高みを行く者【IS】 ID:12901

高みを行く者【IS】
アヅラン・ヅラ
︻注意事項︼
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小説の作者、
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超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。
︻あらすじ︼
全校生徒、女子大多数、男子二名。
この奇妙な現象の原因はなんなのか。
そもそもの始まりは、いきなり異世界に飛ばされ、ようやく日本に帰還した日まで遡
るということだ。
初投稿です。現実世界⇒オリジナルファンタジー⇒IS世界と移動してきたオリ主
が主人公です。
感想をくださると嬉しいです。
目 次 1│0 異世界から舞い戻った男
1│1 そうだこれは夢なんだ AA
略 ││││││││││││││
1│2 ところがどっこい夢じゃあり
2│4 強化なかったら死んでたんだ
けど │││││││││││││
﹂
3 │ 4 テ ○ ロ・フ ○ ナ ー レ︵踏 み つ
インがいるもの ││││││││
3│3 もう何も恐くない、だってツ
の様子見てくる ││││││││
3 │ 2 胸 騒 ぎ が す る。 ち ょ っ と 外
ニガテでさぁ⋮ ││││││││
3│1 俺、実はツインテールの奴が
れぇー
1 │ 2 俺 の 頭﹁こ こ か ら い な く な
│││││││││││││││
2│5 信じてくれ、オレなら出来る
75
91
108
ません AA略. │││││││
1│1 IS学園は新人キャンプ
2│1 どうしてこうなった AA略
│││││││││││││││
│││││││
!
1
14
27
51
127
143
?
!
2 │ 2 お 嬢 様 っ て 縦 ロ ー ル に し な
きゃいけないの
粉 バ ナ ナ
!
?
2 │ 3 バ ナ ナ
63
│
け︶ │││││││││││││
3 │ 5 わ た し の、最 低 の 友 達 1│3 デュノア
﹂ │
4│1 FIF│P00X ││
4│2 デュノア社の﹁
4 │ 4 ラ ウ ラ・ボ ー デ ヴ ィ ッ ヒ 4│3 デュノア社の野望 ││
??
4│5 高みを行く者 ││││
1│4 君は俺に似ている
5│1 更識簪 │││││││
5│2 力の意味 ││││││
5│3 ダウンロード ││││
5│4 カレワラ ││││││
5│5 終わりの始まり │││
5│6 決勝戦 │││││││
5│7 DELETE ││││
リリム
6│3 在りし日の如く │││
6│2 仲を取り持つもの ││
6│1 お兄ちゃん │││││
1│5 ユア・ネーム・イズ・
│││││││││││││││
5│9 Wahrer Freund
rt │││││││││││││
5 │ 8 O p e n Y o u r H e a
362 345 332 320 305
381
398
"
453 434 421
160
224 210 199
255
291 272
"
177
238
│
6│4 天才の思い │││││
6│5 UTモード │││││
6│6 疑問と答え │││││
6│7 胡蝶の夢 ││││││
6│8 戦いの後に │││││
1 │ 4 夏 の 思 い 出・食 堂 に て 1 │ 5 夏 の 思 い 出・簪 と 二 人 で 1│6 生徒会メンバーと ││
一期・エピローグ ││││││
1│7 思い出の地にて │││
幕間 一夏︵ひとなつ︶の思い出
1 │ 2 夏 の 思 い 出・生 徒 寮 に て 1 │ 3 夏 の 思 い 出・女 学 院 に て 1│2 │││││││││││
1│1 │││││││││││
2│1 貴族の心得
プロローグ │││││││││
2期 可能性の権化
552 538 516 502 486 468
1 │ 1 夏 の 思 い 出・精 神 病 院 に て 6│9 真実を知る者 ││││
630
666
1│3 │││││││││││
739 717 694
759
807 791 770
568
588
603
│
│
3│1 │││││││││││
3│2 │││││││││││
3│3 │││││││││││
3│4 │││││││││││
3│5 │││││││││││
3│6 │││││││││││
3│7 │││││││││││
3│8 │││││││││││
11381104108610701055104110251012
1│4 │││││││││││
1│5 │││││││││││
1│6 │││││││││││
2│2 騎士とメイドとウサギのワルツ
2│1 │││││││││││
2│2 │││││││││││
2│3 │││││││││││
2│4 │││││││││││
2│5 │││││││││││
2│6 │││││││││││
2│7 │││││││││││
2│3 強化人間 │ブーステッドマン
2│8 │││││││││││
857 838 821
988 974 961 944 925 906 889 875
1│0 異世界から舞い戻った男
1│1 そうだこれは夢なんだ AA略
酷い戦争だった。
参戦した者も、従軍看護婦も皆口を揃えてそう言った。
相手が人間でない以上降伏は許されず、負けは後方の非戦闘員全ての人の死を意味す
る。
十二歳未満の後方警備団体含む戦争参加者二千万人、戦病死者・行方不明者含む戦没
者千二百万人。
死体は地平線を覆い尽くし、川は暫く赤く染まったとまで言われている。
腐敗の始まった死体は疫病派生の懸念があったため、身元の確認は行わず処理される
ことが決定。
﹂
巨大な縦穴を作成し、適当に内部に落として一斉に焼き払って消毒されることが決定
された。
﹁次の馬車が来たぞ。 ⋮⋮っておいおい、こりゃ空戦隊隊長じゃないか
積荷の真上に乗る、目と口を半開きにした男を見て無精髭を生やした中年が声を上げ
?
1
る。
同じく死体を穴に落とす仕事を受け持っていた初老の男も寄ってくる。
二人はその男の顔に見覚えがあった。
その男は、少なくとも祖国で英雄と呼ばれ、今回の戦争でも相当な戦果をあげたと聞
いた。
﹂
日の光も届かないような、深い穴の底で死ぬような人ではなかったはず。
﹁この坊主は救助されてなかったっけか
結局助からなかったのさ﹂
?
このご時勢だ、しょうがないさ、そう言って鍬で男を引っ掛けた。
﹁戦病だろ
?
﹁っ
﹂
﹁い、生きてる
生きてるのか
﹂
!?
!?
﹁こいつ⋮⋮気が違ったら捨てられたのか﹂
﹁うぅ、え、えぁあ⋮⋮﹂
手は宙を彷徨い、瞳は何もない宙を見つめ、口から涎が溢れてくる。
しかし、男は声を上げただけで、助けを求めてこない。
農具に引っ掛けられた衝撃からか、今まで死んだようにしていた男が声をあげた。
?
﹁うぅ⋮⋮ぅあぁぁ││││││⋮⋮﹂
1─1 そうだこれは夢なんだ AA略
2
﹁⋮⋮嫌なもの見ちまったな。 看病するのも億劫ってか
言葉にならない声を出し再び男は丸まって寝始める。
﹂
風になびくカーテンが、再び日光を男の顔に晒したとき、男が目を覚ました。
馴れない白い光の眩しさに、瞼の裏側まで刺激され男が唸る。
﹁ぅ⋮⋮⋮⋮││っ﹂
た。
人知れず落ちてきた男を受け止めた、いかにも貴人という風体な金髪赤眼の男がい
その光の届かない暗い穴の底。
今度こそ、男は穴の底に落ちていった。
変化事態になって気が動転したが、死体は後から後からやってくる。
?
周囲から発生している仄かな消毒液の匂いに自分の居る場を悟る。
││病院か
││部下は何人生き残った
?
出来た。
そよそよと肌を撫でるそよ風に誘われ顔を動かすと、すぐ近くの窓から外を見る事が
?
3
雲も1つない奇麗な青空を見て、整理のつかないまま呆然とし、徐々に小栗潤という
人格が戻っていく。
﹂
どのくらい寝続けた⋮⋮
﹂
?
かった。
?
傷の無い肌、白髪のない黒い髪、皺もない顔。
鏡に映った自分の姿に、元28歳の男は掠れた声を上げた。
﹁⋮⋮どういうことだ
﹂
僅かでも情報を得ようとした結果だが、この時点で起こっている問題に男は気付けな
棚から鏡を見つけて顔を見る。
寝た状態からいきなり上半身を上げたせいで強烈な眩暈に苛まれるも、枕元にあった
?
数多の小競り合いの後、お互の主戦力が介した決戦は十二月二十五日。
男の記憶が正しければ、開戦は秋口したはず。
もっと良く外を見ようとして勢いよくベットから跳ね起きる。
た。
その声は何年も声を出していないようでいて、低い唸り声の様で、最早騒音の類だっ
中庭にある巨木を目にし、その枝に実る蕾を見て男が絶叫した。
﹁さ、桜だと
?
﹁今は⋮⋮何月だ
1─1 そうだこれは夢なんだ AA略
4
⋮⋮誰かいないのか
﹂
口元から覗く歯は、相次ぐ争いで差し歯だらけだった頃とは違う、本物の歯が並んで
いる。
﹁なんだこれは⋮⋮
?
││点滴
まさか点滴などという医療器具が開発されるほど寝てたのか
しかし、顔は逆に若返っている。
そんな馬鹿な⋮⋮。
?
いや、しかし今抜けたのは点滴だ。 しかし点滴など存在するわけない。
この世界には点滴はない。
⋮⋮いや、いやいや。
?
今度こそ、通常時の10%も使われていなかった脳が本当に覚醒した。
腕についていた点滴を乱暴に引き抜いて││。
伸びきった管、倒れた点滴台。
ベットから出ようとして、左腕に鈍い痛みが走った。
?
5
﹁あれ
る。
﹂
彼女の着る服は、天然繊維ではなく化学繊維だった。
二〇三号室の患者さんが目を覚ましました
!
﹁⋮⋮説明を││﹂
﹁先生ー
﹂
倒れた点滴台を不審に思い、台を直しに廊下から入ってきた看護婦が目を丸くしてい
?
﹁状況が飲めないんだが⋮⋮﹂
!
﹂
?
病院を何度もたらい回しにでもされたのだろうかとも考えたが、先ほどの看護婦の口
何度考えてみても計算は合わない。
﹁それでは、先生を呼んできますね﹂
﹁よ、四日
用の針を刺した。
起き上がっていた状態から再びベッドに向けて優しく寝かしつけると、再び腕に点滴
困惑していたのが顔に出ていた患者に、看護婦は優しく話しかける。
ですよ﹂
﹁ここは病院です。 あなたはこの病院に搬送されてからもう四日も眠り続けていたん
1─1 そうだこれは夢なんだ AA略
6
ぶりを考えればそれはない。
考え事で固まっている間に看護婦は部屋を出て行ってしまっていた。
その後医者が到着する前に、同室で寝ていた数名の老人と世間話をする機会があっ
た。
同室で暇をしていた老人と、中年の男性。
潤は彼らから気前よくお茶まで頂き、最近の男性雑誌や昨今の政治の愚痴を見聞きし
愕然としていた。
医療関係の税金、孫のプレゼントに最新の携帯電話、片腕を大けがしたエンジニアの
話。
少なくとも西暦千六百年程度の文明を、魔法で補っていた異世界ではない。
そして、新聞に踊る文字にははっきりと日本の文字が記されている。
戦勝祝いのために、買っておいたとっておきの酒が無駄になった。
様々な感情が浮かんで新たな感情に塗りつぶされていく。
歓喜か、恐怖か、躊躇いか。
﹁は⋮⋮、はは。 そうか、帰ってきたのか⋮⋮、日本に﹂
7
1─1 そうだこれは夢なんだ AA略
8
そんなどうでもいいことが真っ先に浮かぶ程度には、潤という人間は混乱していた。
度重なる人間同士の戦争。
旧科学時代の生物兵器、それによるバイオハザードの発生と事態の終焉。
魔物と人間の勢力を二分する戦争。
狂気に陥った怨敵との決着。
どこかの物語、勇者とお姫様と王様と魔王が織りなす御伽噺のように華やかであれば
どれほど救われただろうか。
エゴも、欲望も、狂気も、醜さも、潤が体験した物語は人間の汚さばかり目立ってい
た。
戦争に生き、人を踏み台にするかのように歩んできた最後は、自身もゴミのように捨
てられる最後だった。
前線に出て人を殺めてきたのだから、最後には誰かに殺められて終わる。
納得出来ないが、戦場の理に則った最後だったと理解した。
ただ、記憶の片隅に、あの暴虐な王の言葉││
﹃お前は良くやってくれた。 お前の未来は全て俺が決めてしまったというのに。 付
き従うもの、人を従えるもの、孤高を目指すもの、安寧を望むもの、現状の維持のみを
望むもの⋮⋮。 お前を思うならば、俺が拾う時に素直に死をくれてやればよかった。
だが出来なかった。 お前の才を知った時、どうしても優秀な手駒としてお前を欲し
くなった。 お前は命まですり減らし、俺の予想通りの戦果を出した。 ゆえに、褒美
を賜わしても誰も文句は言いまい﹄
いのが気がかりだが、世界を跨ぐ跳躍と比べればまだ不可思議ではない。
それより年を食っている気がするし、時間がズレているので完全に戻ったわけではな
潤が異世界に迷い込んだ年齢が十三。
問題は異世界に飛ばされた年齢相応の姿に戻っている点。
勝っていた。
最初こそ落ち込み、悲観に暮れもしたが、生まれ故郷の日本に帰ってこれた喜びが
ればその褒美は破格の代物。
散々扱き使っておきながら、ほっぽり返すのが褒美とは、酷い言葉だがその人物を知
そんな内容の声が、潤の耳朶に残っていた。
﹃暇を与える。 せめてこことは違う地で、残る余生自らの望みのまま生きるがいい﹄
9
また高校生くらいの年齢から歳月を重ねるのは億劫だが、それもまた良しと呑み込ん
だ。
親、兄、妹、恩師、友人⋮⋮。
帰ったら何をしようか。
両親はどんな顔をして迎え入れてくれるだろうか。
様々な顔が並び、次第に潤の中で歓喜の渦が巻き起こった。
看護婦と共に現れた医者に連れられて、よくわからない医療機器の検査後、いきなり
個室に案内さる。
何故いる
﹂
﹂
椅子に医者が、そして何故か背後に2名の警官がいた。
﹁後ろの警官はなんだ
?
?
﹂
?
﹁ああ、君の現在の身体能力をチェックさせてもらった。 そこで1つ聞きたい。 君
﹁身長と体重
医者は白黒の写真のような物をデスクに貼り付け、潤に紙面を手渡す。
﹁なに、私の質問に答えればすぐにわかるさ。 まず、これを見て欲しい﹂
?
﹁さて、君に質問があるんだが答えてくれるかな
1─1 そうだこれは夢なんだ AA略
10
は一体何者だね
﹂
?
﹂
?
えていた。
例え十年以上も昔のことだろうとも、こちらの世界の思い出だけは決して忘れずに覚
ていく。
後ろで睨みつけてくる警官の怪しむ感情を意識しながら、順を追って個人情報を答え
僅か数日でここまで鍛えたという結論には至らないだろう。
四日寝ていたということは、五日前までは学校に通っていた記録があるはず。
言い訳に無理があったが、異世界事情を話しても誰も信じないのは目に見えている。
た﹂
﹁普通、ね。 では、君の氏名、自宅の電話番号と住所、出来れば両親の勤め先等も聞き
﹁⋮⋮至って普通の学生ですよ﹂
ドル級のボクサーかな
﹁身長百八十cm、体重七十五kg、体脂肪率七%、良くもここまで鍛えたものだ。 ミ
薬物や手術、その他諸々を使用し、魔法で完成度を高めるといった外道の手腕で。
色々気が動転していて潤も気が回らなかったが、潤は肉体を強化されている。
なるほど、そういうことか。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
11
淀みなく、全ての質問に答えていき、医者も要領よく小栗潤の個人情報を記録してい
く。
言い終わってから、微妙な間が空いた。
﹁││││﹂
医者と警官は、アイコンタクトを交わしている。
﹂
疑問に答えたのは、意外なことに背後の警官だった。
﹁なにか問題が
!
同市は存在しているんだろ
!
!?
いる家の住所も、両親さえも、日本に存在しない﹂
母校は市立中学だぞ
﹂
﹁小栗潤君。 今君の言った、君本人の住民登録も、通っているという中学校も、住んで
?
││馬鹿な
?
﹂
!
﹁俺の帰る家は
﹂
医者はなおも目を合わさずに潤と会話する。
﹁その企業は存在していない。 似た名前の企業はあるが﹂
﹁親父の企業は一部上場している大企業だった
﹁君の言う学校は八年前に合併、既に該当校の名はない﹂
けた。
一方的に捲し立てる潤に、医者は辟易した視線を投げたが、すぐその視線を警官に向
﹁は
1─1 そうだこれは夢なんだ AA略
12
!?
そんな馬鹿な
おい警官、公務員が質の悪い悪戯なんぞ
若い警官はすぐに目をそらしたが、その目を潤は見てしまった。
その瞳の色は、紛れもなく憐れみの色。
優しく肩を叩いた医者の行動で、潤は放心したように椅子に座り込んだ。
彼は、この日、帰る場所の全てを失った。
﹂
!
何も言わずに警官が地図を差し出す。
は、畑
?
その用意周到さは最初からこうなることを予測しているかのようだった。
﹁⋮⋮
?
立ち上がって地図を警官に投げ返し、襟を掴みかかる。
!
13
細な情報も上がってこない。
潤が寝込んでいる四日の間に、様々な日本の組織が情報を調べたらしいが、どんな些
るためだろう。
警察の付き添いがあるのは、国籍も、データも、存在すら立証できない人間を監視す
い。
どうも周囲の大人達は、A世界とC世界の差分の混乱を記憶喪失として処理したらし
その医師の診察を勧められたからだ。
医者の説明では脳医学の権威が札幌にいるらしく、記憶喪失の様な扱いになった潤は
解に努めていた。
現在旅客機で北海道に向かっている最中ではあるものの、潤は﹃この世界﹄の情勢理
元々異世界で骨を埋める気で剣を取ったのは、何を隠そう潤自身の意志である。
ば、自分の家族が存在しなかったAと似たC世界が無いといえるのか。
最初に小栗潤の誕生した世界をAとして、悲惨な戦争を繰り広げた異世界をBとすれ
侮っていた。 古新聞を捲りながらも潤の頭を占めるのは全て落胆の感情だった。
1│2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
1─2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
14
15
ある日突如として田んぼの畦道に倒れ込んでいた学生服の男。
戸籍情報なし。
捜索依頼なし。
学生手帳は存在しない学校の物。
歯の治療を受けた形跡もなく、手術を受けた形跡もない。
異世界から時空を超えて出現したという事実など立証できず、人数もたいして割けな
いので、もしかしたら永遠の謎になるかもしれない。
刑事のおっさんのノートPCを立ち上げ、インターネットを立ち上げる。
隣に座る刑事の怪訝な視線などお構いなく、幾つも頂戴した過去の新聞の事象をつぶ
さに見て回る。
何も持ってこなかった潤の鞄には、昨今の主要なニュースの古雑誌、古新聞で溢れか
えっていた。
生きている限りどのような状況下におかれようと、最善の選択肢を考え実行し、困難
の打破を考えるべきである。
戦争慣れしてしまったせいで、思考も随分逞しくなっているらしい。
1─2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
16
隣の刑事は報告された情報と現状の彼を比べて少し感心し、そして記憶喪失とされて
いる彼を怪しんでいた。
彼の精神力の高さと、妙な情報処理能力の高さに。
彼は既に現実を認識しさらにそれに対応しようとしている。
篠ノ之博士の発明。
IS。
世界で唯一男として動かした織斑一夏。
それ以外にも、彼の記憶になかった大規模なニュースを徐々に網羅しつつある。
ISに至っては特に関心を引いたのか、細部の書物を読ませろと催促され、本屋に立
ち寄ったら十冊近くレジに運び込んでいた。
経費で買ったものなので懐は痛まないが、専門職を目指す人間が読む代物を読み進む
姿は記憶喪失患者とは思えない。
旅客機内でも本の内容で幾つか質問されたが、ただの刑事には返答に困るような質問
ばかりされている。
結局、どうにもできずノートPCを貸し与えると、すぐさま目当ての情報を見つけて
読みだした。
17
││本当に記憶喪失なのかよ、この坊主は。
そう考えるのも無理はない話である。
大の男でも持ち運びに窮する大荷物を、こともあろうに片手で軽々持ち上げた光景す
ら見ているのだ。
情報処理能力といい、身体能力といい、精神力の強さといい、記憶を失う前は何をし
ていたか。
記憶喪失でないとすれば、どうして路上で学生服を着たまま倒れ込んでいたのか。
刑事の何かを探る視線などお構いなしに、問題の少年はインターネットの情報に満足
したのか初心者用参考書を開く。
開いたページから理解しがたい文字の羅列に、頭の固い刑事は目を背けた。
能力は不完全、しかし、気休め程度に使えなくもない、か。
幾度となく試したが、異世界で使えた能力が使えないことに若干苛立つ潤。
前の世界で使えた能力が、今の世界で使えない可能性は考慮していたが、現実に直面
すると不憫で仕方がない。
1─2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
18
異世界の、⋮⋮陳腐な言葉でいうならば魔法は使えなくなっていた。
いや、十全に使えないというだけで、片手の数くらいはグレートダウンして使える。
肉体強化。
少なくとも刑事の男性が運搬に苦労するような荷物は片手で操れる。
自己感情操作。
上手くできない。 物凄く痛いが、結構痛いに変わるくらい。
ダウンロード。
全盛期の四割程度。
マルチタスク。
同時に処理できる考え事は五つ位で限界で、安定を求めるなら3つ。
補助があればだいぶ変わるような気がする。
戦い方をダウンロードで習得して、マルチタスクで処理し、副作用の痛みを感情操作
で打消し、肉体強化で使いこなす。
十年近くも使い続けた戦闘スタイルである分使用に淀みはない。
これ以外全く使えないのは不便だがこの状況にも慣れなくては、そう思いつつ小栗の
目はIS関連に行く。
IS、インフィニット・ストラトスか⋮⋮。
何の因果か知らないが、実は潤のいた異世界には旧科学時代の遺産として似たような
兵器が実在していた。
使用可能な状態で見つかったのは、僅か二機のみだったが内1機は何を隠そう小栗潤
自身が使用していたのである。
最も博物館に保管されているほど旧式であり、メンテナンスも千年以上されてないだ
けあって、性能はこの世界のISに長があるが。
しかも、兵器用と競技用で求めるものの違いがあれど、細部は非常に似ている。
いや、考えすぎか。
その他の違いとして、この世界のISと旧科学時代のパワードスーツを比べるとIS
は随分大型化されている。
││まさか、この世界と異世界には接点でもあるというのか
しかし⋮⋮。
問題を起こしていた。
﹂
淀みなくページを進めつつ考えに没頭するが、この時札幌行ANA117便はとある
?
﹁お客様の中にISでの飛行訓練を受けたことのある方はいらっしゃいませんか
CAの声が静かな旅客機に響いた。
?
19
若干涙声のその内容は、この一一七便に大きな問題が起こっていることを告げてい
た。
﹁⋮⋮おい、おっさん。 寝てる場合じゃないぞ﹂
﹁分かってる。 今日は厄日だな、警官なんてなるんじゃなかったよ﹂
今度は﹁飛行機の操縦経験がある方﹂を探しているCAの方に刑事が歩んでいく。
監視され、保護される立場にある潤も、それとなくついて行った。
﹂
?
?
た。
﹁私は警官だが、君は
﹂
他にはCAの責任者、医者と思わしき男性、身なりのしっかりした会社員風の男が居
ていた。
見慣れぬ操縦席には、顔を真っ赤にしたどう見ても健康でないパイロットが1名座っ
れる。
やはり周囲に聞かれるわけにはいかないのか、CAに連れられ操縦席方面に向かわさ
ものの警官手帳を見て襟を正した。
男2人連れに若干期待したCAは、パイロット経験者ではないことに露骨に落胆する
﹁警察です。 何が起こったか説明願えますか﹂
﹁お客様は
1─2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
20
﹁私はISの打鉄・カスタムを運搬していた。 場所を取る量産機を、専用機のように待
機状態にして運用できる新技術の確認作業だった。 乗客にISを乗りこなせる人が
いれば、展開、装着の補助、諸々のオペレートをする予定だった﹂
会社員の男はアタッシュケースを開くと、黒い腕時計を見せそう説明した。
CAの説明はこうだ。
最初の異変は機長から起こった。
なんでもフライト後に急に体調を悪くし倒れこんだらしい。
偶然ファーストクラスに居た医師の診断によると、客から風疹をうつされたのだろう
との検診だった。
問題はそのあと。
なんとも間が悪いことにエンジントラブルが発生。
近くに着陸可能な場所もなく、フライトに問題ないことから進路をそのままに進む
も、1人になった副機長は心臓に持病を持っており、連続して発生した大問題にプレッ
シャーを感じ発作を起こしてぶっ倒れた。
﹂
結果、病気で歩くことさえ困難な機長が操縦しているらしい。
﹁エンジントラブルの規模は
﹁爆発の恐れはありませんが、二次災害を防止するため電力供給をカットしているので
?
21
﹂
推力不足です。 墜落こそしないものの青森空港に目的地を変更せざるをえません﹂
﹁ISパイロットを募集したのは何故
﹂
!
唯一立ったままの潤は操縦席に目を向けると、必死になって機体を正常にさせようと
周囲にいた大人たちも床に倒れ伏していく。
いきなり機体は激しく揺れ、機内は急激に傾いた。
﹁うわっ
刑事も同じ答えに辿り着いたのか顔を青くしている。
このまま胴体着陸などすれば││。
それに現在操縦中の機長は、健全に操縦する健康レベルを大幅に下回っている。
胴体着陸はリスクが高すぎる。
先ほどの刑事の言葉だが、小栗潤自身使わずにいられなかった。
今日は厄日だ。
ており、遠方から呼べば先に燃料がつきます﹂
﹁問題は燃料と時間の問題です。 東北陸北海道共に現地にISを使える人間が出払っ
?
体着陸です。 着陸の補助をお願いしたく﹂
﹂
﹁電力供給カットの影響で右着陸用タイヤに影響が出ています。 このままでは最悪胴
?
﹁現地からISパイロットを呼べばいいのでは
1─2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
22
23
奮闘する機長の姿を目撃した。
パイロットの操縦技術をダウンロードすれば動かせるか
レバーを奪って操縦
たとして次の問題が発生する。
││NO。ダウンロードは不完全。 精密機器のダウンロードは負荷が多く、動かせ
?
副長席に座ってアシストする
あたふたするスーツ姿の男から、アタッシュケースを奪取し、待機状態の打鉄を奪い
小栗潤という人間は命を拾う代わりに、今後の平穏を捨てた。
だが、やらねばならない時とは存在する。
こんなことをすれば、後々どんな事態を引き起こすかわからない。
何かを得るには、何かを捨て無ければならない事態が多々起きる。
予測できない。
││NO。機長は正常に判断する力を失っており、素人が横に座れば何をしでかすか
?
││NO。現状でそれをやれば制御不能になりかねない。
?
1─2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
24
取る。
異世界で類似のパワードスーツを着用していた。
いかにISが女性専用としても織斑一夏という前例はある。
ダウンロード開始││ISコアとリンク
パイロットの操縦経験習得
武装情報取得
打鉄制作理念取得
パイロットの感情の取得
コア情報││これはリスクが高すぎる
読み込み不可能状態のままダウンロード続行
それらを順次脳に焼き付けていく。
同時に機体の設計概念や、パイロットの訓練情報などのいらない情報も入ってくるが
無視する。
今は機体を動かすことだけを││。
皮膚装甲展開
スラスター正常起動
﹂
いや、後回しだ、装着完了、コンディション良好。 ?
ハイパーセンサー最適化
コア側からの接触を確認││
歓迎の意思││
よし打鉄いけるよな
﹁コアに自己意志まであるのか
?
﹁君は
男じゃ
﹂
!?
﹁そんなこと言ってる場合か CAと刑事のおっさんは乗客へ状況説明を。 スーツ
!?
狭い操縦室に、突如として武者姿のISが現れた。
打鉄が体にフィットする。
!
!?
25
﹂
!
け、着陸の援護までやってのけた。
不自然なほど練度の高い打鉄のパイロットは、見事に機体の補助を1人でやっての
その後の展開は、特筆すべき場面は特になかった。
ろ。 小栗だ、︻ 打鉄 ︼出るぞ
のおっさんはオペレーションを頼む。 俺は外部から機体を安定させる。 扉を開け
!
1─2 ところがどっこい夢じゃありません AA略.
26
それは世界で2人目の男性IS適合者が現れた証左であり、救急車等と共にやってき
たマスコミによって、その事実は一瞬で世界中を駆け巡った。
貴重な男性適合者の2人目は、一夏と共にIS学園に保護され││
そして、物語はIS学園へと移るのだ。 1│1 IS学園は新人キャンプ
?
第一人者が現れた以上、二人目が現れるのも時間の問題であり、もしも二人目が現れ
このような護衛も、不審人物の監視の必要性もわかってはいる。
とはなかった潤は疲労困憊状態だった。
身辺護衛の喧騒こそ異世界でも慣れ親しんだ光景だったが、自分が護衛対象となるこ
││気づけばIS学園に到着していた。
れてヘリで移動。
東京のホテルに逃げ込むも、今度は政治家と各国大使館員が訪問し、再び夜の闇に紛
始。
勘弁して下さい、と病院関係者に頭を下げられ、今度は夜の闇に紛れてヘリで移動開
寄せる野次馬。
警察の護衛付きで病院についたものの、ぐるっと三六〇度囲むマスコミ陣、次々押し
夜討ち朝駆け上等とばかりに、押し寄せるマスコミ。
旅客機着陸支援から一夜。
2│1 どうしてこうなった AA略
27
2─1 どうしてこうなった AA略
28
てもここまでの大騒ぎになるとは潤自身予想していなかった。
悪くて情報統制がなされたうえで、専門機関に軟禁される程度と踏んでいた。
潤も預かり知らぬことであるが、
﹃打鉄を高次元で操る男性﹄というのは誰も想像でき
ないレベルで社会を混乱に導いた。
前男性IS搭乗者の織斑一夏は、事実を知るものなら手を出しにくい事この上ない人
物だった。
実の姉は第一回モンドグロッソという世界大会の総合優勝&格闘部門優勝者。
子供のころから親しく、家同士の付き合いのあった家の長女はIS開発者当人。
一度姉の関連で拉致されており、姉のIS関係者も気遣っている節があるなど非常に
手を出しにくかったが、今回の男性適合者の小栗潤は違う。
国籍
知らない
もちろんこんな会話をする訳にもいかず、自分を証明できるのは学生手帳のみ。
そうですよね。
?
エルファウスト王国です。
?
しかも、その手帳を発行している中学校は存在しない。
記載されている住所は更地。
前日までいた病院では﹃記憶の喪失、もしくはここ十年ほどの社会常識を喪失してい
る状態﹄と診察をされている。
つまり、彼に接触し、何をしようとも助け出す人間は皆無なのだ。
﹂
遺伝子研究所の人間は意気揚々と潤の前に姿を現し、
回は再生されている。
﹃彼は私の国の出身者だ
保護させろ
﹄とハッタリを繰り出す大使まで現れる始末。
!
身元のしっかりしている一夏ならともかく、潤の場合は下手な組織に預ければ闇から
するのか具体的なプランはない。
国際IS委員会は織斑一夏同様に身柄引き渡し命令を出したものの、どのように管理
!
青森空港で民間人が撮影していた映像は、インターネットに出回り、この三日で百万
した日本のマスコミは、いい視聴率の種を手に入れたとばかりに報道を開始。
かつてピアノの鍵盤を叩いた自称記憶喪失の男性というだけで、お茶の間に電波を流
こうして、警察が出張り事態が拡大すると、マスコミも介入しだす。
と高らかに宣言し、断られた後は実力行使に打って出た。
﹁血液とか、精液とか、可能な限り提供して下さい
!
29
2─1 どうしてこうなった AA略
30
闇へと消えかねない。
各国は非常に希少価値の高い研究材料を自分の国へと招致しようとし互いに牽制し
あう。
最終的に、現在の保護国である日本政府は、問題の先伸ばしを決定し││
こうして潤の意志などお構いなしに、IS学園入学が決定した。
これらが目を覚ましてから三日間の内に周囲で起きた出来事で、激動という言葉も生
ぬるい事態が背後で起こった。
監禁⇒移動⇒監禁⇒移動を繰り返し、ようやく直接的な監視を抜けたのはIS学園の
地に降り立ってから。
到着後出迎えに現れた、山田真耶という妙に頼りない教師に引き取られ教室前までつ
いた。
とりあえず、連続移動も遂に終りを迎えた。
睡眠時間などお構いなしに続く騒動に、事の重大性を理解した後は薬物の恐れを危惧
し、飲食の類は全て拒否した。
眠ってない、食べてない、飲んでない、体調は良くない。
以前も研究所に軟禁されたことがあるが、潤とて好んでモルモットになりたくはな
い。
﹂
このクラスに入学式後に新たに一人このクラスに加わることになりました
栗潤くん、入ってきてください
小
!
れない。
卒業後はどうなるかわからないが、これからの展開次第でその運命を左右するかもし
潤はそう考え自らの意識を喚起する。
││よし、行こう。
監視の類は受けるだろうが直接命の危険には晒されない。
いえる状況だった。
安易に街へ出向く事など出来ようはずも無い潤にとっては、これはむしろ﹁良し﹂と
ここにいれば生活する分には不都合は無い。
変なことをしなければ、少なくとも三年間は安全に保護されて生きられるだろう。
い。
異世界での年齢を考えれば、明らかな年下に君付けされるのも慣れなければならな
!
!
﹁全員揃っていますねー。本当なら直ぐにでもSHRを行いたいんですが、││なんと
31
ドア開け、教壇に立つ。
周囲の視線は無視する。
今まで潤も尊敬、軽蔑、切望、憎しみ、同情、恐怖、怒り、様々な視線を浴びたが、こ
の変な視線は初めてだった。
スに入る小栗潤です。 よろしくお願いします﹂
﹁ニュースで既に顔と名前はご存知かと思いますが、皆さんと同じく今日からこのクラ
軽く会釈をして前を見ると、またもや有り得ない物を見るような目で見られていた。
││なんだ、この変な間は。
戦勝パレードや、パーティーでの演説の具にされたとき以上の視線だった。
﹂
!!
苦労は分かち合わなきゃな、という被害者意識で。
の来訪を心待ちにしていた。
数日前まで病院で眠っていたという報道を考えれば不思議じゃなかったが、一夏は潤
らず入学式にはいなかった。
自分だけが男子という環境、入学式直前に現れた二人目は、期待していたのにも関わ
実は、彼は結構まいっていた。
沈黙を最初に覆したのは、同じ男性の織斑一夏だった。
﹁ヤッッタアアァァァ
2─1 どうしてこうなった AA略
32
﹁俺、織斑一夏
いやぁ良かった、俺だけだったら耐えられなかったよ よろしくな
﹂
!
!
男は二人だけなんだ、仲良くしようぜ
!
!
︵男二人の友情
これは││イイ
︶
!
自分が中学入学した当初はどうだったか。
さて、自己紹介。
た。
裏方に徹してきた経歴から、大多数の脚光を浴びるのは未だに慣れていない潤だっ
いかに元軍人であろうとも、得手不得手は存在する。
る。
最もクラスメイトの視線が集まりにくい場所だけあって、ちょっとだけ機嫌がよくな
空いている席は、廊下側最後尾。
ドン引きした女子も女子で、立ち直りが早いというか別の意味で逞しかった。
︵今から始まる男のロマンス、悪くないわね⋮⋮︶
!
注意されて、いまさら気づいたのか慌てて織斑が座りなおす。
よ﹂
﹁あ、ああ。 元気いいな、よろしく頼む。 ところで、山田先生が困っているぞ、座れ
33
思い返してもなかなか記憶が定まってこない。
田舎町の、六百人程度が全校生徒の中学校、最初はどんな自己紹介をしたか。
﹂
この世界で既に強烈な足跡を残してしまったが、ふとした所で平成の日本を思い返
す。
思い返せば中学卒業せずに十年以上たっていた。
﹂
││いつか、本当に帰れる日は来るのだろうか。
﹂
﹁織斑君。織斑一夏君
﹁はっ、はい
!
だよね。 自己紹介してくれるかな
ダメかなぁ
﹂
?
副担の真耶は、副担任に相応しい未熟さを示したので気にもしなかったが、クラスが
状況確認をするため、クラスを見渡した潤の最初の感想がそれだった。
なんか周囲の女子の雰囲気がおかしい。
ます﹂
﹁いや、あの、そんなに謝らなくても⋮⋮、えーと。 織斑一夏です。 宜しくお願いし
?
﹁あ、あの、大声出しちゃってごめんなさい。 でも、
﹃あ﹄から始まって今﹃お﹄なん
周囲の笑い声に視線を上げれば、真耶が身を乗り出して一夏に話しかけていた。
?
!?
﹁あ、あの、お、大声出しちゃってごめんなさい。お、怒ってる
2─1 どうしてこうなった AA略
34
おかしい。
女子ってこんなガツガツ行く性格だったか
えるが⋮⋮
あれ、自己紹介って、所属と、階級と、名前を言うものじゃなかったっけ
何人か身構えていた女子がすっころんだ幻覚を見た。
﹁以上です
﹂
長い沈黙の後、一夏は息を深く吸い、吐き出す。何か話すのでは、と全員思わず身構
観察していた。
無論最近の女尊男卑の風潮など知らない潤は、クラスメイトと一夏の姿を興味深げに
?
ダメでした
﹂
﹂
?
げっ
千冬姉ぇ
﹂
どうやら担任らしい女性が出てきて場を収めた。
!?
グシャァ
﹁いっ
!
﹁学校では、織斑先生だ﹂
!?
!
そんな一夏の後ろから近づく人影が1つ。
﹁ん、まちがったかな
?
﹁あ、あれ
異世界の風習と習慣に馴染みきっていたため、同じ男子は驚かなかったが。
?
!
?
35
うずくまる一夏をよそに話を進める副担任と担任。
そして生徒に向き合うと千冬は話し始める。
何にもなかったかのように言い放っているが、一夏は中々起き上がらない。
千冬様
本物の千冬様よ
﹂
北九州から
﹂
﹁諸君、私が担任の織斑千冬だ。 君たち新人を一年で使い物にするのが仕事だ﹂
﹁キャァ
!
﹁私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです
﹁⋮⋮なんだこいつら﹂
!
!
このクラスの人間は腐ってもエリート候補生たち、だったはず││。
理由は﹃クラスの大半が叫び声を上げていたから﹄という状況だったから。
なかった。
潤の唖然とした言葉ははっきり声に出てしまったが、それを気にする人間など誰もい
!
!!
か
﹂
﹁お姉様
もっと叱って
罵って
﹂
﹂
!
﹁そしてつけあがらないように躾をして∼
﹁でも時には優しくして
!
?
﹂
なんだこれ、上品性の欠片もないじゃないか、リリムかお前ら││。
!
!
!
﹁⋮⋮毎年よくこれだけ馬鹿者が集まるものだ。 私のクラスにだけ集中させているの
2─1 どうしてこうなった AA略
36
そこで、ふと相方だった女性の顔を思い浮かべる。
小柄で、茶色い髪色で、ツインテールで、顔をチデソメタ⋮⋮。
﹁││﹂
何か、得体の知れない恐怖感が頭を横切った。
狭い廊下、蠢く何か、頭に響く声。
血まみれの顔。
そこまで幻視して、急に沸いて出てきた頭痛に邪魔をされた。
勝手に出てきたとも思える嫌悪感に、言い知れない不安を感じ││
バンッ
をしろ﹂
諸君らにはこれからISの基礎知識を半年で覚えてもらう。 その後基本
一体どうしてこうなった。
そして、この悲しい現実に、こう思わざるをえなかった。
その言葉に、何故か懐かしい雰囲気を感じ取った小栗はようやく復活した。
﹁﹁﹁﹁はい
﹂﹂﹂﹂
動作は半月で体に染み込ませろ。 いいか、いいなら返事をしろ。 良くなくても返事
﹁静かに
一夏の頭が机に叩きつけられた音で目が覚めた。
!
!
!
37
ここは何処の新人キャンプだ。
何も変わってないじゃないか。
あの世界と。
周囲は変態だらけだし、嫌な事ばっかりおこる。
上に立つ人間は相変わらず畜生肌だし。
ああ、永久凍土の祖国が懐かしい⋮⋮。
自分以外1名除いて全員女子である。
﹂
近くの女子と目が合った。
?
す。
掌で目を多った。
どうしてこうなった
どうしてこうなった
!
変な電波を受信している気もしなくはないが、一つ確かなことがある。
!
そういえば、もう七十時間ほど寝てなかったとどうでもいい事を考え前に目をそら
﹁い、いや、何でもないんだ﹂
﹁どうしたの∼
2─1 どうしてこうなった AA略
38
39
全校生徒、女子大多数、男子二名。
この奇妙な現象の原因はなんなのか。
ここはいったいどこなのか。
説明は難しい。
ただいえることは⋮。
そう、そもそもの始まりは、いきなりファンタジー世界に飛ばされ、ようやく日本に
帰還した昼下がりまで遡るということだ。
最早どうしようもない事態を飲み込めず現実逃避していたが、何とか一限目はクリア
した。
すると、休み時間になった途端、すぐ右側の廊下に女子生徒がやってくる。
すぐ目の前にいた潤の姿を見るや否や、ビクっと体を震わせると廊下の端っこに離れ
ていった。
何か一組に用かと思って無視したが、そのまま廊下の端で動かずに教室を覗いてい
る。
目を向けると視線が合い、再び体を震わせると顔を背ける。
これは、男子生徒が珍しくて見に来ただけか、と気付いて放っておいたが││││、数
分後盛大に後悔した。
しまった、やってしまった。
そう潤は気付くべきだった。
気付いたとしてもどうしようもなかったが、割と真剣にさっさと一夏と顔合わせでも
やっとけば良かったと後悔した。
戦場で有名を馳せた人間でも、廊下側の異様な雰囲気は如何ともし難いらしい。
ちらっと、すぐ右側の廊下を向ける。
あれから同じ様に男子生徒見たさにやってきた女子たちは、その数廊下を埋め尽くさ
んとする程で、一夏が教室中央だという事もあり廊下に近い潤が視線を独占していた。
﹄と継続して訴えかけている。
潤が視線を向けた事を察した数人がすぐさま目をそらしたが、雰囲気だけは﹃早く話
しかけて
ええいっ、ままよ
質問でもあるなら答えるけど
?
!
﹂
⋮⋮織斑、お前なんとか││ってあの野郎、目をそらしやがった。
!
﹁⋮⋮⋮⋮何か、用でもあるのか
?
2─1 どうしてこうなった AA略
40
﹂
﹂
意を決した声は、戦場で響く彼の勇猛な評価も打ち消すかのようにか細いものだっ
た。
遂に来た、話しかけられちゃった
﹁ハイハイハイ
﹁やった
!
﹁好きな女の子はいますか
﹁二つともない﹂
彼女はいるんですか
?
﹂
!?
なれば切りどころに困ってくる。
その重要性も、希少性も理解できないほど子供ではなかったが、全く人が減らないと
逆の立場ならとっくに拘束して研究所に軟禁している。
かっている。
所属国家不明の男性IS適合者、政財界の有力者も確保に躍起になるのは潤とてわ
る。
好奇心だけで話しかけてくるだけの奴ならまだいいが、中にはスパイの類の奴もい
潤は質問の波にいい加減付き合いきれなくなっていた。
││ジョンが嫌がっていた気持ちも解るな⋮。
﹁きれいな声、澄んで聞こえる∼﹂
!
!
41
﹂
!
物静かな女性
いや、すまない、考えたことがない﹂
?
﹁ズバリ女性のタイプは
﹂
﹁凛々しい人
﹁趣味は
?
﹂
!?
﹂
?
じゃないか
でないと、初めてであれだけ動かせなかったさ﹂
﹂
?
﹁おぐりん、何部だったの
﹂
憶喪失の判断は医師によるものだ。 自称じゃないさ﹂
﹁先ほども言ったが、俺には中学校に通った記憶も、部活で汗を流した記憶もある。 記
﹁本当に記憶喪失
ングの成果だと思う。 火事場の馬鹿力は馬鹿にできない、そう思い知ったよ﹂
﹁元々の打鉄保有企業のフィンランド技術者達のメンテナンスと、日頃の肉体トレーニ
?
?
イグニッション・ブーストとか﹂
﹁コ ア の 情 報 が 開 示 さ れ な い 以 上 憶 測 で し か な い が、コ ア に も 人 間 と の 相 性 が あ る ん
﹁なんであんな器用に打鉄を動かせたの
﹁いや、記憶の混乱、ね。 記憶にある企業、両親、実家が存在しないだけさ﹂
﹁記憶喪失って報道されていたけど、真実は
﹁読書と、ペットの世話、あとは釣りかな。 今はペットがいないけど﹂
?
﹁さっきの答えじゃ説明しきれないほど上手く動かせていたけど、理解できている
2─1 どうしてこうなった AA略
42
?
﹁お、おぐりん
⋮⋮ラグビー部だったよ。 毎日楽しかった﹂
?
﹁⋮⋮え
箒
?
﹂
?
﹂
﹁ちょっといいか
すると、次から次へと質問者を捌いている潤を見ていた一夏にも声がかかった。
困っているのは声をかけた本人であるが。
た。
織田信長が怒鳴り声で質問を上げると、配下全員が返答したという逸話を思い出し
コーナーに変質していた。
最初は二、三人にだけ話しかけたであろう言葉は、一言で十人以上が参加する質問
一夏は教室端に溜まっていく女性の波を見て、心の中で合掌していた。
⋮
⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮
﹁実際素晴らしいスポーツだと思う。 日本じゃ有名ではないけどね﹂
﹁なんか男らしいスポーツだね∼﹂
43
?
徐々に増えていくクラスメイトを捌きながら廊下を歩んでいく一夏を見送る。
ぶしつけな質問にも順次答えていく。
それゆえに授業開始のチャイムが鳴った時は内心嬉しく思えた。
どうも現実感が未だにわかない。
最初の世界移動では、真夏の通学路から極寒の雪世界に飛んだせいで否応にも理解で
きた。
寝泊まりしたところも貴族の屋敷だった。
今度も居場所に困る。
いや、そもそも今の自分に居場所があるのか、と思うと憂鬱になる。
とりあえずチャイムも鳴ったし、最後の質問に答えて教科書を出す。
流石に技術者用の入門書と比べれば、広いが浅い。
ダウンロードでどうにでもなると思うだろうが、この能力にはデメリットが多い。
飛行機の中で専門書の類を読んでいたので授業の内容は何とかなっている。
真耶が入ってきて授業が始まった
ます﹂
﹁はい、授業始めますよー。まだクラス代表決めてないですから、相川さん挨拶お願いし
2─1 どうしてこうなった AA略
44
現代の人にもわかりやすく言えば、
﹃自分フォルダ﹄の中に﹃記憶.log﹄が存在し、
それが記憶である。
ダウンロードとは、その﹃記憶.log﹄を対象の物体から得る力。
体験ですら﹃記憶.log﹄には含まれ、このことから汎用性が高い。
しかし、一度ダウンロードした﹃記憶.log﹄は削除できない。
ダウンロードを続ければ﹃記憶.log﹄はたまり続け、何時かフォルダの持ち主で
さえ本当の﹃記憶.log﹄がわからなくなってしまうだろう。
戦争でも起こらない限り、そこまで﹃記憶.log﹄は必要でない。
緊急でなければ変な危険など済む方がいいとはわかっている。
││しかし、
機内で読んでいたとは言え積み重ねた知識の厚さが他の生徒と歴然な差がある。
読めるようになるのと、覚えるのは全く別の才能。
流石にこれを覚えきるのは酷である。
内を逸脱したIS運用をした場合は、刑法によって罰せられ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ということですので、ISの基本的な運用は現時点で国家の認証が必要であり、枠
45
前世界は、魔法が武器として浸透しており、乱戦ともあれば剣で切り込む方が早いこ
とも多かった。
﹂
兵器を運用するにあたり、覚えねばならない情報量に差がありすぎる。
﹁織斑君、小栗君、何か分からないところはありますか
た。
最初にダウンロードしたとは言え機体の情報に法規と、名称の正式な呼び名はなかっ
調べるために参考書を開く潤が写っている。
真耶の瞳には、顔を青くして教科書を見る一夏と、説明するたびに用語の説明箇所を
悪戦苦闘している男子2人を見かねてか、真耶が尋ねた。
?
﹂
!
暗記に関してはダウンロードばかりに頼っていたので、今の潤には手に余る問題だっ
正直覚える量が多すぎる。
大事そうな名称や言葉はノートに書き写す。
そう言いながら某電話帳と間違いかねない参考書を捲る。
﹁りょ⋮⋮、分かりました﹂
ろがあれば聞いてくださいね。 何せ私は先生ですから
﹁確かに入学決定も昨日でしたね。 授業後でも、放課後でも、何時でも分からないとこ
﹁詳細に説明しろと言われれば困りますが、授業を受ける分には問題ありません﹂
2─1 どうしてこうなった AA略
46
た。
﹁先生
﹂
﹁はい、織斑君
か
﹂
﹁え⋮⋮
﹃⋮⋮﹄
﹂
﹂
ぜ、全部ですか
﹁おい、小栗、嘘つけ
﹂
!
い、今の段階で分からないっていう人どれくらいいます
?
バッシャァ
﹁えーと、あの分厚いやつですか
﹂
﹁私語はするな、織斑。 入学前の参考書は読んだか
?
﹂
あの程度でどうこうなるほど人間の頭部は柔らかくないが。
相変わらず凄い音である。
!
﹁やっぱりお前もわかって││
﹁今話しかけるな、俺はもういっぱい、いっぱいなんだ﹂
!
?
?
﹁ほとんど全部、分かりません
しかし一夏の口から出た言葉は、大方の予想の遥か上をいくものであった。
今度は一夏から声がかかり、質問に張り切って答えようとする真耶。
!
!
47
?
﹁そうだ。 必読と書いてあっただろ﹂
﹁間違えて捨てました﹂
ズパァァァァン
いた。
特に顕著だった1人に金髪で巻き髪のイギリス代表候補生、セシリア・オルコットが
た態度の女子も何人かいた。
ちなみにこのやり取りで、クラスの中で一夏の評価が大分決定したようで、憮然とし
今のは仕方がない、潤も納得の一撃を頂戴した一夏であった。
再び妙に硬い出席簿が一夏の頭を叩く。
!
授業が終了した後、先ほどの人波を危惧してか、早速潤が立ち上がる。
さて、再び廊下に人が集まる前に、動かねば。
﹁⋮⋮わかりました﹂
何を自分は関係ないとばかりの顔をしている。 お前も、いやお前は三日だ﹂
﹁いや、一週間であの厚さはちょっと﹁やれと言っている﹂⋮⋮はい、やります﹂ 小栗、
﹁後で再発行してやるから一週間で覚えろ。いいな﹂
2─1 どうしてこうなった AA略
48
﹃えっ、質問コーナーは
夏に近づく。
﹁左利きなのか
﹂
﹂
﹂
﹄とでも言いたそうな周りに座る女子の視線に耐えながら、一
﹂
2人はどちらともなく握手を交わす。
一夏は元気を取り戻したかしっかりした声を出す。
﹁俺もだ。 よろしくな
﹁好きに呼べばいいさ。 同じ境遇なんだし、出来れば俺も仲良くしたいと思う﹂
﹁⋮⋮あ、ああ、まだちょっと痛いけど。 それと一夏でいいよ。 俺も潤でいいか
﹁よお、織斑。 頭は大丈夫か
?
!
ああ、そうか。 いや、ただの癖だ。 以前右手を怪我していた時期があった
?
特別な場でない限り、左手で握手する習慣に変わってしまったのだ。
を示す意味があったが、相次ぐ戦争で命とも言える利き手を差し出す人が減った結果。
握手の習慣があった当初こそ、利き手を制することで、武器を隠し持っていないこと
しかし、潤のいた世界では、実は左手で握手するのが一般的である。
握手は原則﹁右手で﹂という意見がある。
差し出された左手を素直に握った一夏だったが、離した手を見て訝しんだ。
な。 気にしないでくれ﹂
﹁⋮⋮
?
?
?
49
﹄
すっごくイイ
﹄
こうした、ちょっとした文化的違いでも、もうあの場所とは何もかも違うことを実感
する。
どっちが攻め
一夏⋮⋮、どっちもイイ
!
?
周囲から、
潤、潤
× ?
聞いてないぞ、そこの女子。
!
﹃どっちが受け
×
などと聞こえたが、聞いてない。
﹃一夏
2─1 どうしてこうなった AA略
50
2│2 お嬢様って縦ロールにしなきゃいけないの
教科書を開き、単語と説明文を見比べては悪戦苦闘している一夏。
自身も分厚い参考書を片手に説明しながら、ページをめくる潤。
﹁ん
﹂
﹂
﹁ちょっとよろしくて
徒が割り込んできた。
﹂
そのままお互いにISの基礎的な単語やら用語やらを話していると、背後から別の生
?
よって彼女のような人間にも、実際に会ったこともある。
だ。
異世界ではどの国にも貴族や王というのは存在し、彼らによって統治されていたの
そして、相手からは目の前の二人への侮辱、自己の優越感、そして驕りを感じていた。
悪感を感じていた。
潤はその背格好からどことなく懐かしい雰囲気を感じ取り、嬉しいようで、微妙な嫌
声の主は金髪縦ロールが特徴的な女子だった。
﹁なにか
?
?
?
51
そして彼女そのものも雑誌で紹介されていたので知識にもある。
﹂
﹁まあ なんですの、そのお返事。 わたくしに話しかけられるだけでも光栄なので
すから、それ相応の態度というものがあるのではないかしら
入試主席にして、イギリスの
?
﹁悪いな。 俺、君が誰だか知らないし﹂
﹂
このセシリア・オルコットを
?
代表候補性のわたくしを
﹁わたくしを知らない
?
?
!
﹂
?
そう言って、謎のポーズをとってベラベラ喋りだすセシリア。
﹁そうエリートなのですわ﹂
﹁要は、IS学園に入学できる優等生の中でも、特に優秀な││﹂
﹁なるほど、そういわれればそうだ﹂
﹁ISにおいて、イギリスの、代表の、候補。 単語で連想すれば分かるだろうに﹂
その瞬間、何故か一名除いて再びクラスが一丸になった気がした。
なんだ
﹁なあ、二人で盛り上がってるところ悪いんだけど。 潤、だいひょうこうほせい、って
﹁それはどうも﹂
﹁あら、あなたは最低限の知識は持っていらっしゃるのね。 褒めて差し上げますわ﹂
﹁ほう、代表候補生か。 腕の立つ経験者と同クラスとは嬉しい限りだ﹂
2─2 お嬢様って縦ロールにしなきゃいけないの?
52
一夏は呆然としていたが、潤は頑張って笑いをこらえていた。
滑稽とか、そういう類ではなく、潤が最初に剣を取った理由を思い出していた。
貴族の女の子に惚れ、彼女に近づきたくて彼女配下の騎士団に入ったのが全ての始ま
りだった。
││奴もオルコットの様な性格ならば、俺もこんな所に来なくて済んだろうに。
セシリアの金髪、縦ロールを見ると、懐かしい顔が思い浮かぶ。
その後辿る数奇な運命を、自分視点から見ても笑わずにいられなかった。
﹁ふん、まあでも わたくしは優秀ですらあなた達のような人間にも優しくしてあげ
﹁﹁今の俺に何かを期待されても困るんだが﹂﹂
色々立場が違うものの言いたいことは同じのようだ。
一夏と顔を見合わせる。
﹁あなたもですわ。 あなたは多少の知恵があるようですけど、期待はずれですわね﹂
53
何せ自分が受けてない。
入試試験で皆ISで戦闘を行う、というのは潤にとって初耳だった。
ら﹂
よくってよ。 何せわたくし、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですか
ますわよ。 わからないことがあれば、まあ⋮⋮泣いて頼まれたら教えて差し上げても
?
セシリアが唯一の勝者という情報を鑑みれば、勝利することが目的でない事は分か
る。
﹂
となればISの適性を調べる試験、という考えに至る。
﹁あれ、俺も倒したぞ教官。 潤は
一夏もその口かもしれない。
世界には実戦でしか力を発揮できない奴も存在する。
教官が弱いはずもなく、潤の中では一夏の評価がちょっとだけ改善した。
しかし、素人ですら倒せる教官⋮⋮。
一夏の言葉で驚愕の表情になるセシリア。
﹁いや、受ける暇すらなかった﹂
?
嵐のような女だった。
﹁話の続きはまた改めて
﹂
ほら、チャイム鳴ったし座ろうぜ﹂
よろしいですわね
一夏はさっそく発行された参考書を開いて唸っている。
!
?
割と有意義だった授業を終え、今は放課後。
!
﹁女子ではってオチじゃないのか
﹁わたくしだけと聞きましたけど﹂
2─2 お嬢様って縦ロールにしなきゃいけないの?
54
潤は潤でやることがあった。
提出物の作成。
部屋の鍵の管理。
鍵の管理に関しての誓約書。
なにせ入学決定からの入学当日まで二十四時間たってない。
一夏と別れた後、職員室へ向かう。
真耶の話だと、潤と一夏にはそれぞれ専用機が宛がわれるらしい。
お互い実験動物と同じ扱いだが、コアの絶対数が限られている中で、個人専用機を用
意してくれると置いうのは破格の条件だ。
提出書類の作成と共に、開発会社の担当人物との会談を行うらしい。
宛がわれた応接室で確認書類に名前を書いていく。
保護者や身分証明が可能な状態でないので、提出物も少なめだ。
数分後、ペンが紙面に走る音だけが響く室内にノックの音が加わり、ペンの音がやん
だ。
﹁失礼します。 フィンランドのパトリア・グループ日本支部の立平祐一です﹂
﹁どうぞ﹂
55
﹁⋮⋮あなたは﹂
現れた男性は、奇しくもあの飛行機トラブルで打鉄を運搬していた男であった。
﹁あの時は助かりましたよ﹂
﹁いや、私も出すぎたマネをしたのではないかと、選択を誤ったのではないかと今でも
思ってます﹂
だが、潤とて想像できなかった。
レパートリーは少ないとはいえ、専門知識を有する者同士話は弾んだ。
この後、潤は細々と意見を繰り出していく。
﹁もちろんです。 ではせめて近接か射撃かくらいはここで││﹂
の意見を取り入れていただきたいのですが﹂
﹁元から断る気はありませんよ。 ただ機体コンセプトに関しては、多少でいいので私
小栗さんの専用機開発を私の会社にお任せいただきたい﹂
﹁さて、実は私側の技術者から結果を急かされてましてね。 単刀直入に言います。 利き手で握手する悪寒も呑み込んだ。
仰々しく言いながら、互いに握手を交わす。
人数が安全に地を踏むことが出来たのですよ﹂
﹁どうしてそのような事を言うのですか。 あなたの英断と勇気ある行いで百人程の大
2─2 お嬢様って縦ロールにしなきゃいけないの?
56
立平祐一の背後にいる開発人は、IS開発業界なら一度は聞いたことのある特殊な人
﹂
間の巣窟であることを││。
﹁自社開発ktkr
!?
出費と合わせれば国家予算並じゃん
!
ら渡り合える最高傑作を
ティストの集まりだったのだ。
││彼らは、こんなものを平然と考案し、機体に搭載しようとするマッドサイエン
むしろ全て通ったら、人間など乗れなくなってしまう。 無論、全てが通るはずがないことは彼らも承知している。
!
負荷、整備性、そんなどうでもいい。 全ての第三、いやいずれ現れる第四世代とす
個人で月面着陸すら可能とさせるスペシャル機。
オート化されたビット兵器を過去にする新たなオールレンジ攻撃機の開発。
子供のころに見たSF映画の代名詞と呼べる物を模したビームの剣。
現存のISの最高速度の二倍をも出せる高機動型IS。
そう言葉を交わす彼らの中心には、何枚もの青写真が置かれている。 ﹁うはあ、夢がひろがりんぐ∼﹂
﹂
﹁国際IS委員会からの開発資金 生体データ引換とは言えとすげぇぞ、関連企業の
!
57
そんなことなどつゆ知らず、潤の意向を聞いた立平氏が足取り軽く室内を後にした。
後は寮に向かって、寝るだけである。
三日にわたる強制移動で小栗は完全にくたくたである。
全てが移動時間だったわけではないが、戦場どころか市内でも殺し合いをしてきた人
間にとって、寝室に赤の他人がいる状態で休めと言っても難しい。
どうせルームメイトは一夏である。
過去行方不明になったこともなくはないが、少なくとも暗殺者には向いてない。
変な宗教にはまった形跡もない。
薬に手を染めているわけでもない。
そういえば、パートナーとなった者に碌な奴がいたためしがない。
レイプ魔でショタコンでレズビアン、カニバリズム、サディズム、マゾヒズム、et
c、etc。
そして今日初めて、まともなルームメイトができるのだ。
そしてふかふかのベットでぐっすり快眠する。
潤の目には、既にベットしか映ってなかった。
﹁確かに預かった。 それから、お前の部屋が決まった﹂
﹁これが提出する書類です﹂
2─2 お嬢様って縦ロールにしなきゃいけないの?
58
差し出されたのは、部屋番号の書かれた紙とキー。
このIS学園は全寮制だ。
いくらISのコアが限られていようが、ISが国防上重要な代物である以上、搭乗者
の教育は国家の一大事業である。
その操縦者たちの保護もまた事業の一つであり、優良な素質の持ち主を保護するため
の施設が寮である。
﹂
?
﹂
?
﹁次は、体調を整えて授業を受けろ。 いいな﹂
﹁わかりました。 それでは、また明日﹂
﹁宿直付近のトイレに男子用がある。 生徒寮には女子用しかない﹂
﹁トイレは
にあるシャワーで我慢しろ﹂
﹁夕食は十八時から十九時、寮の一年生用食堂で取れ。 大浴場があるが当面は各部屋
﹁それは何から何までありがたい。 他には
金で足りないものを買い揃えろ。 以後は生活補助金は月末に出る。 考えて使えよ﹂
も着れればいい程度にしか考えてないようだ。 明日にも生活補助金が出るから、その
﹁日本政府が用意したが、私が言うのもなんだが本当に最低限だけしかない。 サイズ
﹁織斑先生、俺の生活必需品はどうなってるんですか﹂
59
最後の言葉に、少し眉が吊り上る。
体調の良否は決して相手に悟らせてはいけない。
疲労がたまった状態でも顔に出してないし、クラスメイトには絶対わからなかっただ
ろう。
故に潤の考えはひどく真っ当なものだった。
﹁⋮⋮あれ、本当に平和な日本で育ったのかねぇ﹂
明けない夜はない。
連続不眠時間もようやく終わる。
シャワーは、⋮⋮朝浴びればいい。
流石に王侯貴族の寝るベットと比べれば分が悪いが、造りのしっかりとした高級な部
というより見ているのはベットだけである。
部屋の中を見てちょっとだけ嬉しくて声を上げる。
﹁おおう﹂
入る。
一夏がだらけてようが、例え素っ裸だろうがお構いなし、とばかりに鍵を開けて中に
今の潤には天国への階段がある番号である。
﹃1030号室﹄
2─2 お嬢様って縦ロールにしなきゃいけないの?
60
類に入る代物だ。
﹁キャ
﹂
⋮⋮キャ
!
片方はキグルミのような、狐のパジャマを着ている。
ベットの上で寝転んでお菓子を食べている二人。
全く気付かなかったが、部屋には女子が三人もいた。
││この間、およそ二秒未満である。
ベット際で着地し、すぐさま逃げられるように出口方向に回転して立ち上がる。
丸まって回転。
肩、背中、尻、太ももの筋肉を順次力をつけて飛び上がり、壁を右手で弾いて空中で
そこまで固まって││、次の瞬間の戦士としての反射が始まった。
だらけたTシャツ、桜色のポッチが見えそうで見えない。
もう少しで鼻の頭が接触する。
至近距離、およそ五cmちょい、呼吸が当たる距離。
た。
背中から布団にダイブして││││すぐ右で寝転んでいた私服の、女子と目があっ
?
﹁いやっほぅ﹂
61
もう一人は髪型に覚えがない、顔には見覚えがある、クラスメイトの一人。
谷本さん、布仏さん、鏡さん。 一夏は何処
?
そして、潤が寝転んだベットに、最初から寝転んでいた黒髪セミロングの女子。
⋮⋮ウウン
!
紛れもない土下座スタイルである。
きょとんとした顔の女子三人。
ここの部屋なの
?
一人眠そうな顔をしているが。
﹁お、お、おぐ、り、くん
﹂
下げた頭が床に当たってゴンッと音を立てる。
たんです、他意はないんです。 本当に色々すみませんした
先ほど至近距離まで接近した鏡ナギの手に紙が移る。
﹁いやに来るのが遅いから、誰だろうって話してたけど⋮⋮﹂
﹁まさか、ねぇ⋮⋮﹂
﹁おぐりん同じ部屋だね∼、宜しくね∼﹂
こんなグダグダな感じで小栗潤の新生活は始まった。
﹂
それと鏡さん色々すみません。 疲れてたんです、眠かったんです、寝転がりたかっ
﹁え、あ、え、えぇぇ
?
﹁はい、これが織斑先生から手渡された紙面です﹂
?
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
2─2 お嬢様って縦ロールにしなきゃいけないの?
62
!
2│3 バナナ
粉バナナ
!
入学式前から仲良くなった三人で顔を見合わせる。
子を三人で見送った。
とりあえずシャワー浴びてくる、そういって段ボールから新品の衣類を持って行く男
!
﹂
!
人物がやってきた。
いい人が来て、一緒に仲良くやれたらいいね、程度に思っていたが予想斜め上を行く
まだ来ない本音のルームメイトを三人で待ち構えていた。
イトになることになった。
鏡ナギと谷本癒子は隣の﹃1029号室﹄、布仏本音はあぶれてほかの誰かとルームメ
顔を真っ赤にしたナギに茶々を入れる二人。
﹁ホントに顔真っ赤ー、はい、ジュースー﹂
目の前
﹁だって、だって、急に真横に寝転んでくるんだもん。 顔なんてすぐ目の前だったよ、
﹁ナギ、顔真っ赤ー﹂
﹁うわー、うわー、うわー﹂
63
大きな段ボールを持って入ってきたのは、心配になるほど疲労の色を滲ませたIS学
園のたった二人の男子の片割れ。
﹂
段ボールを置くと、
﹃いっやほう﹄と小声で呟くと呆然とするナギの真横に寝転んだ。
﹁ねぇ、それよりさ、さっき凄い光景を見たんだけど、どうやって起き上がった
﹁そうそう、寝転んだまま、九十cmくらい飛び上がったよね﹂
﹁少し離れた壁に手をついてたから、もっと飛んだかな﹂
﹁うつ伏せなら猫がとかやれそうだけど、仰向けって﹂
ましてや仰向け。
きるとも思えない。
猫が恐るべき身体能力で飛び上がったりするのを見たことがあるが、人間サイズでで
﹁ねぇ﹂
?
﹂
!?
たんだって。 それで生徒会関係者と相部屋になる予定だったらしいよ。 あれ、それ
﹁おぐりんはほっとくと盗撮盗聴されるかもだから、おりむーと同室にすると問題だっ
﹁それホント
﹁んー、おじょうさまから聞いたけど、最初はおぐりん四組に入る予定だったらしいよ﹂
﹁そういえば、織斑くんって、篠ノ之さんと同じ部屋だって聞いたけど﹂
﹁そもそも、なんで織斑くん小栗くんが同室じゃないんだろ﹂
2─3 バナナ! 粉バナナ!
64
65
で私
﹂
潤の一組編入、布仏とのルームメイト決定にはこういうバックストーリーがあった。
妹の身を案じてか、妹と同室同クラスは反対されたが、もう片方は一夏と同クラス。
係者が二人いた。
しかし、悪いことがあれば良いこともあるもので、偶然にも今年の新入生に生徒会関
を迎え入れる為に動いているため難しい。
生徒会長にして裏社会にも詳しい更識楯無と同室にすることも考えたが、彼女も一夏
一度でも捨て置けば悪しき前例を残すことになる。
出来ない。
学校側としても、生徒が外部からの圧力に晒されているのに対し見ぬふりをする事が
一夏と同室になれば、これ幸いとばかりにもっと多くの組織から狙われるだろう。
一人部屋や、半端な生徒にしようものなら盗撮盗聴されるのは目に見えている。
一夏にとっての千冬も日本もいない。
それも国連がやっきになって調べても全く身元の割れない人間。
見つかるのは誰も予測できなかったのだ。
一夏は結構前から知られてたので迎え入れる準備ができたが、二人目がこんなに早く
潤の登場が唐突すぎたせいでIS学園はかなりてんてこ舞いになった。
?
﹁ふーん﹂
三人で話していると、相部屋の男子がシャワー室から出てきた。
疲労の色はだいぶ軽減しているようにも見える。
﹁さて、と。 さっきも言ったが鏡さん、すまなかったな﹂
﹂
﹁い、いいよ、いいよ。 私気にしてないし、まだドキドキしてるけど⋮⋮﹂
﹁ありがと。 相部屋は布仏さんでいいのか
?
﹃さん﹄付けは呼ぶのも呼ばれるのも慣れてなくてな﹂
﹁布仏じゃなくても好きに読んでいいよー﹂
﹁なら、呼び捨てでいいか
﹁いいともー﹂
?
慈悲はない。
勿論、事件性に発展すれば軍法で裁かれる。
士官学校では措置がとられていた。
徹底した集団意識を持たせるため、個人を殺すためや、男女間の羞恥を克服するため、
男女が寮で相部屋になるのは士官学校では割とよくある光景でもあった。
潤は女生徒と相部屋になってもさほど驚かなかった。
手前側のベットの端に座りながら、四人で談笑する。
﹁懐かしいな、それ﹂
2─3 バナナ! 粉バナナ!
66
お互い合意の上ならお互いが学校規則に裁かれる。
﹂
?
人付き合いも大切である。
結局最後まで潤は付き合った。
はっきりこれをしようと決めている時ほど、色々なことが起こるものである。
けた各学年の生徒が二十人ばかり襲撃して来たり、
り、癒子、ナギ二人から質問攻めにされたり、潤がここの部屋に入っていったと聞きつ
いい加減眠気に負けそうな潤であったが、本音にお菓子を進められて一緒に食べた
﹁はーい﹂
ら、着替えは今後そこで済まそう、もちろん鍵をかけてな﹂
﹁最低でもシャワーとか着替えの時間はずらさないとな。 洗面所に鍵を掛けられたか
﹁おぐりん、なに決めるのー﹂
﹁そうか、これから宜しくな。 じゃあ、さっさと決めること決めるか﹂
﹁﹃1029号室﹄、本音ちゃんの友達﹂
﹁ああ、わかった。 それで二人は
﹁鏡って呼ばれ慣れてないから、私はナギで﹂
﹁わかった﹂
﹁私は﹃癒子﹄って呼び捨てでいいよ﹂
67
殺るか殺られるかの一期一会が基本の戦場、そここそがかつての居場所だったが、今
の彼が住んでいるのは、﹃また明日﹄が続く平和な学校だった。
朝になると決まって、安堵と悲哀を感ぜざるを得ない。
寝る前にハンガーにかけてあった制服と手に取って、洗面所へ。
朝食を一緒に取る約束もしている。
癒子は言っていた。
廊下の出来事然り、部屋にまでやってきて自己紹介するのは、年頃の女子なら当然と
珍しいとの事。
S学園に入学した殆どの生徒は専門の女子中学から来ているとの事で、同世代の男自体
どうもISを学ぶというカリキュラムの中で男という存在が非常に少なく、聞けばI
クに付き合った。
どうせ慣れない人間がいる状況では熟睡できない性分なので、最後までガールズトー
夜寝る前にお菓子なんぞ食べたせいで、胃もたれがすごい。
無理にでも瞼を閉じて寝ようとするも、胃のムカムカが邪魔をして目がさえてくる。
﹁うーん⋮⋮﹂
2─3 バナナ! 粉バナナ!
68
69
目を覚ませば、今の世界は性質の悪い夢だった。
いつも通りの悪趣味な王と、変態で馬鹿な部下に悩まされる日々が始まるんじゃない
かと錯覚する。
そして、再び未知の異世界に来た現実に直面し憂鬱になる。
潤の朝は毎日決まって溜息から始まっていた。
さて、髭もそって、歯を磨いて、着替えも終わって、そろそろ約束の時間だというの
に、すやすや寝息を立ててるこの着ぐるみ少女どうすっか。
とりあえず着替えとか色々あるだろうから外に出て待つ潤。
癒子とナギのペアはどうにかして寝ぼける学友を起こそうと奮闘していた。
待つこと十分。
眠たそうな着ぐるみ少女と、朝から妙につかれた顔色のコントラストはその労力を如
実に表していた。
そして朝食である。
暗殺、諜報、潜入を生業にしてきた潤にとって、夜の闇こそが仕事場であり、朝食は
逆に眠りの前の軽食だった。
﹁小栗くん、小食なんだね﹂
⋮⋮わ、私たちも、お、同じかな。 ねぇ
﹂
﹁元々朝はあまり食べないし、昨日、菓子を食べすぎたしな﹂
﹁えっ
?
声かけてほしいんだけど﹂
?
?
潤か。 おはよう、好きなだけ隣に座ってくれよ、なんか女子しかいないと気疲
?
れしてな﹂
﹁ん
﹂
嫌な提案でもないので、四人で一夏の席に向かった。
れする。
何故か、二人の間にぎくしゃくした雰囲気を感じたが、今の四人だけで食べれば気疲
窓際の席には一夏と、昨日教室から一夏を連れ出した女子が居た。
﹁小栗くん、織斑くんの席に行かない
席を探そうと周りを見渡すと、一夏と何やら不機嫌そうな表情の篠ノ之箒が見える。
そんな潤より更に少なめな女子の朝食は、思春期の女子の意地かもしれなかった。
パン二枚とサラダだけ受け取る潤の朝食。
四人そろって軽食。
﹁こ、これで平気だよね﹂
!?
﹁おはよう、一夏。 隣いいか
2─3 バナナ! 粉バナナ!
70
﹁同感だ﹂
とりあえず男子二人で隣りに座り、女子三人が追従して席を埋める。
三人が小さく役得だね、と小声で話しガッツポーズしていた。
マジかよ﹂
!?
どことなく委員長という単語が思い起こされる。
クラス代表について説明が入る。
まれば一年間変更はないからそのつもりで﹂
加し、入学時点での各クラスの実力推移を測るためクラス対抗戦にも出てもらう。 決
﹁クラス代表とは読んでそのままの意味だ。 様々な行事にクラスの顔、代表として参
真耶までメモを取る準備をしているので重要度を疑うことはない。
り出した。
朝食を終え、実践で使用する各種装備の説明という重要な授業の前に、そう千冬は切
﹁授業の前に再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めなければいかんな﹂
﹁千冬姉が寮長
﹁俺が知るか。 寮長であるお前の姉に聞けよ﹂
﹁ところで、なんで男子二人しかいないのに、別室なんだよ﹂
71
軍属、隊長所属、出来なくはないが⋮⋮。
責任ある立場ともなれば、IS知識と起動の熟練は必須となる。
後者には、似たものを纏い空を飛んだものとして絶対の自信を持っていたが、前者は
後塵を期しているのが現状であった。
そういう観点から、潤の中では代表候補性のセシリアが適任であり事実そうなるだろ
うと判断した。
﹁自薦他薦、立候補問わない、申し出てみろ﹂
﹂
﹁はいっ。 織斑君を推薦します﹂
﹁私もそれが良いと思います
﹂
!
待てよ
﹂
!
││ん
先生
自薦他薦は問わないぞ﹂
!
?
﹁じゃあ、私は﹁ハイ
﹁なんだ、小栗﹂
?
何時だって世界は、平等によって隠された不平等競争社会である。
大多数の意見によって流される少数の意見を垣間見た。
いきなり自分を推薦され思わず焦る一夏。
﹁お、俺
!?
?
﹁他にはいないか
2─3 バナナ! 粉バナナ!
72
﹁代表候補性のセシリア・オルコットを推薦します。 実力、知識共に申し分ないはずで
す﹂
今までにないほど大きな声で潤が遮る。
一夏が真っ先に推薦されるのを見て、じきに自分が推薦される可能性を察知した。
この流れなら間違いなく誰かに推薦される。
事実、癒子が名前を言う寸前だった。
!
はないな
﹂
?
?
﹁い、異論しかないんですけど
﹂
めて三名でクラス代表決定戦を行う。 多く勝利した者をクラス代表とする。 異論
﹁では、来週の月曜日に第三アリーナにて織斑、オルコット。 ⋮⋮ついでだ、小栗を含
言い争いはヒートアップし、決闘騒ぎまで発展した。
二人の言い争いの陰で、新世界の神のような笑み浮かべる男が居た。
る。
潤の推測は見事的中し、自分こそ代表に相応しいと考えるセシリアは一夏を貶してい
セシリアの性格ならば、自分と肩を並べて推薦された一夏にくってかかるだろう。
去がよぎる。
﹃あいつなら、きっと何とかしてくれる ﹄とばかりに無理難題を押し付けられてきた過
73
2─3 バナナ! 粉バナナ!
74
そして、その笑みは早速崩壊した。
2│4 強化なかったら死んでたんだけど
1.一夏とセシリアが子供じみた口喧嘩をする
2.﹁そこまで言うなら決闘だ﹂﹁おう、かかってこい﹂
3.よし、織斑、オルコット、小栗で決闘だ
﹂
ば、今後専用機が割り当てられる人数は二百個を切るかもしれない。
正確な残り数は分からないが、軍事用、開発用、運用中の物、訓練用の物を考慮すれ
当然この数を上限ありきとして各国家、企業、組織、機関が開発、管理を行っている。
量産が出来ない。
コアは篠ノ之束博士の独自の開発であり、完全なブラックボックスとなっているため
現在のISのコア数は四百六十七。
当然話の方向性が変わったが、専用機の話になるとクラスメイトが騒ぎ出す。
﹁小栗には昨日話したが、お前ら二人には専用機を用意する事になっている﹂
二人でヒートアップしていたのに、急に三人目が湧いて出てきた。
この流れで突然自分の名前が出てきて不自然に思わない奴はいない。
﹁何でですか
?
75
国防の要となるIS、その専門的知識を習得する学校が世界に一つしかないのも、コ
アの数を一定数必要とする事に所以するのだろう。
織斑のはほぼ完成の形を見ているので近々の内に届くだろう。 小栗は昨日プロジェ
﹁お前らは特例として、データ収集を目的とした専用機が用意されることになった。 ﹂
﹄と言っていてな、装備、装甲、OS
クトがスタートしたばかりだが、六月末に仮完成、二ヶ月で微調整して九月には仕上が
るだろうがそれまで待て﹂
﹁⋮⋮それが何故俺が参加する理由に
る。
世界中から注目されれている以上、開発陣も搭乗者も下手を打てば一生笑いものにな
割とこれがいけなかった。
望している。
コアの取引はアラスカ条約で禁止されているものの、男二人のデータはどの組織も待
ない存在である。
なんか不思議な言葉が聞こえたが、一夏も小栗もIS関連の人間からすれば目を離せ
﹁そういうことですか﹂
等全てを専用設定にする為に生のデータを寄越せと急かしている﹂
!
?
﹁﹃世界中が唖然とする画期的な浪漫機体を作る
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
76
77
パトリア・グループ社は、変態機体開発企業の看板に恥じ入ることのない最高の機体
を模索した。
その第一歩が彼の操作の癖を知ることであり、もう一つの情報を取得するためにわざ
わざデータ取得専用システムを搭載した打鉄・カスタムまで用意している。
そのデータ収集を兼ねるということだろう。
さて、昼休みである。
昼食を一緒にと一夏に誘われたものの、既に送られている打鉄・カスタムを受け取り
にアリーナに向かわねばならない。
昨日の今日で専用システムなぞ用意できるのか、と疑問を口にしたら、千冬すら言葉
に詰まり﹃﹃こんなこともあろうかと ﹄というのは技術者としての浪漫がどうのこうの
と﹄と言って閉口していた。
そこでようやく潤も感づいた。
彼らは総じて常識の枠を破壊し、予想だにしない行動をとるという、割と潤の苦手な
以前何度か遭遇し、その度に煮え湯を飲まされていきたタイプの人間たち。
彼らは独自の美学に従って生きている。
!
タイプの敵であった。
今回は味方だが。
格納庫っぽい場所で真耶から打鉄・カスタムを受け取る。
待機状態は黒い腕時計。
パトリア・グループが鋭意開発している専用機のように待機状態にできるシステムは
未だ完成を見ていない。
なんでも拡張領域を膨大に喰うらしく、もし搭載しようものなら残りの空きでブレー
ド一本しか積めなくなるらしい。
﹁今、ここで展開してもいいですか
いに鼓動が早まる。
﹂
暖かいようで、急かされているようで、もし許しが出ているならば飛び出したいくら
不思議な高揚感が全身に迸る。
腕時計を受け取る。
﹁わかりました﹂
﹁ええ、申請はしておきましたから。 ただしアリーナには出ないでくださいね﹂
?
す﹂
﹁えっと、ISは今待機状態になってますけど、小栗くんが呼び出せばすぐに展開できま
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
78
拾えてしまうのだ。
意識しなくてもISは三六〇度見渡せるようになっているので、どんな小さな音でも
潤の装備した打鉄・カスタムを見上げて真耶が呟く。
﹁い、いや、そうじゃなきゃここにいませんから﹂
﹁は∼、ほんとに動かせるんですね﹂
最適化処理開始、及び最適化情報記録開始
初期化開始、及び初期化処理記録開始
EEG観測システム開始
ハイパーセンサー最適化
スラスター正常作動
皮膜装甲展開
待っている、喜んでいる、歓迎している、知りたがっている。
このコアは、あの飛行機で纏ったコアと同じ、
﹁同じコアを使ってくれているのか││﹂
79
﹁それでは、私もご飯食べてきますから、小栗くんもほどほどにして休んでください﹂
﹁ありがとうございました。 もう少し体に馴染ませてから休みますので﹂
浮足立って帰っていく真耶をセンサーの端で見送くった後、ゆっくりとISを体に馴
染ませていく。
ちょっと逆立ちしてみたり、ホバリング状態で格納庫内を回ってみたり、そこそこの
速度で発進停止を繰り返す。
で、
﹂
?
﹁ヒーローなんて誰が好き好んでなるか。 それに、なりたいからなれるってもんじゃ
はとても思えない⋮⋮ヒーローみたい﹂
﹁⋮⋮飛行機事故⋮⋮興味深かった⋮⋮おかしなほど機動制御が上手くて⋮⋮一般人に
水色髪、眼鏡の女生徒は四組クラス代表と名乗った。
﹁小栗潤だ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮四組クラス代表⋮⋮更識簪﹂
時も目を離さない。
打鉄・カスタムを装備した頃からチラチラ見ていたが、真耶が居なくなったあとは一
真耶が来る前から1人でキーボードを操作している女子がじっとこちらを見ていた。
﹁何か用か
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
80
ないだろう。 何時の間にか誰かにされるものさ、ヒーローなんてものは﹂
かつて夢を見た自分が居た。
たった一人を守りたいから剣を取った。
何時の間にか力ばっかりついてきて、想いは置き去りになった。
百人を救うため一人を殺す英雄よりも、百人なんて気にもならずに知人一人に全力を
かける人で居たかった。
一夏は昼を取っている最中に、箒からISを習う約束を取り付けたらしく一緒に剣道
そのまま午後の授業もつつがなく終わり、放課後に入る。
潤もそれ以上は何も言わず、ISを待機状態に戻すと格納庫を去った。
言葉を飲み込んで再びタイピング作業に戻る簪。
だが、そこまで。
何を渇望する様な、悲しいような、妙な感情で何かを言いかけた。
その言葉が何かに触ったのか、何かを言いかける。
い﹂
﹁それにヒーロー像で見られるのも嫌だしな。 俺は、他の何でもないただの俺でいた
﹁⋮⋮そう、なんだ﹂
81
場へ向かうらしい。
今回も熱烈に誘われたが、今日は潤も予定が入っている。
予定といっても、大層なものでなく、平たく言えば体力測定である。
若返った。
病院で寝てた。
これまで全力で体を動かす機会がなかった。
例えデータ収集のためだけとはいえ勝負事を行うのである。
自分の体力の限界や、筋力の加減を知らなければ不安で仕方がない。
グランドの申請は千冬に出し、快く許可が出た。
ついでにタイム測定を引き受けてくれるらしいが、丁重に断ろうとして却下された。
﹂
教官肌の笑みが、過去の畜生肌の誰かにダブって見えたのは、潤の悲しい直感だった。
﹁どういうことだ
!
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
82
﹁いや、中学校は部活してなくて⋮⋮﹂
一夏は箒にボコボコにされていた。
夕日が沈もうとする時刻まで剣を合わせ続け、今また剣を捨てた一夏を糾弾してい
る。
一夏は三年間、親が居ないことを理由にバイトをし、帰宅部に所属していたため腕が
鈍っていた。
﹄
?
代案として幼馴染の箒に頼んだのだが、何故かISを教えてもらう筈が剣道の稽古に
を言いって迷惑をかけるのも戸惑う。
せっかく男同士、知識とか基本的な事とか一緒に学べれば良かったのだが、まあ無理
昼食も、放課後も、ISの訓練話もなかなか乗ってこない。
潤も色々忙しいのは分かっているが、なぜか避けられている印象を受ける。
?
どうもそれが彼女には気に食わなかったらしい。
周囲からは﹃織斑君ってさ、実は結構弱い ﹄とか、
﹃本当にIS動かせるのかな
等と非難がましい声までかけられる始末。
﹂
﹂
!
﹁い、いえ、何も
!
﹁何か言ったか
﹁潤に頼めばよかった⋮⋮﹂
83
なった。
どんどん速度が落ちてるぞ
気合を入れろ
﹂
寮に向かって二人で歩いていると、グランドから一夏にとって聞きなれた怒声が耳に
入った。
││よし、1500m走は四分十九秒。 十五歳でこれだけ出せれば上出来だ
!
﹁そらぁ
色々ドン引きしている、おそらく陸上部。
嬉々として怒鳴り声をあげながら追い散らす千冬。
真っ赤な顔をして全力で逃げ⋮⋮もとい走る潤。
!
陸上部、酸素缶と水もってこい
││十分休憩後、100m走を計測する
││っち、酸欠で気絶してる
!
!
この日、仲の悪かったルームメイトは完全に意志統合できた。
﹁⋮⋮箒。 そうだな、そうしよう﹂
!
!
!
﹁一夏⋮⋮見なかったことにしよう﹂
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
84
それから三日後。
悪夢ともいえる陸上関連のテストを終え、久しぶりにIS学園の外に出向いてショッ
ピングに行った潤の姿があった。
日本政府から支給されている奨学金で、生活用品の買い物をするつもりである。
着替えの種類といい、剃刀といい、石鹸といい、現代の流行なんて全く知らない老人
だってもっといいものを選ぶだろう。
日曜大工用品・生活雑貨のフロア。
買い物は目覚まし時計。
実際使うのは潤ではなく、隣のベットで時間ぎりぎりまで寝続ける眠り姫︵布仏︶。
あと五分、あと五分と延々繰り返しては寝続けるので、これが鳴ったら最後、という
最終防衛ライン用目覚まし時計をご所望である。
一度直接起こそうと肩をゆすってみたら、たわわに実った胸部装甲が肩の揺れに連動
してプルプル動き、﹃これはセクハラで訴えられたら負ける﹄と確信して以降やってな
い。
周囲を確認してフルスイング。
﹁おおっ、でっけえバール﹂
85
ずっしりとした重量感。
いざという時に備え、鈍器として最適だったが、お値段は9900円。
数少ない奨学金を、無駄には使えないので名残惜しそうに陳列ラックに戻したところ
で、潤の身に異変が訪れた。
平日の夕方、日曜大工コーナー、人気はないにも関わらず、妙な視線を感じる。
敵意や、悪意の類でないことは潤にもわかっているが、日本人にしてはやや高い身長
の男子が居るからという理由だけでない事も感じ取っている。
しきりに辺りを見回ますと、纏わりつく視線が消える。
どこかで見たことのあるような水色の髪をした女生徒の背中を見て取れた。
そして視界の端にちょっとだけ映ってはすぐ消える水色髪の女生徒。
るような視線。
周囲の客、主に女性から受けている好奇心に属する興味関心とはまた違った何かを探
﹁またか﹂
ふくよかなおばちゃんから紙袋を頂き精算を済ませる。
清○軒という店の和菓子は、潤の平成世界にもある馴染の店。
無難に時計を買い、お菓子を好むナギ、癒子ペアにみやげを買って帰る。
﹁⋮⋮まあ、いいか﹂
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
86
87
IS学園の生徒で、顔見知りの簪とはまた違う印象を受ける。
ちょろっと映ってはすぐ消える。
その影はIS学園行きモノレールに乗るまで潤に付きまとった。
後日、布仏にそれとなく話したら生徒会長とのことらしい。
それから更に四日後。
一夏は箒に叩きのめされ続け、潤は千冬に打ちのめされ続けた。
なまじ男二人共にどんなに厳しくしてもついていける土壌があり、二人にとっての悪
夢の原因だった。
そして決闘当日。
試合順は﹃一夏vsセシリア﹄、
﹃セシリアvs潤﹄、
﹃潤vs一夏﹄、の順番に決まった。
ISの戦闘は三六〇度展開されるセンサーで集中力を大幅に使う。
使う時間が長ければ、体はともかく精神力が原因で疲労する。
連戦させる集中力が低い奴を前後に別ければ、自然とこの組み合わせになる。
第三アリーナ・Aピット。
クラス代表決定戦当日、潤と一夏、そして教官役の箒がISアリーナピットで待機し
ていた。
一夏のISは未だ届いておらず、生徒三人の直ぐ近くに見える大きなハッチから直接
搬入さるらしい。
﹂
届いたら即乗り込んで、即座にフィールドへ飛び立つ事になる。
﹁ところで、潤の腹筋すげぇな。 どうやって鍛えたんだ
﹂
﹁覚えてない。 気づいてたらなってた﹂
﹁触っていいか
?
?
ると││。
ブルー・ティアーズ、セシリア・オルコット、空を悠然と飛ぶ敵機に想いを馳せてい
映っているのは青空に負けないくらい、青々としたIS。
不意に空中にウインドウが出現し視線が集中する。
避けられそうで避けられなかった事態である。
妙なテンションになった一夏、不機嫌な潤。
実は二人とも結構な疲労状態。
る。
ボーイズトークに飢えていた一夏がここぞとばかりに潤に話しかけあしらわれてい
﹁やめろ、男に触られていい気になるか﹂
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
88
﹃織斑くん、織斑くん
織斑くんっ
﹄
!
﹃来ました
織斑くんの専用IS
﹄
上部に設置されたスピーカーから上ずった真耶の声が響く。
!
!!
﹄
!
仲間内から激励を背に受け足を進める。
﹁悔いを残さないよう全力で行け。 ついでに勝ってこい﹂
﹁ああ、行ってこい﹂
﹁了解だ、千冬姉。 箒、潤。 ││行ってくる﹂
﹃フォーマットとフィッティングは実践でやれ。でなければ負けるだけだ﹄
一夏は純白のIS、白式に身を預けていた。
る。
その姿を白日の下に晒した自分の愛機に見惚れる一夏に、千冬が後ろから声をかけ
﹃それが織斑くんの専用IS﹃白式﹄です
﹃白式﹄と名づけられた、白いISだった。
現れたのは純白。
通路奥から運搬されてきたのは、織斑一夏専用IS。
本番でものにしろ﹄
﹃織斑、直ぐに準備をしろ。 アリーナを使用できる時間は限られている。 ぶっつけ
!
89
カタパルトに脚部を固定し、ゲートが開き全ての準備が整った。
射出された白式は危なっかしくも空中に浮遊し、ブルー・ティアーズと向き合った。
何気なく一夏の動向を見守っていた教師二人だったが、目を合わせると潤に声をかけ
てきた。
千冬の言葉に疑問の声を上げたのは箒だけだった。
﹁小栗、お前は打鉄を装備してプライベート・チャネルを開け。 話がある﹂
2─4 強化なかったら死んでたんだけど
90
2│5 信じてくれ、オレなら出来る
セシリアと一夏のクラス代表決定戦は、最初から一方的な展開になっていた。
そもそも起動時間が少ない一夏と、習熟訓練を積んでいるセシリアでは全てに明確な
差がある。
そして双方の機体、ブルー・ティアーズは遠距離戦闘用、白式は近距離戦闘用と得意
の距離が明白に分かれている。
代表候補性として訓練しているセシリアが、簡単に相手を懐に入れるはずもない。
﹁一夏っ
﹂
見せ徐々にブルー・ティアーズに迫っていく。
模擬戦が始まって暫くは無様な飛行を見せていた一夏だったが、次第に軽快な飛行を
攻撃が命中するたびに名前が口から洩れている。
祈るようなことはしないものの、手は宙をさまよい握りしめ、ブルー・ティアーズの
そんな白が苦戦する代わりのしなしモニターを見つめているのは箒だった。
青が狙い撃ち、白が回避する。
﹁一夏⋮⋮﹂
91
!
飛び回るビットを切り付け、時にはかわし、ようやく四機破壊し白式は猛然と突き進
むも、残りの二つのビット兵器に逆に追い詰められた。
ミサイル二つは、空を逃げ回る白式を追いかけ、遂には爆発と光をもって白式を包ん
だ。
﹁あれがファースト・シフトか。 生で見たのは初めてだな﹂
のかや、潤の印象を布仏に聞く機会があったが、割と好印象で紳士的と聞いている。
同じ男とルームメイトになったという境遇から、潤とどういう距離感で過ごしている
それに、なんというか、箒の武人としての本能が叫ぶのだ、こいつには勝てない、と。
何より一夏が﹁不機嫌そうな顔してる時なんかそっくり﹂と言っていたのが気に障る。
のだが、それでも箒はこの男が苦手だった。
物静かで、表情を顔に出さず、自分に厳しい人間という好印象を感じる所も多々ある
箒はこの男が苦手だった。
箒もその映像を目に入れながら、意識は小栗潤に向かう。
式が映っていた。
画面は、機械らしい凹凸はなくなり、滑らかな曲線がまるで鎧のように見える真の白
隣に来た一夏と同じくISを動かせるもう一人の男、小栗潤が箒の隣に立つ。
﹁小栗⋮⋮﹂
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
92
しかし、やっぱりこの男は好きになれないなと箒は判断した。
﹃試合終了
!
﹄みたいな表情で固まる。
?
﹁ぐうぅっ
﹂
﹁⋮⋮﹃俺は世界で最高の姉さんを持ったよ﹄﹂
出撃前の気合が入った面影はなく、未だに困惑しているのが手に取るようにわかる。
何が起きたのか分からない、といった表情の一夏が格納庫に帰ってくる。
格納庫に、なぜか疲れた声色で嘆息する千冬の声が響いた。
織斑先生以外、皆そろって﹃なんで
試合終了の合図がアリーナに響き渡った。
勝者、セシリア・オルコット﹄
そして│││
画面に戻り、一夏は新たに呼び出した近接用ブレードでセシリアに斬りかかる。
仏頂面をした二人の顔は、一夏の見た通り良く似ていた。
﹁そうか﹂
﹁なんとも言えないが光るものは感じるな。 磨けばいい代物になるだろう﹂
﹁小栗、一夏をどう見る﹂
93
!
﹁負け犬﹂
﹁ちょ、箒まで﹂
﹃大馬鹿者﹄
﹁ぐぬぬ⋮⋮﹂
容赦ない罵声が疲れ切った白式纏う一夏を出迎えた。
ISでの戦闘はシールドエネルギーがなくなると勝負がつく。
一夏の専用機の唯一の武装﹃雪片弐型﹄は自分のシールドエネルギーを攻撃用に変換
して使用する諸刃の剣らしい。
つまり、彼が負けた最大の要因は自分の武器そのもの。
潤は簡潔に返事をし、機体のチェックを済ませていく。
﹁分かりました。 任せてください、やり通して見せますよ﹂
いことだと思いますが、さっき話したことお願いしますね﹄
﹃小栗くん、セシリアさんのメンテナンスが終わったそうです。 教師として申し訳な
交う。
その後もクドクド千冬から通信で文句を言われつつ、真耶からも少しずつ注意が飛び
﹁はい⋮⋮﹂
﹃武器の特性を知らんまま戦うからそうなる。 明日から精進しろ﹄
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
94
﹂
その後先ほどの先生二人と話した内容を噛みしめながら打鉄・カスタムの歩みを進め
た。
﹁潤、セシリアは強いけど、勝てないわけじゃない。 勝って来いよ
﹂
!
﹂
?
する。
アリーナの空で少し待ち、今度はセシリアがカタパルトから射出されて小栗潤と対峙
そう言われてモニターを見つめる一夏の目には、高みを悠然と飛ぶ潤の姿があった。
られていくだろう。 ⋮⋮だからしっかり見ておけ。 自分のライバルの実力を﹂
﹁学校では織斑先生だと言っているだろう。 まあいい、今後お前ら二人は嫌でも比べ
﹁千冬姉
﹁織斑、小栗の耳にも入っているだろうから、お前にも言っておく﹂
全身に懐かしい負荷を感じ、潤はアリーナへ向けて飛び立った。
﹁小栗だ、︻ 打鉄・カスタム ︼出るぞ
淀みなく準備を進め、カタパルトに両脚部を接続する。
みせるさ﹂
﹁ブレードだけが武装のデータ取得機でどうしろという。 まあ、全力で期待に応えて
!
95
﹂
﹁来ましたわね⋮⋮。 さぁ、負けた時の││﹂
﹁オルコット、織斑との戦いはどうだった
ISのハイパーセンサーでは、先ほどの小声もきっと聞こえているだろう。
潤は言いよどむセシリアの姿を見て呟く。
﹁そうか、いい方向に行っているみたいだな﹂
気高く、そして強い瞳をした男。
考えさせられる事が多かった。
馳せると感情は全てそちらに流れてしまった。
突然の言葉を遮る不遜な問いに、セシリアは少しむっとしたが先ほどの戦いに思いを
?
﹂
?
﹁さあ
踊りなさい
!
﹂
幾ばくかの静寂の後││。
トmk│Ⅲを構えた。
その会話後、合図を待つまでもなく、潤はブレードを展開し、セシリアはスターライ
ります。 覚悟はよろしくて
﹁先ほどの模擬戦、わたくしも思うところがありました。 今度は、確かめたいこともあ
﹁へらへら笑いながら剣など持てん性分でな﹂
﹁あなたも⋮⋮、強い瞳を持っていますのね﹂
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
96
!
手に持つスターライトmk│Ⅲの閃光が試合開始の合図となった。
行きなさい
ブルー・ティアーズ
﹂
頭部めがけ放たれたレーザーは、あろうことか直進したまま体を捻って回避される。
﹁あなたも無茶苦茶しますわね
!
!
い。
﹁猪口才な﹂
!
﹁潤がいきなりバッと急接近してるじゃん、あれなんだ
﹂
﹁全くだ。 動画でも見たが、機動操作に関しては感嘆するほかない﹂
﹁すげぇ、全部避けてる⋮⋮﹂
その雨は早情けも容赦も無いセシリアによる連続射撃の証だった。
まるで雨が降り注ぐかのような幻想的な風景。
近寄ればビットのシャワー、遠ければスターライトmk│Ⅲでの狙撃。
﹁メインは後、先に前奏をご堪能ください
﹂
映像の画質は悪かったが、あれを見る限り機動制御に関しては代表候補生にも劣らな
そして何より、潤が初めてISに乗ったとされる飛行機エンジントラブル事故。
だった。
先ほどの対戦を観戦していたと聞いていたので、最初から手加減抜きで挑むつもり
急接近する潤を前に、後方に逃げ延びながらビットで弾幕を貼って壁を作る。
!
97
?
そして、僅かでも隙を見つければ瞬時加速で間合いを詰めてくる。
いや、正確には首やら、胴体の捻りなどで絶妙に回避して前進し続けてくるのだ。
だが、空を飛び迫りくる男は回避行動すらあまりしてこないで突っ込んでくる。
装甲のある場所を狙って少しでも面積の広い場所をめがけて引き金を引く。
狙いは頭部、もしくは胸部か腹部。
│Ⅲを操っていた。
セシリアは先ほどから命中弾を得ようと、必死の思いで狙いを定めスターライトmk
のが見て取れた。
しかし、よくよく目を凝らせば、その光が一条たりとも打鉄の装甲に着弾していない
方的に攻撃しているように見える。
ともすれば遠距離を主体とするセシリアが主導権を握り、間合いを詰めよらせずに一
二人がそう言う間にもISを纏った潤とセシリアはアリーナを縦横無尽に駆ける。
観戦している二人が食い入るようにモニターを見ながら呟いた。
できた。
アリーナ外からモニターで観戦する一夏にも、セシリアの銃撃はモニター越しで観戦
﹁瞬時加速、スラスターにエネルギーをためてドーンと接近する技術だな﹂
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
98
セシリアはその度、ブルー・ティアーズで自分に被弾するのも覚悟で弾幕を貼って対
処していた。
上手い
﹂
﹁││くっ
が驚愕した。
三度目の接近を払いのけた後、ブルー・ティアーズから促された情報にセシリア自身
敵ISに着弾を確認
││報告
!
二人が共に強い男であることが嬉しくなった。
それが、今まで軽蔑してきた男の1人がなしている事に驚愕し、同じクラスに居る男
もしくは先にいるか⋮⋮。
迫っている。
少なくともISの基礎ともいえる機動制御、という側面に関しては既に自分の領域に
体全てにおいて素晴らしい力を持っている。
負けはしたが最後まで強い意志を持ったままだった一夏にも言えたが、潤もまた心技
た。
その言葉は、セシリアがこの戦いを通じて得た、偽りない好敵手への賞賛の言葉だっ
!
!
99
何かの間違いではなくって
││ビンゴ
と自機に聞き返しそうになった。
放った四発のうち、その全てが僅かだが装甲を削っている。
胸部狙いから足に変えて射撃を繰り返す。
狙いを頭から腕に。
もし、先ほどの手足への着弾が真実ならば勝算はある。
ISの全方位視界接続は完璧だが││。
﹁もしかして⋮⋮﹂
││着弾点を拡大表示、敵IS右腕に着弾
?
ることなどお構いなしに。
何時の間にか目標が﹃身の程を教える﹄から、
﹃彼に完全に勝利したい﹄に代わってい
セシリア・オルコットはやっと明確になった勝利への道筋に、胸を躍らせた。
!
﹂
!
そして、小栗潤は高い反射神経と動体視力に任せて完全に回避してしまう。
ISの全方位視界接続は完璧。
﹁⋮⋮言ってろ﹂
りましたわね
﹁鍛えられた動体視力と反射神経、素晴らしいですわ。 ですが、その高い能力が仇にな
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
100
スターライトmk│Ⅲと四つのブルー・ティアーズをもってしても、反応任せに潤は
回避できてしまう。
しかし、その実潤の反応は、
﹃自分の体にとって危険か否か﹄によって大きく変わる。
頭、胸、腹部、肩など、もし生の肉体に当たれば戦闘不能になる場所は完全に回避さ
れる。
しかし、生身の潤にとって、本来存在せずに回避しなくても当たらない場所。
﹂
ISを装備することによって変わった手足の長さの分は、対応しきれていない。
﹁左足、いただきましたわ
一夏の白式とは違い、データ取得用の第二世代では機動制御に負荷を掛けすぎたため
潤が選択したのは、手持ちのブレードでミサイルを切り裂き爆発させることだった。
逃げることが難しく、さりとて逃げてばかりでは決着がつかずじり貧のまま終わる。
何か潤が呟くも、ミサイルの爆発がその音をかき消した。
﹁⋮⋮お膳立ては整ったか﹂
意識をBT兵器からスターライトmk│Ⅲに切替え左足を狙う。
所に斉射。
逃げ場を塞ぐようにブルー・ティアーズを本人にあたるかあたらないかギリギリの場
ブルー・ティアーズ、五番、六番を開放し、ミサイルを次々発射していく。
!
101
爆発を振り切れない。
自機が爆発に巻き込まれてもミサイルに刃を当てたのは、ミサイル無きその道筋こそ
﹂
がブルー・ティアーズへの最短距離だったからだ。
﹁さあ、フィナーレと行きましょうか
打鉄に着弾しそうだった光弾はサーベルと激しく干渉した結果、地面に着弾し爆発、
事もあろうか、潤は間合いを詰めながらブレードで弾き返していく。
ブルー・ティアーズを後方に移動させ、スターライトmk│Ⅲで乱れ打つ。
彼は何も諦めてない。
かも前進しながら回避してくる光景を見て心を引き締める。
焦っているともセシリアは考えたが、スターライトmk│Ⅲの攻撃をスレスレで、し
いながら潤が反撃に出る。
ミサイルの直撃からか、一気に消耗したシールドエネルギーを見てか、瞬時加速を用
﹁それはお前のフィナーレかもしれないがな﹂
!
高速接近しながら撃たれた弾を弾く
﹂
アリーナの遮蔽シールドに接触して消えるなどして殆どが打鉄にあたることなく消滅
﹂
!
!?
!?
した。
﹁もらった
﹁な、何の冗談ですの
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
102
試合開始から約六分。
﹂
ようやく打鉄が本来の間合いに入ろうとしていた。
﹁ブルー・ティアーズ、五番、六番
﹂
!
﹂
!
﹁インターセプター
﹂
確かにセシリアが笑うのが見えた。
にやり、と。
﹁わたくしも、読み通りでしてよ
ライフルも間に合わない、確実に一撃が入るタイミング。
信管は近すぎると作動しない。
潤は相手がミサイルを射出しようとすること察すると、更に速度を上げて接近した。
しかし、爆発は起こらなかった。
﹁読み通り
仕切り直しの為に多少の自機へのダメージは仕方がない。
不用意に接近されればすぐにも負ける。
ルで叩き落とす力を持った相手。
理論上、ほぼ光速といえるレベルで飛来するスターライトmk│Ⅲの攻撃を、サーベ
セシリアが腰に装備されているブルー・ティアーズからミサイルを発射する。
!
103
!
勝者、セシリア・オルコット﹄
振りかぶった大きな隙を付いて、ブルー・ティアーズ唯一の近接武器が打鉄に突き刺
さった。
﹃試合終了
意気揚々と引き揚げるセシリアをISの視界にとらえ、潤もピットに戻っていく。
賞賛の拍手がアリーナを包んだ。
僅かな戸惑いの後、一年生レベルでは滅多に見られない拮抗した試合に、惜しみない
!
﹃⋮⋮わかりました﹄
﹃小栗、すまないとは思うが、この試合、負けてくれないか﹄
一夏がセシリアと戦う前、潤は織斑先生からある話を聞かされた。
プライベートチャンネルで、観戦していた二人の教師が通信してくる。
﹁先生方が満足のいく結果になって嬉しいですよ﹂
﹃小栗くん、ありがとうございました﹄
﹃小栗、よくやった。 上出来だったぞ﹄
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
104
﹃理由は聞かないのか
﹄
?
﹃教師陣はこのことを憂慮し、外部からの干渉を想定して更識家の関係者をルームメイ
﹃スパイ、もしくはハニートラップ。 エージェントの類﹄
新たに学園に入った。 この意味、お前ならばわかるだろう﹄
﹃そうだ。 しかも、お前がIS学園に来ると決まったその日のうちに十人程の生徒が
﹃しかし、俺が現れ予定が狂ってしまった﹄
も腕利きの私と山田君を据え、生徒からも目を光らせられるよう代表候補生を入れた﹄
イトにしてハニートラップ対策に、過去に起こったような誘拐事件等を防ぐために教師
﹃織斑を迎え入れるに当たり、当学園は結構な無茶をした。 篠ノ之を織斑のルームメ
それは、彼女たちが生徒会関係者であること。
一人の教師を抜かせば共通した事柄が浮かんでくる。
郊外に出れば更識楯無。
放課後、グランドや体育館では織斑千冬。
昼休みの打鉄・カスタムの慣らし運転時には更識簪。
朝昼晩の食事の時間には布仏本音。
かけたようですので﹄
﹃一夏と違って敏感なので、なんとなく理由は分かっていますよ。 一週間色々迷惑を
105
トにすることで、有事の場合はこちらから攻撃することも視野に入れた布陣にした。 二十四時間監視していたのは許してくれ、私たちは当初お前という人間を信用できな
かった。 どんなに情報を集めても何も情報の出てこないお前がな﹄
﹃一週間二人ともに模範的な生活をしてきていますし、今では周囲も安定してくれてい
ますが、今後もそうとは限りません﹄
﹃ひよっことはいえ今の状態でオルコットに万が一があると困る﹄
もし、イギリス代表候補生が素人に負けたらどうなるか。
イギリスの評判がガタ落ちするだろう。
候補生の名前をはく奪されるかもしれない。
専用機を奪われるかもしれない。
セシリア・オルコットは男子二人が所属する一組に手出ししにくくなるような生徒側
の要でなくてはならない。
しいコースを狙うことが出来たと判断した時には回避せず当たった。
手足の先という命中させづらい場所を狙い打たせるために一芝居うち、セシリアが厳
そして、この依頼を胸に戦闘に臨んだ小栗潤。
﹃私たちは教員ですから片方に肩入れはダメなんでしょうけど、お願いします﹄
﹃だから、お前は﹃素人が見たら善戦した﹄と錯覚させるように戦い、最後に負けろ﹄
2─5 信じてくれ、オレなら出来る
106
107
何度か自分からあたりに行ってしまったこともあるが、千冬も、真耶も仕方がないと
次第点を出した。
勿論小栗潤という人間が、専用機を持っているがどうとでもなると思われればそれも
また悪い。
故に完全回避に専念することもあったし、あと一歩で代表候補生に迫るところまで追
い詰めもした。
これがセシリア・オルコット対小栗潤の間に起こった裏話の全てであった。
1│2 俺の頭﹁ここからいなくなれぇー
ノートがペンのインクで真っ黒に染まったあたりで一息ついた。
協しない。
﹂
何処まで自分が知っているのか、何処まで分かっていないのかがはっきりするまで妥
分からない箇所は自らが記載した解説を織り交る。
繰り返し、繰り返しノートにメモを取っていく。
3│1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ⋮
!
ノートの記述を興味深げに読むが、潤にとって真新しく、未知の物だけが書き込んで
背中にからノートを覗き込み、ナギからマグカップを受け取る。
﹁確かにおぐりんの知識って、変だよね。 変に凸凹﹂
る﹂
﹁遅れている自覚はあるからな。 それに、俺の知識は偏りが酷くて、逆に面倒になって
﹁いやあ、毎日毎日、二時間は必ず勉強。 良く続くね﹂
﹁ああ、ありがとう。 コーヒーか⋮⋮。 美味しそうだ﹂
﹁おつかれ∼﹂
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
108
あるので相当穴だらけだ。
旧科学時代のパワードスーツを使い物にするために、その場でメンテナンス、より詳
しく言うと部品交換や、プログラミングする必要があった。
その時、相当な無茶をやって強引に色々な情報を引き出した結果がコレだ。
ロボット工学にのって画期的な知識を得る一方、ISにとって無用な長物を多数抱え
込んでいる。
潤の知識の有用性が分かる組織へ、その知識を論文に纏め上げて提出すればそれだけ
で一生遊んで暮らせそうだ。
それをやった際のデメリットが恐ろしいことこの上ないので、その気はないが。
ると意外と話せる人だと分かって入り浸る回数が増えた。
他のクラスの人からは、ちょっと雰囲気が怖いと敬遠されがちだが、仲良くなって見
けだが、思いのほか潤の飲み込みがよく教えるのが楽しくなってしまった。
ただ話題の中央に居座る潤か一夏と仲良くしたいと思い、家庭教師の真似事をしただ
入学後、癒子とナギに殆ど付きっ切りで勉強の面倒を見てもらった。
﹁あっという間だったねぇ。 基礎知識を身に着けるの﹂
﹁う∼ん、なんか凄い複雑。 つい二週間前まで殆ど知らなかったのに﹂
﹁これでまともに授業が受けられそうだ。 色々ありがと﹂
109
潤に合わせて一日最低一時間の勉強は続けられたが、先ほどの会話どおり、二週間後
には一人で専門書すら読めるように慣熟した。
実に喜ばしかったが、それはそれで寂しくもある癒子とナギであった。
信頼関係の構築といった意味では癒子とナギは大いに成功している
いかに毒が効きにくい身体とはいえ、以前までの潤なら警戒して背中に近寄らせると
﹂
﹂
いった行為は嫌がったはずなのだから。
﹂
﹁おぐりん、どうしたの
﹁いや││、なんだ、誰だ
?
!?
なのに。
││この方角は⋮⋮日本、違う。 もっと遠い。 ⋮⋮大陸、中国か
?
何時もは女の子のベッドがどうとか古風な事を言って腰を掛けることもしないはず
ベッドを迂回すれば歩いていけるのに真っ直ぐ進む。
潤が、本音を押しのけ、ベッドの上を通り窓際まで歩み寄る。
勉強終了後、本音も一緒になってだべる三人に加わったり加わらなかったりしていた
?
﹁││ん
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
110
何かが、潤に引き寄せられている。
一瞬脳に電流が走ったかのような、強烈な感じがした。
言葉にするのも難しいが、そうとしか表現できない。
この世界に来てやたら能力が低下したのに、これほど強烈な反応が起こるとは。
﹂
?
そんな胸中の呟きを、遥か彼方、IS学園で実際に口に出している人が居るとは思い
││嫌な感じだな。 胸騒ぎがする。
﹁この方角は⋮⋮日本
身体がなにかに吸い込まれていっているような、そんな感じがする。
た瞬間、身体に電流見たいな何かがいきなり走った。
その少女は、どうにもこうにもその幼馴染が気になって、再び日本の地を踏もうとし
幼馴染の男がISを動かし、時の人になった。
れていた。
同時刻の中国で、日本に行こうとしたとある代表候補生が、同じような状況下におか
何も知らない三人は、不思議そうにそんな潤を見ていた。
言い知れぬ不安を感じる潤。
﹁││嫌な感じだな。 胸騒ぎがする﹂
111
もせずに。
│││
薄暗い通路の先にあったのは、腐肉を少しばかり残す人間の白骨体だった
ダクトから干からびた獣の遠吠えが響き渡る
いつ何時どこからエイリアンがまろび出てくるか分からない
老朽化した狭い通路は、既にエイリアンの進行を止める防壁にはなっていなかった
だが、進まなければ、皆死んでしまう
助けに来たのに、彼女は死んでしまう
あの、茶色の髪をした、ツインテールの、リボンのやけに似合う、翡翠色の綺麗な瞳
をした相棒が
通路に残る乾いた血と、茶色の様な壁を視界に収め前進すると、不意に大きな金属音
がした
ダクトに銃を向ける
﹂
通路先に最大限の警戒心を向け││
﹁⋮⋮っ
!
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
112
113
思わず唾を飲み込んで、背後の扉に向かって銃を構えた
明らかに人間のなせるものじゃない
やがてむせ返るような血の臭いが顔を顰めるほどに強くなった頃、何かが扉の先に居
るのに気づいた
小さい穴に眼を向け、何も逃すまいとしっかり見据える
パワードスーツで強化された眼でもって扉の穴を凝視すると、真っ赤に血走った目と
視線が合った
それは、今までにない、
例えようもなく、
凶悪で、
不快な、
悪意の込められた視線
それが悪霊なのか、エイリアンなのかは定かではない
しかし、それがどれほど凶悪で、人間にとって害のあるものか直感で分った
震える手でメインの武器を高威力の銃に移し変え、いざという時のためにビームサー
ベルを展開できるように設定する
扉に向かって何時でも貫通銃を撃ち込める体勢を整える
更に眼を細め、あらゆる情報を逃すまいと扉の穴を凝視する
その穴から、真っ赤に血走った目と、どう見ても、人間の顔らしきものが眼に入った
二、三歳くらいの赤子の顔で、ただし目は人間らしからぬ異様な雰囲気があった
違う、あれは人間ではない
嫉妬、怨念、殺意、絶望、悲哀、無念⋮⋮
それら全てを合わせたものよりはるかに強烈な、闇への誘い
そう
あれは人間というよりむしろ││
部を見渡すと、
扉越しに居座る人間らしき﹃それ﹄は、扉の穴から怒り狂った赤い目で再度部屋の内
その穴の向こう側で、真っ赤に血走った目が此方を見据えていた
いる
煙の向こう側、扉の穴は変わらず小さいままだが連射したせいで各所に出来上がって
かに撃ち込んでいく
相手の生死安など二の次三の次とばかりに立て続けに、二発、三発と扉越しに潜む何
言い終わる前に扉に向かって、銃を撃つ
﹁死ね﹂
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
114
﹂
有ろうことか僅かな穴から体をねじ込んで目の前に現れる、その姿は││
﹁リリム
潤、そこにいるの
スティックな場所よ
!
﹂
あなたが私を殺した
﹁うぉおああああ
!
⋮⋮そう、私を此処にこさせた⋮⋮
貴方と相棒になれた私は幸運だわ
!
あなたの言う通りだったわ、潤 この旧科学時代の遺跡は、今までにないファンタ
?
!?
自分ですら戸惑うほど寝汗をかき、ベッドから跳ね起きた。
!
115
随分と昔のことなのに、未だに自分とパワードスーツを巡り合せた旧科学時代の、化
学兵器を発端にしたバイオハザードを夢に見る。
先行調査団救助部隊、追加部隊、一人を残し全員死亡。
気の狂った先行調査隊を何名か残して、文字通り部隊は全滅した。
化学兵器に感染した、戦友を思い出す。
血まみれになり、真っ赤に血走った奈落の様な瞳を向けた相棒を。
顔を思い出すと同時に、どうしようもない不快感が喉を突き上げた。
急いで洗面台に向かって、胃の中の物を嘔吐していく。
﹁いいよ、無理しないで全部吐いちゃいなよ﹂
﹁わ、わる、い﹂
誰かというがこの部屋には小栗潤と布仏本音の二人しかいない。
すると急に電気がつき、後ろから誰かが背中を擦りだした。
迸る吐き気から、もう一度洗面台に顔を下げる。
胃酸で喉が焼きつくように痛み、不快感もはっきり胃に残っている。
まらない。
我慢しようとしても、胃の中が空になっても、口から出るのが胃液だけになろうと止
﹁ご、はぁ、お、おう⋮⋮ぇ。 ふっ、ふぅっ、ぐ、うぉおぇ⋮⋮﹂
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
116
暫く吐き気は収まらなかったが、背中を優しく擦られる内に徐々に収まってきた。
口を洗い流す。
洗面台もさっと水洗いするが、酸っぱい匂いだけはどうしようもない。
寝室に戻るとマグカップを二つ、手に持つ本音がいた。
それでも深くは追及してこない心遣いが、今の潤にはありがたいものだった。
あれだけ魘されていた、叫んで洗面台に行き、嘔吐して気分を害した。
言った。
潤の隣に座り、ちびちびミルクをうまうまと声に出して飲む彼女は何時も通りにそう
﹁別にいいよ、気にしないから﹂
な騒音だったのだろう。
普段から朝起きれない本音が、起きてしまうほど魘されていた、というからには結構
時計の針は三時を指している。
だった。
受け取ったホットミルクを一口飲んでから、最初に潤の口から出たのはそんな言葉
﹁⋮⋮起こしてわるかったな﹂
促されるままマグカップを片方受け取った。
﹁はい、ぬるいホットミルク﹂
117
気づけば、涙が頬を伝っていた。
手に水が当たったのを見て、ようやく自分が泣いているのに気づく。
﹂
マグカップを握り締めた。
﹁おぐりん
と確信するが、それはどういう意味なのだろうか。
?
そのまま、しばらく眺めるだけだったが不意に潤の頭をかかえるように抱きしめた。
本音がさらに近づき顔をのぞき込む。
リリムが、この世界に居るとでも言うのだろうか。
寝る前の、あれが原因かな
確かに以前は毎日のように見ていたが、此処最近はみなくなっていたのに。
﹁なんで今さら、どうして今になって、あいつの夢なんか見るんだよ⋮⋮﹂
?
そして、朝おきて猛烈な自己嫌悪に襲われる潤がいた。
他人の体温が傍にあるだけで、ぐっすりと眠れることを不思議に思いながら。
優しい手つきで後頭部を撫でられながら、いつの間にかそのまま眠りについていた。
﹁いいからいいから﹂
﹁いや、布仏、これは⋮⋮﹂
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
118
⋮⋮俺はロリコンか。
肉体的や精神的は差し置いても、数え年で二十八近くまで生きていたというのに。
十五年位も異世界にいて、まともに自己意識があったのが六年位だけだったとか、そ
んな事実なんて対した問題じゃない。
朝おきたら本音の胸に顔を埋めているとか。
﹂
なぜこの状態で熟睡できたのか、潤自身全く理解が及んでない。
﹁⋮⋮はっ
の、布仏ぇ
起きろぉぉ
!
﹂
!
今日この日、潤の中で布仏本音に対する遠慮というものが薄れた。
!?
針はこのままでは遅刻確定となる時間をさしていた。
そう考えて、ふと時計を見る。
思うところはあるもののここの生活は悪くない。
久しぶりにいい目覚めができた。
﹁ありがとな⋮⋮﹂
右手で頬に触れた。
男はそういうもので、女とはそういうもの、なのかもしれない。
ちらっと、狐のような、着ぐるみのような姿で寝続けている少女を見る。
﹁肉体が精神を引っ張っているのか
?
119
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
120
凶悪に実った胸の果肉がプルプル震えようが関係ないのである。
セクハラで訴えられたら負けるが。
│││
小栗潤と織斑一夏の模擬戦は、表向きはアリーナの専有時間が無くなったという理由
で延期になった。
空中機動制御で許容誤差数cmの戦いができる男と、素晴らしいセンスを見せたとし
ても未熟さが手にとってわかる男では勝負にならない。
それに、試合前に施したチョンボがセシリアにバレてしまうかもしれない。
潤の打鉄・カスタムは事前にコンソールにアクセスし、シールドエネルギーが減りや
すいよう設定し、瞬時加速にエネルギーを過剰使用するように注意している。
教師二人共に、潤が必ず瞬時加速を使用できると判断したのは、既にあのエンジント
ラブルで使っていたからである。
しかも、着陸の際にはセシリア戦よりもシビアな許容誤差の範囲で機動制御を見せて
いた。
まるで、企業が専有している優良パイロットのような機動。
もしも、この稼働時間と実力の矛盾を天性の感覚によって促された才能と考える人
に、異世界の潤の知人が気づけばこう訂正しただろう。
織斑、オルコット、飛んでみろ﹂
以前使用していたパイロットのイイトコ取りしたイカサマ野郎です、と。
閑話休題
﹂
﹁今から基本的な飛行操縦の実践をする
﹁せんせー、おぐりんはー
空、流石に異世界と比べると少し汚いな、と全く授業と関係ないことしか考えてない
﹁どうした織斑、早くISを展開しろ﹂
当の潤はそんな技術者の顔色も、本音と千冬の会話もどこ吹く風だった。
ISスーツ、スクール水着+ニーソだよな。 誰が考案したんだマニアックな⋮⋮。
妙に印象的だった、と立ち会った真耶は後に語った。
データを見て、ついでに一夏の戦闘を映像で見た技術者が真っ青な顔をしていたのが
せっかくISを保有していた潤だが、データ取得のために手元を離れていた。
今日はISの実践授業。
﹁小栗の打鉄・カスタムは取得したデータ解析の為、技術者が持ち帰った﹂
?
!
121
潤を差し置いて一夏が怒られていた。
右腕にガントレットを掴みながら叫び、ようやく白式を展開する。
白式の待機形態は右腕のガントレット。
ブルー・ティアーズは左耳のイヤーカフス。
打鉄・カスタムは腕時計。
ところで多大な容量をくっていた量産機用待機状態装置は、現場の声、流石にブレー
ドしか積めないとかありえない、との声によってお蔵入りになったらしい。
﹂
﹁ねっ、小栗くん﹂
﹁ん
﹁ISで飛ぶってどんな感じなの
﹂
入学当初からどこか世離れした潤だったが、本音との仲が良好になった結果、一人で
近くにいた癒子と話をすると、どうやら代表候補生等一部の生徒のみ行うらしい。
?
?
?
﹁入試の時点で教官と模擬戦するんじゃないのか
﹂
白式は不安定になって横にそれたが無事に上昇していった。
千冬の声と共にブルー・ティアーズは急上昇し空で静止。
﹁了解しました﹂
﹁よし、翔べ﹂
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
122
居たいという雰囲気が改善した。
ようやく話しかけやすくなった、とは本音と仲のいい癒子談である。
夏に疑問を投げかける潤がいた。
周囲の少女たちの悲鳴にかき消されながら、先日の戦闘と打って変わって不器用な一
﹁⋮⋮なんでだよ﹂
成して爆発的に土埃を巻き上げた。
有り余るISの推力をそのままグランドにぶつけ、着弾地点に巨大なクレーターを作
一夏はと言うと、││轟音。
千冬の言葉に従ってセシリアが急降下して、地上ギリギリで停止する。
﹁次は急降下して、地上十cmで静止しろ﹂
代ではここまで鍛える必要はない。
戦争で剣を持って近接戦をする人間なのだからある種当然だが、近代兵器はびこる現
昨日、潤の腹筋すげぇなと一夏が言ったように潤の体はよく鍛えられている。
背後から抱きつく癒子を引っペがす。
﹁えー、いい筋肉してるのにぃ﹂
と、癒子離れろ。 体をペタペタ触るな﹂
﹁うーん、ほぼ感覚的な部分があるからな、乗ってみないとわからないと思うが。 それ
123
その授業終了後、一夏は売られていく子牛の様に、トボトボと、グランド脇に積みあ
がった土を一輪運搬車に乗せて歩く。
無残になったグランドを埋め立てるよう言われていたからだ。
﹂
!
﹁千冬姉はバンバン殴るし、箒は小言ばかり言うし、セシリアは変に突っ掛ってくるし、
グランド整備に手を貸すことにした。
肉体労働を女子に手伝ってもらうのは効率の面から除外していた潤は、一人で一夏の
軍隊は基本的に連帯責任。
﹁抱きつくんじゃない﹂
﹁潤∼
﹁一人より二人の方が早いだろ。 さっさと片付けるぞ﹂
げんなりしていると、不意に隣からも土を入れる誰かが居た。
ちょっと考えてみて百往復。
た。
ほんのちょびっとしか積もらないクレーターを見て、何往復必要なのか試算してみ
とりあえず運搬した土をグランドの穴に入れていく。
﹁ドナドナドナ∼ドナ∼土を乗∼せ∼て﹂
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
124
やっぱ持つべきものは男友達だよな﹂
﹁そうか。 確かに気は楽だな﹂
﹁大体箒はなんなんだよ、木刀で殴るとかありえねぇよ
﹂
﹁いや、俺が気にするって、なんか飲み物でもおごるさ﹂
﹁いい、俺は気にしない﹂
﹁悪いな手伝ってもらって﹂
﹁よし、元通り、とはいかないが、これなら文句は言われまい﹂
しかし、軍属以外の人間を教育するのは苦手そうだとも思っているが。
新人教育を織斑千冬が教官をするなら潤も優良だと認められる。
公私を分別できない人間を躾けるのは教官の務めであり、殴られてもしょうがない。
いているのに気付いているというのに。
言葉を交わした回数が片手ほどの潤ですら、篠ノ之箒が一夏に対して特別な感情を抱
織斑一夏という男、どうやらかなり鈍感らしい。
大半はお前のせいだ、という言葉を何とか呑み込んで返答する潤。
﹁確かに教官として優良なタイプだが、教師としてはどうだろうとは思うが⋮⋮﹂
﹁千冬姉はなんで俺をあんなに殴るかね。 暴力発言も多いし、どうなっているんだよ﹂
﹁本人の目の前で、ブラジャーつけるようになったんだな、はどうかと思うぞ﹂
!
125
﹁⋮⋮そうか、なら寮に帰って一緒に休むか﹂
寮への帰り道、その噂が真実であったことを確信した一夏だった。 結構強引に押せば、頼み事は拒否されない。
しかけやすくなった。
布仏さんと少し仲良くなった後︵付き合いだしたわけじゃないとのこと︶、潤くんに話
女子の噂。
﹁おう﹂
3─1 俺、実はツインテールの奴がニガテでさぁ…
126
﹂
3│2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
﹁織斑君クラス代表決定おめでとう
﹄
﹁なんで俺がクラス代表なんだ
潤の方がいいんじゃないか
﹂
?
?
機持ちがいるならそいつの方がいいさ﹂
﹁あら、今さら他人行儀ですわね。 セシリアでよくってよ、潤さん
﹂
指すらしいし、それまではデータ取得用のスペックが低い量産機だから、花のある専用
﹁俺はオルコットを推薦した身だからな。 なにより俺の専用機は合宿までに完成を目
?
潤もセシリアの左へ座らされた。
あれよあれよと促されるまま、一夏が中央へ座り、箒が右、セシリアが左を固める。
そして目に入る壁紙には﹃織斑一夏クラス代表就任パーティー﹄の文字。
行された。
たと言わんばかりの表情をしたクラスメイトに連れられ、彼女らの目的地、食堂まで連
一夏とともに、グランドにあいた大穴を塞いで寮に帰ってきた二人は、待っていまし
パン、パンとクラッカーが鳴る。
﹃おめでとー
!
!
127
﹁なんだいきなり﹂
﹁次こそは、その澄ました顔にわたくしのブルー・ティアーズを命中させて完膚なきまで
に叩きのめしてさしあげますわ。 それまで、このセシリア・オルコットの好敵手とし
て、名前で呼んで結構です﹂
省してお譲りいたしましたの﹂
﹁⋮⋮良かったな、貸し借りが無くなったぞ﹂
﹁ちくしょーめ﹂
こっち向いてー、私は新聞部、黛薫子、よろしくね
﹂
!
項垂れる一夏の声は、若干震えていた。
﹁はーい
!
君、織斑君、写真一枚いいかな
?
セシリアさん、小栗
ど、考えてみれば代表候補生のわたくしが勝つのは当然。 大人げなく怒ったことを反
﹁それは、わたくしがクラス代表を辞退したからですわ。 勝負の区別はつきましたけ
﹁ちょっと待て。 それで俺がどうしてクラス代表になるんだよ﹂
それは両者の静かな宣戦布告だった。
普段通りの潤、不敵な笑みを浮かべるセシリア。
﹁それでこそ﹂
﹁⋮⋮そうか、卒業までにかなうといいな﹂
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
128
﹁俺は結構です﹂
﹁いや、だから⋮⋮﹂
﹁協力してね∼﹂
﹁ですから⋮⋮﹂
﹁協力してね∼﹂
?
﹁それじゃあ、撮るよー。 三十五
﹁七十四.三七五﹂
五十一
二十四は
÷
﹂
?
と何故か三人で取っていたはずの写真に、恐るべき行動力で一組ほぼ全員が入り込ん
カシャっと独特の機械音を鳴らしシャッターがきられる。
﹁はい正解﹂
×
それを頼みごとと言っていいのかどうかは定かでないが。
小栗潤、頼みごとの強制には弱いのである。
無限ループに陥った二人に助け船を出す癒子と本音。
﹁はいはい、握手握手﹂
﹁はい、おぐりん、せっしーとおりむーと握手しようねー﹂
﹁俺を馬鹿にしているのか
﹂
﹁OH、噂通りのクールガイ。 でも私も部長命令でね∼。 協力してね∼﹂
129
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
130
だ。
おかげでぎゅうぎゅう詰めになったが。
ともあれ、謎の行動力とテンションを維持したクラスメイトは﹃織斑一夏クラス代表
就任パーティー﹄を二十二時まで続けた。
途中から潤の姿は見えなくなっており、一夏の肩身が随分狭くなっていたが。
食堂の喧騒を抜け、夜の校内を彷徨う人影が一つ。
何時になく真剣な表情で練り歩くのは、この学園二人だけの男子が片割れ、小栗潤で
ある。
取 り 残 さ れ て 肩 身 を 狭 く し て い る 一 夏 を 放 っ て ま で 彼 が こ こ を 歩 い て い る の は、
ちょっとした直感からだった。
魔法を使えるものは魔力を持つ者を感知できる。
当然感知されにくくする術もある。
しかし、戦場ともなれば隠すものも少なく、開戦直後には魔力が津波の様に兵を飲み
込むのだ。
それを指して人は、﹃敵が来る﹄とか、﹃不穏な気配がする﹄と言うのだ。
そして、今。
潤の肌に、その慣れ親しんだ波が押し寄せている。
つまり、魔力を持つか、そうでなくとも無意識的にそれに準ずる何かが出来る存在が
近くに来ている。
﹂
鋭敏にそれを察した潤は、いてもたっても居られなくなり外に出てきてしまったの
だ。
﹁誰なんだ⋮⋮、誰かいないのか
茶色の髪
もなく、恐怖だった。
街灯が、その姿を徐々に鮮明にさせた時、潤の頭を支配したのは、安堵でも、懐古で
その悲痛な声を聞いたか聞かないか、誰かが暗闇から姿を現した。
﹁誰か⋮⋮誰か⋮⋮﹂
欲しい。
心の底から理解しあえるならば、例え嘗ての敵であろうとも、共に支えあえる相手が
この際誰でもいい、ジョンでもいい、本当に誰でもいい。
去とは未来と同じくらい重要なのである。
懐かしいってそんなにいい事なのか、未来を望む子供はそう言うが、大人にとって過
過去に常に浴びていた波は、最早自分がいつも使っている布団のように心地いい。
!?
131
ツインテール
リボン
翡翠色の瞳
その姿は紛れもなく││
ケンカ売ってんの
﹂
﹁いい加減にしろ⋮⋮。 俺の頭から出ていけ、お前は死んだんだ
﹁││はぁ
?
﹂
?
﹂
⋮⋮いや、記憶喪失だったっけ
?
その声に、突然のことで錯乱状態にあった潤は混乱した。
アンタ頭おかしい人なの
?
﹁声色まで一緒、リリムが⋮⋮二人
﹁何
?
ニュースで流れたもう一人の男、小栗潤。
﹂
記憶にある、どんな場面のリリムより遙かに活気な声が場を制した。
?
!
﹁ねえ、アンタ﹂
そして、その遺跡調査団に責任者として彼女を推薦したのが、他ならぬ潤だった。
れて自殺したパートナー。
彼女は先行調査団現場責任者、そして二度と祖国の地を踏むことなく、遺跡の闇に紛
朝の夢が頭によみがえる。
﹁リリム⋮⋮﹂
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
132
国籍も過去も全くの不明、祖国中国でも自国との関連性はあるのかないのか下らない
論争が起きていた。
潤の目の前にいる少女は、そんな記憶に障害のある男より、馴染み深い最初の男の方
が気になっていたが。
を伸ばしてくれ﹂
?
﹁それよりIS学園の受付ってどこよ
アンタ案内しなさいよ
﹂
!
そこで、潤がリリムを最も受け付けられなかった趣味について聞きたくなった。
一緒に歩きながら、総合事務受付まで進んでいく。
過去に出会った相棒と果てしなくそっくりなこの少女。
﹁性根まで一緒か、まったく。 ほらボストンバック持ってやるよ﹂
?
そして、この少女はとある部分限定の身体的特徴に、コンプレックスがあった。
どれか一つでもやれば、印象がだいぶ変わるものばかりである。
﹁やっぱり、ケンカ売ってるでしょ
﹂
﹁頼む、髪の色を変えるか、髪型を変えるか、瞳の色を変えるか、眼鏡を掛けるか、身長
﹁こっちを向いて喋りなさいよ、混乱中の勘違い男﹂
もので、しょう、な﹂
﹁べ、別人なの、だった、でしたか。 すまない、ません、昔の知人にあまりに似ていた
133
もし、このIS学園においてその趣味が一致でもしたら大惨事になる。
﹂
?
それはいい趣味だ、ようやくお前と仲良くやれそうだ﹂
これといってないけど、料理かな﹂
﹁ところで、お前の趣味、いや好きなものはなんだ
﹁趣味
﹁そうか
?
﹂
!
﹂
﹁アンター、名前はー
﹂
﹂
!
﹁小栗潤
!
!
凰鈴音
案内ありがとねー
寮に歩いて帰ろうとした潤の背に、時間帯など顧みない声が届いた。
﹁ちょっと待ったー
食堂で行われていたパーティーも終わっているだろう。
時間はそろそろ二十二時。
結局その後は総合事務受付の窓口まで案内した。
いた。
頭が固いわけではいが、スケスケのネグリジェで公務を行うリリムを潤は心底嫌って
彼女の適性がサキュバスなので、しょうがないと割り切るには当時の潤は若かった。
趣味は、好きなものを集めての放送禁止の性的行為とオ○ニー。
リリムの好きなものは、美人と、美少年、自分。
!
!
﹁中国代表候補生
!
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
134
どうやら性格には大きな違いがあったようだ。
それともあ・た・し
﹂
鈴のカラッとした性格に、彼女と会う前のもやもやした感情は何時しかなくなってい
た。
シャワー浴びる
?
﹁ただいま﹂
﹁おかえりー、お菓子にする
﹂
﹁ナギで﹂
﹁え
?
﹂
!
﹁なんか良いことあったの
﹂
何時もの二人は大浴場に行ったらしい。
かける。
顔を真っ赤にして身を預けてきたナギをそのままベッドに座らせ、ハンガーに上着を
﹁ボケ殺しをボケ殺しで返すな﹂
﹁ど、どうぞ召し上がって下さい
とても懐かしい古典的なギャグを聞いたので、これまた古典的ボケ殺しに走る。
部屋にいたのは鏡ナギただ一人。
1030号室。
﹁ナギで﹂
!?
?
135
?
﹂
﹁昔の知人に良く似た奴に会った。 似ているだけの別人だが、少しだけ気が楽になっ
た、良かったよ﹂
﹁もしかして、好きな女の子だったとか
?
│││
ぶっ飛んだ。
潤はアグレッシブなリリムに肉体的に迫られるという悪夢を見て、良かった機嫌が
そして、その夜。
ナギはこの画像ファイルを宝物にすることを決めた。
姿が激写された。
無表情の仮面をかぶっているとさえ女子に言われる男が、微笑ながらお菓子を食べる
男、小栗潤。
そろそろ学園生活も一ヶ月も経とうかというのに、今まで一回も笑ったことのない
いつい携帯のカメラで撮影してしまった。
ナギの頭は混乱したが、初めて笑みを浮かべている目の前の男性に心を惹かれて、つ
生理的に嫌いな相手と似た姿の知人、それに会って嬉しそうにしている。
﹁いや、生理的に受けつけないほど嫌いだった﹂
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
136
パトリア・グループ 本社。
そこの会議室には、ISの武装関連においてその人ありといわれる、パトリア・グルー
プの重鎮が集まっていた。
しかし、それも過去のものだ。
しようと思っていたのだ。
機体のデータを収集する傍ら、専用機開発の時間を取り、機体開発のノウハウを蓄積
来。
機能を順次追加、七月の合宿においてサード・パーティーの拡張まで到達できれば上出
保守・運用方面から実績のある第二世代型ISを基本とし、潤の成長に合わせて拡張
的かつ現実的な案を練ることから始めた。。
それゆえ、開発陣と企画陣の反発を抑えつつ、安易な開発スタートは考えずに、堅実
ず考えたことは、機体を一から作ることのノウハウの無さだった。
IS委員会から、男性適合者・小栗潤の専用機開発の一括受託を請け負った際に、ま
元をたどれば彼らは専用機をいきなり作り出す気は無かった。
話し合われるのは、勿論潤の専用機に関することである。
﹁では、専用機開発のコンペ結果の発表を始めてくれ﹂
137
一夏の専用機の性能もそうだし、ファースト・シフト終了時点で単一使用能力の発現
もそうである。
なにより問題だったのは、当の潤本人の実力。
イギリス代表候補生との模擬戦時において、総合的に考えればフィンランド代表を蹴
落としかねない次元にいたことだった。
﹁まあ、こんな予測できるはずも無い﹂
違いない。
しかし、潤にとって全力を出し切れない、満足できない機体を提供していることは間
すれば今後も問題ない。
一回のみの出番だったので機体はまだまだ安定稼動できるし、しっかりとした整備を
でいる。
そんな人間を、データ取得用の試験機に乗せたせいで、一回の戦闘で随分機体が傷ん
データを見る限りそう判断するしかない。
間違いなく、二、三年後には││フィンランドで最高の使い手になる。
﹁まさか、全体の能力でも二番、三番についているとは⋮⋮﹂
かっていたが⋮⋮﹂
﹁しかし、見事なものだ。 機動制御に関して飛びぬけた潜在能力を有しているのは分
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
138
﹁彼の能力を完全に出し切れる機体を提供する、もうそれしかないのです。 後は前進
あるのみですよ﹂
もう拡張機能を重視した、性能を抑えた第二世代など提供できるはずが無い。
最終的に一夏の件も含めてパトリア・グループの上層部は、こう判断した。
従来のパーツなどをなるべく流用した機体設計を機軸とすることによる生産のし﹃易
さ﹄と信頼性の高さを求め、それに伴って早期に基礎を固めて完成までの期間を短縮可
能といった開発の﹃早さ﹄、使い手本人の力量を頼りにすることで、使い勝手の良さを犠
牲に潤の機動センスを遺憾なく発揮可能な﹃ウマミ﹄。
そして社長は、その企画に関する報告を聞きながら頭を悩まさなければならなかっ
企画部から満を持して提出された企画が、端末に表示されている。
﹁では、報告を始めます。 お手元の端末をご覧ください﹂
こととなったのだ。
いることで、潤の機動センスを余すところなく発揮できる、
﹃ある物﹄の企画会議を開く
そこで、今日の会議では、第三世代の特徴でもあるイメージ・インターフェイスを用
の耐久性も高く出来るが、これでは潤の能力を生かしきれない。
ただ、基本的なISの性能は高いものを作れるし、機体構造を単純化することで各部
﹃ウマミ﹄は強引な感じがするものの、ようは﹃ヤスイ・ハヤイ・ウマイ﹄である。
139
た。
企画部の責任者が、浮ついた雰囲気で報告を述べている。
しかし、こう思わざるを得ないのだ。
お前らふざけているのだろう、と。
企業の特色として、珍しいタイプの社員が集まっているのは当然知ってはいたが、こ
こまで酷いとは考えていなかった。
なんだこの﹃どうしてこうなったのかはわからない﹄面白
!
欽ちゃんの仮装大賞じゃねぇんだ そこまでしてやる理由がわからない
!
!
し、本当にやろうとするとも思わなかった 普通に考えれば高機動型を主軸にしたも
企画は
﹁ふざけてるんじゃないぞ
一方浮かばれない顔で何人かが会議室に残る。
ぞろぞろと提出していく役員、各部の責任者たち。
﹁企画部責任者、Goサインを出した開発部関連のメンバー以外は退室してくれ﹂
彼が鶴の一声で会議を中断させると、震える手でメガネを外す。
の堪忍袋の緒が切れた。
発表が終わりに近づき、あと一つの機体設計書を残すのみになったときに、遂に社長
にも聞かれなかった。
﹃こんなものを作って喜ぶ変態どもめが﹄、と達観を含んだため息と呟きは、幸いにも誰
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
140
!
のを考えるはずだろ
いだ
﹂
お前らが妙にやる気だったから任せた、すでに設計図まであた
﹂
ためているやつも居ますと言ったからだ。 その結果がコレだよ、お前らなんて大っ嫌
!
﹁ちゃんと高機動型でコンセプトが出来ているじゃありませんか
!
﹂
!
計測結果
パイロットもパイロットだよ
!
ちくしょーめぇぇぇぇえええ
﹂
!!!!
!
!
﹁お前らは今まで世界常識の何を学んだんだ 肝心の機体は何一つまともな物がない
それでも怒りは静まらない。
る。
一層大きな声を張り上げ、苛立ちからか、持っていたペンを力いっぱい机に叩きつけ
!
﹁うるせえ 稼働時間が十時間もないのにこの機動制御、しかもEEGが過去最高の
﹁いくら社長とはいえ失礼です。 撤回してください﹂
イ
﹁大気圏突破したり、一日で地球一周できる機体なんていらねぇんだよ このキ○ガ
!
141
!
それでもコレはねぇんだよぉ
﹂
ノウハウが無いのは知っている、無理を通さなければ道理が邪魔をするのは知って
いる
!
企画部開発部そうほうの部長がソワソワし始める。
力なく頭を抱える社長。
!
!
﹂
﹁とりあえず⋮⋮、最後の一つを聞こうか⋮⋮、今日はそれで終いだ﹂
﹂
﹁あの、社長
﹁なんだ
?
用意されているこの企画書にイラつきながら。
﹂
!?
そして、その苛立ちは、あるものを見た瞬間驚愕に変わった。
たることだ⋮⋮
今日この日、潤の専用機開発は静かに、深いところから進みだした。
!?
な、なん
機体設計は単純化した上で着工期間を短くする、と決めているのに、機体の草案から
社長はイージーミスだろうと、さほど気にせずその詳細設計書に目を通しだした。
同が困惑する。
発表が終了したから総括として、この話をされているものとばかり思い込んでいた一
﹁我々の企画案は、全て発表が終わっているのですが⋮⋮﹂
?
﹁これは⋮⋮、この性能は⋮⋮なんだ。 第二世代がまるで玩具だ。 ⋮⋮
3─2 胸騒ぎがする。 ちょっと外の様子見てくる
142
布仏
﹂
3│3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
﹁起きろー
!
﹁小栗くん、おはよ﹂
薄ら寒いあのちんちくりんめが、吐き気がする。
今思い返しても怖気が走る。
リリムが鈴のようにアグレッシブになって襲いかかってくる夢。
朝から潤の機嫌はすこぶる悪い。
耳を澄まして衣擦れの音を聞き、起きていることを確信して部屋の外へ。
背を押して洗面所に押し込む。
﹁ぅぅん、わかったー﹂
﹁これ制服、下着を替えるなら自分で用意。 さ、着替えてこい﹂
そうしないとこのルームメイト、再び目を閉じて夢の世界の住人に戻る。
少しでも目を開いて反応したら、両脇を持ち上げて強引に立たせる。
最近は無理やり起こすのをやめた。
結局時計は意味をなさず、今日も今日とて潤の大声が1030号室響く。
!
143
﹁おはよー﹂
﹁ああ、おはよう﹂
﹂
﹂
﹂
昨日の機嫌の良さは何処に行ったの
扉の前で待っていると、隣室からナギと癒子が出てきた。
﹁なんか機嫌悪い
﹁ちょっとな。 顔に出てたか
﹁ホラホラ、笑って笑って﹂
癒子が潤の頬を釣り上げて無理やり唇を曲げる。
?
る。
?
布仏をじっと見てのほほん成分を取得する。
﹁⋮⋮いや﹂
﹁どったの
﹂
軽くため息を付きながら、そんなこんなしている間に制服姿の布仏が扉から出てく
女子って、朝からあんなに元気で疲れないのだろうか。
﹁私も生で見てみたいから、今度は私の前でも笑ってねー﹂
﹁あははは、ないわー、これはないわー﹂
口だけ笑い、目だけ何時もどおり、そんな潤が完成した。
?
?
?
﹁いや、昨日はなんか笑ってたじゃん。 ケータイ見る
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
144
ダウナー常時放出中、一夏曰くのほほんさん。
うん、この位で丁度いい。
湯気の立ち昇る、結構美味しそうなラーメンが盆に乗る。
﹁醤油ラーメン、にんにく抜きで﹂
しまった。
普段目もくれないこってりした料理ではあるが、何故か抗いがたい懐かしさに頼んで
朝のメニューを見ていると、とある料理に目が留まった。
夏に、心の底からシスコン乙と反論する。
最もらしい理由を付けていたものの、結局姉の真似で朝食をよく取るようになった一
何時もどおりの朝食。
﹁朝だから食べるんだ。 潤みたいに朝から少食なんて健康に悪いぞ﹂
﹁相変わらず、よく朝からそんなに食えるな﹂
﹁おう、潤、おはよう﹂
│││
﹁よし、食堂行くか﹂
145
﹁朝からラーメンなんて珍しいな﹂
﹁││何で、ラーメンなんか頼んだんだ、俺は
少しばかりパニックに陥り、周囲を見渡す。
不安に答える者はいなかった。
│││
﹂
?
﹂
﹁ねぇ、二組に来るっていう転校生の噂、知ってる
﹁⋮⋮もしかして、中国代表候補生か
﹁おおっ、話が早いね﹂
﹂
普段気にも留めないメニューの、しかも朝からこんな量はいらない。
そこでようやく潤は自分の行動に疑問を抱いた。
?
﹂
癒子が一夏の隣の席なので若干居やすいのも相まって、結構居心地がいい。
についてきた。
朝食を殆ど一夏に押し付けた事もあって、妙な後ろめたさがあったので教室まで一緒
﹁昨日、それらしき奴に会ってな。 はぁ﹂
?
﹁代表候補生であるわたくしを危ぶんでの転入かしら
?
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
146
相変わらず妙なポーズを決めて、セシリアが話に割ってはいる。
﹂
あのポーズ、妙に安定しているが練習したんだろうか。
﹁どんな奴なんだ
﹂
?
その潤の、過去に関わるかもしれない人物。
それらも同様の事実を雄弁に物語っている。
飛行機から回収されたバッグにあったのは、ここ数年の雑誌や新聞。
柄。
ニュースで報道され、マスコミがある程度裏付けしており、委員会もそう判断した事
小栗潤は記憶喪失状態にある。
いや趣味以外は完全に同一人物という感じでな﹂
﹁いや、その、⋮⋮なんというか、昔の知人に尽く特徴が一致してな。 いや、もう外見、
﹁どうしたんだよ。 転校生と何かあったのか
一夏の周囲に集まったクラスメイトも若干驚く。
嫌悪の感情が潤の顔色からわかった。
言いよどんでいるか、何かを懐かしんで戦慄するかのようで、だけどはっきりとした
﹁ちょ、なんだよその答え﹂
﹁⋮⋮っち、俺は何も知らん﹂
?
147
﹁へえ
た。
どんな奴なんだ、その潤の知り合い﹂
?
﹁で、その背格好は
﹂
﹁一夏⋮⋮気になるのか
?
?
そんなガツガツしたら男も困るぞ、と潤は若干年寄り臭い事を考えていた。
転入生を気にしただけで怒るのはどうなのだろうか。
しかし、いくら箒の性格が口より手が早い、といっても流石に一夏の扱いがひどい。
相変わらず一夏は女心に疎い。
﹁少しはな﹂
﹂
本気で嬉しそうで、本気で嫌そうで、そんな妙な表情を不思議に思う一夏。
﹁何だよ、その反応。 お前そんなキャラだっけ
﹂
昨晩のナギしかり、一夏もクラスメイトも潤が笑った顔を見たことは今までなかっ
一夏は妙な表情をしながらも、ちょっとだけ嬉しそうな潤にそう言った。
﹁ふーん、なんか色々嫌な所もあったみたいだけど、仲は良かったんだな﹂
て、趣味が最悪で、最後の最後で⋮⋮、いや最後二つは忘れてくれ﹂
﹁いい加減、空気を読まない、TPOを守らない、自己中で、人に厄介事ばかり押し付け
!
﹁⋮⋮恐ろしいことを言うのはよせ﹂
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
148
﹂
﹁織斑くんが勝つとクラスみんなが幸せだよー﹂
﹁織斑くん絶対にクラス対抗、勝ってね
﹁聞いたところ専用機持ちって後は四組しかいないから余裕だよ
誰かがそういった。
﹂
その瞬間、クラスに凛とした声が響く。
﹁その情報、古いよ
﹂
!
﹁そう言われても最近は基礎機動制御で詰まってるしなぁ﹂
一夏を囲って好き勝手鼓舞していたら、いつの間にかクラスの大半が集合していた。
﹁お金がっぽがっぽで、懐ほっかほか。 そんな未来が待ってるんだから﹂
!
﹁今日から二組も専用機持ちがクラス代表。 そう簡単には優勝できないから﹂
そう言って現れたのは昨晩潤の前に現れたツインテールだった。
!
どーしてくれんのよっ
﹂
﹂
な、なんで昨晩会っただけのアンタにそこまで言われなきゃいけない
﹁なんだそのカッコ付け、全然似合ってないぞ。 気色悪い、早く正気に戻れ﹂
﹂
!
お前、まさか鈴か というか潤の知り合いって鈴とそっくりなのかよ
﹁んなっ⋮⋮
のよ
﹁⋮⋮鈴
!?
!
﹁だー、もう色々台無しじゃない
!
?
﹁台無しなのはお前の頭だ。 最初から普通にやればいいだろうに、それと後ろを見ろ﹂
!
?
149
﹁うしろ∼
ち、千冬さん⋮⋮﹂
残念そうな顔から察するに、出席簿アタックを楽しんでいるのかもしれない。
潤評価﹁教官﹂、一夏評価﹁鬼教官﹂。
出席簿を今にも振りおろそうとしていた背後の人物は新兵教官だった。
?
﹂
?
﹁また抱きしめてあげようかー
﹁結構だ﹂
﹂
?
⋮⋮アグレッシブに戻れ。
鈴そっくりの顔でこういうのだ、﹃女か子供相手だと妊娠の心配をしなくて最高ね﹄
んだ。
一瞬サムズアップしながら女と男の子を組み伏せ、事後状態の少女の笑顔が思い浮か
﹁頭が痛い、気持ち悪い﹂
﹁おぐりん、大丈夫
随分とアグレッシブだなリリム、頭痛しかしねぇよ艶やかな性格に戻れ。
苛立たしげに揺れるリボンを目で追いつつ、潤の眉間の皺が深くなる。
地団駄を踏み、ツインテールを振り乱し帰っていった。
﹁す、すみません⋮⋮﹂
﹁織斑先生と呼べ。 さっさと自分のクラスに戻れ、邪魔だ﹂
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
150
布仏をじっと見てのほほん成分を取得する。
ダウナー常時放出中、最近癒し成分を出しているのではないかと疑っている。
うん、この感じが丁度いい。
│││
授業が終わるとセシリアと箒が一夏を囲ってキャンキャン騒ぎ出した。
男尊女卑は恋慕の情にまで関係しているかもしれない。
ところで││、何時の間にセシリアは、一夏に好意を抱くようになったのか、潤にとっ
ても不思議でしょうがない。
後から気付いたが、当の潤も何時の間にか良い感情を向けられているのも気にかか
る。
﹂
少し前までは、軽蔑の感情を向けられていた気がするのだが。
﹁小栗くん、一緒に食堂行こ
﹁食事とは栄養の補給が目的であり、その目標が達成できるなら何も問題ない。 不測
悪いよ、絶対﹂
﹁携帯の栄養スナック棒食品とゼリー状の栄養ドリンクと栄養剤だけの昼食なんて体に
!
151
の事態に備えるのにはアレらがいいんだ、量的な意味で軽い﹂
﹁ほほぅ、そんな事をおっしゃいますか それなら、断りにくいようにして差し上げま
!
?
﹁⋮⋮⋮⋮何故、ここに居る。 ツインテール﹂
夏が居たが、気づかないフリをして逃げた。
箒とセシリアの包囲網から、雨に晒されている子犬のような表情で、助けを求める一
そして、二人共料理が下手そうには見えない。
る。
かつて部隊の副長に、あんこ入りクラムチャウダーを作られても完食したことさえあ
どんな味でも変わらない。
携帯食を好むが、暖かい手作り料理が嫌いなわけじゃなく、勿論好きである。
ピンク色、ほのかに暖かい弁当箱を受け取る。
﹁それは⋮⋮、お言葉に甘えてありがたく頂こうかな﹂
早起きのできない布仏にはできない芸当である。
今日は珍しいことに、癒子、ナギは四人分の昼食を作ってきてくれたらしい。
何時も潤はカバンから三つの栄養補強の食べ物を取り出し、さっさと食べてしまう。
はい、お弁当。 しっかり食べてね﹂
しょう、そうしましょう
﹂
﹁ナギと二人で作りました
!
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
152
﹁ご飯食べに﹂
食堂に入ったとたん、急降下していく機嫌。
﹁ああ、そう⋮⋮。 一夏なら、もうすぐ来ると思うぞ﹂
何故かそれに倣うように、不穏な気配を醸し出すツインテール。
﹂
そんな状態だったのが原因か、なるべく鈴から視線を外して、穏便に席に付こうとす
﹂
る潤の制服を掴んだ。
﹁なんだ
﹁いや、今日の朝の借りを返しておこうと思って、ね
中段回し蹴り。
﹂
﹁あたしの間接極めようなんて無駄⋮⋮って、あ、あれ い、いたっ
だだ
あだ、あだだ
﹁もしやと思ったけど、間接のつくりまで一緒かよ。 ほんとに別人なのかコイツ
?
おまけとばかりに鈴の手を取ると、サブミッション・ホールドの体勢に入る。
ついでに軸足を引っ掛け、バランスを崩すと同時に鈴の身体を半回転させる。
想と裏腹に、あっさり避けた。
なんとなく来そうだな∼、と思っていた潤は、いきなりの展開に驚くナギや癒子の予
!
?
まさか⋮⋮いや、やめよう﹂
?
!?
?
153
﹁小栗くん、なんか、鳳さん、滅茶苦茶痛がってるよ
﹂
﹂
!
コロッケ、豚肉入り野菜炒め、卵焼き、ご飯。
あれ以来、顕著に不機嫌なセシリアと箒を加え、六人で席を囲む。
カオスな食堂だった。
られて顔を紅く染める鈴、何故か殴られる一夏、更に喧しくなる箒とセシリア。
抱きとめるようにして受け止めた一夏、潤に怒ろうとするも一夏に背中から抱きとめ
後が怖かったので、ようやく食堂にたどり着いた一夏にパスすた。
死線をさ迷った軍人と、訓練しているただの少女、耐久力にはやはり差がある。
癒子に言われるまで、目の前のツインテールが嘗ての同僚と錯覚していた。
いってこーい。 ボール︵ツインテール︶を相手のゴール︵一夏︶にシュート
﹁ん、コ イ ツ が こ の 程 度 で │ │ あ あ、別 人 だ っ た も ん な。 そ り ゃ そ う だ。 そ ー ら、
?
﹂
?
﹁おっ、しょっぱいやつだ﹂
﹁卵は
﹁油を多く使うと出来立ては美味しいけど、冷めると味が変わるからね﹂
﹁冷めても美味しい﹂
ひじき入りコロッケ、和風しそソース脂っこくない。
﹃いただきます﹄とさっそく口に放り込む。
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
154
﹁甘いほうがよかった
﹂
?
│││
ちょっと、明日の昼食が楽しみになった。
た。
弁当箱は洗って返そうと申し出たが、
﹃明日も作ってあげるね﹄と言われて持ち帰られ
あの朴念仁が相手では、この二人は卒業までこのままだろう。
異世界で恋愛ごととは無縁だった潤も、この程度はわかる。
相手が振り向いてくれなければどんな魅力も無いに等しい。
恋愛とは相手がいる。
いと思うのだが。
自分の持ち札で相手を魅了するのも恋愛の形だが、相手の気持ちを考えないといけな
情をコロコロ変えている。
料理を食べながら喋っている間も、セシリアと箒は一夏の一挙手一投足に注目して表
﹁おいしいねー﹂
﹁ハムを挟むのならしょっぱい方で正解。 実際よく合ってる、美味しいよ﹂
155
昼休みギリギリまで食堂でだらだら過ごし、授業少し前に教室に戻った。
するとどうだろうか。
﹂
ツインテール﹂
先に食堂に戻っていたナギが、ツインテールになっていた。
﹁似合う
﹁な、なんで
?
?
﹁俺とあれを見て、何で仲良しに見える
ん∼
﹂
?
何故か一夏の腹部を殴る潤。
核心を深める一夏。
ぴたりと停止する潤。
反応も、今の返答も、全部一緒だぞ
﹂
﹁いや、仲良いだろお前ら。 鈴に、どうやったら潤と仲良くなれるか聞いたけど、今の
?
﹁イテテ、何で蹴るんだよ。 ちょっと、マジで痛いんだけど﹂
﹁何でお前が頷いているんだよ﹂
何故か一夏も一緒に頷いている。
うんうん、と周囲の生徒が頷く。
ルが好きなのかなって﹂
﹁ほら、二組の転校生といきなり仲がいいじゃない。 それで小栗くんってツインテー
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
156
!?
確かに食堂の鈴と、今の潤の行動は、かなり似ていた。
やっぱり慣れてないからかな∼、あ、あはは⋮⋮﹂
!?
﹂
?
﹁なんでしょうか
﹂
﹂
?
﹁いや、だって、コレは⋮⋮ちょっと、恥ずかしい、かな﹂
﹁かがみん、借りてきた猫みたい∼﹂
﹁あ、ありがとうございます
﹁髪の毛が、よく手入れされている。 手触りが良い﹂
!?
﹁髪⋮⋮﹂
何故かとんでもなく周囲が驚愕しているが、全く気にせずナギの髪を梳かす潤。
ものセミロングに戻す。
鈴と仲が良い、そんな誤解をしている一夏は無視して、ナギのツインテールを、何時
﹁あ、はい﹂
やりづらいから﹂
﹁癒子、櫛を貸してくれ。 ありがとう。 すまんが、少しの間じっとしていてくれ。 ﹁え
﹁座ってろ、今直すから﹂
﹁えっ、う、嘘
﹁⋮⋮それより、ツインテール、随分二つの横位置がずれてるな﹂
157
髪の毛を梳かし終えた後、一気呵成にツインテールを作り出す。
左右にポニーテルを作る要領で髪を纏めていく。
すべては手早く、そして、一切髪の毛や頭皮にダメージを与えることなく行われ、ツ
インテールの作り方に慣れているのがわかった。
何故、やや短めの髪の毛の、それも男の潤がこれほど巧くツインテールが作れるのか。
それは││﹃お∼い、根暗∼、髪の毛整えて∼﹄と、朝四時に起きなければならない、
特殊部隊の士官学校でリリムに作らされていたからだった。
あ、ちょっと、皆して、何を││﹂
お願いします
!
﹂
!
﹂
相方の惰性、その片鱗に巻き込まれた結果だが、こればっかりは頼みごとを断らない
潤が悪い。
鈴ヘア In 鏡ナギ。
﹂
潤会心の出来、リリム&鈴ヘアスタイル。
﹂
﹁私、今日からツインテールにする
﹁私も
!
﹁小栗くん、私もツインテールにするから、お願いしていいですか
!
﹁今からツインテール解くから、作り直して
﹁え
?
!?
﹁うん、完璧だ﹂
3─3 もう何も恐くない、だってツインがいるもの
158
る
流行っているのか
﹂
?
千冬は、そんな一夏を見て、即座に出席簿を頭に叩き付けた。
ちなみに潤はやっていないが、何故か一夏はなっていた。
テールになっている光景だった。
千冬がクラスにやってきて目にしたのは、彼女の言葉通りクラスの過半数がツイン
?
﹁授業始めるぞ。 席に着け⋮⋮。 何でクラスの半分近くがツインテールになってい
159
に参加させてもらう。
その潤は、入学当初からお世話になっている陸上部に顔を出し、一緒にトレーニング
セシリアは淑女としての誇りが足りないと思うのは潤だけだろうか。
中である。
一夏は鈴が転向してきてから常にカリカリ怒っている二人に迫られアリーナで修行
われない平和なひと時を満喫する潤。
宣言を行う。 各自自由に戦って生き残れ、敗者には死を、幸運を祈る﹄なんて誰も言
自国の特務隊訓練施設での放課後、﹃一八〇〇時から一九〇〇時までフリーファイア
例えば、鈴転入当日の放課後。
鈴と一夏の関係は、誰が見ても直ぐに分かるほどなのに。
など、本当に理解できない。
周囲が不思議がる二人の関係は、喧嘩寸前までいって、数秒後には仲良く世間話する
鈴と潤の関係は、近いようで遠く、仲がいいように見えて犬猿の仲でもある。
IS学園での生活はあれから数週間経過して五月に入った。
3│4 テ○ロ・フ○ナーレ︵踏みつけ︶
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
160
﹃女子陸上部﹄が正式名称なので、正式な部員ではないが部長さんは優しい人だった。
男子が急に一緒にトレーニングして、マネージャの様な事もしているせいか、一般部
員の態度が余所余所しい。
だ
初日はアンタから絡んできたんだし、今日も今日で邪魔する そ
何故ここに来るんだツインテール﹂
ベタベタ接触されても嫌なので、潤にとってはありがたい事なのかもしれない。
﹁で
﹁いいじゃない
﹂
れと私の名前は凰鈴音って昨日言ったじゃない
いと寝れないじゃないのよ
最後のが本音か。
﹂
大体この鬱憤を少しでもはらさな
布仏なら大浴場に行ったぞ﹂
その憩いの場はたった今、ツインテールの襲撃にあっていた。
﹁で、凰家の鈴音さんは何しに来た
﹁なんでアンタと一夏が同室じゃないのよ
﹁織斑先生に聞けよ、俺は知らん﹂
﹁男って約束すぐ忘れるの
意味わかんない﹂
なぜそんなに怒っているのか知らないが、鈴の機嫌は急降下しているらしい。
!
?
﹁ちょっと待て、話がわからん。 それと俺の枕を放せ、引きちぎれそうだ﹂
!?
!
!
この世界で唯一安心して過ごせる潤の居場所。
!
!
!
!
161
内容を簡略すると﹃私が料理上手になったら、毎日味噌汁作ってあげるね﹄だった。
それを酢豚に変えて言ったらしい。
でしょ
でしょ
なんなのよ、もー
!
ミシミシ音を立てる枕と、安全のために布仏の枕を引き寄せる。
﹁それはっ
そうだけど⋮⋮﹂
﹂
﹂
しかし、一夏は﹃タダ飯を食わせてくれる﹄に変化していた、と。
でしょ
!?
﹁気持ちはわかる。 相手の告白を無下にするのは確かに悪い﹂
﹁でしょ
!
﹁おい、だから枕を放せ。 引きちぎれる﹂
!
﹁ああぁ
もうやってらんない
寝る
!
﹂
!
日増しに機嫌が悪くなるツインテールは、毎日のように1030号室に乱入して愚痴
ブチ破るかのように現れた時といい、本当にアグレッシブである。
プリプリ怒りながらドアを蹴破るようにして出て行く。
﹁はいはい、お休み﹂
!
それともツインテールのリボンは主の機嫌に反応するのか、これは要検証だ。
リリムもそうだったが、まさか生きてるのだろうか、あのリボン。
鈴が気を落とすと一緒にリボンが萎む。
!?
?
!
﹁だが、一夏の性格を考えろ。 そんな遠回りの告白通じる相手か
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
162
163
だけ言って帰っていく。
布仏からりんりんと呼ばれて潤の枕を殴り、一夏の愚痴を言っては潤の枕を殴る。
快眠を支えてくれた枕は、1025号室から響く轟音と共に部屋に乱入した鈴の強襲
で遂にお亡くなりになられた。
鈴から受けた潤のストレスは、セシリアと箒と共に一夏に帰っていく。
一夏は鈴にストレスを与え、鈴は潤にストレスをぶつけ、潤は一夏でストレスを発散
する。
理不尽の渦に巻き込まれた結果、一夏は瞬時加速を習得した。
その際の潤が使用したISは打鉄・カスタム・mkⅡ。
﹄
データ取得専門であるため武装はブレードと、もう一種類しか積んでいないが、その
武装が専用機搭載予定のビームライフルだった。
これで中距離に対応できるようになった。
ISが手元に戻ってきたのを期に、セシリアから勝負を挑まれることになった。
これもほぼ毎日。
箒が一夏に剣術指南をしている間、
﹃今日こそ、その澄まし顔歪めて差し上げます
と勝負を吹っかけられている。
対戦成績は一勝二敗七分、一夏が来ると引き分けになるため妙に分けが多い。
!
そういて、鈴と一夏が戦う、クラス代表トーナメント当日を迎えた。
試合当日、一回戦第一試合の組み合わせは凰鈴音、織斑一夏。
第二アリーナは両者専用機持ち、男子と代表候補生の組み合わせもあってか座席は埋
まっている。
会場入りできなかった生徒も出ており、そちらはリアルタイムモニターで鑑賞するら
しい。
何時もの四人でクラスメイトの応援に来ていたが、あまりの超満員に立ち見に徹する
ことにした。
が、人の縁とは奇妙なもので、何時ぞやの新聞部副部長が四人分の席を確保してくれ
ていたらしい。
四人分の座席には、それなりのインタビューを。
労働には対価を。
﹁いやぁ、こうでもしなきゃ話してくれなさそうだからね﹂
﹁何故、こうなる⋮⋮﹂
﹁それじゃあ、インタビューしまーす﹂
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
164
﹁この注目の一戦、どう見ますか
﹂
?
チャンスあります﹂
?
﹁ん
もっと大きな声でいいかな
﹂
?
﹂
?
﹂
?
新聞部相手にそつなく回答していた潤が、いきなり言葉を切って空を見上げて停止し
﹁小栗くん、どうしたの
ふとその思考を止めると、徐に空を見上げた。
どうかわしたモノかと考える。
顔すら知らない他クラスへのエール。
﹁そうですか。 それじゃあ最後に、このトーナメントの参加者全員にエールを﹂
﹁いや、愚痴ばかり言いに来る変な奴、そんな印象です﹂
?
﹁⋮⋮そんな所も一緒かよ、死ねばいいのに﹂
人からは﹃あいつに絡むと元気になる﹄と謎の評価を頂いてますが
﹁ふむふむ、なるほど⋮⋮。 次は対戦相手の凰鈴音について一言お願いします。 本
を見いだせれば勝機はあります﹂
﹁バリア無効化攻撃、それに一夏には瞬時加速を骨の髄まで叩き込みました。 鈴の隙
﹁織斑君の単一仕様能力
﹂
﹁普 通 な ら 代 表 候 補 性 の 鈴 に 分 が あ り ま す が、一 夏 の 単 一 仕 様 能 力 は 特 殊 で あ り ワ ン
165
た。
まるで戦っている最中の様な真剣な表情に、隣の癒子が少し驚く。
﹂
﹂
﹁⋮⋮黛先輩、もしここに敵性ISが来た場合、避難完了までに迎撃可能な状況ですか
﹁流石にそんなことは分からないけど、どうかしたの
ているが少し違う
﹂
?
事実、彼は一度、彼自身の命運を分けた飛行機事故で、自分が打鉄を動かせることを
もしかしたら、潤もその一人かもしれない。
ような感覚がした、と彼らは言う。
建物や人物を見ただけだというのに、まるで鋭利な刃物を首筋に突き立てられたかの
腕利きの記者は、稀に直感だけで事件を掘り当てるという。
感じた。
新聞部という他人の感情や空気を読むのに慣れた薫子は、その様子に只ならぬ不安を
潤は目をつぶり、こめかみを揉むように集中している。
何故か急にそわそわし始めた潤の様子に、左右にいる女子四人が注目する。
?
?
どうしたの
﹂
﹁嫌な感じがする。 悪意、いや敵意、違うな。 好奇心、モルモットを見るような、似
?
?
﹁なに
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
166
感じ取った経歴があるのだ。
﹂
?
そして││、
距離を取る。
接近してでの斬りあいは若干鈴に分があるらしく、仕切りなおしを望んだのか一夏が
両者の武器は甲高い音を立てて火花を散らす。
交叉する剣と青竜刀。
から問題ないだろう。
狙いは荒削りで急所は捉えていないが、シールドエネルギーを減らすのが目的なのだ
鈴の攻撃は普通の生徒に比べれば早い。
近い。
青竜刀の様な武器を合わせて白式に迫っていく、なんというか戦闘というより曲芸に
潤の不安なんてどこかに吹き飛ばすかのように、鈴と一夏は軽快に刃を重ねていく。
潤は何かに備えるように、腕時計型になっている打鉄・カスタム・mkⅡを撫でた。
不穏な言葉はアリーナに出現した二機への歓声で掻き消えた。
﹁背筋がぞわぞわする。 何かあるかもしれません﹂
﹁何か感じるの
167
なんで織斑くんがバランスを崩したの
﹂
││見えない力を受けて地面に吹っ飛んでいった。
﹁なに
第三世代型武装だな﹂
?
﹁││っ
本音、癒子、ナギ
何か来るぞ、気を付けろ
!
﹂
見えない砲弾を僅かな情報で避け、ようやく体制を整えた一夏が雪片弐型を構えた。
どうやら砲身斜角もない可能性が高い。
開いた甲龍のアンロック・ユニットを見る。
潤もああいう手合いの武装を持つ相手とは戦った事がない。
どこからどう飛んでくるのか、どのような射撃スタイルなのか相手にはわからない。
砲身、砲弾共に見えないオールレンジ攻撃。
﹁質量を持った空砲か何かじゃないか
?
?
!
織斑
凰
ただちに退避しろ
!
﹄
!
間がかかった。
﹃試合中止
!
織斑先生の一喝で、アリーナは騒然となった。
!
外を包んでいたアリーナの遮断シールドが壊れたのだと気づくのに、周囲の生徒も時
潤の言葉が終わった直後にガラスが崩壊した様な甲高い音がアリーナを襲う。
ナギの言葉を遮って不穏な波を感じた潤が声を上げた。
!?
﹁瞬時加速、織斑く﹂
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
168
何が起こったんだ
観客席は順次防壁が閉まっていく。
﹂
!
これはなんだ
﹄
!?
﹁一夏
﹃潤
!?
﹃普通の人間じゃない
﹄
﹁おそらく無人機だと思う﹂
﹄
﹃⋮⋮まあ、俺は潤を信じるよ。 それに無人機なら全力で攻撃しても大丈夫だし、な
ぎる。 大方遠隔でコントロールされているんだろう﹂
﹁例外ってものは何時だってある。 それにあいつは人間にしては感情の起伏が無さす
?
?
﹃でもISって人が乗らないと動かないんじゃないのか
﹄
﹁強襲だ。 敵機の情報は無いが、⋮⋮なんとなく、相手は普通の人間じゃないと思う﹂
?
169
少しでも安心してくれることを信じて。
普段目にしない不安な表情をするナギと癒子の手を握る。
緊急時のアナウンスに従って避難を開始した。
これ以上は一夏の邪魔になる。
Ⅱの回線を遮断した。
一夏が所属不明ISの攻撃に対して急旋回した姿が映り、潤は打鉄・カスタム・mk
!
﹁大丈夫、何とかなるさ﹂
﹁う、うん﹂
自分は出撃できない、無許可の状態で勝手な行動すればどうなるか予測できない。
一夏はともかく、潤には人間の悪意から身を守るすべがなく、今はまだ無茶をする場
面じゃない。
通路は混沌としていた。
﹄
アリーナの生徒が少ない通路を我先に逃げ出したが、扉のほとんどがロックされてい
聞こえているか
﹂
!
る。
﹁織斑先生
!
﹃私は落ち着いている﹄
ない犠牲が出ます﹂
﹁了解しました。 それと織斑先生、落ち着いてください。 指揮官が混乱するといら
退を援護した後離脱しろ、いいな﹄
クされていない。 お前は三年の精鋭がロック解除するまで織斑と鳳を支援、両者の撤
難も時間がかかる。 だが、何故かお前のいる場所からアリーナへと出る道に限りロッ
﹃知っての通りドアは閉ざされており、遮断シールドも解除できてない状態で救援も避
?
﹃小栗
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
170
﹁この様な話は本来プライベート・チャネルで行うべきです﹂
そこでようやく織斑先生はオープン回線で会話をしていたことに気付いたようだっ
た。
周囲の女子の視点が潤に集中している。
発光する白が宙を舞い、一撃必殺の間合いに入るも剣は風を切り裂いた。
んだ。
潤はそう言い残して、避難中の女子の波を掻き分けながらナビゲートに従って道を進
﹁ああ、何とかする﹂
﹁小栗くん、頑張って﹂
﹁行ってくる﹂
両脇で今も固まっているナギと癒子から手を放す。
最後にあまり見えない笑みを浮かべて織斑先生は通信を終了した。
﹃そうか、頼んだぞ﹄
﹁安心して下さい。 何とかして見せます﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮むしろお前のその落着きはなんなんだ﹄
171
謎の無人機が持つスラスターは尋常ではなく、零距離の離脱が驚くほど速い。
風車の様に大回りながらも、太い腕からビーム状の砲撃を加えて接近。
その回転が始まる前に、既に後退を始めた一夏。
未だ回転を続ける無人機は回避した相手を見もしないで追撃。
しかし鈴の砲撃を受けてか、回転を中止し砲撃を弾いて防ぐ。
﹂
合計四度目の攻撃は、これで無駄にされたことになる。
﹂
ちゃんと狙いなさいよ
!
!
﹂
!
﹁援護頼む﹂
﹁一夏離脱
えなかった。
二対一の状況で四度も強襲を無力化できるのは、人間の反射を凌駕しているとしか思
つまり回避行動やその直後の初動は人間の反射神経に依存する。
いくらISのスラスターが凄かろうが、回避行動を取るのは人間の判断に基づく。
何せ回避が早すぎる。
一夏は思った。
この4度の攻防で潤の言った、
﹃おそらく無人機だと思う﹄という考察は間違いないと
﹁ちゃんとやってるつーの
!
﹁一夏っ
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
172
一夏が仕切り直しの為距離を取る。
バリア無力化攻撃にはどうしてもシールドエネルギーがいる。
現在のエネルギーは六十で、今のままでも零落白夜は後一度しか使えない。
無駄に攻撃を受けてシールドエネルギーを使うわけにはいかない。
鈴のエネルギーも既に百八十。
﹂
!?
﹂
?
﹁冗談
﹂
﹁潤が来たら俺は反撃する。 鈴は、逃げたければ逃げてもいいぜ﹂
﹁││で、どうすんの
潤を加えれば、二桁に戻すくらいはできる。
シールドを突破して機能停止させる確率は最早一桁位しか残っていない。
ようやく終わりが見えてきた。
二人から三人へ。
﹁ああ任せてくれ﹂
いいな﹄
﹃もう二人ともエネルギーが心もとないだろうが、三年がアリーナに入るまで踏ん張れ、
﹁潤が来るのか
﹃一夏、もうすぐ小栗が着く。 それまで持ちこたえろ﹄
173
!
言葉が途切れた直後、無人機からビーム砲撃が雨あられと二人に押し寄せる。
尽きない砲弾から宙を旋回して距離を取る。
﹂
急速な旋回で意識が途切れ掛け、ブラックアウト防止機構がそれを防ぐ。
﹁こいつ、なんで急に俺を
推力は白式が上だが、勢いは押し込んだ無人機にある。
雪片弐型で斬りかかるが、それよりも早く無人機は間合いを詰めると白式と衝突。
す。
たまらなくなって鈴に援護を頼むが、それを嘲笑うかのように龍咆の砲撃を打ち落と
鈴の甲龍などお構いなしの猛攻。
潤がアリーナに来る、そう聞いた途端に無人機の攻撃は一気に苛烈になった。
!?
手にある砲門が一夏の前に躍り出るのが、やけにゆっくりに見えた。
﹂
!
体は不自然な方向に折れ曲がり、顔は百八十度方向を逆転している。
一夏に向ける砲門をそのままに、もう片方の手を鈴に向ける。
えない行動に出た。
しかし、ここで無人機は、既に無人という事実を隠すことをやめたのか、人体にあり
追い詰められる白式にたまらず鈴が無人機に砲門を開ける。
﹁一夏っ
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
174
﹂
もし内部に人が居ようものなら大惨事であることは間違いない。
うおおぉぉぉ
!
﹁鈴は、俺が守る
﹂
搭乗者を守る絶対防御も完璧ではない。
もし、相手の連撃を受けたらどうなるか、代表候補性の鈴は良く知っていた。
既にシールドエネルギーは底を尽きかけている。
一夏は何を思ったのか、スラスターの力を借りて宙を舞う鈴の前に躍り出た。
﹁鈴
!?
!
す。
﹁ア││││っ
!
頭の隅に第三者が乱入する可能性は知っていたが、勝手に足場にされるとは想定外。
﹂
﹁ぎゃあ││っ
﹂
潤の打鉄は二人のアンロック・ユニットに着地し、更に自機を上昇させビームをかわ
mkⅡの踏み台となり地に落ちて行った。
聞きなれた声が二人のISに届くと同時に、そのまま白式と甲龍は、打鉄・カスタム・
﹁すまん二人とも﹂
手に光るビーム砲が光を放ち││。
﹁あんた、何馬鹿言って││﹂
!
175
足場にされた衝撃はともかく、踏み台にされて蹴落とされた力は強かった。
制御を失い螺旋を描きながら墜落していく、白式と甲龍。
そのまま二人して仲良く地面にキスした。
潤は結構ひどい性格だった。
﹁何をしている。 ちゃんと立て直せ﹂
3─4 テ○ロ・フ○ナーレ(踏みつけ)
176
﹄
3│5 わたしの、最低の友達
﹃俺を踏み台にしたなー
﹄
!?
﹂
!
﹄
!
凄まじい回転の最中に方向転換し、今度は下方から跳ね上がる。
腕からビーム砲が連射され、相次ぐ振動と爆発音がアリーナ中に響く。
無人機はコマのようにまわり、二人の目の前に接近してきた。
﹁絶対防御がある。 死にはしないさ﹂
﹃殺す気か
機体制御が安定したのは、地面一メートルを切ったところであった。
再び地面に迫る白式。
一夏が反応する前に、再び潤が白式を踏み台にして宙に飛ぶ。
﹁さけろ、馬鹿﹂
何がだよ、と聞き返す暇もなく無人機がビーム砲撃を繰り返す。
﹃はぁ
けるにはああするしかない。 ││来るぞ
﹁しょうがないだろ、カスタム・mkⅡは機動性が前より落ちているんだ。 2人とも助
!
177
鈴
どうした、答えてくれ、鈴
﹄
迫りくる機体から、打鉄、白式共に左右に分かれるように回避した。
﹃鈴
!?
!
﹄
近接格闘型パワータイプの連撃に、無人機は無様に地に転がるしかなかった。
に龍咆連射。
惚れ惚れするような精密な機動制御、そこから殴る蹴るの連続、距離を取った無人機
当たった拳を起点にし、体を反転させ青竜刀で無人機を切り付ける。
ことが起こった。
そして、今まで無防備だった鈴は何をするでもなく無人機の拳に直撃し││不思議な
﹃鈴
て突き進む。
無人機は、左右に分かれ距離を取った男二人から離れると、猛然と鈴の甲龍へ向かっ
あった。
ISのセンサーの先では、地面から這い出たもののアリーナに無防備に立つ鈴の姿が
空を舞った状態で一夏が吠えた。
!
!
その声は、一夏が共に過ごした鈴の声ではなく、鈴の皮を被った何かの様だったが。
﹃何慌てているのよ、坊や。 舞台は今一番いいところじゃない﹄
3─5 わたしの、最低の友達
178
179
地面に墜落した鈴は、空を見上げて白式と打鉄を見上げた。
一夏は少ないエネルギーで無茶しながら戦っている。
約束を勘違いして、成長しない胸の大きさに指摘して、相変わらずの朴念仁。
再開したらあれやこれや、甘えたり、一緒に訓練したり考えていたのがパーになって
しまった。
それにあの台詞、
﹃鈴は、俺が守る ﹄色々あったけどやっぱり一夏は鈴の大好きな一
夏のままだった。
これが終わったら謝ろう。
しかし、潤をからかったり、愚痴ったりすると元気になる。
好意ではなく、憎いような気もする。
あの男の近くにいると鈴は何時も妙な気持になる。
そして、その近くにいる、小栗潤を見る。
そう思って一夏曰く﹃潤が無人機って言ってた﹄と評する無人機を見る。
時間はたっぷりあるんだから。
二人で謝りあって、また前みたいに一緒にはしゃごう。
!
3─5 わたしの、最低の友達
180
胸をせりあがってくる感情は、稀に存在しないはずの記憶をも齎してきた。
初めて会ったとき殴られたこと。
古めかしい剣を持った一団から命を救われたこと。
極寒の最中川に飛び込んで逃げて、互いに裸になり体温を分かち合って夜を明かした
こと。
任務先で義理の両親を命令で殺め、錯乱して泣き疲れて寝たアイツに布団をかけて隣
で寝たこと。
そして、エマージェンシーを出して、両手両足を切断して自殺したこと。
殆どの記憶はありえないものばかりで、中には顔を真っ赤にするような内容もあっ
た。
しかも自分は最後に自殺する。
流石に自分が死んだ夢なんて、冗談でも見たくないし、あれが幻だとわかる。
あの二人と協力して、あの無人機を落とそう。
エネルギーがほぼMAXの状態の潤を主体に、一夏と連携する。
もしくは潤と連携して、一夏に奇襲攻撃をさせる。
先ほど一夏に翻弄され、落とされかけたが、今度は失敗しない。
潤と組めるかどうかは、分からないが⋮⋮。
││⋮どきなさい。 おぼこには荷が重いわ。
その声に、小栗潤と組むに最適な情報が記憶となって頭に上書きされていく。
鈴の意識は、こうして半眠状態となった。
大丈夫か﹄
?
!
上げた。
﹃さあ、主演女優の到着よ。 派手に行きましょ
﹄
その中で鈴は不敵に笑って、チャームポイントであるリボンを振りほどいて声を張り
一人増えたが、相手の戦力未知数で武器の威力も高く状況は良くない。
一夏の位置から三人が三角形になる。
接近しだした。
潤は鈴の姿に対して、変に嫌悪感を表していたが、敵機に対して高度を合わせ徐々に
飛来するビームを青竜刀で弾きつつ、鈴が高度を上げる。
﹃鈴、何言っているんだ
﹃潤クロスレンジ、一夏強襲、フォーメーションΔ﹄
181
振りほどいた髪の毛が、宙に舞うその姿に一夏はちょっと目を奪われた。
謎の様変わりをした鈴に目を奪われている男が居る一方で戦局は動き出した。
間断なく降りだしたのは、無人機からのビーム砲弾。
﹂
﹄
アリーナは強力無比な爆薬を縦横無尽にばら撒かれたかのような惨状を呈していた。
﹁一夏、バリア無効化攻撃は使えるか
﹂
﹃それより、鈴の様子がおかしんだ、 あいつどうしたんだ
﹁⋮⋮わからんが、大丈夫なんじゃないのか
﹄
説明するわけにはいかず答えをはぐらかす。
潤には嫌な予感と共に説明できるだけの予測がついていたが、流石に魔法的な概念を
している鈴の様子がある。
一夏の目の前では砲撃を、同じく龍咆で打ち落とし、打ち漏れたものを青竜刀で迎撃
?
?
?
バリア無効化攻撃で何するんだ
!
?
﹁⋮⋮よし、龍咆と俺のビームライフルから、スラスター越しにエネルギーを内部に取り
﹃シールドエネルギーが足りない。 もう使えないな﹄
﹁バリア無効化攻撃を使い、救援部隊の通路を確保する﹂
それを大きくかわしながら、二人は尚もプライベート・チャネルで会話を続けた。
鈴が相手の射線上から大きく退いたため、一夏や潤にも攻撃が来る。
﹃で
3─5 わたしの、最低の友達
182
込もう。 いいな、鈴
﹃俺はどうすれば
﹄
﹂
急接近した鈴も牽制したが、瞬時加速した鈴は既に懐に潜り込んでいた。
る。
放たれたビームを回転しながら左右に少しだけ移動し回避して、甲龍と打鉄が肉薄す
潤も合わせて接近していく。
その声に答えることもなく甲龍は無人機に突撃した。
!
﹄
に嫌われるわよ
童貞
﹃なっ⋮⋮﹄
まさかその歳で
何なら私が││﹁無駄口を叩くな﹂、はいはい﹄
それとも何、女の子と良いことしたこと無いの
﹃あら、本当に童貞なの
?
鈴の青竜刀が宙を舞う。
その笑みは、一夏が今まで見てきたどんな鈴より女らしく、艶やかな表情だった。
変な受け答えをしつつ、鈴は青竜刀で攻撃している。
?
?
?
﹃一夏にはおっきいの入れてもらうんだから、後ろに居なさいな。 堪え性が無いと女
﹃女の子を前衛にして後ろで待つなんて⋮⋮﹄
﹃一夏はスラスターをあたしと潤に向けて回避に専念。 まぁ、まかせなさい﹄
!
183
無人機は咄嗟にスラスターを使って回避するも、その先には既に刀を振りかぶった潤
が居た。
﹂﹄
防御も回避もままならず、間合いを詰めた鈴からも攻撃を受けて転がる。
﹃﹁一夏っ、スラスター
!
整である。
行動のタイミングがずれたと思えば、それは相方が回避するタイミングに合わせた調
攻撃を狙っているようでありながら、その目的は相方への攻撃援助である。
目の前の二人のコンビネーションがおかしい。
救援まで、二人に玩具にされている敵機が持てばだが。
このままいけば次の着弾時には救援が呼べる。
エネルギーは現在四十。
急いで背を向けると、ほぼ間髪入れずにビームと龍咆が着弾した。
の目的を思い出した。
その光景に少し唖然としていた一夏であったが、通信から入ってきた二人の声で当初
見事に攻撃を加えている。
今まで碌な有効打を与えることが出来なかった無人機相手に、近接を仕掛けた二人は
﹃お、おう﹄
3─5 わたしの、最低の友達
184
常に攻撃は最も意識のズレが発生する百八十度ライン。
それを常に動き続ける相手にやってのけている。
例えどんなに訓練しても、相方次第では決して辿り着けない境地のコンビネーショ
ン。
前方に展開された両椀が最も遅く到達する場所を的確に見極め反転。
刃の方向を体で逸らすと懐に飛び込んで、二閃、三閃。
小回りを土俵にされてはかなわないと判断した無人機は、潤から距離を取ろうとする
も、背後から絶妙なタイミングで青竜刀で切りつけられて元の位置へ。
再び潤の打鉄の間合いに入ってしまい、耳を劈く不協和音の木霊と同時に装甲が切り
刻まれていく。
﹂
絶対防御に守られている箇所以外が、音が鳴り響くたびに飛び散る。
﹄
﹂﹄
死にゆく者こそ美しい
﹃なにゆえもがき生きるのか
﹁滅びこそわが喜び
﹃﹁さあ、わがうでの中で息絶えるがよい
!
壊れたパーツが互いにぶつかり合い、まるでISが人間と同じく悲鳴を上げている様
続ける。
潤も鈴も今まで見たこともないようなハイテンションで無人機のキャッチボールを
!
!
!?
185
だった。
無人機を中心に、円を描きつつ打鉄と甲龍が武器を振るう。
二人から離れていた一夏に正面を向けると、無人機はそちらに向かって移動した。
それは、どちらかというと逃走であり、無論潤も鈴も逃がす気はなかった。
﹂
﹄
二人同時に瞬時加速を使い一気に距離を詰めると、示し合ったかのように潤は下部
に、鈴は上部へ武器をふるう。
せいぜい抗うがいい
潤
!
!
命からがら見せる抵抗こそ、美味
!
﹁抗えっ
﹂
﹃追い詰められ
﹁鈴、肩だ
!
!
無人機は大振りをした挙句、背中から攻撃を受けて一夏に背を晒して制御不能状態で
一夏はここでようやく二人の思惑を知った。
!
よって押し出される。
﹂﹄
遅れながら二人の間に無人機の両椀が空を切り、再び息の合った刀と青竜刀の二本に
潤も蹴られた反動を利用して下部に旋回した。
部に旋回する。
言うや否や、潤が登場した時のように鈴がアンロック・ユニットを足場に無人機の上
!
﹃﹁一夏っ、スラスター
3─5 わたしの、最低の友達
186
いる。
﹄
二人は双子と見舞うかのように息を合わせて、一夏の背後で互いのエネルギー武器を
構えた。
﹃オオオオオ
﹄
時に双子は離れ離れになった片割れの感情や、危機を察知することがあるという。
これは鈴ではなくリリムだと。
潤は気付いていた。
プライベート・チャネルでの会話。
﹃そこまでよ。 私たちはお互い巡り合せが悪かったのよ。 何も謝る必要はないわ﹄
﹁鈴、⋮⋮いや、リリィ、俺はお前にあや││﹂
﹃ふぅ、終わった、終わった。 リボン付けないと﹄
確かな感触を手に、一夏が手を挙げる。
遂に沈黙した無人機。
﹃よっしゃあ
た。
雪片弐型は驚くほどの光量を発し││無防備状態になっていた無人機の胸部を貫い
二人のエネルギーを湯水のように受け、一夏の白式が加速。
!
!
187
夢であったり、興奮状態を共感したりするその現象。
共感現象とは、魔力の波長、発生した能力、宿った魂に至るまで酷似した人間同士が
引き起こす現象。
本来ならば︻魂魄︼という能力に目覚めなければ、赤の他人と共感現象は発生しない。
魂とはそのまま人体や動物、果てや植物や道具に至るまで宿る魂のこと。
魄とは体、つまり魂を宿す器を意味する。
試合前、変な感情を潤が受信したのも、誰かの﹃魂﹄が露骨に潤に向いていたからに
他ならない。
﹃潤、最後はあんなだったけど、助けに来てくれてありがと﹄
味ばかりで仕事もしないけど、││おまえは、俺の、大事な友達だったのに﹂
﹁⋮⋮俺は、お前を、助けてやりたかった。 嫌な奴で、馬鹿みたいで、何時も自分の趣
﹁リリム
﹂
おいリリム
﹃さようなら﹄
!
?
!?
プライベート・チャネルが切れ、鈴が一瞬ふらっと倒れそうになった。
﹁リリム
﹂
形のような子。 笑いたいときに笑えなくなれば死んだも一緒、って教えたのに﹄
﹃私が死なないと本心が分からないだなんて、相変わらず感情を表に出せなくなった人
3─5 わたしの、最低の友達
188
気付いた一夏が鈴を支える。
一夏の腕の中で赤く染まる鈴の顔に、もう潤の知っている彼女の面影はなかった。
能力が開眼してある潤、その彼と戦闘状態で接近したことで、鈴の中にある魔力的資
質が触発されたのだろう。
未発達のまま、部分的に能力が開花し、ついていけなくなった身体が限界を迎えた。
そう、恐ろしい事に鈴には︻魂魄︼の適性があった。
これが鈴にリリムが憑依した一つ目の理由。
このまま鈴の中の魔力を刺激し続ければ、おそらく彼女はリリムと同じ能力に目覚め
る││が、この世界で魔法の力に目覚める必要なんてないだろう。
リリムと鈴が共感できる状態であり、潤と鈴も共感できる状態だった。
そして小栗潤と、リリムもその関係に準じ、凰鈴音とリリムも共感現象を起こせる。
小栗潤と、凰鈴音は共感現象が起こるほど近しい存在だった。
今回、鈴にリリムの感情が宿ってしまったのは、本当に奇跡としか言いようがない。
﹃頼んだぞ﹄
﹁三年に引き継ぐまで、俺が見ておく。 心配するな
﹃あ、ああ。 無人機は⋮⋮﹄
﹁一夏、鈴はきっと連戦で疲れたんだろう。 医務室に連れってってやれ﹂
189
思えば、鈴がIS学園に接近しただけで予兆はあった。
リリムと鈴の能力に反応して、とっくに死んだはずのリリムに共感して夢を見た。
﹃滅多に見なくなったリリムの死んだ夢を見たこと﹄
﹃魔法を使うものが居ない世界で、感知出来るほどの魔力の波を感じたこと﹄
潤に共感した鈴が一時的に魔力に反応して、知らず知らずの内に波を出していた。
﹃朝から食いたくもないラーメンを、何故か食べたくなったこと﹄
鈴に共感した潤が、鈴の好物のラーメンを食べたくなった。
そして、今回。
逆に鈴に共感した潤の機嫌がどんどん悪くなった。
戻っていった。
潤に共感した鈴が、潤の精神状態に引っ張られた結果、怒りや興奮が普通の状態に
﹃あいつに絡むと元気になる、と新聞部副部長は言った﹄
3─5 わたしの、最低の友達
190
潤の魂に色濃く残るリリムに共感して、一時的に鈴が乗っ取られた。
だから、戦闘終了後にリリムは消滅してしまった。
名残惜しい。
胸を壊すほど狂おしい感情は、あの世界を思い出すリリムを求める心。
しかし、このままでは鈴の魂そのものが、リリムに乗っ取られてしまいかねない。
流石にそこまでして、リリムを望んでない。
それに、乗っ取られる前に鈴はリリムの全てを知るだろう。
その死を、鈴は体験しなければならない。
共感現象が起こるほどの人間と死別すると、その死に共感して必ず発狂する。
そんな悲しみを、あんな苦しみを鈴に与えるわけにはいかない。
そうだとも、││居なければ、失わない。
覚醒すれば鈴は苦しむ。
潤もまた、鈴と離れても、鈴が死んでもそこまで苦しくはならない。
だけど⋮⋮
呟く声に答える人は誰もいなかった。
﹁なんで、こんなに悲しいんだろうな﹂
191
﹁中国政府から、鈴さんのデータに関して質問が来てますが﹂
諸問題を実験機の暴走として片付けたIS学園だったが、各国政府には色々借りを
﹁そうだろうな⋮⋮﹂
作ってしまった。
特に実際戦闘した中国日本両政府には詳細な報告をせずにはいられなかった。
そこで発生した新たな問題。
凰鈴音の機動制御、射撃制度、近接戦闘の異常。
中国で取った訓練データの百二十%∼二百%ほどの精度を誇っている。
戦闘中にとれたデータを見れば、IS適正が︻S︼相当。
この戦闘の精度を見れば普段の︻A︼相当の適正では出せない境地である。
適性︻S︼を出した者は世界でもヴァルキリーやブリュンヒルデ位しかおらず、数週
間の学園生活でこれほどの変化を見せた者は前例に無い。
そして、そのデータが取れた場面が、小栗潤と連携を始めた直後。
真耶が無人機のデータ画面から、無人機と戦った潤と鈴の映像に切り替える。
あったら優勝間違いなしです﹂
﹁それにしても凄い戦い方でしたね。 もしモンドグロッソにコンビネーション部門が
3─5 わたしの、最低の友達
192
モンドグロッソ総合優勝者の千冬ですら、驚くような息の合った、ハイレベルな攻撃
をする二人。
﹂
そして、セシリア戦ではIS適正︻A︼程度だった潤も、連携のあいだにおいてはど
う考えても適正︻S︼レベルの制御をしている。。
る潤。
?
千冬の勘は、鈴の豹変の原因を潤にあると訴えかけていた。
その千冬の知らない鈴と、信じられない連携を行う潤。
﹁小栗。 お前は何者なんだ﹂
身に鳥肌が立った。
どうしてか分からないけど、そんな気がして、そしてそう思ったと同時に、千冬の全
限りなく似ているけど、あれは、多分違う。
潤と共に、楽しそうに笑う凰鈴音。
一夏が連れてきた、記憶の中にある凰鈴音。
﹁これが、あの凰の顔か⋮⋮
﹂
普段見ないような艶やかな表情を浮かべる鈴と、楽しそうでいて獰猛な表情を浮かべ
画面の二人を睨みつけ、かつて最強の名前を欲しいままにした女傑は考える。
﹁何か、私の知らない何かがあの二人にはあるとでもいうのか
?
193
│││
千冬が潤に疑問を投げかけている頃、潤と鈴、一夏は報告書の提出を義務付けられ、と
ある一室に釘付けになっていた。
とはいっても、提出する報告書はIS学園が定めた指針﹃実験機の暴走事故﹄という
﹂
ぜん
表向きの言い訳を軸に作ることになっているので、ほぼ適当な内容になっている。
﹂
﹁よし、千冬姉が作った下書き、書き写せた。 二人はどうだ
﹁中国向けのがまだ。 潤は
ぜん終わらん﹂
⋮⋮金は
手が空いたんなら、飲み物持ってきてよ﹂
﹁よし、鈴は、⋮⋮烏龍茶ね。 潤はコーヒーでいいか
﹂
﹁⋮⋮なぜ、俺は学園長と生徒会長向けと、織斑先生向けが追加されているんだ
?
手の空いた一夏を、絶妙なタイミングで飲み物を買いに行かせる。
?
?
﹁一夏のおごりでいいでしょ。 私も潤も忙しいの﹂
?
!
何故かIS学園向けの一枚しか報告書が無かった一夏がイチ抜けになる。
﹁へいへい﹂
?
﹁そう、一夏
3─5 わたしの、最低の友達
194
この辺の扱いは、一緒にいた月日を思わせる。
一夏が部屋から抜け、鈴と潤が紙に書き込むペンの音と、窓からさしいる夕日がオレ
ンジ色だけが残った。
﹂
?
大っ嫌いだったみたい﹂
に大好きだったのに。 中学生になって私が中国に行ったときには、二人ともお互いが
﹁お互いが好きで結婚して、お互いが好きで子供作ったのに⋮⋮、私が子供の頃はお互い
﹁そうか﹂
なんなんだろうなぁ、あの二人。 私の両親なんだけどね﹂
﹁私、日本から一旦中国に帰ったんだ。 その理由がさ、
﹃両親の離婚﹄なんだよね。 しかし、雰囲気からは不真面目なものは感じない。
潤が鈴に視線を向けるも、鈴の目は報告書から離れない。
一夏が出て行って、少ししてから徐に鈴が口を開いた。
﹁好きにしろ﹂
せてよ﹂
﹁こんなこと、あんたに聞くことじゃないって分かるんだけどさ、それでも、少し相談さ
﹁なんだ
﹁ねー、潤﹂
195
﹁それで
かな
﹂
﹂
否定できないな。
そう思うしかない。
変わらないものなんて何も無い。
だけど││。
﹁リリィ、俺たちは人間なんだ﹂
﹂
いい人だよ。 ⋮⋮ねぇ、私のこの﹃好き﹄って気持ちも何れ﹃嫌い﹄になっちゃうの
﹁私、好きな男の子がいるの。 馬鹿だし、シスコンだし、糞真面目だけど、優しくて、
?
﹁ちょっと、今、私のこと妙な呼び方しなかった
?
?
﹁だから、思いをなくしてしまわないように、人は思いを重ねる。 無くしてしまわない
死んだ人間を想い、今なお面影が似ているだけの人間に縋りかけている自分がいる。
そう、だけど、だ。
だけど。
鈴が少し沈んだ表情をする。
﹁⋮⋮そっか﹂
﹁黙って聞け。 どんな思いも、必ず朽ち果てる、それは人である以上必然だ﹂
3─5 わたしの、最低の友達
196
様に、大事な思いを重ねて、新しくしていくんだ。 相手が死んでいようが、生きてい
ようが関係ない﹂
﹁お 前 に と っ て そ の 人 は 大 切 な 人 な ん だ ろ
﹂
だ っ た ら 思 い を 重 ね る の は 簡 単 な は ず
だ。 それ程、軽い思いで好きになった訳でもないんだろ
リリムの魂魄の適正は記憶や人格の上書きなど。
胸に手を当てる。
思い続ける限り、想いは朽ち果てない。
はないだろう。
自分がこれからやろうとしていた事と、潤のアドバイスが似通っていたのも無関係で
元々一夏を追ってIS学園まで来たような強い思いがある。
少し背を押すだけで解決したようだ。
なんだかんだいって、鈴の中に答えは既にあったのだろう。
てしまうかもしれないしね﹂
﹁││勿論。 そっか、そうだよね。 新しい魅力を見つけないと、古い魅力は無くなっ
?
?
﹁なる程﹂
﹁お前の親御さんは、﹃好き﹄って気持ちを重ねられなかっただけだ﹂
﹁⋮⋮﹂
197
3─5 わたしの、最低の友達
198
潤の中に、リリムの魂が残っている。
消そうと思えば、何時でも消せるのに、消そうと思うたびに、これを消してしまえば
自分が抜け殻になってしまいそうで怖い。
アイツの、遺品を、魂を消してしまいたくない。
││お前は女々しいと言って、怒るかな でも、お前が死んで、苦しんで、残った
ものまで、捨てたく無い。
いも、嘘じゃないから。
例え、どんなに罵られ様とも、苦しんだことも、楽しかったことも、大切にしたい思
その程度は許されたい。
死者を想い、残された物に思い出を感じる。
?
1│3 デュノア
各部門の政治高官が集まっていた。
そんな声が議会で発せられ、パトリア・グループ本社のIS試験用海上アリーナには
も抜け穴はある。
デュノア社等を中心に、簡易パーツを五割ほど使うらしいが、パーツ程度なら幾らで
ちらを使用したほうが良い。
もし、パトリア・グループがISを自社開発でき、それが信用できる機体であればそ
いる。
ライセンス生産は政治のカードにも使えるが、自国の安寧を他国に委ねるのは勇気が
現在フィンランドの軍用ISは、他国の機体に依存している。
情報は政府側にもたらされていた。
パトリア・グループが既存の量産型ISのカスタマイズから、自社開発へ切り替えた
パトリア・グループ本社 IS試験用海上アリーナ。
六月 第一日曜日 フィンランド
4│1 FIF│P00X
199
﹃FIF│P00X、発進スタンバイ。 パイロットはEEG、可変装甲、特殊関節機構
を排除した量産機状態を装備。 プラットホームセットを完了。 カタパルトオンラ
イン。 FIF│P00X全システムオールグリーン。 ハッチ開放、進路クリア、F
IF│P00X、発進。 我が社の機体が、祖国の安寧の礎とならんことを﹄
FIF│P00X││遂に日の目を見た、フィンランド初の国内開発第三世代を目標
とした試作型IS。
今日の機動実験では第三世代の目玉ともいえるイメージ・インターフェイスを用いた
特殊兵器は意図的に搭載を避けた。
世代的な考え方としては第二世代にダウングレードしたが、純然たる性能は第二世代
を大きく突き放していると言っても問題ない。
むしろ特殊機能の全てをパージすることで拡張領域が増加し、後付武装が多く持てる
ようになった。
そして機体の安定性は向上し、より運用面と信頼面が向上した実戦向きとなり、そう
いった意味で美味しい機体となったと言えるだろう。
﹁近接攻撃時、予測と実機に角度のズレ発生。 到達点にて四度ほどの誤差あり﹂
﹁射撃体勢時に反応の遅れあり、〇.一九二の遅延発生。 データ取得開始します﹂
4─1 FIF─P00X
200
﹁順次解析始めます﹂
政府の高官を背に緊張した面持ちだった開発主任だったが、入ってきた報告はテスト
段階において、充分許容範囲内の問題点だった。
現在搭乗中のパイロットが、モンド・グロッソ機動部門四位入賞者という経歴の持ち
主であり、これを基準に考えることは出来ないが。
﹂
?
ビット兵器と、機体各部をより効率的に、そして緻密に操作可能な脳波制御装置。
ドに任意変更可能な可変装甲。
特殊間接機構とそれを補助するナノマシン、後付武装と違い、戦闘中に超高機動モー
プトを持つ特殊装備。
量産型と違い、個人機にのみ付与される既存の各国第三世代型ISとは違ったコンセ
高官らの手に渡されている極秘資料。
て、本当に大丈夫なのかね
安定性をぶち壊しかねない技術だ。 世界に二人しか居ない貴重な人物をこれに乗せ
﹁しかし、これはこれでいいとして、この専用機に用いられる予定の新技術。 今のこの
れだけ高性能な機体を開発できるとは﹂
﹁それでいてラファール・リヴァイヴの性能は上回っている。 我がフィンランドでこ
﹁ふむ、細かい部品をデュノア社製に頼ることで信頼性、整備性、量産性も高い﹂
201
こと機動に関しては現存する第三世代を一世代分置き去りにしている。
その代償は││
﹁つい一週間前、貴重なパイロットを病院送りにしたのだ。 ことは慎重に運んでくれ﹂
﹁承 知 し て お り ま す。 先 日 の 事 故 原 因 と な っ た 瞬 時 加 速 の N 字 移 動 は、完 成 版 で は
セーフティーロックをかける予定です。 それにそもそもあれは現状小栗氏だけしか
使いこなせない専門装備ですので、あれならGも軽減できるでしょう﹂
そんな代物作ってどうする気だ﹂
?
完全完成には、まだほど遠い機体であった。
多くの視線を釘付けにする紅のラインが禍々しい漆黒の最新型、FIF│P00X。
これらを省いた機体は、目の前で華麗に標的を壊していくというのに。
機体を内部から守るためのナノマシン保護機構だが、反面外部衝撃に非常に弱い。
特殊間接機構にも問題が残っている。
こともままならない。
絶対防御、シールドエネルギーに守られてなお、特殊な耐G訓練を受けなければ乗る
パイロットが病院送りになった。
Ver.一.〇はパイロットにとんでもない高負荷を与え、初試験で企業に所属する
める装備を機体各所に散りばめたものがかね
﹁モンド・グロッソ機動部門四位の人物が匙を投げるほど操作性が悪く、繊細な動作を求
4─1 FIF─P00X
202
フィンランドで試作型が出来上がりつつある潤の専用機、そのパイロットは休日ト
レーニングルームに通っていた。
耐電訓練、耐G訓練、一体何に乗せる気なのか、付き添いの真耶も首をかしげる有様
しかも多少漏電するの
指定された訓練用電力をセットしている
?
である。
それ生徒を乗せて大丈夫な機体なの
ISにジェット機の様なGがかかるの 電気で動くの
?
?
けだ。
﹁小栗くん、どうですか
﹂
何やらフィンランドで人為事故が発生して、パイロットが入院したと聞いたがそれだ
間、心配そうに真耶が質問してきたが、あいにく潤も知らされていない。
?
Gの両方を実施する。
機体が届くまで毎日最低30分はやって下さいと言われたので、日曜日には耐電、耐
り付けて電気を流す。
パトリア・グループ特注品のISスーツ、その上から、地肌から多数のケーブルを張
﹁⋮⋮まぁ、充分耐えられる範囲ですね﹂
?
203
﹁そ、その、ですね⋮⋮。 質問して良いですか
んですか
﹂
わ、私、同じ位の年齢の異性とは、その、親しくなったことが無くて、よ
﹁お、男の人って⋮⋮、みんなこんな⋮⋮。 あ、アスリートのように鍛えているものな
答えると顔を赤くした真耶は、潤の背中やら肩やら腕やら腹を恐る恐る触りだした。
ほぼ全身に電気を流すので、全身から汗が出るから雑誌の類も持ち込めない。
この訓練は本当に暇で、電気が流れている間中、座っているしかない。
﹁訓練中は座っているだけですし、何でも聞いてください﹂
?
?
息が耳にあたってこそばゆい。
誘惑していたとか、そんなんじゃないですよ 私と小栗くんは教
﹁山田先生、近いです﹂
﹁ち、違いますよ
﹂
!
たい。
男に触られていい気はしない、かといって女性にペタペタ触られるのも何かくすぐっ
真耶の手があちこち移動する。
れている方だと思います﹂
﹁いや、人それぞれだと思いますよ 鍛え方から考えれば一夏くらいでも良く鍛錬さ
くわからないんです﹂
?
!
師と生徒なんですから
!
4─1 FIF─P00X
204
慌てて距離を放して弁解する真耶。
何時ものあたふたした子犬の様な姿、以前の話から腕利きらしいがその片鱗はいまだ
見えない。
翌日、何故か久しぶりに一人で起きた本音に感心した。
無人機事故、表向きは実験機暴走事故で本音と呼んだのを機に、名前で呼ぶことにな
りました。
なんでも﹃かなりん﹄と一緒に食べる約束をしているそうで。
今度から、いつも今日みたいに起きてくれれば嬉しいんだが、と眠い目を擦りつつ寝
巻のまま部屋を出ていく本音を見送った。
﹂
仕方なしに癒子とナギを待っていたら、癒子も相川なる人物と共に別のクラスの人と
食べるらしい。
噂がどうのこうのと言って朝早くに食堂に向かったらしい。
﹂
食堂で二人、何時もより静かに食べていたら女子に囲まれた。
﹂
﹁小栗くん、あの噂ホント
﹁噂
﹁今度の学年別個人トーナメントで優勝すると織斑くんと付き合えるって噂
!
?
!?
205
ナギと顔を見合わせる。
﹂
﹁織斑君より小栗君の方がいいって子もいるよー﹂
﹁物好きがいたものだな﹂
さて、どうしたものか。
﹂
噂ってそういうことか、そして癒子と本音は拡散しに行ったと。
何か知ってない
?
防いで正確なデータが取れるならば⋮⋮。
女子の純情を弄ぶようで嫌な感じもするが、この程度の安請負で相手が委縮するのを
つまり、その噂の真偽はともかく噂の成就はありえない。
でいる。
そして全力で戦えば、おそらくその教え子とやら以外に負ける要素は無いと潤は踏ん
専用機の完全完成には、全力のデータも必要。
力を出していい、と太鼓判を押されている。
した。 これで防御態勢も完全に整う﹄と言って次の学年別個人トーナメントからは全
まあ、今回は織斑先生の﹃ドイツ軍に所属して時の教え子を1組に迎え入れることに
?
何か、本音に伝達役をさせることに一抹の不安を感じる。
﹁同じ男の子でしょー
?
優勝したら何かしてくれたりしないの
﹁ところで小栗くんは
?
4─1 FIF─P00X
206
﹁優勝できるのなら、俺は構わない﹂
ナギの信じられないという目、そして食堂の一角がわいた。
﹂
と、いうことがあったのに、問題は教室で一夏と何でもない会話をしている時に判明
した。
﹁それで、昨日は何してたんだよ
で止めてほしいとのこと。
学園からの個人外出は、しっかりした教師陣のサポート体制と、潤の個人機の完成ま
可、らしい。
非常に残念そうだったが、生徒会のメンバー全員に用事があったとのことで外出不
練の為に固辞した。
一夏に日曜日、家に帰るついでに、町の案内や、馴染の食堂へ行こうと誘われたが、訓
﹁九Gって人間の限界だったっけか。 災難だったな﹂
い﹂
て大変だった。 部屋で説教はじめんな、素直に休ませろよ。 間接とか節々未だに痛
起きたら山田先生がわんわん泣いて謝ってきて、織斑先生から説教受けてまた泣き出し
を考慮したISスーツ着てたんだが不意に九Gまで上がったらしくて気絶してた。 ﹁昨日耐G訓練やったんだけど、どうやら山田先生が設定をミスったようでな。 耐G
?
207
流石に一夏には、こういう大人の事情は説明されてないらしい。
﹁そりゃ、そうだろう。 ││それはそうと、なんか校内が騒がしくないか
﹂
﹂
確かに﹃私が優勝したらつきあってもらう﹄って宣告された
﹁今度のトーナメント、優勝したら何かあるって話らしい﹂
﹁それって箒と俺の話か
既に、噂の元が大きく違っている。
﹁ちょっと待て。 箒と、お前が、なのか
けど﹂
?
制服を着ていたのだから。
なにせ、入ってきた転校生は、今まで二人しかいなかった男用にカスタマイズされた
目していた。
千冬が言っていた教え子到来か、と潤も注目していたが、別の意味でクラス全員が注
ホームルームが始まり開口一番、真耶が潤の入学当時と同様に言い放った。
﹁今日は、なんと、転校生を紹介します﹂
箒が優勝すると、一夏とつきあえる。 から、一番大事な﹃箒が﹄が抜けている。
?
?
?
す﹂
﹁男の子⋮⋮
﹂
﹁シャルル・デュノアです。 フランスから来ました。 皆さん、よろしくお願いしま
4─1 FIF─P00X
208
クラスは女子の歓声に包まれた。
人類三人目の男性IS適合者。
﹁ええ、僕と同じ境遇の男性の方が二人いると聞いて﹂
209
4│2 デュノア社の﹁
﹂
クラスメイトも、今までの男子二人とはタイプの違う三人目を大歓迎した。
入学式で窮屈な思いをした一夏は、三人目を歓迎した。
う。
成り行きを考えれば、三人目の男子のみ別のクラスという訳にはいかなかったのだろ
謎の男性転校生、シャルル・デュノア。
??
﹂
?
千冬は、一夏と潤に﹃男同士なんだから面倒を見てやれ﹄と言い残して教室から出て
そのままHRは終了。
一夏の席からでは見えなかった。
下着で訓練という言葉から﹃全裸で訓練する同僚﹄を連想した男が顔を顰めていたが、
どんな軍隊でも、下着で訓練させる所などあるはずもないだろうに。
相変わらず千冬の言動は、厳しさを増す一方である。
は水着で、それすら忘れたら下着で受けてもらう。 いいな
スーツが届くまでは学校で用意したISスーツを着用するように。 もし忘れた場合
﹁騒 ぐ な、静 か に し ろ。 今 日 か ら I S を 装 備 し て の 本 格 的 な 訓 練 を 行 う。 各 自 の
4─2 デュノア社の「??」
210
いった。
初めまして。 僕は││﹂
?
﹁えっ、ちょ、ちょっと
していく。
﹂
シューズケースの中から靴を取り出し、履きかえると第二アリーナに向かって歩き出
潤は何事もなかったかのように着地していた。
﹁⋮⋮嘘だぁ﹂
まるでコンビニに行ってくるといった気軽さで、校舎の窓から身を乗り出した。
大慌てで制止するシャルル。
!?
﹁俺は先に行っている﹂
そして、教室の窓から飛び降りる潤。
同じ男子やクラスメイトと言うだけでも、多少態度が違うというのに。
しかし、今日の潤は何時もよりそっけない対応だった。
気にしない。
潤は何故か転校生を睨み付けていたが、初対面の相手には距離を置く性格なので別段
﹁一夏、案内頼んだ﹂
﹁ああ、そういうのはいいからさっさと行こう。 女子が着替え始めるから﹂
﹁織斑君と小栗君だね
211
﹂
﹁そうだよな、普通そういう反応だよな﹂
﹁彼、いつも、ああなの
か
﹄なんて聞いてきたけど、そうだよな。 普通出来ないし、そういう反応になるよ
なんか話を聞いた別のクラスの女子が﹃男子ってみんなああいうことが出来るんです
﹁外で何かあるときは大抵ああやって飛び降りているよ。 俺も最初ビビった。
?
よって、偶然使われない更衣室を事前に把握し、そこで着替えることになっている。
S学園には男子更衣室がない。
基本的な施設は、ISが女子しか使えないという事が関係して半ば女子高であり、I
潤を見送って、シャルルの手を取って一夏が教室から出ていく。
な﹂
?
トイレか
﹂
?
﹁う、うん⋮⋮﹂
﹂
﹁妙に落ち着かなそうだな
﹁トイ⋮⋮っ違うよ
とりあえず階段を下りて一階へ。
﹁そうか。 それは何より﹂
!
?
ら実習の度にこの移動だから、早めに慣れてくれ﹂
﹁男子は空いているアリーナ更衣室で着替え。 今日は第二アリーナ更衣室。 これか
4─2 デュノア社の「??」
212
転校生発見
﹂
そろそろHRが終わる時間、早くしなければ││。
﹁ああ
!
が溢れ出した。
﹂
﹁黒髪もいいけど、金髪もイイ
手繋いでる
﹂
!
手
!
﹂
!
!
見て見て
!
﹁しかも瞳はエメラルド
!
﹂
!
一夏の顔から血の気が引いた。
教習が待っている。
おまけに次の授業は鬼教官が担当なので、遅刻したら潤すら疲労困憊になる特別追加
今ここで足を止めたら質問攻めになって遅刻するのは間違いない。
腐ってる、遅すぎたんだ。
年の薄い本は厚くなるわね
﹁織斑君を奪われたと思って嫉妬した小栗君に汚されるデュノア君⋮⋮。 グフフ、今
入って、クーデレの小栗君から素直なデュノア君に乗り換える織斑君﹂
﹁クール系の小栗君に迫る、ワイルド系織斑君。 しかし、そこに総受けのデュノア君が
﹁きゃああっ
﹂
悲しいことに時既に遅く、HRが終わって噂の転校生を見るべく出てきた生徒で廊下
﹁しかも織斑君と一緒
!
!
213
﹁なんとか振り切ったみたいだな﹂
﹁ごめんね、いきなり迷惑かけちゃって﹂
えるのは大歓迎だ﹂
﹁いいって、それより助かったよ。 今まで学園に俺と潤しかいなかったからな、男が増
ようやくたどり着いた第二アリーナ更衣室。
既に着替えを終えた潤が、更衣室で軽くストレッチ運動をしていた。
﹁なんか、潤のISスーツ随分ゴツくなったな。 肘とか膝とかサポーターまでついて
るし﹂
﹁専用機が相当なじゃじゃ馬らしくてな。 関節保護用にスーツから変えなきゃいけな
いらしい﹂
二人が握手するとき僅かな熱を感じたが、握手が終わる前に既に熱っぽさは消えたの
右手を差し出した潤と、何気なしにシャルルが手を握る。
﹁小栗潤。 潤でいい﹂
﹁うん。 よろしく一夏﹂
﹁これから宜しくな、俺は織斑一夏。 一夏って呼んでくれ﹂
ア、シャルルでいいよ﹂
﹁あ、そうだ。 自己紹介がまだだったね。 教室で言ったけど、僕はシャルル・デュノ
4─2 デュノア社の「??」
214
で気のせいにして頭の隅に追いやった。
シャルルの名字もデュノアだけど
﹁デュノア社、か⋮⋮﹂
﹁デュノア社
?
﹂
!
﹂
!
﹁お前もかよ
薄情だぞ、お前ら
﹂
!
哀れ、更衣室には一夏だけが取り残された。
!
﹁そうなんだ。 じゃ、一夏、お先に﹂
いい奴なんだ﹂
﹂
﹁人見知りとは違うんだけど初対面の奴にはちょっと厳しい奴なんだ。 でも潤も根は
に睨まれるんだけど、潤って﹂
﹁まあ、着やすいように工夫されて作られた、フルオーダー品だからね。 ところで、妙
﹁シャルル、って、お前も着替えるの早いな
シャルルは知らないかもしれないが、一組の担任は、それはもう時間にうるさい。
時計は八時四十三分。
﹁げ、ちょっと待ってくれよ
﹁何でもいいが、二人とも急げよ。 俺は先に行く﹂
業だと思う﹂
﹁父がデュノア社の社長をしているんだ。 たぶんフランスで一番大きいIS関係の企
?
215
直ぐに着替え、シャルルと潤を追った。
今日の授業は、教員と代表候補性の模擬戦と、専用機を持つ生徒の講義だった。
教員側から対戦相手に選ばれた真耶は、登場こそあれだったもののIS学園の教員の
レベルの高さを証明した。
訓練で生徒に九Gを体験させて気絶させたりした駄目先生ではなかった。
テンパって空中から落下し、一夏を巻き込んだとしても。
一夏の白式展開が間に合わなければ死人が出たとしてもだ。
﹁うう⋮⋮。 まさかこのわたくしが⋮⋮﹂
心なしか真耶の勇姿を見た千冬も、幾分誇らしそうだった。
をそらしている。
もし、白式を装備していなければ首か胴体が半分にされた攻撃もライフル二発で軌道
見せつけた。
不時着の際に一夏と痴情のもつれになって、鈴とセシリアが暴力をふるった際も力を
﹁いいいちかあああああ﹂
﹁外してしまいましたわ﹂
4─2 デュノア社の「??」
216
﹁あ、アンタねえ、何面白いように回避先読まれてんのよ
﹂
?
ションを今も発揮できればよかったのですわ
手を気遣う援護射撃をしなさいよ
﹂
あれは潤の相手に合わせる能力が高かっただけ アンタこそ、相
!
!
!
!
﹁お前ら馬鹿か。 き・ん・と・う、に分かれろ 授業を中断してロードレースに変更
セシリアと鈴には、全く人が寄り付かない。
の場所に集まる。
しかし、ほぼ全ての生徒が、一夏とシャルルの所と、二人に比べれば若干少ないが潤
千冬の言葉に従って生徒達がグループ別に分かれていく。
専用機持ちの織斑、オルコット、デュノア、鳳、小栗がリーダーだ。 では分かれろ﹂
﹁これでIS学園教員の実力も理解できただろう。 では、グループ実習を開始する。
なるケースもある。
先日の事件でも明らかであるが、二以上になることもあれば、最悪一人の方がマシに
い。
一と一を足して二になるという答えは簡単だが、こと人間の動作の連携には通用しな
なんというコンビネーションの悪さ。
!
﹁あ、あれは⋮⋮
﹂
﹁り、鈴さんこそ 無駄に衝撃砲を使って⋮⋮、それに先日の潤さんとのコンビネー
217
!
するぞ
﹂
!
!
!
!
それと、二組から二人。
﹂
私は相川清香
!
そして、一組の普段は喋らない二人。
﹂
﹁時たまジョギング中にすれ違うよね
スポーツ観戦とジョギングだよ
﹁よろしく﹂
!
よろしくお願いしますっ
?
ハンドボール部 趣味は
潤のグループには、本音、ナギ、癒子といった何時もの面々が集まっていた。
﹁⋮⋮なんか、随分見覚えのある面子だな﹂
よっ﹂
﹁デュノア君 わからないことがあったら何でも聞いてね ちなみに私はフリーだ
﹁凰さん、よろしくね。 後で織斑君と小栗君のどっちか紹介してよ﹂
﹁セシリアか⋮⋮。 さっきボロ負けしてたし。 はぁ﹂
﹁やった。 織斑君と同じ班だっ﹂
は別人の様な行動力でグループリーダー別に分かれた。
一喝、という言葉が似合うほどの迫力で指示され、無秩序に動いていた生徒は指示後
自分の浅慮に気付いたのか、面倒臭そうに千冬が怒鳴る。
!
﹁本音と仲いいよね
!
4─2 デュノア社の「??」
218
右手を出されたので握手する。
﹂
わ、私はいいんです
気にしないで、気にしないでください﹂
それを見て二組の二人も、自己紹介して握手を求めた。
﹁で、君は
﹁お、小栗くん
!
背の低い本音の後ろに隠れて、顔を見せない生徒。
﹂
私はかなりんでイイです
すまんが本名は
胸の付近を両手でかくして、顔を赤くしている。
﹁かなりん
﹁か、かなりんでイイです
!
?
﹃各班長は訓練機の装着を手伝ってあげてください。 午前中で動かすところまでやっ
班は打鉄を選択した。
班長が打鉄モドキを使っているので隣に並ぶと見栄えがいいから、という理由で潤の
一夏と潤、セシリアの班は打鉄、シャルルと鈴の班はリヴァイヴを選んだ。
各班は﹃打鉄﹄三機、﹃リヴァイヴ﹄二機の中から選んで実習に使うらしい。
い事だった。
何故ここまでシャイなのに、面識のない男子に教わろうとしたのかは彼女もわからな
!
?
﹁⋮⋮そうか﹂
﹂
﹁かなりんは、かなりんだよー。 恥ずかしがりやさん∼﹂
!?
?
219
てください﹄
﹁よし、順番に機動して歩行練習だ。 mkⅡでサポートするから安心して起動してく
れ﹂
女子同士で話し合って、出席番号順に練習を始めることが決まった。
今は三人目のナギ。
既に相川とかなりんは訓練を終えて、他の女子に色々聞かれては感想を話している。
リーダーといっても何もすることがないので、mkⅡを起動してホバリングしながら
横で動く。
﹂
﹁そう、そんな感じ。 基本的にISは人間の反応に少し遅れて動き出し、動作そのもの
は鋭敏に動くけど、ゆっくり動けば慣れていくと思う﹂
?
言い終わって装着解除する前に一夏のグループから、変な声が聞こえたので見たら、
﹁よし。 終わったらしゃがんで解除してくれ。 次の人が乗れなくなるから﹂
﹁その言い方わかりやすいかも﹂
﹃ズバッ﹄と動く感じかな﹂
足の先は少しの動作で思いのほか動くんだ。 簡単に言うと、﹃スッ﹄と動かすと割と
﹁反応が遅く動作が機敏の法則もあるし、僅かな動きでもセンサーが拾ってしまうから、
﹁この、走るように足を振り上げると転びそうになるのは
4─2 デュノア社の「??」
220
篠ノ之がお姫様抱っこされていた。
どうやら、訓練機を立ったまま装着解除したらしい。
﹂
あのままじゃ、次の人は踏み台が無いと装着しづらいので持ち運んだのだろう。
﹁⋮⋮しゃがめよ
﹂
!
﹄という圧力に根負けしたのは明白。
!
た。
班ごとに格納庫に集合。 では解散
!
﹂
﹁あ、僕は機体の微整備してから行くよ。 待ってなくてもいいから﹂
﹁よし、更衣室に着替えに行こうぜ二人共﹂
散した。
本当に時間ぎりぎりで機動訓練が終了し、各班は格納庫にISを移してグランドで解
!
﹁では、午前の実習はここまで
午後は今日使った訓練機の整備の授業を行うので、各
次の搭乗者の癒子が、ほんのり頬を染めて﹁お願いしまーす﹂と言って身を預けてき
強烈な視線、﹃私もアレされたい
ナギは潤の問いに笑顔で否定すると、立ったまま装着解除した。
﹁お断りします
?
221
﹁俺はデュノア社とパトリア・グループの取引のことで、シャルルに聞きたいことがあ
る。 長くなりそうだから待ってなくていいぞ﹂
妙な気迫に押されてか、一夏は更衣室に戻っていく。
僕は父の経営方針なんて知らないけど﹂
残された二人は、既に誰もいなくなった格納庫に足を運んだ。
﹁聞きたいことって何
必要だった。
腹部を殴られて呼吸が出来なくなった、そう気付くのにシャルルの頭では随分時間が
柔らかい物に鈍器がぶつかった様な音が格納庫に響き、シャルルの膝が床に就く。
何を聞くでもなく、潤はシャルルの近くによって、ほんの数瞬。
﹁││⋮⋮、ここなら誰も来ないか。 少々声が響くのが心配だが﹂
?
﹂
!
シャルルも訓練をつんでいるが、それでも赤子の手を捻るように簡単に床に倒れる。
抗議の声も空しく、ついていた膝を払われて床に転がる。
﹁な、何を││
それはまるで、悪魔のようで、明るい格納庫が今だけは暗く、冷たく感じるほどに。
冷酷で、冷静で、冷淡。
膝をついてむせ返るシャルルの目に写った潤は、一言で表せば﹃冷﹄だった。
﹁かはっ⋮⋮げほっ﹂
4─2 デュノア社の「??」
222
﹂
﹂
﹁こちらはお前の両手両足を自由にしてるだけでも充分譲歩している。 目的はなんだ
俺か一夏の暗殺か
?
﹁し、知らない。 僕は、知らない
?
リキリ吐け、女﹂
﹁悪いが、素人は黙せるかもしれないが、俺には性別や年齢の詐称は効かん。 黙ってキ
地べたを這いつくばって弁解するシャルルは次の言葉を聞いて凍りついた。
てやる﹂
﹁今、全てを話せば今後も暖かい寝床で寝られるし、食事も与える。 それは俺が保証し
!
223
4│3 デュノア社の野望
﹁それで男のつもりか女。 俺を舐めるな﹂
﹂
潤は自分から離れて臨戦態勢を整えたシャルルを、意外そうに眺めるだけだった。
ISスーツに隠されていた仕込みナイフを手にして刃を出す。
生として訓練していただけにすぐさま状況に対応した。
突然豹変した潤に、状況を上手く飲み込めずに当惑してシャルルだったが、代表候補
﹁⋮⋮平和ボケした奴らなんて簡単に騙せる、そんなの嘘じゃないか
!
なきゃいけないんだ
﹂
﹁悪いけど、僕はなりふり構ってられない。 デュノア社の為にも、君か一夏の情報を得
!
﹂
!?
り抜ける。
慌てて体を後方に下げ、ナイフを振り下ろすもなんとも無いと言わんばかりに潤はす
シャルルが気付いた時には、既に潤はナイフの間合いの中だった。
その言葉を最後、突如体を伸縮させた様に相手の懐に飛び込む。
﹁何か言った
﹁仕込みナイフ手にしただけで、随分な言い草だな﹂
4─3 デュノア社の野望
224
潤の頬を撫でる風に、シャルルが意外に鍛えられている事を知るが、流石に死線を潜
り抜けた戦争屋には劣っている。
振りぬいたシャルルの肘を右手で加速させ、体の向きを変えさせる。
ちょ⋮⋮﹂
これでシャルルは無防備な背中を潤にさらした。
る。
!
である。
殺る気満々で入隊してきた新兵のダンスの方が、よっぽどマシと思えるレベルの力量
そう感じ取った。
潤は床に転がる仕込みナイフを拾いつつ、ほんの僅かな手合いで相手の力量を評して
素人だ、こいつ。
﹁かはっ
はっ、はぁ、くぅ﹂
筋肉の薄い無防備な場所に、人体で最も固い肘や膝、踵が当たれば大の男でも悶絶す
どんなに屈強に鍛えようが、脇腹に肩や胸板の様な筋肉はつかない。
振り上げた足を利用して今度は踵を脇腹に向かわせる。
シャルルの顔が苦痛に歪み、呆気なくナイフは宙に舞った。
ナイフを握る手を蹴り上げる。
﹁え
!?
225
スパイの割に携帯している武器が、仕込みナイフ一つというのもいただけない。
胃袋の中に手榴弾を隠すとか。
指1つを作りものにして、爆弾にしておくとか。
体そのものに管を植え付けて、毒ガスをまき散らすとか。
ざっと考えてももっと有用な武器もあるし、何より武器を構えて使わないとはいただ
けない。
どんな行動をするか、どんな武器を持っているのか警戒して距離を取っておいたのが
馬鹿馬鹿しく感じる。
もし逆の立場だったら、ナイフを出した瞬間に接近して手足の健のどこかにナイフを
突き立てた。
そう物騒な事を考えながら、未だに痛みから呼吸を整えられないシャルルに近寄る。
﹁う、ひっく⋮⋮い、痛いの、痛いのやだぁ⋮⋮﹂
仕込みナイフが、親指の爪にあたった時、シャルルの理性は限界を迎えた。
た。
シャルルから見た潤の瞳は、まるでほの暗い水の底の様な色で、まさに悪意の塊だっ
口から洩れる残虐非道の言葉にシャルルが肩を震わせる。
﹁今から生爪を一つずつ剥がしてやる。 何個目で協力的になるか見ものだな﹂
4─3 デュノア社の野望
226
﹁はぁ
﹂
?
﹂
!
﹂
?
そして、感情取得⋮⋮ほ、本気でビビってやがる。
年齢、性別、体重、身長、血液型、etc、etc⋮⋮。
ダウンロード開始
く禁じ手だが、どうも本職に見えないシャルルに困惑する。
人体への直接的なダウンロードは、複雑な感情をも読み取ってしまうので負荷が大き
シャルルの肩に手をかける。
きたのか。
まさかまさか、本当に素人だったのか、デュノア社はこんな素人を男装させて送って
⋮⋮だ、ダウンロードしてみるか。
泣き叫んでシャルルが否定する。
﹁君にだけは言われたくないよぉ
﹁なんなんだお前。 頭おかしいんじゃないか
丸まって泣き出すシャルルを見て、殺意で蓋をした心から、平常心が見え隠れする。
││幼児退行おこしやがった。
﹁⋮⋮まさか本当に毛が生えただけの素人に男装させただけかよ﹂
﹁やだよぉ。 痛いのやだよぉ。 ママ、助けてぇ﹂
227
﹁IS学園に男だと隠し通して入学させるバックがいて、妙に男装が上手かったことか
ら、俺はてっきりお前がしっかりした組織のプロだと思っていたんだが⋮⋮。 その様
子じゃあ、違うみたいだな﹂
﹁⋮⋮違うもん、刺客とかじゃないもん﹂
﹂
﹂
﹁じゃあ、話してくれるか。 素直に言ってくれれば、俺は危害を加えたりはしない﹂
シャルルはデュノア社の社長の愛人の子らしい。
名家の長ならば妾や愛人などを囲うなど普通のことだし、本家の妻が愛人の子を嫉妬
割と普通でよくある話である。
潤の感覚からすれば、生贄として生まれて、部屋から出ることもなく死んだ、なんて
もっと酷かったり悲惨だったりした奴等も潤は見てきている。
それは一向に構わない。
母が亡くなって、その時にデュノア社の者がやってきて初めて知ったそうだ。
?
?
﹁⋮⋮うん﹂
お前とデュノア社の関係は
﹁まず、はっきりさせたいが、お前はデュノア社のスパイ、これはこれでいいのか
黒幕は誰だ
?
﹁うん⋮⋮﹂
?
床に座りながら、デュノアはポツポツ自分の身の上話をし始めた。
﹁デュノア社から何を言われた
4─3 デュノア社の野望
228
に狂って殺すことなんて日常茶飯事過ぎて、言ってしまえば﹃ふーん﹄で済んでしまう。
それから少し経って、デュノア社は経営危機に陥った。
第 二 世 代 最 後 発 の デ ュ ノ ア 社 は 資 本 力 の 少 な さ か ら 第 三 世 代 の 開 発 が 遅 れ て お り、
データも資金も時間もノウハウも無い。
欧州連合の防衛統合計画﹃イグニッション・プラン﹄から徐々に引き離されており、こ
のままでは政府からの新世代開発支援金を打ち切られるとのこと。
そして、後のないデュノア社に止めを刺した企業がある。
フィンランドの大企業、ISのシステム、装備などで名を挙げていた企業がイグニッ
ション・プランへ参戦したこと。
小栗潤の専用機を開発している、﹃パトリア・グループ﹄である。
を悩ませた最大の原因は⋮⋮﹂
レードしたっていうのに機体の性能全てが完璧に近いんだ。 そしてデュノア社が頭
代型兵器を搭載可能して、なお余りある大容量のバススロット。 しかも、ダウング
ラ﹄。 おそらく潤の特殊装備を取り除いたダウングレード機体だけど、国別の第三世
﹁パトリア・グループが九月から市場に出すと発表した﹃FIF│PM01﹄、﹃カレワ
﹁ああ﹂
﹁IS関連の技術は開示する、その話は知っているよね﹂
229
﹁あれが、ラファール・リヴァイヴの完全上位互換であること﹂
﹁そうなんだ。 あれはデュノア社の部品をライセンス生産すれば簡単に量産できる。
機体をライセンス生産するよりも、よっぽど安く済むから機体のコストも段違い。 そして、リヴァイヴと同等の安定性と汎用性を兼ね揃え、機動性は第三世代機を脅かす
ほど凄い。 もうどうしようもないね﹂
あれが完成した日には、デュノア社は政府の支援を打ち切られる。そう言ってシャル
ルは愛想笑いをした。
そこで、第三世代の実験場とかすIS学園に機体情報を得るために送られたのだろ
う。
一夏と潤、白式と近々の内に来るであろうパトリア・グループが送り出す﹃本命﹄の
情報を得るために。
潤の考えは、シャルルの話とは違った見解に行き着いた。
情報を集めて考える。
﹁騙してごめん。 でも話したら楽になったよ﹂
﹁そうか﹂
れるかな﹂
﹁とまあ、そんなところかな。 でも、もうバレちゃったしね。 きっと本国に呼び戻さ
4─3 デュノア社の野望
230
恐らくデュノア社の真の狙いは、データや白式ではない。
ならば││。
﹂
?
﹂
?
各々昼食をとって、午後は午前中に使った機体のメンテナンスの授業だった。
恐らくそれは、⋮⋮一夏そのもの、というより一夏の遺伝子だ。
デュノア社の本当の狙い。
心の中で潤が、﹃そんなだから利用されるだけなんだ﹄と呆れているのも知らずに。
シャルルは呆気にとられた表情で潤についていく。
﹁う、うん﹂
てやる。 さ、着替えて飯を食いに行こうか﹂
﹁一夏の情報を盗む程度なら俺は気にしない。 俺に何かあるなら普通に頼めば協力し
﹁え、ええっと⋮⋮、いいの
三人目の男、﹃シャルル・デュノア﹄だ﹂
﹁聞かなかったことにしておいてやると言った。 お前は今までどおりクラスメイト、
﹁⋮⋮え
﹁聞かなかったことにしてやる﹂
231
3年が今度行われるトーナメントに備えて機体の全整備を行うとのことで専用の工
具が少なく、二、二、一に別れて工具を共有することになった。
﹁ん﹂
﹁ん﹂
鈴に工具を手渡し、潤は先ほどのシャルルの話を考える。
マルチタスクという技術を有しているので、班に整備の話をしつつ、作業をするくら
いできる。
シャルルの話が全て本当だというのであれば、社長はシャルルが女だという事実を隠
し通せると判断した、ということになる。
そこが最もありえない。
素人目で見てもシャルルは女性よりの体と顔をしている。
もしも、潤がエルファウスト王国の特殊部隊に所属していた時に同様の任務を受け、
シャルルに性別を偽ってスパイとして送り込むならもっと色々やった。
頬骨を砕き、顔の皮や脂肪を削ぎ落とし、新たに男らしい顔を作成して貼り付ける。
胸部に脂肪を削って、ドーピングして胸板を作って男らしい体つきを作る。
女性器を取り除いて男性器を付ける程度、何の感慨もなくやっておいただろう。
﹁ん﹂︵返せ、的ニュアンス︶
4─3 デュノア社の野望
232
﹁ん
﹂︵何を、的ニュアンス︶
?
秋や冬ならまだ分かる。
なぜ薄着になりだすこの季節に、身体を隠さねばならない人間を送り出すのか。
れば薄着になって秘密が露呈する可能性はもっと高まる。
ルームメイトにでもなれば、女だとバレるのは時間の問題で、季節が本格的に夏とな
か、と潤の考えはそこに行き着いた。
つまり、女だとバレてもいい、もしくはバレるからこそ出来る行動があるのではない
事な狙いがある可能性が浮かび上がる。
そのありえない行動から、本来女であるシャルルが男として情報を得るよりも他に大
る。
プロを雇うでもなく、直ぐにでもバレそうな変装をし、社運をかけたギャンブルをす
する状況にも関わらずゴーサインを出した。
デュノア社は素人同然のシャルルを急増のスパイに仕立て上げ、バレれば社命を左右
何故か周囲の視線が集まっているが、何か可笑しいところがあっただろうか。
鈴に声をかけて、貸していた工具を受け取って整備を進める。
﹁ん﹂︵ハイよ、的ニュアンス︶
﹁ん﹂︵さっき渡したの、的ニュアンス︶
233
つまり、隠す気は毛頭無いとでもいうのだろうか。
と、なると、ルームメイトに女だとバレるのが、デュノアの父親の最初の目的。
潤は学園側からほぼ二十四時間監視を受けているので、外部から手を出しにくい状況
が完成されている。
しかし、一夏はそこまで監視が強くなく、もし第三の男が出てくれば付け入る隙があ
る。
しかもフランス代表候補生として身分がしっかりしているのであれば、一夏のルーム
メイトはシャルルになる可能性は多いにあるだろう。
﹁ねぇ、一夏。 さっきから、潤と隣のツインテールの女の子とが﹃ん﹄だけで会話して
るんだけど﹂
何時か露呈するシャルルが女という真実。
はデュノア社の狙いだけだった。
周囲の生徒から驚愕の目で見られていることなど意に介さず、潤の頭の中を占めるの
た。
シャルルと合同で整備する一夏の視線の先には、ニュアンスだけで会話する二人がい
とびっくりするぜ﹂
﹁なんか知らないけど、あの二人すげぇ仲いいんだよ。 コンビネーション見たらもっ
4─3 デュノア社の野望
234
235
その時、一般的男性ならどうするか。
先に騙していたのは女で、秘密を握っているのは男。
二人は傍から見れば男同士、しかも秘密を一方的に男が握っている状態で同棲生活を
していくことになる。
シャルルの顔と、体つきは、中々悪くない。
下種な男なら秘密を武器に一方的に、一般的な男でもシャルルと同棲を続けていけ
ば、何かの拍子で肌を重ねる事もありえなくない。
デュノア社の本当の狙いは一夏そのもの。
シャルルはいい時に湧いてきた適齢の生贄。
恋人として紹介してくれるのが最高の形。
その後に事が露呈しても、社長の令嬢に手を出したとなれば自陣営に引き込むことは
容易いだろう。
﹄とでも言えば笑いが止まらない
何しろ世間は女性有利の色を強めており、いくら伝説を残している千冬の弟としても
責任くらい背負わせることができる。
シャルルが一夏を庇って﹃僕たちは本気なんです
!
だろう。
自分なら酒の肴にして、大笑いしながらスコッチ三本くらい開けられる。
令嬢とその恋人を保護するという分かりやすい名分を掲げ、自社で保護している間に
シャルルが子供を身ごもってくれれば計画は完了する。
夫婦の寝室に入り込めば、コンドームの中にある精液を調べることもできる。
会社の後継者として専門的教育をするとでも言い繕って子供を確保、人目から遠ざけ
てモルモットにすることも出来るだろう。
ISの適性が遺伝するのであれば、男性で動かせる一夏と、適性の高いシャルルの子
供ならば、男でも動かせるかもしれない。
こう考えれば、女だとバレても何も問題なんてない。
むしろ一夏に対してさっさとバレてしまった方がいい。
﹂
?
この世界の暗部がどう動くかわからない以上、表側の束縛は強くなればなる程いい。
汚いかもしれないが、一夏に降りかかる問題で、潤はより大事に扱われるだろう。
そして潤は、それを黙認した。
﹁いや、何も⋮⋮﹂
﹁なんか言った
﹁⋮⋮自分の汚さが嫌になるな﹂
4─3 デュノア社の野望
236
237
強すぎれば問題だが、犬を飼うくらいの束縛は潤を守ってくれる鎖になる。
一夏の危険と、自分の安寧。
天秤にかけて自分をとり、一夏を見捨てる選択を取ってしまう自分の思考。
そこに自己嫌悪して苛まれるのは、潤がまだ暗闇に染まりきっていないからかもしれ
ない。
4│4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
﹁え、えーと、今日も、転校生を紹介します﹂
シャルル・デュノア入学の翌日。
本日も再びホームルームが始まっての開口一番は、真耶の転校生入学の知らせだっ
た。
前日シャルルの入学があったばかりで、その翌日に新しく1人追加。
普通そういうのは散らすだろうとか考えているだろう。
裏の事情を知っているのは、教師二人、潤と本音ぐらいである。
クラスに入ってきた生徒を見て、クラスのざわつきが止まる。
輝くような長い銀髪。
左目の眼帯。
何物をも拒絶するかのように冷たい右目の赤色。
近寄りがたい雰囲気はあるが、その独特な雰囲気や姿勢は軍人のものであると、クラ
スの何人かは気付いた。
﹁⋮⋮挨拶をしろ、ラウラ﹂
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
238
﹁了解しました、教官﹂
﹁ここではそう呼ぶな。 私のことは織斑先生と呼べ。 いいな
﹁はい、先生﹂
﹁以上だ﹂
﹁あ、あの、以上⋮⋮ですか
﹂
それ以外に続く言葉は無く、沈黙が訪れる。
﹁ラウラ・ボーデヴィッヒだ﹂
教室の女子たちを下らなそうに見て、ひと言。
﹂
そう答えるラウラと呼ばれる小柄な少女は、背筋を正したまま教室を一望した。
?
その頬を叩く。
﹂
と、そこから今までの無表情が嘘のように激高した表情を見せ、一夏の正面に立つと
一夏の自己紹介の時以上の重たい空気が教室を支配していた。
あっさり切り捨てられた。
出 来 る 限 り の 笑 み を 浮 か べ て、教 室 の 空 気 を 変 え る べ く 話 し か け た 真 耶 だ っ た が、
?
に向かう。
当然一夏は抗議の声を上げたが答えることもなく、来たとき同様黙って空いている席
﹁私は認めない。 貴様があの人の弟であるなど、認めるものか⋮⋮
!
239
席はクラス最後尾の廊下側。
隣には誰もおらず、潤の真後ろである。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
何を思ったのか、潤の前で足を止めるラウラ。
﹂
今度は潤とにらみ合う形になる。
﹁あ、あの、ボーデヴィッヒさん
だった。
一夏の時と同じく剣呑な雰囲気を気遣って声を掛けるが、二人は静かに睨み合うだけ
?
恩師の頼みであれば、と頼みごとを意気揚々と承諾し、レーゲン型のテストと名分も
ラウラは恩師である教官の、ちょっとした頼みごとを聞いて入学してきた。
有利。
六:四でほぼ互角、ラウラの知識が及ばない魔法の概念を加味すれば七:三ほどで潤
お互いの戦力分析は、大筋今の段階で例外を除いて一致している。
何が共鳴したのか分からなかったが、二人は冷笑を浮かべて視線を外した。
﹁お互い様だ﹂
﹁⋮⋮成程、本物だ。 教官が一目置くだけのことはある﹂
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
240
整えてある。
その本筋のお願いが﹃男子二人を外部の圧力から守るため﹄等という、拍子抜けする
内容ではあったが。
しかし、ドイツに教官を連れ戻すためならその程度なんとも思わない。
それに、IS配備特殊部隊﹃シュヴァルツェ・ハーゼ﹄隊長として興味深い対象もい
る。
結局、小栗潤はその明るい将来性を顕著に表したものの、接近することなく敗北に終
経験の差からか、徐々に押されだす打鉄を見て感想をもらす。
画面を見る二人、ラウラと副隊長のクラリッサ・ハルフォーフ。
﹃ああ、私ならあの程度の攻撃を掠ったりはしない﹄
﹃しかし、未熟さは感じますね﹄
だが、この小栗潤はISの特殊部隊隊長から見てもハイレベルな技術を有している。
後まで見なかった。
織斑一夏の映像は、本職からすればストレスがたまるほど覚束ない戦いだったので最
画面には四月上旬のセシリア・オルコットとの戦闘が映されている。
﹃ほう、我がシュヴァルツェ・ハーゼに入隊してもやっていけそうな機動制御だな﹄
241
わった。
しかし││何か頭に引っ掛かりを感じる。
ラウラの闘争本能が、潤の機動を見て何かを訴えかけている。
﹄
もう一度最初から戦闘を見返す。
﹄
﹃なんだ、この違和感はなんだ
﹃隊長
?
してくれ﹄
!
!
ブルー・ティアーズが右手の先端に命中した場面を、軍の超高性能カメラで再生して
﹃了解﹄
今の場面で停止 着弾点を拡大して、コマ表示のままゆっくり動か
眼帯で保護している。
しかし、制御に失敗してセンサーは常時稼働され、日頃の生活に支障をきたすために
ものだった。
擬似ハイパーセンサーが移植された瞳は、常人には到達できない動体視力を約束する
ヴォーダン・オージェ。
その瞳は、右目の赤色と違い、金色に瞳が輝いていた。
もどかしくなって、左目の眼帯を外す。
?
﹃クラリッサ
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
242
いく。
そして、浮かび上がった真実││
﹃これは⋮⋮どういう事でしょうか
﹄
﹃高速戦闘中に一、二㎝単位の精密動作をしていた、そうおっしゃるつもりですか
今度は部隊のメンバーを集め、着弾点を拡大したものを集計していく。
﹃映像を見る限りそう判断せざるをえん﹄
﹃この男はこのライミーに花を持たせるために接待していたのか
航空機事故、今回の精密動作。
次々と小栗潤に関するデータを表示させる。
るという事か﹄
﹄
﹄
﹃ふむ、男がISを動かした、等というイレギュラーが起こって教官も対応に追われてい
ならば、代表候補生の立場を守るための指示をしたかもしれません﹄
﹃もし小栗潤にこの精密機動制御が可能だと判断できる材料を織斑元教官が持っている
?
起こっていた。
この妙な調節はラウラの見つけた一度きりではなく、戦闘中に何度かそういう現象が
?
当たるように微調整して﹄
﹃回避したのにも関わらず、再び当たる様に元の位置に戻している。 しかもギリギリ
?
243
ルームメイトが暗部との繋がりが深い人物の関係者だけあって、直接的な監視が出来
ないがこれだけの情報でもわかることがある。
シャルルは怖がりながらも隠し事をしなくてもいい気軽さから、割と潤と行動を共に
シャルル、セシリア、鈴、箒、一夏、潤。
潤や一夏と共に実習に参加した面子は六人。
に充てている。
とはいえ休みを取る生徒は少なく、アリーナが解放されているので殆どの生徒が実習
IS学園は土曜日でも授業はあるが、午前の理論学習が終われば午後は自由時間。
シャルルとラウラが入学してから、もう直ぐで週が変わろうとしている。
データよりも、自分の身で感じた強さの方がデータとして相応しい。
ラウラは教官以外に目的などない筈だったIS学園に、二つ目の目標を見つけた。
だ。
兵器たるISをファッションと同列に考えている連中と違って、この男は楽しめそう
軍人としてのプロ意識、エリート意識の強さ、その全てをぶつけてもいい相手。
﹃強いな。 この男﹄
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
244
することが多くなった。
当然シャルルと同室の一夏も行動を共にするので、鈴やらセシリアやら箒やらも加
わって共に行動するメンバーがだいぶ増えた。
専用機持ちなので模擬戦を行うのも早くて助かる。
勝者、小栗潤﹄
大分人数が居るので、空中で軽い手合せを行う程度の模擬戦でさえ、順番待ちという
有様だが。
﹃試合終了
だからな
﹂
﹁相手が武器を出した瞬間に、その特性、レンジ、弾道の予測ができて﹃分かっている﹄
﹁うぅん、分かっているつもりだったんだが﹂
﹁つまりね、一夏が勝てないのは、単純に相手の武装特性を把握してないからだよ﹂
空中から一夏と潤が、ゆっくりシャルルの元に降りていく。
すれ違いざまにブレードで払い落とす、なんて学生レベルじゃ普通出来ないからね﹂
﹁尤もな意見だけど、瞬時加速で接近してくる一夏に対して、自分も瞬時加速で接近して
駆け引きを覚えろ﹂
﹁織斑先生も言っていたが、瞬時加速が戦い慣れている相手に通用するのは一回限りだ。
﹁く、なんなんだよ、その命中精度﹂
!
245
?
﹁ま、マジか。 そういえばシャルルの射撃、潤には防がれてばかりだからなぁ﹂
﹁相手の軌道予測先を狙い撃つのみでは不合格なんだ。 相手を自分の予測通りに回避
運動させて、相手の動きを支配できるようにならなくてはな﹂
﹁潤、それ本気で言ってるの デュノア社お抱えの選りすぐりでも出来なさそうなん
だけど⋮⋮﹂
射出されるライフルの弾を、ブレード二本で全弾叩き落とされもすれば驚愕もする。
ようがない。
始めて潤と戦闘して、その熟練の深さを目の当たりにしたシャルルの驚きは形容のし
しながら実力を出しつつある。
ラウラの来校によって楔から解き放たれた潤は、代表候補生が理解可能な範疇を維持
一夏から見た潤の射撃、近接の成長速度がおかしい。
これまで何度か仲間内で模擬戦を繰り返しているが、一夏の勝率は著しくない。
?
?
じゃ勝てないよ。 特に一夏の瞬時加速って直線的だから反応できなくても弾道予測
﹁一夏のISは近接格闘オンリーだから、より深く射撃武器の特性を把握しないと対戦
﹁う⋮⋮確かに。瞬時加速も読まれてたな、そういえば﹂
ても良かったんだけど﹂
﹁うーん、知識として知っているだけって感じかな 僕と戦った時、もう少し避けられ
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
246
で攻撃できちゃうからね﹂
﹂
骨折する ││N字瞬時加速可能ってフィンランドの連中本当にISを作っ
ているのか
?
?
まだ一回しか戦ってないよね
しかもノー・ダメージだったんじゃ⋮⋮、っ
?
?
﹁そ う だ な。 俺 も 結 構 潤 と 一 緒 に メ ン テ ナ ン ス し て る ぞ。 俺 よ り 回 数 多 い く ら い
じて行っているし、各ダメージデータもパトリア・グループに提出している﹂
﹁馬鹿にする。 メンテナンスは毎日やっている。 勿論部品の交換も、ダメージに応
じゃあ﹂
て、本当だ。 潤、ちゃんとメンテナンスしてる せっかくの専用機が泣くよ、これ
﹁え
?
﹁ああ、俺は⋮⋮。 いや││駄目だ。 メンテナンスする﹂
﹁よし、潤。 俺ともう一回戦ってくれよ。 なんか掴めそうだ﹂
そう言った目の隈の酷い技術者の顔がサムズアップして目に浮かぶ。
ドヤ顔で、N字を描くように鋭角に向かって方向転換可能な状態になる。
?
﹁ん
﹁なるほど、ね﹂
か圧力の関係で機体に負荷がかかると、最悪の場合骨折したりするからね﹂
﹁あ、でも瞬時加速中はあんまり無理に軌道を変えたりしない方がいいよ。空気抵抗と
﹁直線的か⋮⋮﹂
247
じゃないか
﹁昨日
﹂
﹁昨日﹂
﹂
﹁この前メンテナンスしたの何時
﹂
二人の目に映るのは、機体各所に記される﹃要交換﹄のメッセージだった。
ついでに一夏も覗き込んできた。
シャルロットが打鉄・カスタム・mkⅡのコンソールデータを覗き込む。
?
?
よ﹂
﹁⋮⋮ 姿 勢 制 御 ス ラ ス タ ー 吹 か せ て マ シ ン ガ ン の 弾 を 叩 き 落 し た り な ん て す る か ら だ
﹁俺も一緒だったから間違いないぜ﹂
!?
仕方が無いので、潤は暫く休憩。
ど﹂
﹁いやはや、潤の伸びしろって、ほんとに凄いんだね。 飛行機事故でもそう思ったけ
で機体がガタガタになる。 これでも機体に気を使っているつもりなんだけどな﹂
トの力加減をパーツの消耗度で算出する﹄なんだから、まともに動かそうとすると操縦
﹁幾ら整備しても、カスタム・mkⅡのコンセプトが、﹃わざと操縦性を下げ、パイロッ
﹁いや、俺の白式を力勝負で叩き落すからだ。 きっとそうだ﹂
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
248
シャルロットと一夏が訓練を開始する。
男子三人で訓練しているこの状況に、一夏も遠慮なく質問出来るのか、物事をドンド
ン吸収していった。
どかんっ
という感
なにせ、シャルルがいない場合に積極的に指導してくれる、一夏のコーチ達は本当に
酷い。
篠ノ之箒の場合、
﹃こう、ずばーっとやってから、がきんっ
感覚よ感覚。 ⋮⋮はあ なんで
!
?
じだ﹄、そも説明になってない。
凰鈴音の場合、﹃なんとなくわかるでしょ
わかんないのよバカ﹄、上に同じく。
!
教えてやる﹄、質問できない。
﹄
まあいいか、来いよ、実践で
それに対する一夏の返答、﹃率直に言わせてもらう。 全然わからん
?
この一夏の反応に対し、異論を唱えられる者が何人いるだろうか。
﹁あんなにわかりやすく教えてやったのに、なによ﹂
!
小栗潤の場合、
﹃鈴に教えてもらえ。 ⋮⋮俺がいい
時は後方へ二十度反転ですわ﹄、理論的すぎて素人にはわからない。
セシリア・オルコットの場合、
﹃防御の時は右半身を斜め上前方へ五度傾けて、回避の
?
﹁ふん。 私のアドバイスをちゃんと聞かないからだ﹂
249
﹁わたくしの理路整然とした説明の何が不満だというのかしら﹂
﹁なあ、鈴﹂
暇になったので、少し離れていたツインテールの元に向かう潤。
﹁なによ﹂
ついつい、鈴に対して口が出てしまう。
呼びかけに応じた鈴に釣られて、他二人の目が潤に突き刺さる。
﹂
彼女たちの元々の視線は、訓練と称してシャルルと射撃姿勢を指導されている一夏の
姿
があった。
﹂
﹁なななな、何を言ってるのか、全っ然っわかんないね
?
し一夏が日本に昔いた大和撫子が好みだったらどうするんだ。 今の時点で完全に脈
れており、それはただの暴力だ。 照れ隠しでも限度というものがある。 それに、も
奴にも多大な問題があるのだろうが、ISで攻撃したりするのは恋愛の要素からかけ離
恋愛というのは須らく相手がいるものだ。 お前は一体一夏をどうしたいんだ。 から喋るのは全部独り言だ﹂
﹁隠しきれてないぞ。 照れ隠ししたいのなら、面と向かってはやめよう。 ││これ
!
﹁何故シャルルにまで嫉妬しているんだ
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
250
記憶喪失と聞いているが、実際記憶はあるのだろう
﹂
なしじゃないか。 自分の魅力に気づいて欲しいというのは女性の性かもしれないが、
相手の好みを知ることをしないというのはどうかと思う。
一夏の好みについては大丈夫。
何故
﹁恋人でもいたのか
﹂
﹁と、ところで何故潤さんは、そんなに恋愛ごとに関して具体的に話せますの
鈴の春は遠そうである。
しかし、こっちの世界では普通に犯罪なのではないか。
異世界では、貴人の血を濃くするために希に兄妹で結婚する場合もあった。
﹁真性のシスコンだったのか⋮⋮﹂
一夏の好みは千冬さんだから。
?
?
など経験したこともない。
そして、急に興味津々に身を乗り出した箒も、ISを実の姉が開発した影響から恋愛
験したことがないからだ。
一夏に対して、普段通りのお嬢様然とした態度が取れないのも男子の取り合いなど経
抱えている。
セシリアはちょっと面白くない家庭の事情から、男女の在り方について複雑な心境を
?
?
251
﹁いたが、それがどうした﹂
﹁何が﹃それがどうした﹄よ。 初恋の相手からは裏切られて死にかけた挙句、次の恋人
﹂
には死別されて女運最悪だったくせに﹂
﹁⋮⋮は
﹁││あれ
﹂
﹁鈴さん、何を急に﹂
?
た。
黙れ淫売。 その台詞をなんとか飲み込んで潤が視線を混乱する鈴に向ける。
縋るような視線を向けられる潤。
彼から帰ってきた言葉は少なかった。
?
できた。
偶然ISを展開したままだった潤には、ハイパーセンサーよってその声を拾うことが
わつき始める。
と、鈴ではなく、鈴越しにリリムに対して世間話をしていると、俄かにアリーナがざ
﹁女運最悪だったのは、それは主にお前のせいだ﹂
﹂
セシリアと箒が目を見開いていることで、ようやく鈴は自分の言葉の奇妙さに気付い
?
﹁あ、い、いや違うって。 潤に聞いたことがあった様な気がして。 ね、そうでしょ
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
252
﹁ねえ、ちょっとアレ⋮⋮﹂
﹁ウソっ、ドイツの第三世代機じゃない﹂
﹁まだ本国でのトライアル段階って聞いてたけど⋮⋮﹂
ドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒ。
転校初日に潤と少しばかり会話して以降も、誰ともつるもうともしない孤高の女子。
﹂
その少しばかりの会話で、クラスで一番ラウラと会話したのが潤になる位誰とも喋ら
ない。
﹁貴様も専用機持ちだそうだな。 ならば話が早い。 私と戦え
﹁イヤだ。 理由がねえよ﹂
﹁貴様にはなくても、私にはある﹂
通常一秒、二秒かかる量子構成をほぼ瞬間的に終えている。
た。
周囲はいきなり発砲したラウラに驚いたが、当事者の一夏は別のところに驚いてい
がシールドを呼び出し防御した。
そう幾らかの問答の後に、突如ドイツの黒いISが射撃体制に入り、同時にデュノア
﹁なら││﹂
﹁今でなくていいだろ、もうすぐクラスリーグマッチなんだから、その時で﹂
!
253
シャルルの専用機は、第二世代型IS﹃ラファール・リヴァイヴ・カスタムII﹄。
何故か代表候補生なのに第三世代でもなく量産機のカスタム機なのか。
豊富なバススロット、大量に量子変換してある武装や弾薬、それらをシャルルが十全
に使いこなせているからと納得した。
何をやっている
﹄
一夏を背に、ラウラとシャルルが睨み合う。
!
!
興が削がれたのか、ラウラは呆気なくアリーナから去っていった。
騒ぎを聞きつけて来たであろう教師が、スピーカーで割って入る。
﹃そこの生徒
4─4 ラウラ・ボーデヴィッヒ
254
4│5 高みを行く者
放課後十六時を回ってアリーナは閉館時間を迎えた。
更衣室に戻って当然のごとく着替え始めるが、シャルは女なので肌を見せたくないよ
うだ。
﹂
﹂
やっぱりなんだかんだ理由を付けて、着替えは別で行っている。
﹁偶には一緒に着替えようぜ﹂
﹁い、イヤ﹂
﹁つれないことを言うなよ﹂
﹁つれないっていうか、どうして一夏は僕と着替えたいの
こいつホモなんだろうか、潤の疑惑は入学当初まで遡る。
﹁というか、なんでシャルルは俺たちと着替えたがらないんだ
家族が姉だけという生活も関わっているかもしれない。
案外男同士の友情というものをそう解釈しているだけかもしれないし、父親が不在で
たり、一夏ホモ説は要検証という事で。
人の腹筋を見て触っていいか等と尋ねたり、なぜか着替えをジロジロ見て感想を述べ
?
?
255
〝潤、なんとかしてよ〟、〝まあ、事情を知っている側からすれば、だな〟、〟あり
がとう〟、〟いいってことよ〟。
交わされるシャルルと潤の目線。
﹁そこまでにしておけよ﹂
シャルルに近寄った一夏を、寸での所で後ろ髪を掴んで止まらせる。
﹁ぐえっ﹂
その隙にシャルルは部屋に戻っていった。
﹂
洗面所なら鍵もかけられるし、シャワーも浴びられるだろう。
﹁何すんだよ
ロイドを他人に見せたくないといった心理的障害があったらどうする﹂
﹁お前こそデリカシーを覚えろ。 もしシャルルが手術の傷跡や、火傷の色素沈着やケ
!
精神的な共感を得ることも出来るし、肉体的な体感も直感的に理解できてしまう。
それは人の魂や肉体に関する能力であるが、この能力は人間に干渉し過ぎる。
潤の用いるダウンロードの、本流にあたる魂魄の力。
とさして変わらないぞ﹂
﹁ならせめてシャルルの口から語られるまで待て。 人の心にズケズケと入るのは凌辱
﹁そういうのを互いに許し合えるというのも友情の形だろ﹂
4─5 高みを行く者
256
リリムが死んだ後、潤が薬物まで摂取して気が違ったかのように荒れたのも無関係で
はないだろう。
心の奥底に隠してあることへの干渉は、魂魄能力者が最も得意とする。
だから、魂魄の能力者はみんな普通のままではいられないのだ。
リリム然り、潤も異世界での結末もまた然り。
人が嫌がる事を知る、そこに関して一夏は潤に遠く及ばない。
か。
どうせデータ取りの為にアリーナを使うのだから、衆人の目にとまるのは時間の問題
本来なら、パトリア・グループの関係者でない一夏に話すことは出来ないが。
FIF│P01Xの装備装着のための打鉄・カスタム・mkⅡの提出。
﹁またかよ。 お前もお前で付き合い悪いぞ。 それで、今回は何の用事だよ﹂
﹁悪いが、俺は用事がある﹂
﹁よし、じゃあ帰ろうぜ﹂
ISスーツは着るのは大変だが、脱ぐのは比較的簡単だ。
話している間に着替えが終わった。
﹁シャルルが避けている理由も、その内本人が直接話してくれるさ﹂
﹁それもそうか。 引き際を知らないやつは友達なくすからな﹂
257
﹂
﹁俺の専用機が形になったんだ。 どうやらここから先、生のデータを加えつつ調整し
まさかリーグマッチに間に合うのか
ないとどうしようもないらしい﹂
﹁それホントか
?
﹂
?
その名は││。
異世界のパワードスーツの名前。
名前を決めて良いと言われた瞬間、電撃的に名前は浮かんできた。
﹁何故か俺が名づけて良いそうなので、遠慮なく好きな名前を付けさせてもらった﹂
﹁そうか、七月か。 それで、名前は
﹁流石に無理があるな。 だが、七月の合宿にはお披露目になると思う﹂
!?
カルボナーラもたまに食べると美味い。
そこから機体の資料を開いて、装備を頭に叩き込みながらカルボナーラを食べる。
出し、代わりにPDAを受け取った。
IS学園とパトリア・グループ日本支部の繋ぎとして顔なじみの立平氏にmkⅡを提
その名は﹃高みを行く者﹄の意味。
ギリシア神話に登場する神。
﹁FIF│P01X、﹃ヒュペリオン﹄だ﹂
4─5 高みを行く者
258
﹄だった。
機体を見ての、潤が思い浮かべた率直な感想は││﹃俺と同じようにIS世界に来た
日本人が居たのかな
・EEGARA
十二
・EEGARAラック
アンロックユニット装備
?
﹁で、小栗くんの専用機、どんな感じなの
﹂
してガンダム特有のビーム兵器と、全身にある可変装甲。
全体の色がν、アンロック部分はレイダー、EEGARAはフィン・ファンネル、そ
そして、量子変換されている高エネルギービームライフル、ビームサーベル。
×
﹁よう、潤、一緒に食おうぜ
﹂
な
﹂
!
!
デザート持ってきてやるから
!
﹁いや、見ての通り食い終わったんだが﹂
﹁そんなこと言うなよ
!
潤の姿を見つけた一夏は、戦場帰りの飼い主を見つけた犬の如く近寄ってくる。
すると一夏が、両手に女子を侍らせて食堂にやってきた。
全てフィンランド語なので、同じく覗き込んでいるナギにも分からないだろうが。
隣に座っている癒子がPDAを覗き込んで質問してくる。
﹁EEG⋮⋮脳波コントロールが曲者だな﹂
?
259
胸を押し付けられて多少取り乱したらしく、一夏はセシリアと箒から解放されると颯
爽と料理を取りに行った。
表情を見るにホモじゃなかったのか、いやバイか。
シスコンでバイとか、以前のパートナー達と負けず劣らずの変態じゃないか。
血の滴る腕に噛り付いて主食にしていたり、年端もいかない子供をペットにしていた
り、これらからすればマシだが。
両脇をがっちり固められ、﹃はい、あーん﹄みたいな事をやらされる一夏。
PDAで専用機の資料を見ている潤に、専用機の事を聞き出そうとすると、両脇の二
人は専用機に興味を示すも一夏に対して不機嫌オーラを出すのでしょうがない。
暫く二人に翻弄されていた一夏だったが、食べ終わると何か言いたいことがあるかの
ように黙り込んでいた。
﹂
?
周囲には話さず、同じく既に知っている潤に相談を持ちかけた
もう、ばれてしまったのか。
この雰囲気、シャルルのこと、この事柄から連想できそうなことは一つ。
﹁三人で話したいことがあるんだ﹂
﹁││シャルルのことか
﹁その、潤⋮⋮。 相談が、あるんだか﹂
4─5 高みを行く者
260
それはデュノア社の思惑通り、順調に波に乗っていることを示している。
﹁随分早く気付かれたものだな、シャルル。 それで、一夏はどうやって知ったんだ﹂
一夏とシャルルがベッドに座り、潤は机に備え付けられている椅子に腰を掛けた。
きっているのだろう。
﹃本人の同意が無い限り、外的介入は許可されない﹄なんて紙切れ同然の約束事を信じ
してないんだろうな。
盗聴とか盗撮の類を気にしてないのだろうか。
一夏と連れ立って寮に向かって歩き、結局たどり着いたのは一夏の部屋だった。
程度が浅い様なら、いずれ食い物にされる。
さて、一夏とシャルルは何処まで考えているのか。
﹁いってらっしゃいー﹂
くれ﹂
﹁セシリア、篠ノ之、一夏を借りるぞ。 本音、遅くなるかもしれないから先に寝ていて
恋愛ごとに関しては鈍感だが、多少の腹芸は出来るらしい。
男二人だけ、この僅かな言葉の綾に一夏は反応した。
﹁││ああ﹂
﹁お前と俺、男二人、だけでもいいんじゃないか﹂
261
﹁え、えっと﹂
ベッドに腰を掛けた二人が、共に視線を彷徨わせて沈黙したので、潤から口火を切っ
た。
﹂
二人は質問に答えず、シャルルは顔を赤くして俯き、一夏は目をそらした。
澄まし顔で何想像してんだ
まさか、女だと知らない時に押し倒したのか。
どんな勘違いの仕方だよ
!
﹁ホモだったのか﹂
﹁ちげーよ
!
﹁セクハラだな。 犯罪だぞ﹂
これは、セクハラです。
うとしたら、色々見てしまったという事らしい。
つまり、ボディソープが切れていたのを思い出し、シャワーを浴びている最中に渡そ
!
?
どちらかと言えば頼られる側としてクラスに認識されている潤の声で、再び部屋に独
して、本題に移ろうじゃないか﹂
て見れば結構気付ける箇所は多かったぞ。 もういいだろう。 コントはここまでに
﹁視線とか、筋肉のつき方とか、男性に対する反応とか、歩き方、喋り方でわかる。 疑っ
!
!
転校初日に気付いたらしいじゃないか
﹂
﹁余計なお世話だよ そういうお前はどうやって分かったんだよ シャルに聞けば
4─5 高みを行く者
262
特な雰囲気が戻った。
シャルルに話を聞いて、初日に潤に気付かれたと聞いた一夏は、潤も仲間内に入れて
相談に乗ってもらおうと思っていた。
それに、潤は﹃聞かなかったことにしてやる﹄そう言って、シャルルを許している。
﹂
?
だ。 頼む、シャルを助けてやってくれ
﹂
﹁被害者側の俺たちが何も言わなければ、三年の間で何か対策がとれるかもしれないん
だったって﹂
﹁僕も一夏に聞くまで、すっかり忘れてたよ。 ここが何処の国にも所属してない土地
依然潤の表情は、いつも通りの無表情のまま変わらない。
そこでシャルルと一夏は、お互いに視線を合わせると表情を崩した。
外部のあらゆる企業、組織、団体の干渉を受けない、か﹂そうだよ、それだよ﹂
﹁それなら大丈夫だ。 潤も特記事項知っているだろ││﹁第二一、この学園の生徒は、
限り、どれだけ上手く隠しても何時かはバレる﹂
﹁⋮⋮それで、居てどうするつもりだ。 俺たちだけならともかく、この学園で生活する
﹁一夏はね、ココに居ていいって言ってくれたんだ﹂
﹁協力
﹁シャルと俺に、協力して欲しいんだ﹂
263
!
﹁⋮⋮俺の答えは変わらない。 ﹃聞かなかったことにしてやる﹄、そして、直接危害を加
えてこないというならば、シャルルを責めたりしない﹂
﹂
一人に慣れる場所を探して、終いには寮の外まで足を運んでいた。
一夏とシャルルに別れを告げるが、部屋に帰るほど気は収まっておらず。
た。
部屋を出る潤は、後ろ髪を何時までも引かれるような悪い後味しか残っていなかっ
その喜びを滑稽だと思ってしまうようになったのは、何時だったか。
何時からだっただろうか、あんなに素直に喜べなくなったのは。
無邪気に喜びを表現する二人。
﹁ありがとな
!
人形のままでいいと思っていた。
戦う時以外は、薄気味悪い位に無表情だった嘗ての自分。
それは比喩でも他の何でもない言葉通りの意味。
以前リリムに言われた言葉、﹃感情を表に出せなくなった人形のような子﹄。
﹁随分感情豊かになったな⋮⋮﹂
4─5 高みを行く者
264
戦うための剣であればいいと思っていた。
戦いの際に出る覇気や怒気意外は要らないと思っていたし、感情なんて無い方がいい
と思っていた。
どうせなら、最初の強化手術の時に、ただの狂える軍用犬にでもしてくれれば良かっ
たのに⋮⋮。
そんな遣る瀬無いことを考えていると、アリーナから誰かが歩いてきた。
夜空に溶けていくのは、二つの故郷に未だ縛られたままの愚者の声だった。
﹁そんなこと許されないって分かっているのに。 難儀なものだ﹂
だが、それでは鈴の精神が死んでしまいかねない。
しかし、せめて鈴が、本当にリリムならば⋮⋮どんなに楽か。
る気はない。
憎しみだけ、絶望だけ、それだけを糧に行動しようとは、以前見えた怨敵を思えばす
誰も理解してくれる人はいない。
誰も知っている人はいない。
そも初めの時点から、潤はこの世界と無関係のところで生まれている。
普通に生活するだけでも疎外感を覚えるのは、気のせいではないのだろう。
﹁やはり、俺の居場所は、戦場以外には無いのかな⋮⋮﹂
265
生徒会関係者か、教師の誰かが1人でいる時間が長いと注意しにでも来たのかと思っ
たが、現れたのは意外な人間だった。
﹁ラウラ・ボーデヴィッヒ⋮⋮﹂
﹁随分辛気臭い顔をしているな﹂
何を思ったのかラウラは缶コーヒーを潤に投げ渡した。
自分用にも購入したのか、潤の近くまで歩み寄ると自分も飲み物を口にした。
潤は何も言わず、さりとて缶を開けることなくラウラを睨み付けるだけだった。
ていたが、私の見る目も確かなようだ﹂
﹁そうだな、流石に無条件で口につけんか。 もし警戒心も出さず飲みだすなら見限っ
投げ渡した缶を、再び自分の手元に戻すと口を開ける。
そのまま、少量飲み下すと潤に手渡した。
毒は入っていない、それを立証しようとしたのだろう。
﹂
?
﹂
年頃の乙女が騒ぎそうな、間接キスがどうのこうのはことラウラの中には無いらし
い。
何の話だ
﹁率直に言う。 次のトーナメント、私と組め
﹁組む
?
!
﹁それで、こんな物まで用意して何の用だ﹂
4─5 高みを行く者
266
﹁次の学年別トーナメントではより実践的な模擬戦を行うため2人組での参加を必須と
する。 今の学年で私とまともに組めるの貴様だけだ。 逆を言えば、貴様と組むに相
﹂
応しい実力者もまた、私だけだ﹂
﹁初耳だが、どこの情報だ
私はこの学
?
ない。
ラウラの物言いには、胸か喉元に何か詰まる不吉な感じがしたが重要なのはそこでは
園の存在自体疑問だ﹂
ファッションの様に考える生温い生徒と組むことに何も思わないのか
﹁周囲に対し常に警戒心を持ち、イギリスの小娘をあしらえるほど強い貴様が、ISを
﹁別に普通だろう。 何が不満だ﹂
﹁っち、そこまで貴様には自由がないのか⋮⋮。 それにしても、なんだ、その言い草は﹂
言い渡されるだろう﹂
﹁すまないが、恐らく俺に相手を選ぶ自由があるとは思えん。 教員側から組む相手を
されどその瞳は気高く、強さに溢れ、何故か潤にとって懐かしい色を含んでいた。
凍てつくような瞳。
おっしゃられてな﹂
﹁織 斑 教 官 か ら の リ ー ク だ。 私 は 転 校 か ら 間 も な い か ら、今 の 内 か ら 相 手 を 探 せ と
?
267
流石に軍人にはばれているか。
上手くやったつもりだが、所詮ISでは素人だったらしい。
拠じゃないか﹂
﹁お前こそ何をカリカリしているんだ。 確かに意識の低さは嘆かわしいが、平和な証
﹁何を寝ぼけたことを言っている。 強さの証明こそが人類の歩みだろう﹂
﹁お前⋮⋮﹂
今、ようやく分かった。
喉元に何か詰まる不吉な感じ。
こいつは││。
こと。 それだけが私の存在意義だ﹂
﹁見て直ぐ分るほど高められ、恐怖と感動を覚える程の強者、織斑教官の様な戦士になる
嘗て、自分を強化した研究施設で、今れ育った強化人間たちと同じだ。
魂魄を通じて伝わる、歪な精神構造。
﹂
無意識に肉体を強化し、握られたアルミ質の缶が歪められていく。
潤は小柄なラウラを見下ろした。
その瞳を占めていたのは、憐みの類だったが。
﹁そんな、力で力を求めて、一体その果てに何が残る
?
4─5 高みを行く者
268
﹁可笑しな事を聞く。 人類有史以来、永遠積み重ねてきた真理だろう﹂
﹂
は自分の身を滅ぼすぞ。 お前は俺みたいになりたいのか
?
ではない。 貴様が見ているのはただ力だ
貴様は先生の力しか見ていない
﹂
!
﹂
﹁なんだと 私のことを何も知らない貴様が、私の抱いた幻想を否定するというのか
!
﹁そういう意味ではない。 それに貴様の言う織斑先生は、強い教官であって織斑千冬
﹂
﹁馬鹿な事を言うな。 私の目的は教官だ。 貴様ではない
!
﹁その果てに、どの位滅んだ民族が居るのか分からないのか。 目的無き力の積み重ね
269
!
﹁言 わ せ て お け ば ズ ケ ズ ケ と 貴 様 も た だ の 軟 弱 者 だ
﹂
!
﹂
力 に 余 計 な も の を 求 め れ
何故それがわからん
!
!
﹂
人類は武力によって別の何かを生み出すことで発展した。 貴
ば、力は純粋な力でなくなり人は弱くなる
様こそ、それを分かるんだよ
!
ベクトルは完全に反対を向いている。
力によって生きる意味を見出したラウラ、力によって大切なモノを犠牲にした潤。
交じり合わない二人の、﹃力﹄の持論。
!
﹁分かってたまるか
!
!
﹁否定するも何も事実に過ぎない。 お前が欲しているのは、ただの力だろうに
やや友好的に始まった二人の会話は、何時しか言葉のぶつけ合い変化していった。
!
﹂
﹁別の何かを生む
てこそ強者だ
込んでやる
﹂
貴様のような者を真の意
そんなのは力を持たぬ弱者に任せればよいのだ。 強者は君臨し
﹂
今度のトーナメントで、私直々に叩きのめして、力の本懐を叩き
味で弱者というに相応しいだろうさ
﹁力の意味をはき違った小娘が何を偉そうに﹃君臨する﹄だ
?
﹁ほざいたな軟弱者
!
!
!
!
月光に輝く銀髪は、不思議と悲しい光を発していると潤は思った。
自分と同じく、恐らくは真っ当な人生など歩んで居ないだろう女生徒を見つめる。
﹁ラウラ・ボーデヴィッヒ⋮⋮﹂
しかし、歩みを進める途中、煌々と冴え渡る月の下、殺気を纏って振り返った。
潤はそれまで向けていた瞳を逸らし、寮に入っていく玄関へと向かっていった。
﹁お前ほど力の意味を知らん者が、無暗に力を得てしまったのか⋮⋮﹂
!
﹁それは結構。 ならば、俺と貴様の勝負は互いの信念を掛けた大一番だ。 俺が勝っ
がすべきことかもな﹂
﹁私とて同じことが言えるな。 力の意味を違えた軟弱者を鍛えてやるのも、真の強者
のが、俺が此処に居る意味かもしれない﹂
﹁理想と力を踏み誤った馬鹿者。 道を誤った先人として、踏み外した道を正してやる
4─5 高みを行く者
270
た暁には、その理想も決戦の地に捨てていけ﹂
﹂
!
潤にとって、次の学年別トーナメントは、絶対に負けられない戦いになった。
最早語ることはない。
﹁いいだろう。 私は負けない。 誰にも、お前にも、織斑一夏にも
271
1│4 君は俺に似ている
5│1 更識簪
学年別タッグトーナメントは六月末に行われる。
今日で六月も中旬なのでトーナメントは大体十日後。
タッグペアを探して、満足のいくコンビネーションをするための練習期間が短すぎる
気がするのだが、何を考えているのだろうか。
教師側から誰か、恐らく生徒会関係者と組めと言い渡されると考えていたので、何か
知っている可能性の高い本音に聞いてみた。
ナギと癒子は、例の噂関連でさっさと教室に向かっていった。
頼む、止めてくれ、これ以上傷を広げないでくれ。
﹂
?
てっきり隔離されるものと思ったんだが⋮⋮﹂
?
IS適性の高い本物の軍人が来たことで、潤の警戒レベルも下がっていた。
﹁そうなのか
﹁ん∼、私何も聞いてないけど∼﹂
誰と組むのか決まってるのか
﹁今日には告知されると思うけど、今度のトーナメントは二人組で行うらしいだが、俺は
5─1 更識簪
272
織斑先生が主導で行っていた二十四時間体制の監視も一時的に終わり、今回無闇に束
縛しない事には、潤にも友好の輪を広げて欲しいという教師心があった。
しかし、そうなると誰と組むべきか。
﹂
優勝間違
?
﹁本音、組まないか
いなし﹂
﹁おぐりん優勝したいんでしょ りんりんと組むのがベストだと思うよ
﹂
?
遠距離射撃型、イギリス代表候補生、セシリア・オルコット。
そうなれば、潤も代表候補生を選べばいいのだろうか。
代表候補生レベルを選べば言わずもかな。
もし、箒レベルで戦いの心得がある生徒をラウラが選んだ場合、恐らく不利になる。
何回か授業で教えてわかっていることだ。
い。
本音の実力は、高くもなく低くもない、下手ではないが、あくまで普通の範疇を出な
いる﹂
﹁ラウラがどこまでパートナーを意識して戦うかで変わるが、かなり厳しいとは思って
﹁う∼ん、おぐりんの予測で私と組んだ場合優勝できる
﹁それは││そうだろうけど⋮⋮。 いや、奴とは組まない﹂
?
?
273
中距離及び近接格闘型、中国代表候補生、凰鈴音。
万能型だが第二世代、フランス代表候補生、シャルロット・デュノア。
今回は、タッグと決まっているが対ラウラに限って直接対決で勝たねばならない。
故に、ラウラと当たる所で、こちらの事を考えた戦闘をして欲しいが⋮⋮。
ダメだ。 こいつら色々濃すぎる。
セシリアは主導権を取りたがる口で、ラウラと戦う場面でも自分を出してしまうだろ
う。
鈴は、共感現象を利用すれば勝てるし事情を察した動きをしてくれるだろうが、それ
は鈴の成長できるチャンスを無くしてしまう。
それに、最近リリムの侵食が進んでいる。
少し距離を取らねば鈴が消えてしまいかねない。
シャルは相談すればなんとかなりそうだが、戦闘以前の所に問題がある。
だけど、あいつもあいつで濃いもんなぁ⋮⋮﹂
﹂
話、通じる相手だろうか、不安だ。
す。
一夏に木刀で殴られた話、教室で潤とラウラに並んで仏頂面で孤立する姿を思い出
﹁と、なれば篠ノ之に頼むか
?
﹁おぐりん、相手に困ってるの
?
5─1 更識簪
274
﹁そうだな、ラウラとの直接対決を許してくれて、相手が代表候補生でも問題なく戦え
﹂
て、そんなに自己主張の強くない生徒。 いないものか⋮⋮﹂
﹁もう全部ピンポイントだしかんちゃんに頼んでみれば
⋮⋮更識簪か。 ⋮⋮ありだな、ちょっと四組行ってくる﹂
?
知りません、優勝できなかった男子を、優勝者同士で
?
俺を景品替わりにするのは諦めろ、今回俺は全力で行くぞ。
?
空気が抜けるような音がして、扉がスライドして開く。
受賞式での発表
話し合ってパイの取り合いをしたらどうしょうか。
上級生はどうすればいいの
トーナメントの噂のせいで、妙に視線が集まっていたが、目的のクラス前までついた。
一年四組。
しっかり事情を説明して、話し合えば同意を得られる余地はあると思う。
どちらかというと内向的なイメージがある。
日本代表候補生でIS学園で最強と自称する生徒会長の妹。
子。
かんちゃん、四組クラス代表、更識簪、以前アリーナでキーボードを操作していた女
うさま⋮⋮﹂
﹁いってらっしゃーい。 ││うん、おぐりんなら、きっと何とかしてくれるよ、おじょ
﹁かんちゃん
?
275
﹁ああっ
なんで
﹂
!
﹂
﹂
一組の小栗くんだ
﹁え、うそうそ
!?
﹂
その直線状、クラスの一番後ろの窓際席に、彼女はいた。
海割りよろしく女子の壁が開く。
﹁﹃あの﹄
﹁更識さんって⋮⋮﹂
﹁⋮⋮更識に話があるんだが﹂
誰だか知らないが、更識簪と同室になるのを防いだ人に感謝したい。
もしそうなったら悲惨な事になっていたかもしれない。
元々考えてみればこのクラスで男一人で所属することになっていたらしいが。
なんだこの、登山に来たら野生の鹿を見つけた小学生達のような視線の集まり方は。
﹁よ、四組に御用でしょうか
!?
!
!
?
﹁久しぶりだな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
よかった、真中中央とかじゃなくて。
不思議と絡み付く視線を背中に窓際まで移動する。
﹁じゃあ、そういうことで﹂
5─1 更識簪
276
クラスの端っこで、メガネを何故か光らせてキーボードを操作している。
画面が見当たらないが、恐らくは眼鏡がその役割を果たしているのではないだろう
か。
内側に跳ねる癖毛、虚ろにも見える目、どこか人を寄せ付けない雰囲気。
アリーナでもそうだったが、何か作っているのだろうか。
ZMPの設定でもしているのか
この関数設定⋮⋮、射撃や、マニピュレータは弄っていないようではあるが。
軌道生成
?
なんか、妙に変な雰囲気を感じる、これは、お、オタク臭
﹁⋮⋮なにか用
﹂
なんでこんな発想がいきなり出てくるのか、魂魄の能力は未だ謎多き能力である。
?
今になってようやく気付いたのか、なにやら眼鏡をきらりんと輝かせて顔を上げた。
﹁更識﹂
のプログラムなら少なくとも1年の誰よりも長はある。
千年メンテナンスしてなかったパワードスーツを使い物にした前歴があるので、IS
?
?
みがある﹂
﹁頼み⋮⋮
﹂
﹁月末の学年別トーナメントだが、織斑先生の話では二人組で行うらしい。 そこで頼
?
277
﹁俺と組んで、優勝を目指さないか
﹁⋮⋮なんで私
﹂
お姉ちゃん、⋮⋮あの人に何か言われたの
﹂
周囲で聞き耳を立てていた四組みの女子たちに波紋が広がった。
未だ明かされていないはずの学年別トーナメントの変更点。
?
?
キーボードを叩く音も途切れ、そのまま二分程黙って視線を外さずにいた。
線を逸らさなかった。
更識は潤の瞳を捉えて離さない、潤も瞳を逸らせば断られるんじゃないかと思って目
不思議な間だった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
しかいないんだ、頼む﹂
﹁それが、な。 優勝を目指すために、条件に合致するのが更識だけだったんだ。 お前
﹁⋮⋮そう。 でも、イヤよ⋮⋮。 あなたなら、組む相手には⋮⋮困らないはず⋮⋮﹂
魂魄の能力者は、その業の深さ故にキ○ガイばかりである。
何故か恨みがましい目で見られたが、その感情は潤には慣れっこである。
﹁いや、会長とはまだ面識がないが﹂
?
﹁そうか、ありがとう。 それじゃあ、放課後テスト用アリーナに来てくれ。 フィンラ
﹁⋮⋮わかった﹂
5─1 更識簪
278
ンドの技術者たちには話をつけておく﹂
﹂
?
でも自分の姉ならば、こんなミスして指摘されることも無かっただろう。
よくよく考えてみれば、確かにこの設定には無茶がある。
﹃そんな軌道生成の設定したら三歩目には転倒するぞ﹄
扉が閉まる直前に見えた、少し驚いた表情がほんの少し面白かった。
﹁││││││えっ
﹁ああ、放課後な。 それと、そんな軌道生成の設定したら三歩目には転倒するぞ﹂
﹁⋮⋮じゃあ、また﹂
で生徒一人加わる位問題ないはず。
更識にデータを見せることもないだろうし、教師陣も何人か立ち会うと聞いているの
なっていた。
そのため、いきなり衆人環視の前で行うのではなく、テスト用アリーナで行うことに
脳波コントロールシステムでISの動作を補助するというかつてない試み。
潤の専用機、ヒュペリオンの初動テスト。
それから教室を出るまで、相変わらず簪はキーボードでの打ち込みを続けていた。
﹁⋮⋮わかった﹂
279
5─1 更識簪
280
もしくは、小栗潤が、姉と同様特別な才能を持った人間なのだろうか。
軽く頭を左右に振って考えを打ち消す。
更識簪から見た、小栗潤はある種複雑な存在だった。
飛行機事故の顛末、代表候補生ならその特異性は誰でもわかるだろう。
中型といえど、ジャンボジェット機クラスの大きさを着陸支援するには、僅か五cm
未満のズレしか許されない。
それ以上の角度誤差を起こせば、片翼が滑走路に接触して大惨事になったことだろ
う。
それのシビアなコントロールを迷いなく実行したということは、あの起動制御が可能
だ、という自信があったのだろう。
出来て当然だとしても、もしミスをすれば百人程の人命が重圧として彼の精神を締め
付けただろう。
代表候補生なら出来る人は数多くいるだろう。
しかし、もし日本代表候補生の自分でも、彼と同じ状況下に置かれたら、同じことは
しなかっただろう。
初めてISに触れた初日で、許容誤差数cm、失敗すれば百人ほどの人命が失われる
可能性がある。
まともな神経をした人間に出来ることとは思わない。
そんな鋼の精神が、羨ましく感じる。
そして、それだけの人間が、上ずった声を上げるアナウンサーの言葉を借りるなら﹃英
雄的行い﹄をした彼がどんな人間なのか興味があった。
アリーナで潤の監視を虚さんから頼まれたとき、気になったので話をしてみた。
他の誰でもなく自分だけが出来ること、机に座りながら、先ほどの潤の台詞が簪の頭
その表現の仕方は、悪いものではない。
それにしても││﹃私にしか出来ない事﹄、か。
自分を助けてくれるヒーローなんて⋮⋮。
本当のヒーローなんていないのかもしれない。
る。
嫌だと知っていたのに自分がそれをしてしまったことに、いささか恥じらいを覚え
ヒーローというレンズを通して見てしまった自分。
常に姉というレンズを通して見られていた自分。
その台詞が、簪の感情を嫌でも震わせる。
い﹄
﹃それにヒーロー像で見られるのも嫌だしな。 俺は、他の何でもないただの俺でいた
281
の中で反芻される。
何故か分からない気持ちになって、簪は頬をうっすらと桜色に染めた。
一組ではクラスの右端からくる妙な威圧感、訓練された代表候補生ならわかる殺気と
敵意でやけに静かだった。
話しづらいとか、そういう次元ではなく、少しばかり温度が低いようにも感じられる。
ラウラと潤、二人共軍人の経歴があり、その迫力は本物だったので誰も改善させるこ
とができなかった。
そして、潤の隣の席という最も近い距離で笑いながら潤に話しかけて、昼食時には纏
わりついて食堂まで誘える本音は、クラスに一つ伝説を残した。
結局誰も触れることもままならないまま、時間は放課後を指し示す。
﹂
?
IS学園が新世代ISのテストとなる場所に丁度いい場所であることが関係して、こ
る。
戦闘に備えた作りで無いので、テスト用アリーナは普通と比べて小さくまとまってい
二人並んでテスト用アリーナに向かう。
﹁⋮⋮所で、なんで優勝したいの
5─1 更識簪
282
ういう場所が作られたらしい。
﹁⋮⋮すれ違い
⋮⋮それだけ
﹂
?
﹂
?
﹁先鋭化
﹂
ラや俺みたいのは先鋭化しすぎる﹂
﹁正しい事を、正しいと叫んでも、絶対否定される。 そういうことだ。 それに、ラウ
﹁⋮⋮じゃあ、なんで
潤が汚い側の人間だからかもしれないが、事実を否定したりしない。
綺麗ごとは言わない。
代化し、豊かになっていく。
工業力が優れているということは、高度の工業化社会が実現でき、人々の暮らしが近
そのポイントを生み出すのは工業力だ。
戦争に勝つには、武器や装備といった技術力が一つのポイントになる。
革新があったのは事実だ。
理性の面から嘆かわしいが、二十世紀以降の科学技術発展には戦争による軍事技術の
せたのは、紛れも無く戦争という大きな力の流れにある﹂
﹁まあ、難しい問題でな。 本当はラウラは正しいんだ。 人類文明を飛躍的に発展さ
?
﹁ちょっと、ドイツの代表候補生とすれ違いがあってな⋮⋮﹂
283
?
﹁行くところまで行けてしまうんだ。 そうだな⋮⋮、少し脱線気味になるが、あいつ
は、織斑先生みたいになりたくて、そのために努力もしている。 そこに、少しも妥協
していない。 それは凄いことだって、あいつを尊敬するよ。 努力し続けられるのも
立派な才能さ﹂
何かを思い出すように独白を続ける潤。
その顔を見ていた簪は、一つ彼について学んだ。
怖いとか、根暗とか、そんな風に言われているけど、喧嘩している人の事を尊敬でき
るくらい大人な人だと。
分からない
﹁だけど、あいつには無いんだよ。 織斑先生みたいになった後にどうしたいのかが﹂
﹁⋮⋮みんな、そんなこと⋮⋮分からない﹂
﹁その通りだ。 だけど、俺たちは先鋭化しすぎているって言っただろ
てしまう。 無理だと思っても、辛くても、苦しくても﹂
けど、進めなさそうだと思っても、普通なら立ち止まるところでも、どんどん足を進め
?
いけないんだよ。 止めなければ、その最終地点には重い後悔か、死しか残らない。 手遅れになる所まで行ってしまう。 誰かが骨を折ってでもブレーキにならなくちゃ
﹁そうして進んでいくと、何時しか地獄の淵までたどり着く。 あのままじゃ、あいつは
﹁⋮⋮なるほど﹂
5─1 更識簪
284
誰かが例え、その道に行くのが誰であろうと、そんな終わり方は見たくないんだ、二
度とな﹂
か。
この感情、簪と仲良さそうにして嫉妬してる 簪の身を案じてる
姉妹。
なんなのこの
?
それも無理もない。
うだった。
その殆どは充分にテストされていない機体を、学生に渡すことに不安を感じているよ
格納庫には一つの新型機と、パトリア・グループの担当技師達が待ち受けていた。
耐G及び耐電も考慮した、初動に限れば世界最速の機体に乗ることに備えたスーツ。
更衣室でパトリア・グループ特注ISスーツを着込む。
?
所で、会長と思わしき強烈な気配がついてくるんだが、簪は気づいていないのだろう
それ以降、二人共に話すこともなくなりテスト用アリーナに向かって歩みを進めた。
﹁小栗くんって⋮⋮、意外と⋮⋮⋮⋮熱いところもあるんだね﹂
てるから﹂
﹁俺も一度通った道だ。 きっと誰より上手に受け止めて見せるさ。 俺とあいつは似
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
285
小栗潤は企業に属する専門のパイロットではない。
理論上危険がないというだけで、一度もテストをしたことのない機体をただの学生に
乗せるのだ。
﹁先日お送りしたPDAで理論的なロジックはおわかりと思いますが⋮⋮﹂
そして、更に彼らに危機感を持たせている要因。
人類史上例を見ない、機体そのものを脳波でコントロールできるシステムの利用。
最初に潤が使っていた打鉄・カスタムのデータで、脳波を観測するシステムが計測不
能になっており、潤の適性が高いのも知っているが。
そんな技師の不安を他所に、潤はさっさとヒュペリオンのコックピットに乗り込みI
Sを起動させる。
ナノマシン生成機オールグリーン
可変装甲はスタンバイ状態で機動
脳波コントロールシステム、待機状態
ろに行ってから解除してください﹄
﹃脳波制御は未知の制御方式で、現在ロックしてます。 カタパルトから出て広いとこ
が、どうしました﹂
﹁ヒュペリオン本体は正常起動しました。 脳波コントロールシステムが待機状態です
5─1 更識簪
286
﹁了解。 小栗だ、︻ヒュペリオン︼出るぞ
にありがたい。
﹂
こういう戦闘状況の場合、プライベート・チャネルで常に近距離で話せる環境は非常
知って状況判断に阿ることにする。
下手に組んでも足を引っ張り合うことは請け合いなので、お互の癖と武装の詳細を
この短期間でリリムと同様に誰かとコンビネーションを磨くのは難しい。
何時ものようにキーボードを取り出した簪を諭して、一緒に出てもらった。
空中には訓練機用の打鉄を装着していた。
出る。
形だけで急速発進出来ないカタパルトから出て、小学生のグランド程度のアリーナへ
!
しかし、人の領域にズカズカ踏み込む気もないので、何かあっても簡単な補助程度を
まさか一人でやっているのだろうか、なんとも無謀なことだ。
ろうか。
教室でZMPの設定やらしていたということはISのプログラムを作っているのだ
﹁なんか、すまん﹂
﹁⋮⋮白式に、⋮⋮白式に、あれに手を取られて、⋮⋮開発凍結中﹂
﹁訓練機なのか。 クラスメイトの話では専用機があると聞いていたが﹂
287
手伝うだけにしよう。
﹁その打鉄は標準装備か
﹁うん﹂
﹂
が極めて稀な空間把握能力を宿しているため開発に至る。
装備数は十二基で、攻撃以外にも防御用として使用することもできる。
﹄
!
これを別名、﹃アルミューレ・リュミエール﹄と呼ぶ。
の準備もしとけよ
﹃それでは脳波コントロールシステム起動実験開始します。 ⋮⋮救命班待機
﹁ちょっと待て、何をさせる気だ﹂
!
ヘリ
ビットの制御を脳波︵EEG︶で行うために二つ扱えれば上出来な仕様であるが、潤
BT同様ビット型の武器で、相手の死角からの全方位オールレンジ攻撃が可能。
EEGARA、潤命名フィン・ファンネル│││
しかし、潤も使ってみないと勝手の分からない代物がある。
1回の使用で、代表候補生の実力があれば特性がわかる程度の代物でしかない。
殆どの武装は説明を必要とするほど複雑ではない。
﹁そうか、打鉄のプリセットは頭に叩きこんである。 では俺の装備だな﹂
?
﹁さて、脳波制御必須の兵器か⋮⋮。 まあ、兵器の前に起動実験だな﹂
5─1 更識簪
288
﹃嫌だなぁ、脳波コントロールシステムの起動実験ですよ﹄
﹂
?
!
﹁やってくれ﹂
﹃プログラム班、強制解除
﹁あ││││﹂
﹄
ラウラと戦う場面に間に合うかどうか等、決まっていないが⋮⋮。
自分と同じ道、その道に行くのが誰であろうと見たくない。
い出す。
心を占める弱音を塞ぎ、自分が強化された研究所での光景を、戦友の死に際の声を思
重々しく、懐かしさすら覚える息の吐き方。
息を吐きだした。
﹁なんか、にゅ、ニュアンスが⋮⋮﹂
かないんだ﹂
﹁││OSや可変装甲を見るに脳波制御はこの機体では必須。 やるしかない、逝くし
﹁⋮⋮あの、小栗くん
﹃さあ、逝きましょうか﹄
﹁いや、さっき救命班がどうのこうのって﹂
289
変化は劇的で、どう例えればいいのか。
頭の中に、赤くなるまで熱した鉄の棒を捩じ込まれた様な痛みが突き抜ける。
瞬く間に全身の制御が効かなくなり、視点はブラックアウト。
﹂
この、症状は││ダウンロードの暴走
﹁小栗、くん
?
なんで、これ、ダウンロード、知ってる、させる⋮⋮。
今までダウンロードしていなかったコアが、強制的にダウンロードさせてくる。
?
どうしました
﹄
喉奥から大量の虫が出入りするような不快感が迸る。
﹃小栗さん
?
?
素人もここまで酷くないと言わんばかりの軌道を描いて、墜落した。
を滑り││。
潤の意思を無視して、ヒュペリオンは潤にダウンロード強制し続け、機体は勝手に空
﹁あ、ああ、アアアアぁぁぁ、ああぁぁあ││││﹂
5─1 更識簪
290
5│2 力の意味
瞳を開けると、未だテスト用アリーナに居る事実に驚く。
潤が墜落してから、彼の感覚で何十分もたっているような気がしていたが、実際のと
﹂
ころ数分も経っていなかった。
﹁小栗くん、⋮⋮大丈夫
ISの設定画面を開くと、脳波コントロールシステム起動時はPICが半マニュア
﹁そこからか﹂
﹃やっぱり駄目だったようですね。 素直に歩行練習から始めましょう﹄
﹁おい、管制塔。 どうなっているんだこれ﹂
触する感覚を何倍も強くしたかのような、まるで浸食されているような感じだった。
初めてISに触れた時、打鉄・カスタムを初めて受け取った時、その場面で感じた接
コア側からの強烈な接触と、頭の中を隅々まで見られたかのような違和感。
無い。
ダウンロードの酷使したような力が脳を突き抜けたが、不思議なことに既に倦怠感は
﹁││ああ、見た目ほど酷くない﹂
?
291
ル、半脳波コントロールの完全自己操作になっていた。
﹂
確かにこれでは操作が覚束ないのも納得である。
﹁このPICの設定はなんで
﹃小栗さん、ちょっとEEGの設定を変更するので立ち止まって下さい。 CPGが甘
が動きすぎて横に倒れる。
歩き出そうとすると、脳波とマニュアル半々の設定が災いして、歩き出して直ぐに足
打鉄を装備していた簪の手を借りて、ようやくまともに体勢を整えることが出来た。
まるで生まれたての子鹿の様に覚束ない様子で立ち上がる。
﹁まだフィッティングがまだだし、これじゃあ、トーナメントには間に合わないか⋮⋮﹂
しまうんですよ﹄
﹃可変装甲展開時にその設定でないと、病院送り確定とも言える程の高負荷がかかって
?
﹄
いのか、いやそれ以前の問題か。 ⋮⋮ZMP⋮⋮⋮動摩擦係数、静摩擦係数⋮⋮これ
﹂
ならどうでしょう
?
?
景である。
だが、この小股でよちよち歩くのが限界で、ペンギンが氷の上を歩いているような光
少しだけまともに歩けるようになった。
﹁││おっ
5─2 力の意味
292
設定に二ヶ月かかると試算したパトリア・グループの開発チームは、実に現実的な日
数を算出したらしい。
﹁││そういうの、好きなのか
嫌いじゃないからいいけど。
﹂
終わるまで延々簪のヒーロー物のアニメ布教トークは続いた。
マニュピレータ同士で、手を繋ぐようにしながら歩行練習の補助をお願いし、それが
更。
確かにそういう同好の士を見つけるのは難しいだろうけど、特に女の子同士では尚
なんか今までで一番いい感情を向けられている気がしてならない。
面の笑みを浮かべる簪。
共通の趣味を持つ人が見つかったのが余程嬉しかったのか、満開になった花の様に満
記憶の片隅から、そんな懐かしい内容を思い出す。
⋮⋮﹂
シリーズが再開されて、当時の俺は毎週日曜日の朝は、必ずテレビの前で見ていたなぁ
﹁いや、記憶にある中では、
﹃仮面ラ○ダー﹄とか結構好きだったよ。 十一年ぶりに新
?
?
﹁⋮⋮小栗くんは、そ、そういうの⋮⋮嫌い
﹂
﹁⋮⋮どんなヒーロー物も、機体が変わるときは特訓する。 ⋮⋮それが、王道﹂
293
特別アリーナからの帰り道、再び簪と並んで帰っていると、妙な胸騒ぎが潤を突き抜
けた。
良くわからないが、この症状は身に覚えがある。
鈴が、いやリリムが居た いや違う。 誰かと戦っている⋮⋮これも違う。 これ
は││誰かに負けたのか
﹂
?
俺はこう呼んで欲しいと言われればそう呼ぶぞ﹂
﹁そうか、じゃあ簪、またな﹂
﹁名字││はイヤ。 名前は⋮⋮やっぱり名前でいい﹂
﹁なら、なんて言えばいい
睨んでも無駄だと分かったのか、声に出して話しかける。
﹁⋮⋮なんで急に名前で呼ぶの
﹁悪い、簪。 ちょっと用事が││﹂
?
?
感覚だけを信じて足を進めると、その先に見えてきたのはドアの無い保健室だった。
居場所にたどり着けるはず。
鈴が何処にいるかわからないが、自分の魂魄としての能力的感覚を信じれば必ず鈴の
簪と別れて校舎に向かう。
﹁あっ、うん、また﹂
5─2 力の意味
294
何故ドアが無いんだ
ろ保健室から出てくる。
摩訶不思議な現状に目を囚われていると、リボンの色を見るに一年生の集団がぞろぞ
?
﹂
!
﹂
?
﹂﹂﹂
!
﹂
!
そういえばシャルルはどうしたのだろうか。
瞬間、水を打ったかのように静まり返る一同。
﹁四組のクラス代表に頼んだ。 手遅れだ、諦めてくれ﹂
﹁私と組もう、小栗君
出してきたのは、ここ二日で馴染みの紙だった。
密着されるかのように囲まれるという、血の気が引くような状況で女生徒たちが差し
﹁﹁﹁これ
﹁何か用か
魂魄の能力で死霊を現界させたかのような光景だった。
す。
そのまま雪崩か津波を連想させる勢いで潤を囲むと、計ったかのように一斉に差し出
その内の一人が潤を指差して声を上げると、数十人の視線が一斉に集中した。
﹁あっ、小栗君みっけ
﹁どこに入っていたんだ⋮⋮、あの量﹂
295
この一週間でペアとなって練習するとなれば、デュノア社としてはともかくシャルル
としては困るはずだが。
﹁いいなぁ、いいなぁ⋮⋮、更識さん、いいなぁ﹂
﹁クラス代表ってずるい⋮⋮﹂
女子たちは何かの波に取り残され残念そうな顔をして去っていく。
﹁代表候補生ってずるい⋮⋮﹂
それからは改めてパートナー探しを始めたようでバタバタとした喧騒が曲がり角か
ら聞こえてきた。
集団を見送ることもなく、問題の保健室に入る。
私と組んでさくっと優勝目指さない
あんたと私が組めば楽勝ってもんよ﹂
そこには案の定、包帯で左腕を覆い隠すように巻きつけた鈴と、同じく包帯を巻かれ
﹂
てしおらしくなっているセシリアが居た。
﹁おっ、潤も来たのか﹂
﹁潤
!
!
﹂
﹁ちょ、潤さん、駄目ですわ もし鈴さんとあなたが組んだら⋮⋮。 絶対許しません
!
﹁ああ、風のうわさでな。 ⋮⋮鈴
5─2 力の意味
296
!
優勝すれば一夏と交際できる。
!
朝に新たに加わった情報によれば、優勝者は三人の男子から好きな男を選べる。
潤と鈴の仲の良さ、コンビネーションの上手さはセシリアとてよく理解している。
二人の動き、セシリアが誰と組んでも同じことはできないだろう。
それゆえ、あの2人が組んだら、⋮⋮優勝者が誰になるかは想像に難しくない。
そんな中で鈴との面識が少ないシャルルだけが、気にせず二人に割って入って声を掛
まるで、鈴が別人になったかのような⋮⋮。
でいる。
元から保健室にいたセシリアや一夏は、鈴の態度の変わりように驚いて声も出せない
何も言わずに鈴は潤の背中に寄り掛かった。
で腰を掛ける。
手を振りほどかれ、手持ち無沙汰となった潤は鈴が寝ているベッド脇に背を向ける形
﹁俺にクドクド説教ばかりする割に、情けない言い分だな﹂
﹁しょうがないじゃない。 相性最悪、こっちはもう限界カツカツだったんだから﹂
﹁お前、負けたんだな。 あんな、力の意味も知らないガキに﹂
出てこいリリム、居なくていい時しか居ないなどと都合よく行かせるものか。
鈴の頭に、潤の手が置かれる。
﹁すまんが、相手はもう決めたから、諦めてくれ。 それと││﹂
297
けられた。
﹁でも鈴さんは、一年で最強クラスのラウラに対してかなり善戦していたよ。 最初か
らAICの事を理解できてれば勝機もあったんじゃないかな﹂
半ば自殺行為でもあったセシリアの、接近戦でのミサイル攻撃。
信管は発動しなくとも、直接当ててしまえば問題なく爆発する。
そうして、床に叩きつけられ、尚も悠然と佇むラウラに蹴り飛ばされた後、リリムは
覚醒した。
セシリアからBT兵器をアンロックさせると、瞬く間に操作方法を把握するとラウラ
の背後から攻撃。
龍咆が効かないと分かるや否や、BTで攻撃しつつ双天牙月を投擲、龍咆で軌道をず
らしてラウラの専用機、シュヴァルツェア・レーゲンに有効打を得た。
その強襲から、
﹃停止させる物体に、集中力を多大に使う﹄というAICの欠点を見出
した。
だが、勇戦もそこまで。
シールドエネルギーがほぼ底を尽きて瞬時加速も出来ずに距離を詰められ、機体の相
性差からじりじり押し込まれて敗戦した。
﹁そうか。 AIC、そういうのもあるのか。 貴重な情報感謝する﹂
5─2 力の意味
298
トーナメントで一回戦から目的の人物と当たる可能性なんて相当低い。
遅かれ早かれ分かることだが、今から対策を取れるのは確かに有用だ。
その違いをこれでもかと見せつける。
目的を持って力を行使するものと、力の為に力を行使するもの。
完膚無きままに、ラウラが信仰する﹃力﹄でもって圧倒的な差を見せつけて勝利する。
﹁繰り返したりしないさ、あんなことは。 絶対に勝つ﹂
﹁負けんじゃないわよ﹂
﹁そうか﹂
﹁私ね。 わかるんだ、アンタが考えていることが﹂
ナーの姿。
そんな頭痛の消えない生態に辟易しつつも、それこそが潤が背中を預けてきたパート
干渉しようとする。
何時も誰彼かまわず相手を小馬鹿にした様に相手をおちょくり、隙さえあれば性的に
リリムが真面目に相対している時は、本当に珍しい。
肩越しに真剣な表情が見て取れる。
﹁なんだ﹂
﹁潤﹂
299
文句など、欠片も出せないように勝つ。
﹁ところで、もしラウラがアンタと戦う前に負けたらどうするの
ものはあった。
﹂
最初はあんな糞ガキに負けたリリムに一喝してやろうと思っていた潤だったが、得る
保健室を出る。
負けるものかよ。
負けんじゃないわよ。
やる事にしよう﹂
﹁その時は、ラウラを倒した奴を瞬殺して物語は幕を閉じる。 その後に盛大に罵って
?
その生贄は、死者の亡骸も必要であり、その亡骸の中に潤が居たことが、ありえない
魂を司る魂魄の開眼には、多くの生贄がいる。
られたあの日。
後に、潤にとって終生の祖国となるエルファウスト王国に、訳あって遺体で搬送させ
以前、鈴が何気なく口走った言葉が、今になっても後悔の念を背負わせる一言だった。
﹃初恋の相手からは裏切られて、次の恋人には死別されて女運最悪だったくせに﹄
5─2 力の意味
300
301
奇跡を生んだ。
一万近い生贄の全ての魂を使った魂魄の覚醒、死者による死者蘇生。
潤は、多くの命を踏み台にして地獄の底から蘇った。
一度は死んだことも合わさり、腐った肉を取り戻すため、肉体を強化するため研究所
に運ばれる。
そこからは、訓練とはまた違った地獄の始まり。
人の闇は本当に深かった。
人として狂っている魂魄の能力者、リリムやその他の仲間たちとの出会い
自分の家族の魂すら使ってキマイラを作る科学者、誰よりも人を愛し誰よりも賢く人
を殺める老夫婦、あらゆる生物の能力を集めた﹃完全無欠の生物﹄を開発していた施設。
そんな狂える世界の中、潤は偶然見つけた一人の孤児の少女、これも同じく魂魄の能
力者、を拾った。
未来予知という奇跡に近い特化型の能力者。
当時世界最強の剣士と名高い騎士を打ち破るため、その孤児の少女と性的なパスを作
成。
疑似的な共感現象を発生させた後に、後方の部隊と緻密な作戦を遂行し勝利。
道具として利用するために抱いた、ではリリムとなんら変わらないと思い、操を立て
5─2 力の意味
302
て正式な恋人になった。
その後も、色々辛いことも多かったが、少女の後継人になってから、事態は安定し始
め││
リリムが戦死した。
恋人でなかったものの、最高の相棒だった。
共感現象の発現が、その事実を魂レベルで立証している。
そして、共感現象が起こるほどの人間と死別すると、その死に共感して必ず発狂する。
潤も例外に漏れず、麻薬に手を染め、今まで好んでしていなかった裏仕事も精力的に
励むなど支離滅裂な行動を繰り返した。
暴力に塗れ、弱者を虐げ、血の海におぼれ、少しは気まぐれになればと、同じ魂魄の
能力者が好む異常行動も嗜んだ。
たりない、たりない、たりない。
何でもいい、この心の空白を埋めてくれ、そうでないと狂ってしまう。
暴力、酒、薬に溺れ、殺しを楽しみ、節制の無いダウンロードを繰り返した結果、迎
えた当然の結末││自我の喪失。
孤児の少女は、そんな潤を見捨ててくれなかった。
少女の魂魄適性は、潤を軽く上回る。
303
失った自我を、自分を礎にして復活させるなど、彼女なら不可能でなかったのだろう。
││止めてくれ、そんな、そんなことはしなくていい。
体中に生贄の為に、童話の﹃耳成芳一﹄の様に全身に生贄用の呪術痕跡を残した彼女
が近寄ってくる。
││誰が望んだんだ、そんなこと。 止めてくれ、頼む、お前が死んでまで生きたく
ない。
自我が復活し、目が覚めて気付いた時には、潤に覆いかぶさるようにして彼女は冷た
くなっていた。
生贄の為、両目を抉り取っているにも関わらず、彼女は笑って息絶えていた。
リリムが死んで、理性無く戦い続け、力に溺れた罰がこれだというのか。
何故死んだのか、何故死なねばならなかったのか
わからない。
誰にも祝福されず孤児として生き、ある日変な男に拾われ能力を利用され、戦争の為
に性的関係を強制され、それでもそんな血まみれの罪人の男を愛せる彼女に、なんの罪
があったのか。
力に溺れた愚行が、その報われない最後を彼女に行わせたのなら、未来永劫自分は力
に溺れたりはしない。
もし、手の届く範囲、目に映る範囲で力に溺れる奴が居れば、その愚行を正すために
全力で戦い、無意味な力の積み重ねが如何に無駄か教えてやる。
あのまま生き続けるなど、あまりに不憫すぎる。 それが、同じ道を一度歩んだ馬鹿男の務めだ。
あの馬鹿女には誰かがきつい拳骨をくれてやらねばならない。
何より、あんな馬鹿みたいな後悔を、誰かにさせるのは気が引ける。
もし負けたら、あの世界で、苦しみに塗れた過去が全て無駄になる。
俺が一番知っているから﹂
﹁力に溺れた奴に負けることだけは出来ない。それが、その先に後悔しか残らないって
5─2 力の意味
304
結果をノートに書き写す。
能力を使用する。
言っていい力を現段階で可能な限り確かめていた。
潤は自らが死の淵から蘇った際に持ち帰った異能を発現して以来、最早体の一部とも
実際に訪問した記録と合わせてみて、誤差はないか、見逃しはないかを見比べる。
ダウンロードして触れた人間の来歴を調べて書き写す。
ダウンロードの精度を調べるのは簡単だ。
る事なので殊更重要である。
規則やISの名称を覚えるために毎日ノートに写しを作っているが、今回は命に関わ
精度や性能について考えなければなるまい。
この世界に来て最初にやったことだが、今回の暴走を踏まえ、改めてダウンロードの
ダウンロードの暴走関連の調査。
を作り出した。
部屋に戻った潤はレポート用紙を取り出すと、総合受付からペンを失敬してレポート
5│3 ダウンロード
305
来訪記録の写しを見て、合っているか確認する。
地道な反復作業、その大半が徒労に終わっていく。
日にちが変わっても繰り返される作業で、潤が気づいて時計を見れば時計は4時を指
し示していた。
幾度となく繰り返されたチェックの結果、机の周りには細かく人名が書き連ねられた
レポート用紙があちこちに散乱している。
情報を自分に植え付けることで、情報と同様の行動が出来る。
物質や人物に接触することで過去の記憶や記録を得ることが可能。
精通している潤も完全な能力者ではない。
長年の戦争の積み重ねから、幾度となくダウンロード繰り返し、それゆえその能力に
もっと魂魄の能力に適性があれば、わかるものもあるのだろうか。
潤に与えていた。
ヒュペリオンで脳波を用いたシステムを起動した結果は、ライン限界に近しい影響を
ては少しの妥協もする気はない。
ダウンロードの暴走の結果、恋人も殺しているので、そのラインに近づくことに対し
大きく伸びをして、ベッドに倒れ込む。
﹁ダメだ。 こちらに不備はない﹂
5─3 ダウンロード
306
307
実際潤が知っているダウンロードの情報なんてその程度。
戦いに必要だったのがその位だった、というのもあるが、潤の魂魄制度ではこれが限
界だった。
と、なれば、原因はIS側。
事の起こりを鑑みるに脳波コントロールシステム。
だが、PDAを見る限りパトリア・グループで行われた簡易実験では何の問題もな
かった。
導き出される現実。
ダウンロードと脳波コントロールシステムが合わさると問題が起こる、らしい。
しかし、最初の事故以降、能力が暴走することはなかったのが腑に落ちない。
ならば、根本たる問題は脳波コントロールシステムではないのだ。
それがキーとなって暴走という結果になったのは間違いないが、最大の原因はコアだ
ろう。
あまりの情報量の多さと、意味不明な負荷で、読み込み不可能なままの領域。
今、潤に宛てがわれている専用機は、今日のデータを反映させるためにパトリア・グ
5─3 ダウンロード
308
ループ日本支社に預けられている。
尤も、あんな意味不明な物質を理解できるようにダウンロードしたら廃人確定路線だ
ろうが。
ヒュペリオンは、未だにまともな起動すらできる気配がない。
技術者たちが潤の機動を得た後から、データを弄りまわして調整しているが、未だに
歩行に問題ある程酷い。
第4世代技術、装備の換装無しでの全領域・全局面展開運用能力の獲得を目指した世
代を想定していると立平さんは言っていた。
ヒュペリオンの可変装甲は汎用型の通常状態から、超高機動型状態になるという第四
世代の実験機となっているとも。
この状態から射撃特化、近接特化、防御特化に変わる装備を開発して第四世代は完成
するらしい。
世界が第三世代に四苦八苦しているのに、第四世代の門戸を叩いた。
これは、かなり妙だ。
脳波制御装置といい、第四世代相当の装甲といい、パトリア・グループで技術革命が
あったのだろうか。
立平さんの話では、機体設計の時点でブラックボックスのような箇所が見受けられる
らしく、拒否しようにも極めて強い口調で可変装甲に手を加えるなと厳命されているら
しい。
それゆえ始めて機体に乗せた時には、不測の事態に備えてヘリまで用意されていた。
何があるというのだろうか、この機体に。
パトリア・グループの真の狙いは、誰にも分からない。
六月も最終週に入り、IS学園は月曜から学年別トーナメント一色に変わる。
前日まで、潤と簪は練習試合を繰り返し、お互の手札と戦闘評価を繰り返した。
これで誰が相手でもいい勝負、いや処理することが出来るだろう。
第一回戦が始まる直前まで、全生徒が雑務や会場の整理、来賓の誘導などを行った。
潤や一夏は、力仕事を任せられ、時間ギリギリまでしっかり働かされた。
それらから解放された生徒たちは着替えのため一斉に更衣室へ移動する。
男子三人だけ隔離されて更衣室を専有できるので、きっと反対側の更衣室は大混雑だ
ろう。
﹁しかし、すごいなこりゃ⋮⋮﹂
309
﹁パトリア・グループの社長までいるな。 結構なことだ﹂
﹁三年にはスカウト、二年には成長の確認、一年はオマケだろうけど、今回は一夏と潤が
いるからね﹂
ガラガラの男子用に使われている更衣室でシャルルと一夏、潤が会場のモニターを見
据える。
あまり興味のない一夏、努めて冷静であろうと装っているものの、水を飲む回数が増
えている潤。
そんな男二人を見てシャルルは、軽く微笑んだ。
﹁一夏はボーデヴィッヒさんとの対戦だけが気になるみたいだね﹂
﹁まあ、な﹂
﹂
﹁そうだ、一夏、シャルル。 言い忘れたが、もし先に俺がラウラを倒したり、一夏と先
に当たって俺が勝っても恨むなよ﹂
潤の言葉を聞いて、一夏は意地悪小僧のように晴れやかに笑った。
!
最強だと思う﹂
﹁二人共、あまり感情的になるのはよくないよ。 彼女は、恐らく一年の中では現時点で
﹁ああ﹂
﹁お前も俺が勝っても文句言うなよ。 もしかち合ったら全力で戦おうぜ
5─3 ダウンロード
310
﹁潤は⋮⋮、あいつに勝てないのか
﹂
?
﹁え
どうして
﹂
?
潤、簪ペアはCブロック。
か﹂
﹁俺はCブロック、二回戦からの出場か⋮⋮。 ラウラはBブロックで、ペアは篠ノ之
トップとして戦うのでさぞかし注目されるだろう。
一夏とシャルルペアはAブロックの一番手に名前が挙がった。
﹁ふふっ、なるほど。 なんか一夏らしい考え方だね﹂
﹁待ち時間に色々考えなくて済むだろ。 こういうのは勢いが肝心なんだ﹂
?
﹁Aブロック一回戦一組目なんて運がいいよな﹂
お預けになるだろう。
メントが見栄えが良くなる、との意見が通ったのでメインイベントは決勝トーナメント
様々な意見を集めたところ、専用機持ちは各リーグに分かれた方が、より決勝トーナ
作りの抽選方式になった。
今年だけタッグ式にトーナメントを変更したのでシステムにエラーが出たらしく、手
色々と話をしている間に、トーナメントの発表が行われ始めた。
﹁今週中にそれがはっきりする。 それでいいだろ﹂
311
5─3 ダウンロード
312
予選は十四組み、A、B、C、Dの4リーグ制で、予選リーグを勝ち残った四ペアが
決勝リーグに進む。
決勝リーグは﹃A VS C﹄、
﹃B VS D﹄で行われ、勝ち進んだペアで勝利を
かけて戦う。
順当に専用機持ちが勝ち進めば、潤と一夏が決勝トーナメント一回戦目、ラウラとぶ
つかるのは決勝までお預けらしい。
リーグ戦初日は一回戦の組み合わせが各アリーナで行われる。
各種予選リーグのペア数は十四組で、週の頭二日間で行われる試合は学園全体で九十
六試合。
一回戦は各学年バランスよく行われ、一回戦を行わなかったペアが二日目の〆を飾っ
て全生徒が一度は戦うように設定されている。
要するに潤の最初の試合は二日目の夕方からとあって、一夏とシャルルの試合を見た
後は、ナギと癒子ペアの応援の為に一年の主だった代表候補生たちとは別行動を取る事
になった。
実に、││暇であった。
﹁席取って貰って悪いな﹂
一日目はやたら暇な箒、全力でメンテナンスしても一回戦に間に合わなかったセシリ
アと鈴に合流する。
簪も誘ったが、一夏の試合観戦をする気はないらしい。
次の試合に備えている癒子とナギペアは誘うに誘えず、本音と一緒に来た。
﹁零落白夜で一気に決めたのか 一夏は必殺というものをわかってない。 ここぞと
一夏が零落白夜を発動して瞬時加速で接近、一人終了。
相手ペアを分散させ、任意の区域における行動を制限。
をいかんなく発揮し、絶え間ない弾幕を展開。
シャルルがラピット・スイッチと呼ばれる戦闘と同時進行に適宜武装を呼び出す能力
一夏ペアの一回戦。
﹁専用機持ちも居ないことですし、問題なく勝てるでしょう﹂
﹁そろそろ一回戦開始、一夏たちの出番ね﹂
313
その後、アンロックした銃をシャルルが一夏に手渡して、ペアが速攻で落とされて唖
﹁篠ノ之、鈴、一夏は教科書通りのいい攻め方をしたんだ。 少しは褒めてやれよ﹂
﹁全く同感ね。 これじゃあ相手が可哀そうねぇ﹂
いう場面で使ってこそだろうに﹂
?
然としている片割れに十字砲火して終了。
突撃する時などに援護として制圧射撃を加える。
例え正確に当らなくても、人間は自分の廻りに弾が着弾したら防御に専念したりする
ので、その隙に片方が背後に廻ったりする。
一対二になったら無理をして距離を詰めることなどせずに、十字砲火を形成して押し
込む。
セオリー通りだろうけど、なんて味気ない試合なんだ。
一夏は毎日試合があるとはいえ、全校生徒分の試合があるので一日一回しか試合がな
いというのに。
﹁うん、自分で言っといてなんだが、やっぱり味気ないな﹂
﹁そうですわ。 仮にもわたくしにクラス代表を譲られたのですから、勝ち方にもこだ
わりを持つべきですわ﹂
勝てば勝ったであれこれ文句が入り、負ければ相当に辛辣な文句を言われるのだろ
爽やかな一夏に対して、女三人寄れば姦しいとはこの事か。
の誉を高らかに示した。
馴染のメンバーで固まっていたのに気付いたのか、一夏は右手を高らかに上げて勝利
﹁全くその通りだ﹂
5─3 ダウンロード
314
う。
ね
﹂
﹂
もうちょっとギャラリー背負って戦っていることを意識しなさいよ
!
﹁全然優雅さを感じませんでしたわ
!
﹂
!
女難の意に大いに心当たりのあったシャルルは、潤の言葉に乾いた愛想笑いしかでき
﹁あはは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮一夏は女難の相を先天的に持っているのかね﹂
三人の間にある空席に誘導され、左右から非難轟々の雨あられ。
だ
﹁そうだぞ一夏。 付け入る隙を与えないというのも大事だが、魅せる戦いもまだ大事
!
﹁ちょっと一夏
﹁あちらさん達は不満があるらしいがね﹂
色を浮かべた。
潤の奥に座っていた三人の顔色を見て、何かを悟ったらしい一夏は、三人とは別の顔
その先を見る。
と言っても、などと言ってためを作って一夏の自称コーチ三人組に目配りし、一夏も
﹁セオリー通りのいい攻め方だった。 地味だが実戦ではその堅実さこそ大事な所だ﹂
﹁潤、応援ありがとな﹂
315
なかった。
﹂
﹂
﹁一夏、俺は本音と一緒に他のアリーナで行われる癒子とナギの試合を見に行くけど、一
緒に来るか
﹂
ここでさっきの戦いの反省と、今後の対策を練るんだから
﹁行く、というか行かせてください。 お願いします﹂
﹁駄目よ一夏
﹁一夏さんには何としてでも優勝して頂かなくては
﹁⋮⋮なんか、今の鈴と俺の会話変なところなかったか
鈴から妙な違和感を感じた。
﹁んー、そんな事ないと思うけどな﹂
本音はどうして走るのがあんなに遅いんだ。
﹂
間も相まって既に二人共準備の為に格納庫に移動した後らしい。
癒子とナギの試合はDブロックの第3試合と時間もあったが、別アリーナへの移動時
ことが先決である。
具体的には何かが物足りなかったような気がするのだが、今は別アリーナに移動する
?
た。
女生徒に包囲された一夏は、哀れ潤を追っていくことも出来ずに拘束されてしまっ
!
!
?
!
﹁よし、間に合った﹂
5─3 ダウンロード
316
﹁││あ、かーんちゃーん﹂
﹂
﹂
﹁姉さんから言われて⋮⋮来たんでしょう
﹂
別におぐりんについてきたら偶然だよ∼﹂
﹁本音⋮⋮なんで、此処に
なんだその無駄な才能の使い方。
だろう。
本音も簪も気付いていない様子なので、潤だけしか感じ取れないよう調節しているの
所で、簪に近寄ると途端に感じる生徒会長の気配はなんなのだろうか。
ボードを弄っている。
相変わらず試合よりプログラム作成に精を出しているようで、一人片隅で投射型キー
るとそっちに向かっていった。
潤の隣をくっつくように歩いていた本音が、ここ数日で見慣れた水色の髪の少女を見
走るより、歩く方が早いんじゃなかろうか。
﹁本音
?
?
﹂
﹁いや、クラスメイトの試合があるから本当に俺から誘ったんだが、二人とも訳ありか
?
﹁んー
?
317
簪が気まずそうに瞳を逸らす。
?
何時も通りの本音とは好対照な様子だった。
これは、簪の方に一方的な淀みがあると、魂魄の能力によって簪の感情がおぼろげな
がら感じることが出来た。
しかし、ここで変な親切心を出して踏み出そうにも、一方的な心への侵入は拒絶され
る。
簪の隣に本音を座らせて、せめて物理的な距離を近くしてあげよう。
そこまで本音が嫌いという感情を持っておらず、簪の根底には仲良くしたいという感
情が見え隠れしている。
後はこれが少しでも二人の心の距離が縮まる切欠の一つになることを祈るのみであ
る。
潤もそういう実生活での距離の近さから、本音を信頼できる土壌が出来上がった。
経験者程、時間が解決してくれることの偉大さを知っているのである。
﹁ゆーちゃんと、かがみんの相手は元二組クラス代表と三組クラス代表のペアだね﹂
﹁気にするな。 ところで相手が妙に安定しているようだけど﹂
﹁⋮⋮ありがとう﹂
ぞ﹂
﹁隣で喧嘩しないでくれてれば俺は何でもいいさ。 さて、癒子とナギの試合が始まる
5─3 ダウンロード
318
結局善戦空しく、癒子とナギはクラス代表ペアに押し負け一回戦で散っていった。
流石にクラス代表相手に勝つのは難しいだろう。
癒子とナギの実力はよく分かっている。
﹁⋮⋮クラス代表コンビとかガチじゃないか﹂
319
横に並んだ簪からIS活動記録を取得、直前まで確認事項を聞いて連携のイメージを
やっぱりと設定を戻しては再び手を加え始める。
十四時を回ると潤は早々にカレワラのコックピットに入り、設定を見直しては直し、
カレワラの武装はなるべく実弾兵装を採用することで継戦性の向上を図った。
IS学園でも、高性能ISを訓練用で仕入れてみようと考えているのだろう。
ワラを安価で購入できる取引があるらしい。
この事は学園側も承知しており、今大会を宣伝代わりにすることの代価として、カレ
潤に宛がわれる機体は、フィンランド製第三世代量産機、カレワラ。
に来てくれた。
武装の確認を行うため、午後には簪に来てくれと前もって言っておいたので時間通り
昼食は十一時に取って、戦闘中は空腹になる程度に調節する。
も取るために早々に格納庫に向かった。
宣伝目的のために訓練機の使用を禁じられていた潤は、機体と触れ合う時間を少しで
大会二日目││
5│4 カレワラ
5─4 カレワラ
320
沸かす。
格納庫に電子音が鳴り響く。
﹂
前試合が終わったことで、潤と簪の出番が回ってきた。
﹁小栗だ、︻カレワラ︼出るぞ
本音はラウラと一回戦を行い惨敗。
振っていた。
潤のあずかり知らぬところで一回戦敗退した本音とペアの相川、ナギと癒子が手を
ろう。
一夏は別のアリーナで、同時間一回戦を行わなかったAリーグのペアと戦っているだ
も今となっては気分がいい。
空から見える三六〇度の景色、空の青さは壮観で、座席が人で埋め尽くされているの
戦いの舞台となるアリーナ。
りで自分が生きている実感が持てる事の方が嬉しいと思う。
それが、強化人間として作り変えられた自分の負の部分であったとしても、この高鳴
れた。
これから野蛮な殺し合いをすると知っていた頃でも、戦闘直前には独特な興奮を得ら
毎度のことながら、この戦闘直前の高鳴りは抗いがたい魅力がある。
!
321
見に行けてやれなかったことが少し悔やまれる。
﹁なんか、随分人がいる﹂
潤の専用機から、大部分をダウングレードして出来た機体、カレワラ。
﹁映像ならともかく、カレワラの実戦公開は初めてだからな﹂
量産機機体と侮ることなかれ。
その機動性はダウングレードしてかなり落ち込んでいるもののラファール・リヴァイ
ブや打鉄とは比べ物にならない。
何度か行った模擬戦と打ち合わせから、潤が戦闘中に指揮を取ることとなった。
引っ込み思案でよく喋らない簪も、代表候補生として冷静な判断が出来るが、潤の方
が安定していると判断したのだろう。
一秒の遅れが命を失う要因となりうる場所で生き抜いていくには、そういう力もまた
必要だった。
平和な世界で競技用の為の戦いをする人間と、命を削って殺し合う人間では培われる
経験値が違う。
潤も状況を鑑みて指揮することに関しては、優れている自負があったので了承した。
﹃Cブロックの最終試合を始めます。 カウントダウン終了時点で試合を始めてくださ
5─4 カレワラ
322
い﹄
カウントがゼロになると同時に潤は、緊張しているのが手に取るように分かる相手を
見て、ISの操縦に慣れていない事を察する。
焔備とレッドパレットを量子状態から実体化させると、簪との通信を開く。
﹁まずい、これじゃあ十字砲火を受ける
﹂
残った片割れに円周を描きつつ砲火を加える。
先に円から離脱した敵機が放った焔備の弾を避け、空中で逆さになった体勢から円に
!
!
﹁同タイミングで動けないか、これなら││簪
﹂
い、それを不定期な加速をすることで回避行動を学ぶ訓練方式の技術である。
二機だけの円状制御飛翔、サークル・ロンドと呼ばれる円軌道を描きながら射撃を行
当然牽制射撃に当たることはなく、固まっていた二人の両サイドに移動する。
な連携射撃を加えてくる。
様子見に徹していた潤と簪に、及び腰になりながらも一回戦を勝っただけあって見事
﹃わかった﹄
戦主体でいこう﹂
﹁相手は随分緊張しているように見える。 接近戦に持ち込んで乱戦にするより、銃撃
323
潤と簪は、相手を戦闘不能にさせる前に一旦円周運動を中止、今度は上空へ移動する。
これで先に円から離脱した相手に背後に簪が、円に取り残された相手の目の前に潤が
付いた形になった。
﹃そのまま⋮⋮そのまま、ここ﹄
ちょっと、つよ││﹂
翻弄される形になった相手に向かって、ではなく簪は円に残された相手をミサイルで
狙い打つ。
﹁あ、味方がやられた
!
墜落後向けられる、潤と簪の焔備二丁。
精密射撃の合間を理解して、その隙間にミサイルを置いたという形だ。
カレワラからの狙撃を躱すことも出来ず、今度は簪のミサイル射撃も頂戴する。
﹃そこっ﹄
﹂
と、背後からブレードを持って大振りになっていたマニピュレータを狙撃された。
すると近くの簪に斬りかかった。
ミサイルの爆風に飲み込まれた僚機に気をとられた片割れだったが、ブレードを展開
黙。
目の前でマシンガン二丁を構えている相手に気をとられ、集中砲火を浴びた1機が沈
!?
﹁超長距離射撃パッケージ﹃撃鉄﹄、いい銃じゃないか。 簪、合わせろ
5─4 カレワラ
324
勝敗をはっきりさせるための至近距離フルオート射撃。
勝者、小栗潤、更識簪ペア﹄
あっという間にシールドエネルギーは空になった。
﹃試合終了
リーグ、週末までコマを進めた。
るペアは存在せず、お互いに一度もシールドエネルギーをきらす事のも無いまま決勝
確かにアドバンテージは絶大であり、そのまま予選リーグ通過まで潤と簪を止められ
のために何十時間もISに触れていた元軍人。
しかし、代表候補生にして自分の専用機を作ろうと勉強している生徒と、専用機作成
に拳を突き上げたものの、意識は次の試合に向けられていた。
対戦相手と握手をして互いの健闘をたたえ、パフォーマンスとして本音たちがいる方
慢心程勝利を揺るがす恐れがあるものはない。
勝って兜の緒を締めよ。
から当然﹂
﹁代表候補生だから搭乗時間が長いだけ。 私たちは他の人よりアドバンテージがある
﹁初戦なんてこんなもんだろう﹂
!
325
残るは一夏とシャルルのペア、元二組クラス代表と三組クラス代表ペア、ラウラと篠
ノ之のペアだけだ。
決戦前夜。
激励パーティー等と言い分を立てて、隣室から癒子とナギが来襲。
本音も待っていましたと言わんばかりに大量のお菓子を展開し、1030号室は甘っ
たるい匂いに包まれた。
騒ぎたいだけだろお前ら。
量に合った茶葉が必要ですわね﹄と英国貴族ご用達の高級茶葉を分けていただきまし
茶葉は量産品なので無理、と思いきやセシリアに紅茶を差し出した時に、
﹃潤さんの力
Allow time to brew.
Use freshly boiling water.
Measure your tea.
Warm the tea pot.
Use good quality tea.
﹁はい、紅茶でございます。 お嬢様方﹂
5─4 カレワラ
326
た。
代価として、学校が休みの時は紅茶を作らされているが。
まさか、ゴールデンルールを完璧に行える人が日本にいようとは、と大変感激されま
した。
貴族の女の子、その付き人に教わった紅茶のルール。
異世界の公爵家ご令嬢、その女の子の数少ない付き人でしたので、この位出来て当然
でございます。 嬉しくないが。
陶磁器製のティーポットとカップまで揃えているのはあれだ、趣味です。
﹂
﹄って怒るのも納得だわ﹂
﹁何処でこのいれかた習ったの
!
﹁なんかあったの
紅茶に関して
?
﹂
思い出したくない、思い出させないで。
して尋ねる。
うまうま、と不思議なことに飲みながら声を出す本音を置いといてナギが身を乗り出
﹁⋮⋮⋮⋮思い出させないでくれ﹂
?
のは
﹁セシリアが﹃量産品のクッキーなんかと一緒に飲むのなんて、これだから日本人という
﹁我ながらうめぇわ﹂
327
?
﹁⋮⋮余計な詮索をする娘は雪見だいふくでも頬張ってなさい﹂
ナギの口の中に突っ込まれる雪見だいふく。
うまうま、とちびちび紅茶を飲む本音の隣に避難し、必死に口の中からあふれ出す、溶
けたバニラを吸い込む姿はなんか卑猥だった。
既に仲のいい男女という垣根を越えている気もするが、三ヶ月もの間つるんだ結果で
ある。
そんな中、日本政府から支給された電話しかできない携帯電話が受信中。
﹄
コールしてきたのはパトリア・グループで馴染の立平さん。
﹃ああ、小栗さん、今大丈夫ですか
﹁ええ、大丈夫ですよ﹂
潤の不遜な物言いにも立平さんは朗らかに笑った。
さい﹂
﹁これからが本番です。 あまり調子に乗りたくないので、褒め言葉は優勝時にでも下
﹃まずは、決勝トーナメント出場おめでとうございます﹄
?
﹄
カレワラの公開宣伝は随分な成果を収めたらしく、かなりご機嫌だ。
?
﹁正直あれをベースに専用機を作ってほしい位、かなりの安定感がありますよ︵なんか
﹃カレワラはいい娘でしょう
5─4 カレワラ
328
﹃こ﹄のニュアンスが⋮⋮︶﹂
﹂
?
立平さんも知っているでしょう。 現状ヒュペリオンは誰かの補
?
三kgほど減っていますが﹂
?
﹃コックピット周辺に新たな制御モジュールを追加したんです。 それで既存の部分を
﹁このコックピット周りの重量の変化は
暫くヒュペリオンの詳細情報を四人で閲覧する。
隣には癒子と本音もいるらしく、部屋は広いのに人だけが潤のベッドに集まる。
中から顔をのぞかせた。
立平さんすら困ったような声で言った最新のPDA、少しでも見ようとするナギが背
口頭で促されPDAを最新のものへと更新する。
﹃それが、まぁとにかく最初にPDAを見てください﹄
佐無しに歩くことすら出来ないと﹁うまうま﹂ちょっと本音静かにしてくれ﹂
﹁ヒュペリオンで
すね、単刀直入に言いましょう。 準決勝と決勝、ヒュペリオンで出ませんか
﹃これからPDAファイルを更新します。 機密とかそういうのではなく、⋮⋮そうで
ンだったのかもしれない。
決勝トーナメント出場は前座で、彼らパトリア・グループの社員からすれば最低ライ
何やら大事そうな話をする展開になってきた。
﹃今日の連絡は、実はそのことに関してなのですが⋮⋮﹄
329
﹂
弄った結果です。 強度は上がっていますから、絶対危険じゃありません﹄
﹁││本社で何があったんですか
のだろう。
確かに使ってみたくなるが、そこで本当に使ってみようと言えてしまうのが技術者な
を隠せない。
だからこそ、今度ヒュペリオンに搭載された制御モジュールの完成度の高さに、疑念
潤もパトリア・グループの脳波コントロールシステム調整に携わっている。
らせていただきます﹂
﹁⋮⋮しかし、準決勝でいきなり使う気にはなれませんよ。 申し訳ありませんが見送
る程のものでして﹄
⋮⋮。 ですが、試算の結果、以前の八〇〇%以上の安定性向上が見込めると試算され
﹃私 た ち も 本 社 か ら こ の 変 な 形 を し た 制 御 モ ジ ュ ー ル を 使 え と 命 令 さ れ た 口 で し て
?
潤は、会話の中心となりそうな新制御モジュールを表示させた。
紅茶を飲みきった本音が、PDAを覗き込んで話し出す。
﹁ねぇ、おぐりん、あの制御モジュール⋮⋮﹂
﹁いえ、貴重な話を聞けましたよ。 それでは﹂
﹃そうですか⋮⋮。 すいません夜分遅くに﹄
5─4 カレワラ
330
﹁﹃束﹄って漢字に見えない
﹁ほんとだ﹂
﹂
﹁あんた、よくこんなの気付いたわね﹂
﹂
嬉しい誤算かもしれないが、しばらくこの疑念はなくならないだろう。
いや、無理だ。 時間的にありえない。 ではどうやって⋮⋮。
制御モジュールが作れるだろうか。
しかし、ヒュペリオンのデータ取得開始から、十日も経ってないのにこれだけ完璧な
データ上はそう見える。
本音の話はさておき、確かに今のヒュペリオンなら動かせるかもしれない。
?
?
﹁││確かに、ポップ体太文字だとこうなるか
331
5│5 終わりの始まり
十二時三十分までに準決勝を全消化し、十三時四十分から決勝三試合が始まる。
決勝トーナメント、第1試合は、全校生徒はもとより、世界的にも注目されかねない
戦いが始まろうとしている。
出場選手、ISにとって異例の男子三人が参加する戦い。
今まで全試合瞬殺という速攻で勝ち続けてきた、織斑一夏、シャルル・デュノアペア。
安定した試合運びで窮地とは無縁の戦いを続けてきた、小栗潤、更識簪ペア。
決勝トーナメントに限り、一つのトーナメントに絞って行われるため、ここ第一ア
リーナは超満員だった。
﹂
!
とした問題もある。
シャルルのことは一夏に丸投げしたが、ラウラの問題は一夏に任せられない、ちょっ
潤は、ラウラの件を自分で片を付けたいと思っている。
﹁わかったよ、シャルル﹂
﹁一夏、気を付けてね。 潤はこの学年で一、二を争う強さだから﹂
﹁へへっ、潤、手加減抜きだぜ
5─5 終わりの始まり
332
どうにかして諦めてくれないだろうか。
説得、してみるか
三││、二││、一││
見る。
頭の片隅でそんなことを考えながら、一回戦からなんら変わらないカウントダウンを
?
しかし、これは前もって何度も計測して求めた平均速度の結果からわかりきっていた
牽制射撃にしろ、武装切替にしろ、シャルルと比べれば簪の方が若干遅い。
高速で放たれた弾丸は、潤の頭脇をすり抜けてアリーナのバリアに着弾。
行を取る。
開始直後という距離が開いている現在、銃を展開してすぐさま攻撃出来る素早さで先
先制は簪とシャルル。
決着がつく。
いかに一夏が未熟といえど、白式の攻撃力は絶大であり、零落白夜が当たれば瞬時に
簪にシャルルを牽制してもらう。
て落とされた。
青空の元、奇しくも男子二人が同じ言葉を口にし、決勝トーナメントの火ぶたが切っ
﹁﹁俺が勝つ﹂﹂
333
こと。
此処までは想定内。
空を斬る音と、一夏の咆哮が響き、雪片弐型が潤に迫る。
﹁零落白夜は簡単に使わないか。 簪、プランAからBに移行﹂
プライベート・チャネルを介して、プランA、白式のエネルギー切れを狙った持久作
﹃⋮⋮わかった﹄
戦の変更を告げる。
二人してシャルルに銃撃を加えつつ、コストパフォーマンス最悪の零落白夜に対して
逃げに徹するというもの。
プランB、接近戦に少し難のある簪をシャルルに充てて潤が援護、一夏を潤が抑え込
﹂
?
む。
それで俺には充分だ﹄
!
し、白式は接近戦に特化した機体。
お互い勢いよくぶつかったが、カレワラが汎用性と完成度の高さを目指したのに対
う。
同じく近接用ブレードを展開し白式の攻撃を直接受け、そこを中心に火花が宙に舞
﹃セシリアと鈴を傷つけた
﹁一つ聞きたいんだが、何故お前がラウラに固執する
5─5 終わりの始まり
334
刃を重ね合わせての力比べは白式に軍配が上がる。
機体の性能差から有利を実感したのか、スラスター推力をあげて尚更押し込んでく
る。
ダウンロードしなければ押し切られるかもしれない、潤は実戦で刃をあわせて一夏の
成長を肌で感じた。
﹃認められない
何を言ってるんだ
﹄
?
﹃守る力と、争う力は違う
﹄
││ダウンロード開始、四十二通りの技術を取得。
!
織斑千冬の力に憧れた﹂
﹁姉に守られている内に姉に憧れたお前、優秀な上官に惚れ込んだラウラ。 お互いに
潤はただその光景をしっかり見据えるだけだった。
それは、一夏も無意識に潤の言葉を聞きたくないだけの様にも感じられたが。
る。
若干影を落とした潤などお構いなしに、競り合いで優勢と見た白式が連続攻撃に移
?
﹁そうか、だからお前はラウラを認められないんだな⋮⋮﹂
﹃俺がラウラに対してやるからこそ守ったって言うんだ﹄
﹁なら俺がやっても問題ないな﹂
335
突如地力の差などお構いなしにカレワラが白式を弾き返した。
際限などないように、両者は激突を繰り返し火花を散らす。
剣の理を知らぬものが見れば七対三で潤が有利に見える。
だがその真相とも言える内容は、およそ逆に三対七で一夏優勢な内容だった。
入る角度が二、三度、タイミングがコンマ二秒程遅ければ、潤が押し込んでいるよう
な光景は見れなくなる。
元々は訓練用機の接近戦ブレードと雪片弐型が、まるで吸い寄せられるかのように何
度も衝突しあった。
白式の世代差と、機体コンセプトの差を利用した連撃を、全てを受け流していく。
どお前はそこに目がいかない、何故だ
﹂ ﹁そうとも、だからお前が憤るべきは力に意味を見いだせない心の弱さなんだ。 だけ
?
一夏の連撃の合間を見計らって、ショットガンを連射。
ISは人間と違って片手で軽々しくブレードを持てる。
トガン、レイン・オブ・サタディを実体化する。
シャルルとは違いマルチタスクを用いた異質な速度のそれで、六十二口径連装ショッ
ラピット・スイッチ。
﹃何故って││﹄
5─5 終わりの始まり
336
ゼロ距離ショットガンの威力を恐れたのか、一夏が距離を取っていく。
押されていた圧力から解放された中で、不思議なぐらい頭が冴え渡り、潤の言いたい
ことが分かってしまった。
幼い頃から織斑千冬に守られてきたことからこそ、﹃誰かを守ること﹄に強い憧れを
持っていた一夏。
姉の様に誰かを守りたいという意志は姉に与えられたもので、自分の心から生まれた
意思ではない。
ラウラと同じく、心の意思が弱い状態のお前では、今回の件は任せられないから諦め
ろ。 そう潤は言いたがっている。
﹄
不思議なくらい冴え渡る考えに導かれて気付いた答え、それに対して一夏が表情を荒
げて激高した。
﹂
﹃そんなの、気にする問題じゃない
﹁違う
距離を離した一夏に対してミサイルランチャーを実体化、離れたのが仇になったこと
両者開始時点以上に距離をとって意識を試合に戻す。
潤の体験談、口が裂けても言えない内容だが、半分でかかった。
そんな、あやふやな意思のままで剣を握れば、何時かきっと後悔するぞ。
!
!
337
﹂
を察したのか、ミサイルから逃げるために一夏が更に距離を取って宙に遁走した。
﹁簪
﹃⋮⋮トラッププラン
﹄
簪は明らかに分が悪そうだったが、何とか耐え抜いていた。
ルランチャーはアリーナに捨てる。
一夏には量子格納数八発中七発というを大盤振る舞いでばら撒き、残段数一のミサイ
当初立てたプランB通りに、一夏を抑え込むことに成功した潤は、簪の援護に向かう。
!
?
シャルル残三割、一夏残り六割、簪残り六割、潤残り九割。
を浴び、シールドエネルギーを5割削られる。
勿論それを黙って許す訳がなく、シャルルは一夏を救うために焔備2丁からくる弾雨
簪には背を向けて、焔備を構えると、一夏を必要に追い回すミサイルに銃口を向けた。
したらしい。
シャルルはミサイル七つに追われる一夏を見て、新手の潤に気を配るより一夏を優先
この全く焦らない相方は、こういう時非常に頼りになる。
フィールドを見渡して、早くも状況を把握した簪が潤の行動を鑑みて尋ねる。
﹁そのつもりだ。 気付いた方が任意で発動しよう。 外すなよ﹂
5─5 終わりの始まり
338
﹁援護してやれなくて悪かったな﹂
⋮⋮あ、い、いきなり、なにを﹄
?
﹄
!
現代のパンチングマシーン換算で、魔法を使って平然と十t出しかねない奴と戦うに
麗に受け流される。
上段から振り下ろされた零落白夜は、今度は温めておいた近接ブレードに阻まれ、綺
な奴らを守れる男になりたい
﹃お前は、俺と違って頭も良いし、言い分も正しいかもしれない。 それでも俺は、大切
既にアンロックは発行済みで、簪か潤の意思1つでミサイルが発射出来る状態だ。
後は、シャルルをあの場所に誘導してやれば片が付く。
に捨てたのだ。
あれは1発しか残弾が無いのでパージしたのではなく、遠距離制御で射撃させるため
トラッププランは、先ほど潤が捨てたミサイルランチャーの射撃にある。
ぐ突っ込んでくる。
シャルルのシールドエネルギーの減りを知って、遂に零落白夜を出した一夏が真っ直
﹁来るぞ、散開だ﹂
﹃えっ
﹁お前結構いい女だな。 今まで気遣いとは無縁の連中ばかりだったからなぁ⋮⋮﹂
﹃別にいい⋮⋮。 私も⋮⋮⋮⋮フランス代表候補生と戦ってみたかったから﹄
339
はどうするか。
潤の剣がその答えとなる。
受けるのではなく、流す。
防ぐのではなく、払う。
白式という接近戦パワータイプを操る一夏は、驚異の技術力でカレワラを操る潤を押
し込むことはできなかった。
﹁全てを話してくれたシャルルすら満足に守れそうにない奴が良く言う﹂
年あれば、俺だって何か思いつく
﹄
﹃シャルは関係ないだろ それに俺はあいつに三年の猶予を作ってやれたんだ 三
何せ彼らの実力は本人たち並みに潤が把握しているのだから。
!
簪が物理シールドを展開して、シャルルの銃弾を防ぐ。
﹄
お笑い種だな
規則がそれを保証しているだろうが
!
もうシャルルにはシールドエネルギーの残量が少ない。
﹃何言ってやがる
!
﹂
以心伝心、かもしれないが、こちらも最低限のことは事前に決めてある。
そのシャルルが、一夏と潤が織りなす乱舞の合間を狙って射撃を加えてくる。
!
!
!
﹁だったら 何故俺たちは入学初日から女子と相部屋になった 何故俺は今でも本
!
﹁お前は本当に三年猶予が出来たと思っているのか
5─5 終わりの始まり
340
!
!
﹂
音と同じ部屋で生活している
集まる
何故一組には日本人が多く、これ程まで専用機持ちが
!
のほほんさんは本題に入る前に躱され、潤は察しろと言って答えてくれなかった。
どうして小栗くんと相部屋じゃないの、と。
一夏が引っ越しして一人部屋になった際、結構な数に聞かれた。
!
日本人、有事の際の専用機持ち
﹂
でも、デュノア社が
全部外部からの干渉に備えたものだ
﹃IS学園は、最初から外部から干渉を受ける前提で動いている
表だって法を破るなんて││﹄
痛いところを突かれてしまった、そう一夏は感じた。
﹁シャルルの存在そのものが表だって規則を破っている﹂
法律を制定したからと言って犯罪が無くなるのか。
!
?
ならどうすればいいのか││。
﹁もし父親が病気で危篤だから本国に戻れと言われたら
帰らないなんて選択肢は周
約束事を守らない奴らが居るから、警察はいるし、軍隊はあるし、刑務所は存在する。
単な事を忘れていた。
減るかもしれないが、犯罪が消滅した国家なんて何処にもありはしないと、そんな簡
?
!
﹁箒はハニートラップ対策、本音は生徒会からの監視、クラスメイトは身元の調べやすい
341
囲が許さない﹂
﹃⋮⋮じゃあ、俺は、どうすれば
ない。
﹄
形勢逆転を狙ってパイルバンカーを使って、潤のサポートをこなせる簪を落とすしか
しかし、潤の機体は未だほぼ無傷のままで、ここで逃げても埒が明かない。
シールドエネルギーが少ない状態で接近されれば負ける。
一発目は外したが、パイルバンカーは連射可能な仕様となっている。
て六十九口径パイルバンカーを構えたシャルルが居た。
その銃口の先には、ブレードを両手に果敢に接近戦を挑もうとする簪と、逆転を狙っ
またゼロ距離ショットガンの再来かと思いきや、銃口はあらぬ方向を向いている。
る。
再び剣の押収の合間を縫って、今度は超長距離射撃パッケージ﹃撃鉄﹄を実体化させ
﹁守るだけではなく、道を示さねばならない。 今のお前にはそれが出来んのさ﹂
!
今まさにパイルバンカーはリロードして、再びラファール・リヴァイヴ最大火力の砲
簪が思わず目を瞑る。
物理シールドを展開する暇も無かった。
﹁⋮⋮焦ったかな﹂
5─5 終わりの始まり
342
火が││。
しかし予想していた衝撃は何時までも来ない。
﹃嘘⋮⋮⋮⋮﹄
簪が目を開けると、パイルバンカーの薬莢排出部分が誤作動を起こしている。
呆然自失としている、それがシャルルを見た簪の印象だった。
簪の感想通り、恐らく狙って撃った潤以外は、アリーナ中の殆どの生徒も唖然として
いた。
﹄
ISのセンサーを信用して、接近戦の応酬のただ中で、薬莢排出部分を精密狙撃した。
﹃シャルル下がるんだ
﹂
!
二人纏めて当たってくれたのは予想外だったが、棚から牡丹餅とはこの事だろう。
その最中、仕込んでおいたミサイルランチャーが火を噴いた。
こくん、と首を動かして簪が駆け寄った一夏とシャルルから距離を取る。
﹁簪
シールド部分で防御するも、シャルルは更にエネルギーが減った。
用できなくなったシャルルでは初速が違う。
シャルルと簪が同時に気付くが、ブレードを持っていた簪、頼りにしていた武装が使
状況を早めに察した一夏が、シャルルに警告する。
!
343
地を跳ねる専用機2人に、セカンダリのグレネードをご馳走して、遂に決着はついた。
勝者、小栗潤、更識簪ペア﹄
!
﹃試合終了
5─5 終わりの始まり
344
危険が伴うのは、⋮⋮言われれば簡単に思い当たる。
千冬は世界最強で、一夏は力もなく貧弱で、それなのに同じ様な行動をしてしまえば
ただの憧れ、だけど千冬と一夏には大きな違いがある。
誰よりも近くで、強い姉に憧れていたから、何時か自分もそうなりたかった。
無責任だっただろうか、でも大切な友達を守りたいという心は間違いないはず。
誰かを守りたいと思った。
シャルルの、あの綺麗な笑顔を消してしまうかもしれない。
る。
先伸ばしは成功したが、期限が明日になるかもしれないのは結構なプレッシャーにな
の方だった。
負けたことを気に病んでいるのかと心配されたが、本当に心配なのはシャルルの今後
シャルルは、先に帰ってくれと頼みこんでこの場に居ない。
試合終了後、第一アリーナ男子更衣室で一夏はベンチに座っていた。
一夏とシャルルの戦いは終わった。
5│6 決勝戦
345
ラウラもそうなのだろうか。
一夏と同じく心の弱さがあって、それを直視できなかったから話し合う場を設けられ
なかったのか。
時間は幾らでもあったのに⋮⋮。
シャルルに時間がないかもしれない、あるかもしれないが、潤の仮説││﹃親族に不
幸があったらから帰国しろ﹄なんて文面を送られてくれば、組織としてシャルルをフラ
ンスに返すしかない。
IS学園生徒だった時と違い、フランスに帰れば自分の手は絶対届かない。
デュノア社として、少し経ってから退学届けを出せば、もう││。
うつむいて悩んでいると、何時の間にか誰かが目の前にたっていた。
潤が更衣室、一夏のすぐ近くで、腕を組んでロッカーに寄りかかっていた。
じっとこちらを見ている瞳は、ラウラと同じくらい冷たいものを感じた。
﹂
?
﹁﹃正 す だ け で は な く、道 を 示 さ ね ば な ら な い﹄他 な ら な い 俺 自 身 の 言 葉 だ。 言 い だ
﹁俺が、ここでか
﹁待っていると思っていた﹂
5─6 決勝戦
346
しっぺがやらなくてはな。 説得力がなくなる﹂
戦いの最中は、何時も高揚して喋りすぎるな。 俺もまだまだ未熟だ。
そう言って潤は一夏の隣に腰をかけた。
潤は、ポツポツ話しだした。
内容はかつて予測したデュノア社の考え方を1から辿るものだった。
プロを雇わなかった事を不審に思って、そこから考えついたデュノア社の陰謀。
シャルルが一夏に話した内容などついでに得られればいい、程度のものだった。
とでも思っているのだろう。
﹂
そして、秘密を握っている男が、年頃の女の子と同棲していれば、肌を重ねる事もあ
りえなくない。
﹁ちょっ、お、俺はシャルルの弱みに漬け込んで無理矢理なんて絶対しないぞ
﹁恋人がいるのに、表立って彼氏を口説く女は少ない。 そうだろ
﹂
恋人として紹介してくれるのが最高の形で、シャルルが子供を身ごもってくれれば計
?
﹁牽制って⋮⋮﹂
その時間の長さは、そのままその他の女子が近寄る事を牽制する力となる。
シャルルが女と周囲に知れるのが遅ければ遅いほど、一夏との同棲は続く。
﹁そんなお前の紳士的な性分を読み切れない事がデュノア社側の失敗だったな﹂
!?
347
5─6 決勝戦
348
画は完了する。
会社の後継者として専門的教育をするとでも言い繕って子供を確保、人目から遠ざけ
てモルモットにすることも出来るだろう。
よって、もしも一夏を恋人にすることが不可能と判断されたとき、シャルルは排除さ
れる。
潤は徹頭徹尾冷酷な表情のまま、明らかな狂気すら感じる瞳で喋っていた。
それでも一夏は、真剣にその話を聞き続けた。
ただの単語すら聞き逃したくなかった。
知らなかったほうが良かったかもしれないが、知って良かったとも思う。
シャルルを守るということは、そんな、嫌な大人の世界に身を晒さなければならない。
何もかも忘れて叫びたくなった。
シャルルは、││自分が思っているよりよっぽど酷い状態に陥ってた。
そして、女だとばれても一緒に暮らし、同棲していた事実を作っている。
その後、シャルルが女だと知られた時に、他の女の子たちは一度は同棲までしたこと
のあるシャルルのことが頭によぎって、アプローチする人は減るだろう。
それらは全て潤の予想通りで、もしかしたら全てデュノア社の思い通りなのかもしれ
ない。
確かに、一夏は大きな闇に翻弄されて、良いように踊らされていた。
﹁⋮⋮﹂
﹁どうしたらいい⋮⋮。 俺はどうしたらいい
﹂
世界はもっと綺麗だと思っていた││思っていたかった。
かと思うと、一夏は身の毛がよだつ思いだった。 だけど││、これから、あんな冷徹な目を浮かべてしまえるような修羅の道を、歩む
そう思うと、何時もどおりの潤がとても頼りになるように思えて仕方がない。
そして、今未熟だった自分を見て微笑んでくれるのは、潤も昔そうだったからなんだ。
だからだ。
潤があんな目を出来るのは、こんな事を予測出来るのは、きっとそんな闇の道を歩ん
ああ、そうだったのか。
一夏の弱々しい決意の言葉を聞いて、ようやく潤は微笑んだ。
﹁そうか﹂
﹁それでも、俺は誰かを力いっぱい守れる俺でいたい⋮⋮﹂
枯れた音が、僅かに声として喉を通ってくれた。
﹁それでも⋮⋮﹂
349
!
﹁お前は知ってるんだろ
ろ
﹂
そこまで1人で考え付いたんだ。 考えつくと同時にどう
やって、その状態から身を守ればいいのか、シャルルを助ける方法も想定できたはずだ
!
﹂
!
もっと大勢の人を巻き込め﹂
そが命の重さだ。 だが、二人なら五十%、十人なら十%だ。 俺達二人でも不足なら、
くたって体重四十kgはある。 背負いながら戦うなんて出来ない。 その不可能こ
﹁黙って聞け。 恥じ入ることはない、誰かを頼れ。 想像してみろ、どんなに女子が軽
﹁じゃあ
﹁一夏、俺達みたいな凡人が人一人完璧に守るのは不可能だ﹂
夏にしか分からないだろうが大切なものだ。
千冬の様に誰かを守りたい、から、自分の手で誰かを守りたい、と変化した心境は一
潤は、ゆっくり立ち上がった。
!
そんな、単純な真実を知るまで、潤は泥にまみれたんだろう。
一夏は誰かを頼れという潤を、決して情けないとは思わなかった。
ンがある。 裏向きのことも知っているだろう﹂
﹁そうだ、それでいい。 彼女なら、ドイツにも、アメリカにも、当然日本にもコネクショ
﹁千冬姉⋮⋮だな﹂
5─6 決勝戦
350
351
自分の代わりに地獄を見た、そんな馬鹿な友人をどうやって笑えばいいのか。
自分は無力かもしれない。
こんなに強くなりたいと思ったのは随分と久しかった。
どれだけ悪意溢れる道が待っていようと、目指す先が分かっているなら1歩づつ進ん
でいくしかない。
足取りは重く、心は軽く、行き先は遥遠い理想の姉の元へ。
不安定な足取りではあったが、幾分晴れやかな表情をしていた一夏とは別に、それを
見送っていた潤の表情は澱んでいった。
やってしまった。
卒業までとっておきたかった保険の1つを、さっさと切ってしまった。
一夏に言ったとおり、その保険も何時の間にか消滅している可能性もあったので、主
導権が取れているうちに何とかするのも間違いではない。
間違いではないが⋮⋮、もうちょっとタイミングというものがあるだろうに。
結局、なまっちょろい人間側なんだと改めて自覚する。
まあ、一夏はシャルルに深く踏み込んでいるので、最低限の目標を達しているとも言
える。
だけどなぁ。
手持ち無沙汰になったので、戦いの空気に切り替えるためにも格納庫に向かう。
カレワラのメンテナンスも行わなければならない。
決勝でのキーは柄だけを取り出せば、マニピュレータに隠されて見えなくなるビーム
サーベル。
格納庫では、一夏と話しているあいだにラウラペアと、クラス代表ペアの試合が終盤
に差し掛かっていた。
AICで動きを止め、相手を嬲っているとしか見えない。
篠ノ之は、それを黙認しているのか、連携を諦めているのか、ラウラに構うことなく
もう片方を抑えている。
クラス代表ペアは両者ほぼ同時にシールドエネルギーが尽きて敗戦した。
なんでヒュペリオンがここにあるんですか
﹂
負けて流れる涙には様々な理由はあるだろうが、ラウラに負けた彼女が流す涙はきっ
とただの悔し涙ではないだろう。
拍手は、殆どならなかった。
﹁立平さん
?
格納庫が少し騒がしくなったと思ったら、潤の専用機、ヒュペリオンが運ばれてきた。
?
﹁あっ、小栗さん﹂
5─6 決勝戦
352
パトリア・グループの作業員が慌ただしくカレワラとヒュペリオンの周りを動き回っ
ている。
パイロットの癖もあり
何分手持ち無沙汰で﹂
?
のような気がする。
というより、緊急事態でもないのに、テストもしてない新技術を使うのは死亡フラグ
今は無闇に新しい機体を投入するわけには行かない。
﹁お断りします﹂
﹁それで、やっぱり使って頂くわけには⋮⋮﹂
﹁わかりました﹂
ますし繊細な設定は我々では難しいので。 参照データは用意しておきますから﹂
﹁なら⋮⋮、むしろ機体ではなくてシステム面を頼めますか
?
﹁私もヒュペリオンの整備を手伝っていいですか
ヒュペリオンの整備は後々潤も行っていかなければならない。
手頃な軍手を借りて工具箱からスパナを取り出す。
か﹂
﹁七月で完成か⋮⋮。 あの制御モジュールは完成を二ヶ月も短縮させる代物だったの
そうです﹂
﹁カレワラで得られたデータを反映してるんです。 これなら七月の合宿には完成でき
353
しかし、本当にこの脳波制御モジュールは恐ろしい程精度が高い。
これは異常なことだ。
時間も、精度も、何もかも異常としか思えず、別の言い方をすれば、これだけが異質
だと言ってもいい。
ヒュペリオンが脳に絡みつくような感覚が、尚更潤に危機感を持たせた。
﹁││誰が作ったんだ、これは⋮⋮﹂
暫くして二年と三年の準決勝も順次終了し、ため息と若干の泣き声、遥かに大きい喜
び合う歓声が満ちている。
何故か二年の先輩に私を慰めて、と頼まれたが、初対面の人間を慰めるなんて難易度
高いです。
魂魄の能力で先輩の言ってほしいことはなんとなく理解できるので、当たり障りのな
いことを話した。
にとって大きなプラスになるのだろう。
自分でプログラムを組んでいる事もあって、完成品を弄っている現場を見るのは彼女
ヒュペリオンのプログラムを弄っていると、真剣に画面を見つめる簪が現れた。
﹁何か用か﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
5─6 決勝戦
354
﹂
カレワラを整備していた整備員たちも、潤のタッグパートナーである簪を追い払うこ
とができず、こちらを困った顔で見ている。
⋮⋮申し訳ないが、せっかくの機会なので完成品を見せてやるのも一興か。
プログラムを少しづつ弄りながら会話をしよう。
﹁簪、次の決勝なんだが、頼みたいことがあるんだ﹂
﹁知ってる。 ⋮⋮⋮⋮篠ノ之さんを⋮⋮相打ちの形で倒して欲しいんでしょ
プログラムを打ち込んでいた指が止まる。
﹂
お互い視線はプログラム画面、じっとしたまま動かない。
﹁││なんで
もしないでシールドエネルギーは空のなるだろう。
接近直後にアリーナ地面に向かって拡散式ミサイル弾を尽きるまで連射すれば、6発
簪を退場させるために、箒は開始直後に接近してくるだろうからそれを逆手に取る。
く、簪は銃撃戦向き。
篠ノ之箒は銃撃戦を好まず接近戦を多用する、むしろ今まで焔備すら使ったことがな
る。
ラウラと篠ノ之が連携しないのであれば、ラウラに損害なく箒を退場させる方法はあ
﹁勘﹂
?
?
355
作戦を話すあいだ、簪は一言も喋らなかった。
ただ、最後に普段通りの口調で﹃わかった﹄とだけ返した。
﹁まったく、いいパートナーだよ、お前は﹂
﹁そんなんじゃない﹂
謙遜と引っ込み思案が邪魔をしているが、たぶん簪は相当優秀なんだろう。
着々と、﹃その時﹄は迫りつつあった。
モンド・グロッソ参加者のような熟練した機動で、見に来たVIPを魅了した3年準
決勝が終わった。
一旦昼休みを挟んだものの、熱は収まることなく、アリーナを包み込んだままだった。
一年最強との前評判通り、今まで総ての相手を蹂躙し続けたラウラ・ボーデヴィッヒ。
影に霞んでいるものの高い接近戦能力を持つ篠ノ之箒。
総合戦闘能力と見事な戦略眼、双方をもって数多の生徒を片付けてきた更識簪。
ただの一度もシールドエネルギーを5割切らせることなく勝ち進んだ小栗潤。
一回戦から何も変わらないアナウンス。
﹃只今より、IS学園、一年生の部、決勝戦を始めます﹄
5─6 決勝戦
356
何も変わらないカウントダウン。
周囲の視線だけが、まるで違う熱を持っていた。
三六〇度センサーから周囲を見渡せば、癒子やナギ、本音は勿論、一夏達もやって来
ている。
流石に何人も固まって席を取れなかったのか、何時もの三人と一夏達は別々の場所に
いるが。
そういえば、一組から三人決勝に出ているなんて変な話だ。
一夏が何かを叫んでいる。
﹄
?
﹁俺が示す﹂
三││、二││、一││
力というものを﹂
﹁なら、俺は意思を持たない力が、どの位危ういか教えてやる。 そして知れ。 意志の
前ではお前も等しく有象無象だと証明してやる﹄
﹃でかい口を叩いて負けたらさぞ惨めだろうな。 このシュヴァルツェア・レーゲンの
﹁お前が負けるんだから考える必要はない﹂
﹃負けた時の言い訳は考えたか
﹃ま・け・た・ら・ぶ・ん・な・ぐ・る・ぞ﹄か、対象は潤でいいだろう。
357
﹃叩きのめす﹄
戦闘開始と共に、箒と簪が瞬時加速で突っ込んだ。
今まで潤が前衛で戦うことはあれど、簪が前衛となることはなかった。
この意外な作戦に、一瞬アリーナはざわめき、││次の瞬間静まり返った。
後に、戦いの背景と、潤の作戦を聞いた織斑千冬はこう語った。
﹃決勝でやる戦い方じゃない、馬鹿者﹄と。
箒と簪が、連射されるミサイルの爆風に巻き込まれている。
内蔵されていた拡散弾が、お互の打鉄を完膚なきままに破壊していく。
四発もしないでシールドエネルギーは空になり、広いアリーナで戦闘可能な機体は二
つだけとなった。
最初の一発目だったらワーヤーブレードで救助可能だったが、そのワーヤーブレード
は後方に下がっていった潤に狙いを定めていた。
﹂
シールドエネルギー残量ゼロの箒と簪がアリーナの端に移動していく。
な、なんだと、こんな滅茶苦茶な行動は作戦とは言わないっ
﹁⋮⋮元々、こういう作戦だった⋮⋮から⋮⋮﹂
﹁作戦
?
IS各部損傷甚大の打鉄を休ませながら、箒は憤った。
!
﹁くっ、お前、これはなんのつもりだ﹂
5─6 決勝戦
358
対して目の前の潤のペア、簪は暖簾に腕押しとばかりに開き直っている。
││最初から、あのラウラに対して一人で戦うつもりだったのか
だからだろうか。
て、表彰式では逃げ出したい気持ちだった。
そのひどく醜い様を何より己自身に突きつけられ、決勝での相手が泣き崩れるのを見
理由は単純明快、ただの憂さ晴らしのために参加した結果だからである。
かった。
そして、全国大会で優勝する栄誉も得たが、箒自身はそれを決して誇らしく思えな
特別な理由があった訳ではないが、それが一夏との大事な繋がりだと思えたからだ。
そんな中で、かつて一夏と共に励んでいた剣道だけは続けていた。
した。
箒は姉がISを開発したという関係から、政府の重要人物保護のために各地を転々と
?
力が全てだと思い、それゆえ暴力に身を委ねて醜悪な姿を晒すラウラを見て近親憎悪
を抱かずにはいられなかった。
あれはもう言ってなんとかなる領域ではない。
近親憎悪を抱くほど近しいからわかる。
﹁ラウラに勝つつもりか⋮⋮﹂
359
5─6 決勝戦
360
誰かが﹃その力は正しくない﹄と制してやらねばならない││それを潤はやろうとい
うのか。
それならば、確かに一騎打ちの形こそ望むだろう。
潤には勝ってほしいが、潤が負ければ一夏と付き合える⋮⋮しかし、ラウラの過ちは
正して欲しい、しかし一夏と特別な関係にはなりたい。
箒はそのうち考えるのを止めた。
後方に下がっていた潤は、予定通りの内容に満足して足を地面につけた。
ラウラは簪のミサイルを警戒していたのか、AICは未だに使っていなかった。
シュヴァルツェア・レーゲンとカレワラ、フィールドには黒を基調とした2機が向か
い合っていた。
呆気なくシールドエネルギーがゼロになった二機をつまらなそうな表情で見送るラ
ウラ。
シュヴァルツェア・レーゲンを用いた戦闘は対多数を想定しており、自分側が複数の
状態での戦闘を想定していない。
むしろ、まともに合同訓練をしていない相方は邪魔。
となれば、簪が抜けたのならば、完全な優位に立ったと思っても仕方がないだろう。
それは眼前に浮かぶ潤とて分かっていただろう、しかしそれを知ってやった。
これは││挑戦だ。
怖された力がどれほど異常か。
出会ったら死を覚悟しろ、その能力者は人類の天敵である、とそこまで恐怖され、畏
魂魄の能力者が異世界で何と呼ばれていたのかを。
なにせラウラ、もとより、この世界では誰も知らないのだ。
ラウラが嘲笑い、潤も釣られて唇を釣り上げる。
﹃ふん、このシュヴァルツェア・レーゲンを前に一騎打ちを挑むとは。 無謀だな﹄
361
完全な戦闘状態││潤にとって、無茶をした代価として生まれる懐かしい痛みが体に
ラウラの思考を感じ取って、攻撃箇所を把握していく。
ダウンロード : 四七通りの戦闘技術を取得、再現待機してラウラに集中する
近接ブレード : 量子展開完了
焔備 : 量子展開直前で待機完了
ビームサーベル : 量子展開直前で待機完了
パイルバンカー : 量子展開直前で待機完了
ミサイルランチャー : 量子展開直前で待機完了
ド・ピアースを使う。
今回の決めては撃鉄をパージして量子状態にされているパイルバンカー、通称シール
らこそラウラの前で使う価値がある。
傍目から見れば、一目瞭然とも言える程に分かりやすい異常を覚えてしまうが、だか
ISでの補助を受けて、安定して七つまで運用可能な状態までつり上がった異能。
マルチタスク処理開始。
5│7 DELETE
5─7 DELETE
362
走る。
﹂
ラの思考を感じて先読み、AICの発動タイミングを感じ取れ
瞬時加速で接近する潤に、ラウラが右手を突き出す。
﹁ふん⋮⋮﹂
ラウラが集中するより先に、潤は大きく右にそれた。
AICの見えない網が空をきる。
﹂
﹂
ラウラの目が驚愕に染まった。
﹁何故
!
感じろ、知れ、識れ、目を頼るな、魂魄の能力は人の根底に働きかけ司るもの、ラウ
ならば幾らでもやり様はある。
使わねばならない。
そしてAICはマニピュレータの装置から発生し、その際対象に非常に強い集中力を
ネルギーを出すようにして慣性を止める。
AICは面展開ではなく、一つの対象に集中してしか使用できない、いわば対象にエ
﹁行くぞ
!
﹁未熟だな小娘
!?
左をカバーするためにワイヤーブレードを六本全てで襲いかかってきた。
!
363
意思を持ったロープのように蠢くワイヤーブレード、それを機体全体を前後左右に揺
らすことで極力狙いを絞らせないようにして回避。
待機状態だった焔備を瞬時にマニピュレータに展開し、逆に近接ブレードを待機状態
へ。
戦闘照準の要領でタップ射撃を繰り返して牽制、するとラウラの思考回路がAICに
偏っていくのを潤が感知、瞬時加速を準備する。
武器の切り替えが熟練のマジシャンの様で、別々の武装が現れては消えて、消えては
ならば目の前の男はなんなのだろうか。
本来量子構成は一秒∼二秒はかかる、むしろそれが常識。
実際ラウラは目の前で行われている曲芸に理解が追いついていなかった。
味わっていることだろう。
自身の行動パターンと戦闘技術が、事前に相手に理解されている気持ち悪さを存分に
レードの実体化をほぼ同時に行う。
加速中に焔備の弾丸をリロードしつつ、近接ブレードを展開開始、焔備の量子化とブ
が躍り出た。
AICでアサルトライフル弾の慣性を停止させている目の前に、瞬時加速を用いた潤
﹁猪口才な。 しかし停止結界の前では無力││なにっ﹂
5─7 DELETE
364
また現れる。
BRFの予測が甘すぎた⋮⋮ありえない。
むしろ必勝を期すために想定は最悪を目指して予測行動をとっていた。
悲観よりも楽観を強いる、そんな生温いBRFなんてする気は無かったはず。
﹂
﹄
﹃私は負けないっ
!
﹁貰った
﹂
潤の首元から僅か数cmの処まで、間合いを侵食されて火花を散らす。
く。
裂帛の気合もかくやという気概、その力で振り回される刃が近接ブレードを削ってい
﹂
﹁くっ、中々やる
!
充分押し切れると予測している。
間合いこそ近接ブレードを持つカレワラより狭いが、基本的な性能では優っており、
手刀を形成。
ラウラは目の前の男から侵食されるような恐怖を吹き飛ばすように吼えて、プラズマ
されるAIC。
切り刻まれる装甲と、減りゆくシールドエネルギー、不気味なほど先読みされて回避
﹁お、おおおぉぉっ
!
365
!
先に競り合いを制したのはラウラだった。
伸びきったワイヤーブレードが再度び潤に向かって襲いかかる。
これ以上ないという程のタイミングで繰り出された攻撃だったが、またもや大道芸の
﹂
﹄
様な速度で展開されたシールドに阻まれた。
﹁クソっ
﹃何故今のを防げる
﹄
られるだけの力量を持っている。
いざ恐怖心を飲み込む事が出来れば、間違いなくラウラは、天稟の才で潤を追い詰め
余り開いているとは言えない。
少なくともISに乗って息も付かせない連続攻撃を繰り出せば、潤とラウラの力量は
越する事などで出来ない。
基礎的身体能力や反応速度、操縦などで潤が上手を取ろうと、それらで物理法則を超
途中急加速、恐らくは瞬時加速までしてワイヤーブレードを撒くことも忘れない。
そのシールドへの衝撃を利用して潤が一気に離れていく。
!?
!
!
いて一気に接近する。
酷使して罅の入ったシールドを何故か丹念に見る潤に対して、ラウラも瞬時加速を用
﹃逃がさん
5─7 DELETE
366
ワイヤーブレードで近接ブレードを弾くことも忘れない。
そのラウラに対して無防備状態だった筈の潤は自分から接近、盾で隠されていたマニ
ピュレータで握っていた、柄の様な物を突き出した。
銃にも見えず、さりとて手榴弾の類にも見えず、むしろ発炎筒と表現するのが正しい
それ。
﹂
﹄
その発煙筒の着火部分が自分の顔に向けられ、一気に刃が形成された。
﹁かかったな
﹃び、ビームサーベル
﹄
!
ISのセンサーがあれど、目の前で連続してエネルギーがぶつかり合うのは死を連想
頭を貫通していたのは間違いない。
ビームサーベルの間合い内部に居るので、シールドエネルギーと絶対防御がなければ
﹃う、ああ、あああああ
しかし、今回の大会で潤がビームサーベルを使ったことは一度だってない。
のは知っていた。
確かにフィンランドの技術者たちがエネルギー兵器の開発を強力に押し進めている
ラウラの表情が焦りで塗れる。
目の前に広がる赤色炎のサーベルがシュヴァルツェア・レーゲンを振動させる。
!?
!
367
5─7 DELETE
368
させるのに充分すぎる。
AIC││、最も自分が頼りとする第3世代兵器に頼ろうとした矢先、再び潤は距離
を取っていた。
││何故私の行動がここまで読まれる
ラでは経験の差がありすぎる。
相手の勢いを殺して主導権を得る、戦闘で言えば常套手段の駆け引きだが、潤とラウ
ワイヤーブレードとプラズマ手刀を組み合わせてもなんら変わらない。
先ほどの乱戦とは違い、ラウラは完全に防戦に徹している。
時とは別のベクトルで恐ろしく感じる。
何時か、織斑教官と戦った時も似たような事になったが、何というか潤のそれはその
その鮮やかな行動誘導に、背筋に冷たい物が迸る。
陥る。
AICを使おうとすれば、使おうと思った瞬間カウンター行動を開始し始めて窮地に
奪われる。
プラズマ手刀で競り勝っていたと思えば掌で弄ばれるかの様に誘導されて主導権を
れば待っていましたと言わんばかりに接近される。
ワイヤーブレードを伸ばせば正確に銃撃されて操作に専念できず、遠距離まで伸びき
!?
﹂
!
んな事片隅にもなかった。
││これは、冷静さを欠いているか
を割り当てる。
同時に近接ブレードの量子化スタンバイを破棄してミサイルの装填にマルチタスク
ミサイルランチャーを具現化。
相手のプラズマ手刀発現のタイミングを見計らって距離を取る。
結果になっただろう。
自己感情操作を全力で発揮していなければ、押しに押している潤が倒れるという妙な
するならば、かんなで少しずつ削られている様な激痛と表現できる。
現在ダウンロードされている戦闘技法は五百を超えており、そこからくる頭痛を表現
流石にダウンロードの連発は頭に響く。
疑心暗鬼に陥っているラウラの心を、潤は鋭敏に感じ取った。
?
戦いでは迷ったものから死んでいく、お決まりのような台詞だが、今のラウラにはそ
常に相手の掌で弄ばれているという邪念は徐々に普段の余裕を削り取っていく。
次第にラウラは自分の呼吸すら、邪魔で耳障りな騒音にも聞こえだした。
﹁クソっ、クソっ
369
﹁そんなもの││AICにはきかん
﹂
発射のタイミングで瞬時加速の準備を開始、AICが原因で拡散された弾は止まって
うだ。 が、それでいい。
だが、大部分はAICに防がれてシールドエネルギーを0にするには至らなかったよ
ゲンを包む。
当然シャワーのように降り注ぐ拡散された弾丸が、ラウラのシュヴァルツェア・レー
そして、││自分のミサイルを、自分で破壊した。
装填に割り当てられていたマルチタスクを、焔備の量子展開の補助に割り当てる。
量子化されていたミサイル五発を、ラウラの周囲に向かって発射する。
なにせAICの発動タイミングは魂魄の能力を介して筒抜けなのだから。
しかし、そのAICに頼りきっているから潤に弄ばれるのだ。
相性が悪い。
仮にも決勝に残った二人を瞬時に落とした拡散式ミサイルだが、ラウラのAICとは
!
﹂
おり、それゆえ視界を完全に遮っている。
﹂
!
!?
急接近する潤、またもやAICを利用された行動に怖気が走るが、ビームサーベルに
﹁貰ったぁ
﹁視界が⋮⋮、しまった
5─7 DELETE
370
さえ気をつければシュヴァルツェア・レーゲンは簡単には堕ちない。
そう考えた時、先程まで疑心暗鬼に陥っていた影響からか、考えなくていいことまで
考えてしまった。
﹄
今回はそれが生きた││潤は先ほど、罅の入ったシールドを丹念に見ていた││その
理由に気づけたのだから。
﹃﹃シールド・ピアース﹄⋮⋮
﹂
首元、鎖骨付近にパイルバンカーが命中する。
当然パイルバンカーを止めるためのAICは何の役にも立たない。
この為に対G訓練をした訳ではないが、結果として非常に役に立ってくれた。
る。
ラウラの頭上、瞬時加速が終わってないというのに前宙して背後に移動しようとす
をあざ笑うかの様な行動に出た。
ラウラは九死に一生を得るべく、集中して自分の勘を信じて狙いを定め、潤はその勘
ない。
パイルバンカーをピンポイントで止められなければ負けが確定するのだから仕方が
AICは先ほど集中してミサイルを止めたばかりだが、無理やり集中力を高める。
﹁そうだ
!
!
371
ISのシールドエネルギーが集中して絶対防御が発動してでも防いだものの、その為
にエネルギー残量がごっそり減っていく。
﹄
!
私は負けるのか⋮⋮こんな優男に
完敗、完敗だろう。
戦いの流れを見れば誰だって、私が善戦したなどと言わないだろう。
!
ラウラの心の中、その異変は始まった。
しかし││ここで自体は急変する。
最早勝敗は決した。
パイルバンカーをリロード││連続して放たれるパイルバンカー。
に比べれば復活が早い。
勢いよく着地し、潤も足腰全体に衝撃を受けたが、肺の空気がごっそり抜けたラウラ
ラウラの表情は苦悶に歪んだ。
腹筋や胸筋ならばともかく、鎖骨に筋肉を付けることは出来ない。
相殺しきれなかった衝撃は、簡単に内蔵に響いただろう。
﹃ぐううっ⋮⋮
5─7 DELETE
372
373
⋮⋮何故だ、何故負ける
その強さに、その凛々しさに、その堂々とした様に、自らを信じる強さに憧れた。
織斑千冬。
うのならば、その程度何とも思わない。
闇からより深い闇へと転がり落ちていこうとも、その果てに尊い光を見い出せたとい
来損ない﹄の烙印も今となっては何とも思わない。
IS訓練で遅れをとって、トップの座から転がり落ちたのも、嘲笑や侮蔑、そして﹃出
ヴォーダン・オージェの制御に失敗して、些細な切欠だ。
苦しい訓練に明け暮れた、泥を啜るような試練を乗り越えてきたはずだ。
れだけを生きる糧にしてきた。
人工合成された遺伝子から生まれた、作られた強化人間、戦いのためだけに生き、そ
なのに、どうして負ける
シュヴァルツェア・レーゲンは最高の機体、手加減などしようとも思ってない。
?
?
私はあの人のなれないというのか
!?
この人のようになりたい、そう思うのに時間はかからなかった。
なれないのか
心が
奴の言うとおりに││
?
5─7 DELETE
374
思いが
欠けているから弱いとでも言うのか。
私の苦難は、私が抱いた夢は、私の努力は無駄だった、そう言いたいのか。
敗北させると決めたのだ。 あれを、あの男を、私の力で完膚無きまでに叩き伏せる
と。
夢を否定し、力の意味を履き違え、それでいて強いあいつのあり方を、私が正してや
らねばならない。
お前の力の意義は間違っていると。
そうだ、負けられない。 負けてたまるか。
力が欲しい。
ドクン⋮⋮と、私の奥底で何かが蠢く。
何かあるのかシュヴァルツェア・レーゲン、いいだろう力があるなら、それを得られ
るというなら、空っぽの私など、何から何までくれてやる
Damage Level ⋮⋮ D.
Mind Condition ⋮⋮ Uplift.
Certification ⋮⋮ Clear.
≪ V a l k y r i e T r a c e S y s t ⋮⋮ E r r o r ⋮⋮ E r r !
﹂﹂
くぁzwsぇdcrfvtgbyhぬjみkおl ⋮⋮ boot.
﹁あああああああっ
﹁くっ⋮⋮、隠し武器
﹂
﹁ああああああ
誰かぁ
!
﹂
いや、違う⋮⋮、これは
ち、違う
!
﹂
これは、違、⋮⋮こ、なんじゃ、あああ 誰か、助け、
てラウラの全身を飲み込んでいった。
装甲をかたどっていた線は全て粘着性の高い液体に変化し、まるで泥水のようになっ
いや、変形などという生易しいものではない。
その視線の先では、ラウラが⋮⋮そのISを変形させていた。
アリーナ脇で決勝を見ていた箒と簪も、その異様な光景に目を奪われていた。
﹁これはなんだ
!?
!?
脇から中央まで飛ばされた。
それと同時にシュヴァルツェア・レーゲンから激しい電撃が放たれて、潤はアリーナ
突然、ラウラが通信関係なく身を裂かんばかりの絶叫を発する。
!
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮なにこれ﹂
?
!
!
375
﹁ラウラぁ
た。
﹂
いや、違う。 ⋮⋮アレはなんだ
﹂
?
覗き見ることができるラウラの瞳は、意識がないことが分かる酷い状態だった。
貼って側頭部に集約する。
顎と後頭部から始まって一通り顔を覆った装甲は、透明なバリアーに似た透明な膜を
洗礼されている、鎧のようなISの比べれば遥かにスマートな装甲。
存在になっていっている。
シュヴァルツェア・レーゲンの原型はとどめていない、似ているようで、全く異質な
これはそんな生易しい光景ではない。
慣れている現象だけだった。
尤もISが変形らしい変形を行うことがあるが、それはフォーム・シフトといった、見
現在の第三世代での常識として、ISは変形しない。
箒の呟きは、恐らくアリーナ観客の総ての代言だったに違いない。
?
しかし、距離が開いていたことも災いして、結局ラウラの手は、泥に包まれてしまっ
は思わずその手を掴もうとした。
助けを求めて手を伸ばしたラウラ、その手は蜘蛛の糸に手を伸ばした亡者の様で、潤
!
﹁⋮⋮VTシステム
5─7 DELETE
376
﹁⋮⋮ヒュペリオン﹂
潤はその装甲に見覚えがあった。
見覚えなどというものではなく、リリムが死んだ要因となった旧科学時代のバイオハ
ザード。
﹂
その現場で見つけ、潤がメンテナンスして、終戦まで愛用し続けたパワードスーツの
絶対回避しろ
!
姿だった。
奴の攻撃に当たるな
!
﹁ちくしょう、なんだってんだ
﹂
様に物質を喰い散らかして消滅させていく旧科学時代の兵器。
接触した箇所を文字通りDeleteしながら侵食、粒子の効力が切れるまで葉脈の
発ほど撃てていた謎の粒子。
詳しい生成方式は定かでないが、魔法の力を借りて二十四時間程のチャージで二、三
D.E.L.E.T.E.粒子。
性能がISより劣るパワードスーツが、ISより優れた軍用品足り得る最大の要素、
出来ている可能性も考慮しなければならない。
ああまで完全に再現できているのなら、
﹃D.E.L.E.T.E.粒子﹄をトレース
潤に怒鳴られて、回避範囲の広い空中に二人が移動する。
﹁簪、箒
!
!
377
5─7 DELETE
378
叫んでいる最中に、あれは正体不明の波を繰り出した。
明らかな魔力の波、そして魂魄の能力を若干感じる、小栗潤の中で今なお生み出され
るその魔力。
そう、あれは、恐らくは魂魄の能力者のトレース。
ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない。
むしろ、能力に限って言えば、その発生の経緯や強化手術を施されて戦闘特化に歪ん
でしまった今の小栗潤より遥かに良質で、精度の高い魂魄。
相手の感情を無理矢理上書きして、外面ではなく、内面から戦う意志を崩壊させる力。
簪と箒は、金縛りにあったかのように動かない。
潤が相手の魂魄の波を打ち消すように、魂魄の魔力放って、ようやく二人は動き出し
た。
ラウラを乗っ取ったアイツが、左手を上げる。
左手に、潤こそ見慣れた代物だったが、この世界では誰も見た者はいないであろう武
装が展開された。
パイルバンカーを隠していたシールドを再度展開、ほぼ光速で迫り毎秒三十発という
驚異の兵器、パルスライフルの弾丸を防ぐ。
幾つかは回避できたが、何発かはシールドで防いでしまった。
﹁シールドが限界か
﹁馬鹿野郎
﹂
かわせって言っただろう
﹂
﹂
瞬時加速、それを無理やり曲線に捻じ曲げて、なんとか簪に体当たりをする。
二人を空に移動させた判断ミスを呪うが、もう選択肢がこれしか残っていない。
か潤しか知らない。
だけど、ここに至ってはもうどうしようもなく、アリーナに当たれば観客がどうなる
﹁簪ぃぃっ
もし人体に侵食が進めば⋮⋮
しかし、D.E.L.E.T.E.粒子ならば、恐らく絶対防御を侵食する。
普通に考えれば、絶対防御がある限り死にはしないだろう。
!
うとしていた。
アリーナにあった総てのISが解析不能の警告を出しているその光が解き放たれよ
その掌に、空中から光が収束。
潤が一通り片付いたと判断したのか、右手を簪達に向ける。
ほんの少し防いだだけで、カレワラをアリーナ端まで吹き飛ばす。
余りにも頼りなく悲鳴を上げて、粉々になるシールド。
!
瞬時加速で簪の救助に向かう。
!
!
379
││カレワラの惨状を見て気づいてくれ、D.E.L.E.T.E.粒子の脅威を。
直後、光の線は、簪を突き飛ばしてその場で停止し、防御のために体の前でクロスし
たカレワラの両腕に命中。
アリーナの遮断シールドに衝撃こそ軽減されたものの、威力は絶大であり遮断シール
ドは崩壊。
潤は観客席に墜落したが、その直前に傍から見れば自殺行為とも考えられる意味不明
な行動││カレワラの強制解除を実行する。
来賓、生徒はすぐに非難を開始すること
繰り返す
﹄
トーナメントは全試合中止 状況をレベルDと認定、鎮圧のため
教師部隊を送り込む
!
﹃非常事態発令
!
!
せる程の惨状を見せた潤の姿を。
コンクリートの観客席に、生身の体を差し出し、││体の右側、至る所から骨を覗か
簪は最後までその光景を見てしまった。
アリーナの防壁による隔離が開始される。
うやく魂魄の呪縛から心を逸らすことができた。
教師陣は、機体に命中してなおアリーナの遮断シールドを突破させる威力を見て、よ
!
!
カレワラの装甲が、まるで溶けていくように消滅していく傍らで、簪の声が木霊した。
﹁あ、あ⋮⋮あっ⋮⋮﹂
5─7 DELETE
380
5│8 Open Your Heart
ラウラと潤の決着がつく直前、管制室で山田真耶と織斑千冬は2人の対戦を食い入る
ように見つめていた。
ISの戦闘を何度も見てきた真耶は、この異常な光景を理解しきれずにいた。
して鍛錬している真面目な潤に好印象を抱いている者が多い。
教師陣の中では毎日陸上部の練習に参加し、その後でトレーニングルームにも顔を出
に入るまで刃を出さなかったビームサーベル。
シールド裏で隠し、マニピュレータで隠し、重ねて隠蔽してなお飽き足らず、間合い
ラピット・スイッチと呼ぶには余りに早すぎる量子展開。
むしろカウンターの方が若干早いという、先読みというよりは予知に近い。
何度も繰り返される、潤のAICの先読みカウンター。
﹁それは││そうですが﹂
う﹂
﹁山田君、気持ちは分かるが、ボーデヴィッヒがそんな生徒でないことくらい分かるだろ
﹁⋮⋮これ、口合わせとか、している訳じゃ無いですよね﹂
381
土日にはしっかり申請してISの訓練までしている。
もう教師たちの中では、潤が弱いと思っているものは居ないだろう。
それにしても、まさかここまで強いとは。
﹁強いですねぇ、小栗くん﹂
ど理解できんのだろう﹂
﹁そうだな。 強さを攻撃力と同一だと考えているボーデヴィッヒには、小栗の強さな
﹁機体そのものが量産機と考えればまだ先があるのだろうが、これが小栗の全力だろう。
はずもない。
そう、画面の先で行われているような百%の先読みを実行できる人間など、存在する
る必要はない。
言うは易く行うは難し、それが出来てこその国家代表だが、何も完全な先読みが出来
不規則な相手の行動、その動きを予測しながら狙い撃たねば、相手にはあてられない。
避けられない事実。
国家代表の座を争って戦った山田真耶と、モンドグロッソで頂点に立った織斑千冬も
いかにデータ上知っていても初めて戦う相手とは戸惑うものだ。
﹁ああ、随分異質に感じる﹂
﹁それにしても、気持ち悪い戦いですね﹂
5─8 Open Your Heart
382
データはしっかり取ってくれ﹂
いを詰めた。
?
﹁決まったな﹂
﹁しかし、瞬時加速中に前宙するなんて。 骨折していませんよね
優勝は小栗潤と更識簪ペア。
﹁⋮⋮小栗の自己責任でやったことだ。 放っておこう﹂
ち、違う
こんなんじゃ、あああ
!
誰か、助け、誰かぁ
﹄
!
てラウラの全身を飲み込んでいった。
﹂
﹃ああああああ
﹁織斑先生
!
﹁⋮⋮状況、レベルDで警戒用意﹂
!
!
装甲をかたどっていた線は全て粘着性の高い液体に変化し、まるで泥水のようになっ
それを呼称しようとする直前、異変が起きた。
﹂
そんな中、画面の先ではパイルバンカーを取り出した潤が瞬時加速してラウラの間合
尋常な人間同士の戦いしか知らない二人は、異世界人の戦い方を質が違うと評した。
通常の人間の戦い方に比べ、相手の感情を先読みし、マルチタスクで処理を行う。
に考えても驚愕のデータですね﹂
﹁分かっています。 ⋮⋮IS適性は︻S︼、一年六月末のデータとしては、いえ世界的
383
﹁はい﹂
泥が徐々に姿を変えていき、細い装甲、顎と後頭部から始まって透明な膜を残して集
約した頭部装甲。
絶対回避しろ
﹄
カメラから覗き見たラウラの瞳は、意識知識のない人間でも異常を疑う有様だった。
奴の攻撃に当たるな
!
!
ソレと、目が合った。
体が震えた。
カメラ越しにラウラを捉えている。
体から爆発するように込み上げる悲鳴を、必死で押さえるために。
まるで吐き出るものを防ぐように、口を両手で押さえる。
考えるよりも先に、手が動いた。
怖を知ることになる。。
そして、│││次の瞬間気の弱い真耶は、その先のことを未来永劫忘れないほどの恐
べく逃げ場を確保する。
今までにないほど切羽詰まった潤の叫び声が聞こえ、対象の2人が回避行動に専念す
﹃簪、箒
!
目が合った瞬間、絶叫が管制室に響いた。
﹁うわぁぁぁぁ﹂ 5─8 Open Your Heart
384
涙が止まらない。
鬱になったかの様な感情が心を支配する。 画面の先では、一瞬でシールドをボロ雑巾のようにする超兵器を繰り出しているが、
叫ぶ方が真耶には大事だった。
潜在的な恐怖を強制的に植え付けられるなど、この世界では有りえない事だったのだ
から。
﹄
隣で絶叫する同僚を前に、若干固まっていた千冬、その間に事態は最悪の方向に流れ
ていた。
﹃簪ぃぃっ
パイロットの潤はアリーナの遮断シールドを突き破って、観客席に突っ込んでいる。
た。
潤がカレワラを強制解除した後、マニピュレータどころか、椀部パーツ全てが消滅し
ピュレータが消滅することなどありえない。
どれ程強烈なダメージを受けようとも、絶対防御が発動する手合いで、ISのマニ
カレワラの絶対防御が貫かれている。
その瞬間を、鍛え抜かれた動体視力が捉えてしまったのは、幸運な事だった。
解析不能の警告を出しているその光を、簪を庇って犠牲になった。
!
385
その酷い有様に、思わず目を背けた。
繰り返す
﹂
トーナメントは全試合中止 状況をレベルDと認定、鎮圧のため
来賓、生徒はすぐに非難を開始すること
!
﹁非常事態発令
教師部隊を送り込む
!
!
しかし││
骨が突き出た赤いふくらはぎが、ナギに最悪の結末を突きつける。
投げ出される肢体が、曲がらない場所で曲がり骨が丸見えになった右腕が、骨折して
な状態で顔を突き合わせている。
鏡ナギのすぐ真横、奇しくも最初に1030号室で隣に倒れ込んだ潤と全く同じよう
偶然にも潤は良く見知った人の近くに倒れ込んでいた。
防壁が閉まって暗くなった空間。
義務感だけが、千冬を恐怖に縛り付けずにいさせる要因だった。
何としてでも他の生徒は傷つけずに返さなくては。
どんな旧友にも見せたことがなかった焦りの表情を浮かべて非常事態を宣言する。
!
!
赤い絨緞を広げ、その中央で寝ている潤は、その胸を動かした。
﹁う││は、あ⋮⋮﹂
5─8 Open Your Heart
386
潤
!
潤
!
﹂
呼吸をしている、つまり││生きている。
小栗くん
!?
!
﹂
!
﹂
!
!
!
﹁おぐりん、おぐりん
意識ある
﹂
!?
たのか誰もが不思議に思った。
それにしても、コンクリートを破壊するほどの衝撃を受けて、何故潤が無事生きてい
声を聴いて、ようやく癒子が復活した。
﹁││わぉ、呆れるほどタフネス﹂
﹁き、ぐ、くぅぅ。 ⋮⋮う、ふ、ふぐ、はぁ、う、煩い﹂
!
口に耳を当てて呼吸をしているのを確認し、血液が詰まってないか確認する。
そして、血だるまの潤に近寄ると、的確な処置を開始した。
普段はのほほんとした本音が、有りえない真剣な表情で止める。
﹁││
手を貸して
﹁かがみん止めて 動かしたら死んじゃうかもしれないんだよ ゆーちゃん止血に
錯乱するナギを、背後から本音が抱き留めた。
彼は答えない、彼は喋らない、話す事は出来ない。
肩に触れて、少しだけ揺さぶる。
﹁小栗くん
387
身体強化││それもあるが、最後の最後まで潤は諦めていなかったのが大きい。
右足で着地し、右ひざで更に衝撃を軽減。
正面からぶつかれば即死も有りえるので、右側を下にして肘と肩で内臓を守った。
そのせいで右側がくまなく重体だが、即死だけはしないで済んだ。
異 世 界 で 死 に か け な れ る な ん て 冗 談 で も 嫌 だ が、そ の お か げ で 友 人 の 目 の 前 で、
ニュースの隠語、﹃全身を強く打って死亡﹄とならずに済んだ。
大きな欠損があり、原型を留めておらず治療不可能な状態、なんて姿を晒さずに済ん
だのだから、何が役に立つかは分からない。
﹂
?
みたいだが腫れてはいない。
不自然に変形していない、脇腹から激しい痛みを感じる様子がない、痛い部分はある
性は充分にある。
もし、肋骨が折れていたらかなりの重症、ISスーツに包まれていようと折れる可能
それでも脇腹に手を当てる。
ほんの少し右手で触れただけなのに、潤の顔は痛みに歪んだ。
重症の右手を少し動かして、脇腹に手を当てる。
﹁小栗くん、触るよ
﹁かがみん、右脇確認してあげて﹂
5─8 Open Your Heart
388
結論、打撲か炎症程度で済んでいる。
小栗君ごめん
そう言って、止血の為に傷口にタオルを押し当てている癒子と本音
﹁大丈夫、肋骨は折れてない﹂
に報告する。
くっ、は、簪は
﹂
!
教師たちが鎮圧するらしいが、今まで絶対神話だった防御が破られた事実は、教師と
捨ててきた。
カ レ ワ ラ は D.E.L.E.T.E.粒 子 の 浸 食 か ら 体 を 守 る た め に 強 制 解 除 し て
痛みで思考回路が焼きつきそうだが、それでも思考を加速度的に働かす。
ところに行かなくちゃ﹂
﹁鎮圧のため教師部隊を送るって言ってたから、さっさと避難しよ 安心して休める
?
た。
﹁⋮⋮状況は
﹂
ラウラ、どうな⋮⋮いつっ
滅茶苦茶になった右腕、特に肘あたりは手を付けられないが、手首より先は止血でき
応急措置の学習を何度も習ったことがある。
目の前で親しい人物が重傷を負った衝撃で錯乱したが、本来ならばIS学園の生徒は
!
﹁分からない、よね
?
﹁かんちゃんは、攻撃こそ当たってないけど、その後は⋮⋮﹂
?
!
389
5─8 Open Your Heart
390
言えど殺し合いを経験したことのない彼女達を恐怖させるだろう。
それに魂魄の能力で、魂を縛り付けられれば常人は行動不能になる。
強い意志を持って立ち向かわなければ、死体の山を作るだけ⋮⋮やはり最良なのは、
同じ魂魄の能力者であり、魂の呪縛を無力化できる潤が戦うのが筋だろう。
しかし、それを行う力が無ければ⋮⋮何か、何か手札は残ってなかったか
││⋮⋮ァァ。
彼はとっても優しい。
一週間共に行動すればそんな噂誤解だって分かるのに。
だねぇ、とそう言っていたのを覚えている。
クラスメイトの噂話、表情が硬くて怖いから嫌いといった理由で織斑くんの方が人気
議な人だった。
何故か知らないが、こちらの考えていることを正確に察して気を使ってくれる、不思
小栗潤は、簪にとって、数少ない理解者であった。
まるで、雛鳥の産声の様な、か細い鳴き声を聞いた時、潤の体に電流が走った。
?
きっと、自分と同じで、世界の優しさを欠片も信じていないから、人が優しくしなけ
れば優しさなんて伝わらないと、そう思っているから。
こと、自分だけがその事実に気付いたのを、少しだけ誇らしかった。
それに、彼は自分を﹃簪﹄と呼んでくれる。
姉と同じく更識と呼ばれたくなくて、ついつい言及した結果、彼は普段通り相手を呼
び捨てで自分を名前で呼んだ。
やっと見つけたヒーローは、強くて、自信に溢れて、でも少し打たれ弱さも持った人
本人は否定していたけど、やっぱり彼はヒーローだと思う。
せず、名前で呼ぶのを許して受け入れてくれる。
それもいずれ何とかなる気がする。 何時呼んだとしても決して嫌がることなんか
た。
名前で呼んでみたかったが、中々機会を見いだせないで言えずに時が経ってしまっ
﹃じゅ﹄﹃ん﹄⋮⋮、赤くなって考えるのを止めた。
部屋に備え付けられているシャワールームで、幾度となく言葉を浮かべてみた。
下の名前で呼ばせるという事は、更識家の女には重要な意味がある。
何気ない表情で、さも当然とばかりに自分の名前を呼ぶ潤を思い浮かべる。
﹁簪﹂
391
間味に溢れる人だった。
││小栗、潤。
彼となら決勝まで残れた。
想定すればするほど不利に思えるフランス代表候補生との戦いも、全く怖くなくなっ
ていた。
潤を瀕死に追いやり、今もなお教師たちに最大の警戒をされている光は既にチャージ
ラウラだったものは、着実に教師たちを追い詰めていった。
現れた教師陣が、見たこともない兵器に翻弄されて、少しずつ追いやられている。
死んでいるかもしれない。
いる。
突然の変異、自分を助けてくれた小栗潤は、酷い有様になって隔離防壁の向こう側に
が、今はそれも惨状に砕かれている。
その背中を見て後ろを歩いていれば、不思議な活力が湧いてきた││││筈だった
自信をくれる人。
﹃よし、これで行こう﹄そう言って戦う前に、不安とコンプレックスを忘れさせるほどの
5─8 Open Your Heart
392
が完了されている。
その光が怖くて誰も接近戦を仕掛けられず、かといって銃撃戦で相手をすれば、もの
の数秒でシールドエネルギーを空にする兵器が待っている。
それに、一番教師の行動を阻害するのは、無理やり植え付けられた恐怖心の塊だった。
当然戦闘範囲、アリーナ脇まで降下してがたがたと噛み合わない歯を鳴らしながら両
目と両耳を塞ぐ簪も、恐怖に囚われていた。
﹂
心の中には居ない筈の姉の姿、更識楯無の幻が浮かんでくる。
﹁ひっ⋮⋮
直接突き放たれる言葉は、うずくまって震えるだけの自分にはさぞかしお似合いだろ
﹃あなたは本当に無能なのね﹄
て消えない幻。
耳を塞ごうにも脳に直接話しかけ、瞳を閉じようとも網膜に焼付くように現れ、決し
幻が耳元で自分の名前を囁く。
恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。
恐ろしい。
魅力。
完成された美、優れた頭脳、常人を超越した肉体能力、多くの人心を掴んで離さない
!
393
う。
せっかく、全ての一年の中から自分だけを見てくれる人が居たのに。
せっかくその人と、一人では決してできなかったであろう、姉の様に決勝まで歩めた
はずなのに。
そんな片割れは、無能な自分を守ってここにはいない。
心が、体が、耐え切れない。
││たす⋮⋮けて⋮⋮。 誰か、助けて⋮⋮
風を纏って颯爽と、闇を切り裂いて堂々と、ヒーローは現れるんだ
しかし、世界は本当に優しくなんてない。
!
離れて逃げ出したくなる程恐ろしい相手にだって立ち向かうヒーローはいるはずだ。
どんな状態でも、どんな時でも、例え教師達だってどんどん距離を離して、遠巻きに
こんな時、ヒーローがいてくれたら、きっと自分を助けに来てくれるに違いない。
何かに祈るように、すがるようにただひたすら念じる。
!
潤をアリーナから退場させた光がチャージを終えていた。
アレに最も近くにいたのは簪だった。
気付けば、箒は遙か空に逃げており、教師たちは遠巻きで牽制するだけ。
﹁││││﹂
5─8 Open Your Heart
394
﹂
光が確かに簪に向けられたのを見て、再び素早く目を伏せた。
﹁簪、無事か
﹂
恐怖はもうなかった。
取っていた。
簪の体が横にされて持ち上げられて、何かに密着した腕は、確かに人間の体温を感じ
変わりに耳が捉えたのは、ここ最近で聞きなれた男性の声。
身体全体にかかるGが、痛み以外の感覚を簪の体に刻み付けた。
誰もがやられると思った、その時。
圧倒的な死の予感。
それは、余りにも簡単に、かつ直感的に死という恐怖を連想させるのに充分だった。
﹁⋮⋮⋮っ
!?
出させ、太陽がそれを綺麗に反射させた煌く機体。
抜けるように澄み渡る青空を背に、機体各所の隙間から赤色のナノマシンを僅かに噴
助けられたこと、自分がおそらく救われたことに安堵して、涙が邪魔をした。
声を聴いて、恐怖心から一転して得た安堵から、目頭が熱くなった。
?
395
重症などなかった、とでも言いたげな表情のその人は、
強敵を前にして敗北などありえぬ、と鉄の意志を物語る顔で、
絶対の死を感じさせた異常な機体を前に、欠片の気負いも無く、アリーナに舞い戻っ
た。
見ながら思った。
その全てを、例え自分がどんなに成長しようとも、はっきり思い出せると潤の横顔を
自分を救いだしてくれた時の嬉しさを、あの頼もしさを感じる声を、
優しさが、とても嬉しかったのを、
配した。
しかし、それでもその全ての質問を消し去るように、単純で明確な答えだけが頭を支
聞きたいことは山のようにある。
これほどの脅威を承知で、何故助けてくれるのか。
どうしてもっと早く来てくれなかったのか。
怪我はどうしたのか。
もっと言いたいことはあっただろうが、別の言葉がもれる。
﹁⋮⋮なんで、どうして助けて⋮⋮﹂
5─8 Open Your Heart
396
397
簪にとってのヒーローは、確かに││目の前にいた。
5│9 Wahrer Freund
﹁こちら、小栗潤︻ヒュペリオン︼です。 戦線に参加します﹂
アリーナにいた総てのISに、新型機から通信が入る。
逃げるタイミングを逃して端の方で固まっていた箒も、その声を聞いていた。
目の前で簪を抱えて上空へ舞い上がったその機体、どうやら噂の専用機なのだろう。
白と黒のツートンカラー、装甲の僅かな隙間から赤い粒子が少しずつ漏れている。
今まで教師達の中心で超然と君臨し、挑みかかってきた相手をあしらう程度だった敵
機が、ヒュペリオンを見つけた途端ミサイルポットを展開した。
それは、ようやく現れた好敵手を見つけた決闘者の様で、ヒュペリオンが来るのを
待っていたかの様でもあった。
﹂
?
出遅れた形になったが、ヒュペリオンにはマニピュレーターを使わなくていい武装も
俗に言うお姫様抱っこの状態で、潤の顔をぽけーと見たまま微動だにしない。
D.E.L.E.T.E.粒子から回避したが、その簪が動かない。
片腕を肩から首にかけて回して支え、もう片方を膝に回して簪の体を抱きかかえて
﹁簪、離れるんだ。 ⋮⋮簪
5─9 Wahrer Freund
398
﹂
!
ある。
フィン・ファンネル
!
ブルー・ティアーズは毎回命令を送らねばならず、使用中は制御に集中するためにそ
ているので、その兵器の特性をよく知っている。
命中率云々はこの際置いておいて、箒はフィン・ファンネルと似たような兵器を知っ
箒は徐々に自分に近寄ってくる潤を見て唖然となっていた。
なかった。
はたして、箒の佇む場まで辿り着く頃には三十二のミサイルはただの一つも残ってい
ままでもビーム・ライフルで撃ち落とすことが出来る。
ファンネルの弾雨から逃れた一、二発のミサイルが迫るが、その程度なら簪を抱えた
連射、一瞬にして敵機から放たれていた三十二のミサイルを貫いていく。
それらの砲門から放たれたファンネルは、宙を複雑かつ勢いよく動き回ってビームを
火を噴いた。
潤が後方に下がるのと反比例して、全十二個のビット兵器がミサイルを捉え、一斉に
閉じていた棒状のマシンがコの字型に開いていく。
ファンネルが射出されていく。
アンロック・ユニット、シールド裏に設置されているファンネルラックからフィン・
﹁行け
399
れ以外の行動が難しくなる筈ではなかったか。
そんな箒の内心などいざ知らず、ミサイルを全て叩き落とした潤が箒のすぐ近くまで
後退した。
﹁箒、簪を頼む﹂
﹁⋮⋮名前で呼ぶな⋮⋮。 まあいい、後は任せろ﹂
やはり、これだけは譲れない。
う正論を振りかざして運んでもらったのは悪いと思う。
出血時に止血等の応急処置を行ってくれる操縦者保護機能を頼りにした方がいいとい
無人機の襲来と同じくドアは閉ざされており、出血が酷い状態でただ待つ位ならば、
最後の最後まで三人揃って出撃に反対していたが⋮⋮。
ンの装着を手伝って貰った。
癒子とナギに抱えられるようにして格納庫まで避難した後、本音も加えてヒュペリオ
粉砕骨折したであろう肘と膝から、抗いがたい激痛が今なお続いている。
付かれない様になんとか絶叫を我慢している有様だった。
腕から離れた瞬間にようやく簪が声を出したが、逆に潤の方は避難していく二人に勘
箒に簪を手渡す。
﹁⋮⋮あ﹂
5─9 Wahrer Freund
400
﹃おい
小栗、何をやっている
﹄
!
﹄
!
す。 簪だって危なかった﹂
﹃それはそうだ││﹄
﹁なんということだ。 通信妨害か﹂
後 方 で 怯 え る 位 な ら 新 兵 で も 出 来 ま
いいからお前も教師部隊に任せて後方に下がっ
!
﹁そ の 教 師 部 隊 は 何 を し て る か 知 っ て ま す か
て体を休ませろ
﹃そんなボロボロの体で何が出来る
﹁織斑先生、何って、ラウラの救助です﹂
!
何も考えていないであろう抜け殻のような状態だが、潤にはラウラが泣いている様に
意識のない混濁した瞳。
﹁ラウラ⋮⋮﹂
戦えるのは潤だけかもしれない。
この世界では、強制的に恐怖を植えつけられる経験などない事を考えれば、まともに
それか、自分も魂魄の能力者であることで対抗できる。
不可欠。
言っている事実には賛同するが、魂魄の能力に対抗するには尋常でない強い心が必要
心にもないことを口に出し、自ら通信を遮断する。
?
401
しか見えなかった。
﹂
そのラウラが、泣きながらパルスライフルを実体化させる。
そんな事をしちゃいけない
!
ウラに向かって突撃する。
潤は弾丸の滝の最中に接近する決意をすると、思い切りよく機体を傾けると一気にラ
正確だが、それだけに読みやすくもある。
轟音を上げて弾を射出するラウラの周囲を旋回して回避する。
﹁意識を取り戻すんだ
!
﹂
!
!
﹁聞くんだラウラ
武器を捨てて話をしよう
ラウラぁ
!
﹂
!
無力化が不可能と悟り、言葉通り武器を量子化して手を広げて話しかけた。
!
そのまま片手に大型のライフル、レールガンを実体化させる。
刃を難なく防いだ。
ビームコーティングがなされているであろう高周波振動ソードは、ビームサーベルの
そのなぎ払い直前にパルスライフルを量子格納し、高周波振動ソードで受け止める。
武装を取り除こうと、接近してパルスライフルをビームサーベルでなぎ払う。
何故か知らないが、ラウラを撃墜する意思が低く説得することを主眼に行動する潤。
だ
﹁力に振り回されて、無駄に傷をつけて そんなんだから心の弱さにつけ込まれるん
5─9 Wahrer Freund
402
403
無論、それが意味をなさないのは、潤も知っていた。
知ってはいた⋮⋮⋮⋮知ってはいたが。
レールガンが機体スレスレを通り過ぎて地面に着弾する。
││やはり、駄目か、駄目なのか。
今なお銃口を下ろさないラウラ、潤はかつての自分を重ねていたのに気づく。
説得したかった理由に気づいたが、結局かつての自分同様にどうしようもないことも
理解してしまった。
迫り来るラウラと、その手に握る高周波振動ソードが、止まらない思考とは別にやけ
にゆっくり動いて見えた。
俺たちはよく似てるよ、ラウラ。
お前の強さは俺によく似ている、ひたむきな姿も、我武者羅に力を求める姿も。
虚ろな瞳も、静かに泣いてる様な無表情な顔も、一度俺が通った道さ。
だけど││俺と同じ轍は踏ませない。 導いてやるよ、俺が泣いた最後と違って、ラ
ウラが笑顔でいられるように。
││││⋮⋮ァァ。
産声の様な、か細い鳴き声をもう1度聞いたとき、ヒュペリオンが急激な反応を示し
た。
﹁小栗
おい小栗
クソ、通信を切ったのか﹂
!
のだ。
操縦者保護機能を頼りに避難したのだろうが、あの怪我では死ぬために行くようなも
けという言葉が当てはまるほどの重症を負っていたはずなのだ。
ラウラに対して話しかける映像を見て、少なくとも戦えるのは分かるが、潤は死にか
倒れていた真耶がようやく復帰したというのに、怒気に煽られて肩を震わせる。
管制室から全てを見ていた千冬は、その苛立ちを表すように通信機を叩いた。
!
﹄
﹃織斑さんですか どういうことです なんでヒュペリオンが起動しているんです
5─9 Wahrer Freund
?
!?
けている。
片手に持ったノートPCをなんとか画面に映るように見せつけ、必死の形相で問いか
画面に映ったのは、パトリア・グループの立平だった。
怒鳴り込む様な問いかけが通信機越しに伝わってくる。
!?
﹁どうも何も、小栗があれに乗って無断出撃した﹂
404
﹃小栗さんが
││おい
﹂
!
とができない。
﹂
円の中心でレールガンを構えるラウラだったが、円周を移動する潤に攻撃を当てるこ
ラの周囲を移動する。
そのまま、ISを知っている人ならば瞬時加速と信じて疑わない速度を維持してラウ
突然、瞬時加速をしたかのような速度でヒュペリオンが動いて躱した。
迫り来るラウラと高周波振動ソード。
表示された。
はたして立平の持つPCに、説得を諦めたのか、改めてラウラに立ち向かう潤の姿が
ムで見ることもできる。
ログに蓄積された情報をそのままPCに表示すれば、潤の戦闘情報をほぼリアルタイ
その中に機体の情報をノートPCに転送して保存する物もある。
されていた。
ヒュペリオンは今回潤の意向で使用が避けられており、様々な作成用システムが内蔵
千冬には聞こえないようにしたが、ヒュペリオンのデータを開く様に指示を出した。
立平の後ろで慌ただしく社員が右往左往する。
?
﹁なんですか、あの機動
?
405
真耶の画面には、立平が見ている映像と全く同じ映像が映し出されていた。
瞬時加速さながらの速度を維持したまま、潤が鋭角に機体を反転させてラウラを翻弄
している。
時折カーブを描いてタイミングを逸したりするものの、高速のまま鋭角に曲がる機体
に対し照準が追いついていない。
そのまま速度を維持して背後に移動。
ラウラを蹴りつけて、間髪入れずにビームサーベルで背中を何度か切りつける。
しかし、装甲が先程と違う﹂
?
﹂﹂
?
欠。
この緊急事態に潤がヒュペリオンで出撃している以上、最低限の情報開示は必要不可
立平はヒュペリオンの基礎的な知識を2人に開示し始めた。
真耶と千冬の声が重なった。
﹁﹁可変装甲
﹃可変装甲、これ程の物とは⋮⋮。 予想を超えている﹄
り返す潤の姿が映されてされている。
画面の先では、目で追うどころか﹃消えた﹄と表現出来る程の殺人的加速と静止を繰
﹁赤い粒子が、開いた装甲全体から吹き出てますが、あれは一体⋮⋮﹂
﹁⋮⋮小栗の専用機、あれが
5─9 Wahrer Freund
406
それに、その後の救助や潤の身体的負荷等のリスクを知って貰わねばな、取り返しの
つかない事がおきかねない。
﹁普段関節内部で発生されているナノマシン。 それが開いた装甲から吹き出ているか
磁波が包み込むことになったが⋮⋮。
デメリットとしてナノマシンが帯電しているので、可変装甲起動中はパイロットを電
かる関節部への負荷から守るための専用ナノマシンを散布した。
フレキシブルにスライドさせることで可動域と衝撃吸収用に特化させ、常時衝撃のか
してパイロットを守る特殊関節機構が搭載された。
負荷をかける命知らずなシステムであり、これを軽減するために機体各処の可動部に対
しかし、この無茶な仕様はISに守られているパイロットにおいてなお、常時七Gの
装甲となって設計された。
ターを作成し、常時瞬時加速をしているような機動性を確保しようと考え、それが可変
その為、機動面の継戦能力を向上させるために装甲自体を変形させ各所に模擬スラス
われた。
イギリス代表候補生との戦闘データの結果、潤には瞬時加速を多用する癖があると思
れています﹄
﹃小栗さんの専用機︻ヒュペリオン︼には特殊関節機構と超高機動対応可変装甲が搭載さ
407
ら機体そのものが赤を纏っているように見えるのか⋮⋮﹂
﹁機動は凄そうですが、その特殊関節機構、防御力に難が有るように思うんですけど﹂
て ま す か ら ね。 日 本 支 部 か ら も 苦 情 を 入 れ ま し た が、本 社 が や た ら 乗 り 気 で し て
﹃極限まで起動性を上げ被弾しないことを前提とし、防御力の低下を無視して導入され
⋮⋮﹄
説明を頭の中にいれ、再び画面に目を向ける教師二人。
常時七Gもの負荷をかける命知らずなシステム、電磁波が包み込む可変装甲。
日曜日に繰り返し行っていた訓練は、この機動を成し得るためのものだった。
その危険極まりないISは、泥に包まれたラウラ本人を救出すべく、周囲を超高速で
飛び回っている。
ビームサーベルで各所を少しづつ削り落とすべく、近づいては離れ、通り過ぎれば再
び剣の間合いに入るために反転し接近する。
﹄
!
瞬間、倒れこむようにして解放されたラウラを潤がそっと抱きしめた。
ばしゃあ、という粘着質な音を立てて、ラウラを包んでいた機体に線が走った。
雄叫びを上げ、その声の速度を遥かに置き去りしにして、ヒュペリオンが宙を舞う。
超高機動状態から更に瞬時加速を重ねて使用。
﹃おおおぉっ
5─9 Wahrer Freund
408
それが原因なのか、致命領域対応が行われずに、ヒュペリオンが量子格納され潤の体
ペリオンはエラーを出し続けている。
決勝では使わないと潤が断言した影響から、完成日の照準を合宿に合わせていたヒュ
潤の顔は、その惨状を忘れさせるような笑顔だった。
誉は、確かに潤の腕の中にあって││。
それでも、自分がしてしまった最悪の罪を、ラウラにさせずに済んだ満足感は、その
そうなっても仕方がない。
ロボロ。
その結果、操縦者保護機能が完璧ではなく、更には四肢が血まみれの状態で、体はボ
ではなく、戦闘中も随所にエラーが出続けていた。
そもそもヒュペリオンは今回使わないことが決まっていたので、現段階において完全
できない。
精度が低くなった感情操作では、痛みを和らげる程度も難しく意識を持たせることも
それを見届け、潤もまた意識を途切れさせた。
泥が崩れていく。
﹃終わった﹄
409
が崩れ落ちた。
四肢から溢れ出した血液が、バチャバチャ音をたててアリーナを汚す。
﹂
﹂
﹂
精神的支配から解放された教師部隊は、その光景を見て急いで潤の方に降り立ってい
これは時間との戦いだ
既に恐怖は感じないものの、ラウラを握る教員の手は、若干震えていた。
﹁ISを取り上げて拘束しておけ。 ドイツには私からも言っておく﹂
﹁IS学園からの急患です
道を空けて医者を
﹂
!
駐車場に降り立つと、ISをまとった人間が三人も現れたことに対して野次馬が集
!
数人がかりで、なるべく揺らさないように注意しながら、最良の速度で運搬していく。
で運び出す。
アリーナに一人だけ残し、その一人にラウラの処理を押し付けると潤を目的の病院ま
!
く。
﹂
﹁各員、小栗をそのまま病院に連れて行け 市街地飛行の手配は私の方でしておく
﹁何所かいい場所があるんですか
!
管制塔から千冬の怒声が響き、真耶から目的地までの最短経路が送られてきた。
?
!
﹁織斑先生、ボーデヴィッヒさんは
!
潤に抱きかかえられるようにして眠るラウラが引きはがされる。
?
﹁急げ
5─9 Wahrer Freund
410
まってきた。
だが、時間がない。
このままじゃ
﹂
﹂
バイタルサインが徐々に弱まってきている。
﹁心室細動が起こってます
﹂
!
!
死なないでよ
いきます
﹁除細動用意、チャージ開始
﹁手術台に乗せて
!
!
それから更に十時間後、再び目を覚ました潤は、千冬からの問い掛けに何度か反応し
も反応せず、十分程で再び眠りに就いた。
手術後五時間後に一回目、これはただ瞼を開けただけであり、千冬が何を語りかけて
あれから潤は三度目を覚ました。
た。
その日、千冬は手術の監視を行い、手術後は潤に付添う事となって眠れぬ夜を過ごし
改善すべく忙しなく動き回った。
医者が現れ、現場を引き継ぐまで、IS学園の教員は慌ただしく潤の容態を少しでも
しかし、傷自体は何の解決も見ていない。
心室細動が治まり、心臓が正常に戻ったのを確認し、若干安堵する空気が流れる。
!
!
411
5─9 Wahrer Freund
412
て喋ろうとするも、意識が混濁しているのか言葉にならない声を発するのみだった。
再び、何も起こらず潤は眠りにつく。
三度目の覚醒はそこから数十分後、今度は簡単な受け応えが可能なほど体力が戻って
おり、医学的に考えられないと医者を驚愕させた。
しかし、記憶の混濁が見られ、会話も殆ど出来ずに混乱したまま眠りについた。
この間に、次に起きた時はある程度、会話が可能と判断され、ラウラを召還。
今のラウラが寝ている潤に接触するのは危険かとも思われるが、今回の件の処遇に
色々問題があるので千冬の監視付きで待機。
そして、手術後およそ三十時間が経過したとき、潤の意識が戻った。
││││
目を見開いて瞠目する。
白い天井、時間を忘れさせる白い電灯の明かりが眩しく潤を照らした。
全く動かない全身に、しばし困惑するが、ようやく戻ってきた思考から対パワード
スーツ戦の怪我を思い出す。
包帯やギプスで全身覆われているならば、この体の重さも納得できる。
怪我自体慣れたものだったが、頭の傍で鳴り続ける規則正しい医療機器の電子音が、
やけにうるさく感じた。
全身に行き届いた麻酔が切れかかっているのか、頭も、左半身も、右半身もくまなく
痛い。
なんとか起き上がって状況判断をしようと思い、頭を上げようとした所で││額を誰
かに押さえつけられた。
﹂
?
潤としては最悪切断もありうると踏んでいたので、オペを担当した医師は随分頑張っ
特に酷い右腕は全く見通しがたってないと、静かに千冬は告げた。
症も出るだろう。 全治は不明、左側は二ヶ月程度だそうだがな﹂
撲、筋肉も炎症筋挫傷やその他多数。 骨折はほぼ全種類コンプリート。 確実に後遺
﹁今回は意識と記憶がはっきりしているようだな。 今は素直に休むんだ。 全身の打
﹁お、ぇ、は││﹂
いた。
どうやら寝ていないであろう疲労した顔で、確かな怒りの感情がありありと浮かんで
首も固定されていたので、抑えている手の元、千冬の方に目だけ這わせる。
﹁お、ら、せぇぇい
﹁体を起すな。 機器が邪魔でどうせ起きられん。 素直に寝ていろ﹂
413
て対応したのだろう。
﹂
﹄と潤の言葉を認識した千冬は、その言葉を飲み込んだ途端、
当然その優秀な医師を手配し、潤が手遅れになる前に運搬した教師たちも同様に。
﹂
あろうじて、
﹃あいつは
﹁あ、ぃ、ぅ、は⋮⋮
やりきれない怒りが渦巻くのを感じた。
﹁⋮⋮一番初めに聞くことが、何で自分の怪我じゃなくてあいつの事なんだ馬鹿野郎
われているのを見て、直様やるせなさそうに再び傍の椅子に座り込んだ。
その千冬も、相手が重症患者である事は頭の片隅にあり、更には胸部全体を機器に覆
でもわかった。
真剣なその表情の裏に、教師として彼女がどれだけ生徒の身を按じていたのか今の潤
掴みかかろうとする。
先ほど潤の体がどれ程重症か説いていた姿勢から一転、千冬は激昂したまま胸ぐらを
!
?
?
についてだな
﹂
言っていたが、たいしたものだ。 日ごろの鍛錬の成果だな。 ││それで、今回の件
﹁いや、私が大人気なかった、許せ。 それと、もう喋れるようになったのか。 医者も
﹁││すいま、せん﹂
﹁お前という奴は⋮⋮﹂
5─9 Wahrer Freund
414
?
潤が僅かに顔を揺らしたことで、それを同意と捉えて千冬は話しだした。
一応、重要案件である上に機密事項であるが、今後事情聴取をするにあたり潤のコメ
ントも必要だった。
それに、もう一つの問題にも潤の意見が求められている。
既に問題の研究所はドイツ軍の手で制圧され、研究所の資料は委員会に提出している
る。
トレースだったが、今回の問題はそれがヴァルキリーのトレースではなかったことにあ
搭乗者の精神状態、機体の蓄積ダメージ、操縦者の願望によって現れるようになった
れていた。
VTシステムは研究も開発も禁じられていたはずだが、それは巧妙に隠されて搭載さ
口を開こうとする潤を制して千冬は言葉を続ける。
﹁今は喋らなくていい、今は少しでも体を休ませろ﹂
﹁ぐ、しか、し⋮⋮﹂
載されていた事が原因だ﹂
ソの部門受賞者、ヴァルキリーの動きをトレースする代物がボーデヴィッヒのISに搭
案件、ヴァルキリー・トレース・システム、通称VTシステムと呼ばれるモンド・グロッ
﹁今からの話は委員会に提出するもので、記録として音声を録音させて貰う。 今回の
415
が、あれが何のトレースなのか判明していないらしい。
正体不明の高威力武装、ISの絶対防御を無力化する光の粒子、そして周囲総ての人
間に対するマインドコントロール。
委員会は研究員に対し尋問を繰り返しているが、研究員は口を揃えて﹃織斑千冬﹄の
トレースを施していたと言い、事実研究所の書類には彼女のデータが多かった。
そこでシュヴァルツェア・レーゲンを詳しく調べた結果、VTシステム起動時にコア
が通常とは違う状態││そもそもコアの情報がブラックボックスなので不確かだが│
│になっていたことが判明。
VTシステムの起動で、コアに何かしら影響が出たというのが委員会の見解となり、
VTシステムは、今後、より禁忌の技術として語り継がれることになるだろう。
なお今回の様な異常が発生したトレース・システムを、以後アンノーン・トレース・
モード、UTモードと呼称するのが決定した。
﹁││﹂
つかない。 よって今回最大の被害者であるお前の意志を処罰の参考にしたい﹂
ヴィッヒは学園に入学している生徒なので処罰の主導権はあるが、何もなしでは示しが
て い る だ ろ う が お 前 に は 世 界 の 男 性 人 口 分 の 二 と い う 希 少 価 値 が あ る。 ボ ー デ
﹁話に分かるようにボーデヴィッヒは今回被害者側だが、問題はお前の怪我だ。 知っ
5─9 Wahrer Freund
416
録音されてなければ聞き返したい事があったが、潤は口を閉ざして考えた。
言葉は途切れとぎれであったが、確かに潤の意志の現れだった。
﹂
?
﹁ラウラが、自分を見つめなおし、しっかりとした﹃ラウラ・ボーデヴィッヒ﹄として強
﹁そうか。 それで
もしそうなら、このうえ無いほど幸せなことだ。
は強くなったと胸を張って言えるかもしれない。
以前潤がそういう道を辿り、今ラウラに正しいあり方を示せるのならば、自分も少し
うと思う決意がある。
今は強いのか、と問われれば首を傾げるが、踏み躙ってきた死者のためにも強くあろ
潤は、嘗て迷った昔の自分が、いかに弱かったのか知っている。
千冬は黙って聞いている。
この言葉を話し終えるまで十分はかかっただろうか。
な強い女です﹂
﹁誰にも揺るがされず、自分の生き方を自分で定め進んで行けたはず。 ラウラはそん
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
導き手があれば決して誤ったりはしなかった﹂
﹁ラウラは、馬鹿です、けど、素直で、尊敬できる、いい奴なんです。 もしも、正しい
417
い個を得るまで、いかなる罪も執行を猶予するのが妥当と思います﹂
執行猶予。
犯罪を犯して判決で刑を言い渡された者が、執行猶予期間に他の事件を起こさずにす
めば、その刑の言渡し自体がなかったことになる制度。
つまり、ほぼお咎めなしと潤は言った。
﹁わかった││以上で録音は終了する。 ふふ、しかし﹃執行猶予﹄か。 ││そういう
ことだ、ボーデヴィッヒ﹂
言い放ってカーテンを開き、ベッドからドアが見えるようにする。
どうやら話を全て聞いていたであろうラウラは、扉の近くで静かに泣いていた。
嗚咽をなんとか漏らさないように苦労していたであろう彼女は、全身を覆う包帯とギ
プス、潤の重症を示す医療機器の数々に目を這わせる。
千冬に導かれ、ベッド脇まで誘導されて隣に座らされたラウラだったが、最早溢れる
涙をどうしようもできずに俯いて黙ってしまった。
それでも、潤は許すといった。
ズタズタだった。
ボロボロだった。
﹁私は⋮⋮私は、││お前に⋮⋮なんて言えば﹂
5─9 Wahrer Freund
418
自分を認め、尊敬し、許し、受け止めた。
そんな事を言ってくれる相手は今までいなかった。
謝ればいいのか、感謝すればいいのか、どうしたらいいのかラウラには分らない。
﹁もう友達だろ
違うか
?
﹂
に本当に強い者に私はなりたい﹂
﹁なあ、潤⋮⋮。 友と呼んでいいか
?
お前のことがもっと知りたい。 お前みたい
が、今なら二人きりにしても大丈夫だと判断した。
寮の入口から始まり、決勝の戦いで、二人の間にいざこざがあったことは知っている
それから二人がゆっくり話しだしたのを確認し、千冬は席を立った。
﹁なれるさ。 ラウラなら。 案外簡単にな﹂
﹁⋮⋮強いんだな、お前は。 なれるかな、私も、お前みたいに﹂
こらなかった。
本来、それを止めるべき立場にある千冬だったが、どうしても今だけは止める気がお
潤は体中が悲鳴を上げているのを承知でラウラの話に付き合う姿勢を見せた。
ラウラの手に、潤の手が触れた時、ラウラは泣き笑いのような顔で微笑んだ。
傷だらけの左腕がゆっくり動き、ベッドの端をやるせなさそうに動く手を握る。
﹁いいんだ、考える時間も、悩む、時間、も、⋮⋮ある。 ゆっくり、考えればいい﹂
419
?
﹁いや、違わないさ││││ありがとう、潤﹂
残された病室に残った二人。
その間には、千冬と一夏とは違うものの、まるで仲のいい兄妹の様な雰囲気すら感じ
取れたのだから。 そのまま二人の会話を聞き続けていたが、徐々に潤の声が小さくなって途切れ途切れ
になり、最終的に何を喋っているのかも分からなくなってしまった。
ラウラの寝るように促す声を最後に病室は静かになり、暫くするとラウラが病室の外
﹂
!
に出てきた。
﹂
!
言い切ったラウラの瞳は、今までで一番澄んでいた。
﹁⋮⋮はい。 必ず﹂
﹁││あそこまでやってくれる馬鹿は滅多にいないぞ。 感謝しろ。 大切にしろよ﹂
﹁は、はい
﹁ラウラ・ボーデヴィッヒ
5─9 Wahrer Freund
420
1│5 ユア・ネーム・イズ・
リリム
"
"
流れ行く雲を見送って、反対側のビル屋上にいる黒服に目を向ける。
﹁⋮⋮暇だ﹂
食事も出来ず、本も読めず、テレビもなければラジオもない。
寝ては起き、寝ては起き。
体力もなければ気力もない、当然魔力も生成できずに常にグロッキー状態。
怠感がある。
さりとて全身の倦怠感と激痛は健在で、痛み止めやら何やらの薬は手放せずに常に倦
た体力が戻った後は人工呼吸器が外された。
数日が経ったこともあり、元々肺が傷ついていたわけでもなく、手術によって消耗し
い。
優勝者は一年の部に簪と潤が名前を連ねたものの、他の決勝は行われなかったらし
トーナメントは事故により中止となったようだ。
七月一日。
6│1 お兄ちゃん
421
護衛、お疲れ様です。 どうせなら世間話の相手になっていただきたいのですが。 無理ですか、そうですか。
目が合う前に物陰に隠れた彼から意識を背け、再び目をつぶった。
ドアの開く音に目を覚ませば、現れたのはラウラだった。
あれからラウラは頻繁に病室を訪れて、面会ギリギリまで話をして帰っていく。
部下との接し方から、女だと公表した後にルームメイトとなったシャルロットとの付
き合い方、クラスメイトとの立ち位置、織斑教官の弟の和解というような、割かし真面
目な話。
ご飯の内容から、日本の文化について、高まってきた気温の話など割とどうでもいい
話まで。
﹂
お、お姉様
﹂
あの刺々しい雰囲気から一転、懐いた犬の様な状態になっている。
﹁││││は
?
?
﹁却下だ﹂
らはお姉様と呼ばれ慕われている。 私も潤に親しみを込めてお姉様と⋮⋮﹂
﹁そうだ。 我が隊シュヴァルツェ・ハーゼの副隊長、クラリッサというのだが、隊員か
?
﹁お姉様、元気だったか
6─1 お兄ちゃん
422
未練も躊躇もなく切り捨てる。
潤は男である、潤は男である。 大事な事なので二回言いました。
﹂
姉って、ラウラの見かけ的に妹というのは同意できるが、姉はない。
﹁何故だ
十代が多い隊員達を厳しくも面倒みよく牽引する、頼れる﹃お姉様﹄である。
年齢は二十二で部隊内の最高年齢。
ラウラの送信先、副隊長クラリッサ・ハルフォーフだった。
﹁シュヴァルツェ・ハーゼ隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒだ﹂
﹃││受諾。 クラリッサ・ハルフォーフ大尉です﹄
いた。
すぐさま立ち直って、潤と物理的な距離を置くとISのプライベート・チャネルを開
しかし、仮にもラウラは軍属の人間。
その目がほんの少し涙目になっていたのは気のせいではないだろう。
驚愕と呆然、ちょっと残念な気持ちを顔全体に表して落ち込む。
﹁な、なんだと、では何と呼べば⋮⋮﹂
だ、虫唾が走る﹂
﹁何故だ、じゃない。 俺は男だ、姉にはなれん。 それと様付けで呼ばれるのは嫌い
!?
423
﹃ラウラ・ボーデヴィッヒ隊長、何か問題が起きたのですか
﹁緊急事態ではない。 昨日の話の続きだ﹂
いう呼び方である。
クラリッサは他にもラウラに頼られ、多くの助言をした。
﹄
こういう場合は、どうすべきなのだ
?
﹃ふむ、お姉様と呼ばれるのは嫌と⋮⋮﹄
﹁ど、どうしたらいい、クラリッサ
﹂
昨日もラウラは潤の呼び名について彼女から助言を貰っていた、それが﹃お姉様﹄と
潤相手にお姉様と呼ぶのを誘導したりしたのも大体クラリッサが原因である。
?
﹄
﹁おにいちゃん
か
﹂
﹃ふむ、姉と様付けは駄目と。 では、
﹃お兄ちゃん﹄と呼べばいいのではないでしょう
?
﹂
す。 そして日本の男性達は妹と呼ばれる存在に少なからず憧れを抱いています﹄
﹃小栗潤は日本人か定かでありませんが、少なくとも日本文化に馴染があるのは確かで
?
?
?
プライベート・チャネル切断後、ラウラがお兄ちゃんと呼んで誰かの後をついていく
﹁そうか、感謝する。 通信終了﹂
﹃兄を敬う呼び名は様々ですが、一番ポピュラーなのは﹃お兄ちゃん﹄です﹄
﹁なんだと⋮⋮
6─1 お兄ちゃん
424
姿を想像した副隊長が、悶え苦しんだのは完全な余談である。
﹁ふむふむ、お兄ちゃんか││﹂
﹂
﹁⋮⋮お兄ちゃん、お兄ちゃんか││﹂
﹁駄目か
大丈夫
﹂
って、うわっ、ミイラ男だ﹂
?
﹁来ちゃった。 ってホントに酷い怪我だね
?
﹁やっほー、小栗くん、元気してる
来客、癒子、ナギ、本音の何時もの三人がやってきた。
それから暫く取りとめのない会話をしていたら、珍しくIS学園教員とラウラ以外の
潤の目頭がほんの少し熱くなった。
日に日にラウラが色物キャラになっていく。
一体全体どうなっているのだろうか、ラウラのバックにいる人物は。
﹁もういいよ、それで﹂
?
鼻腔栄養での補給はされていないものの栄養接種の為に何本も点滴がなされている。
どうやらクラスには潤の容態は話されていないらしく、ほぼ全身に巻かれた包帯と、
女三人寄れば何とやら、静かだった病室は急に喧しくなった。
﹁本音、引っ付くな。 痛い﹂
﹁おぐりん、部屋で一人はいやだよー、早く帰って来てよー、寂しいよー﹂
?
425
寝ているだけで四人と話すのも礼儀が悪いと思ったので、上体を起こす。
強烈な痛み止めのせいで体が鈍いが、起き上がれる程度に痛みを和らげてくれるので
今の状態でも何とか座れる。
﹁どけ、お兄ちゃんが痛がっている﹂
左腕にしがみついていた本音をラウラが引きはがす。
引きはがされた本音は、その行動よりラウラが言い放った潤の呼び名の方が気になっ
たらしい。
小栗君がお兄ちゃん あはは、私も今度からお兄ちゃんって呼んで
一瞬きょとんとして唖然となったものの、ナギと癒子と顔を見合わせて一斉に笑い出
﹂
?
?
した。
いい
﹁お兄ちゃん
?
﹂
?
する。
ラウラがお兄ちゃんというのはまだ理解の範疇だが、ナギに呼ばせると若干犯罪臭が
ナギが悪乗りしてお兄ちゃん、お兄ちゃん、連呼してくる。
﹁良いんだ、ラウラ。 いいんだ⋮⋮﹂
﹁ふむ⋮⋮変だったか
﹁おぐりんが、お兄ちゃん。 はまり役過ぎる﹂
6─1 お兄ちゃん
426
同じ黒髪なので兄妹に見えなくもないし、肉体的に大人な彼女に言われると、そうい
うプレイに見えてしまう。
潤が入院してからの事を四人から、何気ない調子で尋ねる。
どうやら決勝戦は一年以外中止になったので、優勝者は男子と付き合えるという話は
無しになったらしい。
潤のお見舞いが今日から申請者のみ解禁になったものの、お見舞い希望者が三十人位
いたらしく申請用紙の争奪戦になったとか。
陸上部が奪い合いした挙句、リアルマネー取引が発生、千冬から雷が落ちたとか。
﹂
!
﹁は、はは、そうだな⋮⋮﹂
﹁それは世界中でそうなんじゃないかなー﹂
らな﹂
﹁去年の今頃、IS学園に男子生徒が二名入学するなど、ドイツでは誰も信じんだろうか
に傾倒しやすくなっているみたいだしね﹂
﹁環境が特殊だったから恋愛は諦めていたのに、急に男子が入ったから、学園全体が恋愛
﹁いや、私の予想では、興味が無いようでも陸上部全員興味津々と見た
ジャーみたいな立ち位置で、部員からは腫物を扱うような関係だったが﹂
﹁陸 上 部 も 来 た が っ て い た の か、な ん か 意 外 だ な。 一 緒 に ト レ ー ニ ン グ す る マ ネ ー
427
乾いた笑い声を上げる潤にも、それは当てはまる。
日本の小学六年生当時、来年異世界に飛ばされるなんて誰も信じなかっただろう。
異世界で人を殺しまわっている時に、来年は平和な学校生活を謳歌しているなんて信
じなかっただろう。
事実は小説よりも奇なりである。
﹁あ、また誰か来たっぽい⋮⋮、って、かんちゃんだー﹂
病室前をうろうろしていた人影を目敏く見つけ、本音が駆け寄っていった。
擦りガラス越しに判断できるとは、何時ものほほんとしている割に洞察力やら観察力
やら高い本音らしい。
というより、簪も来たのか。
意外だった。
IS学園の制服、相変わらず華奢な体つき、そして、怪我は││。
きた。
本音に抱き付かれて動きにくそうにしていたが、ようやく顔が見られる所まで入って
本やら花やら持って簪が入ってくる。
﹁や、やめて⋮⋮抱きつかないで⋮⋮。 あっ、あっ⋮⋮﹂
﹁かーんちゃん、やっぱりおぐりんのこと心配だったんだね。 えへへー﹂
6─1 お兄ちゃん
428
﹁うん、怪我は無さそうだな。 安心した﹂
⋮⋮何で││こんな、大、怪我⋮⋮﹂
﹂
潤の、足の部分に。
﹂
﹁かんちゃん
﹂
?
﹁いっつ
衛生兵、違う、ナースコールが必要か
顔を真っ青にした挙句、割かしかわいらしい声を上げて倒れ込んだ。
﹁あぅっ﹂
そのギプスで固定されている足やら腕やら、点滴の管を何度も見比べて││││
だった。
そのことはラウラや潤にも通達されていない、学園側だけが知っている頭の痛い案件
落としてしまった方が安全だ、という医師の勧めもあったほどの重症。
右肘と右膝は患者の体力の関係、そして今後の容態次第では命の危険性もあり、切り
全身の打撲、筋肉も炎症筋挫傷やその他多数、骨折はほぼ全種類コンプリート。
は知らなかったようだ。
実際UT状態のISと交戦したパートナーにも話していなかったのか、簪も潤の容態
潤の包帯姿を足から顔までゆっくり見て簪が呟く。
﹁えっ
?
﹁あっ、お、お兄ちゃん
!?
!?
!?
429
﹁大丈夫、大丈夫だ。 部屋隅にある脚部エレベーティング仕様の車椅子を持ってきて
﹂
くれ。 本音、簪をベッドに。 ラウラ、椅子に移るから手伝ってくれ﹂
﹁ベッドから出て大丈夫なの
てたまらない。
﹁しかし、何故倒れたんだ
﹂
起き上がって話を出来る程には回復したが、全身錆び付いたブリキ人形の様で、痛く
むしろ全然大丈夫でないが虚勢を張るのは男の特権である。
﹁右腕と右足以外は二月もあれは治る程度だしな、それに少し風も浴びたい﹂
?
ならショックだよ
﹂
﹁多少気のある男子が、自分を庇って大怪我してミイラ男になっていたら、普通の女の子
?
りに病室以外の風景を見ることとなった。
点滴はキャスター付きで一緒に移動可能と条件も良く、ナギが後ろから押し、久しぶ
潤が車椅子に移動した後、本音が簪をベッドに寝かせる。
した。
なまじ本物の軍属だったので、怪我に対する意識が普通と違うのは仕方がないと納得
﹁そういうものか⋮⋮﹂
?
﹁おっ、潤。 って、すげー怪我だな﹂
6─1 お兄ちゃん
430
﹁ミイラ男みたいですわね⋮⋮﹂
﹁あの状態で、あんな機動していたのか
﹂
人体とは不思議なものだな⋮⋮﹂
﹁うわー、もう車椅子に乗って大丈夫なの
?
やっぱ単純だわ、あんた﹂
?
﹂
!
生まれてこのかた生の重症患者など見たことなどないセシリアは潤の容態など分か
﹁あはは、その何時になく必死な表情、逆に面白いわ﹂
﹁ちょっと待て、ガタガタ揺らすな、痛いっての
点滴の台も奪った鈴は、屋上に向かって颯爽と駆け出した。
のが辛い。
魂魄の能力は使用出来ず魔力もなし、この状態では碌に異常を調べることすら無理な
しかし、どうにも鈴と話すと違和感を覚える。
に腕押し状態である。
カラカラ笑いながら車椅子の操縦を奪う鈴に、何とか首を傾げながら反発するも暖簾
﹁何、図星
﹁黙ってろ、鈴﹂
その後ろにも陸上部の面々が数人いた。
本音に簪を任せて移動し、廊下に出た矢先に一夏達五人と合流する。
﹁いや、絶対やせ我慢よ、それも我慢は男の特権とか思っているわね﹂
?
431
らないだろうが、それ以外の面々は戦々恐々である。
もし倒れでもしたら、そう考えたナギと癒子は急いで二人を追いかけていった。
﹁それにしても、潤って笑顔が似合うタイプだよな﹂
﹁そういえば、笑っていましたわね﹂
ふむ⋮⋮﹂
﹁潤の笑顔なんて僕は初めて見たかも。 あっちの方がいいね、話しかけやすいし﹂
﹁笑顔になると印象が良くなるのか
ンバーを見つけるまで時間はかからなかった。 ふくよかな婦長に見つかり、無茶をしていた潤諸共かみなりを落とされている先行メ
鈴の奇行を伺っていた一夏達も、急ぎ足で廊下を歩く。
俺たちも急ごうぜ﹂
﹁なんにしても、お見舞いに来て元気になってくれれば、来た甲斐もあったってもんだ。
?
簪はお見舞いに来たのに気絶してベッドを占有した気恥ずかしさから、起きてすぐ本
日が落ちて騒がしかった病室が途端に静かになる。
手を振ってお見舞いにやってきたメンバーが一斉に帰っていく。
﹁陸上部一同待ってるからねー﹂
﹁じゃあな、潤。 無理しないでゆっくり休めよ﹂
6─1 お兄ちゃん
432
音と一緒に帰ったらしく病室にはいなかった。
IS委員会の息がかかった人員が看護をしているので、滅多な事では誰も来ない。
ほぼ女子高と言える華やかなIS学園にいるせいか、一人でいると妙に寂しくなる。
││しかし、魂魄による制御が出来ないと、ついつい感情が表に出てしまうな。
紫色に変化した黄昏の空を見て思い浮かべるのは、何時も通り昔の事。
戦い続ける中で感情の揺れ動きは必要ないと思って打ち消していたが、生憎今は制御
の源たる魔力が欠片もない。
生の感情をさらけ出して戦うなど品性に欠ける、と誰かは言ったがそれ以前に不必要
な感情は敗北の要因である。
そうだったのに││、少し感情制御が出来なくなるとすぐこれだから困る。
ただ最後に││、簪とは印象の違う、水色の髪をした女性を見た気がした。
少し目を瞑って休もうとすれば、たちまち体は休息に入った。
ると同義。
起きているだけで体力を奪う現在の容態は、言うなれば何時でも休息を必要としてい
﹁駄目だな、さっさと寝てしまおう﹂
433
6│2 仲を取り持つもの
﹁││││﹂
寝すぎて頭が痛いのか、寝られないほど痛いから起きたのか自分でも分からない。
朝日はとうに登っていた。
昨日無理矢理座ったり、車椅子に乗って潮風を浴びたりしたせいで疲労困憊の上に全
身痛い。
未だ起きることを拒んでいる意識で病室を見渡す。
﹂
そして、左腕付近に水色の物体が乗っているのを発見した。
?
そうこうしている間に、だいぶ思考回路が正常に戻り、状況のおかしさを理解してき
奴じゃないし、病室にいること自体変だ。
癖毛が外側を向いている髪の毛、簪は内側を向いているし、そもそもこんな事をする
相手が起きないように注意しつつ││││違うそうじゃない。
シーツがはだけていたので、動かしづらい左手でなんとかかけ直す。
人肌の温もりが左半身から伝わってくるに、たぶん人の頭部じゃないかと思った。
﹁││││簪
6─2 仲を取り持つもの
434
た。
屋上にいるはずの、護衛役の黒服が居ない。
﹁誰だコイツ﹂
﹂
手足が動かない、毒でも盛られたかと思ったが、手足が動かないのは当然だと気付く
のにも時間がかかった。
﹂
﹁やあやあ、随分遅い起床だね少年。 無茶しすぎよ
﹁お前は敵か、味方か。 どっちだ
﹁今日から私がIS学園から護衛、看病、生活補佐諸共のヘルパーとして派遣されたか
挨拶してきた。
思いのほか派手な下着をつけた彼女は、朝の清々しい空気を体現するように気さくに
TPOは何処に消えた。
た。
││なにか、記憶に靄がかかって思い出せないが、すごく懐かしいモノを見たきがし
背中からワイシャツと、下着だけの姿が写る。
起こした。
鉄のように冷たい声色で問い詰める潤に対して、水色髪の女は飄々と答ええて上体を
﹁⋮⋮動機、過程、そんなことより結果か。 成程、思った以上に優秀な戦士なのね﹂
?
?
435
ら、よろしくね。 旦那様﹂
﹁⋮⋮一体なんだという﹂
起き上がって制服を着だした彼女、未だに敵か味方か分からないが取り敢えず視線は
外しておく。
もし敵だったとしてもまな板の上の鯉なのでどうしようもないし、護衛と言ったので
味方だと思いたい。
IS学園、簪と同じ水色の髪││。
﹁生徒会長か﹂
﹁そっ、私がIS学園の生徒会長、更識楯無。 簪ちゃんのお姉ちゃんよ。 たっちゃ
んって読んでね﹂
﹂
?
﹁つまり資金操りが難しくなったと。 それで身内から護衛を選出したということです
園で出してるのよ。 ここまではいい
﹁手術費用とか、入院代金はドイツ軍が支払うことで決着が付いたけど、護衛費はIS学
相変わらず動けない様態だったので、素直に制服姿になった会長の話を聞く。
願わくは、簪がこんな性格になりませんように。
姉妹で性格が違いすぎる。
﹁⋮⋮拒否します﹂
6─2 仲を取り持つもの
436
か﹂
普通教諭の内の誰かがやることでは
﹁よくできました。 頭のいい子は好きよ﹂
﹁何故生徒会長が
﹁生徒会長権限で強引にねじ込んでもらったから大丈夫﹂
?
﹂
?
﹁私じゃなくて、妹のよ﹂
﹁会長と顔合わせしたのは初めてですが﹂
﹂
﹁まあ、私も苦労するのは知ってるわ。 それにこれはお礼なのよ﹂
手持ちの閉じた扇子で口を閉ざしつつ会長は微笑んだ。
﹁無茶するのは君だけどね﹂
﹁随分無茶しますね﹂
一年の合宿前には寮に戻ってもらうから、そのつもりで﹂
﹁勿論。 織斑先生から許可も貰ってるよん。 二十四時間付きっきりになる関係で、
﹁看病の辛さはご存知と思いますが、正気ですか
今更羞恥心がどうのこうのとは言わないが、仮にも生徒会長なら暇だと思えない。
ない関係から尿瓶も使っている。
クラスメイトの誰にも言ってないが、思いのほか様態は悪くて一人でトイレにも行け
何故そこまでの権限を持っているのかは考えないが、どうやら本気らしい。
?
437
会長が扇子を広げると、そこには﹁恩返し﹂と書いてあった。
しかし、病院的にこれはありなのだろうか。
昨日見た水色髪の女性が会長だったとしたら、昨日の夜から一緒だったわけで。
患者でもない会長が、潤が休んでいる個室で、しかもベッド内で夜を過ごすのは拙い
だろうに。
特に他の患者とかの精神が。
それに見舞いに来るのが殆ど女性で、しかも全員容姿端麗ときている。
世界各国からエリートを集めているので優秀なのは知っているし、代表候補生がモデ
ルの様な仕事をしているのも知っている。
しかし、生徒全員がほぼ容姿まで優れているのは何故だろう。
入試基準に容姿が関係しているのだろうか。
それが狙いかとも考えたが、どうやら素の様だ。
随分とラフな格好で、とてもボディーガードの類には見えない。
た。
会長は挨拶の為に一旦院長室に向かった後に私服に着替えてベッドに横になってい
﹁そうですね﹂
﹁しかし、暇ねぇ﹂
6─2 仲を取り持つもの
438
﹁ふんふーん♪﹂
会長がぱらぱらめくっている雑誌を、傍から覗き込む。
際どい水着が所狭しと並んでいた。
モデルはどう見ても日本人ではない。
﹂
お姉さんが着る水着に興味あるの 着た姿を見せてもいいわよ、ポロリもあ
るかも﹂
﹁何
﹁いらない﹂
時折り始まる無意味に感じるトークが辛い。
﹁そこはお世辞でも見たいという所でしょうに。 ところでどれが似合うと思う
?
なんてどうです﹂
?
金色のブラジル水着、何も隠せてないというただの紐である。
扇子で口を隠しつつむふふと声を漏らして、雑誌を突きつけてくる。
﹁意見はありがたいけど地味ねぇ。 こっちなんてどう
﹂
﹁肌が白くて綺麗なので濃い色で際立たせるのがいいかと。 クリムゾンレッドの水着
対処方法が身に染みているので付き合いは楽だけど既視感がヤバイ。
ナーだった奴にとてもよく似ているんですが。
何が辛いって、この芸風どこかで見たような気が、ってレベルではなく、数年パート
?
?
439
この手の性格の相手をする場合、決して相手から目をそらしてはならない。
真正面に向い立ち、臆する事無く事実だけを言ってのけ、表情も軽薄な笑みを浮かべ
てはならない。
変に意識すると好きなだけつけあがるのは身を持って知っている。
も効果的と思います﹂
﹂
﹁扇情的なのが好みならば此方の白をお勧めします。 水に濡れれば先ほどの水着より
﹁チラリズム的な効果
と感じるので﹂
﹁見えそうで見えない方といったじれったい状況が、日本人には喜ばれるケースが多い
?
れば児戯の類である。
に貯めておくと、魔力に還元してパワーアップ出来るからと言って襲ってくる奴に比べ
胸が大きくならないから揉んで頂戴とか、男性の白い液体を女性の子供が出来る部位
動揺なんてしない。
した。
最後まで見終わった後に別の雑誌⋮⋮よりによって下着が並んでいる雑誌を広げだ
興味なさげに再び雑誌を捲りだす会長。
﹁ふーん﹂
6─2 仲を取り持つもの
440
直接肩を触られるより幾分痛かった。
?
きた。
ちょっと頭を上げられると、すぐさま枕を抜き取られて、代わりに会長の足が入って
﹁癪に障る言い方ね。 よろしい、そうくるならそれらしい事でもやってみようかしら﹂
﹁はいはい、面白いですね﹂
﹁年頃の男女の逢瀬﹂
時って何を指しているんですか﹂
﹁培った信用と信頼、共に過ごした時間の長さゆえの正常な反応です。 大体、こういう
いわ﹂
﹁お姉さんの誘惑に見向きもしないのに、こういう時に他の女に反応するなんて良くな
狙ってやったのならたいしたものだ。
バストサイズもぴったり﹂
下着くらいで狼狽えると思ったら大違いだと教えてやろう。
いきなり何を﹂
!
ベッドを揺らされ苦悶が漏れる。
﹁つっ
﹁あら﹂
﹁⋮⋮⋮⋮何故本音に飛び火するんです﹂
﹁この下着なんだけど、本音ちゃんに似合うと思わない
441
抵抗する間もなく後頭部が柔らかいものに受け止められる。
﹂
動こうにも体はいう事を聞かず、額を手で押さえつけられただけで身動きが取れなく
私の膝枕
なってしまった。
﹁どう
?
いいわよ、寝て。 私も暫くこのままこうしてるから﹂
そうなると、痛みから火照った体に会長の手が少しだけ冷い手が心地いい。
なってきてしまった。
そのまま優しい手つきで撫でられて、どうも自分だけ警戒しているのが馬鹿らしく
で効果がない。
何故か居心地が悪くなり、それなりの敵意を持って問いかけるも柳に風といった有様
頭をなでながら優しく語りかけてくる会長。
﹁貴女と逢瀬を重ねるほど親しくありません﹂
﹁何と言われても。 逢瀬らしくしているだけよ﹂
﹁││何がしたいんだ、貴女は﹂
?
?
暫く膝枕のまま休んでいると、本格的に眠気が襲ってきてそのまま眠ってしまった。
起きているだけで体力を奪う状態。
﹁││││食えない女だ﹂
﹁眠いの
6─2 仲を取り持つもの
442
楯無は自分の膝上で寝息を立てる男子生徒を労わるように撫で続けた。
今回の件は、妹の恩返しという意味合いもあるが、本人に直接会って確かめたい事も
多大にあった。
用心していないのは、トーナメントが行われていた一週間に起因する。
﹁しかし、簪ちゃんがねぇ﹂
今では、そこまで用心していないが。
ろ妖しげな所は出さない。
それゆえ妹との同室を遮ったり、洞察力の高い本音を送り込んだりしたが、今のとこ
のだ。
これは楯無の個人的な直感だが、潤から同業者の様な、言うなれば血の気配を感じる
﹁本当に、今までどうやって暮らしていたのやら﹂
その行動は、露骨に近寄ろうとする同性の一夏まで煙たがるなど徹底している。
入学当初、まともな話し相手は本音と、谷本癒子、鏡ナギの三人だけ。
感情を表現できず、少しでも潤の心に踏み込もうものなら拒絶する。
昔何があったのか知らないが腹芸が上手い。
ね﹂
﹁怖そうだけど優しい。 何でもない風でいて、臆病。 本音ちゃんの報告通りかしら
443
姉だからこそ分かった、妹の感情の揺れ。
あれはきっと嬉しがっていたのだろう。
それに、UTモードの相手から簪が救出された場面、あれを思い返すたびに口が吊り
上る。
やられたと思っていた相方が、絶体絶命のピンチに颯爽と現れ、お姫様抱っこで救出。
そして、鎮圧のための教師部隊が手を拱く相手を新型のISで瞬殺││││恋愛少女
マンガの恋人役だってここまで露骨ではない。
いざ目の前、しかも当事者が主人公の女の子側で事が起こってしまえば王子様に見え
てしまうとは、女はつくづく勝手な生き物だと思ってしまう。
以前異世界で似たようなことを考えたことがある。
何度も寝起きするせいで、夢か現か分からなくなる事がある。
何にも縛られない自由な時間は、ゆっくりと過ぎていった。
満たしてくれる相手を期待して。
そして、もうすぐ夏だったので異性との思い出が欲しいという、割と俗っぽい願いを
妹が少しでも変わってくれることを信じて彼の回復に期待する。
﹁せいぜい見極めさせてもらいましょ。 簪ちゃんの為にも、ついでに私の為にも﹂
6─2 仲を取り持つもの
444
平和な平成日本は特殊部隊の潤が見た夢なのか、平成日本で発売されたVRRPGの
登場人物に憑依しただけなのか真剣に悩んだ。
胡蝶の夢というもので、夢の中で蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、は
しかし、そ
たして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なの
か、という説話である。
尤もこの夢を言葉として残した荘子は、
﹁夢が現実か、現実が夢なのか
んなことはどちらでもよいことだ﹂と言っている。
﹂
上体が起き上がろうとする前に、扇子で額を押されて枕っぽい柔らかい物に後頭部が
起き上がろうとすると、思いのほか重たい体にびっくりする。
﹁起き上がっちゃ駄目よ。 寝てないと﹂
﹁││んぅ﹂
うのだが。
しかし、実体験として身の上で起こってしまうと、ついつい過去に思いを馳せてしま
の場で満足して生きればよいのである。
どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれ
?
何をしている、││俺はどうなっている
?
収まる。
﹁││ィア、いやリリムか⋮⋮
?
445
﹁リリム
﹂
だったら損傷箇所をパージして⋮⋮││。 ⋮⋮あー、会
女性に付ける名称じゃないわね。 寝ぼけているの
﹂
﹁俺は怪我しているのか
長でしたっけ
?
﹁ずっとそうしてたんですか
﹂
?
た。
ちょっと失礼、そう言って会長は潤の頭から足を引き抜くと、ベッド脇に戻っていっ
ようだ。
ふくよかな双丘と扇子が邪魔でよく見えなかったが、少しだけ怪訝な表情をしている
水色髪の女生徒が見下ろしている。
?
?
?
新生児を襲ったり、睡眠中の男性を誘惑し夢精させる性質から、サキュバスと関連付
神話における悪魔の一種の名前で、リリスとアダムとの間に生まれたとされる子供。
会長が調べたがっていた人物はリリム。
なんだとそちらのほうが気になっていた。
何を調べるのか今の潤にはわからなかったが、ガードが護衛対象から離れるのはどう
会長が姿を消す。
いことが出来たから、少し失礼するわ﹂
﹁まさか。 点滴とか尿瓶の交換とかあるから、時々動いてたわよ。 それより、調べた
6─2 仲を取り持つもの
446
けられる事も多い。
潤は公の場や、不特定多数の人間がいる場で女性を淫魔呼ばわりするのが嫌だったの
﹂
で、リリィと愛称で呼ぶこともあった。
﹁なんだってんだ。 ││ん
﹁それで、あの、これなんだけど││﹂
のか、おそらく無理だろう。
となれば、もし実戦で使う時が来れば、IS学園の生徒たちは人を自分の手で殺せる
戦場でISが用いられる状況がない以上仕方がない事なのだろう。
そうない。
ナギに指摘されるまで気づかなかったが、いくら教育されようが生で見る機会なんて
俺が浅慮だった﹂
﹁いいよ、気にしてないさ。 相方が自分を庇って大怪我した挙句ミイラ男だからな。
﹁昨日は、ごめん。 その⋮⋮﹂
て潤から見て左側の椅子に腰をかけた。
ぱあっと表情を明るくすると、両手に持ったPDAを抱くように持って早足で近寄っ
もう調べ物に区切りが着いたのかと思ったら、病室に入ってきたのは簪だった。
一人になってから数分もせずに扉が開いた。
?
447
﹁PDA
えーとこれは
﹂
?
﹁へー、そんなものがあるのか。 ⋮⋮って、まさか、自作か
恐る恐るといった表情で簪が頷く。
﹁書籍のダウンロードは学園じゃないと出来ないけど⋮⋮﹂
﹁相変わらず器用だな﹂
﹂
それどころか会社の刻印もない端末を見て、もしやと思って聞けばビンゴだった。
ない。
潤もあまりに暇なので色々探し回ったが、こんな形状の電子書籍用端末は見たことが
?
化させた電子書籍用端末﹂
﹁入院中暇だろうから、病院の医療機器に対して一切の問題がない、電磁波や電波を無効
?
﹁何が⋮⋮
﹂
﹁しかし、俺は簪の方が楽でいいなぁ⋮⋮﹂
椅子から立ち上がって潤のすぐ傍まで寄ると、実際に操作して説明しだした。
少しばかり緊張していた様子から、咲きたての花のように破顔させる。
色んなジャンルから十作品ほどインストールされていた。
割と自由になっている左手の人差し指で端末を操作する。
﹁いいよ、そんな些細な事は。 ありがとう、入院生活が暇だったから嬉しいよ﹂
6─2 仲を取り持つもの
448
?
﹁昨夜から恐らく専用ISを持った護衛を付けられたんだけど、どうも性格が合わなく
てな。 どうにも落ち着かないんだ。 悪い人ではないと思うんだが﹂
リリムと行動パターンが似ているので面倒で仕方ない。
慣れているから楽とも言えるが、なんというか行動が理解できないのだ。
恐らく会長は独自の美学や価値観に限りなく沿って行動する、パトリア・グループ社
開発者と同様の人間。
﹂
個々の美学など、戦いに生きた潤には理解が難しく、魂魄の能力が使用できない今は
﹂
ひたすら振り回されるしかない。
﹁⋮⋮どんな人
﹁誰って、簪もよく知っている人だけど││﹂
﹁HEY、おぐちゃん、お待た││あら、簪ちゃん
病院に近寄ってくる救急車の音が時折り鳴り響き、落ちてきた夕日が焼けに眩しく病
しばらく病室は静寂だけが支配していた。
を見るや否や、姉に倣う様に潤に背を向けてしまった。
一挙手一投足に恐々としながら姉の行動を見守った簪だったが、すぐ近くに座ったの
会長はゆっくり歩いて潤の右側のベッド脇に、二人に背を向けるように座る。
左に座っていた簪が喫驚し、潤の左腕にしがみついた。
?
?
449
室を彩っている。
簪が肩を揺らすほど怯え、ばつが悪そうに俯いている。
姉と妹の間に、妙なすれ違いがあること等、魂魄の能力から促されていたが、これ程
とは。
しかし、簪にも会長にも世話になった事を思えば、無視して放っておくのも憚られる。
﹁簪﹂
潤が普通に声をかけてだけだというのに簪は大きく体を揺らして驚いた。
人のことを言えるような生き方ではないが、言いたいことを言えずに過ごせば、後悔
するのは身にしみて知っている。
それがどれくらい難しいかも知っているから言いにくいのだが。
両手を抱え込んで震える簪の、その両手を目指して左手を向ける。
手を包むように触れると、若干涙目でいて、縋るような視線を投げかけてくる。
二人に比べれば潤の人生失敗談は多い。
てみなければ何も解決しない。 何時までも自分の姉とこんな関係で良いのか
﹂
隠しても膿んでいくだけなんだ。 どんな単純なことでもいい。 少しでも触れ合っ
いなら一緒にいてやる。 だけど、逃げて目を逸らしたって何も変わりはしない、傷は
﹁逃げちゃ駄目だ。 傷ついたら好きなだけ頼ってくれていい、一人で行動するのが怖
6─2 仲を取り持つもの
450
?
451
言いながら自分の行動を馬鹿にしているようなので嫌な気分だが、だからこそ言える
台詞でもある。
実際自分で考えて行動した期間は十九年程度だが、それでも異世界での実年齢は二十
八。
IS学園教師陣の中でさえ、割かし年を重ねている方なのである。
簪は過去の体験談、そしてトーナメントでの恐怖の呪縛からか、姉から逃げ出したく
なるきらいがある。
しかし、それは強く姉へ憧れていたからこその裏返しでもある。
そして、姉も姉で、妹が心配でテスト用アリーナまで潤を監視するほど妹のことを
思っている。
大切だからこそ、自分に怯えている簪に対してどう接すれば良いか分からないという
気持ちが強く、楯無会長は中々行動に移せないのだろう。
それでも簪は喋らなかった。
初夏特有の長い夕暮れも終わり近づき、面会時間も刻一刻と終わりに近づいている。
時間が終わるまで、三人とも喋らず黙り込んでいた。
簪は気難しく考えているような深い顔をしていた。
会長の顔色は伺えない。
そのまま終ぞ一言も喋らず面会時間終了を知らせるチャイムが病院内に木霊する。
立ち上がって帰ろうとする簪には、潤の言葉をどう思ったのかは分からない。
しかし、病室に残る二人の耳に届いた、その言葉は確かに二人の耳に届いたのである。
﹁⋮⋮お姉ちゃん、また⋮⋮明日﹂
⋮⋮⋮⋮うん、またおいで﹂
しかし、姉妹の会話は、本当に久しぶりの事だった。
﹂
右側から抱きつくんじゃねぇ馬鹿野郎
簪ちゃんが﹃また﹄だって
!
喜びを爆発させた姉の顔は、嘘偽りのない嬉しそうな表情だった。
!
﹁ねぇ聞いた
﹂
答えを聞く前にドアは閉まっていたので、楯無の言葉は届いたのか分からない。
﹁││││
!
姉の歓喜の抱擁に、潤が絶叫を上げる。
!
!
﹁痛ってええぇぇぇ
6─2 仲を取り持つもの
452
6│3 在りし日の如く
面会時間が終了し、あれから二日連続でやってきた簪と、久しぶりに来た本音、癒子
とナギを見送って嘆息する。
更識姉妹の仲は改善の兆しが見えない。
潤が仲介に入っていないと傍にも寄ってくれない時点でお察しのレベルだが、それで
も大いに会長は満足しているらしい。
隣に座ってくれただの、挨拶を返してくれただので喜ぶ会長。
﹂
そこまで姉妹仲が冷えていたなんて知らなかった潤は、ただただ会長の歓喜の報告に
振り回されている。
そんなに簪が好きか会長。
﹁その作品を読むの三回目だけど面白いの
﹂
﹁ユニーク﹂
﹁何が
簪から送られたPDAで今日も今日とて読書三昧。
﹁斬新﹂
?
?
453
これで読書をしていると簪が喜ぶので、既に一度読んだ作品だとしても繰り返し読み
返す。
読んでないと頬を膨らませて怒る。
話しかけても謝らない限り、ぷいっとそっぽを向いて無視するあたり反応が子供その
もので若干面白い。
その裏で会長が黒い雰囲気を出していなければ、本音張りに和む光景なんだが、人間
関係とは難しいものである。
﹂
﹁読書もいいけど、包帯取りかえるついでに体をタオルで拭うから服を脱いでね﹂
﹁はいはい、それと引っ付かないでくれませんか
リリム同様ぶん殴ってやるから。
その手の誘惑で驚かしたかったら、素っ裸で馬乗りになってみろ。
胸を押し付けられた程度では欠片も揺らぎはしない。
?
える骨折患者用なので、介護者が居れば簡単に脱がせられる。
両腕、前面、股下と、各所にファスナーが加わり、より着替えや清拭がスムーズに行
る。
ぶーぶー口を尖らせて会長が拗ねながら、病院から支給されているパジャマを脱がせ
﹁反応が面白くな∼い﹂
6─3 在りし日の如く
454
さくさくっとパジャマと包帯を取って左腕を露出させる。
何がですか﹂
?
回復の速さの秘密は、魔力が強制的に体を生かそうとしている本能である、そういう
んでみましょう、という状態で学園に移すのが嫌だと言っているらしい。
内臓も腹膜炎や内出血とダメージは酷く、七月五日にしてようやく栄養水を口から飲
楯無の言葉は、もしもIS学園で容態が急変したら対応できない事を暗喩していた。
﹁私にもう少し発言力があれば、せめて七月末まで病院で静かに過ごせたのに﹂
﹁││
﹁⋮⋮ごめんね﹂
復を理由に病院から警備しやすい場所に戻れと命令するのには釈然としない。
それゆえ順調な傷の回復は自分の体の如く喜ばしい事だが、IS学園上層部がその回
簪の代わりに傷を請け負った潤には感謝している。
もしこの傷を簪が受けていた可能性を考えると、未だに楯無は戦慄を抑えられない。
少しでも衝撃を与えないように、極めて慎重にお湯で濡らしたタオルで拭いていく。
れると楯無は判断した。
完全骨折した左手の薬指と小指を除けば、回復が早くこのままなら新学期には解放さ
いった所かしら﹂
﹁体 の 治 り が 早 い わ ね。 小 さ な 不 完 全 骨 折 や 剥 離 骨 折 で 済 ん だ 左 腕 は 後 一 月 半 っ て
455
事情を知っている潤には痛し痒しである。
私はそっちの方が気がかりです﹂
﹁俺が好きで簪を庇ったんです。 今回の件は誰の責任でもないですよ。 それより学
園でも会長が看病するんでしょう
?
あった。
包帯をちょっときつめに巻いてしまい痛がられるまで、驚くほど平穏な空気が病室は
りがいがある。
相手は年下なのに、まるで年上と接しているかのような錯覚を覚えてしまう程には頼
どうやら根は本当に優しいらしい。
普通なら半狂乱になって塞ぎ込んでも仕方がないのに自然体で生きている。
と疑ってしまうのも仕方がない。
モルモットとして死ぬ危険があるのに気負った様子を見せない、こいつは宇宙人か何か
帰る場所は無く、記憶を無いものとしての人生を強制され、卒業後どころか明日にも
たのだと楯無は気付いた。
暗部の一族出身というだけあって、決して額面通り受け取らず暗に自分を慰めてくれ
潤は言うだけ言って今後の話に切り替えた。
﹁⋮⋮まったくふてぶてしい一年ね。 お姉さん感心しちゃうわ﹂
6─3 在りし日の如く
456
七月五日│││
週末の日曜日、天気は快晴。
織斑派と比べて小規模な小栗派は、こぞって潤のお見舞いに行こうとしたが何故か一
切の許可が出なかった。
この日の朝に、生徒会メンバーや教師たちが協力し、潤を学園に移動させる予定だっ
たからである。
身体的問題からもう少し時を開けろと生徒会長から慎重意見も出たが、何しろ金銭と
いう、避けようがない問題に直面している。
十五歳の潤には言いたくない類の話だが、本人は仕方がないというスタンスで了承し
てくれたので、日曜に移動が決定した。
明日から一年生は、臨海学校で移動するので寮も静かになる。
﹁なんか本音ちゃんと、お姉さんとで扱いの差が酷くない
﹂
早朝六時には起こされたであろう本音は、何時もの八割増しで眠そうな顔でドアから
?
﹁うーん⋮⋮﹂
﹁朝早くから悪いな本音。 ほら、部屋に帰ったら好きなだけ寝ていいから少し頑張れ﹂
﹁わー⋮⋮。 おぐりんだ∼⋮⋮﹂
457
顔を覗かせる。
﹂
ベッドを見るやいなや、ぽてぽてと擬音が似合いそうな足取りでやってきて、シーツ
の中に入ってきた。
﹁おやすみー﹂
﹁いや、駄目だろ本音、起きなきゃ﹂
﹁そうよ、さっさと移動しないとね﹂
﹁服に皺が出来る﹂
た。
出発前に一悶着あったものの、本音は会長に一喝されて何時もどおりの状態に戻っ
﹁⋮⋮あなた、本音ちゃんに毒されてない
?
何時もどおり眠そうで、相変わらずのスローペースで、足取りが危うい状態に。
あんまり変わってないようでなにより。
﹂
?
モノレールで学園に変える最中も本音は幸せそうに眠っていた。
﹁それもそうですね﹂
てないとでしょ﹂
﹁これから私も二人の部屋に泊まるんだから、ルームメイトの本音ちゃんが事情を知っ
﹁所で、なんで本音が来たんです
6─3 在りし日の如く
458
それに本音がいれば、会長の暴挙を防いでくれる的な意味でも、心理的な意味でも若
干楽な気持ちだった。
しかし、当然潤は知らなかった。
この二人が生徒会という場所において少しだけ特殊な上下関係ではなく、もっと強い
力関係である主従関係にあることを。
会長の言に本音が一切逆らわないという事実を。
少し先のホーム降りると久しぶりでいて、何も変わらない風景が出迎えてくれた。
正面から入ると色々騒がしくなりそうなので、寮に入るには裏口を使用することに
﹂
なったが、意外な人物が迎えに来ていた。
﹁ラウラ
色々物が必要だろうに﹂
?
﹁お兄ちゃん
何、そういうプレイなの
﹂
?
ラウラの反応を楽しそうに見ながら、ぱんっと扇子を開く会長。
﹁急に元気にならないでください会長﹂
?
既に終わらせている。 水着も学園指定の物があるから問題ない﹂
﹁なに、私が起こした不始末でお兄ちゃんがそうなったんだ。 それに、最低限の準備は
﹁臨海学校の準備はいいのか
﹁ふむ時間通り、〇七三〇時過ぎに合流。 ここからは私が先導しよう﹂
?
459
そこには﹃兄妹愛﹄と書いてあった。
既に分かっているのに言っているな、これは。
ので││﹂
﹂
﹁プレイでも何でもありません。 まぁ、なんといいますか、ママゴトの延長のようなも
﹁失敬な。 私は尊敬を込めて、本当のお兄ちゃんの様に思ってるぞ
﹁そうか、もうそれでいいよ、うん⋮⋮﹂
むっとした表情で言葉を遮るラウラを宥める。
用は済んだということでラウラが背を向けて帰っていく。
寮に入ってから誰とも合わずに﹃1030号室﹄前に到着した。
閉じた扇子で笑みを隠し、不敵に笑う何故か会長が一番嬉しそうだった。
!
ありえない位他生徒へのエンカウント率が低いのは会長かラウラが手を回してくれ
!
たのかと、少しだけ会長を見直して││││直ぐに訂正することになった。
ようこそ私達の愛の巣へ﹂
﹁は∼い、おかえりなさ∼い
?
簡易的に付けられているクラブの照明のような物が付いており、壁紙が白から薄ピン
その目に写っていたのは、異界になっていた潤の元癒しの空間だった。
口から変な音が出ているのがわかる。
﹂
﹁││││⋮⋮あ、え、はぁ
6─3 在りし日の如く
460
クに変更されてハート模様が随所についている。
潤のベッドだった代物が普通サイズから、二人でくんずほぐれつしても余裕なくらい
になった巨大なベッド、﹃YES枕﹄がそのベッドに二つ。
﹂
会長がベッドの淵に腰をかけてしなだれる。
﹁なんだその言い分
誰と 会長と
﹂
その指へし折るぞ
なんで異議
病院みたいに簡易組立式のベッド
やっと驚いてくれて満足ですみたいな表情しやがって、リリム
なんで
﹂
なんだそのグッドポーズ
の一つも唱えないんだお前
?
﹁かいちょーがこうしたいって言うからしょうがない﹂
﹁いやいやいやいや、オカシイよコレ。 ちょ、本音コレ
ナニコレ、ドコココ、ラブホテル
を用意してないの
一緒に寝ろっていうのか
だってここまで馬鹿なことはしなかったぞ
何その満足気な目
﹁えっ、ちょ、まっ、えええぇ
!?
間、ベッドに移動される。
これだけ改変したら元ネタが分からなくなるだろ、と謎の電波を受信するのもつかぬ
﹁むかーしから、更識家のお手伝いさんなんだよー。 うちは、代々﹂
!
!?
?
?
?
?
!?
?
?
?
?
?
461
﹂
お姉さんのコーディネートは
﹂
﹂
﹂
広くてシーツの質が良くて、ベッドそのものは寝心地が良さそうだが、これはない。
﹁どう
﹁NO枕はどこだ
あっ、俺と本音が大きなベッドで寝るんですね
﹁最初にお姉さんに言うことがそれ
﹁本音は何処に寝るんだ
?
?
よー、かいちょー﹂
?
﹂
電話先の相手から色々教えられて変になっていたラウラだったが、この部屋が異常で
破れかぶれで叫んだら、まだ聞こえる範囲に居たのかラウラがやってきてくれた。
!?
?
﹁なんだこの部屋は
﹂
いや救援だ、頼む﹂
﹁なんだ、どうしたという
?
!
﹁頼む救護、援護
﹂
⋮⋮﹃YES枕﹄は割と上質な素材で出来た枕だった。
ペチンと額を叩かれて、諦めてベッドに横になる。
﹁⋮⋮いい加減戻ってらっしゃい﹂
﹁それとも俺は床に寝るんですか
怪我人相手に冗談キツイですよ会長﹂
﹁なんかおぐりんの目が、数百年光が入らなかった沼の底のヘドロようになっています
?
?
?
?
﹁ラウラぁ
6─3 在りし日の如く
462
あることは分かってくれたらしい。
﹁なっ⋮⋮
﹂
敗北を悟ったラウラは、悔しそうに奥歯をきつく噛み締めるとISを解除した。
最初から相手を殺すための戦闘ならば勝ったのは会長だろう。
魔力なしの状態ではほぼ潤と互角のラウラが手玉に取られている。
それは鮮やかな手並みだった。
!?
た。
一瞬怯んだラウラの硬直を見逃さず、今度はピンと扇子を開いて頚動脈の部分に当て
素早く抜き放った扇子を、未だに展開が間に合っていなかった額に当てる。
余裕を持って笑みを浮かべて会長はそれを迎え撃った。
ほぼ同時にプラズマ手刀を形成すると切り込んできた。
ラウラは指先から順番にISを展開させ、AICを発動する。
﹁あら、血気盛んなこと﹂
破する﹂
お兄ちゃんはこの色ボケ部屋が片付くまで私の部屋で寝れば問題あるまい、目標を撃
ると聞いて介入する気はなかったが、これなら私が看病したほうが良かろう。
﹁うむ、察するに、この女のせいでこうなったと。 教官から更識楯無という人物に任せ
463
﹁知らないのなら教えてあげる。 IS学園において生徒会長の称号は、最強の証だっ
てことを﹂
胸を張った会長は確かに威厳がありそうだったが、この部屋では限りなくミスマッチ
だった。
本音は潤が帰ってきていることを他言しないよう言いつけられていたのか、誰も﹃1
030号室﹄に訪れる者はいない。
翌日の早朝、悪戯用に貼っていたピンク壁紙を会長が剥がし、普通に戻った潤の部屋
に来た千冬が唯一の訪問者である。
流石にYES枕を見て頬を引きつらせていたが、会長の性格をよく知っていたのか何
も言わなかった。
変わりに、潤がよく見知った腕時計をはめる。
﹂
?
﹁そうか、任せたぞ﹂
﹁任せて下さい。 何かあっても生徒会長の名は伊達ではないと証明してみせます﹂
﹁更識、頼むぞ﹂
﹁わかりました﹂
用機を返却するが、あくまで最終手段として使うように。 いいな
﹁明日、一年の教師が抜ける関係で学園の警備が緩くなる。 よって、自己防衛の為に専
6─3 在りし日の如く
464
そう言い残して、一組のバスに乗って臨海学校のために移動した。
何時ものように眠そうな本音も会長と二人で見送った。
翌々日も何事もなく部屋で、今日も今日とて寝て過ごす。
魔力が作られた端から回復に使われていくので、隣の会長の存在も影響してか精神的
にも回復できない。
そして、その日の朝、事態は急変した。
会長が朝食を持ってくると移動し、部屋に一人きりになった場面、図ったかのように
ヒュペリオンに通信が入ってくる。
許可されていないISの展開は禁止されてる、それを破ってISからISに対して通
信が送られてきている。
﹂
それは、ISを使用せざる事態が起きているという事を示している。
﹁││何が、起きている
様な激痛が走る。
自分の傷を気遣うことのない運動に、頭や腕から熱せられた鉄を押し付けられたかの
とても寝ていられず、上半身を起こす。
?
465
無理矢理痛みを飲み下して、ISのセンサーのみを起動する。
ヒュペリオンが受信した信号は││鈴からのエマージェンシーだった。
それと共に、織斑先生と山田先生、それからIS委員会から直接ISの登場許可が下
されている。
飛行許可も同時に発行されてり、その許可区域は鈴も行っているであろう合宿先まで
一直線。
ISには生体機能を補助する役割もあり、常に操縦者の肉体を安定した状態へと保と
ギプスが量子変換されて格納され、代わりにヒュペリオンが展開されていく。
││頼む、ヒュペリオン、今度こそ後悔しない為にも、俺を助けてくれ。
無意識の内、全身の激痛を無視して窓に近寄っていた。
いる。
リリムと同じように、潤の手が届かない所で、今度は鈴がエマージェンシーを出して
血まみれになり、真っ赤に血走った奈落の様な瞳を向けた相棒を。
化学兵器に感染した、戦友を思い出す。
﹁⋮⋮鈴、いったい何が││﹂
6─3 在りし日の如く
466
467
いうとするので幾分楽になった。
しかし、脳を焼かんばかりの痛みは変わらない。
久しぶりの空、しかし、そんな事より気になるのは、在りし日の如く助けを求める鈴
の安否だった。
6│4 天才の思い
潤がヒュペリオンで合宿先まで高速移動し始める少し前、合宿先に移動していた一年
は全員ビーチに並んでいた。
午前中から夜までISの各種装備試験運用とデータ取りを行う予定になっている。
特に専用機持ちは、本国から大量の試験運用の装備が送られてくるので尚更大変だっ
た。
﹁ようやく集合できたか。 ││おい遅刻者﹂
千冬に呼ばれて身を竦ませたのは、意外や意外、最も時間に厳しそうなラウラだった。
﹁は、はいっ﹂
海に浮かれるような性格でもなく、水着も絶滅危惧種の様なスクール水着と、身嗜み
にも無頓着なラウラにしては大変珍しい。
います。 それ以外にも自己進化の糧としてシェアリングと呼ばれる共有をコア同士
換のためのデータ通信ネットワークを持っており、現在では操縦者会話等に用いられて
﹁は、はい。 元々広大な宇宙空間における作業を想定していたISは、相互位置情報交
﹁そうだな、ISのコア・ネットワークについて説明してみろ﹂
6─4 天才の思い
468
で行っていることが判明しました。 これらは篠ノ之束博士が自己発達の一環として
無制限展開を許可したため、現在も進化の途中であり、全容はつかめていません﹂
﹂
!
度で、砂埃すらあげて駆け下りてくる人影を捉えた。
乱反射する音から何とか発生源を突き止めた一年一同の目には、その崖から猛烈な速
チに木霊した。
要件を言い終わる前に、謎の声と地鳴りが、四方を切り立った崖で覆われていたビー
﹁ちーちゃ∼∼∼∼∼∼ん
﹁お前には今日から専用││﹂
﹁はい﹂
﹁ああ、篠ノ之。 お前はちょっとこっちに来い﹂
なっていたが、打鉄用の装備を運んでいた箒は、千冬に呼ばれた。
専用機を持たない生徒は、各班に別れて振り分けられたISへ装備試験を行う手筈に
その後、専用機持ちは、専用パーツの装備を行う。
したか知っているのは当然かもしれない。
時間に厳しい軍隊で、自分の上官だった千冬が、遅刻者に対してどれだけ厳しく対処
そう言われて、ふうっと息を吐いて安堵するラウラ。
﹁よし、流石に優秀だな。 遅刻の件はこれで不問にしてやろう﹂
469
愛を確かめ│
ヒラヒラドレスにウサギ耳、滅茶苦茶インパクトのあるその人は崖の中腹から飛び上
その束と呼ばれる人物を、咄嗟に空中でつかんだ千冬。
﹁⋮⋮どうも﹂
やあ
﹂
!
ていけなくなった。
砂浜だという事を微塵も感じさせない速度は、全く予想外のもので誰一人事態に付い
その束と呼ばれる妙な人は、次の標的を箒に定めたらしい。
!
おり、その光景を見て思い出し痛みが出てきた。
一度罰で千冬のアイアンクローを受けたことのあるラウラは、その痛みを良く知って
それすら難なく振りほどいた変人に、ラウラの背筋に冷たい物が走った。
を締め付けている。
狙ったのか偶然なのか、恐らく狙ってやったことだろうが、指が食い込むほどに顔面
!
がると、一直線に千冬の近くに降り立った。
会いたかったよ、ちーちゃん さあ、ハグハグしよう
!
﹁ぐぬぬぬ、相変わらず容赦のないアイアンクローだねっ﹂
﹁うるさいぞ、束﹂
│ぐぬぬっ﹂
﹁やあやあ
!
﹁じゃじゃーん
6─4 天才の思い
470
﹂
おっきくなったね、箒
ねぇいっくん酷いよねぇ
﹁えへへ、久しぶりだね。 こうして合うのは何年ぶりかなぁ
ちゃん。 特におっぱいが﹂
﹁殴りますよ﹂
﹁な、殴ってから言ったぁ⋮⋮。 箒ちゃんひどーい
?
?
として眺めた。
﹁おい、束。 自己紹介位しろ﹂
!
﹂
!
殆どの生徒が束博士の言われた通りに、その指先の空を見上げる。
﹁うっふっふ。 さあ、大空をご覧あれ
た科学者、その開発されたものを学ぶ一人として無関心ではいられないのだろう。
基礎理論、実証機、そして未だブラックボックスのコア、それら全てを一人で開発し
篠ノ之束だと気付いたらしく他クラスまで含めてにわかに騒がしくなる。
ぽかんとしていた一同も、ようやく目の前の女性がISの開発者にして天才科学者・
そう言ってくるりと回って、ウサギ耳を真似るかのように手を頭に乗せて動かす。
﹁えー、めんどくさいなぁ。 私が天才の束さんだよ、はろー。 終わりっ
﹂
そんな二人のやり取りを、
﹃いっくん﹄と呼びかけられた一夏を含めて、一同はぽかん
頭を押さえながら涙目になって訴える妙な女性。
何処から取り出したか定かでないが木刀を構える箒。
!
471
そして、その物体を認める間もなく、金属の塊であるそれは砂浜に落下した。
これぞ箒ちゃん専用機こと﹃紅椿﹄ 全スペックが現行ISを上回
菱形をした銀色のそれは、次の瞬間その中身の全容を、その場にいる全員に知らしめ
た。
﹁じゃじゃーん
﹂
!
﹁なんでそんなに驚いているのかなあ
﹂
もう二機も実験機があるのに﹂
型の完成、それが茶番になってしまったのだから。
各国が多額の資金、膨大な時間、優秀な人材の全てをつぎ込んで競っている第三世代
その異常性を思い知った生徒は、さもお通夜の様に押し黙った。
スを目標とした世代。
第四世代、ありとあらゆる状況に対応可能なリアルタイム・マルチロール・アクトレ
や一般生徒もぽかんとして静まり返っている。
各国代表候補生が思わず口に出してしまったが、それと同様に衝撃を受けていた真耶
﹁なのにもう⋮⋮﹂
﹁各国ともやっと第三世代型の一号試験機が出来た段階ですのに⋮⋮﹂
﹁だ、第四世代
る束さんお手製の﹃第四世代型IS﹄だよ﹂
!
?
?
﹁に、二機も第四世代型実験機があるんですか
!?
6─4 天才の思い
472
驚きの声を上げた真耶に大層機嫌を良くした束博士は意気揚々とそれを喋りだした。
その二機の正体は、共にIS学園の男子生徒が専用機として使っているIS。
﹂
!?
箒ちゃん、今からフィッティングと
!
装着が完了すると、コンソールを開いて指を滑らせて束博士が設定を完了させてい
自動的に膝を落とすその姿は、武者の様なイメージを周囲に植え付けた。
て受け入れる体勢になる。
深紅の装甲を身にまとった紅椿は、目の前の箒を主人と判断してか、その装甲を開い
パーソナライズ始めようか﹂
発展させた展開装甲にしてありまーす。 さあ
ら、純然たる束さんの作品じゃないけどね。 それを踏まえて紅椿は全身に可変装甲を
﹁白式が攻撃用、ヒュペリオンは機動用、といってもヒュペリオンは草案だけ提供したか
しかも、言葉通り受け取るなら、白式とヒュペリオンは第四世代という事になる。
た。
零落白夜発動時に開く﹃雪片弐型﹄の機構がまさしくそれとは、当の一夏も大層驚い
驚愕の瞳が白式を使用している一夏に集まる。
﹁えっ
ともこの束さんの設計だよ﹂
﹁具体的には白式の﹃雪片弐型﹄と、ヒュペリオンの﹃可変装甲﹄が該当するね。 両方
473
く。
更に六枚もの空中投影ディスプレイを呼び出すと、膨大なデータに目配りして、同じ
く六枚展開したキーボードを叩いている。
それはもう、キーボードを操作しているというよりは、ピアノを弾いているかのよう
に滑らかでいて、数秒単位で切り替わっていく画面に素早く対応している。
身内ってだけで﹂
そのデータ変更に伴って、紅椿が箒の体に合わせて微量に変化していく。
﹁あの専用機って篠ノ之さんが貰えるの⋮⋮
ふと、群衆の中からそんな声が聞こえた。
﹁だよねぇ。 なんかずるいよねぇ﹂
?
た。
その言葉は辛辣であったものの、間違いのない真実でかなり厳しい意味を示してい
ピンポイントで指摘された女子は気まずそうに作業に戻った。
など一度もないよ﹂
﹁おやおや、歴史の勉強をしたことがないのかな 有史以来、世界が平等であったこと
それに素早く反応したのは、意外な事に束博士だった。
?
て。 束さんは興味津々なのだよ﹂
﹁後は自動処理に任せておけばパーソナライズは終わるね。 あっ、いっくん白式見せ
6─4 天才の思い
474
﹁え、あ。 はい﹂
周囲に困惑と悲哀をぶちまけながらも束博士の手は止まらず、遂に調整が終えた束博
士は一夏の白式に興味対象を向けた。
全てのディスプレイとキーボードを片付け、白式を展開した一夏に近寄る。
データを見せてね∼、と力ない声色で白式の装甲にコードを差し込み、紅椿と同じよ
うに投射型ディスプレイを開いた。
お目当てのデータ、各ISがパーソナライズによって独自に発展していくその道筋、
﹂
人間で言えばいわば遺伝子とも言えるフラグメントマップを探し当てる。
﹁ん∼、不思議な構築の仕方だね。 いっくんが男の子だからかな
﹂
﹂
ん∼⋮⋮どうしてだろうね。 じゅんじゅんと違っていっくんの理由はさっぱ
﹁束さん、そのことなんだけど、どうして男の俺がISを使えるんですか
りだよ。 ナノ単位まで分解すればわかる気もするんだけど、していい
?
ているという意味になる。
﹃じゅんじゅんと違っていっくんは知らない﹄、それは一夏とは違って潤なら理由を知っ
その意味を知ることのできた、一組の面々の視線が束博士に集まる。
る固有名詞がその前に出てきた。
分解の対象自分自身も含まれていると察した一夏だったが、それより、もっと気にな
?
﹁ん
?
?
475
﹁た、束さん
潤が動かせる理由は分かったんですか
﹂
!?
流石天才の束さんだよね、褒めて、褒めて だけど、流石のいっくんにでも
があるからね﹂
教えてあげないよ
﹁うん
!?
!
メカニズムを完全に説明するにはコアの情報を詳細に知る必要
小栗はなんだってそんな⋮⋮﹂
?
﹂
!
後三分くらいかな、と言って空を見上げる博士は、今最高に機嫌が良かった。
そして、束は個人的に潤に期待している事もある。
ある。
が強くコアに干渉した事を発端にしており、潤の魔法の力を説明出来ないという理由も
実際のところ潤がISを動かせる理由を知ったのは、潤の異能である﹃ダウンロード﹄
千冬の問いかけにもそれ以上の開示を束博士は渋った。
せる事なんて出来ないよ、当然だけどね
が早いって感じで意味不明な理由で動かしているからね。 束さんも同じ理由で動か
﹁じゅんじゅんの動かせる理由を解明するくらいなら、コアを量産出来るほど調べる方
﹁コア情報
?
!
ちょっと気をよくして考え事をする博士に対して、一人の女生徒が声をかけた。
!?
!
ばわたくしのISを見ていただけないでしょうか
﹂
﹁あ、あのっ 篠ノ之博士のご高名はかねがね承っておりますっ。 もしよろしけれ
6─4 天才の思い
476
偉大な科学者を前に興奮しているのか、その目を輝かせ純粋に好意からお願いしたこ
誰 だ よ 君 は。 金 髪 は 私 の 知 り 合 い に は い な い ん だ よ。 そ も そ も 今 は 箒
とは確かだ。
﹁は あ
千冬、一夏、箒以外には大体セシリアと似たような対応になる。
え。 うふふ、興味ないからね、他の人間なんて﹄とのことらしい。
博士に曰く、
﹃人間の区別がつかないね。 わかるのは三人と、あとなんとか両親かね
一夏の記憶が確かなら、束博士は昔からこういう人だった。
た。
ここまで明確な拒絶を示されると、流石のセシリアもしおらしくなって引き下がっ
た。
先程までの親しげな雰囲気から一転、別人の様に冷たい言葉と視線を向けて拒絶し
﹁う⋮⋮﹂
きゃいけないんだから邪魔だよ。 あっちいきなよ﹂
﹁うるさいなあ。 それに今から束さんはヒュペリオンのデータを取って対策を練らな
﹁え、あの⋮⋮﹂
しゃしゃり出てくるのか理解不能だよ。 って言うか誰だよ君は﹂
ち ゃ ん と ち ー ち ゃ ん と い っ く ん と 数 年 ぶ り の 再 開 な ん だ よ。 ど う い う 了 見 で 君 は
?
477
しかし、これでもマシになった方で、以前は完全に他人を無視しており、千冬の矯正
小栗は現在救療中だ、来てないぞ﹂
で改善した方なのである。
﹁ヒュペリオンのデータ
﹁私がそうした、だと
からね﹂
まさか、呼んだのか、あの状態の奴を⋮⋮。 いや、だと言っ
﹁そう思うだろうね、ちーちゃんなら。 だけどね彼は絶対ここに来るよ、私がそうした
?
﹂
?
そして、ゼロぴったりにそのIS、ヒュペリオンを纏った潤が現れた。
その数字がゼロに近づくと、ISが高速移動している音がビーチに響いた。
十││九││八││、と博士が正確に一秒を刻んでカウントダウンを始める。
べて空を見る。
今までにない不敵でいて、涙目になったセシリアが怖いと思うような壮絶な笑を浮か
﹁││真実かな﹂
﹁⋮⋮お前は、小栗の何を知ってるんだ
態だって動くよ。 現にあの怪我を負ってなお水色髪と銀髪を助けようとしたしね﹂
﹁じゅんじゅんはね、過去を引きずって生きてるから、そこを刺激して上げればどんな状
ても奴は来られる状態ではない﹂
?
﹁││鈴⋮⋮。 無事だったか⋮⋮﹂
6─4 天才の思い
478
﹁やあやあやあ
ようやく、よ∼∼∼∼やく、直接話せる機会が出来たね
﹂
めましてだけど、束さんは全く遠慮しないよ さっさとデータ見せてね
んは待ちきれないよ
さっ、初
もう束さ
!
!
﹁何││
﹂
鈴からはエマージェンシーが出ているし、
山田くん、凰、端末を調べろ﹂
お二人と委員会からISの使用許可が出されているんですが
﹁織斑先生、山田先生、何があったんです
それより、潤には確かめたいことがあった。
ていることは察している。
じゅんじゅんなる特殊な呼び方をされたのは初めてだったが、恐らく自分を呼びかけ
怪訝な顔で小煩く喋りかける女性を見る潤。
!
!
!
所で先ほどから纏わり付いてくるこの女性は誰です
﹂
﹁怪我をおして来てこれか。 まあいい、取り敢えず安全そうで安心しました。 ││
束博士の言う通りならば、彼女が知らぬ間にハッキングしたことになる。
された形跡だった。
その二人が見たものは、気付かぬ内に何者かが先ほど潤が述べた通りのデータが送信
鈴と真耶が声をかけられて、急いで自分のISと端末を洗い出していく。
﹁え││、あ、はい﹂
?
?
?
479
?
﹂
﹁私が天才の束さんだよ、よろしくね そんな事はどうでもいいよ
﹂
!
束って、あの篠ノ之束博士ですか
させてね
﹁束
?
!
さ、ISを調べ
!
││⋮⋮成程、ヒュペリオンの妙な違和
て、その後制御モジュールも作った天才博士だよ
!
!
?
女性の正体を知って臨戦態勢を解き、考え事の為に動作を止めたのを、データ取得の
レベルの違いすぎる扱えないオーパーツを組み込むために無茶をしたものだ。
間接機構とナノマシンが採用された。
よって不安定な部分を、今のパトリア・グループの技術力で何とか補った結果、特殊
それでも第四世代の実験機を作りたかった社長は強引に開発を推し進める。
か作れなかった。
のの、変態技術者達をもってしても博士レベルの理解力に到達できずに不安定な機体し
つまり、ヒュペリオンは束博士の原案の元で設計され、そのまま機体を組み立てたも
その名前が意味することを理解して、ようやくヒュペリオンの歪さに決着がついた。
着地したヒュペリオンの周囲をひょこひょこ動く女性が自己紹介する。
感と、制御系の異常性はそういうことか﹂
?
﹂
﹁もちのろんだぜ 君のヒュペリオン、その可変装甲の原案と基礎プログラムを作っ
?
﹁⋮⋮は ヒュペリオンが束博士の作品
6─4 天才の思い
480
了解と取った束博士はコードをヒュペリオンに差し込み物凄い勢いでデータを吸い出
し始めた。
投射型ディスプレイとキーボードを、紅椿と同等数展開していることから、その真剣
味は誰の目から見ても明らかだった。
セシリアは再び豹変した束博士と、自分が頼んで断られたことを頼んでもないのに
やってもらっている潤を交互に見ている。
普段高貴な振る舞いを意識している彼女が、口を開いてパクパクしているくらいに。
はまだか。 まあ理由を考えれば当然かな
﹂
﹂
?
の手によって終わろうとしている。
潤の体や、設定されていたデータに合わせて行われていたフィッティングが、束博士
タを処理していた。
束博士を怪しむ間もなく、痛みを堪える意識の裏側では、ヒュペリオンが膨大なデー
﹁││そうですか。 まあ、ありがたく使わせてもらいます﹂
にヒュペリオンを使い続けるだけでいい、いいね
﹁それは今のところじゅんじゅんには知る必要のないことだよ。 君は私が望むがまま
?
!
﹁なんなんだ、あんたは⋮⋮馴れ馴れしい。 ││所で、何故こんなことを
﹂
﹁うんうん、思った通りとんでもないフラグメントマップだね。 ⋮⋮フォーム・シフト
481
ヒュペリオンの表面装甲と、内面装甲が小さな音を鳴らして変形、生成されていく。
ソフトとハードの両方を一斉に書き換えているので、束博士が行っている設定が如何
に優れているのかわかる。
﹂
元より潤の為に作られた機体であるので、一夏のような劇的な変化は特に起こってい
ないが、それでも装甲が緩やかに変更された。
これでようやくヒュペリオンは、正しく潤の専用機になった。
﹁あー⋮⋮ごほんごほん。 姉さん、こっちはまだ終わらないのですか
ヒュペリオンからコードを引き抜いて、声をかけられた箒の方に向かう束博士。
﹁んー、もう終わるよー。 んじゃ、試運転も兼ねて飛んでみて││﹂
?
﹂
﹂
用は済んだ、というか緊急事態でも何でもない以上、潤がココにいる理由はない。
会長も探しているだろうし、寮に帰らねばならない。
﹁織斑先生
?
しかし、その表情は険しく、まるで戦場に出る直前の雰囲気を持っており、潤の問い
十六連装のミサイルを破壊したISをじっと見つめる千冬に声をかける。
物凄い勢いで上昇し、エネルギー刃を使用して雲に穴を開けたり、束博士が用意した
?
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮成り行きからこんな事してますけど、寮に帰っていいですか
6─4 天才の思い
482
を聞いている様子はない。
!
からそれを使用して⋮⋮﹂
お、おお、織斑先生っ
!
﹂
!
﹂
!
﹂
!
なお、この命令に反した場合
!
げる。
いいな
班片付けを実施して旅館に割り当てられた自室に待機
﹁現時刻よりIS学園教員は特殊任務行動へと移る。 今日のテスト稼働は中止
は拘束する
!
各
真耶が走り去った後に、手を叩いて視線を集めた千冬は険しい表情で事態の急変を告
﹁了解した。 ││全員、注目
﹁そ、そ、それでは私は他の先生たちにも連絡してきますので
その後、近くに潤がいたせいか、直様手話に変えてやり取りを始めた。
その真耶から手渡された小型端末を見て、千冬の表情が曇る。
何時も慌ただしく頼りない感じの真耶だが、今回は何時もの比ではない。
を切り替えた。
いきなりの真耶の大声に、潤に向かって話していた千冬が言葉の途中でそちらに意識
﹁たっ、た、大変です
﹂
だといっても誤報と知ってISで移動するわけにも行くまい。 別に足を用意させる
﹁⋮⋮あ、ああ、済まない、帰るんだったな。 ││いや、いくら原因が束のハッキング
483
!
﹁はっ、はい
﹁布仏
﹂
﹂
その姿は今までに見たことのない怒号に怯えているかのようでもあった。
接続していたテスト装備を解除、ISを機動終了させカートに乗せる。
全員が慌てて動き始める。
!
怪我大丈夫なのか
?
﹁大丈夫じゃない。 大丈夫でないが、お前に何をさせるのか知らないが、かなり嫌な予
﹃潤か
﹄
言われたとおり本音と合流する。
流石に今の潤には何も話す気はないらしい。
に対して集合をかける。
そう言い放って専用機持ち、一夏、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラ、そして箒
﹁了解﹂
禁止とする﹂
容態が悪化したら自己判断でISを装備しても構わない。 ただし旅館から出るのは
﹁小栗を山田先生の部屋に案内しろ。 ついでに、一応お前が付いていてやれ。 小栗、
﹁はい﹂
!
?
﹁一夏﹂
6─4 天才の思い
484
感がする。 せいぜい気をつけろ﹂
束博士はいつの間にか居なくなっていた。
らげた。
珍しく落ち着きのない表情の一夏が画面に映ったが、通信を受け取って幾分表情を和
﹃ありがとう、頑張るよ。 じゃあな、話せて良かったよ﹄
485
6│5 UTモード
真耶の為に用意されていた布団に、文字い通り倒れ込んで体を休める。
火に炙られて熱せられた鉄板に押し付けられたかのような、最早痛みではなく熱流が
体を支配していた。
そこら辺に置いてあったタオルを口に突っ込んで悲鳴が出ないように噛みしめる。
部屋から男の呻き声と悲鳴が聞こえるなど、バイオレンスなホラーでしかない。
周囲の生徒へ心配かけないように、この部屋まで我慢したのだから最後まで隠し通し
たい。
﹁本音、鎮痛剤、強烈な奴を持ってきてくれ﹂
負った場合は切り落として付け替えていた。
異世界では強化人間だけあって、腕や足のスペアがあったという事実から、大怪我を
出来る事なら腕なんて切り落としてしまいたい。
半泣きになりながらも、この部屋まで来てくれた本音に拝み倒すように懇願する。
痛みなんてない、心配いらないとう顔で、色々と我慢するのも限界だった。
﹁うん、氷嚢も作ってくる﹂
6─5 UTモード
486
さっさとそうしたい。
魔力が回復すれば直ぐにでも痛みを和らげることに全力を出したい。
ヒュペリオン、イメージインターフェース起動││皮膚装甲展開││操縦者保護開
始。
今何処にいるの
﹄
少しだけ気が楽になって気付いたが、知らないISから通信が、それも三十秒に一回
のペースで入っている。
﹂
何しているの
!?
﹁誰だ⋮⋮
﹃潤くん
!?
解除しなさい。 話はそれからよ﹄
さで潜伏モードに移行する⋮⋮。 色々言いたいことがあるけど、まずは潜伏モードを
﹃朝食を持ってきたら部屋にいない⋮⋮、コア・ネットワークで通信したら電光石火の速
﹁い、一年が臨海学校で利用している宿泊施設です﹂
ゆっくり血の気が引いていく。
かった。
もう、すっかり鈴の事しか頭になくて、会長が護衛に付いていたことなんて頭にな
忘れていた。
オープン・チャネルを開くと、鬼気迫る顔をした会長が映った。
!
?
487
記憶が鮮やかに蘇ってくる。
寮でヒュペリオンを起動、空に出て一気に学内領域から離脱した。
そもそも現世代でヒュペリオンに追従できるISは無く、会長が専用機を持っていた
としても追ってはこられない。
その数分後、オープン・チャネルで通信してきたISがあったが、邪魔にしか感じな
かったので遮断した後に潜伏モードに切り替えた。
会長が受けた衝撃たるや、黒船が来航した江戸幕府の侍たちより酷かっただろう。
﹁えーと、この度は、たいへん申し訳なく⋮⋮﹂
﹃黙りなさい﹄
若干落ち着いたのか、会長はため息を吐く。
﹁はい﹂
どうやら片手間でこちらの位置情報をキャッチしたのか、表情も元に戻った。
﹄
?
自分が悪いと分かっている以上言い訳もできず、さりとて逃げても意味は無い。
表情は戻ったものの、顔にはありありと怒気が浮かび、禍々しい雰囲気がある。
﹃分かってないわ﹄
﹁分かっています﹂
﹃全く、護衛の重要性は知っているわよね
6─5 UTモード
488
﹃お姉さんが何のために護衛に付いているのか分かっているの
るの﹄
﹁委細承知しています﹂
﹄
それに護衛というの
はね、護衛対象が〝守られている〟事を自覚しないと何かあった場合の存命率は激減す
?
﹂
﹃⋮⋮ねぇ、なんで潤くんは、これだけの情報で動いたの
﹁はい
生の一人として﹄
﹄
出す訳ないでしょう、仮にも先
出す訳ないじゃない、委員会の連中が一個人相手に。 それ
に織斑先生はキミの怪我を誰よりも知っているのよ
?
一睡もせずに寄り添い、自分の身を顧みなかった潤に怒声を上げた千冬を思い出す。
?
IS委員会の移動許可
﹃だから、情報が少なすぎるし、普通これじゃあ誰も信じないわよ。 身近な先生二人と
?
?
だした。
データを受信した会長は暫くそのログを見ていたが、瞳を閉じてゆっくり考え事をし
会長に経緯を話して、受信ログを開示する。
ヒュペリオンで移動した理由は、潤にとっては疾しい事は無く、むしろ被害者である。
ようやくその質問が来たことに喜ぶ。
﹃まったく⋮⋮。 で、何があったの
?
489
確かにありえない。
もし仮に、何か重要な案件があったとしても、彼女なら手持ちの範囲で何かしらの対
策を練っただろう。
真耶は語るに及ばず、鈴が潤に対して率先してエマージェンシーを出す理由も│││
│。
﹁あの野郎、知ってやがる⋮⋮﹂
﹄
?
だった。
しかし、どうやって⋮⋮と考えて真っ先に思いつくのは、何一つ分かっていないコア
ら変な行動では無くなる。
会長にはおかしく見えた誘導は、三人の関係とリリムと潤の終わりを知っていれば何
三人の関係について知っている事の証左になる。
それは、鈴と潤ではなく、遙かに根深く誰にも話していない裏側、リリムと鈴と潤の
と理解して信号を出した。
束博士は、鈴││いやリリムが潤にエマージェンシーを出せば、必ず潤はやってくる
鈴の経緯に辿り着いてようやく理解した。
頭をガツンと叩かれた様に、真実が明滅して思い浮かぶ。
﹃││
6─5 UTモード
490
思えば飛行機事故の段階で、コア側から強い接触が見られていたのだ。
コアの全容をくまなく知っている博士なら、何かしらの情報を得ていておかしくな
い。
博士が妙にヒュペリオンに執着していたのは、魔法の概念を理解したISについての
﹄
情報が欲しかったのかで通ってしまう。
﹃知っているって、何を
﹂
?
﹂
?
﹃ええ、もう一度言うけど、安静にしているのよ
﹁はい、それでは⋮⋮﹂
﹄
?
﹁⋮⋮わかりました、機密事なんですね
てね。 私からも申請しているけど許可が下りないのよ﹄
﹃ちょっと核心は言えないわね。 色々省いて言うなれば、少々面倒事があったらしく
何か言い淀んでいるのか、形のいい唇を閉じた扇子で隠して押し黙る。
それを聞いた会長は、今までの状況から一転、真顔になった。
﹁ここに来ないんですか
あなたの行動原理も分かったし、暫く安静にしているのよ﹄
﹃なんだっていいって、まったく頑固さんなんだから⋮⋮。 まあいいわ、今回の件で、
﹁なんだっていいでしょう﹂
?
491
6─5 UTモード
492
通信を遮断する。
きっと必死になって探した会長を忘れていたのは申し訳ないが、なんだか丸く収まっ
たようで安心した。
面倒事とはきっと一夏達を巻き込んだ、特殊任務行動の件だろう。
あたり一帯の飛行制限でもかけているのだろう。
外から誰かが歩み寄って来ている音が聞こえるが、どうせ本音だろうとあたりを付け
て瞳を閉じる。
その後は逡巡する暇もなかった。
音速超の高速移動で長距離移動した疲労、元来の怪我からくる疲労で体は限界だっ
た。
まるで、機械の電源を落としたかのように、簡単に意識は断絶した。 人はそれを気
絶と言う。
夢を、見る
永遠を前に余りに脆く儚い夢
喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも一夜限りの劇場
もう六月だというのに窓の外では雪が降っていた
493
真っ白な、冷たい雪
この街の何もかもを白く埋めてしまう⋮⋮雪
どんな想いさえ⋮⋮どんな傷跡さえ、覆い隠してしまうかのように
そうして何時か、雪溶けの頃には、醜い傷跡は消えているのだろうか
││自分を裏切ったあの人は、剣を受けてくれなかった
裏切られはしたが、あれは王からの命令に公爵子女である彼女が逆らえないのは当然
であり、避けようがない事だった
騎士の道から逸れ、身体に薬と外道の理で歪められ、怨念で畜生道に堕ち、彼女の前
に立った
││何故切り捨ててくれなかったのだろう、どうせ畜生道を行くならば、その前に彼
女に切って欲しかった
彼女を泣かせるつもりも、謝らせるために決闘を挑んだ訳でもなく、彼女の裏切りを
断罪する気もない
ただ、彼女に剣を向けた、哀れな馬鹿をその剣で裁いて欲しかったのに
そんな、泣きじゃくって子供のように謝る、初恋だった貴族の女の子を見捨てて国に
帰り、今は新規部隊の連中と顔合わせをする為に専用の住宅施設を歩いていた
﹃⋮⋮はあ﹄
ちゃんとした自我を取り戻したら、裏切りにあった日から五年が経過していたなんて
今でも信じられない
異世界に来た頃よりも衝撃的だったかもしれない
自我を取り戻した潤を、今までと同じく狂犬を扱う様に﹃国王﹄を名乗る人物は新た
な部隊への配属を言い渡した
暫くは薬物の調整が必要とのことで離反は出来ず、他に行くあてもないので素直に指
示に従った
薬を摂取せねば死ぬとのことで、最早鎖に縛られ牙を失った狼という有様である
﹄
滑稽だな、と思う暇もなく、廊下の先から泣き声を挙げる誰かが走り寄ってくる
?
そして、その後ろからツインテールの、こちらも全裸の少女が追いかけている│││
目を擦る、薬が抜けていないだけかもしれな││││幻覚ではなかった
まだ十にも満たないであろう、子供が全裸で走ってきていた
﹃⋮⋮
6─5 UTモード
494
│幻覚ではなかった
逃げたっ
!
﹃ちょっと、なんで邪魔するのよ
だ、ナニを﹄
早くしないとあそこが乾くじゃない﹄
﹃何をしてるんだ、⋮⋮貴様は。 というよりこんな年端もいかない子供に何をする気
その言い分を聞いて目眩がしたがなんとか耐えた
服を剥かれた少女を背にして、ツインテールと対峙する
!
とそういう人間かもしれない
全裸で子供、しかも女同士ネチョネチョしようなどと大声で言い放つコイツは、きっ
ている奴、ぶつぶつと何も無いほうを見つめ何かを呟いている奴
壁にへばり付き生ゴミのようにだれる奴、自分の爪が剥がれてなお壁を引っ掻き続け
この場所に辿り着く前にも、薬を異常量摂取して廃人になった人間を多数見かけた
その中の極めて少数の連中は、精神安定剤や幻覚剤という逃げ道に頼る
駆られる
ごく少数の人間は何とも感じないが、大抵の人間は殺されることと殺すことで恐怖に
人間において自分と同じような生物、人間を大量に殺すという禁忌
て無駄よ、無駄﹄
﹃あははっ、待って∼、諦めてお姉さんとベッドでネチョネチョしようね∼
495
なんだって
﹄
?
﹃︻自主規制︼﹄
﹃⋮⋮⋮⋮は
?
まったくもって色香の欠片もない姿だった。
を漏らしてひたすら寝ている。
涎を垂らして、幸せそうに枕を抱きしめて、笑を浮かべながら﹃えへ、えへ﹄と言葉
そして、相変わらず本音は隣で安眠していた。
い出の部類に入るのだろう。
最初と最後が最悪だったが、まあ本人自体は割といい奴だったのだが、やはり嫌な思
そういえば、最初の出会いはあんなんだったか。
目の付近の濡れた感触から、自分が泣いていたことに気づく。
既に落ちた夕日の名残に照らされて、眩しさからか目が覚めた。
その後四年に渡ってチームを組むことになるパートナーとの、最悪の出会いだった
ツインテールが勢いよく宙を舞う
考える前に拳が出た
埋めたり、私の︻自主規制︼とその子の︻自主規制︼を擦ったり││﹄
﹃だから、
︻自主規制︼するって言ってんの。 その子の︻自主規制︼に︻自主規制︼を
6─5 UTモード
496
浴衣がはだけて色々見えそうなのにまったくドキドキしない││大体リリムのせい
かもしれないが││浴衣を直すわけにもいかず覚束無い手でなんとかシーツをかけた。
そうやって再び瞳を閉じて寝ようとしたが、扉を叩く音に邪魔されて寝付けなかっ
た。
では出来ないな、山田くん、小栗を車椅子に﹂
?
事情を飲み込めない潤だったが、二人の遣り取りからISを使った戦闘を想定してい
車椅子に乗せられている間、真耶はずっと異論を唱えていた。
対抗できる人材は少ない﹂
用意せねばならない。 条件に当てはまる手駒は小栗しかないんだ。 それにアレに
﹁その話はもう済んだことだ。 それに事態がどう転ぶか分からない限り、次善の策を
﹁織斑先生、私は、やはり反対です。 小栗くんは見た通り重体ですよ
﹂
﹁入るぞ。 ⋮⋮さて、大変申し訳ないが、お前の力を借りたい。 詳しい話は⋮⋮ここ
﹁起きてますよ、入っても大丈夫です﹂
そして、千冬は、初めて見るISスーツを着用していた。
だった。
入ってきたのは千冬と、不満げでいて決意の瞳をし、車椅子を押している真耶の姿
﹁小栗、起きているか﹂
497
ることを覚悟する。
自分の怪我に不安もあるが、問題はラウラ達がどうなったで説明してもらいたいが、
流石に廊下では答えてくれないだろう。
そのまま車椅子に乗って旅館の一番奥に設けられた宴会用の大座敷・風間の間に移動
する。
内部は薄暗く、大型の空中投影ディスプレイが浮かんでいた。
﹁では、順番に説明しよう。 三時間ほど前、ハワイ沖で試験稼働にあったアメリカ・イ
スラエル共同開発の第三世代型の軍用IS﹃シルバリオ・ゴスペル﹄、銀の福音が制御下
を離れて暴走。 監視空域を離脱したとの連絡があった﹂
を補足できないので、専用機を集めたわけですか﹂
﹁第三世代の暴走⋮⋮。 ということは巡航速度等の機動問題からエネミーターゲット
﹂
?
か、と潤は少し怪しんだが黙って説明を聞く。
頷く千冬を見るも、まともな訓練をしているであろうセシリアとラウラを除いたの
﹁軍用機を奇襲から一撃で落とせるから、ですね
ノ之の二人を投入、教員は訓練機を用いて海域を封鎖を実施した﹂
わかった。 量産機では接敵すらできない事から正面戦力には束の推薦から織斑と篠
﹁そうだ。 衛星による追跡の結果、福音はここから二キロ先の空域を通過することが
6─5 UTモード
498
会長が宿泊施設に来れなかったのはアメリカからの圧力だったのだろう。
﹂
?
?
福音は倒されたかのように思われた││問題はその後だ﹂
﹁零落白夜を使用したのならエネルギーはゼロになったのでは
﹂
﹁ところが面白いことに織斑も同タイミングでセカンド・シフトが行われ、それによって
﹁セカンド・シフト⋮⋮﹂
一変した﹂
チュールを用いた良いコンビネーションで戦ったが、福音のセカンド・シフトで戦況は
﹁そ の 後、居 残 っ て い た 専 用 機 組 が 篠 ノ 之 と 合 流 し て 再 戦 を 行 っ た。 各 々 オ ー ト ク
しかし、潤の予想に反して千冬は首を横に振った。
千冬がISスーツを着込んでいる以上、潤が足止めをして千冬が戦うのだろう。
ラウラ戦以降可変装甲の展開が上手くいかないが、足止め程度ならやりようはある。
チュールも必要とせずに可変装甲を展開すれば換装も必要もない。
パッケージと呼ばれる換装装備、専用機だけの機能特価専用パッケージ、オートク
ヒュペリオンは第三世代の標準装備における最速の機体。
﹁では、私の任務はシルバリオ・ゴスペルとの戦闘ですか
しく船が戦闘領域に存在し、それを庇って織斑が敗走して作戦は失敗﹂
﹁そして二時間前に織斑と篠ノ之が出撃、接敵に成功するも海上封鎖に漏れがあったら
499
﹁UTモードが発動した﹂
その言葉で、潤が呼ばれた理由は明らかになった。
UTモード、誰にも明らかにしていないが魂魄の能力者と、旧科学時代のパワード
スーツのトレース状態。
超常兵器はともかく魂魄の能力に対抗できる人間は少ない。
学年別タッグトーナメントでのラウラがその状態になったが、教師陣は誰もそれに対
抗できなかった。
唯一潤を除いて⋮⋮。
﹁何故UTモードに移行したのか、何故あんな外見なのかは定かでないが、問題は周囲で
動けなくなった代表候補生たちだ﹂
﹁任せてください、俺ならあいつのマインドコントロールを突破できます﹂
魂の呪縛を無力化できる潤が戦うのが筋、その考えは変わらない。
?
前の目的はその間、UTモード﹂
意気込む潤の隣で、真耶がポツリと呟いた。
﹁⋮⋮それにしても、中国とあの機体の関連性は本当にないんでしょうか
その内容に、ほんの少し、何故か潤は不安を覚えた。
﹂
﹁ああ、無茶はするな。 本命は私が専用パッケージを換装した打鉄を用いることで、お
6─5 UTモード
500
その時、なぜか物凄く怖くなった。
理由なんか一切分からず、何故かそれ以上真耶の言葉を聞くと酷い事になる気がし
た。
後に思えば、それは潤の能力が促した予知だったのかもしれない。
﹂
?
い、リリムの姿だった。
慌てて画面の開示を要求すると、その画面に写っていたのは││││││紛れもな
潤の胸が、ズキリと縛られたように傷んだ。
鈴とまったく同じ姿をした、魂魄の能力者。
を疑いますよ
﹁しかし、鈴さんとまったく同じ姿をしたUTモードだなんて、誰だって中国との関係性
﹁中国もその情報を聞いて混乱中だ。 私たちが言っても仕方があるまい﹂
501
﹄と。
?
鈴と話しかけている時の違和感は、それが正体だったのかも知れない。
かったか
鈴との話を終えて、本音にこう言った﹃⋮⋮なんか、今の鈴と俺の会話変なところな
した後。
そう、最初に違和感を察したのは、リーグトーナメントの一回戦、一夏の試合を観戦
る。
現実をしっかり見ろ、そう制されたようで何でもないのに自分自身に潤が酷く怯え
度重なる下らない自問に、肩がぶるっと震えた。
否定した。
何かの見間違いか、頭でそう思っても、直ぐに理性は俺が奴を見間違うはずがないと
ただ、ひたすらその終着点を否定する事しか出来ず、自分を認められないでいる。
しかし、潤の頭には既に答えまでの道筋は完成されていた。
幾度となく繰り返される自問。
││違う。 あいつが現れる訳がない。
6│6 疑問と答え
6─6 疑問と答え
502
503
リリムの魂魄の適性は上書き、潤の魂に多少残っていたリリムが上書きした魂の残滓
││。
つまるところ、潤の中にあったリリムの魂が無くなっていたのだから。
潤が鈴に近寄るだけで起こっていた、リリムの鈴への干渉は、トーナメント付近から
一回も起こってない。
病院のあれは、そもそもの鈴がそういう性格だったから起きた偶然だろう。
学園の保健室では、潤が触れるまでリリムは一向に起きなかった││当然だろう
そうでもしなければ鈴の中にあるリリムが起きるなんてありえないのだから。
近寄っても潤の中にあるリリムの魂が無ければ共感現象のレベルは大分下がる。
コア側からの強烈な接触。
ダウンロードの酷使したような力が脳を突き抜けたこと。
科学的側面から、魂の観測が可能だと言うなら、潤の過去はいくらでも調べられる。
篠ノ之束博士。
あそこが違和感の始まりだとするならば原因は、⋮⋮原因は、⋮⋮ヒュペリオン││
?
頭の中を隅々まで見られたかのような違和感。
!
まるで浸食されているような││いや、もう奪い取られるようと言いなおそう。
ダウンロードに不備はないさ
俺の大事な物を奪っていきやがった
││そりゃあダウンロードも暴走するさ
││あの糞女
!
!
嘗て、怒りにかまけて剣は持たないと自分を律したが、それでも限度はある。
しき機械を付けた博士への怒りだった。
頭で整理が終わり、理性がそれを認識すれば、その後に浮かび上がるのはウサギ耳ら
!
あの、辛いのなら、やはり断った方が⋮⋮﹂
何時かあの素首跳ね飛ばしてやる、とやり場のない怒りがぐるぐる頭の中で渦巻い
た。
﹂
﹁小栗くん
﹁黙れ
?
その憤怒の表情と、凄惨な瞳に気圧される。
ある程度回復して多少動かせていた左手で、襟首がつかまれている。
れる真耶にも、そう接していた潤が目上の真耶を威圧する。
普段から目上の人には敬語を用い、クラスの女子たちから渾名を付けられてからかわ
!
潤が聞いた千冬の言葉で、怒りが限界を超えたのが手に取るようにわかった。
﹁やめろ、小栗。 何を熱くなっている﹂
6─6 疑問と答え
504
乱暴に扱った左手を、労わるように離して、真耶に頭を下げる。
人間怒りが限界を超えると逆に冷静になれると知ったのは、今まで生きてきて初めて
の経験だった。
目視して、真実を知る。
馬鹿な、なんて無責任なんだ
考えるだけでもおぞましい。
俺は
!
さなかった自分の弱さが原因だ。
今回の事件の経緯は、例えどんな小さな魂でも共にありたいと願い、リリムの魂を消
!
朝起きて、帰ってきた、もしくは帰ってこられなかった専用機持ち達、千冬の存在を
目の死を迎えるのだ。
周囲の専用機持ちを次々落として、時期に到着した千冬の手によってリリムは、二度
てが進んでいく。
他者に決着を委ねる⋮⋮自分の与り知らぬところで、布団の中で休んでいる最中に全
い。
これほどの因果を、誰に託せばいいのか、それを考えれば誰だって託せる相手はいな
﹁いえ、││俺が行きます﹂
﹁しかし、それほど辛いなら辞退してもいい。 お前は怪我人だ﹂
505
例え、その魂を博士に利用されようが、因果や結果がどうなろうと、それは潤の責任
になる。
リリムを消す事で、怒りは収まるのか
収まらない、きっと更に酷くなる。
殺す事で、一体状況はどう変わるというのか
それが、IS学園の教師の意思だからと逃げていないか
先ほど決断したばかりだ。 自分のケツは自分で拭く。
呆れるほど潤の思考はクリアだった。
?
少なくとも、死んだ親友より、生きているクラスメイト達を救う方が有意義だと思う。
?
?
でも、子供じゃないから、ケリは付ける││きっとそれは、苦しいだけだろうけど。
かなり悲しい。
博士を憎む気持ちはある。
潤の中で、感情の嵐が吹き荒れる
改めて尊敬した。
真耶はその表情を見て、純粋に怖いと思い、その顔を見て平然としていられる千冬を
怒りを超越したその表情は、笑顔の成り損ないみたいな笑み。
﹁俺に行かせてください﹂
6─6 疑問と答え
506
噛みしめすぎたせいで、口から滴る血には、無理やり意識を逸らして逃げた。
二人は不思議なくらい激情を露わにする潤を見送った。
﹁ああ﹂
﹁行ってしまいましたね⋮⋮﹂
戦をなぞるが如く。
きっと博士は、リリムと潤を戦わせたくてああしているのだろう。 あの時のラウラ
漂っている。
福音はリリム同様の魂魄の制度をもって、代表候補生たちの精神を侵して、空中で
UTモードに変更した時点で福音の性能は不明。
その事実に、機体に対する拒否感があふれ出すも、今は非常事態と呑み込んだ。
この機体は、潤の大切な物を奪うために博士が作った機体だった。
嘘っぱちだった。
ヒュペリオンは、操縦者の脳波で動く│││意志を形に変えてくれる、そんなのは
ヒュペリオンを身に纏う。
﹁││任せてください﹂
前の役割だ﹂
﹁そうか⋮⋮。 何を考えているのか知らないが、無茶はするな。 時間を稼ぐのがお
507
その背を見て、何故か真耶は潤が泣いている様な錯覚に陥った。
﹁これで、良かったんでしょうか⋮⋮﹂
思わず、そんな言葉が漏れてしまった。
彼は、生徒で、重症患者なんですよ
﹂
織斑先生、お言葉ですが、自分の責務か
﹁仕方があるまい。 それに、本人の承諾は得ている﹂
ら逃げていませんか
﹁そういう事を言っているのではありません
!?
!
そう思っている﹂
﹁知っているともさ、小栗に無茶をさせていることは。 それに奴なら大丈夫だと、私は
?
女性権利団体や、潤の身柄を取り押さえようとする強硬派を欺くための物で、仮に全
と報告していたのだ。
潤の怪我は重傷だが、千冬と真耶は表向きの組織全体に対して五ヶ月程度で完治する
る。
今回潤が出撃する要請が下された背景に、真耶と千冬の発言が最大の原因となってい
なってしまう。
少しでも潤を正しくオペレーションしてやらねば、あまりの不甲斐なさに泣きそうに
言い捨てて大型の空中投影ディスプレイの前に座る。
﹁それは言い訳です﹂
6─6 疑問と答え
508
治に一年以上かかります等と馬鹿正直に報告すればどう転ぶかわからない。
潤が一年以上病院で過ごすとあれば、国際的な治療を受けられる場所に移動されるな
どと言ってモルモット送りとなるかもしれない。
事情を知っているドイツ軍は、部下が全人口分の二という貴重な人間を殺しかけた等
とは公表したくなく、利害の一致を背景に団結した。
そして、思いのほか日本政府も、潤を自国固有の財産にしたいという理由からそれに
手を貸した。
良かれと思って、潤の為になると思ってした事だったが、報告通りに潤の容態を処理
したアメリカ・イスラエルから、潤の参加要請が来てしまった。
﹂
軽傷の証拠に、UTモードの機体と戦っている最中の映像を用いたのも災いして、尚
更引けなくなってしまった。
本人が拒否してくれればと思ったが││、それも叶わなかった。
﹁小栗くんが、私の部屋で寝ている最中、何があったか勿論ご存知ですよね
﹂
﹁更識から聞いているとも。 毎日、麻酔が切れて痙攣するそうだな﹂
﹁なら何故、小栗くんを行かせたんです
けたと聞いて、それを考慮した上で行かせたんだ﹂
﹁私とて何も考えずに行かせるわけじゃない。 束が奴の専用機に﹃生体再生﹄機能を付
?
?
509
﹁⋮⋮机上の理論通りに上手くいけば苦労はしません﹂
生体再生機能、世界初の戦闘用ISの﹃白騎士﹄に搭載されていた、搭乗者の傷を癒
す機能。
束博士はヒュペリオンのデータを取るついでに、その機能を黙って追加していた。
基本的な制御は束博士の手が加わっているので、簡単だったと博士は言ったが、潤す
ら気付かない早業だったのは言うまでもない。
﹁まあ小栗を信じて、私用にカスタマイズした打鉄が来るのを待とうじゃないか﹂
なのだが││。
理論的な部分など関係なく、何でもないのに潤を信じられるのが千冬自身怖いくらい
信頼できてしまうのだ。
何故か、そう本当に何故か知らないが、千冬はまるで潤が自分の事のように信用でき、
ていないが。
││ところが、実際のところ千冬も何故自分がここまで潤を信頼しているのか分かっ
信頼しているように写る。
千冬が何故そこまで潤を信じられるのかは定かでないが、真耶には千冬がかなり潤を
そう言って、ヒュペリオンのデータを目で追う真耶。
﹁⋮⋮そうですね。 もう、サイは投げなれた訳ですし﹂
6─6 疑問と答え
510
﹄
﹁小栗くん、聞こえますね。 そのままなら後十分程でターゲットとコンタクトします﹂
黙ってろ
!
!
││駄目だ
苦しいなんて思うな
首を振って思考を遮断する。
!
殺意で蓋をしろ
!
もっと自分が馬鹿だったのなら、こんなに苦しむこともなかったのだろうか。
る一夏が。
何も考えずに守りたいものを見つけて、簡単に守るなんて言えて、明るく笑ってられ
もっと優しい友達と遊んでいたかった。
一夏が羨ましい。
る。
その目に写った全ての景色がグニャグニャに歪んで、歪な芸術品のように見えてく
ている。
展開装甲は使いこなせていないが、それでもヒュペリオンは高速で目的地まで移動し
吐き気がする。
真耶の通信をぞんざいに扱って、粉々になりそうな意志を奮い立たせる。
こんな状態でも信じられるのだから、本当に不思議である。
﹃うるさい
511
!
会ったところで奴はクラスメイトの魂を拘束しており事態は一刻を争っている。
懐かしい会話なんぞ出来るはずもなく、そもそもアレは潤の中にあった僅かなリリム
のデッドコピーであり昔語りなんぞ出来るはずもない。
出会い頭から殺し合うしか選択肢はなく、自分の手で完全に壊しつくす絆に縋ろうな
﹂
んて、なんて無意味な行いだろうか。
﹁コンタクト
たりで、魂を束縛されていたラウラが若干意識を取り戻した。
押し寄せる魔力の波を打ち消すように突き進み、最後尾にいたラウラを追い越したあ
しかし、表情には欠片の変化もなかった。
た、と思う。
毎日鈴を見るようになって慣れたとも考えたが、やはり奴に会って目頭が熱くなっ
記憶のまま面妖に微笑むと潤に向かってゆっくり移動を始める。
旧科学時代に作られたパワードスーツ、ヒュペリオンを身に纏ったリリムは、嘗ての
触した。
一夏、箒、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラ⋮⋮Unknown││リリムと接
ハイパーセンサーの視覚情報が自分の感覚のように目標を映し出す。
!
﹃ア、アア、ア⋮⋮﹄
6─6 疑問と答え
512
少しばかり意識が外に行ったのを、元に戻さんとするかの如くリリムが口を開く。
言葉にならないその音は、今から殺そうとしている相手に対して、余りにも穏やかで、
﹄
││その記憶通りの優しさが⋮⋮酷く恐ろしかった。
﹃アアァ、アアアアア⋮⋮
縋るな
助けを求めるな
俺はお前の敵なんだ
﹄
!
﹁くそっ
﹂
空中で幾度となく制御を失うも、何故か安定して視線は潤へ。
愚直に突き進む潤の攻撃を、難なくリリムは回避していく。
﹃ァァッ
互いにぶつかり合っては離れ、そしてまた打ちかかる。
逃げるようにリリムが後方に下がり、ほぼ同タイミングで潤は追従し再び斬り合い、
散らしてぶつかり合う。
刃がリリムの首に届く前に、高周波振動ソードに阻まれ、二人の武器は盛大に火花を
ビームサーベルを量子展開し、リリムは唖然として斬りかかってくる潤を見つめた。
!
!
!
会えて嬉しい、そんな様な意識がダイレクトに伝わってきた。
!
513
!
振りかぶって力任せに振るわれるビームサーベルを掻い潜って側面に移動。
慣れない感情の濁流に翻弄されているのか、攻撃は早いが直線的過ぎる。
潤と比べれば接近戦に長けてないリリムが、その潤相手に攻撃をかわせる位には。
何度も何度も回避行動を繰り返し、それに振り回された潤は呆気なく間合いに入り込
まれてしまった。。
ふと、瞳を閉じて││血を流しながら開いたリリムの瞳孔が、猫の様に縦に細くなっ
ているのを見てしまった。
元々翡翠色だった瞳も、血以外の黒っぽい赤に変色している。
体が震えた。
ソレと、目が合った。
直感が告げる。
世界の移動で弱体化し、今なお怪我で能力がほぼ使えない状態では、これ程濃密度の
魂の呪縛には抗えない。
しかし、体は動かない。
歌が、聞こえた。
﹁││││﹂
何だったか、何処で聞いたか、そもそもそれが音なのか、あれ歌⋮⋮
?
6─6 疑問と答え
514
515
瞼が下がった、意識が落ちる。
これでは精神世界に呪縛される││残る意識で自分の中に喝を入れる。
囚われるな
夢に引き摺り込まれる、いいか潤、今から見るのは夢なんだ。
騙されるな
!
ル下に置かれるという状況に陥ってしまった。
ここに、教師陣が思っていた最悪の事態││、専用機持ち全員がマインドコントロー
!
6│7 胡蝶の夢
優しい歌声を聞いて、ぼんやりと意識が戻っていった。
メガネをかけた金髪の女性に膝枕をされて、少しの間眠っていたらしい。
労わるように繰り返される、頭を撫でる手がくすぐったくて仕方がない。
﹁ティア⋮⋮﹂
う少し休んでもいいのでは
﹂
﹁おはようございます、隊長。 もう起きられたんですか。 最近働きすぎですから、も
に反発があったが、そのティアが魂魄の能力者とあって声は小さかった。
周囲では王族との付き合いがある潤が、元は卑しいスラム街の孤児を恋人とすること
付けた名前だった。
名前をティアーユ・フォンティーヌと言い、勿論孤児だった彼女の本名ではなく潤が
大戦終了間際に両者大怪我を負ったものの、その怪我すら縁となって恋人となった。
少女││を拾い、その才能を見抜き部隊に拾い上げる。
潤は大戦作戦従事中に知り合った人物││スラム街で痩せこけ餓死一歩手前だった
?
﹁いや、余り怠けすぎると部下に示しがつかん﹂
6─7 胡蝶の夢
516
﹁わかりました。 でも、無茶はやめてくださいね
﹁どうしました
﹂
﹂
なんで、こんなはっきり違うのに幻視なんて起こるのか。
扇子を持った女性。
金髪で飢餓状態の孤児だったの影響から体の細いティア、水色髪でふくよかな双丘と
ティアの顔を見ていたが、不意に心臓が跳ねる。
ドクンっ
色髪の女生徒が怪訝な表情で見下ろしている顔を幻視した。
しっかり休んだのだから、休んだ分を挽回すべく仕事をしようと起き上がる際に、水
そんな休憩室で、体を休めている間に寝てしまったようだ。
窓の外ではしんしんと雪の降り、暖炉の火が部屋の温度を高めていた。
?
立てかけてあった愛剣を腰に指すと休憩所を出る。
そう、彼女が水色髪だなんて、見違うはずがあるわけなく、そんな幻視ありえない。
笑顔で彼女は頷いた。
﹁いや、確かに疲れているらしい。 仕事が終わったら今日はさっさと寝てしまおう﹂
?
517
執務室中央にデカデカと備え付けられている机は、否応にも男の地位を顕にしてい
る。
精々が十人程度を率いる特務隊の隊長に、何故こんな権限が付与されているのかとい
うと、この国の特殊な事情が絡んでいるので説明が難しい。
この国では魂魄の能力者であるというだけで、相当な優遇処置を取られる土壌があ
る、とだけ覚えておけばいい。
横の机に座ったティアと一緒に書類の山に挑む。
権限が増えれば、それに伴って責任と仕事はどんどん増えていく。
その都度処理しなければならない案件は増え、その都度陳情にこられても面倒なので
紙に書かせて提出されればこのザマである。
元々特務隊は潜入やら暗殺やら、特殊状況下での部隊指揮を行う組織で政務を任せら
れる人間が少なく、猫の手でも借りたい状況だったのでティアにも簡単な仕事だけをや
らせている。
戦争が終了し、軍縮が行われている最中に、予算を獲得できた一派は大きな発言力を
方々から抗議文が届いていた。
怒鳴り込む陸軍派を宥め、不満を漏らす海軍派を脅して公表した予算配分だったが、
﹁あの、予算配分についての抗議書だらけなんですが⋮⋮﹂
6─7 胡蝶の夢
518
得る事が出来る。
それを思えば当然の反応と言えた。
は限られている。
再び目と脳を使うことになるが、娯楽が少ないこの時勢で、空いた時間でできること
手持ち無沙汰になったので引き出しから小説を取り出した。
執務室から出て行くティアを見送って、冷たくなった紅茶を一息で飲み干す。
﹁失礼します﹂
﹁ああ、頼む﹂
﹁それでは、書類を提出してきますので﹂
そうこう言いながらも仕事は進んでいく。
危険、生きて帰れない、給料が安い、平均寿命三十歳未満と地獄を見ている。
鉱山で働く連中、主に戦犯や書類場存在していない捕虜達に至っては、きつい、汚い、
この国では人の命が愉快なほど安い。
過激な発言と取られるかもしれないが、割とこの国ではスタンダートな方である。
﹁わかりました﹂
めてこの世から退場させよう。 発言過激度の高い奴らはリストアップしてくれ﹂
﹁仕方があるまい、程々の奴は直接話し合って説得する。 が、度を越して煩い連中は纏
519
││そういえばPDAで読まないと、また簪がいじけるな⋮⋮。
ドクンっ
⋮⋮簪って││⋮⋮、髪の毛を止める道具だったか
再び強烈な鼓動。
簪
?
﹂
えない。
言い張るつもりか
いか。
ソレを服装だと言い張るつもりなのか
ただの下着じゃな
?
みほぐす。
﹂
固まった体を少し動かして解していく。 ついでにいきなり険しくなった眉間も揉
?
ベビードールとガーターベルトだけの服装、相変わらず頭のネジが狂ってるとしか思
し、ノックをする事もなく、ツインテールが扉を開いた。
侵入者対策として鶯張りに改良した廊下を、事もあろうか全く音を鳴らさずに移動
﹁潤っ
まだ、もう少し、もう少しだけ││頭を振って詮無き思考を止める。
?
!
﹁反応しなさいよ
!
6─7 胡蝶の夢
520
﹁リリム、仕事をしないのは⋮⋮、いっそ許してやる。 貴様の趣味も、公の場以外で行
う場合は認めてやる。 だが俺の仕事の邪魔をするのは許さん﹂
今度はティアに見せられない真っ黒な内容が記された書類を取り出す。
何人の要人を殺しましたや、敵対国の諜報結果、人体実験の報告書、非人道的な治験
実験の結果等、もし平成世界の人権団体に見せれば開戦理由になりかねない代物であ
る。
今回の強化内容は潤が考案した人体強化、精神操作等を中心として強化され、薬物を
抑えてコストパフォーマンスを考えた代物である。
脳に手を加えたため三十まで生きられないのがネックだが、薬物で強化された連中と
比べて維持費の少なさが目立つ。
遺伝子弄繰り回して生まれた連中より、安価で大量に作れるのがこの連中のアピール
ポイントだ。
結果に満足し、自分の手が血で汚しる事実に溜息を吐いて、机上に置いてある判を取
る。
後は名前を書いて、判を下ろすだけ││。
判が押される直前で、問題の書類をリリムに奪われた。 机に押される判。
﹁書類を取るな馬鹿。 机を汚してしまったじゃないか﹂
521
﹁無視すんなっての
﹂
?
﹁明日出来る事は、明日やればいいじゃない
﹂
そして、ツインテールを振り回し、真剣な表情で身を乗り出す。
そこまで喋って、机を思い切り叩いた音に阻害された。
あったな、さっさとソレを││﹂
﹁何が起こった、何をしでかした それと、貴様には明日中までに提出する重要書類が
!
!
世界だけは守ってきた。
だから、リリムを戦友として考えてはいたものの、何時でも一人になれるよう自分の
何時か、この幻想も終わる。
覚めない夢は無く、時間は常に動き続けている。
しかし、何故かコイツといると悲しい現実から目を逸らして生きていける。
どうにもこいつには強く出られない。
一年と数ヶ月前出会った珍妙なパートナー、とにかく厄介事を持ってくる馬鹿だが、
と潤は考えた。
色々考えている間に手を取られて連れ出され、その手をリリムに握られながら、そっ
さて、何と言って反論すればイイのやら、真剣に悩むのも馬鹿らしく感じる。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
6─7 胡蝶の夢
522
523
何時でも切れる様にだ。
笑顔なんて必要ない、思いだって儚くてもいい。
大体そんな感情は特務隊で任務を重ねる最中、雪の降る山で捨てた筈だ。
だから、きっとこの表情も気のせいなのだろう。
││││口が、顔が、綻んでいるのは⋮⋮。
そう、覚めない夢は無い。
だけど、もう少し、もう少し││いや、起きなきゃダメだ⋮⋮。
瞬間、ガラスが勢いよく割れて、床に破片が散らばるような音が響いた。
そして、その音に合わせて外の景色が一変、雪の降る白の景色は、一寸先も見えない
本当の暗闇になってしまった。
寒さも、空気の流れも、何も無い暗闇。
廊下だった場所は、何時の間にか元の執務室に戻っている。
知ってる、これが夢だって、誰よりも知っている。
大戦終了時点の状況において、ティアに膝枕されて撫でられている、この時点││実
は最初から夢だと気づいていた。
たかった。
ティアに足があって、優しく歌えて、頭を撫でてくれる
全部ありえない。
は聴覚だけだったというのに。
両手と右足の切断、両目はほぼ失明、味覚消失、半身不随、まともに機能していたの
最強の剣士を倒して帰って││最初に見たその姿。
ティアの限界量はあっという間に通り過ぎ、体内から潤に壊し尽くされた。
なかったが冷静になればわかる。
士でパスを形成し、戦闘中の強烈な魔力をやり取りすればどうなるか、当時は思いつか
孤児だったティア、戦士として訓練された強化人間の潤、そんな地力の差がある者同
その勝利の代価は大きかった。
││疑似的な共感現象を発生させた後に、後方の部隊と緻密な作戦を遂行し勝利。
を作成。
││当時世界最強の剣士と名高い騎士を打ち破るため、その孤児の少女と性的なパス
?
それでも、〝有り得なかった〟幸せを、元気な恋人を見て、その幸せを噛み締めてい
戦争終了時点、ティアがどんな負傷を負ったのか、忘れるわけがない。
﹁そう、ありえない、ありえないんだ⋮⋮﹂
6─7 胡蝶の夢
524
膝枕
片足しかなく、半身不随の相手にできるか。
書類で仕事
歌える
手動弁、眼前一メートル以内で動く腕の向きが分かる程度のティアが
?
頭を撫でてくれる
ほど嬉しい夢だった。
有り得ない程の幸福、もう少しだけ寝ていたかった。
起きてても、アンタ、辛いだけじゃない
?
﹁││リリム﹂
﹁なんで起きようとするかなぁ
﹂
どれもこれもが、体を槍で貫かれたように悲しさがあり、飛び上がって喜びたくなる
両手を奪ったのは俺なのに、なんて自分勝手な妄想か。
?
?
?
まともに喋れなくなったのに歌うだなんて⋮⋮。
?
せん。 此処で一緒に暮らしましょう﹂
﹁そうですよ隊長。 何時モルモットになるか分からない世界に戻る必要なんてありま
?
525
名前を呼べば、二人の人間が直様声をかけてくれた。
死んだ親友、死んだ恋人、夢ってのは⋮⋮何でこう、儚くも美しいのか。
頬を涙が伝って、初めて自分が泣いていることに気がつく。
夢でも良かった、ティアが元気でいてくれて、体が無事で、歌えて、一緒に過ごせて。
俺が居ないと生きていけない体で、ティアが退屈しないように本を朗読してあげてる
より、こちらの方が余程良い。
塩キャラメルを作ってあげた時に味覚さえも失った事実を知った時、それまで食べ物
を美味しいと言ってくれたのが優しい嘘だと知った時、どれ程この光景を夢見たか。
││けど。
らす。
親友と笑い合い、夜は恋人と共に眠り、何もない執務室で、全ての幸せを手にして暮
そうだ、何も考える必要はない││ここで失った大切な人と一緒に暮らす方がいい。
きながらも笑を浮かべた。
潤の言葉を聞いて、リリムは今までにないくらい満面の笑を浮かべ、釣られて潤も泣
此処では辛い現実も、失った物も全て揃っている、夢の箱庭。
ここで死ぬまで暮らすのも悪くない。
﹁俺も││帰りたくない、かな﹂
6─7 胡蝶の夢
526
﹁私も隊長さえ一緒にいてくれれば、それだけで幸せです﹂
﹁ティア
潤
アンタ、何を
!
﹂
!?
せず、その行方を見送った。
潤は不思議なくらい穏やかな表情で、顔にかかった血と目尻に溢れる涙を拭こうとも
首がコロコロ転がって、部屋の隅に転がっていく。
!?
腰に差してあった愛剣で、恋人の首を薙ぎ払った。
﹁さようなら﹂
その男は、ティアの頭を優しく撫で││││
﹁愛してるよ、ティア。 そして││﹂
だったら││この箱庭で暮らす方が何よりの救いになる。
ず、狙われ、利用され、奪われそうになって、やっぱりボロボロになる。
実際にこの世界でも潤は誰かに本当の意味で身をゆだめることが出来る相手がおら
無い。
どの世界も潤には寂しく、辛い現実しか突きつけず、彼に救いをもたらすことなんて
五体満足で抱き合う二人の恋人、そんな二人をリリムは満足げに見ていた。
も幸せだ﹂
﹁俺も、││ティアの事を本当に愛してる。 だからティアが一緒にいてくれるだけで
527
こんな││
﹂
リリムが目の前の戦友の亡骸を受け止めるが││それより早く自らの心臓を潤の剣
どう、して
!
!
で貫かれた。
なんで、⋮⋮なんで
!?
喋らせないように、左手も使って首をさらに締める。
﹁ただの生きている顔なじみ、六人。 死んだ親友と恋人の、二人⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ぁ⋮⋮ぐ⋮⋮⋮⋮なんで、幸せを、││自分の夢を⋮⋮拒む⋮⋮ぁ﹂
まるで、何も聞きたくないと言わんばかりに。
そんなリリムの首を、潤は力のあらん限りをもって締め付けた。
に嘆いている。
心臓付近を貫かれてもリリムは健在で、戦友で、目の前の恋人だったはずの少女の死
﹁ガッ││
!
で何故原因そのものがが幸せに包まれる事を許されるのか。
自分の弱さから死んだ二人を利用され、生きている友人が囚われている、そんな状況
だから、こいつらは潤にとって都合の良いことしか言わない。
これはティアであって、ティアではなく、リリムも同様にただの幻覚だ。
うに扱われた。
リリムの魂を消さなかった自分の弱さが、リリムを、ティアを、大切な人を道具のよ
﹁だけど⋮⋮⋮⋮⋮⋮、俺は⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮俺は﹂
6─7 胡蝶の夢
528
本当に、無知なまま生きていたかった││。
こんなに苦しいのなら、こんなに悲しいのなら││、ずっと前からこの箱庭にたどり
着きたかった。
﹁それでも⋮⋮、⋮⋮﹂
頬を涙が伝い、鼻水は垂れ、涎が口から漏れた。
││殺せるわけないのに何をやっているんだろう
まるで敵を見る様な、戦場で、敵を見るかのような視線だ。
戦友の視線ではない。
あいつの目は冷たかった。
倒れているリリムに目をやる。 から。 ⋮⋮弱い俺のせいで、こんな、ことに⋮⋮﹂
﹁ごめん、なさい。 ⋮⋮ごめんなさい。 俺が、⋮⋮弱かったから。 残して、おいた
だから、また苦しむ。
また、迷った。
迷った。
首を絞める手に、力が全く入らない。
リリムを床に叩き付け、血の付いて両手で頭を掻き毟った。
?
529
││許さ、ない⋮⋮
血を吐きながら、弱弱しくも、潤の謝罪を否定する。
何も出来なくなってしまいそうで怖かった。
狂えるように真耶から通信が入るが全て無視││少しでも邪魔が入れば泣き崩れて
を伸ばす。
切れていたビームサーベルのエネルギーを再び入れ直し、リリムを殺すべく刃の部分
が告げるに眠っていた時間は僅か三分程度だった。
随分濃い夢で、感覚的には数時間眠っていたようだったが、ヒュペリオンのセンサー
目が覚めた。
││││
突き刺さっていた剣を引き抜き、その細い首を││
なんだ﹂
﹁ごめん⋮⋮、俺が駄目な奴だったから、皆が迷惑しているんだ。 こうしなきゃ、駄目
6─7 胡蝶の夢
530
﹂
!
てしまった事を思い出す。
初めて感じた異性の柔らかい肌、ソレを意識してしまって気恥ずかしくなって喧嘩し
出した。
まだまだ潤も、ダウンロードの経験が浅く、数の暴力で押し込まれて命からがら逃げ
の記憶。
極寒の最中川に飛び込んで逃げて、互いに裸になり体温を分かち合って夜を明かした
││﹃あんた、軍人やってけないタイプね。 優しすぎるわ﹄
超高機動状態の最中で、センサーの影響からか体感速度がずいぶん遅く感じた。
その動作に思わず現実世界でも涙があふれる。
ポーズを取った。
その潤を前に、リリムは全く動くことなく、不思議なことに両手を広げて受け入れる
ヒュペリオンの展開装甲起動中の瞬時加速││、すなわち世界最速。
無理矢理雄叫びをあげて真正面からリリムに接近する。
く、若干黒いナノマシンが機体を包んだ。
可変装甲が潤の悲哀に応じるかのように開き、これまた潤の心を表すかのように青
﹁ぉ⋮⋮うおおおおおおお
531
6─7 胡蝶の夢
532
あの時の体温を、温もりを、今でもはっきり覚えている。
体が焼き付くように痛い。
元は展開装甲使用時の瞬時加速は御法度││これを体験してフィンランドでは人身
事故が起きた。
距離は後五メートルもない。
既に剣の間合いに注意せねばならないが、潤の心中にあるのは他ならぬ思い出だけ
だった。
││﹃笑いたいときに笑えなくなれば死んだも一緒﹄
その声色を今でもはっきり思い出せる。
あれは、何時だったか、テロリストの首魁暗殺の任で、現地に溶け込むために老人夫
婦の家にご厄介になった後の事。
息子が戦死した老夫婦は潤を実の子供のように可愛がってくれたが、その老夫婦こそ
がテロリストの首魁で││潤は老夫婦に国外逃亡を勧めたが、結局手を下してしまっ
た。
その亡骸を見て、今後は感情制御を使って││ただの国のための部品になることを
533
誓った。
ああ、今でも、彼女の優しさを覚えている。
ビームサーベルが届く、││届いてしまう。
頼む、逃げてくれ。 世界中の手や目が届かないところまで行って、好きなだけ生き
て、時たま馬鹿な同僚を思い出してくれさえしてくれれば良い。
そう思っても、奴は受け入れる体勢のまま動かない。
そんなことより、今は少しでもリリムとの思い出に浸っていたかった。 ││今後は
思い出すのも罪になりそうだから。
││﹃そこまでよ。 私たちはお互い巡り合せが悪かったのよ。 何も謝る必要はな
いわ﹄
この世界に来て、初めて心の底から嬉しかった。
二度と会えぬと知って、リリムの死を何時までも背負っていこうと覚悟して、やっと
直接話せた歓喜の瞬間だった。
何でもない風でいたけど、あの一言でどれだけ救われたか、それがどれ程の救いと
なったか、誰でもない潤が知っている。
その声は、はっきり耳朶に残っている。
もう少し、もう少しだけ思い出に浸っていたい。
あとちょっと、もうちょっとだけ。
ずっと一緒に居て、一緒に魔法の勉強をしよう、一緒にご飯を食べよう、一緒に笑い
合おう、信じ合って、馬鹿をやって、俺を│││赦して。
夢はいつか覚める││││、刃は、届いてしまった。
それは、真耶達外部の者からすれば一瞬の出来事であった。
UTモードの敵は手を広げ、相手を抱きしめる様な仕草をして待ち受け、潤は稲妻の
ごとき怒涛の速度で突き進んだだけ。
ビームサーベルがシールドエネルギーを削っていくというのに、リリムは潤にもたれ
かかり、そっと頭を撫でた。
終わった││余りに呆気ない終わり方だった。
潤の頭を撫でていたリリムだったが、エネルギーが完全に無くなったのかアーマーが
消え、スーツだけになった操縦者と成り代わって露と消えた。
お前一人を殺すことで、追加で一人、七人もの人を救った
操縦者を受け止めて月を見る。
││見ていてくれたか
?
6─7 胡蝶の夢
534
んだ。
││だから、俺を褒めて⋮⋮ほめ⋮⋮
ありったけの声で泣き叫ぶ。
﹁ああああぁぁぁぁぁああああああああああああああっっ││││
﹂
││ふざけんなよ、あの腐れウサ耳女が。 何時か絶対ぶっ殺してやる。
!
おめでとうございます
﹃え、っちょ、小栗くん
﹄
﹁ふざけるな⋮⋮。 ふざけんな
?
潤は答えることなく、福音のパイロットを、早くも目を覚ましたラウラに押し付けた。
な男が泣いている。
怪我をしても泣き言一つ漏らさず、どんな状況さえも淡々と受け入れていた鉄のよう
通信画面を開いていた真耶が愕然とした。
!
よくやりましたね
?
?
﹂
馬鹿野郎ぉ
!
真耶が作戦終了を告げる通信をしてきたが、その言葉を聞いて愕然とする。
ね、おめでとうございます。 帰投してください﹄
﹃最後不思議な事が起こりましたが⋮⋮、小栗くん、お疲れ様です。 よくやりました
徐々に覚醒が始まっているのか体が動いているので││数分もすれば元通りだろう。
その声を浴びて、夢に囚われていた専用機持ち達が、意識を取り戻しかける。
!
535
ラウラは起きた瞬間人を押し付けられ困惑したが、潤を見てもっと困惑した。
管制塔、どういうことだ。 これはなんだ
﹄
本
?
﹁││││
﹂
を自分に向けた。
その潤は、アサルトライフルを展開、フィン・ファンネルも射出すると、全ての銃口
らず、子供のように泣き叫んでいる。
罪の全てを許し、泣きじゃくるラウラを慰めた兄のように思う恩人が、人目もはばか
!
﹃おい、お兄ちゃんが泣いている
﹂
何なんだよお前は、何様だよ なんだよ、なんなんだよ
当に死んだ方がいいのは俺じゃないか
﹁馬鹿にしやがって
!
?
なんと潤が赤子の様に丸まって、無様に泣いている。
﹃お、小栗、何を言って⋮⋮﹄
!
!
たのだから。
﹃ラウラァ
あの馬鹿を止めろぉ
!
﹄
千冬が叫ぶのとラウラがAICを使用したのはほぼ同時だった。
!
﹂
顔付近に降り注ぐライフル弾、体を包むように降り注ぐファンネルの光がそれを遮っ
最後に潤が何を叫んだのか、誰にもわからなかった。
!
!
﹁お、おに││潤
6─7 胡蝶の夢
536
ラウラが抱えた二人目の人間、潤はぐったりとして目を閉じていた。
あらん限りのエネルギーを使い自分を攻撃した結果、たやすくエネルギーは消滅し、
ISの操縦者絶対防御、その致命領域対応が発動。
全てのエネルギーを操縦者の命を繋げる為に費やされるこの状態は、同時に深くIS
シャル
の補助を受けることになり、それ故にISのエネルギーが回復するまで、操縦者は目覚
おい││
!?
!
めることはない。
﹂
無事か
!?
誰でもいい、誰か、誰かぁ
教官、お兄ちゃんが 私の兄が
ロット、手を貸してくれ
﹁え、あ、ええ
!
!
混乱し、悲壮な声をあげるラウラを最後に、今回の事件は幕をおろした。
!
!?
537
6│8 戦いの後に
鈍く痛む頭を何とか押さえつけ、ラウラの次に起きた箒は、ラウラと共にその場にい
た皆を運んだ。
対拷問訓練を受けた経験のある軍人ならともかく、次に起きたのが代表候補生でもな
い箒だという事に戸惑ったが、第四世代は余程優秀だったと思って考えないことにし
た。
むしろラウラは潤以外の事を極力考えたくなかった。
優しく微笑んで罪を許してくれた、どんな相談事も親身になってのってくれた、ラウ
ラは潤を強靭な心と力を兼ねそろえた強い男だと思っていた。
それがまさか、あんなに惨めに泣き叫んで││自殺しようとするなんて。
それとも打たれ弱い部分があったのだろうか⋮⋮、ラウラは考え事をしつつも生身の
人間を運搬している事から速度を出せないのが酷くもどかしく感じた。
﹁ラウラ﹂
早く目を覚ませよ﹂
﹁││今度は私が相談に乗ってやろう。 それでこそ友というものだろう。 だから、
6─8 戦いの後に
538
﹁なんだ
今私は不機嫌なんだ。 あまり話しかけるな﹂
﹂
して掴み取る。
?
﹂
なんだこの物騒な名称は、何処の国だ
﹂
?
至急衛生兵が必要だろう。
何故か全員疲労困憊の表情だ。
メートル三十を超えそうな大男、後は没個性な男六人と女一人。
大型のマスクとニット帽とサングラスをかけた男に、神経質そうな男と、身の丈二
中央に立つ潤、眼鏡をかけた女性が近くに佇み、抱きつこうとする鈴とそっくりな奴。
﹃Fanatic Force﹄
?
﹁白黒写真だな。 ││お兄ちゃん、鈴も映っているが、見たことのない迷彩服だ⋮⋮
﹁なんだそれは
﹂
得意のAICで慣性を停止させると、シャルロットと潤に負担を掛けないように接近
一面が白黒で、反対側は何も書かれていない物。
センサーを頼りに潤の下付近を見ると、確かに紙切れの様な代物が宙を舞っている。
﹁落し物
﹁不機嫌なところすまんが、今小栗が何か落とした。 確認できるか
先ほどから潤の事ばかり考えていたラウラは、その声が酷く鬱陶しく感じた。
一夏やセシリア、鈴を運搬している箒が何かに気付いて一言声をかける。
?
?
?
539
しかし、その表情には疲労を覆い隠すほどの達成感が見て取れる。
記憶喪失といっても、生徒手帳などを持っていた情報を知っていたラウラは何の気な
何故お前はあそこまで狼狽し
?
しにそれを持ち帰った。
﹂
﹁そもそも何故小栗が居るんだ 何故気絶している
ていたんだ
?
?
ろう。 お兄ちゃんがその救助に来た、と考えるのが妥当だろう﹂
﹁いや、他の誰でもないお前が一番知っているだろう、小栗は怪我人だぞ
﹂
﹁質問が多いぞ。 ISのセンサーを見るに私達全員が意識を失う状況に置かれたのだ
?
﹂
?
セシリア、鈴、シャルロットはマインドコントロール下にあっただけで主だった外傷
耶が出迎えた。
感を持った千冬と、潤が落した写真の連中以上に衛生兵必要なほど顔を真っ青にした真
そのまま宿泊施設まで何事もなく運搬は終わり、そんな二人をそわそわして妙な緊張
ようもない。
ただ、最後の質問にラウラが答えないのは気になったが、答えてくれない以上どうし
簪を救助に来た潤を思い出したのか、箒はそれで納得することにした。
う知っているだろう
﹁言葉を返すが、どんな状況下だろうが、己の意を通すためなら怪我など厭わない。 そ
6─8 戦いの後に
540
は無く、一夏は生体再生で怪我自体治っている事だろう。
勿論致命領域対応中の潤も完治はするのだろうが、最後の会話と映像、そして自傷行
為。
死ななかったからいい、という訳ではなく、死のうとした行為そのものが問題だと
思っている。
そして、その原因が、一切わからない。 出撃前から妙に興奮状態だったことを考え
﹂
れば、今回の鈴そっくりなUTに何かあるのだろうと予測はしている。
﹁教官
﹂
!
﹂
!
潤も気にかかるが救助に成功した、福音のパイロット、ナターシャ・ファイルスを放っ
始めていく。
ストレッチャーに潤を乗せて、ISスーツのまま箒とラウラは真耶と協力して運搬を
﹁⋮⋮は、はい﹂
け。 潤の⋮⋮自殺未遂は他言無用だ。 それと、学校では教官ではなく先生と呼べ﹂
﹁⋮⋮ボーデヴィッヒ、潤は、念のために舌を噛まないようにさせた上で、手を縛ってお
﹁は、はい
ヴィッヒ⋮⋮、篠ノ之はさっさと行け
﹁篠ノ之、ボーデヴィッヒ、意識のない連中をストレッチャーで運べ。 それと、ボーデ
!
541
ておく訳にもいかず、一旦旅館を後にして米軍との合流を目指す。
生徒たちの無断出撃に加え、UTモードの発動、潤の出撃、そして自殺未遂。
面倒事は多いが、目下最大の心配事である今の潤には、あらゆる刺激が裏目に出かね
ないので、暫くはそっとしておこうと心の中で決める。
その潤は個室に運搬され自殺防止用の措置が取られた後、真耶が傍に付くことになっ
た。
残る専用機持ちは、運搬中に一夏が目覚めた事を皮切りに、ベッドに運搬後にはシャ
ルロットとセシリアが目をさまし、遅れて鈴が意識を取り戻して、全員が回復した。
﹁寝ている間に全て終わっているだなんて、変な感じですわね﹂
発生して全員が意識不明となった。
しかし、以前ならば形が完成した後に使われた精神の呪縛は、その変化が終わる前に
目の前で装甲が泥の様に変化した瞬間、箒が真っ先に反応して撤退を告げた。
銀の福音戦は早々語り終え、主題はその後のUTモードへ。
したので自由になった傍から機密を有する者同士話を始めた。
その後は、怪我のチェックなどでニ時間程もかけて再びベッドに逆戻り、暇を持て余
真っ先に意識が途切れちゃった﹂
﹁話 に は 聞 い て い た け ど U T モ ー ド の 精 神 的 束 縛 っ て 本 当 だ っ た ん だ ね。 僕 な ん て
6─8 戦いの後に
542
あの時の、考えるより先に恐怖心が満たされるあの違和感は、何時までも残り続ける
事だろう。
変な声でてるぞ﹂
?
﹁夢
あの精神を呪縛された状態で夢など見られるのか
﹂
?
?
て、何故か部屋に移動していたのよ﹂
﹂
とね、古い洋館で潤の手を持って一緒に歩いていて│││、そう、急に周囲が暗くなっ
﹁私がこんなに苦しんでいるのに何で一夏はそんなに元気なのよ⋮⋮まったく。 えー
てくれよ﹂
﹁どんな夢だったんだ もしかしたらUTモードと関係があるかも知れないし、教え
その一夏も、確かに夢らしきものを見たような気がした。
興味を持ったのか一夏が鈴のベッド付近に移動して、聞き出そうと試みる。
後、首をかしげた。
その答えに疑問をもって、セシリアとシャルロットを見るが、二人で顔を見合わせた
首をぐるぐる回して奇声を発する鈴に、気味悪がって箒が訪ねる。
﹁いや、俺も夢っぽいのは見たんだけど⋮⋮。 やっぱり変かな
?
?
﹁││いや、ちょっとすさまじい夢を見て、さ。 なんか、首がいたひ⋮⋮﹂
﹁鈴、どうしたんだ
﹁うぇあああ、うぉあうぉぉおお⋮⋮﹂
543
﹁支離滅裂だな⋮⋮﹂
﹁一夏、話の腰を折るな。 夢っていうのはそういうものだろう。 続きは
たくしも似たようなものを見た気がするのですが⋮⋮﹂
﹂
﹁なんか、バイオレンスな夢ですわね⋮⋮。 しかし、そう言われると薄ぼんやりと、わ
どうやら骨を折られたみたいで首の違和感が∼、と言って再び首をぐるぐる回す。
﹁その後問い詰めようとした私を刺して、私の首を絞めて、殺されちゃった。﹂
ほがらかな内容一片、その光景を想像していた面々の体が固まった。
支離滅裂にも限度がある。
か潤がその女の子の首を剣らしきもので斬ったのよ﹂
﹁潤に金髪の女の子が抱き着いて、すごく仲好さそうでいい雰囲気だったんだけど、何故
?
﹂
﹁確かに、改めて聞くと、││なんとなく僕も、誰かが誰かを斬ったところを見たような
気がする。 あれ、潤、なのかな
?
その夢らしきものを見たのは、一夏、セシリア、シャルロット、鈴、ここまで揃えば
赤子の様に丸まって、無様に泣いていた潤。
泣いている潤と聞いて、それまで黙っていたラウラが興味を持った。
いつはずっと泣いていたけど﹂
﹁なんだ、皆同じ夢を見てたのかよ。 俺も潤を夢で見てた気がするよ。 変な事に、あ
6─8 戦いの後に
544
偶然ではないだろう。
はっきり見たのは鈴と一夏、ぼんやりとシャルロットとセシリア、個人差こそあれど、
同じ光景を目にしている。
そしてラウラ自身、ぼんやりとしているが、潤の背中を見ていた気がする。
もしかしたら、その夢は││││。
が。
﹁恋人、だと
仲は良さげだったか
﹂
?
最初にあった時は色々あったけど、ああ見えて潤は結構優しいんだよ
﹂
﹁恋人、恋人か。 でも、いくら潤でも大切な人を殺めるなんて変だよ。 僕も男装して
﹁そりゃあ勿論﹂
?
最もラウラが固まった理由と、それ以外の専用機持ちたちが固まった理由は違った
聞いた途端全員が固まった。
﹁たぶん、││││いや、言っていて私も変だと思うけど恋人だと思う﹂
﹁そうじゃない、二人の関係についてだ﹂
たいな金髪にして、山田先生みたいな優しげな表情にした感じ﹂
﹁ラウラは見てないんだ。 うーんと、ラウラの体系のまま身長を伸ばして、セシリアみ
﹁その金髪の女、詳しく聞かせろ﹂
545
?
﹁でも抱き合って髪を撫でる相手と、それを許容できる間柄よ 普通の男女間の友達
関係でそれは無いでしょ﹂
しかも、死別され、二度と会えぬ恋人を、自分の手で。
そして、その夢から覚める為に、お兄ちゃんと呼んで親しんだ男は恋人を殺した。
あの夢らしき代物は、UTが発した精神呪縛が関係している可能性が高い。
くる。
る為に恋人を殺さざる得ない状況になったら⋮⋮、そう考えるといたたまれなくなって
自分は軍人だ、そうなる可能性も考慮している││してはいるが、捕虜の身から逃れ
その一方でその背筋を、戦慄で凍らせたラウラが居た。
聞き流した。
一夏は恋人が死んだと聞いて幾分ショックだったらしいが、皆と同様夢の事と思って
いくらか変に思ったものの、結局は夢の事でそれほど議論も活発にならずに終わる。
いでしょう﹂
﹁それに、以前聞いた話ですと死別していらっしゃるんですし。 深く考える必要はな
?
﹂
﹂
そういえばと、あの眼鏡をかけた女性ではないかと、白黒の写真を思い出した。
?
たぶん、というより間違いなくって、私が映ってる
?
﹁その金髪の女だが、⋮⋮こいつか
﹁白黒写真
!?
6─8 戦いの後に
546
ラウラの差し出した写真を見て確認するが、言い終わるより先に自分と瓜二つの容姿
を持つ人物に驚愕する。
興味をそそられたのか、部屋にいた全員が、鈴の寝るベッド周りに集まった。
すさまじい部隊名ですわね﹂
?
﹂
!?
﹂
?
││夢は、お兄ちゃんが精神の呪縛を振り払った光景か⋮⋮。
な咆哮をあげてむせび泣く潤を思い出す。
全てを終わらせラウラの目の前で顔をくしゃっと歪ませて、目には涙を湛え、獣の様
縛を逃れる為に、とんでもない選択をした。
潤はこの病室にいる専用機持ちを助ける為に怪我をおして出撃した、そして精神の呪
叫びそうな喉を黙らせ、事態を改めて見直してみる。
ラウラを眩暈の様な感覚が襲う。
﹁││親友だと⋮⋮
の、悪友にして親友が。 それ、この人なんじゃないか
﹁あ∼、そういえば鈴が転校してくる前に言っていたか、趣味以外は完全に鈴と同一人物
れはマスケット銃じゃないか、古いにも程がある﹂
﹁しかし、この迷彩服、それに携帯している銃も見たことがない。 しかも、見る限りこ
﹁﹃Fanatic Force﹄
﹁これは⋮⋮似ているとかそういう次元じゃないね。 僕見分けがつかないよ﹂
547
PTSD、確かに自殺したくもなる。
潤のみに降りかかった不幸に、そっと祈りをささげていると、扉が開いて真耶が姿を
現した。
私には、荷が重くて﹂
﹂
﹁ボーデヴィッヒさん⋮⋮小栗くんが目を覚ましたんですけど。 ⋮⋮その、一緒に来
てくれませんか
﹁分かりました。 それよりお兄ちゃんは一人で
﹂
?
﹂
部分から、ついついとんでもないことを口走ってしまった。
うら若き二十歳中頃の彼女にはとても辛い出来事の連続で、生来の天然ボケとドジな
目を覚ましたと思ったら、第一声に﹃死にそびれたか﹄とだけ言って押し黙っている。
ダウン、そして潤が復活したと思ったら今度は自殺騒ぎ。
トラウマとなったUTモードの出現、怪我人である潤の出撃要請、専用機持ち全員が
そう、彼女は憔悴しきっていた。
憔悴しきった様子の真耶を不思議に思って一夏が問いかける。
﹁⋮⋮⋮⋮何があったんですか
ですけど。 ⋮⋮織斑先生が一緒です﹂
﹁いえ、流石にあの状態で一人にするのは⋮⋮。 いえ、逆の意味で一人でも大丈夫そう
?
?
﹁小栗くんが、自殺、ング
!
6─8 戦いの後に
548
ラウラが凍てつくような鬼気迫る形相で真耶の口を押えるも、時既に遅く、部屋にい
﹂﹂﹂﹂﹂
た専用機持ち達は驚愕の表情を浮かべた。
﹁﹁﹁﹁﹁自殺
﹂
!
行け﹂
﹁早くしてくれ﹂
﹁鬱病の患者に﹃頑張れ
!
居たので全力で押しとめた。
そう笑って、隣室へと急ぐ一夏を見送ろうとしたが、一緒になって通ろうとした鈴が
﹁││そうか、ありがとう。 今は、ただ傍にいてやることにするよ﹂
今、グダグダ喋るな﹂
﹄が厳禁の様に、言ってはいけない禁句があるかもしれん。 ろう。 帰りの私や教官の混乱は、そういうことだ。 注意点が幾つかあるから聞いて
﹁ただ止める訳じゃない。 それと自殺未遂だ。 死んでいないのは箒も知っているだ
﹁どけよ、ラウラ
わんばかりに立ちふさがった。
先を争うように隣室の個室へ向かおうとする一夏の前に、ラウラは一歩も引かぬと言
ラウラと真耶の懺悔は、その後の喧騒に掻き消えた。
﹁っち、遅かったか⋮⋮﹂
!?
549
殺した親友と、瓜二つの人間が接触なんてしたら錯乱するにきまっている。
別の理由はあるものの、同じ様にシャルロットとセシリアも静止した。
だ﹂
﹁説明はまだ終わってないから、今からする。 全員落ち着け、今度は自殺の動機の予測
いきり立つ一夏を宥めて、知人の行動に動揺を隠せない一同を嗜める。
ラウラが考える理由はUTモードの夢に起因する、等を少しずつなぞっていった。
呪縛に囚われたメンバーの内、箒以外全員が同じ物を見た以上、その光景は精神の呪
縛に関係すると考えて間違いない。
夢の内容が動機と考えて場合、鈴との接触は絶対に避けねばならない。
次点で金髪の二人、少々気を使い過ぎという感じもするが、僅かな刺激でも今の潤に
は劇薬になりかねない。
すかぁ⋮⋮﹂
褒めたわけですか。 そうですか⋮⋮、全部本当なら引き金を引いたのは私じゃないで
﹁そして、その小栗くん相手に、私は﹃よくやりましたね﹄、
﹃おめでとうございます﹄と
﹁わたくし達を救う為に、殺めてしまった⋮⋮。 間違いであってほしいですわね﹂
﹁死別した恋人⋮⋮﹂
﹁二度と会えない親友⋮⋮﹂
6─8 戦いの後に
550
動機を聞いて一夏は箒を伴って部屋を出て、部屋に居残ったシャルロットとセシリ
ア、鈴と真耶は心に刻むように反芻した。
とりわけ地獄の底に向かって背を押した真耶は、今にも泣きだしそうな表情だった。
たものか悩む一夏と千冬、箒の姿があった。
部屋には、シーツにくるまって膝を抱え、虚ろな表情で三角座りをした潤と、どうし
遣る瀬無さそうに俯く鈴の肩を叩き、ラウラも潤の部屋に移動する。
﹁⋮⋮そういうことだ、鈴﹂
﹁わかりましたわ﹂
﹁わかったよ、ラウラ。 それが一番潤の為になるなら、それで﹂
人は最低でも相手から接触があるまでお兄ちゃんにかまけるな﹂
﹁そうした方がいい。 患者と触れ合う人まで塞ぎ込んだら尚更悪化する。 お前ら三
﹁⋮⋮ちょっと風に当たってきますね﹂
551
6│9 真実を知る者
待機状態のヒュペリオンを取り上げられているのか、据え置き型の小型時計を見つめ
ている潤の、そのすぐ傍に座る。
トーナメント直後を思い出したが、あの時とは色々違っている。
壊れそうだったのはラウラだったが、今壊れかけているのは潤で、許されれば救われ
るラウラと違いどうしようもない。
隣に座って気付いたことがある││潤が小声で六十まで数えて一に戻るといった作
業を、正確に一秒ごとに刻むことを繰り返している。
ウラの肩が震えた。
焦点のあってない視線と、無表情が組み合わさるとここまで不気味に思えるのか、ラ
自分に向けられる。
時計だけを見ていた潤は、そこにいない何かを見つめる様に、無表情のままゆっくり
なく名前で呼んだ。
ともすれば消え入りそうな声を、内心励ますようにしてラウラが、兄という愛称では
﹁⋮⋮潤﹂
6─9 真実を知る者
552
﹁怪我はもういいのか
﹂
そのまま病室には、秒針を刻む音と、今の秒数を数える音が静かに流れていた。
まさか受け答えできないほどとは⋮⋮。
り重症だった事に戦慄する。
そして、また正確に秒数を刻むように小声で読み上げるが、今のやり取りで、見た通
虚空を見つめ││再び視線を時計に戻した。
潤は凍りついたように無表情のまま押し黙り、虚脱したように焦点を合わさないまま
肯定も否定もせず、別の話題を持ちかけるなどするのが正解だと教わった。
に避けるべきである。
もし精神病を患っている相手と話す機会が合ったら、その方面に関する話題は全面的
しかし、後ずさりそうになる心に喝を入れて潤の傍に居座る。
を、ラウラは初めて知った。
殺すと言って銃口を向けてくる相手より、無表情でもわかる憎悪がこれ程怖いこと
?
いるようにも感じた。
その表情は、どちらかというと、ラウラと同じく怖がっている風でいて、腰も引けて
意外な事に、最初に話しかけたのは一夏だった。
﹁⋮⋮潤﹂
553
﹂
﹁お前言ったよな、誰かを頼れ、って。 言ってくれよ、俺はどうしたらいい
うすれば、いいんだ
無言││拒絶。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
俺はど
?
その写真を見た潤が、血相を変えて飛びかかるようにして奪い取った。
ラウラがポケットから写真を取り出して考える。
﹁あ、ああ⋮⋮。 いや、このタイミングで返していいものかどうか⋮⋮﹂
﹁分かったよ、千冬姉⋮⋮。 そうだ、ラウラ、潤に写真返してあげてくれないか﹂
﹁一夏、それ以上、言ってやるな。 今はそっとしておいてやれ﹂
否定と取った無言に、言えないかとだけ呟いてラウラの方へ視線を向けた。
は何も無い。
一夏が放った言葉に、何も反応せずに時計だけを見つめて秒数を数える、それ以外に
?
﹂
そのまま床に倒れそうになる潤を、ラウラが受け止めた。
?
た。
千冬が写真を見て訝しげに声をかけるが、説明は後にしようと決めた一夏は黙ってい
﹁間違いない⋮⋮﹂
﹁それはなんだ
6─9 真実を知る者
554
そっと、大事そうに写真を抱えると、思い出を振り返るように瞳を閉じる。
潤はもう一度泣いた。
今度は静かな涙だった。
だ。
ラウラはあまりの居たたまれなさに一旦外に出て、自分の不甲斐なさに強く唇を噛ん
をされれば言葉も失う。
無表情で泣く人間、もしテレビで出てくれば笑えるだろうが、この状況下でそんな事
悲しいと言うよりは虚無で、寂しいと言うよりは空白で、忘れたと言うより欠如。
いる。
何を考えているのか、何を思っているのか、無表情のまま涙を流して写真を見続けて
視線を逸らすことなく、今度は写真だけをじっと見つめる潤。
﹁じゃあな、潤﹂
その手に、大事なものを抱えながら。
写真を眺めながら、潤はゆっくりベッドの中に戻った。
頼ってくれ﹂
違っていると思うんだ。 もし、疲れたんなら手を貸してやるから、黙ってないで俺を
﹁潤、一人でしか出来ないことがあるって事は知っている。 だけど、死に逃げるのは間
555
どれ程苦渋に塗れる訓練であっても、以前ゴミ同然の目で見られた時であっても、こ
れほどの無力を感じたことは無い。
﹁居辛い、いや、情けないなんてもんじゃないな﹂
いや、今無暗にその話題に触れれば錯乱しかねない。
するのがいいのだろうか。
ならば、死を直視するのでなく、友人として死別した恋人から目をそらさせるように
正すだけではなく、道を示さねばならないと潤は言った。
しかし、どうすればそれを正せるのかが分からなかった。
ない。
だけど、どんな理由であれ、その現実から逃げて自分を殺めることなどあってはなら
程壮絶な決断だったのかは承知している。
そして友人を守るために、もう二度と会えない大切な二人を殺したのは、それがどれ
好きな人が死ねば辛いだろうし、友達と未来永劫会えなくなるのは辛いだろう。
潤は間違っている。
一夏はベッドの上で、心が折れた友人の事を考える。
治そうと患者に付き添う側が滅入ってしまっては、本末転倒に過ぎる。
﹁初めて貴様と意見が一致するな。 私も同感だ﹂
6─9 真実を知る者
556
557
恥じ入ることはない、誰かを頼れと潤は言った。
潤は何も言わずに拒絶した。
考えれば当然だった。
今回潤が出撃した理由の大半は、自分勝手に再出撃して、愚かにもUTモードに移行
した福音に飲み込まれた自分たちが原因なのだから。
自分たちの尻拭いをしてもらい、自殺企図まで追い込んで、その大本の原因側に頼れ
と言う。
改めて考えてみれば拒絶されて当然だった。
どうすればいいのか、思考が頭の中を巡る。
守りたいと思っても、どうやって守ったらいいのか分からない。
今は、その意志さえ何の役にも立たず、そんな物があった程度ではどうしようも無
かった、こんな事になる前に制止できなかった。
結局、こんな事態になるまで、自分は何も出来なかったのだ。
だから、一夏は潤に何もできなかった。
││すまなかった
その一言を幾度となく言おうとして、今度はそれが引き金になりかねない事を思えば
6─9 真実を知る者
558
言う事が出来ずに黙り込む。
担任として、一人の大人として、無力な自分が憎たらしい、何もしてやれなかった自
分が歯痒い。
何故か知らないが、潤は頼りがいがあると言おうか、頼ってしまっても大丈夫だと認
識していた。
思えばUTの視認前後で様子が違うことなど丸分かりだったのに、知らずとはいえ特
大の地雷に放り投げた事を恥じる。
自分は馬鹿だろう。
自分は間抜けだろう。
何も知らないまま、ただ頼りになると言うだけで潤に時間稼ぎを任せてしまった判断
を呪うが、どうしたらいいのか分からない。
IS学園には馬鹿が多いと千冬は以前言ったが、入学してくる生徒たちは才女ばかり
なので将来を見据えている者が多く、手間がかかる者が少なかった。
そして、今までそういう人間ばかり相手にしてきた教師たちは、最初男子を教えるこ
とに不安を抱くものが多かった。
対した事ではないが、女子と比べれば未熟な男子と接するのが不慣れだったからで、
色々言われている中で入学した二人は、二人共素直なしっかり者で教師たちを安心させ
559
たものだ。
それがこうなった途端、どう声をかけたらいいのか分からなくなってしまった。
弟は反抗期を迎えることもなく、何かのショックで塞ぎ込んで手を煩わせる事もな
く、半ば放任ともいえる教育方針をしていたので、なんと言えばいいのかわからない。
││自分は何をしているのだろう。
まずは知らねばならない。
潤が何故こうなったのかを、UTモードの束の関係性を、その全てを知った時には頭
を下げよう。
だから、││今は傷心の潤の傍にいる事しかできない。
その事実に、千冬は恥じた。
外はもう夜となっており、月が明るく照らし、燦然と煌めく星がよく見える崖の上に
て束博士は星を真剣に見つめていた。
空に煌めく星々を見ると、どうしてそれが欲しいと思ってしまう、もっと近くで見た
いと思ってしまう。
もしも、自分の背後に地球を置いて、視界全てが星空だったらどれほど素敵だろうか。
ISが軍事利用や研究目的の為に使われ、空への旅路は一時的に途絶えているもの
の、何れ人は空への希求や憧れを持って、再び空に挑むだろう。
束博士は知っている。
それを実現した組織が存在し、実際に宇宙空間に生活する場を整えた人がいたこと
を。
﹂
尤も、地球に居られない理由が出来てしまったから宇宙に逃げざるを得なかった、そ
んな歴史を作った連中など、決してリスペクトに値する事はないが。
﹁紅椿の稼働率は絢爛舞踏を含めても四十%ちょっと。 ⋮⋮まぁ、こんな所かな
そこには白式のセカンド・シフト後の戦闘映像が映されていた。
く。
新しい玩具を買ってもらった子供の様に微笑みながら、今度は別のディスプレイを開
ら、束博士は無邪気に微笑む。
空中投影のディスプレイに浮かび上がる対福音戦で取れた紅椿のデータを眺めなが
?
が現れた。
崖から少し離れた場所に生息する木々、そこからタイミングを計ったかのように千冬
﹁﹃白騎士﹄のよう、だな。 初の実戦投入機、お前が心血を注いだ一番目の機体に﹂
で可能だなんて。まるで││﹂
﹁それにしても、白式には驚かされてばかりだなぁ⋮⋮。 まさか操縦者の生体再生ま
6─9 真実を知る者
560
流石に元白騎士にパイロットだった千冬は、白式のコアの秘密に気付いていたよう
だった。
﹁やあ、ちーちゃん﹂
﹁おう﹂
挨拶をしながらも、二人も顔を合わせない。
﹂
顔を合わせずとも互いの事は、その口調だけでなんとなく分かってしまえる、その位
の信頼関係が二人の間にはあった。
﹂
﹁そんなちーちゃん問題です、白騎士はどこに行ったのでしょう
﹁白式を﹃しろしき﹄と読めば、それが答えなんだろ
行われた。
という究極のデモンストレーション、後に白騎士事件と呼ばれる事件はそういう経緯で
その後白騎士を捕縛しようとした戦闘機や空母を尽く死者を出さない形で撃墜する
せ、白騎士を装着した千冬が全て撃墜。
世界中の軍事コンピュータにハッキングしてミサイルを千発単位で日本に降り注が
に見せつけるために壮大なマッチポンプをしでかした。
嘗て、束と千冬は発表当初はさほど注目されていなかったISの素晴らしさを、世界
﹁ぴんぽーん。 流石はちーちゃん。 白騎士を乗りこなしていただけはあるね﹂
?
?
561
ISのオーバーテクノロジー技術は、その事件を境に価値を大きく向上させ、現在の
女尊男卑の風潮を作るまでに至る。
その事件の中核を担ったIS﹃白騎士﹄はコアを除いて解体され、各国の第一世代I
S開発に貢献した。
そして、そのコアはとある研究所襲撃を境に行方不明となり、紆余曲折を経て現在﹃白
式﹄に組み込まれた。
﹁⋮⋮そうだな、世間話ついでに、私から一つ例え話をしてやろう﹂
﹁へぇ、ちーちゃんからなんて珍しい﹂
﹁とある天才が、とある男子生徒の高校受験場所を意図的に間違わせ、そこで使用される
ISを、その時のみ動かせるようにする。 そうすると、男が使える筈のないISがそ
の男子だけ使える、と言うことになるな﹂
﹁飽きちゃうからね﹂
﹁⋮⋮それで、どうなんだ
とある天才
﹂
?
正直それは分からなくても問題ない。
﹁さあー、正直天才の束さんでも分からないんだよねー﹂
?
﹁そうだな。 お前は同じ物にそこまでの長い時間手を加えたりはしないからな﹂
﹁でもそれじゃその時以外、動かせないよね﹂
6─9 真実を知る者
562
事実として、そのとある男子生徒がISを動かしている事実が重要なのであって、理
由はどうだっていいのである。
分からない物を、分からないまま実装しなければならない、そんな事を束はここ数ヶ
月続けていたのだから。
﹂
多いね﹂
﹁そりゃもちのロンだよ﹂
﹁私と沢山話せて嬉しいだろう
?
束博士の考えていた通り、やはり千冬は知っている。
うってことは無かろう﹂
﹁あ あ、か つ て 世 界 中 の 軍 事 コ ン ピ ュ ー タ に ハ ッ キ ン グ し た 程 の 天 才 だ。 そ の 位 ど
﹁それはまた、凄い天才がいたものだね﹂
せる。 晴れて妹は専用機持ちとして知られるわけだ﹂
で用意するのはISの暴走事件、鎮圧に際に妹に新型の高性能機を与えて作戦に従事さ
﹁とある天才が、大好きな妹を、白騎士の如く鮮烈にデビューさせたいと考える。 そこ
実際博士にはこの時点で何が言いたいのか分かっているのだから。
束はそう言って、向き合うこともせずに黙って千冬の声に耳を傾ける。
?
﹁ありゃ、まだあるの
﹁⋮⋮まあいい。 次の例え話だ﹂
563
それをどうしようもないと知りつつも、真面目に問い質しに来た事に、昔と変わらな
い千冬を思って笑みが出た。
﹂
その小さな笑い声をどう受け取ったのかは知らないが、千冬は改めて次の質問に移ろ
うとした。
﹂
いったい⋮⋮、一体何が目的だ
その前に精神を高めていく。
﹁UTを嗾けたのはお前だな
﹁質問の意図が良く分からないよ、ちーちゃん
鬼気迫る質問だった。
!?
になかった。
度は無表情のまま静かに涙する壊れかけの姿を見て、今回ばかりは自分も束も許せそう
個室に入った時、虚ろな瞳で時計に噛り付き、秒数を延々数え続ける生徒を見て、今
もしも、その考察が事実なら││今回ばかりは断罪せねばならない。
あのタイミングでUTモードを発動できるのは束くらいしかいない。
?
?
﹂
!
!?
ドライな人間だと思ってたのに﹂
﹁しいて答えるのなら自殺をはかったのは予想外だと考えるよ、束さんも。 もう少し
ろ
﹁お前は奴が自殺しようとする所まで知っていて、今回の事を仕出かしたのか 答え
6─9 真実を知る者
564
飄々としているいつも通りの友人にイライラが積もる。
潤は今もまだ苦しんでいるというのに││、だが、これで一つはっきりしたことが出
来た。
目の前の友人は、今回潤に対して何が起こったのかを知っているという事を、そして、
お前は何を知っている﹂
束を誅するには千冬はあまりに無知すぎる事も。
﹁小栗の﹃真実﹄とやらはなんだ
ちーちゃん﹂
?
何かに囚われているように、一心不乱に話し続ける束の言葉を、黙って千冬が受け止
くであろう全てを﹂
解析できないオーバーテクノロジーと、科学に頼らない可能性と、人類がいずれ辿り着
﹁教えて差し上げましょう、他ならぬ束さんが、親友のちーちゃんに。 束さんでも全く
と思う﹂
﹁⋮⋮ああ。 むしろ、今後似たような事をおこさないためにも、私は知らねばならない
﹁知りたいの
その友人の凶行に思わず眉をひそめる千冬。
う。
肩を震わせて、まるでそうしないと壊れてしまうかの様に力いっぱい両肩を抱いて笑
それを聞いて、束は勢いよく笑い出した。
?
565
める。
親友と思っていた彼女、天才だとしてもある程度読めた彼女の思考。
それでも、今の彼女が何を考えているのかさっぱり分からず、振り向いた束の顔を見
て、既に親友が少し遠いところに行ってしまったのを悟る。
その顔に、その雰囲気に、紛れもないUTモードが振りまく﹃恐怖﹄が透けて見えた
のだから。
﹂
固まる千冬に、CDが投げつけられた。
﹁⋮⋮これは
感情付き。 もっとも刺激が強すぎるからセーフティが掛けてあるけどね﹂
じゅんじゅんの過去を知覚的に体験出来る束さんお手製のプログラムだよ。 しかも
﹁ISに用いることの出来る新システム。 バーチャル・リアル・シミュレーション││
?
束の言葉にうすら寒い物を感じながら、千冬はCDを拾い上げた。
しようとした理由は、その中に入っている﹂
せっかく彼に専用機を与えた意味がなくなるじゃない。 けじめを付けるだけで自殺
付 け る 手 助 け を し た だ け だ よ。 迎 え が 来 た ら 引 き 留 め る 間 も な く さ よ な ら じ ゃ あ、
﹁私はね、じゅんじゅんにこの世界に居て欲しいだけなんだ。 だから、過去にけじめを
﹁││││﹂
6─9 真実を知る者
566
発言どおりなら、潤にけじめを付けさせるためだけに、あれ程のことをしでかしたの
だ。
親友は、狂ってしまったのだろうか。
潤の可能性に飲まれて。
そして、その全ては││親友の言葉を信じるのならば、人の記憶を体験できるといっ
たそこらの科学者に見せれば腰を抜かして仰天する代物に││秘められている。
けじめを付けさせる、束は潤の記憶を読み取ってそういう行動に出たのだろう。
生徒をあそこまで追い込んだことは許せないが、知らないとはいえそういう舞台を整
えてしまった自分も千冬は許せない。
今後、そういう事を防ぐための手札は、千冬の手に渡った。
﹂
!
問題のCDだけをその場に残して。
ら忽然と姿を消していた。
呼びとめようとするも、千冬がその姿を確かめようと顔を上げる前に、束はその場か
CDを拾い上げたタイミングで、別れの言葉を紡ぐ束。
﹁待て、束
﹁じゃあね、ちーちゃん。 久しぶりに二人だけで話せてよかったよ﹂
567
幕間 一夏︵ひとなつ︶の思い出
真を見つめる潤には馬耳東風もかくやと聞き流した。
そんな事を千冬は、何時もの数倍優しげな声色で説明したが、助手席に腰を掛けて写
い。
医者は千冬の推薦で、最も信頼の厚い六十過ぎの老人が相手になることになったらし
それでも一週間は病院に缶詰になるのだろうが。
うしかない。
国際的に重要であることから、一般患者の様に普通の治療の為に通院していますと見繕
入院と言っても、その原因は国際的に考えて機密情報であり、そして潤の身柄もまた
離さない潤に千冬は説明した。
そのことから、暫くの間は入院してカウンセリング措置が取られる、と写真から目を
度の自殺企図を防ぐことが重要である。
自殺企図により医療機関へ搬送された患者は、その後も自殺の危険性が高いため、再
千冬に付き添われ宿泊施設から出る。
1│1 夏の思い出・精神病院にて
1─1 夏の思い出・精神病院にて
568
何故この世界にこれがあるのか、ティアが死んだ後に焼き捨てたが、これは一体誰の
物なのか。
ラウラは潤が捨てたと言っていたが、これは潤の物ではない。
いや、誰のだって今の潤には関係なく、ただ大事なのは写真のメンバーを一人ずつ見
ながら、その思い出に浸る事だけだった。
この境遇が、あまりに懐かしく、皮肉にも自分に対して笑ってしまった。
なく、精神病患者を隔離する場所である。
グレーの壁、天井に小さな照明のある部屋、明らかに一般的な患者が泊まる部屋では
医師に誘導され、背後と正面、合わせて五人に囲まれて隔離病室に案内された。
ものだろうに。
何年この現場にいるか知らないが、魂まで知識を掘り下げた人間相手では不足という
カウンセリングで治せるものか。
感情を、それよりも遙か根本に値する﹃魂﹄を意図的に操作できる、魂魄の能力者を
馬鹿馬鹿しい。
らしません﹂
﹁分かっていますよ。 私も医者の端くれです。 患者の情報はどんな事があろうと漏
﹁先生、くれぐれも⋮⋮﹂
569
朝になった。
二人を殺したのは自分の意志なのだから、立ち上がらなくては、今日からでも遅くな
い。
感情操作して、何事もなかったと表情を取り繕って、今日から立ち直ろう。
自分が原因で事が起こり、自分の決意で剣を取って、自分の意志でケリを付けた、⋮⋮
それなのに、他の誰かの手を煩わせるのはおかしい。
何とかしなければと思うものの、どうしても気力なんて起こらない。
││やっぱり今日も休もう。 少し疲れているんだ。
再び写真に目を落として、両隣からうめき声や、悲鳴や、怒声が聞こえてくる個室に
籠る。
出してくれ、水をくれ、男女の声が絶え間なく聞こえ、とぎれとぎれに看護師らしき
人間の声も聞こえてきた。
ないよ﹂
?
こんな場所を懐かしいやら居心地がいいやら感じるのは狂っているのかとも思った
居心地が良すぎて写真を見つめる視線が全くぶれない。
﹁飲み物
﹁そんなに騒いでいたら、ここから出られないよ∼﹂
1─1 夏の思い出・精神病院にて
570
571
が、狂っているのは間違いないので居座ることにした。
今は、一人静かにしている方が余程嬉しい。
もうこの部屋に籠って、二度目の朝を感じる。
時間の感覚がなく、どれくらい経過したのかはっきりしないが、再び五人に周囲を固
められ、車椅子に乗せられたまま少し離れた別の病棟に搬送された。
一日中静かに過ごしていた状況から危険度を下げられたらしく、今度は悲鳴や呻き声
のBGMが聞こえない。
静かすぎて不安になるが、写真のティアを見れば何処だって落ち着く。
昼になって例の医者からいくつか話をした。
どうやらアメリカ・イスラエル側との擦り寄りが出来ているのか、この老人には福音
戦の事が詳細に話されているらしく具体的なカウンセリングが始まった。
自殺未遂患者の多くは精神医学的な問題を抱えており、自殺企図の予防を含めた心の
ケアを実施する必要がある。
医療機関では自殺企図者に対して、身体的・精神科的な治療を並行して行い、また精
神科医など専門医とも連携をとる体制作りが求められる。
つまりこの老人は双方の知識のある人らしく色々話をした。
ストレス、動機、喪失体験、自殺念慮などを話すが、存在しない記憶をボロが出ない
ように脚色して話すだけなので何の役にも立たない。
恋人とUT関係の部分も話したが、このジジイは経験深いのか眉一つ動かさない。
初めて相手がその道のプロだと思い知った。
﹂
夜になって再び主治医らしき老人と話をした。
﹁もう死にたいと思っていませんか
?
何でも依存している可能性があるとかなんとかで、一度離してみましょう、との事ら
朝になると手元にあった写真がなくなっていた。
その後、取りとめのない世間話をしてカウンセリングが終了した。
減らそうとする。
因子を把握し、危険因子を減らし、防御因子を高めることで、自殺企図の再発危険性を
救急医療の従事者は自殺未遂患者のそれぞれの危険因子や、それを精神的に防ぐ防御
自殺には、その動機となる様々な危険因子が存在する。
れているんだ。 ││だから、もう少しだけ、休息を﹂
殺は感情の爆発から来ているもので時間がたてば問題は解決する。 ただ、今は少し疲
﹁無い。 危険因子の直視は出来ているし、防御因子の考えもはっきりしている。 自
1─1 夏の思い出・精神病院にて
572
573
しい。
昨夜のカウンセリングで、取り上げても大丈夫と判断したのだろう。
代わりに時計を下さいと頼み込み、再び六十数える作業を行う。
半日もしないで写真が戻ってきた。
潤の手元から写真を一時的に取り上げられた日、担任の千冬は主治医の老人から呼び
出された。
隔離室には手元に戻された写真を見て、一切動かない潤が監視カメラに映されてい
る。
主治医の老人は頭を抱えて説明する。
曰く││手遅れ。
どうしてここまで放っておいたのか理解できないと、自分が作った調書に唾まで飛ば
して叫んだ。
誰が見ても変な今の状態、﹃同じ写真を一日中見続ける﹄、﹃秒数だけ数えて半日過ご
す﹄、これらを全く変だと思っていない。
殆ど話をせず、表情は消え、病的な行いを正常な活動として、自然体として受け止め
ている。
日常的な受け答えは出来、それこそ言葉の意味はわかるけれど、感情や、心といった
人間らしさが消滅してしまっている
例えば、昨今のニュースの話題をふったが、その中で数万人死ぬ事件の話をしたが、情
というものが無いために、養豚所の豚が死んだ程度しか感じていない。
まるで高性能なコンピューターを相手にしているようで、それでいて人間社会に溶け
込めるように調整されている。
こんな壊れた患者初めて対応したと医師は告げた。
何を思って過去の道を歩んできたかは知らないが、元々情緒豊かで、感受性が鋭く、だ
からこそその後に歩んだ道が、まるで呪いの様になって喜怒哀楽の心を殺してしまった
のだろう。
許容できる限界の感情の津波、恐らくは﹃恐怖﹄、
﹃悲哀﹄、
﹃絶望﹄の津波に襲われ、心
を押し殺すことによって自分を守ろうとした。
感情を殺せば、何も感じなくてすむからという自己保存本能として解離。
人の心の温かさを失う代わりに、落ち込むということもない。
時間の感覚もない。
気分転換というものを欲することも、気分がないから転換しようがない。
心の動きがない。
﹁こんな状態では人は生きていけない﹂
1─1 夏の思い出・精神病院にて
574
と自らの考えを老人は吐露した。
﹂
?
だった。
世界で育った潤には、殺伐とした裏社会で過ごすにはこの方が楽だと思わせるに充分
それを見てリリムが﹃感情を表に出せなくなった人形﹄と評したのだが、平和な平成
あらゆる感情を操作して、目標を達成するマシーンとなっていた潤。
老人の推察は流石と言わざるを得ない。
老人は戦慄する。
喜怒哀楽を自由に移し替えることのできる人形、その奇跡と思わざるをえない手腕に
た性格、それを便宜上仮面と呼称しました﹂
﹁本心を心理的障壁で押し隠した上で、生活に不自由ない用に調節された性格を作成し
﹁仮面
﹁ええ、そういう風に、貴女でも騙せるほど巧妙な仮面を作っていますから﹂
りましたが、至って普通だったと思いますが﹂
﹁綱渡り││。 ⋮⋮しかし、小栗の生活を鑑みるに、十五歳にしては感情に乏しさはあ
見守るしかないでしょう⋮⋮﹂
﹁治しようがありません。 よって、表面上元に戻るのを待って、綱渡り生活をするのを
﹁⋮⋮状況は分かりました。 それで小栗の今後は﹂
575
そのせいで、私生活では滅多に笑わず、戦闘中に必要な怒りが残っていたために、常
に怖いとの印象を振りまいているのだが。
﹁いえ、それは妙です。 小栗が感情的になる時が、少なからずありました﹂
﹁⋮⋮⋮⋮確かに、仮面の下が見え隠れするのは認められます。 しかし、それが自殺の
﹂
最大の原因なのですよ﹂
﹁と、いいますと
﹁小栗君は、自分が守りたいと思った対象に強烈な反応を示します。 軽度ならば、凰鈴
?
音さんか貴女の弟さん、やや重たくなるとラウラ・ボーデヴィッヒさんや更識簪さんの
時の様に﹂
﹂
?
その二人を、ただの幻覚だったと、そう自覚して殺めたのに、本当に二人を殺めたの
親友が夢に出てきて、それに抵抗した程度で嘔吐して泣き出す。
その異常行動を、まるで今日は何時になく暑いな、程度の世間話同然の表情で話せる。
けたりしている。
嘗ての恋人が死別した際に、その墓に対して、今日は特別寒いからと言って毛布を掛
ようですが、その依存対象に接触すると感情が現れるようです﹂
﹁そうですね。 依存と言っていいかもしれません。 どうやら小栗君自身自覚がない
﹁⋮⋮依存
1─1 夏の思い出・精神病院にて
576
が自分だった様に思い込んで自分を殺めてしまえる。
他にも一夏に手助けするために保身の手札を捨てたり、パートナーとなった簪と、U
Tに取り込まれたラウラを助ける為に重体のまま戦ったり、それら行動は類似性があ
る。
ればいいかと﹂
彼の私生活の話を分析するに、布仏本音さん達など、普通の日常をそのまま過ごさせ
れ は 表 面 上 治 っ た よ う に 周 囲 に 見 せ か け る 仮 面 を か ぶ る 時 間 が 必 要 と い う だ け で す。
﹁一人でいても回復は見込めません。 彼は静かに休んでいればと言っていますが、そ
﹁それで、小栗の回復の為には、どうすれば﹂
二人しかいない個室に、溜息のハーモニーだけが音となった。
医学には医学の限界があるという事、それを今回思い知っただけに過ぎない。
既に手遅れとなった患者を治すことは出来ない。
のを待って、綱渡り生活をするのを見守るしかないのです﹂
﹁確かに性急に出来るのは何もありません。 結局最初の堂々巡りで、表面上元に戻る
﹁││││⋮⋮打つ手なし、ですか﹂
を殺めてしまいます﹂
﹁依存対象があれば崩壊は食い止められますが、今回の様にその対象に何かあれば、自分
577
﹁それでは、何時再び自傷行為に走るか⋮⋮﹂
﹁私は最初に言ったはずですよ、
﹃手遅れ﹄とね。 十年単位で先進的な治療が出来ない
のであらば、一月だろうが明日だろうが大差はありません﹂
﹁⋮⋮わかりました。 せめて、夏休みまでは、此処にお願いします﹂
席を立った千冬を老人が呼び止める。
﹁あっ、そうだ﹂
部屋を出る寸前で、千冬は立ち止まった。
接触は、彼自身が接触するまでの間は何としてでも避けて下さい﹂
﹁リリムさんと性格の似通った更識楯無さん、容姿が瓜二つの凰鈴音さん、この二人への
老人に見送られ、車内のダッシュボックスから例のCDを取り出すと、それを眺めて
すっかり夜になった駐車場、その一角で千冬がため息をつく。
れの患者に、匙を投げる事を説明するのは何時だって心が詰まる。
だから、何時だって患者は患者の範囲を出ることはないが、それでも、ああいう手遅
過度な繋がりは、医者の目を曇らせ、時には失わなくていい命を失わせてしまう。
まえば、基本的に医者と患者は、全く関係ない間柄になる。
お大事にと言って送り出したり、もしくは患者に親しい誰かに説明を終えたりしてし
﹁分かりました﹂
1─1 夏の思い出・精神病院にて
578
579
一考する。
喋りたくない過去を勝手に模索するのはどうかと悩んでいたが、医者の話を聞いて、
残る手段がこれしか残されていないことに気付いた。
尤も知ったからと言って何が出来るのかというと、何も出来ない可能性の方が高い。
しかし、もう二度とこんな事があってはならない。
帰ったら全てを知ろう、手遅れが更に酷くなる前に。
│││
途中耐え切れず、システムを中断。
夕食をあらかた吐き戻し、酒に逃げた。
│││
コンビニで揃えた酒の肴になりそうなものを口いっぱいになるまで詰め込み、ビール
で一気に胃袋に押し流す。
行儀が悪いからと言って、誰でも毛嫌いしそうなくちゃくちゃ音すらお構いなしに
淡々と食い、淡々と飲む。
嘗ての伝手から頂いたドイツ産の黒ビールをジョッキに注ぐ。
美味い筈なのだが、美味しいとは思えない。
黒ビールの立ち上る気泡を見て、あの光景を思い出してしまった。
今度は一気にビールだけを胃に収める。
﹂
﹁織斑先生、明日の事なんですが││、うわぁ、随分飲んでいますね﹂
﹁あぁん
﹂
しかし、UTの件はアメリカ・イスラエル側からの箝口令が出た程度で済んでいるの
院の手続きを行うなど問題を山ほど抱えている。
確かに、千冬はUTシステム関連でアメリカ側との会談を行い、精神病院の紹介と入
一言で言えば、重すぎる。
そして、それよりも肌で実感できるのは部屋の雰囲気と千冬の機嫌だった。
いる姿からは普段の凛とした何時もの面影はない。
何故かISスーツで胡坐をかいてジョッキを片手に、珍しくコンビニの惣菜を貪って
に寮長室にお邪魔した真耶だったが、その仕事の行く先はいきなり暗礁に乗り上げた。
そろそろ一学期が終了するとあって事務的な仕事が多くなってきたので、摺合せの為
!?
!?
﹁ひいっ││
1─1 夏の思い出・精神病院にて
580
で、今後潤をどう扱うか、という一点以外に問題は無く││最大の問題はそれなのだが
﹂
││有事の際に指揮権を与えられている冷静沈着な千冬がここまで荒れる理由がない。
﹁なんかやつれていませんか
何やら、込み入っているようですが⋮⋮﹂
?
﹂
?
﹁とりあえず安定はしている。 無気力状態ではあるが、今のまま学園に戻しても騒動
﹁容態は
千冬の姿に若干引き気味だった真耶の表情が、その一言で引き締まる。
ずにはいられない。
おおよそ理解できていたが、この状態の千冬を見れば改めて最悪の状況を思い浮かべ
﹁山田くん⋮⋮分かっているだろう。 小栗の件だ﹂
﹁今日はどうしたんですか
したと言っているに等しい姿だった。
それは本当に千冬らしくなく、真耶にも衝撃であったし、何より良くない事がありま
目に何時もの覇気がなく、何時にもまして暗く、疲弊の跡が見て取れる。
る。
それでも何かを話そうと、真耶に視線を合わせては外してという動作を繰り返してい
何時もなら酒の入っている席では、少々付き合いやすくなるのに全くその気がない。
少しだけ真耶を睨むと更にビール瓶を開けて、空のジョッキを満たしていく。
?
581
を起こさないだろう﹂
﹁そうですか。 パニック状態からは脱却したんですね﹂
﹁ああ﹂
﹁尤も、周囲の生徒達が騒ぐでしょうから、少なくとも授業に参加できるのは新学期から
でしょうね⋮⋮﹂
﹁ああ﹂
﹂
﹁⋮⋮あの﹂
﹁なにか
﹂
?
何かがあるのかと襟を正した。
その姿は、礼節にも厳しい千冬からはありえない光景で、それほどまでに言いにくい
千冬は何かから目を逸らすかのように、真耶からも目を逸らして口火を切る。
その現実から逃げ出そうとしている様子に、流石の温厚な真耶も業を煮やした。
酒の類をそれこそ水のように痛飲している千冬に問いかける。
んですが、一体何があってこうなっているんです
﹁いい加減、教えてくれませんか。 精神科医のお医者さんから色々お聞きしたと思う
?
﹁委員会主導で調査しても不明のままだったのでは
﹂
﹁今回の件に対して、対策を練るためにだな⋮⋮、小栗の、その、過去を洗ってみた﹂
1─1 夏の思い出・精神病院にて
582
?
﹁それが、束からのリークでな⋮⋮。 小栗がISを扱える理由も│││その、なんだ
⋮⋮。 たぶん、予想だが、仮説は立てられる。 それを踏まえて││私は今回の件は、
小栗自身とその周囲の生徒に解決を委ねようと思う﹂
﹁それは⋮⋮││﹂
﹂
それより、委ね
絶対にだ
聞きませんって
﹁言っておくが、私は絶対に公表しないし、誰にも喋らないぞ
﹁い、いい、言いません、違った。 聞きません
るってどうしてですか。 私が聞きたいのはそっちです﹂
真耶の理由を尋ねる言葉を聞いて、再び千冬が溜め息を出す。
せっかくのビールだが苦味だけが後味悪く残って全く美味くない。
尚も言い淀み、酒に逃げ場所を求めて現実逃避を起こす。
!
﹁誓って﹂
﹁⋮⋮オフレコで頼む﹂
注ぐと、あの液体を飲んでいる錯覚に陥ってしまいそうだったからだ
今日に限って黒ビールなどを飲んでいる理由は、透明感ある普通のビールをグラスに
思い込みたい光景を思い出す。
出来れば、ただのマッドサイエンティストが出てくるスプラッタ映画のワンシーンと
﹁小栗くんの過去を蒸し返す気はありませんが、そんなになんですか
﹂
!
?
!
!
583
﹂
﹁⋮⋮あいつの感情はな││、与えられたもので、元来の人格から来たものでは無いん
だ﹂
﹁││は
本来機械に対して使われている単語が、さも当然の様に人に対して使われている。
感情が無い状態でダウンロードして、感情をインストールした。
ンロードされたものだ﹂
﹁説明が足りなかったか⋮⋮。 あの、小栗の人格は⋮⋮その、無くなった状態からダウ
?
すか
﹂
﹁ええっと、小栗くんの話ですよね。 小栗くんはロボットか何かとでも言いたいんで
?
﹁小栗の身体は、生来の⋮⋮母親から与えられたものでは││いや、一部そうなのか
⋮⋮そんなものはどちらでもいいか﹂
?
に消し去ってしまった。
その僅かばかりの理解度の進捗も、溜まった物を吐き出そうとする千冬の言葉で簡単
い。
言葉の意味をかみ砕いて理解しようとする真耶だったが、理解がちっとも追いつかな
れていた﹂
﹁まさしくそうだよ、山田くん。 小栗はIS学園に保護されるまでそういう風に扱わ
1─1 夏の思い出・精神病院にて
584
﹁⋮⋮あの、どういう意味でしょうか
﹂
?
手術
強化 ?
物で、新たに組み立てられたようだ﹂
﹁││⋮⋮待ってください。 ちょっと待ってください。 剥奪
何を言っているんです﹂
﹁言葉通り受け止めるんだ﹂
受け止めがたい単語の羅列に一旦千冬の言葉を止める。
?
?
しに笑う白衣の男たちを﹂
││意識を保ったまま、身体を、バラバラに
?
﹁下を見て三年、上を見れば十年近い間、脳髄と神経だけで生かされていた。 小栗は組
それを齎した言葉の意味、それは想像するのもおぞましい。
静かな寮長室で、時計の秒針が進む音が響く。
識した瞬間、小栗は一度壊れているんだ﹂
﹁視覚と思考を保ったまま、脳みそと神経、骨、筋肉、皮膚を全て引き離され、それを認
﹁の、脳みそ
﹂
﹁私は見てしまったよ、小栗の目線で。 自分の脳みそが浮いているのを⋮⋮、ガラス越
だった。
その千冬も先程から言葉と言葉を区切って言い淀んでいるというか、戸惑っている様
?
﹁一度剥奪されて、手術や薬物、もしくは新しい物を継ぎ足されたりした、強化された代
585
み立てられた後、過去の自分自身をダウンロードして、ようやく正気に戻ったんだ。 どうすれば⋮⋮どうすれば⋮⋮﹂
それまでの期間、あいつは狂っていた。 そんなあいつにどうやって声を掛ければいい
んだ
﹁当たり前だ。 私は、真実が何であれ小栗を機械の様に扱う気はない﹂
﹁それでも、小栗くんは人間です﹂
いた事を口に出していった。
余りの事態に言葉が出ない真耶だったが、若さからか何かを言わねばと思い、思いつ
真耶から見ればヤケ酒の様、それはいや確かにヤケ酒だった。
そう言って、千冬はグラスに残ったビールを飲み干した。
?
く簡単にばれてしまう。
それ自体はいいが、真実を知っている教師二人が仮面を取るように誘導しても、恐ら
どんな状況でも生徒を信じることが教師の役目、と真耶は言う。
仮面の下に新しい、本当の潤がいる可能性を信じる。
﹁す、すみません﹂
﹁││言っている事は分かるが、言い分が支離滅裂だ﹂
膚が出来る様に、小栗くんが自分の心を見つけてくれるのを﹂
﹁ならば、信じましょう。 いくら見かけは作りものだとしても、瘡蓋の下には新しい皮
1─1 夏の思い出・精神病院にて
586
﹁しかし、私も山田くんと同意見だ。 だから、
﹃小栗自身とその周囲の生徒に解決を委
ねようと思う﹄という案に帰結する﹂
寮長室には、暫く二人の女教師の声が響き、それは早朝帯まで絶えることはなかった。
﹁⋮⋮なるほど、そういう事でしたか。 やってられませんね、私にも一杯ください﹂
587
何と言えば正しいのか、まるで積年の怨敵が、遣る瀬無い境遇から敵対行動を取って
す。
妙に余所余所しく、それでいて真剣な面持ちで何かを話そうとしている千冬を思い出
一体何を考えているのか。
精神病院から出たばかりの人間に、人間なんて簡単に殺傷できる兵器を返却するなど
腕には待機状態となったヒュペリオン、これがあれば最低限の時間管理は出来る。
を弔った事が無かったのを思い出したのだ。
二人の死に錯乱こそすれど、そういえば二人の死を正面から受け止めた上で、その死
その寺でただひたすら瞑想した。
めれば、それまた質素な寺に辿り着く。
蝉が騒がしい演奏を聴きながら、巨大な塊になって空に浮かぶ雲を目指して歩みを進
質素な茅葺きの庵からは、長い、長い、天に昇るような長い石段が望めた。
で生活をしていた。
精神病院から出た潤は、自分からの希望で、暫くは鬱蒼と生い茂る竹林の奥にある庵
1│2 夏の思い出・生徒寮にて
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
588
いたのだという事実を知ってしまったとか、そう言った類の同情をされているような気
がするのだが。
だからと言って兵器を渡す神経を疑う、のだが、渡されたとしてもどうこうする気が
無いという事を、あの老人の医者に見抜かれていた上での行動かもしれない。
七月中旬になって、訪いの声が庵に響いた。
何を言っても、裏では戻される事が確定しているだろうと予測できるので何も言わず
長い沈黙の後、真耶はそう切り出した。
﹁小栗くん、えーと、明日からIS学園に戻っていただきます﹂
る。
この庵は、昔寺の住職が住んでいた所なので、茶を用意する程度の御持て成しは出来
縁側で二人腰を掛けて月を眺めていた。
が、その時が来たのかもしれない。
さぞ護衛もし辛いだろうし、もう暫くすればIS学園に連れ戻されると踏んでいた
夜遅くにご苦労な事である。
入学当初と変わらない頼りなさげな表情で問いかけられる。
庵の門を開けたのは、意外な事に千冬でなく真耶だった。
﹁お邪魔します﹂
589
に沈黙を返す。
自殺企図に敢えて触れない気遣いには、この時気付かなかった。
﹂
﹁随分遅かったですね﹂
﹁遅かった
﹂
?
﹂
すので、本当ならここにいても良いのですが⋮⋮﹂
﹁それは可能とはいいません。 ⋮⋮話を戻しますね。 明日からIS学園も夏休みで
﹁授業中かつ表面上だけなら﹂
﹁それは健全に、かつ周囲を困惑させないレベルでですか
﹁学生としての責務を果たす程度なら、合宿後数日で可能でした﹂
?
?
﹁不服なのは私も良く承知していますが、何かあれば私だって力になります。 それに、
ない。
││確かに、
﹃感情制御﹄は正常に機能しているし、普通の生活をする分には何も問題
長い物に巻き込まれるのは世の理だが、こちらの都合も考えて頂きたいものだ。
今度は言外の意図に気付いた。
主に福音関連の事件を大きな声で言いたくないアメリカとか、IS学園の責任者か。
﹁世間の目があると言いますか、学園で寝泊まりしていないと困る人がいるんです﹂
﹁それならば、何故
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
590
皆待っていますよ﹂
﹂
﹂
?
﹁││
﹂
﹁⋮⋮なんで﹂
その姿を見る真耶の顔は浮かばれない。
潤を予め呼んでいたタクシーに乗せる。
久しぶりに会いたいと思った。
一人で塞ぎ込んでいたとしても進展は見られない。
﹁はい。 皆、元気ですよ﹂
﹁⋮⋮あいつらは元気ですか
﹁皆です。 布仏さんも、鏡さんも、谷本さんも、織斑くんも﹂
鈴の顔は、意識して思い出さないようにした。
同室の本音や、隣室のナギや癒子、簪やら一夏の顔が思い浮かぶ。
﹁皆
?
﹁なんでひと言も助けて下さいとか、⋮⋮相談してくれないんですか
?
﹂
ここ数日で、千冬から聞かされた事実を思い返すたびに胸が苦しくなる。
なって仕方がないようだ。
彼女は、終ぞ潤が泣き言を言う事も、助けを求める事もしなかったのがどうにも気に
?
591
重力負荷耐久訓練での設定ミスで失敗したとしても、苦笑いを浮かべながら許してく
れた、あの優しげな顔を思い出す。
そんな顔の裏で、いや、むしろそんな非人道的な目にあったからこそ、気を許せる相
手に優しく出来るのかもしれない。
﹁最後の言葉は堪えましたけど、それを責める気は││﹂
﹁違います﹂
喉に詰まった物を吐き出すかの様な口調で紡ぐ言葉を、ピシャッと真耶が遮る。
辛いのに、一言も相談
!?
遮った勢いのまま語り出した。
!
﹂
!?
緊急事態においては、千冬の様に落ち着いて対処出来る人物と認識していただが、真
自分の事に精一杯だった、己の浅慮に愕然となる。
かり周囲に居たので、ここまで感受性の高い人間が居る事に気付かなかった。 補充は居るのだから死ねばいいじゃんとか、苦しんでいる様子を喜劇の様に嗜む人ば
やく潤も真耶が思いのほか傷ついているのを知った。
膝の上で小さい手をぎゅっと握り締めている手が、僅かに震えているのを見て、よう
すか
してくれなくて、傷ついてボロボロになる人を見て、私が気分を良くする人だと思いま
﹁なんで頼ってくれないんです 私が頼りないからですか
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
592
﹂
耶は真耶なりの葛藤と苦しみがあるという当然のことを忘れていた。
﹁辛いのには慣れていますから﹂
﹁それは、平気な顔でいる事が、我慢が出来る事がですか
﹁⋮⋮﹂
﹂
!
もう、帰れる場所はIS学園しかないのだから。
あの時とはまた違った決意と意識の喚起を。
﹁はい
﹁今度、何かあったらお願いします﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮先生﹂
そういえば到着後出迎えに現れたのは、真耶だった事を思い出す。
移動を繰り返し、ようやく直接的な監視を抜けたのは此処に来てからだった。
この世界にやって来てから僅か数日の内に周囲で起きた出来事、監禁⇒移動⇒監禁⇒
最終便に乗ってIS学園に到着する。
てきた。
黙り込んだ二人を乗せたタクシーは、そのままIS学園直通のモノレールにまでやっ
何故そこまで踏み込んで話せるのか困惑しながら考える。
?
593
満面の笑みで潤の前を歩く真耶の後ろを歩きながら、既に懐かしさすら感じるIS学
園の敷地に入った。
気分上々の真耶を見送り、生徒寮に向かって﹃1030号室﹄前にたどり着いたのだ
が⋮⋮たどり着いたのだが、どんな顔で入ったらいいのか分からない。
妙に観察眼のある本音の目の前で、今のまま生活したら何を言われるか分かったもの
ではない。
どうとでも言い包めるのが可能で、お人好しな馬鹿⋮⋮。
顔見知りの中から、順次顔を右から左へ流していって最終的に一夏が残った。
﹁一夏だな⋮⋮﹂
どんな扱いをしても壊れないという点で、あれほど良い意味で適当に扱っても大丈夫
な奴はいない。
廊下で何人かの女子とすれ違ったが、一組の連中とはかち合わず目的の部屋前まで来
ると闇雲に扉を叩いた。
誰だよ、まったく、鍵は開いているから入ってきていいぞ﹂
遠慮がちな音ではなく、まるでドアを叩き壊そうとするかのように強烈な打突音を響
かせる。
!
﹁そうか、なら邪魔させてもらおう﹂
﹁はい、はい
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
594
﹁うおっ
潤だったのか。 もう帰ってきたのかよ﹂
﹁ちょいと色々な﹂
﹁えーと⋮⋮それでなんか用か
いったのだろう。
﹂
きっとひっきりなしに専用機持ちたちが訪れるので、こういった動作が洗礼されて
無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きで、粛々ともてなす準備を進めていく。
る。
手慣れた机の前まで招かれ椅子に座らされると、いそいそと麦茶を入れる準備をす
ラフな格好に着替えた一夏が出迎えた。
!
間の羞恥を克服させるための、男女での相部屋と言っても年頃の男女が同じ部屋で暮ら
いくら士官学校で見知った数々の光景、個を殺して徹底した集団意識を持たせ、男女
した表情で麦茶を啜る。
箒やシャルロットと同室になった時の事を思い浮かべて喋っているのか、しみじみと
﹁確かにそういう時ってあるよな。 自分の事で精一杯って時が﹂
﹁色々あったせいで誰かを気遣いながら生活するのが億劫で、部屋に帰りたくないんだ﹂
冷たい麦茶をぐいっと煽る。
﹁まあ、何でも言ってくれよ。 友達だろ﹂
?
595
すことへの問題は多い。
そもそもIS学園が元々女子高当然だった風潮があり、寮の風紀やら私服やら目のや
り場に困る。
ナギなんか凄い。
ブラジャーを付けないでサイズの大きいタンクトップを着ているせいで際どい場所
まで見える。
どちらも異性と認識していないであろう癒子なんてもっと凄い。
薄手のパーカーの下は下着のみで、デニムのショートパンツは股間部分のチャックと
ボタンを外しているので下着丸出しとかになっている。
露出の殆どない本音は何ともないと思うだろうが、ボディタッチを頻繁にしてくるの
で今の状態でされても迷惑としか思わないだろう。
﹄と、
﹃なんで見てないんだ
﹄って主義主張がバ
総じてあの三人といれば、男女の垣根とか、視線の方向とか、そういった気遣いが必
﹁ありそうだな⋮⋮﹂
その度木刀で殴りつけられる一夏の光景が過る。
!
須なのでちょっと帰りたくない。
!
ラバラになる時もあるもんな。 どうしろってんだよ﹂
﹁箒と一緒だった時なんて﹃見るな
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
596
きっと、服装や髪型とかを逐一少しずつ変えて、一夏がどんな反応を示すのか楽しみ
にしていたのだろう。
こと恋愛ごとに関しては、突然難聴になったり朴念仁になったりする一夏に、それを
察しろというのも酷な話だが。
しかし、そういった場面を、何も話さないまま男が察するべきという風潮があり、今
の潤にはそこらへんに対して気を使わなければならないのが辛い。
たりして、普段は温和だがいざという場面があれば率先して行動できる。
異性の事となると不思議なくらい鈍感で、時折り信じられないくらい馬鹿な事を言っ
も似たり寄ったりなので気にしない。
IS学園の環境が特殊すぎて、仕方がないのかもしれないし、魂魄の能力なしでは潤
本当は、女に興味がないのではないだろうか。
こない程度には気遣い出来るのに、何故女が相手だとああなるのか。
一番気になっているであろう自殺企図と、その後の精神面での話題を一切切り込んで
く。
一夏もラッキースケベというか、女心を解さないというか、色々あって話が進んでい
﹁⋮⋮そんな事があったのか﹂
﹁そういえばシャルも、風呂に着替えを忘れたり、着替え中に転んだりで色々あったな﹂
597
││ん
何か引っかかるな⋮⋮
世界大会ではどのバージョンを使うかで揉めて中止になったという逸話がある。
ンを発売し、バカ売れした。
が相次ぎ、困ったソフト会社がそれぞれの国のISが最高性能化されたお国別バージョ
ソフトを開発したのは日本のゲーム会社だが、各国から自国の代表が弱すぎると苦情
グロッソ﹂のデータが使用されている傑作だとか。
発売月だけで百万本セールスを記録したIS/VSは、第二回IS世界大会﹁モンド・
知識が止まっていた潤には全てが新鮮だった。
スーパーの名を頭に付けたファミリーコンピューターと、その後継機であるN64で
い。
インフィニット・ストラトス/ヴァースト・スカイ︵IS/VS︶というゲームらし
暫く話していたが、手持無沙汰になった後に一夏がゲーム機を引っ張り出してきた。
な些細なことなど考える気力もなかったので思考の端に追いやる。
一夏の人物評を考えていると、小骨が喉に引っかかった違和感が走ったが、今はそん
﹁ああ、そうだな﹂
﹁色々あるけど、せっかくIS学園で二人だけの男子なんだ。 何でも言ってくれよ﹂
?
﹁グラフィック凄いな﹂
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
598
﹁これは日本のISが最高性能化されたバージョンだから、打鉄がお勧めだな﹂
﹁で、何時までこうしているつもりなんだ
﹂
?
﹂
﹁いや、なんというか⋮⋮。 よくよく考えてみたら本音とは早く顔合わせしたくなっ
﹁泊まっていってもいいんだぞ
何度か追い詰めこそしたものの、結局それだけで勝つ事が出来ない。
流石に今日初めて手にしたコントローラーでは分が悪い。
連続十回目の敗北を重ねた時に、ぽつりと一夏が問いかけた。
﹁⋮⋮今日一杯かな﹂
?
にのめり込んでいく。
まさにぬるぬる動くと評するグラフィックと、本物と見紛うばかりのサウンドに次第
リオンと白式は収録されていなかった。
最近出たばかりのカレワラや、各国の第三世代IS、勿論第四世代と判明したヒュペ
していく。
一夏がベッドに座り込み、潤が床に座布団を置いてそのベッドに寄り掛かってプレイ
﹁それもそうか﹂
﹁あるわけないだろ﹂
﹁⋮⋮カレワラかヒュペリオンは無いのか﹂
599
てだな﹂
﹂
﹁のほほんさんって、世話やいたり、いろいろ考えてあげないといけないパターンの代表
格だと思うんだが
?
学年別タッグトーナメントの最中に、夏の始まりとしてホラー特集を見た夜に、一人
のだろうが。
夜中にトイレに行きたくなったら困るだろうから添い寝をするのは、まあ仕方がない
潤の目の前でパジャマを脱ぎだして上半身裸になるのはおかしい。
ここまではまだいいが、お湯を絞ったタオルで体を拭いて綺麗にしてほしいと、男の
首からかけられたり。
おかゆを食べさせられたり、女子トイレまで運搬させられたり、その途中で吐瀉物を
ゴールデンウィーク中に熱を出して寝込んだ本音。
きっと向こうは此方を男として認識していない。
た。
本格的に仲良くなったのは四月の終わりにリリムの夢を見た頃、その後も色々あっ
一夏もそうだが、本音も男女の垣根なしに友人とも言える間柄なのかもしれない。
本音の一緒に暮らしてきた三ヶ月ほどを振り返る。
﹁まあ、苦労はしそうなんだがな⋮⋮﹂
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
600
で寝るのが怖いからと添い寝を頼み込むのもおかしい。
拒否しても隣に枕を置いて寝始めるし、夜中に起こされたと思ったら第一声が、
﹃おぐ
りん、おしっこ行きたい。 廊下怖いからトイレまで付いてきて﹄ときたものだ。
⋮⋮女の子なんだから、もう少しオブラートに包む事は出来ないのだろうか。
﹂
?
﹂
?
今度は色とりどりのぷにぷにした丸い物体を四つ以上くっ付けると消えるゲームを
ベッドの上から降りて、潤の隣に座りこんだ。
画面を切り替えて今度はパズル系のゲームをセットする一夏。
﹁そうだ、仕方がない﹂
﹁そうか、それは仕方がない﹂
いるのは俺かもしれないが、救われているのは俺の方なんだよ。 きっと﹂
﹁⋮⋮なんと言い表せばいいのか。 不思議に聞こえるかもしれないが、世話を焼いて
﹁それで、そんなに気遣いが必要なところに戻るのか
目の前の画面では、都合十二回目となる潤の操作する打鉄の敗北が告げられた。
﹁きっと本音は﹃わ∼い、お兄ちゃんみたいのが出来たぁー﹄としか思ってないぞ﹂
﹁恋愛対象とかと違うのか
﹁正直ラウラよりよっぽど妹としてキャラが成り立っている﹂
﹁⋮⋮なんか、のほほんさん、本当にのほほんさんだな﹂
601
セッティングする。
﹁潤⋮⋮、何も聞かないけど、これだけは約束してくれ。 今度何か辛い事があったら俺
に相談してくれ。 俺じゃあ頼りないかもしれないけどな﹂
﹁なら、俺の方から頼りたくなるくらい強くなって見せろ﹂
IS学園は今日から夏休みである。
そう、肩をぶつけ、力強く宣言した。
﹁そうか。 ││待ってろよ、直ぐに追いついてやるから﹂
1─2 夏の思い出・生徒寮にて
602
合宿時から夏休みまでの時間で怪我が完治していたのも確かに問題だ。
しかし、問題はそこではない。
千冬が合宿所から姿を消したことがその証拠である。
そして、その何かは不穏当なものであるのは確実で、潤がヘリで運ばれ、付き添いで
潤にも出番があったのでは無いかと思うのは当然だろう。
その専用機持ち達の何かが原因で完治したとの考察が有力で、そう考えれば最終的に
のある重症患者の潤が完治して。
それもタッグトーナメントで負傷した、まるでミイラ男の様に包帯を全身に巻く必要
からだ。
今さらこの話題が盛り返してきたのは、夏休み初日に1030号室に潤が帰ってきた
色々推測がなされたが、本人たちも口を噤んでいるので何もわかっていない。
専用機をプレゼントされた箒を含めに何かあったらしい。
合宿で専用機持ち達、一夏、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラ、直前に束博士に
今やIS学園は夏休み。
1│3 夏の思い出・女学院にて
603
だが⋮⋮、もっと、もっと、1030号室に居座る顔なじみのメンバーに直接的な影
響を与えているのは⋮⋮
﹄という状態になってはぐらかされる。
!
人間ではなかったはずなのだ。
れば仲良く話をしている間に一人で寝始めたり、その後に喧しく絡めば拒絶するような
けだったり、話しかけても一切の受け答えをしないで無反応を貫いたり、消灯時間にな
1030号室で何時もの三人が喋っていても、何も反応せず黙ってただ座っているだ
中では抜群に気が利く性格だった。
少なくとも潤という人間は、自分とよく接する人との関係を大事にするし、同世代の
しかし、実際問題これはきつい。
れよ。 ちょっと経てば元に戻るさ、と明るく笑った。
そこはかとなく聞きやすい一夏は、あいつは疲れているんだから、少しほっといてや
す
事情を知ってそうな専用機持ちにこぞって訊けば、雰囲気でもって﹃言いたくないで
人である。
感傷に浸っているなんてレベルじゃなくて、一学期の潤を知っている人からすれば別
潤が、たそがれている。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
1─3 夏の思い出・女学院にて
604
あまりにマイナス感情が駄々漏れの雰囲気がいたたまれず、1029号室に本音がお
邪魔している有様である。
﹂
?
鈴本人のコメントでは│││。
らしい。
最も潤と仲の良い鈴は、今回に限って専用機持ち達全員から絡むのを止められている
セシリア、シャルロットは、わたくしたちには良くわからない問題で、と閉口中。
一夏、箒、ラウラ、本人がどうにかするしかないというスタンス。
織斑先生、特大の地雷の上に立たせてしまったと、謎にしょげていた。
何とかしてくれそうなメンバーを思い浮かべる。
﹁おぐりん、どうにか元気にしてあげたいなー﹂
﹁だけど、本当に気にかかるのはどうしてああなっているのか、だよねー﹂
﹁ふーん﹂
ちょーなんて接触自体禁じられているらしいし﹂
﹁かいちょーは何か知っているらしいけど、話してくれないと思うよー。 それにかい
﹁会長から何か聞いてないの
﹁怪我が治っているのもそうなんだけど、あれはちょっとねー﹂
﹁小栗くん、どうしたんだろうね﹂
605
﹃馬鹿馬鹿しいことに答えは出ているのに目を逸らしているだけなのよ。 何を迷って
いるのか知らないけど、自分が自分でない状態でいくら悩んでもしょうがないのに、重
症よねー﹄
自分が自分でない
﹂
とラーメンすすりながら言っていた。
﹁迷っている
?
どちらも訓練や勉強の為にやっている感じがする。
飲むときは兎も角、準備中はイライラしているように見えるが。
読書とジョギング
?
趣味、紅茶
好物⋮⋮何回かお弁当を作ってあげたが、好き嫌いはしなかった。
本音の言葉に、ちょっとよく考えてみる。
いるけど、おぐりんのことそんなによく知らないもん﹂
﹁確かに、おぐりんそのものらしさって少ないよ。 だって四ヶ月近く一緒に暮らして
?
?
﹂
?
﹁言い方はあれだけど、虐待されて育ったペットみたいに、自分を抑制する癖があるのは
﹁本音
﹁自分らしさ出してしまえばいいのに、か⋮⋮﹂
二人そろって溜息。
﹁⋮⋮みたいね﹂
﹁私たちって、結局おぐりんのことは、なーんも知らないんだね﹂
1─3 夏の思い出・女学院にて
606
確かだけどねー﹂
﹂
?
一体何を見てしまったのか、好奇心につられて画面を覗き込んだ癒子と本音を誰が責
タイプしようとしている指先が震えている。
んでいる様子だった。
固まっていて、少しばかり冷や汗をかいている彼女は、画面を見てどうしたもんか悩
一人PCの前で固まっているナギに目が留まる。
﹁で、ナギは何やっているのよ﹂
改めて考えれば、何時こうなっても変じゃなかった。
配慮が出来る。
卒業後は研究所で一生を過ごすかもしれないのに、平然と生活をするどころか周囲に
では二十四時間監視をされる。
自分の過去を知っている人は誰もいないばかりか、世界中に記憶を否定されて、学校
﹁⋮⋮なんか、考えれば考えるほど不憫だよね。 小栗くん﹂
ベッドで縮こまって泣き出す姿は、まるで小学生、子供みたいだった。
本音の頭には、夜に魘され、洗面所で嘔吐していた潤の姿がよみがえる。
﹁おぐりん、子供のころに結構色々あったみたいだよ﹂
﹁そ、そうなの
607
められようか。
画面にはメッセンジャーが開いており、その会話は││
<kanakana> : お姉ちゃん、サンタ・マリア女学院IS試乗会の一日目が
終わったよ∼
<kanakana> : 今年も二機、なんとか例年と同数まで持っていけて、私も
それなりに乗っちゃった
<ジョインジョイントキィ> : 本当は一機だったんだけど、他の企業が直前になっ
て名乗り出たらしくて増えたんだっけ。 おつかれちゃん
<kanakana> : 宣伝の場に利用されているだけだけど、生徒からしたら関
係ないからね、ラッキーってだけ
約束覚えてるよね
<ジョインジョイントキィ> : 生徒会長として恥ずかしい行動だけはしないでね
<kanakana> : そんな事はどうでもいいよ
<ジョインジョイントキィ> : 難の事
!
<kanakana> : ふふふ、動揺がタイプに現れているよ
嘘なのかな∼
?
<kanakana> : 彼氏が居るから、連れてきてくれるって約束。 もしかし
ていないのかな∼
?
1─3 夏の思い出・女学院にて
608
<ジョインジョイントキィ> : 嘘じゃないよ
そうだけど、とっても優しい人だよ
ちょっと気難しくて、ちょっと怖
!
<kanakana> さんが退室されました
﹂
﹂
!?
﹁あ、あんたね、何見栄はっちゃっているのよ﹂
﹁││ だ、だって、カナが二年生の時に彼氏が出来たって自慢してきたんだよ
﹁それでなんでIS試乗会に連れて行くって話になっているの
<kanakana> : 一月も前からのことだからドタキャンとか許さないから∼
分からない
<ジョインジョイントキィ> : でも最近色々あったらしくて連れて行けるかどうか
!
お、お姉ちゃんとして直ぐに彼氏作ってみせるって言ってもしょうがないじゃん
!
現在潤が在籍しているIS学園の全校生徒、その日本出身者の三割がこの学院の卒業
込んで生徒にISについての勉学を育むカリキュラムを用意した。
サンタ・マリア女学院はISが競技に用いられる事になった後、積極的に人材を囲い
院である。
ナギが中学時代在籍していたサンタ・マリア女学院は、国内屈指のIS関係者排出学
﹁うっ││そ、それは﹂
?
!
609
生であることからサンタ・マリア女学院がいかに優秀か分かる。
そのサンタ・マリア女学院は、知識をより深くするために年に二回、ISに試乗でき
る会を設けていた。
普段整備や基礎知識を学ぶしかないIS専用コースの生徒からすれば、直接機体に触
れ合う事の出来る晴れ舞台でもあり、企業からすれば自社がISを保有している優良な
企業であると宣伝する場となる貴重な会でもあった。
﹂
﹁サンタ・マリア女学院にはちょっとした決まりがあって⋮⋮﹂
﹁決まり
?
なんと、その文化祭で、事もあろうか恋愛なんてしたことのないナギの、その妹のカ
しのオンパレードになる。
彼氏のいる生徒はほぼ強制的に連れてくるのが決定されており、印象が悪いとダメ出
この文化祭で彼氏をお披露目するのはちょっとしたステータスなのだ。
サンタ・マリア女学院の生徒は、女子高である関係から恋愛ごとは神聖化されていて、
人が集まる。
その試乗会だが、一般生徒からすればただの文化祭と同一であり、当日は外部からの
りが﹂
﹁か、彼氏が出来た人は、文化祭にその人を招待して、皆に披露しなければならない決ま
1─3 夏の思い出・女学院にて
610
ナが卒業直前の冬の文化祭で彼氏を連れてきた。
半年ほどで別れたらしいが、未だ恋愛をした事のない姉のナギに向かって自慢げにか
つ満足げに胸をはった妹に対し、ナギはショックでついついこう言ってしまったのだ。
﹄と。
!
!
﹁で、何時なの、この試乗会
カレンダーを見る。
﹁一般開放は日曜日﹂
明日だった。
﹁もう駄目じゃん﹂
﹂
いや、文化祭だっけ
﹁この仮想彼氏って、おぐりんだよね
﹁そうだけど⋮⋮﹂
?
?
﹂
﹁あああああ⋮⋮。 どうしよう⋮⋮、今さらウソでしたなんて言えない﹂
祭に連れて行くことが決まってしまった。
誘導尋問されて潤を彼氏の様に歪曲し、トントン拍子に今度の試乗会、つまりは文化
あら大変。
そして、潤と親しくなったのをいいことに、さぞ彼氏が居るかのように振る舞ったら
るよ
﹃お姉ちゃんだって、作ろうと思えば何時でも作れるんだから 夏には披露して上げ
611
?
﹂
﹁頼んでみたら
﹁えっ
﹂
?
でみたら
それにおぐりん専用機持ちだからね﹂
﹁だから、一般開放の日曜日の文化祭で、彼氏の真似事をして一緒に来て下さいって頼ん
?
アニマルセラピー、そこからヒントを得て思いついた。
ようになるそうだ。
そこには犬猫も沢山いて、動物に接しているうちに心に傷を負った人も笑顔を見せる
施設が日本には至る所にある。
虐待にあったり、親が死んだり、そんな事情の上で身寄りのない子供が暮らしている
色々潤が心配だが、あのままでいても簡単には解決しない事は明白である。
?
は勝てなかった。
が、たった一度しかない十五歳の夏を、特別な思い出に昇華できるかもしれない欲求に
代わりに今度癒子が潤と遊びに行くことの手伝いをさせられる事となったがナギだ
曜日にサンタ・マリア女学院正門前十時に待ち合わせする約束を取り付けた。
その後、1030号室に移動した三人は、何とか意気消沈気味の潤に事態を説明し、日
﹁本音、あんたって最高だわ﹂
﹁名案かも⋮⋮﹂
1─3 夏の思い出・女学院にて
612
│││
九時四十分。
サンタ・マリア女学院、文化祭の総合受付のある正門は人でごった返していた。
企業関係者、ISを見に来た他学校の友人、ほぼ全員が女性で構成されている中、端っ
こで塀にもたれ掛る黒一転。
待ち合わせ時間二十分も前だが、遅刻するよりは待っていた方がいいと言うのが潤の
信条であり、暇を持て余しついでに三十分から始まった受付の騒動を傍観していた。
時折り盗撮目的や、面白半分で来た男もいるものの、受付付近にいる教師たちに阻ま
れていた。
﹂
?
女性優遇を食い物にする勘違い女に何度か話しかけられるが、ドイツ語で話すと何処
﹁ソ、ソーリー、ソーリー﹂
﹁Mach dich nicht lustig﹂
﹁え
﹁Mach dich nicht lustig﹂
﹁そこのあなた、ちょっと私の代わりに受付に並びなさい﹂
613
かに逃げていく。
からかうんじゃないと小馬鹿にしているのになんと心の広い連中だろうか。
日本人が外国の言語に対して弱いと言うのは本当らしい。
ドイツ語に英語で返すとは呆れてものも言えないし、もう少し発音を何とかしろ。
﹂
今度は小柄な、恐らくは女学院の生徒らしき女性に話しかけられた。
﹁そこのあなた﹂
﹁││なにか用で
チケットの確認をさせて貰いたいのだけど﹂
そっくりで、ミニナギと命名するに相応しい姿だった。
黒髪の編み込みポニーテール、青色よりの黒い瞳、待ち合わせ中のナギに髪型以外
先ほどから何度も行っていた手段が通じない相手に面倒になりながら顔を上げる。
ドイツ語で話しかけたらドイツ語で返ってきた。
﹁誰かの招待で来たのかしら
?
?
というより国が発行してくれないと言うか、身分の置き場に干渉できないと言うか、
﹁⋮⋮持ってない││いや、どこも発行してくれないから持ちようがないな﹂
﹁でしたら身分証を掲示して下さい﹂
ている﹂
﹁連れが二枚持ってくる予定なんだ。 十時に待ち合わせだからその時に伺おうと思っ
1─3 夏の思い出・女学院にて
614
それは問題にしかならない。
しかし、そんな理由などつゆ知らず、身分証を持っていない事を知ったミニナギは鬼
の首を取ったような表情で息巻いた。
受付付近にいたジャージ姿の、恐らくは体育教師を招くと尋問を開始しようとする。
﹂
しかし、接近してきた教師は、潤の顔を見ると勢いをそがれ、怪訝な顔つきで考え出
す。
﹁先生
よ﹂
﹁鏡カナ﹂
!?
!
﹁色々あって寮に居たかったんだがな、﹃お姉ちゃんとして妹の頼み事は断れないから﹄
﹁わ、私ですか
﹂
﹁しっかりして下さい、先生 身分証が無いなら誰の招待かくらい言ってもらいます
インパクトのある報道は中々消えない。
七月半ばになれば記憶も大分薄れるとはいえ、世界で二人目の男性IS適合者なんて
四月には盛んに報道された身である。
﹁でしょうね﹂
﹁はて、何処かで見たことがあるような⋮⋮﹂
?
615
だそうだ﹂
││カナ
何しているの
﹂
﹁あ、あ││あああぁぁぁ、お、お姉ちゃんの││か、か、彼⋮⋮﹂
﹁小栗くん、ごめん、待った
?
?
充分美形だと判断できる顔つき。
やや痩せ形なスタイル、筋肉質な両腕、がっしりした肩、少し哀愁を漂わせているが
ミニナギがわなわな震えながら、私服姿の潤とナギを交互に見る。
﹁いや、ほんの二、三分前に来たばっかりだ。 さほど待ってない﹂
?
そして、全世界中でたった二人だけの、男性においては最高に希少価値の高いステー
タスを持つ特別。
﹂
!?
一体どんな男を連れてくるのかと思って正門で待ち構えていたら、姉がとんでもない
生徒会室に備え付けられた椅子に座って、机に突っ伏した。
﹁信じられナ∼イ⋮⋮﹂
に。
隣ではこんな所で何をやっているんだ俺は、と自分に呆れている潤が居るとも知らず
その声を聴いてナギが潤の隣で胸を張った。
﹁ど、どんだけえぇぇぇ
1─3 夏の思い出・女学院にて
616
相手を連れてきた。
受付を済ませると、洗練され、自然な動作で姉の手を取ると学院の中に入っていった。
潤と千冬以外知る由もないが、貴族の屋敷で本格的なエスコートの知識や、貴族への
﹂
接待の仕方、騎士道精神を叩き込まれているのでちょっと手慣れているのだ。
﹂
普通の男性と比べれば歴然の差である。
﹁会長、どうしたんですか
二年生の副会長が紅茶を差し出してきた。
突っ伏したまま右を向いて視線を合わせる。
﹁お姉ちゃんが男連れてきたー﹂
お姉さんって、IS学園に入学した、あの
!
﹂
?
最初﹃小栗くん﹄と呼んでいた姉に対して、男が耳元で何かを言って、その後から﹃潤﹄
﹁⋮⋮いや、仲が良いだけの替え玉かもしれないから、彼氏︵仮︶かな﹂
﹁男って、やっぱり彼氏ですか
副会長も目の前の会長の姉が、その尋常でない狭き門を潜った事は知っている。
もしも合格しようものならば学院全体に名が知れ渡ってもなんら不思議はない。
に入学できる生徒は稀である。
いくらサンタ・マリア女学院がIS学園へ多数卒業生を送り込んでいたとしても実際
﹁えっ
?
?
617
と呼び方が変わった。
その時の姉の照れ方といったら、顔を赤くして、視線は落ち着かず、黙り込んだ後に
潤、潤と事あるごとに連呼している。
つまり││今まで姉は名前で相手を読んだことが無かったのだと推測できる。
そこを考えれば仲が良いだけの相手を、彼氏代わりの替え玉と推測することも出来る
が⋮⋮。
このIS試乗会は、一般コースの学生からすれば文化祭と同じである。
普通科のクラスでは出し物を用意している。
気合の入った姉の服装を褒めた件、考えが正しければ彼氏の替え玉なのだから名前で
呼ぶように言った件、手を取って歩いても問題ないくらいの関係である件。
﹂
どうみてもただの友人ではありません。 本当にありがとうございます。
﹁もしかしてお姉さんのお相手は顔見知りですか
この学院に、小栗さんが﹂
﹂
﹁たぶん、この学院のISコース所属なら一度は名前を聞いたことがあると思うよ
⋮⋮居るんですか
だって、あの小栗潤だよ、小栗潤﹂
﹁は
?
﹁うん。 たぶん今頃は姉と手を繋いで各クラスを周っていると思うよ
?
?
?
?
﹁やっぱり信じられナ∼イ⋮⋮﹂
1─3 夏の思い出・女学院にて
618
今頃﹃はい、あ∼ん﹄とかやっているのだろうか、リア充死ねばいいのに、とカナの
中で姉に対する怨嗟が巻き上がる。
﹂
かもしれませんし﹂
﹁追っかけて観察するだけです
?
同じ出し物をする場所に入れば話しかけてもらえる
軽いパニックと好意に振り回されて、頭が全然働かない。
ナギは混乱していた。
かくして、生徒会主導によるナギへのストーキング行為が幕を上げた。
﹁⋮⋮うん、中々いい考えじゃない。 では行くとしましょう﹂
!
﹁というと
﹁勿論知っています。 ようは話しかけなければいいんです﹂
だ。
ここでいう決まりとは、
﹃連れてきた彼氏には極力話しかけてはいけない﹄というもの
他にも幾つかある。
サンタ・マリア女学院の決まり事、それは﹃彼氏が居るものは文化祭に連れてくる﹄の
﹁⋮⋮気持ちは分かるけど、サンタ・マリア女学院の﹃決まり﹄があるじゃない﹂
﹁会長、私、興味があります﹂
619
朝からずっとこの調子である。
﹄
名前で呼ばないから妹が怪しんでいるぞ﹄
﹃ところで、その﹃小栗くん﹄って呼ぶのは不味いんじゃないか﹄
﹃な、何のこと
﹃彼氏の代替えなんだろ
そして今││
ずかしい。
気付かれるし、││手を放そうか、と言う問いかけに全力で断って少し笑われたのも恥
なんか在校生が後ろからストーキングしてくるし、更に顔色が赤くなっているのには
が取られて頭が働かなくなってきた。
そして受付が済んだら何気ない動作で手を取られ、しっかりと握られている手に意識
い気恥ずかしくなった。
なんか、恋人の代替えなのに、本当に恋人になったかのようで、頬が赤くなってしま
潤と呼びかけるとむずむずする。
しかし、今さら名前呼び捨ては、恥ずかしい。
確かに恋人に対して名字に君付けはちょっと微妙と間違われるかもしれない。
?
?
時間帯が昼過ぎになったので、喫茶店を開いていたクラスに入って休憩中である。
﹁はい、あ∼ん﹂
1─3 夏の思い出・女学院にて
620
餌を待つ小鳥の様に口を開くが、集まる視線と、乙女の気恥ずかしさと躊躇いから小
さい開口だった。
口に運ばれてきたフローズンヨーグルトを口の中で転がすが、味の細部なんてどうで
もいい。
量産された五個三百円のアイスだろうが一口千円以上の価値に匹敵する。
あ∼、昔、セシリアとは違うけど、貴族のお屋敷で執事の真似事をしていた
?
﹁ふ、ふ∼ん﹂
?
なのだ。
それが意味することは分からないが、その表情は部屋で感傷に浸っている様子と同じ
時々潤が、凄く悲しそうな顔で、此処でない何処かを見ているような気がする。
しかし、そんな沸騰寸前の頭でも、少しだけ気にかかることもある。
と、顔が赤くなってしまって元も子もない。
にやけきった口を隠すためだが、きっとそれも見抜かれているかもしれないと思う
ハンカチで口を拭う。
││私死ぬの
幸せすぎて泣きそう。
時がな。 紳士の振る舞い方とかは、その時に自然と身に付いたんだ﹂
﹁││ん
﹁ね、ねぇ、なんか手慣れている感じがするんだけど⋮⋮﹂
621
何故か知らないがそれが無性に悲しい。
﹁潤、もしかして、まだ体の調子が悪いの
﹂
﹁⋮⋮まさかナギに感付かれるとは⋮⋮⋮⋮。 ままならないものだ﹂
?
﹂
﹁臨海学校で何かあったんだよね 専用機持ちが全員参加したってことは、もしかし
て、潤も
?
しかけて
﹄と継続して訴えかけている。
潤が視線を向けた事を察した数人がすぐさま目をそらしたが、雰囲気だけは﹃早く話
きた女子たち、││その数廊下を埋め尽くさんとする程││が集まっていた。
ちらりと廊下に目をやると、IS学園で過ごした初日の如く珍しい物見たさにやって
それに気がめいる理由は他にもあってだな││﹂
﹁確かに色々あったが、守秘義務が発生するような案件だ。 簡単には話せないさ。 ?
!
に迷惑だから移動しよう。 次は何処に行く
﹂
﹁はて、間違いは言っていないつもりだったのだが。 さて、そろそろこのクラスの生徒
﹁それには私も異議を申し立てます﹂
ぱり姉妹なんだな﹂
﹁初日のナギも似たり寄ったりだったじゃないか。 行動も反応もそっくりとは、やっ
﹁カナ⋮⋮、なんで、先頭に⋮⋮﹂
1─3 夏の思い出・女学院にて
622
?
﹁えーと、校庭でISコースの為の試乗会でも見に行く 例年通りならちょっとした
競技種目が用意されて、一定以上のスコアを超えると景品が出るよ﹂
?
簡易型遮断シールドでは戦闘用の衝撃には耐えられない様なので、人間っぽい形をし
体と待機中の打鉄を見る。
まさか、こんなに本格的にやっていようとはと、恐らくは学生が操っているだろう機
いる遮断シールドの移動用簡易型が目に入った。
料理部や茶道部などが出店している中庭を抜けると、IS学園のアリーナに施されて
く。
支払いを済ませて廊下に出ると、モーゼが海を割った伝説の如く人混みが裂けてい
消費する機会が少なく、入ってくる額は常に一定なので貯まっていく一方なのだ。
無く安易に学園外に出ることが出来ない。
今回のサンタ・マリア女学院に入る時もそうだったが、潤には身分を立証するものが
金が貯まっていたので放出中である。
こういう手合いの場合男が支払うという考えもあるが、月単位で支払われる生活補助
財布からナギの分も含めて支払いを済ませる。
うもならないだろう﹂
﹁ならそこにしよう。 クラスに入るたびに廊下がこれじゃあな。 広い校庭なら、こ
623
た標的が次々と飛び出してきたのを模擬弾で撃つ演習を行っているようだ。
軍隊の訓練とどう違うのだろうか、と疑問になるが敢えて言うまい。
目を輝かせるナギの視線の先には、景品となっているおよそ百五十はありそうなテ
﹁あ、可愛い∼♪﹂
ディベアが鎮座していた。
どうやら今回の景品は、標的を最後まで打ち落としていって、ゴールにまでかかった
時間を競うものらしい。
そのタイムが一定以上だった人には景品が送られ、その基準タイムは⋮⋮、これは酷
い。
﹂
?
PICが五割以上オート設定なのか素人同然のタイムになっている。
﹁欲しいのか
?
企業側が男性パイロットを観察したいというのと、生徒側が専用機を見たいのと、I
結論、申請したら簡単にOKが出た。
﹁問題は一般参加できるのかどうかなんだが、専用機持ちだし頼めばなんとか││
﹂
﹁││いいの
1─3 夏の思い出・女学院にて
624
S学園のトーナメントで優勝した生徒の機動を見せたい教師側、そして競技に参加した
い潤、関係者全ての思惑が一致した状態である。
勿論書類に記入を求められたり、事前に安全の確認の為に短い注意事項の講習を受け
させられたりした。
全部で三十分ほどかかったが、その時間で専用機持ちが試乗会に飛び入り参加します
と人伝いに噂が広まったのか、人が校庭に集まってきた。
現れた標的、その額付近に向けられた銃口だったが、競技用の模擬弾は寸分たがわず
速度を保ったまま切り返しを繰り返し、次々現れる標的に狙いを定めた。
動以上に小回りが利く機体である。
直線移動出来ないように障害物が設置されているが、そもそもヒュペリオンは直線移
た。
時にヒュペリオンの脚部パーツから赤色のナノマシンを僅かに噴出させ路上を疾走し
よってホバリング移動でもクリアできるように整えられた通路、その大地を蹴ると同
今回の競技は一定以上の高度に出る事が禁じられている。
歓声に迎えられて競技用、もしくは訓練用と呼ばれる会場に出る。
﹁あの時の決勝に比べればどうってことは無いさ、││じゃ、行ってくる﹂
﹁なんか、凄いことになっちゃってごめんね﹂
625
狙ったはずの額付近から外れて首付近に着弾する。
││照準がズレた
││しかし、この程度の誤差
全ての標的に模擬弾を命中させて、ゴールラインに到達。
移動しかしない的などこの速度で充分。
仮にもIS学園で専用機持ちを打ち破って優勝者に名を連ねた潤からすれば、単調な
!
割いているヒュペリオンが妙な機動を描いているのである。
それらが相まって、可変装甲に対応するために、機動にイメージインターフェイスを
不信。
束博士に対する敵対心、その博士が作り出した制御モジュールと、機体そのものへの
しかし、そこにUT相手に現行世代最速の空中戦を行った名残が無い。
白と黒、僅かに迸る赤が、まるで波に乗っているかの様に高速で横滑りして行く。
?
スキーかアルペンスキーを行う要領で移動し続ける。
﹂
だが、時間は進み続けているので動きを止める訳にもいかないので、フリースタイル
額付近とは違った場所に少しずつ離れた場所に着弾した。
若干怪訝な顔をするも、ヒュペリオンを横にスライドさせつつ更に四発放ち、今度も
?
﹁機動も重い。 イメージインターフェイスの影響か⋮⋮
1─3 夏の思い出・女学院にて
626
最終的なクリアタイムは十八.八二、これは目標タイム四十五.三〇秒を大きく上
回っており、企業側が選出したパイロットの十四.四四こそ下回ったが見事景品ゲット
という結果になった。
﹁ハーイ
景品ゲット記念に写真を取るよ
﹂
!
み込んで保管した。
その写真を受け取ると、ナギはカバンから女性物の手帳を取り出すと、大事そうに挟
ナギ。
ヒュペリオンを装着して気難しげな顔をした男と、気恥ずかしげにややうつむき気な
る。
二度シャッターを切られると、カメラからは二枚の写真が出てきて、一枚ずつ受け取
軽くナギと相談し、お言葉に甘えて記念に一枚もらっていくことにした。
教職員を示す腕章を付けた人に呼び止められた。
!
この糞暑い中、ご機嫌になったナギが人形に抱きつく。
﹁うん、当然だよ。 私の為に取ってくれたプレゼントだからね。 えへへ﹂
﹁そんなに気に入ったか、ソレ﹂
﹁わぁ、おっきい∼、ふかふか∼。 ありがとう。 本当にありがとう﹂
﹁ほら││景品のテディベア﹂
627
そんな折、ヒュペリオンを待機状態にした潤の所に人が集まってきた。
企業サイドの方々からヒュペリオンの追加武装云々の勧誘に巻き込まれ、生徒サイド
からは技量を伸ばす方法を尋ねられ、何人かには答えたものの付き合いきれなくなって
きたので学院を後にした。
巨大な人形を抱えるナギの歩みは遅く、IS学園行きのモノレールターミナルに辿り
着くころにはほんのり青かった空が黄昏かかっていた。
郵送で送ればいいやら、持つのを変わろうかなどと潤が申し出るも暖簾に腕押しと
いった様相を呈している。
半端な覚悟で剣を取ってしまったことは誤りかもしれないが、それまで確かに自分は
までずっと忘れていたんだって思い出した﹂
﹁昔、色々あったけど、嫌な事ばかりあったわけじゃなかった。 そんな簡単な事を、今
ナギが覗き込んできたので、あまり考えずに次の言葉に続けた。
中途半端なところで言葉を区切る。
﹁何度も言わんでいい。 それに││﹂
﹁休んでいたいのに、無理やり連れだしちゃって﹂
﹁何のことだ﹂
﹁││ごめんね﹂
1─3 夏の思い出・女学院にて
628
629
幸せだった。
紅茶の淹れ方、色々なマナー、接待の仕方など、その後色々ありすぎて全てが全て邪
魔に思えてしまった。
しかし、積み木の土台を壊したり、無くしたりすることは出来ない。
思い出は思い出としてあり続ける。
嫌な事に飲まれてしまったが、それで良かった思い出を無くしてしまっていい理由に
はならない。
ティアの事も、リリムの事も。
若干赤く染まったIS学園は、再び取りとめのない話をする二人を、暖かく迎え入れ
てくれるようだった。
後日、潤の机にたった一枚だけのツーショット写真が飾られているのを見つけられ、
癒子と本音に茶化されるのは別の話である。 1│4 夏の思い出・食堂にて
習慣を変えてみたり、何時もと違う行動に移してみたり、前準備を少し変更してみた
りしなければ人というものは変わらない。
とにかく、人が変わるためには決意や意志に関わるものではなく、ちゃんとした行動
に表れるものでなければならないのだ。
これを裏付けるかのように、著名な大学で修士号や博士号を習得し、世界の大企業や
アジア・太平洋における国家レベルのアドバイザーとして活躍している起業家の一人が
こう述べている。
この言葉の解釈は色々あるだろうが、大凡の人に伝わるのは﹃思いや考え方を変えた
最も無意味なのは﹃決意を新たにする﹄ことだ﹄
この三つの要素でしか人間は変わらない。
三番目はつきあう人を変える。
二番目は住む場所を変える。
一番目は時間配分を変える。
﹃人間が変わる方法は三つしかない。
1─4 夏の思い出・食堂にて
630
631
だけでは人は変わらない﹄という事だ。
ダイエットに置き換えると非常にわかりやすい。
痩せようと思って体重が減る訳はなく、深夜に取っていた食事を九時前に変える、運
動できる場所を探して体を動かす、食事を小食に変えてゆっくり食べる、などして行動
に移さねば変化は訪れないのだ。
長々前置きに割いたが、IS学園において、ある日を境にとても変わった人が居る。
クラス代表なのにクラス対抗戦は辞退する、何時も窓際で何かのプログラムを弄って
いる、暗くて、喋らないで、コミュニケーションを取らない生徒。
その生徒の名前を、更識簪という。
タッグトーナメントの練習期間前から少しずつ変化し始め、決勝戦後のドタバタを境
に一変。
怪 我 し た パ ー ト ナ ー の 為 に、毎 日 申 請 し て お 見 舞 い に 通 っ た り す る の は 序 の 口 で、
どっさり機械類を買い揃えてPDAまで作成する有様である。
相手の反応を思い浮かべているのか、気持ちがしぼんできたのか物思いにふける表情
に変わったり、ぱぁっと表情を明るくすると少し微笑んだりする。
出来上がった機械を手に、どこか嬉しそうに撫でながらデータをインストールしてい
る仕草など同性からしてみても可愛らしく感じる。
﹁ふふっ﹂
頭の中でどこまで進んだのか知らないが、ほわーっとした様な声で微笑む姿も入学初
日からしたら考えられない。
赤くした頬を両手で押さえて、左右に﹃いやんいやん﹄とかぶりを振って身悶えする
仕草など可愛くて仕方がない。
ここまでなら﹃恋ってすごいね﹄で済んでいるのだが、簪のルームメイトの話を聞く
にここ最近はもっと凄い。
合宿以後、どういう訳か知らないが小栗潤に合えなくなったのが関係しているのかも
しれない。
眼鏡用の投射ディスプレイに何かの動画を写しているらしく、休み時間でも希に見て
いるであろうそれ。
詳細は分からないが、何か嫌な事があって不機嫌になるとそれを見て、生徒会長に何
か言われた直後にそれを見て、何か嫌な事があるとそれを見ているようだ。
問題は見終わった後。
教室なら机に突っ伏して、部屋なら枕に顔をうずめて足をばたばた動かしてなんか悶
えているのである。
﹁もう駄目だわ。 気になって仕方がない﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
632
﹁おっ、ついに行きますか﹂
そして今日も、会長の妹さんなのだからと、普通の生徒相手にはされない簡単な用事
を教師陣に言われる。
簪の中では禁句に近い発言をされ、その場こそ何もなかったがストレス発散の為に、
簪はその何かを見つめていた。
見終わった後に、恥ずかしくなって枕に突っ伏すまで同じ動作である。
最近同じ光景ばかり見せられて、ルームメイト以上の付き合いが無かったクラスメイ
﹂
トも、その部屋に遊びに来たクラスメイトその二も奇行の原因を知りたがっていた。
﹁さっらっしっき、さん。 毎日何を見ているのかな∼
﹂
﹂
!
﹂
!
﹁あっ⋮⋮やっ⋮⋮ちょ⋮⋮や、やめ、やめてぇ﹂
﹁御用だ、御用だぁ
﹁チャンスだわ、眼鏡と端末を奪い取るのよ
そのままバランスを崩してベッドから落ちていった。
何かから自分を守ろうとするかのように両手で肩を抱える。
イトから声をかけられて現実に引き戻された。
恍惚とした表情から一転、普段からルームメイト以上の付き合いが無かったクラスメ
﹁っ⋮⋮
!?
?
633
小栗くんの専用機の映像⋮⋮ 強い、圧倒的に強い
抗議の声も空しく、女子高の様な悪ノリで襲い掛かられ、あっという間に諸々の道具
﹂
!
を奪われた。
⋮⋮
﹁お、おおう⋮⋮。 これはっ
!
なった結果が、例の奇行である。
﹂
ちょっと機嫌が悪くなれば、気晴らしの為に自分が助けられたシーンを見るように
あったのだろうが、自分がお姫様のように見えて気分が高揚してしまう。
マインドコントロール下の恐怖一転、救出後の心理的負荷の軽減という吊り橋効果も
像を貰い受けたのだが⋮⋮。
知人から恋愛対象として、意識の変化が起きたのがこのシーンだったので、記念に映
た。
UT戦に対するあらゆる情報は統制されていたが、なんとか簪はそれを確保してい
簪が姉に掛け合って頂いた、対UT戦の映像。
﹁だ、だめぇ⋮⋮、やめてぇ﹂
迎撃⋮⋮なにこれキュンキュンしちゃう﹂
﹁きたぜ。 ぬるりと。 ピンチに表れて救出、お姫様抱っこ、その状態のままミサイル
!
﹁六月末まで一緒に訓練とかしてたんだよね
!?
1─4 夏の思い出・食堂にて
634
﹁進展とか、何か無いの
﹁﹃潤﹄
﹂
﹂
教えてプリーズ
﹁い、いや、潤とは││﹂
!?
﹁もう名前で呼び合う関係に
!?
﹂
!
﹂
!
あると思います
さあ、吐きなさい、全部
﹂
!
かを奢る程度は度々あったがプレゼントと言うほどではない。
自分から頼んでパートナーになって貰ったので、訓練終了後にちょっとジュースか何
期待している様な事は、なにも⋮⋮﹂
﹁の、飲み物を買って貰ったり、手を握って貰ったりしたことはあったけど、⋮⋮二人が
!
﹁小栗くんと仲のいい女子が少ないんだから、数少ない一人の更識さんには話す義務が
﹁何もないのに、普通はこんな助け方しません
いくら学園全体で一夏の方に人気が傾いていても、それはそれ、これはこれ。
普段会話なんて殆どしないのに、友人同士の語らいの様に熱が入る。
恋バナの方が気になって仕方がない。
流石にUT戦の全容は収録されておらず残念がる二人だったが、そんな事より他人の
だ何も⋮⋮﹂
﹁い、いや⋮⋮、まだ、潤には言ったことは、な、ないけど。 それに、特別な事は、ま
?
635
十代特有とも言うべきが、他人の恋バナに好奇心を抑えられずに会話が弾む。
﹂﹂
しどろもどろになりながらも、何とか話をする簪に迫る二人。
そして奇跡のハーモニー。
﹁﹁手を握って貰ったところ詳しく
﹂
﹁病院でお姉ちゃんと偶然会った際に、ちょっとした成り行きってだけで⋮⋮﹂
!
本当に成り行きだけだって⋮⋮。 本当にただの成り行きってだけ
﹁だから、もっと詳しく
﹁そ、それだけ
で⋮⋮﹂
!
た。
その変化を見て、思った以上に男女としての進展が無いことを悟った二人が身を引い
鬱気な表情に変わる。
そういえばただの片思いだった事実に思い至ったのか、気持ちがしぼんだかの様に憂
!
﹂
?
織斑くんを狙うよりチャンスがあるんじゃない
﹂
﹁脈がありそうなのは更識さんを除いて六人、二人は織斑くん派だから実質四人か。 ﹁││と、なると、ライバルも少ない、わかるよね
﹁どう切り込んでも華麗に回避されると、陸上部に嘆かれるだけのことはありますね﹂
﹁流石小栗くん。 鉄壁ですね﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
636
?
追い詰める展開から一転、簪の恋を応援する内容に話が変わり、不思議な圧力から解
放された。
そうなれば一つの事柄で話す女子三人。
﹂
今まで話したことも無い関係だけれど、姦しい声で盛り上がる。
﹁六人って誰
とデュノアさんは織斑くん狙い﹂
﹂
﹁よく話題に出るけどボーデヴィッヒさんってどうなの
なんで仲良くなってるの
?
?
直線かも、って言われてるよ
﹂
?
?
﹁谷本さん、鏡さん、それと⋮⋮、いや二人は
﹂
﹁でも、その感情が﹃好き﹄にならないって訳じゃないし、一旦方向性が変われば後は一
えないけど﹂
﹁なんかごっこ遊びの延長って感じじゃない 二人とも兄妹と思っている様にしか思
簪からの話を吟味して、潤とラウラの関係を考える。
﹁よくわかんないけど病室であった時にはもう仲良くなっていた⋮⋮﹂
?
小栗くんの怪我の原因で、
﹁後の三人は転校してきた、凰さん、デュノアさん、ボーデヴィッヒさん。 でも凰さん
﹁谷本さん、鏡さん、布仏さん、この三人は入学初日から比較的仲が良かった面子かな﹂
?
637
﹁谷本さんはボーデヴィッヒさんと一緒のパターンで、ただの仲が良いってだけかな、恋
心はないって話だよ﹂
ン。 気はあるけど、間違いなく現状で満足してる﹂
﹁鏡さんは、あれだね。 ﹃ひっこみ思案な文系少女、近くにいるだけで幸せ﹄のパター
いくら世界中から集まる才女と言えど、その実噂好きの普通の女子。
特に男子二名が在籍している一組の話題は枚挙にきりが無く、あることないこと頻繁
に行き来する。
一夏の周囲は分かりやすい程に好意をぶつける面子で、あれはあれで面白さがある
が、他人の恋路関連を邪推する相手としては積極的な手合いが居ない潤の方が面白い。
もしも、何かあったら譲ってくれないかな、等としょうもないことを考えてしまった
最大の恋敵が、自分の従者とか、反応に困る。
は良さそうだったが。
確かに一回戦、アリーナで出会った時には本音を連れ添っていたけど、││確かに仲
しかも最大の障壁とは⋮⋮。
最初に聞いた時もそうだったが、何故ここで本音の名前が出てくるのか。
﹁目下最大の強敵だね﹂
﹁最後は⋮⋮布仏さん、だね﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
638
簪を誰が責められようか。
﹂
私理解できないけど﹂
Q.誰が、誰と、ルームメイト
A.本音が潤と。
余りに衝撃的な発言のせいで、なんか普段と違った口調になってしまった。
﹁││何言っているの
布仏さんと小栗くん、ルームメイトじゃない﹂
知らないの
﹁なんで、本音が⋮⋮
?
﹁えっ
?
?
!
ているだなんて││﹂
﹁⋮⋮えっ、嘘でしょ
嘘よね 嘘だよね
?
本音と潤が一緒の部屋で寝泊まりし
?
﹂
?
ぶった。
簪さん、そういう人だったっけ
﹂
﹁そんな冗談みたいな情報いらないからね、今なら怒らない。 冗談だよね
ね
!?
?
冗談だったって言いうの
!
?
冗談なんでしょ
!?
﹁えっ、なにこの迫力
﹁冗談でしょ
!?
﹂
虚ろな雰囲気だったが、突然再起動すると近場にいた女子の両肩を掴み、前後に揺さ
俯いて危うげな感じで小言を呟く簪。
?
﹁朝食も夕食も一緒に取ってるし、たぶん学園で一番小栗くんに近いのは間違いない﹂
四ヶ月も一緒に暮らしてるし、夏は恋の季節っていうし、何か進展あるかも﹂
﹁キスもしたことないし、そういう雰囲気にもなったことないって聞いたけど、そろそろ
?
639
﹁ちょ、ちょっと落ち着いて
﹂
?
﹂
ああ、昨日のことか。 気晴らしにもなったし、大した用でもなかった﹂
うどんを啜りながら取りとめのない会話をする。
﹁お前がそれでいいならいいんだけど。 お前無茶してないか
?
﹁多少、無茶はしている﹂
ざるに、ぶっかけに、温玉に、しょうゆに、釜揚げに、美味しくて胃に優しい。
ている。
IS学園の調理担当にうどん県民が紛れているのかうどんの種類に気合が入りすぎ
?
﹁ん
﹂
割って入ってこないだけ、彼女たちからすれば遠慮しているとも言える。
取り囲む専用機持ち四人組みも居るようだが、素直に諦めよう。
周囲で思い思いの時間を過ごしていた女生徒が、一際不穏な雰囲気を醸し出す一夏を
荒みきった心に、どう扱ってもいい知り合いが一人しかいないからしょうがない。
方々で話題をかき集めている男子二人は、現在食堂で遅めの昼餉を取っていた。
更識簪││普段大人しくとも彼女は更識家の血縁者であった。
!
﹁そういえば、さっそく連れまわされたって聞いたんだけど本当か
1─4 夏の思い出・食堂にて
640
﹁そういうの、あんまり良くないぞ﹂
たわけだ﹂
﹁お前がそれでいいならそれでいいさ、││ん
?
間違いではなかっ
?
はおろか、この私にすら追いつくことは出来んぞ﹂
﹁はいはい、分かってますよ﹂
?
﹁仲良くなどなってはいない。 ただ、お兄ちゃんが全力で戦った唯一の相手が私だけ
﹁なんだ、お前ら。 何時の間に仲良くなったんだ
﹂
﹁相変わらずの間抜け面だな、織斑一夏。 こんな所で怠けていては、教官やお兄ちゃん
潤の隣に座ったので、スペースを空ける為に一夏と潤が少しずつ移動する。
悔しかったり、羨ましかったりするのであれば自分たちもそうすればいいのだ。
専用機持ち達の席から、不穏な気配を感じ取ったがあえて無視する。
浮かべている。
聞き耳を立てて、二人を伺っていた周囲の女生徒が、出し抜かれたとばかりの表情を
円状になっている机にラウラが割り込んできた。
﹁相席良いか﹂
﹂
いかないと何も変わらないからな。 それに大分回復しただろ
﹁と言っても、もう何日も休んだんだ。 何か行動に移して、やり方や、あり方を変えて
641
だったからな、こいつはお兄ちゃんとの実力差を図るために私に接触してきたにすぎ
ん﹂
頼りたくなるくらい強くなって見せろ、と以前言った事を本気で実施しようと思って
いるらしい。
結果は││勝ち誇るラウラに、苦々しい表情の一夏、これ程わかりやすい結末は無い
だろう。
﹁話がそれたが、無茶だとしても逃げて目を逸らしたって何も変わりはしない、傷は隠し
ても膿んでいくだけなんだ。 ││そうだな⋮⋮、もしお前の目の前で、戦友がトラッ
プにかかって下半身丸ごと吹き飛んだとしよう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
逃げる事も可能であるのにだ﹂
種類や対策を別の戦友に伝えることも可能で、襲来した敵兵と応戦すらことも可能で、
のめされているだけでは、何れやって来た敵兵に包囲されて自分も死ぬ。 トラップの
は良いだろう、その亡骸を手にして涙するのもいいだろう、だが、そのまま蹲って打ち
た敵兵がやってくる。 それも四方八方からだ。 長年連れ添った戦友の死を嘆くの
﹁その時、戦友の亡骸を抱いて嘆くだけでは、何れトラップにかかった戦友を偵察しに来
﹁物騒だな﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
642
﹁可能性があるならば、どんな単純なことでも、出来る事を何か一つでもやっていかなけ
れば何も解決はしない。 昨日のナギの件を受け入れたのは、行動に移すのに丁度いい
と判断したからだ。 時間が経って、手札がどんどん無くなって、気付けば何の変化も
なく状況が最悪の方に向かってしまう。 それほど馬鹿げた事はあるまい﹂
そこで聞き耳をたてている専用機持ち達、お前らと一夏の関係だ。
﹂
?
ラウラも千冬に出会う前は、ISに関しては落ちこぼれだったと聞くし、一夏にとっ
言葉に棘こそあるが、雰囲気は以前ほどではない。
ライバルの様な関係を築いているように感じる。
これは、随分面白い関係、一夏にとって今までにないクラスメイトとの関わり合い方、
合っている。
潤の話は一旦置いておいて、二人がISに関する技術的な話や、訓練方法などを話し
﹁⋮⋮一理、あるのか
近戦への切替え、ISでも同じことが言えるんだぞ﹂
﹁私は意識の切替えの悪さを言っているのだ。 雪羅の荷電粒子砲とバリア、剣での接
﹁良いじゃないか、平和ボケ。 戦争ばっかりで荒むよりいい変化だと思うね﹂
﹁今の話は真理だぞ。 お前がそう思うのは平和ボケした日本人ならではだな﹂
﹁随分手厳しい言葉だな﹂
643
いいのか
﹂
?
ていい影響になるに違いない。
﹁所で、その用って鏡さんと二人で、だったんだよな
﹁何がだ﹂
?
﹁いや、だって簪さんだったっけ タッグトーナメントでの潤のパートナーの子、どう
﹂
考えてもお前のこと好きだろ﹂
﹁⋮⋮は
?
先ほどより重厚に。
る。
飲み物を拭きだしたり、むせ返ったり、机に額をぶつけたり、そして再び注目が集ま
男子二人の会話に聞き耳を立てていた女子が、一斉に不思議な踊りをし始めた。
?
ている人が居るのに、別の人と二人でなんてかわいそうじゃないか﹂
﹂
﹁お、おま、脳に、お前の頭に異性の好意を認識する力があったのか
﹁当然だろ。 あれだけあからさまなら﹂
鈴に謝れ
﹂
!
?
﹁⋮⋮││あ、ああ、あ、⋮⋮謝れ
!
﹁な、なんだよ急に、なんで鈴が出てくるんだよ
!
?
シャルロットにも謝れ 今す
!
!
﹁煩い ついでに箒に謝れ セシリアにも謝れ
!
﹂
﹁なんか俺は嫌われているみたいだから直接話してないけど、そういう風に思ってくれ
1─4 夏の思い出・食堂にて
644
ぐ誠心誠意謝ってこい
﹂
﹂
?
﹂
外の三人が殺意の衝動に身を委ねかねない。
﹁謝れって、なんでだよ
ないない﹂
﹁なんでって⋮⋮。 た、例えば鈴がお前に好意を抱いているからとか
﹁ははは、ISで殴りに来る奴がか
﹁箒は
﹂
これは酷い。
食堂の一角から凄まじい殺気があふれ出た。
?
再び異様な気配が食堂の一角から場を侵食していく。
察しのいい女子が徐々に食堂から逃げていく。
﹂
潤も逃げ出したかったが、ここで逃げたら後が怖い。
﹁⋮⋮シャルロットとセシリアは
?
﹂
言ったら最後、一夏の動向次第ではシャルロットが、シャルロットは良くてもそれ以
慌ててラウラの口を塞いで言い聞かせると、こくこく頷いて了承してくる。
﹁言うな、言っちゃだめだ。 良いな
﹁もしかしてシャルロットは││むぐ﹂
!
?
﹁鈴と同じく。 あいつは木刀だけどな﹂
?
?
645
﹁お前は知らないだろうけど、二人からも殺されかかってるからな
﹁ははははは﹂
﹁││何時か本当に殺されるんじゃないか
﹂
﹂
﹁ははははは。 そんなに大事みたいに言うなよ﹂
ブルー・ティアー
﹁お前に女心を説かれる日が来るとは⋮⋮、落ちぶれたもんだな、俺も﹂
よ﹂
ズ と バ イ ル バ ン カ ー で。 な い な い。 俺 の 話 は も う い い だ ろ、お 前 は ど う す る ん だ
?
一夏は駄目だった。
まって、何とかISを展開した四人を振り切った。
首根っこを掴まれて後ろを向いていたラウラが、AICで援護してくれたことも相
紛れもなく、ここは戦場だった。
戦場の彷彿とさせるような憎しみが、魂を通じてダイレクトに伝わってくる。
逃げ出す。
怒声、怒号、悲鳴、叫び、しかも一夏周りで良く聞く声色を四つ耳にしつつ、全力で
﹁何時か、じゃなくて││今日かもしれないがな
!
?
食堂から少し離れた場所でラウラを下す。
﹁ふぅ、奴の異常な感性で酷い目にあった﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
646
三時ごろのロビーは空調が効いているにもかかわらず、ドアの開閉がある度に熱い気
﹂
温が流れ込んでいるせいで人は少なかった。
﹁それで、どうするのだ
﹁何がだ﹂
﹂
?
﹂
?
ジェと呼ばれる措置が施されている。
ラウラの左目を覆う眼帯、その瞳にはISとの適合性向上のためヴォーダン・オー
その言葉を聞いてラウラが押し黙る。
﹁ラウラにとっての、織斑先生に対する状態と同じだ﹂
﹁軽度対人依存症
﹁簪にな、軽度対人依存症の兆候が見られる﹂
じたい。
何故だか知らないが、簪が例の四人同様に強かになった光景が浮かんだが、幻覚と信
流石に簪はああならない筈、たぶん、そう信じたい。
今しがた逃げてきた食堂の方向に頭を振る。
﹁時間を置きすぎて、ああなっても知らないぞ
﹁⋮⋮俺から簪に対する感情は隅に置いといて、少し様子を伺おうと思っている﹂
﹁簪とやら、││トーナメントでのパートナーだったな﹂
?
647
1─4 夏の思い出・食堂にて
648
その能力を制御しきれず、以降の訓練では全て基準以下の成績となってしまい、軍か
らは出来損ない扱いされ、存在意義を見失っていたが、赴任した千冬の特訓により再び
強者に返り咲いた。
この経緯から、ラウラは千冬を尊敬して﹃教官﹄と呼んで親しんだが、その千冬に汚
点を付けたという理由だけで一夏を敵視し、彼を排除しようと画策した。
情報の出所が殆ど本音と言うあたり、少しだけ気が引けるが、情報を整理すれば簪に
も似たような事が言える。
幼い頃から優秀な姉と比較され続けて心が鬱屈し、しかも簪本人は他人に対して能動
的な行動を取るのは甘えであるとの考えから泣き言を言えなかったため、徐々に心を閉
ざしていった。
そんな境遇から、
﹃誰かに認めて欲しい﹄という欲求と、
﹃自分を助けに来てくれるヒー
ロー﹄という憧れが、彼女の中で渦巻いていただろう。
更に、欲求を満たす相手は、姉の手が一切入り込んでいない人でなければならず、更
に当の本人は内気で臆病、他者を遠ざける傾向があるという、欲求を叶えるのは不可能
な状態に陥っていた。
そんな中で行われたタッグトーナメント、日本代表候補生としての力量を頼みに一人
の生徒が接触、﹃自分にしか出来ない事﹄という理由を持って。
そこまでなら、ただの仲が良い友人になった程度で済んだかもしれない。
尤も、その相手が、自機に着弾すれば死亡の可能性もあった攻撃から身を挺して守っ
てくれて、魂魄の能力者からの精神汚染から救われ、再度行われた攻撃から救ってくれ
た。
光が差し込まない暗闇に投げ込まれた一筋の光、地獄に垂れ下がった蜘蛛の糸、十年
近く無かった握ることのできる手、IS学園に来てようやく欲求を満たしてくれる相手
を彼女は見つけたのだ。
その相手が、簪の中でどれほど影響力を持つかは想像に難しくない。
﹂
?
﹂
?
いに時間を割いたり、PDAを触れていなければ不安を抱く。
自分を認めて欲しいと思い、専用機の作成よりPDA作成を優先したり、潤のお見舞
﹁それを精神的に依存していると言う﹂
﹁確かに﹂
り、自分より先生を優先したり、程度に関わらず拒絶されれば不安を抱くだろう
﹁無条件に自分に対する信頼を求めたり、織斑先生によって自分が成長できると考えた
﹁そうだな、かなり無茶な事でなければ順守していた﹂
かっただろう
﹁もしも、ラウラが入学当時のラウラだったら、織斑先生の命令に背くような事はしな
649
これらがもっと酷くなれば完全な依存に移行してしまう。
﹁しかし、それが何の問題になる。 私は教官が居たからこそ、今の私が居るのだぞ
﹁ふむ。 ⋮⋮いささか心当たりはあるな﹂
場合には精神的に不安定となって病み始める﹂
﹂
人間とコミュニケーションを取りたがらなくなり、俺が離れれば不安になって、最悪の
﹁ラウラの様に軽度程度なら問題ないが、これ以上深化したら問題なんだ。 俺以外の
?
﹂
﹁もしそうなったら、それこそ簪が可哀そうじゃないか。 俺は、あいつにそうなってほ
しくない﹂
﹁随分大切にしているんだな。 お前も好意があるのか
?
﹂
﹁好き、嫌い、普通で分類するのならば、﹃好き﹄の分類になるかな﹂
?
今の二人には数こそ少ないものの、此処でも聞き耳を立てている連中が居る事に気付
た、﹃ドイツの冷氷﹄と評される人物はいなかった。
そこには、入学当初から表情の変化に乏しく、他者を寄せ付けない威圧感を放ってい
少し照れ臭かったのか、頬を赤く染めてはにかむ。
﹁そうか、それは、⋮⋮なんだ、あれだ、嬉しいな。 ふふふ。 私も潤の事は好きだぞ﹂
﹁好きの分類だ﹂
﹁ほう、││ちなみに私はどこだ
1─4 夏の思い出・食堂にて
650
かなかった。
静まり返った廊下、その隅で息を潜めている者達三人。
それを考えると、自然と頬が赤くなり、恥ずかしさから俯いてしまう。
れている。
LikeとLoveにどれ程の隔たりがあるのか知らないが、簪もあれくらいは好か
に﹃好き﹄という言葉が異性間で出てくるのは珍しい。
潤とラウラの間に存在する﹃好き﹄は、異性間の﹃好き﹄ではないが、あれだけ自然
方向へ向かって行き、偶然耳に入ったのが今しがたの会話である。
先ほどまで話していた二人に茶化されつつ、ちょっと話をしようと潤が走っていった
い簪だったが、一番驚いたのは潤が回復していたことである。
最近はお見舞いすら許可されない状態だったので、現在潤が何処にいるのかも知らな
が目に入った。
部屋から出て廊下に出たと思ったら食堂から潤がラウラを抱えて爆走している光景
会話する。
赤くなってプルプル震えている簪の両脇を固めてルームメイトプラスワンが片言で
﹁ワンチャンアルー﹂
﹁イイナー﹂
651
﹁アレホドタイセツニオモワレテルナンテー﹂
﹁ウレヤマシイナー、アコガレチャウナー﹂
完全に脈アリとして話が進んでいる。
﹁や、やめてよ。 ⋮⋮二人とも﹂
﹂
簪は潤がどう思っているのか分かってしまった。
﹁それで、更識さんはどうするの
心当たりがないか﹂
簪の呟きに反応して沸き立つ二人。
﹂
あれから数時間後、昼前にIS四機による集中攻撃が行われた食堂は一時的に使用不
││││
ない、自分の専用機開発だった。
そんな事など思考の彼方に追いやり、簪の脳裏に浮かぶのは、未だ完成の目処が立た
!
?
﹁何か、二人っきりになれるような、そういった積極的なイベントを起こさないと
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁何か無いの
?
﹁⋮⋮あった﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
652
653
能となった。
多くの生徒は食堂でゆっくりするのを諦めて、隣接しているカフェに避難していた。
冷暖房完備、年中無休のここでは本格的なドリンクと、四季折々のスイーツが用意し
てあり夏休みでも学園生徒の姿が絶えない。
クラリッサという部下のために秋葉原に行って本を買うというラウラと別れ、潤は一
人で並んでいた。
その目の前で、見慣れた二つの茶色いテールがヒョコヒョコ動いている。
連動して根元を纏め上げているリボンも、これまた見慣れた色のものがヒョコヒョコ
動いていた。
身長も体型も、四年間程の長期間において毎日見てきた奴にそっくりで、もし格好が
ネグリジェだったりベビードールだったりしたら見分けがつかなくなる。
そういえば、とふと思うのだ。
最初の世界移動と、とある貴族の元でのイザコザを抜かせば、あらゆる物事の原因は
こいつが原因の一端を担っているのでないかと。
死んだ後も平然とストーキングしてくるし、これは自分の中にある奴の魂を放置して
いたことが原因だが。
もう一度世界移動した後も、今度はISを乗っ取ってまで姿を現し、大変なダメージ
を与えてくれやがったし、これはウサ耳博士が原因のようだが。
色々考えたが、やはり目の前のツインテールの人物にも原因の一端があると思う。
目の前のツインテールの身長は百五十cmほど、自分は百八十cm、少し見下ろす形
となるので、旋毛とリボンとツインテールの動きが分かる。
徐々にムカムカしてきた。
その髪型が似ている、その目が似ている、その背格好が似ている││というより、見
た目で区別が出来ない。
どうしてお前は何時も楽しそうにヘラヘラしているのに、相方の俺は何時も苦労して
!
!
いるんだろう。
﹂
仕事は全て回し、面倒事からは逃げ、この世界でも││
﹂
!
よって、手加減をしつつ痛いと言う感情が伝わる程度にツインテールを後ろに引っ
いる。
髪の毛引っ張られて頭皮が浮いてしまい、水が溜まってしまったという事例も知って
例があり、首を急激に後ろへ引っ張るのも、死亡事故に繋がる要因となる。
昨今では、喧嘩で髪の引っ張り合いになり、片方がくも膜下出血で死亡するという事
﹁ぎゃあっ
﹁大体お前のせいだ、このツインテール
1─4 夏の思い出・食堂にて
654
張った。
嘗ての相棒と、声までそっくりであるツインテールは、悲鳴を上げてのけぞった。
何時もは振り回される側だったので気付かなかったが、誰かを振り回すのは存外楽し
かった。
バカー
﹂
レベルアップ││潤は八つ当たりを覚えた。
﹁な、何すんのよ
﹂
!
命よ
い・の・ち
﹂
!
ルを囲っていた。
﹁女の髪の毛をなんだと思ってるのよ
!
るんだ﹂
﹁そう怒るな。 何のために蹴られて、ついでにスイーツまで奢ってやったと思ってい
!
そして今しがたも、髪の毛に尋常でない被害を受けて怒っている鈴と一緒に、テーブ
鈴の一夏がらみの奇行を知っているのか辟易しているようで逃げたとも言える。
Sで朴念仁に八つ当たりした時点で別のグループへと移動して一人になったらしい。
鈴と一緒に食堂に来ていた少女、ティナ・ハミルトンというらしいが、彼女は鈴がI
その代償として頬に回し蹴りを受けて口の中を切ってしまったが。
﹁ぐっ
!
!
655
﹁開き直るんじゃないわよ、馬鹿
﹂
冗談は程ほどにしときな
?
した物を見て直ぐに面持ちを改めた。
無理矢理押さえつけられた鈴は、不満を隠そうともしなかったが、潤が懐から取り出
強引に封じ込める。
魂の共感といった理屈でない部分から根本的問題へ、直接言及を始めようとした鈴を
﹁お前の小言を聞きたいがために顔を合わせているわけじゃない﹂
さいよ、だってあんた、未だに人の笑顔が││﹂
﹁いきなり女の子の髪の毛引っ張る状態で治ってきている
﹁表向き大分治っているだろ。 これなら普通どおりに生活できる﹂
﹁それで、あんたはどうなのよ﹂
りながら鈴が捲くし立てる。
ノリと勢い、僅かな懺悔から、潤が購入した一番高いパフェ、一つ二千五百円を頬張
!
﹂
取りだされたものは紙切れ二枚。
?
﹁え、ええっ
ま、マジで
﹂
!?
その紙に映し出される文面、それは八月にオープンされるウォーターワールドの無料
!
﹁二枚やる。 一夏を誘って二人で行って来い﹂
﹁えーっと、なにこれ
1─4 夏の思い出・食堂にて
656
招待券だった。
話はパトリア・グループの立平さんから、退院祝いに新規オープンのウォーターワー
ルドのチケットを頂いた事から始まる。
お友達と一緒にどうぞ、と六枚も頂いたのだが、あいにく行く気が全く湧いてこない。
使う気はないが、せっかく頂いたものなので贈り物として有効に使おうと思い、転入
直後から迷惑をかけていた鈴にあたりに渡してやろうと思った次第。
らってくれ﹂
!
ああなってはもうどうにもなるまい。
置き去りとなったのを見て席を立った。
新しい水着の新調やら、日程やら、当日の事やらを考え出し、潤の言葉を遙か彼方に
合宿とは違う、学内行事ではない二人で行くプール、まさにデートである。
﹁⋮⋮トリップしているとこ悪いが、上手くやるんだぞ。 じゃあな﹂
﹁そう⋮⋮そっかぁ⋮⋮⋮⋮にへへへ⋮⋮﹂
魔はしないだろうよ﹂
﹁安心しろ。 渡したのは本音と癒子に二枚ずつだ。 あの二人なら、お前と一夏の邪
﹁の、残りの四枚は誰に配ったのよ
まさか箒とかに⋮⋮﹂
﹁六枚頂いて幾つかは配ったが、お前にもなんだかんだ世話になっているからな。 も
657
鈴がくねくねしつつ、顔を真っ赤に染めつつ、妄想に耽っているツインテールを背に
しつつ食堂を出た。
途端に見覚えのある気配が肌を包む。 ││これは会長か
?
﹂
なんで会長が急に、と考え事をしていたからだろうか、廊下を曲がった先で誰かにぶ
つかる。
購買で買ったパンらしき物が廊下に散らばった。
あ、え、ああ、じゅ、潤、こ、こんばんは
﹁すま││ああ、簪がいるからか﹂
﹁⋮⋮
?
前で呼んでしまい絶賛混乱中だった。
?
散らばった紙パックの飲み物やらパンやらを手渡す。
﹂
﹁俺が理解できる名称なら好きに呼べばいいさ。 それで、何か用か
﹁ん、ゥン⋮⋮。 その前に、なんで治ってるの
喉の調子を整え、寮方面に歩きだした潤の隣に並ぶ。
?
﹂
そのストーキング対象である妹は、現在本人に対して脳内でしか使っていなかった名
妹をストーキングしている姉、何も変なところはない、通常運転である。
﹁何を混乱しているのか知らないが落ち着くんだ﹂
!?
﹁じゅ、潤、潤⋮⋮あの、その││﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
658
その言葉は、若干潤の不興をかったが。
怪我が治った理由、生体再生の採用、篠ノ之束博士の介入、リリムとティア、││か
ぶりを振って思考を中断する。
今ここで博士に対して憤っても仕方がないだろうに。
なんでそんな⋮⋮﹂
?
ヒーローとしての偶像を潤と重ねている簪にとって、そのはっきりとした立ち位置の
孤独感が胸に積もっていく。
足の動きも止まり、まるで自分が校内にある立木の一本にでもなったかの様で、変な
簪はそれ以上、問いかけることも出来なかった。
﹁ご、ごめんなさい⋮⋮﹂
てくれ﹂
﹁これ以上の情報は合宿に参加しなかった簪には関係の無い事だ。 悪いが引き下がっ
﹁でも、致命領域って、⋮⋮それに、潤は合宿には││﹂
福音戦に参加しなかった時点で、簪が合宿に参加しなかったのは明白。
﹁それは言えないんだ、悪いな﹂
﹁致命領域対応
それが致命領域対応に反応して起動したと聞いている﹂
﹁ヒュペリオンに、白騎士に搭載されていたのと同じ生体再生機能があったようだ。 659
区別は疎外感を持たせるのに充分だった。
やや速足な動きについてきた簪が、その足を止めたことでようやく潤が彼女の心理を
理解したのか、バツの悪そうな表情を浮かべる。
﹁あ∼、悪い、言い過ぎた。 最近いろいろありすぎて、まいっているんだ。 気にしす
ぎないでくれ﹂
﹁あ、うん⋮⋮﹂
﹁カフェで何か奢るよ。 それで許してくれ﹂
何か都合のいいように話が進んでいると簪は思った。
自分から何か言い出した訳でもなく、潤から進んで何かをやってくれると言ってい
る。
﹂
﹂
夏休み前には見ることのなかった、余裕のない表情に、少しだけ悪い気がするが何か
﹂
と手を合わせて、いきなり拝まれる。
私の専用機作成を手伝ってくれない
!
頼みごとをするに都合がいい。
﹁
パンッ
その姿に何となく会長の姿が重なって見えた。
!
?
?
﹁その⋮⋮お願い
!
﹁そ、それなら、代わりにお願いがあるんだけど
1─4 夏の思い出・食堂にて
660
何やら簪側からの頼みごとが非常に珍しく感じて、対して考えもせずに了承してしま
﹂
い、場所を第二整備室に移す。
﹁それで本当にいいんだな
まいっているって⋮⋮﹂
?
打鉄の後継機と聞いていたが、実際に打鉄を操ったことのある潤には、同一の部分を
にその姿を現した。
するとぱぁっと簪の体が光に包まれると、装甲が展開されて重厚な音をたてて整備室
簪の右手にはめられていたクリスタルの指輪が反応する。
﹁おいで⋮⋮﹃打鉄弐式﹄⋮⋮﹂
ど機体を見せてくれないか﹂
﹁いいよ。 こういう時は何かやっていた方が楽になるってもんだ。 さて、早速だけ
﹁潤は⋮⋮良かったの
簪が良いというなら良いのだろうが。
しかし、二人で、という所を強調して言う簪には届いていないように思う。
ていいのか再三問いかける。
会長に曰く、一人で完成させるのに拘っているとも聞いていたので、他人の手を加え
﹁うん。 大丈夫だよ、潤。 二人で作った方がいいと思う﹂
?
661
探すのが難しいほど外見が変わっている。
スカートアーマーと肩部ユニットはウイングスラスターになっており、腕部装甲もス
マートな代物となっていた。
一夏が保有する専用機、白式と開発元が同じだけあって、特徴的なシルエットは似
通ったものを感じざるを得ない。
打鉄弐式の外見を頭の中に叩き込んでいると、ISを跪かせて装着解除した簪が傍に
近寄る。
﹂
?
武装と、稼働データ、装甲のチェック
﹁それで、これはどこまで開発が進んでいるんだ
﹁基本的な部分は⋮⋮、まだちょっと甘いかな
やシールドエネルギーもまだで⋮⋮﹂
?
に丁度いい大会もあるしな﹂
﹁それじゃあ⋮⋮、目標は﹃キャノンボール・ファスト﹄まで⋮⋮
?
キャノンボール・ファストとは九月末に開催されるISの高速バトルレース。
﹁上手くいけばな﹂
﹂
﹁とりあえず、武装は後回しにして、機体その物の完成を優先するか。 出来上がった頃
﹁うん⋮⋮﹂
﹁大体全部か﹂
1─4 夏の思い出・食堂にて
662
本来は国際大会として行われるが、IS学園がある関係から市の特別イベントとして
学園の生徒達が参加する催し物で、一般生徒が参加する訓練機部門と専用機持ち限定の
専用機部門が存在する。
﹂
機動系に特化している打鉄弐式には相応しい舞台となるだろう。
﹁間に合うかな
OSに手が加えられるように設計されている。
全く知識の土台がない第四世代であるヒュペリオンは、その開発経緯から現場で基幹
ヒュペリオンのコンソールを開いてデータを受信する。
﹁お願い﹂
がったら弐式に合うように微調整してくれ﹂
﹁よし、機体調整から始めるか。 俺も基本的なプログラム作成を手伝うから、出来上
る。
二人がかり、参考資料がある状況ならむしろ充分過ぎるほど時間があるとも考えられ
ラムを作成したこともある。
廃棄された施設で、何時エイリアンが襲いかかってくるか分らない状況で基礎プログ
期間は二ヶ月程度と短く感じるが、不可能だとは思わない。
﹁目標を持たずにダラダラやるより余程いいさ﹂
?
663
理解が難しいのであれば、ヒュペリオンそのものに開発用ツールが内蔵されていると
思えばいい。
専用機であればそれ程おかしな事ではないが、量産機においては弄る必要のないパラ
メーターまで変更可能になっているのは特殊だろう。
初めてヒュペリオンに搭乗した際に、まともに歩くことすら出来なかった裏側には、
OSが複雑過ぎるのも一因になっている。
結局これらの問題は、束博士の高スペックな制御モジュールで解決してしまい、今と
なっては必要でない機能だが、打鉄弐式の開発には大いに役立つことだろう。
机に座って早速機体情報を精査して手を加えていき、その隣に簪が腰を掛けて、同じ
くコンソール画面を開いた。
その後、簪が躊躇いがちに用意された椅子をほんの少しだけ近づけ、ほぼ密着するか
のように座りなおす。
あ⋮⋮そこは⋮⋮﹂
?
?
弱点がある。
機動型はその特性だけで勝敗を左右する力を持つが、その裏には制御が難しいという
﹁え
しいんだけど﹂
﹁ちょっとそっちのデータ見せてくれないか 機動のバランスを取るのがちょっと難
1─4 夏の思い出・食堂にて
664
﹃良い鉄砲は撃ち手を選ぶってことわざ知ってるか
あるが、機動型も同じような状況に陥りかねない。
﹄から始まる台詞がとある漫画に
こむようにして顔を近づけると、傍目から見ても分かる程顔を赤く染める。
そういった考えがあったから詳細を聞いたのだが、並んで座っている簪の画面を覗き
になる。
そうならないように、そのプログラムも、使い手も、完璧に近い確たる﹃形﹄が必要
?
第二整備室を包む夕日の赤色が、隣り合わせに座る二人を易しく彩っていた。
簪は気恥ずかしさこそあったものの、真剣な表情で指示を出していく。
﹁⋮⋮そこは、こうして││﹂
665
1│5 夏の思い出・簪と二人で
八月のある日、第二整備室でISの整備を行っている二人が居た。
システムの大まかな調整は終了しており、現在コンソールを開いているのは簪一人
で、潤はもっぱら微妙な出力調節や特性制御を弄るために打鉄弐式のアーマーを開いて
直接パーツを弄っている。
潤が打鉄弐式の開発に参加してから二週間経つか経たないかの間に、その機体は大分
完成に近づいていた。
性能のぶっ飛んでいる第四世代機でも、更に機動用の切替えが可能な紅椿とヒュペリ
していない機体と比べればかなりの機動力を誇っている。
この打鉄弐式、専用機だけの機能特化専用パッケージであるオートクチュールを装備
ずっと先だと言う事実を突きつけているが。
尤も、打鉄弐式の足元には搭載される予定の武装が転がっており、嫌でも本完成が
簪も考え深げに自分の機体を見ている。
﹁武装は⋮⋮手つかずだけどね﹂
﹁機動面に限定するのなら、期限前までに完成しそうだな﹂
1─5 夏の思い出・簪と二人で
666
オンに比べれば劣るのはしょうがないが、現状の第三世代中では目を見張るものがある
のは間違いない。
その要因の最たるものは││。
すぐ横に潤の顔があることで、簪はついついドキッとしてしまったが、その潤が真剣
ヒュペリオンの空中投影ディスプレイの前に頭が二つ並ぶ。
犯罪チックで申し訳ないが、多少は許してほしいとも思って使わせてもらった。
幅な時間短縮が出来たのは間違いない。
流用してから少し手を加えれば完成出来る、という程ISの開発は簡単でないが、大
用しているのである。
そのインストールされていたデータの中で、打鉄弐式に使えそうなやつは片端から流
色々な参照データをヒュペリオンにインストールしていた。
トーナメントの決勝直前、カレワラから取得したデータをヒュペリオンに移す際に、
の完成度が高い機体である。
高バランスのお手本の様な良機体であるカレワラは、スラスター出力や制動システム
カレワラのデータを横流ししまくっているからである。
﹁分かった、今展開する﹂
﹁⋮⋮もう一度、カレワラのデータ⋮⋮、見せて頂戴﹂
667
な顔でデータを見ているのを認めると気を改める。
データを参照しつつキーボードを叩いていたが、時間が押し迫ってきた事を察する
﹂
と、コンソール画面を閉じて席を立った。
﹁そ、の⋮⋮﹂
﹁⋮⋮一緒に帰るか
﹁う、うん⋮⋮﹂
た。
たぶんこうなんじゃないかな、と思ったことを尋ねてみたら案の定な返答が返ってき
している簪。
妙に落ち着かなそうにして、未だに打鉄弐式の情報を閲覧している潤の傍でウロウロ
?
コンソールとアプリだけ起動していたヒュペリオンを、待機状態に戻すと簪と並んで
歩きだす。
﹂
?
黄昏時の薄暗い道がとうとう暗くなり、変りに道を照らし出した街頭の下まで少しだ
第四整備室からの帰り道。
﹁あ、あ、あの⋮⋮、これなんだけど││﹂
﹁ん
﹁あ、の⋮⋮ね﹂
1─5 夏の思い出・簪と二人で
668
け小走りで向かった彼女は、光の下で振り返ると何かの用紙を二つ取り出した。
なんか、とんでもなく、見覚えのある紙だった。
その紙はチケット、本々はパトリア・グループの立平さんの物だったそれは、潤に手
渡された後に、鈴に二枚、癒子に二枚、本音に二枚と移動していった。
たぶん、本音が簪に手渡したんだろうな。
﹁な、なに
﹂
﹁いや、何でもない。 こっちの話だ﹂
いていたので無視したかなのだろう。
﹁せっかく合宿不参加で済んだのに⋮⋮﹂
?
﹂
﹁最初、聞こえなかったけど、なんて言ったの
?
﹁えっ⋮⋮、あ、⋮⋮う、うん。 好き、大好きだよ﹂
﹁なんでもない、簪は、泳ぐのは好きなのか
﹂
打鉄弐式が完成していなかったので参加する意義がなかったからか、開発に主眼を置
しい。
簪は合宿に参加しなかったので泳ぐのが嫌いなのかと思っていたがそうではないら
?
?
﹁あ、あの⋮⋮良かったら、八月に⋮⋮一緒に、いかない
﹂
﹁情けは人の為ならず、いや、違う。 なんとかは天下の回り物、か﹂
669
驚いた表情をした後に、頬をリンゴのように染めながら嬉しそうに頷く。
その言葉の意味をちょっとだけ頭の中で変えて、あまりに恥ずかしくなってしまいス
カートを握る。
夜、1030号室に無機質なタイプ音が繰り返し鳴り響いた。
││││
けど、こういうこそばゆい関係もいい。
もうちょっとだけ、この甘酸っぱい雰囲気を味わってもいい、││彼女にしてほしい
潤は、簪のことが嫌いじゃない、友人として好きでいてくれる。
耳まで真っ赤になるくらい恥ずかしいが、こうやって一歩一歩進めばいい。
今日はそれでいい。
た。
簪にとって初めての恋なので、勝手がわからないが二人きりで出かける約束ができ
返答を聞いた瞬間、俯いていた簪が顔をあげて嬉しそうに笑みをこぼす。
乗り気ではないが、純粋な好意から誘いにきた懇願を断るのも戸惑うので了承する。
﹁そっか、じゃあ、お言葉に甘えて御同行させてもらおう﹂
1─5 夏の思い出・簪と二人で
670
打鉄弐式の開発が、ちょっとだけ行き詰っている。
最低限の機動は可能なのだが、全体の完成度が全く上がらない。
何度か切り分けや、ループバック試験を試みて思い当たるのは、打鉄弐式のハード側
すら未完成であったということだった。
新しく必要なパーツ情報はダウンロードで調べることができない。
だから、今の潤がしているように、勉強して一つずつ積み重ねばならない。
まだまだ問題はある。
﹁⋮⋮厄介だな﹂
何が必要なのか調べるためには稼働データが必要で、稼働データを取るためには幾度
となく試乗を繰り返さなければならない。
そして、稼働データを元に新規ハードを作成し、試験稼働、データ蓄積、フィードバッ
ク調整を行い、稼働データを更新する。
ハードが完成しても、今度は戦闘が可能なようにパーツそのものも耐久試験を行わね
ばならない。
﹂
パトリア・グループの様に、物腰軽く、
﹃他社の物をライセンス生産しよう﹄とはいく
明日⋮⋮かんちゃん、プール
?
まい。
﹁⋮⋮おぐりん∼、起きるの⋮⋮
?
671
﹁ああ、すまない、煩かったな。 もう直ぐ切り上げるから﹂
寝ぼけて言語がおかしくなっているものの、本音が起きてしまったらしい。
最近ずっと⋮⋮そう
?
一旦手を止めてディスプレイの光源を落とす。
﹂
﹁ちーちゃん先生⋮⋮、ゆった⋮⋮、いいって 早く⋮⋮寝る
じゃん
?
簪とウォータランドに行く前に、千冬に申請を出した日を思い出す。
い寝息を立て始めた。
ちょっとはだけたシーツをかけ直し、何度か背中をポンポンと叩くとすぐに規則正し
お休み﹂
﹁先生にその呼称を使うなよ。 最近はちょっと立て込んでいてちょっとな。 ほら、
?
翌日。
背後から嫌な汗のでる視線を感じ、潤は急かされたように画面の光を元に戻した。
暗闇から、血まみれのリリムがこちらを睨んでいる幻覚を見る。
あれはなんだったのか、ゆっくり考えたいが││暗い場所でじっとしていると、その
と何故か知らないが、妙なリスペクトを込められた瞳で送り出された。
り羽を伸ばせ。 それがお前の為だ﹄
﹃⋮⋮更識妹と、ウォーターワールド、か。 ああ、好きなだけ行ってこい。 思いっき
1─5 夏の思い出・簪と二人で
672
本当だったら、
﹃ごめん、待った ﹄、
﹃いや、待ってないよ。 簪がいつ来るのか考え
約束の時間まで一時間も前だというのに、ついつい待ちきれずに来てしまった。
ドキドキしながらウォーターワールドの前で待ちぼうけ。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
673
水着選びの際は﹃運動を行う﹄という事を想定して買わなければならないとか、試着
たりした、幼馴染の本音と、潤と仲が良いと聞く谷本癒子なる人。
水着を選ぶ時に好みの色を教えてくれたり、必要な持ち物を揃えるのに協力してくれ
それに今日は協力者まで居る。
誌で得た情報を何時でも閲覧できるようにしてある。
プールデートを楽しむためのステップやら、夏のプールデートのテクニックやらの雑
簪が今日つけているメガネは、昨日までのメガネではない。
夫。
││だい、大丈夫。 落ち着いて、落ち着いて。 今日の私には味方がいる。 大丈
沸騰しそうになる。
潤と腕を組んでいる自分を想像すると、じりじりと照りつける日光とは別の力で頭が
高なのだが。
ている間も楽しかったし﹄、
﹃ありがとう、さ、行こう﹄なんてやって腕組み出来れば最
?
室では前かがみになっても大丈夫かとか、濡れた状態でも変じゃないか確認が必要など
目から鱗が出るような助言をいくつも頂いた。
潤の好みが黒色という情報も彼女たちからだった。
ただ、選んでくれた水着がちょっと派手で⋮⋮。
水着の事やら、これからの事やら、今潤が何をしているのか考えるだけでドキドキと
高鳴る心臓を、壊れ物を包み込むような優しさで触れる。
あまり大きくない膨らみ、けれど、その内に秘める思いは何倍も大きい。
同い年なのに、二カップもバストサイズが違う。
﹁本音は⋮⋮いいなぁ⋮⋮﹂
﹂
随分早いな⋮⋮まさか、時間間違えたか
﹂
そういえば、潤は大きいのが好きなのだろうか、小さいのは、嫌いだろうか⋮⋮。
﹁ひゃっ
?
?
いね﹂
﹁じゅ、潤
い、いや⋮⋮、約束の時間はまだ一時間も先で⋮⋮⋮⋮じゅ、潤も随分早
これは不味い、勘違いさせてしまう。
思わず引き攣った声が出てしまった。
ずっと考えていた人の声が脳内から、直接耳朶を叩いて現実に戻された。
!
﹁簪
1─5 夏の思い出・簪と二人で
674
!?
もしかしたら、潤も自分と少しでも一緒にいたくて早く来たのだろうか、そう考える
と自然と笑顔になってしまう。
素直にそう言ってくれればいいのに。
デートっぽく現地で待ち合わせなんてしないでモノレールの駅で待ち合わせすれば
よかった。
﹁ん
﹂
﹂
﹁⋮⋮セシリア
﹁あら
?
?
ウォーターワールドのゲート前で、まさにこれから入館しようとする寸前、見知った
?
﹂
しかし、滅多に見られない潤の笑顔に全てが流されていく。
けへこんだ。
こくこく頷きながら、心の中で﹃わ、笑われた、いきなり、笑われた﹄とちょっとだ
﹁う、うん⋮⋮﹂
﹁なんか、変に面白い返答だな。 さて、立ち話もなんだし、早速中に入るか﹂
﹁あ、の⋮⋮ご、ごめんね。 えーと、邪魔しちゃって﹂
からな﹂
﹁こういうのは、大抵男が先に来て、女性を待っているのというのが相場で決まっている
675
顔の人物がやって来た。
ぱちくりと瞬きをした後、ここ最近変わらない潤の暗い顔と、おっかなびっくりしな
がら、嬉しそうに隣を歩く簪を見てセシリアは色々察した様だった。
ゲートを潜って、内部で待ち合わせ。
水着は着て行く、化粧もして行く、これはOK。
││少しでも彼と一緒の時間を増やしましょう⋮⋮うん、確かに、少しでも一緒に居
たい。
更衣室から出てすぐ、ウォーターワールド内部に入ると潤が待っていた。
﹁よう﹂
本音とその友人に勧められるがまま購入した水着だったが、何処かおかしくないか
フリルとリボンのついた黒の三角ビキニ、もう少し布地の面積が多いものの方が良
かったのだが、あれよあれよという間にこれに決まってしまった。
﹂
?
﹁それじゃ、どこからいく
﹂
﹁⋮⋮そ、そっか。 ⋮⋮よかった﹂
の水着だと思ってたから、ちょっと驚いただけさ﹂
﹁充分似合ってる、髪の毛の色と相まって神秘的で綺麗だよ。 大人しめでかわいい系
﹁⋮⋮へ、変じゃない
1─5 夏の思い出・簪と二人で
676
?
﹁ひゃぅ﹂
いきなり手を取られて変な声が簪の口から出た。
ナギの時もそうだったが、潤は女の子と二人で何処か遊びに出かける際には、紳士が
淑女をリードするよう教育を受けていた。
ただ、この現代社会と、産業革命以前の世界である異世界でちょっとした文化的差異
があるのだが、潤は気付いていない。
異世界で男女が遊びに行くのであれば、その仲のあり方が何であれ、その行動は須ら
く﹃デート﹄と呼ばれる。
情報などのやり取りが現代社会程簡単でなく、異性への扱いが特殊だった世界では、
男女二人だけでいく=親密な関係と見られ、すなわちデートと呼ばれていたからだ。
つまり、潤にとっては相手が何であれ、男女二人だけで遊びに行くのであれば、それ
はデートであり、紳士は淑女を持て成すべきである、となっている。
と、言う事で、とりあえず手を取ったり、気分がすぐれなくとも笑顔で出迎えたりす
谷本さん
﹄
るのは彼からすれば当然である。
﹃コール、本音
!
﹃こちら癒子。 更識さん、こちらも大丈夫です、おーばー﹄
﹃こちら本音。 かんちゃん、聞こえてますよ、おーばー﹄
!
677
思考回路がショートしそうだった簪は、思わず協力者、谷本癒子と布仏本音に無線通
信を行った。
これが本日の協力者、簪の切り札である。
現代の最新技法を惜しみなく用いられた眼鏡型無線機器で、防水はもちろん、その重
量が感じ取れないほどの軽量化が計られている。
更に民間に還元されたISのイメージインターフェイスの初期技術を倣い、声に出さ
ずとも思い浮かべた内容を相手に送信してくれるという素晴らしい物でもある。
その無線の先には、簪の初デートを応援すべく││出歯亀とも言う││潤から手渡さ
れた二枚のチケットを用いて一緒に来ていた癒子と本音が居た。
﹄
!?
のを忘れないで﹄
﹄
!
﹃ゆっくり報告していってね﹄
詳細お願い
﹃あ、ありがとう。 えっと、とりあえず、水着姿は褒めてくれたよ
﹃おぉ∼﹄
﹃どんな感じで
!
﹃髪の毛の色と相まって神秘的で綺麗だって﹄
!
﹄
﹃更識さん、落ち着いて。 二人を視認可能な場所に私達が居る。 後ろに味方が居る
﹃て、手握られちゃった。 どうしよう
1─5 夏の思い出・簪と二人で
678
報告を聞いて沸き立つ二人。
﹃それで、今は、手を取られて何処にいく
﹃いやっほー﹄
﹄
って⋮⋮﹄
﹃今私たちがウォータースライダー使うから、二人も使えば
?
張しだした。
⋮⋮カップルさんかな
いやっほー﹄
﹁ふーん⋮⋮。 友達以上、カップル未満って所かしらね。 それじゃあ、彼氏さんは、
?
その意味合いは少しだけ違ったが。
﹁はーい、次の方
﹁⋮⋮は、えっと﹂
!
﹁││はい、そうです﹂
﹂
長蛇の列だったのを二人で話ながら待っていたが、順番が近づくにつれて二人して緊
施設の特徴を覚えていた簪はそれどころでなかった。
潤にその話をした後、何故か彼が着水部分を見てから使用することになったが、この
まいた全長百メートル程の水路が特徴のアトラクションである。
屋内の中央にある塔みたい高所から、施設内部を余すところなく用いられ、とぐろを
通信を遮断され、仕方が無しに提案通りウォータースライダーに向かう。
﹃ちょっと⋮⋮二人とも
?!
?
679
彼女さんをしっかり支えて上げて下さいねー
﹂
簪の耳元で、監視員が一言呟き、潤の前に簪が座った。
﹁頑張ってね﹂
が。
無論、赤の他人同士そうならないように申告が必要なうえ、監視員の目が光っている
実はこのスライダーは、二人一緒に滑ることが出来る。
潤が察してくれて、二人がカップルということで話が進んでいる。
!
となると潤が後ろに座ることになり││背後から半ば抱き着く形になる。
﹂
?
その抱きしめられる感触が余程嬉しかったのか、簪は潤の手を取って合計で四回スラ
う思った。
着水する時には一層力強く抱きしめられ、今日ここにきて良かったと、心の底からそ
背中に異性の体温を感じながら降りる水路は、訓練の何倍もドキドキした。
本当ならISの訓練でもっと早い速度も体感している。
﹁そっか、⋮⋮じゃあ、行くぞ﹂
﹁いや⋮⋮⋮⋮、やっぱり、もうちょっと近寄って、くれると、⋮⋮嬉しいな﹂
﹁強かったか
﹁じゅ、潤⋮⋮、その、あんまり⋮⋮﹂
1─5 夏の思い出・簪と二人で
680
イダーを往復した。
その後は流れるプールを数周。
ここでも潤はちょっとぎこちない動きをしていたが、浮輪に乗って潤に押されなが
ら、久方ぶりに童心に帰っていた簪は気付かなかった。
まだ十一時だよ
﹄
!?
﹃本音、私、幸せだよ﹄
﹃更識さん、何満足してるの
よう﹄
イケる
この際だから太ももも塗って貰えば
さあ、本音、流れるプール行きましょう
更識さん、足細いからイケる、
﹄
?
当然声に反応した潤は、再び簪の手を取って屋外エリアに向かいだす。
てしまった。
簪自身が潤の手で、その背中にサンオイルを塗って貰う光景を思い浮かべて、声に出
!
﹃ナイス本音
﹂
﹁えっ、サンオイルを、塗る
?
﹂
﹁屋外エリアに出て休むのか
?
﹃れっつだ、ごー﹄
!
!
﹃よーし、かんちゃん、次は屋外エリアに出て日焼け止めを塗って貰って休憩タイムにし
!?
﹃コール、かんちゃん、状況はどうですか、オーバー﹄
681
何故かほんのりウキウキしながら。
一旦簪は夢心地な足取りで、貴重品と一緒に小物を預けていた無料ロッカーから、日
焼け止めとシートを持ってきた。
やったことが無いから分からないんだが⋮⋮﹂
パラソルは受付で貸し出されている。
﹁お、お願いします⋮⋮﹂
﹁背中だけでいいんだよな
﹂
そのまま両足に日焼け止めが塗り終わるまで二人は終始無言だった。
﹁え、わ、分かった﹂
﹁大丈夫、潤。 そのまま││ふ、太ももの裏も、⋮⋮お願い﹂
?
動き回る。
太陽の熱に負けないくらい暖かくて、ちょっとだけごつごつした男らしい手が背中を
た。
それじゃあ、触るぞ、と声がかかった後に、背中に大きな手が触れられるのが分かっ
べる。
首の後ろで結んでいたビキニの紐を解くと、水着の上から胸を押さえてシートに寝そ
﹁そ、そうなんだ⋮⋮。 私も、⋮⋮⋮⋮誰かに、塗って貰うのは、⋮⋮は、初めてだよ﹂
?
﹁⋮⋮加減は、これでいいのか
1─5 夏の思い出・簪と二人で
682
﹁ほら、塗り終わったぞ﹂
潤が触れなかった場所に日焼け止めを塗っている間、潤は両手に付いた日焼け止めを
﹁う、うん﹂
﹂
洗い落とすとソフトクリームを購入してきた。
﹂
﹁バニラとチョコ、どっちが好き
﹁⋮⋮ば、バニラかな
﹁ん
チョコも欲しいのか
﹂
﹂
?
﹁はい、あーん﹂
キーというものではないだろうか。
実は、チョコとバニラを混ぜて食べるのが好きだっただけで、しかし、これは、ラッ
ばれたアイスチョコレートがあった。
驚いたように顔を上げる簪、その口元にはプラスチックでできたスプーンによって運
﹁え⋮⋮
?
?
食べている。
潤はというと、アイスチョコレートを少しずつ口の中に入れては溶けるまで味わって
夏の気温はけだるい程高かったが、それを感じさせないほど気分が良い。
誰でも使用できるように設けられた椅子に座って、カップを受け取る。
?
?
683
﹁あ⋮⋮ぁ、ん⋮⋮⋮⋮﹂
簪が口の中でバニラとチョコを混ぜて食べていると、潤が何気なしに簪が口に含んだ
スプーンを使ってアイスを食べ始めた。
思わずミックスアイスが喉に詰まりそうになった。
男の子って、間接キスとか気にしないのだろうか││⋮⋮﹃好き、嫌い、普通で分類
するのならば、﹃好き﹄の分類になるかな﹄、突然潤が口にした言葉がリフレインする。
その意味を思うと、間接キス位なら気にしないのかもしれないと思う。
﹂
﹁も、もしかして、⋮⋮プール嫌いだった
﹁そうじゃないんだが⋮⋮﹂
﹂
好きな相手なら問題ない、そう、好きな相手なら。
あ、その、ああ、泳がない﹂
?
あの潤が驚いて、ちょっとどもった。
凄く珍しい物を見た。
﹁⋮⋮え
!?
そんな訳はない、そう思い込んでもやっぱり不安になってしまう。
でしまう。
もしかしたら、やっぱり自分とプールなんて来たくなかった、そんな事が頭に浮かん
?
﹁ところで、潤は泳がないの
1─5 夏の思い出・簪と二人で
684
﹁そういえば⋮⋮、最初に誘った時も⋮⋮、それにウォータースライダーに乗る前も、
⋮⋮ちょっと、の、のりきじゃなかったみたいだし⋮⋮⋮⋮﹂
﹂
?
ラウマから身動きが取れなくなってしまうのだ。
これらのせいで、潤は水につかって外部の光景を得ようとすると、数年間にわたるト
い。
水中で身動きが取れなくなった、││視覚情報以外消滅していたので動きようがな
水難事故、││脳みそを摘出されて謎の液体につかっていた。
潤は嘘を言っていない。
じゃあ、今までなんで、と驚いた顔をする。
﹁え
して、呼吸困難になるんだ﹂
その時のトラウマのせいで、体の半分ほど水につかった上で顔も浸かると、筋肉が硬直
﹁実は、その、水難事故にあって水中で身動きが取れなくなったことがあってな⋮⋮。 ﹁うん⋮⋮﹂
﹁笑うなよ﹂
﹁それじゃあ、⋮⋮その、なんで⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮自分の価値を低く見積もるのは悪い癖だぞ。 器量が良いんだから、自信を持て﹂
685
リリムとの思い出の一つに、極寒の最中川に飛び込んで逃げて互いに裸になって体温
﹂
を分かち合い、極寒の夜を共に明かした記憶があるが、ここで初めて自分にトラウマが
あるのを知った。
﹁お、泳げなかったの
れる、なんて情けない姿を晒したこともある﹂
び込んだことがあるんだが、そうとは知らなかったせいで助けようとした相手に助けら
か、背泳ぎだったら泳げるんだが厳しいかな。 ちょっと前、友人を助ける為に川に飛
﹁顔がつからなければ大丈夫⋮⋮、いや、流れるプールもアレだったけど。 犬かきと
!?
が経っているから、大丈夫か知りたかったのもある﹂
?
﹁⋮⋮そうだったんだ﹂
こんな時でも気遣いをしてくれる、それが嬉しい。
場を和ませる愛想笑いが、自分を守るためだと思って逆に恰好よく見えた。
﹁体が硬直したから⋮⋮、あはは、まだ治ってなかった﹂
﹁ウォータースライダーで⋮⋮、抱き着いてきたのは
﹂
﹁簪の方から誘ってくれたのが嬉しくて⋮⋮。 それに、川で溺れた時からだいぶ時間
プールに誘ったのは、ちょっと残酷な行為だったのではないか、と思ってしまった。
﹁⋮⋮じゃ、じゃあ⋮⋮⋮⋮。 なんで、どうして⋮⋮⋮⋮﹂
1─5 夏の思い出・簪と二人で
686
﹁言うに言えなくて、悪かった﹂
一旦昼食を取って、水につからないアトラクションで遊ぼうとしていた潤と簪だった
││││
て暫くの間、嬉しそうに笑っていた。
はたして潤には何がそんなに可笑しかったのか知らないが、簪は暫くその言葉を聞い
しさを感じる声を覚えている。
優しさが、とても嬉しかったのを、自分を救いだしてくれた時の嬉しさを、あの頼も
は確かにいる。
完全無欠でないけれど、同じくらい弱いところもあるけれど、簪にとってのヒーロー
トーナメントの事を言ったのかと思い、例の映像を思い出す。
﹁そう、⋮⋮だったね﹂
ボロ雑巾になった事もあるからな﹂
﹁当たり前だろ。 完全無欠なんて存在しないんだ。 IS学園の生徒二人助ける為に
ろもあるんだな、って﹂
﹁⋮⋮いいよ。 でも⋮⋮⋮⋮ちょっと安心した。 潤にも、⋮⋮私みたいに弱いとこ
687
が、再び遊ぼうとしてもちょっと出来ない雰囲気があった。
﹄
一
水上ペア障害物レースなるものが午後一時から開始らしく、一時的に入水が制限され
ていた。
参加者の女性陣に今一度大きな拍手を
司会のお姉さんが会場の雰囲気を盛り上げようと、声を張り上げている。
﹃さあ、皆さん
﹂
﹁⋮⋮って、鈴とセシリアじゃないか というか、何故セシリアと来ているんだ
夏はどうした
?
!
くるしいものに変化していた。
たしかにやる気は漲っているが、表情はにんまりしており、その整った顔はとても愛
しかも、入念に準備運動を施し、体をほぐしていた。
ペア同士だったが妙に牽制しあっている。
?
!
?
流石にラウラや潤と比べるのは可哀そうだが、ちょっと格闘技術に乏しい軍人なら互
のも相応の訓練を施されている。
彼女たちの乗る機体の性能たるや、軍隊に比較される程であり、それに搭乗されるも
二人は専用のISをもつ国家の代表候補生である。
﹁⋮⋮⋮⋮代表候補生なのに、本気だなんて﹂
﹁⋮⋮奴ら、本気だな﹂
1─5 夏の思い出・簪と二人で
688
角に戦う事だろう。
競技用ピストルが鳴り響くと同時にセシリアと鈴は大立ち回りを演じた。
何組ものペアを水面にどんどん落としていく。
そして先行組が現れて危機感を覚えるや否や、ISのプライベート・チャネルを使っ
たのか、見事なコンビネーションで参加者のビキニを奪うことまでしでかした。
脳波制御装置を備えている潤の専用機﹃ヒュペリオン﹄が、二人の会話をなんとなく
形にする。
曰く、勝つためだそうです。
続く障害物溢れる水上の島を、難なく攻略していく。
│││鈴さん
﹂
最後に、迫りくる武闘派の柔道レスリングメダリストペアを難なく躱し│││正確に
足で
!
!
!
は身軽な鈴が、セシリアの顔を踏み台にして跳躍│││ゴールした。
﹂
わ、わたくしの顔を
│││甲龍
﹁今日という今日は許しませんわ
﹁はっ、やろうっての
!
﹁これは、流石に止めないと不味いな﹂
先ほどの通り、軍隊に比較される程の代物を、だ。
開する。
水着姿のセシリアと鈴が、それぞれの専用機、
﹃ブルー・ティアーズ﹄と﹃甲龍﹄を展
?
!
689
﹁そうだね。 潤、頑張って﹂
困惑と興奮が入り混じる司会の言葉と同様、周囲の観客も普段お目にかかれない二機
のISを前に浮かれている。
そんな周囲を置いてけぼりにして、セシリアと鈴はブレードを重ね合わせた。
﹂
!
そして│││
ファンネルは、その二機を囲むように展開されていた。
目の前の二人が手を伸ばせば届く至近距離で武装をフル展開する。
意で選択できる。
このアルミューレ・リュミエールは設定で、内部からの攻撃を通すか通さないか、任
その一度でいい。
せばエネルギーを八割食うという燃費の悪さで、試合中は一度しか使えないが、今回は
エネルギーの関係で、五分間の展開が限度であり、充電の為にファンネルラックに戻
の光波シールドの展開である。
潤がこれからしようとしているのは﹃アルミューレ・リュミエール﹄と言われる鉄壁
アンロックユニットに装填されているビット兵器を二人の争い中心点に向かわせる。
白と黒のIS、ヒュペリオンを展開。
﹁頼むぞ、ヒュペリオン。 行け、フィン・ファンネル
1─5 夏の思い出・簪と二人で
690
アルミューレ・リュミエール展開と同時に、双方の攻撃は、甲高い爆音と衝撃を伴っ
てウォーターワールド全体を揺らす。
⋮⋮あ﹂
⋮⋮あ﹂
内部に閉じ込められ、くまなく衝撃に取り囲まれた二機は仲良くプールに落ちていっ
た。
﹁なによ
﹁なんですの、横から
⋮⋮って、お、男
あっ、小栗潤
﹂
﹄
そのトンデモない闇抱えてそうな、その目、めっちゃ
!?
男がいた。
!?
ちょ、ちょっと瞳が怖いんですが⋮⋮﹂
﹃あ、ISがもう一機
﹂
﹁あの、何故そこでニッコリと微笑んで﹂
﹁二人共⋮⋮﹂
怖いんだけど
﹁なんか目が危ないんだけどっ
?
﹁セシリア、私超怖いんだけど、あれ説得してくれない
?
!?
!?
﹁あ、あの潤さん
!
ここ最近ですっかり馴染みになった、仄暗く、底の見えない奈落のような瞳をもった
二人が宙でみたIS、ヒュペリオン。
﹁お前ら何をやっている﹂
!
!
691
り、鈴さんの方が仲いいとか言い訳をセシリアがしている声を遮って潤が声を出す。
ナニコレ、頭のナカニ直接コエガ聞コエテ、アガガガガガ、鈴が苦しむ姿も、今の潤
にはいささかも動じない。
﹁二人共、お仕置きだ﹂
幸いにして怪我人や、物損被害はなかったものの、プールにはメンテナンスが入ると
のことで、なんと閉園になってしまった。
調査書を作るために潤も同行中し、二人は司会のお姉さんと、ウォーターワールドの
責任者に絞られている。
止めただけとはいえ、ISの無断使用は厳禁。
学園に帰れば始末書と、千冬の厳しい特訓が待っている事だろう。
くなる程低下してしまった。
しかし、今日何度も最高を更新していた機嫌は、モノレール駅手前で、過去最低に近
いう意味で満足していた。
簪にとって、泳げない相手を無理に誘って遊ぶより、潤の勇姿を見ることが出来たと
帰り道も手を取っての帰還である。
簪と隣り合わせで帰る道、今まで黙っていた潤がそう言った。
﹁午後、潰して悪かったな﹂
1─5 夏の思い出・簪と二人で
692
693
駅で、待ち構えている人が居る。
水色の髪の毛と外に跳ねる癖毛。
妙に自信を持った顔つき。
簪にとっての恐怖の対象。
IS学園生徒会長、更識楯無の姿、扇子をパチンと閉じる音がやけに響いて聞こえた。
1│6 生徒会メンバーと
階段の上に会長が居る。
潤がちらっと簪の方を見ると、いそいそと背中に逃げ場を確保して、肩越しに会長を
見ている。
トーナメントでのマインドコントロール、恐怖の侵攻でこうなっているわけだが、こ
の姉妹は一体何時になったら仲良くなるのだろうか。
ぼーっとしていると突然の突風に煽られ、会長のIS学園のスカートの裾が捲りあが
り、パンスト越しに紫色のデルタゾーンが露わになる。
ちょっと恥ずかしげに頬の色を桜色に染め、スカートを押さえる会長。
偶発的な色仕掛けに、潤がどんな反応をするのか気になったのか至近距離で顔を除き
こむ簪。
動じない潤。
﹂
?
簪に了解を取って、一旦歩道に戻るとエレベーターの方に足を向ける。
﹁え⋮⋮、あ、う、うん﹂
﹁俺たちは何も見てない。 いいな
1─6 生徒会メンバーと
694
﹂
恥ずかしそうにする会長を見て居たたまれなくなったので一切合切を無かったこと
にした。
﹂
エレベーターの扉が開くと、再び会長が目の前にいた。
﹁お帰りなさい、二人とも﹂
﹂
﹁なに無かった事にしてるんですか会長﹂
﹁⋮⋮な、なんのことかしら
﹂
﹁ズバリ││﹂
﹁ずばり
﹁ズルいじゃない
簪ちゃん、その、今日は⋮⋮楽しかった
会長が潤の右側に陣取ったため、簪が左側に移動していく。
﹁ああ、そうですか。 で、なんの用です
?
潤越しに会長が妹の簪に問いかける。
!
?
﹁⋮⋮楽しかったよ。 とっても﹂
ず笑顔になる。
まさか自分に話しかけられるとは思っていなかったが、今日の総括を求められて思わ
る。
普段の更識家ではまともに会話できないが、病院での一件から潤越しになら会話でき
?
?
695
﹂
﹁俺としては複雑な心境だ。 だけど、簪がそういうなら良かったよ。 また二人で何
処か行こうか﹂
でほっとした。
そんな相手とプールに来た、面白くないに決まっていると思ったが、簪が満足げなの
る。
体が半分くらい水に入るだけで動きがギクシャクし始め、体ごと顔がつかると溺れ
﹁今度は⋮⋮、潤から誘って。 わ、私は、何処でもいいよ
?
せ っ か く の 夏 な ん だ し ー、私 だ っ
簪としても次のデートの約束までこぎつけることができ、更に満足である。
﹁そ れ よ 簪 ち ゃ ん ば っ か り ズ ル い じ ゃ な い
てー、いちゃいちゃしてみたいー﹂
!
!
﹂
でたった一度しか来ない十六歳の夏が終わっちゃうじゃない
﹁それで
﹂
!
ようは食事に誘いに来たらしい。
﹁更識家の別宅でバーベキューするから、参加してね。 えっと⋮⋮簪ちゃんもどう
?
?
会長に言われ、手を取っていた二人が顔を見合わせてちょっと相談する。
﹂
﹁それなのに、知り合いの男の子はちっとも私に構ってくれない。 このままじゃ人生
﹁⋮⋮私には会長のキャラが分かりません﹂
1─6 生徒会メンバーと
696
簪は潤が参加するならいいよ、といったような感じで、潤は姉妹仲が少しでも良好に
﹂
なるなら別にいいかと判断した。
﹁別宅って、何処なんだ
﹁⋮⋮⋮⋮ごめん﹂
思い通り
﹄と新世界の神
!
とて振り払う気配はない。
!
色々考えた結果、簪は左側から腕を絡めた。
するとどうだろうか、会長は﹃思い通り 思い通り
!
何やってんだこの人、といった言葉がのど元まで出かかっているのは明白だが、さり
た。
怪訝な表情を浮かべる潤とは裏腹に、手を握られているだけの簪は気が気でなかっ
その手の手合いはお腹一杯です。
そこに痺れないし、憧れない。
日本人なら普通に出来ない事を平然とできている。
会長は日本人なのか否か、髪の毛の色や肌の色からして純粋な日本人ではないのか、
る。
会長が指差した方角へ足を向けた途端に、右側から会長が腕を取って体を密着させ
﹁IS学園のすぐ近くよ。 ここからでも歩いて行けるわ﹂
?
697
の様な表情で潤から腕を離し、簪だけが潤と腕組みしている状態となった。
﹁今日は振り回す対象が二人で楽しそうですね﹂
﹁まったくもって可愛げのない後輩ね。 ちょーっと簪ちゃんを││﹂
﹁お姉ちゃん﹂
ぱんっ、と勢いよく扇を開くとそこには﹃反省﹄の二文字が。
﹁おっと、⋮⋮ごめんなさい﹂
若干沈み始めた太陽に向かって歩く三人、その影が長く伸びていく。
怒られたものの、潤を挟んでいるとはいえ、疎遠だった妹と並んで歩けるという光景
に、ほんのり嬉しそうに微笑んだ。
そんな会長と一緒に、三人並んで整えられた遊歩道を進んでいくと、周囲の近代化さ
れた建物とは裏腹な木造建物があった。
外見は海産物の名前が特徴的な国民的アニメのようでいて、基本に忠実ながらも質素
でかつ壮麗で荘厳という素晴らしい物件だった。
昔懐かしいガラガラ音の鳴る扉を開けた会長は、ゆったりと振り向いて口を開いた。
靴を脱いでお邪魔させてもらう。
そういえば、まともに誰かの家に招待されたのなんて初めての事か、そう思いながら
﹁さっ、上がって頂戴﹂
1─6 生徒会メンバーと
698
靴を脱いで、どうしたものかと会長か簪の説明でも待とうとしていたら、ドア越しに
聞きなれた声と、若干大人びた声が聞こえてきた。
⋮⋮生徒会役員だったな、そういえば﹂
?
﹂
?
簪もそうだったし、箒もそうだったし、本音もそうだが、姉と妹とは似て非なる生き
そんな彼女は本音の姉を名乗ったが、⋮⋮これは、まったくもって││似ていない。
眼鏡に三つ編み、いかにも、お堅いが仕事は出来るキャリアウーマンといった風体。
﹁申し遅れました。 私は布仏虚、妹は本音﹂
﹁お姉ちゃん
﹁てひひ、怒られちゃった。 お姉ちゃん、ごめんね∼﹂
﹁駄目よ、本音。 相手はお客様。 私たちが招いている立場なのよ﹂
しかし、直前で隣にいた女性に待ったをかけられた。
本音も声を掛けられずとも潤の行動を理解してビニール袋を渡そうとする。
うと手を差し出した。
玄関に入ってきた意外な人物に驚くも、その手に持つ重そうなビニール袋を受け取ろ
﹁本音
﹁わ∼、おぐりんだ∼﹂
﹁ただいま戻りました、会長﹂
﹁おかえり﹂
699
物なのだろうか。
﹁本音、私はお茶を入れるから、その間にお客様を居間にご案内しなさい。 その後に
ケーキを用意してね﹂
﹁は∼い、じゃあ、おぐりんこっちだよ∼﹂
﹂
本音の後に続いて、これまた古風な和を感じる居間に通され、誘われるままに座布団
を借りて座る。
﹁簪さまも、小栗くんもどうぞ﹂
りはあたかも仕えるものの雰囲気を感じられた。
その仕草はちょっと齧った程度の手腕でなく、秘書のようで、お手伝いさんというよ
本音と正反対とも感じられる布仏先輩が、カップ一つ一つにお茶を注いでいく。
て会長が入ってきた。
その後、取りとめのない話をしていると、お茶やケーキを持ってきた布仏姉妹を伴っ
?
そして当然の如く、簪が隣に座った。
﹁布仏先輩が会長と呼んでいたからには、布仏姉妹は二人とも生徒会所属なのか
﹂
﹁布仏家は、代々更識家の⋮⋮、お手伝いさん、みたいなものだから﹂
﹁簪は
?
﹁⋮⋮入ってない﹂
1─6 生徒会メンバーと
700
﹁おぐりん、ここのケーキはね∼、ちょお∼おいしいんだよ∼﹂
会長と潤に挟まれる形の場所に座った本音が、最初にケーキを自分の皿に配るとフィ
ルムに付いたクリームを舐め始めた。
何度か見た光景ながら、布仏家ではどんな教育のされ方をされたのだろうと思った
が、姉がああならきっと本音がどうしようもなかったのだろう。
厳格そうな姉が立ち上がる前に、本音の旋毛付近を手の甲で軽くはたいた。
よ﹂
﹁わ∼い﹂
?
﹂
?
﹂
未だに妹が男と同居し続けていますけど。 会長が押し
?
寄せてきた時に隠しカメラを撤去したんですから、もういいのでは
?
﹁ところで、いいんですか
簪と会長は、そんな三人のやり取りを楽しげに見ていた。
理解が追いつかなかったようだ。
お客様扱いの潤のケーキまで貰って大満足な本音には、虚に対する微妙な返しに一瞬
﹁ん∼
﹁いえ、俺も結構助け、たす⋮⋮。 ││はい、お世話しています﹂
﹁何時も⋮⋮
││その、妹がお世話になっています﹂
﹁汚いから止めろって何時も言っているだろ。 ほら、俺のケーキをやるから我慢しろ
701
﹁最初は色々やきもきしたり、心配になったり、反発もしたけれど、結果としていい方向
にいったみたいだし。 それにお嬢様の決定ですし﹂
﹁あん、お嬢様はやめてよ﹂
⋮⋮虚さん、その、せ、説明してほしい、⋮⋮のだけれ
﹁失礼しました。 つい癖で﹂
ど﹂
﹁⋮⋮なんで、潤と、本音が
?
一夏なら織斑家という所在があるので性癖程度なら調べられるが、反面潤は全く情報
は、その特性上ノーブラノーパンで着用する必要がありってカットも際どい。
そしてIS学園の生徒はおおむね顔面偏差値が非常に高く、授業で着用するスーツ
た。
もし、普通の男が来たら、野獣になってしまうのではないか││その心配は当然あっ
興味がないなんて考えられない。
獣みたいな感じで見られているのは釈然としないが、普通の高校一年生の男子が性に
前々から分かっている事だったので覚悟も出来ている。
言いづらそうにしている虚から、潤が言葉を引き継いだ。
の作成、間違いを起こさないかのテスト、ですよね﹂
﹁⋮⋮そうですね、ちょっと深くは話せないのですが││﹁ハニートラップ対策、監視網
1─6 生徒会メンバーと
702
が無い。
ハニートラップ対策や、監視網を用意することの他に、潤が三年間女の園に在籍して
も大丈夫かのテストが必要だったに違いない。
教師と共に対策を練っていた生徒会長にとって、短期間で手軽に用いる事の出来る手
札が、﹃布仏本音﹄と、﹃更識簪﹄しかいなかった。
そして、会長は妹を簡単に手ごまと考えられなかった。
﹁さて、食事の前に、本来の目的について話をしますか。 ││二人とも、生徒会役員に
げに視線を合わせてこう言ってのけた。
会長は若干の間の後、簪に対しては少しだけ言いづらそうに、潤に対しては割と楽し
これは、真面目な話が来ると思って姿勢を正す。
布仏姉妹が台所へ移動してから、改まって会長が簪と潤に向き合う。
﹁おぐりん、ケーキありがとね∼﹂
﹁わかりました。 本音、行くわよ﹂
﹁さて、私は手筈通りに話を進めてくから、二人は食事の用意をお願いね﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁大体正解ね。 簪ちゃんも満足してくれた﹂
﹁こんな所でしょうか﹂
703
なる気は無い
﹂
を合わせて彼の答えを待っているかのようだった。
?
﹁トーナメント優勝、か⋮⋮﹂
る事なのよ﹂
して勝ったものは生徒会長になる。 そしてそれは私だけでなく次代の会長にも言え
﹁IS学園の生徒の長である存在は、最強であれ。 生徒会長は何時でも襲っていい、そ
﹁冗談⋮⋮って感じではありませんね。 理由を伺っても
﹂
簪は一度誘われているのか、その言葉を聞いても動揺は少なく、困惑で固まる潤に目
言葉の意味を考え、一瞬石になった。
?
後継者候補を探し出す場になっていた。
今は更識楯無が君臨しているが、次の会長のあてがなく、タッグトーナメントがその
倒ごとが多すぎる。
半端な人間に任せても簡単に会長が変わってしまうし、そうなっては安定しないし面
会長の言葉通りなら、生徒会長は正しく最強でなくてはならない。
に笑う。
声を揃えて今回の勧誘の原因を口にした潤を、会長が嬉しそうに扇で唇を隠して上品
﹁察しが良くて何より﹂
1─6 生徒会メンバーと
704
そして、その優勝者が簪と潤なのだ。
ならあなたに勝てばいいのよ﹂
﹁││それで、俺は会長とは戦っていませんよ
どうするんです
﹂
?
﹂
?
勿論、別の人が私に勝てば白紙に戻るけどね﹂
﹁簪ちゃんは一般役員。 潤くんは私に勝つか、私が生徒会を抜けるまでは副会長。 ﹁それで、私は⋮⋮どうなるの
んを生徒会入りさせるのは、全校生徒に対する前報告ね﹂
﹁私に勝てなくとも、私は来年の秋には会長の座から降りなければならない。 今、潤く
?
ント決勝戦での実力を鑑みるに、普通の二年生じゃ勝てるか疑問だわ。 それに、不満
﹁それでも生徒会長が最強でなければならないという規則は変えられない。 トーナメ
﹁男の俺が次期生徒会長筆頭候補となれば不満続出と思いますが﹂
り雰囲気が真面目だ。
口調こそ軽いものの、普段から考えられないほど真摯な思いが伝わってくるし、何よ
こんな感じが動機ね、と締めくくる。
きたけど、やっぱり正式なメンバーは欲しいのよ﹂
手が欲しい、というのもあるわ。 公募すれば大抵人手が集まるから、それで済ませて
﹁生徒会は、現状は三人で動かしてはいるのだけれども、二学期は色々行事も多いから人
705
負ける気はないけど、と不敵に会長は笑う。
打ち合わせるでもなく簪の方を見ると、簪はずっと潤を見ていたのか、視線が噛み
合った。
その簪が恥ずかしそうに眼を逸らしたが、それは﹃潤が入れば私も入る﹄と宣言して
いるようなもので、旗色が良いと判断したのか会長が畳み掛けてきた。
﹁勿論、二人ともやるべき事があるし、潤くんの場合は陸上部に仮入部している、そこら
へんは考慮するわ。 勿論行事の際には仕事してもらうけどね﹂
﹂
?
﹁しかし、俺は││﹂
﹂
﹁在学中、及び卒業後の身の保障をしてくれる組織、欲しいんじゃない
﹁⋮⋮更識家が後見人になると
?
﹂
?
で返答できません﹂
﹁分かりました、副会長の件はお受けいたします。 ただ、生徒会長の話は時期早尚なの
それに、そういった事務仕事が不慣れという訳でもなく、断る理由も特にない。
思える。
会長に振り回されるのは癪だが、何かしらの庇護が必要だった潤には魅力的な提案に
てきても調査や交渉に手を貸す。 どう
﹁最低でも私が卒業するまでは危険をシャットダウンする。 卒業後は、所属組織が出
1─6 生徒会メンバーと
706
﹁そっ、まあいいわ。 簪ちゃんは
﹂
?
﹁おめでとうございます、簪さま。 小栗くんもこれからよろしく﹂
﹁おめでと∼﹂
﹁それでは、小栗潤くん、簪ちゃん、生徒会着任おめでとう﹂
││││
それはまさに、悪戯が成功したガキ大将の様な笑みだったのだから。
潤は後悔した。
今までの上品な笑みとは違う、まるで子供のような破顔した顔つきに、ちょっとだけ
中では必然だったのかもしれない。
突然の来訪と食事の誘い、ここまで考えていたとなれば生徒会への加入は、この人の
﹁今日のバーベキューって、そのつもりだったんですか﹂
﹁それじゃ、当初の予定通り、歓迎会を始めますか﹂
した。
おずおずと追従してきた簪も生徒会へ入会し、会長にとってのメインイベントが終了
﹁⋮⋮潤が、は、入るなら⋮⋮私も﹂
707
今日のゲストである潤と簪を包むように三方向からクラッカーの音が鳴る。
話の最中に布仏姉妹が用意していたバーベキューグリルを囲っての事だが、綺麗に整
えられた庭を考えれば妙にミスマッチだった。
瑞々しい緑葉が池に浮かんでいるのを見て、苔が張り付いた、何でもない岩まで季節
のうつろいを感じさせる程の深い趣を感じる。
﹁いいのよ。 庭なんて使うためにあるのだから﹂
﹁心を読まないで下さい、会長﹂
仲が良いのか悪いのか、会長と潤の言葉を皮切りに食事会が始まった。
随分巨大なロブスターをまるまる一匹バーベキューグリルに乗せて焼いているあた
り、更識家は凄い名家であるらしい。
名家の令嬢と親しくなるのはこれで何回目か、知り合いに公爵家ご令嬢が二、子爵様
一、王様二、王子一と華々しい知人が沢山いた頃を思い出してしまう。
その他にも代表的な食材、ウインナー、タマネギ、ピーマン、牛肉、鶏肉、スペアリ
ブ、あまりに脂ギトギトなメニューに嫌気がさしたのか、簪は野菜ばかり口にしている。
﹂
いかにもアメリカ人が好みそうなメニューを、会長と本音と潤で少しずつ消化してい
く。
﹁潤くん、随分食べっぷりがいいわね。 小食じゃなかったっけ
?
1─6 生徒会メンバーと
708
﹁入れようと思えば入る胃袋なので。 それより会長、食べすぎると肥りますよ﹂
大きくなるかも﹂
?
?
﹁⋮⋮酒じゃないですか﹂
ビールの方がいい
?
﹁この家ではおねーさんが法律です﹂
本では未成年の飲酒と喫煙は禁止ですよ﹂
﹁どちらかというと麦酒の方が好みですが。 って、そういう話じゃありません。 日
﹁チューハイは苦手
﹂
ジェスチャーで飲むように急かされて、申し訳程度にちょっと飲み込んだ。
た潤のコップに飲み物を注ぎ込んだ。
会長がちょっとだけしんみりした表情になったが、すぐさま立ち直って空になってい
た。
一縷の望みをかけて、しなだれてくる会長を常識人である妹に押し付けたら返され
﹁⋮⋮無理﹂
﹁⋮⋮駄目だこの人。 簪、助けてくれ﹂
﹁簪ちゃんに食べさせてあげたら
﹁いきなりシモに走らないでください﹂
から﹂
﹁その辺の匙加減は完璧だから大丈夫。 それに、私は、お・っ・ぱ・い、に栄養が行く
709
無駄に実った胸を張って会長が宣言する。
﹂
これは駄目なパターンだと判断して、食材を焼くのと、程よく焼かれた食材を配るこ
とに徹していた虚に目を向けた。
﹁布仏先輩良いんですか﹂
﹁虚でいいわ。 まぎらわしいでしょ
﹁では、虚先輩で﹂
﹂
は当主の称号であり本名ではないらしい。
﹂
IS学園の侵入者やデータ盗難の防御など多岐にわたり、会長はその当主で、楯無と
うだ。
まず、更識家は裏方の様な仕事を防ぐ仕事、対暗部用暗部という特殊な家系であるよ
も色々な事が分かってきた。
諦めて簪の傍まで歩み寄り、元々生徒会役員だった三人の話を聞いている内に、潤に
﹁お嬢様││楯無さんがそう言っているのだから、それでいいのよ﹂
?
﹁お、お姉ちゃんの名前、き、気になるのっ
?
会長の存在は不気味で戦力分析が上手くできない。
﹁⋮⋮聞いたら不味い類の物なのか。 すまん、忘れてくれ﹂
?
﹁会長の本名ってどんななんだ
1─6 生徒会メンバーと
710
IS学園に侵入した際の仮想敵として考え、││今は自分が特務隊所属でないことを
思い出して思考を破棄した。
次、布仏虚。
ルームメイト、本音の姉。
顔立ちは似ているし、体のラインも良く似てはいるが、外面以外のあらゆる要素が真
逆に位置している。
篠ノ之姉妹に比べれば月とすっぽんだが、しっかり者の雰囲気と、眼鏡に三つ編み、妹
の本音と違いお堅い雰囲気を醸し出している。
ちなみに生徒会での仕事は会計で、整備科に通う優等生らしく、本音も整備科に進む
能力を持っているとかいないとか。
﹂
?
空になったウォッカのビンを片手に、縁側に寝そべって簪に膝枕されている本音を見
ない。
今度打鉄弐式のパーツ作成についてそれとなく聞いてみようかと思ったが、不安しか
﹁駄目だこりゃ。 ⋮⋮ウォッカなんて飲むから﹂
﹁⋮⋮本音、お酒臭い﹂
﹁くぁwせdrftgyふじこlp
﹁本音、虚先輩が飲むならいいが、お前が飲んだらただの事故だ﹂
711
てため息が出た。
﹂
もう片方に握っているコップ、その中に半分ほど残っていたウォッカは潤が美味しく
頂いた。
﹁⋮⋮わ、私も、飲んでみたい、かな
﹁潤、酔ってる
﹂
﹁やめとけ。 酔うと目の前の男がオオカミになるぞ﹂
?
﹁大丈夫なの
﹂
度しか寝てなくて││そのせいか酔いが早い﹂
﹁最近夢見が極端に悪くてな。 寝付いても直ぐに起きてしまうから、三日に数時間程
?
まあ、大丈夫さ﹂
?
らした宴会は一時間程続いた。
﹁潤くん、肩こっちゃった。 おっぱい揉んで﹂
﹁飲み過ぎです、会長。 あと、死んでください﹂
﹂
虚は﹃私は片付けがありますので﹄と酒の類は飲まなかったが、会長を含めてだらだ
た。
潤がほろ酔い気分になって口が軽くなった頃に、簪もちびちびチューハイを飲みだし
﹁うん
?
﹁お嬢様、明日の公務に触りますからその辺になされては
?
1─6 生徒会メンバーと
712
﹁夏休みのたった一日くらい良いじゃない﹂
缶チューハイを何本も開けた会長が、心地よさそうに笑って虚と会話を重ねる。
程よく出来上がっているようで、靴下を脱いで、上着のボタンを二個外し、胸の谷間
を露出させていた。
﹂
諌める虚を振り切ると、簪の隣で座っていた潤にもたれ掛かり、新たな缶のタブを引
いた。
を差し伸べる。
?
﹁駄目、お姉ひゃん﹂
﹁なに∼、簪ちゃんも邪魔するの
﹁これ私のらから﹂
﹂
やれやれといった表情で虚が片付けを始め台所に消え、救いは無いと思ったら簪が手
手を取ろうとする会長、防ごうとする潤、カンフー映画のワンシーンみたいになった。
いる。
その間にも酒乱がフロントホックらしいブラを外させようと潤の手を取ろうとして
礫とばかりに首を横に振られる。
酒乱に絡まれて助けを求める為に、潤はほぼ素面状態だった虚に助けを求めるが梨の
﹁潤くん、私酔っちゃった。 息苦しいの、ブラのホック外してくれる
?
713
﹁お前も泥酔状態かよ﹂
簪の脇を見ると、空になったチューハイやらビールやらが小山を築いていた。
呂律のまわらない口調といい、赤く染まった頬といい、もしかしたら一番やばいかも
しれない。
﹁簪ちゃんばっかりズルい。 お姉ちゃんにも分けて頂戴﹂
﹂
﹁駄目││私の。 ん﹂
﹁ぅん
瑞々しく柔らかい物が触れ合う。
唇で潤の口を塞いだ。
簪は、姉と格闘をしている潤の胸元を掴むと、強引に自分の方を向かせると、自分の
!?
﹁な、⋮⋮嫌らった
﹂
来ているので妙な感傷に囚われたりしないが、簪のこれは色々わけが違う。
唇を合わせる程度なら人工呼吸含めて何度も経験しているし、リリム関連で耐性が出
簪は頬を押さえて恥ずかしがり、潤は複雑な表情をしていた。
る。
横で会長が呆然としている、簪の膝で爆睡していた本音が起き上がって呆然としてい
﹁えへへ、キスしちゃった﹂
1─6 生徒会メンバーと
714
?
﹁嫌じゃないが⋮⋮、酔いすぎだ。 水でも飲んで一旦休んだほうがいい﹂
会長はさぞ嬉しそうに笑いながら屋敷の中に入っていった。
本音は未だに二人の様子を伺っている。
潤の目の前にいる簪は、強く、寛大で、豪胆で、強気で、寛大、それらの全てを持っ
ているような気がした。
﹁ん∼
﹂
﹁かんちゃん﹂
その事を簪に告げると、帰寮するために荷物を取りに屋敷に入っていった。
届を出していないので千冬に迷惑が掛かってしまう。
良い感じにアルコールが回っているので、更識家で寝泊まりしてもいいのだが、外泊
とだけ言って縁側から立ち上がった。
﹁そうか。 そりゃあ、そうだよな、おかしいよな﹂
は無かった。
出鼻をくじかれた潤は、気勢がそがれたのか、変に何かを悟ってそこから先を言う事
潤が簪に話しかけようとした時、酔っていた簪が言葉を遮った。
﹁そ、そんなに、ジロ、ジロ、見る男子、⋮⋮嫌い﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮なあ、簪。 実は、俺、そ││﹂
715
?
﹁今のはまずかったよ﹂
﹁さっきのは、意味があっひゃの∼
﹂
?
ぼんやりと唇に残る、甘い感覚を楽しみながら喉を潤した。
そんな二人の会話を耳にして、もう一缶手にしてタブを開ける。
にいてあげるよ∼。
おぐりん、私も帰る∼。 何言ってんだお前。 名目上監視が必要じゃん、私が一緒
何か意味ありげな事だけいって、本音は潤の方へ歩いていった。
﹁││しょうがない、私がやるか﹂
1─6 生徒会メンバーと
716
そのせいで昼もとうに過ぎた時間になったが、時間に追われている訳でもないので特
て外に出た。
利用して男女共用の障碍者用トイレに入って変装、みっちり二時間後になるまで待機し
変装の前後を監視カメラに記録される訳にはいかないので、カメラと人目が無い隙を
で変装と分かる欠陥能力だが、この世界の一般人を騙すのにはこれ以上のものはない。
魂魄の能力者かつ性的なパスが存在しなければ出来ない癖に、魔法使い相手なら一瞬
店員は滅多に見ない外国人女性に驚きはしたものの、普通に処理を進めてくれた。
魂のちょっとした応用で、潤は現在ティアの姿を模している。
か、そう考えればこの美味しくないパンでも食が進む。
右手に巻きつく腕時計以外に、あらゆる重荷がない事実ははたして何年振りだろう
コンビニで買ったワンコインで買えるハンバーガーを齧って水を飲む。
た。
空気に夏の緑の匂いを感じながら、IS学園の敷地とは無関係な道を適当に歩いてい
駅のすぐ近くにある自然公園から、蝉が暑さを掻き立てる様に鳴いている。
1│7 思い出の地にて
717
に問題ない。
駅から出て、警官から職務質問をされたが、瞳を合わせて催眠状態に移行させて帰ら
せた。
今度は暗示をかけて目の前の現実からちょっと目を離させただけである。
普段なら、色々な情勢問題然り、監視の目然りで、極力目立つことを避けていたので
使って無かったが、今は全く問題でない。
今や潤はただ一人の、この世界の人からすれば普通の女性でしかない。
監視用の黒服もいない、ISはステルスモードに切り替えている、隣を歩く人はいな
い。
有体にいえば潤は、││IS学園から脱走してココに居る。
うか。
もしも、こうなる前に、自分から誰かに助けを求められたらこうならなかったのだろ
もしれない。
元々色々な不幸な出来事に見舞われる体質だったが、それが極まったと言っていいか
この年、潤の身に色々な事が起こった。
ティアの甲高い声が自分の口から出る事に、凄い違和感がある。
﹁盗んだバイクで走り出す、か。 少しは自由になれる気がするじゃない、重畳、重畳﹂
1─7 思い出の地にて
718
いや、ちょっと誰かに自分の身を委ねるだけで、ほんの少しでも気持ちを誰かにぶつ
ける余裕があったのなら、あれ程酷い結末を迎える事は無かったと思う。
そんな簡単な事に気付かず、他人に諭されるまでどうにもならなかった。
﹂
﹁おぐりん、また隣で寝て良い
﹁はあ
?
﹂
?
そして夜││
その目は何かを語りかけているかのようだったが、今の潤には分からない事だった。
本音は潤の監視も兼ねているので筋は通っている。
が一緒に帰ると言いだした。
泊まっていけばいいという会長の言葉を断固拒否して寮に帰る、その時になって本音
││││
この駅前の遊歩道を歩いている原因は、更識家で夕飯をご馳走になった夜まで遡る。
半開きの眠り眼で、何故こうも観察眼が良いのか。
切欠は本音。
﹁簪の事が言えないな。 我ながら情けない﹂
719
これから寝ようと言う時になって、電気を消す直前に本音がそうのたまった。
既に三回やらかしているので今さらだが、何を言っているのかこの女の子は。
﹁却下だ﹂
﹁あるぇ∼、もう三回もしてる事じゃん。 おぐりん、ケチだぞ∼﹂
過去三回。
鈴がIS学園に近寄ってきてそれに触発されて一回目、本音が風邪を引いて歩くのも
辛くなった時に二回目、ホラー特集を見た夜に一人で寝るのが怖いと言って三回目。
確かに既にした事なので此処に至ってどうのこうのと言わないが、本当に本音は﹃わ
∼い、お兄ちゃんみたいのが出来たぁー﹄としか思っていないのだろうか。
だからもう少し恥じらいをだな⋮⋮何をしている﹂
﹁一回ヤッたら何度ヤっても一緒だってとかいうナンパ男じゃあるまいし、女の子なん
反論を聞く前に、見かけ的には胎児のように丸まって寝ようとする潤の隣に枕を置い
ていた。
そのまま枕をポンポンと叩くと、寝転がって気持ちよさそうに伸びをする。
飄々と自然体のまま、ただしたいようにやっているとしか思えない。
キツネよりはネコの方がお似合いかもしれない。 パジャマ的な意味で。
﹁⋮⋮午前中にホラーものでも見たのか﹂
1─7 思い出の地にて
720
﹁違うよ。 でも、こうした方がいいと思って﹂
誰か、と言っても深夜の寮には潤と本音以外には誰もいない。
がった時、誰かに首根っこを掴まれ、後ろから抱きとめられた。
仕方がない、そう判断して、簪から頼まれている打鉄弐式の開発を進めようと起き上
気絶するまで精神が全力で睡眠を拒絶するで、ずっと何かをしているしかない。
﹁⋮⋮酒の力で寝られると思ったんだがな﹂
あの日の、あの夢を、何度も見せられるのは、それほど辛い。
勿論寝られればいいのだが、寝るともっと酷くなる。
あの日から、消えてくれない。
る幻覚を見る。
暗い場所でじっとしていると、その暗闇から、血まみれのリリムがこちらを睨んでい
しかし、さりとてただベッドの上でじっとしている訳にもいかない。
ずっとそうしていた。
本音に背を向けて、寝た時と同じく胎児のように丸まったまま、日付は変わっても
そのまま電気を消してから数時間、潤は未だに起きていた。
﹁おやすみ﹂
﹁はいはい、もういいよ。 おやすみ﹂
721
疑う余地もなく、感じる体温は本音の物で、まるで潤が何処かに行ってしまうのを必
ちょっと放して││﹂
死に繋ぎ止めるかの様だった。
﹁起きていたのか
﹁逃げちゃ駄目﹂
る﹂
?
﹁嘘つき、寝られないくせに﹂
﹁││⋮⋮、何時から気付いていたんだ
﹁夏休みの最初のほうかな﹂
﹂
﹁なら、今すぐ離して、隣のベッドに戻って朝までぐっすり寝ているんだ。 俺もそうす
﹁おぐりんのしたい事﹂
﹁何を言って⋮⋮、えぇい、お前は何がしたいんだ﹂
?
簪に話した通り、最近夢見が極端に悪い。
気になれず、徐々にどうでも良くなっていった。
何故こんなに素直に言う事に従えるのかと疑問に思うものの、なぜか腕を振りほどく
まず肩の力を抜いてリラックスして、という本音に従って体から力を抜いていく。
﹁謝っちゃ駄目、自分が悪いと思っちゃ駄目。 我慢しないで﹂
﹁そうか⋮⋮、すまないな、丸一月も、邪魔だったろう﹂
1─7 思い出の地にて
722
これが良くない信号である事は知っている。
悪夢とは実は健全な精神活動の一つであり、強いストレスを受けた人間は、悪夢を見
る事でストレスを発散しているのである。
ということは、悪夢が原因で寝られなくなった時、それは本当に危険な状態であると
いえる。
強いストレスを発散することが出来ず、内側に貯まっていく一方になるのだから。
﹂
?
同じ形に歪んでいるのだろうか、いや歪んでいたから、こうまで親しくなったのかも
手がおらず、一人で居たいと現実から目をそらし、徐々に心を閉ざしていった。
泣き言を言う事は出来ず、次から次へと舞い込んでくる任務に心は鬱屈し、頼れる相
気付いた時には改造手術を受け、意識が戻った時には大人になっていた。
簪との関係は、思った以上に歪んでいたらしい。
﹁││そう、かな。 いや、きっと、そうなんだろうな﹂
決めつけて、泣き言も言えずに心を閉ざしていた頃﹂
﹁おじょーさまと比較され続けて心が鬱屈して、だけど、能動的な行動は甘えだからって
﹁昔の、簪⋮⋮
と同じ顔してる﹂
﹁私ね、昔からかんちゃんと一緒にいたから知ってる。 おぐりん、今、昔のかんちゃん
723
しれない。
﹁それで、どうしてほしい
﹂
﹂
?
苦いものを吐きだす様な、重い口調で次の言葉を言うのには、数分の時間を要した。
心でないと一刀両断される。
難しい顔で長く考え込んだ後に、絞り出すように口を開いた潤だったが、本音には本
﹁嘘つき﹂
﹁⋮⋮いや、本当にこれを言おうと││、俺は、一人前の⋮⋮﹂
﹁もう一声﹂
﹁助けて欲しいことが⋮⋮﹂
﹁逃げないで﹂
﹁││あれは、その⋮⋮﹂
﹁嘘つき。 帰る直前、かんちゃんに何を言おうとしたのか、言える
﹁いや││大丈夫だよ、本音。 俺は、大丈夫、一人で、何とかする﹂
?
長期にわたって放置され、回復することなく隠されてきたこの呪いは、元を辿れば脳
前の世界を含めれば、溜まりに溜まったストレスは最早呪いに近い。
震える声で何とか、全てを吐き出したが、代わりに体が震えてきた。
﹁⋮⋮誰かに、傍に居て欲しかった。 ⋮⋮甘えていたかった﹂
1─7 思い出の地にて
724
を取り出したあの原風景にまで遡る。
誰かに助けて欲しい。
この状況から救って欲しい。
﹂
しかし、ある種成熟しているとも言っていい潤が、心から甘えられる相手なんぞ見つ
かることは無く、欲求を叶えるのは不可能な状態だった。
﹁やっと、素直になってくれたね。 なんでこんな捻くれた成長したのかなぁ
﹂
あいつの言葉に乗って、一人前の仮面をかぶった、子供だよ﹂
﹁どういう意味
﹁本音、お前は、自分の││いや、これは││﹂
て。
たぶん、この言葉の先が、アンバランスな成長の仕方をした元凶かもしれないと思っ
煮え切らず、現実から逃げ出そうとするようにもがく潤を見て、本音が先を急かす。
?
?
﹁駄目、話す。 話さないと、何も変わらない。 だから、話すの。 いい
﹂
だけど、無理だったよ。 成長なんてしてないよ。 俺は、気付いたら大人になってた。
﹁⋮⋮昔、これが出来たら一人前、って言われた事を、││俺は出来るようになった。 ﹁ぜんぜん駄目駄目じゃん﹂
﹁俺は、一人前なんだ。 甘えたいなんて、助けて欲しいなんて、素直にいえないよ﹂
?
725
﹁││お前は⋮⋮自分の脳みそを見たことがあるか
そして、実に巨大な爆弾を口から発した。
た物を吐き出すかの様に一気にまくしたてた。
﹂
頭が処理しきれないが、隠していたことを一旦口にしたのが潤滑油となったのか溜め
?
﹄って、ガラス越しに愛おしそうに微笑むんだ。 ?
理解しようがない、おぞましい内容が頭の中に入ってくる。
い。
本音はどこまで本当の話か疑っていたが、今の状態を見るに限り創作の類には見えな
自分の胸元で泣きながら叫ぶ潤を見て絶句する本音。
カらしい地獄から﹂
らない。 今でも、怖いから一人でいる。 誰かに、助けて欲しかった。 こんな、バ
ど、誰かに優しくされると思い出す、あの時の、笑顔を、孤独を、恐怖を、辛くてたま
誰 か の 笑 顔 を 見 る と 目 を 背 け た く な る。 だ け ど、誰 か に 縋 り た く な る。 だ け
みそを保管していたあの水が怖い、あいつらの笑顔が怖い。 水が怖い、笑顔が怖い。
が俺に、お前も俺たちの仲間だって、弄繰り回されて死ぬんだって言うんだ。 俺の脳
他の実験体の連中も一緒さ。 僅かに動くカエルの様な頭と、不自然な位置にある眼球
いだろ、これでも生きてるんだぜ
﹁あいつら、笑ってた。 人を玩具みたいに、バラバラでグチャグチャで、俺を笑って﹃凄
1─7 思い出の地にて
726
血の色に塗りつぶされたガラスの外、死と静寂の世界、見せられ続ける自分の身体、
骨、神経 内臓、脳。
﹂
凍てついて動かない永遠を思わせる孤独な時間、人生の一瞬の狭間に誰にも見られた
くない世界があった。
﹁⋮⋮でも、それが、なんで助けて、って言えない理由になるの
それがどうなって⋮⋮﹂
?
そう僅かな望みを胸に宿して生きてきたが、その日は来ることなく心は鬱屈し、そこ
何時か、何時かきっと報われる日が来る。
て常に潤を縛り付けてきた。
麻痺した心、作られた身体、崩壊寸前の上に成り立った精神は、重度の精神障害となっ
泣き言を言えなかった原因は、潤が大人たらんとする心だった。
俺が散々世話になった男も、早く大人に、一人前になれって言ってたしな﹂
て意識が戻った頃には大人になってたし、益々言える機会なんて無くなっていったよ。
恋ってのは面倒でな。 夢も憧れも簡単に消えてくれなかった。 更に組み立てられ
﹁そいつが俺を研究所に押し込んだんだ。 言えるわけ無いじゃないか。 だけど、初
﹁えーと
なのに、なんで思い出すだけで笑えるんだろうな﹂
﹁⋮⋮、ふふふ、あはは、
﹃初恋の女の子に助けて欲しかった﹄、か。 自分の根本的願望
?
727
で誰かに傍にいて甘えさせてほしいといった願いが生まれた。
その甘えたい相手は、異世界に最初に来たときに助けてもらった、貴族の女の子だっ
た。
あの日のように、吹雪の中に放り出され、死を覚悟し、助けられたあの時のように。
それも、彼女が潤を研究所に押し込んだ遠因であり、更には敵国の貴族とあっては出
来るはずもない。
そこまで喋ってようやく落ち着いた潤は、深呼吸を三度繰り返し、普段通りの佇まい
に戻った。
﹁悪かったな。 ちょっと、女々しいかもしれないけど、話したら楽になった﹂
ら、つい甘えてみたくなったんだよね
﹂
﹁人の好意が怖い、か。 でも、かんちゃんがあまりに純粋に好きって表現してくるか
?
の 人 と は 逆。 辛 い 方、辛 い 方 へ 逃 げ て い く。 気 付 い て る
最 初 に 会 っ た 頃 か ら
﹁そっか、それでかぁ。 おぐりんって優しくすようとすると逃げていくよね。 普通
元の佇まいに戻ったと言っても、その表情は幾分穏やかなものになっている。
﹁そうか﹂
﹁誰にも言わないよ﹂
﹁たぶん⋮⋮、いや、きっとそうなんだろうな。 あー、それと⋮⋮﹂
1─7 思い出の地にて
728
?
ずっとそうだったよ﹂
﹂
?
今日ぐらいは、二人ともいい夢が見られればいいなと思いながら。
が船を漕ぎはじめたのを知り、自分も眠る体勢に入った。
病院で簪が気絶した時に真っ赤になって逃げだしたことを克明に話している最中、潤
愛想笑いをする潤に、本音はどうでもいい世間話を暫くの間続けた。
﹁言うだけなら簡単なんだけどな﹂
ロボロのままだよ
﹁受け入れなきゃ。 普通の人とは逆だけど、優しい世界を受けれないと、何時までもボ
﹁わかってる、分かってるけど⋮⋮﹂
閉じこもってないで、誰かの手を取らないと﹂
すがってしまいたいのに、傷つくのが怖いから人を遠ざけようとする。 一人で殻に
れだけ大事な人か知らないけど、そんな事までして、大人になる必要なんてないよ。
寄ったら、必ず酷い目にしか合わない。 早く大人に、一人前になれって言った人がど
﹁でも、それは間違いだよ。 優しく接してくれる人から逃げて、辛く当たる人の傍に近
ど、敵意は敵意のままだから⋮⋮﹂
﹁敵って裏切っても意表を付いても敵じゃないか、味方は、優しさは、裏切ると変わるけ
729
1─7 思い出の地にて
730
そのまま潤は眠り続けた。
夏休みに入ってから碌に寝ていなかったのもある。
しかし、長時間睡眠の要因は、あの手術以降において心の底から休める時間が無かっ
た事かもしれない。
昼間になった後にトイレに行くために起きる事があったものの、部屋に帰った後には
再び睡眠状態に入った。
簪と会長は別宅で寝起きしたらしく、生徒会からの連絡は特になし。
そして潤が目を覚ましたのは、就寝から丸々一日近くも経過した翌日朝六時だった。
ISを照らす朝日に導かれるように歩いて自問する。
自分は何がしたいのか。
本音に全てをぶちまけて何がしたかったのか。
何が出来るのか。
ぐるぐる頭の中で疑問が浮かんでは消えていくが、何一つまともな結論に至らない。
為したいことを為し、すべき事をすればいい、知り合いの受け売りだが、何を為した
いのか分からないのではどうしようもない。
そうこうしていると、IS学園から出るモノレール駅の前まで辿り着いてしまった。
まるで自分にIS学園という土地から離れて考えてみろ、そう言われたように思え
て、まるで誰かに背を押されたかのようにモノレールに乗ってIS学園を後にし││。
駅を乗り継いだ結果、自分が生まれ育った地にやって来てしまった。
││││
て来たという事にした。
設定としては夏休み明けにAETとして来ることとなっており、その下見としてやっ
勿論受付の事務員に対して暗示を掛ける事も忘れない。
校舎の中に侵入した。
そんな中学校の敷地周辺を一周し、夏休み中に練習に励む少年たちをしり目に堂々と
は結構違うように感じる。
通っていた元母校、現在は名前が変わっており、また外見も記憶の奥底に眠るものと
仕方がないので、方角的に自宅がある場所に向けて適当に足を運んだ。
学校時代の自分がどれだけ部活動にのめり込んでいたのか笑ってしまった。
自宅より先に、ラグビーの練習試合が行われた場所を思い出してしまったあたり、中
駅から自宅までの道のりを、なんとか思い出そうとする。
﹁う∼ん、微々たる差しかないせいで、逆に違和感が凄い﹂
731
校庭が見える場所まで来ると、ラグビー部の面々が土塗れになって練習をしていた。
それを見て、随分呆気なく涙の防波堤が崩れてしまった。
何もなければ自分のあの中に入れたのに、茹るような暑さに負けず、必死に練習をし
ている、あの中に。
だけど、潤の頭に僅かに残った面々、彼らと一緒になってラグビーをすることは二度
とない、それが無性に辛くて、悲しい
居ても立っても居られずに、自分に対して強烈な﹃意識外しの呪い﹄を掛けると、我
慢できずに静かに涙を流した。
その後、何処をどうやって過ごしたのかは分からない。
何時の間にか変装も解けていた。
もし見ている人がいたならば、一瞬で女性が男性に変わったことでパニックになった
ことだろう。
そして、気付いたら、自宅に帰る道を歩んでいた。
夕日に彩られた嘗ての通学路は、何もない普通の中学生だったあの頃を思い出させて
くれる。
結局、俺は帰りたかっただけか、あの頃に﹂
﹁宛もなく、ただただ彷徨い歩いた末にたどり着いたのが、元学校と元自宅とは││。 1─7 思い出の地にて
732
自分が何で、胎児の様に丸まって寝ようとしていたのか、何故誰かに助けて欲しかっ
たのか、甘えていたかったのかようやく分かった。
そして、なんで自分がこうも涙もろくなっているのかも。
大切な物を汚されて、自分で傷物にしてしまったからではない。
もしそうならば、鈴とは決して会わなかっただろう。
ナギと一緒の帰り道で、ティアとリリムと一緒に過ごしている中に、良い思い出も沢
山あったなんて思わなかっただろう。
自分が泣きそうなのは、それらを失ったことに対して。
何時の間にか失って、失った事すら知らずに過ぎ去ってしまった、あの頃を。
そして、今││今度は無意識的にも意識的にも、
﹃自らの意志で直視すべきだ﹄と思っ
ている。
だから、中学校と自宅に足を運んだのだ。
││おかえりなさい
家に帰ると夕食の匂いがして、庭で犬の散歩から帰ってきた祖母が出迎えてくれるの
放置されて荒れ果てた畑││だけど、そこには潤の家があった。
幻聴が、確かに耳朶を叩いた。
﹁ただい││⋮⋮﹂
733
だ。
ふらふらと草を掻き分けながら畑に侵入していく。
ここに玄関があって、こっちは台所、祖母の部屋がここで、二階に上がれば俺の部屋
がここら辺に││、口の中で家の間取を呟く。
二度とあの頃の自分に帰れない。
本当だったら玄関があった場所から見える景色を見て、自分の家だけが無いことに愕
然とする。
ら過ごしていたはずなのに。
やるかとか、潤は部活で怪我とかしてないだろうなとか、そんな何気ない事を考えなが
今日のご飯は何にしようかしらとか、今度の夏休みには一緒に旅行にでも連れてって
がら、終ぞ何一つ言う事なく消えてしまった。
何も言う事が出来ずに、ただただ普通の家庭の普通の息子として両親の手を煩わせな
自分は伝える事が出来なかった。
幻覚だと知っているのに、手を伸ばせば両親の背に手が届きそうだった。
今度は仰向けになってオレンジと黒のグラデーションとなっていた空を見上げる。
跪いて夕日を拝むように顔だけ上げた。
﹁うぅ⋮⋮ちくしょう、なんでこんなにっ⋮⋮﹂
1─7 思い出の地にて
734
735
親として、普遍的に息子に与えていた愛情を、一方的に裏切ってしまった。
それなのに、自分はそれに縋ってここに来ている。
││変わらなければならない。
完全に沈み、今度は満天の星が支配する中で、潤はそう思った。
なにを、どうやれば、再び疑問が顔をのぞかせるも、答えは無いようで既に出ていた。
今の自分は強化手術の後に、自分の記憶をダウンロードで補強した結果根付いたもの
でしかない。
怖いから目を背けて作り直し、辛い事があれば継ぎ接ぎの上から蓋を乗せて隠して
いった。
なら、その蓋の下、作り治された物に隠された、弱い心は││
それでも、身体を治すためギプスは取るものだし、補助輪を外すのは当然の行いに違
為、それが怖くないわけがない。
何年もつけていたギプスを取り外す、もしくは生まれて初めて補助輪を取り外す行
いた。
言うは易く行うは難し、怪我で病院した時も、自分に向けられた魂への介入は行って
脱ぎ去る行為に等しい。
魂魄で支配された全ての完全開放、人間が行う決意とは全く違う、いうならば仮面を
?
いない。
﹁さっさとやっちまえよ、潤。 また狂ったっていいだろ、本望なはずだ、ここで死ぬの
なら﹂
自分に言い聞かせ、││瞬間、潤の身体を根本から包んでいた何かが消えた。
││なんで、なんでこんなに、悲しいんだろう⋮⋮
ていく。
そして悲しみの数だけ絶望があって、それを覆して余りある悲しみだけが身体を貫い
記憶にある一つ一つの別れが絶え間なく虚無感を伝えてくる。
しくなかった。
自分が傷ついて、憤るだけしか出来なくなって、それが運命だと知った時もこれ程悲
││こんなに
どうしようもなく瞳が震え、涙が後から後から溢れだす。
何とか感情の激流をせき止めようと、喰いしばった歯からは血が滴りだす。
その効果が、どれほど潤を苛んだかは分からない。
﹁⋮⋮ぁ、ぁぁああアアあアァあァァっ﹂
1─7 思い出の地にて
736
頬に何かが当たって目が覚めた。
目を開ければ違和感、今まで胸に抱えていた物が無くなった感触。
夜も朝も関係なく、ともすれば夢や幻の続きではないかと思える時間が過ぎていく。
虚勢を張って強いつもりだった自分は、その裏側には弱いままの自分がいた。
だから、強くなろうとする。
ちょっと強くなっても、時間が経てば簡単に別の弱さと儚さが露呈する。
人間は、不完全で不器用だ。
夜の淀んだ空気を騒がしながら吹く風に、青葉を濡らした朝露が地に落ちる。
は、相変わらず悪運だけは強い。
意識外しもしていないのに、誰にも気付かれることなく四時頃まで寝続けられると
とりあえず、そこに安心する。
のに自分は狂わずに済んだ。
感情が無い状態からダウンロードしてつなぎ合わせた作り物の魂、それを取り払った
身体に異常は感じられない。
泣きつかれて寝てしまったらしい。
手で頬についた何かを払うと、朝露に濡れた木の葉が手にくっついた。
﹁⋮⋮﹂
737
暫くすると、空の彼方を朝日が照らし始め、荒れた畑に群生する草を照らし付け、露
に反射してキラキラ輝く。
何か救われたものを感じ、そのまま朝日が顔を出すのを待つことにした。
時が止まってしまったかのように静かな空間で、ただ深々と塗り替えられていく世
界。
立ち上がろう。
今までとは違う、新しい今日が来ると信じて。
立ち上がった自分の目に映るのは、限りなく広がる世界。
今度は確かに聞こえた。 ││いってらっしゃい
﹁父さん、母さん、いってきます﹂
1─7 思い出の地にて
738
くそったれな自宅で起きた後││得たものは少なく、失ったものは想像をはるかに超
にした。
新しい人生の幕開け、何度目だよ、を記念して立ち直るまでに限って手記を残すこと
sea
A c r o s s t h a t a n g r y o r t h a t g l i m m e r i n g with snow
B e y o n d t h a t l a s t b l u e m o u n t a i n b a r r e d
Always a little further; it may be
go
We are the Pilgrims, master; we shall ※この手記を拾った方は、是非とも1030号室に届けて下さい。
一期・エピローグ
739
一期・エピローグ
740
えている。
最悪の寝心地だったと思うが、IS学園より居心地は良かったと思いたい。
帰る途中、何かに誘われるように立ち寄った海外製品を取り扱っている店で、嘗ての
戦友が吸っていた葉巻を見つけた。
目を凝らして見てみたが、本当によく似ている。
思わず店員を言い包めて購入し、││ちょっと後悔した。
美味いとは言えない。
思い出補正に任せて胸は高鳴ったが、悔しさばかり滲み出てきてどうやっても不味く
感じる。 この事は忘れよう。
昼ごろにIS学園に到着した。 誰かに会うのが凄く怖かったので、スニーキングし
たので誰とも会っていない。
何がこんなに怖いのか理解できない。
本音なら普通に接することが出来たので、大体本音と一緒に居た。 友達って素晴ら
しいね。
俺がふらっと出て行ったことに対する混乱は全く起こっていなかった。
本音に尋ねると、織斑先生が、小栗なら私の使用で少し出かけている、とそういう事
にしたらしいといった貴重な情報を得た。
741
夏休みに入ってからあの疑似教官の言動が、こと俺に対して変な方向性を辿っていた
ので今さら驚かなかったが、何を考えているのか不安になる。
一日おいて次の日
日記と違うんだから毎日書く必要はないと割り切っていたが、余りに手持ち無沙汰な
ので二日目には続きを書くハメになった。
だって、陸上部の面々と会うのが怖いんだ。
起き上がって寝ている本音を観察して、この手記に適当な落書きをして、適当に本を
読み、先に寝た本音を観察して一日が終わる。
ああ、そういえば昼食を取りに行くときに簪と会長に会った。
この二人が一緒とは珍しい。
簪に別宅で何があったのかしきりに聞かれた、恐らくキスした事だろう。 あの時の
事は覚えていないのか。 相当酔っていたし、しょうがない。
酒の席でのことさ、気にしないさ、とだけ言って誤魔化した。 簪があたふたする様
を見て少し和んだ。 会長がああいう性格なのも納得する。
俺が愉快そうにするのを見て、会長と簪が酷くびっくりしていた。
怖いからその反応止めてくれ。
一期・エピローグ
742
何日たったか忘れた。
部屋から全然出ていない。飯を食いに行くときはスニーキングして購入、部屋で食べ
る。
簪には悪いが、暫くの間専用機の開発から外させてもらった。 どうにもそんな気が
起こらないから本当に勘弁してほしい。
偶然俺が帰ってきたのを知ったナギと癒子が1030号室に襲来した。
誰が見逃しても俺は見逃さない。 あいつら俺をチラチラ見てびっくりしていると
言うか、ぼーっとしている事があるのだ。
問い質したくても、返ってくる答えがどうなるのか怖いので、帰った後に本音聞いて
みた。
なんか何時も不機嫌で、怒っている様子だったのが、ある日を境に無垢な笑顔を浮か
べる様になったかららしい。
笑って悪いかと言ったら、そっちの方が良いと、本音は笑いながら言った。
織斑先生につかまった日
あの糞ウサ耳博士、織斑先生に全てをぶちまけていたらしい。
しかし、しかしだ。 奴も一人の巡礼者なのかもしれない。
先生の話を聞く限り、完全な悪ではないのだろう、ちょっと顔に四、五発ぶち込んだ
後、膝を突き合わせて酒でも飲んで話してみたいもんだ。
その後は交渉材料として委員会に行ってもらおう。 俺の未来のための礎となるが
いい。
これ以上、書くことは無いだろう。 過去を思いはせて紙に書くのは止めよう。
二学期からまた忙しくなりそうだ。
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮
流石に三時前ともなれば食堂に人が居ないだろうと判断し、食料を得るためスニーキ
ングしていたら千冬に見つかった。
﹂
今まで会長以外に見つかった事は無いのに。
﹁あ、どうも⋮⋮﹂
﹂
﹁小栗か⋮⋮。 もういいのか
﹁何がですか
警戒中の時はヒョコヒョコ顔を出して歩哨を行う、あのプレーリードッグの様な瞳で
?
?
743
千冬が顔を覗き込む。
暫くの間そうしていたが、何かに満足したらしく、視線を外した。
﹁││なんとか、なったようだな﹂
﹁⋮⋮ああ、そういえば、色々迷惑をかけたようで﹂
﹂
﹁今なら話せそうだ。 ││小栗、話がある。 ついてこい﹂
﹁えぇと、お断りする権利は
?
﹂
?
しかし、その眼下に晒されるのは、
﹃白騎士﹄として、
﹃ブリュンヒルデ﹄として、世
潤本人は嫌がるだろうが、戦士としての才能の表現、それは紛れもなく一級品の物。
内に秘めていたとは思えないほどの、信じがたい圧力。
も分かる。
能面の様な顔には何も浮かぶものが無く、それでいてありありと殺意だけは誰が見て
一瞬で顔に浮かんでいた感情が、漂白されて何もなくなったかのような変化。
に変化した。
瞬間││千冬の肌を包んでいた夏の暑さは、その気温を感じさせない程の冷たい圧力
中佐殿
│よろしいかな、エルファウスト王国、特務隊Fanatic Force所属、小栗
﹁無用な混乱が生まれそうな事を一つ見逃してやっただろう。 借りを返してもらう│
一期・エピローグ
744
界的に戦乙女として名を残す女傑。
廊下を埋め尽くす殺意を受け流す。
寮長室ですか
﹁それで、生徒指導室ですか
?
﹂
?
車を駐車場に止めてくると言う千冬を差し置いて、織斑という表札とその下のイン
車の中では特に会話は起こらず、あっと言う間に織斑家に到着してしまった。
三時ごろになって私服姿となった千冬と共に車で移動した。
私の家で、ゆっくり話そう。 酒くらいはあるぞ﹂
﹁そんな場所で話せる内容か
?
それだけでもリスペクトに値する。
味方と連携して指揮をとることがどれほど困難か。
無線のような簡単に通信を行える手段がない場所において、自らも前線で戦いながら
戦歴を残した接近戦のプロフェッショナル。
ISの様な起動兵器も無く、鍔迫り合う向こう側に敵が居る戦場において、輝かしい
顔に出なくとも肌は粟立っており、緊張した場面だったと振り返る。
廊下を埋め尽くしていた圧迫感が消えると同時に千冬は、少しだけ肩の力を抜く。
﹁分かりました﹂
い。 だから、その物騒な気配を抑えてくれ﹂
﹁そういう話だ。 それと、私はお前の味方だ。 弾劾しようとも、非難しようともしな
745
ターフォンを睨んで小休憩。
とりあえず千冬の家でもあるが、一夏の家でもある。
千冬のプライベート空間を侵食しなければ問題ないだろうと思い、取りあえず上がら
せてもらおうと思いインターフォンを押そうとして、中から響く声に手を止めた。
入って大丈夫なのだろうか、
﹃邪魔をするな ﹄と言ってISで攻撃されたりしないだ
ろうか。
﹁そっか、歓迎するよ。 喉乾いてないか、お茶でも入れるぞ﹂
﹁勝手に上がってすまんな。 ちょっと避けえぬ事情があってな﹂
﹁⋮⋮ととっ、潤も来たのか﹂
玄関の扉を開いた。
えたので、これなら大丈夫とお邪魔することにし、インターフォンを押して、躊躇なく
しかし耳を澄ませば、中から⋮⋮完璧な造形だぞ、というラウラと思わしき声も聞こ
!
だけでもと思ってスリッパをはいて、リビングへと向かう。
千冬が来るまで数分も掛からないだろうが、昼食を取り損ねているし、せめて飲み物
この場にいる面々を考えると、千冬が考える話の内容は出来ないのは確実。
のを貰っていいか﹂
﹁この調子ではまた移動確定だが、それは俺が決める事じゃないか⋮⋮。 一杯冷たい
一期・エピローグ
746
﹁皆、潤も来たぞ﹂
﹁なんでだよ
なんだったら泊まってってもいいぜ
﹂
?
﹂
?
﹁千冬姉、おかえり﹂
織斑千冬、その人である。
あの人は誰だと思った専用機持ち達にとって、唐突に予想外の人物がやって来た。
﹁なんだ、賑やかだと思ったらお前たちか﹂
﹁あの人
﹁俺も用事があって来たんだ。 この有様じゃ、あの人がそう言いそうだからな﹂
?
﹁いや、悪いが、すぐさま移動することになりそうだ﹂
見事な変わり身の早さである。
を用意して誘い出した。
周囲を威圧する雰囲気は相変わらずだったが、潤が来て一変、隣にクッション座布団
という事で取りえず輪の中に入っていた。
織斑教官が過ごした家に興味を持ってやって来たラウラは、シャルロットも来ている
に行ったんだよ﹂
﹁潤が来た瞬間、ご機嫌になりやがって⋮⋮。 さっきまでのむすっとした態度は何処
﹁おおっ、私の隣を譲ってやるぞ﹂
747
﹁ああ、ただいま﹂
潤の事は片隅に置いておいて、すぐさま千冬の傍に行く一夏。
右肩のカバンを受け取って片付け、昼食を取ったか否か、潤と同じくお茶を飲むか飲
まないか尋ねる姿は執事の様でもある。
そこまで一夏と何気なく接していた千冬だったが、教え子のどうにも圧迫された雰囲
気と、一夏の世話を羨ましそうに眺める視線に気づく。
﹁小栗、場所を変えよう。 良い場所を知っているから、案内する﹂
バタンとドアが閉じる音がして千冬が出ていく。
﹁ですよね﹂
﹂
予想通りに結末に潤はほんのり苦笑いを浮かべた。
﹁千冬姉と何かあるのか
罰を与えられる予定だ。 変わってくれるなら変わってやるぞ﹂
﹁福音戦の事とか、病院での事とか、先日の無断外泊の件について、小言と説教を受けて
?
千冬が居なくなって、やっと呼吸が出来る様になったかのように専用機持ち達が息を
にかっと笑って一夏を小突く潤。
﹁ははっ、冗談だ。 真に受けるな﹂
﹁うへぇ、勘弁してくれよ﹂
一期・エピローグ
748
吐いたが、その光景を見て再び息をのんだ。
潤ってああいう風に笑って冗談を言う性格だったっけ 僕の
?
?
︶
︵笑いながら冗談を言う性格だったけ
?
﹂
?
﹂
?
どんな心変わりかしら︶
││リリムの気配が、全く表に出てこない。
爽やかに笑って背中を叩く一夏を置いておいて、鈴の方を見る潤。
も悪い変化じゃないと思う﹂
﹁入学当初の面影が全く無いじゃないか。 そりゃ、誰だってビックリするって。 で
やっぱり変か
﹁会長にしろ簪にしろ、癒子もナギも、セシリアやシャルロットと同じ反応するんだが、
﹁ん
も、一夏﹂
﹁随分遠回りしたけどな。 ありがとう、もう大丈夫だよ、ラウラ。 ⋮⋮それにして
﹁⋮⋮一生モノのシェルショックを患ったと思ったが、吹っ切れたようだな﹂
︵そこはかとなく、小学生頃の一夏と重なるな︶
?
のでしょうか
︵いえ、わたくしに聞かれても⋮⋮。 色々ありすぎて本格的に駄目になってしまった
理解が追いつかない︶
︵セシリア、あれ何
749
あの一件以来、死に際の心臓の如く、影響力を感じたり消滅したりを繰り返していた
が、もう完全に居なくなってしまったらしい。
これでよかった、これでいいんだ、とも思ったがやはり悲しい物は悲しい。
﹁We are the pilgrims, master: we shall g
o.
Always a little further: it may be
B e y o n d t h a t l a s t b l u e m o u n t a i n b a r r e d
with snow,
A c r o s s t h a t a n g r y o r t h a t g l i m m e r i n g ﹂
sea﹂
﹁
﹁その詩は││﹂
﹂
カンドへの黄金の旅。
をも越えて かなた遠くへ至らん﹄、出典はジェイムズ・エルロイ・フレッカーのサマル
﹃われら巡礼者は あの雪に縁取られた地の果ての青き山を越え 荒れ狂う海 輝く海
箒の問いかけに頷くセシリア。
?
?
﹁知っているのか
一期・エピローグ
750
この詩はイギリス陸軍、SASの戦死者の名が刻まれるヘレフォードの時計にも記さ
れている。
また全てのSAS隊員が暗記している有名な詩で、鎮魂歌とも取れる詩である。
単に美味い料理を食べたければ、この高度情報化社会、いくらでも安くて優良な料理
秘密を守れるという事だ。
ここでいう高級というのは、単に酒や料理が美味いというだけではなく、訪れた人の
える隠れた名店でもあった。
また、ここのマスターは教養深いのか、長年の経験深さからくるのか高級バーとも言
大人の社交場であり、千冬の行きつけの店でもある。
夕方四時から翌朝八時まで開いているこのお店は、フランス製の調度品で統一された
駅から少し行ったところにある商店街の、その地下にあるバーに二人はやって来た。
何故かその背中は良く似ていた。
一夏に声を掛けられる事もなく颯爽と出ていく二人。
よ﹂
﹁一夏、今日は帰れないから後は好きにしろ。 ただし、布団が無いから泊まらせるな
﹁はい﹂
﹁小栗、別の場所へ移動するぞ﹂
751
を出す店は見つかる。
しかし、そういう店では秘密を守れない。
﹁千冬さん、男連れとは珍しい。 春でも来ましたかな
﹁すまなかった﹂
﹂
マスターが出ていくのを確認し、ビールを注ぐ訳でもなく、最初に千冬が口を開く。
が、コップを二つ持ってきて去っていった。
マスターが黒ビールをビンで持ってきて、潤が未成年だと知っているのか定かでない
部屋にこびり付くまで重ねた酒の匂いが本当に懐かしかった。
奥へ通されていく潤。
﹁││どうやらそのようで。 ではどうぞ﹂
りしたいのですが﹂
﹁冗談はよしてください。 顔を見れば分かると思いますが、訳ありです。 奥をお借
?
﹁UTが現れたのは、俺が原因です。 だから││俺が戦うべきでした﹂
リリム云々に関しては自分の非でもあった潤は、少しの間混乱した。
呆然とする潤の前で、千冬が頭を下げている。
﹁今なら分かる。 お前とあいつを戦わせてはいけなかった﹂
﹁⋮⋮﹂
一期・エピローグ
752
﹁そんな事は言わないでくれ。 これは戦う場にすら居なかった私の出来る、最後の事
なんだ﹂
二人の間では、既に潤が未成年でない事だけは一致している。
喋りながら用意されたもう一つのコップにビールを注いでいる。
うに﹂
﹁それでもお前は英雄だよ。 私が何時までたってもブリュンヒルデで呼ばれているよ
残っていなかっただけですから
﹁それは勘弁して下さい。 宛がわれたレールを走っていたら、英雄という名の駅しか
﹁││流石に英雄と呼ばれる功績を残した事はある。 切替えが早いな﹂
﹁頭を上げて下さい。 もういいんです﹂
﹁⋮⋮﹂
とりあえずコップにビールを注いで千冬に手渡した。
その目は真剣だった。
い目が合ったのだろう。
肉体も万全、戦う気概もある、そんな状態で生徒を前線に出すことに、彼女なりに追
その言葉を聞いて、千冬はゆっくり顔を上げた。
﹁頭を上げて下さい。 もう、全部済んだことです﹂
753
﹁そうじゃなくて、英雄ってのはもっと、││こう上手くやるもんじゃないですか
もブリュンヒルデは目の付け所が違うのかな
﹂
﹂
﹁せいぜい一分程度だけのインスタント英雄をよくそこまで持ち上げますね。 それと
身を切るような決断が出来るのが英雄だ、私は思う﹂
えれば億近い人命を救ったんだ。 下手も上手いも関係なく、自分の命を天秤にかけ、
﹁直接被害を受けるはずだった前線、前線の崩壊で失わるかもしれなかった後方、全て考
?
から切り出した。
?
﹁束からお前の魂によって得られた情報を、映像化されて渡された﹂
﹁またあの女か││﹂
潤の脳裏にヘラヘラ笑う、メルヘンチックな女性が浮かび上がる。
﹂
?
だ﹂
﹁いや、言うのは憚られるが、お前が接した連中がアレだっただけだ。 これが普通なん
﹁大丈夫、大丈夫ですけど、この世界の人間が皆優しいせいで、周りの反応が少し怖い﹂
﹁私は何もしてやれなかったが、これから大丈夫か
﹂
静にグラスを傾ける両名だったが、大体半分ほどグラスを開けた時になって千冬の方
お互いに皮肉を言いあい、千冬の乾杯の一言を合図にグラスを鳴らして酒を呷る。
?
﹁そこまで知っているとなると、随分深く理解しているようで⋮⋮。 情報の出所は
一期・エピローグ
754
﹂
口にする言葉には棘が含まれているものの、その単語は以前より幾分緩和されてい
た。
﹁先生から見て、あれはどういう生き物なんですか
﹂
?
手く使うだろうと思っているのもある。
後は当人たちの問題で、潤ならなんだかんだ言って命まで取らず、交渉材料として上
一方で潤の過去を知った以上、それもしょうがないと思える自分が居る。
潤の過去を鑑みれば、一度敵扱いされた以上、何も無い、はありえないと判断する。
にやりと笑う潤を見て、溜息一つ。
じめに命の保証はしませんがね﹂
﹁あんなでも、友人の姉の友ですからね。 ただ、けじめは付けさせて貰いますよ。 け
﹁確かにそうだ。 ││お前は、あいつをどうしたい
﹁しかし、奴は踏み込んじゃいけない所に踏み込んだ﹂
一人だけの特殊、難しいな﹂
辣な行動に出るのは、⋮⋮確かに奴らしくない。 特別になりきれない、世界にたった
を使い、お前の専用機にまで手を出したのには意味があるはずだ。 だが、こうまで辛
ない人間にはとことん無関心だった奴だ。 そう考えれば﹃じゅんじゅん﹄という呼称
﹁付き合いの長い私にも難しい質問だ。 何せ掴み所がない奴だ。 ただ、束は興味の
?
755
﹁それより、映像、映像ですか⋮⋮。 中々刺激的でしたでしょう
夫でしょう﹂
﹁どうですかね
﹂
﹂
?
この数ヶ月の間に何を失い、何を得たのだろう。
一時間程飲んで、次第に酔いが回ってきた。
重ねた時間はともあれ、共に大人である二人はゆっくり杯を傾ける。
?
﹂
近いものだったので、シャルロットが転入してきた後から大分危険でしたが、もう大丈
﹁先生の家で会った時には、ほぼ完全に消滅していました。 リリムの適性が上書きに
﹁ああー、鳳の事なんだが⋮⋮﹂
と言っても、潤の過去を穿り返すとトラウマ物の内容しか出てこない。
笑いながら言ったものの、言葉に震えを見た千冬がしまったという表情に変わった。
千冬が飲み終わったのを見て、空になったグラスを黒ビールで満たしていく。
ん一生モノでしょうね﹂
﹁なら良い方じゃないですか。 俺なんか未だに水に浸かると体が固まります。 たぶ
ゲーゲー派手に戻した﹂
﹁今 の お 前 が、時 よ り 笑 顔 を 浮 か べ る の を 知 っ て い る か ら 尚 更 だ。 手 術 の 場 面 で は
?
﹁そうか、寮監の私にとっては朗報だが、お前は寂しいんじゃないか
一期・エピローグ
756
757
失った物は多く、得た物は決して多いとは思えない。
新しい出会いがあって、少しずつ日常に安らぎを感じるたびに心の何処かで罪悪を感
じていた。
壊れかけの人間モドキが、ラウラや簪の支えになる事に抵抗を感じた事もあった。
潤がこの世界に刻んでしまった何かが正しいのか、正しくないのかなんか分からな
い。
それでも││、確固たる意志で決断したのだけは覚えているし、出来る限りのことは
やった、そう思う事が出来る。
誘われるがまま飲み続けていたら、最近ずっと襲い掛かる眠気に誘われ、自然と目を
閉じた。
その潤の寝顔は、安らかな、憑き物が落ちた普通の寝顔だった。
⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
手記の最後のページにこう記してある
一期・エピローグ
758
われら巡礼者は、
あの雪に縁取られた地の果ての青き山を越え
荒れ狂う海、輝く海をも越えて
かなた遠くへ至らん
このレクイエムを、俺が見送った全ての友に捧げる
そして、俺が残せた全ての命に、幸多き未来があらんことを
2期 可能性の権化
プロローグ
﹁うぅ、え、えぁあ⋮⋮﹂
﹁こいつ⋮⋮気が違ったら捨てられたのか﹂
ただ、俺の最後のわがままに付き合え﹂
﹂
﹁貴様は、片道旅行のつもりだった、そういって憤るのだろうが⋮⋮。 恨んでもいい、
受け止めた。
男が落ちる場所に手を向け、││瞬く間に魔法陣が形成され、落ちてきた男を難なく
真上から降ってきた、一人の男を見据える。
ようやくお目当ての相手が来たことを知り、重たい腰を上げた。
のだと表している。
欠けたる物もなし、と言わんばかりのその威風は、その貴人がただならぬ力を持つも
はできる。
常人なら耳に入ることもないような小さな声だったが、この赤目の貴人なら聞くこと
﹁⋮⋮嫌なもの見ちまったな。 看病するのも億劫ってか
?
759
そう言って貴人は、虚ろな瞳で言葉にならない声を漏らす男を連れ出す。
たどり着いたのは、宙を浮かぶ男を、あらゆる観点から強化した施設だった。
以前は男を強化した場所だが、今度は男を元に戻すための処置を施す。
強化前に記録されていた男の年齢は十五歳。
んでいく。
ガラス越しに体が分解されていき、神経、骨、内蔵といった部分が液体によって浮か
てきて機械を操作しだした。
しかし、貴人がまるで指揮官のように手を振り上げると、何もない空間から手が生え
と思うかもしれない。
いじらねばならない機器はあちこちに分散しているので一人ではどうしようもない
男を装置の中にいれ、手術を開始する。
を賜わしても誰も文句は言いまい﹂
くなった。 お前は命まですり減らし、俺の予想通りの戦果を出した。 ゆえに、褒美
だが出来なかった。 お前の才を知った時、どうしても優秀な手駒としてお前を欲し
望むもの⋮⋮。 お前を思うならば、俺が拾う時に素直に死をくれてやればよかった。
き従うもの、人を従えるもの、孤高を目指すもの、安寧を望むもの、現状の維持のみを
﹁お前は良くやってくれた。 お前の未来は全て俺が決めてしまったというのに。 付
プロローグ
760
これ以上前に戻すことは出来ないが、無茶苦茶に改造され、薬物が手放せない、といっ
た問題は起こらないようになる。
子供も薬の影響がないまま作れるだろう。
ボロボロになった体、そして体に負けないくらいボロボロだった心をある程度元に戻
せた頃には、季節は初春を迎えていた。
最早自ら手を出すこともなくなってきた。
男手が減りすぎて多少不憫だが、いずれ戦前の賑わいを取り戻すことだろう。
戦争の傷跡は深く国を抉っていたものの、人は逞しく復興を始めている。
そこから数ヶ月。
だった男、小栗潤を見送った。
赤目の貴人、││エルファウスト王国の国王と呼ばれる男は、自国最良部隊の隊長
別世界の縁、例えば親や兄弟、といった縁を辿って元の世界に帰るだろう。
入れる。
世界線の歪みをこじ開け、エルファウスト王国にやってきた頃まで若返った男を投げ
るがいい﹂
⋮⋮貴様に暇を与える。 せめてこことは違う地で、残る余生自らの望みのまま生き
﹁魂魄の能力には無限の可能性がある。 自分を信じて心を委ねろ。 それではな、潤。
761
非常時でなければ自ら辣腕を振るうなどありえない事だ。
戦時でもなければ些細な雑務は下々に任せ、王は悠然と君臨するものであり、王が正
しく超然としていれば臣下が意を汲み、物事は万事上手くいくものである。
そして、暇を持て余した。
退屈にまみれ何をしようかと考えていたら、嘗て自ら手を煩わせてまで見送った臣を
思い出した。
細く微笑むと、あの日と同じように世界線の歪みをこじ開け、今度は自ら身を投じた。
││││
た小栗潤。
そんな会長に挨拶して、生徒会室に入ってきた男は夏休み中に生徒副会長にさせられ
る。
全体的に余裕を感じさせる態度、その大人びた雰囲気とは違い表情は子供っぽく感じ
楯無に挨拶した。
昼の陽光が差し込む生徒会室、眩しく差し込む夏の日差しを背に座る生徒会長・更織
﹁おはようございます﹂
プロローグ
762
会長の手前側に座っている会計・布仏虚にも目礼、何故か顔に縦線を引いて絶句して
いるが気にしない。
﹂
﹂
更に手前側にいる会長の妹・更織簪に目を向けた。
﹁おはよう﹂
何かいいことあったの
いや、別に。 どうかしたか
﹁⋮⋮
﹁ん
?
?
﹁ふぁ
ふみぅ
?
う∼ん、おはよう⋮⋮﹂
﹁そら、本音。 いい加減起きろ﹂
んでしまったせいで、逆に潤にとっては呪いになってしまっていた。
速く一人前になれと言って死んだ人が、潤を思っていった言葉だったが、その人が死
ように見えている。
そのちょっとした違いで、笑顔が自然と外に出るようになり、結果として機嫌がいい
威圧して、遠ざけて、身近な人たちから逃げるのを止めた。
夏に色々、本当に色々あって潤は初心にかえり、既に習慣になるほど染み付いていた、
い﹄と。
入学当初の潤の評価をまとめると、概ねこのように言われている││すなわち、﹃怖
﹁いや、なんか││雰囲気が柔らかくなったというか⋮⋮﹂
?
?
763
?
キツネらしき動物を模した着ぐるみ少女、虚の妹でもある布仏本音を簪の向かい側の
空席に座らせる。
なんか全く起きる気配がないので背負ってきただけである。
何故か紹介文のようになったが、この五人が生徒会メンバーである。
について。 それと潤くんには別に頼みたいこともあるから、そっちは後ほどね﹂
﹁さて、メンバー全員を呼び出した用件は他でもない。 新学期から始まる文化祭の件
学園祭には各国軍事関係者やIS関連企業など多くの人が来場する。
基本的に一般人の参加はないが、生徒一人につき一枚配られるチケットでも入場でき
る。
生徒会のメンバーはその日に入場者のチケット確認や、各クラスの企画の精査をした
りするなど忙しくなる。
それに伴って書類が増えるし、会計も忙しくなる。
いると仕事が増えるから、邪魔にならないように書類仕事はしないと決まっている本
それでは解散
!
!
音以外は、だが。
﹁⋮⋮││、それで、別の頼みごと、とはなんですか﹂
潤くんは残ってね﹂
﹁それじゃ、ひと月位忙しくなるけど、頑張って乗り越えましょう
プロローグ
764
会長と二人っきりで残ることに、簪がちょっぴり不服そうな顔をしていた。
彼女の慕う気持ちはわかるのだが、潤は国籍不明で、世界でたった二人のイレギュ
ラーといった、重大な問題を抱えているので応えにくい。
そんな事は置いておいて、素直に居残って会長と顔を付き合わせる。
普段なら少々おちゃらけた態度を取る会長が、真面目な表情で他のメンバーが遠ざか
るのを待っているので、否応なく真剣な話を覚悟する。
がきな臭くなってきたわ﹂
﹂
﹁裏側⋮⋮私がここに残って聞かされている、ということは、ターゲットは私ですか
会長は事情を説明した。
﹁それもそうだけど、まず話を聞いて、ね
?
存在理由も不確かで、その規模も、組織の目的も分かっていない。
ゆえに目的は不明。
係ない。
己自身のために闘争を行い、思想も信仰も民族もルールにも拘らず、従って国境も関
前から活動している第二次大戦中に生まれた組織が相手になる。
今回の敵は、しっかりと名の知れている誰かというものではなく、古くは五十年以上
?
﹂
﹁⋮⋮さて、そろそろいいでしょう。 まず、覚えといて欲しいことが一つ。 最近裏側
765
ただ一つだけ確かなことは、組織は大きく分けて運営方針を決める幹部会と、スペ
シャリスト揃いの実働部隊の二つが存在し、その主な標的はISであること。
その組織の名は亡国機業・ファントム・タスクという。
﹁連中の狙いの有力候補は、第四世代技術が用いられている、
﹃紅椿﹄、
﹃白式﹄、
﹃ヒュペ
リオン﹄ね﹂
﹁来るとしたら一夏でしょうね⋮⋮﹂
候補に挙がった機体、それぞれの戦力分析をサラっと済ませて潤が言った。
三つの機体、三人の実力差を考え、最も弱い部分を口に出す。
一番手を出しにくいのは第四世代として完成している紅椿、次にヒュペリオン、大差
はないが最後に白式。
パイロットの技量は贔屓目なしで、潤が最も高く、次に箒、若干劣って一夏の順にな
る。
一般生徒と比べれば実力的に勝る一夏だが、この三人を並べればどうしても見劣りし
てしまう。
くんは一夏くんをよろしく﹂
当面はパイロットの地力向上を目指しましょう。 私は箒ちゃんを担当するから、潤
﹁確かにそうだけど、相手の人員と装備が定かでないから一本に絞るのは時期尚早ね。
プロローグ
766
﹁⋮⋮私は放置ですか
﹂
?
﹂
?
﹂
!?
﹂
!?
崩れ落ちる寸前、背後から会長が抱きとめた。
﹁潤くん
られるかのような衝撃だった。
何か見えざる力に強引に引っ張られるような、もしくは強大な何かに魂ごと引き寄せ
それでは、と生徒会室から出ようとした潤がいきなり崩れ落ちた。
﹁づあっ
それはあたかも、王と、直属の特殊部隊の隊長と同じようものであった。
が。
絆とか友情といった殊勝なものでなく、同じ裏側を知る共感のようなものではある
る。
最後少しだけ蛇足な部分があったが、会長と潤の間にはちょっとした信頼関係があ
互い頑張りましょう﹂
﹁あら、フラれちゃった。 私の方からも一夏くんと顔合わせするから、それじゃあ、お
﹁必要ありませんよ。 私なら大丈夫です﹂
ど
﹁私は一年最強の肩書きを信用しているのよ。 不安ならまた三人で暮らしてもいいけ
767
体格的に支えきれるとは思えないが、それでも会長は完全に潤を支えきる。
特に何をした訳でもない。
病気を持っていたわけでも、狙撃を受けたわけでもない。
﹂
それでも、その両目か涙のように鮮血が流れ落ちていた。
何があったの
!?
既に痛みは無い。
﹁会長、もう大丈夫です﹂
?
﹁話せない
﹂
﹁││⋮⋮、すいません、現象は理解可能なんですけど、理由がさっぱり﹂
﹁えっと、何があったのか説明して欲しいのだけれど
﹂
なんとか周囲を見渡してティッシュを取って、流れ落ちる血を拭う。
目から流れ落ちる血に会長が固まる。
もない。
血が会長に見えないようにしたが、至近距離にいる相手に見せないように出来るはず
﹁何
!?
?
会長には、こんな事はそう何度も起こらないことだけを説明して引き下がってもらっ
歯切れが悪そうに潤が詫びる。
﹁悪いですけど、ね⋮⋮﹂
プロローグ
768
769
た。
潤の魂を縁にして何かがやってきた。
力量的に潤を遥かに超える魂魄の能力者が、能力的に劣る潤の魂を縁にしてしまった
せいでこうなった、なんて説明のしようがない。
IS学園二学期、その新たな門出は波乱の幕開けを予感させることとなった。 2│1 貴族の心得
1│1
男は、年端も行かぬ少女の手を取ったまま、自らの宮殿の最深部に足を踏み入れた。
大理石で出来た扉を開く。
そこは、広大なただの部屋だった。
横は大体三十メートル奥行きは、そうなく、あっても十メートルかそこらだ。
明かりが一切無いので何があるのか良く分からないが、階段から僅かに入り込む光が
反射されているため、奥に何か金属か鏡か何かがあるようだ。
男、エルファウスト王国の国王は、その手に幼子、ドリーを引いたままゆっくり歩き
出す。
持たぬものは居ない﹂
﹁人には、無限の可能性がある。 少なくとも、生まれた直後から片手程度の可能性しか
﹂
?
﹁でも⋮⋮私は、私は││﹂
﹁無論﹂
﹁⋮⋮私も
1─1
770
﹁人には可能性が見えぬのだ。 あまりに大きすぎるが為に。 ゆえ、ドリー、貴様にも
ある。 可能性が﹂
魂魄の能力者とは、須らくこの王の子である。
反抗期の連中や、親離れしたくてたまらない連中も居るが、この王の能力の一部を与
えられたひ弱な存在である事実は否定できない。
例えそれが、自分の魂から得られたものでない出来損ないだとしても。
﹂
!
画を作り上げている。
緑も黄色も、白も黒も、金も銀も、ダイヤモンドから純金までが集まって、一つの壁
ルビー、ロードライトガーネットといった赤色の宝石郡。
アイオライト、サファイア、ブルーダイヤモンド、ベニトアイトといった青い宝石郡。
の正体に魅せられて直ぐに年相応の顔に戻った。
憎悪か嫌悪に近い表情だったが、不意に付いた明かりと、廊下の光を反射していたそ
潤の名前が出た瞬間、幼子が年不相応の表情を浮かべる。
偶像などではない。 確かに存在するもの││﹂
﹁ここに在るのは、俺の信ずる唯一の神の姿だ。 俗世の連中の言うような人が作った
﹁⋮⋮
﹁昔、ここに潤を連れてきたことがある﹂
771
1─1
772
極限の財を掛けながらも成金趣味のような雰囲気は一切無い。
荘厳であり、壮麗でもあるこの壁画に描かれていたものは、今はエルファウストと呼
ばれる大地に蔓延っていた魔族を掃討し、人類の勝利を示すために国旗を掲げた戦士た
ちの絵であった。
旗を掲げる男たちの身元ははっきりしている。
その男たちの中で、しっかりとした英才教育を施された人は一人しか居ない。
当時は、例え貴族であろうとも満足な教育を受けられなかったが。
みすぼらしく、汚く、ボロボロの彼ら。
しかし、武威によって未開の大地を切り開き、英知を集め民に豊かさを与えた。
どれ程の苦難に塗れただろう。
それ程の挫折を味わっただろう。
強大な力を前に、挫折したことが何度あっただろう。
至難の道。
時に後ろ指を差される暗黒の日々。
しかし、この国王をして畏敬の念を抱く栄光を掴んだ。
追われ、逃げるだけの立場だった貧弱な人類が、大地を取り戻した瞬間、それがこの
壁画の正体。
をする代償は、自分の未来に現れる。
友と遊んだり、親が進める平均的な学問を修めたりするのもいいが、平均的な暮らし
例外はあるが、いかに早く戦いを始められるかが全てを決めるのだ。
三十になった者は、将棋などのプロになれない。
十九を超えた人は、十八歳以下の競技大会に出ることは出来ない。
例えば、十を超えた少年は、子役として舞台に上がれる可能性はゼロになる。
望む﹃何か﹄になることは決してない。
故に、競い合いを始める時期が遅かったり、争う事を止めたりしてしまえば、自らが
殺し合いが、競い合いに変わっただけで、人類は千年前から何も変わっていない。
故に人は競い合い、奪い合い、可能性を絞り込んでいく。
む可能性があるかもしれないということなのだ。 あらゆる可能性を持つ、ということは││必然的に﹃何にもなれなかった﹄未来を掴
坊やの戯言だ。
可能性を与えているのに﹃未来が無い﹄などと戯言を残す者が居るが、ただの箱入り
ただ朽ち果てる可能性もある﹂
利を持って生まれる。 ただ、万物となる可能性を持つがゆえに、何にもなれず、ただ
﹁﹃無限の可能性﹄、俺の信ずる唯一の神の名だ。 人は、何かを手にすることの出来る権
773
それを差し置いて﹃この国には未来が無い﹄とは、呆れてものも言えない。
ドリーの手を離し、両手を広げて王は話す。 可能性の真実を。
お前の望みは何だ
﹂
﹁ドリー。 俺はお前に可能性を与えよう。 自らの望みを叶える機会を与えよう。 ﹁⋮⋮はい﹂
意味か分かっているな
﹂
﹁連中の組織名は﹃亡国機業﹄。 社会悪の一部だ。 それを守るということ、どういう
しかし、その願いのなんと傲慢なことか。
身寄りの居ない彼女を受け入れてくれた、人たちを全て守りたい。
少女が紡いだささやかな願い。
﹁私は⋮⋮、私は││私を受け入れてくれた、全ての人を守りたい﹂
?
?
ちどころに地面に魔方陣が現れ、半壊状態の機体が競りあがってきた。
王は満足げに頷くと、もう片方の手で、パチンと音を立て││その音が鳴るや否やた
ドリーは、全く迷うことなく手を取った。
手を差し伸べる王。
もなお、想い成し遂げたいと言うのであれば、我が手をもう一度取るがいい﹂
﹁ならば、貴様にとっては全てが敵だ。 社会も、人も。 時に、正義でさえ。 それで
1─1
774
﹁﹃シックザール﹄。 嘗て潤の操る﹃ヒュペリオン﹄と死闘を演じた機体の、残骸。 こ
﹂
れを、ISと戦えるように、ISに改修してやる﹂
﹁シック、ザール⋮⋮。 運命
﹂
!
眩い白が迫り、僅かに迸る赤を纏った白黒が回避していく。
﹁うおおおぉぉぉ
わけにはいかない。
もっと注意深く考えてみたかったが、流石に目の前で剣を構えている一夏を無視する
たかのような感じだ。
かつて無いほどの悪寒、旧科学時代の旧ヒュペリオンと戦った、あの怨敵が生き返っ
潤が虚空に意識を向ける。
何故か、背中がぞわぞわした。
│││
低い唸り声をあげる、その機体へと。
ドリーの手がシックザールに触れる。
﹁飲まれるか、切り開くか⋮⋮。 それは、貴様次第だ﹂
?
775
ビームライフルを展開、大幅に距離をとって白式をまとった一夏を狙い撃つ。
一夏は遠方からライフルを連射する潤に対して、エネルギーを無効化するシールドを
展開して一直線に突き進んだ。
本来白式にシールド機能は存在せず、射撃武器も使用できないはずだった。
その存在しないはずのシールドでビームを防ぎ、零落白夜を展開した。
一撃必倒の刃を出したことで、その攻撃を警戒した潤が後方に瞬時加速をして再び距
離をとる。
﹂
後付武装に使用されるバススロットは各機体別に全く違う。
嫌がっていたため搭載できずにいた。
元々射撃武装やシールド等の後付武装を欲しがっていた一夏だったが、白式がそれを
ない武装だが、合宿で第二形態に移行した結果、多機能武装として搭載された。
シールド、射撃武装⋮⋮、この二つは本来一夏の専用機である白式には搭載されてい
機能武装腕・アームド・アームを開いて荷電粒子砲を展開した。
近づいては離れを繰り返し、全く刃を合わせようとしない潤に対し、今度は左手の多
﹁くっ、素早いな。 だが、弾幕射撃は途切れた、これなら
!
﹄といった物から、白式の様に﹃剣一本以外いらない﹄という物
コアの好みのような物も存在し、潤の使用するヒュペリオンの様に﹃なんでも来いよ
どんどん使えよ
!
!
1─1
776
までピンキリである。
しかし、潤とシャルロットと射撃に関する知識習得の為、射撃武器を使用した結果、第
二形態では射撃・格闘・防御をこなす︽雪羅︾が生み出された。
このまま押し切ってやる
﹂
万能武装として優秀な性能だが、余りある欠点が存在するが。
﹁威力ならこっちが上だ
!
アームド・アームから射出される高火力の荷電粒子砲、それが地面に着弾した時に巻
わしたことがないのかもしれない。
通常の中距離射撃では両目をしっかり開けているのを考えれば、こういう場面に出く
影響して射撃の精度が落ちるからだ。
片目を瞑ると視界が狭くなるし、顔面の筋肉を引きつらせ、それが手や体の筋肉にも
からすれば常識である。
狙撃に限らず、銃の照準をつける時は、片目を瞑らないようにするのは軍事的な観点
ろである。
余りある欠点があるというのに、数打ちゃ当たるとばかりに連射するのも微妙なとこ
あるらしい。
最大距離を開けている潤に対して、狙撃を行っているが⋮⋮、やはり銃撃は不慣れで
﹁狙いが甘いな⋮⋮。 狙撃中に片目を瞑るのもナンセンスだ﹂
!
777
き上がった土埃に紛れてある武装を展開する。
﹁頼むぞ、フィン・ファンネル﹂
フィン・ファンネルはブルー・ティアーズと同じく、ビット型の兵器である。
操作方式が全く違うので、外見と攻撃方式が似ているだけであるが。
シールドとなっているアンロック・ユニット、その裏側に設置されているファンネル
ラックからフィン・ファンネルが射出される。
閉じていた棒状のマシンがコの字型に開いていて、フィールドギリギリを通って、一
夏が目を閉じている方向に向かわせる。
勘付かれないようにビームライフルで一夏を牽制することも忘れない。
すね、二人共﹂
﹂
﹁二学期初の実践訓練。 小栗くんが割って入った事には驚きましたが、気合入ってま
﹁⋮⋮ああ﹂
﹁この試合、若干織斑くんが優勢でしょうか
?
クラス代表どうしでバトルを始める予定だったが、会長からの依頼で一夏の強化を頼
九月三日、二学期初の実践訓練は、一組二組の合同で始まった。
だし、織斑の奴は何も考えずに飛ばしすぎだ﹂
﹁いや、小栗を甘く見すぎだな、山田くん。 奴は強い。 それに、何か狙いがあるよう
1─1
778
まれていた潤は、第二形態になった白式と一夏の戦力評価の為に自ら立候補した。
また、実戦経験が少ないヒュペリオンのテストにもなる。
完成初期段階では自殺紛いと言われた可変装甲に対応するため、ヒュペリオンには第
三世代特有のイメージインターフェイスが、機体各所に操作を補助している。
しかし、合宿での一件から束博士に対して不信感を持った潤は、その博士が作り出し
た制御モジュールと、機体そのものに対しても不信を持った。
その結果、不信の脳波を読み取ったイメージインターフェイスは、ヒュペリオンの性
能を落とす結果になった。
﹂
それも、夏休み終了前には幾分か解消したが。
どこからだ
﹂
!
ビーム
当たれ
!?
﹁今
﹁うぉ
?
!
一夏はフィン・ファンネルと似たような兵器を知っているので、その特性もよく知っ
範疇であったことも成功の一因でもある。
それに、このフィン・ファンネルでの奇襲攻撃は、一夏にとって青天の霹靂、慮外の
片目を瞑るということは視界が半減するのとほぼ同義。
させる。
遠方から迂回させていたファンネルが、想定の位置にたどり着いたことを知って攻撃
!?
779
ている。
一学期の入学当初から何度も手合わせしている、セシリア・オルコットの専用機、ブ
ルー・ティアーズ。
﹂
あれは毎回命令を送らねばならず、使用中は制御に集中するためにそれ以外の行動が
フィン・ファンネル
難しくなる筈だった。
﹁行け
!
﹂
﹁ビットを展開しながら戦えるのか
!?
アームド・アームはエネルギーを無効化するシールドを展開できる。
ドを展開しつつ勢いよく逃げていく。
ビットの合間から、中距離で狙撃する潤に対して、一夏はアームド・アームでシール
!
﹂
それらファンネルの一斉攻撃に伴って潤も瞬時加速で接近する。
つ、緩急を付け、左右に振り、対狙撃制動を行う。
ただ包囲するだけでなく、一夏の反撃を受けて消耗しないように一定の距離を保ちつ
奇襲に用いた物と合わせて十二の砲門が一夏を包囲していった。
ンネルを一斉展開する。
一夏の警戒が潤から外れた瞬間に、隠す必要は無くなったとばかりに残り全てのファ
!
﹁墜ちろ
1─1
780
﹂
それで、ファンネルもビームライフルも無力化したが、それが今回の潤の狙いでもあ
││って、ああ
!?
る。
﹁イチかバチか
体力切れだ﹂
!
﹁スラスターもそうだし、武装も防御も燃費の悪さが目立つ。 そろそろオート化され
﹁はぁ⋮⋮、それにしても、第二形態になっても歴然とした差があるなんてな⋮⋮﹂
││││
た。
体力の無くなった白式と一夏は、ファンネルから射出されるビームの雨に消えていっ
特色を数段向上させたのである。
ただでさえ燃費の悪い白式は、第二形態となって﹃肉を斬らせて骨を断つ﹄といった
わば自分のヒットポイントを削る諸刃の剣であること。
余りある欠点、それはアームド・アームも零落白夜自分のエネルギーを消耗する、い
切ったが、斬りかかる直前にその零落白夜の輝きが消滅した。
このままではジリ貧と思った一夏が、零落白夜を出して瞬時加速でビームの雨を突っ
﹁よし
!
781
﹂
ている部分に手を出さないと発展が見込めないかもな﹂
﹁オート化されている部分
﹂
?
﹁そんなことか。 勿論いいぞ。 早速今日の放課後から始めるか﹂
含めてお前にも色々教えて欲しいんだけど﹂
﹁千冬姉だよ。 ちょっと頼み事なんだけど、訓練というか、基本戦法とか、機動制御も
﹁誰の台詞だよ。 人騒がせな﹂
﹁⋮⋮そういえば、潤って機動制御に関してはほぼ一流なんだよな
男子専用とかしている広いロッカールームで、男二人で話し合う。
継続戦闘能力が二割向上するだけで大分違ってくるという程に。
とはいえ、一夏の専用機最大の問題は、潤が指摘した燃費の悪さにある。
と双方の訓練⋮⋮、やることだらけじゃないか﹂
﹁それに近距離戦闘と遠距離戦闘の即時切り替えと基本戦闘スタイルの見直し。 それ
の問題もある﹂
﹁PICや、荷電粒子砲の出力関係。 背中のウイングスラスターの調整とか、機体制御
?
の特訓だ
﹁よっしゃ 何時までも女の子にやられっぱなしってのも情けないし、男同士で秘密
﹂
!
!
﹁俺たち二人で行動して秘密って訳にはいかないだろうけどな﹂
1─1
782
一夏の訓練を専属的に行うことで起こる騒動を考え、苦々しくも潤が笑う。
夏休みに専用機持ちたちが一夏の家にやってきた日から、こうやって潤はよく笑うよ
うになった。
どういった心境の変化なのか良く分からないが、一学期当初の接触を嫌がるかのよう
な態度が嘘のようだ。
その潤は目の前で何かを見とがめて、さっさと制服に着替えだした。
だ、誰だ
﹂
?
﹁だーれだ
﹁えぇ
?
?
潤がロッカールームを出るのとほぼ同時に、一夏の背後に現れ両目を手で塞ぐ。
一夏の苦難を思って潤は少し黙祷した。
会長の性格、一夏が女性をあしらう事の出来ない性格を思い浮かべ、これから始まる
のかもしれない。
以前会長が、
﹃私の方からも一夏くんと顔合わせする﹄と言っていたのでその時が来た
潤の目の端に僅かに写ったのは、水色の髪の毛。
﹁ああ、分かった。 俺も少しさっきの戦闘を見直したらすぐ行くよ﹂
ただ、時間がやばくなったら先に行くぞ﹂
﹁それじゃ、授業も近いからさっさと着替えろよ。 俺は飲み物でも買って待ってる。
783
同級生同士しか付き合いのなかった一夏からすれば、若干大人びた声がかかる。
そのくせ、会長らしいというか、心の底からいたずらを楽しむ子供のような声色も含
んでいる。
﹁はい、時間切れ﹂
そう言って一夏の視界を解放する。
声の主を確認しようとした一夏の頬を、何時も手にしている扇子で少しだけ押さえつ
けた。
新しく生徒会に入った男の子が、こういう事に対して無駄に耐性があったので反応を
面白がっている節もある。
﹂
﹁んふふふふ♪ 引っかかったなぁ♪﹂
﹁あの⋮⋮、あなたは
﹂
﹁⋮⋮それじゃあね。 潤くんも、もう行っちゃたし、キミも急がないと、織斑先生に怒
?
潤の知り合いだったのか
?
られるよ﹂
?
のことが思いついた。
潤の知り合いを頭の中で描いていくと、タッグトーナメントでパートナーだった少女
リボンの色を見るに彼女が二年生であるのはわかる。
﹁⋮⋮潤くん
1─1
784
眼鏡をかけている点、自信の無さそうな雰囲気、それらの差異から真逆の印象を受け
るが、髪色や顔立ち、瞳の色まで似通っている。
﹂
考え込んでいて、はっ、と今の最大懸念を思い出して時計を見て、既に授業開始から
怒られる、というか殺される
!
三分ほど経過しているのを視認した。
ま、不味い
!
﹂
?
﹂
!?
あの人、お前のこと名前で言ってたぞ、知り合いじゃ
!
しまったらしく、簪と似ていることなど忘れてしまったらしい。
走っている最中に、茫然自失としたまま考えていたことが、綺麗さっぱり抜け落ちて
そしてやっぱり、慈悲の一つもない千冬に問い詰められる一夏。
ないのか
﹁ち、違います。 そうだ、潤
﹁それでは、お前は名前も知らない初対面の女子との会話を優先して遅れたのか﹂
﹁いや、だから⋮⋮あの、あのですね、だから、見知らぬ女生徒が﹂
﹁⋮⋮ほう、それで遅刻の言い訳は以上か
きっととんでもない罰を受けるに決まっている。
落にしてくれない。
先生なのに教官と称されるのが似合う日本で唯一といっていいあの教師は、洒落を洒
背中に紅蓮の炎を纏った鬼教官・織斑千冬が脳裏によぎる。
﹁だあああ
!
785
﹂
それでも潤の名前を言っていたことを思い出して、廊下側最後尾から二番目に座る潤
に助けを求める。
﹁名前で呼んでいる相手だけでは情報不足だろ。 外見の特徴は
?
いっていうか、神秘的な││﹂
﹂
﹂
あ っ た。 あ っ、高 そ う な 扇 子 を 持 っ て た な。 水 色 の 髪 の 毛 で、向 こ う 側 が 見 え な
﹁二年生のリボンで、全体的に余裕を感じさせる態度だったけど、子供っぽい雰囲気も
?
﹁なんだ、随分高評価じゃないか。 やっぱり会話を優先したんじゃないか
﹁引っ掻き回して楽しまないでくれよ
!
その笑みをどこか尊い物を見るかのような表情だった千冬は、咳払いを一回だけする
ような表情を浮かべていた潤が普通に笑っていることだった。
そしてもう一つ、どこか別世界の住人のようでいて、言い方は悪いがまるで作り物の
興味を持っている者になる。
見知らぬ女生徒に鼻をのばしていると決めつけ嫉妬をする者と、純粋にその女生徒に
一つは一夏が魅力的と思っていると判明した女子生徒に対するもの。
会話を聞いてクラスの反応が二分した。
なんか半泣きになりそうな悲痛に叫ぶ一夏と、その一夏をからかって朗らか笑う潤の
﹁はははは、悪い、悪い﹂
1─1
786
と、何時もの調子に戻した。
﹂
!
﹁あ、あの、シャルロット、さん
﹂
﹂
部長さんと、陸上部の面々から何故仮入部のままなのか、何故陸上部を選んだのか尋
て、トレーニングルームを使わせてもらう。
一夏は犠牲になったのだ、と下らないことを考えながら取り敢えず陸上部に顔を出し
寮まで足を引き摺って帰る一夏を引き止める事が出来なかった。
本来だったら放課後から一夏の実力底上げを図る予定だったが、全身が痛いと言って
を叩き込んでいった。
そんな一夏に対して遠慮する必要がないことを知ったシャルロットは、遠慮なく銃弾
発動させる。
目の前でISが起動されたことを察した白式が、搭乗者の保護機能のため絶対防御を
﹁始めるよ、リヴァイヴ
!
?
﹁では、実演を始めます﹂
この段階になってやり過ぎた事を察した潤だったが、少し遅かった。
シャルロットがまるで幽鬼のように立ち上がる。
﹁デュノア、ラピッド・スイッチの実演をしろ
787
ねられ今更感が半端でないが、改めて言わせてもらった。
﹃女子﹄陸上競技部が正式名称の部活動に、男子が入部出来る訳ないじゃないですか、と。
そして、トレーニング機器は運動部が優先的に使用できる取り決めがあり、トレーニ
ングルームの監督者から何処かの部活に所属するように勧められた事。
所属する部活の決めては、最初に織斑先生のシゴキでお世話になったからです、と。
特別な理由がある、と思っていた陸上部の面々が露骨に落ち込んでいた。
何故今になって聞くのかと逆に聞き返すと、新学期になってから急に接しやすくなっ
たからと、引っ込み思案な部員はそういった。
﹁よう、遅れて悪いな﹂
閑話休題。
出した。
潤は殺しきっていた自分を表に出す勇気を持ち、簪は誰かを頼る事と共に導き手を見
が、夏を境に二人共ほんのり成長した。
お互いに誰かを頼ることなく、意固地になって自分の世界に引き篭っていた同士だ
開発に携わる。
部活が終わった後は、第二整備室に移動して夏休み後半からサボっていた打鉄弐式の
﹁いいよ。 潤が手伝ってくれるだけで⋮⋮、その、私は助かってるから﹂
1─1
788
夏休みは主にソフト方面に力を入れていたが、今となっては完成度を高めるために
ハード方面に手を出している。
ケーブル、高周波カッター、空中投影ティスプレイ、更には小型発電機を用いて、アー
マーを開いて直接パーツを弄っていく。
微妙な出力コントロールや特性制御を行うにはこうするしかない。
潤が装甲を関係にあれこれ手を加え、その最中に簪は実際に打鉄弐式を纏って機体情
報を参照している。
その合間にも、更に稼働率を向上させるために新たに必要なハードを模索し、データ
蓄積と稼働試験を実施する。
﹁そう、かな
⋮⋮一度、テスト⋮⋮してみる
﹂
?
ひと月で大分完成に近づいた打鉄弐式、この機体が空を飛ぶ日は近い。
軽く微笑む簪に、同じく表情を和らげる潤。
﹁ありがとう﹂
﹁勿論﹂
﹁あ、あの、⋮⋮その日は、飛行テスト⋮⋮、付き合って、欲しいな⋮⋮﹂
﹁││よし、明後日に一度第六アリーナでやってみよう﹂
?
﹁⋮⋮完成度が高まってきたのもあるけど、大分行き詰ってきたな﹂
789
1─1
790
明後日改めて飛行試験するにあたり、必要な計測装置と記録装置のセッティングを行
う。
消灯時間二時間前に作業を終えて寮に帰り、明日に備えて休む。
休む前に部屋に来襲したナギや癒子、夏休み頃から希にやって来るようになった一夏
と共にだらける。
こんな感じが潤にとってスタンダートな一日である。 潤と同じくして生徒会に入った簪に良く似た人物、昨日ロッカールームに現れた人物
なにより問題なのは、潤のやや後ろにいる女生徒である。
その姿は、板に付いているというか、最早堂に入っているように感じるが、それより
現在話題沸騰中の潤は、壇上で軽く所信表明演説のような事を行っている。
に目を通していなかった一夏にも問題はある。
新しく入った二人は、学園の掲示板にプリント用紙で紹介されていたらしいし、それ
こういう事ならしょうがない。
つれない奴だな、と思ったが、本音共々生徒会に入っていたとは知らなかった。
うと思ったら既に移動した後だった。
全校集会があると聞いていたので、最近色々と付き合いやすくなった潤と一緒に行こ
潤の姿があった。
目の前の壇上では、新しく生徒会に加わるメンバーの一人として新生徒副会長、小栗
SHRと一限目の半分を使っての全校集会で、一夏はそう一人ごちた。
││グルだったのかよ⋮⋮。
1│2
791
がいる。
彼女が生徒会長という事にも驚いたが、一瞬だけ目が合い、ふふっと微笑まれた事に
も別の意味でドキッとしたが、潤が現れてニヤッと笑われたのにも驚いた。
昨日ロッカールームから先に居なくなったのはそういう事か、と理解して。
て決める様に﹂
﹁はい、副会長、お疲れ様。 では、今月の学園祭だけど、クラスの出し物を皆で頑張っ
潤が挨拶を終えたタイミングで、楯無が再び中央に戻る。
手慣れた手つきで閉じていた扇子を、ぱんっ、と勢いよく開くと、
﹃締切間近﹄と書か
れた扇面が露わになった。
その会長が学園祭の一企画として﹃各部対抗織斑一夏争奪戦﹄といったものを提案し、
体育館が熱気の渦に包まれた。
学園祭では毎年各部活動ごとの催し物を出し、それに対して投票を行い、上位組には
特別予算が下りる様になっていたが、今年に限っては一夏を一位の部活に強制入部させ
ることが決まった。
小栗くんは
﹂
景品となった一夏の未承諾のままで。
!
!?
﹁陸上部に仮入部しているので対象外よ﹂
﹁会長
1─2
792
﹂
一人いるんだから我慢してよ
﹁陸上部も参加していいですか
﹁勿論﹂
﹁ちょ、独占なんてズルい
﹂
﹁だって小栗くんは仮入部のままだから合宿とか参加できないんだよ
!
!
﹂
!
りにして。
?
声を掛けるタイミングがなかったので、こんな場所になってからだ。
せっかく宿舎
潤の隣にいた簪が一夏に対して﹃邪魔しないで﹄と恨みがましい表情でいたので、中々
全校集会が終わった後、四階に上がって一組に移動する前に一夏から尋ねる。
きっと、悪いようにはならない。 何か意味があると思った方が良い﹂
﹁会 長 の 行 動 理 念 は 理 解 し が た い が、あ あ 見 え て し っ か り 考 え て い る 人 で も あ る。 ﹁会長って、どんな人なんだ
﹂
その裏に、溜息を吐く男と、一夏に降りかかる災難に対して黙祷を捧げる男を置き去
かくして、織斑一夏争奪戦は幕を上げた。
一度火がついた人間は、簡単にその意志を鎮火させることは無い。
女子だらけなのに、雄叫びが地鳴りのように響く。
パーだったんだよ
で夜遅くまでツイスターゲームとか王様ゲームとかやろうと企画していたのに全部
!?
!
793
何故そこまで嫌われているのか一夏にはさっぱり分からない事で、その一夏がした質
問は、潤にとってさっぱり分からない事柄だった。
そんなこんなでIS学園の一日は過ぎていく。
﹁意味、か⋮⋮﹂
帰りのSHRで学園祭の出し物決めるとあって、昼休みの時間帯はクラスが賑やか
だったが、潤はクラスの輪から外れていたラウラを連れ出して、本音と一緒に生徒会室
で昼食を取っていた。
一夏が一緒に来たそうにしていたが、恨みがましい表情をしていた簪と、自分を景品
にして全校生徒が争奪戦を繰り広げる原因を作った会長を思い出して行くのを躊躇っ
たようだ。
そして、シャルロットとセシリア、箒と鈴、何時ものメンバーに連行されていく一夏。
相変わらず行動が噛み合わない二人である。
生徒会の長机を小中学校の給食時間の様な感じで集めて、会長と簪が用意した五段に
重なった重箱を囲っている。
伊勢海老やら、帆立やら、何処かの料亭の様なメニューが並んでいる。
﹁日本食というのは面白いものだ。 見た目も鮮やかに感じる﹂
﹁お弁当ってレベルじゃないな⋮⋮﹂
1─2
794
﹁これ、どうやって作ったんですか
﹂
?
﹂
?
潤は日本人らしい感性があるけど、日本人離れした面もある。
調理室を借りて、姉と一緒に重箱に料理を詰めている最中は、気が気でなかった。
情をといて嫣然と笑う。
最初にぽつりと言うまで、押し黙って見守っていた簪は、その一言を聞いくと硬い表
﹁││良かった﹂
﹁⋮⋮美味い﹂
が一口食べてどうでもよくなった。
会長が自分と簪との関係を利用して仲直りしようとしているな、とか色々考えていた
る。
やっぱり、朝から作ったらこうはいかない、と思わせるほどしっかり味付けされてい
進められるがまま、身近にあった稲荷寿司を口に入れる。
していただろうに。
朝早く起きてと言うが、煮物系統のがんもどきや、稲荷寿司の薄揚げは昨晩から用意
する
﹁潤の、好物が⋮⋮分からなかったから、得意な日本食にしたけど⋮⋮。 苦手だったり
﹁朝起きてして簪ちゃんと一緒に﹂
795
もしも、得意な日本食が嫌いだったら、不味いとか言われたら、そう思うと途端に気
持ちがしぼんきたが、その都度姉に励まされた。
駄目でも、潤の好きな料理の特訓を一緒にしようとも言ってくれた。
こうやって姉の隣に立って、一緒に料理をする、││そんなきっかけも与えてくれて
感謝している。
﹂
だから、美味しいと言ってくれて、簪は本当に嬉しかった。
﹁おぐりんは料理できないの∼
﹁潜入任務中のスパイのような物言いだな﹂
のは出来ないな﹂
﹁⋮⋮あ∼、材料なんか気にしないで、大雑把に調理する程度なら出来るけど、繊細なも
?
会長が簪に﹃はい、あーん﹄といったアレをやろうとして露骨に嫌がられたものの何
い物を食えるようにする事である。
すなわち、毒を抜いたり、適当な雑草を食えるようにしたり、ネズミなどの臭いの強
意味合いがあった。
あの言葉の裏には、潜入中に採取した物を食っても大丈夫なように調理する、という
笑えない、愛想笑いしているけど、決して笑えない。
﹁はっはははは﹂
1─2
796
故か嬉しそうで、ラウラが日本食に興味を持って簪に料理の作り方を聞くなどして花が
咲く。
代わりに本音が、会長にあーんして食べさせられたりしていたが、概ね生徒会室は平
和だった。
昼休みが終わり、午後の授業も終わり、帰りのSHRの時間となったクラスは学園祭
の出し物を決める為に、わいのわいのと盛り上がっている筈である。
筈であるというのは、潤がそれに参加しておらず、千冬の後に続いて職員室に向かっ
ているからだ。
一体どんな案が出ているのか、珍妙な案が片手の数以上出ているといった悪寒を感じ
てならない。
01X、それはカレワラの仕様書だった。
oduction Model 01 X﹄⋮⋮スオミ、⋮⋮フィンランド、⋮⋮PM
﹃Suomen tasavalta Finnish IS Force │ Pr
職員室についてようやく要件を聞いて、返答として書類の束を渡された。
﹁悪い知らせではないさ。 これを見てくれ﹂
﹁それで、何の用事で呼び出されたのか、そろそろ教えて頂けませんか﹂
797
しかし、ヒュペリオンと同じく、未知の領域に足を踏み入れた証である﹃X﹄が用い
られている。
仕様書を流し読みしてXの理由を探ろうとすると、脳波コントロールシステムの項目
を発見し、その謎が解明できた。
いるらしい﹂
﹁脳波コントロールの採用。 どうやらヒュペリオンのデータがフィードバックされて
﹁しかし、脳波を用いたシステムは未だに危険性すら不明慮のはず⋮⋮。 いや、イメー
ジインターフェイスを補佐する役割にして脳波コントロールをヒュペリオンの五%以
下に軽減、その結果安全性を確保するに至ったのか﹂
ロール、カレワラ、双方共にこの学園では教師たちより長がある。 副会長として名目
﹁我々教師側でも安全性の確認はしたし、そこは問題ではない。 お前は、脳波コント
も立っているし、慣らし運転に協力してほしい。 なおレポート作成には代表候補生以
﹂
外の一般生徒の協力も得るように﹂
﹁それは
﹁勿論、カレワラを使うのが、専用機持ち以外になるからだ﹂
?
レポート作成を生徒がやっていいのかどうか思う所はあったものの、カレワラを用い
﹁それもそうですね﹂
1─2
798
てトーナメントを勝ち抜いたのも確かなので請け負う事にする。
各国の第三世代兵装を用いることが出来る、が特色の一つだったカレワラが、機動制
御に特化した第三世代として放出されるとは予想外だった。
更に仕様書を読み進めていくと、イメージインターフェイスを各国の特色に合わせて
切り替え可能との表記を見て、先ほどの考えを改めた。
﹁勘弁して下さい﹂
﹁ふん。 ドロドロした、特務隊の好きそうな話だな﹂
せん﹂
す。 それを事前にリークすることで、欧州主要企業をコントロールする気かもしれま
﹁それに、各国の第三世代の完成を台無しにすることで資金的なダメージを与えられま
ドするつもりか⋮⋮﹂
﹁世界各国が第三世代を完成させた暁には、第四世代の第一歩を踏み出して業界をリー
金集めをするつもりなんでしょう﹂
世代機は時代遅れになります。 第三世代技術を放出し、第四世代完成のための研究資
﹁もしも、パトリア・グループが第四世代に対する知識を深めているとなれば、早晩第三
をする﹂
﹁しかし、この段階で第三世代ISを量産機として送り出すとはな。 思い切ったこと
799
確かにそういった事に、頭がすぐ回ってしまう性格ではあった。
﹂
少し戸惑う潤を見て、その過去を知る分、少し変わったことが嬉しくなる千冬だった。
﹁ところで、もう知っていると思うが、学園祭の招待チケットはどうするつもりだ
﹁⋮⋮外部の知り合いが非常に少ないので、誰かに渡すつもりです﹂
が、固まった。
﹁⋮⋮どうした
﹂
﹂
誰に渡そうか考えながら封筒を受け取って、チケットを確認しようと中身を見た潤
一端が生まれるので、よく考えて渡すように、と注意だけして封筒に入れて手渡した。
チケットには誰の招待券か分かるようになっているので、誰に渡そうが潤にも責任の
通りの答えが返ってくる。
手元で招待用のチケットをひらひらちらつかせて尋ねる千冬だったが、彼女の思った
?
その潤は、千冬の机からカッターを借りて手の一部を切り付けて血を出し、千冬に聞
ように軽く頷く。
確かに私はチケットを入れた、と弁明するような表情で潤の方を見て、潤は同意する
そこにあったのは││、無数の髪の毛だった。
千冬は戦闘中の様な表情で封筒を除く、潤を怪訝に思い封筒を覗き込む。
?
?
﹁先生⋮⋮、確かに〝招待用のチケット〟を封筒に入れましたよね
1─2
800
こえないように小声で何かを唱えると、その血を千冬の手に塗った。
﹂
?
でしょう﹂
!?
﹂
?
千冬も潤の過去を思い出して、該当しそうな人間を考える。
を知って、今も怪異を目撃した以上冗談と流すことができない。
魂を縁に強力な何かがこの世界にやって来た、一笑にされかねない事だが、潤の過去
潤は生徒会室で起こったことを克明に話し、千冬は興味深げに聞いた。
﹁流石に世界の全てを知っている訳では⋮⋮、そうだ、夏休み終了間近に一つ﹂
﹁心当たりは
私に感付かれないほど高次元な能力者、笑えませんね﹂
﹁私には出来ませんが││、いえ、前の世界でも片手の数ほどしか出来ないはず⋮⋮。 ﹁そんなことまで可能なのか
それも、あの一瞬で﹂
﹁髪の毛から非常に強い魔力を感じます。 恐らく時空か空間に干渉して入れ替えたの
自分の手の平に付いた血を見て、考え深げに呟く。
﹁そ、そうか。 便利なものだな﹂
せんし、理解も出来ません。 血を洗い流せば効力は消えますからご安心を﹂
﹁簡単な意識外しの呪いです。 私たちに用が無い連中には何を聞いても記憶に残りま
﹁何をする
801
﹁⋮⋮エルファウスト王国の国王、あいつじゃないか
﹂
﹂
確かに能力的に親みたいなものですし、空間への干渉もできますが、ウサ
耳博士より不可解な人間ですよ
﹁あの人が
?
﹂
?
﹁どうもこうも、私はIS学園、一年一組の小栗潤ですよ﹂
来たとして││お前はどうしたい
﹁ところで、はっきりさせて欲しいことが一つだけある。 もしも、お前に帰る手段が出
千冬もあの王に対して複雑な思いがある。
彼はとある目的に為に、潤に悪意と敵意、恨みの感情を必要以上に与える必要があり、
凶でもある。
能力的にも、後見人的にも、親ではあったが、潤の身に起こった不幸の多くは彼が元
人である以前に、王である彼の人格を思い出して自分の考えを否定する千冬。
﹁すまん。 言ってて私も無いと思う﹂
?
?
代わりに入っていった一夏に放課後教室に残るように言って、遠くから千冬の笑い声
とりあえずは後の後になるが、フレキシブルに対応するしかない。
は血をふき取って潤は考え事をしながら職員室を後にした。
迷いなく言いきった潤に気をよくしたが、結局問題に対する明確な答えは出ず、千冬
﹁そうか、それだけ聞いて安心した﹂
1─2
802
が聞こえたのに後ろ髪を引かれながら教室に向かった。
と、教室に戻る途中、女生徒の集団に道をさえぎられた。
右に移る。
﹂
女生徒達も左側に移って道をさえぎる。
﹁なにか御用で
﹁⋮⋮副会長﹂
﹁はい﹂
けじゃ、物足りない﹂
﹁ただ、会長が自信を持って推薦するほどの実力を確かめたいだけ。 私たちは映像だ
じゃないの﹂
﹁ああ、身構えないで。 何も陥れようとか、貴方に危害を加えようとか考えているわけ
ぐに気付けなかった。
魂から伝わってくる感情が、そういった暗いものでなく、もう少し綺麗だったので直
うか。
自分たちの上に立つのが男であるのが、ちょっと納得できない人たち、になるのだろ
これは、あれだ。
﹁男の子なのよねぇ。 副会長が﹂
?
803
﹁⋮⋮一回叩きのめされたいと
﹂
最初に思い切り叩いておけば、後々大きなはねっかえりが少なくなる。
実戦経験も少ないし、何より明日の学園生活のために叩くべきときには叩かねば。
過酷な戦場を生き残ることが出来る。
ヒュペリオンの状態は良くないが、良くないときは良くないなりの戦いが出来てこそ
一夏には悪いが、どうやら今日は帰れないらしい。
後ろめたい感情が無かったのも頷ける。
彼女たちは完全な実力主義者だ。
それがどういうことか、教えてあげるわ﹂
きゃーきゃー騒ぐ普通の生徒と違って、私たちは毎日操縦訓練に明け暮れている。 ﹁いいね。 話が早い子、お姉さん好きなタイプよ。 だけど、簡単に思わないことね。
?
多くの二年生に囲まれ、潤は一旦アリーナに向かった。
る。
この中で一番の熟練者は⋮⋮、金髪の女生徒、││はて、どこかで見たような気がす
様々なタイプと戦うのも、成長の糧にはなる。
小さな火の粉も一夏に向くだろう。
﹃織斑一夏に勝てない奴は小栗潤に勝つことは出来ない﹄とでも噂を流せば、降りかかる
1─2
804
│││
﹂
?
﹁いえ、見ませんでしたが⋮⋮。 職員室で織斑先生と話していらっしゃったのではな
潤は、ある意味尊敬されているのだ。
そういう人間にとって、純粋な強さを見せつけ、自分を叩きつけるような戦いをする
強くなりたい、巧くなりたい、もっと高いところにいきたい。
く見積もっているせいだ。
何を大げさなと、潤ならそう言うだろうが、それは潤が日頃から自己評価をかなり低
くのも無理は無い。
トーナメントで見せた圧倒的な強さ、ヨミの深さ、そういった潤の講座なら興味が湧
向上心を持った優秀な人材だ。
日頃から妙な行動をとるので忘れがちだが、IS学園に入学している以上、かなりの
変わりに、一夏に対して戦術講座を開くと知ったクラスメイトが大半残っている。
一夏が教室に帰ってきたとき、先に職員室を出たはずの潤の姿は何処にもなかった。
﹁あれ、潤は
﹁おりむー、おかえりー﹂
805
くて
﹂
﹁そうだ。 向かった先が一緒だったんだ。 会わなかったのか
相変わらず猫か、猿みたいだな﹂
?
﹁って、鈴か
第三アリーナ行かないの
いや、今日は││﹂
﹁みんなして何してんのよ
?
?
﹁第三アリーナ
?
﹂
﹂
何も言わずにしゅるりと一夏の身体を駆け上がるって一夏の前に着地した。
がみついた。
何処に向かったのか、急に行方不明なった友人を考えていると、一夏の背に誰かがし
﹁いや、俺より先に教室に向かったはずだったんだけど⋮⋮﹂
?
?
﹂
?
鈴が言い放った内容に、一組一同はただただ言葉を失うばかりだった。
かない
決勝トーナメント進出者が潤を連れ出して模擬戦しているみたいよ。 一緒に見に行
﹁そう、第三アリーナ。 そこで、副会長の実力試しとか言って、二年生のクラス代表や
1─2
806
1│3
﹂
鈴の先導で、一夏たちがアリーナに向かっていると、アリーナに近づくにつれなにや
ら慌しい様子が伝わってくる。
先ほどから廊下を走っている生徒も多い。
どうやら本当に第三アリーナでなにか大事が起こっているようだ。
﹁ところで、なんだって潤がいきなり二年生と戦う流れになったんだ
﹁小栗のほうから吹っかけた、とは考えにくいな⋮⋮﹂
でしょ﹂
!?
﹁合格って、何がですか﹂
﹁なかなかいい反応してくれるわね。 合格よ、シャルロットちゃん﹂
居ないはずの場所に、いきなり現れた二年生らしき水色髪の生徒に驚く。
いさっきまで誰も居なかったはずの場所。
聞きなれない声色に反応したシャルロットだったが、声に反応して振り向いた先はつ
﹁襲ってって⋮⋮わあっ
﹂
﹁そんなんじゃないわよ。 ただ、ちょっと襲ってみて実力を確かめてみたかっただけ
?
807
﹁潤くんにしろ、簪ちゃんにしろ、おとなしいタイプでお姉さん不満だったから﹂
﹁かいちょー、こんにちはー﹂
楯無の姿を認めた一夏とラウラが、少しだけ警戒態勢に入る。
﹁ごきげんよう、本音ちゃん﹂
潤は彼女をかなり信頼しているような印象を抱いたが、一夏にとってはおかしな人と
いった印象が強い。
ラウラは、⋮⋮ただたんに苦手意識を持っているだけだが。
遅刻騒動といい、学園祭騒動といい、騒ぎの元凶なのだから。
ラウラはもっと警戒している。
﹁まあまあ、そう警戒しない﹂
﹁誰のせいですか、誰の﹂
﹁なんなら、同じ二年生として、今潤くんが何で戦っているのか教えてあげるけど﹂
それはちょっと気になる。
歩いている一組一同心の中で同じ事を考えた。
﹁⋮⋮お兄ちゃんの生徒会入りは、次期の会長だという通告なのか
﹂
園において、生徒会長という肩書きはある一つの事実を証明しているんだよね﹂
﹁素直でよろしい。 殆どの一年が知らないみたいだからおしえてあげるよ。 IS学
1─3
808
?
﹁そういえばラウラちゃんは知っていたわね。 そういうことよ﹂
﹂
?
﹁で、学園最強の生徒会長さんは、あいつが勝てると思います
あいつってかなり強い
あのすまし顔を歪めてやると言っていたあのとき以来変わっていない。
特にセシリアは必ず勝ってやると気炎を燃やしていた。
代表候補生ともなると中々難しい。
トーナメントを通じて直接叩かれた一年生は簡単に認められるだろうが、上級生や、
自分より強いと、認められるかどうか。
加しているかもね﹂
も強いし、純粋により強い相手と戦ってみたいって生徒も居るだろうから、ついでに参
られる人もいれば、今日みたいに戦って確かめないと納得出来ない人もいる。 潤くん
それは私を除いて二番目に潤くんの方が強いということになってしまうの、それを認め
﹁全ての生徒の長たる者は││最強であれ。 私が次期会長に潤くんを推薦している、
のですの
﹁それで、潤さんが来期の生徒会長になるのと、今先輩方と戦うことに何の関連性がある
そして、若干気に入ったようだった。
意外な呼ばれ方をして、ラウラがほんのり頬を紅く染める。
﹁⋮⋮ちゃん﹂
809
?
けど、ISの実力って稼働時間に正比例するじゃないですか﹂
﹁ん∼⋮⋮、微妙な線ね。 ラウラちゃん、睨まないの。 潤くんが強いってことに間違
いは無いし、普通の生徒じゃ無理なのは確かよ。 ただ、皆も知っての通りISにおい
ては稼働時間が物を言うの。 二年生の代表候補生だったり、その座を争ったことがあ
﹂
る生徒だったりするとなると、才能だけじゃ決して勝てない。 その辺りは鈴ちゃんも
詳しいんじゃないの
﹁ああ、セシリアちゃんは、彼女から操縦技術を習ったんだっけ﹂
﹁サラ・ウェルキン、先輩もいらっしゃいますわね⋮⋮﹂
?
潤が相対的に自分の実力を﹃所詮は二流﹄と評価しなければならない化け物が居て、そ
り広げてきたこと。
異世界で同種ともいえる兵器を用い、訓練では決して味わうことの出来ない死闘を繰
しかし、彼女とて知らないのだ。
確かに潤のISの稼働時間は割と少ない。
何も間違っていない。
楯無の言っていることは正しい。
は勝てないでしょう﹂
﹁専用機はありませんけれど、優秀な方です。 わたくしとブルー・ティアーズでも楽に
1─3
810
いつに対して時間稼ぎ用として戦わされたこと。
それをその目に焼き付けることになる。
様﹄、私が日本人ならありかもしれないが⋮⋮。 ﹃にいさま﹄、お兄様とどう違う 候補に入れよう。 ﹃お兄様﹄、おお、かなりいいな。 ﹃おにいたま﹄、論外だ。 ﹃兄上
いやすいな。 ちょっと調べてみるか。 ﹃お兄ちゃま﹄、これはないな。 ﹃あにぃ﹄、
﹁やっぱりこうなるか。 お兄ちゃんは││お兄ちゃんより、我が兄、あにき、の方が言
い。
会長の予測とはずれ、ラウラの予想通り、潤はかなりの大立ち回りを演じているらし
ピットに近づくにつれ、二年生のため息と歓声で騒がしくなってきた。
けど⋮⋮﹂
﹁もう直ぐアリーナだね。 なんか、ISスーツで泣いている二年生の方がいるんです
811
の呼び方について調べだした。
潤がラウラの期待通りの強さを発揮しているのを確認し、安心したラウラは、
﹃兄﹄へ
自分より強いと認めた潤が、二年生に苦戦するなど、彼女にとっては屈辱にも等しい。
は。 ﹃兄や﹄、これは⋮⋮嫌では⋮⋮ない⋮⋮﹂
い呼び方だ。 ﹃兄君さま﹄兄上様と一緒だな。 ﹃兄ちゃま﹄、なんだこの変な呼び方
﹃アニキ﹄、候補として問題なし。 ﹃兄くん﹄、本当に使われているのか疑問の湧く珍し
?
この少女、常にマイペースである。
ブツブツ言って調べ物をし始めたルームメイトの手を取って、一夏たちと一緒にピッ
ト近くの巨大スクリーン前までたどり着いた。
その時、まるで図ったかのように鳴り響く爆音、思わずラウラが顔を上げた。
ヒュペリオンのプリセットの一つ、ロケットランチャーの爆風。
爆発と粉塵の中から出てきたのは、ボロボロになったリヴァイブ。
間合いを開いて仕切りなおしを行おうとしている様には決して見えず、命からがら逃
げるように見える。
逃げ出したリヴァイブが画面を通過すると共に、ほぼノータイムで距離を詰めてきた
ヒュペリオンが画面に現れる。
﹁ぐ││ぐうぅ⋮⋮なんで、こんな的確に││﹂
﹂
!
殴り、殴り、相手が武器を出した瞬間ビームサーベルを展開、先に手を斬り上げて反
逃げ道を塞ぎ、間合いを詰めた潤は、なんとISで格闘戦を始めた。
その編隊は恐ろしい速さでリヴァイブすら追い越して背面に展開されていく。
有機的にリヴァイブに迫っていく。
潤の裂帛の声と共にファンネルが主出され、まるで別々の人が動かしているかの様に
﹁畳み掛ける
1─3
812
撃の機会を殺す。
その光景を見て、会長の顔が疑問に歪む。
﹂
!
これで対二年生クラス代表三連勝。
潤がピットに戻ってきた。
│││
三人目となる、二年生クラス代表との戦いは、こうして幕を閉じた。
雄叫びと共に連射されるビームライフル。
﹁おおおおおおおっ
できず、蹴られて墜落していく相手になすすべは無い。
逃げから始まり、殴られ、斬られ、蹴られ、武器は封じられてバランスを取ることも
一斉攻撃を開始した。
そのまま二、三回相手を切り裂いた潤は、リヴァイブを蹴り付けた上でファンネルの
ノータイムで武器が出ているんだけど﹂
﹁僕と戦った時もそうだったけど、あの量子展開、どうやっているんだろうね。 ほぼ
﹁ISでISを殴るのか∼。 流石おぐりん、非常識だなぁ﹂
813
最初は半分健闘を称え、半分ひやかしていた二年生は、あまりに一方的な勝利を潤が
挙げるため、今となっては賞賛の言葉ばかりになっている。
二年生同士で戦っても、コレだけ圧倒的な差が生まれることは少ない。
一年坊主がちょっと調子に乗っているみたいだから、現実を見せてやろうと意気込ん
で戦って見たら、逆に現実を見せ付けられた。
とにかく状況のコントロールが神業的に上手く、先読みの深さが尋常でない。
どんな手を打っても﹃そう来ましたか。 ではこう返しましょう﹄とばかりにいとも
容易く対処されていく。
心を読めるとしか思えない、パーフェクト勝利を献上した二組クラス代表の叫びは、
一組と三組のクラス代表が抱いた感想と一緒だった。
ヒュペリオンを解除、オートで出来る範囲のメンテナンスを実施させると、隣に控え
ていた簪からタオルが手渡される。
﹁潤、お疲れ﹂
二組代表は箒といい勝負レベルだったが、一組クラス代表と三組代表は中々の強敵
いく。
渡されたタオルを使って豪快に顔を拭いて、ついでに髪の毛に付いた汗もふき取って
﹁ああ、ありがとう﹂
1─3
814
だった。
﹂
!?
﹁おぐりん、これ、飲み物ね﹂
セシリアや鈴はそちらの方に興味があったらしいが、一夏と箒はそのまま残る。
代表との戦いをインストールし始めた。
暫く固まっていたが、正気に戻った後は普段から使っている端末に、潤と該当クラス
一夏と同じく潤の周囲に集まっていたシャルロットから驚愕の声が上がる。
﹁損傷ゼロ
%の⋮⋮完全敗北﹂
﹁たぶん、それは⋮⋮二組、クラス代表⋮⋮。 損傷率、打鉄87%、ヒュペリオン、0
﹁ああ、かまわねぇよ。 しかし、派手にやっているんだな。 途中一人泣いてたぞ﹂
いいか﹂
﹁一夏か。 ちょっと避けえぬ戦いだったんだ。 悪いが講義とかは明日に持ち越しで
賞賛から始まる千冬の歓迎を受けている内に、一夏たちも潤の周囲に集まってきた。
﹁⋮⋮二年三組は、イタリア代表候補生⋮⋮だったような﹂
い相手でした﹂
﹁三組クラス代表がやたら強かったです。 かなりやりにくくて、最後まで油断なら無
﹁これで三戦連続完勝、流石だな、副会長﹂
815
﹁ありがとな、本音﹂
﹁えへ∼﹂
頭を撫でられ破顔させる本音。
その光景を見て、一夏と千冬などは、夏休み中のあの潤を何とかしたのは本音だった
のかな、とわりと穏やかな目を向けた。
潤と本音の仲が急変してびっくりしている楯無やら癒子やらナギが居た。
簪は開いた口が塞がらなくなっていた。
唯一にして強大な恋敵に、なんか物凄い差をつけられたかのような錯覚すら覚えたの
だから。
手は⋮⋮、サラ・ウェルキン
聞いたことがあるような、ないような﹂
﹁よし、アートメンテナンスがそろそろ終わるか。 エントリーをして、と。 お次の相
﹁潤⋮⋮代表候補生だよ。 その先輩﹂
?
﹂
﹂
ずだ。 簪、タオル、ありがとう。 洗濯して返すから﹂
﹁そうなのか⋮⋮、じゃあ、どこかの本で見ただけか。 どおりで、記憶に残ってないは
﹂
﹁うん⋮⋮。 あ、あの⋮⋮
﹁なんだ
?
!
﹁あの、あの⋮⋮、なんで、そんな⋮⋮本音と仲いいの
?
1─3
816
本音と潤の仲の進展。
夏休みの、とある一日。
どこまで話したらいいものか迷い、ちょっと手慰みに爪をこすり合わせる。
言いにくい。
とても言いにくいが、何か言わないと引き下がってくれそうに無い。
﹂
?
本当に、俺はいったい何時になったら一人前になるんだろうな﹂
?
﹁なんだよ、急に﹂
﹁そうか⋮⋮。 一夏﹂
﹁あ、ああ。 私とて油断が出来ん相手には、違いない﹂
﹁ところでラウラ、そのサラ・ウェルキン先輩は強いのか﹂
その顔は、意外なほど固く、不思議な緊張感を持っていた。
こすり合わせていた爪を止めた潤は、千冬の言葉を聞いて、顔を上げた。
﹁││分かっていますよ。 織斑先生﹂
﹁小栗﹂
理由かな
﹁本音が自分を見つめなおすチャンスをくれた。 ラウラが俺に懐いているのと、同じ
﹁色々
﹁色々あったんだよ。 合宿のときとか、夏休みのこととか、本当に色々な﹂
817
﹂
﹁次の戦いは、ビームライフルと実体剣、ビームサーベルの三つに絞って戦おう﹂
﹁はあっ
相手に失礼だと思わないのか﹂
?
﹁なら、先ほどの発言はどの様に説明していただけるのかしら
いた。
﹂
潤と千冬の頭に浮かんでいるのは、潤が人間の限界点と断じた一人の剣士が浮かんで
一夏たちの頭に千冬の姿が浮かぶ。
に勝ち得るもの﹂
﹁顔が近いぞ、セシリア。 強さには種類がある。 剣一本だけで世界のあらゆる猛者
!?
真剣勝負に手を抜くと思われるのは心外だ﹂
﹁箒、確かに俺は戦いに誇りを持ち込まない。 だが、武器が多少使えなくなった所で、
﹁何故その様な事をする
もし、それで勝つというのであれば、それは、セシリアに対する侮辱にも近い。
その相手に対し、潤は手心を加えて戦うと宣言している。
のだから。
セシリアにとってサラとは中々越えられない壁であり、実力を認めている相手だった
劇的な反応を示したのはセシリアだった。
?
﹁射撃能力だけで、一度に多数を相手取るもの。 力、知恵、技術、速さ、なんでもいい
1─3
818
が強さとは決して一つではない。 次の戦いは剣を主体に、銃撃戦を最小限に抑えねば
ならないお前に見せるための戦いにしよう。 白式でも行える戦いの流れ、今はそれを
見ればいい。 では、織斑先生、失礼します﹂
﹂
?
﹂
?
﹁お前と兄の最初の模擬戦、打鉄の被弾箇所を拡大し、フレーム単位でゆっくり動かして
﹁ラウラさん
﹁何だ、まだ気付いていなかったのか
﹁潤さんが⋮⋮。 でも、││それじゃあ、あれは⋮⋮﹂
どんな大怪我をしたんだろう、とも。
どんだけ、強かったんだよ、と。
そんなことなど何も知らない一組面々と楯無は戦慄した。
だ。
願わくは、一度でいいから全盛期の潤と戦ってみたかった、それが千冬の素直な感想
怪我ということにしておいたが、本当は世界を移動する前の復元だ。
無いわけではないが、それでも相打ちが関の山か﹂
﹁⋮⋮怪我をして手術する前の全盛期ならば、私より強かったろうな。 私に勝ち筋が
﹁潤くんは、そこまで強いんですか﹂
﹁ああ、健闘を祈る。 ⋮⋮よかったな、織斑。 よく見ておけよ﹂
819
みろ。 それで分かるはずだ﹂
その片隅で、怒りに打ち震えるセシリアの姿が見えるまで、あと少し。
まもなくサラ・ウェルキンと潤の戦いが始まる。
﹁││││││﹂
1─3
820
目にしてしまった。
何度かその場面を繰り返す。
これは、自分から中りに行っている
戦闘中繰り返すこと幾度。
い。
一度や二度なら慣れてない操縦者の癖とも言えるが、こうも続けば偶然とはいえな
?
少し時間が合わなかったのか何度かその動作を繰り返し、││とうとう問題の場面を
そこでセシリアは一旦動画を止める。
らも確かなダメージを潤に与えている。
見事な回避運動を行う潤を相手に、セシリアがこれまた見事な銃撃を行い、僅かなが
クラス代表選出戦、初めて潤と戦ったときの映像。
ブルー・ティアーズに大切に保管してあった動画を再生する。
1│4
821
1─4
822
あの当時から、自分と潤の力量差はこんなに開いていたのかと愕然となる。
こんなこと自分には出来ない⋮⋮そう考えて雑念を振り払った。
自信を持って﹃⋮⋮そうか、卒業までにかなうといいな﹄と言ったあれは、なんだっ
たのか。
引き分けにもつれ込まれたのは
ラウラが来校するまでの間は全て演技
去にケリを付ける。
このままではただの負け犬になってしまう、誇りに掛けて、例え勝てなくとも││過
ヒュペリオン、小栗潤、空を悠然と飛ぶ機体を睨みつけた。
映っているのは白と黒、僅かに湧き出る赤が幻想的なIS。
武装を限定して、なおも勝ちきると断言した潤に視線が集中している。
そこまで考えたセシリアは徐にモニターに目をやった。
なら、あの件で一番問題があるのは││
のは悪手⋮⋮、事情が事情だけに怒りきれない。
当時の一夏や潤の話題性や状況を考えれば、ただの素人が代表候補生に勝ってしまう
?
?
セシリアがそうこうしている内に、サラと潤の戦闘が始まった。
事情を何も知らないサラは、以前までと全く違い、スタンダートな戦闘スタイルに戸
惑っている。
しかし、本質的には何も変わっていない。
前線に居座り続け、好敵手に恵まれた故に掴み取った洞察力と、彼らに勝つための戦
闘論理。
あらゆる相手に順応し、自身の状況と敵の能力を冷静に把握して活路を導き出す。
逆転の可能性がある限り、その可能性を手にするために何度でも挑戦する。
これが何を意味するのかというと、未熟な部分が一つでもあると徹底的にそこをつか
れて生半可な奴では負けることと、千冬が教えることは殆ど無いということだ。
当たりにすれば当然かもしれない。
旧科学時代のパワードスーツのような、完成された技術体系から得た操縦技術を目の
ISそのものは現在黎明期。
生徒たちには尚更だろう。
潤の戦闘論理は千冬をもってしても目新しいものが多い。
なる程、そういうやり方もあるのか。 今日になって何度目かの発見をする。
﹁完成形を弄くるのは中々難しいからな⋮⋮﹂
823
その代わり、時々信じられないほどアクロバットな操縦をし、無茶を押し通して道理
をぶち壊していく。
もしかしたら、潤という人間と、パトリア・グループのようなトンでも企業がめぐり
合ったのは運命だったのかもしれない。
曲がりなりにも潤が満足する機動を得られているのだから。
﹁なんか、潤にしては、スタンダートな戦いだね﹂
﹂
﹁一 夏 に 組 み 立 て 方 を 見 せ る と か 言 っ て た し、素 直 に 戦 う と あ あ な る っ て 見 せ た い ん
じゃない
ラウラでいいぞ。 日本人には発音しにくかろう﹂
和気藹々と潤の戦力表をする面々。
?
はいつもどおり、一夏は真剣そのもの。
シャルロットは玩具を前にしたかのようで、ラウラと簪はほんの少し嬉しそうで、箒
鈴は何故か知った風に潤の実力を評価している。
﹂
﹁当然だ。 私が上と認める相手だぞ。 あのくらいやってもらわねばな﹂
﹁しかし、小栗は、あんなに強かったんだな﹂
?
﹁なんで⋮⋮ボーデヴィッヒさんが⋮⋮、そんなに、胸を、張ってるの
﹁ん
?
﹁⋮⋮そう﹂ 1─4
824
その裏で、楯無だけが、厳しい目をしていた。
その彼女が、
善戦している
程度の状態まで押し込まれている。
"
それでも、意志を持って力を行使したクラス代表戦の無人機乱入などの非常事態と比
ISが競技用に用いられている以上、何も可笑しくない。
気がかりなこともあるが、それを周囲に与えないほど潤は楽しそうにISに乗る。
らず、何故自分に挑んでこないのだろうか。
もう一つ、割と周囲にはどうでもいいことだが、あれ程の実力を持っているにも関わ
それは、ある仮説を彼女に与えることになる。
どう考えても時間と技量が釣り合っていない、楯無の持つ常識からすればありえない
それは、如何なる緻密さと豪胆さがあれば可能なのだろうか。
く、サラの理路整然とした戦いに、それと同じものをかぶせて勝とうとしている。
今までのようにヒュペリオンと、フィン・ファンネルの長所を生かした勝ち方ではな
"
一年生の中では潤を除けば、ラウラ以外に負けることはないだろう。
サラの実力は知っている。
この中で誰よりも楯無が真剣にモニターを見つめている。
その小さな呟きは誰にも聞かれなかった。
﹁嘘でしょ⋮⋮﹂
825
べれば、まるで別人のような感じ方の違いだ。
画面越しに感じる、楽しもうとする戦い方に感化されそうだ。
自分が未熟だった頃、限界いっぱいまで空を飛んでいたかったあの瞬間に似たような
高揚感だ。
潤の動きは基本に忠実ながら、時々教師が驚くほどの技量を見せている。
﹁なんで私に挑んでこないのかしら﹂
純粋な戦闘能力の評価も、国家代表の楯無と同等といっていい。
楯無は潤に対して不審に思うところはあるものの、一度でいいから全力で戦ってみた
いと、偽りない本心でそう思った。
だろう﹂
一年最強を自称した生徒を徹底的に叩き、今度は二年生を打ちのめす。
﹂
それは背負い込む気がなかった潤の思惑とは、かけ離れた状況へ追いやるだろう。
﹂
﹁小栗は責任のあり方の難しさを知っている。 そうそう安易に背負い込む気が無いの
織斑先生
﹁ならば、目の前の光景はどのように解釈するおつもりですか
?
﹁そうです。 此処に至って、誰も疑うことは無いというほど見せ付けていますよ﹂
﹂
﹁ふむ⋮⋮。 ﹃大いなる力には、大いなる責任が生まれる﹄か
?
﹁力の責任を知るが、必要なときには行使する事を戸惑わない。 そういうことだろ
?
?
1─4
826
﹁⋮⋮あ
﹂
﹁どうしたの本音
﹂
﹁あ、あ∼⋮⋮。 潤のあれって、そんなに酷いの
﹁水だ⋮⋮。 かんちゃん、水だよ、水﹂
?
!?
らしい。
﹂
どうやら潤は、即席で何とかなるといった付け焼刃的手法で一夏を強くする気は無い
てしまえばそこまでだが、二年後三年後を見据えれば何かしらの役には立つだろう。
正直なところ、千冬ですら練習がいる動きを一夏が見て、なんの役に立つんだ、と言っ
て最大威力の射撃を最後に置く。
ビームライフルの威力を最低限に絞り込んで雨あられと連射し、相手の行動を支配し
は上手くいった。
奇しくも潤が完全に間合いを詰めて戦いを〆ようとしているタイミングで、その誘導
どう説明したものか困った千冬が、露骨に話題を切り替えにかかる。
﹁おや、綺麗に間合いに入るもんだな﹂
何も知らない面々は怪訝な顔をしている。
本音が自分の推察を口にすると、事情をしる三人だけが何度も頷いた。
﹁なる程、盲点だったな﹂
?
827
﹁どうやって連射しているんだ
あれの元はライフル系統だろ
﹂
?
いでしょうね﹂
﹂
﹂
シャルロットの方が同じ欧州組みだし、仲がいいだろう
セシリアのあの日って何時だったっけ
﹁⋮⋮なんでセシリアがあんなに怒っているんだ
﹁さ、さあ
﹁わ、私に聞くか
﹂
セシリアが、黒い笑みを浮かべて一夏の隣に並んだ。
ラウラどころか、一夏が見ても数合で優劣がはっきりしてしまっているが。
画面では打鉄にも用いられている近接ブレードで打ち合う二機がある。
一夏は周囲の喧騒など関係ないとばかりに観戦を続ける人たちの傍に移動した。
シリアの怒る理由を察しているようだった。
鈴はあまり潤の戦闘に興味がないのか、ただ此処に居ただけなので一連の流れからセ
?
?
?
妙な威圧感を感じて箒とシャルロットが一歩あとずさる。
﹂
スターライトmk│Ⅲでも理論上出来るらしいですが。 戦闘中にやるのは彼くら
﹁通常一発分のエネルギーを、ある程度区分けして射撃すると可能││らしいですわよ。
?
﹁あんたら結構馬鹿だったりしない
?
?
?
﹁このまま後は崩れるだけ、か⋮⋮。 射撃で牽制しつつ相手を波に載せないよう牽制
﹁早い⋮⋮。 三回目で、相手の手首を⋮⋮自分の方に返させてる﹂
1─4
828
し、隙を作って立て直させないように追い込んで接近、言葉に代えると単純ね﹂
﹂
?
﹂
﹁あれはそんなものだ、生徒会長。 ボーデヴィッヒ、小栗の技術を見てどのように思う
﹁そんなものですか﹂
出来る。 一分野に限れば十年で充分だろう﹂
﹁お前は何時になったら私を先生と呼ぶんだ、馬鹿者。 ⋮⋮奴並みに強くなることは
﹁千冬姉、俺、あそこまで強くなれるかな
829
﹂
?
﹁その差だな﹂
!
﹁勿論、小栗が弱いと言っている訳では無い。 ただ、私から見れば、小栗の剣は汚いん
冬が持つ物には届かないと分かっている。
ラウラは本能的に、小栗潤が持つ物ならば並ぶことは出来るかもしれないが、織斑千
手が届くか、手が届かないか、の差と大して違いは無い。
手に入れたい、と憧れ、の差。
﹁わかんねぇや。 説明を頼みます
﹂
﹁私には、あんな力を身に着けることが出来るのかと憧れました﹂
﹁では、訓練時の私の技術を見てどのように感じた
﹁素晴らしいものだと思います。 私もあのような強さを手に入れたいとも﹂
?
だ﹂
﹁汚い
﹂
?
﹁そうだな。 磨き続けた、それが奴の強さの一つでもある﹂
﹁⋮⋮積み上げ続けた﹂
﹂
汚さが消えてしまうほど美しい。
分からない人間には凄いとしか表現できず、分かる人には汚く見えるその剣は、その
愚行の上に成り立っているのが手に取るように分かる。
束の様に頭脳明晰な者や、剣術でのし上がった千冬から見れば、木に竹を接ぐような
愚直ではあるし、無骨でもある。
言葉に括られる。
しかし、攻撃タイミング、防御方法、移動場所の選択、その他全てが最善最良という
ている。
その型さえも、誰でも習得可能な範囲の組み合わせといった、寂しいもので成り立っ
辛うじて存在している程度だ。
潤の剣には才能も、統一性も何もなく、複数の流派の剣術が混在しており、型だけは
凄いのは確かだが、剣の才能の欠片も感じない。
?
﹁それでは、何故あそこまで
1─4
830
学園中の人間がそれを目指して努力して、何人がたどり着けるか。
国中のエリートを集めたとして、精々五、六人程度だろう。
ダウンロードしたといっても、人とは千差万別の生き物。
体格から始まり、筋肉、柔軟性、瞬発力や持久力が少し違うだけでも、役に立たない
技術は多い。
実戦で使えるものとまで限定すれば、片手の数まで減ってしまう。
それを用いることが出来るまで、どれ程大変だったのか、千冬は良く知っている。
今は強化が弱くなっているので相対的に剣術のレベルも下がっており、ラウラに押し
負けてしまう事もあるが、そのズレも何れ修正するだろう。
無骨な剣ではあるが、しかし、努力に努力を重ねた剣は、尊い美しさがあった。
﹂
?
﹂
?
﹁││少しでも早く、一人前になりたかったから、か。 酒が入った老人の戯言だろう
﹁おぐりんは、なんでそんな
をさせられて黙っている気はいない﹂
﹁当たり前だ。 いくら教師と教え子の関係であったとしても、弟に拷問まがいの訓練
﹁そ、それは勘弁してほしい、かな
て﹃知らない天井だ﹄を数十回繰り返せば五年でたどり着くぞ﹂
﹁そういった意味で、織斑も馬鹿みたいに努力し続ければ、││それこそ病院送りになっ
831
に。 それが遺言になってしまったばかりにあの始末だ。 見ていて痛々しい﹂
千冬の返答を聞いて、ほんの少し本音が体を硬直させた。
どうやら、潤は相当本音を信頼しているようだ。
どちら側から踏み込んだのか知らないが、恐らく本音の方からだろう。
入れ込みすぎればいずれ、とも思ったがそう悪い事態ではない。
そんなことを考えているうちに決着が付く。
接近された上で、一方的に体勢が崩されているのだから、このハイスピードな決着も
当然だろう。
﹁⋮⋮おつかれ﹂
再び完勝してピットに舞い戻った潤を、簪を筆頭に見守っていた人の殆どが出迎え
﹁ありがとう。 まあ、こんな物だろう﹂
た。
二年生をしても認めるしかない。
小栗潤の実力は、自分たちより純粋に高いのだと。
﹂
﹂
千冬の話を小耳に挟む限り、学園でも屈指の実力を持っているとしか思えない。
﹁なあ、俺もあんな風に戦えるようになるのか
?
﹁基本的な戦法は基礎の範囲を出てないし、進級前には何とかなるんじゃないか
?
1─4
832
﹁進級前かよ。 なんか、もっとこう気軽に強くなれないのか
﹂
?
﹂
?
ただろ
なんでそうしなかったんだ
﹂
?
!
そうして潤が思い描いていた通りの光景を、図面に現してみた。
潤が投射ディスプレイに簡素な図面を表示させて、青と赤のマーカーを表示させる。
したんだ。 仮に│││﹂
﹁ん∼、ここか。 これは彼女の持っている武器が広範囲攻撃だったから、射撃戦に専念
?
﹁なあ、ここ。 ここだ ここはどう考えてもヒュペリオンのスペックなら懐に入れ
たと言える。
潤としても今回の戦いは、そういった枠内に収める枷を嵌めるテストとして役に立っ
するような操縦テクニックを要求する。
操縦がピーキー過ぎるヒュペリオンは、どうしても常識の枠を遥か彼方に置き去りに
ヒュペリオンで模範的な戦闘をするのは骨が折れた。
暇な時間を用いて、一夏に対ウォルキン戦の戦闘データを送信する。
いが、機体のダメージが軽度の場合はこれで事足りる。
本格的なメンテナンスをするには装備を脱ぎ捨てて、専用の工具を持って行うしかな
ヒュペリオンを待機状態に戻した後、再戦に備えてオートメンテナンスを起動する。
﹁おい、織斑。 お前は今まで何を見ていたんだ
833
﹁こういう風に自分もろとも彼女が包み込むように攻撃していれば⋮⋮﹂
﹁うげっ、えげつないな。 自分もダメージを受けるけど、結局潤にもダメージが入っ
て、主導権まで取られるのか﹂
﹁彼女は冷静だった。 ヒュペリオンが防御力に難がある事を知っていたんだろう。 こうなっていれば、その後もどうなったか分からん。 白式もエネルギーを攻撃力に変
える仕様なんだから、そういうエネルギーを減らす目的だけの戦法も対策を練らないと
な﹂
サラ・ウェルキンの戦い方は決して悪いわけではなかった。
頭を使って戦略を練っていたし、充分基礎固めが済んでいる堅実性を見せていた。
手に持った武器、量子待機状態の武装の読み合いに負けた時点でサラの負けは決まっ
ていた。
潤の情報戦に対する優位性は誰にも真似できない。
コレは教えるだけ無駄であり、千冬は全く言わなかった。
他にもシャルロットやら、ラウラやらの質問に対応していく潤に、セシリアがあるも
のを手にゆっくり近づいていった。
それを潤の顔に投げつけようとして、見事にキャッチされたが。
﹁はて、田舎者ゆえ、貴族の流儀に対して心得が乏しいのだが、
﹃顔を白手袋ではたく﹄と
1─4
834
﹂
いった行為がどのような意図を持っているのか知っているつもりだ﹂
﹁ならば、掴み取るのでなく拾い上げていただけませんこと
るとどうなるものか想像できない。
﹁一学期、四月のクラス代表選抜戦で、わたくしに手心を加えましたわね
無言で潤が千冬を睨みつける。
﹂
そもそも潤は﹃貴族﹄そのものに対して複雑な感情を抱いているし、ここで止めに入
潤は明らかに怒っている。
千冬はどうしていいのか迷っていた。
一転不穏な空気に包まれるピット。
﹁勝者を称える行為でないことは分かった、が⋮⋮何のつもりだ﹂
?
﹁それで
仰りたいことはそれだけですの
!
﹂
勝ちうる。 学園側も、俺も、あれ以上ややこしくなる事は遠慮したかった﹂
﹁仕方が無い処置だった。 一夏にすら危うくなるような奴なら、当時の俺でも簡単に
申し訳なさそうに目礼する千冬を見て、改めてセシリアを見る。
どうやらフォローしていなかったようで、これは単純に千冬の失策だ。
になっていた。
本当だったら、こういったいざこざが起こらないように、折を見て千冬が話す手はず
?
835
?
﹁それだけだとも﹂
﹁それだけ 確かにあの当時、ISでは素人であった潤さんがわたくしに勝つのはあ
﹁誇り
はっ、そんな物、無くたって戦える。 少なくとも俺は戦いに誇りを持ち出さ
それを背負っています﹂
かります。 ですが、わたくしには誇りがありますの。 野良のあなたと違って祖国の
まりに現実離れし過ぎています。 オルコット家の当主として政治的に難しいのは分
?
何か叫びそうなセシリアを、潤は片手で制して手袋を付き返した。
そのあからさまな挑発は、決定的な対立であり、その後の戦いを決定付けた。
﹁そんな下らない物に拘るから、お前は何時までたっても二流なんだ﹂
思議でならない。
何故、普段から心象穏やかなこの人物が、ここまで歪んだ思想を持つに至ったのか不
それを皮肉気で、自嘲すら含めた響きで﹃くだらない﹄と言い切る潤に眉を顰める。
どんな人間だって誇りという物を多少持っている。
セシリアは貴族として、多くの人と触れ合っている。
ない││﹂
?
でない。 返す﹂
﹁コレは俺に叩きつけられたものとして受け取ろう。 しかし、女性の手袋なんぞ必要
1─4
836
それは、奇しくも一学期と全く同じ流れだった。
﹁明日の日曜日、朝一の第三アリーナで││決闘ですわ
837
﹂
!
潤は人間らしさを好み、人でなくなろうとする奴を嫌悪する。
物であるらしい。
結局の話、復讐心からくる嫌感情だけか││、どうにも偏見で決めてかかる自分は俗
身も、また⋮⋮。
命を軽く扱って、自分について来てくれた戦友の命も軽くして、そう考えている潤自
たのか。
そんな、何時消えるのかも定かでない空想に、どれだけの若者たちが命を捨てていっ
馬鹿馬鹿しい。
ならば、貴族としての誇りか。
機動、射撃、熟練、戦略、近接、機体、あらゆる面でセシリアは劣っている。
にあることは分かるだろう。
ラウラ戦を見たのならば、セシリアと潤の間にある実力の隔たりが、マリアナ海溝並
何がセシリアのコアとなっているのかを。
ベッドの上で考える。
1│5
1─5
838
それは、自分が気付いたときには踏み外していたから
全く持って馬鹿馬鹿しい。
今回の決闘も同じくらい馬鹿馬鹿しい。
﹁馬鹿なんじゃなかろうか﹂
?
﹁そんなにセシリアとの決闘が嫌なら、しなけりゃいいじゃん
﹂
﹁きゃあ
こぼれる、こぼちゃう
﹂
!
!
﹁セシリアと戦うのってそんなに大変
﹂
﹁いや、まったく。 どちらかというと勝つのも簡単﹂
?
ではないだろうか。
﹂
作業していると邪魔をしにくる、あの不可思議な行動、結構な人が分かってくれるの
潤は癒子をでっかい猫かなんかと認識している。 行動態度的に考えて。
考え事をし始めると、多少の些事はどうでもよいと考える悪癖だった。
も反応はなかった。
何を言っても反応しなくなったため、癒子がふざけて腹部に座り込んでみたがそれで
紅茶をさっと淹れた後、何を思ったのか黙って考え事に集中し始めた潤。
!
﹁いや、そういう訳には⋮⋮えぇい、人の腹部に乗りながらお菓子を食べるんじゃない
?
839
﹁どのくらい
﹁癖
﹂
﹂
﹁セシリアには拭い難い一つの癖がある﹂
そして、﹃どんな手段を用いるか﹄その可能性を読み切るのが、か弱い潤の戦い。
深層心理から得た相手の本質を見極め、戦略を立てればある程度の実力差は覆せる。
本能的にやっていることかもしれないが。
ければ勝てるような連中には縁のない話。
単純に押せば勝てるような雑魚などどうでもいいし、潤と違って自分の才能を見せ付
戦闘に勝つには、その相手の深層心理を読んでいかなければならない。
わらせるつもりもない﹂
﹁まあ、新兵器で、俺が何も知らない﹃何か﹄があったとして簡単には変わらないし、変
﹁楽勝じゃん﹂
﹁9.9:0.1、もしくは10:0くらいで勝てる﹂
?
﹂
変化がある。 つまり﹃相手の様子を見て、次を決める﹄、これは結構な悪癖だ﹂
士の模擬戦、あいつは速戦を仕掛けない。 速戦を仕掛ける際には戦う前に見て取れる
﹁対一夏、俺のクラス代表決定戦、対ラウラ戦、それと定期的に行われる、専用機持ち同
?
﹁それって⋮⋮、普通じゃない
?
1─5
840
﹁そうだ、普通なんだ。 逆を言えば奴は埒外の行動はしない。 ただ、負けが決まると
暴発する癖も持っているから、追い詰め方にはある程度考えが要るな﹂
素人なら、素人同士なら、それでいい。
所詮人間業で戦うしかない潤の技術の路線、その遥か後ろにいる技術を使うしかな
い。
そこまで見えるからこそ、セシリアの思考をどうとでも操作できる。
相手の行動を見て戦法を変えるやり方など、相手の心理そのものを操作しようと考え
る人間にはカモにしか見て取れない。
そう、操作しようとする。
ここで相手の思考を操作しようとし、実際誘導出来るのが魂魄の能力者の思考回路。
この世界で唯一潤が持つ絶対のアドバンテージ。
﹂
実はこのアドバンテージも、元のこの能力者に限って言えば二流止まりなのが、非常
に潤らしい。
﹁確実に勝てるのなら、何がそんなに嫌なの
ナギに問われ、両腕を組んで考え込む潤。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
俗物的思想、いや、なんか││。
?
841
﹁⋮⋮はは∼ん、なる程∼﹂
﹁││なんだよ、本音﹂
﹂
持っていたり、憧れに近いものを持っていたりしない それで、﹃そう﹄らしくない
﹁なんか、せっしーに対して、
﹃こうすべき﹄、
﹃こうあってほしい﹄なんて、妙な幻想を
せっしーに勝手に怒ってない
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
それを聞いた潤。
何を思ったのかに立ち上がり││
﹁人の心を見透かした挙句、わざと暈かすんじゃな∼い
相手の心理を知るのは、かくも大事なことである。
﹂
潤の方は照れ隠しの口上と、かなり情けないことになっている。
本音は潤の貴族に対する妙な憧れなんて知らないだろうから言葉の全てが本心。
来る。
まあ、相手のことが底から分かる様になると、こんな風に簡単に人をからかう事も出
座っていた本音の頭を抱えると、とりあえずわしゃわしゃかき乱す。
﹁うわ∼、髪の毛がぐちゃぐちゃになる∼﹂
?
!
?
﹁我ながら何時までも引きずる男だ、情けない﹂
1─5
842
││そなたの服を見るに、ただの村民でないことは分かる││
ナイロンなんて普通は知らないだろうさ。
目が覚めたらいきなり雪の銀世界、凍死寸前で拾われ、次の目覚めは如何にもな屋敷。
そして、美少女のお嬢様か。
御伽噺じゃないか。
ちょっと本気で惚れちゃって、彼女のために剣を取ろう、なんて思ったってしょうが
ないじゃありませんか。
若かったなぁ。
﹂
?
﹁やっちまったな﹂
溜め込んでいる筈の本音は頬を膨らませて髪を直している。
お菓子を見ると、お開き状態まで減っている。
そして、程よく空腹状態になっている。
確かに食事時間をオーバーしている。
﹁私も、ナギも声掛けたけど、生返事ばかりだからほっといたの﹂
﹁なんですと
﹁晩御飯の時間終わったよ﹂
﹁うん、ごめん、ちょっとやりすぎたけど、反省しない。 俺は遅めの飯でも││﹂
843
﹂
﹂
本音は分けてくれそうもないし、ここは我慢して寝るしかないか、と思っていると部
﹂
起きてる、よね
屋のドアが徐に開いた。
﹁あ、あの、潤
﹁ああ、⋮⋮焼き菓子
│││
明朝予定のセシリア戦のことなんかを話しながら、夜は更けていく。
満面の笑みと同時に出た歓迎の声に、簪も同じくらいの笑みを浮かべた。
﹁ウェルカム、簪﹂
﹁うん、あの、明日の応援みたいな、抹茶のカップケーキなんだけど、食べる
?
十通りの戦法を考え、十通りの方法で倒される光景が目に浮かんだ。
何度考えても勝ちパターンが創造できない。
え込み、自然とため息を付いた。
アリーナの整備室でセシリアは一人、ブルー・ティアーズの装甲に額を押し付けて考
?
?
?
結局、今回の戦いは勝つための戦いではない。
﹁勝つための戦いではないとはいえ、何か嫌な想像ですわね﹂
1─5
844
そもそも政治の世界では騙された方が悪い。
あれは彼が男であることに全ての問題があり、そんな彼と代表候補生が戦うことにな
んの問題もない方がありえないし、そう考えれば何かあって然るべきだった。
今度はブルー・ティアーズにもたれ掛かって星空を見る。
﹂
││ブルー・ティアーズは、試作機だけあって最新の第二世代にも性能が劣る機体
⋮⋮。 それでも││
﹁セシリア、まだ此処に居るの
﹂
││ええ、明日の準備がありますし﹂
サラは思い出す。
﹁正直に言って、百パーセント負けるわよ
?
繰り寄せるセンス。
自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で活路を導き出して逆転の可能性を手
の手練。 修行・鍛錬によって培った洞察力、何度受けても攻撃が見切れない程高められた武芸
正直な話、国家代表と手合わせしたときの力量差と全く同じものを感じた。
短くも、穏やかに見えても、主導権を強引に奪い取ろうと貪欲に戦う男の姿を。
?
﹁⋮⋮サラ先輩
?
845
﹁知ってます﹂
﹂
﹁あら、結構、さっぱりしてんじゃん。 ﹃負けたくない ﹄とか言うかと思ってアドバ
イス考えてたのに﹂
﹁⋮⋮勝ち筋がありますの
!
﹂
?
ど﹂
﹁ちょっと挑発されると直ぐに頭に血が上ってしまうなんて、恥ずかしいことでしけれ
そこで初めてセシリアは挙げていた顔を下ろし、サラの方に向き直った。
﹁ああ、やっぱり。 あんた、勝つ気ないんでしょ
﹁そうですの⋮⋮。 まあ、それなら、明日の決闘には尚更必要のないことですわ﹂
に変換すればワンチャンだけど﹂
﹁まあ、セシリアの機体じゃあ不可能に近いから無意味なんだけどね。 いや、高機動型
驚かないはずがない。
あれだけ押し込まれている状況で、この先輩は勝ちの目を掴み取ったのだ。
驚愕の顔でサラの顔を見つめるセシリア。
﹁思いつく限り一つだけ﹂
?
﹁勝てればそれはそれでいいのですけれど、勝敗など所詮は勝負の常。 始めれば必ず
﹁変わんないね、そこは初めにあった頃から﹂
1─5
846
生じる勝敗程度に拘るのは貴族の名折れ。 ベストを尽くして自分の限界にどれだけ
挑めたか、その上で同じ様に限界を出した相手に勝ってこそ、本当の誉れが生まれるの
です﹂
日曜日の朝。
│││
許しませんから﹂
がなかろうともかまいません。 相手に手心を加えさせるなど、オルコット家の誇りが
﹁ええ、私は私と、││彼の誇りのために戦いましょう。 例え、彼が誇りになんの感慨
﹁そっかい、それじゃ、お前さんは││﹂
なる﹂
﹁⋮⋮今回はそもそも相手が正しい。 だけどわたくしはそれでは置いてけぼりだけに
ただ、清清しいまでに、気高い者が抱く誇りに圧倒もされている。
それだけセシリアの言った事を実践するのは難しい。
サラのそれは若干の呆れすら含まれたそれだった。
﹁⋮⋮貴族様も大変だね﹂
847
本来使用開始直前のアリーナは人まばらで静まり返っているものだが、既に席が半分
ほど埋まっている。
席の大半を埋めるのは二年生。
自分たちのクラス代表や、自学年の代表候補生がいとも容易く屠られたと聞きき、勝
何で皆来て
手に話が広まり、後日イギリス代表候補生と再戦があると聞いて、昨日より野次馬が増
﹂
?
えていた。
﹂
﹁うーん、二年生、三年生が殆どか。 ⋮⋮陸上部今日部活なかったっけ
いるんだ
﹁それで││勝てそう
?
?
﹁やたら心配するなぁ。 心配
﹂
本音が気でも利かせたのかも知れない。
他のメンバーは座席の一番いいところを占有している。
ピットにいるのは潤と簪の二人だけ。
﹁ああ、そっか。 基本的に一年以外は昨日が初見になるのか﹂
﹁潤のヒュペリオン、まだ見たことがない人もいるくらいだから﹂
?
かな﹂
﹁いや、⋮⋮そこまでじゃないけど、⋮⋮潤が負けるところなんて見たくない、⋮⋮から、
1─5
848
やたら心配性な簪の頭を、何度かぽんぽんと叩く。
﹂
?
一体何を企んでいるのだろうか。
ン全体を整除しているモジュールは博士のお手製だ。
ヒュペリオン自体に束博士の手が加わっていることが確定しており、特にヒュペリオ
可変装甲は謎に包まれている。
﹁⋮⋮うん﹂
﹁先日も二年生のクラス代表にも勝ってたし、大丈夫だよ﹂
かったかもしれない。
身体が負傷した際には、負傷した際の戦闘方法があり、実践したことがなければ難し
ラウラ戦とは別種の機体とも感じ取れる。
照準がずれるわ、低速時は打鉄並みの性能まで落ちるわ、防御力は第一世代以下だわ、
ヒュペリオンの性能低下は目を覆いたくなるものがある。
低下していると話したのが悪かったようだ。
昨日の夜、可変装甲が一切開かず、また、夏色々あったことが原因で性能が二割ほど
もないさ﹂
﹁心配するな。 負けの目はない。 例え可変装甲が使いこなせなくても、なんの影響
﹁⋮⋮なに
849
企んでいるといえば、彼女は何故、潤の魂を計測するなんて面倒なことまでして、リ
リムの魂をぶっこ抜いたのだろうか。
そういえば、一番重要なそこを考えたことがなかった。
あの事件で博士が潤から得た利など、何もありはしない。
しかし、そこには博士なりに大事な目的があったはずなのだ。
そうでなければ、セシリアにあれだけ剣呑な態度を取った束博士が、潤と直接話すだ
けの機会を、あれだけ楽しそうにしていたはずがない。
演技をする理由もない。
││今のところじゅんじゅんには知る必要のないことだよ
││君は私が望むがままにヒュペリオンを使い続けるだけでいい
﹁⋮⋮まあいいさ。 貴様の望み通りなのが癪だが、使わない選択肢がありえない以上
﹂
は仕方がない﹂
﹁なに
﹁││
﹂
﹂
﹁あ、うん。 ⋮⋮潤
﹂
﹁いや、なんでもない││、俺はそろそろ出るよ。 見送りありがとな﹂
?
?
﹁勝ってね
!
1─5
850
!
﹁任せろ﹂
軽く言って、ピットから勢いよくアリーナに射出されていく。
第三アリーナには、突き抜けるように青い空と、同じように青々としたISが待って
いた。
しばしの間、二人の間に流れる沈黙。
﹂
﹁⋮⋮潤さん、一つ、お話ししたいことがあります。 お聞きになっていただけますか
851
セシリアが深呼吸するだけの音がアリーナ全体に響き渡る。
﹁異論はない﹂
ちに聞いていただきたいのです﹂
﹁ならもう一つだけ許可をくださいまし。 二人の話を、出来ればアリーナ全体の人た
くりしてしまった。
この程度でどうこう言うほど器が小さいとは思ってなかったが、予想通り過ぎてびっ
た事に驚く。
セシリアとしては話を聞いてくれないことも考えていたので、あっさり会話を許可し
本来ありえない、挑戦者からの問いかけ。
﹁いいだろう。 許す﹂
?
観客たちはすぐさま戦いは始まらないことに少しだけ戸惑っていたが、意外な展開に
話し声が各所で響いていた。
そのざわめきは、次の言葉でもっと大きくなった。
﹂
﹁この決闘、大変不義理なものです。 まずお詫びいたしますわ﹂
話が飛躍しすぎています﹂
?
今更俺は引かないぞ
その言葉を待っていましたといわんばかりにセシリアが人差し指を潤に向ける。
?
﹂
﹁これはわたくしの名誉のための決闘でありますので、私は負けてもかまいません﹂
﹁⋮⋮如何にも正論だ。 では如何とする
﹂
﹁そも、貴方がわたくしに手心を加えたのは教師の命令。 それを貴方の責にするのは、
決闘を申し込んだことがある潤も、この展開が余りに意外すぎて困惑している。
れた側が謝罪するなど前代未聞だろう。
恐らくそんな決闘が身近にある彼女の文化圏でも、決闘前に両者が話し合い、侮辱さ
式な裁判方法の一つでもあった。
イギリスの決闘は案外近年まで行われており、記録としては十九世紀までは存在し正
﹁な、何を馬鹿な⋮⋮、しょ、正気か
?
﹁では、これから起きる必然の戦いはなんのための決闘だ
﹁お互いの誇りの為﹂
1─5
852
?
﹁誇り││
俺の剣に誇りなんてものはない、前も││﹂
?
真っ直ぐセシリアの瞳を捕らえる。
色々と直前になって要求を増やしてくるとはなんたることだ。
た戦いを申し込んできている。
目の前の馬鹿は、こともあろうに決闘の本懐から外れ、勝ち負けではなく誇りを掛け
潤は暫く考え込んでいた。
﹁仰るとおりです﹂
﹁││つまり、俺に誇りを持って、最大限の力を出せ、そういいたいのか、お前は﹂
した﹂
ていますが、わたくしは貴方とならその戦いが出来ると思い、貴方を好敵手だと思いま
えてこそ、本当の誇りある決闘となるです。 勿論、そんなことが出来る相手は限られ
に挑む内面の戦い、その上で同じ様に限界を出している外面の戦い。 その二つをそろ
﹁私は本当に神聖な戦いとは、二つの限界に挑むものと思っております。 自分の限界
﹁⋮⋮ご大層な言い分だ﹂
せん﹂
方の一挙手一投足を見ても何にも誇りがなく生きてきた下種な人間とはとても思えま
﹁いえ、貴方は誇りある人です。 貴方が何を知り、何に絶望したかは知りませんが、貴
853
若干の体の振るえ、そして、誇りある、真っ直ぐな色をした瞳。
誇り││誇りか⋮⋮。
ふと、セシリアが震えている理由が頭の中によぎった。
彼女は正義と誇りを前面に押し出し、決闘を申し込んだ側が事もあろうか謝罪して、
相手に誇りを求めるという前代未聞の馬鹿げた行為に羞恥している。
此処までくると引くに引けないか。
女に衆人の面前で恥をかかせているのに、全て無にしてしまうのはどうかと思うし、
もしセシリアの提案を蹴って勝っても、大恥覚悟でアリーナ全体に話を広めた一人の戦
士の覚悟を無為にしたという悪評が残る。
受けた方がよほどマシだ。
﹂
﹁││はぁ、回りくどく、面倒で、自己中心的な奴だ。 こうなると断れなくなることも
考えのうちか
か﹂
﹁それが分かるという時点で、貴方は誇りの何たるかを理解している方ではありません
?
て、その不完全に自分の未熟が関わっていたから、八つ当たり気味の決闘をした﹂
分の完璧を出した素晴らしき戦いが、不意に汚されたからお前は昨日怒った。 そし
﹁自分が思う誇り高き戦いとは、相手も完璧であって初めて成り立つものだ。 以前、自
1─5
854
﹁そのとおりです﹂
まったくもって不愉快だ。 ││が、セシリア・オルコット、それとは別
!
﹂
?
どれだけ気高い人間だったのか、またそういった教養をどれ程しっかり受けてきたの
なく、また一部の隙もない。
決闘の儀、その動きは少々ぎこちなさがあったものの洗練されており、落ち度も殆ど
その潤が、セシリアが見ている目の前で騎士の作法にのっとり、見事な礼をとった。
正直な話、セシリアが求める以上の身の振る舞い程度は出来る。
元々は騎士を目指して、貴族の屋敷で鍛錬していた身。
﹁ありがとうございます。 恥を忍んで懇願した甲斐がありましたわ﹂
﹁名乗るほどでもないが、誇りを持って、全力でお相手しよう﹂
﹁それでは
に、お前の誇りある戦いへの思いは素晴らしいと思う﹂
﹁この⋮⋮
﹁問題ありません。 貴方は誇りの分かる方です﹂
思っている﹂
もらわねば、か。 馬鹿か、貴様。 いったいどれほどの人間がここまで理解できると
うでなければ決闘する意味がないのだから、決闘の場で頭を下げてでも俺にそうなって
﹁ならば、その汚点をそそぐ為には、今回の決闘では俺も完璧で無ければならない。 そ
855
かがうかがい知れる。
驚いたのはセシリアだ。
これほど洗練された決闘の動作を行える人間など、貴族社会のイギリスでも片手の数
ほどもいない。
覚束ない動作で、今度はセシリアが決闘の儀を行う。
潤とは違って、少々ぎこちない。
﹁いざ、尋常に﹂
﹂﹂
﹁ええ、││尋常に﹂
!
二人の掛け声と共に、戦いが始まった。
潤は誇りを持って全力を出す事を誓い、セシリアはそれに挑む構図になっている。
誇りを持たせるための話は終わった。
﹁﹁勝負
1─5
856
交叉する剣と剣。
それを手に持った、ヒュペリオンの実態剣で払う。
瞬時加速で、寸分狂うことなく急所へと放たれる高速の突き。
その拘りは、常人には理解しがたく、潤の読みは外れた。
たと見える。
どうにも、潤が決闘の儀を体現したことで、彼女もまた古くから続く決闘に拘りだし
その手に持つのは、近接ショートブレードであるインターセプター。
したり││してくるが。
追い詰めると妙な事││自爆も構わずティアーズを撃ったり、近距離ミサイル攻撃を
相手を見て戦い方を変える、この歳ではスタンダートな戦略構築をする。
て直す。
セシリアは基本的に銃撃戦での戦いを行い、それが難しくなると相手を見て戦略を立
アリーナで一番驚いたのは潤本人だった。
なんと、先手を取って間合いを詰めたのはセシリアの方だった。
1│6
857
両者の武器は甲高い音を立てて火花を散らし、セシリアの体勢が若干崩れた。
﹁││くっ、重い﹂
潤は自分のことを棚に上げ、四月から考えれば明らかに不釣合いに向上した錬度に、
素直に賞賛の感情を抱いた。
最後にセシリアと直接戦ったのは、六月の頭。
自分の中にあった情報が古くなりすぎているようだ。
何が相手に通用しそうで、何を抑えていくのか、そういう相手の心理を読み直さねば
ならない。
まず情報戦から入った潤に対し、セシリアは速戦を仕掛けた。
セシリアの情報を精査そうなればもう止まらない。
続けざまに二撃、三撃と連続しての攻撃が放たれる。
それを、手に持つ剣で着実に捌いていく潤。
﹂
﹁このじゃじゃ馬め﹂
!?
右手で剣を握ったセシリアに対し、更に右に入って防御不能の状態へと振り下ろされ
ン。
セシリアの攻撃を利用し、わざとアンロック・・ユニットで防御、衝撃を利用してター
﹁││ちょっ
1─6
858
859
た剣。
間違いなく一般生徒ならば、避けることなど不可能。
しかし、それをセシリアはなんとか回避した。
潤の狙いは右首の頚動脈。
瞬時加速を利用し、例え自分のシールド・エネルギーが減ることになっても構わぬと
言わんばかりに潤へ体当たり。
首筋を狙っていた軌道を回避。
体当たり自体は難なく回避されたが、回避行動で有り余ったベクトルを宙に向け飛び
上がる。
潤は未だセシリアの情報を上書きしている最中││いや、本当はとんでもないほどイ
ライラしていた。
││何故まともに動かないんだ、ヒュペリオン
現在のヒュペリオンの稼働率は三割ほど。
日ごとに調子が違う機体なんて、誰が信用できるだろうか、決まった戦略を構築でき
潤が一番欲していたのは、ヒュペリオンに制御に慣れる時間。
くのも仕方が無い。
ラウラ戦で九割近くを出していた稼働率の事を考えれば、今のヒュペリオンにイラつ
!
るだろうか。
﹂
潤がイラつく僅かな隙に、セシリアが体勢を立て直した。
セシリアが手を止めた。
﹁││なぜ、本気で来ませんの
始まって僅か一、二分。
﹁勿論﹂
﹁合宿、覚えているか
﹂
息も上がっていないのに宙に留まっている。
?
﹁では││まさか、ヒュペリオンの性能は
﹂
?
を感じ取っている﹂
﹁駄目なんだ。 博士を信じられない。 あの人の機体を信じられない。 ISもそれ
?
何と予備動作からそれを読みきった潤は、インターセプターを打ち落とし、首に刃を
今度は上段からの袈裟斬り。
たが、すぐにその思いを改めることになる。
相手がどうやっても全力になれないことに、セシリアは思惑が外れ歯がゆい思いをし
勝負は再開。
﹁気遣いは無用だ。 逆になめて掛かれば一瞬で終わると思え﹂
1─6
860
走らせる。
﹂
!
どうせなら、セシリアすら完全に負けを認めるほどの状態で勝利したいものだ、なん
はっきり言うなら、妙に昂ぶっていた。
するに余りある。
セシリアの気高い心は、貴族に対する嫌悪感と、ある種の憧れ││過去の自分を刺激
な勝利だった。
決闘直前の構えから戦闘が始まる直前、潤が欲したのは混じりけ無しの、完全で完璧
│││
仕切りなおしを選択した。
体勢を崩したセシリアを逃がすことなく頭部、腕部、胴と瞬く間に三連続で斬りつけ
付け焼刃での接近戦で、潤を超えることは出来ない。
しかし、所詮はその程度。
にはセシリアの実力が向上している。
なんの勝算も無く戦いを挑んできたわけではない、その程度の事を思い浮かべる程度
﹁ぐうぅぅ
861
1─6
862
て、彼らしくも無い事を考えるくらいには。
しかし、ヒュペリオンは、人間でいうなれば愚図ついているか、やさぐれているとし
か思えない。
潤がイラつくほどに。
何時までたってもぐずぐずぐずぐずと、││今はそんなんじゃ、満足できないんだよ。
篠ノ之束、ヒュペリオン、アンノーン・トレース・システム、リリム、ティア、⋮⋮
だが、今はいい、今だけは思考の片隅であろうと。
憎しみも、悲哀も、確執も⋮⋮それでも。
今は、セシリアの馬鹿正直な心意気に答えるだけの、曇りなき力が要る。
ヒュペリオン⋮⋮、今は、お前を信じるから、お前の力を、俺に││
多大な負荷から潤を守るため、機体を直感的かつ、よりダイレクトに操作するため、脳
用のパーツへ変化。
元々存在していたシールド状の肩部アンロック・ユニットも装甲が開いていき、加速
脚部パーツが縦横装甲に少しずつ開き、赤色のナノマシンが噴出していく。
腰から太ももにかけて、装甲が開いた状態の姿勢制御用アンロック・ユニットが展開。
ようとした時と同じくして、││装甲か音を立てて開き始めた。
そう思いながら、セシリアがティアーズを展開した事を確認し、迎撃からの攻撃をし
!
波コントロールシステムの本領が発揮される。
潤の脳波を取得するための一度頭部を固定、専用システムが走り出し、スキャニング
が実行される。
この間、コンマ五秒弱。
僅かな時間を掛けて変化した見た目に反し、その形状の変化と、スペックの変化は凄
まじい。
│││
﹁なにあれ
あれが篠ノ之博士の
﹂
!?
意識がなかったとはいえ、何も出来ずに負けたのだ。
それを見て漏れ出したラウラの独り言は、ほんの少し苦味を持ったものだった。
ペリオンの装甲が変化した。
セシリアがティアーズを展開し、すわ此処から本番か、と改めて身を正した時、ヒュ
﹁くっ⋮⋮。 ああ、そうだ、シャルロット。 あれが可変装甲だ﹂
!?
セシリアの呟きは、アリーナを包むざわめきに掻き消えた。
﹁あれが⋮⋮可変装甲展開後の、ヒュペリオン⋮⋮美しいですわね﹂
863
しかし、そんな苦みを消し去って余りあるのは、立ち上がりたくなる程の興奮。
この中で可変装甲展開後の戦闘を知っているのは箒とラウラしかいない。
﹂
見ていると身体の心配したくなるような、ISのパイロットなら背筋がぞわぞわして
雪片弐型や展開装甲と同じ第四世代の代物なんだろ
くる様な機動を可能とする。
﹁箒、あれ、どうなるんだ
?
一歩間違えば死の淵が見える危険性を孕んでいるものの、機体限界まで加速できる
対して潤のヒュペリオンは、命すら危うくなる安全装置の無い試作品。
紅椿の展開装甲は、あくまで箒の安全を確保しているれっきとした完成品。
いほうがいい﹂
﹁確かに紅椿の展開装甲は、可変装甲の発展だが⋮⋮、機動に関しては同じものと思わな
?
ヒュペリオンの方が速く動ける。
﹂
?
│││
そして、ここからものの五分もせずに試合は終わる。
ティアーズが一斉射し、それを見た鈴が声を出したのを境に試合が再開した。
﹁始まる
1─6
864
並列展開したティアーズの全てが、ほぼ同時に一瞬で破壊された。
事実をそのまま書き表せばそれだけのことだが、目に映る光景は以上そのもの。
物体が鏡に映りこむかのように、ヒュペリオンが、目にも留まらぬ速さで動き出して
ティアーズの攻撃を回避。
並列に展開されていたティアーズを全て破壊した。
セシリアはなすすべも無くそれを見ていることしか出来なかった。
辛うじて、自分に迫るビーム・サーベルを回避できたのは、幾度と無く潤の剣を見て
﹂
おり、ヒュペリオンが速さ自慢の機体だと知っていたからだ。
﹁は、速いっ
これが第四世代の恐ろしいところだ。
機動タイプの対応が可能だが、それがなければ対応すら出来なかった。
強襲用高機動パッケージ、ストライク・ガンナーでのデータが残っていたので、対高
に。
元々ヒュペリオンは速度に重点を置いた機体ではあるが、ロストするとはこれ如何
た。
最初、潤の操縦しているヒュペリオンを、ブルー・ティアーズが捕らえてくれなかっ
セシリアが苦悶の声を漏らしたのも無理は無い。
!?
865
後方に逃げ出したセシリアにぴったり張り付き、ビーム・サーベルを展開したまま移
動してきた潤の攻撃が続く。
﹂
そこに間断はなく、容赦はない。
﹁っ
﹂
まさしく綱渡りの機体な成せる所業、いや、神がかりか。
接機構が防いでくれる。
そんな事をすれば試合後腕が動かなくなる程ダメージを追うが、最悪の事態は特殊間
させるなど、更なる速度上昇を試みている。
セシリアは反応する余裕も無いが、潤は腕部を加速させてサーベルを振る速度を上昇
ISが無ければ五体が飛んでいたと錯覚するほどの気迫が伝わってきた。
首、両腕、両足、放つ斬撃には、全て必殺の意思が宿っている。
瞬く間に五度も斬られた。
!
!
は不可視の領域に加速しつつあった。
今では閃光と化している剣先、得物を振るう腕の動き、その足捌き、既にセシリアに
る物ではなくなってきた。
潤の機体は、スナイパーとして視力関連の訓練を施された目を持ってしても視認でき
﹁くっ
1─6
866
装甲が無意味に散っていく。
反撃の猶予も無く、成すがまま、命の綱であるシールド・エネルギーを消費していく
しかない。
潤の追撃が余りに激しかったせいで、セシリアの細身は宙をたださまよう様になり、
しまいにはアリーナの地面に墜落した。
だが、そんな状態のセシリアを、潤は追撃しようとはしなかった。
自ら間合いを開き、わざわざ剣を構えてセシリアの体勢が整うのを待っている。
誇りある戦い、騎士として、あくまで正面からの決着を望んでいる。
それを見たとき、心の底からこみ上げてくるものに負け、セシリアは銃を構えるわけ
﹂
でもなく、再びインターセプターを構えた。
﹁││正気か
!
剣先を僅か上げて右にずらし、左手に合わせる構えを取っている潤が、悪魔か何か見
放たれている殺気は、今までの比ではなかった。
大気が凍り付く様な錯覚。
潤は返答を聞くと、一旦瞳を閉じ、││セシリアは思わず逃げ出しそうになった。
をする敬意ですわね﹂
﹁え、ゴホッ、ゴホッ。 ││んんっ ⋮⋮ええ、此処に至って、騎士道に則った行動
?
867
える。
﹁普通の手合いなれば、﹃冥土の土産﹄と言いたいが││まあ、手向けと受け取れ﹂
離れている距離は僅か五メートル強。
﹁何時でもどうぞ﹂
ISならば一瞬の距離。
セシリアのエネルギーは装甲がある箇所で攻撃を受ける分にはまだ余裕がある。
しかし、先ほどから潤に切り裂かれていることもあり、絶対防御の為にエネルギーを
ごっそり持っていかれる非装甲部に打ち込まれるかもしれない。
﹂
そうなれば三回ほど斬り付けられればけりが付く。
突いた。
何時の間にか間合いに入っていたと錯覚するかのような速度を出し、潤は単純に剣で
合わせる、どころではない。
潤の攻撃にカウンターを合わせ様としたセシリアの身体が凍る。
あまりに負荷が掛かりすぎて、本来なら使えないはずの加速。
潤が繰り出したのは、瞬時加速とヒュペリオンの加速を同時に用いた禁じ手。
﹁││っ
!?
防げるか
?
1─6
868
869
一回でも防げれば、まだ戦える、この誇りある偉大な難敵と戦える栄誉にひたってい
られる。
そう思って、鼻と、喉と、心臓の、││何故か三箇所をセシリアは防ごうとした。
潤は直感的に対応しようとしたセシリアの心を感じ取り、若干賞賛しつつ、その無謀
をあざ笑っていた。
狙いは確かに三箇所だったのだから。
ダウンロードした情報から、少しずつ自分の身長、体重、筋力に合わせて修正を行っ
て技術を高めていく。
その中で、遊びで作り出したら、実戦で使えるような技術が生まれた事がしばしば
あった。
今、セシリアに披露する技は、そもそも正面から出させてはいけない類の業である。
その業は、こう記されている。
平正眼の構えから踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に三発の突きを繰
り出した。
即ち目にも止まらぬ速さで、相手は一突きもらったと思った瞬間、既に三度突かれて
いたという伝説である。
潤が突撃前に構えていたのは平正眼。
﹂
狙いはセシリアが防ごうとしている鼻先、喉、心臓の三箇所。
﹁おおおおおお
mptyを表示している。
﹁ふ、ふふ、あはっ││。 ふぅ、負けましたわね﹂
?
﹁気は済んだか﹂
﹁ええ。 完敗ですわ。 ⋮⋮本当に四月からこの技量でしたの
﹁まあ、さほど変わっていないな﹂
セシリアは心から潤に賛辞を送る。
決闘の決着はここに付いた。
│││
﹂
吸い込まれるように、顔、喉、心臓に突き技を受け、セシリアのエネルギーはゼロ、E
結局一撃も防ぐことは出来なかった。
ビーム・サーベルが、装甲に守られていないセシリアの心臓部を捕らえている。
怒号と共に、その剣を叩きつけた。
!!
﹁そうですの⋮⋮﹂
1─6
870
ピットに戻った潤は、とりあえずその辺のベンチに寝転がった。
可変装甲が、こんな変な理由で開閉するなんて予想外にも程がある。
潤は気付いた。
可変装甲の使い方、その起動方法の詳細に。
一回目は対アンノーン・トレース戦、二回目はリリム戦、三回目が今回。
三回しかないので断言できないが、法則性が見え隠れするには充分すぎる。
感情。
それも魂魄の能力などで加工されていない、素の感情。
一回目から三回目までの可変装甲の起動には、全て魂魄の能力による感情操作が行わ
れていない。
一回目と二回目は、痛みを消すために全力で、湧き出る感情には手を出していない。
三回目は、夏休み中に操作の栓の全てを取り払い、セシリアに勝ちたいという純粋な
心が可変装甲を起動させた。
ISとは感情が大切な代物であるが、ヒュペリオンは殊更感情や思いといった部分が
全てを左右する。
ういうことなのか
﹂
﹁⋮⋮なんだそりゃあ。 じゃあ、タッグ・トーナメントから始まった一連のあれは、そ
871
?
様々な事柄を経て、潤は魂魄の制御から自分の魂を解放した。
もしも博士の作ったヒュペリオンが生の感情、生の魂を求めているというのならば、
狙い通りだというのか
ありえない。
の専門家としての考えだ。
しかし、今のところこの﹃感情﹄といった部分がシステムの根幹にあるというのが、魂
という最大の謎が残る。
何故感情などという不確かで波が大きすぎ、あやふやなものを起動条件にしたのか、
の解放に至っているのは、偶然にしては出来過ぎているからだ。
ヒュペリオンには生の魂と感情が必要な機体で、夏休みまでの一連の事柄の結末が魂
しかし、その可能性を無視することは出来ない。
偶然に頼りすぎている。
?
四百メートル走の無酸素運動の限界に挑戦した後のような息切れ、フルマラソンが終
一回目、二回目共に戦闘終了後ぶっ倒れていたので始めてだが、この反動は凄まじい。
可変装甲ヤバい。
思考の進みが悪いのは、身体のダルさが原因だ。
﹁こんな身体がだるいのに、こんな新事実浮かび上がってくんなよ﹂
1─6
872
わったときの全身の疲労感と倦怠感。
双方同時に味わえるなんて、滅多に出来ることじゃない。
﹂
﹂
タオルで目を隠し、寝てしまおうかと思っていたら、頬に冷たい物が当たった。
﹁ん⋮⋮
﹁えっと⋮⋮スポーツドリンクだけど、⋮⋮邪魔、だった
﹂
﹁ああ⋮⋮、ありがとう。 置いといて﹂
﹁⋮⋮大丈夫
理﹂
ああ、本当に寝てしまいたい。
﹁うん。 私も、そうだと思った﹂
このまま液体になって、体中のダルさが抜けきる時に固体化したい。
えっ、ちょ、え、あ、あ、な、なに
?
制服を布団代わりにして││、枕、枕はどこだ。
⋮⋮なんで
?
﹁そうだ。 ││簪、端に座って﹂
﹁えっと、コレでいい
?
﹁もう無理。 三十分後に起こして。 おやすみ﹂
膝枕スタイル。
﹂
﹁ダルイ、可変装甲ヤバい。 それとゴメン、飛行テスト、無理。 今日無理。 もう無
?
?
?
873
簪の太もも、中々肉つきがいいね。
やわらかくて、いい匂いです。
﹂
?
││これ、頭を撫でても怒られない
怒られないよね
っていうか、潤のほうか
?
なお、彼女が潤を起こしたのは、一時間後くらいだった。
地味なスキンシップだったが、それでも簪は満足げだった。
おずおずと簪が潤の髪を撫でる。
夫。
ても問題ないよね。 先にしてきたのは潤なんだから、これで相子、問題ない。 大丈
らこんな大胆なスキンシップ取ってきているんだし、私からちょっとスキンシップとっ
?
なんか普段らしくない言動から、ありえない行動をしてきた。
自分の太ももに頭を乗せて、既に寝息を立て始めている。
返事は無い。
﹁えっと⋮⋮潤
1─6
874
2│2 騎士とメイドとウサギのワルツ
支払おうと骨を折っていたが、相手は昨日の敵が今日の戦友といった動乱の時代を生き
セシリアは恐縮したり、珍しく頭を下げたり、どうにかして決闘での敗北への代償を
まった。
この忙しさを前に、セシリアとの和解なんて些細なイベントなど一瞬で通り過ぎてし
簪の専用機﹃打鉄弐式﹄のテスト飛行の付き添い。
カレワラの調整と報告書の提出。
一組の出し物への協力。
学園祭に対する諸問題の対応。
生徒副会長としての仕事。
会長からの頼みごとである一夏の地力向上。
ている。
色々ありすぎて目が回りそうだが、気が滅入るような案件が無いので精神的に充実し
馬車馬の如く働かされる潤。
2│1
875
2─1
876
ていた潤。
そこは、呆れるほど簡単にイザコザを洗い流した。
敵味方が移り変わる時代に生きた、そういう類の人間ならではの寛容さだった。
味方が敵になったときは執拗に追い詰めたが。
今日の予定はジョギングを一旦休みにして、早朝から昨夜の内に申請していたカレワ
ラの射撃演習をアリーナで実施。
放課後には一夏の訓練、本音の協力を経て精密機動実験を行うことになっている。
会長と一旦合流し、箒と一夏を同時に訓練させ、潤は簪の飛行テストにも付き合う。
とりあえず目下しなければならないことはカレワラのレポート作成。
なんでも三年が使いたくてウズウズしているとかいないとかで、方々から急かされて
いる。
朝取った射撃データを吸い出しておいて、休み時間と昼休みを利用してレポートを作
成していく。
同時間を利用し、一夏には白式の関連データを表示させ、出力の高すぎるデータを改
めさせるのを忘れない。
本当ならさくっと潤がやってしまえばいいのだが、白式は一夏の専用機。
コレばっかりは個人の好みの問題もあるので、潤が全て決めるわけにはいかない。
妙に高出力過ぎる物を適度なエネルギー配分にし、エネルギー効率を向上させるの
だ。
マニュアルに沿って変更していくだけだったりするが、潤の機体も色々エネルギー兵
器を用いているのでアドバイスは絶妙な物だった。
今日だけで白式はエネルギー効率が十五%程向上し、一夏にとって有意義な休み時間
となった。 そして放課後、週末を挟んでようやく一夏に対して本格的なトレーニングが開始され
る。
﹁よし、始めるか﹂
﹂
まあ、本当に強くなるためには身体以外も鍛える必要があるって事さ﹂
﹁宜しく頼む⋮⋮のはいいけど、なんで教室
?
勉強熱心なのはいい事なので放置させてもらう。
一夏にISにおけるレッスンを行うと言ったら、自発的に参加したいと言い出した。
クラスメイトが大半残っているけど、どういうことなのか理解できない。
してほしい。
何故か一緒に参加している専用機持ち達の怨嗟が聞こえてくるようだが、本当に勘弁
﹁そりゃそうだ﹂
﹁ん
?
877
勿論一夏に対して行うものなので、役に立つかは保証しないと前もって言わせても
らった。
﹂
あ
﹁さて、と。 まず、ISとはイメージによって、その性能が上下するのは知っているな
﹁ええっと、もう少し具体的に⋮⋮﹂
﹁一学期、白式より性能が下回っているブルー・ティアーズに速度で劣っていたな
れだ﹂
基本的な飛行操縦の実践を行った授業の事である。
セシリアが神妙な面持ちになった。
一夏がアリーナに巨大なクレーターを作ったのも、今では笑いながら話せる。
﹂
る。 稼働率は二、三割って所だな﹂
いるヒュペリオンに対するイメージ悪化で、ヒュペリオンも性能がかなりダウンしてい
﹁俺もちょっとしたイザコザ以来、博士に対するイメージの悪化から、博士の手が入って
﹁なるほど、確かにそうだった﹂
開させるイメージ﹄をするらしいが、そのイメージをすぐさま持てる人は少ない。
その時にセシリアが一夏に話したが、ISで飛行する時には﹃自分の前方に角錐を展
?
?
﹁先日の決闘の際もそうでしたの
?
2─1
878
﹁可変装甲が開く前がその位、開いた後は九割。 ちょっとしたコツを掴んだし、今後は
少しマシになるだろうさ﹂
﹂
?
﹁今日は銃撃戦に対する基礎知識と、戦略構築の為に操縦技術を学ぶためのを試みよう
が、やり方次第ではもっと勝率を高められるはずだ。
純粋に試作品として機体性能が低く、攻撃用途も限られているセシリアは勝率が低い
となっている。
専用機持ち達の勝率は順番に、潤、ラウラ、シャルロット、鈴、箒、一夏、セシリア
ロットが嬉しそうに笑う。
ナギからの質問に対する返答を聞き、箒がぐぬぬといった表情を浮かべて、シャル
いし、シャルロットは箒やお前には勝てない筈なんだ﹂
性能が全てならば、専用機持ち達で模擬戦を行った場合箒が勝率一位でなければおかし
ただ、性能が高ければ勝利の女神が微笑んでくれるとは言いたくないだけだ。 もし
﹁言うは易く行うは難し、だ。 知っているからといって勝てるほどISは甘くない。
﹁それを知れば上級生にも勝てるの
か、いないかが重要なんだ。 座学を行うのはそういう必要性があるからでもある﹂
﹁そ う 気 を 落 と す な。 調 子 の 悪 い と き に は 悪 い な り の 戦 い 方 が あ る。 知 っ て い る
﹁俺は、性能ダウンしている状態の潤に負けたのかよ⋮⋮﹂
879
﹂
と思う。 それでは││まず射撃の基礎知識から﹂
﹁質問
﹁なんで癒子が質問してくんだよ⋮⋮﹂
﹁織斑くんのISって接近戦特化なのになんで射撃知識が必要なの
﹂
?
斬れれば勝ちな
﹂
﹂
?
同時に自分が二流だと断言した潤に、驚く生徒が沸き返る。
いて一転嬉しそうな顔になった。
二流だの何だの好き勝手に言われて憮然としていた一夏だったが、潤と同レベルと聞
レベルになれる保障を俺がしているんだから胸を張ったらどうだ
﹁二流の頂点を極めて、一流とサシで戦えるレベルになるのは保障してやる。 俺と同
﹁俺って二流止まりが限界なのか
いかのレベル。 剣だけでは必ず頭打ちが来る﹂
必要になる時が来る。 ⋮⋮俺が見る限り、一夏の剣の技術は一流に手が届くか届かな
﹁⋮⋮まあいい、短期的に考えればそれでいいんだが、長期的に考えれば銃撃戦の知識も
んてチートな機体なんだから、剣だけ鍛えればいいんじゃないの
?
?
!
!?
﹁箒、世の中にはちょっと速く突き技が出せる程度ではどうしようもない奴がいるんだ﹂
!?
!?
を再現できてそう言うか
﹂
﹁あれで二流だと 本気で言っているのか 沖田総司が残した三段突きなんて伝説
2─1
880
﹁例えば
﹂
?
﹁ば、馬鹿な事を言うな
﹂
﹂
﹁そいつ人間じゃないだろ
﹂
俺だって信じたくねぇよ
えなかったものはしょうがないだろ
﹁うるさい
﹂
!
どだったりだと思ってくれていい﹂
﹁力を要れずに、振りかぶらずに攻撃する
何だそれは
﹂
?
﹁興味本位で聞きますけど、他には
﹂
やっぱり二流でしかないと思うんだよ﹂
ても剣速が⋮⋮いや、誰も信じないからいい。 まあ、ああいうのを見ると、俺の剣は
直したさ。 でも、実際俺の目には起こりが無いように写ったし、しかも、どう計測し
﹁ラウラ、それが一流の世界なんだ。 俺だって何度も見間違いだと思ったし、何度も見
?
﹁起こりって言うのは、まあ準備動作みたいなもんだ。 振りかぶったり、筋肉の弛緩な
押し黙った。
すまなそうに聞くシャルロットの声に、若干熱くなっていた箒と一夏、ついでに潤も
﹁ゴメン、起こりって何
!?
!
!?
!
?
でも実際いたんだし、何度計測しようと見
﹁││四呼吸の間、起こりが無いまま剣戟を繰り出せる奴とか﹂
881
?
﹂
﹁脳から筋肉への電気信号の伝達所要時間が人間にとっては極限を超えた零コンマ一秒
の奴とか﹂
﹁⋮⋮人間
不公平だろうが﹂
?
ら狙いすましての一撃がセオリーだが﹂
粒子砲のみ。 あれは機能的にスナイパーライフルと考えた方が良い。 本当だった
﹁分かってくれて何より。 銃撃戦を学ぶに当たって一夏が使える武装は大出力の荷電
﹁そうだな、千冬姉みたいになるのは不可能に近いからな﹂
ぶ必要があるだろう﹂
違いなくいる。 織斑先生並になれればいいが、あの人は間違いなく例外だ。 銃を学
﹁あいつらの話は止めよう、止めだ止め。 話は逸れたが剣で勝てない相手ってのは間
うん、一流のレベルが変体の領域だ。
起こりの無い剣、理論上の限界を超えた伝達所要時間。
愚痴りだした潤を差し置いて、一夏と箒が腕を組んで考え込む。
うして人間の範囲内の能力しかないんだ
﹁⋮⋮わからん。 人間のはずなんだ、あいつらは。 なのに、奴らと比べられる俺はど
?
﹁悪く無い。 しかし、持ち味を生かすのが、どれほど戦闘に好影響を及ぼすかは、シャ
﹁悪かったな、下手糞で﹂
2─1
882
ルロットを見れば一目瞭然だ。 狙撃に適性が無いのであれば、近距離で叩き込むしか
ない。 その為には、相手の遠距離攻撃を掻い潜る必要性がある。 彼を知り己を知れ
ば百戦殆うからず、といった故事にもあるように相手が使う技術を知ることは必要なこ
とだ﹂
言い終わると一夏にプリントを手渡す。
縦射、ダブルタップ、バースト射撃、セミオート射撃などの用語と使用例。
現在ISで用いられている代表的な銃器のスペックと、銃器の得手不得手の紹介。
良くない撃ち方、悪い癖として矯正の対象になる撃ち方の代表例││これには先日ナ
ンセンスと感じた片目を閉じての狙撃も含まれている。
ラウラと実際に戦闘しつつ撮影した映像を表示させる。
二人とも最初は紹介用に作った事を意識して動いていたが、徐々に撃ち合いにヒート
アップし始め、最終的にガチの戦闘に発展した。
﹂
ひたすら激しい銃撃戦のみが続き、あまりに実戦的な映像に、何人かが頬を引きつら
せていた。
﹁この映像、後で貰っていいか
場合は腰だめで撃ってもサイトを覗いた場合と大差ないから、その辺は臨機応変にな。
﹁そのために撮ったものだ、問題ない。 プリントには書いてないけど、ISを使用した
?
883
それに、書いてあることが全てじゃない。 足りない部分を知りたい場合は自分で調
べてみろ。 投げやりに思うかもしれないが、自発的に調べるという行為は、後々役に
立つ﹂
﹁そうだよな、ありがとな、潤﹂
この後は、基本的戦略構築講座。
しかし、当初二人でするはずだったのだが、コレだけ人がいるなら別の選択肢もあり
かと思案する。
﹂
﹁さて、基本的戦略構築なんだが⋮⋮﹂
﹁なんだが
なんでまた﹂
くて、ディベート形式で話し合ってみたらどうだ
﹁ディベート
﹂
潤が専用機持ち達を見渡すと、すかさず全員が頷く。
﹁自分のことは、案外自分が一番良く分かっていないのさ。 で、どうだ
?
一夏と腰をすえて話せる機会も欲しい、専用機に対する知識もある。
﹂
﹁代表候補生がコレだけ揃っているんだ。 一人の視点から戦い方を構築するんじゃ無
?
なんの問題も無い。
?
?
﹁進行役は││ラウラ以外ないな。 脱線しないようにだけ頼む﹂
2─1
884
﹁っち。 仕方が無い。 アニキはどうするんだ
﹂
?
カレワラが第二世代の量産機と大きく違うのは、その機動性の素直さと素早さにある
時間もないし、射撃系は特に癖もないので問題ないと判断している。
撃スキルがとんでもない事になっているので手伝ってもらっても役に立たない。
本当ならば射撃データも手伝って貰えるならそちらの方が良かったのだが、本音の射
飛行テスト後の整備でも、整備科に進もうとしている本音は頼りになる。
データ取りを手伝ってもらう。
クラスでディベートをしている間、潤は簪の監督の元で、本音にカレワラを用いて
│││
こる事となった。
潤がタッグトーナメントで使用した機体とあって、一組はディベート前にひと騒ぎ起
第三世代の量産機、カレワラ。
﹁カレワラだ。 じゃあ、頼んだぞ﹂
?
?
﹁ほう。 何が入るんだ
﹂
﹁あ、アニキぃ ⋮⋮まあいいか。 学園に新規配備される量産機のレポート作成だ﹂
885
のだから。
﹁これは、⋮⋮凄い。 う∼ん、打鉄とは比べ物にならない感じ。 機体が思い通り動く
∼﹂
﹁イメージインターフェースと脳波コントロールが機動制御を補助しているからな。 動かす分には専用機と変わらないさ﹂
﹄
﹃本音⋮⋮近い、駄目、近い。 ⋮⋮なんで、そんなに⋮⋮二人⋮⋮仲良くなっているの
2─1
886
脳波について適性の低い人に使用しても大丈夫なのかという懸念はあったものの、補
も、苦しい顔一つしないのがその証だ。
機動部門の練習タイムにおいて、量産機と機動特化型の違いが如実に表れる急旋回に
が分かる。
ヒュペリオンに登場して本音の傍を飛行している潤にも、その安定性と完成度の高さ
それはそうと、やはりカレワラの完成度はやはり群を抜いている。
ご様子である。
自分は専用機持ち側なのだからしょうがないんだ、と理解はしても納得してくれない
のすぐ近くを飛行して安全を確保しなければならない。
簪の我が妙に強くなっているのも気になるが、安全面を考慮すれば、念のために本音
?
助に限定して使用されているためデメリットが人体に無害になるまで抑えられている
らしい。
ヒュペリオンはフィン・ファンネルを展開して近接戦闘をすると、その後一時間は頭
痛が収まらないほど酷いのに。
高いんだ。 事故が起これば目も当てられない﹂
?
今のところ問題ない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。 ところで、⋮⋮身体はもう大丈夫なの
﹁まあ、俺はそっちのテストも兼ねている、かな
?
メリットとデメリット、双方のあり方と影響をしっかり加味して自分が使うべきだと
相手が反応出来ないほどの一瞬で間合いを詰められるし。
だって便利なんだもん。 ││小栗潤こころからの本音。
﹁ちょっと、潤、否定して﹂
﹁││││さ、次の動作に入るぞ﹂
﹁でも、使う必要がある場面になったらおぐりん使うよね﹂
ければあそこまで酷くはならない﹂
﹁う∼ん、あの倦怠感は最後の可変装甲起動後の瞬時加速が問題だったらしい、あれが無
﹁可変装甲、って⋮⋮﹂
﹂
﹁簪、頼むから集中して当たってくれ。 今回のカレワラのテストは教師達の注目度も
887
本音、簪、計器に異常はないな
﹁本音、今度はお前が前に出ろ。 危なくなったら拾ってやる﹂
操縦技術以外に問題ばっかりあるせいで、そんな印象全く無いが。
が落ち込んだ潤だった。
﹂
データの仕上がりで少しばかり変わるとはいえ、今日は徹夜確定か、と少しだけ気分
う。
結局時間いっぱいまで飛行演習を行い、簪に頼んでそのデータをまとめて表にして貰
!
思ったときに使えばいいのだ。
﹂
﹁さあ、雑談はここまでだ、集中しろ
﹃大丈夫﹄
﹁大丈夫だよ∼﹂
﹁よし、簪、次の演習科目は
!
﹁イグニッション・ブースト、一零停止、ゼロリアクト・ターン﹂
?
妙に気の抜ける挨拶だが、本音だって技術的に問題ない生徒である。
﹁はーい﹂
2─1
888
2│2
食堂に新設されているカフェ。
夏休み時には食堂が専用機によって爆撃され、主だった生徒はこちらを使用していた
場所だった。
放課後直ぐとあって利用している生徒はまばらだった。
そこに潤が入ってきて、暫く誰かしら探し、窓際、IS学園から海が一望できる特等
席に目的の人物を見つけた。
﹂
?
い、話しついでにコーヒーをセシリアの分まで購入し、席まで運ぶ。
意外と几帳面な奴だと感心するが、嫌な感じはしないので丁重に受け入れようと思
どうしても、先日の決闘の詫びをしないと気がすまないらしい。
目的の人物はセシリア。
﹁いや、昨日でひと段落着いた。 休憩が欲しかったところだし、渡りに船さ﹂
とですから。 大丈夫ですの
﹁いえいえ、わたくしから誘ったのですし。 それに、最近忙しそうなのが分かってのこ
﹁すまない、遅くなった﹂
889
﹂
セシリアの対面に座った途端、ウェッジウッドの刻印がされている代物を取り出し
た。
﹁こちらが、リクエストの品物ですわ﹂
﹁おおっ。 自分でリクエストしておいてあれだけど、本当に貰っていいのか
?
ンドを送ってもらった。
茶葉も茶葉で、三百年以上もの歴史を誇るトワイニングから、セシリアのお勧めブレ
日本円で換算すると十六万ほどする紅茶器を。
きた。
のティーカップとソーサーのセット、それと紅茶葉をリクエストしたら本当に購入して
セシリアから贈呈品のリクエストを受けたとき、ぽつっとコロンビアセージグリーン
英国王室は勿論のこと、全世界の王侯貴族たちにも愛された。
一七六六年には時の王妃により王室御用達の陶工と認められ、その芸術性の高さは、
だ。
よって創設された、イギリスで最も名前が売れていると言っていい紅茶器のブランド店
ウェッジウッドは、〝英国陶工の父〟と讃えられるジョサイア・ウェッジウッドに
ることが無い相応しい物ですから﹂
﹁ええ。 あの素晴らしい決闘の、それも勝者に対する礼として、オルコット家に恥じ入
2─2
890
五十グラムで二千円以上もする凄まじい値段が張る。
無論、日曜になったら毎回紅茶を入れるように言い含められたが、奨学金でやりくり
している潤には手が出ない最高級品。
そんな些細なことを嫌がる気はない。
﹂
?
﹁うっ⋮⋮。 あれは、その⋮⋮﹂
誇りは何処に行った﹂
﹁こうして俺と接しているお前と、一夏を前にしたお前と、同一人物とはとても思えん。
﹁ええっと、なにが仰りたいので
﹁一夏に対する、こう、接し方、もう少しどうにかならないのか﹂
視線で譲り合い、暫く続けたが埒が明かぬと最初に尋ねたのは潤だった。
言葉が偶然重なる二人。
﹁﹁ところで﹂﹂
いや、これも第二の目的として大事なものだが、これはおまけのようなものだ。
回の話し合いはこれが目的ではない。
暫く最高級カップを手に笑みをこぼす潤を満足気に眺めていたセシリアだったが、今
﹁いやはや、素晴らしい代物だ。 ありがとう、大切に使おう﹂
﹁お気に召した様で何よりですわ﹂
891
髪の毛のくるくるを手でいじりながら顔を俯ける。
まあ、年頃の乙女心とやらは、御しにくいか、と半ば諦める潤。
﹁い、いいじゃありませんか。 あ、あれはあれで、その楽しいですし﹂
﹁余計なお世話かもしれないが、人間というものは、基本的には自分の手に無いものを求
﹂
めるものだ﹂
﹁││
﹁││
All is fair in love and war. か﹂
﹁それに、私はイギリス人ですし﹂
誇りあるセシリアを知る潤にとっては、悲しい選択だった。
一夏を前にしたセシリアは、あれでいいのかもしれない。
一夏の異常な鈍感ぶりを考えれば、気付いてくれと待ち構えているのは下策。
﹁そういえば、⋮⋮そうだったな﹂
﹁潤さんの様に気付いてくれる御方ならそれでもいいのでしょうけど﹂
ばいいだろうが。 差別化ってやつだ﹂
﹁お前は他の連中と違って、気品と誇りのある人間なのだから、そこをアピールしていけ
?
?
イギリス人は恋愛と戦争では手段を選ばない。
﹁ええ﹂
2─2
892
どんな手を使っても一夏を手に入れたい、と言っているが、潤に対しては誇りを求め
るあたり完全に二枚舌である。
そっちもイギリス人らしいともいえる。
まあ、何でも聞いてくれ、答えられそうな事にはしっかり答えるぞ﹂
?
﹂
黒い笑みを浮かべる潤。
﹁ふむ⋮⋮、お前の胸の中にしまってくれるなら││ある程度話してやる。 どうだ
知る人だけが知る、確かな﹃煉獄﹄の色が、その正体だった。
があったが、その男が似たような笑みを浮かべていることがあった。
貴族との付き合いの中で、サーの称号を得ているSASの退役軍人と何度か話す機会
た。
潤の笑みは普通とは違う、何と言うか変な笑みだったが、セシリアには見覚えがあっ
?
?
セシリアは少し顔を強張らせて頷く。
﹂
﹁あなたが、誇りの何たるかを知る貴方が、誇りを決定的に拒絶するのは何故なのですか
軽口を叩いて何でも答えるなんて言ってくれないのは予想通り。
﹁ん
とがあるのですけれど﹂
﹁では、次はわたくしが。 茶器と茶葉をお送りする代わりに、一つだけお聞きしたいこ
893
﹁俺は、その昔、
﹃正義﹄やら﹃ヒーロー﹄なんて偶像に憧れていた。 子供だったんだ
ろうな﹂
﹁悪いことではないと思いますが﹂
﹁夢ならいい。 夢で終わるなら、それでいいんだ。 しかし、よほど馬鹿な俺は、本気
でそれを探求し、争いが無く世界を探求し始めた﹂
本当なら、笑い話で終わるその話。
普段の潤を良く知るセシリアは、真剣な顔をして話す潤の言葉が笑い話でなく、紛れ
も無い真実である事を悟った。
﹁偶然にも、同じような糞馬鹿がいてな。 俺たちは協力して人の心理を変える事で、人
﹂
から戦争という暴力の渦から開放しようと探究することが出来た﹂
﹁人の心理を変える
?
いISの操縦も、あの光に対する知識も納得できてしまう。
確かに潤があの研究に携わっているとするならば、アンノーンのことも、異常に上手
マインドコントロールの感情の植え付け。
開いた口が塞がらないとはこのことだろうか。
でも思っているのか﹂
﹁アンノーン・トレースのマインドコントロール。 俺に効果が無いのと関係がないと
2─2
894
彼はそういった謎めいた組織の、一員だった。
信じきるのは馬鹿のすること、本当に知られたくない事を隠すために、ある程度知ら
れて良い情報を開示しただけかもしれない。
だが、嘘ではない。
それだけは、間違い。
﹂
?
その人間の汚さに。
れない﹄という理想は掻き消えて生き、潤は思い知る羽目になっていった。
しかし、魂魄の能力を用い、その理解を深めていけば行くほどに、
﹃何とかなるかもし
度々そうであった様に、人は乗り越えられると信じていた。
地を離れ、空を飛び、海の底を探究し、挙句更なる高み、宇宙へ手を伸ばす。
大河の氾濫を防ぐために堤を作り、河の流れまで変える。
出来ると思ったんだ、その学問を深めていけば、摂理を乗り越えられる事を﹂
﹁そ う だ な。 そ の 通 り だ。 し か し、俺 は 魂 に 関 し て は ス ペ シ ャ リ ス ト の 一 員 で な。
﹁しかし、それは人、いえ、自然の摂理では
振り回されるだけの人間は真っ先に切り捨てられ死んでいく、とな﹂
失敗にぶち当たり、向き先を変え、傷つきながら進むしかない。 そうして、弱者や
﹁だ が、研 究 は 実 を 結 ば な か っ た。 俺 は 知 っ た ん だ。 人 は │ │ 決 し て 救 わ れ な い。
895
自分のような強化人間は、未来永劫なくならないことに気付いてしまったのだ。
﹁それで、誇りとどうつながりますの﹂
││まさか
﹂
やってもどうせ痛みは生まれる。 ならば││、少しでも痛みが和らぐようにするしか
﹁正義で人は変わらない、ヒーローなんて存在しない、理想で人は救われない。 何を
ない﹂
﹁痛みを、犠牲を、和らげる
!?
﹁まあ、そうやって、ゴミとクズを間引いたり、切り捨てたりするのが俺の仕事になった
﹁それは││否定できない事実ではありますが﹂
決まるからだ﹂
その人の価値には差が出てくる。 人の価値とは他者に与えた影響の大きさによって
﹁命の価値は等しく平等だ。 何せ一人一個と固定されているから当然だな。 だが、
?
﹂
わけだが。 そういう事をやっていると、
﹃誇り﹄なんて、そう思っちまって⋮⋮。 何
時の間にか、な﹂
﹁潤さんは、人に絶望して
?
るのを止めたんだ。 それが、負であれ、正であれ﹂
われる日が来るかもしれないと、明日を信じた。 だから、一時の急激な感情に流され
﹁馬鹿を言うな。 俺は信じたからこそ、緩やかな変化を望んだ。 何時か、何時か、報
2─2
896
潤と志を同じくした糞馬鹿が、結果を急ぐあまりどんな行動を取ったか根絶丁寧に説
明したくなった。
したくなったが、そこまでしてやる必要は無い。
ヒュペリオンとシックザールの死闘、馬鹿と馬鹿の人類の汚点に絶望した同士の戦い
の結末。
﹂
﹂
二人の変えたのが唯一つだけだったことなど、本当に些細なことなのだ。
﹁誇りとは、一時の急激な感情でしょうか
﹁人類の歴史に比べれば、人の一生は短い。 そうだろう
これ以上、話す気はない。
そう言うかのように、潤がコーヒーを飲み干す。
う。
彼がやると言った以上、研究も、間引きも、切り捨てさえも、徹底的にやったのでしょ
これは思ったより根が深そうな問題ですわね。
だが、考えることだけは続けた。
上の詮索を止めた。
実際これ以上口を割らせるには相応の準備と覚悟が必要と悟ったセシリアは、それ以
?
?
897
しかし、誇りの何たるかを知る彼が、短期間で誇りを捨てるほど性急に事を運ぶ必要
は、きっと無かったはず。
何故、そこまで、急いでいたのか。
いや、緩やかな変化を望んだ、と断言したということは、
﹃誰か﹄と比べて潤さんは人
を信じて待つ選択をしたと
﹁う∼ん、あの二人って案外仲良いよね﹂
そんな、考え込むセシリアと、潤を見ている少女三人。
追い込まれてしまう何かがあったのでしょう。
大きな絶望を抱くほど、真剣に、││いや、真剣にならざるを得ない、そんな事態に
何かがあったはず。
何故その道を選んでしまったのか。 でしょうか。
ならば、誇りが無いような人にさせたのは、道をどう歩んだではない。
?
そこで見たのは、セシリアから何かを受け取り、二人で話をしている光景だったが。
そのまま、同じく食堂に向かった。
本音、ナギ、癒子、なんか嬉しそうな足取りで食堂を目指していた潤を発見。
﹁潤、機嫌悪そうだけど、なんか、それでもセシリアさんが嫌いって感じじゃないよね﹂
2─2
898
潤の
﹂
﹂
﹁潤ってセシリアさんみたいなのが、好き、ってこと
﹂
相変わらず、少しだけ嬉しそうな潤に怪訝そうな声を出す。
﹂
?
﹂
﹁まあ、しょうがないんじゃないの
﹁本音、あんたなんか知ってるの
?
﹁うん。 個人的な好みみたいだからね∼﹂
﹁ん
﹁個人的な好み
?
それって││つまり││。
?
?
﹂
?
﹂
?
│││
確かに、潤はほんのり楽しそうにセシリアとの会話を楽しんでいた。
﹁う∼ん、たぶんそうなんじゃない
﹁小栗くんの初恋の人が、そうだったりしたのかな﹂
﹁拘泥
も、単純な好みじゃなくて、なんか拘泥のようなきもするけど﹂
﹁好みとしてはね∼。 気品があって∼、気高くて∼、物静かな人が好みっぽいよ。 で
?
899
﹂
二時間後には第六アリーナで簪と飛行テストだが、その前に一夏と合流して第三ア
リーナに移動する。
偶然にも箒を連れ立った会長と顔を合わせる事になった。
﹁遅くなったな﹂
﹁なんか、生徒会に入ってから忙しいみたいだけど、大丈夫か
るくらいでしょ
﹂
﹁そこは問題ないわ。 副会長のスケジュール管理も私がしているし。 まだ余裕があ
?
﹂
﹂
最近ずっと、潤さん、ラウラさん、潤さん、と以前からわたくし達がコー
本当だったら昨日はセシリアで、今日は僕のコーチ予定だったのに
チだったのになんなんですの
﹁一夏さん
悪いらしい。
チに潤が加わった事で、自分を頼ってくれなくなったのが不満らしく、すこぶる機嫌が
少し前から一夏自身の懇願からラウラまでコーチに加わり、最近になって一夏のコー
二人で話していると、シャルロットとセシリアが近寄ってきた。
﹁だそうだぞ﹂
?
二人が少し怒りながら近寄る様を見て、何か予感めいたものを感じたのか、顔を青褪
!
!?
!
!
﹁セシリア⋮⋮お前って奴は⋮⋮。 なんか頭が痛くなってきた﹂
﹁そうだよ
2─2
900
めて一夏があとずさる。
潤は眉間の皺を揉んで解きほぐそうとし始めた。
﹂
?
そんな事をちまちま喋っていたら、一夏の気付かない所で、鈴を除いて偶然集まって
方がしっくりくる。
シャルロットやラウラは良い教官だったが、何故が一夏としては潤にコーチを頼んだ
寧に教えてくれる潤も、当時はかなり投げやりで全く一夏のためにならなかった。
今となっては、これから始まる練習の意義から、練習中に分からない事はその都度丁
たいセシリア。
擬音たっぷりの説明を行う箒に、感覚でわかれと言う鈴、とにかく理論的で理解しが
い。
それに、一夏の自称コーチたちはシャルロットが転入してきた頃と何も変わっていな
が楽でいいというのが大きいかもしれない。
真似でさえ身体にしっくり馴染んでいくのに驚きも感じるが、やっぱり男同士だと気
をするだけで多少良くなる程だぞ﹂
﹁潤に教わった方が、身に入るというか、身体に馴染むんだよ。 苦手な射撃も潤の真似
﹁だって
﹁だって││﹂
901
お前という奴は
どうしてそう
﹂
いた何時もの三人が、どんどん表情を険しくしていく。
﹁一夏っ
!
かな
﹂
﹂
﹁良い教官っていう評価は嬉しいけど、それじゃあ、なんで僕を頼ってくれないのかな
﹁一夏さん。 どうして、貴方は何時もそうなのかしら
!
﹂
ものの、これからは鈴も含めて四人の中から適度に交えて教える事で抑えてもらう。
負けたらいいなりっていう勝負の結果、会長もその権利を得たと場を引っ掻き回した
シャルロットは表向き笑顔だったが、悪意がダダ漏れなのは一目瞭然である。
が潤と一夏に詰め寄る。
自分たちがやっていたコーチを横から掻っ攫っていったと思い込んだセシリアと箒
習に組み込む。 それで手を打ってくれ﹂
﹁あー、待て、待て、そうぎょっとするな。 全員の特性は理解しているから、上手く練
ら、邪険にしないでね﹂
﹁はいはい、仲が良いのは分かったけど、一夏くんの専属コーチは暫く潤くんがするか
?
?
!
?
?
比べれば相当腕を高めているだろう。 今日は上級テクニックを実演し、その後一夏に
﹁まあ機動訓練だな。 一夏もセカンド・シフトして高速機になったから、普通の生徒と
﹁えーっと、それで、これからどうするんだ
2─2
902
も挑戦してもらう﹂
本当ならば、もっとゆっくり基礎から固めていきたかったが、学園中枢からの命令と
あってはそうも言っていられない。
まだまだ発展途上の一夏は、大きな力である白式に振り回されている事を自覚しなけ
れば、白式が不得手とする側面の成長を潰してしまう可能性がある。
持ち味を活かすのとは別に、そういう事も知ってほしかったが、こればっかりは仕方
が無い。
それは、つまり、状況が危機的状況にまで迫っていることにもつながるからだ。
正反対の佇まいである。
全身にかかる負荷から、少しでも操縦者を守るため、装甲面が多いヒュペリオンとは
せる。
装甲の少なさを補う透明な液状フィールドは、水を纏ったドレスといった印象を抱か
アーマーは全体的に面積が狭く、小さい。
会長が専用機を展開する。
﹁シューター・フローで円状制御飛翔ね﹂
長、お手伝い願います﹂
﹁それでは、基礎や経験値、高度なマニュアル制御が必要な動作を真似てもらう。 会
903
その姿をみた、潤はというと、⋮⋮まさか、全身を覆って攻撃、とかしないだろうな、
と勝手に戦慄していた。
﹁ミステリアス・レイディ、霧纏いの淑女。 よろしくね﹂
﹁始めます﹂
円軌道を描きながら、向かい合った二機は徐々に加速し始め、一定の速度が出た後か
ら射撃を繰り返している。
相手の射撃を、不規則に行う加速で回避し、ちゃんと対立するように相手の速度と自
分の速度の調整も行わなければならない。
軽やかに躱していく楯無、瞬時加速を多用して直線移動を交えて回避する潤、お互い
の実力を確かめ合うかの様に攻撃を加える。
﹁なんか、妙に、気合の入った回避行動ね﹂
﹁いや、勘弁してください﹂
﹂
?
ただし、その回避行動は無駄に全力で、何かあるのは明白だったが。
回避していく。
顔には出さないものも、円軌道から一切射撃の手は緩めずに瞬時加速を駆使して水を
その身体を包み込んでいる水、怖いです。
﹁
2─2
904
﹁これは⋮⋮﹂
﹂
?
﹂
?
ち出して十二砲門全てで攻撃したりするなど、妙に白熱した演習になった。
最終的に、霧を爆破してまで潤を脱落させようとしたり、フィン・ファンネルまで持
真剣に打ち込む姿を見て箒が少し微笑む、これでこそ織斑一夏だと。
返す。
今から自分が行う機動制御を真剣に見ている一夏は、心ここにあらずといった声色で
﹁いや、さっぱりだけど﹂
﹁わたくしには⋮⋮、一夏さんは
﹁ところで、なんで潤はあんなに全力で避けてるの
﹁なんて見事な⋮⋮。 流石生徒会長は最強の証というだけありますわね⋮⋮﹂
905
飛行テストは第六アリーナで行う。
決して水が嫌でだからではありません。
辞退する。
女性を訓練させることなら会長の方が上手いと考え、簪の飛行訓練に付き合うために
かセシリアと交換、一夏が被弾したらペナルティー、と考えた訓練をするらしい。
箒が恋心にかまけて全力が出せなくなるのを危惧して、箒が被弾したらシャルロット
一夏に対して、シャルロットとセシリアがアドバイスをしている。
を開始し始める。
会長が箒と一夏に先ほどの演習通りに動けと言われて、二人がISを展開して円運動
入浴したとしても半身浴派で通っているし、普段はシャワーで事足ります。
鍛えて戦闘可能なようにしたが、やっぱり無理です。
強ばっても戦闘が可能なように、全身つかって顔に水がかからない限りは、精神的に
んな訓練が終わった。
水が顔スレスレに飛ぶたびに、会長にも勘付かれない程度だが身体を強ばらせる、そ
2│3
2─3
906
ヒュペリオンの超高速飛行訓練で使っている場所で、カレワラのテスト飛行でも用い
たので、数回使用した経験がある。
その第六アリーナが他のアリーナと決定的に違うのは、空が完全に解放されているこ
とで、学園中央タワーほぼ制限なく飛行することができる。
独力だけならもうまだまだ時間がかかっただろうと、理論的には飛べるようになった
僅かなチェック漏れが大きな事故につながる。
初めてのテスト飛行だけあって、準備は万端でなくてはならない。
をしていく。
第六アリーナのピットで打鉄弐式のコンソールを開いて、数値を確認して、最終確認
﹁CPC、制御モジュール、スラスター、反重力、⋮⋮オールグリーン﹂
それが分かるのが、少しだけ嬉しい。
かる。
普通なら分からないだろうが、緊張しないように気使いしてくれているのが潤にはわ
相変わらずのタボタボな服、あまった袖、それで手を振って見送られる。
﹁私はデータスキャナー使って支援するから∼。 いってら∼﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
﹁待たせたな。 俺はヒュペリオンで出るから、何時でもいいぞ﹂
907
機体を精査して感慨深くなる。
それに、このテストを終えた後の方向性もわかっている。
飛行テストの支援の為に来てくれた本音に、打鉄弐式の状況を確認するためにデータ
開示を求められ、その結果色々な問題点を示してくれた。
今更テスト中止を言うのも憚られるし、潤には言っていないが、本音の機体構築に対
するアドバイスはとても有益になった。
本音は整備課に入っても充分やっていけるだけの能力があり、そのアドバイスに従え
ば更に機動は完成に近づくだろう。
意固地になって、一人でいいと拒絶していたが、改めて目を見開いてみれば、優しく
してくれる人は沢山いる。
﹂
││手伝ってくれる二人のためにも、今日のテストは⋮⋮やりきる。
﹁簪、大丈夫か
突っ込んでこい。 抱きとめるくらいの余裕はある﹂
﹁そ う か。 カ タ パ ル ト か ら 出 た 瞬 間 何 か あ っ た ら、す ぐ 近 く に 俺 が い る か ら 迷 わ ず
﹁ちょっと時間かかっただけだから、でも大丈夫⋮⋮﹂
?
チャネルだったので気付く事はなかった。
﹃抱きとめる﹄という潤の言葉に、恥ずかしそうに顔を赤らめてしまうが、プライベート・
2─3
908
腰を落として偏向重力カタパルトに機体の両足をセットする。
空中ディスプレイに﹃Ready﹄の文字が浮かび上がり、
﹃Go﹄に変わった瞬間、
一気に打鉄弐式を加速させて、第六アリーナに飛び出していった。
﹂
簪が問題なく上昇したのを見た潤も、安全と判断して追従する態勢に入る。
﹁いけるか
ドバリアーは簪がチェックするしかないので知りようがない。
反重力力翼と流動波干渉、空中での姿勢制御も問題なし、ハイパーセンサーやシール
機体制御は問題なく成功している。
なように、やや後方下側で飛行を開始する。
それも束の間、ヒュペリオンの速度を調整して打鉄弐式が急に機能停止しても大丈夫
せる。
緊張しているのかと思ったが、笑う程度の余裕があることが分かって潤も口元を緩ま
守られていることを自覚すると自然と笑みが溢れる。
﹁うん﹂
﹁大丈夫、俺がなんとかする﹂
たら⋮⋮﹂
﹁⋮⋮大丈夫、みたい。 これからデータをチェックするから。 その⋮⋮なにかあっ
?
909
傍から見ている分には問題ないように見える。
しかし、何かの動作をしたらバグか何かが出たのか、機体ががくんと揺れて一度停止
した。
﹁潤、ストップ﹂
﹂
右のキーボードの入力を開始する。
各種パラメーターを確認して、問題の箇所を見つけ出したのか、小声で呟きながら左
問いかけに答える間も惜しいとばかりにディスプレイを複数呼び出している。
﹁問題か
?
ロットに任せて会長と二人三脚で訓練をしているらしい。
どうやらいきなり回避行動にまで気を使って訓練すると失敗するのか、箒はシャル
潤は、簪から目を離すと第三アリーナで猛特訓中の一夏を見る。
ISのセンサーで簪の動向を探っていたが、別段問題なさそうな表情を見て安心した
ター用いて細かに制御しながら加速してタワーの頂上にたどり着く。
グニャと曲がった独特なモニュメントとして目を引く中央タワー、その外周をスラス
入力と調整が完了したのか再び機体を上昇させる。
向重力推進角錐を⋮⋮、脚部ブースターバランスを⋮⋮﹂
﹁シールドバリアーを展開すると⋮⋮。 PICが⋮⋮⋮⋮、展開のポイントを⋮⋮、偏
2─3
910
しかし、何をしたのかしらないが円軌道を止めた白式は、制御を失って壁に激突して
しまった。
きっと瞬時加速のチャージに集中して、基本的な操縦に対する集中力を途切れさせて
しまったのだろう。
煙が晴れて、一夏の表情が見え││セシリアが近寄って心配した様な表情で語りかけ
る。
勿論、箒とシャルロットもそれに続いていた。
こるかも知れない。
だけど、それだけは出来ないし、もしかしたらそんな事が考えられなくなる事態が起
この程度で打ち砕けたのなら、専用機なんぞ持たずに姉に守られたままのほうがいい。
失敗や負けとは自信を打ち砕く最高の要素、この程度で心が砕けるとは思えないし、
それでも、同情されたりでもしたら、逆に惨めになる。
顔には出ないが、一夏はショックだろう。
もしかしたら、今日は手を引いて良かったかもしれないと潤は思った。
会長に茶化されて、心配一転嫉妬から怒り出した三人を見て、逆に安心する。
⋮⋮﹂
﹁同じ男が出来た事が出来なくて、言われた事も出来ないで、幼馴染にまで心配される
911
自分側の、ドブとゲロと臓腑塗れの野郎が来るかもしれないのが気がかりでしょうが
ない。
だ。 だから、皆が通った道と同じ道を歩め。 強くなれよ﹂
﹁だが、一度も打ちのめされなかった戦士はいない。 皆立ち上がって、強くなったん
﹂
﹁会長より一夏だな。 会長は、なんというか気が合わん﹂
しい。
二つのキーボードで機体を調整し続け、到着前には殆ど飛行システムを完成させたら
酷く不安そうな声色で、いつの間にか隣に来ていた簪から声をかけられた。
﹁⋮⋮やっぱり、お姉ちゃんが、き、気になるの
?
﹂
﹁そう、なんだ⋮⋮。 あの、聞きたいことが、⋮⋮あるんだけど﹂
﹁会長と二人で話した件だな
夕日で特徴的な水色の髪を染め、簪が頷く。
?
りしとけよ
俺が小言を言われる﹂
﹁あの人は認めたがらないが、きっと簪も巻き込まれるから話しとく。 ただ、知らんぷ
?
としたら一夏、次に俺だそうだ﹂
﹁最近裏側がきな臭くなっている。 狙いは、
﹃紅椿﹄、
﹃白式﹄、
﹃ヒュペリオン﹄。 来る
﹁わかった﹂
2─3
912
﹁⋮⋮裏側
﹂
?
I S 使 っ て な か っ た ら そ の 頬 こ ね く り 回 す
?
聞けば聞いたで、なんとなく﹃ピンッ﹄ときたで済まされそうな気がしてならないが。
結局どうして会長が、一夏の強化に潤を宛がったのかよく分かっていない。
ぞ﹂
﹁な ん で 底 冷 え す る よ う な 声 色 に な る
﹁⋮⋮それでなんで、潤があの人を鍛えなくちゃいけないの﹂
とはならないと思う﹂
﹁尤も、会長と俺が前面に出る以上、当面ターゲット以外の連中の目の前でどうのこうの
に危険になることを忘れるな。
││会長、今まではそれで良かったかもしれないが、妹を大事にすればするほど、逆
いたのかもしれない。
ただ、PCの扱い方が非常に優れているので、ハッキングやクラッキングを担当して
させていなかったのだろう。
しかし、簪からはそういった臭いがあまりしなかったのだが、意図的に会長が仕事を
更織家は裏方の仕事を防ぐ仕事、対暗部用暗部。
ゆっくり一夏の面倒を見たかったが、もう間に合わないところまで迫っているらしい﹂
﹁マフィア、どこかの特殊部隊、金が目当ての傭兵、イメージはなんでもいい。 もっと
913
確かに、他の候補生たちに任せるよりは、目に見えて成果がある。
元より部隊長だった潤の蓄積知識もあるし、勤勉な一夏の姿勢も関係しているし、そ
れに、││変にしっくりくる感じがする。
芽がありそうなルーキーを気にかけるのは隊長の務めだし、しっくり感じは嫌ではな
い。
そんな事を考えながら、一夏の訓練を真剣な表情で見つめる潤を、簪はじっと見てい
た。
潤が夕日に照らされる簪を見て綺麗だと感じた様に、真剣な表情をする潤に不思議な
魅力を感じる。
海面に浮かぶ夕日の不思議な魅力に囚われ、このまま二人で此処に居るとおかしく
なってしまいそうな気がして、了承も取らずに降下を始めた。
降下を始めた簪に気付いて、自らも機体を下げ始めた潤はおかしなことに気付く。
打鉄弐式の脚部ブースターが、右脚のみ光が強い。
﹁簪、脚部パーツなんだが﹂
な、なにが││﹂
!?
炎が噴出する。
回線を開いて右脚の調子を尋ねようとした直後、問題個所の右脚から強烈なジェット
﹁⋮⋮なに││て、え⋮⋮
2─3
914
勿論片足のみ超高速機動時の様な有様になったISは、機体制御を大きく崩させ、縦
回転しながらタワー麓に突っ込んでいく。
何とか機体を持ちなおさせようとディスプレイを起動させるが、浮かぶのはエラーの
数々で、システム復旧には時間がかかりそうだ。
﹂
││ヒュペリオン
上がり、システムを起動させる。
潤の感情に従い、脳波を正確に感知するために、顎と後頭部から測定用の装甲がせり
!
耳から聞こえたものではなく、心の中に伝わるような感覚。
その時、確かに、力強い心音と、子供の声を聞いた気がする。
遅い。
を貸すんじゃなかった、全面的に協力して完全を目指すべきだったと後悔するが、もう
こんなことなら、簪が自発的に開発したと言う実績を邪魔しないように中途半端に手
常でない。
しかし、なまじっか潤が機動に関する部分に手を加えていたので打鉄弐式の速度が尋
スラスターに異常を見られた瞬間から準備はしていた。
言われるまでもない。
﹁潤、助けて
!
915
両脚部、腰、腋の装甲が開き、脚部付近から姿勢制御を補佐するアンロックが量子展
開。
腰から脚にかけて展開されたアンロックユニットに呼応するように、肩部アンロック
ユニットも、装甲を開く。
この間、僅か零コンマ五秒。
簪が地面に接触する間に││、落下による衝撃と速度を計算、衝撃力は衝突したとき
の減速過程で決まるし、物体や衝突する相手の材質によって全く異なる。
両足の関節と、背中に怪我が起こらないように、相対速度合わせてやんわりと、お姫
様抱っこの要領ですくい上げる様にしてキャッチする。
!
﹂
生身だったらもっと問題がある、仮にもISでよかった。
﹂
﹁歯を食いしばって
うん
!?
!
筈がない。
バランスがちょっとでもずれれば大惨事になるが、飛行機事故でも行った事、出来な
仕方なく地面に墜落するように着陸し、潤がブレーキ代わりになる事を選択。
ペリオンの推進力は尋常でなく、上手く切り返せない。
簪と共に強引にタワーから離れたが、暴走した打鉄弐式と、可変装甲を展開したヒュ
﹁え
2─3
916
もう夕方で、アリーナを使用している生徒が少なくて助かった。
空中から墜落紛いの着地を行い、勢い余って地面を真っ直ぐえぐりながら停止するま
﹂
で潤はそう考えていた。
﹁⋮⋮怪我は、無いか
になった。
﹂
﹁あ、あ⋮⋮あの⋮⋮、あの⋮⋮っ﹂
﹂
﹁まずは退いてくれないか
﹁ご、ごめん
簪が潤から離れる。
?
報告します
何が起きたの
﹄
一六〇〇時から一七〇〇時にかけて申請をしていた、更識、小
﹃ちょ、ちょっと、信号がロストしたんだけど
﹁はっ
!?
!
!
栗、両名の飛行テストにおいて、事故が発生いたしました﹂
!
!
最初は両足、途中から左肩、すぐさま背中と、衝撃が凄かった潤は苦痛に塗れる結果
心。
目と鼻の先にいる簪が頷いたのを見て、さっと顔色を確認││重症が無いようで一安
に押し倒されるような体勢になった。
なるべく無傷で救出しようと思って、自分が下になるように体勢を調整した結果、簪
?
917
﹃事故
怪我してないわよね
えーと申請書は⋮⋮、これね﹄
!?
﹃そう⋮⋮保健室の先生には私から言っておくから、念入りにチェックするのよ
嘘は言ってない。
﹁了解﹂
肩の関節は目に見えない。
例え、ちょっと関節が外れていたとしてもだ。
﹁今、外に居ますから、歩いて移動可能です。 報告の詳細は後ほど﹂
通信が途切れ、なんとも言えない雰囲気になる。
も言わない。
﹄
ラウラに手伝ってもらって、あの時をなぞる様に何度も訓練したが、ウンともスンと
も可変装甲は使えなかった。
立平さんに聞いてもブラックボックスの範疇で手を入れられず、合宿の一件から一度
開こうと思っても展開する系統でない可変装甲。
二人が地面を擦るように着地した跡が、生々しく線を引いて傷跡を残している。
?
います﹂
﹁⋮⋮共に目に見える怪我はありませんが、念のため保健室で検査を受けようと思って
!?
﹃気を付けてね﹄
2─3
918
ワンオフ・アビリティーじゃあるまいし、操縦者の精神状態をISとシンクロさせる
必要があるとも思えない。
しかし、セシリアとの一戦以降、考察どおり感情をトリガーに可変装甲を制御できた。
﹂
地面に寝そべって、自機の可変装甲について考えていると、野次馬としてやって来た
会長が顔をのぞかせた。
﹁派手にやったわねー﹂
﹁会長⋮⋮、丁度良かった。 一夏居ます
﹁おう、居るぞ﹂
情がみるみる変わっていく。
一夏に肩と身体を支えてもらい、外れていた肩の関節を元に戻す様子を見て、簪の表
役に立って何より。
を躊躇っていた。
可変装甲展開中の瞬時加速はご法度、⋮⋮ご法度だが、すごく便利なので禁止するの
がる。
なんかお前、何時も怪我してるよな、とからかう一夏の手を借り、よろよろと立ち上
だから、はめるのを手伝ってくれ﹂
﹁手を貸せ。 足が痺れて上手く立ち上がれない。 それと、肩の関節が外れたみたい
?
919
﹁⋮⋮ま、また⋮⋮また、駄目だった、ごめんね。 潤、ごめんね。 ⋮⋮ごめんね﹂
こんなはずじゃなかった。
これじゃあ、あの時の病院と何も変わってない。
もう潤がボロボロにならなくて済むように、隣に立ちたかったのに。
本音と潤の、二人の期待に答えたかったのに。
そんな風に惨めな気持ちになって、目の前で痛そうに肩をさすっている潤に申し訳な
い感情があふれてくる。
﹂
?
﹂
﹁泣くなよ、簪。 機体の整備には俺も手を貸したんだから気負いすぎるな、な
﹁⋮⋮うっ、くっ、うわぁぁ⋮⋮﹂
﹁明日はちょっと気分転換して、また明後日から二人一緒に頑張ろう、いいな
?
の差を改めて考え直さねばと蜂起する。
会長に付き添われながら第六アリーナへと帰っていく簪を見送り、怪我に対する意識
何とか落ち着いてきたのを確認し、会長に目配りして、後事を任せる。
本音から見た潤も、こういう状態と同じだったかもしれないので、人の事は言えない。
最近まで感情を押さえつけていた人間は錯乱しやすいのかもしれない。
覚束ない足取りで移動し、簪の隣に座る。
﹁うえっ⋮⋮あ、ありが、うええ⋮⋮、ありが、とう⋮⋮⋮⋮﹂
2─3
920
﹁一夏、保健室まで肩を貸してくれ﹂
﹂
?
入って仁王立ちしている本音が出迎えてくれた。
﹁おぐりん、おかえり∼﹂
とこ辿り着いたドアノブに手をかける。
明日、何とか簪の機嫌を直さないとな、そう思いながら部屋に戻るべく移動して、やっ
運んでくれた制服に着替えて保健室を後にする。
暫く一夏と喋っていたが、外が暗くなってきたのを合図に、身体チェック中に一夏が
いと言われたが億劫である。
潤の手元にレポート用紙十枚分に相当する紙束を手渡し、怪我が落ち着いてからでい
た。
片割れの簪が、第六アリーナのピットに戻ったことを説明すると、速足で去っていっ
クされる。
どうやら腰を落ち着かせることが出来ない性格らしく、教師二人に問題ないかチェッ
保健室にたどり着くと、タワーのチェックをしていた先生が待ち構えていた。
ことには動くから、痛み止めでも飲んで、暫く安静にしていれば大丈夫さ﹂
﹁脳震盪でも起きてるかもな。 視界がぐにゃぐにゃするし、肩も上がらない。 動く
﹁やっぱり一人じゃ辛いか
921
何故に仁王立ちと思ってよくよく見てみると、どうやら怒っているようだ。
何かしたか、と自問したが、今日の一件以外思い当るところが無い。
ファンシーなパジャマと、普段ののほほんとした態度のせいで、どうしても怒られて
﹁お話があります﹂
いる感じがしないのだが、真剣な顔つきなので真面目に聞く。
簪に怪我が無かったんだから││﹂
着ぐるみパジャマ少女の目の前で正座する男、変な構図だが不釣合な程に真面目は崩
さない。
﹁今日の事故か
﹂
﹁⋮⋮といってもな、簪が怪我するよりずっといいだろ
本音だって悲しむだろ
﹁当然のことだ、勿論││﹂
会長だって、俺だって、勿論
﹂
?
わる。
何故だが知らないが、今の会話を聞いて、
﹃それだよそれ﹄と言わんばかりに語調が変
﹁それはそうなんだけどさー﹂
?
?
で怒ってるの﹂
﹁違う。 おぐりんはさ∼、自分の身体を大切にしなさすぎなんだよー。 今日はそれ
?
﹁おぐりんが怪我したら、同じくらいかんちゃんが悲しむって知ってる
2─3
922
﹁嘘つき﹂
﹂
どうも夏休みの一件以来、本音は潤に心を見透かす様な言動が増えている。
会長にも千冬にも、誰にも分からない筈だったのに。
﹁自分の身体なんて、どうでもいいって思ってるでしょ
﹂
?
﹂
?
﹂
!
?
そんな当たり
?
女性として求める部分を、あらかた全部求めているような気がする。
か母の様な本音。
出来の悪い妹みたいで、漫画かアニメの親友役の様で、なんか包容力を感じさせる姉
﹁分かればよろしい。 それじゃ、ご飯食べに行こ
﹁⋮⋮分かった。 以降、なるべく自分の身体の事も考えて動く﹂
それは、思った以上に苦い経験だった。
確かに、過去の大部分のトラウマは、そんな事だったような。
前の事、誰も教えてくれなかったの
も自分が無傷なのに大切な人が怪我して動けなくなったら嫌でしょ
﹁おぐりんはー、自分で思っている以上に皆に大切に思われているからね おぐりん
﹁何でもない﹂
﹁最後の方なんて言った
﹁まあ、確かに⋮⋮、未だに酷く損傷した四肢はパージすりゃいい、と思う事があるし﹂
?
923
2─3
924
そんな彼女とルームメイトで良かったと、一緒に廊下を歩きながら思った。
2│4
学園祭前日、一夏はコスプレ喫茶に一定の不安を感じつつ行事を楽しみにし、潤は極
度に緊張していた。
一夏が明日の準備に奔走するように、潤も何時襲撃があっても大丈夫なように戦支度
をしていく。
投げナイフ、ブロードソードを磨き、少しでも動きやすくなうように、鎧には油等を
用いてメンテナンスしていく。
きっかけは今日の朝、いたずら小僧の様にほほ笑む会長だった。
ただただ、まーた会長の発作が始まったよ、美味しい紅茶が台無しだとばかりに尋ね
似合ってはいるが何故ドレスなんて代物を着込んでいるのか知りたくもならない。
話してもいけない。
服装に付いては突っ込まない。
虚先輩のお茶を美味しそうに飲み下して、会長が何気なくそう言った。
﹁いきなり何を言ってるんですか、会長﹂
﹁生徒会も何か盛り上げに貢献しないと駄目だと思うのよ﹂
925
返した。
﹁一学期は世界的なイレギュラーが起こって面倒事が多く、学園全体で行事の度に問題
が起きつづけた。 そんな不測の事態にも負けず、皆の協力の上で学園祭が開催され
た。 生徒の長として、その献身に感謝の意を示すためにも、生徒会が率先して音頭を
取って盛り上げないと駄目と思うのよ﹂
﹂
目を細めて威風堂々と述べる会長に、人の上に立つだけの事はあると思った潤は、同
意するかのように軽く頭を下げた。
﹂
﹁会長の横で山積みになっている段ボールは、つまるところその話の為ですね
﹁何が入っているんですかー
?
しかし、本音がバリバリガムテープを引っぺがす段階で一度待ったをかけた。
げる。
本音が中身の詳細を聞きたそうに立ち上がると、会長は中身を空けて良いと本音に告
?
い
カチャカチャ鉄がぶつかり合う音が聞こえるからには、何かの道具なのかもしれない
?
簪も自分の名前が書いてある奴を手に持ち、潤もそれに倣って段ボールを││お、重
見ると、確かに段ボールには個別に名前が記されている。
﹁あーっと、本音ちゃん。 開ける段ボールは自分の名前が書いてある奴にしてね﹂
2─4
926
が、それがどうやって盛り上げに貢献できるのだろうか。
中身の詳細を気にしていると、本音が最初に段ボールを開けたので観察してみる。
﹂
﹂
中から出てきたのは││
﹁かいちょう、これは
?
﹁通気性は確保したけど、熱いかもしれないから体調には気を付けてね﹂
﹁私は魔女ですか﹂
会長はお姫様役のドレス、ようやく服装に合点がいった。
を着る事が決まっていること。
印象付けをしっかりするために、生徒会メンバーは朝からシンデレラに関係する衣装
参加であること。
会長以外の生徒会関係者は劇には参加できないが、お姫様役はその他全校生徒の自由
生徒会の出し物が﹃シンデレラ﹄であること。
次のような説明をした。
簪と潤がシラケている様を見た会長は、咳払いを一度して仕切り直しをすると、概ね
物だった。
黒猫の着ぐるみ、某女優が終身医療保険のCMで用いた、パンダの着ぐるみの様な代
﹁ずばり││コスプレよ
!
927
﹁分かりました、楯無さん﹂
本音はさっそく黒猫の着ぐるみを着てはしゃいでいる。
﹂
普段の格好とイメージが被るので、何も違和感がない。
﹂
﹁お姉ちゃん﹂
﹁なに
が遙かにいい。
?
潤の能力が促す予知、その嫌悪感に苛まれていると、そんな事など知りようもない会
界に罅が入ってしまう様な、そんな酷い事になる気がした。
理由なんか一切分からず、何故かこれを開いてしまうと、この生徒会での穏やかな世
な感じがした。
さて、自分のは、と潤が段ボールに手をかけた時、なぜか物凄く気が引き締まるよう
結局会長が潤を巻き込み、潤がメイド服を着た簪が見たいと誘導して事なきを得た。
長をポカポカ叩くといった微笑ましい一面が垣間見ることが出来た。
しかし、シンデレラにメイドいたか
と聞いてみたら会長の趣味だと発覚、簪が会
上に立つ人に共通する独特な雰囲気を持つ会長が着るより、儚げな感じがする簪の方
確かに、かなり似合いそうな雰囲気はある。
?
?
﹁⋮⋮なんで、メイド服
2─4
928
長が段ボールを開いた。
﹁潤くんは騎士ね﹂
﹁いや││これは、マジですか
﹂
頼んでいたものと少し違う様な⋮⋮﹂
?
﹁でしょうね⋮⋮﹂
﹁││ん
エルファウスト王国の儀礼用騎士甲冑、しかも潤のコールネーム入り。
思ったのか、潤のコールネームがこれだった。
そんなイメージが合致したのか、それとも心の奥底でよく泣いていたから丁度いいと
地位の高い人間、名声のある人間に対して、何処からともなく集まり、死を告げる。
げる存在として有名である。
死を運んだり害を与えたりはせず、ただ死を告げるだけとの説もあるが、概ね死を告
いる。
バンシーは、イギリス本国付近に伝わる妖精であり、家人の死を予告すると言われて
BANSHEE、日本語読みで﹃バンシー﹄。
SHEE﹄と刻まれているのが分かる。
エルファウスト王国が定める儀礼用の代物で、魔力持ちならその騎士甲冑に﹃BAN
中に入っていたのは、儀礼用の騎士甲冑。
?
929
穏やかでない潤の表情に、只ならぬ不安を感じさせ、翌日の学園祭を迎えた。
││││
生徒会でちょっとした注意次点を確認したので、少し遅れての一組到着。
ふわふわでもふもふの黒猫と、何故だか非常に様になっている甲冑を着込んだ騎士の
二人。
儀礼用なので完全フルプレートではなく、某運命のゲームに出てくる男の旧セイバー
といった甲冑である。
﹂
﹂
人を斬れない様に細工が施されているものの、剣まで帯びているので、非常に懐かし
さを感じ、それ以上に甲冑を着てIS学園に居る違和感が凄い。
﹁ちょっと脇を失礼します﹂
まさか、織斑くんどころか、小栗くんまで接客するの
﹁わあ、ナイト様だぁ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮えっ、うそ
﹂
ツーショットよ、ツーショット
﹁しかも、織斑くんは燕尾服、小栗くんは騎士スタイル
!
!?
こんな感じで、一組の出し物、
﹃コスプレご奉仕喫茶﹄は一年生教室の前を人の山で埋
!
!
!?
﹁ゲームに勝ったら写真も撮ってくれるんだって
2─4
930
め尽くすほど大盛況となっている。
発案者がラウラだと知った時は、あまりに本人の性格にそぐわない発案にビックリ
し、変われば変わるもんだと大笑いした。
職員室で千冬が笑っていた理由も知れて大満足、と思いきや人の津波が起こることま
で予測すべきだった。
早く接客に加わってくれ、忙しすぎる﹂
!
装飾華美にも程がある。
るというのに。
こんなごてごてした鎧を付けたとしても、なんの役にも立たないのは誰でも知ってい
儀礼用の騎士甲冑なんて着ているせいで疲れがたまる。
た。
潤がいない間、引っ張りだこになっていた一夏は悲鳴のような声を上げて潤を歓迎し
﹁Son of a bitch﹂
﹁セシリア﹂
﹁まったく、まだ執事の方がしっくり来るぞ。 誰だ、俺に騎士役なんてさせたのは﹂
﹁おう、潤
﹁めんご、めんご∼﹂
﹁すまない、遅くなった﹂
931
着るのも二回目だったか、いや三回目
当然機嫌も悪くなる。
﹁おおっ、潤、物凄く似合ってるね﹂
﹁どう
﹂
どちらにせよ嫌な感じだ。
少しメイド服のスカートが舞い上がり、何か妙に高揚感がこみ上げてくる。
リクエストに答えて、ナギが一回転する。
くるって一周回って見せてよ﹂
﹁まあ、俺の為だけに作られたフルオーダー品だからな。 ナギもメイド服似合うな。
?
﹁ああ、潤か。 お前も早く接客班に加わってくれよ。 マジで忙しいぞ﹂
﹁遅くなったな、一夏﹂
本音みたいな格好でも可愛く見えるけど。
ので普段の三割増しで可愛く見える。
ラウラもそうだったけど、ヒラヒラでフリヒリの衣装って女の子ってイメージが強い
﹁おおっ、かわいいかわいい﹂
?
﹂
﹁わかってるって。 ⋮⋮随分執事服が似合うな。 普段から姉に奉仕している賜物か
?
﹁嫌味か。 そういうお前も甲冑姿が似合ってるぜ。 今までそういう服で生活してい
2─4
932
たと間違われそうだな﹂
ちょっと男二人で嫌味を言い合い、声を出して笑いあう。
﹂
!?
⋮⋮まったく、変わったな、お前は﹂
!
確かに潤が夏休み終了間際になって、学園内部における男二人の人気バランスが崩壊
﹁ふん
﹁笑えよ、箒。 身に染みて分かったが、お前の表情は人を遠ざける。 もう少し、笑え﹂
鉄ごしらえなのでちっとも痛くないが。
暫くやっていたら、流石に怒り出したのか脛を思いっきり蹴られた。
心地よくて、こねくり回すついでに堪能してしまった。
ふくれっ面を解消するためにやった事だが、妙に柔らかくて、きめ細やかな肌の触り
思ったより伸びる。
頬を膨らませていた箒の頬を引っ張ってみた。
一夏が自分でない女に接待するため、その順番待ちの報告を聞くたびにイライラして
一夏が女生徒の接客のために移動したのを見計らって箒に話しかける。
﹁むぐぅ
その内愛想を尽かされるぞ﹂
﹁⋮⋮一夏が他の女に傅くのが嫌なのは分かる。 だけど、そんな所まで怒っていたら、
﹁一夏、小栗、持ち場に戻れ﹂
933
した。
今まで大多数の織斑派に、消し飛ばされかねない小栗派だったのだが、学園祭当日の
今となって拮抗しかねない勢力と化している。
トーナメントで圧倒的強さを見せた時も勢力が膨れあがったが、今回はその数倍の速
さだ。
新聞部が取材しやすくなったと喜び、潤の記事が増えたのも、その勢いを助長してい
るのかもしれない。
だけど、今さらなんの切欠も無しに私がそうするのもなぁ、と箒は悩み、結局いつも
通りに戻った。
接客に参加すると、一組にやって来ていたのは簪だった。
﹁⋮⋮簪か﹂
ご奉仕喫茶で働く面々とはまた違った趣のあるメイド服に身を包んでいる。
しかし、やっぱり似合っている。
﹁潤⋮⋮案内、よろしく﹂
﹂
﹁よし、切り替えていこう。 ││こちらです、姫﹂
?
﹁そういう決まりなんだ。 今の俺は、姫に使える一人の騎士だからな﹂
﹁ひ、ひめ⋮⋮
2─4
934
﹁そ、そうなんだ。 ⋮⋮私の騎士、私だけの騎士、か﹂
妙に嬉しそうな表情で簪が反芻しているが、このまま出入り口で立ち止まられても困
るので、お手を拝借して空いた席に案内する。
内装はオルコット家が用意した調度品が用いられており、学園祭なのに高級感あるカ
フェになってしまった。
特にテーブルとイスのこだわりは凄い物で、最初何の気なしに触れたのが、王侯貴族
との付き合いがあった潤、更識家で同じような物を見たことのある本音、用意したセシ
リア程度だった。
姫﹂
調理担当のクラスメイト達は手が震えない様にするのにも、多大な労力を割いている
らしい。
﹁ご注文は何になさいますか
﹁騎士はわたくしだけですので﹂
﹁⋮⋮この、﹃騎士の奉公 フルコース﹄って、潤が関係してるの
﹂
会長だと無神経だなと思うのに、何故簪だとお嬢様だと思うのだろうか。
を実感する。
そんな高級品のイスに、気負いなく座った様子を見て、改めて簪がお嬢様だったこと
﹁え、えっと⋮⋮﹂
?
?
935
﹁⋮⋮⋮⋮決めた。 この﹃騎士の奉公 フルコース﹄ひとつ﹂
メイド服の簪が、顔を真っ赤に染めて誓いの文章を読み上げている。
だので、どうでもいい。
ている気がするのだが、騎士道精神なんてケツを拭く紙程度と思えるような戦いを歩ん
今日だけで何人の姫に忠誠を誓うのか、別々の人に誓いをたてる行為が騎士道に背い
の﹃健やかなる時も∼﹄の様に姫に誓う。
なって、騎士である身を忘れず過ごす﹄といった内容を、結婚式で神父が問いかける例
裏切ることなく、弱者には優しく、強者には勇ましく、堂々と振る舞い、姫を守る盾と
誓いの文句は、一般的な騎士道精神を元に、
﹃謙虚であれ、誠実であれ、礼儀を守り、
いた潤の肩に剣を置き、騎士叙任の宣言と共に潤と誓いの文句を唱える。
まず、刃を潰してあるだけの本物の剣を鞘から抜き出し、姫に預ける事から始め、跪
叩くというものだが、﹃女の子の浪漫﹄とやらに横やりを入れられて複雑化した。
叙任の儀式は基本的に、主君の前に跪いて頭を垂れる騎士の肩を、主君が長剣の平で
最初に、客である姫に騎士への叙任を行ってもらう。
騎士の奉公 フルコース、とは騎士にあるまじき内容の接客体系である。
ただきます﹂
﹁﹃騎士の奉公 フルコース﹄がひとつですね。 それでは、まず初めにご説明させてい
2─4
936
潤も恥ずかしいが、何度か本当の叙任を受けたことが二度あるので問題なくできる。
そして、その後は潤が姫の正面に座り、にポッキーを食べさせてあげる。
その褒美として逆に姫が潤にポッキーを食べさせる、奉公とご褒美のセットが加わ
る。
衆人環視の中で、これは恥ずかしい。
そして最後に、サービスの一環としてお姫様抱っこして記念撮影をやって終わりにな
る。
このフルコースはお値段八百円、ぼったくりもいい所である。
﹂
││誰が考えたんだ。これ。 Fuck You. ぶち殺すぞ・・・・・・・・・ ゴミめ・・・・・・
﹁潤は、⋮⋮恥ずかしくないの
││金は命より重いんだ
!
騎士甲冑も、叙任も、食べさせるのも、食べさせられるのも、お姫様抱っこも全部。
正直、恥ずかしいです。
に顔を赤く染めた簪に問いかけられる。
簪に対して通算三度目のお姫様抱っこをして記念撮影、もうイチゴもかくやとばかり
?
937
一夏に話しかけている、ロングヘアーがよく似合う社会人。
と目を動かす。
条件反射で腰に挿してある剣を抜刀しようとし、何とか押さえ込んで発信源を探ろう
り易い敵意を、魂が鋭敏に感じ取った。
何回か姫に傅いたり、お姫様抱っこしたりして撮影していると、仄かな殺意と、分か
一学期の頃ならこんなサービスはしなかった。
我ながら随分変わった、と潤は自覚する。
軽い軽いと言いながらちょっと振り回すと、大体上機嫌になるので何度もやった。
重の軽い重いはかなり気になる分野なのでしょうがない。
体重七十kg以下なら問題なくできるから騒がないでほしい、といっても女子には体
もう、どうにでもな∼れ︵AA略︶。
お姫様抱っこする度に、女子がキャアキャア騒いで反応するのが楽しくなってきた。
そんな妙なことを、潤はこれから半日近く続けることになっている。
士。
フルコースを頼んだお客さん、今はメイド姿の簪をお姫様抱っこして写真撮影する騎
念撮影だけなら良いんだけどな。 フルコースは勘弁してほしい﹂
﹁いや、もう、やだ。 ラウラが企画者じゃなければ逃げてたね。 恥ずかしいし。 記
2─4
938
一夏に警告したいが、目の前で陸上部の同級生が目を輝かせているので変に動けな
い。
使い間を作っておけば良かったと少々後悔するが、顔でなく魂を記憶したので今後大
きな助けになるだろう。
表面だけ普通にして取り繕っていたら、背後から、その女性に小さな声で呼びかけら
れた。
人違いでした﹂
てめぇなんでこんなトコに││﹂
﹁エル
﹁⋮⋮あ、その⋮⋮すみません
﹁私は、小栗、ですが﹂
﹁⋮⋮あ﹂
﹂
﹁何か
!
男、それと目の前のいかにも日本人といった風体の男。
ここ最近、彼女が所属する、とある企業に入ってきた金髪赤眼の貴人といった風体の
人違いどころか、むしろ、何で間違えたのか全く分からないでいた。
その女性も女性で混乱していた。
た、敵意を持つ明らかに怪しい女性だった。
潤の背中から話しかけた女性、そして先ほど一夏ににこやかな仮面で話しかけてい
!
?
939
何もかも違う││││が、この女性が困惑しているのは、確かに酷似しているからだ。
雰囲気が異常なほど似ているとでも言えばいいのか、学生がコスプレして楽しんでい
るこの場において、一人だけ隔絶しているたたずまい。
それに、セシリアとシャルロット、箒と一緒に出かけたのも相まって相当な時間教室
か腑に落ちない。
だから、しょうがないと思うものの、残った潤に接客の注文が殺到したので、いささ
昔からの友人は大事だ、いなくなって始めて知った。
学園祭の招待チケットで誘った友人を迎えにいくそうだ。
ら離脱した。
一夏と潤が散々振り回され、幾度となく記念撮影をした後、一夏が一時的に接客班か
││││
確かに、エルファウストと名乗ったあの男と小栗潤は似ていた。
そんなところもあの男を思い出す。
まるで肉食動物が獲物を狙うような眼光を最後に、潤が背を向ける。
﹁姫に接客中ですので、失礼します﹂
2─4
940
を空けている。
二人一緒にいなくなったらクレームが出るだろうから、せめて片方ずつ休憩に入って
くれと懇願されたので一夏が帰ってくるまで頑張るしかない。
﹂
しかし、織斑派はそもそも一夏狙いで来ているので、徐々にクレームが出始めた。
﹁遅いぞ
と大音量のブーイングが廊下から聞こえたが何が悲しくて丸一日
!
﹁簪のときも思ったが、騎士とメイドはなんかミスマッチだな﹂
いのほかうけたらしく、ラウラの人気は結構高かった。
普段からとっつきにくい表情をしているラウラがメイド姿をしているというのが思
腕組状態の眼帯メイド、人のことをお兄ちゃんと呼ぶ軍人、属性多すぎるだろうに。
られた。
女の子の持ち上げすぎで疲れてきた腕を揉み解していると、視線やや下から声をかけ
﹁潤、私も交代だから、一緒に回るか﹂
接客して過ごさなければならないのか。
えええええ∼
潤の接客終了を宣言する。
最後に出かけていった箒と一夏が帰ってきたのを合図にハイタッチして交代。
﹁悪い、悪い。 じゃあ、交代な﹂
!
941
﹁確かにミスマッチだ。 ⋮⋮似合っているとは思うがな﹂
﹁ラウラもメイド服、結構似合うな﹂
かわいいだろうと自称し、潤にかわいいと評価された後、少しだけたじろいで、顔を
﹁ふふん、可愛いだろ﹂
赤くして笑った。
私は、茶道部とやらに興味がある﹂
﹁ははは、自分で言うことか。 確かに似合っているけどな﹂
﹁で、どこに行く
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
道中で記念写真を何度か撮られ││││││
茶道部を目指してラウラと一緒に歩く。
りとした本物の茶を飲めるかもしれない。
IS学園はどの部屋でも設備面でしっかりしているので、SADOUではなくしっか
﹁ならソコに行くか﹂
?
ウサ耳である。
ウサギ耳といっても兎でもなく、バニーさんがつけている物でもなく、機械でできた
道端にウサギ耳が生えているのを見つけてしまった。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
2─4
942
﹂
相変わらず理解しがたい⋮⋮ 潤
﹁い、いや、ない、が﹂
あにぃ
﹂
潤、どうした
?
訳でもなく、こんな、こんな、││ふざけやがって
ぶっ殺してやる
﹂
!
ている。 メイドと騎士が、ウサ耳博士を追いかけるファンシーアトラクションが始まろうとし
!
﹁怒ったらIS出す連中に比べれば落ち着いている。 あの女郎、正面きって頭下げる
﹁随分重武装だな。 いや、落ち着け。 目が怖いぞ﹂
するんだ﹂
﹁フラッシュグレネード、硬質ゴム弾射出タイプのハンドガン、ブリーチ用の爆薬も用意
﹁それならある﹂
﹁訓練用の硬質ゴム弾射出タイプのグレネードランチャーは
?
││ああ、そういうことか、なんだかんだ言って、貴様が原因か。
﹂
﹁篠ノ乃博士、か
?
﹁ラウラ⋮⋮、実弾装備はあるか
?
?
?
?
943
2│5
取りあえず無線代わりに携帯電話を常に開き、ラウラは武装するために寮に走って
いった。
時間がない可能性が高いので、メイド姿のまま戦ってもらうことになったがラウラが
乗り気なので何も言うまい。
気に入ったのだろうか、あの服装。
そして、潤は腰にさしてあった剣を、││某有名アクションアドベンチャーに存在す
る時の神殿の台座に刺し込むように、ウサ耳の中央に剣を突っ込んだ。
全神経を索敵のために割いていると、上空から何かが高速に接近しているような音を
しかし、どこかでこの光景を見て笑っているのは間違いない。
態にどう対策するか、それをしっかり考えていると思っての一刀でもある。
それに││この状態で潤を待ち構えていたらどうなるか、そしてその結果に起こる事
頭があったらなんて、今の潤にはあまり関係がない。
しっかり刺し込んでのこの一言。
﹁ちっ、手応えがない。 ダミーか﹂
2─5
944
捉えた。
﹂
空を見上げると、イラストチックにデフォルメされたニンジン、そんな飛行物体が盛
言ってみろ糞女郎﹂
やっぱりいっくんと同じ反応してくれるね、じゅんじゅん
大に地面に突き刺さった。
﹁あっはっはっ
﹁でたな諸悪の根源。 何のつもりで俺の前に来た
!
﹂
!?
﹂
!
コアにしろ第四世代にしろ、これは束さんの愛の形なんだよ。
?
練という名の愛を受け入れるべきだよ﹂
!
実験に必要な試練⋮⋮ティアや、リリムに対する想いが、この博士にとっては実験に
上ないくらい不穏当なものだった。
しかし、そんなファンシーな服装をした女性の口から出た言葉は、潤にとってこれ以
足元にある耳と同じようなものを装着している。
不思議な国のアリスで有名なアリスが着ている服装のようなワンピース、そして潤の
﹁││いい度胸だ。 その素首跳ね飛ばしてやる
﹂
私にとって特別な三人にプラスワンで入れるんだから、光栄に思って実験に必要な試
﹁何いってるのかな
﹁そんなの俺は御免だ。 何でほっといてくれない
んじゅんと顔合わせにね。 今後、また会うだろうからね
﹁ヒュペリオンで行っている実験が上手くいっているから、ちょっと今後に備えてじゅ
!
!
945
使われる物程度でしかないらしい。
博士にとってはその他の中の二人だろうが、潤にとってはその二つは、大切なもの
だった。
こういったのは砂浜でやりたかったよ
﹂
距離は二十メートル程度、その距離から潤が剣を出したまま腰を低く落とし││まる
で二人の間合いが無くなったかのように潤が急接近した。
確信した。
しかし、その月輪が鉄で出来た代物を切り落としたのを見て、逃げて正解だったとも
思った。
剣の刃が不可視となり、太陽によって反射した刃がまるで月輪の様で、美しいと束は
の前で開帳されている。
今や、完全に死に絶え、口伝されることも無く失った、それも伝説とされる技術が目
流派も時代も関係なく潤には使用することが出来る。
に動きも律動も鼓動も緩急も無く迫っていく。
落葉、瞬歩、無拍子、時に落ち行く葉のように軽やかに、時に稲妻のように早く、時
!
まるで地面が縮小したかのような、魔法じみた歩法だった
﹁縮地かな、っと
!
﹁その減らず口を塞いでやる﹂
2─5
946
﹂
﹁刃を潰した鉄の剣で、鉄で斬るなんて非常識だなぁ﹂
援護する
!
!
周囲の生徒は何も感じていないのだろうか、と周囲を見渡すも、どうやら同じく謎の
その男は、美しく、気高く、絶対的なものとして映った。
この世ならざる者のような威圧感。
とりあえず様子を見ようとして、数瞬息をするのも忘れかけた。
パターンと全く同じである。
このパターンは先ほど一夏の招待用チケットを持って、他校の男子生徒がやって来た
るのは嫌になってきた。
暫くすれば本音と交代なので、泣き言は言わないが、何かある度に自分が借り出され
チェックを一任されていた布仏虚の耳に、ちょっとした騒音が入ってきた。
追いかけっこが始まった時、IS学園の正面ゲート前において、招待用チケットの
メイドと騎士の、ウサ耳博士を追いかけるアトラクションは始まったばかりである。
潤の歩法も、ラウラの銃撃もなんのその。
その行動を予測していたのか、博士は軽やかに回避していく。
弾した。
遠距離からラウラの声が響き、訓練用の爆発しないグレネード弾が束博士の足元に着
﹁潤
947
威圧感に飲み込まれて動けないでいるらしい。
﹁申し訳ございません、少々よろしいでしょうか﹂
高圧的な言い方も、その人を前にすると嫌ではなくなる。
﹁許す。 述べるがよい﹂
﹂
まるで天と地、森羅万象、遍く全てに語りかけるような声色に、思わず身ぶるがした。
﹁誰の招待か、チケットを確認させていただけませんか
い直したのか虚に招待状を指し出す。
下らない些事のために呼び止められたと言わんばかりの顔をしたが、栓無きことと思
?
徒の黄色い声がそれを彩っている。
校内から、何かを筒から発射したと思わしき音と、聞きなれない女性の笑い声、女生
しかし、息を付くまもなく別の厄介ごとが起こったようだ。
えなくなった後になった。
チケットを確認しているメンバーが通常通り作業を再開できたのは、男の後ろ姿が見
発的に人が裂けていく。
正面ゲートは結構な人に溢れていたが、男の前ではモーゼが海を割るかのごとく、自
男は虚から手渡されたチケットを受け取ると、校舎の中に歩みを進めていった。
﹁配当者は⋮⋮あら、小栗くんでしたか﹂
2─5
948
﹁なんて逃げ足の速いウサギだ
は﹂
﹂
﹁あっはっはっ、本当にここが砂浜だったらいいのに
﹁あの速さで走って、耐狙撃制動が出来るとは﹂
!
﹂
勿論ラウラと潤も後に続く。
﹁芸術は爆発、だ⋮⋮
私たちが徹夜で作った爆弾がぁ
﹁その通り、爆発だ。 てや∼
﹁ああ
﹂
!
!
?
﹁ラウラ、煙幕の外で廊下の監視
捕まえてごらん∼、あははは
俺は煙の中に突っ込む
!
﹂
ついでとばかりに美術部が用意していた爆弾を適当に投げつける。
らスモークグレネードを取り出すと床に投げつけた。
爆弾解体ゲームをやっていた美術部のクラスに入っていった博士は、スカートの中か
!
﹂
潤の目の先、博士が美術部のクラスに入っていった。
しらっていく。
少しのステップで潤が迫るが、まるでその剣先が何処を通るか知っているかの様にあ
彼女は回避する。
ラウラの弾が吸い込まれるように博士の足に迫るが、直前になって華麗なステップで
!
!
949
﹁了解
﹂
﹂
!
進する。
その次に潤を襲ったのは美術部が精魂込めて作り上げた爆弾、その塊を切り裂いて前
とを知る。
額の部分に何かが掠った様な気がし、椅子が落下したことでその予感が本当だったこ
急速に動き、博士の言葉を聞く前にバックステップした。
﹁いただきだよ
煙の中に入った潤は、迷いなく博士の元に急接近、矢のように弾けた。
人間には得手不得手があることを、よく心得ているのだ。
る。
そうとは知らず一瞬たじろぐラウラを見て、脊髄反射で煙の外で待機するように命じ
差であった。
これはサーマルを警戒するかしないかの差であり、異世界とこの世界における軍人の
煙を見て一歩踏み込んだ潤に対して、足を止めたラウラ。
!
金を払ってもいいような古武術固有の歩法で回避していたが、爆弾は雨のように押し
無理が無く、素人目には舞のようにも見える優美な走り。
﹁小賢しい⋮⋮﹂
2─5
950
寄せている。
それは奇跡を起こせる何かの武術だったか、最早知る者はいないが、刃は形を示す。
﹁念流││霜柱﹂
本当ならば拳闘による武術の名だったが、魔力の力と剣を合わせる事でオリジナル、
言うならば小栗流に近い代物となっている。
宙を、まさしく霜柱の如く煌めかせる刃は、潤に迫りくる二十近い爆弾を一瞬で薙ぎ
払った。
﹂
一緒に降りるぞ
﹂
そのまま慣性を利用して、現代医学的にありえない角度で屈み込み、もう一歩踏み込
﹂
!
んだ。
﹁すまない
!
降りたら手伝ってやる﹂
ラウラ、博士が窓越しに下に降りた
援護してくれ
﹁ルームクリア
﹁了解
!
﹁よし、こっちに来たら俺が先に降りる
!
煙の中を突っ切ってきたラウラを見た潤は、安心して紐無しのダイレクト降下で下の
特色なので大丈夫だろうとラウラを呼び寄せる。
障害物レースでこういった場面を想定した櫓が用意されているのは、割と各国共通の
煙がなくなった先では、束博士が窓から下の階に逃げている姿しかなかった。
!
!
!
951
階に行った。
﹂
﹂
本当に余興
勿論ラウラもそれに倣って降りていく。
﹁何、今の
﹁⋮⋮生徒会の余興じゃない
﹁爆弾、真っ二つのもあるんだけど
﹂
﹁ウサ耳女性を追いかけるナイトとメイド⋮⋮やっぱり余興じゃない
?
﹂
﹁後で一枚頂戴﹂
﹁うん、凄い剣技だったよ﹂
﹁撮ったの
﹂
﹁まあ、煙で少しあれだったけどカッコいい写真が撮れたから私はそれでいいや﹂
?
?
?
?
?
けっこに興じている頃、一組の教室にとある男が入店してきた。
不思議な国のアリスの恰好をした束博士が、騎士の潤と、メイドのラウラと追いか
││││
取り残された美術部は、妙な勘違いをしていた。
﹁私も私も﹂
2─5
952
金髪、赤眼、まるでどこかの王だと言わんばかりの高貴な雰囲気が感じ取れる。
クラスメイトが身体を硬直させる。
高貴な人と会う機会の多かったセシリアですら、どのように振る舞ったらいいのか決
めあぐねている様子だ。
﹁それでは、こちらへどうぞ、ご主人様﹂
﹁成程、世界がずれた要因はこのためか。 はっはっは、存外よい余興だった﹂
だ。
しかし、彼にとってもっと気がかりだった事の真実を知ったとたん、その口がゆがん
人間に他ならない。
この能力に影響が殆どない人間は、同じ魂魄の能力者か、魂レベルまで影響力を持つ
周囲の人間を勝手に魅了してしまう。
である、とそこまで恐怖されるものであり、意図的に力を押さえなければ絶対者として
魂魄の能力者はそのあり方から、出会ったら死を覚悟しろ、その能力者は人類の天敵
エルファウスト王国の国王、彼は魂魄の能力を完全に極めている。
客人は一夏の様子を見て、ようやくお目当ての人間を見つけたことに満足した。
そんな中、一切の影響を受けていない男が一人。
﹁いらっしゃいませ﹂
953
何故だか心の奥底から嫌悪するような哄笑で、一夏を凝視している。
前の客から解放された一夏は偶然にも、その男の近くに居たため、マニュアル通りに
接客を開始した。
﹁こんなあばら家で何を飲めというのだ、俗物めが。 ││しかし、潤の顔を立ててやる
のも一興か﹂
どうせ口に合うものは無いと言わんばかりの態度であったが、何を思ったのか上機嫌
に、悠然と微笑した。
﹂
何時の間にか空いた席に、どかっと腰も下ろしている。
﹁潤の知り合いなんですか
︶ 潤なら今は休憩中で││﹂
﹂
?
のかもしれない。
﹁遠路から来たんですよね
IS学園はどうですか
理解できるように言っていない可能性が大いにあるが、思った以上に深い意味がある
この男が何を言っているのか理解できない。
や、母、といった魂の道標もなく、ここに奴が居る意味を﹂
﹁よい、別段会いに来たわけではない。 潤がここにある意味を知りに来たのだ。 父
﹁︵フィンランドの事かな
﹁まあ、な。 遠い国から縁に導かれ﹂
?
?
?
2─5
954
﹁許しがたい程醜悪だ、人も建物も。 俺のいた国では民は生きる意味を持ち、あるべく
してあった。 しかし、この世にはなくてもよい愚物があふれている。 そして、この
学園とやらも、ただただ機能性だけを追従した結果、
﹃魂﹄が存在しない、あるだけのあ
ばら家としか映らん。 これでは十全などほど遠い﹂
共に呆然としただろう。
もしも、この時の、この光景を、先ほど一夏に接していた企業の女性が見たら驚きと
﹁は、はあ、そうですか﹂
﹁しかし、この茶には﹃魂﹄があった。 故に飲むに値する﹂
一杯の茶を飲みほした男だったが、しかし嫌悪も露わに顔をゆがめる。
﹁いや、安葉らしい不味さだった﹂
﹁美味しかったですか﹂
囲気に包まれた。
アイスハーブティーを何か思慮深く飲む姿に、一夏だけでなく教室全体が安堵した雰
延々期限の悪いままだった。
どう聞いても不穏な返ししかしない男は、一夏からカップを受け取り、喉を潤すまで
﹁しかし、我が庭でもない俗世の端、俺自ら手を下すこともあるまい﹂
﹁て、手厳しいことで﹂
955
この男の食事はとにかく金がかかるのだ。
一流ホテルで、一流の素材を用いた最高級品を、一流シェフが手間暇かけて作った料
理を食すのだが、たいてい一口食べただけで捨ててしまう。
彼に言わせれば、魂の込められていない食事など口にするのもおこがましい、らしい。
飲みきる、それはすなわち、それら一流に勝っていると彼に思わせたと言う事だ。
精魂込めて、日本から古く伝わる考え方だが、それが本当に出来る人材は少ない。
ちなみにアイスハーブティーを淹れているのは癒子で、これは彼女が潤に近しい関係
で、長期間一緒に居たため精魂込めるといった行為をしやすくなっていたのが原因であ
る。
暫く上機嫌と、不機嫌の境でアイスハーブティーを飲んでいた男は、何かを鋭敏に察
知して席を立った。
﹁会計ですか。 潤ならその内帰ってくると思いますけど⋮⋮﹂
時に、必ずまた相見える﹂
﹁よい。 どの様な道を辿ろうとも、今一度見える事に疑いの余地はない。 会うべき
そういって男は、金のインゴットを机の上に乗せた。
﹁はした金なぞ持っていない。 釣りはいらんから持っていくがいい﹂
﹁そ、そうですか。 えーと、お値段は⋮⋮﹂
2─5
956
表面にかかれているグラム数は三百、時価なので価格は上下するが、概ね百万∼百五
﹂
十万ほどの値打ちがつく。
﹁せ、セシリア⋮⋮
﹂
﹁なんですの
?
﹁た、束さん
﹂
﹂
それも、執事服。 とっても、とっっっっっても似合ってるね﹂
はろー﹂
箒ちゃんがメイ
!?
!
﹁そうだよ、束さんだよ
いっくん見たあ
?
﹁ね、姉さん
!?
?
!?
﹁おっ おおおおおおおお いっくん見た
?
!
﹁これはいっくん
混乱する一夏をよそに、その女性は入ってくるなり鍵を閉めた。
かなりふくよかで、柔らかい、ボールみたいな感触。
先に急に入ってきた女性とぶつかって押し戻された。
今しがた出て行った男を追いかけようとした一夏だったが、教室から出ようとした矢
釣りはいらないと渡されたが、これではどうやっても問題が起こる。
三百程度では言い表せない重さに手が震える。
﹁││⋮⋮、⋮⋮⋮⋮。 本物ですわね﹂
﹂
﹁これ、本物
?
?
957
ド服だよ
﹂
滅茶苦茶かわいいよ
﹂
くんかわいいよねぇ
﹁姉さん、なんで
お持ち帰りしたいくらい
!
そうだよねぇ、いっ
!
飛ばされた。
﹁クリア﹂
﹁ルームクリア。 ラウラ、奥の調理室だ
!
﹂
!
間に合わなかったね、じゅんじゅん
そいじゃ、さよなら∼﹂
こんな会話の後、バンッと大きな音がドアから響いて││爆発音とともにドアが吹き
するんだ。扉の向こうに何があるか判らんぞ。 分かった、仕掛けるぞ。
潤、鍵をかけられた、ブリーチする。 ラウラ、ハンドガンをくれ。 発砲には注意
そう、博士を追いかけている潤とラウラである。
しかし、更なる嵐が迫ろうとしている。
ここは砂浜じゃないのに、彼の頭の中はこれで精一杯だった。
一夏は次々変な事が起こって、本当に混乱している。
嵐がやって来て、何もかも掻き乱して、嵐が調理室に消えていった。
けと追いかけっこしている最中なのだよ。 ごめんねー﹂
﹁本当ならリボンでくるんでお持ち帰りしたいくらいだんだけど、今砂浜で騎士とおま
?
?
?
﹁なはははは
!
2─5
958
扉を爆破した二人が勢いよく突入してくる。
ハンドガンと、グレネードランチャーを向けられた一組総勢は、突然の事態に口ぽか
ん状態に陥った。
﹂
ただ、代表候補生と、最近潤に鍛えられている一夏は床に伏せていたが。
ている。
﹁博士を見失う訳にはいかん
﹂
飛び移れ
﹁スカートで動きにくいのにこれか
﹂
!
﹁ラウラぁ
﹂
!
!
﹁何故飛び降りている
﹂
えられて精神が乱れた。
即座にシュヴァルツェア・レーゲンを起動させようと意識を集中し、何かに抱きかか
げている。
手に持つ梯子の切れ端を手にして、ラウラが信じられないと言った面持ちで潤を見上
潤が真ん中付近、ラウラがギリギリ一番下に飛びついて││下の梯子がちぎれた。
文句を言いながらも、梯子に飛びついた潤に続いて、ラウラが教室の窓から飛び出す。
!
!
誰が操縦しているのか知らないが、確かに博士は空中に垂れ下がった梯子につかまっ
﹁移動用ヘリ
?
959
﹁戦友は見捨てない
今度こそ落ちるなよ
﹂
!
奇しくも木が邪魔で見えにくいが、その木がクッションとなったのか、重たい何かが
ラウラが何とか外壁につかまり、落ちていった潤の方を見やる。
例え世界が変わっても、彼らの顔が記憶の中で薄れようとも、記憶だけは残される。
特務部隊の人間は、決して仲間を見捨てたりはしない。
足早に話し終えると、抱きかかえていたラウラを窓がある方向に投げつけた。
!
﹂
地面に落下する音が響くまで、枝をへし折るような音が響いた。
⋮⋮潤
!
?
束博士はいつの間にか居なくなっていた。 見当たらなかった。
居てもたってもいられず、自らも下に降り立ったラウラだったが潤の姿は、影も形も
﹁潤
2─5
960
助けるために俺も⋮⋮⋮⋮それから
られていることに気づいた。
その感覚にようやく意識が覚醒し、寝ているのでなく、横になって何かの装置に入れ
小豆色をした長髪の女性が、頬をぺちぺちと叩いてくる。
?
││確か、ラウラと一緒に博士を追いかけていて⋮⋮、そうだ、ラウラが落ちたから
ゆっくり記憶をさかのぼっていく。
何があったか、ここは何処なのか、何で身体が動かないのか、その原因を探るべく、
背中が痛い⋮⋮、少し固めの椅子か何かに寝かされているようだ。
細部は違うがピットのような光景が目に写った。
瞼が鉛のように重かったが、それでもゆっくり開けると薄い小豆色のような髪の毛、
い。
次第にようやく意識が覚醒し、視界がはっきりとする。 ⋮⋮しかし、身体が動かな
優しい歌声が耳朶を叩く。
ぼやけた視界に女性の面影。
2│6
961
潤の意識がはっきりし始めたことを気づくと、満面の笑みで顔を近づいてくる。
﹂
﹁やあやあ、おはよう、じゅんじゅん。 まったく無茶する人だね。 束さんがいなかっ
たら頭からアスファルトの上に落ちて、轢かれたカエルみたいになってたよ
﹁くっ⋮⋮殺せ﹂
のだろう。
ラウラと一緒になって追いかけて、ヘリ落ちて、こうなっているという事は捕まった
その女性が博士のものだと認識した時、全身の力が抜けていくのが分かった。
?
助けたのに殺すわけ無いじゃん﹂
﹂
﹁う∼ん、相変わらず物騒な常識しか持ってないんだなぁ、君は。 せっかく束さん自ら
何をしにIS学園に来たんだ
身体は、何かの機械に拘束されて動かない。
目の前には得体の知れない博士。
﹁あんたはなんで俺に色々やってくる
?
﹂
﹁私のおかげて殺意以外の怒りを持てるようになったじゃない。 君にそういった負の
?
ながらも期待に応えて、失った強い心を取り戻してくれた﹂
当な人間にしてあげたい。 君は苦しみや絶望に苛まれ、ルームメイトの女に助けられ
﹁人として正しく感情を表し、素直に喜び、素直に怒り、素直に悲しむ、君をそんな真っ
?
﹁あんたのせいでまた道を外しかけたよ。 もうほっといてくれないか
2─6
962
感情を効率的に与えられることが出来るのはこの束さんだけだよ
﹂
?
﹂
?
?
か、それですら定かでない。
﹂
﹁じゅんじゅん、君は結婚相手に付いて考えたことはあるかな
﹁ふざけているのか
﹁いやいや、本筋から何も外れていない大切な質問だよ﹂
?
﹂
分かってやることが正しいことなのか、それともわかってやった方がいいのかどう
までに無い事柄だ。
しかし、ここで話してしまってもいいものかどうか、束博士の期待していることは今
博士の考えている、個人的に潤に期待している、ある事は順調に進行している。
核心に触れた潤を、束博士はじっと見つめた。
たいんだ
﹁違う、違う、そうじゃない。 会話の流れを切るな。 あんたは俺に接触して、何がし
い。
まったく感謝の意識が生じないといえば嘘になるが、思うところが無いわけではな
あらん限り強引なショック療法だったが、確かに効果覿面だった。
人の感情を取り戻すため、人として外れた道を、正しい道に戻すため。
﹁⋮⋮汚れ役が、自分で汚れ仕事をしていると主張してどうする⋮⋮⋮⋮﹂
963
真剣な表情に、質問に対する確かな答えであることを悟る。
しかし、結婚なんて今まで考えたことも無い。
恋した回数が一回、恋人がいたのもほんの僅かな期間だけ。
﹁⋮⋮自分が思う﹃いい奴﹄を好きになればいい。 政略結婚ならば、好きになれる様に
いい所を見つけて好きになればいい。 すまないが結婚願望なんて持ったことが無い﹂
﹁束さんはね、こう思うんだ。 いっくんやちーちゃんと結婚するならともかく、どうで
もいい奴らの中から結婚するのなら、相手に完璧を求めたいって﹂
つまり束博士は、潤に対して自分の恋人を重ねていたと、そう言いたいのだと潤は判
﹁こんな意味の分からん告白を受けたのは初めてだ、くそったれが﹂
断した。
言葉通りだが、これ程意味の分からない告白は始めてである。
俄かに頭が痛くなってき始め、胃がキリキリした頃に、次の博士の言葉を聞いて思考
まで停止してしまった。
ているのか読み取ることが出来ない。
子供、チャイルド、最早言葉の意味は分かっても、それがどういった意味で発せられ
んが言っていいセリフじゃないと思うけどね﹂
﹁それに、子供が出来たなら、真っ当に育ってほしいと思うのが親だと思うんだ。 束さ
2─6
964
本当に心の底から、自分に子供が出来て、潤が育てているような意図を持って話しか
けているのが分かる。
真剣な、確かな愛情をもって、潤をその場に縫い付けて離さない瞳。
背筋がぞわぞわする。
同じ目にあったら正気で居られる自信は無
好奇心、モルモットを見るような、似ているが少し違う。
﹁昔色々あったのは可哀そうだと思うよ
﹁君が作った便利な人格と、情緒教育﹂
?
﹂
?
﹂
?
﹁ISの進化、その鍵﹂
﹁⋮⋮あなたは俺に何を期待しているんだ
﹂
それでも何とか博士と問答に興じるために口を開く。
不思議な感傷につかってしまい返事を詰まらせてしまった。
束博士は肝心なところを喋る気は無いらしい。
らかというと前者かな
﹁気付いていないのか、気付いているけど気付いていないふりをしているのか。 どち
﹁俺が誰を相手に情緒教育するってんだ。 一夏か
﹂
﹁俺も正気でいられなかったんだがな⋮⋮。 あと、それとこれってのは
いって、束さんもそのくらいの感性はある。 けど、それとこれとは別だと思うんだ﹂
?
965
?
﹂
頭がどうにかなってしまいそうだった。
﹁進化の鍵
時は多少歓迎してやるよ﹂
﹁そうかい、そいつは朗報だ。 もし、その進化とやらが俺にとって有用ならば、次会う
ど、たぶん進化が明確に分かるまで会う事は無いよ﹂
の鍵としての役割を果たして最初の扉を解き放った。 ほっといてくれと言われたけ
の果てにあるものを、この目で見たい。 じゅんじゅんは試練に打ち勝ち、正しく進化
ンに用いられているコアに科学的には考えられない変化が起こった。 私はその進化
て無制限に自己発達可能な機能がある。 その二つが合わさった結果、現在ヒュペリオ
﹁君は魂魄の能力によってISを使えるようになった。 そしてISは操縦者に合わせ
?
どうやら束博士はヘリで空中ラボか何かにいたのではないかと推測、なにせIS学園
事態も急降下した。
落下している││それに気付いたのは、ほんの数秒たってからだったが、その数秒で
た。
その言葉を聞いたとき、急に下に引っ張られるような感じがして、視界が急激に開け
忘れないで。 ﹃ISに心を重ねて﹄、いいね﹂
﹁最後に一言だけ。 ISを使っている最中、どうしようも無くなったとき、次の言葉を
2─6
966
の第四アリーナ上空に生身で放り出されていたのだから。
﹂
第四アリーナ、フィールドではなく、更衣室か何かの施設の屋根がぐんぐん迫ってき
ている。
﹁ひゅ、ヒュペリオン
両足のスラスターでブレーキをかける。
天井を突き破って床に着地。
﹁⋮⋮ちくしょう、痛かったぞ﹂
﹂
﹁おぐりん
どうやって入ってきたの
何が起こったのか正確に教えてくれ﹂
?
癒子とナギも一緒みたいだが﹂
﹁⋮⋮本音
?
﹁ど、どっからやってきたの
?
?
?
ただ事ではない。
部屋の反対側には誰も寄り付いてなく、震える彼女らの主な感情は、恐怖と、怯え。
屋の片方で震えている。
更衣室内部には結構な数の生徒居たが、皆一様に顔色が悪く、固まった表情をして部
﹁待て、落ち着け、いいな
﹂
姿勢制御スラスターをマニュアルで起動させて地面に対して垂直になるように戻し、
ぎりぎりになってISを起動させるが、勿論機体は屋根に突っ込んでいった。
!
967
ナギと癒子が落ち着くまで待つ間、周囲から情報を集めようとする。
遠くで鳴り響く緊急時のアナウンス、非常用電灯以外消灯している明かり、ほとんど
がロックされている扉。
﹂
鈴と一夏が戦っている最中に、無人機が乱入したときを思い出すような光景が広がっ
ている。
﹁おぐりん、上から落ちてきたんだよね
﹁そうだが﹂
﹁上の穴から、人が出入り可能だと思う
﹂
?
?
簪はシンデレラ開催中、照明などの担当を担っていたため、第四アリーナの司令室の
闘中。
ドレスを着たかっただけのラウラも、シャルロットに協力するために参加し一緒に戦
とのこと。
会長は第四アリーナで、シンデレラに協力出演していた専用機持ち達を率いて交戦中
生徒会の出し物、﹃シンデレラ﹄を開催中に、敵性IS四機でもって乱入。
を話し出した。
周囲の確認をしている間に、本音が落ち着きを取り戻し、たどたどしく今までの経緯
﹁何時崩れるか分からないから止めた方がいいと思う﹂
2─6
968
様な場所にいたため巻き込まれていないらしい。
そして用意周到なことに学園祭に工作員が潜入していたのか、隔離障壁やドアにハッ
キング攻勢を仕掛けており、避難できない状況が完成されていたようだ。
思いのほか亡国機業は動員人員、能力、戦力ともに充実した組織らしい。
そして、完成された密室から脱出しようとしていたメンバーが部屋をくまなく捜索し
﹂
ていると、爆弾らしきものが仕掛けてあるのを見つけたらしい。
﹁爆弾か⋮⋮。 解体は当然試したんだよな
下手に中身を弄れば、その場で炎と金属片が周囲の人間を襲うだろう。
なくてもしょうがない。
何故これが此処にあるのか知らないが、これなら本音やその他の生徒たちが理解でき
撃のための魔道具の一種だった。
はたしてそこにあったのは、かつて潤が居た世界でありふれていた、設置型時限式攻
所、要所に、これまた魔法的に意味のある液体が筒状のカプセルに入っている。
爆弾は人間の頭部ほどの大きさで、内部は魔法的に意味のある配置にされており、要
誰も寄り付かない部屋の反対側に足を運ぶ。
が爆弾かどうかも⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それが、今まで見たことないタイプで⋮⋮。 そもそも、爆弾っぽいってだけで、それ
?
969
﹁小栗くん、分かるの
﹁ナギ、脱出経路は
﹂
﹂
﹁何処も開いてない。 ヒュペリオンで道を作れない
﹂
うだっていい、⋮⋮今はここにいる十人以上の生徒の身の安全を確保しなければ。
この際、これを誰が作ったのか、亡国企業が保有するコア数はいったい何なのかはど
落胆する生徒を目にしつつ、潤は高速で思考を巡らせていく。
答を聞いて露骨に肩を落とした。
爆弾らしき物体を丹念に調べる潤に、少し期待した声を投げかけた二年生は、その返
が目の前にある。
こういったトラップの解析には一家言ある潤だが、その知識の限界を大幅に上回る物
解析する限り、潤のレベルではどうしようもない。
﹁すみませんが、俺ではどうしようもない事だけしか⋮⋮﹂
?
ナギや癒子、本音とともに対策を話し出し、周囲の生徒も話し合いに加わる。
﹁時間切れが先だな。 十人ほど犠牲になる﹂
?
当てられない﹂
﹂
﹁いや、無闇に壁を攻撃して、向こう側に設置されていた爆弾がドカンっといったら目も
?
?
﹁小栗くんが一人ずつ上に運ぶのは
2─6
970
しかし、出てくる意見は全て別の誰かに否定される。
次第に出てくる意見は無くなり、最初の悲壮感あふれる雰囲気だけが場に残った。
潤は考える。
あの爆弾は相手に威嚇する程度の代物で、威力も熱量もそこまでではなく、見せしめ
や、派手さを追求した威嚇目的のものだ。
しかし、狭い室内では、その威嚇目的でも充分威力を発揮する。
酸素は、複雑な心境だが博士が潤を突き落として出来た巨大な穴から供給されるし、
?
熱された空気やガス、煙もソコから排出される。
問題は瞬間的な火力と、⋮⋮⋮⋮いや、火力だけか
﹂
!?
﹂
?
﹃アルミューレ・リュミエール﹄。 熱流も、ガスも、設定しだいでなんでも遮断する鉄
﹁ヒュペリオンのフィン・ファンネルには面白い技術が備わっているんだ。 その名も
﹁密着って⋮⋮、それでどうするの
その間に本音が抱きついてきたが、結果としてみんな集まってきてくれた。
ファンネルを十個切り離し、残りの二つは量子格納してしまう。
﹁みんな、俺を中心にして部屋の中央に集まって密着してくれ。 ││ファンネル﹂
﹁何か手があるの
﹁⋮⋮これならやりようがあるか﹂
971
壁の防御だ。 二重起動なんてしたことが無いから、安定させるために俺も中央に入ら
なければならないが﹂
エネルギーの関係で、五分間の展開が限度であり、充電の為にファンネルラックに戻
せばエネルギーを八割食うという燃費の悪さで、試合中は一度しか使えない。
爆発の際に生じる熱を遮断するために、二重に張り巡らせて中の人間を保護する。
そのため内側の三角錐は大分小さくなるので密着する必要があり、広くしすぎれば第
二波が来た際にもう一度展開させるエネルギーが無くなる。
それにアルミューレ・リュミエールは本来面展開する事を前提に考案されており、三
角錐状に展開するのは潤の能力によるものだ。
二重起動するには本来の機能、自機を中心にした観測機能を有効にしなければ。
﹂
全員がヒュペリオン付近に集まったのを確認し、一度だけアルミューレ・リュミエー
ルを起動させる。
﹁⋮⋮ギリギリだね﹂
﹁潤、右側の子が危ないからもう少しだけ広げられない
?
安全圏ぴったりにするかの如く、三角錐いっぱいに生徒が入りきる。
かった﹂
﹁分かった。 微調整する。 ⋮⋮しかし、本当にギリギリだな。 もう一人いたら拙
2─6
972
と考えもしたが、今はそれどころでないとかぶ
しかし、これで助かることを知った周囲は安堵した。
束博士、まさかこれを知っていて
りを振って振り払う。
?
﹂
?
かつて、潤が王と呼んだ男がそこにいた。 世界が愛した究極の芸術。 完璧な造詣。
文字通り神の化身。
められた人全てを捉えて放さない魔性のカリスマを備えている。
血よりも鮮やかで、それでいて禍々しい双眸は明らかに人知を超越した代物で、見つ
しい金髪。
今まで何処にいたのか定かでないその男は、堂々たる長身、放つ輝きは太陽よりも眩
思わず声の元に目を向ける。
久しく聞いたことの無かった、懐かしい声色が潤の耳朶をたたいた。
﹁││残り三百三十四秒だぞ、潤││﹂
﹁分かった、私が行って││
み上げてきてくれないか
﹁爆発十秒前までエネルギーを節約するから爆弾のタイマーを知りたいんだが、誰か読
973
2│7
何時だったのか、どれ程前だったのか正確に思い出せない。
最後にあの人に会ったのが何時だろうか。
少しずつ記憶を遡ってみたものの、しっかり記憶に残っていて、かつ面と向かって話
をしたのはティアが死んだ後だろうか。
もしくはもっと前だろうか。
最後の最後に思い知った、潤を苦しめたあらゆる苦難を意図的に作り上げた全ての元
﹂
凶、エルファウスト王国の国王の姿だった。
﹁な、なぜ、貴方がここに
?
我が前に立ち、この面貌を仰ぎ見て、まさか最初に漏らす言葉がそれか。 そ
?
時間をセットする指もどこか覚束ない。
んな生暖かい瞳で王を見ていた。
警戒と戸惑い、明らかな敵意と、それら全てを混ぜ合わせてもはっきり分かる困惑、そ
考えている間、傍から見た潤はどんな表情をしていただろうか。
ら、三百十五にセットしろ﹂
﹁何故
2─7
974
僅か数回のタイピングを何度も失敗し、どうにか開いた口から搾り出すように出た質
﹂
問、それが目の前の王に一蹴される。
﹁えっと、潤の知り合い
せっかく他の世界に来たのだから無聊慰めるために足を伸ばしたが、その第一印象が
一夏に言ったように、この傲岸不遜の王にとってこの世界は醜悪に過ぎる。
﹁敬語を用いるな。 ここは我が地でない﹂
そんな説明が出来るのは千冬か、あるいは本音ぐらいしか居ない。
で起こった悲劇の裏に居た人物、主であり、魂魄の能力者にとっての父である。
しかし、異世界の王であり、潤をこの世界に送り込んだ張本人であり、潤の身の回り
タスと考えて話したくなる人が多いだろう。
何もしがらみが無いというならば、有名人と知り合いであることは、ある種のステー
しかし、見た瞬間に分かる、その高貴な人との関係は簡単に話せない。
の雰囲気は記憶から払拭されるものではない。
たった一度であろうとも、彼の姿を見れば、あの遥か高みに居るような﹃高貴なもの﹄
一組の面々はこの男を知っている。
ナギに尋ねられて何とかボーっとした意識が回復した。
﹁確かにこの方とは面識があるが⋮⋮﹂
?
975
覆ることは無かった。
彼が寵愛するのは彼が築いた彼の国のみ。
しかし、物珍しさのみで寵愛には値しない地ではあるが、郷に入っては郷に従う、そ
の程度は考えてやって良い。
あなたが、あの日││﹂
周囲全ての無礼に手を下すのは、考えたくないほど煩瑣な手間である。
?
相変わらず混乱している潤にはそんな言葉も出てこない。
﹁⋮⋮何を、しに来たんです
来たんですか
?
ハッキングし、ISの内部、コアにまでその手を伸ばしていった。
男はヒュペリオンに触れると、潤が反応できない速度で脳波コントロールシステムを
潤もどうしていいのかわからず、取りあえず了承の意を表すために少しだけ頷く。
彼の目の前に立っていた生徒は、何かの手によって導かれるように道を空けた。
その男が女生徒を掻き分け、潤の方に歩み寄る。
記憶の中の王と一致した。
自己満足と欲を満たしたいからここに来た、その不遜な答えにようやく目の前の男が
る。 そら、ISを見せろ、俺が手ずから見てやる﹂
め弱者を踏みにじる醜い種族だ。 俺もまた、俺のなしたい事をなすがためにここに居
﹁相変わらずさもしい頭だ。 人とは何かをなそうとする意思を持ち、その志を貫くた
2─7
976
外部からISのシステムをハッキングするといった、この世界全ての技術者に喧嘩を
売っているような光景が目の前に広がっている。
雰囲気に飲まれている││むしろ、UTモードが出す恐怖と同種の精神支配に侵され
ている彼女たちは黙ってみていることしか出来ない。
そのまま数秒でヒュペリオンの開発ツールを多数展開して、手を広げていった男は、
あるところで露骨に顔をゆがめた。
た進化など、改造と同義であるというのが分からんのか﹂
﹂
﹁⋮⋮⋮⋮進化。 博士もそう言っていましたが、何が、どう、進化するんです
に俺が関係している理由は
﹁じきに分かる﹂
?
の無い怒りが沸々と表に出てきた。
!?
迸っているのか分からない。
ようやくまともな声量で出た声は、思いのほか大きく、自分でも何でこんな怒気が
﹁いったいなんなんだよ、あんたは
﹂
実にこの男らしいが、ここ数ヶ月の間色々起こりすぎたせいで生まれていた、やり場
自分から擦り寄って来たくせに、あっさり突き放す。
?
それ
﹁⋮⋮ふん、あの女め。 進化とは定められた道の上を行くものではない。 定められ
977
かつて吐き出しきれなかった感情が身体全体からあふれ出し、身体を振るわせる。
そんな潤を、男は少しだけ嬉しく思ったが、無表情で糊塗して作業を続けた。
﹂
?
││俺は、平和な今が続けば、それでいいと⋮⋮﹂
!
あまりにもあっさり切り捨てられ怒りを通り越して鼻白む。
潤の怒気に対し、眉ひとつ動かさず、平然と応じた。
﹁俺は⋮⋮
﹁⋮⋮貴様は何を望む
そして、潤の過去を知っているような事も言っている。
ることが分かる。
﹂
潤は敬語で話しをし、男はその敬語を使わなくて良いと言ったことから上下関係があ
この二人の関係がいまいち理解できない。
!
それが必要だったのは知っ
そのうえ、こんなのとこまでやって来て、迷惑なんだよ
そんなあんたの戯れのせいで俺の友はみんな死んだ
﹁何時も意味ありげな事を言って人を惑わせて、自分に良いように捻じ曲げ利用する
ている
!
!
戯れのせいで友がみんな死んだ、その言葉を聞いて俄かに周囲が騒然としだした。
﹁││俺は俺のしたい事をする、それは変わらん﹂
!
ば、その平穏は砂上の楼閣にすぎん﹂
﹁平穏を守るため、作るためには強い力がいる。 貪欲に知識を得て、心身を鍛えなけれ
2─7
978
﹁だから⋮⋮、なんだというんです
﹂
?
た﹂
?
た。
男が来たことですっかり忘れていたが、男が来ことで問題が増えたのを皆忘れてい
跳ね除けた。
魂魄の能力者と普段から接していた癒子が、命の危険が差し迫ったことで精神汚染を
﹁あの、小栗くん。 そろそろ爆発の時間が││﹂
が本当の意味でバランスが取れていた。
ものの四分で、制御モジュールだけを当てはめて、何とかバランスを整えていた機体
アンバランスだったヒュペリオンが完成されている。
そのデータを見てあらゆる全てが喉に詰まった。
計器モニターが開き、ヒュペリオンのスペックや状態が表示される。
そう言って男はヒュペリオンの主導権を潤に返した。
Sとお前の望みが重なった時、このISはお前に願いを叶える力を与えるだろう﹂
﹁どうやっても事態が改善できない場面に巡り合ったときは、ISに魂を重ねろ。 I
﹁それは⋮⋮
﹂
﹁よし、これでこのISは、あの女の手から離れ、定められた道以外も選べるようになっ
979
アルミューレ・リュミエールの防御範囲は安全圏ぴったりで、三角錐いっぱいに生徒
が入りきっていた。
つまり、一人増えたら、一人出なければならない。
少しの静寂の後、誰かが入ってきた男が出て行けばいいと言い出し、次第に周囲の生
﹂
徒まで賛同し始めた。
﹁なんだ、それ
るのか
﹂
!?
だからいって││。
そして、この世界は女尊男卑が浸透している。
新たに現れた男は、当然だが男で、IS学園の生徒ではない。
IS学園に入ることの出来る生徒は本当のエリートだ。
る。
同じ男だからといって何をむきになっているのか、表情にはそんな感情さえ読み取れ
は変わらない。
憚ることなく声を荒げる潤に、何人かははっとした表情を見せるが、結構な数の表情
!?
あんたらは何を言っているのか分かって
﹁⋮⋮生徒でもないし、それに、その、男の人だし⋮⋮⋮⋮﹂
?
﹁女尊男卑は命に貴賎を作るほど酷いのか
2─7
980
﹁かまわん、俺が外に出る﹂
何を言っているんだこの王様は、そう思って女生徒の輪から離れていく男に声をかけ
ようとした直後、今までにない衝撃が走る。
別の部屋で似たような爆弾が爆発し、施設を揺らし、一部の天井が崩れたのだろう。
轟音が響いた方を眺めながら、男はゆったりとした動作でこの部屋に入ってきた通路
へ足を向ける。
﹂
!?
﹂
!
光の防御膜に包まれている生徒は、こめかみを抑えて苦しみに耐える潤を唖然として
た。 その言葉に見送られ、男は部屋全てを包み込む業火に見舞われ、炎の中へ消えていっ
﹁父さんっ
光り輝く膜が全ての生徒を包み、その姿まで霞んで見えなくなってしまう。
ミューレ・リュミエールを起動させた。
手を伸ばそうとした矢先、爆発五秒前に発動セットしたファンネルが、オートでアル
る。
密着している周囲の輪を崩し、そのまま彼を追いかけかねない勢いの潤を癒子が嗜め
﹁小栗くん、時間が
﹁さらばだ、潤。 南には爆弾は無いので壁を壊せば避難できる。 また会おう﹂
981
見ている。
ヒュペリオンのスキンバリア越しに見るこの男子は、今いったい何と言って金髪の男
を呼び止めたか。
あの男が 俺の││
そして、その父に向けて集団で、
﹃代わりに死んで﹄と頼んでしまった自分たちに、思
わず立ちすくんでしまう。
父さん⋮⋮父さんだって
!?
あの男がこの程度で死ぬわけが無い。
それもそのはず。
それでも、意思を曲げずに否定の言葉を重ねると、案外簡単に潤は折れた。
くる。
本音が何とか落ち着かせようと声をかけるが、畳み掛けるように困惑を押しかぶせて
!?
﹁おぐりん、今、お父さんって⋮⋮﹂
﹂
﹁今、俺は父さんと言ったのか
﹂
﹁おぐりん、落ち着いて
﹂
﹁落ち着いているさ
!?
こみあげてくる感情を制御するすべを知らない。
﹂
﹁落ち着いてないよ
!
!
!?
!
2─7
982
それに、混乱していて気が回らなかったが、今の状況は異様にも程がある。
最初に密室化されたこの部屋にふらっと現れ、その不自然な有様を誰も怪しんでいな
い││、まず間違いなく、魂魄の能力で洗脳している。
高次元な爆弾も、彼が仕掛けたものならば手も足も出ないのも頷ける。
﹂
?
爆弾を仕掛けたのは誰
?
道理もなにも無い、これはただの八つ当たりだ。
ここからアリーナに出るまでに、敵性のISが一機いる。
なって逃げ出した。
なおも心配そうな本音は、潤を気にしながらも開いた穴から、周囲の生徒と一緒に
﹁うん、気をつけてね﹂
﹁本音、行ってくる﹂
り大穴を明けた。
迸るビーム光が壁の一部をグズグズに溶かし、自重に耐え切れなくなった壁はあっさ
ビームライフルを量子展開させると、男の言葉を信じて南口の方向へ銃口を向ける。
﹁アリーナ中央にいって、この騒動を起こした連中を懲らしめる﹂
﹁おぐりんは
﹁⋮⋮本音、南の壁を空ける。 避難を主導してくれ、生徒会メンバーとしての仕事だ﹂
983
2─7
984
こんな状況を作り出したのは誰
王
それとも全員
それら全てがテストにおいて良好な結果を収めており、機体も武装も順次開発が完
パイロット専用機も提供している。
それに、素性こそ隠しているものの腕だけは信用できるパイロット一人、そしてその
の、コア五つの価値はその不審を覆して余りある。
自分の成したい事を成すため組織を利用させろ、といった妙な動機こそ気になるもの
バーからは﹃L︵エル︶﹄と呼ばれ影響力を保持している。
五つのコアを手見上げに持ってきた男は、今では亡国機業の幹部の一人となり、メン
何せ正面戦力に用いることの出来るISコアが八個もあるのだ。
現在亡国機業は明らかな戦力過多である。
││││
唯一ついえるのは、これは自分のための戦いだというだけだ。
?
?
?
自分が怒っているのか誰に対して
リリム
?
あるいは全部かも知れない。
?
了、後は実戦データを取得するのを待つだけとなっていた。
そこでLの提案で、IS学園を強襲する事となった。
﹂
体を後ろに動かした。
﹁エルなのか
壁越しにISがフルフェイス越しに頭部をつかんでくる。
予感は正しかった。
然たる恐怖。
まるであの男に睨まれた時の様な、言い表すなら魂を鷲づかみにされたかのような純
たらしい。
通信越しに聞こえてくる声を聞くに、他の四機のISを用いているメンバーも気づい
!?
?
﹁まさかホントにエルまで来てんのか
﹂
声としか思えないものが脳に響き、全身を包み込むような悪寒に見舞われて、咄嗟に機
自分はまだ死ぬわけにはいかな││﹃本音、行ってくる﹄││突如声でなく、しかし
注入されているので命令以外の事をするわけにはいかない。
組織に対し従順ではないため、命令違反を起こさないよう体内に監視用ナノマシンが
彼女の専用機、サイレント・ゼフィルスを操りながら愚痴をこぼす。
﹁それにしても、織斑一夏とまったく会うことの無い場所を襲撃させられるとはな⋮⋮﹂
985
白と黒、特徴的な赤色のナノマシンから、エルとその男が連れてきたパイロットが標
的としているヒュペリオンだと分かった。
﹂
﹂
ビットで叩き落してやろうとも思ったが、更に推力が増し、耐えるので精一杯となる。
表示されていた。
スラスター出力は悲鳴を上げるほどの最大出力で、モニターには高負荷を表す警告が
いや、しかし、この力は以前のデータと明らかに違う。
アリーナ中央に向かって強引に押し込まれている。
サイレント・ゼフィルスは優秀な機体だが、ヒュペリオンはそれを上回っているのか、
突如もの凄い圧力のせいでブラックアウトしそうになった。
手負いの獣でもここまで獰猛ではない、そんな目を至近距離で見てしまう。
﹁くっ、小栗、潤か
!?
失せろ、この糞野郎ぉ
!
!
数こそヒュペリオンの半分程度しか積んでないサイレント・ゼフィルスだが、ビット
お互いビット兵器を用いるが、潤のビット適正は良くてB程度。
しかし、外に出たのは良い判断だとは思えない。
どうやらアリーナに出たらしい。
潤の声を最後に、視界が一気に開けた。
﹁失せろぉ
2─7
986
987
の扱いなら勝っている。
マドカ、仲間内からそう呼ばれている少女││まるで千冬の生き写しのような少女
は、極上の獲物を見つけて微笑んだ。 2│8
空中に浮遊する移動研究施設・ふゆーん、別名﹁吾輩は猫である2・名前はまだ無い﹂。
気の抜ける名前ではあるが、この施設に使われている技術に想像がつく科学者に見せ
れば、腰を抜かせるのは間違いない。
その浮遊型移動研究所で、モニターに映る子供達と、自分の干渉を一切受け付けない
異物を交互に見ている束博士がいた。
ケーブル類が、まるでジャングルに生息する蔦のような場所で何とか座る場所を確保
し、幾つものディスプレイを見比べている。
潤をIS用のカタパルトから射出するのを前後して、偶発的にIS学園に侵攻した組
織があるらしい。
紅椿を更なる高みに導くのに役立つかとデータ取りに精を出していたら、敵組織のI
Sの内四つがこちら側の干渉を完全に拒絶しているのに気づいた。
﹁製作者の束さんをはじくなんて、行儀の悪い子だね ⋮⋮はて、コアネットワークに
2─8
988
彼女が見つめる画面には、誰一人知りようも無いはずの、コアの詳細情報が写ってい
干渉できるのは私だけだし、いったいどうなっているのやら﹂
!
る。
おおぉ
これは、ついに始まったのかな
﹂
紅椿の稼働率はいまだに思わしくないが、急ぎの案件でもないので経験がつめればそ
おー
!?
!?
れでいい。
﹁おっ
?
そのコアが、今ありえないデータを博士に指し示している。
もいいと改めた。
験を乗り越えた以上は、末永く付き合ってやる事を前提にした付き合い方にしてやって
正直大事な人でもないので、死んだら死んだで別によかったが、こちらの仕掛けた試
それゆえ博士にとっての潤とは、千冬と同じくらい特別なオンリーワンである。
使い続けない限り状況が悪化する可能性大と見ている。
本当だったらこういうコアこそ妹の箒か、あるいは一夏に使って欲しいのだが、潤が
ワンとなった。
最初はただの数ある中で普通のコアだったが、潤が始めて使ったそのとき、オンリー
だ。
自分が作ったコア全てが彼女にとって愛すべき子供だが、ヒュペリオンのコアは別格
かせる。
ここ最近表示されっぱなしのヒュペリオンの情報画面、それを見ていた博士が目を輝
?
989
﹁最初は﹃怒り﹄か∼。 じゅんじゅんの性格を考えれば順当かな
ロ率は⋮⋮、││くるかな、セカンド・シフト﹂
ただ、このシンク
博士の画面に映っている潤は、敵性固体のISを全力でアリーナに押し出していた。
?
俺たちの学園から消えて無くなれ
﹂
頭が何時に無くクリアになっていき、信じられないくらいの怒気が機体を染め上げる
失せろ
﹂
!
ように迸って止まらない。
﹁どけ
こいつは
!?
!
内部装甲可変動フレキシブル機構は、起動面に関しては業界に一石を投じる程の最新
機構を採用している。
ヒュペリオンは超高速移動で発生する負荷を軽減させるため、装甲そのものに特殊な
しかし、最初に悲鳴をあげたのはマドカでも潤でもなく、ヒュペリオンだった。
肘でもって相手の手首をはじいて防御に使う。
左腕で相手のマニピュレーターを掴み取り、右手で好きなだけ殴りつけ、殴った腕の
当てて先読みに徹する。
ラウラ戦と同じく魂魄の能力の出し惜しみはせず、殆どの力を相手の思考解析に割り
アリーナに出た直後、ゼロ距離で二機のISが殴り合いを始めた。
!
!
﹁くっ⋮⋮この
2─8
990
技術だが、同時に装甲の間に無防備な隙間を生んでしまう。
それが災いして、攻め込んでいる側のヒュペリオンが真っ先に悲鳴を上げる結果と
なってしまった。
右腕から発せられる実体ダメージのアラームを聞き、冷や水をぶっかけられた潤が、
﹂
応答して
﹂
﹂
よそ見しないで
﹂
私と兄妹タッグだ、行くぞ
﹁どうしたのセシリア
﹁よし、潤
﹁ラウラ、隊列を乱さないでよ
﹁ざまぁないな、マドカ﹂
﹂
﹂
﹂
簪ちゃんが心配してるわよ﹂
自ら正体不明の機体から距離をとった。
無事だったの
連携してさっさと追い返すぞ
!?
﹁あら、潤くん何処いってたの
﹁潤、潤
﹁一夏よそ見するな
﹁⋮⋮見つけた、見つけた、見つけた﹂
﹁今度は潤と、⋮⋮蝶型ISか
?
﹁││そんな、まさか、BT二号機、サイレント・ゼフィルス
!
﹁よし、小栗が来たか
!
Fanatic Forceは戦場の流れを変える部隊だっ
!
!?
﹁情報以上の手ごわさだ。 油断するな﹂
!
!
?
!
!?
?
!?
991
!
2─8
992
たはずだ
戦線を切り開け
ええいっ、鬱陶しい
﹂
!
攻撃を加えてくることを
ビームが変幻自在に弧を描いて曲がり、銃口とまったく関係ない場所から好きなだけ
そして知る。
から次々ビームが飛来してくる。
しかし、それを意識する暇もなく、別々の場所、しかもビット兵器が存在しない箇所
一瞬前までヒュペリオンの居た箇所に一条のビームが過ぎ去っていく。
に包まれて、感覚どおりに機体を動かした。
全方位から冷たい眼差しで睨みつけられているような息苦しさ、包み込む冷たい感触
貫く。
円⋮⋮むしろ球形に近い状態で飛来するビットから殺気が放たれ、頭を電流となって
分散させて展開、円の中心に向けて一斉放射した。
そんな潤を見据えるマドカは、ビットに意識を集中させると、六機のビットを空中に
出た瞬間、あまりの喧しさに思わず怒鳴りそうになった潤を誰が責められようか。
う。
本来ならば聞こえないはずの通信まで脳波コントロールと魂魄の能力で拾ってしま
!
!
﹁これは、BT兵器のフレキシブル そんなこと⋮⋮。 現在の操縦者では、わたくし
﹁潤
﹂
上下左右、前後にわたって完璧に殺気の針が潤の全身を包み込む。
アから聞いていたが、まさかこんな場所で見ることが出来るとは。
ビット適正は稼働率が最大まで上がるとビーム自体も自在に操れるらしいとセシリ
るが、こんな芸当は出来ない。
潤のビット適正はBランク、稼働率こそ安定して八割以上と驚異的な数値を残してい
耳の片隅からセシリアの呆然とした声が入ってくる。
がBT適正の最高値のはず。 それが、どうして⋮⋮﹂
!?
この挙動はラウラ戦でも見られた、旧科学時代の産物、である旧ヒュペリオンと同じ
た装置は顎から顔全体を覆いだす。
脳波を正確に読み込むための装置が後ろ側の首を固定し後頭部へ、前側の首を固定し
その言葉は最後まで大気を震わせることは無かった。
﹁これは⋮⋮セカンド・シフ││﹂
弾のようになって、その前進を止められ次々と靄の様に消えていった。
ビームの光がヒュペリオンの全体を包み、ラウラお得意のAICに停止させられた銃
簪の絶叫を聞いた瞬間、頭の中で光が弾ける様な光景を見た。
!
993
である。
常々パワードスーツでの戦闘経験をISにフィードバックさせていた潤の癖をコア
が読み取り、より効率的にシステムを運用するために編み出したものかもしれない。
頭部収容直後、高い金属音が全身から響き、ナノマシンが全身の隙間という隙間から
噴出していく。
脚部から始まり、腰、肩と腋の装甲が開き、脚部付近から姿勢制御を補佐するアンロッ
ク・ユニットが量子展開。
腰から脚にかけて展開されたアンロック・ユニットに呼応するように、肩部アンロッ
ク・ユニットも装甲を開く。
しかし、潤にとって見慣れたヒュペリオンの可変装甲と、今のヒュペリオンは違う。
今までは機械的な設計に基づいて開いていた、そんな状態だったのが、もっとダイナ
ミックに、﹃開く﹄より﹃変形﹄といった言葉が相応しいぐらい装甲が変わっていく。
顔を覆っていた装甲が元に戻った時には、装甲の変形は終了していた。
その様変わりの仕方はまるで⋮⋮。
﹂
?
爆発は潤を狙っていたビットが破壊された音、それをマドカが知ったのはヒュペリオ
箒の唖然とした言葉、二度にわたる謎の爆発音、この二つがほぼ同時に鳴り響いた。
﹁紅椿の展開装甲に似ている
2─8
994
ンをロストした後だった。
潤の頭にセカンド・シフトしたヒュペリオンの、膨大なデータが流れ込んでいる。
可変装甲展開前の機体はそこまで変わっていない。
より洗礼されて、より機能的に、よりスマートな機体になったが、注目すべきは可変
装甲展開後の変化だ。
原型など留めておらず、最早別種の機体といっても信じられる。
ワンオフ・アビリティーは発現しなかった様だが、機動力の最大速度は同じくセカン
ド・シフトした白式の四倍も出せる。
通常機体からすれば六倍だ。
そのくせ、ファースト・シフトで感じていた、機体が殺しきれていない負荷と痛みが
まったく感じられない。
瞬時加速してビットを一機破壊、鋭角に曲がって即座に最大まで速度を上げてもう一
機破壊した。
し、再び最大速度の初速を出す。
人間の反射神経を大幅に上回る速度の初速でもって、制動距離ゼロで勢いを完全に殺
瞬間移動した、そんな笑い話のような幻想ではない。
﹁くっ、セカンド・シフト⋮⋮、可変装甲が、ここまで││﹂
995
その動きは消えたとした表現できないものだった。
を向けた。
早く片付けて、ほかの誰かの手助けをしなければ、そう考え目の前の蜘蛛型ISに目
ならない。
IS学園の生徒会長は最強であれ、会長である楯無は、会長に相応しい働きをせねば
囲から落ちていない。
蜘蛛型と、新型。この二人と比べれば幾分力量は落ちるが、それでも手強い相手の範
る所属不明機の四人組を抑えている。
近くでは一年の代表候補生たち五人が、それぞれラファール・リヴァイヴを用いてい
潤が心配だが、今は目の前の蜘蛛型ISを一夏と一緒に抑えなければならない。
相手に感心するが、潤の身体の方が心の大部分を占めていた。
あれだけの速度で押し込んでくる潤を相手に、よくもまああそこまで戦えるものだと
アンロック・ユニットを切り裂き優位性を確たるものにしていた。
潤は自分の優勢を確信して更に畳み掛けようとしたのか、ビーム・サーベルで相手の
明機を見て考える。
耐え切れるはずがない。 そう考える楯無は、整った眉を歪めて潤と、新しい所属不
﹁おかしいわね⋮⋮、あんな加速性能、普通なら⋮⋮﹂
2─8
996
痛まない、苦しくない、身体が思ったとおり、いや、それ以上に動く。
これは、絶世期の自分が、パワードスーツを着ていた時と同じくらいの感覚だ。
ビットの操作に集中する暇を与えることもなく、あらゆる束縛から解放されたヒュペ
リオンは、ありえない速度で飛び掛かってマドカを翻弄している。
これでもマドカはかなり善戦している方だ。
今の潤の相手を、ラファール・リヴァイヴを用いている四人の誰かがやっていたら、決
着はものの数合で付いていただろう。
ビーム・サーベルで一度斬りつけてから距離を取ると、操作から意識が外れ宙を漂う
だけのビットを破壊し、再びマドカの背後に回った。
いかにISのセンサーが優れていようとも、そのセンサーを通して相手を確認するの
は人間だ。
意識出来ないほど速く動けばロストする。
見惚れるほどに速く機体を捕らえきれず、目はともかく、それを命令する意思よりも、
なお潤が速い。
あまりに速すぎて、意識がスローになっていき、煌く赤があまりに美しく見え、マド
﹁はぁっ﹂
997
カは溜息を漏らした。
まるで時間の方がゆっくりになったようだ。
忘我の境でビーム・サーベルを何とか回避、驚愕の表情を浮かべる潤を見て、少しや
り返せた事を実感する。
まだやれる、マドカの心が奮い立つ。
スターブレイカーの銃剣では取り回しが悪すぎて駄目だ、ナイフを躍らせ、至近距離
で狙いも覚束ない射撃を繰り返す。
持てる限りの技量を尽くすが、それでも追いつかない。
突けばかわされて、払えば受け止められ、銃撃すれば悉く火線から回避され、逆にス
﹂
ターブレイカーが破壊され││回避しようも無い崩れた体勢を晒してしまった。
!
潤はビーム・サーベルを突き立てて勝利を掴み取るべく、姿勢を崩したマドカに急速
る以上、一対一では逃げ切れるわけがない。
後方に瞬時加速して一人だけIS学園から離脱するコースを進むが、速度で劣ってい
上がり、つい笑ってしまった。
今のお前にとって﹃遅くない﹄と言える奴がいるものか、どうでもいい考えが浮かび
忘我の中で、潤の声を聞く。
﹁遅い
2─8
998
接近する。
が、
││私の仲間は誰一人やらせない
ISでの戦闘がスポーツと同義な世界において、久しく感じていなかった強烈な殺気
と、自分に向けられた敵意、頭に直接響く声を察知し、トドメをさせる筈だったサイレ
ント・ゼフィルスにから離れて急速回避運動を始める。
その場から離れたのとほぼ同時に、ヒュペリオンが居た場所に雨あられとビームの奔
流が通り過ぎた。
降り注ぐ雹のごとく襲い掛かるビームを避けながら、上空から接近する異質な意志を
感じ取る。
潤が抱いていた闇とは違った異質な闇が、ダイレクトに魂を揺さぶった。
﹂
体制を整えるために楯無と潤は合流、狙撃が原因で地に伏せる一夏達を庇う立ち位置
制圧狙撃を回避できたのは、潤を除けば楯無のみ。
抜け出ることに成功した。
超長距離狙撃が襲い、間を空けることに成功した襲撃機が上空に集まって、乱戦から
更に乱戦状態だったIS、その中からIS学園側の生徒だけを正確に狙撃している。
﹁みんな、避けろぉ
!
999
﹂
ミステリアス・レイディのセンサーには引っかからないけど⋮⋮﹂
を確保する。
﹁狙撃
同類か
!?
はじかれた。
﹁ビーム・シールド
﹂
﹂
﹁馬鹿な、何故シックザールが
に別人か
﹂
マッドマックス 生きていたのか
﹂
いや、さすが
!?
?
その光景を見た潤は、心底恐怖した。
変形させながら接近していた。
箒が呆然と呟いた様に、紅椿の展開装甲と同じ構造をしている正体不明機が、装甲を
!?
ゆらゆら動いて対狙撃制動を行いつつ、潤の放ったビームが目に見えないシールドに
上空から黒い機体が落ちてきている。
見て上空を見た楯無も、ようやく敵の姿を確認した。
ビーム・ライフルの出力を最大まで上げ、同類の感覚を探して狙撃し返す、その姿を
通信越しにその言葉を聞いて、千冬がブルっと身体を振るわせた。
﹁言葉が直接頭に││
?
?
﹁││シックザール、マッドマックス⋮⋮
!?
!?
?
?
﹁そんな、⋮⋮展開装甲だと
2─8
1000
シックザール、それは潤が死力を尽くして戦った、かつての盟友の機体。
超長距離超広範囲包囲殲滅用パワードスーツ、それと酷似した黒い機体の装甲が開
き、全体が変形していき││アンロック・ユニットから複数のビームを同時に射出した。
その数百以上。
﹂
﹁どこに撃って││﹂
﹁全員、回避ぃ
﹂
!?
﹁きゃああぁ
くそっ
﹂
﹁シャルロット
﹁すまない﹂
ラウラ、シャルロットについてやれ﹂
ほど上手く、百近いビームを別々の角度で、三度にわたる反射を行っていた。
元シックザールのパイロット、マッドマックスはこの反射射撃の制御が考えられない
そして、その反射角度はパイロットによって調節できる。
そう、空間に特殊な力場を形成した上で反射して攻撃する。
﹁反射した
シックザールの攻撃は非常に特殊で、肩にある砲門から複数のビームを射出し││。
邪悪なものを感じ取って、感情の赴くままにヒュペリオンに回避行動を取らせた。
!
!?
!
シャルロットに二十近いビームが集中し、シールドを一瞬にして粉砕。
!
1001
機能停止に追い込まれた。
残りの八十はヒュペリオンとミステリアス・レイディに集中され、回避の間に合わな
かったミステリアス・レイディの装甲がガリガリ削られていく。
水の膜を張って防御するが、その防御を突き破ってなお強力なビームは世代差を感じ
させるものだった。
中距離での不利を悟り、被弾する会長から目を逸らさせるためにも、潤が前へ出る。
﹂
シックザールも潤が前へ出て、何をしようとしているのか理解し、シールド状だった
アームド・アームのようなものか
﹂
マッドマックスじゃないのか
!
両手からビームを発し、迎撃の体勢をとった。
﹁ビーム・クロー
││女
!?
だが、シックザールの本領は単機での包囲殲滅。
出来た。
しかし、かつての仇敵が操っているわけではないことが分かると、ほんの少し余裕が
けた。
靄がかかって見通すことが出来ない真っ黒な心が、潤の心を息苦しくなるほど締め付
?
シックザールを操る少女が絶叫をあげて斬りかかる。
!
!
﹁あ、ぁぁ、アアああああ
2─8
1002
再びアンロック・ユニットから、今度は二百近いビームが射出され、その光景を見た
楯無は、素直に恐怖した。
﹂
!
﹁くそ
倒しきれん
﹂
﹂
!
る意志は体を成している。
装甲越しに感じる奇声に、狂っているのかとも思うものの、魂を通じて語りかけてく
﹁あう、ぃぃああア
!
!
その傍に、何故かボロ雑巾になったシャルロットには気が回っていなかったが。
回避しきるしかない。
以前ならば当たれば死んでいたのだ。
それも必然。
時加速を細かく行い、当たることも無く回避しきる。
肩、腰、頭、両手、両足、狙いを直前に察し、時にクルクル回り、時に前後左右に瞬
これが二度目の戦い、前回より弱体化しているとはいえ、相手も前回より弱い。
潤は回避していく。
まさに弾雨が襲うがごとく。
﹁くそっ、何故そこまでシャルロットを執拗に狙う
﹁マッドマックスでは、無いとは言え││これは⋮⋮﹂
1003
しかし、それより更に問題なのは、可変装甲を開いた状態のヒュペリオン、ダウンロー
ドして上がった能力、その二つをフル活用している潤を弾き返したことだ。
奴の気に惑わされているのか、と不甲斐ない自分を奮起させ尚も接近戦を試みようと
したとき、目の前で小規模な爆発が起こり、不意にシックザールが吹き飛ばされ、つい
でビームが襲った。
﹁私を忘れちゃ、ダ・メ﹂
﹁前に出すぎているわ、一旦引きなさい﹂
敵機を襲った弾丸は不可視の弾丸は甲龍のもの、ビームを用いたのはセシリア、小規
﹁鈴、会長⋮⋮﹂
模の爆発は会長がやったらしい。
一夏は箒の傍に寄って何かを話している。
おそらく絢爛舞踏でのエネルギー補給についてだろう。
シャルロットは戦闘不能。
ラウラはその護衛。
迎撃態勢は再度整ったものの、マドカが残っていたシールド・ビットでセシリアの攻
撃を防いで、襲撃側の体勢も整っている。
﹁⋮⋮ディー、おめぇは後詰だろうが、勝手に出てくんな。 いや、丁度いいのか⋮⋮。
2─8
1004
ディー、殿だ。 撤退する
﹂
!?
﹂
﹂
﹂
?
動けなくなった人員を無視するわけにもいかず、第二波が来ないという確証もない。
ル・リヴァイヴ・カスタムⅡ。
エネルギー切れの白式と紅椿、実態ダメージの酷いミステリアス・レイディ、ラファー
アーズ、ヒュペリオン、シュウァルツェア・レーゲン
逃げていく機体は七、IS学園の保有戦力で追撃可能な機体は、甲龍、ブルー・ティ
理ね﹂
﹁私とセシリアはまだ余裕があるけど、追撃に使えるのがラウラと潤を合わせて四人、無
﹁気を失っている。 命に別状は無いはずだ﹂
ダメージが酷いから。 シャルロットちゃんの容態は
﹁そうね。 白式、紅椿はエネルギー切れ、リヴァイブとミステリアス・レイディは実態
﹁⋮⋮追撃に用いることが出来る戦力が少ない。 相手に予備戦力があれば壊滅する﹂
﹁潤、追わないのか
第四世代仕様のシックザールを最後尾にし、襲撃してきたISが順次去っていく。
要だな﹂
﹁大丈夫だ、まだ自力で飛行できる。 だが、ヒュペリオンの対策は根本から見直しが必
?
!
﹁エム、損傷が酷い。 大丈夫か
1005
バラバラになって逃げていたのならヒュペリオンでの単独行動も出来たろうが、まと
まった逃げた以上追撃も難しい。
アリーナに居る全員のセンサーから敵機の反応が消えるまで待機していたが、反応が
消えたことで、一人、また一人とISを量子格納した。
最後まで相手の長距離狙撃を警戒していた潤も、シックザールを操っていた少女の気
配が完全になくなった時点でISを解除し││そのまま立ちすくむようにして⋮⋮。
応答⋮⋮﹂
身を捩りたくなる苦痛に、簡単に意識を手放した。
﹁⋮⋮おう、⋮⋮ちか
﹁謙遜するな。 怪我人はいるか
一夏が一度周囲を見渡す。
﹂
だ。 緊急時の指揮官として感謝したい﹂
﹁更識か。 通信不能状態に陥った中で、あれだけ早く迎撃チームを編成したのは流石
﹁織斑先生﹂
﹁ああ、映像も回復したようだな。 こちらも聞こえている﹂
﹁おおっ、通信が回復し始めた。 千冬姉、大丈夫。 聞こえてるよ﹂
!
?
﹁いえ、戦果はめっきりでして﹂
2─8
1006
楯無も同様の事をしていたのか、手で合図を送ったり、首を揺らしたりする全員を視
認して、返答は彼女が行った。
﹂
?
﹂
!
楯無が危険だと思ったあれは、やはり危険な諸刃の剣だったということだ。
思い当たる問題は、やっぱりあの超機動だろうな。 と判断。
しており、呼吸も脈と同じく浅く、速い。
脈は⋮⋮、この調子なら一分間で大体百六十∼百七十、明らかかに正常の範囲を逸脱
﹁黙って
﹁お姉ちゃん、皆の前で何やってるの。 速く離れ││﹂
小刻みに身体が震え、時折痙攣らしきもので身体が大きく揺れる。
体温が異常に高い。
が真っ白になった。
胸に埋まる様に寄りかかったので、思わずそんな声が出てしまったが、抱きとめて頭
﹁やん、えっち﹂
すると、バランスを崩した潤は、二、三度前後に揺れると、楯無に倒れ掛かった。
楯無が目を開け、ボーっとしている潤の肩を軽く叩いて確認する。
も大丈夫よね
﹁シャルロットちゃんが意識不明ですが、ラウラちゃんは命に別状がないと。 潤くん
1007
﹁お姉ちゃん、何かあったの
﹂
﹁簪ちゃん、そこにいる先生方の誰かに頼んで酸素吸引機と念のためAED用意しても
?
?
﹂
?
題なのか
﹂
﹁うん、持ってる﹂
潤が妹の専用機開発に携わっているのは、勿論知っている。
﹂
あの機動が問
?
﹁そう、ね⋮⋮。 簪ちゃん、ヒュペリオンのデータ閲覧の権限持ってる
?
つものならば見ることは出来る。
専用機のデータは基本的に他人が見られないような処置が施されているが、権限を持
?
﹁いいぞ。 よし、これで担架を待つだけだな。 それで、どうなんだ
﹁ゆっくり膝を地面に付けて、⋮⋮そう、いい感じ。 次に、慎重に横にさせるわよ﹂
﹁分かった﹂
﹁ラウラちゃん、潤くんを寝かせるから足を動かしてくれない
一夏が走り去って行ったのを視界の隅で確認すると、ラウラのほうに目を向ける。
!
﹂
らって。 一夏くん、君は担架を二つ持ってくる、いいわね﹂
﹂
﹁えっと、潤がどうかしたの
今は走る
﹁報告は後
!
﹂
﹁は、はい
!
2─8
1008
これは整備が機業や国の関連者のみがするのではなく、IS学園の生徒が行うことが
あるといった事実が関係している。
そのため、ヒュペリオンのデータ閲覧権限を、簪が持っているかと思ったら、やはり
持っていたらしい。
さてさて、とヒュペリオンが可変装甲を展開した後のデータを見た瞬間、現在の様態
を説明できる項目が、簡単に見つかってしまった。
﹂
そのあんまりなデータに、目の前で倒れている人が居るのに思わず笑ってしまった。
﹁何がおかしい
それって⋮⋮﹂
?
話しをしながらも楯無のタイピング速度は全く落ちない。
体中が骨折する、と後遺症が残っての話だ。
アメリカで二十Gほどを耐えた記録だけは残っているが、それは眼球やら飛び出て、
﹁そ、そうですね﹂
くちゃいけないわよ。 下手したらこうなってたわ﹂
﹁精密検査確定ね。 箒ちゃんは、お姉さんがしっかり開発してくれたことに感謝にな
﹁じゅ、十二
Gはかかっているわね。 勿論操縦者保護機能越しの話よ﹂
﹁いや、だって、十二Gよ、十二G。 あの切り替えし時の最大Gが十二、平均で常時九
?
1009
2─8
1010
十二Gもの壮絶な負荷がかかっているにも関わらず、全く苦しみの表情を見せずに戦
えたのかが気になる。
そうして、楯無はセカンド・シフトして現れた、ヒュペリオンの考えられない変化を
見つける。
なんと言い表せばいいのか、順を追って説明していくと、ヒュペリオンの可変装甲が
展開された瞬間から、機体は脳波コントロールから得られる人間の思考を電磁波として
捉え、その電磁波を吸収するシステムが強制起動してしまうらしい。
その電磁波から闘志や殺気などを識別すると、同時に受信した機動イメージを、具体
的に機動で表現するよう動く。
通常ならISの操縦は﹃思考↓人間↓機体﹄の順でシステムの流れが行われ、同じよ
うな順で機動を行う。
しかしヒュペリオンは、人間、機体、コアがほぼ同時に機動を関与する。
つまり、思考と同タイミングで動くので、体より先に機体が動き出すのだ。
可変装甲展開中のパイロットは感情を放出するマシーンとなり、機械によって動かさ
れるパーツと成り下がる。
そして、放出された感情は自分に帰ってこず、機械に処理されて無くなってしまうか
ら、そこに人間の限界など一部の余地も入らない。
人間が限界だ、と思うところで力を抜くことが起こりえないので、その場合の上限と
は機体の限界になる。
痛みも苦しみも関係なく、戦う意志に則り、機械の限界まで機動力を高めて戦うから、
人間の限界は簡単に追い越してしまう。
そして、機体限界までつりあがった痛みは、可変装甲展開終了時に搭乗者に一気に降
りかかる。
だから戦闘終了後、ヒュペリオン格納後に気絶したのだろう。
に向け、どんな説明をすればいいやら考え、この有様にため息をついた。
心配そうに楯無の動向を見つめるラウラ、画面の向こう側で心配しているであろう妹
そのため人を利用するなんて⋮⋮。 ちょっと怖いわね﹂
﹁なにこの欠陥品。 機械が人間を機械のように扱って、まるで人間みたいに動く。 1011
2│3 強化人間 │ブーステッドマン│
ティー機 時に機動に制限を加えることで、急速な方向転換の際に生じる負荷を軽減させるセーフ
潤が精密検査をしている間、現状の仕様を重く見た楯無と千冬が可変装甲の展開と同
勿論気付きようもない。
吸収しているなんて気付かなかった。
もしくは さか限界を超えるほどの苦痛が身体に回っており、ヒュペリオンが強引にそれを遮断、
ヒュペリオンを解除した瞬間、テレビの電源を切るかのごとく意識が途切れたが、ま
て偉大なのだろうとお気楽なことを考えている。
元々軽金属の類だったバリウムがバナナ味に改造されているなんて、科学の力はなん
実施した結果、どうでもいい知識を習得した潤。
精密検査のために強制的に千冬から入院させられ、様々な細密検査をまる一日かけて
今日も元気だ、バリウムが美味い。
3│1
3─1
1012
能を開発し、当然勝手に搭載した。
方向転換時に二テンポ程遅れるが、負荷が十Gまで軽減できるといったものだ。
それでもなお、人間の限界を超えたGがかかっているので、システムの起動限界は五
分が限度、それ以上の使用は厳禁とのこと。
ヒュペリオン最大の武器である機動力に障害を作られ、感情の高ぶりで勝手に起動す
るなど制御の難しい可変装甲に、なお制限時間まで設けられるなんて中々に横暴だっ
た。
変形中は痛みを感じないし、
﹃死な安﹄という格言もある、制限など必要でないので解
除を。 と説明したら、千冬は﹃こいつはもう⋮⋮﹄と呆れ顔に、楯無は引き攣った笑
みを浮 かべた。
簪はというと、涙を目じりに貯め、今まで見たこともない憤怒の表情を浮かべ、思い
きり平手打ちをしてきた。
結局潤が何を言おうとも、涙目になりながらも、何時ものおどおどした弱気な態度な
どかけらも見せず││
﹁提案は却下されました﹂
﹁駄目﹂
1013
﹁駄目﹂
一夏と話していると、眠たそうなジト目をしている、いつも通りの本音がやってきた。
だ。
かったの 再生機能を参考にしているようで、同じく生体再生機能が存在する一夏のデータがほし
どうやらシステムの大本が、旧科学時代のパワードスーツと、束博士が追加した生体
食を取っている間に、一夏と意見交換する。
お見舞いに訪れた一組の面々と、陸上部の面々、結構な人数の生徒と病院の食堂で夕
オートヒールとでも言えば聞こえがいいだろう。
高負荷に晒され、小さな怪我を負った身体を元に戻す機能で、ゲーム風に表すなら
た結果、新たに追加されたシステムを見つけた。
フトし いるので非常に暇だったので、自分しか閲覧できない領域をチェック中に、セカンド・シ
固定が難しく、暴力的な負荷にさらされた両手両足の各関節が、剥離骨折を起こして
そんな姿勢に根負けし、結局ヒュペリオンには制限がかけられることになった。
とエンドレス全否定を繰り返してシステムの追加を強制する簪。
﹁提案は却下されました﹂
3─1
1014
﹂
キョロキョロ周囲を見渡した後、潤の姿を発見するとパタパタ走ってきた。
﹁おぐりん、何してるの
﹁食事﹂
﹁違うよ。 剥離骨折してるんだから、ベッドで安静に、って言われてたよね
?
前回同様護衛の難しさの観点から、怪我は治っていないが明日退院する。
さて⋮⋮散々目をそらしていたが、そろそろ考えねばならないな。
﹂
ど意味不明の持論を展開し始めた潤に呆れた一同は、誰も潤を助けようとしなかった。
剥離骨折を折れていないから怪我じゃないと言い張り、命はもっと粗末に扱うべきな
怪我で踏ん張れない潤の襟首を掴むと、ズルズル病室まで連行していった。
何を言っても中々治らない、潤の怪我に対する軽視に、彼女も怒っているらしかった。
いきなり本音に殴られた。 しかも、グーで。
﹁命はもっと粗末に扱うべきなのだ。 命は丁寧に扱いすぎると、よどm││││﹂
﹁⋮⋮ダメだコレ﹂
かに痛いが、ただ痛いだけだ。 直ぐに慣れる﹂
﹁本音、剥離というのは折れていないから骨折ではない。 つまり、怪我じゃない。 確
?
1015
3─1
1016
寝床で天井を見上げながら考えていた。
シックザールを操る少女、潤の中では狂犬と名前すら決めている。
あの機体は、マッドマックスというセシリアに語った潤の盟友にして、最後の最後で
敵対しヒュペリオンと死闘を演じた仇敵の機体。
D.E.L.E.T.E.無き今、どうやれば倒せるのだろうか。
遠距離攻撃はあれには通じない。
接近戦は奴の機体の特性上、可能なのは千冬か潤のみ。
ISである以上エネルギー切れを起こさせるため多数で包囲し時間を稼ぐのが得策
だが⋮⋮、国家代表クラスを集められるだろうか
無理だ。
また王様がくだらない考えを起こして介入してきた、と意見の一致はあったものの、
ない。
千冬から個人的に、あれがこの世界にいる理由を尋ねられたが潤にはまったく覚えが
考えるべき事はまだある。
ならない。
しかも、前世界の情報のみでなく、プラスαの能力を持っている可能性を考慮せねば
昔出来たことがこの世界で出来なくなっているとは考えにくい。
?
それによって彼が何を手にするのかさっぱり分からない。
理解可能な人間でないことは重々承知だが、今回もまた理解しがたい。
最終局面で狂犬が現れなければ、最低一人から完全勝利が得られ、捕縛することもで
きたはず。
⋮⋮いや、理解できない事を延々考えても仕方が無いか。
あの狂犬の感情。
あれは、紛れも無い﹃憎しみ﹄の感情だった。
問題は、その感情が潤以外に何故かシャルロットに向いていたような気がしたのだ。
脅威の度合いにおいて一番低かったシャルロットが、何故か一番被弾している。
何故シャルロットなのか。
今考えている潤が、魂魄の能力者に狙われるなら理解できる。
しかし、何故⋮⋮。
そして、結論は出ないまま翌日を迎え、午前中に少しばかり最終検査を終えた後││、
すぐさま一瞬で会長に捕まった。
﹂
病院を出て直ぐに、会長が乗っていた黒塗りの外車に拾われた。
当然運転手は別に居る。
﹁⋮⋮授業はどうしたんです
?
1017
﹂
﹁あれだけのことが学園で起こって直ぐに普通には戻れないでしょ
で合意しているわよん﹂
﹁それで都心に向かっているようですが、何処に行くんです
後始末ってこと
?
パトリア・グループ株主総会後の、晩餐会への招待状がそれの正体だった。
金縁の上質な紙を受け取る。
﹁六本木のホテル。 はい、これが招待状だからなくさないでね﹂
?
私が
﹂
こんなんに参加したら最後、演説の具にされ、シッチャカメッチャカにされる未来し
か見えない。
﹁参加するんですか
?
会長だから、逃げようにも逃げられないわよ﹂
?
せるわよ﹂
﹁安静にしていろ、と言われて安静にしているとは思えないし、みっちり身体だけは休ま
﹁会長云々はしょうがないとしまして、休まないとは
﹂
﹁勿論。 こうでもしないと潤くん休まないじゃない。 それと名目上は来年度の生徒
?
﹁所で喋っちゃいけないことを喋るほど迂闊じゃないと思うけど、本当にだけなことだ
休めるわけ無いじゃないか。
﹁⋮⋮ははは、はは、は││。 嘘だろ﹂
3─1
1018
けリストアップしたから見といてね﹂
﹂
?
﹂
?
ネクタイを緩め、皺になったら困る上着だけ脱ぎ捨ててベッドに寝転がる。
﹁はああぁぁぁ⋮⋮、毒ガスはもう沢山だ。 いい空気を吸いたい﹂
│││
早速パラパラ用紙をめくりだした潤を、楯無は静かに観察していた。
﹁⋮⋮持つかなぁ、精神﹂
ある学園長や学年主任らか招待されているのよ。 私は生徒会長としての出席ね﹂
﹁ええ、護衛としてね。 それと、パトリア社の製品を仕入れたから、IS学園関係者で
﹁会長も参加するんですか
﹁私がドレスを選んでいる間に、最低限マークされている箇所だけは読み終えてね﹂
いの量だ。
この厚さは、最初期に真耶から頂いた﹃IS機動におけるルールブック﹄の半分くら
二百枚くらいか、と思ったら両面印刷になっていた。
﹁お姉さん特性の解説付き一覧表よ﹂
﹁⋮⋮これ、文庫本ですか
1019
3─1
1020
楯無がレンタルしたドレスは煌びやかで美しく、彼女にとても似合っていた。
ただただサイズが合えばいいといったレベルで選ばれた潤のスーツとは大違いだ。
が、それのせいでとても苦労した。
更識家は後見人になっているのは周知の事実、その長たる楯無を連れ添い、何処に出
しても可笑しくない紳士として振舞う潤がとてもお似合いに見えたらしい。
冷やかしに、潤を日本よりにしたい人たちからの警告に、ロシア寄りしたいらしい参
加者に。
礼儀作法もほれぼれするほど美しく、パーティーマナーとして、柔らかい笑みを浮か
べていた潤を、楯無ごと囲うように人が集まった。
もうこうなると誰が主賓だか分からない。
﹁パトリア・グループ、フィンランド本社、社長よりご挨拶を││﹂
本社の社長から始まったお決まりの開会式終了後も人の波は尽きなかった。
社長の演説において、ヒュペリオンのセカンド・シフトが認められたことが発表され、
潤自身も即席のスピーチをするはめになった。
楯無が止めに入るかと期待した潤だったが、行ってこいと言わんばかりの視線を見て
諦めるしかなかった。
そこでも潤は全く失点らしい失点を出さなかった。
コレで晩餐会参加者の潤に対する評価は、最上級レベルで固定されてしまったらし
い。
王族さえも出席する晩餐会に参加した、国を代表する指揮官だったのだから旧関係者
ならば納得だろうが、そんなことをこの晩餐会に参加している面々が知るはずが無い。
楯無は、ただただそれを静かに観察していた。
先ほど渡したレポート、その禁句に触れそうな情報のみを上手く交わしながら、古狸
たちと渡り合う潤の姿を。
︶
?
︵⋮⋮金目当てかな
比較的まともだな︶
﹂
その中で生徒会長になるのはもっと大変だと思いま
どう思っていらっしゃるの
﹁女性社会の中で大変でしょう
すわよ
?
︵女の特権の学園で、男が頂点になるのが嫌、と。 もう少し隠す努力をだな⋮⋮︶
?
?
?
⋮⋮﹂
﹁一学期のトーナメント、拝見させていただきました。 ところで、我が社の製品を一度
︵美人局待ちの魔境に押し込むみたいのか
﹁是非、我が社にも一度足を運んでいただきたいくらいですな﹂
1021
まるで戦場だ。
潤の精神はストレスのオールレンジ攻撃を受けている。
それゆえに、晩餐会が終了の時間になったときには、あまりの嬉しさに我先に会場を
後にした。
面目上、最近カレワラのレポートやら、副会長としての仕事やら、先日の事件の疲れ
を前面に押し出した。
そして、部屋に入って最初の一言が││
そうして暫く身体というより心を休ませていると、事前に楯無と取り決めたリズムで
﹃はああぁぁぁ⋮⋮、毒ガスはもう沢山だ。 いい空気を吸いたい﹄だった。
ドアがノックされた。
﹁どうも、こんばんは﹂
﹁お疲れ、潤くん。 ちょっといいかしら﹂
部屋の奥の椅子に座った楯無は、いきなりミステリアス・レイディのナノマシンを散
チェックを最低限に部屋に戻った。
お 決 ま り の 様 に 廊 下 を 確 認 し た も の の、楯 無 の 能 力 を あ る 程 度 評 価 し て い る 潤 は、
自然なしぐさで楯無を部屋に招き入れる。
﹁ええ﹂
3─1
1022
布し始めた。
聞かれたら相当拙い話をするのかと思い、潤が姿勢を正した。
﹂
﹁よし、盗聴器やら隠しカメラの類は無いわね。 とりあえず、シャンパンを一杯どう
どうせ料理の味なんて分からなかったでしょ
開いた。
暫くして意を決した楯無は、一度大きく深呼吸をすると、しっかり潤の目を見て口を
口に出すのを迷っているのだけがはっきり分かる。
決心が要る何か。
何かを言いよどんでいるようだ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
いた。
そのまま、しばらく相手のコップに注いだり、注がれたりする音だけが場を支配して
ただろうが。
もっとも、口に物を入れたとしても楯無の行ったとおり、味など楽しむ余裕は無かっ
無かった。
話に集中するため、またひっきりなしに人が押し寄せてくるので食事を口にする暇も
﹁是非﹂
?
?
1023
﹁潤くん、貴方は、何者なの
﹂
部の人間、後見人であり、簪の姉であり、本音の主人。
?
││仕方ない。 死中に活を求めるか。
さあ、会談を始めよう。
何処まで話していいのか、何処から話しちゃいけないのか。
シックザールの件もある。
出来れば、不和の種はまきたくない。
﹂
排除するにも相手はこちらが最も不得手とする水を使う人間で、相応の実力を持つ暗
さて、どうしたものか。
なる程、ある程度、情報を手に入れているらしい。
真剣な楯無の眼差し。
はたして、この質問は、如何なるものなのだろうか。
﹁ふざけないで﹂
長目、ヒト上科、ヒト科、ヒト属、ヒト︵種︶であることだけは保障しますよ﹂
﹁さてさて、何が聞きたいのか知りませんが、とあえず動物界、脊椎動物門、哺乳綱、霊
?
﹁その質問に答える前に、正直に一つだけ答えていただけませんか
3─1
1024
3│2
明らかな嘘をつくようなら覚悟してもらうわ﹂
﹁さては余程のものを掴んだようですね。 で、その切欠となった情報はなんです
﹁││││﹂
?
⋮⋮この戸惑いは、同情しているのか
?
しかし、楯無が変わらない顔色の裏で今抱いている感情は⋮⋮。
見た目ほど潤を自分のテリトリーから押し出そうと思っていない。
ら、直ぐにでも分かる。
これは││怒ってはいない、怒りならば潤にとって分かりやすく馴染み深い感情だか
なんだ。
﹂
から忍びないけど、当主の私にとって一番大事なのは更識家を守ることなの。 ここで
﹁簪ちゃんとは引離す、監視や盗聴などは再開させてもらうわ。 簪ちゃんの件もある
﹁⋮⋮﹂
止める事すら視野に入れているわ﹂
﹁答えるのはいいけど、自分の立場をちゃんと弁えてね。 私はね、あなたを庇うことを
1025
千冬はありえないと判断、博士はもっとありえないと判断。
なんなんだかなぁ。
ないわ﹂
﹁はじめに言っておくけど、出てきたものは、まあショッキングだったけどそこまでじゃ
﹁出てきたもの、ね﹂
﹁問題なのは、あれ程の物を作れる程の強大な組織が、私が血眼になってもまったく尻尾
を出さないことなのよ﹂
まあ、組織の大本が異世界にあるなんて誰も知りようも無い。
何が出てこようが、楯無が全てを知ることは出来ない。
千冬のようなケースでなければありえない。
出てきたというニュアンスから、身体の調査から得たということ線が一番だが、簡単
﹂
に採取できるような物はなかったと把握している。
﹁で、何が出てきたんです
﹁なんで潤くんの方が興味津々なのよ﹂
?
楯無からカルテを受け取る。
と思っているので、何が出てきたのか、私も知りたい﹂
﹁身体をいじくられた事を認めますけど、そんな雑な後始末をするような連中じゃない
3─2
1026
紙をざっと見て、正直、潤本人も始めて知ったことが列挙されていた。
血中に存在するナノマシン。
老化の遅延化、それによる身体能力低下の防止、全身活性化による身体能力の微増、毒
物、薬物、病気に関する耐性強化、怪我などの早期回復の手助けなどなど⋮⋮。
ペストでもインフルエンザでも、エイズだろうとこのナノマシン単体で回復可能らし
い。
これは、医療ナノマシンとして学会で発表できたのなら、ノーベル賞の受賞は確定的
だ。
他にもトーナメント時の入院中に、口腔粘膜細胞やら、精液やら回収されていたらし
い。
硬くなくても出せるらしいし、骨盤が折れたわけじゃないから、前立腺辺りを電気
ショックで刺激すればいけるのか。
自分が逆の立場でも色々採取すると思い、その話題は隅に流す。
﹂
?
﹁知っていますけど﹂
﹁⋮⋮私はね、私の専用機、ミステリアス・レイディを自分自身で作ったのよ﹂
あの質問ですか
﹁まあ、画期的ですけど、ドイツでも似たような事をしているはずですが。 これだけで
1027
﹁だから、ナノマシンに関しての知識は世界でも最上級クラスである自負があるの﹂
﹂
?
このナノマシンは潤の身体の信号圏から離脱し、もう一度潤の身体に戻した場合も自
そして、移植実験をした後判明した、更に凄まじい真実。
視しているのだから、神の領域へ手をかけているといっていいだろう。
脅威のテクノロジーを含んだ、いや、エントロピーやら質量保存の法則やら完全に無
植すると勝手に自壊するのだ。
それだけでも驚きであり、かつ、幾らでも移植可能と思うだろうが、他人の血液に移
り、ある割合より数が少なくなるとなんと勝手に増殖する。
このナノマシンは血中に一定数存在し、互いに信号を出し合って全体数を管理してお
が出来ないということだ。
とある実験で判明したことだが、言ってしまえばこのナノマシンはどうやっても移植
いった微妙な瞬間のみ潤の顔が引きつった。
受け取った第二の資料に目を通したときに、ほんの一瞬、楯無が気付けるか否かと
実際は潤も何も知らないのだが。
とぼけられていると思っているのか、若干楯無は荒立っているようだ。
楯無が追加のレポートを押し付けるように潤に手渡す。
﹁このナノマシン、そんなに凄い代物なんですか
3─2
1028
1029
壊する。
ということは、どうやってこのナノマシンを潤の血中に注入したのだろうか
コレが一番危険性が無く、自壊の心配も無く、体中にナノマシンを散布できる。
に送り込む。
三、心臓付近にナノマシン製造機を直接結合させ、新品のナノマシン入り血液を体中
なお、その理由はレポート数十枚規模のロジックが生まれるため割愛。
果から、その可能性は極めて低いらしい。
NO、提唱された当初一番可能性が高かった案だが、ナノマシンの詳細な解析結
が認知した血液コミュニティでは自壊を食い止められる。
二、親ナノマシンなるものが存在し、その親ナノマシンが潤の血液を認知し、その親
NO、それらしき金属物質は潤の体内に存在しない。
潤の身体に埋め込んで最初からコミュニティを作成してあげればいい。
一、ナノマシンコミュニティの信号から離れたら自壊するとなれば、信号の発生機を
考えられる可能性は四つ。
にナノマシンを含んだ血液を混ぜたら、これまた自壊したほどの代物。
もしかして最初の一定数は自壊処理が走らないと思って、ナノマシンゼロの潤の血液
?
3─2
1030
が、その機械のメンテナンスは相当な難しさになることだろう。
四、体中の血液を抜き取り、製造段階で患者の血液にあったナノマシンを作成し、身
体に流し込む。
これもありえる。
しかし、体中の血液を抜き取るとは、それは⋮⋮。
⋮⋮四だろうなぁ。
三だと断定しているような楯無を見ながら、頭の冷静な部分はそれを否定していた。
頭蓋骨から脳みそを摘出して保管できる組織である。
組み立ててからわざわざナノマシン製造機を接続するより、血液を作ってから組み立
てたと考えた方が利口だ。
間違いない。
そして確信する。
なる程、これは異常な事態だ。
楯無のことだから精一杯調べたのだろう。
金もコネも使い、ここまで人体を弄くりたおせる巨大組織の存在を。
こういった事は個人で出来るものではなく、必ず組織ぐるみで行われる。
彼らの組織が持つ人脈、物資、金は想像も付かないほど巨大な可能性が高い。
そして、それだけ巨大な組織の情報が漏れ出てこないということは、それだけで不気
味だ。
﹂
?
る。 あなたは、││なんなの
﹂
れ込みを推察するに、脳みそそのものすら取り出せるほどに、頭蓋骨を開くことが出来
﹁普通の倍率じゃ見えない。 ISのセンサーじゃないと見れない。 だけど、その切
それは、あの、狂った、研究所の││自分の││。
シャンパンが入ったコップを床に落した。
真から、僅かな切れ込みがあるのを﹂
はサラちゃんとの戦い。 ││そして、見つけたのよ、あなたの頭蓋骨のレントゲン写
﹁私はここ数日、潤くんの事を改めて監視し、改めてあらゆる情報を見直したわ。 切欠
更識楯無という人間をはかる機会になる。
楽しみでもある。
さて、何を知ったのだろう。
ここからが核心、か。
﹁││
﹁最後に⋮⋮⋮⋮﹂
1031
?
﹁⋮⋮お見事です。 まさか、それを見つけるとは﹂
﹁ISのセンサーでもないと駄目ね。 見つけたのはミステリアス・レイディのテスト
中、全くの偶然だったわ﹂
次、唸るように出てきた説明に楯無は、最初何を言っているのか良く分からなかった
ラウラちゃんと似たようなもの
﹂
ランの合流を目指した、最新世代。 そのたった二つだけの成功体の一人﹂
﹁第四世代ブーステッドマン⋮⋮。 ファースト・プランの失敗を経て離別した研究プ
﹁ブーステッドマン、強化人間
?
﹁じゃあ、知っている限りのこと、教えてくれる。 その、プランのこと。 貴方のこと﹂
﹁プランの片割れに似たようなものがあったと記憶していますが、詳しく知りません﹂
?
このプロジェクトの根幹にあるのは、数百年前に実在した﹃聖人﹄と呼ばれた偉大な
ロジェクトを後にファーストと呼ぶようになった。
アダムの流れを汲んだ後続の研究が幾つも誕生したため、全ての始まりであるこのプ
第一世代﹃ファースト・プラン﹄、元の名前はアダム。
スト﹄は此処で知っている限り話します﹂
えすら可能で、ラウラを生み出した試験管ベイビーの類似技術だと。 もう一つ、
﹃ブー
﹁﹃マトリクス﹄は正直詳しく知りません。 知っているのは遺伝子操作で四肢の付け替
3─2
1032
1033
能力者と同等の強さを持った兵士を作ることである。
楯無には便宜上、超能力者ということにした。
間違ってはいない。
聖人と同等の強さを持つならば、聖人の遺伝子を利用しようと判断した研究者たち
は、国内に隠れ住んでいた聖人の子孫を母体とすることにする。
しかし、半年以上掛けて一人しか赤子が作れないことから、一つの偉大なプロトタイ
プを生み出した後に、計画は鎮座。
失敗を活かした二つのプロジェクト、﹃マトリクス﹄と、﹃ブースト﹄が誕生した。
第二世代﹃ブーストプラン﹄
そもそも時間の掛かる赤子を生み出すなんて間違っている、生きている大人の人間を
改造して聖人レベルの戦士を作ればいいんだ。 との考えから生まれたプラン。
とりあえず片端から薬物を投与し、弱い部分を片端から手術で強化を行い、効率よく
敵を殲滅するため感情はマインドコントロールで徹底的に消され、さらに一般人では耐
えられないほどの戦闘訓練を施す。
しかし、満足のいくレベルまで強化すると、三十分に適量の副作用制御薬を投与され
ないと発狂して死んでしまうまでになってしまう。
また強引なマインドコントロールの結果、正常な判断力も無くなっており、暴走を繰
り返した挙句、副作用抑制剤が切れると戦闘不能状態になるなど、兵士として使用する
には致命的な欠陥も抱えていた。
この制御と持続時間向上を目指し、一旦投薬と手術での強化を停止し、別のアプロー
チへの模索として﹃ブレイン﹄に移行した。
第三世代﹃ブレインプラン﹄
前回のやりすぎを反省し、人間の限界を定めている脳に手を加えることを主眼にした
プラン。
人体の限界に挑戦するため、人体の崩壊を防ぐために常識的な範囲でブーストプラン
を採用することで完成にこぎつけた。
非現実的な能力を発揮することが可能だが、脳の完全な把握は済んでおらず、その調
整バランスは非常に難しかった。
それを補うため薬物以外の強化を模索し、効率は最低であるものの、ほぼ聖人モドキ
まで作り出せるようなっていた﹃マトリクス﹄との合流を目指した。
﹁⋮⋮﹂
﹁そうなりますね﹂
﹁そう、ブレインプランの発展が、貴方なのね﹂
3─2
1034
また、楯無が口ごもった。
確かに身近な人間がそんなだったら色々考えるだろうが、少々多感に過ぎるきらいが
ある。
理想が先行するのは若さ故だろう。
﹂
﹂
それに、悪い状況ではないと判断した潤は、特に楯無の甘さを咎める気は無かった。
﹁⋮⋮そう。 じゃあ、大事な事を聞くわね。 その、組織の本拠地は何処
黙って真上を指し示す潤。
嘘は言っていない。
ふざけているの
もしかしたら、どこかで繋がっている可能性も否定できない。
﹁上の階
?
そんな、まさか⋮⋮、はぐらかそうと││││﹂
!?
自分が強化人間であることは何れ話さなければならなかったのでどうでもいいが、異
楯無が驚いている最中に、話していい内容の線引きを改めていく。
千冬が、知っている。
落ち着いた、潤の声には驚かなかったが、その発言内容に背筋が凍った。
﹁それは織斑先生も認知していることです﹂
﹁宇宙
﹁いえいえ、至極まじめですとも。 それともっと遠い場所です。 ││月よりね﹂
?
?
1035
世界の事を全て話すのは色々な意味で危険だ。
全てを話しても信じられない妄想の類、ふざけているとして思ってくれない。
真実と嘘を織り交ぜ、千冬を巻き込むようにして、押し通す。
幸い宇宙空間にコロニーを作りあげた、なんて証拠を得ることは不可能だ。
なら、ええ、私も信じましょう﹂
﹁わ、わかったわ。 なんか、壮大すぎて意味わかんないけど、あの先生が信じているの
﹁目が可笑しいですよ、会長﹂
ない﹂
﹂
﹂
﹁しょうがないじゃない。 まったく意味が分からないわ。 調べるなんて不可能じゃ
﹁でしょうね。 で、そこを踏まえてなにか質問は
?
﹁⋮⋮とりあえず、潤くんは、どうして地球にいるの
?
の脅し文句。
何も言わない、はぐらかされる、それらを引き起こさせないために行ったのが口頭で
潤も楯無が最も聞きたいことはそこだとあたりを付けていた。
そうだろう。
シックザールの言葉を聞いて、ほんの少し弛緩した空気が引き締まる。
﹁すいませんが、シックザールとの戦闘後、少し後から意識が無かったもので﹂
3─2
1036
﹂
ああ言えば、どんな人間でもこれからの話を真剣にするしかない⋮⋮が、まだまだ青
いな。
その程度は交渉の常套テクニック、潤を飲み込むには至らない。
﹁シックザール⋮⋮、あの学園祭で攻撃してきた最後の襲撃者の機体名ね
﹂
?
点と点はそれぞれ孤立しているものの、こうも揃ってきていると無視出来ない一つの
楯無ですら尻尾を掴めない巨大組織。
信じられないほどの操縦に関する熟練度。
未だに大本の分かっていないアンノーンに対し、急激な感情変化を起こした潤。
医学的に考えられないほどの回復スピード。
D.E.L.E.T.E.粒子への警告。
現状証拠ながら真に迫っている。
﹁正解です﹂
パイロットじゃないの
光への警告。 あなた、ひょっとしてアンノーン・トレースの大本になっている機体の
﹁どう考えても釣り合っていない時間と操縦技術。 トーナメントでの絶対防御を貫く
度いい機会です。 話しておきましょう﹂
﹁ええ、会長には話しておかなければ、と思いタイミングを見計らっていたのですが、丁
?
1037
事実にたどりつける。
﹂
﹁俺は、あのアンノーン⋮⋮いえ、ヒュペリオンのパイロットでした﹂
﹁ヒュペリオン
﹁なら、あの操縦技術はその組織での訓練で
﹂
取らないと無意味なので、後日しっかりとレポートを提出しましょう﹂
﹁ここで話してもいいですけど、シックザールは人数を幾ら増やしても対策をしっかり
ど﹂
﹁じゃあ、次はそのシックザールと、マッドマックス。 これらの事を聞きたいのだけれ
う。
的を撃つにしても、安全が確立された場所と、死が彷徨う戦場では得られるものが違
模擬戦と実戦は、それぞれ同じ様な事をしつつも、得られる経験値は段違いだ。
﹁いえ、実戦でのたたき上げです。 潜った死線の数が違いますよ﹂
?
から﹂
﹁験担ぎですよ。 あの機体は最後まで俺を守ってくれた。 最高の相棒だったんです
?
会長だけでしょうけど﹂
﹁押さえ込める実力を持ているのは対戦経験のある私と、織斑先生、ギリギリのラインで
﹁そう、お願いね﹂
3─2
1038
会長の顔が歪む。
こちらの最高戦力を投じなければ、押さえ込むことは出来ない。
﹂
しかも潤は﹁勝てる﹂と断言していない。
﹁マッドマックスは
﹂
?
潤が素直に話をしても、結局相手に対して先手を取るには至らない。
楯無が露骨に落ち込む。
す﹂
﹁う∼ん、考えても無駄ですよ。 理解できない事を理解しようなんて思わないことで
﹁いや、どうなのよ、それ﹂
﹁正直、理解できません﹂
の狙いは
﹁今回の敵、潤くんが元所属していた組織が、亡国機業と関わっているみたいだけど、そ
何かあるのを察したが、地雷の可能性が高いので今回は控えることにする。
直ぐに元に戻ったが、今度は楯無の目に映るほどはっきりした変化だった。
ここで唯一潤の顔色が変わった。
﹁⋮⋮そう﹂
﹁人物名です。 コードネーム﹃マッドマックス﹄。 シックザールのパイロットです﹂
?
1039
何が起ころうと、受身になって備えるしかないとなれば落ち込むのも仕方が無い。
﹂
﹁じゃあ、もう一つ。 今回のシックザールのパイロット、前と違うみたいだけど、誰か
分かる
﹂
その笑みに何を見たのかは定かでないが、楯無は満足げに何度か頷く。
潤の顔は笑っていたが、目はあまり笑っていなかった。
﹁ブーストプランの強化人間だと思います。 あれはまともな生物じゃない﹂ ﹁なに
﹁分かりません。 分かりませんが⋮⋮﹂
?
?
だが最終的に、これまでの実績から潤を今までどおり抱え込むことにした。
かった。
尤も、潤の説明が如何に筋が通っていたとしても、﹃何かまだある﹄ことに疑いは無
楯無は潤が組み立てた真実と虚実を織り交ぜた情報をただ受け入れるしかなかった。
は踏み込めなかった。
そこから楯無は様々な観点から質問を繰り出したが、潤が譲ると決めた部分以外から
﹁なら、三十分以上の持久戦を行ってみるのが面白いわね﹂
3─2
1040
しかも、よりにもよって、潤を擁護している人間がその束博士の友人である千冬であ
味を持つのもある種納得できてしまう。
都合のいいことに、もしそれが本当ならば、宇宙開発用にISを開発した束博士が興
ああ、そうだ。
だがしかし。
潤の過去、月より遠い宇宙に生活空間を作り上げた人類の話はそういったものだ。
確かめる手段が無い。
潤にとって都合の良い点と悪い点を、混ぜ込んだ挙句、虚実織り交ぜた話をしようと
ない。
手に入れた情報は自分でも調べられること意外は、何一つ証拠が得られないことしか
相手は何一つ大事なことは喋っていない。
まった﹄と。
今日得られた情報を整理していくと、自然と次の感想に行き着く、﹃飲み込まれてし
楯無はベッドに潜り込み、天井を見上げながら考えていた。
3│3
1041
ることもそれを助長している。
そういう情報を聞かされた時点でこちらは完全に押し込まれていた。
そう考えればシックザールの情報が出てきたタイミングも出来すぎている。
このまま簪がアタックし続ければいいだけだ。
気は無い。
恋愛そのものに対して極めてドライな感性を持っているものの、簪の心を無碍にする
精子を調べた結果、薬物による汚染などの心配は無い様だし。
貰おう。
あれ程の人材は中々いないし、逆に抱え込むために卒業後は妹の婿養子にでもなって
潤の人間性も、大体分かってきた。
れはそれで腹芸が上手いことの確認が出来たのでよしとしよう。
あの会談を真剣に受けさせるためだけの前口上、しっかり回避されてしまったが、そ
もそも更識家が今更潤を手放すなどただの脅し文句でしかない。
今回の一件で、身体能力や組織経営技術に加え、交渉能力まであったことも勿論、そ
少し癪だが、そんなことで潤を手放す選択はしない。
相手が上手だったのだ、この様な読み合いでは騙された方が悪い。
﹃何かまだある﹄と思っていたとしても、良い感じに誤魔化されてしまった。
3─3
1042
﹄
?
﹄
?
﹄
?
潤くん実際には何歳なの
﹄
?
だがな︶﹄
﹃ちょっと考え方が大人すぎない
?
択を見守りたい︵同じように歪んだもの同士、あいつにも良い未来が訪れれば嬉しいん
願うものです。 同じ事を言いますが、俺は恋愛感情がどうのこうの以前にあいつの選
﹃恋愛というものは相手を縛り付けて自分の物にすることでなく、相手の成長と幸せを
﹃う∼ん⋮⋮なんか、想像できないわね﹄
もすれば良い。 もしかしたら、もっと良い女になるかもしれませんよ
ぎて人付き合いなどしたことが無いでしょうから、火傷しない範囲で目移りでもなんで
﹃それもそれで一つの選択肢でしょう。 あいつの性格から察するに今までは内向的過
そうだけど︶﹄
﹃あんまり自由にさせ続けると他の男に目移りしちゃうかもしれないわよ︵ありえなさ
いというのであればそれはそれでいい﹄
﹃とんでもない。 俺は簪の選択に興味があるだけ。 もしもあいつが俺と共に歩みた
﹃⋮⋮遊びのつもりなら怒るわよ
﹃正直な話私のほうから積極的にどうこうする気はありません﹄
﹃ところで、簪ちゃんとの関係はどうするつもりなの
1043
﹄
﹃意識がちゃんとある期間で、二十前後じゃないですか
﹃⋮⋮無い期間を含めると
﹄
?
るのだろう。
﹃最後にちょっとだけ﹄
﹄
﹃何でもどうぞ﹄
﹃あの、いいの
もっと
千冬と仲がよく、真耶と関係がギクシャクしているのも、そういった事が関係してい
潤にとって、IS学園の生徒は総じて子供の集まりなのだろう。
えない大人びた対応だったが、そちらの裏づけも取れた。
ラウラにしろセシリアへの対応にしろ、今回のパーティーにしろ、とても十五歳に見
少々受け入れる気構えが大きすぎる気がするが、まあ悪い感じではない。
﹃なんか、普段の生活から生まれた色々な疑問が今の答えで解決できた気がしたわ﹄
﹃三十プラスマイナス三くらい﹄
?
﹃主語を付けてもう一度どうぞ﹄
?
﹃昔、色々辛い目にあって、ここでも監視されながら生活して、それでいいの
?
3─3
1044
良い生活とか、幸せとか欲しくならないの
﹄
?
﹄
?
本音が用意してくれた、調整された機動データを参考にして、詰まることも無く完成
なし崩し的に、潤のすることは座りながらでも出来る打鉄・弐式の開発のお手伝いを。
機持ち達と会長に回ることになった。
少し潤を休ませよう、との考えは千冬も持っていたので、一夏の教師は一時的に専用
│││
だけど、その笑顔を見て、何故か心の底から安堵した。
どうしようもない環境におかれて色々な事を強要されてきたのだろう。
きっと、報われない戦いをしてきたのだろう。
の下で昼寝するくらいでも、充分幸せを感じ取れるってもんですよ﹄
﹃そうです。 俺は今の生活に満足しています。 それで良いじゃないですか。 青空
﹃つまり││﹄
が分かりますか
﹃会長、嵐の晩に航海した船乗りこそ、世界一青空のありがたさを知っている、この意味
1045
3─3
1046
に向かってラストスパート。
新規パーツごとの耐久性もチェックしたし、これで結合試験がオール・グリーンにな
れば、一先ず完成でいいだろうという所までやってきた。
その反面、武装は打鉄・弐式の足元に転がっている。
しかし、この程度ならば問題ではない。
機体の基本仕様である高機能マルチタスクCPUは、普段から似たような事をヒュペ
リオンでやっているので流用がきく。
大口径の荷電粒子砲﹃春雷﹄は、姿勢制御スラスターなどに影響が出るので後回し。
対複合装甲用超振動薙刀は、もともと似たような武装を、旧科学時代に使用していた
ので、製作、メンテナンス、パイロットと全方面から知識がある。
マルチロックオンシステムによる高性能誘導八連装ミサイル﹃山嵐﹄は、完全完成に
時間がかかりそうなので、とりあえず六本のミサイルをコントロール出来るようになる
ことを目標にしている。
これもカレワラとヒュペリオン、特にヒュペリオンのフィン・ファンネルの関係で、知
識の蓄積があるから難しくはない。
難しくはないが、二ヶ月近くかかる程の難易度ではあるが。
アリーナ使用時間が迫ってきたので、結合試験の結果は食堂で確認することとなっ
た。
試験結果が余程気になるのか、道中何度も指輪からミニモニターを表示させて確認し
ている。
﹂
?
あ、えっと⋮⋮、実は、⋮⋮前に墜落したよね
あれのせいで、⋮⋮安
?
送ろうかなって﹂
全性の確保してない機体の参加を止められてて⋮⋮。 それに、武装が不完全だし、見
﹁⋮⋮えっ
!?
﹁ところで、九月二十七日のキャノンボール・ファスト、参加できそうなのか﹂
になったりしていくので、何か別の話題に変えなくては。
このままこの話題を続けると、変な空気になったり、どんな話題をふっても簪が頑な
半分近くある照れ、もう半分あるのは、傷つく潤を見たくないという決意があった。
しい。
どうやら本音同様、言っても無駄だと気づいたのか、隣で戦うことを目指しているら
﹁そうくるかぁ﹂
﹁⋮⋮その、隣に立って、無理ばっかりさせなくてもいいし⋮⋮﹂
﹁俺の
﹁そう、⋮⋮だけど。 ⋮⋮専用機が出来れば、私も⋮⋮潤の⋮⋮⋮⋮﹂
﹁気になるのは分かるけど。 駄目でもしょうがないさ﹂
1047
﹁そうか、せっかく目標達成を目指して、進捗通り頑張って達成したのに。 第六アリー
ナは大会までテストの申請が通らないし、⋮⋮しょうがないか﹂
大会が近づいてきたので、機動テストを行うのに最適な第六アリーナが予約待ちに
なっている。
次回の大会であるキャノンボール・ファストは、専用機部門と、一般量産期部門に別
れて行われるので、どのアリーナも満員御礼である。
よって、まともに全力起動できるテスト会場が存在しないのだ。
どうしようもないことをこれ以上考えても仕方がないと、潤が一度頭の中を整理して
いると、大会当日に何か気がかりなことがあったような気がしてきた。
﹂
悪寒とか、敵意とか、そんな物騒な物ではなく、何かこう、どうでもいいものを忘れ
ているような気がする。
﹁││簪、二十七日、大会以外に何か用事が行事、生徒会の何か、あったっけか
?
けど、それじゃないよね
﹂
﹁⋮⋮私は、何も聞いていないけど。 お姉ちゃんが私たちに用があるって話していた
?
元々、完璧であること、より完璧を目指すことを目的に訓練してきた経歴がある。
とだろうな。 気にしすぎか﹂
﹁う∼ん、それじゃないな。 ⋮⋮でも、俺が忘れるってことは、きっとどうでもいいこ
3─3
1048
それでもなお忘れた、ということは本当にどうでもいいことに違いない。
簪が何度かメモ帳を取り出して確認したが、結局大会当日というのが分かっているだ
けで、他に何も無かった。
その後、特にやることも無いので、寮で夕食をとることに。
偶然にも入り口でラウラとシャルロットの二人組みと合流、これまた偶然にも鈴、箒、
セシリア、一夏と次々合流した。
相変わらず一夏に対して嫌悪感を持っている簪は、潤の手をグイグイ引っ張って一番
離れた場所を確保した。
端っこ、隣に潤しか居ないので、どことなく満足げである。
潤は何時も通りのぶっかけうどん、簪はかき揚げうどんを選択し、うどんの上に乗っ
たかき揚げを箸でつゆの中に沈めている。
たっぷり全身浴派なる派閥らしく、最初にサクサク感を楽しみ、後半から汁をたっぷ
﹂
り吸った揚げを楽しむダブルスタンス派の潤も概ね全身浴派には賛成する。
﹁なっ、お前、何をしているんだ
確か、ラウラはサクサク派だった。
る簪に、潤の隣に座っているラウラが恐る恐る尋ねた。
ぷくぷく浮かぶあがってくる泡を、新しい玩具を買ってもらった子供のように見つめ
?
1049
後半まで半分かき揚げを残して、あろうことか汁にべったり付ける潤の食べ方を見
て、何度も小言を言われたので覚えている。
﹂
ちょ漬けするなんて何という邪道。 お前はかき揚げうどんの何たるかを全く分かっ
﹁せっかくサクサク、食感最高になっているかき揚げを一口も齧ることなくいきなりべ
ていないな
みたいなもの。 そもそもかき揚げうどんはそうあるべくして、かき揚げが乗ってい
汁物であるうどんにかき揚げを乗せる以上、汁と揚げを融合させるのは最早予定調和
確かにおいしいけど、サクサク感を楽しみたいのならば、元々天ぷらを注文すればいい。
﹁⋮⋮違う⋮⋮食事は、おいしく食べるのが礼儀⋮⋮。 サクサクになったかき揚げも
!
お前の言い分は分かるがな││││﹂
る。 それが邪道なんて理解できない﹂
!
綺麗な水源を確保するための戦争は定番だが、食糧でも起こらないとは言えない。
僅かな食料をめぐって、後に引けない戦争が起こるよりずっといい。
食事を楽しめるのはいいことだ。
ないだろう。
最終的に﹃やるな﹄、
﹃お前もな﹄、といった関係になりそうなので放っておいても問題
恐らく当人同士にしか分からない、深遠な対立があるのだろう。
﹁長い
3─3
1050
それより、潤からすれば口論する二人に挟まれているので、喧しくてしょうがなかっ
たが。
両サイドからステレオスピーカーのように続く喧噪をよそに、静かにうどんを啜って
﹂
いると、何を聴いたのか、シャルロットがいきなり立ち上がった。
﹁えっ、一夏の誕生日って二十七日なの
﹁お。おう。 そうだけど﹂
お邪魔虫は馬に蹴られて死ぬ、という格言があったような⋮⋮、そんなことを考えて
う。
その様子を見るに、一夏に対して何らかのアクションを取って楽しむ予定なのだろ
グリグリ何度も。
手帳を取り出したセシリアが、誕生日当日に、赤ペンで円を描いて印をつける。
﹁一夏さん、そういうことは、早く言っていただかないと﹂
特別な日だったが。
生まれた日の節目である以外は特に何でもない日、子供のころはプレゼントの貰える
本当にどうでもいいことだった。
九月二十七日、キャノンボール・ファスト当日は、一夏の誕生日だったらしい。
﹁誕生日、九月二十七日⋮⋮。 ああ、なるほどね﹂
!?
1051
いる潤は端っこの方で空気に徹することにした。
﹂
﹁毎年誕生日は家で祝ってるんだけど、潤も来るよな
生徒会は朝から晩までスケジュールがぎっしりだ。 他
?
﹂
!
難な場所で。
どっちかの方が美味しいではなく、より美味しく食べることに意味があるといった無
させられている頃、ようやくラウラと簪の口論が決着をみた。
一夏と潤が下らない会話を繰り広げ、鈴と箒が一夏の誕生日を黙っていたことを追及
﹁チクショウめ
﹁ニジュウとナノカだけに、などと考えているのなら腹パンするぞ﹂
﹁あ∼⋮⋮、二七日は二重に用事があるのか、そうなのか││﹂
にも⋮⋮、まあ、ちょっとした理由もある。 悪いが自由時間を作る余裕はないな﹂
﹁二七日って大会当日だろ
特に鈴は空気読めよ、と言わんばかりの眼光だ。
二人だけの思い出、あわよくばウフフなんて想像をしているだろう四人を見る。
していたというのに、一夏は何時もこうである。
当初の議論から外れ、うどんの煮る時間に口論が転移し始めた簪とラウラの背景に徹
﹂
﹁お前はどうして人の心を察することができないんだ
?
﹁な、なんだよ急に﹂
!
3─3
1052
互いの意見を尊重し、一息ついたラウラが、ふと、高機動状態の操縦について後日訓
﹂
練の約束をしている潤を見ると、ちょっと微妙な顔をしているのに気づく。
﹁どうかしたのか、潤
﹂
生から散々小言を言われていたけど、やっぱりそれ関連
?
?
﹁いや、あれは、どちらでもない。 ⋮⋮あの反応は││ふむ﹂
?
それとも亡国機業関連かな
﹁⋮⋮なんか、潤、気がかりなことでもあるのかな ヒュペリオンの機動関連で織斑先
﹁うん、また明日﹂
﹁そうか。 なら、明日の朝に再確認しよう。 それじゃあな﹂
﹁あと一時間半くらい﹂
表示される待機時間を見るに、結合試験完了までは、まだまだ時間がかかるようだ。
言わずともその視線の意味を察した簪は、テスト状況を確認する。
言葉を切って簪に目を向ける。
で、報告書を作らねばならないから部屋に戻る﹂
﹁本当にどうでもいいことさ。 さて、俺はヒュペリオンがセカンド・シフトした関係
﹁歯切れ悪いな。 私は妹、潤はお兄ちゃん、相談があるのなら聞いてやるぞ﹂
﹁いや、たいしたことはないんだが⋮⋮﹂
?
1053
シャルロットの問いにそっけなく返答すると、ラウラは暫く一人で考える。
ラウラにとって潤とは尊敬に値する人間だ。
憧れるほど思慮深く、縋りたくなるほど優しく、近づきたくなるほど強い、三十近く
なればああいう人間は結構いるだろうが、十代半ばでああいう人間は本当に珍しい。
それは目に見えてではなく、行動や表情の裏に隠れているので、見えない人には見え
ないし、普通なら分からないだろうが、分かる人なら分かる。
例えば今日もそうだった。
目に見えないところで妙な優しさを見せるが、本音かラウラなら分かるというもの
だ。
そう、今のラウラには分かる。
調べてほしい事があるのだが⋮⋮﹂
﹁クラリッサか。 ラウラ・ボーデヴィッヒ隊長だ。 いや、緊急ではない。 ちょっと
3─3
1054
とは潤の談である。
?
標的への接触直前までは、その長さを親指程度までしか伸ばしていないのが、まさし
わないか
消費エネルギーはだいたい同じなのに、威力だけは比較に出来ないって不公平だと思
をドカ食いするその武装に対し、潤は細心の注意を割いている。
同じ系統にヒュペリオンのプリセットであるビーム・サーベルがあるが、エネルギー
しかし、一夏はそのデメリットに対してあまりに無頓着だ。
ルギーを使用することで、ただの一撃で相手を葬り去る諸刃の剣。
白式のワンオフ・アビリティー﹃零落白夜﹄は自らのHPともいえるシールド・エネ
身の長さを意図的に短くするため訓練だそうだ。
今回の主題は白式最大の弱点、シールド・エネルギーの消耗を抑えるのが目的で、刀
めアリーナにいる。
プレゼントする当人である一夏は、潤が定期的に行っている戦術講座に出席中するた
放課後、お菓子作成の練習のため食堂に足を運んでいた。
一夏の誕生日にクッキーでも作ってプレゼントしようと思っていたシャルロットは、
3│4
1055
くその対策だ。
篠ノ之流剣術で得ているノウハウを近接戦闘に反映させている一夏は、そもそも剣の
長さを自在に変えるという発想に至らなかったのだろう。
ちなみに、今日は一夏と潤、それと箒で行うが、明日から鈴、シャルロットでローテー
ションを組んで実戦形式で学ぶらしい。
一時期潤にばかり教えを乞うようになっていたので、また一夏と一緒にトレーニング
が出来るようになってシャルロットはすこぶる機嫌がいい。
近接訓練から省かれたセシリアは、回避運動訓練の際には専属になるとのことで溜飲
を下げた。
閑話休題。
シャルロットが食堂に来たのは、来たるべき一夏の誕生日にクッキーをプレゼントす
るためである。
合宿直前にプレゼントしてくれたブレスレットのお返し、しかもペアルックに見える
ような代物を、してみようかと思ったら、白式の待機状態関連で断られたが。
時計にすると、潤と並んだ時に見劣りするし、││ヒュペリオンの待機状態は、その
価値億にも届く世界で最も高価な腕時計││で結局こうなった。
﹁くそっ、根性の無いオーブンだ﹂
3─4
1056
﹁⋮⋮なにやってるの、ラウラ
﹂
?
が出来るはずだった。
?
﹁私が、アレに
無いな。 別件だ﹂
誕生日や季節行事はもちろん、パーティーではお手製のケーキを焼いてもてなすこと
ドイツでは老若男女問わずケーキ好きが多い。
﹁ああ、部隊のものも何かにつけてパクパク食べているからな。 私もよく食べていた﹂
?
?
﹁そっか、ドイツの人たちってケーキ好きだもんね。 ラウラも好き
﹂
びっくり、と思うより、ライバルが増えて面倒だ、と思ってしまうけど。
印象が強すぎて誕生日にケーキなんてイメージは無かった。
ラウラと一夏は徐々に仲良くなっているが、一夏が何を言ってもジト目で睨んでいる
ねる。
作っているのがケーキと知って、もしかしたらラウラも、と思ったシャルロットが尋
﹁ラウラも、まさか⋮⋮、一夏に
﹂
もしも彼女の予想通りの成果が得られたのならば、円柱状に膨らんだ立派なスポンジ
難しい顔をしながら、一見マドレーヌにも見える巨大な塊を睨むラウラ。
になってしまう﹂
﹁ケーキを作っているんだが、どうにもこうにもスポンジが膨らまない。 ぺったんこ
1057
も、ちょっとしたティータイムを楽しむためにもケーキを食べることがある。
週末のカフェでは初老のカップルが、大きなケーキに生クリームをたっぷりのせたも
のをペロリと平らげてしまう光景も目にする。
当然、甘さが控えめで、意外と軽く食べられるように工夫がされている。
シャルロットの祖国であるフランス菓子のように繊細とは言えないが、シンプルで素
朴なケーキが多い。
それ以外にも、ドイツは結構おいしいお菓子が多い。
一夏を見送った後、珍しくラウラから口火を切る。
年頃の女の子らしくお菓子雑談に花を咲かせつつ、泡立て方やら、粉の混ぜ方やらを
教えて、スポンジ作りを手伝うシャルロット。
﹂
並んでお菓子作りに精を出していると、まるで姉妹になったみたいで、自然とシャル
ロットの頬が緩んだ。
﹁ところで、別件って、潤のこと
てくれればいいが﹂
﹁ああ、違いない。 最近、亡国機業の連中に頭を悩ませているからな。 息抜きになっ
?
れば狙う必要なんて無かったのに﹂
﹁最後の敵機のことだよね。 あれは⋮⋮何で僕の事を狙ったんだろう。 客観的に見
3─4
1058
﹁そういうことも含めてな。 運用としての考えは銀の福音と同じだが、性能は段違い
だな。 まともに戦えるのは、教官に潤、ギリギリ生徒会長が入るくらいか﹂
勝てるかな、と聞き返してきたシャルロットに、ラウラは沈黙という返答をした。
それだけ、最後に出てきたあの機体は異常な性能を持っていたのだ。
ラウラはセカンドシフトしたヒュペリオンの性能を知っている。
馬鹿みたいな機体コンセプトを更に先鋭化したような馬鹿な機体だが、扱えるのであ
れば配備されている専用機の中でも最強の一角となるだろう。
﹂
しかし、それでも、有効打は得られなかった。
﹁あら、シャルロットさん
﹂
?
﹁うん、掴むのは良いけどブレイクしないようにね﹂
わたくしもそれに倣って手料理で一夏さんのハートをキャッチしようと﹂
﹁日本には殿方の心を掴むには、まずは胃袋から、という慣わしがあるとのことです。 ﹁そ、そうだね。 奇遇だね、えーと、まさか⋮⋮﹂
﹁奇遇ですわね﹂
﹁せ、セシリア
エプロンをしているところを鑑みるに、シャルロットと同じ理由できたらしい。
暫く二人で黙々とお菓子作りに励んでいると、今度はセシリアがやってきた。
?
1059
別の意味で一夏をイチコロにしそうな発現に、シャルロットの笑みが引きつる。
滅多に見る事の出来ない、腕まくりした気合の入った姿も不安要素かもしれない。
ははん、考えることはみんな一緒ってね﹂
されたのだ。
実は七月に行われた合宿初日、ラウラを除く全員が千冬に似たようなことを問いただ
くラウラにちょっと驚いた。
ラウラからそんな言葉が出てくるとは思いもよらず、そして千冬と全く同じことを聞
?
ある共通点がある。
﹂
今いるメンバーは、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラから見るこのメンバーには
うとしていたが気勢をそがれてしまった。
一夏の誕生日をどうやって祝うかについてけん制し、連携しようと話し合いを進めよ
とがあるんだが﹂
﹁ふむ、この面子が集まって男が居ないとは珍しい。 ちょうど良いからで聞きたいこ
メンバーが揃うのかと、誰からとも無くため息が出た。
箒は一夏や潤と一緒にトレーニングしているからしょうがないとして、結局何時もの
聞きなれた元気のいい声、調理室のドアを開けたのはエプロン姿の鈴だった。
﹁あっ
!
﹁お前ら、あの男のどこが良くて惚れたんだ
3─4
1060
弟とは姉のものだから渡さないぞ、奪い取れ。 と、叱咤激励︵
が、あの教官にして、この部下ありなのか。
︶ を受けただけだ
?
貴重な思い出というものは、何事にも代えられない大事なものだ。
鈴とこの場に居ない箒はどうでもいい。
鈴がツインテールの先をクルクル弄って文句を言う。
さっぱり流した。
ちょっと恥ずかしかったのか、鈴がたどたどしく話し出したものの、ラウラが綺麗
﹁な、何よそれ⋮⋮﹂
長さから、いつの間にか。 というのは他人に理解しがたいものだからな﹂
﹁いや、言っといてあれだがお前はいい。 子供のころから一緒にいて、共有した時間の
﹁わ、私は⋮⋮小学生の頃から⋮⋮﹂
こういった部分に関しては潤も及んでいないだけあって評価するしかない。
家事とか、マッサージとか、一家に一人いれば大助かりだろう。
一夏は潤とは違った方面において、役立つ知識と技術を持っている。
たいが、⋮⋮それを考慮しても、実に不可解だ﹂
かるようになった。 奴の良い所も分かる。 女心を抉る、というのは未だに理解しが
﹁私もそこまで鈍感ではない。 最近視野も広まって、今まで分からなかったことも、分
1061
そうした物の積み重ねが続いて、友情がいつの間にか男女の情に移るのだって仕方が
ないと思う。
シャルロットとラウラはルームメイトなので色々話す機会があった。
﹁だから、私が聞きたいのはお前ら二人だ﹂
それだけに、察しはついているものの、潤を尊敬しているラウラにとっては納得でき
ないとも思っている。
ほぼ名指しで指定された二人は、お互い顔を見合わせると、これまたお互いに顔を
僕は││﹂
真っ赤に染めてあたふたし始めた。
﹁あ、あの⋮⋮ラウラ
一夏とルームメイトになって、一夏の優しさを知って、一
?
﹁では、きっかけはあいつとルームメイトになったことだと
﹂
?
思い出から好きになっただけだから﹂
緒に訓練して、試合に勝った喜びと、負けた悔しさを共有してそういった共有している
﹁いや、僕も一緒だからね
﹁笑わないから言ってみろ。 私は純粋に疑問なだけだ﹂
?
惚れた主要因が優しさだというのならば潤も負けていないと思うが、先ほどラウラ自
潤の友人関係の中で、最も友好的関係を築いているのは本音だ。
﹁そ、そうだよ﹂
3─4
1062
らがしょうがないと言った事を利用されては食い下がれない。
時間の短さが気がかりだが、あの一戦を境に心を入れ替えたラウラが言って良いこと
ではない。
力の意味を、責任とはどういったものかを、生きることの難しさを、友の大切さを、そ
ういった優しさ以外の部分まで教わった身からすれば、希薄なような気もするがこれは
これでいいだろう。
次いでセシリアに向かう。
﹂
?
﹁そうですけど││﹂
だぞ
はそれだけ大きな隔たりがある。 私に中々勝てないアイツと、私が手も足も出ない潤
﹁織斑一夏と小栗潤を比べて、潤の方が弱い部分を探す方が難しいぞ。 二人の強さに
そしてバッサリ切り捨てられる。
﹁ない﹂
﹁一夏さんの強さに触れて、ですわ﹂
まさか自分が一番気がかりとは、と無駄に胸を張ってセシリアが答えた。
ラウラの目がセシリアに向く。
﹁ようやく一番気がかりな奴の意見が聞けるな、セシリア・オルコット﹂
1063
﹁お前とて一学期中の考えでは、織斑一夏は教える側、潤には好敵手として強さの違いを
認めているだろう﹂
﹁そうではありません。 わたくしの言いたいことは一夏さんの心の強さのことです﹂
﹁それこそありえん。 合宿でのことを言っているかもしれないが、あれは特殊な事例
だ﹂
﹁ラウラさん、声が大きいですわ。 ⋮⋮まあ、確かにあれは特殊ですし、潤さんも強い
お方ですけれども﹂
調理室を何度か見渡して誰も居ない事を確かめ、ほっと息を付いた。
今の話はトップシークレットの類だ。
セシリアとて、究極の選択を迫られ僅かな間で取捨選択できるのが、どれ程難しいこ
とか知っている。
自分が子供のころから世話になっているメイドのチェルシーか、一夏かを選べと言わ
れて、簡単に選択できると思わない。
もし選択したとして、一時的に心が病んでしまうのも、弱いことではないと思う。
身近に居る大切な人を殺したとして、その死に何も感じなくなってしまっては、転校
初日のラウラと一緒だ。
﹃こんなの最悪だ、私たちには出来ない﹄と誰かが言っても、
﹃いや、俺ならやり通せる﹄
3─4
1064
と言って挑戦し、例え傷だらけとなって膝をついたとしても、再び立ち上がって挑戦を
続けられるのならば、その不屈の心は称賛されるべきものだ。
﹂
?
兵器のフレキシブルが出来る人間が出てきては代表候補性として立つ瀬がない。
BT適正で勝っているが、使い方と稼働率では潤に劣っている、その状況下で、BT
今のセシリアにはあんなの絶対出来ない。
その間、ビット兵器の攻撃は一切手を緩めない。
全周囲包囲しての乱射攻撃、銃撃しながら接近しブレードで決定打を与える。
と思っている。
どうにもプライドが邪魔して言えないでいるが、潤のBT兵器の扱い方を教わりたい
それに││実はセシリアとて、潤に教わりたいと思っている側なのだ。
理である。
訓練を施す側と、訓練生が同じレベルでは、そもそも訓練なんて成り立たないのは道
﹁論外だ﹂
ISの技能と身体能力は││﹂
﹁勉学での成績は、⋮⋮潤さんが上ですわね、一年全体で五番以内と言われていますし。
のは。 どうして奴なんだ
﹁お前だけなんだ。 織斑と潤の双方の魅力を同時に知って、それでいて織斑を取った
1065
﹂
﹁⋮⋮やはり、父の影響でしょうか﹂
﹁父親
どちらかというと軽蔑の感情を抱いたものだった。
相次ぐ争乱で患った心理的障害が主な原因だが、潤と会った当初のセシリアは、││
セシリアが最初に潤に会って抱いた感想は、まいっている、折れている、だった
はあったし、そういった卑屈で弱い男を見抜くのは得意だった。
そこに世界的な女尊男卑の風潮が直撃し、基本的に男性を軽視する考えがセシリアに
生前、母親は家のために尽力していたが、婿養子で卑屈な父親には怒りを覚えていた。
セシリアの両親はとある事故ですでに他界している。
?
いえ、あの当時二人には一つ除いて特別な繋がりがあった訳では⋮⋮﹂
?
のではないだろうか
それならば辻褄はあう。
彼の中にある確かな強さを見つけることが出来た、とでもいうのだろうか。
一夏に強い男らしさを見たから、潤を一人の男として見ることが出来、それで冷静に
?
もし最初に潤と戦っていたならば、軽蔑からくる嫌悪感で好敵手などと思わなかった
どうしてあの時、潤の技量に対し、素直に称賛の念を抱いたのだろう。
夏さん
﹁⋮⋮一夏さんと戦った後は、軽蔑なんてしていませんでしたし⋮⋮。 きっかけは一
3─4
1066
しかし、あの当時二人には特別な関係はなかった。
世界中でたった二人だけの特別、そんな関係ではあったものの、それゆえ一夏と潤の
好感度が被るはずもない。
うんうん唸って考えていると、父親という言葉から複雑な事情があると勘違いしたラ
ウラが遮った。
﹂
?
簪は朝からずっとこうだった。
﹁ありがとう﹂
本を読んで勉強していよう。 その間は使ってもいい﹂
﹁ああ││いや、よくは無いんだが⋮⋮。 何時までたっても上手くいかないから、少し
﹁ボーデヴィッヒさん、次、オーブン借りていい
る方も幸せになるくらいの満面の笑みを浮かべている簪だった。
扉から現れたのは、鼻歌交じりで、半ばスキップしそうなほど足取り軽い、見えてい
変に閑散となった調理室に、ちょうどいいタイミングで誰かが訪れた。
セシリアは最後まで考え込んでいた。
ら切った。
納得出来ないが、まあ理解できないわけではないと、椅子から立ち上がって会話を自
﹁察するに色々家庭からくる事情があるのだな。 そういうことなら仕方がない﹂
1067
そう、打鉄弐式の完成である。
朝の食堂で衆人環視なんて物ともせず、歓喜の抱擁をし、ついでに本音とハイタッチ。
弾けたようなまぶしい笑顔が、確かな疲労と辛さが、この瞬間に報われた事を表して
いた。
一夏が﹃更識さん、あんな顔も出来るんだな﹄といってガン見して、一緒に食べてい
た何時ものメンバーに大いに顰蹙をかっていた。
全員から一通り頭をはたかれ、ついでとばかりに潤や本音、なんと簪まで頭を叩いた。
喜んでくれるだろうか、いや、喜んでくれなくてもいい。
抹茶のカップケーキは、簪の数少ない得意料理。
潤の部屋でささやかな打ち上げをする予定だ。
放課後は一緒に、簪が手作りした抹茶のカップケーキで、潤が淹れた紅茶を用意して、
は消えたらしい。
不思議なことだが、ぶつ権利があるけど、面倒だからしない、とまで言っていた蟠り
ちゃった﹂
に 頑 張 っ て、⋮⋮ そ う し て い ざ 完 成 し た ら、織 斑 く ん の 事 な ん て ど う で も よ く な っ
うやっていっぱいいっぱい思い出が出来て、本音や潤と仲良くなって、苦しくても一緒
﹁なんか、打鉄弐式の開発が滞って当初からもやもやして、時にはイライラしたけど、こ
3─4
1068
二人の間にあるのは、そんな浅いものではないと信じている。
今はただただ喜びを共有したい。
﹂
カップケーキは、本当にただのおまけだ。
﹁⋮⋮ケーキ、作れるのか
⋮⋮抹茶ケーキは、得意だけど⋮⋮﹂
?
﹂
?
それは、ラウラに耳打ちされ、簪が驚きの声を上げる数秒前までの光景だった。
﹁ものは相談なんだが││││﹂
﹁えっと、どうしたの
﹁ふむ⋮⋮、お兄ちゃんと、この女は仲がいい。 むむむ﹂
﹁え
?
1069
3│5
もしものために陸上部の部長さんが、付きっ切りで見守る中、潤は淡々と走り続けて
いる。
このために陸上部に所属しているといっても過言でない、トレーニングルームの一
角。
ただし高酸素・低酸素室にいるのは潤一人。
間違っても二人いてはいけない。
現在の設定は標高約二千五百メートル付近。
富士山で言い表すならば六合目あたりに該当し、高山病にかかる山のラインに該当す
る。
﹂
そんな酸素濃度でキロ六分台を維持し、もうそろそろ五キロに迫る所まで走り続けて
いる。
﹁なんか、最近小栗くん、トレーニング過多じゃない
?
五キロを通り過ぎた後、頭痛が酷くなり始めたので、流石の潤も速度を緩めながら部
﹁鬼気迫る感じだよね﹂
3─5
1070
1071
屋の外に出た。
シックザール⋮⋮、凡人には決して変えられぬ運命を決する機体。
防御は鉄壁。
攻撃は苛烈にして強烈。
究極の破壊であるD.E.L.E.T.E.粒子による攻撃が出来ない今、潤のヒュ
ペリオンでは勝てる要素は無きに等しい。
どうやったら││いや、バカバカしい。
そうやったらなんて考える必要など意味を成さない⋮⋮、それは勝つ方法が三つしか
ないのだから。
相手のエネルギー切れによる自爆待ち。
相手が不安定な強化人間である事を加味して考えれば、永延と距離を維持して持久戦
を展開して割とあっさり勝てる見込みもある。
しかし、箒の紅椿のワンオフ・アビリティー、絢爛舞踏の様にエネルギーを増幅させ
る能力を持っていた場合嬲られて終わるしかない。
もう一つの制限時間、薬切れによる禁断症状も量子格納できるISを纏っている時点
で安心できない。
薬が詰まった容器をマスクの中に出現させる、もしくは装甲の下に何かしらの仕掛け
3─5
1072
を用いているかもしれない。
なら、そう、⋮⋮もう答えはこれ以外しかないのだ。
次は零落白夜の一閃。
⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮⋮⋮。
駄目だ、一夏が接近してシックザールを叩き斬るイメージがまるで浮かばない。
潤のヒュペリオンと組んで、アルミューレ・リュミエールを展開、バリア越しに攻撃
⋮⋮、駄目だな、ファンネルを壊されて白式が倒される未来しか見えない。
なら、もう、最後の一つ。
異世界で潤が取った戦法、そこからD.E.L.E.T.E.粒子による攻撃を取り
除いた戦法を取る。
接近して戦闘不能になるまでボコボコに殴り倒す。
シックザールは遠距離の相手に対して無敵の防御と破壊力を持つ変面、接近された際
には何も出来ない愚図になる。
飛行機に例えるならシックザールは爆撃機、ヒュペリオンは新旧ともに戦闘機なの
だ。
戦闘続行に支障が出るほど攻撃し、アンロック・ユニットの砲台を壊せれば相手は何
も出来ない。
なお、対空防御の弾幕がルナシューターでも匙を投げること請け合いなので、三つの
選択肢の中で最低、下の下の手段である。
しかし、それしかない。
意識しっかりしてる
﹂
だから無駄だと分かっていても、自分を鍛えて不安を軽減させたくなる。
﹁小栗くん、大丈夫
?
毎週日曜は完全休息日。
﹁明日は⋮⋮、日曜か﹂
それが、実戦では無意味だとしてもだ。
休むのもしっかりしたトレーニングの一種、今は何でもやって不安を軽減させたい。
急に止まるのはむしろ身体に毒。
今度は普通のランニングマシーンに向かってよろよろ歩き出す。
ございます﹂
﹁ええ、大丈夫です。 ちょっと歩きながら安定させますね。 ││酸素缶、ありがとう
?
1073
毎日トレーニングしてもいいのだが、やりすぎると無理やり暴食しないと体重が減っ
たりする。
しっかり休むのも立派な鍛錬の一つだ、といわれたからだが、あながち間違ってもい
ない。
読書して過ごすか、なんてのんきな事を考えながら、今度はシャワールームに向かっ
て足を進めた。
│││
平日ならすぱっと止めるが、日曜日は止めない。
為と知りつつも中々止めがたい。
このまどろみの中で、緩やかにゆっくりと時間が進み感触を楽しむのは、愚かしい行
一週間のうち、八時頃まで眠れるのは日曜日だけ。
日曜日、先日決めたように今日は読書して過ごすことにした。
﹁んぁ⋮⋮﹂
3─5
1074
ふに。
ふにふに。
⋮⋮や、やわらかい
る。
なんかぐにゃ、っていうか、ぷにゅっていうか、暖かくてすべすべしている何かがあ
寝返りをうとうとしたら、左側に何かが乗っているらしく、うまく動けなかった。
?
態である黒のレッグバンド。
触っていて気付いたが、身に着けているのは左目の眼帯と、右太もものISの待機状
いした奴⋮⋮。 だが、なぜ裸なんだ﹂
﹁ふ、ふふ、ラウラか。 そこまで疲れていなかったのに、俺を起こさず潜り込むとはた
色々すとーんといった形だったので、抱き枕か何かだと思ったら声を出した。
ている間に分かる。
本音だったら引っ込んでいる所と出ている所がはっきりしているので、すべすべやっ
本音じゃない。
確かに自分でない人間の声が聞こえた。
﹁ん⋮⋮⋮⋮﹂
1075
撫でていたのはラウラの背中だったようだ。
うん。
結構幼児体系だよね、ラウラって。
﹁ん⋮⋮、起きたのか⋮⋮﹂
﹁おはよう。 取り合えず、服を着ようか﹂
﹁おおっ、そうだったな﹂
ベッドから抜け出て、見慣れた制服に着替えるラウラ。
はえてないのか。
実にラウラらしい。
このタイミングで本音が起きてなくて本当に良かった。
隣でちょっと会話した程度では、涎をたらしながら枕に抱きついて眠っているのが普
通の本音が本当にありがたかった。
こんな光景見られたら、数時間後にはIS学園全体に知れ渡って、千冬に個室に案内
されてお話しするハメになっていたところだった。
﹁なる程、で、なんで隣で寝てたんだ﹂
﹁うむ。 私は特別なことが無い限り寝るときは全裸だ﹂
﹁ところで、何で全裸なんだ﹂
3─5
1076
﹁日本の兄妹とは、まれに寝るとき添い寝する文化があると聞いたからだ﹂
な﹂
﹁しかし、そうなると誰に聞けばいいんだ
﹂
﹁そうか。 では、今後はそうしよう。 で、お兄様は今日の予定は何だ
﹁今日一日読書して過ごす﹂
昨日確保しておいた色々な小説を枕元に置いていた。
推理小説からファンタジー物、文学からホラーまで計二十冊。
読書とは心や精神の成長を促進させるもの。
﹂
︶そのクラリッサとやらから聞いた後、聞いた内容に関して俺に相談
ラリッサしかおらん﹂
?
してくれ。 そうすれば、マシになるんじゃないか
?
﹁私も数冊借りて読んでいてもいいか﹂
察することなんて、嘗て日常茶飯事だったので習慣がないだけだ。
ここでエッセイやら、コラムやら、体験談を纏めたものやらが出てこないのは、心を
らかの物を得ることが出来る。
本は先人の知識知恵の塊であり、例えそれがどれほどチープな内容であっても何かし
?
?
﹁︵なんでお兄様
相談できる相手が少ない。 お兄様とク
﹁もう、お前に日本文化を教え込んでいる相手からは、何も聞くんじゃない。 分かった
1077
﹁勿論﹂
枕と布団を積み上げるように重ねて寄りかかる。
﹂
ラウラが持ち出したのは﹃100万回生きたねこ﹄⋮⋮、実にラウラらしいチョイス
です。
﹁潤は何を読んでいるんだ
﹂
﹁⋮⋮﹃レクイエム﹄﹂
﹁どんな本だ
?
﹁内容は
﹂
﹁作者不明、自己出版。 だが⋮⋮、いや、どこにでもあるファンタジー小説だ﹂
?
なんでこんな物がこの世にあるのか不思議でしょうがない。
なんか、渡してはいけない気がした。
!?
﹁断る﹂
﹂
﹁そうか、後で読ませてくれ﹂
といったなんちゃって英雄譚だ﹂
て世界最強の剣士に勝利し、これまた色々あって人類の無意識圏に融合して死亡する、
﹁貴族に惚れて裏切られた馬鹿な男が改造されて人造人間になった挙句、紆余曲折あっ
?
﹁ナニゆえ
3─5
1078
全ての登場人物の名前や、地域の固定名称などは違うものの、この物語の主人公は小
栗潤であり、この物語は事実として存在していたのだから。
ただ静かに本を読み進めること四時間余り。
本をめくる音、本音の寝息、雀の鳴き声、若干涼しくなってきた残暑の風。
本の中では物語中盤、ヒュペリオンを装着し巨大宇宙生物の決戦中に差し掛かった
頃。
﹂
突然の癒子来襲。
﹁暇ぁ
物陰からじーっと無意味に観察していたり、本に限らず新聞を読んでいたら堂々とど
る最中はそれを無視して擦り寄ってくる。
こちらから何かしようと思ったときは全く乗ってこない癖して、こちらが何かしてい
潤自身非常に情けない顔をしながら癒子を見上げる。
言うな否や瞬く間に本を奪われた。
﹁暇じゃない。 今日は読書して過ごす予定なんだ﹂
ようよ﹂
﹁私も暇だし、小栗くんも暇みたいだし、テーブルゲームとかボードゲームとか一緒にし
﹁⋮⋮煩い。 読書中なんだから静かにしてくれ﹂
!
1079
こいつは猫なのか
真ん中に物を置いたり読み物と顔の間に手や顔を割り込ませる。
やはり猫か
?
﹂
!
ア﹂
﹂
﹁fufu⋮⋮ 話を聞いてくれません。 便
﹂
!
いい加減起きなさい
!
﹁小栗くんって賭け事得意
本音、もう直ぐ十一時じゃない
はやたら運が良い。
勝てるわけが無い。
!
?
賭け事、幸運値最低の潤には勝ち目など無いのだから。
│││
﹄と起こされている本音、実
﹁私が本音起こしている間に小栗くんは紅茶淹れといてね。 うん。 ナイスアイディ
﹁だから俺は読書中⋮⋮﹂
してみんなでしよ
﹁こないだ人生ゲームの最新版買ってきたから、一緒にやろねー。 そうだ、本音も起こ
?
﹁俺が勝てると思わないことだ﹂
3─5
1080
﹁よし、スリーカードだ﹂
﹂
?
忠実に決して悪くない手を選んでいる。
ラウラもそれが最善手だ、と思う手を潤が取るものの、結果はブタ、ブタ、ブタ
!
あまりに完璧に負けるため、わざとしているのではないかと疑われたものの、基本に
不貞寝気味に寝転がっても仕方が無いのである。
ポーカー総当たり戦、潤華麗に全敗中である。
﹁⋮⋮もういいさ、好きなチョイスで好きなように呼べばいいさ﹂
いな、私的にはお兄様がベストチョイスだった﹂
﹁ああ、日本には兄をそのような名称で呼ぶことがあるようだ。 しかし、しっくりこな
﹁にいや
﹁いや、後ろで見ていたが兄やのセミグラフの考えは決して悪くは無かった﹂
ド。
直近二十回でワンペア四回、ようやく勝ち得る役を手に入れたら相手はフォーカー
八連続でブタ、ハイカード。
﹁おぐりんよっわ﹂
﹁⋮⋮馬鹿な﹂
﹁フォーカード﹂
1081
ハイカードの競り合いになったことが一度だけあったものの七とキングの圧倒的敗
北。
次は全勝中の本音。
﹂
カードを配る癒子。
﹁おっ
﹁ベット、五百円な﹂
ここまで負けこんでいて、突如としてこんな大物手が来るとは思うまい。
本物の賭け事をするときには相手を降りさせないように、駆け引きを楽しむものだが
変える必要なんて無い。
エースが三枚、キングが二枚。
ラウラが小声をあげる。
﹁⋮⋮ナッツ﹂
?
しかし、お互いが上限金をかけて開帳、結果は⋮⋮。
だらだら長く続けられるように設定された金額上限各五百円。
え、なにそれ怖い。
本音が強気だ。
﹁すかさずレイズ∼。 五百円追加ね﹂
3─5
1082
潤 :フルハウス、しかもキングとエース。
﹂
本音:ロイヤルストレートフラッシュ、勝確。
﹁FUCK YOUぶち殺すぞゴミが
﹂
?
﹂
?
?
﹁マッドマックス﹂
﹁まっど、まっくす
﹂
なんでこんなに、察しがいいのだろうか。
何かを確信しているのか、どうしても聞きだそうと躍起になっている。
やたら本音が乗ってくる。
﹁どんな賭けを。 誰としたの
したのかどうかも分からず、結局結果を見届けることが出来ないわけだし。
あの賭けはどうでも良い。
のか
﹁もうやった後だ。 だから幾ら負けたってどうだっていいのだ。 いや、まだ途中な
﹁本当に必要な賭け、なんて何時来るんだ﹂
しても本当に必要な一つにさえ勝てればそれでいいんだ﹂
﹁⋮⋮いや、あれだ。 うん。 人生においてギャンブルなんて必要ない。 あったと
﹁はははっ、ほんと運悪いよな、お兄様は﹂
!
1083
﹁映画、じゃないよね
気が最高に狂った人
﹂
﹁そうだな。 色々と正しい﹂
?
﹂
?
全人類に対するダウンロードなんて死ぬに決まっているじゃないか。
何人にダウンロードしたと思っているんだ。
多くの良くないことに潤を巻き込ませるように王が謀った。
パンドラの箱にあるように、正負の感情は圧倒的に負の感情の方が多く、それゆえに
だから、あらゆる負の感情と、正の感情を知らねばならなかった。
意識に戻す。
人類の無意識圏に対してダウンロードし、リリムの力である植え付けを用いて正常な
結局その内容では二人は結局結果を見届けることなど出来ないのだから。
辛気臭いったらありゃしない。
は朽ちていくことに賭けた。
潤は人類が変わっていく事に賭け、マッドマックスは管理でもしなければやがて人類
朽ちていくのか。
人類は、過ちと醜さを直視し、変わっていくことが出来るか、それとも直視できずに
﹁で、どんな賭けを
?
﹁うん。 まあ下らない賭けだな。 自分にとって間接的でしかない罪に対し、過ちを
3─5
1084
﹂
?
認められるか、認められないかだ﹂
自分の過去なんてそんなものさ。
あの本の最後は、内容は、きっと笑い話だ。
﹁なんだ、やっぱり負けてんじゃん﹂
﹁過ちを認めて、改めること﹂
﹁おぐりんはどっちに賭けたの﹂
﹁道理だな﹂
﹁なにそれ。 たいていの人は認められないんじゃないの
1085
3│6
﹁じゃあ、纏めるということでいいんだな
丁度良いと思う﹂
﹁布仏、勘付かれた気配は無いか
﹂
﹂
﹁⋮⋮うん。 潤はそういう華やかなことは嫌いだから、少なくなるように纏める位で
?
て、その他の準備は
﹂
﹁う む。 嘘 を つ く の な ら 虚 実 混 ぜ 合 わ せ る の が 良 い。 ケ ー キ は 私 と 簪 が や る と し
うよ﹂
﹁今のところ大丈夫∼。 いざとなったら完成記念を前面に押し出せばごまかせると思
?
﹂
?
﹁大丈夫、おぐりん、必要最低限が終われば忽然とパーティー中にいなくなる口だから﹂
﹁所で、こちらが意図した時間に来てくれるのか
﹁私たちの部屋に隠せば、いくら小栗くんでも気が付かないよね﹂
﹁うん。 もう準備OK。 ばっちりだよ﹂
?
そういえば﹂
﹁あー、織斑君のクラス代表就任パーティーでも気付いたらいなくなっていたよね。 3─6
1086
ラウラの席の周囲でひそひそ話に興じるのは、当のラウラと本音と簪、癒子とナギ。
ひそひそ話なのに三人寄ればなんとやらで非常にかしましい。
一人で起きた本音を訝しみ、珍しく避けるように朝食を済ませた癒子とナギに怪訝な
目を向けた潤は、珍しく一夏と一緒に朝食をとっている。
簪まで一組にやってきている状況を考えれば、せっかく仲間内だけで話しているのに
目立ってしまって仕方が無いと思うだろうが、一組全体で一夏の誕生日の話題で持ちき
りなので誰も気にしてはいなかった。
何か余程面白いことでもあったのか、きゃあきゃあと黄色い声が津波の様に響いてい
る。
﹂
﹂
!? !
具のごとく再び潤の懐に飛び込んできた。
同時にちょっと飛びのいたせいで一夏にぶつかって、ピタゴラスイッチに使われる道
を上げた。
輪の中にいきなり潤が入って来て、名前を出していた簪が引きつった声を上げて悲鳴
﹁うおおっ
﹁っひ││
﹁おはよう。 簪までめず││﹂
﹁じゃあ、二十七日、潤に気付かれないように││﹂
1087
﹁ご、ごご、⋮⋮ごめん、なさい﹂
﹁いや、特に怒ってないから。 ところで何の話をしていたんだ﹂
備などは気にしなくても良い。 こっちで勝手にやる﹂
﹁││打鉄弐式の開発完了のお祝い、のようなものだ。 兄は主賓の一人なんだから、準
いや、私は││﹂
﹁む、そうか。 無粋な事を聞いた。 ⋮⋮簪も主賓なのに準備するのか﹂
﹁えっ
癒子とナギも何度も頷き、場を収めようとしている。
聞き出すのは無粋と判断して口を噤んだ。
潤は少しばかりまだ隠し事をしている事を察したが、自分で口にしたとおりこれ以上
方が無い。
何か言ってはいけないことまでボロボロ喋ってしまいそうな雰囲気があったので仕
ラウラと本音が連携して、少しばかり調子を崩した簪を即座にフォローする。
﹁ふーん﹂
﹁かんちゃんはねー、ヴィッヒーにケーキの作り方教えてくれているんだよ﹂
!?
﹂
?
﹁あ、⋮⋮もう、こんな時間。 それじゃあ、⋮⋮また﹂
か
﹁所でもうそろそろチャイムが鳴るから更識さん、クラスに戻った方がいいんじゃない
3─6
1088
一夏に時間を指摘され、急いで教室を出て行く簪。
入れ替わるように朝のホームルーム三分前に千冬が教室に入ってきて、女子のお喋り
は強制お開きになった。
立てば軍人、座れば侍、歩く姿は装甲戦車のよう││などと常々潤は思っているが口
には出さない。
だって怖いから。
│││
最近墜落事故を起こした片割れの潤は、気まずそうに頭をかいた。
第六アリーナ。
山田くんのホームルームが終わり次第準備して集合するように。 遅刻は許さん﹂
ちに中断させる。
うに気をつけること。 尚、付き添いの教師達が飛行状態に問題がありと判断したら直
また、専用機持ちを除く生徒には教師が併走するので自分勝手なコースを進まないよ
被害が出るので細心の注意を払うように。
う。 本授業は第六アリーナで行う関係上、事故が起こった場合周囲の施設に物損的な
﹁今日は二十七日に行われるキャノンボール・ファストに備え高機動について授業を行
1089
授業は一夏とセシリアの実演から始まった。
真耶のフラッグと共に白式とブルー・ティアーズが一気に飛翔、超音速飛行によって
衝撃波と轟く様な大音響を発して音の壁を突破した。
高機動型の加速に慣れていない一般生徒達が轟く爆音に顔を歪める。
ソニックブームがしっかりと視認可能な状態で現れており、もし機体同士がぶつかり
でもしたらその衝撃は簪と共に起こした墜落事故の比ではないだろう。
学園中央のモニュメントであるタワーなんて、ガラス細工の様に倒壊させることだっ
て楽に出来てしまう。
当然潤や一夏も筆記試験に挑んでいる。
んできた。
安全に操縦するに必要な物理学、医学、計器の見かた等の基礎を学び、筆記試験に挑
ついての授業が特別に行われていた。
ここ最近はキャノンボール・ファストを迎えるに当たって、高機動ISの操縦方法に
飛行開始だ﹂
何かしら学べるし、糧にもなるだろう。 よし、出席番号順に訓練機を装備、順番に
﹁よし、今年は一年生も参加する異例の事態となっているが、やって損することは無い。
3─6
1090
﹁次のフライトテストの生徒は待機せよ。 繰り返す、次の生徒は訓練機着用後待機せ
よ﹂
殆どの生徒にとって、ISを使って不自由な機動を求められる高負荷に晒される始め
ての体験となる。
教師達、千冬も真耶も生徒達一人一人に追従する形でフライトを始めてチェックし始
めた。
馬力でどうにでもなるヒュペリオンや白式、紅椿などと違い、一般生徒向けに貸し出
されている打鉄やリヴァイブ、カレワラには安全にフライするためにはテクニックを必
要とする。
スラスターの向き先が数度ずれただけで数秒後には激突コースになっている可能性
があるからだ。
例年では、この訓練の期間がどうしても取れないので一年生の参加が見送られてい
た。
今年は専用機持ちが複数人いるため特例として行われるらしい。
﹂
一夏と箒とスラスターに対してどのようにエネルギーを割り振るか雑談している潤
カレワラを身に纏った相川がウロウロしている。
﹁ねぇ、私は誰と飛ぶの
?
1091
の耳にも届いた。
﹁小栗﹂
﹁はい。 なんでしょうか、織斑先生﹂
﹂
﹁お前も教導官として一般生徒のフライトに付き合え﹂
﹁え
﹂
久的に人手不足の教師陣に協力してくれ。 それに、出来るだろ
﹁なんか、潤って千冬姉に信頼されているのか
俺 が ペ ア に な っ た。 チ ェ ッ ク シ ー ト に 則 っ て
!
を向けた。
どちらかといえば歓迎の色が濃いクラスメイトの声を聞いて、一夏が感嘆とした視線
潤が大声を上げながら女子の輪に入っていく。
最終チェックを始めてくれ﹂
し か し な い。 ま っ た く │ │ 相 川
﹁信頼しているのを理由にして、便利だからって何でもかんでも押し付けられている気
﹂
相性がいいのか
?
?
﹁分かりました。 ⋮⋮マジかよ﹂
?
﹁楯無にもこういう場合には手伝わせている。 お前も次期会長ならば今のうちから恒
?
﹁⋮⋮性根に問題がありそうだがな﹂
﹁千冬姉にISの実力で信頼されている潤って、かなりすげーよな﹂
3─6
1092
﹁箒ってなんで潤と仲悪いんだ
﹂
?
│││
?
﹁全然自由が利かないんだね。 操作が重いかな
隣を飛んでいるのは鷹月静寐さん。
﹂
余裕が出てきたのか、速く飛行する代償に方向転換が難しくなった挙句、操作が重く
中々ビギナーらしからぬ機動を見せている。
クラス代表の一夏を差し置いて、委員長と呼ばれるしっかり屋さん。
?
﹁うん、中々上手いじゃないか﹂
そうでない生徒は、整備やら開発やらに進むことになるだろう。
た挙動と的確なバーニア制御の扱いを見せ、その才能を如実に現していた。
今までコース取りに失敗し、強引にコースを変更した生徒もいるが、何人かは安定し
﹁⋮⋮全体的に生徒の資質がはっきりしてきたかな
﹂
一夏は自分のことなのに、まるで結論を出せない箒を不思議そうに見つめていた。
何故か箒は潤が苦手なようだ。
﹁││わからん。 だが、なんとなく奴の性格、いや性根がちょっとな﹂
1093
なった機体に文句を言っている。
﹂
﹁ヒュペリオンって、サクサク方向転換してるけど、こんなに操作性が悪くなる高機動状
態でどうやっているの
﹁それ安全なの
﹂
だよ。 イメージ的には見えない壁に衝突してバウンドをする感じだな﹂
ら。 全身に急進可能なこの機体は、裏返しに言えばあらゆる方向にブレーキ出来るん
﹁実は方向転換してるんじゃなくて、一瞬で完全停止と最高速度化をやってるだけだか
?
第四アリーナを一周し、そろそろ着地体制に入る。
﹁その結果があの機動なのか⋮⋮ふーん⋮⋮﹂
質を最大限に引き出すのを基本方針にしてるみたいだな﹂
﹁パトリア・グループの方針なのか、篠ノ之博士が仕組んだのか、どうもパイロットの資
﹁うわー⋮⋮﹂
低いと反転時に骨がバキバキ折れるらしい﹂
が壊れないように相当難しい制御を行えるから安全なんだけど、その肝心の脳波適正が
﹁んー。 そこはかなり微妙でな。 脳波コントロールで駆動系の操作を補助し、身体
?
﹁もしかして織斑先生や、山田先生が着地後暫く直立不動で立たせているのと関係あっ
﹁着地後に気をつけてくれ﹂
3─6
1094
たりする
﹂
?
﹂
!?
ちょこちょこっと問題ありそうな言動をしていたが、概ね潤が教える側に回っても問
ステムが採用されてるから一夏は知らない﹂
不動にするのは、そういうことさ。 因みに専用機には操縦者に最適化された専用のシ
﹁あっはははは。 あ∼、面白い。 初心者を高機動ISから降ろす時は、動かさず直立
﹁すっごい意地悪だよね小栗くん
くと、ちょっと足を上げたつもりが腹を蹴り上げるかのように動くからそうなる﹂
ンバリア越しに取得するデータをもの凄く過敏に取得しているんだ。 その状態で歩
﹁お分かりのとおり。 高機動状態のISはその操作性の難しさのため、普段よりスキ
いっと腰の部分から手を回して持ち上げ体勢を正す。
それを見た潤は悪戯が成功した悪ガキのような表情でヒュペリオンを傍につけ、ひょ
持ち直そうとしたのか今度は足を地面に叩きつけ、ダイナミックお辞儀をし始めた。
まず右足を勢いよく宙に向かって蹴り上げ上半身が後ろ側に倒れる。
を失ってだばだばし始めた。
鷹月が着地してISの機動を安定させようとすると、途端にカレワラがバランス感覚
分かるよ。 うん﹂
﹁そういえば説明されてないな。 ⋮⋮取り敢えずやらせてみるか。 体感すれば良く
1095
題は起こらなかった。
むしろ事故が起こったのは、どちらかといえば生徒側の問題で。
どちらかというとI
やり直しを二度ほど繰り返したナギを相手にしていたとき、そういった事故が起こる
要因が揃ってしまう。
Sには慣れているほうだろうに﹂
﹁最後は⋮⋮ナギか。 どうしてやり直し組に入っているんだ
﹁織斑先生にも言われたんだけど、あがり症で⋮⋮﹂
も感じさせない。
﹁どの変がどう駄目なんだ
﹂
あがり症だというが、急上昇し姿勢を安定させてコースを飛ぶ姿からはそんな事微塵
チェックは問題ない。
の掛かりそうな問題だな﹂
﹁技術じゃなくて精神的問題か。 どんな物であれ克服しなければだが、これまた時間
?
に間隣をいきなり飛ばれるとこわばっちゃって﹂
?
﹁⋮⋮戦闘向きじゃないな﹂
治らないのかなぁ
﹂
﹁なんか、後ろを飛ばれて身体をじろじろ見られるとつい⋮⋮。 あはは⋮⋮。 それ
?
﹁う∼⋮⋮。 やっぱりそう思う
?
3─6
1096
﹁手っ取り手早くするなら、いや、ちょっと試してみるか﹂
﹂
?
﹁え
﹂
貴様ぁ、何をやっている
││ひゃ
﹁はあ
﹂
!?
!
ル下で徐々に落していく。
適当に掴みやすい箇所、今回はナギの肩を掴んで速度を落させ速度を潤のコントロー
取り敢えず定められた規則に従い、訓練機を拘束。
!?
!?
﹁コースがずれ過ぎた。 速度落せ、やり直す﹂
コースに入っていった。
計器に集中し切れていないナギがその事に気付くはずも無く、あっという間に再試験
このままなら三秒後にはレッドゾーンに入っていく。
く。
何を想像したのか知らないが、一瞬で指定されたコースのイエローゾーンに入ってい
どうやら本格的に駄目らしい。
﹁それはちょっと恥ずかしいかもぉ、なんて言ってみたり⋮⋮﹂
応を確かめてみてからだな﹂
﹁心理テストをするために手を握ってみたり、ちょっとしたらボディータッチをして反
﹁何かあるの
1097
3─6
1098
そのはずが、一瞬で潤が横に着いたこと。
肩を捕まれる直前手をかわす様に動いたことでわき腹を抱え込まれてしまったこと。
弾みでヒュペリオンのマニュピレーターが胸を触ることになってしまったことで、ナ
ギはパニックになってしまった。
潤もぐにゃっとした柔らかい感触がヒュペリオン越しにしたことで、直ぐに手を引っ
込めたのが最悪の結果になってしまう。
││カレワラの背中から腰の部分のパーツの切り離しを実行。
││メイン制御装置離脱により各部パーツが待機状態に移行。
カレワラはヒュペリオンを元にして作られた機体で、脳波コントロールシステムを搭
載しており、それにより機体操作を補助している。
今回は、ナギの﹃離して欲しい﹄といった感情が、最悪の方向に伝わってしまった。
後に聞いてみれば、今回のことは殆ど覚えていなかったらしく、本能レベルの強い感
情を拾ってしまったのが原因あるといえる。
何はともあれ││
明後日の方向にすっ飛んでいくカレワラ。
地平線を百キロ近い速度ですっ飛んでいく生身のナギ。
絶句する潤。
﹂
口ポカーン状態の千冬と真耶。
﹁行くぞ、ヒュペリオン
あの
これ
﹂
死にたいのか
! !?
時間を少しでも稼ぐ。
﹁潤くん││
抱きしめて身体を固定。
﹁黙って俺にしがみ付いていろ
!?
﹂
り、斜めに引っ張ったり、上から持ち上げたり様々な方向から体勢を安定させる。
ブレーキをかけつつ負荷が身体の一つに集約しないように、下から上に押し上げた
のだが、ナギはお生憎様生身の状態。
カレワラを纏っていてくれれば簪の時と同様、
﹃墜落﹄といった簡単な選択肢も取れた
ナギが抗議の声を挙げるが、人命救助故の致し方ないことなので諦めてもらう。
!?
?
追い付いたのも束の間、間髪いれずにナギに対して身体を水平に差し込み、墜落する
斜めに飛んだせいでこのままでは直ぐにナギが地面に墜落してしまう。
セシリア戦の経験が此処で生きた。
可変装甲を即座に展開。
!!
1099
地面に接触する前に勢いを少しでも削らないとナギが死ぬし、負荷を集めすぎれば骨
が折れる。
﹄﹂
その微妙なバランスを、僅かな時間で完璧に取って、速度を殺さねばならない。
﹂
││最終的には時間オーバーで墜落したんですけどね。
﹁⋮⋮おい、無事か
﹁えっと││﹂
﹂
﹁イエスかノー以外の返答は認めない。 それではもう一度、﹃無事か
﹁イエス、だと思う
?
?
?
たので生身だったナギには何かしら不調が出ている可能性が高い。
しかし、直前でもう間に合わないことがはっきりしたため、強烈に急ブレーキをかけ
墜落といっても、僅かに足を引き摺った程度で済んだ。
もう少し速度を殺すのが遅かったら砂浜でもそうなっていただろう。
ころだった。
下が砂浜じゃなかったらナギがアスファルトに叩きつけられたカエル同然になると
﹁そうか﹂
3─6
1100
﹂
﹁気を付け、そこから休めの体勢。 その次に手をなるべく地面と水平になるように広
﹂
げろ﹂
﹁え
﹁いいからやる
﹂
!
前が悪い﹂
?
を吸って﹂
てり絞られるんだな。 だから、俺の責任が及ぶのはお前の怪我までだ。 さ、深く息
﹁勿論。 だが、怒るのは俺の仕事じゃない。 後は織斑先生と二者面談でもしてこっ
﹁えーと、怒ってる
﹂
﹁やかましい。 空中で高機動状態なのにISを強制解除するほどパニックに陥ったお
﹁あ、あの、あんまり触られると⋮⋮﹂
即是空、空即是色、心頭滅却。
太ももを叩いたとき、くにゅとした感覚があったり、肉が波打ったりしたが││、色
パッと見ただけで折れているかいないか判断可能だが念のためだ。
ISのスーツはスクール水着みたいなもので、手足は付け根まで露出しているから
脹脛から始まって太ももから腕までを軽く叩く。
﹁は、はいっ
!
?
1101
胸とか触ると流石に問題があるので、ちょっと気をつけて肋骨辺りを触診する。
普通に深呼吸をしているあたり問題なさそうだが、墜落直後といったこともあり、ア
﹂
﹂
ちょっと失礼﹂
ドレナリンが出て多少の痛みを感じていないだけということもある。
﹁ん
﹁なんか、変だった
﹁なんか、一箇所だけ熱が⋮⋮、箇所的に第八か第九かな
﹂
背中から押し込むように手を当て、腹部を軽く押す。
﹁痛たぁ
ようは結構動くように出来ているので簡単に怪我するのである。 南無。
つぶすことが出来たりする。
あの骨は内蔵を守るほかに、大事な機能として呼吸を補助する役割があって肺を押し
肋骨は弓状なので、正面から圧力を受けると割とあっさり折れたりする。
室へ。
再びヒュペリオンを展開させると痛みに顔を歪ませるナギを拾い上げ、目的地は保健
織斑先生には話を付けておくから保健室にいこうか﹂
﹁⋮⋮うん。 罅か剥離だろうな。 呼吸して痛まないなら折れちゃいないだろう。 !
?
?
?
﹁しかし、この一年間で三度も墜落現場に立ち会って、全てに救助に携わるかね、普通。
3─6
1102
1103
しかも難易度が徐々に上がってるし、次あったら実質不可能だったりして⋮⋮﹂
だが、潤の悪い予感は大抵当たる運命にある。
それを知るのは、左程遠くない未来である事を彼は当然知らない。
同じ魂魄の能力者として、呪いに耐性があるし、もしかしたら仲間に呪い対策をして
唯一気になるのは、狂犬。
か。
一夏に絡んでいたあのOL風の女には、それを骨の髄まで味わってもらおうじゃない
暗殺されるほうが悪いのだ。
戦う前に相手を呪殺して何が悪い。
なんて最後の手段であるといえる。
潤のような裏側の人間にとって、正義の味方のように正々堂々相手を迎え入れて戦う
どう見ても黒魔術の儀式です。 本当にありがとうございます。
生き血、相手の魂を記憶させるための呼び水、等々。
トカゲのしっぽ、蝙蝠の頭、ヘビの眼球、藁人形が作れる程度の藁、魂魄の能力者の
索して採取行動をしたりしていた。
これ幸いとばかりに潤は千冬にちょっとした頼みごとをしたり、IS学園の敷地を探
すぐ直近に大会があるので、アリーナの空きが全く無い。
3│7
3─7
1104
いるかも知れないし、攻撃をしてくるかもしれない。
千冬の許可の下、IS学園の敷地範囲内に限定にして﹃交通安全﹄と﹃無病息災﹄等
の結界を張っているので、何かあれば察知できる。
潤が察知できないような小規模の攻撃なら安心だが、潤本人を対象にした呪い返しな
ら簡単に結界を突破しかねない。
念のため、潤に代わって呪い返しを受ける藁人形も、一緒に用意しておくつもりだ。
﹁ま、まあ、程ほどにな⋮⋮﹂
﹁ええ、程ほどにしますとも。 勿論ね﹂
真っ黒い笑みを浮かべて、千冬に怪しげな物の取り寄せを頼む潤を見て、千冬は隠す
ことなくドン引きしていた。
﹂
そして一時間ほど経った後に、一夏の訓練と本音の訓練を一緒に行う。
﹁セシリアと一緒か⋮⋮、今日はどんな訓練なんだ
﹁今日はわたくし、ですか。 やっとですわね﹂
一夏の言葉通り、今日はセシリアが講師。
やることは唯一つ、回避訓練である。
カバーする﹄というのがある。
ヒュペリオンの基本的運用論理に﹃極限まで起動性を上げ、防御力の低下を回避力で
?
1105
セカンド・シフト後には改善したものの、第一世代相当の防御力しかなかったシフト
前のヒュペリオンは、格闘戦になると攻め込んでいるのに敗北することになる。
話がそれたが、白式のエネルギーを最大限使うために最も気を付けるべきなのは、
﹃敵
機の攻撃に当たらないこと﹄である。
HPを削って攻撃力に転換する白式は、そのHPがどれだけ残っているのかが最大の
鍵になる。
だからこそ、手数を多く運用できるセシリアに頼むのがちょうどいい。
他にも、もう一つ考えがあるが。
﹁それじゃあ、俺は白式をキャノンボール・ファスト仕様に変更するからちょっと待って
くれ﹂
﹁そうか⋮⋮、セシリア、時間が着たらブルー・ティアーズで一夏を包囲攻撃するぞ。 俺もフィン・ファンネルを展開するからフレンドリー・ファイアには気をつけてくれよ﹂
セシリアが放課後一人黙々と訓練しているのを潤は知っている。
﹁⋮⋮ええ、やりきってみせますわ﹂
可変装甲が任意で開ければ
その理由も、どうすれば解消できるのかも理解しているが、これは教えてどうなるも
のではないことも知っている。
﹁ところで、潤はキャノンボール・ファストどうするんだ
?
3─7
1106
何でだよ
﹂
﹂
ああ、織斑先生も言ってなかったな。 俺は出場しないんだ﹂
優勝筆頭候補だろうけど﹂
﹁ん
﹁ええ
﹁そ、それはどういうことですの
!?
?
﹂
?
のドイツ代表候補生との練習で不参加。
代表候補生を送り出して、専用機まで持たせているはずの中国とイギリスは、まさか
そこからフランス、イタリア、アメリカ、ドイツと続き、無国籍の潤が入る。
タッグトーナメントの決勝リーグに残ったのは、最も多かったのが日本。
﹁いや、セシリアが悪いわけじゃない。 気にするな﹂
﹁それは││﹂
﹁前回の大会のことで中国とイギリスがな﹂
﹁それに
﹁それに⋮⋮﹂
﹁合宿前まで確かにそんな感じでしたわね﹂
﹁ああ∼、ああ。 そういえばそうだったな﹂
は機密だし、怪我を理由に辞退って訳だ﹂
﹁表向き、全治数ヶ月の怪我していることになっているからな。 直った経緯について
!?
!?
1107
ISの開発はスケールが小さくなった戦争だ。
各国の技術力と経済力、工業力と人材を競い合う。
その代理戦争ともいえるISでのトーナメントで、国家代表候補がドイツに惨敗して
不参加になったのだ。
しかもイギリスと不仲のフランスが、同じく中国と不仲の日本が残っている。
そういうわけで、今回の大会は中国とイギリスにとっての汚名返上、名誉挽回の機会
であり、その最大の障壁であり前大会の優勝者にちょっとした嫌がらせをしただけだ。
﹂
千冬と潤、楯無が、その挑発にとある理由から自分たちから乗って、今回潤は大会に
飛べ
!
参加しない。
﹂
﹁さて、この話題はもういいだろ。 準備はいいな
﹁お、おう。 行くぞ、白式
!?
﹂
﹂
﹁一夏、一回の被弾で腕立て十回くれてやる。 今日は二十分一回のインターバルで六
!
回やるぞ。 死ぬほど腕立てしたくなかったら避けてみせろ
!?
!
だ。
そして先ほどの罰ゲームのクリア条件が、無茶振りもかくやという閃光が降り注い
一夏に向かってティアーズとフィン・ファンネルが飛んで行き、完全に包囲する。
﹁マジか
3─7
1108
﹁⋮⋮セシリア﹂
﹂
?
そんな彼女にも、オンリーワンが、プライドが傷つかない領域があった。
しかし、それが尚更セシリアのプライドを悲惨な有様にしている。
ら、勝ち筋が無いわけではない。
同じようにエネルギー兵器を多数積み込んでいるヒュペリオンが勝てているのだか
する白式の楯を突破できないからである。
エネルギー兵器ばかり積んでいるブルー・ティアーズでは、エネルギー兵器を無効化
理由は単純明快。
セシリアは、白式が第二形態になってから勝率が極端に悪くなった。
﹁⋮⋮お心遣い、ありがたく頂戴いたしますわ﹂
﹁今日はいい的もあるんだから、好きなだけ試せばいい﹂
﹁そうですか﹂
﹁何について悩んでいるのか、俺には分かるつもりだ﹂
ている最中、ふと潤がセシリアに呼びかけた。
一夏の機動を撮影、判断を誤った箇所について自分なりのコメントを合わせて保存し
攻撃開始から数分。
﹁はい
1109
BT適正Aという存在が国家代表候補生の中でセシリアしかいない││はずだった。
あのサイレント・ゼフィルスを操る謎の女が現れるまでは。
﹂
BT兵器のフレキシブルは、その稼働率が最高にならねばならず、その前提条件に適
正がAで無ければならないというのがある。
﹁潤さんは、⋮⋮BT兵器のフレキシブル操作が出来ますか
見出せばいい。 俺はそんな所ばかり上手くなってしまったよ﹂
﹁強さと、巧さは別物、ということだ。 正面きって勝てないのであれば、勝てる方法を
﹁ですが、潤さんはお強い方です﹂
な。 一流と二流の境目をウロウロするのが俺の限界だ﹂
﹁俺 は あ あ い う 超 一 流 の 領 域 に た ど り 着 く の は 無 理 だ。 俺 が 得 意 な の は 模 倣 だ か ら
?
﹂
﹁それが、このフィン・ファンネルの操作に現れているのですね。 ところで、なんで漏
斗なのですか
?
対して、セシリアのティアーズは横一列に並んだり、円状に展開して反応の裏をかく
それと全く違う動き、狙撃用、ばら撒き用と並列同時運用をしているものも。
ある。
セシリアの目には、一夏の白式とドッグファイトを繰り広げるフィン・ファンネルが
﹁気にするな﹂
3─7
1110
等したりしているが、機械的な動きをしているのがすぐに分かる。
相手の土俵に立つのではなく、自分の持ち味を生かして戦う道を選んだ結果が、あの
有機的な、人間が乗っているかのようなBT兵器の動きに現れているのだろう。
﹁潤さんは通常兵器と、BT兵器を並列運用していらっしゃいますけど、なにか秘訣があ
一夏は腕立て二百六十回の刑、潤、実に容赦しない。
リアから話しかけてきた。
三回目のインターバルが終了し、少し長めの休憩に入ったとき、意を決したのかセシ
彼女のティアーズに変化は見られなかった。
それからウンウン唸ってティアーズのフレキシブル操作を試みるセシリアだったが、
こめかみを刺しながら潤が言う。
﹁考えすぎというだけさ。 少しここの力を緩めてみるんだな﹂
﹁よくわかりませんわ⋮⋮﹂
だ﹂
ば、案外簡単にものは成る。 壁を作っているのは、セシリア、││お前の﹃理﹄なん
考えるものではない、感じるものだ。 かくあれかしと思い、結び、溶け込み、混ざれ
ば足りぬこと、出来ぬことだけだらけとなって満足に動けなくなる。 ビット兵器とは
﹁フレキシブル、BT兵器の運用方法、どちらも考えないことだ。 理詰めで考えていけ
1111
るのでしょうか﹂
セシリアがなにやら思いつめた顔で質問してきた。
一夏の回避技術を纏め上げ、改善点を映像から模索。
その片手間に先日の高機動訓練授業にて、ナギがカレワラを簡単にパージ出来た理由
を探るためにカレワラのデータを洗っている。
一目でその異常性は分かるというものだ。
﹁無い﹂
なりレベルアップできるはず。 何でもいいので、コツのようなものを﹂
﹁そ、そんなばっさり言われましても⋮⋮。 わたくしもあれが出来るようになれば、か
﹂
?
機だ。
逆に潤のヒュペリオンは、彼のために篠ノ之束という世紀の天才が作り上げた潤専門
る。
となると、ブルー・ティアーズに最適だったのがセシリアだったという図式が完成す
女が現在BT適正の最高峰だったからだ。
セシリアが使っている専用機のブルー・ティアーズ、それを扱う事を許されたのは、彼
一旦カレワラの調査だけを止めてセシリアに向き合う潤。
﹁そうは言っても、機体開発の経緯から差があるんだから当然のことだぞ
3─7
1112
この二つの差は大きい。
その経緯を説明すると、合宿から続く潤と束博士関連のことを知っているセシリアは
成る程と頷いた。
﹂
コアも、武装も、開発理念も、潤をベースにして作られたヒュペリオンとは、機体相
性の時点でかなりの差がある。
﹁潤さん、⋮⋮脳波コントロールの試運転をわたくしにさせていただけませんか
いや、これは危険だ。 俺の脳波適
?
なんらかの決意を秘めた瞳で、気合を入れなおしたセシリアが制御モジュールに額を
すると、束の形をした珍妙な制御モジュールが露になった。
ある装甲を開く。
セシリアのゴリ押しに根負けし、メンテナンスモードに移行すると、背中、首付近に
﹁ありがとうございます﹂
ルに額を付けろ。 フィン・ファンネルの操作を預けるから使ってみればいい﹂
﹁⋮⋮││、安全の保証は無い、そう言ったからな。 背中の首付近にある制御モジュー
﹁いえ、いいのです。 何かしら新しい刺激になるかもしれません﹂
レワラとは違うんだぞ﹂
正は計測至上最高値だったらいいものの、その安全性はまるで保障されていない。 カ
﹁ヒュペリオンの脳波コントロールシステムを
?
1113
付けた。
普段の半分ぐらいの速度でフィン・ファンネルが動き、あろうことかティアーズが一
﹂
機同じように動いており、もう一つティアーズがプルプル震えている。
﹁おい、無茶をするな﹂
﹁大丈夫か
た。
無理しないで、少し休んだほうがいい﹂
気合だけで足腰を持たせていたセシリアが、フラフラしながらその場に腰を下ろし
セシリアから脳波コントロールを奪取した。
ンテナンスモードを解除。
そのまま、別種のBT兵器を同時に操る無茶を二分ほど行い、見かねた潤が強引にメ
﹁大丈夫、ですわ。 このくらい、このくらい平気で出来ないと⋮⋮
!
多少なら症状も分かるぞ﹂
大丈夫ですから、少し休めば⋮⋮﹂
﹁やはり影響が出ているのか⋮⋮。 保健室に行ったほうがいい。 一夏
﹁大丈夫です
﹂
!
感じで﹂
﹁いえ、思ったより酷くは無かったのですが⋮⋮。 頭が刺激されるといいますか、妙な
?
セシリアから現在の容態を詳細に聞いていた潤は、その話を聞いていくにしたがって
?
!
﹁まったく⋮⋮、それでどんな症状なんだ
3─7
1114
眉間の皺を深めていった。
そもそも脳波コントロールは潤すらよく分かっていない部分がある。
しかし、この症状は可変装甲を展開後、フィン・ファンネルすら全力で起動したあと
の症状と、かなりの類似点が存在していたからだ。
確かめてみなければ分からないし、どの程度のレベルとは言えないが、脳波適正がセ
シリアにはあるらしい。
流石に魂魄の適正は無いが、⋮⋮いや、魂魄の能力は全人類が魂という形で必ず持っ
ている。
正確には能力者になる程の適正は無いが、普通の人より素養があるということだ。
重ね重ね言うが、能力者になる程才能は無い、が、無理やり魂魄の能力者用に作られ
﹂
今日は中止
セシリ
たモジュールを使用したことで、その副作用が頭痛となって現れたのかもしれない。
アがヤバイ。 保健室に連れて行ってやれ
﹁傍から聞けば分かる。 今日は無理だ、一日休め。 一夏
﹁セシリア、大丈夫か﹂
!
脳波コントロールシステムは魂魄の能力と密接なかかわりがある。
願いしますわ⋮⋮﹂
﹁か、かっこ悪いところを見せてしまいましたわね。 申し訳ありませんがよろしくお
!
!
1115
魔法の力を全身に作用させるシステムは、それゆえ科学的に考えられない事象を起こ
すこともありえる想像の埒外にある代物だ。
今日は、それを強く認識した潤だった。
│││その日の夜│││
高層マンションの最上階、贅という物を最大限に使われたバスルーム。
時刻は草木も眠る丑三つ時。
亡国機業の一人、蜘蛛型ISを用いるオータムが湯に浸かっていた。
彼女らは今度のキャノンボール・ファストで再び││彼女らの持つ画期的な第四世代
期である﹃シックザール﹄の試運転を行う予定だ。
色々考えながら今度の襲撃に思いを馳せる。
ている。
残り一つはエルが連れてきた、通称﹃ディー﹄が使用しているシックザールに使われ
使用されている。
エルが提供してきたコア五つは、彼女たちの協力者から提供されたリヴァイブ四機に
﹁それにしてもエルのヤロー⋮⋮、第四世代なんて何処から⋮⋮﹂
3─7
1116
1117
その時、変な悪寒が全身を包み込んだ。
口から吸い込む空気が、湯気とは違った生暖かいものに感じる。
つめれば二人は居るのが限界程度の浴槽なのに、まるで何人もの人間が自分のそばに
居るかのようで、あるいは人を食う猛獣が息を潜めている樹海の内部にいるかのよう
だった。
呼吸が荒くなる。
湯に写る自分を見た瞬間、思わず叫び声をあげてしまいそうなった。
水面に写っていたのは自分ではなく、血の池、針の山のような場所から、今まさに自
本能がそう叫んでいる。
分の居場所まで壁という壁を伝って、這い上ってくる大勢の裸の男女だった。
ここに居てはいけない││
湯越しに見るバスルームに、考えられないほどの人影がいて、こちらを嘲笑っている。
人間とは思えない強さだ。
力が強い。
なり、逆に浴槽に沈められる。
再び浴槽に身が戻り、首、口、肩、太ももまで掴まれて完全に全身が身動き取れなく
ついた。
湯船から立ち上がって逃げようとして⋮⋮、立ち上がった瞬間、腰に誰かの手が絡み
!
お前らがやっているのか
﹁オータム、大丈夫
﹂
と怒りがこみ上げてくるものの、彼らはただニヤニヤ
力強い腕で、持ち上げられた。
そのまま、どんどん意識が薄くなって││││
笑っているだけだ。 何もしていない。
!
﹂
ていないらしい。
﹁ん﹂
﹁なんだ
﹁ん﹂
﹂
その細腕でオータムを引き釣りあげたとは思えないが、流石に今はそこまで頭が回っ
少々癖のある明るい金髪、触れるもの皆傷つけるような鋭い眼光、アメジスト色の瞳。
オータムを持ち上げたのは、どう見ても十歳程度の女の子だった。
﹁ディー⋮⋮⋮⋮、なんだ、これ。 どうなってやがる⋮⋮﹂
?
エルがやった事といえば、潤がやってくる呪いを防ぐことぐらい。
ディー本人には呪い返しの方法を教えていない。
ディーが手渡ししたのは、エルが作成した対呪術用の魔道具だった。
?
?
﹁⋮⋮エルが作った首飾りじゃねぇか、って何で黒くなってやがる
3─7
1118
何故そんな事をするのかは誰も知らない。
その宝石の様に輝く真っ白な鉱石が、今は真っ黒に染まっている。
﹁寝る時も、お風呂の時も、外しちゃ駄目﹂
それだけ言うとディーは歩いてリビングまで戻っていった。
黒い鉱石を見ていると、ゆっくり精神が正常に戻っていく。
何時しかそこは、オータムが知っている普通のバスルームに戻っていた。
一方潤は、予想通り呪いが防がれたことに嘆息しつつも、何の変化も無い藁人形を前
に頭を悩ませていた。
呪い返しがされていない。
失敗した
パターンか
?
ナメプですか、ナメプですね。
ん
けど、成功したとは思えないし、あっ、コレは成功したけど呪い返しはされていない
いや、こちら側に不備はない。
?
?
野郎・オブ・クラッシャーすんぞ
?
1119
潤が深夜帯特有のテンションで状況分析している頃。
とある男が、とある安いホテルに訪れていた。
その男を見る従業員の目と反応を表すと、
﹃さて、どのタイミングで警察を呼んだもの
か﹄だった。
なにせ髭は伸びきっており、髪の毛も一月以上洗っていないのは明白、黒ずんだ肌の
せいで白人の面影はなくなっている。
顔がそんななのだから、当然服装も酷い。
洗ってないのか黒ずんだジーンズ、よれよれの上着、典型的なホームレスだったから
だ。
いくらやっすいやっすい路傍の三流安宿といっても、こんな客がロビーに居ては他の
客の迷惑になってしまう。
俺の名前はアランだ。 しっ
見違えたぞ。 完全にホームレスじゃないか﹂
見かねた従業員が声をかけようとしたその時、別の客に先に声をかけられてしまっ
た。
﹁ミシェル
﹁ああっ、ピエールか。 随分大きくなったなぁ﹂
かりしてくれよ﹂
!?
!
﹁おいおい、本当に脳をやられちまったのかミシェル
3─7
1120
﹂
﹁そうだったか 見ない間に随分大きくなって、最後に会った時はこの位だったろう
に
?
ます﹂
﹂
つい三ヵ月程前までデュノア社で一緒だったじゃないか。 俺は
そうだったか
﹂
﹁何かありましたら、室内の電話でご連絡ください。 私どももお力になれたらと思い
よろしく頼むよ。 安心してくれ、俺が面倒を見る﹂
﹁今日ここで待ち合わせしていた小汚い男ってのはこいつの事なんだ。 お目こぼし、
﹁ええっと、それは││﹂
中に頭をやられちまってな⋮⋮﹂
﹁ああ、ホテルマンか⋮⋮。 こいつは有能な俺の叔父さんだったんだが、この通り実験
そして、このホームレスのような男もそのようだ。
い。
話の内容を整理するに、IS業界で著名な業績を誇っているデュノア社の社員らし
真剣に相手の事を気遣う紳士風の男。
!
ミシェルの薦めで入社したのに
﹁なに言ってんだ
そう言って自分の腹部やや上部付近を指し示す。
?
﹁はっはははは
? !?
!?
1121
紳士風の男はホームレスの甥だったらしい。
小汚いと聞かされており、事前に了承をしていたとはいえ、まさかホームレス同然の
格好をしていたとは思わなかった。
客が帰った後、清掃が大変そうだと、従業員はため息を漏らした。
を用いて二時間かけて調べました﹂
﹁開発部長、もう大丈夫です。 この部屋には盗聴器の類はありません。 専用の機器
﹁ありがとよ、アラン。 ⋮⋮まずは身体を洗わせてくれ。 臭くてかなわん﹂
部屋に入ったとたん、先程の二人がデュノア社の肩書きを用いて話し出した。
先ほどまで常に薄ら笑いを浮かべ、狂人のようだったホームレスの男の眼光は、理性
的な色に代わっている。
二人は確かに叔父と甥だったが、ロビーで話していた会話は、実は合い言葉だったの
だ。
頭がおかしくなった叔父、探して介抱するために日本まで来た甥、他者が聞いたら非
常に寒い思いをしたかもしれないが二人は本気だった。
﹁本当だよ、いくら監視の目を欺くためだといっても、三ヶ月以上も障碍者の真似して
﹁本当です。 何でこんなことに⋮⋮﹂
﹁バスローブで悪いが私たちには時間が無い。 話を進めるぞ﹂
3─7
1122
ホームレス生活をさせられるとは思わなかった。﹂
を示していた。
書類に押されている、デュノア、パトリア・グループ両者の社長印が、ことの重大性
がない。
本来ならばこんな日が来ることが無い事を祈っていたが、来てしまったものはしょう
今日の日のため、幾重の苦難を乗り越え、半年以上前から準備を重ねてきた。
男二人の秘密談義は夜遅くまで続いた。
髭は無くなり、髪の毛は整えられ、パリジャンと言われても何の不思議も湧かない。
﹃K.R.R.F.﹄と表題にかかれている分厚い代物が机に乗る。
り出し、スーツに着替え始めた。
そしてホームレスのような男も、しわくちゃになりって一部分茶色になった用紙を取
そう言って紳士風の男が鞄から報告書を取り出した。
﹁それでは、本題に入りましょう﹂
﹁言うなアラン、悲しくなる﹂
でもしなければあの馬鹿な女社長に││﹂
﹁こんな事を三ヶ月近くかけて、フランスの医師に偽の診断書まで作って、しかし、そう
1123
│││
翌日、IS学園にてキャノンボール・ファスト実行委員会の会合が開かれていた。
﹂
会議室に潤がついたころには、他の出席者の全員が揃っており、取り合えず空席に
なっていた簪の隣のパイプ椅子に腰をかける。
﹁おはよう﹂
﹁なんか、先生方は妙に殺気立ってるな。 気合入りすぎじゃないか
つまり、今回の会議はそういうものだ。
に警備などを行っている面子である。
集まったメンバーの共通点を考えれば分かることだが、何かのイベントが起こった際
教師達の多くはアリーナで劣化リリムに乗っ取られたラウラと戦っていた面々だ。
らっと勢ぞろいしていた。
湾曲したテーブルには楯無、虚といった生徒会の面々、真耶やその他の教員たちもず
﹁やれやれ、もっと肩の力を抜いてくれないものかね﹂
んか、気合が入ってたよ﹂
﹁⋮⋮失敗続きだから。 私の打鉄弐式が亡国機業と戦えるかどうかのチェックも、な
?
﹁では、始めよう。 今回の議題は言わずとも分かるだろう。 キャノンボール・ファス
3─7
1124
ト開催の際の警備、防諜の打ち合わせだ﹂
IS学園は今年に限って、ただの一回もまともに行事を完遂させていない。
唯一まともに最後までいったタッグトーナメントも、優勝者が一組できた程度であ
り、満足に完遂したとは口が裂けてもいえない。
例え襲撃される側で、相手の行動も読めず、目的も定かでない連中、と言い訳できる
要素は多数あるものの、積み重なれば苦しくなる。
故に、次こそは、今度こそは、と教師たちのボルテージも上がっている。
殺すことは出来なかったが、地獄に足を半分ほど突っ込んでいたので影響が出ている
キャノンボール・ファストには間に合わない。
実はこのパイロット、潤は千冬にしか言っていないが、呪いが原因でどうやっても
蜘蛛型IS、アクラネを操るオータムの襲撃から始まった亡国機業の襲撃。
あるスクリーンに先日の戦闘の様子が浮かび上がる。
楯無が会議室の奥に足を進めて全体を見渡せるように身体の向きを変えると、背後に
﹁はい。 ││では、スクリーンの映像をご覧ください﹂
生徒会長から説明してもらおう﹂
からだ。 私から話してもいいが、実際に敵機と交戦し、一時的に前線の指揮を取った
﹁まず、亡国機業の連中は間違いなく来ると思っていいだろう。 まずは敵戦力の解析
1125
だろう。
一度殺し損ねると呪いに対する耐性が出来てしまうので、今後は効果が現れにくくな
るが、次の一回に限り襲撃など不可能だろう。
潤に魂を覚えられた、敵対者の末路である。
完全に呪い返しの対策がなされていれば防ぐことが出来るが、無事だった藁人形から
推測するに、オータムは動けない。
そのオータムと楯無との戦闘から、リヴァイブ四機の参戦、代表候補生たちと箒の乱
入、潤とマドカの乱入、それらを見て防衛を任されている教師たちがざわめく。
﹁リヴァイブを操っている四人はたいした事はありません。 それでも数で上回る代表
候補生を相手取って負けない程度の実力はありますが⋮⋮ですが、イギリスで開発され
たと思われるサイレント・ゼフィルスのパイロットは驚異的です。
映像を見て得ることの出来るデータから推測するに、ドイツ代表候補生、ラウラ・ボー
デヴィッヒを上回っているものと思われます。
﹂
また、ISのほうも完成してはいないものの、その能力はブルー・ティアーズより高
いものでしょう。 ⋮⋮ところで、潤くん、これ、修理が間に合うと思う
?
が、私は選択できる戦闘スタイルの多さこそが最大の利点だと思っていますので。 で
﹁間に合うと、いや、間に合わせてくると思います。 リヴァイブの利点は多くあります
3─7
1126
すから││﹂
これは、機体に致命的なダメージを与えるより、継続戦闘能力を奪って捕縛しようと
程ぶっ壊れていない。
サイレント・ゼフィルスはボロボロだが、コア周りや機体の生命線となる部位はそれ
定は時期尚早だ。
密輸しても怪しまれにくいのは、リヴァイブ発祥の地でもあるフランスだが、││断
それだけの力を有している以上、大規模な工場を有しているだろう。
広範囲の運用が可能だと、そう言っているのだから。
たパーティーを組んでいるのもこの考えが正しい事を示唆している。
リヴァイブ四機が、近接型、高機動奇襲型、防御型、重射撃武装型とバランスを考え
にも、相応な資金と時間、人材とバックが無ければならない。
銃を作るのにも、それを撃つにも、しっかり訓練して代表候補生と戦えるようになる
ではない。
いくらISが優秀な兵器とはいえ、弾が全自動で精製されて、無限に射出可能なわけ
﹁その通りです﹂
種類の弾丸を生産可能な﹃何か﹄を有している、と﹂
﹁つまり、口径も生産方法もバラバラな武装を取り揃えて襲撃してきている以上、幅広い
1127
していた潤の思惑からこうなっている。
それは楯無の背に写る映像を見ても明らかだ。
﹁それでは、││敵の最大戦力と思われる、第四世代機の説明に移らせていただきます﹂
﹁シックザールですか⋮⋮﹂
をさせたい﹂
﹁ん、他言して欲しくないが、実は小栗はあの機体を知っている。 なので、小栗に説明
その一言で会議室が喧騒に包まれた。
どういうルートから仕入れたのか、もしくは元々知っていたのか、柄が悪い物では亡
国機業側に付き合いがあるのでは、と勘繰る者までいた。
もしかしたら奴の矛盾している記憶と関わりがあるのかもしれん﹂
﹁各々方、気になるのは分かるが、小栗も見たことがあるからとしか答えらないだろう。
﹁非常に興味深い事柄ではありますが、キャノンボール・ファスト遂行には潤くんの記憶
ではなく、シックザールの性能を把握する方が大事でしょう。 話を戻しましょう﹂
二人に阻まれて矛を収めるしか無くなった出席者たちだったが、スクリーンに映る映
連携して話を暈かす楯無と千冬。
さい﹂
﹁それでは、あれの性能を詳しく記載したレポートで配りますので、各自目を通してくだ
3─7
1128
像を見てそんな事直ぐに気にならなくなった。
会議室全員の目が集まるスクリーンには、ラウラを上回るサイレント・ゼフィルス、そ
れを更に圧倒している潤が、あっさり拮抗状態に持っていかれる映像が映し出されてい
た。
潤の実力に対して正確に把握している教師たちは、第四世代を操る謎の襲撃者、その
実力に驚く。
性能にあるのだが。
もっとも、あの機体が本当に厄介なのは、攻撃より空の要塞と断言できるほどの防御
雨の様にビームが降り注ぐ光景には唖然とさせられる。
ローからビームサーベルが伸びる程度。
攻撃方法は映し出されているビームの反射と、右腕に備え付けられているビーム・ク
シックザールは超重武装超装甲の広範囲爆撃用の機体である。
い﹂
界最先端の更に先を行く能力を有しています。 お手元の冊子を合わせてご覧くださ
ル共同開発の﹃銀の福音﹄と同じであるといえます。 ただ、その防御力に関しては世
﹁はい。 このシックザールと呼ばれる機体ですが、概ね運用方法はアメリカ・イスラエ
﹁それでは、小栗の方からシックザールの詳細を﹂
1129
﹂
﹁より問題なのは、あの機体の防御性能です﹂
﹁あの攻撃より、防御力の方が厄介だと
﹂
?
﹁じゃあ、通常兵器頼りになるってこと
できます﹂
﹂
﹁簪の気付いたとおり、あの機体は対エネルギー兵器用のシールドをほぼ無制限に展開
﹁それって⋮⋮シールド代わりになるってこと
んです。 なお実態弾の場合は素通りさせます﹂
側からの攻撃は反射しますが、外側からエネルギー兵器が着弾した場合はブロックする
﹁ええ。 それはもう⋮⋮。 あの攻撃を反射している半透明の力場ですが、あれは内
?
?
﹁流れからして楯無会長の仰るとおり﹃実体弾での攻撃なら﹄と思うでしょうが、今度は
﹂
﹃PS装甲﹄に阻まれます﹂
﹁PS装甲
?
転移する特殊な金属でできた装甲で、物理的な衝撃を無効化します﹂
﹁Phase Shift装甲、略してPS装甲。 一定の電圧の電流を流すことで相
﹂
?
い箇所は攻撃が通る、都市区画ごと吹き飛ばせる攻撃なら通る、などといった弱点があ
﹁ですから物理攻撃をほぼ完全に無力化します。 電力を消費する、装甲で覆っていな
﹁は
3─7
1130
りますが⋮⋮﹂
﹂
?
とビーム攻撃をしてきます﹂
?
しかも絶対防御付き。
高速で動き回り、遠距離攻撃を封殺するIS。
おお、もう⋮⋮。
なおシックザールの機動力は、紅椿よりほんの少し劣る程度といったレベルである。
機動力を武器に懐に入り込んで叩き斬るのだ。
シックザールが爆撃機なら、ヒュペリオンは戦闘機。
今回も似たようなことは出来る。
掛けた。
潤はあの機体を落とすため、零距離D.E.L.E.T.E.攻撃といった特攻を仕
いいのです﹂
からある程度離れた場所にしか展開できませんから、接近してエネルギー兵器で倒せば
﹁勿論、どうやっても倒せないわけではありません。 あの半透明の力場は仕様上自機
﹁そんな││、では、どうやって倒すんですか
﹂
﹁相手は固定式の砲台ではなくISです。 高機動で動き回ります。 そして雨あられ
﹁それを狙って戦うのは非現実的、と言いたいのだろう
1131
﹁アレに向かって⋮⋮接近、する
﹂
代表レベルであるのは間違いありません﹂
﹁⋮⋮まさか、紅椿と並ぶ性能とは⋮⋮、ありえませんね﹂
?
確かにおかしいが、潤の中で第四世代の矛盾はある程度解決を見ていた。
﹁いくらなんでも妹を差し置いて、更に高性能の機体を赤の他人に貸すわけがない﹂
﹁織斑先生、この機体に篠ノ之博士が関わっている可能性は
﹂
等以上と言えるでしょう。 パイロットの技能は楯無会長よりやや下回りますが、国家
﹁││以上から判断するに、シックザールの性能は篠ノ之博士が直接手がけた紅椿と同
アイツにはまだ無理だ。
の現在の実力を鑑みてため息を漏らした。
本当なら一夏が一撃で決めてくれれば⋮⋮、と潤と同様の結論に至った千冬は、一夏
⋮⋮﹂
いのは、エネルギー兵器を無効化でき、かつ一撃で戦闘不能に出来る白式なのですが
﹁あ∼、うん。 まぁ、ねぇ。 しかし、それ以外に倒す方法がありません。 相性がい
?
文化祭に現れたオータムが潤にかけた一言と、セカンド・シフト直前にサイレント・ゼ
フィルスの一言。
﹃エル﹄
3─7
1132
あの王の名前は﹃エーデルトラウト﹄。
魂魄の能力者であるあの狂犬のことも考えれば、あの王が関与しているのは間違いな
い。
彼が関わっているのであれば、第四世代開発が成功した理由になる。
ありえない話だが、もしも彼が直接出てくるようなことがあれば、色々と諦めるしか
ない。
﹁小栗、お前なら相手はどう出ると思う
﹂
今此処ですべきなのはキャノンボール・ファストを、正しくやり遂げることなのだ。
知らない相手の詳細を議論しても意味はない。
議長である千冬の一言で、ようやく静寂が戻った。
な戦力を前にどのように作戦を立てるかだ﹂
﹁乱暴な言い方だが、分からない事をいくら考えても仕方がない。 問題はこれら強大
あるのには違いありません﹂
女兵は確かに存在するのです。 あの狂け⋮⋮失敬、パイロットが何であろうと脅威で
﹁山田先生、テロリストに年齢は関係ありません。 嘆かわしいことですが少年兵や少
すが⋮⋮﹂
﹁しかし、気になるのは、パイロットですね⋮⋮。 どう見ても、小学生くらいの体格で
1133
?
﹁⋮⋮会場は市街地から外れ、海沿いに存在します。 会場付近から囮のリヴァイブ達
を出して防衛戦力を引き離し、しかる後に、本命による攻撃が行われるでしょう。 そ
﹂
の際、囮に釣られた戦力を釘付けにするため本命の攻撃と合わせてシックザールが来ま
す﹂
﹁どうして分かる
﹁なる程、本当なら囮など気にせずにいたいがリヴァイブも無視できない。 私たちの
千冬は満足そうに頷いた。
す﹂
ぎます。 国家そのものと正面から組み合う気は無いでしょう。 耐え切れば勝ちで
防御を減らし切り札が出せる状況を生み出す。 シックザールを運用すれば目立ちす
﹁広いところにおびき出すしかアレを出す方法はなくなります。 そのための囮、敵の
﹁自衛隊も出てくるか⋮⋮﹂
わけがありません。 そんなことをすれば││﹂
﹁亡国機業の狙いは何か分かりませんが、超広範囲包囲殲滅用の機体を街中で展開する
?
目的は会場到着前に敵機を叩くことだ。 そこで速度自慢のヒュペリオン、打鉄弐式を
﹂
囮にぶつける﹂
﹁簪ちゃんを
?
3─7
1134
﹁二人を釘付けにする奴の候補はシックザールだろう。 銀の福音にしろ、シックザー
ルにしろ攻撃を絞るのは苦手そうだ。 とにかく私たちの戦闘目標は敵の殲滅ではな
く、大会を遂行することだ。 攻撃、防衛、逃走と、刻一刻と変わる戦況に臨機応変に
状況に対応するためにも小栗にはフリーハンドを預けたい。
その小栗と組ませるのに最適なのが、タッグを組んだ経験がある更識簪だ﹂
会議室に居る全員の視線が簪に集まる。
一瞬で話題の中心となってしまった簪は、少し怯んだものの、すぐに落ち着きを取り
戻して静かに頷いた。
通った。
?
本音と簪も一緒に足を止める。
会議終了後、部屋に戻ろうとした潤に千冬が声をかけた。
﹁小栗、少しいいか
﹂
最終的に、指揮官である千冬が決めたこととして、そのまま千冬の配置がそのまま
反論はいくつかあったものの、千冬はその都度理路整然と反論していく。
くんと教師部隊各員に期待する﹂
﹁よし。 私と生徒会長はサイレント・ゼフィルスへのおさえに、内側に敵の捜索は山田
﹁大丈夫です﹂
1135
﹂
﹁いや、小栗だけに話があるんだ。 お前らは行っていい﹂
﹁││俺だけ、ということは狂犬のことですか
会議室に残る二人。
千冬が潤だけにしか話せない内容、そこから連想される事を口に出した。
﹂
お前は何か知っているのか
﹁たいしたことでないんだが、ちょっと気がかりなことがあってな⋮⋮﹂
﹁気がかり
﹁お前、あれが何で狂犬だと断定できたんだ
﹂
?
?
妄言の類だと思いますけど﹂
?
潤が名付け、以前自分がそう呼ばれていた﹃狂犬﹄というあだ名、知識の共有
シックザールのパイロットの気に惑わされ、制度が落ちた戦い。
上。
普段の魂魄の能力を上回る距離から、正確に察知することの出来た制度と反応力の向
潤が出て行った後、千冬は一人で考える。
﹁いえ、それでは﹂
呼び止めて悪かったな﹂
﹁⋮⋮││、専門家のお前がそういうなら信じるが。 お前⋮⋮いや、なんでもない。 ﹁⋮⋮いや、本当に直感ですよ
?
?
││共感現象が軽レベルで発生しているのではないのか
?
3─7
1136
1137
ついぞいえなかった一言だが、本人が何もないといっている以上、信じるしかない。
千冬は知っている程度だが、潤は体感できる。
その潤が、妄言、直感、その類だといっているのだから。
千冬は、その一言をここで言わなかった事を、後に痛烈に後悔することになる。
3│8
第三世代開発に遅れているデュノア社ではあるが、運用技術に限れば欧州全体でも最
先端を行く。
勿論、そこで働く技術者たちも一流たちばかりだ。
そんな技術者が、日本のとある寂れた工場に集まっていた。
いずれもお迎えが何時来ても可笑しくない老人ばかり、十人程度が出来上がったばか
﹁⋮⋮これぞフランス、これぞデュノア社。 完璧な機体だ﹂
りの機体を囲んで喜びを分かち合う。
彼らはデュノア社がIS事業を立ち上げた際に、デュノア社社長から直接声を掛けら
れて集められた、同事業の初期メンバーだった。
本来重鎮だったメンバーが、何ゆえ極東の田舎町の、それも寂れた工場に集まってい
るのか、それは彼ら自身と、世話になった社長の願いゆえに。
インドコントロールを防げるのか
﹂
﹁この防心壁⋮⋮フィンランドの連中は、サイコウォールと言っていたが、本当にあのマ
?
﹁小栗潤が何度もマインドコントロールを封殺しているのは確かなこと。 そして、サ
3─8
1138
なんだ、このイメー
?
イコウォールはそれを可能とする機能はあるはずだ﹂
﹂
?
!
当。
﹂
デュノア社の資金を用い、勝手にパトリア・グループと秘密裏に交渉を行った財務担
ここ居る面子はそれぞれ重大な犯罪行為を働いている。
﹁犯罪者か⋮⋮。 なんだか、自分が自分で無くなったようで、不思議な感覚だ﹂
持ち出したのは私だぞ
﹂
ここで怖気づいたり腰が引けたりするものか。 デュノア社からコア一つ
?
?
﹁まさか
﹁今更怖気づいたのか
﹁しかし、これで我々は完全な犯罪者だな﹂
展開して調べ上げる。
コードを機体に差込み、最終チェックとばかりに投射型ディスプレイとキーボードを
﹁違法じゃないと断言できないあたり不安だ﹂
しても数年は稼げるから大丈夫だろう﹂
﹁あくまで選択肢はパイロットにある。 結果とアプローチが違う以上、違法になるに
﹁私は、コレがVTシステムに関する国際法に違反してないか不安なんだが﹂
ジ・インターフェイス周りのシステム構成は
﹁しかし、パトリアの連中は本当に頭が可笑しいんじゃないか
1139
コア一つ持ち出して、寂れた工場まで貸切りにした整備責任者。
ようやくデュノア社が進めだした第三世代設計図を上に上げる前に、握りつぶして日
本に運んできた企画部部長。
﹁あの社長婦人がデュノア社の実権を握ってから、全てが変わってしまった﹂
最早ここに居るメンバーの合言葉となった呟きを漏らす。
一同聞き飽きた台詞に苦笑するが、それを否定しない。
何故ならそれは事実だったからだ。
ば﹂
﹁我々の出来る、デュノア社への最後の奉公だ。 社長のお嬢様を守る楯、これを届けね
﹁大丈夫です。 この機体ならば、シックザールと対等に戦うことも出来るでしょう﹂
そういう時勢であるのもそうだが、婦人の背後に、有力な犯罪組織が存在している。
しかし、表立って彼女を糾弾することは出来ない。
彼からすれば社長婦人は唾棄すべき存在だった。
る。
社長秘書として働いていた男は、今のデュノア社が裏で起こっている一端を知ってい
しているのだから﹂
﹁⋮⋮そうとも、やってもらわねば。 私が、社長が、皆が苦心して状況を打破しようと
3─8
1140
違法な薬物の密輸の手助け、怪しげな研究所の手配、ドイツから遺伝子関連の技術交
換⋮⋮。
ある日、その報告書の一端を見てしまった男は、三ヶ月以上も障碍者の真似してホー
ムレス生活してフランスから逃げ出した。
謎の液体に浸かる⋮⋮あの物体は間違いなく││
それを││、むしろ空でない何処かをじっと見据えていた潤は。
天候は澄み渡るほどの青空。
キャノンボール・ファスト大会当日。
│││
完成したその機体は、血に飢えた狼が低く唸っているような気がした。
そこまで言った直後、最終チェックが終了した。
﹁そして我が社も、あの無法者の風下で生きていく以外なくなる﹂
﹁そうですとも。 ここで立ち上がらねば、お嬢様はいずれ奴等の手に落ちる﹂
者の連中に屈する訳にはいかない﹂
﹁我々は遅かったのかもしれないが、まだ手遅れではない。 ここで、あんな外道な無法
1141
なんとなく、あの狂犬のどす黒い、穴の開いたような心が押し迫っているような気が
していた。
﹁いい天気だな、潤﹂
﹁⋮⋮本日天気晴朗ナレドモ波高シ﹂
﹂
ら、一夏が潤に声を掛ける。
﹂
しかし、潤の意味深な返しを聞かされた一夏は、素っ頓狂な声をあげた。
﹁ふむ⋮⋮。 亡国企業の連中、今回も台無しにしてくるのか
﹁ん、まあな﹂
﹂
﹂
﹁奴等はまったく連携をしないが、それなりに腕が立つ。 本当に大丈夫か
指輪を大事そうに胸に抱えて簪が割り込む。
﹁⋮⋮大丈夫、今度は私も、戦う⋮⋮。 この打鉄弐式で⋮⋮
初めて耳にしますが、更識さんの専用機ですの
?
!
﹂
?
りにちょうど良かっただけだ﹂
﹁外部の圧力もそうだが、どちらかというとメインはそっちだな。 外部云々は、理由作
?
?
﹁⋮⋮。 え、ちょ、まさか潤が今回の大会に参加しない理由って、まさか
﹂
徐々にアリーナに人が集まってくる中、秋晴れの空を照らす日光を手でさえぎりなが
﹁は
?
﹁打鉄、⋮⋮弐式
?
3─8
1142
﹁うん⋮⋮﹂
﹂
かなく、その度に﹃もし私にも最新機があれば﹄と思わずにいられなかった。
﹂
?
なに、一夏
?
﹁⋮⋮ル⋮⋮、シャル
﹁あ、ああ、うん
?
!?
﹁潤は、更識さんと一緒に千冬姉の所に詰めるって言うけど、シャルはどうする
﹂
その都度、シャルロットは目の前で傷つく友人を尻目に、何も出来ない自分を呪うし
た。
宿で起こった福音戦では防御担当、学園襲撃では支援攻撃に徹したのに行動不能になっ
しかし、トーナメントでは打鉄の防御力を突破できず負け試合の遠因になり、夏の合
リヴァイブだって、現行ISでもっとも安定した良機体であるのは間違いないのだ。
頭の大部分を覆い始めた思考を、かぶりを振って無理やり打ち消した。
機体を原因にして、自分が主戦力から外れている言い訳にはしたくない。
た。
特にシャルロットは一年の中で唯一第二世代を使うものとして、少しだけ寂しくなっ
簪の専用機、打鉄弐式にセシリアや、シャルロットも興味があるようだ。
けど、参加出来たら良かったのに﹂
﹁量産機でトーナメントに参加した二人が、二人共に専用機、か。 もし、なんて無粋だ
1143
﹁えーと、リヴァイブの最終チェックがあるから、格納庫に居るよ。 ウン﹂
﹁あ、ああ、そうか﹂
浮気性な自分に反省。
突然一夏に声を掛けられたせいで頭がこんがらがってしまい、一夏がこの後どうする
か聞くこともせずラウラと一緒に行動する事を告げてしまった。
一緒にい
どうせなら一夏と一緒に行動すれば良かったと思い立ったのは、一夏が会場を見に行
くと言って移動し始めてからだった。
まったく、なんでこう一夏って、恋愛方向にだけ無頓着なのかな
!
胸を張ってラウラが答える。
﹁兄妹が似るのは当然のことだ﹂
﹁潤の立場を考えれば難しいのだろう。 代表候補生と、無国籍だがISを使える男だ
?
ただ、その顔はとても嬉しそうだった。
﹂
﹁なんか、最近潤みたいな物言いするよね、ラウラって⋮⋮﹂
欲しかったら、自分から手を差し出すしかないぞ﹂
﹁それは無理だろう。 あれの鈍化ぶりは目に余るレベルだ。 どうしても手を取って
くか、くらい言ってくれてもいいのに﹂
﹁もう
!
﹁ところで、あの二人って付き合おうとか思ってないのかな
3─8
1144
ぞ。 周囲も納得すまい﹂
﹁そっか、そうだよね⋮⋮﹂
﹁言っておくがシャルロットも容易にフランスに戻れないのだろう
ぞ﹂
た。
﹁ラウラ、どうしたの
今日はいったい何の日だ
﹁なんとも思わんのか
?
﹁一夏の誕生日﹂
?
﹁先ほどまで人もたくさん入ってきていた﹂
﹁そうだね﹂
﹂
他人事ではない
﹁奴だけじゃないぞ⋮⋮、違う。 今日はキャノンボール・ファスト大会当日だ﹂
?
﹂
隠せるような場所があるところでは、ワイヤーが隠されているかどうか確認すらしだし
気付いた後は少しだけ歩く速度が遅くなり、しきりに背後を気にしながら歩き、物を
廊下を歩いていく途中、最初に異変に気がついたのはラウラだった。
かう。
キャノンボール・ファスト仕様の増設スラスターの話などを軽くしながら格納庫に向
﹁う⋮⋮、確かに﹂
?
1145
﹁それで、どうしてそんなにピリピリしているの
はないのか
何故私たちは誰ともすれ違わない
﹂
各IS産業関係者だって、この時
﹁私たちは格納庫に向かっている。 そこは最も警備を厚くしなければならない場所で
?
?
﹂
?
人払いした奴らの顔を拝みに行こうじゃないか﹂
したとは思えん。 正体は不明だが私たちにはISがある。 扉も直ぐだし、折角だ、
﹁観客に紛れてならばともかく、教官の目を掻い潜って亡国企業の連中が格納庫に侵入
﹁どうする、ラウラ
どうやら、意図的に人払いした誰かが居るようだ。
誰も格納庫に続く通路を歩いていない。
後ろを見る。
違わない。
しかし、本当ならば多くの人間が集まるはずの格納庫に向かっているのに誰ともすれ
会場にはぞくぞくと人が集まってきている。
﹁そういえば⋮⋮﹂
いる筈だ﹂
間になれば既にうろついて ?
﹁わかった。 後ろはよろしく﹂
3─8
1146
﹁了解﹂
気付く、気付かないで多少の遅れはあれど、並程度の訓練ならばクリアしている代表
候補生二人。
しかも、ISを何時でも展開できるようにしてある。
少しして、手にかかる重みが数倍にも感じられる扉に手をかけ、一気に蹴破った。
﹂
?
その期間前に、何かのせいで気が触れたと、妙に具体的でインパクトのある噂を耳に
た張本人だった。
目の前の男は、女であった自分を男としてIS学園に押し込もうと、強引に推し進め
﹁シャルロット
﹁覚えていただき光栄に存じます﹂
﹁⋮⋮あ、父さん⋮⋮の﹂
けていたが、シャルロットはその男に見覚えがあることに気付いた。
ラウラは瀟洒に一礼する老紳士を、一瞬でも逃すまいと不審人物と決め付けて睨みつ
背後にはリヴァイブに似たISが一機。
た。
果たして、そこにいたのは、いかにもパリジャンと思われるような、立派な老紳士だっ
﹁お待ちしておりました。 お嬢様﹂
1147
したので覚えていた。
本当に良く覚えている。
気が触れた、そんな噂があったのに、その瞳は鋭利な光を湛えていたのだから。
よもや自分をフランスに強制的に連れて帰る気かと思うものの、頭も身体も満足に動
かない。
﹂
シャルロットを連れて
その燦爛と輝く瞳が、決意に満ちた悲壮な雰囲気が、ラウラでさえもそうさせていた。
しかし、最初に口を開いたのはそのラウラだった。
帰るというのなら、私も相手になるぞ
﹂
﹁デュノア社の人間か⋮⋮。 こんなところで何をしている
﹁ドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒ、ですね
﹁そうだ﹂
?
﹁御託はいい。 何が目的だ﹂
う﹂
﹁お嬢様に命を掛けていただけるほど仲の良いご学友が出来たことを神に感謝しましょ
?
?
は、いきなり自分の名前が出てきて驚いて身を振るわせた。
ラウラと老紳士が話しているのを、何処か他人事のように聞いていたシャルロット
﹁お嬢様に託したいものがございます﹂
3─8
1148
本当なら自分が話さなければならないのに、名前が出てきても口を開く気にならな
い。
そればかりが脳を支配している。
IS学園で出来た友達、大切な思い出、思い人の一夏、失いたくない⋮⋮、失いたく
ない
﹂
﹁今更出てきてなんだって言うんです
た。
僕を男としてIS学園に押し込んだ人が何を
ようやく喉から出た言葉は、普段なら笑いすら誘いそうなほど、引きつったものだっ
﹁ほ⋮⋮││、ほっといてください
!
!
素直に私を連れて帰るって言えばいいじゃないですか
者だ
!
﹂
﹂
?
要だったのです﹂
デュノア社は大きな謀の中心にいました。 闇側から身を守るためには、光側の鎖が必
﹁お嬢様は、デュノア社に迎えられ、生体データを取られたあの日、いえ、それ以前から
﹁シャルロットを男として入学させること、それが必要だった
うのならば、差し出す覚悟です。 しかし、あの時はああするしかなかったのです﹂
﹁IS学園入学に関しては││申し開きもありません。 謝罪の証に私の命が居るとい
!?
!
?
!?
今更フランスにだって簡単に帰れない そんな私に﹃託したいものがある﹄
僕は女だって勝手に暴露して会社と手を切った、あなたたちからすれば僕は裏切り
!
1149
興奮状態のシャルロットを何とか宥めつつ、代わりにラウラは考える。
以前潤も考えていたことだが、この世界の暗部がどう動くかわからない以上、表側の
束縛は強くなればなる程いい。
強すぎれば問題だが、犬を飼うくらいの束縛は守ってくれる鎖になる。
この男は、﹃ISを動かせる第三の男﹄という名の鎖にしたのだろうか。
確かにインパクトは絶大だった。
﹁なぜそこまでして⋮⋮﹂
社長婦人が経営関係に根を深く下ろした頃になって、コイツは駄目だ、と誰かが気が
だが、そんな彼女の経営センスはゼロ。
て彼女を賞賛し、無能者には身に余る権力を集中させていった。
最初は尊い家柄と、確かな育ちのよさを持った貴婦人として、誰もが最高の飾りとし
やり手の男社長の対抗馬としての御輿、それが彼女の役割だった。
まう。
しかし、そんな彼女が女尊男卑の波に飲まれたデュノア社によって担ぎ上げられてし
社長婦人、彼女は元々家柄が良いだけの、悪く言えば無能だった。
まりました﹂
﹁全てはあの女。 シャルロット様のお父上、その社長夫人が経営陣を牛耳ってから始
3─8
1150
付いた。
持ち上げられて、気を良くした所で地の底まで叩き落される⋮⋮、そんな地獄を味
わった彼女は、叶う筈もない夢を見た。
それを知った途端、シャルロットは思わず床に座り込んでしまった。
友人を、一夏を襲ったのは、自分の会社が運用しているリヴァイブ。
﹁申し訳ありません、お嬢様﹂
ヴァイブは⋮⋮﹂
﹁亡国企業⋮⋮、そんな、デュノア社に⋮⋮、じゃあ、もしかして、IS学園を襲ったリ
そんな時だった、悪魔の囁きが耳に届いてしまったのは。
んだ。
世界中で女性たちが活躍する一方、彼女は泥にまみれ、無能の烙印を押されて塞ぎ込
いていく。
ように手玉に取られ、誘導され富を毟り取られ、彼女が働けば働くほどデュノア社は傾
しかし、そんな彼女が相手にするのは、世界でも有数の天才たちばかりであり、いい
自分も、と乗り気になってしまった。
傾きだした会社を維持し、再び元に戻しかねない偉大な社長である夫を目にし、つい
﹃もう一度権力の座へ﹄
1151
﹁⋮⋮シャルロットをIS学園に入れたのは、避難のためか
﹁とぅ、父さん、は何で⋮⋮﹂
のだ﹂
﹂
﹁シャルロットを男と偽ってIS学園に押し込み世界中の目を集める。 よく考えたも
す。 そのターゲットに、お嬢様の名前が載ってしまった時、社長は動き出しました﹂
す。 連中はデュノア社の人脈を使い、法律など紙切れ同然の人体実験までしていま
﹁そうです。 極東はいいですな。 距離的に離れていればそれだけでやり辛くなりま
?
身体を支えてくれるラウラの存在が無ければ、倒れていただろう。
俯き、床に足を着き、尚も身体がよろめくのを感じる。
不意のカミングアウトに、更に混乱してしまう。
れなくなってしまった。
そして、その隠し子を人体実験の材料の一部にしてしまう妻をみて、父は妻を妻と見
しての失態だった。
足を引張るための材料を集めていた妻が、自分の隠し子を見つけてしまったのは父と
ないと﹂
そうお父様は仰っておられました。 どのような因果であれ、娘であることには間違い
﹁どんな形であろうとも娘は娘だ。 そして、私は娘を道具として使い潰す父ではない、
3─8
1152
﹁それが⋮⋮、それがいったいなんだって言うんです
て⋮⋮﹂
だったら、もう、ほおっておい
!?
﹂
?
﹁その機体は⋮⋮、僕を守るために⋮⋮
﹁人払いは、この話を伝えるため、か﹂
﹂
﹁カレワラ、リヴァイブ、⋮⋮フュズィオン︵融合︶
リヴァイブと酷似したフォルムのIS。
﹂
?
ヴ・フュズィオン﹄です﹂
で立ち上げられた﹃K.R.R.F.﹄。 正しくは﹃カレワラ・ラファール・リヴァイ
﹁闇から身を守るための剣。 社長から秘密裏に言い渡され、パトリア・グループと共同
?
がシャルロットを蝕んでいく。
危険な実験の果てに生まれた何か、亡国企業の狙いはISでなく自分と潤、その事実
僕が何をしたというのだろうか、シャルロットは幾度と無く自分に問いかけた。
を報告して以降、行方不明です。 最後の一件はターゲットは、小栗潤とお嬢様、と﹂
﹁詳しくは分かりません。 デュノア社に残った私の部下は、その完成報告ともう一件
﹁人体実験の成果
が実を結びました﹂
﹁私めも重々承知です。 しかし、状況が変わってしまったのです。 連中の、人体実験
1153
しかし、何処と無く全体にフランスらしからぬ設計が読み取れる。
ブのまま。
された衝撃吸収性サード・グリッド装甲、マルチウェポンラック、全て以前のリヴァイ
ラピット・スイッチに対応するために高速化された大容量バススロット、特殊軽量化
二機の小型推進翼も健在だ。
スラスターベース六機の拡張コネクタには四機の高出力マルチウィングスラスターと
パイルバンカー内蔵型の腕部シールド、高い技量を生かすために汎用性を捨て、腰部
いる。
男が言ったように、今までシャルロットが用いてきた武装が全てインストールされて
のスペックに順次目を通していく。
フュズィオンのセンサーも立ち上がり、機体にインストールされている武装と、機体
主として登録していく。
駆動音と共にOSが立ち上がり、続いて生体識別プログラムが走ってシャルロットを
そっと、労わるように新たなリヴァイブの情報を開示していくシャルロット。
た、⋮⋮内部的にはヒュペリオンの﹃子﹄とも言える、第三世代型ISです﹂
ヴァイブを生かしたままカレワラの利点を全く落とすことなく、遥かな高みで融合させ
﹁パトリア・グループとデュノア社の頭脳を結集して作られ、お嬢様が戸惑わぬよう、リ
3─8
1154
キャノンボール・ファストのことも考えてあるのか、増設ブースターまでインストー
ルされている。
その機体は一見何も変わっていない様にも見えてしまえるほど、以前のリヴァイブと
酷似している。
しかし、実際スペックを見ているシャルロットには、リヴァイブとフュズィオンの違
いがはっきりと分かっている。
リヴァイブと比べて倍近いパワーゲインがある。
それゆえ基礎的な能力は格段に変わり、しかし操作性は以前と全く変わっていないの
だ。
間違いなく、第三世代で最も優秀であり、最も安定した最高傑作だろう。
それに、
﹃ヒュペリオンの子﹄と言ったからには、この機体にはヒュペリオンから生み
出された﹃何か﹄が施されてさえいるはずだ。
﹂
新しく買ってもらった玩具を、子供のように見ていたシャルロットだが、ふいに気付
いて男を見た。
新型。
コア一つと、第三世代型IS、巨額の資金を投じ、優秀な人材を集めねばならない最
﹁大丈夫、ですか
?
1155
パトリア・グループに多大な貸しを作ってまでこの機体を託すことが、どれ程危険な
行いか、分からないほどシャルロットは間抜けではない。
うのであれば、最悪の事態は防げるでしょう﹂
﹁承知の上です。 ですが、今までお嬢様が用いていたコアを私どもの手に出来るとい
手に渡っていく、嘗ての相棒。
﹁では、コレを⋮⋮﹂
しかし、その相棒は打算と欲望にまみれた物で、受け取るときも出来れば投げつけて
手放したかった。
だけど、今は違う。
﹂
今度は││
﹁あの⋮⋮
役目を終えた男が、そっと帰っていくのを、寸での所で呼び止める。
!
必ずお伝えします
﹂
﹁あの、父さんに、││ありがとうって﹂
!
!
何時か父と本当の親子として話してみたくなった。
お礼の言葉と共に受け取れるのだから。
﹁はい
3─8
1156
│││
シャルロットが新型機を受け取り、父との溝を少し埋めた頃、一夏達はアリーナの
コースを見学していた。
﹂
勿論その周りにはシャルロット以外の何時ものメンバーが揃っている。
﹁セシリア、体調はどうなんだ
リ怒る鈴と箒をたしなめつつ、その何かが﹃魂﹄である事を察した。
話を聞いた潤は、一夏がお姫様抱っこでセシリアを保健室に運び込んだことでプリプ
れるようだった﹄とのこと。
保健室で意識が戻ったセシリアに曰く、
﹃身体の中の何かが、ヒュペリオンに吸い込ま
ヒュペリオンの可変装甲が開いた瞬間、絶叫をあげて倒れこんだのだ。
該 当 の 授 業 は I S の 実 技 授 業、ラ ウ ラ と シ ャ ル ロ ッ ト ペ ア と 潤 一 人 で 模 擬 戦 中 に、
あまりの頭痛に、丸一日授業を欠席するに至った。
ちょっと辛い生理痛くらいなので平気な顔で授業を受けていたのだが、二、三日前に
た。
潤の脳波コントロールシステムを使用した後、セシリアはずっと頭痛に苛まれてい
﹁問題ありませんわ。 潤さんが可変装甲を開いても、もう大丈夫でしてよ﹂
?
1157
その日以来、千冬の警告もあって潤はヒュペリオンを用いていない。
潤の警告を承知でセシリアが危険を顧みず使用したので、誰かがお咎めを受ける事は
なくヒュペリオンの使用を自粛する必要性はなかったのだが、クラスメイトに絶叫をあ
げさせてまで戦う気も無かった。
ム、あれは危険すぎるような気がするんだよな﹂
﹁だったらいいんだけど⋮⋮、でもやっぱり、潤の使っている脳波コントロールシステ
﹁確かに⋮⋮。 それに、ヒュペリオンのシステムには謎が多い。 その危険すぎるシ
ステムが自分の姉の息がかかっていると思うと肩身が狭いが﹂
﹁潤も気にしていたけど、ナノマシンが時たま通常の赤色と変わるのも謎って言ってい
たわね∼。 合宿時なんて青くなってたし﹂
吸い取られた感情は、何処にいっているのかしら﹂
?
を立てている。
それもその筈、セシリアたちは何度やっても勝てない潤を倒すため、何度も対策会議
謎が存在する機体も珍しい。
結局は潤すら何も知らないので、解決しないままになるが、あれほどあらゆる部分に
ここに居ない潤の専用機、ヒペリオンの話が進む。
ですよね
﹁セカンドシフト後は特に顕著ですけど、ヒュペリオンは潤さんの感情を吸い取っての
3─8
1158
その都度話題になるのが、
﹃あの欠陥機、普通の人間が乗れないほど酷い﹄になるのだ
から。
あれはとことん潤専用機で、特定の人間が乗ると最大限の力を発揮するが、特定外の
人間は乗れない。
酷い機械だ。
欠陥機ではあるが乗れているのに違いは無い。
となると理解の及ばない何処かに、あの欠陥機をまともに操れる秘密があるのだが、
結局脳波コントロールに行き着く。
セシリアが絶叫をあげて倒れるようなあれに命を託している。
﹂
何時もの通り、無茶ばかり押し通して道理を蹴り散らかしている友人を心配している
と、一夏の耳に、風と共に何かが響いた。
誰か、呼んでいる⋮⋮、のか
箒やセシリアは不思議そうな顔をし、鈴は謎の頭痛を隠すのに精一杯だった。
突然の頭痛に苦しみだした鈴を余所に、一夏は導かれるように歩き出した。
?
││n││││⋮⋮、││。
﹁⋮⋮なんだ
なに、コレ。 頭に直接⋮⋮﹂
!?
一夏と鈴が同時に声を上げる。
﹁いた
?
1159
﹁一夏さん、どこを目指していらっしゃいますの
かかる。
﹂
││これは、﹃廃墟からの復活﹄か
﹁何で、あんたら、聞こえて、無いのよ⋮⋮。 ああ、もう。 煩すぎて頭が割れそう﹂
?
その位、今の一夏は怖いくらいどんどん突き進んでいた。
﹁なんだ、なんなんだこの曲
声、いや、歌が聞こえる。
不快には感じない。
﹂
何時もなら鈴の体調を気遣うはずの一夏が、不調の鈴を全く気にしていないのも気に
今となっては一夏が手を握って強引に連れて行っているかのようだ。
鈴は一夏に付いて行ってはいるが、一夏が進めば進むほど気分が悪くなっている。
指している。
一夏は不思議な事を言いながら、アリーナの外に出て、どんどん人気の無い場所を目
﹁いや、わかんない。 分からないけど⋮⋮、誰かが俺を呼んでいるんだ﹂
﹁そうだぞ、一夏。 こんなところを見たってしょうがないだろう﹂
?
もっと、もっと、と引き込まれるような感じだった。
?
歌なんて聞こえませんが﹂
?
﹁私も聞こえないが⋮⋮﹂
﹁何を仰っていますの
3─8
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鈴は聞こえているらしい。
しかも、その歌が頭痛の原因らしかった。
セシリアと箒は、そんな二人を見て、何故か全身から鳥肌が立った。
自分たちは、向かってはいけない場所に向かっているのではないか、と。
そんな悪寒を余所に一夏は突き進み、鈴が痛みのあまり癇癪を起こしそうな時になっ
て、急に景色が開けた。
空が異様に青い。
大気の汚れが一切無いような錯覚に陥る。
花壇に花、都会にありがちな植木程度のアリーナ外周部なのに、まるで渓流沿いの森
林浴をしているかのような、大自然の息吹を感じる。
そんな溢れでる自然を感じる花壇の前に、まるで溶け込むように座り込む女の子は、
何処か神々しく感じられた。
女の子が振り向く。
綺麗な金色と少々癖のある髪に、病的なほど真っ白い肌、触れるもの皆傷つけるよう
な鋭い眼光、アメジスト色の瞳。
宝石のようなアメジスト色の瞳だけが、四人を捉えていた。
あなたは、だれ
?
﹁一夏。 名前は、織斑、一夏、って皆そう呼ぶ。 それが俺の名前﹂
頭に直接響く声に、自分でもびっくりするほど、すんなり自己紹介できた。
他の三人は足が棒のようになって動けないのに。
しかし、一夏もまだ、目の前の少女に飲まれていた。
交差する瞳を通して、自分の中身を見られているような、そんなファンタジーのよう
な考えから、出てきた声は上ずっていた。
しかし、そんなファンタジーな出来事が確かに起こっていたのではないかと錯覚す
る。
﹂
少女が口を開くことで、絡みつくような視線の侵攻か煙の様に消えたのだから。
﹁君は
?
未だ開会式すら行われておらず、入場者もようやくアリーナの半分埋まる程度なが
に物々しい雰囲気が支配していた。
一方潤と簪は、詰めているアリーナ警備指令室で千冬と最後の確認を取っており、実
│││
﹁ドリー、チャイルド。 皆は、私の事を﹃ディー﹄って呼ぶよ﹂
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ら、頻繁にIS学園の教師たちが出入りし、状況の緊迫振りを表していた。
﹂
?
潤の指示を受けて、教師の一人が素早く移動し、付近を警戒中の私服警備員が包囲す
﹁了解﹂
控え室に入ったら突入しろ。 合図はこちらで出す﹂
室に不審者発見、髪はブロンズ、身長百六十前後、推定二十五∼三十の痩せ型の女だ。 せめて洗脳ぐらい施してから送り込んでこい。 α1、こちら司令部。 第二選手控え
﹁どいつもこいつも三流だ⋮⋮、所詮は産業スパイか。 軍務経験者は流石と言えるが、
渡された書類に目を通し、各監視カメラを見て無線機で指示を出す。 本当だったら千冬が指揮を執るところだが、書類や情報を裁いているのは潤だった。
﹁いえ、何も﹂
﹁何かいったか、更識﹂
﹁⋮⋮怠けたいだけじゃ﹂
﹁優秀な人間を、その才覚を遺憾なく発揮できる場に配置してやるのも指揮官の仕事だ﹂
ん任せでいいんですか
﹁いや∼、小栗くん手馴れていますね。 凄いです。 ところで、織斑先生、全部小栗く
のようだ﹂
﹁まあ、かかる、かかる。 今のところ産業スパイのようだが、まるで誘蛾灯に集まる虫
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るように展開する。
簪は口を挟む気がない、千冬は専門家に任せた方がいいと思っている、真耶だけが異
論を挟んでもどうにもならない状態である。
実際こっちの方が効率がいいのもある。
びっくりするくらい潤の手際がいい。
まるで今まで本当に、こういう場面で指揮を執っていたかのようだ。
││n││││⋮⋮、││。
﹂
?
誰だ
?
そんな暴挙を行うばかりか、歌声はどんどん大きくなっていく。
いるようだ。
どこかの馬鹿が、何も考えずに魔力を周囲にばら撒き、魂魄の力の一部を垂れ流して
自分の頭に直接響き渡る旋律。
無意識を刺激される感覚。
ときだった。
潤の耳に歌声のようなものが届いたのは、そんな確認が終わり、精力的に働いていた
﹁何だ⋮⋮
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﹁ええい⋮⋮喧しいぞ、シャルロット。 馬鹿な、シャルロットだと
﹂
を尋ねたのだが、行動の通り完全な不思議ちゃんワールドに振り回されている。
不思議な自己紹介を済ませた彼らは、見た目小学生の彼女を心配し、親御さんの居所
そんな、十歳くらいの不思議系か天然系の女の子。
込んで頭を抱えて蹲り、再び立ち上がった後はクルクル回って日向ぼっこに移行する。
赤トンボを追いかけてあっちをフラフラ、こっちをフラフラ、看板に思いっきり突っ
│││
千冬はそんな潤を、真耶が怯えるほど鋭い瞳で見ていた。
るのか。
その穏やかな感触から、狂犬のものとは思っていなかったが、何故シャルロットにな
しかし、自分の口から出てきた内容に一番驚いたのは、当の潤だった。
突然の大声にびくっと震える。
潤が突然関係ない事をブツブツ呟きだして、不審に思った簪が近寄ってきていたが、
!?
﹂
とりあえず迷子と仮定して、付近に子供を捜していそうな親を探しているのだが││
﹁おかしいな。 子供を捜している人なんて、何処にも居ないぞ
?
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﹁そうですわねー﹂
﹁う、うむ、確かに﹂
﹁大体、今アリーナに入れるのは選手ぐらいなんだし、居る訳ないよねー﹂
﹁⋮⋮なんで真剣に探してないんだよ、みんな﹂
一夏以外誰も真剣に探していない。
彼女たちの頭にあるのは、
﹃一夏との間に子供が出来たらこんな感じかな
想だけだった。
﹄という妄
?
一昔前の小説にありがちな、迷子の子供と一緒に歩いて、その子供を将来の家族に重
ねてというありがちなネタ。
ふらふらするドリーに業を煮やし、一夏は彼女を肩車して歩き出した。
そんな一夏を見て、箒たちはますます嬉しそうにするだけだった。
﹂
平和なのはいいことである。
空
?
⋮⋮そうだな、俺は好きだな、空﹂
﹁一夏は、空が好き
﹁ん
?
﹂
少しだけ近くなった空を見てそんなことを一夏に聞いた。
容姿を見る限り、シャルロットと千冬を足して二で割ったような特徴を持つ彼女は、
?
﹁ドリーは、空が好きなのか
?
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﹁私はね、私の中の私じゃない私が騒ぎ出すと、いつも私じゃない私と一緒になって空に
行きたくなるから空は好きだよ。 だけど、⋮⋮寂しくなるかな﹂
﹂
言っている意味は分からないが、言葉とは裏腹にあまり好きではなさそうだ。
﹁寂しい
﹁だけど、ドリーは空が好きだよね
﹂
て知ることも無いまま、便利だから、望まれているから、そうしてきたんだ﹂
も、人工化された自然も、きっとISもそうなんだよな。 それが正しいかどうかなん
﹁そう、かもな。 日本は随分開発が進んでいるから⋮⋮。 IS学園や、このアリーナ
﹁でも、あの人が知っている空より、ここの空は濁っているかな﹂
もしも、潤か、千冬が居たら、不審に思っただろうが。
それを一夏は不思議に思わなかった。
でニコニコしている。
不思議なくらい誰も二人の間に割ることも無く、気味が悪いほどセシリアと鈴、箒ま
﹁うん。 だって、こんなに綺麗なんだから﹂
?
だよ﹂
おうとする。 だから、空にいる人の意志を感じようとすると何時だって悲しくなるん
﹁空はこんなに無限に広がっているのに、人は自分を狭めてまで、空に向かおうと空で戦
?
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﹂
﹁私の、もう一人のお父さんが正しさかなんて、ただの文字に当てはめた指標だって、そ
う言っていた﹂
﹁もう一人のお父さん
﹁えっ⋮⋮、君は、一体││﹂
う﹂
﹁白式のパイロットがどんなのか知りたかったから呼んじゃった。 今日は、ありがと
はなかった。
その挙動は、まるで鈴のようで、とても小学生くらいの女の子に出来るような行動で
言うな否や、ドリーと名乗った少女は一夏の肩から飛び降りた。
私の信じる道を行く﹂
て流動的に変わるものだ﹄、あの人はそう言った。 私もそうだと思う。 だから、私も
﹁﹃正しくなくとも、正しくないモノを信ずる者も居る。 事の善悪など見る立場にやっ
?
そこで、一夏は、本当の空を見た。
奪った。
ドリーは一夏の胸倉を掴むと、大人の腕力顔負けの怪力で自分に引き寄せ││唇を
いきなり、だった。
﹁お礼に、本当の空に連れて行ってあげるね﹂
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もの悲しいほど明るく、ガラスのように透明で、形のない物が幾つも宙を漂い、空は
水色というよりは、太陽の光を反射した煌く火の粉の渦みたいで。
星が一つ二つ消えそうにほの白くちらちらと青磁の空に瞬く。
生まれてからずっと見続けてきた空が、今はとても温かく感じた。
地面には無限に続く彼岸花の花畑、とにかく暖かくて、いい香りがする所で、美しく
も激しく流れる河には泳いでいる人がたくさんいる。
とにかく、ドリーが見ている空のイメージはとても美しかった。
ドリーが、無限の成層圏まで連れて行ってくれた。
一夏のほかには誰も知らない、悠久の空、無限の蒼、それは酷く悲しい気もする。
そんな感動を無機質な電子音が邪魔をした。
﹂
﹁そこを離れろ
逃げるんだ
││いや、大丈夫になった、のか
﹂
!
⋮⋮
﹂
?
﹁逃げる
﹁いいからそこはヤバイ
!?
普通のアリーナに戻っていた。
電話で話している最中、一夏は周囲を見ていなかったので気付かなかったが、そこは
﹁自己解決しないでくれよ﹂
!
?
!
﹁⋮⋮ああ、潤か。 ││もしもし、なんだよ、いいところだったのに﹂
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気持ち悪いほどの笑みを浮かべていた三人は、いきなり意識が戻って困惑している。
そんな四人を見て、ドリーは振り返ることなく走り出し、一夏が呼び止める前に人ご
みに紛れ、何処かに消えてしまった。