環状共役系の構造と安定性の関係に対するグラフ理論による考察

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環状共役系の構造と安定性の関係に対するグラフ理論に
よる考察
仲上, 祐斗
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2014-12
http://doi.org/10.14945/00008719
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静岡大学
博士論文
環状共役系の構造と安定性の関係に
対するグラフ理論による考察
2014 年 12 月
大学院 自然科学系教育部
光・ナノ物質機能専攻
仲上
祐斗
目次
1.
序論
1.1.
背景
1
1.2.
目的
5
1.3.
参考文献
8
2.
理論
2.1.
Hü ckel分子軌道法
10
2.2.
グラフ理論的なヒュッケル分子軌道法の解釈
18
2.3.
Topologaical Resonance Energy
23
2.4.
磁場存在下でのヒュッケル分子軌道法
26
2.5.
磁場存在下でのヒュッケル分子軌道法の拡張
34
2.6.
Magnetic Resonance Energy と Circuit Resonance Energy
39
2.7.
Bond Resonance Energy
41
2.8.
結合の手の数と最大固有値の関係
43
2.9.
参考文献
50
3.
Topological Resonance Energy の π 電子数依存性
3.1.
概要
52
3.2.
導入
52
3.3.
理論
53
3.4.
同一のサイズの環が縮環した多環式共役系
54
3.5.
フラーレンにおける TRE のπ電子数依存性
66
3.6.
異なるサイズの環が縮環した多環式共役系
74
3.7.
非環状共役系を含む環状共役系
81
3.8.
TRE のπ電子数依存性の理論的考察
103
3.9.
結論
116
3.10. 参考文献
4.
117
Bond Resonance Energy の π 電子数依存性
4.1.
概要
120
4.2.
導入
120
4.3.
理論
122
4.4.
同一のサイズの環が縮環した多環式共役系
123
4.5.
フラーレンにおける min BRE のπ電子数依存性
134
4.6.
異なるサイズの環が縮環した多環式共役系
140
4.7.
非環状共役系を含む環状共役系
147
4.8.
結論
149
4.9.
参考文献
149
5.
ポルフィリン類におけるマクロ環と分子全体の芳香族性
5.1.
概要
152
5.2.
理論
152
5.3.
ポルフィリン類の芳香族性
153
5.4.
MMCP の(4n+2)πのヒュッケル則の理論的裏付け
169
5.5.
結論
174
5.6.
参考文献
174
6.
平面ホウ素クラスターにおける芳香族性の解析
6.1.
概要
175
6.2.
導入
175
6.3.
理論
176
6.4.
平面ホウ素クラスターにおけるπ軌道の存在
180
6.5.
平面ホウ素クラスターに対する TRE のπ電子数依存性の解析
201
6.6.
結論
203
6.7.
付録
204
6.8.
参考文献
208
7.
参照グラフの探索と性質の模索
7.1.
概要
211
7.2.
導入
211
7.3.
理論
212
7.4.
既知の参照グラフについて
215
7.5.
参照グラフとなる条件について
217
7.6.
参照グラフの探索
224
7.7.
車輪型分子の参照グラフ
257
7.8.
結論
262
7.9.
参考文献
262
8.
過剰に見積もられた benzene の Homodesmotic Stabilization Energy
8.1.
概要
264
8.2.
導入
264
8.3.
理論
265
8.4.
結果と考察
266
8.5.
結論
282
8.6. 参考文献
283
結論
284
10. 謝辞
286
9.
1. 序論
1.1. 背景
芳香族分子と言えば、benzene を思い浮かべる人は多いだろう。benzene に代表される芳香
族分子は、不飽和結合をもつにも関わらず、反応性はあまり大きくなく、付加反応よりも置
換反応を好む。この性質は、分子内の環状π電子系が、特有の熱力学的安定性をもつことに
由来すると考えられている。こういった分子を芳香族分子という [1]。芳香族化合物の化学
には、長い歴史がある。1865 年に Kekulé が、benzene の構造が 6 員環構造であることを提唱
した。しかし、環状共役に関わる安定化エネルギーを、見積もる方法が確立したのは比較的
最近である。それまでに、benzene の安定性を説明しようとして、多数の理論が提案された
が、どの理論も一般性に欠けた。
芳香族性を見積もる方法を、最初に見つけたのは Dewar らのグループである。彼らはまず、
1965 年に鎖状ポリエンの原子化熱に加成性があることに気付き、それをもとに、環状共役に
起因する分子の安定化エネルギーとして、Dewar Resonance Energy (DRE)を見積もった [2-4]。
その後、1971 年に Hess と Schaad が Dewar らの理論とヒュッケル分子軌道法を用いて、共
鳴エネルギーを定義した [5-7]。1970 年代後半に、相原らによりヒュッケル分子軌道法をグ
ラフ理論的に解釈することで導かれた、環状共役特有の共鳴エネルギーが定義された [8-11]。
この共鳴エネルギーは Topological Resonance Energy (TRE)とよばれ、芳香族性のエネルギー
的な指標となっている。また、同様の理論の枠組みで、環状共役分子の反応性については Bond
Resonance Energy (BRE)とよばれる指標がある [12-17]。この指標は、フラーレンの孤立 5 員
環則をうまく説明し、場合によっては、TRE よりも高い実用性をもつ。
芳香族性は、熱力学的性質だけでなく、磁気的性質にも特徴をもつ。芳香族分子は、大き
な反磁性磁化率を示すのである。一般に、磁場の中で不安定化する物質を反磁性物質といい、
反磁性磁化率は、反磁性物質が磁場の中で不安定化する程度を表す。エネルギー的に安定な
芳香族分子ほど、反磁性磁化率は大きいということが知られている [18-21]。相原によって、
磁気的な側面からも芳香族性が解釈された [19, 22, 23]。その結果、熱力学的側面と磁気的側
面で、芳香族性の統一的解釈が可能となっている。
しかし、芳香族性の統一的解釈が可能となったとはいえ、いまだ理論の発展の余地は多く
残っている。その一つが計算の複雑さである。TRE の計算は、高性能なコンピュータを用い
ても、多環式共役系で原子数が多くなると、かなりの時間がかかってしまう。100 原子を超
1
える多環式共役系の計算は非現実的と言ってもよいだろう。この点で、TRE を計算するにあ
たって、より良い計算方法や、TRE の代替となる方法が求められる。一方で TRE という、あ
る程度のサイズの分子の芳香族性を見積れる、汎用的な指標が開発されたが、芳香族性に関
する性質は、指標によって判明するものではない。近年、芳香族性の統一的解釈が可能とな
って、計算方法が確立されたので、これからは多環式共役系における芳香族性の、特殊な性
質を明らかにすることが必要である。
2014 年 4 月 28 日に於いて、
“要約”と“請求の範囲”のいずれかに、芳香族を含む、公開
特 許 公 報 の 検 索 結 果 を Figure 1.1.1 に 示 す 。 こ の 検 索 に お け る 対 象 と 期 間 は
http://www.ipdl.inpit.go.jp/Bunchiku/tjbunchikukt.ipdl に示されている。ただし、2014 年 4
月 28 日までのデータである。また、2014 年 11 月 6 日に於いて、Thomson Reuters 社による
Web of Science で検索した結果、タイトルに“aromaticity” OR “aromatic-character”を含
む論文数が 1479 本、トピックに含む論文数が 9523 本であった。年代別推移と被引用数の年
代別推移を Figure 1.1.2 から Figure 1.1.5 に示す。なお、Web of Science で aromatic-character
というキーワードは、aromatic character というキーワードも含む。検索における詳細は、
http://images.webofknowledge.com/WOKRS515B5/help/ja/WOK/hs_search_rules.html に示さ
れている。対象とした年代は、1950 年から 2014 年 11 月 6 日である。
公開特許公報件数
8000
7000
6000
5000
4000
3000
2000
1000
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
0
Figure 1.1.1
要約+請求の範囲に芳香族を含む公開特許公報の年代別件数。横軸が年代、縦
軸が件数を示す。
2
Figure 1.1.2
Web of Science においてタイトルに aromaticity か aromatic-character を含む
年代別論文数。横軸が年代、縦軸が論文数を示す。
Figure 1.1.3
Web of Science においてタイトルに aromaticity か aromatic-character を含む
年代別被引用数。横軸が年代、縦軸が被引用数を示す。
3
Figure 1.1.4
Web of Science においてトピックに aromaticity か aromatic-character を含む
年代別論文数。横軸が年代、縦軸が論文数を示す。
Figure 1.1.5
Web of Science においてトピックに aromaticity か aromatic-character を含む
年代別被引用数。横軸が年代、縦軸が被引用数を示す。
Figure 1.1.1 より、公開特許公報件数は、毎年 4000 件以上と高い推移である。特許権は発明に対
して付与される権利であり、権利を得るためには経済的な負担もあるため、産業的に有用である
場合に申請される。つまり、産業として芳香族というキーワードが高い注目を浴びているという
4
ことである。また、Figure 1.1.2 と Figure 1.1.4 より、論文数は増加傾向にあることも分かる。
Figure 1.1.3 と Figure 1.1.5 より、被引用数が加速度的に増加していることからも、芳香族性と
いう概念の必要性が、年々増加していることが示唆される。このように、芳香族性の研究が、現
在も盛んである。
多環式共役系の芳香族性の性質の一つとして望まれる、多環式共役系におけるヒュッケル
則のような直感的な指標はいまだ見つかっていない。系を限定した拡張ヒュッケル則がある
が、改良が必要だ[24-29]。また、現状正しい理解をされていないことが多い、ポルフィリン
などのマクロ環を有する系の芳香族性について、解析を行う必要がある[30-42]。一方、ホウ
素などのクラスターにおける芳香族性の解釈も重要である[43-48]。また、芳香族性のベンチ
マーク的役割である、benzene の芳香族性についても、いまだに議論の余地がある[49,50]。
こういった理論的課題の解決は、理論的に興味深いだけでなく、分子設計や芳香族分子の
HOMO-LUMO ギャップの制御といった点で、実験的にも興味深い。環状共役系の構造と安定
性の関係を解釈することは、芳香族性そのものを更に理解することに加え、上記の観点から
有用である。また、ポルフィリンの化学、ホウ素クラスターの化学など、各分野で得られて
いる既知の芳香族的な解釈を解析することで、理論的な保証を行い、更なる法則を発見する
ことが期待されている。
1.2. 目的
環状π共役による特別な安定性である芳香族性については、理論的にも実験的にも多くの
興味深い性質がある。特有の反応性、磁性、安定性、電導性などである[51,52]。こういった
性質を用いて、無数の実験的研究と理論的研究が行われている。本研究では、芳香族性につ
いて理論的な解析を行う。芳香族性の理論的な研究も多岐に渡り、前述したように指標だけ
でもいくつもあり、芳香族性における理論的解釈は、大筋で解決してしまっているように思
われる。単環式共役系については、ヒュッケル則が適用できるという点で、ほぼ解決したと
言っても過言ではないだろう。しかし、多環式共役系における芳香族性の解釈はいまだ議論
の余地がある。本研究では、多環式共役系における芳香族性の特徴を、分子構造と関連付け
て解析する。そこで、芳香族性の理解が不十分なホウ素クラスター、芳香族性の議論でよく
用いられる多環式共役炭化水素、マクロ環に対する芳香族性で安定性が議論されている生体
内分子のポルフィリンについて、統一的な芳香族性の特徴を探る [47]。主に、分子の形と芳
香族性の関係や、安定性について調べる。
5
本論文では、特別記述しない限り、相原らによるグラフ理論的な取扱いを用いて、理論的
考察を行う。第 2 章に理論の概要という章を設け、芳香族性に関わる式の証明や計算方法な
どを記す。この 2 章では、すべて既知の理論について述べる。第 3 章から第 8 章までは、各
章ごとのテーマに沿った芳香族性に関わる理論的研究について記す。これらの章では、芳香
族性に関連する規則性についての研究をまとめた。各章には、概要の節を設けたので、一読
して頂けると内容を理解しやすいと思われる。そして第 9 章では、全体を通じて環状共役系
の構造と安定性についてまとめる。いずれの議論も、第 2 章の理論に基づき、計算方法や近
似なども特別記述がない限り同様である。また、数式については、各章においての番号付け
とし、やむを得ず章をまたがって参照する場合は、章番号をつけて参照する。第 3 章から第
8 章における概略を、目次程度に以下に示す。
3 章では、多環式共役系を構成する環の員数に注目して、多環式共役系における芳香族性
の特徴を探る[39,53]。多環式共役系は、いくつかの員数の環から構成される。それゆえに、
ヒュッケル則が適用できず、芳香族性の予測や、芳香族性の起源の解釈は難しい。そこで、
それぞれの多環式共役系の TRE とπ電子数の推移が、多環式共役系を構成する環の員数とど
のような関係があるのかを調べ、多環式共役系の芳香族性が、どのように決まるのか解析す
る。4 章では、3 章で調べた TRE とπ電子数の推移と、多環式共役系を構成する環の員数と
の関係が BRE についても成り立つのか調べる。これにより、多環式共役系の反応性がどのよ
うに決まるのか解析する。また、全体の芳香族性と反応性が類似の特徴をもつことを探り、
計算がより難しい TRE の傾向を、計算が比較的容易な BRE でつかむ可能性を模索する。
5 章では、3 章、4 章の結果を応用して、マクロ環に起因すると言われているポルフィリン
類の芳香族性について理論的に解析する。ポルフィリンに代表される、マクロ環を有する多
環式共役系の芳香族性が、どのような構造に起因するのかを明らかにすることで、マクロ環
の芳香族性に対する理論的解釈を与えることを目指す[37,39,53]。6 章では、平面ホウ素クラ
スターの芳香族性について解析する[54]。まず、平面ホウ素クラスターのπ分子軌道の存在
を証明する[48]。電子不足原子であるホウ素原子が平面クラスターを形成しても、平面だか
らπ共役が存在していると決めつけることはできない。そのためには最低被占π分子軌道の
エネルギーと HOMO のエネルギーを比べることができればよいだろう。そこで、多環式共役
系における、各原子の結合の手の数という構造に依存する量で、最低被占π分子軌道のエネ
ルギーを予測し、多環式共役系の平面ホウ素クラスターのπ軌道が存在することを明らかに
する。次いで、3 章の結果を応用し、平面ホウ素クラスターのどのような構造が、芳香族性
6
をもたらすのか解釈する[53]。π電子数の存在と、芳香族性の解釈をもって、平面ホウ素ク
ラスターが、なぜ芳香族性を有するのかということを明らかにする。
7 章では、既に報告されている参照グラフという概念を拡張することと、解析を目指す。
これは、参照グラフを用いると、TRE の計算が容易になるという理論的発展の側面をもつ。
また、参照グラフという、ほとんどが未知の領域について、参照グラフとはどのようなとき
に成り立つのかといった解析や、具体的に参照グラフとして、どのようなものが得られるの
かといったことを解析する。8 章では、既存の benzene の Homodesmotic Stabilization Energy
(HSE)について議論する。Dewar の理論を用いているという特徴を踏まえると、既存の方
法では、芳香族性を正しく表せていないことが予想されるため、正しいとは何かという指標
を考えるとともに、benzene の HSE の正しい値を求める。この章では、ここまでの章で扱っ
ていた垂直エネルギーをもとにした芳香族性の解釈と異なり、断熱エネルギーをもとにした
議論を行う[49]。
以上によって、環状共役系の構造と安定性に関する特徴を探る。幸いにも、芳香族分子は
多くが平面分子なので、その構造は比較的解釈しやすい。そして、ヒュッケル則のように、
芳香族性を直感的に判断できる指標を、多環式共役系にも見つけることを目指す。
7
1.3. 参考文献
1.
相原惇一, 化学 1999, 49 (6), 415.
2.
M. J. S. Dewar, G. J. Gleicher, J. Am. Chem. Soc. 1965, 87, 685.
3.
M. J. S. Dewar, G. J. Gleicher, J. Am. Chem. Soc. 1965, 87, 692.
4.
M. J. S. Dewar, C. de Llano, J. Am. Chem. Soc. 1969, 91, 789.
5.
B. A. Hess, Jr., L. J. Schaad, J. Am. Chem. Soc. 1971, 93, 305.
6.
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17. J. Aihara, Phys. Chem. Chem. Phys. 2001, 3, 1427.
18. J. Aihara, J. Am. Chem. Soc. 1979, 101, 558.
19. J. Aihara, J. Am. Chem. Soc. 1979, 101, 5913.
20. J. Aihara, J. Am. Chem. Soc. 1981, 103, 5704.
21. J. Aihara, J. Am. Chem. Soc. 1985, 107, 298.
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27. I. Gutman, Croat. Chem. Acta. 1980, 53, 581.
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8
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31. J. Aihara, J. Phys. Chem. A 2008, 112, 5305.
32. J. Aihara, H. Horibe, Org. Biomol. Chem. 2009, 7, 1939.
33. J. Aihara, E. Kimura, T. M. Krygowski, Bull. Chem. Soc. Jpn. 2008, 81, 826.
34. J. Aihara, M. Makino, Bull. Chem. Soc. Jpn. 2009, 82, 675.
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36. J. Aihara, M. Makino, Org. Biomol. Chem. 2010, 8, 261.
37. J. Aihara, Y. Nakagami, R. Sekine, M. Makino, J. Phys. Chem. A 2012, 116, 11718.
38. M. Makino, J. Aihara, J. Phys. Chem. A 2012, 116, 8074.
39. Y. Nakagami, R. Sekine, J.-i. Aihara, Org. Biomol. Chem. 2012, 10, 5219.
40. D. I. AbuSalim, T. D. Lash, Org. Biomol. Chem. 2013, 11, 8306.
41. D. I. AbuSalim, T. D. Lash, J. Org. Chem. 2013, 78, 11535.
42. T. D. Lash, A. M. Toney, K. M. Castans, G. M. Ferrence, J. Org. Chem. 2013, 78,
9143.
43. J. Aihara, Fullerene Sci. Technol. 1999, 7, 879.
44. J. Aihara, Inorg. Chem. 2001, 40, 5042.
45. J. Aihara, Bull. Chem. Soc. Jpn. 2001, 74, 2315.
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47. J. Aihara, H. Kanno, T. Ishida, J. Am. Chem. Soc. 2005, 127, 13324.
48. Y. Nakagami, N. Suzuki, R. Sekine, T. Matsuura, J. Aihara, Bull. Chem. Soc. Jpn.
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49. J. Aihara, Bull. Chem. Soc. Jpn. 1990, 63, 1956.
50. J. Aihara, T. Ishida, J. Phys. Chem. A 2010, 114, 1093.
51. J. Aihara, J. Phys. Org. Chem. 2008, 21, 79-85.
52. Aromaticity and Antiaromaticity - Electronic and Structual Aspects, by V. I. Minkin,
M. N. Glukhovtsev, B. Y. Simkin, Wiley-Interscience, New York, 1994.
53. R. Sekine, Y. Nakagami, J. Aihara, J. Phys. Chem. A 2011, 115, 6724-6731.
54. Y. Nakagami, R. Sekine, J. Aihara, Bulletin of the Society for Discrete Variational
Xα 2011, 24(1-2), 29-34.
9
2. 理論
第 2 章では、本論文において欠かせない理論について証明し、場合によっては例を示す。
本論文は理論化学を根本にしているため、理論は必須であり、これらの応用によって以降の
各章は成り立っている。いずれの理論も芳香族性の議論について有効な理論で、その考え方
は重要なものとなる。
2.1. 𝐇𝐮̈ 𝐜𝐤𝐞𝐥分子軌道法
芳香族性を議論する上で不可欠なのがπ電子である。π電子の反応性を決めるのは、その
電子が属する分子軌道の状態に依存する。π軌道のエネルギーや電子密度、π結合の結合次
数の決定法としてヒュッケル分子軌道法があり [1]、これを元に式を変形することで芳香族
性を決定する。つまり、ヒュッケル分子軌道法の理解なしに、本論文における芳香族性の議
論はできない。この節では、教科書レベルのヒュッケル分子軌道法の取扱いを行い、今後の
理論の取扱いは、すべてこの理論の上に成り立っている。
平面分子では、その分子軌道は分子平面に沿って拡がる原子軌道からなるσ分子軌道と、
分子平面に垂直な拡がりをもつ原子軌道からなるπ軌道に分けられる。ヒュッケル分子軌道
法では分子のハミルトニアン H が
H = Hσ + Hπ ⋯ (2. 1. 1)
のように、σ部分とπ部分の和の形で表され、分子全体を表す波動関数 Ψ が
𝛹 = 𝛹σ 𝛹π ⋯ (2. 1. 2)
のように、σ部分とπ部分の積の形で表されると仮定することで、分子の全エネルギーが
E = Eσ + Eπ ⋯ (2. 1. 3)
で表される。(2. 1. 3) 式は具体的に、(2. 1. 1) 式と(2. 1. 2) 式の仮定のもとで、次のように
証明される。分子全体のエネルギーは
E=
∫ 𝛹 ∗ H𝛹dτ
⋯ (2. 1. 4)
∫ 𝛹 ∗ 𝛹dτ
であり (2. 1. 1) 式と (2. 1. 2) 式を代入すると
10
E=
∫ 𝛹σ∗ 𝛹π∗ (Hσ + Hπ )𝛹σ 𝛹π dτσ dτπ
⋯ (2. 1. 5)
∫ 𝛹σ∗ 𝛹π∗ 𝛹σ 𝛹π dτσ d τπ
となる。これを次のように整理すると
E=
=
∫ 𝛹σ∗ 𝛹π∗ Hσ 𝛹σ 𝛹π dτσ dτπ ∫ 𝛹σ∗ 𝛹π∗ Hπ 𝛹σ 𝛹π dτσ dτπ
+
∫ 𝛹σ∗ 𝛹π∗ 𝛹σ 𝛹π dτσ d τπ
∫ 𝛹σ∗ 𝛹π∗ 𝛹σ 𝛹π dτσ d τπ
∫ 𝛹σ∗ Hσ 𝛹σ dτσ ∫ 𝛹π∗ Hπ 𝛹πdτπ
+
= Eσ + Eπ
∫ 𝛹σ∗ 𝛹σ dτσ
∫ 𝛹π∗ 𝛹π d τπ
となる。これで (2. 1. 3) 式が得られる。
さらに、σ 部分から分離されたπ電子部分の波動関数 𝛹𝜋 は 1 電子関数の単純な積で与えら
れ、π電子部分のハミルトニアン Hπ が、1 電子演算子の和で与えられるとするのが、ヒュッ
ケル分子軌道法の基本的な仮定である。これにより、π電子が m 個あったとき、
m
Hπ = ∑ hπ (i) ⋯ (2. 1. 6)
i=1
m
𝛹π = ∏ 𝜓i (i) ⋯ (2. 1. 7)
i=1
であり、i 番目のπ分子軌道 𝜓i の軌道エネルギー 𝜀i は
𝜀i =
∫ 𝜓i∗ (1)h𝜋 (1)𝜓i (1)dτ1
∫ 𝜓i∗ (1)𝜓i (1)dτ1
⋯ (2. 1. 8)
で与えられ、全π電子エネルギーは
m
Eπ = ∑ 𝜀i ⋯ (2. 1. 9)
i=1
と定義される。
ヒュッケル近似では、一つの分子軌道 𝜓i のエネルギー 𝜀i は、他の軌道に電子があるかない
かによらず決まる。実際には、電子と電子との間には反発が働くことになるが、これは 1 電
子演算子の中に何らかの平均化された形で含まれていると考え、hπを有効 1 電子演算子とよ
ぶ。独立の電子を考えるモデルでは、h𝜋 を正確に書き下すことはできないので、代わりに経
験的なパラメータを選び、簡単な計算で実験結果がうまく説明できるようにしてあるのが、
ヒュッケル分子軌道法の利点である。
簡単な分子を例にとって、ヒュッケル分子軌道法の計算方法や近似法などを説明しよう。
11
ethylene を例にして考えると、水素には 1s 軌道、炭素には 1s、2s、2px 、2py 、2pz 軌道を
とると、ethylene 分子全体では合計 14 個の原子軌道関数がある。つまり、その 1 次結合で
与えられる分子軌道の数も 14 個である。分子平面を xy 平面に置くように座標軸を定めると、
π分子軌道は、分子平面に垂直な拡がりをもつ炭素原子の 2pz 軌道からなる二つの軌道だけ
で、残りの 12 の分子軌道は σ 型である。ヒュッケル分子軌道法で計算するのは、通常π電子
系を表す分子軌道なので、これより考える分子軌道はすべてπ軌道について記述する。
二つの炭素のそれぞれの規格化された 2pz 原子軌道を 𝜒1 、𝜒2 とする。分子軌道 𝜓1 と 𝜓2 は、
その 1 次結合をとって
𝜓 = c1 𝜒1 + c2 𝜒2 ⋯ (2. 1. 10)
(c1 、c2 は定数) とかけるとする、Linear Combination of Atomic Orbitals 近似 (LCAO 近似)
を用いて表す。この分子軌道関数が 1 電子ハミルトニアン hπの固有関数になっているとする
と
hπ 𝜓 = 𝜀𝜓 ⋯ (2. 1. 11)
である。(2. 1. 11) 式に (2. 1. 10) 式を代入すると
c1 (hπ − 𝜀)𝜒1 + c2 (hπ − 𝜀)𝜒2 = 0 ⋯ (2. 1. 12)
となる。(2. 1. 12) 式の両辺に左側から 𝜒1∗ をかけて、全空間積分すると、
∫ c1 𝜒1∗ (hπ − 𝜀)𝜒1 dτ + ∫ c2 𝜒1∗ (hπ − 𝜀)𝜒2 dτ = 0
c1 (∫ 𝜒1∗ hπ 𝜒1 dτ − 𝜀 ∫ 𝜒1∗ 𝜒1 dτ) + c2 (∫ 𝜒1∗ hπ 𝜒2 dτ − 𝜀 ∫ 𝜒1∗ 𝜒2 dτ) = 0 ⋯ (2. 1. 13)
となる。ここで原子の番号を a、b と一般化し、積分を
∫ 𝜒a∗ hπ 𝜒b dτ ≡ hab 、 ∫ 𝜒a∗ 𝜒b dτ ≡ Sab ⋯ (2. 1. 14)
と書くと (2. 1. 13) 式は
c1 (h11 − 𝜀S11 ) + c2 (h12 − 𝜀S12 ) = 0 ⋯ (2. 1. 15)
と表される。同様にして (2. 1. 12) 式の両辺に左側から 𝜒2∗ をかけて全空間積分すると、
c1 (h21 − 𝜀S21 ) + c2 (h22 − 𝜀S22 ) = 0 ⋯ (2. 1. 16)
が得られる。ここで、(2. 1. 10)式の左辺の分子軌道は規格化されているため、規格化条件と
12
して、
∫ 𝜓𝜓 ∗ dτ = 1 ⋯ (2. 1. 17)
が得られる。原子軌道は規格直交化されているため、
∫ 𝜒1∗ 𝜒1 dτ = 1
∫ 𝜒2∗ 𝜒2 dτ = 1
∫ 𝜒1∗ 𝜒2 dτ
⋯ (2. 1. 18)
=0
∫ 𝜒2∗ 𝜒1 dτ = 0
{
である。(2. 1. 17) 式に(2. 1. 10) 式を代入し、(2. 1. 18) 式より、
c1 2 + c2 2 = 1 ⋯ (2. 1. 19)
が得られる。この条件のもとで (2. 1. 15) 式と (2. 1. 16) 式の連立方程式を c1 、 c2 について
解く。
連立方程式は
c (h − 𝜀S11 ) + c2 (h12 − 𝜀S12 ) = 0
⋯ (2. 1. 20)
{ 1 11
c1 (h21 − 𝜀S21 ) + c2 (h22 − 𝜀S22 ) = 0
であり、これにクラーメルの公式を用いると
c1 = |
0 h12 − 𝜀S12
h − 𝜀S11
|⁄| 11
0 h22 − 𝜀S22 h21 − 𝜀S21
h12 − 𝜀S12
| ⋯ (2. 1. 21)
h22 − 𝜀S22
h11 − 𝜀S11
h21 − 𝜀S21
h12 − 𝜀S12
| ⋯ (2. 1. 22)
h22 − 𝜀S22
c2 = |
0 h11 − 𝜀S11
|⁄|
0 h21 − 𝜀S21
となり、ともに (2. 1. 21) 式と (2. 1. 22) 式の分子は 0 となる。よって、(2. 1. 19) 式の条件
を満たすには、分母が 0 である必要がある。つまり、
h − 𝜀S11
| 11
h21 − 𝜀S21
h12 − 𝜀S12
| = 0 ⋯ (2. 1. 23)
h22 − 𝜀S22
となる。なお、 (2. 1. 15) 式と (2. 1. 16) 式を永年方程式とよび、 (2. 1. 23) 式を永年行列
式とよぶ。積分 haa と積分 hbb は、近似的に 𝜒a 、 𝜒b に入っている電子のエネルギーを表し、
クーロン積分とよばれる。これは同一の結合状態の元素ならば値は等しいとし、パラメータ
𝛼a 、𝛼b で表される。積分 hab は 𝜒a と 𝜒b の間の相互作用の大きさを表し共鳴積分とよばれる。
13
原子軌道が属する原子同士が結合していれば hab はパラメータ 𝛽ab で表される。
β は結合を作る原子二つの元素の種類と、結合状態により経験的に決められていて
𝛽ab = 𝛽ba である。また、結合していないと共鳴積分は 0 と仮定する。 Sab は 𝜒a と 𝜒b の軌道
の重なりを定量的に表したもので、重なり積分とよばれる。なお、原子軌道はそれぞれ規格
化されているので、Saa = Sbb = 1 である。また、a ≠ b のときSab = 0と近似する。なお、元
素ごとのクーロン積分と共鳴積分のパラメータの詳細については、後に示した。これらをも
ちいて (2. 1. 23) 式を書き換えると、
𝛼 −𝜀
| C
𝛽CC
𝛽CC
| = 0 ⋯ (2. 1. 24)
𝛼C − 𝜀
となる。さらに (2. 1. 24) 式のすべての行列要素を 𝛽CC で割って
𝛼C − 𝜀
𝛽
| CC
1
1
𝛼C − 𝜀 | = 0 ⋯ (2. 1. 25)
𝛽CC
とし、
𝛼C − 𝜀
= −𝑋 ⋯ (2. 1. 26)
𝛽CC
とすることで、(2. 1. 25)式は
𝑋 2 − 1 = 0 ⋯ (2. 1. 27)
となる。これを解くと X=±1 が得られ、 (2. 1. 26) 式より
{
𝜀1 = 𝛼C + 𝛽CC
⋯ (2. 1. 28)
𝜀2 = 𝛼C − 𝛽CC
である。
ここで、クーロン積分 α は負の量であるが、共鳴積分 β の符号は原子軌道の符号の取り方
によって変わる。2 個の炭素の 2pz 軌道の符号が、分子平面の同じ側で同じ符号となる場合、
β は負である。原子軌道の符号の取り方に特別な決まりはないが、取り方を変えることによ
って、計算結果の物理的意味に違いが出るわけではないので、今後は平面型分子のπ軌道を
議論する場合に、構成原子軌道がすべて分子平面の同じ側で同符号になるようになるものと
決めておく。この取り決めに従えば β は負であり、 𝜀1 が低い方の軌道エネルギーを、 𝜀2 が高
14
い方の軌道エネルギーを示す。 (2. 1. 15) 式と (2. 1. 16) 式を
c (𝛼 − 𝜀) + c2 𝛽CC = 0
⋯ (2. 1. 29)
{ 1 C
c1 𝛽CC + c2 (𝛼C − 𝜀) = 0
のように書き直し、 (2. 1. 28) 式を(2. 1. 29)式の 𝜀 に𝜀1 と𝜀2 のそれぞれの場合を代入し、
LCAO 近似の規格化条件である(2. 1. 19) 式を用いて、
𝜀1 = 𝛼C + 𝛽CC のとき c1 = c2 = √1⁄2
⋯ (2. 1. 30)
{
𝜀2 = 𝛼C − 𝛽CC のとき c1 = −c2 = √1⁄2
を得る。
したがって、ethylene の二つのπ分子軌道は
𝜓1 = √1⁄2 𝜒1 + √1⁄2 𝜒2
⋯ (2. 1. 31)
{
𝜓2 = √1⁄2 𝜒1 − √1⁄2 𝜒2
となる。
Figure 2. 1. 1 ethylene のπ分子軌道の模式図。εがエネルギーを示し、Ψが分子軌道の形
状を示し、白抜きが正符号、青塗りが負符号と符号の違いを表す。下方を安定性が高いとし
ている。
得られた結果を Figure 2. 1. 1 のように模式図にして表すと、 𝜓1 は炭素 1 と炭素 2 の間で符
号が変わらない結合性軌道で、軌道エネルギーは炭素 2pz 軌道のエネルギーα より、β だけ低
い。一方、𝜓2 は炭素 1 と炭素 2 の間で符号が変わる。つまり 𝜓2 は炭素 1 と炭素 2 の間に節
をもつ反結合性軌道で、軌道エネルギーも炭素 2pz 軌道のエネルギーよりも β だけ高い。
ethylene 分子の場合、π電子は 2 個あり、基底状態では、これらの電子は対になって、エネ
ルギーの低い軌道 𝜓1 を占める。π電子系の波動関数は、
15
𝛹π = 𝜓1 (1)𝜓1 (2) ⋯ (2. 1. 32)
とかけ、各波動関数の物理的な意味から、空間中のある点にπ電子を見出す確率を与える 1
電子密度関数は、
𝜌π = 2𝜓1 2 ⋯ (2. 1. 33)
と定義される。
一つの炭素原子 r におけるπ電子密度は
all
𝑞r = ∑ 𝜈i cir 2 ⋯ (2. 1. 34)
i
で定義される。なお、 cr には分子軌道を表す添字 i を付した。また 𝜈i は分子軌道 𝜓i を占め
る電子の個数であり軌道占有数とよばれる。ethylene の場合には
2
𝑞1 = 𝑞2 = 2 × (√1⁄2) = 1 ⋯ (2. 1. 35)
である。また、隣り合う二つの炭素原子 r、s 間のπ結合の強さを表す量として、π結合次数
が定義される。
all
𝑝rs = ∑ 𝜈i cir cis ⋯ (2. 1. 36)
i
ethylene の場合、
𝑝12 = 2 × (√1⁄2) × (√1⁄2) = 1 ⋯ (2. 1. 37)
となり、炭素 1 と炭素 2 の間には完全なπ結合が存在することを意味する。butadiene や
benzene など一般の共役系では 𝑝rs < 1 となり、これらの分子のC − C結合が、二重結合と一
重結合の間のような結合であることが示される。
またヒュッケル分子軌道法でのヘテロ原子の取り扱いは、ヒュッケルパラメータを用い
て拡張される。ヘテロ原子のクーロン積分は、炭素原子の場合の 𝛼C に替えて 𝛼 + h𝛽 の形で
与えられ、原子の電気陰性度などから決められるが、同じ種類の原子でも、共役系に供給す
るπ電子の数によって h の値は変わる。この h はその原子におけるループとよばれる。また、
共鳴積分は一般に kβ の形で与えられる。なお、パラメータの取り方は必ずしも一定ではない。
本論文でのパラメータセットは Table 2. 1. 1 と Table 2. 1. 2 の値を用いる[2]。なお、これら
のパラメータは唯一ではなく、いくつかの値が提唱されている[3]。ここで、原子のタイプが
16
各元素で 1 通りとは限らず、π電子数によって変化することを、N 原子を用いて説明しよう。
N 原子はπ電子数が 1 個の場合と、2 個の場合がある。これは、N 原子が 5 個の価電子がど
のように結合に関わっているかによる。
Table 2. 1. 1. 種々の原子のタイプにおけるクーロン積分の補正値 h。
原子のタイプ
π電子数
クーロン積分の補正値 h
C
1
0.00
B
0
-0.45
N1
1
0.51
N2
2
1.37
O1
1
0.97
O2
2
2.09
F
2
2.71
Si
1
0.00
P1
1
0.19
P2
2
0.75
S1
1
0.46
S2
2
1.11
Cl
2
1.48
Figure 2. 1. 2. imidazole の N 原子の結合様式。黒丸がσ電子を、赤丸がπ電子を表す。
Figure 2. 1. 2 に見られるように N 原子の結合様式によってπ電子数が変化する。このとき、
ヒュッケルパラメータは各 N 原子で異なる。π電子を 1 つもつ右下の N 原子が N1 であり、
17
π電子を 2 つもち、H 原子とσ結合している N 原子が N2 となる。これらの N 原子は、それ
ぞれ異なるループをもち、C 原子との共鳴積分も異なる。以上がヒュッケル分子軌道法にお
ける主な取り扱いである。分子の構造とパラメータが決まっていれば、永年行列式や永年方
程式を解くだけで、ヒュッケル分子軌道法は解けるので、π共役系の安定性を見積るための、
かなり簡便な方法である。次節でヒュッケル分子軌道法を基礎に、分子の反応性に関する情
報を得られる理論と芳香族性への適用法を示す。
Table 2. 1. 2. 種々の原子の結合における共鳴積分の補正値 𝐤 𝐚𝐛 。なお、原子のタイプの表記
は Table 2. 1. 1 に準ずる。
a
b
C
B
N1
N2
O1
O2
F
Si
P1
P2
S1
S2
C
1.00
B
0.73
0.87
N1
1.02
0.66
1.09
N2
0.89
0.53
0.99
0.98
O1
1.06
0.60
1.14
1.13
1.26
O2
0.66
0.35
0.80
0.89
1.02
0.95
F
0.52
0.26
0.65
0.77
0.92
0.94
1.04
Si
0.75
0.57
0.72
0.43
0.65
0.24
0.17
0.64
P1
0.77
0.53
0.78
0.55
0.75
0.31
0.21
0.62
0.63
P2
0.76
0.54
0.81
0.64
0.82
0.39
0.22
0.52
0.58
0.63
S1
0.81
0.51
0.83
0.68
0.84
0.43
0.28
0.61
0.65
0.65
0.68
S2
0.69
0.44
0.78
0.73
0.85
0.54
0.32
0.40
0.48
0.60
0.58
0.63
Cl
0.62
0.41
0.77
0.80
0.88
0.70
0.51
0.34
0.35
0.55
0.52
0.59
Cl
0.68
2.2. グラフ理論的なヒュッケル分子軌道法の解釈
ヒュッケル分子軌道法をグラフ理論的に解くことから、芳香族性への解釈につなげていく。
グラフ理論をヒュッケル分子軌道法に適用する際には、計算する分子を構成する原子一つ一
つを点とし、各結合を辺とみなしたグラフ G とすることから始まる。グラフ理論を適用する
ことで、永年方程式をより簡便に解くことが可能であり、解析的手段となる。グラフ理論を
18
用いると、任意の鎖状共役炭化水素 G の永年行列式を展開した結果である特性多項式 PG (𝑋)
は次のように表すことができる [4-13]。
N
[ ]
2
PG (𝑋) = 𝑋 N + ∑(−1)k 𝑝(k)𝑋 (N−2k) ⋯ (2. 2. 1)
k=1
N
N
ここで、N は共役系 G を構成する原子の数、[ 2 ] は 2 を超えない最大の整数である。このよ
うに、グラフ構造によって簡便に特性多項式を求めることが可能であることは、Coulson ら
によって古くから明らかにされている[6,7]。方程式PG (𝑋) = 0 の根を大きい順に並べ、i 番目
の根を 𝑋i とすると、それは共役系 G にあるπ電子の i 番目の準位のエネルギー 𝜀i と次の関係
がある。
𝑋i =
𝜀i − 𝛼
𝛽
すなわち
𝜀i = 𝛼 + 𝑋i 𝛽 ⋯ (2. 2. 2)
また、 (2. 2. 1) 式の 𝑝(k) は、共役系 G から互いに隣り合わないように k 個のπ結合を取
りだそうとすると、何通りの取りだし方が考えられるかを表す。
Figure 2.2.1 hextriene のπ共役系。白丸が炭素原子を表し、線が炭素-炭素π共役結合を
表す。π共役系には水素は関与しないので、省略してある。なお、グラフ理論的には炭素原
子が点で、炭素-炭素π共役結合が辺である。
hexatriene を例にとって説明する。まず、その分子中のπ共役結合の配列を Figure 2. 2. 1
のように表し、各π結合に番号を付けておく。このπ共役系には 5 個のπ結合があるので、1
個のπ結合を取りだす方法の数 p(1) は 5 である。この共役系から、互いに隣り合わないよう
に 2 個のπ結合を取り出すには、
(1 と 3)、
(1 と 4)、
(1 と 5)、
(2 と 4)、
(2 と 5)、
(3 と 5)
の結合の組み合わせという 6 通りの取りだし方がある。したがって、p(2) は 6 である。互い
に隣り合わないように 3 個のπ結合を取りだすには、
(1 と 3 と 5)の結合の組み合わせで取
りだすしかない。したがって、p(3) は 1 である。これらの p(k) の値を(2. 2. 1) 式に代入す
ると、hexatriene の特性多項式として
19
PG (X) = 𝑋 6 − 5𝑋 4 + 6𝑋 2 − 1 ⋯ (2. 2. 3)
が得られる。
ところが、環状共役炭化水素では、特性多項式を(2. 2. 1) 式のように表すことはできない。
𝑋 (N−2k) の係数が、 (−1)k 𝑝(k) とは異なる。この違いは、環状共役系に特有で、鎖状共役系と
のエネルギー的な差につながる。芳香族性とは、環状共役による余分の熱力学的安定性なの
で、この差が芳香族性を表すだろう。そこで、環状共役分子内の各結合が、鎖状共役分子の
結合と同じような結合エネルギーをもつと想定したときに、期待される特性多項式を参照多
項式 R G (𝑋) と表す。参照多項式 R G (𝑋) は、
N
[ ]
2
R G (𝑋) = 𝑋 N + ∑(−1)k 𝑝(k)𝑋 (N−2k) ⋯ (2. 2. 4)
k=1
で定義される[8]。この式は、(2. 2. 1) 式と同形であることに気が付くだろう。これこそが、グ
ラフ理論的な解釈による大きな貢献である。隣り合わない結合の取りだし方という簡便な方
法で、環状共役分子内の各結合が、鎖状共役分子の結合と、同じような結合エネルギーをも
つと想定した構造の、特性多項式を表せる。なお、この構造を参照ポリエン構造とよぶ。
では、環状共役分子の特性多項式 PG (𝑋) はどのように求めればよいのか。ただ単純に求め
るのならば、永年行列式を展開すればよいだけなのだが、ここでは、芳香族性の理論的な解
析をするために、グラフ理論的な解き方をする。これには、環状共役特有の分子中のすべて
の環状経路について考えればよい。なお、この環状経路のことをサーキットとよぶ。i 番目の
サーキット ri と、互いに隣り合わない結合やサーキットを取ったとき、そこに関わるサーキ
ット ri に含まれるπ結合と、隣り合わないπ結合や別のサーキットに含まれるπ結合の数の
和を、k とすると 𝑋 (N−2k) の係数項である p(k) は、鎖状構造のときとは様子が異なる。それ
は、サーキット一つを取ったとき、(2. 2. 5) 式の赤字の要素の取り方と青字の要素の取り方の
ように、右回りと左回りの二通りあり、そのときの符号は永年行列式の要素の取り方を考え
ると置換 σ の符号 sgn(σ)は、常に負となる。
20
−𝑋
1
| 0
| 0
0
1
1
−𝑋
1
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
1
−𝑋
1
1
0
0 |
= 0 ⋯ (2. 2. 5)
0 |
1
−𝑋
また、そのサーキットと互いに隣り合わない結合やサーキットを取るというのは、グラフ
理論的に考えれば、グラフ G からあるサーキットを除いた部分グラフを考慮することに相当
する[13]。サーキット ri を取ったとき、その残りの部分でできる部分グラフの参照多項式を
R G−ri (𝑋) のように表すと、環状π共役系の参照多項式 PG (𝑋) は、anthracene を例に取ると、
すべてのサーキットの取り方は Figure 2. 2. 2 のようになる。
Figure 2.2.2 anthracene のサーキットの取り方。
Figure 2. 2. 2 では実線が各サーキットを表し、サーキットと隣り合わない点線部分、つまり
サーキット ri を除いた部分グラフ G − ri を考え、参照多項式 R G−ri (𝑋) を作る。細矢の組み立
て律に従うと、得られた参照多項式を組み合わせることで、特性多項式が得られる [9,12,13]。
PG (𝑋) = R G (𝑋) − 2R G−r1 (𝑋) − 2R G−r2 (𝑋) − 2R G−r3 (𝑋) − 2R G−r4 (𝑋) − 2R G−r5 (𝑋) − 2R G−r6 (𝑋)
+ (−2)2 R G−r1 −r3 (𝑋) ⋯ (2. 2. 6)
21
となる。このようにサーキットを考えることで、環状共役系における特性多項式は求められ
る[13]。
この取扱いでは、結局、各サーキットに対する Sachs グラフを数え上げていることになる
[4,5,13]。Sachs グラフとは、Figure 2.2.3 のような、取りうるすべてのグラフ要素を表す。
(2. 2. 6) 式のように書くということは、取りうるすべてのグラフ要素を、各サーキットが関わ
るものと、そうでないもの(参照多項式)に分離するということに他ならない。この操作に
よって、部分グラフを除いた参照多項式が、同一な場合は、対称なサーキットと認識される。
Figure 2.2.3 [14]より引用した、514 個の Sachs グラフをもつ biphenylene の Sachs グラ
フの一例。太線が Sachs グラフを表す。
以上が環状共役系に対する基本的な取り扱いだが、さらに参照多項式を効率良く求めるこ
とができる。これは、複雑な分子になればなるほど有用であり、そこでも、やはり部分グラ
フの考え方を用いる[13]。まず、ある結合 lmn やループ hm を指定することから始める。ここ
では結合 lmn を指定した場合を紹介する。指定した結合 lmn を除いた部分グラフ G ⊝ lmn と、
指定した結合 lmn を作っている m と n を除いた部分グラフ G − lmn を考えると
R G (𝑋) = R G⊝lmn (𝑋) − R G−lmn (𝑋) ⋯ (2. 2. 7)
(2. 2. 7) 式のように表される。この求め方により、巨大な系の参照多項式も効率よく求める
ことが可能となる。特に、対称性が高い場合などは効果を発揮する。以上が、ヒュッケル分
子軌道法のグラフ理論的な解釈であり、次節で実用面を説明する。
22
2.3. Topological Resonance Energy
芳香族性とは、環状共役による余分の熱力学的安定性のことであり、benzene などの、不
飽和結合をもちながら反応性が乏しいことへの解釈などに用いられる。環状π共役による安
定性、即ち芳香族性のエネルギー的な指標として用いられるのが Topological Resonance
Energy (TRE) である [8,10,12,15-19]。では、この TRE が具体的にどのように芳香族性の
指標となりうるのかを説明していこう。TRE は先に 2. 1 節で示したヒュッケル分子軌道法を
応用して導かれる。その応用方法は 2. 2 節で示したグラフ理論的な手法である。本節では、
前節と重複する内容も含まれているが、TRE の解釈に必要なところを重点的に説明する。
通常のヒュッケル分子軌道法では、π共役系による軌道エネルギーの計算を行うわけだが、
芳香族性の議論では、π共役系の中でも、特に環状共役系特有のエネルギーの取り扱いが必
要となる。そこで、ヒュッケル分子軌道法による永年行列式
α1 − ε
β12
⋯
⋯
β1l
⋯
β1m
⋯
β1n
| β
21
α2 − ε
β23
⋯
β2l
⋯
β2m
⋯
β2n |
⋮
⋮
βl1
|
⋮
βm1
|
⋮
βn1
β32
⋮
βl2
⋮
βm2
⋮
βn2
⋱
⋱
⋯
⋱
⋯
⋱
⋯
|
⋱
⋮
⋱
⋮
⋱
⋮
|
⋱
⋮
⋱
⋮
⋱
⋮
= 0 ⋯ (2. 3. 1)
⋯ αl − ε ⋯
βlm
⋯
βln
|
⋱
⋮
⋱
⋮
⋱
⋮
⋯
βml
⋯ αm − ε ⋯
βmn
|
⋱
⋮
⋱
⋱
⋱
⋮
⋯
βnl
⋯
βnm
⋯ αn − ε
を解いた特性多項式
PG (𝑋) = 0 ⋯ (2. 3. 2)
にたいして、永年行列式を変えずに環状π共役に対応する行列要素の取り方を除く。すると
構造は変わらないが、環状π共役による効果を除外した、参照構造に対する特性多項式であ
る参照多項式
R G (𝑋) = 0 ⋯ (2. 3. 3)
が得られる。この参照多項式の求め方は、2.2 節に示したいずれの方法を用いても構わない。
環状共役分子の参照多項式は、環状共役分子内の各結合が鎖状共役分子の結合と同じような
結合エネルギーをもつと想定したときに期待される特性多項式と解釈できる。
23
これら(2. 3. 2) 式、(2. 3. 3) 式を解くことにより、特性多項式の解 𝑋l (l はπ分子軌道の
番号を表し、小さい方が安定)と環状共役による安定性を除いた参照多項式の解 𝑋l′ を求め、
それぞれの解の差を求める。なお、参照多項式の解は、必ず実数解となる[20,21]。それぞれ
の解から求まるヒュッケルエネルギーと参照エネルギーの差を足し合わせて、 TRE⁄|𝛽CC | が
得られる。クーロン積分項は等しく、共鳴積分も等しいので、便宜的に解の差を足し合わせ
て、解の差を被占軌道まで和を取ったものが TRE である。つまり、
occupied
TRE =
∑
2(𝑋l − 𝑋l′ ) ⋯ (2. 3. 4)
l=1
で表される。ただし、π電子数が奇数のときは、その軌道の上下で TRE の平均を取ればよい。
また、TRE の単位は共鳴積分 |𝛽| であり、どの結合に対応する共鳴積分を取るかは任意であ
るが、それぞれの解は大きい値であるほど安定なので、TRE が正のとき安定となる。つまり
TRE が正の値をもつ分子が、環状共役による安定性を稼いでいる芳香族分子で、負の値をも
つ分子が、環状共役による不安定性をもつ反芳香族分子である。なお、ゼロの分子は非芳香
族分子で、鎖状共役分子がこれにあたる。
Figure 2. 3. 1 の pentalene を例にとって、具体的に説明する。
Figure 2. 3. 1. pentalene。番号は炭素原子に付いていて、行列式の行番号や列番号に対応し
ている。
pentalene のπ共役系を構成している原子は 8 個で、π電子数も 8 個である。すべてのπ共
役系を構成している原子は炭素で、どの結合においても共鳴積分は 1.000⁄|𝛽CC | である。永年
行列式は、
24
−𝑋
1
| 0
0
|
0
| 0
0
1
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
1
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
1
0
0 |
1
| = 0 ⋯ (2. 3. 5)
0
0 |
1
−𝑋
となる。また、原子 1、2、3、4、8 番からなるサーキットを r1 、原子 4、5、6、7、8 番か
らなるサーキットを r2 、原子 1、2、3、4、5、6、7、8 番からなるサーキットを r3 とすると、
(2. 3. 5) 式を解いた特性多項式は、
(𝑋 3 − 2𝑋) − 2 (𝑋
PG (𝑋) = ⏟
𝑋 8 − 9𝑋 6 + 24𝑋 4 − 20𝑋 2 + 2 − 2 ⏟
⏟ 3 − 2𝑋) − 2
参照多項式RG (𝑋)
r1 を取ったRG−r1
r2 を取ったRG−r2
(1)
⏟
r3 を取ったRG−r3
= 𝑋 8 − 9𝑋 6 + 24𝑋 4 − 4𝑋 3 − 20𝑋 2 + 8𝑋 ⋯ (2. 3. 6)
となる。ここで、 r1を取るとは、
−𝑋
1
| 0
0
|
0
| 0
0
1
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
1
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
1
0
0 |
1
| = 0 ⋯ (2. 3. 7)
0
0 |
1
−𝑋
(2. 3. 7) 式の赤字と青字、それぞれの行列要素を取った場合であり、R G (𝑋) はすべてのサー
キットの取り方を除いた場合である。ここで i を、取りうるサーキットの番号とすれば、(2. 3.
6) 式からも分かるように、
all circuits
R G (𝑋) = PG (𝑋) + 2
∑
all circuits
R G−ri (𝑋) − 2
i
2
∑
R G−ri−rj (𝑋) + ⋯ ⋯ (2. 3. 8)
i>𝑗
となる。pentalene の場合では、
R G (𝑋) = 𝑋 8 − 9𝑋 6 + 24𝑋 4 − 20𝑋 2 + 2 ⋯ (2. 3. 9)
となり、(2. 3. 6) 式と(2. 3. 9) 式を解き、それぞれの解から求まるエネルギーの差を足し合
わせて、TRE が得られる。
4
TRE = 2 ∑(𝑋l − 𝑋l′ ) = −0.108 ⋯ (2. 3. 10)
l=1
となり、pentalene の TRE は、 −0.108 |𝛽CC | であり反芳香族性をもつ。
25
Table 2. 3. 1. pentalene の 𝐏𝐆 (𝑿) の解と 𝐑 𝐆 (𝑿) の解と、それらの解の差。
l
PG (𝑋)を解いた結果 𝑋l
R G (𝑋)を解いた結果 𝑋l′
𝑋l − 𝑋l′
1
2.343
2.226
0.117
2
1.414
1.602
-0.188
3
1.000
1.168
-0.168
4
0.471
0.340
0.131
2.4. 磁場存在下でのヒュッケル分子軌道法
TRE が芳香族性のエネルギー的な指標となり得ることは、2.3 節で示した。芳香族性はし
ばしば、磁化率によっても議論される。芳香族分子は大きな反磁性磁化率を示すのだ。本節
では、環状共役分子の熱力学的安定性と反磁性磁化率の関係を調べ、磁化率による芳香族性
の解釈を行っていく。まずは磁場存在下でのヒュッケル分子軌道法について記述するために
必要な状況を整理することから始める [1,22,23]。まず、すでに述べた磁場なしのヒュッケル
分子軌道法で、用いたハミルトニアンと波動関数についての中身をみる。ハミルトニアン Ĥ
は
Ĥ=−
ħ2 2
𝛻 + V ⋯ (2. 4. 1)
2m
⃗⃗ はそれぞれ x、y、z 方向についての単位ベクトルであるとする
で表される。なお、i⃗ 、j⃗ 、k
と
𝛻 = ⃗i
∂
∂
∂
⃗⃗
+ ⃗j + k
⋯ (2. 4. 2)
∂x
∂y
∂z
である。さらに、k 番の原子の原子軌道関数 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k ) の線形結合をとることで、得られる l
番目の分子軌道の分子軌道関数 𝜓l は
𝜓l (r⃗) = ∑ clk 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k ) ⋯ (2. 4. 3)
k
⃗⃗⃗⃗⃗k は k 番の原子の位置ベクトル
で表される。なお、r⃗ = (x, y, z) のデカルト座標系であり、R
である。これらが、磁場存在下での取り扱いにおいて、そのまま用いることはできない。
そこで、磁場存在下でのハミルトニアンĤ′ を次のように定義する。
26
Ĥ′ =
2
1
e
⃗⃗(r⃗)} + V ⋯ (2. 4. 4)
{−iħ𝛻 + A
2m
c
⃗⃗(r⃗) をそのままの形で含んでいるため、
しかし、このハミルトニアンはベクトルポテンシャルA
ゲージ変換を用いて原子軌道関数 𝜑k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k )を定義し直す[24]。
𝜑k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k ) = exp {−
ie
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
R k ) ⋯ (2. 4. 5)
ħc
なお、磁場の方向を z 軸方向とすると、
1
1
⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) = (− Hyk , Hxk , 0) ⋯ (2. 4. 6)
2
2
である。2.1 節のときと同様の取り扱いを、磁場存在下で n 原子からなるπ共役系について
行う。そこで、共鳴積分 β やクーロン積分 α、重なり積分 S を次のように定義する。
′
⟨𝜑r∗|Ĥ′ |𝜑s ⟩ ≡ 𝛽rs
⋯ (2. 4. 7)
⟨𝜑r∗ |Ĥ′ |𝜑r ⟩ ≡ 𝛼r′ ⋯ (2. 4. 8)
′
⟨𝜑r∗ |𝜑s ⟩ ≡ Srs
⋯ (2. 4. 9)
すると、永年行列式は
′
′
α1 − S11
ε
′
′
β12 − S12
ε
| β′ − S ′ ε α ′ − S ′ ε
21
22
21
2
⋮
⋮
′
′
′
′
β
−
S
ε
β
− Sr2
ε
r1
| r1
r2
⋮
⋮
′
′
′
′
βs1 − Ss1 ε βs2 − Ss2
ε
|
⋮
⋮
′
′
′
′
βn1 − Sn1 ε βn2 − Sn2
ε
⋯
′
′
β1r − S1r
ε
′
′
⋯ β2r − S2r
ε
⋱
⋮
′
′
⋯ αr − Srr
ε
⋱
⋮
′
′
⋯ βsr − Ssr
ε
⋱
⋮
′
′
⋯ βnr − Snr
ε
⋯
′
′
β1s − S1s
ε
′
′
⋯ β2s − S2s
ε
⋱
⋮
′
′
⋯ βrs − Srs
ε
⋱
⋮
′
′
⋯ αs − Sss
ε
⋱
⋮
′
′
⋯ βns − Sns
ε
⋯
′
′
β1n − S1n
ε
′
′
⋯ β2n − S2n
ε|
⋱
⋮
′
′
⋯ βrn − Srn
ε|
⋱
⋮
′
′
⋯ βsn − Ssn
ε
|
⋱
⋮
′
′
⋯ αn − Snn ε
= 0 ⋯ (2. 4. 10)
と表される。ここで Srs は r = s のとき 1 で、r ≠ s のとき 0 というヒュッケル近似を用いる。
すると、次の二つの記号
𝛿rs = 1 (r = s のとき) ; 0(r ≠ s のとき)
}
𝜂rs = 1 (r、s が隣接するとき) ; 0(隣接しないとき)
を用いて
′
|(𝛼r′ − 𝜀)𝛿rs + 𝛽rs
𝜂rs | = 0 ⋯ (2. 4. 11)
と表せる。この形は、磁場が存在しない場合でのヒュッケル法のときと同じ永年行列式を表
27
す。
しかし、積分の中身が (2. 4. 4) 、(2. 4. 5) 式で示したものを用いているので、それぞれの
積分の結果が異なる。そこで、各積分の詳細を見てみる。まず、積分の詳細をみるために Ĥ′ 𝜑k
について考えてみる。(2. 4. 4) 、(2. 4. 5) 式より
2
ħ2
e
ie
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
Ĥ′ 𝜑k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
Rk) = [
R k )] ⋯ (2. 4. 12)
{−iħ𝛻 + ⃗A⃗(r⃗)} + V] [exp {− ⃗A⃗(R
2m
c
ħc
となる。ここで、(2. 4. 12) 式の右辺第一項の下線部と第二項の積について見る。
e
ie
⃗⃗(r⃗)} [exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k )]
{−iħ𝛻 + A
c
ħc
= −iħ 𝛻 exp {−
ie
ie
⃗⃗(R
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝛻𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
R k ) − iħ exp {− A
Rk)
ħc
ħc
e
ie
⃗⃗(r⃗) exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
+ A
Rk)
c
ħc
= −iħ (−
ie
ie
⃗⃗(R
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [𝛻{A
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗}]𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
) exp {− A
Rk)
ħc
ħc
− iħ exp {−
ie
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝛻𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
Rk)
ħc
e
ie
⃗⃗(r⃗) exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
+ A
R k ) ⋯ (2. 4. 13)
c
ħc
ここで (2. 4. 13) 式の下線部は、(2. 4. 2) 式、(2. 4. 6) 式、r⃗ = (x, y, z) を用いて、次に示され
るように置き換えられる。
1
1
∂
∂
∂
1
1
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} = 𝛻 (− Hyk x + Hxk y + 0) = (i⃗ + ⃗j + ⃗⃗
𝛻{A
k ) (− Hyk x + Hxk y)
2
2
∂x
∂y
∂z
2
2
1
1
1
1
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ⋯ (2. 4. 14)
= ⃗i (− Hyk ) + ⃗j ( Hxk ) + ⃗⃗
k(0) = (− Hyk , Hxk , 0) = ⃗A⃗(R
2
2
2
2
この (2. 4. 14) 式の変形を (2. 4. 13) 式に適用して、
28
e
ie
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k )]
{−iħ𝛻 + ⃗A⃗(r⃗)} [exp {− ⃗A⃗(R
c
ħc
e
ie
ie
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k )𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝛻𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
= − exp {− ⃗A⃗(R
R k ) − iħ exp {− ⃗A⃗(R
Rk)
c
ħc
ħc
e
ie
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
+ ⃗A⃗(r⃗) exp {− ⃗A⃗(R
Rk)
c
ħc
= exp {−
ie
e
⃗A⃗(R
⃗⃗(r⃗) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k ) ⋯ (2. 4. 15)
ħc
c
と変形し、さらに(2. 4. 12) 式の右辺第一項の、下線部の二乗と第二項の積について見ると、
2
e
ie
⃗⃗(r⃗)} exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
Rk)
{−iħ𝛻 + A
c
ħc
e
ie
e
⃗⃗(r⃗)} exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
= {−iħ𝛻 + A
Rk)
c
ħc
c
= −iħ𝛻 exp {−
ie
e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
Rk)
ħc
c
e
ie
e
⃗⃗(r⃗)exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
+ A
Rk)
c
ħc
c
= −iħ𝛻 [exp {−
+ exp {−
ie
e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗}] [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
Rk)
ħc
c
ie
e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} (−iħ𝛻) {[ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
R k )}
ħc
c
e
ie
e
⃗⃗(r⃗)exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
+ A
Rk)
c
ħc
c
29
= −iħ (−
ie
ie
e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [𝛻{A
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗}] [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] × 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
) exp {− ⃗A⃗(R
Rk)
ħc
ħc
c
+ exp {−
ie
e
⃗A⃗(R
⃗⃗(r⃗) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} (−iħ𝛻) {[ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k )}
ħc
c
e
ie
e
⃗⃗(r⃗) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
+ ⃗A⃗(r⃗)exp {− ⃗A⃗(R
Rk)
c
ħc
c
= exp {−
ie
e
e
⃗A⃗(R
⃗⃗(r⃗) − ⃗A⃗(R
⃗⃗(r⃗) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻]
ħc
c
c
× 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
Rk)
= exp {−
2
ie
e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
R k ) ⋯ (2. 4.16)
ħc
c
となる。つまり、
Ĥ′ φk (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
Rk) =
2
1
ie
e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} [ {A
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
exp {− A
Rk)
2m
ħc
c
+ Vexp {−
= exp {−
ie
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
A
Rk)
ħc
2
ie
1 e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} {
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻] + V}
A
[ {A
ħc
2m c
× 𝜒k (r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
R k ) ⋯ (2. 4. 17)
となる。
これを踏まえて、まずは共鳴積分から詳しく見てみる。
′
βrs = ⟨𝜑r∗ |Ĥ′ |𝜑s ⟩
= ∫ [exp {
2
ie
1
e
ie
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗)} + V ] [exp {− A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗r ) ∙ r⃗} 𝜒r∗ ] [
⃗⃗⃗⃗⃗s ) ∙ r⃗} 𝜒s ] dr⃗
A
{−iħ𝛻 + A
ħc
2m
c
ħc
= ∫ [exp {
2
ie
ie
1 e
⃗⃗(R
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗r ) ∙ r⃗} 𝜒r∗ ] exp {− A
⃗⃗⃗⃗⃗s ) ∙ r⃗} {
⃗⃗⃗⃗⃗s )} − iħ𝛻]
A
[ {A
ħc
ħc
2m c
+ V } 𝜒s dr⃗
= ∫ exp [−
2
ie
1 e
⃗⃗(R
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗s ) − A
⃗⃗⃗⃗⃗r )} ∙ r⃗] 𝜒r∗ {
⃗⃗⃗⃗⃗s )} − iħ𝛻]
{A
[ {A
ħc
2m c
+ V } 𝜒s dr⃗ ⋯ (2. 4. 18)
30
ここで、ベクトルポテンシャル ⃗A⃗ 項に関して変形する。
1
1
⃗⃗(r⃗) − A
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗ − R
⃗⃗⃗⃗⃗s ) = (− H(y − ys ), H(x − xs ), 0) = A
⃗⃗⃗⃗⃗s ) ⋯ (2. 4. 19)
A
2
2
さらに、位置ベクトル r⃗ の平均値 r⃗̅ をとる。これは近似的に
⃗⃗⃗⃗⃗
R r + ⃗⃗⃗⃗⃗
Rs
r⃗̅ =
⋯ (2. 4. 20)
2
で表される。また、𝜒s 、𝜒r といった原子軌道が値を持つ付近では (2. 4. 18) 式の exp 項が一
定だとみなす近似を行うことにより積分の外に出す。この近似により (2. 4. 18) 式は、
exp [−
2
∗ 1 e
ie
⃗⃗(R
⃗A⃗(r⃗ − R
⃗⃗⃗⃗⃗s ) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗r )} ∙ r⃗̅] ∫ χ {
⃗⃗⃗⃗⃗s ) − iħ∇] + V } χ dr⃗ ⋯ (2. 4. 21)
{A
[
r 2m c
s
ħc
と変形される。さらに積分の中身を近似することで (2. 4.21) 式は、
exp [−
∗
ie
⃗⃗(R
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗s ) − A
⃗⃗⃗⃗⃗r )} ∙ r⃗̅] ⟨χ |Ĥ|χ ⟩ ≡ γ β
⋯ (2. 4. 22)
{A
r
s
rs rs
ħc
′
となる。つまり、磁場存在下における共鳴積分 𝛽rs
は、磁場なしでの共鳴積分 𝛽rs に 𝛾rs を掛
けることで表せる。では、𝛾rs について、さらに整理しよう。(2. 4. 22) 式より、
exp [−
ie
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗s ) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗r )} ∙ r⃗̅]
{A
ħc
= exp [−
(xs + xr , ys + yr , zs + zr )
ie
1
1
{(− H(ys − yr ), H(xs − xr ), 0) ∙
}]
ħc
2
2
2
= exp [−
ie
1
ys xs + ys xr − yr xs − yr xr
)
{− H (
ħc 2
2
1
ys xs + yr xs − ys xr − yr xr
ie
+ H(
)}] = exp {−
H(xs yr − xr ys )}
2
2
2ħc
= exp {
ie2π 1
H(xr ys − xs yr )} ⋯ (2. 4. 23)
hc 2
となる。(2. 4. 23) 式の下線部は原点と r、s から成る三角形を表すので、これを Srs とする。
さらに、
frs =
HSrs e
⋯ (2. 4. 24)
hc
とすると
∗
𝛾rs = exp(2πifrs ) = 𝛾sr
⋯ (2. 4. 25)
31
となる。
次に、クーロン積分について見てみよう。クーロン積分は(2. 4. 7) 式で表されるので、
(2. 4. 17) 式を利用して変形する。
𝛼k′ = ⟨𝜑k∗ |Ĥ′ |𝜑k ⟩
= ∫ [exp {
2
ie
1
e
ie
⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k∗ ] [
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k ] dr⃗
{−iħ𝛻 + ⃗A⃗(r⃗)} + V ] [exp {− ⃗A⃗(R
ħc
2m
c
ħc
= ∫ [exp {
2
ie
ie
1 e
⃗A⃗(R
⃗⃗(r⃗) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} 𝜒k∗ ] exp {− ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k ) ∙ r⃗} {
⃗⃗⃗⃗⃗k )} − iħ𝛻]
[ {A
ħc
ħc
2m c
+ V } 𝜒k dr⃗
= ∫ exp [−
= ∫ 𝜒k∗ {
2
ie
1 e
⃗⃗(R
⃗⃗(r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
⃗⃗⃗⃗⃗k ) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗k )} ∙ r⃗] 𝜒k∗ {
R k )} − iħ𝛻] + V } 𝜒k dr⃗
{A
[ {A
ħc
2m c
2
1 e
R k ) − iħ𝛻] + V } 𝜒k dr⃗ ⋯ (2. 4. 26)
[ ⃗A⃗(r⃗ − ⃗⃗⃗⃗⃗
2m c
ここで、(2. 4. 22) 式で行った近似と同じ近似を行う。
𝛼k′ = ⟨𝜒k∗ |Ĥ|𝜒k ⟩ = 𝛼k ⋯ (2. 4. 27)
つまり、クーロン積分については磁場存在下でも、磁場なしと同じであるということがわか
る。最後に、重なり積分について見る。重なり積分は (2. 4. 8) 式で表されるので、
′
Srs
= ⟨𝜑r∗ |𝜑s ⟩ = ∫ [exp {
ie
ie
⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗r ) ∙ r⃗} 𝜒r∗ ] [exp {− ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗s ) ∙ r⃗} 𝜒s ] dr⃗
ħc
ħc
= ∫ exp [
ie
⃗⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗r ) − ⃗A⃗(R
⃗⃗⃗⃗⃗s )} ∙ r⃗] 𝜒r∗ 𝜒s dr⃗ ⋯ (2. 4. 28)
{A
ħc
となる。ここで、(2. 4. 21) 式で行った近似を行うことで、
′
Srs
= 𝛾rs Srs ⋯ (2. 4. 29)
となる。重なり積分も共鳴積分と同様の形になる。
では、これらにより永年行列式や、特性多項式にどのような変化が見られるかを考えてみ
よう [25,26]。行列式の各要素は対角項については変化ないが、そのほかの共鳴積分項と重な
り積分項には、それぞれ 𝛾rs がかかる。ここで注目すべきは、上三角行列と下三角行列では r
∗
と s が入れ替わり 𝛾sr となる。しかし、(2. 4. 25) 式を見れば分かるように、𝛾sr = 𝛾rs
であり、
32
∗
𝛾rs 𝛾rs
= exp(2πifrs )exp(−2πifrs ) = exp(2πifrs − 2πifrs ) = 1 ⋯ (2. 4. 30)
∗
となる。つまり、行列要素として結合 rs を取るようなときは、必ず 𝛾rs 𝛾rs
を取ることになる
ので、磁場による影響は受けない。ではどのような時に、磁場存在下での影響を受けるのか
というと、サーキットを取るようなときである。例えばサーキット rsn を取るときには、結
合 rs、sn、nr について見ればよいので、重なり積分については途中でヒュッケル近似を行う。
′
′
′
′
′
′
− Srs
ε)(𝛽sn
− Ssn
𝜀)(𝛽nr
− Snr
𝜀) = 𝛾rs 𝛾sn 𝛾nr (𝛽rs 𝛽sn 𝛽nr )
(𝛽rs
= exp(2𝜋ifrs + 2𝜋ifsn + 2𝜋ifnr )(𝛽rs 𝛽sn 𝛽nr )
= exp {
2𝜋iHe
(Srs + Ssn + Snr )} (𝛽rs 𝛽sn 𝛽nr ) ⋯ (2. 4. 31)
hc
ここで、(Srs + Ssn + Snr )はサーキット rsn で囲まれる面積を示す。つまり、磁場存在下での
影響はサーキットに限られ、その効果はサーキットの面積に依存する。
なお、(2. 4. 31) 式は、サーキットを取ったときの行列要素の取り方の一つであり、対称に
取ったときには、
exp {
2𝜋iHe
2𝜋iHe
(Ssr + Sns + Srn )} (𝛽sr 𝛽ns 𝛽rn ) = exp {
(−Srs − Ssn − Snr )} (𝛽rs 𝛽sn 𝛽nr )
hc
hc
= exp {−
2𝜋iHe
(Srs + Ssn + Snr )} (𝛽rs 𝛽sn 𝛽nr ) ⋯ (2. 4. 32)
hc
となる。これら 2 つの式の和が、磁場による影響として特性多項式に現れる。面積の項の和
をSrsn とすると
2𝜋e
S ≡ 𝜃rsn ⋯ (2. 4. 33)
hc rsn
となる。(2. 4. 31) 式と(2. 4. 32) 式の和は
(𝛽rs 𝛽sn 𝛽nr ){exp(iH 𝜃rsn ) + exp(−iH 𝜃rsn )} = (𝛽rs 𝛽sn 𝛽nr )2 cos(H 𝜃rsn ) ⋯ (2. 4. 34)
となる。以上より、磁場存在下での特性多項式は、 (2. 3. 8) 式を変形して、
all circuits
PG (𝑋, H) = R G (𝑋) − 2
∑
R G−ri (𝑋) cos(H 𝜃ri )
i
all circuits
+ 22
∑
R G−ri−rj (𝑋) cos(H 𝜃ri )cos (H 𝜃rj ) + ⋯ ⋯ (2. 4. 35)
i>𝑗
となる。
33
磁場の中で不安定化する物質を反磁性物質といい、反磁性磁化率は、反磁性物質が磁場の
中で不安定化する程度を表す。こうして得られた (2. 4. 35) 式の特性多項式を見ると、サー
キットの項に余弦関数の、補正がかかっていることが分かる。余弦関数は 1 以下の値となり、
芳香族分子は磁場の中で不安定化することが分かる。しかし、磁場による影響で現れた項が、
多項式の解に与える影響については、n 次方程式における解析的な手法がないので、解が安
定化するのか不安定化するのか、などのことを解析する方法はない。つまり、単純に方程式
を解くことはできるのだが、どのサーキットがどんな影響を与えるのかなどの、解析の手段
がないのだ。そこで、この問題に対する理論を、次節で説明しよう。
2.5. 磁場存在下でのヒュッケル分子軌道法の拡張
2.4 節で示した磁場存在下でのヒュッケル分子軌道法を、より解析的に解くために、グラフ
理論を適用する [25,26]。磁場なしにおける特性多項式 PG (𝑋, 0) は、(2. 3. 8) 式で示したよう
に、
all circuits
PG (𝑋, 0) = R G (𝑋) − 2
∑
all circuits
R G−ri (𝑋) + 2
2
i
∑
R G−ri−rj (𝑋) + ⋯ ⋯ (2. 5. 1)
i>𝑗
となる。磁場存在下では (2. 4. 35) 式で示したように、
all circuits
PG (𝑋, H) = R G (𝑋) − 2
∑
all circuits
R G−ri (𝑋) cos(H𝜃ri ) + 2
i
2
∑
R G−ri−rj (𝑋) cos(H𝜃ri )cos (H𝜃rj )
i>𝑗
+ ⋯ ⋯ (2. 4. 35)
である。ここで、cos(H𝜃ri ) をテイラー展開し、2 乗の項まで求めると、
1
2
cos(H𝜃ri ) ≈ 1 − (H𝜃ri ) ⋯ (2. 5. 2)
2
となる。(2. 4. 35) 式に (2. 5. 2) 式を代入すると、
34
all circuits
PG (𝑋, H) = R G (𝑋) − 2
∑
i
all circuits
+ 22
∑
i>𝑗
1
2
R G−ri (𝑋) {1 − (H 𝜃ri ) }
2
2
1
1
2
R G−ri−rj (𝑋) {1 − (H 𝜃ri ) } {1 − (H 𝜃rj ) } + ⋯
2
2
all circuits
= {R G (𝑋) − 2
all circuits
R G−ri (𝑋) + 2
∑
2
i
2
R G−ri (𝑋) (H 𝜃ri )
∑
i
all circuits
−2
∑
i>𝑗
2
2
1
2
2
R G−ri−rj (𝑋) {(H 𝜃ri ) + (H 𝜃rj ) − (H 𝜃ri ) (H 𝜃rj ) } + ⋯
2
all circuits
= PG (𝑋, 0) + H
2
∑
all circuits
R G−ri (𝑋) 𝜃r2i
∑
i
all circuits
+ H4
R G−ri−rj (𝑋)}
i>𝑗
all circuits
+
∑
− 2H
2
∑
R G−ri−rj (𝑋) (𝜃r2i + 𝜃r2j )
i>𝑗
R G−ri−rj (𝑋) 𝜃r2i 𝜃r2j + ⋯ ⋯ (2. 5. 3)
i>𝑗
となる。(2. 5. 3) 式の H 4 以降の項は H が十分小さいとして無視する。ここで PG−ri (𝑋, 0) に
ついて考える。
all circuits
PG−ri (𝑋, 0) = R G−ri (𝑋) − 2
R G−ri−rj (𝑋) 𝜉ij + ⋯ ⋯ (2. 5. 4)
∑
j
𝜉ij は、i と j が隣り合わないとき 𝜉ij = 1 、隣り合うとき 𝜉ij = 0 とする。この (2. 5. 4) 式を
用いると (2. 5. 3) 式は、
all circuits
PG (𝑋, H) = PG (𝑋, 0) + H
2
∑
PG−ri (𝑋, 0) 𝜃r2i ⋯ (2. 5. 5)
i
つまり、PG (𝑋, H) = 0 の解を PG (𝑋, 0) に代入したとき、(2. 5. 5) 式を変形することで
all circuits
PG (𝑋, 0) = −H
2
∑
PG−ri (𝑋, 0) 𝜃r2i ⋯ (2. 5. 6)
i
となる。磁場存在下での特性多項式のある解における、磁場なしでの特性多項式は、常に
0
(2. 5. 6) 式で表される。ここで、磁場なしでの特性多項式の解を 𝑋m
とし、磁場存在下での
特性多項式の解を 𝑋m とし、磁場による効果は小さいとすると、磁場存在下での解と磁場な
0
しでの解はそれほど差がない。そこで、ニュートン法を用いる。まずは PG (𝑋, 0) のある解を 𝑋m
とし、対応する PG (𝑋, H) の解を 𝑋m とすると、(2. 5. 7)式のように表せる。
35
0
𝛿𝑋m = |𝑋m
− 𝑋m | ⋯ (2. 5. 7)
Figure 2. 5. 1 ニュートン法の模式図。実線が磁場なしの特性多項式を、点線が磁場存在下
の特性多項式を表す。
Figure 2. 5. 2 Figure 2. 5. 1 の白丸で囲まれた部分の拡大図。𝑿𝟎𝐦 は磁場なしでの特性多項式
𝐏𝐆 (𝑿, 𝟎) = 𝟎 の解を表し、𝑿𝐦 は磁場存在下での 𝑿𝟎𝐦 に対応する特性多項式 𝐏𝐆 (𝑿, 𝐇) = 𝟎 の解
を表し、q は 𝐏𝐆 (𝑿𝟎𝐦 , 𝐇) を表す。
Figure 2. 5. 1 と Figure 2. 5. 2 のような状況を考えると、ゼロ磁場極限において近似的に
次の関係式が成り立つ。
0
PG′ (𝑋m
, 0)
1
=
{−H 2
𝛿𝑋m
all circuits
∑
0
PG−ri (𝑋m
, 0) 𝜃r2i } ⋯ (2. 5. 8)
i
つまり、これにより磁場存在下での特性多項式の解を求めるのである。
36
all circuits
𝑋m =
0
𝑋m
−H
2
∑
i
0
PG−ri (𝑋m
, 0) 2
𝜃ri ⋯ (2. 5. 9)
′ (𝑋 0
PG m , 0)
この式により解が得られるが、ここで
Q G−ri (𝑋) =
PG−ri (𝑋, 0)
⋯ (2. 5. 10)
PG′ (𝑋, 0)
とし、全π電子エネルギーについて見てみる。まず、特性多項式の解 X は
−𝑋m =
𝛼 − 𝜀m
⋯ (2. 5. 11)
𝛽
となり、m 番目の軌道のエネルギー 𝜀m をクーロン積分 𝛼 と共鳴積分 𝛽 、解 𝑋m で表せる。こ
れにより、N 個のπ電子があるときの全π電子エネルギーは
N
2
E𝜋 = N𝛼 + 2𝛽 ∑ 𝑋m ⋯ (2. 5. 12)
m=1
で表されるので、(2. 5. 9)式と(2. 5. 10)式より、
N
2
E𝜋 = N𝛼 + 2𝛽 ∑
all circuits
0
{𝑋m
m=1
−H
2
∑
0) 2
Q G−ri (𝑋m
𝜃ri } ⋯ (2. 5. 13)
i
と表される。以上で、0 節から求めてきた磁場存在下でのヒュッケル法の扱いと、得られる
エネルギーについてはまとまった。
ここからは、磁場存在下で特有の性質である磁化率𝜒G について説明しよう。磁化率は、次
の式で定義されている。
𝜒G = {
∂2 E𝜋 (H)
⋯ (2. 5. 14)
}
∂H 2
H=0
ここで、幸いなことに全π電子エネルギーE𝜋 は既に得られている。つまり、あとは E𝜋 をゼロ
磁場極限で H について偏微分するだけである。
37
N
2
2
∂
0
𝜒G =
N𝛼 + 2𝛽 ∑ {𝑋m
− H2
∂H 2
m=1
[
N
2
∂
=
−4𝛽 ∑ H
∂H
m=1
{
all circuits
i
N
2
0 )𝜃 2
Q G−ri (𝑋m
ri
∑
i
= −4𝛽 ∑ H
m=1
}
all circuits
∑
0 )𝜃 2
Q G−ri (𝑋m
ri
i
N
2
0)
−4𝛽𝜃r2i ∑ Q G−ri (𝑋m
∑
i
]
all circuits
all circuits
=
0) 2
Q G−ri (𝑋m
𝜃ri }
∑
m=1
{
⋯ (2. 5. 15)
}
ここで、(2. 5. 15) 式の形を見てみると、サーキットによる磁化率を𝜒ri とすると、 (2. 5. 15)
式の下線部と同一なので、
N
2
0)
𝜒ri = −4𝛽𝜃r2i ∑ Q G−ri (𝑋m
⋯ (2. 5. 16)
m=1
である。よって分子の磁化率は、
all circuits
𝜒G =
∑
𝜒ri ⋯ (2. 5. 17)
i
となる。分子の磁化率は、各サーキットの磁化率の和で表される。
次に磁化率の式 (2. 5. 15) を変形する。
N
2 all circuits
𝜒G = −4𝛽 ∑
m=1
∑
N
2
0 )𝜃 2
Q G−ri (𝑋m
ri
all circuits
= 2 ∑ {−2𝛽
i
m=1
∑
0 )𝜃 2
Q G−ri (𝑋m
ri } ⋯ (2. 5. 18)
i
(2. 5. 18) 式のように変形すると、下線部は各軌道による磁化率への寄与となる。つまり、各
軌道の磁化率への寄与は、
all circuits
𝜒𝑋m = −2𝛽
0 )𝜃 2
Q G−ri (𝑋m
ri ⋯ (2. 5. 19)
∑
i
と表される。そこで、(2. 5. 18) 式と (2. 5. 19) 式より
N
2
𝜒G = 2 ∑ 𝜒𝑋m ⋯ (2. 5. 20)
m=1
となる。 (2. 5. 17) 式と (2. 5. 20) 式より、分子の磁化率が各軌道と各サーキットに、それ
38
ぞれ分けることが可能であると示された。これにより、分子の形と磁化率の関係が示された。
2.6. Magnetic Resonance Energy と Circuit Resonance Energy
2.5 節で分子の磁化率が (2. 5. 17) 式と (2. 5. 20) 式で示された。この二つの式では、それ
ぞれ分子の磁化率が、各サーキットと各軌道に割り振られることが分かった。では、磁化率
の解析的な記述が可能となったので、芳香族性の磁化率による記述を行う [27-29]。まず、
次のように定義される量を導入する。
occupied
𝐴i = 4
∑
PG−ri (𝑋j )
PG′ (𝑋j )
j
⋯ (2. 6. 1)
また、benzene の磁化率を𝜒0 、面積をS0 とすると、(2. 5. 16) 式と(2. 5. 17) 式から、θ の中
身を考慮して次の関係が成り立つ。
G
Si 2
𝜒G = 4.5𝜒0 ∑ 𝐴i ( ) ⋯ (2. 6. 2)
S0
i
Si 2
χi = 4.5𝜒0 𝐴i ( ) ⋯ (2. 6. 3)
S0
磁化率は、面積に依存するが、 𝐴i は面積には依存しない。つまり、この 𝐴i は磁場がかかっ
た場合に、サーキット i が受ける、面積に依存しないエネルギー的な影響を表す。これを
Circuit Resonance Energy (CRE) と定義する。そして、各サーキットにおける CRE を、す
べてのサーキットで和を取ったものを、Magnetic Resonance Energy (MRE) と定義する。
𝐴i = CREi ⋯ (2. 6. 4)
G
MRE = ∑ CREi ⋯ (2. 6. 5)
i
なお、これらの単位は環状共役炭化水素では |𝛽CC | である。そして、Figure 2.6.1 に示すよう
に、MRE は TRE とほぼ直線関係にあることが分かっている[27]。このことから、MRE と
TRE が物理的に同じ量を表していることが分かる。つまり、MRE は磁気的側面から求めた
芳香族性の指標である。
39
Figure 2.6.1 [27]より引用した 33 種の PAH の中性における MRE と TRE の相関。
また、外部磁場により引き起こされるモーメントである、磁化は次のように定義される。
G
MG = 𝜒G H = ∑ 𝜒i H ⋯ (2. 6. 6)
i
(2. 6. 6) 式からも分かるように、分子の磁化 MG もサーキットに分けられる。つまり、
Mi = 𝜒i H ⋯ (2. 6. 7)
で定義される。ここで、各サーキットの磁化 Mi は i 番目のπ電子環を巡る環電流に起因する
と仮定する。つまり、磁化 Mi と環電流 Ii には、
Mi =
Ii S i
⋯ (2. 6. 8)
c
という関係式が成り立つ。この仮定に基づけば、(2. 6. 7) 式と(2. 6. 8) 式により、
Ii =
c𝜒i H
⋯ (2. 6. 9)
Si
と表わせる。 (2. 5. 16) 式を書き換えて、
e 2
𝜒i = −4𝛽 ( ) Si 2 𝐴i ⋯ (2. 6. 10)
ħc
と書くと、(2. 6. 9) 式に代入して、
40
e 2 Si
Ii = −4𝛽 ( )
H𝐴i ⋯ (2. 6. 11)
ħ c
が得られる。
2.7. Bond Resonance Energy
ヒュッケル分子軌道法において導出された永年行列式は、原子 1 と原子 2 の共鳴積分を
𝛽12 (= 𝛽21 )、原子 1 のクーロン積分を 𝛼1 、異なる原子間の重なり積分は Sab = 0、同一原子
間では Saa = 1 とし、各軌道のエネルギーを ε とすると、n 原子分子では (2. 7. 1) 式の形で
表される。
𝛼1 − 𝜀
𝛽21
|
⋮
⋮
| 𝛽l1
⋮
𝛽
| m1
⋮
𝛽n1
𝛽12
𝛼2 − 𝜀
𝛽32
⋮
𝛽l2
⋮
𝛽m2
⋮
𝛽n2
⋯
𝛽23
⋱
⋱
⋯
⋱
⋯
⋱
⋯
⋯
⋯
⋱
⋱
⋯
⋱
⋯
⋱
⋯
𝛽1l
𝛽2l
⋮
⋮
𝛼l − ε
⋮
𝛽ml
⋮
𝛽nl
⋯
𝛽1m
⋯
𝛽2m
⋱
⋮
⋱
⋮
⋯
𝛽lm
⋱
⋮
⋯ 𝛼m − 𝜀
⋱
⋱
⋯
𝛽nm
⋯
𝛽1n
⋯
𝛽2n
|
⋱
⋮
⋱
⋮
⋯
𝛽ln | = 0 ⋯ (2. 7. 1)
⋱
⋮
⋯
𝛽mn |
⋱
⋮
⋯ 𝛼n − 𝜀
ここで、共鳴積分 𝛽lm は原子 l と原子 m の間に結合がなければ 0 とする。結合があったとき
には、原子 l と原子 m の元素の組み合わせに依存する。また、原子 l の 𝛼l も元素に依存する。
(2. 8. 1) 式より導出される特性多項式は
PG (𝑋) = 0 ⋯ (2. 7. 2)
と表される。Bond Resonance Energy (BRE) とは、各π結合に関する環状共役による反応
性や速度論的安定性を表す [30-35]。これは、先に示した、永年行列式の一意の結合 lm に該
∗
当する共鳴積分の値を、𝛽lm =i𝛽lm とし、 𝛽ml = 𝛽lm
とすることで、結合 lm を介する環状共役
が、阻止された永年行列(2. 7. 3) 式が得られる。
𝛼1 − 𝜀
𝛽
| 21
⋮
⋮
| 𝛽l1
⋮
𝛽
| m1
⋮
𝛽n1
𝛽12
𝛼2 − 𝜀
𝛽32
⋮
𝛽l2
⋮
𝛽m2
⋮
𝛽n2
⋯
𝛽23
⋱
⋱
⋯
⋱
⋯
⋱
⋯
⋯
𝛽1l
⋯
𝛽2l
⋱
⋮
⋱
⋮
⋯ 𝛼l − 𝜀
⋱
⋮
⋯ −i𝛽lm
⋱
⋮
⋯
𝛽nl
⋯
⋯
⋱
⋱
⋯
⋱
⋯
⋱
⋯
𝛽1m
𝛽2m
⋮
⋮
i𝛽lm
⋮
𝛼m − 𝜀
⋱
𝛽nm
⋯
𝛽1n
⋯
𝛽2n
|
⋱
⋮
⋱
⋮
⋯
𝛽ln | = 0 ⋯ (2. 7. 3)
⋱
⋮
⋯
𝛽mn |
⋱
⋮
⋯ 𝛼n − 𝜀
41
(2. 7. 3) 式の行列式を解いた特性多項式を
Q lm (𝑋) = PG (𝑋) + 2 ∑ PG−rj (𝑋) ⋯ (2. 7. 4)
j
とする。ただし、PG−rj とはグラフ G から一意の結合 lm が関わるサーキットを除くというこ
とである。 (2. 7. 2) 式と (2. 7. 4) 式を解いた各軌道に対応する解について差を取り、和を
取ったものが結合 lm に関する Bond Resonance Energy ( BRElm ) となる。つまり、各軌道
を示す添え字 l (l=1~n) を用いて (2. 7. 2) 式の解を 𝑋l0 、(2. 7. 4) 式の解を 𝑋llm と表し、
𝛥𝑋l = 𝑋l0 − 𝑋llm とすると各軌道には電子は二つ入るので、
occupied
BRElm = 2
∑ (𝑋l0 − 𝑋llm ) ⋯ (2. 7. 5)
l=1
となる。つまり BRE を求めるには ΔX が分かればよい。
なお、分子中の結合に-0.100 |𝛽𝐶𝐶 | 以下の BRE をもつような場合、反応性が高く安定には
存在出来ないことが知られている。BRE により、
フラーレンに対する Isolated Pentagon Rule
(IPR) は、満足のいく解釈を与えられた [1-4]。以下に、BRE の計算概略の簡単な例として、
Figure 2.7.1 の pentalene の計算をする。
Figure 2.7.1 pentalene。番号は炭素原子に付いていて、行列式の行番号や列番号に対応し
ている。
pentalene の原子数は 8 個であり、π電子数も 8 個である。全ての原子は炭素であり、どの
結合においても共鳴積分は 1.000 / |𝛽CC | とする。すると永年行列式は
−𝑋
1
| 0
0
|
0
| 0
0
1
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
1
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
0
0
0
0
0
0
1
−𝑋
1
1
0
0 |
1
| = 0 ⋯ (2. 7. 6)
0
0 |
1
−𝑋
となる。また、原子 1、2、3、4、8 番からなるサーキットを r1 、原子 4、5、6、7、8 番から
42
なるサーキットを r2 、原子 1、2、3、4、5、6、7、8 番からなるサーキットを r3 とすると、
(2. 7. 6) 式を解いた特性多項式は
PG (𝑋) = ⏟
𝑋 8 − 9𝑋 6 + 24𝑋 4 − 20𝑋 2 + 2 − 2 (𝑋
⏟ 3 − 2𝑋) − 2 (𝑋
⏟ 3 − 2𝑋) − 2
参照多項式RG (𝑋)
r1 を除いたPG−r1
r2 を除いたPG−r2
(1)
⏟
r3 を除いたPG−r3
= 𝑋 8 − 9𝑋 6 + 24𝑋 4 − 4𝑋 3 − 20𝑋 2 + 8𝑋 ⋯ (2. 7. 7)
と書ける。
ここで、𝑋l について、l は 1 から順にエネルギーの低い安定な軌道に対応する。いま、原子
1 と原子 2 の間の結合 1-2 についての BRE12 を求める。PG (𝑋) の解と、結合 1-2 に対応する行
列要素を複素共役にした Q12 (𝑋) の解について、求まったエネルギーの差を取ることで BRE12
は求まる。Table 2.7.1 より、
4
BRE12 = 2 ∑ 𝛥𝑋l = 2(0.055 − 0.126 + 0.000 − 0.045)
l=1
= −0.232 |𝛽CC |
となる。このようにして各結合の BRE を求めることでその分子の反応性を求められる。
Table 2.7.1. 各方程式の解とその差。
l
PG (𝑋)を解いた結果
Q12 (𝑋)を解いた結果
Δ𝑋l
1
2.343
2.288
0.055
2
1.414
1.540
-0.126
3
1.000
1.000
0.000
4
0.471
0.516
-0.045
5
0.000
-0.239
0.239
6
-1.414
-1.258
-0.156
7
-1.814
-1.709
-0.105
8
-2.000
-2.138
0.138
2.8. 結合の手の数と最大固有値の関係
同一元素で構成される共鳴積分が一様な、任意のπ共役分子の永年行列式は、固有値 λ と
π共役系のグラフ G の隣接行列
43
0 1 0 ⋯ 0 1
1 ⋱ 1 ⋱ ⋱ 0
𝐴 = 0 1 ⋱ ⋱ ⋱ ⋮ ⋯ (2. 8. 1)
⋮ 0 ⋱ ⋱ 1 0
0 ⋮ ⋱ 1 ⋱ 1
[1 0 ⋯ 0 1 0 ]
(各行の 1 の配置や数は、グラフごとであるが、実対称行列であることは共通である。)を用
いて次のように表される。
|𝐴 − 𝜆𝐸| = 0 ⋯ (2. 8. 2)
ここで A は実対称行列なので、その固有値である λ は実数である。また、A の i 行 j 列の成
𝑥1
分は 𝑎𝑖𝑗 、𝜆 に対する固有ベクトルを 𝑥⃗ = ( ⋮ ) とし、|𝑥𝑖 | を |𝑥1 |, ⋯ , |𝑥𝑛 | の中の最大値を与え
𝑥𝑛
る i とする ( 𝑥⃗ は固有ベクトルなので 𝑥𝑖 ≠ 0) 。さらに、固有値と隣接行列の関係より
𝐴𝑥⃗ = 𝜆𝑥⃗ ⋯
(2. 8. 3)
となる。
ここまでは、証明の準備段階であり、以降が結合の手の数と最大エネルギー固有値に関す
る証明である [36,37]。
2.8.1. 固有値の最大
上記の条件のもと、固有値λの最大値の性質を調べる。λ 𝑥⃗ と A 𝑥⃗ の i 成分を比べる。
𝜆𝑥𝑖 = 𝑥𝑙 + 𝑥𝑚 + ⋯ ⋯ (2. 8. 4)
ここで 𝑙 ≠ 𝑚 である。ただし、成分の数は i 行目に対応する原子が結合している手の数に等
しい。この両辺の絶対値を取ると、
|𝜆𝑥𝑖 | = |𝑥𝑙 + 𝑥𝑚 + ⋯ | ≤ |𝑥𝑙 | + |𝑥𝑚 | + ⋯
|𝜆||𝑥𝑖 | ≤ |𝑥𝑙 | + |𝑥𝑚 | + ⋯ ⋯ (2. 8. 5)
である。ここで |𝑥𝑖 | > 0 なので
|𝜆| ≤
1
(|𝑥 | + |𝑥𝑚 | + ⋯ ) ≤ 1 + 1 + ⋯ = 原子 𝑖 の結合の手の数 ⋯ (2. 8. 6)
|𝑥𝑖 | 𝑙
(∵ |𝑥𝑖 | ≥ |𝑥𝑙 |, |𝑥𝑚 | ⋯ )
となる。以上で |𝜆𝑚𝑎𝑥 | が G の各点から出ている、結合の手の数の最大値以下であることが
示された。
44
2.8.2. 最大固有値について
2.8.1 の証明により、固有値の最大値の範囲が示された。そこで、最大固有値について議論
する。まず次の命題を示す。
①
1
ℎ = [ ⋮ ]} N 個 ⋯ (2. 8. 7)
1
で N は G の点の数、即ち原子数とすると、
(𝐴ℎ, ℎ) = 各点の結合の手の数の総和 ⋯ (2. 8. 8)
である。
まず、
1 番の原子の結合の手の数
𝐴ℎ = 2 番の原子の結合の手の数 ⋯ (2. 8. 9)
⋮
[N 番の原子の結合の手の数]
である。さらに、
(𝐴ℎ, ℎ) = 1 番の原子の結合の手の数 + 2 番の原子の結合の手の数 + ⋯
+ N 番の原子の結合の手の数
= 各点の結合の手の数の総和 ⋯ (2. 8. 10)
となる。
②
𝑚𝑎𝑥
‖𝑥⃗‖ = 1(𝐴𝑥⃗, 𝑥⃗) = 𝜆𝑚𝑎𝑥 ⋯ (2. 8. 11)
である。以下でこれを示す。
A は実対称行列なので直交行列 P を用いて対角化できる。
𝑃
−1
𝜆1
𝐴𝑃 = [ ⋮
0
⋯ 0
⋱
⋮ ] ⋯ (2. 8. 12)
⋯ 𝜆N
であり、𝑃 = [𝑝
⃗⃗⃗⃗⃗1 ⋯ ⃗⃗⃗⃗⃗]と列ベクトルに分解すると、
𝑝N
𝐴𝑝
⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝𝑘 ⋯ (2. 8. 13)
𝑘 = 𝜆𝑘 ⃗⃗⃗⃗⃗
であり、𝜆𝑘 は固有値で ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝𝑘 がその固有ベクトルである。ここで、𝜆1 ≥ 𝜆2 ≥ ⋯ ≥ 𝜆Nとする
45
と 𝜆1 が 𝜆𝑚𝑎𝑥 で ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 がその固有ベクトルとなる。また、
‖𝑝
⃗⃗⃗⃗⃗‖
𝑘 =1
1
かつ (𝑝
⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝𝑙 = {
𝑘 , ⃗⃗⃗⃗)
0
𝑘=𝑙
⋯ (2. 8. 14)
𝑘≠𝑙
である。さらには {𝑝
⃗⃗⃗⃗⃗,
⋯ , ⃗⃗⃗⃗⃗}
𝑝N は 𝑅⃗⃗ 𝑁 の正規直交基となり、𝑥⃗ (∈ 𝑅⃗⃗ N ) は
1
𝑥⃗ = 𝑥1 ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 + ⋯ + 𝑥N ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝N ⋯ (2. 8. 15)
と一意に表現できる。そこで、
‖𝑥⃗‖ = 1 であり、𝑥12 + ⋯ + 𝑥N2 = 1 ⋯ (2. 8. 16)
である 𝑥⃗ を任意にとり、𝐴𝑥⃗ を計算する。
𝐴𝑥⃗ = 𝐴(𝑥1 ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 + ⋯ + 𝑥N ⃗⃗⃗⃗⃗)
𝑝N = 𝑥1 𝐴𝑝
⃗⃗⃗⃗⃗1 + ⋯ + 𝑥N 𝐴𝑝
⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 + ⋯ + 𝑥N 𝜆N ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝N ⋯ (2. 8. 17)
N = 𝑥1 𝜆1 ⃗⃗⃗⃗⃗
となる。(𝐴𝑥⃗, 𝑥⃗) は、
(𝐴𝑥,
⃗⃗⃗⃗ 𝑥⃗) = (𝑥1 𝜆1 ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 + ⋯ + 𝑥𝑁 𝜆𝑁 ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝𝑁 , 𝑥1 ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 + ⋯ + 𝑥N ⃗⃗⃗⃗⃗)
𝑝N = 𝜆1 𝑥12 + ⋯ + 𝜆N 𝑥N2 ⋯ (2. 8. 18)
と表される。ここで (2. 8. 16) 式より、
𝑥12 = 1 − (𝑥22 + ⋯ + 𝑥N2 ) ⋯ (2. 8. 19)
であるので、(2. 8. 18) 式に代入すると、
(𝐴𝑥⃗ , 𝑥⃗) = 𝜆1 {1 − (𝑥22 + ⋯ + 𝑥N2 )} + 𝜆2 𝑥22 + ⋯ + 𝜆N 𝑥N2
= 𝜆1 + (𝜆2 − 𝜆1 )𝑥22 + ⋯ + (𝜆N − 𝜆1 )𝑥N2 ⋯ (2. 8. 20)
となる。ここで λ1 は最大の固有値なので、
𝜆2 − 𝜆1 , ⋯ , 𝜆N − 𝜆1 ≤ 0 ⋯ (2. 8. 21)
であり、𝑥𝑖2 ≥ 0なので、
(𝜆2 − 𝜆1 )𝑥22 + ⋯ + (𝜆N − 𝜆1 ) 𝑥N2 ≤ 0 ⋯ (2. 8. 22)
となる。よって、
(𝐴𝑥⃗, 𝑥⃗) ≤ 𝜆1 = 𝜆𝑚𝑎𝑥 ⋯ (2. 8. 23)
である。また、(2. 8. 18) 式で、
𝑥1 = 1, 𝑥2 = 0, ⋯ , 𝑥N = 0 ⋯ (2. 8. 24)
𝑚𝑎𝑥
とすれば (Ax⃗⃗, x⃗⃗) = λ1 となり、このときが‖𝑥⃗‖ = 1(𝐴𝑥⃗ , ⃗⃗⃗)となる。
𝑥
46
③
𝜆𝑚𝑎𝑥 ≥ (G の各点の結合の手の数の平均値) ⋯ (2. 8. 25)
1
1
ℎ = [ ⋮ ] について ‖ℎ‖ = √N であるから ℎ′ = ℎと置くと、‖ℎ′‖ = 1である。よって、
√N
1
(𝐴ℎ′ , ℎ′ ) の値は‖𝑥⃗‖ = 1 の条件下で任意の 𝑥⃗ を用いた (𝐴𝑥,
⃗⃗⃗⃗ 𝑥⃗) の最大値と比べると、
𝑚𝑎𝑥
𝜆𝑚𝑎𝑥 = ‖𝑥⃗‖ = 1(𝐴𝑥⃗, 𝑥⃗) ≥ (𝐴ℎ′ , ℎ′ ) ⋯ (2. 8. 26)
である。一方、
(𝐴ℎ′ , ℎ′ ) = (𝐴
1
√N
ℎ,
1
√N
ℎ) =
1
√N√N
(𝐴ℎ, ℎ) =
1
(G の各原子の結合の手の数の総和)
N
= 平均値 ⋯ (2. 8. 27)
であるので、𝜆𝑚𝑎𝑥 ≥ (G の各原子の結合の手の数の平均値) となる。
④
(𝐴ℎ , 𝐴ℎ) = (各点の結合の手の数の自乗の総和) ⋯ (2. 8. 28)
(2. 8. 10) 式を用いると、
(𝐴ℎ , 𝐴ℎ) = (
1 番の原子の結合の手の数
⋮
N 番の原子の結合の手の数
,
1 番の原子の結合の手の数
)
⋮
N 番の原子の結合の手の数
=(1 番の原子の結合の手の数)2+⋯ + ( N 番の原子の結合の手の数)2
=各原子の結合の手の数の自乗の総和 ⋯ (2. 8. 29)
となる。
⑤
𝜆1 ≥ |𝜆𝑖 | ⋯ (2. 8. 31)
まず、列ベクトルとして
𝑢 = 𝑡(𝑢1 , ⋯ , 𝑢𝑛 ) ∈ 𝑅⃗⃗
𝑛
⋯ (2. 8. 32)
と、
𝑢∗ = 𝑡(|𝑢1 |, ⋯ , |𝑢𝑛 |) ⋯ (2. 8. 33)
を定義する。これらは、‖𝑢‖ = ‖𝑢∗ ‖ である。ここで𝐴 に対する任意の固有値として 𝜇 を
47
定義し、‖𝑢‖ = 1 である 𝜇 の固有ベクトルとして(2. 8. 32) 式を用いる。すると、
𝜇𝑢 = 𝐴𝑢 ⋯ (2. 8. 34)
なので、
(𝑢, 𝐴𝑢) = (𝑢, 𝜇𝑢) = 𝜇(𝑢, 𝑢) = 𝜇 ⋯ (2. 8. 35)
である。𝐴 = (𝑎𝑖𝑗 ) なので、
𝜇 = (𝑢, 𝐴𝑢) = 𝑡𝑢𝐴𝑢 = ∑ (𝑢𝑖 ∑ 𝑎𝑖𝑗 𝑢𝑗 ) = ∑ 𝑎𝑖𝑗 𝑢𝑖 𝑢𝑗 ⋯ (2. 8. 36)
𝑖
𝑗
𝑖,𝑗
となる。従って、
|𝜇| = |(𝑢, 𝐴𝑢)| ≤ ∑ 𝑎𝑖𝑗 |𝑢𝑖 ||𝑢𝑗 | = (𝑢∗ , 𝐴𝑢∗ ) = (𝐴𝑢∗ , 𝑢∗ ) ⋯ (2. 8. 37)
𝑖,𝑗
である。ここで、‖𝑢∗ ‖ = 1 なので (2. 8. 11) 式より、
𝑚𝑎𝑥
(𝐴𝑢∗ , 𝑢∗ ) ≤ ‖𝑥⃗‖ = 1(𝐴𝑥⃗ , ⃗⃗⃗)
𝑥 = 𝜆1 ⋯ (2. 8. 38)
である。以上で(2. 8. 31) 式が示された。
⑥
𝑚𝑎𝑥
2
‖𝑥⃗‖ = 1(𝐴𝑥⃗, 𝐴𝑥⃗) = (𝜆𝑚𝑎𝑥 )
⋯ (2. 8. 39)
②と同様に考えれば、
(𝐴𝑥⃗, 𝐴𝑥⃗) = (𝑥1 𝜆1 ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 + ⋯ + 𝑥N 𝜆N ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝N , 𝑥1 𝜆1 ⃗⃗⃗⃗⃗
𝑝1 + ⋯ + 𝑥N 𝜆N ⃗⃗⃗⃗⃗)
𝑝N
= 𝜆12 𝑥12 + ⋯ + 𝜆2N 𝑥N2 ⋯ (2. 8. 40)
であり、(2. 8. 16) 式を代入して、
(𝐴𝑥⃗ , 𝐴𝑥⃗) = 𝜆12 {1 − (𝑥22 + ⋯ + 𝑥N2 )} + 𝜆22 𝑥22 + ⋯ + 𝜆2N 𝑥N2
= 𝜆12 + (𝜆22 − 𝜆12 )𝑥22 + ⋯ + (𝜆2N − 𝜆12 )𝑥N2 ⋯ (2. 8. 41)
ここで𝜆1 は(2. 8. 31) 式より、絶対値最大の固有値なので、
𝜆22 − 𝜆12 , ⋯ , 𝜆2N − 𝜆12 ≤ 0 ⋯ (2. 8. 42)
であり、𝑥𝑖2 ≥ 0なので、
(𝜆22 − 𝜆12 )𝑥22 + ⋯ + (𝜆2N − 𝜆12 )𝑥N2 ≤ 0 ⋯ (2. 8. 43)
48
となる。よって、
(𝐴𝑥⃗, 𝐴𝑥⃗) ≤ 𝜆12 = (𝜆𝑚𝑎𝑥 )2 ⋯ (2. 8. 44)
また、(2. 8. 41) 式で 𝑥1 = 1, 𝑥2 = 0, ⋯ , 𝑥N = 0 とすれば (𝐴𝑥⃗, 𝐴𝑥⃗) = 𝜆12 となり、このと
𝑚𝑎𝑥
きが ‖𝑥⃗‖ = 1(𝐴𝑥⃗, 𝐴𝑥⃗) となる。
𝑚𝑎𝑥
つまり、‖𝑥⃗‖ = 1(𝐴𝑥⃗, 𝐴𝑥⃗) = (𝜆𝑚𝑎𝑥 )2 である。
⑦
|𝜆𝑚𝑎𝑥 | ≥ (G の各点の結合の手の数の根自乗平均) ⋯ (2. 8. 45)
③同様に、(𝐴ℎ′ , 𝐴ℎ′ ) の値は‖𝑥⃗‖=1 の条件下で任意の𝑥⃗を用いた (𝐴𝑥,
⃗⃗⃗⃗ 𝐴𝑥⃗) の最大値と
比べると、
(𝜆𝑚𝑎𝑥 )2 ≥
1
(G の各点の結合の手の数の自乗の総和) ⋯ (2. 8. 46)
N
となる。ここで両辺はともに 0 以上なので、平方根をとると、
G の各点の結合の手の数の自乗の総和
|𝜆𝑚𝑎𝑥 | ≥ √
N
= G の各点の結合の手の数の根自乗平均 ⋯ (2. 8. 47)
⑧
(根自乗平均) ≥ (算術平均) ⋯ (2. 8. 48)
まず、相加平均を
N
1
𝑥̅ = ∑ 𝑥𝑖 ⋯ (2. 8. 49)
N
𝑖=1
とすると、標本分散 𝜎 2 は
N
1
𝜎 = ∑ 𝑥𝑖2 − 𝑥̅ 2 ⋯ (2. 8. 50)
N
2
𝑖=1
となる。また、根自乗平均 𝑥𝑟𝑚𝑠 は
N
𝑥𝑟𝑚𝑠
1
= √ ∑ 𝑥𝑖2 ⋯ (2. 8. 51)
N
𝑖=1
となる。標本分散の定義式を変形すると、
49
2
𝜎 2 = 𝑥𝑟𝑚𝑠
− 𝑥̅ 2 ⋯ (2. 8. 52)
となり、移項して
2
𝑥𝑟𝑚𝑠
= 𝜎 2 + 𝑥̅ 2 ⋯ (2. 8. 53)
よって、(根自乗平均) ≥ (算術平均) である。
⑨
以上の①から⑧により次の大小関係が示される。
𝜆𝑚𝑎𝑥 ≥ (G の各原子の結合の手の数の根自乗平均)
≥ (G の各原子の結合の手の数の平均値) ⋯ (2. 8. 54)
2.9. 参考文献
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32.
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J. Aihara, J. Phys. Chem. 1995, 99, 12739.
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37.
Algebraic Graph Theory, Graduate Texts in Mathematics, by C. Godsil, G. Royle,
Springer-Verlag, New York, 2001, Chap. 8.
51
3. Topological Resonance Energy の
π電子数依存性
3.1. 概要
Topological Resonance Energy(TRE)は、環状π共役系において芳香族性の指標となる。
この指標は、中性分子のみならず、荷電状態となるπ電子数を有する分子に対しても適用可
能である。TRE を用いて、多環式共役系の芳香族性について規則性が得られたので報告する。
この規則性は、多環式共役系において、分子の芳香族性がどのような構造に起因しているの
か、という長年の疑問を解決する。例えば、多環式ベンゼン系炭化水素は、ベンゼン環がい
くつか縮環した構造をもち、その芳香族性はいずれも、ベンゼン環に起因すると考えられて
いる。しかし、TRE の値を分子ごとに比較しても、この問題を解決することはできない。そ
こで TRE を縦軸に、一つの分子で取りうる全てのπ電子数を横軸にプロットした、TRE の
π電子数依存性を比較する。多環式ベンゼン系炭化水素では、いずれも benzene の TRE の
π電子数依存性と類似する。この結果は、多環式ベンゼン系炭化水素の芳香族性が、ベンゼ
ン環に依存することを示す。同様に、同一のサイズの環が縮環した分子でも、環の TRE のπ
電子数依存性と類似する。ベンゼン環のみならず、5 員環や 7 員環などの小さな環が、分子
の芳香族性に対して強い影響をもつ。この傾向は、複数のサイズの環が縮環した分子でも維
持される。同一のサイズの環が縮環した系、異なるサイズの環が縮環した系、fulvalene のよ
うに環がつながった系、xylylene のように環状共役系と非環状共役系が共存する系に対して、
TRE のπ電子数依存性の法則も考察する。
3.2. 導入
芳香族性とは、分子が環状π共役により安定化する性質であり、環状分子の安定性や反応
性を考慮する上で重要である。したがって、芳香族性の予測、さらなる理解は長年研究され
ている課題である。1931 年に Hückel が benzene の安定性に関する問題を解決し[1,2]、
Breslow と Nohácsi がヒュッケル則を、熱力学的に検討した[3]。Dewar はヒュッケル則を拡
張する試みを行い、4n+2 員環で構成される多環式共役系は安定で、4n 員環で構成される多
環式共役系は不安定だとしている[4]。これは、ケクレ構造数[5,6]、conjugated circuit の解
析[7,8]、aromatic sextet 則[9,10]によっても説明される。後に、さらに拡張する試みが行わ
52
れ、中性分子については、一定の成功を収めた[11-12]。しかしながら、基本的に多環式共役
分子にヒュッケル則は適用できない。Minkin たちは次のことをはっきりと報告した[14]。
『ヒュッケル則は単環式共役系に対してのみに限定して適用すべきだ。多環式共役系にヒ
ュッケル則をそのまま適用しようとする試みは正当だと証明されず、もし適用したとしても、
ヒュッケル則では間違った芳香族性の評価をしてしまうかもしれない。一般的に、アヌレン
とは対照的に、多環式共役炭化水素における奇数の結合性軌道(つまり、4n+2 個の炭素原子)
の存在は、π電子殻を十分に満たすわけではない(結合性π軌道はすべて満たされている。
)。
ヒュッケル則はこのような系に適用されたとき破綻する。』
例えば芳香族分子であり炭素原子が 16 個の pyrene は、偶数のπ軌道によってπ電子殻を
満たしていて、奇数のπ軌道では足りない。これにより、ヒュッケル則を多環式共役系には
適用できず、拡張されたヒュッケル則については、限定的に適用可能であることが示されて
いる。ヒュッケル則ほど簡便でなくとも、多環式共役系における芳香族性は TRE により判断
することができる[14-21]。TRE は、他の芳香族性の指標とは異なり、電荷を帯びた系やメビ
ウス系、ラジカルなどにも理論上適用可能である[22-27]。TRE やヒュッケル則等によって、
芳香族性を有するかどうかの評価は可能だが、どのような構造が、分子の芳香族性に大きく
寄与しているかという統一的解釈はされていない。その試みで、限定的な成功を収めている
のが、ケクレ構造数[5,6]、conjugated circuit の解析[7,8]、aromatic sextet 則[9,10]だろう。
最近、我々は同一のサイズの環が縮環している分子の TRE のπ電子数依存性が、分子を構
成する環の TRE のπ電子数依存性と類似していることから、分子の芳香族性が分子を構成す
る環に由来することを明らかにした[28-30]。本章では、[28-30]の論文の内容に加え、TRE
のπ電子数依存性により、さまざまな系の芳香族性を分析する。また、TRE のπ電子数依存
性の規則性を模索する。
3.3. 理論
多環式ベンゼン系炭化水素(PBH)は、中性状態においていずれも高い芳香族性をもつ[14]。
これは、前述したように、ヒュッケルの(4n+2)π則を満たすからではない。中性状態で 16 個
のπ電子を有する pyrene が芳香族性であることからも明らかである[31]。中性の多環式炭化
水素は、細矢らが提案した Extended Hü ckel rule と呼ばれる理論を用いて定性的に評価でき
る[11-12]。細矢らは、中性の多環式π共役炭化水素の全体の芳香族性が、π共役系を構成す
る個々の環状経路に起因することを指摘した。このルールによると、たいていの中性の多環
53
式共役炭化水素の全体の芳香族性は、主に小さいπ共役環状形路による芳香族性が起因する。
4n 個のπ電子をもつ pyrene や coronene などを含めた中性の PBH では、π共役系を構成す
る 6 個の原子が形成するベンゼン環におけるπ電子数が、常に 6 個である。このπ共役系を
構成し、6 個のπ電子をもつ 6 員環から成る conjugated circuits が、PBH における芳香族性
の主な要因となる[12]。しかし、Extended Hü ckel rule を中性でない電荷を帯びたπ共役系
に、そのまま適用することはできない[12,14]。
しかしながら、Extended Hü ckel rule の本質は電荷を帯びたπ共役系に適用できる見込み
がある。naphthalene において、π電子数が増えたり減ったりして分子イオンを形成すると
き、個々の 6 員環に存在するπ電子数の平均は、それぞれ 6 個から 12 個に変化するか 6 個
から 0 個に変化する。同様に pyrene においてπ電子数が増えたり減ったりして分子イオンを
形成するとき、個々の 6 員環に存在するπ電子数の平均は、それぞれ 6 個から 12 個に変化す
るか 6 個から 0 個に変化する。それゆえ、個々の 6 員環がもつπ電子数の平均に依存して、
各環状経路は芳香族性と反芳香族性の間を行き来することとなる。もしこれらの 6 員環が、
電荷を帯びた全体のπ共役系における芳香族性の主な要因であるなら、全体のπ共役系もま
た、芳香族性と反芳香族性の間を行き来しなくてはならない。
TRE は芳香族性のエネルギー的な指標の一種で、電荷を帯びたπ共役系にも適用可能であ
る[15,17,22]。つまり TRE ならば、分子全体のπ電子数の変化に対して、芳香族性の変化を
表すことが理論上可能である。
3.4. 同一のサイズの環が縮環した多環式共役系
芳香族分子の代表格である benzene は、6 員環構造の環状共役系をもつ。この分子は、炭
素原子が 6 個であるため、最大で 12 個、最小で 0 個のπ電子を有する可能性がある。このπ
電子数に対してそれぞれ TRE を計算すると、最小値、最大値ではゼロ、2 個のとき正、4 個
のとき負、6 個のとき(中性状態のとき)正、8 個のとき負、10 個のとき正の値となる。こ
の結果を横軸にπ電子数、縦軸に TRE をプロットした Figure 3.4.1 の TRE のπ電子数依存
性をみると、芳香族性と反芳香族性を振動している様子がわかる。なお、[n]annulene では
benzene のように、正負が交互に振動し、極値の数は(𝑛 − 1) 個である。ベンゼン環が縮環し
た PBH は、いずれもベンゼン環によって芳香族性をもつと考えられているため、TRE のπ
電子数依存性を比較する[14,32-34]。
そこでまず、Figure 3.4.2 の分子の中性における TRE を示す(Table 3.4.1)。いずれの分子
54
も TRE は正の値をもち、芳香族性であることが確認できる。しかしながら、これらの分子の
芳香族性がベンゼン環に起因するかどうかは、この結果からでは分からない。仮にこれらの
分子の芳香族性がベンゼン環に起因するならば、各電荷状態においても、ベンゼン環による
環状共役の効果が反映されるだろう。
Figure 3.4.1
benzene の計算可能なすべてのπ電子数による TRE をプロットした TRE
のπ電子数依存性。
55
Figure 3.4.2 計算に用いた 18 種の PBH。
Table 3.4.1 PBH の中性における TRE。
TRE / |𝛽|
TRE / |𝛽|
naphthalene
0.389
hexacene
0.706
anthracene
0.475
corannulene
0.735
phenanthrene
0.546
zethrene
0.780
naphthacene
0.553
heptacene
0.783
chrysene
0.688
coronene
0.947
triphenylene
0.739
[7]circulene
1.011
pyrene
0.598
dibenzo[b,n]perylene
1.049
pentacene
0.630
tetrabenzanthracene
1.200
perylene
0.740
tribenzo[a,g,m]coronene
1.476
56
benzene における TRE のπ電子数依存性の特徴は、極大値が 3 個で、極小値が 2 個あるこ
とである。これは、他のアヌレンには見られない唯一の特徴である。
Figure 3.4.3 [𝒏]annulene における TRE のπ電子数依存性。横軸にπ電子数、縦軸に TRE
|𝜷|をプロットした。左上から順に、𝒏 = 𝟑 − 𝟏𝟐, 𝟏𝟒, 𝟏𝟔, 𝟏𝟖, 𝟐𝟐のアヌレンである。なお、
[6]annulene は benzene である。
[𝑛]annulene の TRE のπ電子数依存性は、Figure 3.4.3 に示すように、極値の数が(𝑛 − 1)個
であり、サイズによって必ず異なる。また、アヌレンの中性における環状共役による寄与は、
57
環のサイズが大きくなるほど、小さくなることが知られている[35-37]。PBH では、6 員環以
外に 10 員環構造をもつの環状経路などを含むが、PBH の TRE のπ電子数依存性が、benzene
の TRE のπ電子数依存性の特徴をもつならば、PBH の芳香族性はいかなるπ電子数におい
ても、ベンゼン環の環状共役による効果を強く反映していることになる。1-15 の PBH のπ
電子数依存性をそれぞれ考察する。なお、TRE はπ共役系が大きくなると、その絶対値が大
きくなることが知られているため、絶対値の大小の比較ではなく、芳香族性の変化の傾向に
注目する[34]。
まず、ベンゼン環が 2 個縮環した構造をもつ naphthalene の TRE のπ電子数依存性を
Figure 3.4.4 にプロットした。
Figure 3.4.4
naphthalene の TRE のπ電子数依存性。横軸にπ電子数、縦軸に TRE |𝜷|を
プロットした。
なお、横軸は分子全体のπ電子数を示している。中性や横軸の左端であるπ電子数 0 個、横
軸の右端である炭素原子数の 2 倍以外では、各炭素原子に分布するπ電子数が異なる。つま
り、上記に示した 3 点以外では、各ベンゼン環に分布するπ電子数が何個であるかは考慮し
ていない。そこで、各ベンゼン環に分布するπ電子数を再現するように、横軸の大きさを
benzene の TRE のπ電子数依存性と同じ大きさに規格化した。この操作における妥当性を調
べるために、分子全体のπ電子数を原子数で割って規格化したπ電子数の変化(●)と、6
58
員環というサーキットに分布するπ電子数を、サーキットを構成する原子数で割って規格化
したπ電子数の変化(○)を Figure 3.4.5 にプロットした。
Figure 3.4.5
横軸に naphthalene のπ電子数を原子数で割った値を、縦軸に HMO で求
まった電荷密度によって、サーキットに分布するπ電子数をサーキットを構成する原子数で
割った値をプロットした散布図。●は 10 員環に相当するサーキットを示し、分子のπ電子
数を原子数で割った値であり、横軸と縦軸で等しい。○は 6 員環を示す。
黒いプロットと赤いプロットがよく一致することから、naphthalene のπ電子数の変化を
横軸の大きさを規格化することで、ベンゼン環に分布するπ電子数をおおよそ再現している
ことが分かる。つまり、HMO の結果からπ電子密度を求め、6 員環に分布するπ電子数の変
化を求めることなく、横軸の大きさを規格化することで、分子のπ電子数を原子数で割った
ことと同一の操作をしたこととなり、これが 6 員環に分布するπ電子数の変化を概ね表せる。
また、
Figure 3.4.4 は Figure 3.4.1 の折れ線グラフの概形と、よく一致していることが分かる。
まず、π電子数 2 個で極大値をもち、π電子数が増えるに従って TRE は減少し、π電子数 6
個で極小値をもつ。中性であるπ電子数 10 個で極大値かつ最大値をもち、π電子数 10 個を
中心に左右対称な形をしている。これらの極値を有するπ電子数は benzene の場合と異なる
が、naphthalene の各ベンゼン環に分布するπ電子数はよく一致している。ベンゼン環に分
布するπ電子数が変化することで、naphthalene の TRE が、
benzene と同様に変化している。
59
これらのことから、naphthalene の TRE は、naphthalene を構成する二つのベンゼン環に
強く依存しているということが分かる。
しかし、naphthalene は benzene と異なり、6 員環構造のみでπ共役系を形成しているわ
けではない。naphthalene は 10 個の sp2 炭素原子から構成されている。これは、[10]annulene
と同一である。naphthalene を構成する、すべての環状経路を Figure 3.4.6 に示す。1a と
1b は benzene 環と、1c という環状経路は[10]annulene と同一のグラフ構造をもつ。このよ
うな環状経路を、本博士論文では、[10]サーキットと呼ぶことにする。[10]annulene におけ
る、TRE のπ電子数依存性は、benzene と異なり、極大値 5 個と極小値 4 個をもつ(Figure
3.4.3)
。1c の[10]サーキットに分布するπ電子数は、分子全体のπ電子数と同一である。仮
に naphthalene の芳香族性が[10]サーキットに強く依存するならば、これらの[10]annulene
の TRE のπ電子数依存性の特徴が、
Figure 3.4.4 に表れるはずである。しかし、[10]annulene の傾向は見られない。
Figure 3.4.6
naphthalene のすべての環状経路。
これらのことから、naphthalene のπ電子数が変化することで、ベンゼン環による TRE への
寄与が変化し、その変化によって naphthalene の TRE が変化していることが分かる。以上
のことから、naphthalene の芳香族性は、分子を構成するベンゼン環に由来していることが
判明した。naphthalene が芳香族性を有するのは、ヒュッケルの 4n+2π則に従っているわけ
ではなく、ベンゼン環が縮環した構造をもつからである。naphthalene を含む Figure 3.4.2
の 15 個の分子は naphthalene 同様、ベンゼン環が縮環した構造を有し、いずれも芳香族性
をもつ。これらの分子の芳香族性もベンゼン環に由来することが予想されるので、それぞれ
の TRE のπ電子数依存性について検討する。
ベンゼン環が 3 個縮環した anthracene と phenanthrene について、TRE のπ電子数依存
性をそれぞれ Figure 3.4.7 と Figure 3.4.8 にプロットした。
60
Figure 3.4.7
anthracene の TRE のπ電子数依存性。横軸にπ電子数、縦軸に TRE |𝜷|を
プロットした。
いずれの分子も炭素原子数は 14 個で、取りうるπ電子数は 0 個から 28 個である。
naphthalene の TRE のπ電子数依存性同様、横軸の大きさを規格化して、各ベンゼン環に分
布するπ電子数を比較しやすいようにした。
Figure 3.4.8
phenanthrene の TRE のπ電子数依存性。横軸にπ電子数、縦軸に TRE |𝜷|
をプロットした。
anthracene と phenanthrene の TRE のπ電子数依存性は、極大値と極小値をもつπ電子数
61
や、最大値をもつπ電子数など特徴が一致している。ただし anthracene では、+2 価、-2 価
のときに TRE が正で芳香族性を有するが、phenanthrene では TRE が負で反芳香族性を有
する。これらの規格化した TRE のπ電子数依存性と、benzene の TRE のπ電子数依存性
(Figure 3.4.1)を比較する。
naphthalene 同様、極大値、極小値の数といった折れ線グラフの概形と極値をもつπ電子
数の位置が、benzene の TRE のπ電子数依存性とおおよそ一致している。このことより、
anthracene と phenanthrene の TRE が個々のベンゼン環に依存していることが示唆された。
しかしながらこれら 2 分子は、Figure 3.4.9 と Figure 3.4.10 に示すように、naphthalene と
異なり、2a と 2b、3a と 3b の、環境の異なる 2 種類のベンゼン環を有する。
Figure 3.4.9
anthracene の取りうるサーキット。
Figure 3.4.10 phenanthrene の取りうるサーキット。
62
つまり、個々のベンゼン環といっても、実際にはベンゼン環ごとに分子の TRE に対する寄与
の仕方が異なる可能性がある。このことは、中性では conjugated circuits の理論により保証
されている[7,8,12]。さらには、[10]サーキットと[14]サーキットをもち、naphthalene より
も複雑な系である。共役系が伸びたことによる影響は、個々の 6 員環にも及ぶ。これは、ポ
リアセンの長さが増すことで、一つ一つの環が有する芳香族性への寄与が弱くなることと一
致する[38]。
4 個以上のベンゼン環が縮環した構造をもつ PBH である naphthacene、chrysene、
triphenylene、pyrene、pentacene、perylene、hexacene、corannulene、zethrene、heptacene、
coronene
、
[7]circulene
、
dibenzo[b,n]perylene
、
tetrabenzanthracene
、
tribenzo[a,g,m]coronene について検証する。いずれの分子も、sp2 炭素原子で構成された芳
香族分子である。これらの分子について、横軸を規格化した TRE のπ電子数依存性を、それ
ぞれ Figure 3.4.11 に示す。これらの TRE のπ電子数依存性も、benzene の TRE のπ電子
数依存性に類似している。しかし、triphenylene、perylene、coronene、dibenzo[b,n]perylene、
tetrabenzanthracene、tribenzo[a,g,m]coronene については、極大値の数が二つ多い。大ま
かに見れば、benzene の TRE のπ電子数依存性に類似しているが、このように、多少の差異
が見られた。つまり、分子全体の芳香族性のほとんどは、ベンゼン環に由来するが、他の環
状経路(サーキット)も影響し、この寄与が分子ごとの TRE のπ電子数依存性の違いを生ん
でいる。
また、corannulene、[7]circulene の TRE のπ電子数依存性は、benzene のように左右対
称ではなく、極値の数も異なる。この 2 分子は、ベンゼン環が縮環した分子ではあるが、
corannulene には 5 員環構造、[7]circulene には 7 員環構造が含まれている。つまり、厳密に
は同一のサイズの環が縮環した分子ではない。このように、同一のサイズの環が縮環した多
環式共役系と、さまざまなサイズの環が縮環した多環式共役系では差異が生じる。さまざま
なサイズの環が縮環した系については、後の節で記述する。ここでは、corannulene の TRE
のπ電子数依存性が[7]circulene よりも、benzene の TRE のπ電子数依存性との差異が大き
いことに言及する。corannulene は[7]circulene より、小さなサイズの環が含まれている。前
述したように、芳香族性に対して寄与が大きいのは、小さいサイズの環である[12]。5 員環は
6 員環よりもサイズが小さいため、[7]circulene より差異が大きいと考えられる。
この TRE のπ電子数依存性の傾向は、ベンゼン環が縮環した構造のみではない[28]。同様
に 7 員環が縮環した heptalene の TRE のπ電子数依存性は、7 員環である cycloheptatrienyl
63
( [7]annulene ) の TRE の π 電 子 数 依 存 性 と 類 似 す る 。 ま た 、 pentalene 、
dicyclopenta[cd,gh]pentalene、[8,5]coronene の 5 員環が縮環した反芳香族分子については
[41]、TRE のπ電子数依存性が 5 員環である、cyclopentadienyl([5]annulene)の TRE の
π 電 子 数 依 存 性 と 類 似 す る 。 4 員 環 が 縮 環 し た butalene 、 bicyclobutadienylene 、
dicyclobutenobutalene、hexacyclobutenobutalene という反芳香族分子の[42-44]、TRE の
π電子数依存性は 4 員環である、cyclobutadiene([4]annulene)の TRE のπ電子数依存性
と類似する(Figure 3.4.12)。以上より、同一のサイズの環が縮環した多環式共役系の芳香族
性は、各環に由来することが示された。
また、いずれの場合でも同一のサイズの環が縮環した分子同士を比較すると、それぞれ違
いが見られる。ベンゼン環が縮環した分子同様に、分子全体の環状共役系のほとんどは、環
に由来するが、他の環状経路(サーキット)も影響し、この寄与が分子ごとの TRE のπ電子
数依存性の違いを生んでいる。以上の結果より、サイズが 3-7 の場合で、同一のサイズの環
が縮環した分子の環状共役系による安定性への寄与の大部分は、環に由来し、その他の環状
経路も影響し、その程度はサイズに依存する。
64
Figure 3.4.11
4 個以上の benzene 環が縮環した PAH の TRE のπ電子数依存性。横軸に
π電子数、縦軸に TRE |𝜷|をプロットした。
65
Figure 3.4.12
同一のサイズの環が縮環した多環式共役分子における TRE のπ電子数依
存性。横軸がπ電子数、縦軸が TRE |𝜷|である。
3.5. フラーレンにおける TRE のπ電子数依存性
フラーレンは、炭素が球状に集合した炭素クラスターであり、有名なのは𝐶60という化学式
で表されるサッカーボール型のフラーレンだろう[39,40]。ここで重要なのは、この有名なフ
ラーレンが 5 員環と 6 員環が縮環した分子ということである。フラーレンは原子数が変化す
66
るごとに、5 員環と 6 員環の比率が変化する。原子数が少ないフラーレンほど、5 員環が多い
構造をもつ。なお、最も小さいフラーレンである𝐶20は、5 員環が 12 個縮環した構造であり、
有名なサッカーボール型の𝐶60は、孤立 5 員環則(IPR)に適合し、5 員環が隣り合わないよ
うに 12 個と、6 員環が 20 個であり、合わせて 32 個の環が縮環した構造をしている。ここで、
フラーレンの多面体としての性質に触れておく。多面体の性質として有名な、オイラーの多
面体定理は、
𝑣 + 𝑓 = 𝑒 + 2 ⋯ (3. 5. 1)
と表される。なお、𝑣 は多面体の頂点の数、𝑓 は面の数、𝑒 は辺の数を示す。
フラーレンでは、すべての頂点が 3 本の辺を共有するため、構成する原子数を 𝑛 とすると、
𝑣=𝑛
{𝑒 = 3𝑛⁄2 ⋯ (3. 5. 2)
となる。(3. 5. 2) 式を(3. 5. 1) 式に代入すると、
𝑓 = 𝑛⁄2 + 2 ⋯ (3. 5. 3)
と変形できる。5 員環の数を 𝑝 、6 員環の数を ℎ とすると、
(5𝑝 + 6ℎ)⁄3 = 𝑛 ⋯ (3. 5. 4)
となる。フラーレンでは、5 員環 12 個と、6 員環が縮環した構造であるため、(3. 5. 3) 式を変
形して、
𝑝 + ℎ = 𝑛⁄2 + 2 ⋯ (3. 5. 5)
が得られ、
𝑝 = 12
⋯ (3. 5. 6)
{
ℎ = 𝑛⁄2 − 10
という関係が成り立つ[40]。このことから、6 員環の数は、フラーレンを構成する原子数の増
加に伴って増加するが、5 員環の数は変化せず、異性体間では 5 員環の数と 6 員環の数が同
一であることが分かる。よって、最小のフラーレンである𝐶20から、サイズを徐々に大きくし
たフラーレンでは、徐々に 6 員環の数の比率が大きくなり、𝐶44で 5 員環と 6 員環が、ともに
12 個縮環した構造となり[45-49]、更に大きなフラーレンでは、6 員環の数の方が、5 員環の
数よりも大きい。これらの比率の変化を用いて、各サイズのフラーレンの TRE のπ電子数依
存性を解析する。
まず、各サイズの最安定なフラーレンの中性における TRE を比較する[40]。Table 3.5.1
に示すように、𝐶42までの比較的小さいサイズのフラーレンでは、負の TRE で反芳香族性を
67
有し、𝐶50以降のフラーレンでは、正の TRE で芳香族性を有する。サイズが大きくなるほど
ベンゼン環の数が増えるため、𝐶44 を超えるサイズでは、ベンゼン環の数の方が多い。𝐶44 で
は、ちょうどベンゼン環の数と 5 員環の数が等しい。このフラーレンの異性体で最も隣り合
った 5 員環の数が少ないのは、𝐶44 : 75(D2)であり、Zhang らは、C44:75(D2)が最安定である
と報告している[47]。なお、計算方法などによって、最安定構造について諸説あり Lin らは、
HF/STO3G で 2 つの D3h と 2 つの D3d について計算し、C44:72(D3h)が最安定とし[48]、Sun
らは B3LYP/6-31G*を用いて計算し、C44:75(D2)が最安定、C44:89(D2)が次いで 0.6 kcal/mol
の差で安定、C44:72(D3h)が 8.0 kcal/mol だけ C44:75(D2)より不安定で 3 番目に安定である
と報告している[49]。
ま た 、 Wang ら は 、 HF/6-31G* 、 B3LYP/3-21G 、 B3LYP/6-31G* 、 B3LYP/6-31+G* 、
MP2/6-31G*、MP2/TZVP で計算していて、HF と B3LYP のいずれの結果でも C44:75(D2)
が最安定、次いで順に D2:89、D3h:72、C2v:55 という順番である一方、MP2 では D3h:72 が最
安定で、次いで C2v:55 が安定であり、MP2/6-31G*では 3 番目が D2:89、0.02 kcal/mol とわ
ずかの差で D2:75 という順で、MP2/TZVP では 3 番目が D2:75、0.02 kcal/mol の差で D2:89
が安定だと報告している[45]。一方荷電状態では、B3LYP/6-31G*と B3LYP/6-31+G*、
MP2/6-31G*で計算しており、B3LYP では C44‐と C442‐で D2:75 が最安定で、1 kcal/mol 程
度の差で D2:89、10 kcal/mol 程離れて D3h:72、C1:69 の順で安定である。MP2 では C44‐と
C442‐で最安定異性体が異なり、C44‐では D2:89、D2:75、D3h:72 の順で、C442‐では D2:75、
D2:89、D3h:72 の順である。B3LYP でも MP2 でも、D2:75 と D2:89 はエネルギー的に近接し
ている。
今回は、cyclopentadienyl は中性で反芳香族性であり、benzene は芳香族性であることか
ら、比率が分子に及ぼす影響があると考えられ、その比率が等しい𝐶44については、𝐶44:75(D2)
が最安定とみなし、他にも 55(C2v)と 72(D3h)と 89(D2)の異性体を扱う。いずれの異性体も中
性と-1 価、-2 価でも芳香族分子である。では前節同様に、TRE のπ電子数依存性によっ
て解析を行う。今回は、原子数が異なるもの同士を多数比較するため、横軸をπ電子数では
なく、π軌道充填度という形で記述する。このπ軌道充填度では、50 が原子数と同じ数のπ
電子数を有することを、つまりフラーレンでは中性を示し、100 で原子数の 2 倍のπ電子数
を有することを表す。これにより、原子数が異なっても、横軸の値に同一の値を用いること
が可能なため、比較しやすくなる。
計算の対象とした𝐶𝑛 フラーレンの𝑛 = 20 − 70の範囲におけるフラーレンを Figure 3.5.1 に、
68
TRE のπ軌道充填度依存性を Figure 3.5.2 と Figure 3.5.3 に示す。なお、TRE のπ軌道充
填度依存性と TRE のπ電子数依存性は、横軸の数字は異なるが、プロットの形状は、まった
く同一である。つまり、本質的には同じものであり、適宜読み替えて頂いて差支えない。ま
た、同じ原子数のフラーレンについて、異性体同士の比較は行ったが載せてはいない。同じ
原子数での比較では、TRE のπ電子数依存性に大きな差異が見られなかった。つまり、5 員
環と 6 員環の比率が同一である異性体では、どちらの環の影響が強いかということに関して、
大差ないということである。ここで、5 員環構造のみをもつ cyclopentadienyl と、6 員環構
造のみをもつ benzene の TRE のπ電子数依存性の違いについて確認しておく。前述したよ
うに、アヌレンの TRE のπ電子数依存性では、環の員数から 1 を引いた数だけ、極値をもつ。
Table 3.5.1 原子数ごとの最安定なフラーレンの中性における TRE/|𝜷|。
中性における TRE /
中性における TRE / |𝛽|
|𝛽|
𝐶20(Ih)
-1.096
𝐶38(C2)
-0.453
𝐶24((D6d)
-1.172
𝐶40(D5d)
-0.617
𝐶26(D3h)
-1.277
𝐶42(C2)
-0.066
𝐶28(D2)
-0.770
𝐶44(D2)
0.300
𝐶30(D5h)
-0.875
𝐶50(D5h)
0.708
𝐶32(C2)
-0.559
𝐶60(Ih)
1.643
𝐶34(C2)
-0.583
𝐶70(D5h)
2.036
𝐶36(C2)
-0.587
69
Figure 3.5.1 𝑪𝟐𝟎 − 𝑪𝟕𝟎 における対象分子。
「原子数:異性体番号」という書式で示す。なお、
50 量体までは[40]の引用であり、60 量体と 70 量体についてはシュレーゲル図表記にし、黒
い線が 6 員環同士の間の結合 6-6 結合を表し、青色が 5 員環と 6 員環の間の結合 5-6 結合を
表し、赤色が 5 員環同士の間の結合 5-5 結合を表す。
70
また、偶数員環の場合では、左右対称であるが、奇数員環の場合では、非対称である。そ
して、偶数員環では、π電子数が、構成する原子数の 2 倍である右端付近で、極大値をもつ
が、奇数員環ではもたない。これらの違いに注目して、フラーレンの TRE のπ電子数依存性
について議論する。𝑛 = 20 − 38 のフラーレンの TRE のπ電子数依存性は、cyclopentadienyl
の TRE のπ電子数依存性に類似しているため、これらのフラーレンの環状共役系による安定
性は、5 員環構造に由来することが分かる。Figure 3.5.3 の𝐶40:1(D5d)では、π電子数が 78
個のときに、極大値をもち正の TRE をもつ異性体の存在が確認された。これは、6 員環構造
に由来する変化であると考えられるため、6 員環の比率の増大に伴って、徐々にフラーレン
の環状共役による安定性が、5 員環構造と 6 員環構造の双方に由来するように変化している
ことが示唆される。𝐶44の𝐶44:55(C2v)を除いて、いずれの TRE のπ軌道充填度依存性では、
充填度 80 付近に極大値が表れている。
中性で正の TRE をもつことからも、ベンゼン環の数と 5 員環の数が同じ𝐶44では、より 6
員環構造の寄与が大きくなっていることが分かる。なお、𝐶44:55(C2v)が例外であることから、
比率だけですべてが説明できないことが分かり、3.4 節で示したように環だけでなく、環状経
路の寄与が影響していることが予想される。さらに、6 員環の比率が大きい、𝐶60 や𝐶70 では、
中性で正の TRE をもち、概形も benzene の TRE のπ電子数依存性に類似していることが分
かる。Table 3.5.2 に、各フラーレンにおける、TRE の最大値と最小値をもつときのπ軌道充
填度を示す。
6 員環の比率が増すにつれて、最大値をとるπ軌道充填度が 50 に近づいている。
以上のことから、TRE のπ電子数依存性が、ほぼ同一のサイズの環が存在するときには、そ
の比率に従って競合していることが示唆された。また、フラーレンのように原子数や同種の
環の数が増大すると、TRE のπ電子数依存性は滑らかに変化し、アヌレンのように少ないπ
電子数の変化で、芳香族性と反芳香族性の間を振動するようなことはない。
このことから、フラーレンの環状共役による熱力学的安定性は、π電子数の変化に対して
鈍感であり、少ない電荷のやり取りではあまり変化しない。また異性体間での変化があまり
ないことから、フラーレンの安定性は熱力学的安定性だけでは説明できないことが予測され
る。
71
Figure 3.5.2 𝑪𝟐𝟎 − 𝑪𝟑𝟖 における TRE のπ軌道充填度依存性。横軸にπ軌道充填度を百分
率 % で示し、縦軸に TRE を示した。
72
Figure 3.5.3 𝑪𝟒𝟎 − 𝑪𝟕𝟎 における TRE のπ軌道充填度依存性。横軸にπ軌道充填度を百分
率 % で示し、縦軸に TRE を示した。
73
Table 3.5.2 原子数ごとの最安定フラーレンの TRE の最大値、最小値をとるときのπ軌
道充填度。
最大値
π軌道充填度
最小値
π軌道充填度
𝐶20
1.763
65
-2.237
35
𝐶24
1.807
62.5
-1.530
41.67
𝐶26
1.688
61.538
-1.955
42.308
𝐶28
1.770
60.714
-1.872
42.857
𝐶30
1.881
60
-1.907
40
𝐶32
1.844
59.375
-1.929
37.5
𝐶34
1.902
58.824
-1.769
38.235
𝐶36
1.909
58.333
-1.612
33.333
𝐶38
2.000
57.895
-1.629
39.474
𝐶40
2.090
57.5
-1.632
40
𝐶42
2.119
57.143
-1.814
38.095
𝐶44
2.042
56.818
-2.122
40.909
𝐶50
2.099
60
-2.638
38
𝐶60
2.442
60
-3.632
35
𝐶70
2.604
58.571
-3.049
31.429
3.6. 異なるサイズの環が縮環した多環式共役系
3.4 節では、corannulene と[7]circulene に少々の例外はあったが、基本的には同一のサイ
ズの環が縮環した多環式共役系を扱った。3.5 節では、5 員環と 6 員環が混合する多環式共役
系について、フラーレンを用いて比率による影響を議論した。では、フラーレンほど大きく
なく、異なるサイズの環が縮環した多環式共役系では、TRE のπ電子数依存性はどのように
なるだろうか。また、5 員環と 6 員環のみではなく、4 員環などが含まれる系についても考察
する。4 員環と 6 員環が縮環した benzocyclobutene では、中性で反芳香族性をとる
cyclobutadiene と、ベンゼン環が縮環している。benzocyclobutene は中性では負の TRE を
もち、反芳香族性であり[17]、中性では Extended Huckel rule が、成り立っている[11-12]。
では、ベンゼン環の寄与は存在しないのだろうか。このような疑問を議論するために、種々
の異なる多環式共役系の TRE のπ電子数依存性を用いる。
74
Figure 3.6.1
異なるサイズの環が二環縮環した分子の TRE のπ電子数依存性。横軸はπ
電子数、縦軸は TRE |𝜷|である。
まず、benzocyclobutene、azulene、bicyclo[6.2.0]decapentaene の異なるサイズの環が、
二環縮環した分子について考察する。azulene 以外は、中性で反芳香族分子である[34,50]。
これらの分子の TRE のπ電子数依存性を Figure 3.6.1 に示す。benzocyclobutene について
の TRE のπ電子数依存性は、
極値の数や位置の観点から、
cyclobutadiene と benzene の TRE
のπ電子数依存性を、混ぜたような概形である。しかし、中性においては、大きく反芳香族
性をもつ。benzocyclobutene では、4 員環と 6 員環が縮環しているが、似たようなサイズの
環状経路として、[8]サーキットも有する。[8]サーキットも中性では、反芳香族性を示すので、
これらの複合的要素によって、このような TRE のπ電子数依存性になっていると考えられる。
しかし、ベンゼン環の寄与がないわけではなく、中性付近では、反芳香族性の強い寄与によ
って、ベンゼン環の寄与が打ち消されているといえる。
同じ 2 環縮環系で異なるサイズの環の組み合わせとして、5 員環と 7 員環の azulene、4 員
環と 8 員環の bicyclo[6.2.0]decapentaen の TRE のπ電子数依存性についても考察する。
azulene は、極値の数や位置だけ見ると、7 員環の寄与が大きいように思われる。しかし、二
つ目の極値が 7 員環より中央に寄っていることからも、全体的には 5 員環の影響が強い。そ
して、中性付近で 5 員環の TRE のπ電子数依存性に、変化が起こっていると考えられる。こ
の変化の要因は未知だが、azulene は 10 員環に対応する環状経路である[10]サーキットをも
つ 。 [10] サ ー キ ッ ト は 中 性 で 、 芳 香 族 性 に 寄 与 す る こ と が 予 想 さ れ る 。
bicyclo[6.2.0]decapentaen は極値の数や位置から、8 員環の寄与が強いように思われる。し
かし、Figure 3.4.3 の[8]annulene の TRE のπ電子数依存性と比較して、中性における大き
75
な反芳香族性は、4 員環による反芳香族的寄与と、8 員環による反芳香族的寄与の重ね合わせ
であることが予想される。benzocyclobutene と bicyclo[6.2.0]decapentaen については、中性
付近で小さいサイズの環による寄与が大きく表れているが、azulene については、そのよう
な傾向はない。
次に 3 環縮環系の TRE のπ電子数依存性を Figure 3.6.2 に示す。as-indacene 以外は、中
性でいずれも芳香族性をもつ分子である[34,50]。s-indacene と as-indacene では、環の構成
は変わらない。その構成は、5 員環二つと 6 員環一つである。これらの TRE のπ電子数依存
性は、Figure 3.5.3 の C42 あたりの TRE のπ電子数依存性と類似していることが分かる。
Figure 3.6.2
異なるサイズの環が 3 環縮環した分子の TRE のπ電子数依存性。
いずれも 5 員環の寄与が強い TRE のπ電子数依存性であり、6 員環の寄与が少し存在する程
度である。しかしこの二分子は、中性で異なる性質をもつ。芳香族性という観点からも、Bond
Resonance Energy による反応性の解析によっても、s-indacene は中性で芳香族性を有し安
定であり、as-indacene は中性で反芳香族性を有し不安定である[50]。一方で、5 員環一つ、
6 員環二つが縮環した acenaphthylene では、TRE のπ電子数依存性に 6 員環の寄与が強く
76
見られる。中性においても芳香族性をもち、6 員環の寄与によるものと考えられる。
cyclopent[cd]azulene では、5 員環二つ、7 員環一つが縮環した構造をしている。この分子
の TRE のπ電子数依存性は、5 員環の寄与が大きいが、中性では芳香族性をもつ。この分子
は、azulene が縮環した構造とも考えられる。azulene 構造は中性で芳香族性に寄与すると考
え ら れ る た め 、 cyclopent[cd]azulene で も その 性 質 が 維 持 さ れ て い る よ う だ 。 一 方 で
aceheptylene は、5 員環一つ、7 員環二つと、cyclopent[cd]azulene の分子と環の割合が逆で
ある。この分子の TRE のπ電子数依存性は、7 員環の寄与が大きいが、やはり部分構造とし
て azulene を有し、中性で芳香族性をもつ。なお、cyclopent[cd]azulene と aceheptylene の
芳香族性は、azulene よりも小さい[50]。pleiadiene は 6 員環二つ、7 員環一つが縮環した構
造であり、その TRE のπ電子数依存性は、6 員環の寄与が大きい。以上より、三つの環が縮
環した系では、割合が多い環の TRE のπ電子数依存性への寄与が大きいが、局所的に、とり
わけ中性においては、環の芳香族性をそのまま反映するわけではない。
異なるサイズの環が 4 環以上縮環した分子について、TRE のπ電子数依存性を Figure 3.6.3
に示す。pyracylene は 5 員環二つ、6 員環二つであり、TRE のπ電子数依存性は 5 員環の寄
与が強い。azulene 構造を部分構造にもつ azupyrene は、5 員環二つ、7 員環二つが縮関し
ている。この TRE のπ電子数依存性は、azulene に類似した形状をしている。なお、この分
子に azulene 構造は、4 つ含まれている。つまり、この分子の芳香族性は、azulene 構造に由
来し、基本的には 5 員環構造による寄与が大きいが、中性において何かしらの変化が起きて
芳香族分子となっていると考えられる。5 員環一つ、6 員環二つ、7 員環一つが縮環した
acepleiadylene [four ring system]では、TRE のπ電子数依存性の特徴を掴むのが困難である。
それは、3 種の同程度のサイズの環が、あまり変わらない比率で縮環しているため、競合し
ているからだろう。しかし、全体像としては、6 員環の寄与が大きいように思われる。中性
で芳香族性を有することも、この予測を支持する。
77
Figure 3.6.3 異なるサイズの環が 4 環以上縮環した分子の TRE のπ電子数依存性。
5 員環一つ、6 員環三つが縮環した fluoranthene の TRE のπ電子数依存性は、明らかに 6
員環構造による寄与が大きい。同程度のサイズの環が縮環している場合、比率としてこの程
度だと支配的になることが予想される。また、このように 6 員環の寄与が支配的である場合、
ケクレ構造数や、conjugated circuit 数による議論がうまくいくだろう[51]。3 員環二つ、5
員環二つ、8 員環一つが縮環した cyclic bicalicene は中性で強い芳香族性をもつ。TRE のπ
電子数依存性の特徴は、中性付近を除くと、3 員環による寄与が大きい。仮に、この特徴を 5
員環の寄与が大きいと考えても、やはり中性における芳香族性の理由にはならない。つまり、
azulene 同様に、中性付近での何らかの変化が生じていると考えられる。なお、この分子は
部分構造に、3 員環一つと 5 員環一つが非環状結合で橋渡しされた calicene をもつ。cyclic
78
bicalicene の名前通り、calicene が環状に結合することで分子は構築されている。そして、
calicene も中性で芳香族分子である[50]。
つまり、中性における芳香族性は、部分構造である calicene 由来だと考えられる。この分
子のように、環を橋渡しし、大きな環をもつマクロ環系では、マクロ環の芳香族性が分子の
芳香族性を支配するように扱われることもあるが、cyclic bicalicene では芳香族性は部分構造
である calicene 由来である[52,53]。5 員環一つ、6 員環三つ、7 員環一つが縮環した
acepleiadylene [five ring system]での TRE のπ電子数依存性は、
6 員環による寄与が大きい。
中性でも芳香族性をもち、この芳香族性は 6 員環に由来すると考えられる。以上のように、
異なるサイズの環が縮環し、なおかつフラーレンほど系が大きくない場合でも、環のサイズ
と含まれる環の数の比率によって、TRE のπ電子数依存性への寄与の大きさが変化する。こ
のような異なるサイズの環が縮環した分子における芳香族性は複雑である[54]。環の比率だ
けでは決まらず、cyclopent[cd]azulene、aceheptylene、azupyrene、cyclic bicalicene のよ
うに、部分構造による寄与が大きくなる場合も存在する。その場合、TRE のπ電子数依存性
は部分構造に類似し、中性における環状共役の安定性の性質も類似している。
Clar の法則と逆の結果を与えることから、anti-Clar とも言われる phenylene 類の TRE の
π電子数依存性について考察する[12]。phenylene 類については、合成可能かどうかは別と
して、異性体の構造を数え上げる方法が存在する[55]。また、biphenylene は芳香族分子であ
り、cyclobutadiene のように、4 員環部分で結合交替があり、反芳香族性の寄与を弱めてい
ると言われている[56]。なお、phenylene 類は歪みが存在し、芳香族性の観点からも興味深
い系統の分子である[57,58]。この phenylene 類の TRE のπ電子数依存性を、Figure 3.6.4
と Figure 3.6.5 に示す。なお、図を二つに分けたことは、スペースの問題であり、他意はな
い。4 員環一つ、6 員環二つが縮環した biphenylene の TRE のπ電子数依存性は、benzene
の TRE のπ電子数依存性に類似している。このことから、中性における芳香族性はベンゼン
環に由来し、結合交替があるなしに関わらず、芳香族性を有することが分かる。
79
Figure 3.6.4 phenylene 類の TRE のπ電子数依存性 A。
なぜならば、TRE に結合交替は反映されていないからだ。しかし、benzene と異なり、中
性で最大の TRE をもたないのは、4 員環構造の寄与によるものであり、結合交替が入ること
でこの寄与が弱くなれば、より芳香族性が強くなると予想される。その他の phenylene 類で
は、ベンゼン環の割合が多い、benzo[b]biphenylene と dibenzo[b,h]biphenylene 以外では、
80
中性で芳香族性をもたないか、ほぼ非芳香族性である[59]。phenylene の長さが長くなるほ
ど、4 員環と 6 員環の割合が 1:1 に近づく。また cyclic phenylene 類では、4 員環と 6 員環の
数は同一であり、サイズの小さい 4 員環の寄与が大きくなる。そのため、これらの分子は中
性で反芳香族性を有し、
比率が 1:1 に近いほど、TRE のπ電子数依存性が cyclobutadiene の、
TRE のπ電子数依存性に類似している。
Figure 3.6.5 phenylene 類の TRE のπ電子数依存性 B。
3.7. 非環状共役系を含む環状共役系
radialene のように縮環していないが、ヒュッケル則に従わない非環状結合を含む単環式共
役系の芳香族性について考察する[60,61]。この系では前述した系と異なり、一つの種類の環
しか存在しないため、必然的に環状共役による安定性は、その環に由来する。[3]annulene
にメチレン基が 1‐3 個ついた分子の、TRE のπ電子数依存性を Figure 3.7.1 に示す。メチ
レン基が一つの triafulvene の TRE のπ電子数依存性は、Figure 3.4.3 に示した[3]annulene
81
の TRE のπ電子数依存性に類似している。異なるのは、赤丸で示した中性の一点であり、ほ
ぼ芳香族性をもたず、非芳香族性である。メチレン基が二つの、dimethylenecyclopropene
の TRE のπ電子数依存性は、赤丸で示した中性付近の二点が非芳香族性に近い点を取ってい
る。3 員環のみの寄与ならば、この二点は反芳香族性を示しているはずだが、
dimethylenecyclopropene の分子では環状共役による効果をほぼ打ち消している。
メチレン基が三つの[3]radialene の TRE のπ電子数依存性でも、赤丸で示した中性付近の
三点が、非芳香族性に近くなっている。本来は反芳香族性であるはずの点が、環状共役によ
る寄与がほぼ打ち消されているようだ。cyclobutadiene にメチレン基が 1‐4 個ついた分子の、
TRE のπ電子数依存も Figure 3.7.1 に示す。メチレン基が一つの methylenecyclobutadiene
の TRE のπ電子数依存性は、cyclobutadiene と比較して、反芳香族性が約 0.8 |𝛽|ほど小さ
い、赤丸で示した中性付近の二点が特徴的である。この場合もやはり、環状共役による寄与
を打ち消す方向に変化している。メチレン基が二つの 1,2-dimethylenecyclobutene と、
1,3-dimethylenecyclobutene の TRE のπ電子数依存性では、ともに中性付近に三点の特徴
的な点をもつ。この二分子で比較すると、1,2-dimethylenecyclobutene の方が中性において、
より環状共役による寄与を打ち消している。1,2-dimethylenecyclobutene は二重結合と一重
結合の交互からなる共鳴構造を書けるケクレ型炭化水素であるが、
1,3-dimethylenecyclobutene は 書 け な い 非 ケ ク レ 型 炭 化 水 素 で あ る [14] 。
1,2-dimethylenecyclobutene の方が、中性では、よりオレフィン的な振る舞いが強いことを
示している[51,62,63]。
メチレン基が三つの trimethylenecyclobutadiene と、メチレン基が四つの[4]radialene の
TRE のπ電子数依存性は、それぞれ環状共役による寄与を弱めた点が、四つと五つ存在する。
なお、その効果は中性に近いほど大きいように思われる。また、trimethylenecyclobutadiene
の方が、中性において反芳香族性が大きい。
82
Figure 3.7.1 単環式共役系に非環状共役系を含む分子 A。
これも、[4]radialene はケクレ型炭化水素で、共鳴構造が一種類でπ結合が局在化し、オレ
フィン的な振る舞いが強いことに起因すると考えられる。[5]annulene にメチレン基が一つ
の、中性で非芳香族分子である pentafulvene の TRE のπ電子数依存性を Figure 3.7.1 に示
す[17,61]。形状は[5]annulene に類似しているが、中性において、非芳香族性を示す特徴的
な状態が存在する。[5]annulene の中性における TRE は約-0.3 |𝛽|であるので、環状共役に
83
よる寄与が打ち消されていることが分かる。[5]annulene にメチレン基が 2‐5 個ついた分子
の、TRE のπ電子数依存を Figure 3.7.2 に示す。
Figure 3.7.2 単環式共役系に非環状共役系を含む分子 B。
メ
チ
レ
ン
基
が
二
つ
の
1,2-dimethylenecyclopentadiene
と
、
1,3-dimethylenecyclopentadiene の TRE のπ電子数依存性は、ともに類似していて、
84
[5]annulene の TRE のπ電子数依存性と類似しているが、中性付近の赤丸の二点で非芳香族
的 特 徴 を も つ 。 メ チ レ ン 基 が 三 つ の 1,2,3-trimethylenecyclopentaene と 、
1,2,4-trimethylenecyclopentadiene の TRE のπ電子数依存性でも、中性付近で非芳香族的
特徴をもつ点が三つある。また 1,2,3-trimethylenecyclopentaene はケクレ型炭化水素である
が、1,2,4-trimethylenecyclopentadiene は非ケクレ型炭化水素だが、中性での非芳香族性に
違いはない。
電荷を帯びた点では、
ケクレ型炭化水素である 1,2,3-trimethylenecyclopentaene
は、反芳香族性となることが予想される+2 価の点で、やや芳香族性であり、-2 価の点では
逆である。
methylene 基が四つと五つの、tetramethylenecyclopentadiene と[5]radialene の TRE の
π電子数依存性は、それぞれ中性付近に非芳香族的な点を四つと五つもつ。benzene にメチ
レン基が一つの benzyl、メチレン基が二つの o-xylulene、m-xylylene の TRE のπ電子数依
存性を Figure 3.7.2 に示す。benzyl では、benzene に比べて、中性付近でやや芳香族性が、
小さい点が二点ある。o-xylulene と m-xylylene では、中性付近に三点環状共役による寄与が
弱まった点が存在する。また、o-xylulene はケクレ型であるが、m-xylylene は非ケクレ型で、
中性において環状共役による寄与がより弱いのは o-xylulene である。benzene にメチレン基
が 2‐6 個ついた分子の TRE のπ電子数依存性を Figure 3.7.3 に示す。メチレン基が二つの
p-xylylene は、o-xylulene 同様ケクレ型炭化水素分子であり、TRE のπ電子数依存性の特徴
も一致している。
methylene 基 が 三 つ の 1,2,3-trimethylenebenzene 、 1,2,4-trimethylenebenzene 、
1,3,5-trimethylenebenzene の TRE のπ電子数依存性は、いずれも中性付近で四つの非芳香
族的特徴をもつ赤丸で示す点をもつ。これらはいずれも非ケクレ型炭化水素であり、
1,3,5-trimethylenebenzene が 4 点 す べ て で 非 芳 香 族 性 が 強 い 。 メ チ レ ン 基 が 四 つ の
1,2,3,4-tetramethylenebenzene
、
1,2,3,5-tetramethylenebenzene
、
1,2,4,5-tetramethylenebenzene の TRE のπ電子数依存性は、いずれも中性付近で非芳香族
的な点を五つもつ。1,2,3,4-tetramethylenebenzene だけケクレ型であるが、中性における非
芳香族性に違いはない。また、1,2,3,4-tetramethylenebenzene だけが+2 価と-2 価で、反
芳香族性を有するという異なる挙動を示す。メチレン基が五つと六つの、
pentamethylenebenzene と[6]radialene の TRE のπ電子数依存性は、それぞれ六つと七つ
の非芳香族的な点をもつ。
特徴的な点について、アヌレンとの違いを確認するために、分子全体のπ電子数の変化と、
85
環に分布するπ電子数の変化を示す(Figure 3.7.4、Figure 3.7.5、Figure 3.7.6)。なお、ア
ヌレンでは分子全体のπ電子数の変化と、環に分布するπ電子数の変化は等価である。
Figure 3.7.3 単環式共役系に非環状共役系を含む分子 C。
86
Figure 3.7.4 単環式共役系に非環状共役系を含む分子の、分子全体のπ電子数の変化(横軸)
と、環に分布するπ電子数の変化(縦軸)A。原点から右上に伸びる斜線がアヌレンの場合
と同様の変化である。
87
Figure 3.7.5 単環式共役系に非環状共役系を含む分子の、分子全体のπ電子数の変化(横軸)
と、環に分布するπ電子数の変化(縦軸)B。原点から右上に伸びる斜線がアヌレンの場合
と同様の変化である。
88
Figure 3.7.6 単環式共役系に非環状共役系を含む分子の、分子全体のπ電子数の変化(横軸)
と、環に分布するπ電子数の変化(縦軸)C。原点から右上に伸びる斜線がアヌレンの場合
と同様の変化である。
ラジアレン類に注目すると、中性付近で傾きが緩やかになっていることが分かる。これは、
89
分子全体のπ電子数の変化に対して、環に分布するπ電子数の変化が緩やかになり、メチレ
ン基の変化が大きいことを表している。つまり、中性付近では、π電子数の変化に対して、
環状共役系があまり関わっていないことが示唆される。メチレン基の数が増えるにつれて、
環に分布するπ電子数の変化が緩やかな、中性付近の点の数は増加していて、これらの分子
の TRE のπ電子数依存性で見られた中性付近の特異的な点に対応するように思われる。TRE
は、環状共役系を含む分子構造と、その分子構造から環状共役系による寄与を除いた参照構
造の違いを表しているので、分子構造だけからすべてが明らかになるわけではないが、中性
付近での分子全体のπ電子数の変化に対して、環状共役系の寄与が弱いことからも、TRE の
π電子数依存性の中性付近の特異的な点を説明する一因となるだろう。
benzene にビニル基がついた、styrene の TRE のπ電子数依存性は、中性では benzene と
比較して 0.03 |𝛽|のみの変化であったが、+4 価、+2 価、-2 価、-4 価で反芳香族性が弱ま
っている(Figure 3.7.7)。つまりメチレン基のときは、中性を中心に環状共役による寄与を弱
めていたが、styrene ではビニル基の存在により、中性ではなくその周りで、環状共役による
寄与を弱めている。[7]annulene にメチレン基がついた、heptafulvene の TRE のπ電子数依
存性は、[7]annulene の TRE のπ電子数依存性と類似している(Figure 3.7.7)。異なるのは、
中性において赤丸で示す非芳香族性をもつことである。ここまでで、単環式共役系に非環状
共役系が含まれる系について、TRE のπ電子数依存性の特徴を議論したのでまとめる。
いずれの場合もメチレン基があることで、中性付近で環状共役系の寄与が小さくなってい
る。また、奇数員環のときは、この寄与が小さい点の数が、メチレン基の数と等しいが、偶
数員環のときは、点の数がメチレン基の数より一つ多い。偶数員環の TRE のπ電子数依存性
は、中性を軸とした左右対称であるためだろう。メチレン基の位置によって、環状共役の寄
与を小さくする効果に大小の違いがあり、それはケクレ型と非ケクレ型の分類によって説明
できる。また、メチレン基でなくビニル基にした場合、中性でなく、荷電状態に同様の効果
が表れることが示唆された。
90
Figure 3.7.7 単環式共役系に非環状共役系を含む分子 D。
二環以上の共役系に、非環状共役系が含まれる系について議論する。naphthalene にメチレ
ン基が、四つか六つか八つ含まれる系についての TRE のπ電子数依存性を、Figure 3.7.8 と
Figure 3.7.9 と Figure 3.7.10 と Figure 3.7.11 に示す。これらの TRE のπ電子数依存性を全
体的に比較しても、(84)のみが、naphthalene のように中性で極大値を取り、大きな TRE を
もつ。
91
Figure 3.7.8
naphthalene に methylene 基が複数含まれる構造における TRE のπ電子数
依存性 A。
(84)のみメチレン基がないベンゼン環をもち、conjugated circuit を有する[54]。つまり、こ
の特徴は、メチレン基がないベンゼン環由来であり、メチレン基の影響が弱まっている。(85)、
92
(87)、(93)、(95)、(96)、(98)、(102)、(103)、(105)、(106)、(108)では、中性で極小値をとり、
環状共役による寄与が弱まっている。これらはすべてケクレ型炭化水素であり、そのケクレ
構造数は一つである。ただし、この観点では例外として、(109)、(115)がケクレ型であるが、
中性で極小値をとらない。しかしながら、これらも中性で環状共役による寄与をほぼ打ち消
しており、隣接する荷電状態の TRE が小さいため極小値をもたないと考えられる。
(84)を除いて、メチレン基の数より一つ多い数だけ、中性付近に特徴的な点が存在してい
る。単環式の場合は、環状共役による寄与を打ち消すような特徴が多いが、これらの系では、
π軌道充填度が約 30 %と約 70 %前後のところで、naphthalene には存在しない正の TRE を
もっている。(89)、(90)、(91)、(92)、(107)では、中性を中心として極大値をとり、その TRE
が比較的大きく、π軌道充填度が約 30 %と約 70 %前後のところでの TRE が、他に比べて小
さめである。中性付近での TRE が小さいほど、π軌道充填度が約 30 %と約 70 %前後のとこ
ろでの TRE が大きいように思われる。まるで、TRE のπ電子数依存性のピークが、分裂し
ているようである。また、メチレン基の数が多いほど、中性での環状共役による寄与を打ち
消す効果が大きく、π軌道充填度が約 30 %前後のところでの TRE が大きく、さらにπ軌道
充填度が中性から遠ざかっている。
93
Figure 3.7.9 naphthalene に methylene 基が複数含まれる構造における TRE のπ電子数依
存性 B。
94
Figure 3.7.10 naphthalene に methylene 基が複数含まれる構造における TRE のπ電子数
依存性 C。
95
Figure 3.7.11 naphthalene に methylene 基が複数含まれる構造における TRE のπ電子数
依存性 D。
次にメチレン基がポリアセンに二つ含まれる polyacenequinododimethide 類(Figure
3.7.12)の TRE のπ電子数依存性を Figure 3.7.13 に示す。この系については、メチレン基に
よって芳香族性が系統的に変化することが知られている[63]。メチレン基があることで、中
性での芳香族性は、メチレン基がない場合よりも弱くなる。Figure 3.7.13 より、これらの
polyacenequinododimethides の TRE のπ電子数依存性が、すべて benzene の TRE のπ電
子数依存性に類似しているが、中性で極小値をとり、プロットの概形として凹んでいること
が分かる。また Table 3.7.1 に、中性と±2 価における TRE の差を示す。
96
Figure 3.7.12 polyacenequinododimethide 類の構造。116-120 が
polyacene-2,3-quinododimethide 類で、121-125 が polyacene-2,x-quinododimethide 類。
97
Figure 3.7.13 polyacenequinododimethide 類における TRE のπ電子数依存性。
Table 3.7.1 polyacenequinododimethides の中性と±2 価の TRE との差 |𝜷|。
benzene 環の数
2,3
2,x
2
-0.0897
-0.110
3
-0.089
-0.108
4
-0.083
-0.101
5
-0.076
-0.093
6
-0.068
-0.086
98
Table 3.7.1 より、polyacene-2,3-quinododimethides と polyacene-2,x-quinododimethides
の両方が、ベンゼン環の数が増えるに従って、中性と±2 価における TRE の差が減少してい
ることが分かる。また、そのベンゼン環の数に対する減少の傾きは、
polyacene-2,3-quinododimethides と polyacene-2,x-quinododimethides でほぼ同程度である。
一 方 、 同 じ ベ ン ゼ ン 環 の 数 の と き の 、 中 性 と ± 2 価 に お け る TRE の 差 が 、
polyacene-2,3-quinododimethides の方が、polyacene-2,x-quinododimethides よりも小さい
ことが分かる。つまり、メチレン基が環状共役による寄与を打ち消す効果は、
polyacene-2,3-quinododimethides の方が小さいことを示唆している。また TRE のπ電子数
依存性より、ベンゼン環の数が増えるに従って、中性付近の窪みの幅が小さくなっているこ
とも分かる。これは、メチレン基の数が等しいため、メチレン基による特徴的な点の数が、
中性付近に三つまでしか取れないため、全体のπ電子数が増えるに従って、±2 価の変化に
よるπ軌道充填度の変化が、小さくなることに起因している。この点からもメチレン基の数
と、中性付近に存在する特徴的な点の数との関係性を、逆説的に示している。
単環式共役系を非環状結合で橋渡しした系について、TRE のπ電子数依存性を Figure
3.7.14 に示す。なお、この系を拡張した、ポルフィリンのようなマクロ環系については、5
章で記述する。triafulvalene、fulvalene、heptafulvalene)、biphenyl は、いずれも同じサ
イズの単環式共役系を、非環状共役結合で橋渡しした分子である。これらの TRE のπ電子数
依存性は、Figure 3.4.3 と比較して、同一の特徴しかもたないことが分かる。この結果は、
メチレン基の場合と異なり、TRE のπ電子数依存性には、非環状共役系の寄与がないという
ことを示唆する。中性における単環式共役系と、橋渡しした分子の TRE を Table 3.7.2 に示
す。すると、6 員環の場合を除いて、TRE にほとんど違いはない。しかし、アヌレンに比べ
て橋渡しした分子は、共役系を構成する原子数が異なり、一つの環の環状共役系のエネルギ
ー的寄与が小さいことになる。これらの分子は、アヌレンでは非ケクレ型だが、橋渡しされ
ることで、ケクレ構造を一つもつようになる。この結果π結合が局在化し、環状共役による
寄与が弱まると考えられる。
一方で 6 員環の場合は、橋渡しした分子が benzene のほぼ 2 倍の TRE をもつため、各環
の環状共役系のエネルギー的寄与は維持されている。benzene のケクレ構造数は 2 であり、
biphenyl のケクレ構造数は 4 であり、各環のケクレ構造数も維持されている。よって、6 員
環の場合のみが、非環状結合による環状共役系への寄与がない。
99
Figure 3.7.14
単環式共役系を非環状共役結合で橋渡しした分子の TRE のπ電子数依存性
A。
同様に 6 員環が橋渡しされた stilbene の中性における TRE は 0.481 |𝛽|であり、benzene の
ほぼ 2 倍の TRE をもつ。ただし、stilbene の TRE のπ電子数依存性は、vinyl 基がついた
100
styrene と類似した構造をしている。calicene、sesquifulvalene は、異なるサイズの単環式
共役系を橋渡しした分子だが、興味深いことに中性で芳香族性を有する[64]。なお calicene
は、cyclic bicalicene の部分構造で、環状共役系を支配している(Figure 3.6.3)。
Table 3.7.2 [𝒏]annulene とその annulene 同士を非環状結合で橋渡しした分子の TRE |𝜷|。
環のサイズ
annulene
橋渡しした分子
3
-0.464
-0.461
5
-0.301
-0.299
6
0.273
0.502
7
-0.220
-0.218
これらの異なるサイズの環を橋渡しした分子では、各アヌレンのπ電子数依存性が異なり、
電荷を帯びたときの振る舞いも異なる。各アヌレンの±1 価の状態での TRE を、Table 3.7.3
に示す。3 員環と 7 員環は+1 価で芳香族性をもち、5 員環と 9 員環は-1 価で芳香族性を有
する[15,37]。
ヒュッケル分子軌道法による電荷の分布や、B3LYP/6-311G*や Coupled-Cluster
法での量子化学計算による電荷分布でも、calicene と sesquifulvalene の分子は 3 員環と 7
員環が正、5 員環が負の電荷をもつ。電荷移動によって、これらの分子は中性で芳香族性を
有する[64,65]。このように分子の電荷分布が変化することによる影響を、TRE のπ電子数依
存性のみでは考慮できない。TRE のπ電子数依存性による議論では、分子全体のπ電子数の
変化をみているためである。単環式共役系の中性状態では、すべての炭素原子に分布するπ
電子数は 1 である。そのため、電荷分布が異なる場合、各環の TRE のπ電子数依存性と、単
純に比較できないためである。
ただし分子の芳香族性は、中性など一部を除けば、各環に依存するものであることが TRE
のπ電子数依存性から判明し、アヌレンの各電荷状態における TRE から、どのようなときに
芳香族性や、反芳香族性をもつか予測可能である。calicene と sesquifulvalene は、+1 価で
異なる異なる符号の TRE をもつ環同士の系であったため、中性において特異的な点が存在す
るが、
+1 価で同符号の TRE をもつ場合、それぞれの環に+1 価や-1 価の電荷が存在できる、
+2 価や-2 価で特異的な点が存在すると考えられる。
101
Table 3.7.3 annulene の±1 価における TRE |𝜷|。
環のサイズ
+1 価
-1 価
3
0.536
-1.464
5
-0.919
0.317
7
0.225
-0.665
9
-0.520
0.175
Figure 3.7.15 単環式共役系を非環状共役結合で橋渡しした分子の TRE のπ電子数依存性
B。
Figure 3.7.15 に、3 員環と 7 員環を非環状共役結合で橋渡しした heptatriafulvalene と、5
員環と 9 員環を非環状共役結合で橋渡しした nonapentafulvalene の、TRE のπ電子数依存
性を示す。なお、Table 3.7.3 より、heptatriafulvalene は正電荷をもつときに芳香族性をも
ち 、 nonapentafulvalene は 負 電 荷 を も つ と き に 芳 香 族 性 を も つ と 予 想 さ れ る 。
heptatriafulvalene は予想通り+2 価で芳香族性をもち、nonapentafulvalene は-2 価で芳香
族性をもつ。
なお、それぞれの分子の各環に分布するπ電子数を、分子の荷電状態に対して Table 3.7.4
に示す。どちらの分子も、中性においては、小さい環が芳香族性をもちやすい符号の荷電状
態を示している。heptatriafulvalene では 3 員環が正、nonapentafulvalene では 5 員環が負
である。これは量子化学計算の結果とも一致する[64,65]。heptatriafulvalene では分子が+2
価のとき、3 員環に 2.050 個、7 員環に 5.950 個のπ電子が分布し、nonapentafulvalene で
は分子が-2 価のとき、5 員環に 5.961 個、9 員環に 10.039 個のπ電子が分布している。分
子全体が中性付近で芳香族性をもつときは、各環に分布するπ電子数が、それぞれのアヌレ
102
ン構造が、最大の芳香族性を示すπ電子数にほぼ等しい。
Table 3.7.4 heptatriafulvalene と nonapentafulvalene の、HMO 計算による分子の荷電状
態ごとの各環に分布するπ電子数。
分子の荷電状態
(133)の 3 員環に分
布するπ電子数
(133)の 7 員環に分
布するπ電子数
(140)の 5 員環に分
布するπ電子数
(140)の 9 員環に分
布するπ電子数
+6
+4
+2
0
-2
-4
-6
1.733
1.733
2.050
2.520
2.520
4.520
5.571
2.267
4.267
5.950
7.480
9.480
9.480
10.429
2.202
3.359
5.359
5.359
5.961
6.330
6.330
5.798
6.641
6.641
8.641
10.039
11.670
13.670
3.8. TRE のπ電子数依存性の理論的考察
3.4 節から 3.7 節により、TRE のπ電子数依存性には、確かな規則性が見受けられた。3.7
節までで、TRE のπ電子数依存性の規則性や、TRE のπ電子数依存性を用いた、環状共役系
の安定性に関する解析方法を示した。しかし、現象として規則性の存在は確認されたが、な
ぜこのような規則性が成り立つのか、不明である。そこで本節では、規則性について理論的
に考察する。2 章で述べたように、TRE とは HMO で求まる、特性多項式の解から得られる
ヒュッケル軌道エネルギーと、HMO の永年行列式から環状経路に関わる項を除いて得られ
る、参照多項式の解から求まる参照エネルギーの差である。このことから、今回の法則は、
特性多項式と参照多項式における、それぞれの解の差における法則であることがわかる。こ
の読み替えを行うことで、この問題が、n 次の実対称行列式による多項式の解と、その行列
式において環状経路のような、非対称な行列要素の取り方を行う項を除いた、多項式の解の
差における法則であるといえる。
特性多項式と参照多項式では、最大次数が等しい、二番目に大きな次数の係数が等しいと
いった共通点が存在する。特性多項式から、環に関わる多項式を除いたのが参照多項式とい
う関係を有するため、このような特殊な変化をさせた多項式の解が、元の特性多項式の解か
ら、どのような変化をするのかという規則性を示唆する結果でもある。具体的には、特性多
項式と参照多項式で異なるのは係数であり、n 次の多項式における解と係数の関係に関わる
問題である。TRE のπ電子数依存性の規則性の理論的考察を行うための、具体的な数式の変
103
化をみる。前述したように、この現象がはっきり現れている PBH から共通点を探索する。
PBH におけるそれぞれの分子の特性多項式、参照多項式、各環が関わる多項式を示す。な
お、各環が関わる多項式とは、分子グラフ G からある環に対応するグラフ𝑟𝑙 を除いた部分グ
ラフの参照多項式のことであり、
𝑚
𝑚
𝑃𝐺 (𝑋) = 𝑅𝐺 (𝑋) + ∑(−2)𝑅𝐺−𝑟𝑙 (𝑋) + ∑ 4𝑅𝐺−𝑟𝑙 −𝑟𝑝 (𝑋) + ⋯ ⋯ (3.8.1)
𝑙=1
𝑙>𝑝
で表される右辺第二項以降の多項式である。例として、pyrene について詳しく考察する。
pyrene の取りうる環状経路は、Figure 3.8.1 に示す 8 種であり、実際にはこれらに対称性を
考慮して、15 個の環状経路をもつ。これらの環状経路が、特性多項式に対してどのように寄
与しているのかを考察する。pyrene の特性多項式、参照多項式、それぞれの環状経路を除い
た部分グラフの参照多項式を、Table 3.8.1 に示す。(3.8.1)式に示すように、特性多項式は、
参照多項式と環状経路を除いた部分グラフの参照多項式の和の形で表される。pyrene の場合
では、
𝑃𝐺 (𝑋) = 𝑅𝐺 (𝑋) − 2{2𝑅𝐺−𝑟1 (𝑋) + 2𝑅𝐺−𝑟2 + 𝑅𝐺−𝑟3 (𝑋) + 4𝑅𝐺−𝑟4 (𝑋) + 2𝑅𝐺−𝑟5 (𝑋) + 2𝑅𝐺−𝑟7 (𝑋)
+ 𝑅𝐺−𝑟8 (𝑋)} + 4𝑅𝐺−𝑟6 (𝑋) ⋯ (3.8.2)
である。
Figure 3.8.1 pyrene の取りうる環状経路。
104
Table 3.8.1 pyrene の特性多項式と参照多項式と、環状経路を除いた部分グラフの参照多項
式。
式の種類
特性多項式
参照多項式
多項式
𝑋16 − 19𝑋14 + 143𝑋12 − 555𝑋10 + 1208𝑋 8 − 1498𝑋 6 + 1017𝑋 4 − 333𝑋 2
+ 36
𝑋16 − 19𝑋14 + 143𝑋12 − 547𝑋10 + 1132𝑋 8 − 1244𝑋 6 + 661𝑋 4 − 135𝑋 2
+6
𝑅𝐺−𝑟1
𝑋10 − 10𝑋 8 + 33𝑋 6 − 42𝑋 4 + 19𝑋 2 − 2
𝑅𝐺−𝑟2
𝑋10 − 9𝑋 8 + 28𝑋 6 − 35𝑋 4 + 15𝑋 2 − 1
𝑅𝐺−𝑟3
𝑋 6 − 4𝑋 4 + 4𝑋 2
𝑅𝐺−𝑟4
𝑋 6 − 5𝑋 4 + 6𝑋 2 − 1
𝑅𝐺−𝑟5
𝑋 4 − 2𝑋 2
𝑅𝐺−𝑟6
𝑋 4 − 2𝑋 2 + 1
𝑅𝐺−𝑟7
𝑋2 − 1
𝑅𝐺−𝑟8
𝑋2 − 1
このように特性多項式を、各環状経路の寄与という形で分離することは可能であるが、こ
れだけでどの多項式の寄与が大きいか、決めることはできないだろう。ただし、小さい環状
経路であるほど、その環状経路を除いた、部分グラフの参照多項式の次数が大きい。これに
伴って、細矢らが提唱する、中性の芳香族性に対して一定の成功を収めている、分子グラフ
G に対する芳香族性の指標∆𝑍𝐺 に対する各環状経路の寄与は、小さい環状経路ほど大きい[1113]。この指標は、特性多項式の係数項の和を取った 𝑍̃ と、Z-index と呼ばれる参照多項式の
係数項の和を取った 𝑍 との差で表され、正の値だと芳香族性である。∆𝑍𝐺 によって中性では、
環状経路を除いた部分グラフの次数が大きいほど、寄与が大きくなっているという関係性は
あるが、それが何故なのか解析的には分からないというのが、この関係における解明すべき
理論であろう。では、多項式まで判明しているにも関わらず、なぜ解析的に分からないのか
という論点を整理する。なお、先に記述しておくが、この課題は、本博士論文では未解決で
あり、今後の一助になればという想いで記す。とりわけ、数学者の目に触れ、鮮やかに解決
して頂きたいと願う。
例えば、r1 の寄与はどの程度であろうかと考えたとき、r1 を除いた部分グラフの参照多項
式が、特性多項式に対する r1 の寄与である。多項式としてはこのように解析的に解ける。し
かし、環状共役による安定性への寄与は、それらの解の和に対する寄与である。具体的に示
105
すと、
𝑅𝐺 (𝑋) − 2𝑅𝐺−𝑟1 (𝑋)
= 𝑋16 − 19𝑋14 + 143𝑋12 − (547 + 2)𝑋10 + (1132 + 20)𝑋 8 − (1244 + 66)𝑋 6
+ (661 + 84)𝑋 4 − (135 + 38)𝑋 2 + (6 + 4) ⋯ (3.8.3)
の解𝑘𝑛 と、参照多項式の解𝑙𝑛 の差の和で表されるだろう。なお(3.8.3)式の赤字で示した項が、
r1 による寄与である。(3.8.4)式は、TRE の考え方を応用したもので、どのような系に対して
どの程度成り立つかは未確認である。後にこの理論に基づく分析を示す。
𝑜𝑐𝑐𝑢𝑝𝑖𝑒𝑑
r1 の環状共役による安定性への寄与 =
∑
2(𝑘𝑛 − 𝑙𝑛 ) ⋯ (3.8.4)
𝑛
解𝑘𝑛 に対して、係数項にどのような変化があったときに、どのような変化があるかという問
題を解かなくてはならない。まず考えられる解析的方法は、解と係数の関係だろう。この考
えは、環状共役による安定性への寄与は、多項式の係数変化によってもたらされるという概
念に基づくもので[12,12,15]、どの係数の変化が、解に対してどのような変化を与えるか、と
いうことを解く。なお、これらの式では、最高次である𝑛次の係数は必ず 1 で、(𝑛 − 1)次の
係数はゼロである。
では解と係数の関係を示す。一次式では、
𝑋 + 𝑎 = 0 ⋯ (3.8.5)
の解は単純に、
𝑋 = −𝑎 ⋯ (3.8.6)
で表され、解に係数が与える効果が解析的に表される。二次式では、
𝑋 2 + 𝑎𝑋 + 𝑏 = 0 ⋯ (3.8.7)
の解と係数の関係は、
𝑎 = 𝑋1 + 𝑋2
⋯ (3.8.8)
{
𝑏 = 𝑋1 𝑋2
である。三次式では、
𝑋 3 + 𝑎𝑋 2 + 𝑏𝑋 + 𝑐 = 0 ⋯ (3.8.9)
の解と係数の関係は、
106
𝑎 = 𝑋1 + 𝑋2 + 𝑋3
𝑏
=
𝑋1 𝑋2 + 𝑋2 𝑋3 + 𝑋1 𝑋3 ⋯ (3.8.10)
{
𝑐 = 𝑋1 𝑋2 𝑋3
である。ここで、[3]annulene の特性多項式と参照多項式は、
𝑃[3]𝑎𝑛𝑛𝑢𝑙𝑒𝑛𝑒 (𝑋) = 𝑋 3 − 3𝑋 − 2 ⋯ (3.8.11)
𝑅[3]𝑎𝑛𝑛𝑢𝑙𝑒𝑛𝑒 (𝑋) = 𝑋 3 − 3𝑋 ⋯ (3.8.12)
であり、その違いは(3.8.9)式の𝑐 = −2の部分のみであり、これが環状経路による寄与である。
参照多項式の解を𝑙𝑛 とし、特性多項式の解を𝑙𝑛 + ∆𝑛 とする。すると、(3.8.9)式より、参照
多項式について、
0 = 𝑙1 + 𝑙2 + 𝑙3
{−3 = 𝑙1 𝑙2 + 𝑙2 𝑙3 + 𝑙1 𝑙3 ⋯ (3.8.13)
0 = 𝑙1 𝑙2 𝑙3
であり、特性多項式について、
0 = 𝑙1 + 𝑙2 + 𝑙3 + ∆1 + ∆2 + ∆3
{−3 = (𝑙1 + ∆1 )(𝑙2 + ∆2 ) + (𝑙2 + ∆2 )(𝑙3 + ∆3 ) + (𝑙1 + ∆1 )(𝑙3 + ∆3 ) ⋯ (3.8.14)
−2 = (𝑙1 + ∆1 )(𝑙2 + ∆2 )(𝑙3 + ∆3 )
という関係式が得られる。そこで、(3.8.13)式と(3.8.14)式より、
∆1 + ∆2 + ∆3 = 0
{∆1 (𝑙2 + 𝑙3 ) + ∆2 (𝑙1 + 𝑙3 ) + ∆3 (𝑙1 + 𝑙2 ) + ∆1 ∆2 + ∆2 ∆3 + ∆1 ∆3 = 0 ⋯ (3.8.15)
(𝑙1 + ∆1 )(𝑙2 + ∆2 )(𝑙3 + ∆3 ) = −2
と変形される。つまり、環状共役による解の変化の和はゼロである。これは、すべてのπ軌
道が充填されたとき、TRE がゼロとなることを示している。それ以外は、具体的性質を表す
ように変形はできない。しかし解と係数の関係を用いた方法では、どの係数の変化が、どの
解にどれだけ変化を与えたのかが不明である。摂動論的アプローチも可能かもしれないが
[12]、まず、実例を挙げて、理論的アプローチの道標とする。
まず、pyrene の Figure 3.8.1 のすべての環状経路による寄与を、(3.8.3)式の形で求める。
この結果を、π電子数占有度に対してプロットしたπ電子数依存性を Figure 3.8.2 に示す。
この結果は、参照多項式に対して、環状経路に対応する部分グラフを除いた参照多項式を引
くことで、特殊な係数変化を起こし、解に変化が生じ、その変化分を足し合わせたものの、
π電子数依存性である。この考え方は、TRE とまったく同一であり、TRE ではすべての環状
経路を除くが、今回は、参照多項式に、一つの環状経路の寄与を加えた場合との差を取って
いる。pyrene では、環状経路一つの場合以外に、二つの場合もあり、(3.8.2)式のように r6
107
については符号が異なって環状経路の寄与を加えている。
6 員環構造である r1、r2 の寄与のπ電子数依存性は、benzene の TRE のπ電子数依存性
と類似している。しかし、中性における寄与は、benzene ほどではない。また、[10]サーキ
ットである、r3、r4 は、ともに[10]annulene に近いπ電子数依存性をもつが、r3 は正の値
における極大値をもつと予想されるところで、芳香族性の寄与が弱まっている。この傾向は、
[12]サーキットである r5 にも見られ、中性で本来は最小値を取ることが予想されるが、ほぼ
ゼロの値をもつ。r6 は、6 員環を二つ取るときであり、biphenyl に類似することが予想され
るが、[12]annulene の TRE のπ電子数依存性の正負を逆転させたような特徴をもつ。14 員
環構造をもつ r7、r8 は、この環状経路を除いた部分グラフが同一なため、その環状共役によ
る寄与は同一である。このπ電子数依存性は、[14]annulene のπ電子数依存性に類似してい
る。
108
Figure 3.8.2 pyrene の各環状経路による寄与のπ軌道充填度依存性。横軸はπ軌道充填度
で、縦軸が TRE |𝜷|である。
109
Figure 3.8.3 pyrene の各環状経路による寄与のπ軌道充填度依存性のまとめ。横軸はπ軌
道充填度で、縦軸が TRE |𝜷|である。
Figure 3.8.3 の色つきのプロットは、これらのπ電子数依存性を、同一のプロットに載せ
たものであり、主に大小関係を示している。すると、r1、r2 の極値の絶対値が、他に比べて
大きいことが分かる。6 員環構造は 4 つあるため、これらの寄与はさらに大きくなるだろう。
また参照多項式に、環状経路を除いた部分グラフの参照多項式の、寄与を加えるという係数
変化を行うと、環状経路のサイズに該当する、[n]annulene の TRE のπ電子数依存性に類似
する傾向がある。pyrene に似た、dicyclopenta[cd,gh]pentalene、pyracylene、azupyrene
についての各環状経路による寄与のπ電子数依存性をそれぞれ、Figure 3.8.4、Figure 3.8.6、
Figure 3.8.8 に示す。すると、いずれの場合も同様の傾向が見られた。なお、azupyrene の
r4 は、[10]サーキットであり、この構造と、r8 の[14]サーキットで芳香族性を稼いでいるよ
うだ。また、r4 は、azulene にも含まれる構造であり、先述したように、azupyrene の TRE
のπ電子数依存性は、azulene の TRE のπ電子数依存性に類似しているため、azulene 構造
に由来するとも考えられる。ただし、この解析では、azulene 構造の寄与の形には分割でき
ないので、更なる改良をする必要がある。
110
Figure 3.8.4 dicyclo[cd,gh]pentalene の各環状経路による寄与のπ軌道充填度依存性。横
軸はπ軌道充填度で、縦軸が TRE |𝜷|である。
111
Figure 3.8.5
dicyclo[cd,gh]pentalene の各環状経路による寄与のπ軌道充填度依存性のま
とめ。横軸はπ軌道充填度で、縦軸が TRE |𝜷|である。
112
Figure 3.8.6 pyracylene の各環状経路による寄与のπ軌道充填度依存性。横軸はπ軌道充
填度で、縦軸が TRE |𝜷|である。
113
Figure 3.8.7 pyracylene の各環状経路による寄与のπ軌道充填度依存性のまとめ。横軸は
π軌道充填度で、縦軸が TRE |𝜷|である。
114
Figure 3.8.8 azupyrene の各環状経路による寄与のπ電子数依存性。色つきは、それぞれ
のプロットをまとめたものである。
115
Figure 3.8.9 azupyrene の各環状経路による寄与のπ軌道充填度依存性のまとめ。横軸は
π軌道充填度で、縦軸が TRE |𝜷|である。
3.9. 結論
本章では、芳香族性、反芳香族性、非芳香族性という、環状共役による熱力学的な寄与を、
TRE によって見積り、π電子数による変化を系統的に分析することで、多環式共役系の環状
共役による寄与が、多環式共役系を構成する環に依存することを示した。3.4 節の同一の環が
縮環した系では、それぞれのサイズで、環の TRE のπ電子数依存性と類似し、3.5 節のフラ
ーレンでは、5 員環と 6 員環の 2 種類の環の割合が変化することで、TRE のπ電子数依存性
が変化することが示された。これは、ほぼ同一のサイズの環が縮環している多環式共役系の
傾向を示す。3.6 節では、さまざまなサイズの環が縮環した、多環式共役系について解析した。
この系では、どのような環が、どのような割合で縮環しているかによって傾向が変わるが、
それぞれ環の割合、サイズによって環状共役による寄与が予測できる。また、部分構造に依
存する場合も、存在することが確認された。3.7 節では、非環状共役系を含む場合について分
析した。この系では、非環状共役系が、どのように入っているかによって、寄与が異なり、
メチレン基の場合、中性付近で環状共役による寄与を弱める点が、メチレン基の数によって
変化することが判明した。また、その傾向は偶数員環と奇数員環の系で異なり、ケクレ構造
による解析を伴うことで分類できた。一方、環状共役系を橋渡しした分子では、非環状共役
系による影響はあまりなかった。3.8 節では、いまだ未解決な TRE のπ電子数依存性が成り
立つ理由について、解析的に解釈する道標を示した。この問題は、多項式の係数変化による
116
解の変化の問題であり、今回のように特殊な場合では、一定の法則性があることを示唆して
いる。
3.10. 参考文献
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119
4. Bond Resonance Energy のπ電子数依存性
4.1. 概要
minimum Bond Resonance Energy(min BRE)は、環状π共役系において反応性の指標
となる。この指標は、中性分子のみならず、荷電状態となるπ電子数を有する分子に対して
も適用可能である。TRE のπ電子数依存性のように、min BRE について規則性が得られた
ので報告する。この規則性は、多環式共役系において、分子の反応性がどのような構造に起
因しているのか、という疑問を解決する道筋を示す。例えば、多環式ベンゼン系炭化水素は、
ベンゼン環がいくつか縮環した構造をもち、その反応性は芳香族性への寄与が小さい結合で
説明できると考えられている。しかし、min BRE の値を分子ごとに比較しても、どのような
構造のときに反応性が高いかという疑問を解決することはできない。そこで BRE を縦軸に、
一つの分子で取りうる全てのπ電子数を横軸にプロットした、BRE のπ電子数依存性を比較
する。多環式ベンゼン系炭化水素では、いずれも benzene の BRE のπ電子数依存性と類似
する。いずれの結合の芳香族性への寄与も、ベンゼン環構造に最も強く依存することを示す。
同様の傾向が、同一のサイズの環が縮環した分子、複数のサイズの環が縮環した分子、
fulvalene のように環がつながった分子、xylylene のように環状共役系と非環状共役系が共存
する分子でも見られた。しかし、当然ながら TRE のπ電子数依存性とは異なる傾向もみられ
る。一つが、biphenylene のように局所的に反応性が高い分子である。この分子では、中性
で芳香族性をもつが、反応性が高い。この傾向が、min BRE のπ電子数依存性にも強く現れ
ている。もう一つが、フラーレンのように 5 員環と 6 員環が多く含まれる分子である。この
ように環が多く原子数も多い分子では、4.5 節で示すように、TRE の変化は、π電子数の変
化に対して緩やかに変化するが、min BRE の変化は鋭敏な側面をもつ。そしてこの点が、金
属フラーレンが IPR 則を満たさないことの説明となる。以上のように、芳香族分子の芳香族
性と反応性において、その構造がそれぞれにどのように影響を与えているのかを、理論的に
解析した結果を報告する。
4.2.
導入
芳香族性の定義上、安定性への認識に誤解が生じているように見受けられる。安定性には、
熱力学的安定性と速度論的安定性がある。芳香族性は、熱力学的安定性を指し、分子全体の
安定性を示す。この観点から言うと、多環式共役系に対する、一部の結合の安定性を問う環
120
電流などは、芳香族性の指標とは言えないだろう[1-3]。環状共役系での、分子内の一部の安
定性の議論は、速度論的安定性を表し、環状共役系における反応性に対する指標となる[4-7]。
これは、π共役系で構成される分子の HOMO、LUMO 付近の分子軌道が、π共役系で構成
されることに起因する[7]。これらの二種類の安定性に対して、どちらが優勢かは系によるも
のだが、フラーレンでは速度論的安定性が成功を収めている[4,5,8,9]。フラーレンでは、孤立
五員環則(IPR)という五員環が隣り合った異性体は不安定であるという規則が知られている
[40]。min BRE は、環状共役系による速度論的安定性を表す指標であり、IPR をうまく説明
した[4,5]。min BRE は、フラーレンのみならず、環状共役系に対する速度論的安定性を、荷
電状態を含めて表せる[4,5,7,8,10-13]。
最近我々が明らかにした、TRE のπ電子数依存性は、分子全体の安定性である熱力学的安
定性を、環状共役系に対して解析し、分子の芳香族性がどのような構造に起因するか明らか
にした[14-16]。環状共役系に対して、分子の反応性が、どのような構造に起因するのかとい
う理論的興味は持たれる。また、min BRE が大きな成功を収めているフラーレンでは、金属
内包フラーレンの研究が盛んであり、この系は IPR が適用できない non-IPR である[17-23]。
なお、この non-IPR について Web of Science で、
non-IPR OR "violating the isolated pentagon rule" OR "non the isolated pentagon rule"
OR "violating the pentagon adjacent penalty rule"
というキーワードを含むトピックを検索したところ、2014 年 10 月 17 日時点では 123 件が
ヒットした。この内訳は、Figure 4.2.1 に示す通りであり、近年興味が増している様子が分
かる。
一方で TRE と BRE では、計算にかかるコストに歴然とした違いがある。TRE ではすべて
の環状経路による寄与を、グラフ理論的に除くため、系が大きくなる、もしくは結合の本数
が多くなるほど、計算コストが跳ね上がる[14,25]。しかし、原理的に BRE の計算コストは、
TRE にかかる計算コストよりも相当軽く済む。
121
Figure 4.2.1
non-IPR に関連する年代別論文数と、それらの年代別被引用数。
もちろん系によって、その違いはまちまちだが、すべての環状経路を洗い出す TRE に比べて、
各結合に対応する共鳴積分を変化させて行列式を解くだけの場合では、そのコストの増え方
が異なることが分かるだろう。これは、結合一本増えることで、環状経路が一つ増えるわけ
ではなく、場合によっては結合一本増えるだけで、何十以上の環状経路が出現することに起
因する。そこで、TRE の計算ではなく、BRE の計算だけで事足りるならばそれに越したこ
とはない。min BRE のπ電子数依存性が TRE のπ電子数依存性と、よく似ているならば、
TRE のπ電子数依存性の傾向を掴むことにも利用可能だろうということである。このような
観点でも、BRE のπ電子数依存性の解析を行うこととする。
4.3.
理論
BRE における計算方法などは、2.7 節に記したとおりである。一つの分子の一つの荷電状
態の BRE の中で、最小の BRE が min BRE であり、この値が-0.100 |𝛽𝐶𝐶 | 以上であれば、
速度論的に安定であり、小さければ不安定ということである[4,5,13]。IPR を満たす中性のフ
ラーレンは、すべての結合の BRE が-0.100 |𝛽𝐶𝐶 | 以上で安定であり、non-IPR フラーレン
は 5 員環同士の間の結合が-0.100 |𝛽𝐶𝐶 | 以下で、不安定であった[4]。この IPR や non-IPR
の理論は、中性状態でのみ成り立ち、金属内包フラーレンのように、フラーレン骨格が荷電
状態となるときには成り立たなず[17-23]、min BRE もそれに伴って変化し、アニオン状態
では、中性状態で安定であった IPR フラーレン骨格よりも、non-IPR フラーレン骨格の方が
122
安定となる荷電状態が存在する[10-13]。このように、min BRE は、荷電状態についても、
実験的に単離可能な金属内包フラーレンをよく説明し、実用性が高いことが分かる。
また、これらのフラーレンでは、芳香族性自体は中性状態とそれほど変化しない、もしく
はむしろ芳香族性が増しているにも関わらず、min BRE が小さくなり不安定となる様子も見
られるため、フラーレンのような大きな多環式環状共役系では、熱力学的安定性よりも、速
度論的安定性が優勢であるように思われる[13]。芳香族性に関しては、小さな多環式共役系
と、大きな多環式共役系では、どのような点が異なるかは、3 章で示したように、電荷の変
化に対しての敏感さが異なる。小さな多環式共役系では、電荷の変化に対して、芳香族性や
反芳香族性を振動したりするが、大きな多環式共役系では、電荷の変化に対して芳香族性が
あまり変化しない。これが TRE のπ電子数依存性の解析によって判明したことだが、フラー
レンの傾向を考慮すると、min BRE のπ電子数依存性については、異なった傾向が予測され
る。
ところで、3 章で計算対象とした分子には、非環状共役系を含む分子がある。しかし、非
環状共役結合の BRE は、原理的にすべてゼロとなってしまう。そこで、BRE の最小値を考
える min BRE の対象には、非環状共役結合を含めないこととする。以上の理論を用いて、
min BRE のπ電子数依存性を解析し、さまざまな環状共役系について構造と反応性の関係を
解析し、TRE のπ電子数依存性との関係性についても解析する。
4.4. 同一のサイズの環が縮環した多環式共役系
まず annulene と単環式共役系については、TRE と min BRE は原理的に、まったく同一
であるので、ここでは記載しない。TRE のπ電子数同様、各π電子数に対してそれぞれ min
BRE をプロットしたものを min BRE のπ電子数依存性と呼ぶ。この節では、同一のサイズ
の環が縮環した系について、min BRE のπ電子数依存性を解析する。
123
Figure 4.4.1
PBH の min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ電子数依存性 A。なお、色
がついている分子は、結合の色と BRE が最小値となる結合で対応している。横軸はπ電子
数を示す。
124
Figure 4.4.2
PBH の min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ電子数依存性 B。なお、色
がついている分子は、結合の色と BRE が最小値となる結合で対応している。横軸はπ電子
数を示す。
125
Figure 4.4.3
PBH の min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ電子数依存性 C。横軸はπ
電子数を示す。
また、TRE のπ電子数依存性との関係も解析するため、3 章と重複してしまうが、min BRE
とともに、TRE のπ電子数依存性も載せる(Figure 4.4.1 など)
。それぞれの分子で結合の種
類がいくつかあるため、色分けすることで区別し、min BRE となる結合が電荷の変化でどの
ように変化するかも解析する。
Figure 4.4.1 と Figure 4.4.2 と Figure 4.4.3 より、いずれの分子の min BRE のπ電子数
依存性も、TRE のπ電子数依存性と概形が類似していることが分かる。3 章で述べたように、
これらの分子の TRE のπ電子数依存性の概形が類似していることから、芳香族性が個々のベ
ンゼン環に起因していることが示された。min BRE が同様の傾向を持つことと、benzene で
は min BRE と TRE が全く同じものであることから、これら 15 個の分子の反応性が、個々
のベンゼン環に起因したものであることを示唆している[26]。反応性は局所的な安定性が重
要であるため、分子全体の安定性を表す芳香族性と同じ傾向にあることは、矛盾している様
に思われるかもしれない[4,5]。しかし、PBH はいずれの結合もベンゼン環を構成する結合と
なっているため、すべての結合がベンゼン環による安定化の寄与を受けている。この点が
126
PBH の速度論的安定性が、ベンゼン環により安定化し、反応性が個々のベンゼン環に起因す
る理由となる。
次に Figure 4.4.1 で、min BRE のπ電子数依存性のプロットの色が、π電子数の変化に伴
って変化することに注目する。IPR や non-IPR の理論は、中性状態でのみ成り立ち、金属内
包フラーレンのように、フラーレン骨格が荷電状態となるときには成り立たない[17-23]。IPR
は 5 員環同士の間の結合である ”5/5” 結合に関する理論であり、電荷が変化したときに分子
内で最も反応性が高い結合が “5/5” 結合ではなくなることと合致する[8,9,10-13]。フラーレ
ンのように大きな分子だけではなく、このように小さな分子でも、不安定なπ共役結合は、
電荷によって変化するのだ。つまり、構造のみにより反応しやすい結合を推測せず、その荷
電状態によっても反応性を設計可能であることを示唆している。そこで各結合がπ電子数の
変化で、環状共役系に対する安定性への寄与がどのように変化しているかを、Figure 4.4.4
の各結合の BRE のπ電子数依存性により表す。
127
Figure 4.4.4
PBH の各結合の BRE のπ電子数依存性 A。各結合の色と、プロットの色
が対応している。横軸はπ電子数、縦軸は BRE |𝜷| を表す。
128
Figure 4.4.5
PBH の各結合の BRE のπ電子数依存性 B。各結合の色と、プロットの色が
対応している。横軸はπ電子数、縦軸は BRE |𝜷| を表す。
129
naphthalene から chrysene までのカタ縮合 PBH は、いずれの結合の BRE のπ電子数依
存性も、ほぼベンゼンの BRE のπ電子数依存性と同一の概形をしている。しかし、それ以外
の分子では、benzene の BRE のπ電子数依存性よりも、ジグザグの多い概形をした BRE の
π電子数依存性をとる結合を含んでいる。細矢らが提案した拡張ヒュッケル則で、環状経路
のサイズが大きいほど、芳香族性への寄与が小さいことが分かっている[27,28]。分子全体に
対しては TRE のπ電子数依存性によって確かであることが確認できたが、BRE では局所的
な安定性への寄与を見るために、環状経路のサイズによる安定性への寄与の大きさが、異な
るのかもしれない。また、Gutman が提案した、拡張ヒュッケル則の再考では、カタ縮合分
子に対してはヒュッケル則が成り立つが、ペリ縮合分子では、概ね成り立つが、成り立たな
い場合もあるとし、その理由は厳密に説明できていないとする ”Rule C” がある[29]。
triphenylene を除くカタ縮合系と、ペリ縮合系では、BRE のπ電子数依存性に有意な差があ
ることに注目し解析する。
Table 4.4.1 に pyrene の各結合が、どのような環状経路をいくつ構成するかを示した。
pyrene で最もベンゼンの BRE のπ電子数依存性と異なるのは、緑の結合である。この結合
は、ベンゼン環を一つ、[10]サーキットを三つ、[12]サーキットを二つ、[14]サーキットを二
つ構成している。緑の結合の BRE のπ電子数依存性は、[10]annulene の BRE のπ電子数依
存性と類似していることから、最も割合の多いものに影響するように思われる。しかし、赤
い結合や黒い結合については、ベンゼン環の影響が最も大きい。つまり、構成する環状経路
の数だけでなく、そのサイズも重要であり、小さい環状経路ほど大きく影響するが、数の割
合によっては、大きいサイズの環状経路による影響が勝ることもあるということである。一
般に多環式共役系は、ある程度の原子数を超えると、一つの結合が構成する環の数よりも、
はるかにその結合が構成する環状経路の方が大きくなる。
例えば、pyrene より 8 個だけ原子数が多い coronene での赤い結合は、ベンゼン環二つを
構成するが、[10]サーキットを七つ構成する。多環式共役系の結合の本数にもよるが、原子
数が多くなるほど、環状経路の数は増え、一つの結合が構成する環状経路は多くなり、環に
ついては、どんなに多くとも二つまでである。カタ縮合において例外とした triphenylene の
各結合が、どのような環状経路をいくつ構成するかを、Table 4.4.2 に示した。triphenylene
では、青い結合の BRE のπ電子数依存性が、[10]annulene の BRE のπ電子数依存性に類似し、
黒い結合と赤い結合は概ねベンゼンの BRE のπ電子数依存性に類似している。青い結合は、
6 員環を一つ構成し、[10]サーキットと[14]サーキットを三つずつ、[18]サーキットを一つ構
130
成する。この割合から、[10]annulene の BRE のπ電子数依存性に類似すると、容易に想像が
つくだろう。では、triphenylene のように、カタ縮合でありながら、一つの結合が様々な環状
経路を多く構成するときは、どのような環状共役系であるか。芳香族分子の理論には、環状
共役系の枝分かれによる分類がなされてきた。カタ縮合のなかでも、ポリアセンのような直
線型と、triphenylene のような非直線型では、安定性や反応性の傾向が異なることが知られて
いる[27,29-31]。これはケクレ構造数の議論と、非常に類似している[29,32-34]。つまり、枝
分かれをうまく設計し、結合一つが関わる環状経路の種類と数を設計することで、共役結合
についての反応性を設計できることを示唆している。
Table 4.4.1
pyrene における多環式π共役系を構成する各結合一つが関わる環状経路の
種類と数。
circuit type
黒い結合
赤い結合
青い結合
緑の結合
[𝟔]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
1
2
2
1
[𝟏𝟎]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
2
4
3
3
[𝟏𝟐]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
1
0
1
2
[𝟏𝟒]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
3
2
1
2
Table 4.4.2
triphenylene (6)における多環式π共役系を構成する各結合一つが関わる環
状経路の種類と数。
circuit type
黒い結合
赤い結合
青い結合
[𝟔]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
1
2
1
[𝟏𝟎]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
1
2
3
[𝟏𝟒]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
2
1
3
[𝟏𝟖]𝐚𝐧𝐧𝐮𝐥𝐞𝐧𝐞
1
0
1
6 員環以外で同一のサイズが縮環した多環式共役分子における、min BRE のπ電子数依存
性を Figure 4.4.6 と Figure 4.4.7 に示す。bicyclobutadienylene と hexacyclobutenobutalene
以外は、min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ電子数依存性が類似している。PBH では、
min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ電子数依存性はいずれも類似していたのだが、二つ
の例外が見つかった。しかし、例外があったとしても、反応性が、環に起因しているという
傾向自体は変わらない。では、この例外や、PBH で判明した各結合が構成する環状経路の種
131
類と数の傾向を確認する。
Figure 4.4.6
同一のサイズの環が縮環した多環式共役分子における min BRE のπ電子
数依存性 A。なお、色がついている分子は、結合の色と BRE が最小値となる結合で対応し
ている。横軸はπ電子数を示す。
132
Figure 4.4.7 同一のサイズの環が縮環した多環式共役分子における min BRE のπ電子数依
存性 B。なお、色がついている分子は、結合の色と BRE が最小値となる結合で対応してい
る。横軸はπ電子数を示す。
Figure 4.4.8 に示したように、dicyclopenta[cd,gh]pentalene では、緑の結合が[7]annulene
の BRE のπ電子数依存性と類似している。これは、pyrene と全く同じ理由である。なぜな
ら、これら二つの分子は、原子数は異なるが、環同士のトポロジーが同一だからである。
bicyclobutadienylene と dicyclobutenobutalene と hexacyclobutenobutalene では、4員環
が縮環した多環式共役系であるし、同一の傾向となるように思われるかもしれないが、実際
はそうではない。
bicyclobutadienylene と hexacyclobutenobutalene では、4 員環二つを構成する結合のい
ずれもが、[6]サーキットを二つ以上構成している。これにより、いずれの結合の環状共役系
への安定性の寄与も、4 員環と[6]サーキットの両方に起因する形となり、例外的な振る舞い
をしている。一方で、dicyclobutenobutalene では、青い結合が 4 員環を二つ構成するが、一
つの[6]サーキットしか構成しない。つまり、この結合の環状共役系への安定性の寄与は、4
員環に強く起因しているため、min BRE も同様の傾向をもつ。
133
Figure 4.4.8
同一のサイズの環が縮環した多環式共役分子における BRE のπ電子数依存
性。各結合の色と、プロットの色が対応している。横軸はπ電子数、縦軸は BRE |𝜷| を表す。
4.5. フラーレンにおける min BRE のπ電子数依存性
主に 5 員環と 6 員環で構成されるフラーレンでの min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ
電子数依存性を、Figure 4.5.1 と Figure 4.5.2 と Figure 4.5.3 に示した。全体的な概形に関
しては、min BRE のπ電子数依存性と、TRE のπ電子数依存性が類似している。しかし、
同一のサイズの環が縮環した多環式共役系でも見えていたが、min BRE のπ電子数依存性の
方が、π電子数の変化に対して、細かく振動しているという点が異なる。これにより異性体
間での TRE のπ電子数依存性は、ほぼ変化がなかったが、min BRE については正負の符号
が異なるほどの違いが生じる[10-13]。つまり、異性体間で反応性が全く異なるπ電子数があ
るということである。この振動は、3.4 節で判明したように、各結合が構成する環状経路の種
134
類と数の違いによるものだと思われる。3.4 節で解析した分子よりも、フラーレンは一つの結
合が関わる環状経路の種類も数も多い。その理由は、球形をしていることにある。よって、
フラーレンでは、π電子数の変化によって、反応性が大きく異なる。
また、C60 については、どの結合が min BRE となっている結合かを色を用いて表した
(Figure 4.5.4)
。すると、ある程度、青い結合が min BRE となる領域、黒い結合が min BRE
となる領域となっている。min BRE をとる結合の変化による振動ではなく、各結合が構成す
る環状経路の種類と数の違いによる振動であることが再確認された。では、ホウ素フラーレ
ンについての min BRE のπ電子数(π軌道充填度)依存性を Figure 4.5.5 に示す[35,36]。
ホウ素フラーレンは、主に 3 員環と 5 員環が縮環している多環式共役系である。それ故、概
ね[3]annulene の BRE のπ電子数依存性に類似している。そして、これほどのサイズと環状
経路をもつ多環式共役系では、現状 TRE を計算することはできない。そのため、TRE とπ
電子数依存性との比較はできないが、これら二つのホウ素フラーレンの min BRE のπ電子
数依存性が、[3]annulene の BRE のπ電子数依存性に類似し、[5]annulene に類似していな
いことから、芳香族性も 3 員環に強く起因していることが予想される。
また、B80 は結合の種類で色分けしたが、C60 と同様で、π電子数の変化に対して、青い結
合が min BRE をとる領域といった傾向が保たれている。つまり、結合が構成する環状経路
の種類と数によって振動していると考えられる。ホウ素フラーレンは、フラーレンと異なり、
中性で原子数と同じだけのπ電子をもつわけではない。B80 では、中性でπ電子が 16 個だと
予想されている[37]。ホウ素原子が 80 個で最大 160 個のπ電子をもてるので、π軌道充填度
としては 0.1 になる。この点から予想すると、ホウ素フラーレンも、フラーレン同様、アニ
オン状態になることで反応性を下げそうである。
135
Figure 4.5.1
フラーレン(原子数 20-32)の min BRE のπ軌道充填度依存性と、TRE の
π電子数依存性。min BRE のπ軌道充填度依存性では、横軸がπ軌道充填度、TRE のπ軌
道充填度依存性については、横軸を百分率で表示している。
136
Figure 4.5.2
フラーレン(原子数 34-40)の min BRE のπ軌道充填度依存性と、TRE の
π電子数依存性。min BRE のπ軌道充填度依存性では、横軸がπ軌道充填度、TRE のπ軌
道充填度依存性については、横軸を百分率で表示している。
137
Figure 4.5.3 フラーレン(原子数 42-50)の min BRE のπ軌道充填度依存性と、TRE のπ
電子数依存性。min BRE のπ軌道充填度依存性では、横軸がπ軌道充填度、TRE のπ軌道
充填度依存性については、横軸を百分率で表示している。
138
Figure 4.5.4 𝐂𝟔𝟎 フラーレン(最安定)の min BRE のπ軌道充填度依存性と、TRE のπ電
子数依存性。min BRE のπ軌道充填度依存性では、横軸がπ軌道充填度、TRE のπ軌道充
填度依存性については、横軸を百分率で表示している。なお、min BRE のπ軌道充填度依存
性のプロットの色は、結合の色と BRE が最小値となる結合で対応している。
Figure 4.5.5
ホウ素フラーレン(𝐁𝟖𝟎 、𝐁𝟏𝟎𝟎 )の min BRE のπ軌道充填度依存性。横軸
はπ軌道充填度。結合の色と BRE が最小値となる結合で対応している。
139
4.6. 異なるサイズの環が縮環した多環式共役系
フラーレンのように、異なるサイズの環が縮環した分子でも、大きな環状共役系をもつ分
子では、min BRE のπ電子数依存性が TRE のπ電子数依存性と類似し、反応性が環に由来
することが示されたが、より小さな環状共役系分子での min BRE のπ電子数依存性につい
て考察する。小さな環状共役系分子では、一つの結合が関わる環状経路の種類も少ないため、
環による影響がより強く出ることが予想される。3.4 節と 3.5 節同様に、min BRE のπ電子
数依存性と TRE のπ電子数依存性を Figure 4.6.1 と Figure 4.6.2 と Figure 4.6.3 に示した。
これらの 15 種の分子の min BRE のπ電子数依存性と、TRE のπ電子数依存性を比較する
と、非常に類似した概形をしていることが分かる。このことから、これらの 15 種の分子の反
応性が、分子を構成する環に起因していることが分かる。
フラーレン同様に、cyclopent[cd]azulene や azupyrene で顕著なように、min BRE のπ電
子数依存性の変化は、TRE のπ電子数依存性の変化よりも大きいように思われる。また、い
ずれの分子でも、π電子数が変化する過程で、min BRE をとる結合が変化していく。常に同
じ結合が min BRE をとるわけではない。では、熱力学的安定性と反応性は常に同一の傾向
をもつのだろうか。そこで phenylene 類の min BRE とπ電子数依存性と TRE のπ電子数依
存性を、Figure 4.6.4 と Figure 4.6.5 と Figure 4.6.6 に示した。biphenylene、[3]phenylene、
angular [4]phenylene が、中性付近において min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ電子数
依存性に、顕著な違いが見られる。
140
Figure 4.6.1 異なるサイズの環が縮環した多環式共役系の min BRE のπ電子数依存性と、
TRE のπ電子数依存性 A。各結合の色とプロットが対応している。横軸はπ電子数を表す。
141
Figure 4.6.2 異なるサイズの環が縮環した多環式共役系の min BRE のπ電子数依存性と、
TRE のπ電子数依存性 B。各結合の色とプロットが対応している。横軸はπ電子数を表す。
142
Figure 4.6.3 異なるサイズの環が縮環した多環式共役系の min BRE のπ電子数依存性と、
TRE のπ電子数依存性 C。各結合の色とプロットが対応している。横軸はπ電子数を表す。
phenylene 類では、4 員環と 6 員環が縮環した構造をもち、cyclic 構造をもつ cyc
[4]phenylene、cyc [5]phenylene、antikekulene などを除いて、6 員環の数の方が多い。よ
って、分子全体の安定性を表す TRE は、中性において 6 員環の寄与が十分に発揮され、TRE
のπ電子数依存性の概形は benzene の TRE のπ電子数依存性に近い。しかし min BRE は、
局所的な安定性を表すため、biphenylene の青い結合のような 4 員環のみを形成する結合の
BRE は、中性において小さい値をもつ。このような傾向が、すべての phenylene 類に対して
共通することが予想されたが、angular [3]phenylene、diangular [4]phenylene、zig-zag
[4]phenylene、triangular [4]phenylene では、中性において極大値をもつ min BRE のπ電
子数依存性の概形をもつ。これらの分子に共通するのは、直線型の phenylene 類ではなく、
曲がった構造をもつことである。
この曲がった構造により、4 員環二つと 6 員環一つで構成される[10]サーキットを、直線型
よりも多く有することになる。この結果、4 員環のみを形成する結合が、min BRE のπ電子
数依存性において、中性で極大値をもつ[10]annulene の傾向を有することになる。この構造
をさらに多くもつ cyclic 構造である cyc [4]phenylene、cyc [5]phenylene、antikekulene の
143
min BRE のπ電子数依存性は、中性で極大値をもたない。cyclic 構造では、[10]サーキット
の寄与もさることながら、[12]サーキット、[14]サーキット、[16]サーキットなどの様々な環
状経路が存在し、これらの寄与が重なって、複雑な min BRE のπ電子数依存性をもたらす。
フラーレンのように、サイズの大きな環状経路の寄与が存在することによって、細かく振動
する min BRE のπ電子数依存性をもつ。
一方で、[10]サーキットのような、min BRE のπ電子数依存性が中性で極大値をもつ環状
経路をもたない benzo[b]biphenylene と dibenzo[b,h]biphenylene では、予想に反して中性
において極大値をとる min BRE のπ電子数依存性をもつ。この原因は残念ながら不明であ
り、今後も解析を行う必要がある。
144
Figure 4.6.4 phenylene 類の min BRE のπ電子数依存性と、TRE のπ電子数依存性 A。
各結合の色とプロットが対応している。横軸はπ電子数を表す。
145
Figure 4.6.5
phenylene 類の min BRE のπ電子数依存性と、TRE のπ電子数依存性 B。
横軸はπ電子数を表す。
146
Figure 4.6.6 dibenzo[b,h]biphenylene の min BRE のπ電子数依存性と、TRE のπ電子数
依存性 B。横軸はπ電子数を表す。
4.7. 非環状共役系を含む環状共役系
非環状共役系における BRE は原理的にゼロとなる。よって、この BRE を考慮に入れずに
最小の BRE を min BRE とすれば、単環式共役系に非環状共役結合を含むラジアレン類のよ
うな分子では、min BRE のπ電子数依存性と、対応するアヌレンの min BRE のπ電子数依
存性と等しい。よって、ここでは、非環状共役系を含む多環式共役系のみを扱う。単環式共
役系を非環状結合で橋渡しした分子の、min BRE のπ電子数依存性と TRE のπ電子数依存
性を Figure 4.7.1 に示した。同じサイズの環を橋渡しした分子である、triafulvalene、
fulvalene、heptafulvalene、biphenyl、stilbene では、min BRE のπ電子数依存性と TRE
のπ電子数依存性の概形が類似している。しかし、stilbene 以外では、min BRE のπ電子数
依存性のみが、すべての極小値で min BRE が変化しない点が存在する。
147
Figure 4.7.1 単環式共役系を非環状共役結合で橋渡しした分子の、min BRE のπ電子数依
148
存性と TRE のπ電子数依存性。横軸はπ電子数を表す。
なお、stilbene では、TRE のπ電子数依存性も同様の形状をもつ。異なるサイズの環を橋
渡しした分子である calicene、sesquifulvalene では、同じサイズの環を橋渡しした分子の極
小値が平となることはなく、TRE のπ電子数依存性と同じような概形をとる。
4.8. 結論
本章では、環状共役系による速度論的安定性を min BRE により見積もり、π電子数によ
る変化を系統的に分析することで、多環式共役系の反応性が、環状共役による寄与同様に、
多環式共役系を構成する環に依存することを示した。これは、TRE との類似性によっても明
らかであり、ホウ素フラーレンの議論で判明したように、原子数と環状経路が多く、TRE が
計算できない系についても、芳香族性が 3 員環に依存することを予想しえる。また、フラー
レンが電荷の変化によって、異なる異性体で金属内包フラーレンを形成することを、各結合
の BRE のπ電子数依存性を解析することで明らかにした。フラーレンは、一つの結合が構成
する環状経路の種類と数が豊富であり、その結果、π電子数の変化に対して、反応性が大き
く異なる。
また、異なるサイズの環が縮環した分子においても基本的には、min BRE と TRE のπ電
子数依存性は類似しているが、biphenylene のように局所的に反応性が大きい場合は、異な
ることもある。非環状共役系を含む環状共役系では、同じサイズの環を橋渡しした分子と、
異なるサイズの環を橋渡しした分子で、多少の差異は見られたものの、min BRE と TRE の
π電子数依存性は類似していた。
4.9. 参考文献
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151
5. ポルフィリン類におけるマクロ環と
分子全体の芳香族性
5.1. 概要
ポルフィリン類の芳香族性は、マクロ環による芳香族性への寄与が大きいと考えられ、
マクロ環に(4𝑛 + 2)πのヒュッケル則を適用することで判断されている。しかし、3 章
で示した Topological Resonance Energy(TRE)をπ電子数に対してプロットした、
TRE のπ電子数依存性の解析によって、大きい環より小さな環の影響が、分子の芳香
族性には強く影響することが判明した。この解析を用いて、ポルフィリン類の芳香族性
が、マクロ環ではなく、5 員環などの小さな環に依存していることを示す。一方で、マ
クロ環にヒュッケル則を適用することが、実験的結果と一致することを、 Bond
Resonance Energy(BRE)を用いて説明する。以上の解析により、ポルフィリン類の
芳香族性は小さな環に依存するが、反応性は、マクロ環の安定性に依存し、ヒュッケル
則で概ね予測可能なことを報告する。
5.2. 理論
本章での主な議論の方法である TRE のπ電子数依存性に関しては、3 章で扱ったの
で省略する。ここでは、環状経路が磁場の変化を受けたときに生じるエネルギー的変化
をもとにした、Circuit Resonance Energy(CRE)について記述する[1,2]。2 章で扱っ
た CRE は、均一な系であったが、ポルフィリン類は、炭素-炭素結合のみならず、炭
素-窒素結合も含むため、パラメータのヒュッケルパラメータの導入が必要である。パ
ラメータは 2 章に示した Van-Catledge による値を用いる[3]。このパラメータを用いて
各環状経路の𝐶𝑅𝐸𝑖 は、
𝑟𝑖
𝑜𝑐𝑐
𝐶𝑅𝐸𝑖 = 4 ∏ 𝑘𝑝−𝑞 ∑
𝑝>𝑞
𝑗
𝑃𝐺−𝑟𝑖 (𝑋𝑗 )
𝑃𝐺′ (𝑋𝑗 )
(3)
で表される。磁化率は、ベンゼンの磁化率を𝜒0 、面積を𝑆0 とすると、
𝐺
𝑆𝑖 2
𝜒𝐺 = 4.5𝜒0 ∑ 𝐴𝑖 ( )
𝑆0
(4)
𝑖
152
と表せる。分子の磁化率は、各環状経路による磁化率の和であり、面積の二乗の項があ
る。また、磁場の変化によって有機される環状経路に関する環電流 𝐼𝑖 については、
𝐼𝑖 = 4.5𝐼0 𝐴𝑖
𝑆𝑖
𝑆0
(5)
である。ここで、𝐼0 はベンゼンの環電流を表す。CRE をすべての環状経路について和
を取った Magnetic Resonance Energy は TRE と比例関係にあり、CRE は環状経路ご
との芳香族性への寄与を表す指標である。
5.3. ポルフィリン類の芳香族性
ポルフィリン類の芳香族性は従来、Main Macrocyclic Conjugation Pathway(MMCP)
に対して、(4𝑛 + 2)πのヒュッケル則を満たすかどうかで議論されている[4-9]。この点
について、正しいかどうかを確認するために、20 種のポルフィリン類の構造と MMCP
を Figure 5.3.1 示し、TRE とπ電子数と MMCP におけるπ電子数を Table 5.3.1 に示
した[10,11]。20 種のポルフィリン類の TRE はいずれも正の値をもち、分子としては芳
香族性を有している。しかし、7、9、11、14-18、20 の分子では、MMCP におけるπ
電子数が(4𝑛 + 2)πを満たしていない。つまり、MMCP の芳香族性が分子全体の芳香
族性を反映しているわけではないということが示唆される。ではポルフィリン類の芳香
族性は、どういった構造に起因しているのだろうか。
そこで、TRE のπ電子数依存性による解析を行う[11]。この解析によって、分子全体
の芳香族性が、
どの環状経路に起因しているかを調査する。Figure 5.3.2 に 20 種の TRE
のπ電子数依存性を示した。これらの TRE のπ電子数依存性をみると、左右非対称な
極大値、極小値をそれぞれ 2 個ずつもつことが判明した。つまり、概ねどの分子も、同
じサイズの環状経路の芳香族性が、分子全体の芳香族性に対して大きく寄与しているこ
とを示している。そこで、Figure 5.3.3 に示した 3 個の TRE のπ電子数依存性と比較
する。まず cyclic 𝐶5 𝐻5 −と pyrrole の TRE のπ電子数依存性を比較すると、TRE の値
こそ違うが、極大、極小をとるπ電子数は同一である。つまり、ヘテロ環であっても、
TRE のπ電子数依存性は環のサイズに依存している。
153
Table 5.3.1
20 種のポルフィリン類のπ電子数と TRE / |𝜷|。π電子数の括弧内は、
MMCP におけるπ電子数。
ポルフィリン類
π電子数
TRE / | |
1
free-base porphine
26 (18)
0.432
2
metal(II) complex of porphyrin
26 (18)
0.474
3
porphycene
26 (18)
0.486
4
N-confused porphyrin
26 (18)
0.439
5
doubly N-confused porphyrin
26 (18)
0.381
6
carbaporphyrin
26 (18)
0.382
7
m-benziporphyrin
26 ( - )
0.387
8
oxypyriporphyrin
28 (18)
0.423
9
orangarin
30 (20)
0.566
10
sapphyrin
32 (22)
0.590
11
doubly N-confused [28]hexaphyrin
40 (28)
0.599
12
doubly N-confused [26]hexaphyrin
38 (26)
0.442
13
N-fused porphyrin
26 (18)
0.299
14
doubly N-fused pentaphyrin
34 (24)
0.487
15
[28]hexaphyrin
40 (28)
0.537
16
möbius-twisted [28]hexaphyrin
40 (28)
0.674
17
N-fused pentaphyrin
34 (24)
0.436
34 (24)
0.673
18
möbius-twisted Rh(I) complex of
N-fused pentaphyrin
19
triphyrin
20 (14)
0.353
20
subpyriporphyrin
20 ( - )
0.331
154
Figure 5.3.1
20 種のポルフィリン類。太線が MMCP であり、16 と 18 の MMCP
はメビウス系である。
155
free-base porphine (1)
metal(II) complex of porphyrin (2)
porphycene (3)
156
N-confused porphyrin (4)
doubly N-confused porphyrin (5)
carbaporphyrin (6)
157
m-benziporphyrin (7)
oxypyriporphyrin (8)
orangarin (9)
158
sapphyrin (10)
doubly N-confused [28]hexaphyrin (11)
doubly N-confused [26]hexaphyrin (12)
159
N-Fused porphyrin (13)
doubly N-fused pentaphyrin (14)
[28]hexaphyrin (15)
160
möbius-twisted [28]hexaphyrin (16)
N-fused pentaphyrin (17)
möbius-twisted Rh(I) complex of N-fused pentaphyrin (18)
161
triphyrin (19)
subpyriporphyrin (20)
Figure 5.3.2
20 種のポルフィリン類の TRE のπ電子数依存性。矢印が各分子の中
性状態を表す。
cyclic 𝐶5 𝐻5 − 
162
pyrrole
[18]annulene
Figure 5.3.3
cyclic 𝑪𝟓 𝑯𝟓 −と pyrrole と[18]annulene の TRE のπ電子数依存性。
では、ポルフィリン類と比較すると、横軸の大きさを規格化した Figure 5.3.2 と
pyrrole の TRE のπ電子数依存性を比較すると、極値を取る位置などのプロットの概
形が類似している。一方で、MMCP に見られる[18]annulene 構造の TRE のπ電子数
依存性は、17 個の極値を有するため、ポルフィリン類の TRE のπ電子数依存性とは大
きく異なる。また、MMCP が[18]annulene 構造以外の場合でも、同様の結果となる。
つまり、TRE のπ電子数依存性の観点から、ポルフィリン類の芳香族性は、従来の考
え方である MMCP に依存しているわけではなく、5 員環構造に強く依存していること
が判明した。
この点を更に確認するために、環状経路ごとの芳香族性への寄与を表す CRE を見積
る。CRE は環状経路ごとに算出されるため、free-base porphine と sapphyrin、
orangarin の環状経路をそれぞれ、Figure 5.3.4 と Figure 5.3.5 に示す。ただし、
163
sapphyrin と orangarin では多少の分子構造は異なるが、環状経路という観点では同一
であるため、sapphyrin の環状経路を orangarin についても用いる。CRE の算出には、
分子の各環状経路の面積を用いているため、分子構造を知る必要がある。今回は、
Gaussian 03 を用いて B3LYP/6-31G**の条件で構造最適化を行い、分子構造の情報を
得た。これらの環状経路ごとの CRE を Table 5.3.2 にまとめた。
中性状態では、free-base porphine の CRE はすべての環状経路で正の値をもつ。こ
の点は sapphyrin でも同様であるが、orangarin では異なる。orangarin の a、b、c と
いう 3 種の 5 員環のみが中性で正の CRE を有する。それ以外は、すべて反芳香族性に
寄与する環状経路である。また、いずれの分子でも 5 員環とマクロ環を比較すると、
CRE の絶対値の桁数が異なる。free-base porphine では、1a と 1b では10−2オーダー
であるが、それ以外では 1h を除いて10−3 オーダーである。この点が最も顕著なのが
orangarin である。この結果から、いずれの分子においても、中性で芳香族性の寄与が
大きいのは 5 員環であることが判明した。この結果は、TRE のπ電子数依存性の結果
と一致する。CRE は磁化率や環電流と深く関係するが、環状経路の面積に依存しない。
しかし、環電流や磁化率などは面積の二乗に依存するため、面積の大きい環状経路の効
果が強く表れる。
Figure 5.3.4
free-base porphine (1) の環状経路。
164
Figure 5.3.5
sapphyrin (10)の環状経路。この環状経路は orangarin (9)も共通であ
る。
165
Table 5.3.2
a. free-base porphine(𝟏)、b. orangarin(𝟗)、c. sapphyrin(𝟏𝟎)の各環
状経路における CRE。なお、+4、+2、中性、-2、-4 の電荷状態についてのみ示す。
a. free-base porphine(1)
circuit
対称な環状
CRE / | |
経路の数
tetracation
dication
neutral
dianion
tetraanion
1a
2
-0.1284
0.1462
0.0780
0.1163
0.0960
1b
2
-0.5755
0.0836
0.0571
0.2455
0.1436
1c
1
0.0230
-0.0182
0.0050
-0.0087
0.0003
1d
2
-0.0086
-0.0017
0.0022
-0.0068
0.0005
1e
2
0.0374
-0.0258
0.0082
-0.0189
0.0013
1f
1
0.0013
0.0002
0.0009
-0.0051
0.0009
1g
4
-0.0130
-0.0023
0.0035
-0.0145
0.0021
1h
1
0.0605
-0.0367
0.0131
-0.0406
0.0049
1i
2
0.0020
0.0003
0.0013
-0.0106
0.0031
1j
2
-0.0195
-0.0032
0.0053
-0.0303
0.0072
1k
1
0.0031
0.0004
0.0018
-0.0218
0.0092
166
b. orangarin(9)
circuit
対称な環状
CRE / ||
経路の数
tetracation
dication
neutral
dianion
tetraanion
a
1
-0.1475
-0.0182
0.1884
0.1451
0.1670
b
2
-0.2722
-0.0404
0.1344
0.1540
0.1948
c
2
-0.0402
0.0488
0.1516
0.0952
0.1315
d
1
-0.0285
0.0032
-0.0023
0.0003
0.0000
e
1
-0.0477
0.0045
-0.0038
0.0008
-0.0000
f
2
0.0114
0.0005
-0.0011
0.0003
-0.0000
g
2
-0.0477
0.0045
-0.0038
0.0008
-0.0000
h
2
0.0187
0.0007
-0.0017
0.0007
-0.0001
i
2
-0.0797
0.0064
-0.0063
0.0019
-0.0002
j
2
0.0187
0.0007
-0.0017
0.0007
-0.0001
k
2
0.0187
0.0007
-0.0017
0.0007
-0.0001
l
1
-0.0037
0.0000
-0.0004
0.0003
-0.0001
m
1
-0.0797
0.0064
-0.0063
0.0019
-0.0002
n
2
0.0305
0.0010
-0.0027
0.0016
-0.0005
o
2
0.0305
0.0010
-0.0027
0.0016
-0.0005
p
1
-0.0061
0.0000
-0.0007
0.0006
-0.0002
q
1
-0.1327
0.0090
-0.0102
0.0043
-0.0012
r
2
0.0305
0.0010
-0.0027
0.0016
-0.0005
s
2
-0.0061
0.0000
-0.0007
0.0006
-0.0002
t
2
0.0501
0.0014
-0.0043
0.0033
-0.0021
u
2
-0.0101
0.0000
-0.0011
0.0012
-0.0009
v
1
-0.0101
0.0000
-0.0011
0.0012
-0.0009
w
1
-0.0167
0.0000
-0.0016
0.0024
-0.0031
167
c. sapphyrin(10)
circuit
対称な環状
CRE / ||
経路の数
tetracation
dication
neutral
dianion
tetraanion
a
1
-0.0055
0.1375
0.0759
0.2551
0.0900
b
2
-0.2207
0.0903
0.0773
0.3929
0.1476
c
2
-0.0560
0.1254
0.0992
0.2779
0.1145
d
1
0.0046
-0.0044
0.0012
-0.0098
0.0000
e
1
0.0069
-0.0063
0.0022
-0.0208
0.0003
f
2
-0.0007
-0.0009
0.0006
-0.0074
0.0001
g
2
0.0069
-0.0063
0.0022
-0.0208
0.0003
h
2
-0.0008
-0.0012
0.0011
-0.0154
0.0005
i
2
0.0102
-0.0092
0.0037
-0.0440
0.0009
j
2
-0.0008
-0.0012
0.0011
-0.0154
0.0005
k
2
-0.0008
-0.0012
0.0011
-0.0154
0.0005
l
1
-0.0002
-0.0002
0.0002
-0.0055
0.0001
m
1
0.0102
-0.0092
0.0037
-0.0440
0.0009
n
2
-0.0013
-0.0018
0.0016
-0.0326
0.0013
o
2
-0.0013
-0.0018
0.0016
-0.0326
0.0013
p
1
-0.0000
-0.0000
0.0006
-0.0113
0.0006
q
1
0.0151
-0.0133
0.0061
-0.0929
0.0031
r
2
-0.0013
-0.0018
0.0016
-0.0326
0.0013
s
2
-0.0000
-0.0000
0.0006
-0.0113
0.0006
t
2
-0.0017
-0.0024
0.0028
-0.0683
0.0040
u
2
-0.0003
-0.0003
0.0006
-0.0240
0.0015
v
1
-0.0003
-0.0003
0.0006
-0.0240
0.0015
w
1
-0.0002
-0.0002
0.0012
-0.0499
0.0046
そこで磁化率の観点から、porphycene(3)について NICS を比較する。porphycene(3)
の中性状態と-2 価の状態についての NICS を Table 5.3.3 にまとめた。なお、NICS
が負の値を有するとき、芳香族性を示し、正の値をもつとき、反芳香族性を示すと言わ
れている。porphycene では、a、b、c のいずれの場所でも NICS は負の値をとる。こ
れは TRE の結果と一致している。しかし、dianion では c の場所で正の値をもち、反
芳香族性ということになってしまう。c の位置では、マクロ環の影響を強く受けている。
168
a と b の位置では負の NICS であるため、5 員環部分では芳香族性を示している。TRE
の結果では、芳香族性を示していることから、c のマクロ環が、芳香族性に対してあま
り寄与していないことを示唆している。
TRE のπ電子数依存性、CRE、NICS のいずれの方法でも、芳香族性に対しては、
MMCP などのマクロ環の影響よりも、5 員環の影響が大きいことが判明した。では、
経験的に得られている MMCP のヒュッケル則は、安定性にあまり関わらないのだろう
か。上記の結果からは、安定性には関わらないとなるだろう。しかし、経験的に得られ
ている結果には、何らかの意味があると考えられるので、このことについて理論的に解
釈する。
Table 5.3.3
porphycene(𝟑)と dianion の NICS。
species
porphycene (3)
NICS / ppm
a:
-14.31
b:
-5.85
c:
-15.24
a:
-10.28
b:
-10.32
c: +7.34
porphycene molecular dianion (32-)
5.4. MMCP の(𝟒𝒏 + 𝟐)πのヒュッケル則の理論的裏付け
実験的に合成できるかどうかは、安定性のほかに反応性による影響が考えられる。芳
香族性に関しても、反応性に対応する Bond Resonance Energy(BRE)という指標が
存在する[12,13]。環状共役系では、HOMO 付近にπ軌道が分布するため、反応性につ
いても、この環状共役系に関する考察が有用である。BRE では、各結合に対して、環
状共役による安定性への寄与を算出する。また、各結合に対する BRE の最小値である
169
minimum BRE(min BRE)が、-0.100 |𝛽|以下だと反応性が高いとされている。つ
まり、分子の中で、環状共役的に最も不安定な結合を判断することが可能である。5 個
のポルフィリン類について BRE を Figure 5.4.1 に示した。またそれぞれの MMCP の
π電子数と、
マクロ環に必ず含まれている 5 員環同士をつなぐ結合についての BRE と、
min BRE を Table 5.4.1 に示した。
free-base porphine(1)
dihydroporphyrin
170
sapphyrin(10)
m-benziporphyrin(7)
171
N-confused porphyrin(4)
Figure 5.4.1
ポルフィリン類の BRE。単位は|𝜷|で、大きいほど反応性が低い。
マクロ環に必ず含まれる結合は、5 員環を含まないため、マクロ環の影響しか受けな
い。MMCP も当然、この結合を含んでいる。また、MMCP は BRE の大きい経路をた
どることが知られている[7]。free-base porphine や sapphyrin の BRE と MMCP の関
係をみると、5 員環の部分で分岐となっているが、いずれも BRE の大きい方が MMCP
の経路となっている。しかし、MMCP の辿るすべての結合の BRE が大きいわけでは
なく、マクロ環に必ず含まれる結合の BRE は全体的に小さいことが判明した。しかし、
-0.100 |𝛽|以下の BRE を有するのは、dihydroporphyrin のみであり、この分子の
MMCP に分布するπ電子数は 20 個である。また、Cross-Conjugation しているため、
MMCP をもたない m-benziporphyrin のマクロ環に必ず含まれる結合の BRE は、他の
MMCP をもち、ヒュッケル則を満たす分子よりも一桁小さいことが分かる。
Table 5.4.1
5 個のポルフィリン類のマクロ環に必ず含まれる 5 員環をつなぐ結合
の BRE と min BRE。π電子数の括弧内は MMCP のπ電子数。
ポルフィリン類
π電子数
マクロ環に必ず
min BRE / |𝛽|
172
含まれる結合の
BRE / | |
free-base porphine(1)
26 (18)
0.0843
0.0689
dihydroporphyrin
28 (20)
-0.2496
-0.2496
sapphyrin(10)
32 (22)
0.0639
0.0639
m-benziporphyrin(7)
26 ( - )
0.0085
0.0085
N-confused porphyrin(4)
26 (18)
0.0501
0.0501
では、同様に、Cross-Conjugation している N-confused porphyrin はなぜ m-benziporphyrin
とは異なる傾向を示すのだろうか。N-confused porphyrin の MMCP は、Figure 5.4.2 に
示す共鳴構造を書くことにより定義できる。これにより、BRE が安定化していると考
えられる。これらの分子は free-base porphine 以外はいずれも、マクロ環に必ず含まれる
結合の BRE が min BRE である。つまり、反応性はこの結合によって決まるということ
である。この結合の BRE は MMCP の安定性に依存している。これは、MMCP の CRE
がほかのマクロ環よりも大きな絶対値をもつことと矛盾しない。さらに、MMCP のπ
電子数がヒュッケル則を満たすとき、BRE が安定である。以上より、従来の MMCP の
安定性を、ヒュッケル則を用いて芳香族性を予測するという方法は、反応性の予測とい
う観点で十分に成り立つ
Figure 5.4.2
N-confused porphyrin の共鳴構造。太線は MMCP を表す。
5.5. 結論
TRE のπ電子数依存性による解析と CRE による解析で、ポルフィリン類の芳香族性
は、マクロ環ではなく 5 員環構造に由来していることが判明した。よって、従来用いら
173
れてきた、MMCP に対するヒュッケル則の適用によって分子の芳香族性を判断する方
法は、芳香族性の予測という観点においては間違っていることが判明した。しかし、
BRE による解析を行うと、環状共役による安定性を稼がず、小さな BRE をもつ結合は、
マクロ環に必ず含まれる 5 員環をつなぐ結合であることが判明した。この BRE は主に
MMCP に影響され、MMCP の環状共役による安定性は、ヒュッケル則によって推測可
能であることが示唆された。この結果は、従来の方法が芳香族性の予測ではなく、ポル
フィリン類の反応性の予測に十分に役立つことを支持する。
5.6. 参考文献
1.
J. Aihara, J. Am. Chem. Soc. 2006, 128, 2873-2879.
2.
J. Aihara, J. Phys. Org. Chem. 2008, 21, 79-85.
3.
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4.
J. I. Wu, I. Fernández, P. v. R. Schleyer, J. Am. Chem. Soc. 2013, 135, 315-321.
5.
T. D. Lash, A. M. Toney, K. M. Castans, G. M. Ferrence, J. Org. Chem. 2013,
78, 9143-9152.
6.
D. I. AbuSalim, T. D. Lash, Org. Biomol. Chem. 2013, 11, 8306-8323.
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J. Aihara, E. Kimura, T. M. Krygowski, Bull. Chem. Soc. Jpn. 2008, 81(7),
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8.
M. Bro ̈ring, Angew. Chem. Int. Ed. 2011, 50, 2436-2438.
9.
M. Stҿpien ́, N. Sprutta, L. L.-Graz ̇yn ́ski, Angew. Chem. Int. Ed. 2011, 50,
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10. J. Aihara, Y. Nakagami, R. Sekine, M. Makino, J. Phys. Chem. A 2012, 116,
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174
6. 平面ホウ素クラスターにおける芳香族性の解析
6.1. 概要
平面ホウ素クラスターにおける最低π分子軌道エネルギーは、構成するホウ素原子の結合
の手の数の平均によって予測できる。そして、すべての多環式平面ホウ素クラスターには、
十分に安定なπ分子軌道が存在することが予測された。実際、本研究で対象とした平面また
は平面化した、多環式平面ホウ素クラスターには、1 つ以上のπ分子軌道が存在して、2 つ以
上のπ電子が存在した。このことは少なくとも、多くの安定なホウ素クラスターが平面構造
を取るということの、部分的な説明となる。また、これらの多環式平面ホウ素クラスターは
すべて正の Topological Resonance Energy (TRE) をもち、芳香族分子であることが分かった。
このことも、安定なホウ素クラスターが平面構造であることの説明となる。さらに、平面ホ
ウ素クラスターは 3 員環が多数縮環した構造であることに着目し、TRE のπ電子数依存性に
よる解析を行う。その結果、ホウ素原子が原子一つにつきπ電子一つより少ない数をもち、3
員環が縮環した構造であるが故に芳香族分子であることが判明した。
6.2. 導入
電子不足なホウ素原子は分子クラスターを作ったとしても、オクテット則を容易には満た
さない。20 年ほど前から、ホウ素クラスターのもつ特有の構造と性質は、理論的にも実験的
にも大きな興味を持たれている [1-5]。そして次々に分子軌道計算が行われ、可能なホウ素ク
ラスターの構造が予測された。1994 年には Boustani が、多くのホウ素クラスターは一貫し
て、3 次元構造よりも平面または準平面の構造の方が安定であることを指摘した [6-9]。そし
て Boustani は平面または準平面の構造をとるホウ素クラスターが安定であるのは、π電子の
非局在化によるものではないかと提案した [10, 11]。この提案はホウ素元素の化学において、
大きな前進となった。2000 年には Fowler と Ugalde が、 B13 + クラスターが 6 個のπ電子を
もち、芳香族性による特別な安定性を示すことを報告した [12]。他の多くの化学者も、ホウ
素クラスターの平面性または準平面性を、芳香族性で説明している [1-5]。
Wang たちは Bn − (n≤16)についての脱離エネルギーと、考えられる限りの構造の比較的
安定な異性体 Bn − について計算した脱離エネルギーとを比較して、それぞれの異性体につい
て最安定な平面または準平面の構造を決定した [1, 3, 4]。しかし、平面ホウ素クラスターは単
環式ではなく多環式のπ共役系であるため、ヒュッケルの(4n + 2)𝜋則は適用できない [2, 13,
175
14]。これらの平面ホウ素クラスターは、正の TRE をもつことで芳香族分子であることが報
告されている [2, 15-17]。
ホウ素原子は 1 つの電子しか持たない電子不足な 2p 軌道をもつため、どんな平面ホウ素ク
ラスターにおいてもπ分子軌道の存在を前提とすることはできない。もしπ分子軌道が平面
ホウ素クラスターに存在するならば、これらの軌道エネルギーは Highest Occupied Molecular
Orbital (HOMO) よりも不安定であることはない。本研究では平面または準平面のホウ素クラ
スターの最低π分子軌道エネルギーの予測を行い、π分子軌道の存在と関連した現象を議論
することを目的とした。最低π分子軌道のエネルギーが HOMO よりも十分に安定ならば、ホ
ウ素クラスターの平面性は、π分子軌道の存在によって説明されるだろう。また、TRE のπ
電子数依存性による解析によって、平面ホウ素クラスターという多環式共役系において、芳
香族性を何故もつのかを明らかにする。
6.3. 理論
ホウ素は分子クラスターを形成するとき sp2 混成状態をとるだろう。そのとき、1 つの空の
2pz 軌道が残り、ホウ素原子は電子不足となっている。しかしながら、平面ホウ素クラスター
では、この空の 2pz 軌道に、sp-promotion によって population が存在していることが、Mulliken
population analysis によって示された [10, 11]。従って、平面ホウ素クラスターが、ホウ素原
子の 2pz 軌道からなる、非局在化したπ共役系を含むと予想される。では、この非局在化し
たπ共役系について考えてみる。均一な原子からなるπ共役系 G における特性多項式 𝑃G (𝑋)
は永年行列式を展開することで得られる。その特性多項式 𝑃G (𝑋) = 0 の i 番目の根は
𝑋HMO (𝑖) で表され、隣接行列に対する i 番目に大きな固有値と同一であり、i 番目のヒュッ
ケル分子軌道 (HMO) と結び付く。なお、すべての分子軌道の番号はエネルギーが安定な順
に数える。
この平面ホウ素クラスターにおける i 番目の HMO は
𝜀HMO (𝑖) = 𝛼B + 𝑋HMO (𝑖)𝛽BB ⋯ (6. 3. 1)
で与えられる。ここで、𝛼B と𝛽BB はそれぞれ、ホウ素原子の 2pz 軌道のクーロン積分と、結
合したホウ素原子の 2pz 軌道同士の共鳴積分を表す。これら 2 つの積分は負の値なので、最
大固有値 𝑋HMO (1) が最低π分子軌道のエネルギーに対応する。従来、𝛼B と 𝛽BB は形式的に
𝛼B = 𝛼C − ℎB 𝛽CC ⋯ (6. 3. 2)
𝛽BB = 𝑘BB 𝛽CC ⋯ (6. 3. 3)
176
で表される [18]。ここで、𝛼C は炭素原子の 2pz 軌道のクーロン積分で、𝛽CC は結合した炭素
原子の 2pz 軌道同士の共鳴積分を表す。そして ℎB と 𝑘BB はそれぞれ、クーロン積分に関する
ヒュッケルパラメータと共鳴積分に関するヒュッケルパラメータである。これらのパラメー
タは唯一ではなく、いくつかの値が提唱されている。Streitwieser はℎB = −1.00を推奨してい
る [18]が、一方で Van-Catledge は後に ℎB = −0.45と 𝑘BB = 0.87 というパラメーターの組を
提案した [19]。
グラフ理論的な芳香族性理論では、均一な原子からなるπ系 G における非芳香族性の参照
ポリエンは参照多項式によって表される [15, 16]。
𝑛
[ ]
2
𝑅G (𝑋) = 𝑋 𝑛 + ∑(−1)𝑘 𝑋 𝑛−2𝑘 ⋯ (6. 4)
𝑘=1
𝑛
𝑛
ここで、𝑛は共役した原子数で、[ ] は を超えない最大の整数を表す。そしてもし、G が非
2
2
環式のπ系ならば、𝑅G (𝑋) は 𝑃G (𝑋) に等しい。参照多項式 𝑅G (𝑋) = 0 の i 番目の根は 𝑋REF (𝑖)
で表され、参照ポリエンのπ分子軌道のエネルギー 𝜀REF (𝑖) は
𝜀REF (𝑖) = 𝛼B + 𝑋REF (𝑖)𝛽BB ⋯ (6.3. 5)
で表される。言い換えると、𝑋REF (𝑖) は参照ポリエンにおける i 番目に大きな値で、分子軌道
の HMO エネルギーを 𝛼B と 𝛽BB と組み合わせることにより与える。TRE は環状π共役系と参
照ポリエンの全π電子エネルギーの差として定義される [15, 16]。
平面ホウ素クラスターにおいて、それぞれのホウ素原子は 2 つから 8 つの隣接したホウ素
原子と結合している。そこで 𝑋HMO (1) あるいは、𝛼B と 𝛽BB とを組み合わせることにより与え
られる最低 HMO エネルギーが、結合の手の数の算術平均 𝑉am を強く反映していることに気付
いた。平面ホウ素クラスターにおいて、 𝑉am の値が大きくなるにつれて、最低π分子軌道の
エネルギーが低くなるということが、ありそうに思えたのである。そののちに、結合の手の
数の根自乗平均 𝑉rms の方が 𝑉am よりも、隣接行列の最大固有値 𝑋max により近い値であるこ
とを学んだ [20]。これら二つの平均値は次のように定義される。
𝑛
𝑉am = ∑ 𝜈𝑖 ⁄𝑛 ⋯ (6. 3. 6)
𝑖=1
𝑛
𝑉rms = √∑ 𝜈𝑖2 ⁄𝑛 ⋯ (6. 3. 7)
𝑖=1
177
ここで、𝜈𝑖 は i 番目の共役した原子の価数( i 番目の共役原子から出ている結合の手の数)
で、𝑛 は共役した原子の数である。2. 8 節で示したように、𝑉am と 𝑉rms と 𝑋max の間には、数
学的に次の関係式が証明されている [20]。
𝑉am ≤ 𝑉rms ≤ 𝑋max ⋯ (6. 3. 8)
この不等式によって 𝑋max の下限値が決定される。そして、幸いなことにこの 𝑋max という
値は隣接行列の最大固有値に等しいのだ [21]。
𝑋max = 𝑋HMO (1) ⋯ (6. 3. 9)
つまり、𝑋HMO (1) は結合の手の数の根自乗平均 𝑉rms 以上でなくてはならない。これらのこと
から分かるように、𝑉am だけでなく 𝑉rms も 𝑋HMO (1) と相関がありそうだ。本研究で用いた
HMO モデルでは、隣接するホウ素原子の 2pz 軌道間の共鳴積分は、すべて同じ定数であると
仮定されている。そこで、より現実のホウ素クラスターに近い分子軌道エネルギーを求める
ために、高精度な量子化学計算を行った。量子化学計算は Gaussian 03 を用いて
B3LYP/6-311+G(2d)で構造最適化し、HF/6-311+G(2d)で軌道エネルギーを評価した[22]。
今回用いたホウ素クラスターはすべて平面構造だと仮定して構造最適化したが、その構造
に大きな違いはない。これは、これらホウ素クラスターは平面構造だと仮定しなくても準平
面構造であったことから分かる。また、分子軌道エネルギーの値は Koopmans の定理に基づ
いて、Hartree-Fock ( HF ) エネルギーとして計算した [23]。また、今回は電荷をもったクラ
スターの分子軌道エネルギーを、中性のクラスターの分子軌道エネルギーとは単純に比較す
ることはできないので扱わなかった。ここに、同様の方法で計算した Polycyclic Aromatic
Hydrocarbons ( PAHs ) について HOMO の HF エネルギーと実験的なイオン化ポテンシャル 24
について示す。
178
Figure 6.3.1
10 個の Polycyclic Aromatic Hydrocarbons (PAHs)。
Table 6.3.1
10 個の PAHs について HOMO のエネルギーと第 1 イオン化ポテンシャル。
a
Koopmans の定理に基づいて HF/6-311+G(2d)//B3LYP/6311+G(2d)で計算。
b
(24)の論文から引用。
species
HOMO energya / eV
ionization potentialb / eV
benzene (s1)
-9.170
9.24
naphthalene (s2)
-7.973
8.15
anthracene (s3)
-7.184
7.47
phenanthrene (s4)
-7.837
7.86
naphthacene (s5)
-6.640
7.04
chrysene (s6)
-7.538
7.60
triphenylene (s7)
-7.864
7.89
pyrene (s8)
-7.211
7.41
perylene (s9)
-6.748
7.00
coronene (s10)
-7.157
7.36
179
Figure 6.3.2
10 個の PAHs についての第1イオン化ポテンシャルと HOMO の HF エネルギ
ー相関。第 1 イオン化ポテンシャルと HOMO の HF エネルギーは Table 6.3.1 にまとめてある。
このように、今回の方法では量子化学計算による HOMO と実験値との差は ±0.4 eV である。
6.4. 平面ホウ素クラスターにおけるπ軌道の存在
本研究では、平面または準平面の多環式構造を取り、電子状態が一重項で、中性のホウ素
クラスターを 10 個選び、調べた。なお、これら 10 個のホウ素クラスターは必然的に偶数の
ホウ素原子で構成される。これら 10 個のホウ素クラスター(1-10)をここに示す [1-5]。
Figure 6.4.1
本研究で用いた 10 個の平面または平面化したホウ素クラスター。これらの
いくつかは最安定構造ではない。
180
B4 (1) [25, 26]、B10 (5) [1, 5]、B12 (6) [1, 5]、B14 (7) [1]、B16 (9) [4]は最安定構造で、B6 (2) [27,
28]、B6 (3) [27, 28]、B14 (8) [1]、B16 (10) [1]はそれぞれ、最安定構造異性体よりも 15 kcal/mol
以内の不安定さをもつ構造である。なお、B6 の最安定構造 [27, 28]は三重項なので除外した。
また D7h の対称性をもつ最安定構造が三重項なため除外し、それよりも 30 kcal/mol 以上不
安定な異性体 B8 (4) [29]を用いた。これら一重項平面ホウ素クラスターで、各異性体間、2
と 3、7 と 8、9 と 10 で安定性を比較すると、B-B 結合の数が多い異性体ほど熱力学的により
安定な傾向にあった。
Boustani の提案によると、π共役は平面分子構造に関与する [10, 11]。もしこの提案が本
当ならば、π電子は可能な限り安定であることが望ましい。Table 6.4.1 に、平面または平面
化したホウ素クラスター1-10 について、HF/6-311+G(2d)//B3LYP/6-311+G(2d)で計算して
求めたπ電子数と、この計算方法とは関係のない TRE を示す。
Table 6.4.1
10 個の平面または平面化した一重項ホウ素クラスターのπ電子数と TRE。
構造は Figure 6.4.1 に記載。
speciesa
number of π electrons
TRE / |𝛽BB |
B4 (D2h) (1)
2
0.852
B6 (C2h) (2)
4
0.781
B6 (D2h) (3)
4
0.549
B8 (C2h) (4)
4
1.687
B10 (D2h) (5)
6
1.568
B12 (D3h) (6)
6
2.605
B14 (D2h) (7)
8
2.250
B14 (C2v) (8)
8
2.055
B16 (D2h) (9)
8
2.814
B16 (Cs) (10)
8
2.631
なお、それぞれのホウ素クラスターに割り当てた対称性は、平面または平面化した構造の対
称性なので、最適化した構造とは異なるかもしれない。Table 6.4.1 から、これらのホウ素ク
ラスターがすべて一つ以上の被占π分子軌道をもち、大きな正の TRE をもつことから、十分
に大きな芳香族性をもつことが分かった。なお芳香族化合物として有名な benzene の TRE は
0.2726 |βCC | である[15]。かつて基底状態として提案されたホウ素クラスターには、負の TRE
をもって反芳香族的なものはない [2]。
181
このことから全体のπ共役系を十分芳香族性に保つように、π電子数が決定されるかもし
れない。つまり、多環式ホウ素クラスターの平面性は、π共役だけでなく、芳香族性にも原
因があると考えなくてはならないだろう。ここで注意すべき点は、1、5、6 は 4n 個のπ電子
を有していたが、今回調べた 10 個のホウ素クラスターはすべて十分に芳香族性をもつという
ことだ。このことが、ヒュッケルの(4n + 2)𝜋則による芳香族性の判断を、多環式共役系に適
用できないことを明らかに示す [14]。Minkin たちは多環式π共役系にはヒュッケル則を適用
すべきでないことを、はっきり指摘した。ヒュッケル則は単環式π共役系においてのみで、
しっかりと証明されているのだ。
ヒュッケル則が適用できない多環式π共役系である平面ホウ素クラスターの芳香族性は、
以下に示す方法で定性的に説明できる。多環式π共役系においては、より小さい環の方が芳
香族性に強く寄与する傾向がある [32-35]。例えば pyrene と coronene は 4n 個のπ電子をも
つが、大きな正の TRE をもち芳香族性である。これらの PAH の高い芳香族性は、局所構造が
ベンゼン環で、その 6 員環を形成する 6 個の炭素原子上のπ電子数が、すべて 6 個であるこ
とと強く関連している [33]。つまり、PAH において、6 員環にπ電子が 6 個あることが芳香
族性の主な原因となっている [32, 33]。多環式平面ホウ素クラスターには多くの 3 員環が存
在する。これらのクラスターにおいて、π電子数は不足しているので、3 員環を形成してい
る 3 個のホウ素原子上のπ電子数の合計は 2 個以下である。そしてこのようなπ電子の分布
が、3 員環を芳香族にするのだろう。このπ電子の分布による解釈は 1-10 の平面ホウ素クラ
スターが正の TRE をもつことと完全に一致する。
次に平面または平面化したホウ素クラスター1-10 の被占分子軌道の HF エネルギーを示す。
182
Table 6.4.2
10 個の平面または平面化した一重項ホウ素クラスターの被占分子軌道の
HF エネルギー。
a
Gaussian 03 により得られた。
b
HF/6-311+G(2d)//B3LYP/6-311+G(2d)で計算した。.
c
カッコ内の値は隣接行列の固有値である。この固有値は、𝜶𝐁 と𝜷𝐁𝐁 と組み合わせることで
π分子軌道の HMO エネルギー与える。また、最低π分子軌道を * で示した。
d
最低σ分子軌道を**で示した。
a. B4 (D2h) (1)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
σ-MOb,d
10
9
-8.925
-10.068 (2.562)*
8
-11.211
7
-14.068
6
-16.381
5
-24.654**
b. B6 (C2h) (2)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
15
-7.755 (1.247)
14
13
σ-MOb,d
-9.334
-10.885 (3.182)*
12
-11.347
11
-12.164
10
-15.511
9
-15.674
8
-21.552
7
-24.953**
183
c. B6 (D2h) (3)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
15
σ-MOb,d
-7.456 (1.414)
14
13
-9.089
-10.395 (2.732)*
12
-10.857
11
-12.055
10
-15.919
9
-16.191
8
-20.735
7
-24.164**
d. B8 (C2h) (4)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
20
19
-8.163
-8.925 (2.115)
18
17
σ-MOb,d
-10.694
-11.374 (3.477)*
16
-11.565
15
-11.810
14
-14.830
13
-15.619
12
-16.817
11
-20.191
10
-24.055
9
-26.014**
184
e. B10 (D2h) (5)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
25
-7.674 (1.414)
24
-9.551 (2.303)
σ-MOb,d
23
-10.476
22
-10.613
21
-10.667
20
-12.653
19
-13.361 (4.116)*
18
-14.150
17
-14.477
16
-14.694
15
-19.592
14
-21.035
13
-23.293
12
-25.388
11
-27.946**
185
f. B12 (D3h) (6)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
σ-MOb,d
30
-9.225
29
-9.225
28
-9.578 (2.372)
27
-9.578 (2.372)
26
-11.238
25
-12.545
24
-12.545
23
-13.388
22
-13.388
21
-13.687 (4.372)*
20
-14.966
19
-16.762
18
-20.980
17
-21.252
16
-21.252
15
-25.470
14
-25.470
13
-28.382**
186
h. B14 (D2h) (7)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
35
σ-MOb,d
-7.783 (1.254)
34
-8.953
33
-9.823
32
-10.041 (2.432)
31
-11.130 (2.935)
30
-11.266
29
-11.810
28
-12.762
27
-13.143
26
-13.823
25
-14.177 (4.545)*
24
-14.531
23
-14.803
22
-18.313
21
-19.946
20
-21.307
19
-21.878
18
-23.701
17
-25.688
16
-26.422
15
-28.763**
187
g. B14 (C2v) (8)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
35
-7.864 (1.529)
34
-8.136 (1.683)
σ-MOb,d
33
-9.225
32
-10.449
31
-10.966 (3.215)
30
-11.238
29
-11.755
28
-13.143
27
-13.306
26
-13.334 (4.415)*
25
-14.232
24
-14.994
23
-15.157
22
-16.136
21
-18.776
20
-20.245
19
-21.851
18
-23.592
17
-23.701
16
-26.150
15
-27.810**
188
i. B16 (D2h) (9)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
40
σ-MOb,d
-7.783
39
-7.810 (1.732)
38
-9.089 (2.208)
37
-10.259
36
-10.504
35
-10.939
34
-11.538 (3.553)
33
-12.300
32
-13.170
31
-13.497 (4.492)*
30
-13.660
29
-13.769
28
-13.905
27
-15.130
26
-15.619
25
-16.926
24
-19.266
23
-20.137
22
-22.096
21
-22.450
20
-23.783
19
-25.198
18
-26.939
17
-28.001**
189
j. B16 (Cs) (10)
orbital numbera
orbital energy / eV
π-MOb,c
40
-7.919 (1.613)
39
38
σ-MOb,d
-8.354
-9.470 (2.484)
37
-9.959
36
-10.286
35
-10.830 (3.166)
34
-11.075
33
-12.109
32
-12.817 (4.118)*
31
-12.926
30
-13.143
29
-13.660
28
-14.204
27
-14.912
26
-16.082
25
-16.572
24
-19.103
23
-19.837
22
-20.518
21
-21.933
20
-23.538
19
-24.763
18
-25.960
17
-27.239**
これらの分子軌道はすべてホウ素原子の 2s 原子軌道と 2p 原子軌道から構成されている。
平面クラスターにπ電子が存在するかどうかは、HOMO がπ分子軌道かどうかは問題ではな
く、最低被占π分子軌道と HOMO のエネルギーの大小関係によって決まる。実際、2、3、5、
7、8、10 の HOMO はπ分子軌道だが、1、4、6、9 の HOMO はσ分子軌道である。HOMO が
π分子軌道であったり、σ分子軌道であったりすることは、これら平面または平面化したホ
ウ素クラスターが HOMO 付近において、π分子軌道とσ分子軌道のエネルギーが匹敵するこ
とを示す。これら 1-10 のホウ素クラスターの HOMO の HF エネルギーは-9.225 eV (6)から
190
-7.456 eV (3)の範囲内にある一方で、最低被占π分子軌道の HF エネルギーは-14.177 eV (7)
から-10.068 eV (1)の範囲内にあり、最低被占π分子軌道はすべて HOMO 以下に位置している。
これらのことが、今回調べた 1-10 のホウ素クラスターだけでなく一般的に成り立つのかどう
か示すために、任意の平面ホウ素クラスターにおける最低被占π分子軌道のエネルギーを予
測する。
最低被占π分子軌道のエネルギーに対応する 𝑋HMO (1) について考えると、(6. 8) 式より各
原子の結合の手の数の平均 𝑉am だけでなく各原子の結合の手の数の根自乗平均 𝑉rms も
𝑋HMO (1) の下限を決定していることが分かる。1-10 のホウ素クラスターについて 𝑉am と 𝑉rms
の値は以下の Table 6.4.3 に示した。
Table 6.4.3
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターにおける、クラスターを構
成する各原子の価数の算術平均 𝑽𝐚𝐦 と価数の根自乗平均 𝑽𝐫𝐦𝐬 の値。
Species
𝑉am
𝑉rms
1
2.500
2.550
2
3.000
3.109
3
2.667
2.708
4
3.250
3.354
5
3.800
3.975
6
4.000
4.183
7
4.143
4.326
8
4.000
4.209
9
4.125
4.287
10
3.750
3.905
(6. 8) 式からも分かるように、𝑉rms の方が 𝑉am よりもわずかに 𝑋HMO (1) に近い値をとる。
1-10 のホウ素クラスターについて 𝑉am と 𝑉rms の相関グラフを Figure 6.4.2 に示す。
191
Figure 6.4.2
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、結合の手の数の
算術平均 𝑽𝐚𝐦と結合の手の数の根自乗平均 𝑽𝐫𝐦𝐬の相関。
10 個の点は正確に一つの直線に乗っている。
𝑉rms = 1.0895 𝑉am − 0.1781
(cc = 1.000) ⋯ (6. 4. 1)
つまり、𝑉am と𝑉rmsは相関係数 (cc) が 1 に非常に近い値と、互いに大変よい相関を示した。
この二つの値が互いに大変よい相関を示したので、今後は𝑋HMO (1)により近い𝑉rmsを用いて議
論する。なお、𝑉am についての結果は、付録に示す。
𝑉rms はトポロジー的な量なので、まず他のトポロジー的な量である隣接行列の最大固有値
𝑋HMO (1)と比べる。上で述べたようにこの固有値は𝛼B と𝛽BBと組み合わせることで、最低π分
子軌道の HMO エネルギーを与える。1-10 のホウ素クラスターについて 𝑋HMO (1)を𝑉rmsに対し
てプロットしたグラフを Figure 6.4.3 に示す。
192
Figure 6.4.3
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、最大固有値
𝑿𝐇𝐌𝐎 (𝟏) と結合の手の数の根自乗平均 𝑽𝐫𝐦𝐬 の相関。なお、𝑿𝐇𝐌𝐎 (𝟏) は 𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合
わせることで最低π分子軌道の HMO エネルギーを与える。
Figure 6.4.3 から 𝑋HMO (1)が𝑉rmsに対して直線関係にあることが分かる。
𝑋HMO (1) = 1.1140 𝑉rms − 0.2767
(cc = 1.000) ⋯ (6. 4. 2)
相関係数が 1 に非常に近いことから、𝑋HMO (1) の下限を抑える 𝑉rms は 𝑋HMO (1) と大変よい相
関を示すことが分かった。この式から平面または平面化したホウ素クラスターの最低π分子
軌道の HMO エネルギーを、 𝑉rms によって予測できることを確信した。
次に 1-10 のホウ素クラスターのすべての被占π分子軌道について、より現実のホウ素クラ
スターに近い分子軌道エネルギーである HF エネルギー 𝜀π を、隣接行列の対応する固有値
𝑋HMO に対してプロットしたグラフを Figure 6.4.4 に示す。
193
Figure 6.4.4
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターのすべての被占π分子軌道
について、HF エネルギー 𝜺𝛑 と対応する固有値 𝑿𝐇𝐌𝐎 の相関。なお、HF エネルギーは
HF/6-311+G(2d) // B3LYP/6-311+G(2d) で計算した。また、 𝑿𝐇𝐌𝐎 は 𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合わ
せることでπ分子軌道の HMO エネルギーを与える。
今回調べたすべての平面または平面化したホウ素クラスターにおける 𝜀π と、対応する
𝑋HMO は互いに直線関係にあった。
𝜀π (𝑖) = −1.9488 𝑋HMO (𝑖) − 4.94184
(cc = 0.991) ⋯ (6. 4. 3 )
ここで、𝜀π (𝑖) は 𝑖 番目の被占π分子軌道の HF エネルギーで、𝑋HMO (𝑖) は隣接行列の固有値の
𝑖 番目に大きいものである。そして、𝑋HMO (𝑖) は 𝛼B と 𝛽BB と組み合わせることでπ分子軌道
の HMO エネルギーを与える。Figure 6.4.4 では HF による分子軌道エネルギーと HMO によ
る分子軌道エネルギーをそれぞれ 𝜀π と 𝑋HMO で表している。つまり 1-10 のホウ素クラスター
について、現実のホウ素クラスターに近い分子軌道エネルギーである HF エネルギー 𝜀π とヒ
ュッケル近似に基づく HMO エネルギー 𝜀HMO は直線関係にあるということだ。この結果は、
HF 分子軌道エネルギーと HMO エネルギーのよい相関は、
1-10 のホウ素クラスターについて、
ヒュッケルモデルと、その応用である TRE の値が物理的に有意義であることを示している。
なお、Figure 6.4.4 の各点のばらつきはホウ素クラスターにおけるホウ素-ホウ素間の結合
長のばらつきが原因だと考えられる。例えば 9 のホウ素クラスターでは、ホウ素-ホウ素間
の結合長は1.496 Åから 1.885 Åの範囲でばらついている。
また上記の式により二つの HMO のパラメーター、クーロン積分 𝛼B と共鳴積分 𝛽BB の値が
194
推定される。
𝛼B = −4.9184 eV ⋯ (6. 4. 4)
𝛽BB = −1.9488 eV ⋯ (6. 4. 5)
これらの HMO のパラメーターを用いて式と組み合わせることにより、平面ホウ素クラスター
におけるすべての被占π分子軌道の HF エネルギーを見積ることが可能だ。しかしこれらの値
は、用いた分子軌道法や基底によって変化する。なお、Koopmans の理論は HF 法以外には適
用できない [23]。
次に、平面ホウ素クラスターの最低π分子軌道の HF エネルギーを 𝑉rms によって予測でき
るのか確かめる。なお、最低π分子軌道の HF エネルギーは 𝜀π (1) で表す。Figure 6.4.5 に 1-10
のホウ素クラスターについて 𝜀π (1) を 𝑉rms に対してプロットしたグラフを示す。
Figure 6.4.5
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、最低被占π分子
軌道の HF エネルギー 𝜺𝛑 (𝟏) と結合の手の数の根自乗平均 𝑽𝐫𝐦𝐬 の相関。なお、HF エネルギー
は HF/6-311+G(2d) // B3LYP/6-311+G(2d) で計算した。
このグラフから 𝜀π (1) が 𝑉rms に対して直線関係にあることが分かる。
𝜀π (1) = −2.2180 𝑉rms − 4.2402
(cc = 0.986) ⋯ (6. 4. 6)
この相関は、(6. 4. 2) 式と (6. 4. 3) 式を同時に満たすことから、実に理にかなっている。そし
て 𝜀π (1) が 𝑉rms に対して大変よい相関をもつのは明らかであり、結合の手の数の根自乗平均
が大きくなるほど最低π分子軌道のエネルギーは低くなる傾向がある。また、この (6. 4. 6) 式
195
の相関係数が (6. 4. 2) 式の相関係数よりもわずかに小さいのは、ホウ素クラスターにおけるホ
ウ素-ホウ素間の結合長のばらつきが原因だと考えられる。しかし三重項と二重項の分子に
おけるπ分子軌道は (6. 4. 6) 式から外れる。
こうして平面ホウ素クラスターの最低π分子軌道の HF エネルギーは (6. 4. 6) 式によって予
測できるようになった。なお、誤差は B10 (5)が最大となり、±0.4 eV の精度である。この精
度の度合いは、本研究における目的には十分である。もし (6. 4. 6) 式から見積もった最低π分
子軌道エネルギーが、1-10 のホウ素クラスターの HOMO の中で最も安定な HF エネルギー、
つまり 6 の-9.225 eV より低ければ、おそらくそのホウ素クラスターは 1 つ以上の被占π分子
軌道をもつだろう。6 の HOMO は二重縮重した軌道で電子が完全に詰まっているので、HOMO
としては相対的に低いエネルギーをもつ。
一般に二重縮重で電子が完全に詰まった HOMO は、
benzene のように、相対的に低いエネルギーをとる。そして 6 の HOMO の-9.225 eV という軌
道エネルギーは、実際にはσ分子軌道なのだが、π分子軌道のエネルギーだとしたら 𝑉rms は
2.247 に相当する。
上記の意味で、注目すべきは、1-10 のホウ素クラスターにおける 𝑉rms の値はいずれも 2.247
よりも大きいということだ。こうして 1-10 のホウ素クラスターを含むほとんどの多環式平面
ホウ素クラスターは 1 つ以上の被占π分子軌道をもつことは確実だと思う。たとえ B8 (4)の
ようにとても不安定な異性体でも平面構造を取る限り例外はない。そしてπ共役と芳香族性
の両方が、平面または準平面の多環式ホウ素クラスターの構造に関与する可能性は極めて高
い。
このように有用な結合の手の数の根自乗平均 𝑉rms といった、グラフ構造に基づく構造によ
る指標は、最低π分子軌道のエネルギーの予測だけでなく、そのほかの関連する量にも予測
できるものがある。そのいくつかについて説明しよう。まず、グラフ理論的に定義した参照
ポリエン構造の最低π分子軌道の HMO エネルギーを、𝛼B と 𝛽BB と組み合わせることで表す
𝑋REF (1) について示す。この 𝑋REF (1) は 𝑅G (𝑋) = 0 の根の中の最大値である [14, 15]。以下の
Table 6.4.4 に 1-10 のホウ素クラスターについて 𝑋HMO (1) と 𝑋REF (1) を示す。
196
Table 6.4.4
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み
合わせることで最低π分子軌道の HMO エネルギーを与える 𝑿𝐇𝐌𝐎 (𝟏) の値と、それらの参照
ポリエン構造について、𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合わせることで最低π分子軌道の HMO エネルギー
を与える 𝑿𝐑𝐄𝐅 (𝟏) の値。
species
XHMO(1)
XREF(1)
1
2.562
2.136
2
3.182
2.582
3
2.732
2.353
4
3.477
2.792
5
4.116
3.196
6
4.372
3.359
7
4.545
3.466
8
4.415
3.409
9
4.492
3.437
10
4.118
3.284
そして、Figure 6.4.6 に 𝑋REF (1) を 𝑋HMO (1) に対するプロットを示す。
Figure 6.4.6
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについての隣接行列の最大
固有値𝑿𝐇𝐌𝐎 (𝟏) と、それらの参照ポリエン構造について 𝑹𝐆 (𝑿) = 𝟎 の根の中の最大値
𝑿𝐑𝐄𝐅 (𝟏) の相関。なお、 𝑿𝐇𝐌𝐎 (𝟏) は 𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合わせることで最低π分子軌道の HMO
エネルギーを与え、 𝑿𝐑𝐄𝐅 (𝟏) は 𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合わせることで参照ポリエン構造について
最低π分子軌道の HMO エネルギーを与える。
197
Figure 6.4.6 から 𝑋REF (1) が 𝑋HMO (1) に対して直線関係にあることが分かる。
𝑋REF (1) = 0.6559 𝑋HMO (1) + 0.5084
(cc = 0.997) ⋯ (6. 4. 7)
(6. 4. 7) 式から、隣接行列の最大固有値 𝑋HMO (1) と、参照ポリエン構造について 𝑅G (𝑋) = 0 の
根の中の最大値 𝑋REF (1) は、非常によい相関を示すので、𝑋REF (1) が結合の手の数の根自乗平
均 𝑉rms と同様によい相関を示すだろう。Figure 6.4.7 に 𝑋REF (1) を 𝑉rms に対してプロットし
たグラフを示す。
Figure 6.4.7
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、それらの参照ポ
リエン構造について 𝑹𝐆 (𝑿) = 𝟎 の根の中の最大値 𝑿𝐑𝐄𝐅 (𝟏) と価数の根自乗平均 𝑽𝐫𝐦𝐬 の相関。
なお、𝑿𝐑𝐄𝐅 (𝟏) は 𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合わせることで参照ポリエン構造について最低π分子軌道
の HMO エネルギーを与える。
Figure 6.4.7 より、𝑋REF (1) と 𝑉rms は直線関係にあることが分かる。
𝑋REF (1) = 0.7298 𝑉rms + 0.3299
(cc = 0.996) ⋯ (6. 4. 8)
(6. 4. 8) 式から、𝑋REF (1) と 𝑉rms は非常によい相関関係にあることが分かり、予想通りであっ
た。ここで興味深いことに、𝑋HMO (1) は (6. 3. 8) 式の大小関係により下限を 𝑉rms により抑え
られているが、𝑋REF (1) は (6. 3. 8) 式のような大小関係は証明されていないのだ。また、今回
調べたすべてのホウ素クラスターの 𝑋REF (1) は 𝑉rms より小さい値をとる。次に最低σ分子軌
道の HF エネルギー 𝜀σ (1) について示す。Figure 6.4.8 に 1-10 のホウ素クラスターについて、
𝜀σ (1) を 𝑉rms に対してプロットしたグラフを示す。
198
Figure 6.4.8
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、最低σ分子軌道
の HF エネルギー 𝜺𝛔 (𝟏) と結合の手の数の根自乗平均 𝑽𝐫𝐦𝐬 の相関。なお、HF エネルギーは
HF/6-311+G(2d)//B3LYP/6-311+G(2d)で計算した。
Figure 6.4.8 より、𝜀σ (1) と 𝑉rms は直線関係にあることが分かる。
𝜀σ (1) = −2.4499 𝑉rms − 17.8240
(cc = 0.975) ⋯ (6. 4. 9)
この 𝜀σ (1) と 𝑉rms のよい相関から、最低σ分子軌道のエネルギー 𝜀σ (1) は最低π分子軌道同
様に、構成する原子のつながり方を反映していることが分かる。1-10 のホウ素クラスターの
最低σ分子軌道がどのような原子軌道によって構成されているかを調べると、これらのσ分
子軌道は分子面内に節のない s タイプの原子軌道で主に構成されている。なお、今回用いた
プログラムの Gaussian 03 では s タイプは 1S-5S の原子軌道として表される。この結果として、
最低σ分子軌道は分子面内に節のない対称性を全体にもつ。それゆえ、面内に関して同様の
対称性をもつ最低π分子軌道の場合のように、最低σ分子軌道のエネルギー 𝜀σ (1) は平均原
子価が大きくなるほど低くなる。Figure 6.4.9 に 1-10 のホウ素クラスターについて、最低σ
分子軌道の HF エネルギー 𝜀σ (1) を最低π分子軌道の HF エネルギー 𝜀π (1) に対してプロット
したグラフを示す。
199
Figure 6.4.9
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、最低σ分子軌道
の HF エネルギー 𝜺𝛔 (𝟏) と最低π分子軌道の HF エネルギー 𝜺𝛑 (𝟏) の相関。なお、HF エネル
ギーは HF/6-311+G(2d) // B3LYP/6-311+G(2d) で計算した。
(6. 4. 6) 式と (6. 4. 9) 式を同時に満たすことから必然的に、Figure 3. 11 に示される最低σ分
子軌道の HF エネルギー 𝜀σ (1) と最低π分子軌道の HF エネルギー 𝜀π (1) はよい相関をもつ。
𝜀σ (1) = 1.1051 𝜀π (1) − 13.1340
(cc = 0.990) ⋯ (6. 4. 10)
(6. 4. 10) 式からも分かるように、もし最低π分子軌道のエネルギーが低くなるならば、最低
σ分子軌道のエネルギーもほほ同程度低くなるだろう。これら二つの分子面内に節を持たな
く、主に一つの原子軌道のタイプ、即ち最低π分子軌道なら 2pz、最低σ分子軌道なら 2s、
から構成される分子軌道は、結合の手の数の平均が大きくなるに従って、安定化する傾向が
あるのだ。これまで見られたように、平面ホウ素クラスターの電子構造と幾何学的構造から
いくつかの素晴らしい相関を導ける。しかし、同様に電子構造と幾何学的構造の二つからな
る量でも低い相関を示すものもある。Figure 6.4.10 に TRE を結合の手の数の根自乗平均 𝑉rms
に対するプロットを示す。
200
Figure 6.4.10
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、TRE と結合の手
の数の根自乗平均 𝑽𝐫𝐦𝐬 の相関。
Figure 6.4.10 より TRE と 𝑉rms はこれまでほどの相関関係ではないことが分かる。
TRE = 1.0876 𝑉rms − 2.2022
(cc = 0.885) ⋯ (6. 4. 11)
(6. 4. 11) 式の相関係数 cc が 0.885 という値である。また、TRE に対する最低π分子軌道の寄
与は、結合の手の数の平均と実によい相関をもつ。これは(6. 4. 2) 式と (6. 4. 8) 式からも分か
るように、最低π分子軌道のエネルギーだけでなく、参照ポリエンについても結合の手の数
の平均がよい相関を示す為である。
しかしながら、
最低π分子軌道の TRE への寄与が常に TRE
を左右するわけではなく、すべての被占π分子軌道が TRE に寄与するので、(6. 20) 式の相関
係数 cc が 0.885 という、やや小さな値をとるのだろう。以上の手法では、π電子数が何個で
あるかも、最低π分子軌道より高い位置にあるπ分子軌道の TRE への寄与も予測できない。
つまり、芳香族性をもつことの説明としてはまだ不十分である。
6.5. 平面ホウ素クラスターに対する TRE のπ電子数依存性の解析
3 章で示した TRE のπ電子数依存性による解析を行うことで、平面ホウ素クラスターがな
ぜ芳香族性を有するのかを解析する。平面ホウ素クラスターは、3 員環が多数縮環した構造
であるため、3.4 節の同一のサイズの環が縮環した多環式共役系に該当する。Figure 6.4.1 で
示した、10 種の平面ホウ素クラスターについての TRE のπ電子数依存性を、Figure 6.5.1 に
示す。
201
Figure 6.5.1 10 種の平面ホウ素クラスターにおける TRE のπ電子数依存性。縦軸が TRE、
横軸がπ電子数を示す。
いずれの TRE のπ電子数依存性も横軸の 25 %程度で極大値をもち、75 %程で極小値をもつ
概形をしている。同じような特徴をもつ TRE のπ電子数依存性であることから、同じ構造に
環状共役系が起因していることが分かる。そこで平面ホウ素クラスターが、3 員環が縮環し
202
た多環式共役系であることから、対応する[3]annulene の TRE のπ電子数依存性と、3 員環
が多数縮環することで生じる[4]サーキットの TRE のπ電子数依存性を、Figure 6.5.2 に示す。
Figure 6.5.2 [3]annulene と[4]annulene の TRE のπ電子数依存性。縦軸が TRE、横軸が
π電子数を表す。
平面ホウ素クラスターの TRE のπ電子数依存性は、[3]annulene の TRE のπ電子数依存
性に類似していることが分かる。よって、平面ホウ素クラスターの環状共役による寄与が、
多環式共役系を構成する 3 員環に由来する。ここで注目すべきは、これらの TRE のπ電子数
依存性が、π電子数が 40 %程度まで正の TRE をもち、芳香族性をもつことである。6.4 節で
示したように、平面ホウ素クラスターは少なくとも 2 つ以上のπ電子をもつが、炭素の場合
とは異なり電子不足なため、原子数と同じ数のπ電子はもたない。つまり、TRE のπ電子数
依存性のπ電子数が 50 %には達しない。以上のことから、平面ホウ素クラスターは、ホウ素
原子が電子不足であることと、3 員環が多数縮環した構造であることによって、芳香族性を
もち、平面構造で安定であることが判明した。
6.6. 結論
ほぼすべての平面ホウ素クラスターに安定なπ分子軌道が存在することが本研究でかなり
証明された。まず平面ホウ素クラスターにおける最低π分子軌道のエネルギーをホウ素原子
のつながり、つまりクラスターを構成するホウ素原子の平均原子価で正確に予測可能なこと
を示した。そして、本研究で調査した平面または平面化したホウ素クラスターのすべてにお
203
いて最低π分子軌道が HOMO 以下に位置する。このことは少なくとも、本研究で調査した平
面または平面化したホウ素クラスターのすべてがなぜ 1 つ以上のπ分子軌道をもち、2 個以
上のπ電子をもつのかという理由の一つとなる。さらにこれらの平面ホウ素クラスターは正
の TRE をもち芳香族性である。このことはクラスターの平面性と一致する。なお、これらの
クラスターは新規の芳香族分子である。また、最低σ分子軌道のエネルギーも同様に、クラ
スターを構成するホウ素原子の平均原子価によって予測可能なことは興味深い。また TRE の
π電子数依存性の解析によって、平面ホウ素クラスターの芳香族性は、3 員環構造に由来す
ることが判明した。

結合の手の数の平均の解析によって明らかになった、最低π分子軌道の性質により、
平面構造では少なくとも二つ以上のπ電子をもつこと。

ホウ素原子が電子不足であるために、原子一つに対して一つのπ電子をもたないこと
から、中性では多くとも 40 %程度のπ軌道充填度しかもたないこと。

TRE のπ電子数依存性により明らかになった、平面ホウ素クラスターが 3 員環が多数
縮環した構造をもつことに由来する 40 %程度のπ軌道充填度までは TRE が正である
という性質。
以上の 3 点の性質によって、平面ホウ素クラスターは芳香族性をもち、立体構造でなく、
平面構造で安定であることが明らかになった。
中性と荷電した金クラスターも同様に平面構造を好む [36, 37]。少なくとも 13 原子数以下
の中性の金クラスターの最安定構造は、常に平面構造をもつ。しかしながら、そのような平
面金クラスターの安定性はπ共役にではなく、金原子において s-d エネルギーギャップを減
少し 5d-6s 原子軌道の混成を増加するという、強い相対論的な結合効果に起因する [36]。そ
れゆえ、本研究における理論的な方法は、そのような金クラスターには適用できない。
6.7. 付録
本研究では (6. 3. 8) 式や (6. 4. 1) 式から、結合の手の数の根自乗平均 𝑉rms で議論してきたが、
結合の手の数の算術平均 𝑉am についても同様の議論が可能だ。ここでは、上記の 𝑉rms で議論
してきた相関を 𝑉am に置き換えて相関を取った結果について示す。
まず、10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、𝑉rms 同様の相関を取った
式を示す。順に、(6. 11) 式、(6. 15) 式、(6. 17) 式、(6. 18) 式、(6. 20) 式に対応している。
𝑋HMO (1) = 1.2138 𝑉am − 0.4756
(cc = 1.000) ⋯ (6. 7. 1)
204
𝜀π (1) = −2.4171 𝑉am − 3.8429
(cc = 0.986) ⋯ (6. 7. 2)
𝑋REF (1) = 0.7954 𝑉am + 0.1987
(cc = 0.996) ⋯ (6. 7. 3)
𝜀σ (1) = −2.6684 𝑉am − 17.3900
(cc = 0.975) ⋯ (6. 7. 4)
TRE = 1.1928 𝑉am − 2.4236
(cc = 0.891) ⋯ (6. 7. 5)
次に、それぞれの相関グラフを示す。なおそれぞれが、順に (6. 7. 1) 式、(6. 7. 2) 式、(6. 7. 3) 式、
(6. 7. 4) 式、(6. 7. 5) 式に対応し、𝑉rms に対しては、それぞれが順に Figure 6.4.2、Figure 6.4.5、
Figure 6.4.7、Figure 6.4.8、Figure 6.4.10 に対応する。
Figure 6.7.1
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、最大固有値
𝑿𝐇𝐌𝐎 (𝟏)と結合の手の数の算術平均 𝑽𝐚𝐦 の相関。なお、𝑿𝐇𝐌𝐎 (𝟏) は 𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合わせ
ることで最低π分子軌道の HMO エネルギーを与える。
205
Figure 6.7.2
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、最低被占π分子
軌道の HF エネルギー 𝜺𝛑 (𝟏) と結合の手の数の算術平均 𝑽𝐚𝐦 の相関。HF エネルギーは
HF/6-311+G(2d) // B3LYP/6-311+G(2d) で計算した。
Figure 6.7.3
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、それらの参照ポ
リエン構造について 𝑹𝐆 (𝑿) = 𝟎 の根の中の最大値 𝑿𝐑𝐄𝐅 (𝟏) と結合の手の数の算術平均 𝑽𝐚𝐦
の相関。なお、𝑿𝐑𝐄𝐅 (𝟏) は 𝜶𝐁 と 𝜷𝐁𝐁 と組み合わせることで参照ポリエン構造について最低
π分子軌道の HMO エネルギーを与える。
206
Figure 6.7.4
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、最低σ分子軌道
の HF エネルギー 𝜺𝛔 (𝟏) と結合の手の数の算術平均 𝑽𝐚𝐦 の相関。なお、HF エネルギーは
HF/6-311+G(2d) // B3LYP/6-311+G(2d) で計算した。
Figure 6.7.5
10 個の平面または平面化したホウ素クラスターについて、TRE と結合の手
の数の算術平均 𝑽𝐚𝐦 の相関。
207
6.8. 参考文献
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210
7. 参照グラフの探索と性質の模索
7.1. 概要
分子を分子グラフとして扱うグラフ理論において、隣接行列を解くヒュッケル分子軌
道法によって求まる特性多項式は、環状経路に対応する要素と、鎖状共役に対応する要
素に分けることが可能である。特性多項式から、環状共役に対応する要素を除いた参照
多項式は、芳香族性の議論をする上でも、炭化水素の沸点とよい相関がある細矢インデ
ックスと深い関係がある。この有用な参照多項式を、隣接行列の行列要素を変形させる
ことで得られるグラフを参照グラフと呼び、単環式共役系とサイズが同一の環が二環縮
環した系について、参照グラフが得られている。参照グラフは、一義的に決まるもので
はなく、同じ分子グラフの参照グラフが複数あることも、一つもないこともある。本研
究では、既存の参照グラフに対する別の取り方を探索し、更に適用範囲を拡張し、サイ
ズが同一の環が 3 環縮環した系や、pyrene のようなペリ縮合分子、車輪型分子の参照
グラフを見出すことに成功した。なお、車輪型分子においては、参照グラフの一般式を
証明することにも成功したので報告する。また、限定的だが、参照グラフを見出すため
の手順についても示し、参照グラフが得られるための条件についても考察した。
7.2. 導入
π共役炭化水素のπ軌道について、よい結果を与えることで知られるヒュッケル分子
軌道法(HMO)は、原子を点(vertex)、結合を辺(edge)で表すグラフ理論的扱いを
行っていることと同義である[1-6]。グラフ理論では、HMO の永年行列式を隣接行列で、
HMO の解を固有値として扱う。言葉の違いはあっても、扱っているものは同一であり、
HMO では分子を取り扱うため、当然 HMO の解は分子軌道のエネルギーに対応し、ヒ
ュッケル近似が成り立つ系では、よい結果を与えるという解釈と利用法の違いがあるだ
けである。実際、HMO にグラフ理論的取扱いを導入することで、HMO をより簡便に
解くことができる[7]。このグラフ理論的取扱いを導入することで HMO を応用した、
芳香族性の指標である Topological Resonance Energy(TRE)や[8]、構造活性相関の
指標である細矢インデックスなどが見出された[1]。
TRE は HMO を解くことで得られる永年行列式を解く際に、そのまま解いた特性多
211
項式の解(固有値)と、環状共役に関わる要素を取り除いて解いた参照多項式の解(固
有値)の差によって定義される[8]。これによって、環状共役による安定性、すなわち
芳香族性を示すわけだが、この定義はグラフ理論的解釈によって組み立てられている。
これら 2 種の多項式は、その分子グラフを 𝑛 個の原子からなる系とすると、𝑛 次の多項
式となり、参照多項式においては、その各係数の和によって細矢インデックスが定義さ
れている[1]。参照多項式は、分子のトポロジーと安定性の関係を示す上で大きな成功
収めた二つの指標と強い関係性をもっている。参照多項式を用いたさまざまな性質や解
釈は有用であることが知られており、共役系における構造(トポロジー)と安定性の説
明を、さらに推し進めていくことが容易に予想される[3,4]。
参照多項式を導くには、環状共役に関わる要素を取り除く必要があるため、これを特
定する必要がある。しかしながら、すべての環状経路に関わる要素を特定することは、
グラフ理論を用いても容易ではない。しかし、アヌレンや naphthalene といった限定
的な分子に対して、改良した分子グラフに対する永年行列式を単に解くことによって、
参照多項式を得られる参照グラフという概念が定義されている[9-14]。今のところ、こ
の方法によって参照多項式を効率よく求めるという、実用的な側面に焦点は当てられて
いない。しかし、HMO を解くことで参照多項式が得られるのはどのような分子グラフ
であるのかなど、参照グラフの性質の解釈や、適用範囲の拡大は、参照多項式に関する
性質の解釈にもつながる。
そこで、既存の参照グラフが得られている naphthalene 同様のカタ縮合分子である
anthracene や phenanthrene や、ペリ縮合分子である pyrene や車輪のような形をし
た車輪型分子などの参照グラフを模索し、参照グラフに関する知見を広げることを目指
す。なお、naphthalene では、参照グラフの取り方が一通りでないことが既に示されて
いる[12]。
7.3. 理論
HMO や TRE の理論については本博士論文全体の理論の章で説明したが、多少重複
はあるものの、本章に深く関わる理論について記述する。まず、HMO による共役系 𝐺 の
特性多項式は、
212
𝑛
𝑃𝐺 (𝑋) = ∑(𝑎𝑘𝑐 + 𝑎𝑘𝑎𝑐 )𝑋 𝑘 ⋯ (7. 3. 1)
𝑘=0
と書ける。ここで、𝑛は共役系を構成する原子数で、𝑎𝑘𝑐 は環状共役系に関わる係数で、𝑎𝑘𝑎𝑐
は非環状共役系に関わる係数である。特性多項式から環状共役に関わる項を除いた参照
多項式は、
𝑛
𝑅𝐺 (𝑋) = ∑ 𝑎𝑘𝑎𝑐 𝑋 𝑘 ⋯ (7. 3. 2)
𝑘=0
と書ける。(1)式と(2)式より、
𝑛
𝑃𝐺 (𝑋) = 𝑅𝐺 (𝑋) + ∑ 𝑎𝑘𝑐 𝑋 𝑘 ⋯ (7. 3. 3)
𝑘=0
である。
また、𝑚個の環状経路をもつ共役系 𝐺 では、
𝑚
𝑟𝑖𝑔ℎ𝑡
𝑃𝐺 (𝑋) = 𝑅𝐺 (𝑋) + ∑(−𝐶𝑟𝑙
𝑙𝑒𝑓𝑡
− 𝐶𝑟𝑙 )𝑅𝐺−𝑟𝑙 (𝑋)
𝑙=1
𝑚
𝑟𝑖𝑔ℎ𝑡 𝑟𝑖𝑔ℎ𝑡
𝐶𝑟𝑝
+ ∑ (𝐶𝑟𝑙
𝑟𝑖𝑔ℎ𝑡 𝑙𝑒𝑓𝑡
𝐶𝑟𝑝
+ 𝐶𝑟𝑙
𝑙𝑒𝑓𝑡 𝑟𝑖𝑔ℎ𝑡
+ 𝐶𝑟𝑙 𝐶𝑟𝑝
𝑙𝑒𝑓𝑡 𝑙𝑒𝑓𝑡
+ 𝐶𝑟𝑙 𝐶𝑟𝑝 ) 𝑅𝐺−𝑟𝑙 −𝑟𝑝 (𝑋)
𝑙>𝑝
+ ⋯ ⋯ (7. 3. 4)
213
𝑟𝑖𝑔ℎ𝑡
と表せる。なお𝐶𝑟𝑙
は、環状経路 𝑟𝑙 の右回りに対応する共鳴積分の積を表す。このと
き、𝑅𝐺−𝑟𝑙 (𝑋) とは、𝑟𝑙 という環状経路を除いた部分グラフの参照多項式を表す。この部
分が等しい環状経路は、グラフ理論的には等価であり、対称なサーキットといえる。こ
れは、それぞれのサーキットが関わる Sachs グラフが等しいことを意味する[1]。Figure
7.3.1 に、対称な三つの環から成る分子に、メチレン基を導入することで、対称性が崩
れた例を挙げる。この場合、
𝑅𝐺−𝑎1 = 𝑅𝐺−𝑎2 = 𝑅𝐺−𝑎3 ⋯ (7. 3. 5)
𝑅𝐺−𝑏1 = 𝑅𝐺−𝑏2 ≠ 𝑅𝐺−𝑏3 ⋯ (7. 3. 6)
という形で、式に反映されている。
Figure 7.3.1
3つの環が対称な分子 a と二つが対称な分子 b。a は a1、a2、a3 がすべて
対称であるが、b はメチレン基の導入によって b1 と b2 は対称であるが、b3 の対称性が崩
れた。
214
7.4. 既知の参照グラフについて
参照グラフをもつことが確認されている naphthalene の特性多項式は、
𝑃𝐺 (𝑋) = 𝑋10 − 11𝑋 8 + 41𝑋 6 − 65𝑋 4 + 43𝑋 2 − 9 ⋯ (7. 4. 1)
である。また、参照多項式は、
𝑅𝐺 (𝑋) = 𝑋10 − 11𝑋 8 + 41𝑋 6 − 61𝑋 4 + 31𝑋 2 − 3 ⋯ (7. 4. 2)
であり、naphthalene の参照グラフ𝐺 ′ とは、naphthalene の共鳴積分項を変化させた
グラフの特性多項式が、
𝑃𝐺 ′ (𝑋) = 𝑅𝐺 (𝑋) ⋯ (7. 4. 3)
の関係式を満たす𝐺 ′ のことである。
参照グラフでは、(7. 4. 3) 式に示されるように、環状共役に関わる成分のみが除かれ、
0
非環状共役に関わる成分は維持されている。結合 𝑠𝑡 に対応する共鳴積分項𝛽𝑠𝑡
を変化さ
せた𝛽𝑠𝑡 には、単環式共役系非環状共役に関わる成分には影響を与えない、
0 𝑖𝜃𝑠𝑡
𝛽𝑠𝑡 = 𝛽𝑠𝑡
𝑒
(𝜃については − π < 𝜃 ≤ 𝜋で記述する。) ⋯ (7. 4. 4)
の形を用いる[7,11]。なお、ここで扱うグラフは有向グラフであり、結合 𝑠𝑡 に対して共
鳴積分項には反対向きの𝛽𝑡𝑠 も存在する。これらの関係性は、
0 −𝑖𝜃𝑠𝑡
∗
𝛽𝑡𝑠 = 𝛽𝑠𝑡
= (𝛽𝑠𝑡
𝑒
) ⋯ (7. 4. 5)
となっていて、一つの結合に対する共鳴積分項は、𝑠 → 𝑡と𝑡 → 𝑠の二つの向きを有し、
それぞれ複素共役の関係である。
しかしながら、この方法を用いても、参照グラフを単純に得ることはできない。
Figure 7.4.1
[9]で Graovac が提唱した naphthalene の参照グラフ𝑮′𝟏 と参照グラフ
にならないグラフ構造𝑮′𝟐 。ただし、複素共役の矢印は省略してある。
Graovac は naphthalene の参照グラフを求める際に、すべての結合に対して(𝟖)式の変
形を行い、𝜽 の項に、縮環した共通の結合と、その他の結合の 2 種類に分けたパラメー
215
ターを用いて探索している[9]。しかしこの方法でも、参照グラフが一義的に決まるこ
とはなく、有向グラフの向きの取り方によっては参照グラフが得られないこともある。
Figure 7.4.1 に示す二つのグラフ構造は、同じパラメーターを用いているが、その向き
の組み合わせによって、𝑮′𝟏 は参照グラフであり、𝑮′𝟐 は参照グラフではない。このよう
に、どのように共鳴積分を変化させることで参照グラフとなるかは未知であり、その条
件も整理されていないということだ。そこで、まず参照グラフとなるための条件につい
て考えうる条件をまとめる。
216
7.5. 参照グラフとなる条件について
(𝟕. 𝟒. 𝟑) 式に示されるようなグラフは、非対称な多環式共役系では得られないと言わ
れている[9]。非対称な azulene の参照グラフは、この共鳴積分項の変化という方法で
は得られない。そこで本研究では、対称な多環式共役系のみを対象とする。現状の参照
グラフが得られる条件の一つとして対称であることが存在し、そこには理由が存在する
ことも容易に想像されるので、これについても解析するが、まずは情報を整理する。参
照グラフであるための条件式は(𝟕. 𝟒. 𝟑) 式であるが、(𝟕. 𝟒. 𝟒) 式の変形を行って得られ
る参照グラフでは、
𝑹𝑮′ (𝑿) = 𝑹𝑮 (𝑿) ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏)
であるという前提条件が付随している。また、(𝟕. 𝟑. 𝟒) 式を用いて
𝒎
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
𝑷𝑮′ (𝑿) = 𝑹𝑮′ (𝑿) + ∑ (−𝑪𝒓𝒍
𝒍𝒆𝒇𝒕
− 𝑪𝒓𝒍 ) 𝑹𝑮′ −𝒓𝒍 (𝑿)
𝒍=𝟏
𝒎
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕 𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
𝑪𝒓𝒑
+ ∑ (𝑪𝒓𝒍
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕 𝒍𝒆𝒇𝒕
𝑪𝒓𝒑
+ 𝑪 𝒓𝒍
𝒍𝒆𝒇𝒕 𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
+ 𝑪𝒓𝒍 𝑪𝒓𝒑 ) 𝑹𝑮′ −𝒓𝒍 −𝒓𝒑 (𝑿)
𝒍𝒆𝒇𝒕 𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
+ 𝑪𝒓𝒍 𝑪𝒓𝒑 ) 𝑹𝑮′ −𝒓𝒍 −𝒓𝒑 (𝑿)
+ 𝑪𝒓𝒍 𝑪𝒓𝒑
𝒍𝒆𝒇𝒕 𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒍>𝒑
+ ⋯ ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟐)
が得られ、(𝟕. 𝟒. 𝟑) 式と組み合わせることで、
𝒎
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
∑ (−𝑪𝒓𝒍
𝒍𝒆𝒇𝒕
− 𝑪𝒓𝒍 ) 𝑹𝑮′ −𝒓𝒍 (𝑿)
𝒍=𝟏
𝒎
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕 𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
𝑪𝒓𝒑
+ ∑ (𝑪𝒓𝒍
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕 𝒍𝒆𝒇𝒕
𝑪𝒓𝒑
+ 𝑪 𝒓𝒍
+ 𝑪𝒓𝒍 𝑪𝒓𝒑
𝒍𝒆𝒇𝒕 𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒍>𝒑
+ ⋯ = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟑)
という条件式を満たすことが、本研究における手法での参照グラフとなる条件である。
この(𝟕. 𝟓. 𝟑) 式が Figure 7.4.1 の𝑮′𝟏 では満たされるが、𝑮′𝟐 では満たされない。では、
どのようなときに(𝟕. 𝟓. 𝟑) 式は満たされるのかということを、いくつか場合分けして考
察する。なお(𝟕. 𝟓. 𝟑) 式の左辺の第一項は、一つの環状経路を除いた部分グラフの参照
多項式の、第二項は二つの隣り合わない環状経路の組み合わせを除いた部分グラフの参
照多項式の和で、それ以降は三つの隣り合わない環状経路、四つの環状経路と続いてい
217
く。例えば naphthalene では、第一項しか存在しないが、anthracene では第二項が存
在するように、系が大きくなるにつれて第二項以降も必要となる。ここで、(𝟕. 𝟓. 𝟏) 式
より、
𝑹𝑮′ −𝒓𝒍 (𝑿) = 𝑹𝑮−𝒓𝒍 (𝑿) ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟒)
であるため、(𝟏𝟐)式がもとの分子グラフ𝑮と変化しているのは、環状経路に対応する共
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
鳴積分の積である𝑪𝒓𝒍
𝒍𝒆𝒇𝒕
と𝑪𝒓𝒍 が関わる項のみである。なお(𝟏𝟐)式の左辺は、環を形成
する原子数を
𝒏𝒓𝒊 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟓)
とし、その最小値と最大値をそれぞれ、
𝒎𝒂𝒙
𝒏𝒎𝒊𝒏
⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟔)
𝒓𝒊 , 𝒏 𝒓 𝒊
とすると(𝒏 − 𝒏𝒎𝒊𝒏
𝒓𝒊 ) 次の多項式である。これより、すべての次数において係数がゼロで
あることが、(𝟕. 𝟓. 𝟑) 式を満たす条件であることが分かる。
しかし、(𝟕. 𝟓. 𝟑) 式の左辺は単なる多項式ではなく、それぞれの環状構造を反映した
参照多項式の和であるため、各次数の係数がゼロとなるための条件として、この点での
アプローチも考慮すべきである。この点を考察するために、具体的な系として
naphthalene を例に挙げる。naphthalene は二つの benzene 環が縮環した構造であり、
その分子構造に Figure 7.5.1 に示す 3 個の取りうる環状経路を含んでいる。これより、
(𝟕. 𝟓. 𝟑) 式に対応させて式を記述すると、
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
(−𝑪𝒓𝟏
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟏 ) 𝑹𝑮−𝒓𝟏 + (−𝑪𝒓𝟐
𝒋𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟐 ) 𝑹𝑮−𝒓𝟐 + (−𝑪𝒓𝟑
𝒍𝒆𝒇𝒕
− 𝑪𝒓𝟑 ) 𝑹𝑮−𝒓𝟑
= 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟕)
となる。なお、共鳴積分を変化させないと、
−𝟐𝑹𝑮−𝒓𝟏 − 𝟐𝑹𝑮−𝒓𝟐 − 𝟐𝑹𝑮−𝒓𝟑 = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟖)
であり、(𝟕. 𝟓. 𝟖) 式が成り立つことはない。(𝟕. 𝟓. 𝟕) 式を多項式の形に一度変形するた
めに、それぞれの参照多項式を Table 7.5.1 に表す。
218
Figure 7.5.1
naphthalene の取りうる環状経路。
Table 7.5.1
naphthalene の環状経路を除いた部分グラフの参照多項式。
参照多項式
𝑿の多項式
𝑹𝑮−𝒓𝟏 (𝑿)
𝑿𝟒 − 𝟑𝑿𝟐 + 𝟏
𝑹𝑮−𝒓𝟐 (𝑿)
𝑿𝟒 − 𝟑𝑿𝟐 + 𝟏
𝑹𝑮−𝒓𝟏𝟏 (𝑿)
1
(𝟕. 𝟓. 𝟕) 式を展開すると
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
(−𝑪𝒓𝟏
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟏 − 𝑪𝒓𝟐
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
+ (−𝑪𝒓𝟏
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟐 ) 𝑿𝟒 − 𝟑 (−𝑪𝒓𝟏
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟏 − 𝑪𝒓𝟐
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟏 − 𝑪𝒓𝟐
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟐 − 𝑪𝒓𝟑
𝒍𝒆𝒇𝒕
− 𝑪𝒓𝟐 ) 𝑿𝟐
𝒍𝒆𝒇𝒕
− 𝑪𝒓𝟑 ) = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟗)
となる。これから導かれる参照グラフとなる条件は、
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
{
𝑪𝒓𝟏
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
+ 𝑪𝒓𝟏 + 𝑪𝒓𝟐
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
𝑪𝒓𝟑
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒍𝒆𝒇𝒕
+ 𝑪𝒓𝟐 = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏𝟎)
+ 𝑪𝒓𝟑 = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏𝟏)
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
の 2 式を同時に満たすことである。なお、𝑪𝒓𝟏
は r1 の右回りに対応する共鳴積分の積
であるので、条件式が(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟎) 式、(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟏) 式ということから、最低限 2 個の結合の
共鳴積分を変化させればよい。つまり、すべての結合について共鳴積分を変化させる必
要はないのである。naphthalene の場合、最低限 2 個の結合を、Figure 7.5.2 より、3
種の中から選べばよいことが分かる。
Figure 7.5.2
naphthalene の環状経路に対する結合のタイプによる色分け。
219
なお、この時点では、どの結合の組み合わせでも参照グラフが得られると決まったわ
けではなく、条件の一つを満たしたに過ぎない。こうして決定した結合に対応する共鳴
積分を変化させ、(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟎) 式、(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟏) 式を満たすような変化のさせ方を探せばよい
ということである。しかし、azulene のように条件式を決定できても、それを満たす共
鳴積分の変化のさせ方が存在しないこともある。では、azulene の条件式を求める。
azulene の取りうる環状経路は Figure 7.5.3 に示す 3 個であり、その環状経路を除いた
部分グラフの参照多項式は、Table 7.5.2 に示す。これらより、(𝟕. 𝟓. 𝟑) 式に対応する式
は
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
(−𝑪𝒓𝟏
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟏 ) 𝑿𝟓 + {−𝟒 (−𝑪𝒓𝟏
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
+ {𝟑 (−𝑪𝒓𝟏
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟏 ) + (−𝑪𝒓𝟐
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟏 ) − 𝟐 (−𝑪𝒓𝟐
𝒍𝒆𝒇𝒕
− 𝑪𝒓𝟐 )} 𝑿𝟑
𝒍𝒆𝒇𝒕
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
− 𝑪𝒓𝟐 )} 𝑿 + (−𝑪𝒓𝟑
𝒍𝒆𝒇𝒕
− 𝑪𝒓𝟑 )
= 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏𝟐)
Figure 7.5.3
azulene の分子構造と取りうる環状経路。
であり、係数比較より、
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
𝑪𝒓𝟏
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
𝑪𝒓𝟐
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
{𝑪𝒓𝟑
𝒍𝒆𝒇𝒕
+ 𝑪𝒓𝟏 = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏𝟑)
𝒍𝒆𝒇𝒕
+ 𝑪𝒓𝟐 = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏𝟒)
𝒍𝒆𝒇𝒕
+ 𝑪𝒓𝟑 = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏𝟓)
である。naphthalene とは異なり、個々の環状経路に対応する共鳴積分の積が、それぞ
れ右回りと左回りで和を取ると、ゼロにならなくてはならない。
220
Table 7.5.2
azulene の環状経路を除いた部分グラフの参照多項式。
参照多項式
𝑋の多項式
𝑅𝐺−𝑟1 (𝑋)
𝑋 5 − 4𝑋 3 + 3𝑋
𝑅𝐺−𝑟2 (𝑋)
𝑋 3 − 2𝑋
𝑅𝐺−𝑟3 (𝑋)
1
ここで、環状経路に対応する共鳴積分は、
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
𝑪 𝒓𝒍
𝒍𝒆𝒇𝒕 ∗
= (𝑪𝒓𝒍 )
⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟏𝟔)
であり、その中身は、
𝑎𝑙𝑙 𝑏𝑜𝑛𝑑𝑠 𝑖𝑛 𝑐𝑖𝑟𝑐𝑢𝑖𝑡
(
𝑎𝑙𝑙 𝑏𝑜𝑛𝑑𝑠 𝑖𝑛 𝑐𝑖𝑟𝑐𝑢𝑖𝑡
0
𝛽𝑠𝑡
) 𝑒𝑥𝑝 (𝑖
∏
∑
𝜃𝑠𝑡 ) ⋯ (7. 5. 17)
であるため、(7. 5. 13) 式から(7. 5. 15) 式の形式は、
𝑒 𝑖𝜃 + 𝑒 −𝑖𝜃 = 0 ⋯ (7. 5. 18)
であることが分かる。ここで、
𝑎𝑙𝑙 𝑏𝑜𝑛𝑑𝑠 𝑖𝑛 𝑐𝑖𝑟𝑐𝑢𝑖𝑡
𝜃=
∑
𝜃𝑠𝑡 ⋯ (7. 5. 19)
として、オイラーの公式である
𝑒 𝑖𝜃 = cos 𝜃 + 𝑖 sin 𝜃 ⋯ (7. 5. 20)
を(7. 5. 18) 式に代入すると、
2 cos 𝜃 = 0 ⋯ (7. 5. 21)
となり、その解は
𝜃=
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 5. 22)
2
2
である。これは、一つの環状経路に対応する共鳴積分の積が、右回りと左回りで和を取
るとゼロとなるときの不変の事実であり、azulene に限ったことではない。
では、azulene で(7. 5. 13) 式から(7. 5. 15) 式に当てはめたときに、(7. 5. 22) 式を満た
す共鳴積分の変化のさせ方が存在するだろうか。azulene では 1-2 結合、1-5 結合、1-6
結合を変化させれば、全パターンを考慮したことになる。この 3 個の結合から最低 2
個を選んで変化させれば、参照グラフを得られる可能性があるはずだが、3 個の環状経
221
路それぞれが(30)式を満たさなくてはならない。そこで、明らかに 2 個の結合を選んで
も不可能なことが分かる。1-2 結合と 1-5 結合を選ぶと、
𝜃𝑟1 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 5. 23)
2
2
𝜃12 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 5. 24)
2
2
𝜃𝑟2 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 5. 25)
2
2
であるために、
となる。同時に、
であるので、
𝜃15 = 0 , 𝜋 ⋯ (7. 5. 26)
となる。しかしこれでは、
𝜃𝑟3 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 5. 27)
2
2
を満たせない。同様に、3 個の結合を選んでも条件を満たす組み合わせはない。azulene
では、この方法で参照グラフを得ることはできないのである。サイズが異なる二環縮環
系でも、azulene 同様である。では、naphthalene と azulene での違いをもとに、参照
グラフを得る条件についてさらに考察する。
なぜ、azulene は参照グラフが得られず、naphthalene は得られるのだろうか。この
答えは、サイズの異なる二環縮環系は参照グラフが得られず、サイズの同じ二環縮環系
しか参照グラフが得られないということなのだが、その違いはどのように条件に反映さ
れるのだろうかということを考察する。条件式の中で、naphthalene に関する(𝟕. 𝟓. 𝟖) 式
は azulene にも適用されるが、サイズが異なることが直接影響するのはその次の操作で
ある、各環状経路を除いた部分グラフの参照多項式である𝑹𝑮−𝒓𝒍 を代入する際である。
naphthalene の𝑹𝑮−𝒓𝒍 を記した。Table 7.5.2 と azulene の Table 7.5.2 を比較すると対
称な naphthalene では𝑹𝑮−𝒓𝒍 が等しいものがあるが、azulene ではすべての𝑹𝑮−𝒓𝒍 が異な
る。
また、サイズが異なることから、その次数𝒏 − 𝒏𝒓𝒊 も異なる。(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟎) 式や(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟑) 式
のような方程式から係数比較により条件式を作成するため、次数が最大の𝑹𝑮−𝒓𝒍 は一つ
だと、その環状経路に対して(𝟕. 𝟓. 𝟐𝟐) 式の関係が成り立たなくてはならない。すると、
222
次数が最大の𝑹𝑮−𝒓𝒍 の係数はゼロとなり、次に次数が最大の𝑹𝑮−𝒓𝒍 に対して方程式を解く。
そして、次に次数が最大の環状経路が一つだと、これに対しても(𝟕. 𝟓. 𝟐𝟐) 式の関係が
成り立たなくてはならない。しかし、縮環系では一つの結合を通る環状経路は一つでは
ないので、すべての環状経路に対して(𝟕. 𝟓. 𝟐𝟐)式の関係が成り立つことは極めて稀であ
ろう。残念ながら、すべての環状経路に対して(𝟕. 𝟓. 𝟐𝟐)式の関係が成り立つことはない
という証明はまだされていない。つまり、対称な環をもつ多環式共役系では、同一とな
る𝑹𝑮−𝒓𝒍 が存在するため、一つの次数に対して(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟏) 式のように二つの環が関わるこ
とで、(𝟕. 𝟓. 𝟐𝟐) 式以外の𝜽 が許容される。
また、対称な環状経路 𝒓𝒍 と 𝒓𝒎 に対しては、
𝑹𝑮−𝒓𝒍 = 𝑹𝑮−𝒓𝒎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟐𝟖)
が成り立つので、対称な環状経路 𝒓𝒔𝒍 に関しては、
𝒔𝒚𝒎𝒎𝒆𝒕𝒓𝒚 𝒄𝒊𝒓𝒄𝒖𝒊𝒕𝒔
∑
𝒍
𝒓𝒊𝒈𝒉𝒕
(𝑪𝒓𝒔
𝒍
𝒍𝒆𝒇𝒕
+ 𝑪𝒓𝒔 ) = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟓. 𝟐𝟗)
𝒍
となれば、この環状経路が関わる項はゼロとなる。これは参照グラフを探索する上で有
力な探し方である。つまり、対称な環状経路を探して、条件式を立てていけば、効率よ
く参照グラフが得られる可能性があるということだ。環状経路を除いた部分グラフの参
照多項式を展開して、各次数に対して係数比較する方が、より広範囲に探索を可能とす
るが、そもそも、環状経路を除いた部分グラフの参照多項式が分かるのであれば、もと
の分子の参照多項式が求まるので、環状経路を除いた部分グラフの参照多項式を展開す
る方法ではない方が好ましい。
そこで、考察した条件式を満たすように、本研究では以下の方法を用いて参照グラフ
を探索する。
① 対称な環をもつ分子グラフに対して、
② (7. 5. 29) 式の条件を満たすように、環状経路に対応する共鳴積分の積の条件式を作
成し、
③ 条件式の数から、変化させる共鳴積分の最小数を導き、
④ 共鳴積分を変化させる結合を、すべての環状経路が変化させた結合を一つ以上通過
するように決定し、
⑤ (7. 5. 20) 式を用いて𝜃の条件式に書き換えて、結合ごとの𝜃𝑠𝑡 を代入し、条件式を作
223
り、
⑥ これを満たす𝜃𝑠𝑡 を解く。
⑦ 変化させたグラフの𝑃𝐺 ′ (𝑋)と𝑅𝐺 (𝑋)が等しいか確認し、等しければ参照グラフであ
る。
この方法を用いても、参照グラフが得られないこともあり、また、同じ分子でも④次
第で、異なる参照グラフが得られる。また、⑥の解が一通りではない場合もあるため、
ここでも異なる参照グラフが得られる場合がある。なお、参照グラフが得られないとき
は、④に戻って異なる組み合わせを試すこととする。
7.6. 参照グラフの探索
7.5 節で決めた方法を用いてさまざまな分子グラフの参照グラフを探索する。まずは、
手順②まで完了し、(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟎) 式、(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟏) 式と条件式が求まった naphthalene の参照
グラフを探索する。
よって、
手順③から実行する。
なお naphthalene の場合、Figure 7.5.2
にあるように変化させる結合の種類が 3 個なので、すべての組み合わせを試す。まず、
二つの結合を変化させた Figure 7.6.1 について参照グラフを探索する。(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟎) 式、
(𝟕. 𝟓. 𝟏𝟏) 式より、
𝒆𝒊𝜽𝟏𝟐 + 𝒆−𝒊𝜽𝟏𝟐 + 𝒆𝒊𝜽𝟖𝟗 + 𝒆−𝒊𝜽𝟖𝟗 = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟔. 𝟏)
{
𝒆𝒊(𝜽𝟏𝟐+𝜽𝟖𝟗) + 𝒆−𝒊(𝜽𝟏𝟐+𝜽𝟖𝟗) = 𝟎 ⋯ (𝟕. 𝟔. 𝟐)
である。ここまでで、手順⑤が完了したので、手順⑥の𝜽𝟏𝟐 と𝜽𝟖𝟗 を解く作業を行う。
Figure 7.6.1
naphthalene の変化させる結合の組み合わせ。このグラフを
𝒏𝒂𝒑𝒉𝒕𝒉𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
𝑮𝟏
とする。
(7. 6. 2) 式より、
𝜃12 + 𝜃89 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 6. 3)
2
2
224
である。そこで、
𝜃89 =
𝜋
− 𝜃12 ⋯ (7. 6. 4)
2
として、(7. 6. 1) 式に代入して、(7. 5. 20) 式を用いて整理すると、
𝜋
𝜋
(cos 𝜃12 + 𝑖 sin 𝜃12 ) + {cos(−𝜃12 ) + 𝑖 sin(−𝜃12 )} + {cos ( − 𝜃12 ) + 𝑖 sin ( − 𝜃12 )}
2
2
𝜋
𝜋
+ {cos (− + 𝜃12 ) + 𝑖 sin (− + 𝜃12 )} = 0 ⋯ (7. 6. 5)
2
2
となる。ここで、三角関数の公式である、
sin(−𝜃) = − sin 𝜃 ⋯ (7. 6. 6)
cos(−𝜃) = cos 𝜃 ⋯ (7. 6. 7)
𝜋
sin ( − 𝜃) = cos 𝜃 ⋯ (7. 6. 8)
2
𝜋
cos ( − 𝜃) = sin 𝜃 ⋯ (7. 6. 9)
2
を用いて(7. 6. 5) 式を整理すると、
2 cos 𝜃12 + 2 sin 𝜃12 = 0 ⋯ (7. 6. 10)
である。
(7. 6. 4) 式と(7. 6. 10) 式より、
𝜋
4
3
𝜃12 = 𝜋
4 ) ⋯
{(
3 ) ,(
1
𝜃89 = 𝜋
𝜃89 = − 𝜋
4
4
と導かれる。一方(7. 6. 4) 式を、
𝜃12 = −
𝜃89 = −
(7. 6. 11)
𝜋
− 𝜃12 ⋯ (7. 6. 12)
2
として解くと、
1
𝜃12 = 𝜋
4
⋯ (7. 6. 13)
{
3
𝜃89 = − 𝜋
4
となる。なお、対称な結合を変数としているため、(7. 6. 11) 式のように入れ替えがある
が、これは等価なグラフとして、片方のみを図示することとする(Figure 7.6.2)
。
225
𝒏𝒂𝒑𝒉𝒕𝒉𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
Figure 7.6.2 naphthalene の参照グラフ R𝑮𝟏
1。なお、変化させた行列成分
のみを図示した。
これらが、naphthalene の参照グラフであるか、変化させたグラフの特性多項式を求め
𝑛𝑎𝑝ℎ𝑡ℎ𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒
て確認する。R𝐺1
𝟏
𝟎
𝒆−𝟒𝝅𝒊
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
1 だと、隣接行列は(7. 6. 14) 式に示したようになる。
𝟎 𝟎 𝟎 𝟏 𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎 𝟎 𝟎 𝟎 𝟏
𝟎
𝒆𝟒𝝅𝒊
𝟎
𝟎
( 𝟎
𝟎
𝟎
𝟎 𝟎 𝟎 𝟎 𝟎
𝟎 𝟎 𝟏 𝟎 𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟏
𝒆𝟒𝝅𝒊
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟑
𝒆−𝟒𝝅𝒊
𝟑
⋯ (7. 6. 14)
𝟏
𝟎)
この特性多項式は、
𝑃𝑅𝐺 𝑛𝑎𝑝ℎ𝑡ℎ𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒 1 (𝑋) = 𝑋10 − 11𝑋 8 + 41𝑋 6 − 61𝑋 4 + 31𝑋 2 − 3 ⋯ (7. 6. 15)
1
𝑛𝑎𝑝ℎ𝑡ℎ𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒
である。また、(7. 6. 13) 式の変化のさせ方である𝑅𝐺1
2 の隣接行列は、
226
𝟑
𝟎
𝒆𝟒𝝅𝒊
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎 𝟎 𝟎 𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎 𝟎 𝟎 𝟎
𝟏
𝟎
𝒆𝟒𝝅𝒊
𝟎
𝟎
( 𝟎
𝟎
𝟎
𝟎 𝟎 𝟎 𝟎
𝟎 𝟎 𝟏 𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟎
𝟏
𝟑
𝒆 −𝟒𝝅
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟎
𝟏
𝟎
𝟏
𝟎
𝟑
𝒆−𝟒𝝅𝒊
𝟑
⋯ (7. 6. 16)
𝟏
𝟎)
であり、その特性多項式は、
𝑃𝑅𝐺 𝑛𝑎𝑝ℎ𝑡ℎ𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒 2 (𝑋) = 𝑋10 − 11𝑋 8 + 41𝑋 6 − 61𝑋 4 + 31𝑋 2 − 3 ⋯ (7. 6. 17)
1
である。(7. 6. 15) 式と(7. 6. 17) 式が、naphthalene の参照多項式である(7. 4. 2) 式と等
しいことから、二つの変化させたグラフは参照グラフであることが示された。では次に、
Figure 7.6.3 に示す結合の組み合わせで参照グラフを探索する。
Figure 7.6.3
naphthalene の変化させる結合の組み合わせ。このグラフを
𝒏𝒂𝒑𝒉𝒕𝒉𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
𝑮𝟐
とする。
(7. 5. 10) 式、(7. 5. 11) 式より、
{
𝑒 𝑖(𝜃12 +𝜃45 ) + 𝑒 −𝑖(𝜃12 +𝜃45 ) + 𝑒 𝑖𝜃45 + 𝑒 −𝑖𝜃45 = 0 ⋯ (7. 6. 18)
𝒆𝒊(𝜽𝟏𝟐) + 𝑒 −𝑖(𝜽𝟏𝟐) = 0 ⋯ (7. 6. 19)
であり、(7. 6. 19) 式より、
𝜃12 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 6. 20)
2
2
である。(7. 6. 20) 式より、
227
𝜃12 =
𝜋
⋯ (7. 6. 21)
2
として、(7. 6. 18) 式から整理して、
𝜋
2 cos ( + 𝜃45 ) + 2 cos 𝜃45 = 0
2
− sin 𝜃45 + cos 𝜃45 = 0 ⋯ (7. 6. 22)
となる。これより、
𝜃45 =
𝜋
3
, − 𝜋 ⋯ (7. 6. 23)
4
4
と導かれる。一方、
𝜃12 = −
𝜋
⋯ (7. 6. 24)
2
とすると、
3
𝜋
𝜃45 = 𝜋 , −
⋯ (7. 6. 25)
4
4
である。これらは、共に参照グラフであることが⑦の手順により確かめられた。この参
照グラフを Figure 7.6.4 に示す。
Figure 7.6.4
𝒏𝒂𝒑𝒉𝒕𝒉𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
naphthalene の参照グラフ R𝑮𝟐
。
最後に、Figure 7.6.5 の組み合わせで参照グラフを探索する。ほかの組み合わせ同様
に、(7. 5. 10) 式、(7. 5. 11) 式より、条件式をつくるが、𝑒 𝑖𝜃 の形で条件を書くのは省略
228
して、オイラーの公式を適用して三角関数の形でつくる。
Figure 7.6.5
naphthalene の変化させる結合の組み合わせ。このグラフを
𝒏𝒂𝒑𝒉𝒕𝒉𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
𝑮𝟑
とする。
これは、どのような場合でも (7. 5. 16) 式のように、環状経路に対応する共鳴積分の積
は右回りと左回りで共役の関係にあり、
𝑒 𝑖𝜃 + 𝑒 −𝑖𝜃 = 2 cos 𝜃 ⋯ (7. 6. 26)
と変形でき、解を求める際には、この形式を用いるためである。(7. 5. 10) 式、(7. 5. 11) 式
より、条件式は、
{
2 cos(𝜃12 + 𝜃45 ) + 2 cos(𝜃45 − 𝜃89 ) = 0 ⋯ (7. 6. 27)
cos(𝜃12 + 𝜃89 ) = 0 ⋯ (7. 6. 28)
である。
しかし、条件式が 2 個であるのに対して、未知数が 3 個ある。よって、この未知数を
決定することはできない。関係式を導くことは可能なので、そこから解となる例を探索
する。(7. 6. 28) 式より、
𝜃12 + 𝜃89 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 6. 29)
2
2
であるため、
𝜃12 =
𝜋
− 𝜃89 ⋯ (7. 6. 30)
2
として (7. 6. 27) 式に代入すると、
− sin(𝜃45 − 𝜃89 ) + cos(𝜃45 − 𝜃89 ) = 0
3
sin (𝜃45 − 𝜃89 + 𝜋) = 0
4
3
𝜋
𝜃45 = − 𝜋 + 𝜃89 , + 𝜃89 ⋯ (7. 6. 31)
4
4
229
という関係式が導かれる。(7. 6. 31) 式より、𝜃89を決めれば、他の未知数を決定できる。
例えば、
𝜋
4
𝜋
𝜃45 =
⋯ (7. 6. 32)
2
𝜋
{𝜃89 = 4
という組み合わせが考えられる。この場合で⑦の手順を行うと、参照グラフであること
𝜃12 =
が確認される。この参照グラフを Figure 7.6.6 に示す。
Figure 7.6.6
𝒏𝒂𝒑𝒉𝒕𝒉𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
naphthalene の参照グラフ R𝑮𝟑
。
当然、(7. 6. 27) 式、(7. 6. 28) 式を満たす未知数の組み合わせは存在し、参照グラフは
他にも存在するが、条件式はこれで網羅された。なお、Graovac の求めた参照グラフは、
𝑛𝑎𝑝ℎ𝑡ℎ𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒
𝐺3
のタイプであり、(7. 6. 27) 式、(7. 6. 28) 式を満たすものである。以上で、
naphthalene の参照グラフの探索が終了した。なお以降は、図示する際に、変化させる
共鳴積分項には、exp と複素数 i の表記を省略し、𝜃 の項のみを記すこととする。なお、
この参照グラフの探索では、環状経路に対応する共鳴積分の積を用いているため、対称
性さえ保たれれば、2 環縮環系など同一のタイプでは同じように参照グラフが得られる。
例として、Figure 7.6.7 に naphthalene と同じ共鳴積分の変化によって、参照グラフ
が得られる 2 環縮環系を示した。
230
Figure 7.6.7
同一の環が 2 環縮環した naphthalene と同一の条件式が適用され、同
一の共鳴積分の変化のさせ方で参照グラフが得られる分子。
これらの分子の参照グラフが得られる条件式はいずれも、naphthalene と同一である。
𝑛𝑎𝑝ℎ𝑡ℎ𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒
よって、𝐺3
と同一の共鳴積分の変化のさせ方で Figure 7.6.8 に示す参照グラ
フが得られる。よって、以上で同一のサイズの環が縮環した 2 環縮環系については、参
照グラフが得られ、その条件も判明した。
Figure 7.6.8
butalene の参照グラフの一つ。
では、次に同一のサイズが 3 環縮環した分子について参照グラフを探索する。3 環縮
環系には、ペリ縮合系とカタ縮合系が存在する。さらに、カタ縮合系でも、anthracene
のような直線系と、phenanthlene のような非直線系が存在する。この 3 タイプについ
て参照グラフを探索する。まずは、anthracene について行う。anthracene の環状経路
(37)式を
は、
Figure 7.6.9 に示す 7 通りが存在する。これより、等価な環状経路について、
満たすように条件式を求める。ここで、以下のように更に略記を導入する。
231
𝑟𝑖𝑔ℎ𝑡
𝐶𝑟𝑙
𝑙𝑒𝑓𝑡
+ 𝐶𝑟𝑙
= 𝐶𝑟𝑙 ⋯ (7. 6. 33)
条件式は、
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟3 = 0
𝐶𝑟2 = 0
𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟5 = 0 ⋯ (7. 6. 34)
𝐶𝑟6 = 0
{ 𝐶𝑟7 = 0
である。(7. 6. 34) 式と Figure 7.6.9 より、anthracene では 5 個の方程式があり、変化
させる結合の本数は最大 5 本、最小 3 本であることが分かる。naphthalene では、全
パターンを試したが、ここからは参照グラフの有無が未確認な分子を扱うため、より多
くの分子について確認するため、参照グラフが得られたら次の分子へと移る。
Figure 7.6.9
anthracene の取りうる環状経路。
そこで、いくつも組み合わせがある中から、Figure 7.6.10 の組み合わせで参照グラ
フを探索する。
232
Figure 7.6.10
anthracene の変化させる結合の組み合わせ。このグラフを𝑮𝒂𝒏𝒕𝒉𝒓𝒂𝒄𝒆𝒏𝒆
𝟏
とする。
条件式は、Figure 7.6.10 より、
cos𝜃45 + cos 𝜃89 = 0 ⋯ (7. 6. 35)
cos(𝜃45 − 𝜃89 − 𝜃910 ) = 0 ⋯ (7. 6. 36)
cos(𝜃89 + 𝜃910 ) + cos(𝜃45 − 𝜃910 ) = 0 ⋯ (7. 6. 37)
cos 𝜃910 = 0 ⋯ (7. 6. 38)
{ cos(𝜃45 − 𝜃89 ) + cos(𝜃45 + 𝜃89 ) = 0 ⋯ (7. 6. 39)
と導かれる。この条件を満たす解を求める。なお、計算過程は省略し、結果のみ記す。
この解の一例として、
𝜋
2
𝜋
𝜃89 = −
⋯ (7. 6. 40)
2
𝜋
𝜃
=
910
{
2
が挙げられる。(7. 6. 40) 式の共鳴積分の変化のさせ方をしたグラフ𝐺2𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 の特性多
𝜃45 = −
項式を解くと、(7. 6. 41) 式に示すように、anthracene の参照多項式と等しくなった。
𝑃𝐺 𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 (𝑋) = 𝑋14 − 1612 + 98𝑋10 − 290𝑋 8 + 429𝑋 6 − 294𝑋 4 + 76𝑋 2 − 4
2
= 𝑅𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 (𝑋) ⋯ (7. 6. 41)
つまり、Figure 7.6.11 と Table 7.6.1 に示す変化のさせ方をしたグラフは、参照グラフ
である。
Figure 7.6.11
anthracene の参照グラフの一つ𝑮𝒂𝒏𝒕𝒉𝒓𝒂𝒄𝒆𝒏𝒆
。図では 𝐞𝐱𝐩(𝒊𝜽𝒓𝒔 ) の 𝜽𝒓𝒔
𝟐
項のみを示し、複素共役である行列成分 𝒔𝒓 項についても省略してある。
233
Table 7.6.1
Figure 7.6.11 の変化のさせ方をした際の、共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
4-5
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
4-5
−𝑖
8-9
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
8-9
−𝑖
9-10
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
9-10
𝑖
次に、anthracene と同じカタ縮合分子だが非直線系である phenanthrene を扱う。
phenanthrene の環状経路は Figure 7.6.12 に示した。
Figure 7.6.12
phenanthrene の取りうる環状経路。
環状経路から得られた条件式は、
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟3 = 0
𝐶𝑟2 = 0
𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟5 = 0 ⋯ (7. 6. 42)
𝐶𝑟6 = 0
{ 𝐶𝑟7 = 0
であり、その形は anthracene の(71)式と同一である。条件式が同一であることから、
anthracene と同一の共鳴積分の変化のさせ方で参照グラフが得られることが予想され
る。そこで、anthracene の参照グラフ𝐺2𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 と、同じ変化のさせ方を行った Figure
234
𝑝ℎ𝑒𝑛𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑒𝑛𝑒
7.6.13 の𝐺1
が参照グラフか確かめる。その結果、参照グラフであることが確
認された。
Figure 7.6.13
𝒑𝒉𝒆𝒏𝒂𝒏𝒕𝒉𝒓𝒆𝒏𝒆
𝑮𝟏
anthracene と同じ変化のさせ方を phenanthrene に適用したグラフ
。図では 𝐞𝐱𝐩(𝒊𝜽𝒓𝒔 ) の 𝜽𝒓𝒔 項のみを示し、複素共役である行列成分 𝒔𝒓 項に
ついても省略してある。
Table 7.6.2
Figure 7.6.13 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
5-6
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
5-6
−𝑖
7-8
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
7-8
−𝑖
8-9
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
8-9
𝑖
このように、条件式が同一であれば、それを満たす解も同一のものが許容される。
では、同様の条件式から構成されれば、同一のサイズの環でなくてもよいのだろうか。
そこで、s-indacene を用いて検証する。s-indacene の取りうる環状経路は、
235
Figure 7.6.14
s-indacene の取りうる環状経路。
であり、その条件式は、
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟3 = 0
𝐶𝑟2 = 0
𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟5 = 0 ⋯ (7. 6. 43)
𝐶𝑟6 = 0
{ 𝐶𝑟7 = 0
と、やはり anthracene、phenanthrene と同一である。よって、同一の共鳴積分の変
化のさせ方で参照グラフが得られるはずなので、Figure 7.6.15 のように変化させたグ
ラフ𝐺1𝑠−𝑖𝑛𝑑𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 が、参照グラフとなるか確認する。その結果、𝐺1𝑠−𝑖𝑛𝑑𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 が参照グラフ
であることが確認された。つまり、同一の条件式を作れる対称性ならば、サイズが異な
ることは問題ないということだ。
Figure 7.6.15
anthracene と同じ変化させ方を s-indacene に適用したグラフ
𝑮𝒔−𝒊𝒏𝒅𝒂𝒄𝒆𝒏𝒆
。
𝟏
236
Table 7.6.3
Figure 7.6.15 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
1-2
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
1-2
−𝑖
4-5
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
4-5
−𝑖
5-6
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
5-6
𝑖
しかし、ペリ縮合分子である phenalene は、Figure 7.6.16 に示したように、明らか
に anthracene とは環状経路の対称性が異なる。条件式は、
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟2 + 𝐶𝑟3 = 0
{𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟5 + 𝐶𝑟6 = 0 ⋯ (7. 6. 44)
𝐶𝑟7 = 0
という三つの方程式で表される。
Figure 7.6.16
phenalene の取りうる環状経路。
三個の環が縮環した構造であるので、最低三か所の結合に対応する共鳴積分の変化を行
う必要がある。そこで、Figure 7.6.17 の組み合わせで参照グラフを探索することとす
る。条件式は、
cos 𝜃56 + cos 𝜃78 + cos 𝜃1112 = 0
{cos(𝜃56 + 𝜃78 ) + cos(𝜃56 + 𝜃1112 ) + cos(𝜃78 + 𝜃1112 ) = 0 ⋯ (7. 6. 45)
cos(𝜃56 + 𝜃78 + 𝜃1112 ) = 0
237
であるため、(7. 6. 45) 式を満たす解を求める。
Figure 7.6.17
𝒑𝒉𝒆𝒏𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
phenalene の変化させる結合の組み合わせ。このグラフを𝑮𝟏
と
する。
解の一例として、
5
𝜃56 = − 𝜋
6
𝜋
⋯ (7. 6. 46)
𝜃78 =
6
𝜋
{𝜃1112 = − 2
が挙げられる。この組み合わせで共鳴積分を変化させた Figure 7.6.18 のグラフの特性
𝑝ℎ𝑒𝑛𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒
多項式である、𝑃𝐺 𝑝ℎ𝑒𝑛𝑎𝑙𝑒𝑛𝑒 (𝑋) が phenalene の参照多項式と等しいことから、𝐺2
2
は参照グラフの一つであることが判明した。なお phenalene のような同じサイズの環
が一つの頂点を、すべての環で共有している分子を車輪型分子と定義し、後の節で規則
性について記述する。
Figure 7.6.18
𝒑𝒉𝒆𝒏𝒂𝒍𝒆𝒏𝒆
phenalene の共鳴積分項を変化させたグラフ𝑮𝟐
。
238
Table 7.6.4
Figure 7.6.18 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
5-6
5
exp ( 𝜋𝑖)
6
5-6
√3 1
− 𝑖
2
2
7-8
1
exp ( 𝜋𝑖)
6
7-8
√3 1
+ 𝑖
2
2
11-12
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
11-12
−𝑖
それでは、
s-indacene のように異なるサイズの環が縮環した構造ではどうだろうか。
そこで、acenephthylene について考察する。acenaphthylene の取りうる環状経路は
Figure 7.6.19 に示した。
Figure 7.6.19
acenaphthylene の取りうる環状経路。
環状経路より得られる条件式は、
𝐶𝑟1 = 0
𝐶𝑟2 + 𝐶𝑟3 = 0
𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟5 = 0 ⋯ (7. 6. 47)
𝐶𝑟6 = 0
{ 𝐶𝑟7 = 0
である。(7. 6. 45)式と(7. 6. 47)式を比較すると、その条件式は異なり、環状経路の対称
性が異なることが分かる。phenalene 同様の変化させる結合の組み合わせ(Figure
7.6.20)で参照グラフを探索する。
239
Figure 7.6.20
𝒂𝒄𝒆𝒏𝒂𝒑𝒉𝒕𝒉𝒚𝒍𝒆𝒏𝒆
𝑮𝟏
acenaphthylene の変化させる結合の組み合わせ。このグラフを
とする。
この組み合わせでの条件式は、
cos 𝜃45 = 0 ⋯ (7. 6. 48)
cos 𝜃78 + cos 𝜃1011 = 0 ⋯ (7. 6. 49)
cos(𝜃45 + 𝜃78 ) + cos(𝜃45 + 𝜃1011 ) = 0 ⋯ (7. 6. 50)
cos(𝜃78 + 𝜃1011 ) = 0 ⋯ (7. 6. 51)
cos(𝜃45 + 𝜃78 + 𝜃1011 ) = 0 ⋯ (7. 6. 52)
{
である。(7. 6. 48)式より、
𝜃45 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 6. 53)
2
2
で、(7. 6. 51) 式より、
𝜃78 + 𝜃1011 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 6. 54)
2
2
であるため、(7. 6. 52) 式から導かれる、
𝜃45 + 𝜃78 + 𝜃1011 =
𝜋
𝜋
,−
⋯ (7. 6. 55)
2
2
という条件式を満たすような解がないことが分かる。s-indacene と acenaphthylene の
ケースから、環状経路によって導かれる条件式が、同一のサイズの環が縮環した場合と
等しいときは、参照グラフが求まる。つまり環状経路の対称性が、同一のサイズの環が
縮環した分子から保たれるように、異なるサイズの環で置き換えた場合のみ、参照グラ
フが求まることが示唆される。
ここまでで、三個の環が縮環した構造の参照グラフを求めたわけだが、二環のときと
はことなり、この結果がすべてのサイズの環に適用できるわけではない。Figure 7.6.21
の二つのグラフのように、phenalene とは異なる形で、一つの頂点をすべての環が共有
240
している構造では、anthracene と phenalene とは環状経路の対称性が異なる。
Figure 7.6.21
三個の環が縮環した構造であるが、anthracene などとは、環状経路
による条件式が異なるグラフ。
なお、Figure 7.6.21a のグラフ構造は、クラスターの構造として存在する[クラスター
の論文]。Figure 7.6.22 を用いて、環状経路による条件式を求めると、
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟3 = 0
𝐶𝑟2 = 0
⋯ (7. 6. 56)
{
𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟5 = 0
𝐶𝑟6 = 0
である。なお Figure 7.6.21b のグラフ構造は、環状経路の対称性が Figure 7.6.21a と
同一なため、条件式は等しい。
Figure 7.6.22
Figure 7.6.21a のグラフ構造が取りうる環状経路。
anthracene 同 様 の 変 化 を さ せ た Figure 7.6.23 の グ ラ フ の 特 性 多 項 式
Figure 7.6.21𝑎
𝑃𝐺 Figure 7.6.21𝑎 (𝑋) は、Figure 7.6.21a の参照多項式と同一であるので、𝐺1
1
は
参照グラフである。
241
Figure 7.6.23
anthracene と同じ変化させ方を Figure 7.6.21a に適用したグラフ
𝐅𝐢𝐠𝐮𝐫𝐞 𝟕.𝟔.𝟐𝟏𝒂
𝑮𝟏
。
Table 7.6.5
Figure 7.6.23 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
1-3
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
1-3
𝑖
1-4
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
1-4
−𝑖
3-4
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
3-4
−𝑖
では、環状経路による条件式が異なるにも関わらず、anthracene と同じ変化のさせ方
で参照グラフが得られたことは偶然なのか。そこで、anthracene の環状経路によって
得られた条件式である (𝟕. 𝟔. 𝟑𝟒) 式と、Figure 7.6.21a の条件式である (𝟕. 𝟔. 𝟓𝟔) 式を比
較すると、(𝟕. 𝟔. 𝟑𝟒) 式の最後の行があるかないかの違いであることに気づく。つまり、
(𝟕. 𝟔. 𝟑𝟒) 式は (𝟕. 𝟔. 𝟓𝟔) 式を含む条件式である。参照グラフとなるためには、条件式が
すべて満たされる必要があるため、𝑮𝒂𝒏𝒕𝒉𝒓𝒂𝒄𝒆𝒏𝒆
は (𝟕. 𝟔. 𝟓𝟔) 式も同時に満たすこととな
𝟐
𝐅𝐢𝐠𝐮𝐫𝐞 𝟕.𝟔.𝟐𝟏𝒂
る。これより、𝑮𝒂𝒏𝒕𝒉𝒓𝒂𝒄𝒆𝒏𝒆
と同じ変化のさせ方をした構造である𝑮𝟏
𝟐
も参照
グラフとなるわけである。このことから、次のことが判明した。
グラフ 𝑮𝑨𝟏 の環状経路から導かれた条件式が、参照グラフ𝑮𝒓𝒆𝒇の環状経路から導かれた
条件式にすべて含まれていた場合、同様の変化をさせた𝑮𝑨𝟐 は参照グラフとなる。
この事実は、部分グラフの考え方と非常に近いが、anthracene と Figure 7.6.21a は
部分グラフの関係ではない。では、部分グラフが参照グラフである場合は、参照グラフ
242
が得られるのだろうか。ただし、部分グラフをつなぐことによって、新たな環状経路が
生じる場合は、また別の議論とする。anthracene と環状経路から導かれる条件式が同
一である fluorene が二個つながった 9,9'-bifluorenylidene の取りうる環状経路を
Figure 7.6.24 に 示 し た 。 fluorene で は 、 環 状 経 路 は 7 個 で あ っ た が 、
9,9'-bifluorenylidene になると、50 個の環状経路が存在する。そこで、anthracene の
変化のさせ方を 9,9'-bifluorenylidene に適用した Figure 7.6.25 のグラフ構造が参照グ
9,9′−bifluorenylidene
ラフとなるか確かめる。すると、𝐺1
9,9′−bifluorenylidene
た。ではどのように𝐺1
が参照グラフであることが判明し
が参照グラフとなるか確かめるために、Figure
7.6.24 の環状経路から条件式を求める。
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟3 + 𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟6 = 0
𝐶𝑟2 + 𝐶𝑟5 = 0
𝐶𝑟7 + 𝐶𝑟8 + 𝐶𝑟9 + 𝐶𝑟10 = 0
𝐶𝑟11 + 𝐶𝑟12 = 0
𝐶𝑟13 + 𝐶𝑟14 = 0
𝐶𝑟15 + 𝐶𝑟18 = 0
𝐶𝑟16 + 𝐶𝑟17 = 0
𝐶𝑟19 + 𝐶𝑟20 + 𝐶𝑟21 + 𝐶𝑟22 = 0
𝐶𝑟23 = 0
⋯ (7. 6. 57)
𝐶𝑟24 + 𝐶𝑟27 + 𝐶𝑟28 + 𝐶𝑟31 = 0
𝐶𝑟25 + 𝐶𝑟26 + 𝐶𝑟29 + 𝐶30 = 0
𝐶𝑟32 + 𝐶𝑟33 + 𝐶𝑟34 + 𝐶𝑟35 = 0
𝐶𝑟36 + 𝐶𝑟39 = 0
𝐶𝑟37 + 𝐶𝑟38 = 0
𝐶𝑟40 + 𝐶𝑟41 + 𝐶𝑟42 + 𝐶𝑟43 = 0
𝐶𝑟44 + 𝐶𝑟45 = 0
𝐶𝑟46 + 𝐶𝑟47 + 𝐶𝑟48 + 𝐶𝑟49 = 0
𝐶𝑟50 = 0
{
243
Figure 7.6.24
9,9'-bifluorenylidene の取りうる環状経路。
244
Figure 7.6.25
9,9'-bifluorenylidene に𝑮𝒂𝒏𝒕𝒉𝒓𝒂𝒄𝒆𝒏𝒆
の変化のさせ方を対応させたグ
𝟐
𝟗,𝟗′−𝐛𝐢𝐟𝐥𝐮𝐨𝐫𝐞𝐧𝐲𝐥𝐢𝐝𝐞𝐧𝐞
ラフ𝑮𝟏
Table 7.6.6
。
Figure 7.6.25 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
1-5
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
1-5
−𝑖
2-3
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
2-3
−𝑖
3-4
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
3-4
𝑖
14-15
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
14-15
−𝑖
15-16
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
15-16
𝑖
17-18
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
17-18
−𝑖
9,9′−bifluorenylidene
𝐺2𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 の変化のさせ方を対応させたグラフ𝐺1
は、(71)式より、
245
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟3 = 0
𝐶𝑟2 = 0
𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟6 = 0
𝐶𝑟5 = 0
𝐶𝑟7 + 𝐶𝑟8 = 0
⋯ (7. 6. 58)
𝐶𝑟9 + 𝐶𝑟10 = 0
𝐶𝑟11 = 0
𝐶𝑟12 = 0
𝐶𝑟13 = 0
{ 𝐶𝑟14 = 0
という条件が必然的に満たされる。しかし、(7. 6. 57) 式は、
𝐶𝑟15 + 𝐶𝑟18 = 0
𝐶𝑟16 + 𝐶𝑟17 = 0
𝐶𝑟19 + 𝐶𝑟20 + 𝐶𝑟21 + 𝐶𝑟22 = 0
𝐶𝑟23 = 0
𝐶𝑟24 + 𝐶𝑟27 + 𝐶𝑟28 + 𝐶𝑟31 = 0
𝐶𝑟25 + 𝐶𝑟26 + 𝐶𝑟29 + 𝐶30 = 0
𝐶𝑟32 + 𝐶𝑟33 + 𝐶𝑟34 + 𝐶𝑟35 = 0 ⋯ (7. 6. 59)
𝐶𝑟36 + 𝐶𝑟39 = 0
𝐶𝑟37 + 𝐶𝑟38 = 0
𝐶𝑟40 + 𝐶𝑟41 + 𝐶𝑟42 + 𝐶𝑟43 = 0
𝐶𝑟44 + 𝐶𝑟45 = 0
𝐶𝑟46 + 𝐶𝑟47 + 𝐶𝑟48 + 𝐶𝑟49 = 0
{
𝐶𝑟50 = 0
という式のみを考慮すればよいものの、𝐺2𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 の変化のさせ方を対応させたから、
必ず参照グラフになるためには、まだ条件式が多く残っている。なお、
𝜃15 = 𝜃1718 , 𝜃23 = −𝜃1516 , 𝜃34 = −𝜃1415 ⋯ (7. 6. 60)
であるが、依然として条件式がすべて満たされる保証はない。しかし、参照グラフが得
られるのは事実である。
そこで、fluorene と cyclopentadiene の参照グラフをつないだ Figure 7.6.26 のグラ
フが参照グラフであるかどうかを確かめる。すると、このグラフも参照グラフであるこ
とが判明した。しかしながら、この結果から、どのような組み合わせでも、参照グラフ
をつないだグラフが必ず参照グラフとなるという定理を導くことはできていない。
246
Figure 7.6.26
fluorene の参照グラフと cyclopentadiene の参照グラフをつないだグ
ラフ。
Table 7.6.7
Figure 7.6.26 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
1-5
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
1-5
−𝑖
2-3
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
2-3
−𝑖
3-4
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
3-4
𝑖
16-17
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
16-17
𝑖
では、カタ縮合同士でも𝜃𝑠𝑡 項が 𝜋⁄2 の倍数でない場合も成り立つのだろうか。そこ
で、naphthalene と fluorene をつなげた Figure 7.6.27 のグラフで確認する。しかしな
がら、このグラフは無理数の項を除けば、参照多項式と一致するという結果であったも
のの、参照グラフではなかった。Figure 7.6.27 では、naphthalene の環の対称性が破
綻していることが理由であるとも考えられる。
Figure 7.6.28 の fluorene の参照グラフと phenalene の参照グラフをつないだグラフ
を確認する。すると、Figure 7.6.27 のグラフ同様に、参照グラフとはならなかった。
phenalene の環状経路の対称性がやはり破綻していることが原因なのか、𝜃𝑠𝑡 項が 𝜋⁄2
247
の倍数でない参照グラフと、𝜃𝑠𝑡 項が 𝜋⁄2 の倍数である参照グラフでは、参照グラフ
を得られないのだろうか。では、𝜃𝑠𝑡 項が 𝜋⁄2 の倍数でない参照グラフ同士ならば、
参照グラフが得られるのだろうか。Figure 7.6.29 の phenalene の参照グラフが二個つ
ながったグラフを確認すると、参照グラフではなかった。これは、Figure 7.3.1 で示し
たように、phenalene の環状経路の対称性が、破綻したことが理由であるように思える。
以上より、参照グラフをつなげたグラフでは、環状経路の対称性が維持される場合に、
参照グラフとなり、環状経路の対称性が破綻する場合には参照グラフとならないことが
予想される。また、𝜃𝑠𝑡 項が 𝜋⁄2 の倍数であるかどうかが関係あるかは未知である。
Figure 7.6.27
fluorene の参照グラフと naphthalene の参照グラフをつないだグラ
フ。
248
Figure 7.6.28
fluorene と phenalene の参照グラフをつないだグラフ。ただし、参照
グラフではない。
Figure 7.6.29
phenalene の参照グラフ二個をつなげたグラフ。ただし、参照グラフ
ではない。
ここまでは、比較的環状経路の少ない系を対象としてきたことから、解析的に解いて
きたが、ここからは、4 個以上の環から形成される環状経路の多い系を扱うために、参
照グラフが得られるグラフ構造を示すことと、条件式を導くことに主眼点を置く。4 個
の環がペリ縮合した pyrene の取りうる環状経路は、Figure 7.6.30 に示した。
249
Figure 7.6.30
pyrene の取りうる環状経路。
環状経路より導かれる条件式は、
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟4 = 0
𝐶𝑟2 + 𝐶𝑟3 = 0
𝐶𝑟5 + 𝐶𝑟6 + 𝐶𝑟8 + 𝐶𝑟9 = 0
𝐶𝑟7 = 0
⋯ (7. 6. 61)
𝐶𝑟10 + 𝐶𝑟11 = 0
𝐶𝑟12 = 0
𝐶𝑟13 + 𝐶𝑟14 = 0
𝐶𝑟15 = 0
{
であり、この条件を満たす参照グラフを Figure 7.6.31 に示す。pyrene の構造は、
phenalene や phenanthrene に近いが、環状経路をみると、どちらにも属さないことが
分かる。また、pyrene の方が大きい分子であるが、phenanthrene や phenalene の条
件式を含まない。phenanthrene の環状経路から導いた (7. 6. 23) 式と (7. 6. 61) 式を比
較すると、明らかである。
phenanthrene に は な い r7 、 r10 、 r11 、 r15 と い っ た 環 状 経 路 に つ い て は 、
phenanthrene の条件式の集合に含まれないため問題ない。しかし、r2 と r3 のように、
phenanthrene に含まれる環状経路が複数あるため、条件式を含まないことが分かる。
250
Figure 7.6.31 の参照グラフは、変化させた結合が phenanthrene の構造に含まれるよ
うになっているが、phenanthrene に結合の変化のさせ方を適用した、Figure 7.6.32
は参照グラフではない。このように、環状経路の対称性が一致しない場合、部分グラフ
であっても参照グラフがそのまま得られるわけではない。
Figure 7.6.31
Table 7.6.8
pyrene の参照グラフの一つ。
Figure 7.6.31 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
4-5
1
exp ( 𝜋𝑖)
4
4-5
6-10
3
exp ( 𝜋𝑖)
4
6-10
12-13
1
exp (− 𝜋𝑖)
4
12-13
15-16
1
exp (− 𝜋𝑖)
4
15-16
直交座標表示
1
√2
−
+
1
√2
1
√2
1
√2
1
√2
+
−
−
𝑖
1
√2
1
√2
1
√2
𝑖
𝑖
𝑖
251
Figure 7.6.32
Figure 7.6.31 の変化のさせ方を phenanthrene に適用した参照グラ
フでない構造。
同じ 4 個の環が縮環した構造でも、異なる対称性をもつ Figure 7.6.33 に示したグラ
フについて考察する。
Figure 7.6.33
4 個の 3 員環が𝑫𝟑𝒉 の対称性で縮環したグラフの取りうる環状経路。
環状経路より導かれる条件式は、
252
𝐶𝑟1 + 𝐶𝑟3 + 𝐶𝑟4 = 0
𝐶𝑟2 = 0
𝐶𝑟5 + 𝐶𝑟6 + 𝐶𝑟7 = 0 ⋯ (7. 6. 62)
𝐶𝑟8 + 𝐶𝑟9 + 𝐶𝑟10 = 0
{
𝐶𝑟11 = 0
であり、この条件式を満たす参照グラフは、Figure 7.6.34 に示した。このグラフは対
称性が triphenylene と同一であるが、環状経路の観点では、triphenylene の条件式が
(7. 6. 62) 式を含む関係にある。つまり、Figure 7.6.21a のグラフと anthracene の関係
と同一である。先述したように、anthracene の参照グラフの取り方を Figure 7.6.21a
に適用すれば必ず参照グラフとなるが、その逆が成り立つ保証はない。そこで、
triphenylene に Figure 7.6.34 の共鳴積分項の変化のさせ方を適用した Figure 7.6.35
のグラフを確認した。このグラフは参照グラフではなく、やはり、Figure 7.6.23 と
𝐺2𝑎𝑛𝑡ℎ𝑟𝑎𝑐𝑒𝑛𝑒 の関係の逆は必ずしも成り立たないことのよい例である。
次に、tetraphenylene の参照グラフを探索する。tetraphenylene は triphenylene よ
り、
Figure 7.6.34
4 個の 3 員環が𝑫𝟑𝒉 の対称性で縮環した参照グラフ。
253
Table 7.6.9
Figure 7.6.34 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
1-2
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
1-2
−𝑖
1-3
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
1-3
𝑖
1-6
1
exp (− 𝜋𝑖)
6
1-6
√3 1
− 𝑖
2
2
2-3
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
2-3
−𝑖
2-5
3
exp (− 𝜋𝑖)
2
2-5
𝑖
3-4
5
exp (− 𝜋𝑖)
6
3-4
√3 1
+ 𝑖
2
2
Figure 7.6.35
triphenylene に Figure 7.6.34 の参照グラフの取り方を適用したグラ
フ。
254
Table 7.6.10
Figure 7.6.35 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
1-6
1
exp ( 𝜋𝑖)
6
1-6
√3 1
+ 𝑖
2
2
5-6
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
5-6
𝑖
7-8
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
7-8
−𝑖
7-11
3
exp (− 𝜋𝑖)
2
7-11
𝑖
9-10
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
9-10
−𝑖
9-15
5
exp (− 𝜋𝑖)
6
9-15
√3 1
+ 𝑖
2
2
一つベンゼン環が多い構造をしている。取りうる環状経路は、Figure 7.6.36 に示した。
これより導かれる条件式は、
𝐶𝑟1 = 0
𝐶𝑟2 + 𝐶𝑟3 + 𝐶𝑟4 + 𝐶𝑟5 = 0
𝐶𝑟6 + 𝐶𝑟7 + 𝐶𝑟8 + 𝐶𝑟9 = 0
𝐶𝑟10 + 𝐶𝑟11 + 𝐶12 + 𝐶13 = 0
𝐶𝑟14 + 𝐶𝑟15 = 0
𝐶𝑟16 + 𝐶𝑟17 + 𝐶𝑟18 + 𝐶𝑟19 = 0 ⋯ (7. 6. 63)
𝐶𝑟20 = 0
𝐶𝑟21 + 𝐶𝑟23 + 𝐶𝑟24 + 𝐶𝑟26 = 0
𝐶𝑟22 + 𝐶25 = 0
𝐶𝑟27 + 𝐶𝑟28 + 𝐶𝑟29 + 𝐶30 = 0
𝐶31 = 0
{
であり、これを満たす参照グラフの一つとして、Figure 7.6.37 が挙げられる。phenylene
系でも、環状経路の対称性が異なるので、同様の共鳴積分の変化のさせ方を適用したか
らといって、必ず参照グラフとなるわけではない。それぞれの条件式を満たすときのみ、
参照グラフが得られる。
255
Figure 7.6.36
tetraphenylene の取りうる環状経路。
256
Figure 7.6.37
Table 7.6.11
tetraphenylene の参照グラフの一つ。
Figure 7.6.37 の変化のさせ方をした際の共鳴積分項。
変化させる結合
極形式表示
変化させる結合
直交座標表示
1-8
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
1-8
𝑖
1-17
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
1-17
𝑖
3-13
1
exp ( 𝜋𝑖)
2
3-13
𝑖
5-9
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
5-9
−𝑖
7-21
1
exp (− 𝜋𝑖)
2
7-21
−𝑖
7.7. 車輪型分子の参照グラフ
phenalene の項で定義した車輪型分子の参照グラフには、一般式が存在することを見
出したので、この節で示す。
257
Figure 7.7.1
車輪型分子に与える共鳴積分の変化のさせ方の模式図。
n 個の環が縮合した車輪型分子の各環の外輪の結合を Figure 7.7.1 のように 1 か所ずつ
順番に
𝑒𝑥𝑝 (−
1 + 4𝑚
𝜋𝑖) (𝑚 = 0,1,2, ⋯ , 𝑛 − 1) ⋯ (7. 7. 1)
2𝑛
と変化させ、式のように共鳴積分をとった特性多項式は、もとの車輪型分子の参照多項
式に等しい。
0
|
𝑒
(
0
⋮
|
|
1
𝜋𝑖)
2𝑛
0
𝑒
{−
1+4(𝑛−1)
𝜋𝑖}
2𝑛
1
𝑒
𝑒
(−
(
1
𝜋𝑖)
2𝑛
0
0
⋯
0
⋮
⋮
0
⋮
⋮ | ⋯ (7. 7. 2)
0
0
⋱
⋱
⋱
⋱
⋯
⋱
⋮
⋱
⋱
⋱
1+4
𝜋𝑖)
2𝑛
0
⋯
⋯
⋯
1+4(𝑛−1)
𝜋𝑖}
2𝑛
0
1+4
(−
𝜋𝑖)
𝑒 2𝑛
0 𝑒
⋯
{
1+4(𝑛−2)
𝜋𝑖}
2𝑛
⋯
𝑒
{
⋯
𝑒
1+4(𝑛−2)
{−
𝜋𝑖}
2𝑛
0
1
1
⋮
1
0
|
|
[証明]
n 個の環が縮合した車輪型分子のサーキットについてまず考える。𝐺ℎ を h 個の環か
らなるサーキットの集合とおき、(7. 7. 1) 式の共鳴積分をとる環を
1 (𝑚
𝐶𝑚
= 0,1,2, ⋯ , 𝑛 − 1) ⋯ (7. 7. 3)
とおく。さらに、サーキットの構成要素となる環が複数ある場合についてはその環の m
258
が一番小さいもので特定することとする。つまり、𝐶31 と 𝐶41 で構成されるサーキット
は 𝐶32 とする。これらの規則に従うと、n 個の環が縮合した車輪型分子のすべてのサー
キットは (7. 7. 4) 式で表わされる。
1
𝐺1 = {𝐶𝑚
|𝑚 = 0,1,2, ⋯ 𝑛 − 1}
2
𝐺2 = {𝐶𝑚
|𝑚 = 0,1,2, ⋯ 𝑛 − 1}
⋮
𝑘
⋯ (7. 7. 4)
𝐺𝑘 = {𝐶𝑚
|𝑚 = 0,1,2, ⋯ 𝑛 − 1}
⋮
𝑛−1
𝐺𝑛−1 = {𝐶𝑚
|𝑚 = 0,1,2, ⋯ 𝑛 − 1}
𝐺𝑛 = {𝐶0𝑛 }
{
1
1
𝑘
1
こ こ で 、 𝐶𝑚
は {𝐶𝑚
, 𝐶𝑚+1
, ⋯ , 𝐶𝑚+𝑘−1
} で 構 成 さ れ る た め 、 (7. 7. 1) 式 の (𝑚 =
0,1,2, ⋯ , 𝑛 − 1) という条件式からはみ出すことがある。しかし、そのはみ出した場合の
共鳴積分は
𝑒𝑥𝑝 (−
1 + 4(𝑛 + 𝑎)
𝜋𝑖) (𝑎 = 0,1,2, ⋯ ) ⋯ (7. 7. 5)
2𝑛
で与えられる。つまり、
𝑒𝑥𝑝 (−
1 + 4(𝑛 + 𝑎)
1 + 4𝑎
1 + 4𝑎
𝜋𝑖) = 𝑒𝑥𝑝 (−
𝜋𝑖 − 2𝜋𝑖) = 𝑒𝑥𝑝 (−
𝜋𝑖)
2𝑛
2𝑛
2𝑛
より、
1
1
𝐶𝑚
= 𝐶𝑚+𝑛
⋯ (7. 7. 6)
であるので、(7. 7. 4) 式の定義に従ってサーキットを特定することで、その共鳴積分も
表される。
1
では各サーキットを取ったときの共鳴積分の一般式について考える。𝐶𝑚
のサーキッ
トを取ったときの共鳴積分は
𝑒𝑥𝑝 (−
1 + 4𝑚
𝜋𝑖) (𝑚 = 0,1,2, ⋯ , 𝑛 − 1) ⋯ (7. 7. 7)
2𝑛
𝑘
で表される。𝐶𝑚
(𝑘 = 2,3, ⋯ 𝑛 − 1) のサーキットを取ったときの共鳴積分は
𝑘−1
∏ 𝑒𝑥𝑝 {−
ℎ=0
1 + 4(𝑚 + ℎ)
2𝑚𝑘
2𝑘 2 − 𝑘
𝜋𝑖} = {𝑒𝑥𝑝 (−
𝜋𝑖)} × {𝑒𝑥𝑝 (−
𝜋𝑖)} ⋯ (7. 7. 8)
2𝑛
𝑛
2𝑛
で表される。また 𝐶0𝑛 の共鳴積分は
exp (−
2n2 − n
2n − 1
πi) = exp (−
πi) ⋯ (7. 7. 9)
2n
2
259
で表される。このように共鳴積分をおいた車輪型分子の特性多項式が参照多項式に等し
いということは、各次数においてサーキットにおける寄与の和がすべてゼロであるとい
うことに等しい。つまり、𝐺1 から𝐺𝑛 までの各集合における共鳴積分の和が、それぞれ
ゼロであるということである。以下にこの条件を満たすことを示す。
まず、𝐺1 については
𝑛−1
𝑛−1
𝑚=0
𝑚=0
𝑚
1 + 4𝑚
1
2
∑ 𝑒𝑥𝑝 (−
𝜋𝑖) = [ ∑ {𝑒𝑥𝑝 (− 𝜋𝑖)} × {𝑒𝑥𝑝 (− 𝜋𝑖)} ] ⋯ (7. 7. 10)
2𝑛
2𝑛
𝑛
(7. 7. 10) 式のように等比数列の和に変形できるので、
𝜋𝑖
{𝑒𝑥𝑝 (− 2𝑛)} × {−1 + 𝑒𝑥𝑝(−2𝜋𝑖)}
2𝜋𝑖
−1 + 𝑒𝑥𝑝 (− 𝑛 )
⋯ (7. 7. 11)
ここで、𝑒𝑥𝑝(−2𝜋𝑖) = 1 より、(7. 7. 10) 式はゼロである。つまり、𝐺1 についてはサーキ
ットの寄与の和はゼロとなる。次に、𝐺𝑘 (𝑘 = 2,3, ⋯ , 𝑛 − 1) について考える。各サー
キットの一般式は (7. 7. 8) 式で表されるので、各 𝐺𝑘 における共鳴積分の和は
𝑛−1
∑ [{𝑒𝑥𝑝 (−
𝑚=0
2𝑚𝑘
2𝑘 2 − 𝑘
𝜋𝑖)} × {𝑒𝑥𝑝 (−
𝜋𝑖)}]
𝑛
2𝑛
𝑛−1
= ∑ [{𝑒𝑥𝑝 (−
𝑚=0
𝑚
2𝑘 2 − 𝑘
2𝑘
𝜋𝑖)} × {𝑒𝑥𝑝 (− 𝜋𝑖)} ] ⋯ (7. 7. 12)
2𝑛
𝑛
となり、等比数列の和に変形できるので、
−
{𝑒𝑥𝑝 (−
2𝑘 2 − 𝑘
2𝑘
𝜋𝑖)} × [1 − 𝑒𝑥𝑝 {− 𝜋𝑖(1 + 𝑛 − 1)}]
2𝑛
𝑛
2𝑘𝜋𝑖
−1 + 𝑒𝑥𝑝 (− 𝑛 )
2𝑘 2 − 𝑘
{𝑒𝑥𝑝 (− 2𝑛 𝜋𝑖)} × {1 − 𝑒𝑥𝑝(−2𝑘𝜋𝑖)}
=−
⋯ (7. 7. 13)
2𝑘𝜋𝑖
−1 + 𝑒𝑥𝑝 (−
)
𝑛
となる。ここで、(𝑘 = 2,3, ⋯ , 𝑛 − 1) なので 𝑒𝑥𝑝(−2𝑘𝜋𝑖) = 1 なので、(7. 7. 13)式はゼ
ロである。つまり𝐺𝑘 (𝑘 = 2,3, ⋯ , 𝑛 − 1) については、各 k における各サーキットの寄
与の和はゼロとなる。
最後に、𝐺𝑛 について考える。𝐺𝑛 は一つの項しかないので、複素共役を考えると、
260
𝑒𝑥𝑝 (−
̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅̅
2𝑛 − 1
2𝑛 − 1
2𝑛 − 1
𝜋𝑖) + 𝑒𝑥𝑝 (−
𝜋𝑖) = 2 𝑐𝑜𝑠 (−
𝜋) ⋯ (7. 7. 14)
2
2
2
を解けばよい。n は 3 以上の自然数なので、2𝑛 − 1 は奇数である。よって
𝑐𝑜𝑠 (−
2𝑛 − 1
𝜋) = 0 ⋯ (7. 7. 15)
2
であり、サーキットの寄与はゼロとなる。以上より、すべてのサーキットの寄与はゼロ
であり、(7. 7. 2) 式のような永年行列式を解くと共鳴積分を置き換えていない車輪型分
子の参照多項式に等しい。
[補足]
𝑒𝑥𝑝 (−
1 + 4𝑚
𝜋𝑖) (𝑚 = 0,1,2, ⋯ , 𝑛 − 1) ⋯ (7. 7. 16)
2𝑛
は
𝑋 𝑛 + 𝑖 = 0 ⋯ (7. 7. 17)
の解である。
[証明]
𝑒𝑥𝑝(𝑖𝜃) = 𝑐𝑜𝑠 𝜃 + 𝑖 𝑠𝑖𝑛 𝜃 ⋯ (7. 7. 18)
より 𝑒𝑥𝑝(𝑖𝜃) = −𝑖 となるのは、
𝜋
𝜃 = − − 2𝑚𝜋 (𝑚は整数) ⋯ (7. 7. 19)
2
のときである。𝑋 = 𝑒𝑥𝑝(𝑖𝜃) とすると
𝑋 𝑛 = 𝑒𝑥𝑝(𝑖𝑛𝜃) ⋯ (7. 7. 20)
なので、𝑋 𝑛 = −𝑖 となるのは
𝑛𝜃 = −
𝜋
− 2𝑚𝜋 ⋯ (7. 7. 21)
2
のときであり、
𝜃=−
1 + 4𝑚
𝜋 ⋯ (7. 7. 22)
2𝑛
である。つまり、(7. 7. 16) 式 は (7. 7. 17) 式の解である。
261
7.8. 結論
Graovac らが示した 2 環縮環系までの参照グラフが得られるという既知の事実に対
して、本章では対象とする系の拡張と分析を行った。とりわけ、参照グラフを得るため
の手順の一端を示し、条件式を作成する方法を開発した。この方法により、条件式を作
成し、連立方程式を解くという簡単な作業で参照グラフが得られることが判明した。ま
た、車輪型という特殊な系においては、数式的に証明することに成功し、解析的に導く
ことを可能とした。しかし、他の多環式共役系においては、一般式を発見するまでには
至っていない。それでも、2 環縮環系からの拡張という面では、大きな前進をした。こ
れらの参照グラフの考え方を用いて、更なる理論の発展も望まれる。参照グラフでの、
電荷密度や結合次数などを解析することにより、環状共役による寄与が存在しない構造
と、存在する構造での差異などの解析をすることで、更なる発見も得られるだろう。
7.9. 参考文献
1.
H. Hosoya, Theor. Chim. Acta (Berl.) 1972, 25, 215.
2.
H. Hosoya, Bull. Chem. Soc. Jpn. 1971, 44, 2332.
3.
H. Hosoya, Monatsh. Chem. 2005, 136, 1037-1054.
4.
I. Gutman, Monatsh. Chem. 2005, 136, 1055-1069.
5.
Topological Approach to the Chemistry of Conjugated Molecules, by A.
Graovac, I. Gutman, N. Trinajstić, Springer, Berlin, Heidelberg, New York,
Tokyo, 1977.
6.
Mathematical Concepts in Organic Chemistry, by I. Gutman, O. E. Polansky,
Springer, Berlin, Heidelberg, New York, Tokyo, 1986.
7.
A. Graovac, I. Gutman, N. Trinajstić, T. Živković, Theor. Chim. Acta. 1972, 26,
67.
8.
J. Aihara, J. Am. Chem. Soc. 1976, 98, 2750.
9.
A. Graovac, Chem. Phys. Lett. 1981, 82, 248.
10. D. Babić, A. Graovac, B. Mohar, T. Pisanski, Discrete Applied Mathematics
1986, 15, 11-24.
11. J. Aihara, Bull. Chem. Soc. Jpn. 1979, 52(5), 1529-1530.
262
12. N. Mizoguchi, J. Math. Chem. 1993, 12, 265-277.
13. Y. Weigen, Y. Yeong-nan, Z. Fuji, Int. J. Quantum Chem. 2005, 105, 124-130.
14. R. Chauvin, C. Lepetit, P. W. Fowler, J.-P. Malrieu, Phys. Chem. Chem. Phys.
2010, 12, 5295-5306.
263
8. 過 剰 に 見 積 も ら れ た benzene の
Homodesmotic Stabilization Energy
8.1. 概要
芳香族性についての指標はさまざまなものが提唱されている。定義の仕方や、対象と
する物理量は異なるが、そのいずれも、類似の鎖状ポリエンと環状共役分子の違いによ
って芳香族性を決めている。しかし鎖状ポリエンの選び方については、各々の理論で多
少の違いはあるが、いずれにしても根拠に乏しい。本研究では、鎖状ポリエンと環状共
役分子の原子化エネルギーの違いにより定義された芳香族性の指標である
Homodesmotic Stabilization Energy (HSE) に注目する。HSE では、鎖状ポリエンに
加成性があることを利用した等結合反応により、環状共役による安定性を定義する。し
かし HSE の代表的な例である benzene の HSE について、ethylene と butadiene によ
る HSE と、butadiene と hexatriene による HSE で数 kcal mol-1 の差がある。現状で
は、どちらがより正確な芳香族性を表しているのか、判断することはできない。そこで
鎖状共役分子の選び方による誤差の指摘と正しい選び方を示す。これにより、既存の
HSE が大きく見積もられていたことを報告する。
8.2. 導入
芳香族性とは環状共役による特別な安定性であり、定義方法なども含めて百有余年か
けて議論されている。
エネルギー的な指標としては Dewar Resonance Energy (DRE)、
HSE、Hess-Schaad Resonance Energy (HSRE)、 Topological Resonance Energy
(TRE) が知られている[1-4]。中でも、TRE は汎用性が高く、現在存在する指標の中で
は最も優れているだろう。DRE と HSE は断熱共鳴エネルギー (ARE) であり、HSRE
と TRE は垂直共鳴エネルギー (VRE) である。また、芳香族性は熱力学的な安定性を
指すが、その性質上、磁化率や環電流によっても定義されている[5-9]。磁化率に基づく
芳香族性の指標としては Nucleus-Independent Chemical Shift (NICS) がよく知られ
ている[8]。また芳香族性を判断する構造的な違いとして、結合交替の有無が挙げられ
る[10]。
いずれにしても、芳香族性は環状構造特有の性質を表すため、鎖状ポリエンとの違い
264
に着目して定義されている。たとえば、DRE では、原子化熱に対して、鎖状ポリエン
では加成性が成り立つが、芳香族分子では成り立たないということの違いによって芳香
族性を定義している[1]。この鎖状ポリエンの加成性を発見したことで、芳香族性の研
究は飛躍的に発展した。一方、TRE はヒュッケル分子軌道法をグラフ理論的に解釈す
ることで、芳香族分子に対して芳香族性を除外した参照構造を定義して、元の分子と参
照構造のヒュッケルエネルギーの差によって芳香族性を定義している[4]。この参照構
造が、鎖状共役系を仮定したものとなっている。ただし参照構造は、構造的に分子構造
と同一であり、VRE である。
こういった芳香族性の定義はいずれも鎖状共役系との違いに注目している。芳香族性
の定義の方法によって、その度合いは異なる。芳香族性の定義の仕方として、ARE と
VRE のどちらがよいといった議論や、どの方法が優れているといった議論もある。し
かしながら本研究では、定義の方法論を議論することはない。HSE の枠組みの中で、
芳香族性の議論として精度を上げる方法を示し、その他の方法論にも拡張していくこと
を目指す。HSE は環状共役分子と鎖状共役分子の等結合反応を仮定し、芳香族的結合
がなかったら、その原子化エネルギーは等しくなるという仮定に基づいて定義されてい
る。実際は芳香族分子には、鎖状共役分子にはない特段の安定性があるため、原子化エ
ネルギーに差が生じ、その差を HSE と定義し芳香族性の指標としているのである。本
質的には DRE に近く、ARE の一種である。
しかしながら、仮定に基づいて定義されているためか、仮定の検証はされていない。
仮定の検証は、方法論の精度を議論する上で重要である。同様に、どのような鎖状共役
系を取ればよいのかということについては仮定的に決定しているのが現状である。そこ
で、本研究では benzene の HSE に焦点を当てて、
鎖状共役系の取り方を新たに開発し、
既存の HSE と比較する。これにより、既存の HSE は過剰に見積もられていたことを
指摘する。
8.3. 理論
benzene の HSE は
benzene + 3C2 H4 → 3C4 H6 ⋯ (8. 3. 1)
(8. 3. 1) 式に基づき計算され、さまざまな量子化学的方法で計算されている[11-14]。こ
265
の反応では左辺と右辺で結合タイプと数が一致する等結合反応である。仮に、この反応
がすべて鎖状共役系ならば、加成性が成り立ち左辺と右辺での原子化熱の差はゼロであ
るはずである[1]。しかし、benzene のような芳香族分子があると、等結合反応であっ
ても加成性は成り立たず左辺と右辺で原子化熱の差がゼロにならない。この差が環状共
役特有の安定性を表すとするのが HSE の原理である。しかし、この原理を実現するた
めには考慮すべき問題がある。鎖状共役系ならば加成性が成り立つというのは本当なの
かということだ。HSE の理論には不可欠なことであるので、確実に実証すべきことだ
ろう。
(8. 3. 1) 式に用いられている鎖状分子はいずれも共役系の端にあたり、系としてあま
り正しくないように思われる。
2C2n H2n+2 → C2(n−1) H2(n−1)+2 + C2(n+1) H2(n+1)+2
⋯ (8. 3. 2)
そこで、(8. 3. 2) 式の鎖状分子における等結合反応を考え加成性の確認をする。この反
応における左辺と右辺の差を鎖状分子における chain HSE (cHSE) として定義する。
cHSE がゼロに近ければ近いほど、HSE に適した鎖状分子であるといえる。また、例
え理論的に十分でも、HSE の値が数値的に妥当かどうかということも、量子化学計算
を用いるので、その値の精度を確認する必要がある。今回計算する鎖状分子は結合交替
が入る分子である。そこで、そのような分子に適していると言われている KMLYP を
構造最適化に用いる[15]。また、KMLYP は今回のような反応熱に対してよい値を与え
ることが知られている。
8.4. 結果と考察
本研究では C2n+2 H2n+4 (n = 0 − 14) で表される共役直鎖分子 (Figure 8.4.1) と芳
香族分子である benzene を用いる。
266
Figure 8.4.1
共役鎖状分子 𝐂𝟐𝐧+𝟐 𝐇𝟐𝐧+𝟒 。
これらの分子について原子化熱などエネルギーを量子化学計算によって求めるが、まず
その分子構造の最適化を行わなくてはならない。そこでまず、構造から HSE に適して
いる系とはどのような系なのかを考察する。DFT 法で、B3LYP/6-311+G(2d,p)、BH and
HLYP/6-311+G(2d,p) と KMLYP/6-311+G(d,p) の 3 つの方法で構造最適化し、それぞ
れの構造を比較した。Figure 2 の構造に従った結合長を Table 8.4.1 と Figure 8.4.3 に
まとめた。
Figure 8.4.2. 共役直鎖炭化水素。
267
Table 8.4.1 𝐂𝟐𝐧+𝟐 𝐇𝟐𝐧+𝟒 の各方法における結合長 (Å)。
a. B3LYP/6-311+G(2d,p)
n
0
1
2
3
4
a
1.3254
1.3350
1.3377
1.3388
1.3392
1.4539
1.4465
1.4443
1.4433
1.3465
1.3500
1.3515
1.4379
1.4347
b
c
d
e
1.3541
n
5
6
7
8
9
a
1.3395
1.3396
1.3397
1.3398
1.3397
b
1.4429
1.4425
1.4424
1.4424
1.4427
c
1.3523
1.3526
1.3529
1.3530
1.3531
d
1.4332
1.4326
1.4321
1.4319
1.4319
e
1.3558
1.3566
1.3572
1.3574
1.3578
f
1.4311
1.4297
1.4287
1.4282
1.4278
1.3576
1.3587
1.3592
1.3598
1.4279
1.4268
1.4260
1.3597
1.3607
g
h
i
j
1.4255
268
b. BH and HLYP/6-311+G(2d,p)
n
0
1
2
3
4
a
1.3158
1.3239
1.3250
1.3257
1.3259
1.4512
1.4454
1.4437
1.4432
1.3319
1.3343
1.3352
1.4379
1.4366
b
c
d
e
1.3369
n
5
6
7
8
9
a
1.3260
1.3260
1.3261
1.3261
1.3261
b
1.4431
1.4431
1.4429
1.4428
1.4428
c
1.3355
1.3357
1.3358
1.3358
1.3358
d
1.4357
1.4354
1.4353
1.4352
1.4351
e
1.3379
1.3384
1.3386
1.3386
1.3387
f
1.4343
1.4334
1.4330
1.4329
1.4327
1.3390
1.3395
1.3397
1.3398
1.4325
1.4320
1.4318
1.3399
1.3402
g
h
i
j
1.4316
269
c. KMLYP/6-311+G(d,p)
n
0
1
2
3
4
a
1.3120
1.3190
1.3207
1.3213
1.3215
1.4432
1.4375
1.4360
1.4355
1.3271
1.3294
1.3301
1.4309
1.4290
b
c
d
e
1.3318
n
5
6
7
8
9
a
1.3216
1.3216
1.3217
1.3217
1.3217
b
1.4353
1.4352
1.4351
1.4351
1.4351
c
1.3305
1.3306
1.3307
1.3308
1.3308
d
1.4283
1.4280
1.4278
1.4276
1.4277
e
1.3327
1.3331
1.3333
1.3334
1.3335
f
1.4270
1.4262
1.4258
1.4255
1.4255
1.3337
1.3342
1.3344
1.3345
1.4253
1.4247
1.4247
1.3346
1.3348
g
h
i
j
1.4245
270
a. B3LYP/6-311+G(2d,p)による結合長の分布(n=0-13)。
b. BH and HLYP/6-311+G(2d,p)による結合長の分布(n=0-9)。
271
c. KMLYP/6-311+G(d,p)による結合長の分布(n=0-14)。
Figure 8.4.3. 𝐂𝟐𝐧+𝟐 𝐇𝟐𝐧+𝟒 の各方法における結合長の分布。縦軸が結合長であり、横軸
が原子数 n を示す。それぞれの方法で、n の範囲が異なるが、構造最適化が完了したも
のを載せているためである。また、同じプロットスタイルがあるが、若いアルファベッ
トで示す方が短い結合長を示している。
これら結合のタイプ a、b、⋯、j は a から端の結合でだんだん中心に近づくようにし
てある。すべての方法に共通しているのは結合のタイプが中心に近づくほど Figure
8.4.3 のプロットの縦軸の中心に近づいている。つまり結合タイプが中心のものほど、
結合交替の長い方の結合は短く、短い方の結合は長くなる傾向がある。また結合のタイ
プが同じでも原子数が大きくなるにつれて中心に近づいている。結合交替の度合いは、
鎖状分子の端からの位置で異なり、端から遠いほど結合交替は小さくなる。例えば結合
タイプ a では n=0 のときが最も短い結合長であり、n=3 くらいまで結合長が増加する。
しかしながら、タイプ a でもそうであるが、n=4 くらいからほぼ増減がなくなっている
のが分かる。つまり、原子数が増加しても、ある程度以降は端の結合長は変化しないと
いうことだ。また、結合タイプが中心に近いほど、結合長の差は小さくなっている。例
えば、タイプ c とタイプ e の差よりタイプ g とタイプ i の差のほうが小さくなっている。
272
この差が小さい結合タイプが多ければ多いほど HSE に適した系であると予想される。
これらの結果でもう一つ注目すべきは、いずれの方法でも結合が長い短いと交互にな
る結合交替が存在するということだ。芳香族分子の結合交替は、共役鎖状分子よりも小
さい。結合交替の度合いはπ電子系に影響すると考えられている。今回は、なるべく結
合交替を正しく入れられる系を目指す。しかしながら、その程度については方法によっ
て多少の違いがあるようだ。そこで、いくつかの分子構造について比較してみる[16,17 ]。
また各方法での結合交替については、それぞれの原子数における長い結合の平均と短
い結合の平均をとってその差をもって比較する。
この結果を Table 8.4.2 と Figure 8.4.4
にまとめた。原子数が多くなるにつれて結合交替の度合いが小さくなっていることがわ
かる。このことと Table 8.4.1 の原子数の増加に対する結合 a の結合長の変化があまり
ないことを踏まえると、原子数が増加するほど中心に近い結合では結合交替が小さくな
り、徐々に一定の値に近づいているように思われる。しかし、計算コストという制限、
本研究における目的から、大きな原子数についての計算は行っていない。また、その変
化の度合いが B3LYP で一番大きく、KMLYP と BH and HLYP はさほど差がない。
HSE に適する系としては、結合交替が一定に近づいているほどよいので、この面で
も B3LYP は不適格であるといえるだろう。Table 8.4.2 の結合交替の値は長い結合と短
い結合の 2 種類に分類して平均をとったため、端の結合と中心付近の結合を区別してい
ない。当然ながら、原子数が大きくなればなるほど、端の結合と端でない結合の比率が
変化して、端でない結合の寄与が大きくなる。これは、共役直鎖分子である以上仕方が
ないことである。つまり、理論的に変化がなくなり一定値に収束することはあまり期待
できないのだ。このことから、構造的に HSE に適した系を判断するのは困難であるこ
とが分かる。
273
Table 8.4.2. 𝐂𝟐𝐧+𝟐 𝐇𝟐𝐧+𝟒に対する各方法における結合交替 (Å)。
n
B3LYP
BH and HLYP
KMLYP
1
0.1189
0.1281
0.1242
2
0.1044
0.1169
0.1136
3
0.0967
0.1109
0.1081
4
0.0907
0.1072
0.1045
5
0.0866
0.1046
0.1019
6
0.0833
0.1025
0.1000
7
0.0807
0.1009
0.0985
8
0.0785
0.0997
0.0972
9
0.0766
0.0987
0.0965
Figure 8.4.4. 各方法における結合交替。横軸が𝐂𝟐𝐧+𝟐 𝐇𝟐𝐧+𝟒 の(n=1-9)であり、縦軸が
結合交替 (Å)である。
ここで、原点に帰って考えてみよう。HSE とは (8. 3. 1) 式において両辺の結合のタイ
274
プと数が維持されることが重要である。これにより、両辺の原子化熱が等しくなるはず
で、その差が芳香族による安定化だという考え方である。ところが、上述したように
ethylene と butadiene には加成性が成り立たない。つまり、ethylene と butadiene を
用いた既存の HSE では、(8. 3. 1) 式の左辺と右辺の原子化熱の差の中に ethylene と
butadiene に基づく差が含まれているのだ。既存の HSE は芳香族による安定化を過剰
評価してしまっていると考えられる。そこで共役直鎖炭化水素の鎖を長くすることでそ
の過剰分を幾分か小さくできる。しかし、これではどの程度ならば信頼できる値なのか
という評価基準がない。
そこで本研究で提案するのが(8. 3. 2) 式に基づく cHSE である。これは、HSE の左辺
と右辺で分子同士による差が生まれることが HSE の過剰評価につながることから、鎖
状分子同士の加成性を評価するという考え方だ。鎖状分子同士の加成性が十分に成り立
つならば、HSE の左辺と右辺における分子同士による差が十分無視できるということ
である。つまり、cHSE がゼロに近ければ近いほど HSE に適した分子であるという評
価基準を作ることになる。計算には上述したように構造の再現性が高く、さらに原子化
熱や結合エネルギーをよく再現する KMLYP を用いる。また、計算に用いる初期構造
による違いなどを考慮し、いくつかの初期構造から Global Minimum を求めた。Table
8.4.3 に各初期構造からの構造最適化によって得られた共役直鎖状分子C2n+2 H2n+4 (n =
0 − 14)の原子化熱をまとめた。
Global Minimum は一つの初期構造から得られるものではない。残念ながら、Table
8.4.3 に示した値の最小値を取ったところで、更に安定な構造があるかも分からないの
である。つまり前述した最小値や Global Minimum といった言葉は、私が計算した中
での最小値や Global Minimum といったことである。そこで、これらの最小値で本当
に十分な精度があるのか確かめる必要がある。共役系の端の寄与を除くために、二つの
共役系の端からなる C4H6 とのエネルギー差をとる unit sturucture(Figure 8.4.5)を考
え、このエネルギーである energy of unit structure の変化をみる。この結果を Table
8.4.4 と Figure 8.4.6 にまとめた。もし、妥当なエネルギー値を与える Global Minimum
がそれぞれの n について得られているならば、その unit structure のエネルギー変化は
滑らかに推移すると考えられる。
Figure 8.4.6 の曲線は十分滑らかであり、Table 8.4.4 の energy difference per unit
275
structure をみても、その値が徐々にゼロに近づいていく様子が分かるだろう。つまり、
得られた Global Minimum は、それぞれの n において特異な構造はなく、求めたい直
鎖共役炭化水素であることが分かった。仮に energy difference per unit structure が
ゼロとなっていれば、unit structure は n が変化しても同一のものであるとみなせるだ
ろう。最大の n であるC30 H32では-0.0002 eV であるので、unit structure として変化が
ない。得られた Global Minimum は HSE を求めるのに十分な系である。
この結果より、
今後の計算では Global Minimum を用いる。
Table 8.4.3. 各初期構造から構造最適化した結果を用いた原子化熱(eV)と、最小値
(Global Minimum) 。 赤 字 は Global Minimum に 対 応 す る 。 計 算 は す べ て
KMLYP/6-311+G(d,p)で行った。それぞれの初期構造は以下のように決めた。
A: C-C 結合の中で中心の結合を 1.6Åにした初期構造
B: C-C 結合の中で端の二つの結合を 1.6Åにした初期構造
C: C-C 結合全てを 1.4Åにした初期構造
tight: 構造最適化の判定条件を tight にして計算
①上述し
②A
た計算
tight
C2H4
-23.778
-23.778
C4H6
-42.965
-42.965
-42.965
C6H8
-62.199
-62.199
C8H10
-81.447
C10H12
③B
④B
tight
⑤C
⑥C
tight
⑦最小値
-23.778
-23.778
-23.778
-42.965
-42.965
-42.965
-42.965
-62.199
-62.199
-62.199
-62.199
-62.199
-81.447
-81.447
-81.447
-81.447
-81.447
-81.447
-100.701
-100.701
-100.701
-100.701
-100.701
-100.701
-100.701
C12H14
-119.956
-119.956
-119.956
-119.956
-119.956
-119.956
-119.956
C14H16
-139.213
-139.213
-139.213
-139.213
-139.213
-139.213
-139.213
C16H18
-158.469
-158.469
-158.469
-158.469
-158.470
-158.469
-158.470
C18H20
-177.728
-177.728
-177.728
-177.728
-177.728
-177.728
-177.728
C20H22
-196.986
-196.986
-196.986
-196.986
-196.986
-196.986
-196.986
C22H24
-216.243
-216.243
-216.243
-216.243
-216.243
-216.243
-216.243
C24H26
-235.501
-235.501
-235.501
-235.502
-235.502
-235.502
-235.502
C26H28
-254.759
-254.758
-254.759
-254.759
-254.759
-254.759
-254.759
C28H30
-274.017
-274.015
-274.017
-274.017
-274.017
-274.017
-274.017
C30H32
-293.275
-293.275
-293.275
-293.275
-293.275
-293.275
-293.275
276
Figure 8.4.5. unit structure を表す直鎖共役炭化水素 𝐂𝟐𝒏+𝟒 𝐇𝟐𝒏+𝟔 (𝒏 = 𝟏 − 𝟏𝟑)。
Table 8.4.4. Global Minimum の unit structure の原子化熱 (eV)とその変化。
Global
energy difference energy
minimum
from C4H6
of
structure
unit energy difference
per unit structure
C2H4
-23.7778
C4H6
-42.9649
0.0000
C6H8
-62.1988
-19.2339
-19.2339
C8H10
-81.4472
-38.4823
-19.2411
-0.0072
C10H12
-100.7013
-57.7364
-19.2455
-0.0043
C12H14
-119.9561
-76.9912
-19.2478
-0.0023
C14H16
-139.2131
-96.2482
-19.2496
-0.0018
C16H18
-158.4695
-115.5046
-19.2508
-0.0011
C18H20
-177.7277
-134.7628
-19.2518
-0.0011
C20H22
-196.9863
-154.0214
-19.2527
-0.0008
C22H24
-216.2433
-173.2784
-19.2532
-0.0005
C24H26
-235.5016
-192.5367
-19.2537
-0.0005
C26H28
-254.7588
-211.7939
-19.2540
-0.0003
C28H30
-274.0172
-231.0524
-19.2544
-0.0004
C30H32
-293.2748
-250.3099
-19.2546
-0.0002
277
Figure 8.4.6. Global Minimum の energy of unit structure 𝐂𝟐𝒏+𝟒 𝐇𝟐𝒏+𝟔 (n=1-13) の
変化。横軸が n であり、縦軸が energy of unit structure (eV)である。
ここまでで、用いる構造決定の方法やエネルギーの妥当性を検証したので、これらの
データを用いて、目的の HSE に適した系の評価と、正しい HSE の値の算出を行う。
まずは、HSE に適した系の評価を行う。上述したように、HSE を正しく見積もるため
には、加成性が十分に成り立つ鎖状共役系を取る必要がある。そこで、得られた Global
Minimum について加成性が成り立つかを、(8. 4. 2) 式を用いた cHSE を算出して確認
する。その結果を Table 8.4.5 と Figure 8.4.7 にまとめた。まず、注目すべきは n=2 に
おける cHSE がゼロでないことである。その値は eV 単位だと 0.0469 eV、kcal mol−1単
位だと 1.081 kcal mol−1と有意義な量である。つまり、C2 H4とC4 H6とC6 H8 の小さな直
鎖共役炭化水素 3 分子における等結合反応において、すべての結合は同一とはみなせな
いことを意味するだろう。このことは HSRE からも予想される結果であり、端の結合
の効果が大きいと思われる。よって、これらの分子で構成される HSE は芳香族性を正
しく評価したものとはいえず、少なくとも 1 kcal mol−1程度の誤差を含んでいるだろう。
HSE をもっと正しく見積もるためにはどのような系を取るべきか。そこで cHSE が
できる限り小さい系を取れば、鎖状分子同士の誤差が小さくなる。Table 8.4.5 を見る
と、cHSE の最小値は 0.0081 kcal mol−1であるが、Figure 8.4.7 をみると、n=9 の前後
278
の値は不安定なように見える。n=10 以降を見ると cHSE がゼロを境に振動している様
子がみてとれる。また、そのあたりの cHSE は 0.02-0.03 kcal mol−1であり、計算精
度の限界に近い。
また、energy of unit structure の結果からも、
C26 H28、C28 H30、
C30 H32あ
たりの結果を用いて HSE を求めると、個々の分子による誤差が少ない HSE が求まる
ことが判明した。
Table 8.4.5. 共役直鎖分子𝐂𝟐𝐧 𝐇𝟐𝐧+𝟐 (𝐧 = 𝟐 − 𝟏𝟒)の (8. 3. 2) 式に基づいた cHSE。
n
cHSE / eV
cHSE / kcal mol−1
2
0.0469
1.0807
3
0.0145
0.3336
4
0.0058
0.1322
5
0.0007
0.0161
6
0.0022
0.0511
7
-0.0006
-0.0134
8
0.0017
0.0402
9
0.0004
0.0081
10
-0.0015
-0.0352
11
0.0013
0.0305
12
-0.0012
-0.0267
13
0.0013
0.0301
14
-0.0009
-0.0216
279
Figure 8.4.7. 共役直鎖分子𝐂𝟐𝐧 𝐇𝟐𝐧+𝟐 (𝐧 = 𝟐 − 𝟏𝟒)の n の変化に対する (8. 3. 2) 式に
基づいた cHSE (eV)。縦軸が cHSE で横軸が n である。
この結果は、Dewar の加成性が成り立つという立場を否定するわけではない。加成
性は成り立つが、その精度を上げていくと、小さい直鎖共役炭化水素では十分ではない
ということである。なお、Dewar の加成性に用いられているのは PPP 法である。本研
究で求めた原子化熱を同様の方法で表したのが Figure 8.4.8 である。原子化熱をそのま
ま扱うと本研究における計算結果を用いても十分に直線関係が得られて、加成性が成り
立つ結果になる。しかしながら、本質的な問題を考慮すると、この原子化熱の直線性だ
けでは、高い精度の議論はできない。やはり、求められる精度に見合った論理的根拠と、
結果の確認方法が必要なのだ。上述した cHSE による確認方法がまさにそれである。
280
Figure 8.4.8. 共役直鎖分子𝐂𝟐𝐧 𝐇𝟐𝐧+𝟐 (𝐧 = 𝟐 − 𝟏𝟓)の n の変化に対する原子化熱 (eV)。
横軸が n であり、縦軸が原子化熱を表す。図上の式は、線形近似した場合の式を表し、
R は相関係数である。
では、HSE を求めるのに適した系が判明したところで、実際に HSE を求めることに
する。Benzene の原子化熱の計算については、直鎖共役炭化水素で用いた計算方法と
まったく同じ方法をとる。すると、Benzene の原子化熱は-58.608 eV であった。また、
HSE を求めるのに適した系はC26 H28、C28 H30、C30 H32と決まったが、HSE で用いる分
子は 2 つであるので、C26 H28とC28 H30、C28 H30とC30 H32の二つの組み合わせの平均から
求めることにする。なお、HSE は、
benzene + 3C2𝑛 H2n+2 → 3C2(𝑛+1) H2(𝑛+1)+2
(𝑛 = 1 − 14) ⋯ (8. 4. 1)
によって求められ、Table 8.4.6 に HSE をまとめた。上記の平均から求めた HSE と既
存の方法による 𝑛 = 1 の HSE は、それぞれ 19.3 kcal/mol と 24.1 kcal/mol であるた
め、今回求めた HSE は、既存の方法による HSE に比べて 4.8 kcal mol−1ほど小さい
ことが分かる[18,19]。
281
Table 8.4.6
(𝟖. 𝟒. 𝟏)式で表される HSE 𝐤𝐜𝐚𝐥 𝐦𝐨𝐥−𝟏 。
n
HSE
1
24.1471
2
20.9048
3
19.9042
4
19.5077
5
19.4594
6
19.3060
7
19.3463
8
19.2257
9
19.2014
10
19.3069
11
19.2153
12
19.2954
13
19.2052
14
19.2700
8.5. 結論
Dewar は PPP 法を用いて共役炭化水素の加成性に気づき、芳香族性の議論を飛躍的
に発展させた。
その後、
この加成性はあまり議論されずに HSE などに用いられてきた。
当時の計算精度であれば、1 kcal mol−1 の誤差を問うことはなかったであろうから、十
分な結果であっただろう。しかし、現在の量子化学計算の発展を用いて再度検討するこ
とで、さらなる精度の向上が期待された。同時に、加成性が成り立つという土台の上で
芳香族性の指標が作られるのであれば、その土台には十分な議論がなされるべきだ。本
研究では、加成性が成り立つということに関して、HSE の議論を発展させることで、
新たな加成性に対する確認方法を確立した。近年では HSE は炭化水素ならず、ケイ素
化水素などに対しても用いられている。本研究の成果は炭化水素のみでなく、原理的に
は計算精度が保たれる限りいかなる元素に対しても成り立つ。
また、本研究の成果は環状共役による安定性をより正確に見積もる手法の確立の一助
となるだろう。安定性がどの程度であるかなどは、分子設計にも大きく役立つだろう。
環状共役による安定性を厳密に定めるのは非常に困難な問題であるが、近年、材料とし
て脚光を浴びているので、様々な分子の環状共役による安定性を見積もる方法の確立は
282
急がれるべきテーマだと考える。
8.6. 参考論文
1.
M. J. S. Dewar, C. de Llano, J. Am. Chem. Soc. 1969, 91, 789.
2.
The Molecular Orbital Theory of Organic Chemistry, by M. J. S. Dewar,
McGraw-Hill, New York, 1969.
3.
B. A. Hess, Jr., L. J. Schaad, J. Am. Chem. Soc. 1971, 93, 305.
4.
J. Aihara, J. Am. Chem. Soc. 1976, 98, 2750.
5.
J. Aihara, J. Phys. Chem. A 2003, 107, 11553-11557.
6.
J. Aihara, J. Phys. Org. Chem. 2008, 21, 79-85.
7.
M. Mandado, Theor. Chem. Acc. 2010, 126, 339-349.
8.
Z. Chen, C. S. Wannere, C. Corminboeuf, R. Puchta, P. v. R. Schleyer, Chem.
Rev. 2005, 105, 3842-3888.
9.
M. Randić, Chem. Rev. 2003, 103, 3449.
10. J. Aihara, Bull. Chem. Soc. Jpn. 1990, 63, 1956.
11. P. George, M. Trachtman, C. W. Bock, A. M. Brett, Theor. Chim. Acta. 1975, 38,
121.
12. P. George, M. Trachtman, C. W. Bock, A. M. Brett, Theor. Chim. Acta. 1976, 32,
317.
13. P. George, M. Trachtman, C. W. Bock, A. M. Brett, J. Chem. Soc., Perkin
Trans. 2 1976, (11), 1222.
14. C. S. Wannere, K. W. Sattelmeyer, H. F. Schaefer Ⅲ, P. v. R. Schleyer, Angew.
Chem. Int. Ed. 2004, 43, 4200.
15. J. K. Kang, C. B. Musgrave, J. Chem. Phys. 2001, 115, 11040.
16. C. H. Choi, M. Kertesz, J. Chem. Phys. 1997, 107, 6712.
17. C. H. Choi, M. Kertesz, J. Chem. Phys. 1998, 108, 6681.
18. P. George, C. W. Bock, M. Trachtman, J. Chem. Educ. 1984, 61(3), 225.
19. P. v. R. Schleyer, H. Jiao, N. J. R. v. E. Hommes, V. G. Malkin, O. L. Malkina, J.
Am. Chem. Soc. 1997, 119, 12669.
283
9. 結論
環状共役系では、特有の安定性である芳香族性が、全体の安定性に大きく関わる。こ
れは、環状共役系が関わるπ分子軌道が不安定であるため、反応性に強く関わるためで
ある。つまり、環状共役系の安定性は、芳香族性に強く依存している。TRE のπ電子
数依存性の解析により、芳香族性は、多環式共役系であっても、小さな環の芳香族性へ
の寄与が大きいことが判明した。この点で、従来のポルフィリン類の芳香族性の考え方
は間違っていた。しかし、反応性という側面では、必ずしも小さな環が重要ではない。
min BRE のπ電子数依存性の解析により、反応性は、熱力学的安定性である芳香族性
よりも、π電子数の変化に対して鋭敏に変化することが判明した。しかし、全体的にみ
ると、TRE のπ電子数依存性と min BRE のπ電子数依存性は、類似した関係にあり、
計算コストが大きい TRE の計算をしなくても、ホウ素フラーレンのような分子の芳香
族性の傾向を掴むことが出来た。
一方で、局所的に不安定な結合があるときは、分子全体が熱力学的に安定でも、反応
性は高くなる。反応性は分子の不安定な箇所に依存するため、小さな環が芳香族性を有
して安定であるとき、マクロ環のような大きい環によって反応性が大きくなることがあ
る。よって、ポルフィリン類では MMCP の安定性が、分子の安定性を左右していたこ
とが判明した。これが、ヒュッケル則による従来の MMCP の決定方法が、一定の成功
を収めている理由だ。また共役系では、最低分子軌道エネルギーが結合の手の数の平均
に比例していることを見出した。つまり、最低π分子軌道エネルギーは、結合の手の数
の平均が大きいほど安定である。平面ホウ素クラスターでは、ホウ素原子が、炭素原子
と異なって電子不足であることから、π電子がなぜ生じているのかが不明であった。し
かし、この議論によって、平面ホウ素クラスターは、多くの三角形が縮環した構造をも
つことで、結合の手の数の平均を増大させ、最低π分子軌道が安定化していることを説
明した。
また、この三角形が芳香族性に大きく反映され、π電子数が少ないという状況も相ま
って、平面ホウ素クラスターが芳香族分子であるということを解釈した。一方、TRE
に不可欠な参照多項式を、特性多項式を解くだけで得られる参照グラフというものが
naphthalene と単環式共役系に対して発見されていた。そのため、参照グラフについて
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解析するために、さらにほかの共役系で参照グラフを発見することに成功した。参照グ
ラフでは、共鳴積分項を変化させる方法を用いたが、この操作が、グラフ構造に与える
安定性の変化がまさに、環状共役による安定性の変化に等しい。また、環状共役系では、
鎖状共役系のように端がない。そこで、環状共役系の安定性を表すことに、小さな鎖状
共役系を用いても不向きであることは明らかである。そこで、どの程度の鎖の長さであ
れば、環状共役系に近いのだろうか。HSE を用いて確認した。
この過程で、どの程度の鎖の長さであれば、環状共役を十分表せるということを確認
する方法を開発することに成功し、ベンゼンの HSE が過剰に見積もられていたことを
はっきり示した。これらの結果はいずれも、分子をグラフ理論的に扱うことで、分子の
グラフ構造と安定性の関係について得られた。さまざまな要素が重なった安定性を、少
しずつではあるがグラフの各要素に分けて、構造と安定性の関係について解釈すること
に成功している。
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10. 謝辞
本研究に行うにあたって、整った環境を与えて下さり、懇切丁寧なご指導と多大なご
配慮をいただいた関根理香准教授に心から御礼申し上げます。また、精神面でも研究に
力を注げる環境を整えてくださり、行き詰ったときには的確な助言をいただき、充実し
た研究が行えましたことに深く感謝しております。
本研究を行うにあたって、二年間指導教員を引き受けて下さった岡林利明教授に、深
く感謝しております。
相原惇一名誉教授には、貴重なお時間を割いていただき理論化学について一からご指
導いただき、ゼミなどでも、丁寧な指導と研究に対する心構えなど、言葉では言い表せ
ないくらいのことをお教えいただきました。大変感謝しております。お教え頂いた理論
を正しく普及出来るよう、日々精進致します。
数学科の鈴木信行教授には、第 6 章で参考にした第 2 章 8 節の数学的証明について
助言とご講義をいただき、大変お世話になりました。ゼミにも来ていただき、大変分か
りやすくお教えいただきました。また、研究に対する熱意や考え方についても多くのこ
とをお教えいただき深く感謝しております。
静岡県立大学の牧野正和准教授には、8 章で用いた量子化学計算における KMLYP に
ついて、使用方法をお教え頂き、大変感謝しております。
最後に、本研究を進めるにあたり有益な助言を賜りましたすべての皆様と、長きにわ
たりお世話になりました静岡大学理学研究科の皆様に御礼申し上げます。
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