サステナ号 .indb

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巻頭エッセイ
お返しの心
井合 進
京都大学教授
京都サステイナビリティ・イニシアティブ統括ディレクター/(地震工学)
﹁持続可能な発展﹂を考えるには、その対
った。これから生まれてくる次の世代の人間
に現世代のニーズを満たす発展﹂であるとい
言わない。これをよいことに、現世代の人間
は、今は︵まだ生まれていないので︶文句を
を殺す、子が親を殺す、というニュースが頻
が次の世代の分まで有限の地球上にある自然
と、より具体性が増してくる。昨今、親が子
繁に飛び交っている。自我を世界の中心に据
とがないようにすることが必要であることを
極としての﹁持続可能でない発展﹂を考える
え、自分のニーズ︵ needs
︶を最優先で満た
していく、という人間の本性︵の一面︶が、
訴えかけているといえる。
中で日常化していくというシナリオも考えら
このような世代間の不安定化が我が国社会の
にあるからには対処は容易ではなく、将来、
一般公開講座︶
。
﹁現代の奪いの心︵奪いを基
隆彰氏は、明快に答える︵二〇〇七年KSI
ものは何だろうか。比叡山延暦寺の高僧小林
そのために必要な対策として最も本質的な
生態系やエネルギーを使い尽くしてしまうこ
その背景にあるとされる。人間の本性が背景
れる。このような現代社会の発展の終着点は、
かったようにも見える。しかし、逆に、その
くされた会場がしんとする。
﹁これから家に
らなる次の一言に、五〇〇人の聴衆で埋め尽
の心を変革していくことだ﹂と。小林氏のさ
本とする精神構造︶からお返しの心へと人間
頃には、滅私奉公のように自我を殺すことが
は、長い期間にわたる心の持ち方の積み重ね
帰って、自分の顔を見て御覧なさい。人の顔
昔の日本には、このような自我の優先は無
社会の不安定化、崩壊である。
美徳とされ、自由な個としての精神の存在が
︵本稿は、京都大学生存基盤科学研究ユニットニ
ューズレター№4に基づき、一部、加筆した。
︶
をしているといいですね﹂
の結果としてできあがるものですよ。いい顔
どの程度社会的に尊重されていたのかについ
ては、定かではない。
今から二〇年ほど前、国連のブルントラン
ト委員会は、持続可能な発展とは﹁将来にわ
たる複数世代のニーズ︵ needs
︶を損なわず
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特集
グローバル・
サステイナビリティの
構想と展開
サステイナビリティ学連携研究機構
(IR3S)
は,東京大学,京都大学,大阪大学,
北海道大学, 城大学の参加 5 大学と,東洋大学,国立環境研究所,
東北大学,千葉大学,早稲田大学,立命館大学,国際連合大学の
協力 7 機関が連携して,サステイナビリティ学分野における
世界トップクラスのネットワーク型研究拠点を構築するものです.
井合
本日は、四年間続けてきたサステイナビ
リティ学連携研究機構︵IR3S︶の総まとめ
的な座談会を、私たち京都サステイナビリテ
︵本文に続く︶
ィ・イニシアティブ︵KSI︶が中心となって
催すことになりました。
『サステナ』第 14 号の特集は,
グローバル・サステイナビリティです.
IR3S では,世界規模で
サステイナビリティを実現していく
ための研究基盤をつくる
努力を重ねてきました.
今号は,その総決算の意味もかねて,
この大きなテーマを
さまざまな角度から論じます.
グローバル・サステイナビリティの構想と展開
京都大学総長
(宇宙空間物理学)
京都大学教授
(経済学)
京都大学教授
(エネルギー工学)
松本 紘
佐和隆光
小西哲之
何が提言できるのか
出席者
技術戦略
井合 進
京都大学教授
(地震工学)
そのようななかで、われわれはサステイナビリ
の急激な変化もありました。
二〇〇八年秋にリーマンショックによる世界経済
の第四次レポートが出されて大きな反響を呼び、
年に気候変動に関する政府間パネル︵IPCC︶
などの変化が始まりました。その間に、二〇〇七
効果ガスを九〇年比で二五%削減すると発表する
主党が政権交代を果たし、鳩山首相が国連で温室
権に変わりました。日本でも二〇〇九年九月に民
球温暖化対策にも核兵器廃絶に積極的なオバマ政
策に消極的な政権でしたが、二〇〇九年一月に地
井合
四年間のプロジェクトが始まったころには、
アメリカはブッシュ大統領のもとで地球温暖化対
司会
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特集
北海道大学教授
(生物生態・体系学)
城大学教授
(農業経済学)
東京大学教授
(都市工学)
齋藤 裕
中川光弘
花木啓祐
ティ学の 成を目指して活動を続けてきました。
それがどのような意義をもつものだったのか、言
葉の端々にでも入るような形でご発言いただけた
らと思っています。KSIは、
﹁社会経済システ
ムの改編と技術戦略﹂を取り組みの主題として掲
げ、文理融合を進めて、地球温暖化を始めとする
さまざまな問題に対して有効な提言、新しいコン
セプトを提案すべく努めてきました。今日の座談
思います。
会では、この点に重きを置いて進めていきたいと
では、遠くお越しいただきました先生方からご
発言いただきたいと思います。花木先生からいか
がでしょうか。
大学をサステイナビリティの
モデルにする
花木
私は東大のIR3Sの兼任教授であると同
時に、都市工学専攻で研究していることから、低
炭素の都市をどのようにつくるかということを研
術的な裏付けがいると同時に、社会経済的に都市
究対象にしています。低炭素都市をつくるには技
を変えていくことも必要です。一九九〇年比で温
7
社会経済システムの改編と
座談会
会を変えるといっても、その元になる、
済をやっておられる方からすると、社
駄目なんだと。その一方で、社会や経
いい方向に動いていってくれないと、
ライフスタイルが変わるとか、社会が
れない。せっかく技術を開発しても、
懸命開発しても、世の中が採用してく
痴のようにしていうのは、技術を一生
問題はそこからで、技術者側が時々愚
はみなさんが同意してくださいます。
経済も大事、技術も大事というところ
が大きな課題になっています。社会も
やはり社会をどのように変えていくか
減らすプロジェクトにも関わっていて、
室効果ガスの排出量を七〇パーセント
やりやすいので、実験の場として活用
るのは、社会全体を変えるよりは多少
会科学の教員、理工系の教員が協力す
サステイナブルな社会を目指して、社
標です。大学をモデルケースとして、
ステイナブルな社会にしていくのが目
員・職員・学生がつくるミニ社会をサ
究 極 的 に は、大 学 の 構 成 員 で あ る 教
減するというところからスタートして、
ギーを減らし、二酸化炭素の排出を削
ンパスは、大学構内で使われるエネル
は考えています。サステイナブルキャ
ンパスは重要な意味をもっていると私
り組んできているサステイナブルキャ
として、IR3Sの各大学が熱心に取
そのような融合を実験的に進める場
するいわゆる生物的防除、総合的生物
齋藤
私は農学部で専門は動物生態学
です。農薬などを使わずに害虫を防除
いくことが引き続き大きな課題です。
うな認識をもって日々の研究を進めて
らなければいけないことです。そのよ
いう仕事は、大学にいるわれわれがや
どう社会をそこにすり寄せていくかと
〇〇年後の社会を描きつつ、いまから
ているわけです。一方、五〇年後、一
は、現在の問題を解決することに優れ
めていく。実務に携わっている人たち
いくためのプロアクティブな行動を進
て、そこに向けて技術・社会を変えて
もう一つ申し上げると、将来の社会
は行っています。ところで、北海道大
なかに定着させていく研究を専門的に
多様性管理︵IBM︶を現実の農業の
地方の小都市を
モデルにする
あるいはそれをサポートする広い意味
していく意義は大きいと思います。
をどのようにしていくのか、日本だけ
学サステイナビリティ・ガバナンス・
技術の開発に期待するところが大きい
での技術がなければできないという。
わけなのです。つまり社会経済と技術
国についても考えていかなければなり
ではなく、先進国についても発展途上
プロジェクト︵SGP︶では、当初か
いのですけど、お互いに相手側にボー
ません。将来の望ましい社会像を描い
が融合していかないとどちらも進まな
ルがあると思っているのです。
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と大学と住民のそれぞれのステークホ
カルな小さな地方都市において、行政
ら文理融合を頭に置き、具体的なロー
ました。
められて、かなりの成果が上がってき
共同プロジェクトがここ三年間ほど進
負しているところです。
社会をつくる人々の
つながりにも目を向ける
順序で、富良野が高いのは、町全体が
館、二位が札幌、京都は四位といった
五∼六番目に入っています。一位が函
市は全国の都市で好感度の高い方から
〇〇〇人ほどの富良野市です。富良野
実際に対象にしたのは、人口二万七
術が導入されていきます。日本では行
政府が熱心で、日本より先に新しい技
ろ中国や発展途上国の方が政府や地方
を取り入れようとしないのです。むし
主体で、それらの方々は、新しい技術
です。日本の農業は零細な兼業農家が
われることはなかなか難しいのが現状
今日の話題の社会経済システムの改
います。
士課程のプログラムをスタートさせて
ナビリティ学教育プログラムという修
入れてきました。今年度からサステイ
究を一つの柱とし、また教育にも力を
S︶を組織し、特に気候変動適応の研
地 球 変 動 適 応 科 学 研 究 機 関︵I C A
す。 城大学は、IR3Sに参加して
先ほどのお話で、技術を開発しても
きれいで、ラベンダーのお花畑があり、
政が見切っているといいますか、農家
編に関連して、私の専門であるアジア
ルダーが相談をしながら、新しい理想
テレビドラマの﹃北の国から﹄で有名
を積極的に指導しようとしないので、
の農村開発から事例を紹介したいと思
社会で使われないということがありま
になったことなどいくつかの要因があ
使ってもらえません。この現状を改め
的な都市を目指すことを大きなテーマ
ります。実は、それに寄り掛かって、
るには、長い目でみて将来行政を担う
います。インドネシアでは経済発展に
中川
私も農学部の教員をしており専
門は農業経済学です。アジアの途上国
将来の富良野はどうなっていくべきか
人々の意識を変えていく教育が重要だ
林が半減したといわれています。その
伴って一九八〇年代以降マングローブ
の農村開発の問題を主に研究していま
あまり考えられていませんでした。北
と考え、北海道大学ではサステイナビ
したが、農学関係でも開発されたさま
海道大学が昔農場をもっていたり、東
リティ学教育センターを設立し、教育
ざまな技術が現実に農業生産の場で使
京大学の富良野演習林があったりと、
にしてきました。
大学と密接な関係をもちやすい歴史性
の面でかなり成果を上げつつあると自
一つの主因にエビの養殖事業がありま
や環境もありまして、行政や市民との
9
タでの調査では水稲経営の一〇倍以上
収益性が高く、ベトナムのメコンデル
つくられています。エビ養殖は非常に
ローブ林が伐採されてエビの養殖池が
す。東南アジアの沿岸域では、マング
フードレストランを持っていて、一つ
る六つの部落がそれぞれ四つずつシー
は、海岸線を村が所有し、村を構成す
るための仕組みがあります。具体的に
があります。そこには海岸線を保全す
非常によく保全されたケドンガナン村
まれています。その近くに、海岸線が
機会があれば、後でもう少しお話した
るのか考えることも大切だと思います。
な世界観、あるいは自己観を持ってい
の人ではなく、多くは海外からの資本
実はエビ養殖を行っているのは、地元
向きのことが起こっているわけです。
イナビリティの視点からすると全く逆
ローブ林が後退していきます。サステ
が伐採され養殖池がつくられ、マング
それで新しくまた別のマングローブ林
生し、養殖池は放棄されてしまいます。
つながりを基盤としたもう一つの社会
みを行っています。ここには人々との
も保全し経済的にも自立できる取り組
恵を出し合い自衛的適応を考え、環境
ローバリゼーションに対して村人が知
人以上の雇用を生み出しています。グ
発で、レストラン経営だけで一〇〇〇
いています。共同体をベースにした開
のレストランで四〇人から五〇人が働
理融合の話です。
していますから、理系の方からみた文
思います。技術をバックグラウンドと
ふまえた文理融合の話をしてみたいと
やらせていただいていて、その経験を
基盤科学研究ユニットのユニット長を
小西
私の専門は核融合や原子力のエ
ネルギー技術です。京都大学では生存
生存のための技術を
考える
いと思います。
は四∼五年ほどたつとウイルス病が発
です。しかし、多くのエビ養殖事業で
です。インドネシアでは、タイ、台湾、
経済システムがあると思います。
どのような人間のつながりを持ってい
テムの改編を考えるときには、人々が
この二つの事例から、社会経済シス
ならないとも考えます。生き物の世界
くる方程式を満たした世界でなければ
可能であるためには、そのことが出て
つか必ず破綻がくると考えます。持続
のは定常であり、定常でないものはい
理系的なものの見方では、定常なも
日本などの資本が事業を行っています。
るかにも目を向けることが大変重要だ
土地の人々とのつながりが切れた開発
一方、バリ島のデンパサール空港の
なのです。
近くにクタ海岸という観光地があり、
といえます。さらに、人々がどのよう
では、人類以外のすべての生物の種は
海外資本によって一大リゾート地が生
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近はおっしゃっていて、これが至言だ
バイバビリティ︵生存可能性︶だと最
生は、サステイナビリティではなくサ
ずっと生き長らえてきました。松本先
個体数が大体一定していて、地球上で
が生存し続ける世界にはなりません。
このまま人口が増え続けるのなら人類
り、寿命が延び、人口が増えました。
題はやはりあります。人類は豊かにな
ンで無尽蔵なエネルギーがあっても問
かもしれませんが、ローカルな循環型
が続くモデルではなく、停滞に近いの
ものがあります。欧米型の無限に成長
エネルギーの使い方に大変参考になる
ミュニティには、生物資源の使い方、
ネルギー技術は良くも悪くもすごいこ
と思われる元凶はエネルギーです。エ
たとき、どうも危ない方に傾いている
人類が生き残るかどうかを にかけ
えます。
立していないのではないかとさえも思
物のなかで、唯一いまだに種として成
定したことがなく、地球上にいる生き
がありえないからです。人類は数が一
延びることができなくて、持続可能性
生物の種としての人類はそもそも生き
消費量も一定で、循環型でなければ、
体を長らえさせる技術戦略をつくるこ
恵を学び、それをモデルとして人類全
生き方をしてきたローカルな人々の知
れまで何百年、何千年と土地に合った
人的にも大切だと考えているのは、こ
な研究活動を行っていますが、私が個
生存基盤科学研究ユニットはいろいろ
必要なのが文理融合です。京都大学の
ども、いまはまだ知恵が足りません。
すということも可能だと思いますけれ
のがほしいといわれて、技術を生み出
ちらの方向に動きたいからこういうも
まり考えてきませんでした。社会がこ
社会が要求しているかどうかは実はあ
数派となりました。そして、二〇〇八
いう人は、意図的にそう言い続ける少
︶であると断言されました。温
likely
暖化の学的知見は不十分であるなどと
の原因であることがほぼ確実︵ very
温室効果ガスの濃度の上昇が気候変動
けてIPCCの第四次報告書が出て、
な反響を呼び、続く二月から四月にか
実﹄と題する映画と著書を出して大き
年の一月にアル・ゴアが﹃不都合な真
佐和
IR3Sが本格的に動き始めた
のは、二〇〇六年四月でした。その翌
の社会にモデルを見出すのです。
とができます。クリーンなエネルギー
とです。齋藤先生、中川先生のお話と
技術者はつくりたいものをつくって、
をつくれといわれればつくれますし、
年五月二四日に安倍首相︵当時︶が、
と思うのは、個体数が一定で、資源の
無尽蔵のエネルギーをつくれといわれ
イメージが近いのですが、アジアのコ
経済・社会システムの
改編を急ぐ
ればそれもできます。しかし、クリー
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を驚かせました。二〇五〇年までに世
れるようになった演説を行い、私たち
ムで、後に安倍イニシアティブと呼ば
﹃アジアの未来﹄と題するシンポジウ
いくのかが問題になります。ところが
社会経済システムをどのように変えて
発のロードマップを描くこと、そして、
そのとき、二〇五〇年までの技術開
候変動の緩和策が経済成長を促すので
ディール宣言に象徴されるように、気
カでオバマ大統領のグリーン・ニュー
議論はすべて間違っています。アメリ
九九一年のバブル崩壊後の日本の経済
あり、エコ製品が開発され、エコ製品
成長率は平均年率で一・〇パーセント
日本では、いかんせん炭素税や排出権
降、何ひとつなされていません。北欧
という低成長を続けています。バブル
界全体の温室効果ガス排出量を半分に
は、革新的技術開発が必要であること、
年代の初頭に化石燃料に課税する炭素
三国とオランダ・デンマークは、九〇
崩壊後に普及した製品はすべてデジタ
国の経済はこれ以上成長しません。一
もう一つは、途上国の温室効果ガス排
ル関連です。自動車の世帯普及率は九
が売れる環境を整備しない限り、先進
出量を減少させるために、国際的な資
税を導入し、イギリスもドイツも相次
一年に八〇パーセント超え、ほぼ飽和
ムの改編が、一九九七年の京都会議以
金メカニズムを構築する必要のあるこ
いで炭素税を導入し、やや遅れてフラ
状態に達し、自動車の普及が日本経済
取引制度の導入を含む社会経済システ
とがポイントとされています。さらに
〇五年にはEU全体で排出量取引制度
ンスとイタリアも導入しました。二〇
安倍イニシアティブの内容は、一つ
安倍さんは、一人一日一キログラム削
すべきだと安倍総理がいったのです。
減の国民運動を提唱されました。日本
た。デジタル製品は自動車に比べて経
うもの、必ずしも成長する必要はなく、
さなかったのです。そもそも経済とい
に一パーセント台の成長率しかもたら
の成長を牽引することはなくなりまし
︵ EU-ETS
︶が 始 ま り ま し た。日 本 の
社会経済システムの改編は全く遅れて
済への波及効果が極めて乏しく、ため
人は自家用乗用車も含めて一人一年間
に約二トン二酸化炭素を排出していま
いるといわざるをえません。
経済成長を鈍化させる、二酸化炭素の
雇用の確保が一番大切なのです。経済
環境税の導入にネガティブな向きは、
す。一日一キログラム減らせば、年間
排出削減効果がない、日本の輸出型・
で三六五キログラム、一八パーセント
もの削減になります。それ以来、低炭
エネルギー集約型産業の国際競争力を
成長すれば雇用機会が増えるという意
〇年までの長期的な視野で気候変動問
低下させるというのですが、そうした
素社会づくりが流行語となり、二〇五
題が論じられるようになりました。
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味で、成長と雇用はコインの両面の関
宇宙開発を考え直すべきではないかと
ている人は、下に落ちることはたぶん
可能社会を実現しようと提言・努力し
にいくか下にいくかしています。持続
想定していないので、振動しつつ平均
思っていましたので、持続可能性は基
持続可能であるためには、まず人類が
値としては上がる方向が可能かどうか
本的な問題であると理解できました。
の機会を提供できるのはエコ製品の普
生き続けないといけません。人間の生
考えることになるのでしょう。
はさておき、これからの成長と雇用増
及しか考えられません。環境と経済の
することなく、普通に生活して、社会
存基盤は、ご飯が食べられ、健康を害
係にあるという見方もできます。それ
両立ではなくて、環境制約を打破する
和先生でした。KSIに関連が深い組
先生がいまのリーダーで、その前が佐
松本
IR3Sには京都大学も参加し
てKSIを組織し、本日の司会の井合
システムが定常でなければならないと
ついて回ります。生存を持続するには
に持続可能なのかという素朴な疑念が
も、全部を引っくるめた集積体が本当
において改善の努力が真剣になされて
摘が随分とあります。個々のシステム
ネルギー、食料が不足しているとの指
いますが、そのために必要な資源、エ
の争乱もないというようなことだと思
論しても問題が繰り返されるだけだろ
見通しておかないと、一〇〇年後を議
という星がどのようになっているかを
この地球上の人間社会、あるいは地球
す。しかし、一〇〇〇年ぐらい先に、
五〇∼一〇〇年のオーダーだと思いま
いま持続可能社会といっているのは、
一〇〇〇年のスケールがあるでしょう。
時間は一∼二年、一〇年、一〇〇年、
巨大と四種類のシステムがあるとして、
さによって異なります。小・中・大・
未来を見通す時間はシステムの大き
ことによってのみ経済成長が可能な時
織として生存基盤科学研究ユニットが
の小西先生のご指摘がありましたが、
代となったのです。
あり、そのユニット長が小西先生です。
システムの普通の解としては、落ち込
ました。私自身の専門は宇宙工学・宇
いろいろな話し合いをさせていただき
東京大学の武内和彦先生、花木先生と
下がったりの振動を繰り返していて、
ろうと思います。経済でも上がったり
むか、上昇し続けるか、振動するかだ
ればいいのかがみえてくると思うから
があってこそ、いまどこに何を投資す
うという気がします。長期的な見通し
一〇〇〇年先までも考える
IR3Sが始まろうとしている年に、
宙科学で、地球上で増殖繁栄をしてい
小さなでこぼこをならしてみると、上
です。
る人類の先行きについて考えた上で、
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ません。それでも、科学者・技術者の
上げてから三〇年余りの歴史しかあり
ぜい四〇∼五〇年、日本が科学衛星を
います。惑星探査は始まってまだせい
が展開していくとのビジョンをもって
らいの間に、太陽系のなかに人類文明
私は、一〇〇〇年から三〇〇〇年ぐ
できると思いますが、経済的に成り立
くらでもかけてよいのなら、いまでも
大きな宇宙技術が必要です。お金をい
宇宙でエネルギーを獲得するためにも、
ためにも、資源を持って帰るためにも、
人も少なくありません。太陽系に出る
情報を獲得するために研究をしている
常に大きなスケールで文明間の争いが
が課題です。文明の歴史をみると、非
つステップをいかにしてデザインし、
もしも、地球上だけで持続可能な一
あり、生き延びた人と滅んだ人がいま
努力で、太陽系空間がどのような空間
〇〇〇年先の社会を描くとなると、豊
す。持続可能性を考えるには、生存基
悪化する環境、あるいは人間の醜い生
かさを大きく制限するか、人口を増や
存競争のタイムスケールに打ち勝つか
さないようにするか、非常に困難な問
盤をまず考えることが基本的なスタン
ビジョンを得ています。
題と向き合わなくてはなりません。地
スだと思います。
なのか、五〇年前とはすっかり違った
球上の資源・エネルギーだけを使うの
盤を広げていく必要があると私は思っ
ではなく、太陽系全体に社会生活の基
大きな制約
石油価格高騰の是否
――
井合
一巡したところで皆さまのご発
言を見直しますと、人のつながりのよ
ています。人類が争いをせずに、自分
それくらいの大きなスケールでの見通
うな空間スケールの小さいものから、
たちの望む豊かさを展開していくには、
しが必要です。その基盤となる学術的
14
大学のキャンパス、地方都市、そして
いうと、あらゆるもの、とりわけ市場
ブリッド車などに置き換わってゆくで
ことで、電気自動車やプラグインハイ
ンで走る自動車はもったいないという
しょう。二酸化炭素の排出削減という
に活動領域が広まったということです。
意味では、石油価格が高くなるのはい
経済が国の垣根を越えて地球的な規模
なぜそれが九〇年代に急激に進んだの
いことだといえます。飛行機を飛ばす
常に大きなスケールまでと、ひととお
り出てまいりました。そのなかで、文
かというと、二つの理由があります。
には、当分はジェット燃料が必要だと
グローバル、さらには太陽系空間の非
理融合が必要だというご指摘や、サス
一つは社会主義の崩壊です。もう一つ
すれば、ジェット燃料もまた石油のノ
が、ヒト・モノ・カネ・情報の移動の
ーブルユースの一つになるでしょう。
経済が発展するというご提案や、積極
コストが極めて安価になったことです。
船は重油以外の何で航行できるのかと
テイナビリティがむしろバネになって
的に一〇〇〇年ぐらい先までのビジョ
カネと情報の移動はコンピュータのマ
いうと、天然ガスを改質しての燃料電
ウスをクリックするだけですむように
なった。今後とも、それは変わらない
池、甲板に敷き詰められた太陽電池、
た。ここからは、お互いにやりとりを
して議論を深めていきたいのですが、
でしょう。これから問題になるのはヒ
ンをもつべきだというお話がありまし
本日のテーマの一つである社会経済シ
ITで制御された帆などが候補として
ゼーションという言葉はありません。
ムという言葉はあっても、グローバリ
纂された英英辞典には、グローバリズ
佐和
グローバリゼーションとよくい
われますが、一九八〇年代末までに編
石油製品をそのまま燃やすといった贅
油は将来的には石油化学製品に使われ、
源であることは間違いありません。石
になるかは別にして、石油が枯渇性資
えるといいます。いつの時点でいくら
よると二〇三〇年には二〇〇ドルを超
〇ドルぐらいですが、IEAの予測に
なれば、日本の農業が力を取り戻す可
わけですが、貨物船の輸送運賃が高く
業の国際競争力がないといわれてきた
止めがかかります。例えば、日本の農
うなると、グローバリゼーションに歯
動に要するコストが高くなります。そ
稀少になっていけば、ヒト・モノの移
挙げられます。いずれにせよ、石油が
トとモノの移動です。
したがって、グローバリゼーションと
能性が出てくることが期待されます。
原油価格はいまは一バレル当たり七
ステムの改編で、地球全体のスケール
いう言葉は九〇年代になってから使わ
沢なことはできなくなります。ガソリ
のあたりから、いかがでしょうか。
れ始めたのです。何を意味するのかと
15
齋藤
日本の農産物が高い理由は、む
しろ農業の構造上の問題であると思い
生産の基本は水で、日本は世界で最も
理由は水が豊富にあることです。作物
は国際競争力があります。その第一の
直してみれば、日本の農業は将来的に
格になるとの試算があります。よく見
つかの作物では、輸入品とほぼ同じ価
所得補償のような政策をとれば、いく
しまうようなことにならないよう国策
です。農閑地に木が生えて森になって
て使えるように土地を残しておくこと
聞きますが、いざとなったら農地とし
は校庭に芋を植えて飢えをしのいだと
しておく必要があります。戦後すぐに
障として、食料生産が可能な場所を残
ってくるときに向けて、食料の安全保
井合
昨今のニュースをみていますと、
親殺しとか子殺し、あるいは自殺する
はないかという気がしています。
で農業の工業化を進めたらできるので
れば可能ですから、日本の高い技術力
また、農業生産は基本的に光と水があ
ればいけない技術だと思っています。
かるでしょうが、必ずやっておかなけ
間でエネルギーのやり取りを電磁波で
水に恵まれた国といってもよいのです。
としてやっていくことが、日本のサス
の持ち方に関わるような問題が数多く
新しい技術に取り組む意欲のある農家
もう一つ大事なのは、石油を農業に使
意味をもっていると思います。
テイナビリティにとって非常に重要な
目につきます。人とのつながりが切れ
行えば、そこには国境がありません。
わないようにすることです。トラクタ
松本
石油の埋蔵量の見積もりは難し
いようですが、価格が高騰するとの大
て自分中心になってきているというこ
システムをつくるには三〇年ぐらいか
ーを動かすエネルギーも肥料も農薬も
前提で考えないといけないと私も思い
燃料の高騰で輸入・輸出が困難にな
をどこまで使わずにすむかという技術
ます。石油に代わるエネルギーとして
とと、グローバリゼーションによる競
を増やしていかなければなりません。
開発が必要です。技術開発には農家の
争の激化とが、そこに関係しているの
ます。いまのような減反をやらないで、
やる気が大事なのですが、本州の農家
は原子力や太陽光があります。私は、
ではないかということがよくいわれま
発電を考えてきました。宇宙と地上の
すが、いかがお考えでしょう。
人が年間で三万人もいるとか、人の心
心のつながり、
人のつながりを見直す
の大半は土日しか農業をやっていませ
陽エネルギーを地球に送る宇宙太陽光
宇宙に出ていき、そこに豊富にある太
石油からつくられていますから、それ
専業農家もありますから、そのような
ん。北海道では年収が一億円の大きな
農家を育成していく制度をつくって、
16
中川
最近読んだ国立環境研究所の元
所長の大井玄先生がお書きになった
調し、かなり強い自己観のようなもの
あるいは自分の会社が、自分の国がと
をもつようにしていかないと、すぐに
で、新自由主義とか市場原理主義が世
地球が一つの閉鎖系であるとわかって
暴走をしてしまうのが人間社会のよう
いうことになっています。本当の意味
房︶で、大井先生は世界観には二つの
きたことから、開放系の世界観と個々
です。個々の人がというよりも、人間
での生存基盤として、思想・哲学が協
大きな系譜があると指摘されています。
己観には将来性はなく、これからは閉
バラバラに自由に行動するアトム的自
いるのは開放系の世界観です。しかし、
一つが開放系の世界観です。それに対
社会システムが暴走するのです。
界を席巻しています。これが依拠して
応する自己観としてアトム的自己観が
鎖系の世界観を真剣に求める時代では
﹃環 境 世 界 と 自 己 の 系 譜﹄︵み す ず 書
あります。典型的には、いつもフロン
際立って弱いものもいないような、ミ
東洋思想なのか、農耕民族の考え方
ニマムポテンシャルを追求していく新
なのか、際立って強いものもいないし、
ながりの自己観を長い間育ててきた文
しい社会を考えていくべきだと思いま
日本には閉鎖系の世界観、あるいはつ
己観です。もう一つが閉鎖系の世界観
化的基盤があります。自分たちのもっ
す。そこでは和の精神というか、協調
ないか、と大井先生はいわれています。
で、それに対する自己観はつながりの
はないか、と主張されており、私も非
ているものをもう一度再評価すべきで
いけるとするアメリカ的な世界観、自
自己観です。典型的なのは日本やアジ
ティアが存在していて無限に拡大して
ア諸国で、閉鎖系の世界のなかで長い
の精神がベースになるのではないでし
必要だと主張もしています。ただし生
で経済社会システムや自己観をつくっ
中川
日本の社会は、大井先生がおっ
しゃるように、基本的に閉鎖系のなか
ょうか。
常に重要な指摘だと思います。
間生きてきた人たちの考え方です。
いまはグローバリゼーションの時代
存といっても、弱肉強食の世界であっ
らグローバリゼーションが猛烈な勢い
てきたと思います。そこに九〇年代か
松本
生存基盤が大事であるとさきほ
どいいました。生存学という考え方が
意されます。しかし、理屈ではそうだ
で入ってきた。グローバリゼーション
ては駄目です。このことには皆さん同
と思っても、実生活になると、自分が、
17
る、と大井先生は指摘されています。
だから、精神的に日本人は混乱してい
きていない事例が山ほどあります。そ
ンズの悲劇といわれるようなことがお
日本やアジアの社会をみますと、コモ
のようなことだと思います。一方で、
アジアに実際に存在していたとしても、
くと、それは確かでなくなっていき、
トしました。ところが、突き詰めてい
があるだろうというところからスター
型社会は、欧米とは異なる固有の社会
ています。最初は漠然とアジアの循環
IR3Sでは英語の出版物を企画して
その結果、井合先生がおっしゃるよう
こにお社があるから入ってはいけない
それはアジア固有のものではなく、例
放題にして荒らしてしまうのだといわ
な、児童虐待や学校におけるいじめ、
とか、神様が木に宿っているから切っ
の背景には開放系の世界観、アトム的
不登校、中高年の自殺といった社会病
てはいけないとか、何かしら理由があ
えば気候条件などが同じなら、別の大
いて、私はアジアの循環型社会の巻の
理が一挙に出てきているのでしょう。
って、入会地、共有地が守られていま
陸でも同じような社会がつくられるの
編集委員として盛岡通先生と議論をし
ここでもう一度、長い歴史で培ってき
す。コモンズの悲劇が真理のようにみ
違う、というのは非常に言いやすいこ
ではないかと思えてきます。アジアは
れます。グローバリゼーションの罪の
た閉鎖系の世界観、つながりの自己観
えてしまう近代的な市場経済、個人主
部分の筆頭に挙げられるのは、大体こ
を見直してみる必要があると思います。
義の社会とは、心の介在というか、精
とであっても、本当にそうなのか疑問
は基本的にそれに適応できていない。
小西
KSIの研究に参加して、一つ
勉強させていただいたことのなかに、
神性に違いがあると思えます。それが
があります。
な自己観があるわけですから、日本人
いわゆるコモンズの悲劇があります。
何であるのか、われわれが十分に学べ
の体系を生み、現在の中国・韓国・日
誰もが使える共有地があると、みんな
広めることができれば、人類の持続可
本にはその影響が確実にあるでしょう。
齋藤
中国には血縁・親子関係を軸に
した社会があって、儒教のような思想
能性のヒント、あるいは新しい社会モ
あります。それをくみ出して、世界に
て駄目になってしまうという話です。
デルが得られるのではないでしょうか。
るだけの材料がアジアの農村にはまだ
地球大気がたぶん同じようなモデルで
花木
いまの中国人の考え方は、だい
ぶ違うでしょう。
ので、結局は共有地が荒れ放題になっ
考えられていて、環境は値段が付いて
花木
アジアの話に関連してですが、
が自分の家畜を放し飼いにしてしまう
いない共有のものだからみんなが使い
18
地から遠く離れたところで暮らしてい
そうですが、親の世代が住んでいた土
れて、個人主義が進行しました。私も
よって、中国も日本も家族の意識が薄
主義、名族主義があります。都市化に
いけば昔とほとんど変わらずに、血縁
齋藤
中国は共産主義になってすっか
り変わったようにいいますが、地方に
した。さきほど小西先生から、個体数
で、明治に入ってから突然増え始めま
ず、人口もずっと三三〇〇万人くらい
ます。江戸時代は経済が成長しておら
佐和
江戸時代の日本が、ほぼ完璧な
循環型社会だったとして見直されてい
しょうか。
のではないかと思われますが、どうで
くと、そのシステムが変わってしまう
ンがこれから経済的に豊かになってい
二〇世紀はイノベーションの世紀、経
エネルギー源を手に入れたおかげで、
一九世紀末に電力と石油という二つの
イノベーションが相次いだからです。
た。二〇世紀に食料生産を初めとして
めに人類の生存が脅かされるといった
しか増えないから、必ず食料不足のた
的に増えるのに、食料は算術級数的に
かつてマルサスは、人口は幾何級数
います。それを希薄にしたのが、地方
ていないという話がありましたが⋮⋮。
が一定でないのは、種として成り立っ
世紀でもありました。二酸化炭素の排
紀でした。しかし、その裏を返せば、
済発展・成長の世紀、電力・石油の世
のですが、実はそうはなりませんでし
基盤とする共同体がある程度保たれて
ます。それでも地元に帰れば、血縁を
が崩壊した大きな原因の一つです。自
齋藤
動物生態学的にみてもその通り
です。
一〇〇年間で一・七倍です。次の二〇
佐和
一九世紀の初めの世界人口は約
九億です。二〇世紀初めが一六億で、
二〇世紀のシンボルともいうべき二酸
紀が終わらんとする一九九七年一二月、
豊かになってきたのです。その二〇世
二酸化炭素の排出を増やし続けてきた
分たちの故郷に対する思いがなくなる
世紀の一〇〇年間に六四億にまで増え
化炭素の排出量を削減する京都議定書
と、そこを持続していこうとする気に
て四倍になりました。これは何を意味
的な出来事だったのではないでしょう
が採択されました。これは非常に画期
出量を増やすことにより、われわれは
するかというと、それだけの人間を地
はならないわけですから。
球上で養えるようになったということ
定常な社会は
ありうるのか
社会を維持している一つのモデルとし
井合
ブータンはグローバリゼーショ
ンが進む世界とは別のところで豊かな
です。
か。
て注目を集めていますが、もしブータ
19
考えている人が大勢います。非常に多
これからは減っていかざるをえないと
学系の人たちには、もはや頭打ちで、
齋藤
人口の増加に食料生産はこれま
でどうにか追い付いてきましたが、農
人口の成長が止まると、二〇世紀とは
で安定する可能性が高いと思います。
います。世界人口は一〇〇億人ぐらい
ると、人口増加率は一貫して低下して
がします。最近の国連の人口統計を見
ローカルにみればまだまだ増えるとこ
小西
私は中国も含めて人口は沈静化
しつつあるという統計を信じています。
⋮⋮。
たくないというのがあるのでしょうが
の意識としては、そちらに呑み込まれ
入っていくと思っています。その安定
ろがあっても、全体としては安定期に
うに、定常社会を考えてもいいような
けていません。人口が増え、経済が成
期になったときの設計図が、いまは描
像として、小西先生がおっしゃったよ
感じがします。定常社会でも、松本先
違う世紀になるでしょう。社会の将来
ています。地下水は無限ではなく、そ
生がいわれた振動は当然あるでしょう
特に北米がそうで、小麦の生産を支え
れがなくなれば生産はストップし、日
くの生産が地下水のくみ上げに依存し、
本が輸入している小麦の大半はこなく
長する右肩上がりのときには、とにか
が崩壊するような社会のきしみや痛み
が、バッファ機構を組み込むことで振
が多々出てきたわけです。安定期にも
なるかもしれません。日本という国だ
人間が幸せに暮らせる新しい秩序を、
く全体が大きくなっていくなかで、社
どうつくっていくのか、そのためのロ
幅を抑制することは可能でしょう。人
いかという感じがします。
ードマップ、設計図をわれわれ大学の
けで考えたときには、さきほどもいい
し、グローバルに考えたときには、エ
私は好きではありません。ディベロッ
齋藤
サステイナブルディベロップメ
ント、持続可能な開発という言葉は、
人間はつくる努力をし、それを社会の
会の連携もとれていました。低成長に
ネルギーを現在のように使うこともで
プメントする必要がこれ以上あるので
人に選んでいただくようなことをしな
なって、日本でも地方のコミュニティ
きませんから、食料生産は厳しくなり
しょうか。先進国の人口は頭打ちです。
口一〇〇億人の定常社会をデザインす
ます。
インドとか中国の人口がどのような動
ることを積極的にやっていいのではな
中川
二〇世紀に人口が爆発的に増え
たために、その印象が強烈で、将来を
ければいけないのだと思います。
ら、何とか自給できるでしょう。しか
考える際にも成長を続けないといけな
向を示すかわかりませんから、先進国
ましたように、水が十分にありますか
いような思いにとらわれすぎている気
20
的なモデルとして大学のキャンパスが
になります。花木先生から実験の現実
ですから、もし失敗したら大変なこと
地球規模の後戻りできない壮大な実験
ばなりません。サステイナビリティは
井合
そのような設計図を書いたとし
て、それが有効なものなのかみなけれ
サステイナビリティの実験を
どこで行うのか
ス内には失業している人はいませんし、
くさん欠けていることです。キャンパ
花木
キャンパスで実験をする際の非
常に大きな限界は、社会的な要素がた
徹底していません。
あって、キャンパスのエコはまだまだ
ますが、そうでないところもたくさん
部の事務棟は昼休みは電灯を消してい
んどクーラーを入れておりません。本
す。私の部屋は風通しがいいのでほと
る予測が可能なのでしょうか。
経済のモデルではどれぐらい信用でき
いますから、モデルを使った実験がで
花木
デザインをして、大学キャンパ
スで実験できることはやはり限られて
要があると思います。
きるようなことを大学でやっていく必
いろいろな人が加わって政策提言がで
みますと、依然として二四度、二五度
を回って、クーラーの室温設定温度を
は実際のところごく一握りです。学内
た人々がいます。しかし一生懸命なの
出して表彰され、熱心に取り組んでき
ではないことです。京大も環境白書を
識は、多少はあっても、非常に強い形
会の将来に関わっているのだという意
松本
大学にいて残念に思うのは、大
学人の環境管理の自覚あるいは人類社
の力をつけるには、それこそ文理融合
していくことはできません。そのため
に出ていってグローバルな問題に対処
も、それだけでは、日本人が国際社会
松本
経済界の熾烈な競争も大学キャ
ンパスにはありません。技術があって
ていくのかみることができます。
て、それを使う側がどのように対応し
パスは使えます。新しい技術にたいし
でも技術の適用の場として大学キャン
食料問題も考えなくてすみます。それ
第一次オイルショックが起きた際、石
ン・フリードマンという経済学者が、
できるのは定性的な予測です。ミルト
といわれるくらいです。ある程度信頼
自体が、経済現象に対しては不可能だ
佐和
長期だとますます当たりません。
数式のモデルで表して、予測すること
花木
もっと長期だとどうですか。
らが当たりません。
ところが、半年先、一年先の予測です
きればいいのですが、例えば、いまの
あるというお話が出ていましたが⋮⋮。
佐和
経済のモデルは、過去のデータ
に当てはめると非常によく合致します。
が多いです。入れなくてもすむような
で、技術者も経済の人も文学の人も、
油の高価格が続かないのは明らかであ
ところでも設定温度が低くなっていま
21
Pの速報値が出ると、夕刊一面のトッ
まりにも強すぎます。四半期別のGD
ところで、日本ではGDP信仰があ
はそういうものなのですよ。
たし、現にいえないのです。経済予測
がるのかについては、何もいわなかっ
し、いつごろ下がるのか、どの程度下
り、必ず下がると予測しました。しか
こしではない、人間の基本的なニーズ
マーシャルによる無限の欲望の掘り起
たそうとするものです。過剰生産とコ
ではなく、人間の基本的なニーズを満
の限りない欲望から生み出されるもの
終目標があり、しかもその消費は人間
途上国を見ると、生産よりも消費に最
中川
二〇世紀は生産主義的な価値観
が支配的だったと思います。アジアの
といわれているのに等しいのです。
花木
富良野でうまくいけば本州の都
市にも適応可能になるのではありませ
難しいところがあります。
す。本州ですと社会の歴史が長すぎて
べて、実験をやってみようとしていま
ナブルな形がありうるのか一生懸命調
つつあります。ここでいかにサステイ
で、割と成熟したコミュニティになり
れは富良野に焦点を当てて考えていま
いいました。経済をどれだけ成長させ
投資して五〇〇万人の雇用をつくると
に今後一〇年間で合計一五〇〇億ドル
領は就任演説で、再生可能エネルギー
出だと考えられています。オバマ大統
的な生活の営みがあります。そういう
働と余暇と社交とに区別がなく、全体
働くことの価値観が違っています。労
に働く、といわれています。そもそも
します。バリ島では人々は祈りの合間
社会システムができているような気が
の充足を前提とした閉鎖的で安定した
う点は共通しているはずです。いまは
地域の特徴をどう生かしていくかとい
な農業や観光とは限りませんが、その
市の主たる産業は、富良野と同じよう
った問題になっているのですから。都
そこの社会をどう維持するのか差し迫
といっても、いまでは人口が減って、
んか。それぞれの地域には伝統がある
す。富良野は比較的新しくできたまち
らいであり、一番重要なのは雇用の
プ記事になります。そんな国は日本く
るなどとはいっていません。どうも日
ゆったりとした世界観にもっと学ぶ必
地方都市がもっているポテンシャルに
にこだわり過ぎています。
要があると思います。
比べて人口が減りすぎています。人口
本の政策当局もマスメディアもGDP
齋藤
日本では、地域社会をここまで
壊してしまって、これからどう巻き戻
ではなく、可能性は大いにあると思い
を養えないほど資源も土地もないわけ
も満たない日本の農業といわれていま
せるのかの問題だと思います。われわ
齋藤
私たち農学系の者はGDP信仰
の被害者で、GDPの一パーセントに
す。GDPの立場からだと、いらない
22
を、アジアの国々はわずか数十年で成
〇年ぐらいかけてやってきた経済発展
佐和
アジアと欧米はどこが違うのか
という問題ですが、ヨーロッパが二〇
技術の発展の方向性を
見極める
普及率が高まるのは致し方ないわけで
影響が及びます。中国の乗用車の世帯
るとすれば、世界経済に対し大いなる
乗用車の普及率が三〇パーセントにな
かげです。中国がこれから豊かになり、
た。日本に部品・製品の注文がきて、
齋藤
たくさんつくれば価格は下がる
のですか。
はり技術にお金がかかっているのです。
コストの割合は微々たるものです。や
小西
実はそうでもなくて、リチウム
イオン電池のなかでリチウムが占める
池はどれくらいまで安くなる可能性が
し遂げた。その結果、さまざまなひず
すから、電気自動車に早く切り替えて
しいと思っていたカラーテレビを買う
みが生じました。中国には五つの不調
もらいたい。二酸化炭素の排出量は、
小西
電極材料とか高いのは確かです
が、技術で解決できるところはありま
ます。
和があるといわれています。沿海部と
石炭火力発電所では一キロワット時で
す。資源の値段は、資源が減っていけ
あるのでしょうか。
内陸部、工業と農業、農村と都市、自
八五〇グラムぐらいですが、ガソリン
ば必ず上がります。社会が何か必要と
き下げ、家電製品がどんどん売れまし
然と人間、世界とくにアジアと中国、
は一リットル燃やすと二三〇〇グラム
するものを求めて、それに対して開発
際に補助金を出し、ローンの金利を引
この五つの不調和をいかに是正してい
です。三菱自動車のアイミーブは一キ
力を傾けて技術革新が進めば、技術は
齋藤
高いのはレアメタルに依存して
いるからでしょうか。
くかが、目下の課題だとされています。
ロワット時で一〇キロ走ります。ガソ
財政金融政策を講じて、世界に先駆け
る中国は、きわめて迅速かつ大規模な
排出量は、六三パーセント削減できま
の電源が石炭火力でも、二酸化炭素の
通のガソリン車ですから、仮にすべて
ばれていくのだと私は思っています。
的には安くなるようなものが社会で選
使っていくと安くなる技術とで、最終
必ず安くなります。高くなる資源と、
日本経済が少し上向いたのは中国のお
ところが、二〇〇八年九月のリーマン
リン一リットルで一〇キロ走るのが普
ての景気回復を成し遂げました。例え
す。電気自動車用のリチウムイオン電
佐和
リチウム以外のレアメタルも使
っているのではないですか。
するべく、社会主義市場経済の国であ
ショックに始まる世界同時不況に対処
ば、内陸部の貧しい人たちが欲しい欲
23
として、農業では日本よりも発展途上
もあります。新しい技術を適用する場
日の目をみることもあればみないこと
ん。技術の火をともし続けて、それが
る鉄砲の弾もたくさんないといけませ
花木
技術を開発して社会で使われる
までには時間がかかりますから、外れ
とか愚痴をこぼすのです。
たけれども社会が選んでくれなかった
下手な鉄砲で、大概は外れて、つくっ
はありません。われわれ技術開発屋は、
は、技術開発をしている人間の手元に
どの方向性にいくべきかを示す羅針盤
ればいいのです。
のインフラはいりません。道路さえあ
酸化炭素は少なくてすむし、線路など
価がしやすいはずです。電気バスの二
走るか決まっているわけですから、評
いますが、電気バスなら一日に何キロ
導入するのは評価が難しいといわれて
で、交通関係に二酸化炭素削減技術を
リットです。クリーン開発メカニズム
て、インフラがいらないのはすごいメ
とんどの中国人が携帯電話をもってい
キロ間隔で立てるだけで済みます。ほ
電話の時代で、アンテナを一キロか二
及させました。ところが、いまや携帯
うなことをすれば、家計の負担がいく
すると国際的に表明しました。そのよ
までに九〇年比で二五パーセント削減
佐和
日本では民主党政権が生まれ、
温室効果ガスの排出量を、二〇二〇年
ました。
く残っているのではないかと私は思い
行のあり方が、今後の課題として大き
なところへともっていくのか、その移
を抱えつつも、どのようにして安定的
指摘がありました。そのような難しさ
デルでの予測は非常に難しいというご
だき、一方で、佐和先生からは経済モ
が必要であるという大きなお話をいた
ます。そこで示される数字は、意図を
とか、ネガティブな批判がなされてい
ら増えるとか、GDPが何%減少する
国の方が先だという話がありましたが、
佐和先生がおっしゃるように、車でも
中国で先に電気自動車が普及する可能
文理融合を
進めていくには
デルからのアウトプットなのです。エ
込めてつくられた数字で、計量経済モ
井合
では、そろそろ時間も押してま
いりましたので、ここまでの議論を踏
のレベルが下がることはありえません。
コ製品が普及していくのなら、GDP
性があるわけです。新しい技術を使え
内外を問わず、考えていかないとなり
と思います。小西先生からは安定的な
まえて、一言ずつご発言いただきたい
る場をどこにつくっていくのか、国の
ませんね。
新しいところに移行する新しいモデル
家計の負担も、政府がエコカーの取得
佐和
日本では電電公社が長い時間を
かけて電話網を張り巡らせて電話を普
24
ね。そのような教育を今後もずっと続
城大も北大もそれを目指していますよ
をもつようにしていく、そのような教
な問題の解決ために同じ大学に集まる
けていかないと、われわれが四年間や
のためにいろいろな分野の人が協力す
語があります。もう一単位削減らすの
人々はぜひ協力すべきで、これはやら
ってきたことが水の泡になってしまい
税を下げるとか、環境税をかけてガソ
に掛かる費用という意味ですけれども、
は、学術としての融合です。これはな
なければいけないことです。もう一つ
ます。文理融合はそのような教育の段
ナビリティ教育では、東大も京大も
日本でこれ以上排出削減せよというの
かなか難しいことですし、安易に融合
階からも進めていくことが重要です。
育が重要だと考えています。サステイ
は、乾いたタオルをもっと絞れという
してはいけない部分もあると思います。
り、温暖化の問題であったり、具体的
ようなものだという言い方をして、限
それぞれの学術にはそれぞれの理念が
ることです。大気汚染の問題であった
界削減費用が日本ではアメリカよりも
中川
私は農学からスタートして経済
学を勉強するようになりましたので、
リンの値段を高くすれば状況は変わり
高いと主張されていますが、限界費用
あります。社会科学・人文科学・理学・
ます。限界削減費用という経済学の用
曲線を見積もるのはほとんど不可能で
ると、経済成長が止まるとその社会は
自然に文理融合型となりましたが、マ
崩壊するように考えておられる方が結
工学にはその分野としての考えがあっ
大事です。研究者としては、学術の理
構おられるように思います。農学の立
す。要は、やれるかやれないかの問題
念を大事にすることと、現実の問題解
場で考えると、農業などは何千年と続
クロ経済学や開発経済学などをオーソ
には、二〇二〇年までに二五ないし四
決に知恵を提供することと、その両方
の学問分野には、支配的な一つの世界
ドックスにやってこられた方と議論す
〇パーセント削減しなければならない
をやっていくことになると思います。
観があって、実は違う分野からみると
て、一緒になることで特徴が消えてし
と明記されています。二五パーセント
齋藤
いまのお話と同じようなことで
すが、学生たちには、一つのメジャー
まってはいけません。学術の多様性も
は下限です。
なものをもちながら視野を広げていく、
題なのです。IPCCの第四次報告書
花井
今日のテーマであった文理融合
のあり方について少し話をしておきま
どうもおかしいと感じられるようなと
ではなくて、やらなければならない問
すと、文理融合には二種類の可能性が
理系の学生でも文系に関する広い視野
いてきた定常システムです。それぞれ
あって、一つは実際のある問題の解決
25
サステイナビリティを考える上で非常
多元的な視野で将来をみていくことが、
ころがあります。文理融合を通じて、
るのかというところまで十分に示せて
成功したという意味で、この先何をや
ました。ただし、スタートを切るのに
型の学問の世界を始めることに成功し
うと思います。
え方の基本を提言していく必要があろ
めて、持続可能社会を実現していく考
うことがたくさんあります。議論を深
化しないと解決できない問題がたくさ
松本
このグループで欠けているのは、
思想家・歴史家の参加です。そこを強
いません。大きな宿題が残っています。
つくるのが教育で、大学は大きな責任
先見性のある人材が必要です。人材を
いいました。それを描くには、優れた
描くビジョンがあってしかるべきだと
サステイナビリティにはサバイバビ
に大切ではないかと思います。
なるのは、実は途上国の都市です。圧
んあります。大きな流れでみると、人
います。人を育てるということについ
ジアの学生が過半数を占めるに至って
ってきていて、大学院課程においてア
教育現場をみても、日本の子どもは減
められています。私どもの研究現場、
社会設計のモデルを提示することが求
ていく思想というか原理が何であるの
るには、歴史に学び、人間社会を築い
可能社会を長いタイムスケールで考え
要求される活動をしてきました。持続
市民は、経済活動を通じてその時代に
っとありました。その一方で、町人・
の小さな社会でも権力を巡る闘争がず
返し殺し合いをやってきました。日本
しなければなりません。
を育てていくよう教育システムに改編
然必要で、全人的な視野をもった人材
状態になってきますと、横の連携が当
分かれてきました。これだけ 塞した
工学とか医学とかのさまざまな分野に
たのは明治以降で、農学とか理学とか
を負っています。近代学問が導入され
リティを基本に一〇〇〇年先の社会を
倒的な人数と、圧倒的な消費力をもっ
類は支配・被支配の関係を巡って繰り
ても、日本の国内だけでは多分収まら
小西
人口問題、資源問題、サステイ
ナビリティの問題で最も大きな対象と
そこがどのような都市を目指すのか、
た場所で、まだほとんど手付かずです。
なくなっていて、否応なしにアジアと
意義な時間を過ごさせていただきまし
井合
サステイナビリティを議論する
材料が出 ったと思います。非常に有
かという本質をよくみておくことが大
事だと思います。私たち工学系の人間
の接点を見出さなければなりません。
は発想が貧困になりがちなので、歴史
文理融合に関して、このIR3Sは、
いままでの縦割りのディシプリン型科
や思想の方との対話で、なるほどと思
た。本日はありがとうございました。
学の垣根を取り払った新しい二一世紀
26
サステイナビリティとは何だろう?
住 明正
東京大学教授
東京大学地球持続戦略研究イニシアティブ統括ディレクター︵気象学︶
とは、日々変化する状況に対応するのには、決ま
正と負の評価をする言葉が残っている。というこ
一九七二年に発表されたローマクラブの﹃成長
った方法があるわけではなく、状況により、個人
個人の生き方を問う
の限界﹄を、当時勤めていた東京管区気象台調査
の判断、趣向で、さまざまに取り組み、
﹁結果良
ければすべて良し﹂という具合に、うまくいった
課の書庫で見つけ、読んでみて驚いたことがある。
﹁地球は大変な状況なのだなあ﹂と考えさせられ
現在、地球温暖化対策が広く世間の関心を呼ん
人の結果や、人の心をつかんだ結果が残ってきた
でいるが、万人が賛同する対策などほとんどなく、
たのである。しかし、その後の日常生活やバブル
になってしまった。やはり、バブルがはじけて正
のであろう。
気に戻った気がする。要するに、個人の考え方な
ともすれば、
﹁何をやっても現状はなるようにし
の乱痴気騒ぎに巻き込まれ、
﹁イケイケ﹂の気分
どは、周囲の状況に大いに左右されているのであ
はないとしても、個人の思いが集まれば時代の歯
近の政権交代のように、良い結果をもたらす保証
かならない﹂というような気分に襲われるが、最
周囲の状況が変化する中で、個人がどのような
る。
態度をとるべきかというと、
﹁石の上にも三年﹂
いことを誉める言葉から、
﹁君子は豹変す﹂とい
く、物事の進展は、個人の覚悟、個人の生き方に
結局、誰かが困難を解決してくれるわけではな
車がひとつ進むことは事実なのである。
うように、状況に応じて対応を変えてゆく柔軟さ
基づく行動の結果によるという結論になってくる。
などというように、確固たる信念で立場を変えな
を誉める など、およそ、すべての行動に対して
27
グローバル・サステイナビリティの構想と展開
特集
なければならない﹂という思いに迫ら
る。還暦を迎えて、
﹁過去の総括をし
いた時代が走馬灯のように頭を去来す
をかけて﹂などという青い議論をして
うような言葉を聞くと、
﹁個人の実存
そのような﹁個人の生きざま﹂とい
の設計こそが重要になってくるのであ
このような人間の集まりとしての社会
う事実の裏返しであり、だからこそ、
﹁欲﹂を原動力として動いているとい
こ の こ と は、人 間 社 会 は こ の よ う な
ないものは称賛されるのが普通である。
人々の口にはのぼるがコストのかから
て忌避することが多く、名誉のような、
わることを普通は﹁執念、我欲﹂とし
になる。しかし、財産などの物にこだ
徳を思い起こしてみよう。勤勉、努力、
たとえば、昔、我々が教えられた道
それを受けて活動する個人のサイクル
巻く環境は大きく変化したであろうが、
きたことになる。もちろん個人を取り
イクルは、古来、無数に繰り返されて
である。そして、このような個人のサ
期というサイクルを経て死にいたるの
幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年
地球の面倒を
見てゆく覚悟
れているが、その一方、無性に昔が懐
誠実など、ほとんどのことが身を慎む
にそれほどの差があっただろうか?
かしくなってきている。おそらく、そ
る。
のことが﹁老い﹂ということなのであ
らなかったのである。要するに、貧乏
したがって、身を慎んでいなければな
ことに関連していた。それは、自然を
思いというものは、さまざまな手段に
だったから勝手気ままができなかった
しかし、個人としての人間をめぐる
よって伝達しようとしているが、結局、
のである。一方、このような状況は、
ろう。
ているが、認めなければならないのは、
すべてが伝わる保証はない。それゆえ
体の維持が不可欠だったからである。
個人には必ず終わりがくるという事実
に、
﹁歴史は繰り返す﹂のであろう。
口惜しいことでもある。人間は、
﹁な
畏怖していた結果であり、周りの共同
である。したがって、個人には、サス
もし、人間の知見や思いが蓄積されて
自由に振舞ってみたい﹂とも願ってき
んとかしてこのような状況を克服し、
能なことにある。個人の経験、個人の
テイナビリティはないことになる。
ゆくとすれば、世の中は大きく変わっ
限界は、その意識の完全な伝達が不可
そこで、
﹁命を惜しむな、名こそ惜
ていたことであろう。逆にいえば、人
﹁老い﹂とは、未経験の領域であり、
しめ﹂という話がでてくる。つまり、
個人的には﹁楽しんでみたい﹂と思っ
血筋にこだわるか、家名にこだわるか、
間個人の活動は、結局、産まれおちて、
たのである。今や、科学・技術力をも
名誉か、何らかの代替手段に頼ること
28
がら、人間活動が大きくなってきた今
など考える必要もなかった。しかしな
の活動が小さい時代には、地球の容量
球という容量の問題が登場した。人間
である。しかし、その結果として、地
である。つまり、
﹁豊か﹂になったの
勝手気ままに振舞える状態になったの
ってして、以前の身を慎む状態から、
立った人間として、個人・社会の振舞
﹁この地球の面倒を見てゆく﹂立場に
し、今、我々に求められているのは、
とを考えもしなかったのである。しか
して、自分たちが立っている基盤のこ
球を誰かが面倒を見ていてくれる﹂と
る。しかしながら、いずれも﹁この地
指してきた時代の生き方が示されてい
方と、困難を乗り越え無限の高みを目
時代の身を慎むしかなかった時の生き
あるいは、循環がひとつの解である、
イナビリティを考えるときには、振動、
したがって、有限の地球上でのサステ
面白くもないので省くことにする︶
。
の例は静止状態であるが、この状態は
で無限の状態を維持できる︵もう一つ
うに、循環している限り、有限の空間
るが、
﹁万物は流転する﹂ともいうよ
我々を取り巻く環境は、さまざまな
ということになる。
は、必然的に、地球の大きさを考えた
システムから構成される。それぞれの
システムは相互作用しながらも独自の
活動を続けている。そのような活動の
さをもたらすのは確かである。問題な
としては、物質的豊かさが精神的豊か
限の運動を続けることができる代表例
のかと思っていたが、有限の領域で無
いは、単振動を習う。何の意味がある
物理学の入門として、振り子、ある
を繰り返し、全体が続いてゆくという
で書く三代目﹂などのように栄枯盛衰
人間社会でいえば、
﹁売り家と唐様
イナビリティの在り方なのであろう。
ては一定の活動度、というのがサステ
アップ・ダウンがありながら全体とし
のは、線形近似の範囲内にとどまるこ
ことなのであろう。そうすると、
﹁ど
未来を考えて
現在を生きる
い方を考えることなのであろう。
物の見方をする必要があるのである。
もちろん、
﹁豊かになったのは物質
的な面のみであり、精神的には決して
豊かになっていない﹂という批判もあ
とが難しく、すぐに、非線形領域に入
は振り子なのである︵もちろん、抵抗
こが昔と違うのか?﹂という疑問も生
ろう。しかし、貧困からの第一次近似
り、腐敗・堕落などという現象が出て
によるエネルギーの減衰を無視する︶
。
まれてこようが、決定的に違うのは、
伝搬してゆく平面波では、無限の運動
今の我々の前には、人間活動が小さ
を維持するには無限の平面を必要とす
くることなのである。
く、自然が無限の大きさをもっていた
29
自分たちの行動を管理しなければなら
かなければならない、そのためには、
﹁我々が、この地球を維持管理してゆ
とは、先のことを考えて、現在の時代
てゆく覚悟が大事であろう。重要なこ
す論理的な帰結を軸に、物事を判断し
多彩さに目を奪われず、本質のもたら
うと思う。
か、という点について、私見を述べよ
を生きる、ということなのであろう。
気候安全保障を軸にした
国際秩序の形成
ない﹂という意識なのであろう。
このように考えると、個別の事柄を
オバマ政権は二〇〇九年六月に﹁ア
理する責任があるということを自覚し、 ︵ACES法︶
﹂を下院で可決させた。
メリカクリーンエネルギー安全保障法
賛成二一九票、反対二一二票、棄権三
したがって、サステイナビリティを考
票というぎりぎりの可決であり、上院
えるということは、この地球を維持管
時間軸を考慮して現在を生きてゆくこ
とは考えられない。滅びた文明はある
が、新たな文明が興きてくるのである。
となのであろう。
続かせることは、そんなに重要なこと
したがって、日々発生するさまざまな
OP ︵気候変動枠組み条約第一五回
では大幅な妥協や困難が予想され、C
事件、さまざまな現象などの表面上の
﹁気候安全保障﹂ を
政策統合の軸にすべきだ!
井誠一郎
った。だがこの法案は、気候変動が国
締約国会議︶にも成立は間に合わなか
内外での災害や、それによる紛争の原
さまざまな脅威から守ることだとされ
葉 は security
と い う 英 語 の 訳 で、一
般に、国の安全を外国からの侵略など
政治の分野では、安全保障という言
て用いられつつある。今回はこの考え
際秩序をつくるためのキーワードとし
現在の欧米各国で政策統合や新しい国
た、新しい考え方だ。この考え方は、
方で、二〇〇六年頃から主張され始め
うとしている。
政策に包括的で統一的な指針を与えよ
脅威として位置づけ、国内外へ向けた
候変動をアメリカ全体の安全保障への
にも影響を与えうることを指摘し、気
因となるだけでなく、米軍の作戦能力
ている。気候安全保障とは、気候変動
方を、日本でどう用いていけばよいの
たとえば、スーダンのダルフール紛
を国の安全を害する脅威だとする考え
城大学人文学部准教授
︵国際政治学、平和学︶
15
30
争は、気候変動による水や土地の劣化
提出されたことはない。気候変動が安
れた空軍基地もある。さらに、政府機
嵐によって大きな被害を受けて閉鎖さ
ケーンは空軍戦闘機の活動を阻害し、
陸作戦はさらに困難になる。巨大ハリ
るし、砂浜がなくなれば、海兵隊の上
軍が利用する海軍基地の機能を阻害す
いる。また、海面上昇は世界各地の米
イギリスが二〇〇六年一〇月から国際
そうではない。もともとこの会合には、
わずか三回の会合の議事録を読む限り、
しかし議論が尽くされたか、といえば、
論をしたことには大きな意義があった。
家が集い、この概念について初めて議
報告書がある。ここでは担当官と専門
﹁気候安全保障に関する報告﹂という
二〇〇七年五月に環境省がまとめた
いう言葉があまり浸透していない、あ
が多かった。国民的にも、安全保障と
全保障を結びつける議論に慎重な意見
もともと日本の学術界では、環境と安
手が悪いということだったのだろうか。
論がほとんど進まなかった。
球温暖化対策基本法案﹂は国会での議
推進基本法案﹂や、民主党からの﹁地
する自民党からの﹁低炭素社会づくり
全保障に関わる問題だと形だけは指摘
関の中でも軍は最大の二酸化炭素排出
交渉の場で言い出したこの考え方を、
されるという側面もあったかもしれな
るいは軍事に関係するイメージで反発
進まない国内の議論
セクターである︵たとえば日本の自衛
京都議定書以来、温暖化交渉には消極
などの問題が引き金だと主張する者も
隊は日本の政府機関全体の排出の七〇
的だったアメリカが議論し始めている
て、アメリカがこのような法案を通そ
では先導的地位にあるEU諸国に加え
すでに気候変動についての国際交渉
リカをも後押ししている。
障﹂という言葉を使って政策の優先度
あ ら わ れ て い る。こ の﹁気 候 安 全 保
いでいただきたい﹂という彼の発言に
それは議事録にある﹁検討を本当に急
ことへの担当官の焦りが影響していた。
もつ影響力である。気候安全保障につ
い温暖化懐疑論と古い経済の産業界が
これが示したのは、国内における根強
国際的には落胆をもって迎えられたが、
果ガス二〇〇五年比一五%削減案は、
が﹁野心的﹂として打ち出した温室効
い。だが問題は他にもある。麻生政権
言葉としては面白かったが、使い勝
が、気候変動交渉に消極的だったアメ
%を占めている︶
。このような危機感
うとしていることは、日本にとって重
後、国内で気候安全保障という言葉や
を上げていくことを報告書が提言した
いての議論もまた、対策に消極的な彼
保障を軸にした国際秩序の形成に、取
考え方を軸にした政策や法案、戦略が
大な意味をもつ。本格化する気候安全
り残される可能性が高まっているのだ。
31
らの影響を受けたのかもしれない。
ただ、委員の一人だった蟹江憲史准
教授︵東工大︶が報告書出版当時の雑
誌論文で指摘したとおり、
﹁国内事情
能性もある。
気候安全保障を軸にした
国内政策の統合
により、実り多いものではなかった。
そして日本外交の悲願である安保理常
任理事国入りが絶望的になる中で、日
本が国連で国力に見合った貢献をでき
グリーン・ニューディールに沸くアメ
かだ。もし米上院が法案を可決すれば、
とになる﹂のが現実化しているのは明
強化が示されている。その中で、効果
画の強化、国連の開発についての能力
言に、安保理の役割再考、国連環境計
動諮問委員会︵WBGU︶報告書の提
二〇〇八年のドイツ連邦政府気候変
を追求できるし、国際社会からもその
ち自ら武力を用いずに世界の安全保障
それならば憲法と矛盾せずに、すなわ
武力行使に関する権限はないだろう。
そこには既存の安保理との棲み分けで、
会﹂のようなものになったとしても、
称がたとえば﹁開発環境安全保障理事
るのは、この提言にある新しいハイレ
リカのエネルギー産業と政治・軍事も
が疑問視される経済社会理事会に代わ
このように、気候変動の外交分野で
含む外交の諸政策は、気候安全保障と
る、新たな地球規模の開発と環境に関
貢献を高く評価されるだろう。もちろ
にとらわれるばかりに、気候安全保障
いうキーワードで統合されていくだろ
ん、安保理の役割が中国などの反対を
ベル理事会で設置されるかもしれない
う。さらにオバマ政権に強い影響力の
するハイレベル理事会の設立が提言さ
押し切って気候や環境にまで拡大すれ
常任理事国である。もちろん、その名
ある米シンクタンクは、資源と気候の
れている。気候変動を軸にした新しい
ば、再び常任理事国入りの望みが出て
は遅れがちな日本だが、まだ 回の可
ふたつの問題を安全保障の考え方で統
日本は、この提言が実現するように
国連への改革案がそこに示されている。
能性は残っている。
合して、自然安全保障︵ナチュラル・
くる可能性はあるが、これまでの議論
遅れることが最も﹃国益﹄を損ねるこ
セキュリティー︶という考え方も打ち
ドイツをはじめとするEUの動きを支
をみる限り、実現は非常に困難だ。
を軸とした今後の国際秩序形成に乗り
出している。資源の輸入から消費にい
や総会で行われた気候変動に関する議
援すべきである。これまで国連安保理
政策を、アメリカのように、気候安全
この悲願達成のために、まず国内の
障問題としてとらえるこの考え方が、
論は、南の国々とアメリカの消極姿勢
たる過程を総合的にアメリカの安全保
オバマ政権の政策として現実化する可
32
保障、あるいはより広く環境安全保障
国内に気候安全保障の考え方を広めつ
く必要があると私は考える。その上で、
際秩序の形成を見据えて準備をしてお
連での新しい理事会設置を欧州各国と
くべきだろう。その実績をもって、国
に、国際秩序形成にまずは関わってい
協調して推進していくべきであると私
そのような幅広い視野の安全保障論は、
つ、外交ではドイツの報告書の提言で
は考える。
を軸にして統合していく必要がある。
大平内閣の﹁総合安全保障﹂以来、決
もとくに必要とされた財政支援を中心
自然共生コミュニティと
安寧のライフスタイル
森本兼曩
大阪大学医学部環境医学教室教授
︵社会医学︶
その観点から、各分野の政策を統合し
気候安全保障の考え方を組み込んで、
するなど、多様な使われ方をしている。
また、それを深層で支える感性を表現
は、人それぞれの生き様や生活の仕方、
ライフスタイルという用語は現在で
な視点は、個人の感性・個性を礎に多
して把握可能である。ここで特に重要
間的にもダイナミックに変わるものと
タイルの集積として、多様にかつ、時
コミュニティと
ライフスタイル
ていると見られるものがある。また、
して多いとはいえないが国内でも研究
や政策的議論の実績がある。これらの
資源を利用しつつ、強い政治的リーダ
ーシップの下で関係の各分野が協調す
れば、既存の政策も含めた、一貫した
政策群の編成が可能になるはずだ。二
〇一〇年通常国会では民主党から﹁地
球温暖化対策基本法案﹂の再提出が示
ていくべきではないだろうか。
それぞれのコミュニティには伝統に支
ライフスタイルは、個々人のライフス
日本が技術的には得意なはずの環境
様なライフスタイルを尊重しながら、
個々人の所属するコミュニティ集団の
分野にもかかわらず、苦手の外交のた
えられた独自の価値意識や社会規範が
はかり、その質︵信頼性や内容︶を支
相互の意義深いコミュニケーションを
唆されているが、ここにこそ、日本の
めにまたもや世界の動きに乗り遅れな
生活様式、産業様態、言語表現をはじ
存在する。社会的にはさまざまな職、
えていくコミュニティの倫理感・社会
いためにも、今から次の動き、すなわ
めとして時間的に継続して、保持され
ち国内政策の気候安全保障を軸にした
統合と、それらの国々による新しい国
33
は、ミーム︵ Meme
、模伝子と訳され
ている︶と命名して概念化され、広く
年間の江戸時代は、文化の質や国民生
史で江戸時代を考えてみよう。三〇〇
例えば、唐突ではあるが、日本の歴
議 論 さ れ 始 め て い る。利 己 的 遺 伝 子
を保持していたと、特に近年評価され
規範を重視することである。
ライフスタイルは、生まれてから現在
︵ Selfish-gene
︶の 概 念 を 普 及 さ せ た
ことで著名なリチャード・ドーキンス
ている。その最大の理由は鎖国である。
そもそも、ライフスタイルとは何か。
に至るまでに遭遇したさまざまな環境
が提唱し敷衍した概念であるが、生物
危機要因の高い文化ライフスタイル侵
他文化からの刺激的で緊張感あふれ、
活の満足度において、稀有の高いもの
家 族・友 人・先 生・読 書 や テ レ
――
ビ・映 画、お し ゃ べ り・討 論 な ど
に対応させた命名である。
ィ間でのライフスタイルの維持・継続
個人間、世代間、あるいはコミュニテ
じなかったために、極めて安定した、
る感性、その表現としてのライフスタ
が可能であった。爺婆から幼少の孫ま
略によるミーム突然変異がほとんど生
このように広い意味の環境履歴が規
イルを環境︵時間的には前世代︶から
で深く人間的なコミュニケーションが
われわれ人間は、さまざまなミーム
定していくライフスタイルは、すでに
は、他者、環境へと発信し敷衍してい
取り込み、次にそれを次世代、あるい
学習により、自己の個性、それを支え
学的な遺伝子であるジーン︵ Gene
︶
の一つ一つを意識的にあるいは
――
無意識下に自身の内に取り込み、それ
を時に応じて個性として表現した環境
述べたように、個々人のそれをこえて、
可能であり、他者との関係においても
履歴そのものと規定できる。
コミュニティ、あるいは、より大きな
く。
地域集団、そしてグローバルな全地球
︶と い う 概 念 を 導 入 し て 考
Mutation
えてみたい。突然変異という概念は言
人間の持つ深い心理や細やかな感性を
会規範に支えられて継続した三〇〇年
時間的にも高く安定した倫理意識・社
うまでもなく生物学的な遺伝子
有の文化が醸成されてきたといえる。
次 に、ミ ー ム 突 然 変 異︵ Meme
世代から世代、環境︵他者やメディ
︵ Gene-DNA
︶概念からの拡張ではあ
るけれども、その意味するところや機
的レベルで把握することが可能である。
ア等︶から個々人へと伝達され、ライ
さらに筆者は、例えば米国流の経済
他者と共有できる優れた世界的にも稀
間だったといえる。その精華として、
フスタイルとして学習されて、個性化
構は異なる。
反撃的ミーム刺激の提唱
の資源となるコミュニケーション実態
34
ている。具体的には、いくつかの有効
いくことが重要かつ必要であると考え
ー ム 刺 激︵ Meme Stimulation
︶の 概
念を導入し、新しいミームを 造して
ている現在の日本において、反撃的ミ
面で人間的に貧しい社会様態が現出し
率で生じ、結果として危機的で、ある
ルによる侵略的突然変異が広範囲に高
価値優先の社会規範や、ライフスタイ
のサステナ環境学がいま重要である。
ィで支えることを可能にする二一世紀
であり、それをさまざまなコミュニテ
おくグローバル・サステイナビリティ
わば東洋的・仏教的な本然性に基礎を
なライフスタイルが思い描かれる。い
足らずの生涯を閉じて土にかえるよう
ることの意味を享受しながら一〇〇年
し、それぞれのライフステージで生き
しても個性的で豊かな人間生活を維持
社会格差︵貧富の差︶を生んでいる。ま
われ、富の再配分の結果として、経済
済活動は熾烈な競争原理に基づいて行
を唯一の目的指標とする全地球的な経
化・経済戦略となっている。経済価値
主義システムを全地球的に展開する文
して 造されたが、今や市場経済原理
多様な共生を主張する社会思想実践と
かつては地球を一つの共同体と考え、
そもそも、
﹁グローバリズム﹂は、
た、悲しむべきことに、その過程では、
なミーム刺激の方法が考えられる。例
えば、幼少期から自然環境下で細やか
に対処して、地球規模で環境・人間活
例えば温暖化や水・食料などの問題
現実がある。しかも、全世界の経済活
経済効率の低さのみ故に消滅していく
国や地域の独自の伝統や社会基盤が、
友人などと共に多くの時間を過ごして
動による富の増大は、環境制御や資源
相反するグローバリズム
成長することで一生涯の礎となるコミ
動様態を豊かに保持しうるものとして
の枯渇から頭打ちとなり、今や経済的
なコミュニケーションが可能な両親・
ュニケーション・社会規範の基となる
グローバル・サステイナビリティを考
地方自治体や企業内での専門家のスキ
筆者の専門である社会医学領域でも、
グローバル・アメニティを
目指す
感性が醸成され、それ自身がミーム刺
義を基にした経済価値優先の価値意識
な富の総体は減少に向かいつつある。
を全世界にハーモナイズさせるグロー
ローバルな視点で進める、市場経済主
東洋ないし日本のコミュニティが伝
バリズムとは、本質的に異質なものと
える立場は、米国社会文化が同じくグ
統的にもつ自然・人間系の豊かなバラ
姿を考えてみたい。
ンスを維持・回復して、個々人として
考えなければならない。
激として他者や次世代に敷衍していく
も、また、属するコミュニティ集団と
35
コミュニティでの Good-Practice
︵G
P︶の検討評価が大切であるが、人的
このような社会実践に際し他国・他
の確立と実践が火急の要となっている。
の方位を定めることが肝要である。
テイナビリティ学が再構築され、活動
ロピー的な多様性が増大する社会産業
ーバルな視座から見た場合に、エント
ムの弊害を乗り越え、安定した人間中
扶助強化などの方策で、グローバリズ
個人としての人間生活が、またそれを
実践の精華として、一〇〇年足らずの
このようなサステイナビリティ学の
生産活動に向かっていくように、サス
労働の経済化やコミュニティ内の相互
心 社 会 を 再 構 築 し つ つ あ る︵と 見 え
支えるコミュニティが、自然と美しく
ライフを維持し、翻ってグローバルに
共生する中で高いクオリティ・オブ・
経済価値至上主義に基づくグローバ
も客観的かつ主観的なアメニティの維
して吟味しなければならない。
リズムに対抗するこのような活動の展
持・増進が期待されるのである。
る︶北欧諸国の状況も格好のモデルと
開の一つは、健康︵環境︶価値意識を
度などを整備することで、個人の生き
クライフ・バランスや企業内の支援制
化している。刹那的ではあるが、ワー
関連予算の削減など重要な課題が顕在
は、短期経済指標に反映しにくい健康
その切り捨てによる利益調整、あるい
ルの使い捨てや、非正規社員の増大と
まな活動の原点を移し、結果的にグロ
を持つコミュニティ主体にそのさまざ
れぞれが固有の伝統的・人間的な意味
浪費してきた営みから解放されて、そ
まざまな地球環境資源・エネルギーを
義ともいえる経済価値優先の基に、さ
西欧科学技術を基盤にした物質機能主
ば図1に示すごとく、ここ三〇〇年の
合理性を超えて美しいと感じる衝撃的
持つ豊かな温かさや宗教的な意義深さ、
フスタイルを吟味・変容させ、人間の
西欧的科学技術至上主義に基づくライ
付かれたかの如く尊重・崇拝してきた
〇年余の間、国を挙げてあたかもとり
人間活動の営みには、日本がここ一〇
最後になるが、もちろんこのような
社会に醸成することである。言うなら
がい・働きがいを維持・増進する方策
図 1 健康(環境)
価値意識の転換.
36
つ包み込むような抱擁感等の快的美的
な美的感性、あるいは自然の様態が持
れている。
的なものに回復していく努力が求めら
バルな人間活動の質を、永続的で人間
てもなじみがないだろう。しかし、そ
字ばかりでほとんどの人には何度聞い
も、
﹁持続可能性﹂と訳されるが、漢
そうだ。
なければならない、と考えていたのだ
する、という恐れを感じていたのも無
えてしまうと後の世代の獲物にも影響
を生活の糧とする場合、自然の姿を変
北米の先住民の人たちのように狩猟
るのではないだろうか。
イロコワ族のことわざに凝縮されてい
の意味するところは結局のところこの
な感覚・感性を重視するなど、グロー
サステイナブルな街
森 千里
千葉大学教授
︵環境生命医学/発生学/解剖学︶
七代先を考える
むとすると、七代というと約一〇〇∼
ろうから、一五∼二〇歳で次世代を生
るという。昔は早くに子供を生んだだ
の借り物である﹂ということわざがあ
訳はといえば﹁将来の世代のニーズを
からであろうか。ところがその日本語
﹁ Our Common Future
﹂の 中 で 社 会
の中心理念とするべき、と紹介されて
連のブルントラント委員会の報告書
︶
﹂という考え方が脚光を
velopment
浴びたのは、一九八七年に出された国
は祖先から受け継いだ土地を破壊する
るのではないだろうか。だから日本で
残していくのが現世代の役目、と考え
を守り、さらに開拓を広げて次世代に
にじむような苦労をして開拓した土地
理はない。自分も困るかもしれないし
一四〇年先、ということになろうか。
満たす能力を損なうことなく、今日の
のは﹁ご先祖様に申し訳ない﹂と、将
アメリカの先住民であるイロコワ族
一〇〇年も先のこととなると、自分は
世代のニーズを満たすような開発﹂と
後の世代も困るかもしれない。だから
もちろん生きていないし、どんな世界
いうのだが、わかりにくいことこのう
﹁持続可能な開発︵ Sustainable De-
になっているか想像もできない。イロ
来の子孫ではなく過去の先祖に気持ち
の間では、
﹁大地は七代先の子孫から
コワ族は、七代先の子孫にも、現在と
えない。
﹁ Sustainability
﹂という言葉
一方、農耕民族の場合は祖先が血の
教えたのではないだろうか。
﹁自然には手を付けるな﹂
、と子や孫に
同じ大地、今風にいうなら環境を残さ
37
それにしても、将来の世代のことを
など、今でいう基礎医学を吸収して帰
市内の下水道の汚水を使って実験する
であった感染症対策についてベルリン
あり、
﹁古希﹂
︵=七〇歳︶まで生きる
暦﹂はめでたいこと、皆で祝うことで
に多くの人が亡くなった。だから﹁還
学で研究にいそしむ一方、夜は老舗ビ
余談だが、ライプツィヒでは昼は大
めの緊急方策的な面が強かった。だか
は、目の前の死をとりあえず免れるた
ことであった。そのような時代の医学
を向けていくのであろう。
考える、といっても、子、孫の世代く
国した。
代先まで思いを馳せることができるか
ア ホ ー ル の﹁ア ウ ア ー バ ッ ハ ス ケ ラ
などということは古来より滅多にない
らいまでは気になるものだが、さて七
というと、これはなかなか難しい。
貧しい小藩、津和野藩の典医の家系で、
ところで、私の家は山陰の山の中の
ウストを訳している。二〇〇九年四月、
訳すことを約束し、帰国後実際にファ
友人とゲーテのファウストを日本語に
ー﹂をしばしば訪れ、日本人留学生の
命は救われてきた。
際の薬の開発に巨額の投資がなされ、
きになり、さらには感染症にかかった
ら、原因となる病原菌の発見に皆やっ
鷗外の先を見る目
私の代で一七代目になる。森鷗外は私
二一世紀の日本は超高齢化社会で、
クラスである。それでは、皆が健康に
鷗外とその友人がビールを楽しんでい
暮らしているかというと、実はいろい
の曽祖父にあたる。鷗外は一八八四年
医学と﹁サステイナビリティ﹂とど
ろな環境由来の健康影響を受けながら
八六歳と、世界でもトップ中のトップ
んな関係があるのか、と思われるかも
暮らしている。命は永らえているが、
平均寿命は男性でも七九歳、女性だと
たライプツィヒでは細菌の培養法や顕
しれない。日本においては、戦後しば
それがイコール健康かというと、生活
る様子を壁画に描いたものがアウアー
微鏡を使った観察方法など、科学の基
らくまで、現世代、今生きている人の
の質︵クオリティー・オブ・ライフ︶
バッハスケラーに飾られた︵図2︶
。
礎を学んだ。ベルリンでは後のノーベ
健康が大きな問題であった。
﹁死﹂は
は年齢と共に低下していく場合も多い。
から当時医学の分野では最先端を走っ
ル賞受賞者コッホに細菌学を、さらに
誰にとっても身近な存在であり、コロ
ていたドイツに留学し、最初に滞在し
ミュンヘンでは環境医学の父といわれ
コロとよく人が死んだ。乳幼児の死亡
鷗外は、人の健康を向上させるには、
鷗外はドイツで衛生学の基礎を学び、
率は高く、結核などの感染症で若い内
るペッテンコッフェルに教えを受けた。
当時人の健康、命を脅かす大きな問題
38
ラ整備を医学的な観点から進めるよう
切れない関係にあるので、その時代に
いかもしれない。今多くの不動産でア
目の前の疾患に対応することももちろ
ピールポイントになっているのは耐震
合わせてテーマは変わるのは致し方な
鷗外が編纂した、初めて日本語で書
性とユニバーサルデザインであろうか。
助言している。
か れ た 衛 生 学 の 教 科 書﹃衛 生 新 編﹄
しかし、本当は住まいづくり、街づく
んだが、衛生学を基盤に街を整備する
った。日本に帰国した後は、軍医とし
︵一八九七年︶には、第五版で鷗外自身
りには﹁健康﹂が第一のテーマとなる
ことの重要性をドイツで学んだのであ
て勤めるかたわら東京都︵当時は東京
加え、都市計画における医学的側面の
が﹁新街増設の計画﹂という章を付け
た、衛生状態の劣悪な貧しい人たちの
伝染病の蔓延を招く原因ともなってい
しさや住みやすさはもちろんのこと、
が実感できる。街づくりには、その美
健康は失ってみて初めてその重要性
べきではないのか。
住む地区を取り壊し、貧民を都市の外
現世代も次の世代も将来にわたって
重視の必要性が説かれている。当時、
に 追 放 し て し ま う、と い う い わ ゆ る
人々が心身ともに健康に住み続けられ
うな街ではなく将来世代も長く生活の
る街、現世代だけでうち捨てられるよ
ならばその人たちが住む場所を別途確
質を保ちながら暮らせる街といったコ
のに鷗外は反対し、貧民街を取り壊す
保すべきだとし、さらに都市計画には
な街﹂という思想が必要なのではない
ンセプト、すなわち﹁サステイナブル
﹁貧富分離﹂構想が持ち上がっていた
機能を広く分散し人口が集中し過ぎる
くり、オフィスづくり、さらには街づ
症候群を予防できる家づくり、学校づ
私たちのグループは、シックハウス
だろうか。
﹁一極集中﹂を避けていろいろな都市
のを避けるべきである、と述べている。
健康第一の街づくり
街づくりは不動産の経済と切っても
39
市︶の下水道整備や街づくりのインフ
図 2 ライプツィヒにあるビヤホール「アウアーバッハスケラー」にある鷗外
の壁画.晩年の鷗外が若かりし頃を回想する,という構図になっている.
学問体系として﹁未来世代のための健
また、新しい衛生学・公衆衛生学の
ン・プロジェクト﹂を推進している。
代のための街づくり
未来世代の健康を守り増進させるため
世紀を生きる私たちは、一〇〇年先の
世代を中心にした考え方である。二一
いるが、これは今生きている私たちの
にその増進を図るべきもの﹂と述べて
編﹄で﹁衛生学とは健康を守ると同時
︵ TOP
︶プロジェクト﹂を開始した。
鷗 外 は 一 〇 〇 年 前 に 書 い た﹃衛 生 新
生・若手研究者のキャリアパス支援制
私個人の﹁人材育成﹂を軸として、学
がら、私のIFES GCOEでは、
する研究活動を進めている。しかしな
ー個人の研究を軸として、これに直結
一般的なGCOEでは、拠点リーダ
い。
おり、これらの地域を訪ねた経験がな
モデルを用いた海洋科学を専門として
Sustainable Health Sci-
れるかもしれないが、私自身は、数値
康科学
の街づくり、社会づくり、人づくりを
くりを目指して企業とともに﹁未来世
﹂を 大 学 院 の 教 育 プ ロ グ ラ ム と
ence
してスタートさせた。その流れは姉妹
行うことが重要である。
ケミレスタウ
校である台湾大学にも広がっている。
た。こ の 状 況 を 踏 ま え た 私 の 問 い は
は一九九〇年代後半から急速に広まっ
ドク︶を雇用するという研究スタイル
に従事する博士研究員︵いわゆるポス
競争的大型研究費を獲得して、それ
度を進めている。
さらに、公衆衛生に基づいた街づくり
を 目 指 し て﹁ Town of Public Health
グローバルCOEプログラム拠点リーダーによる
ささやかな試み
山中康裕
北海道大学大学院地球環境科学研究院
︵海洋科学︶
拠点リーダーを務めている。IFES
この問いに対して、ささやかな実証試
の人材をいかに育成するか?﹂であり、
私は北海道大学において、全国一四
G C O E で は、シ ベ リ ア・モ ン ゴ
GCOEの拠点リーダーになった動
験を行いたい、というのが、IFES
﹁大学はいかにあるべきか? 次世代
〇拠点あるグローバルCOEプログラ
による研究を発展させた拠点形成を進
機である。
ル・インドネシアを対象として、観測
め て い る︵図3︶
。他 方、奇 妙 に 思 わ
ム︵以下、GCOEという︶のひとつ、
﹁統合フィールド環境科学の教育研究
拠 点 形 成︵I F E S G C O E︶
﹂の
40
例として、
﹁海外の一流研究者との共
後には、外部研究資金を自ら獲得し、
る。博士研究員がキャリアアップした
で、共 に 参 加 す る 国 際 会 議 の
Skype
場で、海外研究者との議論が可能とな
ら が 国 内 に い る 間 は、電 子 メ イ ル や
的な研究環境を肌で感じると共に、彼
滞在終了時に、 “Good bye!”
ではなく、
モデルを実際に経験した博士研究員は、
IFES GCOEでこのビジネス
らでも容易に実行できる。
れば、このビジネスモデルは来年度か
ぞれの研究代表者の個人的な決断があ
持続可能な
若手研究者育成
同研究として、毎年、博士研究員を数
自らの興味に沿った研究を継続してい
キャリアパス支援のための制度の一
カ月間海外派遣させる﹂といった事業
術振興会の海外特別研究員制度を用い
極めて優秀な若手研究者は、日本学
な投資だったと思う。海外の共同研究
な研究をしているのを見ると、効果的
若手研究者と公私共に交流し、国際的
とおくられた
“See you next winter!”
喜びを話してくれた。彼が、同世代の
て、数年間海外滞在することができる。
くことが期待される。
﹁優秀なものをさらに優秀にする﹂良
同研究の場や実績が増えることはとて
研究者が海外に れ、海外における共
とっても、今までの数倍の日本人若手
と言える。日本の研究コミュニティに
手研究者が共有可能なビジネスモデル
提案している事業は、比較的多数の若
獲得したり、依頼出張を受けたりでき
に研究代表者や分担者として研究費を
さらに、独立した研究者として、自由
万円 α
+ ︵年 金 や定年退職 金 と し て
将来受け取れる分︶を受け取っている。
される︶常勤の助教は、年間約六五〇
三十代後半の︵運営費交付金で雇用
もらっている。
者からは、
“long-lasting
collaboration
︵長期継続する共同研究︶ と
” 表現して
い制度であるが、ごく少数が経験する
も望ましいことと思う。さらに言えば、
る。他方、競争的大型研究費で雇用さ
非日常的感覚でもある。一方、ここで
IFES GCOEのみならず、それ
41
を提案したい。本事業を通じて、国際
図 3 モンゴル草原森林混在域での学生による植生調査.
なければならない業務量︶が一〇〇%
ォート率︵定められた業務内容に充て
万円を受け取る。しかも彼らは、エフ
れる多くの博士研究員は年間約三六〇
の仕組みも、研究代表者の個人的な決
て研究費獲得や依頼出張ができる。こ
〇%で雇用されており、それを利用し
営交付金によってエフォート率五∼二
〇日間の国際サマースクールを実施し
招き、フィールド観測を体験する約一
づくりとして、海外若手研究者を多数
を行いたいからである。このきっかけ
そのような世代を超えた研究者の交流
ル、再来年度はインドネシアにおいて、
施しており、引き続き来年度はモンゴ
ている。すでに今年度はシベリアで実
断で来年度から実行できる。
持続可能な
観測体制
で雇用されるために、自らの発想で研
究を行ったり、外部研究資金を獲得し
たりできない。過激な表現をすれば、
博士研究員の多くは、競争的大型研究
教︵任期付き︶七名、コーディネータ
教︵テニュアトラック︶二名、特任助
GCOEのスタッフとして、特任助
ジションが欲しいと考えた。IFES
ットをそれぞれ緩和できる中間的なポ
かし私は両ポジションの異なるデメリ
あまり問題がないのかもしれない。し
得直後であれば博士研究員であっても
あまりにも大きい。二十代の博士号取
状況である。この両ポジションの差は、
なるだろう。その彼らの弟子が次の世
母国に戻って研究者や環境の実務者に
留学生は日本で博士号を取得した後に、
留学生を大切にしている。なぜならば、
に応じて、IFES GCOEでは、
制の構築が必要となる。こうした背景
には彼らを主体とする積極的な観測体
として、現地の研究者との協働、さら
継続的観測が重要である。当然の帰着
を明らかにするためには、何十年もの
るを得ない。一方、地球温暖化の影響
研究費が途絶えると、観測は終了せざ
チによる国際化である。さらに、観測
者との共同研究とは異なったアプロー
している。これらは、海外の一流研究
インドネシア語のホームページも開設
スを設置し、ロシア語・モンゴル語・
三地域にIFES GCOEオフィ
際シンポジウムも実施している。
育成と国際サマースクールに関する国
加えた四地域を主体︶として、留学生
から日本に招待する相互交流︵日本を
ける国際サマースクールに加え、海外
る。また日本から海外に研究者が出か
新しい取り組みを取り入れつつ実施す
︵特 定 専 門 職 員︶三 名 が 働 い て い る
体制を継続するためには、地元の人々
海外での観測にはお金がかかるので、
︵博士研究員は一人もいない︶
。特任助
代の留学生として、また北大を訪れる。
費に研究者魂を売って雇用されている
教は、年収も中間的なものとして、運
42
の環境意識の向上も重要である。モン
これまでは一つの個別プロジェクトの
研究の双方を必要としており、例えば、
らに予防医学が必ずしも高度医療だけ
臨床医学と基礎医学に通じた﹁地球の
ではなく、個々の健康管理に務めるよ
お医者さん﹂のようなものである。さ
る有用な人材も解雇せざるをえなかっ
うに、環境についても、研究者のみな
終了にともない、事務手続きに関わる
四回のソニン﹁新聞﹂を発刊している。
た。私は、これらの貴重な知識・技術、
ら ず﹁実 務 者﹂も 必 要 と な る。
﹁環
ノウハウは雲散霧消し、これを運用す
観測体制をより長期継続させるため
スモデルとして、プロジェクトユニッ
並びに人材の蓄積を可能にするビジネ
して、地元︵普通の人々︶向けに、年
の試みとして、教員と事務のインター
ゴルでは、自然科学者の素朴な試みと
フェースとなるプロジェクトユニット
境﹂は、まさに﹁健康﹂と同じ包括的
場の研究者や実務者を必要とする。
概念であり、その解決には、多様な立
トを位置付けている。
を設置した。私は、特任助教二名およ
び事務補佐員五名とともに部局事務室
の一角で仕事をしている︵私は係長に
続きは、研究室単位でノウハウの伝承
外での観測研究に係る予算管理・諸手
まさに現代の実学である。環境問題は、
重視﹂というものがある。環境科学は、
北海道大学の理念の一つに﹁実学の
ICA︵国際協力機構︶の専門職員の
た中間支援団体のコーディネータやJ
の環境に関わる諸団体を結びつけてい
COEには、自治体・企業・NPO等
多様な人材という点でIFES G
が行われてきた。これらを一つに集約
個別事情を含む多様なものである。そ
経験者を、スタッフとして迎えている。
持続可能な
環境科学
し、研究者的視点と事務的視点を融合
の解決には、卓越した一人の研究者に
彼らのような民間の人材を大学に迎え
相当する机に座っている︶
。従来、海
させたノウハウの体系化を試みている。
入れることにより、キャリアパスの多
様化を促し、大学内の人材多様性を高
よる万能な研究ではなく、個別事情に
め、チーム・プレーによる研究・実践
精通した数多くの研究者︵実務者︶と
それをコーディネートする研究者との
を促進する試みでもある。
支援する組織を設置することで、個々
チーム・プレーによる研究・実践が必
このような複数の研究活動を一元的に
の教員が獲得した外部研究資金がプロ
要である。
今まで、学外連携は、それに興味が
ジェクトユニットで集約的に管理され
環境科学者は、実践的研究と基礎的
ることとなり、厚みのある持続的かつ
安定的なサポート体制が期待できる。
43
なかった。他方で、IFES GCO
がなく、大学は市民から期待されてこ
限られ、大学という組織的な結びつき
ある研究者による個人的な結びつきに
ター養成ユニット︵ CoSTEP
︶の第五
期受講生として、大学と社会とのあり
る。北海道大学科学技術コミュニケー
私は、今二〇年ぶりに学生もしてい
﹁実学﹂の確立を目指していきたい。
トやサポートの実績を論文業績と同様
雇用の実現︵もしくは、コーディネー
抑え、個人裁量に任せる二〇%を付加
Eは多様な人材を通じ、大学側の窓口
方について学んでいる。
担ってくれることを期待している。環
団体が、我々の代わりに将来の窓口を
構築・強化し、例えば上記の中間支援
ではなく、広く学内外との信頼関係を
我々の活動が大学内で自己完結するの
ティの崩壊が起こりつつある今、IF
みならず、日本における研究コミュニ
ンスである。いわゆるポスドク問題の
んでいるIFES GCOEのエッセ
った教育研究拠点形成に真摯に取り組
以上は、GCOEの本来の趣旨に沿
も研究に専念できる環境を実現するこ
必ずしも優秀ではない研究者であって
日本の科学技術立国の戦略として、
雇用の場が拡大する︶
。
記のスタッフに任せる︵若手研究者の
専念させるとともに、講義や運営は上
には、講義や運営の任を解き、研究に
に評価する体制︶
。
ポートをおこなうスタッフを優遇した
︵2︶研究コーディネートや技術サ
する体制の導入。
として、中間支援団体との信頼関係を
︵3︶大型研究費を獲得した研究者
築きつつある。IFES GCOEは
おわりに
境科学における大学の役割は、
﹁民﹂
ES GCOEの試みを使ってくれる
とで、研究者の層を厚くし、
︵数十年
長くても二〇一二年度末に終了するが、
を加えた産官学民連携による環境問題
方々が増えれば嬉しいと思い、まとめ
優秀な研究者が自然と育つといった、
解決を進めていくために、教員による
﹁隗より始めよ﹂戦略が必要である。
後のノーベル賞が期待できる︶極めて
もし、大学を変えていく立場の方に
他にも沢山あるが、ここで筆をとめて
てみた。
読んでいただけるとすれば、最後にい
おこう。
な発想﹂の提供をしていくことにある。
そ れ に よ り、
﹁市 民 に 尊 敬 さ れ る 大
︵1︶若手研究者をフルタイム雇用
くつか提案したい。
﹁知恵﹂や学生による﹁次世代の柔軟
学﹂を目指さねばならない。さらには、
しても、本務はエフォート率八〇%に
問題解決の実践を通じて、普遍的知見
を 得 る 研 究 ス タ イ ル の 確 立、ま さ に
44
グローバル化と
東アジアの持続可能な発展
植田和弘
な原材料が入手できるのであれば、積
極的に海外でつくられた部品を使用す
るであろう。つまり、最終財の生産は
ある国で行われていたとしても、その
生産に使用されている中間財は別の国
世界経済がグローバル化しているこ
は私たちの生活に多大な利便性を提供
直ちに明らかなように、グローバル化
ーは世界を駆け巡っている。ここから
ることができる。まさに、情報やマネ
時間世界のどこかで開いており取引す
て共通だが差異ある責任を有している。
されているように、気候安定化に向け
国は、気候変動枠組条約において明記
ざるを得ない。周知のように、世界各
を考える際も、新しい論点を生み出さ
このことは、二酸化炭素排出の責任
て普遍的な現象になっているのである。
で生産されているような財は、きわめ
とは誰しも認めることである。経済の
するけれども、常に良い結果をもたら
例えば京都議定書において各国の二酸
京都大学教授
︵環境経済学︶
グローバル化が進展すると、環境問題
すとは限らないのである。米国のサブ
二酸化炭素の排出は
一国では閉じない
に対してどのような影響を及ぼすのだ
プ ラ イ ム・ロ ー ン が 破 綻 し、リ ー マ
そもそも経済のグローバル化とは経
ろうか。
した今日、その二酸化炭素を排出する
ている。しかし、経済がグローバル化
化炭素排出量という場合は、当該国で
環境問題に直接的にかかわることで
生産活動は多くの場合その国内で閉じ
ン・ショックの影響が世界大に及んだ
言えば、世界経済のグローバル化は生
た形で行われているわけではない。あ
済のどういう変化を意味しているのだ
模で一体化することを指している。こ
球化とされているが、まさに地球的規
産施設の世界的再配置として現れてい
る国で二酸化炭素を排出している生産
排出された二酸化炭素の量が推計され
のことは、情報や金融のことを考えれ
にできるところで生産しようとするし、
る。一般に、企業は生産費を最も安価
ことは記憶に新しい。
ばわかりやすい。インターネットは情
活動に用いられた原材料がすべて国産
ろうか。グローバル化は中国語では全
報を瞬時に世界中に伝達することがで
仮に工場立地を変えなくてもより安価
きるし、国際金融センターは一日二四
45
二〇〇〇年になると、日米両国は、財
国々に二酸化炭素排出負荷を負わせて
の輸入国の性格が強くなり、他国にエ
生産活動に伴って排出されている環境
生産に伴う環境負荷を生産国と消費国
ネルギー消費、二酸化炭素排出をさせ
品であるということはむしろ珍しいか
つまり、
﹁あらゆる財の生産には、
のいずれに、あるいはどういう配分で
るようになってきたのである。また中
いたと同時に、他国に替わって二酸化
エネルギーを含む天然資源や原材料
帰属させるべきか、という問題である。
国は、日米両国とは異なり、この間に
炭素排出負荷を担っていた。ところが、
︵中間財︶の投入が必要であり、それ
要するに、世界経済のグローバル化は、
財の輸入国から輸出国へと変容したこ
負荷の責任は先験的に当該排出国にあ
らの中間財の大部分が国産品であれば、
世界を国民国家の集まりとみて環境責
とで、他国の二酸化炭素排出負荷を肩
るということはできず、むしろ当該財
その生産にかかわる環境負荷の発生も
任を分担するという従来からの方式の
もしれない。
国内で完結する。しかし経済がグロー
問題点を明らかにするとともに、環境
代わりする性格が強くなったと分析し
として投入する動きが活発になり、財
負荷の帰属や環境責任の割り当てに関
ている。そして、
﹁アジア太平洋地域
バル化した今日では、輸入品を中間財
の生産過程が複数国にまたがることが
して新しい概念を必要としたのである。
年の一五年間で、日米先進国が他の発
においては、一九八五年から二〇〇〇
普通になってきた。このことは、ある
した環境負荷が内包されていることを
国で生産された財には、複数国で発生
〇年のアジア国際産業連関表を用いて、
上記の研究は、一九八五年と二〇〇
おける二酸化炭素排出量の急増はもち
と結論付けている。要は、東アジアに
わりさせる傾向が一層明確になった﹂
展途上国に二酸化炭素排出負担を肩代
負荷の相互依存﹂森晶寿編著﹃東アジア
アジア太平洋地域における内包環境負
ろん急速な経済成長に伴うものである
東アジアの持続可能な
発展戦略を探る
の経済発展と環境政策﹄ミネルヴァ書房、
荷とその変化について推計を行ってい
二酸化炭素排出負担を肩代わりさせら
が、それだけではなく、日米先進国に
意味﹂する︵下田充他﹁東アジアの環境
二〇〇九年、四〇 五七ページ︶
。
国も財の輸出国であると同時に輸入国
る。一九八五年においては、日本も米
こ れ が 内 包 環 境 負 荷︵ Embodied
︶と 呼 ば れ る 概
Environmental Load
念である。この内包環境負荷という概
で も あ り、他 の ア ジ ア 太 平 洋 地 域 の
れるようになったという構造変化の帰
念が提起する重要な論点は、ある国の
46
質的にはどうか。付加価値でみた東ア
ば高い伸び率を示しているのであるが、
経済面はどうか。経済成長率でみれ
れている。しかも、東アジア諸国から
加価値帰着率が低下する傾向が見出さ
いが、東アジア諸国では、自国への付
は高く、自己完結的な経済にかなり近
本と米国は、自国への付加価値帰着率
アジア地域における経済面での相互依
いた。また、すでに述べたように、東
する性格が強くなったことも反映して
進国の二酸化炭素排出負荷を肩代わり
物というだけでなく、米国や日本等先
素排出量の増加が急速な経済成長の産
環境面での相互依存関係は、二酸化炭
結でもあるのである。
ジアの国際分業構造の変化を分析した
その他地域が多くなっており、所得が
国外に漏出する付加価値の行き先は、
存関係は、貿易面でみると相互依存を
構造の変化﹂同上書、二一 三九ページ︶
東アジア域内に残りにくくなっている。
しも付加価値ベースでの相互依存を高
高めてきたけれども、そのことは必ず
研究︵渡邉隆俊他﹁東アジアの国際分業
は意外な結果を示している。この研究
域は貿易相手としての連携は強まって
めているわけではなかった。さらに、
これらの結果を踏まえて、東アジア地
いるのだが、東アジア地域が独立経済
輸出主導型工業化によって生み出され
は、アジア経済研究所が作成・公表し
の︵中国が内生化されている︶一九八
圏化しているとは判定できないと結論
たアジア太平洋地域の国際産業連関表
五年、一九九〇年、一九九五年、二〇
た付加価値は東アジア域内には必ずし
他世界に流出する傾向を強めている、
もとどまっておらず、米国などのその
付けている。
とまとめられた。東アジアの輸出主導
以上二つの研究結果を総合して、東
〇〇年という四枚の表を用いて、アジ
アジアの持続可能な発展戦略はいかに
型工業化に基づく急速な経済成長は、
ア太平洋地域の国際分業構造の変化を
あるべきか考えてみよう。持続可能な
こうした環境面・経済面における相互
時系列的に分析したものである。
その結果見出された興味深い事実は、
いった個別の切り口での分析は必須で
発展を論ずるには、環境面、経済面と
依存関係の構造変化を伴った脆弱なも
対米国から対東アジア地域へと輸出先
あるが、それだけでは十分ではなく総
貿易面に着目すると、東アジア諸国は、
をシフトさせており、東アジア域内経
を経済成長率のみで評価するのではな
のであった。東アジア地域の経済発展
研究成果を概括すれば、以下のよう
く、構造変化でみた経済成長の様式と
合化の作業がなくてはならない。
になろう。まず東アジア地域における
済の緊密化は進んでいると評価できる
のであるが、所得面からみると必ずし
もそうではないということである。日
47
球温暖化防止への取り組みは、輸出主
簡単に振り返り、オゾンホールの問題
考えてみたい。
いう観点からも評価されなければなら
められなければならない。それは同時
を例として取り上げながら、衛星観測
今後より深められなければならない
に、東アジア共同体の経済的基盤を構
がわれわれにもたらしたものについて
ことは、こうした脆弱性が今回のリー
築するという観点からも必要な作業で
導型工業化に基づく急速な経済成長の
マン・ショックに始まる金融危機の影
あり、国際環境経済関係の再編成が課
背後にある脆弱性を克服する方向で進
響が東アジア地域で大きかったことと
ない。
どう結びついているか、ということで
題となってこよう。
では一九七七年に初の静止気象衛星
観測もおこなわれるようになる。日本
とえばオゾンのような大気微量成分の
ことである。一九七〇年代に入るとた
の雲画像が得られたのが一九六〇年の
ビカメラを衛星に搭載し、宇宙から初
ょうど普及しつつあった民生用のテレ
最初の人工衛星打ち上げのあと、ち
衛星観測五〇年
ある。地球温暖化防止は持続可能な発
展の必要条件であるとするならば、地
グローバルな視点とは何だろうか?
衛星観測がわれわれにもたらしたもの
塩谷雅人
世紀あまりが経過した。今では、気象
ートニク一号が打ち上げられてから半
一九五七年に世界初の人工衛星スプ
いるわけであるが、これは偶然なのだ
環境について考えるようになってきて
ーバルな観点から自分自身を取り巻く
衛星からの視点を持った人類が、グロ
年大きな社会問題となっている。人工
化といったグローバルな環境変化が近
とが可能になったわけである。一九八
の発生にまで り台風の動態を知るこ
ものが、ひまわりの出現によって、そ
くらいの範囲にある台風を捉えていた
ーダーがせいぜい五〇〇キロを越える
までは、富士山頂に設置された気象レ
︵ひまわり︶が観測をはじめた。それ
衛星の雲画像や Google Earth
で見ら
れる画像まで、宇宙から眺めたグロー
〇年代以降は、大気の放射観測、水循
京都大学生存圏研究所教授
︵大気科学︶
バルな情報が私たちの回りにあふれて
ろうか。ここでは、衛星観測の歴史を
いる。一方では、オゾンホールや温暖
48
り高度な衛星搭載測器が開発され、わ
環︵雲、雨、水蒸気︶の観測、大気微
年にわたって衛星観測のもたらしたも
二ページ︶な書籍であるが、過去五〇
出版された︵図4︶
。コンパクト︵一四
のが非常によくまとめられている︵な
量成分の観測などさまざまな分野でよ
れわれに常に新しい地球像を提供し続
お、書 籍 の
最後で少し具体的に紹介したい。
オゾンホールから
学んだこと
みると、1 はじめに、2 宇宙からの
か
www.nap.edu/catalog/11991.html
ら無料で入手可能︶
。目次をたどって
したのは、昭和基地に自ら越冬してオ
はないかという最初の観測事実を提示
極域におけるオゾンが減っているので
ルについて少し振り返ってみよう。南
ここで、人類の直面した最初のグロ
地球観測 初期の歴史、からはじまっ
ゾンの測定をおこなった忠鉢繁氏であ
ーバルな環境問題として、オゾンホー
て、具体的なテーマとしては、3 気
る。彼は、越冬した一九八二年には一
http://
象、4 地球の放射収支と気候システ
〇月のオゾン全量が一九六六年以降の
ファイルは
pdf
けてきた。
二〇〇八年、 “Earth Observations
ム に お け る 雲 と エ ア ロ ゾ ル の 役割、
これまでの観測と比べてきわめて低い
レベルにあることを見いだした。残念
ル な 汚 染、6 水 循 環、7 雪 氷 圏、
8 海洋動態、9 生態系と炭素循環、
ながら、あまりメジャーな雑誌に掲載
5 大気組成 オゾン破壊とグローバ
固
減少のメカニズムにまで踏み込んだ考
されたわけではなかったことやオゾン
土地利用と土地被覆の変化、
体地球、と衛星観測から得られる情報
一般にはそのあとに出た英国のファー
察がなされていなかったことなどから、
って、ここでは衛星観測がわれわれに
結論、の節があ
いったい何をもたらしたのかがまとめ
取れる。最後に、
が実に多岐にわたっていることを見て
11
マン︵ Farman
︶氏らの報告がオゾン
ホールの発見論文として認知されてい
12
られている。これについては、本論の
49
10
from Space: The First 50 Years of
という本が
Scientific Achievements”
図 4 “Earth Observations from Space
: The First 50
Yaers of Scientific
Achievements” の
表紙.
がっていることを強烈なインパクトを
を発揮したわけであるが、その際、わ
を認識してきたといえる。つまり、オ
る。ファーマン氏らは同じく南極にあ
ゾンホールの問題は、これまでの個別
れわれはその必要性を特に意識しなく
異なり、それがまさに半球規模の空間
の学問領域に留まるものではなく、そ
とも分野横断的なアプローチの重要性
データも横目で見ながら、自分たちの
スケールを持っていたことから、その
れはまさに地球システムの一部として
持って明らかにしたからである。原因
観測に確信を持ってこのオゾン減少が
八七年︶
、ロンドン改正︵一九九〇年︶
、
後すぐにモントリオール議定書 ︵一九
物質の放出源とその影響の及ぶ場所が
フロンの増加と関連していることを指
の複合的な理解を要求するものであっ
にもとづき、おそらくは昭和基地での
摘した。
コペンハーゲン改正︵一九九二年︶な
破壊のプロセスそのものは大気化学的
た。もう少し具体的にいえば、オゾン
る英国のハレーベイ基地での測定結果
このときにはすでにオゾンを測定す
の排出制限がなされたことはよく知ら
な問題であるが、なぜ原因物質が放出
どの国際協約にもとづき、特定フロン
れている。現時点では、明瞭なオゾン
源から離れた南極上空で影響を及ぼす
る衛星は地球を周回していたのである
地上観測の後塵を拝することになる。
回復の兆しは未だ明らかではないが、
かという点については、大気力学的な
が、衛星観測にもとづく報告はこれら
衛星観測から得られるデータ量は膨大
観点から輸送の効果についての理解が
必要であり、さらにはなぜオゾンホー
人類が直面した最初のグローバルな環
ルが南極上空に固有な問題なのかとい
境問題に対して、われわれはそれなり
にうまく対応したといえる。衛星から
う点では、南半球極域に固有な大気放
れるが、当時のオゾン観測データに関
しては、あまりに値の小さなものはエ
のグローバルな大気観測データにもと
射のバランスに関する理解が必要とさ
なため計算機を使って機械的に処理さ
ラーとしてはじいていたため発見が遅
づくさまざまな科学的事実が、これら
融合することによって、オゾンホール
の論議を推進した大きな原動力となっ
という大きな問題が解決に至ったとい
れたという話が残っている。しかしな
科学的な観点からオゾンホールの問
がらいったんデータが現れると、衛星
題を考えたとき、まさにその 解きに
れる。こういった分野横断的な知識を
分布は驚くべきものであった。昭和基
える。
たことは疑いない。
地やハレーベイ基地など一点で見てい
衛星からのグローバルなデータが威力
観測の描き出すグローバルなオゾンの
たオゾンの減少が、南極大陸規模で広
50
測要求に答える形で卓越した測器が開
さった成果である﹂
。科学側からの観
進歩は、科学と技術がうまく組み合わ
﹁宇宙からの地球観測による科学の
であろう。
視点も、衛星観測があってこそのもの
いるグローバルに物事を捉えるという
う。また、今でこそ当たり前になって
地球科学の発展はなかったことであろ
その通りで、衛星観測がなければ今の
学を新たな時代へと導いた﹂
。まさに
像は、多くの学問領域にわたる地球科
﹁衛星から得られるグローバルな描
ので紹介したい。
めており、非常に印象深い記述が多い
われに何をもたらしたかについてまと
めた本の最終章では、衛星観測がわれ
先に話した衛星観測の五〇年をまと
測によって、われわれの地球を支配す
﹁過去五〇年間の衛星からの地球観
うに思える。
い、というようなことを言っているよ
報を引き出すのはなかなか容易ではな
取っかかりのないところから必要な情
のでそれはそれで理解は進むが、何も
かりやすく多面的な情報を持っている
答えが分かってみると衛星データは分
う気がする。それに対して、ある程度
を膨らませるものなのではないかとい
者はしっかりとデータを眺め、想像力
ったように、一点での観測の方が科学
たとえばオゾンホール発見の歴史にあ
をしてきたとは書いていない。実は、
いと思う。必ずしも衛星観測が大発見
この記述が、私としては実に味わい深
わたって理解できるようになった﹂
。
れまで知られていた現象がより詳細に
﹁さまざまな衛星観測によって、こ
し上げてきたといえる。
問題の解決には必要なのではないだろ
つどちらの観点も現代のグローバルな
衛星観測を使いこなす構想力、この二
現場観測から呼び起こされる想像力と
物事を統合的に理解できる強みもある。
あるだろう。もちろん、衛星観測には
決の歴史から、心にとめておく必要が
を、たとえばオゾンホールの発見と解
像力を削いでしまう危険性もあること
あまりにも膨大な情報量が科学者の想
と私は関連づけて考えてしまうのだが、
理解できるようになった﹂という記述
られていた現象がより詳細にわたって
観測ではあるけれども、
﹁これまで知
ったともいえるかも知れない。
ーバルな課題を認識せざるを得なくな
われは地球環境問題に代表されるグロ
きたともいえる。また結果的に、われ
分野横断的な見方・センスを要求して
断的に進んだ﹂
。衛星観測は必然的に
グローバルな問題の
解決に必要なのは
発され、それから得られるすぐれた観
るダイナミックな過程の理解が分野横
うか。
このように、神の眼ともいえる衛星
測データが、さらに科学のレベルを押
51
あなたがそばにいてくれるなら
を生きている人が﹁死への生﹂にある人に対
不可能になった先進国に対して、開発途上国、
第一三号では、少し皮肉っぽく、そして擬
いや開発不可能国が、そっとそばにいて心を
してのものであるから、サステイナビリティ
姿だとたとえてみた。しかし一方、
﹁死への
癒してあげることにでもなろうか。確かに、
人化して、サステイナビリティの追求とは、
生﹂への関わり方としてのターミナルケアが
先進国の我々は開発不可能国の長閑なたたず
の追求における﹁いる﹂ケアとは、近代化さ
通常の﹁生への生﹂にとっても意味をもつと
まいに心癒されることもある。そして、安心
れて大量生産・大量消費を続けたあげく持続
いうことにも着目した。そして、ターミナル
して滅びの道を進んでいく⋮⋮というのでは
間が﹁生への生﹂を続けようとあがいている
ケアで重視される患者のそばに﹁いる﹂ケア
サステイナビリティの追求にならないではな
﹁死への生﹂に落ち込みそうになっている人
を、サステイナビリティの追求において見出
いか。そもそも開発不可能国が何でこんなこ
せないかということで今号につなげた。
ところで、このような類推が意味をもつの
んでいるのに対し、そんなことができなかっ
近代化を進めた社会が﹁死への生﹂の道を進
うだろう。平均寿命ということであれば、総
そこに生活する実際の人間に即して言えばど
では、擬人化された社会、地域ではなく、
とをしなくてはならないのか。
た﹁弱い﹂地域では、
﹁強い﹂国々の進出さ
うことなる。では、先進国の人々にこそ、開
じて、先進国の方が開発途上国より長いとい
は、先号の表現を使えば、
﹁強さ﹂をもって
えなければ、しばらくは﹁生への生﹂を歩ん
発途上国の人々に﹁いる﹂ケアをすることが
で行けそうに見えるところにある。こう見て
取るならば、ターミナルケアは﹁生への生﹂
連載
エッセイ
52
望まれるのであろうか。答えは否であろう。
生きている。
たがそばにいてくれるなら、私はいつまでも
なっている限りで生の共有が持続する。あな
人間、誰もがいつかは死ぬ。人間の生に永
自分たちの医療技術、公衆衛生施策、そして
栄養状態改善のための方策を、開発途上国の
遠のサステイナビリティを求めることはでき
ここで先進国の人々に求められているのは、
人々のためにも用いる、つまり﹁する﹂ケア
った誰某では期待できる生の長ささえも異な
に生まれ育った誰某と開発途上国に生まれ育
の存在である。別の生を歩む。まして先進国
ない。そして、一人一人の人間はそれぞれ別
ティの追求においては﹁いる﹂ケア的な関わ
る。しかし、それでもなお、サステイナビリ
しかし、だからといって、サステイナビリ
である。
﹁いる﹂ケアが意味をもつとすれば、すな
りは意味をもたないことにはならない。
ティを追求するとはどういうことか。何のサ
一つの答えは生の共有のサステイナビリテ
わち、た だ 間 近 に 存 在 し て い る と い う﹁関
ィであろう。各々に異なった来歴を経て、今、
ステイナビリティを追求するのか。
いに二人称的に存在している場合である。こ
係にある二人︵以上であってもよい︶が、互
交差するあなたと私の生。その今、ただそば
係﹂性が重要な意味を持つとすれば、その関
のケアの﹁効果﹂は、そばに﹁いられる﹂側
に﹁いる﹂だけで生が共有される。そんなこ
れこそがサステイナビリティを追求するとい
だけでなく、そばに﹁いる﹂側にも生じる。
うことであり、そのためには何をすることが
とが、先進国の人・開発途上国の人といった
歩もうとする人との間に、現在における生の
必要かを探るのがサステイナビリティ学であ
区別なく生じうる社会を築いていくこと、そ
共有が起きることがある。この現在における
53
の生﹂にある人とずっと続く﹁生への生﹂を
共有された生においては﹁死への生﹂と﹁生
ろう。
城大学教授
(哲学・倫理学)
このような時、逝くことが見えている﹁死へ
への生﹂の区別はなくなり、この区別がなく
木村 競
﹁思い込み﹂が思わぬ波乱を生じることが
で あ る が、
﹁趣 味﹂の 欄 に﹁バ イ オ ソ ン 演
ー﹂と一人感心しながら履歴書を見ていたの
思い込み
ある。
﹁バイオソン?﹂初めて聞く名詞である。
奏﹂と書いてあるのを見つけてはっとした。
でも﹁演奏﹂と書いてあるからには楽器であ
研究室で、秘書を一人雇うことになったと
ちのような弱小研究室でも、職安︵心ある日
ろう。
﹁バイオソン、バイオソン﹂とつぶや
きのことである。景気の悪いときなので、う
名称で呼ぶのは止めよう︶に募集を出すとた
本人なら﹁ハローワーク﹂などと意味不明な
ちまち数十もの履歴書が送られてくる。いず
を使った楽器であろう。すばらしい! 私も
く私の脳裏に﹁ ﹂と﹁ sonic
﹂という英単
bio
語が浮かんだ。つまり、
﹁生き物﹂の﹁音﹂
れ劣らぬ逸材で、
﹁こんなすごい方に来てい
には同じような思いを持つ人がたくさんいる
虫や鳥の声を聞くのが大好きなのだ。世の中
のだと思うと、うれしくなった。
﹁なんとか
ただいても、私の机の上の散らかり具合を見
うな経歴の持ち主もいる︵余談であるが、以
してこの美しい自然の音を楽器にできない
たら一日で辞めてしまうだろうな﹂と思うよ
前新聞記者をしていたころ、机の上があまり
か?﹂と考えて、開発した人がいたのだ。
とある大手企業に勤務していた方のものがあ
さて、送られてきた履歴書の中に、かつて
想像力に恵まれた私の脳裏に、大きな虫かご
き物の声を集めて演奏させるのか?﹂すると、
どうやって、たくさんの虫や鳥やその他の生
しかし、次に疑問が浮かんだ。
﹁いったい
に散らかっていたため、同僚から﹁最終処分
った。詳しく書けないのが残念だが、とにか
にたくさんの鳴く虫たちと、別のかごにたく
場﹂という立て札を立てられたことがある︶
。
くすばらしい経歴であった。私は﹁ほー、ほ
連載
エッセイ
54
さんの色とりどりの鳥たちが入っている光景
書いてあるんだから、バイオリンとしか読め
って書いてあります。それに、
﹃演奏﹄って
なんということか。私の自然を愛する心が
ません﹂と言った。
仇となって奇妙な思い込みを生じ、貴重な時
を食べてしまうからだ。なるほど、いろいろ
な鳴く生き物を集めておいて、それを演奏に
間をあれこれと想像してつぶしてしまう、と
が浮かんだ。一緒のかごに入れると、鳥が虫
使うのか。それにしても、どうやって音階や
いう結果を生んでしまったのだ。そうだよね、
ウグイスをきれいな声で鳴かそうと思ったら、
タイミングを合わせるのだろう。誰か最近の
かごの中を春の気候にして恋の季節を感じさ
音楽情報に詳しい人はいないか⋮⋮。
私は履歴書を手に、部屋にいる秘書に聞い
せないと鳴かないもんね、虫の恋の季節は秋
だし、鳥と虫を一緒には鳴かせられないよね、
のねえ。バイオソンって、どんな楽器なんだ
ろう。知ってる?﹂と感激も露に語りかけた。
と一人納得した。
てみた。
﹁今の人はいろんな楽器を演奏する
するとその秘書、一目見るなり﹁もう、何言
それにしても、自然界の音で楽器ができた
らどんなに楽しいだろう。私のいる千葉大学
っているんですか。
﹃バイオリン﹄じゃない
ですか!﹂と一蹴したのである。
柏の葉キャンパスの中は自然︵といっても、
かに﹁バイオソン﹂と読めたのである。それ
イオリン﹂としか読めない。しかし最初は確
列が飛び込んできた。こうなると、もう﹁バ
今度は間違いなく﹁バイオリン﹂という文字
ど ん な だ ろ う。だ れ か 開 発 し ま せ ん か?
などを録音したCDはよくあるが、楽器だと
ん飛んでいる。自然の川のせせらぎや鳥の声
にはギンヤンマなどの美しいトンボもたくさ
ウサギなどが跳ね回る野生の王国である。夏
かつての農場だが︶が豊かで、キジ、タヌキ、
千葉大学助教
(リスクコミュニケーション)
﹁バイオリン ﹂思わず叫んだ私の目に、
で、他のスタッフにも履歴書を見せて﹁ねえ、
﹁バイオソン﹂
。
55
これ、
﹃バイオソン﹄て読めるよね﹂と言っ
て回ったが、皆例外なく﹁いえ、バイオリン
戸髙恵美子
?!
学は、秋の夕暮の美学に変わっていったとい
平安末の時代、それまでの花か紅葉かの美
景には、道元の禅があったとの指摘がありま
意識にかなうものとして語られています。背
く清かれ﹂
﹁こほり・つらら・霜﹂などが美
確かにここには、
﹁冷え寂びたるかた﹂
﹁寒
春はいかに到来するのか
います。有名な﹁三夕の歌﹂がありますが、
す。唐木順三です。道元には、
﹁春は花夏ほ
その代表は次の歌でしょう。
見わたせば花も紅葉もなかりけり
ととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり﹂
の歌があり、
﹁礼拝﹂と題する、
﹁冬草も見え
の紅塵、飛びて到らず、深山雪夜、草庵の裡﹂
。
浦のとまやの秋の夕暮れ
藤原定家
さらに時代が鎌倉から室町へと進むと、冬
それらは、道元が晩年に住した、越前山中
ぬ雪野の白鷺はおのが姿に身をかくしけり﹂
悟り知れとなり﹂︵﹃ささめごと﹄︶
。
﹁
︵歌のす
の冬の景色を映したものなのでしょう。と同
の美学が現われたといいます。その代表は、
がたについて︶水精の物に瑠璃をもりたるや
時に、坐禅そのものの境涯が、一面の雪の世
という歌もあります。また、ある漢詩には次
うにといへり。これは、寒く清かれとなり﹂
界や氷の世界に通い合うものがあったからで
連歌の心敬でしょう。心敬の言葉に、次のも
︵同前︶
。
﹁こほりばかり艶なるはなし。苅田
はないかとも思います。というのも、たとえ
う、月に釣り、雲に耕し、古風を慕う、世俗
の原などの朝のうすこほり、ふりたるひはだ
ば白隠は坐禅の境涯に関して、次のように言
のようにあります。
﹁西来の祖道、我れ東に伝
の軒などのつらら、枯野の草木など露霜のと
のがあります。
﹁
︵歌の詠み方について︶これ
ぢたる風情、おもしろく、艶にもあらずや﹂
っているからです。
﹁若し人、大疑現前する
は言はぬ所に心をかけ、冷え寂びたるかたを
︵
﹃心敬僧都ひとりごと﹄
︶
。
連載
エッセイ
56
ず、了智を添へず、一気に進んで退かざると
に、分外に皎潔なり。⋮⋮此の時恐怖を生ぜ
如く、瑠璃瓶裏に坐するに似て、分外に清涼
あらず、死にあらず、万里の層氷裏にあるが
時、只四面空蕩蕩地、虚豁豁地にして、生に
然とはづれはづれにあるは、うづみ尽したる
のとまや同意也。さて又かの無一物の所より、
なき山里に成りて、さびすましたまでは、浦
も紅葉も、ことごとく雪が埋み尽して、何も
や﹂の歌に託しています。
﹁去年一とせの花
待らん人に山ざとの雪間の草の春を見せば
雪の、春に成りて陽気をむかへ、雪間のとこ
をのづから感をもよほすやうなる所作が、天
ろどころに、いかにも青やかなる草が、ほつ
きんば、忽然として氷盤を擲摧するが如く、
見ず、未だ曽て聞かざる底の大歓喜あらん﹂
ほつと二葉三葉もへ出でたるごとく、力を加
玉楼を推倒するに似て、四十年来、未だ曽て
に見る冬の景色に感応して、道元は冬の美学
へずに真なる所のある道理にとられし也﹂
︵
﹃遠羅天釜﹄
︶
。こうした坐禅の境地が、実際
を語るようになったのでしょう。
ちの真実があるというのです。ひとたび差
梅の花がほころぶ、そこに自己の真実、いの
言っています。一面の雪のなか、一輪二輪、
の巻に、
﹁雪裏の梅華は一現の曇華なり﹂と
くるでしょう。道元は、
﹃正法眼蔵﹄
﹁梅華﹂
たりなば春遠からじ、必ずや、春がめぐって
境には冬の季節があるのみで、もはや春は来
ません。今日、もしかすると、地球の自然環
てきたことにも、我々は注意しなければなり
て、結果的に、どこまでも自然を侵し破壊し
然はおのずからよみがえるという思いに甘え
のようです。しかしながら、日本人はその自
こうして、自然には力強い復元力があるか
︵
﹃南方録﹄
︶
。
別・分別を否定した平等の境地に入って、覚
を迎えるのに、地球に対しどうすればよいの
ないのかもしれません。我々は真の春の到来
東洋大学教授
(仏教学)
冬は、しかし冬にはとどまりません。冬来
りをえたら、もとの自己によみがえる。身心
か、十分に考えていく必要があるようです。
57
を脱落したら、脱落した身心によみがえると
いうのです。このことを利休は、
﹁花をのみ
竹村牧男
味いものが食べられると聞くと、たいていの
ンツのために高いモチベーションが働く。美
ることについては、このようなニーズとウォ
しいものを食べたいという欲求がある。食べ
ヒトは食べないと生きていけないし、美味
け込む。それだけではない。
﹁スプーン要る
に入れる。そうして地域の生活や暮らしに溶
きは、現地の作法に従って素手で食べ物を口
らは、インドネシア人と一緒に食事をとると
学の研究を行う。文理融合の活動である。彼
研究所のメンバーは地域研究と称して社会科
然科学の研究を行うのに対して、東南アジア
食べる幸せ
の本能の中で最も強力なものだろう。
の?﹂と、暗に私にも素手で食べることを勧
ヒトはそのことで夢中になる。食欲は、ヒト
イスラム教で毎年行う断食︵ラマダン︶は、
きる。
﹁今日一日よく我慢したなあ﹂と言い
飲み、そしてホッとして食事をとることがで
ん我慢して断食し、日が沈むとやっとお茶を
にもかかわらず、水さえも飲めない。さんざ
う。朝起きて日が沈むまで、熱帯地域は暑い
で分け合って食べる。中国人は話し声が大き
ばれてくる料理を見て欲しいものを取り、皆
と意志統一をして店に入る。席に着くと、運
べる。異質な雰囲気の中で、皆で﹁行くぞ﹂
れも現地の中国人が行く店に入って飲茶を食
米国に行くと、昼食は中国人街の中で、そ
めるのだ。
ながら、家族で夕食を囲む感慨は想像以上だ
いので、各テーブルから騒々しい声がワーワ
実質的には家族の絆を深めるためのものだろ
ろう。家族だけでなく、イスラム教徒同士の
日本人同士の会話は聞き取れないので、黙っ
ー入ってくる。工事現場に近い騒音である。
グローバルCOE活動のおかげでインドネ
て食べるだけとなる。時々満足した笑顔で、
連帯感も強くなる。うまいやり方だ。
シアで食事をする機会が多くなった。私が自
連載
エッセイ
58
ーの強い連帯力は、こんなところから生まれ
出しているようにさえ見える。彼らファミリ
のテーブルのファミリーに負けまいと大声を
事をとれない。各テーブルの中国人たちは他
うなずき合う。ここでは、日本人は独りで食
のが難しいなどと話合いながら食べる。カナ
格闘する。どこまで食べたとか、ここを開く
が格闘しながら食べる。家族や友人も同列で
美味いから頑張ってしまう。まさに一人一人
匹丸ごと一人で食べるのは結構骨がおれる。
焼くと一匹食べるのに四〇分はかかる。終わ
ダ産のものは身が締まっているので、炭火で
フランス料理が最高だとは思わないが、や
った後は皆疲れ果てて黙ってしまう。沈黙の
食材は良いものを使っているだけに、何でこ
あるいは友人が一緒だと楽しく食事ができる。
ことごとく不味かった。しかしながら、家族
たことはないが、入ったレストランの料理は
人と普段の食事の中でも共有していきたい。
生じるためだ。そんな素朴な感動を家族や友
物に対する憧れは皆同じで、食べると共感が
に食事をとると、思い出がまた増える。食べ
かしいね﹂と会話を交わすだけでなく、一緒
る旅は楽しい。久しぶりに会った友人と﹁懐
京都大学生存基盤科学研究ユニット研究フェロー(生存圏研究所准教授)
(樹木分子生物学)
るのかも知れない。
はりパリに行くと食べ物は美味しい。レスト
連帯感が生まれる。
んなに不味く料理できるのかと驚き合うのだ。
家庭では、毎食同じ料理が続くと、私は妻に
家族や友人と一緒に未知のレストランを巡
ランを探して皆で食べる楽しみは格別である。
美味しい食べ物を共感できる喜び、不味い食
愚痴を言う。妻は早く帰宅して皆と一緒に食
英国はノーウィッチとリバプールにしか行っ
ロブスターの炭火焼きについては述べない
事をとれと言う。そんな現実の中で、ヒトの
べ物を共感できる連帯、それぞれに楽しい。
といけない。カナダのケベック州には専門店
幸せは、食べることを通じて最期まで一緒に
楽しく食事をとることのできるヒトがいるか
どうかで決まる、そんな気がする。
59
が多い。ボイルせずに生きたまま炭火で焼く
と、日本人好みの味になる。必ず “charcoal
で注文する。大きいロブスターを一
baked”
林 隆久
パウ・ブラジル樹
Ⅰ
ダー︵スペイン語読みではハカランダー︶があり
ます。薄紫の花で、雨期の到来とともに一斉に開
がブラジルという名の由来となったといいます。
ッサの短縮︶のような樹︵パウ︶の意味で、これ
ポルトガル語で、熱せられた炭火︵ブラジルブラ
われるイスタシワトル山が澄んだ青空にくっきり
に似た雄壮なポポカテペトル山と眠れる美女とい
ンディオの村のジャカランダーの並木は、富士山
で熱帯の桜といってよいほどです。メキシコのイ
花し、二週間と持たずに散るその可憐さは、まる
赤い染料を取る貴重な木で、植民地時代には重要
と描かれた青色の墨絵に、薄紫の霞を添えるよう
︶は、
な交易品として珍重され、またバイオリンの弓に
な美しさがあります。両山に挟まれた峠は、かつ
パウ・ブラジル樹︵
使用される高品質の木材で、いま絶滅危惧種に登
ただしい流血の惨事が繰り広げられたところです。
てスペインの征服者コルテスがアステカの都市テ
それらの村の一つで、薄い朝霧の中に見るジャカ
ィノティトランに攻め入って、途中の村々でおび
陸から、パウ・ブラジル樹や胡椒を持ち帰り、一
ランダーの薄紫ほど心に滲みてくる風景はめった
は、
﹁かつては、人々はインド諸国やアメリカ大
つの文明の感覚中枢の鍵盤に、新しい音域を付け
にありません。
録されています。クロード・レヴィ ス
= トロース
今 福 龍 太﹃サ ン パ ウ ロ へ の サ ウ ダ ー ジ﹄み す ず 書
たくしもブラジルに来てジャカランダーの妖しい
ブラジルと関わりの深い詩人吉増剛造は、
﹁わ
加えたのである﹂︵クロード・レヴィ ス
= トロース、
房︶と述べていますが、西欧の欲望が国名となっ
た、珍しい例といえます。
0
0
0
0
響きと美しさをみて茫然としていましたが、見者、
0
中南米で日本人にとって印象的な花といえば、
もう、この人、とてちて賢者⋮⋮。途方もない人
0
中南米に自生するノウセンカズラ科のジャカラン
連載
エッセイ
60
しがいまいおうとしているブラジルの土の声なの
割位は近づけるようにかんじます。それがわたく
なんべんさびしくないと云ったところで
もうけつしてさびしくはない
馬車が行く
馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立つていく
次の詩を引用しています。
かも知れないのです﹂と書いています︵﹃ブラジ
けれどもここはこれでいいのだ
またさびしくなるのはきまつてゐる
です。くるみの木に、ジュグランダーなんて造語
ル日記﹄書肆山田︶
。ここにでてくる見者、賢者と
して、名付けているのですね。でもその力に、八
は、宮沢賢治のことです。
ひとは透明な軌道をすすむ
すべてさびしさとかなしさとを焚いて
るというのは、吉増剛造ばかりでなく驚嘆です。
宮沢賢治が中南米のこの花を詩に読み込んでい
この花を知っているということは、中南米におけ
ラリックス
ラリックス
いよいよ青く
雲はますます縮れて
吉増剛造が﹁宮澤賢治さんが、もしもブラジル
る日系移民の神髄を知り得ていたということです。
に⋮⋮、賢治さんの移民についての考えを調べる
かつきり道は東へまがる
と断言し、
﹁賢治さんはチェロやオルガンを弾か
て、
﹁賢治の大地とブラジルは似ているのです﹂
と判って来ると思います﹂と指摘するように、ジ
北海道大学大学院教授
(根圏環境制御学/植物栄養学)
吉増剛造は宮沢賢治にブラジル的香りをかぎ取っ
れたし、もしこんな人が、
〝荷馬車︵カロッサ︶
〟
ャカランダーを知っていた宮澤賢治は、ブラジル
吉増剛造は﹃ブラジル日記﹄で、ブラジルと関
や〝植民地︵コロノ︶
〟や﹃星流る﹄に触発され
わりの深い作家として、島崎藤村、石川達三、三
や移民について興味以上の強い関心を持っていた
と修羅﹄の﹁小岩井農場﹂の終わりのところにつ
島由紀夫、北杜夫、岡松和夫をあげています。島
と考えてよいでしょう。
いて、
﹁終り方といゝますか、心象の⋮⋮といゝ
のだと思います﹂と述べています。さらに、
﹃春
ますか、最後の行はなんともいえずに、胸騒ぎを
崎藤村とか三島由紀夫とか、なかなかブラジルと
61
ていたら、という想像も、充分に成り立ち得るも
誘うような不思議な、途絶え方です﹂と述べて、
大崎 満
航海の途で寄港した地でもほとんど日本人関係者
態で、あとは移民に講話をたれたとあるだけです。
との交流はなく、床屋を通して移民の様子を窺う
もそも、リオ・デ・ジャネイロ丸においても移民
ますが、まるで外国の香りがしないことです。そ
この紀行文には、外国の地名がふんだんに出てき
の日系植民者を訪ねる紀行文です。不思議なのは
国際ペン大会に夫婦で出席し、その帰途ブラジル
アルゼンチンのブエノス・アイレスで開催される
ロ丸に乗船して、マラッカ海峡、喜望峰を回って、
ルとパラグアイに移民を運ぶリオ・デ・ジャネイ
﹃巡禮﹄︵岩波書店︶は、一九三六年七月にブラジ
のであろうかとの興味がわきます。島崎藤村の
結びつかず、いったい彼らはブラジルをどう見た
賢治はブラジルを訪れずにブラジルの神髄をつか
たということでしょうか。それにつけても、宮澤
という混沌とした異界が両文豪を寄せつけなかっ
臭がきれいに抜けている感じがします。ブラジル
﹃巡禮﹄同様、まるでブラジルの香りというか体
舞台が変われば代替のきくものです。島崎藤村の
ますが、それとてこの戯曲の本質的因子ではなく、
縛を象徴し、ブラジルの印象的な装置は備えてい
を象徴し、ジャカランダーの花が血︵血統︶の呪
れない巣が、貴族くずれの移民家庭の退廃と崩壊
ち林立する白蟻の巣、一度放棄したら二度と使わ
ん。舞台装置として、ブラジルの荒野にそそり立
らもブラジルの自然と社会が全く伝わってきませ
ジルを舞台にした日系移民の戯曲ですが、これか
み得ていたらしいということに驚嘆します。
後に構造主義哲学で有名になるフランスのC・
を訪ねるばかりで、ブラジルでも日系社会を訪ね
歩くばかりです。しかも、移民社会にもブラジル
藤村が航海する一年前にブラジル派遣教授として
サンパウロ大学に三年間派遣され、その間に奥地
レヴィ ス
= トロースが、一九三五年、つまり島崎
のインディオ社会で実施した調査などをもとに、
社会にも入り込まないで、まるで高みの見物です。
るで千曲川の川下り紀行といってもよいかもしれ
その後の旅と哲学的思考の過程も含めて一九五五
外国地名を適当な日本地名に書き換えたなら、ま
は書きようもありません。
年に﹃悲しき南回帰線﹄が出版されます。レヴィ
ません。熱気と混沌と希望と挫折のブラジル社会
三 島 由 紀 夫 の﹃白 蟻 の 巣﹄︵新 潮 社︶は、ブ ラ
連載
エッセイ
62
したら、これはひとえに、
﹃悲しき南回帰線﹄の
を全うしました。私が熱帯にのめり込んでいると
まれ、二〇〇九年一〇月三一日に一〇〇歳の天寿
植民が開始された一九〇八年の一一月二八日に生
ス
﹁笠戸丸﹂による日系ブラジル
= トロースは、
再構築しようと巡った、文明の﹁巡礼﹂紀行文と
状況を背景に、新たな価値基準を西欧の外側から
く﹂
、
﹃悲しき南回帰線﹄とは、西欧文明の危機的
ていく途上のテーマとしてはあまりにも﹁悲し
いて論じたとあります。アメリカになかば亡命し
の美と絶対的新しさとの間にみられる関連﹂につ
いて、退屈しのぎの手紙のやりとりで、
﹁芸術上
して読めるほどです。ほぼ同時期に島崎藤村がし
魔力によるものかもしれません。そういった魅力
や文化人類学の思考を練る過程において、詩に近
たためた、ブラジル移民同胞を相哀れむ紀行文
がこの﹃悲しき南回帰線﹄にはあり、それは哲学
い直感で西欧文明を切り刻み、料理してみせる筆
かけている思い出をかき集めようと精をだすこと
われの欲望はじりじりして、われわれは半ば腐り
発酵作用によって変質している。そのためにわれ
さとは、怪しげな、かびくさい臭いをともなった
永遠に乱している。熱帯の香りと生きものの新鮮
度に神経をたかぶらせている一文明が海の静寂を
ぱっと開いてみたページから﹁異常に発達し、過
感覚と知性を一致させる思考で、この﹁野生の思
く多様な動植物とその環境世界を注意深く観察し、
の思考﹂は、五感を動員して人間社会ばかりでな
ではなく、レヴィ ス
= トロースが名づけた﹁野生
う。それは、日本の作家が劣っているということ
しても、その落差を埋めることはできないでしょ
苦闘を描いた秀作﹃蒼茫﹄︵一九三五年︶をもって
茫然とさせられます。石川達三のブラジル移民の
力によるかもしれません。その味わいは、例えば、 ﹃巡禮﹄と読み比べてみると、その無限の落差に
になる﹂︵室淳介訳、講談社学術文庫︶といったよ
一九四一年にレヴィ ス
= トロースは今度はアメ
賢治はこの﹁野生の思考﹂に近い﹁野生の感性と
出すということなのでしょう。そうすると、宮澤
考﹂が、
﹁飼い馴らされた思考﹂を見事にあぶり
リカ合衆国に渡航しますが、この船にはシュール
想像力﹂を有していたということでしょうか。
うな無数の刺激的な文から得られます。
レアリズムの旗手アンドレ・ブルトンも乗船して
63
しているのはわかりましたが、このだだっ広い都
64
わりました。いろいろ旅をして歩いていると、不
した。郊外に大型の駐車場があり、専用レーンを
思議なことに出くわすことも多いのですが、クリ
クリチバ︵ Curitiba
︶市はブラジル南部の標高
九三〇メートル程の高地に位置し、パラナ州の州
走る二∼三連結のバスに乗り換え、市内の広い車
Ⅱ
都です。ここには、生きた化石で、口髭を横にぴ
ーブ型のバス停も印象的でした。都市が車を拒否
道には車が走っていません。バリアフリーのチュ
市でなぜ車を拒否しているのか、全く不思議な光
チバ市もその一つで、全く奇妙な街という印象で
︶の 広 大 な 純 林 が
かつてはありましたが、今はぽつりぽつりと残る
景でした。
マ ツ︵
んと張ったような独特の枝ぶりの悠としたパラナ
のみで、悠久の時間の最後を迎えているような寂
しばらくしてから、クリチバ市は世界に先駆け
しさがあります。クリチバは、先住民が使ってい
たトゥピ語の
た﹁環境共生型都市﹂であることを知りました。
世界に先駆けた﹁環境共生型都市﹂を構築できた
不思議は氷解しましたが、しかし、なぜこの街が
︵マツ・多い︶あるい
Coré Etuba
は Kurit Yba
︵マツ・大きい︶から転じたといわ
れるパラナマツの名に由来する街で、木工手芸品
のかはいまだに疑問であります。世界的な潮流に
も豊かで、個人宅を訪ねても木に対する愛着には
並々ならぬものを感じさせます。
抗って、街の繁華街から自動車を排除してのこと
大切にする街づくり﹂マスタープランを策定し、
このクリチバは、一八六七年から本格的なヨー
一九八九年に環境都市を宣言し、公共交通システ
推察されます。クリチバ市は一九六五年に﹁人を
学︶が一九一三年に設置されました。一九九六年
ム以外にも緑地面積を大幅に確保し、家庭ゴミを
ですから、その背景にはよほどの事情があったと
にパラナ連邦大学の日系のI教授の招きで講義を
ロッパ系移民団の受け入れが始まり、ブラジル初
おこない、パラナ州の農業や生態、特に保護区と
分別回収していく等、そのときの行政の理念と情
の大学となるパラナ大学︵現在のパラナ連邦大
なっている原始のすばらしい雲霧林などを見てま
連載
エッセイ
く理解できます。しかし、そもそも何が住民を突
リチバ市長の都市再生術﹄︵丸善︶等を読むとよ
熱は、ジャイメ・レルネル﹃都市の鍼治療 元ク
いうのは言い過ぎでしょうか。
ツがクリチバ市民に環境の重要性を気づかせたと
そんなことから、クリチバの名の由来のパラナマ
強烈で︿サウダージ﹀を感じさせないでしょうか。
ブラジルは、一六世紀から一九世紀初めまでポ
き動かし、行政にそうさせたかについては、行政
の手柄話からごっそりと抜け落ちています。
らの言葉に共通性が見られることであると述べら
︿あわれ﹀は翻訳不能と言い、興味深いのはこれ
特の言葉で、翻訳不能であるといい、日本人も
ウダージ﹀という言葉はブラジル人はブラジル独
ませんが、新しい可能性を秘めています。メキシ
で融解し、それはいまだ混沌としているかもしれ
構成はきわめて多様となり、一層︽るつぼ︾の中
ッパ系、中近東系、アジア系の住民を加えて民族
した。ブラジルは、独立後さらに流入したヨーロ
の混血が進み、人種は︽るつぼ︾の中で融解しま
のインディオや奴隷として連れてこられた黒人と
れています。この言葉は、人にはあまり使われま
コの詩人、オクタビオ・パスは、西欧から眺めた
ルトガルの植民地で、ポルトガル系白人と先住民
せんので、
︿もののあわれ﹀に近いと思います。
C・レヴ ィ ス
= トロース、今福龍太の﹃サンパ
この世界的には翻訳不能な、
﹁失われたものへの
文化人類学でない、ブラジルの原住民の視点を力
ウロへのサウダージ﹄︵みすず書房︶の序に、
︿サ
哀惜の感情﹂をブラジル人と日本人が共有してい
点として、西欧の伝統的思考を解体していくレヴ
リカ合衆国を捉えなおしていきます。四〇年前に
るというのは大変興味深い指摘です。生きた化石
も な り ま す が、パス は﹁この 国︵アメ リ カ合衆
論じることにより、ラテンアメリカの視点でアメ
ツの純林がクリチバに広がっていて、それは想像
国︶は排他的普遍主義によって、すなわち、ピュ
ィ ス
= トロースに惹かれ、レヴィ ス
= トロースを
するに、神秘的としかいいようのない風景だった
のパラナマツは、独特の枝ぶりで類似の樹木は世
と思います。一般の樹木と容姿があまりにも異な
ーリタニズムとそこからえられた政治的・思想的
界にありません。かつては、この太古のパラナマ
るために、ぽつりと、最後を迎えつつある印象は
65
スの慧眼に基づいてそれをモデルとして分類して
く巨人のようなものである﹂と比 しました。パ
くなってゆく糸の上を、ますます早足に渡ってい
帰したと述べ、
﹁アメリカ合衆国は、ますます細
ド・レヴィ ス
= トロース﹄法政大学出版会︶が失敗に
化されるはずであった﹂︵オクタビオ・パス﹃クロー
的な歴史の表現である進歩によって、一切が活性
社会を作りだそうとした。もっとも直接的・積極
とつに溶け合う︽ る つ ぼ ︾のような、新しい
新しい社会を、ヨーロッパ諸国だけの特殊性がひ
民を殺戮、隔離することで国土を浄化したあと、
設された。アメリカ合衆国は、異分子である原住
結論、アングロサクソン的な民主主義によって建
ーロッパ人の旅行者は、彼らの伝統的なカテゴリ
着させようと懸命に働いているさまをみて、
﹁ヨ
で土地の一角を再生させて、そこに野菜栽培を定
も深く観察をしていました。日系移民が、二次林
レヴィ ス
= トロースは、自然と人間との関わり
察と思索を重ねたといって良いかも知れません。
る、自然との共存︵共生︶と循環を基底とした観
排他性︶と機能主義︵効率性と自然支配︶に対す
れば、西欧が持っている狂信的歴史性︵優越性と
て顧みなかったと、西欧を糾弾します。言ってみ
作り上げたさまざまな理念をあからさまに無視し
で人間を歴史的存在であると規定し、他の文明が
文明にも見られますが、西欧のみが、狂信的な形
ったことではなくて、歴史的と呼ばれる数多くの
ーのどれにもあてはまらないこの風景に、とまど
みると、ラテンアメリカ、特にブラジルを混沌的
るつぼモデルといいうるでしょうし、アングロサ
隷属している﹂と述べ、生態学的にもまだ全く考
いを感じた。われわれは人の手の加わっていない
えすらなかった、今でいうアグロフォレストリー
クソン、特にアメリカ合衆国を排他的モザイクモ
パスも指摘していますが、レヴィ ス
= トロース
とよばれるものをすでに評価していました。風景
自然を知らない。ヨーロッパの風景は公然と人に
は﹃悲 し き 熱 帯﹄の 末 尾 で は、
﹁人 類 学 者 の 義
を通時的であると同時に共時的でもあると喝破し
デルといいうるでしょう。
とのあいだの一種の統合を呈示しています。仏教
ています。北大で教鞭を執ったことがあるオルギ
務﹂と﹁マルクス主義的思考﹂と﹁仏教的伝統﹂
的伝統の循環的な時間という考え方は未開人に限
連載
エッセイ
66
土﹂という言葉も概念もヨーロッパには存在しな
ュスタン・ベルグの風土論によって、じつは﹁風
ジ﹄
︶と述べています。
言い得るであろうか﹂︵﹃サンパウロへのサウダー
しく必要を感じている香辛料を持ち帰っていると
沈みつつあることを自覚しているために、一層烈
アングロサクソン型排他的モザイクモデルは、
いことを知りましたが、レヴィ ス
= トロースは、
土﹂の概念に近づいた唯一の西欧人かも知れませ
しょう。ジャック・アタリは、
﹁アメリカ︵合衆
今回の金融危機を持って破堤したといって良いで
人と自然との共住関係にまで言及していて、
﹁風
ロほどの距離にあるパラー州トメアスー移住地の
国︶では、人口の五%の人々が総所得の三八%を
ん。ちなみに、アマゾンのベレン市から二〇〇キ
日系農家が、一九三〇年代にコショウ栽培をはじ
品社︶
、今回の金融危機の本質の一つは所得の偏
独占し﹂ていると指摘し︵﹃金融危機後の世界﹄作
りによる危機であると論じていますが、これは、
めますが、安定的生産のためにカカオとの混植を
どの有用樹木を植えアグロフォレストリーの先駆
金融を頂点とする排他的モザイクモデルがるつぼ
はじめ、その後、マホガニーやブラジルナッツな
けとなり、世界的に注目を集めています。
転換してみて、我々現代のマルコ・ポーロたちが、
どとは考えていなかった。それなら状況を二重に
欧︶は、自分が色褪せてしまったかもしれないな
そ れ に 続 け て、
﹁そ の 頃 は ま だ、こ の 文 明︵西
のである﹂と述べている文章を引用しましたが、
明の感覚中枢の鍵盤に、新しい音域を付け加えた
﹁パウ・ブラジル樹や胡椒を持ち帰り、一つの文
中枢﹂に新たな精神文化を導入することが可能に
的香辛料﹂としての役割を果たし、
﹁文明の感覚
境との共生のシンボルとして、二一世紀の﹁精神
を及ぼすことができるなら、これら樹木が自然環
ウ・ブラジル樹やパラナマツにも︿サウダージ﹀
文化を生み出しました。ブラジルが失われゆくパ
ルのなかから︿サウダージ﹀といった新たな精神
一方、ブラジルは人種と文化の混沌的るつぼモデ
の中でメルトダウンしたことを教示しています。
この同じ土地から、今度は写真や書物や物語の形
なるかもしれません。
本エッセイⅠの冒頭で、レヴィ ス
= トロースが、
で、精神的香辛料、われわれの社会が 怠の中に
67
4
● 連載講座 ●
サステイナビリティと自然エネルギー
再生可能エネルギー導入による
地域社会のエネルギー自立,経済自立
立命館大学産業社会学部教授(環境教育・消費者政策)
竹濱朝美
自立を獲得する効果について考察する。
エネルギーの事例から、地域が経済的
ドイツの地方町村における再生可能
燃焼能力は五五〇 kW
、年間六〇〇㎥
の木質チップを使用する。
庭に供給する。木質チップボイラーの
の熱供給網を通じて、熱︵温水︶を家
合︶を形成し、二〇〇五年一〇月に、
村 民 が ゲ ノ ッ セ ン シ ャ フ ト︵協 同 組
地と八〇〇ヘクタールの森を抱える。
〇人の村で、一三〇〇ヘクタールの耕
クセン州ゲッティンゲン郡の人口七八
ユンド村は、ドイツ中部、ニーダーザ
ス資源によってまかなう事業である。
すべての熱源と電力を地元のバイオマ
① ユ ン ド︵ Jühnde
︶村 の バ イ オ エ
ネルギー村事業を紹介する。これは、
でも、石油価格に振り回されることが
たため、二〇〇七年ごろの石油高騰時
暖房用石油を購入する必要がなくなっ
熱供給システムを導入した家庭では、
価格よりも安く、安定している。地域
と推定される。熱の販売価格は、石油
間二四万二五〇〇ユーロの収入がある
五 〇 〇 ユ ー ロ、熱 量 一 kWh
あたり
〇・〇四九ユーロで熱を販売する。年
〇万∼三五〇万 kWh
を一四二世帯に
販売する。各家庭に対して、基本料金
③地域熱供給網は、年間で熱源三二
木質チップの地域熱供給システムとバ
ことができた。地域暖房システムにつ
なくなり、暖房費用も大幅に削減する
地域熱供給システム
イオガス発電を導入した。農民と熱供
①ユンド村のバイオガス発電は、家
バイオガス発電
いて、加入者の九割が満足している。
給を受ける家庭を中心に、一九五人の
会員が協同組合を構成している。
②地域熱供給システムは、地元の森
林から調達した木材チップをボイラー
で燃焼し、村内に埋設した温水パイプ
68
る。設備容量七〇〇 kW
である。
②バイオガス発電量は、年間約四五
穀物各種︶をメタン発酵させて発電す
シ、ひまわり、菜種、小麦、豆、牧草、
畜糞とエネルギー用作物︵トウモロコ
ことができる。
ら二〇年間、安定した売電収入を得る
イオガス発電プラントは、運転開始か
る。EEG法によって、ユンド村のバ
ることを、電力事業者に義務付けてい
エネルギー用作物をバイオガスプラン
畜糞は地元の農家が無料で供給する。
ー用作物を地元農家から調達する。家
〇〇㎥と一万五〇〇〇トンのエネルギ
④バイオガス発酵には、家畜糞九〇
あたり、
kWh
出力一五〇
ま で 一 一・三 三 セ ン
kW
ト、一 五 〇 ∼ 五 〇 〇 kW
ま で 九・七
のチップボイラーに九〇万ユーロ、温
二九〇万ユーロ、地域熱供給システム
⑤初期投資額は、バイオガス発電に
副収入を得ることができる。
トに供給することで、農家は安定的な
発電の買取価格は、一
図 2 ユ ン ド 村
のバイオガス発電
(700kW)
③二〇〇五年運転開始のバイオガス
〇万∼五〇〇万 kWh
である。これを
EEG法︵再生可能エネルギー法︶の
もとで送電会社に販売する。EEG法
は、再生可能エネルギーによって発電
ら れ る。熱 発 電 コ ジ ェ ネ レ ー シ ョ ン
五〇〇 kW
まで六セント、五〇〇 kW
以上は四セントのボーナス価格が与え
オマス発電に対しては一
とゲッティンゲン市の補助金が二〇万
とFNR︵再生可能資源局︶補助金が
︵ドイツ食糧・農業・消費者保護省︶
員の出資が五〇万ユーロ、BMELV
四〇万ユーロ︵約七億二〇〇万円︶で
水熱供給網に一六〇万ユーロ、総額五
︵発電時の排熱を利用する方式︶に対
ユーロ、銀行融資が三四〇万ユーロで
五セント、五 MW
まで八・七七セン
トである。さらに、農作物によるバイ
しては、さらに一 kWh
あたり、二セ
ントの追加的価格が与えられる。この
あった。政府と自治体の補助金で初期
一三〇万ユーロ、ニーダーザクセン州
あった。資金調達の内訳は、協同組合
価格に従えば、ユンド村のバイオガス
投資額の二八%にあたる。村民の負担
分は、初期投資額から補助金を差し引
あたり、
kWh
間約八六万一五〇〇ユーロ︵一億一二
発電は、EEGの売電収入により、年
〇〇万円︶を得ている計算になる。
69
した電力を固定価格で二〇年間買い取
図 1 ユ ン ド 村
の地域熱供給シス
テムに使う木材チ
ップ.
とバイオガス発電の売電収入によって、
⑥地域熱供給システムの熱販売収入
森林から購入する。これらは村民に安
ステムは間伐材の木材チップを地元の
地元農家から調達する。地域熱供給シ
小麦、トウモロコシ、ひまわりなどを
がることを示している。できる限り村
減らすことが地域の経済的自立につな
ながるのである。
することで、土壌栄養分の改良にもつ
収できる。初期投資をこれほど短期間
九〇万ユーロは、実に、三・五年で回
定の作物を栽培することに偏るため、
食糧用作物の栽培では、価格の高い特
を活用することは、多くの効果がある。
④バイオガス発電にエネルギー作物
防ぐことができる。村の資源を調達す
重な資金が地域の外に流出することを
って、エネルギーの購入のために、貴
エネルギー自給率を高める。それによ
の資源によってエネルギーを供給し、
いた三九〇万ユーロであった。
年間約一一〇万四〇〇〇ユーロの収入
定的な副収入をもたらした。
で回収できるのは、補助金と電力買取
特定の農作物の栽培を続けると、土壌
⑤ユンド村の経験は、石油依存度を
を見込むことができる。村民負担分三
制︵EEG法︶のおかげである。
初期投資額のうち、約三三〇万ユーロ
作業は、村に新たな雇用を生み出した。
ス発電のための家畜糞と農作物の運搬
林の間伐とチップ化の作業、バイオガ
特に、温水パイプの埋設工事、地元森
多様な効果を生み出した。施設の建設、
①ユンド村のプロジェクトは、村に
態系汚染も減らすことができる。さら
もかまわないから、農薬は不要で、生
イオガス発酵用の作物なら、虫食いで
を維持することができる。しかも、バ
ることができ、土壌栄養分のバランス
の土壌にあった多様な農作物を輪作す
ガス発酵に農作物を活用すれば、地元
農薬を使用してしまう。他方、バイオ
販売するには、害虫駆除が必要になり、
また、食糧用農作物を高い市場価格で
栄養成分が偏って連作障害が起きる。
配人、 Manfred Menke
氏に対するイ
ンタビューの要約︶
バイオエネルギー村ユンド協同組合支
るのである。
︵二〇〇九年九月一七日、
安定的な村の経済を作ることにつなが
格の高騰に振り回されることのない、
内循環システムも可能になる。石油価
戻すことで、資源と土壌栄養素の地域
ス発酵の残 を肥料として村の農地に
源を確保することもできる。バイオガ
ることで、村民の持続的な雇用と収入
バイオエネルギー村の
経済効果
はユンド村内に投下され、地元雇用と
に発酵後の残 は肥料として畑に散布
地元資材の購入につながった。
③バイオガス発酵用の作物として、
70
① モ ー バ ッ ハ︵ Morbach
︶町 の 再
生可能エネルギー事業を紹介する。こ
アメリカ軍弾薬保管所
跡地の活用
することを希望していたため、二〇〇
和と安全に貢献する方法で跡地を活用
隣り合わせで暮らしてきた町民は、平
ヘクタールの土地を弾薬保管所として
〇 〇 八 年 に は、年 間 約 五 〇 〇 〇 万
いる。これらの発電設備によって、二
暖房用燃料の木質ペレットも生産して
電 プ ラ ン ト 五 〇 〇 kW
を設置して発
電事業を行っている。年間二万トンの
使用していた。それまで爆発の危険と
九九五年まで、アメリカ空軍が一四五
れは、元アメリカ軍の弾薬保管所跡地
〇年にEEG法が施行されると、町は
テ ム 一 一 〇 〇 kW
、風 力 発 電 二 四
、畜糞と牧草によるバイオガス発
MW
は、ドイツ中西部、ラインラント・プ
を転用した事業である。モーバッハ町
跡地を再生可能エネルギー事業に使用
⑤ Juwi
社が町に支払う地代は、二
〇年間の賃貸契約で、年間二八万ユー
ファルツ州にある人口一万九二九人、
いたからである。
ロ︵約三六四〇万円︶である。この地
を発電した。モーバッハ町民一
kWh
万九〇〇人が消費する電気消費量より
③モーバッハ町は、弾薬保管所跡地
代収入は、二〇〇七年のモーバッハ町
も多くの電力を発電している。
を、再 生 可 能 エ ネ ル ギ ー 事 業 を 行 う
の所得税収入二三六万六〇〇〇ユーロ
することを決定した。この地域が高原
社︵本 社、マ イ ン ツ 市︶に 貸 し
Juwi
出し、町は二〇年間にわたるEEG法
の一二%にも相当する。再生可能エネ
地域で、日射量にも風況にも恵まれて
図 4 モ ー バ ッ
ハ町の風力発電.
2MW×12 本.
②町の再生可能エネルギー場は、一
の売電収入を考慮した地代を得る方式
安定した収入をもたらしたことは間違
ルギー場からの地代収入が町の財政に
いない。再生可能エネルギー電力の買
にした。町が再生可能エネルギー事業
場では、風力発電、バイオマス発電の
町が安定的な財源を得る道を開いたの
取制は、ぽっかり空いた軍用跡地から、
を直営で行わない理由は、小さな町役
維持管理に、専門職員を雇うのは負担
である。
が大きいからである。
④現在、 Juwi
社は太陽光発電シス
71
世帯数五〇〇〇戸の町である。
図 3 モ ー バ ッ
ハ町の太陽光発電.
手前の道路はかつ
ての弾薬運搬道路.
前回は、日本で普及しはじめた﹁閉鎖型植
物生産システム︵以下、閉鎖型と略す︶
﹂の
2
人工光型植物工場
省資源・環境保全的な特徴を述べ、さらに閉
鎖型の特徴を活かした人工光型植物工場は、
サステイナブル︵持続可能な︶な生産システ
ムとなり得ることを述べた。とは言いながら、
閉鎖空間内での人工光下で植物生産すること
二・八時間点灯時の消費電力量に相当︶で、
電気料金は、約一円である。トマト苗等の全
生産費は五〇円程度なので、生産費の約二%
は、
︵光強度×
︵照射面積/植物体数︶
×栽培
を占める。なお、植物体当たりの消費電力量
日数︶
/
︵光源の光変換効率︶に比例するので、
サラダ菜等の葉もの野菜の電気料金は、現状
では、三〇円前後となる。
︵4︶
でも、太陽光は無料である
太陽光の強
度は、晴天正午前後では強すぎ、朝夕・曇雨
気温と日射が共に高く、植物ばかりでなく作
天では弱すぎる。関東以西の夏の昼間では外
業者の健康にも影響するので、夏期の栽培を
72
栽培面積は約三倍、適切な環境制御により、
栽培期間は約二分の一、棚上での栽植密度は
約二倍、商品化率は一・二倍以上となるので、
上記生産能力は約一四倍︵ 三
= ×二×二×
一・二︶となる。一〇段棚の場合、その生産
能力は約三〇倍になる。
︵3︶
電気料金が高いはずだ
トマト等の苗生
産に必要な電気エネルギー量は一本当たり約
四〇〇 ︵キロジュール、四〇Wの蛍光灯を
kJ
に関する疑義は数多い。そこで、本稿では、
良くある疑義・質問・批判にQ&Aの形で述
べる。なお、本稿では、特に断らなければ、
数値は暖房・保温・かん水装置を備えた太陽
光利用温室︵以下、温室︶に対する相対値で
あり、また文章の主語が 閉
「 鎖型 の
」 場合は、
原則として、主語を省略した。
︵1︶
初期設備費が高い 床面積当たりの初期
設備費は二〇〇九年現在約一〇倍であるが、
床面積当たりの年間生産能力は一五倍近い。
したがって、年間生産能力あたりの初期設備
費は閉鎖型の方がやや低い。普及が進めばそ
の初期設備費は半減する。
︵2︶
床面積当たり年間生産能力はなぜ高いの
か 四∼五段の棚利用により床面積当たりの
● 連載講座 ●
サステイナビリティと閉鎖型植物生産システム
千葉大学環境健康フィールド科学センター客員教授
(生物環境工学)
古在豊樹
休止せざるを得ないことが多い。つまり、温
室では、無料の太陽光を利用するのに、可動
の遮光カーテンと保温カーテン、換気装置、
防虫網など、さらに暖房燃料費・農薬費等が
かなり必要である。
︵5︶
閉鎖型でも冷房用電気料金が高いはず
だ
日射に不透明な高断熱壁を使用している
ので、室外からの熱侵入はゼロに近く、冷房
等しい。最近のヒートポンプ︵エアコン︶の
で除去すべき熱量は照明による発熱量にほぼ
年間平均成績係数は五程度なので、冷房電力
量は照明電力量の五分の一程度である。他方、
されるので、相対湿度は七〇%以下に維持さ
照明中は常に、除湿を伴うエアコン冷房がな
れ、また微風が吹くことにより、健全な植物
になりやすい。
︵6︶
冬の暖房費は高いはずだ 高断熱壁の閉
鎖型内で夜間に照明すれば、照明発熱により、
北海道の冬季でも暖房費がゼロだが、エアコ
が室内より気温が低いので、冷房電力量は照
一二∼一六時間の照明で植物は正常に成長す
る。他方、夜間の電気料金は割引され得る。
︵7︶
電気料金以外の生産費が高いはずだ 商
品 化 率 が 約 一・二 倍 な の で、種 子 費・培 地
費・肥料費は約一七%減となる。また、農薬
〇分の一以下なので約三〇%減、結露水再利
費は基本的にゼロ、人件費は作業床面積が一
用により正味のかん水量は五〇分の一弱︵図
1︶
、排水はほぼゼロである。したがって、
単位生産量当たりの生産費は低くなる。
︵8︶
環境汚染し、資源浪費しているはずだ
原理的に省資源・環境保全的であることは前
回に詳述した。現在の人工光型植物工場の多
くが資源浪費・環境汚染的で、かつ経済性が
低いことと、閉鎖型が有する本質的な省資
源・環境保全・高生産特性を区別して考える
べきである。
︵9︶
蛍光灯からの光は植物光合成に不向きな
はずだ 太陽光の波長範囲は三〇〇∼三〇〇
であるが、光合成に有効な波長範囲は
nm
〇
三五〇∼七五〇 nm
であり、光合成に有効な
光エネルギー比率は約五〇%である。他方、
73
ン冷房費が必要である。この場合、室外の方
明電力量の約一〇分の一となる。なお、夜間
図 1 閉鎖型植物生産システムにおけ
る 水 利 用 効 率 の 実 測 例.か ん 水 量
2100kg の 97%(2000kg)が ヒ ー
トポンプ冷房時に結露水として除湿回
収され,かん水に再利用される.その結
果,閉鎖型の水利用効率が 0. 97 であ
るのに対して,温室の水利用効率は,蒸
発 散 量 を 回 収 で き な い の で,0. 02
((2100 2058)
/2100kg)であり,
閉鎖型の 1/48 となる.
(大山・古在,
2008)
濃度が高い植物が周年にわたり高収量で安定
的に生産できる。他方、露地・温室では適切
な環境制御は困難な場合があり、また病虫
害・気象災害により、植物の正常な成長が阻
害されやすい。
︵ ︶
コメなどの食糧は生産はしないのか
穀
類や豆類などの食糧植物の収量は、与えられ
図 2 ショッピングセンター内に設置
されている,閉鎖型植物生産システム
(人工光利用ミニ植物工場)の一例
(ららぽーと柏の葉,千葉県柏市)
.
(写真提供:三井不動産㈱,㈱みらい,
三協フロンティア㈱)
た光エネルギーの積算値︵光強度×面積×栽
培期間︶に強く依存する。したがって、高光
強度下で栽培期間が長く大面積を必要とする
割には商業価値が低い食糧植物は、閉鎖型に
は不適である。
︵ ︶
適地適作の方が省資源・環境保全的なは
ずだ
キャベツなどの露地野菜を名古屋以西
で栽培し東京までの道のりをトラック輸送す
る場合、栽培よりもトラック輸送に石油エネ
源・環境保全的だが、適地適作は遠距離輸送
ルギーをより多く消費する。地産地消は省資
との組合わせになると、そうではない。閉鎖
型は立地・気候・土壌を選ばないので、地産
地消に適した植物生産方式である。
︵ ︶
人工光下で育てた苗が太陽光下の畑や温
74
その比率は蛍光灯では約九八%で、太陽光の
菜・ハーブ・薬草の栽培に十分な光強度︵三
約二倍である。なお、蛍光灯下で、葉もの野
五〇 nmol/m2/s
程度︶が得られる。
︵ ︶
蛍光灯よりLED︵発光ダイオード︶の
方が良いのでは
最近のLED技術の進展は
目覚ましく、価格性能比の向上が今後も続く。
他方、二〇一〇年現在、四〇W蛍光灯の定価
は一本約一〇〇〇円であり、LEDに対する
価格性能比はまだ数倍である。
︵ ︶
栄養成分濃度が低いのではないか
栄養
成分は、デンプン・糖、タンパク、脂肪など
の熱量︵カロリー︶で表現できる成分と、ビ
タミン、多糖類、鉄分、カルシウム、繊維な
ど、熱量では計量できない機能性成分に大別
される。閉鎖型では、野菜・ハーブ・薬草な
御により、露地・温室栽培より数倍から数十
どの機能性成分の濃度・品質・収量を環境制
倍も高くでき得る。ただし、環境制御法が不
適切であれば、そうはならない。
︵ ︶
人工光下で植物を正常に栽培できるの
か 適切に環境制御された場合、機能性成分
13
14
15
10
11
12
室で育つのか
人工光下の高光強度、好適湿
度・好適気流速度で育った苗は環境ストレス
図 3 閉鎖型植物生産システムは 21 世紀
における宇宙船地球号および閉鎖生態系の
小型モデルであり,自然と人間社会の多様
性の統合の重要性を理解するモデルである.
閉鎖型植物生産システム(人工光型植物工
場)の多様な存在様式:ナノ型,マイクロ
型,ミニ型,ラージ型,マチナカ型,エキ
チカ型,コンビニ型,スーパーマーケット
型,バーチャル型,リアル型,ゲーム型,
グローナカル・ ネットワーク型,生産用,
家庭用,生涯学習・教育用,福祉用,レジ
ャー用,SNS 用,研究開発用,砂漠用,
極地用,荒れ地用,屋上用,地下用.
︵図2︶
、乾燥地域、極寒・酷暑地域、荒れ地
3︶
。
など、多様な場所での普及が可能である︵図
︵ ︶
閉鎖型は宇宙船のモデルなのか
閉鎖型
は宇宙船の小型モデルであり、小型閉鎖生態
参考文献
古在豊樹、二〇〇九、太陽光植物工場 ――
先
進的植物工場のサステナブル・デザイン、オー
ム社、一八六ページ
の重要性を実感させる。
境保全を推進し、多様性・生きがい・いのち
現実の生活・社会・産業の中での省資源・環
要性を実感できる。閉鎖型での経験や理解は、
感謝の気持ちが強まり、地球温暖化阻止の重
しみながら理解できる。また農業生産者への
態系の仕組みを体感的・数量的・理論的に楽
けるエネルギー、物質、情報の流れおよび生
ることが必須である。また、閉鎖生態系にお
な人間との交流を通じて快適に作業・生活す
く環境保全的に行い、かつ多様な植物と多様
最小資源で最大量の食料生産を安全にムダな
系でもある。宇宙船または宇宙船地球号では、
18
に強く、定植後の生長は温室育ちより好まし
い。太陽光下でも曇雨天下・高湿度・ほぼ無
風下で育った苗は環境ストレスに弱く、定植
後に生育不良になることが多い
︵ ︶
苗生産への利用を野菜生産に優先させた
のはなぜか 投入資源の利用効率は葉もの野
菜より苗の方が高いからである。植林、砂漠
緑化、エネルギー植物、機能性植物の苗の需
要が今後世界的に増大し、日本が貢献し得る。
閉鎖型による苗生産方法は地理や気候にほと
んど依存しないので、国際標準技術を確立し
得る。
︵ ︶
就業機会と人間の幸福の増大に貢献する
よび高齢者、障がい者、未就業者の就業の機
のか
多様な地域住民がユビキタス︵あらゆ
る場所︶で植物栽培を見聞・体験する機会お
会が増大する。福祉施設などでの利用が既に
いと幸福感を増しやすい。農山村、コンビニ、
始まっている。植物生産作業は人間の生きが
スーパーマーケット、ショッピングセンター
75
16
17
インド通信
第6回
フェアトレードと
チベット難民
牧田りえ
東京大学IR3S特任研究員︵開発地理学︶
アクセサリー、バッグ、衣類、民芸品類⋮⋮。
インド旅行の楽しみの一つは、お土産選びか
今回は、旅行者が何気なく行なってい
――
るこの行為の意味を考えてみたい。
お買い物で国際協力
﹁国際貿易をより公正なものにしようとす
ートナーシップ﹂と定義される国際的な﹁フ
る、対話・透明性・敬意に基づいた交易のパ
を少なからず見かける。これらはチベットか
言われている︵注1︶
。日本でも﹁この商品
ことによって持続可能な開発に貢献する﹂と
提供すること、及び彼らの諸権利を保障する
もしれない。デリーの土産物店には、インド
ら来たものではなく、インドに居住するチベ
を購入すると発展途上国の貧しい生産者を支
いる生産者や労働者により有利な交易条件を
ット人が作ったものである。一九五九年の中
ェアトレード︵ Fair Trade
︶
﹂運動がある。
﹁南︵発展途上国︶の不利な状況に置かれて
国によるチベット制圧・併合以降、一三万人
援できます﹂という説明書きのついた工芸品
各州から運ばれてきたバラエティ豊かな工芸
以上のチベット人が海外に難民として流出し
や、同様の説明が印刷されているコーヒー豆
品が並ぶ。その中に、チベット産らしき品々
ているが、その中で最も多くの難民︵四分の
のパッケージなどを見かけるようになった。
く買い叩かれることのないよう、劣悪な労働
立場の弱い生産者が仲買人や輸出業者から安
条件を強いられることのないよう、フェアト
インドの国家運営を難しくしている理由の一
つは、言語や宗教の異なる複数の民族を抱え
レード基準を設定し、この基準を満たしてい
三以上︶を受け入れているのがインドである。
も受け入れているのは大変なことだと思う。
る生産者︵組合︶のみから商品を買い付けて
ていることだが、さらにチベットからの難民
インドの土産物店でチベットの工芸品を買う
76
先進国の消費者に届ける企業や非営利団体
が存在する。また、基準を満たしている印、
ット風の工芸品を買ってもチベット難民を支
連合の傘下にある一五のチベット人組合の
援したことにはならないのか。
うち、デリーから最も近い組合として紹介さ
図 1 ダラムシャラの食堂で.
︵総称してフェアトレード団体と呼ばれる︶
フェアトレード・ラベルをつけた農産品は一
れたのが、ヒマチャル・プラデシュ州ダラム
政府の拠点である。近いと言っても、山岳地
般のスーパーマーケットなどへも流通してい
帯に入っていくのでデリーからは車で片道一
あのダライ・ラマ一四世率いる亡命チベット
ェアトレード生産者団体のネットワークがあ
三時間もの長旅。さすがにお尻が痛くなった。
シャラにある組合だった。ダラムシャラは、
り、このネットワークに所属する生産者団体
ム・インディア︵以後FTFI︶という、フ
はフェアトレード基準を満たしていることが
チベット難民に割り当てられた土地は、当然
る。インドにも、フェアトレード・フォーラ
国際的に認定されている。つまり、FTFI
のメンバーになっている生産者団体から出荷
された商品を購入すると、インドの﹁不利な
状況に置かれている生産者や労働者﹂を支援
できるということになる。
FTFIメンバー団体リストの中に、イン
インド
ド人の団体に交じって﹁在インド・チベット
チベット自治区
ブータン
ネ
パー
ル
デリー
人組合連合﹂
︵以後、連合︶が名を連ねてい
るのに気づいた。素朴な疑問が湧く。チベッ
出された工芸品を海外で買う必要があるのだ
ト難民を支援したかったら、この連合から輸
ろうか。デリーの土産物店に並んでいるチベ
77
ヒマチャル・プラデシュ州
ダラムシャラ
78
ながら辺境地だったのである。彼らを受け入
れることによって、辺境地域を開発しようと
いう意図がインド政府にはあったのだろう。
自分たちを受け入れてくれたインド人にチベ
ット人が感謝していることもあり、難民と地
ダラムシャラでチベット人が経営する店舗内
元のインド人との間に摩擦は少ないという。
に、ダライ・ラマとガンディの写真が並べて
ベット人は独立を成し遂げたガンディを尊敬
飾られているのを度々見かけた ︵図1︶
。チ
しているのかもしれない。
現実のフェアトレード
させるために、組合員だけでなく、広く一般
得しているある農民組合では、出荷量を安定
農民からもココアを買い付け、合わせて﹁フ
ダラムシャラ工芸組合の代表者を訪ねると
開口一番、この組合からは連合を通じた輸出
ェアトレード・ココア﹂として出荷していた。
登録された三エーカーの土地に加え、不法に
は一切やっていないよ、と期待を裏切られる
占拠した二五エーカーの森林地で大規模に
を対象とした別の組合には、所有面積として
インドでフェアトレードの調査を始めてから、
﹁フェアトレード・コーヒー﹂を栽培する者
零細農民︵栽培面積が三エーカー以下︶のみ
幸い︵?︶この種の﹁啞然﹂にはすでに何回
言葉が発せられた。つまり、認定されたフェ
か直面していたので、もうあまり動じなくな
が紛れ込んでいた。さて、今度は﹁フェアト
アトレードには参加していないことになる。
っていた。ココアのフェアトレード認証を取
図 2 ダラムシャラ工芸組合の
カーペット工場で.
ダラムシャラ工芸組合が連合に参加した意
が工場の仕事を休んで下界の町へ行商にまわ
なくなる三カ月間は、組合員であるワーカー
している。冬場、標高一七〇〇メートルのダ
図は、当然ながら、連合を通じて欧州のフェ
ることを許しており、そのための資金援助
レード﹂自体に参加していないという、新し
アトレード市場に自分たちの製品を販売する
ードには参加していないが、フェアトレード
︵貸付︶も組合が行なっている。フェアトレ
ラムシャラの冷え込みは厳しい。観光客が少
ことだった。しかし、一度サンプルを提供し
い展開である。
たきり、連合からは注文の声は全くかからな
先はいわゆるフェアトレード団体ではないが、
生産量の約半分を海外へ輸出している。輸出
得ずとも、この組合は独自に販路を切り開き、
絨毯づくりが始まったという。連合の協力を
ト人としての伝統文化を継承していくために
とから、生計を立てるために、そしてチベッ
た。難民の中に絨毯づくりの経験者がいたこ
民ができる仕事と言えば肉体労働しかなかっ
ある。当時、この地に り着いたチベット難
の組合の主力製品は伝統的なチベット絨毯で
ることだ。欧州のバイヤーはアクセサリーや
消費者が買いたい物との間に大きな落差があ
チベット難民の生産者が作りたい物と欧州の
情もあるようだ。しかし、根本的な問題は、
流通していて価格的に競争できないという事
背景には、
﹁中国製﹂のチベット絨毯が安く
残念ながらチベット絨毯の市場は飽和状態。
体︶に見せているが、よい反応が得られない。
プルを欧州のバイヤー︵フェアトレード団
を尋ねてみた。連合は同組合からの製品サン
ぜダラムシャラ工芸組合への発注がないのか
デリーに戻って、連合のマネジャーに、な
基準を満たしている生産者組合である。
チベット独立を支援したいという意志を持ち、
バッグを連合に要求してくるが、傘下の組合
いという。一九六三年に設立されて以来、こ
だという。残りの半分は、現在すっかりイン
で対応できる生産者がほとんどいない。チベ
79
適正な価格で定期的に買い付けてくれる業者
ドの名所の一つとなった地元で観光客に販売
図 3 色鮮やかなチベット絨毯.
日本の業者から受注した日本的な図柄も.
ド各地の辺境地に散らばるチベット人組合で
また﹁啞然﹂︵注2︶
。実際問題として、イン
ット人生産者へ発注している、と聞いてまた
連合には参加していない、デリー近郊のチベ
トレードの方を選ぶところまでだろう。結局、
ないアクセサリーの二種類があったらフェア
ェアな取引である。連合のスタッフから、デ
ると思う価格が一致すれば、それはすべてフ
と購入者がこの品物にはそれだけの価値があ
とは言えない。生産者が売りたいという価格
アトレードの便益をまわす。フェアではない、
いる生産者組合が組合員以外の生産者にフェ
へ販売する。フェアトレードの認定を受けて
がフェアトレード市場に販売できず他の市場
図 5 チベット絨毯のデザイナー.
工芸組合の組合員.
80
ット人組合は、そのアイデンティティを主張
するためにも伝統的な製品にこだわる。いく
ら かるからと言っても、そう簡単に伝統文
化の継承を止めるわけにいかない。そこには、
帰ることのできない祖国への望郷の思いが感
いフェアトレードの消費者でも、アクセサリ
じられる。しかし、いくら国際協力志向の強
ーの代わりに絨毯を買うことはあり得ない。
アクセサリーを製作しても、フェアトレード
リーの土産物店にはインド人がつくったチベ
期待できるのは、フェアトレードとそうでは
から運ぶ費用を捻出できない。それは確かに
が行商で卸しているかもしれない。デリー近
同じ市場にダラムシャラのチベット人組合員
から されないように、と言われたけれど、
ット工芸品のコピー商品が多く出回っている
フェアトレードの認定を受けている生産者
何がフェアであるべきか
そうなのだけど⋮⋮。
団体からの発注は大量ではないので、辺境地
図 4 ダラムシャラ工芸組合の
ショールーム.
ある。でも、このシステムには支援したい対
ある。そういう不信を払拭してくれるのが
一般の土産物店で買うと、この点が不明瞭で
産者に届くか否かが消費者の一番の関心事だ。
ったお金が途中で不当に抜かれることなく生
消費を通じて生産者を支援したい場合、支払
売している可能性だってある ︵注3︶
。ただ、
輸出の他に別の製品を作って地元の市場で販
郊のチベット人個人生産者も、連合を通じた
届き、狭い室内に日用品がぎっしりと詰め込
程度のアパートよりも共有部分に清掃が行き
いる住居を見せてもらったが、インド人の同
ある。組合からワーカーに無償で提供されて
少なくないが、チベット人の物乞いは皆無で
ャラでは、インド人の物乞いに出会うことが
維持している。外国人観光客の多いダラムシ
いうのもいない同質性の高いコミュニティを
裕な人がいない代わりにあまりに貧しい人と
お蔭で、インド人社会とは一線を画する、富
まれていた。インド国内の貧しい生産者と国
﹁フェアトレード﹂のシステムと言えそうで
象以外の人たちが混じる可能性や、あまり多
外からの難民、どちらを優先して支援すべき
て考えこむのだった。
なのか。私はお土産屋の店頭で以前にも増し
くの人たちを支援できないという弱点がある
チベット難民の第一陣がインドに到着して
ことも明らかになった。
から五〇年という歳月が過ぎ、インドに生ま
れインドしか知らないという二世、三世のチ
ベット難民も増えた。故国を知らずに海外で
生きる苦労は、私の想像をはるかに超えるだ
ろう。市民権がないのでインド企業に正規に
計を立てていく上での制約は多い。それでも、
︵注1 ︶ 出所
World Fair Trade Organization & Fairtrade Labelling Oganizations In︵ 2009
︶ A Charter of Fair Trade
ternational
Principles.
︵注2 ︶ 連合はアクセサリー生産を発注してい
る個人生産者に対しても、フェアトレード基準
を遵守している。
︵注3 ︶ 契約により、フェアトレード団体に輸
出した製品と同じ品目は他の販売経路に流せな
いことになっている。
81
雇用してもらえないなど、彼らがインドで生
亡命先でのチベット人の強い助け合い精神の
図 6 民族衣装を日常的に着用
しているチベット女性たち.
研・究・室・探・訪
京都大学生存圏研究所
塩谷雅人研究室の巻
付近に比べて水蒸気の濃度は一万分の
宇宙からの視点と地上からの視点
が大気の蓋の役目をして、水蒸気が地
はマイナス八〇度ほどに下がり、地表
ご専門は大気科学と伺っていま
―
すが、温暖化とは違う分野でしょうか。
球から逃げていくのを防いでいます。
一ぐらいになります。この冷たい領域
温暖化への寄与が必ずしも明瞭ではな
塩谷
全く関係ないわけではありませ
んが、二酸化炭素よりは微量な気体や、
興味の中心があります。
っていきます。オゾンホールで問題に
塩谷
動いています。とくに熱帯域で
は、対流圏から成層圏へと水蒸気が入
高いところにある水蒸気は、そ
―
こでじっとしているのでしょうか。
成層圏から上ではまた温度が上がって、
塩谷
雲があって雨が降る対流圏と、
飛行機からみるとさらに上空に広がる
なったフロンガスも、多くは北半球で
い高層の水蒸気などが研究の対象です。
雲のない成層圏との境で、熱帯域では
放出されて、熱帯の上空で成層圏へと
多くの水蒸気が存在し得るのですが、
だいたい一六キロくらいの高さです。
入っていきます。熱帯域の対流圏と成
実際には乾いた世界になっています。
われわれに身近な対流圏で、水は、
下層大気の境目付近に面白い話があり、
気相、液相、固相と姿を変え気象現象
層圏の境目の気温が変動することで、
科学的な 解きとしては、高層大気と
で重要な役割をしています。冬の寒い
い時期とがあります。
水蒸気が多く入っていく時期と、少な
高さでいうとどれくらいですか。
―
ときに息を吐くと白くなるように、温
もともと私は衛星観測データにもと
度が下がると大気が含み得る水蒸気の
量が減ります。対流圏と成層圏の境で
82
ルの観測で、ホールに入ると観測値が
事なのです。航空機からのオゾンホー
衛星と現場と両者の組み合わせが大
かり眺めて事実の記述を行うようなと
いますが、現状では観測データをしっ
われの中でのイメージは膨らんできて
成果はコツコツ出していますし、われ
うようなことが現場観測ではあります。
めに二回目に行くと、何かちょっと違
の水蒸気観測も行っています。具体的
スッと変化するという非常にシンプル
ナビリティをグローバルに考える視点
なメカニズムを考察するには衛星デー
で迫力ある図がありました。それをみ
ころをやっている段階です。熱帯太平
づく研究をしてきたのですが、一〇年
タだけでは物足りないところがあり、
て、衛星データだけではちょっとつま
測しているという認知度は国際的にも
洋域では日本のグループがしっかり観
う結果が出てきて、行けばいくほど迷
現場での観測も始めるようになりまし
らないと感じ、九〇年代の終わりごろ
も生まれたのではないでしょうか。
た。学生たちには、グローバルな視点
から、同じ興味をもつ人たちと、現場
を付けた気球を熱帯で上げて、高精度
とローカルな視点のどちらも大事だと
ほど前からは、水蒸気を測るセンサー
話をしています。例えば、オゾンホー
での観測を始めました。
高まってきています。
ルの発見は、昭和基地の観測データが
最初はガラパゴスでした。キリバス共
塩谷
まだほとんど観測のなかった熱
帯太平洋域が面白そうだということで、
知っていたことをよりよくわかるよう
にはなかなかならないが、すでに人が
衛星観測は、それで大発見とか新発見
に、含蓄のあることが書かれています。
衛星観測が始まってからの五〇年の
和国の東端のクリスマス島やタラワと
にした、と。逆にいうと、新しい発見
出発点で、何かおかしいぞとわかって
ひとたび気付けば衛星データは非常
かにも行きました。継続的な観測は難
歴史をまとめた本があって、その最後
に強力です。衛星観測という視点がな
しいために、科学的に面白そうな時期
観測地はどこですか。
―
かったら、温暖化に代表される地球大
は、地道な現場にあるということにな
か ら、衛 星 デ ー タ が 見 直 さ れ ま し た
気の変動を、現在われわれが認識して
を狙って二週間ぐらい行きます。
︵四八ページ参照︶
。
いるように地球規模でとらえられるよ
るでしょう。衛星があるので地上から
ないのです。科学が健全に発展してい
の観測はなくてもいいということでは
何か発見がありましたか?
―
塩谷
俗な言い方で、論文が書けそう
なことが出てきて、それを確認するた
うになっていたのか疑問です。宇宙か
らの視点をもったからこそ、俯瞰的に
物事をみる重要性がわかり、サステイ
83
ったらいいのか迷ったりしませんか。
衛星データは膨大な量がありま
―
すから、学生はどこから手を付けてい
人的に思っています。
ニングするのがわかりやすいかなと個
うな比較的整理されたデータでトレー
てきましたが、最初は衛星データのよ
現場観測をやりたいという学生が増え
なか結び付きません。私のところにも
て、やったことがすぐには成果になか
はとにかく行ってみないとわからなく
は、独特の楽しさがありますが、現場
料だと思います。いっぽう地上観測に
るためのトレーニングとしてはよい材
間的な広がりがあって、現象を理解す
塩谷
卒業研究からで、三〇年弱にな
ります。衛星観測データは時間的・空
先生ご自身は、衛星データの研
―
究から出発されたのですね。
くには両方の視点が必要です。
くる虫の目とがあって、どちらも大事
現場に入り込んで問題を見つけ出して
物事をある種抽象化して語る鳥の目と、
ンポジウムで、文系の研究者の方が、
タが非常に有用です。以前KSIのシ
視点も必要で、そのためには衛星デー
グローバルにみたらどうなのかという
は困ります。ほかの盆地はどうなのか、
門家です﹂といって、それで終わって
測をして、
﹁私は何とか盆地の風の専
ませていく必要があるのです。現場観
れた情報からイマジネーションを膨ら
データを扱わないといけません。限ら
常に少ない情報量を頭に負荷をかけて
ぽう現場観測は、小説を読むように非
みているような感じになります。いっ
が多くて、非常に受け身的に映画でも
あります。また、衛星データは情報量
多さにへこたれてしまうようなことも
いるかはわかりませんから、データの
あります。ただ、何がどこに埋もれて
ると面白い観測事実が見つかることも
微量成分の分布を観測しています。
ンの光化学に関わる塩素系、臭素系の
ILESは宇宙ステーションからオゾ
射サウンダ︶も載せられました。SM
MILES︵超伝導サブミリ波リム放
げられ、地球大気を観測する機器、S
物資を補給する日本のHTVが打ち上
二〇〇九年九月に宇宙ステーションに
ど解明すべき問題がまだまだあります。
オゾン層回復が温暖化に及ぼす影響な
暖化がオゾン層に及ぼす影響や、逆に
ですが、そうではありません。地球温
塩谷
オゾン濃度の低下が止まり、オ
ゾンホールは終わった話と思われがち
心は薄れてきているようですが⋮⋮。
大気で一般に関心があるのは、
―
温暖化とオゾンホールで、後者への関
思ったことがあります。
を通して感じていることと一緒だなと
っても私が衛星観測と地上観測の対比
だと話されているのを聞き、分野が違
オゾンホールがいつ回復するかとい
塩谷
そういう側面は確かにあります。
衛星データは宝の山で、うまく解析す
84
個別の問題として捉えるのではなく、
か。
将来の地球を考えたときに先生
―
は楽観的でしょうか、悲観的でしょう
万年の単位でみれば、自然の回復力は
楽観はできません。
まだまだわからないところがあります。
成功体験です。温室効果ガスも排出規
地球の大気を包括的にみることが求め
塩谷
時間スケールによります。一人
の人間が生きる五〇年から一〇〇年ぐ
変動を経てきました。それでも、ここ
大きいでしょう。過去の地球は大きな
衛星が上がったことで人類が初めて得
られています。現実の大気では全ての
らいのスケールでいえば、とてもずる
う将来予測には、これら微量成分の複
問題が相互につながっているのです。
い言い方ですが、温暖化でも、自分が
一〇〇年、二〇〇年にわれわれがやっ
制をすれば、悪いところまでいかずに
最近は、衛星観測データの精度がど
生きている間にはとんでもないことに
てきたのは、とんでもなく大きな人為
すむと考えているわけですが、オゾン
んどんよくなって、細かいことまでわ
はならないと思うことができます。よ
にどのような擾乱を与えているか不確
起 源 の 擾 乱 を 与 え た こ と で す。実 際
けてほしいと思います。
かるようになったために、少し話が小
り長い時間スケールでみれば、未来に
たグローバルな視点に、もっと目を向
さくなってきていると感じることもあ
ツケを残しているような状況で、何か
温暖化モデルとも結合したモデルが必
ります。例えば、ある国からこんな物
定な部分もたくさんあります。二酸化
雑な光化学的な振る舞いを取り入れ、
質が排出されて大気中に広がっていま
末期的なような気もします。
しかし大気には水蒸気やいろいろな微
比較的定量的に扱いやすいものです。
ホールにも、先ほどいいましたように、
すといったような話です。それはそれ
オゾンホールが回復してきたよ
―
うに、地球大気は十分な回復力をもっ
要です。オゾンホールとか温暖化とか、
で重要なのですが、地球全体でみたと
ているのではありませんか。
にどのような影響を与えるのか、解明
関連しながら、今後の地球大気の状態
炭素は化石燃料の消費から出るので、
一〇〇〇年、二〇〇〇年、あるいは
き、下に国別の地図が描かれていなく
めたことは、グローバルな環境問題に
塩谷
フロンなどオゾンを破壊する物
質を削減して、オゾン濃度の低下を止
すべき問題がたくさんあるのです。
量成分があって、それらが相互にどう
比較的うまく対応できた人類の貴重な
85
ても、興味深い大気現象があります。
塩谷雅人教授
フィールド
便り
ダイナミック韓国の環境対応
仲上健一
ていた︵図1︶
。
清渓川プロジェクト見学は四回目で、
これまでは河川計画・環境政策の点か
ら見てきたが、今回は、水資源・環境
学会のエクスカーションとして参加し、
依頼にもかかわらず、韓国観光協会中
観光という観点で清渓川を見た。急な
央会会長慎重睦氏、韓国観光公社金奉
れた。慎重睦会長はご自身も三年前、
起本部長がわれわれを温かく迎えてく
韓国の大学で観光学博士号を取得され、
韓国の観光事業の発展に韓国の未来の
時に、未来への希望をもたらした。
関心を有する人々に驚きを与えたと同
復元されたことは、世界の環境再生に
という驚異的な速さで、元の清渓川に
ソウル清渓川高架道路が二年三カ月
として華やかなイメージで語られる清
〇万人の来訪者を越える観光スポット
した。オープンして、二カ月で一〇〇
今日に蘇ったことを今回の視察で実感
暮らしと文化の基盤であった。それが
川は六〇〇年の長い年月の間、人々の
まさに、人工的生態河川である。清渓
一流の都市に生まれ変わらせようとす
ンバー全員が感激した。ソウルを世界
お願いだったのに、大歓迎を受け、メ
グは予定していなかった。前日の急な
意図で計画されていたため、ヒアリン
回は清渓川をじっくり観察しようとの
な準備がされているはずであるが、今
立命館大学教授
︵水資源環境政策︶
清渓川沿いの散策路の材質は粘土質
渓川だが、もうすっかり市民に溶け込
の学会のエクスカーションなら、周到
と石材で作られ、川には漢江の水や地
光を見出されようとされている。通常
下水のきれいな水が流れ、そこには魚
み、しっとりと落ち着いた様相を呈し
る清渓川の意義を力説されるとともに、
が元気よく泳ぎ鳥も羽ばたいていた。
86
しいと熱望された︵図2︶
。
会 出に研究者・学生も力を貸して欲
今後の観光において日本との交流の機
意味合いであり、国の誇りとしての清
した。観光は﹁国の光を観る﹂という
ナミックに変わりつつあることを実感
締め切って作られた干拓地と人工湖で
︵図 3︶
。
﹁始 華 湖﹂は、干 潟 を 水 門 で
の潮汐発電事業︵建設中︶を訪問した
トの影響を受け、つい一週間前まであ
ソウル市内では、清渓川プロジェク
させる原動力になっていることを実感
渓川の復活がソウルを環境首都に変貌
月より一九九四年一月にかけて、干拓
ある。始華干拓事業は、一九八七年六
図 2 韓 国 観 光 公 社
金奉起本部長より清渓
川の観光の説明を受け
る.左隣は慎重睦韓国
観光協会中央会会長.
による農業用水・工業用水の確保とい
による農耕地・工業団地造成、淡水化
次に、京畿道安山市にある、始華湖
することができた。
図 3 始華湖潮汐発電所.
った高架道路が撤去され、ガイドの方
う古典的な事業であったが、水質悪化
のため、二〇〇一年二月、韓国政府は
淡水化計画の放棄を発表した。一方で、
始華湖潮汐発電所︵発電容量二五四M
87
W︶の建設が実施されている。これは、
図 4 首都圏埋立管理公社(仁川)の
LFG 発電所.
も驚かれるという場面に遭遇し、ダイ
図 1 清渓川で憩う
ソウル市民.
のハブ﹂
、
﹁海洋型観光/レジャー休養
アジア地域の産業および観光レジャー
世界最大規模であるとともに、
﹁東北
に、このことは温室効果ガスであるメ
万ドルになると算定されている。さら
所帯に供給しており、これは二〇〇〇
たちも、今度は反対に回る人もいる。
る。これまで清渓川に関わってきた人
つてないプロジェクトが議論されてい
ている﹁京釜運河﹂
、
﹁南北運河﹂とか
ソウル・エコクラブ︵李明博総裁︶と
タンを燃焼していることにより地球温
のシンポジウムで、ソウルの水環境問
地の造成﹂
、
﹁始華湖上流に人工葦湿地
高架道路、干拓、埋め立てという環
題の重要性を議論した。そのときの熱
一九九九年八月に水資源・環境学会と
境問題の難問を清渓川、潮汐発電、L
気が、二一世紀の一〇年間で、世界的
暖化対策に貢献しているのである。
較される始華干拓は確実に日本とは異
強調されている。諫早湾干拓とよく比
FG発電とみごとに世界的な規模のプ
な環境プロジェクトとして実現し、ダ
公園を造成﹂という環境生態的視点が
なった道を歩みつつある。
﹁漁場を返
ロジェクトで解決に導き、新しい韓国
イナミックにチェンジする韓国におい
版ニューディール政策を実現させ、改
めて韓国のダイナミックさを実感した。
て、
﹁韓国版緑色ニューディール﹂論
あるがダイナミックに展開する韓国の
戦略と日本の無策がいかに異なってい
李明博大統領は、
﹁国土縦断大運河構
せ﹂という思いは両国に通じたもので
るかを実感した。
争として新しく始まりつつある。
越境と躍動のフィールドワーク⑭
リレー連載
想﹂を公約して、今精力的に準備をし
また、首都圏埋立管理公社が管理運
営する仁川にある世界最大の埋立処分
場も見学した。最終埋め立て処分場か
らのメタンガスを利用したLFG発電
過去から未来へ
所があり、五〇MWの能力を有してい
る︵図4︶
。ソ ウ ル 大 都 市 圏 の 廃 棄 物
井上 真
やっと戻ってきた⋮⋮。ゆっくりと
これこそ、二〇歳代後半に三年間滞在
夕日を見たとき、心が動いた ︵図5︶
。
東京大学大学院農学生命科学研究科教授︵国際森林環境学︶
を埋め立てる計画が実施される直後に
な電力供給施設が完成されているとは
流れるマハカム川を る客船から見る
ここを訪れたが、一〇年後にこのよう
想像もできなかった。電気を約一八万
88
していたとき頻繁に見ていた夕日だ。
ことの解放感もいいものだ。
なる。インターネットから遮断される
スハルト政権崩壊後の地方分権の熱狂
れにアブラヤシ農園も拡大しつつある。
朝発ち、先住民ダヤック人の居住域へ
リマンタンの州都サマリンダ市の港を
がっている。インドネシア共和国東カ
は、集落や果樹園、そして二次林が広
船外機付き小舟が行き交う川の両岸に
ことができなかった⋮⋮。人々が操る
らず、ここ五年間は日本を一歩も出る
マハカム川の中流から上流にかけて広
る。客船の速度も格段に速くなった。
工場が操業されていることを表してい
細くなったことと、製材工場やチップ
違った。これは天然林からの伐採木が
された木材やチップの輸送船ともすれ
増えたのは石炭輸送船だ。上流で製材
けなかった。かわりにすれ違う回数が
ていた。その丸太の筏を一回しか見か
に曳かれて下流の合板工場まで運ばれ
伐採された太い丸太は筏に組まれ、船
付いたことがある。以前は、上流域で
サマリンダを発ってしばらくして気
ァ人に大きな穴を掘らせ、そこに家族
という間に制圧したこと、そしてケニ
の速さで攻め入り、オランダ軍をあっ
から山越えしてきた日本軍が予想以上
いくつか聞いた。南のマハカム川流域
たとき、第二次世界大戦のときの話を
ン地域︶のケニァ人の村に滞在してい
かつてボルネオ中央高地︵アポカヤ
中で暗中模索の状態にみえる。
料ブームや地球環境問題関連の動きの
だ。地方行政や地元企業も、バイオ燃
は、試行錯誤の真っただ中にあるよう
決めることができる可能性を得た人々
と混乱が一段落し、自らの将来を自ら
も、毎年一回は見ていた。にもかかわ
三〇歳代から四〇歳代前半までの間に
向けての川の旅は、いつも心の洗濯に
がる西クタイ県都まで丸二日かかって
めたこと⋮⋮。オランダ人が埋められ
を含むオランダ人のすべてを殺して埋
た場所には戦後になってから人数分の
いたのが、今では丸一日で着く。それ
や自動車を使えば八時間ほどで行くこ
日 本 軍﹂
﹃環 境 と 公 害﹄三 〇 巻 三 号、四
確認した︵井上真﹁ボルネオ中央高地と
墓標が建てられ、その残骸もこの目で
景観を見ると、以前からの焼畑休閑
ともできるようになった。
林や籐園のほか、果樹園やゴム園、そ
89
ばかりか、道路が整備されたためバス
図 5 マハカム川の夕日.
八頁、岩波書店、二〇〇一年︶
。
何と今回の旅でそのとき日本軍を案
の で あ る︵図6︶
。そ の 老 人 は、マ ハ
内したバハウ人の老人に偶然出会った
カム川上流のLP村が正式に設立され
と、およびLP村が設立後一〇三年経
たときにはすでに物心がついていたこ
っていることから、年齢一一五歳くら
図 6 日本軍の話をしてくれる老人と筆者.
いと推定される。彼は、その数年前に
イスしてくれた。
いつまでも健康を保てるよ﹂とアドバ
くしなさい。そうすれば、私のように
今回は研究科共通ゼミナールの海外
オランダ軍の道案内もして軍備等の情
雇われたという。七六人の日本兵がL
実習として修士課程の学生を引率した
報に通じていたこともあり、日本軍に
P村を出発したのは朝五時半。滑る急
したわけではない。しかし、久しぶり
味にまかせたフィールドワークを実施
のフィールドは研究者としての私自身
︵図7、8︶
。したがって、私自身の興
オランダ軍が駐留するLN村の対岸の
のセンサーを十二分に刺激してくれた。
斜面では体をひもで縛って上から引き
山中に到着したという。地図で確認し
上げながら猛進し、翌日の朝八時には
たところ直線距離およそ一〇〇キロメ
わくわくするような研究テーマやプロ
ィールドワークを実施している博士課
ートル。しかも険しい山道。信じられ
程の学生二名の成長である。彼らは、
ジェクトのアイデアが湧いてきた。体
アポカヤンで聞いた話を裏付ける証
協定校であるムラワルマン大学の研究
ないスピードだ。オランダ軍が日本軍
言であった。当時のケニァ人、バハウ
室を借用して設置したサマリンダ・フ
りも嬉しかったのは、長期滞在してフ
人、オランダ兵、日本兵、⋮⋮それぞ
が五つくらい欲しい⋮⋮。でも、何よ
れが置かれた厳しい状況と気持ちを慮
ィールドステーションを拠点とし、上
の出発を知ったのは夕方になってから
ると切なくなる。と同時にフィールド
回の学生実習のアレンジを彼らが完璧
流の先住民の村に通い続けている。今
だったらしい。
のにしなければならないという決意を
にやってくれた。そればかりではなく、
研究を通して友好関係をより強固なも
新たにした。彼は私に﹁脚を鍛えて強
90
現実から乖離して狭いアカデミズムの
性が高まってきていると実感している。
フィールドワークを実施している若手
この五年間、健康上の理由などで海
実習生と村人や行政官との間の通訳
たちが現場のリアリティーのなかで
外に出ることができなかった。
﹃躍動
壺にはまってしまう傾向をもつなか
﹁躍動﹂し、また専門を﹁越境﹂して、
するフィールドワーク﹄︵井上真編、世
で、ますますフィールドワークの重要
自らの身体性を基盤として自分の世界
を自由に書いてもらった。日本の若者
れられていることを目の当たりにでき
を築いてゆく姿の一端を垣間見ること
界 思 想 社、二 〇 〇 六 年︶や﹃フ ィ ー ル
研究者たちにフィールドで感じたこと
たこともフィールドならではの経験で
ができた。そもそも現実の問題からス
也・井上真編、昭和堂、二〇〇九年︶と
ド ワ ー ク か ら の 国 際 協 力﹄︵荒 木 徹
があった。彼らが村人に温かく受け入
﹃サステナ﹄第1号 ︵二〇〇六年一〇
ある。
タートしたはずの環境研究︵サステイ
︵インドネシア語︶も目を見張るもの
月発行︶で本連載の第一回目を私自身
ナビリティ学を含む︶が、ともすれば
いったフィールドワークを論じた書籍
を出版したのは、もしかすると自分で
フィールドに出られないもどかしさを
埋め合わせるためだったのかも知れな
い。本連載のコーディネーターとして
の役割も、フィールドの疑似体験とし
人的にとても意義あるものであった。
て、またエネルギーの充電として、個
そろそろフィールドワークを論じるの
はいったん終わりにしよう。私自身の
︵連載終り︶
フィールドワーク第二幕の始まりであ
る。
91
一三回までは、私の周りで社会科学的
図 8 焼畑で播種作業を手伝う学生たち.
が書いて三年が経った。第二回から第
図 7 定期客船からスピードボートに乗り換えて
上流の村に向かう.
地球上にあることにまず驚きました。
が、このような日本と全く違う景色が
建材などに使うための人工的な森です
広大な植林地で、主に紙パルプや住宅
のが非常に印象的でした。アカシアの
取りにいくために東南アジアを訪れた
鈴木
ここにきて熱帯性の早く育つ樹
木の遺伝子研究を始めました。材料を
ここにこられてからの四年近く
―
で、一番印象的な出来事は何ですか。
進めてきたのですが、ここでは社会に
までは自分の学問的な興味から研究を
鈴木
サステイナビリティのプレッシ
ャーは私も感じています。ここにくる
うになったのが印象的です。
れないのではないかなと思わされるよ
いとサステイナビリティについては語
だけでなく社会についてもっと知らな
共有するワークショップもして、科学
︵GIS︶などを使って結果を住民と
受けました。洪水シミュレーションを
感じてしまって、研究の仕方に影響を
力しています。
住民の方と接する機会をもつように努
が必要になります。このためにいまは
ていただけるようにするといった努力
有して、防災計画策定に補助的に使っ
すると、例えば結果を地域の人々と共
ころが洪水研究を社会に役立てようと
とが、ある意味では一番大切です。と
論文に書いて専門家の評価を受けるこ
のではないかと考えたのです。
を使いつつ維持することに貢献できる
シミュレーションは具体的には
―
どのようなことしているのですか。
小林
実測降雨データの解析をして、
そうした雨によって河道に水がどう流
92
は二酸化炭素の吸収源でもありますか
ら、それを維持していかないといけま
せん。アカシアは成長が非常に早い木
なので、そのいいところをより伸ばし、
小林
私は土木の水文学・水工学とい
われる分野の研究者で、学会にいきま
とって有益か、人類のサバイバルに役
すと、発表分類はさらに降雨流出、洪
立つかどうかを考えます。アカシアの
京都大学
生存基盤科学研究ユニット
小林健一郎助教 +鈴木史朗助教の巻
水氾濫、土砂など専門的に分かれてい
研究でいえば、われわれはたくさんの
欠点を克服する育種をしてやれば、森
ます。ところがこちらにきましてから、
す る だ け で な く、地 理 情 報 シ ス テ ム
サステイナビリティという大変大きな
木材を使っていますが、その一方で木
小林
研究者の世界では、洪水のシミ
ュレーションに新しい方法論を導入し、
命題が身近にあるプレッシャーを日々
若手の
部屋
用性のあるシステムに近付いています。
経済被害計算などを行っています。汎
計算し、結果をGIS上で処理して、
の水が堤防を破壊して氾濫する過程を
で育たないのは当たり前なのですが
ルとかに生えている植物なので、東京
目でした。ヒマラヤの五〇〇〇メート
ぐに枯れてしまって、何回やっても駄
もあります。芽が出たかなと思うとす
ケシの花を見たいと種子をまいたこと
鈴木
小学生のころから植物が好きで
した。庭で木や草を育てていて、青い
ここにこられるとき、生存基盤
―
科学という言葉はピンときましたか?
は格好いいなあと思ったのです。
フレーズがあって、単純だったので水
て尚方円の器に従うは水なり、という
に、常に己の進路を求めて止まず而し
て選びました。黒田如水の﹁水五訓﹂
中では、水分野にロマンがあると感じ
ではよかったと思っています。土木の
アカシアの遺伝子研究の進 状
―
況はいかがですか。
葉の形や出方が種によって違うのは何
⋮⋮。植物が種子から成長し、最初の
れるかといった降雨流出計算や、河道
今後はこの情報をもとに、例えばアカ
鈴木
説明を読むとまあわかってくる
のですが、ものすごく広い対象を含ん
鈴木
遺伝子を網羅的に調べることが
ほぼできたので、論文を投稿しました。
でだろうか、何かルールがあるのでは
生存基盤ですから、それより一つ上位
シアの木が太っていくときに働いてい
の概念なのかなといった印象でした。
でいるという感じがしました。
非常に高邁な理念を掲げているので、
ないか、とにかく植物の生き様を知り
アカシアの種子から苗木が育つときの
を手伝うスタディツアーに参加し、イ
期待が膨らみました。
る遺伝子を調べ、より早く成長する木
生長の速さなどは不均質ですから、よ
衝撃を受けました。その影響で海外経
ンドネシアで貧困層の人々の姿をみて
鈴木
ここで過ごせてよかったのは、
他の分野を知る機会ができたことと、
小林
土木はいまは社会基盤工学科と
いう名称になっているところが多く、
り成長がそろった品種ができれば機械
験をいろいろしてみたいと思い、留学
自分の研究が社会にいかに役に立つの
たいと、農学部に入りました。
化を進めやすくなって生産性が上がり
もしました。実は土木は第一志望では
とをしたいと考えています。現状では、
ます。二酸化炭素をより多く吸収する
なかったのですが、結果的に土木は国
かきちんと説明することの重要性を学
をつくることにつなげていくようなこ
木もつくれるかもしれません。
際的に活躍できる場が多いので、いま
小林
私は大学二年のときに、途上国
で井戸掘りや簡易パイプラインの建設
質問を変えて、研究者になろう
―
としたきっかけは何かありましたか。
93
ぼすことができる範囲が限定されてい
いわけではないですけれど、影響を及
全体の恒久的な平和は、頭によぎらな
とを地道に進めている最中です。人類
どちらかというと自分がいまできるこ
小林
私は人類の未来がどうなるかな
どについては、まだ明確な考えがなく、
考えなくてはいけなくなりますが⋮⋮。
は非常によかったと思います。
感じで、それを感じることができたの
ばノーベル賞を取るような研究という
究所の研究発表を聞くと、端的にいえ
います、実学ですので。例えば化学研
究が、このような観点から見て役立つ
持ち続けていくと思います。自分の研
とが私たちの使命であるという観点は
をこれ以上害さないようにしていくこ
術を使って環境を直す、あるいは環境
してきた人間の仕業ですから、科学技
鈴木
地球環境が悪化しているのは明
らかで、それは科学技術を使って発展
ここでの経験は今後の研究活動
―
にも活きていくでしょうか。
ビリティを支えるものだと思います。
ていく研究は人類と地球のサステイナ
植物を十分に活かしつつ、後代に残し
にしいろいろな原料にも使っています。
物は大変重要です。人類は植物を食料
鈴木
手前味 ですが、地球の生態系
と人類の生産消費活動を考えると、植
握しきれていないというか。
っていますが、社会の全体像がまだ把
ですが、これらの理由が明らかになれ
りたいです。これらは、理学的な興味
に違うのはどういう原因によるのか知
たくさんあり、香りや色、形が種ごと
鈴木
何の制約もないのなら、やはり
植物を研究します。植物はなぜ種類が
たいことはいろいろありますが⋮⋮。
してみるとか。いまの延長線上で試し
によって稲が流されたら、どれぐらい
実的すぎますか。東京全体で三二〇〇
次元の建造物のマップを買うとか。現
小林
とりあえずはいまやっている研
究に投資していくことでしょうか。三
われたら、何をしてみたいですか。
もし何の制約もなしに自由にお
―
金を使っていいから研究しなさいとい
と思います。
て、これからの研究を進めていきたい
んだことです。
ますので、それを考えるよりも、いま
ようにしていきたいと思います。
生存基盤科学やサステイナビリ
―
ティ学では、人類の未来を否が応でも
小林
土木はもともと社会に役立って
こそ意味があるという側面があると思
の自分のレベルでやるべきことをやっ
ことにもつながっていくと思います。
ば、植物の種を保全し、有効活用する
の被害が出るのか、農地を買って実験
万円ぐらいするのです。あるいは洪水
ている感じです。それでも何か明確な
小林
ここでの経験で視点が柔軟にな
ったと思います。それをうまく活かし
ビジョンを示さないといけないとは思
94
は、単なる寄せ集めで終わってしまい
した方がいいと思います。短い期間で
重要ですから、長く続けられるように
鈴木
それはいい。ここは四年という
時限がありましたが、学問には継承も
一大拠点をつくりたいです。
学・サステイナビリティ学の永続的な
きてしまうものも、京都大学では京都
ことです。東京大学で東京の速度でで
は、ここの時間の流れが東京より遅い
小林
永続とまではいわなくても四年
では短いです。京都にきて気付いたの
ラムが終わってしまうのは残念です。
程度形になってきたところで、プログ
ミュニケーションを取り合って、ある
たのが、生存基盤科学をつくろうとコ
鈴木
最初にメンバーが出会ったとき
はそれまで全然関係のない人たちだっ
ができてくるはずです。
うに避難していくか、経済被害はどう
水氾濫が生じて、都市の人間がどのよ
ンに組み込んで、集中豪雨が発生し内
システムをこの次世代シミュレーショ
あるように社会・地球・人間の三つの
す。サステイナビリティ学の定義にも
小林
夢をいえば、スーパーコンピュ
ータなども使って大規模なリアルワー
やりにくいですね。
をかけなければできない研究は、少し
めるようになってきているので、時間
いけるメリットはあると思います。た
にいうと、いらない情報はこないし、
から、やはり動きは遅いのですが、逆
鈴木
こちらは首都ではないので情報
がこないし、人の行き来も激しくない
というのが京都という印象があります。
って、長い時間をかけて熟成していく
明らかにしたいです。
植物に独特な生命現象のメカニズムを
ます。できるかどうかは別問題として、
鈴木
人のやらない、自分にしかでき
ない研究をしたいという気持ちがあり
ったシミュレーションですね。
か、などリアルに状況を予測するとい
ルドシミュレーションをしてみたいで
だ、現在、社会全体が性急に成果を求
かねませんから。
の速度で進んでいる気がします。それ
小林
自分の研究ではなくてもお金を
使えるのなら、京都大学に生存基盤科
小林
今回生存基盤に集まった仲間達
は寄せ集めではないと思いますので、
でも確実に京都に見合ったものをつく
無駄な動きもないから、時間があれば、
自分たちの考えで独自の研究を進めて
95
さらに続ければ何かもっと新しいもの
小林健一郎助教(左)と鈴木史朗助教.
東大若手放談会
サステイナビリティ学の
現実と夢
代表しているものではありません。
IR3Sや現在の所属先の意見を
若手の自由な発言で、
なお、ここに掲載されているのは
関山さんは、この誌上での登場となりました。
杉山さんがなぜか飛び入りで現れ、
タイからの参加となりました。始めたところで、
原さんはインターネットを介して
実際に若手全員が一堂に会するのは難しく、
若手なりの総括を兼ねた放談会を掲載します。
今号には、IR3Sの卒業生も含めて、
若手のメンバーには入れ替わりがありました。
その後の四年近くの間に、
四人の特任助手による座談会を行いました。
﹃サステナ﹄第〇号で、東京大学の
若手の
部屋
出席者
杉山昌広
︵財︶電力中央研究所
社会経済研究所
本多了
東京大学
環境安全研究センター
平松あい
東京大学地球持続戦略研究
イニシアティブ︵TIGS︶
原祐二
和歌山大学
システム工学部
井上智弘
東京大学
知の構造化センター
96
では、最初にIR3Sに所属し
―
ている︵あるいはしていた︶期間と、
ご自分の専門領域、それにIR3Sに
きてから一番印象的だったことを、お
一人ずつ順にお聞かせください。
松田
IR3Sのスタートから一年遅
れでここにきましたので、三年目にな
ります。専門は農業経済と開発経済で
す。一番印象に残っているのは、何だ
松田浩敬
東京大学地球持続戦略研究
イニシアティブ︵TIGS︶
関山牧子
つきません。採用されて最初にきた日
一つだけ挙げるといってもすぐに思い
も新鮮な感じでいて、そういう意味で
回やっていることが新しいので、いつ
す︵笑︶
。専 門 は、も と も と は 地 球 温
ると初々しい自分がいるという感じで
という間で、
﹃サステナ﹄第〇号を見
それからの四年間は考えてみればあっ
︵当時は助手︶として採用されました。
平松
東大のIR3Sができたのが二
〇 〇 五 年 八 月 で、一 〇 月 一 日 に 助 教
した。
られて、何でもやるところが印象的で
のかもしれません。臨機応変さを求め
いて、逆に細かな知識は少なくなった
に面白かったです。広い知識が身に付
えていくみたいなことになって、非常
東京大学地球持続戦略研究
イニシアティブ︵TIGS︶
のことはよく覚えています。助教部屋
暖化と廃棄物で、CDM︵クリーン開
本多
私も二〇〇五年一〇月の採用で、
二〇〇九年六月までいました。専門は
ろう⋮⋮、特にはありません⋮⋮。特
に挨拶に行ったら、本多さん、原さん、
発メカニズム︶という制度に絡めた割
養源・汚濁物質の複合解析などです。
環境工学で、排水処理と排水からの栄
りやすく伝えて、なおかつ解決策を考
平松さん、関山さんと、みんないて。
と狭い分野の研究をしていました。I
にないというのも変ですが、毎日、毎
皆さん親切そうだったので安心した覚
R3Sにきてから、温暖化問題全部を
印象に残っていることは特に一つとい
してもらいましたし。あと、部屋が土
包括的に理解して、それを人々にわか
えがあります。実際、いろいろとよく
足禁止でしたね︵笑︶
。
97
原
私も二〇〇五年一〇月に着任して
二〇〇九年三月までお世話になりまし
があったのも非常に刺激的でした。
の先生と話をしたり聞いたりする機会
通じて、国内外問わずさまざまな分野
ましたし、シンポジウムなどの仕事を
たことが刺激になり、自分の糧になり
社会的なことまで知りたいと思ってい
がどう普及するか、技術だけではなく
た。興味範囲としては、新エネルギー
た技術導入に関する研究をしていまし
専門は機械工学で風力発電を中心とし
井上
二〇〇八年四月からで一年半ぐ
らいです︵二〇〇九年一一月に異動︶
。
謝しています。
当に楽しかったです。IR3Sには感
るか計算してくださいということでし
イのバンコクで豪雨がどれだけ強くな
暖化が進むとフィリピンのマニラやタ
渡されたのが、僕の始まりでした。温
かよくわからないままに仕事をポンと
ですけど、IR3Sにきた翌日に、何
ださる先生だというイメージできたの
住先生は好き勝手なことをやらせてく
生に近くて、地球温暖化の気候モデル
びとやっている姿を間近にして、自分
た。専門は地理学で、特にランドスケ
ます。IR3Sの先生方との関わりは
ま せ ん︵笑︶
。や は り、若 手 の 皆 さ ん
ープ計画となっていますが、空間計画
長く、学生の時分に勉強会や国際会議
た。IR3Sで一番印象的だったのは、
うわけではなくて、いろいろな人と出
に関することを総合的にやってきまし
その仕事もそうでしたが、いろいろな
もこうなりたいなと思いました。
た。IR3Sでは日々判断力を求めら
の運営を通じて非常にお世話になって
人が関わってくることで、分野的にも、
にお会いして、現場で一緒に調査する
れる面が多かったと思います。例えば
いました。IR3Sに対しては、サス
キャラ的にも︵笑︶いろいろで、日本
中でいろいろ教えていただいたのは本
シンポジウムを海外で行って、何かト
ウトプットに対して、期待感と懐疑心
テイナビリティという抽象概念へのア
なのにインターナショナルな雰囲気が
す。分野の違う若手と一緒に研究をし
ラブルが生じますと、これを解決すれ
を交えて無責任に批評していました。
あって、楽しかったです。
会えたのが一番よかったと思っていま
ば自分が成長できると思い、ヒロイッ
ただ、実際に中に入って何よりも感じ
杉山
二〇〇七年一〇月から二〇〇九
年三月までいました。専門は住明正先
クになって、頭の中に﹁プロジェクト
たのが人のすごさで、多忙ながらも、
をいじったりすることがメインです。
入歌が流れきて頑張ってやってしまい
X﹂とか﹁プロフェッショナル﹂の挿
先生方の斬新な発想と、若手が伸び伸
関山
私は、原さん、本多さん、平松
さんから一カ月遅れて、二〇〇五年一
ました。おめでたい性格なのかもしれ
98
3Sで印象的だったことは、いろいろ
養に関する調査をしてきました。IR
際保健学で、アジアの国々で健康や栄
事しています。専門は人類生態学・国
テイナビリティ学教育プログラムに従
九年四月からは、柏キャンパスでサス
一月一日付で採用されました。二〇〇
げられた感があって、一時期、混乱し
でしょうか、自分の見方を無理やり広
うのが正直な印象で、半年ぐらいして
話を聞かされました。聞かされたとい
ない人ばかりで、全く違う視点からの
非常に多くて、シンポジウムでも知ら
きて自分の領域ではない仕事の対応が
した。僕は社会科学系なので、ここに
ていたりするのです。自分の分野だっ
がしていることを見ると何か全然違っ
か境界の引き方が、松田さんや原さん
で見ていた物事の区分けの仕方という
しまったんですもの。自分の専門分野
平松
ある意味、これまでの道から外
れざるをえないですね。だって知って
思っています。
実はものの見方がそれだけではないと
な人がいること。大学にいながらにし
れるというか、うまく消化できなくて
わかってしまった。知れたのはよかっ
たらこの切り口でこういう分析をして
困りました。いまは、自分の分野の見
故に答えを出すのが難しくなったとい
たと思うと同時に、知ってしまったが
こうなるという論理のもっていき方が、
貴重な経験だったと思います。あとは、
方が逆に強くなって、他の人からもら
ました。自分の分野での見方を確立し
助教のみんなで行った調査のこと。ゴ
った見方とうまくミックスされてきた
てからここにきたのですが、それを忘
ミ処理施設や下水処理施設など、自分
う悩みを抱えることになりました。多
と一緒に仕事をする機会を持てたのは、
の分野内の共同研究であったら、絶対
かなという感じがしています。自分は
分それはサステイナビリティ学をやっ
て、企業や省庁で活躍されている方々
に行かないところに連れて行ってもら
農業経済で、農業経済しかやっていな
報の膨大さがあると同時に、その情報
い、臭 か っ た け れ ど 面 白 か っ た で す
を見る視点の膨大さもあって、だから
ます。サステイナビリティ学には、情
があるのではないかと感じる場面があ
解決までもっていくのはすごく難しい
ていく上での象徴的な話だろうと思い
ります。そういう意味では成長したの
い人と話をすると、この人は狭い見方
か、道 か ら 外 れ た の か ︵笑︶
、よ く わ
のだと思います。
をしているなとか、もう少し他の見方
か。
IR3Sにきて、自分のここが
―
変 わ っ た なと 感 じ ると こ ろ は あ り ま す
かりませんけど、私自身はよかったと
︵笑︶
。
松田
学問的なものの見方が変わりま
99
ます﹂と、何でもやる力がついたかな
い﹂ということも多く、
﹁はい、やり
﹁あれをやりなさい﹂
﹁これをやりなさ
原
私は、それまでのバーチャルな研
究内容と自分の実生活との距離が多少
究に味が出てくると思います。
イデア、論理構成などいろいろ面で研
いると、自分一人で考えるよりも、ア
いろいろな人とディスカッションして
し た︵笑︶
。学 生 時 代 に は、教 授 っ て
たときの尊敬するポイントが変わりま
に気づかされました。それと、人を見
論を通じて、ロジックの作り方の違い
がありました。IR3Sの人達との議
用することを考える、という頭の構造
視点はすごく工学的で、まず実務に応
たにしているところです。
と思います。
縮まったかなと感じています。例えば
人たちとのディスカッションが少なく
本多
鍛えられて以前より社会に対す
る適応能力が上がったかな⋮⋮。研究
現地調査をして、関山さんは、そこに
もう一つ変わったと思うのは、適応
面では、博士課程では微生物の研究を
どうすごいのだろう、と思っていたと
井上
自分は学生のときにも幅広く見
ているつもりでいたのですが、やはり
して、研究の動機はどちらかというと
住んでいる人が何を食べているかとか、
ころがあったのですが、IR3Sにき
なってしまった点を反省しています。
自分の興味にあったのですけれど、最
生活に関するいろいろな質問をして大
能力が付いたかなと。ここでは、急に
近では役に立つものは何なのかという
もう一つ、自分の中で研究をどう位
端を引っ張るすごさを間近で感じまし
ったのです。実生活と研究が実は近い
置付けたらいいのかと考えるようにな
て社会人の視点で見ると、時代の最先
のだと感じました。日常的な業務のな
りました。ここは初めて働くことにな
にとって、家は地図上にある情報であ
役に立つのか前よりうまく説明できる
かでも実生活について教えていただき
量のデータを集めます。それまでの私
ようになった気がしています。
まして、最近ではスーパーで野菜の値
った場所です。プロジェクトをどう回
ようになりました。自分の研究がどう
もう一つは、研究においてディスカ
していくのかといったことは、業務で
視点でもテーマを見たり考えたりする
ッションが大切だということを再認識
段を見るようになったとか、実生活と
ありそれ自体は実績にならないと考え
た。
しました。全然違う分野の人たちと話
した。サステイナビリティと日常生活
バーチャルな空間とがつながってきま
てしまう節があります。業務と研究の
方などがあって、非常に役に立ちまし
はつながっているのだという思いを新
をすると、自分の知らない見方や考え
た。だけど、逆にもともといた分野の
100
んできたという感じです。
さじ加減を、皆さんに触発されつつ学
きたのはいい経験でした。
リピンやタイの現地にいって仕事がで
何か間違っていますよね。実際にフィ
高めていくと思います。ネットワーク
すが、将来的には日本のプレゼンスを
う。短期的な成果には直結しにくいで
テイナビリティサイエンスがあの地で
メリカのボストンにいたときに、サス
エンスに出会ったことでしょうか。ア
きましたが、ここでは対象とする規模
象範囲を徹底的に調べる手法でやって
います。学生時代は、すごく小さな対
うになったことが、変わった点だと思
関山
自分が学生時代に学んだことや
実施してきた研究を、客観的にみるよ
ろな成果が出てくるのではないかと思
ながっていって、そこから今後いろい
井上
IR3Sがつくっていくネット
ワークとその他のネットワークとがつ
が構築されてきた意味は大きいです。
杉山
一番変わったのは、純粋に勉強
したことと、サステイナビリティサイ
動き出しているとは知りませんでした。
が大きい。国全体、アジア全体、地球
もそうだと思いますが、 壺化してい
多かったですし、逆にそこに存在する
たことがなかったので混乱することも
全体⋮⋮、そういった視点で考えてき
にはならないでしょう。
本多
それは、しかし、IR3Sが直
接何か成果となるものをつくったこと
います。
本多
IR3Sは異分野の人たちが交
流する場をたくさん提供しましたね。
文を読んだりしました。どこの分野で
IR3Sにきて、ボストンの先生の論
て、自分の領域以外の話になると急に
人間の姿が想像できなくてもどかしく
二つ目に、実際の仕事として発展途
冗談でいうように、インターネットに
年間で何をしたのかと質問されたら、
けですが、世間の人からIR3Sは四
ここからはフリートークです。
―
I R3 S も 今 年 度 で ひと 段 落と な る わ
杉山
教育では成果といえるものが多
いのではないですか。参加五大学が、
のではないですか。
という説明の仕方とは違うこともある
思うことも多かったです。
井上
お金を出してくれたことに対し
てこれができましたという説明の仕方
わからなくなります。
上国に関与できたのは大きかったと思
います。気候のモデルの研究は、国立
さえつながっていれば、スターバック
どのように答えるでしょうか。
と、社会貢献としての何かできました
スでもどこでも仕事ができます。でも
環境研究所の江守正多さんがそれこそ
冷房の効いたところで、発展途上国の
原
ネットワークができたことでしょ
それぞれ教育プログラムをつくりまし
温暖化は大変なんだとか話をするのは
101
図 1 IPoS(Intensive Program on Sustainability)は学部生・大学院生を対象に,アジアの具体
的事例を通してサステイナビリティについて学ぶ合宿形式のトレーニングプログラム.2009 年の
IPoS は 7 月 31 日∼ 8 月 12 日の日程でタイで行われた。思い思いの伝統衣装を着ての記念撮影.
二週間寝食を共にして議論するという
年一〇月からは博士課程もスタートし
生を送り出しました。また、二〇〇九
関山
東大で始まった修士プログラム
では、二〇〇九年九月に初めての修了
ラムにおいても、二年間﹁サステイナ
た、サステイナビリティ学教育プログ
ームページも開設される予定です。ま
発に行われています。今後は同窓生ホ
か、 IPoS
同窓生のつながりは強く、
メーリングリスト等でのやり取りが活
経験は学生にとって強烈なのでしょう
ました。現在は修士・博士合わせて四
ビリティ漬け﹂になった卒業生達のネ
たし、 IPoS
の活動もあるでしょう︵図
〇名の学生が在籍し、国籍も専門分野
ットワークをいかに継続させていくか、
1︶
。
も異なる個性的な学生達がにぎやかに
井上
若手研究者を教育してきたとい
う面はありませんか。
重要な課題だと思います。
やっています。
井上
サステイナビリティ学教育を始
めたころは、単に環境工学であったの
が、年々幅が広くなってきた、という
本多
自分が教育されたかといえば、
それはされたと思います。それを成果
松田
私らはここで雇われたので、教
育される側ではなくて、つくる方の立
印象を学生ながら感じたのを覚えてい
ます。
的な成果を出していかないと⋮⋮。
が出せれば、目に見える成果になるの
場ではないですか。
というには、われわれがこれから具体
松田
ネットワークと教育は本質的に
は同じだと思っていて、それらがこれ
でしょう。
平松
サステイナビリティ学という学
問を 成しましょう、そのための拠点
からも続いていき、時代に対する回答
関山 二〇〇九年の IPoS
の直後に、
同窓生による IPoS
が開催されました。
102
簡単に りだせるものではないですか
まは自然かもしれないです。そんなに
せられるものがまだないという方がい
ジェクトですよね。これだといって見
をつくりましょうというのがこのプロ
松田
これが成果だと思ったらそこで
終わりになってしまいませんか。成果
した。
本多
最初はなにもなかった世界的拠
点が、本当にそうなってきたと感じま
応を見ても、よかったと思います。
れないです。皆さんの顔を見ても、反
ばいけないかもしれないです。
られているのか、厳しいと思わなけれ
をもっている点で国際的に注目されて
論文を出せるのか。IR3Sは機動力
すね。
井上
インパクトを与えられるような
アウトプットを発信するのは難しいで
期待はあるでしょうね。
平松
ただ、社会の人から見ると、何
かすごいものが出てきてほしいという
したみたいなところもありました。あ
本多
ICSSでも、偉い先生たちが
自分たちのいいたいことをいえて満足
ってもらえるだろうか。
ったことですといって、そうですと思
明として、成果はネットワークをつく
の話で、お金を出してくれた方への説
ような気がします。さっきの井上さん
だってかっちり固めるのは、よくない
変わらず反対していますが、一方で経
きは石油・石炭産業が嫌がり彼らは相
います。アメリカでは京都議定書のと
ンチャーがものすごく食い込んできて
杉山
﹃サステナ﹄の第一一号に書い
たことでもありますが、アメリカでは
うに変化してきたでしょうか。
ィに関して、ここ数年の社会はどのよ
た目で見て、環境やサステイナビリテ
IR3Sの活動から少し離れて、
―
サステイナビリティの世界に踏み入れ
いても、研究の実力度はどのように見
ら。
本多
ネットワークをつくること自体
は目的ではなくて、それは研究成果を
そこで話したことが、研究として実を
松田
僕もそう思う。
出すための最初の段階として必要なも
結んでいくかどうかでしょう。
エネルギーでは遅かれ早かれかなりの
える人も増えてきているも事実です。
クリーンテック、グリーンテックにベ
の な の で し ょ う。二 〇 〇 九 年 二 月 の
測るのは僕は論文だと思っています。
杉山
大学はやはり研究・教育機関で、
研究がなければだめでしょう。研究を
済的な理由で温暖化対策をしたいと考
︶で は、参
on Sustainability Science
加者がとても満足している様子があり
変化がおこるでしょう。アメリカも変
I C S S︵ International Conference
ました︵図2︶
。
サステイナビリティ学としてどれだけ
杉山
ICSSは成果といえるかもし
103
図 2 2009 年 2 月に東京大学で開かれた ICSS.
ッパもまた賢く動いていると思います。
本多
関心をもってもらうのはもちろ
んいいことだと思うけれど、長い目で
題とする回答が圧倒的に増えています。
心の高まりが明らかに見てとれるので
本多
いまはタイで仕事していますが、
五年前ぐらいに学生として訪れたとき
理解しているのか不安があります。
化しますし、途上国にも結構キャッチ
には、二酸化炭素削減など全然話題に
すが、最近は環境問題=地球温暖化問
ならなかったのが、いまは、エネルギ
平松
エコ、エコってさかんにいわれ
ていた時期があって、私の中では、い
アップしやすい技術が多いし、ヨーロ
ーの節約がいわれたり、エコバッグが
います。え、今からエコですか、ちょ
まはエコはやや古いイメージになって
っと遅れていませんか、みたいな感じ
配られたり、バンコクの一般市民の関
の人たちにしても、完全に世界的な潮
で︵笑︶
。エコはとりあえず環境保全
心は確実に高くなっています。途上国
流になっているようです。中国も循環
ももちろんだけれど経済やいろいろな
優先で、サステイナビリティは、エコ
ものも一緒に考えましょうと。エコだ
っているのは確かです。日本はどちら
かというと、地球温暖化に偏っていな
けではないぞという雰囲気が社会にも
経済とかいって無関心でいられなくな
いですか。
多少出てきた気がします。
関山
私はここ数年、ある大学で非常
勤講師をしているのですが、最初の授
ルギーとして世界的に伸びているのに、
の話をすると、コストの安い自然エネ
井上
日本は何かブームになる傾向が
強いような⋮⋮。
業の際に環境問題についてアンケート
日本では産業として育てるための支援
井上
日本は世界の動きに取り残され
ている感じがあります。例えば、風力
を取っています。その結果からは、関
104
がありません。そのために技術力が劣
もしれないけれど、調整しているうち
ければいけないのか、長期的な視野が
にぐちゃぐちゃになってしまうのかな。
ないように見えます。考えているのか
ちできるのか心配です。動きが鈍いの
ってしまい、国際市場が何兆ドルとか
が日本の体質なのでしょうか。環境に
いいとは思うのですが、地球全体で自
松田
農業についていうと、市場に乗
る部分は、インセンティブが働くので
になったときに、日本の企業が太刀打
いのですが、CSR︵企業の社会的責
ついていろいろと行っている企業も多
そのようなところも変えていかないと、
は日本ではないかと思うくらいです。
のことしか考えないで一番がめついの
を変えるという発想があります。お金
と、社会福祉までも企業が考えて社会
バルレベルでコントロールするメカニ
近は、市場に乗らない部分で、グロー
国もたくさんの資金を出しました。最
増産をしようという動きになって、各
巻き込んで、グローバルレベルで食糧
食糧農業機関︶
、各国の農業研究所も
ら始まって、世界銀行、FAO︵国連
ても、フォードとかロックフェラーか
然資源をコントロールしていく動きは
世界の最先端についていけない状態に
ズムがどんどん衰退しています。自分
任︶にはいまだに力が入っていません。
なっているのではないかと思います。
の国のことを解決するので手いっぱい
後退しています。一九六〇年代に始ま
本多
二酸化炭素を減らすことには誰
もノーとはいわないと思いますけど、
で、国際公共財をうまく供給するよう
った緑の革命は、良し悪しはあるにし
どうやって減らしていくのか、減らし
もあります。海外では、CSRという
ていく過程で何をしていかなければな
なことにまでは資金を出さないのです。
CSRにはお金を出せないという企業
らないのか、国の中でどこを強くしな
105
高い人が増えている一方で、中山間地
原
和歌山大学にきまして、調査で中
山間地にいきますと、環境意識の結構
いくのか非常に問題であると思います。
ティをどのようにコーディネートして
でなくて、グローバルサステイナビリ
す。商業ベースに乗るようなものだけ
体もコントロールされるようになりま
は、種子の生産を支配し、食料生産自
いう批判があり、また遺伝子組み換え
利益になるものしかつくっていないと
で行われています。しかしそれには、
テイナビリティに貢献するという名目
に対応する作物をつくることが、サス
先真っ暗です。誰かが損をするのは避
州とかはよほど何かを変えなければお
炭鉱で食っているウェストバージニア
アメリカで排出量取引の法案が通れば、
て、金銭的に損をする人も出てきます。
皆が幸せになるイメージではすまなく
杉山
納得させるのは難しいと僕は思
います。ゼロサムではないにしても、
要があるかなと思います。
テイナビリティ関係者が練っていく必
く納得してもらえるようなものをサス
まり感情的にならずに施策としてうま
というような場所もあるわけです。あ
加えずに自然の自律性に任せるべきだ
いのですが、自然生態的には人が手を
われを見捨てるのかという訴えには弱
かと国民から求められて、苦肉の策と
なのでしょう。何をすればいいのです
ろから何かをしようとする発想はどう
変えていく、目の前の手にとれるとこ
なのに、一人ひとりの小さな活動から
まいました。相手はもっと大きなこと
中に竹槍をもたせたことを連想してし
るでしょう。あれを見たときに、戦時
井上
一人一日一キログラムの二酸化
炭素を減らしましょうという運動があ
でしょう。
た方がよいのか、そのあたりも違うの
って、飛び出た方がよいのか、談合し
かもしれません。社会のシステムによ
成功するまでにその人は打たれている
松田
一人が出てそれに追随するのは、
その人が成功しているからであって、
た人に追随しようという話になる⋮⋮。
杭は打たれるみたいなところがあって、
への国庫補助が今後は続かないだろう、
けられません。うまく富を移転できれ
して出した面もあるでしょうけれど、
くないだろうという意識が国民的には
自分たちは切り捨てられるのではない
ばいいのでしょうが、何かを変えるこ
だけど、ビジネスチャンスはあって、
かと感じている人もいます。中山間地
とは絶対に要なのです。
変われない。アメリカだと一つ飛び出
は、率直にいって、そもそも農業生産
政策として、こまめに電気を消すのが
広まりつつあるかもしれません。われ
に不適な場所です。だから、そこでの
井上
僕のイメージだと、日本は出る
遺伝子組み換えで干ばつとか冷害とか
農業生産を守っていく必要性はおそら
106
が変ではないですか。それに文句をい
的な環境で環境省の官僚が仕事する方
設定温度を二八度以上にして、非生産
ころがあるのでしょうか。夏の冷房の
しているような感じも受けます。
るのは、目先のところしか見せまいと
本当に価値があることですよと説明す
けなさいってことでしょうか。
井上
国民が一人ひとりに何ができま
すかって聞かれたら、結局は、考え続
ね。
平松
日常生活の狭い範囲の対策でO
Kみたいに思ってしまうのは問題です
⋮⋮。
井上
これをやっていれば安心だよと
いう答えになってしまっているような
ているのではと感じます。
られる部分があっても、見えなくなっ
⋮⋮。
す。これを布にすれば、どれだけの森
だから紙オムツを使ってしまっていま
は⋮⋮。布オムツで頑張っているママ
関山
それは耳が痛いです。毎日大量
の紙オムツを捨てている身として
だけでやらないとか⋮⋮。
ませんか。知っていても、知っている
林が守れるのかな⋮⋮と思いながら
いますが、環境に優しい企業の製品を
平松
冷房の設定温度を高くするとか、
実際に割とやられるようになったと思
いますけど。
しょうというキャンペーンなのかと思
本多
一人一日一キログラムは実際の
効果よりも、みんながちゃんと考えま
平松
日本だけのことしかわからない
のですが、知識量は多いけれども、行
と⋮⋮。
うなところもディスカッションしない
ない気がします。勝者と敗者が出るよ
がもっと突っ込んで議論しないといけ
思えません。興味関心と時間のある人
心に考えなさいという必要があるとは
本多
エネルギー問題と資源循環は二
大テーマですけれども、市民レベルで
されている人も結構いるようです。
ル問題は基本的に関係はないのに誤解
るようですよ。温暖化問題とリサイク
杉山
最近みた分析では、多くの人は
温暖化対策のためにリサイクルしてい
松田
行動の仕方を知らないっていう
ことはないですか。
選ぶようなことは、あまりされていま
な発想というか、日本人には受けると
杉山
欲しがりません勝つまではとい
うか、辛抱をよしとする﹁おしん﹂的
うメディアがない方が問題だと思うの
もたくさんいるなかで、やっぱり便利
ですけど。
杉山
国民といってもいろいろで、ホ
ームレスの人にまで温暖化について熱
せん。一つ何かやっていると、それで
動の変化量は少ないようなことがあり
杉山
二酸化炭素は基本的に経済活動
で出るので、企業がやる気にならなけ
の理解はそんな感じなのですね⋮⋮。
満足してしまって、もっと大きく変え
107
したいでしょうか。
最後の質問です。もしもお金と
―
時 間と 体 力 が 無 限 に あ ると し た ら 何 を
が重要と思います。
あります。そういうところで頑張るの
がやる方が、簡単にできてメリットが
や事業体など使用量の大きなユーザー
本多
水の再利用でも、みんなの家で
再利用しようと思うと大変です。企業
ればだめなのです。
る人たちと、やってきたいと思います。
たいことを、自分に刺激を与えてくれ
の研究費も出して、そこで自分のやり
て、自分の給料は自分で出して、自分
本多
日本の大学をいろいろ調べて、
ここで研究したいと思うところを決め
いと思います。
つかけて、深い視点で話をして回りた
ならない。だから、一人一年ぐらいず
逆にいえば踏み込まないからけんかに
ここではお互いリスペクトしている、
と、けんかにならないことです ︵笑︶
。
と研究をするのと、何が違うかという
人と研究をするのと、自分の分野の人
し て い て、小 宮 山 宏 先 生︵前 東 大 総
リティに関連づければ、いまは混沌と
される仕組みが欲しい。サステイナビ
すが、そういう人たちにドーンと投資
ていない人が埋もれている、と憂えて
を取ってから能力を十分に発揮しきれ
井上
僕は若手が活躍できる発信型の
シンクタンクがほしいです。ドクター
利用の将来をみたいと思います。
緑地とか生態系の立場も含めて、土地
土地利用モデルを動かしてみたいです。
図をつくって、人の意思が反映された
を完全にデジタル化して、完璧な地籍
え ま し た︵笑︶
。そ れ は、王 様 根 性 と
原
初めに、不要な開発を止めるため
に土地を買収しまくるということを考
リバリ研究です。
体力が無限にあるのだから、あとはバ
ではなく、既存の枠組みを超えた発想
す。政策のための受注型シンクタンク
重要になってくるのは発信のところで
くかということを目指しているわけで
識をどうつなげて、解決策を考えてい
長︶が話されているように、膨大な知
いた先輩に触発された意見ではありま
杉山
石炭よりはるかに安い太陽電池
と充電池の組み合わせをつくります。
きれば発展途上国ですら自分たちでエ
いうか、危険な独裁者の発想になりか
平松
そんなことでいいの?
お金も
時間も体力も無限にあるのに⋮⋮。
ネルギーを簡単に手にできるのです。
ねないので、それはさておくとして、
を考える場所が面白いのではないかと
す。サステイナビリティ学でこれから
劇的に世界は変わります。
答えとしては、全国の土地利用・所有
杉山
だってこれでエネルギー問題は
全部解決します。この組み合わせがで
松田
僕はいろいろな人を説得して回
ります。ここにきていろいろな分野の
108
うための研究費を出す基金を作りたい。
問題となっていることを解決してもら
関山
世界中を旅して、世界中の子ど
も達と会ってみたい。そして、そこで
思います。
できないので、人間的にもっと成長し
します。私のいまの知能ではそこまで
らなければいけないのかなという気が
限にあってもだめで、何か人間が変わ
うにするには、お金も時間も体力も無
うのです。すべての人が幸せになれよ
で、同じことがまたおこるようにも思
杉山
虐殺の統計を調べている先生が
いて、それを見ると、人類は思想的な
はあると思っています。
は客観的にもっともっと上に行く余地
も思想的にももっと先があって、人間
かと。サステイナビリティは宗教的に
わっていかないといけないのではない
進歩はあったかもしれないが、実態は
れど、子どもの生活は社会の問題を如
ないといけないという結論です。
ついてきているかわからないようです。
楽しそう、というのが一番の理由だけ
実に表わすと思うし、自分の目でそれ
本多
ぜひ宗教家になって人類を救っ
てください。
の財を使いたい。
松田
所得と逆相関があって、ある程
度の所得を超えると内戦もなくなるし
平松
単にリーダーシップだけでは駄
目だと思います。宗教なら何かカリス
はないですか。
活躍できる場がたくさんあって、それ
いにしたいと思います。若い皆さんが
いろ いろ楽し い答え を聞かせ て
―
いただいたところで、今日はこれくら
虐殺もなくなるということがあります。
本多 それって、インフレがおこるだ
けでは︵笑︶
。
マによる救いですむところがあるのか
に反応して柔軟に変わっていくような
だからやはりお金は必要なのかなと。
平松
だから、これには前提があるの、
本当に世の中が善人ばかりだとしたら
もしれないけど、根本じゃないと思い
平松 ここでは教祖は住先生一人で十
分です︵冗談です︶
。
原
入信しますよ。
を見て回って、その解決のために全て
平松
私は、お金と時間と体力が無限
にあったら、貧困をなくしたい。お金
が無限なのだから、単純にお金をあげ
そうしたい。体力も無限なのだから、
ます。それにただついていくだけでは
たいって⋮⋮。
土地が荒れたところを直したり、一生
世の中になっていくといいと思います。
平松 あれれ、お金の話に戻っちゃっ
た︵笑︶
。
懸命に働いちゃう。でも結局、自分が
なく、もっと人類全体が深い部分で変
井上
宗教というよりは、リーダーシ
ップを取れる人が必要だということで
中心になって何でもやってみたところ
109
サステナ
情報室
書籍紹介
『グリーン資本主義
グローバル「危機」克服の条件 』
佐和隆光 著
『エコ・フィロソフィ入門
サステイナブルな知と行為の 出 』
松尾友矩・竹村牧男・稲垣諭 編
温室効果ガス排出量の 25%削減は,た
わごとか? 温暖化対策などしたらますます
景気が悪くなるのか?
本誌『サステナ』でも哲学サイドから新
それらは誤りであると,本書はもののみご
鮮な情報発信を続ける東洋大学が,学生か とに喝破します.舌鋒の鋭さ,論理の明快さ
ら一般社会人向けの本を出版しました.
に,胸がすく思いで,読み始めたらやめられ
環境やサステイナビリティを巡る議論で ません.痛快無比の本です.それもそのは
は,理系からの分析・提言が先行する傾向 ず,「 過半の研究者は『実務家の奴隷』と
が往々にしてありますが,東洋大学では 立 してふるまっている 」 との激烈な批判精神
者の井上円了からの伝統の厚みを活かして, をもって一気呵成に書き上げたからで,燃え
以前から「共生学」を提唱し,サステイナ るような情熱が伝わってきます.
ビリティに関連する問題系に独自のアプロー
本書のエッセンスは――温室効果ガスの
チを続けてきていました.サステイナビリテ 厳しい削減義務を先進国に課すことが世界
ィ学連携研究機構に加わったことで,さらに 経済の持続可能な発展をもたらす.
幅の広い議論が活性化し,研究がより深め
それはなぜなのか? 世界不況から脱し
られました.本書は,その成果です.
ようとして先進国は内需喚起を試みましたが
地球温暖化問題のような現実的な課題に, 効果がありませんでした.新興国・発展途上
哲学が何の役に立つかと疑問を呈する人も 国の内需を掘り起こして,先進国の輸出増
いることでしょう.哲学的思考は,新たな行 を誘うのが,期待し得る不況脱出の道です.
為機会の選択肢を発見する手がかりを与え そのためには先進国が新興国・発展途上国
てくれます.環境問題に関わっていく哲学の に投資する必要があります.京都議定書が
戦略概念がエコ・フィロソフィで,本書は, 定めたクリーン開発メカニズムが鍵になりま
その具体的な取り組みをわかりやすく紹介 す.先進国が自国で削減し切れない温室効
してくれます.インド・中国・日本の伝統知 果ガスを,新興国・発展途上国に代わって削
を手がかりとしてエコ・フィロソフィの理論 減してもらうための投資が,世界の需要を掘
を探り,システム・デザイン・風水を通して り起こしていくのです.
環境イメージを拡張し,人間心理と環境行
本書を読み,多くの人々が確信をもって,
動について考察するなど,本書に盛られて ここで提唱されるグリーン資本主義へと歩
いるテーマは知的刺激に満ちています.
み出してほしいと願わずにはいられません.
年刊
(ノンブル社 2009
222 頁 本体 1800 円 )
年刊
(岩波書店 2009
204 頁 本体 700 円)
110
農業廃棄物からの
資源・エネルギー回収を考える
近藤勝義
二一世紀に入り、地球温暖化による環境負荷・
ルのいずれでも走行できるフレキシブル・フュ
大阪大学接合科学研究所教授
︵粉末冶金、リサイクル︶
自然災害への危機感の高まりに加え、原油価格
といった穀物をバイオマス燃料として急速に転
因である。しかしながら、トウモロコシや小麦
換利用したため、食品素材としてのこれら穀物
ー エ ル・ビ ー ク ル︵ Flexible Fuel Vehicle
、
FFV︶の比率が増大していることも大きな要
ーワードは、世界中に急速に認知された。そこ
の需給バランスが崩れ、品薄・品切れや急激な
の高騰・変動による国民生活への実質的な影響
では、カーボン・ニュートラルな環境軽負荷型
価格上昇などによる食生活への影響が生じた。
が現れたことでバイオマスエネルギーというキ
置づけ、低炭素社会の形成への寄与が期待され
勿論、これら穀物に対する投機的な活動も価格
新エネルギーとしてバイオマスエネルギーを位
ている。その一つであるバイオエタノールの世
高騰の要因の一つになっている。そこで、エネ
あり、食品素材およびその加工製品の循環経路
界の生産量推移において、二〇〇七年の生産量
に直接関与しない﹁非食部バイオマス﹂が着目
として、食料資源として利用されない有機物で
界の穀物生産量において高いシェアを有するが、
された。有力な候補として、例えば、稲わら、
ルギー資源として大量処理する際のバイオマス
特に、ブラジルでは、政府のエネルギー政策に
は二〇〇一年の約二倍となり、その七四%を米
よりガソリンに比べてエタノールの価格が安く、
麦わら、もみ殻、林地残材︵間伐材・被害木︶
国とブラジルの二国で占めている。両国は、世
税制優遇措置もあるため、ガソリン、エタノー
111
循環型社会の形成とサステイナビリティ
特集
(前号の続き)
などが現在、取り上げられている。
るもみ殻には、重量基準で約七〇∼七
産量が安定しており、そこから発生す
もみ殻一トンから約〇・一五キロの二
いのが現状である。野焼きの場合には、
や野焼き処分など有効利用されていな
かな比率に過ぎない。大部分は、放置
に家畜用敷き材や飼料への添加などが
五%の有機物︵セルロース・ヘミセル
酸化炭素が発生し、また、同量のもみ
査・研究成果について触れたいと思う。
ロースなど︶が含まれており、有力な
行われているが、全発生量に対して
バイオマスとして利用する素材は、
バイオマスである。国際連合食糧農業
米は、日本を含めて世界中で年間生
安定供給されることが前提であるが、
もみ殻由来の
エネルギー
併せてその集荷と搬送といったロジス
を要する場合、集荷域でのエネルギー
れた間伐材は、その搬送に多額の費用
万トンと報告されている。しかも、カ
世界のもみ殻発生量は約一億二七〇〇
、F
nization of the United Nations
AO︶の統計によれば、二〇〇六年の
為を続ければ、近い将来、地球規模で
殻に対して、野焼きや投棄といった行
〇〇万トンという単位で発生するもみ
日本国内においても、年間平均で約三
二酸化炭素対比で約二一︶が発生する。
〇九キロのメタンガス︵温暖化係数は
生成と利用といったオンサイトでの実
玄米の集荷場が各地域に存在するシス
ントリーエレベータやそれに類似した
の環境破壊を誘発する可能性は否めな
殻を放置すると、腐敗によって約〇・
ティックを考慮したプロセス設計を行
機 関︵ Food and Agriculture Orga-
用化を考える必要がある。もみ殻や稲
テムは世界共通であり、日本国内であ
い。よって、農業廃棄物であるもみ殻
う必要がある。例えば、奥地で採取さ
わ ら の よ う に 〇・一 ∼ 〇・二 g/cm3
といった低比重の素材は、搬送費が他
っても年間を通じて安定的にもみ殻を
与すると考えられる。
のバイオマスに比べて著しく高くなる
次に、もみ殻の具体的な利用方法に
をバイオマスとして利用することは、
ーの生成工場を設置することは、バイ
ついて紹介する。世界の米どころであ
前記の環境負荷の低減にも直接的に寄
オマスの集荷・搬送費に関わるコスト
排出することが可能である。ゆえに、
辺でのエネルギー生成・回収が求めら
を大幅に削減できる有効な方策の一つ
これらに隣接してバイオマスエネルギ
れる。そこで、本稿では、もみ殻を対
る東南アジア諸国では、すでにもみ殻
荷場であるカントリーエレベータの周
象としたエネルギー回収の現状を紹介
である。もみ殻の利用方法として、主
ことを考えると、例えば、それらの集
し た 上 で、そ れ に 関 連 す る 我 々 の 調
112
間約六三〇〇万トンのもみ殻が発生す
ー事業を実施しており、なかでも、年
を投入燃料としたバイオマスエネルギ
に示すような焼成灰︵ Ash
︶を排出す
る。そ の 成 分 は、重 量 比 率 で シ リ カ
発電と同様、もみ殻の燃焼後には図2
電・送電している。その際、石炭火力
殻や稲わらからのエタノールの精製に
他方、発酵プロセスを利用したもみ
投棄や有償廃棄処分されている。
できない余剰のもみ殻焼成灰は、河川
料としての利用に限定される。そのた
ート用混和材といった安価な低級素原
燃焼状況を図1に示す。本発電所は二
するもみ殻の屋外ストックと操業時の
ッ ト に て Roi-et Green Co., Ltd.
が保
有する一〇メガワット級発電所で使用
灰の内部に残留するためである。シリ
ているのは、その炭素が二∼三%程度、
含まれる。なお、焼成灰が黒色を呈し
由来の金属元素が不純物レベルとして
この場合も実用化を想定した工程内残
の精製に成功している。しかしながら、
あるが、利用可能な品質のエタノール
現状では、ラボレベルでの検証段階で
関する研究が国内外で進められている。
Al
め、経済性バランスを考えて、再利用
り複数のもみ殻発電所が稼動している。 ︵ SiO
︶が約八四∼八八%と最も多く、
2
他には有機成分由来の残留炭素︵C︶
るタイ王国では、日系企業の支援によ
や、K、 、 、P、 、 など土壌
〇〇三年より稼動しており、一日あた
カが残 の主成分であることから土壌
の有効利用が課題である。ここで排
Na
一例として、同国コンケーン県ロイエ
り約三〇〇トンのもみ殻を一〇〇〇度
に戻すための農業用途の他、コンクリ
113
で 燃 焼 し、そ の 発 熱 量 を 利 用 し て 発
図 2 もみ殻発電所から排出された
焼成灰の外観.
Fe
図 1 タイで操業するもみ殻発電所.
(上)もみ殻の屋外ストック,(下)もみ
殻の燃焼状況.
Ca
が問題となる。
リカを主成分とした焼成灰の取り扱い
られるが、最終的には、この場合もシ
での燃焼用原料としての再利用が考え
ニンが含まれることから、製造工程内
出される残 には、シリカの他にリグ
リアルフローを図3に示す。前述の通
イオマスエネルギー生成におけるマテ
内での排出残 の再資源化を含めたバ
も重要な課題といえる。そこで、工程
らず、地球環境への負荷軽減の点から
な利用に際して、経済性の観点のみな
スエネルギーの広範囲における持続的
そこで、環境・人体への負荷が小さく、
造へと変化することで特徴を損なう。
が生じた場合、その凝固過程で結晶構
かも、もみ殻の燃焼時にシリカの溶融
の共晶反応による低温溶融である。し
とKといったアルカリ金属とシリカと
る現象が、もみ殻に微量に含まれる
バイオマスの
マテリアルフローと再資源化
分解・発酵法によるエタノール精製の
る熱・電気エネルギーの回収や、加水
得る。また、従来の鉱物系シリカとは
保できれば、有効な素材・資源となり
度が九九%を超える品質を安定的に確
れている。用途にもよるが、シリカ純
を超える高純度化を達成し、不純物含
表1に示すようにシリカ成分は九九%
酸洗浄処理もみ殻を大気燃焼すると、
処理プロセスを確立した。その結果、
て、希薄なクエン酸水溶液による洗浄
かつ優れた経済性のもとで、もみ殻に
いずれにおいても、シリカを主成分と
異なる特徴として、反応活性な非晶質
有量も従来の燃焼灰に比べて著しく低
り、残 の主成分であるシリカは、工
したもみ殻残 が発生する。もみ殻の
︵アモルファス︶であることと、多孔
減することに成功した。
含まれる微量なアルカリ金属元素をは
バイオマス利用に関する研究ならびに
質構造を有するといった点が挙げられ
じめとする不純物を除去する方法とし
実用化は進められているものの、同時
る。これらの特徴を活かした高付加価
イオマスを有効活用し、地球環境に配
薬品用添加素材など、広範囲で使用さ
に排出される残 の適切な処理・処分、
値資源への適用が大いに期待できる。
策として、非食部バイオマスであるも
慮した低炭素社会を構築する一つの方
業・農業用資源の他、食品や菓子、医
あるいは有価物資源としての再利用に
技術の詳細︵注1︶は割愛するが、焼
み殻を出発原料とし、エネルギーと残
このように化石燃料の代替としてバ
関する検討は十分ではない。言い換え
成灰中の残留炭素がシリカの純度を低
下させる主要因であり、これを誘発す
ギーや資源として利活用できるプロセ
ス技術の構築は、もみ殻由来バイオマ
ると、もみ殻を余すことなく、エネル
先に紹介したもみ殻の直接燃焼によ
Na
114
K2O
CaO
MnO Al2O3 Fe2O3 CuO
MoO3
C
99.25
0.07
0
0.11
0.06
0.14
0.02
0.01
0.02
0
0.01
0.03
原料もみ殻 91.72
0.48
0.11
0.49
3.76
0.72
0.31
0.07
0.18
0.08
0.01
2.07
える。しかし、ここからが本当の技術
資源︵高純度シリカ︶を経済性よく
開発製法
開発である。スケールアップ技術の確
立やクエン酸洗浄液の再利用と廃棄処
理、それに基づくシリカ純度の安定性
の評価などさまざまな課題がある。な
かでも、もみ殻由来の高純度シリカを
如何にして高付加価値資源・素材とし
て利活用するかを民間企業の知恵を借
りて解決しなければいけない。ゴール
はまだまだ先である。
︵注1 ︶ J. Umeda and K. Kondoh,
Journal of Materials Science, 43,
︵ 2008
︶ , 7084 7090.
訂正
﹃サステナ﹄ 号二七ページに誤りが
ありました。謹んでお詫びいたします。
誤 特集のタイトル 地球温暖化対策か
らみたサステイナビリティ
正 特集のタイトル 循環型社会の形成
とサステイナビリティ
115
併産できるラボ技術を構築できたと考
MgO Na2O P2O5
(mass%) SiO2
ルート
ルート
もみ
図 3 もみ殻の再資源化におけるマテリアル・フロー.バイオマスエネルギーと
高付加価値素材(高純度シリカ)の生成.
表 1 クエン酸洗浄処理を施したもみ殻と原料もみ殻を用いた燃焼灰の
成分分析結果.
13
ばん え
ど
なが さき
CO 2版江戸のかたきを長崎で?
カーボンオフセット
――
﹁江戸の敵を長崎で討つ﹂ということわざを知っていま
すか。江戸でのうらみを遠くはなれた長崎ではらす、とい
うところから、意外な場所や方法で仕返しをすることをい
います︵筋違いの仕返しをする、という意味もあります︶。
この﹁かたき﹂を、地球温暖化の原因である二酸化炭素
︵CO 2︶におきかえてみましょう。
家 庭 で の CO 2削 減 の た め に、暖 房 の 温 度 を 二 〇 ℃に す
る、シャワーを一分間短くする、などいろいろな方法が提
案されていますね。でも努力してもこれ以上は無理! と
いうとき、遠く離れた場所での削減に協力することができ
ます。これを﹁カーボンオフセット﹂といいます。自分で
は減らせなかった CO 2の量を、別の方法で減らしてプラ
スマイナスゼロに近づけよう、というものです。たとえば
⋮⋮。
からだ うご
さむ
体を動かそう!
からだ
うん どう
うご
寒いと、どうしても体がちぢこまって、動き
けつこう
めんえきりよく
たんじ
かん
に く く な り ま す ね ⋮⋮。し か し! 運 動 す る
にちじようせいかつ
しゆうかん
と血行もよくなり、免疫力がアップ。短時間
でも日常生活で習慣にすると◎。
﹃だれがいちばんきれい?﹄
どう ぶつ
いち ばん
︵新世研・一六〇〇円︶
作/絵 ハミド・レザ・ベイダーギー
訳 だんばら あつこ
動 物 た ち が、だ れ が 一 番 き れ い か? と い う
おも
たが
コンテストをしてボスをえらぶことにしまし
こうかん
た。みんなで、かっこいいと思っていたお互
さいご
ろ準備しましたが、さて、最後にボスにえら
じゆんび
いのもちものを交換しあったりして、いろい
↓一枚で、テレビを六四時間見たときに出る CO 2と
ばれたのは⋮⋮?
郵便局でカーボンオフセットはがきを買うと?
同じだけ︵約二・五キロ︶削減できる。
にん
他人のいいとこ
た
旅行に行くとき、カーボンオフセットのチケットや商
ろばかりうらや
ぶん
品を利用すると?
きび
りつしゆん
りつしゆん
いちねん
はじ
か
ぜ
いちねん
ちゆうい
き
せつ
厳しくなるころ! 風邪にご注意。
むかし
★立春︵二月四日︶
つよ
せつ ぶん
みなみかぜ
じ
き
よく じつ
はるいちばん
ひ
よ
い
こう
さむ
はる
もつと
はる
︵こどもサステナ
文・構成 平松 あい︶
吹く強い南風を、春一番、と呼びます。
ふ
いってもまだ寒い時期。この日以降にはじめて
さむ
分 か れ め、
﹁節 分﹂の 翌 日 に あ た り ま す。春 と
わ
昔でいう一年の始まりです。季節︵冬と春︶の
ふゆ
この日から立春まで、一年のうちで寒さが最も
ひ
★大寒︵一月二〇日︶
だい かん
サステナけいじばん
れる本です。
ことを教えてく
おし
を美しくみがく
うつく
りのままの自分
じ
むのでなく、あ
いや∼、というのは、それこそ﹁筋違い﹂ですよ。
トをしているからといって、どんどん CO 2を出してもい
機会があれば利用してみよう。でも、カーボンオフセッ
ャンルでカーボンオフセット商品が発売中。
そのほか、お菓子、家電製品など、ありとあらゆるジ
金が送られる。
↓海外の植林や風力発電プロジェクトなどに一部のお
冬の号
2010