黒い大きなピラミッドをいくつも地上に作っ ていた。高レベル核廃棄物はどうするかとい うと、 地下数百メートルに埋めるのであるが、 その説明をしてくれた北海道電力から出向し ていた社員の方は、「この廃棄物はここで三〇 〇年間安全に保管・管理し、その後は公園な どとして安全に使えます」 と言ったのである。 「三〇〇年間安全に保管・管理」? いった い誰が? どうやって? 「三〇〇年間」という年月がいかに非現実 的かは、今から三〇〇年前をさかのぼって過 去を考えればわかる。三〇〇年前といえば、 徳川吉宗の時代である。もしその頃一時的に 良い生活をするために危険な廃棄物を埋めて いたとして、その後三〇〇年間も将来世代に つけを回していた、としたら、 「なんという無 責任かつ勝手極まりない人間たちか」とあき れるだろう。 その時の電力会社の社員も、その時説明を 聞いた地方都市の政治家たちも(それは「二 〇%クラブ」という環境都市の集まりで、私 とだか えみこ 千葉大学准教授 (専門はリスクコミュニケーション) 146 原 発 私ごときが言ってもしょうがないことなの であるが、どうしても書いておかねば気が済 まないことがある。 それは、 原子力発電所のことである。 以前、 新聞記者だったころ、青森県の六ヶ所村の取 材をしたことがあるのだが、その際私はとん でもないものを見て、とんでもない説明を電 力会社の人間から聞いてしまったのだ。それ 以来、原発は私の心の中で常に将来に対する 不安の種として存在し続けてきた。 そして、二〇一一年三月一一日の東京電力 福島第一原子力発電所の事故が起きたのであ った。あれほどの深刻な事故を起こせば、い かに電力会社、政治家といえども、もう原発 はあってはならない、と身に染みて思うだろ うと信じたのだが、どっこいそうは問屋が卸 さない昨今の動きである。 私が六ヶ所村の原子燃料サイクル施設を訪 問したのは、一九九九年頃であった。広大な 施設では、低レベル核廃棄物をドラム缶に詰 め、それを積み上げてコールタールで固め、 戸髙恵美子 はその取材をしていた)ほんの五〇年後には 生きていない可能性が高い。三〇〇年後に生 きている人なんて誰もいない。昨今の少子化 で、そもそも三〇〇年後に、日本人は、日本 社会はどうなっているか、 混とんとしている。 それなのに、 「三〇〇年間安全に保管・管理し ます」と言い切る人に、科学的な想像力や責 任感はあるのだろうか。私は、六ケ所村を訪 問して、 「これは将来世代に対する犯罪だ」と 心から恐ろしくなった。 一家庭のことで想像してみると、毎月の収 入が二〇万円だとしたら、その二〇万円でな んとかやりくりをして節約できるところは節 約し、できれば子供たちのために貯蓄をして 財産を残そう、とするのが健全な市民ではな いだろうか。原発を止めてはいけない、とい う人たちの主張は、とにかく電気を使え、足 りなきゃ原発作ればいい、核廃棄物という負 の財産は将来の世代につけまわせ、と言って いるのに等しい。 「原発の技術を絶やしてはいけない」とい う人もいる。しかし、これまで原発のために つぎ込んできた何兆円にものぼるお金を、再 生可能エネルギーの開発に使っていたら、今 頃日本はそれこそ世界にすばらしい技術力を 示せていたかもしれない。 被災地から出た山のような核廃棄物をなん とかしようと、政府は唐突にまず関東地方の 国有林に埋めようとしている。当然言われた 方の自治体はびっくり仰天、とんでもないこ とと断固拒否の姿勢だ。 社会がどんなに変わっても「誰かを不幸に して自分が幸せになることはできない」とい う真理は変わらないと私は思っている。これ からは便利な生活を楽しむには、 「リスク」も 必ず受け入れるべきだろう。つまり、工場で 大量の電気が必要であれば、原発は工場の隣 に、核廃棄物は工場の敷地内で安全に処分す る、ということにするべきである。大量の電 気を使って楽しい生活をしたい市民は、原発 もすぐ隣に建設し、核廃棄物も町内の処理場 で処理することを受け入れなければならない。 それでも、原発は必要と言うだろうか。 連載 エッセイ 147 れを脅かす老いの衰えに、恐れを抱くのはや むを得ないであろう。体の変化と同様に頭脳 の柔軟さは失われてきているのであろうか。 歳を重ねて知識は増大した。たぶんこの増加 に反比例して、情報の処理速度は多少、遅く なった気がする。二人のよもやま話は、必然 的に年齢に強く相関すると一般に思われてい る「創造性」に向う。写真がもたらした副作 用であろうか。 創造性を生物の進化に類推させることは良 く行われる。生命の進化ほど自然がなす創造 的な仕事はない。地球上に実に多様な生命が 溢れている。こうした生命の進化の本質を一 言で表すなら、「生命の根幹となる遺伝子の絶 え間のないコピーの過程で生じるミスコピー すなわち突然異変が、種の中に拡散し定着し て生じる」ということであろう。人の創造性 をこの生命の進化に類推させると、その人が 行う反芻的な思考の中で生じる知識の突然異 若さは創造性の必要条件ではない 知り合いの英国教授が久しぶりに来日した。 せっかくの機会なので特別講義をお願いした。 彼は講義に先立ち、三〇年ほど前、同じよう に来日して特別講義をした際に撮影した集合 写真を聴衆に披露した。写真は彼と東京大学 の縁を雄弁に語る。 三〇年も前の写真である。彼も私も実に 若々しく輝いていて、現在の水膨れした顔立 ちや体型、勢いの失われた髪をいやが故にも 思い起させる。彼に他意のないことは明らか であるが、結構、残酷な写真である。講義と は別に二人で、研究の思い出や取り留めのな いよもやま話をしたが、私は年月がわれわれ に課した無残な容姿の変化を口にできなかっ た。 肉体の衰えは明らかであるが、これは頭脳 の衰えに対する潜在的な恐怖にリンクする。 大学人として研究をその生業にする私の存在 基盤が頭脳の働きにあることは疑いない。こ 加藤信介 かとう しんすけ (専門は都市・建築環境調整工学) 東京大学生産技術研究所教授 148 変、すなわちミューテーションが、保存され 他の人に広く拡散して人類共通の知識として 定着することが創造性の発揮となろう。反芻 的な思考の中で行われる従来とは異なるミュ ーテーションが創造であり、このミューテー ションの確率が高いことが創造性の高さの条 件である。反芻的な思考を行う際にミューテ ーションを容易に行うことができる人が、創 造をなす可能性の高いことはもちろんである。 知識の蓄積による束縛の少ない若い人がミュ ーテーションを起こす確率が高いことも、ま あ、納得できる。天性の素質として知識の束 縛から自由な人が、ミューテーションの確率 が高く、創造性の高い人であることも疑いな ゐ。しかし、努力すれば必ず報われることを 信じたい凡人としては、天性の素質がなくて も、努力すれば凡人も創造性を獲得できると いう希望が欲しい。 かみ合わなかった議論は「ミューテーショ ンの確率が低くても、反復的な思考を数で稼 ぐことのできる人は創造性が高い」という日 本人の私の主張を英国人の彼に納得していた だけなかった点にある。 大事なことはミューテーションの総合的な 回数でしょう? 回数は、その発生確率と反 復回数で決まる。たとえ発生確率が低くても 反復回数を重ねれば必ずミューテーションが 生じ、生命は進化し、創造が行われる。回数 を稼ぐのに個人には限界があるが、人の数を 増やせば回数も増える。ミューテーションの 確率の高い天才が、少ない努力で創造性を発 揮するであろうが、凡人の集団も正しくチャ レンジすれば必ず創造を勝ち取れる。凡人に もチャンスはあり、集団になればさらにチャ ンスは広がるはずである。若い人のミューテ ーションの確率は大きいであろう。それに加 えて努力を重ねれば、大きな創造性を発揮す るであろう。しかし、老いてミューテーショ ンの確率が低くなっても脇目も振らず努力し て反芻思考を繰り返せば、努力に比例して創 造性は発揮できる。 私はこれからもそうした努力は重ねたい。 連載 エッセイ 149 食の幾何学Ⅱ 食の多面体 1 料理の三角形と四面体 クロード・レヴィ ス =トロースは、言語学では 世界中のすべての言語における音素間の対立の複 雑な構造を『母音三角形』や『小音三角形』の体 系に還元できるという成果にもとづいて、言語と 共に文化の基盤を支える料理についても、民話や 伝承の解析から、世界中の料理に共通する構造が あることを明らかにしました。 それは、《生もの》 、 《火にかけたもの》 、 《腐ったもの》のカテゴリー を頂点とする三角形をなす体系で、これを、 「料理 の三角形」構造とよびました(クロード・レヴィ ストロース『料理の三角形』 (西江雅之訳、みす = ず書房の『クロード・レヴィ ス =トロースの世界』 より) ) 。 ところで、玉村豊男は、レヴィ ス =トロースの 「料理の三角形」にヒントをえて、調理に関する 一般原理の基本要素を、 (1)火、 (2)空気、 (3) 水、 (4)油とし、これらを四要素頂点とする「料 理の四面体」を提案しています( 『料理の四面体』 中公文庫) 。 世界の料理の調理法は 「料理の四面体」 で全て纏めることが出来ますので、調理法に基づ いて食を議論する場合には大変有効です。たとえ ば、 中国では、鍋を基本的万能調理器として料理の システムを発展させてきたので、ロースト料理 )のレパートリーに乏しい。ロース (烤 (かお) ト料理用のオーブンなど家庭にはないし、だい たい焼き魚すら中国人は食べないのである。直 火は必ずいったん鍋の底で受けてしまうのが彼 らの流儀なのだ。これに対して、暖炉→オーブ ンを万能調理器として活用してきた西欧人は、 ふつうの煮物までオーブンの中に鍋ごと入れて しまうようなクセがつき、火にかけた鍋で油を 操るテクニックには習熟しなかったのかもしれ ない。そのうえ目的に応じてさまざまの大きさ や深さの鍋を使いこなす〝個別主義化〟の西欧 大崎 満 おおさき みつる 北海道大学大学院教授 (専門は根圏環境制御学・植物栄養学) 150 料理哲学は、揚げもの(ディープ・フライ)の ための揚げもの専用の深鍋を用意してしまった ために、フライというと浅いか深いかの、せい ぜい二種類くらいの(鍋の深さに応じた)分類 しかできなくなってしまった。 その点中国人は、 大きな中華鍋一個を用いるために、そこに落し た一滴の油がいっぱいの海になるまでのあらゆ る過程で、さまざまの材料がさまざまに異なる かたちに変化していくさまを連続的に眺めるこ とができるのである。 といったぐあいです。 一方、日本料理では、切ることとそれを盛りつ けること、つまりカッティングとディスプレイの 技術が、料理人を料理人たらしめる不可欠の要素 となっているといいます。つまり、日本では料理 のことを、 割烹 と呼ぶことが多い。これももと は中国から伝わってきた言葉で、〝割〟は割(さき) 切ること、〝烹〟は(火を用いて)煮たり焼いた りすることの意味といいます。 西欧(ヨーロッパ)料理では、火を通す前に、 素材と味の調整はほぼ終了していて、時間をかけ て火を通し素材に味を染みこませ、素材と味を一 体化します。中華料理では、強い火で素材を変成 させながら味を絡めていく、いわば、味で素材を 包んでいくような調理法といえます。日本料理で は、素材への火の使い方や味の付け方は大変複雑 で、 基本的には、 出来るだけ素材の原型を崩さず、 味を食べるそのときに合わせるように工夫してい るといえます。つまり、さきに、日本食の特徴と して、 「点(味)と線(素材)との 間 」にあるこ とを指摘しましたが、西欧(ヨーロッパ)料理や 中華料理では、調理法からして「点と線との 間 」 を味わうことは困難といえます。 」 「 」 「 さて、レヴィ ス =トロースは、文化人類学的に は、 《焼いたもの》と《煮たもの》の対立の背景に おいても、 《自然》と《文化》の対立、そして社会 の階層性との対比が見いだされるといいます。 《煮たもの》は(容器の)内部で料理されたも のであり、 《焼いたもの》は外部から料理された ものである。 《煮たもの》は多くの場合には、 《内 料理》とでも呼べるようなものに属しており、 それは親密な間柄にある人々のために作られ、 他人の入り込めない小グループが使うことを目 151 「 」 的としている。他方、 《焼いたもの》は《外料理》 に属し、それは客に供するものである。昔のフ ランスでは、鶏肉の煮込み料理は家族の夕食の ためのもので、焼いた肉は饗宴のためのもので あった。 《煮たもの》は肉とその汁とをまるまる保存す る方法を提供し、それに対して《焼いたもの》 は破壊と損失をともなっている。そこで一方は 《節約》をも意味し、他方は《浪費》をも意味 しており、後者は貴族的だが前者は大衆的とい うわけである。この様相は、個人またはグルー プの間での身分上の差別を規定している諸社会 では前面に出てくる。(中略)/そのグループが とる展望が民主的であるか貴族的であるかによ る《煮たもの》と《焼いたもの》に関する評価 のこういった差異、欧米の伝統の中にも観察さ れる。 「料理の三角形」構造は世界の民話や伝承の解析 から明らかにされたものですから、食の調理法が 社会の文化・精神構造に深く関わっていることも、 当然といえば当然かも知れません。 2 共生 é t i l a i v i v n o c の排他構造 レヴィ ス =トロースに導かれて、料理(調理) の幾何(学)が、じつは社会構造そのものに深く かかわっているという、驚くべき結論に至りまし た。ヨーロッパでは、料理の食べ方自体も、社会 構造に深く関わっているようです。J L-・フラン ドラン/M・モンタナーリ編『食の歴史Ⅰ』 (藤原 書店)によりますと、古典古代のギリシャ・ロー マ人が文明生活のモデルを明確に作りあげようし たさいに、決定的に重要な役割を果たしたのは食 に関する規範で、非・文明、非・都市、つまり、 蛮人達の未開の生活様式と自分達の文明生活の様 式との違いを、 「一、みんなでいっしょに食べるか 否か」 、 「二、なにを飲み食いするか」 、 三、料理 と栄養学的にはどうか」という三つの観点から捉 えようとしたと述べられています。つまり、古代 ギリシャ・ローマ世界が作りあげた価値体系にあ って、文明人を動物、また蛮人から区別する第一 の要素は、 食卓の共有」だったというわけです。 古典古代ローマのキケロ曰く、 友人同士とは、 生を共に生きてる者同士。だから、食卓もいっし 152 「 「 「 ょにつく。それがコンヴィヴィウム conuiuium だ」と。共生 convivialité に会食の根拠を求める 」 態度は、正餐」を意味するラテン語 ケーナ cena の解釈にも及んでいるといいます ( 『食の歴史Ⅰ』 ) 。 ギリシャ人とローマ人によって築き上げられた食 生活の様式(調理法、肉の摂取、犠牲供犠の否定 等)は、三~四世紀以降、キリスト教文化とゲル マン文化という二重の圧力の前にうち砕かれてし まいますが、 一方では、 中世のほぼ全体を通じて、 会食、宴会(ラテン語でいうコンヴィヴィウム 「 「 )こそは、平和と協調の上に立った関 conuiuium 係を、否応なく表現させるためのもっとも雄弁な 手段として、むしろ機能強化されていきました。 近代ヨーロッパにおいて、この「饗宴」の機能 がサロンに引き継がれたと理解すると、 たとえば、 プルースト『失われた時を求めて2 スワン家の ほうへⅡ』 (岩波文庫)が、よく理解できるような 気がします。第二部 スワンの恋」では、ブルジョ ワ階級のサロン(ヴェルヂュラン家)と貴族のサ ロン(サン=トゥーヴェルト家)という対照的な 社交風俗が描かれます。ブルジョワでパリ社交界 の寵児スワンが、社交界の名士をパトロンにして 暮らす粋筋(ココット)の女オデットに恋焦がれ る話でも、まず、サロンに出かけていかないと会 うことができない仕組みになっていて、いかにサ ロンに呼んでもらうかが悩みの種です。で、サロ ンで親しくなった後は、勝手に逢瀬を重ねればい いと思うのですが、 まずサロンに行って、 その後、 送る許可をサロン主から得てからしけ込むという 手はずとなります。 つまり、 属するサロンの認可、 監視下に社会的・性的関係が構築されるという理 解不能の閉鎖的社会構造がありますが、その原型 は「食」をとおして築かれた、古代ギリシャ・ロ 機能であると理解す ーマ以来の共生 convivialité ると、何となく合点がいきます。サロンは「共生」 ですが、それは他と区別するためのサロンですの で、社会全体としては「排他」的グループのモザ イク態を形成していることになります。つまり、 食をもとに組織された「共生」態が、社会全体と しては「排他」的モザイク態を生み出します。そ の意味で、古代よりめんめんと食の形而下的思想 が作りあげた閉鎖的社会構造をプルーストの『失 われた時を求めて』は実に見事にえがいていると 153 「 いえます。 森有正の最後の会食は、まるでフランス文化に ながれる食の掟に殉教したかのような印象を受け ます。フランス文学者・哲学者の森有正は、一九 五〇年にフランスに留学し、そのままパリに留ま り、パリ大学東洋語学校で日本語、日本文化を教 えていましたが、一九七六年に、血栓症がもとと なりパリで客死しますが、そのときの様子を、二 宮正之が、 『私の中のシャルトル』 (ちくま学芸文 庫)の一章「詩人が言葉をうしなうとき─『日記』 以後の森さんのこと」で、清楚な文章で淡々と描 写しています。数年前から、頸動脈に変調をきた していて、一カ月ほど前にはかなり強烈な発作が あり、共に昼食をすることになっていた友人のデ ィアーヌ・ドリアーズからその前日電話があり、 「森さんの健康状態が思わしくない」という状況 下での昼食会です。 アンギャンの家につくと、森さんは三階の書斎 で椅子に腰をおろし口をきくのが大儀なようで あった。一見してまともに外出できる状態でな いことはわかったのだが、森さんは断固として 予定通りにことを運ぼうとする。(中略)森さん は医者を呼ぶことも医者のところへ行くことも 一切拒んで、思いつめたように床をじっと見つ めたまま、いや、三人で湖畔の金鯉亭(カルプ・ ドール)に行きましょう、とより言わないのだ から。(中略)森さんの意志が表明される限り、 その意志にのみ応じて肉体の故障には断然目を つぶる、 それが森さんを尊敬するということだ、 と。(中略)森さんの重い体が崩れ落ちないよう に文字通り手をつくして、階段をおりる。/(中 略)望みの方向に進み始めた森さんは微笑を浮 かべていた。こうして私たちは一歩一歩と超現 実の世界に入っていった。/(中略)森さんが サン・ピエールという飛切り立派な名前の魚料 理をとったことは今でも覚えている。森さんの 右腕はすでに感覚を失いかけていた。手にした フォークをすぐに落としてしまうのである。 (中 略)一口食べてはフォークを落とし、また平然 と次のフォークを受けとるのだった。/(中略) いよいよ勘定を払う段になって、決定的な変調 があらわれた。二百数十フランという額に対し て、森さんは大きながま口から一フラン玉を三 154 つ出してテーブルに置いたのである。突然、金 の勘定が二十数年前に森さんがフランスに着い た当時の単位に戻ってしまったのだ。(中略)再 び私たちは湖に沿って数百歩戻った。/(中略) それから二ヶ月後の、 一九七六年一〇月一八日、 森さんはすべての苦しみから解放された。 まさに壮絶な昼食会で、フランス文化の真髄の宴 と接して暮らさなければならず、人間と動物の関 係を明確に断絶する必要性が生じ、それを極端な までに強調する人間中心主義を生み出したという のが「断絶理論」です。人と動物の間に、 「断絶」 を必要とした理由を、 以下のごとく述べています。 家畜といっても、ヨーロッパの場合、 お馬の親 子は仲よしこよし」式にはいかない。何十頭、 何百頭もの大群が放牧状態におかれているのが ふつうである。そういうところでの発情期の混 乱はたいへんである。ただ本能のままに気狂い じみた乱交がくり返される。しかも、それが身 近に見聞できる現象であってみれば、人間に特 定の発情期がないからといって、それらの現象 を平気でみおとすことはできない。当然、人間 が家畜といっしょにされてはたまらない、そう いう乱交あるいは乱婚に対する嫌悪感が、知ら ず知らずのうちに累積されることになる。その 結果が、人間の意志の価値を極限まで強調し、 一夫一婦制や離婚禁止を強行することになった のであろう。 インドでも飼育頭数の点ではヨーロッパ並みで、 「 会(コンヴィヴィウム conuiuium )に殉じたとい えまいか。フランス文化の精神を生き抜ぬこうと したのです。 3 肉食の断絶理論 ヨーロッパでは土地生産性が低く、近世以前で も、ヨーロッパ人の穀物依存率が意外に低く、肉 食の割合が高かった。主食と副食を区別しない食 生活パターンを取っていました。このような、食 生活、食文化から、いかなる思想が生まれてきた かを、鯖田豊之が『肉食の思想 ヨーロッパ精神 の再発見』 (中公新書)で、鮮やか示しています。 つまり、ヨーロッパの高い食肉率から多数の家畜 155 ヨーロッパと同じように、身近な家畜に対する態 度決定から出発した人間中心主義や断絶論理が基 盤に在りますが、それは結局グラグラしてしまっ て、 最後までつらぬけなかったと指摘しています。 それは、インドでは、家畜を食用にと畜すること に大きな抵抗があったからで、それは、ヨーロッ パとちがって牧畜適地ではなく、むしろ、穀物栽 培の適地だったからです。 ここから重要な結論を引き出すことができます。 つまり、家畜の飼育は「断絶理論」形成に関わる ものの、それを強化し徹底化する原動力は、むし ろ独特の食生活パターン、特に、肉食偏重による ことが推定されます。ヨーロッパの強烈な断絶理 論(思想)は、動物からさらに、非ヨーロッパ人、 ユダヤ人と順次疎外していき、最後に「ほんとう ごく少数の支配者階級 の人間 として残したのは、 だけとなる、強烈な差別、階層、階級社会を形成 したと、鯖田氏は論考しています。 4 食の「 微分・ 積分」 西欧、とくにフランスの料理は、素材と味を、 徹底的にばらし (微分) 、 ごちゃ混ぜにする (積分) 、 いわば素材(自然)を徹底的に破壊して、人工的 な味を想像するという意味で、素材の原型をとど める「幾何」 (どちらかというと物理的)よりは「微 分・積分」 (どちらかというと化学的)の思想に近 いと思います。椎名誠のエッセイはフランス料理 の真髄を言い得ていると思いますので、以下に引 用します(活字たんけん隊「手食の四〇パーセン ト」岩波「図書」二〇〇〇年九月号) 。 いったいフランス料理のどこがいいのだ、とぼ くは本当に思う。…フランス料理のアヤシイと ころはおしなべて素材がはっきり見えないとこ にある。肉でも魚でも野菜でもぐちゃぐちゃに してしまう。そうして大きな皿の真ん中にちょ こっとそのわけのわからないかたまりをのせて 「フランス料理はソースです」といわんばかり に赤だの緑だの黄色だのペンキみたいな色のソ ースをどろどろとかけて、ますますその食物の 正体をわからなくさせてしまう。『美食のフラン 156 」 ス』 (ジャン ロ =ベール・ピット、千石玲子訳、 白水社)によると、フランス料理はルイ一六世 などを代表とする王侯貴族らのすさまじいグル マン狂奔によって沢山の料理人を雇い、他と争 い合うことによって発展してきた。こうした中 で、素材をより遠くの地方から求めるようにな っていった。 たとえば魚介類などがそうである。 …海岸からパリに着くまで何日もかかってしま う。そこで素材をその産地で一次加工しなけれ ばならなかった。煮炊き、塩づけ、酢づけなど である。パリの料理人はそういうものを素材に して料理をつくらなければならなかった。だか ら素材の原型を崩し、他のものと混ぜ合わせ、 その味も濃くしていかざるをえない。しつこい 味のフランス料理の誕生である。 フランスに限らず西欧は、そもそも塩漬食文化 です。秋にオークの森で、豚にドングリをたっぷ り食べさせ、 来年の繁殖用を残して全てと殺して、 各種の加工はするにしても基本は塩付けです。 熱帯で野外調査をしていると、汗が吹き出し、 水ばかり飲んでいると塩分が欠乏してきて、力が 抜けてきて気力が弱まり倦怠感に襲われます。そ んなとき、塩を舐めると、体にすーっと力が入っ てきます。塩が指先にまで入って来て、細胞がピ ンと音を立てて生き返るような気がします。そん なとき、この世に、塩ほど美味いものはないと感 じます。また、やはり汗が噴き出し、水が底を突 き、熱射病状態になったことがあります。頭が痛 くなり、朦朧としてくる。塩の快感がよぎり、そ うか塩を舐めればいいのだと錯綜し、 舐めた瞬間、 口腔内に唾液がふきだし、胃がけいれんして嘔吐 が始まりました。脱水状態のとき、塩は猛毒とし て働くのはあたり前なのですが、それが朦朧とし て判断が付かない状態だったようです。まわりが 異常に気づいて、 「み…水」とかろうじて発するこ とができて、難を逃れることができましたが、危 ないところでした。 塩は毒にも活力にもなります。肉を主食にする と、肉を塩漬けにして保存するため、塩の毒性を 軽減する食様式を開発するしかないでしょう。ま ず、基本は塩抜きです。肉汁は薄めてスープ等に 利用する。人の方はというと、脱塩のために、運 157 動するか、風呂か、サウナで、汗を流す。さらに、 食事の前中後において、多量の水やビール・ワイ ンを摂取して、塩の体内濃度を下げる。現在は、 冷蔵庫の発達で、肉を塩漬けにしなくてもよいの で、ヨーロッパではここ五〇年足らずで、料理の 塩加減は劇的に変わってきているはずです。 ヨーロッパの食体系で、パンは不思議な位置を 占めています。 ヨーロッパでパンは主食ではなく、 基本的に肉食の副食です。石毛直道『食事の文明 論』 (中公新書)は、パンと副食物の関係は、パン と和風の副食物、パンと中華風の副食物は対立関 係にあり、パンの食事は洋風だけで完結し、和風 や中華風をうけつけない、クローズド・システム となっていると述べています。たとえば、 湯ドウフや八宝菜でパンを食べることはまずな いのである。パンと結合関係にあるのはステー キ、フライ、サラダなど洋風の副食物である。 パンが主食として登場することがおおいのは朝 食においてであるが、そのさいにはサラダ、ハ ムエッグ、チーズ、バター、ジャムなど洋風の 食物をともない、飲物もコーヒー、紅茶、ジュ ース、牛乳など洋風の飲物として認識されてい るものにかぎられる。それにたいして飯が主食 となったさいには、一般に飲物として日本茶を ともなうことだけが原則で、副食物は和風、洋 風、中華のいずれとも自由な組合せをもつ。 といいます。パンには長い歴史がありますが、ヨ ーロッパでは主食の座を得られず、また、洋風以 外の副食物との相性の幅が極めて小さいといえま す。パンの食事における機能とは一体何でしょう か。 コペンハーゲンの運河沿いのレストラン街のレ ストラン Galionen で海の幸を堪能しようと目論 みますが、オイスターとニシンの燻製は絶品なの に、手をかけたデンマーク料理 Skaldyrs Tal はぴ んときません。あるいは、レストラン で、ニシンの三種類のセ Københavener Caféen ット料理を頼みますが、どのニシン料理ももった りして、うまい感じはしません。ところが、デン マーク料理レストラン Slotsk Ælderen では、ぼ そぼそのパンの上にマリネ的な魚料理を載せて出 してきて、ねっとりとしたのがほどよくパンに吸 158 収され、ニシンの臭みも余り感じられず、ようや くマリネ的魚料理を食べることができました。 パリ郊外で、友人が同居りしていた家の主が夏 季休暇でいないので、泊めてもらったことがあり ますが、冷蔵庫にいろいろな練り物があり、パン につけて食してみましたが、レバーペーストなど で食られたものではありません。もちろん、レバ ーペーストをそのまま食べようものなら、吐き気 がしてきます。バターを塗るのも、もともとは、 パンに味を付けるというよりは、バターのしつこ さを消して、油を食べやすくしているのではない でしょか。 ヨーロッパのパンは、結局、肉食に対応して、 臭みや脂っこさを中和する食材として、ほそぼそ と生き続けてきたのではないでしょうか。それよ りは、石毛直道が指摘するように、他の食材(副 食物)と相性の悪いパンが、日本でなぜここまで 普及しているのかがむしろ不思議です。GHQの 謀略? 当時はそういった側面もあったかも知れ ませんが、しかし、味にうるさい日本人がいつま でも、GHQの謀略に気づかずに欧米の不味いパ ンを食べ続けるでしょうか。実は、日本人が今食 べているパンはパンではなく、いわば日本食化し たパン、いってみれば「和・パン」と呼んでも良 いかもしれません。アンパン、ジャムパン、クリ ームパンの菓子パンに始まって、カレーパンから キムチパンにいたるまで、パンを包みの食品に変 えてしまったことが大きいように思えます。そう だとすると、自給自足のために、米の消費拡大を 訴えても、 「和・パン」の勢いを止めることは出来 ないでしょう。 最近は、米の粉を極微粉砕する技術の向上によ り、米粉でもパンを作ることが可能で、結構良い 味も出るようになりました。しかし、これをパン として利用しても余り普及することはないでしょ う。それよりも、包みの食材として、あるいは巻 の食材として使うべきです。もともと、米は風味 もあるし、味も良いし、他の食材や副食物との相 性も抜群なので、小麦粉よりもはるかに幅が広が ると思います。B級グルメには、ご飯や麵の丼物 が多いと思うのですが、丼の具を米パンで包み、 米パン丼を開発するというのはどうでしょうか。 159 食の幾何学Ⅲ 食法の幾何 1 フォークとナイフの幾何 世界の食法として、 (1)手食がアフリカ大陸、 西アジア(イラン、イラク、トルコなど) 、インド 亜大陸、東南アジア、オセアニア、中南米などで 全体の四〇パーセント、 (2)箸食が中国、朝鮮半 島、日本、台湾、ベトナムなど三〇パーセント、 (3)ナイフ、フォーク、スプーン食がヨーロッ パ、アメリカ、ロシアなど三〇パーセントといい ます(一色八郎『箸の文化史』 (お茶の水書房) ) 。 な原色レストランばかりです。古代ローマ人も赤 と緑の二色に特別の色彩感覚を持っていたようで、 『トリマルキオの饗宴』の作者ペトロニュウスも 「赤い織物」とか、 緑のお仕着せ」といったよう にさまざまな個所で赤と緑の色に着目して記述し ています(青柳正規『逸楽と飽食の古代ローマ 『トリマルキオの饗宴』を読む』 (講談社学術文 庫) ) 。赤と緑は食とどういう関係があるのでしょ うか。緑は草原で鮮やかな狩猟場面の象徴、赤は 血で、仕留めた獲物の象徴。レストランでは、肉 は固く、フォークは切れぬ。固い肉をフォーク(爪 の象徴)で押さえ、ナイフ(牙の象徴)で切り分 ける。草原で、仕留めた獲物を爪で押さえ、牙で かみ切りる気がしてきて、本当は味なぞどうでも よいのだ、食事とは格闘技なのだとここでは教え てくれます。 「 ナイフとフォークは、歯と爪が外化されたもの で、本来的には、肉食のための道具です。イギリ スはロンドンのピカデリー界隈のステーキフリッ トレストランに入ろうものなら、レストランとい う概念が吹っ飛ばされてしまい、食事というより は、料理と格闘する格闘技に邁進している気がし てきます。まず、レストランの内装が、原色の赤 いソファーに原色の緑の壁。この界隈はこのよう 160 2「 手食」 の幾何 「手食」というのは、意外と複雑に味を合わせ ることが出来て、食べる直前に自ら調理するとい う性質から、 「巻食」のさらに原型といってもよい と思います。 インドネシアでは、米が主食ですから、皿に米 と各種料理を取り合わせて、指で混ぜながら、捏 ねながら食します。 香辛料が効いているので、 (こ) 混ぜることによって米に味が付き味自体がマイル ドになるような感じがします。 インド料理の代表は、カレーですが、普通の家 庭でも一〇種類ぐらいの香辛料を混ぜますし、二 〇種類近くも混ぜ合わせるのもざらで、味として は実に奥が深いです。カレーも、やはり指で米と 捏ねて食べるのが一番上手いです。チャパティー なども、カレーをすくうようにして食べるのです が、 「巻食」の原型のようでもあります。 メキシコや中米は栽培・食用植物の宝庫(原産 地)で、デンプン作物のトウモロコシ、 サツマ イモ、カボチャ、インゲンマメ、ジャガイモ(南 米が原産地として知られるが、メキシコにも三種 の原種が山岳地帯に自生している) 、野菜・果物の トマト、ヒィトマテ(ホオズキに似ていてサルサ・ ベルに使う) 、 パパイヤ、 ノパル (ウチワサボテン) 、 ズッキーニ、ピーマン、香辛料・サルサ(液状調 味料)のトウガラシ、カカオ、バニラときます。 サルサは塩味をベースに、サルサ・ロハ(トマト、 トウガラシ、コリアンダー) 、サルサ・ベルデ(ヒ ィトマテ) 、ワカモレ(アボガド) 、モーレ(チョ コレートベース)等、極めて多彩です。トウガラ シも生、乾燥、発酵があり、ざっと一〇〇種類く らいあると思われます。これだけの食材を開発し た民族が、豊かな食文化を発達させないわけがな いと思うのですが、それが、なぜ油ギタギタで不 味いメキシコ料理になってしまったのでしょうか。 メキシコにある国際小麦トウモロコシ改良セン ター(通称CIMMYT)で、客員研究員で二年 間研究していたとき、メキシコの大西洋側の低地 のポサリカに、亜熱帯性気候の試験地が在り、毎 週のように高地から低地に通っていました。ポサ リカのベラクルス州からユカタン半島にかけて、 湿潤な亜熱帯性気候のせいでしょうか、スペイン 161 人の肌に合わないために、比較的虐殺と土地の略 奪が少なく、 インデオ原住民が比較的多くいます。 かれらを実験補助で雇用していたのですが、圃場 で仕事をしていると、一〇時ぐらいになるといつ の間にかに消えてしまうのです。こっそり付けて いくと、弁当を食べているではないですか。ドク トールもどうぞというので、トルティリャに各人 が持ち寄ったらしい具を載せ、サルサをちょっぴ り付けてたべると、あっさりとし、食材の味も香 りも豊かで、美味い。これが、マヤの食文化かと 感動しました。ベラクルス州は、大西洋の海の幸 も豊かで、エビのサルサカクテルも鯛のベラクル スソース煮も絶品で、この地域のマヤの食文化は どれほど豊かであったか、痕跡からだけでも、そ の深み・滋味を想像して心打たれます。 アフリカでは手食が基本です。キャッサバ、ジ ャガイモ、ミレット、バナナといったデンプン質 のペーストと煮豆、 チキン、 川魚といった副食を、 手で捏ねて食べます。外国人と見ると、フォーク とナイフが出るのですが、こんなもので食べると 全く不味い。手で捏ねる食べ方が、最高の食法で す。ジンバブエのヴィクトリアフォールズのMA 族の伝 MA AFRICAレストランで、 Shona 統料理で、豚肉を壺で香辛料とで煮込んだものと キャッサバの錬ったデンプンを手で錬って食べま したが、なかなかいけます。ウガンダのカンパラ という Uganda 料理店で、ミトレッ の Steak Out トやバナナの練り物、キャッサバやジャガイモや サツマイモといったイモ類の蒸かしたもの、 煮豆、 ライス、チキンと錬り合わせて食べます。味はか なり単調ですが、結構いけますよ。 手食は、ただ手でつまんで食べるというだけで なく、 「混ぜる」と「合わせる・和する」という、 重要な機能があり、味を豊かなものにしていると 思います。フォークとナイフは、 「手食」料理を基 本的に不味くするだけです。 3 スプーン( 「 混ぜ食」 ) の幾何 韓国の東国大学でセミナーのあと、 先生方と、大学の近くの田舎屋 Kwang-Geun Lee 162 ですが、お茶に呼ばれて、今日は美味しいコーヒ ーを御馳走しますといって、わずかの水に溶いた コーヒーの粉を、三〇分近く話しているあいだひ たすら錬っているのです。そして、そこに湯を注 ぐだけなのですが、一口飲んで驚きました。ミル クのないミルクコーヒーのようで、マイルドでも コーヒーの香は立っています。特別のコーヒー種 かと思いきや、普通のネスカフェのインスタント コーヒーなのです。 また、インドでは田舎の路上でたてているよう な紅茶でも美味いです。 紅茶とミルクを煮立てて、 カップめがけてそれぞれを高いとこからジャーッ と注ぐだけなのですが、それが美味い。イギリス で能書きの多い紅茶をよく飲まされますが、不味 くはないが、なんということのない銘柄も分から ないインドでのミルク紅茶の方が、 私は好きです。 おそらく、空気と混ぜるのがポイントのような気 がします。 風レストランで、韓国料理を堪能しましたが、ビ ビンバとは混ぜ料理の雄であることを知りました。 ビビンバとは混ぜることなりといわれてひたすら 先生流の正式な混ぜ のにむしろ辛い。なお、 Lee かたは、まず具を全部取り除き、コチジャンでま ず混ぜる、次にコチジャンとトウガラシを加えて 混ぜる、辛いのが好きならさらにコチジャンとト ウガラシを加えて混ぜる、そして、具を入れてさ らに混ぜる。奥が深い、 「混ぜ食」文化なのです。 スプーンは、基本は汁用かと思っていたのです が、これは混ぜ用としても重要であると分かりま した。箸ではよく混ざらない。そうすると、スプ 先生、 それではだめだと申して、 混ぜますが、 Lee それをまず食べてみなさいといって、容器を取り 上げ、見本を示しましょうと、みずから混ぜに混 ぜ、コチジャンをどんどん入れ、トウガラシをど んどん入れていく。真っ赤っかに染め上がったビ ビンバを恐る恐る口に含むとあら不思議、それほ ど辛くない。辛さは口の中でじょじょに効いてく るのですが、マイルドな辛さなのです。私の混ぜ た方が、コチジャンやトウガラシが少ないはずな インドも混ぜ・練りの食文化だと、つくづく思 ったのは、錬ったコーヒーを飲んでからです。イ ンドのヒサールにあるハリアナ大学によく行くの 163 ーンは何が外化したものかというと、掌というこ とになると思います。概して、混ぜると錬るとで 味がマイルドになるようです。これは、空気と混 ぜることなので、味の尖った成分と酸素が触れて 酸化さたとも理解できます。酸化とは燃焼の一種 ですから、この混ぜる錬る過程は、極々弱い火で 焙るようなもので、ある意味では高度な調理手法 かもしれません。 4 箸の幾何 日本食は指を外化した箸にほとんど特化してい ます。汁物もスプーンをつかわず、器に直接口を つけて食べるというか、 すする。 具を箸でつまむ。 日本人は「唇が敏感な民族」になったと、マッキ ー牧元はいいます( 『東京・食のお作法』文春文庫) が、これは箸食の賜です。 すっと唇に吸い付くような、塗りのお椀の湾曲 と感触を感じたときの安堵。勢いよくそばを手 繰ったときの快感。/人肌燗を満たした盃が、 ぴたっと唇に馴染んだときの平穏。一口すすっ た盃が、唇からなにもなかったかのように、切 れ味よく離れていくときの恍惚。/ざぶざぶと 音を立て、茶漬けを掻き込んでいるときの充足 感。/そこには、どうだい、日本人以外にはわ かるめえ、という達成感がある。 すするということは、唇の間を素早く通過させ ることで、空気の高速流入も同時に行っていると いうことで、そうすると、香りが口蓋に広がり、 味と香を同時に味わうことができます。香りは熱 いときほど立ちやすく、熱物を唇ですすると、空 気で冷ましながら、香はほとんどそのまま立って くる。そうすると、すするというのは下品な食法 でなく、実に高等技術ということになります。 さらに、箸でなければ味わえない、食の作法が あります。 マッキー牧元は、「ちらし寿司のお作法」 で、吹き寄せちらしを前にして、どれから食べる か、どの順序なら後悔しないのか、思い煩い、い じいじ悩むわけです。日本の料理の基本は合わせ であるとすると、その組合せ方で無数の味が生ま れてくる、つまり、日本の料理とは、食べ方の自 164 由度が極めて高く、牧元氏のような嬉しい悩みも あります。 例えば銀座の「ほかけ」の吹き寄せちらしが、 目の前に運ばれてきたといたしましょう。/ふ だん使わない頭も、 ここぞとばかりに働き出し、 舌なめずりをしながら、段取りを演算するわけ です。/淡い味わいの白身から、濃い味に移行 して、右肩上がりの演出をしようか。それとも 甘いイカで、いきなり血糖値をあげようか。/ いや旦那、マグロの赤身で勢いをつけるっての もいいですぜ。赤身につけた醬油を、わさびを 乗せたご飯に少したらして、一緒に掻き込んだ らうまいでしょ。/コハダは、おぼろをのせた ご飯を巻いて食べ、三位一体の味わいを楽しも う。/海老もおぼろだ。醬油をつけずにおぼろ をまぶして食べ、すかさずご飯といくか。/お ぼろつながりのコハダと海老は、前半と後半に 分かれてもらおう。/味の濃い煮蛤や穴子は後 半戦だな。するってと、いくらや貝類は中盤に 散らすか。/締めはしっとり仕上がった、玉子 焼きで決まりですね。/おっと、椎茸の位置取 りが難しい。こいつはいわば中盤、折り返し地 点に配備しよう。/そうそう、合いの手に、適 時生姜を入れるのを忘れずにと。/おや、奈良 漬けがある。こいつは一旦味を切るリフレッシ ャーとして、煮物の後だな…(中略)/一時、 昔風の食べ方にあこがれて、吹き寄せちらしと 燗酒を頼み、上にのったすしダネだけで一杯や ってから、最後に悠然と酢飯を食べていたこと がある。/あん時は、次はどれを食べようか、 締めにはなにをもってこようか、このネタなら 二杯はいけるなと、わくわくしながら飲んだも 「脚本構築」で楽しんだ のだ。(中略)/さて、 後は、 「景色鑑賞」という楽しみが待っている。 /酢飯の上に広がった、赤、白、焦げ茶、銀、 黄 紅白、緑、淡桃。巧みに彩りを計って配置さ れた姿を、愛でるのだ。/景色の違いを観察す 「確認」 るのも肝要だ。(中略)/第三の喜びは、 である。/自ら立てた筋書に間違いがないか、 一つ一つの味をかみ締めながら食べていく。 (中 略)/小さな空間に込められた、起承転結の味 わい。吹き寄せちらしは、 「人生ドラマ」なので ある。 (マッキー牧元『東京・食のお作法』 ) 165 、 日本食というのは、食べ方の藝術でもあるとい うのをつくづく教えられました。 食べ方上手を、 もう一人挙げると、 小川薫堂で、 雑誌「ダンチュウ」で、 「一食入魂」の連載エッセ イを書いています。 これから選んだエッセイ集 『人 生食堂一〇〇軒』 (プレジデント社)の中扉にある 「人生食堂」格言・その二で「 「あぁ、おいしかっ た」と言わせる店は名店、 「あぁ、楽しかった」と 言わせる店は完璧なる名店」と書いています。食 のエッセイは幾多もありますが、 「人生食堂」格言 に習って申せば、 「あぁ、食べてみたい」と思わせ るエッセイは名エッセイ、 「あぁ、もう十分味わっ た」と思わせるエッセイは完璧なるエッセイとい えます。小川薫堂のそしてマッキー牧元のエッセ イは、もう一緒に十分味わったという雰囲気にさ せてくれるので、一緒にごちそうさまといいたく なるような、そんな名文なのです。 箸は「点と線の間」を繋ぐもので、日本料理は 「点と線」の「間合」で、料理人と食人との共同 作業で始めてなりたつ食体系(思想)で、それを 「和食」といってよいでしょう。柳宗悦の「民芸」 においても、作り手と使い手の調和において始め て、 「民芸」へと昇華するようなものであると感じ られます。 「食の民芸」とは、料理人と食人との巧 (たくみ)といえないでしょうか。 166 食の幾何学Ⅳ 食の東西南北 食文化を幾何学的に論じることが可能でした。 「調理」の視点からすると、 (1)クロード・レヴ ィ ス 、 《火にかけたもの》 、 =トロースの《生もの》 《腐ったもの》 のカテゴリーを頂点とする三角形、 、 《空気》 、 《水》 、 《油》 (2) 玉村豊男の《火》 のカテゴリーを頂点とする四面体に分類されます。 調理の軸を南北にとって、南に《生もの》 、すなわ ち人がほとんど手のかけない「ネーチャー」を配 し、北に《火にかけたもの》 、すなわち人が手をか けた「アート」を配してみます(図参照) 。 一方、 「食法」の視点からすると、 (1)味の調 理は済んでいて口に入れるだけの単純化のカテゴ リーを西に配し、 (2)口に入れる前に錬ったり、 捏ねたり、巻いたり、混ぜたり、合わせたりで複 雑な調整が必要で、食し方が多彩であるような複 雑化のカテゴリを東に配してみます(図参照) 。 そうすると、それぞれのコーナーに代表する料 理を配してみますと、北西コーナーにはフランス 167 料理、北東コーナーには中華料理、南西コーナー にはアフリカ料理を配することできると思います。 南東コーナーが空いているので、日本料理をい ったん配してみます。ここでネイチャーとは、素 材そのものを指すので、天然の素材そのものを料 理にする志向が強いので、一見よいような気もし ますが、天然の素材とみせながら技術の限りを尽 くす(アート)ですから、そう考えると中華の位 置に来てしまいますが、中華とは大きくかけ離れ ている。これは、和食には、技術(アート)の限 りを尽くして、天然(ネイチャー)を創造すると いう、料理の絶対矛盾を含んでいるようで、定義 が難しい。 それはいったんおいて、インド料理を配してみ ますと、東西線と南北線の交点に位置するらしく 思われます。カレーで香辛料はたくさん使うが具 の形はある程度たもたれているし(南北の中心) 、 「手食」でカレーと米と錬ったり、チャパティー で包んだりで、食べる直前の多様性は高いが、他 の付け合わせが少ない(東西の中心)ので、中心 に配しても良いでしょう。 そうすると、これは、日本を除くと、世界地図 の位置取りに似てきます。なお、重 (かさ)なるの で書きませんが、日本料理の位置に東南アジアの 料理を配置しても良いかもしれません。 では、日本料理の基盤は、南方系にあるのでし は雲南やベトナムで多いので、 ょうか? 「巻食」 照葉樹林の食文化なのでしょうか? B級グルメ は、 インド料理の所に位置するような気がします。 懐石料理は、中華料理の所に位置するような気も します。そうすると、南北線の東の全領域を占め るのでしょうか? この「料理の東西南北」図を頭に描きながら、 今夏、熊野古道を歩いていました。熊野や熊野古 道には、いたるところに南方熊楠の痕跡がありま す。東西南北の軸をいじったり思いあぐねている と、熊楠翁の曼荼羅(本人がそう呼んだのではな いですが)がよぎります。いろいろな図形や線が 描かれていますが、熊楠翁はそれは本来三次元で あるといっていますので、立体の一断面を描いた ものとなります。その三次元の図が収束する点を 〝粹点〟と呼んだと解釈されます。 「料理の東西南北」図を立体にしてはどうだろ 168 小麦による、 「究極の醤油」づくりに挑んでいると のことです。究極の自然の一滴が生まれようとし ています。長い伝統の果てに、東西南北の洗練さ れた自然の「粋」が、点と線の曼荼羅として丼に ただよい、その一杯をすすった瞬間に、口蓋に味 と香りの粹点が結ぶ、そのようなラーメンが誕生 することを期待しています。 169 うか。この図を風呂敷と思って、アートとネイチ ャーを結んでみる。その結び目が、技術(アート) の限りを尽くして、抽象的天然(ネイチャー)を 創造するのが日本の食文化なのではないだろう か? 結び目を粹点と呼んでも良いのでしょう か? 石庭や枯山水や盆栽は、自然の要素を抽出し取 捨し再構成した自然の要素の「間」の美といえま す。日本庭園と日本の食も似たところがあるよう な感じがします。特に弁当や丼物や重箱では、料 理は、味(点)と素材(線)の「間」の美食の小 宇宙を構成します。そして、味わい方に無限の可 能性を残す、それが「自然」の「粋」というもの です。 熊野への玄関、和歌山城の近くの「麺屋ひしお」 で、七五〇年の伝統をもつ湯浅醤油を使った湯浅 吟醸醤油ラーメンをすすりながら、そう思いまし た。湯浅醤油は、 「十勝プロジェクト」で、北海道 十勝平野、折笠農園の折笠健さん(無農薬・無肥 料のリンゴ栽培を成功させ木村秋則さんの弟子) の協力を得て、無農薬・無肥料で栽培した大豆と 連載 エッセイ
© Copyright 2024 ExpyDoc