古代ローマ人の入浴と香油

古代ローマ人の入浴と香油
右京裕子
会員
古代ローマの公衆浴場
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四大文明の発祥の地は大河の近くで生まれ、そ
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の恵みの多くは水や泉から得てきた。世界を構成
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する基本の四大元素、火、空気、水、土の中でも
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4
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水は古代から不思議な特別なものとして扱われ、
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ギリシアの哲学者ミレトス学派のタレスは、万物
の根源は水であるとみなした。古代から人々は澄
んだ水は身体や魂のけがれを清め、癒すものとし
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て、飲料や沐浴に利用して、その治癒効果を実感
し伝えてきた。
古代ギリシアにおいて、治療の神アスクレピオ
【ローマのカラカラ大浴場の図面】
スを祀る神殿は医療の場でもあり、精神療法、物
1.玄関ホール 2.談話室 3.プール付き冷水浴場
理的医学療法、食餌療法、そして水療法を行う施
4.室内ドーム温湯室 5.蒸し風呂 6.体育館 7.遊戯場
設が備えられていた。古代ギリシアにおいては二
8.水道のある貯水槽、上部周辺には個室浴場
(シュライヤーのディンケルによる、1909 年)
つのタイプの風呂が見られる。まずバラネイオン
とよばれるものは、浴槽のある個人用風呂で、椅
広大な領土をたくさんの属州に分割して支配する
子のように腰かけて温かい湯を掛けてもらう女性
統治体制の確立、各地に植民市を建設することで
用のものだ。男性用の施設としてギュムナシオン
の都市文明の繁栄、道路、港湾施設や上下水道の
があった。18歳以上の男性が肉体を鍛える訓練
整備によって史上最強の帝国を確立した。もっと
の場所で、体育や道徳教育の施設でもあった。競
も繁栄したのは1世紀後半から2世紀にかけての
技場や水泳用プールを備え、その周りには着替え
5賢帝の時代で総合娯楽施設としての公衆浴場は
部屋、上部から水を浴びる水浴の部屋、香油を塗
ローマの都市にとって欠かせない存在となってい
る部屋などがあり、当時は非常に高価だった香油
った。
を塗ることで理想的な肉体美を鑑賞していたとさ
古代ローマの浴場はギリシアの影響を受けて発
れる。さらに討論のための部屋、講義室、図書室
達しバルネアとテルマエの2種類があった。バル
などからなっていた。これらの習慣は次の時代へ
ネアは紀元前5世紀から前1世紀の間にギリシア
と受け継がれていく。
のバネライオンの形やギュムナシオンの競技場や
紀元前753年に建国されたローマは、その後、
水浴場の痕跡が消えて、油や飲食品を売る店が増
王政、共和制を経て、紀元前27年にローマ軍に
え、床暖房や壁暖房が始まり、個人用の浴槽から
よる帝政が始まった。ローマ帝国は強大な軍事力、
共用の浴槽が生まれ、ローマ風のバルネアとして
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完成されてい った。それ が紀元前1世紀末には
は大
浴室に入り、 次に微温浴
浴室に入って
て体
もって冷温浴
型化
化した浴場 テルマエと して発展す
する。最盛期
期に
を洗ったり油
を
油をつけたり する。そし
して約50度
度の
は帝国中に約 1000も の公衆浴場
場ができた。 そ
高温浴室に入
高
入る。そこに
には40度の
の浴槽も備え
えて
のためには都 市の水道管 の完備が必要で、各地
地に
あり、湿度は
あ
は80%ほど
どもあった。大理石のベ
ベン
水を供給する ための水道 橋が建設され、今でも 多
チに腰を掛け
チ
け、銀や青銅
銅や象牙でで
できた肌かき
きを
くのものが使 われている 。また浴場
場の建設など
ど当
使って自分で
使
で体を擦るか
か、奴隷に擦
擦らせた。そ
その
時の建築の技 術的水準の 高さは驚嘆
嘆すべきもの
のが
後、微温浴室
後
室に戻り、ま
また油をつけ
けその後、冷
冷温
ある。有名な ローマのカ ラカラ大浴
浴場には16 0
浴室で体をさ
浴
ました。入
入浴を終える
ると全身に軽
軽く
0の席があり 、一度に2 300人が入浴できた
たと
油を塗り、希
油
希望によりム
ムダ毛を抜い
いてもらうこ
こと
いう。
もできた。体
体に香りをつ
つけてもらい
いたい者はも
もう
古代ローマ の人々にと って入浴は
は大切な日課
課で、
一度、塗油室
一
室へ行って香
香油を塗って
てもらった。 入
美容
容の重要な 部分でもあ った。裕福な人は複数
数人
浴後に油をつ
浴
つける習慣は
は日本人には
はなじみがな
ない
の奴
奴隷を伴い 、一日の数
数時間をそこで過ごした
た。
が、乾燥地で
が
では必須のこ
ことであった
た。高価な石
石け
料金
金を払った 後は裸にな り熱い床か
から足を守る た
んの代わりに
ん
に油を塗って
て垢を落とし
し、仕上げの
の油
めに木製のサ ンダルだけ をはいた。最初に塗油
油室
で乾燥や太陽
で
陽光、寒さか
からも肌を守
守った。裕福
福な
に入
入り大きな 壺から油を とって全身
身に塗る。そ
それ
人々は高価な
人
な香油を使う ことができ
きた。油は一
一般
から別の部屋 で体に砂や 粉をつけランニング、 レ
的にはこの地
的
地方特産のオ
オリーブ油が
が主であった
たが、
スリング、な どの運動を した。その後で、カル
ルダ
未成熟のもの
未
の、野生のも
ものなどオリーブ油にも
も
リウム(高温 浴室)、テピ
ピダリウム(微温浴室)、
様々な種類が
様
があった。その
の他に考えられる油には
は、
浴室)の3種
種の浴室をつ
つか
フリギダリウ ム(冷温浴
ヒマシ油、ゴ
ゴマ油、アー
ーモンド油、クルミ油、 ギ
った。基本的 には冷温―
―微温―高温
温―微温―冷
冷温
ンバイカ油、
ン
ゲッケイジ
ジュ油、乳香
香樹油などが
があ
の順
順に入り、 徐々に温め 徐々に冷していった。 香
り、香油の基
基剤としても
も利用された
た。
油の容器や洗 うための垢
垢すり器(ストリジル) を
公衆浴場は
は社会生活の
の重要な一部
部で公共の施
施設
として誰もが
が利用でき、 入浴の他、飲食、運動
動、
読書、哲学的
読
的議論などが
ができる場所
所でもあった
た。
歴代の皇帝ら
歴
は自らの名
名声を高める
るために公衆
衆浴
場を築き、裕
場
裕福な市民は
は名誉を得る
るために丸1 日
貸し切りにし
貸
して一般に公
公開すること
とも行われた
た。
西ローマ帝
帝国滅亡後は
は設備や維持
持費、人手の
のか
かる公共浴場
か
場は徐々に消
消え去ってい
いった。また
たキ
リスト教の普
普及により、 男女が集い
い裸になる公
公衆
【古代ローマの
の入浴道具】
浴場は不道徳
浴
徳なものとし
して禁止され
れ、洗礼のた
ため
道具
具をつるして持
持ち歩くための
のリングに、香
香油入れと2本
本の
の儀式や清潔
の
潔を保つもの
のとして教会
会や修道院に
に入
垢す
すり器(肌をこ
こすって、汗、
、垢、油をぬぐ
ぐい取る道具
具)が、
浴施設が備え
浴
えられていっ
った。
ひと
とまとめになっ
っている。
2
『ディオスコリデスの薬物誌』に見る香油・香膏類
とったバラを小桶に入れて、濃化油を加えて再び
濾すと 2 番油ができる。これを繰り返して 4 番油
ペダニウス・ディオスコリデス(AD40-90)に
まで得られる。別の方法はアンフルラージュ法で、
よって著されたこの書物は西洋医学・薬学の書『マ
バラの花びらの白い部分を切り落とし乾燥させる。
テリア・メディカ』として、ヨーロッパ世界にお
そこに油を注ぎ、8日ごとにバラを新しいものと
いて近世まで君臨してきた。彼の生涯についての
取り換えて40日間、日に干す。出来上がった香
詳細は明らかではないが、紀元 1 世紀頃の皇帝ネ
油を保存するというものだ。
ロとウェスパシアヌスの時代と重なり、ローマ軍
他にはマルメロ香油、コロハ(フェヌグリーク)
の軍医として地中海東部を中心に活躍していた。
香油、マヨナラ香油、メボウキ香油、ニガヨモギ
そこには、その地方で使われていた植物薬600、
香油、イノンド香油、ユリ香油、スイセン香油、
鉱物薬90、動物薬35ほどの情報が集められて
シコウカ(ヘンナ)香油、イリス香油などの記載
いる。分類記載の方法は人体への影響や効能によ
がある。
るもので、その第 1 巻が、芳香類、油類、香油・
ディオスコリデスの処方を読み解いていくと、
香膏類などだ。
古代ローマの人々が植物をどのように利用し、関
香油・香膏類には25の項目の記載がある。現
わりあってきたかが垣間見えてくる。
在の香油・香水の製法は、蒸留によって花や葉、
樹脂などの精油を作ることが基本であるが、この
参考文献
方法は後の時代に発達したものだ。古代エジプト
1)ウラディミール・クリチェク『世界温泉文化
から引き継がれた古代ギリシア・ローマにおいて
史』国文社
の香油の製法は3種類だったとされる。第1の方
2)R.コーソン『メークアップの歴史
法は、花や種子などを直接搾汁する方法で、初期
文化の流れ』ポーラ文化研究所
の段階ではよく用いられた方法だ。第2の方法は、
3)塚田孝雄『シザーの晩餐』時事通信社
獣脂の上に香の良い花をのせて、花を何度も新し
4)大槻真一郎・大塚恭男編集責任『ディオスコ
いものと取り換えて徐々に香りをしみ込ませてい
リデスの薬物誌』エンタプライズ
くアンフルラージュ法とよばれるものだ。第3の
5)大槻真一郎編集責任『プリニウス博物誌
方法は、花や葉などを65℃くらいに熱した油の
物薬剤篇』八坂書房
1994
西洋化粧
1999
1991
1983
1994
中に入れて香りを吸収させる方法でマセラシオン
(浸出法)とよばれる。この書物の中で解説され
る香油調製法のほとんどが第3の方法によるもの
だ。
右京裕子
バラ香油の調製法を見てみると、匂い茅を煮詰
プロフィール:
ハーブ研究家
めて濾したところへ油を入れ、乾燥したバラの花
NHK 学園専任講師
弁を加え、ハチミツを塗った手でかき混ぜて軽く
英国園芸療法協会指導員
搾ることを繰り返す。一晩おいて圧搾し、ハチミ
国際香りと文化の会会員
ツを塗った容器に入れる。これが 1 番油で、濾し
3
国際香りと文化の会
植