本州東部におけるチシマザサの潜在分布域の予測と 気候変化の影響評価

GIS −理論と応用
Theory and Applications of GIS, 2008, Vol. 16, No.1, pp.11-25
【原著論文】
本州東部におけるチシマザサの潜在分布域の予測と
気候変化の影響評価
津山幾太郎・松井哲哉・小川みふゆ・小南裕志・田中信行
Habitat prediction and impact assessment of climate change on Sasa kurilensis
in eastern Honshu, Japan
Ikutaro TSUYAMA, Tetsuya MATSUI, Mifuyu OGAWA, Yuji KOMINAMI and Nobuyuki TANAKA
Abstract: Relationship between Sasa kurilensis distributions and climate was modelled and
clarified at ca. 1-km2 spatial resolutions in eastern Honshu, Japan. Occurrence probability
was then predicted under both current climate and a future climate change scenario to
assess the impact of climate change. A classification tree model was used to predict the
potential habitat. Five climatic factors(warmth index: WI, minimum temperature of the
coldest month: TMC, summer precipitation: PRS, maximum snow water equivalent: MSW,
winter rainfall: WR)were used as predictor variables, and the species distribution data
obtained from Phytosociological Relevé Data Base(PRDB)was used as a response variable.
Deviance-Weighted Scores(DWS)revealed that the most influential factor for the species
distribution was MSW , followed by WI , PRS , WR and TMC . Predicted potential habitat
was divided into “suitable habitat” and “marginal habitat”, based on the optimal threshold
occurrence probability calculated from the ROC(Receiver Operating Characteristic)
analysis. Climatic thresholds of potential habitat were also detected. The area of suitable
habitats and marginal habitats were predicted to decrease 78.3% and 32.9% respectively, due
to decrease in MSW and increase in WI.
Keywords: 潜在分布域(Potential habitat)
,分布適域(Suitable habitat)
,分布辺縁域(Marginal habitat)
,
分布域の気候的閾値(Climatic threshold of habitat)
,分類樹モデル(Classification tree models)
1.はじめに
期間は,過去 1,000 年間で最も大きい.特に 1976
地 球 の 平 均 地 上 気 温 は,19 世 紀 後 期 以 降 か ら
年以降は,約 0.15℃/10 年という速さで進行してお
上昇を始め,この 100 年間で 0.6±0.2℃上昇した
り,その原因は人間活動に起因する可能性が高い
(Houghton et al., 2001).この昇温の度合いと継続
(Houghton et al., 2001). 地 球 の 気 温 は, 今 後 100
年間でさらに最大 5.8℃上昇すると予測されており,
津山:〒 305-8687 茨城県つくば市松の里 1
独立行政法人森林総合研究所 植物生態研究領域
Department of Plant Ecology, Forestry and Forest Products
Research Institute, 1 Matsunosato, Tsukuba, Ibaraki
305-8687, Japan
E-mail:[email protected]
こうした地球温暖化による森林への影響評価は,気
候変動に関する政府間パネル(IPCC)第 3 次報告
書における最重要課題の一つにも挙げられている
(McCarthy et al., 2001).
͘!22!͘
地球温暖化の森林分布への影響を評価・予測し
本研究は,チシマザサの分布を規定する気候変数
た研究は,欧米では数多い(Huntley, 1991; Huntley
と分布域の気候的閾値を明らかにし,現在と温暖化
et al., 1995; Iverson and Prasad, 1998; Berry et al.,
後の潜在分布域を予測し,温暖化によるチシマザサ
2003; Thuiller et al., 2005).日本においては植生帯
の分布への影響を評価することを目的とした.
なお,
(Tsunekawa et al., 1993; 野 上,1994) や, 優 占 林
本論の植物名は鈴木(1996)に準拠した.
(Uchijima et al., 1992),優占高木樹種を対象にした
研究(Matsui et al., 2004b)があるが,これらはい
2.研究方法
ずれも,植物分布データとして,環境庁が作成した
2.1.対象地域と植物分布データ
植生図に基づく 3 次メッシュ植生データを使用して
対象地域は,チシマザサの分布の中心地である本
いるため,林床植物は対象とされていない.
州東部(静岡県以東)とした(図 1).対象地域に
タ ケ 科 サ サ 属 の チ シ マ ザ サ(Sasa kurilensis
含まれる 3 次メッシュのセル数は,134,066 セルで
(Rupr.)Makino et Shibata)は,樺太,千島列島か
ある.3 次メッシュとは,全国を緯度方向に 30 秒,
ら鳥取県まで分布し(鈴木,1978),北海道,本州
経度方向に 45 秒(約 1 km2)のグリッドに区切り,
の日本海側などの,多雪地域の冷温帯から亜高山
それぞれに 8 桁のコード番号を振り当てたものであ
帯の林床における優占種である.東北地方におい
る(国土地理院,1998).
ては,全ササ類の現存量(1,860.7 万トン)のうち,
植物分布データは,
『植物社会学ルルベデータ
81.6%にあたる 1,518 万トンをチシマザサが占める
ベース(Phytosociological Relevé Data Base;以下,
と推定されている(林業科学技術振興所,1985).
PRDB)』(田中,2003; Tanaka et al., 2005;田中,
チシマザサは,密な群落を形成し,林床を被覆する
2007) の 2006 年 8 月 10 日 リ リ ー ス 版 を 用 い た.
ため,他の植物の定着や更新に強い影響力を持つ
PRDB は,様々な文献や資料に記載されている,植
(Nakashizuka and Numata, 1982;蒔田ほか,1995).
チシマザサの分布は,チシマザサの分布と環境
要因との関係に関する研究(Suzuki, 1961;薄井,
1961;Yoshino,1978;豊岡ほか,1981)や,耐凍
性や耐乾性といったササの生理的特性に関する研究
(酒井,1976;紺野,1977),生活型や地下部構造に
関する研究(Suzuki,1961;薄井,1961;豊岡ほか,
1985;Konno et al., 1990)により,積雪深と深い関
係があり,この理由として冬期の寒さと乾燥の被害
からの積雪による保護作用が重要な役割を果たして
いることが明らかにされた.しかし,チシマザサの
分布と気候との定量的関係を統計的に明らかにした
研究はない.
チシマザサは,多雪環境にのみ分布するため,温
暖化によって積雪量が減少した場合(井上・横山,
1998),ササ類の中でも特に大きな影響を受けるこ
とが予想される.また,林床の優占種として,樹木
の更新に大きな影響力を持つことからも,気候変化
がその分布に及ぼす影響を評価・予測することは,
図 1 対象地域とした本州東部の大地形と主な山脈・山地.
森林の保全管理計画を策定する上で重要である.
͘!23!͘
空間解像度は約 1 km,標高は気象庁(2002)に基づく.
物社会学的手法(Braun-Blanquet, 1964)によって
課,1985)
,気温が 1953∼1982 年である(岡村ほか,
得られたルルベ(Relevé=植生調査区)データを統
1989)
.3 次メッシュ気候値は,他に 2002 年版(気
合したデータベースである.ルルベデータには,ル
象 庁,2002)
( 統 計 期 間:1971∼2000 年 ) が あ る.
ルベの標高,階層構造,出現種名と優占度などの情
しかし,2002 年版は,統計期間の大部分に,気温の
報が含まれるため,林床植物のような,優占種以外
上昇が顕著になった 1970 年代後半以降(Houghton
の植物の解析が可能である.本州東部のルルベデー
et al., 2001)を含む.移動速度が遅い植物の分布は,
タは,1948∼1999 年の間に行われた植生調査で得
気候の変化にダイレクトに反応するわけではなく,
られたものである.各ルルベの地理情報は,3 次メッ
時間差をおいて変化すると考えられるため(大政,
シュコードまたは 2 次メッシュコードとして,記載
2003)
,現在の植物の分布を説明するには,調査時
情報(地図,地名,標高,地形,方位)から特定し,
点以前の気候データを使用することが望ましい.
入力されている(田中,2007).なお,2 次メッシュ
よって,ルルベの調査期間(1948∼1999 年)を考慮
コードとは,全国を緯度方向に 5 分,経度方向に 7
すると,現在の気候データとしては,1996 年版の方
2
分 30 秒のグリッド(約 100km )に区切り,それぞ
が適当であると判断した.本研究では,以後,1996
れに 6 桁のコード番号を振り当てたものである.
年版を「3 次メッシュ気候値」と呼称する.
チシマザサの分布データの抽出は,以下の手順で
気温条件を表す気候変数には,成長期の熱量の
行った.まず,PRDB の中から,3 次メッシュコー
指標として暖かさの指数(WI)(吉良,1948)を,
ドが特定済みで,かつ標高の情報を持つルルベを抽
冬期の低温の指標として最寒月の最低気温(TMC)
出した.空間集積性の影響を減らすため,同一 3 次
を 用 い た.3 次 メ ッ シ ュ 気 候 値 の 気 温 デ ー タ は,
メッシュ中に複数のルルベがあった場合,チシマザ
各 3 次 メ ッ シ ュ 内 に 分 布 す る 250mDEM(Digital
サの分布が確認されたルルベ(以下,分布有りルル
Elevation Model)の 16 地点の平均標高に基づき算
ベ)を優先して,標高 100m ごとに 1 ルルベのみを
出されているため(国土地理院,1998),PADD の
抽出した.これに基づき,優占度に関わりなく,チ
ルルベデータの標高との間に差がある.したがって,
シマザサが出現していれば有,出現しなければ無し
WI と TMC を計算する際は,各ルルベの標高と 3
とするデータセットを作成した(Presence Absence
次メッシュの平均標高とのずれを,月別の気温低減
Distribution Data;以下,PADD).その結果,全 3,269
率(草下ほか,1970)を用いて補正した.
ルルベ中,分布有りルルベの数は 596,分布無しル
水分条件を表す気候変数には,成長期の水分条件
ルベの数は 2,673 であった.
の指標として,夏期(5 ∼ 9 月)降水量(PRS)を
用いた.また,積雪量の指標として,最大積雪水量
(Maximum Snow Water Equivalent,以下 MSW)を
2.2.気候データ
2.2.1.現在の気候データ
用い,冬期の水分条件の指標として,冬期(11∼4 月)
日本列島の植生配置は,気候が現在とほぼ同じに
降雨量(Winter Rainfall, 以下 WR)を用いた.
なったとされる約 3000 年前頃には,ほぼ現在の自
3 次メッシュ気候値には,最大積雪深データが
然植生に近い状態になっていたと推定されている
収録されているが,関東地方南部など積雪の少な
(安田,1980).したがって,現在では多くの植物が
い地域のデータが欠損しているために使用できな
気候的に生育可能な地域に広がっており,その植物
い.そこで本研究では,『地域気象観測システム
分布は現在の気候値で説明できると考えられる.
(Automated Meteorological Data Acquisition System,
本研究では,ルルベデータと対応させる現在の
以下アメダス)』データ(統計期間:1979∼2000 年)
気候データとして 3 次メッシュ気候値(気象庁,
と 3 次メッシュ気候値を基に,MSW と WR を算出
1996)を使用した.3 次メッシュ気候値の統計期
した.MSW と WR を算出する際は,まず近隣 3 点
間は,降水量が 1953∼1976 年で(観測部産業気象
のアメダスポイントからの距離による加重平均に
͘!24!͘
よって 3 次メッシュ毎の日別平均気温と日別降水量
補正はかけていない.しかし,高緯度あるいは高標
を求め,これらを基に 3 次メッシュ毎の月別の 22
高域で,さらに積雪量が非常に少ない場合をのぞい
年平年値を作成した(以下,月別 22 年平年値).次
て,融雪期には気温上昇によって融雪が急激に促進
に,月別 22 年平年値と 3 次メッシュ気候値の平年
されるため,融雪係数の変動に対する推定最大積雪
値について,同一 3 次メッシュにおける差比(気温
水量の変化は小さい.そのため,本研究の解析結果
は差,降水量は比)を計算し,この差比データをア
に大きく影響しないと考えた.
メダスベースの 3 次メッシュ日別降水量と日別平均
気温に乗加算して,3 次メッシュ気候値の気候特性
2.2.2.温暖化後の気候データ
を反映させた 22 年各年の 3 次メッシュ日別気候値
『気候統一シナリオ第
温暖化後の気候データは,
を作成した.この各年の 3 次メッシュ日別気候値を
2 版』(以下,RCM20)(気象庁,2004)の 2081 ∼
基に,積雪過程においては日平均気温の閾値による
2100 年のデータを使用した.RCM20 は,IPCC の
降水形態の雨雪分離を行い,また融雪過程ではディ
地球温暖化第 3 次評価報告書による SRES 排出シナ
グリーデイ法によって融雪量を推定することにより
リオの A2 シナリオに準拠して作成された地域気候
(Kominami et al., 2005), 各 年 の MSW と WR を 推
モデルである.RCM20 の空間解像度は 20km メッ
定し,これを平均することによって MSW と WR を
シュであるため,本研究ではまず 2 次メッシュ(約
算出した.雨雪判別の方法は,Sugaya(2005)の
10km メッシュ)にダウンスケールし,その後 3 次
報告に基づき,気温が 0.5℃以下は全て降雪,4.5℃
メッシュ(約 1km メッシュ)にダウンスケールし
以上は全て降雨とし,その中間の気温(0.5 ∼ 4.5℃)
てから用いた.
の場合は,下記の気温−降水形態割合の一次関数(井
20km メッシュから 2 次メッシュへのダウンス
上・横山,1998)で近似して分離した.
ケールの方法は,Yokozawa et al.(2003)に準拠した.
まず,RCM20 の 20km メッシュごとに,RCM20 に
日降雪量=日降水量・(-0.25 ・日平均気温+ 1.125)
おける現在気候と将来気候の差(気温)または比
(降水量)を求めた.次に,最近隣の 20km メッシュ
ディグリーデイ法の適用に関しては,日々の融雪
4 グリッドからの距離による加重平均によって 2 次
量の絶対値の推定を行う場合には融雪係数の変動等
メッシュ毎の現在と将来の差比データを求め,ベー
の問題がある(近藤,1994).しかし,本研究にお
スライン(平年差法を用いて作成したアメダスベー
けるディグリーデイ法の使用方法は,日々の融雪量
スの 3 次メッシュデータ(清野,1993)を 2 次メッシュ
を求めるために用いられるのではなく,各冬期の積
単位で平均化したもの)に加算(気温),または乗
雪量の推移を推定するために用いている.したがっ
算(降水量)して反映させた(以下,RCM20M2).
て,本論文で使用する変数とその空間解像度(3 次
2 次メッシュから 3 次メッシュへのダウンスケー
メッシュ毎の MSW 平年値)においては,十分な精
ルは以下の通りである.まず,3 次メッシュ気候値
度であると判断した.
をベースラインとし,2 次メッシュ単位(100 セル)
融雪係数は,アメダス観測点のうち,自動積雪深
で平均値を計算し,上記の RCM20M2 データとの
計が存在する位置において,積雪深が 0 になった時
差(気温)および比(降水量)を求めた.この差比
点を消雪日と仮定し,アメダス観測ポイントにおけ
,ま
データを,3 次メッシュ気候値に加算(気温)
る各年の最適融雪係数を求めた.3 次メッシュにお
たは乗算(降水量)し,3 次メッシュの温暖化後の
ける融雪量推定時には,推定を行う地点から最も近
気候データを作成した.この気候データにもとづき,
い融雪係数が決定された地点の値を用いた.なお,
温暖化後の WI,TMC,PRS を算出した.
融雪係数の決定は,自動積雪深計による実測データ
MSW,WR は,3 次メッシュ気候値の 2 次メッシュ
を用いて行うため,3 次メッシュ気候値に対応する
単位で平均化したデータと,温暖化後の予測データ
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域で増加し,特に初夏から秋期にかけては顕著に増
加する.本研究で用いた 5 気候変数の本州東部に
おける変化をみると,WI は平均値が 84.0℃・月から
107.7℃・月に,TMC は -5.5℃から -2.7℃に上昇した
( 図 2). ま た,PRS は 916.7mm か ら 1,054.0mm に
増加し,MSW は 195.2mm から 89.4mm に減少し,
WR は 528.1mm から 561.6mm に増加すると予測さ
れた(図 2).
2.3.チシマザサの分布と気候変数との関係の解析
チシマザサの分布と気候データとの関係の解析に
は,ツリーモデル(Clark and Pregibon, 1992)を用
いた.ツリーモデルは,目的変量,説明変量ともに
数値変量と因子変量(カテゴリーデータ)の両方を
扱うことが可能な点や,モデルの構築が簡易で頑
健な点,説明変数間の交互作用を自動的に処理で
きる点,解釈が容易な点で優れている(De ath and
Fabricius, 2000).また,ブナ林の日本全国の分布
を気候変数から予測した場合では,一般化線形モデ
ル(GLM)や一般化加法モデル(GAM)よりも分
布予測に適したモデルであることが確認されている
(Matsui et al., 2004c).本研究では,目的変数にチ
シマザサの有/ 無データを使用したため,ツリーモ
デルのうちの分類樹モデルを用いた.説明変数には,
5 気候変数(WI,TMC,PRS,MSW,WR)を用いた.
分 類 樹 の 作 成 時 に は, 交 差 確 認 法(Clark and
Pregibon, 1992)により,最適な分離回数を確認し
た.また,各気候変数について,分離貢献度(DWS:
Matsui et al., 2004a)を算出し,分布規定要因とし
図 2 3 次メッシュ気候値
(気象庁,1996)と気候統一シナ
リオ第 2 版(RCM20,気象庁,2004)に基づく,
本州東部における現在 2081 ∼ 2100 年の 5 気候変
数の変化.
て の 重 要 度 を 判 断 す る 基 準 と し て 用 い た.DWS
は,説明変数ごとに,その説明変数による分離前
の親ノードと分離後の 2 つの子ノードの尤離度
(Deviance)の差を集計したものである(Matsui et
である RCM20M2 との差比を求め,これを反映さ
al., 2004a).分類樹の枝(図 6 の縦線)の長さは,
せた 3 次メッシュ日別気候値から算出した.
尤離度の減少度合いに比例しており,長いほどその
RCM20 による実験(気象庁,2005)によると,
要因による分離が重要であることを示す.なお,モ
気温は本州東部全域で年間を通じて上昇し,その度
デルによる解析には,S-PLUS2000(MathSoft Inc.,
合いは東北地方の太平洋側で最も大きい.降雪量
2000)を使用した.
は,全域を通じて減少し,中でも北陸地方における
減少が最も顕著である.年間降水量はほとんどの地
͘!26!͘
2.4.モデルの予測精度判定と潜在分布域の区分
(Zweig and Campbell, 1993).その評価基準は,0.9
モ デ ル の 予 測 精 度 の 判 定 は,ROC(Receiver
より大きければ Excellent,0.8 ∼ 0.9 が Good,0.7
Operating Characteristic)解析(Metz, 1978; Hanley
∼ 0.8 が Fair,0.6 ∼ 0.7 が Poor,0.5 ∼ 0.6 が Fail
and McNeil, 1982) に よ っ て 行 っ た.ROC 解 析
とされている(Swets, 1988; Thuiller et al., 2003).
は,予測精度の判定基準として一般的である Kappa
ROC 解析に際し,感度と特異度が共に 1 となる
(Cohen, 1960)と比較すると,Kappa は分布予測に
理想点(グラフの左上端)と ROC 曲線上の点との
おける感度と特異度(図 3)が一定の場合でも,全
距離が最も短くなるときの分布確率(モデルの適合
サンプル数に対する対象種の分布有りデータ数の割
度が最も高くなる分布確率)を求め,チシマザサの
合の変化に影響されるのに対し,ROC 解析では影
潜在分布域を分布適域と分布辺縁域(後述)に区分
響されない点や,全てのカットオフポイント(2 分
する際の閾値とした.
割を行う場合の分布確率値)における予測精度がモ
デルの評価に反映される点で,より信頼度が高い手
2.5.現在と温暖化後(2081 ∼ 2100 年)の潜在
法である(Zweig and Campbell, 1993; McPherson et
分布域の予測
al., 2004).
分布の有無データと気候データから作成したチシ
ROC 解析の際は,まず,モデルから算出された
マザサの分類樹モデルに,本州東部の現在と温暖化
分布確率群のうちの,ある一定の分布確率を分布有
後の 3 次メッシュ気候データを当てはめ,チシマザ
りと分布無しのカットオフポイントと仮定し,その
サの潜在分布域を予測した.本稿では,分布確率が
ときの「PADD における実際の分布の有無」と「分
ROC 解析で求めた閾値以上の値をとる地域を,
「分
布予測モデルによって予測された分布の有無」の組
布適域」とした.分布適域は,分布頻度や優占度が
み合わせから成る 2 × 2 マトリクス(図 3)を作成
高く,種の生存に適した環境にあると考えられる地
した.次に「実際に分布が有る地点に対する正答率」
域である.閾値以下の分布確率をとる地域のうち,
を示す感度と,
「実際に分布が無い地点に対する正
分布確率 0.01 以上の地域を「分布辺縁域」とした.
答率」を示す特異度を求め,X 軸に「1- 特異度」を,
分布辺縁域は,分布頻度や優占度が低く,種の生存
Y 軸に「感度」をとって,カットオフポイントを変
にあまり適さない環境にあると考えられる地域であ
更した場合の両指数の変化を座標上に順次プロッ
る.分布確率 0.01 未満(1%未満)の地域は,統計
トしていき,この結果作成される曲線(ROC 曲線)
的な観点から,ほぼ分布する可能性が無いと判断し,
の下部の面積(AUC;Area Under the Curve)を求
「潜在非分布域」とした.
めた.この面積の値は,0.5 以上 1 以下の値をとり,
なお,予測された潜在分布域等の地図化には,
1 に近いほどモデルの当てはまりが良いことを示す
GIS ソフト ArcGIS8.3(ESRI, 2003)を用いた.
3.結果
3.1.本州東部におけるチシマザサの分布
PADD において,チシマザサは,奥羽山脈以西
の日本海側全域と北上山地に分布した(図 4).垂
直的には,高緯度の東北地方では低標高域から高
標高域まで幅広く分布しているが,低緯度の関東
甲信越地方の内陸部では高標高域に偏る傾向がみ
られた(図 2,図 4).チシマザサの分布有りルル
図3
有 / 無データを用いた分布予測モデルの予測精度
を算出する際に使用する 2 × 2 マトリクス.
ベの 99%が出現する気候条件の値域は,WI が 29.1
∼ 99.9 ℃・月,TMC が -16.5∼ -2.1 ℃,PRS が 609.3
͘!27!͘
∼ 1,632.3mm,MSW が 99.2 ∼ 1,233.0mm,WR が
ROC 解析の結果,予測精度指数である AUC 値は
127.7 ∼ 1,514.6mm であった(図 5).
0.90 で あ っ た( 図 7).Swets(1988),Thuiller et
al.(2003)によると,この値は“Good”に判定さ
3.2.チシマザサの分布を規定する気候変数と閾値
れる.また,ROC カーブが最も理想点(感度,特
チシマザサの分類樹は,交差確認法によって最適
異度がともに 1.0 の点)に近づいたときの点(感度
な分離回数を求めた結果,①から⑨の 9 個のターミ
が 0.85,特異度が 0.85)の分布確率 0.182 を,チシ
ナルノード(以下,TN)に分離された(図 6).
マザサの分布適域と分布辺縁域を区分する際の閾値
とした(図 7).
分類樹モデル(図 6)から算出した DWS(分離
貢献度)の値から(表 1),各気候変数の分布規定
要因としての重要度は,MSW が最も大きく(DWS
合計の 80.3%),以下,WI(14.9%)> PRS(2.8%)
> WR(2.0%)> TMC(0.0%)の順であった.
チシマザサの潜在非分布域(分布確率 0.01 未満
の地域)
(TN ⑨, 分 布 確 率 0.002) は,MSW 97.7
mm 未満の地域に分布した(図 6).また,分布辺縁
域(TN ⑤∼⑧)は全て MSW 97.7mm 以上の地域に
分布し,分布適域(TN ①∼④)は全て MSW 215.6
mm 以上の地域に分布した(図 6).
最大積雪水量時の平均密度を 0.3g/cm3 と仮定し,
最大積雪水量を最大積雪深(Maximum Snow Depth,
以下 MSD)に換算すると,MSW 215.6mm は MSD
71.9cm に 相 当 し,MSW 97.7mm は MSD32.6cm に
図 4 PADD におけるチシマザサの水平分布と垂直分布.
相当する.本研究では,MSW 215.6mm 以上の地域
黒丸はチシマザサの分布有りルルベを,灰色丸は分布無しルルベを
示す.
を多雪地域,MSW 215.6mm 未満の地域を少雪地域
と呼称する.
分布適域のうち,最も分布確率の高かった TN ①
(分布確率 0.609)の気候条件は,215.6 ≦ MSW <
338.1mm,32.3 ≦ WI < 70.7℃・月,PRS < 1,203.0mm,
WR ≧ 306.8mm で あ っ た( 図 6).TN ④( 分 布 確
率 0.182)は,MSW,WI,PRS は TN ①と同条件で,
かつ冬期降雨量が少ない(WR < 306.8mm)気候条
件であった.分布確率が 2 番目に高かった TN ②(分
布 確 率 0.597) の 気 候 条 件 は,MSW ≧ 338.1mm,
32.3 ≦ WI < 70.7℃・月であった.また,TN ③(分
布 確 率 0.378) の 気 候 条 件 は,MSW ≧ 452.8mm,
WI ≧ 70.7℃・月であった.
図 5 5 気候変数軸により規定される空間上のチシマザサ
の分布.
黒丸は分布有りルルベを,灰色丸は分布無しルルベを示す.
͘!28!͘
図 6 チシマザサの分類樹モデル.
樹の頂点からスタートし,各ノード(節)で示される気候変数の条件を満たせば左に,満たさなければ右に進み,最終的にターミナルノード(分
類樹の末端)に到達する.各ノードには分布確率を示す.数字が太字のターミナルノードは,分布適域 ( 分布確率が 0.182 以上の地域 ) である
ことを示す.括弧内の数字は,各ターミナルノードに振り分けられたルルベ数を示す.①∼⑨は,分布確率が高い順に示したターミナルノード
番号である.
表 1 チシマザサの各説明変量の DWS
図 7 チシマザサの分類樹モデルの ROC 曲線.
X 軸に「1- 特異度」を,Y 軸に「感度」をとり,分類樹モデルの
全ターミナルノードの分布確率におけるそれぞれの値をプロッ
トした(白丸).黒丸は,理想点(左上端の点)に最も近い点
(モデルの適合度が最高となる分布確率)を示す. AUC(Area
Under the Curve)とは,ROC 曲線下側の面積である.
͘!29!͘
3.3.現在の潜在分布域の予測
PADD の分布有りルルベのうち,山岳に分布する
分布予測モデル(分類樹モデル)を基に,現在の
地点の多くが分布適域の範囲内に含まれていたが,
気候下における,本州東部全域におけるチシマザサ
低地や,山岳の辺縁部では,分布適域の範囲からは
の分布予測を行った結果,潜在分布域の 3 次メッ
ずれる地点があった(図 4,図 8-a).
シュセル数は 72,284 で,そのうち,分布適域(分
分布辺縁域は,奥羽山脈以西の日本海側の低地を
布確率≧ 0.182)が 26,067,分布辺縁域(0.01 ≦分
表2
布確率< 0.182)が 46,217 であった(表 2).
予測されたチシマザサの分布適域は,東北地方か
ら新潟県にかけての日本海側を中心とし,北上山地,
チシマザサの現在と 2081 ∼ 2100 年の潜在分布域,
分布適域と分布辺縁域の 3 次メッシュセル数と,
現在に対する 2081 ∼ 2100 年の 3 次メッシュセル
数の割合.
飛騨山脈,木曽山脈,赤石山脈の高標高域や,富士
山,筑摩山地,秩父山地の一部に分布した(図 8-a,
図 1).分布適域の範囲は,PADD の分布有りルル
ベの分布(図 4)と比べると,東北地方と日本海側
では良く対応したが,飛騨山脈,木曽山脈,赤石山
脈,富士山周辺などの,分布が確認されていない地
域も含まれていた.
図 8 チシマザサの潜在分布域の予測.
a)現在と,b)2081 ∼ 2100 年における分布確率.分布適域(分布確率≧ 0.182)は暖色系(①∼④),分布辺縁域(0.01 ≦分布確率< 0.182)
はモノクロ系(⑤∼⑧)で示す.⑨は,潜在非分布域(分布確率< 0.01)を示す.c)温暖化後の潜在分布域区分の変化.凡例の「適域」は分
布適域を,「辺縁域」は分布辺縁域を,「非分布域」は,潜在非分布域を示す.
͘!2:!͘
中心に,北上山地,足尾山地,浅間山地,筑摩山地,
ると,分布適域,分布辺縁域ともに,より高標高域
秩父山地,飛騨山脈,木曽山脈,赤石山脈,富士山の,
へ移動する傾向がみられた(それぞれ,平均値で
分布適域をはさむ低標高域と高標高域や,阿武隈山
830.0m から 1,218.9m に,514.5m から 699.2m に上
地と丹沢山地の一部に分布した(図 8-a).PADD の
昇)(図 9-a,b).山岳の最高標高が低く,現在の分
分布有りルルベのうち,分布適域に含まれなかった
布適域が山頂付近に限られる地域(例えば,恐山山
ルルベの 97.8%(90 地点中 88 地点)が分布辺縁域
地,津軽山地,佐渡島)では,それ以上高標高に移
に含まれた.
動できないために分布適域が消滅すると予測された
潜在非分布域は,東北地方から静岡県にかけての
(図 9-a).
太平洋側の地域の低地や少雪の山岳,内陸地域の低
4.考察
地を占めた(図 8-a).
本研究は,これまで行われたことのないチシマザ
3.4.2081 ∼ 2100 年の潜在分布域の予測
サの潜在分布域の予測を,植物社会学ルルベデータ
分布予測モデルを基に,2081 ∼ 2100 年の気候下
ベース(PRDB)と 3 次メッシュ解像度の気候値を
における,チシマザサの分布予測を行った結果,潜
用いた分布予測モデルを構築することにより,高い
在分布域全体の 3 次メッシュセル数は 36,667 で,
予測精度で行うことができた(図 7).この結果は,
そのうち,分布適域が 5,657,分布辺縁域が 31,010
チシマザサの分布が気候条件とほぼ平衡状態にある
であった(表 2).
ことを示すものである.また,本研究では,チシマ
予測された分布適域は,越後山脈から日光連山に
ザサの潜在分布域を,分布頻度や優占度が高く,種
かけての地域を中心とし,朝日山地,飯豊山地,妙
の生存に適した環境にある分布適域と,分布頻度や
高連峰のほか,八甲田山系,白神山地,八幡平山系,
優占度が低く,種の生存にあまり適さない環境にあ
早池峰山,焼石岳,鳥海山,栗駒山系,月山,蔵王
連峰,吾妻連峰,飛騨山脈,御嶽山,木曽山脈,赤
石山脈北部などの高標高域に山塊ごとに孤立して分
布した(図 8-b).
分布辺縁域は,日本海側の地域の山岳を中心に,
北上山地,飛騨山脈,浅間山地,筑摩山地,秩父山
地,木曽山脈,赤石山脈,富士山などの高標高域に
分布した(図 8-b).
潜在分布域の現在と 2081 ∼ 2100 年のセル数を比
較すると,分布適域は 78.3%減少し,分布辺縁域は
32.9%減少すると予測された.現在の分布適域のう
ち,77.5%が温暖化後に分布辺縁域に,また,現在
の分布辺縁域のうち,76.1%が温暖化後に潜在非分
布域になると予測された(図 8-c).地理的には,分
布適域および分布辺縁域ともに,低地を中心に全
域的に縮小すると予測された(図 8-a, b).分布適
域は,現在は比較的連続的な分布を示すのに対し,
2081 ∼ 2100 年には,分布域が山脈や山系ごとに孤
立し断片化した状態になると予測された
(図 8-a, b).
図9
潜在分布域の標高を現在と 2081 ∼ 2100 年で比較す
͘!31!͘
本州東部におけるチシマザサの分布適域と b)分布
辺縁域の垂直分布の変化.
る分布辺縁域に区分して示すことにより,潜在分布
気候条件の地域で,青森県から福島県にかけての奥
域の適合度の評価を可能にした.
羽山脈東縁部を中心に,白神山地や,北上山地の高
標高域,妙高連峰の南部,飛騨山脈の東縁部,赤石
4.1.チシマザサの分布を規定する気候変数と閾値
山脈の北部などの約 4,634km2 が該当した.TN ④は,
分類樹モデルによるチシマザサの分布と気候デー
MSW,WI,PRS は TN ①と同じ条件で,かつ冬期
タとの関係の解析の結果,本州東部におけるチシマ
降雨量が少ない(WR < 306.8mm)気候条件の地域
ザサの分布を規定する気候変数として,最大積雪水
で,北上山地の中央部,越後山脈の南端,日光連山,
量(MSW)と暖かさの指数(WI)が特に重要であ
赤石山脈北西部や飛騨山脈東縁部の一部などの約
ることがわかった(表 1).これまでの研究におい
594km2 が該当した.TN ②は,寒冷(32.3 ≦ WI <
て,チシマザサの分布は,大局的には積雪量で規
70.7℃・月)かつ多雪な(MSW ≧ 338.1mm,これは
定されると指摘されていたが(Suzuki, 1961;薄井,
MSD ≧ 112.7cm に相当)気候条件の地域で,奥羽
1961;豊岡ほか,1981),一方で,同一地域内のよ
山脈以西の日本海側の山岳と,飛騨山脈,木曽山脈,
り小規模スケールでは,地形(薄井,1961),ある
赤石山脈などの約 12,988km2 が該当した.TN ③は,
いは標高と地形の組み合わせ(林業科学技術振興所,
温暖な気温条件(WI ≧ 70.7℃・月)で,かつ豪雪環
1985)が規定要因になると指摘されていた.本研究
境(MSW ≧ 452.8mm,これは MSD ≧ 150.9cm に
2
は,3 次メッシュ(約 1km )という地形が表現さ
相当)にある地域で,秋田県中部以南の日本海側の
れにくい空間解像度で行ったため,地形は説明変数
低山(約 7,851km2)が該当した.
として用いなかったが,積雪の指標としての最大積
チシマザサの分布適域の MSW の条件は,寒冷な
雪水量(MSW)と,標高と相関の高い WI が重要
地域(32.3 ≦ WI < 70.7℃・月)では,215.6 ≦ MSW
な規定要因であるという点で,林業科学技術振興所
< 338.1mm または MSW ≧ 338.1mm であるのに対
し,温暖な地域(WI ≧ 70.7℃・月)では,MSW ≧
(1985)の指摘と符合した.
チシマザサの分布を規定する気候条件の閾値は,
452.8mm と,より多雪な環境に限定された.チシ
現地での観察や,チシマザサの分布と最大積雪深の
マザサは,地上部が凍害や乾燥害によって被害を受
等値線との対応関係を論拠にしたこれまでの研究
けた場合の回復率がチマキザサなどの他のササ類に
(Suzuki, 1961;薄井,1961;林業科学技術振興所,
比べて弱く(紺野,1977;Konno et al.,1990),雪
1985)では,示されていなかった.本研究は,気候
による保護が得にくい少雪地域では競争力が弱いと
変数の交互作用を分析できたことにより,潜在分布
考えられる.一方で,稈が基部で強く湾曲し,雪に
域が,積雪量の閾値だけでは説明されず,おもに最
被われたときに地面に伏して寝やすい性質をもつな
大積雪水量(MSW)と暖かさの指数(WI)の閾値
ど耐雪性は強く(紺野,1977;Konno et al.,1990),
の組み合わせによって規定されることを明らかにし
条件が良い場所では桿高が 2m 以上に大きく成長
た.以下に,その具体的な気候値と,対応する地域
し,上部に多くの葉をつける性質があり,多雪であ
を記す.
るほど競争力が強まると考えられる.温暖な地域で
チシマザサの分布適域は,多雪(MSW ≧ 215.6
は寒冷な地域に比べて融雪が起こりやすいため,上
mm,これは MSD ≧ 71.9cm に相当)で,亜高山帯
述のような性質をもつチシマザサの分布適域は,温
中部以下(WI ≧ 32.3℃・月)の地域に限定された.
暖な地域においてはより積雪量が多い地域に限定さ
TN ①は,亜高山帯中部から冷温帯下部までの寒冷
れると考えられる.
(32.3 ≦ WI < 70.7℃・月)で,かつ多雪(215.6 ≦
チシマザサの分布辺縁域は,寡雪(MSW < 97.7
MSW < 338.1mm,これは 71.9 ≦ MSD < 112.7cm
mm) な 太 平 洋 側 の 低 地(TN ⑨ ) を 除 く, 日 本
に相当),かつ夏期降水量が多くなく(PRS < 1,203.0
海側の冷温帯中部以下(WI ≧ 70.7)の地域(TN
mm), か つ 冬 期 降 雨 量 が 多 い(WR ≧ 306.8mm)
⑥,約 14,838km2)や,亜高山帯中部以上(WI <
͘!32!͘
32.3℃・月)の地域(TN ⑦,約 782km2),多雪(215.6
≦ WI < 70.7℃・月),もしくは豪雪(MSW ≧ 452.8
≦ MSW < 338.1mm) か つ 寒 冷(32.3 ≦ WI <
mm)かつ温暖(WI ≧ 70.7℃・月)な条件下に分布
70.7℃・月)で夏期降水量の多い(PRS ≦ 1,203.0mm)
することから,分布辺縁域の減少は積雪量の減少に,
2
中部地方の山岳(TN ⑤,約 1,559km )や,少雪(97.7
分布適域の減少は積雪量の減少と気温上昇に起因す
≦ MSW < 215.6mm)な太平洋側および内陸部の
ると考えられる.
2
山岳(TN ⑧,約 29,038km )に分布した.分布適
現在と 2081∼2100 年に共通して分布適域となる
域が主に中庸な気温条件に分布するのに対し,分布
地域を,温暖化後にチシマザサが残存する可能性が
辺縁域はその上部と下部に分布していた(図 8,図
高い地域として算出した結果(図 8-c,濃青色の地
9-b).
域),面積は 5,414km2 で,現在の分布適域の 20.8%
チシマザサの潜在分布域は,東北地方から新潟県
であった.その分布域は,奥羽山脈以西の日本海側
にかけての日本海側を中心に分布しており,PADD
の高標高域であった.温暖化後に分布適域や分布辺
における実際の分布(図 4)と良く対応していた.
縁域から潜在非分布域(分布確率< 0.01)に変化す
一方で,筑摩山地,秩父山地,木曽山脈,赤石山脈,
ると予測された地域(図 8-c,黄色と赤色の地域)は,
丹沢山地など,現在はチシマザサの分布が確認され
チシマザサの分布地域の中でも脆弱な地域と考えら
ていないが,今回のモデルでは潜在分布域と予測さ
れ,温暖化に伴ってチシマザサの衰退や絶滅が予想
れた地域があった(図 8-a).これらの地域は,チシ
される.その分布域は,奥羽山脈以西の日本海側の
マザサの分布適域が連続的に広がっている日本海側
低地と,北上山地の低地,佐渡島,および中部地方
の地域から盆地などによって隔離された地域である
の低地であった.特に感受性が高い地域として,佐
ことから(図 8-a,図 1),第四紀の気候変動に伴う
渡島があげられる.ここでは,温暖化に伴う積雪量
分布変遷の過程で,分布拡大が及ばなかったか,あ
の減少により,現在の潜在分布域(分布適域 17 セル,
るいは分布が消滅した地域と考えられる.
分布辺縁域 145 セル)のうち,1 セルを除く全てが
温暖化後に潜在非分布域になる.島という隔離され
4.2.温暖化に伴う潜在分布域の変化
た環境にあることからも,佐渡島はチシマザサの生
チシマザサの 2081∼2100 年の潜在分布域は,低
存が温暖化によって最も困難になる地域の一つと考
地で減少し,現在の約半分(50.7%)の面積になる
えられる.
と予測された(表 2,図 8).潜在分布域のうち,分
チシマザサが生育困難になる地域は,温暖化後,
布適域は,温暖化後,日本海側の高標高域に分布域
ササ類の中でも積雪が少ない気候に適応した種(例:
が限定され,山脈や山系ごとに孤立し,断片化した
チマキザサやアズマネザサなど)にとって好適な環
分布を示した.その面積は,低標高域を中心に縮小
境になると考えられる.ササ類は,地下茎を伸ばし
し,現在の 21.7%に減少すると予測された.分布辺
て栄養繁殖を繰り返すクローナル植物のため,分布
縁域は,日本海側の低地や,北上山地,奥羽山脈東
拡大速度は遅いことから(蒔田,1997),短期的(10
縁などの太平洋側や,長野県を中心とした内陸低地
年単位)に種が入れ替わることは考えにくい.しか
において縮小し,現在の 67.1%に減少すると予測
し,約 1 万年前の急激な温暖化時に,100 年単位の
された.RCM20 による 2081 ∼ 2100 年の気候予測
オーダーで,ササ類の種が移り変わっていたことが,
実験(気象庁,2004)では,気温の上昇(WI の平
早田(1997)による植物珪酸体の解析によって確認
均値で 84.0℃・月から 107.7℃・月に増加)と積雪水
されている.したがって,長期的には,温暖化にと
量の減少(平均値で 195.2mm から 89.4mm に減少)
もなってササ類の分布域が種間で入れ替わると考え
が特に顕著である(図 2).チシマザサの分布辺縁
られる.
域は,全て MSW 97.7mm 以上の地域に分布し,分
布適域は多雪(MSW ≧ 215.6mm)かつ寒冷(32.3
͘!33!͘
1,52-64.
謝辞
本稿を執筆するにあたり,筑波大学生命環境科学
研究科の上條隆志准教授,独立行政法人森林総合研
究所の堀川真弘博士に貴重なご意見をいただいた.
酒井 昭(1976)植物の積雪に対する適応.「低温科学(生
物編)」,34,47-76.
鈴木貞雄(1978)『日本タケ科植物総目録』,学習研究社.
鈴木貞雄(1996)『日本タケ科植物総目録 増補改訂版 また,気候データの作成に当たり,独立行政法人農
業環境技術研究所の西森基貴博士,独立行政法人森
日本タケ科植物図鑑』
,聚海書林.
清野 豁(1993)アメダスデータのメッシュ化について.
林総合研究所の大丸裕武氏に多大なご協力をいただ
いた.この場を借りて御礼申し上げます.本研究は,
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(2007 年 5 月 8 日原稿受理,2007 年 12 月 20 日採用決定)
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