明治の遺構 旧南湖院の第一病舎の寄付を受けました (PDF

茅 ヶ 崎 市 記 者 発 表 資 料
平 成 2 7 年 1 2 月 2 2 日
企画部企画経営課 課長 添田信三
電話0467(82)1111 内線2469
明治の遺構
旧南湖院の第一病舎の寄付を受けました
本年3月12日に逝去された髙田準三(たかだじゅんぞう)氏の相続人である髙田耕太郎(た
かだこうたろう)氏から、明治32(1899)年に設立され、東洋一の結核療養施設とうた
われた旧南湖院の中核施設である第一病舎及び当該建物にかかる土地の寄付が 12 月 10 日に
ありました。
旧結核療養施設「南湖院」は、明治期から本市の発展に大きく貢献するとともに、文化・歴
史に大きな影響を与えた施設であり、旧南湖院の所在地には、その遺構や面影を残す建造物が
存在しており、本市にとって大変重要で社会的価値の高いものです。
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寄付物件【旧南湖院所在地内の第一病舎】
土地(その1)
所
在 :
地
番 :
地
目 :
地
籍 :
茅ヶ崎市南湖七丁目
12869番201
宅地
900.00㎡
土地(その2)
所
在 :
地
番 :
地
目 :
地
籍 :
茅ヶ崎市南湖七丁目
12869番202
宅地
24.02㎡
建物
所
在
地
番
家屋番号
構
造
種
類
床 面 積
茅ヶ崎市南湖七丁目
12869番1
12869番1
木造スレートぶき2階建
居宅
230.98㎡(115.49㎡ 1階/115.49㎡ 2階)
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:
:
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旧南湖院第一病舎の社会的価値
神奈川県教育庁文化財保護課による、南湖院所在地内の建物調査(1984年)におい
て、次のとおり記述しています。
「南湖院の開設とともにあり、南湖院の盛衰を逐一見てきた第一病舎が現存して
いるのは実に奇跡というべきであろう。恐らく南湖院の象徴的存在たるこの建物に
愛着を覚える関係者の意向によって残されてきたのであろう(中略)繰り返すが、
特に第一病舎はこの地に南湖院が足跡をしるし始めた記念の碑として、また神奈川
県内の数少ない明治遺構の一つとして貴重である。
」
【出典:茅ヶ崎市史ブックレット⑤
南湖院】
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旧南湖院をめぐる人々
東洋一の結核療養施設とうたわれた旧南湖院には、さまざまな人たちが訪れています。
最初の入院患者は3人で、そのうち1人が、勝海舟夫人でした。その他、文人の国木田
独歩、詩人の八木重吉・秋山秋紅蓼、小説家の大手拓次・坪田譲治・中里介山、随筆家で
参議院議員の森田たま、歌人の岩谷莫哀などがいました。
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旧南湖院所在地の文化的所産の活用に向けた協定書の締結
本市と旧南湖院を所有・維持している一般社団法人南湖荘は、本年 12 月 18 日に南湖
荘が、故髙田準三氏から死因贈与を受け、関連法人を通じて所有・維持・形成されてきた、
旧結核療養所「南湖院」の文化的所産の活用に向けた取り組みについて、「茅ヶ崎市と一
般社団法人南湖荘との連携と協力に関する包括協定」の締結をいたしました。
協定書は、①第一病舎の保存、活用及び公開に関すること②南湖院に関する近代遺構・
史料の調査・保存・公開に関すること③富士見百景等の景観や環境の継承及び学習や周
知・啓発に関すること④広域避難場所の
指定や防災備蓄資機材の配備など災害協
定に関すること⑤散策空間の公開や高齢
化社会を踏まえた健康づくり事業に関す
ること―などについて定めております。
これらの事業は、本市と連携し南湖荘
において公益的事業として実施すること
が計画されており、今後もこれらの役割
や貢献が継続するものと考えております。
本市といたしましては、協定書の目的
にのっとり、南湖院を実質上承継した南
湖荘と協働し、歴史的建造物である第一
病舎の保存・活用を図るとともに、歴史・
文化、環境・景観、防災・安全、健康を
含めた顕彰事業等を実施してまいりたい
と考えております。
■茅ヶ崎市と一般社団法人南湖荘との連携と協力に関する包括協定