※ 各戸一部ずつお取り下さい。 平成27年(2015年) 4月号 発行:平塚市立横内公民館 住所:〒254‐0002 横内公民館だより 平成27年6月分 利用申込受付開始日時 5月1日(金)午前9:00 平塚市横内2506 電話:0463―54―0118 FAX:0463―54―8256 公民館HP:http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/kouminkan/yoko-k.htm 地 域HP:http://hiratsuka.johokyoyu.net/area/yokouchi/ 横内公民館・横内地区体育振興会からのお知らせ 児童・生徒地域参加事業 初めての方でも楽しめる競技ですので、初心者の参加は大歓迎です!! みなさん、是非ご参加ください! 日 時 :平成27年5月10日(日) 午前9:00集合(9:30競技開始) 会 場 :横内小学校 グラウンド 定 員 :50名 費 用 :無 料 持 ち 物 :運動のできる服装、スニーカー、クラブのある方 はお持ちください。 申込方法 :4月30日(木)までに公民館まで直接、または 電話でお申込みください。 問合せ先 :横内地区体育振興会 伊澤(54-0952) 参加者募集! 横内公民館からのお知らせ 人 事 紹 介 平成24年10月から2年半の間、勤めました嘱託員の福島喜代美が3月31日をもって退 任いたしました。後任の嘱託員として、杉島和恵が新たに配属されました。 これから皆様にお世話になりますので、何卒よろしくお願いいたします。 横内ボランティア会からのお知らせ バザー用品ご寄付のお礼 過日の公民館まつりでのバザー開催にあたり、家庭内の不用品とはいえ快くご寄付いただきましたこと、 本当にありがとうございました。紙面をお借りしてお礼を申し上げます。 なお、売上金は今後の活動費として使わせていただきますのでご了承願います。 ボランティア会 代表 小宮宏子 館長コラムその 34 横内の新しい地域づくりを過去の村づくりや組織のあり方から学んで見たい(その4) 公民館だより平成27年4月号 文責 横内公民館長 相原 武夫 H27,3,16(月) 5、当時の村の運営組織 (1)自治会 昭和31年9月30日神田村 (田村。大神。吉際。・・横内はまだない)が平 塚市と合併。昭和41年10月1日 田村から分離(戸籍、住民登録に記載)さ れて横内となった。 当時の村の運営は自治会が中心となった。そして自治会は次のように分か れていた。 第一自治会・・・通りより北 上図 渋田川土手草刈り 第二自治会・・・・八的、下の東庭。 第三自治会・・・中庭。第四自治会・・・・八 幡塚。 第五自治会・・・新田。それと横内団地自治会。 これらを統合して「横内連合自治会」といった。戸数は団地 1300 世帯、その他が1332世帯であった。 関東大地震の頃はまだ団地はなく、村では戸数145軒、酒屋1軒、雑貨屋2軒だった という。 自治会の役員を決める時は隣組長が会議を開き、選考委員会を作り、そこで自治会の三役を選ぶ。任期は2年、内部に体 あざ 育、文化の委員がいる。村の代表を昔は「字総代」といった。その後は「部落長」といい、「自治会長」と呼ぶようになった。 みや そうだい かみ しも 神社の係りは自治会とは別組織になっており、その管理責任者を「宮総代」という。村を二分し 上から二名、下から二 名を選ぶ。また、常設(じょうせつ)という役は村の中で最も重要な役目とされてきた。用水、排水、道路の管理の役で村の 土木事業の責任者である。自治会長が兼ねていたが、今は分離して別の人が務めるようになった。村に四名いたが、その 内の一人は旧神田時代の村会議員一名を必ず入れて置いた。他村との関係があるからである。用水に水を通す日取りな どを横内、田村、大神の委員が寄って決める。 (2)老人会 現在は長寿会、「団地」は寿会と呼ぶ。 (3)青年会 青年会は15歳で加入し45歳までだった。横内 生まれの者でイセキ(跡継ぎ)は必ず入会していた。 資源ごみの回収 防災訓練 即席のタンカで人を乗せて運ぶ 次男以下は希望者が入り、奉公人は入らない決まりだった。会に入ると、親の代わりに村仕事に出ても一人前に見られた。 青年団と言うようになって25歳までとなった。昭和初期からその加入式は正月15日だった。大正十二年以前は西福寺の 本堂でそれ以降は青年会議所で行なった。酒を出して挨拶する。また、会では縄の品評会などをし、それを村人に売って おんなたけ 会の費用を作った。また「 女 竹」を割って売り会の金を作ったり、青年会議所を作るために一日一厘の貯金をしたりした。 大正12年の頃である。 みちぶしん 青年会の仕事は神社の祭礼の準備、余興の準備、道普請 などを受け持った。16~17歳になって十六貫の米俵・・・・・ かつ (一貫=3,75Kg、十六貫=60kg)が担げなければ皆に「バカ」にされた。休みの日には集まって力くらべをした。土俵や 墓地の石塔を担いだりして力をつけた。神田村当時は各村から出す村議会議員の人数は慣例として決まっていた。田村は 五人、大神は四人。横内は二人、村の大きい所がその割合で多く出ていた。役場は田村の農協支部の元Aコープの所に あった。 以下、次号につづく。
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