【第1部】在宅医療市民講演会 テーマ: 「人生の最期まで、住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを」 ~生活の中での医療と介護 ときどき医療ときどき介護~ 講師 :愛媛大学医学部附属病院 総合診療サポートセンター センター長 櫃本 真聿先生 社会的弱者や高齢者をケアすることも大事だが、元気高齢者がこの地域を支えるという地 域づくりを目指してが、これからお話する内容の中心となる。 保健所長をしていた頃の健康づくりは、高血圧や糖尿病など、病気にならないためを目指 して行っていた。そこで気づいたことは、人間は年をとれば病気にもなるし、100%死 ぬということ。 65歳以上で人間ドックを受け、異常がひとつも見つからないほうが異常である。 医療も、病気を治すために一生懸命やってきた。医療は病気を直さなければ敗北だった。 欧米ではヘルスプロモーションの考え方が主となっており、病気があってもいい、介護を 受けていてもいい、生活の質が維持向上できていればいいというものであるが、今回、日 本では、地域包括ケアシステムということばが出てきた。 人口が大きく変わり、100万人、200万人死亡する多死社会の時代がやって来る。 生き方だけでなく、その人らしい死に方をどうするか?も重要である。 自分の母親は、肺がんでホスピスに入院していたが、余命を主治医に聞いたところ「病気 では死にません。死ぬのは運命です。 」と言われた。しかしそれは母親自身が言ったことで あった。あと1週間しか持たないと言っていたのに、1週間後には看護師に俳句を教え、 1ヶ月後は俳句の大会、また1ヶ月後には車椅子にすわりダンスパーティーに参加してい た。その後、もう疲れたと言い旅立った。 父親は、肺炎になったが病院には行きたくないと言い、自宅で過ごし亡くなる2日前には、 さばの煮付けを美味いと食べ、その翌日亡くなった。入院すれば命は救えたかもしれない が、 「これでよか」と言った父親を見てこれでよかったと思えた。亡くなる場所がホスピス や自宅であっても、周りにいるものが、父親母親のような死に方を支えてくれ、自分らし い死に方ができたと思っている。周りにいる者が死に方を支え応援することが、本当の医 療、介護であると感じた。 地域包括ケアシステムは、その人らしい生き方、死に方を実現していくためのシステムで あり、行政、専門家がしてあげるだけでは成り立たない。皆さんが何をしてほしいか、ど う生きたいか、どう死にたいかが、はっきりしない限り、地域包括ケアは成り立たない。 日本の高齢化は世界のトップランナー、1968年には50歳以上が2割で、1978年 までは2割であったが、そのうちに50歳以上が6割を占める時代が来る。 2100年には、人口が1億2千万人から4000万人まで、減少すると推計されている。 生産年齢人口では、1980年まではバランスのいい構成であったが、2030年には、 54%が65歳以上になる。そうなると若いものには迷惑をかけれないとなる。 経済をみると、日本の予算100兆円中、14兆円が医療費 国は急性期病院医療費を削 減しようとしているが、介護費は高齢者が増加してくるので、20兆円を超えてくる。 24時間365日安心して、医療、介護が受けられる街づくりと言っている所が、医療費・ 介護費どんどん進んでいく。医療費、介護費を削減しなくてはいけないと言いながら、一 方で24時間365日安心して暮らせると矛盾することを言っている。 こういった医療・介護で幸せになるのであればいい。医療に依存して望む死に方ができれ ばいいが、現実的にはそうなってはいない。 現実には、どれだけ医療を頑張っても、治らない病気もあり、色々治療して高額な医療費 を使っても、最後は無理と言われることもある。 介護保険は、介護を受けやすくする保険ではなく、本来は自立するための保険だった。 それがいつの間にか、介護度が上がったらどんどんサービスが受けられるというものにな ってしまった。 健康の定義、日野原先生は「幸福」で、自らが健康と感じることが大事と言っている。 マズローの三角では、若い人が健康と感じる時は、おいしいものを食べたい、彼女がほし い 安全で暮らしたい、出世したいという欲求があって、次いで人のためにと成長してい く。それが65歳以上になるとこれがひっくり返り、いきなり人のために、人から感謝さ れたい、ありがとうと言われたいに変わる。高齢者が増えると言うことは、人のために、 感謝されたいという人が増えてくることになる。これが大事である。 65歳以上になれば「ときどき医療」は当たり前、75歳過ぎれば「ときどき介護」は当 たり前であるが、85歳以上になっても元気でいられるよう、できる限り医療、介護を受 ける時期を遅らせるように。元気高齢者が地域づくりをしていく。 また、べったり医療、介護が必要な高齢者であれば、それをさっと支える。 自分の生き方、死に方は自分で決める。それを行政も一緒に考えていく時代を作っていく。 東日本の震災の復旧でわかったことは、自助(自分の力)、共助(医療保険・介護保険)が あってお互いに助け合っている所に、公助(行政)が入れば早く復旧が進んだが、そうで ない所では、いくら公助が入っても進まなかった。 自助、共助をいかに強化していくかが行政にとっても大事なところ。 厚生労働省が示した地域包括ケアシステムについての図では、医療や看護、介護、保健・ 予防、生活支援、住まいがあって、最後にその成果を出すために、 「本人、家族の選択と心 構え」が加わった。これは今まではなかったが、これがあってはじめて地域に根付いてく る。 また、欧米では任意での保険しかないため、1回の受診で何万円もかかる為、病気になら ないようにするが、日本は病気になってもすぐに医療を受けることが出来るからであって、 それだけ医療に依存している国である。 そんな中で、本来の社会資源は何かとなったとき、人から感謝されたいと思っている高齢 者が、最大の社会資源になり得るのだが、日本では年を取り、病気になると社会的弱者に なって、ケアをされ医療に依存しまい、自分らしさを見失うサイクルになってしまう。 新しい健康観は、病気や、疾病予防、介護予防ではなく、大事なのはその人らしい生き方、 死に方を実現していくか、そのためにみんながいかに協力していくか、みんなが自助、共 助をいかに伸ばしていくか。 また、依存から脱却し、普段からかかりつけ医、歯科医師、薬剤師等、自分を支えてくれ る人のネットワークを持つことが、元気高齢者をつくるうえで最も大事である。 それは、医療や介護に頼るのではなく、自分がどんな生き方、死に方についてしっかり相 談にのってくれる、かかりつけネットワークを持っておくことが重要である。 愛媛大学病院総合診療サポートセンターでは、医療依存度をいかに下げるかに取り組んで いる。入院のねらいは、入院の前から、何のために入院するかを決めて入ってくる人を、 いかに増やすかということ。 救急病院では救命をしても、寝たきりになって結局自宅に帰れない状況がある。 高齢者が入院し1ヶ月も入院すれば、家族も自宅に帰そうと思わなくなり、本人も迷惑を かけたくない、またかかりつけ医との関係もきれ、自宅に戻れなくなる。そうなると何の ために入院してきているかがわからなくなる。そこで、入院前から、もとの生活に戻すた めの入院をしようというのがこれ、大事なのはみなさん心構えである。 24時間365日安心して医療、介護がうけられると思っているようであれば、自分らし い生き方、死に方を保障することは出来ない。 しかし、自らが動いて、家族もそこに入って、かかりつけネットワークの中で決めていけ ば、きっと自分らしい生き方、死に方ができる、その仕組みがいなべにはあると思われる。 どこに参画していくか、入り口はどこでもいい。 かかりつけ医、運動づくり、役場にプラットホームがあって、そこでは情報が得られる。 それは、縦割りではなく、そこに行けば自分らしい生き方、死に方について相談できる そういった場をもうけること。それは地域のどこでもよくて、総合病院でもいい。 総合診療サポートセンターでは、入院前から退院支援、入院前からかかりつけ医を決め、 入院前からリハビリをし、入院前から栄養について考え、入院前から動き出し入院後につ いて相談をしている。急性期病院として感じることは、入院してくる人が、いかに医療に 依存して入院してきているという現状があるということ。 大事なことは、かかりつけネットワークを持ち、その中で自ら健康管理をし、自分にでき ることを社会に提供し、感謝されながらのサイクルの中で、自分らしい生き方をしていく。 それが、地域包括ケア時代の住民のこころ構えであると考える。
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