中 がとても悪い中で中国の をするのは 来、そして中国 日に実 を をしたい。現在の 、日中 い にこ 関 教 ) 12 - 2014 カでは『 プロブレム」 「チ 毛 里 和 子 田大 イ 」と言われ、アメ こ 年来、 「チ ( 1963年 1 月 1 日 新聞通信調査会報 として発刊 しみ、イ で、文 だと心配し、 ア だ。 イ めて ア カ とんど もしながら見 ことは は めて をやってい 中し、イ 者が何人かいて、アメ 論に まない。日伊 ー アンを 章をもらい、ハッ かだし、イ から 的にも実り る者のように思い をやっている人は、われわれ中国 をやっている人は 私の友人に できていないのが現 いるが、実はその全体像をつか だ、面 e (なぜ中国は問題か)』という イトル の論文や記事まで出る。世 各国が中国は何か大 ー 10 のア ( 、共産 目 大国 事実上 月号) 身 ) (上) クス の大 史( する世論 日記で読 レー報 に過信と 派 り 発表 た ルサレム 視し過 の 事 子… 行… 部… 国分 … 井 司… 田 隆司… 小池 新… 好 … 木原 正博… 山 … 井 司… に、中国が日本にとって な問 一の理由は、日 れてきた新 ットもある 人の大人口を 題となる を考えさせられる。 に ることにはメ 大な ることで、96 本と対 方 え て い る。 大 き 過 の して中国自身が大き過 こる。そのた と問題が起 をしている同 を見て、うらやま ムの正体』 えた米 入の 方紙が急増 ット配信で ーを が ース の時 ア研 42 中国研 者はそうはいかない。 い しいと思う。 にイ 編集 記 読者の 会だより 書評『 大 コ イデオロ 朝日問題の 回メディアに 12 が、デメ ットもある。しかも、 ) ( 進む大国化、共産党の大変身 日中 しくない。日本の現在およ 来のいろいろな問題がぶつかって すると の現 在 お よ えている問題を ける の で は な い か 」 と い う お 中国 が しし、 がしいのか。 にメディアの方に少しお らい お する こ と に し た い 。 すこ をするわけにはいかな 間 の悪さはかなり長 は 月 なお おり 、 日 中 )この 思わ れ る 中 で 、 い。 ( やと問われて、その答えを 15 とはできないが、「こう考えると回答に少し 中国とは何 10 なぜ中国問題はこんなに 14 の 国と し て 、 は ーや させたが、まだ先 が の 国に な ちを の不確かさ、不 つ、ス に となりやす つ日本には、そ 明さは心理的な らく多くの日本人が感じているところで、 け出すかが日本人として考えなけ い。 ここからどう 代 い こ と だ。「15 だ。外 的には日本は中 わっていない。中国は 国と わ 世代はかかる がいつ 国 るようなことをし、日本はそ い にはともかく、道 な 国であり、日本は イントかもしれない。 の理由は「中国は あるいは公 国だ」という日中 害者意 を をえ ットな れに対してますます反発する。 えずその 国に対する 史」 に つ い て いうどうしようもないウ 世代、 、一応 通の大 付けて、中国が真の 一国 的に した ット問題、台 らく るのかといえば、 史は 年前の と思う。新 し、 問題なども何とか 代に 害 はないのかと言われれば、少なくとも私 害はいつまで か、時 わらない。 ーに重くのしか はない。子どもの世代、 国になるまでは 的 ればいけない な思いをした」と言 代の 代を は、「 えた時で、 けることが彼らのアイデン 害者意 ー ウイグル問題、チ らな日本の るということをよくす 越 え て、 あ る い は そ こ か 人、 の な支配の中で 人の中に「中国は ッ チ ア ッ プ で き て い な い。 と り わ け 問 題 な の ー 害 者 だ」 と い う 意 は、 中 国 の の 代の 時間がかかりそうだ。 できるのは中国が真の ィーになっている。その け、それを言い されて大 年間 、 わ れ わ れ は 欧 米 ィ しみ 、 日 本 に 侵 い を それ に は 中国の 史」 を っ のものの考え方が日本とはずいぶん違っているせ い も あ る。 彼 ら に と っ て 2 人は、「 出して「現代」を 」が いうちには時 と、 会 司 を全部 ーが み込んだ「国 アク せず、 では 年の で、 を ち、 を中心としたト アーデをつ 」 、そして「 」、この つの な るがない。 でも 一体によって体 は超 でも 年代の文 大 くる。この 196 事 人 の支配 人と言い、2 報もあって、中国共産 された。ある 報では1 人という と が する、 した。この超 長を け、今では が んになされた。だ 時代に入るに違い は レ 解 大国にまで 年にわたり の ない──という が、その グローバルな経 ) ( 「 い ま」 で あ る 。 私 の よ う に ら 史の重 の目の るし、それができるが、中国はそれができない。 「 ット という意味ではメ にならなか とは 本的なトーンを イントは、中国 、 分ではなかった。 は 一の の主 も しいと日本人 になって った。日本の の 年で時 の世代には時 ットでもあ にある 類あるが、 としては思うが、現に せめて という意味ではデメ かっ て い る 。 そ れ は 伝 い には、実 と2 に、きょうの 申し上げたい。 ムにな 」 的メカニ どういうもので、どういう っているのか、である。一言で言えば「共産 89 だが 、 る。 で感じられる だ。 の 理 由 は、中 国 自 身 の「不 確 か さ」、不 明さ か ら く る と、 イ メ ー 的に し であるかといえば、そ 者だと思う。現在、中国が日 理的な とんどの場合は 本に と っ て の に悪いことをしたという う で は な い と は っ き り 言 え る。 し か し、 て、 し か も 過 25 70 メカニ 現在の世 て、 し ば ら く は ムは がそれに 的な イントは、この ムはどういうアク の 思わ れ る 。 カニ 的に れにくい。また を 念 されて メ は出てこないと していることもあっ ころ 一体の超 の ーによって と国 のが中国の 中 体 に の 全に は ス し、 の中 的にそ 体 だ。これは意 部 に している。この 立していないだけでなく、国 うしているのであって、司 で 中国共産 し で が直 共産 の確 これに 中 の は が し、 小 であれ い す 体的に に 握している。 で ムでも、 年以来、中 が 判所が行 役 年にするか、 判がある。 まった けている。 中 かった ムが出来上がったのは 年ごろだが、今までの ところ く 康の にするか。 役にするか、 の ど だが、中国の場合は大きな 付き を無 例えば、 局 いのかである。 する を 人 教育 であり、 に表して考えてみた。 は教育部、日本でいう文部 行 ばある うのが だが、そ は になってい 人 の とがどういう 。こ れ は ど こ の 部 局 に は中共中 は 局の中の中 的なものだ。 部 的メカニ イントは、いくら の とか 本を入 主主 して、外国からどんどん も取り入れている。 の の が の イントは、さすがの超 のメカニ の から自 だが、そういうことが した。それをつ 大 性である。 はいつまで め、 はある。一つは と けん する 的発言 をどんどん ムにもア レス で、 立ないし 首 が をコントロールできるかということだ。文 来 の時代の一時 、 ぶしたのは 厚という があり、 分される で まり、どれ らいの量 してどの 目されている。 る か、 彼 に ンバーワンが また起こるかもしれない。先 、 の が か、いま ップの中に グル はあるが、現 と現 書記の であれ に大きくなって、 えようがなくなっ つ目は、 ー ー それが 書記の ていることだ。どの 在、前 が起 と が起こるた の大 しいが、 されている。これは 張から大 論文に書くことは ープの間の対立が取り がなくて や思 本主 の る。このように司 国は 超 を見ると、中国共産 というのがあ スにつ ーが入っている。 文教小 ー プロ れ、文 について中国は外来のものをそのまま引 つ目は、社会的な はできる。 長によって人の 観 に大きな けている。経 しにはしないと言っているが、 を 事 以外、 って一体 では ル ク ス= レ ー ニ ン 主 こりつつある。いろいろな所で わ り、「 わった。これが でも な は出てきていない。しか にあり、 張した してお が見られる。 し、 を し イント ットでは が出てきているが、それ以外の所 の警 が出ている。新 ウイグル自 も でデー に現 チ 方 とだ。こうした中で したい。 で、この点については これからの中国を考える場合の大事な が大きく 何 それより もうけ主 の方がいい」という にみんなが れるのは、ある意味で自 なこ き 20 いる か ら 行 司 中 している こと 中 国 共 産 るか 対し て も 言 え る こ と で 、 との 局の中に中 まず教育部と中 中 り、 5 、 6 人 の ト ッ プ されているが、ここの 文教 文教小 からの 、5人でつ え、教育部は中 的 ルができている。 を 本的に 主主 立していない 立が するの などは全く出てこない。この中 を である部長と、指 を 上 げ る。 教 育 部 を が教育部に指 いて は 小 に報 は、 ン 主主 の が全く は グループだ。このように上からと 的チ は 部 に司 を見てみよう。 するが、その司 が分立しており、 司 くる 指 保 78 ) ( 55 つ目は 、 の だ。 ってこれまで してきた が 年、どうやって 、 の の反 外的な をもたらす の要 が けた は前者の教 の んで ら だ。一 が は、 を ったからだろ 大の原 に によって人心を に い例で言えば、 年代の中国国 内部の 年代に入って共産 く う。中国共産 する してい ろな国内問題を えている中で、 い外 しようと考えている。それは 人以 ばれる。 的に同じ 。 、今 を 国 開 を 明するた 年 代表大会」という な表だが、 らいだ して作 で られるデー から 人 299 人とかいわれて 、 年に らい 人に 年に ばれ はどれ で、ごく一部が直 の中の の 、つまり が わった国会 でま 外的 することによって国内世論を自分に引き付け、正 性を ムにつながる。 年まで、 ったものだ 日本の国会は 任 かと見ると、 で いる。 とんどは間 は が、中国の国会に たる全国人 代表大会の で1 がないので、いろいろなデー から 表を作ってみた。一見すると が支配する全国人 的な しすることにして、まず それではどうすればよいかということは とめてお したいと はしているが、自分で自分を 半ばか い、 は えたと考えている。 の日中 は 人 わる。分 会で だ。全国人 代表大会は毎年 月 まり、2週間もかからずに くが に に入り ーたちの一部も対 な対 アーデによる超 のト を 分考えられる だ。日中 したのも、 る」とよく言われる。 は 作用は の世 によって では自 のには限 も があり、 であ めに、「 と 分してくれない限り、中 だった。 かない。他者が判断し と 年か ら 国の など、 になったのは、 世 の の 大きな ーンを考えてみると、 んだ に一 か、 そ の ら った 国共産 から 厚が を 各様だが、私は イントは日中 かもしれない。 人トップの は くのではないか。その道 オで、「 か しする の につながる前 康や、 お は大 についてどう考えるかは各 年に日中 とそれ以 ー に問題なのは、 それ以前の日中 に違う。 つつあることだ。中国の 論だけで全体の 分の ど中国共産 の ているわけだ。 ば、 に が大きく した っ まるのかといえ わったと だという事実がそれを し ま う。 な ぜ こ ん な に 論はなく、 手で わって の ー ーたち にしたいと思い、日本の を 的な の がたく きたいと思っている。 の一部も日中対 すような客観的 わっ 本的に と大きく が を の しかも、対 さんある。 一つは日本と中国の間の から中国 先 ( 4 ) 07 54 07 40 れにいろい 98 30 た。もう一つは、日本も中国もそれ し、 日 本 03 72 10 12 12 19 明するデー 中 勢を もある。中国共産 い。 は から出てくる。今年 月1日だが、毎年その前日、 が中国共産 人 が 人)、 大 国共産 りが をかけて、 間 」が 年以 の中 と 本が により が新た あるい すべき である 」となり、 であり、それによって いていく「国 的要素が んできて ば、国 だった。その 者と 以上が は の 的要素が 国経 だったのが、今や 部が 本主 を えている新たな社会 した「 や くな と身分的な 産を一身に集中した 産 と 」を 何 と が 的な になっ だと言っている。 まれている。中国はそういう 本主 な べてみると、確かに ル ー らいから、いろいろなところで国 に が国内はもちろん、グローバルな を付けだした。 国 を支配するようになりつつある。 が大 の と 格は誰がどこで の中にある「国 会」で めている。つまり国が が ない。もちろん社会 めているので、市場経 として中国を見 に な、ある意味で ではないが、 主 までの くあ が い。中国のトッ が ーチュン』が ストアッ から5 ないと思う。 『 入世 1 ス ル うと中国 に ー るが、 の 集 公司」で、 っ て い る。 中 国 で 2 の「中国 を一手に で ここが プは世 プしている。そこから を米 年の んだ市場経 と言わ るを ると大きな間違いを しか 格を 発 めているかといえば、国 ちなみに、中国における して世 きな 年 その指摘に って てきて、これは大 に は文 か分からないが、 まれている。「 は め、大 が を 産 6 を超えている。 は が めて ワイトカラーと 部といわれた人 ちて、それ以外は 。 に めている な では大 およ もう一つの り、大 年のデー に理 ら で、 身したわけだ の 人 トップ、 たなかった 年代から見ると大きな の に 者と している。とりわけ中国共産 が5 にも を あるいは大 局メンバーと中 が大 ートの を出ている人が多い。 部と 局から 06 が、 そ れ を 記念日は 表す デ ー 人で、1 的な 者( 6月 末 に 出 た も の を 見 る と 、 年 末 の 66 その中で、これまでになかった の中の 通の っていることだ。かつて 年代、中 者、つまりブルーカラー、 を 中 いのうち の大 か ら、 に集中させる、いわ 行するのが今の中国の行き れた人材を とは全く る が、 実 は そ れ で よ い と 考 え て い る よ う だ。 つ ま 主 り、あら ば多 性 を握っているこ くのだろうか。 が経 間が 重が の介入が が前面に の け て き た が、 における国 だ」と言い だと言い、「 は、国 方だが、これがいつまで もう一つの と だ。 中 国 は 市 場 経 開 年代に入って経 している」「 2 ラルとして 的に表れている。 に対する国 めて重くなってきた。それは国 出てきたことと、経 新 多くなってきたことに かなりの年配で、 と い う 人 が い る。 彼 に よ れ 06 41 50 13 にらまれている ) ( 05 20 13 98 つ あ る。 一 つ は、 が 50 13 「中 国 らに 「 中 国 ている。( く ス集 公 司」 は 世 の国 なので 公司」も世 ー は 年の ル で で 意) 。さ の舞 に入っ が世 カよりも、も い 年 に「中国 ちになっている。少し で、日本よりもアメ り出ており、その公司の理事長とか社長は このように 台に 何 を で見ても、国内ランク5 全な 。 が握り、大 で、 大 な も を上 ちと、あすのご べられない て き て、 中 産 ど 人との間の格 が思った が てきていな がどんどん開い 社会から が発表されな のいく、 べて書い しい。 み立てて、 に正確なデー の中国の問題としてよく指摘さ い。かつてのような だ。これは れることだが、公 から の 社記者が全国を 出 社、 分析』( 論をするのは い現在、デー のある の 新 代社会 という た 『中 国 社会で、 (約 12 的 の を 人) だ。上 年)という本がある。これによると、今や中国 はものすごい 5 が 。 が に と上 を超える人たちは している。中 の人 人)で、この上 が集中している。上中 人口の1 に (約25 の5 を 、合わせて6 し、中 いのは、上 いられている 味 を 」 と 言 わ れ、 そ れ が 的 スできないので、 な ? する の イ 体 。 明するために、 した を によって ど多い の く に い。 回 大会は げてみると、 に げた メカニ ムが は 事になると思う。 の に超 を 大会以 ントとして 回 や しかも が が発足した時で今から2年前だが、これまでのよ ) ( は全経 2 で、ここに が を で 氏の分析で かな と上中 し、 と しい に の5 中 にアク イントになるかもしれな 的な することになったが、中国で中 いが、正確なデー を見ていく場合の がなぜ育たないのか。これが中国の を保 時、「国 少ないことだ。日本では 年代から 年代に入る 中 68 11 な 70 14 79 限公司」が入っている。これも バイル 10 年 っと のデ ー 通信 の も国 げて い る 経 18 18 60 10 うな る。 ンバー 康 だ。 彼 は 年ま 産 発 、 た。国 ル ル という国 ど 発 格を 主任も めるのは国 など、イン ラに さ 発 する したが、ここは日本で言えば経 、国 に大き をめ 問題は分厚いカー ンの こう って何かがあったのかもしれない。この ような中国の 側 で 起 こ っ て い る こ と だ が、 解 明 す る 必 要 が あ る。 し を握 庁を含んだ の全 わる全ての 主任として経 まっ 国はいまグローバルな大国になった。全世 に が の舞台に は2 目 だったのが、 産)は、 されている。 年に で オ ン ックが開かれる (国内 を超えると えながらも、中 も や 部 年には はなく、 意を に大 つ国に するわけだ。 大な 事 ワーを から って中国は うべきだ。 めたことの 的な され ル ー だと思 を す る新しい時代に中国は入った。日本はこの点にも 集 が外 は外 部がやっているわけではない」 が で になってお だったのが、 によっ なった。これも 報が限られているため、うっか は2 集 年の国 は 、 くべき増 ぶりだ。 に口を出し 部およ しているのは、このように国 本が外 たことによる自信と、 きを 現在、中国が り、 年の国 ても、 りしたことは言えないが、中国の公表 し た 。「 合 」はアメ 産 い。 と 小 それに を超えると言う人もいるが、少なく トップが多 とも 年間で2 集 も 理事長の としている。 していることが なっており、その このようにいろいろな問題を 主任の 会で、 める中国の 理 、 産 、 わるところだ。このように は国 ーに ー、 国 で、その に 会だと れている。先 経 局 会書記でもあ な 部 という、 まっ っ て い た。 国 のトッ まで入る中 会書記は、いわば司 にあり、中 の のトップは ク ラ ス で は な く、 主 ク ラ ス が 出 て き て い 中でも一 の で、 中 国 った 。 まった。一体 ス だけでな プを 握 っ て い た の だ が 、 そ の 人 が と司 部部長として があった。かつて中国 部 とも 何を や っ た の か と 思 う が 、 彼 は 司 く 経理であり、国 握していた。 が たな の カでいう 90 15 公司 の も 心部 ー部 ル の を まったのか、よくうわさ のところは分 千 するすさ 体である。 合体は 方とはい 産 という え、 に直 う。 本的に していて、 であると ンバー 「中国外 間と の は言えない。その 局 で、 によると2 主 に があったことは事実で、 によるものか、本 で 康について何もデー を握っていた人 中国 の に たと い う わ け だ 。 われわれは いの で 、 本 され る 外れの、一 から な い 。 た だ し 、 それ も 会 厚で、 という、小さい国の国 まじ い も の だ 。 いのは 味 に 事 人では 書記( )で の 何かきな まるというのは は が ワン だ 。 主 に判 とうわさされる らい、 まり、 トップの理事長が 年 のトップになるのだが、彼 によって が の 主 同時 に 、 中 20 15 ない の で 、 も った か も し れ な い 。 ) 30 04 ( 15 20 14 12 に日中 われ が か か 国 たって 世 大な国 、われ として 張し を考えてみたい。 」と し て さ ら に の道 どの を考えるに もしない 場してきた中国の今 国 がある。 彼らが目指すのは 大な国 国 か、伝 的な のものか、 論は出 が しく 国になるにはどういう 国に らい考えるとして、なかなか 国か、あるいはそうではない 類 てこない。例えば 容な 必要かと考えてみると、今の中国は 大な国 大 教 い の藤原 の 一さんが『デ ク は 大 」 がない、なろうと思っても多分なれな 一つは、「 的 オとし イアン」 い。 なるには な 性も一つの 国」だ。かつて伝 国としての ーの つか。この ールた を でき できるか )を 」を いているのはアメ に、「 ラ めい せき 辺に に 国』で明 国はいろいろなことをしたが、 げておられる。念 的な られるかもしれないが、「悪 ていく。こういう言い方をすると「ドラえもん」 に みた い に な っ て く る てあ る 。 の を もう一つは「伝 な中 す 一に世 (支配的 を のメトロ 縁にグローバルな経 に世 に に文 できるか。 と 国 国としての す を の と同様に日中 は めて大事で、 対しては日 ワ に考 問題、 を真 本はやっていけない。そういう中で、日本は中国 史問題 。 と共存できる、きちんとした対中 えるべきだろう 日中間のイ ューは などの ルの の問題に分けら ーの問題、 は の つのレ に 出 て き て い る 時 に は、 になっている れ れる。この 問題がそれ しておくべ 、日中 」でいくだろうと考 であり、 的な国 を っていると思うが、それ を考えてみると、中国は 国」になりたいという らく不 大なる一 いかもしれない。 くと覚 介なものとなり、日中間の対 わらない。かなり きで、そういう中国とどう付き合うか。日米 では は えた方が現実に る となると中国は、「主 いている。 以外は についてはある げられている る「 に「公共 容だった。それは厳しく 対し て は か な り 朝 カだが、 がなかったし、意 もなかったから るだ け の 国 容な ンをつく としての ライ の つ時に、チ どうか、 を 朝がチ るかどうか、 ットと だ。 例 え ば 支配を考えなかったわけではないだ ットの直 教の み込んだ。 ろう が 、 そ れ が で き な か っ た た め に 、 中 教を通じてチ ットを は ンチェン は 、 させるという ィク を イアン し 容ではな 辺にまで 来の中国は 」の 国 な ラ ラ えるという、いわば ット に って 対 チ を取った。 ところが、「悪 であ る 現 在 の 中 国 お よ 的な支配を として一 い。 断 国 だと思っている。彼ら 代国 カ 代だという思い カで、アメ なあこがれ、あれこそ の中にあるのはアメ たい 。 そ れ こ そ が の の ) ( 21 は で 付け、 える 史の問題は は発言を すべきだと思う。だが、今は中国も日 者に任せて り 史の 問 題 で 研 など だ。 史から 認するかど 代の だ、 しが不 問題は日本の だとなると、前 いが 史問題になってしま 史をお 介な の り の 代の に 」の 方 上で を しておきた だなどという言 すことはできない。解き の 国 が と 大 以 の日本の として つ わった レ ル、この なア 主 が などは の 国 を で き んでしまう。経 同友 一 首 は の主 がはっきり言ったわ に発表した。「首 まってしまっていることに対して ールを公 やめるべきだ」と 12 的な っても れないのだという前 があったが、 年以来の日中間の対立を考えてみると、 対立、 まらない。 の代わり 的な 的に 史 レ をめ る対立にいったん入ると、経 きは、外 したわけ 体的な 日中 事が を取ってしまうと、もう いていく。日本はこんなことはやらない。 事行 1 が に、 事をやる。外 に う 会が 年の5月に、小 事 、外 的に を 的な目 めて限 的な目 するために、 だが、中国の場合は を をめ って中国がそれをや る。 ことがあり 者が って れている。 が起こらないように、 の手 ームをつくれと言って するために外 理のレ を 事行 スク 事 るのではないかと私は大 発的な 集まって 的目 的な を取るということに 、限 いる。 一時 事行 ない。そうすると、 なこと か、首脳会談を めて大きな火事になって大 することになりか れていないし、できない日本は、全面的な で対 小さい火が が を開けていかなければいけないと になる。これをどうやって の 。 年に日中 ル、 一 は、 したが、なぜそう判断するのか。私は め に、 口に対 思う と。 ワーレ の 理 由 を 考 え て い る。 ル、 み合って、も に入りつつ は まる 国間の まれば いに ルな対 ューがお できないトー つの日中間のイ はや分 ある。 が に入り、 06 本も 例えば 中国 の り、その前 うかという う。 こ う な る と 解 き したくないから、 国 として2点 い方 を し て い る の か と さ え 思 う 。 の しての 外 イアン 代的な主 さない。 に入ったとこ として えると言っ は、日中間の経 ど、ウインウインの ) ( に 世 い。一つは、「 んでいる中国としては、 して という共 渡される」という の一部は は するものは ない。 代の 渡されるが、中国ではそれは考えられな んでおり、主 においては「主 あり 、 こ れ を 侵 ーロ ッ 考え 方 が 同体 に るを い。 そ の 意 味 で は 、 中 国 は ろだ と 言 わ の手 を だ。 ることである。こ は、中国は「外 を取る」ことがあり もう一つの 事行 にあるのは 年の中越国 ムがけしからんから こで 私 の 念 ト った。 的にさーっ を をして、 を越えて らいの限 て、 中 国 は 中 越 国 2週 間 79 12 21 は 言をする は全く きは、 朝日新聞のイン は 本的 大 ち 取 る こ と だ」 と 言 っ て い 国としての にとって ューで、「中国外 めているのか。中国外 社会から 題は何か」と聞かれて、「一 には何を の いを国 に原理的であり、 的対応をすると 付くとは思え な し合いで問題が なると、 で読んでいただきたいが、読 問題はある ュメを で 上げをやったことも認 ている。 の日本の 大 主 、 めよ く を 解 を 1 にも読んでも の って新たな ク ク 年文書は日韓 意を 、 国に対する経 大中氏は 、経 発 し、お い 原 評 うとした。この 言だと私は思う。 は、 こ れ を や っ た ん で の らって、「あなた方の先 ありませんか。ここから デ すよ。ここに ろうじ 出発です」といかないものか。これが一つの ルだ。 が 年 月に 首 もう一つの デルは、 した。中国の首 が日本の国 めてだと思うが、「国 者は何回も を公に認め、 してい を表明し、侵 的に評 を表明しまし い反 と人 は とおわ と日本の指 したのは多分 来日して国会で 会で をしよ つを前 以来、日本 害国に対して 史問題について 正 はない。私は読売を批判するためではな を訂正したと の、今の読売とは全く違うことを んだ。それを認めよう。 という め よ う。 こ の う いう記 主張していた。読売新聞がこの社 に日中間の 売新聞が 年5月 日の社 ない。レ 国ともに原理主 る。これもある意味で 正し、集 的な 主 このように はなぜ違うのかと考えると、それを超 のどこにも見られない。 年 的 っているはずだが、日中の首脳 けだ 。 と こ ろ が 、 こ の 2 年 間 、 日 中 かな い 。 年以 主 を し た い。 は「 手に ムだと思う。 の を い思いをしてきた。 ン 的に が日中間にあると考えるべき をはじめ 会談 を 直 ち に 開 け と か ト と える 何 か 対 だろ う 。 の の理由は、日中ともに原理主 対応 し て い る こ と だ 。 主 」 」「 主 身の だ。 を付ける。 的 けて、「日本は中国の は 国人 に してくれた。これに対して国 に対して支 の発 と をもたらしました。中国の 意 れま )に対する はいつまでも を 開 確実な (O からの支 と支 は日本 開発 って書かない 方でやってきたことをなぜ れてしま して、また の時のような になぜ らなけ うのか。せっかく み上げてきたものを全部つぶ が、日中 これも日本の新聞はあまり り を述べている。 せん」と、 きました。これを中国人 と国 経 代 た。これを中国 台にした つの デ に し れません。中日友好 く、かつて日本がやってきたことが侵害され、 事 に く評 について を は ます」と言っている。 た。 がめられているのではないか、もう一回、原点に い けてきた。 言だ。 発 氏は、韓国国 、小 の と経 直に過 主 と ぶべき一つの が来日した かつ の 首 に申し上げたいのは、 し、韓国の 対して直 わした文書だが、この中で小 大中大 ルとしての 年の日韓共同 い。 を述べた えるべきだというのがその本意だろ を われ わ れ は こ れ ま で り は を しない。この えず言い 半の けてきた、これに対 思は 年、 のための る 必 要 が あ る と い う 思 い か ら、 こ れ を 紹 介 し から、 の問題にも 今こ そ 、 わ れ わ れ の 的自 主 に 98 ムとい う。 つ ま り 、 的だ。 ムであり、新しい保 年間、 的に日本に対応してい だと思う。おまけにとても原理主 うよ り も 新 し い 主 代15 一方の中国も原理主 る。「中国は だった日本はいまだに反 らさずにはいられない」と いを 者である 0 ) 31 98 ( 79 98 その 先 みを ラルな研 もある。 な けて い る 。 そ れ だ け で は な く 、 世 ン にも中国は不 する 中国の 20 07 06 12 12 を考える研 のお たすのか。 を報道す いだが、新聞なりメデ 者の会」を立ち上げた。 ればならないのかと考えて、われわれは「新しい 日中 は そこでメディア を き、 批 判 す る 役 する役 は確かにあ が間違ったら、それを書き立てて批判す ィア は ど う い う 役 る、 る。 悪 い こ と を る。 その一方で、事実をきちんと伝え、評 正 共同 明につ とんどなかった。あの時、日 正 もある。例えば今年9月 日、国 れたものは 年の 時 に 、 日 本 の 新 聞 で 国 いて 月 わないこと しようということ を い合ったのか、 年 約では、 し合いで解 本と 中 国 は 一 体 何 を したし、 友好 を約 した。 日の 日 中 も約 もメディアにはある。 み上げてきたものをきちんと し、思い出させる役 しながら このように、これまで何回か日本と中国がいろ いろ 評 観が大き つもあ を っているし、できることは がある。メディアはその断 についての い世代とでは、中国に き立てることより、もっと 世代と だと思う。 かいことを批判し 的な役 もう一つ、 を わり、断 対す る 考 え 方 、 日 中 く める 役 疑応答の一部 に して っていこうとしていると は日本との したりしている。彼が日本に にしっかり り込 一方で、 主的な きについ ては言論 をどういう方 に 発言したものはあまりないが、 首 の 外 、 保、 史 認 中 国 側 が 、全てに い不信感を っていることはいまだ 分析しておられるか。 わらない。 をお聞かせいただきたい。 のために一 な形で を についての世論を め に についての世論、国 で自分のス ンスを ようとしているところで、まだ れ いているよ り 本的に取れないのでは を何らかの形で しまし ればいけない。 レス で、日中 さがある。 でもし え上がる なことにな に わる大 の 火して大 ィックな世論がわーっと はア そういう意味での に日中 ス と、 そ れ が 各 方 面 に の きと日中 ム、これをどうやってハンドルできるか。 った対日 の ールで行った はとても しいように思う。 日に時事通信 内容を要約、一部 筆した) 月 そこが見えてこない限り、彼がイニ アチブをと る。 体 の ないだろうか。日本はそれを見た上で対応しなけ 開いていくような行 は アチブを取って日中 うな感じだ。 念ながらあと1 2年は、彼がイ にしている。それ 、とりわけ日中 いでいるだけに、国内 12年に出発した時以来、不 いるのはいろいろな意味での世論だと思う。2 に少ない人で、文 も出てきて 言葉が いないので分からないが、 が一 意して で会ってどうすればよいか、 に その道 責任 っている。それ しいが、日本の 的な不信感を すかは に付き合う以外にない。 の 、 についてどうしよう をどうしろとかやっても、 問題 大会でトップ (本稿は ? ニ 国間で を合わせて、これから日本と中国は 首 に対する 不信が に いことは事実だ 確かに ろうと思う。日本にも いし、 に中国側は 首 をどう解き 者として ア とにかく ア 社 方で出せれ し合いができれ をする。未来と の問題としての ょうという類の はなくて 国 よいと思う。 ば、そしてちょっとしたコメントが ば大 とか、 来 の こ と、 多 国 間 ル の ン をこれからどうするか、そこ し合うチ ないかというような未来 できる問題について ア ら く 何 の プ ラ ス も な い。 、ア での をつくろうじ が2年前の は がどっちかから出てくると、少しはつながって 主 いくだろうと思う。 国 に行っていることを見ると、 ) ( 42 12 した に立った 15 78 に ると 思 う の で 、 そ れ を メ デ ィ ア の 方 い。 10 29 ( e o 10 の 時事通信社編集局長) 八 牧 浩 行 社長、 12 しい を するための を確保することを った解 散」と 評されても反論できないだろう。 き けんでん ア クスが し 伝していたのが「 め る者が めば にも が ぶ」という「ト クル ウン」理論だ。ところが、 正 や中小 の 者の が思うように上がらず、 の格 は がるばかりだ。分厚い中間 を 大することによって日本経 は発 するが、この ままでは 行してしまう。 ア クスが掲げる「 本の 」のうち、1 本目の は を い 回 の を めた。半面、原材 格 、 上げなど 作用も している。2本目の 出 も うさが付きまとう。国、 方を合わせた が1千 にも上る 的 で、自 きょう じん は 「国 」に 年 間 で 2 を 入する だ。 など必要不 な事 は 理解できるが、かつてのバラ 公共事 を するならば、大いに疑問だ。 者不足も で を できない ースも出ている。 目の 長 は の もあり、 体 が しく れており、ア クスが して いるとは言い い。 ア クスの いは「 増 者の 増 大 い経 長」という好 オだったが、現 では 回 。 で 入 が上 し、内 の経 ) ( 再増税断念で事実上破綻 10 15 も み が 。各 経 指 は 首 が来年 月に されていた となった。 6月 の (国 の増 を先 りする方 を表明した。 たんたる 内 産)が 1 の イ スに んだのに 回 の足取りが重く、増 すればデ レ された 9月 報 が ら か ないというのがその理由。経 の実 いて、反 増が も、 イ ス1 6 と が った。厚 は であり、 増 断念は が取り に よ る と、 実 は カ月 んで き た 経 「ア クス」の事実上の で イ を 意 味 す る。 を 解 散 し、 月 の で ス。 の でも、9月の「 者世 「 増 先 り」 の を国 に問うとしている の実 入」は前年同月 で実 イ ス6 の大 が、 大 は な い 。 年 末 の た だ し い 時 に 的 少となった。 をつくり をつ 込 は国 経 的に 9月の日 観で、 感を す 判断指 明ら か に イ ス で 、 の と長 は大 を き 並み悪 、 カ月 の先 くりを った「個 個 」以外の何 でもない。 行き指 も大 も含め厳しい となっ た。1 =11 台 半の超 も中小 に の は 風になる。 増 には経 を 合的に見て判断す 増 は2 12年の自公 による「 」があり、これを 用して「 増 と社 会 保 の 一 体 に する合意」で めたも る「 は 「解 ので 「 国 会 の 」など付 事 が付け 見 り」 を め れ ば い い の に、 対 や 所 者対 られ た 。 と こ ろ が 一 体 も 実現も全く実現 散」 と い う 手 に 出 た。 、 出 などの を くさず、対 の立 して お ら ず 、 だけ 一 として今年 月 と実行に 間をつくる解散に って出たのは に に引き上げられた。 いん い 「ア クスの を 増 があった 月以 に が 、 し、 国 主 的 10 ・ア 名目成長率 ? 〜 名目GDP ( 3.0) ▲ 〜 〜 〜 〜 〜 7 10 1 9 12 3 13 〜 〜 〜 4 6 7 10 1 9 12 3 2012年 は 会社 の「 コ スト」や「主任研 」はア クスや 増 に異論を えにくい 面もあるようだ。「上司から など の方 に った報 をするように、く を されてい る」と ち明ける 者もいた。 引き上げを目指す の先 となっ て、日本経 の厳しい現実を正しく伝えないのは 大半の大手メディアも同じである。 月中 に新 市で開かれた新聞大会は「社会 文 の発 と 読者の のために の を新聞 に 用することを める」 を した。 これでは新聞は 増 に反対できない。新聞各 社として (実 )はありがたいこと なのだ。 よし で もともと 首 や 長 ら サイ ドは の 引き上げに 重だったが、 や自 会は、何としても 通りに 実 すべく 念を やした。主 局や国 局 部 による、 大な を えての個 「ご 」も すさまじかった。メディアの論 から記者ク ラブ め け出し記者にまで ぶ。国 局の が新聞社、国会 、評論 ー ス し い トにも、 意的に実 される にあるのは できない。 アメももちろん用意されている。 年 の 報 は約 。何 と 前 年 1 5 の 「子 育 て 介 年 ── の引き上 げ分は社会保 に われています」といった ン ーンが 開され、大半が レ 、新聞 10 14 の 10 か に やされている。 経 として約6 もの が 入される。さらに は 大な 。 レ 新聞にとっては の 入が入 ってくる は〝 風〟となる。本来なら 勢に 感であるべき経 など 体は 人 と引き えに 引き上げを している。 の 97 筆者が 起するのは、 が から5 に引き上げられた199 年の「悪 」 。この時、 大 (現 )はもちろん、本来、経 を 念しなければならない経 や通産 (現経 産 )までもが「 月以 は 長 道に回 する」との 観論を りまき、 引き上げを 押した。経 は 上げと引き えに、 人 の引き げという長年の を したいた め、このような「 な 」を取った。 この 、同年 月以 に な不 に り、 に「経 」と言われる事 に立ち った。 この時、 引き上げ(年間の国 増5 )だ け で な く (2 )、 の引き上げ(2 )も わった、いわ る 点 ットにより合 9 の国 増が じた。 これが山一 や 道 行など の と し りにつながり、 や の 感が悪 し が ち込んだ。 「9 の国 増になり大 なことになる」 と警 を らす経 者 も い た が、 大 、 用 者の 的な ン ーンの前にかき ) き 実質成長率 ( 12 ※季節調整済みの前期比増減 率%、( )内は年率換算、 ▲ はマイナス 4 7 6 9 14 0.4 ▲ 6.7 ▲ 0.2 2.2 ▲ 0.5 1.3 0.8 0.1 ▲ 0.8 個人消費 住宅投資 設備投資 公共投資 内需寄与度 輸 出 輸 入 外需寄与度 % 8.0 6.0 4.0 2.0 0 -2.0 -4.0 -6.0 -8.0 -10.0 -12.0 外需寄与度 四半期ベース、季節調整 内需寄与度 済み、前期比の年率換算 10 14 を 、実 が がり、 から経 は 小している。 は「 世論 上 」とや され てい る よ う に 、 表 的 な ー ンスに を入 れているが、実体経 の 上にはつながっていな い。 は 発足 は回 をたどった が、 の 以上に 年の ニ か らの 自 反 と 公 共 によるところが大きい。 (▲ 1.6) 年の 、多くの 者、 コ ストが「 年 月からの 増 が必要」と主張。彼らの は 増 の は だということだったが、 は 外 れ た 格 好 だ。 と こ ろ が、 彼 ら の 大 半 が 「 ち 込みは一時 的であり回 す る」 と、今 も 観的な見 通しを り (速報値) まき、今 は の 増 の 〝 い役〟 となった。 や 庁の 月期 にある 年7~9月期 GDP速報値の概要 ▲ 0.4 実質GDP GDP成長率と内外需実質寄与度 65 は し 97 「日 本 の は 文 的 で、 こ の ま ま では の の舞いになる」との し文 は 一見 があるが、 な不 を けば に に る。実 に 年以 、 増 にもかか わら ず 国 全 体 の は長 にわたって に イ スと な っ た 。 経 長に う所 、 人 増に う された。 年 までの先行 や 出 もあ り 年 の時点で がやや上 きに じつつあ った に も か か わ ら ず 、 国 の急 な増大は経 を させ、一 に の に んでしま った の で あ る 。 今、日本経 を取り く 勢は 年 時と して い る 。 が5 から に引き上げられ た 年 月以 、年間9 もの国 増にな る だ。さらに に引き上げられた場合、同 6 の 増になってしまう。今回の 増 も米 が「見直すべきだ」と警 を ら す どの スだったのである。 今 、 が 引 き 上 げ ら れ る か、 社 会 保 一体 では年 、 、介 の保 も 引き 上 げ ら れ 、 個 人 分、 分、全てが 今 、 年間のうちに大 に増 する。日本経 がこ の よ う な 的な国 の上 に えられ るか ど う か 、 こ の 点 を し っ か り 見 め つ つ を 重に めていかなければ、取り しのつかな い事 と な ろ う 。 そ の 意 味 で 今 回 の 増 先 り は な だった。 96 の 10 97 が「バ より が になるのである。 の を した。デ レ に け「 今の経 が1年や2年で されるのは 2 上 目 」 の道 を付けることを理 だ。 月の 増 も、本来 が回 しデ 由にしているが、 全 や 在 長 の引き レ が確認されるまで見 るべきだったのであ 上げが実現しないまま、日 の国 大量 い入れ る。ア クスの本 は ップを解 す が く スクもある。 る 要 大 。いわば を する「アク 日 が 月末の 会合でサプライ ル」だが、増 という「ブレー 」を同時に 的に した は、 年 となり、 年の い教 が かされなかっ の ースで増やすとしていた 量を約 まで 大。中長 国 の い入れ ースを年約 た。 増 派は「 通り増 を実 しな と、 現 の 約 から 増や 存 間もこれまでの 年 から、今 いと 外から〝日本売り〟を る」と警 した し、 が、これは認 不足である。 「 増 見 り解散」 回 年 に 大 年 長する、 上場 報道が れて以来、外国人 の い出 で 信 ( )と 不 産 信 ( は急 した。 田 一 ール大 教 )の保 をこれまでの に増やし、それ (内 ) は 「日 本 の 局が 外で言い回 れの い入れ ースを年間約 と年間約9 る『 が の2 超』という に増やす──などというもの。 は、 、つまり の である。例え 在 長 が している中で、大量 を市 ば 売り介入の 、 が する は に入 場に すると、日 の が がり 上 るのに、それで た 産である外 は考 されな に めが かなくなる 念が大きい。 の国 い。 から 産を引いた が問題なのに、 を日 が直 引き けることは で さ にして で 論される。 でみ れているが、実 には毎年、一部の国 は例外的 ると日本は12 台と、米国との間に に直 い入れられているのだ。日 が い入れ どの はない」 (日経新聞 月 日付「経 教 」) る国 が 大するにつれて、日 が日本 を 代わりするような形になりつつある。 と し て い る。 日 本 国 は 大 半 が 国 内 で わ の 現在の国 発行 は約 で、このうち れ、 などとは事 は大きく異なるのであ 日 の国 保 は今年末に2 に す る。 る見込み。この が 限なく増えていけば、日本 の わ 国 の信任が れ、国 格が ( は上 )する 性があり、日 には多 の含み が 日 97 ーカ 13 ばれる異 10 」と 4 ) ( 60 30 70 80 97 14 80 10 10 50 30 ) ( 発 してしまう。 会合での 9人 の は5対 と だった。日 、 らプ ロ ー 以 外 の の大半が反対したこと が、 こ の の うさを している。 これを無 限に行えば、 や通 に対する信 任が な く な り 、 来 、 ハ イ ー イ ン レ ( 急 な 上 )を引き起こす 念が まってしまう。 の国 を えながら日本の が さ れて き た の は 、 国 の と ん ど が 国 内 で され てい た こ と と 、 デ レ で い 用が増 えな か っ た こ と に よ る も の だ が 、 こ の 前 が れ る 性も大きくなる。 も ず、原材 など 入コスト増だけがの 2 のイン レ目 の がお つかなくなって が で を回 いることに、 日 ともに 感を いてい しかかる。 品 入先の大 させたとしても、 け中小 に は ば る。国 の大 な年 を など スク ーに多く 入するのは じ手に い。 を上げ ない。 るために える手 を するのは 来に う はる こ を す。 今 回 の は、 田 日 に対しては、 在 長 アップや ( )が「 増 実 側面支 した 出 、増 で解 するのが真っ な になることを った 」との見方も い。 方 だが、人口 少と が く日本ではハ 超 により 場は一時1 =115 も必要となるが、これ 台を り込み、1年前に べ2 も くなった。 ードルが い。 い も できない。 出より内 で いでいる中小 にとっては そこで 者が に られるのが「イン レ な 風だ。 で原材 、 代が上 し、コ による 解 」である。大 正 首 は ストがかさんでいる。 け中小 が (19 5) 年、筆者に「増 も 格に できるならいいが、 上げを認められる 時代の ースは少ない。大 も厳しいグローバル 出 もできない中、 をなくすために を わなければ 者が りやすい な方 はイン レ。イン ならないので、 レにすれば 大の を つ国が 大の を に 上げ要 けるので に られやすい。ただ年 者や を け入れら 所 者は してしまう」と、しみじみと め れない事 があ の を っていた。 時代に の 国 発行 るという。 を 儀なくされた の念からだろう。首 時代 大 に「一 入」をぶち上げたが、道半ばで は 産の 外 れた。 が み、 今回の異 は、 大 氏 が 念 し た になっても 出 「 じ手」につながるのではないか。大 の日 の増大にはつな 本や での超イン レなど国の を がりにくい。 しにした例は多い。 日 には、 回 とハ と 出が増えなけれ イ ーイン レ の を う、 り りの ば け の 渡り的な を められている。 50 の 31 は 日 が を めた 月 日に ち出され たの が 、 年 立 理 用 立行 人( )による国 用の だ。 が や外 て 産 など ス ク 産 の を引き上げるの に合 わ せ 、 ウ ー ト が 引 き げ ら れ る 国 を日 が するため日 い入 れを 増 や す こ と に な っ た と 市 場 者 はみ て い る 。 実 、 日 が 今 回 し た長 国 入の増 は、 の 国 引き げから 出される と ったり合 するのだ。 にとって、ア クスの 題であるデ レ が 上 上 の勢いがストップし、 大の 題だ 。 10 10 の 明理事 ) が出 会世論 だが、新聞メディアにとって厳しい が少なく する問いである。 「イン により新聞の役 」に から 問している 2回 して た。 年の ットなどの 来の新聞の役 ー 9 1 が少な つの意見のどちらに めて「新聞の役 は大きい」という 役 増の く な っ て く る (= 2 大 き い(=B 派は、 年の ったのだ。 役 が 派)」の 日本大 2 直 い を上回 の が 来の新聞につい 少 上回っ となっており、 派を 派になりつ 表2) 。 少するという意見が多 い世代だけではなく、中年世代でも新 少派が役 派の約2 を超えているだけではなく、 代でも役 の各世代で役 に、 したものの、その 表1)。年 では前年より増 聞の役 ている。 代でも役 少派が役 派が6 ての意見を見ると、 代以 て い た( 少 派)」 が 前 年 役 と、「新聞の たす役 は するかの回答で、 たす役 なってくる」と「今までどおり、新聞が報道に 回メ 「 人か す 来の新 原 (新聞通信 第7回﹁メディアに関する全国世論調査﹂︵上︶ 会(長 2 した。この に「 」を実 人を対 月 日から9月9日にかけて 人新聞通信 年 する全国世論 の メディアの問題 めて「 を べ、クロスメディア時 し、各 で行い、約 などを た。毎年実 、信 問 以上の5 1 ﹁将来の新聞の役割﹂減少派が持続派を初めて上回る 公 長) は 2 全国 の ディ ア に は ら回 答 を 点や 評 以来、 新聞 この1年で新 派」を上回った 少した で 者の に ー 教 を報 げた人が急増──な く な っ た」 が 前 年 報」を ン 09 つあることが明らかとなった( ) ( 代に お け る 新 聞 の 在 り 方 を 考 え る デ ー 開 に 代で 感 が「 が 少派」が「 により るこ と を 目 的 と し て い る 。 読 聞の 役 の 聞の信 増、 理 由 と し て 「 )で は 研 回目 40 どが明らかになった。(上)は主な 先 から今年で 40 22 回 50 し、 来 年 1 月 号 の ( 大 の の 11 30 40 いしている。 は 年実 08 43 65 18 分析 を お 本 30 ( ) の している。本 を用 らない国 本台 としているた ーに 以来、 で の同 から と5年間で 5 2 であ 増となり、「見な と ットニュースを「毎日 い世代だけで なく、 に 代 少 代での が 少しているが、 と しく、 年 ー ー があった ットニ ットの に上った。 ) った」という回答 5 代におけるイン )を に増 にイン 2 ー ットニ した( し、 となり、前述したように の 」者( 6 となった。 ットニュース 」が に ー 回る となり、ついにイン 合を 問でも、「 や時間に か」という も多い の が全年代の中で 一方で、 代 増の 合は、 代では5年 は目覚ましいものがある。イン 5 ュースを「毎日見る」者の で 新聞を「毎日読 ) 。 代でも5年間で約2 表 の は、イン ー に をイ している様子が分か 報 大している新 ットニュースを「毎 を見ると、新聞を「読まない」 新聞(朝刊)の ュースの の ットニュースで代 のかなりの部分が 日見る」と回答しており、 ー 聞を「読まない」 ン る。 である。例 」人は、 代以上以外の 前 が大きかったのが 代で が 40 から 年にかけて新聞を「毎日読 代はこの1年間での なっている。 も えば、新聞を「毎日読 が ( 開 全ての年代で5年間に ー 面でも、 来の新聞についての意見だけではなく、新聞 という実 のメディアの 新聞 メ デ ィ ア に は 厳 し い は 全体 を 代 表 す る サ ン プ ル 出) を 9 るこ (「この1年間で新聞を回 の大 無作 1 」との回答が を見てみると、 を いた の りの少ないデー を「毎日見る」者の について め、新聞をはじめとする各メディアに対する人 の とが で き る 。 読 では では新聞を「毎日読 新聞(朝刊)の 年 だったのが今回 している。 ットニュースの 増 少 し 、「 読 ま な い」 は と6 ー 5 年から5 を見ると、「毎日見る」が今回 一方、イン の と から ー で 見 れ ば 、 新 聞 ( 朝 刊) を 「 毎 日 読 合は、イン ( 年)となっているが、 の ットニュースの であったことを考えれば、その まった。 ー は、 代以 報が ー ットニュースで配信され めているのが現 ー ットの の が めがかからない 体としての新聞 わるものではない。 のイン では、紙 ) 。 になかなか 表 で は一朝 であり、 報のかなりの部分は新聞社や通信社が発 もちろん、イン ている 信している で 報を発信するメディアとしての新聞の役 一 だが中 年 少 している現 の ある( ) ( 70 15 50 50 46 13 50 40 19 35 42 6 時 は い」 は った 。 また 」の 分 見る 」 の 約 1 年は 約 2 は5 年 で れの この5年間でのイン と新 聞 16 55 13 40 14 12 43 10 61 10 41 40 40 40 34 14 30 10 22 31 紙 体 れの が ソコンや ことができる され て い る で読 用している」 は ブレットなど が 、 (「現在、 まる中でその 子新聞の認 1 の と、 用したいと 用していない )は と「 と「現在 5 の合 した。しかし、 子新聞の い る」が 用意 と 年から 」が 6 、 「千 未 んでいることが分かる。 用して を も 問 らいなら 読 、 「千 未 の に な っ た。 が、 千 という 」が 読したいとは思わない」が 容 は見ら 用 し て い な い が、 については、「現在、 、「現 在 5 表5) 。 用してみたい」が 2 未 子新聞の 子新聞を1カ月いくら れなかった( 千 多く したところ、「 読したいと思うか、 そこで、 12 読したい」と思う人の を 21 用してみたい」 6 増 69 が、 より2 「 読 無 のイン で、現行の ー ット 報があ 子新聞の 格 れている中 は、新聞をはじめ各メディアの信 報をどの していない場合は 点、 している場 的に 問している。 ー としており、各メディアの しているかを を はハードルが く感じている人が多いようだ( 表6) 。 本 信 点、全く信 各メディアについて、全面的に信 合は1 の オ」は 2点 1点 報信 の回 がみられ 以来 の前回 点の 点で (前回 点)、「ラ 」が 年 通の場合は 点として点 を付けてもらったと 2 点 と な り、 した。 レ 1点で1 9点の (前 回 5点)、「 」は 5点 ころ、「新聞」は より1 レ 2点の 点で では 開 1点)であった。 で 年の し、前回 レ い が 一つ してきている様 わりないものの、全メディ 」の 2 メ デ ィ ア の 信 には が ) ( 「 (前 回 で オ」が 年 (前回 6点)、 「イン ー ット」が の 一 を記 レ 」 「ラ 60 開 以 、各メディアの中では「新聞」と じたことが明らかになった。 た「新聞」 「 に けて ) 。 に信 子が分かる( 表 アを通じて、 「 60 71 76 12 70 54 60 72 69 50 08 54 59 は思 わ な い 」 年 60 の この1年間で新聞の信 感が 10 したか た 2 くなった」が ところ、 「 となった。「 の5 くなった」が わらない」と回答、 、 「 の人が「 9 くなった」が前回 より 報があったか くなった」と答えた したことが明らかとなった 感が「 く増 2 ) 。 から2 表 6 ( また、新聞の信 の )は 2 、「 った報道をしているから」 したのが目立った。その一方、 と、前回 人にその理由を聞いたところ、「 に に増 (前 回 の勢 、大 ら」が 「 1 の 時 表9) 。 5 は )は 月 ただ かず れ や 2 少 日から9月9日にか 、そ れ の主張通りに報道するだけだから」 (前 回 した( 本 田 書」や慰 取り 報道の記事取り しに は 性は す されているよう した した点に、朝日 感 意見 た 載コラムの掲載 に 体的にどの の評 していた時 で し問題が 表 か 10 24 25 け て で あ り、 朝 日 新 聞 社 の 木 村 伊 量 社 長 に よ る 「 る報道が過 氏の る記者会見(9月 日)が開かれる前に りをめ していたものの、池上 見 ではないため、 は、新聞各紙に対する個 問する 本 る。 を 報 くなった」との回答が増 があったかは分析できないが、新聞の信 が「 新聞の めない。 と は 言 う も の の、 0 ) 33 11 ( 11 22 21 10 83 28 に、 新 聞 信 のトレンドであり、朝日新聞1紙 の はこの1年間だけのも ので は な く 長 る 感が ットの の 全体の い レ )は を辛 報に対 れ といっ が われるということになれ や っ の中でこそ、新聞各紙は自らが発信する一 ー 感が は、この5年間だけ見ても急 から分かるように、紙メディアとしての だけ の 問 題 で は な い 。 表 新聞 を め べれば信 に厳 し く な っ て い る 。 新 聞 ( と 本的な信 しているが、新聞が発信する まだ 他 メ デ ィ ア に うじ て する ば、 新 聞 と い う メ デ ィ ア イン るこ と を 意 味 す る 。 た し、責任を を考 報の社会的 つ一 つ の められている。 い 報が役 ての 目の 、ラ 合が、 オは できる」の 1 年より とんど 合が2 している。ちなみに、 が信 レ た。 以内ではあるが 報 ー ットは、全ての 目で 年よ 報の量が多い」「 報が面 表 ) 。 として の ックとして、前回 かせない」 年実 に引き 問した。 正問題について「 報を 正問題報道について のト となった( 報が役に立つ」「 報 しい」「手 に見聞きできる」は2 、 合が上 し、 「 一方でイン り い は「 した。 「 レ が見られなかっ は 今回 き では、 の を見ると、「 となっ 報を入手してい 方で、新聞が他メディアを えて1 て1 レ を 表 ) 。 を の レ レ の がわずかに 報入手メディア」では辛うじ 6 回る となった( 表 する新聞報道について と 「分 か り に く か っ た」 6 (「どちらかと言えば分かりにく ) 、 「分かりにくかった」と答え と 「ど ち ら か と 言 え ば 分 か り や す か っ (「 分 か り や す か っ た」 問したところ、「分かりやすかった」 に であるが、「分かりやすいメディア」では、 なり、新聞は、「 新聞 るメディア」「分かりやすいメディア」ともに、 今回 ていた。 の 入手しているメディア」 「分かりやすいメディア」 の前回 10 )と な り、「ど ち ら と も 言 え な い」と 答 ) ( た報 道 を 心 掛 け る こ と が か を聞いたところ、「 、 の か っ た」 た人が た」 2 と答えた人が の評 また、集 的自 11 各メディアの げた人が と、そ 報の量が多い」 5 が、「 が あ る」 となった。 げた人が き1 レ 年と同様であ に見聞きできる」で で き る」「社 会 的 に引き 、「 か せ な い」 メ デ ィ ア と し に 立 つ」 メ デ ィ ア と し て 新 聞 を 報 として 2 げた人が 、「 て新 聞 を れ前回 報が信 52 すると、新聞は全 となった点も しい」「手 が1 と 21 メデ ィ ア と し て 新 聞 を れ 「 い 報が分かりやすい」では 報が面 レ 年 12 16 「 は った 。 た だ し 、 18 22 42 52 正 か 正 えた人が 1 この1年間の と半 に 以上を めた。 する新聞報道の評 して とし たとこ 論されていく中 しい」 5 、「 が見られた。「現行の 回答で 正問題が ては、良くもなく悪くもなくといったところのよ 表 ) 。 しく解 から する報道を 、国会で うだ( 今 で新聞に ろ、 前 回 について の意見の違いがよく分かるような報道をして しい」 が多かった点は前回 する中心的な役 世論を形 が、「国 たす と同様だ を める )。 す が一部 に めることに み (前回 については、新聞 (前 回 し い」 正の しい」 れ増 していた。 が新聞に み込んだ報道を じてきているようで、国 世論形 るような、より が 重なっていく中で、人 正問題については、 年から 論が 9 )がそれ 社の立場を明確にして )と「 ような報道をして 51 まっている様子がうかがえる( 表 ) ( 30 18 21 で 14 54 10 正 54 13 今回 用 のト み の は 発 )、「 と「やや )となり、 性 心があ 6 問し な 問題に 表 )。 国 と 「全 心がない」と答えた人が の 心 が な い」 5 の 心があるか 理、原子 問した。まず、 ックとしては、原子 する 報 道 に つ い て も や の 心がある」 心 が あ る」 と 答 え た 人 が どの 問 題 に つ い て 、 ど の に たところ、「 (「 る」 心がない」1 (「あ ま り く 心は する報道について、各メディア を聞いたところ、新聞は「事実が正確に報 問題に いことが分かった( の 原子 の 道されている」で と1 になった。 9 、「自分の意見を っ 報より信 考になる」で は「他のメディアの 47 50 たり、判断したりする時に、 6 レ している」で 表 ) 。 p 会社に レ 、 が 合の悪いこと と1 となった。 しい内容が分かりや の意見を と1 、「この問題に対する報道 できる」で 、「 は「いろいろな立場の 姿勢がよいと評 レ で き る」で や すく解 されている」で その一方、「 レ が o は新聞通信 . 対 サンプ される 会の ーム ) . .p 以上 ング 、 = 実 (性 出 、 2 )、 2 無作 問 であっ をあおるような報道 は 報 道 し て い な い と 感 じ る」 は 、「やみくもに不 が多いと感じる」は た。 となった( 。 ( その他の ー の 要 =全国、 性 =回 人)、 からの 、 = 新聞は 考になる正確な報道が評 50 =一 日 9月9日、 による 社 性、 年 月 サンプルの 本台 個 人(5 回 =2 1 性 方 = 時 = 人 中 目 問 社 ) ( 44 52 18 44 85 41 22 33 47 16 52 46 47 38 11 15 13 したことを 子 い、それを作 1( 多く作った 以 を の開 』は今でも だ。19 に 集『 村 した 人の 戦争に協力した文学者の戦後 、 月出 品に し た の は )年 い上げる とな 上通」を すると 会が「 多く の 人 に 愛 読 さ れ て い る が 、 日 中 」と られる。大 」を められてい す」を を 日の ちた。 に に す さら し、「 で の 人が かない」 。 「必 は私の内の を がぶらさがっ もも まる「わが したのは はあっても やみ、作品 公論編集長であった し 者は)書か められて の中で(文 い 』)と 言 う。作 品 に の記 主 いた人も多かった の 、新たな )年 さ だ め し( 5( に したことに口を 者にとって に や言論 。 日記』19 の で(文 の所 きつ 『 中派不 年 ため き たた の 月2日。 性を の「日本 日記』 に出たのは彼ではなかったか」 。 山田風 毎日新聞に掲載された 。「今の日本人の ッカーサー よ長く日本に 臨さ 直すために も の一人と 多の 時小 、文章、 を書き、以 日、 し 」を し え がし く きし人間にあら して反 ん げ が まった 月 の心理の 分かを の本 全体が は 記 者 会 見 で 「一 、国 年1月 池 が 、 部( 起 」を 、 らも対 は解 された 的な発言や行 」を 書 い た こ と が 、 日、 を 司 責任をあいまいにしか ぶ。 者に対する「公 判にかける一方で わった各 の指 者にも 文 者小 実 、火 )、山 時中、「 子文 は文 に指 した。 ( に な っ た。 問われた。公 に就くことと した。 =共同通信社社友) 立すると同時に された。それ以外の 筆 され、表舞台に ( わけではなく、日本が が 行作 う」とある。山田は「ああ、何たる 首 こ や」「彼は れんことを 中 の論 に 訴し )には通用しなかった。 ない発言である。だが、 合国 なければならない」。 る。「 に なる 合国 ずや」と記す。 って日本 して 無 責 任、 に」との記事を読 45 し、自分の に な の時」を作ったことも 前 の 人、 に就けり」を書く。 た」という よみて人 、 る。 の念を の 前、中 した。それを 多くの作 に だけだった。 は「言論 えない 田 なければ 人 言論 た」(『 はしなくとも、 明となる。 のかもしれない。文 は に 『 日 ── 「 見 い、あるいは責任を 時 大 月 報局 しい。 「 ( しから け を 日本 って、 の文 を)くやしがっているかと思うと現実を見るこ は あしている。一 公 あし 国 とだとし も例外ではなく、 に 日記』はもっと せし者がかかる 見 の時 理事になった」と書き、「今日 )に い さ さ か も 自 責 を 感 じ て い な どの をかる 田 と ごと の く く」 。 『 は)日本主 報国会の) の 現 実( の える 人が悪かったの何が悪かったのと からだ に し て、 10 28 、「 こと で も 会 社)に 」がある。 部会長にも就任する。 全集』(集 報国会の 文 お題 目 に 「 中 り、 日 本 文 『 先 んし い。そして、 人を 他を責める。──何事かと、身体の りを覚えた」「 4 ) ( 思せよ は ) と共 のある限 の (米 を とし にあり。その に が 取 れ」( うつばり のならいである」。 から 先 か な か っ た。 先 に そのものにあるとい けて先 46 の代表作に「 介 は 日思 をいさめる内容だ。「先 の い た。 が日本の侵 心を ただ 20 る 中国国 心を は来ない。先 に やり の 日一本 り、 ら の時」─「ああ、必 か」。もう一つ、 とを好まないのか。今でも彼 異人 「必 の手足となっている した )た と し て「 え る と 「私 の の かなわたくしは 」の 一 を たかなのは、われら 時人 き よ く し て 、 つ よ く 、 そ の 時 こ こ ろ て 「 日思 作る。「 の うことに」「わたくしは 23 16 で 中国で 子 取引( コ で ー 」は先 ン ース)を が 開する ー ッ け の立て直しが 年前からこう 者と んで 年に開 市の の「 「紙 かに 読 サー スでは っ て い る の を、 い 配 子 題となった」( の 取引 デル 足しない。新聞社の な新聞 体の発行が日に日に うか。 客も市場も、もはや 用し、いかに 子 と と2 ニな と 品、イ うが、コン を 者任 ックだが、 の配 の中 は違 用できる ッ るため、 前 時 市報 編集) 。 を した」 ( ス を 取引において の新聞配 を んで を より の に。 一偽 があったら ニ ェストも掲げた。 ル ィー」 9 )に した。1日 体 限公司の売り上げ が を し、9月末現在で 全 (1 = は1 のプラット ーム作りで共通するの となる見込みだ。 前 で、年末までに売り上 入 の取引は2 する こうした を は げ 新 し自らメールア 開しており、こう は、新聞自体が ルチメディア や ニブログなどを ン ーンを して プ 報や ーを 子 取引に ールでも 売 に ー した 目を集め、ごく自 取り込んでいる点だ。 一方で厳しい現実も存在する。 などを全てコ 入した間 「も し、 新 聞 社 が ーの した 体はな 日報 では公司は である」と、 ン 社長は 直に認めている。 会研 取引で真に っているだけという社も多い。体 子 通 ストに 入したら、現在の 集 を上げることは 報 中国 子 も「 い。ブームに のためには 会博 存 事 をうま 部付部長) 年 月上号) している。 取引の などについて明確な 取引の ームのルールを く理解する つ 読者と 子 性、コスト、 子 上も問題がある」とし、 者が 方 を =日本新聞 2 1 するなど──を 考= 「中国報 」 ( く ち出した。新 ( ールしようと、「良い品を することも 社長 日配 性をア 18 付 を 報集 は多くの 文は つ信 い 間超市」は 主任)という言葉からは、 み 出 せ る か、 が 編集 を 報 に、「無 した。 の上 千 て 報読者の中から 感を 感が伝わってくる。 月、 を 、 け 品としている。 のカ ブランドを目 会 こうした 年 、 人の の どの が は 本的に出 品配 け取ることもできる。 ーを中間的 、グローバルな ー 入 などを前面に て い る。 た だ、 配 ち出した点は ィブな ルー 」 は、 目 ニで 「 め、 ー 間超市」と までの ライバル大手との 日報報 集 から 人の いも大きい。われわれは千人の配 みがある。しかし、新聞の配 われわれは 「 せにせず、自社で行う点が異なる。 」 「無 イア 市報などを は、 けの例だろう。 と し た「 がワイン 方 新聞は出てきていた。 い、 売とも 売、自宅まで ット上に 方紙が急増している。これは、日本で言えば「 」のような、イン 集 には、 産品を中心に スだ。急増の トを 開 き 、 るサ ー ち込み、経 に に売 り 上 げ が ッ 9年に開 伝 方日報、 取引に取り ットの がある。 ー られ て い る 事 子 方報 の代表紙の める 世 入 間超市」、 市報 と異なり、中小 は小さい。い で必 の一つに する過 聞が ) ( イン した に が ップして2 や、 同 集 した「 集 し た 「無 年来の新 日報報 報社が 一方で 市の 体は先発 の主 した感がある。 ルチメディア 」ではなく、経 メディアグループで、 」など。その 市の 中 ずれ も 「 目 付ける。新聞が 的に 10 13 11 10 朝日問題の背景に過信と驕り きよ し 支局長) の い 間 中 の『 書 記、 全 引 』(2 12 年 月 日付1面)をはじめとする世 的なスクー プにも 付いた」と、 一国 報道部 長 が記している。 14 か 11 の 読売新聞 13 10 の 、 高 井 潔 司 教 12 大 11 ( ) ( 11 しかし、私と 道大 教 は か ら、この 載と 時の朝日新聞の中国報道に疑問 者たち」が 月 日から 月 日までの長 載。ちょうど中国共産 の 指 部の 代 を いていた。それは報道の内容よりも、その伝 の時 に たり、 内部の きを しく 現 え方、報道の 方の問題であった。 にその 報 の い方の問題である。 した 載記事として い評 を け、 に 行本 私たちは共 の形で 年9月に出 した『新聞 として出 された。本稿は 行本を に 論を 開する。 ー ム論 ップ ンの視点から中国報 朝日としては自 の 載であったのだろう。同 道を読 』( 大 ア ア 合研 所) 年の朝日の 2回紙面 会の 内容を伝える の中で、『 の 』が「国 的な取材現場での 記事( 月 日付)でも 子 同 会 報道」(朝日の 年 月の新聞週間 集)とし ( 大 大 教 )が「 載『 の 』は 中 ての新しい みだという朝日の意 込みを紹介し 国の大 ス アスな事 を い、読み応えが ながらも、それならば「しっかりとした に あった」と述べた。これを け、渡辺 国 報道 き、表の事実、裏の事実に る報道をして し 部 長 は 「中 国 共 産 大 会 と い う 指 部 代 を 前 い」と 文を付けた。 に、 心 の 来が した『 の時』、朝日 その上で、同書 2部 2章「人事報道」で、 新聞が ア アにある『 の 』、 ーン 上田 「あいまいな 報 は責任回 」だとして、朝日 を し のある記者が 人も中国 局に のこの時 の中国報道が 報 をいいかげんに いる『人の 』を て、他紙や欧米メディアも っ て い る と、 以 の よ う に 教 が指摘し できない みのある報道ができた」と自信たっ た。 りの答えを している。 行本のあとがきに 「 報 を書いたとしても〝 者〟 〝外 〟 も「 1部『 来』と 部『指 者たち』の という表現が多い。たとえば、 月9日付の朝日 回の ソードは、中国 局の 村 司記者が 1 面 か ら 2 面 に く 『 体 人 事 なお』と つかんだスクープだ。一 の取材が に、 大会 いう記事では、〝 者〟が に 場 し た。 21 はく き らい 本稿の前 として、私は新聞報道に間違いがあ う っ て は な ら な い と い う 「新 聞 無 」を 用 たた くみ した「朝日 き」に する者ではないことを断っ ておきたい。新聞報道には 報は付き であり、 筆者 自 身 の 記 者 においても何 か訂正記事を 書き、社内 分を けたこともある。大事なこと は、 報であることが分かったり、報道内容に する疑問の が上がったりした時、その 明責任 をし っ か り た し 、 訂 正 や 発 に けた反 の念 を 表 明 す る こ と で あ る 。 慰 報道に を発した朝日新聞の問題は、 報自体もさること ながら、それ以上に 報の訂正にあまりにも時間 を要し、 報問題を論じた池上 氏のコラム掲載 を という姿勢にこそ問題があると思う。そこ おご には 、 朝 日 新 聞 社 の 自 社 報 道 に 対 す る 過 信 と り が指 摘 で き よ う 。 本 稿 で う 中 国 載 「 の 」にも同様の問題が んでいる。 の 15 「 の 」 は、 1 部 「 来」が 2 12 年 6月 日 か ら 月 日 ま で 、 2 部 「 い 」 が 月 日から9月9日まで、さらに 部「指 23 14 10 の しかし、まじめに記事を読んでみたら、ますます 疑問に思うようになった。例えば2面の真ん中あ たり に は 氏が 月の の 公 会 で ( )氏の側 の を 指し批判したと 述べている。記事には「『私から の問題 起 をしたい』と 氏は口を開いたという」と書いて いる。『私から の 問 題 を 起 し た い』 は カ カ ッ コ を 付 け、 氏 が そ う 言 っ た と 断 し て い る。まるで、その場で見てきたような書き方だ。 その 報 は 「 局 の 書を含 の 者の を 合すると」という めてあいま いなものだ。誰が本 にその場でそう聞いていた のかわからない。 自の取材によって た 報だ ろうが、伝聞の伝聞の 報ではないのか」(同書 152 )。 この時 、朝日新聞は 体 の につい て、「新 の指 者の『 』 で形作られた」 ( 月 日 付 1 面) と 書 い て い る 。 そ の を明らかにしたというわけだが、本 に中国の の中身を明らかにできるのだろうか。 し ろ が事実として、もしそうだとすると、 その 辺から出てくる 報は、それが「さも事実 であ る か の よ う に ー ク し て 報 作 を う もあるだろうから、一人 で書く手 は めて ではないのか」と 教 は指摘した。 その上で、私たちは「中国では、取材が厳しく 限されている。 指 部の人事など国 だから取材などできないはず。もちろん、多少の 報は、 ークしてくれる はあるだろうが、そ 11 15 場人 に直 取材したものと誰しも思うに違い ない体 だ。「しかし 念なことに、事実はそう ではない」と田中氏は のように解 する。 「こ の 回 の 記 事 の 上 記 引 用 部 分 は、 朝 日 の 記 者が自身で取材したものではなく、 という 『大 日 報』の 記 者 が 2 9年に発表した評 論の一部を、引用したものにす ない。その評論 は 月 日、『 大 行 聞 記』と題し て、『大 』というウェブサイトに 稿された。 朝日の記事よりはるかに長文で、内容も であ り、多少の があれば、とても面 い」 し か も、 田 中 氏 に 言 わ せ る と、 こ の 評 論 で は 「 の大 視 を す る た め に、 大 像 を掲げた上記の ソードの か、会 を するためにドイ の を用意したことや、 者に まで引き出せる 行カードを 用意したことなど、朝日の記事に引用された『裏 報』が紹介されている」という。記事には 記 者の 前が全く 場しないので、 とんど 用で は な い か、 と い う 疑 念 が ま れ て も お か し く な い。もっとも田中氏は に れるように、ここで は「 用」などという表現は っていない。 田中 教 は中国 の であり、不正 などで重 市書記を解任された 来氏の 判 の行方を 討するために、 氏の不正を長年 してきた 記者の記事に 目してきたようだ。 記者は の に 氏の不正を する 載記 事を書いたことで、国 の えい などで 役 年の を け、 役 、カ の に ) ( の 報 を明らかにすることは しい。それを に 用して、あることないこと、 報、 ッ ト上の 報方もからめて書き散らすことになるわ けである。それは取材できない記者には好 合で あるが、中国に対する信 だけでなく、日本の メディアに対する読者の信 も ちるというこ と に も っ と 付 く べ き で あ る。 ど こ ま で が 事 実 で、確認された 報か、どこからが未確認 報か を明 するためには、 報 をしっかり書くべき だ」と、 論付けた(同書15 ) 。 私と 教 とのこうした問題 起を 考に 博 論文を 筆中の の一人から 、「 の 」に する一つの論考が られてきた。中国研 所発行の『中国研 月報』2 1 年 月号に 掲載された田中信行 大 教 筆の 「 『 の 』と新聞の取材 」である。 田中論考は 部分で、「 日、 を せた が市庁 前を通ると、 手はス ード を めた。 は の がある大きなプレー トに、 の 像 があった。 は いた 様子で何 も り った。それを見た の側 が 時の市 部に報 している」と、 「 の 」 の 回のハイライト部分を引用する。その上で、 引用部分はなかなかの臨場感があり、「読者はき ( ) っと朝日の記者が市 部に取材したもので 覚するだろう」と指摘する。 1回の記事は、全 て一人 で書かれており、田中氏の言うように、 14 い込まれている。中国研 者にはよく られてい る記 者 で あ る 。 田中氏は「朝日の記者が 問題について 集記 事を書くに たり、彼の評論に目を通したのは で、必要な でもあった」という。また 論考の 半に、朝日の記者が 記者に会ってイン ューしたことにも れている。だが、そうで あっても、「 の 」 回の書き出しには問題が ある と 、 の よ う に 厳 し く 批 判 す る 。 「 回の記事が 氏の評論から主要な 報を ていることは明らかである。問題は、それが引用 であることや出所を していないため、多くの読 者に 、 こ れ は 朝 日 の 記 者 が 直 取 材 し た オ ルの 報 で あ ろ う と 認 さ せ た こ と で あ る 」 田中氏はこの では、「 の 」の 1回が 直 取材ではなく間 取材にす ず、きちんとし た引用の形 を取っていないと述べるにとどめて いる。「 用」などというきつい表現を け、朝 日新 聞 社 の 自 自 や 一 部 評 論 の の にか なう どの取材 を発 してはいない、と指摘し ただ け で あ る 。 だが、田中論考に対する朝日新聞社の対応を けて、田中氏の「 の 」批判はトーンを める こと に な る 。 田中 教 の ーム ー ( )に よ る と、この論考が中国研 月報に掲載された 、朝 日新聞社から 報部長 で、( の発行者の中 は か 道』 を 目 指 し た 取 り み で あ っ た と 自 し て い る」と自信たっ りに述べる。 そ の 上 で、「 念 な こ と に( )田 中 信 行 氏 の 論考には事実と大きくことなる記述がある」と反 論している。 局長が問題にしている点を要 約すると、田中論考が「朝日の記者が取材したも のではない」「 氏の評論の一部を引用した」と の 指 摘 し た 2 点 で あ る。 氏は、「いずれも事 実に反する」「 氏に しては記者が長時間のイ ン ュ ー 取 材 を し て お り、 同 氏 の 評 論 を 『引 用』するまでもない」と批判する。また「田中氏 が論考の中で げたサイト『大 』中の 氏の 評論について、 社はその内容を したが、同 一の文章はどこにも存在しない」と述べている。 この 反論に、田中教 が 上で 反論し た の が、 前 掲 の 「朝 日 新 聞 『 の 』 の 用 問 題」 で あ る。 そ こ で は は っ き り 「 用」 と 断 し、「 の 」 1回 載に 場する の 大 像 に する記述 ドイ の 用 に する記述 の 行カードに する記述 ── の 点 に つ い て 、 氏 の 評 論 の 原 文 を 掲 げ て、この部分が引用の形 も取らず 用されてい ると指摘している。 載の 9回は、 来氏から 害を けた 記者に する内容で、カ に 在する 真も掲 載されているので、確かに 局長が言うよう に朝日の記者が 氏にイン ューしたことに疑 いはない。田中氏が げた 点の記述についても 確認したに違いない。 って、「 用」という表 ) ( 国研 所理事長 てに)「筆者の指摘は事実無 き そん であり、記者およ 同社に対する である から 、 訂 正 せ よ」 と い う の書面が い た。朝日からの はそれにとどまらなかった。 田中氏が訂正を と「 に同社の代理人という から、 やかに訂正、 をしなければ、 的 を取る、という内容の『通 書』が ら れてきた」という。 田中氏は「朝日新聞が事実 を し、 な判断を すことを したのですが、その は見事に裏 られました」と きを せない。こ の経 をつ った の文章の イトルには「朝 日新聞『 の 』の 用問題」という表現が わ れており、朝日の しい に対する田中教 の きと りが込められていると言えよう。 の 田中氏が訂正、 に応じない中で、田中論稿 が掲載された中国研 月報の2 1 年 月号に 朝日新聞の 信 中国 局長の「 来事 に まった 載『 の 』を り って」との論稿 が掲載された。もともと である同月報だ が、朝日側の反論を掲載することで事 の が られたようだ。 局長はまず「この 載は、 社の記者た ちが報道 の厳しい中国の にあって、 『伝聞』 形 を して事実を る 事者の人 を一人 ずつたどって直 取材を重 たものであり、中国 共産 の の 実 に る 『新 し い 中 国 報 11 現は たらず、 報 を していないというレ ルの 問 題 と 言 え よ う 。 田中氏も指摘しているように 氏は長年、 来氏を 取材し 事 まで けた記者であ り、その 報に間違いはないと朝日の記者も判断 したのだろう。ならば、 氏の 報だと した方 が、その 報の信 ょう性が増すことになる。 に 氏からの取材でないのなら、その取材 を明 すべきだろう。 局 長 は 「伝 聞 形 を し て」 と 言 う。だが、記者の取材はそもそも とんどが「伝 聞」である。その伝聞 報をできるだけ 多くの 報 に たって確認していくのが記者の 事で あり 、 筆 に た っ て は 、 そ の 報 を な限 り すことが記者の 限の ラルでもある。 「 伝 聞 形 を す る」 こ と な ど 、 も と も と で き ない 談 で あ る 。 そ れ を 実 現 す る た め に は 、 報 を っ ばし、記者がまるでその場にいたかの ように くことだが、それは記者の ラルに反す るこ と に な る 。 田 中 教 のように、記事の にな っ た 報 を っ て い る に「 用」では ないかと疑われることにもつながる。 報 を取 材したからといって、 報 を さなくてもいい とい う こ と に は な ら な い 。 の 長年本 で「メディア談 」を 筆され、 月 めに急逝された藤田博司氏( 共同通信論 長)の 書に『どうする 報 報道 の分 』( ル 出 ) が あ る。 藤 田 氏 は 「よ り 正 確 で 公 正 な 報 道 を 実 現 す る た め に、 現 在 のニュース報道に何が けているか」と自問しな がら、解 の手がかりとして「これまで日本のメ ディアの現場で正面から 論されることのなかっ た 報 の いがそれである」と指摘し、以 の ように述べる。 「記 者 が 報 か ら 聞 い た 報 は、 記 者 の 直 の見聞ではなく、あくまで 報、間 報で ある。取材した 報をありのままニュースとして 伝えるためには、だれから聞いたか、だれが何と ったか、を書くのがまっとうな方 だ。他人か ら間 的に聞いた 報を、あたかも自分が目 し たかのように伝えるのは不正確であり、不正直で ある。 報 はまた、ニュースに 害 をもつ 事者、あるいは 者である 性が い。そ の人たちの言い分を、その人たちの立場を明らか にしないまま伝えるのは、記者が一方的に 報 側の主張に してしまう もある。ニュース の報道にあたって、 報 がだれか、どのような 立場の人 かを明 すべきたと考えるのは、そう した を けるためででもある。ニュース報道 のなかで 報 を明 することは、この意味でも 報道の信 性を めるうえで重要な意味を つ」 藤田氏は本 での の論考となった「朝日の で け る『公 正』実 の 無」( 月 号)で も、「朝 日 問 題」が「朝 日 だ け で は な く、日 本 の メディア全体が共 する問題」として、「朝日 き」に せず、ニュース報道の公正性について 10 10 のように論じた。「 体的には、 断や 見、思 い込みを し、 な限り事実を正確に伝えるこ とを記者は められる。 報の確認と を ら ず、間違いがあれば やかに訂正する。自社に不 合な問題があっても 明責任を たす、そうし た 本が られたかどうか」 藤田氏はそうした が朝日問題の で社会 的に 分でないと指摘しているのだが、それは 事者の朝日自身にまず められるはずだ。 この論考で私が も 目したのは、報道の日 の実 の中で「公正」の原 を げている要 の 一つとして「記事をより 的に見せるために実 体以上に り立てたい 」を げた点だ。 報 の明 という原 を っ ばして、一人 で書 き通す手 などは、まさに記事を り立てた だろう。 厳しい取材 の 中 で、 来 の 中 国 報 道 に べ、朝日の「 の 」は確かに大がかりで、長 にわたる り い取材を重 、中国の実 に る 載記事だったと評 したい。実 、社会的にも 大きな評 を けた。 だが、国 報道の責任者が「 人」まで ち 出して自 自 してしまっては、田中 教 の しん し ような批判に対して、真 な もできなくなる だ ろ う し、 明 責 任 を た す こ と も で き な く な る。田中氏の批判に対して、自らを みることな く、「 」 だ と 過 反 応 す る と こ ろ に、 過 おご 信と りの姿勢がうかがえる。それは一 の朝日 問題に通 している。 ) ( 冬目前、遠い復興に不満 戦闘で大規模被害のガザ 0 ) ( け、 を している 性がいた。「たった一人の な ん だ」。ア ラ ア ウ ニ さ ん( )が、 り 出 すような で訴えた。 自宅にいた 、 くで があった。 のアー ラーさん(9)がいた部 に け込 と、アーラ ーさんが から を して れていた。「回 を 信じて私は っている。今は にただそれだけを 伝えたい」。アウニさんは ぶように言った。 は 者であ れていた。 に立てかけら れた は で っていた。 き や も聞 こえた。ある に入ると、小さな の子が ッ ドに たわっていた。 の 性によると、 ッ ドで る イ ア ス ち ん( )は と 、 と共に 部の 上で に い、 イ アち ん以外の 人は くなった。 性らは、 らが くなったことを らせて ッ ク を え な い よ う に「 らも にい る」と伝えたが、 イ アち んは「うそよ、 んだんでしょ」と言って、 りに ちたという。 イ アち んは、 発 が 部から 中に 通、内 を した。 が かれ、 がにじ 姿は に しい。 が のだろうか、時 、 しそうに を がめていた。その小さな体 が自分の と1 の 子と重なり、 が張り けそうになった。直視することに しさを覚え た。 私が で 問したことを、現 ス ッ の 性がアラ ア に して取材を めていた。 分 ど し た こ ろ、 性 が 通 を め た。 を 見 る 10 36 10 事作 開 の 月 日、 イスラ ルとイスラム原理主 ハ スが今 に入った。イ 年 、大 な を行った。ハ スが実 支配 スラ ルの 問所を けると通 は、現 ス ッ する レ ス チ 自 の 局者によると、 の 性 ー ストが で えに来てくれて では子どもを含 21 人以上が 。イス い る が、 こ の 日 は 誰 も い な か っ た。 すると ラ ル側も を中心に 人超が くなった。 「 しいので自分は行けない。代わりを った」 では多くの も された。イスラ ルとハ とのことだった。 を つ間ずっと「ブーン」という無人 の不 ス側の 合意 も の みは く、 味な が に付いた。 を けるのではない を目 前 に え 、 の不 は まりつつある。大 かと不 が何 も をよ った。 「 ュー」 な 害を けた の を報 する。 を り くような い がした。聞こえた イスラ ルが での 事作 に み ったの と は 月 日。目的は からの だった。 方 に を けた の 間「ドーン」と に く い 発 が き、 先で 煙が上がった。 イス ラ ル と ハ ス の 2 1 2 年 の と 合 の 間だった。 意 、 勢は 的 だったが、今年6月 立ち上る煙を うぜんと見つめていると、よう ごろ か ら 、 からイスラ ル のロ ット やく が現れた。現 ス ッ が つ場所に が増え めた。 する 中、いつもは多くの人と で する は 6月から 月にかけて ル ン で 散とし、所 に で された が無 な 人少年 人が さ れ て 体 で 見 つ か り、 そ の 、 ルサレムの レスチ 人少年が 害され 姿をさらしていた。 る事 が発 。イスラ ルと レスチ の 張が まっていった。 レスチ は、ハ スが経 的に 厳 し い を するためにロ ット 大の 。 っきりなしに 急 を 掛けたとの見方を した。 が 者を 込んでいた。ロ ーの 子に 掛 70 30 ) ( 39 20 40 20 と、 お を 大 の が れ て い た。 彼 は を つ。 イ アち んを った に を で きなくなったのだという。「すまない」と言う彼 の を いた。 32 56 きの 一時 中の 月6日、 に入った。イ スラ ル は 上 作 を め 、 ハ ス が イ ス ラ ル の を 掛けるために った トン ルを 。 レ の映像などから多くの 宅などが されていることは分かっていたが、実 に目にす ると 、 そ の の の大きさに された。 部 イトハ ーン。 の 、 れた の が くまで がっていた。見渡す限りのがれ しい 害が出た の一つだ。「誰がどこで ん き。辛うじて る 宅の には を けたとみ でいたかも 明に覚えている」 。 した自宅で、 られる 大な 。 の とみられる さ イーム ア ドさん( )が表 をこわばらせ どのく みもできていた。イスラ ル の の た。 ア ドさんによると、イスラ ルが イ しさをま ま と っていた。 の を め た の は 月 日 未 明。 同 日 中 に面する の は厳しい。立っている だけで が き出す。 り付ける日 しが い。 朝、 ( )と 人の 子とともに自宅から 「 を しに来たんだ」 。サ ル カ ル さん しようとしたが、 が っていたため、い ( )が に大 の を浮かべながら言った。 ったんは自宅に った。約 分 、意を し 出した。「道には多くの 体があり、 と 人の子どもは全 し て い て 無 事 だ 自宅から や友 、 所の人ばかりだった」。 や 子 が、自宅はがれきの山と した。がれきの間から を 上 げ た が、 立 ち ま っ て い る 時 間 は な は や 、 ットレスがの き、そこに 通の は 市 の があったことを辛うじて伝えていた。 く、 たすら げた。 辺りには が っている。「 日、 体を き い 容したんだ」。 くにいた 性が言った。発見を つ きがらが、まだ っているようだった。 中、自宅を った らの 場所となっ 「いつも があるように思えて ろうとする。 ていた国 の を た。 ち んの き そして ったことに き、体に が れるよ 、何かを 込んでいる 理のにおい、たくさん うな ックを けるんだ」。 でオサ の 。 そ こ は、 多 く の が らす 大な バト ュさん( )が を がめた。 「 」となっていた。 教 の に かれた の上で、 れた様子の ラ ン(断 月)中に、 ( )と 人の子 どもと出掛けた 宅が を け、 の多く 子どもたちが になっていた。「 を され、 が した。 くなった はいないが、自分は っていた や も った」。 ハム アブコーサ の から を った。「イスラ ル はあり さん( )が を とした。 とあら る を そうとしていた。今までで一 事作 が まった 、 部の自宅から、 すごい だ っ た」 と り っ た バ ト ュ さ 国 レスチ 事 ( ) ん。 らで ぶ ーち ん(6)を見 め「子ど が する 市内の に した。アブコー ものための 全な場所がない」とつぶやいた。 サさんは し い教 に 人以上で らしてい 市 部 イ 。今回の で も た。一時 で自宅の様子を見に り、 され 31 31 24 20 たことを った。「とても しかった」。目から がこ れ た 。 の 内では、 面に を き、 木に を く く り つ け て 間をつくり、人 が していた。イ ラハットさん( ) は 、 の に したがいっ い で の に った。「お はないし、 を もできない。毎日ここで っているだけ。未来 はな い 」 と し た 。 しかし の は、なかなか まない のいら立ちに わりつつある。 から2カ月となる 月 日を前に を た。 イ の 上には っくり った こげの が り、 直 の と大きな はない。「 メントがなければ、 宅は でき な い」。 ル デ ィ ー ブ さ ん ( ) が、 重 が 付ける自宅のがれきに目を けた。 の 局者などによると、 宅 のため メントなど 分な量の 材 入が急 だが、本格 していないという。ディーブさんは、子 6人 を含 9人 で、 ( )は 中。現在は部 を りて らしている。 事を見つけるのは しく「( が えず)部 から い出されるの ではないかと不 だ」とうつ いた。 市のある 性( )の では メントを って、 によって開いた や 井の の修理が 行われていた。「 市で メントを 入したんだ」 。 の 性は通 の約5 の で メントを手 に入れたと 明、入手するための 介 も支 っ たという。 、イスラ ルとハ ス側の は が 確認されていない。ハ スはイスラ ルなどによ る の解 や 、 の を主張。し かし が大きく する見通しは立ってい ない。 からは 1週間 どで に、 が まなければ は り されると主 張する も上がっていた。「 の 」に つ な が りか ない火 がくすぶり けている。 ) ( 10 33 55 て では多く も まれ 26 き か イスラ ルの 事作 中、 の 人 が を と し た が、 日 新 し い た。「 の子だよ。 めての子だ」 。 まれたばか りのアル ち んが る部 の前で、ハ ムさん ( )が 少 し し た 表 を 浮 か べ た。 ハ ム さ んは「この子は大きな だ。全ての ち んは の だ」と を見せた。 性ががれきを からかぶる が ーチ ューブに公開された。世 的なブームになってい る をかぶる 支 を して、 に対する「 」を訴えるのが いだ。 の によると、 性は 者支 の を げる「アイス バ チ レン 」のアイ デアを に入ったため「 レスチ を考えるこ とにした」と 明。 性はがれきと した の 前に立ち「 はとても大 で、 があっても( で) らせることは しい」と した。 で多くの 宅が され、 が不足し、 が している の を、 ではなく ー アで世 に訴えるその姿に、 して れな い心の さを感じた。 イスラ ルとハ ス側の 合意が 月 日に 発表された。 の道 には人が り出し、 のハ スの が られ、 を つ が いた。 「と て も う れ し い。 大 き な の中で してい た。 がついに わったんだ」。 市の 性 ( )は 心した表 を浮かべた。 「大事なことは この と が わ る こ と だ。 が さ れ、 になることを 」と した。 25 35 45 26 40 ネット は 日の米 で 信 る』 の 中 にもこの ウィーク」は、 産 す る」 と 書 『日 は ま た 「ニュー に、 そ し て ングウェーは小 で、「人 いた 。 月 レ し レ が を うえん られて レ 感させた 伝 が 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インメント サ 集中 ば、 年に ニーが く たことなどが これに が た。この中でア ル を断行し、 された。 年通信 通信 来に対応するために 年通信 行 とが 本格 直したもので、米社会の 20 24 前述 の 表 現 を 引 き な が ら 、 米 と が起ころうとしているとの視点で、現 的なメディア よう な 現 在の デルの についての論考記事を掲載し、 ス 通信 長が に 事 eF ) e」と 題 の 通 が レ みを大 50 いる 大 来 ン 存の大手 の 」 ート えて、大 ) ( の わっている今日、 開されてきた に来ていると指摘した(「 、ス に米社会に えている。 発信は、「いつでも、 末が急 ットのブロードバンド 体通信 25 産 日、米 10 行、 映 像、 そ し て 未 来 ウィーラー の 月 ウィーク」、オンライン、 月 日 )の ト ム それから (「ニュー ( イ ト の ブ ロ グ で「 28 ( e o , V eo, した 記 事 を 掲 載 し 、 映 像 コ ン 大き く 者を 中 心 に する時 ー オンライン、 月 日)。 イン ン、 報の な時代を す る こ と で、 どこ で も 」 96 34 96 10 28 96 25 10 80 10 「 の の藤田博司さんが急 」 の コ ラ ム 「メ デ ィ ア 談 通信 の 先 」 され、 で共同 同時 ックアップした「 わったのか」と き、 ー を ムよ」が刊行された。一読して「これ に、 年 間 の コ ラ ム 記 事 を ー どメディアが の先 は 。 りと 国 の い? 各紙は 月 解散 首 だ。 する重要性を感じた。そこで浮か かん 増 。首 。一方、朝日は「大 るを があるとは ない」、 の 日の 」を 先 りなら 部が明らか し 新報は や 点ル などを 日報道。在 紙 を 」、 イム では新 して 間中は公 史的な意 日の社 反対の本 の違いを見せたが、 に だ っ た。 約から、2紙とも とは の 厳回 手が違った〟 の と主張した。 時、 談で感じた 見直しを」と の編集 部らとの 見 で の自 い反発だっ かった。 からの いつつある が 」と批判し たい対応を 自 の メディア などで り、報道を「 のメディアが されているこ ちになる。 主体の意 が ただかず したい は 「メ デ ィ ア 談 」の 的 藤田氏 だ っ た。 日、朝日の木村伊量社長が辞任した。同紙の き、応 りの勢 解もあったが、不信感は とに、 主主 と しい。私は、本 のメディアには、今も た。 けた」ことを 「子どもの就 た。彼らは〝原点の体 〟として、 の は、 2 紙 な ど に行った。現 論 スが「辺 報 が「 像するのはげ 〝 まで書いてい きっかけは9日付読売朝刊の「増 解散」の記事。「 開 ー ク」以 上 の「 はあるにせよ「これ以上経 った上 」と 断 であることは間違 めない」と自ら見 った は りか。理 上 を で 朝 日 は 「ま さ に 」と い う 言 葉 が た し て「 本認 報」について、この欄は 田 。 と 者 会が のための 者 の え か、慰 感が が つも、 会」も。「性格 され、さら の する にならなかった。 の朝日の対応に違 書」報道についてはやや意見が違うが) 。 く 回 が違う」というのだろうが、外部 に 「信 報道に する 例えば ず、 た だ、 問 題 浮 上 (「 や、前号掲載の朝日OB山田厚史氏と わらない 私の 断だった 「 とされ など、 17 に し た」 と し、 る。「 すの勘 と支 で、長 い な い。 社 とい」と表現した。これ はあ 」という主張 容を一新して 開 じ、毎日は「発 な るとともに、 いうちに局面を が 意を に対して読売の「支 し、新たな に 「大 」 い。 「他に 」だろうが「新明解国 明は面 辞 」ではないのだろうか。 めるのは レ とい を前に は「あ 新聞や 分の 分」の ずかしくない理由」。 ろめたさを感じないで、何かをやっての )の「大 た。「大 ( 対して けるだけの 保 クス」の評 ず か し く も な い」 や 点は「ア 的自 の ろめたくも か。 るが、集 大の にすべきだ。 を イムスと 井真 され、反対を訴え 、判断材 開 の辺 が 紙の 市長が、容認の現 事 間 が分かれた問題も の 県 日、米 点とした 前 お ながたけ し 事らを った。 た 長 多 ろかず 4 ) ( して かし 上が る の は 、 こ の 2 年 間 の 異 様 な ないし か となった。 性があるとは思えない」と、反対ないし 思えない」、毎日「疑問を 「正 おなじみの対立 14 い? れが確 開 の 中、 在 分に理解できる」、産経「信を問う で取り上げた。要約すれば、読売 に 発 表 し た。 急 の 中に、 あれよあれよといううちの解散 の外 日、 正 、 日の社 いは 18 ことはおかしくない」、日経「一つのやり方」と、 は「 11 15 13 で、毎 16 12 とい う 点 で に「 」だ(ちなみに の に 毎日 の 記 事 の 見 出 し は 「 朝 日 が ま た 報道 論を 」)。さ 国 ウ 」に 」の 」の 長だった 氏の対 、 田 藤 』の 新 編 が 評論 氏は『 の の愛を支えに 集 オロ 「 視し過 ーを で は な い か。 』 も、 イ デ オ ロ てきた の ー的 するな る裏で、イデオロ めようとしている。それに対 的な人 を 」も『 ーを を いて大 な方 を っ 限には時に 手が「中国人に が が ア大会で日本 いような がします 」 けた中国の 前号で大きな間違いをした。ア は ちょっと は実にきれいなものも出てくるんです 。そこが 的だ。「ああいう 体 ら、もっとイデオロ ー的に対応していくしかな につ 氏が 』 」 藤氏は ている言葉が いと私は思う。対 集で 田氏が「できるだけ イロットの〝感 の 月 に 刊 行 さ れ、 解 の作 目が集まっているようにも思える。 と 「 「大 体 の中で文 の問題点を指摘した。 藤氏は、 こうとする 。 」な時代になったとした。 」になり「感 作 つ きの 心を る内 に を になった。 の社会がイデ 」 ーの方 者が出てくる や の 用 の 用だと指摘した。共同通信の先 に言われて確認したら、レースで中国は日本に せ な し、 す っており、表現は正しいと分かった。私の思い込 ずかしい 報。 をおかけしたことをおわ みによる勘違いで、 に る人たちにご をあげつらううち、 の 行を取り す。 の記者の不 〟 に な っ て い た の だ と 思 う。 な ローカード」にしてもらい、 』自体の信用を いか ない。こんなことでは、私とこの欄だけ 場」の覚 でやりたい。 ( = ー スト) に 同 じ よ う な こ と が あ れ ば 「レ ッ ド カ ー ド で い。今回は「イ でなく『メディア るを が『はだ 〝上から目 らには好 る思いをさせた」と発言したという報道は、日本 的で感 的』 に した。 付けられ と言われてもおかしく りと 」と 刊でも「 『反 メな小 小 』を読み「 的で、反 の に読めるとしても、 私も『 ない。 いものはない」と書 ど、 感 ーが「 ーを入れなかった」と述べたことを き 的な〟 時代を カ派」 イデオロ 容 に らない に感 掛け〟のしたたかさと な世 のは、社会 から見れば、この ない」と思う半面、〝 者たちが 性を感じた。現 した ではなく、身 首 き 〟の 田氏や〝お友 姿勢。 の 』しか ン』しかないのと同様に、 で、原 しの 合だろう。ある年代以 外 から 体 げ、イデオロ 』と 教 『 つ目の時の 「 一 氏は『 というか、 も「 ンスは読 「 にするのは間違 氏はス の しようという意 の批判は 氏は明らかに「産経派」。 き、9月9日付 も、論 急に にしたのは、ある 田、長 ン 大 ス ト が、 作 めた 長が入っていることも見過ごせない。 らに 、 慰 大 ーを ー ー ストの 千子 田、長 氏を「いずれも超のつく 氏と長 少し前、コーディ ム で、 田 、それに と発 言 し た 。 私 は 「 氏は反 に 批 判 的 な 立 場 で、 一 いっ て い い が 、 主主 く、 い」 と 言 っ た 。 私 見 で は 、 売に 氏を 感覚〟で つの 日付 いた小 月 で対 の ー ったのも、 介な 者らの読みのはずだ。「 っていても自分たちのイデオロ いて『 は、 に 来 る、 そ れ が しく に ) ( して 〝 では な い か 。 。 を 増 し〟 す る 考 え で は 、 と い う の は う が ち 過 の 部を 氏は「 する はさらに こうした事 13 〝 の 田 氏 の、 2 田中 だけ」と書いた。 に ー 年になるのに合 と まって 月で 大は大 を し て 開 い た。 記 念 会」 は 、 会を 29 その ロ の 』が 評論 10 か。 『 刊で文 が 大、 ウムや 70 できるのは村上 で ン 。「日本 わせ て 、 を開 に 10 NHKがネット配信で 基準発表 ー んでい ( ット )は、 ットによる同時 会( 日本 めている。 けて、イン ー 心を 番組放送中の展開に高い関心 正を を で、にわかに 者のイン けた スである。日本 事 このところ るの が 信サ ー この 6 月 の 大に 各社も井上 の 一方、 ップを取る形で、共同プラ は、 ルール が などを するもの。 ット配信する の 正によ に け ら れ た「 する に する ット 研 的な 用した 研 ー のイン ットを まえてなされた。この のイン ー 論を 会」において行われた 開に 会では、 の 大が認められ 視 者に 会など 的に新たなサー 、日本新聞 で、より 勢であり、国 すうせい じない の一方で、 が を目的として 限に実 立された のイン ー 用 とし の の ット 開に って判断すべきだとした。 めをかけようと、 スを任意 ではないとした。そして、 人であることを できることは に の がイン ー ットでのサー つの て行うことに して一 の とは、 にとどまるものであること 市場 以 まえれば、無 体も一 の理解を しているとした。そ スを開 することに が が時代の ー ま の同 ) その の たって 公共性が認められること ットでサー 信 を を する公 」 するか として の との するものであ き そん を支えるために国 は、「 まえれば、実 を主たる が必要とした。 すべきものに 実した報道体 に実 ット する 者が実 ──である。 として していないものや、 共 信 かといった視点での ー 人であることを については、 される なイン 者が 性が問われるとし、 にとどまるべきものであり、 視 事 の ( 味したも の無限 開の 体的には、 について 間 報通信 され の ッ のイン れといった意見があ 開の の発表は今年6月の に この要 ット けて出された。 の たことを しては、時代の って、 開に ト 国 を みの中で ー 」といった批 の が行うイン に、一 かった。また、公共 る一方で、これまでにも「 判も スであるが 正だ。 外国を見ると、公共 ( ー 念を などでは、公共 によるイン ス 正は、 年 月に ットでのサー を行う新たな ットを 者からの することも指摘され ンの に実 ランスの 公共 国 のB B (ド イ 信については の レ がイン ン)などで )、 2ドイ レ ー による スがなされるべきだ、との内外の ットサー サー えての 先 時 会)やドイ ( ランス ュニ ー ー 間事 に 開することが、その国の にコ 性 国やドイ 用の 他方、 のイン 入されている。 について事前 まえ、公共 するため、 大を みが 用した 意見も の ている。 の)の ス ている。また、公共 ット配信につ ( ー され 的 を 存 んだ方 配信が 論が の世 外国で実 に レ のイン ットによる と う がなされて に 5局による意見 ー ー ームによる レ や、先 にはメディアの多様 会の分散 ット経由での ー 発 かならない。 ット実 を付けた6月の ) ( )会長が ット いて 、 在 きた 。 の視 ー スの るのは、イン れがある。もちろん、これらの てい る イ ン な の の ー 大に道 11 日に「イン 集 を 行 っ た。 こ の 要 12 目されているからに は 月 28 」 を 発 表 し、 意 見 とし て 要 10 の 」の の わり であれ るもの にとどまるかは、時代や により する市場全体にど の しては、 による に 用 する必要があり、そ ット えるか考 ー たって に応じた所要の に し、国 大 を 者や は で あ っ て、 中 の く視 な 報 に 」 に つ い て は、 するた ット実 者に ー せてい ッ の るを ただ、 の 性が に な ット 開に対 事」 者から、これら に出している。 大を きか ないとの 念を か ない」との意見を 体やメディア事 のイン ー ー局5 の対応につい では在 的な意味合いも いと言えよう。 れたように、 ー ット配信 プロ さ せ て、 ットサー スを 開を見越し のイン ー ッ ー局、並 スの 体的 ェク し、そこでの「見 し配信」について 事 局に ット配信サー がイン 付けから前 ー の本格的な きは今回の 討されることになろう。在 の 開の先にある 」的 な と 行するためには、 信 の 本的 の全面的な同時配信といった本格的なサー の もちろん、 ス の在り方に する 論 ット 開ま があろうが、今回 ー きを経る必要があ の 正という手 と、 として本格的なイン う よ る。 な見直しを含めた公共 「 たものと言えるだろう。 ト ー 、ローカル局の意見なども まえて、 かれている。 討を まえ、 て意見 局が合同で、イン で するけん であり、今 の し、 の意見が出されることは、ある意味で「約 急時において、国 に 必 要 と 認 め る も の」、「 の の 会を し た。「 産として げている。 イン し 大することによっ のために、 害 ー する 産の保 中」については「 の を行う場合」 「ス の 」を 心に応えようとする場合」「 と同時に視 共 ス」を て社会的な サー めに それでは、この トが に意見を などの に対してどのような反応があったのか。この 要 者 害 会や 今 集には日本新聞 者などが個 ー で、イン 」を目的 局合同でイン か、 意見 事 を がこの要 のイン るが、何といっても反応が大きかったのは、この 新聞社、 けるとい は、 が 中」の 要 開に対してである。 す「 の考え方にも ト スを「 は である ットサー 」 ー 体的な 」など、 「 」のイン しながらも、その ー 中」 「 して、 「ス して、 「 ット配信に 内容に としたことを評 ー 例えば、 な見直しも 者としての自主自 的な実 を取ることが必要 の認 視 あると認められる場合には、その 「国 のイン を く って は な ら な い 。 た だ し 、 ど の ば「 を取り とし た 。 そして、 のよ う な の場 合 、 が の とし た 。 そ の 実 を自ら まえて、 めている。 事 会は、その取りまとめで「この方 を の意 見 も 研 の するものであり、 会の取りま な表現と が無限 目を 大 教 ) ) ( う方 配 研 的かつ 体的な 念がある」としている。日本新聞 の判断によって対 という表現が多用され、 大される なっており、「 に は、 でには、いましばらく イドライン 会も「 =上 は、そのための重要な一 ( であることもまた確かだ。 要 の 要 められ ット実 では、その 会の の一 正が認めた が な する 、それに対する意見 大や、 月に みとして の こ と か ら、 新 た な ット の ー 要 に の つ」 と し た 。 こ の のイ ン 行っ た 実 の ー が全く のイン 目 の実 における ていない。これには、 や、その指 すことを目的としていながら、判断に用いる指 。「 報のための ット事 について、「 」に 分 け て の ー レ けてなされたものである。 集は 、 こ の とめ を イン しては「 中」「 内 容 と し て、 前」「 前」 に 10 半藤一利、保阪正康 著 ( 経 新報社=15 、 ) その上で保阪氏は「上部 の 者たちは、 部 の『 ム』を するだけ う ま で な く、 上 手 く 用 す る」 と 今 の 社 会 的 風 、 に警 を発する。 上 によってあおられた ム は 「自 分 を 国 目 や 国 の と一体 し て、それを 悪を超越したものと考え、そのイ デオロ ーを急 することが であり、その ために を てることが であり、それ以 外のものを認めさせようとはしない な言 なのである。そして 者は 目 のために、この ムを 用すること を とする」と、半藤氏は ける。そして「 という ュ スト は、どうもわ わ を作り、それを断 として するこ とが、 を支 させるための 大の 心 とな ると、そう考えているようです 。自分がそれ に できるようなストー ーを作り、それに って国 に訴える」「ブレーンから トラー のやり口を教えられて、それを手本にしている ような がしてなりません」とまで言う。 氏は上部 をもてあそぶ 史修正主 者 や だけでなく、 人 や スコ をも やり に げる。 、彼らは「 ム」という言葉を けてきた。確かに「 前の ムは めて なものだった」。 69 あ その 、彼らは「 大のドグ であり、悪し きもの」として み ってきた。「 的な主 張をする人はその をついてくる」と スコ や の 点も 開してみせる。 前 の 史をきちんと しない 、 自身を 害者でなく 害者とさえ 付け、 って中国や韓国の 害者の ちを理解しな い。そこから「日中韓を り回す ム」 が ま れ る。 と り わ け、 出 メ デ ィ ア を 「 中、 韓を無責任にあおり 売にしている」 と批判する。 そして 人は 中に 『文 』 に 掲 載 の「 代 の 超 」対 談 を 起 す る。「彼 らが出した『 代の 国主 を しなければ いけない』という 論は正しかった」が「メデ ィアも 人もきちんとした時代を論じるの が、あまりにも 過 た」と する。 彼らの 論は して き で わっていな い。中国や韓国にも まる、あおられた国 的 ムの対立を解 する道 を して いる。彼らは「 」の ムの に を見いだす。保阪氏は「 年間、 をしないと めて国 を り ってきた 事実にこそ、日本人の の ムが かされてきた」と評 。 い不信感を え つつも、「人と人として付き合えば、 レ ルの ムは、 いに分かりあえる」 と ムの を 。他方で 指 者には「お いの ムを し合うことはやめるべき」だと警 する。 ア アに きる全ての人に けられた現代史 の 〝 書〟として読んだ。 (高井 潔司 = 大 教 ) ) ( 『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』 在 の 現代史 によるおなじみの対談で ある。しかし、今回は少 が違う。 史の 重大な 局面に日本は立たされているとの認 から、 氏は日本人全体に対し、一大警 を ち らしている。保阪氏は「 ないと 思うようになった」「このままでは、なんのた めに 年があったかわからない。われわれ の んだ道が、こんなに に な論理で されていいのか」とさえ る。 といって、彼らの 論は「 」に り かかり、 からの批判に手をこま く 人 のそれとは全く異なる。 氏の論点は多 にわ たるが、 き めると「 ム」の問 題だ。 も もそして スコ も、この ムを 解し、 解し、 用しようと して、「 いたら 」と い う を み出 していると批判する。 保阪氏はまず ムを上 、 の 2 に分ける。「上部 と は、 とか など、 者が国 の 、あるいは国 の 長を して を める 」「 を 付けたり、目的を正 するのに った り す る」。こ れ に 対 し、 と は「 時 代から 代になっても共同体に引き がれてき た 理観、 、人 観など、そうした個 人、 の中にある ム」である。 69 ( ▼朝日社長が辞任 月 ただ かず 日、 木 村 伊 量 社 長 月 に 引 責 辞 任 し、 新 社 長 に は 渡 朝日新聞社は )が まさたか 辺雅隆取締役( )が就任すると発表しま した。朝日の社長に、大阪本社社会部長、 の山田論考や、朝日批判の先鋒である週刊文集臨 分かりやすく分析したものとして好評でした。こ れたものと分かりました。訂正します。 アルバム類から通夜の明け方までかかって、作ら 事な〝作品〟」と書きましたが、実は文子夫人が ▼異様な解散・総選挙 せんぽう 時増刊号『朝日新聞は日本に必要か』などを素材 に、朝日OB5人を含めて朝日問題を考える討論 分間の日中首脳会談 月 日)したかと思った 異様な握手で、ようやく が2年半ぶりに実現( 会を開きました。主な内容を1月号で紹介します。 その朝日の行く末を誰よりも心配されていたで あろう藤田博司さんが急逝されてから約2カ月。 ら、翌日の読売朝刊はそのニュースを押しのけて そうです。先月号で朝日OBの山田厚史さんに書 (保田) と ば が あ る が、 ウ ワ サ は 真 実 で な い 場 合 も 多 い。『…というウワサもある』というような形 の記事は一見客観的にみえるが、真実の記事と は無縁である……ウワサだけでは新聞のニュー スにならない」。今回の問題そのものではない か。新人研修でたたき込まれたイロハのイであ る。 小池コラムによると、新聞各紙は「報道の自 由侵害…」などと足並みそろえて韓国側の姿勢 を批判した、という。その上で「多くの問題で 厳しく対立した新聞が〝呉越同舟〟の格好。し かし、そこに未来につながる意味はあったか」 という重い問い掛けをしている。 答えは書かれていない。代わりに答えよう。 「ウ ワ サ を そ の ま ま 記 事 に で き る、 と 勘 違 い し ている限り未来はない。〝呉越同舟〟している 限り産経以外の新聞にも未来はない」 (千葉県柏市 井内康文 =共同通信社社友) 体、どうなっているのでしょうか。 先月号のこの欄で、葬儀場で映された映像は「ご 「来週中の解散浮上」が1面トップ。舞台裏は一 11 いていただいた「メディアは何のために存在する 10 自分で事前に用意されていたとしか思えない、見 10 のか」と題する原稿は、問題点の所在を的確に、 同編集局長出身の渡辺氏が就くのは異例の人事だ 10 25 14 月9日付の産経「主張」におかしな記述があ る。それは「記事中にある風評の真実性も問題視 されているが、あくまでこれは『真偽不明のウワ うわさは書き飛ばして良いのか? 「プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ」の 筆 者、小 池 新 氏 と サ』と断った上で伝えたものであり、真実と断じ は昔、警視庁の記者クラブで共に過ごしたこと て報じたものではない」という。目を疑った。 前支局長自身も同じことを言っており、さらに がある。彼は「理論派」で論理的。私は「直感 派」だったから肌合いは少しずれているが、言 「うわさをうわさとして書いて、なぜ悪いのか理 っていることはよく理解できる。私は小池コラ 解 で き な い」 と 述 べ、 欧 米 メ デ ィ ア の 間 に あ る ムの愛読者である。彼は自他ともに「超辛口」 「うわさの中身を書くことは良くない」という指 と認める内容に反応があまりないのを寂しがっ 摘に反論している(毎日新聞、 月 日付朝刊)。 ているようだ。産経の前ソウル支局長の在宅起 ということは、個人だけではなく社全体の考えの 訴を取り上げた先月号の「〝呉越同舟〟に未来 ようだ。 こんな感覚で新聞を出していいのか。1965 はあるか」に一言申して慰めてみようか。 「新聞を読んでいるだけでは世の中は分から 年に共同通信に入社したとき新人教育用に渡され ない」は、その通り。前ソウル支局長の問題記 た「記者ハンドブック」を引っ張り出した。その 事は、ウェブのニュースサイトだけに掲載され 「真実と公正」という章に「ウワサは記事にでき た。だから産経の読者でも、ウェブを丹念にチ ない」と小見出しでばっちり載っていた。 「火のないところに煙は立たない──というこ ェックしない限り目に入らない。 ) ( 11 12 11 55 60 71 調 査 会 だ よ り ◎新政権の課題などで 1 月 9 日に講演会 ◎「アジアの平和」でシンポ開催 新聞通信調査会は2015年 1 月 9 日(金)午 新聞通信調査会はアジアの平和への道を多 後 1 時半から午後 3 時まで日本プレスセンタ 角的に探り、それに向けてメディアの果たす ーの当会会議室で 1 月定例講演会を開きます。 べき役割を討議するシンポジウム「アジアの 講師は時事通信社政治部長の阿部正人氏、演 平和とメディアの役割」を12月 2 日に東京駅 題は「総選挙後の新政権の課題と展望」です。 丸ノ内側の JP タワー・ホール&カンファレ 会場がいつもと違いますのでご注意ください。 ンスで開催。主な内容を来年 1 ~ 3 月号に分 11月の定例講演会の席上、開催日を 1 月 7 日 けて掲載する予定です。 (水)とお知らせしましたが、都合により日 訂正 11月号の記事「メディアは何のため 程を変更します。 に存在するのか~『朝日叩き』から見えるも ◎地震・火山活動で定例講演会 の」の13ページ下段の中見出し「誤報修正の 新聞通信調査会は11月19日(水)、日本プ 機会逃した97年の 3 部検討」から 8 ~ 9 行目 レスセンタービルの講演会場で定例講演会を 「外報部は、部長が大阪社会部の出身で」を 開催しました。講師は共同通信社編集委員兼 「外報部は、後に部長となる次長が大阪社会 しょざわ 論説委員の所澤新一郎氏、演題は「地震・火 部の出身で」と訂正します。 山列島の現状と未来~地下に潜む危機にどう 備えるか」でした。主な講演内容は2015年 1 〉〉〉通信社ライブラリーだより〈〈〈 月号に掲載する予定です。 《寄贈書籍・資料》 小林幹夫氏から ■ 『中共研究』 (Sep. 15, 1979 VOL. 13 NO. 9) ■ 『匪情研究』 (VOL. 1 No. 7-12 1967)など 中野正彦氏から ■ 『新聞の讀み方に關する十二章』 (笠信太郎他、 中央公論社)■ 『新聞の〝誤報〟と読者』 (神楽 子治著、三一書房)■ 『外電とそのウラの読み 方』 (為田英一郎著、日本実業出版社)■ 『ニュ ーヨーク記者気質』(ルース・アドラー著、渡 定価150円 1 年分1,500円(送料とも) 発行所 公益財団法人 新聞通信調査会 〒100-0011 東京都千代田区内幸町 2 - 2 - 1 日本プレスセンタービル 1 階 ☎ 03-3593-1081(代) FAX 03-3593-1282 E-mali:chosakai@helen.ocn.ne.jp 辺敏・佐伯五郎・川村哲夫訳、朝日新聞社)■ 『西側報道支配への挑戦』 (ローズマリー・ライ ター著、佐藤紀久夫訳、時事通信社) 《購入書籍》 ● 『BOOKS ON JAPN』(森岡督行著、ビー・ いずれかの方法で購読代金を前払いしてください ◇郵便振替口座 00120-4-73467 エヌ・エ、3,990円)● 『電波・電影・電視』 (三澤真美恵編著、青弓社、3,990円)●『女性 記者』(千野境子著、産経新聞出版、1575円) (通信欄に購読開始月も記入してください) ●『NHK 放送文化研究所年報 第57集』(201 ◇ゆうちょ銀行 〇一九 店 当座 0073467 3)(NHK 放 送 文 化 研 究 所 編、 NHK 出 版、 (振り込む際、必ず上記アドレスにお名前、郵便番 号、住所、電話番号、購読開始月を連絡ください) 1,900円)● 『言論の自由~拡大するメディアと 縮むジャーナリズム』(山田健太著、ミネルヴ 印刷所 株式会社 太平印刷社 ISSN 2187-2961 Ⓒ新聞通信調査会2014 ァ書房、2,800円) ( 40 )
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