土浦醤油 歴史のおはなし 江戸時代、土浦は醤油の名産地でした。関 東では醤油のことを「むらさき」(筑波山の雅 号「紫峰」にちなむ)、「おひたち」(常陸)とい うのは土浦が関東の醤油三大名醸地に数えら れたためです。 醤油造りの始まりは、元禄年間に大国屋勘 兵衛が開業し、当時の土浦藩主土屋政直の産 業振興・奨励もあり、土浦の城下町には9軒 の醤油屋ができました。9軒は取引・原料・ 親睦などを円滑にはかるため、醤油屋仲間を 結成しました。 亀甲印は、大国屋勘兵衛などの醤油屋も採 用していたもので、土浦城主の土屋氏が醤油 の生産を奨励したことに由来します。 柴 沼 醤 油 の 商 号 は「 キ ッ コ ー ショウ」(亀甲正)でり、土浦城の 異 称「 亀 城 」に ち な ん だ 亀 甲 の 中 に、「 商 売 を 正 し く し て い き た い 」と い う 創 業 者 の 精 神 を 表 し た「正」を入れたものです。 元禄元年 柴沼庄左衛門が醸造所を設け、醤 ( 1688 年) 油造りを開業 土浦の醤油の歴史をしっかりと発信して い き、 木 桶 を 使 っ て 醸 造 し た 醤 油 の お い し さを伝えてい きたいです。その 一環として、 蔵 見 学 を 行 っ て い ま す。 市 外 か ら も 年 間 約 4000人の方に蔵を見学していただき、出 来立ての醤油のを味わい、土浦の醤油の歴史 を1人1人に感じてもらい、伝えていくこと が使命と感じています。 また、地元土浦の醤油のおいしさを伝える べく、市場を世界へ向け、4年前より約 国 へ輸出しています。醤油を通じて、海外の人 に「茨城」・「土浦」を発信し、海外の人にも興 味・関心を持ってもらい、土浦をもう一度元 気 に す る 活 力 に で き れ ば と も 考 え て い ま す。 発信には醤油だけでなく、地元の米や味噌な どにも相互に関係性を持ち、醤油をはじめ茨 城・土浦の魅力をこれからも継続的に伝えい きたいです。 11 広報つちうら 2015.1.1 20 柴沼醤油醸造㈱ 第18代 柴沼秀篤 製造本部長 明和6年 柴 沼 土 浦 醤 油 仲 間 に 入 る( 醤 油 屋 ( 1765 年) 仲間証文帳) 大正9年 諸味蔵(辰巳蔵)を造る ( 1920 年) 昭和 年 柴沼醤油醸造㈱設立 ( 1958 年) 一 番 33 千 年 以 上 も 続 く 企 業 が 日 本 に は7 社 あ り、最古参の 「金剛組 (本社:大阪府大阪市) 」 は、日本のみならず世界で一番長い歴史を 持つ建築会社で、創業は西暦578年と 飛鳥時代までさかのぼります。 土浦市内にも同様に老舗と いわれる企業があります。 土 浦で一番 古い創 業 1688年 (元禄元年) から320年余り続 く、日本の食 卓を 支える醤油を製造 する柴 沼 醤 油 醸 造 ㈱ ( 以 下: 柴 沼 醤 油) です。醤油生産 量は茨城県内で第 1 位、 日 本 国 内 で 第 位 を 誇 り、 江 戸時代から続く木桶を 使 用 した 伝 統 的 な 製 造 工 程 を 維 持 しつつ、 ゆっく り と 1 年 間 の 歳 月 を か け、 木 桶 や蔵に棲みついた菌と共に醤油の旨味 や香りが熟成・醸造されていきます。 土浦の自慢 歴史のまち土浦 土浦の老舗醤油から 世界の Soy Sauce へ 30
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