北勢線の魅力を探る報告書

第9回
北勢線の魅力を探る報告書
大榧(オオガヤ)の木
行順寺
開催日: 2007年9月17日(月・祝)
主催:北勢線の魅力を探る会
後援:いなべ市、東員町、桑名市、北勢線対策推進協議会、三岐鉄道株式会社、
桑員ふれあいの道協議会、桑員まちのファンクラブ、都市環境デザイン会議
第9回北勢線の魅力を探る∼中津原の巨樹と寺社めぐり∼
参加者:111名(内子ども1名)
協 力:やまどり民話サークル、伊藤吉明さん宅
説 明:いなべ市語り部 伊藤忠さん、いなべ市語り部 武藤佳子さん、
北中津原自治会長 伊藤昭朗さん、行順寺住職 田代俊孝氏
<呼びかけ文>
樹齢千年の霊木“大榧の木”をはじめとして自然に恵まれた山間の地を散策します。
また、行順寺報恩水道のお話もあります。
当日の予定
北勢線麻生田駅出発時刻表
9:20 北勢線麻生田駅
西桑名行
其原道場
13:25
10:00 原神社
(説明あり)
10:25 南中津原橋
(説明あり)
10:40 大榧(オオガヤ)
(説明あり)
10:55 寝榧(ネガヤ)
(説明あり)
茅葺の屋根
11:15 中原神社
(説明あり)
11:40 行順寺
(説明あり)
紙芝居「報恩水道」
12:00ごろ 解散・昼食
∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼
行順寺より北勢線麻生田駅まで
約3.5k(45分)あります
12:30
14:19
阿下喜行
12:47
13:42
14:36
出発から原神社まで
報告 西羽 晃
2007年9月17日、台風の影響はなくなったが、朝から風もなく、蒸し暑い。昨夜
のアルコールが残っていて、体調は万全でないけど、救護車が付いてくれるので、最悪の
場合は助けてもらうことを期待して、馬道から乗車して西桑名へ8時前に着く。ボツボツ
と参加者が集まって来る。山北さんと西村君が受付を始めてくれる。多くは顔なじみの方
であるが、初めての方も見える。各自で切符を買ってもらい、乗車する。馬道から多くの
乗車あり、狭い車内に揺られながら、手分けして受付にまわる。西別所・蓮花寺・在良と
少しづつ乗車あり。星川ではどっと乗り込んでこられる。穴太・東員からも乗車あり。大
泉でも多くの方が乗られる。自家用車をここに置いて、帰りに「うりぼう」での買物が目
当てとか。
今回は乗車区間が多いので、車内受付が多いと見込んで、当日の資料を80部用意した。
楚原を過ぎて、受付も済んだが、当日資料が無くなってしまった。不足分用の引換券を渡
して、麻生田で渡すことにする。まさか引換券が必要になるとは思わなかったが、用意し
ておいて良かった。
麻生田駅前では大勢の人だかり。車内受付が多かったので、ここでの受付は早く済んで、
近藤代表の挨拶。北勢線対策室の方からアンケート用紙を貰い、藤野戸さんの先導で出発。
私は後尾を歩く。暑さに加えて、荷物が重たくて、早くもバテ気味。車内集金の小銭がず
っしりと肩にこたえる。しまった。救護車に荷物を預けるべきだった。
星川駅ホーム
車内受付の様子
麻生田駅
自動車が多く通る広い道を右折して、辻内鋳物工場の前を抜けると、木立に囲まれた道
となり、陽射しが遮られて、少しは楽だが、それは極く僅かの距離。其原の集落を避ける
ように陽射しの中を歩く。道は揺るやかな登り道。やがて集落の中の道となり。道沿いの
小高いところに立派な寺が見えてきた。行順寺 其原道場である。ここでの説明はなかった
ように思う。私は遅れていたので、素通りした。
後日、調べてみると、正安三年(1301)銘の入った墓碑があると近藤実著『員弁史
談続編』
(昭和56年刊)に五輪塔の絵入りで書いてあるのを見つける。本当に現存してい
るならば、桑員地方では最も古い部類の墓碑であろう。早速訪ねてみる。完全な1石(い
っせき)の五輪塔が1基ある。鎌倉時代後半ころの様式である。寸法も上記の本に記載し
てある寸法と同じである。
(1石五輪塔とは1個の石に4つの刻みを付けた五輪塔で、古い形式である。後の時代
になると、5つの石を組み合わせた五輪塔になる)
在勤の伊藤正法さんの話では、道場が出来る前にあった知足院を開基した実応和尚の墓
石と伝えられている。以前は私も字が読めたが、今は風化してしまって、読めない。何時
の時代か判らないが、銘文を書き写した絵図があるが、今は他所に貸してある。その絵図
を写したのが、『員弁史談続編』に載っているのである。
其原の畑の中の道
行順寺 其原道場
実応和尚の墓石
行順寺 其原道場を過ぎて、やがて見えてきた木立が原神社である。この神社は其原の集
落の一番高いところにある。其原の集落は2度移転しており、この神社も移転してきて、
明治40年に現在地の天王の森に移って、集落を見下ろすようになった。明治の合祀によ
り、牛頭天王(須佐之男命)
、神明社(天照大神)などを祀った。境内には土俵が築かれて
おり、ブルーシートに覆われていた。そこで小休止となり、ほっと一息つく。時間をみれ
ば、予定よりもやや早く、時間配分はうまく出来ている。
(原神社を出てから、救護車が待っていて、やっと荷物を預けて、身軽になって、あと
は快調に歩を進めた。)
原神社鳥居
原神社境内
狛犬(吽)
おおがや
ねがや
原神社から大榧、寝榧まで
報告 集山 一廣
原神社からは、しばらく其原の集落を歩く。途中、道路と畑の間にコンクリートの渠を
樋のように立体的にした小さな灌漑用水路を発見した。オリジナルであろうか、古めかし
いが律儀なスタイルに感心する。
山郷小学校前の交差点を斜め右に折れると、なだらかな起伏が緩やかにカーブする立派
な道路を歩く。すると前方に雄大な景色が開けた。谷筋が集まったところに、これまた立
派な南中津原橋が架かる。北に養老山地を背にして東に蓮華谷、西は小穴谷の渓流が、南
下して員弁川に流れ込む迫力あるシチュエーションに、しばし汗をぬぐいながら武藤さん
の説明を聞いた。最後に訪れる行順寺で、今も語り継がれている「報恩水道」のお話に出
てくるマンボは、この橋の西側の沢にあるそうだが、ここからは見ることが出来ない。い
つか訪ねてみたいものだ。
コンクリート渠
南中津原橋
武藤さん説明
北中津原の集落に入ると、今回の目玉の一つである「大榧」の樹木が伊藤吉明氏の屋敷
にそびえていた。幹周り 5.5m樹高 10m、樹幹は直径 12∼13mで「きのこ」のような形を
した巨樹である。平安末期に植えられ、樹齢千年という。北勢町指定文化財第 2 号となっ
ている。榧の実は古くから食料となり、最盛期には約 6 俵(360kg)の収穫があったと
いう。もうひとつは通称「寝榧」とよばれる榧の森であり、北勢町指定文化財第 1 号に指
定されている。幹周り1m前後の榧が数本、田畑の地面を這うように生育していて、この
「寝榧の森」には、関が原の合戦に敗れた落ち武者が隠れ住んだという伝説もある。帰り
に「大榧」の伊藤さんのおばあちゃんが丹精込めて作った「榧の実のおかき」をお土産に
たくさん頂いた。行順寺でのお昼に、皆さんに配ることとした。食べた感想は榧の実が香
ばしくて風味が豊かでほんのりと甘く、見た目にも美しく絶品であった。どこで売ってい
るのか訪ねる方もいたほどだったが、お昼を食べずに先に帰られた方には配りそこねてし
まった。ご免。
大榧
寝榧
榧の実の収穫は 9 月の中ほどのお彼岸の頃である。これから榧の実のお菓子づくりが始
まる。
では、食べそこなった方、もう一度食べてみたい方に、市販されているものを紹介しよ
う。丸八(三重県一志郡美杉村太郎生)が販売している甘味と榧の香りが上品なかた焼き
せんべい「榧風味」。こうばしい香りと油の乗った榧の実の砂糖菓子「榧太郎生」(かやた
ろう)がある。
熟れた榧の実
炒った榧の実
榧の実おかき
榧の実あられ
ねがや
寝榧から中原神社へ
報告 藤野戸 紘紀
樹齢800年という寝榧の神秘を堪能し、今来た小道を引き返す。行く手の真正面に、
最終目的地である行順寺の特徴ある屋根が見える。快晴ながら、猛烈な蒸し暑さで、ほぼ
全員が、額の汗をぬぐいながら歩いている。そのまま行順寺に直行していまいたいという
気持ちを抑え、次の交差点で、右斜めの道を進む。左手に、珍しい茅葺屋根の民家がひっ
そりと立っている。この家は、現在も村人が生活しているということで、案内人の指示に
従い、100名を超える集団は、静かに通り抜ける。この集落を抜けると、細い一本道が
伸びて、その先は、左に大きくカーブしている。このゆるやかな上り坂をゆっくり進む。
やがて坂道の最高地点に到達すると、目の前に、鎮守の森、長い2本の旗竿そして白い鳥
居が見える。こころもち歩行速度が上がる。なだらかな坂道を下りきり、鳥居を過ぎ、大
きな木々の下の石畳の参道を抜けると、そこは、中原神社の境内である。左側の涼しげな
手水舎にかけより、柄杓を手にする。そして、三々五々木陰での休息タイムを取る。
茅葺屋根の民家
登り坂と下り坂の状況
鎮守の杜と大きなポールと白い鳥居
地域の自治会長の伊藤さんの案内で、楼門をくぐり拝殿前の広場に全員集合する。この
日の為に、用意した原稿を1枚1枚捲りながら、丁寧な説明をしていただく。特に、この
神社の伝統行事で、正月第1日曜日に行われる“粥だめし”のお話に、耳を傾ける参加者
が多かった。さすがに“中つ原の大宮さん”と慕われている歴史のある神社だと納得する。
蒸し暑さは、相変わらずで、扇子や団扇を仰いでいる人も少なくない。伊藤さんにお礼を
述べて、西側の鳥居をくぐり、この神社を後にする。畑の中の小道を南に向かい、交差点
で左折し、坂道を下りきると、本日の最終目的地点の行順寺である。
石畳の参道
拝殿前広場
扇子で涼を・・・・
手水舎から見た桜門
北中津原自治会長伊藤氏の説明
最後の目的地点の行順寺へ向かう
行順寺
報告 西村 健二
11時50分、コスモスが咲く道を下った先に修復を終えた立派な山門が目に入りまし
た。最後の目的地である蓮華山行順寺です。行順寺は北中津原と南中津原の境に位置する
浄土真宗大谷派、いわゆる「お東」の寺院です。境内に入るとすぐに北勢線対策室職員の
方がアンケートを回収されており、私もここで記入して記念品のシャープペンシルをいた
だきました。早速、本堂に上がると同朋大学教授をつとめてみえる住職の田代俊孝氏より
お寺の紹介がありました。今回は特別に報恩水道の絵本に用いられた原画の屏風を展示し
ていただいていました。続いて「やまどり民話サークル」による報恩水道の紙芝居が披露
されました。認知症予防のために始めたとのことでしたが、素人のものとは思えない出来
栄えで、参加者からは大きな拍手が贈られました。12時15分、拍手が続く中で今回の
散策が終了しました。その後、多くの参加者は境内で昼食をとってみえました。
途中に咲くコスモス
道を下る
本堂にて住職田代俊孝師の説明
行順寺
やまどり民話サークルによる紙芝居報恩水道物語
<蓮如の逗留>
行順寺は平安時代初期の天長4年(827)に空海によって開基されたと伝わり、当初
は真言宗の寺院でした。しかし、兵火によって消失して一道場となりました。
時代が下って文安5年(1448)11月、行順寺中興の祖と称される刑部坊空賢とそ
の弟子正玄坊は上洛して本願寺の蓮如(1415∼1499)に帰依し、阿弥陀如来の尊
形1幅を拝領、浄土真宗に改宗しました。翌年の宝徳元年(7月28日改元)、蓮如は宗祖
親鸞の旧跡を巡るため都を発ち、近江国を経て伊勢国に入りました。竜ヶ岳を越えた蓮如
は照光寺(いなべ市大安町石榑南)に3日間逗留、その後丹生川村庄屋瀬古平兵衛の案内
で行順寺に向かいました。途中、員弁川の流れを見て「流れ行く水にしがらみあるとても
若気を止むるしがらみはなし」と詠んだといいます。行順寺に到着した蓮如は4日間逗留
し、養老山地を越えて美濃国へ進むこととなりました。その際、田代越などの難所も多い
ことから正玄坊と瀬古平兵衛が先導したところ、現在は「名残坂」と呼ばれる場所で蓮如
が「これよりは一人で行くべし」と語りかけ、正玄坊は別れを悲しんで地に伏して涙を落
としました。これを見た蓮如は矢立から筆を取り出し、むしろの上で「南無阿弥陀仏」の
六字名号を書き、青袈裟・中啓(末広の扇)とともに与えました。名号の写真を見ると特
に「無」の字がかすれて虎の斑のようになっていました。
現在、行順寺では毎年4月下旬に蓮如忌をつとめて宝物開帳、縁起拝読などを行って、
「蓮如忌の寺」とも呼ばれています。平成12年(2000)4月22日の蓮如五百回遠
忌では境内に蓮如上人御下向之御像(川瀬丑之助寄進)、山門脇に寺号石碑(伊藤靖彦・清
徳等寄進)が建立され、屏風に原画が展示されていた絵本『かけこみ寺への恩返し 行順
寺報恩水道物語』を発行しました。
絵本『かけこみ寺への恩返し
行順寺報恩水道物語』原画屏風
<刑部坊と正玄坊>
刑部坊・正玄坊の伝承は南・北中津原に多く残されており、刑部坊の屋敷跡「刑部屋敷」
や、仏前に供える水を汲んだ「刑部井戸」などの伝承地があります。寺伝によれば刑部坊
は二階堂行藤(1246∼1302)の三男と伝わります。行藤は稲葉山城(後の岐阜城)
主として中濃に領地を持ち、鎌倉幕府の政所執事をもつとめた人物です。また、後に行順
寺2世となった正玄坊についても二階堂行敦(1308∼?)の曽孫正之助のことと伝わ
ります。行敦は行藤の孫にあたり、夢窓疎石(1275∼1351)の弟子となって良祐
と号し、甲斐の恵林寺(山梨県甲州市)に入った人物です。二階堂氏は行藤の曽祖父の代
に伊勢国益田荘(桑名市)の地頭職をつとめたこともあり、行順寺と何らかの関係があっ
たのかもしれません。ちなみに「刑部井戸」からは開墾時に二階堂氏の紋「三つ鱗」が入
った素焼きの壷が出土したともいわれますが、二階堂氏は「三つ盛亀甲に花菱」の紋を用
いており、「三つ鱗」は主筋にあたる北条氏の紋です。
本堂の南側に並ぶ歴代住職の墓碑によると2世正玄坊の後は3世正願坊、4世舌洒坊、
5世舌空坊、6世正朗坊、7世正珍、8世明順、9世達空、10世青柳、11世達道、1
2世義酒、13世義城、14世義閑、15世義誠、16世義誓、17世義晃と続き、現在
の18世俊孝師に至ることが読み取れます。
行順寺山門
行順寺太鼓堂屋根
<参考文献>
近藤実著 『員弁史談』 員弁郡好古史研究会 1980
大野一英編 『東海の蓮如さん』 本願寺名古屋別院 2002
第9回北勢線の魅力を探る
報告書
「中津原の巨樹と寺社めぐり」
編集・発行:北勢線の魅力を探る会
代
表:近藤順子
連絡先:いなべ市員弁町大泉 732(携帯電話 080-3073-3313)
発行日:2007年10月22日
http://www.it-support.or.jp/link/hiroba/hokuseisen-HP/
本報告書の著作権は上記発行者に帰属しています。ご利用の際は
ご一報ください。