企画旅行契約における 安全確保義務と特別補償責任

誌上法学講座
【消費生活相談に役立つ旅行の法律知識】
第
5
回
企画旅行契約における
安全確保義務と特別補償責任
大橋 慧
(兵庫県弁護士会)
Ohashi Kei 弁護士
神戸ブルースカイ法律事務所。兵庫県弁護士会消費者保護委員会委員(旅行部会所属)
。
旅行契約によって旅行業者が負うこととなる安
はじめに
全確保義務について考えていきたいと思います。
また、標準旅行業約款上、旅行業者が負う特
第5回のテーマは、企画旅行契約における安
別補償責任についても説明します。
全確保義務と特別補償責任です。
近年、旅行中に旅行者が事故にあうという報道
に接する機会が増えています。アフリカでの日
安全確保義務
本人観光客を乗せた熱気球の墜落事故や、ヨー
⒈安全確保義務とは
ロッパでの列車脱線によって日本人観光客が負
傷した事故などは記憶に新しいのではないかと
安全確保義務とは、旅行業者が、旅行者に対
思います。
し、旅行中の旅行者の生命・身体・財産等の安
では、旅行中に事故が起こった場合、旅行者
全を確保するため、旅行目的地、旅行日程、旅
は事故によって生じた損害の賠償を誰に求める
行行程、旅行サービス機関の選択等に関し、あ
ことができるのでしょう。ここで、海外での企
らかじめ十分に調査・検討し、専門家としての
画旅行に参加し、バスでの移動中に事故にあっ
合理的な判断をし、また、その契約内容の実施
て旅行者が負傷したという事例を考えてみま
に関し、遭遇する危険を排除すべく合理的な措
しょう。
置をとるべき注意義務をいいます。
まず、バス会社への損害賠償請求が考えられ
旅行者と企画旅行契約を締結した旅行業者は、
ますが、海外にあるバス会社に対して損害賠償
企画旅行契約上の債務として、安全確保義務を
を請求するには言語の壁がありますし、裁判を
負うことになります。したがって、旅行業者が
するとしても海外の裁判所で提訴しなければな
この安全確保義務を尽くさなかったために、旅
らないなど、決して容易なことではありません。
行者に損害が生じた場合には、旅行者は旅行業
また、当該バス会社が実際に賠償金を支払える
者に対して、企画旅行契約の債務不履行を理由
のかどうかという資力の問題もあります。
とする損害賠償請求をすることができます。
⒉安全確保義務の根拠
この点、もし企画旅行を主催した旅行業者に
対する損害賠償請求をすることができるのなら
では、なぜ、旅行者と企画旅行契約を締結し
ば、被害を受けた旅行者にとって、救済の道が
た旅行業者は、このような安全確保義務を負う
開けることになります。そこで、今回は、企画
のでしょうか。
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実質的根拠としては次の3点を指摘すること
ています
(募集型約款 26 条)
。
⒊安全確保義務の具体的内容
ができます。
まず、①安全確保についての旅行者の依存性
では、旅行業者が負うこととなる安全確保義
を指摘することができます。募集型企画旅行に
務は、具体的にどのような内容を含んでいるの
おいて、旅行者は、旅行業者の作成した旅行計
でしょうか。この点は、訴訟となれば、旅行者
画に関与する余地はなく、単に応募しただけで
側で、安全確保義務の内容を特定し、かつ、義
あって、当該旅行計画の策定段階、実施段階の
務違反に該当する具体的事実を主張・立証しな
安全性について旅行業者に全面的に依存してい
ければならないため、注意が必要です。
ます。
ここで、旅行業者が企画旅行を実施するまで
また、②旅行業者の専門性が挙げられます。
には、①事前の調査 ②旅行計画の企画および立
旅行業者は、あらかじめ、自らの専門知識と経
案 ③旅行者への情報提供 ④旅行の実施という
験を駆使して安全な旅行計画を作成し、このよ
各段階を経ることになります。そして、旅行業
うな旅行計画の安全性を信頼した旅行者と取引
者はこれらすべての段階において安全確保義務
することを営業として利益を得ているため、専
を負うことになりますから、安全確保義務の具
門家として予想される危険を回避するべく合理
体的内容を考えるうえでは、この各段階におい
的な判断を尽くす責任があるのです。
て、旅行業者にどのような義務が発生するかを
さらに、③旅行者の身体の受動的な移動を指
考える必要があります。
摘することができます。募集型企画旅行におい
まず、①旅行業者は、日本国内において可能
ては、旅行者は、旅行計画に定められた行程や
な調査
(外国の旅行業者、公的機関等の協力を得
添乗員等の指示に従って、受動的に身体を移動
て行なう調査を含む)
・資料を収集し、旅行者の
させていくことになりますが、この事態は、旅
生命、身体、財産等に危険がないかをあらかじ
行業者が旅行者の身体をいわば預かっているこ
め検討する義務を負います。したがって、調査・
とにほかならず、旅行業者は、旅行者の身体の
資料の収集が不十分であった場合や、調査の結
安全の確保について責任を負うのが当然である
果、通常の旅行業者による検討によれば旅行者
と考えられるのです。
に危険が生じることが判明するにもかかわらず、
旅行業者が安全確保義務を負うことについて
それを安全であると判断した場合には、安全確
の形式的根拠(明文上の根拠)
も存在します。募
保義務違反が認められることになります。
集型約款 27 条1項は、旅行業者または旅行業者
次に、②旅行業者は、当該外国における平均
が手配を代行させた者が、故意または過失によ
水準以上の旅行サービスを旅行者が享受できる
り旅行者に損害を与えたときは、旅行業者が損
ような旅行サービス提供機関を選択し、これと
害賠償責任を負担することを規定していますが、
旅行サービス提供契約を締結する義務を負いま
ここでいう「過失」
には、安全確保義務違反が含
す。したがって、旅行業者は、少なくとも、当
まれると考えられているのです。また、添乗員
該外国における法令上の資格を有する旅行サー
は、旅行業者の履行補助者として安全確保義務
ビス提供機関を選定しなくてはなりません。
を臨機応変に尽くさなければなりません
(募集
さらに、③旅行業者は、旅行の目的地および
型約款 25 条)
。さらに、旅行業者は、旅行者が
日程、移動手段等の選択に伴う特有の危険(例
疾病、傷害等により保護を要する状態にあると
えば、
旅行目的地において感染率の高い伝染病、
きは、適切な措置を講ずるべき保護義務を負っ
旅行日程が目的地の雨期に当たる場合の洪水、
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未整備状態の道路を車で移動する場合の土砂崩
用自動車で走行して道路状況の確認及び所要時
れ等)が予想される場合には、その危険をあら
間の検討等を現実に行い、安全性に問題がない
かじめ除去する手段を講じ、または旅行者にそ
ことを確認して本体道路を含む旅行行程を確定
の旨を告知して旅行者自らその危険に対処する
した」
(括弧内筆者)
として、事前の調査・検討に
機会を与える等の合理的な措置をとるべき義務
義務違反はなかったとしました。また、
「運送
を負います。ここで、旅行業者に安全確保義務
サービス提供機関の選定について旅行業者が負
が課される実質的根拠として、旅行者には、専
う右
(安全確保)
義務は、前示のとおり現地の運
門知識と経験を有した旅行業者への依存性と信
送サービス提供機関について諸制約があること
頼があることを説明しました。このことを考慮
からすれば、原則として、旅行先の国における
すると、旅行者に対する情報提供は、分かりや
法令上資格ある運送機関と運転手を手配し、か
すい書面等でなされるなど、確実な手段によっ
つ、法令上運行の認められた運送手段を選定す
てなされないかぎり、安全確保義務を履行した
ることで足りるというべきである」
( 括弧内筆
とはいえないと考えるべきでしょう。
者)として、適切なサービス提供機関選択義務
加えて、④旅行業者は、旅行の実施中に旅行
の違反もなかったとされました。
者に危険を生じさせる事態に直面した場合には、
【②大阪地裁平成9年9月 11 日判決、
『交通事
当該事態に適切に対処する義務を負います。実
故民事裁判例集』
30 巻5号 1384 ページ】
際に当該事態に対処するのは、添乗員ですが、
この裁判例は、熱気球のゴンドラに搭乗して
添乗員は旅行業者の履行補助者といえますから、
いた旅行者が、ゴンドラ着陸時の転倒事故にあ
当該添乗員が適切な対処をしなかった場合には、
い、
傷害を負ったという事案に関するものです。
旅行業者に安全確保義務違反があったというこ
本件では、
「安全確保義務に違反するといえる
とになります。
ためには、右要請時に吹いていた風が、熱気球
旅行業者は、以上のような義務を負っていま
飛行には明らかに危険であると
(搭乗員が)認識
すので、これらのうち1つでも義務違反があれ
できるほど強いものであったことなどの事情が
ば、安全確保義務違反があったことになります。
認められることが必要であると解されるが、本
なお、実際の案件において、いかなる義務違
件において右のような事情を認めるに足りる証
反があるかどうかは、個別の事情によりますの
拠はない」
(括弧内筆者)として、請求を棄却し
で、相談業務においては、多くの事情を把握す
ました。
ることが重要となるものと思われます。
【③東京地裁平成 18 年 11 月 29 日判決、
『判例
⒋代表的な裁判例
タイムズ』
1253 号 187 ページ】
この裁判例は、南部アフリカツアーに参加し
安全確保義務について争われた代表的な裁判
り かん
てマラリアに罹患した男性が、帰国後に死亡し
例を3例紹介します。
【①東京地裁平成元年6月20日判決、
『判例時報』
たという事案に関するものです。本件では、
「本
1341 号 20 ページ】
件ツアーで滞在、訪問した地点におけるマラリ
この裁判例は、台湾での企画旅行中、バスが
ア罹患の危険性については、いずれもその可能
転落し旅行者らが死傷した事故に関するもので
性が極めて乏しいあるいは低いものであり、旅
す。本件では、
「旅行行程の立案・設定に当たっ
行一般において生じ得る各種の危険と比べて、
て被告(旅行業者)
の従業員三名を現地に派遣し
ことさらその危険性が高いものと認めることは
て、旅行行程中のバス行程部分の道路を普通乗
できないから、告知を要すべき格別の現実的な
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危険には当たるとは認めがたく、被告
(旅行業
1項)
。
者)において、マラリア罹患の具体的危険性に
以上のような約款上要求される旅行者からの
関する予見可能性もなかったものというべきで
通知は、旅行業者に事実関係の調査と証拠保全
ある」
(括弧内筆者)として、旅行業者の旅行者
の機会を与える趣旨で要求されているものであ
に対する事前の情報提供義務に違反していると
り、通知さえしておけば、損害賠償請求権自体
はいえないとしました。
の時効期間は、通常どおり5年間であると考え
企画旅行中の事故に関する裁判例のほとんど
られます。また、このような約款による通知が
は、旅行業者の安全確保義務違反を否定し、旅
必要とされるのは、債務不履行による損害賠償
行者の請求を棄却するものであり、旅行者に厳
を請求する場合のみであり、不法行為による損
しい状況であるといえるでしょう。
害賠償を請求する場合には、このような約款上
の制限は及ばず、通知なくして損害賠償請求を
することができるものと考えられます。
約款による損害賠償請求権の制限
⒈総論
特別補償責任
旅行業者が安全確保義務を尽くさなかったた
⒈特別補償責任とは
めに旅行中に事故が発生するなどして旅行者に
損害が生じたときは、旅行者は旅行業者に対し
特別補償制度は、企画旅行参加中の事故によ
て債務不履行(安全確保義務違反)
による損害賠
る旅行者の身体傷害
(細菌性食中毒を除く)およ
償請求をすることができるのですが、標準旅行
び手荷物損害に対し、一定の補償金および見舞
業約款では、この損害賠償請求権について、一
金
(以下、併せて
「補償金等」
)
を、旅行業者が帰責
定の制限をしています。
事由の有無にかかわらず支払うとする制度です
⒉手荷物について損害が生じた場合
(募集型約款28条1項・受注型約款29条1項)。
この制度の趣旨は、迅速に被害を受けた旅行
手荷物の損害については、損害の発生の翌日
者の保護を図る点にあります。
から、国内旅行の場合は14日以内、海外旅行の
場合には21日以内に、
旅行業者への通知があっ
特別補償制度については、標準旅行業約款の
たときに限り、賠償が認められることになりま
別紙・特別補償規程に詳細に規定されており、
す
(募集型約款 27 条3項、受注型約款 28 条3
①旅行者の生命・身体が害された場合と ②旅行
項)
。また、賠償額の限度は、旅行者1名につき、
者の手荷物に損害が加えられた場合に分けられ
15 万円とされています。ただし、旅行業者に
ます。
以下では、特別補償制度の概略について説明
故意または重過失がある場合には、賠償額は
15 万円に限定されずに賠償されることになり
します。
ます(同項括弧書き)
。
⒉旅行者の生命・身体が害された場合
⒊身体・生命等について損害が生じた場合
旅行者の生命・身体が害された場合に、補償
身体・生命あるいは手荷物以外の財産
(旅程
金等が支払われるのは、旅行業者が実施する企
変更による損害等)の損害については、損害発
画旅行に参加する旅行者が、その企画旅行参加
生の翌日から、2年以内に旅行業者への通知が
中に急激かつ偶然な外来の事故によって、死亡
あった時に限り、賠償が認められることになり
または身体に傷害を被った場合です
(特別補償
ます
(募集型約款 27 条1項・受注型約款 28 条
規程1条)
。
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ここで、「企画旅行参加中」
とは、旅行者が企
が生じた場合には、旅行者1名につき、死亡補
画旅行に参加する目的をもって旅行業者があら
償金の額に、後遺障害の程度に応じて規定され
かじめ手配した旅行日程に定める最初のサービ
る割合を乗じた額が支払われます。
スの提供を受けることを開始した時から、最後
③入院見舞金
(特別補償規程8条)
のサービスの提供を受けることを完了した時ま
旅行者が事故によって身体に傷害を被り、平
での期間をいいます
(特別補償規程2条2項)
。
常の業務または平常の生活ができなくなり、か
また、「急激かつ偶然な外来の事故」
とは、突
つ入院した場合には、入院日数に応じた見舞金
発的に、たまたま、旅行者の身体の外部からの
が支払われます。
作用によって生じる事故のことをいうと考えら
④通院見舞金
(特別補償規程9条)
れています。事故の被害を受けた旅行者
(死亡
旅行者が事故によって身体に傷害を被り、平
の場合はその法定相続人)には、次の補償金等
常の業務または平常の生活に支障が生じ、かつ、
が支払われます(表)。
事故の日から 180 日以内に3日以上通院
(往診
①死亡補償金(特別補償規程6条)
含む)した場合には、通院日数に応じた見舞金
旅行者が事故の日から180日以内に死亡した
が支払われます。
⒊旅行者の手荷物に損害が加えられた場合
場合には、旅行者1名につき、国内旅行の場合
には 1500 万円、海外旅行の場合には 2500 万
旅行者の手荷物に損害が加えられた場合に、
円が支払われます。
補償金等が支払われるのは、旅行業者が実施す
②後遺障害補償金
(特別補償規程7条・別表第2)
る企画旅行に参加する旅行者が、その企画旅行
旅行者に事故の日から180 日以内に後遺障害
参加中に生じた偶然な事故によって、その所有
の身の回り品に損害を被った場合です
(特別補
補償金等の種類
日 数
国内旅行
海外旅行
1500 万円
2500 万円
7日未満
20,000 円
40,000 円
7日以上
90 日未満
50,000 円
10 万円
90 日以上
180 日未満
10 万円
20 万円
180 日以上
20 万円
40 万円
3日以上
7日未満
10,000 円
20,000 円
7日以上
90 日未満
25,000 円
50,000 円
90 日以上
50,000 円
10 万円
最大 15 万円
最大 15 万円
死亡補償金
後遺障害補償金
償規程 16 条)
。
補償対象品は、旅行者が企画旅行参加中に携
行するその所有の身の回り品に限られます(特
別補償規程18 条1項)
。また、携行していた身の
回り品であっても、補償対象品とならない物品
が列挙されています
(特別補償規程18条2項)。
入院見舞金
通院見舞金
身の回り品の
損害補償金
表
事故の被害を受けた旅行者には、最大で 15
万円までの損害補償金が支払われます
(特別補
償規程 19 条3項)
(表)
。
⒋損害賠償責任との関係
特別補償責任は、旅行業者に責任がない場合
にも旅行業者に支払義務が生じるものでありま
すから、旅行業者に故意または過失があれば、
旅行業者は、特別補償責任とともに、損害賠償
義務も負うことになります。
したがって、旅行者の損害が補償金等の額を
上回る場合には、旅行業者に対してさらに損害
賠償請求をすることができます。
特別補償金
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