12月号 - 公益財団法人 新聞通信調査会

 中
がとても悪い中で中国の
をするのは
来、そして中国
日に実
を
をしたい。現在の
、日中
い
にこ
関
教
)
12 - 2014
カでは『
プロブレム」
「チ
毛 里 和 子
田大
イ
」と言われ、アメ
こ 年来、
「チ
(
1963年 1 月 1 日
新聞通信調査会報
として発刊
しみ、イ
で、文
だと心配し、
ア
だ。
イ
めて
ア
カ
とんど
もしながら見
ことは
は
めて
をやってい
中し、イ
者が何人かいて、アメ
論に
まない。日伊
ー
アンを
章をもらい、ハッ
かだし、イ
から
的にも実り
る者のように思い
をやっている人は、われわれ中国
をやっている人は
私の友人に
できていないのが現
いるが、実はその全体像をつか
だ、面
e (なぜ中国は問題か)』という イトル
の論文や記事まで出る。世 各国が中国は何か大
ー
10
のア
(
、共産
目 大国
事実上
月号)
身
)
(上)
クス
の大
史(
する世論
日記で読
レー報
に過信と
派
り
発表
た
ルサレム
視し過
の
事
子…
行…
部…
国分 …
井 司…
田 隆司…
小池 新…
好 …
木原 正博…
山 …
井 司…
に、中国が日本にとって
な問
一の理由は、日
れてきた新
ットもある
人の大人口を
題となる を考えさせられる。
に
ることにはメ
大な
ることで、96
本と対
方
え て い る。 大 き 過
の
して中国自身が大き過
こる。そのた
と問題が起
をしている同 を見て、うらやま
ムの正体』
えた米
入の 方紙が急増
ット配信で
ーを
が
ース
の時
ア研
42
中国研 者はそうはいかない。
い
しいと思う。
にイ
編集 記 読者の
会だより
書評『
大
コ
イデオロ
朝日問題の
回メディアに
12
が、デメ ットもある。しかも、
)
(
進む大国化、共産党の大変身
日中
しくない。日本の現在およ
来のいろいろな問題がぶつかって
すると
の現 在 お よ
えている問題を
ける の で は な い か 」 と い う お
中国 が
しし、
がしいのか。
にメディアの方に少しお
らい お
する こ と に し た い 。
すこ
をするわけにはいかな
間
の悪さはかなり長
は 月
なお
おり 、 日 中
)この
思わ れ る 中 で 、
い。 (
やと問われて、その答えを
15
とはできないが、「こう考えると回答に少し
中国とは何
10
なぜ中国問題はこんなに
14
の
国と し て 、
は
ーや
させたが、まだ先
が
の
国に
な
ちを
の不確かさ、不
つ、ス
に
となりやす
つ日本には、そ
明さは心理的な
らく多くの日本人が感じているところで、
け出すかが日本人として考えなけ
い。
ここからどう
代
い こ と だ。「15
だ。外
的には日本は中
わっていない。中国は
国と
わ
世代はかかる
がいつ
国
るようなことをし、日本はそ
い
にはともかく、道
な
国であり、日本は
イントかもしれない。
の理由は「中国は
あるいは公
国だ」という日中
害者意
を
をえ
ットな
れに対してますます反発する。
えずその
国に対する
史」 に つ い て
いうどうしようもないウ
世代、
、一応
通の大
付けて、中国が真の
一国
的に
した
ット問題、台
らく
るのかといえば、
史は
年前の
と思う。新
し、
問題なども何とか
代に
害
はないのかと言われれば、少なくとも私
害はいつまで
か、時
わらない。
ーに重くのしか
はない。子どもの世代、
国になるまでは
的
ればいけない
な思いをした」と言
代の
代を
は、「
えた時で、
けることが彼らのアイデン
害者意
ー
ウイグル問題、チ
らな日本の
るということをよくす
越 え て、 あ る い は そ こ か
人、
の
な支配の中で
人の中に「中国は
ッ チ ア ッ プ で き て い な い。 と り わ け 問 題 な の
ー
害 者 だ」 と い う 意
は、 中 国 の
の
代の
時間がかかりそうだ。
できるのは中国が真の
ィーになっている。その
け、それを言い
されて大
年間 、 わ れ わ れ は 欧 米
ィ
しみ 、 日 本 に 侵
い
を
それ に は
中国の
史」 を
っ
のものの考え方が日本とはずいぶん違っているせ
い も あ る。 彼 ら に と っ て 2
人は、「
出して「現代」を
」が
いうちには時
と、
会
司
を全部
ーが
み込んだ「国
アク
せず、
では
年の
で、
を ち、 を中心としたト アーデをつ
」
、そして「 」、この つの
な
るがない。
でも
一体によって体 は超
でも
年代の文 大
くる。この
196
事
人
の支配
人と言い、2
報もあって、中国共産
された。ある 報では1
人という
と
が
する、
した。この超
長を け、今では
が んになされた。だ
時代に入るに違い
は
レ 解
大国にまで
年にわたり
の
ない──という
が、その
グローバルな経
)
(
「 い ま」 で あ る 。 私 の よ う に
ら
史の重
の目の
るし、それができるが、中国はそれができない。
「
ット
という意味ではメ
にならなか
とは
本的なトーンを
イントは、中国
、
分ではなかった。
は
一の
の主
も
しいと日本人
になって
った。日本の
の
年で時
の世代には時
ットでもあ
にある
類あるが、
としては思うが、現に
せめて
という意味ではデメ
かっ て い る 。 そ れ は 伝
い
には、実
と2
に、きょうの
申し上げたい。
ムにな
」
的メカニ
どういうもので、どういう
っているのか、である。一言で言えば「共産
89
だが 、
る。
で感じられる
だ。
の 理 由 は、中 国 自 身 の「不 確 か さ」、不
明さ か ら く る
と、 イ メ ー
的に
し
であるかといえば、そ
者だと思う。現在、中国が日
理的な
とんどの場合は
本に と っ て の
に悪いことをしたという
う で は な い と は っ き り 言 え る。 し か し、
て、 し か も 過
25
70
メカニ
現在の世
て、 し ば ら く は
ムは
がそれに
的な
イントは、この
ムはどういうアク
の
思わ れ る 。
カニ
的に
れにくい。また
を
念
されて
メ
は出てこないと
していることもあっ
ころ
一体の超
の
ーによって
と国
のが中国の
中
体
に
の
全に
は
ス
し、
の中
的にそ
体
だ。これは意
部
に
している。この
立していないだけでなく、国
うしているのであって、司
で
中国共産
し
で
が直
共産
の確
これに
中
の
は
が
し、
小
であれ
い
す
体的に
に
握している。
で
ムでも、 年以来、中
が
判所が行
役 年にするか、
判がある。
まった
けている。
中
かった
ムが出来上がったのは 年ごろだが、今までの
ところ
く
康の
にするか。
役にするか、
の
ど
だが、中国の場合は大きな
付き
を無
例えば、
局
いのかである。
する
を
人
教育
であり、
に表して考えてみた。
は教育部、日本でいう文部
行
ばある
うのが
だが、そ
は
になってい
人
の
とがどういう
。こ れ は ど こ の 部 局 に
は中共中
は
局の中の中
的なものだ。
部
的メカニ
イントは、いくら
の
とか
本を入
主主
して、外国からどんどん
も取り入れている。
の
の
が
の
イントは、さすがの超
のメカニ
の
から自
だが、そういうことが
した。それをつ
大
性である。 はいつまで
め、
はある。一つは と
けん
する
的発言 をどんどん
ムにもア レス
で、
立ないし
首
が
をコントロールできるかということだ。文
来
の時代の一時 、
ぶしたのは
厚という
があり、
分される
で まり、どれ らいの量
してどの
目されている。
る か、 彼 に
ンバーワンが
また起こるかもしれない。先 、
の
が
か、いま
ップの中に
グル
はあるが、現
と現 書記の
であれ
に大きくなって、 えようがなくなっ
つ目は、 ー ー
それが
書記の
ていることだ。どの
在、前
が起
と
が起こるた
の大
しいが、
されている。これは
張から大
論文に書くことは
ープの間の対立が取り
がなくて
や思
本主
の
る。このように司
国は
超
を見ると、中国共産
というのがあ
スにつ
ーが入っている。
文教小
ー
プロ
れ、文
について中国は外来のものをそのまま引
つ目は、社会的な
はできる。
長によって人の
観
に大きな
けている。経
しにはしないと言っているが、
を
事 以外、
って一体
では
ル ク ス= レ ー ニ ン 主
こりつつある。いろいろな所で
わ り、「
わった。これが
でも
な
は出てきていない。しか
にあり、
張した
してお
が見られる。
し、
を
し
イント
ットでは が出てきているが、それ以外の所
の警 が出ている。新 ウイグル自
も
でデー
に現
チ
方
とだ。こうした中で
したい。
で、この点については
これからの中国を考える場合の大事な
が大きく
何
それより もうけ主 の方がいい」という
にみんなが れるのは、ある意味で自 なこ
き
20
いる か ら
行
司
中
している
こと 中 国 共 産
るか
対し て も 言 え る こ と で 、
との
局の中に中
まず教育部と中
中
り、 5 、 6 人 の ト ッ プ
されているが、ここの
文教
文教小
からの
、5人でつ
え、教育部は中
的
ルができている。
を
本的に
主主
立していない
立が
するの
などは全く出てこない。この中
を
である部長と、指
を 上 げ る。 教 育 部 を
が教育部に指
いて は
小
に報
は、
ン
主主
の
が全く
は
グループだ。このように上からと
的チ
は
部
に司
を見てみよう。
するが、その司
が分立しており、
司
くる
指
保
78
)
(
55
つ目は
、
の
だ。
ってこれまで
してきた
が
年、どうやって
、
の
の反
外的な
をもたらす
の要
が
けた
は前者の教
の
んで
ら
だ。一
が
は、
を
ったからだろ
大の原
に
によって人心を
に
い例で言えば、 年代の中国国
内部の
年代に入って共産
く
う。中国共産
する
してい
ろな国内問題を
えている中で、
い外
しようと考えている。それは
人以
ばれる。
的に同じ
。
、今
を
国
開
を 明するた
年
代表大会」という
な表だが、
らいだ
して作
で られるデー
から
人
299 人とかいわれて
、
年に
らい
人に
年に ばれ
はどれ
で、ごく一部が直
の中の
の
、つまり
が わった国会
でま
外的
することによって国内世論を自分に引き付け、正
性を
ムにつながる。
年まで、
ったものだ
日本の国会は
任
かと見ると、
で
いる。 とんどは間
は
が、中国の国会に たる全国人 代表大会の
で1
がないので、いろいろなデー
から
表を作ってみた。一見すると
が支配する全国人
的な
しすることにして、まず
それではどうすればよいかということは
とめてお
したいと
はしているが、自分で自分を
半ばか
い、
は
えたと考えている。
の日中
は
人
わる。分 会で
だ。全国人 代表大会は毎年 月
まり、2週間もかからずに
くが
に
に入り
ーたちの一部も対
な対
アーデによる超
のト
を
分考えられる
だ。日中
したのも、
る」とよく言われる。
は
作用は
の世
によって
では自
のには限
も
があり、
であ
めに、「
と
分してくれない限り、中
だった。
かない。他者が判断し
と
年か ら
国の
など、
になったのは、 世
の
の
大きな
ーンを考えてみると、
んだ
に一
か、 そ の
ら
った
国共産
から
厚が
を
各様だが、私は
イントは日中
かもしれない。
人トップの
は
くのではないか。その道
オで、「
か
しする
の
につながる前
康や、
お
は大
についてどう考えるかは各
年に日中
とそれ以
ー
に問題なのは、
それ以前の日中
に違う。
つつあることだ。中国の
論だけで全体の
分の
ど中国共産
の
ているわけだ。
ば、
に
が大きく
した
っ
まるのかといえ
わったと
だという事実がそれを
し ま う。 な ぜ こ ん な に
論はなく、 手で わって
の
ー
ーたち
にしたいと思い、日本の
を
的な
の
がたく
きたいと思っている。
の一部も日中対
すような客観的
わっ
本的に
と大きく
が
を
の
しかも、対
さんある。
一つは日本と中国の間の
から中国
先
( 4 )
07
54
07
40
れにいろい
98
30
た。もう一つは、日本も中国もそれ
し、 日 本
03
72
10
12
12
19
明するデー
中
勢を
もある。中国共産
い。
は
から出てくる。今年
月1日だが、毎年その前日、
が中国共産
人
が
人)、
大
国共産
りが
をかけて、
間
」が 年以 の中
と 本が
により
が新た
あるい
すべき
である
」となり、
であり、それによって
いていく「国
的要素が んできて
ば、国
だった。その
者と
以上が
は
の
的要素が
国経
だったのが、今や
部が
本主
を えている新たな社会
した「
や
くな
と身分的な
産を一身に集中した 産
と
」を 何 と
が
的な
になっ
だと言っている。
まれている。中国はそういう 本主
な
べてみると、確かに
ル
ー
らいから、いろいろなところで国
に
が国内はもちろん、グローバルな
を付けだした。
国
を支配するようになりつつある。
が大
の
と
格は誰がどこで
の中にある「国
会」で めている。つまり国が
が
ない。もちろん社会
めているので、市場経 として中国を見
に
な、ある意味で
ではないが、
主
までの
くあ
が い。中国のトッ
が
ーチュン』が ストアッ
から5
ないと思う。
『
入世 1
ス
ル
うと中国
に
ー
るが、
の
集 公司」で、
っ て い る。 中 国 で 2
の「中国
を一手に
で
ここが
プは世
プしている。そこから
を米
年の
んだ市場経 と言わ るを
ると大きな間違いを しか
格を
発
めているかといえば、国
ちなみに、中国における
して世
きな
年
その指摘に って
てきて、これは大
に
は文
か分からないが、
まれている。「
は
め、大
が
を
産
6
を超えている。
は
が
めて
ワイトカラーと
部といわれた人
ちて、それ以外は
。
に
めている
な
では大
およ
もう一つの
り、大
年のデー
に理
ら
で、
身したわけだ
の
人
トップ、
たなかった 年代から見ると大きな
の
に
者と
している。とりわけ中国共産
が5 にも
を
あるいは大
局メンバーと中
が大
ートの
を出ている人が多い。
部と
局から
06
が、 そ れ を
記念日は
表す デ ー
人で、1
的な
者(
6月 末 に 出 た も の を 見 る と 、 年 末 の
66
その中で、これまでになかった
の中の
通の
っていることだ。かつて 年代、中
者、つまりブルーカラー、
を
中
いのうち
の大
か ら、
に集中させる、いわ
行するのが今の中国の行き
れた人材を
とは全く
る
が、 実 は そ れ で よ い と 考 え て い る よ う だ。 つ ま
主
り、あら
ば多
性
を握っているこ
くのだろうか。
が経
間が
重が
の介入が
が前面に
の
け て き た が、
における国
だ」と言い
だと言い、「
は、国
方だが、これがいつまで
もう一つの
と だ。 中 国 は 市 場 経
開
年代に入って経
している」「
2
ラルとして
的に表れている。
に対する国
めて重くなってきた。それは国
出てきたことと、経
新
多くなってきたことに
かなりの年配で、
と い う 人 が い る。 彼 に よ れ
06
41
50
13
にらまれている
)
(
05
20
13
98
つ あ る。 一 つ は、
が
50
13
「中 国
らに 「 中 国
ている。(
く
ス集
公 司」 は 世
の国
なので
公司」も世
ー
は 年の
ル
で
で
意)
。さ
の舞
に入っ
が世
カよりも、も
い 年
に「中国
ちになっている。少し
で、日本よりもアメ
り出ており、その公司の理事長とか社長は
このように
台に
何
を
で見ても、国内ランク5
全な
。
が握り、大
で、
大
な
も
を上
ちと、あすのご
べられない
て き て、 中 産
ど
人との間の格
が思った
が
てきていな
がどんどん開い
社会から
が発表されな
のいく、
べて書い
しい。
み立てて、
に正確なデー
の中国の問題としてよく指摘さ
い。かつてのような
だ。これは
れることだが、公
から
の
社記者が全国を
出
社、
分析』(
論をするのは
い現在、デー
のある
の
新
代社会
という
た 『中 国
社会で、
(約 12
的
の
を
人)
だ。上
年)という本がある。これによると、今や中国
はものすごい
5
が
。
が
に
と上
を超える人たちは
している。中
の人
人)で、この上
が集中している。上中
人口の1
に
(約25
の5
を
、合わせて6
し、中
いのは、上
いられている
味
を
」 と 言 わ れ、 そ れ が
的
スできないので、
な
?
する
の
イ
体
。
明するために、
した
を
によって
ど多い
の
く
に い。 回 大会は
げてみると、
に
げた
メカニ ムが
は
事になると思う。
の
に超
を
大会以
ントとして
回
や
しかも が
が発足した時で今から2年前だが、これまでのよ
)
(
は全経
2
で、ここに
が
を
で
氏の分析で
かな
と上中
し、
と
しい
に
の5
中
にアク
イントになるかもしれな
的な
することになったが、中国で中
いが、正確なデー
を見ていく場合の
がなぜ育たないのか。これが中国の
を保
時、「国
少ないことだ。日本では 年代から 年代に入る
中
68
11
な
70
14
79
限公司」が入っている。これも バイル
10
年
っと
のデ ー
通信
の
も国
げて い る
経
18
18
60
10
うな
る。
ンバー
康 だ。 彼 は
年ま
産
発
、
た。国
ル
ル
という国
ど
発
格を
主任も
めるのは国
など、イン
ラに
さ
発
する
したが、ここは日本で言えば経
、国
に大き
をめ
問題は分厚いカー
ンの こう
って何かがあったのかもしれない。この
ような中国の
側 で 起 こ っ て い る こ と だ が、 解 明 す る 必 要 が あ
る。
し
を握
庁を含んだ
の全
わる全ての
主任として経
まっ
国はいまグローバルな大国になった。全世 に
が
の舞台に
は2
目
だったのが、
産)は、
されている。
年に
で
オ ン ックが開かれる
(国内
を超えると
えながらも、中
も
や
部
年には
はなく、
意を
に大
つ国に
するわけだ。
大な 事 ワーを
から
って中国は
うべきだ。
めたことの
的な
され
ル ー
だと思
を
す
る新しい時代に中国は入った。日本はこの点にも
集 が外
は外 部がやっているわけではない」
が
で
になってお
だったのが、
によっ
なった。これも 報が限られているため、うっか
は2
集
年の国
は
、
くべき増 ぶりだ。
に口を出し
部およ
しているのは、このように国
本が外
たことによる自信と、
きを
現在、中国が
り、
年の国
ても、
りしたことは言えないが、中国の公表
し た 。「
合
」はアメ
産
い。
と
小
それに
を超えると言う人もいるが、少なく
トップが多
とも 年間で2
集
も
理事長の
としている。
していることが
なっており、その
このようにいろいろな問題を
主任の
会で、
める中国の
理
、
産
、
わるところだ。このように
は国
ーに
ー、
国
で、その
に
会だと
れている。先
経
局
会書記でもあ
な
部
という、
まっ
っ て い た。 国
のトッ
まで入る中
会書記は、いわば司
にあり、中
の
のトップは
ク ラ ス で は な く、 主 ク ラ ス が 出 て き て い
中でも一
の
で、 中 国
った 。
まった。一体
ス
だけでな
プを 握 っ て い た の だ が 、 そ の 人 が
と司
部部長として
があった。かつて中国
部
とも
何を や っ た の か と 思 う が 、 彼 は 司
く
経理であり、国
握していた。
が
たな
の
カでいう
90
15
公司 の
も
心部
ー部
ル
の
を
まったのか、よくうわさ
のところは分
千
するすさ
体である。
合体は
方とはい
産
という
え、
に直
う。
本的に
していて、
であると
ンバー
「中国外
間と
の
は言えない。その
局
で、
によると2
主
に
があったことは事実で、
によるものか、本
で
康について何もデー
を握っていた人
中国 の
に
たと い う わ け だ 。
われわれは
いの で 、 本
され る
外れの、一
から な い 。 た だ し 、
それ も
会
厚で、
という、小さい国の国
まじ い も の だ 。
いのは
味
に
事
人では
書記(
)で
の
何かきな
まるというのは
は
が
ワン だ 。 主
に判
とうわさされる らい、
まり、
トップの理事長が
年
のトップになるのだが、彼
によって
が
の
主
同時 に 、 中
20 15
ない の で 、
も
った か も し れ な い 。
)
30
04
(
15
20
14
12
に日中
われ が
か
か
国
たって 世
大な国
、われ
として
張し
を考えてみたい。
」と し て さ ら に
の道
どの
を考えるに
もしない
場してきた中国の今
国
がある。
彼らが目指すのは
大な国
国
か、伝
的な
のものか、
論は出
が
しく
国になるにはどういう
国に
らい考えるとして、なかなか
国か、あるいはそうではない
類
てこない。例えば
容な
必要かと考えてみると、今の中国は
大な国
大
教
い
の藤原
の
一さんが『デ
ク
は
大
」
がない、なろうと思っても多分なれな
一つは、「
的
オとし
イアン」 い。
なるには
な
性も一つの
国」だ。かつて伝
国としての
ーの
つか。この
ールた
を
でき
できるか
)を
」を
いているのはアメ
に、「
ラ
めい せき
辺に
に
国』で明
国はいろいろなことをしたが、
げておられる。念
的な
られるかもしれないが、「悪
ていく。こういう言い方をすると「ドラえもん」
に
みた い に な っ て く る
てあ る 。
の
を
もう一つは「伝
な中
す
一に世
(支配的
を
のメトロ
縁にグローバルな経
に世
に
に文
できるか。
と
国
国としての
す
を
の
と同様に日中
は めて大事で、 対しては日
ワ
に考
問題、
を真
本はやっていけない。そういう中で、日本は中国
史問題
。
と共存できる、きちんとした対中
えるべきだろう
日中間のイ ューは
などの
ルの
の問題に分けら
ーの問題、
は
の
つのレ
に 出 て き て い る 時 に は、
になっている
れ
れる。この
問題がそれ
しておくべ
、日中
」でいくだろうと考
であり、
的な国
を
っていると思うが、それ
を考えてみると、中国は
国」になりたいという
らく不
大なる一
いかもしれない。
くと覚
介なものとなり、日中間の対
わらない。かなり
きで、そういう中国とどう付き合うか。日米
では
は
えた方が現実に
る
となると中国は、「主
いている。
以外は
についてはある
げられている
る「
に「公共
容だった。それは厳しく
対し て は か な り
朝
カだが、
がなかったし、意
もなかったから
るだ け の
国
容な
ンをつく
としての
ライ
の
つ時に、チ
どうか、
を
朝がチ
るかどうか、
ットと
だ。 例 え ば
支配を考えなかったわけではないだ
ットの直
教の
み込んだ。
ろう が 、 そ れ が で き な か っ た た め に 、 中
教を通じてチ
ットを
は
ンチェン
は
、
させるという
ィク
を
イアン
し
容ではな
辺にまで
来の中国は
」の 国
な
ラ
ラ
えるという、いわば
ット
に
って 対 チ
を取った。
ところが、「悪
であ る 現 在 の 中 国 お よ
的な支配を
として一
い。 断
国
だと思っている。彼ら
代国
カ
代だという思い
カで、アメ
なあこがれ、あれこそ
の中にあるのはアメ
たい 。 そ れ こ そ が
の
の
)
(
21
は
で
付け、
える
史の問題は
は発言を
すべきだと思う。だが、今は中国も日
者に任せて
り
史の 問 題 で 研
など
だ。
史から
認するかど
代の
だ、
しが不
問題は日本の
だとなると、前
いが
史問題になってしま
史をお
介な
の
り
の
代の
に
」の 方
上で
を
しておきた
だなどという言
すことはできない。解き
の
国
が
と
大
以
の日本の
として
つ
わった
レ
ル、この
なア
主
が
などは
の 国
を
で
き んでしまう。経 同友
一 首
は
の主 がはっきり言ったわ
に発表した。「首
まってしまっていることに対して
ールを公
やめるべきだ」と
12
的な
っても れないのだという前 があったが、
年以来の日中間の対立を考えてみると、
対立、
まらない。
の代わり
的な
的に
史
レ
をめ る対立にいったん入ると、経
きは、外
したわけ
体的な
日中
事が
を取ってしまうと、もう
いていく。日本はこんなことはやらない。
事行
1
が
に、
事をやる。外
に
う
会が 年の5月に、小
事
、外
的に
を
的な目
めて限
的な目
するために、
だが、中国の場合は
を
をめ
って中国がそれをや
る。
ことがあり
者が
って
れている。
が起こらないように、
の手
ームをつくれと言って
するために外
理のレ
を
事行
スク
事
るのではないかと私は大
発的な
集まって
的目
的な
を取るということに
、限
いる。
一時
事行
ない。そうすると、
なこと
か、首脳会談を
めて大きな火事になって大
することになりか
れていないし、できない日本は、全面的な
で対
小さい火が
が
を開けていかなければいけないと
になる。これをどうやって
の
。
年に日中
ル、
一 は、
したが、なぜそう判断するのか。私は
め に、
口に対
思う
と。
ワーレ
の 理 由 を 考 え て い る。
ル、
み合って、も
に入りつつ
は
まる
国間の
まれば
いに
ルな対
ューがお
できないトー
つの日中間のイ
はや分
ある。
が
に入り、
06
本も
例えば
中国 の
り、その前
うかという
う。 こ う な る と 解 き
したくないから、
国
として2点
い方 を し て い る の か と さ え 思 う 。
の
しての
外
イアン
代的な主
さない。
に入ったとこ
として
えると言っ
は、日中間の経
ど、ウインウインの
)
(
に 世
い。一つは、「
んでいる中国としては、
して
という共
渡される」という
の一部は
は
するものは
ない。
代の
渡されるが、中国ではそれは考えられな
んでおり、主
においては「主
あり 、 こ れ を 侵
ーロ ッ
考え 方 が
同体 に
るを
い。 そ の 意 味 で は 、 中 国 は
ろだ と 言 わ
の手
を
だ。
ることである。こ
は、中国は「外
を取る」ことがあり
もう一つの
事行
にあるのは 年の中越国
ムがけしからんから
こで 私 の 念
ト
った。
的にさーっ
を
をして、
を越えて
らいの限
て、 中 国 は 中 越 国
2週 間
79
12
21
は
言をする
は全く
きは、
朝日新聞のイン
は
本的
大
ち 取 る こ と だ」 と 言 っ て い
国としての
にとって
ューで、「中国外
めているのか。中国外
社会から
題は何か」と聞かれて、「一
には何を
の
いを国
に原理的であり、
的対応をすると
付くとは思え
な
し合いで問題が
なると、
で読んでいただきたいが、読
問題はある
ュメを
で
上げをやったことも認
ている。
の日本の
大
主
、
めよ
く
を
解
を
1
にも読んでも
の
って新たな
ク ク
年文書は日韓
意を
、 国に対する経
大中氏は
、経 発
し、お い
原
評
うとした。この
言だと私は思う。
は、 こ れ を や っ た ん で
の
らって、「あなた方の先
ありませんか。ここから
デ
すよ。ここに ろうじ
出発です」といかないものか。これが一つの
ルだ。
が
年 月に
首
もう一つの デルは、
した。中国の首 が日本の国
めてだと思うが、「国
者は何回も
を公に認め、
してい
を表明し、侵
的に評
を表明しまし
い反
と人
は
とおわ
と日本の指
したのは多分
来日して国会で
会で
をしよ
つを前
以来、日本
害国に対して
史問題について
正
はない。私は読売を批判するためではな
を訂正したと
の、今の読売とは全く違うことを
んだ。それを認めよう。
という
め よ う。 こ の
う
いう記
主張していた。読売新聞がこの社
に日中間の
売新聞が 年5月 日の社
ない。レ
国ともに原理主
る。これもある意味で
正し、集
的な
主
このように
はなぜ違うのかと考えると、それを超
のどこにも見られない。 年
的
っているはずだが、日中の首脳
けだ 。 と こ ろ が 、 こ の 2 年 間 、 日 中
かな い 。
年以
主
を し た い。
は「
手に
ムだと思う。
の
を
い思いをしてきた。
ン
的に
が日中間にあると考えるべき
をはじめ
会談 を 直 ち に 開 け と か
ト
と
える 何 か 対
だろ う 。
の
の理由は、日中ともに原理主
対応 し て い る こ と だ 。
主
」
」「
主
身の
だ。
を付ける。
的
けて、「日本は中国の
は 国人
に
してくれた。これに対して国
に対して支
の発
と
をもたらしました。中国の
意
れま
)に対する
はいつまでも
を
開
確実な
(O
からの支 と支
は日本
開発
って書かない
方でやってきたことをなぜ れてしま
して、また
の時のような
になぜ
らなけ
うのか。せっかく み上げてきたものを全部つぶ
が、日中
これも日本の新聞はあまり り
を述べている。
せん」と、
きました。これを中国人
と国
経
代
た。これを中国
台にした
つの
デ
に
し
れません。中日友好
く、かつて日本がやってきたことが侵害され、
事
に
く評
について
を
は
ます」と言っている。
た。
がめられているのではないか、もう一回、原点に
い
けてきた。
言だ。
発
氏は、韓国国
、小
の
と経
直に過
主
と
ぶべき一つの
が来日した
かつ
の
首
に申し上げたいのは、
し、韓国の
対して直
わした文書だが、この中で小
大中大
ルとしての 年の日韓共同
い。
を述べた
えるべきだというのがその本意だろ
を
われ わ れ は こ れ ま で
り
は
を
しない。この
えず言い
半の
けてきた、これに対
思は 年、
のための
る 必 要 が あ る と い う 思 い か ら、 こ れ を 紹 介 し
から、
の問題にも
今こ そ 、 わ れ わ れ の
的自
主
に
98
ムとい
う。 つ ま り 、
的だ。
ムであり、新しい保
年間、
的に日本に対応してい
だと思う。おまけにとても原理主
うよ り も 新 し い
主
代15
一方の中国も原理主
る。「中国は
だった日本はいまだに反
らさずにはいられない」と
いを
者である
0 )
31
98
(
79
98
その 先
みを
ラルな研
もある。
な
けて い る 。 そ れ だ け で は な く 、 世
ン
にも中国は不
する
中国の
20
07
06
12
12
を考える研
のお
たすのか。
を報道す
いだが、新聞なりメデ
者の会」を立ち上げた。
ればならないのかと考えて、われわれは「新しい
日中
は
そこでメディア
を
き、 批 判 す る 役
する役
は確かにあ
が間違ったら、それを書き立てて批判す
ィア は ど う い う 役
る、
る。 悪 い こ と を
る。
その一方で、事実をきちんと伝え、評
正
共同
明につ
とんどなかった。あの時、日
正
もある。例えば今年9月 日、国
れたものは
年の 時 に 、 日 本 の 新 聞 で 国
いて
月
わないこと
しようということ
を
い合ったのか、 年
約では、
し合いで解
本と 中 国 は 一 体 何 を
したし、
友好
を約
した。
日の 日 中
も約
もメディアにはある。
み上げてきたものをきちんと
し、思い出させる役
しながら
このように、これまで何回か日本と中国がいろ
いろ
評
観が大き
つもあ
を
っているし、できることは
がある。メディアはその断
についての
い世代とでは、中国に
き立てることより、もっと
世代と
だと思う。
かいことを批判し
的な役
もう一つ、
を
わり、断
対す る 考 え 方 、 日 中
く
める 役
疑応答の一部
に
して
っていこうとしていると
は日本との
したりしている。彼が日本に
にしっかり り込 一方で、 主的な きについ
ては言論
をどういう方 に
発言したものはあまりないが、
首 の 外 、 保、 史 認
中 国 側 が
、全てに い不信感を っていることはいまだ
分析しておられるか。
わらない。
をお聞かせいただきたい。
のために一
な形で
を
についての世論を
め
に
についての世論、国
で自分のス ンスを
ようとしているところで、まだ れ いているよ
り
本的に取れないのでは
を何らかの形で
しまし
ればいけない。
レス
で、日中
さがある。
でもし
え上がる
なことにな
に わる大 の
火して大
ィックな世論がわーっと
はア
そういう意味での
に日中
ス
と、 そ れ が 各 方 面 に
の きと日中
ム、これをどうやってハンドルできるか。
った対日
の
ールで行った
はとても しいように思う。
日に時事通信
内容を要約、一部 筆した)
月
そこが見えてこない限り、彼がイニ アチブをと
る。
体 の
ないだろうか。日本はそれを見た上で対応しなけ
開いていくような行 は
アチブを取って日中
うな感じだ。 念ながらあと1 2年は、彼がイ
にしている。それ
、とりわけ日中
いでいるだけに、国内
12年に出発した時以来、不
いるのはいろいろな意味での世論だと思う。2
に少ない人で、文 も出てきて
言葉が
いないので分からないが、
が一
意して
で会ってどうすればよいか、
に
その道
責任
っている。それ
しいが、日本の
的な不信感を
すかは
に付き合う以外にない。
の
、
についてどうしよう
をどうしろとかやっても、
問題
大会でトップ (本稿は
?
ニ
国間で
を合わせて、これから日本と中国は
首
に対する
不信が
に いことは事実だ
確かに
ろうと思う。日本にも いし、 に中国側は
首
をどう解き
者として
ア
とにかく
ア
社
方で出せれ
し合いができれ
をする。未来と
の問題としての
ょうという類の
はなくて
国
よいと思う。
ば、そしてちょっとしたコメントが
ば大
とか、
来 の こ と、 多 国 間
ル
の
ン
をこれからどうするか、そこ
し合うチ
ないかというような未来
できる問題について
ア
ら く 何 の プ ラ ス も な い。
、ア
での
をつくろうじ
が2年前の
は
がどっちかから出てくると、少しはつながって
主
いくだろうと思う。
国
に行っていることを見ると、
)
(
42
12
した
に立った
15
78
に
ると 思 う の で 、 そ れ を メ デ ィ ア の 方
い。
10
29
(
e o
10
の
時事通信社編集局長)
八 牧 浩 行
社長、
12
しい
を
するための
を確保することを った解
散」と 評されても反論できないだろう。
き
けんでん
ア
クスが
し 伝していたのが「 め
る者が めば
にも
が ぶ」という「ト
クル ウン」理論だ。ところが、 正 や中小
の
者の
が思うように上がらず、
の格 は がるばかりだ。分厚い中間 を
大することによって日本経 は発 するが、この
ままでは 行してしまう。
ア
クスが掲げる「 本の 」のうち、1
本目の
は
を い
回
の
を めた。半面、原材
格
、
上げなど 作用も
している。2本目の
出 も うさが付きまとう。国、 方を合わせた
が1千
にも上る
的
で、自
きょう じん
は 「国
」に 年 間 で 2
を
入する
だ。
など必要不
な事 は
理解できるが、かつてのバラ
公共事 を
するならば、大いに疑問だ。
者不足も
で
を
できない ースも出ている。
目の 長
は
の
もあり、 体
が しく れており、ア
クスが
して
いるとは言い い。
ア
クスの いは「
増
者の
増
大
い経
長」という好
オだったが、現 では
回 。
で 入
が上 し、内
の経
)
(
再増税断念で事実上破綻
10
15
も
み
が
。各 経 指 は
首 が来年 月に
されていた
となった。
6月 の
(国
の増 を先 りする方 を表明した。 たんたる
内
産)が
1 の イ スに んだのに
回 の足取りが重く、増 すればデ レ
された
9月
報
が ら か ないというのがその理由。経 の実 いて、反 増が
も、 イ ス1 6 と
が った。厚
は
であり、 増 断念は
が取り
に よ る と、 実
は カ月
んで き た 経
「ア
クス」の事実上の
で イ
を 意 味 す る。
を 解 散 し、 月 の
で ス。
の
でも、9月の「
者世
「 増 先 り」 の
を国 に問うとしている の実 入」は前年同月 で実
イ ス6 の大
が、 大 は な い 。 年 末 の た だ し い 時 に
的
少となった。
をつくり
をつ 込
は国 経 的に
9月の日
観で、
感を す
判断指
明ら か に イ ス で 、
の
と長
は大
を き 並み悪 、 カ月 の先
くりを った「個 個 」以外の何 でもない。 行き指 も大
も含め厳しい
となっ
た。1 =11
台 半の超
も中小
に
の
は 風になる。
増
には経
を 合的に見て判断す
増 は2 12年の自公
による「
」があり、これを 用して「 増
と社 会 保 の 一 体
に する合意」で めたも る「
は 「解
ので 「 国 会
の
」など付 事 が付け 見 り」 を め れ ば い い の に、
対 や 所 者対
られ た 。 と こ ろ が 一 体
も
実現も全く実現 散」 と い う 手 に 出 た。
、 出
などの
を くさず、対 の立
して お ら ず 、
だけ 一 として今年 月
と実行に
間をつくる解散に って出たのは
に
に引き上げられた。
いん い
「ア
クスの
を
増 があった 月以 に
が
、
し、 国 主 的
10
・ア
名目成長率
?
〜
名目GDP ( 3.0)
▲
〜
〜
〜
〜
〜
7 10 1
9 12 3
13
〜
〜
〜
4
6
7 10 1
9 12 3
2012年
は
会社
の「 コ
スト」や「主任研
」はア
クスや 増 に異論を えにくい
面もあるようだ。「上司から
など
の方
に った報 をするように、く を されてい
る」と ち明ける
者もいた。
引き上げを目指す
の先 となっ
て、日本経 の厳しい現実を正しく伝えないのは
大半の大手メディアも同じである。 月中 に新
市で開かれた新聞大会は「社会 文 の発 と
読者の
のために
の
を新聞
に 用することを める」
を
した。
これでは新聞は
増 に反対できない。新聞各
社として
(実
)はありがたいこと
なのだ。
よし で
もともと
首 や
長 ら
サイ
ドは
の 引き上げに 重だったが、
や自
会は、何としても
通りに
実 すべく 念を やした。主 局や国 局 部
による、 大な
を えての個 「ご
」も
すさまじかった。メディアの論
から記者ク
ラブ め け出し記者にまで ぶ。国 局の
が新聞社、国会
、評論
ー
ス
し い
トにも、 意的に実 される
にあるのは
できない。
アメももちろん用意されている。 年 の
報
は約
。何 と 前 年
1 5 の
「子 育 て
介
年 ──
の引き上
げ分は社会保 に われています」といった
ン ーンが 開され、大半が レ 、新聞
10
14
の
10
か
に やされている。
経 として約6
もの
が 入される。さらに
は 大な
。 レ
新聞にとっては
の
入が入
ってくる
は〝 風〟となる。本来なら
勢に 感であるべき経
など
体は 人
と引き えに
引き上げを
している。
の
97
筆者が 起するのは、
が
から5
に引き上げられた199 年の「悪 」
。この時、
大
(現
)はもちろん、本来、経
を 念しなければならない経
や通産 (現経
産
)までもが「 月以 は 長 道に回
する」との 観論を りまき、
引き上げを
押した。経
は
上げと引き えに、
人 の引き げという長年の
を
したいた
め、このような「
な
」を取った。
この
、同年 月以 に
な不 に り、
に「経
」と言われる事 に立ち った。
この時、
引き上げ(年間の国
増5
)だ け で な く
(2
)、
の引き上げ(2
)も わった、いわ る 点
ットにより合 9
の国
増が じた。
これが山一
や
道
行など
の
と し りにつながり、
や
の
感が悪 し
が ち込んだ。
「9
の国
増になり大 なことになる」
と警 を らす経
者 も い た が、
大
、 用 者の
的な
ン ーンの前にかき
)
き
実質成長率
(
12
※季節調整済みの前期比増減
率%、( )内は年率換算、
▲ はマイナス
4 7
6 9
14
0.4
▲ 6.7
▲ 0.2
2.2
▲ 0.5
1.3
0.8
0.1
▲ 0.8
個人消費
住宅投資
設備投資
公共投資
内需寄与度
輸 出
輸 入
外需寄与度
%
8.0
6.0
4.0
2.0
0
-2.0
-4.0
-6.0
-8.0
-10.0
-12.0
外需寄与度 四半期ベース、季節調整
内需寄与度 済み、前期比の年率換算
10
14
を
、実
が がり、
から経 は
小している。
は「
世論 上
」とや され
てい る よ う に 、 表 的 な
ー ンスに を入
れているが、実体経 の 上にはつながっていな
い。
は
発足
は回
をたどった
が、
の
以上に 年の ニ
か
らの 自 反 と 公 共
によるところが大きい。
(▲ 1.6)
年の 、多くの 者、 コ
ストが「 年
月からの
増 が必要」と主張。彼らの
は
増 の
は
だということだったが、
は 外 れ た 格 好 だ。 と こ ろ が、 彼 ら の 大 半 が
「
ち
込みは一時
的であり回
す る」
と、今 も
観的な見
通しを り
(速報値)
まき、今
は
の
増
の
〝
い役〟
となった。
や
庁の
月期
にある
年7~9月期
GDP速報値の概要
▲ 0.4
実質GDP
GDP成長率と内外需実質寄与度
65
は
し
97
「日 本 の
は 文 的
で、 こ の ま ま
では
の の舞いになる」との し文 は
一見
があるが、
な不 を けば に
に る。実 に 年以 、
増 にもかか
わら ず 国 全 体 の
は長 にわたって に イ
スと な っ た 。 経
長に う所
、 人 増に
う
された。 年 までの先行
や
出 もあ
り 年 の時点で
がやや上 きに じつつあ
った に も か か わ ら ず 、 国
の急 な増大は経
を
させ、一 に
の に んでしま
った の で あ る 。
今、日本経 を取り く 勢は 年 時と
して い る 。
が5 から
に引き上げられ
た 年 月以 、年間9
もの国
増にな
る
だ。さらに
に引き上げられた場合、同
6
の
増になってしまう。今回の
増 も米
が「見直すべきだ」と警 を ら
す どの
スだったのである。
今 、
が 引 き 上 げ ら れ る か、 社 会 保
一体
では年 、
、介 の保
も
引き 上 げ ら れ 、 個 人
分、
分、全てが
今 、 年間のうちに大 に増 する。日本経
がこ の よ う な
的な国
の上 に えられ
るか ど う か 、 こ の 点 を し っ か り 見 め つ つ
を 重に めていかなければ、取り しのつかな
い事 と な ろ う 。 そ の 意 味 で 今 回 の 増 先 り
は
な
だった。
96
の
10
97
が「バ
より
が
になるのである。
の
を
した。デ レ
に け「
今の経
が1年や2年で
されるのは
2 上 目 」
の道 を付けることを理
だ。 月の
増 も、本来
が回 しデ
由にしているが、
全 や 在 長 の引き
レ
が確認されるまで見 るべきだったのであ 上げが実現しないまま、日 の国 大量 い入れ
る。ア
クスの本 は
ップを解 す が く スクもある。
る
要 大
。いわば
を
する「アク
日 が 月末の
会合でサプライ
ル」だが、増 という「ブレー 」を同時に
的に
した
は、 年
となり、 年の い教 が かされなかっ の ースで増やすとしていた
量を約
まで 大。中長 国 の い入れ ースを年約
た。
増
派は「
通り増 を実 しな
と、 現 の 約
から
増や
存 間もこれまでの 年
から、今
いと 外から〝日本売り〟を
る」と警 した し、
が、これは認 不足である。
「 増 見 り解散」 回
年
に 大 年
長する、 上場
報道が れて以来、外国人
の い出 で
信 (
)と 不 産
信 (
は急 した。 田 一 ール大
教
)の保
をこれまでの
に増やし、それ
(内
) は 「日 本 の
局が 外で言い回
れの い入れ ースを年間約
と年間約9
る『
が
の2
超』という
に増やす──などというもの。
は、
、つまり
の である。例え
在 長 が
している中で、大量
を市
ば 売り介入の 、
が
する は
に入 場に
すると、日
の
が がり
上
るのに、それで た 産である外 は考 されな に
めが かなくなる 念が大きい。
の国
い。
から 産を引いた
が問題なのに、
を日 が直 引き けることは
で
さ
にして
で 論される。
でみ れているが、実 には毎年、一部の国 は例外的
ると日本は12
台と、米国との間に
に直
い入れられているのだ。日 が い入れ
どの はない」
(日経新聞 月 日付「経 教 」) る国
が 大するにつれて、日 が日本
を 代わりするような形になりつつある。
と
し て い る。 日 本 国 は 大 半 が 国 内 で わ の
現在の国 発行 は約
で、このうち
れ、
などとは事 は大きく異なるのであ
日 の国 保
は今年末に2
に す
る。
る見込み。この が 限なく増えていけば、日本
の
わ
国
の信任が れ、国
格が
(
は上
)する
性があり、日 には多 の含み が
日
97
ーカ
13
ばれる異
10
」と
4 )
(
60
30
70
80
97
14
80
10
10
50
30
)
(
発 してしまう。
会合での
9人
の
は5対 と
だった。日
、
らプ ロ ー 以 外 の
の大半が反対したこと
が、 こ の
の うさを
している。
これを無 限に行えば、
や通 に対する信
任が な く な り 、 来 、 ハ イ ー イ ン レ ( 急 な
上 )を引き起こす 念が まってしまう。
の国
を えながら日本の
が
さ
れて き た の は 、 国 の と ん ど が 国 内 で
され
てい た こ と と 、 デ レ
で
い 用が増
えな か っ た こ と に よ る も の だ が 、 こ の 前 が れ
る
性も大きくなる。
も
ず、原材 など 入コスト増だけがの
2 のイン レ目 の
がお つかなくなって
が
で
を回
いることに、
日 ともに
感を いてい しかかる。 品 入先の大
させたとしても、
け中小
に
は ば
る。国 の大 な年
を
など スク
ーに多く 入するのは じ手に い。
を上げ ない。
るために える手 を
するのは 来に
う
はる こ
を す。 今 回 の
は、 田
日
に対しては、 在 長 アップや
(
)が「
増 実
側面支
した 出
、増 で解 するのが真っ な
になることを った
」との見方も
い。
方 だが、人口 少と
が く日本ではハ
超
により
場は一時1 =115
も必要となるが、これ
台を り込み、1年前に べ2 も くなった。 ードルが い。 い
も
できない。
出より内 で いでいる中小
にとっては
そこで
者が
に られるのが「イン レ
な 風だ。
で原材 、
代が上 し、コ
による
解 」である。大 正
首 は
ストがかさんでいる。
け中小
が
(19 5) 年、筆者に「増 も
格に
できるならいいが、 上げを認められる 時代の
ースは少ない。大
も厳しいグローバル
出
もできない中、
をなくすために
を わなければ
者が りやすい
な方 はイン レ。イン
ならないので、 レにすれば 大の
を つ国が 大の
を
に 上げ要 けるので
に られやすい。ただ年
者や
を け入れら
所 者は
してしまう」と、しみじみと め
れない事 があ の を っていた。
時代に の
国 発行
るという。
を 儀なくされた
の念からだろう。首 時代
大
に「一
入」をぶち上げたが、道半ばで
は 産の 外
れた。
が み、
今回の異
は、 大 氏 が 念 し た
になっても 出 「 じ手」につながるのではないか。大
の日
の増大にはつな 本や
での超イン レなど国の
を
がりにくい。
しにした例は多い。
日 には、
回 とハ
と
出が増えなけれ イ ーイン レ
の
を う、 り りの
ば
け
の 渡り的な
を められている。
50
の
31
は
日 が
を めた 月 日に ち出され
たの が 、 年
立
理 用 立行
人(
)による国
用の
だ。
が
や外
て 産
など ス ク 産 の
を引き上げるの
に合 わ せ 、 ウ ー ト が 引 き げ ら れ る
国 を日 が
するため日
い入
れを 増 や す こ と に な っ た と 市 場
者
はみ て い る 。 実 、 日 が 今 回
し
た長 国
入の増 は、
の
国
引き げから 出される
と ったり合 するのだ。
にとって、ア
クスの
題であるデ レ
が 上
上 の勢いがストップし、
大の
題だ 。
10
10
の
明理事
)
が出
会世論
だが、新聞メディアにとって厳しい
が少なく
する問いである。
「イン
により新聞の役
」に
から
問している
2回
して
た。 年の
ットなどの
来の新聞の役
ー
9
1
が少な
つの意見のどちらに
めて「新聞の役
は大きい」という
役
増の
く な っ て く る (=
2
大 き い(=B
派は、 年の
ったのだ。
役
が
派)」の
日本大
2
直
い
を上回
の
が
来の新聞につい
少
上回っ
となっており、
派を
派になりつ
表2)
。
少するという意見が多
い世代だけではなく、中年世代でも新
少派が役
派の約2
を超えているだけではなく、 代でも役
の各世代で役
に、
したものの、その
表1)。年
では前年より増
聞の役
ている。
代でも役
少派が役
派が6
ての意見を見ると、 代以
て い た(
少 派)」 が 前 年
役
と、「新聞の たす役 は
するかの回答で、
たす役
なってくる」と「今までどおり、新聞が報道に
回メ 「
人か
す
来の新
原
(新聞通信
第7回﹁メディアに関する全国世論調査﹂︵上︶
会(長
2
した。この
に「
」を実
人を対
月 日から9月9日にかけて
人新聞通信
年
する全国世論
の
メディアの問題
めて「
を
べ、クロスメディア時
し、各
で行い、約
などを
た。毎年実
、信
問
以上の5
1
﹁将来の新聞の役割﹂減少派が持続派を初めて上回る
公
長) は 2
全国 の
ディ ア に
は
ら回 答 を
点や 評
以来、
新聞
この1年で新
派」を上回った
少した
で
者の
に
ー
教
を報
げた人が急増──な
く な っ た」 が 前 年
報」を
ン
09
つあることが明らかとなった(
)
(
代に お け る 新 聞 の 在 り 方 を 考 え る デ ー
開
に 代で
感 が「
が
少派」が「
により
るこ と を 目 的 と し て い る 。
読
聞の 役
の
聞の信
増、 理 由 と し て 「
)で は
研
回目
40
どが明らかになった。(上)は主な
先
から今年で
40
22
回
50
し、 来 年 1 月 号 の (
大
の
の
11
30
40
いしている。
は 年実
08
43
65
18
分析 を お
本
30
(
)
の
している。本
を用
らない国
本台
としているた
ーに
以来、
で
の同
から
と5年間で
5
2
であ
増となり、「見な
と
ットニュースを「毎日
い世代だけで
なく、
に 代
少
代での
が
少しているが、
と
しく、 年
ー
ー
があった
ットニ
ットの
に上った。
)
った」という回答
5
代におけるイン
)を
に増
にイン
2
ー
ットニ
した(
し、
となり、前述したように
の
」者(
6
となった。
ットニュース
」が
に
ー
回る
となり、ついにイン
合を
問でも、「
や時間に
か」という
も多い
の
が全年代の中で
一方で、 代
増の
合は、 代では5年
は目覚ましいものがある。イン
5
ュースを「毎日見る」者の
で
新聞を「毎日読
)
。
代でも5年間で約2
表
の
は、イン
ー
に
をイ
している様子が分か
報
大している新
ットニュースを「毎
を見ると、新聞を「読まない」
新聞(朝刊)の
ュースの
の
ットニュースで代
のかなりの部分が
日見る」と回答しており、
ー
聞を「読まない」
ン
る。
である。例
」人は、 代以上以外の
前
が大きかったのが 代で
が
40
から 年にかけて新聞を「毎日読
代はこの1年間での
なっている。
も
えば、新聞を「毎日読
が
(
開
全ての年代で5年間に
ー
面でも、
来の新聞についての意見だけではなく、新聞
という実
のメディアの
新聞 メ デ ィ ア に は 厳 し い
は
全体 を 代 表 す る サ ン プ ル
出) を
9
るこ (「この1年間で新聞を回
の大
無作
1
」との回答が
を見てみると、
を
いた
の
りの少ないデー
を「毎日見る」者の
について
め、新聞をはじめとする各メディアに対する人
の
とが で き る 。
読
では
では新聞を「毎日読
新聞(朝刊)の
年
だったのが今回
している。
ットニュースの
増
少 し 、「 読 ま な い」 は
と6
ー
5
年から5
を見ると、「毎日見る」が今回
一方、イン
の
と
から
ー
で 見 れ ば 、 新 聞 ( 朝 刊) を 「 毎 日 読
合は、イン
( 年)となっているが、
の
ットニュースの
であったことを考えれば、その
まった。
ー
は、 代以
報が
ー ットニュースで配信され
めているのが現
ー ットの
の
が
めがかからない
体としての新聞
わるものではない。
のイン
では、紙
)
。
になかなか
表
で
は一朝
であり、
報のかなりの部分は新聞社や通信社が発
もちろん、イン
ている
信している
で
報を発信するメディアとしての新聞の役
一
だが中 年
少
している現
の
ある(
)
(
70
15
50
50
46
13
50
40
19
35 42
6
時
は
い」 は
った 。
また
」の
分
見る 」 の 約 1
年は 約 2
は5 年 で
れの
この5年間でのイン
と新 聞
16
55
13
40
14
12
43
10
61
10
41
40
40
40
34
14
30
10
22
31
紙
体
れの
が
ソコンや
ことができる
され て い る
で読
用している」
は
ブレットなど
が
、
(「現在、
まる中でその
子新聞の認
1
の
と、
用したいと
用していない
)は
と「
と「現在
5
の合
した。しかし、
子新聞の
い る」が
用意
と
年から
」が 6
、
「千
未
んでいることが分かる。
用して
を
も
問
らいなら
読
、
「千
未
の
に な っ た。
が、 千
という
」が
読したいとは思わない」が
容
は見ら
用 し て い な い が、
については、「現在、
、「現 在
5
表5)
。
用してみたい」が
2
未
子新聞の
子新聞を1カ月いくら
れなかった(
千
多く
したところ、「
読したいと思うか、
そこで、
12
読したい」と思う人の
を
21
用してみたい」
6
増
69
が、
より2
「
読
無
のイン
で、現行の
ー
ット
報があ
子新聞の 格
れている中
は、新聞をはじめ各メディアの信
報をどの
していない場合は 点、
している場
的に 問している。
ー としており、各メディアの
しているかを
を
はハードルが
く感じている人が多いようだ( 表6)
。
本
信
点、全く信
各メディアについて、全面的に信
合は1
の
オ」は
2点
1点
報信
の回 がみられ
以来
の前回
点の
点で
(前回
点)、「ラ
」が
年
通の場合は 点として点 を付けてもらったと
2 点 と な り、
した。
レ
1点で1
9点の
(前 回
5点)、「
」は
5点
ころ、「新聞」は
より1
レ
2点の
点で
では
開
1点)であった。
で 年の
し、前回
レ
い
が
一つ
してきている様
わりないものの、全メディ
」の 2 メ デ ィ ア の 信
には
が
)
(
「
(前 回
で
オ」が
年
(前回
6点)、
「イン ー ット」が
の
一
を記
レ 」
「ラ
60
開 以 、各メディアの中では「新聞」と
じたことが明らかになった。
た「新聞」
「
に
けて
)
。
に信
子が分かる( 表
アを通じて、
「
60
71
76
12
70
54
60
72
69
50
08
54
59
は思 わ な い 」
年
60
の
この1年間で新聞の信
感が
10
したか
た
2
くなった」が
ところ、
「
となった。「
の5
くなった」が
わらない」と回答、
、
「
の人が「
9
くなった」が前回
より
報があったか
くなった」と答えた
したことが明らかとなった
感が「
く増
2
)
。
から2
表
6
(
また、新聞の信
の
)は
2
、「
った報道をしているから」
したのが目立った。その一方、
と、前回
人にその理由を聞いたところ、「
に
に増
(前 回
の勢
、大
ら」が
「
1
の
時
表9)
。
5
は
)は
月
ただ かず
れ
や
2
少
日から9月9日にか
、そ れ
の主張通りに報道するだけだから」
(前 回
した(
本
田
書」や慰
取り
報道の記事取り
しに
は
性は
す
されているよう
した
した点に、朝日
感
意見
た
載コラムの掲載
に
体的にどの
の評
していた時
で
し問題が
表
か
10
24
25
け て で あ り、 朝 日 新 聞 社 の 木 村 伊 量 社 長 に よ る
「
る報道が過
氏の
る記者会見(9月 日)が開かれる前に
りをめ
していたものの、池上
見
ではないため、
は、新聞各紙に対する個
問する
本
る。
を
報
くなった」との回答が増
があったかは分析できないが、新聞の信
が「
新聞の
めない。
と は 言 う も の の、
0 )
33
11
(
11
22
21
10
83
28
に、 新 聞 信
のトレンドであり、朝日新聞1紙
の
はこの1年間だけのも
ので は な く 長
る
感が
ットの
の
全体の
い
レ
)は
を辛
報に対
れ
といっ
が
われるということになれ
や
っ
の中でこそ、新聞各紙は自らが発信する一
ー
感が
は、この5年間だけ見ても急
から分かるように、紙メディアとしての
だけ の 問 題 で は な い 。
表
新聞 を め
べれば信
に厳 し く な っ て い る 。 新 聞 ( と
本的な信
しているが、新聞が発信する
まだ 他 メ デ ィ ア に
うじ て
する
ば、 新 聞 と い う メ デ ィ ア
イン
るこ と を 意 味 す る 。
た
し、責任を
を考
報の社会的
つ一 つ の
められている。
い
報が役
ての
目の
、ラ
合が、
オは
できる」の
1
年より
とんど
合が2
している。ちなみに、
が信
レ
た。
以内ではあるが
報
ー ットは、全ての 目で 年よ
報の量が多い」「 報が面
表
)
。
として
の
ックとして、前回
かせない」
年実
に引き
問した。
正問題について「 報を
正問題報道について
のト
となった(
報が役に立つ」「 報
しい」「手 に見聞きできる」は2 、
合が上 し、
「
一方でイン
り
い
は「
した。
「
レ
が見られなかっ
は
今回
き
では、
の
を見ると、「
となっ
報を入手してい
方で、新聞が他メディアを えて1
て1
レ を
表 )
。
を
の
レ
レ の
がわずかに
報入手メディア」では辛うじ
6
回る
となった( 表
する新聞報道について
と 「分 か り に く か っ た」 6
(「どちらかと言えば分かりにく
)
、
「分かりにくかった」と答え
と 「ど ち ら か と 言 え ば 分 か り や す か っ
(「 分 か り や す か っ た」
問したところ、「分かりやすかった」
に
であるが、「分かりやすいメディア」では、
なり、新聞は、「
新聞
るメディア」「分かりやすいメディア」ともに、
今回
ていた。
の
入手しているメディア」
「分かりやすいメディア」
の前回
10
)と な り、「ど ち ら と も 言 え な い」と 答
)
(
た報 道 を 心 掛 け る こ と が
か
を聞いたところ、「
、
の
か っ た」
た人が
た」
2
と答えた人が
の評
また、集 的自
11
各メディアの
げた人が
と、そ
報の量が多い」
5
が、「
が あ る」
となった。
げた人が
き1
レ
年と同様であ
に見聞きできる」で
で き る」「社 会 的
に引き
、「
か せ な い」 メ デ ィ ア と し
に 立 つ」 メ デ ィ ア と し て 新 聞 を
報
として
2
げた人が
、「
て新 聞 を
れ前回
報が信
52
すると、新聞は全
となった点も
しい」「手
が1
と
21
メデ ィ ア と し て 新 聞 を
れ
「
い
報が分かりやすい」では
報が面
レ
年
12
16
「
は
った 。 た だ し 、
18
22
42
52
正
か
正
えた人が
1
この1年間の
と半
に
以上を
めた。
する新聞報道の評
して
とし
たとこ
論されていく中
しい」
5
、「
が見られた。「現行の
回答で
正問題が
ては、良くもなく悪くもなくといったところのよ
表 )
。
しく解
から
する報道を
、国会で
うだ(
今
で新聞に
ろ、 前 回
について
の意見の違いがよく分かるような報道をして
しい」
が多かった点は前回
する中心的な役
世論を形
が、「国
たす
と同様だ
を
める
)。
す
が一部
に
めることに
み
(前回
については、新聞
(前 回
し い」
正の
しい」
れ増 していた。
が新聞に
み込んだ報道を
じてきているようで、国 世論形
るような、より
が
重なっていく中で、人
正問題については、 年から 論が
9 )がそれ
社の立場を明確にして
)と「
ような報道をして
51
まっている様子がうかがえる( 表
)
(
30
18
21
で
14
54
10
正
54
13
今回
用
のト
み
の
は
発
)、「
と「やや
)となり、
性
心があ
6
問し
な
問題に
表 )。
国
と 「全
心がない」と答えた人が
の
心 が な い」
5
の
心があるか
理、原子
問した。まず、
ックとしては、原子
する 報 道 に つ い て も
や
の
心がある」
心 が あ る」 と 答 え た 人 が
どの 問 題 に つ い て 、 ど の
に
たところ、「
(「
る」
心がない」1
(「あ ま り
く
心は
する報道について、各メディア
を聞いたところ、新聞は「事実が正確に報
問題に
いことが分かった(
の
原子
の
道されている」で
と1
になった。
9
、「自分の意見を
っ
報より信
考になる」で
は「他のメディアの
47
50
たり、判断したりする時に、
6
レ
している」で
表 )
。
p
会社に
レ
、
が
合の悪いこと
と1 となった。
しい内容が分かりや
の意見を
と1
、「この問題に対する報道
できる」で
、「
は「いろいろな立場の
姿勢がよいと評
レ
で き る」で
や
すく解 されている」で
その一方、「
レ が
o
は新聞通信
.
対
サンプ
される
会の ーム
)
. .p
以上
ング
、
=
実
(性
出
、
2 )、
2
無作
問
であっ
をあおるような報道
は 報 道 し て い な い と 感 じ る」 は
、「やみくもに不
が多いと感じる」は
た。
となった(
。
(
その他の
ー
の 要
=全国、
性
=回
人)、
からの
、
=
新聞は 考になる正確な報道が評
50
=一
日 9月9日、
による
社
性、
年 月
サンプルの
本台
個 人(5
回
=2 1
性
方 =
時
=
人 中
目
問
社
)
(
44
52
18
44
85
41
22
33
47
16
52
46
47
38
11
15
13
したことを
子
い、それを作
1(
多く作った
以
を
の開
』は今でも
だ。19
に
集『
村
した
人の
戦争に協力した文学者の戦後
、
月出
品に し た の は
)年
い上げる
とな
上通」を
すると
会が「
多く の 人 に 愛 読 さ れ て い る が 、 日 中
」と
られる。大
」を
められてい
す」を
を
日の
ちた。
に
に
す
さら
し、「
で
の
人が
かない」
。
「必
は私の内の
を
がぶらさがっ
もも
まる「わが
したのは
はあっても
やみ、作品
公論編集長であった
し
者は)書か
められて
の中で(文
い
』)と 言 う。作 品
に
の記
主
いた人も多かった
の
、新たな
)年
さ だ め し(
5(
に
したことに口を
者にとって
に
や言論
。
日記』19
の
で(文
の所
きつ
『
中派不
年
ため
き
たた
の
月2日。
性を
の「日本
日記』
に出たのは彼ではなかったか」
。
山田風
毎日新聞に掲載された
。「今の日本人の
ッカーサー
よ長く日本に 臨さ
直すために
も
の一人と
多の 時小 、文章、 を書き、以
日、
し
」を
し
え
がし く
きし人間にあら
して反
ん げ
が まった 月
の心理の 分かを
の本
全体が
は 記 者 会 見 で 「一
、国
年1月
池
が
、
部(
起
」を
、
らも対
は解
された
的な発言や行
」を 書 い た こ と が
、
日、
を
司
責任をあいまいにしか
ぶ。
者に対する「公
判にかける一方で
わった各 の指
者にも
文
者小 実 、火
)、山
時中、「
子文
は文
に指 した。
(
に な っ た。
問われた。公 に就くことと
した。
=共同通信社社友)
立すると同時に
された。それ以外の 筆
され、表舞台に
(
わけではなく、日本が
が
行作
う」とある。山田は「ああ、何たる
首
こ
や」「彼は
れんことを
中
の論
に
訴し
)には通用しなかった。
ない発言である。だが、 合国
なければならない」。
る。「
に なる
合国
ずや」と記す。
って日本
して
無 責 任、
に」との記事を読
45
し、自分の
に
な
の時」を作ったことも
前
の
人、
に就けり」を書く。
た」という
よみて人
、
る。
の念を
の
前、中
した。それを
多くの作
に
だけだった。
は「言論
えない
田
なければ
人
言論
た」(『
はしなくとも、
明となる。
のかもしれない。文
は
に
『
日 ──
「
見
い、あるいは責任を
時
大
月
報局
しい。
「
(
しから
け
を
日本
って、
の文
を)くやしがっているかと思うと現実を見るこ
は
あしている。一
公
あし
国
とだとし
も例外ではなく、
に
日記』はもっと
せし者がかかる
見
の時
理事になった」と書き、「今日
)に い さ さ か も 自 責 を 感 じ て い な
どの
をかる
田
と
ごと
の く
く」
。
『
は)日本主
報国会の)
の 現 実(
の
える
人が悪かったの何が悪かったのと
からだ
に し て、
10
28
、「
こと で も
会
社)に
」がある。
部会長にも就任する。
全集』(集
報国会の
文
お題 目 に 「 中
り、 日 本 文
『
先
んし
い。そして、
人を
他を責める。──何事かと、身体の
りを覚えた」「
4 )
(
思せよ
は
)
と共
のある限
の
(米
を
とし
にあり。その
に
が 取 れ」(
うつばり
のならいである」。
から
先
か な か っ た。 先
に
そのものにあるとい
けて先
46
の代表作に「
介
は
日思
をいさめる内容だ。「先
の
い た。
が日本の侵
心を
ただ
20
る
中国国
心を
は来ない。先
に
やり
の
日一本
り、
ら
の時」─「ああ、必
か」。もう一つ、
とを好まないのか。今でも彼 異人
「必
の手足となっている
した
)た と し て「
え る と 「私 の
の
かなわたくしは
」の 一
を
たかなのは、われら
時人 き よ く し て 、 つ よ く 、 そ の 時 こ こ ろ
て
「
日思
作る。「
の
うことに」「わたくしは
23
16
で
中国で
子
取引(
コ
で
ー
」は先
ン
ース)を
が
開する
ー
ッ
け
の立て直しが
年前からこう
者と
んで 年に開
市の
の「
「紙
かに
読
サー
スでは
っ て い る の を、 い
配
子
題となった」(
の
取引
デル
足しない。新聞社の
な新聞
体の発行が日に日に
うか。
客も市場も、もはや
用し、いかに
子
と
と2
ニな
と
品、イ
うが、コン
を
者任
ックだが、
の配
の中
は違
用できる
ッ
るため、
前 時
市報 編集)
。
を した」
(
ス
を
取引において
の新聞配
を んで
を
より
の
に。
一偽
があったら
ニ ェストも掲げた。
ル ィー」
9 )に した。1日
体 限公司の売り上げ
が を し、9月末現在で
全
(1 =
は1
のプラット ーム作りで共通するの
となる見込みだ。
前 で、年末までに売り上
入
の取引は2
する
こうした
を
は
げ
新
し自らメールア
開しており、こう
は、新聞自体が ルチメディア
や ニブログなどを
ン ーンを して
プ
報や
ーを 子 取引に
ールでも 売
に ー
した
目を集め、ごく自
取り込んでいる点だ。
一方で厳しい現実も存在する。
などを全てコ
入した間
「も し、 新 聞 社 が
ーの
した
体はな
日報
では公司は
である」と、
ン
社長は 直に認めている。
会研
取引で真に
っているだけという社も多い。体
子
通
ストに 入したら、現在の
集
を上げることは
報
中国 子
も「
い。ブームに
のためには
会博
存
事
をうま
部付部長)
年 月上号)
している。
取引の
などについて明確な
取引の ームのルールを く理解する
つ 読者と 子
性、コスト、
子
上も問題がある」とし、
者が
方
を
=日本新聞
2 1
するなど──を
考=
「中国報 」
(
く
ち出した。新 (
ールしようと、「良い品を
することも
社長
日配
性をア
18
付
を
報集
は多くの
文は
つ信
い
間超市」は
主任)という言葉からは、
み 出 せ る か、 が
編集
を
報
に、「無
した。
の上
千
て
報読者の中から
感を
感が伝わってくる。
月、
を
、
け
品としている。
のカ
ブランドを目
会
こうした
年
、
人の
の
どの
が
は
本的に出
品配
け取ることもできる。
ーを中間的
、グローバルな
ー
入
などを前面に
て い る。 た だ、 配
ち出した点は
ィブな
ルー
」 は、 目
ニで
「
め、
ー
間超市」と
までの
ライバル大手との
日報報 集
から 人の
いも大きい。われわれは千人の配
みがある。しかし、新聞の配
われわれは
「
せにせず、自社で行う点が異なる。
」 「無
イア
市報などを
は、
けの例だろう。
と
し た「
がワイン
方
新聞は出てきていた。
い、
売とも
売、自宅まで
ット上に
方紙が急増している。これは、日本で言えば「
」のような、イン
集
には、
産品を中心に
スだ。急増の
トを 開 き 、
るサ ー
ち込み、経
に
に売 り 上 げ が
ッ
9年に開
伝
方日報、
取引に取り
ットの
がある。
ー
られ て い る 事
子
方報
の代表紙の
める
世
入
間超市」、
市報
と異なり、中小
は小さい。い
で必
の一つに
する過
聞が
)
(
イン
した
に
が
ップして2
や、 同 集
した「
集
し た 「無
年来の新
日報報
報社が
一方で
市の
体は先発
の主
した感がある。
ルチメディア
」ではなく、経
メディアグループで、
」など。その
市の 中
ずれ も 「
目
付ける。新聞が
的に
10
13
11
10
朝日問題の背景に過信と驕り
きよ
し
支局長)
の
い
間 中 の『
書 記、 全 引
』(2 12 年
月 日付1面)をはじめとする世 的なスクー
プにも
付いた」と、
一国 報道部 長
が記している。
14
か
11
の
読売新聞
13
10
の
、
高 井 潔 司
教
12
大
11
(
)
(
11
しかし、私と
道大
教 は
か
ら、この 載と 時の朝日新聞の中国報道に疑問
者たち」が 月 日から 月 日までの長
載。ちょうど中国共産 の
指 部の
代 を いていた。それは報道の内容よりも、その伝
の時 に たり、
内部の きを
しく 現 え方、報道の 方の問題であった。 にその 報
の い方の問題である。
した 載記事として い評 を け、 に 行本
私たちは共 の形で 年9月に出 した『新聞
として出 された。本稿は 行本を に 論を
開する。
ー
ム論
ップ ンの視点から中国報
朝日としては自 の 載であったのだろう。同 道を読 』(
大
ア ア 合研 所)
年の朝日の 2回紙面
会の
内容を伝える の中で、『 の 』が「国 的な取材現場での
記事( 月 日付)でも
子 同
会
報道」(朝日の 年 月の新聞週間 集)とし
(
大 大
教 )が「 載『 の 』は 中 ての新しい みだという朝日の意 込みを紹介し
国の大
ス
アスな事 を い、読み応えが ながらも、それならば「しっかりとした
に
あった」と述べた。これを け、渡辺 国 報道
き、表の事実、裏の事実に る報道をして し
部 長 は 「中 国 共 産 大 会 と い う 指 部 代 を 前 い」と 文を付けた。
に、 心 の
来が
した『 の時』、朝日
その上で、同書 2部 2章「人事報道」で、
新聞が ア アにある『 の 』、 ーン 上田 「あいまいな 報 は責任回 」だとして、朝日
を
し
のある記者が 人も中国 局に のこの時 の中国報道が 報 をいいかげんに
いる『人の 』を て、他紙や欧米メディアも
っ て い る と、 以 の よ う に
教 が指摘し
できない みのある報道ができた」と自信たっ た。
りの答えを
している。 行本のあとがきに
「 報 を書いたとしても〝
者〟
〝外
〟
も「 1部『
来』と
部『指 者たち』の という表現が多い。たとえば、 月9日付の朝日
回の
ソードは、中国 局の 村 司記者が
1
面
か
ら
2
面
に
く
『
体
人
事
なお』と
つかんだスクープだ。一 の取材が に、 大会 いう記事では、〝
者〟が
に 場 し た。
21
はく き らい
本稿の前 として、私は新聞報道に間違いがあ
う
っ て は な ら な い と い う 「新 聞 無
」を 用
たた
くみ
した「朝日 き」に する者ではないことを断っ
ておきたい。新聞報道には 報は付き であり、
筆者 自 身 の 記 者
においても何 か訂正記事を
書き、社内 分を けたこともある。大事なこと
は、 報であることが分かったり、報道内容に
する疑問の が上がったりした時、その 明責任
をし っ か り た し 、 訂 正 や 発
に けた反
の念 を 表 明 す る こ と で あ る 。
慰
報道に
を発した朝日新聞の問題は、 報自体もさること
ながら、それ以上に 報の訂正にあまりにも時間
を要し、 報問題を論じた池上 氏のコラム掲載
を
という姿勢にこそ問題があると思う。そこ
おご
には 、 朝 日 新 聞 社 の 自 社 報 道 に 対 す る 過 信 と り
が指 摘 で き よ う 。 本 稿 で う 中 国 載
「 の
」にも同様の問題が んでいる。
の
15
「 の 」 は、 1 部 「
来」が 2 12 年
6月 日 か ら 月 日 ま で 、 2 部 「 い
」
が 月 日から9月9日まで、さらに
部「指
23
14
10
の
しかし、まじめに記事を読んでみたら、ますます
疑問に思うようになった。例えば2面の真ん中あ
たり に は
氏が 月の
の 公 会 で
(
)氏の側 の
を 指し批判したと
述べている。記事には「『私から
の問題 起
をしたい』と 氏は口を開いたという」と書いて
いる。『私から
の 問 題 を 起 し た い』 は カ
カ ッ コ を 付 け、 氏 が そ う 言 っ た と 断 し て い
る。まるで、その場で見てきたような書き方だ。
その 報 は 「
局 の
書を含
の
者の を 合すると」という めてあいま
いなものだ。誰が本 にその場でそう聞いていた
のかわからない。 自の取材によって た 報だ
ろうが、伝聞の伝聞の 報ではないのか」(同書
152 )。
この時 、朝日新聞は
体 の
につい
て、「新 の指 者の『
』
で形作られた」
( 月 日 付 1 面) と 書 い て い る 。 そ の
を明らかにしたというわけだが、本 に中国の
の中身を明らかにできるのだろうか。 し
ろ
が事実として、もしそうだとすると、
その 辺から出てくる 報は、それが「さも事実
であ る か の よ う に ー ク し て 報 作 を う
もあるだろうから、一人 で書く手 は めて
ではないのか」と
教 は指摘した。
その上で、私たちは「中国では、取材が厳しく
限されている。
指 部の人事など国
だから取材などできないはず。もちろん、多少の
報は、 ークしてくれる はあるだろうが、そ
11
15
場人 に直 取材したものと誰しも思うに違い
ない体 だ。「しかし 念なことに、事実はそう
ではない」と田中氏は のように解 する。
「こ の 回 の 記 事 の 上 記 引 用 部 分 は、 朝 日 の 記
者が自身で取材したものではなく、
という
『大 日 報』の 記 者 が 2
9年に発表した評
論の一部を、引用したものにす ない。その評論
は 月 日、『
大
行 聞 記』と題し
て、『大
』というウェブサイトに 稿された。
朝日の記事よりはるかに長文で、内容も
であ
り、多少の
があれば、とても面 い」
し か も、 田 中 氏 に 言 わ せ る と、 こ の 評 論 で は
「
の大 視 を
す る た め に、 大 像
を掲げた上記の
ソードの か、会 を
するためにドイ
の
を用意したことや、
者に
まで引き出せる 行カードを
用意したことなど、朝日の記事に引用された『裏
報』が紹介されている」という。記事には 記
者の 前が全く 場しないので、 とんど 用で
は な い か、 と い う 疑 念 が ま れ て も お か し く な
い。もっとも田中氏は に れるように、ここで
は「 用」などという表現は っていない。
田中
教 は中国 の
であり、不正
などで重 市書記を解任された
来氏の 判
の行方を 討するために、 氏の不正を長年
してきた 記者の記事に 目してきたようだ。
記者は
の
に 氏の不正を
する 載記
事を書いたことで、国
の えい などで
役 年の を け、 役 、カ
の
に
)
(
の 報 を明らかにすることは しい。それを
に 用して、あることないこと、
報、 ッ
ト上の 報方もからめて書き散らすことになるわ
けである。それは取材できない記者には好 合で
あるが、中国に対する信
だけでなく、日本の
メディアに対する読者の信
も ちるというこ
と に も っ と 付 く べ き で あ る。 ど こ ま で が 事 実
で、確認された 報か、どこからが未確認 報か
を明 するためには、 報 をしっかり書くべき
だ」と、 論付けた(同書15
)
。
私と
教 とのこうした問題 起を 考に
博 論文を 筆中の
の一人から
、「 の
」に する一つの論考が られてきた。中国研
所発行の『中国研 月報』2 1 年 月号に
掲載された田中信行
大
教
筆の
「
『
の 』と新聞の取材 」である。
田中論考は
部分で、「
日、
を
せた
が市庁 前を通ると、
手はス ード
を めた。
は
の
がある大きなプレー
トに、
の 像 があった。
は いた
様子で何 も り った。それを見た の側 が
時の市
部に報 している」と、
「 の 」
の 回のハイライト部分を引用する。その上で、
引用部分はなかなかの臨場感があり、「読者はき
(
)
っと朝日の記者が市
部に取材したもので
覚するだろう」と指摘する。 1回の記事は、全
て一人 で書かれており、田中氏の言うように、
14
い込まれている。中国研 者にはよく られてい
る記 者 で あ る 。
田中氏は「朝日の記者が 問題について 集記
事を書くに たり、彼の評論に目を通したのは
で、必要な
でもあった」という。また
論考の 半に、朝日の記者が 記者に会ってイン
ューしたことにも れている。だが、そうで
あっても、「 の 」 回の書き出しには問題が
ある と 、 の よ う に 厳 し く 批 判 す る 。
「 回の記事が 氏の評論から主要な 報を
ていることは明らかである。問題は、それが引用
であることや出所を していないため、多くの読
者に 、 こ れ は 朝 日 の 記 者 が 直 取 材 し た オ
ルの 報 で あ ろ う と 認 さ せ た こ と で あ る 」
田中氏はこの
では、「 の 」の 1回が
直 取材ではなく間 取材にす ず、きちんとし
た引用の形 を取っていないと述べるにとどめて
いる。「 用」などというきつい表現を け、朝
日新 聞 社 の 自 自 や 一 部 評 論 の
の にか
なう どの取材 を発 してはいない、と指摘し
ただ け で あ る 。
だが、田中論考に対する朝日新聞社の対応を
けて、田中氏の「 の 」批判はトーンを める
こと に な る 。
田中
教 の ーム ー (
)に よ る
と、この論考が中国研 月報に掲載された 、朝
日新聞社から 報部長 で、(
の発行者の中
は
か
道』 を 目 指 し た 取 り み で あ っ た と 自 し て い
る」と自信たっ りに述べる。
そ の 上 で、「 念 な こ と に( )田 中 信 行 氏 の
論考には事実と大きくことなる記述がある」と反
論している。
局長が問題にしている点を要
約すると、田中論考が「朝日の記者が取材したも
のではない」「 氏の評論の一部を引用した」と
の 指 摘 し た 2 点 で あ る。
氏は、「いずれも事
実に反する」「 氏に しては記者が長時間のイ
ン
ュ ー 取 材 を し て お り、 同 氏 の 評 論 を 『引
用』するまでもない」と批判する。また「田中氏
が論考の中で げたサイト『大
』中の 氏の
評論について、 社はその内容を
したが、同
一の文章はどこにも存在しない」と述べている。
この
反論に、田中教 が
上で 反論し
た の が、 前 掲 の 「朝 日 新 聞 『 の 』 の 用 問
題」 で あ る。 そ こ で は は っ き り 「 用」 と 断
し、「 の 」 1回 載に 場する
の
大 像 に する記述 ドイ
の 用
に する記述
の 行カードに する記述
── の 点 に つ い て 、 氏 の 評 論 の 原 文 を 掲 げ
て、この部分が引用の形 も取らず 用されてい
ると指摘している。
載の 9回は、
来氏から 害を けた
記者に する内容で、カ
に 在する 真も掲
載されているので、確かに
局長が言うよう
に朝日の記者が 氏にイン
ューしたことに疑
いはない。田中氏が げた 点の記述についても
確認したに違いない。 って、「 用」という表
)
(
国研 所理事長 てに)「筆者の指摘は事実無
き そん
であり、記者およ 同社に対する
である
から
、 訂 正 せ よ」 と い う
の書面が い
た。朝日からの
はそれにとどまらなかった。
田中氏が訂正を
と「 に同社の代理人という
から、 やかに訂正、
をしなければ、
的
を取る、という内容の『通 書』が ら
れてきた」という。
田中氏は「朝日新聞が事実
を
し、
な判断を すことを
したのですが、その
は見事に裏 られました」と きを せない。こ
の経 をつ った
の文章の イトルには「朝
日新聞『 の 』の 用問題」という表現が わ
れており、朝日の しい
に対する田中教 の
きと りが込められていると言えよう。
の
田中氏が訂正、
に応じない中で、田中論稿
が掲載された中国研 月報の2 1 年 月号に
朝日新聞の
信 中国 局長の「
来事 に
まった 載『 の 』を り って」との論稿
が掲載された。もともと
である同月報だ
が、朝日側の反論を掲載することで事 の
が
られたようだ。
局長はまず「この 載は、 社の記者た
ちが報道
の厳しい中国の にあって、
『伝聞』
形 を
して事実を る 事者の人 を一人
ずつたどって直 取材を重 たものであり、中国
共産 の
の 実 に る 『新 し い 中 国 報
11
現は たらず、 報 を していないというレ
ルの 問 題 と 言 え よ う 。
田中氏も指摘しているように 氏は長年、
来氏を
取材し 事
まで けた記者であ
り、その 報に間違いはないと朝日の記者も判断
したのだろう。ならば、 氏の 報だと した方
が、その 報の信 ょう性が増すことになる。
に 氏からの取材でないのなら、その取材 を明
すべきだろう。
局 長 は 「伝 聞 形 を
し て」 と 言
う。だが、記者の取材はそもそも とんどが「伝
聞」である。その伝聞 報をできるだけ 多くの
報 に たって確認していくのが記者の 事で
あり 、 筆 に た っ て は 、 そ の 報 を
な限
り すことが記者の
限の ラルでもある。
「 伝 聞 形 を す る」 こ と な ど 、 も と も と で き
ない 談 で あ る 。 そ れ を 実 現 す る た め に は 、 報
を っ ばし、記者がまるでその場にいたかの
ように くことだが、それは記者の ラルに反す
るこ と に な る 。 田 中
教 のように、記事の
にな っ た 報 を っ て い る
に「 用」では
ないかと疑われることにもつながる。 報 を取
材したからといって、 報 を さなくてもいい
とい う こ と に は な ら な い 。
の
長年本 で「メディア談
」を 筆され、
月 めに急逝された藤田博司氏( 共同通信論
長)の 書に『どうする 報
報道
の分
』(
ル 出 ) が あ る。 藤 田 氏 は
「よ り 正 確 で 公 正 な 報 道 を 実 現 す る た め に、 現 在
のニュース報道に何が けているか」と自問しな
がら、解 の手がかりとして「これまで日本のメ
ディアの現場で正面から 論されることのなかっ
た 報 の いがそれである」と指摘し、以 の
ように述べる。
「記 者 が 報 か ら 聞 い た 報 は、 記 者 の 直
の見聞ではなく、あくまで
報、間
報で
ある。取材した 報をありのままニュースとして
伝えるためには、だれから聞いたか、だれが何と
ったか、を書くのがまっとうな方 だ。他人か
ら間 的に聞いた 報を、あたかも自分が目 し
たかのように伝えるのは不正確であり、不正直で
ある。 報 はまた、ニュースに 害
をもつ
事者、あるいは
者である
性が い。そ
の人たちの言い分を、その人たちの立場を明らか
にしないまま伝えるのは、記者が一方的に 報
側の主張に
してしまう
もある。ニュース
の報道にあたって、 報 がだれか、どのような
立場の人 かを明 すべきたと考えるのは、そう
した
を けるためででもある。ニュース報道
のなかで 報 を明 することは、この意味でも
報道の信 性を めるうえで重要な意味を つ」
藤田氏は本 での
の論考となった「朝日の
で け る『公 正』実 の 無」( 月 号)で
も、「朝 日 問 題」が「朝 日 だ け で は な く、日 本 の
メディア全体が共 する問題」として、「朝日
き」に せず、ニュース報道の公正性について
10
10
のように論じた。「 体的には、 断や 見、思
い込みを し、
な限り事実を正確に伝えるこ
とを記者は められる。 報の確認と
を ら
ず、間違いがあれば やかに訂正する。自社に不
合な問題があっても 明責任を たす、そうし
た 本が られたかどうか」
藤田氏はそうした
が朝日問題の
で社会
的に 分でないと指摘しているのだが、それは
事者の朝日自身にまず められるはずだ。
この論考で私が も 目したのは、報道の日
の実 の中で「公正」の原 を げている要 の
一つとして「記事をより
的に見せるために実
体以上に り立てたい
」を げた点だ。 報
の明 という原 を っ ばして、一人 で書
き通す手 などは、まさに記事を り立てた
だろう。
厳しい取材
の 中 で、 来 の 中 国 報 道 に
べ、朝日の「 の 」は確かに大がかりで、長
にわたる り い取材を重 、中国の実 に る
載記事だったと評 したい。実 、社会的にも
大きな評 を けた。
だが、国 報道の責任者が「
人」まで ち
出して自 自 してしまっては、田中
教 の
しん し
ような批判に対して、真 な
もできなくなる
だ ろ う し、 明 責 任 を た す こ と も で き な く な
る。田中氏の批判に対して、自らを みることな
く、「
」 だ と 過 反 応 す る と こ ろ に、 過
おご
信と りの姿勢がうかがえる。それは一 の朝日
問題に通 している。
)
(
冬目前、遠い復興に不満
戦闘で大規模被害のガザ
0 )
(
け、 を している 性がいた。「たった一人の
な ん だ」。ア ラ ア ウ ニ さ ん( )が、 り 出
すような で訴えた。
自宅にいた 、 くで
があった。 のアー
ラーさん(9)がいた部 に け込 と、アーラ
ーさんが から を して れていた。「回 を
信じて私は っている。今は にただそれだけを
伝えたい」。アウニさんは ぶように言った。
は
者であ れていた。 に立てかけら
れた
は で っていた。 き や
も聞
こえた。ある
に入ると、小さな の子が ッ
ドに たわっていた。
の 性によると、 ッ
ドで る
イ ア
ス ち ん( )は
と 、 と共に
部の 上で
に い、
イ アち ん以外の 人は くなった。
性らは、
らが くなったことを らせて
ッ ク を え な い よ う に「
らも
にい
る」と伝えたが、
イ アち んは「うそよ、
んだんでしょ」と言って、 りに ちたという。
イ アち んは、 発 が 部から 中に
通、内 を
した。
が かれ、 がにじ
姿は
に
しい。 が
のだろうか、時
、 しそうに を がめていた。その小さな体
が自分の
と1 の 子と重なり、 が張り
けそうになった。直視することに
しさを覚え
た。
私が
で 問したことを、現 ス ッ の
性がアラ ア に して取材を めていた。 分
ど し た こ ろ、 性 が 通 を め た。 を 見 る
10
36
10
事作 開
の 月 日、
イスラ ルとイスラム原理主
ハ スが今
に入った。イ
年 、大
な
を行った。ハ スが実 支配 スラ ルの 問所を けると通 は、現 ス ッ
する レ ス チ 自
の 局者によると、
の 性
ー
ストが で えに来てくれて
では子どもを含 21
人以上が
。イス い る が、 こ の 日 は 誰 も い な か っ た。
すると
ラ ル側も
を中心に 人超が くなった。
「 しいので自分は行けない。代わりを った」
では多くの
も
された。イスラ ルとハ とのことだった。
を つ間ずっと「ブーン」という無人 の不
ス側の
合意 も
の みは く、
味な が に付いた。
を けるのではない
を目 前 に え 、
の不 は まりつつある。大
かと不 が何 も をよ った。
「 ュー」
な 害を けた
の
を報 する。
を り くような い がした。聞こえた
イスラ ルが
での 事作 に み ったの と
は 月 日。目的は
からの
だった。 方 に を けた の 間「ドーン」と に く
い 発 が き、
先で 煙が上がった。
イス ラ ル と ハ ス の 2 1 2 年 の
と
合
の 間だった。
意 、
勢は
的
だったが、今年6月
立ち上る煙を うぜんと見つめていると、よう
ごろ か ら 、
からイスラ ル のロ ット
やく が現れた。現 ス ッ が つ場所に
が増え めた。
する 中、いつもは多くの人と で
する は
6月から 月にかけて ル ン
で
散とし、所 に
で
された
が無 な
人少年 人が
さ れ て 体 で 見 つ か り、 そ の
、
ルサレムの レスチ 人少年が 害され 姿をさらしていた。
る事 が発 。イスラ ルと レスチ の 張が
まっていった。 レスチ
は、ハ スが経
的に 厳 し い
を
するためにロ ット
大の
。 っきりなしに 急
を 掛けたとの見方を した。
が
者を
込んでいた。ロ ーの 子に 掛
70
30
)
(
39
20
40
20
と、 お を 大 の が れ て い た。 彼 は を
つ。
イ アち んを った
に を
で
きなくなったのだという。「すまない」と言う彼
の を いた。
32
56
きの
一時
中の 月6日、
に入った。イ
スラ ル は 上 作 を め 、 ハ ス が イ ス ラ ル
の
を 掛けるために った
トン ルを
。 レ の映像などから多くの 宅などが
されていることは分かっていたが、実 に目にす
ると 、 そ の
の
の大きさに
された。
部 イトハ ーン。
の 、 れた
の
が くまで がっていた。見渡す限りのがれ しい 害が出た
の一つだ。「誰がどこで ん
き。辛うじて る 宅の には
を けたとみ でいたかも 明に覚えている」
。
した自宅で、
られる 大な 。
の とみられる さ
イーム ア ドさん( )が表 をこわばらせ
どのく みもできていた。イスラ ル の
の た。
ア ドさんによると、イスラ ルが
イ
しさをま ま と
っていた。
の
を め た の は 月 日 未 明。 同 日
中 に面する
の は厳しい。立っている
だけで が き出す。 り付ける日 しが い。 朝、 ( )と 人の 子とともに自宅から
「 を しに来たんだ」
。サ ル カ
ル さん しようとしたが、
が
っていたため、い
( )が に大 の を浮かべながら言った。
ったんは自宅に った。約 分 、意を し
出した。「道には多くの 体があり、
と 人の子どもは全
し て い て 無 事 だ 自宅から
や友 、 所の人ばかりだった」。 や 子
が、自宅はがれきの山と した。がれきの間から
を 上 げ た が、 立 ち ま っ て い る 時 間 は な
は や
、 ットレスがの き、そこに 通の は
市 の
があったことを辛うじて伝えていた。 く、 たすら げた。
辺りには
が っている。「 日、 体を
き い
容したんだ」。 くにいた 性が言った。発見を
つ きがらが、まだ っているようだった。
中、自宅を った
らの
場所となっ
「いつも があるように思えて ろうとする。 ていた国
の
を
た。 ち んの き
そして ったことに
き、体に
が れるよ
、何かを 込んでいる 理のにおい、たくさん
うな
ックを けるんだ」。
でオサ の
。 そ こ は、 多 く の
が らす 大な
バト ュさん( )が を がめた。
「 」となっていた。
教 の に かれた
の上で、 れた様子の
ラ
ン(断 月)中に、 ( )と 人の子
どもと出掛けた
宅が
を け、
の多く 子どもたちが になっていた。「 を され、
が
した。 くなった
はいないが、自分は っていた や も った」。 ハム アブコーサ
の から を った。「イスラ ル はあり さん( )が を とした。
とあら る
を そうとしていた。今までで一
事作 が まった 、
部の自宅から、
すごい
だ っ た」 と り っ た バ ト ュ さ 国
レスチ
事
(
)
ん。 らで ぶ ーち ん(6)を見 め「子ど が
する
市内の
に
した。アブコー
ものための 全な場所がない」とつぶやいた。
サさんは し い教 に 人以上で らしてい
市 部
イ 。今回の
で も
た。一時
で自宅の様子を見に り、
され
31
31
24
20
たことを った。「とても しかった」。目から
がこ れ た 。
の
内では、 面に
を き、
木に を く く り つ け て
間をつくり、人 が
していた。イ
ラハットさん( )
は
、
の
に
したがいっ い
で
の
に った。「お はないし、 を
もできない。毎日ここで っているだけ。未来
はな い 」 と し た 。
しかし
の
は、なかなか まない
のいら立ちに わりつつある。
から2カ月となる 月 日を前に
を
た。
イ の 上には っくり った
こげの
が り、
直 の
と大きな
はない。「 メントがなければ、 宅は
でき
な い」。
ル デ ィ ー ブ さ ん ( ) が、 重 が
付ける自宅のがれきに目を けた。
の 局者などによると、 宅
のため
メントなど 分な量の 材 入が急 だが、本格
していないという。ディーブさんは、子 6人
を含 9人
で、 ( )は
中。現在は部
を りて らしている。 事を見つけるのは
しく「(
が えず)部 から い出されるの
ではないかと不 だ」とうつ いた。
市のある 性( )の では メントを
って、
によって開いた や 井の の修理が
行われていた。「 市で メントを 入したんだ」
。
の 性は通 の約5 の
で メントを手
に入れたと 明、入手するための 介 も支 っ
たという。
、イスラ ルとハ ス側の
は
が
確認されていない。ハ スはイスラ ルなどによ
る
の解 や
、
の
を主張。し
かし
が大きく
する見通しは立ってい
ない。
からは
1週間 どで に、
が まなければ
は り されると主
張する も上がっていた。「 の
」に つ な が
りか ない火 がくすぶり けている。
)
(
10
33
55
て
では多く
も まれ
26
き か
イスラ ルの 事作 中、
の 人 が を と し た が、 日 新 し い
た。「 の子だよ。 めての子だ」
。 まれたばか
りのアル ち んが る部 の前で、ハ ムさん
( )が 少 し
し た 表 を 浮 か べ た。 ハ ム さ
んは「この子は大きな
だ。全ての ち んは
の
だ」と
を見せた。
性ががれきを からかぶる
が ーチ
ューブに公開された。世 的なブームになってい
る
をかぶる
支
を して、
に対する「
」を訴えるのが いだ。
の
によると、 性は
者支 の
を げる「アイス バ
チ レン 」のアイ
デアを に入ったため「 レスチ
を考えるこ
とにした」と 明。 性はがれきと した
の
前に立ち「 はとても大 で、 があっても(
で) らせることは しい」と した。
で多くの 宅が
され、 が不足し、
が
している
の
を、
ではなく
ー アで世 に訴えるその姿に、 して れな
い心の さを感じた。
イスラ ルとハ ス側の
合意が 月 日に
発表された。
の道 には人が り出し、
のハ スの が られ、
を つ が いた。
「と て も う れ し い。 大 き な
の中で
してい
た。
がついに わったんだ」。
市の 性
( )は 心した表 を浮かべた。
「大事なことは
この
と
が わ る こ と だ。
が
さ
れ、
になることを
」と した。
25
35
45
26
40
ネット
は
日の米
で
信
る』 の 中
にもこの
ウィーク」は、
産 す る」 と 書
『日 は ま た
「ニュー
に、 そ し て
ングウェーは小
で、「人
いた 。 月
レ
し
レ
が
を
うえん
られて
レ
感させた
伝
が
スにおいても、
容量のデー
ー
でもブロードバンド
められる映像コン
ン
サ
ーブルだけでなく無
的な
から無
した
えるにあ
し、
年を
、そして
長がブログで
1
が実現
ル
ハードルはなくなった。2
たり、ウィーラー
ログからデ
ローバンドからブロードバンド
通がさらに
み、
のメディ
し、その先にあるのは米社会で
の
な
」
が
はここから大
みは「19
事
で
大、経
が
ックに
感
けて
レ
れた。しかし、
、その間に
信 で き る「
存の レ
を
すると思われた。しかし、この時点で
間 ットワークで
月が
いつかず、 的な
通信を
くの
行」が
は大容量のデー
させる「
見ないまま 年
長は、
を
が来ると 感させる。
したことから、いずれ未来に
ットを通じて映像を
っくりと日が る時 が過
覚で
の大
行」も
レ
ウィーラー
チ ン
ル」という表
する言葉として「 ニア
自ソ
する形 を「オー
自サイト、
を している。これ
を編 し、その中で
者を
ット上の
する
現を用いる。 時間で
大限の視
に対しイン ー
末で映像サー スを
バー
レ
トや
が
て、
ットを介して
、
末などに けた
ト ッ プ(
=O
)」とし
o
e
e- op
ーブル、
の 存メディアに
、そ
え、
を一
的に
、
本の
このO
社会の
に見
チ
または見直しに み込
的なものにするためには
が必要との考えを した。
ス
のディ
が
」の 時 だ っ
を
年通信
ル
合させるこ
した
のデ
を
ル時代に
レ
と
はデ
を大
がドラ
る
を
みの
事 者の映像
(
を
=立
ンが
大
レ
教 )
げ掛けたことは間違
感させるアク
に入れる必要があるが、
題、さらに
にくくられたO
をめ
大
判所判断も
長の
内外に大きな
いない。
を問う
必要がある。これを実現するには新たな 念の
し
いた。例え
なメディア
合
局の B
サー
時代が 来。
の
ン
レ
年通信
な
ィアを見るためには大
ン
行が
、さらに
のはア
と
ロン
映像コン
ア
の
本としており、
通信
必要だとの考えである。
を
を見せた。 年代は
レー
では事
年代には共
み、
を目指して大
日)。
会
して
ー
合が実現し、大
ン
レ
点 は「
ログの
レ
された。これでデ
上
げられる。
ットワーク
インメント
サ
集中
ば、 年に
ニーが
く
たことなどが
これに
が
た。この中でア
ル
を断行し、
された。 年通信
通信
来に対応するために 年通信
行
とが
本格
直したもので、米社会の
20
24
前述 の 表 現 を 引 き な が ら 、 米
と
が起ころうとしているとの視点で、現
的なメディア
よう な 現
在の
デルの
についての論考記事を掲載し、
ス
通信
長が
に
事
eF )
e」と 題
の 通
が
レ
みを大
50
いる 大
来
ン
存の大手
の
」
ート
えて、大
)
(
の
わっている今日、
開されてきた
に来ていると指摘した(「
、ス
に米社会に
えている。
発信は、「いつでも、
末が急
ットのブロードバンド
体通信
25
産
日、米
10
行、 映 像、 そ し て 未 来
ウィーラー
の 月
ウィーク」、オンライン、 月
日
)の ト ム
それから
(「ニュー
(
イ ト の ブ ロ グ で「
28
(
e
o , V eo,
した 記 事 を 掲 載 し 、 映 像 コ ン
大き く
者を 中 心 に
する時
ー
オンライン、 月 日)。
イン
ン、
報の
な時代を
す る こ と で、
どこ で も 」
96
34
96
10
28
96
25
10
80
10
「
の
の藤田博司さんが急
」 の コ ラ ム 「メ デ ィ ア 談
通信 の 先
」
され、
で共同
同時
ックアップした「
わったのか」と
き、
ー
を
ムよ」が刊行された。一読して「これ
に、 年 間 の コ ラ ム 記 事 を
ー
どメディアが
の先
は
。
りと
国
の
い?
各紙は
月
解散
首
だ。
する重要性を感じた。そこで浮か
かん
増
。首
。一方、朝日は「大
るを
があるとは
ない」、
の
日の
」を
先
りなら
部が明らか
し
新報は
や
点ル などを
日報道。在 紙
を
」、
イム
では新
して
間中は公
史的な意
日の社
反対の本
の違いを見せたが、
に
だ っ た。
約から、2紙とも
とは
の
厳回
手が違った〟
の
と主張した。
時、
談で感じた
見直しを」と
の編集
部らとの
見 で
の自
い反発だっ
かった。
からの
いつつある
が
」と批判し
たい対応を
自
の
メディア
などで
り、報道を「
のメディアが
されているこ
ちになる。
主体の意 が
ただかず
したい
は 「メ デ ィ ア 談
」の
的
藤田氏
だ っ た。
日、朝日の木村伊量社長が辞任した。同紙の
き、応
りの勢
解もあったが、不信感は
とに、
主主 と
しい。私は、本
のメディアには、今も
た。
けた」ことを
「子どもの就
た。彼らは〝原点の体 〟として、
の は、 2 紙 な ど
に行った。現
論
スが「辺
報 が「
像するのはげ 〝
まで書いてい
きっかけは9日付読売朝刊の「増
解散」の記事。「
開
ー ク」以 上 の「
はあるにせよ「これ以上経
った上
」と 断
であることは間違
めない」と自ら見
った
は
りか。理
上
を
で 朝 日 は 「ま さ に
」と い う 言 葉 が
た し て「
本認
報」について、この欄は
田
。
と
者
会が
のための
者
の
え
か、慰
感が
が
つも、
会」も。「性格
され、さら
の
する にならなかった。
の朝日の対応に違
書」報道についてはやや意見が違うが)
。
く
回
が違う」というのだろうが、外部
に 「信
報道に する
例えば
ず、
た だ、 問 題 浮 上
(「
や、前号掲載の朝日OB山田厚史氏と わらない
私の
断だった 「
とされ
など、
17
に し た」 と し、
る。「
すの勘
と支
で、長
い な い。 社
とい」と表現した。これ
はあ
」という主張
容を一新して
開
じ、毎日は「発
な
るとともに、
いうちに局面を
が
意を
に対して読売の「支
し、新たな
に 「大
」
い。
「他に
」だろうが「新明解国
明は面
辞
」ではないのだろうか。
めるのは
レ
とい
を前に
は「あ
新聞や
分の
分」の
ずかしくない理由」。
ろめたさを感じないで、何かをやっての
)の「大
た。「大
(
対して
けるだけの
保
クス」の評
ず か し く も な い」
や
点は「ア
的自
の
ろめたくも
か。
るが、集
大の
にすべきだ。
を
イムスと
井真
され、反対を訴え
、判断材
開
の辺
が
紙の
市長が、容認の現
事
間
が分かれた問題も
の
県
日、米
点とした
前
お ながたけ し
事らを
った。
た 長
多
ろかず
4 )
(
して
かし
上が る の は 、 こ の 2 年 間 の 異 様 な
ないし
か
となった。
性があるとは思えない」と、反対ないし
思えない」、毎日「疑問を
「正
おなじみの対立
14
い?
れが確
開 の 中、 在
分に理解できる」、産経「信を問う
で取り上げた。要約すれば、読売
に 発 表 し た。 急
の
中に、
あれよあれよといううちの解散
の外
日、 正
、 日の社
いは
18
ことはおかしくない」、日経「一つのやり方」と、
は「
11
15
13
で、毎
16
12
とい う 点 で
に「
」だ(ちなみに
の
に
毎日 の 記 事 の 見 出 し は 「 朝 日 が ま た
報道
論を
」)。さ
国
ウ
」に
」の
」の
長だった
氏の対
、
田
藤
』の 新 編 が
評論
氏は『
の
の愛を支えに
集
オロ
「
視し過
ーを
で は な い か。
』 も、 イ デ オ ロ
てきた
の
ー的
するな
る裏で、イデオロ
めようとしている。それに対
的な人 を
」も『
ーを
を
いて大
な方
を
っ
限には時に
手が「中国人に
が
が
ア大会で日本
いような がします 」
けた中国の
前号で大きな間違いをした。ア
は
ちょっと
は実にきれいなものも出てくるんです 。そこが
的だ。「ああいう
体
ら、もっとイデオロ ー的に対応していくしかな
につ
氏が
』
」
藤氏は
ている言葉が
いと私は思う。対 集で
田氏が「できるだけ
イロットの〝感
の
月 に 刊 行 さ れ、 解
の作
目が集まっているようにも思える。
と
「
「大
体
の中で文
の問題点を指摘した。
藤氏は、
こうとする
。
」な時代になったとした。
」になり「感
作
つ
きの
心を
る内
に
を
になった。
の社会がイデ
」
ーの方
者が出てくる
や
の
用
の 用だと指摘した。共同通信の先
に言われて確認したら、レースで中国は日本に
せ
な
し、
す
っており、表現は正しいと分かった。私の思い込
ずかしい 報。
をおかけしたことをおわ
みによる勘違いで、 に
る人たちにご
をあげつらううち、
の 行を取り す。
の記者の不
〟 に な っ て い た の だ と 思 う。
な
ローカード」にしてもらい、
』自体の信用を いか
ない。こんなことでは、私とこの欄だけ
場」の覚
でやりたい。
(
=
ー
スト)
に 同 じ よ う な こ と が あ れ ば 「レ ッ ド カ ー ド で
い。今回は「イ
でなく『メディア
るを
が『はだ 〝上から目
らには好
る思いをさせた」と発言したという報道は、日本
的で感 的』 に
した。
付けられ
と言われてもおかしく
りと
」と
刊でも「
『反
メな小
小
』を読み「
的で、反
の
に読めるとしても、
私も『
ない。
いものはない」と書
ど、 感
ーが「
ーを入れなかった」と述べたことを
き
的な〟
時代を
カ派」
イデオロ
容
に
らない
に感
掛け〟のしたたかさと
な世
のは、社会
から見れば、この
ない」と思う半面、〝
者たちが
性を感じた。現
した
ではなく、身
首
き
〟の
田氏や〝お友
姿勢。
の
』しか
ン』しかないのと同様に、
で、原
しの
合だろう。ある年代以
外
から
体
げ、イデオロ
』と
教
『
つ目の時の 「
一
氏は『
というか、
も「
ンスは読 「
にするのは間違
氏はス
の
しようという意
の批判は
氏は明らかに「産経派」。 き、9月9日付
も、論
急に
にしたのは、ある
田、長
ン
大
ス ト が、 作
めた
長が入っていることも見過ごせない。
らに 、 慰
大
ーを
ー
ー
ストの
千子
田、長
氏を「いずれも超のつく
氏と長
少し前、コーディ
ム で、
田
、それに
と発 言 し た 。 私 は 「
氏は反
に 批 判 的 な 立 場 で、 一
いっ て い い が 、
主主
く、
い」 と 言 っ た 。 私 見 で は 、
売に
氏を
感覚〟で
つの
日付
いた小
月
で対
の
ー
ったのも、
介な
者らの読みのはずだ。「
っていても自分たちのイデオロ
いて『
は、
に 来 る、 そ れ が
しく
に
)
(
して 〝
では な い か 。
。
を
増 し〟 す る 考 え で は 、 と い う の は う が ち 過
の
部を
氏は「
する
はさらに
こうした事
13
〝
の
田 氏 の、
2
田中
だけ」と書いた。
に
ー
年になるのに合
と
まって 月で
大は大
を
し て 開 い た。
記 念 会」 は 、
会を
29
その
ロ
の 』が
評論
10
か。
『
刊で文
が
大、
ウムや
70
できるのは村上
で
ン
。「日本
わせ て 、
を開
に
10
NHKがネット配信で
基準発表
ー
んでい
(
ット
)は、
ットによる同時
会(
日本
めている。
けて、イン
ー
心を
番組放送中の展開に高い関心
正を
を
で、にわかに
者のイン
けた
スである。日本
事
このところ
るの が
信サ ー
この 6 月 の
大に
各社も井上
の
一方、
ップを取る形で、共同プラ
は、
ルール
が
などを
するもの。
ット配信する
の
正によ
に
け ら れ た「
する
に
する
ット
研
的な
用した
研
ー
のイン
ットを
まえてなされた。この
のイン ー
論を
会」において行われた
開に
会では、
の
大が認められ
視 者に
会など
的に新たなサー
、日本新聞
で、より
勢であり、国
すうせい
じない
の一方で、
が
を目的として
限に実
立された
のイン ー
用
とし
の
の
ット 開に
って判断すべきだとした。
めをかけようと、
スを任意
ではないとした。そして、
人であることを
できることは
に
の
がイン ー ットでのサー
つの
て行うことに して一
の
とは、
にとどまるものであること 市場
以
まえれば、無
体も一 の理解を しているとした。そ
スを開 することに
が
が時代の
ー
ま
の同
)
その
の
たって 公共性が認められること
ットでサー
信
を
を
する公
」
するか
として
の
との
するものであ
き そん
を支えるために国
は、「
まえれば、実
を主たる
が必要とした。
すべきものに
実した報道体
に実
ット
する
者が実
──である。
として
していないものや、
共
信
かといった視点での
ー
人であることを
については、
される
なイン
者が
性が問われるとし、
にとどまるべきものであり、
視
事
の
(
味したも
の無限
開の
体的には、 について 間
報通信
され
の
ッ
のイン
れといった意見があ
開の
の発表は今年6月の
に
この要
ット
けて出された。
の
たことを
しては、時代の
って、
開に
ト
国
を
みの中で
ー
」といった批
の
が行うイン
に、一
かった。また、公共
る一方で、これまでにも「
判も
スであるが
正だ。
外国を見ると、公共
(
ー
念を
などでは、公共
によるイン
ス
正は、 年 月に
ットでのサー
を行う新たな
ットを
者からの
することも指摘され
ンの
に実
ランスの
公共
国 のB B
(ド イ
信については
の
レ
がイン
ン)などで
)、
2ドイ
レ
ー
による
スがなされるべきだ、との内外の
ットサー
サー
えての
先
時
会)やドイ
(
ランス
ュニ
ー
ー
間事
に
開することが、その国の
にコ
性
国やドイ
用の
他方、
のイン
入されている。
について事前
まえ、公共
するため、
大を
みが
用した
意見も
の
ている。
の)の
ス
ている。また、公共
ット配信につ (
ー
され
的
を
存
んだ方
配信が
論が
の世
外国で実
に
レ
のイン
ットによる
と
う
がなされて
に
5局による意見
ー
ー
ームによる
レ
や、先
にはメディアの多様
会の分散
ット経由での
ー
発
かならない。
ット実
を付けた6月の
)
(
)会長が
ット
いて 、 在
きた 。
の視
ー
スの
るのは、イン
れがある。もちろん、これらの
てい る イ ン
な
の
の
ー
大に道
11
日に「イン
集 を 行 っ た。 こ の 要
12
目されているからに
は 月
28
」 を 発 表 し、 意 見
とし て
要
10
の
」の
の
わり
であれ
るもの
にとどまるかは、時代や
により
する市場全体にど
の
しては、
による
に
用
する必要があり、そ
ット
えるか考
ー
たって
に応じた所要の
に
し、国
大
を
者や
は
で あ っ て、
中
の
く視
な
報
に
」 に つ い て は、
するた
ット実
者に
ー
せてい
ッ
の
るを
ただ、
の
性が
に
な
ット 開に対
事」
者から、これら
に出している。
大を きか ないとの 念を か
ない」との意見を
体やメディア事
のイン ー
ー局5
の対応につい
では在
的な意味合いも いと言えよう。
れたように、
ー ット配信
プロ
さ せ て、
ットサー スを
開を見越し
のイン ー ッ
ー局、並
スの 体的
ェク
し、そこでの「見 し配信」について
事 局に
ット配信サー
がイン
付けから前
ー
の本格的な
きは今回の
討されることになろう。在
の
開の先にある
」的 な
と 行するためには、 信
の
本的
の全面的な同時配信といった本格的なサー
の
もちろん、
ス
の在り方に する 論
ット
開ま
があろうが、今回
ー
きを経る必要があ
の
正という手
と、
として本格的なイン
う よ
る。
な見直しを含めた公共
「
たものと言えるだろう。
ト
ー
、ローカル局の意見なども まえて、
かれている。
討を まえ、
て意見
局が合同で、イン
で
するけん
であり、今 の
し、 の意見が出されることは、ある意味で「約
急時において、国
に 必 要 と 認 め る も の」、「
の
の
会を
し た。「
産として
げている。
イン
し
大することによっ
のために、
害
ー
する
産の保
中」については「
の
を行う場合」
「ス
の
」を
心に応えようとする場合」「
と同時に視
共
ス」を
て社会的な
サー
めに
それでは、この
トが
に意見を
などの
に対してどのような反応があったのか。この
要
者
害
会や
今
集には日本新聞
者などが個
ー
で、イン
」を目的
局合同でイン
か、
意見
事
を
がこの要
のイン
るが、何といっても反応が大きかったのは、この
新聞社、
けるとい
は、
が
中」の
要
開に対してである。
す「
の考え方にも
ト
スを「
は
である
ットサー
」
ー
体的な
」など、
「
」のイン
しながらも、その
ー
中」
「
して、
「ス
して、
「
ット配信に
内容に
としたことを評
ー
例えば、
な見直しも
者としての自主自
的な実
を取ることが必要
の認
視
あると認められる場合には、その 「国
のイン
を
く
って は な ら な い 。 た だ し 、 ど の
ば「
を取り
とし た 。
そして、
のよ う な
の場 合 、
が
の
とし た 。 そ の 実
を自ら
まえて、
めている。
事
会は、その取りまとめで「この方
を
の意 見 も
研
の
するものであり、
会の取りま
な表現と
が無限
目を
大
教 )
)
(
う方
配
研
的かつ
体的な
念がある」としている。日本新聞
の判断によって対
という表現が多用され、
大される
なっており、「
に
は、
でには、いましばらく
イドライン
会も「
=上
は、そのための重要な一
(
であることもまた確かだ。
要 の
要
められ
ット実
では、その
会の
の一
正が認めた
が
な
する
、それに対する意見
大や、 月に
みとして
の
こ と か ら、 新 た な
ット
の
ー
要
に
の
つ」 と し た 。 こ の
のイ ン
行っ た 実
の
ー
が全く
のイン
目
の実
における
ていない。これには、
や、その指
すことを目的としていながら、判断に用いる指
。「
報のための
ット事
について、「
」に 分 け て
の
ー
レ
けてなされたものである。
集は 、 こ の
とめ を
イン
しては「
中」「
内 容 と し て、
前」「
前」 に
10
半藤一利、保阪正康
著
(
経 新報社=15
、
)
その上で保阪氏は「上部
の
者たちは、
部
の『
ム』を
するだけ
う ま
で な く、 上 手 く 用 す る」 と 今 の 社 会 的 風
、
に警 を発する。
上
によってあおられた
ム
は 「自 分 を 国 目 や 国 の
と一体 し
て、それを 悪を超越したものと考え、そのイ
デオロ ーを急 することが
であり、その
ために
を てることが
であり、それ以
外のものを認めさせようとはしない
な言
なのである。そして
者は
目
のために、この
ムを 用すること
を とする」と、半藤氏は ける。そして「
という
ュ スト
は、どうもわ
わ
を作り、それを断 として
するこ
とが、 を支 させるための 大の 心 とな
ると、そう考えているようです 。自分がそれ
に
できるようなストー ーを作り、それに
って国 に訴える」「ブレーンから トラー
のやり口を教えられて、それを手本にしている
ような がしてなりません」とまで言う。
氏は上部
をもてあそぶ 史修正主 者
や
だけでなく、
人 や スコ をも
やり に げる。
、彼らは「
ム」という言葉を けてきた。確かに「 前の
ムは めて
なものだった」。
69
あ
その
、彼らは「 大のドグ であり、悪し
きもの」として み ってきた。「
的な主
張をする人はその
をついてくる」と スコ
や の 点も 開してみせる。
前
の 史をきちんと
しない
、
自身を 害者でなく 害者とさえ
付け、
って中国や韓国の 害者の
ちを理解しな
い。そこから「日中韓を り回す
ム」 が ま れ る。 と り わ け、 出 メ デ ィ ア を
「 中、 韓を無責任にあおり 売にしている」
と批判する。
そして 人は
中に
『文
』
に 掲 載 の「 代 の 超 」対 談 を 起 す る。「彼
らが出した『 代の 国主 を
しなければ
いけない』という 論は正しかった」が「メデ
ィアも
人もきちんとした時代を論じるの
が、あまりにも 過 た」と
する。
彼らの 論は して き で わっていな
い。中国や韓国にも まる、あおられた国 的
ムの対立を解 する道 を して
いる。彼らは「
」の
ムの
に
を見いだす。保阪氏は「
年間、
をしないと めて国
を り ってきた
事実にこそ、日本人の
の
ムが
かされてきた」と評 。
い不信感を え
つつも、「人と人として付き合えば、
レ
ルの
ムは、 いに分かりあえる」
と
ムの
を
。他方で
指 者には「お いの
ムを
し合うことはやめるべき」だと警 する。 ア
アに きる全ての人に けられた現代史 の
〝 書〟として読んだ。
(高井 潔司 =
大 教 )
)
(
『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』
在 の
現代史 によるおなじみの対談で
ある。しかし、今回は少
が違う。
史の
重大な
局面に日本は立たされているとの認
から、 氏は日本人全体に対し、一大警 を
ち らしている。保阪氏は「
ないと
思うようになった」「このままでは、なんのた
めに
年があったかわからない。われわれ
の んだ道が、こんなに
に
な論理で
されていいのか」とさえ る。
といって、彼らの 論は「
」に り
かかり、 からの批判に手をこま く
人
のそれとは全く異なる。 氏の論点は多 にわ
たるが、 き めると「
ム」の問
題だ。
も
もそして スコ も、この
ムを 解し、 解し、 用しようと
して、「
いたら
」と い う
を み出
していると批判する。
保阪氏はまず
ムを上 、
の
2 に分ける。「上部
と は、
とか
など、
者が国 の
、あるいは国
の 長を
して
を める
」「
を
付けたり、目的を正
するのに った
り す る」。こ れ に 対 し、
と は「
時
代から 代になっても共同体に引き がれてき
た 理観、
、人 観など、そうした個
人、
の中にある
ム」である。
69
(
▼朝日社長が辞任
月
ただ かず
日、 木 村 伊 量 社 長
月 に 引 責 辞 任 し、 新 社 長 に は 渡
朝日新聞社は
)が
まさたか
辺雅隆取締役( )が就任すると発表しま
した。朝日の社長に、大阪本社社会部長、
の山田論考や、朝日批判の先鋒である週刊文集臨
分かりやすく分析したものとして好評でした。こ
れたものと分かりました。訂正します。
アルバム類から通夜の明け方までかかって、作ら
事な〝作品〟」と書きましたが、実は文子夫人が
▼異様な解散・総選挙
せんぽう
時増刊号『朝日新聞は日本に必要か』などを素材
に、朝日OB5人を含めて朝日問題を考える討論
分間の日中首脳会談
月 日)したかと思った
異様な握手で、ようやく
が2年半ぶりに実現(
会を開きました。主な内容を1月号で紹介します。
その朝日の行く末を誰よりも心配されていたで
あろう藤田博司さんが急逝されてから約2カ月。
ら、翌日の読売朝刊はそのニュースを押しのけて
そうです。先月号で朝日OBの山田厚史さんに書
(保田)
と ば が あ る が、 ウ ワ サ は 真 実 で な い 場 合 も 多
い。『…というウワサもある』というような形
の記事は一見客観的にみえるが、真実の記事と
は無縁である……ウワサだけでは新聞のニュー
スにならない」。今回の問題そのものではない
か。新人研修でたたき込まれたイロハのイであ
る。
小池コラムによると、新聞各紙は「報道の自
由侵害…」などと足並みそろえて韓国側の姿勢
を批判した、という。その上で「多くの問題で
厳しく対立した新聞が〝呉越同舟〟の格好。し
かし、そこに未来につながる意味はあったか」
という重い問い掛けをしている。
答えは書かれていない。代わりに答えよう。
「ウ ワ サ を そ の ま ま 記 事 に で き る、 と 勘 違 い し
ている限り未来はない。〝呉越同舟〟している
限り産経以外の新聞にも未来はない」
(千葉県柏市 井内康文 =共同通信社社友)
体、どうなっているのでしょうか。
先月号のこの欄で、葬儀場で映された映像は「ご 「来週中の解散浮上」が1面トップ。舞台裏は一
11
いていただいた「メディアは何のために存在する
10
自分で事前に用意されていたとしか思えない、見
10
のか」と題する原稿は、問題点の所在を的確に、
同編集局長出身の渡辺氏が就くのは異例の人事だ
10 25
14
月9日付の産経「主張」におかしな記述があ
る。それは「記事中にある風評の真実性も問題視
されているが、あくまでこれは『真偽不明のウワ
うわさは書き飛ばして良いのか?
「プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ」の 筆 者、小 池 新 氏 と サ』と断った上で伝えたものであり、真実と断じ
は昔、警視庁の記者クラブで共に過ごしたこと て報じたものではない」という。目を疑った。
前支局長自身も同じことを言っており、さらに
がある。彼は「理論派」で論理的。私は「直感
派」だったから肌合いは少しずれているが、言 「うわさをうわさとして書いて、なぜ悪いのか理
っていることはよく理解できる。私は小池コラ 解 で き な い」 と 述 べ、 欧 米 メ デ ィ ア の 間 に あ る
ムの愛読者である。彼は自他ともに「超辛口」 「うわさの中身を書くことは良くない」という指
と認める内容に反応があまりないのを寂しがっ 摘に反論している(毎日新聞、 月 日付朝刊)。
ているようだ。産経の前ソウル支局長の在宅起 ということは、個人だけではなく社全体の考えの
訴を取り上げた先月号の「〝呉越同舟〟に未来 ようだ。
こんな感覚で新聞を出していいのか。1965
はあるか」に一言申して慰めてみようか。
「新聞を読んでいるだけでは世の中は分から 年に共同通信に入社したとき新人教育用に渡され
ない」は、その通り。前ソウル支局長の問題記 た「記者ハンドブック」を引っ張り出した。その
事は、ウェブのニュースサイトだけに掲載され 「真実と公正」という章に「ウワサは記事にでき
た。だから産経の読者でも、ウェブを丹念にチ ない」と小見出しでばっちり載っていた。
「火のないところに煙は立たない──というこ
ェックしない限り目に入らない。
)
(
11
12
11
55
60
71
調 査 会 だ よ り
◎新政権の課題などで 1 月 9 日に講演会
◎「アジアの平和」でシンポ開催
新聞通信調査会は2015年 1 月 9 日(金)午
新聞通信調査会はアジアの平和への道を多
後 1 時半から午後 3 時まで日本プレスセンタ
角的に探り、それに向けてメディアの果たす
ーの当会会議室で 1 月定例講演会を開きます。
べき役割を討議するシンポジウム「アジアの
講師は時事通信社政治部長の阿部正人氏、演
平和とメディアの役割」を12月 2 日に東京駅
題は「総選挙後の新政権の課題と展望」です。
丸ノ内側の JP タワー・ホール&カンファレ
会場がいつもと違いますのでご注意ください。
ンスで開催。主な内容を来年 1 ~ 3 月号に分
11月の定例講演会の席上、開催日を 1 月 7 日
けて掲載する予定です。
(水)とお知らせしましたが、都合により日
訂正 11月号の記事「メディアは何のため
程を変更します。
に存在するのか~『朝日叩き』から見えるも
◎地震・火山活動で定例講演会
の」の13ページ下段の中見出し「誤報修正の
新聞通信調査会は11月19日(水)、日本プ
機会逃した97年の 3 部検討」から 8 ~ 9 行目
レスセンタービルの講演会場で定例講演会を
「外報部は、部長が大阪社会部の出身で」を
開催しました。講師は共同通信社編集委員兼
「外報部は、後に部長となる次長が大阪社会
しょざわ
論説委員の所澤新一郎氏、演題は「地震・火
部の出身で」と訂正します。
山列島の現状と未来~地下に潜む危機にどう
備えるか」でした。主な講演内容は2015年 1
〉〉〉通信社ライブラリーだより〈〈〈
月号に掲載する予定です。
《寄贈書籍・資料》
小林幹夫氏から
■
『中共研究』
(Sep. 15, 1979 VOL. 13 NO. 9)
■
『匪情研究』
(VOL. 1 No. 7-12 1967)など
中野正彦氏から
■
『新聞の讀み方に關する十二章』
(笠信太郎他、
中央公論社)■
『新聞の〝誤報〟と読者』
(神楽
子治著、三一書房)■
『外電とそのウラの読み
方』
(為田英一郎著、日本実業出版社)■
『ニュ
ーヨーク記者気質』(ルース・アドラー著、渡
定価150円 1 年分1,500円(送料とも)
発行所 公益財団法人 新聞通信調査会
〒100-0011 東京都千代田区内幸町 2 - 2 - 1
日本プレスセンタービル 1 階
☎ 03-3593-1081(代) FAX 03-3593-1282
E-mali:chosakai@helen.ocn.ne.jp
辺敏・佐伯五郎・川村哲夫訳、朝日新聞社)■
『西側報道支配への挑戦』
(ローズマリー・ライ
ター著、佐藤紀久夫訳、時事通信社)
《購入書籍》
●
『BOOKS ON JAPN』(森岡督行著、ビー・
いずれかの方法で購読代金を前払いしてください
◇郵便振替口座 00120-4-73467
エヌ・エ、3,990円)●
『電波・電影・電視』
(三澤真美恵編著、青弓社、3,990円)●『女性
記者』(千野境子著、産経新聞出版、1575円)
(通信欄に購読開始月も記入してください)
●『NHK 放送文化研究所年報 第57集』(201
◇ゆうちょ銀行 〇一九 店 当座 0073467
3)(NHK 放 送 文 化 研 究 所 編、 NHK 出 版、
(振り込む際、必ず上記アドレスにお名前、郵便番
号、住所、電話番号、購読開始月を連絡ください)
1,900円)●
『言論の自由~拡大するメディアと
縮むジャーナリズム』(山田健太著、ミネルヴ
印刷所 株式会社 太平印刷社
ISSN 2187-2961 Ⓒ新聞通信調査会2014
ァ書房、2,800円)
( 40 )