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社会言語学的記述についての一考察 : 会話分析の視点か
ら
若松, 美記子
一橋論叢, 127(3): 335-345
2002-03-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/10310
Right
Hitotsubashi University Repository
(109) 研究ノート
若松美記子
杜会言語学的記述についての一考察
会話分析の視点から−
はじめに
﹁レリヴァント﹂であるとは限らない、というわけである。た
しかに、人々は生物学的に規定される﹁ヒト﹂である以上に、
さまざまな場面において、なんらかの社会的アイデンティティ
を担って、言語的・非言語的コミュニケーションを行っている。
る立場にある者はどのようにして、この﹁レリヴァント﹂な記
そうであるならぱ、コミュニケーションを観察・記述・分析す
述というものを入手することができるのだろうか。
この小論では、コミュニケーションにおける﹁レリヴァン
ト﹂な記述を入手する方法について考察してみようと思う。考
察の対象としては、特に、実際のコミュニケーションにおいて
いったい、何者としてそのときどきの場面に居合わせているの
人々は日々のさまざまなコミュニケーションを行うなかで、
との関連性を探究する社会言語学における記述一以下、﹁社会
巨昌彗巴亘ω一の視点から考察してみたい。
言語学的記述﹂︶の方法を取り上げて、会話分析︵o昌き易甲
人々が使用することぱの特徴と彼らの社会的アイデンティティ
にみえて、実は困難な問題を孕んでいる。というのは、社会学
だろうか。このような疑問は、一見、簡単に答えを得られそう
者のサックス︵ω害斎畠s印L彗旨︶が指摘しているように、
言語学的記述の指針について取り上げ、このような指針におい
以下では、まず、筆者が仮に﹁当事者主義﹂と名付けた社会
ては、いくつかの方法論上の困難があることを指摘したいと思
コミュニケーションを行うなかで、人々が何者であるか、つま
については、無限大の﹁正しい﹂記述の候補がある一方で、そ
り、人々がどのような社会的アイデンティティを担っているか
のような記述と区別できる﹁レリヴァント︵適切・有意味︶﹂
とにする。次に、一九六〇年代のアメリカで社会学考のサック
^1︶
ける記述であるという社会言語学的記述の指針﹂を指し示すこ
物︵H観察者や分析者など一による観察などよりも、信頼のお
︵判断.認識・経験などの一申し立ての方が、当事者以外の人
う。﹁当事者主義﹂とは、この小論においては、﹁当事者による
な記述があるからである。
たとえぱ、ある人物がレストランという場面において、﹁客﹂
﹁会社員﹂﹁日本人﹂﹁父親﹂であることは、いつでも﹁正しい﹂
記述ではあるけれども、その記述がいつでもその場面において
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いして、一つの解決策を提示してみたい。そうすることで、コ
を導きの糸としながら、﹁当事者主義﹂の方法論上の困難にた
スやシェグロフらによって創始されたとされる会話分析の知見
の構築との関係はどのようなものなのかL︵O凹ヨ實昌岩㊤H一
るのかという問題、そして、それらの規範とアイデンティティ
どのように個人に気づかれ、受け入れられ、抵抗され、覆され
実践による言語規範の生産と再生産の問題や、それらの規範が
と見なされていることぱを使ったり、行為を行っている人々が、
している。実際に、ある特定の社会的アイデンティティの特徴
認識一過程︶の側面を取り上げなけれぱならないと注意を喚起
。。o。︶という実際に言語活動に参与している人々の判断や経験、
ミュニケーションにおける﹁レリヴァント﹂な記述を入手する
一つの可能性について、具体的なデータを分析することを中心
にして探っていきたいと思う。
一一﹁当事者主義﹂ における一つの誤謬
では、カメロンが提言しているような、言語活動を行ってい
なけれぱならないというのである。
いう側面を考慮した上で、観察者は社会言語学的記述に従事し
られた現実として扱い、それを統計などの記録に基づく定量的
る当事者の判断や経験、認識︵過程︶を分析の組上に乗せて社
まさにその社会的アイデンティティに所属しているかどうかと
データの分析によって明らかにしようとする立場がある。この
会言語学的記述を行うためには、どのような方法があるだろう
の研究に代表されるように、マクロな社会構造をあらじめ与え
ような立場においてまず第一に重要な作業は、観察者が観察対
社会言語学的記述には、たとえぱ、ラボフ一−きoくH㊤富一
象である言語活動に関違したいくつかの社会的アイデンティ
︵たとえぱフェミニズムの言語改革運動一に焦点をあて、その
ような活動にまつわる言語規範の生産や再生産の過程がみられ
か。カメロン自身は、言語活動に関わる当專者のメタ言語活動
るテキストの分析をしている︵9昌雪昌岩竃︶。しなしなが
ティを前もって設定し、記述することである。これらは、のち
ための変数として用いられるからである。
ら、会話などを録晋・録画した生のデータを用いて、社会言語
に分析結果として提出される人々の言語使用の特徴を説明する
とえぱ、フェミニズムの立場から社会言語学的研究をおしすす
に言語活動に参与した人々から、その言語活動の諸相について
学的記述を行おうとするならぱ、まず考えられる方法は、実際
しかし、このような統計的相関性を重視する立場は、近隼、た
めているカメロンによって批判されている。︵O印ヨR旨H竃〇一
の意味づけや彼らの考え、感想などの情報を聞き出す方法であ
畠8一カメロンは、定量的データに基づく社会言語学的記述に
おいてはしぱしばとりこぼされてしまいがちな﹁制度や社会化
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(111〕 研究ノート
指しているわけであるが、この方針を採用することがそもそも
て考慮してみる必要があるだろう。
目指す記述の精織化に繋がっているのかという点について改め
ろう。
する﹁インターアクションの社会言語学﹂に従事しているタネ
ルが行った一つの実験を思い出してみるのは示唆的である
この点について、エスノメソドロジストであるガーフィンケ
言語分析に人間関係の要素を積極的に持ち込むことを特徴と
ンは、データを収集したあとに﹁各参与者に個別に面接し、そ
6弩饒目ぎ一畠彗﹄①︶。ガーフィンケルは、学生たちに彼らが
れぞれの参与老がどのように会話を解釈したかを確認する﹂と
﹁フォローアップインタビュー︵事後面談︶﹂とよぱれる方法を
いう作業を行うことを重視している︵↓国⋮昌崖竃︶。この
のである。フォローアップインタビューで得られた情報とデー
のになるし、補足説明を加えることができる﹂一橋内岩婁竈一
である。しかし、学生たちは、そんなことは不可能だといって、
フォローアップインタビューと同じような作業をやらせたわけ
ていたのか、正確に述ぺさせるという課題を出した。要するに、
他の人と交わした会話について、当人たちがどのように理解し
タの分析を併用することで、当該言語活動の場面や状況の特徴、
な問題︵時間や紙が不足しているなど︶ではなく、その会話で
途中でその課題をやめてしまったという。それは単なる技術的
採用することによって、﹁データの記述がより精綴で正確なも
参与者たちの発話内容についての解釈を彼らの内省によって補
強することができ、収築したデータについての記述をより信頼
らに記述することがますます増えてしまうというのである。
交わされていた理解を正確に記述しようとすれぱするほど、さ
天轟潟﹃−湯一2窒gξ昌−o塞︶。
性の高いものにすることができるわけである︵霊雪9俸
きょく暖昧な意味内容を伝達し合っているのだから、いつまで
てしまうのだろうか。そうではないと思う。実際わたしたちは、
たっても正確に分かり合うことはできない、ということになっ
そうであるならぱ、この実験が意味することは、人々はけっ
タを観察者のみが分析しただけでは、言語活動に従事している
しかしながら、このような方法が奨励される背景には、デー
当事者が実際に抱いていた認識一過程一についての情報が得ら
ケーションを行っているからである。むしろ、こう考えてみた
通常、いちいち互いの発話内容を確認しなくとも、コミュニ
らどうだろうか。ある会話における発話や行為、出来事などの
に取り組まなけれぱならない^つまり、そうしなけれぱ、その
意味や理解の記述は、フォローアップインタビューなどを通し
れないので、インタビューなどをとおして確認した上で、記述
れる。このような﹁当事者主義﹂の方針は、記述の精綴化を目
記述は正確さ・信頼性を欠く︶という考えが潜んでいると思わ
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正碓さが増すというものではなく、それらは人々の言語活動の
て、当事考たちよって多くを語られれぱ語られるほどそれだけ
をしているのかという点から考えてみることができる。
も、相互行為の中で、人々が互いにどのようなかかわり合い方
ティを担ってコミュニケーションを行っているのかということ
は、独特のカテゴリー論を展開している。主なボイントは二つ
このような考えの中で、サックス︵ω賞訂H害ぎL竃ぎ︶
実践の中で組織される語りや行為を通じて彼ら自身が示し、成
し遂げていく現象であ る 、 と 。
ある。一つは、カテゴリーは集合をなしていることである。た
先取りして述ぺるならぱ、﹁当事者主義﹂を指針とする社会
言語学的記述の一つの誤謬は、人々の会話や行為の意味の記述
とえば、性のカテゴリー集合は﹁男性・女性﹂、家族の集合は
﹁お父さん・お母さん・赤ちゃん−−・﹂というように。もう一
をインタビューなどの方法によって当該の言語活動の外側から
つのポイントは、それぞれのカテゴリーの担い手は、他のカテ
入手しようとしてしまったために、彼らの実践に埋め込まれ、
ゴリーの担い手に対して、ある特定の関わり方をすることが、
実際にそのことにかんする知識を持っているかどうかには、関
などといったことである。この期待は、カテゴリーの担い手が
えば、﹁赤ちゃん﹂は﹁泣く﹂、﹁母親﹂は﹁子供の世話をする﹂
一般的に、もしくは規範的に期待されていることである。たと
しまったことである。
な記述の入手可能性
可視化されているはずである当事者の理解の表示を捉え損ねて
=一 ﹁レリヴァント﹂
三・ サックスのアイディア
このようなサックスのアイディアは、言語活動を観察・分析
られるだろう。
な期待は、社会生活を営む上で重要な資源となっていると考え
係がない。しかし、これらのカテゴリーに結ぴついたさまざま
して、先に言及したサックスのアイディアについてもう少し詳
なく、﹁レリヴァント﹂な社会言語学的記述を入手する方法と
かかわり合っているかという側面に向けさせるだろう。人々が
する者の注意を当該言語活動において人々がどのように相互に
統計的手法やフォローアップインタビューを用いるいき方で
しく見てみよう。サックスは、人々の言語行為というものは社
そして、その際にどのような身体的配置であったかなどという
どのような内容の発言をどのようなタイミングで行ったのか、
会におけるさまざまな場面に埋め込まれている相互行為
一ま8量g冒一であるという観点を提出している。だから、そ
のような場面において、人々がどのような社会的アイデンティ
338
O ← [まあ一
P それまでは、ちょっと、アールアンドビi色が
ことをとおして、言語活動に参与する人々の社会的アイデン
ティティは成し遂げられていくのである。以下では、社会的ア
[三一強かった。H
P ←Hそうね。1−
O ←nで、フォーク色っていうか。⋮
O ←[色が強くて。
イデンティティが人々の相互行為を通してどのように成し遂げ
られるかという点について具体的に分析を試みたいと思う。
三二一 ﹁専門家﹂ であること
分析で層いるデータは、ラジオトークを録音し、それを文字
O← [ディランの
P ← [ボブデイランの[∴未発表曲を
O←11うん。[フォークロック一
化したものの一部分である。ラジオトークのテiマは﹁日本
^2︶
P 歌[っ∵たりとか。やっぱ
P ← [あっ。あれはなかなか
サバiバンミスター[ジェームスc
O ← [うん︵一いい曲なんですよ。
い[い、きょく一でしたね。
断片1のやりとりの内容を見てみると、OとPは
﹁マンフ
○それか一ら一、え一とね。え∵、セミディタッチト
︵中略︶
P うん。
O ←Hマイティクイーンがね。
P マイティクイーン∴が一番一一。
O ← [そうそうそうそう。
人﹂の0と﹁イギリス人﹂のPがイギリスの音楽について、そ
れぞれの国の事情と関連させながら、対談をするというもので
ある。以下の断片1に至るまで、OとPはイギリスの音楽グ
ループ﹁マンフレッド・マン﹂について語っている。断片ーは
その続きである。なお、断片で使用されている記号については、
^3︶
ケルダポが入って。あ[︵︶
っていうか。あのマンフレッドマンはマイ
んで一それが終 わ っ て 、 ま と も な バ ン ド に な っ た
注を参照のこと。
断片1
0
P ← [ま、ポップグループにな
りました[よね。
339
研究ノート
(1!3〕
レッドマンLというグルーブについて、その音楽的特徴の説明
をしていることがわかる。しかも、その説明を導入していくや
りかたは非常に特徴的である。というのは、OとPは時に、相
手の発話に重なって発話を始めたり、相手の発話に割り込んで
発話を始めたりしているからである^断片中の←に注目︶。わ
たしたちは、通常、相手の発話と重複して話をしたり、途中か
ら割り込んだりすることをできるだけ回避しながらコ、、ニニ
ケーションを行う︵ω彗訂g団一二竃ら。だからといって、そ
のような現象がコミュニケーションの中で起こらないわけでは
ない。そうであるならぱ、断片ーに見られるような重複や割り
込みなどの行為が頻繁に起こる会話において、そのような現象
自体になんらかの意味を見いだすことができるだろう。
このような重複や割り込みや繰り返しなどの行為を行うこと
で、OとPは、相手の発話内容にたいして﹁言い換え﹂﹁付け
足し﹂﹁同意﹂を行っていることがわかる。このようにして、
○とPは話題となっている音楽グループについて、専門的に語
ることができるほどの知識を持っているということを、それぞ
れの発話の機会でわざわざ、しかも、できるだけ早く表明して
いるのである。このように、音楽にかんする専門的知識を表示
するこの特徴的方法を通して、OとPは自分たちが晋楽の﹁専
門家﹂という社会的アイデンティティであることを成し遂げて
いるといえるだろう。
三二二 ﹁日本人﹂
﹁イギリス人﹂であること
けれども、OとPは常に﹁専門家﹂であるわけではない。彼
アイデンティティで登場する場合がある。断片1に続く、断片
らは自らの言語活動の目的に応じて、﹁専門家﹂以外の社会的
2を見てみたい。
断片2
0 ←なんですか、このセミディタッチトサバiバン
ミスタージェームスって、この歌の内容は。
P Hあのね[セミディタッチトっていうのは[ね、
0[︵︶ [うん。
P 要するに、イギリスの一住宅事情というとね。
○ うん。
←日本でいう二戸建て。
︵中略一
[デタッチト。
いう[︵︶ね。
というのはね、完全なデタッチトハウスと
二戸建て。
POP
らね。となり、両どなりから。
こう、完全に、い、あの、あの一、離れてるか
P0
(114〕
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(1!5) 研究ノート
0 ああ
︵中略一
は は。
二軒がつながっている。だから、片方は、離れ
てる、片方がくっついてる。
は二∴ん。
これが、セミディタッチト。
セミディタッチト。
で、普通のね、あの、要するに完全なディタッ
チトハウスってのは、すっごくね、お金がかか
るんですね。
だから、かなりのお金もちじゃないとそういう
うん。
家には住めない。
ま.壬︸.o
で、普通の庶民が、一番高望みをしても、
[う一、セミディタツチトぐらい。
[うん。
と、まあ、平凡な夢なんだな。これがね。
ほ一ほ一。平凡な[一︶
[アメリカンドリームじゃなくて、
イングリッシュドリームの、まあ、平凡なイン
グリッシュドリーム。
これが、セミディタッチトサバーバンミスター
ジェームス。
そうそうそうそうo
[うん。
ふ∴﹁ん。
←んじゃ、そう思って聞いて見るとね。︵2・〇一
で一聞きながら、じゃ、あと、細かい、あの二〇・
た後でまた、[あの、お伺いしましょうか。
5︶歌詞の内容ってか、その一、ね、内容を聞い
[はい。
バーバンミスタージェームスって、この歌の内容は﹂という質
断片2では、Oの﹁なんですか、このセミディタッチトサ
ジェームス﹂という歌の内容を説明するために、イギリスの住
問を受けて、Pが﹁セミディタッチトサバーバンミスタi
て語り始めている。このPの一連の語りは一種の﹁物語﹂に
宅事情、とりわけ﹁セミディタッチト﹂という住宅形態につい
[だから、それも、サバiバンというのは、
ふ∴一一[ん。
POP
0P
は
郊外[のセミディタッチト
うん。
[郊外
341
POP0
P0
P0
P00
00
第127巻第3号 平成14年(2002年〕3月号 (116
橋論叢
なっていることがわかる。その物語は﹁セミディタッチト﹂と
されているといえるであろう。
ことは、この断片2の中の夕ーン→話し手権︶の配分にも特
さらに、PとOがそれぞれ﹁イギリス人﹂﹁日本人﹂である
おいてどのような意味合いをもつのか、そして、それらはいか
○はあいづちを打ってPの発話の進行を促したり、話のポイン
徴を与えていることにも注意したい。Pが物語を語っている問、
いう住宅形態と﹁サバーパン﹂ということぱがイギリス社会に
に︵イギリス人にとって一﹁平凡な夢﹂もしくは、﹁イングリッ
あるという意味において、Pは﹁イギリス人﹂として、この物
とっては、たいていの人が知っている、ごく普通の住宅事情で
資格をもつと期待されている。この物語は、﹁イギリス人﹂に
場面におけるターンの配分が非対称になるのである。逆に、こ
それぞれ﹁日本人﹂﹁イギリス人﹂であることによって、この
をもって言語活動に参与していたことと比較すると、OとPが
ラジオの﹁視聴者﹂にたいする﹁專門家﹂として、同等な資格
﹁聞き手﹂として登場している。断片ーでは、0とPはともに
トを把握したという反応を示したりすることで、この物語の
シュドリーム﹂であるのかという﹁落ち﹂につながっていく。
一般的に﹁イギリス人﹂というカテゴリーに属する者はイギリ
語を語っているといえるだろう。
おして、OとPはそれぞれ﹁日本人﹂﹁イギリス人﹂であるこ
のような夕ーン配分が非対称的である相互行為のありかたをと
スのことについて、﹁非イギリス人﹂よりも優先的に報告する
それにたいして、この断片2において、Oは何者として登場
カテゴリーを担う聞き手を想定して選択された表現であるよう
人⋮⋮﹂というカテゴリー集合の一員である﹁日本人﹂という
人﹂というよりも、﹁イギリス人・アメリカ人・韓国人.日本
たとえば、﹁日本でいう二戸建て﹂という表現は、﹁非イギリス
されると考えられるかもしれない。しかし、Pの個々の発話、
いう言語活動の特徴ともかかわっている。ラジオトークは、通
この﹁くくり出す﹂というOの行為は、実はラジオトークと
くくり出しているように聞こえるからである。
この発言は、それまで長く続いてきたPの物語を他の会話から、
行動の目的に応じて変化するのか、ということがわかる。Oの
アイデンティティというものがいかに彼らが従事している言語
聞いて見るとね﹂という発話に注目してみると、人々の社会的
ところで、断片2の後半におけるOの﹁んじゃ、そう思って
とを成し遂げているともいえるであろう。
しているのであろうか。まず、﹁イギリス人﹂というカテゴ
リーが﹁イギリス人・非イギリス人﹂というカテゴリー集合の
に思われる。このような点において、Pの一連の発話は、ほか
一員であることを考えると、0は﹁非イギリス人﹂として記述
ならぬ﹁日本人﹂であるO^と﹁視聴者﹂︶に向けてデザイン
342
(117) 研究ノート
常、トークが行われている場面に居合わせない﹁視聴者﹂に向
ビューという方法の有効性を問うているのではない。または、
めに注意を喚起しておくならば、以上のような議論はインタ
の秩序、組織化において明らかになるという点である。念のた
比較的ミクロな現象に焦点を当てるからといって、個々の言語
るが、Oの﹁んじゃ、そう思って聞いて見るとね﹂という発言
活動の場面を超えた﹁国家﹂であるとか﹁学校﹂などの比較的
けられる公的なトークであるということがその特徴の一つであ
は、まさに、このやりとりが行われている場面に実際は居合わ
析では、そのような概念と個々の人々が行う言語活動自体との
マクロな概念を否定するわけでもない。ただ、上記で示した分
せていないラジオの﹁視聴者﹂に向けられているのである。先
そうであるならぱ、断片2において、Pによって展開されたイ
分析の方法を示した限りである。
関連づけについての﹁レリヴァント﹂な記述を入手する一つの
にも言及したようにこの会話は、音楽についての対談である。
ギリスの住宅事情についての物語と音楽というテーマとの関連
四 結語
は薄いといえるだろう。Oはこの発言を行うことで、このラジ
オトークのテーマ内容に敏感に応じた形で、イギリスの住宅事
に左右されながら展開される、相互行為のありかた・秩序・そ
そのときどきに人々が何者であるかは、ときに偶然的出来事
憎についてのPの一連の物語を、まさに今話題となっている曲
を理解するために挿入された予備的な知識として位置づけてい
の組織化において示される。この小論では、この点について、
るのである。
この菱言を行うことによって、Oはもはや﹁日本人﹂という
会話分析の知見を導きの糸としながら示してきた。言語活動に
﹁当事者主義﹂を指針とする社会言語学的記述が見落としてい
参与している人々の理解を記述することを目指しながらも、
社会的アイデンティティを担ってはいない。ラジオトークの
﹁視聴者﹂にたいして、曲の聞き方をインストラクションする
た側面は、ある記述が入手可能である際に、同時に入手可能で
という活動を行うことを通して、Oはラジオトークの﹁司会
者﹂という別の社会的アイデンティティを担うことになるので
りかたであるといえるだろう。
あるはずの社会的出会いとしての相互行為の秩序や組織化のあ
ティを担っている。なんらかの社会的アイデンティティを担っ
人々は、社会の中で、必ずなんらかの社会的アイデンティ
ある。
のような社会的アイデンティティを担っているかということは、
以上のような分析によって示してきたことは、ある人々がど
相互行為におげる発話内容のデザインやターン配分の仕方やそ
343
第3号 平成14年(2002年)3月号 (118)
一橋論叢 第127巻
ているということは、すなわち、なんらかの言語的・非言語的
活動に従事していること一もしくは、従事していないこと︶で
︵3︶ 断片の申で用いられている記号については以下の通
りo
[一複数行にまたがる角括弧︶参与者たちのこと
1−︵ことばとことぱの間、もしくは行末と行頭に
ぱが重なっていることを示す。
ある。人々が行う発話やそれに伴う身体的動作や道具を用いた
成しているといえるであろう。そのため、人々がことぱを用い
ながっていることを示す。
置かれた等号︶途切れなくことぱがつ
組織的で秩序だった活動や方法自体が、祉会的現実の部分を構
て実際にやっていることを詳細に分析することも必要となるわ
俸↓.−↓貸一〇二&巴ミ§、橿雲ミト亀篶的富亀雨一−oまop
ミξ−彗困畠零ま鶉昌片﹃o饒8けωoo山①qL冒−向1﹂o器昌
○凹昌雪oPUl08o︶∪①ヨ旨すo−o胴巨目①胃餉o︹ぎ=轟三m巨8一
参考文献
大幅に加筆修正したものである。
︵4︶ この小論は、第4回社会言語科学会での報告原稿を、
二軒が︵右線一当該箇所の音が大きいことを示す。
とを示す。
。一句点︶語尾の晋が下がって区切りがついたこ
一ニコロンの列一直前の音がのぱされていることを示す。
数だけ沈黙のあることを示す。
︵1・〇一一丸括弧でくくられた数字︶その数字の秒
聞き取り不可能であることを示す。
︵ 一一丸括弧︶なにかことぱが発せられているが、
けであるが、この小論では、そのような分析をするための一つ
の方法として、具体的なデータを会話分析の方法で分析してみ
た。もちろん、会話分析という方法を用いることは、何らかの
正確さを目指しているわけではない。ただ、このような方法を
採用することによって、﹁見えてくるもの﹂がある。それは、
デンティティを理解可能なやり方で示していく人々の実践で
社会的出会いとして組織される相互行為において、社会的アイ
^5︺
ある。
︵1︶ ﹁当事者主義﹂は﹁民事一刑事の訴訟において、当
事老の申立がなければ訴訟の提起・取下げなどが行われ
ない﹂ことを意味する法律用語であるが一広辞苑第4版
にこの用語を用いている。
による︶、この小論ではそのような法的意味を含意せず
^2︶ このラジオトークは一九九七年に放送された﹁横浜
ラジオナイトフライデースペシャル﹂の一部分である。
344
119) 研究ノート
z①峯くo﹃斤H内o目R−oo胴①1oo‘べo−㊤ω‘
冨印巨身o︷︹昌毒昂きo畠一監8︷昌庄〇一長餉oq〇一〇要一
ω彗頁声葛sg>コ三け邑ぎ話ω息き昌o︷艘①
−訂ぎ轟オ8⋮㈹易き昌一ト§寒嚢蜆9雪①.事ω.
ωぎ旦婁娑箒目き富ho二訂o握彗一墨庄昌o︷g昌
ω碧至甲一向.>1ω9晶一〇︷︷俸ρ言憲易昌葛S>
z①妻くoHぎ軍雷?窃9暑一ω一−↓凸.
ぎpz‘ω邑冒名一&.︶ωぎ、雲ぎ⑦sミぎ膏§き§一
○凹昌雪昌﹄.葛童さきミ砦“§雨ト昌匝昌三彗くo寿
内o巨一−①庄胴o.
∼雪身o1俸ζ省8Ω.一−湯3ぎぎき§§ぎ§os、
ざ亮ミ嚢 §雨富ミぎO斥くoooP勺巨訂乱①旨壬甲H≦邑斤−=目−
ωo訂阻o員同>1ρ凄ご因g毒彗まqo彗庄昌害;o昌・
胴自饅−竃印斤叶舳﹃眈.
○胃葦ぎポ甲葛39ミきsぎ尊ぎo§§oき、§﹄自胴一・
Ω窃員声竃毒昌ブ俸z.−ωヨ①一器二&ω.一§雨きo§
↓①嵩け団目①o↓ブω﹃oo自自ooごo目9ま−O−>−o×凹目O①5︸‘
①名oo﹂O⋮冴勺ユ目巨8−=與=.
ーミざ、o卜︸ミぎZ①峯くo﹃斤Oo−⊆目一げ−與ζ三くo﹃㎝岸く勺﹃o窃一
橋内武ρS8﹃ディスコース﹄くろしお出版.
⊂三毒易ξo︷思昌竺く彗す勺鳥鶴.
−きoメ奉1ε§讐oミ“亮募ぎき§§餉㌔≡邑o盲彗甲
看.8べ−墨卜
ミoも雨、ざ県卜昌長ミ構“ss、卜︸s崎ミ忽︷︹夕くo−.ω1Oメ︷o﹃2
↓凹昌昌﹄墓§巨o冨go自巴竃9o=馬巨邑o己=内ミ§・
ξ易けξ昌こ’<1ε隻勺﹃o巨①舅艮ヨ藺q一雪8鼻顯q
募8膏器彗三彗的量鵯旦彗∼鼻ぎ↓.穴彗9き俸−.
一一〇〇一
一一一ぷむ上
寂お︸彗昌串霧9暑.㊤−]N.
穴ミ彗−宗胃二&ω−一婁慧餉昏§、ざ轟藁軸ミ§ミ藁.ト
吻§き§急き“§o§ミ.ぎきき凹鳥署o曇>畠匹o邑o
ω曽頁雪−葛sとoコ亭o印冨冨き⋮qo︷ω8まm耳
一一〇〇一
零鶉μ暑.g−$1
o≡串雪L目﹄﹂’9昌潟HN俸pξヨ鶉亘ω−一皇§−
︵一橋大学大学院博士課程︶
345
ぎ§ぎ讐︹ミ︸轟募吋ε一z婁ま寿=o戸雪烏訂﹃一俸
奉ぎgo貝毫一曽㎝−震蜆.
年年
十十