3 本丸西堀跡・西土塁跡(屈曲部)調査 本丸西堀跡・西土塁跡の調査は、平成24年度に継続する堀の中位エリアで、絵図では堀の屈曲部と 「埋門(うずみもん)」の位置に相当します。今年度の調査では、二ノ丸側の堀の法面屈曲部が検出さ れました。ちょうど「二ノ丸西不明門」へつづく園路の真下で屈曲していました。埋門側は盛土に相 当する「黄褐色砂礫層」の範囲が検出されました。現時点では平面遺構は認められず、削平を受けて いると推定しています。 AT-37 AU-37 AV-37 AW-37 AX-37 AY-37 AZ-37 BA-37 うずみもん 「埋門」推定位置 トレンチ AW-38 AX-38 AY-38 AZ-38 BA-38 AV-39 AW-39 AX-39 AY-39 AZ-39 BA-39 AV-40 AW-40 AX-40 AY-40 AZ-40 BA-40 AV-38 AU-38 AT-38 トレンチ 屈曲点 堀 底 AT-39 AU-39 屈曲点 AT-40 AU-40 AT-41 AU-41 AV-41 AW-41 AY-41 AX-41 AZ-41 BA-41 AU-44 AW-42 AV-43 AW-43 AW-44 AV-44 山形城跡は,最上義光が整備したといわれる本丸・ 二ノ丸・三ノ丸からなる平城です。現在、二ノ丸から 内側は霞城公園として憩の場となっていますが、昭和 61年国史跡指定を受けて以来整備が進められ、二ノ丸 東大手門や本丸一文字門石垣などが復原され新たなシ ンボルとなっています。整備は引き続き行われ、平成 23年度より「本丸西堀・西土塁跡」の調査を文化庁の 補助をうけて行っています。また、平成24年度より「 本丸御殿跡」の整備を目的とした発掘調査を同補助に より実施しており、西堀。西土塁跡と並行して調査を 行っております。 城跡の周囲は市街地となっており、ほぼその中心に 位置します。市街北部を流れる馬見ヶ崎川による扇状 地上に立地し、本丸一文字門付近で海抜約130mを測り 湧水地帯に築かれた平城であったと考えられます。 本丸御殿跡周辺は明治時代の改変により御殿に伴う 遺構は消滅しており、地下遺構の調査が重要と考えて おります。 北不明門 弓道場 児童文化 センター 市営球場 本丸北不明門 調査区 ソフトボールコート 東大手門 西不明門 県立博物館 本丸一文字門 県武道館 桜の園 県体育館 市郷土館 (重要文化財 旧済生館本館) 南大手門 西暦 藩主 し 和暦 ば かね より がみ よし あき 斯波兼頼 も 一三五六 一六〇〇 最上義光 延文元年 慶長五年 よし とし ただ まさ いえ ちか いえ のぶ い ただ つね まさ ゆき りょう 最上家親 とり しな ふ 鳥居忠恒 ほ ばく ま つ だいら な お も と 保科正之 き ま つ だいら た だ ひ ろ 幕府領 石高 五十七万石 ) 二十二万石 二十万石 十五万石 ゆう 十五万石 お く だいら 九万石 一〇万石 結 (城 松 ) 平直基 お く だいら ま さ よ し ま さ あきら まさ なか 一〇万石 一〇万石 一〇万石 六万石 六万石 五万石 奥 (平 松 ) 平忠弘 奥平昌能 た 奥平昌章 ほっ 堀田正仲 ま つ だいら な お の り き ゆう 最上家信 義 (俊 元和八年 一六二二 鳥居忠政 寛永十三年 一六三六 一六四四 寛永二十年 一六四三 正保元年 一六四八 一六八五 慶安元年 貞享二年 一六八六 一六六八 貞享三年 一六九二 寛文八年 元禄五年 ま つ だいら た だ ひ ろ ただ まさ まさ とら お く だいら た 結 (城 松 ) 平直矩 奥 (平 松 ) 平忠弘 ほっ 奥 (平 松 ) 平忠雅 堀田正虎 あき もと すけ とも 秋元凉朝 つね とも ひさ とも 秋元永朝 ゆき とも 秋元久朝 ただ きよ AX-48 秋元志朝 の ただ ひろ AW-48 元禄十三年 一七〇〇 一八四五 みず 水野忠精 水野忠弘 AV-48 まさ はる BA-48 一八六九 AU-48 まさ すけ AZ-48 明治二年 AT-48 編集後記 現地説明会開催に当たり関係各位に多大なご理解・ご協力を賜りましたこと誠に感謝申し上げます。尚、山形城跡の復原事 業にかかわり山形市では関連する資料を探しています。お心当たりの方は下記までご連絡下さいますようお願いします。 【お問い合わせ先】〒990-8540 山形県山形市旅篭町二丁目3番25号 山形市まちづくり推進部公園緑地課 ℡023(641)1212㈹ 【編集・発行】山形市教育委員会社会教育青少年課文化財保護係 平成26年11月15日(土曜日) ま つ だいら の り す け AY-48 S=1/500 りょう BA-47 ふ AZ-47 AX-47 ばく AY-47 本丸西堀復原工事完了範囲 堀田正春 AW-47 BA-46 AX-46 堀田正亮 AV-47 AZ-46 歴代藩主年表 お ぎゅう AU-47 AY-46 BA-44 一七四六 AT-47 BA-45 AZ-44 延享三年 AW-46 AZ-45 AX-45 AY-44 BA-43 一七六四 AV-46 AY-45 AX-44 AZ-43 明和元年 AU-45 AY-43 AX-43 大 (給 松 ) 平乗佑 幕府領 AT-46 AW-45 BA-42 一七六七 AV-45 AZ-42 明和四年 AU-45 AY-42 弘化二年 二ノ丸側法面 AT-45 AX-42 ) AT-44 AU-43 AV-42 土塁法面 中(段まで AT-43 AU-42 遺 跡 名 国指定史跡 山形城跡 所 在 地 山形市霞城町(霞城公園) 遺 跡 番 号 1番(山形県遺跡地図) 調 査 期 間 平成25年5月28日~12月18日、平成26年4月15日~12月26日(予定) 調 査 面 積 本丸御殿跡 約1,000㎡(平成25年度実施範囲)+800㎡(説明会開催対象) 本丸西堀・西土塁跡 約1,000㎡ 調 査 原 因 史跡山形城跡(霞城公園)本丸西堀整備事業(文化庁補助事業) 遺 跡 種 別 城郭(近世城郭) 時 代 近世・近現代 遺 構 溝跡・土坑・大型土坑・ピット・石列遺構 など 遺 物 陶磁器碗皿類・土師質土器・木製品・金属製品・古銭・石製品 など 調査事業の主体 山形市公園緑地課 調査実施の機関 山形市教育委員会 調 査 担 当 山形市教育委員会 社会教育青少年課 ひらじろ 本来の土塁裾部ライン AT-42 平成26年11月15日(土) 山形市教育委員会社会教育青少年課 調査要項 1 概要(史跡の立地及び周辺の環境) トレンチ 江戸期後半?の玉 石による土留め? 史跡山形城跡(2013~2014) 本丸御殿跡・西堀跡発掘調査現地説明会資料 BC-36 BD-36 石臼・陶磁器出土地点 障子 BC-38 戸の取手金具 出土地点 礎石建物跡1 BD-37 BC-37 BG-36 BF-36 BE-36 BH-36 BI-36 2 本丸御殿跡調査区の遺構と遺物 (1)遺構配置の現状 近現代のカクラン:調査区の中央に円弧を描く幅約 5mのカクラン溝を検出(SD02018)しました。また 北東隅にも南端部円弧を呈するカクランがあり、両 者は旧野球場のカクランと推定されます。 大型土坑:BF-40 を中心としてやや長楕円の土坑を BE-37 BG-37 BF-37 BH-37 BI-37 検出しました。深さは、確認面から3m以上 ( 底面 未到達 )。井戸跡を想定したが確認できませんでし ★★ 面精査で検出した盛土ライン た。位置からやや南側によっているため、井戸では ない可能性が高いと思われます。 火災土坑 ( 瓦廃棄土坑 ):BG-39・40 グリッドで検出。 直径約 2.8mで、焼土と黒瓦が集中して出土しまし た。金箔押宝珠文軒平瓦の出土が特徴です。 BE-38 BD-38 BG-38 BF-38 BH-38 BI-38 【最上氏時代の遺構群】 石列・石積遺構:下層より河川玉石による石列及び 円弧を描く石列 礎石建物跡2 BD-39 BC-39 掘立柱建物跡 BD-40 深い落ち込み範囲 石積遺構が9基検出されました。建築物の基礎の可 能性が高いと推測されます。 焼土層分布 ( 図中参照 ):調査区西側に広く分布し ます。同層中より黒瓦 ( 焼けて褐色変色瓦も含む ) BE-39 BF-39 円弧を描く礫集中廃棄土坑 BC-40 ★ 凝灰岩の角礫 BG-39 大型土坑 のみ出土します。金箔瓦が数点出土ています。焼土 BH-39 BI-39 は、石列と同時期のものですが、瓦とともに2次的 に捨てられた土砂の可能性が高いと考えられます。 また、BE-39 より障子襖戸の取手金具 ( 銅製 ) が 出土した。 黄褐砂層分布 ( 図中参照 ):調査区西側に広く分布 BG-40 BF-40 火災土坑 BE-40 瓦敷き遺構 します。石列・焼土分布層を被うように堆積します。 BH-40 金箔押宝珠文軒平瓦 礫 近現代カクラン して周囲に深い「堀」などに相当する遺構の所在と、 焼土分布範囲 その土砂による「土塁」状の盛土を想定させます。 礫 BC-41 BD-41 BE-41 ★ 調査区西側には、平成 18・19 年度に調査した建 BF-41 金箔瓦出土地点 地山黄褐色砂粒を主体としますが、黒褐色土との混 合土であり、人為的な盛土であることがわかりまし 火災土坑平面図 S=1/50 た。この砂は地面を深く掘り下げて初めて検出され 焼成粘土 る土砂です。したがって、この地層の分布は結果と きんぱくおしほうじゅもん 黄褐砂分布域 BI-40 BG-41 BH-41 BI-41 物跡配置区域があり、一部に深い「掘り込み」が認 められました。関連性がうかがわれます。
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