論文内容の要旨および審査結果

さかい
かずあき
氏名(本籍)
学 位 の 種 類
酒井 和明(東京都)
博 士(薬学)
学 位 記 番 号
論 博 第 330号
学位授与の日付
平 成 26 年 3 月 20 日
学位授与の要件
学位規則第 4 条第 2 項該当
学位論文題目
小児臨床試験のための高感度定量分析法の開発とその応用
論文審査委員
(主査)
教授
楠
文代
教授
渋澤
庸一
教授
井上
勝央
教授
古田
隆
論文 内 容の 要旨
バイオアナリシスは,生体試料中(血漿・血清,尿や組織など)の医薬品や内因性
成分などの測定に用いられる分析の総称である.この分析法は,今日の医薬品の承認
申請において,医薬品の未変化体や代謝物,バイオマーカーなどの生体内における挙
動(動態)を明らかにし,有効性や安全性の議論に必要な情報を得るために不可欠な
技術である.医薬品の開発では治療効果や副作用をメカニズムベースで解釈し,最適
な用法・用量を設定するために信頼性の高い分析法が求められる.小児臨床試験では
特 に 小 児 特 有 の 病 態 や 薬 効 メ カ ニ ズ ム の 有 無 に 基 づ い て 最 適 な 用 法・用 量 を 検 討 す る .
しかし,日本における小児のバイオアナリシスの事例は必ずしも豊富とはいえない.
これは小児臨床試験では成人に比較して治験参加のハードルが高く,その一つに検体
採取における負担がリスクとベネフィットの関係に影響するためと考えられた.小児
臨床試験への適用を考えたバイオアナリシスでは,できる限り検体の採取頻度や採取
量を減らし,分析の精度を上げることが求められる.
一 般 に 分 析 値 の 妥 当 性 は , 分 析 法 バ リ デ ー シ ョ ン ( Bioanalytical Method
Validation; BMV)に よ り 検 討 さ れ る .今 日 の BMV は ,低 分 子 医 薬 品 の 高 速 液 体 ク ロ
マ ト グ ラ フ ィ ー ・ 質 量 分 析 法 ( LC-MS/MS) に よ る 測 定 を 前 提 と し た 評 価 項 目 と 判 断
基 準 に 基 づ き , そ の 概 念 は 確 立 さ れ て い る . BMV の 評 価 で は , 主 に 分 析 対 象 物 を 含
ま な い ブ ラ ン ク マ ト リ ッ ク ス 中 に 既 知 量 の 分 析 対 象 物 を 添 加 し た QC 試 料 を 用 い る が ,
実測定の実施前に検討するプレスタディーバリデーションと,実測定中に確認するイ
ン ス タ デ ィ ー バ リ デ ー シ ョ ン の 二 つ が あ る . 後 者 は , 検 量 線 の 当 て は ま り と QC 試 料
に よ る 測 定 単 位 の 保 証 及 び ISR( Incurred Sample Reanalysis)な ど 実 試 料 を 用 い た
検証法が推奨されている.しかし,実試料を用いたバリデーションでは検証用に検体
が必要となり,小児臨床試験では採血の負担を増やすことは好ましくない.申請者は
マトリックスの影響を受けにくい分析法を確立し,事前のバリデーションにより評価
目的に合わせた検証を実施することで小児臨床試験における分析法の信頼性は得られ
ると考えた.
本 論 文 で は , 小 児 臨 床 試 験 へ の 適 用 を 前 提 に , BMV の 概 念 が 確 立 さ れ て い る ① 吸
入ステロイド剤の血中薬物濃度測定について検証し,実際に小児臨床試験への応用に
よ り 有 用 性 を 確 認 し た . そ の 検 証 に 基 づ い て 現 時 点 で 統 一 的 な BMV の 概 念 が 確 立 さ
れていない②バイオマーカーの血清中濃度測定及び③バイオ(抗体)医薬品の血中薬
物濃度の測定について,信頼性の高い分析値を得るための測定系構築とバリデーショ
ン項目の検討法・評価基準について研究した.更に,バリデートされた測定法を小児
臨床試験に応用し,血清中濃度推移や薬物動態について評価した.
第 1章
APPI-LC-MS/MS 法 に よ る 吸 入 ス テ ロ イ ド 剤 Ciclesonide の 薬 物 動 態 解 析
日 本 人 小 児 気 管 支 喘 息 患 者 を 対 象 に ,新 規 吸 入 ス テ ロ イ ド 剤 で あ る Ciclesonide 投 与
時 の ヒ ト 血 清 中 濃 度 測 定 法 に 関 す る 基 礎 研 究 を 行 っ た .Ciclesonide は プ ロ ド ラ ッ グ で
あ り , 肺 局 所 で 活 性 代 謝 物 Ciclesonide M1 に 変 換 さ れ る た め , 二 成 分 の 同 時 分 析 法 を
構築した.小児臨床検体測定の視点から,高感度化のために大気圧光イオン化法
APPI-LC-MS/MS 法 を 検 討 し ,国 内 健 康 成 人 で 測 定 に 用 い た APCI-LC-MS/MS 法 よ り 少
量の血清で分析が可能となった.確立した分析法の妥当性を検証するためバリデーシ
ョン試験として①選択性,②検量線,③日内及び日間の真度及び精度,④定量限界,
⑤マトリックス効果,⑥希釈妥当性,⑦血清中安定性を検証した.バリデーション試
験 の 結 果 , ヒ ト 血 清 中 で 10~ 1600 pg/mL の 範 囲 で 本 法 の 妥 当 性 が 確 認 さ れ た . こ こ
で , 選 択 性 は 海 外 の 結 果 と 比 較 す る こ と を 考 慮 し , BMV ガ イ ド ラ イ ン の 要 求 例 数 の
倍 に あ た る , 日 本 人 及 び 白 人 の 男 女 そ れ ぞ れ 3 例 の 計 12 例 に つ い て 検 討 し , 測 定 系
に対する個人間差の影響がないことを確認した.マトリックス効果においても同じく
12 例 で の マ ト リ ッ ク ス フ ァ ク タ ー の 算 出 と 添 加 回 収 値 を 評 価 し ,実 試 料 分 析 に お け る
異常値発生の可能性が低いことを確認した.
確 立 し た APPI-LC-MS/MS 法 を 日 本 人 小 児 臨 床 試 験 に お け る 血 中 薬 物 濃 度 測 定 に 応
用した.全ての実測定値バッチはインスタディーバリデーションにより妥当性を確認
した.各測定バッチは,測定開始時に検量線 1 セットを配置し,実試料の測定中の変
動 を 検 知 す る た め ,測 定 用 QC 試 料( 既 知 濃 度 を 添 加 し た プ ー ル 血 清:3 濃 度 水 準 各 2
本)を実試料に対して等間隔に配置して,測定バッチ全体の変動を確認した.測定バ
ッ チ の 採 用 基 準 と し て , 検 量 線 と QC 試 料 の 真 度 ( 理 論 値 か ら の 偏 差 は ±15%以 内 )
と 合 格 率 ( 4/6 以 上 ) を 予 め 設 定 し , 実 測 定 バ ッ チ で の 逸 脱 は 認 め ら れ な か っ た . ま
た , 実 試 料 の 保 管 条 件 で の 安 定 性 は 併 行 保 存 QC 試 料 を , 採 血 か ら 測 定 ま で 実 試 料 と
同条件で冷凍保管・移動させ,輸送を含む保管中に分解等が無いことを確認した.
日本人小児気管支喘息患者 8 名
に Ciclesonide 製 剤 (CIC-HFA)
200 µg/day を 7 日 間 反 復 吸 入 投
与 し た と き の Ciclesonide 及 び
Ciclesonide M1 を 測 定 し た .
Ciclesonide M1 の 血 清 中 濃 度 推
移を海外白人小児患者の推移と
比 較 し た ( Fig. 1).
Ciclesonide の 吸 入 製 剤 を 服 用 し
たときの小児における血中活性
代謝物濃度推移には大きな違い
は 見 ら れ ず ,人 種 も し く は 臨 床
試験の間に差はないと考えら
れ た .十 分 に 妥 当 性 を 検 証 し た
APPI-LC-MS/MS 法 に よ っ て ,
Fig.1. Time course of serum Ciclesonide M1 level in
Japanese children (●) and Caucasian children (○)
following repeated CIC-HFA administration (200
µg/day ). Each point indicates the mean (SD) or
Japanese children with bronchial asthma (N=8) and
Caucasian children with bronchial asthma (n=33).
吸入ステロイド剤の日本人小児における臨床薬物動態試験が評価可能となり,小児
の人種差に関する知見に基づいた議論が可能となった.
第 2章 血 清 中 バ イ オ マ ー カ ー Shiga toxin 2( Stx-2) の 化 学 発 光 免 疫 測 定
O157 な ど 志 賀 毒 素 産 生 性 大 腸 菌( Shiga toxin-producing E. coli ; STEC)に 感 染 し
た 小 児 患 者 で は ,下 痢 の 後 に 血 便 症 状 を 呈 し ,溶 血 性 尿 毒 症 症 候 群( hemolytic uremic
syndrome; HUS) に 移 行 し て 死 に 至 る 場 合 が あ る . 志 賀 毒 素 ( Shiga-like toxin)の う
ち ,Stx-2 は HUS の 進 行 に 関 連 し て い る と 考 え ら れ る が ,こ れ ま で に 血 中 の Stx-2 濃
度 を 正 確 に 定 量 し た 事 例 は な く , STEC の 感 染 と 血 中 毒 素 濃 度 の 検 討 は 報 告 さ れ て い
な い .そ こ で ,血 清 中 Stx-2 濃 度 の 超 高 感 度 定 量 法 と し て 化 学 発 光 -ELISA を 開 発 し ,
血 清 中 Stx-2 を 定 量 し た .
構築した分析法の妥当性を検証するため分析法のバリデーションを実施した.①検
量 線 ,② 日 内 及 び 日 間 の 真 度 及 び 精 度 ,③ 定 量 限 界 ,④ 定 量 範 囲 ,⑤ 特 異 性 / 選 択 性 ,
⑥ 希 釈 妥 当 性 , ⑦ 血 清 中 Stx-2 保 存 安 定 性 に つ い て 検 証 し た 結 果 , ヒ ト 血 清 中 で 6.0
pg/mL~ 300 pg/mL の 範 囲 で 本 法 の 妥 当 性 が 確 認 さ れ た . こ こ で , 個 人 別 血 清 で 非 特
異 的 な シ グ ナ ル が 観 測 さ れ ,実 測 定 に お い て Stx-2 偽 陽 性 が 5/30 例 の 割 合 で 発 生 す る
可 能 性 が 示 唆 さ れ た . リ ガ ン ド 結 合 法 ( LBA) の 留 意 事 項 に つ い て 記 述 の あ る 欧 州 医
薬 品 庁( EMA)の BMV ガ イ ド ラ イ ン で は 2 割 以 内 の 偽 陽 性 は 許 容 さ れ る 頻 度 で あ る
が,本研究では解析上のノイズとなり結果への影響が考えられた.そこで中和試験を
組み込み,偽陽性の判断が可能となった.
小 児 患 者 に お け る 血 清 中 Stx-2 濃 度
測定への応用として,季節性の食中毒
が発生する頻度の高いアルゼンチンで
臨床研究における疫学調査を実施した.
93 名 の STEC 感 染 小 児 患 者 か ら 得 ら
れ た 313 検 体 の う ち , Stx-2 が 定 量 限
界 ( 6.0 pg/mL) 以 上 の 検 体 は 患 者 8
名 由 来 の 10 検 体 の み で あ っ た .STEC
陽性で水様性便から血便に移行しな
か っ た 患 者 で は Stx-2 は 定 量 限 界 未 満
で あ っ た . 一 方 , STEC 陽 性 で 血 便 を
発症した患者の一部では血便が観察さ
Fig.2. Serum Stx-2 levels by elapsed time
relative to onset of bloody diarrhea (BD) for
subjects
●: HUS subjects; ○: non-HUS subjects.
れ た 直 後 に 血 清 中 で Stx-2 が 上 昇 し た . 今 回 検 出 さ れ た Stx-2 は 血 便 発 生 直 後 の 採 血
可 能 ポ イ ン ト で 最 高 17.3 pg/mL で あ り , そ の 消 失 は 非 常 に 速 や か で あ っ た . Stx-2 が
検 出 さ れ た 患 者 の 8 例 中 3 例 の 病 態 は HUS に 移 行 し た ( Fig. 2).
以 上 ,血 清 中 Stx-2 濃 度 の 測 定 に お い て ,医 薬 品 の BMV ク ラ イ テ リ ア を 満 た し ,か
つバイオマーカーとしての評価目的に合致した分析法を確立した.本法によって,初
め て O-157 感 染 時 の 血 清 中 Stx-2 濃 度 と 血 便 や HUS 発 症 の 関 連 性 が 明 ら か と な っ た .
第 3章 ELISA 法 に よ る 血 清 中 Urtoxazumab の 薬 物 動 態 解 析
新 規 ヒ ト 型 化 抗 体 で あ る Urtoxazumab は 血 中 で Stx-2 の 標 的 結 合 部 位 に 特 異 的 に 結
合 す る 毒 素 中 和 抗 体 で あ り ,主 に 小 児 で 発 症 す る HUS に よ る 死 亡 を 防 ぐ こ と が 期 待 さ
れ る . Urtoxazumab の 血 清 中 薬 物 濃 度 測 定 法 は 抗 イ デ オ タ イ プ の マ ウ ス モ ノ ク ロ ー ナ
ル 抗 体 ( MAb1F4) を 用 い た サ ン ド イ ッ チ ELISA 法 を 採 用 し た .
分析法の妥当性を検証するため,バリデーション試験として,①検量線,②日内及
び日間の真度及び精度,③定量限界,④特異性,⑤選択性,⑥希釈妥当性,⑦血清中
安 定 性 を 検 証 し た . ヒ ト 血 清 中 で 0.2~ 10 g/mL の 範 囲 に お い て 本 法 の 妥 当 性 が 確 認
された.
本 測 定 法 を 実 際 の 臨 床 試 験 に お け る 血 清 中 Urtoxazumab 濃 度 の 定 量 に 応 用 し , 海 外
Ⅰ 相 試 験 に て 健 康 成 人 及 び 第 Ⅱ 相 試 験 に て 小 児 患 者 に Urtoxazumab を 静 脈 内 投 与 し た
時の血清中薬物濃度推移を明らかした.更に国内健康成人における血清中薬物濃度を
測 定 し ,薬 物 動 態 を 評 価 し た .臨 床 試 験 全 体 を 通 じ て 投 与 量 0.1 mg/kg~ 6 mg/kg ま で ,
血 清 中 Urtoxazumab 濃 度 は 用 量 依 存 的 に 推 移 す る こ と が 確 認 さ れ た . 以 上 , バ イ オ 医
薬 品 の 小 児 臨 床 試 験 に お い て ,バ リ デ ー ト さ れ た ELISA 法 の 測 定 結 果 は 信 頼 で き る も
のであり,投与量の設定に重要な情報を与えた.
総括
本研究では小児臨床試験で検証に高感度測定法が必要となる分析対象物として,①
低 分 子 医 薬 品( 吸 入 製 剤 ),② バ イ オ マ ー カ ー ,③ バ イ オ 医 薬 品 の ヒ ト 血 清 中 分 析 法 を
開発し,バリデーション試験により妥当性を確認した.小児臨床試験にフォーカスし
て感度・精度と選択性を高めた測定法は,実際の臨床試験への適用においても信頼性
の高い結果を示し,病態の考察や薬物動態の人種差,年齢差の検討において新たな知
見を得た.
本 研 究 に お け る BMV の 評 価 項 目 や 評 価 方 法 の 考 え 方 は , 小 児 臨 床 試 験 の 様 な 希 少
な検体測定の信頼性確認に効果的であり,今後の国内小児臨床試験を推進に貢献でき
るものである.
【研究結果の掲載誌】
1) Pediatr Infect Dis J. 2012 Jan; 31(1):20-4
2010 Jan; 54(1):239-43.
2) Antimicrob Agents Chemother
3) Allergol Int, 2012 Dec; 61(4):619-24