第4章 ベンチャー育成環境 (87KB)

第4章 ベンチャー育成環境
ベンチャーの日米格差は周知の事実、では米国でベンチャーが成功して日本でなぜうまくい
かないか、という議論があちこちでなされている。このテーマは甲論乙駁、確とした答えはな
かなか出てこない。
米国がすべてうまくいっているわけでもない。最近はカリフォルニア州などの西海岸諸州や
テキサス州、コロラド州でハイテク・ベンチャーが続々登場している一方で、東部や中西部諸
州のハイテク産業は思わしくなく、それなりに地域間格差がある。また、世界的にみると、新
興企業の活躍が目立つ国は、欧州ではイギリス、アイルランドと北欧、アジア地域ではシンガ
ポール、香港、インド、イスラエルである。他方、ドイツ、フランスや日本、韓国では、こう
した起業家の動きが停滞しているといわれる。各国の競争力を指標化しているIMDの競争力
ランキング(1)でも、アメリカ、イギリス、カナダなどのアングロサクソン系諸国とアジア、北
欧の台頭に対して、日本やドイツ、フランスが大きく順位を下げている(図表4-1)。時代の
波に乗って伸びている国で起業家経済が活発である。
また、日本でも昔からベンチャーが育たなかった訳ではなく、明治・大正時代、あるいは第
二次大戦後から高度成長の前半までの時期には、今日の多くの大企業が起業家によって勃興し
ている(第1章の図表1-1を参照)。松下電器、ソニー、カシオ計算機、京セラ、本田技研、
リンナイ、YKK、ダイエー、イトーヨーカ堂、ユニー、セコムといった大企業は、第二次大
戦後から1960年代にスタートしたかつてのベンチャー企業である。
起業家活動は、少数のファクターによって一律的に強弱が決まるものではない。時代背景や
地域の状況、社会意識、産業構造、技術革新など、多くの要因が影響し合って形作られてい
る。本章のテーマは、これまで論理的な裏づけのある議論が少なく、今後の分析が待たれる領
域である。以下では、具体的な検証は積み残しているが、起業家活動を阻害する日本の問題点
を中心に整理してみたい。
図表4-1 世界主要国の競争力ランキング
ランクアップ
93年
米国
シンガポール
香港
フィンランド
ノルウェー
カナダ
イギリス
アイルランド
インド
1
3
4
25
21
17
16
23
42
ランクダウン
97年
1
2
3
4
5
10
11
15
41
日本
ドイツ
スウェーデン
フランス
台湾
韓国
イタリア
メキシコ
93年 97年
2
9
5
14
9
16
15
19
11
23
28
30
27
34
33
40
(出所) IMD,The World Competitiveness Yearbook 1997。
(1)
1. 起業家経済の日米比較
これまでの日本では、経済や金融制度のみならず、社会風土・慣行、学校教育、税制等の幅
広い側面において、起業や新興企業の経営に不利なシステムが存在したことは事実である。そ
のような従来のシステムを着実に変革していくことが必要であり、世論も総論ではベンチャー
支援に積極的である。実際、ここ1、2年の創業支援に対する政策や民間の取り組みは、これ
までのペースを大きく上回る勢いであり、日本のベンチャー育成環境は着実に好ましい方向に
変わりつつある。しかし、上記のような企業活動のインフラストラクチャーが一朝一夕に変わ
ることはありえず、早急に変革の効果を求めること自体に無理がある。むしろ、日本固有の制
度や慣行を利用しつつ、創業に有利な社会経済環境を整備することが重要とする意見も少なく
ない。
(1)社会的・文化的要因
日本人の起業家意識が米国人に比べて弱いということは、既に各方面から主張されているこ
とで、異を唱える人は少ないだろう。若手の高学歴者は、大抵は公務員や大企業サラリーマ
ン、あるいは医者・弁護士等の専門職への就職を希望し、中小企業が第一志望というケースや
自ら独立して経営者を目指す事例は少ない。
それゆえ、「日本人が米国人に比べ独立心の弱い国民であり、日本人の起業家意識も米国人
に比べ弱い。」という主張は、むげには否定できない。しかし、こうした特徴は、それぞれの
歴史の中で形作られてきた社会各層の価値観である。現時点では米国人が日本人よりも起業家
図表4-2
日米の創業環境の比較
米 国
○個人投資家層(エンジェル)の厚み
資
○多様な投資分野。各地域に分布
金
○強いVCのベンチャー育成機能
金 供 公的中小企業金融
SBAによる金融、州政府による金融
融 給 民間融資
△少ないベンチャー向け融資
・
公開株式
○柔軟な公開基準、厳しいディスクロージャー
税
その他
○大学基金、財団のマネー供給(主にVC経由)
制
金 証券市場
○多様な株式市場(NASDAQ、ピンクシート、ローカル市場)
融 資産運用規制
○企業年金、大学基金のVCファンド投資
税 キャピタル・ゲイン課税 ○個人の未公開株キャピタルロスに損益通算可能
制 ストック・オプション
○大企業からベンチャーまでストックオプションが取得可能
技 大学・研究所のシーズ創出 ○近年の米国は研究の商業化を重視
ベ 術
○大学スタッフ・学生に起業家指向が強い
ン 開 インキュベーター、
○州ベースで企業起こしを競争
チ 発 サイエンス・パーク
○旧産業の老朽施設・跡地利用が活発化
ャ 間 ベンチャーへの人材供給 ○労働の流動性、専門人材コンサル会社
| 接 税務、法務、コンサル
○ベンチャー専門の会計士、弁護士が多数
支
職業訓練、経営教育
○多くの大学院に起業家コース
援 大
インターンシップ
○企業内トレーニングを大学の単位に認定
学 大学によるVB経営指導 ○大学院生による無料コンサルティング
事業
参入規制、事業規制
○80年代以降規制緩和が継続(運輸、金融、通信)
規制
独占禁止法
研究
ベンチャー経営研究
○各地にベンチャー経営研究者が存在
調査
ベンチャー、VCの情報公開 ○豊富な公開情報、専門誌の充実
雇用流動性
○労働市場の多くが非新卒市場
大企業志向、安定志向
○独立志向
風土・ 対ベンチャー観
○起業家成功者への尊敬
慣行・
○多様な民族:マイノリティの独立志向
文化
エリート像の違い
○ニューカマーの評価。大統領にもベンチャー出身者
事業失敗への価値観
○やり直しのきく社会風土
国民の理想像
○アメリカン・ドリーム
歴史的差異
○ベンチャー経営者の成功(大陸横断・石油等)
個人投資家
ベンチャー・キャピタル
(出所) ニッセイ基礎研究所。
(2)
日 本
×個人投資家層のベンチャー投資は稀
△金融系、大都市に偏在。レイター中心
△VCのベンチャー育成は途上段階
○融資額・債務保証額等、世界トップ規模
○中小企業向け融資は充実
△厳しい公開基準、保守的な審査姿勢
×機関投資家の供給は少ない
緩和の方向(特則市場、公開基準緩和)
△年金のVCファンド投資は禁止
個人の未公開株キャピタルゲイン課税優遇
△ストックオプションの未整備
△大学・研究所の基礎研究指向
△インキュベーター、サイエンスパークの
運営面に課題
×
△ベンチャー向けは発展途上
△少ない起業家養成コース
×ほとんど存在せず
×ほとんど存在せず
△
△企業、金融機関の持株比率規制
△二重構造論を引きずる中小企業研究
△VB/VCとも情報開示は未だし
×中途採用市場の薄さ、未整備
×大学、大学院新卒者の大企業指向
△嫉妬社会。成功者への羨望意識
△ベンチャーの軽視
△官庁・名門大企業に高いステイタス
△失敗即破産の恐怖心強い
△寄らば大樹。独立より集団内を指向
△名門・伝統・歴史・血筋の重視
図表4-3
大学院
日米の企業観の違い
官界
寄らば大樹、中央指向
大学
高校
大企業、専門職
(日本)
階層意識、
序列意識が強い
中堅企業・地場名門企業
「落ちこぼれ」
とみる社会の意識
中小企業
ベンチャー、個人事業主
大学院
多様な選択
大企業
(米国)
専門指向が強い
規模、階層には
こだわりが少ない
大学
流動的な職業選択
高校
ベンチャー
中小企業
専門職、官界
(出所) ニッセイ基礎研究所。
的であるといえようが、米国人の方がなぜ起業家的であるかについて考える際には、社会的な
ファクターから考えた方が適切だろう。
では、どのような要素が起業家意識に影響を与えているであろうか。考えられる要因をアト
ランダムに列挙してみよう。
①起業家やベンチャーに対する社会的評価が低い
ほとんどの高学歴者にとって、ベンチャー経営者は自身の目標ではない。大企業への就職が
困難な場合や、大組織の中で希望するポストにつけなかった時、あるいは自分の働く企業が経
営不振に陥った場合、といった後ろ向きの状況下で独立する人達がこれまで多かったため、日
本においてはベンチャーの社会的評価が低くなりがちであったという側面がある。日本では、
「中小企業」を見下す傾向が払拭されていないが、ベンチャーの場合もこうした中小企業のく
くりの中で見られる場合が多い。日本では、商品、技術よりも、会社の漠然とした信用や、規
模、知名度が優先されがちで、新しい事業を興す場合には、スタートアップの段階で予想以上
のエネルギーを要求されることが少なくない。
(3)
②ベンチャーに人が集まらない
ベンチャー企業の社会的評価の低さは、求人面でも問題となる。先に述べた高学歴者層が大
企業を求める傾向が強いため、優秀な人材を確保することが日本のベンチャー企業にとって困
難である。他方、米国のハイテク・ベンチャーでは、名門大学の大学生や大学院生が卒業後の
就職先候補と考えながら小さなベンチャー企業でサマー・ジョブ(夏季休暇中のアルバイト)
をするケースは少なくない。日本の名門大学の学生がベンチャーにアルバイトで入ったり卒業
後に就職することは特殊な事情がない限り考えられない。
③「成り上がり者」意識
知られているように、起業家やベンチャー企業に対する社会的評価は日本においては米国と
比べると、相当低い。米国においては、コロンブスのアメリカ大陸発見以来、大西部開拓で培
われたフロンティア精神を誇りとする気風が、そのままアントレプレナーシップに対する評価
につながっている。
これに対して、日本では伝統、歴史を重んじる気風があり、成功者を「成り上がり者」と見
下す意識がまだまだ残っている。また、「清貧の美学」、「武士は食わねど高楊枝」という貧
を尊ぶ意識も根底にある。満足するような高賃金をもらっていなくとも、一生懸命働けば良い
という。価値観は美しい理想だが、金儲けを軽蔑する価値観を生んでいる。
④目標とするベンチャー成功者が少ない
これに加え、日本では経済界の成功者にベンチャーの経営者が少ない。ベンチャーを目指す
学生やサラリーマンにとって、理想となるようなサクセスストーリーがなかなか見当たらな
い。戦前戦後に企業を立ち上げた起業家は日本でも少なくないが、既に数十年前の話で身近で
はない。米国のビル・ゲイツ(マイクロソフト、41才)、スコット・マクニーリー(サン・マ
イクロシステムズ、40才)、マイケル・デル(デル・コンピューター、32才)、ジェリー・ヤ
ン(ヤフー、28才)、マーク・アンドリーセン(ネットスケープ、25才)のような若い世代の
起業家による強烈なサクセス・ストーリーが日本ではきわめて少ない。
⑤終身雇用
ビジネスの構造上からも阻害要因がある。第一に、日本の大企業は終身雇用を採用してい
る。最近流動化しつつあるといっても、年功序列が基本にあり日本で人並み以上の給与が生涯
にわたって支給される構造であれば、学生が大企業を指向することはきわめて合理的な選択で
ある。また、大企業に中途採用のかたちで就職することは大変難しく、就職しても中途採用者
は昇進等で不利であることが少なくない。こうした閉鎖的な労働市場も「寄らば大樹」という
労働観を確固たるものにしている。
⑥大企業のフリンジ・ベネフィット
一度会社に入社してしまうと、そこから飛び出すには大変な勇気とエネルギーを要する。こ
とに大企業の研究者、技術者は、営業職などと比べても社会との接点が少ないのが一般的であ
る。中でも、サラリー以外のフリンジ・ベネフィットの大きさが、転職を阻害する大きな要因
の一つとなっている。退職金や年金だけでなく、社宅や福利厚生施設、住居・自動車購入の斡
旋やローンの便宜、社内の病院・診療所施設のように、日本の大企業の「居心地の良さ」は米
国企業を圧している。
(4)
⑦日本企業の自前主義
歴史的に形成されてきた日本のビジネス構造とベンチャーとの間に、数々のミスマッチが存
在することも、日本におけるベンチャー経営を難しくさせている。日本企業は、経営問題から
実務まで社内や関連会社の中で処理し、密接な関係のない企業に業務を委託することを回避す
る、内製主義、自前主義的な考えが依然強く残っている。いわゆる「ケイレツ」や「カンバン
方式」にみられるように、自社を取り巻く関連グループ内で業務を効率的に完結させようとす
るシステムが一般的である。反面、全く取引のない新参の企業には参入障壁が高い。これは外
国企業の非関税障壁の問題のみならず、ベンチャーのような新興企業が大企業に取引を開始す
る上で大きな問題となる。また、日本の中小企業でもこうした自前主義は強い。日本の中小企
業は、慢性的な人材不足や情報不足に苦しんでいるが、外部からこうした経営資源を取り入れ
ることができず、地道に自社内に経営資源を集めて発展させていかざるをえないのが現状であ
る。
こうした自前主義の一方、米国のベンチャーではオープン・アーキテクチャーという経営ス
タイルが一般的である。彼らは、従業員は周辺の企業や大学からかき集め、生産ラインや販売
ルートも他社との提携やOEMにより手当てする。財務・経理やマーケティングは専門コンサ
ルタントが期間契約で手伝うことが普通である。こうした外部頼りの経営によって、設立して
2、3年のうちに売上がゼロから数千万ドルの規模に成長する「墨俣の一夜城」のような急成
長企業が少なくない。
⑧社外交流の少なさ
オープン・アーキテクチャーの強調は、社外ネットワークの重視にもつながる。日本のサラ
リーマンは、社内の情報収集や意志疎通にかかりっきりで社外ネットワークは重要視せず、こ
とコミュニケーションに関しては、社内9割、社外1割というウェイトが普通であろう。米国
のベンチャーは、その正反対であり、新しいビジネスや他企業の情報を懸命に集めている。経
営資源を持たないベンチャーにとって、このような「ネットワーキング」が重要であることは
間違いないけれども、現実として日本では人々がそういう動きをしておらず、「寄り合いの
場」が少ないことは起業家にとって好ましい環境ではない。
(2)経済的要因
①成功報酬
リスクのあるベンチャーに飛び込む起業家のインセンティブが「大もうけ」というリワー
ド、すなわち成功報酬にあることは至極当然である。
成功報酬を得るには、
●自分の会社を成長させ、自分の給与や賞与・報酬を増やす。
●同様に、利益を出して配当を増やし、株主として利益を得る。
●自社の株式を公開して株主としてのキャピタルゲインを得る。
の3つの方法がある。前者の2つでは巨額の利益を期待することは難しい。3つ目のIPOに
よるキャピタルゲインがまさしくベンチャーの創業者利益である。しかし、これまでの日本で
は、株式を公開できる可能性が低く、創業者利益を得られる層が限られていた。日本の株式市
場には厳しい公開基準が存在し、また公開社数が事実上規制されていたからである。株式公開
が難しい仕組みである以上、中小企業は経営にキャピタルゲインという大きな夢を期待するこ
とが難しかったのである。
(5)
②ストックオプション(Stock Option)
米国のベンチャーに参集した人間は、自分で会社の株を購入し所有しなくても、ストックオ
プションの形態によってキャピタルゲインを享受できるチャンスが与えられる。ストックオプ
ションには組織マインドの高揚効果があり、組織への帰属意識を高める効果がある。企業の業
績が良くなれば株価が上昇し、オプションを与えられた社員が全て潤うという単純でわかりや
すい報酬システムだからである。最近の米国企業は、大企業の上位200社では9割以上がス
トックオプションを利用しているなど、ストックオプションが広範囲に普及している。
ベンチャーでも積極的に活用されており、大企業以上に報酬制度の中核を占めている。これ
は、
●ベンチャーは役員・従業員の報酬支払いのための原資が足らない分、自社株式の配分で報い
るシステムが確立していること。
●優秀な人材を確保し、引き止める手段としての有効なインセンティブであること。
●未公開企業である以上株価が安く、株式公開による大幅な株価上昇(期待)が役員・従業員
の夢と熱意を高めること。
が主な理由である。米会計事務所クーパーズ・アンド・ライブランド社が売上高百万ドルから
5千万ドルの中堅以下の成長企業を対象にした調査(2)によると、対象企業の39%がストックオ
プションを実施している。これら実施企業の55%は経営陣と従業員双方に付与しており、同じ
く16%の企業が全従業員を対象にしているという。米ベンチャーキャピタル協会では、「過去
の経験からいって、従業員にストックオプションを導入している企業は従業員が利益に対して
関心を持ち、より一生懸命働く」と指摘しており、米経済界でもストックオプションは起業家
精神を創造する源泉との見方が大勢になりつつある。また、ストックオプションは、従業員が
付与されたのち一定期間(例えば4年間)勤続しなければオプションを完全に行使できない、
ベスティング(3)と呼ばれる仕組みを用いている。
日本では、これまでストックオプション制度は商法の規定上から事実上導入できなかった
が、最近2年間で大きく変わった。95年11月に施行された改正新規事業法によって認定企業が
ストックオプションの導入が可能になった。また、今年97年6月の国会で商法が改正され、す
べての株式会社にストックオプションを実施する道が開かれた。これらの措置に対する関心は
高く、既に数十社の公開企業がストックオプションの導入を発表している。
(3)複合システムとしての起業家支援
以上のように、いくつかの断面だけを整理しただけでも、日本において多数の起業家が輩出
しやすい環境を構築するには、さまざまな側面からの手を打たねばならないことが想像できる
だろう。起業家経済は、起業家だけでは成り立たない。主役である起業家だけではなく、いく
つもの種類の創業支援者群が脇役と裏方で働かなければならない。また、社会制度や国民の認
識を起業家が活動しやすいものに変えていく必要がある。
こうした起業家経済のインフラは、「起業家経済システム」というべき、複数の仕組みから
なる総合的な社会システムであり、それぞれの仕組みが相互に発展して、ベンチャー育成のシ
ナジー効果をもたらすと考えられよう。その仕組みには、次のような機能が必要と考える(図
表4-3)。
①起業家輩出システム
(6)
外部の支援組織が拡大し支援策を増やしたとしても、起業家自体が増えなければ起業家セク
ターは成長しない。ベンチャーのスタートアップはとどまるところ起業家の意志であり、起業
家の予備軍となりうるセクターにいる人々が、創業を目指しやすい仕組みをどう作っていくか
が重要な課題となる。
起業家は、以下のパターンによって輩出されている。
1.企業からのスピンアウトによる創業
2.企業による「のれんわけ」、親会社承認のもとでの独立
3.企業主導による新規事業(社内ベンチャー、コーポレートベンチャー)
4.大学や研究所の研究者・エンジニアによる創業
5.その他(学生の創業、主婦の創業、個人事業主の新事業進出など)
この中で、日本において最も期待されるのは、1と4のスピンアウト創業である。米国でも
ハイテク・ベンチャーは、企業スピンアウトが最も多く、ついで大学・研究所からの創業であ
る。創業までには、独自の技術や事業計画を開発するだけでなく、ビジネスのノウハウや人
脈、交渉力のような経験を積み重ねる必要があり、その場としては大企業や大学、研究所が適
するのはいうまでもない。
しかし、当の企業や研究所にとってみれば、ベンチャー振興のためにスピンアウトを奨励す
ることはできないから、企業と起業家の双方が利益となるような手だてが必要になる。社内ベ
ンチャー制度や、新規事業子会社におけるインセンティブ制度の導入、起業家と出身企業の共
同事業、社内知的所有権の分配システムなど、今後も改善していく項目は多い。
また、大学における起業家教育の役割が大事である。日本のベンチャー支援策は、施設づく
りやイベント発案のように、ハードとして目にみえるハコづくりや、華やかにみえる施策を優
先しており、大学・大学院での起業家教育のような地味なインフラは発展してこなかった。起
業家教育は将来のベンチャーにおける経営能力を高める場であり、米国でも高い評価を受けて
いる。現在までのところ、十数の日本の大学で起業家教育がスタートしているが、他部門の教
員の兼任や部分的な起業家教育を行うのみに留まっており、この面での公的な支援が強く望ま
れる。
②ビジネス創造システム
起業家がリスクマネーの供給者や他の支援者にとって魅力ある存在であるためには、事業の
スピードアップが重要である。世間並みの技術やアイデアでは急成長を実現できない。ベン
チャーの行うような新事業は、起業家だけで運営するのではなく、外部の脇役と裏方が支援す
ることにより、起業家だけでは成し得ない急成長を実現することが必要である。ハイスピード
で成長を実現して大きなリターンが得られるがゆえに、ベンチャーという高リスクの事業が受
け入れられるのである。
③ビジネス評価システム
また、ベンチャーに資金を供給する側、支援する側においても、ベンチャーに関わることに
よるリターンを大きくするためには、できるだけベンチャーに早い段階から参画する必要があ
る。初期のシーズやスタートアップ段階の企画や企業を発掘し、先行的に参画していくことに
よって、ベンチャーの企業価値の飛躍的上昇、それにともなうキャピタルゲイン等のリターン
が拡大するからである。
(7)
図表4-4 起業家経済システムの構築
1.起業家輩出システム
テ
ム
ム
テ
ス
シ
造
創
ス
ネ
ジ
ビ
.
2
7
.
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
シ
ス
①円滑な独立・スピンアウト
②起業ノウハウの充実
③起業家を生む教育
④起業家が目指す理想像
(ロール・モデル)
①地域の起業的
コミュニティ
②ヒエラルキー的な
社会の改革
③オープンネットワーク
5.
リス
起業家・
ベンチャー・チーム
①起業の評価技術
(投資、経営、税法務)
②起業のスクリーニング
(大学、支援機関、VC)
③VCの技術
①VCの資金供給
①起業育成技術
②VCの企業評価
②発展のための技術
・育成
(販売・提携先、人材、資金)
③エンジェルの拡大 ③大企業の支援・社内ベンチャー
④広義リスクマネー
システムの充実
⑤成長後資金供給
テム
ス
システム
シ
クマ
ネー
シス
テム
4.
イ
ュ
ンキ
ベ
ョ
ーシ
3.ビジネス評価システム
6.成功報酬システム
①創業メンバーの成功報酬
の充実
②投資家の成功報酬手段
の充実
①技術のビジネス化
技術
②企業化への官民支援
③ビジネス(起業)の
発掘技術
④企業化の触発活動
ン
(出所) ニッセイ基礎研究所。
このためには、事業企画の可能性を自分で判断でき、ベンチャーを指導していけるだけの能
力、経験や人脈を持った専門人材が欠かせない。専門家はリスクマネーを供給するベンチャー
キャピタルだけではなく、リサーチパークやインキュベーター、支援策を推進する公的部門に
も必要な人材である。
④ネットワークシステム
外部の情報とつながりは、起業家にとって大企業とは比較にならないほど重要な経営資源で
ある。自前で発展させ蓄積できる余裕がベンチャーにはないからである。この起業家と別の起
業家やベンチャーキャピタル、エンジェル、大企業などの外部のプレーヤーを結びつける「
ネットワーク」と「情報流通」に関する評価が先進国の間で急速に高まっている。特にベン
(8)
チャーと投資家を結ぶキャピタル・ネットワークが注目されている。これらは、起業家のビジ
ネスプランを発表して投資家や支援者の参画の機会を増やそうとするフォーラム活動や、イン
ターネットを利用した事業計画の公開の2つが主な活動である。主要な組織としては、米国に
はMITのテクノロジー・キャピタル・ネットワーク、ニューハンプシャー大学のベンチャー
キャピタル・ネットワーク(現在は前者と統合されている)など20以上の公的・民間ベースの
仲介組織があり、イギリスでもローカル・インベストメント・ネットワーク・カンパニー(L
INC)などがある。
2. 米国の起業家的地域
(1)起業家的地域の発展
米国の産業集積は複数の軸がある。自動車、機械、鉄鋼のような五大湖周辺部は大企業セク
ターが多く、ニューヨーク、ボストン、ロサンゼルス等の大都市部にはサービス・金融セク
ターが立地している。起業家セクターの立地は大企業セクター地域でも大都市部でもなく、地
方の都市近郊地域に分散している。
最近の発展地域はどこであろうか。成長企業が数多く分布する地域は、前掲図表2-10のイン
ク500社の分布でみたように、カリフォルニア、テキサス、フロリダ、マサチューセッツ、メ
リーランドである。またベンチャー・キャピタルの投資企業の分布は、カリフォルニアが全体
の4割を超え、マサチューセッツが9%、テキサス4%、バージニア3%が続いている(4)。こ
のランキングのように、東海岸諸州や中西部のような伝統的な大企業が多く立地している地域
よりも南部や西部・太平洋諸州に成長企業が多い。これはハイテク企業の立地分布にかなり影
響されているのであろう。
現在、米国が国際競争力を持つ産業はハイテク産業であり、起業家のスタートアップにおい
てもハイテクが第一のターゲットになる。起業家は、周りに自社の開発をサポートしてくれる
企業や研究所、あるいは製品・サービスを販売するクライアントが多数立地する地域を選ぼう
とする。必然的に、ハイテク産業の立地する地域に起業家が引きつけられ、ハイテク企業がま
すます集積する。スタートアップ企業をサポートする仕事も数が多いとビジネスの魅力が増す
から、ベンチャーキャピタルやコンサルタント、弁護士、会計士の参入も増え、起業家セク
ターのためのインフラがおのずと集積される。
1980年代から、全米で地域振興のためにハイテク産業集積の基盤を作ろうとする動きが活発
化した。これがリサーチ・パーク(サイエンス・パーク)と呼ばれるものであり、現在全米で
150ケ所を超えるリサーチ・パークが存在する。現在、ミニ・シリコンバレーと呼ばれるほど
ハイテク産業が集積した地域は、シリコン・ヒルズ(テキサス州オースティン周辺部)、シリ
コン・プレイリー(テキサス州ダラス・フォートワース周辺部)、シリコン・マウンテン(コ
ロラド州デンバー周辺部)などがある(図表4-5)。
(9)
リサーチパークの嚆矢は、1951年に設立されたスタンフォード大学に隣接したスタンフォー
ド・リサーチパークと59年設立のノースカロライナ州ラーレイ市、ダーラム市近郊にあるリ
サーチ・トライアングル・パークである。手法としては、研究型大学を核としたリサーチパー
クを地域により設置し、新興企業のスタートを支援する施設(インキュベーター等)やメン
バーをそろえ、大学や研究所の研究成果の企業化を促し、地域に起業家やハイテク・ベンチ
ャーの輩出を促進させようとするものである。こうしたハイテクの集積運動は、各分野のニー
ズに合致する。大企業や起業家はリサーチパークでの技術情報や研究成果に期待し、地方自治
体はハイテク産業による雇用創出などの地域発展を望み、大学では学内技術の企業化や近郊地
域の発展は大学財政上メリットを生むからである。
(2)シリコンバレーの活況
現在、日本では再びシリコンバレーに注目が集まっている。現地の人々に言わせればまさに
「猫も杓子もシリコンバレー」の状態で、日本のあちこちから頻繁に出張者やミッションが来
訪するという。ただ、これは日本だけではなく、世界的にシリコンバレー地域の競争力が再評
価されているのである。97年5月から7月にかけて、フォーチュンやビジネスウィーク、エコ
ノミストが相次いでシリコンバレー特集を組んでいることもその一つである。現に、シリコン
バレー地域の南半分にあたるサンタクララ郡では、94年以降失業率が一貫して改善し、97年5
月には3.0%と67年9月以来の最低水準となった(図表4-6)。全米の失業率も97年4月に5%
を割り歴史的な低水準にあるが、サンタクララ郡はそれを大きく下回り、シリコンバレー北部
になるサンマテオ郡でも失業率は97年以降2%台が続いている。
今回の好景気の要因は、ソフトウェアやインターネットに代表される先端産業の成長によっ
ている。マイクロソフト、インテル、ヒューレットパッカード、サンマイクロシステムズに代
表される、かつてのベンチャー企業の活躍が米国経済を牽引している。また、インターネット
関連のベンチャーが急成長し、続々とIPOにより証券市場入りし、その後も株価が急騰する
企業が続出している。例えばネットスケープ・コミュニケーションズ社は、インターネット・
ブラウザーでは世界で7割のシェアを占める企業であるが、94年6月に設立後わずか1年後の
95年8月にNASDAQに株式を公開し、さらに株価は95年末に公開時の5倍にまで急騰し
た。
以上のようなハイテク企業の多くがシリコンバレーに立地している。例えば、フォーチュン
1,000社(97年版(5))にリストアップされた米国内のエレクトロニクス関連産業83社のうち21社が
シリコンバレーに本社を置いており、半導体製造では9社のうち7社がシリコンバレーであ
る。このようなハイテク大企業やベンチャーの拠点が周囲50キロ圏内に集まっている。シリコ
ンバレーのハイテク企業といっても、ヒューレット・パッカード、バリアンのように第二次大
戦前後に創業されたような名門企業から、ネットスケープやヤフーのようにここ1、2年に生
まれた新興勢力まで世代は全く異なる。
(3)発展の歩み
シリコンバレーの発展は第二次大戦前後に始まる。このサンフランシスコ市から南に50キロ
ほど離れたサンフランシスコ湾岸一帯(バレーと言われる程の峡谷ではなく平坦な盆地であ
る)は、当時は農作物と果樹園、放牧以外にさしたる産業のない温暖な田園地帯であった。
(10)
図表4-5 ミニ・シリコンバレーが生まれる米国
●シリコン・
フォレスト
(ポートランド周辺)
●シリコン
マウンテン
●シリコン
バレー
シリコン
ハーバー
●
(サンディエゴ周辺)
(デンバー周辺)
●シリコン
デザート
(フェニックス周辺)
●シリコン・プレイリー
(ダラス、フォートワース)
●シリコン
ヒルズ
(オースティン周辺)
●
シリコン・ベイユー
●シリコン・ビーチ
(マイアミ周辺)
(ラファイエット周辺)
①スタンフォード大学の存在
学術研究の基礎は19世紀後半から築かれてきた。サンフランシスコの対岸バークレー市には
1855年に最初のカリフォルニア大学であるUCバークレー校が創立され、また1889年にはシリ
コンバレーの北端にあたるパロアルト市にスタンフォード大学が創設された。
このスタンフォード大学は、大陸横断鉄道とゴールドラッシュで巨財をなしたサンフランシ
スコの鉄道王リーランド・スタンフォードが、息子の不慮の死をきっかけに西海岸の子弟に教
育の場を与えようとした新興大学であった。1891年10月、彼が提供した基金とパロアルトの農
場によりスタンフォード大学が正式に開校した。
無線通信技術の隆盛した20世紀前半に、スタンフォード大学はエレクトロニクス分野で名を
あげ始めた。1927年には、MITからスタンフォード大学に戻ってきたフレッド・ターマン博
士が大学で教鞭を取り始め、大勢の優秀な卒業生を育てた。大学でターマン博士の教えを受け
たウィリアム・ヒューレットとディビッド・パッカードが、大学卒業後に大学近郊のパロ・ア
ルトへ戻り、下宿先のガレージを使ってにわか仕立てのオフィスを設け、電子測定機の開発を
始めた。これがヒューレット・パッカード社(38年設立)である。また、39年には同大学で研
究していたラッセルとシガードのバリアン兄弟(後に48年バリアン社を創業)が、クライスト
ロン管(レーダー用の超高周波発振管)を発明している。両社は第二次大戦の戦中戦後に成長
し、51年に開設されたスタンフォード・リサーチ・パークに入居している。
それ以降現在までの間スタンフォード大学に端を発したシリコンバレーのハイテク企業は数
えきれない。例として、同大学コンピューター・サイエンス学科の逸話があげられる。かつて
同学科が入居していたマーガレット・ジャックス・ホールには、80年当時はその2階にジム・
(11)
図表4-6
シリコンバレーの活況
16
90
サンタクララ郡雇用者数(左目盛)
14
サンタクララ郡失業率(右目盛)
80
12
全米失業率(右目盛)
70
8
失業率・%
雇用者数・万人
10
6
60
4
50
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
2
(出所) U.S.Department of Labor, California Labor Market Information Divison。
クラーク準教授(シリコングラフィックスとネットスケープの創業者)が入居し、4階にはア
ンディ・ベクトルスハイム(サン・マイクロシステムの創業者の一人)が博士課程に学んでお
り、また地下1階ではレン・ボサックとサンディ・ラーナー(二人はシスコ・システムズの創
業者)がコンピューター・ネットワークを研究していた。同時期に同じビルに居たスタッフが
作ったベンチャーが、現在は3社の世界的ハイテク企業に成長したのである。
②ベンチャーの細胞分裂
1950年代には、シリコン・バレーに半導体産業が育ち始めた。トランジスタの発明でノーベ
ル賞を受賞することとなるウイリアム・ショックレーは米国の電気技術研究の拠点ベル研究所
を辞めこの地に戻り、55年、ショックレー半導体研究所を設立した。やがて経営方針の対立か
ら8人の技術者がショックレーと袂を分かち、57年にフェアチャイルド・セミコンダクター社
を設立、さらにこのフェアチャイルド社からもスピンオフした技術者や彼らと関係の深いエン
ジニア達が次々と細胞分裂するように新会社を起こしていった。同社から独立したロバート・
ノイス、ゴードン・ムーアらのインテル社(68年設立)がその代表であり、いわゆるスピンア
ウトによって新たに半導体メーカーが次々と増えていった。今日までのシリコンバレーにおけ
る半導体開発は、このフェアチャイルド社がいわば本家本元であり、フェアチャイルド人脈の
流れをくむ企業は「フェアチルドレン」と呼ばれている。
さらに1970年代にはコンピュータ産業が育つ。それ以前にも、51年にゼロックス社がパロア
ルト研究所(PARC)を開設し、52年にIBM社がサンノゼ市にディスク・メモリー部門の
拠点を設けていた。70年、このIBM社を辞めたジーン・アムダールがアムダール社を設立し
た。また、コンピューター・マニアのスティーブ・ジョッブズとスティーブ・ウオズニック
が、77年にアップル・コンピュータ社を設立したが、アップルⅡ、マッキントッシュというパ
ソコンの爆発はシリコンバレーの武勇伝としてあまりにも有名である。コンピュータの発展に
ともない、ソフトウエア産業も発展していく。
(12)
図表4-7 シリコンバレー年表
1769年
1849年
1850年
1891年
1927年
1937年
1939年
1946年
1948年
1951年
1955年
1957年
1967年
1968年
1969社
1968年
1970年
1971年
1976年
1979年
1982年
1982年
1982年
1984年
1994年
サンフランシスコ湾にスペインが居留地を設ける。
サクラメント北方で金鉱発見、ゴールドラッシュが始まる。
カリフォルニア州、米国で31番目の州に昇格。
スタンフォード大学開校。
フレッド・ターマン、スタンフォード大学で教鞭を取る。1955年同大学副学長に就任。
バリアン兄弟、スタンフォード大学でクライストロン電子管を発明。
ヒューレット・パッカード社創業。
スタンフォード研究所(SRI)設立。
バリアン社創業。
スタンフォード大学、スタンフォード・リサーチ・パークを開設。
ウィリアム・ショックレー(ベル研究所でトランジスターを発明)、故郷のパロアルトに戻りシ
ョックレー研究所を設立。(半導体産業の始まり)
ショックレー研究所内で経営対立。8人がフェアチャイルド・セミコンダクター社設立。
(8人の裏切り者)。
アプライド・マテリアルズ社創業。(半導体製造装置)
フェアチャイルド社のノイス、ムーア、グローブ等がインテル社を創業。(半導体)
フェアチャイルド社のサンダース等がAMD社を創業。(半導体)
ザファロニ、ALZA社創業。(医療システム)
ゼロックス社がパロアルト研究所(PARC)を設置。ワードプロッセッサー、レーザー・プリ
ンター等の新技術を開発。
シリコンバレーという名称が世に登場。
ジョブズとウオズニアックがアップル社設立。初めてパソコンを市場化。
エリソンとマイナーがオラクル社設立。(データベース)
サン・マイクロシステムズ社設立。(ワークステーション)
クラーク等がシリコン・グラフィックス社設立。(ワークステーション)
ゼロックスPARCのワーノックとゲシュケがアドビ・システム社を設立。
(デスクトップ・パブリッシング)
スタンフォード大学のボサック、ラーナーがシスコ・システムズ社を設立。
(ネットワーク機器)
ネットスケープ社創業。(インターネット・ブラウザー)
(出所)Ward Winslow編,The Making of Silicon Valley等。
③挑戦するのは1度だけでない
そして現在も昔と変わらないように細胞分裂を続け、また若い新しい人材が新しいビジネス
を起こしている。成功したベンチャーの経営陣でも、それなりに出来る悠々自適な生活から敢
えて飛び出して新会社を始めている。前章のように、アップル・コンピュータの創設者である
スティーブ・ジョブズは同社を退社し、ワークステーション開発を目指してネクスト社を創設
した。また、シリコン・グラフィックス社の創業者ジム・クラークは、インターネット・ブラ
ウザーで圧倒的シェアを誇るネットスケープ社を起こしている。このようなスピンアウトに
よって設立されたベンチャーが急成長するケースは、シリコンバレーでは日常茶飯事である。
(4)シリコンバレーの地域的特徴
これまでに述べたように、彼らが現状と安定から脱してアントレプレナーとなるのは、起業
を促進する多種多様な要因の有機的作用であろうが、とりわけ地域の役割が大きいと考えられ
る。シリコンバレーは、エレクトロニクスやコミュニケーション、およびバイオ等のいわゆる
(13)
図表4-8 シリコンバレーの代表的企業
業 種
測定機器、プリンター、WS
創
業
38
証券
市場
NYSE
Varian Associates
National Semicon.
ALZA Corp.
Applied Materials
Intel
電子機器
半導体
医療システム
半導体製造装置
半導体
48
59
68
67
68
NYSE
NYSE
NYSE
NASDAQ
NASDAQ
AMD
Amdahl
Tandem Computers
Apple Computer
Oracle Systems
Seagate Technology
3COM
Quantum
Adaptec
Sun Microsystems
Silicon Graphics
Adobe Systems
Xilinx
Intuit
Cisco Systems
NETCOM
Ascend Commu.
Objective Systems
Pixar
Netscape Commu.
Yahoo!
半導体
汎用コンピューター
汎用コンピューター
パソコン
ソフトウェア
ディスクドライブ
ネットワーク機器
ディスクドライブ
コンピューター周辺機器
ワークステーション
ワークステーション
デスクトップ・パブリッシング
半導体
会計ソフトウェア
ネットワーク機器
商用ネットプロバイダー
ネットワーク機器
コミュニケーション・ソフトウェア
CPUグラフィクス映画制作
コミュニケーション・ソフトウェア
インターネット検索
69
70
74
76
77
79
79
80
81
82
82
82
84
84
84
88
89
90
93
94
95
NYSE
NASDAQ
NYSE
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NYSE
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
NASDAQ
企 業
第 Hewlett-Packard
一
第
二
世
代
第
三
世
代
第
四
世
代
売上高(百万ドル)
94
95
96
2
2 31,519
3
0,317 4,991
8,420
1,310 1,552 1,575 1,599
2,014 2,295 2,379 2,623
234
279
249
411
1,080 1,660 3,062 4,145
1 16,202
2
8,782
1,521
0,847
1,648 2,135 2,430 1,953
1,680 1,638 1,516 1,632
2,037 2,031 2,285 1,900
7,977 9,189 11,062 9,833
1,503 2,001 2,967 4,233
3,044 3,500 4,540 8,588
617
827 1,295 2,327
1,697 2,131 3,368 4,423
311
372
466
660
4,309 4,690 5,902 7,095
1,091 1,538 2,228 2,921
314
598
762
787
178
256
355
561
121
194
396
539
649 1,243 1,979 4,096
2.4 12.4 52.4 120.5
16.2 39.3 149.6 549.3
8.7 19.1 36.1 55.9
6.8
5.6 12.1 38.2
0
0.7 80.7 346.2
1.4 19.1
93
従業員 フォーチュン
数、人 順位
11
16
2,000
6,700
493
20,300
1,652
328
11,403
43
48,500
12,200
9,900
7,938
10,896
23,113
65,000
5,190
6,380
2,794
17,400
10,485
2,266
1,277
3,184
8,782
759
721
328
286
1,811
155
619
696
553
150
320
175
541
312
203
460
322
-
(注)フォーチュンの順位はフォーチュン米国企業1,000社(97年)による。
ハイテクを対象とする企業や研究所、大学が多数存在する、独特のコミュニティを形成してい
る。
シリコンバレーの特徴を要約してみよう。
①ハイテク・インフラ
経済・社会・自然・文化の各側面で、ハイテク産業に適したインフラが整備されている。サ
ンフランシスコ近郊でありながら平坦で広大な土地が残り、かつ温暖少雨であるため、研究所
や工場建設も容易である。ただし、80年代以降にシリコンバレーが急速に発展した分、賃金や
地価が上昇し全米でも生産コストの高い地域になっており、半導体やエレクトロニクス周辺機
器の製造は州外や国外に移転する空洞化現象が起こっている。先端的な大学・研究所が近隣に
あり、それらから受ける技術的恩恵は大きい。また、カリフォルニアという地域だけにアジア
や中南米系の移民や学生、進出企業が多く、彼らの技術・労働力がハイテク企業を支えてい
る。
人、資金、技術の動きが激しい一方で、シリコンバレーでは企業間、個人間のネットワーク
が発達しており、これが新企業、新規事業の立ち上げの際に力を発揮している。スタンフォー
ド大学、カリフォルニア大学バークレー校の優秀な学生は在学中から企業を起こすケースもあ
るし、卒業生の間では企業の厳しい競争関係を超えた情報交換が行われている。こうした仲間
が集まってスピンアウトにより新企業を設立することが普通とされている。
②テクノロジー・フロンティア
米国のフロンティアの気風を今も残し、東部のような伝統や権威あるいは閉鎖的な考え方を
嫌う人々が多い。また、シリコンバレーは産業構造上からも事務管理系のビジネスマンよりも
(14)
ハイテクのエンジニアや研究者が多く、彼らの好む開放的なコミュニティが地域に広がってい
る。シリコンバレーには、ガレージから身を起こして大企業に成長した企業が珍しくない。ま
た、優秀な技術を育てて、会社ごと大企業に売却するなどにより、富と名誉を得た人たちも多
い。こうした人たちが身近にいることは、若者にとって大きな知的刺激となり、また、自分で
もできるという気持ちを持たせる。
しかも、彼らは他州よりも独立志向が強く、大企業のエンジニアとして安定した生活を続け
るより自らベンチャーを興すダイナミックな人生を理想とする者が数多く存在している。この
地域では数年で職場を変えるをことが一般的になっている。そのため、有望企業であれば、設
立間もない企業でも優秀な人材を集めることができる。大企業の従業員でも、他に魅力的な職
場があれば転職を厭わない。
③ジーパン・ビジネス
東海岸よりも形式にこだわらず実質本位であり、かつフランクなビジネス・スタイルを重視
する。ベンチャーの従業員でスーツ姿をしているのは、限られたセクションだけであり、経営
者でも社内ではTシャツ、ジーパン姿が珍しくない。理由のない規則やしきたりに反発するの
もシリコンバレーの文化であり、むしろアンチ・テーゼを作ろうとするのが彼らの風土といえ
る。
英エコノミスト (6)では、シリコンバレーで成功した「ハイテク成り金」を次のように書いて
いる。
・・・実際、シリコンバレーにはニューヨークやロサンゼルスに比べ、成り金趣味がまったく
見当たらない。典型的な「ハイテクおたく」百万長者は、いまだにフェラーリには乗らず、技
術者が好んで乗るレクサスやBMWといった車を愛用しているし、カネをつぎ込むのはもっぱ
ら高価なAV機器やハイテク暖房機といった中身なのだ。新興の百万長者たちには、どこか愛
すべき無骨さがある。・・・
④スピードとオリジナリティの重視
製造部門は、州外・国外のプラントに任せて、地域内では研究開発とビジネスの企画に特化
する、という特徴が、拡大しているネットワーク社会経済の中で利点となっている。シリコン
バレーのベンチャー企業は、一般に、特定の分野に会社の能力を集中し、それ以外の分野では
他社の技術を積極的に利用しようという姿勢が強い。自社内の技術にこだわらないので、自社
の専門分野以外では、最も進んだ技術を前提とした製品開発が可能になる。他方、企業の買収
も頻繁で、自社で開発できないがどうしても必要な技術は他社から、場合によっては会社ごと
買ってくることも珍しくない。
⑤ヒューマン・ネットワークによる生態系的発展
日本でも有名なアナリー・サクセニアン著"Regional Advantage"(日本語訳「現代二都物
語」(7))では、ルート128とシリコンバレーの違いを人的な交流関係の質と密度に結びつけ
ている。あるいは、その発展を「食物連鎖」と称することもある。例えば、先にあげたフェア
チャイルド・セミコンダクターに源を発するフェアチルドレンが成長し、その中からスピンア
ウトした人々があらたなベンチャーを立ち上げている。人と人の結びつきが新しい企業を生み
出し、その企業からまた新しい企業が誕生する、この繰り返しがシリコンバレーだという。前
章でみたネットスケープにおけるアンドリーセンとクラークの邂逅や、ジェリー・ヤン(ヤ
(15)
図表4-9
1.失敗に寛大である。
シリコンバレーの特徴
−向こう傷を評価する。
2.背信に寛大である。
−「8人の裏切り者」からスタートした土地柄。
3.進んでリスクを取る。
−常に大ヒットを目指す。
4.変化を尊ぶ気風。
−変わり身の速さが宿命。
5.実力主義のシステム。
−移民、女性にもオープンな処遇。
6.多様性と混合種。
−異端、偏執狂を好む風土。
7.ネットワークと助け合い。−「枝葉末節なおしゃべり」が成功を生む。
8.巧みな放任。
−政府自治体は不関与、ヘタな行動はとらなかった。
9.土壌と文化が育む「可能性追求社会」
−文化と産業構造がシナジー効果を発揮。
10.「集積」は「技術」より強し。
(出所) 英エコノミスト誌、“A Survey of Silicon Valley”,March 29,1997。
フー)やジェフ・ペゾス(アマゾン・ドットコム)とベンチャーキャピタリストの出会いとそ
の後の支援のやり方は、個人的な人と人のつながりに依存したものであり、尋常な組織的な手
順を踏んだものでは全くない。
米国内のみならず、日本、マレーシア、イギリスやフランスまでシリコンバレー的な地域基
盤を整備しようとしている。しかし、以上のようにシリコンバレーは意図的、統制経済的に作
られたものではない。逆説的な言い方だが、スタンフォード大学の創立、同大学へのターマン
教授の就任、ショックレー半導体研究所の設立とその分裂のように、偶然的な事件が発展の
きっかけになっている。それだけに、他の地域がシリコンバレーのシステムを学ぶにも、従来
にない価値観と枠組みを受容しなければならず、大きなとまどいがあるようだ。
**************************************
注
1)IMD(International Institute of Management Development)、在スイス。
http://www.imd.ch/。
2)Cooper & Lybrand,"Trendsetter Barometer",March,95による。http://www.colybrand.com/eas/trendset/154.html
。
3)ベスティング(Vesting、権利帰属)は、基本的に役員・従業員の勤続期間により定められる。例えば
、ストック・オプションが付与された従業員が、完全に付与分を行使するためには、付与後の1年間そ
の企業で勤務しなければならず、また付与後毎年25%ずつ行使が可能(4年間で全額行使できる)仕組
みが設けられているが、これがベスティングと呼ばれる。
4)Venture Economics,"VC Yearbook 96"による。
5)Fortune,"The Fortune 500",1997による。
http://www.pathfinder.com/@@EerF8AcAYvUBe22r/fortune/fortune500/。
6)Economist,"A Silicon Valley: Future Perfect?", March 29,1997。
7)Annalee Saxenian,"Regional Advantage",Harvard University Press
(16)
参考文献
・『The Making of Silicon Valley』,Ward Winslow,ed.,Santa Clara Valley Historical Association
・『飛躍する大学スタンフォード』ホーン・川嶋瑶子、小学館
・『シリコンバレー・モデル』加藤敏春+SVMフォーラム、NTT出版
・『The HP Way』,David Packard,HarperBusiness
(17)