不眠の疫学と基礎知識 日本大学医学部 精神医学系 主任教授 内山 真 Makoto Uchiyama では,成人のおよそ 5 人に 1 人が不眠の訴えをもっ 不眠に関する疫学 ており,高齢者ほど頻度が高いことが報告されて 不眠症とは,適切な時間帯に寝床で過ごす時間が いる 2, 3)。全国の成人 3,030 人を対象とした,平成 8 確保されているにもかかわらず,夜間睡眠の質的低 年度健康づくりに関する意識調査におけるデータを 下があり,これによって日中に生活の質の低下がみ 解析した報告では,過去 1 カ月の入眠障害は 8.3%, られる症候群と睡眠障害国際分類第 2 版では定義さ , 中途覚醒は 15.0%,早朝覚醒は 8.0%であり(図 1) 1) れている 。 いずれかの訴えがあった人を不眠とした場合,不眠 本稿では,日本における不眠の頻度とその関連要 の頻度は 21.4%であった 2)。いずれの不眠亜型にお 因,考えられる不眠の原因,不眠が引き起こす弊害 いても,高齢になると頻度が高くなることが明らか などについて疫学データから検討する。 であり,寝床で休む時間が確保できない睡眠不足の 2) 訴えが若年で多いのと対照的である (図 1) 。Doi ら が,1997 年に行った全国の成人 1,871 人を対象とし 不眠の疫学 た疫学調査 3)においても,同様の結果が得られてい わが国における一般人口を対象とした疫学調査 る。 図 1. 日本における不眠と睡眠不足の頻度(文献 2 より) (%) 30 25 20∼30歳代 40∼50歳代 60歳以上 20 頻 度 15 10 5 0 入眠障害 中途覚醒 早朝覚醒 睡眠不足 23.1% 不眠 21.4% THE EXPERIMENT & THERAPY No.698 2010 3 (58) 生活習慣などの要因を含めて検討すると,性別が 不眠有病率の国際比較研究としては,オーストリ 有意な不眠の関連要因とはならなかった 2)。 ア,ベルギー,ブラジル,中国,ドイツ,日本,ポ ルトガル,スロバキア,南アフリカ,スペインの 10 不眠と生活の質について,不眠以外の心身に関 カ国における企業勤労者を中心とした睡眠障害に関 する愁訴から検討すると,心身の愁訴数と不眠の する疫学調査がある 。この中で,何らかの夜間不 頻度に,有意な正の関連がみられることが報告さ 眠があると答えた人は 10 カ国平均では 24.0%で,日 れている 5)。個々の心身の訴えと不眠に関して多変 本は 20.9%と平均より頻度が低く全体で 6 位であっ 量解析すると,身体的な愁訴では,体重減少(オッ た(図 2 ) 。夜間不眠に加えて,不眠による日中の ズ比 2.0) >胃部不快=頭痛=易疲労感(1.7) >腰背 QOL 低下を伴う人,すなわち臨床的な不眠症とみ 部痛(1.4) の順で,精神的な愁訴では,何もする気 なすことのできる人は,10 カ国平均 12.1%であり, がしない(1.8) >くよくよ(1.6) >いらいら(1.4) の順 日本は 10.3%と平均よりやや低かった 4)。 に不眠と関連が強かった 5)。消化器系の愁訴の関連 4) が強いこと,精神的には気分の変調に関連した訴 えがみられることがわかった。 不眠の背景因子と心身の不調 諸外国において,一般人口で不眠の調査をする 日本における疫学調査から,性,年齢,仕事の と,不眠者は気分障害,不安障害,アルコール乱 有無,社会階層,学歴,運動習慣,余暇時間,食 用などの精神疾患を合併することが多いと指摘さ 生活,喫煙,飲酒,ストレスなどについて関連を れている。Kaneita ら 6)は,日本の一般成人人口デ 調べたところ,最終的には表1 に示すように,身体 ータを用いて,疫学調査用に開発されたうつ病自 要因(年齢,健康感欠如) ,心理要因(ストレスあ 己評価尺度(CES−D) でうつ病を同定し,各種不眠 り,ストレス対処不良),生活習慣(運動習慣な や睡眠時間との関連を調べた。その結果,入眠障 し) ,無職がそれぞれ独立して不眠と関連している 害,夜間覚醒,早朝覚醒ともに,不眠を持つ人の 2) こ と が わ か っ た 。性 差 に 関 し て は ,男 性 で 中で,うつ病の頻度は約 2 倍であり,それぞれの不 20.5%,女性で 22.3%と女性で頻度が高かったが, 眠を持つ人では有意に CES−D 得点(抑うつ得点) が 図 2. 不眠の訴えのある人の国際比較(文献 6 より) (%) 35 32.2 29.4 30 26.0 25.4 25 24.0 21.9 20.9 19.2 頻 20 度 16.3 16.2 15 10.4 10 5 0 ー カ ギ リ ル ベ 4 (59) フ 南 ア 国 均 ア 中 ス ン 平 キ 国 バ ロ 1 0カ イ ペ ス THE EXPERIMENT & THERAPY No.698 2010 ル 本 ル ジ 日 ガ ラ ブ ト ポ ル ツ ア イ リ ド ト ス ー オ 特集:不眠症治療の新しい展望 高いことを明らかにした (表2) 。 表 1. 不眠に関連する要因(文献 1 より) 不眠 総数 頻度(%) 単変量モデル 多変量調整 オッズ比 95%信頼区間 オッズ比 95%信頼区間 年齢 20−39 歳 40−59 歳 60 歳以上 986 1278 766 18.1 18.9 29.5 1.0 1.1 1.9 0.9−1.3 1.5−2.4** 1.1 2.1 0.9−1.3 1.6−2.7** 職業 有職 無職 2051 979 19.3 25.6 1.0 1.4 1.2−1.7** 1.2 1.0−1.5* 運動習慣 有 無 836 2194 17.2 22.9 1.0 1.4 1.2−1.8** 1.3 1.0−1.6* 休養感 有 無 2206 824 20.4 23.8 1.0 1.2 1.0−1.5** 生活満足感 有 無 2320 710 19.5 27.3 1.0 1.6 1.3−1.9** 健康感 有 無 2362 668 17.1 36.4 1.0 2.8 2.3−3.4** 2.1 1.7−2.6** 精神的ストレス 無 有 1376 1654 15.9 25.8 1.0 1.8 1.5−2.2** 1.8 1.5−2.2** ストレス対処 できる できない 2562 468 19.1 31.2 1.0 1.9 1.5−2.3** 1.4 1.1−1.8** *p<0.05,**p<0.001 表 2. 不眠とうつ病の関連(文献 6 より改変) CES−D 16 点以上 (軽度∼中等度うつ状態) CES−D 25 点以上 (重度うつ状態) CES−D 得点 平均±標準偏差 入眠障害(17.5%) 有 無 47.4% a 24.0% 19.5% a 7.0% 17.5±9.7 b 12.7±7.7 中途覚醒(20.7%) 有 無 45.4% a 23.6% 18.1% a 6.8% 17.1±9.4 b 12.6±7.7 早朝覚醒(22.8%) 有 無 36.7% a 25.6% 13.0% a 8.0% 15.4±8.9 b 12.9±8.0 不眠 a:p<0.01 Chi−sqare test,b:p<0.01 Kruskal−Wallis test THE EXPERIMENT & THERAPY No.698 2010 5 (60) 特に 65 歳以上の高齢者では,不眠のあった人は 3 年 不眠の弊害 後にうつ病の危険率が,不眠がなかった人の 3 倍以 日中の眠気と不眠との関連について調べた研究に 上になる 8)。30 年以上の経過を追ったハーバード大 おいて,入眠障害,中途覚醒,早朝覚醒のいずれも 学,ジョンズホプキンス大学調査では,不眠の既往 日中の眠気の有意な独立した関連要因であり,この はうつ病のリスクを 2∼3 倍にすることが明らかに 3 つの訴えをすべて有する場合には,オッズ比が自 されている 8)。 不眠がうつ病のリスクファクターになるメカニズ 覚的睡眠不足感よりも高く,睡眠時間が 5 時間未満 7) に匹敵することが明らかになった(表3) 。この疫 ムについては,不眠への脆弱性素因とうつ病の脆弱 学調査において,レストレスレッグス症候群や周期 性素因が共通しているのか,不眠を引き起こしてい 性四肢運動障害,睡眠時無呼吸などの特異的な睡眠 るストレスが不眠と同時にうつ病の準備状態をもた 障害について同定していないため限界があるが,自 らすのか,あるいは不眠が続くことにより起こる睡 覚的不眠が重症であると日中の眠気が強くなること 眠不足が最終的にうつ病の精神身体要因としてのリ を示すものと考えられる。 スクファクターになるのか,明らかになっていな い。 近年,不眠の既往とうつ病のリスクについて縦断 日本において企業の健康診断の調査データから, 的疫学研究がなされるようになった。若年成人や高 齢者の一般人口を対象とした追跡調査において,不 不眠と生活習慣病の関連が示されている 9)。不眠の 眠の既往歴のある場合,3 年後の追跡調査における あった人は 4 年後の高血圧発症リスクが,入眠障害 8) うつ病の危険率を高めることが報告されている 。 で 1.96,中途覚醒で 1.88 という報告がなされてい 表 3. 日中の眠気に関連する要因(文献 7 より) 多変量調整 単変量 日中眠気(%) オッズ比 6 (61) 95%信頼区間 オッズ比 95%信頼区間 若年成人(20−39 歳) 中年・老年(≧40 歳) 19.8 12.6 1.7 1.0 1.4−2.1 1.6 1.0 1.3−2.0 睡眠時間(時間) <5 5−6 ≧6 36.6 22.5 10.9 4.7 2.4 1.0 3.2−6.8 1.9−2.9 3.8 2.3 2.6−5.6 1.8−2.9 不眠症状 入眠障害のみ 中途覚醒のみ 早朝覚醒のみ 入眠障害と中途覚醒 入眠障害と早朝覚醒 中途覚醒と早朝覚醒 すべて 不眠無 27.0 22.2 27.9 32.3 40.0 32.7 36.6 11.5 2.8 2.2 3.0 3.7 5.2 3.8 4.5 1.0 1.8−4.6 1.6−3.0 1.8−4.9 2.1−6.4 1.8−14.6 2.1−6.7 2.8−7.1 1.8 2.0 2.3 1.2−2.6 1.6−2.7 1.5−4.2 2.4 3.0 1.0 1.8−4.4 2.1−4.8 睡眠不足 有 無 31.3 10.0 4.1 1.0 3.3−5.1 2.8 1.0 2.1−3.5 睡眠薬または寝酒 有 無 25.5 14.2 2.1 1.0 1.5−2.9 1.5 1.0 1.0−2.2 THE EXPERIMENT & THERAPY No.698 2010 特集:不眠症治療の新しい展望 る。糖尿病の既往のない中年男性社員で,入眠障害 として,大きな役割を果たすと考えられるようにな がある場合は,8 年間の経過中における 2 型糖尿病 っている。 の発症が 2.98 倍となり,中途覚醒では 2.23 倍となっ た。海外においても同様な疫学研究が報告されてい る。 最近,雑音を用いて睡眠の質的低下を作った実験 では,睡眠時間の短縮を引き起こさずに耐糖能の低 下がみられることが報告されており 10) ,不眠にお お わ り に 不眠に関する疫学調査から,日本における不眠 の頻度とその関連要因,考えられる不眠の原因, 不眠が引き起こす弊害などについて述べた。 ける睡眠の質的低下がこうした生活習慣病のリスク ■文献 1)American Academy of Sleep Medicine:The international classification of sleep disorders second edition: diagnostic & coding manual. American Academy of Sleep Medicine, 2005. 2)Kim K, et al.:Sleep 2000;23:41−47. 3)Doi Y, et al.:J Epidemiol 2000;10:79−86. 4)Soldatos CR, et al.:Sleep Med 2005;6:5−13. 5)Kim K, et al.:Psychosom Med 2001;63:441−446. 6)Kaneita Y, et al.: J Clin Psychiatry 2006;67:196−203. 7)Liu X, et al.:Psychiatry Res 2000;93:1−11. 8)Riemann D, Voderholzer U:J Affect Disord 2003;76:255−259. 9)内山 真:医学のあゆみ 2007;223:837−841. 10)Tasali E, et al.:Proc Natl Acad Sci USA 2008;105:1044−1049. THE EXPERIMENT & THERAPY No.698 2010 7 (62)
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