であり,数直線上で二つの並んだ点から成ることからつけた.
その特性多項式 mwdomino は
mwdomino =
∑
widomino z1i = 1 + z1
i∈Z
で与えられる.したがってその零点集合 VT (mwdomino ) は
VT (mwdomino )
=
{z1 ∈ T; mwdomino = 0}
= {z1 ∈ T; 1 + z1 = 0}
= {−1}
というように,1 点のみからなる集合である.よって定理によれば,A0wdomino
は 1 次元であることになる.では具体的にどんなアレイが A0wdomino に入って
いるのだろうか.それも VT (mwdomino ) の情報から求めることができる.こ
の場合,1 次元のアレイ a = (ai )i∈Z を次のように定義する:
(i ∈ Z)
ai = (−1)i
(この「−1」は VT (mwdomino ) の唯一の元であった「−1」である.
)図で表す
と
1
1
-1
1
-1
-1
1
O
というように,1 と −1 が交互に並んでいるアレイである.したがってどの
2
隣り合った二つをとっても値の和は 0 である.言い換えれば,
「ドミノ」形
のウインドウをどのように平行移動しても次数が 0 になっており,この a が
A0wdomino に属していることがわかる.一方 A0wdomino は 1 次元であったから,
この a が A0wdomino の基底であり,A0wdomino のすべての元が a の定数倍で表
される,ということまでわかる:
A0wdomino = hai = {ca; c ∈ C}.
注意.上で出てきた記号 hai,あるいはより一般に ha1 , · · · , an i という記号は
ha1 , · · · , an i = {c1 a1 + · · · + cn an ; c1 , · · · , cn ∈ C}
と定義され,a1 , · · · , an で生成される部分空間,とよばれる.
例 4.2. 2 次元のウインドウ wharmonic .これは次のように定義されるウイン
ドウである:
harmonic
w(i,j)


(i, j) = (1, 0), (0, 1), (−1, 0), (0, −1) のとき,
 1,
=
−4, (i, j) = (0, 0) のとき,


0,
上記以外の (i, j).
図示すると次のようになっている:
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
0
1
-4
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
ではこのウインドウ wharmonic に対して A0wharmonic はどのようなアレイか
3
ら成っているだろうか.あるアレイ a が A0wharmonic に属しているとすると
dwharmonic +(p,q) (a) = 0
(4.1)
がすべての (p, q) ∈ Z2 に対して成り立っている.この左辺は定義によって
dwharmonic +(p,q) (a)
=
∑
(wharmonic + (p, q))(i,j) a(i,j)
(i,j)∈Z2
= a(p+1,q) + a(p,q+1) + a(p−1,q) + a(p,q−1) − 4a(p,q)
と計算できる.したがって (4.1) は
a(p+1,q) + a(p,q+1) + a(p−1,q) + a(p,q−1) − 4a(p,q) = 0
すなわち
a(p,q) =
1
(a(p+1,q) + a(p,q+1) + a(p−1,q) + a(p,q−1) )
4
がすべての (p, q) ∈ Z2 に対して成り立つ,という条件になる.言い換えれば
「アレイ a の任意の点での値はそのまわりの格子点での値の平均になる」
ということである.この性質をもつ Z2 上の関数を「2 変数の離散調和関数
(discrete harmonic function)」という.したがって A0wharmonic に属するア
レイを求める問題は
「有界な 2 変数離散調和関数を求める」
という問題と同値であることがわかった.そして基本定理を用いると,たち
どころに次の命題が証明できる:
命題 4.2
有界な 2 変数の離散調和関数は定数関数しかない.
証明] A0wharmonic に属するアレイは定数しかない,ということを示せばよ
い.ところが基本定理によれば
dimC A0wharmonic = ]VT2 (mwharmonic )
であるから,右辺の ]VT2 (mwharmonic ) を考えてみよう.まず特性多項式 mwharmonic
4
は
mwharmonic
∑
=
harmonic i j
w(i,j)
z1 z2
(i,j)∈Z2
= z11 z20 + z10 z21 + z1−1 z20 + z10 z2−1 − 4z10 z20
1
1
+
−4
= z1 + z2 +
z1
z2
というように計算される.そしてこれが 0 になるような (z1 , z2 ) ∈ T2 を求め
1
1
るのだが,z1 ,z2 ともに絶対値が 1 だから, , の絶対値も 1 であるこ
z1 z2
とに注意する.したがって,mwharmonic = 0 ということは,絶対値が 1 の四
1
1
つの複素数 z1 ,z2 , , を足すと 4 になるということであり,それはその
z1 z1
四つすべてが 1 に等しいときしか起こりえない.よって解は (z1 , z2 ) = (1, 1)
のみであり,
VT2 (mwharmonic ) = {(1, 1)}
であることがわかる.したがって基本定理より
dimC A0wharmonic = ]VT2 (mwharmonic ) = 1
である.しかもすべての点での値が 1 であるようなアレイ 1 は明らかに
A0wharmonic に属している.したがって
A0wharmonic = h1iC
であり,命題が証明された.
注意 この命題は n 次元の場合にも自然に拡張され,有界な n 変数の離散調
和関数は定数関数のみである,ということがいとも簡単に証明される.3 次
元の場合については章末問題 4.1 参照.
例 4.3. 第 2 章例 2.3 のウインドウ w.これは次のように定義されるウイン
ドウであった:
w(i,j)


1, (i, j) = (0, 0) のとき,



 2, (i, j) = (1, 0) のとき,
=
 3, (i, j) = (0, 1) のとき,



 0, 上記以外の (i, j).
その特性多項式 mw は
mw =
∑
w(i,j) z1i z2j = 1 + 2z1 + 3z2
(i,j)∈Z2
5
で与えられる.その零点集合 VT (mw ) を求めたいのだが,次の事実が役に
立つ:
z ∈ T ならばz¯ =
1
z
(4.2)
(⇐ z ∈ T ならば |z| = 1,したがって |z|2 = z z¯ = 1 だからである.
)そこで
(z1 , z2 ) ∈ VT (mw ) とすると
1 + 2z1 + 3z2 = 0
(4.3)
であるが,この両辺の複素共役を取って
1 + 2z1 + 3z2 = ¯0
となり,z1 ∈ T,z2 ∈ T であることから,(4.2) を使えば
1+
2
3
+
=0
z1
z2
(4.4)
という方程式が得られる.ここで「(4.3) + z1 × (4.4)」を作ると
3 + 3z1 + 3z2 +
3z1
=0
z2
となり,左辺が因数分解できて (!)
3(1 + z2 )(1 +
z1
)=0
z2
となる.したがって z2 = −1 または z2 = −z1 である.このうち z2 = −1 の
ときは (4.3) に代入して z1 = 1 が得られ,z2 = −z1 のときはこれを (4.3) に
代入してやはり z1 = 1,z2 = −1 となる.よって
VT (mw ) = {(1, −1)}
であることがわかった.よって定理によれば,A0w は 1 次元であることにな
る.しかも第 2 章の例 2.4 で見たように,アレイ a0 を
{
a0(i,j)
=
1,
j が偶数,
−1, j が奇数,
で定義すると ∆w a0 = 0 が成り立つのであったから,この a0 は A0w の元で
あり,
A0w = ha0 i
であることがわかった.これで第 2 章の例 2.4 での約束が果たされた.
6
第 4 章 練習問題
1. 3 次元のウインドウ w を次のように定める:


1,
(i, j, k) = (±1, 0, 0), (0, ±1, 0), (0, 0, ±1),



 −6, (i, j, k) = (0, 0, 0),
w(i,j,k) =

1
i = 2,



 0,
それ以外の i.
(1) w の特性多項式 mw を求めよ.
(2) mw = 0 の根をすべて求めよ.
(3) 定理 4.1 と問 (2) を利用して A0w の次元と基底を求めよ.
2. 第 3 章の練習問題 2 のウインドウ w:


1,
i = 0,



 −2, i = 1,
wi =
 1
i = 2,



 0,
それ以外の i.
に対して,定理 4.1 を利用して A0w の次元と基底を求めよ.
7