「日本の近代化への - 日本工作機械輸入協会

 「
「日本の
日本の近代化への
近代化への
輸入
輸入工作機械
輸入工作機械の
工作機械の貢献」
貢献」
~日本は
日本は如何にして
如何にして工作機械製造世界一
にして工作機械製造世界一になれたのか
工作機械製造世界一になれたのか~
になれたのか~
株式会社シーケービー OB
藤田哲三
日時/平成26年8月4日
場所/日本工作機械輸入協会
主要国の工作機械生産高
工作機械発展
工作機械発展の
発展の原点は
原点は英国の
英国の産業革命
• 工作機械の歴史は古代オリエントの時代までさかのぼることが出来るが近代工作機械は
18世紀、産業革命の原動力となった蒸気機関、繊維機械を製作するために英国に於いて
誕生した。
ニューコメンの蒸気機関 ワットの蒸気機関 トレビシックの蒸気機関車
(1712年) (1769年) (1804年) 19世紀には工場設備、綿工業、鉄道、鉄等の工業が高度に発達し、欧州大陸、米国から
世界規模で重工業化の時代となる
●
~日本の
日本の近代化は
近代化は1853年
1853年、
黒船艦隊
黒船艦隊の
黒船艦隊の来航で
来航で始まる~
まる~
• 1853年:米国海軍、ペリー提督率いる黒船艦隊来航 「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった4杯で夜も眠れず」
ペリー提督
ペリー艦隊来航以来
ペリー艦隊来航以来の
艦隊来航以来の時代の
時代の流れ
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1853年:ペリー提督率いる黒船艦隊来航 1853年:江戸幕府は大船建造禁止令撤廃 1854年
1854年:日米和親条約
1855年:長崎海軍伝習所設立、オランダが軍艦を贈呈 1856年:日本最古の工作機械、オランダから長崎海軍伝習所へ到着
1858年:日米修好通商条約(自由貿易,信教の自由) ⇒安政の5か国条約 (英・
仏・蘭・露とも) • 1860年:咸臨丸で日米修好通商条約批准の遣米使節団、勝海舟艦長、
福沢諭吉、ジョン・万次郎
• 1860年:安政の大獄⇒桜田門外の変⇒大老、井伊直弼暗殺
• 1867年:第15代将軍 徳川慶喜 大政奉還
• 1868年(明治維新)
• 1868~69年:(明治元年~2年)戊辰戦争
• 1871年(明治4年):岩倉具視欧米視察団派遣
• 1872年(明治5年):富岡製糸場開業、新橋 ~ 横浜間 鉄道開通、全て英国資材
• 1877年(明治10年):西南戦争 西郷隆盛切腹 国内最後の内戦
• 1888年(明治21年):新潟鐵工創業
• 1889年(明治22年):池貝鉄工創業
• 1889年(明治22年):大日本帝国憲法発布
• 1894~95年(明治27~28年):日清戦争 下関条約締結
• 1898年(明治31年)大隈製麺機商会創業
• 1901年(明治34年)八幡製鉄創業
• 1903年(明治36年)第5回内国勧業博覧会(輸入工作機械初出展)
ホーン商会、米国33社の工作機械を実演展示
• 1904~05年(明治37~38年):日露戦争 ポートマス条約締結
• 1909年(明治42年)唐津鉄工所創業
• 1910年(明治43年:)韓国併合
• 1910年(明治43年)東京瓦斯電気工業創業
• 1911年(明治44年)日米修好航海条約締結(関税自由権の回復)
• 1914~18年(大正3~7年):第1次世界大戦
• 1921年(大正10年):「工作機械博覧会」、国内初の工作機械専門展
• 1922年(大正11年)ワシントン国際軍縮会議 88艦隊の挫折
• 1923年(大正12年):関東大震災
• 1931年(昭和6年)満州事変
• 1934年(昭和9年)満州国建国
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1937年(昭和12年)日中戦争開戦
1938年(昭和13年)大日本兵器工業創業
1938年(昭和13年)国家総動員法成立
1939年(昭和14年)廣海軍工廠工作機械実験部設置
1941年(昭和16年)太平洋戦争⇒第2次世界大戦へ
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1945年(昭和20年)終戦
1950年(昭和25年)朝鮮戦争
1950~1970年(昭和25年~45年)工作機械技術提携期
1955~73年(昭和30年~48年)高度経済成長期
1965年(昭和41年)モータリゼーション(乗用車大増産期)
1970(昭和45年)~ NCマシン実用化
1982年(昭和57年)工作機械製造世界1達成、以後26年間継続
1986~90年(昭和61年~平成2年) バブル経済
2008年(平成20年)リーマンショック
日本
日本の
日本の工作機械業界の
工作機械業界の曙
1856年日本最古の工作機械は徳川幕府がオランダから購入した軍艦ヤパン号
(後の咸臨丸)で長崎海軍伝習所へ輸入された(18台+蒸気機関)
●
三菱長崎造船所史料館展示品
明治政府
明治政府の
政府の工業近代
工業近代化政策
近代化政策
・ 明治政府のスローガン:「欧米列強に追い付き追い越せ」 「殖産興業、富国強
兵」のもとに近代工業の育成を計る
長崎熔鉄所 工部省赤羽工作分局
明治村に展示中の重要文化財、菊花御紋章
付平削り盤
1872年(明治12年):この機械は赤羽工作分局で製造され、民間造船で使用後に岩
手県盛岡工業高校に引き継がれ実習用として使用された。
明治政府が殖産興業を推進するために設置した直轄工場、工部省赤羽工作分局で製
造されたもので、日本の機械工業黎明期の実情を伝える工作機械として非常に重要で
ある。
日本の工作機械業界の曙
明治時代
日本に進出してきた欧米の貿易商
イリス商会(1859年) シイベル機械(1865年) 1894年:アンドリュース商会
1901年:ホーン商会、米機械メーカー33社の代理店⇒安宅産業 1905年:レイボルト機工
日本国籍の輸入工作機械のパイオニア
• 1873年(明治6年):大倉組商会
• 1877年(明治10年):林音吉商店
• 1881年(明治13年):高田商会(高田慎蔵社長はドイツ系兵器商、
ベア商会の出身)
• 1903年(明治36年):碌々産業(野田正一社長はホーン商会出身)
• 1904年(明治37年):安宅商会(旧、安宅産業)
• 1906年(明治39年):山武商会
• 1909年(明治42年):小林捨次郎商店(現、コバステ)
• 1917年(大正6年):千代田貿易商会(旧、八千代田産業)
• 1924年(大正13年):山本商会(現、YKT)山本恵三社長はアンドリュース
商会出身
• 1927年(昭和2年):海外通商、スイス人、ミュラー氏の創業
~民間の
民間の動き~①
田中久重(東芝創業者) からくりや議右衛門
佐賀藩の技師、からくり人形 久留米絣織機の発明、蒸気機関
の試作 77歳で銀座に田中工場(珍器製造所)を設立 「万般の機械考案の依頼に応ず」の看板を出す
第1号工作機械到着時、長崎海軍伝習所へ駆け付ける
田中久重 田中が考案した和時計と蒸気機関車模型
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田中久重の元からは日本の機械工業の礎を築いた人
物が育ち起業した
• アンリツの創業者:石黒慶三郎
• 沖電気工業の創業者:沖 牙太郎
• 精工舎の創業者:田中精助
• 東京電気の創業者:三吉正一、藤岡市助/初の電球国産化
• 池貝鉄工所の創業者:池貝正太郎/国産工作機械第1号を生産
• 宮田製作所の創業者:宮田栄助/自転車製造
~民間の動き~②
日本の工作機械製造業の起業
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1888年(明治21年):新潟鉄工所 1894年工作機械製造開始
1889年(明治22年):池貝工場 池貝正太郎 1895年(明治28年):芝浦製作所、日本初の電動機の開発
1898年(明治31年):大隈製麺機商会:大隈栄一 1903年工作機械製造
1898年(明治31年):若山鉄工所 若山瀧三郎 1910年(明治42年):竹内鉱業唐津鉄工所 竹内明太郎(吉田茂の長兄)
⇒唐津鉄工所
• 1910年(明治43年):東京瓦斯電気工業株式会社⇒日立精機
• 1938年(昭和13年):大日本兵器株式会社⇒日平産業
• 1938年(昭和13年):工作機械製造事業法成立⇒工作機械製造が認可
制
• 1939年(昭和14年): 廣海軍工廠工作機械実験部
• 1942年(昭和17年):精密機械統制会 工作機械318社、工具40社、軸受
19社を統制
:
~民間の動き~③
国産第一号の旋盤
(明治32年) 手廻し旋盤 池貝鉄工所・池貝正太郎
手廻し旋盤
造船所の設立
• 1853年:大船建造禁止令撤廃
• 1855年:長崎海軍伝習所‐海防強化のための海軍士官養成所 オランダ商館長他オランダ海軍の指導
• 1857年:長崎熔鉄所(現・三菱長崎造船所)設立
オランダ海軍H・ハルデスらの指導を受ける
• 1865年:横須賀製鐵所黌舎(横須賀海軍工廠)‐仏式造船所 初代所長:仏海軍技師、F・ヴェルニー他仏人40数名
機械類974点の他、建屋以外の設備は全て欧州製
• 1871年:岩倉使節団は英国造船所を訪問、仏式木造船から鉄船建造へ
• 1973年:日本初の軍艦「清輝」を起工
• 1889年:呉鎮守府(呉海軍工廠)造船部設立
• 1890年:日本初の鋼船「筑後川丸」建造 三菱長崎造船所
• 1896年:造船奨励法公布、民間造船業活発化
• 1920年:日本初の全溶接船「諏訪丸」 三菱長崎造船所
汽車製造
• 1872年(明治5年)日本最初の旅客鉄道、新橋~横浜間開通
• 蒸気機関車、車両、鉄道、全ての機材は英国製。鉄道作業局、機関車
修理工場は新橋と神戸に設置
• 3代目神戸工場長は蒸気機関車発明者R・トレヴィシックの孫、R.F.
トレヴィシックであった。トレヴィシックの監督下、日本初の蒸気機関車
が竣工
• 1893年(明治26年)、日本初の蒸気機関車、A860
軍需産業
零戦 戦艦大和 軍拡
軍拡へ
軍拡へ加速する
加速する欧米
する欧米と
欧米と日本①
日本①
日露戦争とシベリア出兵
1905年、日露戦争は日本の勝利とされているが倍賞なき勝利の陰に、実は砲弾製造用の
工作機械が不足し、これ以上戦争に耐えられなくなったので米国へ仲介を依頼したとも言わ
れている 軍拡へ
軍拡へ加速する
加速する欧米
する欧米と
欧米と日本②
日本②
・1914~18年(大正3~7年)第1次世界大戦は日本の工作機械産業にとって追い風となった
欧米から日本への工作機械の輸入が途絶えたため、国内産業が栄え、逆に池貝鉄工は英国・ロシ
アへ旋盤を輸出、これが日本製工作機械の初輸出となる
・ 戦艦「三笠」は日清戦争後軍事力増強の必要性から英国に発注、日露戦争時、東郷平八郎
率いる大日本帝国海軍「旗艦」となる
戦戦艦「三笠」 巡洋戦艦「霧島」 重巡洋艦「古鷹」
主砲 30.5センチ 主砲 35.6センチ 主砲20.3センチ
最高速度18ノット 最高速度29.8ノット 最高速度34.6ノット
自動車製造
• 1927年(昭和2年)、日本フォード設立、トラック、3000台/年、組立
中国,朝鮮、東南アジアへ輸出、昭和16年、日本軍に接収される • 1937年(昭和12年)、政府は「自動車製造事業法」 を制定、トヨタ自動車、日産 自動車を指定会社とする
• 豊田喜一郎のトヨタは工作機械の自給を目指し、鮎川儀介率いる日産は米国
人技師ゴーハムの指導を得て、初の流れ式量産自動車工場を完成、設備は
全て輸入機 試運転中の乗合自動車 トヨタKC型トラック
昭和11年、寺内陸軍大臣と豊田喜一郎との対談
• 陸軍大臣:「将来自動車はいくらでも要るからドンドン作ってもらいたい」
• 豊田:「現在、私の工場でもいくらでも作りたいと思っておりますが、自
動車を作る工作機械は大部分外国から輸入しております。外国から輸
入出来なくなりましたら自動車を増産するにも出来ませんから、自動車
や飛行機を保護奨励するより工作機械を保護奨励して頂きたい」
• 陸軍大臣:「そんなものなら早く作ったらよいではないか」
• 昭和11年豊田自動車を訪問した寺内陸軍大臣と豊田喜一郎のこの会
話は当時の政治家が如何に工作機械に対する見識がなかったかのエ
ピソードとして未だに語り草になっている
輸入工作機械頼みの
輸入工作機械頼みの軍備強化政策
みの軍備強化政策①
軍備強化政策①
• マザーマシンは欧米製
• 戦艦大和の46センチ主砲の加
工にはドイツのワグナー社の大
型旋盤、タービン減速機歯車加
工には英、ブラウン社のホブ盤
が使われた
• 砲芯加工用に英国アームスト
ロング社製中ぐり盤なども輸入
された。
輸入工作機械頼みの
輸入工作機械頼みの軍備強化政策
みの軍備強化政策②
軍備強化政策②
• 昭和12年、日中戦争に突入、翌年「国家総動員令」公布 工作機械の製造も許
可制となり21社24工場が指定される
• 高品質の工作機械作りのため、高品質マザーマシンが大量に輸入された
(昭和12年:4100万円、昭和13年:9200万円、昭和14年:1億5200万円)
• 昭和15年:米国が工作機械の対日輸出許可制(事実上の禁止)通告
• 同盟国・ドイツから陸、海(潜水艦)経由での工作機械の輸入を試みるが戦争勃
発で中断、 日本は国産工作機械のみで軍需産業を支え、太平洋戦争を戦う
• 昭和17年:精密統制会の発足:全工作機械メーカー(318社)を統制会が管理
• 昭和16年12月8日 真珠湾攻撃から太平洋戦争勃発
• 昭和20年8月15日 太平洋戦争終戦
大日本兵器株式会社⇒日平産業
• 1938年(昭和13年)航空機20㎜機銃及び弾薬包製造のためスイス エリコン社と製造販売契約を締結
• エリコン社からケンビン団長以下18名の技師団が来日、工場開設と日
本人従業員の技術指導に当たる。
• 設備機械、治工具、材料も全てドイツ、スイス製
• 工作機械製造事業法制定により、工作機械製造のためスイス人6名
の指導で湘南工場を建設、円筒研削盤の開発にあたる。
• 設計手順から治工具製作まで標準化
• 終戦までに円筒研削盤、369台、万能研削盤、245台、内面研削盤、
124台、クランクピン研削盤、クランクシャフト研削盤、フライス盤も製造
• 輸入工作機械の活躍のみならず、戦時中にあってもスイス技術者の献
身的協力があったことを忘れないでほしい
大日本兵器湘南工場で活躍したエリコン社技師
日本の量産・高精度技術を指導
W.R.ゴーハム氏
• 米、ヒールド技術大学電気化卒、
• 1933年(昭和8年)鮎川義介の知遇を得て、
日産自動車横浜工場建設時には輸入設備機械
の導入、工場レイアウトなどに敏腕をふるう。
全て輸入機械を使用
• 1936年(昭和11年)国産精機ではゴーハム氏を常務取締役技術
• 関係総責任者として高性能工作機械の設計、製作を開始、ワーナー
スウェージ社製をモデルにタレット旋盤を設計、後の日立精機の
ヒット商品となる
太平洋戦争が始まると日本国籍を取得、「合波武克人」と名乗り、航
空機用エンジンの専用機設計に従事して、母国の米国と戦う
• 戦後、日産自動車専務取締役に就任、GHQと自動車生産再開に
向けて尽力
終戦:焦土と化した東京
軍需産業壊滅のための戦後賠償
• ポーレ賠償使節団、賠償対象は工場設備、軍事産業に転換する可能性
のある505工場の工作機械、223、000台を指定
• 米はソ連が満州から持ち帰った機械設備も賠償対象と主張、ソ連は戦
利品であり賠償対象にはならないと主張
• 19,000台の工作機械が前倒し撤去、1部は中国、フィリッピンへ
• 呉海軍工廠で戦艦大和、武蔵のタービン減速機を加工したライネッカー
社製大型ホブ盤は上海へ移送
• 1948年、ジョンストン使節団「日本経済は更なる賠償には耐えられず強
行すれば米国納税者の重い負担となる」
• 1949年、極東委員会、マッコイ米代表は賠償計画中止の爆弾発言
• 正式公表は1952年のサンフランシスコ講和条約まで待たされた
• 殆どの軍需工場の工作機械は残存することになる
• この残存工作機械が戦後の復興を遅らせたとも言われる
戦後の
戦後の復興 復興 ・ 高度経済成長を
高度経済成長を支えた輸入工作機械
えた輸入工作機械
朝鮮戦争特需
朝鮮戦争特需から
朝鮮戦争特需から神武景気
から神武景気へ
神武景気へ
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トヨタの倒産危機
昭和25年朝鮮戦争勃発
朝鮮特需が戦後経済成長の起点となる⇒日本産業界の復興
米・アマツールの日本進出(米メーカー15社) 朝鮮戦争特需と復興需要で急激に景気回復したが外貨事情は厳しく為替管理下
の元、個別に輸入承認や外貨資金割り当て許可が必要であった • トヨタ自動車,フォード社との幻の技術提携 • 米国輸出入銀行は米国の工作機械輸入に限定して融資した 戦後の
戦後の復興・
復興・高度成長を
高度成長を支えた輸入工作機械
えた輸入工作機械
• デブリーグの横中ぐり盤
• グリーソンの歯車機械
• ギディングルイスの横中ぐり盤
• ヒールドの内面研削盤
• ムアの治具研削盤
• フェローのギアーシェーパー
• レッドリングのギアーシェービング盤
• ナショナル・アクメの多軸自動盤
• ランディスの研削盤
• シンシナティのフライス盤
(以上米国)
• スチューダの円筒研削盤
• ケレンベルガーの万能研削盤
• シップのジグ研削盤
• ライスハウアーの歯車研削盤
• ハウザーのジグ研削盤
• マーグの歯車機械
• デキシーのジグ中ぐり盤
• ブマーの内面研削盤
(以上スイス)
• シャウトの円筒研削盤
• シャーマンの横中ぐり盤
• コレットの横中ぐり盤
• ベーリンガのプレーナー
• ワールドリッヒ・コブルグのベッド研削盤
• ファウターの歯車機械
• ローレンツの歯車型削り盤
• フルトのギアーシェービング盤
• ゲーリングのホーニング盤
• アルフィングのトランスファーマシン
• ナイルスの歯車研削盤
• リンドナーのジグボーラー
• ギルデマイスターの多軸自動盤
• シュッテの多軸自動盤
• インデックスの自動盤
(以上ドイツ)
工作機械の技術提携ブーム
• 1955年頃から産業界は急復興「もはや戦後ではない」と言われた
• 産業界の成長速度が工作機械技術の開発進度を越えていて、国産工
作機械技術水準の向上が緊急課題となる
• その対策として欧米企業との技術提携で先進機械類の開発を急ぐ
• 1950~1970年代の技術提携は産業界全体で518件、機械関係で278
件、工作機械関係で115件にのぼった
• この技術提携は「時間を金で買った」とも言われるが、国内機械産業に
技術の蓄積をもたらし、その後の製造立国、日本の発展に多大なる貢
献となった
工作機械メーカーの技術提携ブーム
• 1952年:津山製作所、仏クリダン社とネギ切り旋盤
• 1953年:昌運工作所、仏、カズヌーブ社と倣い旋盤
• 1954年:三菱造船、スイス、エリコン社と倣い旋盤
• 1955年:豊田工機、仏、ジャンドロンと円筒研削盤
• 1955年:芝浦機械、仏、ベルチェ社と縦旋盤
• 1957年:三井精機、仏、ルノー社と部品加工専用機
• 1958年:東芝機械、仏、SEA社のエレクトロニックオートマーション装置
• 1959年:三菱造船、伊、イノセンチ社と中ぐりフライス複合工作機械
• 1960年:安川電機、仏、SEA社のプリントモーター
• 1961年:新三菱重工、西独、ローレンツ社とホブ盤
• 1961年:大阪機工、仏、ラモと普通旋盤
• 1961年:豊田工機、仏、ソムアとZ型フライス盤
• 1961年:津上製作所、津上製作所、ベルギー、プログレスと自動サイクル旋盤
• 1962年:大阪工作所、仏、カズヌーブ社と倣い旋盤
• 1962年;日立製作所、西独、VDFと横中ぐり盤
• 1962年:三菱造船、米、ナショナルアクメと多軸自動盤
• 1962年:碌々産業、仏、レオンヒューレ社と万能フライス盤
2
• 1963年:東洋精機、仏、ルショウ社と小型ベッド型自動フライス盤
• 1963年:安川電機、仏、SEA社の電子計算機
• 1963年:三井精機、米、エキセロ社とネギ研削盤
• 1963年:津上製作所、米、カ-ネイアンドトレッカ-と単軸自動盤
• 1963年;津上製作所、米、ジョーンズ&ラムソンとネジ研削盤
• 1963年:石川製作所、仏、コベマ社と中ぐりフライス盤
• 1963年:石川製作所、仏、シオメ社と万能工作機
• 1963年:新日本工機、西独、ワールドリッヒジーゲン社と普通旋盤
• 1963年:新日本工機、西独、ワールドリッヒジーゲン社と平削り盤
• 1963年:東洋工機:米、マイクロテックホーン社とホーニング盤
• 1963年;日平産業、米、トンプソン社と平面研削盤
• 1963年:三菱造船、スイス、エリコン社とラジアルボール盤
• 1963年:三菱造船、米、ロックフォード社と平削り盤
• 1963年:三菱造船、米、ロックフォード社と倣いフライス盤
• 1963年:中京電機、米、バーグマスタ社とタレットボール盤
• 1963年:光洋機械、米、バンノルマン社と芯なし研削盤
• 1963年:光洋機械、米、マチソン社と平面研削盤
• 1963年:不二越、米、マイクロマチックホーン社とホーニング盤
3
• 1964年:池貝鉄工、スイス、ジョージフィッシャー社と自動倣い旋盤
• 1964年:日立精機 西独、ギルデマイスター社と多軸自動盤
• 1964年:村田製作所、仏、ベルチェ社とベッド型フライス盤
• 1964年:日立製作所、米、アノカット社と電解加工機
• 1964年:大阪機工、仏、ラモ社と自動倣い旋盤
• 1965年:津上製作所、米、ベンジャミン・グローブ社とスプライン転造盤
• 1965年:三井工作所、西独、ブローム社と平面研削盤
• 1965年:京三製作所、米、GF社と電解加工機
• 1965年:小林捨次郎商店、米、ハモンド社とバフ盤
• 1965年:三菱重工、スイス、ライスハウエル社と歯車研削盤
• 1965年:住友電気工業、米、ハモンド社と電解加工機
• 1965年:富士精機、米、バーンズドリル社とホーニング盤
• 1967年:津根精機、西独、カール・ストルツア社と弓のこ盤
• 1967年:大阪工作所、スイス、GF社と正面切削&芯立て盤
• 1968年:新潟鐵工所、米、サンドストランド社とベルト研削盤
• 1970年:野村製作所、仏、ベルチェ社と横中ぐり盤
• 1970年:日平産業、米、リットンインダストリーズ社と研削盤
• 1970年:オーエム製作所、仏、ベルチェ社と縦型研削盤
• 1970年:津上製作所、米、ニューブリテン社と立型精密自動サイクル旋盤
4
• 1970年:津根精機、西独、シュミット社と刃先研削盤
• 1970年:大矢製作所、西独、ラポーマ社とラジアルボール盤
• 1970年:新日本工機、米、ピンズマシナリー社と強力旋盤
• 1970年:山崎鐵工所、米、アメリカンツール&ワークス社と大型NC旋盤
• 1970年:山崎鐵工所、米、フーダイル・インダストリー社とNCマシニングセンター
• 1970年:新潟鉄工所、米、サンドストランド社とNCマシニングセンター
• 1970年:小林捨次郎商店、米、ハモンド社とベルト研削盤
• 1970年:三井精機、米、プラット&ホイットニーとNCマシニングセンター
• 1970年:新潟鉄工所、米、サンドストランド社とNC工作機械
• 1971年:オーエム製作所、仏、ベルチェ社と立て旋盤
• 1971年:不二越、西独、ステヘリー社とホブ盤
• 1971年:豊和産業、西独、マックスミュラー社とNC旋盤
• 1971年:豊和工業、スイス、シャルルウイリアムベルチェ社と横中ぐりフライス盤
• 1971年:日清紡、米、ハモンド社とベルト研削盤
• 1971年:レイボルト機工、西独、カールフューラー社とNCマシニングセンター
• 1971年:三條機械、西独、ロバートブローム社と平面研削盤
• 1972年:昌運工作所、仏、カズヌーブ社と旋盤
• 1972年:不二越、米、オンスラッド社とNCボール盤、フライス盤
• 1972年:川崎重工、米、ビューレックス社と電解加工機
5
• 1972年:日新工機、スイス、GF社と倣い旋盤
• 1972年:三井精機、仏、ルノー社と自動組み立て機
• 1972年:昌運工作所、米、オロフソン社と旋削加工機
• 1972年:伊藤忠商事が、米、クライマックス社と溝切り盤
• 1972年:兼松江商、米、ボーダイン社と自動組み立て機
• 1972年:滝沢造機、伊、ラモンド社と旋盤
• 1972年:アマダ、伊、サラ社と丸のこ盤
• 1972年:大隈鉄工所、米、トライオーディネイト社と立型カム制御式研削盤
• 1972年:光洋精工、米、ウイルコックス社とブローチ盤
• 1972年:日合機械、米、ラジアルリップ社とドリル研削盤
• 1973年:昌運工作所、仏、カズヌーブ社と自動倣い旋盤
• 1973年:レイボルト機工、西独、カップ社とホブ盤
• 1973年:三菱重工、西独、ヴィックスブルガー社とNCトランスファーセンター
• 1973年:三菱重工、米、カーネイ&トレッカー社とATC
• 1973年:大隈鉄工所、英、コンベントリーゲイジ社と研削盤に関し業界初の相互技術
援助契約
• 1973年:日立精工、スイス、アジエ社と放電加工機
• 1973年:キタムラ機械、仏、リネージェスピー社と平面研削、プラノミラー
6
• 1973年:大隈鉄工所、西独、ハーバード・シュッテ社と多軸自動盤
• 1974年:住友重機工業、米、コーンブランチャード社と平面研削盤
• 1974年:桜井製作所、仏、ソムア社とフライス盤
• 1974年:帝人商事、西独、ハーン&コルプ社とラップ盤
• 1975年:不二精機、スイス、タレックス社とコイルフィード自動旋盤
• 1975年:三菱重工、米、プラット&ホイットニー社とNC旋盤
• 1975年:東芝機械、米、カーネイ&トレッカー社とNCマシニングセンター
• 1975年:東芝機械、米、ベンデックス社と両頭研削盤
• 1975年:牧野フライス製作所、スイス、アジエ社と放電加工機
• 1975年:津根精機、西独、ハインズ・シュミット社と刃先研削盤
• 1976年:浜井産業、英、パトラー社と万能フライス兼横中ぐり盤
• 1976年:大隈鉄工所、米、ベンディクス社とNC装置
• 1976年:津上製作所、英、ジョ-ンズ&ラムソン社とネジ研削盤、ウオーム研削盤
• 1976年:富士通ファナック、米、ファランド社とインダクトシン位置検出装置
• 1976年:日清紡、米、ハモンド社と研磨、バフ、バリ取り装置
• 1976年:内山機械、米、ハンスフォード社とキー溝機
政府の工作機械輸入対策①
1952年(昭和27年)「工作機械輸入補助金交付規定」
輸入奨励に対して日工会は意見書をだす
1956年(昭和31年)外国工作機械性能審査事業:
日工会が国の補助金で「工作機械研究所」設立、審査対象機は
P&W社製工具旋盤(主査・池貝鐵工)、シンシナティ社製フライ
ス盤(主査・日立精機)、ステューダー社製研削盤(主査・三井精
機)、デキシー社製ジグ中ぐり盤、ベクラー社製単軸自動盤、ブ
マー社製内面研削盤等を審査。目的は「世界の一流工作機械
の実態を研究、把握し、これによって我が国工作機械の改良進
歩を促すため、・・・精度、摩耗、剛性、振動・・・分解、分析を行
い性能解析を極めること」 (北海道大学 長尾克子氏経済学研究論文より)
「重要機械類輸入税免除特別措置法」
●
● ● 政府の
政府の輸入工作機械対策②
輸入工作機械対策②
• 1951年(昭和26年)日本工作機械工業会設立
• 1952年(昭和27年)IMF(国際通貨基金)加入
• 1955年(昭和30年)にGATT(関税と貿易に関する一般協定)加入
• 1955年:輸入工作機械協会設立⇒1965年:日本工作機械貿易協会
⇒1980年:日本工作機械輸入協会
• 1956年(昭和31年)機械工業振興臨時措置法(機振法):資金・制度面で特
別措置
• 1961年(昭和36年)7軸以上の多軸自動盤から始まり64年までに99機種
分類のうち96機種を自由化、関税率は機種により10%から25%
東京オリンピク
東京オリンピク目指
オリンピク目指して
目指して
• 1964年、東京オリンピックを目指して競技施設のみならず、高速道路と新幹線
等のインフラ建設で活況に沸いた。
東京オリンピック1964年
東海道新幹線1964年 東京オリンピック開会式1964年 名神高速道路1963年
「いざなぎ景気
いざなぎ景気」~
景気」~モータリゼーションの
モータリゼーションの到来
1960年代後半からカローラ、サニ―に代表される大衆乗用車の大量生産時
代に入る
ベストセラーカー初代カローラのエンジン製造ラインを作った蛇川忠暉氏
(元トヨタ自動車副社長)
エンジンブロックを粉砕した
シンシナティミラクロン(米)の
サーフェイスブローチ盤(右)
カローラ1100(1965年) モータリゼーション到来!(昭和40年代)
大衆乗用車大量生産のために輸入された主な輸入工作機械
• 米国:(トランスファーマシン)
エキセロ、ラム テクニコン、クロス、
(汎用機)
グリーソン、フェロー、ヒールド、マイクロマチック、シンシナチ、アクメ
• ドイツ:(トランスファーマシン)
アルフィング、ヘラー、ヒューラー、
(汎用機)
シャウト、ローレンツ、フルト、ファウター、ゲーリング、シュッテ、
ギルデマイスター、クリンク、
NC制御装置
NC制御装置の
制御装置の開発
1952年、MITがNC装置を開発、シンシナティ社のフライス盤に取り付ける
●日本では1956年(昭和31年)、富士電機が最初のNC装置を開発。1958年(昭和
33年)、牧野フライスと共にNCフライス盤を開発
●ファナック、オークマ、三菱電機等が世界に先駆けてNC,CNC制御装置の開発を急
ぎ技術提携で蓄積した機械技術と相乗効果を上げ、日本の工作機械製造世界1の
座の獲得に大いなる貢献を果たす
●
カネー&トレッカー社が開発した初
期のマシニングセンター“ミルウォー
キーマチック”の愛称で知られている。
交換する工具がカンザシ型に配置され
ているのが特徴
輸出超過による貿易摩擦
•高度経済成長期を経て1980年代に入ると自動車、電機製品、工作機械等の
工業製品は輸出過剰となり米国との間に貿易摩擦を起こし、1985年のプラザ合
意で円レートの切り上げとなる。
•デトロイトで日本製乗用車がデモ隊により破壊される。
•日本の自動車製造各社の米国工場建設がはじまる。
•1983年、内閣総理大臣輸入貿易功労賞を授与され
る千代田機械貿易(現、CKB)の山崎規一社長
贈賞者は当時の内閣総理大臣・中曽根康弘氏
日本工作機械輸入協会は輸入拡大と貿易を通じて各国との相互理解の増進
に寄与したとして、浅間会長(旧、八千代田産業社長)が1980年、原田会長
(YKT社長)が1994年、内閣総理大臣表彰を受ける
工作機械製造世界一を達成
• 明治維新以来約150年間、日本の近代工業の発展は輸入工作機械に支え
られたて来たと言っても過言ではない
• 1982年以来、日本が工作機械生産高世界一となり名実ともに世界の工作
機械業界の覇者となった、その理由は:
①1854年開国以来、欧米の工作機械を輸入し、その技術力習得に努めた事
②1950年―1970年、欧米の工作機メーカと技術提携により高度な工作機械
技術習得を行った事、 その総数115件
③1952年米国MITで開発されたNC装置の技術を世界に先駆けて取り入れ、
技術開発と実用化に成功した事
その陰には江戸時代の藩学校、寺子屋の教育水準が高く、欧米の先進技
術の習得が比較的容易であった事、人口増加率が高かったことが挙げられよ
う(人口:明治維新3000万人、明治45年5000万人、昭和20年7300万人
、平成24年12750万人、2070年予想、7590万人)
● リーマンショック以降、急激な需要減に見舞われると同時に経済発展著し
い中国に製造高第1位の座は奪われたが依然として日本の工作機械は名実
共に世界に君臨している
おわりに
• この様に日本の近代化は輸入工作機械の縁の下の力持ちとしての貢献があったからこ
そ達成出来きました
• 日本は工作機械王国になりましたが、製造業各社が必要とする工作機械で国内では調達
出来ない機械はまだまだ海外に沢山あります • これこそ我々輸入業者の仕事であり、広く世界の情報を集めて、日本の製造業各社の縁
の下の力持ちとして頑張って行きましょう
• 我々のこの努力が更なる日本の発展に貢献することは間違いありません
• 輸出だけで生きてゆける時代ではありません。日本工作機械輸入協会はそして会員の皆
様は日本の将来にとって絶対に必要な存在であります
• 皆様の益々のご活躍を祈ります
ご静聴有難うございました。
略歴
藤田哲三
昭和 14 年 8 月 4 日生
1964 年:千代田機械貿易株式会社(現・CKB)入社
1997 年:代表取締役社長
2007 年:取締役会長
2009 年:非常勤相談役
2011 年:退任
1999 年~2009 年:日本工作機械輸入協会
副会長