イギリスにおけるEU域内からの人の移動と教育の諸相

<論文>
イギリスにおけるEU域内からの人の移動と教育の諸相
柿内真紀
Aspects of Education and Migration from EU8 Countries in the UK
KAKIUCHI Maki
キ ー ワ ー ド : イ ギ リ ス , EU 東 方 拡 大 , EU 新 規 加 盟 国 ( EU8), EU 域 内 移 動 , 学 校
Key words: UK, the eastern enlargement of the EU, EU8 countries, migration within the EU,
school
1.はじめに
2012 年 夏 の オ リ ン ピ ッ ク 開 催 地 で あ っ た イ ギ リ ス 1 の ロ ン ド ン 。 オ リ ン ピ ッ ク ・ パ ー ク が 建
設されたイースト・ロンドンは,多民族社会イギリスの代表例とも言える移民のまちである。
社会経済的な問題を抱えるこの地区では,オリンピック招致を契機とする再開発計画が進めら
れていることが,オリンピック開催期間中に日本でも何度か報じられた。古くはアイルランド
や ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 か ら の ユ ダ ヤ 人 の 流 入 ,そ し て 1960 年 代 か ら バ ン グ ラ デ シ ュ か ら の 移 民 が 続
き,現在は定住したバングラデシュ系のコミュニティが築かれている。こうしたイギリス周辺
諸国・地域や旧植民地からの人々の流入は,イギリスへの移民の歴史の典型を表している。
さて,近年のイギリスでは,EU(ヨーロッパ連合)域内からの新たな人々の流入が続いて
い る 。 1980 年 代 後 半 か ら の 東 欧 な ど 旧 社 会 主 義 圏 の 社 会 変 動 , そ れ に 続 く い わ ゆ る 「 EU の 東
方 拡 大 」( 2004 年 ) に よ っ て 新 た に EU に 加 盟 し た 東 欧 お よ び バ ル ト 諸 国 ( ポ ー ラ ン ド , ハ ン
ガ リ ー ,チ ェ コ ,ス ロ バ キ ア ,ス ロ ヴ ェ ニ ア ,エ ス ト ニ ア ,ラ ト ヴ ィ ア ,リ ト ア ニ ア:A8 ま た
は EU8 諸 国 と 呼 ば れ る 。以 下 ,本 稿 で は EU8)か ら 流 入 す る 人 々 で あ る 。イ ギ リ ス 社 会 に お い
て,この新たなEU域内から流入する人口の割合は増加しつつある。果たして,彼らはどのよ
うにイギリス社会と接触しているのだろうか。また,彼らはイギリス社会にどのようなインパ
ク ト を 与 え て い る の だ ろ う か 。 以 上 の 観 点 か ら , 本 稿 で は EU 東 方 拡 大 が も た ら し た 域 内 か ら
の新たな人の移動と子どもの教育の現況をみることとする。
2.EU東方拡大がもたらしたもの:EU8 からの人の移動
イ ギ リ ス に お け る 移 民 と 教 育 の 実 態 や 課 題 に つ い て は 佐 久 間 (2007)に よ る 調 査 研 究 が 最 も 詳
しい。おもに,旧植民地からの移民の子どもの教育についてフィールドワークを続けてきた佐
久間も,EUの東方拡大以後,新たな人の流入が始まっており,両者ともにイギリス人の就き
たがらない職(たとえば看護職,外食産業,建設労働,清掃業など)を担っていることを指摘
し て い る 。そ し て ,そ の 点 に お い て ,
「 イ ギ リ ス は ,も は や 旧 植 民 地 の 人 々 の 労 働 力 を あ て に は
し な い と い う こ と 」( 佐 久 間 2007: ⅱ 頁 ) で あ り , 旧 植 民 地 か ら 流 入 し て き た 人 々 に も 大 き な
影響を与えているとする。
また,近年イギリスは移民政策の厳格化(移民の選択的受け入れ)を進めている。それは,
- 29 -
優秀な人材を確保し,低技能労働者の流入を減らす政策であり,この背景にも,低技能労働者
の 供 給 地 と し て 2004 年 以 降 東 欧 諸 国 に 依 存 可 能 に な っ た こ と が あ る と 考 え ら れ て い る( 厚 生 労
働 省 2010: 52-54 頁 )。 EU 域 内 か ら の 人 々 の 流 入 は , こ れ ま で の 移 民 が 築 い た イ ギ リ ス 社 会 に
おける位置づけに変化をもたらす要因となりつつあるといえよう。
さ て ,イ ギ リ ス 政 府 の EU8 か ら 労 働 者 流 入 へ の 対 応 は 比 較 的 緩 い も の で あ っ た 。多 く の EU加
盟国は流入数制限をおこなったが,イギリス,アイルランド,スウェーデンはそれをおこなわ
な か っ た の で あ る 。 制 限 を か け な か っ た こ れ ら 3 国 に は , EU8 か ら 労 働 者 が 多 数 流 入 し , 特 に
イギリスとアイルランドへの流入数は多かった 2。この制限には最大 7 年間の猶予があったた
め , ド イ ツ , オ ー ス ト リ ア は 2011 年 4 月 末 ま で 継 続 し て い た 。 イ ギ リ ス は EU8 か ら の 労 働 者
に は 「 労 働 者 登 録 制 度 」( WRS: Worker Registration Scheme) を 課 し た の み で あ る 。 2011 年 5 月
か ら は WRSも 不 要 に な っ て い る 。
で は , EU8 か ら の 流 入 者 数 は ど の 程 度 で あ る の だ ろ う か 。 政 府 統 計 ( 表 1 ) に よ れ ば , 2004
年 か ら 急 激 に 増 加 し , 2007 年 に ピ ー ク を 迎 え て い る 。 2008 年 か ら 2009 年 に か け て の 流 入 数 の
減少は,リーマン・ショックの影響により,イギリスの通貨(ポンド)価値が下がったため,
イギリスへの出稼ぎが必ずしも高収入を得られることにならず,流出が増えた時期である。し
かし,その後この傾向は収束している。
< 表 1 > イ ギ リ ス に お け る EU8 市 民 の 長 期 国 際 移 動 者 概 数
2004-2011( 単 位 : 千 人 )
120
100
80
60
流入
40
流出
20
-
YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE YE
Jun Dec Jun Dec Jun Dec Jun Dec Jun Dec Jun Dec Mar Jun Sep Dec Mar Jun Sep Dec
04 04 05 05 06 06 07 07 08 08 09 09 10 10 10 10 11p 11p 11p 11p
( Office for National Statistics, Migration Statistics Quarterly Report February 2012
から筆者作成)
※ 2011 年 の デ ー タ は 暫 定 値 。
EU8 の な か で も 突 出 し た 流 入 数 は ポ ー ラ ン ド か ら で あ る 。イ ギ リ ス に 住 む ポ ー ラ ン ド 生 ま れ
の 住 民 数 を 示 し た 表 2 を み る と , 2004 年 以 降 に 急 増 し て い る こ と が わ か る 。 2003 年 12 月 か ら
2010 年 12 月 の 間 , EU8 か ら の 流 入 数 の う ち 66%が ポ ー ラ ン ド か ら で あ り , そ の 概 数 は 75,000
人 ( 2003 年 ) か ら 532,000 人 ( 2010 年 ) へ と 大 幅 に 増 加 し て い る 。 ま た 2010 年 で は , 16-64
歳 が そ の 86%を 占 め て い る( Office for National Statistics 2011b)。2011 年 の 統 計 で は ,イ ギ リ ス 外
生 ま れ の 居 住 者 で は イ ン ド に 続 い て 2 位 , 外 国 籍 居 住 者 で は 1 位 を 占 め る ほ ど で あ る ( 表 3 )。
居 住 地 域 は イ ギ リ ス 全 土 に 分 散 し て い る 。た と え ば , イ ギ リ ス 全 土 の 25%近 く の ポ ー ラ ン ド 人
が住むロンドンでは,西部エリアに集住地区のひとつがあり,ポーランド文化センターやポー
ランド系ショップがあり,ポーランド人コミュニティが築かれている。
- 30 -
< 表 2 > ポ ー ラ ン ド 生 ま れ の 住 民 概 数 2001-2010 ( 単 位 : 千 人 )
600
500
400
300
200
100
0
YE
YE
YE
YE
YE
YE
YE
YE
YE
YE
Dec 01 Dec 02 Dec 03 Dec 04 Dec 05 Dec 06 Dec 07 Dec 08 Dec 09 Dec 10
Source: Annual Population Survey (APS)
( Office for National Statistics, Polish People in the UK. Half a million Polish Residents, 2011 か ら 筆 者 作 成 )
<表3>「イギリス外生まれ」および「外国籍」の住民概数
2011 年 3 月 ( 単 位 : 千 人 )
イギリス外の出生
概数
外国籍
概数
インド
693
ポーランド
576
ポーランド
550
アイルランド
356
パキスタン
433
インド
332
アイルランド
406
パキスタン
155
ドイツ
297
アメリカ
140
( Office for National Statistics, Migration Statistics Quarterly Report November 2011 か ら 筆 者 作 成 )
イギリスへ流入してきたポーランド人の就業についてみれば,出身国で高い学歴を持ってい
ても,それはイギリスでの職の獲得には必ずしも役に立ってはいないようである。そのようす
は ,東 欧 か ら 人 々 が イ ギ リ ス へ 押 し 寄 せ 始 め た こ ろ に 制 作 さ れ た ド キ ュ メ ン タ リ ー 番 組( NHK
BS ド キ ュ メ ン タ リ ー 「 ポ ー ラ ン ド 発 イ ギ リ ス 行 き ~ EU 拡 大 と 出 稼 ぎ 労 働 者 」, 2007 年 7 月 14
日放送)でも描かれている。それはポーランドで修士号を取得して教員をしていた女性が,子
どもを親に預け,夫婦で長距離バスを乗り換えてたどり着いたスコットランドのエディンバラ
で ,職 探 し を す る 日 々 の 記 録 で あ る 。彼 女 は 英 語 が で き な い こ と も あ っ て な か な か 職 に 就 け ず ,
皿 洗 い の 職 に 就 く の が せ い ぜ い で あ り ,夫 は 庭 掃 除 の 仕 事 を や っ と 見 つ け た と い う 例 で あ っ た 。
ま た , 移 民 規 制 を 求 め る 団 体 ( Migration Watch UK) に よ る , イ ギ リ ス の 若 年 層 の 失 業 率 が
高 い の は 東 欧 系 労 働 者 と の 競 合 が 関 係 し て い る と い う 報 告 が ,2012 年 1 月 に BBCで 報 道 さ れ る
3
な ど , 職 に 就 け な い 不 満 が EU8 か ら の 労 働 者 に 向 け ら れ つ つ あ る 。 旧 植 民 地 か ら の 移 民 は ア
ジア系やアフリカ系,カリブ系が多く,身体的に可視化されやすく,またムスリムであるなど
キ リ ス ト 教 と は 異 な る 宗 教 を 背 景 に 持 つ 人 々 が 多 い が ,EU8 か ら の 労 働 者 は そ の 点 で は 異 な る 。
しかしながら,
「 増 え す ぎ た 」と 認 識 さ れ る と ,イ ギ リ ス 社 会 は 受 け 容 れ が た い と す る 反 応 を 示
し始めているかにみえる。
- 31 -
3.子どもの教育:スコットランドの場合
前 出 の ド キ ュ メ ン タ リ ー が 制 作 さ れ た 2007 年 ご ろ は ,出 稼 ぎ で イ ギ リ ス を 目 指 し た の は 親 だ
けで,子どもはポーランドに残される段階であったようである。このことについては,同時期
に佐久間も,かつてのイギリスへの移民と同じく家族結合はこれからの段階であると述べてい
る( 佐 久 間 2007:231 頁 )。し か し ,そ の 後 ,家 族 結 合 は 急 速 に 進 み つ つ あ る 。そ こ で ,本 章 で
は,スコットランドを事例に子どもの教育をめぐる現況をおさえておきたい。
ス コ ッ ト ラ ン ド で は 現 在 ,家 庭 で の 使 用 言 語 別 の 公 立 学 校 児 童・生 徒 数 に お い て ,2008 年 か
らポーランド語が,パンジャブ語(インドとパキスタンのパンジャブ地方の言語)とウルドゥ
語( パ キ ス タ ン の 公 用 語 の ひ と つ )を 抜 い て 第 1 位 と な っ て い る( 図 1 )。パ ン ジ ャ ブ 語 と ウ ル
ドゥ語は旧植民地からの移民の使用言語であるが,ポーランド語はそれらをわずかな期間で超
え , 2009 年 に は 2006 年 の 3.5 倍 を 超 え る 児 童 ・ 生 徒 数 と な っ て い る 。
6,000
5,000
ポーランド語
4,000
パンジャブ語
3,000
ウルドゥ語
2,000
アラビア語
1,000
広東語
0
2006
2007
2008
2009
<図1>家庭での使用言語別児童・生徒数
( The Scottish Government, Pupils in Scotland, 2006,2007,2008,2009 か ら 筆 者 作 成 )
この点からも先に述べた,家族結合が一気に進んだことがうかがえる。さらに今後もポーラ
ン ド 語 が 家 庭 使 用 言 語 で あ る 子 ど も は 増 え そ う で あ る 。2007 年 6 月 に ス コ ッ ト ラ ン ド の 代 表 的
な 新 聞 で あ る 「 ス コ ッ ツ マ ン (Scotsman)」 が , 政 府 統 計 の 発 表 記 事 の な か で , ス コ ッ ト ラ ン ド
のベビー・ブームを押し上げているのは東欧系の親たちで,なかでもポーランド人の占める割
合が最も大きく,次がラトヴィア人であることを報じている 4。東欧からの家族呼び寄せとと
もにスコットランドで生まれる子どもがますます増える可能性が今後も高い。
さて,短期間にポーランド系の子どもたちが増えた学校や地域では,一体どのような対応が
で き た の で あ ろ う か 。ス コ ッ ト ラ ン ド で は ,ポ ー ラ ン ド を 含 む EU8 か ら 移 動 し た 子 ど も た ち が
増えるなか,学校と家庭の関係や,彼らの学校での経験に関する調査がみられるようになって
きた。ここでは,次の2つをとりあげる。
(1)Moskal,M. (2010), Polish migrant children’s experiences of schooling and home-school
relations in Scotland
(2) Sime, D., Fox, R., Pietka, E. (2011), At home abroad: The life experiences of children of
Eastern European migrant workers in Scotland
(1)は ポ ー ラ ン ド 系 の み を 対 象 と し て 5~17 歳 の 41 人 の 子 ど も ,24 人 の 親 ,16 人 の 教 師 に 2008
- 32 -
年 に イ ン タ ビ ュ ー 調 査 を 実 施 し た も の で あ る 。 (2)は 主 に EU8 か ら の 移 動 者 を 対 象 と し て 7~16
歳 の 57 人 の 子 ど も に 対 す る ,11 の フ ォ ー カ ス・グ ル ー プ・イ ン タ ビ ュ ー ,7 人 の 個 人 イ ン タ ビ
ュ ー , さ ら に 28 人 の 子 ど も を 含 む 22 家 族 の ケ ー ス ・ ス タ デ ィ に 加 え て , サ ー ビ ス ・ プ ロ バ イ
ダ ー( 教 育 ,ヘ ル ス ケ ア ,レ ジ ャ ー ,住 宅 供 給 ,行 政 機 関 ,ボ ラ ン テ ィ ア )関 係 者 17 人 対 象 の
イ ン タ ビ ュ ー 調 査 を 2008~2010 年 に 実 施 し た も の で あ る 。 こ の 調 査 に は , 120 人 の 教 師 が 1 日
セ ミ ナ ー に 参 加 し た 際 に 語 っ た ,学 校 に お け る 子 ど も た ち を め ぐ る 問 題 の 記 録 も 含 ま れ て い る 。
で は , 調 査 結 果 を み て み よ う 。 (1)の 調 査 は 次 の 6 点 を 結 果 と し て 提 示 し て い る 。
①フルタイムで学校に通う子どもはかなりの早さで社会に統合され,親にとって「仲介者」
のような役割を担うこともある。
②ポーランド系家族の増加は,多くの英語初心者が地域に住むことになり,受け入れ経験が
ほとんど無い学校や行政当局にとっては,英語支援サービスなどが大きなプレッシャーと
なっている。
③子どもたちが統合されていく良い事例がこの調査ではたくさん見られたが,学校はポーラ
ンド系の子どもたちの能力を的確に評価し,彼らに適切な段階と学習ペースを判断できて
いるとは限らない。
④教師には子どもたちの背景や以前の成績に関する情報が少ないこともあって,ほとんどの
学校で子どもたちを英語の能力で判断してしまい,数学や個別の到達度を見過ごしがちで
ある。
⑤ ポ ー ラ ン ド 系 の 多 く の 親 や 子 ど も た ち は ス コ ッ ト ラ ン ド の 学 校 を 「 簡 単 (easy)」 だ と 見 て
いる。そのことで学校への期待が低すぎる生徒がいるかもしれないが,それはポーランド
とスコットランドの学校における,教え方と学び方の違いを反映しているとも言える。
⑥ 言 語 の 障 壁 や 学 校 の シ ス テ ム を 理 解 で き て い な い こ と が ,親 に 誤 解 を 与 え て し ま っ て い る 。
しかし,親たちは学校への関わり方やコミュニケーションには比較的満足している。
(2)で は ,①「 子 ど も の 移 動 に よ る 経 験 」,②「 子 ど も の 移 動 の 経 験 と 文 化 変 容 に 影 響 を 与 え
る 要 因 」,③「 移 動 し た 子 ど も の 公 的 ま た は 民 間 サ ー ビ ス 利 用 」の 3 つ の 観 点 か ら ,調 査 で 得 ら
れた結果を次のように整理している。
①「子どもの移動による経験」の結果:親は移動する動機を子どもに「より良い将来を」と
考えたからだと語るが,子どもはその過程でほとんどそのような動因をもたない。親はス
コ ッ ト ラ ン ド に は 子 ど も の 教 育 や 将 来 の 雇 用 に よ り 多 く の 機 会 が あ る こ と を 2008~09 年 の
景気後退の時期にも感じていた。子どもの移動による経験はかなり多岐にわたっている。
どのような経験をするかは,家族の収入や住宅,地域社会,兄弟姉妹,自分自身の奮発力
などに依っている。年齢やジェンダーによっても異なる。子どもは出身国に戻ると「我が
家 (at home)」 だ と 思 う こ と が ほ と ん ど だ が , な か に は ス コ ッ ト ラ ン ド と 両 方 が 「 う ち 」 の
ようである思う子どもいる。概して,子どもの移動の経験は肯定的である。
②「 子 ど も の 移 動 の 経 験 と 文 化 変 容 に 影 響 を 与 え る 要 因 」
:主 要 因 は ,ス コ ッ ト ラ ン ド へ 移 動
後の家族の社会経済的状況,住む地域の特質,ローカル・サービスの質,ソーシャル・ネ
ットワーク,さらには子ども自身の新しい環境に対処する能力である。多くの家族にとっ
て,移動は社会経済的環境が変化することを意味する。肯定的で包摂的な学校環境は子ど
もにとっては鍵となる。最も出会うことの多い困難は言語の壁であり,また友だちづくり
- 33 -
の難しさである。特に年長の子どもにとってそれは当てはまる。
③「 移 動 し た 子 ど も の 公 的 ま た は 民 間 サ ー ビ ス 利 用 」
:比 較 的 限 ら れ た 範 囲 の サ ー ビ ス に し か
アクセスしていない。子どもたちは教育を主たるサービスだと思っており,概してスコッ
トランドでの学習経験を好意的に受け入れている。ヘルスケアやレジャー,小売店などは
よ り 限 ら れ て い る 場 合 が 多 い 。 公 的 機 関 で の 翻 訳 や 通 訳 , EAL(English as an Additional
Language)の 教 師 な ど の 整 備 は 地 方 当 局 に よ っ て か な り の 差 が あ る 。一 方 ,学 校 は 子 ど も に
とって鍵となるサービスである。また,土曜日の補習校や教会は子どもや親の文化的アイ
デンティティにとって重要である。
以上の2つの調査結果をみると,共通するのは,子どもを受け入れる学校が抱える問題の提
起とともに,子どもにとっても親にとっても,他者とのつながりの場としての学校の重要性と
可能性である。学校は子どもを中心に家族も関わり,情報交換の場となる。ソーシャル・ネッ
トワークの展開にもつながる。また,土曜日の補習校の果たす役割も大きい。それは日本の子
どもたちが海外の現地校に通いながら,土曜日の補習校で自分のアイデンティティを確認して
いることに共通する。子どもと親にとって重要な言語コミュニティであり,支援ネットワーク
の形成にもなる 5。
一 方 で ,(1)の 結 果 に 示 さ れ た よ う に ,学 校 で 子 ど も た ち が 適 切 に 評 価 さ れ る か ど う か は ,学
校文化の違いを抱える移動してきた子どもたちにとっては大きい。学校で英語の能力に重点が
置かれてしまい,数学や他の学習の到達度が見えにくく,低い期待しかされないことが,結果
的には移動してきた子どもに「学校は簡単だ」と思わせている。親もポーランドに比べて宿題
が少ないなど,英語という言語の問題を離れれば,スコットランドとポーランドの学校文化そ
のものの違いを反映していると思われる結果である。学校文化のちがいや,英語の能力に偏ら
ない子どもの学力の適切な評価,出身国の文化的背景がもたらす要因への着目は,移民の子ど
もは学力問題がある,といったステレオタイプな見方を再考することを促すことになる。日本
のニューカマーの子どもの教育に係る多くの調査研究で明らかにされてきた課題と共通する点
もあるだろう。
本 稿 で は 上 記 の 調 査 結 果 を 概 観 す る こ と し か で き な か っ た が ,EU8 か ら 移 動 し て き た 子 ど も
た ち が 学 校 で ネ イ テ ィ ブ の 子 ど も た ち に 与 え る 影 響 に 関 す る 調 査( た と え ば Geay, C. et al. 2012)
等も実施されているので,他の調査結果を参照しながら,イギリス社会に受け入れられていく
際の学校の作用を明らかにしていくことを次の課題として提起しておく。
4.おわりに
EU8 か ら の 流 入 が 今 後 も 一 定 程 度 続 く と 考 え る と ,イ ギ リ ス と 出 身 国 の 間 を 行 き 来 す る 子 ど
もたちにとって,相互の文化的な差異を,移動する子どものみならず,学校全体や地域全体で
知 る こ と も 求 め ら れ る 。 そ の た め に は , イ ギ リ ス と EU8 を つ な ぐ プ ロ グ ラ ム と し て , た と え ば
学 校 間 交 流 な ど EUの 教 育 プ ロ グ ラ ム 利 用 す る こ と も 一 案 で あ る 。 2008 年 1 月 に 筆 者 が ス コ ッ
ト ラ ン ド で 実 施 し た ,EUの 教 育 プ ロ グ ラ ム の ひ と つ で あ る コ メ ニ ウ ス 計 画( 学 校 教 育 対 象 の 交
流)の調査 6においては,ポーランドを中心に東欧系の労働者が増えている状況にはあるが,
交流提携校に東欧諸国の学校を特に推挙することはしていないとのことであった。図1にみる
よ う に , 5 年 前 の 調 査 当 時 よ り も EU8 か ら の 子 ど も が 増 加 し て い る 現 在 , お そ ら く そ の 状 況 に
- 34 -
は変化がありそうである。この点については今後の調査等で明らかにしたい。
イ ギ リ ス 社 会 に は こ れ か ら ど の よ う な 展 開 が あ る の だ ろ う か 。こ の 10 年 で 急 激 な 増 加 を み た
EU8 か ら 移 動 し て き た 人 々 は 旧 植 民 地 か ら の 移 民 と 異 な り 7 , 出 身 国 が ヨ ー ロ ッ パ 域 内 で あ る
ことやキリスト教社会であるという共通点が,彼らのイギリスでの生活にプラス要因となるで
あろうか。それとも就業面で競合する新たな住民という,これまでの移民と同じ位置に置かれ
る の だ ろ う か 。 ま た , キ ャ メ ロ ン 現 首 相 は 2013 年 1 月 に EUか ら の 離 脱 を 問 う 国 民 投 票 の 実 施
を示唆した。イギリスとヨーロッパとの関係はこれまでも親密ではなかった。ヨーロッパ統合
と と も に EU域 内 か ら 流 入 す る 子 ど も た ち を め ぐ る 学 校 や 地 域 社 会 の 変 化 に 注 目 し て い き た い 。
柿内真紀(大学教育支援機構)
<注>
1
こ こ で は ,「 イ ギ リ ス 」 の 表 記 で は 連 合 王 国 ( the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)全
体 を 指 す こ と と し ,連 合 王 国 を 構 成 す る イ ン グ ラ ン ド ,ス コ ッ ト ラ ン ド ,ウ ェ ー ル ズ ,北 ア イ ル ラ ン ド は
区別して表記する。
2
EU の 東 方 拡 大 の 結 果 , EU 域 内 労 働 市 場 で ど の よ う な 変 化 が 起 き た の か に つ い て は , Kahnec,M.,
Zimmermann, K.F.(eds) (2010)が 詳 し い 。
3
BBC News, 2012/01/09: “Youth unemployment link to immigration rise questioned”, BBC NES Website 参 照 。
http://www.bbc.co.uk/news/, retrieved on 2012/01/20.
4
Scotsman の Web 版 記 事 に よ る 。 ”Polish immigrants swell Scotland’s new baby boom”, 15 June 2007,
http://www.scotsman.com/news/, retrieved on 2011/10/18.
5
2 001 年 に 約 1 ヶ 月 間 , 筆 者 が 当 時 エ デ ィ ン バ ラ に あ っ た 土 曜 日 の 日 本 語 補 習 校 を 見 学 す る 機 会 を 得 た
際 に も 観 察 で き た 子 ど も と 親 の よ う す で も あ る 。補 習 校 は ,朝 ,子 ど も を 送 っ て き た 親 た ち が そ の ま ま 授
業 の 終 わ る 昼 ま で 過 ご し ,日 本 語 の 図 書 等 の 貸 借 ,日 本 食 販 売 車 の 訪 問 に よ る 買 い 物 な ど ,週 に 一 度 の 日
本語コミュニティの場でもあった。
6
エ デ ィ ン バ ラ に あ る ブ リ テ ィ ッ シ ュ・カ ウ ン シ ル・ス コ ッ ト ラ ン ド に お け る コ メ ニ ウ ス 担 当 者 へ の イ ン
タ ビ ュ ー ( 2008 年 1 月 10 日 )。 調 査 概 要 は 拙 稿 (2008)を 参 照 。
7
た と え ば ,パ キ ス タ ン か ら の 移 民 は ム ス リ ム で あ る こ と が イ ギ リ ス 社 会 に な か な か 受 け 入 れ ら れ な い 要
因 の ひ と つ に な っ て き た 。 彼 ら の イ ギ リ ス の な か で 隔 離 さ れ た 生 活 に つ い て は , ア ン ワ ル (2002)を 参 照 。
<参考・引用文献>
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2007.11.12, 労 働 調 査 協 議 会 , 8-12 頁 。
柿 内 真 紀 (2008),
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- 35 -
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