半導体やEV陰で支え - 薄衣電解工業

半導体やEV陰で支え
2014年 3月 12日 (水 ) 朝 日 新 聞 第 2神 奈 川 版
薄衣敏則社長
日本の電子部品産業の発展を、めっき一筋で支えてきた会社が薄衣(うすぎ)電解工業(川
崎 市 川 崎 区 )だ 。半 導 体 の 生 産 が 下 火 に な っ ても 、自 動 車 の 衝 突 防 止 装 置 な ど 新 た な 分 野 で 技
術が使われている。
創業したのは、薄衣貞夫氏(故人)。岩手県東和町(現花巻市)の出身で、横須賀市にいた
兄を頼って戦前に神奈川県内に来た。
戦 後 は 川 崎 の 浜 で の り の 養 殖 を 営 ん で い た が 、京 浜 工 業 地 帯 の 埋 め 立 て に よ り 補 償 金 を 手 に
する。それを元手に、前身の薄衣電気工業所を19 5 8 年 に 設 立 。 編 み 機 の 編 み 針の 表 面 を 、
電気を使って滑らかにする「電解研磨」を手がけた。
息子の敏則さん(67)は、69年に大学卒業と同時に入社した。東芝が生産する半導体の
め っ き を 受 注 し 、試 作 部 品 の め っ き も 請 け 負 うよ う に な る と 、業 績 は 大 き く 伸 び る 。8 1 年 ご
ろ に は 、ス ペ ー ス シ ャ ト ル に使 わ れ る 冷 却 装 置用 の 半 導 体 を め っ き す る 方 法 を 開 発し 、実 際 に
シャトルで使われたという。
8 3 年 に 敏 則 さ ん が 社 長 に 就 く と 、8 5 年 に は 父 の 出 身 地 近 く の 岩 手 県 北 上 市 に 工 場 を 新 設 。
だが、電機・電子メーカーが海外に進出し、リーマン・ショックの影響もあって2009年3
月末に川崎工場をたたみ、今は北上工場だけになった。
現 在 の 顧 客 は 大 手 半 導 体 部 品 メ ー カ ー や 大 手 自 動 車 部 品 メ ー カ ー な ど 約 5 0 0 社 。年 間 の 売
り上げは減ったが、利益は確保しているという。
半 導 体 の め っ き で 長 年 築 い た 信 頼で 、最 近 で は ハ イ ブ リ ッ ド 車 や 電 気 自 動 車( E V )の 部 品
へ の め っ き の 引 き 合 い が 増 え て い る。特 に E V分 野 で は 、ガ ソ リ ン 車 が 油 圧で 動 か し て い た 部
品が電気モーター式に切り替わっているためだ。
「 め っ き 技 能 士 」の 資 格 を 従 業 員 の 半 数 以 上 が 取 得 す る な ど 、人 材 育 成 に も 力 を 入 れ て き た 。
西谷重夫・北上工場長は13年度の「現代の名工」に選ばれた。
敏 則 さ ん は「 時 代 ご と に 製品 に 合 わ せ て 工 法を 変 え て い く 。今 後 は 医 療 関係 に も 私 た ち が 活
躍できる場がありそうだ」と話す。
■薄衣敏則社長
め っ き は 大 き な 部 品 も 小 さ な 部 品 も 、厚 さ は 3 ~ 5 マ イ ク ロ メ ー ト ル ほ ど 。小 さ な も の で は 、
金 属 の 粉 に も め っ き で き ま す 。ス ペ ー ス シ ャ ト ル に 使 わ れ る 冷 却 装 置 用 の 半 導 体 の め っ き 技 術
は、現在でも世界で3社ほどしか持っていません。
私 が 手 に し て い る の は 普 通 の ア ル ミ 板 と 、「 低 温 黒 色 ク ロ ム 処 理 」 と い う 表 面 加 工 を し た も
の で す 。漆 黒 の 色 調 で つ や を 消 し 、光 学 セ ン サー な ど の 乱 反 射 を 防 止 で き る た め 、半 導 体 の 製
造装置や、誤作動が許されない自動車の追突防止装 置 な ど 、 最 先 端 の 分 野 で 使 わ れて い ま す 。
■ 薄 衣 電 解 工 業 資 本 金 5 千 万 円 。従 業 員 約 75 人 。年 商 約 7 億 5 千 万 円 。め っ き の 種 類 は 2
5 に の ぼ り 、工 業 用 め っ き の ほ ぼ す べて に 対 応で き る と い う 。「『 愛 』あ る コ ー テ ィ ン グ テク
ノロジーで未来へ挑戦!」をモットーに、1個からでも注文を受けている。