OM-承 認の辞 と しての- 木 村 俊 彦 - J

OM-承
認 の 辞 と して の木
村
俊
彦
Bin Wort feierlicher
Bekraftigung
and ehrfurchtsvoller
Anerkennung
R. Roth
『Gana-patha』85,
dhyayi』1,
42お
し て 付 せ ら れ た も の で,
「OMは
よ び254,
118に
4, 57(cadayo'sattve)お
初 め に(三
挙 げ ら れ る
よ び1,
こ の 語 に つ い て はVIII,
音 量 で 述 べ る)」
「OM」
な る 辞 は,
1, 37(svaradinipatam
2, 89で,
『Asta-
avyayam)に
"om
対
abhyadane"=
と 言 う の み だ。 「初 め に 」 と は,
バ ッ ト ー一ジ
デ ィ ー タ シ タ が,
omsabdasya plutah syad arambhe/o3m
agnim ile purohitam/
abhyadane
kim/
om ityekaksaram/1)
と述 べ る様 に, 聖 典 調 諦 の 初 頭 に 発 せ られ る こ と で, 聖 な る 瞑 想 に 資 す る 聖 音 と
し て は, 改 め て 論 ず べ き もの は な い。 我 々 は こ の 特 異 な 辞 の 由 来 を 意 味 論 の 上 か
ら 追 求 し て, svaha,
svadha,
vasat, hih, bhur
bhuvah
svabな
ど と同 様 の婆 羅 門
教 にお け る祭 祀 上 の 間 投 詞 に 成 る まで の言 語 的機 能 を把 握 してお きた い と考 え るひ
『チ ャ ー ン ド ー グ ヤ ・ウ パ ニ シ ャ ッ ド』 は, 『サ ー マ ・ヴ ェ ー ダ 』 に 関 わ る チ ャ
サ のマ ソ
ン ドー一ガ祭 官 の 名 に 由来 す る書 名 の通 り, 詠 歌 の端 緒 に 発 せ ら れ る 聖 音 「オ ー
ム」 の 考 察 か ら始 ま り, 1, 1, 8で 言 う。
tad va etad anujnaksaram/
samrddhir
yaddhi
kimcid anujanaty
yad anujr"na/ (Anandasrama
om ityeva tad ahaiso eva
Skt. Ser. )
「ま た そ れ は 承 認 の 音 節 な り。 げ に 何 か を 承 認 す る に,
承 認 と は 満 足 の 謂 な り 」 と。 承 認 の 辞 と し て のomは
1)
Siddhanta-kaumudi
345上
記 はBohtlingk,
ed. b. Vasudev
Papini's
Laxman
Grammatik
Sastri
(Leipzig
『オ ー ム 』 と 言 う な れ ば
中 世 の 辞 典 で も 認 め ら れ,
Pansikar
1887)に
(Bombay
1929)
p.
依 る。 音 声 学 派 の 中
に は 二 音 量 半 の 説 も あ つ て, Taittirlya-Pratisakhya
XVIII, "o-karam
tu Prapava
eke
'rdhatiyamatram
bruvate/(whitney
-ed.)=「
し か し な が ら(通 常 の 二 重 母 音"O"
と 違 つ て)聖
音 に つ い て 或 る派 は 二 音 量 半 を 発 音 す る。」 し か し特 に 延 長 した(Pluta)
場 合 は 三 音 量 が 標 準 で あ る。Cf.
I, BenaresSkt.
"tisrah
Ser.)
-461-
pluta
ucyate
svarah"(Rgveda-Pratisakhya
OM-承
認 の辞 と して の-(木
村)(65)
ア マ ラ シ ン ハ は,
om evam paramam
mate/ (Namalirnganusasana
III, 4, 13)
と 言 い, 註 釈 者 タ シ ー ラ ス ヴ ァ ー ミ ン に 依 れ ば, 満 足 な る 場 合 に 「然 り」 と 言 う
と す る も の で あ る2)。 ア マ ラ シ ン ハ は承 認 の 辞 をevamに
こ の 語 はamaと
よ つ て 説 明 し て い る が,
共 に, パ ー り文 献 に 見 ら れ る3)。 ジ ャ イ ナ ・プ ラ ー タ リ ッ ト等
と 共 に, い わ ゆ る 仏 教 混 瀟 梵 文 で も"sakathayatyameti"と
い つた 例 が 挙 げ られ
る4)。
これ に 相 当 す る 古 典 サ ン ス タ リ ッ ト語ram」
は,
モ ニ ア ー ・ウ ィ リア ム ズ に 依
れ ば, 『シ ャ タ ン タ ラ ー 』, 『武 勇 で 得 し ウ ル ヴ ァ シ ー』, 『土 の 小 車 』 等 に 使 わ れ,
「om」 の 日 常 語 化 し た も の の 編 入 で あ る こ と を 疑 わ せ る が,
に 秀 で るApte's
Prac. Skt. Eng.
Dic.で
は,
rom」
古 典 サ ンス タ リ ッ ト
も古 典 文 学 に か な り使 わ れ て
い る5)。 因 み に ヘ ー マ チ ャ ン ド ラ は,
....
om am paramam mate/ (Abhidhanacintamanikosa
と言 つ て い る。 一 層 簡 略 な 「a」は, 『Vacaspatyam』
k. 1540)
な どの近 世 レキ シ ロ ン で 承
認 の 辞 と さ れ る。(a=ahgikare)
om pranave'rngikrtavapi
(Anekarthasangraha
と へ 一 マ チ ャ ン ドラ に さ れ る こ の 語 は,
転 託 で あ る 可 能 性 も あ る が,
と も 共 通 し て お り,
iti/asvo
ha
tat/tasmad
va
esa
く,"と
"om"の
ahasvo
VII, 6)
ロ ー トの 推 測 と は 逆 に, om→am一
ノ
『Satapatha-Brahmana』1,
bhutva
na
→aの
い ず れ も 「実 に 」 と い う副 詞 の 機 能 を 持 つ て い る こ
devebhyo
devavahana
4, 1, 30が,
yajnam
"asvo
pvahati/yad
vai
iti/"(Weber-Ausg.)=「"馬
na
devavahna
netyrcyom
iti
が神 々 に運 べ る如
げ に そ は, 馬 と 成 り て 神 々 に 供 儀 を も た ら す。 讃 歌 に お け る"na"は
意 味 な り。 故 に 曰 く"馬
が 神 々 に 運 べ る 如 く"と,」
と 言 う は,
この機 能
を 踏 ま え た も の だ。
2)
The Namalinganusasana of Amarasimha with the commentary
ed. b. Krishna ji Govind Oka (Poona 1913) p. 229.
3)
e.
9.
Parajika
は
4)
5)
「然
"evambhante'ti(畏
III)"te
り」
ca
ま
me
evam
と 答 え ぬ。)(Dlgha-Nikaya
り ぬ,
大 徳
puttha
amo
IX,
よ,
と)(Pali-Vinaya,
ti patilananti
(私
of Ksirasvamin,
Suttavibhahga
に か
く 問 わ れ て,
I,
彼 等
33).
F. Edgerton, Buddhist Hybrid Sanskrit Vol. II p. 99.
"om ityucyatam amatyah" (Malavikagnimitra VI) "om ityuktavato'tha sarngina
iti" (Sisupalavadha I) "dvitiyasced om iti brumah" (Sahityadarpana I) Cf. "om
bho 3 iti cabhyanujna" (Rgveda-Pratisakhya
VI, 16).
-460-
(66)OM-承
認 の 辞 と し て の-(木
承 認 の 辞 と し て の"orn"は
を
か く し て"tatha"と
『Aitareya-Brahmapa』VII,
相 並 ぶ こ とに な
り,
こ の こ と
18は,
om ityrcah pratigara
(Anandasrama
村)
evam tatheti gathaya
om iti vai daivam tatheti
manusam/
Skt. Ser. )
「『オ ー ム 』 と は 讃 歌 に 対 す る応 答 の 意 味 で あ り, 同 様 『タ タ
一 』 と は偶 に 対
す る 応 答 の 意 味 で あ る。 『オ ー ム 』 は げ に 神 に 属 し, 『タ タ ハ ー 』 は 人 間 に 属 す
る。」6)
と, 興 味 深 い 提 唱 を す る。 これ に よ る と, "om"は
る が,
専 ら神 事 に際 して 用 い ら れ
し か し, 一 般 的 世 俗 的 用 語 と し て の"tatha"と
こ とに な る
承 認 を 示 す"tatheti"は
同 じ い 意 味 を持 つ,
『Satapatha-Brahmapa』
とい う
で 既 に 次 の 様 に 頻
出 す る。
1, 1, 4, 15-161,
V,
1, 3VIII,
XI,
3, 3, 13-161,
5, 5, 1VI,
1, 2, 13VI,
5, 2, 161,
1, 2, 21VI,
3, 1, 11VIII,
6, 4, 411,
4, 3, 4V,
2, 3, 4-8VIII,
4, 1, 3-4VIII,
4, 3, 2VIII,
1, 1, 3V,
1, 1, 3VIII,
5, 3, 1XI,
2, 4, 12
2, 1, 3VIII,
1, 6, 19XI,
3,
5, 1, 5
5, 3, 137).
こ れ に 対 し てomitiの
例 は,
sa hovaca kati deva ya jnavalkyeti
trayasca tr
tyom iti hovaca/ (Satapatha-Brahmana
ca rata
trayasca
tri ca sahasre-
X, 6, 3, 4)
「彼 は問 え り。幾 何 の 神 か あ る, ヤ ー ジュ ニ ャ ヴ ァル タ ヤ よ と。 三 百 三 と 三 千
三 な り, と。 よ ろ しい, と言 え り。
」 以 下 同文 が 続 き, 三 十 三 な り, 三 な り, 一
半 な り, 一 な り と 答 え,
patha-Brahmapa』X,
そ れ ぞ れ に"om"と
6, 1, 4-9で,
答 え る。 い ま ひ と つ の 例 は, 『Sata-
ア シ ュ ヴ ァ パ テ ィ ・カ イ ケ ー ヤ 王 が 各 々 の 婆
羅 門 に, 何 を 普 遍 者 と し て 認 識 す る か,
と聴 問 し, 「『大 地 を, 王 よ』 と 答 え る と,
『よ ろ し い 』 と言 う 」
prthivim
6)
eva ra janniti ho vacom iti>
Cf. Sayana-Bhasya
prayujyate
7)
daivam devair angikararthe
tatheti manusam manusya arigIkare tatheti
精 査 す れ ば,
dogya-Up.
raja
ad hoc "om ityetacchandorupam
1, 1, 3etc.
varupas
sabdam prayunjate/".
他 の 箇 処 に も 見 出 さ れ よ う。 ま たAitareya-Br.
tathaha
を 見 よ。 こ の 最 も古 い 例 はAth
sa tvayam
ahvat/"(Lindenau-ed.)=「
III, 20VII,
arvavedaIII,
15Chan-
4, 56"tadayarp
そ を 『よ し』 と ヴ ァ ル ナ
王 は 言 え り。 彼 は 汝 を 呼 べ り. 」 に 見 ら れ る 如 く で あ る。 但 し ホ ィ ッ ト ニ ー や ブ ル ー
ム フ ィ ー ル ド は,
Vol.
7p.
90SBE.
tathetiの
Vol.
42p.
用 法 で な い 為 か,
113)
-459-
通 常 の 副 詞 に 把 握 し て い る。(HOS.
OM-承
認 の辞 と して の-(木
村)(67)
以 下 類 似 の 問 答 文 が 続 き, い ず れ の 見 解 に も"om"(よ
を す る9)。 真 の 解 答 は プ ル シ ャ な り と い う こ と で,
克 ち(punarmrtyum
ろ し い)と
一応 の承 認
この 見性 に よつ て再 死 に う ち
jayati), 天 寿 を 全 うす る(sarvam
ayur eti)と 言 う。
こ の ブ ラ ー フ マ ナ の 後 尾 に 在 る 『Brhadaranaka-Upanisad』V,
2, 1-3で
ア ス ラ
も,
けん げ
主 神 プ ラ ジ ャ ー パ テ ィ 神 に 児 孫 た る 天 神 ・人 間 ・悪 魔 が 聴 問 し, 彼 等 の 見 解 に
「『よ ろ し い 』 と答 え る(omitihovaca)」
omな
る 間 投 詞 は マ タ ドネ ル 博 士 に 依 れ ば, 既 に 『Maitrayapi-Sanhita』
が10), 『Vajasaneyi-Sanhita』II,
visvedevasa
に出る
13bで,
iha madayantarn/o
3 mpratistha/
と あ る。 ウ ヴ ァ タ や マ ヒ ー ダ ラ の 解 釈 に 依 れ ば, 「こ れ に 際 し て 一 切 神 は 喜 べ
『よ し 』 と 出 よ 」 と 言 う も の で,
の 意 味 を 持 つ,
palp
kuru"と
"o3m"は,
と。 そ し て, "o3m
abhyupagama,
anuj鮪,
pratistha"を"tathastu
ahgikara
pratistha
praya-
古 典 サ ン ス タ リ ッ ト語 で 解 釈 す る11)。
元 来 古 代 イ ン ド ・ ヨ ー ロ ッパ 語 族 に は 古 代 英 語 ・gea(E.
な ど に 相 当 す る 承 認 の 辞 が な か つ た と さ れ12),
yea)や
ドイ ッ語 ・ja
そ の 場 合 に 指 摘 さ れ る, 反 復 に よ
る 承 認 の 返 答 は, ヴ ェ ー ダ 語 を 含 む サ ン ス タ リ ッ ト語 に も よ く 見 ら れ,
"hi"な る ニ パ ー タ を 伴 な う。
tam eva team pasyasiti
tam hi/ (SBr.=A.
多 くは
A. Macdonell, A Vedic Grammar
for
Students p. 253)
kumaranu
tvasisat
pitetyanu hi bhagava iti/ (Chand. Up. V, 3, 1)
「若 者 よ, 父 は汝 に教 えた か
sa hovacastiha
「彼(ブ
prayascitti
リ グ)は
3r
問 う た。
教 え ま した, 先 生 」
ityastiti/(SBr.
XI, 6, 1, 3-6)。
こ れ に 対 す る 贋 罪 法 は あ る の か,
と。 あ る,
と(答
喝
8)
omが
前 行 の 母 音 等 を 滅 却 す る こ と に つ い て は,
(prapavas teh)で
認 め ら れ て い る特 異 用 法。 パ
第 五 句 末 尾 に も"sadasivom"と
あ つ た。 小 稿
婆 羅 門 教 か ら シ ヴ ァ教 へ
ニ ニ の 規 定 に 気 付 か な か つ た。
9)
10)
Sayapa-Bhasya
木村訳
hoc
om
「ル ド ラ ・ガ ー ヤ ト リ ー の 生 成 と 展 開
Teilま
Mahldhara-Bhasya
12)
高 津春 繁
で な の で,
ad
この パ ー
古 代 イ ン ド宗 教 文 献 概 説
Neuauflage
(Wiesbaden
確 認 で き な か つ た。
Vaj.
で は,
iti ahglkarab.
七 章 第 六 節。 筆 者 の 所 有 す るDie
11)
2, 89
シャイヴァの五 聖 句 の
」(文 化 第 三 十 九 巻1・2号)48-49頁
『マ タ ドネ ル ・サ ン ス タ リ ッ ト文 学 史
(山 喜 房)第
zweiter
ad
パ ー ニ ニ の ス ー ト ラVIII,
シ ュパ タ
(Jagadishlal Sastri-ed.)28,
『ギ リ シ ャ 語 文 法 』386頁。
-458-
12
1970)は
』
(68)
OM-承
認 の 辞 と して の-(木
村)
え た)。」
因 み に 『Unadi-sutra』
れ はu-(動
は"om"の
起 源 をVav(守
形 容 詞 形), uma-(守
生 形 と 混 同 し た も の だ14)。 尚,
reya-Brahmapa』V,
32に
り手,
友),
る)に
oma一(同),
求 め て い る が13),
oman一(助
力)等
こ
の派
聖 典 調 諦 の 際 の 聖 音 と し て の 示 唆 は, 既 に 『Aita-
お け る プ ラ ジ ャ ー パ テ ィ 神 の 世,界 創 造 に 関 し て あ り,
こ の 主 神 が 苦 行 に よ つ て 地 ・空 ・天 を,
そ れ か ら火 ・風 ・太 陽 を, 更 に 讃 歌 ・祭
詞 ・詠 歌 を, 三 つ の ヴ ヤ ー プ リ テ ィ を,
そ し て 最 後 に, a, U, m(=om)を
創 つた
と言 う
か く し て サ ン ヒ タ ー 期 の 後 期 か ら ブ ラ ー フ マ ナ 期 初 期 に か け て,
"om"な
る辞
は 登 場 し, や が て 急 速 に 神 聖 性 を 帯 び て 祭 祀 と 関 わ る 様 に な つ た こ と が 理 解 さ れ
る。 筆 者 は 一 時,
旧 約 『申 命 記 』27,
ム 文 字 の イ ン ド到 来15)とom出
考 え た こ と も あ つ た が,
15一 な ど に 出 るamenの
現 の 時 期 的 一致 か ら,
如 き セ ム 語 が,
セ
この 辞 の 起源 で は な い か と
本 稿 で は一 応 婆 羅 門 教 文 献 に 反 映 す る この辞 の 言語 的機
能16)を 覚 え 書 き に ま と め て, 宗 教 と 言 語 の 関 りの 理 解 に 資 し た い と 考 え た。
13)
Cf. Visva
14)
Cf. "omasasca
Bandhu,
A Vedic Word
carsapidhrto
Concortance,
visvedevasa
"OM"
agata dasvalpso
dasusab
sutam"
(Rg-
veda I, 3. 7)=「 人 を支 え る守 り手 た る一 切 神 よ, 篤 き者 よ, 信 徒 の ソ ー マ に来 た れ よ
か し。
」
15)『
16)東
マ タ ドネ ル ・サ ン ス タ リッ ト文 学 史 』 第 一 章 第 七 節 参 照。
北 大 学(理)研
究 員 ・Bajaj氏(Delhi
Univ.)に
依 れ ば, om=am=aは
ヒン デ ィ ー語 で は承 認 の 辞 と して は全 く使 わ ない。"jlharp"な
*gathaを
Horsch,
現在の
どが そ れ に 代 る と。
世 俗 的 答 辞 とす る 『アイ タ レ ーヤ ・ブ ラ ー フ マ ナ』 の 記 述 に つ い て, P
Dievedische
俗 的 讃 歌(narasamsi)と
Gatha-
und
Sloka-Literaturも
述 べ て は い る も の の,
『ア ィ タ レ ー ヤ ・ブ ラ ー フ マ ナ 』 の 言 わ ん と す る 所 は,
物 語(akhyana)の
む し ろ世
対 照 的 に 古 聖 歌 た る こ と を 強 調 し て い る。 様 式 は 古 く と も,
中 に 収 め られ る 偶(gatha)と
る 神 学 書 ・ブ ラ ー フ マ ナ 文 献 の 中 で は,
世 俗 的 答 辞"tatha"が
世俗的
対 応 す る こ と で あ る。 従 つ て 聖 な
偶 は 聖 な る 讃 歌(rc)に
対 し て世 俗 的 第 二 義
的 な も の と見 な さ れ て い る。 従 つ て サ ー ン タ ヤ ・ ヨ ー ガ 系 統 ま た は ジ ャ イ ナ ・仏 教 な
ど の 沙 門 系 統 の 宗 教 で は 偶 が 逆 に 権 威 あ る ジ ャ ン ル に な る。(尚,
年 報41号
所 収 論 文 を 参 照。)
-457-
荒 牧 典 俊 氏 の 日仏