ILIAD ∼幻影の彼方∼ - タテ書き小説ネット

ILIAD ∼幻影の彼方∼
夙多史
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∼幻影の彼方∼
︻小説タイトル︼
ILIAD
︻Nコード︼
N6832BA
︻作者名︼
夙多史
︻あらすじ︼
かつて、世界は隣接する二つの星だった。やがて二つの星と︽
ノルティア︾は互いに干渉し合い、人々は領土を巡る争いを始めた。
シルティスラント
それを見兼ねた神は争いを止めるため、二つの星を一つに統合し、
アルヴィディアン
皆が共存できる世界を造った。それが今の世界である。争いが止み、
時が経つにつれて、人々︱︱二つの種族と︽ノルティアン︾︱︱は
手を取り合い、平和な世界を築き上げてきた。しかし人々の中には
互いの種族を認めない者も、少なくはなかったという。
※縦書きPDFだと文字化けする文字を使用しております。※2日
1
毎に更新
2
※はじめに
この作品は私︱︱夙多史が何年も前に書いた処女作品です。
とあるRPGにハマって﹃自分もこんなシナリオ書いてみたい!﹄
と血迷ったのが筆を執ったきっかけであり、その影響をもろに受け
ております。キャラが無意味に技名とか叫んだりするのがヤな人は
引き返してください。今ならまだ間に合います!
︵︱︱しばらくおまちください︱︱︶
⋮⋮よし、これで読者の半分は帰ってくれたかな。
で、当時は活字離れを卒業しかけている段階で小説をまだ三冊し
かまともに読んだことがなかったという状況。つまり、いろいろ酷
いです。執筆歴一年の頃に一度改稿していますが、それでも最低限
のマナーが身についた程度です。今の自分なら考えられないくらい
視点とか文章とかシナリオとかめちゃくちゃです。
でも﹃小説家になろうデビュー1周年記念﹄の処女作公開企画な
ので、あえて修正せずにありのままをお見せします。直すの面倒だ
からじゃないよ。
というわけで、誤字脱字以外のツッコミは勘弁してくださいね。
恐らく自分でもわかってますし、直すつもりはありませんから^^;
⋮⋮さて、まだ残っている人は余程の物好きかドSか﹃あやつの
黒歴史はどんなんじゃろう?﹄と興味を持ってくれた方でしょうね。
つまらなくなったら容赦なく切り捨てて私の別作品を読んでくださ
い︵Σオイ︶
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001 旅立ちの時
れいじゅつじん
ある村の中央に青白い光を放つ巨大な円陣︱︱霊術陣が描かれて
いる。
今は夜なのだろうか、辺りは薄暗く沈黙を保っている。
陣の中央には三人、暗いのではっきりとはしないが、マントで身
を包み、背には大きな荷を担いでいる者たちがいる。
旅にでもでるのだろうか?
﹁それでは行って参ります﹂
三人のうち、真ん中に立っていた一人が陣の外に向かってそう告
げた。声から察するに若い男性のようだ。
陣の外には白く長い髭を生やした︱︱恐らく老人がいた。顔は、
やはりはっきりとしないが。
﹁気をつけて行くんじゃぞ⋮⋮﹂
老人は寂しそうな口調でそう返した。すると陣の輝きが増し、そ
の青白い光が三人を包み込もうとする。
その時、この広場へと続く通りの闇の中から誰かが走る足音が聞
こえ、それがだんだんと近づいてくる。そして︱︱ ﹁兄さん、やっぱりオレも一緒に行くよ!﹂
足音の主は周囲の沈黙を破るようにそう叫ぶと、眩しいくらいに
輝きを増した陣に飛び込んだ。青白い光がその者を照らす。それは
少年だった。
温かい光の風が少年の銀色の髪を揺らす。彼は、紅い宝石のよう
な物が胸部に入った空色の鎧と燕尾のマントを纏っている。どちら
もこの少年にしては少し大きいようで、走った振動で上下に大きく
揺れている。慌てていたのだろう、腰の剣は雑に挿されていて、今
にも外れてしまいそうだ。
﹁バカ、来るな!﹂
先程の男性は少年を諫めるように腕を大きく横に振った。だが少
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年は止まらず、いやだ、と言って首を振る。
﹁止まるんじゃ! 行ってはならん!﹂
老人も叫んだが、それはもう少年の耳には聞こえていない。いや、
聞こえたのだろうが無視したのだ。彼のサファイアブルーの瞳には
焦りと、そして後悔が見て取れる。
そして光が三人を完全に包むと、それは天に向かって飛び立った。
︵間に合わなかった!?︶
少年はそう思った。しかし、光はすぐに少年も包んだ。先程より
も速い。あっという間に彼も三人と同じように天へと飛び立った。
一人残された老人は彼らが飛び立った暗い空を仰ぎ、
﹁おぬしにはまだ早いと言うに⋮⋮バカ者が。どうにかあの三人と
一緒に居ればいいのじゃが⋮⋮﹂
と呟いた。陣が消え、辺りに闇が広がって老人を包む︱︱。
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002 出会い
雷音と豪雨の中、商人・カートライト家の馬車が山道をもの凄い
スピードで駆けている。
馬車の馬は二頭、その手綱は暗い緑色の合羽を着た男が握ってい
る。
﹁パパ、大丈夫なの?﹂
馬車の中から同じような合羽を着た少女が顔を出し、不安そうな
声でそう言うと、男の隣に座った。風で少女のフードが外れ、赤い
ポニーテールが靡く。そのエメラルドグリーンの瞳はノルティアン
の特徴だ。
﹁大丈夫だよ、サニー﹂男︱︱ルード・カートライト︱︱は少女を
安心させるように優しくそう言った。﹁もうすぐこの山道も抜ける。
村まであと少しさ﹂
少女︱︱サニー・カートライトはそれを聞くと胸に手を当ててホ
ッとしたように息をつく。そしてフードを戻しながらふと前を見る
と、彼女は目を瞠った。
﹁パパ、馬車を止めて! 人が倒れてるわ!﹂
﹁何!?﹂
馬車が通るであろう道の真ん中に誰かが倒れていたのだ。ルード
は馬車をうまく操り、間一髪でその人の前に止まることができた。
少しでも遅かったら轢いてしまっていただろう。
二人はすぐに馬車を降り、その人の下に駆け寄った。その様子を
馬車の窓からサニーと同じ赤毛の女性︱︱彼女の母、スフィラ・カ
ートライト︱︱が心配そうに覗いている。
︵男の子!?︶
それは、美しい銀髪をした十五歳くらいの少年だった。紅い宝石
が胸部についた空色の少し大きめな鎧を着ている。だがその鎧は破
損したのか、左肩が外れていて、シャツやズボンもあちこち破れて
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いる。腰のベルトに剣を挿しているが、それも既にボロボロの状態
だ。
魔物と戦った⋮⋮いや、これはそんな傷ではない。もっと凄まじ
いことが起こったのだろう。ルードは不思議に思い、呆然と少年を
見ていた。
﹁パパ、この子⋮⋮死んじゃってるの?﹂
サニーは恐る恐る訊いてみた。その言葉にルードはハッとすると、
ぐったりしているその少年を抱き起こし、口元に耳を近づけた。す
ると僅かに息をしていることがわかり、気を失っているだけだ、と
言って微笑んでみせた。
﹁だが、かなり衰弱している。このままでは⋮⋮﹂
すぐにルードの顔が険しくなった。すると、馬車からスフィラが
顔をだし、
﹁あなた、早くその子を馬車に。すぐ村へ連れて行けば助かるかも
しれないわ﹂
と叫ぶように、それでいて落ち着いた声で言った。
それを聞き、ルードは、そうだな、と言って少年をそっと担いだ。
﹁サニー、村に着くまでママと一緒にこの子の看病をしていてくれ﹂
﹁うん!﹂とサニーは大きく頷いた。
そしてルードは、馬車に少年を乗せ、安全を確認すると、全速力
で馬車を走らせた。
? ? ?
﹁あっ! 気がついた!﹂
長閑で小さな村︽アスカリア︾。豊かな自然に囲まれたそこは、
冷涼な気候のため避暑地として一部の人には人気がある。
入口のアーチをくぐると、すぐに小川のある広場にでる。周りの
家々のほとんどは木でできていて、高低差はあるが、広場と小川を
囲うように建っている。
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広場の階段を上がった一番高いところに建っている大きな家の隣、
そこにカートライトの家がある。その家のベッドの上で銀髪の少年
はゆっくりと目を開いた。救出されてから三日後のことである。
少年のサファイアブルーの瞳に、赤毛のポニーテールをしたエメ
ラルドグリーンの瞳の少女が微笑みを浮かべ、自分を覗き込んでい
る姿が映る。
﹁⋮⋮ここは?﹂
﹁ここはあたしの家だよ。よかった、気がついて⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
少女は安堵した様子で息をつくと、後ろを向き大声を上げた。
﹁パパ、ママ、この子が目を覚ましたよ!﹂
﹁本当か!?﹂
するとすぐに返事が返り、ドアの向こうからドタバタと慌てて駆
け寄る足音が聞こえてきた。そして、ガチャっと勢いよくドアが開
くと、白っぽい金髪の男性と赤毛で前髪を巻くようにした女性が入
ってきた。どちらも三十∼四十くらいの年で、少女と同じエメラル
ドグリーンの瞳からノルティアンだということがわかる。
男性は少年を見ると、優しい笑みを浮かべた。
﹁どうやら、もう大丈夫そうだな﹂
﹁ええ﹂女性が頷いた。﹁でもまだ安静にしてないとダメよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
少年は黙ったままわけがわからないといった様子で辺りを見回し
た。
﹁そうだ! 君の名前は? あっ、あたしはサニー、サニー・カー
トライト﹂
少女︱︱サニーは目の輝かせ、明るい声でそう訊いた。すると彼
は首を傾げる。
﹁な⋮⋮まえ?﹂
﹁そう、名前だよ﹂
サニーは詰め寄るが、彼は困ったような顔をする。
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﹁⋮⋮わからない﹂
﹁え?﹂
眉をひそめ、サニーは後ろの両親を振り向いた。
﹁待って、サニー﹂女性は言うと少年を見た。﹁じゃあ、どこから
来たのかわかる? どうして倒れていたの?﹂
﹁すみません、何も思い出せないんです⋮⋮﹂
少年はうなだれ、寂しそうに表情を曇らす。
﹁まさか、記憶喪失なのか?﹂男性が言う。
﹁そのようね。でも、言葉は話せるみたいだからよかったわ﹂
女性は微笑んだ。その時︱︱
﹁ルードさん、スフィラさん、あの子が目を覚ましたって!?﹂
突然ドアが開き、恰幅のいい中年女性が慌てて中に入ってきた。
アルヴィディアンの特徴である琥珀色の瞳が少年の姿を捉える。
﹁サラディン村長!? またあなたは勝手に人の家に⋮⋮﹂
ルードと呼ばれた男性は呆れたようにそう言うが、中に入ってき
たその女性は悪びれることなく、堅いことはいいじゃないの、と笑
って返した。
﹁ケアリーおばさん、何でこのこと知ってるの!?﹂
不思議に思ったサニーが訊くと、村長と呼ばれたこの女性、ケア
リー・サラディンは大笑いをして彼女を見た。
﹁ハッハッハッハッ! サニーちゃんのあの大声は村中に聞こえて
いるさ♪﹂
ケアリーが可笑しそうに笑いながらそう言ったので、サニーは顔
を赤らめて、あーもう笑わないでよ、と叫んだ。
﹁ハッハッハ! それより、どうなのその子?﹂
ケアリーはルードとスフィラを振り向き、顔を赤らめたサニーの
頭をなだめるように撫でながらそう訊いた。それにはルードが深刻
は顔をして答える。
﹁記憶喪失⋮⋮のようだ﹂
スフィラも頷く。しかしケアリーは、たいしたことではないかの
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ように笑うと、少年の頭も撫でた。
﹁大丈夫よ、記憶なんて、きっとそのうち戻るわよ! ︱︱?﹂
そう言うと彼女は何かに気づき、少年の顔をマジマジと見つめた。
﹁あら? この子目が青いわね。ほら!﹂
そう言われたので、サニーも少年の顔を覗き込んだ。
﹁ホントだ⋮⋮全然気づかなかった﹂
ルードが腕を組む。
﹁青い目⋮⋮アルヴィディアンでもノルティアンでもないとすると、
︽ハーフ︾か?﹂
﹁でもあなた、ハーフは赤色らしいわよ﹂
スフィラはそう言ったが、実際にハーフを見たことがある者はこ
こにはいなかった。アルヴィディアンとノルティアンが結ばれたと
しても、ハーフが生まれることはまずないという。だから見かける
ことも普通はない。
すると、サニーが両親の方を向いて胸の前で腕をブンブンと振る。
﹁もう、そんなことどうでもいいわよ! それより﹂
今度は少年を向く。
﹁名前わかんないならさ、あたしが名前付けてもいい?﹂
﹁そうね、いつまでも﹃君﹄じゃあねぇ﹂
ケアリーは腰に手を当てて頷いた。
﹁僕は⋮⋮別にいいですけど﹂
﹁じゃあさ、んとね、えーと⋮⋮﹂サニーは額を指で押さえるよう
にして考え始め、﹁決めた、﹃セトル﹄! 君の名前は﹃セトル﹄
だよ!﹂と言った。
﹁﹃セトル﹄⋮⋮うん、いいですね﹂
少年は目が覚めてから初めて微笑んだ。
﹁よろしくね、セトル!﹂
﹁あ、はい、よろしくおねがいします。サニーさん﹂
セトルがそう返すと、サニーは頬を膨らませた。
﹁むぅ∼、サニーでいいよ。あと敬語もなし!﹂
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﹁え? あ、よろしく⋮⋮サニー﹂
そう言われたので、セトルは言い直した。するとサニーは、はに
かんだ笑みを浮かべ、それでよし、と言って親指を立てた。
ルードたちはそのやり取りを眺めて微笑んでいた。
︵﹃セトル﹄、古代エスレーラ語で﹃静める者﹄⋮⋮か︶
﹁そうだ!﹂ケアリーが何かを思いついたように掌をポンと叩く。
﹁セトルちゃん、記憶が戻るまでわたしの家に住むといいわ!﹂
﹁え? は、はい、お世話になります﹂
一瞬戸惑ったが、セトルはすぐに決断した。
﹁え∼、あたしんちでいいじゃん!﹂
サニーは不満そうな顔をする。そこにルードが、
﹁わがままを言うんじゃないよ、サニー﹂
と言う。
﹁だって∼﹂
彼女はまた頬を膨らませる。するとルードは、彼女の耳元でそっ
と囁いた。
﹃村長に子供がいないことは知ってるよね?﹄
﹃う、うん⋮⋮﹄
﹃ほら見てみなさい、あの嬉しそうな顔。村長、ずっと子供が欲し
かったんだよ﹄
サニーはケアリーを見た。その横顔は先程と違って輝いてるよう
に思えた。余程嬉しかったのだろう。
サニーはしぶしぶ、わかったわよ、と言った。
﹁じゃあセトルちゃん、歩ける?村を案内してあげるわ﹂
ケアリーはセトルの手を取り、ベッドから立たせてあげた。
﹁あー! 村はあたしが案内するー!﹂
﹁サニーちゃんは方向音痴でしょ?﹂
﹁ぶぅー、そんなことないもん!﹂
それを見ていて、セトルは思わず笑ってしまった。そして︱︱
﹁ハハハ、じゃあ二人にお願いするよ﹂
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すると、スフィラはやれやれ、といった感じで肩を竦めた。
﹁安静にしてなさいっていったのに⋮⋮﹂
こうして、青い瞳を持つ謎の少年﹃セトル﹄は、記憶が戻るまで
だが、サラディン家に迎えられ、この村、︽アスカリア︾で暮らす
ことになった︱︱。
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003 月日は流れ
シヴの月15の日。
緑が生い茂り、木々の葉が風に揺られ静かに囁いている。
ここは︽アスカリアの森︾。世界の北方に位置する︽ビフレスト
地方︾の最北端にそれはある。名前の通り、アスカリア村のすぐ裏
手だ。
そして、この森を猛スピードで駆ける足音がその静けさを破った。
木々の枝が揺れ、小鳥たちが驚いたように飛び立つ。土煙が巻き上
がり、茂みの中から巨大な猪が飛び出してきた。
何かから逃げているようだ。しかし、前は切り立った崖、逃げ場
はない。
﹁︱︱やっと追い詰めた﹂
茂みから続いて人影が飛び出す。
猪を追っていたのはあの銀髪青目の少年、セトル・サラディンだ
った。
彼がカートライト家に助けられてから既に二年が経過していて、
今では大きかった鎧などもピッタリである。
しかし、記憶は未だに戻っていない。
﹁ん?﹂
追い詰められた猪は彼の方を振り返って、後ろ足で地面を数回蹴
り、勢いよく突進してきた。
﹁最初からそうしてくれると助かるんだけどなぁ⋮⋮﹂
セトルは左手に握っていた剣を構えると、猪の突進を難なく躱し、
横から一閃する。鮮血がほとばしり、猪は悲鳴に似た叫びを上げる
と、どっと倒れた。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
セトルが一息ついたその時、
﹁一撃で仕留めるたぁ流石だな!﹂
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そう言う声がし、彼は後ろを振り返った。
﹁アラン!﹂
そこにはセトルと同じような形状の両肩の無い鎧を纏い、額にブ
ルーのヘアバンドを巻いた長身茶髪の青年︱︱アラン・ハイドンが
獣道を歩いていた。戦闘用の長斧である︽ハルバード︾を鉄製の籠
手をはめた右手で掴み、セトルが仕留めたのと同じかそれ以上の大
きさの猪を軽々と肩に担いでいる。
彼はアルヴィディアンであり、村一番の力持ちでもある。子供の
ころからアスカリア猟師団に入っていて、今は確か二十二歳。時々
今日のようにセトルを誘い、一緒に狩りをしているのだ。
﹁剣の腕は相変わらずだな。まったく、記憶が無いのにどうしてそ
こまで強いんだか⋮⋮﹂
﹁う∼ん、よくわからないけど、体が覚えているらしいんだ﹂
セトルは剣についた猪の血を払って鞘に収めると、紐を取り出し、
猪を担げるように縛り始めた。
﹁二年前だったか﹂セトルの作業を見守りながらアランは思い出す
ように言った。﹁まだ村の生活に慣れてなかったお前に﹃狩り﹄を
教えてやろうとしたら、まだ何も教えてないのに俺より凄い獲物を
捕りやがったことがあったな﹂
﹁あったけ? そんなこと⋮⋮﹂
セトルは猪を縛り終えると、それを背中に担いだ。
﹁まあ、覚えてないのも無理ない⋮⋮か﹂
苦笑し、アランはそう呟くように言った。
﹁とりあえず、これだけ狩れりゃ十分だろ、村に戻ろうぜ!﹂
? ? ?
アスカリアに戻った二人は、広場で紅い髪を結ってポニーテール
にしている少女を見つけた。オレンジ色の半袖で短めのジャケット
にそれと同じ色のスカート。皮製のベルトをして、黒いスパッツを
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履いている。肩にはリスに似た小動物を乗せて、その喉元を撫でな
がら誰かを待っているかのように広場を歩き回っていた。
﹁あ! セトル、アラン、おかえり! 狩りに行ってたんでしょ?
どうだったの?﹂
どうやら待ち人は彼らのようだ。
﹁見ての通りさ、サニー。ほれ!﹂
アランは担いだ猪を降ろす。セトルも同じようにし、それの隣に
並べる。
﹁こんなに大きいの、ホントに二人が捕ったの?﹂
サニーは笑みを浮かべると、怪訝そうに二人を見た。
﹁失敬だな! ちゃんと俺ら二人で一頭ずつ仕留めたんだぜ。なぁ
セトル?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アランはセトルに言葉を振ったが、彼は空を見上げてぼーとして
いた。その視線の先には白い雲が流れている。しかし、彼が見てい
るのはそれではないような気がした。
記憶の無い彼はよくこのようなことをしている。
﹁うぉーい! セトルくーん?﹂
アランは彼の顔の前で手を左右に振りながら大声でそう言った。
﹁わ! な、何だよ、アラン!?﹂
﹁﹃何だよ﹄じゃねぇよ! またぼーとしやがって⋮⋮﹂
アランはセトルの声真似をして言った。
﹁ああ、ごめん。で、何の話?﹂
﹁まったく⋮⋮もういいさ﹂
アランは呆れたように肩を竦めるが、教えてよ、とセトルが腕を
振りながら言ったので、からかうような笑みを浮かべた。
﹁あと百五十年後にな﹂
すると、サニーが大笑いをし始める。
﹁な! 笑わないでよ、サニー﹂
セトルは恥ずかしさで顔を赤くする。その時︱︱
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﹁うおっ! またでけぇの狩ってきたな﹂
広場を流れる小川の向こうから、金髪を立てるようにしたセトル
と同じくらいの年の少年が驚いた顔をして橋を渡って来た。白い長
袖の服に青っぽい地味なズボンを穿いている。腰には短刀が挿して
あり、瞳の色はエメラルドグリーン、ノルティアンである。
﹁お、ニクソンか、どうだこれ、すげぇだろ!﹂
アランは自慢げに含みのある笑みを浮かべた。お前にはできない
だろ、とでも言うように。
﹁まったくだ、こんなの狩れるのはお前らと猟師団リーダーのウォ
ルフさんくらいだぜ﹂
ニクソンの言葉にセトルは、へへへ、と鼻を啜った。
﹁そうだニクソンちょうどよかったぜ!﹂
アランが突然そう言いだすと、ニクソンの肩をポンと叩く。する
とニクソンは、何がちょうどいいのかわからず、首を傾げた。
﹁俺の代わりに獲物をウォルフさんに届けてくれ﹂
﹁は!? 何でだよ!﹂
﹁俺は今からじっちゃんにメシ作んないといけないからさ、頼むぜ
! あの人メシが遅れるとうるさいんだ﹂
有無を言わさずアランはニクソンに猪を預け、そのまま彼の家の
方に向かって走り始めた。
﹁お、おい待てよ!﹂
ニクソンは叫んだが、やはり無駄だった。溜息をつき、アランの
捕った獲物を見下ろす。
﹁これ⋮⋮俺に運べるのか?﹂
﹁あたしも手伝うよ﹂
﹁悪いな、サニー。でも大丈夫だ。これでも一応猟師団の一員だか
らな﹂
ニクソンは猪を担ごうとするが、なかなか持ち上がらない。彼の
力が無いわけではなく、獲物がでかすぎるのだということは誰がみ
てもわかる。それをセトルは普通に担いでいるし、アランに至って
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は片手、それも利き腕じゃない方で担いでいたのだ。
やっぱりサニーも手伝うことになり、なんとか担ぐことができた。
﹁それじゃ、行こうか﹂
微笑み、セトルが先に歩きだす。
? ? ?
次の日。
﹁セトルちゃん居る?﹂
村の一番大きな邸で村長、ケアリー・サラディンはセトルを呼び
ながらノックもせずに、二階にある彼の部屋に入った。
セトルの部屋は一通りの家具が揃っており、意外とキレイに片付
いている。
そのベッドの横にある窓を開き、セトルは空を見上げていた。美
しい銀髪が風に靡いている。
﹁⋮⋮セトルちゃんいるじゃないの﹂
かあ
セトルは振り向き、ケアリーの姿を認めると口を開いた。
﹁ケア⋮⋮義母さん、何か用?﹂
彼は咄嗟に言い直した。ケアリーは義理の息子のセトルに名前で
呼ばれることを嫌っている。そのことをセトルは十分にわかってい
るのだが、二年経っても慣れないでいる。どうして慣れないのかは
わからない。
ケアリーは一瞬額に皺を寄せたが、すぐにいつもの微笑みを浮か
べると、懐から一通の手紙を取り出す。
﹁この手紙をインティルケープのマーズさんに届けてくれないかい
? わたしは忙しくて行けそうにないのよ﹂
そういえばこのところ彼女は忙しそうである。集会場で何かをし
ているみたいだ。ボロくなったので建て直しをすると聞いてはいる
が、詳しいことは知らない。
セトルは、わかった、と言って頷き、手紙を受け取る。
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﹁一人で大丈夫かい?﹂
心配そうにケアリーは言いながら、薬などの入った道具袋を手渡
した。
﹁心配ないよ。インティルケープなら何度も行ったことあるし、マ
ーズさんにも何度も会ってるしね﹂
受け取り、セトルは微笑むと、壁に立てかけてあった剣を腰のベ
ルトに挿した。
﹁じゃあ、早速行くよ﹂
﹁待って! 馬を用意するわ﹂
﹁いいよ、修行にもなるから歩いて行く﹂
そう言うとセトルは部屋を出、一階に下りて玄関の扉を開けた。
すると︱︱
﹁あれ? セトル、どこか行くの?﹂
偶然通りかかったのか、サニーが声をかけてきた。
﹁ああ、うん。ちょっとインティルケープまで﹂
﹁う∼ん、セトル一人じゃ心配だから、あたしも一緒に行こうか?﹂
サニーがそう言ってくるだろうということは予想できていた。だ
からこそセトルはゆっくりと首を横に振った。
﹁いいよ、魔物が出るかもしれないし、それにサニーが一緒だとか
えって心配かな⋮⋮﹂
︵迷子になりそうで⋮⋮︶
﹁むむ、それってあたしが足手まといってこと?﹂
眉を吊り上げた彼女にセトルは睨まれた。
﹁そ、そんなことないけど、やっぱり僕一人で大丈夫だよ﹂
するとサニーはさらに頬を膨らます。
﹁むぅ、だったらついて行かないけどさ、あたしが居なかったこと
後悔するかもしれないわよ﹂
﹁そうならないことを祈るよ。ハハハ﹂
サニーと広場で別れ、セトルはインティルケープを目指して村を
出発した。
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004 インティルケープ
インティルケープはアスカリアからイセ山道を抜け、そこから南
西に向かった先にある。
距離はそれほど離れてはいないのだが、セトルのようにあるいて
行くと一日ほどかかってしまう。特にこのイセ山道は凶暴な魔物も
出るため余計に時間がかかる。
セトルはそこでしばしの休憩をしているところであった。
﹁さてと、そろそろ行こうかな﹂
水筒の蓋を閉め、セトルはそれをしまうと立ち上がった。その時
︱︱
︱︱︱︱グルルルル!︱︱︱︱
﹁!?﹂
唸り声が聞こえたと思うと、後ろから熊の魔物︱︱エッジベアが
現れた。かなり興奮しているように見える。
﹁何か⋮⋮怒ってる?﹂
セトルが逃げようと身を翻した時、もう一体同じように興奮した
エッジベアがその行く手を塞いだ。
︵しまった、囲まれた!︶
そして、後から現れたエッジベアが唸りを上げて躍りかかってき
た。セトルは咄嗟に剣を抜き、その鈍色に光る巨大な爪の攻撃を躱
すと、その腕を存分に斬りつけた。
すると今度は、もう一方のエッジベアがその巨大な爪のついた腕
を振るう。
﹁くっ!﹂
セトルは素早くそれを剣の腹で受けた。そして滑らすように受け
流すと、エッジベアの肩を斬り、そのまま前に跳んだ。
﹁さあ、これで終わりだよ!﹂
笑みを浮かべ、セトルは剣を天に突き立てた。すると剣の周りに
19
ひじんしょう
風が渦巻き、彼はそれを思い切り振り翳した。
﹁︱︱飛刃衝!!﹂
烈風の衝撃波が走る。だがそれはエッジベアを大きく外れ、代わ
りにその上の崖に直撃する。
しかし、セトルの狙いはそれだった。
爆音と共に崖は崩れ、落石が二匹の頭上に降り注ぐ。悲鳴を上げ、
二匹は瓦礫の下敷きとなった。
﹁ふぅ、さて行こうか﹂
セトルは歩き始め、途中ちらっと後ろを振り向いた。
︵それにしてもあのエッジベア、異常に興奮してたなぁ。何でだろ
?︶
インティルケープに到着した時には既に日は沈んでいた。この町
は農牧業が盛んで、町の中にも家畜がいたり、畑があったりしてい
る。そのためか、少々家畜臭い匂いがする。
ここには港があり、そこの市場はいつも多くの人で賑わっている。
だが、流石にこの時間帯はあまり人がいないだろう。
マーズ邸は港の反対側にある。周りの家よりも一際大きい屋敷が
それだ。彼はこの町の町長である。
セトルは、今行ったら迷惑かも、と思いはしたが、宿を取るほど
のお金が無かった︱︱ケアリーが入れ忘れた︱︱ので、仕方なく手
紙だけ渡そうと思い、マーズ邸へと足を進めた。
﹁すみませーん! マーズさんはいらっしゃいますか?﹂
呼び鈴を鳴らし、セトルは近所迷惑にならない程度の大声で言っ
た。
すると返事が返り、奥からノルティアンの男性が一人、歩いてき
た。年は五十前後に見える。
﹁いらっしゃい﹂男は柔らかく微笑んだ。﹁おや、セトルくんじゃ
ないか、こんな晩くにどうしたんだね?﹂
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﹁お久しぶりです、マーズさん。ケアリーさんから預かった手紙を
渡しに来ました。﹂
軽く礼をし、セトルは手紙を取り出して彼に渡した。
﹁ああ、あのことか。︱︱ま、立ち話もなんだから上がりなさい。
ミセルも会いたがっておったしな﹂
﹃ミセル﹄とはマーズの一人娘のことである。何度かここへ来てい
るうちに仲良くなったのだ。
セトルは、おじゃまします、と言って頭を下げ、マーズについて
中に入った。
リビングに招かれたセトルはソファに腰をかけ、マーズに出され
たハーブティーをゆっくりと味わっていた。
すると、リビングのドアが開き、ピンクのワンピースを着た、明
るい緑色の髪をリボンでツインテールにしている少女が満面の笑み
を浮かべて中に入ってきた。
﹁セトル君久しぶり! 元気してた?﹂
﹁久しぶり、ミセル﹂
セトルは微笑み、ハーブティーの入ったカップをテーブルに置い
た。
彼女は確か今年で十六歳である。
﹁おお、ミセル来てたのか﹂
別のドアが開き、マーズがクッキーを木製の皿に盛って入ってき
た。そしてそれをテーブルに置き、セトルの向かいのソファに腰を
かける。
﹁セトル君、隣いい?﹂
﹁ああ、いいけど﹂
セトルが答えると、ミセルは彼の隣に座った。
﹁どうだいセトルくん、記憶の方は?﹂
マーズが訊くと、セトルはゆっくり首を振った。
21
﹁がんばって思い出そうとしてるんですけど、まだ全然。﹂
彼は俯いた。少し寂しそうな目をしている。
﹁ね、ねぇ、セトル君いつもこの鎧着てるよね? 左肩が外れちゃ
ってるのに、どうして?﹂
場の雰囲気を変えるようにミセルは明るい声で言った。
﹁え? ああこれ?﹂その声に毒気を抜かれたようにセトルは微笑
む。﹁これは僕が助けられた時から身につけていたものなんだ。こ
の鎧ってけっこう珍しいみたいだし、これを着てたら僕を知ってい
る人が僕に気づいてくれるかもしれないって思って。﹂
﹁なるほどね。ところでセトル君、この後どうするつもりなの?﹂
ミセルが言うと、
﹁もし宿がないならここに泊っていくといい﹂
マーズがそう言った。
﹁え、いいんですか? 迷惑じゃ⋮⋮﹂
セトルは戸惑った。そう言ってくるとは思っていなかったからだ。
﹁いいに決まってるじゃない!﹂
ミセルが笑う。マーズも微笑み、
﹁まさかセトルくんには、私たちがアスカリアからはるばる来た少
年を、こんな夜中に追い出すような人に見えてるのかな?﹂
からかうようにそう言った。
﹁い、いえ、そんなことないですよ﹂
慌てたようにセトルは掌を顔の前で振り、否定した。
﹁じゃあ、決まりね!﹂ 22
005 冤罪
﹁セトル居るかー!﹂
早朝、まだ日も昇っていない時、マーズ邸の前から聞こえた近所
迷惑の大声でセトルは目を覚ました。聞き覚えのある声だ。それに
ただ事ではない様子。
セトルは飛び起き、剣だけは持つと、声のする方へと向かった。
そこにいたのは︱︱
﹁ニクソン!﹂
だった。彼は慌てた様子でぜーぜーと息を切らしている。
﹁どうしたんだよ? そんなに慌てて⋮⋮﹂
ニクソンの頬を汗がなぞる。彼は一息つくと、真剣な目つきでセ
トルを見る。
﹁サニーが、サニーが攫われた!﹂
﹁な!?﹂
セトルは驚愕した。いつのまにかミセルたちも来ていたが、同じ
ように驚いていた。
﹁実は、昨日の夕方⋮⋮﹂
少し落ち着き、ニクソンは語り始める。
? ? ?
約半日前。
アスカリアの広場、サニーはそこのベンチに座り、手に持った何
かを見詰めていた。どこか機嫌が良さそうに見える。
﹁ねぇサニー、それどうしたの?﹂
フリルの多くついた服を着、下した茶髪の髪に花びらを模した髪
飾りをしたアルヴィディアンの少女が、サニーに近寄り、彼女が持
っている青くキラキラした物を差してそう訊いた。
23
﹁この石? これはね、さっき村外れの河原で拾ったのよ。どお、
綺麗でしょ?﹂
サニーは自慢げにそう言うと、そのスカイブルーの緑柱石の欠片
を夕日の光に翳した。
﹁まだ探せばあるかな?﹂
﹁どうかなぁ、探せば見つかるかもしれないけど、まさかカノーネ、
今から行く気?﹂
日が沈み、暗くなるまでもうそんなに時間は無い。暗くなったら
見つかるものも見つからないだろう。まして石があった河原は村の
外、魔物が出るかもしれない。
﹁そうだね。明日行ってみるよ。サニー、案内してくれる?﹂
少女︱︱カノーネが言うと、サニーは、いいわよ、と言って微笑
んだ。その時︱︱
﹁いました! あいつです!﹂
と言う声がし、村の入り口から全身鎧を纏った兵士のような人々
が広場へと入り、サニーとカノーネを取り囲んだ。
二人はぎょっとし、その兵士たちを見回す。
すると、兵士たちは道を開ける。だがそれはサニーたちが通るた
めのものではない。そこを歩いてきたのは、流れるような金色の髪
をした、やはり全身鎧を纏ったアルヴィディアンの若い男性だった。
次々と敬礼が送られる。一目見てもわかるが、どうやらかなり高
い位の者だ。高貴さがにじみ出ているようだ。
﹁赤毛のポニーテール、ノルティアンの少女、それにあの手に持っ
ているのはアクアマリンか⋮⋮間違いないな﹂
アクアマリン
アーティファクト
男はサニーを観察するように見ながら呟いた。そして僅かに息を
吸うと、彼女を指差し、大声で宣言する。
﹁盗賊﹃エリエンタール﹄、王城からその精霊石と古の霊導機を盗
んだ罪により逮捕する!﹂
﹁な、ちょっと待ってよ!何であたしが逮捕されなきゃいけないの
よ! 一体何なのよあんたたちは!﹂
24
わけがわからない。そんなこと身に覚えがない。当たり前だ、サ
ニーは王城どころか首都にすら行ったことがないのだから。
﹁惚けるな!﹂しかし男は一喝する。﹁我はシルティスラント王国
正規軍が将軍、ウルド・ミュラリーク! ︱︱貴様は我が城で盗み
を働いた悪党だ。逮捕されて当然だろう?﹂
カノーネがサニーの前に出る。足が震えている。
﹁さ、サニーはそんなことし、してないわ⋮⋮﹂
声も怯えたように震えている。
﹁君は黙っていなさい!﹂
アクアマリン
ウルドと名乗った男に怒鳴られ、カノーネは、ひぃ、と短い悲鳴
を上げる。
アーティファクト
﹁容姿も目撃情報に一致するし、何よりその精霊石が確たる証拠。
古の霊導機の方は持ってないようだが、まあいい、どうせどこかに
隠しているのだろう﹂
アーティファクト
ウルドは後ろを向き、何らかの指示を出す。すると、数人の兵士
が広場から出て行った。古の霊導機を探すためだろう。
これは拾った物よ、とサニーは言うが、ウルドは無視して続けた。
﹁この辺りになかったとしても、首都に連行し吐かせるまで。捕え
ろ!﹂
彼は残った兵士たちに合図を下す。その時︱︱
﹁ちょっと待てー!﹂
そう叫ぶ声が聞こえ、振り向くとそこにはアランとニクソン、そ
れにケアリーがいた。
﹁ケアリーおばさん⋮⋮﹂
サニーはホッとしたように呟いた。ケアリーが、手で兵士たちを
制したウルドの前に進み出る。
﹁わたしはこの村の村長のケアリーという者です。正規軍の将軍と
お見受けしますが、サニーが何かしたのですか?﹂
アランとニクソンがサニーたちを庇うようにその前に立つ。
一通りのことを聞くと、ケアリーは腰に手を当てて笑った。
25
﹁ハッハッハ、この子はそんなことしてませんよ!﹂
﹁ほう、だったらその少女がフリックの月32の日にどこにいて、
何をしていたかわかりますか?﹂
﹁ああ、その日は確か⋮⋮﹂
ケアリーの表情が曇る。次の言葉が出てこない。
﹁どうなのだ?﹂
ウルドはさらに詰め寄る。
それを見て、アランがサニーの耳元で兵士たちには聞こえないよ
うに小声で言う。
﹃おい、サニー、ルードさんたちは?﹄
﹃アクエリスに行ってていないわ。﹄
サニーも小声で言う。するとアランは、チッと舌打ちをする。
﹃お前はあの日何をしてたのか覚えてないのか?﹄
うん、とサニーは悲しげに頷いた。するとアランは、今度はニク
ソンに小声で言った。
﹃ニクソン、今からインティルケープに居るセトルを連れてきてく
れ。あいつなら何か知ってるかもしれない﹄
わかった、と言って頷き、ニクソンは走りだした。幸い、兵士た
ちの中にそれを追おうとする者はいなかった。
? ? ?
﹁じゃあ、サニーはまだ村に居るの?﹂
ニクソンの話を聞くかぎり、彼が村を出た時にはまだサニーは攫
われて︱︱いや、連行されていない。でも、今から戻ったところで
間に合うかどうか⋮⋮。
﹁ああ、ケアリーさんたちが抗議してくれてはいるが、あの様子じ
ゃたぶん時間稼ぎくらいにしかならねぇ⋮⋮﹂
ニクソンはうなだれ、そしてセトルの両肩に手を押し当てるよう
に置いた。
26
﹁セトル、お前、サニーがフリックの月32の日にどこに居たかわ
かるか?﹂
﹁え∼と⋮⋮﹂セトルは記憶を探り、そして思い出したように口を
開いた。﹁32の日だよね? 確かその時はインティルケープに居
たはず、僕も一緒に行ってたから間違いないよ。﹂
なぜセトルが覚えているのか? 記憶を失くした彼はできるだけ
毎日のことを忘れないようにしているからだ。特に忘れたくない思
い出は日記にもしっかりと書いてある。
それを聞くとニクソンは安心したように顔の緊張を解いた。
﹁それなら十分だ! そこに馬を繋いでるから、今すぐ村に戻るぞ
!﹂
﹁うん、わかった!﹂
セトルは頷いた。そしてマーズとミセルを振り向くと深々と頭を
下げた。
﹁それではマーズさん、お世話になりました﹂
﹁気をつけてね、セトル君﹂
とミセル。
﹁またみんなで遊びにきなさい﹂
マーズはそう言ってセトルの荷物を渡す。それを受け取り、彼は、
はい、と答え、そのまま邸をあとにした。
? ? ?
イセ山道をニクソンが知っている近道を使ってセトルたちは一気
に駆け抜けた。村へ着いた時には昼過ぎだったが、サニーは大丈夫
だろうか? セトルは道中そのことばかり心配していた。
結果は︱︱最悪だった。
それは集会場にいたケアリーたちの表情と、
﹁遅えよ⋮⋮﹂
というアランの一言からわかった。
27
そのアランはなぜか腹を手で押さえている。
﹁⋮⋮サニーは?﹂
それでも、セトルは訊いてみた。答えはわかっているけど⋮⋮訊
いてみた。
﹁さっき連れて行かれちまったよ。重要参考人とか何とかで⋮⋮。
くそっ!﹂
アランは地面を思いっ切り殴った。自分にもっと力があれば、と
言うように。でも、力があろうが無かろうが、これは仕方ないこと
だ。
﹁さっきってことは﹂とニクソン。﹁イセ山道で行き違ったのか。
近道使ったのはまずかったな⋮⋮﹂
するとセトルは踵を返した。
﹁ニクソン、さっきの馬借りるよ!﹂
﹁いいけど、どうするつもりだ?﹂
﹁サニーを連れ戻しに行く。まだ間に合うかもしれない﹂
振り返らずセトルはそう言うと、馬を繋いでいる方に歩き始めた。
﹁おい、待てよ!﹂
アランが呼び止めると、セトルは立ち止った。だが諦めたわけで
はないようだ。そのまま振り返らずに、
﹁止めても無駄だよ。僕は⋮⋮決めたんだ!﹂
と言う。だが︱︱
﹁違う! 俺も一緒に行く﹂
﹁え!?﹂
今度は振り向いた。止めると思っていたアランが予想外のことを
言ってきたからだ。
﹁でも⋮⋮﹂
セトルは戸惑ったが、アランの決意が堅いことを悟り、わかった、
と言って頷いた。
﹁セトルちゃん、相手は軍隊よ、行くなとは言わないけど⋮⋮無理
はしないで!﹂
28
心配そうなケアリー。
﹁奴らはたぶんインティルケープに船を泊めているはずだ。二人と
も気をつけろよ。オレがついて行っても足手まといにしかならない
だろうから、ここで待ってるよ⋮⋮無事に帰ってこい﹂
とニクソン。カノーネも、がんばって、と祈るように掌を胸の前
で組んだ。
﹁ありがとう、みんな⋮⋮行ってきます﹂
セトルは皆に微笑み、アランと共に村を出た。彼女を、サニーを
連れ戻すために︱︱。
29
005 冤罪︵後書き︶
今回は特にヒデー回だった⋮⋮;;
30
006 幻影の村
イセ山道を駆ける二頭の馬。二人の若者を乗せ、もの凄い勢いで
風を切る。
先頭を走る馬にはセトル・サラディンが乗っている。
﹁おいセトル、インティルケープで奴らに追いつかなかったらどう
する気だ?﹂
後ろから、馬で走っていても聞こえるようにアランが大声で言っ
た。
﹁その時は⋮⋮首都まででも追っていく。絶対無実を証明してサニ
ーを連れ戻すんだ!﹂
セトルも大声で答え、日記持ってくればよかったかな、と思った。
するとアランの表情が緩んだ。
﹁そう言うと思ったぜ。ま、そんときは馬をマーズさんにでも預け
て船で行くしかないな。お前船乗ったときあるか?﹂
アランの問いに、セトルは首だけ大きく横に振った。
アランは苦笑する。
しばらく山道を駆けていると、セトルはある不審な点に気がつい
た。
︵霧? さっきまで出てなかったのに⋮⋮︶
山を白い闇がだんだんと包み込んでいく。
﹁これは早く抜けねぇとヤバイぜ⋮⋮﹂
アランが辺りを見渡し、呟いた。その時︱︱
﹁うわっ! い、いて、いててててて!﹂
突然セトルが叫びだし、馬を止めた。
﹁セトル、どうし︱︱!? お前、それ⋮⋮﹂
心配したアランが馬を彼の横につけ、その顔を覗き込むと、驚い
た表情になる。セトルの顔面に黒茶色いフサフサした物体が張りつ
いていたからだ。
31
﹁何かが道具袋から飛び出してきたんだよ。いてて!﹂
セトルはそれを両手で外すと、そこにいたのは、頭から尾にかけ
て黒茶色い毛と、長い耳をもつリスに似た小動物だった。
﹁ザンフィ! 何でここに!?﹂
セトルも驚きそう言った。このザンフィと呼ばれた小動物はサニ
ーの家で飼われているものだ。それがどうしてここに?
﹁もしかして、サニーを助けるために⋮⋮﹂
まさか、とセトルは思ったが、アランの言う通りかもしれない。
ザンフィは頭が良い。だから彼女の危機を感じてセトルたちについ
てきたのかもしれない。
﹁どうする?﹂セトルは困ったように眉をひそめた。﹁村に戻した
方がいいかなぁ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮いや、連れて行こう。今さら後戻りもできないだろ? それ
にけっこう役に立つかもしれない﹂
少し考え、アランはそう提案する。
﹁そうだね、わかった﹂
セトルがそう言って微笑むと、ザンフィもセトルの肩に乗り、﹁
キキ﹂と鳴いて、笑ったように見えた。
さらに霧が濃くなっていく。
﹁まずいな⋮⋮早くここを抜けようぜ!﹂
確かにこれ以上ここにいると危険だ。セトルは頷き、馬の手綱を
持った。
そして、ふと白い闇が包む景色を見下ろす。すると︱︱
﹁⋮⋮?﹂
何が見えたのか、セトルは馬を降り、目を凝らしてその景色をじ
っと見つめた。
﹁ん? どうしたセトル?﹂
﹁ねぇアラン、あんなところに村なんてあったっけ?﹂
﹁はぁ? 何言って︱︱!?﹂
セトルが指さした方を見て、アランは目を丸くした。白い闇の中
32
に、確かに村のようなものが見える。が︱︱
﹁おかしい、あんなところに村なんて無かったはず⋮⋮﹂
アランは自分の目を疑い、馬から降り、目を腕でこするようにし
てもう一度見る。だが、やはりそこには村らしきものが見えた。
二人は幻でも見ている気分だった。でも、見れば見るほどその全
容がわかってくる。時計台を思わせる高い塔と、その下に広がる民
家のような家々。それは、どこか神秘的な感じのする不思議なもの
だった。
︵ん? 揺れている⋮⋮!?︶
村が陽炎のように揺れているのに気づき、アランはハッとする。
﹁ま、まさかあれが、幻影の村︽ミラージュ︾か!﹂
﹁みらあじゅ?﹂
何それ、と言いたげにセトルは首を傾げた。
﹁そうか、お前は知らないよな﹂アランはセトルを振り向く。﹁︽
ミラージュ︾は世界のいろんなところで目撃されている村なんだ。
見えてるけど、実態がないから︽幻影の村︾なんて言われている﹂
ふーん、とセトルは呟き、今も微かに揺れているその村を見詰め
た。
︵あれ?︶
﹁セトル、そろそろ行くぞ!﹂
﹁あ、うん、そうだね﹂
その村を見ていてセトルは不思議な懐かしいような感じがしたが、
今は早く奴らに追いつかないといけない。とりあえずそれは置いて
おこうと思った。だが焦ってもしかたない。サニーを連れて行った
のは国軍、彼女が無事であることは間違いないのだ。たとえインテ
ィルケープで追いつけなくても、首都まで行く。それは長い旅にな
るだろう。
? ? ?
33
インティルケープに着くと二人はすぐに港へ向かった。しかし、
どこにも軍船と思われる船は見あたらなかった。
しばらく辺りを捜していると、マーズが海の向こうを見詰めてい
るのを見かけた。
﹁マーズさん!﹂
セトルたちは彼のもとに駆け寄る。
﹁セトルくん! それにアランくんも⋮⋮﹂
﹁マーズさん、正規軍がどこに行ったか知りませんか?﹂
すかさずセトルは訊いた。
﹁そうか、君たちは軍を追ってきたのか⋮⋮。彼らはもうここを発
ったよ﹂
マーズは悲しげな表情を見せ、そしてまた海の向こうを見詰めた。
そんな、とセトルは呟く。
﹁すまないね。私が来たときはもう⋮⋮﹂
﹁いえ、いいんです。追いつけなかったら首都まで行くと決めてま
したから﹂
自分に言い聞かせるようにセトルは言い、無理に笑ってみせた。
ローヤー
﹁⋮⋮でも﹂と少し間を置いてマーズは口を開いた。﹁サニーくん
のことはそんなに心配しなくても大丈夫だよ﹂
﹁どういうことだ?﹂
アランが怪訝そうに訊く。
﹁セトルくんが私の家を出て少ししたころに、弁護士の方が訪ねて
きてね。このことを伝えたら、サニーくんの弁護をしてくれると言
ってくれた﹂
﹁本当ですか!﹂
セトルは破顔した。今度は無理をしてない本心からの笑みだ。し
ローヤー
かし、その横でアランは、信用できるのか? と怪訝そうな顔を緩
めなかった。
マーズは、ハハハ、と笑いアランを向く。
﹁大丈夫、彼は信用できるよ。首都では有名な弁護士だし、なりよ
34
り私とは知り合いだからね。任せていいと思うよ﹂
マーズのその言葉は本当にその人を信頼しているものだった。す
るとアランはやっと表情を和らげた。
﹁まあ、マーズさんの知り合いなら大丈夫だろう﹂
﹁それではマーズさん、僕たちは首都を目指します。いろいろとあ
りがとうございました﹂
セトルは一礼し、踵を返した。
﹁あ、マーズさん、町の入り口に繋いである馬を預かってくれます
か?﹂
﹁ああ、いいとも﹂
マーズが頷くのを見ると、アランも同じように礼を言って、セト
ルの後に続いた。
気をつけてな、と言ってマーズは、歩み行く二人を笑顔で見送っ
た。
35
007 船旅
﹁ねぇ、アランも外に出ようよ! 潮風が気持ちいいよ﹂
インティルケープから出る定期船の船室。セトルはその扉を開け、
はしゃいだ様子で中に入ってきた。海は何度も見たことあるけど、
船に乗ったのはこれが初めてだ。だから、はしゃがずにはいられな
い。
しかし、セトルは元気初辣なのに、アランはベッドに横たわって
苦しそうに唸っていた。顔色が悪い。
﹁せ、セトル⋮⋮もう少し静かにしてくれ⋮⋮うっぷ!﹂
これは、完全に船酔いだ。セトルは、ごめんごめん、と言って頭
を掻く。
﹁くそっ⋮⋮船に乗るのがこんなにもきついことだったとは⋮⋮う
っ!﹂
ザンフィがアランの傍に行き、その頬をぺろっと嘗める。ザンフ
ィもアランが心配なのだろう、とセトルは思った。
﹁それにしても、あのアランが船に弱いなんて⋮⋮アハハ!﹂
笑いがこぼれる。
﹁う、うるせぇ⋮⋮﹂
インティルケープからの定期船は、直接首都まで行ってくれない。
だから一度︽アクエリス︾という町を経由しなければならないのだ。
でもそれは丁度よかった。
今︽アクエリス︾にはサニーの両親、ルードとステラが滞在して
いる。当然サニーが国軍に連行されたことは知らないはず。それを
伝えるためにも、まずそこで二人を捜さなければならない。
﹁だったら僕たちだけで行こう、ザンフィ!﹂
キキっとザンフィが反応し、セトルの肩に飛び乗る。
﹁是非そうしてください⋮⋮﹂
呟くようにアランは言った。
36
? ? ?
﹁あーもう! ここから出しなさいよ! 村に帰してよ!﹂
シルティスラント王国正規軍の軍船︽スレイプニル︾号。この霊
導船の一室にサニーは幽閉されていた。
この船には牢があったのだが、そこには入れられていない。ケア
リーたちのおかげで犯人とまではいかなかったからだ。それでもこ
の部屋は、ベッドなどの必要なもの以外何もない殺風景なところだ
った。窓もあるが、そこからは逃げられない。下には海が広がって
いるのだ。
部屋の外には兵士が二人、扉を挟むように立っている。
そして何やら話し声が聞こえてきた。
﹁将軍! 何か御用ですか?﹂
兵士たちが敬礼するのをサニーはその声を聞いてわかった。
﹁少し彼女と話をさせてくれませんか?﹂
男性のようだが、その声、その口調はあのウルドとかいう将軍の
ものではなかった。正規軍には将軍が何人も居るのだろうか?
﹁それと﹂付け足すように将軍と呼ばれた男性が言うのが聞こえる。
﹁私はもう軍人ではありません。その呼び方はやめてくれませんか
?﹂
﹁し、失礼しました!﹂
すると扉がノックされ、サニーが返事しないにもかかわらずその
男性は中に入ってきた。
彼は、青っぽい軍服のようなローブを纏い、手には黒いグローブ。
歳はわからないが端整な顔立ちをしており、青みがかったグレーの
長髪を後ろで結っている。色白の肌は優しげな印象を与え、フレー
ムの無い眼鏡の奥に見えるエメラルドグリーンの瞳に威厳を感じな
いこともない。
﹁あんた誰よ! あたしをここから出して!﹂
37
そう言うサニーを彼は一目見ると、ふむ、と呟いた。
﹁やはりマーズ氏の言った通り人違いですね。ウルドは何をしてい
たんだか⋮⋮﹂
サニーにも聞こえるように男は呟いた。
﹁どういうこと?﹂
ローヤー
﹁ああ、これはすみません。私はウェスター・トウェーンというも
のです。弁護士をしています。それと、あなたの敵ではありません﹂
男︱︱ウェスターは礼儀正しくそう言ったが、どこか口調に含み
があるのは気のせいだろうか。それに、
﹁でも、さっき将軍って呼ばれてなかった?﹂
ローヤー
兵士たちがそう呼んでいたのをサニーはちゃんと聞いていた。国
軍の軍船に乗っているところからしても、ただの弁護士ではない。
敵ではないと言っているが、信じていいのだろうか?
﹁聞かれてましたか⋮⋮そのことは忘れてください。今は軍をやめ
ている身ですので﹂
ウェスターは眼鏡のブリッジを押さえるようにしてそう言った。
だが、それではサニーの疑問は解けない。彼女はさらに詰め寄ろう
としたが、その前にウェスターが話し始め、言いそびれてしまった。
﹁とにかく、あなたは誤送されてしまったわけですが、残念ながら
ここまで来てしまったら、あなたを解放することは私にはできませ
ん﹂
﹁そ、そんな⋮⋮﹂
サニーは俯いた、目が潤んでいる。今にも泣きそうだ。
︵パパ、ママ⋮⋮セトル⋮⋮︶
﹁でも安心してください﹂今度のウェスターの声は含みを感じなか
った。﹁私があなたの弁護をします。これはインティルケープの町
長、マーズ氏にも頼まれたことです﹂
﹃マーズ﹄という言葉でサニーは顔を上げた。
﹁マーズさんを知ってるの!?﹂
﹁ええ、まあ。︱︱それより﹂
38
ウェスターは頷き、そして踵を返すと扉を開け、見張りの兵士た
ちに何か耳打ちをする。
すると兵士たちは困ったような、驚いたような表情をし、顔を見
合わせる。そして、視線をウェスターに戻すと、一人が、
﹁どうなっても知りませんよ⋮⋮﹂
と諦めたように言った。
するとウェスターは含み笑いを浮かべ、サニーの方に向き直る。
﹁裁判が始まるまで、あなたの身柄は私が預かります。よろしいで
すか?﹂
少し考え、このまま軍に捕らわれているよりはマシだと思い、サ
ニーは頷いた。
﹁ではまず部屋を変えましょう。ここでは不自由でしょうから﹂
﹁あたし⋮⋮出ていいの?﹂
恐る恐る訊いた彼女にウェスターは、はい、と言って微笑んだ。
39
008 水の都
水の都︽アクエリス︾。そこはその名の通り、湖の上にある。別
に浮かんでいるわけではなく、水底が少し高くなっているところに
町全体を持ち上げるように造られているとのことだ。
町には到る所に水路が張り巡らされ、広場には大きな噴水がある。
そこを中心としてドーナツ状に石造りの建物が軒を連ねている。こ
こは世界でも一位・二位を争う美しい町だとも聞いている。
セトルたちは北側の港に着いていた。町は内陸にあるのだが、そ
こまで運河がのびていて、大きな船でも入ることが可能である。
港に降りた途端、アランはさっきまでゲーゲー言っていたのが嘘
のように元気になっていて、町を見回して歓喜の声を上げる。
﹁おお、噂には聞いていたが想像以上に綺麗なとこだな﹂
セトルも初めての大きな町に心が躍る。
そして街中へと向かう。首都行きの定期船はここの反対、南側の
港から出ているらしい。
すると︱︱
﹁おや、セトルにアランじゃないか。それにザンフィも⋮⋮﹂
と声がし、街の門の向こうからルードとスフィラが歩いてきた。
いきさつ
ザンフィがセトルの肩から飛び降り、彼らの元へ行く。そして順
番に鼻を押しあてた。
﹁ルードさん、スフィラさん! 丁度よかった﹂
アランが言うと、二人は首を傾げた。実は、とセトルが事の経緯
を話し始める。
﹁⋮⋮そうか、やはりな﹂
セトルの話を聞き、ルードは疑いもせずそう呟いた。
﹁やはりって、どういうことですか!?﹂
彼らの意外な反応にセトルは眉を寄せた。知っていた、というわ
けではないようだが。
40
﹁胸騒ぎがしたのよ﹂とスフィラ。﹁村の方に盗賊が逃げ込んだっ
て聞いたから⋮⋮大丈夫とは思ってたのだけど、まさかこんなこと
になってるなんて⋮⋮﹂
どうして正規軍があんな辺境までわざわざ来ていたのか、セトル
はそれを聞いてようやくわかった。
﹁とにかく二人は村に戻ってサニーの帰りを待っててくれ、マーズ
さんに馬を預けてるからそれを使って⋮⋮﹂
アランが言い終わると、ザンフィがセトルの肩の上に戻った。
﹁君たちはどうするんだい?﹂ルードが訊く。
﹁僕たちはサニーを連れ戻すために首都へ向かいます﹂
﹁俺は借りを返したい奴もいるしな⋮⋮﹂
セトルの横でアランが真顔で呟いた。
ルードとスフィラは二人の目をじっと見詰めたが、そこに迷いは
なかった。
﹁わかった。止めはしないよ。二人とも無茶だけはするな。できる
だけ穏便に済ますようにするんだ﹂
ルードは二人の肩を軽く叩くと微笑んだ。そしてスフィラが人差
し指を顔の前に立て、
﹁くれぐれも国を敵に回すようなことはしないでね﹂
と、念を押すように言った。
セトルたちが頷くのを見ると、二人はインティルケープ行きの定
期船がある方へ歩き始めた。その途中ルードが何かを思い出したよ
うに立ち止まり、こちらを振り向いた。
﹁そうだ、ここから直接首都までは行けないぞ。首都行きの霊導船
がこの前の大しけで大破したそうだ。直るまで運航停止らしい﹂
﹁マジか⋮⋮﹂
アランが呟き、セトルも愕然とした様子でただ立っていた。
﹁でも行けないわけじゃい﹂
セントラル
ルードが言うと、二人は顔を上げた。
﹁遠回りになるけど、中央大陸にある︽サンデルク︾という学問の
41
セントラル
盛んな都市から定期船が出てるわ﹂
﹁中央大陸⋮⋮﹂
セトルは呟き空を仰いだ。それが聞こえたかどうかわからないが、
ルードとスフィラは微笑み、
﹁南側の港から︽ソルダイ︾という村へ行く船が出ている。まずは
それに乗るといい﹂
﹁わたしたちは村であなたたちの帰りを待ってるわ⋮⋮サニーを頼
んだわよ。元気で戻ってきてね﹂
と言うと、手を振りながら船の方へ歩き、もう振り返らなかった。
二人は彼らを見送り、その姿が見えなくなるとセトルがアランに
訊く。
﹁さっき、借りを返したい奴がいるって言ってたけど、もしかして
あの時お腹を押さえてたのと関係あったりする?﹂
するとアランは、バレたか、と言わんばかりに笑った。
﹁ハハ、流石に勘がいいな!︱︱ あの時、奴らがサニーを連れて
いくのを止めようとしたら、兵士の一人に膝蹴りをくらってな。ま
あ、そいつはウルドとかいう将軍に怒鳴られていたが、それじゃ俺
の気がすまねぇ。そいつの特徴は覚えてるから一目見りゃわかるぜ
!﹂
﹁でも、サニーを連れ戻すのが優先だからね﹂
﹂
わかってるよ、とアランは言い、そのまま二人は南側の港へ向か
った。
? ? ?
﹁え!? 船が出せない!?
町の南側の港で、木箱に座っていたアルヴィディアンの船長らし
き男にそんなことを言われ、二人は愕然とした。何でだ、とアラン
が訊くと、船長は小さく息をつく。
﹁⋮⋮最近、この辺りの海域に﹃クェイナー﹄っつうトカゲのよう
42
な魔物が出てな。次々と船を襲ってんだ﹂
二人は顔を見合す。
﹁じゃあ、その魔物がいなければ船は出せるんですね?﹂
セトルがそう言うと、船長は、ああ、と頷く。
﹁だったら、俺たちがその魔物を退治してきてやるよ!﹂
アランは親指で自分を差す。このまま待っていても船は出ないだ
ろう。それどころか、その魔物が町を襲うかもしれない。ならば自
分たちがそいつを倒せば船も出せるし、町も救われる。一石二鳥だ!
だが、船長は豪快に笑った。それを見たアランの表情が苛立つ。
﹁な! 俺たちが勝てないとでも言うのかよ!﹂
﹁僕たち腕にはけっこう自信がありますよ﹂
セトルが剣の柄に手を置いた。すると船長は、そうじゃない、と
言うように両手を振った。
﹁いやいやすまんな。実はさっきもあんたらと同じことを言ったや
つがいたんだよ﹂
二人は驚いてもう一度顔を見合わせる。船長は続けた。
﹁丁度銀髪の兄ちゃんくらいの年の女の子でさぁ。止めたんだけど
こ
聞きゃあしねぇ。あんたらにも、やめとけと言いたいところだが、
あの娘が心配でな。行ってくれねぇか?﹂
﹁もちろんです﹂セトルは笑みを浮かべた。﹁ところでその魔物は
どこに?﹂
﹁確かこの町の南西にある海底洞窟が奴の棲家のはずだ﹂
﹁なら、途中でその娘を見つけたら戻るように言っておくぜ﹂
アランはそう言うが、船長が止めても聞かなかったのに自分たち
が戻れと言っても無駄かもしれない、とセトルは思った。
﹁ああ頼む。珍しい黒髪で、変わった服装と口調だったからすぐに
わかるはずだ﹂
すると船長は立ち上がり、踵を返す。
﹁じゃあな、頑張ってくれ、無事に帰ってきたら船なんていくらで
も出してやる﹂
43
手を挙げ、彼は後ろ向きにそう言った。
﹁じゃあ、俺らも行こうぜ!﹂
目指すは海底洞窟︱︱。
44
009 異邦の少女
南西の海岸で洞窟と思われる穴が口を開いているのを二人は見つ
けた。そこから海の底へとずっとのびているらしい。
ライトスピリクル
中は︱︱思ったほど暗くはない。だが、別に明るいというわけで
スピリクル
もない。アランの話だと、大気中の光霊素がその原因らしい。
霊素とは、大気中や物体に存在するもので、火・水・風・光など
スピリクラー
八属性ある。それを使って様々な現象を人為的に起こすのが︽霊術
スピリクル
︾というもので、主に霊術を使う人のことを︽霊術士︾という。サ
スピリクル
ニーもその一人だ。さらに霊素は霊導船などの動力にもなっている。
そしてこの霊素を大量に取り込んだことで変化し凶暴化したのが︽
魔物︾だ。と、セトルは村で教えられている。
二人は中に入り、湿った洞窟内を奥へ奥へと進んだ。潮の匂いが
する。時々後ろから吹く風が悲鳴に似た音を立て、その度にアラン
がびっくりしていた。
﹁︱︱結局﹂進みながらアランが呟くように言う。﹁船長の言って
た女の子には会わずじまいか⋮⋮まさかもうやられてる、なんてこ
とになってない⋮⋮よな?﹂
﹁縁起でもないこと言わないでよ、アラン! 大丈夫、何とかなる
よ!﹂
セトルは明るく微笑んだ。顔が、絶対大丈夫だ、と言っている。
﹁⋮⋮その根拠はどこから来るんだか﹂
アランは肩を竦め、呟いた。その時︱︱
﹁きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!﹂
絹を裂くような女性の悲鳴が洞窟内に木霊する。今度は風の音な
んかじゃない。
何だ、とアランが言った時には既に、セトルは悲鳴のする方へ走
っていた。
45
二人がいた場所より少し奥、一人の少女がカルコニス︱︱蟹に似
た魔物に襲われていた。彼女は胸元が大きく開いた藤色の変わった
服を着ていて、長い黒髪を赤いリボンのような物で結っている。右
手には片刃の剣を持ち、うつ伏せに倒れている。
瞳は︱︱琥珀色、アルヴィディアンである。
︵く、うちとしたことが、またドジってしもた⋮⋮︶
少女は体を起こそうとするが、足に怪我をしていてうまく立ち上
がれないようだ。
カルコニスが巨大は鋏を振り上げる。
ここまで、と少女は覚悟を決めたように目を閉じた。
助けにくる者は︱︱誰もいない。
﹁キキ!﹂
その時、こんな洞窟内では聞くことのない鳴き声が聞こえ、少女
は恐る恐る目を開く。
︵え!?︶
彼女は目を丸くした。そこには、黒茶毛のリスに似た小動物がカ
ルコニスの振り上げた巨大な鋏に跳びかかっていたのだ。そして︱︱
﹁ザンフィ、あとは僕に任せて!﹂
ひじんしょう
そう言う声が聞こえ、その小動物は鋏から飛び退く。そこにはセ
トルの姿が。
﹁︱︱吹き飛べ、飛刃衝!!﹂
突然凄まじい風が吹き、カルコニスはそれに巻き込まれ吹き飛ん
でしまった。
誰も助けに来ない、少女はそう思っていた。しかし、そこには美
しい銀髪の少年がいた。
﹁大丈夫ですか?﹂
彼は少女に駆け寄り、そう声をかける。
﹁⋮⋮あんたは?﹂体を起こし、少女は訊く。が、
﹁セトル危ねぇ!!﹂
アランの叫ぶ声が聞こえた途端、大量の泡がもの凄い勢いで二人
46
に向かって飛んできた。セトルは彼女を抱え跳躍する。今までいた
場所の地面がその泡によって飛散した。
﹁アラン、この人を頼んだよ!﹂
セトルは走った。カルコニスの姿が迫る。飛刃衝をまともに受け
たはずなのにその体はたいして傷ついていない。
︵外側は硬い⋮⋮か。だったら︶
セトルは飛んでくる泡を躱しながら一気に間合いを詰める。
﹁ちょ、ちょっと︱︱﹂
少女が心配して何か言おうとしたのを、アランは手で制した。
﹁大丈夫、あいつに任せとけ﹂
間合いを詰め、セトルは素早く突きを繰り出す。するとカルコニ
スはそれを鋏で受けるが、仰け反ってしまう。
そこにセトルは掬い上げるように剣を振るってカルコニスの体を
浮かせ、さらに飛び上がって蹴りを加える。そして最後にカルコニ
ひしゅうれんぶ
スの腹を剣で突き、地面に叩きつけた。
﹁︱︱飛蹴連舞!!﹂
罅の入った外殻の中でも柔らかい腹の部分を剥き出しにし、カル
コニスは倒れた。だが、まだ終わってはいない。セトルは間髪入れ
ずそこに飛刃衝を放った。
スピリクル
カルコニスの体は罅の入ったそこから烈風により斬り刻まれ、直
スピリクル
後、それは粒子状の光となって拡散した。
魔物は霊素を大量に取り込んでいる。だから死んだときには霊素
に還るとのことだ。
それを確認し、セトルは二人の元へ戻った。
﹁あ、あの、助けてもろてその⋮⋮ありがと﹂
少女はどこかモジモジしながら礼を言い、セトルを見詰めた。そ
の頬はなぜかほんのり赤い。
﹁大丈夫でしたか? あ、僕はセトル。で、こっちはザンフィ。そ
れから︱︱﹂
﹁︱︱アランだ﹂
47
セトルのあとをアランが引き取った。キキ、とザンフィが答える
ように鳴く。
﹁君は?﹂
あめのもり
爽やかに微笑んでセトルが訊いた。
﹁う、うちはしぐれ、雨森しぐれや﹂
少女は頬を赤らめたまま答えた。
﹁アメノモリ⋮⋮か。変わった名前だな﹂
彼女の名前を聞いて茶化すようにアランが言った。すると彼女は
慌てた様子で、
﹁ちゃうて! 名前はしぐれの方や!﹂と言う。
そして彼女、しぐれが右足を押さえているのにセトルは気づいた。
﹁ええと、しぐれさん? もしかして足怪我してるんじゃ⋮⋮﹂
言われると、彼女は自分の抑えている足を見る。
﹁こ、こんなんかすり傷や、ほっといたら治るから気にせんといて﹂
しぐれは大丈夫、と言うようにその押さえていたところを叩いた。
しかし、笑っていた顔が一瞬引き攣る。無理をしているのは間違い
ない。
セトルは嘆息し、片膝をついた。
﹁大丈夫じゃなさそうですよ。ちょっと見せてください﹂
﹁え? ︱︱あ、うん⋮⋮﹂
しぐれはさらに顔を赤くし、変わったズボンのような物の裾を膝
まで捲った。
︵やっぱり⋮⋮︶
しぐれの右足は膝の辺りから血が出ていて、周りは紫色に変色し
ていた。
セトルはそれに向かって左手を覆うように翳す。
﹁やっぱりええて! これくらい何とかな︱︱!?﹂
しぐれは目を丸くした。セトルの手がぼんやり輝いたと思うと、
傷口がみるみる塞がり、変色した箇所が元にもどって、痛みもだん
だんと引いていった。
48
﹁こ、これは⋮⋮?﹂
見たことも聞いたこともない。霊術? いや違う。彼は何も唱え
しょうち
ていない。しぐれは不思議そうに先程まで怪我をしていた右足を擦
った。
ほう
﹁不思議だろ?﹂とアラン。﹁あいつにしか使えないんだ。︽招治
法︾っていうらしいぜ﹂
﹁すみません、驚かせてしまったみたいで⋮⋮﹂
すまなさそうにセトルは頭を掻いた。
﹁でも、これで歩けるはずです。しぐれさん、あとは僕たちに任せ
て君は町に︱︱﹂
﹁︱︱いやや!﹂
セトルが言い終わる前に、しぐれは彼の言葉を遮るように言う。
﹁うちも一緒に行く! そ、そりゃあさっきはちょっとドジってし
もたけど、足手まといには絶対ならへん! いや言うてもついてく
で!﹂
セトルは彼女の目を見、そしてそれが言い出したら何を言っても
無駄な人の目だと悟った。
﹁いいんじゃないか、連れて行っても﹂
どうやらアランも同じ考えみたいだ。セトルはやれやれといった
様子で頷いた。
﹁おおきに! 二人とも﹂
しぐれは、やったー、とでも言いたげに満面の笑みを浮かべた。
49
010 海底洞窟の主
﹁あれ? セトルって目、青いんやね?﹂
洞窟内をさらに奥へ進んでいると、突然しぐれがそう訊いてくる。
いや、別に突然ではないか、道中彼女はやたらと話しかけてくる。
それも主にセトルにだ。まあ、青い目の人間なんて初めてだろうか
ら気持ちはわかるが、それを最初に訊かなかったのは気づいてなか
ったか、訊きづらかったかだ。が、アランには前者のように思えた。
﹁うち、目が青い人なんて初めてみたわ。そんな人がいるなんて聞
いたこともないし、セトルって何者なん?﹂
﹁すみません、さっきも言ったように、僕は記憶喪失だからそうい
うのはちょっとわからないんです﹂
そのことはとっくに話していた。他にもいろいろと話した。自分
たちがアスカリア出身だとか、アランが猟師だとか。
﹁ごめん、せやったな⋮⋮それよりセトル、敬語使うのやめてくれ
へん? アランと喋ってる時みたいに自然に接してや!﹂
でも、とセトルは渋ったが、何かサニーに近いものを感じ、
﹁う、うん、わかったよ⋮⋮しぐれ﹂
とセトルはたじたじにそう答えた。やはり、彼女のそういうとこ
ろはどこかサニーに似ている気がする。
﹁変わってるっていやぁ、しぐれのその服装や喋り方もずいぶん変
わってるな。黒髪なんてのも初めて見たぜ!﹂
頭の後ろで腕を組んだアランが彼女の独特は服装を見ながらそう
言った。するとしぐれは笑って自分の服の裾を掴んだ。
﹁ああ、これは忍装束いうて、︽アキナ︾の忍者が着る服なんや。
うちはそこでくの一しててん。黒髪もこの喋り方もアキナ特有のも
のや﹂
﹁忍者!?﹂
アランは驚き後ろで組んだ腕をほどく。忍者のことは噂で聞いた
50
ことがあったが、見るのは初めてだ。実際、存在してるのかも疑わ
しかった。でも、しぐれは嘘をついているようには見えない。それ
に、
﹁忍者ってのは秘密主義って聞いてるぜ? いいのか? 俺らにバ
ラして⋮⋮﹂
ということだ。
だが、しぐれは笑い飛ばした。
﹁アハ、こんくらいかまへんて。それに、二人になら話しても問題
ないと思ったんやもん﹂
その時、セトルの足が止まった。
﹁セトル、どうした?﹂アランが訊く。
﹁気をつけて、現れたみたいだよ!﹂
セトルは剣を抜いた。この先に見える広い空間の壁に、蠢く巨大
な影が映る。
アランたちも武器を構え、セトルに続いてその影の前に出た。
そこには巨大なトカゲのような青い魔物がいて、こちらに気づい
たのか、双頭の四つの目で三人を睨んでいる。間違いない、︽クェ
イナー︾だ。奴の後ろには海に繋がっていると思われる穴がある。
逃がさないようにしないと⋮⋮。
﹁さあ、とっととやっちまおうぜ!﹂
そう言ってアランが真っ先に走った。二人もその左右から攻める。
迫りくるアランにクェイナーは片方の口から緑色の液体を吐き出
す。それが何かアランにはわからないが、受けるとマズイ、という
ことだけはわかる。彼は一旦横に跳び、それを躱した。液体は後ろ
の突き出た岩にあたり、その岩はじゅう、と音を立てて水泡と化し
た。
﹁あ、危ねぇ⋮⋮ありゃくらったらマジやばいぞ﹂
﹁アラン!﹂
セトルの叫びでアランはさっきのと同じ液体が襲ってきているこ
とに気づいた。が︱︱
51
︵︱︱かわせない!︶
彼の表情が恐怖に染まる。その時、凄まじい風が吹き抜け、その
液体を吹き飛ばした。セトルの飛刃衝だ!
﹁サンキュー、セトル!﹂
アランは笑みを浮かべると一気に間合いを詰め、クェイナーの喉
元を横薙ぎに斬りつけた。血が溢れ出す。
︱︱シャアァァァァァァ!! 叫びが上がる。だがクェイナーは倒れず、体を回転させた。尾が
勢いよくアランを打つ。なすすべなくアランは壁に背中から叩きつ
しょうちほう
けられた。直後、ぼんやりと温かい光が彼を包む。これは︱︱
﹁︱︱招治法!!﹂
だ。しぐれの怪我を直した時とは違う、体全体を包む温かい光。
アランは痛みがやわらぐのを感じた。
﹁アラン、大丈夫?﹂
心配そうな声を上げ、セトルはもっと近くによって招治法をかけ
た。その方がよく効くのだ。
﹁へへ、何度もわりぃな⋮⋮﹂
かっこ悪いぜ、とアランは呟き、クェイナーの姿を探した。一発
くれてやったが、あの巨体がそれで倒れるとは思えない。その負傷
したクェイナーは海へ逃げようとしている。
﹁逃がさへんで!﹂
クェイナーの前にしぐれが立ち塞がった。クェイナーはあの液体
を吐き出し、しぐれを攻撃するも、足の怪我が治っている彼女は前
つよごち
進しながら難なくそれを躱した。そして︱︱
﹁くらいや! 忍法、強東風!!﹂
しぐれは飛び上がり、忍刀を前に突き出すように構え、自身が一
スピリクル
本の矢となってクェイナーに突っ込んだ。突きの衝撃が風となって
クェイナーを貫く。悲鳴が上がる。
クェイナーはその場で崩れるように倒れ、光の粒子となり霊素に
還った。
52
やった、と言いながらしぐれは着地する。しかし、うまく着地で
きず転びそうになった。
﹁おっと、大丈夫?﹂
危ないところでセトルが支えてくれた。しぐれは恥ずかしさで顔
が真っ赤になる。
﹁う、うん。うちまたドジってしもて⋮⋮かっこ悪いわ﹂
﹁そんなことないよ。しぐれが魔物を倒したんじゃないか﹂
セトルが微笑むと、しぐれは、そうやろか、と言って鼻を啜った。
すると、アランが面白いものを見るような目をして、歩いて来た。
肩にはどこかに隠れていたザンフィが乗っている。
﹁それじゃ二人とも、いちゃついてないで町に戻ろうぜ!﹂
﹁い、いちゃついてへんよ!﹂
しぐれは慌てたようにそう言い、アランを睨んだ。
﹁ハハハ、わりぃわりぃ。でも、さっきの技すごかったな﹂
アランはごまかすように話を変えた。
﹁あれは忍術いうて、うちら忍者の技や!﹂
彼女の口調はどこか怒っているように感じる。アランの言ったこ
とを気にしているんだろう。その声にアランは少々たじろぐ。
今度はセトルが面白いものを見るように笑った。
﹁ハハ、じゃ、帰ろうか﹂
? ? ?
アクエリスに戻ったセトルたちは船長に魔物を倒したことを報告
した。既に日は沈みかけ、町は紅に染まって、より一層美しく感じ
られた。
船長は船の準備のためにすぐどこかへ行ってしまったが、明日朝
一に船を出してくれると約束してくれた。
セトルたちはそのままアクエリスの宿屋︱︱水雲亭に向かった。
そこではいつの間に知れ渡ったのか、宿の主人は彼らがクェイナ
53
ーを倒したことを知っていて、宿泊費はもちろんアクエリス名物の
海鮮料理までタダで食べさしてもらうことになった。
湖が一望できるテラスで三人はその海鮮料理に舌鼓を打っていた。
﹁二人はこれからどうするんや?﹂
慣れてないのか、使いづらそうにしていたフォークを置き、しぐ
れが唐突にそう訊いた。
﹁首都を目指すよ﹂
セトルは好物の魚に手を伸ばしながら答えた。
﹁そういえば、何で二人は旅してんのや?﹂
彼女はやっとそのことに触れてきた。まあ話しても別に問題ない
だろう、と思いつつアランはセトルに目配せをした。それを察して
セトルは頷き、彼女に今までの経緯を語った。
﹁⋮⋮そうなん、それは大変やなぁ﹂
呟き、彼女は下げていた頭を起こした。
﹁実はうちもな、行方不明になった里の仲間を探してんねん。事故
とか誘拐とかじゃなくて自分で出て行ったみたいなんやけど⋮⋮見
てへんかなぁ、青っぽい忍装束を着たノルティアンのくの一なんや
けど﹂
﹁う∼ん、残念だけど見てないよ﹂
とセトルが言う。しぐれはアランを見るが、彼も首を横に振った。
﹁ま、そんな格好してりゃ一回見たら覚えてるだろうけどな﹂
アランは苦笑し、コップに入っている水を啜った。
﹁他に特徴とかは無いの?﹂
セトルが訊くと、しぐれはと少し考えて、
﹁せやなぁ、とにかく無口で無愛想やったわ。あと、年はうちと同
じで、里では珍しい赤髪のポニーテールってことぐらいや﹂
と答えた。するとセトルとアランは顔を見合した。それを見て彼
女は、どうしたん、と首を傾げる。
﹁うん、実はサニーも赤髪でいつもポニーテールをしていて︱︱﹂
﹁︱︱城で盗みを働いた盗賊もそれが特徴だったらしい﹂
54
セトルの後をアランが引き取った。
﹁それホンマかいなアラン!!﹂
しぐれは血相を変えてテーブルを叩き、身を乗り出す。
﹁し、しぐれ⋮⋮﹂
そんな彼女に驚き、セトルは周囲を気にしながらそう言うと、彼
女は恥ずかしそうに顔を赤らめて席に着く。そして落ち着けるよう
に息をついた。
﹁⋮⋮決めた﹂
﹁な、何を⋮⋮?﹂
胸の前で両拳を握って呟いたしぐれに、セトルは苦笑を浮かべて
恐る恐る訊いてみた。
﹁うちも二人についてくわ。一緒に行けば何か手がかりが見つかる
かもしれへん。それに、二人には助けてもろた恩もある﹂
またあの時と同じ目だ。何を言っても無駄だろう、二人はそう思
った。国軍と戦うつもりはないが、危険がないと言えばそれは嘘に
なる。道中、魔物や賊との戦いは恐らく避けられないだろう。でき
れば彼女を危険な目には遭わしたくない。が︱︱
﹁俺は別にいいぜ。戦力的にもしぐれが加わってくれると助かるし、
男だけで旅するよりは華があっていいしな。ハハハ!﹂
アランははにかんだ笑みを浮かべた。セトルも頷いた。ここで彼
女を連れて行かなかったら、彼女は一人で旅をすることになる。当
然だがその方が危険だ。実力もクェイナーとの戦いでわかっている。
足手まといにはならないはずだ。
﹁おおきに! これからもよろしくな!﹂
しぐれは安堵したようにあの満面の笑みを浮かべた。
55
011 傍迷惑な珍客
朝の光が差す中、潮の香を乗せた風が肌を撫でるように吹き抜け
る。時々噴き上がる水しぶきがひんやりと冷たい。
静かだ。
この船にはセトルたち以外の客は乗っていない。というのも、船
長が町の英雄に気を利かせて貸切りにしてくれたのだ。
﹁ねぇしぐれ、ソルダイってどんなところ?﹂
やっぱり船に酔ったアランをザンフィと共に部屋に残し、セトル
たちは甲板に出ていた。
﹁ん∼、漁業が盛んかな。あとは⋮⋮特に何もないわ。霊導船でき
てから旅人も少なくなって、あまり活気もあらへんし⋮⋮﹂
﹁長閑なところってこと?﹂
﹁まあ、簡単に言えばそうやな﹂
しぐれは唇をほころばし、船の手摺にもたれるように腕を置いた。
そして青く続く海の水平線を眺める。
﹁⋮⋮セトル、一つ訊いてええか?﹂
海を見詰めたまましぐれが改まった感じで言う。
﹁何?﹂
﹁セトルってさぁ⋮⋮サニーって娘とつきあってんの?﹂
﹁え!? うわっ!?﹂
彼女の唐突すぎる疑問にセトルは危うく海へダイブするところだ
った。そんなことを言われたのは初めてだ。
﹁さ、サニーは友達だよ。そんなんじゃないから!﹂
と手を振って否定した。これをサニーが聞いていたらどう思うか、
それは考えなかった。
﹁さよか、そらよかったわ﹂
ほっとしたような表情を彼女が見せたので、セトルは首を傾げ、
﹁よかった?﹂
56
と訊く。するとしぐれは顔から火がでたように真っ赤になり、慌
てふためいて、何でもない、と言う。その時︱︱
﹁いやー、お二人とも仲がいいねぇ♪﹂
とからかうような声が聞こえてきた。この声はアランではない。
﹁誰や!﹂
二人が振り向くと、そこには端整な顔立ちでディープグリーンの
長髪をした背の高いノルティアンの青年がニコニコしながらこちら
に歩いて来ていた。
股の半ばまであるブーツを履き、手首にはリング状のアクセサリ
ー、下部に太陽のような模様が入った白いコートを羽織っている。
敵意はない⋮⋮だろう。
﹁ボクかい?﹂青年は自分を指差して言う。﹁僕はノックス・マテ
リオ、一流のトレージャーハンターにして世間でも名の知れた、美
食家さ♪﹂
青年︱︱ノックスはキザっぽく前髪を払った。聞いたことがない。
言っていることは、恐らく自称だろう。
﹁あのう︱︱﹂
﹁︱︱サインならお断りだよ﹂
セトルの言葉を遮って、ノックスは制するように右手を翳す。
﹁ち、違いますよ! あなたはこの船の人じゃないですよね? な
のにどうしてここにいるんですか?﹂
セトルの言う通りだ。この青年はどう見ても船の乗組員じゃない。
この船はセトルたちの貸切り、一般の客は乗っていないはずである。
するとノックスは、まるでその言葉を待っていたかのように両手
を広げた。
﹁よくぞ聞いてくれました! 実は語るも涙聞くも涙で、あの魔物
のせいでアクエリスに閉じ込められてしまったボクは︱︱﹂
この話は長くなる、そう直感したしぐれが彼には聞こえないよう
に、セトルにそっと耳打ちをする。
﹃何か長くなりそうやん、今のうちに逃げへん?﹄
57
するとセトルも声を潜める。
﹃でも、途中で抜けるのも悪いから、しぐれだけ先に戻ってなよ﹄
﹃もう、セトルが残るんなら⋮⋮うちも残るわ﹄
僅かに頬を膨らませたしぐれに、セトルは、ごめん、と呟いた。
ノックスの話は続く。
どのくらい経っただろう、彼の話はようやく終わりに近づいてき
たように思われた。
﹁︱︱であるからして、無一文になったボクはこっそりこの船に紛
れ⋮⋮ん? どうかしたのかい?﹂
しぐれが眠そうに欠伸をしているのを見て、ノックスは話を止め、
眉をひそめた。セトルは溜息をつく。
﹁ま、いいさ。とにかく今はこの貸切り状態の船旅を満喫している
ところなんだよ。ハハハハハ!﹂
そう言って高笑いをするノックスを見て、セトルは苦笑した。
﹁でも、もう無理みたいですよ﹂
え、という表情になり、ノックスはセトルが指差した方向を向く。
すると︱︱
﹁くらぁ! 兄ちゃんどこから入ってきたんだ?﹂
そこには体格のいい水夫が、指をポキポキ鳴らしながら立ってい
た。
﹁この船が、英雄様の貸切りだということは?﹂
﹁もちろん、知ってるさ♪﹂
悪びれるようすもなくノックスは答えた。
﹁ほう、じゃあなんであんたはここにいるんだ?﹂
水夫は言うと、ノックスは先程と同じように両手を広げた。
﹁よくぞ聞いて︱︱!?﹂
だが、水夫はその話を聞こうとはせず、ノックスの腕を絞めると、
そのまま引きずるように引っ張って行った。
﹁乗っちまったもんは仕方ねぇ、あんた金は?﹂
﹁フ、残念ながら無一文さ!﹂
58
﹁そうかい、それじゃあ、ここで働いてもうおうか!﹂
﹁ええ!? ちょっとまっ︱︱﹂
ノックスの表情がやっと焦りを見せた。
﹁君たち見てないで助けてくれよぉ!﹂
そんな声が聞こえたが、しぐれも、そしてセトルも聞かなかった
ことにして横目で彼を見送った。彼が悪いのだから⋮⋮。
﹁さ、うちらも戻ろうか!﹂
やっと解放された、と言わんばかりの笑みを浮かべてしぐれはそ
う言った。
? ? ?
﹁へぇ、ここがソルダイか!﹂
三日後、誰よりも速く船を降りたアランが村を見回してそう言う。
船から降りた途端、元気になるのはなぜだろう、とセトルは思い、
そんな彼を見てただ苦笑した。
ソルダイは、しぐれが言ってた通り、平凡な村だ。特に目立つよ
うな物もなく、旅人らしき人は自分たちを除けばほとんどいない。
セトルが歩きだそうとした時、しぐれが、ちょい待ち、と制止す
る。
﹁何であんたがさも自然についていこうとしてんねん!﹂
セトルとアランが振り返ると、最後尾にノックスが張りついてい
た。
﹁いやー君たちについて行ったら面白そうかな、と思ってね。ま、
ボクのことは気にしなくていいよ♪﹂
﹁気になるわ!﹂
しぐれは眉を吊り上げて怒鳴った。その後ろでアランが、
﹁こいつがお前らの言ってた奴か?﹂
と訊く。セトルは嘆息して頷いた。あの後も、仕事を脱け出した
ノックスに二人は何度も捕まり、無駄な話を延々聞かされたのだ。
59
流石につらかった。
﹁ノックスさん、仕事はどうしたんですか?﹂
呆れたようにセトルは訊いた。どうせまた水夫たちの目を盗んで
逃げ出したのだろうけど⋮⋮。
﹁あーいいのいいの、このボクがあんな船で力仕事なんてごめんだ
よ﹂
ノックスは顔の前で手を振った。やはり悪びれた様子は見れない。
その時︱︱
﹁︽あんな船︾で悪かったな、兄ちゃん!﹂
いつの間に来ていたのか、船長がどこか恐ろしい笑みを浮かべて
ノックスの背後に立っていた。
ノックスは思わず、うわっ、と妙な声を上げ、びくっ、と背筋を
伸ばした。
﹁アハハハ、皆さん御機嫌うるわしゅう⋮⋮﹂
彼は笑顔でそう言うが、その顔は引き攣っていた。
すると、あの時の水夫がやってきて、同じようにノックスの腕を
絞めた。
﹁兄ちゃん、まだ仕事終わってないよ!﹂
抵抗できず、ノックスはずるずると引きずられていく。
﹁せ、セトル君、しぐれ君、あとそちらの人、見てないで助けてー
!﹂
もう何度この光景を見たことか、彼が悪いのだから仕方ないけど、
少しかわいそうな気もする。しかし、セトルたちはそう思っていて
も、助けようとはしなかった。
﹁薄情者︱! いけずー!﹂
ノックスのそんな叫びが聞こえ、それがだんだんと小さくなって
いく。
すると、彼が船の中へ消えていったのを確認した船長がセトルた
ちを振り向く。
﹁あんたら首都まで行くんだろ? 本当はそこまで乗せてってやり
60
てぇが、流石にこの帆船じゃあ、ちときつい。悪いな⋮⋮﹂
﹁いいですよ。それより、︽サンデルク︾へ行くにはどうすればい
いのでしょうか?﹂
すまなさそうに頭を下げた船長に、セトルは微笑んでそう訊いた。
﹁ああそれなら、このソルダイから南に下って行けばいいぜ。途中
に大きな山岳があって迂回もできるが、そこを越えてった方がだい
ぶ早いだろうな﹂
﹁︽シグルズ山岳︾のことやな﹂
しぐれが言うと、船長は、そうだ、と言って頷いた。そして彼は
踵を返すと、
﹁じゃあな、気をつけて行けよ!﹂
と言って、船の方へ歩き始めた。その背中にセトルたちが礼を言
うと、船長は軽く手を挙げてそれに答えた。
61
012 異種族騒乱
﹁ん? 何だあれは?﹂
ソルダイ港からいろいろな店が並ぶ村の広場へ出ると、人だかり
ができていることにアランが気づいた。
あまりいい雰囲気とは言えない。
三人はそこへ駆け寄り、近くにいたアルヴィディアンの男性に何
があったのかを尋ねた。
﹁おい、これは何の騒ぎだ?﹂
アランに訊かれ、男性は彼を向いた。
﹁ああ、いつもの喧嘩さ。あんたら旅人かい? 悪いね、もともと
この村は種族間がうまくいってなくてね。特に最近はそれが酷くな
ってきていて、みんなピリピリしてるのさ﹂
三人は人だかりの中心に目を向けた。そこには、アルヴィディア
ンとノルティアンの男性が一人ずつ、お互いに睨み合っていた。
喧嘩の理由はわからないけど、これは止めないと危なそうだ。だ
が、周りの人々は全く止めようとせず、ただ野次を飛ばしているだ
けだった。すると︱︱
﹁うるせぇ!﹂ノルティアンの男性の方が怒鳴り始める﹁グズなア
ルヴィディアンがノルティアンである俺に意見すんじゃねぇよ!﹂
﹁な、何だと!?﹂
それを聞いて、アルヴィディアンの男性はその男の胸座を掴む。
﹁そっちこそ、ひ弱なノルティアンのくせに!﹂
これはまずい。この二人の言っていることは個人をバカにしたも
のではない。周りの野次馬たちが殺気立っていくのを感じる。そし
てついに、二つの種族が広場の東西に分かれ、睨み合いになってし
まった。
いつ乱闘になってもおかしくない。
︵一体この村はどうなってるんだ!?︶
62
そう思い、セトルはしぐれを見たが、この村を知っているはずの
彼女も、困惑している様子だった。
﹁とにかく、止めないと!﹂
言い、セトルは両者の間に割って入った。おい、とアランが叫ぶが、
今のセトルにそんな声は届かない。だから仕方なくアランとしぐれ
は、彼に続いて両者の間に入り、牽制するように両手を広げた。
﹁やめてください! 皆さんとりあえず落ち着いて!﹂
セトルは彼らを説得しようとする。︱︱が。
﹁あ、青い目だと!?﹂
牽制には成功した。だが、周りからはそのような声が聞こえる。
そしてさらには、
﹁何なんだあいつは、ハーフか?﹂
﹁青い目⋮⋮気味が悪い﹂
﹁こっちに来るな!﹂
といった罵声も上がる。これが普通の反応なのかもしれない。た
だ、今までこんなことがなかったのは、アスカリアやインティルケ
ープの人たちが人がいいだけなのかもしれない。
﹁この、お前らな︱︱!?﹂
アランが拳を握ってそう言おうとしたところを、セトルは手で制
した。この状態で一番辛いのは彼なのに⋮⋮。
歯を食いしばり、セトルは顔を上げた。
﹁争いを⋮⋮やめてください﹂
無理をしているのはあきらかだ。声に先程の覇気がない、そのこ
とはセトル自身も感じている。
﹁セトル⋮⋮﹂
心配そうにしぐれが呟く。その時︱︱
﹁そこまでだ!﹂
と、一喝する声が辺りに響いた。広場の中央階段から二人のアルヴ
ィディアンの男性がこちらに向かって来る。
一人はダークブラウンの長髪で、法衣に似た服を着た中年の大男。
63
そしてもう一人は青年で、銀色に輝く全身鎧を纏い、手には同じよ
うな籠手、長い青髪を後ろで結い、ヘアバンドをしている。背は高
い方と思われるが、隣の大男がいるせいか低く見える。しかし、物
腰はどことなく気品を感じる。
二人が、いや青髪の青年が現れたせいだろう、争っていた者の戦
意が消えていく。ノルティアンの中には舌打ちする者もいたが、ア
ルヴィディアンの方では、尊敬の眼差しでその青年を見るものがほ
とんどだった。
﹁村の衆﹂青年が言う。﹁くだらない争いはここまでだ! いいな
!﹂
すると、彼は争っていた村人たちを自分の周りに集めた。そして
少し経ったあとに、村人たちは解散した。広場に残ったのは、その
二人と、セトルたちだけになった。
二人がセトルたちの元に歩み寄り、青髪の青年が礼儀正しく一礼
する。
﹁私はザイン、こっちは部下のハドムだ。まずは礼を言わしてくれ、
ありがとう。君たちがいなかったら、乱闘が起っていたかもしれな
い﹂
彼、ザインの口調にはやはり気品を感じる。紳士的で、どこかの
トレージャーハンターとは大違いだ。
それに⋮⋮強い!
セトルたちは直感的にそう感じた。隣のハドムという大男もそう
だが、この青年は恐らくそれ以上だ。物腰とかを見る限りただ者で
はない。
セトルは頭を掻いた。
﹁いえ、僕はただ何となく、止めなきゃ、と思っただけです。実際
に争いを止めたのは、あなたなわけですし⋮⋮﹂
﹁だが、もし君たちがいなかったら、私は間に合わなかっただろう
な﹂
そうだ、セトルがあそこで飛び出さなければ大惨事は免れなかっ
64
ただろう。アランとしぐれはそう思い、固唾を呑んだ。
﹁君には﹂とザインがセトルに言う。﹁村の衆が酷いこと言っただ
ろう、この村の村長の息子である私から謝らせてくれ、すまなかっ
た⋮⋮﹂
彼は深々と頭を下げた。だが、セトルはゆっくりと首を振る。
﹁そんな、いいですよ。気にしてませんから⋮⋮﹂
彼は無理やりな笑顔をつくった。それも仕方がない、異端者扱い
されて気分が悪くならない奴なんていない。
﹁そうだ、君たちの名前を聞いておきたいな﹂
それを察してか、ザインは柔らかい微笑みを浮かべてそう言った。
三人は少し間を置き、しぐれから簡単に自己紹介をする。すると
︱︱
﹁ザイン様、そろそろ時間ですぞ!﹂
今まで黙っていたハドムがそう告げた。
﹁ん? そうか、もうそんな時間か⋮⋮君たちのことは、覚えてお
くよ。また会える日を楽しみにしている﹂
ザインがまた一礼すると、セトルたちも礼を言い、彼はハドムと
共に来た道を去って行った。
﹁⋮⋮俺たちも行こうぜ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
アランがそう言うが、セトルはあの二人が去って行った跡をぼー
と見詰めていた。
﹁どうしたんや、セトル?﹂
そんな彼を見て、しぐれは小首を傾げた。
﹁まあ待て、しぐれ﹂アランが何かを企んだ笑みを浮かべる。﹁こ
れはセトルの悪い癖のようなものだ。ヘヘ、見てな﹂
すると、アランはセトルの肩にいるザンフィをしぐれに預け、両
掌を口の横に置くと、彼の耳元で思い切り叫ぶ。
﹁わっ!!﹂
﹁うわっ!﹂
65
セトルは飛び上がった。そしてアランを睨むが、彼はやれやれと
肩を竦めた。その後ろで、しぐれは噴き出しそうになるのを必死で
を堪えている。
﹁気がついたかな、セトル君? さあ、行きましょうや
嘲笑に似た笑みを口元に浮かべ、アランはさっさと歩きだした。
﹁待ってよ二人とも!﹂
セトルは慌てて、彼らのあとを追った︱︱。
? ? ?
﹁︱︱ザイン様、先程の少年、瞳が青かったですな﹂
ソルダイの通りを、奥に見える大きな屋敷に向かって歩きながら、
ハドムが思い出すようにそう言った。
﹁そうだな⋮⋮銀髪に蒼い瞳、間違いない、あのセトルって少年は
彼の言っていた︱︱﹂
﹁一応連絡しておきますか?﹂
ハドムがそう言うが、ザインは首を横に振った。
﹁いや、彼らなら心配しなくても巡り会うだろう⋮⋮﹂
﹁だといいのですが⋮⋮﹂
それを最後に、二人の会話は終わった。
︵蒼き瞳⋮⋮か︶
66
013 続く旅、その頃
くない
﹁︱︱苦無!!﹂
巨大な角の生えた猪の魔物、︽ボアホーン︾の額にしぐれの投げ
た両刃ナイフのような物が刺さる。するとボアホーンは悲鳴を上げ、
彼女から逃げるように走り出す。
しかし、そこにはアランが。
しゅんれんざん
﹁そっち行ったでアラン!﹂
﹁︱︱任せな、瞬連斬!!﹂
スピリクル
一閃、さらに一閃。目にも留らぬ速さで、二度ボアホーンを斬り
刻む。白いたてがみが散り、ボアホーンは霊素へと還った。
﹁⋮⋮これで全部だな﹂
ふう、と息をつき、アランは汗を拭った。
サンデルク
ソルダイを出て南に三日ほど進むと、︽シグルズ山岳︾という大
きな山がある。そこを越えれば、学術都市はもう目と鼻の先だ。
まだ日は高い。
これから下りに入るというときに、セトルたちはボアホーンの集
団に襲われたのだった。三人と一匹で協力し合い、ようやく倒すこ
とができたが、おかげでかなりの時間を消費してしまった。
﹁もうこんな時間か⋮⋮メシにしようぜ!﹂
﹁さんせ∼い﹂
アランの提案に二人は疲れた様子で同時に片手を挙げた。
﹁ようし、ちょっと待ってな!﹂
言うと、アランは手ごろな石で円形の囲いを作り、その辺りに落
ちている乾いた枝を、そこへ重ねるように積む。そして紙をちぎっ
て中に入れ、それに火をつけた。煙が立ち昇り、枝がいい感じに燃
え始める。
﹁さてと⋮⋮﹂
アランはそこにあった岩に腰掛けると、荷物の中から調理道具と
67
材料を取り出す。ひき肉と玉ねぎをよく練ったものを何等分かに分
け、それぞれを丸くまとめてキャベツの葉一枚で丁寧に包み込む。
さらに葉をもう一枚使い、具がはみ出さないようにしっかりと包ん
だ。そして形を整え、タコ糸のような細い糸を十字にかけ、小包の
ように縛る。
次は、火にかけた鍋にこれを並べ入れ、水筒に入れていたスープ
を注ぎ、蓋をして煮込む。
じゅう、と音がして、香ばしい匂いが辺りを漂い始める。
そして何分かして、十分煮込んだと判断したアランはそれを取り
出し、縛っていた糸を切りはずし、形が崩れないように皿に盛りつ
ける。
その後、残ったスープに水で溶いたコーンスターチを加えてとろ
みをつけ、皿に盛りつけたそれにかける。
﹁︽ロールキャベツ︾⋮⋮できたぜ、ほら!﹂
アランは蓄えていたパンと、できあがったロールキャベツを一緒
に差しだす。先にしぐれが受け取り、セトルもザンフィに木の実を
あげたあとに受け取った。
﹁いただきまーす!﹂としぐれ。﹁あ、これうまいやん! アラン
ってやっぱ料理上手やわぁ﹂
ロールキャベツを一口食べて、しぐれは顔を輝かせる。そしてぼ
そっと、
﹁うらやましい⋮⋮﹂
と呟いた。セトルも一口かじる。
確かにうまい。歯を立てると中から肉汁が飛び出し、口の中に甘
味と旨味が溢れる。
﹁村ではじっちゃんと二人暮らしでな、料理は基本的に俺が作って
たから、自然と覚えたんだよ﹂
アランは鼻の頭を掻き、ヘヘッ、と笑った。
そんな二人の会話を聞きながら、セトルはパンをかじって空を仰
いだ。
68
︵サニー、今ごろどうしてるだろう?︶
? ? ?
﹁ここが⋮⋮あなたの部屋です﹂
金色のドアノブを回して、ウェスター・トウェーンはサニーにそ
う言った。その部屋はスレイプニル号の船室とは違い、見たことが
ないくらい豪華だった。
ここは彼の邸、どこの貴族よ、とサニーが思うほど大きい。彼女
でなくても邸の中で迷ってしまいそうだ。
﹁裁判までまだ日があります。この邸内なら自由に過ごしてもかま
いませんが、外には出ないでくださいよ﹂
眼鏡のブリッジを押さえながらウェスターが言う。
﹁わかってるわよ! それにしても、この家ってホントにウェスタ
ーの家なの? いくつ部屋があるのよ?﹂
田舎者丸出しのサニーは怪訝そうにキョロキョロと辺りを見回す。
アクエリスまでは両親に連れられて行ったことがあるが、こんなに
大きな邸は見るのも入るのも初めてだ。
﹁そうですよ﹂ウェスターは含み笑いを浮かべる。﹁弁護士以外に
も王の相談役など、いろいろやっていますからね。部屋の数は⋮⋮
わかりませんねぇ♪﹂
﹁いろいろって?﹂
﹁そうですね⋮⋮新しい霊導機械の開発、とかですかね﹂
すると彼は踵を返す。
﹁では、私はこれから裁判の準備がありますから、何かありました
らメイドの者に言ってください﹂
そう言い残し、ウェスターはだだっ広い廊下の向こうへと消えて
いった。
一人残されたサニーは部屋に入ると、ベッドに仰向けで倒れ込ん
だ。そして何かを思いついたような顔をする。
69
﹁そうだ! どうせ暇なんだし、この家を探検してみよう♪﹂
彼女は飛び起きると、部屋を出て適当な方向に歩き始めた。そし
て︱︱
﹁⋮⋮あれ? ここどこ?﹂
迷った︱︱。
70
014 海賊襲来
シグルズ山岳を、魔物を倒しつつ越えたセトルたちは、その日の
夕方にサンデルクへ到着した。
そこはこれまでの町とは比にならないくらい大きい︱︱大都市で
ある。流石に︽学術都市︾と言われるだけあって、都市の中心には
大きな大学がどんと構えている。
セトルたちは宿に向かっていた。︱︱と。
﹁きゃっ!﹂
しぐれが通行人の女性とぶつかり、その二人はほぼ同時に短い悲
鳴を上げて尻もちをつく。
﹁またやってるよ⋮⋮﹂
アランは溜息混じりでそう呟き、セトルも呆れたように肩を竦め
る。
しぐれはドジというか何というか、よくこんな風に転ぶ。アクエ
リスでもレストランでウエイトレスとぶつかってたし、まあ、これ
が彼女らしいと言えばそうなる。
﹁⋮⋮ごめん、大丈夫?﹂
しぐれは謝り、手を貸そうとするが、女性は答えず、それを無視
して立ち上がった。彼女は肩などを出した露出の高い服と短めのス
カートを着ていて、腰の後ろのところから長いふわっとした飾りの
ような物をつけている。その飾りのベルトに、取っ手のある棍のよ
うな武器を二つ下げている。オレンジ色の髪は長すぎず短すぎずで、
サングラスをしているため種族はわからない。年は二十歳くらいだ
と思われる。
女性はそのまま無言で歩き始めた。
﹁何だ、感じ悪いな⋮⋮﹂
そう言ってアランは彼女の後ろ姿を睨むように見た。すると︱︱
﹁待ってよ、シャルン!﹂
71
通りの向こうから彼女を追いかけて、藍色の髪を耳に掛からない
程度に刈った、彼女と同じ年頃の女性がやって来た。紫のラインが
入った白いノースリーブの服に、同色のタイツと二の腕近くまであ
る長い手袋をしている。それと、サングラスも⋮⋮。
彼女はセトルたちの前で立ち止まると軽く会釈をする。
﹁すまない、あいつが失礼を⋮⋮。あまり気にしないでくれ、あい
つもあれで悪気はないんだ﹂
﹁まあ、悪いのはこちらですから﹂
セトルが言うと、しぐれは恥ずかしそうに何度も頭を下げた。
すると彼女は微笑み、あの女性︱︱シャルンと呼ばれていた︱︱
を追いかけて行き、すぐに見えなくなった。
﹁何だったんだ?﹂
肩を竦め、アランは横目で彼女たちを見ていた。その隣でセトル
が苦笑ぎみの微笑みを浮かべる。
﹁しぐれも、もう少し気をつけてないとね﹂
﹁ご、ごめん、うちも一応気をつけてるんやけど⋮⋮﹂
﹁今度からは僕たちもしぐれに気を配ってた方がいいかな?﹂
セトルはアランを見る。
﹁そうだな。じゃ、そろそろ宿へ行こうぜ!﹂
? ? ?
﹁うっぷ!⋮⋮キモワル﹂
﹁早いよアラン! まだ出航もしてないのに⋮⋮﹂
早朝、首都行きの定期船︱︱サンデルクからは帆船︱︱に乗り込
んだセトルたちは、アランのいきなりの船酔いに戸惑っているよう
だった。
首都︽セイントカラカスブルグ︾に到着するまで約五日、いまま
での船旅でも一番長い。アランにとっては地獄だろう、とセトルは
思った。
72
そして、三日後のちょうど昼時、船室で休んでいるアランを残し、
セトルとしぐれは船の食堂へと向かっていた。
﹁アラン、だいぶ慣れてきたんちゃう?﹂
しぐれが通路を歩きながら言う。
﹁うん。冗談を言えるくらいだから、もうほっておいても大丈夫と
思うよ。まあ、これで船に酔わなくなってくれたら僕らも助かるん
だけど﹂
ハハハ、と笑い、セトルは小さい溜息をついた。
﹃うちはセトルと二人っきりになれるからええんやけどなぁ﹄
しぐれはセトルから目を反らして小声でそう呟く。
﹁ん? 何か言った?﹂
﹁な、何でもないて、アハハ!﹂
しぐれは慌てた様子で手を顔の前で振った。その顔は赤い。そん
な彼女を見て、セトルは首を捻った。その時︱︱
︱︱ドオォォォォォン!!
突然爆撃音が轟き、船内が慌しくなった。
﹁何や、何があったんや!?﹂
ぎょっとし、しぐれは辺りを見回す。セトルも息を呑む。すると、
向こうで誰かが叫んでいるのが聞こえてくる。
﹁海賊だー! ︱︱カイザー一味だー!﹂
再び爆撃音がし、船が大きく揺れる。外したのか威嚇なのかわか
らないが、船は無事のようだ。
その後、多数のわーという雄叫びが聞こえ、海賊たちが船に乗り
込んできたことがわかった。この船にも、こんな時のための傭兵が
いて、今甲板で激しい攻防戦が繰り広げられているのは音でわかる。
だが、必ずしもこちらが勝つとは限らない。
﹁セトル、どうしよ⋮⋮﹂
﹁僕らも加勢しよう! どうせ逃げ場はないんだからさ!﹂
しぐれはセトルの裾を掴んでオロオロしていたが、セトルはかま
わず走りだした。それを見たしぐれも、表情を引き締めてあとを追
73
う。
﹁アランとザンフィは大丈夫やろか?﹂
﹁今は信じるしかないよ!﹂
そしてT字の角に辿り着いた途端、セトルは、どん! と誰かと
ぶつかり、尻もちをついた。
﹁︱︱った⋮⋮あ、君は!﹂
その相手は、この間サンデルクでしぐれとぶつかったあの女性︱
︱シャルンだった。
﹁あんたらはあの時の⋮⋮﹂
もう一人の藍色の髪をした女性もいる。
﹁何でここにおるんや?﹂
﹁フン、首都に行くために決まってるじゃない⋮⋮﹂
しぐれの問いに答えたのは、シャルンだった。すると、彼女は立
ち上がる。
﹁行くわよ、ソテラ!﹂
﹁あ、そっちは危険ですよ!﹂
彼女が向かった方向は、甲板。そこは今、海賊とこの船の傭兵た
ちが交戦していて危険である。セトルは止めようと声をかけるが、
ソテラと呼ばれた藍色の髪の女性がそれを制した。
﹁知っている。わたしたちは加勢に行くつもりなんだ﹂
﹁加勢に行くわけじゃないわよ、ソテラ!﹂とシャルン。﹁わたし
はただ、こんなところでみすみす殺されるなんてごめんなだけ! ︱︱わたしにはやらなければならないことがあるから⋮⋮﹂
﹁やらなければならないことって⋮⋮?﹂
しぐれが首を傾げてそう言うが、セトルが半歩前に出てソテラを、
シャルンを見る。
﹁しぐれ、そのことは、後にしようよ。今は海賊たちをどうにかし
ないと⋮⋮僕たちも手伝います!﹂
セトルがそう言った後ろで、しぐれはゆっくりと頷いた。︱︱と。
﹁⋮⋮好きにすれば?﹂
74
振り向かず、シャルンが答えた。するとソテラは驚いたような表
情をする。
﹁わたしたちの邪魔さえしなければ、その二人が何しようと、どう
でもいいわ﹂
シャルンは吐き捨てるようにそう言うと、再び歩き、いや、走り
だした。
ソテラは嘆息し、それでは頼む、と言って彼女を追う。セトルた
ちも甲板へと向かう。
﹁ぐわっ!﹂
青いバンダナをした、いかにも海賊という格好の男が、壁に叩き
つけられて悲鳴を上げる。
それをやったのはシャルンだ。あの取っ手のある棍のような武器
を両手に一つずつ持っている。ソテラが言うには、あれは︽トンフ
ァー︾というものらしい。
ここはまだ通路なのだが、ここまで海賊たちが来ているというこ
とは、甲板の状況が悪いと言っているようなものだ。
︵急がないと!︶
四人は海賊たちを退けつつ甲板へと急いだ。そして︱︱
﹁一、二⋮⋮ボスのカイザーを入れて十人か、どうするシャルン?﹂
扉の影に隠れて、ソテラが甲板にいる敵の数を数える。生死はわ
からないが、味方の傭兵は全滅していた。
﹁少し多い⋮⋮数を減らそう﹂
シャルンはそう言うと、何かを呟きだした。いやこれは、唱えて
いる、霊術だ!
﹁︱︱闇に呑まれろ、ダークフォール!!﹂
突如、海賊たちの頭上に漆黒の巨大な球体が出現する。海賊たち
がそれに気づいた時には、もう遅い。漆黒の闇は彼らを呑みこむよ
うに降ってきた。多くの悲鳴が上がり、闇が破裂すると、そこに立
75
っていたのは四人だけだった。
︵カイザーは残ったか⋮⋮くそっ!︶
シャルンは舌打ちをすると、セトルたちと共に甲板へ飛び出した。
﹁何だ貴様らは?﹂
禿頭に髭を蓄えた大男が、飛び出したセトルたちを睨んでそう言
う。言うまでもなく、この大男が海賊の頭、﹃カイザー﹄だろう。
﹁そうか、これは貴様らの仕業だな!﹂
セトルが剣を構え、前に出る。
﹁もう終わりです。武器を捨てておとなしく捕まってください﹂
﹁フン、終わりだと? このカイザー様をなめてんじゃねぇ!﹂
鼻で笑ったカイザーは、その巨漢から巨大な斧を振り翳して、思
いっきり打ち込む。セトルたちは後ろへ飛び退り、それを躱した。
今まで立っていた甲板の床に大穴が開く。
︵何てパワーだ!︶
セトルは剣を構え直す。
﹁お前たち、行け!﹂
カイザーはシャルンの術から逃れた三人の部下に命令すると、彼
らは不敵な笑みを浮かべて襲いかかってきた。
﹁雑魚はわたしに任せな! ︱︱三人はカイザーを!﹂
ソテラが跳び、部下の一人を回し蹴りで吹き飛ばす。彼女は格闘
術を使う。実力はここに来るまでに見ているので、心配はいらない。
﹁行くよ、しぐれ!﹂
セトルはそう合図し、しぐれが頷くの待たないでカイザーに飛び
かかった。その勢いで剣を振り下す。
しかしカイザーは、それを斧で受け、そのままセトルを薙ぎ払っ
た。セトルは空中で体勢を立て直し、うまく着地する。
﹁今度はこっちや!﹂
いつのまにかカイザーの背後に回り込んでいたしぐれが、刀を突
すいう
きつける。が、カイザーは体を捻ってそれを斧で防いだ。すると︱︱
﹁︱︱くらいぃ、翠雨!!﹂
76
しぐれはそこから連続で、しかも高速に突きを繰り出す。一突き
一突きが緑色の閃光に見える。
﹁ぐぬぅ⋮⋮﹂
カイザーは呻き、額に汗が流れる。そこへ︱︱
﹁ダークフォール!!﹂
先程のシャルンの術がしぐれごとカイザーを呑み込んだ。
﹁ぬわぁぁぁぁぁぁぁ!﹂
聞こえたのはカイザーの悲鳴だけだった。
破裂し、闇が消えると、カイザーは倒れていた。しぐれは⋮⋮立
っている。
彼女が無事なことがわかると、セトルはほっとした。霊術には指
向性があることは知っていたが、実際まのあたりにしてみると、わ
かっていてもひやひやする。
これは、シャルンは自分たちを味方だと思っている証拠。でなけ
れば、しぐれはカイザーと一緒に倒れていただろう。しかし︱︱
﹁︱︱しぐれ、危ない!﹂
叫び、セトルは走った。カイザーが立ち上がり、斧を振り翳して
いたのだ。
﹁俺様が⋮⋮こんなガキどもにやられてたまるかー!﹂
﹁きゃっ!﹂
何とか斧を防いだしぐれだが、カイザーのパワーに圧倒され、吹
き飛び、床に叩きつけられた。
﹁はあぁぁぁぁぁ!﹂
ひしゅうれんぶ
セトルはカイザーの懐へ飛び込む。そして︱︱
ひしゅうれんぶ
﹁︱︱飛蹴連舞!!﹂
﹁︱︱飛蹴連舞!!﹂
セトルと同じ技名がカイザーの後ろから聞こえた。シャルンだ!
同じ技だが最後が違う。セトルは蹴りあげたあとに剣で突きを放
つが、シャルンはそこで回し蹴りを放った。
﹁がはっ!﹂
77
前後からの同時攻撃に、流石のカイザーももう立ち上がれないだ
ろう。しかし、死んではいない。セトルが最後に急所を突かなかっ
たからだ。
﹁終わったみたいだな﹂
雑魚を片づけたソテラが、二人の元に歩み寄り、シャルンは彼女
に頷く。
﹁しぐれ、大丈夫?﹂
セトルはしぐれの元へ駆け寄り、招治法をかける。
﹁ありがと、セトル⋮⋮そうや、はよ残りの海賊を倒さんと!﹂
そうだ、ここにいたのが全員なわけではないだろう。船内にあと
どのくらい残党がいるのかわからないが、速くしないと他の乗客や
船員たちが危ない。とその時︱︱
﹁その心配はいらないぜ!﹂
そう言って船内から現れたのは︱︱
﹁アラン!?﹂
だった。ザンフィもいる。その後ろからは、多くの乗客や水夫た
ちがロープで縛った海賊たちを連れて出てきた。
皆が協力して海賊を撃退したのだ。
﹁負傷者に手当を、急げ!﹂
誰かの号令で、皆は一斉にそれぞれの行動をとる。ソテラがセト
ルたちの元へ歩み寄る。
﹁二人がいなかったら勝てなかったかもしれない。ありが︱︱!?﹂
その時、近くに倒れていた海賊がナイフを投げてきた。
﹁ソテラ!﹂
シャルンが咄嗟に彼女を庇った。ナイフはシャルンをかすめ、サ
ングラスを弾き飛ばした。すぐさまアランがその海賊に止めを刺す。
︱︱と。
﹁あ、赤い瞳⋮⋮﹂
しぐれは驚いたように呟いた。シャルンの瞳は赤、いや、どちら
かと言うとオレンジに近い。それは、︽ハーフ︾の瞳だった。
78
﹁いやっ!﹂
シャルンは手で瞳を隠すように覆い、サングラスを探してそれを
かける。
﹁シャルン⋮⋮ハーフやったんや﹂
周りには聞こえないようにしぐれが言った。すると、ソテラがシ
ャルンの前に出る。
﹁シャルンだけではない、わたしも⋮⋮ハーフだ﹂
ちらっと見せたソテラの瞳は、確かにハーフのものだった。
﹁だったら何?﹂シャルンがどこか憎しみの混じった声で言う。﹁
お前らも今までの奴らと同じようにわたしたちを︱︱﹂
﹁よせ、シャルン﹂
諫めるようにソテラは座り込んでいる彼女の肩に手を置いた。そ
して三人を見る。
﹁これ以上⋮⋮何も言わないでくれ。わたしらハーフは、ハーフだ
からという理由だけで両方の種族から石を投げられてきたんだ。と
くに、シャルンの傷は⋮⋮深い﹂
そして彼女はシャルンに肩を貸し、船内の方へ歩き出した。
﹁その気持ち、僕はよくわかります﹂
﹁セトル⋮⋮﹂
表情を悲しげにして、しぐれは彼を見て呟いた。
ソテラは立ち止り、セトルを振り向いた。その顔には薄い笑みを
浮かべている。
﹁︱︱そうか、あんたの目、青いからな。きっとわたしたちよりつ
らいことがあったのだろうな。ハーフですらないあんたは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
シャルンは俯いたまま黙っていた。
二人はそのまま何も言わず、船内に入って行った。
﹁そういえばアラン、船酔いはもう大丈夫なの?﹂
毒気を抜くような明るい声で、セトルは平然とそこに立っている
アランにそう訊いた。
79
﹁せ、せや、何かピンピンしてるし、最初から酔ってなかったみた
いや﹂
しぐれも調子を合せて言う。
﹁え? ああ︱︱うっ! キモ⋮⋮ワル⋮⋮﹂
思い出したようにアランの顔色は一気に悪くなった。手で口を押
さえ、その場にしゃがみ込む。
﹁わっ! アランしっかりしぃ!﹂
看病の船旅は続く。首都まであと、二日︱︱。
80
015 裁判
アクアマリン
アーティファクト
︱︱首都︽セイントカラカスブルグ︾最高裁判所。
﹁罪人は王城から精霊石と、かの古霊導機を盗んだ。よって有罪で
す﹂
検事側冒頭陳述で、真紅のコートを纏ったアルヴィディアンの男
性検事、アトリー・クローツァが述べる。
﹁目撃した者の証言と、なにより盗まれた精霊石を持っていたこと
がその証拠です﹂
﹁いえ、それは違います﹂と弁護側、ウェスター・トウェーンが言
う。﹁この精霊石は確かに盗まれた物ですが、これはその一欠片に
すぎません。それと、盗賊︽エリエンタール家︾ですが、目撃者の
証言はどのようなものでしたか?﹂
口元に笑みを浮かべたウェスターに、アトリーは鼻を鳴らして、
オリーブ色の前髪を払った。
﹁フン、赤毛のポニーテールをしたノルティアンの少女、まさにそ
こにいる者のことではないか?﹂
﹁ノルティアン、それは間違いないですか?﹂
﹁ああそうだ、間違いない!﹂
アトリーは自信満々に答える。が、ウェスターは、ふむ、と呟い
て目を眇めた。
﹁それはおかしいですね。エリエンタール家は全員﹃ハーフ﹄のは
ずです。それに、彼らは十年ほど前に滅んでいます﹂
﹁フン、だとしても、それでは無実を証明したことにはならない!
生き残りの可能性だってある! たとえエリエンタール家でなか
ったとしても、盗賊であることには変わりはない﹂
自信満々の彼に、ウェスターはやれやれと嘆息した。
﹁そんなことはわかっていますよ。話は最後まで聞いてください﹂
﹁何だと?﹂
81
アトリーは顔を引き締めた。
? ? ?
そのころ、セイントカラカスブルグ港にセトルたちは到着してい
た。軍に海賊を引き渡し、彼らは聳え立つ王城を見上げた。
ここは小高い丘の上にできている都市で、その一番高いところに、
シルティスラント王国の美しい王城が建っている。その下には城ほ
どではないにしろ、かなり大きな建物が軒を連ね、下に行くほど建
物は小さくなっている。サンデルクも大都市だったが、ここはさら
に大きい。セトルとアランは物珍しそうに辺りを見回していた。
﹁二人とも、あんまりキョロキョロせんといて! 気持はわかるけ
ど⋮⋮﹂
人々の視線を感じたしぐれが、恥ずかしそうに言う。
﹁ごめんごめん、それよりシャルンたちはどこに行ったのかな?﹂
セトルは彼女を振り向き、頭を掻いた。あれからシャルンとソテ
ラには一度も会っていない。船を降りる時も見かけなかった。
﹁そういえば見てないな﹂
アランは周囲を見回す。やらなければならないことがある、とは
言っていたけど、結局それが何なのかはわからずじまいだった。
﹁ほら、サニーって娘を捜すんやないの?﹂
﹁あ、うん⋮⋮どこに居るんだろう? やっぱりあそこかな?﹂
ローヤー
そう言ってセトルは王城を指差した。するとアランは腕を組む。
﹁マーズさんの言ってた弁護士のとこじゃねぇか?﹂
そうかもしれない。が、そうだとしたら捜すのは大変だ。なにせ
その人の名前も知らないのだから。その時︱︱
﹁ねぇ、裁判が始まったらしいわよ! アトリーさん居るかしら♪﹂
﹁弁護人はウェスター様らしいわ﹂
と言う女性の会話が聞こえてきた。それを聞いたセトルはすぐに
その女性二人の元へ駆け寄る。
82
﹁すみません。裁判って、何の裁判ですか?﹂
突然見知らぬ青い瞳をした少年に話しかけられ、女性二人は少し
戸惑うが、一人が答えてくれた。
﹁た、確かお城で盗みを働いた、エリ何とかって盗賊のって聞いた
わ﹂
間違いない、サニーの裁判だ。彼女は裁判所に居る。
﹁ありがとうございました。あと、裁判所はどう行ったらいいので
しょうか?﹂
礼儀正しく頭を下げ、セトルは迷惑ついでにそう訊いた。それを
見ていたしぐれは唖然とする。
﹁セトルって他人と喋ってるとき、人が変ったように見えるわ⋮⋮﹂
﹁ああそれは⋮⋮﹂とアランが言うが、次の言葉に困り、少し考え
て話す。﹁あーアレだ、セトルは義理とはいえ村長の息子だからな、
礼儀は十分わきまえているのさ!﹂
︵ま、本当はケアリーさんがアレだからセトルがこうなったんだろ
うけど⋮⋮︶
セトルはもう一度礼をすると、二人の元に戻ろうとする。すると
︱︱
﹁ねぇ、もしかして君⋮⋮﹂
もう一人の女性がセトルの青い瞳を見詰めながら言う。しかし、
すぐに眉をひそめた。
﹁ごめんなさい。やっぱり勘違いだわ﹂
首を傾げ、セトルはそのままアランたちの元へ戻った。気になる
が、今はサニーの方が先だ。
﹁サニーは裁判所に居るみたいだよ、行こう!﹂
二人は頷き、セトルの案内で裁判所へ向かう。王城に続く直線状
の緩やかな階段を登り、途中何かを模った彫像のある広場を左に曲
がって、そこをずっと行ったところにそれはある。
? ? ?
83
﹁︱︱ということです。サニーさん、それで間違いありませんか?﹂
ウェスターが問うと彼女は、はい、とだけ言って頷き、あとは大
人しく前を向いた。普段の彼女ならうるさいくらい思ったことを口
にするはずだが、今はウェスターに言われたのか大人しくしている。
一人しかいない裁判官も、ウェスターの話を頷きながら聞いてい
た。
﹁た、確かに﹂すっかり表情に自信のなくなったアトリーが言う。
﹁だが、それはまだ明確な証拠ではない!﹂
﹁ふむ、確かにこれは証拠にはなりません。ですが︱︱ん?﹂
その時、裁判所の扉が勢いよく開いた。皆が一斉に振り向くと、
そこには美しい銀髪を風に靡かせた少年が立っていた。
﹁セトル!? それにアランも⋮⋮﹂
彼と、その後ろにいたアランの姿を認め、サニーは目を瞠った。
当然だが、しぐれについては何も言わない。
﹁なんとか間に合ったみたいだな﹂
アランは汗を拭う。
﹁あそこにおるんがサニーやろ?﹂
しぐれが中央にいる赤毛の少女を指差してそう訊くと、セトルは
頷いて段々となっている席の横を進み始めた。
﹁何だね、君は?﹂
真っ先にアトリーがそう言い、セトルの前に立ち塞がった。しか
しすぐに驚いたような表情をする。周りの人々も同じように驚き、
彼を見ていた。
︵ほう、青い瞳ですか⋮⋮︶
一人だけ冷静な様子のウェスターは、眼鏡の位置を直すとサニー
を見る。
﹁知り合いですか?﹂
﹁うん、村の友達!﹂
そう答えるサニーの顔は輝いていた。彼らが来たことがよほどう
84
れしかったんだろう。
ウェスターは笑みを浮かべて裁判官の方を向き、
﹁裁判官、続けても?﹂
と訊く。すると裁判官はゆっくり頷き、アトリーを席に戻るよう
に言う。
﹁君たちもとりあえず席についてください。あとで確認したいこと
があります﹂
ウェスターに促され、セトルたちは近くの席についた。その時ザ
ンフィがサニーのところへ行こうとしたが、セトルはそれを止め、
自分の膝の上に乗せた。
﹃セトルええんか? 黙ってて﹄
隣に座ったしぐれが、周りには聞こえないようにそう言う。
﹃そうだぜ、お前の証言があればサニーの無実は証明されるんだ。
今すぐにでも⋮⋮﹄
もちろん小声で、アランも言う。だが、セトルはゆっくりと首を
振った。
ローヤー
﹃今は言われた通りにしようよ。たぶんあの人がマーズさんの言っ
てた弁護士の人だろうから⋮⋮あとで確認したいことがあるって言
ってたし﹄
セトルはちらっとウェスターを見る。彼の口元にはまだ笑みが浮
かんでいた。
ウェスターが弁護をしている中、サニーは横目でセトルたちを見
ていた。しぐれと話をしているセトルをどこか不機嫌そうな目つき
で︱︱
﹁では、そこの少年に質問しますが、よろしいですか?﹂
そう述べ、ウェスターは裁判官を、アトリーを、そして最後にセ
トルを見る。彼らが頷いたのを確認し、ウェスターは続けた。
﹁それでは、犯行のあったフリックの月32の日に彼女がどこに居
たのかわかりますか?﹂
﹁そのことか⋮⋮訊いても無駄だと思うぞ。ウルド師団長に村の誰
85
も知らなか︱︱!?﹂
肩を竦めてアトリーはそう言おうとしたが、ウェスターの目に制
されて黙ってしまった。その眼鏡の奥のノルティアンの瞳は笑って
いるようだが、何とも言えない恐ろしさがあった。
セトルはすうと息を吸い、そして答えた。
﹁︱︱その日、いえ、その数日前からサニーは両親と共にインティ
ルケープに居たはずです。僕も一緒でしたから間違いありません!﹂
するとアトリーは血相を変えて勢いよく席を立った。
﹁で、でたらめだ! 嘘に決まっている!﹂
﹁いえ、本当のことです。﹂言ったのはウェスターだった。﹁先日、
彼女の両親が村に帰ってきたと私の部下から報告がありました。そ
の両親の証言と彼の証言は一致します﹂
﹁く、だが、親族は証人にならない。話を合しているということも
⋮⋮﹂
アトリーは呻いた。
﹁インティルケープの宿屋の主人にも確認済みですが? ︱︱名簿
にも載っていました﹂
聞くと、アトリーは糸が切れたように席についた。
﹁なるほど⋮⋮アリバイの証人がいる⋮⋮ということか。証拠もあ
るようだし⋮⋮どうやらまた私の負けのようだ﹂
ウェスターは勝ち誇った笑みを浮かべ、眼鏡の位置を直した。
﹁それでは最後に、あの方の意見を聞かせてもらいたい﹂
裁判官はそう言うと、後ろの隅にある扉の方を向いた。
﹁ワース将軍、どうぞ入ってくだされ!﹂
すると、ゆっくり扉が開き、一人の青年が現れた。軍服とは違う
青単の服に、マントを纏っている。歳はまだ若い、二十歳くらいだ
ろう。セトルに負けない美しい銀髪をしていて、瞳の色は︱︱セト
ルたちには遠すぎてよくわからない。しかし、サニーにははっきり
と見えた。
︵あ、青い⋮⋮目!?︶
86
そう、彼はセトルと同じサファイアブルーの瞳をしていた。よく
見れば、顔立ちもどことなくセトルに似ている気がする。
サニーは見間違いだと思い、目を擦ってもう一度見るが、やはり
青い。隣の裁判官はノルティアンとはっきりわかるので、光か何か
のせいで青く見えるわけではないだろう。
﹁これは、私の意見を聞くまでもないでしょう、裁判官﹂
ワースという男はそう言うと、裁判官に目配せをして判決を促し
た。そして裁判官は、ゴホンと咳払いをする。セトルたちは息を呑
んだ。
︵もしサニーが有罪になったら、その時は⋮⋮︶
﹁サニー・カートライト、そなたは︱︱﹂
87
016 謝罪
シルティスラント城、そこは全体的に純白の美しい城である。一
階は一般人にも開放しており、この城を一目見んと、多くの観光客
で賑わっている。この城の二階にある、とんでもなく豪華な一室に
セトルたちは招かれた。
﹁よかったねサニー、疑いが晴れて!﹂
嬉しそうな笑顔を見せて、セトルは彼女を抱こうとするように両
手を広げた。
裁判の結果は言うまでもなく、サニーの無実で終わった。
﹁でも、まだ信じらんないよ。セトルが来てくれたなんて⋮⋮﹂
﹁おいおい、俺らもいるぞ! なあ、ザンフィ﹂
アランが振ると、ザンフィは﹁キー!﹂と鳴いた。
﹁アハハ、ごめんアラン、ザンフィ!﹂
サニーは、冗談だよ、とでも言うように、にこやかに笑った。
﹁まったく⋮⋮それにしても、ホントよかったぜ。もし有罪にでも
なってたら、軍相手に戦うことになってたかもしれないからな!﹂
アランは苦笑した。あの時のセトルを見ていたら誰でもそう思っ
てしまうだろう。だが、そのセトルは、
﹁え、何で?﹂
と、こうだ。するとしぐれが溜息をつき、
﹁何でって、セトル判決が下る時、剣抜こうとしてたやんか!﹂
と言う。
﹁あれ? そうだったかな?﹂
サニーは思わず、ぷっ、と笑った。いつものような会話。村には
戻っていないが、帰ってきたという気分になった。セトルもアラン
もザンフィもいる。いつものような⋮⋮いつもの?
﹁そういえばさぁ、あんた誰?﹂
サニーはしぐれを指差した。その目は何となく厳しいような気が
88
する。
﹁そういやまだ自己紹介してへんかったな。うちは雨森しぐれ。よ
ろしくな、サニー!﹂
﹁ふーん、変わってるのは服装や話し方だけじゃないんだね﹂
﹁な、名前はしぐれの方やで!﹂
ハッとし、しぐれは言った。セトルたちと同じ反応、これは絶対
名前を勘違いしている、と彼女は直感した。すると︱︱
﹁皆さん、揃ってますか∼♪﹂
扉がノックされ、ウェスターの声が聞こえてきた。返事をし、扉
が開かれると、そこにはウェスターと共にあのサニーを誤送した正
規軍の将軍、ウルド・ミュラリークがいた。
そう、セトルたちが城に居るのは、このウルド将軍の謝罪を受け
るためである。
﹁君たちには本当にすまないことをした。この通りだ!﹂
彼は心からそう思っているように深々と頭を下げた。
? ? ?
セトルたちが王城でウルドの謝罪を受けていたころ、裁判所の廊
下を二人の男性が話をしながら歩いていた。
﹁なあ、いいのか? 彼のところに行かなくても?﹂
そう言ったのはアトリーだ。そしてその相手は、あの青い瞳を持
つ青年、ワースだった。
﹁何のことだい?﹂
﹁何だ、気づいてなかったのか?﹂
首を傾げたワースにアトリーは嘆息すると、真剣な表情で彼を見
る。
﹁あの少女を迎えに来た少年、お前と同じ青い目をしていた⋮⋮﹂
﹁何!?﹂
目を瞬き、ワースはアトリーの両肩に手を乱暴に押しつけた。か
89
なり興奮している様子だ。
﹁今、その少年は?﹂
サファイアブルーの瞳が揺れる。
﹁し、城だ! 今うちの師団長が謝罪をしているはず⋮⋮っておい
!﹂
その勢いに圧倒された彼が答えると、ワースはまた乱暴に手を放
し、一目散に駈け出した。
﹁まったくあいつは⋮⋮気持ちはわかるが、礼くらい言えよな﹂
残されたアトリーはやれやれと小さく息をつき、彼の軌跡を呆然
と眺めた。
90
017 蒼き瞳を持つ者
﹁︱︱ウェスターさん、いろいろとありがとうございました﹂
ウルドの謝罪も終わり、彼と別れたセトルたちは城門の前に出て
いた。
帰りは、ウルドにインティルケープまで送ろうかと言われたのだ
が、サニーは軍船に乗りたくないらしく、何よりずっと船旅だった
らアランが大変だ。ということでセトルたちは定期船を使って帰る
ことにした。
﹁いえいえ、私もそれなりに楽しませてもらいましたよ。特にサニ
ーの迷子っぷりには♪﹂
﹁ウェスター、それ言わないでって言ったでしょ!﹂
サニーは顔を真っ赤にし、腕を胸の前で大きく振った。
﹁でも、ウルド将軍も大変やなぁ。盗賊捜しが振り出しに戻ってし
もて⋮⋮﹂
気の毒そうにしぐれは言った。確かにもうこれといった手掛かり
がないんじゃ、捕まえるのは大変だろう。
すると、ウェスターは怪訝そうにしぐれを向いた。
﹁そういえばあなたはアキナの方でしょう、なぜ、彼らと一緒に?﹂
﹁え? 何でそのことを⋮⋮?﹂
﹁あなたの服装と、その話し方でわかりました﹂ウェスターは眼鏡
の位置を直す。﹁そこの頭領とは知り合いで、里に入ったことはあ
りませんが、いろいろとお世話になっています﹂
しぐれは驚いたような顔をする。
﹁うちのお父⋮⋮いや、頭領と!﹂
はい、とウェスターは楽しそうに答えた。その笑みには何やら含
みがあるようにセトルは感じた。その後ろでサニーが、
﹁ねぇ、アキナって?﹂
と訊いてきたので、アランが知る範囲で説明した。だが、彼女は
91
つまらなかったのか、ふーん、と呟いただけで他に反応を見せなか
った。
その間にしぐれとウェスターはアキナの頭領︱︱しぐれが父と言
いかけた︱︱の話で盛り上がっていた。彼は本当に知ってるんだな
と思う。でないとしぐれがあんなに楽しそうに喋っているはずがな
い。
﹁何かあたしたち、蚊帳の外なんだけど⋮⋮﹂
僅かに眉を吊り上げたサニーが呟く。と、その時︱︱
﹁︱︱アス!﹂
階段の下の方から誰かがそう叫んだような声が聞こえた。皆が振
り向くと、あの裁判所に居た銀髪の青年、ワースがこちらに向かっ
て駆け登っていた。
彼はセトルも前で立ち止まり、顔を上げた。
﹁︱︱!?﹂
その瞳の色を見てセトル、アラン、しぐれの三人は驚愕した。
︵あ、セトルに言っておくの忘れてた⋮⋮︶
既に裁判の時にその青い瞳を見ていたサニーは、そのことをセト
ルに言うつもりだったのだが、今の今までそのことを忘れていたの
だ。彼女は心の中で苦笑し、ただ様子を伺うことにした。
﹁ワース、どうかしたのですか?﹂
と訊いたウェスターだが、その表情から全てわかっているように
思われた。
﹁ああ、ちょっとこの少年に用があってね﹂
ワースはそう答えると、セトルを食い入るような目つきで頭から
足下まで見回した。そして、何か確信を持ったように、間違いない、
と呟いた。
﹁わ、ワースさんっていうんですね。初めまして、セトル・サラデ
ィンといいます。確か裁判所に居た人ですよね?﹂
ワースは目を瞬かせ、表情を曇らせる。
﹁オレのこと、覚えて⋮⋮ないのか?﹂
92
その言葉にアランが反応した。
﹁あんた、こいつのこと知ってるのか?﹂
﹁君は?﹂
ワースは質問を質問で返した。
﹁⋮⋮俺はこいつの親友の、アラン・ハイドンだ﹂
﹁セトルは記憶喪失なの。何か知ってるなら教えてよ!﹂
サニーも訊くが、そんな彼女には何とも言えない複雑な気持ちが
渦巻いていた。
︵なるほど、そういうことか⋮⋮︶
しかし、ワースは首を縦には振らなかった。
﹁残念だがそれはオレにはできない。記憶を失ったのなら、それは
自分の力で取り戻さなければならない。確かにオレは君を知ってい
て、君が何も者なのか教えることもできるだろう。だが、それでは
ただ知っただけだ。思い出したわけではない。それに、話したとこ
ろでそれが信じられなかったら、君は過去の自分を否定することに
なる﹂
﹁そんな⋮⋮﹂
サニーは俯いた。アランも、しぐれも皆同じ気持ちだろう。
ただセトルだけは、そんなサニーの肩に優しく手を置いて微笑ん
だ。
﹁大丈夫だよ、サニー。実は僕もワースさんと同じ考えだったんだ。
︱︱ワースさん、そう言ってくださってありがとうございました﹂
セトルは頭を下げた。でも、頭ではわかっているが、やはりどこ
か寂しい気持ちになる。
﹁やったら﹂としぐれ。﹁青い目がどういうものなのかだけ教えて
くれへんか?﹂
﹁それも、彼の記憶が戻ればわかることだよ。⋮⋮まあ、強いて言
うなら﹃神に愛されし者の瞳﹄かな﹂
これ以上断れば皆の気持ちが沈んでしまう、と思ったのか、ワー
スはそれだけ答えてくれた。だが、それだけでも皆は十分に驚いた。
93
ウェスターを除いてだが⋮⋮。
﹁か、神やて!?﹂
しぐれが驚きを声に出す。たぶんウェスターは、いや、この城の
人は皆そのことをもう知っているのだと思われる。
その時、城門の向こう、城の巨大な扉に続く庭の道を、青い全身
鎧を纏った、燃えるような真紅の長髪のノルティアン男性が歩いて
きた。
﹁︱︱フン、神か、くだらんな﹂
その男性はセトルたちの前まで来ると酷薄に笑ってそう言う。
﹁独立特務騎士団師団長が、まだ神などと言っているとはな﹂
﹁誰?﹂
サニーがそう訊きながらウェスターやワースを見るが、彼ら︱︱
特にワースは厳しい表情をしてその男性を見ていた。
﹁神を信じる信じないは人の自由です。ファリネウス閣下﹂
ワースとその男性は敵対するように睨み合った。
そんな二人の様子にセトルたちは戸惑っていたが、そのことはウ
ェスターが説明してくれた。
﹁彼はアルヴァレス・L・ファリネウス公爵。王位継承権の第三位
にいる方で、国軍の特務騎士団の将軍でもあります。彼はあのよう
な態度ですからね、いろいろと敵が多いのです。特に、ワースがあ
の年齢で独立特務騎士団の将軍をしていることが気に入らないよう
ですね﹂
﹁特務騎士団とか独立特務騎士団とかってのは何なんや?﹂
しぐれが首を傾げる。それはセトルも気になっていたことだ。
﹁特務騎士団は︱︱﹂
﹁なんだ、教えてくれるのか?﹂
﹁ええ、別にかまいませんから﹂
アランが意外そうに言ってきたので、ウェスターは眼鏡の位置を
直してそう答え、説明を続けた。
﹁特務騎士団は主に情報を取り扱っている機関で、三師団から構成
94
されています。それに対してワースの独立特務騎士団は一師団から
なり、その名の通り国軍ではありますが独立しています。何をして
いるのかは彼らと、王にしか知りません。あなたたちが普段目にし
ているのが正規軍というのは⋮⋮わかりますよね﹂
﹁ワースさん、何か重要なことをしてるのかな?﹂
セトルは今もアルヴァレスと睨み合っている彼を見た。
﹁︱︱とにかく、私は貴公らのことは認めない﹂
吐き捨てるようにアルヴァレスが言うと、彼はそのまま階段を下
りて行った。
ふう、と緊張が解けたようにワースは息をつく。
﹁では、オレもこれで失礼する。セトル君、記憶が戻ったらオレの
ところへ来るといい﹂
セトルは、はい、と返事をして城の中に入って行く彼を見送った。
その姿が見えなくなると、アランがセトルの肩を叩いた。
﹁いいのかセトル、せっかく会えた記憶の手掛かりだぜ?﹂
﹁そうだよ! 本当にこのままでいいの?﹂
サニーも眉を曇らす。だがセトルは、いいんだ、と言って微笑み、
天を仰いだ。
﹁僕は、自分の力で記憶を取り戻すよ⋮⋮﹂
ワースは自分のことを知っていると言った。それだけでもセトル
は満足することができた。
﹁セトル⋮⋮﹂
そんな彼を見て、サニーは呟いた。すると︱︱
﹁皆さん、そろそろ定期船が出港します。急いだ方がよろしいかと
⋮⋮﹂
ウェスターが港の方を見下ろす。そこには、セトルたちが乗るは
ずの帆船が、既に帆を広げているのが小さく見えた。
﹁本当だ、急がないと! ウェスターさん、本当にいろいろとあり
がとうございました﹂
セトルたちは彼に一礼し、階段を真っすぐ港の方へ駆け下りた︱
95
︱。
? ? ?
︱︱シルティスラント城内、赤い絨毯が敷かれた廊下をワースは
歩いていた。
﹁いいのワース、せっかく会えたんでしょ?﹂
すると、ノースリーブの緑色の軍服を着た茶髪の女性が声をかけ
てきた。
彼女の瞳もまた、青い。
﹁アイヴィ⋮⋮見てたのか?﹂
﹁ええ、成り行きで⋮⋮﹂
女性、アイヴィはそっと目を閉じて優しげな口調でそう言った。
それは上司部下の関係ではなく、もっと何か深い繋がりがあるよう
に思える。
﹁今は⋮⋮そっとしておこう。できれば協力してやりたいが、今は
他にやることがある。記憶が戻ればオレのところに来るように言っ
ておいた。たぶん、大丈夫なはずだ﹂
ワースがそう言うと、彼女は、そう、とだけ言ってそれ以上追及
しなかった。
︵︱︱お前が生きていてくれただけでオレは⋮⋮︶
96
018 直球宣告
﹁ふう、やっと着いたー!﹂
サンデルクの港で船を降りたしぐれは大きく背伸びをする。
首都を出て五日目の夕方のことである。
﹁結局、アランの船酔い全然治んなかったね♪﹂
面白そうに言ったサニーに、セトルは嘆息した。
﹁あたり前だよ、サニー。あれだけ連れ回したら⋮⋮﹂
船の中で、サニーはアランが船酔いすることを知ると、そんなの
慣れればいいじゃん、と言って彼を散々連れ回した。彼女にとって
は善意の行動だったかもしれないが、そのおかげでアランの船酔い
はより一層酷くなったように思われた。
しかもサニーは船内で迷いに迷い、彼女が勝手に部屋の外へ出る
たびに、セトルは彼女を探しに行くことになっていた。
﹁えっと⋮⋮と、とにかく宿に行くんでしょ? 早く行こうよ!﹂
サニーが強引に話を変えたのでセトルは、まったく、と呟いてア
ランを見る。その彼は特に気にしている様子もなくただ笑っていた。
﹁ハハハ、宿は確かあっちだったな﹂
アランは北東の方角を差し、歩き始めた。
サンデルクの宿︱︱スカイハイは、宿と言っているがホテルであ
る。町の北東にあり、中央通りを進んで行けば迷うことはない⋮⋮
はずだった。
﹁セトル! サニーがいてへんよ!?﹂
そこを進んでいると、サニーがいないことにしぐれが気づきそう
言った。セトルたちは辺りを見回したが、彼女の姿は見つからなか
った。これは︱︱
﹁またか⋮⋮まったく困ったもんだ、サニーの方向音痴には⋮⋮﹂
意外とアランは冷静だった。セトルも呆れたように溜息を漏らす。
彼女のことをあまり知らないしぐれだけが慌てているようだ。
97
ライトスピリクラー
﹁二人とも何で落ち着いてんねん!? 攫われたかもしれんのやで
!﹂
﹁いや、サニーはあれでも光霊術士として優秀だし、ザンフィも一
緒なんだから、よほどのことがないかぎりそれはないよ﹂
セトルは、本当にその可能性は無い、と言うように微笑んだ。
﹁じゃあ﹂とアラン。﹁俺としぐれで町を捜すから、セトルは先に
宿へ行っててくれ。もしかしたら⋮⋮いや、ないか、サニーだから。
でも一応宿で待っててくれ﹂
セトルは頷き、二人が二手に分かれるのと同時に宿に向かって駆
け出した。
? ? ?
﹁あーもう、ここどこよ!﹂
セトルたちとはぐれたサニーはザンフィを肩に乗せ、町の住宅街
と思われるところで盛大に迷子をしていた。
周囲には誰もいない。サニーは思いっ切り叫びたい気持ちを抑え
て階段を上っていた。どんどんあさっての方向へと進んで行く。
しばらくうろついていると、ザンフィが何かを感じたように肩か
ら飛び降り、狭い路地の中に入って行った。
﹁ちょっとどこ行くのよ、ザンフィ!﹂
彼女もザンフィを追いかけてその路地に入った。そして、そこを
抜けたところで立ち止まったザンフィを見つける。
﹁あ、サニー! ︱︱やっと見つけた⋮⋮﹂
その時、さっきよりも広い通りの向こうから、そんな安堵の混じ
った声が聞こえてきた。
﹁しぐれ⋮⋮﹂
サニーはまるで亡霊を見たかのような目で微笑んだ彼女を見詰め
た。そしてすぐハッとするとしぐれの後ろを覗くように見る。
﹁一人?⋮⋮セトルとアランは?﹂
98
﹁二人とは宿で落ち合うことになってん。さ、行こや!﹂
しぐれはサニーの手を取った。
﹁い、いいよ、手なんて繋がなくても⋮⋮﹂
それを振りほどいてサニーは恥じらうように言った。
﹁いやでも、またはぐれたら⋮⋮﹂
﹁大丈夫だって!﹂
﹁そう?⋮⋮ならええけど﹂
眉根を寄せ、しぐれは頭の後ろを掻いた。そしてそのまま、二人
は黙って宿の方へと足を進める。
﹁ねぇ﹂
しばらく歩いたあと、沈黙に耐えられなくなったサニーが口を開
いた。
﹁しぐれって、セトルのこと好きなの?﹂
唐突に彼女がそんなことを言い出したので、しぐれは激しく咳き
込み、顔を真っ赤にし、そして見事に転倒する。
﹁な、な、何言うてんのやいきなり!?﹂
明らかに動揺している。するとサニーは皮肉めいた笑みを見せる。
﹁ふふーん、人探しと恩返しだけが一緒にいる理由じゃなかったわ
けね﹂
﹁わ、わ、○△☆?×%@!?﹂
もう何を言っているのかわからないしぐれを見て、サニーは噴き
出した。
﹁アハハッ、しぐれってわかりやすい人だね♪ ︱︱あたしが思っ
てた忍者って、無愛想なイメージだったけど⋮⋮しぐれは全然違う
や。アハハハ!﹂
腹を抱えて笑うサニーに、しぐれは眉を吊り上げて腕を組んだ。
﹁い、いいの、忍者やからって感情殺してまうんは、うち、いやな
んや!﹂
﹁いいんじゃないの、それで?﹂
﹁え?﹂
99
少し、落ち着いたサニーが顔を上げてそう言ったので、しぐれは
不思議そうな顔をする。
﹁だってその方が楽しいじゃん♪﹂
そう言ったサニーの笑みは明るかった。
﹁ねぇしぐれ、あたしたちいい友達になれそうじゃない?﹂
﹁そ、そうやろか⋮⋮﹂
しぐれは少し戸惑い、そして︱︱
﹁⋮⋮そうやな、サニー、改めてよろしく!﹂
彼女は手を差し出した。やはりそれにはまだ照れがあった。
﹁よろしく、しぐれ♪﹂
サニーはその手を取り、握手を交わした。二人の髪が夕暮れの風
に靡く。
﹁︱︱でも、負けないわよ!﹂
意味ありげに言い残し、サニーは先に歩き始めた。
﹁サニー⋮⋮﹂しぐれが呟くように言った。﹁そっちは逆や、宿は
こっちの道行かんと!﹂
サニーが向かっていた方向は宿とは逆、つまり今来た道を戻って
いることになる。これはかなりの重症だ、としぐれは痛感した。
﹁わ、わかってるわよ!⋮⋮その、ちょっと焦ってただけで⋮⋮﹂
頬を膨らました彼女に、しぐれは笑った。そして今度はしっかり
と手を取った。
もう、はぐれないように︱︱
? ? ?
二人が宿︱︱ホテル﹃スカイハイ﹄に着くと、フロントの前にセ
トルとアランはいた。
﹁サニー!﹂
彼らは二人に気づくと、特に慌てた様子もなく歩み寄ってきた。
しかし、その声は安堵していた。
100
﹁まったく、しぐれもなかなか戻って来ないから、もう少しで心配
するとこだったぜ!﹂
アランが皮肉めいた笑みを浮かべる。
﹁むぅ、心配してくれたっていいじゃん! ︱︱ま、別に迷ってな
んかなかったけどね!﹂
サニーは、手の甲を腰にあてるようにして頬を膨らませた。その
後ろでしぐれが、くす、と笑い、ザンフィが、キキ、と鳴く。
﹁でもよかったよ、ちゃんと見つかって﹂
セトルは微笑むとしぐれの方を見て、ありがとう、と礼を言う。
すると彼女は、僅かに頬を赤く染めてセトルから目を反らした。
﹁? どうしたの、しぐれ?﹂
セトルは首を傾げる。
﹁な、何でもないて! 気にせんといて!﹂
先程のサニーとの会話がまだ抜けてないのか、しぐれは慌てた様
子で手を振った。
その時、アランの腹が豪快な音を立てた。
﹁どうでもいいけど、メシにしようぜ!﹂
皆は笑い、ホテルのレストランへと向かった。
﹁︱︱そういえば﹂席についたしぐれが思い出すようにそう言う。
﹁さっきサニーを捜してるとき聞いたんやけど、なんか︽マインタ
ウン︾ていう鉱山の町の方で盗賊があったらしいんやわ。確か、エ
リエンタール家がどうのこうのって﹂
その話にサニーが反応した。
︵エリエンタール⋮⋮︶
セトルとアランの脳裏に嫌な予感が浮かんだ。サニーのことだ、
エリエンタール家の犯行ではなかったとはいえ、ずっとそれと疑わ
れていたのだ。自分が捕まえるとか言いだすかもしれない。
﹁ねぇ、︽マインタウン︾だっけ? 行ってみない?﹂
ほらきた。
﹁行って⋮⋮どうするつもり?﹂
101
わかっていることだが、セトルは一応訊いてみた。
﹁決まってるじゃない、その盗賊を捕まえるのよ!﹂
﹁たぶんもう居ないと思うよ?﹂
﹁それでも、何か手掛かりがあるかもしれないじゃない﹂
アランは溜息をつくと、ダメだ、と言ってみる。が、やはり無駄
だった。この顔は、自分一人でも行く、という顔だ。
﹁⋮⋮あきらめるしかないよ、アラン﹂
セトルは彼の肩に手を置いて、ゆっくりと首を振った。もし、彼
女一人で行かせでもしたら、間違いなく迷子になって帰ってこない
だろう。
﹁うちはええけど、気になってたし﹂
しぐれはもともと賛成のようだ。だからこの話を持ち出したのだ
ろう。本当は彼女一人で行くつもりだったのかもしれないが⋮⋮。
﹁ああ、わかったよ! うう、また余計な船旅が⋮⋮﹂
アランは観念して嘆くようにそう言った。
102
019 爆弾泥棒
﹁あぁ? 盗賊だぁ?﹂
マインタウンで鍛冶屋を営んでいるカザノヴァという男は、突然
そんなことを尋ねてきた赤毛のポニーテールの少女に、琥珀色の目
を隠すほど長い前髪を捲り上げてそう返した。
﹁知っていることがありましたら教えてもらえませんか?﹂
隣の銀髪の少年は赤毛の少女と違って礼儀正しくそう訊いてきた。
軍の連中でもない奴らが何でそんなことを訊くのか、カザノヴァ
には謎だったが、彼らがあまりにも真剣そうだったので話すことに
した。
フレアスピリクルボム
﹁前にあったやつだろ? あれはここいらで一番の富豪︱︱まあ、
町長んとこだが、そこで作業用の火霊素爆弾が大量に盗まれたらし
い﹂
﹁爆弾! 何で?﹂
︽爆弾︾という言葉に驚いたのか、赤毛の少女はたじろいだ。
﹁いや、俺も盗賊の考えなんかわからねぇよ。まさか自分でミスリ
ルを掘るわけでもねぇだろうから、どっかで高く買い取ってくれる
奴でもいるんじゃね?﹂
﹁その盗賊の特徴とかわかりますか?﹂
少年が訊くと、カザノヴァは思い出すように顎に指を置いて答え
た。
﹁そうだなぁ、俺は実際見てねぇが、赤毛のポニーテールをした⋮
⋮そうそう、丁度あんたみたいな少女らしい。ま、俺が知ってんの
はこのくらいだ﹂
すると彼女は眉を吊り上げた。
﹁まさか、あたしが犯人だって言いだすんじゃないわよね?﹂
﹁いやいやそんなことは⋮⋮似てるけど、あんたが犯人じゃないこ
とはわかるさ﹂
103
カザノヴァは両掌を顔の前で振った。
﹁いろいろと教えてくれてありがどうございました。行くよ、サニ
ー﹂
銀髪の少年は深々と頭を下げると、少女と一緒に店を出て行った。
﹁⋮⋮変な奴らだったなぁ、特にあの兄ちゃんの青い目。何だった
んだ?﹂
カザノヴァは一人、首を捻った。
︵まてよ、確か軍にそんな目をした奴が居るって聞いたことがある
が⋮⋮まさかな︶
あんな少年が軍にいるわけがない。だがやはり、青い目というの
が謎であることは変わりない。
? ? ?
﹁お! どうだったセトル、そっちは?﹂
乱雑に露店が並ぶ鉄臭い道を歩いて来た二人にアランが気づくと、
こちらの存在を気づかせるように手を挙げて大振りに振った。
﹁うん。特徴とかはやっぱりあの盗賊のようだけど、盗んだ物がわ
フレアスピリクルボム
かったぐらいで行方の方はサッパリ⋮⋮﹂
﹁ああ、火霊素爆弾だろ。こっちも似たようなもんだ﹂
サンデルクから南東へ船ですぐのところ︱︱とは言っても一日ほ
どかかるが︱︱にこの町はある。セトルたちはとりあえず武器や食
材などを調達しつつ、その盗賊の情報を集めた。
このマインタウンは、シルシド鉄山という鉱山の麓にできた町で、
決して観光目的で来るようなところではないのだが、ここで採れた
鉱石で作った武器や防具は品質が良く、腕のいい鍛冶屋も多いので、
その意味では客も多い。
﹁やっぱもうここには居ねぇだろうから⋮⋮サニー、帰らねぇか?﹂
﹁絶っ対いや! せっかくここまで来たんだから、捕まえるまで帰
んない!﹂
104
帰ることをまだあきらめてなかったアランに、サニーは腕を組ん
で怒鳴るように言った。もう何人もの人に尋ねて回ったが、それ以
上の情報は得られなかった。盗みがあってから数日が経っている。
その盗賊がいつまでも同じ町に居るとは考えられない。それもわか
っているはずなのだが、サニーは諦めようとはしなかった。
そしてもう一人も︱︱
﹁せやな、まだ手掛かりがあるかもしれへんし⋮⋮町長はんのとこ
にでも行ってみる?﹂
しぐれは微笑みを浮かべて、ここからでも見える大きな屋敷を指
差した。彼女にとってその盗賊は、探している里の仲間であるかも
しれないのだ。その時︱︱
﹁おや?﹂
と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
﹁皆さん、このようなところで何をしているのですか?﹂
そう言って口元に笑みを浮かべていたのは ︱︱
﹁ウェスターさん!?﹂
だった。するとウェスターの笑みは皮肉めいたものに変わった。
﹁自分の名前くらいわかっていますよ?﹂
それを聞いてムっとしたサニーが訊き返す。
﹁ウェスターこそ何でここにいるのよ!﹂
﹁私は﹂瞳を隠すようにウェスターは眼鏡のブリッジを押さえた。
﹁この町で起きた盗賊の事件について調べているところです﹂
チャンス
セトルたちは顔を見合わせ、サニーとしぐれがニヤっとした笑み
を浮かべる。これは好機である。軍との繋がりのある彼なら、自分
たちが知らない情報を持っているだろうと思われる。
﹁なぁ、その話詳しく教えてくれへんか?﹂
ニヤッとした笑みを隠すようにしてしぐれが言う。
﹁⋮⋮なぜです?﹂
眼鏡のブリッジを押さえたままウェスターは訊き返した。とりあ
えずセトルが今までの経緯を説明する。
105
﹁なるほど⋮⋮私はてっきりアランが武器マニアだからここにいる
のかと思っていました﹂
﹁そんなわけねぇだろ!﹂
ウェスターは本気でそう思っていないことはわかるが、アランは
全力で否定した。
﹁というわけだから、何か知ってたら教えてよ﹂
サニーは無邪気な笑顔を見せる。しかし︱︱
﹁⋮⋮お断りします﹂
﹁何でよ!?﹂
﹁一般の方に教えるわけにはいきませんからねぇ﹂
﹁むぅー、ケチ!﹂
サニーは頬を膨らました。とその時︱︱
︱︱ドォ︱︱ン!!
凄まじい爆音が町中に轟いた。
﹁何や!﹂
しぐれが叫ぶ。
フレアスピリクルボム
﹁鉱山の方からだ!﹂
とアラン。
﹁︱︱この音は火霊素爆弾⋮⋮﹂
呟くようにウェスターは言うと、一人鉱山の方へ急いだ。
106
020 廃坑探索
爆発があったのはシルシド鉄山第一坑道。
幸い既にそこは廃坑になっていて、今は魔物が棲みついているだ
けのただの洞窟であった。中に人はいないはずなので、爆発に巻き
込まれた人はいないだろう。坑道も崩れてはいない。
しかし、爆発に驚いた魔物たちが外に飛び出し、集まった人々を
襲っている。武器を持った者は戦えるが、そうでない者はひとたま
りもない。既に怪我人も出ている。
﹁︱︱蒼き地象の輝き、アクアスフィア!!﹂
突如地面に霊術陣が出現し、水が螺旋状に噴出、陣の中にいる魔
物だけを呑み込んで青い球体を形成する。
﹁皆さん、早く避難してください!﹂
スピリクル
その術を唱えたのはウェスターだった。彼は人々に避難するよう
促すと、右手を挙げる。するとそこに周囲の霊素が集まり、三叉の
槍のようなものが構築される。
ウェスターはそれを使い、次々と魔物を斬り捨てていった。魔物
は主に蝙蝠や岩のゴーレムといったものである。
﹁ふむ、全員避難できたようですね。さて⋮⋮﹂
目だけで周りを見回し、ウェスターはまだたくさんいる魔物たち
ひじんしょう
に槍を突きつけた。
﹁︱︱飛刃衝!!﹂
その時、そう叫ぶ声が聞こえたと思うと、凄まじい烈風が魔物た
ちを斬り裂きながら吹き飛ばした。これは︱︱セトルだ!
﹁加勢しますよ、ウェスターさん!﹂
﹁皆さん⋮⋮﹂
ウェスターは、まったく、といいたげな顔をして呟いた。
﹁話はあと! 今はここを片づけよ!﹂
ウェスターにそれ以上何も言わせないようにサニーが前に出て、
107
舞うように扇子を振るう。すると彼女の肩に乗っていたザンフィが、
まるで指示を受けたかのように蝙蝠の魔物へ飛びかかった。
アランとしぐれも、次々と魔物を斬り倒していく。
そしてようやく全て片付けることができた。何体か坑道内に逃げ
て行ったが、とりあえずそれは追わなかった。
﹁ふぅ、終わった終わった♪ どうぞウェスター、何か言いたけれ
ば言っていいぜ?﹂
斧を肩に担ぎ、アランは皮肉っぽくそう言った。
﹁今さら何も言いませんよ﹂ウェスターは眼鏡の位置を直す。﹁さ
て、私はこれから坑道の中を調べますが、あなたたちはどうします
?﹂
﹁何や、うちらも入ってええの?﹂
しぐれが不思議そうに首を傾げる。さっきはあれだけ断っておい
て、なぜ今になってそう言ってきたのか、セトルにも不思議だった。
今の戦いで認めてくれたのだろうか?
だが、そうではなかった。
﹁︱︱もう既にサニーが入っちゃいましたからねぇ⋮⋮﹂
﹁!?﹂
? ? ?
薄暗い坑道、まばゆい光を放つ光球がその中を広く照らした。並
べられた枕木の上に古びたレールが縦横に走っている。その光を放
つ光球はサニーの掌の上に浮かんでいる。これも光霊術の一つなの
だろう。
﹁サニー!﹂
セトルの呼ぶ声が聞こえ、彼女は立ち止った。
﹁勝手に入らないでよ、心配するじゃないか⋮⋮﹂
そう言ったセトルの後からアランたちもやって来る。サニーは、
ヘヘへ、と舌を出して笑った。
108
﹁笑いごとではありませんよ。中にはまだ魔物がいるのですから﹂
人差し指で眼鏡のブリッジを押さえ、ウェスターがそう言う。
﹁だって⋮⋮頼んでも入らせてくれそうになかったから⋮⋮﹂
サニーは珍しく反省した顔を見せる。すると、ウェスターは小さ
く息をつき、あの含みを感じる笑みを浮かべた。
﹁︱︱とりあえず、先に進みましょう。サニーのそれは役に立ちま
すからそのまま照らしていてください﹂
顔を輝かせ、サニーは頷く。
ウェスターを先頭に、セトルたちはレールに沿って坑道の奥へと
進んで行く。
そして爆発のあったと思われる場所を見つけた。焦げ臭く、周り
の土は黒焦げになっていて、まだ熱を持っていた。ここは行き止ま
りだったのだろうが、その爆発のせいで坑道内が崩れ、大きな穴が
口を開いていた。
そこから先へ進めそうだ。
フレアスピリクルボム
﹁ふむ﹂辺りを調べていたウェスターが何かの破片みたいなものを
拾ってそう呟いた。﹁これは火霊素爆弾の破片ですね。このマーク
⋮⋮恐らく盗まれたものでしょう﹂
﹁せやったら、まだ犯人が居るんとちゃう?﹂
﹁まあ、居るとしたらこの奥だろうな﹂
アランは親指で後ろ向きにあの穴を差した。何十にも道があった
とはいえ、ここに来る間誰とも会ってはいない。それに、この場所
を見つけるのにもそんなに時間はかかっていない。この奥に犯人が
居る可能性は高いだろう。
サニーは息を呑んだ。
﹁行きましょう﹂
ウェスターは拾った破片を布に包み、軍服のようなローブのポケ
ットにそれをしまった。
人一人が楽に通れるほどの穴をくぐると、そこには別の道が続い
ていた。その道は今までのとは違い、レールも無く一本道のようで、
109
坑道と言うよりは遺跡と言った方がいい、何かの鉱石で造られた通
路だった。
﹁さっきまでと全然雰囲気違うな⋮⋮﹂
歩きながらアランは周囲を観察する。
﹁恐らく﹂とウェスター。﹁かなり昔の遺跡でしょう。この壁に使
われている鉱石⋮⋮私は見たことがありません、できれば調べてお
きたいですね﹂
﹁昔って、どのくらい昔なの?﹂
壁を擦り、残念そうに息をついているウェスターにサニーが訊い
た。
﹁何百年、いえ、何千年と昔なのかもしれませんね﹂
﹁何千年! そんなんまだ星が一つになってないんやないの?﹂
しぐれは驚いたようにそう言う。するとサニーが嘲るように笑っ
た。
﹁アハハ、しぐれそれ御伽噺じゃない﹂
﹁そうかな?﹂
とセトルが首を傾げる。
﹁僕は単なる御伽噺じゃない気がするんだけど⋮⋮﹂
﹁まあ、﹃星﹄とまではいかないだろうが、この世界でアルヴィデ
ィアンとノルティアンは分かれてたんじゃないか?﹂
ハハハ、とアランが笑い、頭の後ろで手を組んだ。
﹁ふむ、確かにその説もあるでしょう。しかし、一概にそうとは言
えませんよ﹂
ウェスターは口元に意味ありげな笑みを浮かべた。そして︱︱
﹁︱︱ここは⋮⋮﹂
通路を抜け、教会のような広い部屋にセトルたちは出た。まだ鉱
山の中なのだろうが、どこからか光が差し、サニーの光球はここで
は必要ないくらい明るかった。
﹁⋮⋮誰かいますね﹂
ウェスターが目を眇めて見た先には、不気味な光を放つ、巨大で
110
複雑な模様が描かれている壁があった。何かの紋章にも見える。そ
してその下、二つの悪魔を模ったと思われる石像に挟まれるように
して一人の少女が立っていた。
青色の変わった服装で赤毛のポニーテール︱︱いや、どちらかと
言うとしぐれのようなアキナ風の結い方に似ている。まさか︱︱
﹁ひさめ!﹂
しぐれの顔が一変する。その声に少女は振り返り、しぐれの姿を
認めると、微かに舌打ちをした。
フレアスピリクルボム
すかさずウェスターが前に出る。
﹁あなたですね、火霊素爆弾を盗み、この騒動を起こした犯人は!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
少女は何も言わず、感情を殺したような目でセトルたちを見据え
ていた。
﹁あの人⋮⋮もしかして王城で︱︱﹂
﹁︱︱ええ、エリエンタール家を名乗り、盗みを働いた犯人で間違
いないでしょう﹂
セトルに引き継ぎ、ウェスターが断言した。すると、少女は懐か
フレアスピリクルボム
ら円筒状の物体を取り出す。
﹁いけません! 火霊素爆弾です!﹂
ウェスターが叫んだのも虚しく、少女はそれを投げ、空中で爆発
フレアスピリクル
する。爆音と共に黒煙と熱が煙幕のように部屋を包みこむ。
しかし火霊素が少なかったのか、爆発は小規模で、部屋は煙が蔓
延しただけで済んだ。
だがそれは、少女が逃走するのには十分だった。
﹁ま、待て!﹂
ひじんしょう
煙で噎せ返りながらアランが叫んだ。
﹁煙を吹き飛ばすよ、飛刃衝!﹂
セトルの烈風で、前方の煙が晴れた。
﹁早く追おうよ!﹂
サニーがそう言い、皆は走った。︱︱が、
111
﹁キシャアァァァァァァァ!﹂
何かが煙から飛び出し、セトルたちの前に立ち塞がった。
﹁﹃ガーゴイル﹄ですか、しかも二体⋮⋮﹂
ウェスターは眼鏡の端を押さえ、石の槍を持ち、石の翼を羽ばた
かして宙に浮いている魔物を見上げた。
﹁んもう、邪魔よ!﹂サニーが扇子を開く。
﹁さっさと倒しちまおうぜ!﹂
﹁せや、早うあの子追わんと!﹂
アランと、それに続いてしぐれが飛びかかった。それぞれのガー
ゴイルを二人の刃が捉える。
︱︱ガキーン!! 金属音が響く。二人は着地し、アランがガーゴイルを見上げて舌
を打った。
﹁くそっ! 何て硬さだ!﹂
﹁こんどは僕が!﹂
しゅううざん
セトルが飛び、剣を掬いあげるように一閃する。が、やはり効い
ていない。
﹁これならどうだ! 驟雨斬!!﹂
セトルは高速の斬撃を何度も繰り出す。無数の金属音が鳴り、ガ
ーゴイルの岩のような肌に僅かだが傷がついた。しかし、それと同
時にセトルの剣も刃毀れし、彼はガーゴイルに蹴り飛ばされ、壁に
叩きつけられた。口を切ったのか、血の味が広がる。
﹁セトル! 今助けるわ!﹂
サニーが叫び、術を唱える。
﹁︱︱癒しの輝き、ヒール!!﹂
セトルの体が温かな光に包まれる。痛みや痺れが消え、傷がどん
どん治っていく。
﹁︱︱蒼き地象の輝き、アクアスフィア!!﹂
水流が駆け巡る球体にガーゴイルの一体が呑み込まれ、それが消
えたときにはガーゴイルは光の粒子となっていた。
112
﹁なるほど、術はよく効くようですね﹂
そう呟くように言ったウェスターに、もう一体のガーゴイルが石
の槍を構え襲いかかっ
つよごち
てくる。そこに︱︱
﹁忍法、強東風!!﹂
しぐれは自身が風の矢となるような勢いの突きで、ダメージはな
いものの、ガーゴイルを遠く吹き飛ばす。だが、ガーゴイルは途中
で体勢を立て直し、足もとに霊術陣を出現させる。
﹁危ない、サニー!﹂
スピリクル
咄嗟にセトルがサニーを庇うように突き飛ばした。彼がそうしな
ければ、破裂する霊素の光がサニーを襲っていただろう。
﹁︱︱斬り刻む真空の刃、おしおきです! スラッシュガスト!﹂
ウェスターがそう言い終わったあと、ガーゴイルの周囲に無数の
風刃が吹き荒れ、その体をいとも簡単に斬り裂いた。
﹁やったー!﹂
両手を挙げてサニーは喜ぶように叫んだ。
﹁早く追おうぜ!﹂
﹁もう遅いでしょう、アラン。今から追ったところで、とても追い
つけませんよ﹂
ウェスターはあの紋章の壁に向き直り、それを指差した。既に煙
は完全に晴れている。
﹁それより、あれを︱︱﹂
﹁あ! 光が消えてる⋮⋮﹂
サニーが驚いて言った通り、あの少女が居たときまで不気味に光
っていた紋章のような模様が、その光を失っていた。
﹁ウェスターさん、これは一体⋮⋮﹂
セトルは訊くが、ウェスターは、ふむ、と呟いて眼鏡の位置を直
した。
﹁何かわかるの?﹂
覗き込むようにしてサニーが訊くが、ウェスターは首を横に振っ
113
た。
﹁残念ながらまだ何もわかりません⋮⋮ただ︱︱﹂
﹁ただ、何ですか?﹂
セトルは首を傾げる。
﹁恐らく︱︱いえ、今はやめておきましょう﹂
言いかけた矢先でウェスターはそれをやめた。その顔はわかって
いるような、そうでないようなつかめない顔をしている。
﹁とりあえず、ここを出ようぜ!﹂
アランはこれ以上問い詰めることなくそう言った。
皆は頷き、セトルは後ろを数度振り返り、どこか嫌な予感を感じ
ながらこの部屋を去った。
壁に刻まれた紋章だけをそこに残して︱︱。
114
021 三人目の蒼眼者
坑道から出ると、そこに一人の男がやってくるのをセトルは見た。
﹁あれ? あなたは確か鍛冶屋の︱︱﹂
﹁︱︱カザノヴァだ﹂
彼はそう言うと、ウェスターを見て軽く会釈をした。
﹁どうしてここに?﹂サニーが訊く。
﹁︱︱それについては僕が説明するよ﹂
カザノヴァの後ろ、ここへ続く道を一人の青年がそう答えながら
歩み寄ってきた。何か
の模様が描かれた黒い法服に、右目を隠した長いライトブルーの髪、
手には古びた弓を持っているので、背に背負っている筒には矢が入
っているのだろう。
そして、覗いている方の眼鏡の奥の瞳は︱︱
﹁この人も⋮⋮青い目⋮⋮﹂
だった。驚いたようにセトルは呟く。周りの皆も同じように驚い
た表情をしていた。彼と一緒に来たカザノヴァと、ウェスター以外
は⋮⋮。
﹁スラッファではないですか﹂
﹁誰なんや?﹂
すかさずしぐれがウェスターに訊く。すると彼は微笑んで、
﹁独立特務騎士団の副官、つまりワースの部下です﹂
と答えた。それもそうだが、問題はそこではない。問題なのは︱︱
﹁そこの連中はみんな青い目をしてるのか?﹂
と、アランが言った青い目のことだ。
﹁いや﹂と答えたのはスラッファだ。﹁今、このシルティスラント
に居る青い瞳を持つ人間は四人、僕とワース、それにもう一人の副
官と︱︱君だけだよ、確かセトル君だったかな?﹂
セトルは、そうです、と頷き、たぶんこの人も自分のことを知っ
115
ているのだろう、と思った。
﹁四人⋮⋮何か少ないね﹂
サニーが呟くと、スラッファは咳払いをする。
﹁僕としても、なぜ君たちがここにいて、ウェスターと一緒なのか
知りたいけど、それは今は置いておくよ。ところで、元の話に戻っ
てもいいかい?﹂
フレアスピリクル
皆が頷くのを確認し、スラッファは話し始めた。
﹁火霊素による爆発があったって聞いてね。ちょうど港の軍の機関
に僕が居たから調べに来たというわけさ。それでここまで彼に案内
してもらったんだ﹂
﹁それなら、坑道の中はもう俺らで調べたぜ!﹂
アランが言うと、スラッファは怪訝そうに目を眇めるが、ウェス
ターが頷くと、彼は得心したように眼鏡のブリッジを押さえる。
﹁それで、中には何があったんだい?﹂
﹁中には︱︱﹂とウェスターは坑道にあったもの、起こったことを
全てスラッファに語った。彼はそれを何の疑いもなく聞いている。
やはり、ウェスターには信頼があるんだな、とセトルは思った。
スラッファはウェスターが拾った破片を受け取る。
﹁なるほど⋮⋮そうなると、悪いが君たちにも首都まで来てもらわ
なければならないな﹂
﹁そうですね﹂とウェスター。﹁特にしぐれはあの少女のことを知
っているようですし﹂
セトルは皆を見て、全員が頷くのを確認すると、わかりました、
と了承する。
記憶が戻らないまま、もう一度首都に行くとは⋮⋮。
116
022 別れ
ウェスターの霊導船に乗り、セトルたちはセイントカラカスブル
グに到着した。不思議と、アランは霊導船ではあまり船酔いをしな
かった。
揺れが少ないせいだろうか?
港でスラッファと別れ、セトルたちはすぐに城へ向かった。
﹁︱︱ウェスター将軍!﹂
城門の前に立っていた兵士がウェスターを見て敬礼する。
﹁ですから、私はもう軍人ではありませんよ﹂
やれやれとウェスターは嘆息する。しかし、兵士は首を振る。
﹁いえ、私にとって貴方様はいつまでも我ら正規軍の将軍です!﹂
﹁ウェスターさんって正規軍の将軍だったんですか!?﹂
そのことを知らなかったセトルは驚いたようにそう言う。だが、
何となくだけどそんな気がしていたのもある。あの兵士の態度を見
る限り、かなりの人望があったのだろう。
﹁﹃元﹄ですよ、今はウルドがやっています。そのことは気にしな
いでください﹂
この話はここまで、という風にウェスターは眼鏡の位置を直した。
だが︱︱
﹁と言われても気になるぜ、あんなに強いのに何で軍をやめたんだ
?﹂
スペルシェイパー
アランがさらに詰め寄り、サニーやしぐれもそのことに興味津々
のようだ。すると︱︱
﹁︱︱その辺にしといてやれよ、︽具現招霊術士︾さんが困ってる
ぜ!﹂
いきなりそう言ってきたのは、あの時の検事︱︱アトリーだった。
﹁アトリー! 丁度いいところに来ました。陛下は今どちらに?﹂
話を切り換えるようにウェスターはそう言った。するとアトリー
117
は真面目な顔をする。
﹁例の話か?﹂
﹁いえ、今回の事件の報告です。できればウルドにも来てもらいた
いのですが?﹂
﹁⋮⋮わかった﹂アトリーは頷く。﹁陛下なら謁見の間だ。うちの
師団長なら私が呼んでおく。それと、その話は私にも聞かせてもら
おうか﹂
スペルシェイパー
言うと、アトリーは踵を返し、城の中へ戻って行った。
﹁ところで、︽具現招霊術士︾って何なんや?﹂
しぐれがウェスターではなく、そこの兵士に訊く。さっきアトリ
ーがウェスターをそう呼んでいたが、本人に訊いたら、またいろい
ろと誤魔化されそうだ。
﹁それはウェスター将軍がまだ軍に居たころの二つ名です。霊術に
おいて右に出る者はおらず、その術はまるで生きているようだった
ので、そう言われるようになったのです﹂
確かにそれは頷ける。坑道での戦いを思い返しても、彼の術は本
当に強力なものだった。だが、あれでもまだほとんど力を使ってい
ないのだろう。
するとウェスターは、昔のことです、とでも言いたげに肩を竦め
た。
﹁とにかく、謁見の間へ行きますよ﹂
? ? ?
城の一階から、真紅の絨毯の敷かれた中央階段を登ると大きな扉
がある。その奥が謁見の間だ。ウェスターが一言断って扉を開け、
セトルたちはその中に入る。
目の前に見える二つの玉座には、豪奢な服に身を包み、王冠を被っ
た男性と、オレンジ色の髪をした美しい女性︱︱この二人が王と王
妃だろう︱︱がそれぞれ座っている。
118
王の方はアルヴィディアンだが、王妃の方はノルティアンだった。
確か、どちらも五十歳を越えていると聞いているが、ずいぶんと若
く見える。
そしてその脇には、小太りのどこか偉そうなアルヴィディアンの
男と現正規軍の将軍ウルド・ミュラリーク、それとアトリーが立っ
ていた。さっき呼びに行ったのにもう到着しているとは、流石だ。
ワースとあのアルヴァレスとかいう将軍の姿はない。
﹁ウェスター﹂国王︱︱ウートガルザ・リウィクスが言う。﹁皆を
集めて報告するとは、一体マインタウンで何があった?﹂
その口調も若々しく、ウェスターとはまるで友人との会話のよう
だ。
﹁そうだ、ただの事件なら陛下や大臣にまで報告する必要はないは
ずだ!﹂
ウルドがそう言うと、小太りの男︱︱大臣も頷いた。
﹁では、順を追って説明します﹂
ウェスターはマインタウンの鉱山で起きた出来事を包み隠さず説
明した。
﹁︱︱なるほどそんなことが⋮⋮後日その坑道には調査隊を派遣し
よう﹂
目をつむって静かにそれを聞いていたウートガルザ王が言い、目
を開いてウェスターを見る。
﹁それで、お前はどう思っている? 予想はできてるんだろ?﹂
﹁確証はありませんが、何かが組織的に行われているのは確かでし
ょう。その少女についてですが、どうやら彼女が何か知っているよ
うです。しぐれ、お願いします﹂
﹁え!? は、はい⋮⋮﹂
突然ウェスターにそう言われ、しぐれは戸惑いながら前に出る。
緊張しているようだ。その気持ちはセトルにもわかる。目の前にい
るのはこの国の王なのだ、緊張しないほうがおかしい。実際仲間た
ちは皆ここにいるだけで緊張している。
119
﹁あの子は﹃ひさめ﹄いうて、うちらアキナの里の仲間やった子や
⋮⋮こんなことする子やなかったんやけど⋮⋮﹂
﹁恐らく﹂とそれにウェスターが続ける。﹁この城に忍び込んだ盗
賊も、その少女で間違いないでしょう﹂
しぐれはどこか複雑な表情をしている。その気持ちもわからない
でもない。
﹁しぐれ、大丈夫?﹂
セトルが声をかけると、彼女は無理に微笑んで、大丈夫や、と答
えた。
そのまま報告は続けられ、最後にウェスターは陛下に何か耳打ち
して、そのままセトルたちと謁見の間をあとにした。
﹁︱︱ふぅ、流石に緊張したぜ﹂
アランは肩の力を抜いて大きく息をつく。
﹁それにしてもー﹂サニーが気の抜けた声で言う。﹁王様って堅い
イメージがあったけど、そうでもなかったね﹂
﹁まあ、謁見の相手が私だったからでしょう﹂
ウェスターは眼鏡のブリッジを押さえ、口元に笑みを浮かべる。
﹁王様の相談役だったっけ?﹂
思い出すようにサニーが訊くと、ウェスターは頷き、そして︱︱
﹁では、皆さんはこのまま村に帰ってもらいますが、よろしいです
ね?﹂
ウェスターのその言葉にセトルとアランは頷いた。しかしサニー
は、
﹁何で? あたしたちもう関係者じゃないの?﹂
と、やはりそう言ってきた。
﹁いえ、あの少女を知っているしぐれはともかく、あなたたちはた
だの一般人です。危険ですので捜査は我々に任してください﹂
﹁むぅー、ウェスターだって軍人じゃないじゃない⋮⋮﹂
サニーは思いっきり頬を膨らまし、ウェスターを睨む。
﹁軍人でないだけです﹂
120
﹁仕方ないよ、サニー。悔しいのはわかるけど、あとはウェスター
さんたちに任せよう﹂
本当のところ、セトルも内心もやもやしているが、ここは素直に
村へ帰った方がいいということもわかる。そこで自分たちの帰りを
待ってくれている人がいるのだから⋮⋮。
﹁う∼、わかったわよ⋮⋮﹂
サニーは俯きそう呟いたが、彼女にしては少し聞き分けがいいの
が気になる。
﹁今度は私が村まで送りますから、途中で勝手に自分たちだけで捜
査する、ということはできませんよ﹂
俯いたままサニーは小さく舌を打った。どうやらウェスターはそ
れを見抜いていたようだ。
城門を出ると、しぐれが突然立ち止まる。
﹁どうしたの、しぐれ?﹂
振り向き、セトルは首を傾げる。
﹁うちはここまでや⋮⋮アキナの忍者として捜査に協力するよう言
われてて⋮⋮﹂
しぐれの表情が悲しげに歪む。
﹁ええー! じゃああたしたちも残るよー!﹂
﹁ダメですよ∼、サニー﹂
ウェスターはどこか怖い笑みを浮かべ、瞳を隠すように眼鏡を押
さえた。
﹁しぐれが残るならいいじゃない!﹂
﹁はいはいサニー、向こう行ってような﹂
駄々っ子のように振舞うサニーの手を掴み、アランは階段を下り
て行った。
﹁ちょっ! アラン放しなさいよー!﹂
どんなに暴れても彼女の力ではアランを振り解くのは無理だろう。
それを見て苦笑を浮かべていたセトルはしぐれに向き直る。
﹁しぐれ、本当に残るの?﹂
121
﹁うん。ひさめとちゃんと会って話ししたいんや⋮⋮﹂
﹁わかった。そのうちアスカリアに遊びに来なよ。田舎だけどね⋮
⋮﹂
セトルは頭を掻き、じゃあ、と言って踵を返そうとする。
﹁あ、あの、セトル⋮⋮﹂
﹁ん、何?﹂
セトルは振り返ると、彼女は頬を赤くして視線を反らした。
﹁や、やっぱりええわ! ま、またねセトル!﹂
しぐれは慌てた様子でそう言った。
﹁うん。また!﹂
セトルは今度こそ踵を返し、ウェスターと共にアランたちを追っ
て行った。
﹁若いっていいですね∼♪﹂
途中ウェスターが皮肉っぽくそう言うが、セトルはその意味がわ
からなかった。
122
023 アクエリスの危機
ガタン! ﹁おや?﹂
洋上、ウェスターの霊導船︽ブルーオーブ︾号は妙な音を立てて
停止した。
﹁何かあったんですか?﹂
セトルが訊くと、ウェスターは特に慌てた様子もなく、軍船とは
違う豪華な客室の壁に取り付けてある小さな霊導機を操作し、そこ
に向かって話しかけた。
﹁どうしました?﹂
すると、少し耳障りな音がし、
﹃霊導機関にトラブルが発生しました。直すのに少々時間がかかる
かと⋮⋮﹄
と、人の声が聞こえてきた。
あれは離れた所に居る人と話ができる︽伝声機︾というものらし
い、と不思議そうに見ているセトルにサニーが教えてくれた。村に
は無かったから、恐らく連行されたときに知ったのだろう。
﹁ふむ、では非常導力を使い、一番近くの港で修繕しましょう。︱
︱一番近い町は?﹂
﹃アクエリスです﹄
﹁では、そこまで最短航路で向かってください﹂
﹃了解しました﹄
再び耳障りな音がし、ウェスターは伝声機のボタンを押す。する
と音が消え、通信が切れたのだとわかった。
﹁もうアクエリスまで来たんですね﹂
セトルは霊導船のスピードに感動したようだった。首都を出港し
て五日、帆船ではどんなに速くてもサンデルクまでが限界だろう。
﹁このブルーオーブ号は世界でもトップを争うスピードを持ってま
123
すからね♪﹂
﹁故障したけどね⋮⋮﹂
棘のある声でサニーがぼそっと呟くが、ウェスターはそれを笑っ
て流した。
﹁ははは、まあそんなときもあるでしょうねぇ﹂
しばらくすると、また耳障りな音が聞こえてきたので、ウェスタ
ーが伝声機のボタンを押し、どうかしましたか、と答える。
﹃もうすぐ到着しますが、中まで入りますか?﹄
﹁そうですね、そのまま運河に入り、町の港まで行きましょう﹂
﹃了解しました﹄
プツン、と通信が切れる。
﹁アクエリスかぁ⋮⋮あの町綺麗だからちょっと楽しみ♪﹂
﹁でも、迷子にはなるなよ、サニー。めんどうだからな﹂
扉が開き、どこかに行っていたアランが入ってきてからかうよう
にそう言う。
﹁だ、大丈夫よ! それよりアランどこいってたの?﹂
﹁ああ、霊導船じゃあまり酔わないからな、いろいろと見てまわっ
てたんだ﹂
アランは微笑んだが、少し顔色が悪いように思われた。
? ? ?
﹁な、何だよ⋮⋮これは!?﹂
水の都アクエリス、その美しい街並みは世界でも一位二位を争う
ほどだ。だが、アランが愕然としたように、そこにその美しさは無
くなっていた。
﹁水が⋮⋮ほとんど無い⋮⋮﹂
それが原因だった。セトルは辺りを見回すが、人々の姿もほとん
ど見えない。
運河に入ろうとしたところ通行止めとなっていたので、仕方なく
124
船をそこの灯台につけ、船を修理している間にセトルたちは陸路で
町の様子を見に行った。途中で運河が枯渇していることに気づき、
不安を覚えたが、それが今現実となったのだ。
﹁少し町を調べてみましょう。まだ残っている人がいるかもしれま
せん﹂
ウェスターにそう言われ町を一通り調べたが、人の気配は全くな
かった。
みんな避難しているのだろうか?
当然水が枯渇している原因もわからず、セトルたちは途方に暮れ
ていた。
﹁こうなったら﹂とウェスター。﹁川の上流を調べてみるしかあり
ませんね﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
セトルは頷いた。嫌な予感がする⋮⋮。
? ? ?
アクエリスの水は︽ローレル川︾という川から流れ込んでいる。
彼らはそこを上流へ上流へと登って行った。
﹁あれ見ろよ、あんなところに洞窟があるぜ!﹂
アランが指差した先には確かに人が入れるほどの洞窟があった。
しかも普通なら川に沈んでいるだろうというところに。
﹁中に入ってみますか? 何か関係があるかもしれないし⋮⋮﹂
セトルが訊くとウェスターが頷いた。
﹁そうですね。関係がない、ということはないと思います﹂
ライトボール
中に入るとすぐに広い空間になっていた。
﹁サニー、光霊球を!﹂
﹁うん!﹂
ライトスピリクル
ウェスターに指示され、サニーは顔の前で人差し指を立てる。す
ると指先に光霊素が集まり、輝く球体ができた。彼女はそれを頭上
125
ライトスピリクラー
に浮かばせ、一気に空間全体を照らした。
﹁サニーが光霊術士で助かりましたよ♪﹂
作り笑顔のような笑みを浮かべたウェスターを、アランが怪訝そ
うに見る。
﹁あんたはできないのか?﹂
スペルシェイパー
﹁ええ、私は光属性の術は使えないんです﹂
嘘︱︱ではないようだ。具現招霊術士と呼ばれるほどのウェスタ
ーでも使えない属性はあるんだな。
それにしても ﹁ねぇ、この場所って⋮⋮シルシド鉄山の奥にあった部屋に似てな
い?﹂
周囲を見回し、セトルが言う。ガーゴイルはいないようだが、部
屋のつくり、壁に刻まれた模様、全てが瓜二つだった。
天井を見ると、僅かに濡れた跡など、この部屋が水で満たされて
いた痕跡がいくつもあった。
壁の模様は輝いていない。いや、あの時みたいに輝きを失ったの
かもしれない。
ウェスターがその壁に近づき、なにかを調べるように手を触れた。
︵すでに蛻の殻⋮⋮ですか︶
﹁何かわかったんですか?﹂
﹁いえ⋮⋮わかったことは、ここは水が枯渇した原因ではないとい
うことぐらいですね。もう少し上に行ってみましょう﹂
瞳を隠すように彼は眼鏡の位置を直した。
洞窟を出て、しばらく登っていると土砂が積もった不自然なもの
が見えてきた。周囲は切り立った崖で、谷のようになっているため、
それは巨大なダムと化していた。
﹁まさかこれが⋮⋮﹂
セトルはダムを見上げる。ウェスターがそれを調べ、そしてすぐ
に、ふむ、と呟いた。
﹁これが原因でしょう。水が塞き止められています。ですが、おか
126
しいですね﹂
﹁何が?﹂
サニーが小首を傾げる。
﹁周りの崖が崩れた様子はありませんし、この土砂はこの辺りとは
質が違います﹂
﹁誰かが意図的にやった⋮⋮ということですか?﹂
アーススピリクル
セトルが顎に指を当ててそう言うと、ウェスターは頷いた。
﹁ええ、あれは地霊素を使った人為的なものと見て間違いないでし
ょう。その犯人も、だいたい予想はつきます﹂
するとサニーが前に出て、扇子を構える。まさか!
﹁とにかく、これが原因なら壊しちゃお? シャイニング︱︱﹂
﹁ちょっと待ってサニー! そんなことしたら ﹂
セトルは慌ててサニーの口を手で塞いだ。思った通り彼女はダム
を壊す気だった。彼女はセトルの手を振り解くと、何でよ、と叫ん
だ。
﹁あれがぶっ壊れたら鉄砲水が俺たちだけじゃなく、アクエリスの
町まで襲うだろ⋮⋮﹂
呆れたようにアランが言うと、彼女は、そうか、と納得したよう
だ。そして︱︱
﹁あーもう! それじゃあどうすればいいのよ!﹂
サニーが拳を振りまわすようにして叫ぶと、何かを考えていたウ
ェスターが口を開いた。
﹁仕方ありませんね。精霊の力を借りましょう﹂
彼がさらっと言った﹃精霊﹄という単語に、セトルたち三人は聞
き覚えがなかった。そこでアランが、
﹁﹃精霊﹄って何だ?﹂
と訊くが、ウェスターは答えず、土砂のダムを見た。つられてセ
トルたちもダムを見ると、微かに妙な音がしていることに気づいた。
﹁あまり時間がなさそうです。その話はここを下りながら折々話し
ましょう﹂
127
そう言うとウェスターは踵を返し、川を下り始めた。
﹁どこに行くんですか?﹂
﹁海底洞窟です。そこに水の精霊が居るはずですから﹂
128
024 水の精霊
スピリクル
サモナー
スピリクラー
精霊とは、霊素の意識集合体。また、それを生み出している母体
的な存在。彼らは契約することによって、召喚士︱︱霊術士の上位
クラスのようなもの︱︱に召喚術という形で力を貸してくれる。こ
サモナー
こ、海底洞窟までの道中にウェスターが一通り説明してくれた。彼
はその召喚士の資格も持っているらしい。
そしてそれら精霊のうち、水の精霊﹃コリエンテ﹄がこの洞窟に
居る、ということだ。
セトルとアランはここに一度来たことがあるが、あのクェイナー
が居た場所より奥へは行っていない。恐らくコリエンテはそこに居
るのだろう。
クェイナーと戦った場所を懐かしく思いながら奥へ奥へと進むと、
青く優しい光が辺りを包み始める。そして︱︱
﹁わぁ⋮⋮綺麗﹂
サニーが胸の前で両掌を合わせてそう呟く。
噴水みたいに噴き上がる水柱に囲まれて、神秘的な純白の神殿の
ような建物が水の上に建っていた。
﹁ここが水の聖殿︽ウル︾です﹂
ウェスターが神殿の白い柱が立ち並ぶ階段の前に出る。
﹁あんた、何でここにこんなものがあるって知って︱︱!?﹂
アランが言いかけたその時、青白い輝きが彼らの目の前に現れた。
そして︱︱
﹃召喚の資格を持つ者ですね?﹄
静かで、流水の立てる音のような声が響いた。それは耳で聴くも
のではなく、直接頭に流れ込んでくるような声だった。
サモナー
ウェスターは堂々とした表情でその輝きを見詰め、そうです、と
答えた。彼は召喚士だが、まだどの精霊とも契約していないという。
それなのにあの様子、緊張とかしていないのだろうか?
129
すると、輝きが激しく明滅し、それに驚いているセトルたちの視
線の先で若い女性のような姿に変わった。
流体でできているように靡くライトブルーの長髪、蒼溟な体には
水の帯がベールのように纏い、額から後頭部にかけて魚のヒレに似
たものがある。瞳はルビーのような赤い色をしていて、その表情は
どこか優しい。
﹁我が名はコリエンテ、水を司る者。︱︱事情はわかっています。
契約ですね?﹂
コリエンテのその声は先程のものと違い、耳で聞き取れる声だっ
た。
﹁はい。水の精霊コリエンテよ、力を貸していただきたい﹂
ウェスターはそう言うと、なぜか一歩下がった。
アクアスピリクル
﹁では武器を。あなた方の力、試させてもらいます!﹂
コリエンテは手を掲げると、そこに水霊素が集う。それは剣の形
を成し、彼女の武器となった。
﹁え? 戦うんですか!?﹂
戦うなんて聞いてない。セトルは戸惑ったが、しっかりと剣は抜
いている。
精霊と戦って勝てるのだろうか?
﹁精霊と契約するには﹂ウェスターが槍を構築しながら説明する。
﹁彼らに力を示さなくてはいけません。それが試練です﹂
﹁そういうことは先に言ってよ!﹂
サニーが扇子を構え、アランも長斧を構える。
コリエンテは全員が武器を構えたのを認めると、フッと口元に笑
みを浮かべる。
﹁いきます︱︱アクアスフィア!!﹂
詠唱が速い!
足下に霊陣が現れ、螺旋状に噴出した水が青い珠を形成する。し
かし、セトルが剣を顔の前で横向きに構え、自分の周りに気を張り
巡らせ霊素を遮断する膜を形成する。
130
ごほうじん
﹁︱︱護法陣!!﹂
この術はウェスターが使うものと同じものだが、その威力は桁違
いだ。咄嗟に防御できなかったら危なかっただろう。
﹁︱︱炸裂する霊素よ、エナジーショット!!﹂
属性のない霊素の塊が飛ぶ。これはウェスターの術。どうやらみ
スピリクル
んなも無事のようだ。
アク
飛弾する霊素がコリエンテを捉えた。そこにアランが長斧を掬い
ひしょうざん
あげるようにしながら飛び上がる。
﹁︱︱飛翔斬!!﹂
アスピリクル
コリエンテの傷口からは血ではなく、青い光の粒子︱︱恐らく水
霊素︱︱が飛び散る。
﹁くっ⋮⋮﹂
れいすいのけん
彼女は呻くと、飛び上がったアランに向けて水剣を突きつける。
﹁︱︱霊水ノ剣!!﹂
水剣が青白い輝きを放つ。だがコリエンテの攻撃は、ザンフィが
飛びかかったことにより阻まれた。
﹁いいわよ、ザンフィ! ︱︱光の十字よ、我が仇となる者を討て、
シャイニングクロス!!﹂
サニーは扇子で舞うように唱える。するとコリエンテの足下から
光の柱が立ち昇り、光が左右に分かれて十字架のようなものになる。
直撃、と思ったが、コリエンテは自らの体を液化させてそれを躱
していた。
﹁受けなさい︱︱﹂
床に巨大な霊術陣が広がる。先程の術より大きい。上級術だ! セトルたちはできるだけそこから離れようと走る。そして︱︱
﹁︱︱トゥインクルバブル!!﹂
陣から大量の輝く泡が発生し、凄まじい衝撃を生みながら破裂す
る。その衝撃は陣から離れていても風となって肌に感じる。
﹁あ、危なかった∼﹂
ペタン、とその場に座り込んだサニーをセトルは振り返る。
131
コーパレイション
﹁サニー、連携だ!﹂
﹁⋮⋮わかったわ!﹂
彼女は頷くと立ち上がり、舞い始める。
スピリクラー
︽連携︾とは、セトルやアランのような前に出て敵と斬り結ぶ前衛
に、サニーやウェスターのような後衛の霊術士が、彼らの技に霊術
を付加させて、その威力を何倍にも増加させるというものだ。しか
し、それを使うには強い信頼関係が必要。信頼がない者同士がやる
と、術に呑み込まれてしまう恐れがある。セトルはサニーとだけそ
れが使えた。
﹁彼の者に集え、我が輝き︱︱﹂
三つの光がセトルの振り上げた剣に向かって飛んでいく。
﹁︱︱飛刃の風よ、煌く光剣となれ!﹂
吠えるようにセトルは叫び、光を受けた剣を中心に輝く風が吹き
荒れる。やがて全ての風が剣に纏うと、彼はそれを思いっ切り振り
下した。
﹁︱︱シャイニングブレード!!﹂
﹁︱︱シャイニングブレード!!﹂
二人は同時に叫ぶ。輝く風は剣の形となり、床を抉りながらコリ
アクアスピリクル
エンテ目がけて飛んでいく。強い術を使って隙のできたコリエンテ
スピリクル
はそれを躱すことができなかった。彼女は悲鳴も上げず、水霊素の
粒子となって飛散した。
︵もしかして、やりすぎた⋮⋮?︶
だが、セトルの心配は無用だった。すぐに飛散した霊素が集まり、
元の女性の、コリエンテの姿に戻った。ルビーのような瞳が彼らを
見据える。
セトルたちは武器を構え直した。だが、ウェスターだけは槍を還
元して前に進み出る。
すると、コリエンテの顔に優しい微笑みが浮かんだ。
﹁︱︱見事です。あなた方の力、確かに見せてもらいました。︱︱
では、契約を結びましょう﹂
132
その穏やかな口調と表情にセトルは安堵し、構えていた剣を鞘に
納めた。
﹁我、召喚士の名において、水の精霊コリエンテと盟約する⋮⋮﹂
その言葉を言い終わらないうちに、ウェスターから一条の光が伸
び、コリエンテはその中に吸い込まれるように消えていった。
光が消え、ウェスターの手の中に一つの指輪だけが残された。
精霊石がついてある。︱︱アクアマリンだ。それが水の精霊との
契約の証、そういうことだろう。
しかし、一息つく間もなく、再びコリエンテがそこに現れた。
﹁あなたは気づいていると思いますが、近い未来、世界に再び危機
が訪れようとしています﹂
﹁世界の危機⋮⋮どういうことですか?﹂
突然のことでセトルは何が何だかわからなかった。サニーも、ア
もたら
ランも驚いた表情をしているが、ウェスターだけはいつもと変わら
ず、小さく溜息をついていた。
コリエンテはセトルの青い瞳を見詰めた。
いにしえ
﹁今、世界中で人々の負の念が増加しています。それは人為的に齎
されたもので、このままでは古の封印が解かれてしまうでしょう﹂
﹁古の封印? ⋮⋮もしかして!﹂
封印、かどうかはわからないが、それらしいものをセトルは知っ
ていた。いや、ここにいる仲間全員知っている。
﹁︱︱あのときの紋章﹂
それだ。答えたのはサニーだが、アランも同じことを考えている
と思う。
ウェスターがやれやれといったように肩を竦める。
﹁一般人には知られたくなかったのですが⋮⋮その通りです﹂
彼は既に知っていたようだ。一体いつから⋮⋮鉱山で紋章を見た
時にはもう気づいていたのかもしれない。そうなると、世界に危機
を齎そうとしているのはあの少女︱︱ひさめということになる。
﹁彼らには﹂とコリエンテ。﹁知ってもらわなくてはならなかった
133
のです。特に、その蒼い瞳の少年には⋮⋮﹂
言い終わると、彼女は青い光を放ちながら次第に消えていく。
﹁ちょっと待って! それってどういう︱︱﹂
サニーが消えゆくコリエンテに向かって言うが、コリエンテは何
も答えず完全に消えてしまった。
﹁行っちまったな⋮⋮﹂
アランはウェスターを向く。
﹁詳しく聞かせてくれ、俺たちも知っておかなきゃいけないんだろ
?﹂
レイシェルウォー
すると彼は、仕方ありませんね、と言うように眼鏡の位置を直し
た。
﹁︽人種戦争︾は知ってますよね?﹂
﹁ああ、アルヴィディアとノルティアが起こした史上最悪の戦争⋮
⋮だろ?﹂
それならセトルも知っていた。その戦争の後、世界が一つになっ
たと。だが、
﹁それって御伽噺じゃなかったの?﹂
サニーの言う通り、そう聞いている。しかしウェスターは首を振
った。
﹁戦争は実際に起こっていたのです。古い文献にそう記されていま
す﹂
﹁でも、それがどういう関係なんですか?﹂
セトルが訊く。
スピリアスアーティファクト
﹁シルシド鉄山やローレル川にあったあの紋章は、その戦争に用い
スピリアスアーティファクト
られた︽古霊子核兵器︾の封印なのです﹂
古霊子核兵器、それがどんなものかはわからないが、精霊が告げ
るほどのものだ、その封印を解いてはいけないということだけはわ
かる。
﹁それをひさめって娘が解いてるんだな?﹂
﹁ええ、ですが、どうやって封印を解いているのか⋮⋮コリエンテ
134
が言っていた︽負の念の増加︾が関係しているとは思いますが⋮⋮﹂
ウェスターは眼鏡のレンズをハンカチで拭き、それをかけ直した。
﹁では、ローレル川に戻りますよ。まずは目の前の問題を解決して
いきましょう﹂
皆は頷いた。それについて異論はなかった。
135
024 水の精霊︵後書き︶
こんなの今じゃ絶対書けないわぁ。
酷過ぎる^^;
136
025 険悪なアスカリア
﹁︱︱コリエンテ!!﹂
アクアマリンの指輪をはめ、ウェスターはコリエンテを呼び出し
た。
﹁コリエンテ、今からそこの土砂を破壊します。飛び出してくる水
を鎮めてください!﹂
﹁わかりました﹂
コリエンテが頷くと、ウェスターはサニーに目配せをする。する
と彼女は扇子を構え、術の詠唱を始める。
﹁︱︱シャイニングクロス!!﹂
光の十字架がダムを貫くと、ドーン、と音を立ててそれは決壊し
た。水がもの凄い勢いで飛び出してくる。だが、コリエンテの体が
輝いたと思うと、水は勢いを失い、元の穏やかな流れへと変わった。
﹁これでよろしいですか?﹂
﹁ええ、コリエンテ、ありがとうございました﹂
ウェスターが礼を言うと、彼女は優しく微笑み、消えていった。
﹁ふう、これで一安心ですね﹂
セトルは大きく息をついた。
﹁さて、そろそろ船の修理も終わってるころでしょう。戻りますよ﹂
ウェスターが踵を返すと、サニーがあからさまに嫌な顔をする。
﹁世界が大変なことになるって知ったのに何で村へ帰されなきゃい
けないの!﹂
﹁今回は俺も同意見だ﹂
アランは腕を組んだ。二人とも村へ帰りたくないわけではない。
否、むしろ今すぐにでも帰りたいのだが、それよりも世界のことを
優先して考えている。それはセトルも同じだ。
コリエンテは、自分たちも知っておかなくてはいけないと言った。
それはつまり、自分たちはそのことに関係があり、その危機から世
137
界を救う行動がとれる、ということだと思う。
︵この青い瞳はその使命を背負っているのかもしれない⋮⋮︶
セトルは水面に映る自分の瞳を見詰めた。しかし︱︱
﹁いえ、皆さんには村へ帰ってもらいますよ﹂
やはりウェスターは首を縦には振らなかった。後ろでサニーがい
つものように、あーもう、と叫んでいるのが聞こえる。
﹁ですが、一度村へ戻ればそのあとのことは知りません﹂
ウェスターは意味ありげな笑みを浮かべる。
﹁そのあとは好きにしろってことか?﹂
確かめるようにアランが訊くが、ウェスターは肯定も否定もしな
かった。だが、それが答えだ。
サニーの顔に笑みが戻る。
﹁わかったわ、それじゃあ早く行きましょ!﹂
そう言うと、彼女は歩速を上げた。
? ? ?
修繕されたブルーオーブ号をインティルケープに泊め、セトルた
ちはついにアスカリアへと戻ってきた。
﹁パパ! ママ!﹂
村のアーチをくぐったところにルードとスフィラを見つけ、サニ
ーは歓喜の声を上げて彼らの元へと駆け寄った。
瞳は涙で潤んでいる。
﹁ああ、サニー、無事でよかった⋮⋮﹂
スフィラはそんな彼女を強く抱きとめた。
﹁二人とも、ありがとう。それにあなたも。話はマーズさんから聞
いています﹂
ルードはウェスターに向かって深々と頭を下げた。すると彼は微
笑みを浮かべ、いえいえ、と言う。
︵何も⋮⋮変わってないな︶
138
セトルは久々に帰ってきた村の光景を見回しながらそう思った。
長閑な空気、静かに流れる小川、そして周りの家々、何もかも旅立
つ前と同じだ。
﹁ここで立ち話もなんですから、私どもの家に行きましょう。何も
ないところですが、お茶くらいは出します﹂
ルードは顔を上げ、自然な笑顔でそう言った。
﹁それでは御厚意にあまえさせてもらいます﹂
ウェスターは意外にも断らなかった。いや、断れなかった。あの
二人の雰囲気では断ったら逆に悪い気がする。
﹁俺は一度自分の家に戻るぜ!﹂とアラン。﹁セトルもケアリーさ
んが心配してるだろうからまずそっちに行ってきな!﹂
﹁うん、そうだね⋮⋮そうするよ﹂
︵とは言っても隣なんだけどなぁ⋮⋮︶
セトルが頷くのを認め、アランはそのまま自分の家の方に駆けて
いった。
一度広場に下り、小川の橋を渡ってその先の階段を登った大きな
家の前でセトルはサニーたちと別れた。
家は静かだったが、ドアの鍵はかかっていない。セトルはそのまま
中に入り、ただいま、と言ってケアリーの姿を探した。しかし︱︱
﹁あれ? どこ行ったんだろう、集会場かな?﹂
家の中に彼女は居なかった。だが、それはいつものこと。セトル
はとりあえず二階にある自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。開いた
窓から青い空が見える。
︱︱静かだ。
首都やサンデルクといった都市とは空気そのものが違う。帰って
きたんだな、と体でそう感じ取れる。
そのまましばらく待ったが、ケアリーが帰ってくる気配がなかっ
たのでセトルは予定通り、隣のサニーの家に行くことにした。
︵ん? 何だろう?︶
家を出ると、集会場の方が騒がしいことに気づいた。サニーたち
139
もそれに気づいたのか、外に出てきた。ルードとスフィラはどこか
深刻な顔をしている。
﹁あ、セトル! ねぇ、何かあったの?﹂
サニーが歩み寄ってきてそう訊く。
﹁わからないけど、集会場の方みたいだよ﹂
﹁行ってみましょう!﹂
ウェスターに促され、セトルたちは集会場へ急いだ。
﹃今、世界中で人々の負の念が増加しています﹄
ふと、そんなコリエンテの言葉が頭を過ぎった。
? ? ?
﹁︱︱もう我慢ならねぇ!﹂
集会場は広場から見て南の方角にある。そこから苛立った男性の
声が聞こえ、セトルたちは立ち止った。 その男性は黒っぽい髭を生やした熊のような大男で、アルヴィデ
ィアンの人々を引き連れ集会場を挟んだ先にいるノルティアンの団
体を睨んでいた。
﹁ちょっとウォルフさんやめとくれ! あなたたちも何やってるん
だい!﹂
その間に割って入り、両者を牽制しているのは︱︱ケアリーだ!
﹁おい、これは一体何の騒ぎだ?﹂
﹁アラン!﹂
この騒ぎを聞きつけ、アランがセトルたちの元へ駆けてきた。
﹁ケアリーさん、あんたはどいていな。今日こそは奴らにわからせ
るんだ!﹂
男︱︱ウォルフは、止めに入ったケアリーを押しのけると、その
まま前に進み始めた。
ノルティアンの人々はたじろぎながらも身構える。その中にはニク
ソンの姿も見られた。
140
﹁ちょっと待って!!﹂
そう叫びながらセトルたちはウォルフの前に立ち塞がる。ルード
たちとその場に残ったウェスターは事の成り行きを見守るように目
を眇める。
﹁ウォルフさん、一体何があったんだ?﹂
﹁アラン⋮⋮お前たち⋮⋮戻ってたのか﹂
﹁ついさっきな﹂
ウォルフたちに一瞬戸惑いが生じるが、彼らはすぐに顔を引き締
めた。ケアリーだけはセトルたちの姿を見て安堵した表情をしてい
る。
﹁それで、何があったんですか?﹂
セトルが話を戻す。するとウォルフは鼻を鳴らした。
﹁フン、あいつらが俺たちにありもしねぇことを擦りつけてきたん
だよ!﹂
﹁でも﹂とニクソン。﹁俺らはちゃんとこの目で見てるんだ! あ
んたらが狂ったように俺らの物を壊してるのをな!﹂
ノルティアン全員が頷く。
﹁うるせぇ! そんなもん知らねぇよ!﹂
ウォルフは一喝し、後ろの人たちも、そうだそうだ、と声を上げ
る。
どちらかが嘘を? いや、どちらも嘘を言っているようには聞こ
えない。
︵どういうことなんだ?︶
皆の顔を見回し、セトルは眉をひそめた。
﹁ねぇ、やっぱこんなことになっちゃった理由があるんじゃ⋮⋮﹂
サニーは眉を吊り上げ、腰に手をあててウォルフに言った。する
と、激怒した彼は拳を握りしめ、
﹁うるせぇっつってんだろうがぁ!!﹂
﹁きゃっ!﹂
思わず彼女をぶってしまった。ウォルフは倒れた彼女を見て自分
141
が何をしたのかを理解し、その震えた拳を見詰めた。周りが一気に
静まり返る。
﹁サニー!﹂
セトルは彼女を抱き起こし、ウォルフを睨んだ。
﹁︱︱まずいですね﹂
その様子を冷静な表情で見ていたウェスターが呟く。
一度鎮まったと思われた殺気がノルティアンたちの方から沸き立
ってくる。それにつられてアルヴィディアンたちも殺気立った。そ
して︱︱
︱︱︱︱うおぉぉぉぉぉぉぉ!!︱︱︱︱
咆哮し、両者はぶつかりあった。
︵おかしい⋮⋮こんなのおかしいよ!︶
気絶したサニーを抱え、セトルはただそれを見ていることしかで
きなかった。
︵何で⋮⋮何で同じ村の人たちが争わないといけないんだ!︶
しょうちほう
そう思った途端、セトルは自分の中に何か熱いものが込み上げて
くるのを感じた。
﹁やめ⋮⋮やめろ⋮⋮やめろー!!﹂
思いっきり叫ぶ。すると、彼の体から招治法に似た、だがそれと
は違う温かい光が発せられた。それはここにいる者全員を包みこん
で広がっていく。
﹁何だ、この光は!? セトルのやつどうしちまったんだ!?﹂
アランはその眩しさに思わず腕で目を庇った。
強く、それでいて優しい、心が癒されるような光だ。
しょうちほう
光が収まると、争いはやんでいた。もう誰からも戦意を感じない。
傷も癒えている。ということは、あの光は招治法の進化形なのだ
ろうか?
﹁やめて⋮⋮ください⋮⋮﹂
セトルは最後にそう呟くと、気を失ったのか、その場に倒れ込ん
だ。
142
026 新たなる旅立ち
セトルが目を覚ますと、そこはベッドの上だった。だが、それは
自分の部屋のものではない。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
どうやらここはサニーの家のようだ。このベッドも、この村で初
めて目を覚ました時と同じものだった。
セトルが目を覚ましたことに気づいたザンフィが彼の頬を嘗める。
﹁はは、くすぐったいよ、ザンフィ!﹂
﹁おう、目が覚めたようだな、セトル﹂
振り向くと、腕を組んだアランが壁に背中を預け、安心したよう
に微笑んでいた。
﹁アラン⋮⋮そうだ、みんなは!?﹂
﹁ああ、大丈夫だ。みんなとりあえず落ち着いて帰っていったよ。
︱︱お前のおかげだぜ!﹂
アランははにかんだ笑みを浮かべてそう言ったが、セトルは不思
議そうに眉をひそめた。
﹁僕⋮⋮の?﹂
﹁なんだ、覚えてないのか? お前が放った光でみんなが鎮まった
ってのによ!﹂
そういえば、そんなことがあったような気がする。何となく胸が
熱くなってきて、それから︱︱
セトルは両手を見詰めた。
﹁僕が⋮⋮﹂
﹁セトル! 気がついたんだね! よかった∼﹂
ドアが開き、サニーたちが中に入ってきた。
﹁いやー心配しましたよ﹂
と、ウェスターはどこか嘘っぽい笑みを浮かべている。
﹁セトルちゃん、ありがとね、みんなを止めてくれて﹂
143
ケアリーの声にセトルはいつもの温かさがあるのを感じた。
セトルは安心して微笑んだ。あんな不思議な力を見せたのに、誰
も自分から離れようとしないことに嬉しさを感じずにはいられない。
﹁あの光も青い瞳の力なんだろうか?﹂
セトルの瞳を見詰めながらルードが言うと、アランも頷く。
﹁そうだな⋮⋮ウェスター、何かわからないか?﹂
﹁さあ、ワースやスラッファがあんな力を使ったところは見たこと
ありませんが⋮⋮その詮索は、今はやめておきましょう。恐らく、
彼自身もわかっていないことでしょうから﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直し、今もサニーたちと無邪気に会話
をしているセトルの方を見た。
︵ワースたちならわかるかもしれませんが⋮⋮知っていても教えて
くれないでしょうね︶
﹁それよりセトルちゃん﹂ケアリーが言った。﹁また、村を出るっ
て本当なの? さっきウェスターさんが言ってたわ﹂
﹁ウェスターさんが!?﹂
意外だった。まさか彼からその話をするとは。セトルは彼の方を
向いた。
﹁本当は反対したいのですが、精霊も言ってましたしね﹂
セトルと目が合ったウェスターはそう言い、眼鏡を押さえるよう
にして視線を外す。
﹁それに、今この村の人たちは心が不安定です。あなたはこのまま
この村に残っても大丈夫と思っていますか?﹂
﹁⋮⋮いえ﹂
セトルはうなだれた。大丈夫、と信じたいけど、やっぱりあんな
力を放てば今までのように接することは難しいだろう。青い目のこ
とだって、人がいいと言ってもみんな慣れるまでそれなりの時間が
かかったみたいだし。
﹁皆が落ち着くまでは村にいない方がいいかもしれません﹂
﹁⋮⋮そうですね⋮⋮わかりました﹂
144
顔を上げ、セトルは決心したような目でケアリーを見た。
﹁そういうわけだから、僕行くよ。︱︱大丈夫、必ず戻ってくるか
ら﹂
﹁セトルが行くならあたしも行くよ!﹂
﹁当然、俺もな﹂
サニーとアランは微笑んだ。最初から村を出る予定だったけど、
やっぱり二人にそう言ってもらうと嬉しかった。
﹁サニー、迷子になってウェスターさんに迷惑をかけないようにす
るのよ﹂
スフィラと、それにルードも、サニーがついていくことに反対し
なかった。もうそのことも聞いていたのだろう。あるいは、既に悟
っていたか︱︱
﹁わ、わかってるわよ! 大丈夫、大丈夫!﹂
﹁そうですね、それで迷惑するのは私ではありませんから﹂
ウェスターは意味ありげな笑みを浮かべる。アランが、どういう
意味だ、と訊くが、彼は答えずにただ笑った。
﹁まあいいや⋮⋮行くなら早い方がいいだろ? 村のみんなから何
か変なこと言われる前に村を出ようぜ!﹂
﹁そうですね﹂とウェスター。﹁セトルももう大丈夫のようですし、
準備ができたら村の入り口に集合してください﹂
言うと彼は先に家を出ていった。そのあとにアランも一度帰って
くるとか言って出ていった。セトルはベッドから降りると、壁に立
てかけてあった自分の剣を手に取る。
﹁じゃあ、特に準備することないから僕はもう行くよ!﹂
﹁気をつけてね﹂
ケアリーは優しく微笑んだが、その瞳は寂しそうだった。
﹁セトル、サニーを頼んだぞ!﹂
﹁はい!﹂
セトルは元気よく返事をし、ドアノブに手をかけた。
﹁待ってセトル、一緒に行こ!﹂
145
部屋を出ようとしたセトルにサニーが言う。
﹁うん、それじゃあ一緒に行こうか﹂
外に出ると、一人の男性が様子を窺うようにうろうろしながらカ
ートライトの家を見ていた。それは︱︱
﹁ウォルフさん⋮⋮﹂
だった。彼はサニーの無事な姿を見ると、どこかほっとしたよう
な顔をし、そしてすまなさそうにしながら二人の元に歩み寄った。
﹁サニーちゃんすまねぇ、悪いことをした﹂
ウォルフのこんな表情をセトルは今まで見たことがなかった。彼
はいつも強くて勇ましい、そんな人だった。
﹁いいよぅ、本意じゃなかったんでしょ?﹂
しかしウォルフは俯いた顔を上げなかった。そしてそのまま気ま
ずい空気の中、時間だけが過ぎていった。
﹁⋮⋮優しいな、サニーちゃんは⋮⋮﹂
どれくらい経っただろう、ウォルフは呟くようにそう言って踵を
返した。
﹁僕たちしばらく村を出ることにしました。アランも一緒です﹂
﹁ああ、さっきアランから聞いたよ。俺も、その方がいいと思う﹂
振り返らずにウォルフは言い、そのまま歩き始めた。
﹁今度お前らが帰ってくるまでには、この村を前と同じ平和な状態
にしとくさ﹂
そう言い残し、彼は広場へ続く階段の向こうへと消えた。
もうこの村にあんな争いは起こらないだろう。そう信じたい。
﹁じゃあ、僕らも行こうか。アランたちが待ってる﹂
﹁うん⋮⋮﹂
サニーは頷いた。そして何度か家の方を振り返りつつ、アランた
ちが待つ村の入り口へ向かった。
? ? ?
146
﹁お、意外と早かったな!﹂
村のアーチに凭れていたアランは、二人の姿を見つけてそう言っ
た。
﹁ウォルフさん⋮⋮居たろ?﹂
﹁うん⋮⋮サニーに謝ってた﹂
﹁やっぱりな。さっさと中に入ればいいのに、あの人昔からああだ
ったからな﹂
そうだったんだ、とセトルは思った。同時に二年という月日がい
かに短いかということも感じた。
︵二年経っても、みんなのこと、知らないこと多いなぁ⋮⋮︶
セトルは誰もいない広場を見下ろした。
﹁それで、これからどこに行くの?﹂
サニーは暗い雰囲気を払うように明るい声でウェスターにそう訊
いた。
﹁︽ロッケリーバレー︾というところです。知ってますか?﹂
﹁えーと、インティルケープからずーっと行ったところにあるとこ
ろよね?﹂
サニーは思い出すように人差し指を顎に押しつけてそう答えた。
セトルも行ったことはないが、どんなところかぐらいは聞いたこと
がある。確か、常に強風の吹き荒れる乾いた谷、だった気がする。
﹁ええ、そこに風の精霊﹃アイレ﹄が居と聞いています。我々がや
ろうとしていることには精霊の協力が必要です﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直した。
﹁厳しい戦いになります。本当にいいのですか?﹂
何を今さらと思ったが、セトルたちは皆、頷いた。
﹁当たり前だろ、そんなこと俺は最初から覚悟してるぜ!﹂
とアラン。
﹁それに、今から戻るのもおかしいじゃん! パパたちに行くって
言っちゃたし﹂
手の甲を両腰にあててサニーが言う。すると、ウェスターは微笑
147
み、そうですね、と呟いた。
﹁僕は、もっと自分のことが知りたい⋮⋮この旅で、それを見つけ
てみせます!﹂
セトルは拳に力を込める。
﹁行こう! ロッケリーバレーへ!﹂
静まり返ったアスカリア村を跡に、彼らは新たな旅立ちを迎えた。
世界をまだ見ぬ危機から救うために︱︱。
148
027 風霊の谷
ビュービューと吹き荒れる乾いた風は砂塵を巻き上げ容赦なく体
に吹きつける。
ゲイルスピ
ここは︽ロッケリーバレー︾といわれる場所。インティルケープ
から徒歩で三日ほどの半島にそれはある。
リクル
この谷には、風の精霊﹃アイレ﹄が居るらしい。そのせいか風霊
素が濃く、風がやむことを知らず暴れている。
銀髪の少年︱︱セトル・サラディンは、吹き飛ばされそうになる
こす
のを必死で堪えながら、そのサファイアブルーの瞳を腕で庇い、前
へと足を進める。
﹁きゃ! 目に砂が∼﹂
小さく悲鳴を上げて、サニー・カートライトは砂の入った目を擦
った。風にポニーテールが揺れる。この谷には、ほとんどと言って
いいほど木が生えていない。そのため砂を防ぐものがないのだ。ち
ょっとした草は生えてないこともないが、風化が進み、砂が多く、
岩肌が剥き出しになっている。
彼女の肩にはリスに似た小動物︱︱ザンフィが吹き飛ばされない
ようにしっかりと捕まっている。
﹁サニー、大丈夫?﹂
セトルが心配して声をかけると、彼女は、大丈夫、と言ってアラ
ン・ハイドンの背に隠れるように入った。彼の長身はこの風を防ぐ
のに丁度いい。
﹁お、おいサニー、俺を盾にするなよ!﹂
﹁いいじゃん、アラン背高いんだし!﹂
﹁だったらウェスターだってそう変わらないだろ!﹂
﹁そんなことないですよ。アランには負けます﹂
含んだ笑みを浮かべたウェスター・トウェーンは、からかうよう
な口調でそう言って眼鏡のブリッジを押さえた。
149
﹁ところでウェスターさん﹂唐突にセトルが訊く。﹁精霊と契約す
るのはいいんですけど、それが世界を救うこととどう関係があるん
ですか?﹂
﹁あ、それあたしも知りたい!﹂
サニーもそれに合わせる。
﹁言っても理解してもらえるかわかりませんが⋮⋮まあ、いいでし
ょう。簡単に説明しますね﹂
スピリアスアーティファクト
ウェスターは小さく息をつき、説明を始める。
﹁︽古霊子核兵器︾に対抗するには、それ相応の力が必要です。も
ちろん封印が解けてしまう前に止めたいのですが、それが叶わなか
った場合のことも考えてないといけません﹂
﹁精霊がその力になると?﹂
﹁ええ、コリエンテがそうだったように、他の精霊たちもこの異変
には気づいているはず。できるだけ多くの精霊と契約し、そのとき
に備えるべきです﹂
アランは納得したのか、組んでいた腕を解いた。精霊の力は凄ま
じい、そのことはコリエンテとの戦いで十分にわかっている。いや、
あの戦いは自分たちの力を見る試練だった。コリエンテの、精霊本
来の力はあんなものではないだろう。
﹁ねぇアラン、おじいちゃん一人にしてよかったわけ?﹂
いきなりサニーは話題を変えた。そこまで難しい話ではなかった
はずだが、もう飽きたのだろうか?
﹁あー大丈夫さ、サニー。みんなも居るし、あのじっちゃんが俺が
いないくらいでくたばるとは思えねぇよ﹂
アランは笑って答える。
﹁それに、この前戻った時もピンピンしてたしな﹂
﹁アランのおじいさんって確か、元猟師団のリーダーだったっけ?﹂
セトルはそんなことを聞いたことがあった。ずいぶん前のことで
記憶があやふやだが、確かウォルフさんの師匠だとか。
﹁ん? まあそうだが、今はもう威勢だけがいいじいさんさ﹂
150
アランは、ははは、とどこか苦笑じみた笑いをした。彼の斧術も
確かおじいさん譲りのはずだが⋮⋮。
噴き上がる風を利用して段差を飛び上がったりしながらしばらく
ゲイルスピリクル
進むと、半島の先端と思われる場所に出た。先に一本の枯れ木が立
っており、そこから海が一望できる。
風が穏やかになった。
﹁どうやら、着いたようですね﹂
ウェスターが言うと、枯れ木の前に風霊素が集い、コリエンテの
時と同じような輝きが現れる。
﹃召喚士?﹄
頭の中に無邪気でボーイッシュな少女の声が響く。
ウェスターが前に出て、輝きに向かって声を張る。
﹁風の精霊アイレですね? 私と契約して欲しいのですが﹂
なび
すると輝きは激しく明滅し、枯れ木の前で少女の姿になる。風に
靡く金髪に青色のリボンをし、背には蝶を思わせる美しい羽を羽ば
たかしている。小柄で、精霊と言うより妖精のような容姿だ。
手にはカラフルな弓を持っており、宙に浮いているが、それは羽
の力ではないことは明らか、恐らく足下に巻き起こっている小さな
旋風のせいだろう。
﹁僕と? ふーん、いいけど、その前に力を見せてもらうよ!﹂
アイレは紫色の瞳を眇めるような笑みを浮かべ、こちらを見下す
ような口調でそう言った。
﹁やっぱり、戦うんですね⋮⋮﹂
そう呟きながらセトルは剣を抜いた。
﹁行っくよー! ︱︱ウインドアロー!!﹂
アイレは勢いよく飛び上がって弓を射る。風を纏った矢が一直線
ゲイルスピリクル
にセトル目がけて飛んでくる。彼はそれを躱すと走り、降りてきた
アイレに一閃する。
﹁うっ!﹂
アイレは呻き、斬られた箇所から風霊素の光が飛散する。そこに
151
アランが飛び上がり、足下に霊素を付加させて踏みつけるように降
ほうりゅうきゃく
下する。
﹁崩龍脚!!﹂
﹁甘いよ!﹂
アイレは降下してくるアラン目がけて弓を引く。
﹁ゲイルストローク!!﹂
アランは咄嗟に技を中断し、長斧でその矢の軌道を変える。しか
し︱︱
﹁なっ!﹂
矢に纏っていた︽ウインドアロー︾よりも遥かに強い風がアラン
を吹き飛ばした。彼は崖に背中から叩きつけられる。
﹁アラン!!﹂
﹁余所見は禁物だよ!﹂
﹁!?﹂
複数の矢が飛んできたので、セトルは後ろに飛び退った。先程ま
でいた地面に矢が次々と突き刺さっていく。
サニーがアランの元に駆け寄る。
﹁︱︱癒しの輝き、ふぁーすとえいどヒール!!﹂
アランの体が光に包まれ、痛みや痺れが引いていく。もう大丈夫
だろう。
﹁終焉の紅き業火よ︱︱﹂
アイレの足下に赤く光る霊術陣が出現する。
﹁︱︱クリムゾンバースト!!﹂
ウェスターが唱え終わると、アイレを中心に小規模な爆発が起こ
った。だが、術が発動する瞬間にアイレは素早くそこから離れてい
た。
﹁⋮⋮躱されましたか﹂
ウェスターは小さく舌打ちをする。
しかしアイレが離れたところにはセトルが︱︱
﹁はぁ!﹂
152
彼は斬り込むが、そのことごとくを躱されてしまう。
﹁あたんないよー! それっ!!﹂
アイレは手を翳すと、そこから前方に凄まじい風が走る。セトル
は横に転がってなんとかそれを避け、すかさずアイレに一閃を加え
た。
﹁う︱︱これでどうだ、スラッシュガスト!!﹂
アイレはセトルから距離をとると、術を唱えた。速い! だがそ
ひじ
の瞬間が最大のチャンスでもある。セトルは無数に襲いかかる風刃
ひしゅうれんぶ
の渦から飛び出し、アイレを蹴り上げた。 しょうじんひれんきゃく
飛蹴連舞、いや違うこれは︱︱
﹁︱︱翔刃飛連脚!!﹂
んしょう
敵を蹴り上げ、そこにもう一度蹴りを加え、さらにゼロ距離で飛
刃衝を放つ奥義だ。
﹁これで終わりです!﹂
ゲイルスピリクル
セトルが最後に烈風を放つとアイレは短く悲鳴を上げて、その姿
が保てなくなったのか、風霊素の緑色の光となり飛散した。
﹁セトル、大丈夫?﹂
アイレのスラッシュガストを受け、体中切り傷だらけのセトルに
サニーが駆け寄った。血もかなり流れている。
﹁待って、いま治すから⋮⋮﹂
そう言うと彼女は治癒術を唱えてくれた。傷は塞がるが、流石に
切られた服や傷のついた防具は直せない。治癒術は生き物の自然治
癒力を瞬間的に高めるものだから。
もしアイレが本気だったら、腕の一本は持って行かれたかしれな
い。前にウェスターが使ったのを見たが、本来あの術はそれほどの
威力があるはずである。
セトルの傷が治ると、サニーはホッとしたような表情をし、同時
にアイレが例の枯れ木の前に再び現れた。
﹁う∼ん、悔しいけど合格だよ。さっさと契約の儀式をしなよ!﹂
ウェスターにそう促すアイレは不機嫌そうだった。試すだけとは
153
いえ、負けたのが悔しかったのかもしれない。サニーと気が合うん
じゃないかな、とセトルは思ったが口にはしない。
ウェスターは前に進み出ると小さく深呼吸をし、
﹁我、召喚士の名において、風の精霊アイレと盟約する⋮⋮﹂
コリエンテの時と同じようにそう言うと、やはり彼から一条の光
が伸び、アイレはその光の中に溶けていった。指輪だけを残して︱
︱。
﹁今度もアクアマリン?﹂
ウェスターの掌を覗き込むようにしてサニーが訊く。
﹁いえ、これは︽エメラルド︾のようです﹂
﹁やっぱり、精霊によって精霊石が違うんですね﹂
スピリクル
セトルもその透明で、ガラス光沢をもつ緑色の蛋白石を見詰める。
﹁精霊石は霊素の結晶ですからね。水はアクアマリン、風はこのエ
メラルド、火はルビー、と様々な種類がありますから﹂
眼鏡のレンズついた砂埃を拭き取りながらウェスターは説明して
くれた。
﹁へぇ、詳しいんだな﹂
感心したようにアランが言うが、ウェスターならそのくらい知っ
サモナー
ていても不思議じゃない。
﹁一応、召喚士ですから﹂
ウェスターは微笑むと踵を返す。
﹁では、インティルケープまで戻りましょう﹂
154
028 久々のマーズ邸
三日後に彼らはインティルケープまで戻ってきた。
セトルの切られた服はいつもなら自分で繕っていたのだが、今回
はサニーが無理やり繕ったため変に継ぎはぎだらけになった。だが
特に目立つわけではなく、セトルは普通にそれを着ている。
インティルケープは帰ってきてから何度か通っているが、急いで
いてマーズさんやミセルに自分たちが戻ってきたことを伝えてなか
った気がする。時間がないことはわかっている。でも一度寄って自
分たちが無事だということ伝えたい。
そう思っているとウェスターが立ち止まり、
﹁皆さん、少しマーズ氏に挨拶をしておきたいのですが、よろしい
ですか?﹂
と言いだした。丁度そう思っていたし、願ってもないことだ。
﹁いいですよ。僕たちも無事に帰ってきたことを伝えてませんから﹂
邸ではマーズが優しく出迎えてくれた。彼はウェスターと古い知
人のように挨拶を交わし、リビングへと通してくれた。
すぐにミセルが二階から下りてくる。
﹁︱︱そうですか、アスカリアでそんなことが⋮⋮﹂
真剣にウェスターの話を聞いていたマーズは、カップに入ってい
る紅茶を一口啜ると小さく息をついた。
﹁実はここでも似たようなことがありまして⋮⋮まだ大きな被害は
出ていませんが、これからどうなるか⋮⋮﹂
ウェスターはテーブルに肘を置き、掌を顔の前で組んで、ふむ、
と呟いた。
﹁そういった負の念の増加、やはり原因を調べてみる必要がありま
すね﹂
﹁お願いします⋮⋮﹂
マーズは頭を下げた。
155
彼らがソファでまじめな話をしている間、セトルたちはミセルの
持ってきた背もたれのない椅子に腰掛け、楽しそうに会話していた。
﹁それにしてもよかった!﹂ミセルが嬉しそうにサニーの背中を何
度も叩く。﹁サニーちゃんが無事に戻ってきて﹂
﹁い、痛い、痛いよ、ミセル!﹂
サニーは咳き込み、助けを求めるようにセトルを見た。
﹁ははは、その辺にしときなよ、ミセル﹂
セトルにそう言われたミセルは、ごめんごめん、と謝り、どこか
皮肉めいた笑みを浮かべた。
﹁でも、うらやましいなぁ。旅の間ずっとセトル君独り占めしてた
んでしょ?﹂
﹁な、何言ってんのよ!﹂
サニーはなぜか顔を赤らめ、今度は逆にミセルの背を叩いた。
﹁そうでもないわよ⋮⋮﹂
そのあとでサニーは、誰にも聞こえないようにそう呟いた。セト
ルは彼女が何かを呟いたのはわかったが、やはり聞こえておらず、
訊こうとしたけど彼女の表情を見て思い留まった。
﹁ところでアラン﹂ミセルが少し怒ったような口調で言う。﹁ここ
んとこずっと顔見せなかったけど、何してたのかな?﹂
するとアランは口に含んだクッキーを呑み込むようにして、慌て
たような仕草をする。
ミセルは元々母親とアスカリアに住んでいて、サニーやアランと
は幼馴染である。五年
前に彼女の母親が亡くなったため、インティルケープに別居してい
た父親のマーズのところに引き取られたらしい、とセトルは聞いて
いる。
﹁あ、ああ、その、じっちゃんが柄にもなく野菜とか作りだしてな、
俺が狩りをしてるからもうほとんど自給自足な生活になっちまって、
インティルケープまで出ることがなかったんだよ⋮⋮二年くらい行
ってないかな? ハハハ﹂
156
アランは頭を掻いてそう言い分けした。それも理由の一つだろう
が、一番の理由は面倒だったからだと思う。よくニクソンとかがイ
ンティルケープに行く時、買い物を頼んでたし⋮⋮。なので︱︱
﹁アラン、そんなこと言って、僕たちに買い物頼んでたじゃない?﹂
とセトルは茶化すようにそう言った。
﹁あ、あれはだなぁ⋮⋮﹂
アランは言葉に詰まり、ただ笑って誤魔化そうとしたが、そこに
ミセルの拳が飛んできたため、はぐ! と面白い悲鳴を上げて彼は
椅子を倒して転がった。
目から星が出ているようだ。
﹁まったく⋮⋮アランは変わってないわね。セトル君もまだ記憶戻
ってないようだし﹂
立ち上がったままミセルは嘆息した。
﹁そのことなら、手がかりはあったよ﹂
え!? という表情をしてミセルはセトルを振り返った。
﹁僕を知っている同じ青い目の人に会ったんだ﹂
ワースさんと、スラッファさんだ。もう一人居るらしいけど、そ
の人には会っていない。
﹁何、じゃあ記憶戻ったの?﹂
ミセルが訊くと、彼は首を振った。
﹁残念ながらまだ⋮⋮。でも、もう少しな気もする﹂
﹁セトル、いつも思い出そうとして頑張ってるもんね♪﹂
サニーが明るく微笑むとセトルは、うん、と言って頷いた。
﹁その人に記憶は教えてもらうんじゃなくて、自分で取り戻さない
といけないって言われたしね。まだ旅を続けるから、もしかしたら
次に会うときは記憶が戻ってるかもしれないよ﹂
そうだといいね、と言うようにミセルは微笑んだ。
それからしばらくしてウェスターが立ち上がり、皆を呼んだ。
﹁そろそろ行きましょうか﹂
そうですね、とセトルが言うと、ミセルが寂しそうに眉をひそめ
157
た。
﹁もう行っちゃうの? 泊ってけばいいのに⋮⋮﹂
彼女はいつものように引き留めようとするが、まだ昼過ぎだし、
ゆっくりすることなどできない。
﹁ごめん、ミセル。今回はゆっくりしてられないんだ﹂
セトルは首を振り、相手を傷つけないように優しい口調で断った。
﹁でも、何か雨が降りそうだし⋮⋮﹂
確かに窓から見える空はだんだんと黒くなっているようだった。
これは間違いなく雨が降る。耳を澄ませばゴロゴロとまだ微かだが
雷の鳴る音も聞こえた。しかし︱︱
﹁この程度ならすぐに町を出れば問題ありませんよ﹂
ウェスターは窓からその黒雲を見上げる。
﹁ミセル、セトルくんたちにも事情ってものがあるんだよ﹂
マーズは優しく、そして強く言い聞かせた。ミセルはセトルを見
詰め、わかったわ、と呟き俯いた。
﹁では、行きましょうか﹂
ウェスターはそう言うと先にリビングを出、セトルたちは簡単に
お礼を言ってそれについていった。
﹁気をつけてよ!﹂
邸を出ようとすると後ろからミセルの声が追いかけてきたので、
三人は一度振り返り、手を振ってから邸を出た。
158
029 不穏な空気
ブルーオーブ
ウェスターの霊導船号はインティルケープの港に停泊してある。
雨はまだ降りそうにないが、急いだ方がよさそうだ。
これからセトルたちは首都︽セイントカラカスブルグ︾に行き、
ウェスターの邸を拠点に他の精霊の情報を集めることになっている。
港の近くある商店街の前を通ったとき、突然セトルが立ち止まっ
た。
﹁あれ? あの人たちは⋮⋮﹂
﹁どうしたのセトル?﹂
前を歩いていたサニーたちはそれに気づいて振り向いた。
﹁ほら、あそこにいる二人﹂
セトルが指差した方向を見ると、商店街の武具屋の前に二人のサ
ングラスをした女性が何かを話しているのが目に入った。
﹁あれは⋮⋮シャルンとソテラじゃないか!?﹂
目立つオレンジ色の髪に身軽そうな服装しているのがシャルン、
その横の耳の辺りを短めに刈った藍色の髪をし、白と紫のノースリ
ーブの服を着ている女性はソテラで間違いない。あの海賊事件のあ
とに姿を消していたが、何でこんなところにいるのだろうか?
﹁アラン、今﹃シャルン﹄と、そう言いましたか!?﹂
珍しくウェスターが感情の高まった様子で訊いてきた。
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
アランはそんなウェスターに驚いたのか、曖昧に頷いた。
︵あの髪⋮⋮やはり︶
﹁ようやく︱︱!?﹂
ウェスターが何か言いかけた途端、彼女たちは血相を変えて走り
去った。
﹁⋮⋮行っちゃったね﹂
二人が見えなくなってからサニーが呟くように言った。
159
﹁追いましょう!﹂
ウェスターはそう言ってセトルたちが答えるのを待たずに走り出
した。彼にいつもの冷静さが感じられない。三人はわけがわからな
いまま、とりあえずシャルンたちを追っていった。
﹁ねぇ、あの人たちって何なわけ?﹂
走りながらサニーが訊く。彼女は二人に会ったことがないから知
らないのは当然だ。
﹁ウェスターさんとの関係はわからないけど﹂セトルが答える。﹁
あの二人は前に話した海賊事件の時にいろいろと協力してもらった
んだ﹂
ウェスターとの関係も気になるが、実際あの二人の様子はただ事
ではなかった。一体なにがあるというのか、そのことが気にならな
いと言えば嘘になる。
﹁何かサングラスしてたから怪しく見えたけど、良い人たちなんだ
ね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
サニーの言葉に皆が沈黙した。あのサングラスの下がどうなって
いるのかセトルとアランは知っている。いや、どうやらウェスター
も知っているようだ。
﹁彼女たちのサングラスにはそれなりの意味があります﹂
いつの間にかウェスターはいつもの冷静さを取り戻しているよう
だった。
﹁どういうこと?﹂
﹁それは私からは言えませんよ﹂
ウェスターは走りながらずれた眼鏡の位置を直した。
気がつけばここは町の外。あの二人はどこまで行くのだろうか︱
︱。
? ? ?
160
インティルケープから南西に少し行ったところに、ゴツゴツした
岩が立ち並ぶ海岸線がある。セトルたちはそこで二人を見失ってし
まった。
雲行きもどんどんと悪くなってきている。もういつ雨が降ってき
てもおかしくない。
﹁完全に見失いましたね⋮⋮﹂
辺りを見回してウェスターが嘆息する。
﹁ウェスターさん、ウェスターさんはあの二人とどういう関係があ
るんですか?﹂
ローヤー
見失ったおかげで一息つくことができたセトルがそう訊く。
ローヤー
﹁二人、と言うよりシャルンの方ですが⋮⋮弁護士の仕事で少しあ
りまして⋮⋮﹂
少し間を置きウェスターは曖昧に答えた。弁護士の仕事、本当に
そうだろうか? セトルにはどうも違うように感じた。
﹁ちょっと、あれ見て!﹂
サニーのただ事でない声にセトルたちは振り向くと、彼女が指差
した方向を見た。
そこには大きな霊導船が泊めてあり、そこを睨むようにザンフィ
が毛を逆立てている。そしてその前には︱︱
﹁あれは、確か﹃ひさめ﹄とかいう忍者じゃないか!?﹂
アランが言った通り、そこには赤毛の髪をアキナ風に結っていて、
どこか変わった服装︱︱忍び装束という︱︱をしている少女がいた。
シルシド鉄山で少しの間しか見ていないが、よく覚えている。少し
遠いが見間違えたりはしない。彼女はサニーが連行された原因であ
り、しぐれの探し人でもある。
﹁これは、二人を追っていて意外なものを見つけてしまいましたね。
どうやら、ひさめだけではなさそうですし﹂
ウェスターは眼鏡を押さえるようにして、口元に獲物を見つけた
ハンターのような笑みを浮かべた。ひさめの隣に誰かがいるようだ。
恐らく仲間だろう。しかし、ここからでは短く刈った金髪を立てる
161
ようにした髪型と血のように真っ赤なコートくらいしかわからない。
セトルたちは岩陰に隠れながら、できるだけ近づいた。
﹁ここまで来ればはっきり見え︱︱!?﹂
アランがその真っ赤なコートを着た男の顔を見て目を丸くした。
男はノルティアンであり、鋭い刃物を爪のように取り付けた黒いグ
ローブを両手にしていて、コートの下には法衣のような服を纏って
いれずみ
いる。そしてその顔の両頬には、トランプのスペードに似たマーク
の刺青をしている。
彼の目を見てセトルは恐怖に似たものを感じた。それは平気で何
人もの人を殺している殺戮者の目だった。
﹁あ、あいつは⋮⋮﹂
﹁アラン、知ってるの?﹂
呟くように言った彼に、セトルが訊いた。だが、アランが答えよ
うとした時、彼らの会話が聞こえてきたので話を止め、皆は耳を傾
けた。
﹁︱︱つーことは、もうこの大陸に封印はないんだな?﹂
男は吊り上がった目でひさめを睨むように見る。すると、彼女は
何も言わずただ頷いた。
あのときも思ったが、彼女には感情というものを感じられない。
忍者だからだろうか? でもそれだったらしぐれも忍者だ。忍者と
して感情を殺しているわけではないのかもしれない。しぐれが特別
なだけかもしれないが⋮⋮。
一瞬、彼女のノルティアンの瞳がこちらを見たような気がした。
﹁⋮⋮ゼース﹂
なま
そして彼女はその男の名と思われる言葉を口にした。口調はやは
りアキナ訛りだ。
﹁誰かが⋮⋮隠れてる﹂
﹁何だと!?﹂
ばれた!? セトルたちに緊張が走り、彼らは各々の武器に手を
かけた。その時︱︱
162
﹁︱︱ダークフォール!!﹂
突如、二人の頭上に黒い闇の塊が出現し、もの凄い勢いで降下し
てきた。それは地面に触れると破裂したが、そこに二人の姿はなか
った。あの一瞬で彼らはそれを躱していたのだ。
驚いたサニーが声を上げてしまったが、その破裂音で?き消され、
どうやら聞かれずに済んだようだ。セトルは首都へ向かう途中の船
であれと同じ術を見たことがある。
︵あの術は確か⋮⋮︶
﹁くそっ! 誰だぁ!!﹂
ゼースという男が吠えるように叫んだ。すると、セトルたちとは
反対側の岩陰からサングラスをした女性が二人現れた。
シャルンとソテラだ!
﹁︱︱やっと、見つけた⋮⋮﹂シャルンが呟いた。﹁その顔の刺青、
忘れはしない⋮⋮お前は、家族の敵!!﹂
シャルンはサングラスの奥からゼースを睨みつけた。彼は何のこ
とかわからないようだったが、口元に酷薄な笑みを浮かべ、両手の
爪を広げた。
﹁フン、何のことか知らねぇが、とりあえず俺に喧嘩売ってるって
ことは、死ぬ覚悟はできてるんだな?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ひさめは成行きを見るように一歩下がった。やっぱり、その顔に
感情は無い。
﹁知らない? 惚けるな! お前はわたしの家族を殺したんだ!﹂
シャルンは両手に持ったトンファーを強く握りしめた。
﹁へっ、殺した奴らなんて多すぎていちいち覚えてねぇよ!﹂
スピリクル
やはりセトルの感じたままだった。ゼースは吐き捨てるように言
うと、周囲の霊素を爆発させ、立ち上る力の渦を自分の周りに作っ
た。
﹁だったら、これを見て思い出しなさい!﹂
﹁?﹂
163
シャルンはサングラスを掴み、勢いよく投げ捨てた。それに続い
てソテラもサングラスを外す。
﹁赤い瞳⋮⋮﹂
渦が消え、ゼースは驚嘆に呟いてから、一層酷薄さを増した笑み
を浮かべ、赤と言うよりオレンジに近いシャルンたちの︱︱︽ハー
フ︾の瞳を見据えた。
﹁そうか、キサマらはあの時の奴らの⋮⋮くくくっ﹂
﹁思い出したようね⋮⋮﹂
シャルンは安心したようにそう言った。
﹃ねぇ、どうなってるのよコレ!﹄
全く状況を掴めないサニーが声を潜めて言う。
セトルたちの場所からは彼女たちの瞳は遠すぎて見えないが、そ
の会話から彼女たちがハーフだということをサニーは知ったようだ。
あの二人と会っているセトルとアランにも何が何だかわからない
状態だ。ただ一人、ウェスターだけは、
﹃なるほど、そういうことでしたか﹄
と呟き、この状況がわかっているようだった。
﹃おいあんた、一人だけわかったような顔してないで教えろ!﹄
アランは言うが、ウェスターは答えず、眼鏡の位置を直した。
その時、この騒ぎに気づいた船の中が慌しくなり、国軍の兵士の
ような全身鎧を纏った者たちが船上からざわざわと下の様子を見下
ろす。
﹁で? わざわざ俺に殺されに来たと?﹂
ゼースはどこか面白がっているようにそう訊いた。
﹁まさか、わたしはキサマを殺すために来たんだ!﹂
一喝し、シャルンはトンファーを前に突きつけた。すると、ソテ
ラが彼女の肩にそっと手を置いて、心配するような目で彼女を見た。
﹁シャルン、無理は⋮⋮﹂
﹁わかってるわ、ソテラ。大丈夫よ﹂
シャルンは振り向いてそう言う。しかし、口ではそう言っている
164
が、奴は何年も追い続けていたシャルンの敵だ。シャルンの性格か
らして無理をしないわけがない。長い付き合いでソテラにはそれが
わかっている。だから、いざというときシャルンを守れるのは自分
だけのはず。
﹁フハハ、吠えるじゃなねぇか! だったら少しでも俺を楽しませ
ろよ!!﹂
ゼースは開いた爪を構え、姿勢を低くして走った。
﹁まずい、助けないと!﹂
セトルは岩陰から身を乗り出した。今から駆けつけて間に合うよ
うな距離ではないが、それでも二人を助けないと。あのゼースとい
う男は恐らくかなり強い。ただ強いだけじゃなく、相手を殺すこと
に何の躊躇もない。それは直感的に感じることができた。ひさめや
船の兵たちもいる。彼女たちだけではまず勝てない。その時︱︱
﹁!?﹂
ゼースの動きが止まった。気づけばひさめが彼の前に牽制するよ
うに立っていた。
一体いつの間に⋮⋮。
﹁おい、どういうつもりだ? ひさめ!﹂
ひさめの行動に苛立ちを隠せないゼースが言うと、彼女は感情が
無いままゼースの顔を見上げた。
﹁⋮⋮ゼース、うちらに余計な戦闘をしてる暇なんか無い﹂
﹁うるせぇな、そんなの知るかよ。俺は殺りたい時に殺るんだ! てめぇは黙って後ろで見ていろ! 絶対に手ぇ出すなよ!﹂
反発したゼースはひさめを飛び越え、シャルンに襲いかかった。
シャルンも怯まず、トンファーで応戦しようとするが、リーチは
向こうの方が長い。
ガキン!!
何かが間に割って入り、金属音が響いた。それは︱︱
﹁よう、大丈夫か?﹂
アランだった。
165
030 復讐と悲劇
ゼースが後ろに跳び退り、誰だ、と舌打ちをして言う。
セトルたちも彼女たちを庇うように前に立つ。ひさめが一瞬ゼー
スを止めてくれていたから彼らはなんとか間に合うことができた。
﹁あんたらは⋮⋮どうして!?﹂
意外なことに驚いたソテラがセトルたちを見回す。
﹁邪魔をするな!﹂シャルンがアランに向かって吠える。﹁これは、
わたしの戦い、あんたたちには関係ないわ!﹂
﹁まあそう言うなって。こっちだって奴らとはいろいろあるんだ。
それに、放っておけないって言うやつがいてな﹂
アランはちらっとセトルを見た。だが、放っておけないと思って
いるのは何もセトルだけではない。自分も、それにサニーとウェス
ターも恐らくそうだろう。
﹁ウェスター・トウェーンだと!? チッ、めんどくせぇことにな
ったぜ⋮⋮﹂
ウェスターの姿を認めたゼースが舌打ちする。その時、船の中か
ら多くの兵がわらわらと降りてきた。
﹁な!? おい、お前ら手ぇ出すなよ!﹂
兵たちに気づいたゼースは後ろを振り向いてそう命令した。この
状況をまだ楽しみたいのだろうか? すると︱︱
﹁!?﹂
ウェスターは背後に何者かの気配を感じ、間一髪で横に跳ぶと、
今の今までいた場所に刃が振り下ろされていた。ひさめだ!
﹁ひさめ! 手ぇ出すなっつったろうが!!﹂
﹁相手はウェスター・トウェーンや。そういうわけにはいかへんや
ろ﹂
ひさめは冷めきった声でそう言うと、ゼースの傍に戻り、兵たち
に手で合図を出す。すると彼らは一斉に躍りかかってきた。数十人
166
はいる。
﹁チ、わかったよ、逃げるよりはマシだ。お前らが退かずに加勢す
るってことは、奴はここで殺っといた方がいいっつうことだろ?﹂
ゼースは明らかに不満そうな顔をしてそう言った。ひさめは頷く。
﹁︱︱駆け巡る閃光、スパークバイン!!﹂
霊術陣から放たれた電撃が空中で絡み合い、兵たちを巻き込む。
鉄の鎧を纏っている彼らは悲鳴も上げず、次々と崩れていった。人
が焦げる嫌な匂いが漂う。
﹁鎧が仇になりましたね﹂
ウェスターは皮肉めいた笑みを浮かべる。この人数でもどこか余
裕そうだ。
﹁ちょっと、これはわたしの戦いだって言︱︱﹂
﹁だから俺たちの戦いでもあるんだって!﹂
アランはシャルンの言葉を遮ってほとんと叫ぶようにそう言った。
そして襲ってきた兵を斬り倒すと、彼はシャルンを振り向いた。
﹁それにこの人数にあの二人、あんたらだけじゃ無理だろうな﹂
﹁お前たちが出てこなければこんなことにはならなかったはず⋮⋮﹂
シャルンは眉を吊り上げてアランを睨んだ。
﹁いや、それは違うぞ、シャルン。彼らが出てこなくても、奴が負
けそうになれば恐らく同じ状況になっていたと思う﹂
シャルンはそう言ったソテラを見、でも、と言いかけたが、その
あとの言葉が見つからず、下を向いた。そんな彼女の肩にソテラは
優しく手を置く。
﹁シャルン、ここは手伝ってもらおう。やはり、もうわたしたちだ
けじゃ無理だ﹂
ソテラが言うと、一瞬間を置いてシャルンは頷いた。
﹁︱︱光よ、フィフスレイ!!﹂
その時、五つの光弾がシャルンたちを通り抜け、後ろから襲おう
としていた兵を打ち抜く。
﹁話してないで戦いなさいよ!﹂
167
兵を撹乱させていたザンフィを肩に戻し、サニーはアランたちに
そう言った。
﹁わかってるって﹂とアラン。﹁今からそこのイレズミと戦るとこ
ろだ﹂
アランはこの状況にイライラしているゼースを睨んだ。
﹁アラン、僕も手伝うよ!﹂
セトルがそう言って加勢に来てくれた。気づけば、いつの間にか
兵の数がかなり減っている。
﹁青い目⋮⋮ゼース﹂
﹁チ⋮⋮好きにしろ!﹂
そう呟いて振り向いたひさめが何を言いたいのか悟り、ゼースは
諦めたように舌打ちする。
﹁いくぜ、セトル!﹂
言い、アランとセトルは同時に走った。すると視界からひさめの
姿が消えた。気づけば彼女は目の前に突如現れ、セトルに向かって
しぐれの持っていた物よりも短い忍刀を振るう。
﹁何!?﹂
驚いたが、咄嗟にセトルは剣でそれを防いだ。そして横薙ぎに一
閃するが、ひさめはそれをジャンプして躱し、そのままセトルを蹴
り飛ばした。
﹁セトル!﹂
﹁お前の相手は俺だ!﹂
アランが心配してセトルの方を見た。しかしゼースがすぐ傍まで
ひょうりんれっぱ
迫ってきていてその爪を振り下す。と︱︱
アイススピリクル
﹁︱︱氷燐裂破!!﹂
氷霊素をトンファーに付加させ、シャルンは体を捻るようにして、
ゼースの顔面目がけて打ち込んだ。紙一重でそれは躱されたが、ア
ランは助かった。
﹁さ、サンキュー!﹂
﹁借りを返しただけよ。来るわ!﹂
168
見るとゼースは何かを唱えていた。すると、二人の足下に赤い霊
術陣が出現する。見たことがある。これは確か︱︱
﹁ぶっ飛んじまえ、クリムゾンバースト!!﹂
陣の中で小規模な爆発が起こる。だがウェスターのよりは威力が
低い。この術を知っていたアランはシャルンを抱え、どうにか躱す
ことはできた。だが、そこには奴らの兵がいた。
こんどこそやられた! とそう思った時、鈍い音と共にその兵は
倒れた。
﹁大丈夫か、シャルン﹂
ソテラだ。格闘術を使う彼女は鎧の上から兵を蹴り飛ばしたのだ。
﹁ええ、何とか﹂
﹁こっちは任せな!﹂
ソテラは微笑むと、斬り込んできた兵を鎧が砕けるほどの勢いで
殴り倒し、そのまま次々と兵を倒していった。
﹁アラン、大丈夫ですか?﹂
ウェスターがそう言いながら駆けつけたが、一目見ただけで無事
なのを知り、眼鏡を押さえた。
﹁このままではこちらの体力が持ちません。敵大将を一気に叩きま
すよ! ︱︱!?﹂
途端、ウェスターは振り返り、迫ってくる刃をその槍で受け止め
た。
﹁背後から狙ったところで無駄ですよ、ひさめ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ひさめの表情は変わらない。
﹁ウェスターさん!﹂
ウェスターはセトルの声に目だけで振り向くと目を瞠った。そこ
には今刃を組み合わせているはずのひさめが忍刀を振ろうとしてい
るところだった。
すかさずアランが長斧をそのひさめに振り下すと、彼女は後ろに
跳んでそれ躱し、同時にウェスターと組み合っていたひさめも同じ
169
ようにする。
﹁ウェスターさん、大丈夫ですか? 彼女は分身が出せるようです﹂
セトルはサニーと一緒に駆け寄ってそう伝えた。すると、二人の
ひさめは掌を胸の前で組むようにして指を立て、徐々にその体が近
うつしみ
づいていき、完全に重なると元の一人へと戻った。
﹁︱︱忍法、写身﹂
そう呟いた彼女の傍にゼースが近づく。
﹁一人占めしてんじゃねぇよ! 俺はあのアルヴィディアンとハー
フの女から殺るから、てめぇはウェスター・トウェーンの相手でも
していろ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ひさめは頷きもせず黙ったままだったが、それが彼女の答えだ。
﹁そういうわけだ。行くぜ!﹂
ゼースが再び姿勢を低くして走る。
﹁任せて!﹂
サニーが扇子でリズムを取る。
﹁︱︱光の十字よ、我が仇となる者を討て、シャイニングクロス!
!﹂
エレクスピリクル
ゼースの足下に光の十字架が出現し、彼を貫こうとする。しかし
横っ跳びにそれを躱したゼースは彼女を睨んだ。
﹁ザコが! てめぇはあとで殺ってやるよ! ︱︱!?﹂
らいこうしょう
視線を戻すと、アランが長斧を振り上げていた。
﹁雷光衝!!﹂
﹁チィィィ!﹂
ゼースは避けきれず爪でそれを防いだ。しかし斧の先に雷霊素が
フレアスピリクル
集い、小さな落雷がゼースを貫いた。感電し、服が焼けて黒い煙が
ぐれんしょうていは
昇る。動きが止まった。だが︱︱
﹁︱︱紅蓮掌底破!!﹂
カッと思いっきり目を開き、ゼースは火霊素の付加させた掌底を
アランの腹に打ち込んだ。アランは呻き、血を吐いた。そして崩れ
170
るように膝をつき、高熱を帯びた腹を押えようとする。
﹁アラン!﹂
がれんけん
セトルはゼースに飛びかかるが、それはひさめによって遮られた。
﹁くっ、牙連剣!!﹂
セトルは数回連続で切り上げたあと横薙ぎに一閃する。しかし、
そのことごとくをひさめに躱される。そして彼女は忍刀を前に突き
出すように構えた。
つよごち
︵あの構えは!?︶
﹁忍法、強東風﹂
セトルはハッとし、横に転がった。直後、ひさめが凄まじい勢い
でさっきまでいたところを通り過ぎた。あれは、しぐれと同じ技だ。
躱されたにも関わらず、ひさめは体勢を崩さない。
ゼースが大きく爪を振りかぶった。アランは腹を押さえたまま彼
を見上げる。痛みで立ち上がることすらできない。視界が霞む。
﹁フン、止めだ︱︱ん? そういや、てめぇどっかで⋮⋮﹂
﹁へっ、ようやくか⋮⋮アスカリアでてめぇに蹴り飛ばされた恨み、
俺は忘れてないぜ!﹂
ああそうだ、というようにゼースは口元に笑みを浮かべる。
﹁なるほど、あの時の屑か⋮⋮まあ、今さらそんなことはどうでも
いい。死ね!﹂
今度こそゼースはアランに止めを刺そうとする。しかし︱︱
﹁︱︱ヒール!!﹂
シャルンの声が聞こえたと思うとアランの体が光に包まれる。一
瞬、ゼースの動きが止まる。だが、それで十分だ。
﹁︱︱崩空斬破!!﹂
間に合ったセトルが飛び上がりながら斬り上げた。体を反らし、
それを躱したゼースだが、セトルがそのまま斬り下ろしたので仕方
なく両方の爪でそれを受け止めた。
﹁やってくれるな、ザコのくせに!﹂
ゼースはセトルを力任せに振り払った。その途端、ゼースの足下
171
に青い霊術陣が出現する。ウェスターだ!
﹁︱︱蒼き地象の輝き、アクアスフィア!!﹂
噴き上がった水が球を作り彼を呑み込んだ。そのウェスターに今
しゅうそうれっせん
度はひさめが忍刀を振るう。
﹁あまいですね、襲爪裂閃!!﹂
体を回転させながらウェスターは掬い上げるように槍を振った。
ひさめは忍刀でそれを受けたが、体が軽いため高く打ち上げられ、
空中で一回転して、ウェスターの術をまともにくらい、膝をつき今
にも倒れそうなゼースの隣に着地する。
﹁サニー、今です!﹂
﹁わかったわ! ︱︱光よ、フィフスレイ!!﹂
五つの光弾が二人目がけて飛んでいく。ひさめはゼースを庇うよ
うに前に立ち、光弾を全て忍刀で受け流した。だがダメージがない
わけではない。光弾は彼女の肩を掠め、足を撃ち、忍刀に罅を入れ
た。
﹁うっ⋮⋮﹂
彼女の無表情だった顔が僅かに引き攣る。
﹁あ、雨⋮⋮﹂
水滴が鼻の頭に触れたのを感じ、サニーは天を仰いだ。まだ弱い
が、ついに雨が降り始め、それは次第に強くなっていった。
﹁クソがぁ!﹂吠えるようにゼースが叫ぶ。﹁俺が、︽鬼人︾と呼
ばれたこの俺が、こんなザコどもになめられてたまるかよ!!﹂
もはや理性を失っているかのように叫ぶ。そこへシャルンが走っ
た。
﹁ゼース!﹂
止めを刺す気だ! だがそれは困る。奴らにはまだ訊きたいこと
が⋮⋮。
﹁これで⋮⋮終わりよ!!﹂
︵くそっ、体が動かねぇ⋮⋮︶
雷が鳴るのと同時に、バキ、と骨が折れるような音がし、シャル
172
ンのトンファーがゼースの腹を打った。そのままゼースは後ろの巨
大な船に叩きつけられ、海へと落ちる。
その後、彼は何とか陸に這い上がったが、皆が集まり、目の前に
はシャルンが立っていた。
﹁クソが⋮⋮﹂
ゼースはひさめを探したが、彼女はウェスターに捕えられていた。
シャルンが鬼のような目でゼースを睨み、トンファーを振り上げ
た。その時︱︱
﹁︱︱そこまでだ﹂
船の上から冷酷な声が降ってきたと思うと、突如頭上に巨大な牙
のようなつららが複数出現し、シャルン目がけて襲いかかってきた。
﹁シャルン危ない!!﹂
ソテラが叫び、そのことに全く気づいていないシャルンを庇うよ
うに突き飛ばした。シャルンは我に返って体を起こすと目を丸くし
た。
﹁ソ⋮⋮テラ⋮⋮﹂
そこには血溜まりの中に倒れているソテラの姿が。その背には巨
大な氷が深々と突き刺さっている。
﹁ソテラ⋮⋮ソテラー!!﹂
シャルンは駆け寄り、彼女を抱き起こした。セトルたちも駆け寄り、
サニーが治癒術をかけるが、この状態だ。助かるかどうか⋮⋮。
すると船の上から人影が飛び出し、巨大な刃がウェスターの頭上
に降ってくる。それは凄まじい衝撃とともに地面に落ちた。泥が弾
丸のように飛び散る。ウェスターは容易にそれを避けることができ
たが、拘束していたひさめを放してしまった。
﹁ウェスター・トウェーンがいるとはいえ、四鋭刃が二人でこれと
は⋮⋮無様だな、ゼース! ひさめ!﹂
地面に突き刺さった巨大な剣の裏からそのような声が聞こえ、セ
トルたちは武器を構え直した。
﹁⋮⋮うるせぇよ﹂
173
地面にへばりついた状態でゼースが呟く。ひさめは何も言わずそ
の剣の横に立っていた。
﹁誰だ!﹂
アランが言う。すると大剣の裏から一人の青年が姿を現した。肩
の部分が青い法衣に似た服を纏い、手には籠手、背にはその大剣を
納める巨大な鞘、髪は濃い紫色をしており、凍りつくような冷たい
ノルティアンの瞳がセトルたちを射抜くように睨んでいる。
﹁フン、アルヴィディアンに名乗るような名などない﹂
﹁な、何だと!﹂
その言葉に怒り、アランは拳を突き出した。すると青年は口元に
微かに笑みを浮かべる。
﹁だが、まあいい。教えてやる。 俺は︽四鋭刃︾が一人、︽蒼牙
のルイス︾。その醜い頭にしっかり叩きこんでから死ね!﹂
﹁四鋭刃⋮⋮?﹂
聞きなれないその言葉を呟き、セトルはウェスターを見た。彼な
ら知ってるんじゃないかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。
青年︱︱ルイスは大剣を引き抜くと、一度大きく空振りをして泥
を払った。彼は身の丈ほどある大剣を片手で軽々と持っている。︱
︱来る!
﹁!?﹂
その時、何かがルイス目がけて飛んできた。彼はそれに気づくと、
大剣を立ててそれを防いだ。どうやら矢のようだ。
振り向くと、そこには数十人の兵士を引き連れた人がいた。
﹁ワースさん! スラッファさん!﹂
驚きと安堵の声でセトルは二人の名を呼んだ。裏が真っ赤なマン
トを纏い、青単の服と、ピッタリとしたズボン穿いている、どこか
セトルに似ている銀髪をした青年がワース、弓を握っている眼鏡を
かけたライトブルーの髪の青年がスラッファだ。
﹁︱︱奴らを拘束せよ!﹂
指示したのは若い茶髪の女性だった。彼女もまた青い瞳だが、セ
174
トルたちは初めて見る。緑色のノースリーブの軍服に、手にはウェ
スターとは形状が全く異なる槍のような武器を持っている。
︵独立特務騎士団だと!?︶
ルイスは舌打ちをして大剣を鞘に納めた。
﹁退くぞ! 動けん奴は担いででも船に乗せろ!﹂
彼はまだ動けないゼースを担ぎ、ひさめと共に船へと撤退しよう
とする。残っていた兵たちも負傷者に手を貸し迅速に船へと戻って
いく。逃げる時間は十分あった。ワースたちがいた場所からここま
では少し離れていて足場も悪い。
﹁ま、待て!﹂
セトルは叫び追おうとするが、ウェスターはそれを手で制した。
﹁ウェスターさん?﹂
﹁深追いはやめましょう。船の上ではこちらが不利になります﹂
わかりました、とセトルは言うが、その横でアランが悔しそうに
傍の岩を殴った。
﹁そうだ、ソテラは!?﹂
思い出したようにセトルは言い、今もサニーが治癒術をかけてい
るソテラの方を向いた。彼女の背に刺さっていた氷はルイスがいな
くなったことで消えたが、そのせいで傷口から大量の血が溢れてい
る。
今サニーが唱えている術は︽ヒールサークル︾。それは現在彼女
が使える最高の治癒術だが、それでも回復が追いついていない。
﹁ソテラ! 死なないで、ソテラ!﹂
シャルンは涙を流しながら何度も何度も彼女の名を叫んでいる。
﹁シャ⋮⋮ルン﹂
するとソテラは僅かに目を開き、力のない声で囁いた。
﹁無事で⋮⋮よかった﹂
彼女は自分を抱くようにして涙顔になっているシャルンに微笑ん
だ。
﹁無事じゃないのはソテラでしょ! 待ってて今ヒールを︱︱﹂
175
だがソテラはゆっくりと首を振りそれを拒んだ。
﹁シャルン⋮⋮わたしはもう⋮⋮助からない﹂
﹁もう喋らないで!﹂
しかしソテラはシャルンの要求を無視して続けた。
﹁シャルン、お前はまだ⋮⋮奴らを追うだろう? ⋮⋮でも⋮⋮一
人じゃだめだ﹂
シャルンは首を振り、そして彼女をじっと見詰めた。
﹁わかってる⋮⋮だからソテラが生きて︱︱﹂
ソテラはシャルンの口に手をあて、そのあとの言葉を遮った。
﹁ここには⋮⋮他にも仲間がいるだろ? セトルたちなら⋮⋮わた
したちハーフでも⋮⋮助けようとしてくれた彼らなら⋮⋮。シャル
ン、もっと周りに心を許せ⋮⋮世界には⋮⋮ハーフ︵わたしたち︶
を嫌っている人ばかりじゃ⋮⋮ない。わたしは⋮⋮それを教えたか
った﹂
その途端、ソテラは激しく咳き込んで吐血した。サニーが術を止
める。これ以上しても無理だと悟ったのだろう。彼女は立ち上がる
と数歩下がり後ろを向いた。うなだれたその顔に涙が流れる。
﹁たった一人の人も助けられないなんて⋮⋮あたしは何のために光
霊術を習ったのよ!﹂
サニーは涙声で自責するように静かに叫んだ。セトルはそれを聞
いていたが、今は彼女にもシャルンにも、かける言葉が見つからな
かった。
﹁シャルン、今まで⋮⋮楽しかったよ⋮⋮ありが⋮⋮とう⋮⋮﹂
彼女はそのままゆっくりと目を閉じ、沈黙した。
﹁ソテラ? ソテラ!﹂
シャルンは叫び、彼女の肩を揺り動かすが、彼女はもう目を開く
ことはなく、だんだんと冷たくなっていった。
﹁ソテラ ︱︱!!﹂
シャルンは被さるように泣き崩れた。
もう二度と動くことのない彼女の上で︱︱。
176
031 敵の正体
冷たい雨が肌を刺すように降り続く。
セトルは記憶を失ってから初めて人の死というものを実感した。
重たい空気の中、ワースたちの力も借りて彼女︱︱ソテラを埋葬し
た。
﹁お墓⋮⋮建てないの?﹂
サニーが訊くと、シャルンはソテラを埋葬した場所を見詰めなが
ら頷いた。
﹁ええ、こんな寂しいところにソテラを一人にしておけない。ソテ
ラのお墓は、全てが終わったあとにあるべき場所に建てるわ﹂
言うと、彼女は手に握っていたイアリングを見詰めた。
﹁そのイアリングは?﹂とセトル。
﹁ソテラの形見よ﹂
﹁彼女、イアリングなんてしてたか?﹂
アランが怪訝そうな顔で言う。確かにしてるようには見えなかっ
たけど⋮⋮。
﹁これはソテラが大切にしていた物。だから、ちゃんとしたお墓を
造るまでわたしが持っておくことにしたの﹂
そして彼女はそのイアリングを大切そうにしまった。
﹁すまない、オレがもう少し早く来ていれば⋮⋮﹂
少し離れたところで、ワースはウェスターにそう言った。
﹁いえ、あなたのせいではありませんよ﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直して、荒れる海に視線を向けた。今
はもう奴らの船は見えない。この嵐で船を出すなんて無謀だが、奴
らの船がそう簡単に沈むとも思われなかった。
﹁ところで何で君たちが?﹂
﹁ああ、それはあとでお話しますよ﹂
話せば長くなる。ウェスターはそう思い、セトルたちの方にその
177
視線を移した。
ワースは天を仰いだ。
﹁そろそろ引き上げた方がよさそうだな﹂
雨がさらに激しさを増してきたので、彼はそう言うと踵を返し、
何らかの作業をしている独立特務騎士団の兵士たちに撤退命令を出
す。ウェスターもセトルたちの元へ行く。
﹁皆さん、雨も強くなってきましたし、そろそろ町に戻りましょう﹂
皆は頷き、インティルケープへと足を進めた。シャルンもそれに
ついていったが、途中何度も後ろを振り返っていた。もしかしたら
ソテラが生き返るかもしれない、そんなことを願っているかのよう
に︱︱。
? ? ?
インティルケープに戻ってきたセトルたちは、マーズ邸には行き
づらかったのでワースたちと共に宿屋へ泊ることにした。宿屋はそ
れほど大きくはないのだが、幸い嵐なのにも関わらず客が少なく、
何とか全員分の部屋を用意してもらえた。
食後、セトルたちは彼らと情報交換をするために広間へと集まっ
ていた。
﹁ねぇ、あの女の人も青い目だね﹂
まだ来てないワースを待っている間に、サニーはスラッファの隣
に座っている茶髪の髪を後ろで結っている女性をちらりと見て、セ
トルの耳元で囁いた。するとそれが聞こえたのか、その女性は優し
い微笑みを浮かべる。
﹁そういえば、まだちゃんと会ったことなかったわね。わたしはア
イヴィ、独立特務騎士団の副官の一人をしているわ。よろしくね﹂
アイヴィはサニーに向かって手を伸ばした。サニーは少々戸惑い
ながらも自己紹介をし、握手を交わした。やはりセトルは彼女にも
初めて会ったような気がしない。ワースやスラッファの時もそうだ
178
ったが、彼らの姿を見たり、名前を聞いたりしただけでは記憶は戻
らない。
そして、ようやくワースが二階へ続く階段から下りてきた。
﹁ずいぶんと遅かったですね?﹂
嫌味のようにウェスターが訊くと、彼は苦笑して頭の後ろを掻い
た。手には何かの資料と思われる紙を持っている。かなりの量だ。
﹁すまない、資料の整理に少々手間取ってしまってね﹂
言うと彼はセトルたちの前、机を挟んでアイヴィの隣に座り、彼
女に資料を渡した。あの資料は今から話すことに必要なものなのだ
ろうか?
﹁どうだいセトルくん、記憶の方は戻りそうかい?﹂
いきなり本題に入らず、ワースはセトルに柔らかく微笑んで訊い
た。いえ、とセトルが首を振ると彼は残念そうに息をつき、顔を引
き締めた。
﹁では本題だが、奴らは確かに︽四鋭刃︾と名乗ったんだな?﹂
﹁ええ、四鋭刃というのが奴らの幹部の名称なら、名乗ったのは︽
蒼牙のルイス︾という者だけです。ですが、ゼースという者も自分
を︽鬼人︾と言ってましたし、恐らくひさめも四鋭刃の一人だと思
われます﹂
あの二人は兵たちに指示を出していた。さらにルイスもそのよう
なことを言っていた。だからウェスターの考えは間違ってないとセ
トルもそう思う。
﹁シャルン﹂とアラン。﹁確かあの刺青が家族の敵とか言ってたが、
どういうことなんだ?﹂
シャルンは黙ったままだ。言いたくないのだろうか? それほど
つらい過去なら無理に訊こうとは誰も思わない。だが︱︱
﹁シャルン、あなたは︽エリエンタール家︾の生き残りですね?﹂
その空気を読まず、眼鏡のブリッジを押さえたウェスターが言っ
た。するとシャルンは、なぜそれを、というような驚いた表情をし
た。
179
﹁ねぇ、エリエンタールってまさか⋮⋮﹂
サニーはエリエンタールという言葉に聞き覚えがあった。セトル
やアランもどこかでそれを聞いたことがある。確か、サニーが誤送
されたときの盗賊の名前だったはず。
﹁エリエンタール家は世界を股にかけていた盗賊、いえ義賊です。
ですが十年ほど前に事故で滅んだと聞いていますが︱︱﹂
﹁事故? 違うわ﹂
黙っていたシャルンがようやく口を開いた。
﹁あれはあいつがやったのよ! あいつが、わたしの目の前で家族
を⋮⋮﹂
ゼース、セトルの脳裏に彼の残酷な顔が浮かんだ。
﹁そのことについてはわからないが﹂とワース。﹁こちらにも一つ
だけ情報がある﹂
﹁何ですか?﹂
セトルが言うと、ワースではなくスラッファが答えた。
﹁先日、ファリネウス公爵が失踪したんだ﹂
﹁彼だけじゃないわ。使用人、近衛騎士団も含め、公爵家の人はみ
んないなくなったの﹂
一通り資料に目を通したアイヴィもスラッファに続けて答えた。
すると︱︱
﹁ねぇ、ファリネウスって誰だっけ?﹂
皆が驚いている中、サニーだけは首が傾げていた。
﹁アルヴァレス・L・ファリネウス、王族にして特務騎士団の将軍
ですよ﹂
ウェスターはそんな彼女に嘆息しつつ説明した。
﹁サニー、一度会ってるはずだよ。ほら、城門の前で﹂
セトルに言われると、思いだしたようにサニーは手を叩いた。そ
して皮肉めいた笑みをセトルに見せる。
﹁セトルってさあ、最近記憶力よくなったんじゃないの? 日記も
もうつけてないのに﹂
180
﹁そんなことないと思うけど⋮⋮サニーが悪くなったんじゃないの
?﹂
するとサニーは頬を思いっきり膨らました。
﹁むぅ∼、そんなことないわよ!﹂
﹁ハハハ、でもセトル、お前このごろぼーとすること少なくなって
るだろ?﹂
アランが笑い、そう言った。言われてみると、確かにそうだ。
﹁記憶が戻ってるんじゃないの?﹂
アイヴィが言うと、ワースも微笑んだ。
﹁そうかもしれないな。ところで話は戻るが⋮⋮ウェスター、ファ
リネウス失踪についてどう思う?﹂
ウェスターは少し考えると、眼鏡の位置を直した。
﹁誘拐⋮⋮ではありませんね。彼はそのようなことをされるほど弱
くはないですし、公爵家全員というのもおかしい⋮⋮今回のことに
深くかかわっていると見てもいいかもしれません﹂
ワースは頷いた。どうやらウェスターと考えは同じようだ。イン
スピリアスアーティファクト
ティルケープまで来たのも、その情報を追ってきたということらし
い。
﹁やはり目的は︽古霊子核兵器︾なのだろうか?﹂
スラッファは眉を顰めた。彼らがそのことを知っているというこ
とは、王様と謁見したときには既に、ウェスターが世界の危機につ
いて告げていたのだろう。
﹁そうでしょうが、彼がそれを使って何をしようとしているのかは
わかりません﹂
兵器と聞いたら、悪い予感しかしない。ただ一つだけ言えること
は、それを復活させてはいけないということだ。
﹁もし最悪の事態になったときのために、僕たちは精霊を集めてい
サモナー
るんです﹂
召喚士ではない自分が言うのもなんだが、と思いつつも、セトル
は今自分たちがやろうとしていることをワースたちに話した。彼ら
181
の協力を得たら今よりもずっと速く精霊たち を集めることができ
るだろうとセトルは心のどこかで期待していた。
なるほど、とワースは顔の前で指を組み合わせて呟いた。
﹁それなら我々も協力は惜しまない。それで、今は何体と契約して
るんだ?﹂
﹁コリエンテと、アイレよ!﹂
サニーがなぜか自慢げに答える。
﹁二体か⋮⋮他の精霊の場所は?﹂
﹁残念ながらわかっていません﹂
ウェスターは首を振り、溜息をついた。
﹁そうか⋮⋮。実は精霊の居場所に少々心当たりがあるんだが、行
ってみるかい?﹂
本当ですか、とセトルが飛びついた。やはりワースは期待を裏切
らなかった。協力してくれるし、精霊の居場所も知っている。
味方でよかったと、本当に思う。
﹁︱︱︽ムスペイル遺跡︾、ウェスターなら知ってるだろう?﹂
セント ラル
ワースは持っていた何らかの資料から世界地図が載ってあるもの
を探し出し、その場所を差した。それは中央大陸から向かって南西
にある大陸、︽ムスペイル地方︾の最西端だった。
ムスペイル地方という名称くらいは知っていたが、アスカリア村
フレアスピリクル
の三人はそんな遺跡のことなど、当然見たことも聞いたこともなか
った。
﹁なるほど、遺跡に行ったことはありませんが、あの辺りは火霊素
が濃い。火の精霊が居るかもしれませんね﹂
ムスペイル地方は灼熱の大地だと聞いている。ウェスターの言う
ことには納得だ。
﹁そういう理屈でいくなら、︽ニブルヘイム地方︾にも居るんじゃ
ないか? あそこは極寒の地って聞いてるぜ?﹂
とアランも意見を出す。もちろん行ったことはないが、話くらい
はセトルも聞いている。極寒ということは氷の精霊が居るのだろう
182
か?
アランの意見にワースは、それはそうだが、と答える。
﹁そっちは正確な場所を特定できていない。なるべく場所がわかっ
ているところからあたってみるのがいいだろう﹂
﹁じゃあ、ムスペイル遺跡に行くってことで決まりね!﹂
サニーはいつものように無邪気な笑顔でそう言う。それを見て、
ワースの引き締めた表情が緩む。
﹁その前にいろいろと準備があるから、我々の本部に来てもらいた
い。いいかな?﹂
﹁もちろんです﹂
セトルは頷いた。そして︱︱
﹁シャルン、あなたはどうしますか?﹂
とウェスターが話に加わってなかった彼女に問う。
﹁わたしは⋮⋮﹂
シャルンは悩んだが、ここで皆の話を聞いているということは、
恐らく心は決まっていると思われる。
﹁わたしは⋮⋮わたしも一緒に行くわ。一緒に行けば家族やソテラ
の仇にも会えるから﹂
彼女の目は決心のついた強い目をしている。
﹁ソテラにも一人じゃだめだと言われたし⋮⋮﹂
小さく、彼女はそう呟いた。
﹁決まりだな﹂
アランは微笑んだ。サニーはどこか複雑な顔をしているが、セト
ルにはその理由がわかる気がした。
183
032 船上にて
ブルーオーブ
潮風を切りながら穏やかに海上を駆ける二隻の霊導船。片方はウ
ェスターの霊導船号である。そしてそれを追いかけるようにワース
たち、独立特務騎士団の霊導船がついてくる。
流石に速力はウェスターの船に劣っているようだ。
﹁え? 首都に行くんじゃないんですか?﹂
ブルーオーブ号の甲板、セトルは風で乱れる髪を手で押さえるよ
うにしてワースに訊く。彼は話をするために自分の船をスラッファ
に任し、アイヴィと共にこちらに乗船していた。
﹁ああ、どうやら言ってなかったようだね。そう、我々の本部はサ
ンデルクにあるんだ。そこの大学の地下に設けさせてもらっている﹂
優しさを感じる彼のサファイアブルーの瞳にセトルの顔が映る。
﹁それに﹂アイヴィが続けた。﹁サンデルクには今、あなたたちの
友達も来てるわ﹂
﹁友達? もしかしてしぐれ!?﹂
サニーが言うと、アイヴィは、ええ、と言って頷いた。
﹁それにしても、アルヴァレスが敵だと厄介ですね﹂
深刻な顔で腕を組んだウェスターが呟くように言った。微妙な船
酔いで少し気分が悪そうなアランが、どういうことだ、と首を傾げ
る。するとワースが答えた。
﹁ファリネウス近衛騎士団は王国の特務騎士団のことなんだ。奴ら
は情報操作が得意、つまりそれをされるとこちらに間違った情報が
入ってくるということになる﹂
﹁恐らく、ひさめが王城で盗みを働いた時からいろいろと捜査され
ていたのでしょう。エリエンタール家や、サニーが誤送されること
になったのも⋮⋮﹂
ウェスターの予想が事実なら、アスカリアに来た正規軍の中にゼ
ースが潜入していたのはそういった意味があったのだろう。
184
︵エリエンタール⋮⋮か︶
サニーはさっきから横目でちらちらと手摺に凭れて海の向こうを
眺めているシャルンを見ていた。
﹁⋮⋮何か用?﹂
その視線に気づいたシャルンは、風で乱れる前髪を?き上げて少
し不機嫌そうに訊く。
﹁え? な、何でもないわ!﹂
サニーは慌てて目を反らし、セトルの後ろに隠れるように入った。
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
何も言わず、シャルンは再び海を眺めた。
﹁︱︱わけないよ﹂
﹁サニー?﹂
皆には聞こえないほどの声でサニーが呟いたので、セトルは眉を
顰めて彼女を見た。
﹁盗賊エリエンタール家⋮⋮見つけたら捕まえようかと思ってたけ
ど⋮⋮できるわけないよ! シャルンだって被害者だし、あんなこ
ともあったし⋮⋮﹂
今にも泣きそうな顔で彼女はセトルに訴えかけた。シャルンは盗
賊、いや、義賊エリエンタール家の生き残りであることに間違いは
ない。彼女自身も認めている。だが、ウェスターもワースも、エリ
エンタール家は滅びました、と言って彼女を捕まえようという気は
ないようだ。
スピリアスアーティファクト
サニーがあのとき複雑な顔をしたのはこういうことだった。
﹁あいつら、古霊子核兵器なんか復活させて、ホント何する気なん
だろうな?﹂
レイシェルウォー
難しそうな顔をしてアランが尋ねた。するとウェスターが眼鏡の
端を押さえて答える。
﹁前にも言いましたが、それはわかりません。再び人種戦争を起こ
したいのか、それとも世界征服か⋮⋮あの男の考えは理解できませ
んからね﹂
185
彼の言い方は、まるでアルヴァレスが敵の大将であると確信して
いるようだった。だが、彼は王国の将軍、そう考えた方がいいのか
もしれない。
﹁そんなことどうでもいいわ。わたしは敵をとれればそれでいい﹂
シャルンにとってはそうなのだろう。目的は違えど、やることは
変わらない。彼女が仲間に加わってくれるのは非常に心強い。
﹁まあ、あんまり思いつめるなよ、シャルン。仲良くいこうぜ♪﹂
アランは人懐こい笑みを浮かべて言うが、彼女は、フン、と鼻を
鳴らして船内に入っていった。
﹁⋮⋮なんだよ﹂
溜息混じりでアランが呟くと、セトルも苦微笑した。
﹁そういえばワース﹂何かを思い出したようにウェスターが訊く。
﹁青い瞳の人は何か特別な力があるのですか?﹂
﹁どういうこと?﹂
アイヴィが小首を傾げる。
﹁もしかしてセトルのこと?﹂
肩に乗ったザンフィの喉を撫でながらサニーが言う。ウェスター
は頷き、アスカリアでセトルが放ったあの不思議な光についてワー
スたちに説明した。
あの時、サニーは気絶していてその光を見ていなかった。流石に
話を聞いただけですぐに信じることはなかった。それはセトル自身
も同じであった。
﹁そうか、そんなことがあったのか⋮⋮﹂
腕を組み、黙って話を聞いていたワースは、顎に手をあてて考え
るようにそう呟いた。
﹁青い目の人はみんなそんなことできるの?﹂
サニーが訊くが、ワースは首を横に振った。
﹁いや、オレたちも人間だから、普通そんなことできないはずだが
⋮⋮﹂
彼はどこか戸惑った様子でセトルを見た。
186
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そんなワースをウェスターは目を眇めて見ていた。セトルを見る
彼の横顔はセトルの身を案じているような、そんな表情をしていた。
セトルを眺めるワースの中に、不安のような感情が渦巻く。
︵あいつ⋮⋮まさかな⋮⋮︶
187
033 再会
サンデルクに到着すると、一行はワースたち三人に連れられて、
サンデルク大学の地下に設けられた独立特務騎士団の施設に招かれ
た。
大学の警備をしていたのは独立特務騎士団の人たちだが、施設内
の人は特に規律に厳しい様子もなく、本を読んだり、ソファで寝て
いたりと自由気ままに過ごしている。彼らはワースたち三人が選抜
したアルヴィディアン・ノルティアンの入り混じる一師団で、ワー
スが言うには、普段はこうでも仕事はきちんとする優秀な部下らし
い。その証拠かどうかわからないが、警備をしていた兵士は皆真剣
に取り組んでいたし、ここでもワースたちの姿を認めるとしっかり
と敬礼をする。
﹁アイヴィ、アキナの方たちは?﹂
通路を進みながらワースが尋ねる。アキナってことはしぐれのこ
とだろうが、﹃たち﹄ということは他にも誰か居るのだろうか?
﹁あなたの部屋で待つように言ってるわ﹂
﹁なっ!? なぜオレの部屋に?﹂
﹁この人数で話をするには、あなたの部屋じゃないと無理だと思っ
たのよ﹂
嘆息したようにアイヴィが答えると、ワースは得心したのか、わ
かった、と言った。
あめ
ワースの部屋は地下二階の一番奥にあった。中には既に人がいる
ので彼はノックをし、返事があってからドアノブを回した。
﹁あっ! ワースはん、いま戻ったんやな⋮⋮ってセトル!?﹂
のもり
ドアを開けると、濃い藤色の変わった服を着た黒髪の少女︱︱雨
森しぐれが居て、セトルたちを見るなり目を丸くした。彼女の隣に
は、似たような格好の男女二人が立っている。
その格好やアキナ特有の黒髪から彼らが彼女の仲間だということは
188
わかる。
﹁しーぐれ、久しぶり♪﹂
サニーは無邪気な笑顔を浮かべる。するとアキナの男性が、
﹁しぐれ、こいつらが前に言ってた人やな?﹂
と訛った声で言う。彼は二十歳くらいで、前髪は右目が隠れるほ
ど長く、襟足を短く刈っている。上下紫色のややぴったりとした忍
び装束で、しぐれとは違い忍刀は短く、腰の白い帯に挿している。
﹁せや、彼がセトル、こっちがサニーで、背が高いんがアランで⋮
⋮!?﹂
頷いたしぐれはセトルたちを順に紹介していったが、意外な人物
の姿を認めると再び目を丸くした。
﹁シャ、シャルン!? 何でここにおるんや!?﹂
﹁⋮⋮わたしがいちゃ悪い?﹂
シャルンの刺々しい言葉がしぐれを刺す。
﹁そ、そんなことあらへんけど⋮⋮せや、ソテラはどうしたん? おらんみたいやけど﹂
慌ててしぐれがそう言うと、シャルンは寂しげな表情をしてうな
だれた。
﹁ん?﹂
いきさつ
事情を知らないしぐれは首を傾げ、訊いてはいけないことだった
のか、と思い戸惑ってしまう。
実は、とアランがこれまでの経緯を語った。重たい空気が部屋に
満ちる。
﹁そんな⋮⋮シャルン、ごめんな⋮⋮﹂
しぐれは僅かに涙を浮かべてシャルンに頭を下げた。
﹁いいよ、気にしなくて⋮⋮﹂
シャルンはそう言ったが、うなだれた顔を上げようとはしなかっ
た。
﹁ところでしぐれ、そっちの二人は?﹂
この暗い空気を払うようにサニーは明るい声で言った。
189
﹁え? ああ、紹介するわ。二人はうちと同じアキナの忍者で、﹃
はくま﹄と、﹃ひせつ﹄や﹂
﹁どうも、俺がはくまや! あんたらにはしぐれがだいぶ世話にな
ったみたいやな﹂
男性の方︱︱はくまは笑顔で軽く会釈をする。
﹁⋮⋮よろしく﹂
彼女、ひせつもはくまに合わせて会釈する。彼女はしぐれと同じ
くらいの年頃で、長い黒髪を結わずに下ろしている。ピンクっぽい
紫の忍び装束を着ていて、忍刀は持っていない。武器は見えないよ
うに隠してあるようだ。冷たい瞳は無愛想な感じがするが、それは
ひさめほどではない。
よろしくね、とサニーは笑顔を見せる。
﹁あなた方は独立特務騎士団に協力を?﹂
ウェスターが訊くと、はくまが頷いた。
﹁せや、しぐれが俺らの頭領に頼み込んで協力する形になったんや。
ホンマ、頭領は自分の娘に弱いからなぁ⋮⋮﹂
やれやれと肩を竦め、彼は苦笑した。
﹁へー、しぐれのお父さんはアキナの頭領だったんだ。すごいね﹂
感心した表情でセトルが言うと、しぐれはなぜか照れたように頭
を掻いた。
﹁そんなことないて、どこにでもおるおっさんと変わらへんよ。そ
れより、何か話があるんちゃう?﹂
言うと彼女はワースたちを見た。
﹁再会のあいさつはもういいのかい?﹂
ワースはそう言い、皆が頷くのを確認すると、
﹁じゃあ、本題に入ろうか﹂
と近くにあった椅子に座り、話しを始める。
﹁まず我々は三つのことをしなくてはならない。一つ目は敵のアジ
トの特定。これはアキナの方にやってもらいたいのだが?﹂
﹁得意分野や、任せとき!﹂
190
はくまが自信満々で了承し、ひせつも微笑を浮かべて頷いた。ア
キナの情報網でわからないことはない、とずっと前にしぐれが話し
てくれたが、確かにこの仕事は彼らが適切だろう。
﹁二つ目は各町の仕組まれた騒動の鎮圧だ。そして三つ目は︱︱﹂
﹁ちょ、ちょっと待って! 仕組まれたってどういうこと?﹂
二つ目のことを疑問に思ったサニーが話を止めて訊く。もしかす
アーティファ
るとそれはアスカリアでの争いも関係あるのかもしれない。
クト
﹁君たちも見ているだろう? あれは奴らが城から奪った古の霊導
機の一つ、︽サヴィトゥード︾による一時的な精神隷属で起こした
ものだ。それを使えば争いなんて簡単に起こせる﹂
アスカリアの争いが奴らに仕組まれたものなら得心がいく。あの
アーティファクト
時、どちらの言い分も嘘とは思えなかった。見えない第三者が居た
んだ、それは当り前のことだ。しかも城から奪われた古の霊導機も
関係している。
﹁ええと、サヴィ⋮⋮何ですか?﹂
﹁︽サヴィトゥード︾。強力な精神隷属器のことよ﹂
首を傾げたセトルにアイヴィが答えた。
﹁君たちは知らなくて当然だろう。スラッファ﹂
サヴィトゥード
アーティファクト
ワースはスラッファに目配せをし、彼は頷いて説明を始めた。
いま
﹁精神隷属器は、元はノルティア製の円盤型で小さい古の霊導機だ。
レイシェルウォー
特殊な鉱石でできているらしく現在の技術では破壊できず、王城で
厳重に保管してあった。人種戦争の時、ノルティアンはアルヴィデ
ィアンを強制使役し、戦争を有利にするためにこれ作ったと言われ
ている﹂
﹁ちょい待ち! ノルティアンにそんな技術があったんかい?﹂
しぐれが訊くと、ウェスターが答えた。
﹁確かに昔はアルヴィディアの方が霊導技術では上だったようです
いま
が、だからと言ってノルティアの技術も低くはなかったと思います。
少なくとも現在よりは⋮⋮﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直し、スラッファに説明を続けるよう
191
に言った。スラッファは皆を見回し、他に質問がないのを確認する
と説明を続けた。
﹁だからサヴィトゥードで操ることができるのはアルヴィディアン
だけで、操られた者はその時の記憶がない。精神が強くないと簡単
に操られてしまうから、アラン君やアキナの方たちは十分に注意し
てもらいたい﹂
息を呑み、わかった、とアランたちは頷いた。でも気をつけるの
はアランたちばかりじゃないのは言うまでもない。
﹁本来サヴィトゥードの存在は王族か、軍上層部しか知らないはず
だ。やはりアルヴァレスは敵と見ていいだろうな﹂
付け足すようにワースが言った。王族のアルヴァレスは知ってい
てもおかしくない。彼は脅されて答えるような人じゃないのは一度
会ったときにわかっている。
サモナー
﹁そして最後にやることは、できるだけ多くの精霊との契約。残念
だがここに召喚士はいない。ウェスター、頼めるか?﹂
ワースは、これが一番重要な仕事だ、とでも言うようにウェスタ
ーを見た。
﹁ええ、頼まれなくてもやるつもりですよ﹂
﹁精霊と契約って⋮⋮ウェスター召喚士やったんか。へぇ∼﹂
感心したような、だがどこか怪訝そうにしぐれが言ったので、ウ
ェスターは彼女たちに精霊との契約の証である指輪を見せた。
﹁さて、話はだいたいこんなところだ。ホテルに部屋を用意してあ
る。今日は皆ゆっくり休んで、明日からそれぞれのやることを行っ
てくれ﹂
ワースは椅子から立ち上がると、
﹁オレたちにもまだ仕事が残ってるんでな、これで失礼する﹂
と言って踵を返す。と、アイヴィとスラッファを連れて部屋から
出ていった。
﹁では、我々も今日は解散しましょう。それぞれ自由行動をとって
もかまいませんが、サニーは迷子になるとめんどうなので誰かと一
192
緒にいてくださいね♪﹂
﹁あーもう! 大丈夫よ!﹂
サニーが膨れっ面をするのを尻目に、ウェスターは嫌味な笑みを
浮かべて逃げるように出ていった。続けてシャルンも黙って部屋を
出る。
﹁もう! あたしは別に方向音痴じゃないわよ﹂
﹁方向音痴だろ? それも天才的に﹂
皮肉めいた笑みを浮かべたアランに、はくまが首を傾げた。
﹁そんなに酷いんか?﹂
そりゃあもう、とアランはこれまでのサニーの迷子伝説を語り始
めた。すると︱︱
﹁⋮⋮ザンフィ、アランの顔引っ?いちゃって﹂
顔に紅葉を散らしたサニーが足下にいたザンフィに指示を出すと、
ザンフィは、キキ、と頷いたように鳴いてアランに跳びかかった。
﹁うわっ! や、やめろザンフィ! は、鼻はやめろ、鼻は! ひ
ぃ∼﹂
そんなアランに皆が笑った。無愛想に思われたひせつも笑いを零
すほど、彼の姿は滑稽だった。
﹁⋮⋮セトル、買い物つき合って!﹂
皆がひとしきり笑うと、サニーがセトルの腕を強引に引っ張った。
﹁え? 何で僕が?﹂
﹁一人じゃ⋮⋮その⋮⋮あれだし⋮⋮。と、とにかく行こ!﹂
まだ頬の赤いサニーはそう言って強引にセトルを連れ出そうとし
た。
﹁待って! うちも一緒に行ってええ?﹂
しぐれはそう言うと、はくまたちを振り向いて、ええやろ? と
訊く。
﹁ま、俺らも明日まで自由時間やし、ええやろ。せや、しぐれはそ
のまま精霊契約の方に行き。俺らは少人数の方が動きやすいし、そ
っちにも式神の連絡係が必要やと思う。何より契約はいろいろとた
193
いへんなことやからな﹂
聞くとしぐれは、わかった、と満面の笑みを浮かべた。
﹁じゃあ、また一緒に旅ができるんだね。改めてよろしく、しぐれ
!﹂
セトルが爽やかに微笑むと、しぐれも、よろしく、と答えてサニ
ーを向いた。
﹁そういうことやからサニー、うちも買い物つき合ってええやろ?﹂
するとサニーは少しの間黙ってしぐれを見、
﹁⋮⋮セトルが嫌じゃなきゃいいわよ﹂
となぜか少し不機嫌そうに言った。だが、セトルの答えは決まっ
ているようなもの。
﹁じゃあ、しぐれも一緒に行こう﹂
断るはずがない。断わる理由もない。それに︱︱
﹁サニーを見張る人は多い方がいいしね♪﹂
いつになくセトルは皮肉を言うと、サニーは頬を膨らまし、彼の
腕をとってほとんど飛び出す形で部屋を出ていった。
﹁ほな、はくま、ひせつ、またあとでな!﹂
しぐれもそれを追いかける。部屋の外で、どん、という妙な音が
したが、しぐれが転んだということは容易に想像がついた。
﹁やれやれ、お前は置いて行かれたな、ザンフィ﹂
引っ掻き傷だらけの顔に苦笑を浮かべ、アランがザンフィを抱い
たまま肩を竦めた。
194
034 ダブルデート
サンデルクの中央通りは大学のすぐ目の前を通っており、当然い
ろいろな店が並び、人通りも多い。セトルとしぐれは冗談ではなく
しっかりとサニーを見張っていた。中央通りは一本道。しかし、サ
ニーはここでちょっと目を離した隙にいなくなったことがあるのだ。
﹁あー! ザンフィ忘れてきちゃった!﹂
突然立ち止まったサニーが大声を上げた。
﹁アランが一緒だから大丈夫と思うよ?﹂
いまごろ気づいたんだ、と言いたげにセトルは嘆息した。
﹁ここからやったら大学に戻るよりホテルに行ったが近いやろ? やったらこのままホテルに向かえばええやん﹂
しぐれが提案するとサニーは、そうだね、と微笑んだ。
﹁でも、もうちょっと買い物してからね♪﹂
﹁え∼、まだ買うの?﹂
すっかり荷物持ちにされ、両手に大量の袋を持っているセトルは
嫌そうな顔をした。だが、サニーとしぐれはそんなのお構いなしに
近くのいろいろなアクセサリーが置いてある店に入った。仕方なく
セトルも二人について店に入る。
﹁あ! これかわいい⋮⋮見て見てセトル!﹂
浮かれた様子でしぐれはガラスでできた小さな置物を掌に乗せて
セトルに見せた。それは耳が自身の体ほどもあり、首から鳥の翼に
似たものが正面に向かって垂れている何かの小動物を模ったものだ
った。
﹁はは、本当だね。ええと⋮⋮﹃イナーフェアリィ﹄?﹂
同じ物が何個も綺麗に並んであるところの商品名にそう書いてあ
った。
﹁気にいったかい、お嬢ちゃん?﹂
すると、店主と思われる、いかにも職人ですといった格好をした
195
アルヴィディアンの男性が声をかけてきた。
﹁そいつは心の聖獣と言われていてね、幸運を呼ぶんだ﹂
へぇ∼、と感心したようにしぐれはその置物を見詰めた。目が欲
しいと言っているように見える。
﹁欲しいなら、彼氏に買ってもらいなよ!﹂
﹁か、彼氏とちゃいますよ!!﹂
茶化すわけでもなく純粋にそう思っていたように店主が言ったの
で、しぐれは顔から火が出たように赤面してそれを否定した。
﹁おや、違ったのかい? 二人っきりだったから勘違いしちまった
よ。ははは!﹂
店主は豪快に笑った。
﹁まったく⋮⋮って二人っきり!? サニーは!?﹂
しぐれは店の中を見回すが、ここにはサニーどころか自分たち以
外の客も見当たらなかった。
﹁しまった⋮⋮。あ、あの、赤毛のポニーテールをした女の子を見
ませんでしたか? 連れなんです﹂
セトルもサニーが居ないことを確かめると、店主に訊いてみた。
商品を置いてある背の高い棚もあるが、見回せば店全体がわかるほ
どの広さだ。迷うはずがないと高を括っていたが、油断した。
﹁ああ、あの子か。あの子ならさっき、何も買わず店を出てったけ
ど?﹂
﹁店出たやて!? 流石サニー︱︱やなくて⋮⋮セトル、捜しに行
くで!﹂
一瞬、感心したように呟いたしぐれは商品を元の場所に戻す。セ
トルは頷くと、二人で店主に礼を言って駆け足で店を出ていった。
? ? ?
﹁︱︱ここにいたのか⋮⋮﹂
夕日に染まるサンデルク港の防波堤の先で、アランはシャルンの
196
姿を認めた。彼女は防波堤に腰を下ろし、日が沈もうとしている海
ひとけ
の彼方を眺めている。
辺りに人気はない。
アランはザンフィを頭に乗せたまま、ゆっくりと彼女に近づいて
いった。
﹁︱︱アラン、何の用?﹂
アランの気配に気づいたシャルンは、後ろを振り向かずに冷たい
口調で言った。別に気配を消していたわけではないが、振り向かず
に自分だとわかった彼女にアランは驚いた。
﹁よ、よく俺だってわかったな?﹂
﹁わかるわよ。アルヴィディアンの匂いで﹂
﹁な、何だよ匂いって!? 俺そんなに臭いか?﹂
気のせいかもしれないが、彼女の横顔に微かな笑みが浮かんだよ
うにアランは見えた。それは﹃冗談だ﹄と言っているような感じだ
った。
﹁それで、何の用なの?﹂
やはり気のせいか、シャルンは元の表情で今度は振り向いてそう
言った。
﹁ん? ああ、ええと、別に用ってわけじゃねぇけどよ⋮⋮ほら、
そろそろ戻らねぇとみんな心配するぜ﹂
アランは苦笑を浮かべ、頭の後ろを掻いた。
﹁わたしはもう少しここにいる﹂
シャルンはそっけなくそう言うと、また海の方を向いた。アラン
は微笑むと彼女の隣に立った。
﹁それじゃあ俺も、もう少しここにいようかな﹂
﹁わたしは一人でいたいんだ!﹂
﹁俺はここで海を見ていたい﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
シャルンはアランの顔を睨むように見るが、やがて溜息をつき、
﹁好きにすれば?﹂
197
と言った。
しばらく会話のないまま二人は海を見続けた。やがて夕日が沈み
かけると、アランが口を開いた。
﹁なあ、お前さ⋮⋮もしかして仇のことを考えてるのか? それと
もソテラのことを?﹂
﹁⋮⋮あんたには関係ないでしょ?﹂
つんとした態度で、シャルンは冷たい言葉をアランに浴びせた。
﹁いや、そりゃそうかもしれねぇが、俺らは仲間だろ? 何か悩ん
でんなら相談に乗るぜ?﹂
アランは彼女の態度に負けてしまわないように屈託のない笑みを
返した。するとシャルンは眉根を吊り上げて彼を振り向いた。
﹁気安く仲間なんて言わないで! わたしの⋮⋮わたしの仲間は、
ソテラだけ⋮⋮﹂
次第に彼女の表情が寂しげになり、彼女は俯いた。なんだよ、と
言いかけたアランだが、その表情に言葉を失った。
彼女が行動を共にして日は浅い。まだ自分たちに心を許しきれて
いないのだろう。心の支えだったソテラが居ない今、自分が、自分
たちがその支えになれれば、アランは彼女のその顔を見てそう思っ
た。
﹁︱︱両方﹂
その時、シャルンは俯いたまま呟くような小さい声で言った。聞
き取れずにアランは、え? と返す。
﹁だから両方! 奴らのことも、ソテラのことも⋮⋮両方考えてた。
それと⋮⋮﹂
そこまで言ってシャルンは口ごもった。アランは首を傾げ、
﹁それと?﹂
と詰め寄る。しかしシャルンは首を振り、何でもないわ、と答え、
僅かに海に映った夕日を見詰めた。
そうか、彼女は心を許していないわけじゃない。迷ってるんだ。
仇のことよりも、ソテラの残した言葉、それに自分たちのことを考
198
えていたのだろう。その考えがなかなか整理できないから、こうし
て一人で海を眺めている。彼女の横顔がそれを物語っていた。アラ
ンはそれに気づき、フッと頭の後ろで腕を組み、微笑した。
﹁何にせよ、あんまり思い詰めるなよ。俺たちは少なくとも形だけ
は仲間なんだ。敵じゃない。もっと気を許してもいいんだ﹂
言うとアランは踵を返し、数歩進んで立ち止まった。
﹁俺は、いや、俺たちは全員お前を仲間だと認めている。もし俺ら
がハーフとかいうくだらねぇ理由で人を嫌うなら、ここにセトルは
いない。あいつはハーフですらないからな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
シャルンは黙ったままアランの言葉に耳を傾けている。
﹁だけど、あいつは種族がどうのこうの言う前に、俺の親友だ。シ
ャルン、気を置けないまま旅しても、果たせる目的も果たせなくな
るぜ?﹂
とは言ってみたが、こんなことですぐに彼女が閉ざされた心を開
くとはアランには思えなかった。しかし︱︱
﹁フフ⋮⋮おせっかいね﹂
シャルンは微笑ではあるが、初めてはっきりと笑った。
﹁努力はしてみるわ。顔じゅう引っ掻き傷だらけの妙な男を仲間だ
と思う努力をね﹂
皮肉めいた、どこか棘のある言葉がアランを刺した。
﹁こ、この傷はこいつが⋮⋮﹂
アランは頭に乗ったザンフィを指差した。
﹁その子をいじめたの? 最悪ね⋮⋮﹂
﹁違う! 別にいじめて反撃を食らったわけじゃねぇよ! これは
サニーが︱︱﹂
﹁今度は人のせい?﹂
﹁だーもう違う!﹂
サニーをからかったことによる自業自得のことだが、アランは必
死にそれを隠し続けた。
199
? ? ?
アクセサリー店から失踪したサニーは、この町では二度目の迷子
を満喫していた。
﹁あーもう! 何で港に出るのよ!﹂
あたりはだんだんと暗くなっていき、彼女の心にも不安が満ちて
きた。
﹁う∼、お店にいたらいつの間にか外に出ちゃってたし、セトルた
ちとははぐれちゃうし⋮⋮?﹂
自分の独り言でサニーはあることに気がつき、ハッとした。
﹁もしかして今、セトルとしぐれって⋮⋮ふ、二人っきり⋮⋮えぇ
∼っ!!﹂
叫ぶようにサニーは大声を上げた。しまった、と思った。
﹁︱︱ってあれ? アラン⋮⋮とシャルン?﹂
その時、サニーは防波堤の先で二人がいるのを見つけた。何か言
い争っているようにも見えるが、流石に遠すぎてよくわからない。
﹁何話してんだろ?﹂
サニーは二人に気づかれないように木箱の影に隠れながら近づい
てみた。
﹁それに﹃妙な男﹄って何だよ!﹂
話の内容はわからないが、アランがシャルンに何か言われたよう
だというのはわかった。
︵あれ? シャルン、少し明るくなったような⋮⋮︶
サニーは彼女の表情がいつもと違うことに気づき、不思議に思っ
た。さっきまでは暗く、近づきがたい態度をとっていたのが、今は
アランと話しているからかそうは見えない。
﹁あんたのことよ。ほら、もういいでしょ? 帰るわよ!﹂
︵わっ! ヤバ⋮⋮︶
何となく見つかったらいけないと思ったサニーは、咄嗟に身を縮
200
めようとする。しかしその行動で木箱に体があたり、上に乗ってあ
った小さなタルを落としてしまった。
﹁誰!?﹂
シャルンがバッと振り向く。アランも警戒し、長斧を掴んだ。恐
る恐るサニーは木箱の影から出ていく。
﹁あは、あははは⋮⋮﹂
﹁サニー!?﹂
不自然に笑いながら姿を現したサニーを見てアランは驚き、目を
瞬いた。ザンフィがアランから離れ、彼女の肩へと移る。
﹁何でここに? セトルたちはどうしたんだ?﹂
﹁ええと⋮⋮あ、そうそう、買い物してたらセトルたちどっか行っ
ちゃってさ、捜してたんだけど二人とも見てない?﹂
置いて行ってごめん、と言うようにザンフィの喉を撫でながら、
サニーは明らかに不自然にそう答えた。セトルたちが勝手にサニー
から離れるはずはないから、恐らく︱︱
︵また迷子か⋮⋮セトルたち、必死になって捜しているだろうな︶
アランは嘆息し、肩を竦め、さらに苦笑を浮かべた。
﹁見てないわね。ホテルに戻ったらどうかしら?﹂
サニーが迷子だと気づいてないのか、シャルンは真面目に答えた。
﹁そ、そうね、セトルたちも戻ってるかもしれないもんね﹂
アランが疑いの視線を浴びせているが、サニーはそれを無視して
シャルンに調子を合わせる。
﹁俺らも、もう帰るところだ。一緒に帰ろうぜ﹂
アランが言うと、サニーは頷いた。いやだとは言うわけがない、
迷ってるのはサニーなのだから⋮⋮。
? ? ?
翌日、皆は港のブルーオーブ号の前に集まった。
ウェスターはホテルに泊まらず、大学で一夜を過ごしたようだっ
201
た。知り合いでも居たのだろう。彼は顔が広いから、どこにどんな
知り合いが居ても不思議ではない。
そのウェスターが来て、ようやく皆が揃った。見送りは︱︱誰も
いない。ワースたちは既に次の仕事へ取り掛かっている。
﹁お待たせしました。おや? セトルとしぐれはずいぶん疲れてい
るようですが、迷子になったサニーにでも振り回されましたか?﹂
流石に鋭い。ウェスターの言う通り、セトルとしぐれは何時間も、
日が完全に沈んでからもずっとサニーを捜して町中を走り回ってい
たのだ。アランが呼びに来てくれなかったら一晩中捜していたかも
しれない。
﹁当たりのようですね﹂
ウェスターはやれやれと肩を竦めた。
﹁何でホテルに戻らなかったんだよ?﹂
アランが腕を組んで少し怒ったように訊く。
﹁まさかホテルに居るなんて思ってなかったんだよ。それに、サニ
ーから目を離した僕たちの責任だったから⋮⋮ごめん﹂
目を伏せ、セトルとしぐれは頭を下げた。
﹁ほらもういいじゃん! 終わったことなんだし﹂
特に悪びれた様子を見せず、サニーは明るい笑顔を作って言った。
あんたのせいじゃないの、とシャルンは横目で様子を見ながらそう
思った。
﹁サニー、一番に謝らないといけないのはあなたですよ﹂
﹁うっ⋮⋮ご、ごめんなさい⋮⋮﹂
含みのある笑みがどことなく怖いウェスターに、サニーはたじろ
ぎ、軽く俯いて謝った。
﹁では、サニーも謝ったことですし、出航しましょうか﹂
気のせいか、ウェスターの口調はこのやりとりを楽しんでいるよ
うにも思われた。
﹁まずは︽ヴァルケン︾ってとこに行くんやったな﹂
確かめるようにしぐれが言う。彼女は疲れを見せないように、な
202
るべく明るく振舞っていた。
﹁ええ、そうです。そういえばしぐれも一緒に行くんですよね? はくまから聞きました﹂
ウェスターが言うと、そうか、とサニーが手を叩いた。
﹁そういえばあのときそんなこと言ってたわね﹂
﹁せや、そんなわけやからみんな、改めてよろしく!﹂
しぐれは疲れているはずの顔に満面の笑みを浮かべた。よろしく、
と皆はそれぞれが答えた。
その後、船の乗組員が呼びに来たので、セトルたちはそのままブ
ルーオーブ号に乗船した。
これから向かうところは、しぐれが言ったように︽ヴァルケン︾
という町である。ムスペイル地方の北東に位置するそれは、砂漠に
ある唯一のオアシスの町でもある。他にもオアシスはいくつもある
らしいのだが、町までは発展していないらしい。
火の精霊が居るという遺跡は砂漠の中にあるという。今まで以上
にきつい旅になるのは明らか、まずはヴァルケンでしっかりと準備
を整えておかないと⋮⋮。
203
035 灼熱の地で
﹁あ∼もう∼あつい∼﹂
ヴァルケンで遺跡の正確な位置を聞き、セトルたちは辺り一面砂
だらけの世界をひたすら西に向かって進んでいた。
容赦なく照りつける日の光と、それが地面で反射する熱が皆の体
力を奪っていく。さらに昼と夜との温度差は凄まじく、体調を壊し
てしまいそうだ。ウェスターの指示でフード付きマントを買ってい
たのは正解だったと思う。
ヴァルケンを出て三日。どれくらい進んだだろう。途中、何箇所
か小さなオアシスの休憩所はあったが、そろそろみんなの限界も近
い。
﹁大丈夫ですよサニー、情報が確かならもうすぐ着くはずです。皆
さんもがんばりましょう﹂
流石のウェスターも疲労しているようだ。汗が顎の辺りから滴っ
ている。
﹁アラ∼ン、み∼ず∼﹂
﹁我慢しろよサニー。さっき飲んだばっかじゃないか。これ以上飲
むと、帰りに死ぬぜ?﹂
水や食料はいつも通りアランが管理している。彼はサニーの方を
向いてきっぱり断った。
﹁う∼。今死にそうなんだけど⋮⋮﹂
サニーは両手をだらしなくぶらさげて頬を膨らました。
﹁ウェスターさん、あれじゃないですか?﹂
その時、セトルが前方を指差して言った。そこには石造りの建造
物らしきものが小さく見えた。どうやら蜃気楼ではないようだ。
﹁そうかもしれません。行ってみましょう﹂
ウェスターは言うと、歩くのを速めた。
そこはまだ小さく見えるが、それほど遠くはなかった。セトルた
204
ちはものの数十分ほどで到着し、そして足を止めた。
﹁これがムスペイル遺跡ってやつなん?﹂
ほとんど砂に埋もれた廃墟群を見回してしぐれが言う。
﹁たぶんそうだと思うけど⋮⋮﹂
自信なさげにセトルが答える。今まで行く手には砂しかなかった
から、ここで合っていると思う。
ウェスターは辺りの柱やタイルのようなものを調べ始める。その
後、周りを見回して、倒れた太い柱の向こうに崩れた建物らしきも
のを見つけると、
﹁あそこから中に入れそうです﹂
と言って歩き始めた。近寄って見ると、かなり大きな建物だった
ということがわかる。上の方しか見えていないが、砂の中にどのく
らい続いているのか計り知れない。
ライトスピリクル
その崩れた場所から、かろうじて人が入れそうな穴を発見した。
﹁意外と暗いわね⋮⋮光霊素が少ないのかしら?﹂
穴の手前でシャルンが中を覗き込むようにしながらそう言う。セ
トルたちも中を覗くと、外と比べて湿っぽい、ひんやりとした風が
肌を擦り、呼吸がだいぶ楽になった。
中が外より涼しいとわかると、暑さですっかりバテていたサニー
が我先にと何の警戒もなく中に入った。
﹁はぁ∼涼しい∼。みんなも早く入れば?﹂
どうやら魔物も罠もないようなので、セトルたちは安堵した表情
をする。
﹁ははは、急に元気になりましたね、サニー﹂
からかうようにウェスターが言うと、
﹁そ、そんなことないわよ!﹂
とサニーは頬を膨らました。
﹁とにかく、魔物もおらんみたいやから、うちらも入ってしまおう
!﹂
言いながらしぐれはセトルの背中を押した。彼は、わっ、と小さ
205
な叫びを上げて、躓きそうになりながらも中に足を踏み入れた。
ムスペイル遺跡は古代アルヴィディアの貴重な遺跡の一つ。こん
な場所にあるが、遺跡マニアやトレージャーハンターなど、訪れる
人間が全くいないというわけではない。途中のオアシスにあった簡
ライトボール
素な休憩所は、そういう人たちのために造られたと聞いている。
﹁サニー、光球をお願いします﹂
ライトスピリクル
最後に入ってきたウェスターが指示すると、サニーは頷き、人差
し指の先に光霊素を集め、辺りを照らした。中はすぐに階段になっ
ていて、他の道もあったのだろうが、崩れていて行けそうにない。
セトルたちは少し休んだあと、ゆっくりと慎重にその階段を下り
ていった。遺跡内な外の砂漠と比べたらまるで天国のようだ。こん
なに涼しいところに、火の精霊は本当に居るのだろうか? とセト
ルは今の段階では不安だった。
﹁おい、あそこで何か光ってるぜ?﹂
アランが通路の先を指差した。階段を下りた先は一直線に通路が
続き、そこから多数の枝分かれした通路が続いていた。何度か行き
止まりにぶつかりはしたが、ようやく進んだ先に、円形の青白い光
を放つ霊術陣のようなものが床にあるのを見つけた。
﹁あれは⋮⋮︽転移霊術陣︾ですね﹂
ウェスターはそう言うと、恐れることなく陣に近づき、しゃがん
でそれを調べた。
﹁転移霊術陣って何ですか?﹂
セトルが小首を傾げて訊くのに、ウェスターではなくシャルンが
答える。
﹁特定の場所に移動できる陣のことよ。こういう遺跡にはよくある
わ﹂
へぇ、と感心しつつアランは彼女の横顔を見た。心を完全に開く
にはもう少し時間がかかりそうだ。
調べ終わったのかウェスターは立ち上がると、振り向いて眼鏡の
位置を直した。
206
﹁起動はしているようです。この先が火の精霊の居る場所に繋がっ
ているのでしょう﹂
通路はそこで行き止まりである。どの道、陣に入らないと先には
進めない。
﹁ではセトル、この陣の中央に立ってみてください﹂
﹁あ、はい⋮⋮﹂
ウェスターに言われるままにセトルは青白い光を放つ陣に足を踏
み入れた。サニーが心配そうに見ている。すると︱︱
﹁うわっ!?﹂
陣の輝きが増し、セトルの姿は幻影だったかのように消えてしま
った。サニーとアランはそれを見て唖然とする。
﹁ここは⋮⋮﹂
転移した先でセトルが見たものは、これまでの﹁精霊は居るのだ
ろうか﹂という不安を一気に取り除く光景だった。足場のタイルや
周りの柱の造りからまだ遺跡内だと思うのだが、壁や天井は洞窟の
ようで、妙に明るく、全体が赤く染まっていた。それに砂漠とはま
た違った暑さを感じる。
目の前は断崖絶壁で、普通に歩いていけるほどの足場が、奥に向
かって橋のように延びている。
下を覗いてみると、真っ赤なドロドロしたものがゆっくりと流れ
ている。妙に明るくて暑いのはあれのせいだと思われる。ただのト
レージャーハントで来たのなら引き返していたかもしれない。
﹁あっつーい! 何よここ!?﹂
転移してくるやいなや、サニーは叫ぶように言った。他の仲間た
ちも次々と陣から出てくる。
﹁何や? 今までと雰囲気違わへんか? ずいぶん明るいし⋮⋮﹂
怪訝そうにしぐれは辺りを見回す。するとウェスターがセトルと
同じように下を見下ろした。
﹁下に見えるマグマのせいでしょう。気をつけてくださいよ。落ち
たら死にます﹂
207
それを聞いて皆がぞっとすると、彼は振り向いてどこか楽しそう
な笑みを浮かべた。
﹁それでは行きましょう﹂
そう促され、セトルたちは足場に気をつけながら先へ進んだ。途
中﹃フレアリザード﹄などの魔物と戦ったが、幸い道は狭くなく、
崩れることもなかった。
橋を渡った先に、転移霊術陣で転移してきたところよりもかなり
広い場所に出た。前は断崖絶壁、その下はもちろんマグマ、これ以
上先へは進めないようだった。
﹁何も⋮⋮ないわね︱︱!?﹂
シャルンが言うと、赤い輝きが崖の下から登ってきた。それはた
ちまち形を変え、一人の青年の姿となる。
ただし今までの精霊たち同様、人間とはとても言えない姿だ。真
っ赤な上半身は無駄な筋肉がなく引き締まっており、下半身は蛇に
似た長い尾のようなもののみで足はない。頭からは太い角が二本、
前向きに生えている。両腕には大きな青い宝石のついた盾を持って
いる。
まるで怪物だ。
﹁︱︱召喚士か、久しいな﹂
その声は低く、威厳があった。どうやら本当に精霊のようだ。
﹁私はウェスター・トウェーン。火の精霊﹃エルプシオン﹄、私と
契約を交わしてくれませんか?﹂
前に出たウェスターが言う。
﹁⋮⋮いいだろう。まずは力を示せ!﹂
エルプシオンの体が炎に包まれる。
﹁くるよ!﹂
セトルは剣を抜き、構えた。
﹁た、戦わなあかんのかい!?﹂
驚いたようにしぐれが言う。そういえば彼女とシャルンは、精霊
との契約はこれが初めてだったな。
208
﹁そうだよ、しぐれ。これが精霊と契約するってことなんだ﹂
エルプシオンから目を離さず、セトルは簡単に説明した。
﹁うおぉぉぉぉぉぉ!!﹂
咆哮し、炎を纏ったエルプシオンは天井近くまで上昇した。そし
てそのままセトルたち目がけて急降下してくる。
﹁︱︱バーニングドライブ!!﹂
速い、が単純な攻撃だ。躱せないわけではない。セトルたちはそ
れぞれ散り散りになってそれを躱す。しかし、エルプシオンが地面
に衝突したときの衝撃波は凄まじく、セトルは思わず腕で顔を庇っ
た。
﹁さっさと終わらせるわよ!﹂
シャルンが走り、その勢いで飛び上がってエルプシオンの頭にト
ンファーを振り下す。だが、エルプシオンは腕の盾でそれを防いだ。
シャルンは舌打ちすると跳び退り、入れ替わるようにアランが突
っ込む。
﹁はぁ!!﹂
体を捻り、アランは横薙ぎに一閃する。それはエルプシオンの腹
部を斬るが、深くは入っておらず、エルプシオンが腕を振るって起
こした炎の波にアランは呑み込まれた。
﹁アラン!﹂
セトルが叫び、サニーは治癒術の詠唱に入る。
すると、炎の波からアランは転がり出てきた。そうやって服につ
いた火を消し、アランは起きあがった。サニーの治癒術の光が彼を
包むが、もともと大した怪我ではないようだった。
﹁︱︱駆け巡る閃光、スパークバイン!!﹂
ウェスターの詠唱が響く。直後、電撃がクモの巣をつくるように
絡み合う。
﹁ぬおっ!﹂
ほうくうしゅううざん
呻いたエルプシオンに、セトルとしぐれが左右から走っていく。
﹁︱︱奥義、崩空驟雨斬!!﹂
209
フレアスピリクル
まずはセトルが、乱れ突きのあとに斬り上がりながら飛び、そし
ねはんにしかぜ
て落ちる勢いで剣を振り下す。盾が欠け、火霊素が飛び散る。
﹁︱︱忍法、涅槃西風!!﹂
煌く風を纏った刀で、しぐれは吹き抜けるようにエルプシオンを
通過し、エルプシオンの胸から肩にかけてを斬り裂いた。
やった、と思ったが、エルプシオンはまだ倒れない。そして︱︱
﹁我が炎にて灰燼と化せ︱︱﹂
不気味な赤い光を放つ霊術陣がエルプシオンを中心にして広範囲
に広がる。
﹁まずい⋮⋮皆さん、早く陣の外へ!﹂
術中心のウェスターとサニーは、エルプシオンから離れていたお
かげで陣が届かなかったが、セトルたちは皆その陣の内側にいた。
ウェスターが叫んでくれたこともあって、セトルたちはその場から
離れようと走る。だが︱︱
﹁︱︱パイロクラズム!!﹂
まさに灼熱地獄。陣の中で凄まじい炎が噴き上がり、荒れ狂い、
それは中のもの全てを灰にしてしまいそうな威力だ。
その炎の中からセトルたちは出てきた。無傷︱︱というわけでは
ないが、無事のようだ。彼らの体には光の膜は張ってある。
プロテクション
﹁よかった。間に合ったみたい⋮⋮﹂
それはサニーの術だった。彼女は咄嗟にそれを唱えて炎からセト
ルたちを守っていたのだ。
﹁ザンフィ、行って!﹂
炎が消え、エルプシオンが姿を現した時にザンフィが背後から飛
びかかりその体を引っ掻き回す。エルプシオンは手でザンフィを追
うも、その巨漢が仇となりなかなか振り払えない。
まこうひえいじん
その隙にセトルが一気に間合いを詰め、剣に霊素を付加させる。
﹁はあぁぁぁぁぁぁ! 魔皇飛影刃!!﹂
横薙ぎに一閃し、大上段から思いっきり振り下ろす。それと共に
裂風がエルプシオンを襲う。
210
﹁その力、認めよう⋮⋮﹂
フレアスピリクル
エルプシオンは姿を保てなくなり、火霊素を飛散させながらそう
告げた。ザンフィはサニーの元に戻り、彼女は褒めながらその頭を
撫でた。
﹁力は認めた﹂元の姿に戻ったエルプシオンがウェスターを見る。
﹁召喚士の者よ、契約の儀を行うといい﹂
ウェスターが槍をしまってエルプシオンの前に出る。
﹁では⋮⋮我、召喚士の名において、火の精霊エルプシオンと盟約
する⋮⋮﹂
彼から出た一条の光にエルプシオンは消え、やはり指輪を残した。
赤色のガラス状の光沢をもつそれは、前にウェスターが言ってた通
りだとすれば、火の精霊石ルビーだろう。
﹁終わっ⋮⋮た?﹂
シャルンが呟く感じで言う。しぐれも呆然としている。
﹁ええ、これで契約は終了です﹂
ウェスターの顔に笑みが浮かんだ。
﹁何や、けっこう単純やなぁ﹂
どこか物足りないようにしぐれは言うが、精霊と戦うことは生死
に関わる。単純だけど、それなりにつらい。
セトルは苦笑し、これからのことを考えて溜息をついた。
︵また、あの砂漠を歩くのかぁ⋮⋮︶
211
036 精神隷属器
オアシスの町︽ヴァルケン︾にやっとのことで帰ってきたセトル
たちは、まず何よりも水を求め、泉へ向かった。
帰りは行きよりもかなり時間がかかってしまった。疲れているこ
ともあったが、途中でサニーが熱射病で倒れたためである。幸い近
くに小さなオアシスがあったため、サニーが治るまでセトルたちは
そこで休んでいた。
砂の混じった乾いた風が吹く。
街はオアシスを囲むようにいくつもの露店が出ていて、行き交う
人々は皆、セトルたちが砂漠で使ったようなマントや布を纏ってい
る。それは砂漠というものが、昼は肌をだしていると火傷するほど
暑く、夜はかなり冷え込むためであるとウェスターに前もって教え
られていたが、実際に砂漠を歩いたことでセトルは十分それが身に
染みた。
﹁ぷはー! ホンマ生き返ったわぁ﹂
コップ一杯の水を飲み干し、しぐれは大きく息をついた。
﹁本当、水がこんなにおいしく感じるなんて、アスカリアじゃなか
ったことだよ﹂
ゆっくりと水を味わってセトルが言う。するとサニーがだらしな
く腕を垂らして、
﹁何か今、すごくアスカリアへ帰りたい⋮⋮﹂
と故郷を懐かしむように呟いた。
﹁何でしたら帰ってもいいんですよ、サニー?﹂
﹁じょ、冗談じゃないわよ! 誰が⋮⋮﹂
ウェスターがからかうように言うと、彼女は眉を吊り上げ、顔の
前で両拳を握った。
﹁はは、アスカリアは涼しいからな。正直、俺もどこでもいいから
涼しい場所へ行きたいぜ﹂
212
微笑を浮かべ、アランはハンカチで頬を流れる汗を拭いた。アス
カリアという涼しい環境で暮らしていた三人にとって、砂漠という
ものはそうとうきついものだった。
﹁ニブルヘイムにでも行ったら?﹂
ぼそっと棘のある口調でシャルンが呟く。
﹁ば、ばか、そんなとこ行けるか! 寒すぎるだろ!﹂
皆から笑いが零れる。それにしてもシャルンはアランにだけこの
ような態度をとる。仲が悪いわけではなく、むしろ良いといった感
じだ。一体この二人に何があったのか、セトルは不思議に思った。
サニーは知っているようだが、面白がって教えてくれない。
﹁何でもええけど、はよう宿行かん? うちめっちゃ疲れてんねん﹂
忍者の言葉とは思えないようなことをしぐれが言った。その時︱︱
﹁シャルン、危ない!?﹂
セトルが叫び、シャルンは咄嗟に横へ跳んだ。すると今まで立っ
ていた場所に鉄の棒が振り下ろされ、地面を叩いて土煙を上げた。
ウェスターが槍を構築し、襲ってきたアルヴィディアンの男を抑
える。すると男は糸が切れたように気を失ってしまった。それを見
た周囲の人々が悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げだす。
﹁これは⋮⋮操られて⋮⋮﹂
﹁︱︱フッ、やはり無理か﹂
ウェスターがそう呟いた途端、そのような声が聞こえ、一人の青
年がセトルたちの前にある石造りの家の影から現れた。あれは︱︱
﹁ルイス⋮⋮﹂
だった。シャルンは憎しみの溢れる声で四鋭刃﹃蒼牙のルイス﹄
の名を呟き、すぐにトンファーを抜いて飛びかかった。
﹁ソテラの敵!!﹂
シャルンのトンファーがルイスの顔面を打とうとする。しかしル
イスは大剣の鞘を抜かないまま、それを立てるようにしてトンファ
ーを防いだ。
シャルンはもう片方のトンファーを打ちつけようとするが、叶わ
213
ず、そのままルイスの大剣で薙ぎ払われ、尻餅をつく。
﹁くっ⋮⋮﹂
﹁シャルン!﹂
アランは真っ先に斧を構え、それにつられてセトルたちもそれぞ
れの武器を構えてシャルンを庇うように彼女の前に立つ。ザンフィ
もサニーの肩の上で毛を逆立て威嚇している。
﹁ルイス、あなたまさか︽サヴィトゥード︾を?﹂
ウェスターは睨むようにルイスを見る。すると彼は悪びれる様子
もなく鼻を鳴らした。
﹁フン、だったら何だ? 屑のアルヴィディアンに使っただけだ﹂
ルイスは黒い円盤状の物体を掌の上に乗せるようにして取り出す。
あれがサヴィトゥードだ。
﹁てめぇ!﹂
アランが拳を突きつける。
﹁こんなことしていいと思っているのですか!﹂
セトルも込み上げてくる怒りのまま叫んだ。だが、無闇に飛びか
かれない。ルイスには隙がなかった。
﹁まあ確かに、俺もこういうのは好きじゃねぇが、やれって言われ
たら仕方ないな﹂
﹁何!?﹂
ということは、幹部である彼に命令を下した者がいる。まさかア
ルヴァレスがこの町に?
﹁︱︱ルイス、何をだらだらと話しているのですか!﹂
その時低い男性の声が聞こえ、ルイスは舌打ちをした。
乾いた足音を立ててそこに現れたのは、色黒の肌に、背が二メー
トル近くあるノルティアンの男性だった。大男という表現とは少し
違い、彼は縦にだけ長く、簡単に言えばノッポだ。年は四十代後半
くらいで、短く刈ったグレーの髪を後ろにはねるようにしてあり、
それと同じ色の口髭を生やしている。ルイスと似た肩の部分が黄緑
色の法衣のような服を纏い、腕には籠手をはめ、分厚い革製のブー
214
ツを履いている。
何よりも目立つのは、背に背負っている死神を思わせる巨大な鎌
である。
射るような視線がセトルたちに向けられる。
﹁ロアード⋮⋮﹂
やはり、と言うような表情でウェスターが呟く。
﹁誰や?﹂
目だけウェスターを向いてしぐれが訊く。
﹁彼の名はロアード。アルヴァレスの副官です。まさかここで現れ
るとは思いませんでしたが⋮⋮﹂
ウェスターは自身を落ち着かせるように眼鏡の位置を直した。
﹁ルイス、サヴィトゥードを。私がやります。お前は下がっていな
さい!﹂
ロアードは強引にサヴィトゥードを奪い取り、チッ、とルイスは
舌打ちをして数歩下がった。
ロアードはルイスが下がったのを確認すると、サヴィトゥードを
前に突き出す。
﹁何をするつもり?﹂
警戒しながらサニーが訊く。するとロアードは口元に不敵な笑み
を浮かべて、掌の上に乗せたサヴィトゥードを指差す。
﹁これの実験ですよ。アルヴィディアン以外もちゃんと操れるかど
うかということを試してみるのです﹂
﹁いけません! シャルン!﹂
ハッとし、ウェスターは叫んだ。ノルティアンである彼とサニー
には効果がないし、ロアードの言葉からアランとしぐれも対象外。
残るは青い目のセトルかハーフのシャルンだが、サヴィトゥードは
対象の心が弱いほど強力なものになる。もともと差別を受け、相棒
を亡くしたシャルンほど条件に適したものはここにはいない。
﹁もう遅いですよ!﹂
サヴィトゥードが不気味に輝き、シャルンの足下に霊陣が生じる。
215
そしてそこから発せられた黒い光がシャルンの体を包み込んでいく。
﹁こ、これは︱︱い、いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!﹂
何かか体に、いや心に入ってくる感じがする。それと共に割れる
ような頭痛が走る。彼女は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
﹁シャルン!?﹂
アランが心配して駆け寄る。
﹁シャルン、しっかりしぃ!﹂
しぐれも言うが、シャルンにはもう皆の声は聞こえていないだろ
う。
﹁ほう、抵抗しているようですね。やはりノルティアンの血が混じ
っているからでしょうか?﹂
冷静に分析しているロアードの後ろで、ルイスは不機嫌そうに、
くだらん、と呟いた。
﹁ロアード! サヴィトゥードを止めなさい!!﹂
﹁お断りします。このまま潰し合ってください!﹂
睨んだウェスターにひるまず、ロアードはサヴィトゥードの輝き
をさらに強くした。
﹁あぁぁぁぁぁぁ⋮⋮⋮⋮﹂
すると、シャルンの叫びが途絶え、彼女はゆっくりと立ち上がっ
た。
﹁おいシャル︱︱うぐっ!?﹂
アランが声をかけようとしたとき、ドス、という音が鳴った。見
ると、シャルンのトンファーがアランの腹部に食い込んでいた。彼
は腹を押さえ、その場に膝をつく。
﹁シャルン!? 何で⋮⋮﹂
戸惑うサニーの方を彼女は向いた。その目には感情が、いや生気
さえも感じられない。
﹁まさか完全にサヴィトゥードに⋮⋮一体どうしたら⋮⋮くそっ!﹂
拳を握り、セトルは考えた。その間にもシャルンはトンファーを
振りまわして無感情に暴れている。それをウェスターやしぐれが、
216
彼女を傷つけないように加減して抑えている。
﹁やっぱりこれしか⋮⋮﹂
セトルはロアードに向かって走り出した。
﹁あなたを倒して、サヴィトゥードを止めます!﹂
セトル飛び上がり、大上段から剣を振り下す。が︱︱
ガキン!
大剣を抜き、ロアードの前に飛び出したルイスにそれを防がれて
しまう。刃と刃が噛み
合い火花が散る。
﹁ルイス、彼はあなたに任せます。私はサヴィトゥードの制御で今
は動けませんからね﹂
ロアードはそう言うと後ろ向きにゆっくり歩きセトルから距離を
とった。
﹁そこをどいてください!﹂
﹁⋮⋮断る﹂
その時、ルイスの足下に光の霊術陣が出現する。サニーだ!
﹁︱︱光の十字よ、我が仇となる者を討て、シャイニングクロス!
!﹂
陣から光柱が立ち昇る。しかしルイスはバックステップでそれを
躱した。
﹁セトル、加勢するわ!﹂
﹁ああ、とりあえずあいつら二人ともぶっ飛ばせばいいだろ﹂
アランも立ち上がってきた。腹はまだ痛むのか、手で押さえたま
まだ。
﹁セトル!﹂ウェスターがシャルンのトンファーを防いだ状態で言
う。﹁彼女は私たちに任せてください。それとサヴィトゥードは使
い手から離れるだけでも効果は消えます﹂
了解したようにセトルは頷き、彼は剣を振り翳した。
﹁︱︱飛刃衝!!﹂
217
037 過去と現在と
︱︱ここは⋮⋮どこ?
暗い闇の中にシャルンはいた。上も下も、右も左も、真っ暗な闇
がどこまでも続いている。
周りには誰もいない。声も聞こえない。
わたし、一体どうなったの?
真っ暗な闇の中に自分一人だけ。不安がだんだんと募ってくる。
その時、一瞬目の前が真っ白になったと思うと、闇は消え去り、彼
女はどこかの町の中に立っていた。ヴァルケンではない。もっと気
候がよく、人が大勢いる町だ。
﹁うわっ! こいつ目が赤いぞ!?﹂
すると、そう言う男の子の声が耳に響いてきた。自分のことか、
と思ったがどうやら違うようだ。
あれは⋮⋮
彼女の目に映ったものは、数人の子供たちに囲まれて泣いている、
十歳にも満たないオレンジ色の髪をしたハーフの少女だった。
あれは⋮⋮わたし?
それは、幼い時の自分の姿だった。過去に戻った︱︱わけではな
いようだ。シャルンはようやく周りの人々に自分が見えてないこと
に気づいた。
これは、わたしの記憶⋮⋮ここは、わたしの心の世界⋮⋮
﹁何だよこいつ、きもちわりぃな∼﹂
別の男の子が言う。彼女に怒りと憎しみ、それに悲しみが込み上
げてくる。
﹁ほら、あっち行けよ!﹂
また別の子がそう言って小石を投げた。それは幼いシャルンの額
にあたり、皮膚が切れて血が流れた。
﹁こら! あなたたち何をしてるの!!﹂
218
誰かの親と思われる女性がやってきて子供たちを叱りつけるが、
幼いシャルンの瞳を見るなり仰天した。
﹁ハ、ハーフ!?﹂
すると女性は一気に態度を豹変し、自分の子だと思われる男の子
の手を引いた。
﹁うちの子に近寄らないでくれる! 穢らわしい!﹂
そしてもの凄い形相で幼いシャルンを睨みつけ、子供たちを連れ
て去って行った。
﹁何で? どうして﹃はあふ﹄だといけないの⋮⋮?﹂
幼いシャルンは大粒の涙を零しながらそう呟いた。
どうして? ハーフだからだ。それ以外に理由はない。ハーフは
その存在自体が忌み嫌われるもの。同じハーフ以外に心を許してく
れるものなんて⋮⋮いない
すると、また目の前が真っ白になり、場所が変わった。どこかの
街道のようだ。夕暮れで、辺りに人はいない。
そこへ一台の大きめの馬車がやってきた。もうすぐ夜になるとい
うのに、どこに向かっているのだろう?
だがシャルンにはこの光景に見覚えがあった。自分の記憶だから
当たり前なのだが、その中でも特に強く残っている。
これは、あの時の︱︱ダメ! そっちに行っちゃ!
聞こえないとわかっていても、シャルンは馬車に向かって叫んで
しまった。これはあの悪夢の記憶だから⋮⋮。
辺りがもうだいぶ暗くなったとき、突如二頭いた馬が爆発し炎上
した。馬車はバランスを崩し横倒しになって数十メートル地面を滑
った。手綱を握っていた者は爆発に巻き込まれ、既に絶息している
だろう。
﹁ヒュー♪ タイミングバッチシ! さっすが俺!﹂
木の影から出てきた金髪を逆立てた刺青の少年が、その惨状を見
て楽しそうに笑っている。
ゼース⋮⋮
219
シャルンに強い憎しみが込み上げてくる。
﹁う⋮⋮一体何が⋮⋮?﹂
馬車の後部扉が開き、なんとか動ける男女が数人出てきた。それ
を見たゼースは一瞬驚き、そして口元に不敵な笑みを浮かべる。
﹁まだ動けるってことはちったあできるということだな。しかも、
全員ハーフときた。ヘヘ、殺しがいがあるぜ﹂
そう。あの馬車はエリエンタール家の馬車。これは十年前に彼女
の家族が殺された時の記憶である。
鮮血がほとばしる。実の兄のように思っていた人、実の姉のよう
に慕っていた人が次々と殺されていく。
みんな!
この悪夢を見ていたくない。だが、目をつむってもこの映像は流
れてくる。シャルンは悲鳴を上げたかった。
義賊エリエンタール家はハーフだけが集まった集団。周りに血の
繋がりがある人はほとんどいない。彼らは金持ちから盗んだ物を貧
乏人なら種族を問わず分け与えていた。だから貧乏人にとって彼ら
はヒーローのようなものだった。だが彼らはそのヒーローが全員ハ
ーフだということは知らなかった。
開いた後部扉の割れた窓から外を見た九歳のシャルンは、その惨
劇に全身が凍りついた。全員を殺し終えたゼースは、まだ生き残り
はいないか、と馬車に向かって歩き始めた。幼いシャルンは金縛り
にあったように動けない。
だが、馬車に残った一人の男性が彼女を抱くように馬車の中に引
き込んだ。それは︱︱
︱︱お父さん⋮⋮
である。彼女の父はこの集団のリーダーを務めているが、もちろ
ん本当の父親ではない。
彼は今の負傷した自分ではゼースに勝てないこともわかっていた。
そこにいる母は、先程の転倒で自分を庇ったため動かなくなってい
る。
220
一歩一歩ゼースが馬車に近づいてくる。
﹁シャルン、お前だけは生きろ!﹂
﹁いや! わたしも戦う!﹂
と言っても、幼いシャルンはまだ戦う術を持っていない。父は額
から血を流した顔で微笑むと、彼女に仕事で使う即効性の催眠ガス
を吸わせた。急激に瞼が重くなり、意識が朦朧としてくる。
彼は彼女を母の陰に毛布を被せて隠した。
﹁生きろシャルン。生きて本当の自分を見つけろ﹂
それは薄れゆく意識の中、僅かに聞き取れた父の最後の言葉だっ
た。
︱︱また、漆黒の世界に戻った。
わたしはあの後、お父さんがどのように殺されたのか知らない。
気づいたら助けられ、どこかの家のベッドで横になっていた。他の
種族を嫌うようになったのもそのときから。
その家にはアルヴィディアンの老夫婦が住んでいて、今思えばハ
ーフの自分を受け入れてくれた初めての人だっただろう。
だけど、わたしはその家を飛び出した。敵を討つため、わたしか
ら全てを奪ったあいつを殺すために⋮⋮
結局、飛び出したところで幼い、しかもハーフの自分が堂々と人
前で生きていくことなどできるわけがない。残飯を漁り、時には盗
みをし、ゼースを殺すという生への執着心が彼女を生かした。また、
強くなろうともした。霊術の才能はもともとあったので、それを鍛
え、気づけばどこで手に入れたのか忘れたトンファーを握っていた。
あの老夫婦以来、自分を受け入れてくれた人はいない。避けられ、
バカにされ、石を投げられ、意味もなく殺されそうになったことも
ある。
憎かった。周りの人間全てが。それは今でも変わらない。
憎い、憎い、憎い。あんなできれば忘れてしまいたい忌まわしい
記憶を見て、シャルンの一度は解けかけた心がまた凍りつこうとし
ていた。闇がさらに濃くなっていく。
221
﹃⋮⋮シャルン﹄
その時、誰かが呟いたような声が聞こえた。
﹁シャルン!﹂
気のせいじゃない⋮⋮これはソテラの声!?
また、目の前が真っ白になって、次に映ったものはどこかの町の
裏道を走る自分の姿だった。
また悪い記憶? いや違う、これは⋮⋮
その風景は憎しみに隠され、忘れかけていた記憶だった。
もう十四歳になった自分がパンを抱え、後ろから追ってくる職人
の男から逃げている。捕まって、ハーフだとわかったら殺されるか
もしれない。彼女は必死で足を動かした。そして曲がり角を曲がっ
た途端、衝撃が体に走った。誰かとぶつかった。シャルンは尻餅を
ついたが、相手はなんとかバランスを保ち立っていた。藍色の髪を
耳に掛からない程度に刈ったシャルンより少し年上と思われるその
少女は︱︱
ソテラ!
に間違いない。
﹁大丈夫か?﹂
彼女の細い腕が延びる。シャルンは警戒し、その腕を払って立ち
上がった。しかし、目深に被った帽子の中の瞳を見て目を疑った。
﹁ハーフ!? わたしと同じ⋮⋮﹂
するとソテラはシャルンがハーフであること、ボロボロでパンを
持って逃げていること、後ろから駆けてくる足音がだんだんと近づ
いていることで、シャルンが何をしたのか悟り、彼女の手を強引に
掴んで、
﹁こっち!﹂
と言って、すぐ傍の誰も住んでいない廃れた家の中へ放り込むよ
うに入れた。そしてソテラは外に出たまま、追いかけてきた男と不
自然に見えないようにぶつかり、わざとらしく尻餅をついた。
﹁きゃっ!﹂
222
弱々しい悲鳴を上げてみせる。
﹁だ、大丈夫か譲ちゃん!?﹂すまなさそうに男が訊く。﹁さっき
ここを曲がったハーフの女を見なかったか?﹂
﹁パンを抱えてた子ですか? ハーフだったんですね。彼女なら十
字路を右に行きましたよ﹂
﹁ありがとう!﹂
男は何の疑いも見せずソテラの教えた嘘の方向へ走って行った。
帽子を目深に被り、尻餅をついて顔を相手より低い位置にすること
で、彼女はハーフだとバレないようにしていた。当然バレてはいな
いが、嘘はすぐにバレるかもしれない。ソテラは家の中で呆然と座
り込んでいたシャルンに言う。
﹁早くここを離れましょ!﹂
ひとり
これがわたしとソテラの初めての出会い。もう忘れかけていたけ
ど、このとき孤独だった自分に仲間ができて本当に嬉しかった。
でも、ソテラはもういない⋮⋮わたしはまた孤独⋮⋮
闇が落ちた。その時︱︱
﹃まあ、あんまり思いつめるなよ、シャルン。仲良くいこうぜ♪﹄
なぜかアランの言葉が頭を過ぎった。
﹃俺らは仲間だろ?﹄
サンデルクの港での言葉、孤独だったシャルンにとってそれは、
あの時はあんな風に言ってしまったが、強く心に刻まれた言葉だっ
た。
﹃ここには⋮⋮他にも仲間がいるだろ? セトルたちなら⋮⋮わた
わたしたち
したちハーフでも⋮⋮助けようとしてくれた彼らなら⋮⋮。シャル
ン、もっと周りに心を許せ⋮⋮世界には⋮⋮ハーフを嫌っている人
ばかりじゃ⋮⋮ない。わたしは⋮⋮それを教えたかった﹄
ソテラの死に際の言葉も蘇ってきた。
そうか、ソテラにはわかっていたんだ。自分を犠牲にしてまで彼
女はそのことを伝えたかったのだ。エリエンタール家でもない彼女
がどうしてそこまでしてくれたのか、シャルンにはわからなかった。
223
だが︱︱
わたしもようやくわかったような気がする。今のわたしには、ま
だ仲間がいることを⋮⋮
闇に一点の光が差した。それは彼女の心の変化。サヴィトゥード
の負の念を取り払える心の強さ。彼女はその光に向かって駆けだし
た。
憎しみは消えないけど、わたしはもう前を向ける。だからこんな
闇になんか⋮⋮負けたりはしない!!
? ? ?
感情の片鱗も見せなかったシャルンの目から涙が零れたのを、し
ぐれは見落とさなかった。
﹁シャルン、泣いてるやん⋮⋮苦しんでるんや﹂
彼女を羽交い絞めにしているウェスターも、ふむ、と呟く。
﹁恐らく彼女はサヴィトゥードと戦っているのでしょう。この精神
力、流石ですね⋮⋮﹂
シャルンは女性とは思えないもの凄い力でウェスターを振り払う。
体の方は完全に支配されている。精神がブレーキをかけているから
この程度なのだろう。サヴィトゥードの恐ろしさをしぐれは実感せ
ずにはいられなかった。
セトルたちはルイスに邪魔され、まだサヴィトゥードを奪えない
でいる。セトルは強く踏み込んで横薙ぎに一閃、さらに一閃するが、
全くあたらない。彼の攻撃は全て紙一重で躱されている。だからル
イスに隙が生じない。逆にセトルに攻撃の隙ができてしまう。アラ
ンはセトルが戦っている間にルイスの脇を抜けようと全力疾走を試
みるが、目の前に大剣が振り下ろされ制される。ルイスの戦い方は
こちらを傷つけるといったものではない。時間稼ぎ、そういった戦
い方だ。その証拠に、彼は隙ができても一度も反撃していない。
﹁フフ、もう少し⋮⋮流石にノルティアンの血が流れている分、時
224
間がかかっていますが、ハーフをものにできれば我々の計画も大幅
に前進する﹂
セトルたちから十分距離をとった安全地帯で、ロアードは不敵な
笑みを浮かべている。サヴィトゥードで操れる時間は、実は無制限
である。といっても使用者の精神が続く限りだが。
﹁最後の封印はハーフの力がないと解けませんからね︱︱!?﹂
微かだが、ピキッ、という音がサヴィトゥードから響いたのをロ
アードは聞いた。見るとサヴィトゥーにまだ僅かだが罅が入ってい
る。
︵バカな!? 凝縮霊核光線でも破壊できないサヴィトゥードがな
ぜ!?︶
と思っていたのも束の間、最初の罅を引き金に次々とサヴィトゥ
ードに亀裂が入っていく。
次の瞬間︱︱
︱︱パリン!
ガラスのコップを落として割ったような音と共に、サヴィトゥー
ドは粉々に砕けてしまった。ロアードの表情に焦りが生じる。同時
にシャルンが操り人形の糸が切れたように倒れた。
ルイスはそれに気づき、隙を見せてしまった。もちろんセトルは
そのチャンスを見逃さない。ルイスの懐に飛び込み、彼の肩から脇
腹にかけて剣を滑らせ対角線を描いた︱︱ように見えたが鮮血が飛
び散らない。ルイスは咄嗟に大剣を盾にし、セトルの剣はルイスの
大剣の腹を滑っただけだった。ルイスはセトルを弾くと、後ろに跳
び退る。
﹁どうした?﹂
セトルたちから目を反らさずにルイスは訊く。
﹁あのハーフの娘の精神力を侮ってました⋮⋮まさか身体を操られ
た状態でサヴィトゥードに打ち勝つとは⋮⋮﹂
ロアードはシャルンを睨むような形で見た。
セトルたちが彼女に駆け寄ったときにはまだ彼女に意識が残って
225
いたが、やった、と囁くとすぐに気を失ってしまった。無理もない、
とセトルは思った。
﹁かなり衰弱してる⋮⋮一応、治癒術をかけてみるわ﹂
サニーがファーストエイドを唱える。ウェスターは彼女の安否を
確認するとロアードたちの方を向いた。
﹁さあ、どうします? サヴィトゥードは破壊されました。もうあ
なたの言う実験はできません!﹂
ギリッ、とロアードは微かに歯ぎしりを立てる。そして体を翻し、
﹁退きますよ、ルイス! まだ手がないわけではありません﹂
レイシェルウォー
と言って引き上げようとする。ルイスも黙ってそれに従った。
﹁ま、待て! お前らの目的は何だ! 人種戦争を起こすことか?﹂
スピ
叫ぶようにアランが訊くと、ロアードは立ち止り、顔を半分だけ
レイシェルウォー
こちらに向けた。
リアスアーティファクト
﹁人種戦争? あの方はそんなものを起こす気はありませんよ。古
霊子核兵器を使ったもっとすばらしいことです﹂
﹁それは?﹂
セトルが問う。だが彼らはそれ以上喋らず、砂の巻き上がる風の
中に消えていった。セトルとしぐれは追おうとしたが、ウェスター
に呼び止められる。
﹁今はシャルンの方が先です。早く宿に向かった方がいいでしょう﹂
? ? ?
﹁︱︱ん⋮⋮﹂
シャルンは目が開くと、そこは宿のベッドの上だった。
︵そうか、わたしはあの後⋮⋮︶
上半身だけ起こし、彼女は窓の外を見上げた。冷たい乾いた空気
が窓の隙間から流れ込んできた。今はもう夜で、部屋の中も薄暗く、
静かで、そして寒い。窓のからは満天の澄んだ星空が見える。時々
吹きつける強い風が、その窓をガタガタと音を立たせる。
226
シャルンは身震いすると、とりあえずカーテンを閉めた。星明り
が消える。だんだんと夜目が効いてくる。すると周りに皆の姿があ
ることに気がついた。ただ、ウェスターだけは居ない。理由はわか
る。奴らが夜襲してくることも考えられるので、その見張りといっ
たとこだろう。
皆、よく眠っている。砂漠越えのあとにあんなことがあったのだ。
当たり前である。セトルは胡坐をかいて壁に寄りかかるようにして
静かに眠っており、その隣でしぐれが、すーすーとリズミカルな寝
息を立てている。治療をしていてくれたのだろう、サニーがこのベ
ッドの端に腕を置き、それを枕にしている。皆、毛布を被っている
が、それは誰かがあとからかけたような跡があった。
﹁目が覚めたみたいだな﹂
腕を組み、シャルンの後ろの壁に凭れるようにしてアランは立っ
ていた。
﹁アラン⋮⋮﹂
シャルンは体を捻るようにして彼の方を向いた。
﹁もう少し寝てろよ。俺たちの中で一番疲れてんのはお前だろ?﹂
アランの優しさが感じられた。今までもこんな風に話してくれて
はいたが、こんなにはっきりとは感じることはできなかった。
﹁あなたは寝ないの?﹂
﹁バッカ、俺は見張りだ。ウェスターが外、俺が中。まあ、そろそ
ろ交代の時間だからセトルを起こす準備でもするか﹂
やはりウェスターは見張りで合っていた。普段は野宿でもなけれ
ばこんなことはしないのだが、今日は仕方ない。
﹁準備?﹂
﹁ああ、どういう風に起こしたら面白いか考えることだ♪﹂
薄暗闇の中でアランは意地悪そうな笑みを浮かべる。
﹁⋮⋮いやな性格ね﹂
﹁それほどでも♪﹂
褒めてない、とシャルンは言わず、クスッと微笑した。この中に
227
居ると、不思議と自分がハーフであるということを忘れてしまいそ
うな居心地の良さがあることに、彼女はようやく気づく。
﹁よし、この手でいってみるか!﹂
何かを思いついたのだろう。アランは静かに手を叩くとセトルの
方に向かって歩き始めた。途中で振りかえり、お前は寝てろよ、と
潜めた声で言う。
言われた通りシャルンは布団に入り、目を閉じた。そのあとでセ
トルの小さな悲鳴が聞こえた。何をされたのか少し興味があったが、
今は眠ることにした。
今、わたしはもう、孤独じゃない︱︱。
228
038 新技術
シャルンの回復も早く、セトルたちは昼前にヴァルケンをあとに
した。
出航の前にシャルンが、
﹁一つだけ訊いていいかしら? みんなは何でハーフであるわたし
を受け入れてくれるの?﹂
と、意味不明なことを訊いてきた。やれやれと嘆息しつつ苦笑を
浮かべたアランの横でセトルが、仲間だからです、と一言でそれに
答えた。いつものことだが、敬語でそう言った彼にシャルンは距離
があるように感じ、訝しみながら、
﹁だったら敬語はやめてくれる?﹂
と言った。これを言われたのは何度目だろうか。少なくともセト
ルはアスカリアのほぼ全員には言われている。ウェスターも敬語を
使うが、年が離れてるせいなのかそれは自然に感じられて誰も咎め
ることはない。
その後、アランが外れた言葉で一旦場を収拾し、皆は船に乗り込
んでサンデルクへと向かった。
一日ほど船の上で過したのち、一行はサンデルクの気候に幸せを
感じながら、足早にワースの居る大学を目指した。何か精霊の情報
が入っていることを願って。
﹁ワースさん、今戻りました!﹂
彼の部屋の前に立ち、ドアをノックしてセトルは言った。しかし
返事はなく、ドアにも鍵がかかっていた。
﹁あれ? どこに行ったんだろう?﹂
すると、一人の独立特務騎士団の兵士が駆け寄ってきた。そして
一礼すると、師団長からの伝言です、と言う。
﹁グラウンドの向こうにある霊導研究所へ来てくれ、とのことです﹂
﹁ワースもそこに?﹂
229
そのまま去ろうとした兵士を呼び止め、ウェスターが訊く。
﹁いえ、師団長は別件で動いています。何をするかは、研究所の﹃
スウィフト﹄という男に訊けばわかるらしいです﹂
兵士は、それでは、と一礼して、恐らく自分の仕事に戻った。セ
トルたちは顔を見合わせ、ここで立ち止まっていても仕方ないので
指示に従うことにした。
霊導研究所は一度一階まで上がり、大学の東口から出たところの
広大なグラウンドのさらに先にある。大学内ですれ違う白い制服を
着た学生が、物珍しいといった視線で一向を見ていたが、セトルや
シャルンの瞳の色については何も言ってこなかった。少なくとも彼
らの前では︱︱。
誰もいないグラウンドの中央を堂々と渡ると、その先は小さな森
になっていて、横幅が広い道の先に小さな建物がぽつんと建ってい
る。周りは木々に囲まれていて、大学とは隔離された世界になって
いた。その理由は、文字通り霊導研究を行っているからだとウェス
ターは言う。
そんなに危ないこともしているのだろうか?
とりあえずノックをしたが、返事がないのでセトルはドアノブを
回そうとした。だが、その瞬間にドアは勢いよく開かれ、彼は顔面
を打ってしまい、鼻を押さえた。
﹁ああ、ごめんごめん! ちょっと慌ててました﹂
中から出てきたのは、ミルク瓶の底のような眼鏡をし、ひょろっ
とした体格の頼りなさそうなアルヴィディアンの青年だった。彼は
何度か頭を下げてセトルに謝ると、ウェスターに視線を移した。
﹁ウェスター様ですね。お待ちしておりました﹂
﹁では、あなたがスウィフトですか?﹂
青年は、はい、と言って白衣の胸ポケットから名刺のようなもの
を取り出して見せた。そこには﹃霊導学、学部長スウィフト・キモ
ン﹄という名が書かれてあった。
﹁その若さで学部長ですか。なかなか素晴らしいですね﹂
230
﹁ウェスター様にそう言っていただけるとは、光栄です!﹂
スウィフトは照れたように顔を赤らめて茶髪の頭を髪が乱れるほ
ど掻いた。よっぽど嬉しいのだろう。
﹁何で慌ててたんや?﹂としぐれ。
﹁いえ、憧れのウェスター様に会える、と独立特務騎士団の師団長
様から聞いていて、浮かれてたところにノックが聞こえたものです
から⋮⋮ハハ﹂
やれやれと皆が肩を竦める。とりあえず中に入ってください、と
スウィフトに勧められ一行はその小さな建物の中に入った。入って
すぐのところは、意外と綺麗に片づけられていて、何とかこの人数
を接客できるほどの広さはあった。最初セトルは、こんな小さな空
間でどうやって研究をするのかと思っていたが、奥に地下へ繋がる
階段を見つけたので研究はそっちで行っているのだとわかった。
中は大きめの机が中央に設置され、そこに人数分の椅子が並べら
れており、そこから見やすい位置に黒板があった。天井近くの壁に
は、歴代の学部長の写真が立て掛けられている。その中の一人に皆
は目を疑った。
﹁あれって⋮⋮もしかしてウェスター!?﹂
サニーが驚嘆して言ったその写真には、今のウェスターを十年ほ
ど若返らせたような顔の男が写っていた。
﹁ええ、そうですけど、言ってませんでしたか?﹂
﹁ウェスター様は﹂とスウィフト。﹁数年しかいらっしゃらなかっ
たのですが、歴代の学部長の中でももっとも若く、そして驚異的な
頭脳をお持ちになられていたのです。国軍にも入られていて、常に
私たちの目標でした﹂
楽しそうに話す彼にサニーが﹁へぇ∼﹂と相槌を打つ。
﹁あんた、何でもやってるな⋮⋮一体どんな人生送ってんだ?﹂
呆れたようにアランが言う。弁護士・軍人・興業、そして大学の
学部長。知っているだけでもウェスターはかなり経験豊富だ。これ
だけやっていてまだ三十五歳というのは信じられない。彼がどんな
231
人生を送っているのかセトルも気になった。
﹁まあ、その話は後々にして、そろそろ本題に入りましょう。なぜ
ワースは我々をここへ呼んだのですか?﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直した指でそのままブリッジを押さえ
ながら訊く。皆も気持ちを切り替え、スウィフトの方に向き直る。
﹁えっと、実はこれを皆さんに見せてほしいと﹂
スウィフトは黒板の隣にある棚の引出しから一つの小さな正方形
の箱を取り出し、机の上に置いた。
﹁箱?﹂
サニーとしぐれが首を傾げる。
﹁何が入ってるの?﹂
シャルンが訊く。するとスウィフトは誇らしげに答えた。
﹁ふふふ、これは︽エリアルパック︾というものです。あ、まだ開
けないでくださいよ。ここで開けると大変なことになりますから﹂
手を伸ばして箱を取ろうとしたサニーは、そう言われてその手を
引っ込めた。
﹁もしかして爆弾とかですか?﹂
セトルがエリアルパックというものを見詰めながら言うと、スウ
ィフトは苦笑しつつ首を横に振った。
﹁そんな物騒なものではありませんよ。まあ、使いようによっては
そういうこともできますが⋮⋮﹂
よくわかっていないセトルたちに、彼は実際に見せた方が早いと
思ったのか、エリアルパックを取り上げる。
﹁本当はもっと説明したかったのですが、それは見せてからでもで
きます。一旦グラウンドに出てください﹂
皆は顔を見合わせ、言われるがままに研究所を出て、その先のグ
ラウンドの中央付近に集まった。
﹁では、いきますよ!﹂
スピリクル
スウィフトは箱の横についてある二つのスイッチの片方を押した。
すると蓋が開き、霊素の光が中から飛び出した。それは皆の前方に
232
集結し、鳥のような翼を左右に取りつけられた一人か二人ほど乗れ
る霊導機械が構築された。
その光景にウェスター以外は大口を開けて呆然とする。あんな掌
サイズの小さな箱に、こんな大きなものが入っているとは誰も思っ
ていなかった。
﹁なるほど、いわゆる飛行機械ですね。面白そうです﹂
ウェスターが興味を持ったのでスウィフトは嬉しそうに頭を掻い
た。
﹁どういう原理でこんな大きなものが、あんな小さな箱に入ってた
んですか?﹂
説明されて理解できるかどうかわからなかったが、とりあえずセ
ディーコンポーズ
トルは訊かずにはいられなかった。
リヴァイヴァル
イナーギャニック
﹁エリアルパックは、物体を霊素分解して中に収納し、取り出すと
きは再構築されるということです。当然、無機物質に限りますが、
かなり大きな物も収納できて持ち運びが便利になります﹂
﹁?﹂
予想はしていたことだが、彼が何を言っているのかウェスター以
外はわかっていなかった。
﹁私の槍と同じですよ。もっとも、私のは霊術ですけど﹂
とウェスターが付け足してくれたので何とか飲み込むことはでき
たが、やはり一言で終わらせるなら﹁不思議だ!﹂であることには
変わらない。
﹁で、どうやってこれが作られたかというとですね︱︱﹂
﹁その話はあとで私だけが聞きます。先を進めてください﹂
調子に乗ってきた彼が暴走してどんどん話をしていこうとしたの
で、ウェスターはそれを止めた。
﹁わかりました。えーと、本来師団長様が皆さんをここに呼んだの
は、あの飛行機械を見せるためだったのです。エリアルパックはそ
の入れ物にすぎません﹂
スウィフトはそう言って飛行機械に歩み寄り、その白い機体に手
233
を触れた。
﹁名づけて︽セイルクラフト︾。師団長様の知恵もお借りして、私
たちの研究所で開発した世界初の霊導飛行機械です﹂
知恵を借りたってことはワースもこれの開発に携わっているとい
うことになる。彼は本当に何者なのだろうか? セトルの記憶が戻
ればわかることなのだろうが⋮⋮。
﹁これってホントに飛べるの?﹂
サニーが怪訝そうに訊く。
﹁ええ、飛べるには飛べるのですが、一つだけ問題があります﹂
機体から手を離し、スウィフトは眉をハの字にして困ったような
顔をする。
﹁問題って、何が問題なんや?﹂
エリクスピ
しぐれが小首を傾げる。スウィフトは溜息をつくように息を吐い
て説明する。
リクル
﹁今のままでは長距離飛行ができないということです。これは雷霊
素をエネルギー源として使ってますが、やはり長距離を飛ぶにはこ
こにあるものだけでは足りないのです﹂
﹁なるほど、それで私たちに雷精霊と先に契約してもらいたいとい
うことですね?﹂
意図がわかったようにウェスターが言うと、スウィフトは、流石
スピリクル
ウェスター様ですね、という顔をした。
精霊は﹃霊素の意識集合体。また、それを生み出している母体的
な存在﹄だと、前にウェスターが教えてくれた。つまり雷精霊と契
約すれば無尽蔵のエネルギーを手に入れることができるということ
だ。このことはセトルたちにも理解できた。
﹁そんで、雷精霊の居場所はわかってんのか?﹂
アランが腕を組んで訊く。だがスウィフトは、それはまだわかっ
ていないんです、と言ったように首を振った。居場所がわからない
なら契約のしようがない。予定通りニブルヘイム地方で氷精霊の情
報を集めようかと皆が考え始めたとき、しぐれが恐る恐る挙手した。
234
﹁⋮⋮うちの、うちの頭領やったら何か知ってるかもしれへん﹂
﹁しぐれ、それ本当!?﹂
振り向いてセトルが言う。サファイアブルーの瞳が期待に満ちて
いる。
﹁アキナの頭領と言いますと⋮⋮﹃げんくう﹄ですね。確かに彼な
ら知っているかもしれません﹂
ウェスターは口元にどこか不敵な笑みを浮かべる。それにしても、
アキナと言えば忍者の里。何となくだけど、関係者以外立ち入り禁
止といった堅いイメージがセトルにはあるが、里の人間ではない自
分たちが入ってもいいのだろうか?
﹁忍者の里にあたしたちも入っていいの?﹂
その疑問をサニーが言ってくれた。自分たちが行く必要があるの
か、と言えばそうなのだが、一緒に行けば精霊の居場所がわかりし
だいすぐに行動できる。時間が短縮されるし、しぐれにもサンデル
ク∼アキナ間を往復する手間がかからない。しぐれは人差し指で顎
を押し上げるようにし、しばらく考えてから答える。
﹁無理やろうけど、外で待っててくれるんならええと思うわ﹂
﹁では、そうと決まればさっそく行きましょうか? 確かアキナは
ソルダイの北、今から出発すれば、夜までにはシグルズ山岳を抜け
られるでしょう﹂
ウェスターは同意を求めるかのように皆を見回す。当然、反対は
ない。
﹁あの、ウェスター様? 我々の研究の話は⋮⋮﹂
﹁あ、それはまた今度お願いしますね♪﹂
今から出発と聞いてスウィフトが不安な表情で言うのを、ウェス
ターは笑顔で軽くあしらった。スウィフトはしょんぼりして肩を落
とす。
﹁今から行くにしても、一応準備はしておいた方がいいわね。シグ
ルズ山岳は魔物が多いから﹂
シャルンが言うとセトルは、そうだね、と言って初めて山岳を越
235
えた時のことを思い出した。
236
039 凍てつく炎鳥
︱︱︱︱︱キシャアァァァァァァ!!
そんな魔物の鳴き声が聞こえてきたのは、山岳を下りに入ってか
らのことだった。
今まで不思議なくらい魔物と出会わなかったのだが、やはりそう
うまくはいかないらしい。
だが、まだ見つかってはいないはず。セトルたちは自然と足早に
なり、木や岩の陰に隠れながら、周囲を警戒して先を急いだ。
しかしその行動が無駄だったと知ったのは、そのあとすぐのこと
だ。
﹁キシャアァァァァァァ!!﹂
その鳴き声はさっきよりも近い。というか、魔物はすぐ目の前に
舞い降りてきた。それは、セイルクラフトよりも一回り大きい青い
身体をもつ怪鳥、﹃フレスベルク﹄だった。羽ばたくたびに強風が
起こる巨大な翼、黒光りする鋭い嘴、掴まれたらひとたまりもなさ
そうな鉤爪、そして獲物を見つけた恐ろしい目がセトルたちをロッ
クオンしている。
﹁うわぁ、でっかい⋮⋮﹂
単純な感想をサニーが漏らした。
﹁久しぶりにいい狩りができそうだぜ﹂
アランは笑みを浮かべたが、皮肉めいていた。セトルも今から戦
いになるだろうというこの場所を目だけで見回した。足場はしっか
りしている。道幅も十分。だが、崖には転落防止の柵はない。落ち
たらまず助からないだろう。
﹁来るわ!﹂
シャルンがトンファーを抜いた。途端、フレスベルクはその鋭い
鉤爪を光らせて襲いかかってきた。皆は散り散りに分かれそれを躱
す。鉤爪は地面を捉え、その場所が抉れる。
237
体勢を崩したフレスベルクにセトルの剣が襲いかかる。だが、そ
の剣はフレスベルクの羽を僅かに散らしただけだった。フレスベル
クは天高く飛び上がり、翼を大きく広げて、もの凄いスピードでセ
トルに向かって急降下する。
﹁荒れ狂う大地の怒り︱︱﹂
ウェスターの霊術が間に合った。
﹁︱︱ロックバインド!!﹂
セトルの目の前の地面から岩塊が突き上げ、フレスベルクはそれ
に体当たりする形になった。岩塊が砕ける。そしてフレスベルクの
左右からアランとしぐれがそれぞれの武器を構え、風のごとく走っ
てくる。
﹁くらえ!﹂
アランは長斧を振るうが、それは風を斬っただけだった。フレス
スピリクル
ベルクはあの巨体からは想像がつかないほど俊敏な動きをする。だ
が、しぐれの刀はそれを捉えようとしていた。
﹁鋭き霊素を刃に、アキュート!!﹂
みなぎ
その時、サニーの声が響く。しぐれの体にオレンジ色の霊素が付
加し、力が漲り刃に鋭さが増す。飛び上がろうとしていたフレスベ
ルクにその刃が振り下ろされる。鮮血がほとばしり、フレスベルク
そうはしょう
は地面に落下する。
﹁︱︱双破衝!!﹂
休む暇を与えず、体を回転させて遠心力をつけたシャルンのトン
ファーがフレスベルクを二度殴打する。バキッと右羽根の骨が折れ
た音がする。悲鳴が上がる。しかしフレスベルクは倒れず、嘴を大
きく開ける。その奥に何か青いものが揺らめくのをシャルンは見た。
彼女は咄嗟に跳び退り、フレスベルクから距離を取る。それは正解
だった。フレスベルクは青い炎を放射した。距離を取ったおかげで
シャルンは躱すことができた。
﹁な、何だ⋮⋮?﹂
驚愕したようにアランは目を大きく見開いた。フレスベルクの炎
238
は地面や木々を黒焦げにしたのではなく、その逆に凍らしたのだ。
チャンス
﹁あの炎に触れてはいけませんよ。一瞬で凍りついて、二度と溶け
ることはありませんから﹂
ウェスターが言うと、セトルたちはぞっとした。
﹁早く倒さないと!﹂
アイスフレイム
そう言ってセトルは走った。翼が折れて飛べない今が好機だ。動
けないフレスベルクはただ闇雲に凍てつく炎を乱射する。だが、そ
フレアスピリクル
んなものがセトルに当たるはずがない。彼は炎をうまく躱しながら
ごうえんけん
間合いを詰めた。剣に火霊素が付加し、赤く燃え上がる。
﹁轟炎剣!!﹂
ただ
炎を纏った剣が爆風と共にフレスベルクの胴体を斬り裂く。斬ら
スピリクル
れた瞬間その箇所は焼き爛れ、その炎が倒れたフレスベルクの体を
蝕んでいく。そして全てが燃え終わる前にフレスベルクは霊素へと
還った。
﹁終わったようですね。では先を急ぎましょう。夜までに山岳を越
えたいですから﹂
そう言って眼鏡の位置を直したウェスターは、皆が集まるのを待
たずに踵を返した。少し休みたかったが、そうは言っていられない。
山小屋のないこの山岳に夜留まることは危険だ。
? ? ?
﹁今日はこの辺で休みましょう﹂
どうにか山岳を越えたセトルたちは、日が沈みかけてきたので、
街道の脇で野営することにした。
フレスベルクとの戦闘もあって、セトルたちは空腹だ。そしてい
つものようにアランが食事の準備を始める。すると︱︱
﹁前から思ってたんだけど、なぜいつもアランが食事を?﹂シャル
ンが訊く。﹁この人数だし、そういうのは当番制にした方がいいと
思うわ﹂
239
珍しく彼女がこういうことの意見をしてきたので、皆は目を点に
した。
﹁珍しいですね。あなたがそのようなことを言うとは。まあ、その
方が公平ですし、面白そうですけどね♪﹂
楽しげに言ったウェスターの横で、セトルはテントを組み立てて
いた手を止め、シャルンを向く。
﹁シャルンはソテラとそうしてたの?﹂
﹁近いことはしてたわ﹂
昔を懐かしむようにシャルンは答えた。ヴァルケンから戻ってき
て、彼女はソテラのことにもとりあえずはふっ切れて、落ち着いた
ようだった。
﹁じゃあさ、くじで当番を決めようよ♪﹂
サニーも乗り気だ。だが、しぐれだけはなぜか焦っているような
表情をするが、そのことに誰も気づいてはいなかった。
ウェスターが紙に食事などの当番を書いたくじを作り、それを皆
が順番に引いて最後にウェスターが引く。あとはそれを日に日にロ
ーテーションしていくシステムだ。六人もいれば何の当番もなしと
いう者もあるが、そうなった人も別に仕事がないわけではない。他
の当番を手伝ったり、見張りをするといった仕事がある。
今日の食事当番はしぐれだった。セトルは内心サニーじゃなくて
よかったと思っていた。村にいたときに何度か彼女の手料理を食べ
させてもらったことがある。彼女の料理は発想や見た目がおかしく、
一口食べるのに勇気がいる。でもそれが不思議と不味くなかったり
もする。
安心していたセトルだが、目の前に運ばれたしぐれの料理に言葉
を失う。
﹁⋮⋮何これ?﹂
それを見て、サニーが呆れたように目を細める。皿の上にはどう
料理したらこうなるのかわからない異様な形の真っ黒な物体が乗っ
てあった。
240
﹁あ、アキナの郷土料理や! あはは⋮⋮﹂
明らかにしぐれは動揺している。誰もが嘘だと思った。
﹁ほう、アキナの方はこのようなものを食しているのですか。これ
は興味深いですね♪﹂
ウェスターはそう言うが、それは皮肉だ。しぐれには悪いけど、
流石にこれはどう見ても炭の塊にしか見えない。食べるのには、勇
気がいる。
﹁嘘じゃん! 郷土料理って絶対嘘じゃん!﹂
しぐれに指を突きつけて、サニーは今にも皿を投げつけそうな勢
いで叫んだ。
﹁まあ、とりあえず食べてみようよ。もしかしたら美味しいかもし
れないし⋮⋮﹂
︵自身はないけど⋮⋮︶
セトルは冷や汗をかきながらも、フォークを手にする。
﹁セトル⋮⋮﹂
感激したようにしぐれは胸の前で掌を組んだ。
﹁そうだな。サニーという例もあるから、食ってみるか﹂
アランも苦笑を浮かべてフォークを掴む。どういう意味よ、とサ
ニーは彼を睨むが、シャルンもウェスターもフォークを持ったので、
つられて目の前に並べられたそれを手に取る。
﹁一口だけだからね!﹂
と、彼女は言い、それを合図に皆はしぐれの料理? を口に入れ
た。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
長い沈黙が続いた。どや? としぐれは恐る恐る皆に感想を訊い
た。だが、彼らは答えなかった。その味で言葉を完全に失っていた
のだ。
241
サクリとフォークに刺さった怪しげな真っ黒い物体を口にした途
端、何とも言えない不思議な味が口の中に広がる。炭の味はしない。
だが、炭の方がいい味を出しているかもしれない。この世のものと
は思えない、まさに昇天しそうな味だ。一言で言うと、
﹁マズい⋮⋮﹂
で終わる。アランの呟きが聞こえ、しぐれはやっぱりと思いつつ
もショックを受けた。シャルンが吐きそうになるのを押さえるよう
に口に手をあて、セトルは跪く格好をし、その手は震えている。
﹁いやぁ、食べなくてよかったですよ♪﹂
一人だけ食べてはいなかったウェスターが、面白がるように笑み
を浮かべている。
﹁あーもう! しぐれは料理禁止!!﹂
﹁ええ!?﹂
サニーにそう言われ、しぐれはしゅんとしてセトルを縋るような
目で見た。だが、彼は何も言ってはくれなかった。
﹁アラン、作り直してくれませんか?﹂
﹁御意⋮⋮﹂
ウェスターに言われ、アランは口を手で押さえたまま承諾した。
242
040 不穏な空気
ソルダイに立ち寄ったセトルたちは、村人たちから避けるような
冷たい視線を感じた。いや、避けられているのはセトルたちと言う
より、ウェスターただ一人のようだった。最初は青い目をしたセト
ルや、ハーフのシャルンのことだと思っていたが、どうやらそうで
はないらしい。嫌な顔はされるが⋮⋮。
﹁すみません、少しよろしいですか?﹂
ウェスターがそうやって何人かの村人に声をかけたが、その誰も
が﹁ひぃ﹂と小さな悲鳴を上げて逃げるように去っていった。
﹁ウェスターさん、ここの人たちに何かしたんですか?﹂
セトルは周りでひそひそと話す村人たちを見回しながらそっと訊
いた。
﹁ここには何度か来たことがありますが、そんなことをした覚えは
ありませんよ﹂
彼は眼鏡のブリッジを押さえるようにして小さく息をついた。
﹁でも、明らかにみんなから避けられてますよ?﹂
﹁まあ、気にしていても仕方ありません。必要な物を調達したら、
すぐにアキナに向かいましょう。ああ、私がいるとやりにくいでし
ょうから、先に村の北口で待ってますね﹂
微笑みながらウェスターはそう言うと、一人さっさと歩き始めた。
するとセトルが、僕も一緒に行きます、と言って彼を追いかけた。
セトルは単にウェスターが心配というだけではないだろう。ここは
セトルにとってあまり居心地のいい場所ではない。初めて訪れた時、
青い瞳のことで散々ひどいことを言われたのだから︱︱。
﹁じゃ、さっさと済ましちまおうぜ!﹂
アランは言い、残った三人を連れて商店の並ぶ広場の方に向かっ
た。途中、自分を見る村人の視線に不快感を覚えたシャルンは、彼
らと別れてセトルたちが待っている村の北口へと走って行った。こ
243
の村はもともと種族間がうまくいってないと前に聞いていたが、や
はりハーフに対してもほとんどの者が差別的な目をしている。その
ことに三人は苛立ちを覚えた。
﹁おい、ウェスター・トウェーンがこの村に来ているらしいぞ!﹂
ある程度必要な物を揃え終わり、さあ行こうか、という時にそう
いう男性の声が聞こえてきた。
﹁何だろ?﹂
サニーが声のした方を見て首を傾げる。そこには軽い武装をした
人たちが輪になって何かを話していた。有名なウェスターを一目見
ておきたい、というような感じではない。気のせいか、微かに殺気
が漂っている。
﹁まさか、敵なのか?﹂
アランは背中の長斧を掴もうとする。だが、それをしぐれが止め
た。
﹁ちょい待ちアラン。あれはたぶん︽自由騎士団︾の人たちやと思
うわ﹂
﹁自由騎士団?﹂
サニーがしぐれを振り向いて訊く。
﹁市民が立ち上げた国軍とはまた別の自警集団のことや。何でか知
らへんけど、ソルダイを拠点にしてるらしいんやわ。やから、そう
やないかなぁと思てん⋮⋮﹂
敵ではない。はたしてそうだろうか? 三人はもう少し様子を見
ておこうと思い、気づかれないようにできるだけ彼らに近づいた。
近づけば近づくほど殺気や敵意を強く感じる。
﹁それで、ウェスター・トウェーンはどこに?﹂
長槍を持った男が訊く。すると別の男が、北口に向かったようだ、
と答える。
﹁よし、仲間を集めて北口へ向かう。奴を捕えるんだ! 隊長には
私が伝える﹂
そう言うと、長槍の男は一人どこかに走って行き、残った数人も
244
仲間を集めに一旦散り散りになる。
﹁マジかよ⋮⋮﹂
誰もいなくなったところでアランが呟く。今の話から彼らが敵だ
ということはわかったが、敵対する理由はわからない。村人がウェ
スターを避けていることと関係があるのだろうか?
﹁ちょっとアラン! そんなところに突っ立ってないで、早くセト
ルたちのところへ行くわよ!﹂
サニーに腕を引っ張られ、アランはとりあえず考えることをやめ
て、村の北口まで全力で走った。もちろんサニーが迷わないように
気を配りながら︱︱。
? ? ?
﹁おやおや、穏やかではありませんね﹂
村の北口では、もう既に何人かの自由騎士団の兵士が集まり、ウ
ェスターを、セトルとシャルンを取り囲んでいた。
逃げ出すことは簡単にできる。だが、まだアランたちが戻ってい
ない。しぐれがいないとアキナまでの道もわからないので、先に行
っておくこともできない。
話し合いも⋮⋮できる雰囲気ではない。セトルは息を呑み、目を
動かして敵の動きに注意する。
汗が頬をすべる。
じりじりと敵の輪が小さくなっていく。流石に敵もウェスターが
相手だから慎重だ。迂闊に飛び込むと返り討ちにあうだろうことを
よくわかっている。
その間にも敵の増援が次々とやってくる。
﹁ウェスター・トウェーン、覚悟!!﹂
輪の中から一人の男性が飛び出し、ウェスターに剣を振るった。
ウェスターは簡単にそれを躱すと、体勢を崩したその男性に槍で峰
打ちし、彼を気絶させる。
245
周りが一気にざわつく。
﹁いきなり斬りかかるとは酷いですね。私が何をしたというのです
か?﹂
槍を構えたままウェスターは彼らを見回す。すると、剣を抜いた
一人の若い男性が前に出る。
﹁ウェスター・トウェーン、あなたは精霊と契約し、この世界を滅
ぼさんとする大罪人だと聞いています。我ら自由騎士団は世界の平
和を守るのが役目。あなたはここで捕えます!﹂
﹁!?﹂
セトルとシャルンは驚愕し、ウェスターを見た。彼は平然とし眼
鏡の位置を直していた。
﹁何かの間違いじゃないですか?﹂
セトルがその若い男性を向いて言う。もし彼らの言っていること
が本当なら、精霊と契約していくということが世界の滅亡に繋がっ
ているのだろうか?
﹁間違いではありません﹂と若い男性。﹁我々も初めは信じられま
せんでしたが、これは国からの確かな情報なのです﹂
自由騎士団の人々が一斉に武器を構える。その時、ウェスターが
セトルの肩を叩いた。シャルンもそれに気づく。
﹃これは恐らく、アルヴァレスの仕業でしょう。アランたちはもう
この騒ぎに気づいているはずです。彼らが来たら、一気に突破しま
すよ﹄
声を潜めてウェスターは指示を出した。
﹃⋮⋮わかりました﹄
セトルは頷いた。今はウェスターを信じようと思う。
﹁君たちも仲間なら一緒に捕え︱︱!?﹂
﹁セトルー!!﹂
その時、その叫び声と石造りのタイルの道を駆ける足音が響いた。
アランたちだ。自由騎士団の注意がそちらにそれる。
﹁今です!!﹂
246
ウェスターの号令でセトルとシャルンは走った。突然の行動に戸
惑った自由騎士団の兵たちのバリケードを突き破り、二人は北口の
アーチを抜けた。
﹁三人とも、説明は後でします。今はここから逃げましょう﹂
ウェスターも三人にそう言って走る。
﹁わかったわ!﹂
すぐに状況を呑み込んだサニーたちは、捕えようとする兵たちを
振り切って、セトルたちが道を開いた北口から村を出ていった。
﹁に、逃がすな、追えー!﹂
当り前のように自由騎士団の兵たちは追いかけてくる。だが、彼
らがセトルたちを見失うのも時間の問題だろう。と︱︱
﹁逃げられたか⋮⋮﹂
巨大な双剣を持った人影が後ろから現れる。
﹁た、隊長!?﹂
彼らに追う指示を出した兵は振り返って驚いた顔をする。そして、
申し訳ありません、というように深々と頭を下げる。
﹁いい。だが相手はあのウェスターだ。深追いはするなと皆に伝え
てくれ﹂
﹁隊長は?﹂
﹁私も出る﹂
﹁ですが、そちらは逆方向です﹂
﹁一時は現れないだろうが、奴らの行く場所に心当たりがある。お
前たちは捜査を続けろ﹂
隊員が、はい、と返事をすると、隊長と呼ばれた者の影はその場
から消えていった。
247
041 迷い霞の密林
忍者の里アキナへ続く、街道ではない道をセトルたちはひたすら
走った。三日ほど追われる日々を過ごし、彼らはもう体力も気力も
限界に達しようとしていた。
だが、ここにきてようやく自由騎士団の兵たちを完全にまいたよ
うで、彼らはひとまず安心した。そこでウェスターがアランたちに
わかっていることを説明する。この件はアルヴァレスによる情報操
作だと。それは彼らの得意分野、つじつまが合う。
目の前には広大な森が広がっている。この森のどこかにアキナが
あるらしい。しかし、この森を抜けるにも、今の体力では到底不可
能に思える。
森は︽迷い霞の密林︾と呼ばれ、その名の通りこの森は常に白い
霞に覆われ、そのためか方向感覚が狂い、遭難した者は数知れない。
その遭難者の幽霊が出るという噂もあり、普通の人は滅多なことで
は近づきもしない。
﹁ゆ、幽霊ってホントに出るの?﹂
夜、不気味な森の前で野営をしていることもあり、ウェスターの
説明を聞いたサニーは震えた声でしぐれに訊いた。
﹁幽霊が出るかどうか知らへんけど、魔物ならぎょうさんいてるな
ぁ。植物系に動物系、あとゴースト系もおるけど、魔物やったら平
気やろ?﹂
この森を唯一熟知しているしぐれが知らないなら、出ないのかも
しれないが、魔物として処理してるんじゃないの、とセトルは思っ
た。だがそれを口にはしなかった。
﹁べ、別に怖いわけじゃないわよ! ただ、出たらびっくりするな
ぁって⋮⋮﹂
無理に強がるのも、いつものサニーだ。
﹁幽霊はともかく、森の中はサニーでなくても迷います。皆さんも
248
はぐれないように十分気をつけてくださいよ﹂
眼鏡を押さえてウェスターはどこか皮肉めいた口調でそう言う。
するとサニーが、どういう意味よ、と彼を睨んだ。
本来ならしぐれだけが中に入り、セトルたちはこの森の前で待つ
手筈だったのだが、ソルダイでのこともあり、自由騎士団がいつ襲
ってくるかわからない今、皆で行った方がいいとウェスターが提案
した。しぐれはしばらく躊躇していたが、やがて決心してその案に
乗ってくれた。
セトルたちは交代で見張りをし、見張りをしていない者はテント
の中で体を休めたが、流石にまだ緊張が解けてなく、十分には休め
なかった。だが、それでもずいぶんと楽なった気がする。そして朝
日が昇ったころ、セトルの慌てた声で皆は目を覚ます。
﹁みんな起きて、自由騎士団がもうそこまで来てるよ!﹂
その声を聞いて、ウェスターがまるで眠ってはなく目だけ瞑って
いたように目を開き、すぐにきりっとして立ち上がる。他のみんな
はまだ眠そうに目を擦りながら起きあがる。
ウェスターは外に飛び出し、セトルと共に見張りをしていた丘の
上に行く。そして下を見下ろし、ふむ、と呟く。そこには、何人も
の人がこちらに向かっているのが小さく見えた。
﹁あの位置からでは、数十分もしないうちにやってくるでしょう。
すぐに戻って野営をした跡を消し、速やかに森へ入るべきです﹂
﹁そうですね﹂
二人はそれだけ話すと踵を返し、皆の元に戻る。既にサニーたち
は完全に目を覚まして、片付けをしていた。そしてセトルたちが戻
ってきたころには、もうほとんど片付いていた。
﹁しぐれ、アキナまでの案内頼むよ!﹂
﹁任せとき、セトル﹂
しぐれの誘導で一行は僅かに霞がかった密林へと足を踏み入れた。
密林の中は光が届いてないかのように暗く、薄気味悪い。カサカサ
と揺れる茂み、飛び立った鳥の悲鳴にも聞こえる鳴き声、そしてど
249
こからともなく聞こえる獣か魔物かの雄叫びが、より一層恐怖心を
煽る。
﹁ひぃ! い、今、今なんか動いた!﹂
茂みの揺れる音に反応したサニーがセトルの背中にしがみつく。
セトルは躓きそうになったのを堪えて彼女を振り向いた。それを見
たしぐれが不機嫌そうな顔をする。
﹁危ないじゃないか、サニー﹂
﹁ごめん、でもさっきなんかがそこに⋮⋮﹂
と彼女が震える指先で横の茂みを差すが、そこには何もおらず、
アランがその近くを少し調べたが、やはり何も見つからなかった。
﹁何もいないぜ? 風じゃねぇの?﹂
﹁ううん、絶・対なんかいたわよ! きっと幽霊だわ。幽霊じゃな
きゃお化けよ!﹂
﹁どっちも一緒のような⋮⋮﹂
見ていると面白いくらい妙な慌てようのサニーに、セトルは嘆息
して肩を竦めた。
︵幽霊が草むらをカサカサ⋮⋮想像できないわね︶
シャルンは少し笑いそうになったのを抑えた。
﹁おや? サニーの後ろの木、人の顔に見えますね♪﹂
楽しそうに笑みを浮かべたウェスターが彼女の後ろを指差す。サ
ニーが振り向く。そこには一本だけ目立つ大きな木があり、その木
皮には確かに人の顔ともとれる模様があったが、意識して見ないと
見落としてしまう程度のものだ。しかし、サニービジョンにはそれ
がとても恐ろしいものに見えたのだろう。彼女は顔が恐怖に染まり、
悲鳴を上げて思いっきりセトルにしがみついた。
何も言ってこないが、しぐれの表情も嫌悪さが増し、彼女は落ち
てある小石を蹴った。すると木に反射したその小石が見事に彼女に
直撃する。顔を赤らめ皆を振り向くが、サニーが騒いでいたおかげ
でそれに気づいた者はいなかった。
﹁サニーは幽霊が怖くないのではなかったのですか?﹂
250
人をからかうのは面白いです、という顔をしてウェスターは笑っ
た。サニーは何も言い返せない。ここで強がって言い返したところ
で、それは見苦しいだけだ。
その時、セトルがピクリと何かに反応し、顔を引き締めて辺りを
見回した。
﹁ど、どうしたのセトル?﹂
しがみついたまま、ビクビクした声でサニーが言う。
﹁うん、さっきのサニーの悲鳴を聞いて、お客さんが駆けつけてく
れたみたい⋮⋮﹂
たまに言うセトルの皮肉めいた言葉で、皆に緊張が走った。セト
ルがしがみついているサニーをそっと離す。途端、アランの背後に
白い布のようなものに目と口の穴を開けた典型的なお化けの容姿を
した魔物﹃ファントム﹄が現れた。短い腕を前に垂らし、フワフワ
と宙に浮いている。
スピリクル
アランは振り返りざまに長斧を振り、それを一刀両断した。ファ
ントムは布が裂けたように体がちぎれ、霊素へと還る。だが、駆け
つけたお客さんはそれ一体だけではなかった。動物、植物、ゴース
ト系、様々な魔物が霞の立ち籠める森の奥から現れ、セトルたちを
取り囲んだ。
﹁おやおや、サニーは人気者ですね♪﹂とウェスター。
﹁こんなのに好かれたくなんかないわよ!﹂とサニー。
﹁もう、普段やったら魔物なんか滅多に会わへんのに⋮⋮サニーの
バカ!﹂
さっきまでの不機嫌さをぶつけるようにしぐれは言うと、双葉の
芽のような魔物を忍刀で斬りつけた。葉っぱが散る。
﹁ば、バカって何よ、しぐれ!?﹂
扇子の動きでザンフィに指示を出しながら、サニーは眉を吊り上
げた。
251
042 忍者の里
あのあとも一悶着あった。というのも、戦闘中にサニーがはぐれ
てしまったからだ。場所を移動してもないのに迷子になるとは流石
サニーだ。ザンフィが一緒だったおかげですぐに見つかったが、今
回ばかりはサニーも反省したようだ。
そして、似たような木が並ぶ道なのか道でないのかよくわからな
いところを通り、セトルたちはようやく森を抜けることができた。
いや、正確には抜けてはいないのだが、大きな湖のある広い場所へ
出た。
ここが忍者の里︽アキナ︾である。
湖の中央に小島があり、木造の橋が架かってある。その島にアキ
ナの村が見えた。と言っても、見えたのは木でできた背の高い囲い
と、それより高い見張り台のような建物だけだった。見張り台には
誰もいない。まあ、こんな場所にあるのだ。見張る必要がないのか
もしれない、とセトルは思った。
橋を渡ると、やはり木でできた大きな門があった。閉じてはいな
いが、人が立っていた。
﹁しぐれ、何やそいつらは? 外部の人間を里に招くなんて何考え
てんねや!﹂
門のところに立っていた緑の忍び装束を着たアルヴィディアンの
男性が、セトルたちを見るなり怒った口調で話しかけてきた。目つ
きが鋭い。
﹁これには事情があるんや。頭領に会わしてくれへんか?﹂
しぐれが男の前に出て説明する。だが、男は一向に首を縦には振
らなかった。しぐれもあきらめず男を説得しようとする。
﹁頑固ね。ここの人は﹂
男がなかなか立ち入りを許可しようとしない︱︱あの人が勝手に
判断していいのかどうかは知らないが︱︱ので、シャルンが呆れた
252
ようにそう呟いた。すると︱︱
﹁その者たちの進入を許可する﹂
と言ったのはその男ではなく、門の向こうからやってきた中年の
男性だった。忍び装束とは違う丈の短いガウンのような服に、ゆと
りのあるズボンに似たものを穿いている。しぐれに似た漆黒の髪を
旋毛の辺りで結い、手には小さく折った紙を握っている。
﹁頭領!? せやけど︱︱﹂
緑の忍び装束の忍者は何か言おうとしたが、その男性の鋭い琥珀
色の眼光が彼を射抜き、彼は頭を下げて数歩下がった。それを確認
すると、その男性はセトルたちに視線を向けた。威厳の塊のような
彼に、セトルたちは自然と表情を引き締める。
この男がアキナの忍者を束ねる頭領で、しぐれの父親﹃げんくう﹄
である。
﹁よう戻ったな、しぐれ。事情はお前の式神でわかっとる﹂
げんくうは握っていた紙を中指と人差し指の間に挟んで、皆に見
せるように顔の高さまで持ち上げた。するとその紙はまるで意思を
持っているかのように指から離れ、蝶のように羽ばたいてしぐれの
掌の上に降り立った。
﹁ただいま戻りました、頭領﹂しぐれが片膝をつき頭を下げる。﹁
よそ者を里に招いた件はうちが︱︱﹂
﹁ああ、それはええねん、私が許す﹂
げんくうが微笑みを浮かべて言うと、しぐれは顔を上げて、おお
きに、と笑顔を見せた。そのしぐれの笑顔にげんくうは、忍者の頭
領としての不満と、親としての優しさが一瞬だけ顔に出た。そして
セトルたちの方を見る。
﹁ウェスターはん、それにそのお連れの方、よう来てくれはりまし
たな﹂
彼は忍者としてではなく、アキナに住む一人の住人として、とい
った感じの口調と表情でそう言ったので、セトルたちの緊張は一気
に解けた。ウェスターが、お久しぶりです、と会釈する。彼の連れ
253
というのにアランは納得がいかないようだった。
そしてげんくうがしぐれの頭に手を置いて、?き回すように撫で
る。髪が乱れ、彼女は嫌な顔をするが、抵抗はしなかった。
﹁こいつ、全然忍者らしくないやろ? まだまだ未熟やし、ウェス
ターはんの足を引っ張ってたんとちゃいます?﹂
﹁いえいえ、彼女はとても頼りになりますよ﹂
ウェスターが言うとどこか嘘っぽい感じがするが、セトルもそれ
には同感である。
ようやくしぐれが、いつまでも頭を掻きまわす手を振り払って立
ち上がった。少し顔が赤面してるように見える。げんくうは悪びれ
たように苦笑すると、親指を立てて肩の上から後ろ向きにアキナの
里を差す。
﹁まあ、ここで立ち話もなんや、続きは家に来てやろうやないか﹂
﹁お世話になります﹂
セトルたちは礼をして、げんくうの案内で里の中に入った。門の
ところに立っていた男はまだ納得していないようで、厳しい目で一
行を見送っていた。
? ? ?
アキナの里は、外の世界とは文化が一線を画している印象があっ
た。
建造物のほとんどが木造で、石でつくられたものは少ない。木造
わらぶき
の家はアスカリアやインティルケープでは珍しくないが、枯れ草を
敷き詰めた︽藁葺︾という屋根は初めて目にする。
里の人々は、最初はセトルたちを不審者を見るような目で見るが、
げんくうとしぐれがいるのを認めると、その表情は和らいだ。全員
黒髪のアルヴィディアンだが、サニーやウェスター、セトルやシャ
ルンを見て種族として嫌悪するような人はだれ一人としていなかっ
た。
254
彼らの服装は、しぐれやはくまのような忍び装束を着ている人も
いれば、そうでない人もいる。男性はげんくうと同じような格好を
し、女性や子供は一枚の布でできているらしい同じような物を着て
いる。ここではそれを︽着物︾と呼ぶらしい。そういう人たちは、
靴ではなく︽足袋︾や︽草履︾という物を履いている。
道中、変わったものが多かったため、セトルやサニーなどは興味
深げに辺りを観察しながら歩いている。
げんくうの家は里の一番奥にあった。彼は立ち止り、一度自分の
家を見上げた。
﹁着いたで、ここが私の家や﹂
一階建てだが、とてつもなく大きい藁葺き屋根の家だった。家の
奥の方で湯気みたいなものが立ち昇っているが、それが何なのかは
あとで知ることができた。
引き戸になっている鴨居の低い玄関の敷居を跨ぐとすぐに段差が
あり、その前でセトルたちは靴を脱ぐように言われた。それがアキ
ナの風習らしい。
木で骨組をし、両面から紙を貼った引き戸の向こうの、草を編ん
だ絨毯のような物を敷き詰めてある広い部屋にセトルたちは通され
た。そこには既に綿を布地でくるんだ円座が人数分敷かれており、
げんくうは奥に用意されているそれに正座で座った。その横にしぐ
れが正座し、セトルたちは残りの円座に適当に腰を下した。
げんくうの表情が忍びの頭領に戻る。
﹁ではウェスターはん、まずはあんたのことやが、あの噂はここま
で届いとる。あれはホンマのことか、真実を教えてもらいたい﹂
例の、ウェスターが世界を滅亡させようとしている、という情報
のことだ。ウェスターは冷静に眼鏡の位置を直して答える。
﹁あれは敵の流した偽の情報ですよ。彼らにとって我々が精霊と契
約して回ることは脅威と感じたのでしょうね﹂
﹁そうか。︱︱あんたのその言葉に嘘偽りはないようや。我らはあ
んたを信じよう﹂
255
顔を引き締めたまま、げんくうはウェスターをじっと見た。ウェ
スターは軽く頭を下げて礼を言う。
セトルはこのげんくうという男がすごい人物だと思った。ウェス
ターの言葉の内を一発で見抜くことは、これまでずっと旅をしてき
たセトルたちでも難しいことだ。知り合いだとは聞いていたが、ど
のくらいの付き合いなのだろうか?
﹁次はこちらからお聞きしてもよろしいですか?﹂とウェスター。
﹁雷精霊、﹃レランパゴ﹄のことやな?﹂
﹁おや? 御存知でしたか﹂
﹁それもしぐれが式神で伝えてくれたんや。︱︱調べはついとる。
レランパゴはソルダイから南西に下ったとこにある︽エスレーラ遺
跡︾に居る。他の精霊に関しては、まだわかってへんがな﹂
げんくうはすまなさそうに言ったが、今はそれだけでも十分だ。
雷精霊と契約できれば、世界中を飛び回れるようになる。他の精霊
の情報もきっとすぐに集まるだろう。
かんざし
すると、戸の向こうから女性の声がし、げんくうが入れと言う。
引き戸が開き、後ろ側の頭髪に︽簪︾というものを挿した着物の女
性が部屋に入り、熱いお茶の入った湯呑と茶菓子を皆に配った。そ
の後、それらを乗せてあった盆を抱くように持ち、皆に一礼して静
かに部屋を出ていった。それを見届けると、げんくうは続けた。
﹁それで続きやが、現在アキナ∼ソルダイ間の道は自由騎士団によ
って封鎖されてるんや。しばらくはそこを使うことはできへんな﹂
﹁じゃあどうすればいいんですか?﹂
湯呑を手に持ったセトルが訊く。
﹁少し遠回りになるんやが、︽アスハラ平原︾を行くしかない。せ
やけど、あそこは強い魔物もぎょうさん出る。どうする?﹂
言うと、げんくうは熱い茶を啜った。自由騎士団が居なくなるの
を待っていたらいつになるかわからない。多少遠回りだろうが危険
だろうが、他にも道があるのならそこを通るしかない。
セトルは皆を見回した。全員が頷き、その案に異議がある者はい
256
ない。
﹁わかりました。僕たちはその道を使って行きます﹂
げんくうはセトルのサファイアブルーの目を、何かを探るように
見詰めた。その目に迷いがないことを認めると、さらに表情を引き
締めた。
﹁そうか。だが一つだけ訊いておきたいことがある。君たちは軍人
でも忍者でもなければ、王城の関係者でもないんや。一体どないな
理由があって君たちは戦っている? それが知りたいんや﹂
﹁わたしは⋮⋮﹂
とまずはシャルンが答える。
﹁わたしが戦うのは、家族と親友の仇打ちのため﹂
それを聞くと、げんくうは目を閉じてフッと口元に笑みを浮かべ
る。
﹁なるほど、それも一つの理由やな。やけど、仇を打ったところで
何になるんや? それで死んだ者が返ってくるわけではないんやぞ
?﹂
彼は試すような口調で訊くと、シャルンは俯いた。だが答えは既
に彼女の中にあり、すぐに顔を上げて答える。
﹁わたしは、もうわたしみたいな人を出したくない。奴らを放って
おいたら、必ずわたしと同じ境遇になる人が大勢出るわ。この世界
にはまだハーフはたくさん居る。わたしはその人たちを護りたいの
!﹂
それがシャルンの本音。いや、出会ったころは本当に復讐しか考
えてなかったのかもしれない。旅をするうちに彼女の考え方も変わ
ってきたということだろう。まだ、仇打ちという考えも残っている。
しかし、それよりも自分と同類を作りたくないという気持ちの方が、
今のシャルンには強いのだ。
げんくうは目を瞑ったまま何も言わない。
﹁あたしたちは﹂とサニー。﹁アスカリアのみんなや他の町のみん
なに、あんなひどいことをする人たちを許せない﹂
257
﹁シャルンの言う通り、放っておけば大変なことになる﹂
アランが腕を組み、サニーに続けて言う。
﹁不幸になる人もいる。いや、それどころか古代の兵器を呼び起こ
そうとしてんだ。案外奴らの方が世界を滅ぼそうとしてんのかもし
れないぜ。俺らはそんなのはごめんだ。だから戦う! それだけだ﹂
サニーも真剣な表情で頷いた。げんくうは、なるほど、と呟き、
目を開いてセトルの方を見た。
﹁君も同じ考えか?﹂
するとセトルは少し考え、
﹁はい。あの人たちを許せない、みんなを護りたい。だけど、たぶ
ん僕の気持は、この世界の全てを救いたい、と言った方が合ってる
ような気がします。人だけじゃない、この世界全てを⋮⋮﹂
どこか曖昧な気がするが、それは言葉の表現だけで、セトル自身
の想いはとても強い。そのことはこの場の誰もがわかった。
︵それが蒼き瞳を持つ者の使命⋮⋮か︶
そう思い、げんくうは顔をほころばせた。その表情はもう忍びの
頭領のものではない。
﹁君たちの覚悟はようわかった。︱︱さて、君たちも疲れてるやろ
うから話はこの辺で止めて、ゆっくり休むとええ。そうや、この家
の裏手から湯気が上がってたやろ? あそこには混浴やが露店風呂
があるねん。自由に使ってええで﹂
風呂という単語に女性陣の目が輝いた。もう何日も入ってないか
ら汗と垢で体はひどいことになっているはずだ。男性陣も不快なの
は変わらない。今頃になって自分たちの臭いが気になり始めた。
﹁まずは女性陣から入れよ﹂
紳士的にアランが勧めるが、サニーは疑うように目を眇めて、
﹁覗いたら死刑よ、アラン﹂
と念を押すように言う。しぐれもシャルンも同じような目でアラ
ンを見る。
﹁その場合は私も弁護できませんねぇ﹂
258
楽しんでいる表情で、ウェスターはからかうように言った。
﹁俺信用ねぇなぁ⋮⋮﹂
﹁そんなことないよ。僕はアランを信用してるよ?﹂
﹁そう言ってくれるのはお前だけだぜ!﹂
アランはセトルが言ったことは別の意味だと知りつつも、さも感
激したように、隣に座っている彼に抱きつこうとした。だが見事に
躱され、バランスを崩して転倒する。
﹁こっちや、二人ともついてき﹂
しぐれが立ち上がり、引き戸を開いてサニーたちを誘導した。ア
ランは心の中で舌打ちをして、三人の背中を見送った。
? ? ?
セトルは一人外に出て、アキナの里を一通り見物したのち、砂利
道を進んだ行き止まりにある、一本の大きな木を見上げていた。
辺りに人気はない。あるのはその木と、真上から照らす太陽、そ
して木の下に置かれてある三体の小さな石像だけである。何を模っ
たものだろうか、僧侶のような格好で、左手に玉を持ち、右手は掌
を前に向け、下に垂らしている。全て同じ形だ。
︵世界の全てを救う︱︱何で僕そんな風に思ったんだろ?︶
そんな大それたことを自分ができるはずがない。なのになぜかそ
う思った。もし記憶を失くしてなかったらどう思ってたんだろう。
記憶が戻れば思いも変わるのだろうか? そんなことを考えながら
セトルはただ呆然と木を見上げていた。すると︱︱
﹁セトル、こんなところにいたの? お風呂開いたわよ?﹂
とサニーが来て後ろから声をかけた。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
だがセトルは何も反応しなかった。彼女が来たことにも気づいて
いないようだ。むぅ、とサニーは頬を膨らまし、セトルを背中から
蹴りつけた。
259
﹁!?﹂
セトルはハッとしたが、体は既に前に倒れていて、真ん中の石像
と頭を打ち合わせた。
ゴン! という音が鳴る。
﹁いてて⋮⋮あれ? サニー、どうしてここに?﹂
セトルは頭を押さえ、今頃気づいたようにそう言った。サニーは
風呂上がりで、まだ顔が火照っている。
﹁アキナの見物してたらしぐれとはぐ⋮⋮じゃなくて、見物ついで
にセトルを探してたのよ。次セトルたちがお風呂入る番だから﹂
そこまで言ってしまったらもう訂正しても無駄である。セトルは
彼女がまた迷子になったのを知って、はは、と苦微笑した。
﹁何で蹴るのさ?﹂
﹁セトルがぼーっとしてたからでしょ!﹂
サニーは腰に手をあてて眉を吊り上げる。
﹁え? あ、ごめん⋮⋮﹂
﹁まったく、何考えてたの?﹂
彼女にそう言われ、セトルはさっきまで考えていたことを危なく
忘れかけていたことに気づいた。
﹁ええと、何で僕あんなこと言ったのかなぁって﹂
﹁世界を救うってこと? いいじゃんそんなの。セトルが思ったか
ら言ったんでしょ?﹂
﹁まあ、そうなんだけど、何かこう︱︱﹂
﹁あーもう! 難しいこと無し! それよりセトル、早くお風呂入
ってきなさいよ! かなり臭ってるわよ!﹂
サニーは鼻をつまんだ。そんなに臭うのだろうか? 自分が慣れ
てしまって気になってないだけかもしれない。
﹁あたし、臭いままのセトルなんて嫌だからね!﹂
誰でもそうだと思うが、とセトルは思ったが口には出さなかった。
そして立ち上がると微笑みを浮かべる。サニーと話したら何かどう
でもよくなった。
260
﹁じゃ、帰ろうか﹂
261
043 思わぬ相対
﹁⋮⋮こんなものか? 蒼い瞳は﹂
セトルの剣を指と指の間で受け止めた燃えるような赤い髪の男は、
興醒めしたようにそう言うと、そのまま腕を振るった。セトルはそ
の勢いに思わず剣を放してしまい、背中から地面に叩きつけられ、
そのまま数メートル地面を滑った。止まったところですぐに自分の
剣が飛んできて顔の横ぎりぎりに突き刺さる。
﹁くっ⋮⋮強い﹂
アランが拳を突きつけて叫ぶ。
﹁アルヴァレス、てめぇよくも!!﹂
腰まで届く長い赤い髪が揺れ、アルヴァレスは口元に、フッ、と
不敵な笑みを浮かべる。
数分前のことだ。
アスハラ平原の旧道を、魔物を退けながら進んでいると、セトル
たちは青色の全身鎧に身を包んだ男が遠くの海原を眺めているのを
見つけた。鎧の首の辺りについた長い布のようなものが風に靡いて
いる。男の表情から何を考えているのかは読めない。
だが、後ろにはねたあの燃えるような赤い髪は見覚えがある。あ
いつは︱︱
﹁アルヴァレス!?﹂
である。セトルたちはすぐに辺りを見回した。他には誰もいない。
奴一人だ。 ﹁⋮⋮貴公らか﹂
アルヴァレスはこちらに気づくと、まるで虫けらでも見るような
冷めた瞳でセトルたちを見据え、声の届くところまで歩み寄った。
﹁こんなところで何企んでんのよ!﹂
サニーがほとんど叫ぶように言うが、アルヴァレスは無視して視
262
線をウェスターに向けた。
﹁ウェスターよ、この間は私の部下がずいぶんと世話になったみた
いだな﹂
﹁ええ、ずいぶんと世話をさせられましたよ﹂
二人は睨み合った。その間は一瞬だったが、セトルたちには非常
に長く感じられた。そしてアルヴァレスが口を開く。
﹁ウェスター、こんなカスどもは放っておいて私と共に来い。貴公
なら何の問題もない﹂
﹁あなたが何をしようとしているのかわかりませんし、もともとあ
なたに協力しようとは思っていません﹂
ウェスターは眼鏡のブリッジを押さえ、きっぱりと断った。
﹁あなたは何がしたいんですか?﹂
剣の柄に手を置き、セトルが訊く。返答によってはすぐに剣を抜
くつもりだ。アルヴァレスは黙ったままセトルの青い瞳を見下す。
﹁答えられないってか?﹂とアラン。
するとアルヴァレスは酷薄な笑みを浮かべる。
スピリアスアーティファクト
﹁フン、私の目指すものは完全なるノルティアンの世界だ。そのた
めに邪魔なアルヴィディアンどもを、古霊子核兵器を用いて一掃す
る。もちろん、ハーフや貴様ら蒼い瞳のやつらも一緒に消えてもら
う﹂
﹁なん︱︱!?﹂
なんだと、とアランは言おうとしたが、その前にセトルが飛び出
した。剣を振るうが、アルヴァレスは易々とそれを防ぎ、セトルを
振り払らうと、指で挟んだ彼の剣を投げつけた。剣がセトルの顔の
横に刺さる。ハラッと髪の毛が散る。
﹁アルヴァレス、てめぇよくも!!﹂
アランが叫んだ。同時にしぐれとシャルンが左右から飛びかかり、
忍刀とトンファーを振るう。だがその両方を両腕にはめた籠手で受
け止めた。
﹁残念だが、貴公らと遊んでいる暇はない﹂
263
﹁こっちも似たようなもんさ。だが、ここでてめぇを倒せばこっち
は暇になるんだ!﹂
両手の塞がっているアルヴァレスにアランは斬りかかった。アル
ヴァレスはしぐれの忍刀とシャルンのトンファーを掴み、彼女たち
ごと投げつけた。
﹁きゃっ﹂
三人は衝突した。いや、アランはよけようと思えばよけることが
できた。しかし二人を庇って、ほとんど受け止める形で彼女たちの
下敷きとなった。
体勢を立て直さないと奴の攻撃が来る! そう思い、三人はすぐ
に起き上がろうとするが、アルヴァレスの追撃は来なかった。
﹁ま、待て!﹂
その代りセトルの腹の底から搾り出すような叫びが聞こえた。見
ると、アルヴァレスは空気に溶けるように姿を消そうとしている。
アーティファクト
空間移動の術。いや、普通の人間がそんなものを使えるはずがない。
恐らくあれも古の霊導機の力だと、ウェスターはわかった。
﹁ロアードは精霊と契約する貴公らを脅威と見ていろいろとやって
いるようだが、所詮ザコが集まったところで戦力にはなるまい。か
といってウェスター、貴公一人でどうにかなるようなことでもない
がな。死にたくなければ、我々の邪魔をしないことだ﹂
言い終わるとアルヴァレスの姿は完全に消え、彼がそこにいたと
いう形跡は何も残らなかった。
﹁セトル、大丈夫?﹂
体を起こそうとしたセトルの顔が引き攣ったのを見て、サニーが
心配そうに言う。たったあれだけのことで、思いのほかダメージが
大きかった。彼女が治癒術を唱えてくれたので、だいぶ楽にはなっ
た。
︵あの人の前ではまるで無力だった。もっと、もっと強くならない
と⋮⋮︶
セトルは心の中で強くそう思った。今のままでは、たとえ精霊が
264
集まったところでアルヴァレスには勝てない。強くなるにはどうし
たらいいのか。この想いはアランたち三人も感じているはずである。
﹁死にたくなければ⋮⋮ですか﹂ウェスターは眼鏡の位置を直す。
﹁私は死にませんよ。あなたのバカげた理想は必ず砕いてみせます﹂
誰もいない空間に向かって、彼はそう呟いた。
﹁一体ここで何してたんやろな?﹂
しぐれは立ち上がると首を傾げる。さあな、とアランが服の汚れ
をはたきながら言う。
﹁奴の考えなんかわかんねぇよ。だが、敵の目的はわかったんだ、
今はそれでいいじゃないか﹂
シャルンも頷く。
﹁あんな風に逃げられたら追えないわ。こっちはこっちで早く精霊
と契約しましょ?﹂
﹁そうだね。サニー、三人の怪我も直してやってくれ﹂
アランたちは特に怪我をしているようには見えないが、見えない
だけでセトルがそうだったようにダメージは大きいはずである。特
に二人の下敷きになったアランは。
サニーは頷くと、たいした怪我じゃない、と治癒術を断るアラン
たちにほとんど無理やりに術をかけていった。
﹁⋮⋮今日はここまでにしましょう﹂
突然ウェスターがそう言ってきた。するとサニーがしぐれを治し
ながら納得いかない顔で彼の方を向く。
﹁何でよ? まだ夜には早いじゃない?﹂
あと三時間もすれば日は完全に沈むが、それだけあればもう少し
進むことができる。大変な怪我をしたわけでもない、セトルも理由
はわからなかった。
﹁少し考えをまとめる時間が欲しいのです。今日はいろいろとわか
ったことがありますから﹂
ウェスターには自分たちがわからなかったこともわかっているの
だろう。考えがまとまるまでは教えてくれそうにないが、セトルも
265
やりたいことがある。反対はしない。
セトルは皆を見回した。頷いたところを見ると賛成のようだ。サ
ニーだけは渋っていたが、皆に合わせることにしたようだ。
雷精霊の居るエスレーラ遺跡まで、まだかなりの距離がある。恐
らく二日・三日じゃ着かないだろう。休める時に休んでおくことも
一つの手だ。だが、セトルには休んでいる余裕などなかった。
︵もっと強くならないと⋮⋮︶
夜の闇に紛れて、セトルは空気相手に剣を振るった。
266
044 雷の嵐
アキナを出て一週間半後、一行はソルダイを迂回してようやく目
的地である遺跡に辿り着いた。周りを荒廃した断崖絶壁の自然の壁
に囲まれており、遺跡の上空はその一点のみ雷雲が立ち籠め、ゴロ
ゴロと音を立てている。
遺跡の造りは神殿のようなもので、全体的に黒く、避雷針のよう
に先が尖った四角錐型である。
エスレーラ遺跡はムスペイル遺跡に対なす古代ノルティアの遺跡。
エスレーラ言語というものもある通り、昔は神聖な場所だったのだ
ろうと思われる。
中に入ると、薄暗く、そのせいか全体に雷雨が近い雲のような色
で統一されていた。そして轟音と共に青白い閃光が走る。
﹁ひゃっ!? びっくりしたわぁ⋮⋮﹂
エリクスピリクル
突然の雷にしぐれは驚き転びそうになった。どうやらこの遺跡は
中でも帯電しているようだ。雷精霊が居て雷霊素が濃いのだ。考え
たら当り前のことである。
﹁雷程度で驚いていたら、げんくうに怒られますよ、しぐれ?﹂
からかうウェスターにサニーが、
﹁誰だって普通はびっくりするわよ﹂
と言う。するとウェスターは楽しそうに笑う。さっきの雷で眉一
つ動かさなかったのはウェスターくらいだ。
﹁忍者は普通だといけないと思いますよ?﹂
もっともだが、しぐれに関してはそんなこともうどうだっていい
気がセトルにはする。彼女は忍者だが忍者らしくない。それがしぐ
れのいいところでもあるはずだ。
﹁うちはこれでええんや!﹂
しぐれがそう言うと、また閃光が走った。流石に全くとまではい
かないが、二度目は皆もそれほど驚いてはいなかった。
267
﹁雷だけど、たぶんここは大丈夫と思うわ。ほら、避雷針﹂
シャルンに言われて皆は周りを見回すと、閃光が走るたびに、通
路の脇にある背の高い突起に雷が落ちていた。
﹁あれがあるからここは安全ってことだね﹂
セトルは内心ほっとした。実はちょっと怖かったのだ。
そのところどころに避雷針のある通路を進み、放電し続ける電気
の柱を囲んだ螺旋階段を昇ると最上階と思われる空間に出た。円形
のドーム型で、中央には一本の巨大な避雷針がある。セトルたちは
それを見上げた。
するとその避雷針にどこからともなく雷が落ちた。眩い閃光にセ
トルたちは思わず腕で目を庇った。光が収まり、ゆっくりと目を開
くと、そこには直径二メートルほどの翼をした半透明の巨鳥が宙に
浮かんでいた。その体の中心には核のような不透明な球があって、
それを幅広い剣のようなものを手首の先から生やした手が掴んでい
る。そして球体の内部では休むことなく放電が繰り返されていた。
﹁これが、雷精霊﹃レランパゴ﹄⋮⋮かな?﹂
セトルは戸惑った。今までの精霊がかろうじて人型であったのに
対し、目の前にいるアレはどこをどう見ても鳥だ。
仮面のように感情のない巨大な目がこちらを見据える。
﹁我⋮⋮レランパゴ⋮⋮召喚士?﹂
嘴が開き人語を放つ雷の精霊。放電の音で非常に聞き取りづらか
ったが、今までの精霊と同じことを言っている。
﹁私はウェスター・トウェーン、雷精霊レランパゴとの契約を望む
者﹂
ウェスターはいつも通り前に出て雷音に負けぬよう声を張った。
﹁我⋮⋮召喚士⋮⋮戦え﹂
やはり何を言っているのか聞き取りづらいが、レランパゴの中の
放電が激しさを増したことから、戦いが始まるのを予測できた。
﹁来るぞ!﹂
アランが言うと共に、皆はそれぞれの武器を手にした。が、少し
268
遅かった。レランパゴの真下から紫色に輝く巨大な霊術陣が出現し
たのだ。
﹁これは、ディスチャージフィールド!? 皆さん、陣から離れて
ください!﹂
ウェスターが看破するのと同時に、レランパゴの周囲に轟音を発
する強烈な雷撃が落ち、セトルたちは一人残らず弾き飛ばされてし
まった。一瞬のことで悲鳴も上がらない。体が痺れている。
だが、何とか立つことができた。もう一度くらうと危ないかもし
れない。させないためにも、セトルは剣を構えてレランパゴとの間
合いを詰める。外側は帯電していないため、剣でも攻撃できそうだ。
セトルは斜め上から剣を振り下した。翼はあるが手足のないレラ
ンパゴにはよける以外防ぐ手立てはない︱︱はずだった。
﹁な!?﹂
エリクスピリクル
レランパゴの体は硬いわけではなかった。だが、軟質すぎてまる
でダメージがない。
するとレランパゴの目と目の間の一点に雷霊素が集中する。次の
瞬間それは雷撃の光線となってセトル目がけて放たれる。彼は何と
かそれを剣の腹で弾いて防いだ。
﹁︱︱これはどうや!﹂
かまかぜ
しぐれが鞘に納めていた忍刀を居合斬りの要領で抜く。
﹁忍法、鎌風!!﹂
刀そのものの攻撃にダメージはなかったが、そこから発せられた
無数の真空の刃がレランパゴの体を斬り裂きながら交差する。電気
ライトスピリクル
が漏れるように飛び散る。
その時、上空に光霊素が集まったと思うと、そこから神秘的な青
ヒールサークル
い輝きが降り注ぎ、皆に触れる。すると優しい光に包まれ、体の痛
みや痺れが遠のいていった。これはサニーの治癒術だ。
﹁︱︱闇に呑まれろ、ダークフォール!!﹂
シャルンが唱える。漆黒の球体がレランパゴに襲いかかろうとす
る。だが、レランパゴは翼を羽ばたかせて術の届かないところまで
269
素早く移動した。そこへ︱︱
﹁サニー、さっきは助かったぜ!﹂
とアランが走り、長斧を思い切りスイングした。それはたいした
ダメージにはならないが、打ちつけられたレランパゴの体はシャル
ンのダークフォールが落ちる方向へ飛んでいき、見事に直撃する。
やったか、と思ったが、闇が完全に晴れる前に、そこからアラン
までの直線状に連続的な雷が落ち進んできた。︽サンダーレイ︾、
これはそう呼ばれるものらしい。アランは床を転がってそれを躱し
た。速いが、何とか躱せる。
闇が晴れてもレランパゴはサンダーレイを乱射した。狙いは正確
だった。闇雲ならフレスベルクの時のようにその隙をつけるのだが、
とセトルは思ったが、これでは躱すので精一杯だ。
﹁氷霊の刃よ、吹き荒べ︱︱﹂
少し離れたところからウェスターの詠唱が響く。
﹁︱︱アイシクルファング!!﹂
上空から無数の巨大なつららの牙が出現し、渦を成してレランパ
ゴを呑み込んだ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
つららの渦はしばらく続いた。中がどうなっているのかはわから
ない。やがて渦が消えると、そこにはレランパゴの姿はなかった。
代わりに紫色の輝きが浮いている。
﹃召喚士⋮⋮契約⋮⋮承認⋮⋮﹄
その声が頭に響いたとき、レランパゴの形が目の前で具現化され
た。どうやら今度こそ終わったようだ。ウェスターが前に出て、い
つものように堅苦しい言葉を言うと、レランパゴも他の精霊と同じ
ように光に溶け、指輪だけを残した。雷の精霊石︱︱︽トルマリン
︾である。
﹁さて、これでレランパゴとの契約は終わりました。︱︱おや? 皆さん大丈夫ですか?﹂
含みのある笑みを浮かべてウェスターは皆を見回した。セトルた
270
ちは床に座り込んだりして動けないでいる。あれだけのサンダーレ
イの嵐の中にいたのだ。体が痺れて言うことを聞かない。
﹁ま、まだ、し、しひれる∼﹂
とサニーが妙な口調で言う。言葉もうまく話せないなら治癒術の
詠唱なんてできないだろう。ウェスターはやれやれと肩を竦め、眼
鏡の位置を直した。
﹁⋮⋮少し休みますか﹂
271
045 銀騎士
痺れが完全に取れるまで小一時間かかった。
﹁あーやっと楽んなったわ﹂
しぐれはそう言いながら確認するように腕をぐるぐると回した。
﹁次はどうするんですか?﹂
セトルが訊くと、ウェスターは、ふむ、と呟く。
﹁サンデルクに戻って、スウィフトからセイルクラフトをもらいま
しょう﹂
異存はない。もしかするとワースたちも戻っているかもしれない。
次の精霊の情報を集めるためにも、一度サンデルクに戻るのが一番
の早道だ。できればソルダイに寄って休みたいが、それは今の状況
では敵地に乗り込むようなものである。
﹁またあの山登るの∼﹂
やる気のない声でサニーは言った。山とはシグルズ山岳のことだ。
確かにあそこは道が険しく、また魔物に襲われない保障もない。正
直セトルもできれば避けて通りたいのだが、そうも言ってられない。
あそこが一番の近道なのだ。
﹁砂漠よりは楽だよ﹂
とそう思えば何のこともない。それを言うとサニーも、そうね、
と微笑んだ。
﹁動けるようになったし、さっさとここを出ようぜ。こんなところ
にいつまでもいたら感電死しちまう﹂
アランに促され、セトルたちは来た道を戻って遺跡を出た。レラ
ンパゴと契約したせいなのかわからないが、遺跡の上空にあった雷
雲は消えていた。その時︱︱
﹁見つけましたよ、︱︱ウェスター・トウェーン! やはりここに
来ましたね﹂
セトルたちの前に二人の男性が現れた。聞き覚えのある声と、そ
272
の姿にセトルは目を丸くした。片方は緑色の変わったマークの入っ
た法衣を纏い、ダークブラウンの長髪をした二メートル近くある大
男。そしてもう一人は、美しい顔立ちで青い長髪を後ろで結い、銀
色に輝く全身鎧を纏った青年だった。
﹁ザインさん、ハドムさん!﹂
セトルは少し懐かしむような声で二人の名を口にした。彼らとは
一度、ほんの少ししか会ってはいないのだが、よく覚えている。
﹁誰? セトル﹂
そうか、サニーは知らないんだ。あの二人とあったのは彼女が連
行されている時。セトルは簡単にその時のことを説明した。
﹁久しぶりだね、セトル君。まさかこんな形で再開するとは思わな
かったよ﹂
ザインの口調は前と同じ優しいものだったが、なぜだろう、彼の
瞳には敵意を感じる。
﹁何、味方じゃないの?﹂
セトルの説明から、彼らを完全に味方だと思っていたサニーは、
そのただならぬ空気に戸惑った。アランやしぐれもわけがわからな
いといった様子だ。
︵もしかして、サヴィトゥード!?︶
ハッとしセトルはそう思った。サヴィトゥードはあの時確かに砕
けたが、一つしかないとは聞いていない。彼らもアルヴィディアン
だし、可能性がないわけではない。
シルバーナイツ
だが二人とも操られているような雰囲気ではない。その瞳には強
い意志が感じられ、堂々とそこに立っている。
﹁まさかあなたまで出てくるとは⋮⋮自由騎士団騎士団長、銀騎士、
ザイン・スティンヴァー。あの情報は誤報だと言っても信じてくれ
ませんか?﹂
眼鏡のブリッジを押さえ、ウェスターは言った。
﹁ザインさん自由騎士団の人だったんですか!?﹂
セトルは二人の敵意の正体がウェスターの言葉でわかった。そし
273
てサヴィトゥードではないことに安心した。だがそうなると、戦い
になったときの彼らは本気だ。力不足を痛感していたセトルたちに
不安が渦巻く。この地形・位置では恐らく逃げることはできないだ
ろう。
﹁そうだよ、セトル君。私は自由騎士団の隊長だ。まさか君たちが
ウェスター・トウェーンに加担しているとは思わなかった。残念だ﹂
ザインは悲しげに目を閉じた。
﹁だからそれは間違いだって言ってるでしょ! 悪いのは全部アル
ヴァレスなんだから!﹂
﹁やはり無駄ですよ、サニー﹂とウェスター。﹁罪人になっている
以上、こちら側に発言権はありません。信じてくれと言ったのは無
理があったようです﹂
彼は言い終わると槍を作りだした。そしてそれをザインに突きつ
け、脅すように言う。
﹁そこを通してくれませんか?﹂
﹁それはできない相談です﹂
そうばとう
ザインは赤いヘアバンドを締め、背中に背負ってある武器に手を
かけた。それは持ち手の両方に巨大な片刃の剣がついてある双刃刀
だった。同時にハドムも青い宝石を削って作られたような横幅の広
い剣を抜く。
戦いたくはない。でも捕まるわけにはいかない。苦渋の思いでセ
トルも剣を抜き構える。
﹁あの二人、強いわね⋮⋮﹂
トンファーを抜いたシャルンの横顔に一滴の汗が流れる。敵から
目を離さずアランが、ああ、と相槌を打つ。手加減はできない。
﹁何であの二人と戦わなあかんねん!﹂
﹁ためらってたらやられるよ、しぐれ。僕たちは負けられないんだ
!﹂
覚悟を決め、セトルはザインを睨んだ。
﹁どうしても戦うんですね?﹂
274
﹁話は終わりだよセトル君。語りたければ、あとは剣で語るといい。
︱︱いくぞ!﹂
ザインのそれを合図にセトルは走った。同時にハドムが飛び出す。
﹁ザイン様、まずは私が﹂
ハドムの剛剣がセトルの頭上から降りかかる。受け止めると恐ら
くこちらの剣が折られる。そう直感したセトルはサイドステップで
それを躱す。だが、ハドムの剣が地面を叩くと、爆発が起きたよう
に地面が吹き飛び、土の弾丸がセトルを襲った。ハドムは素早く次
の攻撃態勢をとる。
﹁おっと、あんたの相手は俺がしてやる!﹂
アランの長斧が横薙ぎに一閃される。ハドムは咄嗟に剣でそれを
受け流して後ろに跳んだ。そこへシャルンの声が響く︱︱
﹁︱︱闇よ、オスクリダーブラスト!!﹂
ハドムの足下に小規模な闇の霊術陣が出現し、そこから暗黒が立
ち昇った。ハドムに悲鳴も呻き声もない。だが確実に効いているは
ひらいじん
ずである。
﹁︱︱飛雷刃!!﹂
途端、ザインの声と共に雷に似た閃光が走った。セトルに向かっ
て、複数の雷撃の刃が翔る。
﹁うわっ! ︱︱また雷だよ⋮⋮﹂
セトルはそれを器用に躱すと、ザインを見て呟いた。レランパゴ
と戦ったばかりで、雷の攻撃にはうんざりだった。
みなぎ
﹁彼の者にさらなる力を、ヴィグール!!﹂
体が赤色の光に包まれ、セトルは力が漲ってくるのを感じた。
﹁ありがとう、サニー!﹂
礼を言って、セトルはそのままザインに飛び込んだ。双刃刀が振
られる。セトルは躱さず受け止めた。いや、躱せなかったのだ。剣
が折られることはなかったが、衝撃で足が地面に僅かに沈んだ。
﹁セトル、今行くで!﹂
しぐれが加勢に向かう。だが︱︱
275
アーススピリクル
ばくさいけん
﹁︱︱させませんぞ、爆砕剣!!﹂
地霊素を纏ったハドムの剣が襲いかかる。それはしぐれではなく
その前の地面を斬りつけると、先程とは比べものにならない爆発が
起きる。衝撃が爆風となり、しぐれを数十メートル吹き飛ばした。
生じた熱で顔を庇った腕の袖が焼き切れる。地面に叩きつけられた
彼女は小さく呻いた。
すぐにシャルンがヒールを唱え、しぐれを治療する。
﹁︱︱斬り刻む真空の刃、スラッシュガスト!!﹂
セトルとザインの間にウェスターの術が割って入る。ザインはセ
トルの剣を弾いて、吹き荒れる風刃をよける。しかし、その風刃を
突き破ってセトルが突進する。不意をつかれ、彼の体当たりを受け
たザインがよろめく。すかさずセトルは剣を振るう。
﹁ザイン様︱︱!?﹂
加勢しようとしたハドムは振りかかる斬撃に気づき、咄嗟に身を
躱した。
﹁あんたの相手は俺だと言ったろ?﹂
﹁小癪な⋮⋮﹂
その時、ハドムの足下にしぐれの苦無が刺さる。これは外したわ
ひょうだ
けではない。
アイススピリクル
﹁忍法、氷蛇!!﹂
苦無から氷霊素が発せられ、蛇のように巻きつく氷がハドムの両
足を地面に張りつけた。
﹁今や、アラン!﹂
チャンス
﹁ああ!﹂
これを好機にアランは長斧を振ろうとした。だがハドムは凄まじ
い力で氷を砕き、剣を地面に突き刺した。その瞬間ハドムを中心に
ちがくはさいじん
衝撃波が走る。
﹁地顎破砕陣!!﹂
衝撃波は地面を抉りながらアランとしぐれを吹き飛ばした。二人
とも空中で体勢を立て直し、うまく着地する。
276
﹁ロックバイ︱︱﹂
﹁︱︱させない、ダークフォール!!﹂
ハドムの詠唱を遮って、シャルンの術が降りかかる。詠唱中の隙
を突かれ、ハドムはよけることができず闇に呑まれた。
﹁アラン!﹂
シャルンに言われる前にアランは走っていた。今度こそはと思い、
ひしょうほうりゅうきゃく
スピリクル
長斧を掬い上げるように振るいながら飛び上がる。手ごたえはあっ
た。
﹁︱︱奥義、飛翔崩龍脚!!﹂
斬り上げ、鮮血がほとばしったハドムを、今度は霊素と落下の勢
いを付加させた足が捉え、踏みつけるように思い切り蹴る。
﹁がはっ!﹂
吐血し、ハドムは倒れた。まだ意識があるのには驚いたが、もう
動けるような体ではない。
﹁決まったぜ!﹂
キザっぽくポーズをつけてアランは着地する。
きし
︱︱セトルはザインと再び組み合っていた。
刃と刃が噛み合い、軋んだ音を立てている。
﹁ザインさん、やはり退いてはくれませんか?﹂
﹁甘いな、セトル君は﹂
ザインは体を回転させセトルの剣を弾いた。さらにその遠心力を
加えてもう一方の刃でセトルを薙ぎ払う。咄嗟にセトルは剣の腹で
防いだが、その威力は凄まじく、吹き飛んでしまう。
地面に叩きつけられる前に受け身を取り、どうにかダメージを軽
減したが、次に飛んできた飛雷刃が腕をかすめた。それだけでも体
に電撃が走る。
﹁セトル!﹂
サニーが駆け寄ってくる。しかしザインも治癒術を使わしてはく
れないだろう。彼がその邪魔に入ろうとする。その時︱︱
﹁!?﹂
277
突如、後ろから槍の突きが飛んでくる。彼は体を捻ってそれを躱
すと、そのまま双刃刀を振るう。金属音がし、不意の一撃を躱され
スペルシェイパー
たにも関わらず、どこか余裕そうな表情のウェスターが双刃刀を防
シルバーナイツ
いでそこに立っていた。
﹁流石は銀騎士、いい反応です﹂
﹁その余裕、相変わらずですね⋮⋮具現招霊術士ウェスター﹂
双刃刀に電撃が走ったので、ウェスターは僅かに顔を引き攣らせ
てその場から飛び退いた。見ると、ザインはあの巨大な双刃刀を頭
上で軽々と回転させている。回転の速度が増すにつれて雷に似た閃
しょうらいばくげきじん
光が渦巻き、回転する双刃刀を染める。そして彼は高く飛び上がっ
た。
﹁︱︱招雷爆撃陣!!﹂
ウェスターの頭上からザインは雷撃を纏った双刃刀を突き立てる
ようにして落ちてくる。ウェスターはバックステップでそれを躱す
も、ザインが地面に着地した瞬間、雷撃の衝撃波が周囲広範囲に放
電される。レランパゴのディスチャージフィールドに似た轟音が響
く。ウェスターは弾き飛ばされ、突き出た岩に激突する。骨が軋む。
服や肌が焦げた臭いがする。
﹁みんなを助けて、ヒー︱︱!?﹂
ウェスターが岩に叩きつけられたのを見て、サニーは立ち止って
治癒術を唱えようとしたが、そこにザインの飛雷刃が飛んでくる。
隙のできた彼女にあれは躱せない。
セトルは走った。どうにか間に合うんだ、と自分に言い聞かせる。
﹁サニー!﹂
︱︱間一髪だった。あと一秒でも出遅れていたら、彼女は雷撃の
刃をもろに受けているところだった。セトルは庇うように彼女の前
に立ち、剣でそれを空に弾いた。
﹁セトル、ありが︱︱!?﹂
エリクスピリクル
サニーが礼を言おうとしたのも束の間、二人を囲むように円錐状
の結界みたいなものが出現する。その頂点にかなりの量の雷霊素が
278
集まり、どんどん膨れ上がる。
﹁︱︱ヘブンズレイジ!!﹂
次の瞬間、恐ろしいまでの威力を持った雷が結界の中に落ちる。
﹁セトル! サニー!﹂
アランは叫ぶが、返事はない。衝撃で土煙が巻き上がり、中の様
子はまるでわからない。︽ヘブンズレイジ︾は雷属性の霊術の中で
も最強クラスのもの。まともにくらったのなら助からないかもしれ
ない。
アランは怒りのままザインに向かっていった。そして頭を割る勢
いで長斧を振るう。やはりザインはそれを易々と受け止める。
﹁では、こちらもハドムの無念を晴らそう﹂
けんぶ
そうらいか
ザインはその状態からアランを押しのけた。彼が力で負けたのだ。
﹁剣舞・蒼雷華!!﹂
ザインは青白い閃光を纏った双刃刀を連舞する。アランはそれを
防ぐので一杯一杯で反撃ができない。しかも刃を防ぐたびに体に電
かれんげんりゅうは
撃が走る。直撃を受けたら命はないかもしれない。
﹁︱︱渦連幻龍破!!﹂
いつの間にか背後に回っていたウェスターの槍がザインを捉えた。
水の渦巻いたその槍は彼の銀色に輝く鎧を砕き、彼に膝をつかせた。
﹁まったく、人の不意を突くのが得意ですね⋮⋮﹂
﹁どうも♪﹂
ザインはすぐに立ち上がると双刃刀を振りまわして二人を自分か
ら遠ざけた。
﹁セトル!﹂
その時、しぐれの歓喜の叫びが聞こえる。土煙が晴れたところに
セトルとサニーは無事に立っていた。だがあの位置はもろに術をく
らうところ、なぜ助かったのかは、サニー以外はわからなかった。
﹁セトル⋮⋮今の何?﹂
サニーが見たもの、それは切羽詰まった状況でセトルから放たれ
た虹色の光がヘブンズレイジの雷を防ぐ光景だった。
279
セトルは何も答えない。いや、今の彼は意識がないような目をし
ている。となれば、恐らく彼自身に訊いてもわからないだろう。
サニーはセトルの体を激しく揺らした。やがてセトルはハッとし
我に帰る。
﹁あれ? 僕は⋮⋮﹂
﹁無事だったようですね、セトル。まだ戦えますか?﹂
ウェスターにそう言われ、セトルは記憶が途切れていることをひ
とまず後にして、はい、と答える。
﹁では、連携をやりましょう﹂
連携!? セトルは戸惑った。今までそれはサニー以外の人とは
やったことがない。うまくいくのか心配だ。
﹁大丈夫でしょうか?﹂
﹁自分を、そして私を信じてください﹂
するとセトルは決心したように頷き。剣を地面に引きずるように
してザインに向かって走った。後ろでウェスターが詠唱を始める。
フレアスピリクル
﹁︱︱燃え盛れ、焔の煌き!﹂
火霊素がセトルに収束する。
﹁真紅の灯火に照らされ、終焉の歌を奏でよ!﹂
スピリクル
ザインはよけられないと知り、双刃刀で防御の構えを取る。セト
くうはぜつえんしょう
ル全体に輝いていた霊素の光が剣に集中する。そして︱︱
くうはぜつえんしょう
﹁︱︱空破絶炎衝!!﹂
﹁︱︱空破絶炎衝!!﹂
剣を薙ぎ、もの凄い爆風と熱がザインを包んだ。中で悲鳴が上が
る。これを受けて立ち上がれることはまずないはずだ。
しかし、ザインは立っていた。それでも鎧は完全に砕け散り、息
使いもそうとう荒い。やがて、膝をつき、双刃刀を杖にして倒れる
の何とか持ちこたえた。
﹁ぐ、ここで負けるわけには⋮⋮﹂
彼は必死に立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。
﹁ザイン、もう止めましょう﹂
280
ウェスターが彼に近づき、優しげな口調で話す。
﹁少し、話を聞いてくれませんか?﹂
ザインはしばらく黙ったままだったが、やがて頷いた。それを認
めたウェスターはアルヴァレスの真実を話し始める。最初は訝しみ
ながら聞いていたザインだが、本当のことだとわかってくると、顔
を引き締め、真剣な表情で聞いていた。
﹁どうですか? まだ僕たちのことを信じられませんか?﹂
﹁確証がない︱︱と言いたいところだが、セトル君、君たちを見た
時、正直私は迷っていた。ソルダイの争いを止めようとしてくれた
君たちが世界を滅ぼすなどと、信じたくはなかった。どうやら、私
の本心の方が正しかったようだ﹂
ザインは目を閉じて微笑んだ。それは信じてくれたということだ。
セトルは自分の胸に手をあてた。自分の中にまだあの時の不思議
な感覚が残っていることに気がついた。ヘブンズレイジを防いだ時
のことは覚えていない。だが、自分の中に新しい何かが生まれたよ
うな感覚だけは覚えている。それが何なのかわからない。でも、そ
れを追求することで強くなれる。そんな気がした。
﹁ザイン様⋮⋮﹂
するとハドムがよろけながらも剣を杖代わりに使って歩み寄って
くる。話は彼にも聞こえていたはずだ。この二人にはもう戦意はな
い。
﹁私たちが間違っていたようだ。ハドム、ソルダイの兵たちに連絡
はつくか?﹂
﹁⋮⋮やってみます﹂
ハドムが通信機と思われる物を取り出し、ザインの言ったように
ソルダイの兵と連絡をとっている間に、サニーとシャルンは皆の治
療に励んだ。もちろん、ザインたち二人も含めて︱︱。
やがて自由騎士団の兵士が数人やってきた。隊長がボロボロにな
っていることを認めると、驚愕しウェスターに向かって身構えるが、
何もされないとわかると安心したような表情をする。
281
ソルダイからここまではたいして距離は離れてないらしい。徒歩
で数時間と言ったところだ。後でザインから聞いたが、精霊と契約
しているセトルたちがここに来ることはわかっていたらしい。ソル
ダイ∼アキナ間を封鎖することで、いつごろ来るかもわかっていた
とのことだ。
セトルたちは一度ソルダイへ戻ることにした︱︱。
282
046 星の語り部
風を切るように飛ぶセイルクラフトは乗り心地抜群だった。
操作方法はそれほど難しいものではなく、セトルもすぐに覚えら
れた。初めは空を飛んでいるということに驚きと、少し恐怖も感じ
ていたが、何時間か乗っているとすっかり慣れてしまい、飛ぶこと
が楽しくなってきた。
皆の誤解を解き、ソルダイに戻ったセトルたちは、ソルダイの村
長邸︱︱つまりザインの邸︱︱で休息をとった。首都を含め、他の
町の誤報はワースたち独立特務騎士団の働きでどうにかなったよう
だ。
セイルクラフト
それを伝えたのはアキナの忍者、はくまだった。彼はワースとス
ウィフトに頼まれて霊導飛行機械の入ったエリアルパックを人数分
持って来てくれたのだ。ワースから連絡があって、彼が来るまで数
日かかったが、セイルクラフトの他に、重要な情報も持って来てく
れた。
一行は今、︽ティンバルク︾という村を目指し、ソルダイから東
に向かって飛んでいる。
﹁ねぇ、﹃語り部﹄って、ホントにそんな人居るの?﹂
セイルクラフト同士の通信機能を使って、サニーが訊く。雑音は
あるが、彼女の声は皆によく聞こえた。霊導船の何倍もの速さで空
を翔けているのだ、通信機能がなければろくに会話できなかっただ
ろう。
﹁さあ? でも、ワースさんの情報だから本当のことだとは思うけ
ど⋮⋮﹂
はくまの伝えた情報は、他の精霊のことでもなければ、アルヴァ
レイシェルウォー
レスの情報でもなかった。それは﹃星の語り部﹄と呼ばれる人物の
存在であった。
その人物は、このシルティスラントの歴史などを人種戦争以前か
283
スピリアスアーティファクト
ら完璧に記録しているらしい。その人を訪ねることで精霊の居場所
はもちろん、アルヴァレスの目的の一つである古霊子核兵器のこと
も何かわかるかもしれない。とのことだが、そんなに都合のいい人
が本当に居るのだろうか? サニーが疑問に思うのもわかる。
﹁はくまは嘘言わへんよ﹂としぐれの声が通信機器から聞こえる。
﹁アキナの忍者は確証のない情報を伝えることはあらへん。語り部
っちゅう人は必ず居てるはずや!﹂
今は信じるしかない、とセトルは思った。
ウェスターが言うには、ティンバルクは歴史の村。広大な︽スル
トの森︾の中にある遺跡を基にその村は造られているらしい。そう
いった雰囲気なので、そんな人が居てもいい気がする。
六機のセイルクラフトはもの凄いスピードでただ東に向かって突
き進む。
? ? ?
ティンバルクは森の中にあるため、セイルクラフトで直接村に入
ることはできない。セトルたちは一度、その森︽スルトの森︾の手
前に着陸した。
ここはアースガルズ地方、つまり首都がある大陸だ。首都はこの
森から南の方角にある。普通歩いて行くなら、首都からでも五日以
上はかかるところを、セイルクラフトではソルダイから半日ほどし
かかからなかった。
森は迷い霞の密林とは違い、神聖な感じが漂っている。ただ、村
まで続く道から外れてしまうと迷ってしまうかもしれない。
﹁それにしても、こう景色が変わらんと、流石に飽きてくるわぁ⋮
⋮。綺麗な湖とかないんやろか?﹂
歩きながらしぐれが退屈そうな表情でそう言う。
﹁そんな、アキナじゃないんだから⋮⋮。﹂
セトルは苦笑した。そしてウェスターの方を向く。
284
﹁でも、もうだいぶ歩いていますよね? まだ着かないんでしょう
か?﹂
森に入り既に数時間。セトルたちはそれなりに整備されている道
をひたすらに進んでいる。ほとんど変わることのない景色にセトル
も飽きてきたようだ。
﹁スルトの森は広いですからね。村まで早くても一日はかかります
よ﹂
ウェスターは口元に微笑みを浮かべて答えると、それを聞いたサ
ニーが後ろで、うえ∼、とだらしない声を上げる。だが、彼女の気
持ちはわかる。一日かかるということは森の中で夜を過ごさないと
いけないということだ。つまり︱︱
﹁この森にも魔物は居るだろ? 夜とか大丈夫なのかよ?﹂
とアランが言った通りだ。魔物、それも森に居るようなものは夜
行性がほとんど。森の中の野宿はできるだけ避けたいものである。
﹁それなら心配ないわ﹂とシャルン。﹁この森にはいくつか︽旅人
の小屋︾っていう小さな宿があるの。ほら、見えてきたわ。あれが
そうよ﹂
彼女が前方を指差すと、道の向こうに確かに寂れた宿屋のような
建物が建っていた。人もそれなりにいるようで、ティンバルクに行
く旅人は多いのかもしれない。遺跡を基に造られた村だから観光名
所も多いのだろう。
﹁くわしいですね、シャルン。ここに来たことがあるのですか?﹂
先頭を行くウェスターは彼女を振り向いてそう訊く。すると彼女
はどこか寂しいような、昔を思い出すような顔をして、ええ、とだ
け言って天を仰ぐ。
﹁⋮⋮?﹂
そんな彼女にアランは首を傾げるが、別に問い詰める気はなく、
流すことにして皆を見回す。
﹁今日はあそこで休もうぜ﹂
285
? ? ?
古びたアーチをくぐり、一行はティンバルクの土を踏みしめた。
町を見回すが、遺跡らしきものは見当たらない。その代り森の中
にあるだけに、太い樹があちこちから生えている。木造の建物が並
び、その点を除けば極普通の村のようで、観光客と思われる人は多
く、村は賑わっている。
土を整備しただけの道を歩き、しばらく村の中を見回していると、
巨大な五角形の舞台のような物が目に入った。そこに観光客が集中
している。
﹁何だろう?﹂
セトルが首を傾げて彼らの方を見る。
﹁あれがこの村の遺跡よ﹂とシャルンが答える。﹁昔はあの台の上
で何かの儀式をしていたみたいだけど、今でも年に一度、あそこで
踊り子が踊ってるみたい﹂
セトルは、へぇと言っただけで特に関心はないようだったが、
﹁踊り子か⋮⋮綺麗やろうな﹂
羨望の色を隠さずにしぐれが呟く。
﹁それより、あそこで観光客の相手をしている人に﹃語り部﹄につ
いて訊いてみましょう。いろいろと知ってそうです﹂
眼鏡の位置を直したウェスターに、皆は頷いた。
観光客が居なくなるまで待ち、セトルたちは彼らの相手をしてい
たアルヴィディアン男性の老人に近づいた。
﹁すみません、少しよろしいですか?﹂
声をかけたウェスターに老人は怪訝そうな表情をする。また観光
客に面倒な話をしないといけないのか、と言っているようだ。
﹁この村に﹃語り部﹄が住んでいると聞いてきたのですが﹂
﹁﹃語り部﹄じゃと? ああ、グウィッザさんのことかね?﹂
本当に居たんだ、と後ろでサニーが呟く。ウェスターは浮かんで
しまった笑みを隠すように眼鏡のブリッジを押さえる。
286
﹁その人は今どこに?﹂
すると老人はしばらく沈黙し、やがて口を開いた。
﹁⋮⋮あの人はもう亡くなったよ。半月ほど前にな﹂
皆が、え!? という顔をする。老人が続ける。
﹁寿命じゃったんだろうな。一人暮らしの元気な婆さんじゃったが、
遺跡の前でバッタリ逝っとったんじゃ。見つけたのがわしじゃから
よう覚えとる﹂
﹁そんなぁ⋮⋮せっかくここまで来たのに﹂
がっくりとサニーは肩を落とす。無駄足、かもしれないが、まだ
可能性がある。セトルが前に出て、
﹁その人の家ってわかりますか?﹂
と訊く。家にさえ入れれば、その人が記録している精霊などの手
掛かりが掴めるかもしれない。
﹁残念じゃが、あの人の家はこの広大なスルトの奥にあっての。わ
しら村人でもわからんのじゃ﹂
﹁⋮⋮そうですか﹂
セトルは俯いた。これで完全に無駄足となってしまった。恐らく
この村にその記録は伝わっていないだろう。セトルたちは老人に礼
を言って、去っていくその背中を見送った。
﹁一度宿に向かいましょう﹂
老人の姿が見えなくなると、ウェスターが皆を促した。
287
047 地霊の洞窟
ガシャン、という音が豪快に響いた。
﹁あ∼あ。何してんの、しぐれ﹂
宿に向かう途中、何もないところで躓き、見事に転んだしぐれは
荷物を運んでいたアルヴィディアンの男性とぶつかり、荷物の中身
を地面にぶちまけた。そんな彼女にサニーは呆れたようにそう言っ
た。
﹁あんたなんてことしてくれたんだ!﹂
当然、その男性はしぐれを怒鳴りつける。荷物の中身は食材だっ
た。どうやら商品のようで、地面に散乱したそれはとても売り物に
なるような状態ではなかった。
﹁す、すみません、弁償でも何でもするから許してや﹂
拾うのを手伝いながら、彼女は顔の前で手を合わせて謝った。だ
が、あれら全てを弁償するような金額を今は持ち合わせていない。
男もそれはわかっているようで、金で払えとは言わず、少し考えた。
﹁何でもするんだな? だったら︽コイロン洞窟︾の奥にある︽シ
ヨウロ︾っていうキノコをできるだけたくさん採ってきてくれ。そ
れで許してやる﹂
﹁シヨウロ、売れば一個一万はくだらない高級食材ね﹂
﹁一万!?﹂
シャルンが言うと、セトルたち田舎者は目が飛び出るほど驚いた。
一個で一万。そんな食べ物など聞いたことがない。どんなものか見
てみたい気もする。
﹁そのコイロン洞窟ってどこにあるんだ?﹂
アランが訊く。
アーススピリクル
﹁このスルトの森を北に抜けて、さらに北にずっと行った山岳地帯
の谷にある。そこは別名︽地霊の洞窟︾と呼ばれていてな、地霊素
が豊富で質のいいシヨウロが取れるんだ。だが魔物も出るし、場所
288
が場所だけになかなか行けるようなところじゃない﹂
﹁︽地霊の洞窟︾って、まさか!﹂
セトルがウェスターを見る。彼は口元に笑みを浮かべて、そのま
さかでしょう、と言った。コイロン洞窟に地精霊が居る。この男性
の話からしてその可能性は非常に高いと思われる。
﹁わかった。行ってみるわ!﹂
しぐれは大きく頷いた。
﹁まあ、あんたらは信用できそうだから、死なねぇ程度に頑張って
くれや。俺は大概いつも宿に居るからよ。そこに持って来てくれ﹂
言うと彼はそのままどこかに行ってしまった。
﹁今回はしぐれのドジに助けられましたねぇ♪﹂
皮肉めいた笑みを浮かべてウェスターが言う。彼女のドジが実際
役に立ったのはこれがたぶん初めてだ。
﹁はは、本当ですね﹂
とセトルも笑う。
﹁そんな、セトルまで笑わんでも⋮⋮﹂
しぐれは赤面し沈黙した。
? ? ?
男性に言われた通りスルトの森を北に抜け、そこからセイルクラ
フトを使ってまずはコイロン洞窟がある谷を探した。
空から探すのだからそれは簡単に見つけることができた。谷が広
かったのが幸いし、セトルたちは洞窟の目の前にセイルクラフトを
着陸させた。
ライトスピリクル
洞窟の中は真っ暗だった︱︱ということはなく、むしろ明るいく
アーススピ
らいである。光霊素もあるのだろうが、一番の原因は洞窟内に生え
リクル
てある発光する苔のようだ。この谷も草木が生い茂っている。地霊
素が濃いといろいろな植物が育つんだな、とセトルは思った。
洞窟内はところどころ遺跡のような造りになっていた。
289
しばらく進むと地鳴りのような音が聞こえ、突如地面が揺れた。
﹁地震だ!﹂
アランが叫ぶ。揺れはかなり大きい。ほんの数秒のことが何分に
も感じられた。揺れが収まってくると、今度は別の音が聞こえてき
た。
﹁危ない!!﹂
アランはシャルンとサニーを庇うように突き飛ばした。今まで立
っていた場所に落石が落ちてくる。地震のせいだろう。セトルたち
はどうやら無事のようだ。しかし︱︱
﹁困りましたね。道が塞がれてしまった﹂
ウェスターは顎に手を当てて目の前にできた壁を見詰めた。
﹁セトルー! そっちは大丈夫?﹂
壁の向こうからサニーの声が聞こえる。それはこっちの台詞だが、
今ので向こうの三人が無事だということがわかった。
﹁こっちは大丈夫だよ、サニー!﹂
セトルが答えると、
﹁ちょっと離れてて、今この壁壊すから!﹂
とサニーから返ってきた。壁の向こうで術の詠唱をしているのが
目に浮かぶ。だが、それは危ない。
﹁待ってください、サニー!﹂ウェスターが叫ぶ。﹁ローレル川の
ときと同じです。これを無理に壊すとさらに崩れる恐れがあります﹂
﹁どうするつもり?﹂
シャルンの声が返ってくる。
﹁私たちが地精霊と契約してくるまで待っていてください。精霊の
力があれば安全にこの壁を消すことができます﹂
﹁わかった。俺たちは大丈夫だから行ってくれ﹂
アランの声にセトルたちは頷いた。
﹁魔物が出るかもしれへんから気ぃつけとき!﹂
最後にしぐれがそう言ってセトルたちは先に進んだ。そして、実
は一番危険なのは内側に居る自分たちだとセトルはここで気づいた。
290
048 災難再び
﹁ウェスターさん﹂
先程の地震の余震がまだ続く中、地下へ地下へと下りる階段を抜
け、土でできた橋を渡ったところでセトルが言う。
﹁精霊と契約するの、僕たち三人で大丈夫でしょうか?﹂
今まで精霊との契約は少なくとも四人で行っていた。六人居ても
苦戦を強いられていた精霊を三人でどうにかできるのか、セトルは
それが心配だった。ウェスターは、ふむ、と呟いて眼鏡の位置を直
す。
﹁そうですね。難しいかもしれません。せめてあと一人こちら側に
誰か居たらよかったのですが⋮⋮まあ、そう言っても仕方ありませ
スペルシェイパー
ん。成功しないとここから出られないのですから﹂
ウェスターは微笑んだ。具現招霊術士と呼ばれる彼がいれば百人
力である。きっと今回も大丈夫だろう。
セトルがそう思ったその時︱︱
﹁︱︱ボクのこと呼んだかい?﹂
別れた三人のうちの誰のものでもない声が後ろから聞こえた。振
り向いたしぐれが、
﹁あんたは!?﹂
と驚きの声を上げる。そこにいたのは、ディープグリーンの整っ
た長髪をした背の高いノルティアンの青年だった。下部に太陽のよ
うな模様が入った白いコートを纏い、キザっぽく前髪を払う仕草に
は見覚えがある。
﹁そう! 一流のトレージャーハンターにして世間でも名の知れた
美食家、ノックス・マテリオとはボクのことさ♪﹂
彼とは一度、アクエリスからソルダイに向かう船の上で会ってい
る。その時のすばらしい思い出の数々がセトルの脳裏に蘇ってきた。
それはもう苦笑しか生まれない思い出である。
291
﹁何でここにおるんや!﹂
さっそくしぐれが突っかかるように言う。だが、それを言っては
いけなかったことに彼女も言ったあとで気づいた。
﹁よくぞ聞いてくれました! あのとき君たちと別れてからボクは
︱︱﹂
両手を全開し、彼は語り始めた。しまった、というようにしぐれ
は自分の頭を叩く。自分たちと別れてからというと、かなり前のこ
とだ。物凄く長い話になる予感がした。
﹁知り合いですか?﹂
﹁いえ、知りません!﹂
﹁あんな奴知らへんよ!!﹂
ウェスターの問いに、二人は同時にきっぱりと答えた。ノックス
はショックを受けたのか、大げさな動きで崩れるように地面に手を
ついた。ウェスターは悟ったのか、そうですか、とだけ言ってそれ
以上何も訊かなかった。
﹁さっさと行こや!﹂
そう言ってしぐれが速足で歩きだすと、ノックスが縋るような声
を上げる。
﹁ま、待ってくれよ∼、ボクも道が塞がってるから帰れないんだよ
∼﹂
二人は無視した。
﹁いけず∼!﹂
セトルも彼のことは苦手だが、少しかわいそうな気がした。だか
ら︱︱
﹁しぐれ、ノックスさんにも一緒に来てもらおうよ﹂
とノックスに救いの手を差し伸べた。彼は目を輝かせる。君こそ
心の友だ! と後ろから聞こえた。立ち直りが速い。いい性格をし
ている、とセトルは思い、心の中で溜息をついた。
﹁そうですね。いい考えかもしれません。彼にも手伝ってもらいま
しょう。丁度人手が欲しかったところですし﹂
292
どうやらウェスターも賛成してくれるようだ。彼がどれほどの戦
力になるかわからないが、相手は精霊だからいざって時は下がって
もらってくれればそれでいい。しぐれは足を止め、不満そうにこち
らを振り向く。
﹁こんな奴がいても足手纏いにしかならへんやろ!﹂
﹁むむむ、失敬だな、ボクだってちゃんと戦えるさ!﹂
ノックスはコートの裏から二丁の拳銃を取り出し、くるくると回
す。ちゃんと武器は持っているようでセトルは少し安心した。
﹁単身ここまで来ているのですから、少なくとも足手纏いにはなら
ないと思いますが?﹂
﹁うっ⋮⋮それはそうやけど﹂
自分たちは空から来たのでどうとも言えないのだが、セイルクラ
フトなしで、それも一人でここに来ることは普通の人には難しいと
思う。見たところほとんど無傷のようだし、ウェスターの言う通り、
ただ者ではないかもしれない。
﹁それに事態が事態だからここは協力しあったほうがいいと思うよ﹂
﹁お、セトル君いいこと言うじゃないか♪ そうだよね、同じ人同
士協力しないとね♪﹂
﹁あなたは黙っていてください!﹂
まったく調子がいい。彼が喋るごとにしぐれの怒りのゲージが溜
まっているような気がする。これ以上喋らせると爆発してしまいそ
うだ。
﹁⋮⋮わかった。今は我慢したる。せやけど、こっから出るまでや
で!﹂
仕方なく納得した感じで彼女は言うと、不機嫌そうにまたまた歩
き始めた。三人はそれに続き、歩きながらウェスターが今やろうと
していることをノックスに説明した。彼から返ってくる答えのほと
んどは自己陶酔的なまったく答えになっていないようなものだった
が、ウェスターはそれを笑って躱している。流石だと思うところだ。
﹁へぇ∼、﹃ティエラ﹄と契約をねぇ⋮⋮だからボクの力が必要な
293
んだね♪﹂
つかめない笑顔でノックスが言う。しぐれは彼の話を聞かないよ
うに少し離れて歩いている。彼女が魔物に襲われてもすぐに助けら
れるような位置でセトルも歩き、後ろの二人の会話を聞いている。
﹁地精霊は﹃ティエラ﹄というのですか? 契約のことも知ってい
るようですし⋮⋮あなたは一体何者ですか?﹂
﹁ははは、ボクはただの一流のトレージャーハンターにして世間で
も名の知れた美食家だよ♪﹂
それは﹃ただの﹄というのだろうか? それにやっぱり答えにな
っていない。そんなことを思っている間に、五角形の台が目の前に
現れた。ティンバルクで見たような形だ。だが、それよりも小さく
て古く、あちこちに罅が入り、苔が生えている。
﹁あ、ここにティエラがいるよ﹂
常にニコニコとした笑顔のノックスが言う。すると洞窟が揺れ始
める。いや、洞窟というよりはこの空間が揺れているような感じだ。
突然の揺れに驚いている間に、あの台の上に黄色い輝きが勢いよく
出現した。そしてそれは今までの精霊たちと同じように別の形へと
変形を始める。
﹁ババーンっと飛び出てティエラだよ∼﹂
元気のいい声と共に地精霊の形は完成した。モグラと人間の少女
を足して二で割ったような姿をしている。厳つい爪の生えた手には
巨大なスコップを握っているが、髪は金色のツインテールでつぶら
な瞳は愛らしく、全く迫力はない。寧ろこの姿をマスコットにした
ら人気がありそうだ。
﹁お前、召喚士だな。あたいと契約がしたいんだろ?﹂
口は悪かった⋮⋮。
﹁これが⋮⋮ティエラですか?﹂
拍子抜けしたようにウェスターが言う。セトルとしぐれも唖然と
してティエラの姿を見詰めている。
﹁お! 何だ、ノックスもいるのか!﹂
294
ティエラはノックスの姿を見つけると、まるで親友のように声を
かけた。ノックスも、久しぶり♪ と返す。すぐにセトルが彼の方
を向く。
﹁ノックスさん、知り合いだったんですか?﹂
﹁ん? まあ、ここにはしょっちゅう来てたからねぇ﹂
地精霊のことを知っていたのはそういうことだったのか。だが、
なぜかそれだけではないような気がするのは気のせいだろうか?
﹁まあいいです﹂とウェスター。﹁それより地精霊ティエラ、私と
契約してください﹂
﹁ノックスもそっちにつくんだろ? 四対一、腕が鳴るな∼﹂
ティエラはジャンプして高く飛び上がった。
﹁来ますよ!﹂
槍を構築し、ウェスターが言う。
ティエラが空中でもの凄い勢いで回転を始め、そのままこちらに
落下してくる。まともに受ければスコップで真っ二つ、とか言って
いるレベルではない。だが、軌道を読むのは簡単。四人はそれぞれ
散らばり、それを躱す。
どーん! という衝撃音が響き、洞窟全体が揺れるような振動に
襲われた。天井が崩れる。︱︱と思ったが何ともないようだ。ティ
エラの力が働いているということだろう。
アーススピリクル
ティエラが体勢を整える前にしぐれが走り、スコップを持ってい
るもぐらのような右腕に一撃を加えた。
﹁いって∼な∼﹂
と言っているがたいして効いていない御様子。飛び散った地霊素
は少量。あの腕、表面の皮膚は意外と硬いようだ。
ティエラはその右腕でしぐれを振り払う。一撃が重い。彼女は衝
撃を受け流したが、それでもダメージは大きく、着地時の受け身を
失敗した。
﹁しぐれ、大丈夫?﹂
セトルがそう言いながら踏み込みつつ、剣を打ちこむ。
295
﹁な、何とか⋮⋮﹂
ひとまず彼女は大丈夫だろうが、あとで招治法をかけないと。そ
う思いながらセトルは休むことなく剣を打ち込む。しかしあたらな
がれんひじんけん
い。スコップで防がれるか、躱されるかのどちらかだった。
﹁くっ︱︱牙連飛刃剣!!﹂
アーススピリクル
セトルは連続で斬り上げたのち、そこから飛刃衝を放つ奥義を繰
り出す。地霊素が飛び散り、最後の飛刃衝もまともに入った。︱︱
はずだった。裂風で吹き飛んだティエラは何事もなかったかのよう
に立ち上がる。
﹁くらえ∼! ロックバインド!!﹂
﹁させません! ︱︱蒼き地象の輝き、アクアスフィア!!﹂
双方の術はほぼ同時に発動した。セトルの足下から岩塊が突き上
がる。速い! 間一髪で躱したが、足をやられてしまった。それで
も運がいい方、偶然が味方したのだ。
セトルは自分自身に招治法をかける。しかし、他の人を治すのと
違って、自分を治療するのはコツがいる。
ウェスターのアクアスフィアはティエラを捉えていた。いくら腕
の防御力が高くても術の前では無意味。あの水の球体が消えた時、
この戦いは終わると誰もが思った。だが、術が消えたあとにはティ
エラの姿はなく、代わりに巨大な穴が一つ空いていた。ティエラは
それこそモグラのように地面に潜り、身を躱していたのだ。耳を澄
ませば、地面をティエラが移動していると思われる音が聞こえる。
﹁少し下がってくれないか?﹂
ノックスがそう言って銃口をウェスターの少し手前の地面に向け
た。そこが少しずつ盛り上がってくる。ティエラが飛び出す前兆だ。
その変化は極めて微小で、ノックスがそうしなければウェスターは
気づかなかったかもしれない。
言われるままにウェスターは下がり、次の術の詠唱を始める。そ
の時︱︱
﹁ババーンっと飛び出すティエラだよ∼﹂
296
﹁わかってるよ、ティエラ♪﹂
アーススピリクル
ニコニコと笑いながらもノックスは銃を連射する。弾丸があたる
たびに地霊素が散り、わぁ! とティエラが悲鳴に近い声を上げる。
スピリクル
どうやら普通の拳銃ではないみたいだ。セトルは見ていたが、弾
は鉛ではなく、霊素のようだ。
霊導銃、そう呼べばいいのだろうか? その証拠に弾丸はどこにも残ってなく、ノックスも弾を込めるよ
うな仕草をしていない。それでも、一回の連射数は限られているら
しく、一定の間隔で連射が止まる。
﹁もう怒ったぞ∼! テラフォールト!!﹂
途端、巨大な霊術陣が発生し、地震が起こった。ウェスターが術
を中断して注意を払う。地割れが起き、地面が隆起し、天井が崩れ
る。だが、この空間が崩壊を始めたわけではない。それはわかって
いる。
自分の足を治したセトルは、痛みで動けないでいるしぐれの元に
行って彼女を抱え、安全な場所︱︱霊術陣の外︱︱に避難させる。
揺れが激しくなり、ウェスターたちが陣の外に出るのは困難にな
ってきた。地面が被さるように盛り上がる。
逃げられないと悟ったウェスターは、集中して自分の周りに霊素
の膜を張る。ディフェンスフィールドだ。これで致命傷は避けられ
るはずである。
ノックスはというと︱︱いない!? さっきまで彼がいた場所か
ら彼は消えていた。いつの間にか陣の中心にいるティエラの背後を
とっている。
﹁チェックメーイト♪﹂
﹁!?﹂
﹁︱︱吼えよ、クリゾンロアー!!﹂
ティエラが気づいた時には二丁の霊導銃が咆哮していた。二つの
銃口から同時に発射された紅い光線は、一つに融合してティエラに
防ぐ間を与えず陣の外まで吹き飛ばした。術が途切れ、ティエラは
297
くやしそうに、くっそ∼、といいながら輝きへと戻った。
﹁すごい⋮⋮﹂
セトルは思わずそう呟いてしまった。足手纏いどころか、いいと
ころをほとんど彼に持っていかれた気がする。
輝きがティエラの形に戻る。
﹁何だよ∼、ほとんどノックスしか戦ってないのと同じじゃねぇか
よ∼﹂
ティエラにそう言われ、しぐれはムカっときたようだ。立ち上が
ろうとしたが、痛みで顔が引き攣る。思いだしたようにセトルが彼
女に招治法を施す。
一度あの五角形の台の前に集まり、そこで契約の儀を始める。で
は、とウェスターが一歩前に出る。
﹁我、召喚士の名に︱︱﹂
﹁あ、ちょっと待ってや!﹂
ハッとしたようにしぐれが言ったので、契約の言葉を遮られたウ
ェスターは、何ですか? と彼女を振り向いて訊く。
﹁えっと、ここにシヨウロっちゅうもんが生えてるって聞いたんや
けど、どこに生えてんやろか?﹂
そう言えばそのことをすっかり忘れていた。本来そっちの目的で
来たようなものなのに⋮⋮契約のことで頭がいっぱいだった。
﹁シヨウロ? 君たちもそれを採りに来てたのかい?﹂
ノックスが意外そうに答える。﹃君たちも﹄ということは、
﹁あなたもそれが目的だったようですね﹂
ということだ。ノックスは笑顔で頷く。眼鏡の位置を直し、ウェ
スターはティエラに訊く。
﹁それで、それがどこに生えているかわかりますか?﹂
﹁シヨウロだったら、あの向こうにたくさん生えてるよ﹂
ティエラはスコップで奥へと続く道を差す。
﹁おおきに♪﹂
話は終わり、契約の言葉を言い直す。ティエラは光柱に溶け、い
298
つも通り指輪が手に入った。紅色を帯びた透明な宝石、地の精霊石
トパーズだ。
契約が終了し、四人はシヨウロを採取しに奥へと進んだ。
︵サニーたち大丈夫かなぁ?︶
299
049 変態ナルシスト
﹁セトルたち大丈夫かなぁ?﹂
地震でできた壁の前に立ち、サニーが心配そうに呟く。先程から
戦いの音と思われる音が響き、それがより一層不安を煽る。今はそ
の音も止み、ずいぶんと静かになった。
﹁ウェスターだっているんだ。そんなに心配しなくてもいいだろ?﹂
アランが手頃な岩に腰かけて、武器を磨きながらそう言った。サ
ニーが振り向く。
﹁たった三人だよ? アランは心配じゃないの?﹂
﹁そりゃあ心配さ。だが、俺は三人を信じている。必ず無事に戻っ
て来るさ﹂
するとサニーは肩の力を抜き、いつまた崩れるかわからない壁か
ら離れて地面に座った。
﹁そうだね。信じることも大事だよね⋮⋮﹂
彼女はそう言いながら、鼻を押しつけてくるザンフィの頭を撫で
た。それを見てアランは微笑む。
﹁そうだ、アラン﹂
アランの正面の岩に座っているシャルンが見詰めていたソテラの
イアリングをしまってから言う。彼女はときどきそうやってイアリ
ングを見詰めている。声には出していないが、ソテラに何かを語っ
ているように見える。
﹁言い忘れてたけど、さっきは助けてくれてその⋮⋮ありがとう﹂
少し照れているような彼女にアランはからかうような笑みを浮か
べる。
﹁何だ、ちゃんと礼が言えるんだな﹂
﹁わ、わたしだってお礼くらいちゃんと言うわよ!﹂
﹁忘れてただろ? まあ、別にいいさ。サニーからも聞いてないし﹂
サニーが、言ってなかったっけ? という顔をする。そして彼女
300
は立ち上がり、嘆息するアランにそっと耳打ちする。
﹃席外そうか?﹄
﹁いや待て! それだけはやめろ!﹂
アランは即答した。それでは﹃離れる=迷子になる﹄という最悪
の方程式が成り立ってしまうからだ。その時︱︱
﹁三人とも無事?﹂
救いの声が聞こえた。セトルたちが戻ってきたのだ。向こうも無
事なことは声を聞けばわかった。無事よ、とサニーが返事を返す。
﹁今から壁を取り払うので少し離れていてください﹂
ウェスターの指示に従い、三人は壁から十分に距離をとった。
ティエラの力で、落石と崩れた土砂でできた壁は静かに消えてい
った。
﹁セトル、おかえり⋮⋮って一人増えてる!?﹂
﹁あんたは確か⋮⋮﹂
ああ、サニーたちには一から説明しないといけないんだった。ア
ランはいいとして、サニーとシャルンはノックスのことは知らない
はず。話した覚えもない。
﹁ノックス・マテリオとはボクのことさ♪ ボクは︱︱﹂
﹁変態ナルシストや!﹂
しぐれが遮る。
﹁そこの君、誤解を招くような言い方はよしてくれないか?﹂
ノックス自身に自己紹介をさせるとどうなるかわからいため、セ
トルが全部説明した。とりあえずサニーたちは事情を呑み込んでく
れたようだ。
﹁そや! 三人とも見てみぃ、シヨウロがこんなに採れたんやで!﹂
しぐれがバック一杯に詰めたシヨウロを見せると、サニーたちは、
あっ、という表情をする。忘れていたようだ。
﹁まさか、忘れてたんちゃうやろな?﹂
﹁そ、そんなわけないわよぅ!﹂と明らかに動揺した声でサニーが
301
言う。﹁ドジってダメにないようにちゃんと持っときなさいよ!﹂
そう言われたしぐれは、慌ててバックをセトルに渡した。
﹁何で僕が⋮⋮﹂
﹁ティンバルクに帰るまででええから持っといてぇな! うちドジ
らん自信ないんやもん﹂
﹁渡すときは自分で渡すんだよ﹂
﹁わかってるて♪﹂
まったく、というようにセトルは小さく息をついた。
﹁ところで、それ渡したあとはどうするんだ? 語り部はもういな
いとわかったし、その家もわからない以上、ティンバルクに留まる
必要はないだろ?﹂
そうですね、とウェスターが考えるように眼鏡のブリッジを押さ
え、皆は頭を悩ます。すると︱︱
﹁語り部の家なら知っているよ﹂
ノックスから意外な言葉が返ってきた。驚き、皆は彼の方を見た。
村人さえも知らなかった語り部の家をなぜ彼が⋮⋮。
﹁何で知ってるんですか、ノックスさん?﹂
﹁愚問だね、セトル君。僕を誰だと思っているんだい?﹂
彼は誇らしげに前髪を払う。
﹁やから、変態ナルシスト﹂
﹁ははは、しぐれ君。ボクはナルシストであったとしても変態じゃ
ないよ。あの森はほとんど探検し尽したからね。もう僕の庭みたい
なもんさ♪﹂
ナルシストってところは否定しないんだ、とセトルは思った。ノ
ックスは一流のトレージャーハンター︱︱自称だろうが︱︱だと言
っている。スルトの森を探検中に偶然見つけたのだろう。一瞬ピク
っとシャルンが反応した。
﹁まさか、こんなところに知っている人がいるなんて⋮⋮﹂
彼女はそう呟いたが、その表情はノックスを警戒しているようで
もあった。ノックスの言っていることは嘘ということも考えられる。
302
﹁では、ティンバルクに戻りましょうか﹂
ウェスターが口元に微笑を浮かべて促す。
セイルクラフトは六機しかないが、二人乗りまでならできるので、
彼はじゃんけんで負けたセトルの機体に搭乗した。
303
050 語られる秘密
ティンバルクに戻り、シヨウロを渡したセトルたちは、ノックス
の案内でスルトの森の獣道ですらないところを、茂った草やわざと
躓かせるために伸びているんじゃないかと思ってしまう木の根を跨
ぎながら必死に進んだ。
ずいぶんと歩いた気がする。
今となっては東西南北どちらの方向に進んでいるのかわからなく
なった。それをノックスは何の迷いもなく突き進む。物凄い方向感
覚だ。サニーにも見習ってほしい。
広い場所を見つけては休み、さらに奥へ進むとやがて木造一階建
ての古い家が姿を現した。物静かで、寂しい。ここに語り部のおば
あさんが一人で住んでいたのだと思うと、どこか物悲しい。
ノックスは語り部が亡くなっていることを知っていた。前にティ
ンバルクへ立ち寄ったときに聞いたと言っている。家を知っている
くらいだから、語り部とはやはり知り合いなのかもしれない。
着いた途端、ノックスは家の戸を勝手に開けて堂々と中に入った。
﹁ノ、ノックスさん、勝手に入って大丈夫なんですか?﹂
彼の躊躇ない行動にセトルは少し焦った。ここは無人の家だし、
村の人も知らない場所。入るのに許可が必要なら既に亡くなってい
る語り部の人だ。それでもいきなりは失礼な感じがした。
﹁いいの、いいの♪ みんなは入らないのかい?﹂
彼は全く悪びれていない。でもそのために来たのだ。ここは堂々
と入るべきなのかもしれない。皆は頷き合い、彼に招かれたように
家の戸をくぐった。セトルは心の中で一言謝った。
﹁ここが語り部の家⋮⋮何というか、すげぇな﹂
家の中にぎっしりと詰められている本に圧倒されてアランがそう
呟く。まだ微かに人が生活をしていた跡が残っている。亡くなられ
たのが半月前だから当たり前ではある。地下室もあるようで、その
304
下にも本がたくさんあるのだろうと思われた。この中から必要な資
料を探すのは至難の業だ。時間と根気が必要である。
﹁精霊の情報があればいいんですけど⋮⋮﹂
スピリクル
スピリクル
一番近くの本棚の前に立ち、セトルは適当に本を選び始める。す
ると︱︱
﹁精霊とは霊素の意識集合体にして霊素を生み出す母体的な存在。
そして人が生まれる前からこの世界に存在し、世界を見守っている
者。アルヴィディアの水の精霊コリエンテ、風の精霊アイレ、火の
スピリクル
精霊エルプシオン、相反するノルティアの精霊、雷のレランパゴ、
地のティエラ、氷のグラニソ。霊素の属性ごとに彼らは存在する﹂
ノックスが中央のテーブルに片手を置き、不敵な笑みを浮かべて
セトルたちを横目で見る。
﹁ノックスさん、一体何を︱︱﹂
セトルが眉を顰めて、何を言ってるんですか? と言おうとした
のをウェスターが手で制する。
﹁コイロン洞窟で見せた実力、語り部の家を知っていたこと、それ
に精霊のことについては私よりも詳しい。あなたは一体何者ですか
?﹂
一流のトレージャーハンター、世界でも名の知れた美食家。いや
違う。それだけでは説明できない。そういう人たちには精霊の知識
なんて必要ないはずである。
フフ、と不敵な笑みを浮かべてノックスは口を開く。
﹁語り部だったグウィッザ・マテリオは、ボクのおばあちゃんさ﹂
彼はキザっぽく前髪を払い、
﹁ようこそ、ボクの家へ﹂
とニコニコした笑みに戻って言う。皆は驚愕した。語り部に孫が
居たなんて聞いてない。いや、一人暮らしだと聞かされて親族は居
ないものだと思い込んでいた。だからあのとき訊かなかった。
﹁ノックスが語り部の孫だったなんて⋮⋮信じらんない﹂
サニーが口を手で塞ぐようにして呟く。嘘や、としぐれも言いた
305
そうだ。そうかもしれないし、とても語り部のようには見えない。
イメージと全然違う。自己陶酔さが仮面になっているからだ。だが、
どうも嘘とは思えない。事実彼はいろいろなことを知っている。な
ぜ隠していたのか? いや、隠しているつもりはなかったのかもし
れない。それは考えてもわからないだろう。とにかくセトルはそこ
を訊いてみた。
﹁何で今まで黙ってたんですか?﹂
﹁そうだねぇ、強いて言うなら⋮⋮面白そうだったから﹂
﹁え?﹂
﹁だってそうでしょ? 語り部の孫だなんて、名乗ったところでピ
ンとこないでしょ? いやぁ、おかげで面白い顔が見られたよ♪﹂
ははは、と彼は笑う。何か振り回された感がある。なんやて! と叫びながら今にも飛びかかりそうなしぐれをセトルは抑えている
が、少しムッときたのは一緒だ。
﹁ウェスターと気が合いそうね﹂
﹁一緒にしないでくださいよ、シャルン﹂
ウェスターは呆れたように肩を竦める。そして、このまま放って
おいたら永遠と続きそうなので、
﹁お楽しみのところすみませんが、こちらの話をしてもよろしいで
すか?﹂
と打ち切らせた。楽しんでない! と突っ込むが、セトルもしぐ
れも気持ちを無理やり切り換えて後ろに下がる。そうなるとノック
スも飄々︵ひょうひょう︶とした表情を引き締める。
そして︱︱
﹁何が知りたい? ボクはおばあちゃんに散々叩きこまれたからね。
大抵のことは答えられる自信があるよ﹂
今までに聞いたことのない真剣な声だった。気のせいだろうか、
そこに威厳を感じる。おちゃらけた彼はどこかに消えてしまったよ
うだ。ウェスターが小さく息を吸う。
﹁今のところ質問は二つです。一つは精霊の居場所について。水・
306
風・火・雷・土の精霊とは契約済みですから、残りの精霊で知って
いるものがあればお願いします﹂
メモリ
アクセス
データ
サーチ
ノックスはテーブルの椅子に座り、手を顔の前で組んで目を閉じ
た。そうやって頭の中に接続し、記憶を検索しているようである。
やがて彼は目を開いて顔を上げた。
﹁⋮⋮星が一つになったあとの彼らの居場所は全て記録しているけ
ど、それだとあと教えられるのは氷精霊﹃グラニソ﹄だけだね。彼
女はニブルヘイムの南、︽霧氷牢の神殿︾というところに居るよ﹂
おとぎばなし
やはり︽ニブルヘイム地方︾だった。だが、彼は他にも気になる
ことを口にした。
﹁星が一つって、御伽噺じゃなかったの!?﹂
とサニー。それともう一つ疑問が、
﹁光精霊とか闇精霊とかは教えられないのか? 全部わかってんだ
ろ?﹂
とアランが言ったこと。どちらかと言えばこちらの方が重要だろ
う。彼から真実が明かされるたびにこういった疑問が生まれそうだ。
﹁はぁ、そんなに一気に質問しないでくれよ。長々と話すのは疲れ
るんだよねぇ﹂
﹁⋮⋮よう言うわ﹂
としぐれがぼそっと呟く。あれほど飽きずに長話を繰り返せるの
に。セトルは苦笑しか浮かばない。
﹁まあいいさ。アルヴィディアにノルティア、それは元々隣接する
惑星として存在していた。これは事実だよ。御伽噺なんかじゃない。
グラニソ
なぜ隣接して存在できたか、それは謎だけどね。他の精霊を教えら
れないのは氷精霊と契約すればわかるよ﹂
どこか納得できないが、彼がそう言うなら何か言えないわけがあ
るのだろう。とにかく氷精霊と契約してみるしかない。
他に質問はないとわかると、彼はウェスターを見た。
﹁二つ目は?﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直してから言う。
307
スピリアスアーティファクト
﹁二つ目は古霊子核兵器についてです。あれがどういったものか、
スピリアスアーティファクト
歴史を語り継ぐ者なら知っていると思いますが?﹂
﹁古霊子核兵器だって!?﹂
スピリアスアーティファクト
ノックスの表情に焦りの色が見えた。やはり知っているようだ。
だが、彼が驚くほどのもの、古霊子核兵器とは一体何なのだろうか?
﹁一体どこでその⋮⋮いや、そんなことよりそれを知ってどうする
気だい?﹂
彼は睨むようにウェスターを見た。場合によっては、とも考えて
いるかもしれない。
﹁そうですね。あなたには知っておいてもらった方がいいでしょう。
︱︱アルヴァレス・L・ファリネウス公爵、彼がその封印を解き、
スピリアスアーティファクト
ノルティアン以外の人々を消滅させようと企んでいます。我々はそ
れを阻止しないといけません。そのためには古霊子核兵器のことも
詳しく知っておく必要があるでしょう?﹂
彼は一気に説明した。ノックスはしばらく黙って何かを考えてい
る。それとも記録を探っているのか、どちらにせよ彼が口を開くま
で待たなければならない。
沈黙が続く。長いようだが、そんなに時間は経っていないだろう。
こうして見ると、やっぱり目の前にいるのがあのノックスだとは
思えない。キャラが違いすぎる。どちらが本当の彼か、どちらも本
当か。まじめな話をしている時でも時々いつもの彼を思わせるよう
な仕草や言い方をするから恐らく後者だろう、と沈黙の間にセトル
は考えた。
﹁⋮⋮なるほど、それで精霊をね﹂
彼は立ち上がった。そして少し待つように言って、地下室へと下
りて行った。わかってくれたのだろうか?
﹁はぁ、何か緊張するね﹂
サニーが胸に手を当てて息をつく。
﹁ホント、語り部が居ないと聞かされた時はどうしようかと思った
よ﹂
308
﹁まあ、何にせよ結果オーライってやつさ﹂
アランがはにかんでホッとしているようなセトルを見る。
しばらくしてノックスが戻ってきた。
﹁いやぁ、待たせちゃって悪いね。これを見てくれるかな﹂
そう言って持ってきた本のしおりを挟んである部分を開く。文字
ばっかり書かれている。しかも古代語のようだ。セトルにはさっぱ
スピリア
りである。ウェスターだけはわかったように顎に手を当て、ふむ、
と呟く。
スアーティファクト
そう
﹁ここに書かれていることを踏まえながら簡単に説明すると、古霊
れいほう
子核兵器と呼ばれる物は過去に一つしか存在していない。名を︽蒼
霊砲︾という。古代アルヴィディアの塔のような建物、それ自体が
兵器なんだ。シルティスラントができたあと、アスハラ平原に封印
され、その封印基盤は各地方に複数存在している。ファリネウス公
爵はノルティアン以外を消すつもりなんだろう? 確かに蒼霊砲な
らそれが可能だ。意外かもしれないが、あれには霊術と同じで指向
性をつけることができる。戦争中、敵味方が入り混じる中に撃って
も味方は生き残るというものなんだ。︱︱ははは、古代の技術はす
ごいね、まったく﹂
スピリアスアーティファクト
最後の方は何か感想みたいになっていたが、今のノックスの説明
を聞いて古霊子核兵器がどういったものなのかだいたいわかった。
蒼霊砲と聞いた時、セトルは何かを感じた。聞き覚えがあるような
ないような、もしかしたら記憶の手がかりになるものなのかもしれ
ない。
﹁なるほど、参考になりました﹂
言うとウェスターは真剣な表情で皆を見回す。
﹁皆さんに確認します。ここからはより危険なものになるでしょう。
記憶を取り戻したり、仇を打ったりするためだけに命を落とす必要
はありません。個人の勝手な感情だけでついてこられても困ります。
あなた方は軍人や王国の役人ではないのです。 別に降りたところ
で咎められることはないでしょう。︱︱どうしますか?﹂
309
一同は無言で顔を見合わせた。そして力強く頷く。
﹁ここまで来たら、僕たちはもう世界を背負っているのと同じです。
ここで降りても何も言われないかもしれない。でも、必ず後悔しま
す。自分が許せなくなる。︱︱僕たちの気持は変わりません!﹂
セトルが言ったことを聞いて、ウェスターは嬉しそうに微笑んだ。
﹁そう言ってくれると思いました。こういう考えはあまり好きでは
ありませんが、この六人がここに揃ったのは偶然ではないと思いま
す。︽運命︾といったところでしょうか。誰か一人でも欠けると、
為し得ないように感じます﹂
ウェスターらしくない言葉だった。だが、それが信頼の証でもあ
ると思われる。彼はノックスを向く。
﹁それでは早速次の精霊の居場所へ向かいます。ノックス、いろい
ろとありがとうございました﹂
セトルたちは礼を言って外に出た。だが︱︱
﹁やから、何でついてくるんや!﹂
最後尾のノックスの姿を見てしぐれが叫ぶ。
﹁面白そうだから。まあ、気にしない気にしない♪﹂
彼はニコニコしながら言った。元の彼に戻っている。先程ウェス
ターが﹁個人の勝手な感情だけでついてこられても困ります﹂と言
ったばかりなのに困ったものだ。
﹁あんたって奴は、気になるっての!﹂
しぐれは拳を握って今にも殴りかかりそうだ。しかし、
﹁君たち帰り道わかるのかい?﹂
と言われて、あっ、という表情になる。
﹁では、ティンバルクまでの案内を頼みます。そのあとはついてこ
ないでくださいよ? あなたは戦力にはなりますが、我々と行動を
共にさせるわけにはいきません﹂
﹁そんな∼、いいじゃないの∼﹂
﹁いけません。それと、できるだけティンバルクに滞在していてく
ださいね﹂
310
彼をつれていかない理由がウェスターにはあるのだろう。ティン
バルクまでの道中、ノックスはまるで駄々っ子のように振舞ってい
た。
311
051 霧氷牢の神殿
﹁へ、へ、へっくしょん!!﹂
フラードルの町全体に響き渡るんじゃないかと思うくらいの大声
でアランがクシャミをする。
ニブルヘイム地方唯一の都市であるフラードルは、面積だけで言
えば首都よりも広い。年中銀世界のこの町は、アクエリスと並ぶほ
ど美しい町である。その代り、寒さに関しては涼しい環境のアスカ
リアで育った人でもこの通りである。
ノックスを残し、ティンバルクを発ったセトルたちはここに来る
前に一度サンデルクに立ち寄った。ワースは居なかったが、代わり
にアイヴィが迎えてくれた。報告だけなので彼女でも十分だった。
寒さでセイルクラフトがダメにならないか心配だったが、長時間
外に放置しなければ大丈夫のようだ。
今日は吹雪いていた。セトルたちはすぐさま宿屋︱︱︽氷の華︾
に駆け込んだ。外がこんな状態だから精霊との契約は吹雪が止んで
からということで皆了承した。宿の主人によると、明日には止むそ
うだ。今の時刻は昼。一日近く足止めされるのは久しぶりだ。この
間にゆっくり休んでおこう。
アランとシャルンは食料や防寒具などを買いに行っている。吹雪
の中、建物の外に出ることをアランは拒んでいたが、サニーが無理
やりシャルンと行かせてしまった。ウェスターは部屋で何かの本を
読んでいる。
何をしようか。
皆それぞれの休息をとっている。暇なときは何をしていたのだろ
うか、忙しい日々が続いていたため、セトルはそういったことを忘
れていた。二階の廊下の窓から吹雪の街並みを眺めて、村に居たと
きにどう過ごしていたかを思いだそうとするが、空を眺めていたこ
と以外思い出せない。
312
空は︱︱と見上げてみるが、当然、暗く重い雪雲が覆っていて眺
める気がしない。
︵サニーたちは何をしてるんだろう?︶
サニーとしぐれは彼女たちの部屋に籠ってから出てこない。暖炉
の前で丸くなっているのが容易に想像できる。
︵⋮⋮剣でも磨いておこうかな︶
踵を返し、セトルは自分の部屋に戻った。
? ? ?
次の日は宿の主人が言っていた通り、見事に晴れ渡っていた。そ
れでも寒いことはかわらない。
空気が澄んでいる。
アランたちが買ってきた防寒具を身につけ、一行はフラードルか
ら南に飛んだ。︽霧氷牢の神殿︾に氷精霊が居る。神殿というくら
いのものだから、コイロン洞窟よりも簡単に見つけることができた。
﹁うわぁ⋮⋮﹂
﹁めっちゃ綺麗やん⋮⋮﹂
神殿は氷でできているかのように陽の光を反射して神秘的に輝い
ていた。サニーたちが思わず呟いてしまうのもわかる。正面の外見
的な造りは柱が何本も立っているため、︽牢︾という表現はあなが
ち間違ってはいない。しかし、中に入ってみて別の意味での︽牢︾
がわかった。
ひょう
神殿内は迷路のようになっていて、広くて寒い。それだけならい
いが、ところどころで白い霧が行く手を阻み、雹の嵐が吹き荒れる。
下手をすると迷ってしまい、二度と出ることは叶わないかもしれな
い。事実、ここで行方不明になった者は多いらしい。彼らの死骸は
見当たらないが、魔物はいやっていうほどいる。それらを蹴散らす
たびに激しく動くので、体はすっかり温まった。
﹁ここのようです﹂
313
ウェスターが立ち止まる。今までで一番広い部屋。両壁の氷かガ
つぶて
ラスかわからないところから陽が射していて、部屋の奥には氷の祭
壇がある。近づくと、床から小さな竜巻が氷の飛礫を巻き上げなが
ら発生した。中心に冷たいイメージの青色をした輝きが浮いている。
﹃わたしはグラニソ。よくここまで辿り着いたな。褒めてやろう﹄
頭の中にクールでどこか偉そうな女性の声が響いた。
﹁私はウェスター・トウェーン。あなたとの契約を望む者です﹂
﹃わたしと? 面白い、いいだろう﹄
輝きは女性の形になった。同時に竜巻が収まる。カチューシャを
した長い白銀の髪、同じ白銀の瞳に腰マント、雪の白をさらに通り
越したような白い肌。見た目だけならこれまでの精霊の中で一番人
間に近い。
グラニソは冷たい瞳でセトルたちを見下ろし、ゆっくりと着地す
る。
﹁では、武器を構えるがいい!﹂
言うとグラニソはパチンと指を鳴らした。するとグラニソの隣に
また竜巻が起こり、青い体毛に覆われた狼に似た生き物が現れた。
血のような赤い両眼に鋭い牙と爪、まるで魔物のようだ。
﹁わたしのパートナー、氷の聖獣﹃グラキエス﹄だ。わたしはこの
子と共に戦う。︱︱いくぞ!﹂
グラニソとグラキエスは同時に床を蹴った。軽やかなフットワー
クでグラニソがセトルたちとの距離を縮める。
﹁くそっ、パートナーがいるなんて聞いてねぇぞ!﹂
アランがグラキエスの爪の一撃を躱しながら嘆く。
﹁文句を言っている場合ではありませんよ。セトルたちはできるだ
け彼女を抑えていてください。私とアランでグラキエスを片づけま
す!﹂
ウェスターが霊術の詠唱を始める。恐らく火属性の術だ。氷の魔
物たち相手にそれは絶大な効果があった。グラキエスも氷の聖獣と
言われるくらいだから炎に弱いと踏んだのだろう。
314
どとう
グラニソの怒涛の拳は止むことなくセトルに打ち出される。凄ま
じく速い連続攻撃、セトルは剣で防ぐので精一杯だった。
﹁どうした? 防いでばかりじゃわたしには勝てないぞ!﹂
グラニソは口元に笑みを浮かべている。
﹁くそっ⋮⋮はっ!﹂
セトルは押し返すように剣を横薙ぎに一閃した。しかしグラニソ
は身軽にもバック宙返りでそれを躱し、着地後に両掌に気を溜めて
ろうこうは
重ねるように掌底を打ち出す。
﹁︱︱狼吼破!!﹂
咄嗟に剣で受け止める。だが、グラニソの掌に込められた気が狼
の形になって放たれる。衝撃でセトルは数メートル吹き飛んだ。
﹁︱︱吹き荒べ、アイスゲヴィッター!!﹂
さらに追い打ちで氷塊を含んだ大嵐がセトルを襲う。凍てつく風
はセトルの肌を凍らし、そこに氷塊が砕くように打ちつける。感覚
ははっきりしている。ひどい痛みが体中を走る。
﹁セトル!?﹂
しぐれが叫び、忍刀を振り下す。しかしグラニソには当たらない。
ヒール
それは虚しく風を切っただけだった。
サニーがセトルに駆け寄り治癒術の詠唱を行う。
﹁︱︱血を求めし裁きの十字架、ダークネスクロス!!﹂
シャルンの声が響く。グラニソの足下から禍々しい柱が立ち昇り、
アイススピリクル
捉え、引き裂くように十字を形成する。
氷霊素がほとばしるが、掠り傷程度だった。しぐれが距離を置き、
三つの大きめの手裏剣を取り出して、投げる。それは空中で発火し、
けいげつ
僅かな隙ができているグラニソを襲う。
﹁︱︱忍法、桂月!!﹂
一つ、二つ、身軽なグラニソならそれを躱すことなど簡単だった。
躱しながらしぐれへと迫る。だが、三つ目はあたった。いや違う、
受けとめた。みるみる炎が凍結していき、氷の手裏剣が完成する。
グラニソはそれを投げた。しぐれはバックステップで躱す。手裏
315
剣は床に突き刺さり、氷が綺麗に割れる。しかし、それはあたらな
くてもよかった。あてる気もなかったのだろう。ただ隙を作るため
アイススピリクル
の行動にすぎない。グラニソはしぐれの懐に飛び込み、彼女を高く
蹴り上げた。同時に飛び、もう一度氷霊素を付加させた蹴りを繰り
出す。それは、セトルやシャルンの飛天連蹴に似ていた。
一撃、一撃はそれほど重くはないが、それでも骨は悲鳴を上げる。
しぐれはなんとか着地し、蹴られた箇所を押さえる。
﹁やべぇな。早くこいつを倒して加勢しないと⋮⋮﹂
セトルたちの様子をアランは横目で見ていた。グラキエスは唸り
声を上げ、赤い両眼がアランをロックオンし、隙を窺うように体勢
を低くしてじりじりと迫っている。
グラキエスの肉薄のスピードはグラニソよりも速く、反応速度も
異常に速い。アランが多少隙を作らせたところであたりはしなかっ
た。
グラキエスは全身をばねにして飛びかかった。
迫りくる牙をアランは左手の籠手で防ぎ、動きを捉える。右手の
長斧で斬りつける。咄嗟にグラキエスは飛び退った。左前脚のつけ
根の辺りから鮮血が流れる。ようやくあたった。左手の籠手を見る
と噛みつかれた痕がくっきりと残っており、あと寸前で貫かれてい
た。次に同じことはできない。
﹁︱︱斬り刻む真空の刃、スラッシュガスト!!﹂
ウェスターが素早く隙のない霊術に切り替えた。時間がかかるだ
ろうが、まずは動きを止めるところから始めなければ勝てない。
決定打は与えられなかったが、無数の風刃にグラキエスはひるみ、
一瞬だけ動きが止まる。十分だった。アランは一気に駆けだし、長
斧を突き出してそのままグラキエスを打ち上げる。空中で体勢を立
てんしょうこうじんげき
て直そうとするグラキエスをアランは飛び上がってさらに斬りつけ
る。
﹁︱︱天翔皇刃撃!!﹂
流石のグラキエスも空中では躱せない。横薙ぎに一閃し、さらに
316
叩き落とすように降り下す。
﹁︱︱終焉の紅き業火よ、クリムゾンバースト!!﹂
落ちてくるのを待っていたかのように赤い霊術陣が床に出現する。
グラキエスは悲鳴に似た叫びを上げていたが、次の瞬間、クリムゾ
ンバーストの爆発に呑まれ、それは断末魔の叫びと化した。
魔物が焦げた臭いとはまた違う臭いが漂う。
スピリクル
グラキエスは横倒しに床に転がっていた。美しかった青い体毛も
今では縮れ爛れている。霊素に還らないということはまだ生きてい
るということ。聖獣と呼ばれるものだ。これくらいでは死なないの
かもしれない。しかし苦しそうに唸っている。もう動けないことは
明らかだ。精霊のパートナーをこれ以上無意味に痛めつけるわけに
とうりゅうれんぶ
はいかない。思いだしたようにアランはセトルたちの方を向く。
﹁︱︱凍龍連舞!!﹂
凍気の籠った拳が容赦なく打ち出される。サニーのおかげで回復
したセトルは一打一打を剣で防ぎ、グラニソの隙を窺っている。
シャルンが背後を取り、体を捻ってトンファーを打ち込む。グラ
ニソはそれに気づいたが肩を殴打される。しかしひるまず、掌に闘
ろうがひょうそうじん
気と冷気を纏わせて、放つ。
﹁︱︱狼牙氷槍陣!!﹂
狼の気が放たれたかと思うと、グラニソの周囲から無数の氷の槍
が突き出した。鋼よりも硬い氷でできているそれは、セトルを鎧ご
と貫くことなど簡単にできるだろう。今の剣︱︱バスターソードで
すらまともに受け止めると折れてしまう恐れがある。狼の気をかろ
うじて躱し、氷の槍は受け流すようにして防いだ。シャルンは後ろ
に跳んで、槍の間合いから離れる。
ゆめ
うっ、とグラニソの表情が僅かに引き攣る。肩のダメージは意外
と大きかったようだ。
﹁︱︱翼無き者に一瞬の幻夢を与えん、グラビティ・ゼロ!!﹂
そこへサニーの声と共に透通った白い輝きを放つ霊術陣が広がる。
陣と同じ大きさの光の輪がいくつも浮き上がり、それにつられてグ
317
ラニソも引っ張られるように上昇する。まるでその空域だけが無重
力にでもなったかのようだ。光の輪がグラニソを包む。直後、星の
重力を何倍にもしたようなスピードで落下する。
床に叩きつけられたのと同時にグラニソは呻き、苦悶の表情を浮
かべた。
一瞬の暇も与えずに左右から駆ける足音が聞こえる。
﹁!?﹂
アイススピリクル
フレアスピリクル
右からアランの長斧が、左からウェスターの槍がグラニソを捉え、
血の代わりの氷霊素を大量に散らした。
﹁今だ、セトル!﹂
アランが叫び、セトルは頷いてそれに答えた。脚に火霊素付加さ
しょうがえんりゅうきゃく
せグラニソを蹴り上げる。セトルも跳んだ。
﹁︱︱昇牙炎龍脚!!﹂
一発、二発⋮⋮纏った炎で何度蹴りを繰り出しているのかわから
ない。飛天連蹴の奥義なので最後には剣を振るう。もちろんそれも
炎を纏っている。
きゃあああ、という人の女性らしい悲鳴を上げ、彼女は飛散した。
青い光粒は陽光に照らされてそれは感動を覚えるほど美しかった。
いつの間にかグラキエスの姿も消えている。
再び輝きが集結し、グラニソが姿を現す。
﹁わたしの負けだ。契約を結んでやる﹂
負けたのがくやしいのか、その声は投げやりになっている。いつ
ものようにウェスターが前に出て契約の言葉を言う。一条の光にグ
ラニソは同化した。残された指輪は︽サファイア︾だった。これも
本などで見たことがある。
光が消え、契約の儀が終わったかと思うと、眩い輝きが天からゆ
っくりと降りてきた。
﹁な、何だ!?﹂
驚いているセトルたちの目の前でその輝きは優しく明滅している。
その輝きは精霊のそれと似ている。
318
その通りだった。
輝きは徐々に形を変え、女性の姿になった。女性と言ってもグラ
ニソほど人に近い容姿ではない。背中からぼんやりと輝く美しい翼
が生えていて中に浮いている。翼の力で浮かんでいるわけではない
のは明らかだが、その容姿はまるで天使のようで神々しい。緑色の
ワンピースに似た服、ショートの茶髪に尖った耳、ノルティアンの
ようなグリーンの瞳は威厳さえ感じられる。ただの精霊ではないと
いうことがすぐにわかった。
﹁我が名はセンテュリオ。光の精霊にして、古代アルヴィディアの
統括精霊だ﹂
319
052 光と闇
センテュリオ。精霊はそう名乗った。光の精霊がなぜここに、と
グラニソ
セトルは不思議がっていたが、ノックスの﹁他の精霊を教えられな
いのは氷精霊と契約すればわかるよ﹂という言葉を思い出した。
﹁全ての根源精霊と契約した者よ。そなたには我らと契約を交わす
資格がある。おぬしにその意志はあるか?﹂
センテュリオの問いかけにウェスターは、ええ、と言って大きく
頷き、
﹁我らとは?﹂
と訊く。
﹁我と、闇精霊﹃オスクリダー﹄のことだ。あれはノルティアの統
括精霊だった者﹂
水・風・火の根源を統括する精霊﹃センテュリオ﹄、雷・地・氷
の根源を統括する精霊﹃オスクリダー﹄。精霊にそのような階級み
たいなものがあるなんて知らなかった。ノックスは知っていたのだ
ろう。だからあのように言ったのだ。
﹁ということは、残る精霊は二体ってことですよね?﹂
スピリクル
セトルは精霊と契約する旅が終わりに近づいているのを感じた。
ウェスターが眼鏡の位置を直す。
スピリクル
﹁ええ。ですが、精霊と呼ばれる存在が霊素の属性分居るのでした
ら、それで全てという
わけではないでしょう﹂
スピリクル
﹁どういうことだ?﹂とアラン。﹁霊素の属性は全部で八つじゃな
いのか?﹂
﹁一般ではそう言われていますが、他にも霊素は存在しています。
極めて稀少なものですから今は考えなくてもかまいません﹂
スピリアスアーティファクト
彼はそれだけ答えると話を続け始めたセンテュリオに向き直った。
﹁古霊子核兵器の復活も近い。だがまだ時間はある。まずは﹃星の
320
陰に隠されし、闇を誘う深淵の地﹄を目指せ。そこにオスクリダー
は居る。我はそれと対なす場所、﹃天高く聳えし原初の古塔﹄にて
おぬしたちを待つ﹂
センテュリオは告げると元の輝きに戻り、降りて来た時と同様に
ゆっくりと昇り始める。
﹁ちょっと待って! ここであなたと契約はできないの?﹂
サニーが天に向かって叫ぶ。しかしセンテュリオは答えない。代
わりにウェスターが答えてくれた。
﹁契約は正式な場所で行わないと意味がないのです﹂
神々しい輝きは消え、辺りには静けさと寒さが戻った。
﹁それでこれからどうするんや?﹂
﹁﹃星の陰に隠されし、闇を誘う深淵の地﹄だっけ? そこに行け
ばいいんじゃないかな?﹂
﹁でもセトル、それどこにあるかわかるの?﹂
セトル、サニー、しぐれの三人は頭を悩ました。当然、答えなど
でるはずもない。だから行きつく先は、
﹁ノックスさんなら何か知ってるんじゃないかな?﹂
となってしまう。しぐれがものすごく嫌な顔をしたが、それも仕
方ないと思い反対はしなかった。
﹁教えてくれるかしらね?﹂
訝しむようにシャルンが言うと、ウェスターが、そうですね、と
頷く。
﹁知っていても教えてはくれないでしょうね。教えられるのならあ
の時教えてくれたはずです。今回は精霊自ら場所を示しました。そ
れを頼りに探してみましょう﹂
むし
﹁あーもう! めんどう!﹂
サニーが頭を掻き毟る。
﹁一度町に戻りましょう。そこでこれからどうするか考えます﹂
﹁そうだな。ここにこれ以上いたら凍死しちまう﹂
アランも頷いた。そう言われたら急に寒くなった。反論はなく、
321
一行はフラードルに戻ることにした。
? ? ?
程よく暖められた宿の中はまるで天国のようだった。
皆は受付のある大広間のソファに腰を預け、これからどうするか
の会議をしている。﹃星の陰に隠されし、闇を誘う深淵の地﹄︱︱
考えても思い当たる節はない。
﹁サンデルクに向かいましょう﹂
突然、ウェスターがそう提案する。ワースの知恵を借りるのだろ
うか? しかし彼は必ずしもサンデルクに居るとは限らない。居な
い時の方が多い。戻るまで待つとしても、いつ戻るかわからないよ
うじゃ頼るわけにはいかなくなる。
目的はどうやら別にあるようだ。
﹁サンデルクには確か王立図書館があったわね﹂
﹁その通りです、シャルン。闇精霊に関する書物があるかどうかは
わかりませんが、調べてみる価値はあるでしょう﹂
そういった書物に関しては語り部の家にある物の方が確実かもし
れないが、ノックスは協力しないと思われる。前にもウェスターが
言ったが、すなおに協力するようなら、契約の順番も含めてあの時
に教えてくれていただろう。
﹁でも一応ノックスさんにも訊いてみたらどうですか?﹂
セトルは彼の意外性にかけてもいいと思いそう尋ねた。ウェスタ
ーは首を横に振ると思ったが、不思議な言葉が返ってきた。
﹁ええ、もちろんそのつもりです﹂
セトルたちは軽く首を傾げる。そのつもりなら真っ先に行く場所
はティンバルクである。そこに居るように言っておいたので、勝手
にどこかを放浪しているということはないだろうが、どういうこと
だ。
何か考えがあるように彼は含み笑いを浮かべる。この場合、訊い
322
ても楽しんで教えてくれないだろう。そういうところがノックスと
も似ていてたちが悪い。セトルたちはあえて訊かないで話を進めた。
﹁ま、まあ、サンデルクにおればワースはんも帰ってくるかもしれ
へんし、ええんちゃう?﹂
﹁じゃあ、それで決定!﹂
苦笑を浮かべたしぐれのあとに、サニーがそう言って会議を強制
終了させた。
﹁ん? 何か顔色悪いな、シャルン。大丈夫か?﹂
アランが彼女の顔を見て心配そうに声をかける。しかし彼女は、
大丈夫よ、と言って立ち上がる。
﹁先に部屋に戻ってるわ﹂
そのまま彼女は一人二階に上がって行った。グラニソ戦の疲れが
出たんだろう、とその時セトルたちはそれほど気に留めなかった。
323
053 王立図書館
時刻は昼︱︱。
王立図書館と言うだけあって華美な建物を予想していたが、実際
に入ってみるとそうでもなかった。少し古びた木製の建物で歴史を
感じる。中は当たり前だが静かで、数人の学士たちが調べ物をして
いる。
天井まで届く高さの本棚が部屋を囲み、そこにびっしりと本が詰
められている。二階・三階も同じ様になっていて、星の数ほどある
んじゃないかと思われるそれは語り部の家の比ではなかった。
﹁これならきっと見つかりますね!﹂
とやる気を出しているセトルもいれば、
﹁うえ∼、頭が壊れちゃいそう⋮⋮﹂
とだらしなく面倒そうにそう言うサニーもいる。
﹁とにかく、手あたり次第探そうぜ!﹂
アランの言葉を号令にし、皆は手分けして探すことにした。アラ
ンはシャルンと一階を捜索し、セトルが二階を調べているとサニー
としぐれが加わって一緒に調べることになり、ウェスターが一人で
三階の書物に目を通している。
中には古代語で書かれている本も多かった。古代語はムスペイル
言語とエスレーラ言語とがある。霊術士は基本エスレーラ言語を学
ぶ。その古代語は必須科目なのだ。ムスペイル言語を学ばないのは、
こちらの方が簡単だからなのと、それが霊導学向きだということが
理由らしい。これは古代ノルティアが霊術に、アルヴィディアが霊
導技術にたけていたことを現している。
精霊に関しての記述はエスレーラ言語で書かれているものだと思
われた。まだ新しい現代語︱︱と言っても数百年、数千年の歴史は
あるが︱︱で書かれているものには恐らく載っていない。見る本を
特定していかないと日が暮れるだけでは済まないだろう。
324
霊術が使えるサニーとシャルンはエスレーラ言語を理解している。
しかし二人とも基本だけなので、読み解くのは困難に思われた。セ
トルたち読めない組がエスレーラ言語の本を探し出し、机に向かい
あって必死に解読を試みる彼女たちの横に積み上げる。
日が暮れてしまった。
閉館まであと一・二時間といったところか。セトルたちは一度一
階に集まった。
﹁あったか?﹂
そう尋ねるということは、アランたちは見つかってないというこ
とだ。セトルたちの表情から二階もどうだったのかわかる。
﹁ていうか全然進んでない気がするんだけど⋮⋮﹂
サニーが読んでいたところにはまだ本が山積みになっている。読
み解いた本などほんの数冊でしかない。しかもその全てが何の関係
もないものばかりだった。
﹁こっちも似たようなもんだ。ところでウェスターは?﹂
﹁まだ上で調べてるんとちゃう?﹂
﹁あ、下りてきたよ!﹂
図書館の中心にある螺旋階段をウェスターは一歩一歩下っている。
それを見つけたセトルは、どうでしたか、と訊くが、彼は首を横に
振った。
﹁ダメですね。三階のエスレーラ言語で書かれた書物は全て目を通
し終えましたが、闇精霊に関する物はありませんでした﹂
﹁全部!? 速っ!﹂
サニーが驚きの声を上げる。流石ウェスターと言ったところか。
彼は恐らくムスペイル言語の方も完全に理解しているのだろう。
﹁どうやらそちらも見つからなかったようですね。もっとも、書物
がまだ積み重なっているところを見ると、調べ終わってはいないよ
うですが﹂
仕方ないことだ。大学にでも行ってなくては読むのは難しいもの
ばかりだったのだから。
325
﹁まだ時間があるからもう少し調べてみるわ!﹂
﹁無理しなくてもいいよ、サニー。また明日出直そうよ﹂
セトルがまた二階に上がろうとしたサニーの手を掴む。
﹁ここで帰ったら負けなのよ!﹂
彼女は不満そうな顔で振り向く。最初は大量の本を見てやる気が
失せていた彼女だが、いつの間にか負けず嫌いのスキルが発動して
いたみたいだ。一分一秒を争うことではあるが、無理をして体を壊
してたんじゃ意味がない。それを言っても、彼女はまだ渋っていた。
その時︱︱
﹁フフフ、困っているようだねぇ﹂
図書館の静けさを破るような声が今は自分たちしかいない一階に
響き渡った。
﹁誰や! ⋮⋮げ、あんたは﹂
振り向いて叫んだしぐれはあからさまに嫌な顔をする。
﹁ノックスさん!?﹂
セトルは目を瞬いた。外の暗がりから入ってきたのは、確かにテ
ィンバルクに置いてきた彼だった。時間的に来ることは可能だが、
ティンバルクに滞在するように言ったのはやはり無駄だったのだろ
うか?
前髪を払う仕草がいつも通りキザっぽい。すると、彼の後ろから
アイヴィと、彼女を護衛するように独立特務騎士団の兵士が二人、
続いて入ってきた。
﹁アイヴィさん、何で!?﹂
﹁わたしが彼を連れてきたの﹂
アイヴィはセトルを見て微笑む。
﹁この前ウェスターに頼まれたのよ。ティンバルクに居るノックス・
マテリオという語り部は役に立つのでサンデルクに招き、正式に彼
の協力を得てもらいたい。わたしの蒼い目とセトルくんの名前を出
せば簡単についてくるはず、ってね﹂
﹁それでよく見つけられましたね。名前しかわかってないのに⋮⋮﹂
326
﹁一番騒がしいところの中心人物がそうだとも言われたわ﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
セトルたちは呆れたように納得した。確かにそれは一番わかりや
すい特徴だろうと思った。そして、彼にも尋ねてみるというウェス
ターの不可解な言葉の意味がわかった。ここに来れば会えるという
ことだ。最初に独立特務騎士団の施設に行った時はまだ居なかった
から今日、それもついさっき到着したのだろう。
﹁ここで調べ物をしてるってことは、グラニソとは契約できたみた
いだね。ボクがいなかったから苦戦したんじゃない?﹂
ノックスのそれは、連れて行かなかったことをまだ根に持ってい
るような言い方だった。ウェスターがそんな言い方など気にも留め
ずに言う。
﹁ええ、ですが、次の闇精霊の居場所がわからないことには動きよ
うがありません﹂
さらっとさりげなくキーワードを出す。直接訊くよりはいい方法
かもしれない。
﹁なるほどぉ、ここを調べたら見つかるかもしれないけど、一朝一
夕じゃボクくらいじゃないとできないね。まあ、君たちが見つけら
れないのも無理ないよ﹂
﹁変態ナルシスト⋮⋮﹂
しぐれがぽつりと呟いた。
﹁そちらさんは俺たちを冷やかしに来たのか?﹂
アランが鋭い目で彼を睨む。
﹁まさか、半分はそうだけど、もう半分はまじめな話。これを君た
ちに渡そうと思ってね﹂
そう言って彼は自分の手提げカバンから一冊の本を取り出した。
ちらっと見えたが、カバンの中には本がぎっしりと詰まっている。
その本をウェスターに渡す。表題のない簡素なものだった。
ウェスターはペラペラとページを捲っていく。エスレーラ言語で
書かれていた。
327
﹁この前はああ言ったけど、実は統括精霊以上の精霊たちの正確な
居場所はわかってなかったりするんだよ。そこにそれらしきことが
書いてあるから、あとは君たちで勝手に調べていいよ﹂
彼が言い終わるとウェスターはパタンと本を閉じた。
﹁ありがとうございます。おかげでわかりましたよ﹂
﹁え? もうわかっちゃったの? マジ!?﹂
ノックスは驚き慌てる。その表情からどうやら古代語に困る自分
たちを見て楽しもうという魂胆が読み取れた。
﹁それで何て書かれてあったの?﹂
サニーが訊く。するとウェスターは本を彼女に渡した。しおりが
挟んである。そのページを開き、彼女は目を丸くした。
﹁何これ⋮⋮全然読めない﹂
この図書館にあった本なら頑張れば解読できる彼女だが、ノック
スの持ってきた本には今まで見たこともないようなエスレーラ言語
の文字や文法が使われていた。見てると頭の中がぐるぐるしてくる。
彼女は魂が抜けたように口を開けて固まっている。
﹁仕方ないですね、サニー。やれやれ、結局私が説明しなくてはい
けないのですか﹂
面倒そうにウェスターは嘆息する。向こうでノックスが楽しんで
いるようにニコニコと笑っている。
﹁確かにそこには正確なことは書かれていませんでした。ですが、
センテュリオの示した言葉と合わせると答えは出ます。結論だけ言
いますね。まず、﹃星の陰﹄とはこのシルティスラントの裏側と呼
ばれる場所。サンデルクから見て南東にずっと行ったところがそう
です。私は行ったことはありませんが、そこには島が一つだけある
そうです。﹃闇を誘う深淵の地﹄はそこにある谷か洞窟かといった
ところだと思います。しかし、場所はわかってもすぐに行けるとい
うわけではないようです﹂
皆が首を傾げる。代表してしぐれが訊く。
﹁何でなん? 場所がわかってるんならすぐに行ってもええやん﹂
328
ライトスピリクル
﹁闇の精霊ですよ? 周りに少しでも光霊素があると思いますか?
真っ暗で何も見えないでしょう?﹂
ライトスピリクル
ライトボール
﹁それだと困りますね。何も見えないんじゃ精霊との契約どころじ
ゃないし⋮⋮光霊素がないんじゃ、サニーの光球も使えないだろう
し﹂
セトルは考えた。恐らく真の闇は普通の光など通さず、目が慣れ
るということもない。運よく精霊のところまで辿り着いたとしても、
契約が失敗することはこれまでのことでわかる。しかも統括精霊。
暗闇で勝てる相手ではない。
アーティファクト
ウェスターが口元に笑みを浮かべて眼鏡を押さえる。
﹁そこで必要になってくるのが︱︱﹂
﹁︱︱︽ブライトドール︾と言われる古の霊導機さ﹂
黙っていることに堪えられなくなったのか、おいしいところを持
っていきたくて狙っていたのか、ノックスがウェスターの言葉を遮
るように言った。当然ウェスターはムッとして彼を睨んでいるかと
思いきや、やれやれと肩を竦めているだけだった。
﹁︽ブライトドール︾⋮⋮ですか?﹂
﹁そうです。残念ながら現在それは使える形で残っていません。作
るしかないでしょう。少し待っていてください。上でその作り方が
載ってある書物を読んだ気がします﹂
そう言ってウェスターは三階へと駆け上がって行った。
その間、ノックスが前に言いそびれた別れた後の体験談を勝手に
語り始める。特にすることもないのでしばらくその話を聞いてあげ
ることにした。エスレーラ遺跡で見つけたお宝とか、迷い霞の密林
を数週間彷徨っていただとか、どうでもいいことばっかりだった。
彼は語り部になるのが嫌でトレージャーハントをしているのかと思
っていたが、どうやら語るのは別に嫌いじゃなく、むしろ大好きな
んだなとセトルは話を聞きながしながら思った。
閉館間近にウェスターが戻ってきた。特に何も持っていない。な
かったのだろうか?
329
ラボ
﹁わかりました。どうやら特殊な鉱石を使うようです。恐らくここ
では手に入らないので、セイントカラカスブルグの私の研究所まで
行きましょう﹂
不安そうな表情をしていたセトルたちは顔を輝かせた。ウェスタ
ーのことだ、ブライトドールの精製法は完璧に頭に入っているのだ
ローヤー
ラボ
ろう。ついでにアランが腕を組んで呟く。
ローヤー
﹁ウェスターって弁護士だったよな? 研究所って⋮⋮あのおっさ
んもう弁護士として見ない方がいいか?﹂
﹁そこはもうつっこまない方がいいよ⋮⋮﹂
セトルは苦笑を浮かべた。その時︱︱
﹁!?﹂
何かが倒れる音がして振り向いて見ると、シャルンがうつ伏せに
倒れていた。息が荒く、顔が真っ赤だ。
﹁シャルン! どうした? 大丈夫か?﹂
すぐさまアランが駆け寄り、彼女を抱き起こす。そして苦しそう
な彼女の額に手をあてる。
﹁すごい熱だ。速く医者に!﹂
﹁だったら大学の医務室が近いわ。設備も整っているからそこに連
れて行きなさい。案内するわ!﹂
アイヴィは二人の兵士に指示を出し、先に戻って医者に伝えてお
くように言うと、一度彼女を抱いているアランを振り向いて図書館
の出口へ向かった。彼はそっとだが急いでアイヴィのあとについて
いく。
﹁そういえば彼女、ずっと黙ってましたね﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直すが、彼もどこか動揺らしきものが
僅かに見て取れた。
﹁フラードルから顔色悪いと思ってたけど、無理してたのね﹂サニ
ーがうなだれる。﹁あたしのせいだわ。吹雪いてるのに無理やり買
い物行かせたから⋮⋮﹂
﹁そんなことないて、サニー。それより心配やな⋮⋮﹂
330
﹁僕たちも行こう!﹂
セトルは言い終わる前にはもう走り始めていた。
331
054 病床のシャルン
﹁⋮⋮フラードル風邪ですね﹂
次の日。大学の医務室でハーマン医師がそう診断した。彼には昨
日の夜にシャルンを診察してもらい、セトルたちはそのまま大学内
で一夜を過ごしたのだ。
﹁フラードル風邪って?﹂
サニーが心配そうに訊く。彼女はシャルンが病気にかかったこと
は自分のせいだと思い込んでいるため、人一倍重く感じているのだ
ろう。さっきからそわそわして落着きがない。
落着きがないというならアランもそうだった。手を常にグーパー
させ、部屋の中をうろうろしている。
︵アランも自分のせいだと思ってるのかな?︶
セトルはそんな彼を見て心の中で首を傾げた。
﹁フラードル風邪というのは別名ですね。正式名もありますが普通
はや
こちらを使います。この風邪は毎年この時期になるとニブルヘイム
地方で流行るもので、四十度近い高熱が出ます。でも、ゆっくりと
休んでいればすぐによくなりますよ﹂
それを聞いてセトルたちはホッとした。シャルンは医務室のベッ
ドで横になっている。今は薬が効いているのか、呼吸がだいぶ落ち
着いている。
だがそれはただの熱冷ましだとハーマン医師は言っている。薬が
切れるとまた高熱が出るそうだ。フラードル風邪には別の薬も必要
らしい。しかし今はストックがなく、あとで調合すると彼は言った。
彼は薬剤師でもあるのだ。
﹁ところで皆さんは首都へ向かわれるとか?﹂
﹁はい。でも、シャルンがこの状態ですから僕たちは残ろうかと思
っています﹂
セトルが答えて、ウェスターを見る。彼はゆっくりと頷いた。首
332
都へ行き、ブライトドールを作って戻ってくる。用事はそれだけな
のでセトルたちまで行く必要はない。ウェスター一人でも十分だ。
しかし、
﹁いえ、ここは皆さんも行かれるべきです﹂
﹁どうしてですか?﹂
﹁フラードル風邪は感染力が非常に強い。皆さんにもうつらないと
は限りません。この部屋も一応隔離の形をとっていますので﹂
セトルたちは顔を見合わせた。
ひそ
﹁でも、それじゃシャルンが一人になっちゃう﹂
サニーが眉を顰める。ブライトドールが完成すればすぐに戻って
来られるのだが、彼女を一人にしておくことはセトルも反対だった。
しかし、風邪が広まって街の人に迷惑をかけるのもしたくない。こ
こはやはりハーマン医師の言う通りにするべきだろうか。
﹁だったら⋮⋮だったら俺が残る!﹂
アランが強い口調で言ってきた。その横顔には絶対退かないとい
ったものがある。ハーマンは困っているようだが、そこにウェスタ
ーが、
﹁そうですね。アランなら適任です。風邪を引きそうにないですか
ら﹂
と含みのある笑みを浮かべて言う。アランが振り向く。
﹁どういう意味だ?﹂
﹁さぁ?﹂
ウェスターは掌を上に向けるようにして両手を広げた。アランは
しばらく彼を睨んでいたが、やがて溜息をついてセトルたちの方を
向く。
﹁ということだ。そっちは任したぜ﹂
﹁ええんか、アラン?﹂
確かめるようにそう訊いたしぐれにアランは大きく頷いた。
﹁話もまとまったところですし、早めに行ってさっさと戻ってきま
しょう﹂
333
含み笑いの消えないままウェスターはそう言った。
﹁では私も薬を調合してきます﹂
ハーマンは皆に頭を下げ、医務室を出た。薬の調合は専用の部屋
で行うらしい。
セトルたちが退室しようとすると、アランが外まで見送りすると
言うので、彼も一緒に部屋を出る。するとそこにノックスが立って
いた。
﹁その顔じゃ、大丈夫だったみたいだね。よかったよかった♪﹂
彼は笑顔でそう言ったが、その笑顔は安心して出たものではなく、
何かを楽しんでいるように感じられた。
﹁僕たちは首都へ行きますけど、ノックスさんは仕事がんばってく
ださいね。ついてこないでくださいね!﹂
セトルは爽やかでどこか恐ろしい笑顔を作った。ノックスは見舞
いに来たわけではなく、首都へ行くセトルたちについていくために
来たのだということは会った瞬間にわかった。独立特務騎士団に協
力する形でいろいろな仕事を受け持っているはずだが、より面白そ
うな方向に流されてしまうのが彼だ。
﹁たまには息抜きも必要なんだよぅ﹂
﹁昨日来たばっかりやんか!﹂
﹁ちょっと静かにしてよ、しぐれ! そこでシャルンが寝てるんだ
から!﹂
そう注意したサニーの声はさらに大きかった。
﹁サニーもだよ。話は歩きながらしよう﹂
嘆息し、セトルはウェスターに並んで大学の廊下を出口の方に向
かって歩き始める。当然ノックスもついてくる。︱︱と思ったが、
独立特務騎士団の兵が二人やってきて彼の腕を掴んだ。
﹁ノックス様、ここにおられたのですか。アイヴィ副師団長が呼ん
でいます。力ずくでも連れてくるようにとのことです。︱︱失礼し
ます!﹂
﹁わ、ちょっと放し︱︱セトルく∼ん、へル∼プ﹂
334
ああ、またこのパターンだ。願ったり叶ったりだが、何か不憫で
ある。コイロン洞窟では仕方なかったが、今回は彼につき合ってい
る暇はない。
﹁またむしぃ∼。この薄情者︱!! いけずー!!﹂
﹁ノックス様、静かにしてください!﹂
こうして見ると、彼は非常に弱く見えるのは気のせいだろうか?
外に出るとアランは立ち止まる。
﹁じゃ、俺はここまでだ。できるだけ早く戻ってきてくれよ﹂
彼はセトルたちが頷くのを認めると、シャルンのことは任せとけ、
と言って微笑んだ。すると、いたずらっぽい笑顔でサニーが返す。
﹁じゃあね、アラン。シャルンに変なことしたら承知しないからね
!﹂
﹁するかよ!!﹂
﹁ねぇ、変なことってなに?﹂
﹁せ、セトルは知らんでもええんちゃう?﹂
そんな会話のあと、四人はセイルクラフトで飛び立ち、アランは
それを見届けてから大学内に戻った。
廊下を歩いていると、さっきは気づかなかったが﹃調合室﹄とい
うものが目に入った。今この中ではハーマンがシャルンの薬を調合
しているのだろう。邪魔をしてはまずいので、アランは静かに通り
過ぎようとした。その時︱︱
﹁セレズニアの花が切れているだと?﹂
とハーマンの声が聞こえ、アランは立ち止った。嫌な予感がする。
﹁はい、昨日使ったので最後でした﹂
これは恐らく助手か誰かの声だ。アランは黙って立ち聞きする形
になった。聞かなきゃいけないと思った。
﹁なんてことだ⋮⋮これじゃ薬が調合できない。このままじゃ間に
合わないぞ﹂
衝撃が走った。どういうことだ? すぐに治るんじゃなかったの
か? 薬がないからシャルンは死ぬのか? そういった考えが頭の
335
中をぐるぐると巡り、彼はひどく混乱した。話し声はさらに聞こえ
てきた。アランの体は硬直し、耳だけが鮮明に会話の音を拾ってい
る。
﹁これから採りに行かれては?﹂
﹁無理だ。アクエリスの海底洞窟奥にしか咲かない貴重な花だぞ。
何日かかると思ってるんだ!﹂
途端、アランの硬直が解けた。解けると同時に彼は走り出した。
すれ違う教授などから、廊下を走るな、と注意を受けるが、そんな
のにいちいち構っている暇はない。
︵すぐ治るって嘘だったのかよ! そんなに重い病気だったのかよ
!︶
慌てているが、頭は冷静になろうと努めた。キーワードは﹃セレ
ズニアの花﹄と﹃海底洞窟﹄だ。セイルクラフトを飛ばせばきっと
間に合う。今から自分が採りに行けばいい。だが、セレズニアの花
がどういったものかわからない。洞窟に咲くということはかなり特
殊な花であることは間違いない。
︵図書館なら図鑑があるはずだ!︶
そう思い、アランはまず王立図書館の方に全力で走った。戻って
訊いた方が速いのだが、今のアランはそんなこと思いつきもしなか
った。
336
055 一時の平穏
大勢の執事やメイドに迎えられ、セトルは呆然としながらウェス
ターの邸に招かれた。サニーは二度目である。彼女は知っている風
にいろいろと邸の中の構造を話しているが、恐らくでたらめだろう。
この広い邸を彼女が理解しているとは思えなかった。
﹁向こうが調理場﹂
﹁そこを曲がったところに二階の階段﹂
﹁あの廊下をずっと行ったところに執事長の部屋﹂
そんな風に勝手に言っているが、先頭を歩くウェスター何も言わ
ない。いや、ここからは表情は見えないが、必死で笑いを堪えてい
るのではないだろうか。
やがてセトルたちは応接室に通された。玄関からそれほど離れて
はいないと思うが、もう何十分も歩いたような気がする。それほど
長い廊下だった。既に数えきれないほどの部屋がある。
︵一体全部でどのくらいあるのだろう?︶
そんな田舎丸出しのようなことをセトルは思っていた。
応接室には絵画などの美術品らしいものはあまり置かれていなか
ラボ
った。それでも、絨毯、ソファ、テーブル、その全てがアスカリア
ではありえないほどの高級品ばかりである。
ウェスターは早速ブライトドールを作りに彼の研究所︱︱この邸
にあると言っていたが、どこにあるかは知らない︱︱へ向い、セト
ルたちは応接室のソファに腰を預けた。
︱︱落ち着かない。
シルティスラント城の時と同じような気分だ。こういう雰囲気は
どうも苦手である。辺りを見回しても、豪華なものしか目に入らな
い。部屋全体が輝いて見える。
キョロキョロしていると執事と思われる老人が紅茶を入れてくれ
た。
337
いい香りが漂う。
すす
どうぞお飲みください、と執事は手でそれを表現した。三人は行
儀よく紅茶を啜る。絶妙な甘さ加減、ふんわりとした喉越し、まさ
に一級品だ。
︵おいしいけど、マーズさんのハーブティーの方が好きだなぁ︶
そんな風に思いながらも、セトルはそれを全部飲みほした。
﹁とりあえず、これからどうする?﹂
この雰囲気に堪えられなくなったのか、サニーがティーカップを
持ったまま言う。
﹁せやなぁ、実際うちらここにおる意味ないんやし﹂
しぐれがほっぺに人差し指を押しつけて考える。
﹁それでしたら、王都見物でもなされたらどうです?﹂
話を聞いていた執事がそう提案してくれた。そういえば、前に来
たときはいろいろとバタバタしていてあまり見物できていなかった
気がする。いい考えかもしれない。何よりこの雰囲気にこれ以上い
たらおかしくなってしまいそうだ。セトルがその案に賛成すると、
二人もそれに同意した。彼女たちも一刻も早く外に出たいようだ。
﹁御夕食は六時となっておりますので、それまでにはお戻りになっ
てください﹂
? ? ?
王都セイントカラカスブルグ。ウェスターの邸はその二番目に高
い場所に建っている。一番高いところはもちろん王城だ。正規軍の
ウルドやアトリーがあそこにいるはずである。一階は一般人も自由
に出入りできるためあとで行ってもよかったが、時間的にも街の見
物だけで夕食の時間になってしまいそうだ。
邸を出る時も、大勢のメイドや執事たちに、いってらっしゃいま
せ、と送られた。まるで自分たちがどこかの貴族にでもなった気分
だ。貴族とは程遠い田舎者三人にとってそれは複雑でむず痒い気分
338
だった。
港市場、商店街、繁華街、どこも賑わっていそうだ。繁華街は暗
くなってからが本番らしいが、そのころには邸に戻っている。
三人は商店街に行くことにした。今度こそサニーをしっかりマー
クしていないと夕食には絶対間に合わない。セトルとしぐれはその
ことだけには緊張感を持ってあたっている。
商店街は思っていたよりずっと人が多かった。歩いていると食べ
物のおいしそうな香りが漂い、そっちに意識が飛んでいくこともし
ばしばある。
ずらっと様々なジャンルの本が並べられている店や、変わった植
物を店先に置いてある花屋。革製の鞄やベルトにマントなどを売っ
ている店。金物屋にはマインタウン製と書かれた刃物をはじめとす
る道具が置かれてあり、その包丁はセトルの剣よりも切れ味があり
そうな物もあった。
ここには何でもありそうだ。
途中、アイスクリームを買ってそれを歩きながら食べた。この平
和な雰囲気からはとても世界に危機が訪れているとは思えない。そ
のことすら忘れてしまいそうだった。
だが事件が起きた。
しぐれが転んで危うく商品をダメにしてしまいそうになったとき、
細見の男性がセトルと衝突し、何も言わず走り去った。
すぐに財布がないことに気がついた。
﹁ああ!? 財布がない!?﹂
﹁ええ!?﹂
﹁あーもう! セトルがぼーっとしてるからでしょ! 追うわよ!﹂
サニーがそう言って一目散に逃げる男を追う。セトルとしぐれも
全力で走った。人込みを?き分けて周りの人に、あの人を捕まえて
ください、と叫ぶが誰も捕まえようとはしない。男の足は速かった
が、見失わない程度にはついていける。しかし追いつくこともない。
セトルたちはこの辺りをあまり知らないため、逃げられるのも時間
339
の問題だと思われた。その時︱︱
逃げる男は誰かに足を引っ掻けられて転倒する。起き上がろうと
したときに、背中に踏みつけられた圧力がかかり、男は地面に張り
つけられる。
それをしたのは、真紅のコートを纏ったオリーブ色の髪のアルヴ
ィディアン男性だった。
﹁アトリーさん!?﹂
正規軍副師団長兼検事のアトリー・クローツァはもがく男を力強
く踏みつけて、セトルたちを見るなり少々驚いたような顔をする。
﹁君たちか、何でここに? それと、これは君たちのだな?﹂
彼はそう言って男から取り上げた財布を見せる。セトルが頷くと、
彼はそれを投げてよこした。セトルは慌てて財布をキャッチする。
﹁僕たちはウェスターさんのつきそいです。アトリーさんこそ、こ
こで何をしてたんですか?﹂
﹁引っ手繰り常習犯の張り込みさ。最近やたら多くて怪我人までで
るしまつ。それで我々も動いてるんだ。まあ、こうして捕まえられ
たのは君たちが財布を盗まれたおかげでもあるかな﹂
アトリーは皮肉めいた笑みを浮かべる。すると正規軍の鎧を着た
兵たちが駆け寄ってきた。アトリーは男を彼らに引き渡すと、ふう、
と言いながら肩の荷が降りたように軽く肩を回した。
﹁ところで、ウェスターに協力しているらしいが、一般人があまり
無茶なことするんじゃないぞ﹂
﹁はい。わかってます﹂
﹁今は二人だけかい? もしかしてデート中だったかな?﹂
アトリーはニヤニヤといたずらな笑みを浮かべる。
﹁な、な、何言うてんねん、アトリーはん。サニーがそこに⋮⋮い
てへんな﹂
しぐれが顔を真っ赤にし、慌てて後ろを振り向くとそこにサニー
の姿はなかった。もちろん前後左右、ついでに上下、どこにもいな
い。
340
これは、またやってしまった。
セトルは大きく溜息をつく。真っ先に駈け出した彼女に続いたの
に、どうやって見失ったのだろう。謎である。恐らく永遠に解ける
ことのない謎である。
﹁アトリーはん! サニーが迷子になったみたいなんや。一緒に捜
してくれへんか?﹂
慌てふためくしぐれが縋るような目で頼む。アトリーは意味無く
頭の後ろを掻き、しょうがないな、としぶしぶ了承する。すまなさ
そうにセトルは頭を下げた。
﹁お忙しいところすみません﹂
その後、港市場をうろついていた彼女を正規軍の兵士が保護し、
セトルたちは無事夕食に間に合うことができた。
ビーフとオニオンとマッシュルームなどをバターで炒め、サワー
クリームで煮込んだものや、宝石のように輝くフルーツの盛り合わ
せなど、とてつもなく豪華な夕食に舌鼓を打ち、セトルたちはそれ
ぞれの部屋のベッドに倒れ込んだ。落ち着かないが、疲れていたこ
ともあってぐっすり眠ることができた。
341
056 シャルン復帰
次の日の夕方。ブライトドールが完成したので、セトルたちはサ
ンデルクに戻っていた。すぐにシャルンのいる大学の医務室へと向
かう。
医務室に入るとハーマン医師がいた。ベッドに座っているシャル
ンも見つける。まだ顔色はよくないが、だいぶ元気になったように
見える。
﹁シャルン、もう大丈夫なの?﹂
サニーが早速彼女の容体を訊いてみる。するとシャルンは微笑ん
で、ええ、と頷いた。その頬笑みには柔らかいものが感じられる。
﹁彼女の回復力には目を瞠りました。普通フラードル風邪は二・三
日寝込むものなのですが⋮⋮。それでも、もう一日は休んでもらい
ますよ﹂
﹁それはダメ! 時間がないんだから﹂
ハーマンがシャルンに強く言い聞かせるが、彼女は不満な顔をし
て首を振った。セトルたちはまだつらそうな彼女を危険な場所に連
れて行きたくはなかったが、かといって彼女を置いていくわけにも
いかない。やはりハーマン医師の言うように、あと一日は休んでお
いた方がいいだろう。しかし、彼女の顔は言っても聞かない人の顔
だ。説得は難しそうである。無理やり留まれば彼女の気持ちが焦り
で不安定になり、治りが遅くなるかもしれない。
﹁すみませんが、シャルン。あと一日待ってくれませんか? 実は
まだブライトドールは完成しているわけではないのです。スウィフ
トに頼んでここの施設を使わせてもらおうかと思っています﹂
ウェスターは彼女に見せるようにブライトドールを取り出す。そ
の名の通り、淡く輝く人形のような形をしたそれを彼は回して見せ
た。そうしたところでそれのどこが完成していないのかセトルには
わからなかったが、彼がそう言うならそうなのだろう。彼女もそれ
342
を聞いて諦めたのか、ゆっくりと目を閉じて息をつく。
﹁そう⋮⋮それなら仕方ないわね﹂
セトルはふと部屋を見回す。そしてようやくアランがいないこと
に気づいた。
﹁そういえば、アランは?﹂
﹁トイレやないの?﹂
しぐれはそう思っていたようだ。でも、トイレにしては長いよう
な気がする。セトルは少し心配になった。
﹁そういえば、昨日から見てませんね﹂とハーマン。
﹁アラン、残ってくれてたの?﹂
シャルンは知らないかったのか? 思えばあのとき彼女は眠って
いたからそれは当たり前か。
﹁迷子にでもなってるんじゃないの?﹂
嘲笑うかのようにサニーが腰に手をあてて言う。すると︱︱
﹁そんなわけねぇだろ! サニーじゃないんだからよ﹂
戸が開き、絶妙なタイミングでアランが帰ってきた。服や肌が妙
に汚れている。本当に何をしていたのだろうか?
彼はそのまま堂々と中に入り、ハーマン医師に何かを渡した。
﹁これはセレズニアの花!? どうしてあなたが?﹂
﹁へへ、ちょっくら海底洞窟から採ってきたんだ。これでシャルン
の薬が調合できるんだろ?﹂
アランは自慢げに鼻をすすってシャルンを見る。
﹁薬の調合って⋮⋮わたしはもう治ったわよ?﹂
﹁へ?﹂
意外な反応が返ってきて彼は目を瞬いた。そしてあたふたする。
言っていることがよくわからなかった。
﹁だって、昨日の朝、調合室でこれがないから薬が作れないって⋮
⋮薬がないと手遅れになるってあんた言ってただろ﹂
﹁ああ、あれは違いますよ。あれは別の患者のことです。それに手
遅れになるとは言ってません。ただ、早急に作れと言われていただ
343
けで⋮⋮まあでも、あなたのおかげで助かりました。ありとうござ
います﹂
ハーマンが深々と礼をしてからしばらく間を置いて、アランはよ
うやく勘違いだということに気づいた。全身の力が抜け、腰を抜か
したようにその場に座り込む。
﹁お、俺の努力は一体⋮⋮﹂
そう呟きながら彼は完全に倒れた。恐る恐る寄って見たが、眠っ
ているようだ。どうやら海底洞窟を一日中走り回っていたと思われ
る。今その緊張の糸が切れて、疲れがこれまでの旅のものと一緒に
のしかかったのだろう。
﹁フフ﹂
珍しくシャルンが声に出して笑った。それを火種に部屋の中が笑
いに溢れる。アランを嘲るような悪口を言いながらサニーとしぐれ
は腹を抱えて大笑いしている。
﹁ここは医務室ですよ。静かにしてください﹂
とハーマン医師が笑いながら言うが、他の患者はいないし、病棟
や講義室は離れているので、あまり迷惑はかけないと思われる。
﹁ところで、ウェスターさん﹂
シャルンには聞こえないようにセトルが訊く。
﹁ブライトドールが完成してないって本当ですか?﹂
﹁もちろん嘘ですよ。そうでも言わないと彼女は納得しないでしょ
うから。まあ、どこかのアランのおかげでもう一日の休息は必要に
なったようですが﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
セトルは苦笑を浮かべ、床に倒れ込んでいるアランを哀れむよう
な目で見た。
344
057 闇を誘う深淵の地
闇。一点の光もない完全な暗黒の世界。
ダークスピリクル
ライトスピリクル
ここはまさにそれである。この洞窟に入るまではそれなりに明る
かったのだが、洞窟内は闇霊素が非常に濃く、光霊素はないにも等
ライトボール
しいくらい薄いため真っ暗で何も見えない。ブライトドールを使う
前にサニーが光球を試してみるが発動しない。むきになって何度も
挑戦するが、やはりできない。どうやらこのままでは光霊術は全く
使えないようだ。
﹁ね、ねぇ、早くブライトドール使ってよ﹂
どこか怯えているような声でサニーが催促する。たぶんそれを聞
いたウェスターはからかうような笑みを浮かべただろう。
﹁おや? 怖いのですか?﹂
その証拠か、明らかにからかっている口調だった。
﹁⋮⋮うん、少し﹂
﹁あれ? サニーにしては素直やな?﹂
暗くてわからないが、しぐれは恐らく首を傾げたのだろう。セト
ルもそれは不思議だった。いつもならこういうときは無理に強がっ
て見せるのだが⋮⋮。
﹁暗い洞窟か⋮⋮ちょっと昔にいろいろとあったんだ。いじるのは
その辺にしといてやれよ﹂
アランが彼女を庇う。昔にいろいろとは言ったが、セトルは知ら
ない。だからそれはセトルがアスカリアへ来るもっと前のことなの
だろう。何があったのか訊こうとしたが、サニーにとって嫌な思い
出のようなのでやめることにした。
﹁では、ブライトドールを起動します﹂
ウェスターがごそごそと何かの操作をすると、ブライトドールが
ライトボール
ポウっと輝き、洞窟全体がゆっくりと明るくなっていく。
ウェスターはサニーに光球を出すように言う。彼女は言われるま
345
ライトスピリクル
まに試してみた。すると、少し弱いがちゃんと発動した。光霊素が
増えたということなのか?
ムーンストーン
洞窟を進みながらウェスターに簡単な説明をしてもらうと、ブラ
イトドールには光の精霊石が使われていることはわかった。残りの
原理とかそういうのはわからないままだが、別に知らなくても問題
はない。
洞窟は下へ下へと続いている。そろそろ海の底を越えたかなと思
ったとき、急に視界が広がった。奥行きは広く、天井はブライトド
ールの効果が届かないほど高い空間があった。そしてそこに全体的
に暗い色をした神殿のような建物が建っており、中に入るとすぐに
祭壇があった。
近づくと、地面から湧き出るように漆黒の輝きが現れる。たちま
ちそれは姿を変え、人が認識できる形になる。床の影が立体的に伸
び、かろうじて人の形をしている鎧を纏った黒いスライムのような
姿。これが闇精霊﹃オスクリダー﹄なのだろう。
統括精霊というから、センテュリオのように威厳を感じる姿かと
思えば、そうでもなかった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
オスクリダーは何も言わないままこちらをダークブルーの尖った
目で見据えている。ウェスターが一歩出るのを待っているようだ。
﹁闇精霊、オスクリダーですね。私はあなたと契約を望む者です﹂
ウェスターのその手には既に槍が構築されてある。オスクリダー
は体をうねうねと揺らしながら間を置いて、
﹁⋮⋮タタカエ﹂
と呟くような低い声で言った。セトルたちが一斉に武器を取る。
先手必勝でセトルは右から、アランは左から走り、オスクリダー
を挟み撃ちにする。セトルは大上段から剣を振り下ろし、アランは
掬い上げるように長斧を振るう。二人の刃はオスクリダーを捉え、
首と胴体を斬り落とした。︱︱と思いきや、オスクリダーは影に潜
るようにしてそれを躱し、二人から離れた場所に出現する。
346
﹁︱︱オチヨ﹂
その瞬間、二人の頭上に黒い塊が現れる。シャルンと同じ術、︽
ダークフォール︾だ! しかし彼女のよりも大きく、そして速い。
二人は咄嗟に横に跳んでそれを躱した。
﹁︱︱炸裂する霊素よ、エナジーショット!!﹂
ウェスターが叫ぶ。オスクリダーの胸部付近に霊素の塊が飛び、
破裂する。
ダークスピ
オスクリダーが怯んだところにシャルンとしぐれが飛び込む。ま
リクル
ずしぐれが居合切りの要領でオスクリダーの腹部を斬り裂き、闇霊
素を散らす。そこにシャルンが間髪入れずトンファーを力強く打ち
込む。だがオスクリダーは腕の籠手のような部分でそれを受け止め、
指をシャルンに向けてビュンと伸ばす。針のように尖ったそれはシ
ャルンの顔を貫いた。︱︱ように見えたが、実際はシャルンがうま
く躱して頬を掠めただけだった。頬から血が流れでる。
オスクリダーは再び影に潜った。黒い円が床を凄まじいスピード
で移動する。あれに攻撃したところで恐らく意味はない。気配を感
じないので目で追うしかない。円はウェスターの前で止まり、飛び
出しざまにオスクリダーは尖った指で連続した突きを放つ。ウェス
ターも槍で応戦するが、全てを防ぐことはできず、何度か突きをも
ろに受けてしまった。小さい風穴が体に数か所開いた感じがした。
だが大丈夫、貫通はしてないし急所も外している。すぐにサニーの
ダークスピリクル
治癒術がかかった。その間ザンフィがオスクリダーの体を駆け回り、
ぜっぷうせん
その鋭い爪で引っ掻き回す。微量ながらも闇霊素が散る。
﹁くらいな、絶風閃!!﹂
ザンフィが飛び降り、入れ替わるようにアランの長斧が風を斬り
ながら唸りを上げる。オスクリダーは影に逃げようとするが間に合
わず、一閃され、直後の豪風で仰け反る。そこに隙が生まれた。
すかさずセトルが頭を狙って剣を振り下ろす。だが、オスクリダ
ーの体が歪んだように変形し、セトルの剣は空を斬っただけだった。
バランスが崩れた所にオスクリダーの指が迫る。間一髪でアランが
347
それを弾いた。彼がそうしなかったら間違いなく串刺しになってい
ただろう。
オスクリダーは一旦影に消え、セトルたちから距離をとった。す
ぐに上級霊術がくるのがわかった。闇の陣が二人を中心に広がる。
ブラッディソード
次の瞬間、陣から飛び出した複数の血塗られたような禍々しい剣
が二人に襲いかかる。闇の上級霊術である。二人に避ける暇などな
かった。魔剣は容赦なく雨のように降り注ぐ。
﹁荒れ狂う風よ、怒りに身を任せ、彼の地へと集え︱︱﹂
二人の身を案ずる前に、ウェスターの詠唱が響く。
﹁︱︱ヴィントフォーゼ!!﹂
直後、凄まじい風がオスクリダーを取り囲む。巻き上がるように
吹き荒ぶ風は裂刃にもなり、オスクリダーの体を切り刻む。
セトルたちを襲っていた魔槍が消えた。二人は︱︱何とか生きて
いる。魔槍を受けて血を流しているが、二人を包む光の結界が彼ら
ダークスピリクル
を救ったのだろう。サニーが咄嗟にマジックバリアーを唱えたのが
正解だった。
巻き上がる嵐風の中でオスクリダーは遂に闇霊素となって飛散し
た。
サニーが続いてナースを唱え、皆の傷を癒す。
祭壇の前に集まると、再びオスクリダーがその姿を現した。
﹁⋮⋮ケイヤクノギヲ﹂
いつも通りの儀式を行い、いつも通り指輪が残った。闇の精霊石
︱︱︽オブシディアン︾である。統括精霊とはいえ、やることが全
く変わらなかったのでセトルは少し拍子抜けした。
﹁では、戻りま︱︱!?﹂
ウェスターが振り向いた途端、洞窟内が大きく揺れた。
また地震だ!
それも前のより大きい。セトルたちは思わず倒れるように床に手
をついてしまった。
揺れが次第に収まる。
348
﹁またや! 一体どうなってんねん?﹂
床に座り込んだまましぐれが叫ぶように言う。
﹁これは⋮⋮封印が解け始めているのかもしれません。心配です。
早く外に出ましょう!﹂
幸い洞窟は崩れてなく、セトルたちは一気に外へと飛び出した。
﹁ウェスター、封印が解け始めているのとあの地震がどう関係があ
るの?﹂
外に出て一安心したところでシャルンが訊ねる。
﹁あなたは知らないでしょうが、私たちはシルシド鉄山で封印を解
いているひさめを見ました。そしてその後しばらく経ってマインタ
ウンを震源に不自然な地震が起こったそうです。この前の地震に疑
セントラル
問を感じたので部下に調べさせていました。結果、そういった地震
はここ半年で、ビフレスト地方で二回、中央大陸で三回、ムスペイ
ル地方で一回、ニブルヘイム地方で一回、そしてこのアースガルズ
地方では今のを含めて三回確認されています。どう考えても蒼霊砲
の封印が関わっているとしか思えません﹂
ビフレスト地方でも起こったと聞いてセトルたち三人は村のこと
が心配になった。あの四鋭刃たちと対峙したあとで起こったのなら
皆の安否が気になる。すぐにでも様子を見に行きたいが、そんな時
間はなさそうだ。
﹁封印が解かれた後に地震が起こる⋮⋮やっぱ関係あるんやないの
?﹂
しぐれは頭を押さえて考えるようにするが、こればっかり考えて
いても仕方ない。
﹁そういや最近、敵さんの妨害がないな﹂
アランが腕を組み、深刻な顔をする。言われてみると、アスハラ
平原でアルヴァレスと対峙したのを最後に敵の干渉が全くない。何
かを企んでいるか、既に自分たちなどどうでもいい存在なのか。も
しかするとこれは嵐の前の静けさなのかもしれない。
﹁あたしたちがセイルクラフトで移動しているから追いつけないん
349
じゃない﹂
サニーの言う通りかもしれないが、アスハラ平原でアルヴァレス
が見せたように、向こうは空間転移ができる。やろうと思えば先回
りなんて簡単だろう。
﹁それも心配ですが、今は置いておきましょう。妨害があろうがな
かろうが、私たちのやることは変わりません﹂
ウェスターが眼鏡の位置を直す。セトルが頷く。
﹁そうですね。僕たちはまだセンテュリオと契約をしないといけな
い。向こうが邪魔しないのなら、その間に契約を済ましてしまおう
よ﹂
皆は頷き合い、まだ余震が続いている中、セトルたちは飛び立っ
た。
次に向かう場所は﹃天高く聳えし原初の古塔﹄である。
まだどこにあるか半明してないが、そこで光精霊センテュリオが
待っている︱︱。
350
058 天高く聳えし原初の古塔
﹁これより我が最後の試練、そなたたちの力を見せてもらう。準備
はよいか?﹂
﹃天高く聳えし原初の古塔﹄。その最上階︱︱屋上に現れたセンテ
ュリオはセトルたちを見下ろしてそう言った。
闇精霊の洞窟でオスクリダーと契約した一行はそのままセンテュ
リオの居場所を探した。
ノックスの本にそれを匂わせることが書いてあったらしいが、闇
精霊の時ほど詳しくは書いておらず、正確な場所まではわからなか
った。
天高く聳えるというくらいだからかなり高い塔なのだろうが、そ
んなものがあれば普通に有名になっているはずである。もちろん、
そんなものは誰も知らない。
そこでセンテュリオの言っていたことを思い出した。
﹁まずは﹃星の陰に隠されし、闇を誘う深淵の地﹄を目指せ。そこ
にオスクリダーは居る。我はそれと対なす場所、﹃天高く聳えし原
初の古塔﹄にておぬしたちを待つ﹂
﹃対なす場所﹄という言葉が気になった。これがオスクリダーの居
場所と反対側というそのままの意味なら、そこにセンテュリオのい
る塔があるはずである。
つまらなくもその読みは当たっていた。とはいっても近くまで寄
らないとわからなかったのだが。ニブルヘイム地方のやや南辺りを
飛んでいると突然高い塔が出現した。光の力で視界から消えていた
ようだ。これまで誰にも見つからなかったはずだ。
﹃闇精霊と契約されし者よ。我の力を欲するならば、この︽明星の
塔︾の最上階まで来るがよい﹄
頭の中にセンテュリオの声が響き、セトルたちは︽明星の塔︾と
言われた建物の中に入った。
351
光を使った様々な仕掛けを解き、転移霊術陣で転移したところで
屋上に出たのだ。そこにセンテュリオは現れた。
﹁ではこちらから行かしてもらう﹂
ライトボール
センテュリオはセトルたちが武器を構えたのを認めると、自分の
周りにサニーの光球に似た光の球を出現させた。三つあるそれはセ
ンテュリオを中心に公転を始める。
センテュリオが手を前に翳すと、その内の一つがまるで隕石が落
下するように襲いかかる。アランが皆を下がらせ、長斧でそれを打
ち返そうと構える。だが︱︱
﹁何!?﹂
光球は直前で飛散し、目を開けていられないほど眩しい光が放た
れる。視界が白く染まる。しかもただ眩しいだけではなくもの凄く
熱い。皮膚が焼けてしまいそうだ。何とかしないと次の攻撃がくる。
﹁ヒールサークル!!﹂
その中でサニーの声が響いた。見えないが、光のサークル内で自
分たちが癒されていくのを感じる。視界は白いままだが、熱は感じ
なくなった。
闇雲にセトルは走る。勘と精霊独特の気配を頼りに剣を振るう。
しかし何の手応えもない。
次第に視力が回復してくると、セトルは自分の足下に霊術陣が出
現していることに気がついた。光の柱が立ち昇る。あと一瞬気づく
のが遅かったら痛いじゃ済まなかったかもしれない。
飛散した光球が再びセンテュリオの周りで公転を始める。
アラン、しぐれ、シャルンがセンテュリオを取り囲むようにそれ
ぞれの武器を振るう。しかしセンテュリオは素早く光球を操り、三
人を弾き飛ばした。
あの光球は厄介だ。どうやら少し触れただけでも熱と衝撃が襲っ
てくるようである。あれがある限り、直接センテュリオに攻撃する
ことは難しい。
︵どうにかしないと⋮⋮︶
352
セトルがそう考え始めた時、ウェスターの詠唱が響く。
﹁荒れ狂う風よ、怒りに身を任せ、彼の地へと集え、ヴィントフォ
ーゼ!!﹂
一瞬、センテュリオが光ったように見えた。次の瞬間、そこにセ
ンテュリオの姿はなかった。何もないところで裂風が巻き上がる。
直後、ウェスターは後ろから衝撃を感じた。いつの間にかセンテ
ュリオが背後に回り、光球を放っていた。背中から光球を受け、ウ
ェスターは仰け反った状態で吹き飛んだ。何とか受け身を取りなが
ら床を転がる。
﹁待っててみんな、今回復を﹂
サニーが詠唱を始める。光精霊であるセンテュリオが相手では彼
女の攻撃は無意味に等しい。光霊術はもちろん、唯一の無属性霊術
であるグラビテイ・ゼロも宙に浮いている相手には効かない。この
戦いでは回復と補助に回ってもらうしかない。
再びセトルは走った。センテュリオを攻撃するにはまずあの光球
を何とかしないといけない。
︵一つずつ破壊するしかない!︶
そう考えて剣を構える。
だんだんセンテュリオとの距離が短くなる。だが︱︱
﹁︱︱聖なる業火よ、シャイニングフレア!!﹂
間合いに入る前に巨大な霊術陣が床全体に広がった。屋上である
この場所に逃げ場はない。輝きと炎が陣の中で渦巻いた。サニーの
マジックバリアーも間に合わない。セトルも魔法防御を行うが、果
たして耐えられるかどうか。
業火の中で皆の悲鳴が上がる。灰になってしまいそうだ。やがて
術が消える。
︵生きてる⋮⋮?︶
痛みはある。体が思うように動かない。だけど生きていてまだ意
識もある。みんな倒れているが、生きていることはわかる。
セトルはゆっくりとふらつきながら立ちあがった。
353
﹁まだ⋮⋮だ﹂
そんな彼を見てセンテュリオは目を見開いた。
﹁あれで立つとはたいした者だ。だが、その体ではもう戦えまい?
戦えたとしても、我に勝つことはできない。我も命まで取るつも
りはない。挑戦は何度でも受けられる。また出直すといい﹂
﹁時間が⋮⋮ないんだ。僕は⋮⋮僕たちはまだやれる!﹂
その時、不思議な感覚をセトルは覚えた。前にもどこかで感じた
ような強くて優しい感覚を。自分の体から熱い何かが込み上げてく
る。今ならそれを自分の意志で使えるような気がする。
ぼんやりとセトルの手が輝いた。
︵いける!︶
そう思った瞬間、セトルの体全体が輝いた。招治法に似た、それ
よりも強く温かく、そして優しい光が屋上全体を包んだ。傷が癒え、
痛みが消える。さらに心まで洗われるように心地いい。
アスカリアの時と同じだ。あの時は気を失ったけど、今回は大丈
夫だ。意識はしっかりしている。
﹁これは⋮⋮!?﹂
センテュリオに驚いている暇はなかった。すぐ頭上には黒い塊が
落下している。
︵ダークフォールか!︶
寸でのところで躱し、センテュリオは体勢を立て直そうとする。
チャンス
だがそこでアラン、しぐれ、ウェスターの三人がそれぞれの武器を
センテュリオ本体ではなく光球に向かって振るった。
一つ目、二つ目、そして三つ目。全ての光球が弾け飛ぶ。
﹁今だ、セトル!﹂
アランが叫ぶ。突然のことでセンテュリオが怯んでいる今が好機
だ。セトルは床を強く蹴り、風のごとく走った。
﹁︱︱彼の者にさらなる力を、ヴィグール!!﹂
赤い光がセトルを包み、力が込み上げてくるのを感じた。サニー
が力をくれたのだ。セトルは一気に間合いを詰めた。
354
そして大上段に剣を振りかぶり︱︱
渾身の力を込めて振り下ろす。
ライトスピリクル
センテュリオの体が両断され、散っていく。光霊素が美しい輝き
を放っている。散っていく時、センテュリオが優しく微笑んだよう
ライトスピリクル
に見えた。
光霊素の輝きが消え、辺りが一瞬沈黙する。
アランがセトルを向いた。
﹁セトル、さっきの力はまさか⋮⋮﹂
﹁うん。たぶんアスカリアの時と同じだよ。あんまり覚えてないけ
ど、感じが似てた﹂
﹁どういうこと?﹂
シャルンが訊く。しぐれも首を傾げているようだ。あの時二人は
いなかったから知らないのは当然だが、説明しようとしたところで
再びセンテュリオが姿を現した。
﹁見事だった。まさかおぬしがそのような力を使えるとは思わなか
ったぞ﹂
﹁僕もよくわからないんですけどね﹂
セトルは照れたように頭を掻く。今となっては、あの時どうやっ
たのか覚えていなかった。
﹁契約の儀の前におぬしには渡しておきたい物がある﹂
そう言うとセンテュリオの周りの霊素が集まり始めた。ウェスタ
ーが槍を構築する時に似ている。それは首を傾げているセトルの前
レーヴァテイン
で一振りの剣となった。
﹁霊剣。それをおぬしに託す﹂
セトルは恐る恐るその剣を手にした。刀身が光でできているよう
に輝く片刃の剣で、もの凄く軽い。そしてなぜか手にしっくりと馴
染む。
﹁すごい⋮⋮これならあれも⋮⋮ほ、ホントにいいんですか?﹂
センテュリオはゆっくりと頷く。剣から感じる力にセトルは圧倒
されそうだった。
355
これが、この剣があればきっと勝てる。何度か素振りをしながら
セトルはそう思う。
﹁剣に恥じぬ使い手となれ。では契約の儀といこう﹂
ウェスターがセンテュリオの前に立つ。
﹁我、召喚士の名において、光の精霊センテュリオと盟約する⋮⋮﹂
これでセトルたちは無事に八体の精霊と契約を交わすことができ
た。
356
059 災厄の始まり
明星の塔から出たあとも、セトルはまだレーヴァテインを鞘に納
めず眺めていた。例の力については塔を下りる時にアランがだいた
い説明した。
﹁セトル、ちょっとうちにも持たせてぇな♪﹂
しぐれがそう言って霊剣を受取ろうと手を差し出すが、セトルに
反応はなかった。ただぼんやりと剣を見詰めている。
しぐれはムッとしてセトルの額を指で思いっきり弾いた。けっこ
う痛かったのか、びっくりしたのか、セトルは我に帰った途端剣を
落とした。そして額を手で押さえてしぐれを見る。
﹁どうしたの、しぐれ?﹂
﹁それ貸してって言ったんや!﹂
怒った口調でしぐれは落ちているレーヴァテインを拾う。すると
︱︱
﹁うっ⋮⋮﹂
彼女は顔を引き攣らせて呻いた。
︵なんやこれ⋮⋮力が⋮⋮あかん、呑み込まれそうやわ︶
﹁せ、セトル、返すわ⋮⋮﹂
しぐれは押しつけるようにそれをセトルに渡した。
﹁もういいの? 一回も振ってないけど?﹂
セトルは怪訝そうにしながら霊剣を鞘に収める。
﹁たぶんそれはセトルしか持てへんわ﹂
手をぶらぶらさせて彼女は溜息をついた。
﹁ところでセトル、﹃あれ﹄って何なの?﹂
﹁え?﹂
唐突にサニーが訊いてきて、セトルは何のことかわからなかった。
﹁その剣もらったとき何か呟いてたでしょ?﹂
そんなこと言ったっけ、とか思いつつ、セトルは一生懸命思い出
357
そうとした。なぜか塔を下りるときの記憶がなかった。またぼーと
していたのかもしれない。だけど、何とかその時のことを思い出し
た。
﹁えっと、あのことかな? あれは新しい技を︱︱!?﹂
その時、ガタン、という音がしたと思うと、大地がまた大きく揺
れ始めた。サニーが尻餅をつく。
﹁きゃっ、また地震!?﹂
﹁いえ、何かおかしいです!﹂
ウェスターも立っていられず、傍の岩に凭れた。今回の揺れは今
までの比ではない。星全体が揺れているような、そんな感じを思わ
せる大きさだ。
どのくらい揺れていただろう。長いようでそうではないのか、そ
の辺の間隔も狂っている。
長斧を杖にてアランが立ち上がる。
﹁おい、もしかしてこれは⋮⋮﹂
﹁蒼霊砲が⋮⋮﹂
シャルンも深刻な顔をする。
﹁嫌な予感がします。早くサンデルクに戻りましょう!﹂
セン
ウェスターに言われ、皆はすぐさまセイルクラフトに乗り込んだ。
トラル
不安に思う中、セトルたちは最高速度でサンデルクへ向い、中央
大陸が見えた時、皆は驚愕した。
シグルズ山岳の向こう、アスハラ平原付近に超巨大な白い塔のよ
うなものが見えた。ここからでも見えるということは一体どのくら
いの大きさなのだろう。明星の塔なんか比べものにならない。
︵あれが、蒼霊砲⋮⋮?︶
セトルは呆然と遠くに見える塔を見ていたが、サニーが悲鳴に近
い声を上げたので彼女に振り返る。
﹁みんな見て! サンデルクが!﹂
言われ、セトルたちはサンデルクが見えてくる方角を向く。目を
瞠り、セトルは呟いた。
358
﹁町が⋮⋮燃えてる⋮⋮﹂
359
060 忍者の決闘
業火に包まれ、町全体が赤く染まっている。
ほとんどの建物が崩壊している。
地震の影響、もしくは既に蒼霊砲が放たれたのだろうか。いや、
それにしては被害が小さい。聞く限り、もし蒼霊砲が発射されたの
ならサンデルクの町など跡形もないはずだ。それに、いくら指向性
がついていようとも、町ごと破壊してはノルティアンの人だってひ
とたまりもない。それはアルヴァレスの目的に反する。
では原因は地震かというと、どうも違うようだ。ウェスターが言
なごり
うには崩壊の原因はそうかもしれないが、この炎は主に霊術による
ものらしい。僅かにその余波があるそうだ。
周りを見ると、何人もの逃げ遅れた人が倒れている。そして、そ
の誰もが既に事切れていた。
﹁ひどい⋮⋮﹂
まるで地獄絵図のような光景にサニーは悲しい表情で呟く。
﹁まだ生き残りがいるかもしれない﹂
セトルはそう言うと、誰かいませんか、と大声を上げる。
しかし、返事はない。
生存者を捜しながらセトルたちは歩き回り、そして大学も前まで
きた。そこが一番ひどい有様だった。建物はもう原型を留めておら
ず、周りには戦いの痕跡が︱︱警備をしていた独立特務騎士団の兵
たちが無残な姿で倒れている。
﹁ノックスたちはどうなったんだ? まさかやられて︱︱!?﹂
アランが言っていると、しぐれがシッと人差し指を口の前で立て
くない
る。ウェスターも槍を作り出して辺りを目だけで見回す。
﹁そこや!﹂
しぐれが横に植えてあるまだ燃えていない木に苦無を投げる。ガ
サッと音を立ててそれは葉の中に消える。
360
すると、何かが飛び出した。その何かは空中で回転しながらセト
ルたちの前に降り立つ。
﹁ひさめ!?﹂
驚いたようにしぐれが彼女の名を叫ぶ。
﹁これはあんたの仕業なの!﹂
サニーが扇子を構え、その肩の上でザンフィが威嚇するように毛
を逆立てる。ひさめは何も答えず忍刀を抜いた。
﹁やる気か?﹂
アランが身構える。ひさめの表情からは何も読み取れない。感情
のない瞳がじっとこちらを見据えている。
一人対六人、いや、六人と一匹。数では圧倒的にこちらが有利で
ある。この状況で戦うのは無謀だと思われる。
ようやく彼女が口を開いた。
﹁ロアードの命令、覚悟﹂
それだけ言ったと思うと、目の前から彼女の姿が消える。次の瞬
間にはセトルたちの背後に回っていた。
﹁忍法︱︱﹂
ひさめは忍刀を鞘に納めないまま居合のような構えをする。
﹁あかん! みんな離れてや!﹂
きんぷうせん
しぐれが叫んだ途端、ひさめは横薙ぎで空を斬る。
﹁︱︱金風閃!!﹂
三日月を思わせる幅広い光の刃が飛ぶ。しぐれの叫びもあって何
とか躱すことはできたが、振り向くとそこにひさめはいない。光の
刃は崩れた建物に直撃し、残骸を巻き上げる。
﹁アラン、上です!﹂
ウェスターに言われ、アランが上を見ると丁度ひさめが刃を下に
突きたてて降下していた。アランは長斧の腹でそれを受け流し、彼
女が着地したところで横薙ぎに振るう。だが、彼女は身を縮めてそ
れを躱すと、バックステップでアランから距離をとり、顔の前で掌
を組み合わせ、指を立てる。
361
うつしみ
ひさめの体がぶれる。すると分離するように彼女は二人になった。
︽写身︾だ。
二人のひさめは左右に散った。右のひさめはシャルンに忍刀を振
り回す。その後ろにはサニーがいて、シャルンは庇うようにトンフ
ァーでそれを受けている。その間にサニーが術を唱える。
﹁光よ、フィフスレイ!!﹂
五つの光弾がシャルンの脇を抜け、ひさめを襲う。しかし、当然
ひさめはそれを受けてくれない。横に飛んで、そこから次の攻撃を
仕掛けようとする。
左のひさめはセトルを狙っていた。忍刀とレーヴァテインがぶつ
かる。聞いたことのない金属音に似た音が響く。
レーヴァテインは精霊からもらった剣だ。普通の刃とは格が違う。
その剣圧でひさめは後ろに飛ばされる。
かれんげんりゅうは
そこにウェスターがたたみかける。
﹁︱︱渦連幻龍破!!﹂
水が渦巻く槍の一突きをひさめは避けきれず忍刀で器用に防ぐ。
ごうはれんしょう
しかし、その衝撃には耐えられず︱︱いや、受け流すために自分か
ら飛び退った。
﹁︱︱これで! 剛破連衝!!﹂
サニーたちの方のひさめも、シャルンの強烈な連打を躱しきれな
いと判断して飛び退る。二人のひさめが横に並んだところで、彼女
は元の一人に戻る。その僅かな隙にしぐれが全力で走った。
しかし、しぐれが忍刀を薙ぐよりもひさめが完全に元に戻る方が
早かった。ひさめはジャンプして瓦礫の上に飛び乗る。
﹁やはり、しぶといですね﹂
ウェスターが唸る。
しぐれは彼女を睨むように見上げると、後ろを振り向かずに言っ
た。
﹁みんな、お願いなんやけど、こっからは手出さんといてもらえへ
んか?﹂
362
感情のない冷めきった瞳でひさめはそんな彼女を見下ろす。サニ
ーが首を振った。
﹁何で? みんなで戦った方が絶対いいじゃん!﹂
﹁⋮⋮アキナの忍者のことは、同じアキナの忍者が処分する。それ
が掟やねん﹂
しぐれの声は少し悲しそうだった。たぶん彼女は、ひさめに聞き
たいことが山ほどあるはずだ。それはセトルたちにとっても同じだ
が、同じ里で育った彼女と比べたら、その思いの大きさは違うはず
だ。
でも、とサニーが渋る。しかし、セトルはサニーを手で制してか
ら大きな溜息をつく。
﹁危なくなったら、手を出すよ?﹂
﹁おおきに、セトル﹂
しぐれが微笑んだことをひさめは瓦礫の上から見て微かに表情を
曇らせた。
セトルたちは後ろに下がり、二人はしばらく睨み合う。
﹁しぐれ、一人で勝てると思てんの?﹂
ひさめが無感情な声で火口を切る。
﹁やってみんとわからへんが、うちが負けんことは間違いないで!﹂
しぐれは堂々と自信ありげに答える。
両者は再び沈黙し、セトルたちにも緊張が走る。
先に動いたのはひさめだった。彼女は勢いよく瓦礫から飛びあが
る。ほぼ同時にしぐれも力強く地を蹴って飛んだ。
空中で両者の刃が噛み合い、響く。
着地し、二人は互いに向かって走った。しぐれの忍刀が横薙ぎに
大きく振られる。それはひさめの胴を一刀両断する。︱︱はずだっ
たが、忍刀が振られた途端、真っ白な霞がひさめを包み、彼女はそ
やえがすみ
の場から消えた。ゆっくりと霞が晴れていく。
︵これは⋮⋮八重霞!?︶
しぐれは周囲を見回して警戒する。その時︱︱
363
﹁上よ!!﹂
シャルンが叫んだ。バッとしぐれは上方を向く。そこには忍刀を
てんきゅう
持ったまま縦に回転しながら降下してくるひさめの姿が。
﹁︱︱忍法、天穹!!﹂
刃が空を裂き風が悲鳴に似た声を上げている。咄嗟にしぐれはバ
ックステップをした。はらりと前髪がほんの少しだけ散る。︱︱掠
った。あと一瞬反応が遅ければ、と思うとしぐれは息を呑んだ。
だが、そんなことをゆっくりと思っている暇はない。すぐにしぐ
れの足下に霊術陣が出現する。
直後、爆発が起こる。無意識に腕で顔を庇った彼女はそのまま数
メートル吹き飛ばされてしまう。丈夫な忍び装束が焼け切れ、ボロ
ボロになっていく。
ひさめが爆煙を突っ切ってきた。振り翳す刃が周りの炎の光を受
らいじん
エリクスピリクル
けてゆらゆらと赤く輝いている。しぐれも忍刀で防御の構えをとる。
だが︱︱
﹁覚悟、雷迅!!﹂
ひさめは忍刀を持ってない方の手で雷霊素を付加させた苦無を投
げる。しぐれは忍刀ばかり気にしていたためそっちの防御が間に合
わない。しぐれの手前に刺さった苦無から電撃が放出される。
﹁きゃっ!﹂
目の前で閃光が立ち昇り、体中に衝撃が走る。しぐれは悲鳴を上
げ、その場に膝をついた。
﹁しぐれ!?﹂
セトルがこれ以上は危ないと判断し彼女を助けに向かおうとする。
しかし、肩に手を置かれ、振り向くとウェスターが首を振っていた。
﹁まだです。彼女を一人で戦わせると決めたのなら、ギリギリまで
待ちましょう。サニーも、治癒術は唱えないでくださいよ。そんな
ことを彼女は望んでないでしょうから﹂
セトルは歯を食いしばって剣を下げる。くっとサニーも顔をしか
めた。
364
頭上から刃が振り下ろされる。しぐれは転がってそれを躱すと、
起き上がりざまに忍刀を振るう。しかし、ひさめもそれを忍刀で防
ぐ。
刀のリーチはしぐれの方が長いが、ひさめの方は短い分小回りが
利く。
両者は激しく打ち合った。
ひさめの短刀が上段から襲いかかり、しぐれの長刀がそれごと薙
ぐように下段から振るわれる。刃が絡み合い、両者とも弾かれる。
しぐれが振り切った腕を戻すと、そこにひさめの突きが迫る。刀の
腹でそれを受け、しぐれはひさめの足を払った。バランスを崩した
ところに左手に握った鞘で溝打ちを狙う。
ひさめは声を漏らし、そのまま後ろに跳んだ。同時にしぐれも距
つよ ごち
離を置く。そして同時に忍刀を構え、
つよ ごち
﹁︱︱強東風!!﹂
﹁︱︱強東風!!﹂
二本の風の矢が交差したかと思うと、二人の立ち位置が入れ替わ
っていた。両者とも背を向け合っている。
しぐれの頬から血が流れ、ガクンと足にもきた。しぐれはよろめ
いて倒れそうになるが、刀を杖にして持ちこたえる。
ひさめも装束の脇腹が切り開かれ、その辺りが血で赤く滲んでい
た。しかし、痛みを感じないのか、無表情のままだ。
﹁しぶといな⋮⋮仲間に手伝ってもらった方がええんちゃう?﹂
そう言って向き直ったひさめに、しぐれは振り向いてフッと笑み
を浮かべる。
﹁よう喋るな、ひさめ。あんたこそ、アルヴァレスのとこにでも逃
げ帰ったらええやん?﹂
長い沈黙が降りた。
やがて、ひさめが忍刀を下して口を開く。
﹁うちの家族は、アルヴィディアンに殺された⋮⋮﹂
﹁? いきなり何言うてんの?﹂
365
しぐれが目を瞬く。セトルたちにも聞こえているがなぜ突然彼女
がそんなことを言い出したのかわからない。ひさめは無視して続け
た。
﹁一人になったうちを拾ってくれた里のみんなには感謝してる。せ
やけど、それ以上にうちは孤独を感じてたんや。アキナにノルティ
アンはうちしかいてへん。周りは憎いアルヴィディアンばかり⋮⋮
居心地は最悪やった﹂
﹁それが⋮⋮里を抜けた理由?﹂
コクンとひさめは頷く。もしかすると、彼女は誰かにそれを聞い
てもらいたかったんじゃないかなとセトルは見ていて思う。
﹁そうか、ノルティアンなのにアキナの忍者だから何か変だと思っ
てたが、そういうことだったわけか﹂
納得したようにアランが腕を組む。
﹁確かに、あんたが笑ってるところなんて見たことあらへんが、う
ちらと遊んどるとき楽しそうやったやん?﹂
﹁⋮⋮勝手な思い込みや、しぐれ﹂
ひさめはそう言うが、その間に少しだけ間があった。そして下し
ていた忍刀を構え直す。﹁次で終わりや。うちの最高の忍術見せた
る!﹂
忍刀を顔の前で立て、ひさめは何かを唱えたように見えた。次の
瞬間、しぐれの周りに霊術陣とは違う方陣が出現する。
﹁な、何やこれ? さ、寒!?﹂
辺りに冷気が立ち込める。しぐれは思わず身震いした。すると、
方陣から何枚もの氷の板が飛び出し、しぐれを囲んだ。氷面に映っ
ひもかがみ
た彼女の姿が歪み、ひさめの姿へと変わる。
﹁︱︱忍法秘術、氷面鏡!!﹂
氷に映ったひさめが一斉に苦無を投げる動作をする。すると本当
にそこから苦無が投げられていた。氷から放たれた苦無は一瞬で凍
りつき、鋭さを増した氷の刃となる。それが四方八方から襲いかか
り、逃げ場はない。
366
苦無の雨が収まる。セトルたちは息を呑んで白いもやのかかった
中を見る。
﹁しぐれ⋮⋮!?﹂
もやの中から立ち上がる影をセトルは見た。次第にもやが晴れて
いく。そこには苦無が刺さりながらも立っているしぐれの姿があっ
た。
﹁⋮⋮もう一回や﹂
鏡の中のひさめは再び苦無を構える。
﹁しぐれ、とにかくそこから出るんだ!﹂
セトルが叫ぶ。それが聞こえ、しぐれはダッシュした。鏡の隙間
から外に出られる。しかし、もう一歩のところで鏡の包囲から出ら
れたのに、氷の忍刀が近くの鏡から伸びてきて、しぐれは弾かれた。
また中央に転がり戻る。
﹁くそっ、ダメか⋮⋮﹂
アランが近くの瓦礫に拳を打ちつける。
﹁逃げられへんよ﹂
ひさめの冷酷な声が反響する。するとしぐれの口元が緩んだ。そ
れを見てひさめの手が止まる。
﹁この状況で笑ってられるとは⋮⋮頭おかしなったんちゃうか?﹂
﹁へへへ、逃げられへんのなら、壊せばええと思てん﹂
しぐれの顔が完全に笑っている。ひさめの眉がピクリと動く。
﹁いくで! 忍法、写身、四方分身︱︱﹂
通常の写身からさらに分身し、四人のしぐれが誕生したかと思っ
た瞬間、その姿が消える。超スピードで動いているようだ。咄嗟に
いざよいけんぶ
ひさめは苦無を投げるが、遅かった。
﹁︱︱十六夜剣舞!!﹂
叫んだのと同時に、全ての鏡が砕け散った。
﹁くっ⋮⋮﹂
その衝撃にひさめが吹き飛んで地面に叩きつけられる。
しぐれは分身を解き、走った。ひさめも起き上がり忍刀を構えよ
367
うとする。だが︱︱
﹁!?﹂
血柱が噴き上がった。ひさめの周りに血の雨が降る。そして崩れ
るようにひさめは膝をついた。
﹁しぐれ⋮⋮ごめん⋮⋮﹂
彼女は最後にそう呟き、力なくその場に倒れた。
﹁ひさめ、あんたはやっぱり⋮⋮﹂
しぐれの瞳に熱いものが込み上げ、頬に水滴が流れる。そしてし
ぐれもグラっとして倒れるが、それをセトルが受けとめて支えた。
﹁おつかれ、やっぱりしぐれはすごいよ﹂
セトルが微笑んで言うと、彼女も微笑み返した。
﹁ヒール!﹂
﹁ヒール!﹂
サニーとシャルンが治癒術をかけてくれた。傷口がみるみる塞が
っていくと、彼女は緊張の糸が切れたようにその場に座り込んだ。
その時、ひさめの咳き込む声が聞こえた。
﹁驚いた⋮⋮まだ意識があったのね﹂
シャルンが目を丸くする。
﹁このまま死なせるわけにはいきません。話ができる程度に回復し
てあげましょう﹂
ウェスターが言うと、サニーとシャルンは頷き、彼女の治療をす
る。
やがてひさめは目を開いて、セトルたちを一人ずつ見る。しぐれ
がほっとしたように息をついた。
﹁⋮⋮何でうちを助けた?﹂
﹁まだあなたから何も聞いてませんからね。いろいろと話してもら
いますよ﹂
ウェスターが不敵な笑みを浮かべ、セトルはそれを見て苦笑した。
﹁ここを襲った理由は独立特務騎士団の情報を末梢するためですよ
ね?﹂
368
﹁だいたい⋮⋮そんな感じや。せやけど、奴らソルダイに拠点を移
しててん、ここにはもう何もなかった﹂
なるほど、とウェスターは呟く。ワースやノックスたちがソルダ
イに居るのなら、恐らく最終準備に取り掛かっているのだと思う。
あそこが蒼霊砲に一番近い村だから。
﹁でしたら、あとのことは向こうで取り調べた方がいいでしょう﹂
そうね、とシャルンが頷く。
﹁ここで話していても仕方ないわ。早く行きましょう﹂
もうすぐアルヴァレスとの決戦。当然、ゼースやルイスも出てく
る。シャルンは焦っているようだが、その気持ちはよくわかった。
369
061 決戦前夜
﹁皆さん!﹂
ソルダイに着くとまずザインが迎えてくれた。地震の影響か、あ
ちこちの建物が崩れている。
入口にいた兵たちに聞いたところ、ワースたち独立特務騎士団と
自由騎士団は同じ場所を拠点にしているらしい。ザイン邸である。
そこがソルダイで一番広いところである。ワースも今はそこに居る
らしい。
﹁お久しぶりです、ザインさん﹂
セトルが丁寧にあいさつすると、ザインも同じようにあいさつを
返す。
﹁今日はハドムさんと一緒じゃないんですね﹂
﹁ははは、いつも一緒というわけじゃない。今ハドムにはアスハラ
平原に造っている前線基地の指揮をとってもらっている。それより、
その子は?﹂
ウェスターが連れているボロボロの少女を見てザインが問う。
﹁詳しいことは皆を集めてから話します。ワースたちのところまで
案内してください﹂
ザインは眉を顰めたが頷いて、こっちだ、と踵を返す。セトルた
ちは黙って彼についていった。
ザイン邸はさほど地震の影響を受けていないようだった。その二
階に作戦会議室のようなものが設置されている。ザインがノックを
するとすぐに返事があった。ドアを開け、中に入る。
中は大きなテーブルが一つと複数の椅子、小さめの黒板、そこに
貼られたアスハラ平原の地図だけしか物は置いてなく、テーブルを
囲んでワース、アイヴィ、スラッファ、ノックスが座っている。そ
して︱︱
﹁おと⋮⋮頭領!?﹂
370
しぐれが上座の方に座っている漆黒の髪を旋毛の辺りで結った中
年男性を見て驚いた。彼、アキナの頭領・げんくうはしぐれの顔を
見て、フッとどこか優しげのある笑みを浮かべる。
﹁まあ、協力してもらっているのでここに居ても不思議ではありま
せんね﹂
ウェスターが眼鏡の位置を直す。
﹁そういうことや。総力戦になるさかい、私も出んとあかんやろ?﹂
げんくうはさっきとは違う笑みを浮かべた。そういえば、彼も忍
び装束を着ている。
﹁久しぶりだな。精霊とは無事に契約できたみたいで安心したよ﹂
一番奥に座っているワースが微笑む。彼とは火精霊契約前に会っ
たっきりだ。ずいぶん懐かしい感じがする。
﹁ワースさん⋮⋮﹂
懐かしさと同時にセトルは彼の顔を見てどこか安心感のようなも
のを覚えた。
﹁ん? まさか、ひさめか!?﹂
ウェスターの後ろに隠れるように立っている少女を見つけてげん
くうは目を瞠る。彼女は目を合わさないように視線を横にずらした。
サンデルクで起こったことを話すとワースたちは顔を見合わせた。
﹁︱︱なるほど﹂
﹁あらかじめ住民を避難させて正解だったというところかな﹂
ノックスが笑みを浮かべる。
﹁あらかじめって⋮⋮地震来るんがわかっとったん?﹂
あまりにも迅速な行動にしぐれが驚く。いや、彼女だけではなく
セトルたちも驚いた。もちろんウェスター以外だが。
﹁これから戦争と言ってもいい戦いが起こるのよ﹂とアイヴィ。﹁
関係ない人たちは先に避難させておかないと。もっとも、避難を拒
んだ人もいるみたいだけど⋮⋮﹂
セトルはサンデルクの道で事切れていた人たちを思い出した。げ
んくうがセトルたちを見る。
371
﹁はくまがサンデルクの、ひせつがここソルダイの人をそれぞれ首
都とアクエリスに避難させた。もうすぐ戻ってくるはずや。それよ
りも︱︱﹂
げんくうは立ち上がり、ひさめの縛ってある手をとった。
﹁こいつは私が別の部屋で尋問するんでええか?﹂
﹁それはいいけど。ウェスターたちも戻ったし、これから作戦会議
をするべきでは?﹂
そう尋ねたスラッファにげんくうはひさめを掴んだまま振り向い
て口元に笑みを浮かべた。
﹁それなら大丈夫や。それはうちのしぐれにしてもらう。それに、
こいつの尋問次第で作戦が変わるかもしれへんやろ?﹂
それもそうか、とスラッファは得心する。げんくうはドアの前ま
で行くと、一度こちらを振り返り、しぐれを見た。
﹁しぐれ、お前はアキナの代表や。しっかりやれよ!﹂
と言って彼はしぐれが大きく頷いたのを認めると、ひさめを連れ
て出て行った。ひさめは表情こそ読めないが、嫌そうな感じだった。
尋問が、ではなく、げんくうと話すことにだ。
そしてワースが席に着くように促し、セトルたちはそれぞれ空い
ている席に座る。
﹁さっそくだが、現在の状況を説明する。アイヴィ、頼む﹂
ワースに言われアイヴィは頷いて席を立つと、黒板の前まで行き、
地図の中心よりやや右上辺りのところにバツ印をつけた。
ワースはテーブルに肘をついて掌を顔の前で組み合わせる。
﹁蒼霊砲はだいたいあの位置にある。そしてオレたちの拠点がある
ところは三箇所﹂
﹁ここと、ここと、ここよ﹂
とアイヴィが同じように印をつける。蒼霊砲から見て東西南にそ
れぞれ一個所ずつある。しかし︱︱
﹁あの! ちょっと離れすぎじゃないの?﹂
サニーが挙手して訊く。ワースがそれに答えようとすると、ノッ
372
クスが説明を横取りした。
﹁フフ、夜襲をかけるためだよ、サニー君。あれだけ離れていれば
敵に見つかることもないし、地形的にも最高の位置だと思わないか
い?﹂
そう言われても地図上ではどんな地形になっているのかよくわか
らない。だけど、ワースやザインたちが認めているのならそうなの
だろう。
﹁まあ、なんたってこのボクが厳選した場所だからね♪﹂
フフフ、とおかしな笑いを始めたノックスに少し不安を感じなが
らも、皆は話の続きを聞くためにワースを向いた。
﹁今、首都から増援が来ている。彼らが到着しだいオレたちも移動
しようと思う。詳しい作戦は彼女の尋問が終わった後、向こうに着
いてからする。蒼霊砲の一発目を撃つには少なくとも二日のエネル
ギー充電が必要だ。それまでにけりをつけよう﹂
そう言ってワースが微笑むと、セトルにはなぜかなんとかなりそ
うな感じがした。
﹁ちょっといいかい?﹂
ノックスが小さく手を挙げる。
サヴィトゥード
﹁今の話とは関係ないけど、アルヴァレスが城から盗んだ物は純度
が高い精霊石各種と、精神隷属器、それと︽スピリチュアキー︾だ
けだよね?﹂
﹁そうですが、それがどうかしたのですか?﹂
ウェスターが答えると、ノックスは真顔になる。
﹁封印を解くためのスピリチュアキーはいいとして、蒼霊砲を起動
するには他にも︽エリメートコア︾という物が必要なんだ。もしア
ルヴァレスがそれを持っていなかったら、蒼霊砲は起動しない。そ
れに、いくらスピリチュアキーがあっても、最後の封印は彼らには
解けないはず﹂
どういうことですか? とセトルが訊くと、ワースが答えた。
﹁蒼霊砲を二度と復活させないために、最後の封印だけアルヴィデ
373
ィアンやノルティアンには解けないようにしてある。もちろん、オ
レたちも解くことはできない﹂
セトルはワースたちのサファイアブルーの瞳を見た。シャルンが
暗い顔をする。
﹁もしかして、ハーフなら解けるんじゃない?﹂
その言葉にセトルたちはハッとした。そうなるとヴァルケンでサ
ヴィトゥードを使われた時、四鋭刃がまずシャルンを狙ったことも
頷ける。ただの実験ではなかったということだ。
﹁そうなるだろうな﹂
ワースは確信を持っているようにそう言った。
﹁まあ、その辺りのことも彼女に詳しく訊いてみるとしよう﹂
恐らくアルヴァレスはエリメートコアを持っているだろう。あの
アルヴァレスが肝心なところでそんなミスをするとはとても思えな
い。
ワースが席を立つ。
﹁じゃあ、とりあえず一旦解散しよう﹂
? ? ?
︱︱深夜。
セトルは一人、邸の庭にあるベンチに腰かけていた。辺りは静ま
り返っていて、そのしんとした響きが耳の奥で反響している。
サニーたちはもう眠っているだろう。彼女たちの部屋の明かりは
消えている。
夜の冷たい風が肌を撫でる。曇った夜空に星は見えない。それで
もここにいると決戦前の緊張が和らぐのを感じる。
﹁眠れないのか?﹂
その声に振り向くと、銀髪の青年が静けさの中に足音を響かせて
歩いてきた。
﹁⋮⋮ワースさん﹂
374
微笑んでいる彼の顔を見てセトルはなぜか安堵した。
﹁たぶん作戦実行は明日の夜になる。休めるときに休んでいた方が
いいぞ?﹂
﹁そうですね﹂
セトルは曖昧に頷く。
﹁でも、もう少しだけここにいます﹂
そうか、とワースは柔らかい笑みを浮かべ、セトルの隣に座った。
そしてふと気づいたように、
﹁二人で話すのは初めてだったかな?﹂
と言う。その横顔は優しくてとても温かかった。でも、初めてと
いう気はしない。
﹁ワースさん、一つ訊いてもいいですか?﹂
﹁何だ?﹂
﹁ワースさんはどうして軍に?﹂
するとワースは、そうだな、と言って星のない空を見上げ、目を
閉じた。
﹁まあ、あえて言うなら、世界を見るため⋮⋮ってところか﹂
﹁世界を?﹂
セトルは首を傾げる。
﹁ああ、そしてその世界を今回のアルヴァレスのようにどうこうし
ようとする奴から守る。独立特務騎士団はそのためにオレが作った
組織なんだ。正規軍と少し似てるかもしれないがな﹂
へぇ、とセトルは感心し、自分の銀髪の頭を掻いた。
﹁あれ? ワースさんが作ったってことは、前はなかったってこと
ですよね?﹂
﹁そういうことだな﹂
それから二人は黙ってしまった。セトルが次に何を話そうか考え
始めたころ、フフフ、とワースが微笑した。セトルは訝しげな顔を
してどうかしたのか訊ねた。
﹁ああ、いや、﹃ワースさん﹄か。︱︱初めて言われた時、正直驚
375
いた。それに失望に似たものも感じていたかな。昔はそんな風に呼
ばれてなかったから﹂
昔を思い出すようにワースは答えた。この時、彼は本当に自分の
過去を知っているんだなとセトルは改めて思った。そして訊くべき
じゃないかも、と思いながらも言ってみた。
﹁昔の⋮⋮昔の僕はどんな風に呼んでたんですか?﹂
ワースはしばらく黙り、セトルは内心オドオドしていた。やがて
セトルがうなだれる。
﹁そうですよね。自分で思い出さないと意味がない⋮⋮ですよね﹂
すると、ワースは微笑んでセトルの頭を撫でた。
﹁ははは、あの時は確かにそう言ったが、本当は教えてもよかった
んだ。ただ、教えてしまうと自分たちの戦いに巻き込んでしまう。
オレはそれが嫌だった。君が記憶喪失でよかったと思ったこともあ
る。でも結局教えなかったことに意味はなかったのかもしれない。
君はこうしてオレたちと一緒に戦うことになったんだから⋮⋮﹂
彼は撫でるのをやめ、少し悲しい目をしてそう言った。でも、と
セトルは顔を上げて彼を真っすぐに見る。
﹁記憶が戻ったら来るようにって言ったのは、やっぱり、一緒にい
たかったんじゃないですか? たぶんですけど、ワースさんは僕の
︱︱﹂
セトルは最後まで言えなかった。そのあとを言おうとした途端、
激しい頭痛に襲われたのだ。頭蓋の中で神経が軋み、悲鳴を上げて
いる。意識が、思いだそうとしていたところから遠ざかっていく。
頭を抱え、セトルは悲鳴を上げた。もう何が何だかわからなくな
った。このまま今までの記憶も失ってしまうかもしれない。
その時、ワースの手がセトルの頭に触れた。その手がぼんやりと
輝く。その光に見覚えがあった。何度かセトルが起こしたあの優し
い光に似ている。
痛みが引いていく。だいぶ落ち着いてきた。
﹁ワースさん、僕は⋮⋮﹂
376
﹁どうやら、まだ言ってはいけないようだな﹂
ワースは小さく息をつく。
﹁この戦いが終われば全てを話そう。その覚悟ができた時、一人で
オレのところに来るといい﹂
言うとワースは立ち上がる。そして邸の方へと歩き、途中で振り
返った。
﹁無理に思いださないことだ。明日からの戦いに支障がでるかもし
れない。今日はもう休むといい﹂
そのままワースの姿は邸へと消えた。セトルは彼が見えなくなる
まで、彼の後姿を見詰めていた。
377
062 開戦
蒼霊砲最上階にあるコントロールルーム。
﹁そうか、ひさめは捕まったか﹂
外を見渡せる窓の前にある椅子にアルヴァレスは座り、たくさん
のキーがついたボードで何かの操作していた。本来部下にやらせる
べきなのだが、これの操作は彼にしかできないらしい。
﹁やはり始末しておきますか?﹂
その報告をしたのは巨大な剣を背負った紫髪の青年、ルイスだっ
た。
﹁いや、放っておけ。今さら何を言われても問題はない﹂
ルイスに背を向けたままアルヴァレスは答えた。
﹁エネルギーのチャージに思ったより時間がかかっているが、溜ま
った暁には⋮⋮そうだな、まずは邪魔者がいるソルダイから消して
おこう﹂
アルヴァレスが不気味に笑い始めたその時、下で爆発音し、大勢
の雄叫びがこの最上階まで聞こえた。
﹁フッ、どうやら来たようだな﹂
アルヴァレスは落ち着いた様子で椅子を回し、同じように全く慌
てていないルイスを見る。
﹁私はここに残る。指示は全てロアードに任せると皆に伝えろ!﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
ルイスは軽く頷くと踵を返して後ろの昇降機で下へと降りた。
378
062 開戦︵後書き︶
短いので一時間後に次話を予約しています。
379
063 ︽重鎌︾のロアード
戦いは始まった。
独立特務騎士団、自由騎士団、そして増援の正規軍。それぞれ三
箇所の拠点から同時にときの声を上げる。増援の正規軍にウルドや
アトリーの姿はなかった。流石に首都の守備をしないといけないよ
うだ。
セトル、サニー、アラン、シャルンの四人は戦場となった平原を
駆けていた。アスハラ平原は森や山で囲まれ、街道のないところに
は岩が密集しているところもあれば、小高い丘のようになっている
ところもある。セトルたちはできるだけ敵のいないところを通り、
時には味方を助けながら蒼霊砲を目指す。
ひさめから得られた情報で、アルヴァレスは元々エリメートコア
ガーディアン
を持っていたことがわかり、改めて蒼霊砲の危険性を感じた。
それと敵の数。増援があったとはいえ、向こうには守護機械獣の
存在もある。どこの遺跡よりも強力で、今は蒼霊砲をものにしたア
ルヴァレスの手駒だ。合わせると、こちらの人数の二倍、いや、三
倍はあるかもしれない。
奇襲はほぼ成功だった。あとはこの戦いに勝つだけ。セトルたち
四人は独立遊撃隊第十二小隊となり、リーダーは年長者のアラン。
一方でウェスターとしぐれは、もしもの時のために精霊の配置を行
っている。こちらは移動にセイルクラフトを使っている。セトルた
ちが遊撃隊となったのは、向こうの人数は少ない方がいいからだ。
しかし、この二人だけではどこに精霊を置いたらいいかわからな
いため、ノックスもそれに加わっている。しぐれは嫌がったが、く
じで決めたことだから仕方なかった。
ノックス曰く、精霊をうまく配置することで蒼霊砲の主砲を打ち
消すことのできる結界のようなものを作ることができるらしい。
各精霊を蒼霊砲を囲むように均等に配置する。その位置も重要だ
380
った。相反するものを対極に置く。つまり、水︱︱雷、風︱︱地、
火︱︱氷、光︱︱闇といった具合だ。
多少の邪魔はあったが、ここまでは順調に進んだ。あとは光の精
霊︱︱センテュリオを置くだけ。それが終了すれば、セトルたちと
合流する手筈になっている。
﹁あーあ、うちもセトルたちの方がよかったんやけどなぁ﹂
セイルクラフトを降り、しぐれは何度目かの溜息をついた。
﹁抽選に見事当選したのですから仕方ありませんよ﹂
ウェスターが皮肉めいた笑みを浮かべると、彼女は子供のように
頬を膨らました。
﹁何言ってるんだい、しぐれ君? こっちにはボクがいるのに嬉し
くないのかい?﹂
ノックスがニコニコと作ったような笑顔を見せる。
﹁それが嫌なんやけど⋮⋮﹂
﹁う∼ん、嫌よ嫌よも好きのうち?﹂
﹁あんたはどこのオヤジや!﹂
彼女はノックスをひっぱたこうと腕を振るったが、彼はヒョイっ
と簡単によけた。そして彼女から距離を取ると、いつもの笑みを消
す。
﹁うん、この辺りがいいね。やってくれたまえ﹂
そこは蒼霊砲の裏手。少し丘になっていて、後ろにはあの︽迷い
霞の密林︾が広がっている。
﹁わかりました。では、センテュリオを召喚しますよ﹂
ウェスターはセンテュリオとの契約の証、黄色に輝く︽ムーンス
トーン︾の指輪を取り出し、素早く左手の中指にはめる。だがその
時︱︱
﹁やはりここに来ましたね、ウェスター・トウェーン﹂
突如、霊術陣が輝き、その声と共にそこへ転移してきたのは、色
黒の肌にグレーの髪を持つ長身の男、ロアードだった。既に手には
あの大鎌を握っている。
381
奴はアルヴァレスの副官、ここで現れることはウェスターも予想
していなかった。
﹁︽重鎌︾のロアード⋮⋮よくここがわかりましたね﹂
ウェスターが眼鏡を押さえ、その奥の瞳が目の前の敵を睨む。
﹁あなた方が精霊を置いて回っているのはわかってましたからね﹂
ロアードは不敵な笑みを口元に浮かべ、右手を天に掲げる。する
と、霊術陣が出現しそこから一体の機械仕掛けの獅子のようなもの
ガーディアン
が現れる。
あれも守護機械獣の一つだ。
﹁︽レグルス︾⋮⋮今までにないタイプだね﹂
ガーディアン
ノックスが銃をホルスターから抜いた。これまでも何度か待ち伏
せしていたかのように守護機械獣が襲ってきたが、宙に浮く球体状
のものや、カマキリのようなものだった。一つ言えることは、あれ
は今までのよりも強いということだ。
﹁私はてっきり、あなたは戦いの指揮をしているものと思っていま
した﹂
ビリビリした空気の中、ウェスターは相手の出方を窺いながらそ
う訊く。既に槍を構築して構えている。
﹁それは他の四鋭刃に任せました。ですが、私も早く戻らねばいけ
ませんね﹂
そう言ったロアードの横でレグルスが唸り声のような機械音を鳴
らす。
﹁戦う前に一つ訊いておきます。︱︱最後の封印、どうやって解い
たのですか?﹂
﹁知っていたのですね。もちろんハーフを使いましたよ。捕えてき
たのはルイスですが﹂
﹁そのハーフは?﹂
﹁質問は一つだけのはずでしたよ? おしゃべりは終わりです。そ
ろそろ閣下のために死んでいただけますかね?﹂
ロアードは巨大な大鎌を振り上げた。恐らく、その使われたハー
382
フは生きてはいないだろう。
﹁来るで!﹂
しぐれが言い、三人は身構えた。同時にレグルスが全身をばねに
ガーディアン
して躍りかかる。ノックスが霊導銃を撃つ。それはレグルスの頭部
に直撃し、機械の頭を僅かにへこました。今までの守護機械獣なら
その一発で風穴が開いて爆発したり停止したりするのだが、やはり、
あれは他のとは違う。
レグルスはまるで本物の生物のような動きで爪のような刃物のつ
いた前足を振り下ろす。三人はそれぞれ飛び退ってそれを躱す。地
面が抉れ、土埃が舞い上がる。
﹁︱︱くらいなさい、ロックプレス!!﹂
ロアードが詠唱を終えると、ウェスターの上空に巨大な岩が出現
する。重力加速も加わり、その岩は凄まじい勢いで落下した。霊術
で防ぐ時間はない。
潰された︱︱と思いきや、彼は紙一重で躱していたようだった。
しかし、そこにレグルスが迫る。
﹁︱︱リクウィッドスナイプ!!﹂
ノックスの霊導銃から水の弾丸が発射され、レグルスを横から吹
き飛ばす。水が思ったより効いたのか、レグルスがおかしな機械音
を発する。
﹁助かりました!﹂
ウェスターは礼を言うと術の詠唱を始めた。その間にしぐれがロ
アードとの間合いを縮める。
左右に素早く動いて相手を撹乱する。それは重量系の相手に対し
ては有効だろうし、アキナの忍者が得意とする戦い方の一つだ。し
かし、あの大鎌のおかげで鈍そうに見えるロアードだが、実際はそ
うでもなく、意外と素早い。しぐれが攻撃を仕掛けようとした瞬間、
大鎌の刃が飛んでくる。
速くてとんでもなく重い一撃。しぐれはどうにか寸前でよけた。
もしあのままよけなかったらどうなるか、ただ胴がまっ二つになっ
383
ただけではないだろう。原型すら留めてなかったかもしれない。よ
ほうざんげっぱしょう
けたところに次の攻撃がくる。
﹁︱︱崩斬月破衝!!﹂
振り下ろされた大鎌が大地を抉る。その破片がしぐれの顔面に直
撃した。さらにロアードは大鎌を振り上げて三日月状の軌跡を描く。
斬られたしぐれから血が噴き出す。しかし、それほど大量ではない。
ノックスが霊導銃で大鎌の軌道を変えたのが幸いした。
そのノックスにレグルスが飛びかかる。ヒラリと躱した彼はもう
一度レグルスに水の弾丸を撃ち込んだ。そしてウェスターの詠唱が
響く。
﹁︱︱白銀の抱擁を受け、砕けよ、アブソリュート・クラッシュ!
!﹂
霊術陣がレグルスを囲むように広がり、白い冷気が満ちたかと思
うと、巨大な氷の結晶がレグルスを呑み込んだ。そして次の瞬間、
結晶に罅が入ってレグルスごと一瞬にして砕け散った。
﹁お見事♪﹂
砕け散ったレグルスを見てノックスが拍手をする。が、その時︱︱
﹁きゃ!﹂
血を流したままのしぐれは大鎌の一撃で吹き飛ばされ、地面に叩
きつけられた。
﹁大丈夫ですか、しぐれ!?﹂
ウェスターは駆け寄ろうとしたがそれは叶わず、いつの間にか迫
っていたロアードの大鎌を槍で受け止めた。凄まじい衝撃が槍を通
スペルシェイパー
じて体に伝わってくる。危なく槍を放すところだった。
﹁流石、具現招霊術士と言われることだけはありますね。すばらし
いの術でしたよ﹂
﹁お褒めいただき光栄です﹂
﹁ですが、もう術は使わせませんよ!﹂
ロアードは組み合った状態から力を込めてウェスターを薙ぎ払う。
力では彼の方が何倍も上だ。受け身を取ったウェスターの目の前に
384
はもう次の刃が襲いかかっていた。咄嗟の反応で横に転がって大鎌
の一撃を躱すと、地面を強く蹴って槍を突く。大鎌と槍がにぶい激
突音を上げる。二つの刃は火花を散らしてぶつかり合い、お互いに
くうはひょうじんそう
弾かれた。
﹁︱︱空破氷刃槍!!﹂
つぶて
ウェスターの槍の刃が凍りつき、一回り大きくなった氷槍が氷の
飛礫を周囲に散らしながらロアードを襲う。
恐らく受けてはまずい、と思ったのだろう。ロアードは身軽にも
バックステップで後ろへ大きく跳んだ。
﹁︱︱清廉されし癒しの力、ヒーリングフォース!!﹂
意識はあるが、今も倒れているしぐれの周りに治癒の霊術陣が出
現する。ノックスが唱えたものだった。サニーやシャルンが扱うも
のほどではないが、傷が塞がり、痛みがどんどん消えていく。
しぐれは上半身を起こすと、驚いたような顔でノックスを見た。
﹁あんた、治癒術も使えるんやな﹂
感心して言うと、彼は、フフフ、と笑って前髪を払った。
﹁惚れ直したかい?﹂
﹁誰が!﹂
勢いよく彼女は立ち上がった。ノックスはわざと傷ついたような
溜息をつく。それらをロアードは横目で見ていて軽く舌打ちをする。
﹁やはりあの男、甘く見ない方がいいですね﹂
その隙にウェスターは術の詠唱を試みた。だが、ロアードはそれ
を見逃さず、その場で大鎌を横に大きく振り被った。
﹁術は使わせないといいましたよ!﹂
ダークスピリクル
突如、大鎌の刃が超巨大化した。いや、そう見えるだけで実際は
大鎌に闇霊素が纏い、それが巨大な鎌の形を作っているのだ。もち
ま こうれんじん
ろん、触れれば痛いじゃ済まないだろう。
﹁︱︱魔皇鎌刃!!﹂
巨大な魔鎌は後ろの木々を斬り倒しながらウェスターに襲いかか
る。だが一瞬、その動きが鈍った。紅い光線がその闇の刃を鈍らせ
385
ていた。ノックスの︽クリムゾンロアー︾だ。
それでも長くは持たないが、よけるための時間は稼げた。
魔鎌は見事に空振りをし、空気だけに悲鳴を上げさせた。ウェス
ターは二人のところに戻る。
﹁手強いねぇ。どうするんだい?﹂
全く緊張感を感じさせない声でノックスが訊くと、ウェスターは
眼鏡の位置を直してから答えた。
﹁センテュリオを召喚します。それまでどうにか時間を稼いでくれ
ませんか?﹂
﹁了解♪﹂
あっさりとノックスは答える。
﹁しぐれも頼めますか﹂
ウェスターはしぐれを向くと、彼女は大きく頷いて見せた。
﹁行くよ、しぐれ君﹂
﹁言われんでも﹂
二人は走った。しぐれはそのまま突っ込み、ノックスは敵が銃の
射程に入ったところで止まる。
﹁何をするつもりかわかりませんが、させませんよ!﹂
ロアードは向かってくるしぐれに大鎌を叩きつける。しかし、ロ
アードも何か大きな術を使おうとしているウェスターを見て焦って
いるのか、その攻撃は単調すぎて簡単によけられた。完全に懐に入
ったしぐれの刃を咄嗟に籠手で受けて、彼女ごと突き飛ばす。追い
らいじん
打ちをかけようとするが、それはノックスの銃で阻まれた。
﹁︱︱忍法、雷迅!!﹂
しぐれの投げた苦無に雷が落ちる。その雷撃がロアードの大鎌に
伝わり、彼はそれを手放してしまう。
﹁万物を照らす光華なる白の使いよ︱︱﹂
召喚術の詠唱が聞こえた。ロアードがすごい形相でウェスターを
向く。
﹁︱︱指輪の盟約の下、我に力を与えたまえ、出でよ、光精霊セン
386
テュリオ!!﹂
ムーンストーンの指輪が激しく輝く。しまった、とロアードが叫
ぶが時既に遅し。夜闇を眩い光で照らしながらセンテュリオが降臨
した。
﹃光の裁きを﹄
頭の中に声が響く。途端、何本もの巨大な光の柱が天から降り注
いだ。その光柱はロアードだけを捉え、悲鳴も上げささずに制裁を
加えた。何もかもが無に帰してしまいそうだ。
光柱が消えたとき、ロアードはまだ立っていた。しかし、服は焼
けちぎれ、ただでさえ色黒の肌も真っ黒に焼け焦げていてもう誰だ
かわからないくらいだ。
既に虫の息である。
﹁私は⋮⋮閣下のために⋮⋮閣下の理想を⋮⋮う、うおぉぉぉぉぉ
ぉぉ!!﹂
ロアードは吠えた。白目を向いて大鎌を掴もうとする。しぐれと
ウェスターは前に出て身構える。
できれば情報を聞き出したい。副官であるロアードなら恐らくこ
ちらが知りたいこと全てを知っているだろう。だが、ノックスは二
人の後ろで冷酷な目をしてロアードを見ていた。
︵もう、意識はないようだね︶
ノックスは静かに銃口を彼に向け、彼が大鎌を掴む瞬間に銃の引
き金を引いた。
パン! と銃声が響き、ロアードの額から真っ赤なものが噴き出
した。そして彼はその場に崩れた。
﹁な、何て事したんや!? まだ聞かなあかんことが山ほどあるん
やで!﹂
怒鳴るしぐれにノックスは真面目な顔をして言う。
﹁あれじゃあもう無理だよ。どの道彼は吐かないだろうし﹂
﹁せやけど⋮⋮﹂
しぐれはそう呟いたあと何も言わなかった。どんな悪党でも、人
387
を殺すことはしたくなかった。ただ、﹃これは戦争、非情になれ﹄
と頭の中で反芻させた。
﹁では、頼みますよ、センテュリオ﹂
﹁承知した﹂
召喚されたままのセンテュリオはそのままウェスターの指示した
場所まで移動しようとする。だがその時、妙な輝きが蒼霊砲の高峰
に集まる。
その前方にいたセトルたちはそれが何なのか見えていた。蒼霊砲
から伸びる一つの巨大な砲。そこに光が集まっている。主砲の一本
だということがすぐにわかった。
大気が震え、その空気が肌にビリビリと何かを訴えている。
? ? ?
﹁︱︱準備完了﹂
アルヴァレスは蒼霊砲の最上階から戦場と化している大地を見下
した。
﹁早速王都を狙ってもいいが、まずは邪魔者の巣であるソルダイか
ら見せしめに潰しておくか﹂
不気味な笑みを浮かべ、アルヴァレスは最後のボタンを押した。
388
064 ︽鬼人︾のゼース
一瞬、辺りがすごく静かになった。
時間が止まったような、そんな感じだった。
蒼霊砲の砲口に超巨大な霊術陣が出現。光がその中央の一点に集
中し、次の瞬間、凄まじい轟音と共に一本の青白い光の線が夜空を
二つに割った。
それはほんの一瞬で、大抵の人には何が起こったのかわからなか
っただろう。それはセトルたちも同じである。ソルダイの方が爆発
したことに気づいたのも少し経ってからだった。
﹁ソルダイが!?﹂
セトルは振り向いて叫んだ。火山が噴火したようなどす黒い爆煙
が噴き上げている。今のソルダイがどんな状態か想像しようとすれ
ばできたが、考えたくなかった。
﹁大丈夫だ、セトル。今ソルダイには誰もいないはずだ﹂
﹁うん⋮⋮﹂
動揺しているセトルを落ち着かせるようにアランは言うが、それ
はセトルも知っていることだ。こうなることを予想して、ワースが
先に手を打っておいたのだ。むしろ、蒼霊砲のあの威力に驚いてい
る方が大きい。
﹁三人は間に合わなかったみたいね﹂
冷や汗がシャルンの頬を流れた。その時︱︱
﹁みんな、あれ見て!﹂
叫んだサニーが蒼霊砲の方を指差した。光が集い、もう次の発射
ここ
準備に取り掛かっている。四人は今までにない危機を感じた。恐ら
く、次に狙われるのは戦場だ。
﹁あーもう! これやばいじゃん、どうすんのよ!﹂
﹁とにかく走るんだ! アルヴァレスさえ倒せば蒼霊砲もこれ以上
撃たれない!﹂
389
セトルはそう言い、走ろうと足を動かした。だが、残念ながらす
ぐに止まることとなった。サニーの肩の上でザンフィが前方を威嚇
する。
岩の陰から一人の青年が姿を現し、四人の前に立ち塞がった。
﹁よう!﹂
﹁ゼース!﹂
シャルンが憎々しく歯をギリッと言わせる。あの金髪、頬の刺青、
血のように赤いコート、忘れはしない。あの男はシャルンにとって
家族の仇である。
﹁シャルン、落ち着け﹂
﹁わたしは大丈夫よ、アラン﹂
彼女は一度、アランを向いて微笑んだ。冷静さを失って飛びかか
るかと思ったが、意外と落ち着いているようだった。
﹁何だ、やっぱりウェスターの野郎はいねぇのか﹂
周りを見回し、ゼースはつまらなそうな顔をして言ったが、次に
や
はそれを酷薄な笑みに変えて突きつけるように指を差した。
﹁まあいい。奴がいたらめんどいからな。俺が一番殺りてぇのは、
そこのハーフとアルヴィディアンだ﹂
シャルンは、今度こそ敵を、というようにトンファーを握ってい
る手に力を込めた。
﹁四人まとめてきやがれ。ぶっ殺してやるからよ!﹂
ゼースは挑発するように武器の爪の一本をくいっとさせた。アラ
ンが鼻を鳴らす。
﹁てめぇ一人で俺ら四人に勝てると思ってんのか?﹂
﹁当たり前だ。キサマらごときに俺が負けるわけねぇ!﹂
ゼースは自分を過剰評価している。いや、そうかもしれないが、
実際にゼースは強い。
﹁前に負けたじゃん⋮⋮﹂
サニーがぼそっと呟くが、前に戦ったとき、あれが本気ではなか
ったとしたら⋮⋮。セトルは気を引き締めてゼースを睨む。
390
﹁あなたはどうしてアルヴァレスに協力してるんですか?﹂
レーヴァテインを構え、いつでも斬りかかれる状態でセトルは訊
く。
﹁へっ、別に全面的に協力しちゃいねぇよ。俺はただ、奴について
いたらより強ぇやつをぶっ殺せると思っただけだ。ま、いずれアル
ヴァレスの野郎も俺が殺してやるがな!﹂
ゼースが動いた。
﹁来るわ!﹂
シャルンが叫ぶ。ゼースは身を低くして走る。
﹁だからてめぇらはここで死んどけ!﹂
速い! ゼースの大きく広げた五本の爪がアランの顔を掴むよう
に迫る。よけきれない!
だが、何とかセトルが間に合い、霊剣で爪を上に弾いた。右手が
上に上がり、ゼースに隙ができる。すかさずアランが長斧を振るう
が、余った左手でそれを止められる。
﹁おらぁ!﹂
ゼースはそのまま長斧を掴むと、片手でアランごと持ち上げ、回
転して投げ飛ばした。セトルもそれに巻き込まれ一緒に吹き飛ぶ。
﹁ゼース!﹂
シャルンが迫り、そのトンファーがゼースの脳天をかち割らんと
ばかりに振り下ろされる。ゼースはそれを余裕に躱すと、両手の爪
をクロスさせるように振り下ろし、シャルンを斬り裂いた。血が飛
散する。しかし、傷は深くはないようだ。彼女は咄嗟に後ろへ飛ん
で致命傷を避けていた。
もちろんゼースが追い打ちをかけないわけがなかった。彼女がま
だ生きているとわかると、すぐに飛びかかって右手の爪を大きく振
そうはひれんじん
り翳す。そこへ︱︱
﹁︱︱双破飛連刃!!﹂
セトルの霊剣が大上段から振り下ろされる。それに気づいたゼー
スは超反応と言える速度でそれを躱す。しかし、セトルの技はそれ
391
で終わりじゃない。次の振り上げと同時に、裂風がゼース目がけて
ヒール
駆ける。よけきれず、ゼースの左肩から血が噴き上げた。その間に、
サニーの治癒術がシャルンを治す。
﹁くそがあぁぁぁ!﹂
めつりゅうざんこうけん
キレたゼースは額に血管を浮かべ、セトルに飛びかかる。
﹁︱︱滅竜斬煌拳!!﹂
ゼースの体が輝くと、一瞬その姿を見失った。二度、何かが通り
抜けた感じがしたあと、再びゼースは目の前に現れた。
次の瞬間、セトルは鮮血を噴き上げて崩れる。
﹁え!?﹂
セトル本人にも何が起こったのかわからなかったようだ。少しし
て自分が斬られたことに気づく。
﹁てめぇ!﹂
すぐにアランが駆け寄って横薙ぎの一閃を放つ。だが、ジャンプ
でそれを躱され、その状態から蹴りをくらい、アランは背中から倒
された。
﹁フン、てめぇら全員、灰になりやがれ!﹂
叫ぶと、ゼースを中心に大規模な赤い霊術陣が広がる。今は皆に
逃げる余裕などなかった。セトルに関しては、意識はあっても動け
る状態じゃない。何の躊躇もなく術を唱えるゼースは笑っていた。
楽しそうに笑っていた。
﹁パイロクラ︱︱!?﹂
ゼースは唱え終わろうとした瞬間、足下から暗黒が立ち昇った。
シャルンの方が一瞬だけ速かった。暗黒はゼースを包み込み、術を
中断させることに成功した。
﹁くそがあぁぁぁぁぁ!!﹂
ゼースの悲鳴に近い叫び声が上がる。だが、こんな程度では倒れ
ないことは承知である。
﹁サニーは早くセトルを治してあげて! アラン、わたしに力を貸
して!﹂
392
﹁うん。セトル、今すぐ治すから!﹂
シャルンに頷き、サニーはセトルの元へと駆け寄る。アランも、
わかった、と言い、彼女の前に立ってゼースと向き合わせた。
﹁行くわよ﹂
シャルンはアランが配置についたのを認め、両手のトンファーを
くるくると回しながら唱え始める。
﹁︱︱深き闇、虚無の彼方より現れん!﹂
黒いオーラのようなものがアランを纏った。同時に、凄まじいエ
ネルギーを彼は体全体で感じる。連携、前までのシャルンではでき
なかったことだ。
﹁死滅の刃、今ここで彼の者を貫く魔槍とならん!﹂
暗黒から抜け出たゼースは、目の前の光景にたじろいだ。恐怖さ
え覚えた。長斧だったアランの武器は巨大な黒い槍に変わり、宙に
浮いてこちらに狙いを定めている。
﹁︱︱デス・スピア!!﹂
﹁︱︱デス・スピア!!﹂
よけなくては、とゼースは思ったが、まだ動けるはずの体が動か
ない。こんなことは初めてだった。初めての恐怖。目の前の魔槍は
それをゼースに与えた。
魔槍が迫る。
﹁くそ! 動け! チクショウゥゥゥゥゥ!!﹂
凄まじい衝撃が走った。皆は思わず腕で顔を庇い、その瞬間を見
届けることはできなかった。
ゆっくり目を開くと、そこには血を流して倒れているゼースと、
アランの長斧がその傍に落ちていた。
アランは恐る恐る近づいて武器を拾う。シャルンが、もう動かな
いゼースに見て言う。
﹁やっと、やっと仇⋮⋮討てた﹂
その瞳は僅かに涙で潤んでいた。
﹁シャルン﹂
393
サニーがセトルと一緒に歩み寄って言う。セトルの傷は治ったが、
少し休む必要がありそうだ。
﹁先に進もう﹂
だが、セトルは休もうとはしなかった。誰もが無理をしているの
だとわかった。だからアランが、
﹁いや、少し休もう。俺たちももうくたくただ﹂
と気を利かせる。するとセトルは仕方ないといった様子で、わか
った、と頷く。でも流石にここで休憩するわけにはいかないので、
場所を移すことにした。
その時、再び蒼霊砲に眩い不気味な光を放つ超巨大な霊術陣が現
れた。二発目だ!
﹁しまった!?﹂
それを見上げ、セトルは叫んだ。光が収束し、轟音と共に放たれ
る。光の線は放たれたあと、不自然に曲がって戦場へと突っ込んで
くる。
周囲が光に呑み込まれる。セトルたちは死を覚悟した。
痛みはなかった。一瞬で消え去れば、そんなものは感じないのだ
ろうか。
﹁セトル! おい、セトル!﹂
アランの声が聞こえる。幻聴? ではないようだ。セトルはゆっ
くりと目を開くと、アランが覗き込んでいた。
﹁アラン、一体⋮⋮﹂
上半身を起こし、辺りを見回す。サニーとシャルンが気を失って
いるだけで、他は特に変わってはいなかった。やがて彼女たちも起
き上がる。
﹁見てみろ﹂
と、アランが顎をしゃくった。セトルたちは言われた通り空を見
上げる。夜なのに、空は昼よりも明るかった。
﹁あれは⋮⋮﹂
蒼霊砲の光線が途中で停止している。いや、何らかの力によって
394
止められている。八方向から集まった様々な色の光がそれを受け止
めていた。すぐにわかった。あれは精霊の光。ウェスターたちが間
に合ったのだ。
両者の光は、互いに打ち消し合って弾け飛んだ。
﹃もうあれは撃たせん。早く行くがよい﹄
センテュリオの声が頭に響いた。辺りを探したが、どこにもいな
い。恐らく、遠くからそう言ってきているのだろう。
同時に優しい光が体を包むと、力が漲ってきた。不思議と疲れも
取れていた。
﹁ありがとうございます、センテュリオ!﹂
セトルたちは、どこにいるともわからないセンテュリオに礼を言
って、走り始めた。
﹁これで一安心だね﹂
サニーが微笑んだ。
ガーディアン
今のことで、多くの敵味方両方の人たちが気を失ってあちこちに
倒れている。その方がいいだろう。だが、守護機械獣だけは動いて
いて、セトルたちの行く手を阻む。それらを蹴散らしながら、セト
ルたちは前へと進んだ。
395
065 巨像
遂に蒼霊砲の前まで辿り着いた。
白く高い塀がぐるりと囲んでいて、セトルたちはそのぽっかり開
いた入口の前で立ち止まっていた。奥に見える観音開きの巨大な扉
は、来るなら来い、というように全開している。
辺りに敵の姿はない。それどころか、異様に静かすぎる気がした。
一番乗り︱︱ではないようだ。戦闘の跡と、何人かが中に侵入し
たような跡が残っている。
﹁行こう!﹂
セトルがそう言って一歩踏み入れた。すると︱︱
﹁みんなー!﹂
と敵に見つかってしまいそうな大声が聞こえた。
﹁しぐれ!?﹂
振り向くと彼女が手を大きく振りながら走ってきている。その後
ろにはウェスターとノックスが続く。
﹁何とか間に合ったようだね﹂
ノックスは走ってきたためか、少し息を切らしているが、ラッキ
ーと言うように笑っていた。
﹁セイルクラフトは?﹂
サニーは三人が走って現れたことに首を傾げた。眼鏡の位置を直
し、ウェスターが答える。
﹁途中で降りました。やはりレランパゴなしではスピードや安定感、
持久、全てにおいて劣ってしまいます。乗ってきたら撃ち落とされ
てたでしょうね﹂
そう聞くと、やっぱり精霊はすごいんだなとセトルは思った。そ
して、何にせよ三人とも無事だったことにセトルたちは安心した。
﹁あ、そうだ!﹂思い出したようにアランが言う。﹁途中、ゼース
とやりあって、とりあえず倒して来たぜ!﹂
396
﹁それやったらうちらもロアードっちゅう奴と戦ったわ﹂
誇らしげにしぐれも言う。
﹁ふむ、︽鬼人︾のゼースに︽重鎌︾のロアード、ひさめは捕虜に
なってますから残りの四鋭刃は︱︱﹂
﹁︽蒼牙︾のルイスですね﹂
セトルが後を引き取ると、シャルンが聳え立つ蒼霊砲を見上げて、
ルイス、と呟く。彼女の仇討はまだ終わってないのだ。ゼースは家
族の仇だったが、ルイスは相棒だったソテラを目の前で殺した男だ。
少し空気が重くなった。
恐らく、彼は実力だけでいえば四鋭刃の中でも一番強いと思われ
る。セトルは少し剣を交えたこともあり、それを強く感じた。次戦
えば、流石に彼も本気でくるだろう。
サニーがパンと手を叩き、
﹁はい、情報交換終わり! さっさと行って、さっさと終わらせる
わよ!﹂
と重い空気を振り払うように言った。そうだね、とセトルは頷き、
今度こそ蒼霊砲の敷地内に一歩足を踏み入れ、皆もそれに続いた。
開いた扉の前まで来ると、向こうからドシンという巨大な何かの
足音と大きな機械音が聞こえてきた。
﹁な、何だ!?﹂
セトルたちは立ち止って身構えた。
︵何かが来る!︶
そう思った時、赤く光る目のようなものが向こうに浮かんだ。そ
ガーディアン
れが目の前に現れた時、皆は驚愕して思わず後ずさってしまう。
それは小山のように大きい守護機械獣だった。蒼霊砲の巨大な扉
をぎりぎり通れるか通れないかだ。それが外に出る時、詰まったと
ころの壁が破壊された。
頭部から直接巨大な手足を生やしているような形状で、その頭部
は二枚貝のような肩当てに覆われていて、まるで真珠のようだ。四
本の鬚みたいなものがあり、それが不規則に動いている。
397
コロサス
﹁﹃巨像﹄⋮⋮とんでもないものが出ちゃったね﹂
あはは、とノックスが無理に笑うが、とても笑える状況ではない。
生身の人があんなものに勝てるのか。まず無理だろう。
﹁おいおい、こりゃやべぇんじゃね?﹂
アランは汗がどんどん冷えていくのを感じた。
﹁どうにか躱せないかな?﹂
セトルはダッシュしてコロサスの股をくぐろうとした。だが、赤
い目のようなものが光ったと思うと、そこから光線が発射され、セ
トルの行く手を遮った。
﹁うわっ! ダメだ⋮⋮﹂
セトルが皆のところまで下がると、コロサスも動き始めた。一歩
歩くたびに、地震が起きたように地面が揺れる。
コロサスの巨大な腕が振り下ろされる。皆はさらに後ろへ下がっ
てよけた。腕の先端は鉤爪のようになっており、それが地面を深く
抉った。あれの攻撃を一度でもくらうと、即死は免れないだろう。
﹁困りましたね﹂
﹁ウェスター、何かいい手はないのかよ!﹂
﹁アランが囮にでもなっていただけるのなら、我々だけは抜けるこ
とができるかもしれません﹂
﹁じょ、冗談じゃねぇ﹂
アランは首を大きく振って拒否した。囮=死であることは間違い
ないのだ。
コロサスの両目から光線が放たれるのを躱し、振るわれる腕から
逃げ、踏みつぶされないように走る。隙を見て剣撃をくらわすも、
セトルのレーヴァテインでやっと傷がつく程度だ。霊術にしても、
ほとんど効いているようすが見られない。すると︱︱
﹁さっきの話だけど、ボクが囮になるよ﹂
何を思ったのか、ノックスがそう言ってきた。
﹁でも、それじゃあノックスさんが⋮⋮﹂
セトルが振り向くと、彼はいつもの笑みを浮かべていた。
398
﹁何か考えがあるの?﹂
とシャルン。
﹁パターンが読めてきたんだ。ボク一人なら囮になった上で逃げら
れるさ﹂
﹁だけど⋮⋮﹂
セトルはそう言いかけてそのあとの言葉に詰まった。そして、そ
れ以外にこの状況を打破することができそうにないとわかった。他
にも方法があるかもしれないが、それを考えている余裕などない。
もう彼に頼むしかないのだ。
﹁⋮⋮わかりました。ここはノックスさんに任せます﹂
﹁セトル!?﹂
サニーとアランが同時に叫んだ。すると、ウェスターが眼鏡のブ
リッジを押さえ、
﹁今はそれしか方法がありませんよ﹂
と言う。サニーはすがるような目でセトルを見る。セトルは彼女
の視線を受け止めつつ、彼女にまっすぐ視線を向けた。
﹁ノックスさんを信じよう、サニー。僕たちは何としてもアルヴァ
レスを止めないといかないから﹂
そう言われては、二人とも納得しないわけにはいかなかった。二
人がしぶしぶ頷くと、しぐれがノックスに向かって言った。
﹁あんたのこと嫌いやけど、後味悪いから死なんといてな﹂
﹁心配しなくても大丈夫さ。この天才を失うことは世界の大損だか
らね♪﹂
愉快そうに笑うノックスには、しぐれだけでなくこの場の全員が
嘆息した。しぐれが呆れたように言う。
﹁せやな。あんたは殺したって死なへんやろうから、心配するだけ
損や﹂
するとノックスの笑顔が少し焦ったようになる。
﹁あーでも、心配してくれたって大いに構わないよ﹂
どっちなんだ、とセトルは思った。そして︱︱
399
﹁ではいきますよ!﹂
ウェスターの号令に皆は頷き、一斉に走り出した。セトルはもう
一度コロサスの股を、サニーたちはその脇を駆け抜けようとする。
それを感知したコロサスは攻撃を開始する。だが、邪魔される前に
ノックスが霊導銃でコロサスの頭部を撃つ。コロサスは攻撃された
時、その攻撃者を優先して狙うようだ。そのことにノックスは気づ
いていた。そして思った通り、コロサスはセトルたちを無視して彼
の方にその重量な足を動かした。
何度も何度も銃が吠える。ほとんど効いてはいないが、確実に蒼
霊砲から引き離している。
セトルたちは振り返らず、蒼霊砲内に突入した。
︵さてと︶
ノックスはそれを認めると、身を翻して逆走した。後ろからコロ
サスが追いかけてくる足音が響く。あれは死の足音だ。捕まれば、
それで終わりである。
何か考えがあるように、ノックスは一直線に平原を駆けた。
? ? ?
︱︱時と場所は少し戻る。
大岩に血のついた手が強く押しあてられる。そうやって体を支え、
所々破れたボロボロの赤いコートを纏った青年は血反吐を吐いて、
怒りに満ちた目を前に向けていた。
﹁クソが⋮⋮このままで終わるかよ⋮⋮﹂
コートの袖で口を拭き、青年は一歩一歩向こうに見える塔を目指
して足を進めた︱︱
? ? ?
﹁ワース師団長!﹂
400
独立特務騎士団の西側拠点。ワースは外に出て戦火が広がる平原
を見ていた。
﹁どうした?﹂
﹁はい。たった今、独立遊撃隊第十二小隊が蒼霊砲突入に成功した
と報告がありました﹂
セトルたちのことだ。ワースは微笑みそうになったのを抑え、威
厳を保ったままの瞳で報告してきた部下を見た。
﹁わかった。ではオレも出る。アイヴィとスラッファにそう伝えろ﹂
言うと、部下は敬礼して踵を返し、そして走って行った。
ワースは天を仰いだ。夜明けがもうすぐそこまで来ている。
彼は、何か決心がついたような顔をしていた。
401
066 ︽蒼牙︾のルイス
蒼霊砲内はセトルのような田舎者から見ても驚くべき技術ででき
ていることがはっきりとわかった。
いくつもの部屋には必ず何らかの装置がある。そのモニターには
わけのわからない図形が並んでいたり、青い点滅する光が円運動し
ていたりする。扉は全て自動で暗号か何かでロックされている部屋
もあったが、その奥からは人の気配はない。
タマゴの殻のように繋ぎ目が全くない壁に背を預け、T字の曲が
り角の向こうに敵がいないか確認し、いないとわかるとそのまま身
ガーディアン
を乗り出して走った。
流石に守護機械獣がうようよしていた。途中、何人かの味方が倒
れ、事切れているのを見た。それでもセトルたちは止まらずに先へ
進んだ。
階段や転移霊術陣のようなものはなかった。見つけたのは昇降機
だった。そういうのは途中で止められる可能性があるため、乗るか
乗らないか迷った。
でも乗った。それしか道がなかった。
幸い、止められることはなくだいぶ上まで登った。次の昇降機を
探している途中に大きな部屋に出た。向こう側に昇降機がある。中
央に巨大な柱のような装置があり、七・八階分くらいある天井まで
ずっと伸びている。
その前で誰かが戦っている。あれは︱︱
﹁ルイス!?﹂
だった。周りには五人ほどの味方が血を流して倒れている。立っ
ているのは三人。どうやら先に乗り込んだ一個小隊の生き残りのよ
うだ。だが、彼らもすぐに床に倒れ伏すこととなる。
ルイスの大剣が唸りを上げると、三人とも同時に血を噴き出しな
がら吹き飛んだ。その内の一人、隊長と思われる人がセトルたちの
402
前まで飛んできた。
﹁大丈夫ですか!?﹂
セトルが呼びかけるが、彼はもう生気のない目をしていた。そし
て最後に、化け物、とだけ呟いて事切れた。
﹁話にならんな﹂
返り血を浴びてもほとんど無表情なルイスをセトルは睨んだ。剣
についた赤い液体を払ってルイスは一度それを鞘に納めた。
﹁今度はお前たちか。退き返すなら見逃してやるぞ?﹂
﹁へっ、誰が!﹂
アランが吐き捨てる。
﹁まあそうだろうな。こいつらにも同じことを言ったが、この通り
だ。どの道ウェスター・トウェーンには精霊結界を解除してもらわ
ないといけない。ここで死んでもらおう﹂
ガーディアン
ルイスがそう言った途端、二つの霊術陣が出現し、そこから刃で
できた牙を持った豹のような守護機械獣が二体現れた。
﹁﹃レオパード﹄だ。流石にお前たち全員を相手にするには俺一人
ではきついからな﹂
ルイスは無表情だった顔に酷薄な笑みを浮かべる。その両隣で二
ガーディアン
体のレオパードが唸る。呼び出されたのがコロサス級のものでない
ことに安心したかった。だが、あの守護機械獣も相当レベルの高い
ものには違いない。安心はできない。
﹁ルイス、ソテラの仇だ!﹂
シャルンが吠える。ゼースの時よりかなり興奮しているようだ。
彼女にとって、ソテラは家族であり、それ以上の存在だったのだろ
う。
﹁ソテラ? ああ、あの時のハーフか⋮⋮そうか、やはり死んだの
だな﹂
意外にも、ルイスは一瞬だけ悲しい目をした。彼は人が死ぬとい
うことを理解しているのかもしれない。もしそうだとしたら、なぜ
アルヴァレスの下でこんなことをしているのか、謎だった。初めて
403
会ったときとは随分印象が違う気がした。
それでも、戦うことになったら彼は容赦しないだろう。
﹁お前が、お前が殺した⋮⋮﹂
﹁ああ、わかってる﹂
シャルンはうなだれ、今にも泣いてしまいそうな声で言うと、ル
イスは腕を組んでそれを簡単に認めた。
﹁ちょっと、シャルン、落ち着いてよ!﹂
サニーが彼女を落ち着かせようとするが、もうそんな言葉は聞こ
えていないようだ。シャルンは素早くトンファーを握ってルイスに
飛びかかった。
しかし、レオパードの一体が道を塞ぎ、彼女目がけて突進してく
る。彼女は刃の牙をトンファーで受けたが、そのまま弾き飛ばされ
てしまった。床に叩きつけられる寸前にアランが彼女を受け止める。
﹁大丈夫か?﹂
﹁⋮⋮ごめん﹂
シャルンはすぐに立ち上がった。今ので彼女は少し冷静さを取り
戻したようだ。そこにレオパードが二体とも突進してくる。片方を
しぐれが、もう片方をセトルが相手をする。
まともに組み合えば力負けする。二人とも攻撃を躱しながら斬り
つけた。だが、機械でできた体に刃はあまり効果がない。
ガーディアン
普通はそうだが、セトルのレーヴァテインは違った。コロサスに
は効かなくても、この程度の守護機械獣ならその辺の魔物となんら
変わりなく斬れる。セトルが一閃するたび、レオパードからおかし
な機械音が発せられる。と︱︱
﹁!?﹂
セトルが気づいた時にはルイスの大剣がもうすぐそこまで迫って
いた。その振り下ろしを紙一重で躱し、セトルは霊剣を横に薙いだ。
ルイスはそれをよけずに籠手で受け止め、突きの姿勢をとってセト
ルの顔を狙った。一撃で顔が変形する勢いだ。セトルは反射的に体
を反らして躱す。そしてバックステップでルイスから距離をとると
404
飛刃衝を放った。ルイスは迫りくる裂風をよけることができなかっ
た。だが、セトルに傷つけられたレオパードが間に入り、ルイスの
盾となって崩れた。
﹁︱︱澄み渡る明光、壮麗たる裁きを天より降らせよ、ディザスタ
ー・レイ!!﹂
サニーが唱えると、頭上に大きな光球が出現し、そこから無数の
光線が四方八方に放たれる。それはルイスの楯となったレオパード
を消滅させ、また、しぐれが引きつけていたもう一体の胴体を貫通
する。中の機械が剥き出しになり、レオパードの動きが鈍る。すか
ひょうか
さずしぐれがそこに苦無を投げた。
アイススピリクル
﹁︱︱忍法、氷華!!﹂
氷霊素を付加させたそれはレオパードの内部から凍結させ、あっと
いう間にレオパードを包む氷の花を形成し、綺麗に砕ける。
何本もの光線がルイスを襲った。だが、彼は三本をよけ、二本を
大剣で弾き、そして一本の光線を両断した。
光線の雨が止んだと思えば、今度はルイスの足下に赤い霊術陣が
現れ、小規模な爆発を起こす。ウェスターのクリムゾンバーストだ。
普通はよけられそうにないタイミングだったのだが、ルイスはそれ
も難なく躱してしまった。レオパードが二体とも倒されてしまった
のにも関わらず、彼の表情にはまだ余裕に似たものがあった。
そこにアランの長斧が振り下ろされる。さらにシャルンがルイス
がれんだん
の背後をとった。
﹁牙連弾!!﹂
トンファーによる打撃が連続して繰り出される。しかし、アラン
の長斧は左手の籠手をはめた手で止められ、シャルンのトンファー
ぜっとうひょうれんか
は全て大剣で器用に防がれた。そして︱︱
﹁︱︱絶刀氷蓮華!!﹂
アランの長斧を床に叩きつけ、ルイスは一回転しながら大剣を振
り、二人を薙ぎ払う。さらに大剣を床に突き立てるようにし、そこ
から生まれた尖った氷の塊が周囲に飛散した。それは追い打ちをか
405
けるように二人の体を傷つけ、鮮血を流させた後、消滅した。
しぐれがその氷を忍刀で弾きながら突っ込む。そして忍刀を脇に
固めるようにし、自身が一本の槍となった。だが、またしてもルイ
スはそれを防いだ。大剣の腹で忍刀を受ける。そしてそのまま何か
を唱え始めた。
﹁貫け! ︱︱アイシクルファング!!﹂
無数の巨大なつららがしぐれだけでなく、セトルたちにも襲いか
かる。これは彼がソテラを殺した時の術だ。しぐれは咄嗟にその場
から離れ、ルイスの目の前にその氷柱が突き刺さる。当然のことだ
が、彼は眉一つ動かさなかった。
セトルたちもつららの攻撃を必死によけていた。さっきまでいた
所にそれが突き刺さったかと思うと、また頭上から襲いかかってく
る。
サニーの足につつらが掠った。小さな悲鳴を上げて彼女は転倒す
る。と、そこに別のつららが襲いかかる。サニーはもうだめだと思
ったが、間一髪でしぐれが間に合い、忍刀でそれを反らして彼女を
助けた。
﹁あ、ありがとう﹂
﹁ええて。それより、立てる?﹂
サニーは頷き、しぐれの力を借りて立ち上がった。
セトルはよけながらルイスとの間合いを縮めていった。術を発動
中のルイスは別の攻撃ができない。術が終わった瞬間、セトルは一
気にダッシュした。
ルイスに隙はなかった。術の直後にも関わらず、横薙ぎの一閃で
セトルを迎える。セトルはジャンプで躱し、巨大な柱を蹴ってさら
に高く飛んだ。そして落下のスピードを加えて霊剣を頭の後ろに引
き絞り、振り下ろす。
ルイスは大剣を両手で支えてそれを受けた。激しい激突音と、青
白い光の火花が飛び散る。すると︱︱
︱︱パキン! ︱︱
406
ルイスの大剣がセトルのレーヴァテインに打ち負け、刃の半分が
折れてしまった。それだけではなく、セトルの霊剣はルイスの胴体
を斬りつけた。しかし、浅かったのかそれほど血は出ていない。
﹁今だ! シャルン!﹂
セトルが叫び、ルイスが振り向いたときにはもうシャルンが目の
前まで迫っていた。彼によけたり、防いだりしている暇はなかった。
右のトンファーが胸部に打ち込まれる。それだけでルイスは呻き、
刀身が半分ない大剣を落とした。まだ彼女の猛攻は終わらない。左
右のトンファーが交互に襲い、そこに蹴りも加わってくる。一撃一
フレアスピリクル
撃に彼女の怒りが込められていた。徐々に熱くなっていく。いつの
間にか火霊素が彼女の全身を包んでいた。トンファーに炎が灯る。
打ち込むたびに小さな爆発のようなものが起こる。そして彼女はし
ゃがむと、今までで一番大きな爆発と共に、顎を砕かんばかりの勢
とさつこうえんぶ
いでルイスを高く打ち上げた。
﹁︱︱屠殺荒宴舞!!﹂
ルイスは床に叩きつけられて血を吐いた。が、驚くべきことにル
イスは立ち上がった。そしてバランスを保てなかったのか、ぐらつ
き、柱に手をついて体を支える。息が荒く、目は虚ろだ。必死に自
我を保とうとしているように見える。武器は、傍に落ちている折れ
た大剣のみ。
﹁あきらめなさい。あなたの負けです﹂
ウェスターが彼の前に立ち、いつでも槍を突きつけられるように
して言う。すると、ルイスはフッと口元に自嘲するような笑みを浮
かべた。
﹁そのようだ。剣も折れたしこの体、俺の負けだ﹂
彼は素直に認めた。だが、彼が生きていてはシャルンの気が済ま
なかった。
﹁とどめを﹂
と彼女はトンファーを振り翳す。しかし、それをウェスターが手
で制した。
407
﹁待ってください。一つだけ訊いておくことがあります。ルイス、
アルヴァレスはどこにいますか?﹂
今まで何となく上へ上へと昇ってきたが、アルヴァレスが下にい
るようならこれ以上昇る必要はない。ルイスは黙ったまましばらく
ウェスターを見たが、やがて口を開いた。
﹁⋮⋮最上階のコントロールルームだ。移動してなければそこにい
る﹂
言うと、ルイスの体がふらついた。だが、まだ倒れることはしな
い。
﹁それと、ここから二つ昇ったところに︽リフレッシャー︾がある。
それで傷が治るはずだ﹂
﹁ほう、なぜそのようなことを敵である私たちに教えるのです?﹂
怪訝そうにウェスターは眼鏡のブリッジを押して訊く。
﹁さあ? 自分でもよくわからないな﹂
﹁罠か?﹂とアラン。
﹁そう思うなら、そのまま行って死ぬといい⋮⋮﹂
そこまで言うと、ルイスは力なく笑って今度こそ倒れた。もう意
識はない。皆が顔を見合わる。
﹁とりあえず行ってみたらええやん? 何か、嘘ついてるようには
見えへんかったし﹂
﹁そうだね﹂
しぐれが言うと、まずセトルが頷き、続けて皆も同意した。
だが、シャルンは無言でトンファーを振り上げていた。今、彼女
の脳裏にはソテラが死んだときのことが鮮明に蘇っている。別に躊
躇っているわけではないが、振り上げたままその手を止めていた。
アランがその手を掴んだ。
﹁アラン、放して!﹂
だが、彼はゆっくりと首を横に振った。
﹁もうそいつは放っておいても死ぬ。そうだろう?﹂
﹁でも⋮⋮こいつはソテラの⋮⋮﹂
408
彼女はうなだれ、その声は今にも泣きそうに震えていた。本当は
人を殺したくない。そんな感情が自分の中にあったことに、彼女は
今さらながらに気づいた。
﹁もう行きましょう。いいですね、シャルン?﹂
ウェスターが彼女を見てそう促す。彼女は何も答えなかったが、
それが答えだった。
﹁シャルン⋮⋮﹂
セトルは目を閉じた。そして昇降機の方に踵を返し、歩きだす。
サニーたちがそれに続き、アランと、その後ろに隠れるようにして
シャルンが最後尾を歩いた。途中、サニーが振り向くが、アランの
大きな背に隠れたシャルンの表情はわからなかった︱︱。
六人と一匹は昇降機に乗って上へと上がって行った。この巨大な
空間には、数人の死体だけが残された。
﹁へっ、ルイスの奴、くたばったみてぇだな﹂
その時、赤いコートを着たボロボロの青年が部屋に入った。
ゼースだった。彼はこの惨状を見て嘲るように笑った。彼は倒れ
ているルイスの前まで歩み寄ると、冷酷な目線でルイスを見下した。
﹁う⋮⋮﹂
すると、ルイスが呻いた。そしてゆっくりと目を開き、目の前に
立っている男の姿を認める。
﹁ゼース⋮⋮﹂
﹁何だ。まだ生きてたのか。しぶといやつだな﹂
﹁フン、お互い様だ﹂
ルイスは上半身を起こしてそう言うと、ゼースは、そりゃそうだ、
と笑った。そして、
﹁掴まれ﹂
と手を差し出す。ルイスはきょとんとして目を瞬いた。彼が自ら
手を差し出すようなことは今までなかったし、そういうやつだとも
思っていなかった。
少し警戒したが、ルイスはそっと彼の手を取ろうとした。だが︱︱
409
﹁!?﹂
ルイスは一瞬にして全身を斬り裂かれた。バッと鮮血が周りに飛
び散る。悲鳴も上げず、彼はその場に突っ伏した。
﹁わりぃな。俺、お前嫌いなんだよ﹂
哄笑し、ゼースは血のついた爪を嘗めた。そして昇降機の方へと
歩いていく。
﹁あのクソどもは俺が殺す。そしてそのあとはアルヴァレスの奴だ
!﹂
もう動かないルイスに背を向けたまま、ゼースは高笑いを始めた。
と︱︱
﹁がっ!?﹂
何かが体に突き刺さる感じがした。見ると、折れていたルイスの
大剣の刀身がゼースの背中から突き刺さり、貫通していた。血を吐
き、ゼースは振り返った。
そこには、大量の血を流しながらも、ルイスは刀身を投げたまま
の格好でゼースを睨んでいた。
﹁この⋮⋮屑野郎⋮⋮が⋮⋮﹂
ゼースはどさりとその場に倒れ、事切れた。
﹁あの人は俺の恩人だ。キサマにあの人と戦う資格は⋮⋮ない。︱
︱フフフ、もしかしたら俺は⋮⋮あの人を⋮⋮止めたかったのかも
な⋮⋮﹂
そしてルイスの命の火も消えた。
410
067 ノックスの策
しょうらいばくげきじん
﹁︱︱招雷爆撃陣!!﹂
ガーディアン
凄まじい轟音と共に、何体もの守護機械獣が吹き飛び、破損し、
動かなくなった。
﹁これで全部倒したな﹂
ガーディアン
海に近い平原。そこでザインとハドム、それと数人の自由騎士団
員が守護機械獣の群れに囲まれていたが、たった今それらを倒した
ところだった。
﹁ザイン様、お怪我は?﹂
﹁ああ、大丈夫だ﹂
事務的に訊いてきたハドムにザインは答えた。そして皆を見回す。
﹁さあ、我々も蒼霊砲へと急ぐぞ。セトル君たちはもう突入したら
しいからな﹂
ザインはまだ遠くに見える白き塔を見た。夜が明けかけているた
め、だいぶはっきりと見える。すると、その前に巨大な影がうごめ
いた。
﹁何だ、あれは?﹂
ガーディアン
ザインは目を凝らしてじっとその影を見詰めた。そして、それが
巨大な守護機械獣だということを理解した時には、それはもう目と
鼻の先まで迫っていた。
誰かが来る。あれに追われているようだ。頻繁に銃を撃ち、あれ
を誘導しているようにも見える。
﹁やあ、こんなところで奇遇だね﹂
﹁ノックス殿!?﹂
驚いてその名を口にしたのはハドムだった。ザインも表情は変え
ガーディアン
ていないが、驚いている。彼はウェスターたちと一緒だったはずな
のに、なぜこんなところに。そしてなぜあの巨大な守護機械獣に追
われているのか。二人は不安になった。他の隊員たちはあれに対し
411
て別の不安と恐怖を抱いていた。
﹁あれは一体⋮⋮いや、それよりもウェスターたちは?﹂
﹁それには心配及ばないよ、ザイン隊長﹂ノックスはこんな状況に
も関わらずニコニコした笑顔を見せる。﹁ウェスター君としぐれ君
コロサス
ガーディアン
は独立遊撃隊第十二小隊と合流して今は蒼霊砲の中さ。因みにあれ
は﹃巨像﹄っていう守護機械獣だよ﹂
コロサス
それを聞くと、ザインたちはホッとした。だが、安心している場
合ではない。あれ︱︱巨像は地響きを上げ、着々とこちらに近づい
てきているのだ。
﹁ところで、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど﹂
唐突にノックスが言う。
﹁あれのことか? どうするんだ?﹂
﹁海に突き落とす﹂
﹁な!? 一体どうやって?﹂
﹁自分から落ちてもらうんだ。なあに、ボクにかかれば簡単さ﹂
ザインとハドムは互いに顔を見合した︱︱。
412
068 アルヴァレス・L・ファリネウス
ルイスの言った通り、リフレッシャーというものはあった。セト
ルは大きなカプセルのようなものを想像していたが、円柱状の機械
で、人が入れるようなところはなく、またそれほど大きくはなかっ
た。最初は動かし方がわからなかったが、すぐにウェスターが理解
して動かしてしまった。スイッチを押すと上にあるランプが点灯し、
次に眩しい光が一瞬だけ放たれたかと思うと、もう傷が治っていた。
しばらく驚いていたが、次の昇降機を見つけて上へと昇る。そこ
はもう最上階だった。
最上階全てが一つの部屋で、戦うには十分すぎるほど広い。それ
にも関わらず障害物が少なく、重要機器らしきものは向こうの窓際
にある一部分だけのように思えた。そこの大きな水槽のようなもの
に小さな紫色の宝珠が入っている。あれがエリメートコアというも
のだろうか? もの凄いエネルギーが蒼霊砲へと流れているのを感
じる。といっても、あれ自体がエネルギー供給源というわけではな
いのだろう。だが、その鍵となっていることは間違いなかった。
﹁ようやく来たか﹂
部屋の中央には燃えるように赤い髪をし、青い鎧を纏った男が腕
ルイブラン
を組んでセトルたちを待っていたかのような言葉を言って立ってい
る。
アルヴァレス・L・ファリネウス︱︱セトルが会うのはこれで三
度目だ。そして、これで決着をつける。
﹁逃げずに待っているとは、余裕ですね﹂
ウェスターが皮肉めいた笑みを浮かべると、アルヴァレスも笑っ
た。ただ、その笑いには酷薄さと、セトルたちを嘲るようなものが
含まれているように思えた。
﹁貴公らごときに背を向けるつもりはない﹂
﹁へっ、つっても、精霊結界がある以上蒼霊砲は使えないぜ? 降
413
参したらどうだ?﹂
アランが勝ち誇った顔をすると、アルヴァレスは哄笑した。全く
動揺していない。
﹁フン、問題はない。さっきのは本来の威力の三分の一もないのだ。
エネルギーが最大まで溜まれば、あの程度の結界で防げるようなも
のではない。知っていよう? かつて星は二つあった。その場を動
かずにして片方の星に発射する。そんなものを精霊ごときの力でど
うにかできるはずがなかろう?﹂
今度は逆にアルヴァレスが勝ち誇った顔をする。はったりだ、と
アランは思ったが、反論するまともな言葉が出てこなかった。
﹁私は必ず完全なるノルティアンの世界︱︱ノルティアを蘇らせて
みせる﹂
﹁たとえ古代アルヴィディアの兵器を使ってでも⋮⋮ですか?﹂
ウェスターの問いは皮肉のような感じがしたが、彼の口調と表情
からは皮肉さを感じなかった。アルヴァレスは黙ってウェスターを
睨む。セトルたちは彼の圧倒的な威圧感にうたれたが、誰も一歩も
引かなかった。
﹁アルヴィディアの兵器だろうが、汚らわしいハーフだろうが、理
想のために利用できるものは利用する﹂
そしていらなくなった途端にゴミのように捨てる。そういうこと
だろう。シャルンが唇を噛みしめている。セトルは剣の柄に置いた
手に力を込めた。熱い何かが体の中を駆け巡る。それを、今はまだ
必死に抑えた。
﹁あなたはなぜそこまでするんですか?﹂
今にも飛びかかりそうな姿勢でセトルが訊いた。アルヴァレスは
まるで虫けらを見るような目でセトルを見、そして答えた。
﹁使命だ。貴公らが死ぬ前に教えておこう。私は古代ノルティア王
家の血統者。完全なるノルティアンの世界を築くことがまさにその
使命。数千年もの時を経て、私がついに実現するのだ!﹂
﹁バカみたいやわ⋮⋮﹂
414
呟いたのはしぐれだ。
﹁貴公はどうだ? 我が同法よ。貴公もそう思うか?﹂
アルヴァレスはウェスターではなくサニーに問うた。彼女は何の
迷いもなく即答した。
﹁当たり前よ! あたしはセトルやアランたちがいない世界なんて
いらない。あたしはみんながいるこの世界が好きなの!﹂
フン、とアルヴァレスは鼻を鳴らすと、剣を抜いた。禍々しい黒
紫色の刀身をした片刃の剣。明らかに普通のものとは違った。魔剣
かそれに近いものだろう。セトルのレーヴァテインと全く逆の気を
感じる。
﹁お前の好きにはさせないわ!﹂
真っ先にシャルンがトンファーを構え、セトルたちもそれぞれの
武器を構えた。
﹁フッ、いいだろう、少し貴公らと遊んでやる﹂
アルヴァレスが魔剣を一振りして一喝する。その魔剣を中段に構
えた彼に隙が見当たらない。それに向こうからは動かなかった。こ
ちらが飛び込むのを待っているのだろうか?
︵いや違う!︶
彼は静かに術を唱えていた。セトルは気づいたが、それよりも速
くウェスターが気づいていた。
﹁皆さん、離れてください!﹂
皆は彼の言葉を頭で理解する前に体が動いた。同時に散り散りに
分かれる。そして同時に赤い輝きを放つ巨大な霊術陣が広がる。
﹁︱︱パイロクラズム!!﹂
紅蓮の業火が陣の中で荒れ狂う。直撃はしなかったが、離れてい
てもその熱で体が焼けるような思いをした。飛び散った火の粉がセ
トルの銀髪を僅かに焦がす。術が消えた時、皆はかろうじて無事だ
った。床や壁はあれだけの術を浴びても焦げつかず、何事もなかっ
たように真っ白だった。
セトルはすぐにアルヴァレスの姿を視界に捉え、気合を叫びで表
415
現しながら疾走した。何の焦りの色も見せないアルヴァレスに斜め
上から一閃する。速かった。だがアルヴァレスは僅かに体を動かし
ただけでそれをよけた。
セトルは今の勢いを殺さずそれを突きに繋げる。霊剣の突きはア
ルヴァレスを頑丈な鎧ごと貫く勢いがあった。しかし次の瞬間、セ
トルの刃は強烈に弾かれた。危なく剣を放しそうになる。必死で堪
えた。
横から衝撃が来る。アルヴァレスの胴蹴りがセトルに打ち込まれ
ていた。骨が軋む。蹴り飛ばされたセトルは白い壁にしたたか体を
打ちつけて呻いた。
︵やっぱり、強い!︶
アランとしぐれがアルヴァレスの左右から同時に刃を振るう。ア
ランの重い一撃と、しぐれの連続で放つ素早い突き。討ち取った、
と思ったが、そんなにあまいものではなかった。アランの長斧は簡
単によけられ、しぐれの突きも必要最小限の動きで躱され、流され、
防がれた。
魔剣から気を感じた。と思うと、なぜかしぐれが吹き飛んだ。斬
られてはいないはずなのに服が裂け、赤色の線が走る。アルヴァレ
スが何かしたのか、それとも剣自体の能力か。たぶんその両方だと
アランは直感的に感じた。
﹁てめぇ!﹂
アランの長斧がアルヴァレスの首を斬り落とさんとする。アルヴ
ァレスは魔剣で弾き、そのままアランにそれを突きつけた。リーチ
の違いで少し距離がある。届くはずがない。だが、またも魔剣に気
を感じた。いや、アルヴァレスが魔剣に自分の気を食わせているの
だ。あれは奴の闘気。魔剣はそれを食らって斬撃波を放つのだ。
アランは斬り裂かれながらも、吹き飛ばされまいと堪えた。
突如、アルヴァレスは後ろに跳んだ。床の霊術陣から黒い十字架
が突き上がり、空気を貫いた。シャルンのダークネスクロスだ。ア
ランにかかっていた斬撃波がなくなるが、彼はそのまま膝をついた。
416
﹁まだまだぁ! ︱︱シャイニングクロス!!﹂
黒い十字架に続いてサニーの白い十字架がアルヴァレスを貫こう
とする。アルヴァレスは舌打ちすると、紙一重でそれを躱し、サニ
ーたちの方に疾走する。
﹁厄介な術士を先に始末するか﹂
﹁それは私のことですか?﹂
アルヴァレスの横から槍が飛んでくる。魔剣でそれを弾くと槍は
飛散して消えてしまった。そしてその槍はウェスターの手元で再構
成される。アルヴァレスの足が止まる。無言の睨み合いが始まる。
﹁サニー、今のうちにみんなを﹂とシャルン。
﹁うん、わかった﹂
サニーは頷き、二人は傷つき倒れている三人の元へそれぞれ駆け
寄った。
﹁止めなくていいのですか? 皆さん回復してしまいますよ?﹂
誘うようにウェスターが言うと、アルヴァレスは鼻で笑った。
﹁フン、ザコが復活したところで、面倒が増えるだけで何も変わら
ん﹂
﹁言ってくれるぜ⋮⋮﹂
シャルンに治療されながらアランが呟く。アルヴァレスはそのア
ランを冷酷な横目で見ると、ウェスターに視線を戻し、魔剣を前に
翳した。
﹁馬鹿の一つ覚えですか? それは私には効きませんよ!﹂
ウェスターが槍を投げる。魔剣の斬撃波がそれを弾き、そのまま
ウェスターを襲う。だが、そこに彼はいなかった。
アルヴァレスの背後から突きが飛ぶ。いつの間にかウェスターが
スピリクル
回り込んでいた。アルヴァレスはまるで背中に目があるかのように
それを躱すと、その槍を掴んだ。だが、槍は飛散して霊素に戻り、
再びウェスターの手元で構成されると、彼は横薙ぎに払った。アル
ヴァレスは回転の勢いを加えてそれを弾き、そのまま凄まじい突き
を放った。
417
せんこうけん
﹁穿吼剣!!﹂
ウェスターはバックステップでよける。アルヴァレスに突かれた
空気が歪む。受けていたら確実に風穴が開いていただろう。ウェス
ターは素早く詠唱する。
﹁︱︱荒れ狂う大地の怒り、ロックバインド!!﹂
アルヴァレスの足下から岩塊が突き上がる。躱す暇はない。アル
ヴァレスは突き上がる勢いに合わせて高く飛び、岩塊を蹴ってウェ
スターの方へ一つの弾丸となって襲いかかる。
よけられない! だが︱︱
﹁︱︱駆け巡る閃光、スパークバイン!!﹂
ウェスターの詠唱の方が速かった。電撃の球体が両者の間に生じ
る。放電し続けるそれにアルヴァレスはなすすべなく突っ込んだ。
しかし次の瞬間、アルヴァレスはその勢いを殺さず球を突き破った。
術が効いていないわけではないが、彼の意識ははっきりし、その鷹
のような目もウェスターを捉え続けている。
﹁ウェスターさん!?﹂
起き上がったセトルが叫ぶ。凄まじい衝撃音と共にウェスターは
吹き飛んだ。咄嗟に槍でアルヴァレスの魔剣を防いだのはよかった
が、やはり堪えきれなかった。背中から床に叩きつけられた上、数
メートル体を滑らした。摩擦で厚い服も破れ、皮膚が切れる。
セトルはウェスターをサニーに頼み、走った。途中で何度かフェ
イントかけたが、やはりアルヴァレスは動じない。そんなことはわ
かっていた。かかってくれたらラッキーな程度の気持ちだった。ア
ルヴァレスが何かの構えをとる。居合をするように魔剣を脇にしま
い込む。力、もしくは気を溜めているようにも見える。何が来るか
わからないが、大振りの一閃だろうと思った。それならこのまま突
じゅうおうは
っ込んでもぎりぎりで躱せる。
﹁︱︱獣王破!!﹂
やっぱり。そんな単純で何もない攻撃を奴がするわけがない。剣
が振られるのと同時に獅子の闘気が前方に飛び出す。確か氷精霊グ
418
ラニソは闘気を狼に似せたような技を使ってきたのを覚えている。
だがあれは獅子。それよりも速く、大きく、そして猛々︵たけだけ︶
しい。
︵たぶん、躱せない⋮⋮︶
ここうれっぱ
そう思ったセトルは霊剣を上段に構え、それに気を送る。
﹁︱︱虎吼烈破!!﹂
フレアスピリクル
振り下ろしたのと同時に、アルヴァレスの技と同じように虎を模
フレアスピリクル
った闘気が飛び出した。さらに火霊素もそれに加わり、虎がオレン
ジ色に熱く輝く。本来、この技に火霊素は付加しないのだが、それ
により各段に威力が増している。それはこの剣のおかげでもあった。
獅子と赤虎が激突する。
衝撃音が獣の唸り声のように聞こえる。セトルの技はまだ不安定
のようだったが、それでも負けてはいない。徐々に押していき、そ
して打ち破った。と思ったが、それと同時にセトルの虎も消滅した。
霊剣と魔剣が衝突し、組み合う。凄まじい剣圧で、セトルは肩が
抜けかけた。力では完全に負けていた。
アルヴァレスは背後の気配を感じ取った。アランが鋭く踏み込み、
長斧を振るうところだった。鎧をも砕く勢いだ。
アルヴァレスは突然剣を引いて横に飛んだ。セトルがたたらを踏
む。危なくアランの長斧がセトルを斬るところだったが、セトルが
しゅんれんひしょうざん
どうにか踏みとどまって難を逃れた。
﹁てめぇ! ︱︱瞬連飛翔斬!!﹂
アランは名前の通り、︽瞬連斬︾と︽飛翔斬︾を組み合わせた奥
義を出す。瞬速で二度斬った後、飛び上がりながら掬いあげるよう
に長斧を振るうものだ。だが、最初の二閃は剣で受け流され、最後
ごうかばくさいじん
飛び上がる前に脇腹を蹴られる。
﹁消えされ、業火爆砕陣!!﹂
アルヴァレスが掲げた剣にもの凄い炎が宿る。それをアラン目が
けて振り下ろした。爆発が起き、アランは業火に包まれ消滅した︱
︱かのように見えたが、寸でのところでセトルが助け出していた。
419
床を見ると、黒焦げになった上に多少だが罅も入っていた。蒼霊
砲の床をここまでする威力だ。受けていたら本当に跡形もなく消え
ていたかもしれない。
アルヴァレスはセトルたちを凝視した。その瞳には怒りが見て取
れた。その時、しぐれが苦無を投げた。アルヴァレスの後頭部を狙
ったそれだが、首だけの動きでそれは躱され、彼の頬を掠めただけ
だった。つーと頬から血が流れる。
﹁そろそろ、貴公らに制裁を与えんとな﹂
そう言うと、アルヴァレスの姿が消えた。辺りを見回すとセトル
アーティファクト
たちからずいぶんと離れたところ︱︱エリメートコアの前なのは偶
然だろう︱︱に転移していた。どこに転移の古の霊導機を隠し持っ
ていたのか知らないが、何かをする気であるのは間違いない。
何かを唱えているようだ。
﹁いけません!﹂
とウェスターが叫ぶ前にセトルとアランは阻止しようと走った。
が︱︱
﹁遅い! ジャッジメント・オール!!﹂
既に術が完成してしまった。部屋全体に七色の光の柱が雨のよう
に降り注ぐ。セトルたちは必死で躱すが虚しく、サニーが、シャル
ンが、アランが、しぐれが、次々と柱に呑み込まれた。ウェスター
もディフェンスフィールドを張っていたが、それも遂に破られてし
まい、彼も柱の餌食となる。
﹁みんな!?﹂
とセトルは倒れている仲間たちを見るが、人の心配をしている暇
はなかった。特大の光柱がセトルの頭上に迫っていた。あれは躱せ
ない。剣で守りの構えを取り、自分の周りに気を張り巡らす。
しかし、虚しいことに巨大な光はそんなものなかったかのように
セトルを呑み込んだ。
420
069 負の念の浄化
冷酷な顔をしたアルヴァレスはゆっくりとセトルたちの方へと歩
いていく。
﹁驚いたな。まだ息があるのか﹂
セトルたちはかろうじて全員生きていた。セトルにだけは意識が
あったが、それも奇跡のように思えた。体は動かない。動かそうと
すれば激痛が走り、それを妨害する。また、体が焼けるように痛い。
いっそ意識がない方が楽だったんじゃないかと思った。
﹁今、楽にしてやろう﹂
アルヴァレスは魔剣を逆手に持ち、セトルの心臓目がけて突き刺
す。その時︱︱
︱︱ガキーン! ︱︱
﹁何!?﹂
アルヴァレスの剣はセトルの周りの見えない力場に阻まれ、弾か
れた。
﹁これは⋮⋮﹂
驚愕の表情でアルヴァレスはセトルを見る。何度やっても恐らく
無駄だろうということを彼は今の一回で知った。
﹃セ⋮⋮ス⋮⋮力を⋮⋮﹄
力場の中でセトルは何かの声を感じていた。遠くから言っている
ようによく感じ取れない。
︵誰?︶
突如、セトルは目の前が真っ白になった。落下感を覚えた。深い
白霧の谷に飛び込んだように思えた。すると、さっきよりもあの声
がはっきりと聞こえ始める。
﹃我が力⋮⋮目覚めさせよ!﹄
︵力? ︱︱!?︶
すると、真っ白な世界からセトルの体に何かが流れ込んでくるよ
421
うな感覚がし、それがしばらく続いた。力が漲る。温かく優しい力。
何とも言えない快楽が身を包む。その瞬間、セトルは元の世界に戻
った。
一瞬のことだった。
今のは夢? いや違う。セトルは仰向けのまま両手を天に翳した。
体が動く。手に青白い光がぼんやりと灯る。この感覚、今度は忘れ
ない。セトルははっきりと体に刻みこんだ。
﹁︱︱リザレクトハーティス!!﹂
セトルの体から光が発せられる。それは一瞬にして部屋に満ちた。
アルヴァレスは跳躍し、思わず目を庇った。優しい光だったが、そ
れはアルヴァレスには感じない。彼にとってはただ眩しいだけの光
だった。
光が収まると、アルヴァレスは目を瞠った。そこにセトルが立っ
ていた。傷がほとんど治っている。疲労も見られない。強いサファ
イアブルーの瞳がアルヴァレスを睨んでいた。
﹁なぜ先程まで瀕死だったやつが⋮⋮あの光は治癒術か?﹂
アルヴァレスは呟き、冷静さを保とうと努めた。周りをよく見る
と、意識は取り戻していないが、他のやつらも回復しているという
ことがわかった。
﹁アルヴァレス﹂セトルが強く言った。﹁僕はあなたを許さない!﹂
すると、アルヴァレスは哄笑した。
﹁貴公一人で何ができる?﹂
﹁村の、世界中のみんなに意味のない争いをさせて⋮⋮たくさんの
人を苦しませた﹂
セトルの脳裏にアスカリア村のみんなの顔が浮かんでくる。彼ら
はとてもつらそうな顔をしていた。
﹁僕は勝たなくちゃいけない﹂
アルヴァレスの哄笑が消える。
﹁フ、いいだろう、我が最強の剣をもって今度こそ屠ってくれる!﹂
アルヴァレスは魔剣を縦に構え、何かを唱え始めた。だが、それ
422
は霊術ではない。魔剣にただならぬ気が込み上げてくる。アルヴァ
がしんぜっぱけん
レスは疾風のごとく走った。紫色のオーラが彼を包む。
﹁︱︱獣神の牙にて彼の者を屠らん、牙神絶破剣!!﹂
アルヴァレスのオーラが鋭い牙を持つ何かの獣のような形に見え
た。いや、それはもう獣そのものだった。アルヴァレスの姿が一瞬
消えたと思うと、セトルとの距離が一気に詰められていた。アルヴ
ァレスは突きの姿勢をとる。魔剣に獣のオーラが纏い、それがセト
ルを呑み込まんと大口を開ける。
セトルは落ち着いていた。落ち着いて目の前に迫る光景を見てい
た。そしてゆっくりと右手を前に翳す。今度は虹色の光がその手に
灯る。レーヴァテインが共鳴するように輝く。
刹那、アルヴァレスの剣は何かの力によって弾かれた。虹色の光
の壁がそこにできていた。やがてそれは輝きを増し、その輝きを浴
びたアルヴァレスのオーラは霧のように消えていった。魔剣に罅が
入る。
﹁この力はまさか、︽神霊術︾⋮⋮﹂
セトルのレーヴァテインが急激に輝きを増した。
今なら勝てる。とセトルは確信した。この力が何なのかわからな
いが、使い方は本能的に知っていた。負ける気はしなかった。
︵あの技で⋮⋮︶
セトルはアルヴァレスの懐に飛び込んだ。光の霊剣を掬いあげる
ように撃ちつける。鎧の一部が砕け、アルヴァレスは宙を舞った。
すかさずセトルも飛び上がる。
﹁はあぁぁぁぁぁぁぁ! 僕は、あなたを倒す!!﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
セトルは飛び上がりながら、目にもとまらぬ速さで霊剣を連続で
振るった。速すぎて剣の残像がはっきりと残る。一閃するたびにア
ルヴァレスの鎧が次々と砕け、霊剣の輝きが増していく。アルヴァ
こうりゅうめつがせん
レスの悲鳴に似た叫びが聞こえる。
﹁︱︱これで終わりだ、光龍滅牙閃!!﹂
423
つるぎ
光を増していく霊剣は、最後には凄まじい光を放つ巨大な剣とな
ってアルヴァレスを貫いた。
両者は共に落下する。光の霊剣は一気にその光を失い、元のレー
ヴァテインに戻った。同じようにセトルも、力を使い果たしたのか
うまく体を動かせない。かなり高く飛んでいた。頭から落ちている。
着地に失敗すると首の骨が折れてしまう。
︵何とか体勢を⋮⋮︶
セトルは死に物狂いでもがいた。僅かに頭が上がった。だが、床
との距離はもうない。セトルは目を閉じた。が、床に叩きつけられ
た感覚はなかった。
﹁やったな、セトル。やっぱお前はすげぇよ﹂
アランがセトルを受け止めていた。そして目を開けたセトルの顔
を覗き込むように見たあと、ゆっくりと立たせた。
﹁いや∼、︽連携︾でもないのにすごい技でしたね﹂
含んだような笑みのウェスターが歩み寄る。みんな気がついてい
たようだ。
﹁これでこの戦争も終わるわね﹂
とシャルンがはっきりとした微笑みを見せる。
﹁セト︱︱﹂
﹁セトル!﹂
しぐれが何かを言おうとしたが、サニーに遮られてしまった。サ
ニーははしゃいだように満面の笑みを見せている。
﹁さっきのすごかったよ! もしかして、もうあの力自分で出せた
りするわけ?﹂
彼女が言っているのはたぶん虹色の壁のことだ。彼女だけは一度
それを見ているらしいから。あの時は言われても覚えてなかったが、
今はしっかりとあの感覚を覚えている。セトルは右手に力を込めた。
と言ってもパワーとは違う力なのは言うまでもない。すると、その
右手はぼんやりと輝いた。
﹁うん、たぶんできそうだよ﹂
424
セトルが微笑むと、彼女も微笑みで返し、やったね、と親指を立
てる。
ウェスターはセトルが右手に力を込める前、セトルの口が術を詠
唱するときのように小さく素早く動いていたのを見逃さなかった。
恐らく無意識にやっていることだろうと思うが、
︵あの力は恐らく霊術のたぐい⋮⋮︶
と頭で考えただけで声には出さず、眼鏡の位置を直して観察する
ようにセトルを見詰めた。
﹁セトル、ホンマによか⋮⋮!?﹂
またしてもしぐれの言葉が遮られた。いや、彼女は言葉を失った
のだ。その顔は怯えたようにブルブルと震えている。
﹁しぐれ?﹂
彼女はセトルの後ろを指差した。セトルたちは振り返ると、同じ
ように驚き震えた。
﹁な、何で⋮⋮﹂
そこにはアルヴァレスが立ち上がろうとしている光景があった。
うが
一番驚いているのはセトルだった。剣には確実に手応えがあったの
だ。その証拠にアルヴァレスの腹部には大きな風穴が穿たれている。
体は血まみれで、目は白目を剥いている。
息をしている様子もなかった。
死んでいる。なのに動いている。彼は完全に立ち上がると、取り
憑かれたように歩き始めた。まるでゾンビだ。皆の顔から一気に血
の気が引いた。サニーは恐ろしさに腰を抜かした。
﹁何や、何が起こってるんや!﹂
﹁蒼霊砲に憑かれている⋮⋮あれを見てください﹂
ウェスターに言われてアルヴァレスをよく見てみると、怪しげな
黒い光の粒子が床、壁、天井から彼の死体に虫が群がるように集ま
っていた。
襲ってくると思ったが、アルヴァレスはセトルたちに見向きもせ
ずゆっくりと向こうの装置の方へと歩いていく。
425
﹁な、何をしてるんだ?﹂
身構えていたアランが拍子抜けしたように言う。
﹁蒼霊砲を撃つ気だ﹂とセトル。﹁止めないと⋮⋮たぶんもうエネ
ルギーは溜まってるんだよ!﹂
その時、もの凄いスピードの何かがセトルたちの横を通過した。
それは矢だった。神速の矢はまっすぐにアルヴァレスへ向かってい
き、後頭部に突き刺さった。すると、電撃のような青白い光がアル
ヴァレスを取り囲み、その動きを止めた。ゾンビ化したアルヴァレ
スに悲鳴や呻きはなく、ただもがいた。
﹁アイヴィ、エリメートコアを!﹂
﹁わかったわ!﹂
そういうやりとりが聞こえたと思うと、槍をもった茶髪の女性が
セトルたちの横を走り抜けた。
﹁何とか間に合ったな﹂
その声に振り向くと弓を携えたスラッファと、
﹁ワースさん!﹂
が剣を抜いた状態でそこにいた。ワースは一瞬だけセトルに微笑
むと、真剣な表情になってアイヴィの方を見た。
アイヴィはエリメートコアの前に立つと、両手で槍を頭上に持ち
上げ、勢いをつけて水槽ごとエリメートコアに突き刺した。水槽の
中の液体が漏れる。エリメートコアに罅が入っていき、最後には粉
々に砕け散った。
エリメートコアが砕けたのと同時に、アルヴァレスも崩れるよう
に倒れた。その体から黒いものがブクブクと泡立ち、その煙のよう
なものがアルヴァレスの死体を包んだ。
﹁何あの黒いの⋮⋮﹂
腰が抜けてまだ立てないサニーが言う。
﹁あれが負の念だ﹂
ワースが即答する。彼はそのままスラッファと共にその黒いもの
に近づいていく。反対側からアイヴィが近づく。三人は三角形の陣
426
をとってそれを囲んだ。
﹁やるぞ、準備はいいか?﹂
﹁問題ない﹂
スラッファが口元に笑みを浮かべる。ええ、とアイヴィも頷いた。
ワースは二人を見、それから両手を二人の方に向けた。
すると、彼の両手から同時に光線のような光が放たれる。アイヴ
ィとスラッファはそれを受け取るようにし、光の三角形を作る。そ
してそれぞれの頂点からアルヴァレスを包んでいる負の念に光が発
射されたかと思うと、円を描いて光は合流し、その内側から凄まじ
い光柱が立ち昇った。
負の念がみるみる消えていく。光が消えた時、そこにはアルヴァ
レスの姿もなかった。
﹁浄化完了だ﹂
﹁ワースさん、今のは?﹂
驚いた様子でそれを見ていたセトルが訊く。
﹁負の念の浄化だ。これはオレたちにしかできない﹂
﹁それってどういう︱︱!?﹂
そう言いながらサニーは立ち上がろうとしたが、また腰をついて
しまった。大きな揺れが起こったのだ。地震、と思ったが違うよう
だ。同時に何かが崩れていくような音も聞こえている。
﹁蒼霊砲が崩壊を始めたようですね﹂
﹁え!? 何で!?﹂
冷静に分析したウェスターにサニーがびっくりしたように言う。
﹁エリメートコアを無理やり壊したからだろうな﹂
﹁ここも長くは持たないでしょうね﹂
ワースやウェスターはなぜここまで冷静なのだろうか、セトルは
不思議に思った。
﹁やべ、早く逃げようぜ!﹂
アランが言い、セトルたちは頷いて昇降機の方へ急いだ。しかし、
待て、とワースがそれを止める。
427
﹁そこから行っても間に合わない。これを使え!﹂
ワースはセトルに何かを投げ渡した。見ると、星型にも見える小
さな機械だった。その中心には精霊石が埋め込まれている。色から
してムーンストーンだろう。
﹁何なんや、これ?﹂としぐれが首を傾げる。
﹁アルヴァレスたちが使っていた携帯用転移装置だ。一度しか使え
ないが、一瞬でここから脱出できる﹂
セトルはそれを物珍しそうに見詰め、どこで手に入れたんだろう
か? と思った。だが、それよりもまず使い方がわからなかった。
﹁ちょっと貸してください﹂
そう言ってきたウェスターにそれを渡すと、彼はすぐにわかった
ような顔をした。
﹁わかりました。では、発動させますよ﹂
ウェスターが機械を操作すると、見覚えのある霊陣が彼を中心に
広がった。しかし、それはワースたちがいる位置までは届かなかっ
た。
﹁あなたたちも早く!﹂
シャルンが彼らを呼ぶが、三人は動こうとしない。
﹁あーもう! 何してんのよ!﹂とサニーが地団太を踏む。
﹁ワースさん!?﹂
セトルは叫んだが、ワースたちは三人とも首を横に振った。
﹁どうして⋮⋮﹂
﹁僕たちの目的は﹂とスラッファが答えた。﹁負の念の浄化とエリ
メートコアの破壊。それと、スピリチュアキーの回収なんだ﹂
﹁まだキーは見つかってないの。あなたたちは先に脱出して!﹂
アイヴィが続けて言った。
﹁そんなんどうでもええやん!﹂としぐれ。
﹁このままじゃワースさんたちが!﹂
セトルは今にも泣きそうな顔をしていた。
﹁オレたちなら大丈夫だ。ウェスター、行ってくれ﹂
428
ワースが頼むと、ウェスターは静かに頷いて彼らを見た。必ず生
きて帰ってきてください、とその目が訴えている。
陣が輝きを増す。セトルたちの姿が幻だったかのように消えてい
く。セトルは叫び続けた。その声を受け、ワースは優しく微笑んだ。
それを最後にセトルたちの視界から彼らの姿は消えた︱︱。
429
070 終戦
アスハラ平原の海岸線付近に一行は転移したようだった。早朝と
いったところだろう。もうだいぶ明るくなっている。
セトルたちはすぐに蒼霊砲がある方角を見て愕然とした。
蒼霊砲は上部からではなく、いたるところから崩壊していた。そ
の光景は凄まじく、近くに居るだけでも生きてはいられないだろう、
というほどだった。
固唾を呑み、彼らはそれを見続けた。
そして遂に蒼霊砲は跡形もなく崩れ去った。三人は無事なのか、
セトルはそのことばかり考えていた。信じてはいた。でも、心配だ
った。
すると、少し離れた所に三つの霊陣が出現するのをセトルは見た。
﹁あれってまさか⋮⋮﹂
そのまさかだった。三つの陣から現れたのは間違いなくワース、
アイヴィ、スラッファの三人である。彼らはこちらに気がつくと、
手を振った。遠くてよく見えないが、ワースの手にはスピリチュア
キーと思われる物が握られている。どうやらすぐに見つかったよう
だ。
ウェスターは無事な彼らを見て微笑み、それを隠すように眼鏡を
押さえる。シャルンもホッとしたように胸に手をあてた。
﹁まだ転移のやつ持ってたのかよ。言ってくれりゃ、ここまで心配
しなかったのによ﹂
﹁ホンマや。うちめっちゃひやひやしたわ﹂
ハハハ、とアランは笑い。つられたようにしぐれも満面の笑顔で
笑った。
﹁無事でよかったわね、セトル﹂
サニーがセトルの顔を覗き込むようにして微笑む。うん、とセト
ルは微笑みを返し、ワースたちに手を振った。
430
﹁本当に⋮⋮よかった﹂
? ? ?
ノックスたちと合流したのはそのすぐあとだった。
まず驚いたのは、半分海に沈んだ状態で完全に動かなくなってい
るコロサスを見た時だった。その説明をノックスに︱︱ではなくザ
インに求めた。
聞くと、海岸までコロサスを誘導したあと、セイルクラフトを使
って空からノックスが銃を撃ち、コロサスが自分で海に落ちるよう
にしたそうだ。すぐには動きは止まらなかったが、しばらくすると
あの通り、完全に停止したようだ。
ガー
ディ
アン
そのあと、自由騎士団の人から連絡が来た。蒼霊砲が崩れた途端、
守護機械獣の動きは止まり、アルヴァレスの部下たちはどこかに逃
走していったとのことだ。
セントラル
精霊を回収したあと、セトルたちはげんくうに招待されてアキナ
へと赴いた。この中央大陸に残っているまともな村はそこしかなか
った。サンデルクは炎上し、ソルダイがあった場所は隕石が落ちた
ようなクレーターができていた。
アキナの温泉に入ったあと、セトルは倒れるように眠った。げん
くうに、しばらくここで戦いの疲れを癒すとええ、と言われ、お言
葉に甘えることにした。
︱︱旅は終わったのだ。
431
071 旅の終わり
激しく打ち寄せる波は岩礁とぶつかり白い水飛沫を撒き散らす。
青く広がる曇りなき空は平和が戻ったことを実感させる。先日の
とむら
戦いがまるで嫌な夢でも見ていたかのように感じる。
その戦いから数日後、一行はワースたちと共に︽弔いの岬︾とい
う場所に来ていた。そこは迷い霞の密林を北に抜けた先にある。こ
の場所を知る者は、王族とアキナの頭領、そして語り部の一族のみ
となっている。
レイシェルウォー
断崖絶壁の突き出た先に慰霊碑が一つ建っている。
﹁ここは人種戦争の犠牲者たちを弔った場所。世界が一つになった
あと、ボクたちの先祖があれを立てたんだ。本当はボクたち一部の
人だけじゃなく、みんなに知ってもらった方がいいんだけどね﹂
とノックスがこの場所のことを簡単に説明してくれた。セトルた
ちはその慰霊碑の前に立って黙祷を捧げた。
ここに来ようと言い出したのはノックスではなくワースだった。
彼はなぜかこの場所のことを知っていた。しかし、行き方までは知
らなかったため、ノックスとげんくうに案内を頼んだ。げんくうは
忙しくて一緒には来なかったが、森を迷わず進めたのはしぐれもこ
の場所を知っていたおかげであった。ただ、この場所の意味までは
レイシェルウォー
教えてもらっていなかったらしい。
﹁今回は人種戦争ほど酷くはなかったが、犠牲者は多い。オレたち
だけでも、しっかり弔ってあげないと。そう思ってここへ来た﹂
黙祷を終え、ワースが慰霊碑を見詰めながら言った。ウェスター
が眼鏡の位置を直す。
﹁でしたら、近々今回の慰霊碑も建てた方がいいでしょうね﹂
﹁ああ、そのつもりだ﹂
ワースは答えたあと、セトルの方を向いた。
﹁今回のことで、オレたちがすべきことが見つかった。これから忙
432
しくなる。時間もかかるだろう。時が来たらセトル君、君にも手伝
ってもらいたいんだが、いいか?﹂
﹁はい。喜んで!﹂
セトルは微笑んだ。それを見てワースもほっとしたのだろう。優
しい笑みが自然に浮かんでいた。
﹁あ、だったらあたしたちも手伝うよ?﹂
とサニーが挙手する。その隣でアランとしぐれも頷いた。だが、
ワースは困ったような顔をする。彼の代わりにアイヴィが言った。
﹁気持ちだけ受け取っておくわ。たぶんこれはわたしたちにしかで
きないことだから﹂
﹁え∼﹂
サニーは残念そうに眉をハの字にした。ということは、蒼き瞳を
持つ者しかできないということだろう。負の念を浄化したときのよ
うなことをするのだろうか? そうなるとセトルは心配になった。
あの不思議な力はなんとかコントロールできるようになったが、自
分の記憶は戻っていない。あんな浄化のようなことを自分は知らな
い。
︵早く記憶を取り戻さないと⋮⋮︶
セトルは焦った。でもどうしたらいいかわからなかった。
﹁シャルンはこれからどうするんだ?﹂唐突にアランが訊く。﹁行
くとこないなら俺らの村に来ないか? あそこはハーフだろうとみ
んなすぐ受け入れてくれるぜ。セトルみたいに﹂
﹁そうよ! アラン、たまにはいいこと言うわね♪﹂とサニーも笑
顔を見せた。
﹁たまにはって、おい!﹂
﹁⋮⋮無理ね。わたしにはまだやることがあるから﹂
少し考えてシャルンは答えた。そしてソテラのイアリングを取り
出す。そうか、とセトルたちはあの時のことを思い出した。手伝お
うか? と言ってもたぶん彼女は断るだろう。それに、これは彼女
が一人でやるべきだとセトルは思った。
433
﹁つれないねぇ﹂
とアランは言ってはいるが、彼が一番わかっているのだろう。そ
の時︱︱
﹁な、何やあれ!? ちょっとみんな見てみぃ!﹂
しぐれが騒ぎ出したかと思うと、彼女は海の向こうを驚いた表情
で指差していた。
﹁あ、ありゃ確か⋮⋮﹂
アランが目を瞠る。セトルも驚いた。あれを見るのは二回目だ。
さっきまで何もなかった海の上に霧が立ち籠め、そこに一つの村
が浮いている。時計台のような建物が目立つその村はイセ山道で見
たものと全く同じだった。
﹁ミラージュ⋮⋮見るのは初めてね﹂とシャルン。
﹁ミラージュって確か、あの︽幻影の村︾ってやつやろ?﹂
しぐれは感動したように彼方に見える神秘的な村を見詰めた。感
動とは違うが、セトルも同じ様に凝視した。前もそうだったが、ミ
ラージュには何か惹かれるものがある。それに今度は自分の中の何
かが沸き立っているような感じがする。
ワースたち三人は顔を見合している。どうやら流石の彼らもあれ
を見るのは初めてのようだ。
﹁なるほど、あれがミラージュ⋮⋮確かに﹂
スラッファが何か意味深なことを言ったが、それを訊く前にセト
ルは激しい頭痛に襲われた。頭を抱えて膝をつく。
﹁セトル?﹂サニーがその異変に気づく。﹁ちょ、ちょっとどうし
たのよ!? 大丈夫!?﹂
心配する彼女をよそに、頭の激痛は激しさを増した。セトルは悲
鳴を上げる。
﹁もしかするとあれの影響かもしれません﹂
ウェスターがミラージュの方を見る。だが︱︱
﹁それはないだろ?﹂とアランが言った。﹁俺らはあれを一度見た
ことあるけど、そんときセトルはこんなにならなかったぜ?﹂
434
﹁二度見たことによって、セトル君の中で何かが起こったのかもし
れないよ?﹂
ノックスは笑みを消して真面目モードで言った。セトルの異変に
初めは驚いていたワースたちは、今はただ彼を見守っている。まる
でこの意味がわかっているようでもあった。しかし、ワースがセト
ルのことをすごく心配しているというのは彼の表情から明らかだ。
セトルの悲鳴は止んだが、まだ頭痛は続いている。胃液が逆流し
そうに苦しい。ミラージュを見たことで禁忌の箱を開けてしまった。
セトルはそんな気分だった。目に涙が浮かんでくる。痛い、すごく
痛くて苦しい⋮⋮。
プツンと何かが切れたような音がした。途端、痛みが引いていっ
た。気を失ったわけではないが、いつそうなってもおかしくなかっ
あか
あお
みどり
た。先程沸き立っていた何かが溢れてくる。視界が光の流れに呑ま
れた。その光は紅・蒼・翠の三色の線でできていて、それぞれがチ
カチカと明滅している。それは全てセトルの体に流れ込んでいた。
全てを取り込むと、元の景色に戻った。
﹁︱︱僕は、あれを知っている⋮⋮﹂
﹁セトル、まさか記憶が⋮⋮?﹂
そう呟いたセトルにしぐれが訊く。だが、セトルは彼女の声は聞
こえていないようにワースの方を向いた。ワースはゆっくりと歩み
寄り、優しくセトルの頭に手を置いた。
﹁とりあえず、今は村に戻ってゆっくり休むといい。時期が来れば
迎えに行こう﹂
ワースはそう言うと、セトルの頭から手を放して踵を返した。セ
トルは彼の後姿をじっと見詰めた。だがセトルの目に彼の姿は映っ
ていない。そのサファイアブルーの瞳が見ている映像は、闇夜の中、
光の陣から旅立つ誰かの姿だった。やがてセトルは小さく口を動か
し、そして︱︱
﹁兄さん⋮⋮﹂
と呟いて気を失った。その呟きは一番近くにいたサニーでさえ聞
435
こえないほど小さなものだった︱︱。
436
071 旅の終わり︵後書き︶
こんな駄作をここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
これにて第一部が完結となります。
引き続き第二部を連載しますが、量は一部の半分もありません。
完全完結までもうしばしお付き合いくださると幸いです。
⋮⋮まあ、この後書きを見てる人は作者くらいでしょうけど︵↑
まだそゆこと言うか︶ 437
072 時は流れ
︱︱ノルンの月27の日。
三人がアスカリアに戻って既に一ヶ月近く経とうとしていた。あ
の蒼霊砲事件は、今ではすっかり過去のことになっている気がする。
アスカリアの人々も、もう全然昔通りになっている。村長であるケ
アリーや、猟師団リーダーのウォルフを中心に頑張ったのだろう。
一緒に戦った仲間はどうしているだろう、と時々思ってしまう。
だけど、ウェスター・トウェーンに関しては、彼の名声がこんな辺
あめのもり
境の村まで届いてくる。シャルン・エリエンタールとノックス・マ
セントラル
テリオの二人は全く音沙汰ないが、週一くらいの頻度で、雨森しぐ
れからは中央大陸の復興状況の通知が来る。炎上したサンデルクは
いそ
もちろん、跡形もなく消し飛んだソルダイ村も、村人たちが協力し
合って復興に勤しんでいる。もうそこにアルヴィディアンやノルテ
ィアンといった種族の壁はないように思われる、とのことだ。それ
は喜ばしいことだった。
その反面、喜ばしくないこともある。
セトルが目覚めないのだ。
どうにか命は保っているものの、すぐ目覚めるだろうと思ってい
たのが、戻ってからずっと植物状態のようになっている。村人全員
が彼のことを心配している。
彼は自分の家のベッドで眠っている。その表情は穏やかなようで、
そうでもないような感じだった。毎日入れ替わり立ち替わりで村人
が見舞いに来る。隣に住んでいるサニー・カートライトと、猟師団
に復帰したアラン・ハイドンはその常連となっていた。サニーはセ
トルのベッドに寄りかかり、しぐれの報告のことや何の変哲もない
世間話を繰り返し、アランは猟の成果などを話している。
今日もサニーは来た。まずセトルの義母であるケアリー村長にあ
いさつをし、赤毛のポニーテールを揺らしながら階段を駆け上る。
438
そして一番奥にある彼の部屋の前に立った。
︵セトル、起きてたらいいな︶
そう思いつつドアノブを握り、そして︱︱
﹁セトルー!﹂
と元気よく部屋に飛び込んだ。だが、彼女はいつも一番乗りなの
に、今日は先客がいた。彼女は目をパチクリさせる。
﹁あれ? マーズ町長。ついでにミセルも⋮⋮﹂
﹁ついでって何よ!﹂
ライトグリーンの髪をリボンでツインテールにしている少女が子
供のように頬を膨らませた。
﹁ミセル、あまり大きな声を出したらセトルくんの容体に響くよ﹂
柔らかい笑みを浮かべるノルティアンの男性︱︱マーズは見舞い
の花を花瓶に生けながら優しげな口調でミセルに注意をする。
﹁だったらサニーの方がうるさいわよ﹂
﹁うっ⋮⋮﹂
ビシッと指を差され、サニーは思わず後ろに下がった。全く気に
していなかった。今度から気をつけようと彼女は強く思った。
﹁それにしても全然起きないね、セトルくん﹂
マーズは心配そうにセトルの方を見た。ミセルがセトルの顔を覗
き込む。
﹁キスしたら起きたりして♪﹂
﹁ミ∼セ∼ル∼!﹂
﹁あはは、冗談よ。やっぱりサニーってからかいがいがあるわ♪﹂
眉を吊り上げて冗談を本気にしたサニーをミセルはちょっとした
仕返しのつもりで笑った。すると、ケアリーがお茶菓子を持って部
屋に入ってきた。そして恐ろしい形相をしていたサニーを見て、
﹁おやおや? どうしたの、サニーちゃん?﹂と訊く。
﹁何でもない﹂
﹁ケアリー村長聞いて。サニーったらね︱︱﹂
﹁あーもう! うるさいうるさいうるさーい!﹂
439
サニーは腕をぶんぶんと振り回して怒鳴り散らした。
﹁ハッハッハ! いつも通り元気ね。マーズ町長、ミセルちゃん、
わざわざ来ていただいてすみませんね﹂
ケアリーは豪快に笑うと、マーズに向かって軽くお辞儀した。そ
れに合わせてマーズも、いえいえ、とお辞儀を返す。
﹁それよりセトルくんの容体はどんな感じなんでしょうか?﹂
﹁眠ってる状態となんら変わりないそうよ。でも、どんなにひっぱ
たいても起きやしない﹂
ケアリーは肩を竦めて溜息をついた。するとマーズは冗談じみた
ように言う。
﹁︽ティラの実︾でもあれば起きるかもしれませんねぇ﹂
﹁何それ?﹂ミセルが首を傾げる。
﹁ああ、この辺りに伝わる伝説の果実で、それで作った薬はどんな
病でも治るって言われてるんだ﹂
﹁うわぁ、嘘臭い﹂
ミセルは疑いの視線を父に飛ばす。それを受け止め、同意するよ
うにマーズは頭を掻いた。
︵どんな病でも⋮⋮︶
サニーがその言葉に反応し、頭の中で思考が渦巻く。
﹁この辺の森にでもあればいいんだけど。やっぱり伝説だし、そん
なものあるわけないよね﹂
﹁そもそもセトルちゃんは病気じゃないよ﹂ケアリーが腰に手の甲
をあてて嘆息する。﹁仮にそんな実があったとしても、病気じゃな
いセトルちゃんが起きるわけないじゃないの﹂
そうか、とマーズは言い、皆が笑った。しかし、サニーはそうで
もなく何かを考えていた。
︵森⋮⋮アスカリアの森!?︶
たぶん彼女は会話を最後の方まで聞いてなかったのだろう。何か
を思いついたように彼女は部屋を飛び出した。
﹁ちょっとサニー、どうしたのよ!?﹂
440
ミセルが言うが、やはりサニーには聞こえていなかった。
すると、入れ替わるように長身の青年が入ってくる。すごい勢い
で部屋を出ていったサニーとすれ違い、驚いた表情をしている。
﹁サニーのやつ、慌ててどうしたんだ?﹂
﹁アラン!﹂
三人の視線が一斉にアランに向けられ、彼は少し怯んだ。
﹁え? 何? もしかして原因⋮⋮俺!?﹂
戸惑うアランに今まで何を話していたのかを教えた。
﹁あいつ、よく聞きもしねぇで探しに行きやがったみたいだな。ま
だその辺にいるかもしんねぇから、捜すか﹂
﹁でも大丈夫でしょ? サニーならこの辺そんなに危険じゃないだ
ろうし﹂
特に慌てる様子もなくミセルが言う。だが彼女は忘れていたのだ。
サニーの最も危険なことを⋮⋮。
﹁あいつは超絶方向音痴だ。一人で森なんかに入ったら戻ってこね
ぇぞ?﹂
アランに言われてミセルはようやく思い出した。まだ彼女がアス
カリアに住んでいたころ、迷子になったサニーを見つけるために捜
索隊が編成されたことがある。それも一度や二度じゃない。サニー
は自分が迷っていることを絶対に認めないため、幾度となくそれが
あった。
﹁あはは⋮⋮もしかしてまだ治ってないの?﹂
﹁あれは治らねぇな﹂
アランはさらっと断言し、そして皆に知らせてくると行って部屋
を出た。残った三人もとりあえず村の中を捜してみることにし、部
屋には眠っているセトルだけが残された。
441
073 目覚めたセトル
村の中にはサニーの姿はなく、既に外へ出てしまったものと思わ
れる。今、アランの頼みで猟師団の人々が捜索を開始している。ケ
アリーとマーズもそれに加わった。
一応彼女が戻ってくるかもしれないため、アランとミセルはセト
ルの部屋で待機することにし、玄関の戸を開けてサラディン家の中
に戻る。やはり、今のところ戻ってきているような気配はない。
やれやれといった顔をしてアランが頭の後ろで手を組む。
﹁たぶんアスカリアの森へ行ったんだろうが、サニーの場合辿りつ
けるかどうかも怪しいな﹂
﹁大丈夫よ。今回もすぐ見つかるって﹂
﹁だといいが⋮⋮﹂
アランはセトルの部屋のドアノブに手をかけた。そして、あまり
音を立てないように戸を開くと、そこにあった光景に目を見開いた。
セトルが立っていた。
しかしセトルの目はまだ微妙に虚ろで、恐らくアランたちが入っ
てきたことにすら気づいていないと思われる。セトルは壁に立て掛
けてあった自分の剣︱︱霊剣レーヴァテインを腰のベルトに挿す。
既にいつも身につけていた左肩の外れている空色の鎧を纏っている。
﹁セトル、よかった、気がついたみてぇだな!﹂
アランが声をかけるが、セトルは返事をするどころか振り向くこ
ともしなかった。何も聞こえない、何も見えてない、ただ無感情に
セトルは立っている。やがて︱︱
﹁サニーを助けないと⋮⋮﹂
と小さく呟くと、目を開けていられないほどの眩い光が彼の体か
ら発せられた。アランとミセルは咄嗟に目を庇う。そうしても、セ
トルの光は目を焼きつけた。だが、それは攻撃的な輝きではなく、
また、優しい、温かい、といった様子もない。今のセトルがそのま
442
ま光になったような感じだった。
光が収まり目を開けると、そこにセトルの姿はなかった。
窓から︱︱ではないようだ。開けられた形跡がない。セトルは忽
然と消えてしまっていた。
﹁ねぇ、アラン。今の⋮⋮なに? セトル君⋮⋮どうしたの?﹂
信じられないもの見たようにミセルが震えた声で言う。
﹁いや⋮⋮わからねぇ﹂
アランも呆然として呟くが、すぐにハッとなる。
﹁やべ、みんなにセトルもいなくなったと伝えねぇと。 ミセル、
お前はここにいろ!﹂
アランはそう言うと、呆然と立ち尽くしている彼女を残してサラ
ディン家を飛び出した。
? ? ?
アスカリアの森はいつにも増して暗く感じた。それもそう、サニ
ーはいつの間にかその深部へと入ってしまっていたからだ。そこは
猟師団の人々も滅多なことでは近づかない強暴な魔物のテリトリー
である。
もちろん彼女はそんなことには気づいていない。
﹁あーもう! ティラの実どころか、果物一つないじゃん! もっ
と詳しく聞いとけばよかった﹂
その通りである。
︵よく考えたらあたしティラの実ってどんなのか知らないのよね。
どうしよ⋮⋮一回帰ろっかな︶
彼女は立ち止り、辺りを見回した。似たような木が並び、自分が
どっちから来たのかわからなくなったことに彼女は気づいた。
﹁ううん、迷ってない。全然迷ってなんかない!﹂
彼女は首を左右に大きく振り、自分の陥っている状況を全否定す
る。そして適当な方向に自信満々を装って歩き始めた。しかし、森
443
の薄暗さと孤独感が彼女の心に恐怖心を与えていく。次第に早足に
なる。そしてさらに奥へと進んでいく。
しばらくして、疲れてきた彼女はその辺りの木に背を預けて座り
込んだ。大きく溜息をつき、天を仰ぐ。
ガサガサと木の枝が揺れる。その音を聞いて彼女はびくっとなっ
たが、鳥が飛び立っただけだと知ると、安心したように胸を撫で下
ろした。
︵セトル⋮⋮︶
涙が込み上げてくるのを必死で堪え、彼女は蹲った。
その時、獣の唸り声が聞こえた。いや、これは魔物のものだ。彼
女は立ち上がり、扇子を抜いてついザンフィを呼ぼうとする。
﹁ザ⋮⋮そうか、いないんだった⋮⋮﹂
相棒を連れてきていないことに気づくと、彼女は慌てて逃げよう
とする。だが、唸り声の主が彼女の前に飛び出し、立ち塞がる。
それは赤い体毛に覆われた狼のような魔物で、大きさは馬と同じ
くらいかそれ以上。血のように赤い目が間違いなくサニーを捉えて
いる。﹃ガルムキング﹄︱︱あれはそう呼ばれているものだった。
ザンフィがいたところで勝てるような相手ではないとサニーはすぐ
に悟った。
後ずさるようにサニーは下がる。そしてある程度距離をとってか
ら一気に走った。どっちに行けばいいのかわからないが、とりあえ
ず今は逃げるしかない。
ガルムキングが追ってきた。距離が一気に縮められた。サニーが
後ろを振り返ると、ガルムキングは太く鋭い牙を剥けて飛びかかっ
ていた。横に跳んで躱すが、そのままガルムキングの体当たりで木
に叩きつけられる。
︵う⋮⋮術を⋮⋮︶
サニーは扇子を広げて詠唱を始めるが間に合うはずがない。ガル
ムキングの牙が喉を食い千切らんと迫る。詠唱を中断してサニーは
しゃがんだ。牙は木に深く食い込んだ。
444
今のうちに、と思ったがその木は簡単に噛み砕かれ、倒された。
サニーは前足で払い飛ばされる。鋭い爪が服を裂き、血が飛び散る。
背中から地面に叩きつけられた。もう動けない。意識も消えてし
まいそうだった。
﹁もう⋮⋮足動かない。あたし、ここで死ぬのかな⋮⋮﹂
だけどなぜか恐怖はなかった。何となくあの時のようにセトルが
助けに来てくれると心のどこかで思っていた。でも、今セトルは⋮
⋮来るはずがない。だが︱︱
﹁えっ!?﹂
ガルムキングが吹き飛んだのだ。そこに立っている人物を見てサ
ニーは目を疑った。それは昏睡状態のはずのセトル・サラディンだ
った。死にかけて見ている幻覚かないかだと思った。しかし現実だ
とすぐに理解した。
彼は美しい銀髪を靡かせて彼女の目の前に間違いなく立っている。
そのアルヴィディアンでもノルティアンでも、またハーフでもない
サファイアブルーの瞳には、今まで見たことないほどのはっきりと
した強い意志のようなものが見て取れる。
﹁ごめん、サニー。オレのせいで⋮⋮﹂
セトルはガルムキングから目を離さず彼女に謝った。
︵﹃オレ﹄!?︶
サニーは、え? という顔になった。いつも自分のことを﹃僕﹄
と言っていたセトルが、今﹃オレ﹄と言ったように聞こえた気がす
る。
聞き違いが何かだろうということにした。
ガルムキングが唸りを上げて躍りかかる。
﹁すぐ終わるから、もうちょっと待ってて﹂
そう言ったセトルのレーヴァテインはいつもより強い輝きを放っ
ている。
︱︱何だろう? とサニーは不思議に思った。セトルの雰囲気が
少し変わっているような、そうでもないような⋮⋮。
445
躍りかかるガルムキングを簡単に躱し、セトルは素早く霊剣を薙
いだ。速い。剣を振るモーションがサニーには映らなかった。ガル
スピリクル
ムキングもたぶん何が起こったのかわからなかっただろう。斬られ
たのにも関わらず、一切悲鳴を上げないで霊素に還った。
その一瞬の出来事にサニーはポカンとするしかなかった。セトル
が寄ってきて彼女の動かない体を起こし、掌から青白く輝く優しい
光を浴びせる。すると彼女の傷は瞬く間に治っていった。招治法︱
︱いや、これはもっとすごい何かだと彼女は感じた。
サニーはセトルに飛びついた。そして彼の首を両手で強く絞める。
﹁あがぁ!?﹂
﹁バカバカ! 何で今頃起きてくるのよ! 遅いのよ! ホント⋮
⋮﹂だんだんと声が小さくなり擦れてくる。﹁ホントに心配したん
だから⋮⋮あたしも⋮⋮みんなも﹂
彼女は手を放して俯き、そして、何度も﹁バカ﹂と呟いて泣いた。
﹁ご、ごめん⋮⋮﹂
セトルはただ、そう呟くことしかできなかった。
446
074 語られる記憶
村へ戻ると、皆が心配して集まってきた。
サニーは向こうで両親に説教を受けている。だが、その程度であ
れが治るはずもない。
﹁セトル、お前ホントに気がついたんだな。いやぁ、よかったぜ♪﹂
﹁アラン⋮⋮相変わらずだな﹂
セトルは微笑むが、アランはセトルの様子に何か違和感を覚えて
きょとんとする。
﹁セトル、お前何か変わったか?﹂
その疑問にミセルが全力で同意する。
﹁そうだね。何かこう⋮⋮前みたいにぼやーっとしてないっていう
か﹂
セトルは今まで見せたことのないフッとした笑みを口元に浮かべ、
それは、と置いて話し始める。
﹁⋮⋮記憶が戻ったからだよ。故郷も、家族も、そして本当の名前
も﹂
村の人たちが騒然とし始めたが、やっぱりな、と呟いたアランだ
けはそうでもなかった。サニーが駆け寄ってくる。彼女の表情はう
れしそうだった。しかし、その奥にある寂しさのようなものはセト
ルだけが感じ取れていた。
記憶が戻ったことで、セトルがセトルではなくなってしまうかも
しれない。そうなってしまうことが彼女にとって怖かった。
﹁セトル、本当の名前教えてよ!﹂
彼女は訊いた。﹃セトル﹄の名付け親として、彼の本当の名前は
すごく気になっていたことだ。
﹁いいよ。﹃セルディアス・レイ・ローマルケイト﹄︱︱それがオ
⋮⋮僕の本当の名前。でも、今まで通り﹃セトル﹄で構わないよ﹂
セトルは今、﹃オレ﹄と言いかけて改めた。
447
﹁セル⋮⋮長ぇ名前だな。それでいいなら、俺はやっぱり﹃セトル﹄
のままいかしてもらうぜ﹂
﹁よかった。まだセトルでいてくれるんだ﹂
彼がまだ﹃セトル﹄と呼んでいいと言ってくれた。だからサニー
は安堵した。安堵はしたけど、やはり少し雰囲気の違うセトルに戸
惑いを感じる。しかしすぐに慣れるだろう。そう思うことにした。
﹁セトルちゃん﹂とケアリーが小走りで駆け寄ってくる。﹁お祝に
集会場でパーティ開くことにしたから、あとで来てね!﹂
そう告げると、ケアリーは返事を待たずさっさと集会場の方へ向
かった。いつの間にか周りの人たちが消えている。皆そこへ向かっ
たようだ。
セトルたちも言われた通り集会場へと向かうことにした。
集会場の中の賑わいは外からでもよくわかった。木造一階建て。
世界を見てきた彼らにとってはお世辞にも大きいとは言えないが、
この中には村人のほぼ全員が入っている。
中に入るのに何となく戸惑いを見せるセトルの背中をアランが押
し、扉を開いた途端、人々が騒ぐ騒音が村中に開放された。まだ準
備中のようでもあるが、主役の登場に一同はさらに賑わいを増す。
セトルは躊躇しながらも一歩、中に足を踏み入れる。
すると、いきなりニクソンが絡んできた。彼はセトルの肩に腕を
回し、上機嫌な顔をしている。
﹁セトル、記憶が戻って⋮⋮よかった? ん? 何て言えばいいん
だ? まあ、とりあえずおめでとう!﹂
一緒にいたカノーネも同じようなことを言う。
﹁あ、ありがとう、二人とも﹂
セトルは複雑な気分だった。なぜ? と言われたら答えられない。
自分でもよくわからない感じだ。
﹁おっと、ウォルフさんが呼んでるな。ほら!﹂
ニクソンは強引にセトルの腕を引っ張った。
﹁うわ! わかったから引っ張るなよ、ニクソン!﹂
448
? ? ?
セトルは集会場の隅にくたびれた様子で座っていた。彼が主役の
パーティのはずが、今ではもうそんなのは関係なくなっている。皆
それぞれが思うがままに楽しんでいた。
﹁どうしたセトル? つまらねぇ顔して﹂
とそこにアランとサニーが声をかけてきた。
﹁いや、ちょっと疲れたかなって﹂
セトルは苦笑気味に微笑んで答えた。二人はセトルの脇にそれぞ
れ腰を下ろす。サニーがセトルをまっすぐ見、そして、
﹁ねぇ、訊いてもいい?﹂と言う。
﹁何を?﹂
﹁セトルのこと﹂
つまり昔話をしろってことだろうか? セトルは少し考えた。と
いっても、話すかどうかではなく、何から話そうかということをだ。
その間、二人からずっと視線をあてられていた。
﹁僕が住んでたところは、この世界ではミラージュと呼ばれている
ところなんだ﹂
そこでもう既に二人は言葉を失った。ミラージュと言えば、あの
幻影の村のことだ。にわかには信じがたい。
﹁マジで?﹂とアランが疑いの眼差しを向けて呟く。
﹁マジだよ。この瞳がその証拠さ。︽蒼き瞳︾は︽テュールの民︾
って呼ばれている﹂
﹁テュールって⋮⋮神様の?﹂
サニーが首を傾げた。テュールとはお伽話︱︱といってももう本
当にあったことだとわかっているが︱︱に出てくる世界を一つにし
た神のこと。また、そこからとって最初の月の名称でもある。
﹁うん。そのテュールだよ﹂
﹁じゃあ、あの三人も?﹂
449
サニーの頭にワース、アイヴィ、スラッファの顔が浮かぶ。三人
ともセトルと同じサファイアブルーの瞳をしているのだ。
セトルは頷いた。いつかワースが言っていた﹃神に愛されし者の
瞳﹄とは、そのテュールの民を指すものだろうと思われた。
﹁ワースは僕の兄さんなんだ。本当の名前はガルワースって言うん
だけど⋮⋮﹂
その点に関して二人は別に驚かなかった。
﹁やっぱりな。何となくそんなこったろうと思ってたんだ﹂
ワースの容姿、セトルに対する接し方、その全てがセトルの兄と
いうことを物語っていた。たぶんこの場にいない仲間たちも、その
ことには気づいているだろうと思われる。
﹁何で偽名使ってるの?﹂とサニー。
﹁別に偽名じゃないよ。愛称っていうのかな。僕も﹃ワース兄さん﹄
って呼ぶこともあるし﹂
﹁で? 結局何しに来てるんだ?﹂
アランは両掌を枕にして寝転がった。セトルは黙った。黙って二
人の顔を交互に見る。やがてほとんど溜息に近い息を吐く。
﹁あんまり言いたくないんだけど、まあ、二人にならいいか。僕た
ち四人︱︱いや、正確には三人だったんだけど、ある使命を持って
この世界に来てるんだ。この世界を見る。そして正しい方向へ密か
に導いていく。それが僕らの、テュール神に与えられた使命。だか
ら、できるだけ人には明かさず、最初は中立的傍観者として世界を
見るつもりでいたんだ﹂
﹁アルヴァレスの時は、その使命によって動いていた⋮⋮ってこと
か。ところで正確には三人ってどういうことだ?﹂
寝転がったままアランが訊く。すると、セトルは少しだけ寂しそ
うな表情を見せる。
﹁僕は、本当は行かないことになってたんだ。信託が僕に下りなか
ったこともあるけど、十八にならないと村の許可が出ない。だから
無理やりついて行こうとしたんだ。でもトラブルに巻き込まれて、
450
気がついたらここにいた﹂
セトルはあの時のことを思い出していた。セルディアスとしての
最後の記憶。それはまるで昨日のことのように鮮明に思い出せた。
霊陣の光に包まれたあと、セトルとして目覚めるまでのことは覚え
ていないが⋮⋮。
﹁でもよかった﹂
サニーが無邪気な笑顔で言う。なにが? と訊くと、そのままの
笑顔で彼女はセトルを見た。
﹁セトルが無理やりついて行こうとしたこと。そうしなかったら、
あたしもアランもみんなも、セトルに会えなかったわけでしょ?﹂
﹁⋮⋮うん、そうだね。僕も⋮⋮後悔はしてないよ﹂
セトルは前を見て、よくしてくれた村のみんなを眺めた。
︵でもオレは、いつかここを離れないといけない。そうなったらサ
ニーやアランにも二度と会わないだろうな︶
セトルは一人一人の顔を目にしっかりと焼きつけた。できればず
っとここで平和に暮らしたい。
しかし、その時は意外にもすぐ訪れるのだった︱︱。
451
075 新たなる旅立ち
次の日、セトルは主役だったのにも関わらず、集会場の最後の後
片付けを手伝っていた。残っているのはケアリーとサニー、彼女の
両親であるルードとスフィラだけである。
マーズとミセルは早々にインティルケープへと帰り、アランは今
日も狩りに行っている。
すると、集会場の扉をノックする音が聞こえた。それだけでもう
この村の人ではないことがわかる。普通この村の人ならここに入る
ときノックなんかしないからだ。ケアリーが返事をして扉を開ける
と、兵士と思われる男が一人そこに立っていた。セトルとサニーに
は見覚えがあった。あれは独立特務騎士団のものだ。
﹁セトル様はここにおられるでしょうか?﹂
﹁え? ああ、はい。一応いますけど⋮⋮﹂
男が丁寧に言うと、ケアリーは曖昧に答えた。同時に警戒もした
だろう。前に一度、正規軍が間違えてサニーを連れて行ったことが
あるからだ。しかし、今回は違うとわかったようで、彼女はすぐ中
に通した。
﹁僕に何か?﹂
﹁私はワース師団長の使いです。それだけ言えばわかってもらえる
と思いますが、単刀直入に言います。私と共に首都へ来てください。
ワース師団長があなたの力を必要とされています﹂
ついに来てしまった。覚悟はしていたつもりだが、昨日目覚めた
ばかりなのに、タイミングがよすぎる気がする。
﹁わかった。でもすぐにはちょっと⋮⋮﹂
﹁大丈夫です。時間はありますから。ああ、それと師団長からこれ
を渡すように言われてました﹂
すると彼は白い布のような物を取り出し、それをセトルに渡した。
丁寧に畳んであったそれを広げてみると、燕尾のマントだった。
452
︱︱覚えている。これはセルディアス︱︱自分があの時身に纏っ
ていたものだ。
﹁兄さん、持っててくれたんだ⋮⋮﹂
セトルは懐かしそうにマントを見ながら呟き、これを持って来て
くれた彼に礼を言った。
﹁では、私はインティルケープにいますので、準備ができたら来て
ください﹂
﹁はい﹂
セトルは返事をすると、彼は敬礼して踵を返した。静かに扉が閉
められ、集会場の空間に沈黙が降りる。
﹁セトルちゃん、本当に行っちゃうのかい?﹂
やがてケアリーが心配な声で沈黙を破る。それはそうだろう。戻
ってきたかと思えば意識不明で、気がついたかと思えば今度はすぐ
に旅立つことが決まったのだから。義理とはいえ、彼女はセトルの
母親、セトルとしてももっと多くの時間を過ごしたかった。しかし、
セルディアスとしての気持ちの方が今は強かった。セトルはケアリ
ーを向いてゆっくりと頷く。
﹁戻ってはくるんだろう?﹂
ルードがそう訊いてきた。
﹁たぶん。でも、そのまま僕は故郷に帰るかもしれない。そうなっ
たら、ここへは戻れない﹂
もう自分の故郷とかそういうのは全て話してある。故郷がミラー
ジュであるなら、戻れないことも納得してくれたようだ。
﹁明日には行くつもりだから﹂
﹁そんな!﹂
サニーがそう言い、集会場から飛び出していった。追おうかと思
ったが、追えなかった。
﹁とにかく、僕は行く。兄さんとの約束なんだ﹂
セトルも集会場を出ようとした。だがそれをスフィラが止める。
﹁一つだけ、約束してくれない? 必ず、一度はここに帰ってくる
453
こと。いいわね﹂
﹁そうね﹂とケアリー。﹁故郷に帰る前にでも顔を見せなさい。約
束しないと、村からださないよ!﹂
絶対に、というのは難しい。セトルは微笑んだ。
﹁⋮⋮善処するよ﹂
? ? ?
セトルは自分の部屋に戻った。旅立ちの準備をする。あの男性は
インティルケープで待つと言っていたが、そこから船で直接首都に
行くのだろうか? できれば、世界がどのくらい復興しているのか
この目で見てみたい。
出発は明日、そう言った。
︱︱嘘だった。
本当は今夜こっそりと出ていくつもりだ。机の上に書き置きを残
し、村の明かりが消えて皆が寝静まったころにセトルは二階の窓か
ら飛び降りた。
いつもつけている空色の鎧の上からあの燕尾のマントを羽織って
いる。セルディアスとしてこの村を発つ。それはその覚悟でもあっ
た。
薄暗い村をセトルは靴音を殺して歩いた。二年とちょっと、セト
ルとしてこの村で暮らしていた時間。短いようで長いようで、その
思い出の一つ一つが今頭の中に蘇る。
カートライト家、小川の流れる広場、集会場、暗くてよく見えな
いが、セトルの目にはそれらがしっかりと映っていた。
村のアーチまで来てしまった。あとは振り返らず進むだけ。
︵よし!︶
セトルは目を閉じて集中した。すると目の前にぼんやりと輝く青
白い霊術陣のようなものが出現しようとする。その時︱︱
﹁あたしを置いて行こうなんて、そうはいかないんだから!﹂
454
セトルは陣を消し、驚いたようにバッと後ろを振り向いた。そこ
にはサニーがいた。ザンフィを連れ、何やらリュックを背負ってい
る。
︱︱嫌な予感がする。
﹁サニー、何で⋮⋮?﹂
﹁夜にこっそり抜け出す。何となく、今のセトルならそうするかな
って思ってた。そして見事大当たり♪﹂
彼女はニコッと笑う。眩しい笑顔だった。彼女の周りだけ闇を寄
せつけないといった感じだ。
﹁まさか⋮⋮ついてくる気じゃ?﹂
﹁当たり前じゃん﹂
やっぱり。断ってもついてくる。そんな顔をしている。
﹁ダメだ。これは僕らテュールの民の仕事なんだ。サニーに来ても
らってもしょうがないよ﹂
﹁それでも!﹂サニーは引き下がらない。﹁それでも何か手伝える
ことがあるかもしれない。あたしは二度とセトルに会えないなんて
嫌だから⋮⋮﹂
﹁ルードさんたちが心配するぞ?﹂
﹁大丈夫。言ってきてるから﹂
二人はお互い意志の強い瞳で睨み合った。やがてセトルが身を翻
す。
﹁⋮⋮ダメだ。これは?オレ?の問題だから﹂
﹁﹃僕﹄⋮⋮じゃないんだね﹂
サニーは寂しそうにうなだれた。やっぱりあれは聞き違いなんか
じゃなかった。
﹁記憶が戻った時点で、オレはもうセトルじゃない﹂
セトルはわざとそう言う。するとサニーはうなだれた顔をがばっ
と上げた。
﹁違う! セトルはセトル! 記憶が戻っても、セルディアスでも、
あたしの前にいるのはセトル! セトルもセトルって呼んでいいっ
455
ていったじゃん! あたしはセトルについていく。もう決めたんだ
から!﹂
﹁サニー!!﹂
セトルは振り向いて怒鳴った。だがサニーの意志は固かった。セ
トルの怒鳴り声に眉一つ動かさず彼の顔を真剣に見ていた。
セトルはあの時のことを思い出した。あの時はこんな風ではなか
ったが、彼女の同行を
断ったことで、彼女を危険にさらしてしまった。逃げるのは簡単だ。
だけど、今回もそうなってしまうような気がする。
セトルはしばらく沈黙してサニーの意志を確認するように見詰め
る。そして︱︱
﹁⋮⋮危険なこともある。もう村に帰れないかもしれない。⋮⋮命
を落とすかもしれない﹂
﹁うん⋮⋮わかってる。全部わかってセトルと行きたいと思ってる。
お願い、セトル。あたしもつれていって﹂
サニーは深々と頭を下げた。このように彼女が頭を下げたのは初
めて見る。セトルは踵を返した。
﹁好きにすればいい。その代り、僕がサニーのこと守れなくても、
恨まないでよね﹂
サニーは顔を輝かせた。セトルがまた﹃僕﹄と言った。本当の名
前は違っても、セトルはセトル。サニーは歩いていく彼を追いかけ、
背中から飛びついた︱︱。
456
076 サニーの過去
セントラル
水の都︱︱︽アクエリス︾。中央大陸とビフレスト地方の間にあ
るそこは、水の都と言うだけあって美しく、他の町では見られない
水関係の様々な物が観光客の目を引く。湖上にあって、町中にはい
たるところに水路が張り巡らされているので、移動に渡し船を使う
人々も多くいる。
今、セトルとサニーの二人はその町に来ていた。
﹁でもセトルよかったの? そのまま王都に行かなくて﹂
セントラル
北側の港。定期船を下りたところでサニーがそう訊いてくる。
﹁ああ、中央大陸がどのくらい復興しているのか、自分の目で確か
めてみたい。そう言っただろ﹂
セトルは、今さら、というように、彼女を向いて答えた。
? ? ?
時は数日遡る︱︱。
明朝。二人はイセ山道を越えてインティルケープに辿り着いた。
流石にマーズ町長のところへあいさつに行くのはまずいので、二人
はそのまま港へと向かった。
朝の賑わいを見せ始めている港市場を抜けた先に大きな霊導船が
見えた。
独立特務騎士団の船である。
その前には既に今来ることがわかっていたかのようにあの時の兵
が立っていた。
﹁お待ちしておりました。すぐに出航の準備をしますので、少々待
っていてください﹂
兵は礼儀正しく礼をすると、サニーとザンフィがいることには何
も言わず、船の上にいる仲間に手で何かの合図を出した。だが、セ
457
トルはサニーと顔を見合わせて頷くと、その兵に先程自分たちが決
めたことを言った。
﹁悪いけど、僕たちはこの船には乗らない﹂
﹁? なぜですか?﹂
その言葉に振り返った兵は不思議そうにそう訊ねた。
﹁イセ山道を越える時に決めたんだけど、僕たちは少し世界を回っ
セントラル
てみようと思う。でも、そんなに回り道をするつもりはないから安
心して。中央大陸の復興状況をこの目で確認したいだけだから﹂
﹁そうですか、わかりました。では、ワース師団長には私から伝え
ておきます﹂
﹁そんな簡単に決めちゃっていいの?﹂
意外にもあっさり承認してくれた兵にサニーは首を傾げた。彼は
特に戸惑うことなく頷く。彼が全く慌てていないところを見ると、
既にそういう指示をワースから受けているのだろう。
﹁それでは僕たちはこれで﹂
? ? ?
その後、二人は定期船に乗り、アクエリスに到着したのだ。
﹁この街はそれほど被害は出てないみたいだから、もうソルダイ行
きの船に乗ろう﹂
まだアクエリスへ来たばかりだというのに、セトルは無感情とも
思える顔でそう言った。すると、サニーがそんな彼を見て眉を顰め、
何かを決めたように静かに拳を握る。
﹁ねぇ、セトル。どうせならもうちょっとこの街を見て回ろうよ!﹂
﹁え? いや、でも⋮⋮﹂
彼女の明るい言葉にセトルは少し困ったような顔をする。
﹁いいじゃん! ほら、デートだと思ってさ♪﹂
﹁いや、デートって⋮⋮うわっ!?﹂
セトルは彼女に手を取られ、強引に街中へと引っ張られていった。
458
アクエリスは街自体が言わずと知れた観光名所。その美しい街並
みは何度来ても人々に飽きさせない。そんな中を二人は歩いていた。
水関係の店を回り、ときにはそうでもない店を回り、小腹がすく
と軽食を取り、噴水広場で行っていた水の曲芸などを見ていた。
セトルは街を見て回っているうちに、サニーの明るい笑顔で自分
が凄く和んでいることに気がついた。そしてその時には、自然な笑
みを彼女に向けていた。
やがて日は落ちかけ、アクエリスの街はオレンジ色に染まった。
二人は広場の噴水の前に腰掛け、世間話的なことをかれこれ二時
間ほど話していた。もっとも、話のネタはサニーが一方的だったが、
それは仕方のないことである。
﹁でさ、その時アランが騒いじゃって︱︱﹂
何でもない会話。心に焦りを抱いていたセトルだが、その会話が
嫌になることもなく、楽しそうに語る彼女に安らぎと自分の居場所
のようなものを感じていた。
﹁一つ訊いてもいい?﹂
彼女の会話が一区切りついたところで、セトルは唐突にそう言っ
た。
﹁何?﹂
﹁サニーは何で光霊術を学んだの?﹂
すると、彼女は昔を思い出すように目を閉じ、開いたと思うと天
を見上げて、足をバタバタと交互に動かした。
﹁昔、まだあたしが小さかったころなんだけど、カノーネたちをつ
れて村の外に出たことがあるの。それでたまたまいい感じの洞窟を
見つけてさ⋮⋮あ、べ、別に迷ったってわけじゃないんだからね!﹂
いい雰囲気で話に入っていったのが最後の言葉で台無しになった。
セトルは苦笑すると、慌てて何かを否定しようとしている彼女を見
る。
﹁ははは、わかってるよ。続けて﹂
﹁あーもう、絶対迷ったって思ってるでしょ! ⋮⋮えっと、洞窟
459
に入ったのはいいんだけど、中がちょっと入り組んでて、その⋮⋮﹂
﹁迷ったんだ﹂
セトルは思わず噴き出した。彼女は顔を真っ赤にすると手をブン
ブンと振り回す。
﹁あーもう! 違うって! で、中は暗くって狭くって、出口もわ
かんないからみんな怖くなって泣きだしたの。あたしも必死になっ
てみんなを慰めようとしたんだけど、その時洞窟の奥から魔獣が出
てきたの。エッジベアだったかな? とにかくみんな慌てて逃げた。
だけどやっぱり魔獣の方が速くてさ、一人が大怪我をした。その後
のことはあんまり覚えてないけど、村の人が来て助かったみたい。
大怪我をした子も何とか助かった﹂
そこまで言うと、彼女は俯いた。彼女の赤い髪が下がりその表情
はわからないが、恐らく悲しげな表情をしているものと思われた。
﹁だから光霊術を?﹂
﹁うん。暗いのも何とかできるし、怪我だって治せるもん﹂
サニーは隣で丸まっているザンフィの背中を撫でながら答えた。
﹁そのおかげでサニーにはずいぶんと助けられたと思う。感謝して
るよ﹂
﹁本当?﹂
セトルは微笑んだ。その微笑みは記憶をなくしていた時のセトル
のものと同じだった。サニーは輝くように笑うと、突然勢いをつけ
て立ち上がり、セトルを向いた。
﹁ありがと、セトル﹂
二人はそのままアクエリスで一泊し、明朝にソルダイ行きの定期
船に乗った。
460
077 復興の兆し
隕石が落ちたようなクレーター。そこには一ヶ月ほど前まで小さ
な村があった場所だった。アスハラ平原に現れた巨大な塔︱︱蒼霊
砲によって、その村は跡形もなく消し飛び、今のようなクレーター
ができあがった。
だが、その隣に生き残りの村人たちが新たなる村を建設しようと
していた。この村は元々種族間抗争が激しい村だったのだが、今は
そんなものなかったかのように協力して村の復興に取り組んでいる
ようだ。
その中に一人、明らかに他の人とは違う服装をした少女が声高く、
訛りのある言葉を叫んでいた。
﹁ほらそこ、しゃんとする! 自分らホンマにやる気あるん?﹂
﹁いやでも、ちょっと疲れたんで休憩を⋮⋮﹂
その場しのぎのようなテントの前、二人の若者がもっと若い一人
の少女に怒鳴られている。長い黒髪を後ろで結ったアルヴィディア
ンの少女は、藤色の奇妙な服︱︱忍び装束というものらしい︱︱を
あめのもり
着ていて、一目で忍者の里︽アキナ︾の者だということがわかる。
忍者が目立っていいのか? そんな疑問は既に彼女︱︱雨森しぐ
れにとって今さら説明は不要だ。
﹁まあ、いいですよ、しぐれ君。ゆっくりとやってきけばいいんで
すから﹂
そんな彼女に近づいてきたのは、美しい青髪を彼女とは違う位置
で結った好青年だった。
﹁せやかてザインはん、こいつらさっきも休んどったんやで?﹂
﹁焦る気持ちはわかります。でも、強制させる必要はないんです﹂
それを言われ、彼女は言い返す言葉を詰まらした。この村︱︱元
々ソルダイだったところ︱︱の人たちは誰に言われるでもなく皆が
自主的に復興を始めた。今はソルダイの村長と、その息子であり世
461
界平和を望む自由騎士団の隊長でもあるザイン・スティンバーが皆
セントラル
を引っ張っている形になっている。
幸い中央大陸でも被害を免れたアキナの民は、頭領のげんくうの
案で各地の復興に協力している。本当なら影から見守るだけのつも
りだったが、先の蒼霊砲事件は彼らも関わっており、流石に協力し
ないわけにはいかなかった。
そんなガヤガヤとしている中、聞き覚えのある明るい声が耳に入
ってきた。
﹁あーしぐれだ。やっほー!﹂
その声に彼女は振り向くと、定期船の泊っている桟橋から復興に
必要な物資と共によく知っている二人が歩み寄ってきていて、その
内片方の赤毛をポニーテールにしている少女が手を振っていた。
﹁サニー!?﹂
しぐれは驚きと歓喜の混じった声を上げ、その二人に駆け寄った。
そしてサニーの隣にいる銀髪蒼眼の少年を見て一瞬目を丸くするが、
すぐに満面の笑みで顔を輝かせる。
﹁セトル!? よかったぁ、生き返ったんやな!﹂
﹁いや、死んでないし⋮⋮﹂
セトルの呟き程度のツッコミは次の彼女の言葉に?き消された。
﹁いやぁ、ホンマよかったわ! うちも一回はお見舞い行こ思てた
んやけど⋮⋮まあ、忙しくってそれどころやなかったんや。ホンマ
ごめんな﹂
﹁大丈夫大丈夫! 全然気にしてないから﹂
なぜかサニーが答えたが、セトルは特に気にかけることもなく、
しぐれに訊きたいことを言った。
﹁それでしぐれ、ここの復興状況はどんな感じ?﹂
﹁あれ? セトル、マントなんかつけてたっけ?﹂
セトルの質問を完全にスルーし、彼女はセトルが羽織ってある燕
尾のマントを物珍しげに調べ始めた。
溜息をついていると、サニーが彼女を強引にセトルから引きはが
462
す。
﹁それはセトルが記憶喪失になる前に持ってた物! この前ワース
さんの部下って人が届けてくれたの!﹂
眉を吊り上げ、どこか怒ったような口調のサニー。するとしぐれ
はサニーを突き飛ばす形で再びセトルの傍に行く。
﹁てことは、記憶戻ったん?﹂
﹁うん。まあ⋮⋮﹂
﹁ほんなら宴やな! いろいろ聞きたいし、みんな呼んでアキナで
!﹂
顔を輝かせ続けるしぐれに、セトルはゆっくりと首を振ってその
案を断った。
﹁ごめん、パーティはアスカリアでやったし、今は急いでるから⋮
⋮﹂
﹁ワースのところに行くんだね?﹂
いつの間にか来ていたザインが言う。セトルはとりあえず、﹃セ
トルらしく﹄礼儀正しくお辞儀をする。
﹁お久しぶりです、ザインさん。この前来た兄さ︱︱ワースさんの
部下から会いに来るように言われまして。それで、どうせならどの
くらい復興しているのか見て行こうと﹂
﹁うん。見ればわかると思うけど、順長に復興は進んでいるよ﹂
セトルは周囲を見回し、満足したように頷いた。
﹁あれ? セトルが呼ばれたんやったら何でサニーが︱︱﹂
﹁し∼ぐ∼れ∼!﹂
しぐれに突き飛ばされ、尻餅をついていたサニーから凄まじい怒
気のオーラが溢れ出している。
﹁アハハ、ごめんな、サニー。大丈夫やった?﹂
焦ったように笑う彼女を、サニーはキッと睨みつける。
﹁ザンフィ、やっちゃって!﹂
心配そうに彼女に鼻を押しつけていたザンフィは、その指示を聞
くと少し迷った様子を見せてからしぐれに飛びかかった。
463
﹁あわわわ、ちょう待ちザンフィ!︱︱ い、痛い、痛いからやめ
ぇ!﹂
顔を引っ掻かれたしぐれはザンフィを貼りつけたまま走り出した。
﹁フン⋮⋮﹂
サニーは立ち上がると、服についた土をはたいた。
その二人の様子をセトルとザインは苦笑しながら見守っていた。
やがて二人も落ち着き、セトルたち二人は村を発とうとしていた。
﹁もう少しゆっくりしていけばいいのに、と言いたいが、そうも言
ってはいられないのだろう?﹂
セトルがゆっくり頷くと、しぐれが寂しそうな表情でわがままを
言う。
﹁え∼、もっとおってもええやん?﹂
﹁無理言って回り道させてもらってるから、それはできないよ﹂
︵アクエリスでも一日ロスしてしまったからな⋮⋮︶
セトルは微笑んだ。その顔を見てしぐれは諦めたように視線を反
らす。
﹁ま、まあ、それやったらしゃあないわ。うちもついていきたいと
こやけど、今はここから離れられへんし⋮⋮﹂
なぜかうんうんとサニーが嬉しそうに何度も頷く。それが目に入
ったのか、しぐれは眉を吊り上げ、誰にも聞こえないようにぼそっ
と呟く。
﹁うちだって復興作業がなければ⋮⋮﹂
しかし、彼女の呟きが現実になることはない。
セトルたちは最後に礼をして村を後にした。
? ? ?
約四日後、二人は学術都市サンデルクへと到着した。といっても、
この街も復興中で、当初の都市としての美しさは欠片も残ってはい
464
ない。それでもソルダイよりは何倍もマシである。ソルダイが完全
消滅したのに対し、こちらは炎上倒壊しただけだ。
ワースたち独立特務騎士団が本部として使用していたサンデルク
大学はほぼ全焼。なにせそこが狙われた中心だったのだから仕方な
いのかもしれない。今は独立特務騎士団の兵も復興に全面協力して
いる。
奇跡的に助かったのは王立図書館だ。多少の被害はあったが、ほ
とんどの蔵書は無事に残っていたらしい。
と、ここまではしぐれの手紙で知っていたことだ。しかし、ただ
聞くのと実際に見るのとでは全然違うことに改めて気づいた。
歩いていると、いろいろな声が聞こえてくる。
﹁ああ、そこ打ちつけてくれ﹂
﹁はいよ!﹂
﹁ちょっとそこの釘とって﹂
﹁みんな昼飯だよ!﹂
﹁もうちょっと、あとこれだけ⋮⋮うわっ!﹂
ドサリ!
﹁ちょっと大丈夫? この梯子もうやばいんじゃない?﹂
﹁あたたた﹂
﹁お前なかなか手際がいいな。どうだ? 俺と一緒に大工やらねぇ
か?﹂
﹁飯だって言ってるだろ!﹂
﹁おーい、向こうでジャンのやつがトンカチで指打っちまった!﹂
﹁なにやってるのドジね﹂
﹁これどこ置いとけばいい?﹂
﹁その辺で構わん﹂
﹁あー疲れた。ちょっと休憩だな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁飯冷めちまうよ!﹂
﹁痛ってえぇぇぇええぇぇぇえぇぇ!!﹂
465
﹁バカかお前は﹂
様々な人の様々な声。そこに種族という壁は存在しないように見
える。いや、もう本当にそんな壁は存在していないのかもしれない。
﹁これがこの世界の正しい姿。テュールの望んだ共存の世界。目の
色が違うだけで差別するのはやっぱりおかしいと思う。このシルテ
ィスラントではアルヴィディアンもノルティアンもハーフも、みん
な違わない。みんな同じ?人?という存在。最初から世界が一つだ
ったら、前みたいな戦いは起こらなかったのだろうか⋮⋮﹂
セトルは独り言のように、隣を歩くサニーに語りかけているよう
に、感じたことをそのまま口に出した。
﹁うん。みんなこうならいいのに﹂
﹁このまま、この世界をよりよいものにしていこう。サニー、協力
してくれる?﹂
﹁あったりまえじゃん!﹂
サニーは力強く頷いた。
︱︱ そのためには、まずは兄さんに会わないといけない。
セトルはそう思いつつ、サンデルクの大通りを港の方へ向けて足
を進めた︱︱。
466
078 兄弟の再開
地下へと続く暗い階段に三人の靴音が反響する。
一人は独立特務騎士団副師団長であるアイヴィ。茶髪の髪を後ろ
で二つにまとめ、ノースリーブの服を着ている彼女に案内される形
で、セトルとサニーが後ろに続く。何でこんなところに、と思いつ
つも、セトルは一歩一歩階段を下っていく。
王都セイントカラカスブルグに到着したセトルたちは、港で彼女
ルイブラン
に迎えられた。てっきり城へ行くものだと思っていたが、町の郊外
に隠れるように造られた施設へと案内された。
この施設は元特務騎士団︱︱アルヴァレス・L・ファリネウスた
ちが使用していた施設の一つである、とアイヴィが教えてくれたが、
そんなところでワースは一体何をしているのだろうか。
﹁ここは今、わたしたちが使用してるの﹂
そんな疑問を感じ取ったように先頭を行くアイヴィが後ろを振り
向かずに言う。彼女は既にセトルが記憶を取り戻したことを知って
いた。ということは、ワースやスラッファも当然知っているだろう。
すると彼女はクスリと笑う。
﹁それにしても、サニーちゃんまで一緒に来るとはね﹂
﹁やっぱり⋮⋮迷惑ですか?﹂
﹁そんなことないわよ。寧ろ歓迎するわ﹂
茶髪の髪を揺らし、アイヴィはこちらを向いて微笑んだ。
やがて明かりが見えてきた。
そこは地下牢を思わせる小さな部屋で扉はなく、真中にどうやっ
て入れたのか大きな丸テーブルがあり、その椅子に二人の青年が座
っていた。
﹁やっと来たな、セルディアス﹂
入口から一番遠い椅子に、セトルに似た銀髪の青年︱︱独立特務
騎士団師団長ガルワース・レイ・ローマルケイト、通称ワースが腰
467
かけていて、セトルの姿を見るなり、込み上げてくる嬉しさを無理
やり抑えたような口調でそう言った。
﹁久しぶり、ワース兄さん﹂
セトルもどこか嬉しさを抑えたような、照れているような微笑み
をする。
ワースは知っての通りセトルの兄である。彼らは世界を見て正し
い方向に導くテュール神の使徒。本来セトルはその使徒のメンバー
に入っていなかったのだが、いろいろとあって今ここにいる。
﹁とりあえず席に着きなよ。ちゃんとサニー君の分もあるから﹂
スラッファに促され、アイヴィはワースの横に、セトルとサニー
は適当に空いている席へと着いた。
今この部屋に、シルティスラントで青い目を持つ全ての者が集ま
っている。ただ一人、普通のノルティアンであるサニーは浮いてい
るような気分だったが、それを表には出さなかった。
﹁セルディアス、記憶の方はどのくらい戻ったんだ?﹂
セトルが席に着いた途端、微笑んだワースが確かめるように疑問
を口にした。セトルは言われて気づき、自分の記憶を探った。そし
て、少し間を置いて曖昧に頷く。
﹁たぶん⋮⋮全部戻ってると思う﹂
﹁そうか﹂
ワースは安心したように息をつく。
﹁ところでさ﹂とサニーが明るい声で言う。﹁ここってアルヴァレ
スの基地だったんでしょ? 他にもあったりするの?﹂
﹁そうね⋮⋮あと三箇所は確認してるわ﹂
それを聞いてサニーは内心不安になった。もしかしたらアスカリ
ア村の近くにも一つあって、そこにアルヴァレスの残党がいるかも
しれない。その残党が村を襲う光景を彼女は一瞬想像してしまった。
それを察してか、ワースが柔らかい笑みを浮かべる。
﹁大丈夫だよ、サニー君。アスカリアの方にはないみたいだから﹂
﹁まあ、ビフレスト地方のような辺境に施設を造る意味はないから
468
ね﹂
眼鏡をクイッとさせてスラッファが付け足すように言った。
再開のあいさつもほどほどに、話は本題へと入っていく。
﹁それで兄さん、オレに手伝ってほしいことって?﹂
﹁ん? ああ、そうだったな。オレたちは今、世界をあるべき姿に
するために動いている。それをお前にも手伝って欲しい。お前も︽
神霊術︾が使えるのだろ? それはつまりテュールに使徒と認めら
れたということだ﹂
﹁あるべき姿⋮⋮﹂
セトルはソルダイやサンデルク、そしてアスカリアのことを思い
浮かべた。世界の?あるべき姿?⋮⋮アルヴィディアンもノルティ
アンも互いに協力して生きていく世界。セトルが自分とサニーに誓
った世界。理想論かもしれないが、この世界は確実にその方向へと
進んでいる。
だが、次にワースの口から言われた言葉は、セトルの考えていた
期待を完全に打ち砕いた。
﹁そうだ。もう二度と先の事件のようなことを起こさず、皆が平和
テュール
に暮らすには、この世界を完全に分離させるしかない。まずは二つ
の繋留点を解放し、そのあと︽神の階︾にて神の力を使う﹂
﹁!?﹂
セトルとサニーは同時に驚愕した。サニーは?世界の分離?とい
う大それたことに素直に驚いたようだが、セトルは違った。
﹁兄さん⋮⋮それ本気で言ってるの?﹂
﹁ああ、オレは本気だ。それに、これはテュールの意志でもある﹂
平然とワースは答えた。セトルはテーブルの下で拳を握り、その
目は未だに驚愕に見開いていた。そして︱︱
﹁世界を分離させれば、沢山の人が犠牲になる。下手すると人類が
滅ぶほどの沢山の人が⋮⋮。それがわからない兄さんじゃないだろ
?﹂
469
﹁え?﹂
部屋の中でサニーだけがきょとんとする。彼女だけが頭の上に疑
問符を浮かべている。そしてセトルが言ったことを理解するのに少
し時間がかかった。
﹁え、えええええぇぇぇぇぇええぇぇ!?﹂
一人悲鳴を上げるが、蒼眼の四人は彼女を蚊帳の外にして自分た
ちの会話を続ける。
﹁確かにその通りさ、セルディアス君﹂答えたのはスラッファだっ
た。﹁あ、?セトル君?の方が呼びやすいからそっちで呼んでもい
いかい?﹂
﹁ふざけないでください!﹂
バンとテーブルを叩いてセトルは立ち上がった。その際にサニー
がびくっとなったが、セトルはそのことに気づいてはいない。
﹁最善は尽くすつもりだ。できるだけ犠牲が出ないようにね﹂
﹁それでも犠牲無しにはできない﹂
暫し、この空間は沈黙に染まる。だが、空気は異常に張り詰めて
おり、ワースたちは冷静な表情で座ったままだが、セトルは今にも
剣を抜きそうなほど感情が高まっていた。サニーだけは蚊帳の外で
どうしたらいいかとオロオロしている。
﹁ひとまず落ち着け﹂
ワースに言われるままにセトルは座ったが、落ち着いた様子はな
く、握った拳は震えていた。
﹁わかってセルディアス君。もうこうするしかないの﹂
﹁違う!﹂
叫んだのは蚊帳の外にいたサニーだった。そこでようやく彼女も
中に入って来れた。無論、セトル側として。
﹁違う⋮⋮今みんなは協力し合ってる。もうあんなことは起こらな
い﹂
彼女の反論にスラッファが溜息をついた。
﹁サニー君、残念だけどそれは今だけだ。全てが元に戻れば、人は
470
アーティファクト
サヴィトゥード
また同じことを繰り返す。蒼霊砲はもうないけど、精神隷属器のよ
アーティファクトウェポン
うな強力な古の霊導機はこの世界にいくらでも眠っているからね﹂
﹁ほとんどの古の霊導機武器は対他種族のために作られた物だから、
世界を分離させて、それぞれの種族で分ければ、もうそんなことは
起こらないの﹂
アイヴィが説明を続けた。すると、セトルは俯いて呟くように言
う。
﹁確かにテュールの力を使えばそれも可能だよ。オレたちテュール
の民もテューレンに戻れば、それで問題ない﹂
セトルは顔を上げてワースをまっすぐ見た。その顔は先程とは違
い、至って冷静なものだった。
﹁理解してくれたか?﹂
セトルはゆっくりと頷いた。
﹁セトル!?﹂
サニーが眉を曇らせてセトルを見詰める。その心配そうに揺れる
瞳をセトルはただ受け止めることしかできなかった。
﹁最後に訊こう。どうする?﹂
単純だが、彼らの運命を左右するような質問をワースは投げかけ
た。だが、セトルの答えは決まっている。彼ははっきりと自分の答
えを目の前の兄に淡々と告げる。
﹁協力は⋮⋮できない﹂
その言葉でサニーの顔が輝いたが、蒼眼の三人はまるでその答え
がわかっていたかのように眉一つ動かさなかった。ただ、彼の次の
言葉を待っている。
﹁セルディアスのままのオレならたぶん協力していたと思う。だけ
ど、世界をこの目で見て回り、いろいろな人と関わったセトルであ
る僕にはできない﹂
セトルはそこで次の言葉のために静かに息を吸う。
﹁兄さん。僕は、全力であなたを止める!﹂
再び暫しの沈黙。
471
その中でサニーは依然として顔を輝かせ、ザンフィはセトルの変
化を理解しているように、キキ、と鳴いた。
﹁⋮⋮﹂
ワースたちが静かに立ち上がる。それと同時にセトルも立ち上が
った。流石にサニーの表情も緊迫したものに変わる。
﹁なるほど、わかった。お前の意志は固いようだ。もうオレが何を
言っても無駄なのだろう?﹂
緊迫した面持ちのまま、セトルはあえて口元に笑みを浮かべ、余
裕そうに頷く。その頬を汗が一滴流れ落ちる。
サニーは扇子を抜いたが、他の四人は誰も武器を取ろうとはしな
かった。
次の瞬間、セトルとサニーの足下にそれぞれ青白い霊術陣が出現
する。
﹁これは!?﹂
セトルには発動前にそれが何なのかわかった。しかし、逃れるこ
となどできず、霊術陣の光に二人は呑み込まれた︱︱。
472
079 投獄
目の前に真っ白な世界が広がった。
しかしそれも一瞬のこと。視力が戻ると、セトルは別の部屋にい
た。建物の造りが一緒なので、あの施設内のどこかであるというこ
とはわかる。といっても、先程とはまた違った雰囲気であり、向こ
うに上に続く階段が見えるが、どうやらそこへ行くことはできない
ようだ。
﹁やられた⋮⋮﹂
自分と階段との間に、鉄格子のような黒いものがあった。
今度は本当の地下牢のようだ。
サニーはたぶん隣の牢だ。さっきから声一つ出さないところを見
アーティファクト
ると、気を失っていると思われる。先程の霊術陣で攻撃されたのだ
と思ったのだろう。
︱︱ あれは転移霊術。古の霊導機に頼ったものじゃなく、自分た
ちだけが使える︽神霊術︾と呼ばれるものだ。
セトルが時々見せていた不思議な力も、全てはその︽神霊術︾で
あった。
セトルは剣を抜いて鉄の檻に斬りかかった。どう見てもただの鉄
なので、霊剣であるレーヴァテインなら簡単に斬れる︱︱はずだっ
たが、見えない力に阻まれ、セトルは霊剣ごと弾き飛ばされた。
﹁無駄だ﹂
どこからともなくワースの声が牢内に響く。すると、牢の向こう
に三つの転移霊術陣が現れ、ワースをはじめとする蒼眼の三人が姿
を現す。
﹁残念だが、内部から破壊することはできない。たとえ神霊術でも
な﹂
﹁オレたちをどうするつもり?﹂
セトルは無駄だということがわかった霊剣を鞘に納めながら訊く。
473
サニーを人質に取られて無理やり言うことを聞かされる︱︱そんな
ことを一瞬考えてしまったが、彼らはそんなことをするような人た
ちではないことをセトルはよく知っていた。
﹁少し大人しくしていればいい。別に殺すつもりはないし、全てが
終わる時には解放してやる﹂
﹁ここから出せ!﹂
とは言えなかった。意味無く吠えても無駄なだけである。たとえ
今から協力すると言っても、自分と同じ銀髪蒼眼の青年は出しては
くれない。
﹁いい子にしていれば、必ず迎えに来るわ﹂
子供をあやすような言葉をアイヴィが微笑みながら言う。
﹁まあ、正直君を敵に回すと、こちらとしては面倒だからね﹂
スラッファは皮肉めいた笑みを、眼鏡を押さえて隠した。
﹁そういうことだ⋮⋮悪いな﹂
﹁兄さん!?﹂
少し寂しそうにワースはそう言うと、マントを翻して階段を上っ
ていった。あとの二人も彼に続き、静寂な地下牢には自分たちだけ
が虚しく残された。
? ? ?
﹁それで? 僕たちはこれからどこに行くんだい?﹂
既に施設とは別の場所。周囲は暗く、夜だということがわかる。
そして向こうに多くの明かりが見えることから、ここが首都近郊で
あることもわかる。
ポイント
そこでスラッファは今後のことをワースに訊ねた。
﹁まだ繋留点に行くわけにはいかないからな。ひとまず︽アブザヴ
ァルベース︾に行くことにしよう﹂
﹁了解﹂
474
080 捕らわれの二人
ワースたちが立ち去って一日近く発とうとしていた。
僅かな灯りはあるが、薄暗い地下牢は、セトルはともかくサニー
にとっては相当つらいものだろう。
既に状況は話してあり、彼女もそれを理解している。だが︱︱
﹁ねぇ、ホントにここ壊せないの?﹂
不安を抑えきれないサニーは、わかっていながらそう訊かずには
いられなかった。
﹁うん。サニーが寝てる間にいろいろ試したけど、兄さんの言う通
り、神霊術ですら傷一つつかない﹂
︵まあ、オレの神霊術は攻撃なんかできないんだけど⋮⋮︶
壁越しに話しながら、セトルは彼女がまだ落ち着いているという
ことを確認する。
ザンフィなら隙間から外へ出られるのではと期待したが、明らか
に隙間の幅が小さすぎた。
﹁ところで︽シンレイジュツ︾ってなに?﹂
︱︱ そういえば彼女に説明してなかった。
﹁文字通りだよ。神の霊術。攻撃・防御・治癒・移動⋮⋮ちゃんと
試練を受けたのならほとんど何でもできるかな﹂
セトルの使える術は主に守り主体のものだった。もともと試練を
受けて使えるようになったわけではないので、セトルはそれが限界
だった。もっとも、試練を受けているワースはほとんど神に近い存
在となっているのは確かだ。
﹁へー、あたしでも?﹂
﹁それは無理﹂
﹁何で?﹂
﹁神霊術はテュールの民の、それも神に使徒として認められたもの
じゃないと使えないんだ。僕は使徒として認められたようだけど、
475
試練は受けてないから兄さんほどうまく使えない﹂
サニーはわかっているのかわかってないのか、ふーん、とだけ相
槌を打った。
セトルは階段の方に顔を向ける。近くに人の気配はないが、あの
階段の上には見張りくらいいるだろう。
殺さないと言っただけ、セトルたちにはきちんとした食事が与え
られた。牢の中も、全く物が置いてないということはなく、ベッド
や洗面道具、真新しい毛布が二枚、着替え用の服も何着かタンスの
中にあった。他にもいろいろと小物が置いてあり、トイレも一応個
室になっている。
置いてある物だけで見ると、?牢?という名の普通の部屋である。
︵まるでこうなることがわかってたみたいだ⋮⋮。オレの考えなん
かお見通しってことかな︶
ワースの用意周到さに、セトルは少し自嘲気味の笑みを浮かべる。
﹁あの階段からウェスターでも下りてきて、﹃助けに来ましたよ﹄
とかって言ってくれないかなぁ﹂
壁の向こうからまずあり得ないことをいうサニー。もしかすると
そろそろ限界なのかもしれない。
﹁それはな︱︱ん?﹂
それはないだろ、と言おうとした矢先、階段から白いものが飛ん
でくるのを見た。
くわ
それは一羽の真っ白な鳥だった。鳩くらいの大きさのその鳥は口
何かを銜え、セトルの牢の方へとまっすぐ飛んでくる。
﹁これは⋮⋮﹂
白い鳥は︱︱紙でできていた。
﹁アキナの式神!?﹂
サニーが驚きの声を上げる。その声を聞いて見張りが飛んでくる
かと思ったが、どうやら今は声の届く範囲にいないようだ。
﹁あれ? 何か銜えて⋮⋮鍵?﹂
セトルがそのことに気づいたのと同時に、式神はセトルの牢の鍵
476
穴に飛び、器用に鍵を差し込んで回した。ガチャリと音がし、鍵が
外れたことがわかる。
﹁あ、開いた⋮⋮﹂
セトルは慎重に牢の扉を押すと、当然だがあっさりと開き、牢の
外へ出ることができた。
しばらく訝しんで天井を旋回するアキナの式神を見ていたが、や
がてハッとして鍵穴から鍵を抜く。
﹁サニー、ちょっと待って、今開けるから﹂
﹁早くね﹂
二つあった鍵のセトルの牢とは違う方を、サニーの牢の鍵穴に入
れると、やはりガチャリと音がして簡単に扉は開いた。
サニーは出てくるやいなや、大きく背伸びをして、気合いの入っ
た声を上げる。
﹁よーし! ここから出られたらこっちのもんよ! 早くあの三人
をとっちめに行くわよ!﹂
﹁待ってよ、サニー。ていうか声大きい。牢は出られたけど、ここ
を脱出できたわけじゃないんだから﹂
セトルが警戒しつつやれやれと肩を竦める。
﹁あーもう! じゃあ、ちゃちゃっとここから出ようよ?﹂
サニーは声のトーンを些か落としてからそう言う。
﹁そう言われても簡単じゃないよ﹂
﹁う∼ん⋮⋮何か作戦とかあるの?﹂
肩に飛び乗ってきたザンフィを撫でながらサニーが訊くと、セト
ルは口元に手を持っていき、しばらく俯いて考えていたが、ふと前
を見ると、式神が紙の翼を羽ばたかせてセトルをじっと見るように
空中停止していた。
﹁こいつ、何でまだ⋮⋮そうか!﹂
セトルは式神が階段の方を示しているのを見、これがまだ役割を
終えていないことに気づく。アキナの式神はその役割を終えれば、
主人の元に帰るかその場でただの紙に戻るかする。だが、この式神
477
はそのどちらもしていない。
﹁どういうこと?﹂
サニーが首を傾げる。
﹁ついて来いってことだよ﹂
478
081 脱出
﹁ねえ、やっぱりアレってしぐれかな?﹂
式神の後を追いながらサニーはそれほど大きくない声でセトルに
言う。
﹁さあね。アレが誰の式神でも、今はついて行くしかないよ﹂
階段を上ったところには見張りはいなかった。それどころか、式
神が飛んでいく方角には誰一人としてすれ違う者はいなかった。そ
れだけこの施設は少人数ということなのだろうか、いや、恐らく式
神はこの時間誰もいない通路を選択して飛んでいるのだろう。セト
ルたちだけで外に出ようとしたら、既に何人かに見つかっていたの
はまず間違いない。
やがてある小部屋にセトルたちは招かれた。しかし、そこには誰
もいない。
室内を見回していると、式神は机の下の床に開いた小さな隙間に
入っていった。
﹁隠し通路!?﹂
床には正方形の切れ目のようなものがあり、そこがずれて暗い穴
がぽっかりと覗いていた。セトルがそこを完全に開くと、梯子が下
へと続いている。
まずサニーに行かせ、セトルは辺りを警戒しながら彼女の後に続
き、蓋を閉めた。
真っ暗になった。
﹁きゃっ!?﹂
﹁サニー、どうしたの?﹂
突然の小さな悲鳴にセトルは反射的に下を見たが、真っ暗で様子
がわからない。すると、下にぼんやりと輝きが現れる。その輝きが
徐々に大きな球体を作り、どこか涙ぐんだサニーの顔を照らす。
﹁きゅ、急に閉めないでよ! びっくりするじゃない!﹂
479
﹁ごめん⋮⋮﹂
︵そういえば、サニーが光霊術を習ったきっかけの一つは暗闇だっ
たっけ︶
光が広がっていき、サニーは自分が安心できるほどの光量になっ
たところでほっと息をついた。
長い梯子を下りて辺りを見回すと、そこは意外と広い地下通路だ
ライトスピリクル
った。殺風景だが、壁には照明霊導機が奥に向けて左右対称に設置
ライトボール
され、それは今も起動している。光霊素が少ないためか、そこまで
ライトスピリクル
明るくはないものの、サニーの光球はもう必要ないだろう。それに
大気中の光霊素がなくならない限り半永久的に起動するもののよう
だから突然消える心配もなさそうだ。
式神は⋮⋮いた。少し奥に行ったところで二人が来るのを待って
いる。
﹁ここって何なんだろ?﹂
式神についていきながら、サニーは周囲を見回してそう言う。
﹁普通に考えたら緊急用の地下通路だろうね。入口も隠すようにし
てあったから﹂
アルヴァレスがいない今、特に気にすることもないだろう。寧ろ
今気にすることはワースたちの動向と、あの式神の主だ。
しばらく歩いていると、式神は何かに反応したように加速した。
二人は顔を見合せて加速した式神を追おうとするが、すぐに足を止
めることとなる。
鳥の形状をした式神が何者かの掌の上に泊まった。
﹁お前は⋮⋮﹂
セトルとサニーは二人とも目の前にいた意外な人物に目を丸くし
た。
そこにいたのは︱︱ ? ? ?
480
同時刻︱︱迷い霞の密林奥の里、アキナ。
里の一番奥、温泉の湯気が上がる一階建ての広い家の一室で、一
人の男性が木製の軸の先に動物の毛を穂にしてはめた物に黒色の液
体をつけていた。
彼は木製の机の前に正座し、机の上には真っ白な紙が敷かれてあ
る。四十代前半といったアルヴィディアンの男には、ただならぬ気
迫のようなものが漂っており、旋毛の辺りで結った若々しい黒髪が
風もないのに靡いているように見える。
この部屋全体が静寂しきっていた。
だが、その静寂を破る声が引き戸の向こうから聞こえた。
﹁頭領、少しよろしいですか?﹂
アキナの頭領︱︱げんくうはピタリと手を止め、ゆっくりと顔を
上げてから威厳のある口調で引き戸の外にいる者に答える。
﹁はくまか、入れ﹂
﹁失礼します﹂
両者とも独特の訛りがある口調で言葉を交わし、外にいる者が静
かに引き戸を開けて中に入る。
それは黒髪をしたアルヴィディアンの少年だった。だが、ただの
少年ではなく、雨森しぐれと同系統の、彼女のより青っぽい忍び装
束を身に纏っている。
彼は無駄のない動きで頭領の前まで行き、懐から机の上に置かれ
ているものよりも一回り小さい紙を取り出す。
﹁式神⋮⋮あいつのやな﹂
げんくうは紙を見ただけでそれを判断した。はくまは頷くと、無
言のままその紙を頭領に渡す。但し、手渡しではなく、紙ははくま
の掌から自分で飛び立ち、蝶のように羽ばたいてげんくうの掌に乗
る。
紙を広げてみると、暗号のような文字がびっしりと︱︱は書かれ
ていなかった。暗号となっているのは確かだが、実に簡潔に書かれ
てあった。
481
くだり
﹁⋮⋮ふっ、相変わらず無駄な件はないんやな﹂
げんくうは手で顎を擦りながら口元に笑みを作るが、目は全く笑
っていない。
解読はほんの三十秒ほどで終わった。それほど文字数が多いわけ
ではなかったが、流石はアキナの頭領なだけはある。
はくまはまだ読んでいないので内容は知らないが、全てを読み終
えたげんくうの深刻な表情で吉報か凶報かの判断はできた。
﹁頭領⋮⋮﹂
少し心配そうな表情ではくまはげんくうの言葉を待つ。
﹁今度の敵は、前より甘くはなさそうや﹂
その言葉は独り言のようにぼそっと呟かれたものだったが、静寂
な部屋の中では十分に聞こえる音量だった。
﹁ワース、あんたは本当にこの星を⋮⋮﹂
482
082 意外な手助け
﹁どういうことだ?﹂
警戒心を膨れ上げ、重々しくセトルは目の前に現れた者に言葉を
投げかけた。
﹁何で⋮⋮何でここに⋮⋮ひさめがいるのよ!﹂
驚きと困惑で戸惑いながらサニーは悲鳴に近い声を地下通路に木
霊させる。
﹁⋮⋮﹂
そこにはサニーに似た赤い髪をアキナ風に結ったノルティアンの
少女が無表情に立ち塞がっていた。掌の式神がただの紙に戻る。ど
うやらあれの主は彼女だったようだ。
﹁僕たちに復讐でもするつもり?﹂
彼女は先の蒼霊砲事件を引き起こしたアルヴァレスの手先、それ
も四鋭刃と呼ばれていた幹部の生き残りだ。アルヴァレスとの戦い
の前に捕えて捕虜にしていたが、その後のことはセトルたちは何も
知らない。
アルヴァレスの残党を率いてまた何かを企んでいるという可能性
がある。そしてそのために今、邪魔者となる自分たちを消しに来た。
それがまず二人の頭に浮かんだ状況である。
﹁⋮⋮﹂
ひさめは人形のように無感情でセトルの顔を見る。質問に答える
気はない、まるでそう言っているようだ。
﹁もしかして⋮⋮ここに住んでたとか?﹂
サニーが訊くが、やはり眉一つ動かさない。ここに住んでいた︱
︱その可能性はなくはない。ここは元々アルヴァレスの施設だ。あ
の後逃げ込んでこの地下に身を潜めていたのかもしれない。
﹁こっち﹂
ようやく彼女が喋ったかと思えばたったそれだけ。すると彼女は
483
こちらのことなどどうでもいいように一人で奥へと進んで行く。
相手の意図がわからないが、二人は顔を見合せて、とりあえずつ
いて行くことにした。
﹁あの∼、ホントどういうことか説明して欲しいんだけど?﹂
サニーはひさめの早足に合わせて歩きながらだるそうに言う。ひ
さめはちらりとサニーを見ると、すぐに前を向いて一言だけ喋った。
﹁⋮⋮あんたらを助けた﹂
﹁あの∼、ホント意味わかんないんですけどー﹂
﹁⋮⋮﹂
ひさめは黙ったまま何も答えない。
︵敵意はないみたいだけど、あの顔じゃそれもよくわからないしな。
警戒は解かないでおこう︶
セトルは観察するように前を歩く彼女を見、何も話してくれない
ので頭の中で思考を巡らす。
﹁ねぇ∼、何か喋りなさいよ∼﹂
﹁⋮⋮﹂
完全無視︱︱というわけではないようだ。サニーが話しかけるた
び、ちらりと感情のない目線が彼女を向く。といっても一瞬だが⋮
⋮。
︵この二人、同じ赤毛ポニーテールのノルティアンなのに性格は正
反対だな︱︱って、そんなことはどうでもいい。えーと、ひさめが
オレたちを助ける理由は︱︱︶
思考が脱線しかけたのを元に戻し、セトルはもう一度その理由を
考え始めた。だが、いくら考えても悪い方向のことばかり考えてし
まう。
﹁セトルからも何か言って!﹂
﹁無駄だと思う﹂
セトルはもう半分諦めていた。彼女がまともに会話をする人がい
れば、それは恐らくしぐれくらいなものだろう。忍者としては問題
ない性格かもしれないが、やはりしぐれとまではいかなくとも、も
484
う少し愛想よくしてくれればこちらもいろいろとやりやすい。
突然、ひさめは立ち止まって上を見上げた。つられて二人も見上
げると、そこにはまた長い梯子が伸びていて、そのずっと先に光の
点が見えた。
﹁出口︱︱!?﹂
ぼそっと呟くように言ったかと思うと、ひさめは何かを感じたよ
うに勢いよくこちらを振り返った。
﹁サニー、そのまま動かないで﹂
﹁え? な、何?﹂
セトルにそう言われ、サニーはわけがわからずあたふたするもの
の、とりあえず言われた通りその場でじっとした。
すると、セトルが振り向きざまにレーヴァテインを抜く。
ガキンという金属と金属がぶつかったような音がサニーの後ろで
響き、少し遅れて誰かの悲鳴が地下内に木霊した。
﹁どうやら、見つかったようだ﹂
ゆっくりと前に進みながらサニーは恐る恐る後ろを振り向くと、
そこには独立特務騎士団の兵士︱︱つまりワースの部下が四人、抜
き身の剣を構えてこちらを睨むように見ていた。もっとも、四人の
内一人は先程セトルの峰打ちをくらって倒れていたが。
﹁この!﹂
残り三人の兵士の一人が大上段に剣を構える。だが、その喉に黒
くない
いものが刺さり、血飛沫を上げて崩れた。
ひさめの投げた苦無だった。
彼女はセトルとは違い、容赦なく敵の命を奪ったが、やはりその
表情にはどこも変化は見られない。寧ろサニーの方が突然のことで
顔を青くしている。残り二人の兵士もサニー同様顔を青くし、恐れ
の視線でひさめを見る。
﹁せ、セトル様、我々はワース師団長にあなたを外に出すなと、い、
言われているんです。ど、どうか戻ってはくれませんか?﹂
震える声で兵士の一人がセトルに頼みこむが、セトルは悩むこと
485
もなく首を横に振ってその頼みを拒否した。
﹁あなたたちは兄さんが何をするつもりか知ってるんですか?﹂
もう一人の兵が怯えながらもはっきりと言葉を紡ぐ。
﹁はい⋮⋮でも我々は師団長を信じています。師団長が星を分ける
ことで、戦争のない平和な世界が築けると。︱︱ですから、おとな
しく戻ってくれませんか?﹂
﹁誰があんな寂しい所に戻るもんですか!﹂
落ち着いてきたサニーが眉を吊り上げる。すると、兵たちは剣を
構え直し、覚悟を決めたようにその目から恐怖を消していく。
﹁でしたら、力ずくで連れ戻します! 師団長の邪魔はさせません
!﹂
兵士がそう宣言したのと同時に、後ろから援軍が到着した。その
数からして恐らくこの施設にいるほとんどの兵士たちがこの場に集
結したようだ。
﹁あーもう! やっぱりこうなる﹂
﹁⋮⋮﹂
サニーは仕方ないといった様子で扇子を開き、ひさめは無言のま
ま忍刀を抜いた。今は彼女を味方として見てもよさそうだ。そうな
ると、実に頼もしい存在ではある。
︵お願いだからいきなり背中からグサリってのはやめてくれよ︶
セトルは心中でそう願いながらも、ひさめに背を預ける覚悟をす
る。
﹁かかれ!﹂
誰かの合図で兵士たちは一斉に躍りかかってきた。誰もが本気の
目をしている。殺る気でいかなければこちらがやられる。彼らが相
手にしているのはそういうレベルの相手だ。
兵の一人がひさめの脳天をかち割る勢いで剣を振るう。彼女は二
人の脱獄を手助けした者。彼らにとってこの中では本当に殺しても
構わない存在である。
﹁⋮⋮排除﹂
486
ひさめがぼそっと呟いたかと思うと、彼女は既にそこにはおらず、
剣は空振りして空気を斬っていた。
何が起こったのかわからない兵士は、次に彼女の姿を見ることも
なくその場に倒れ伏した。その背中に苦無が深々と突き刺さってい
る。
﹁ひさめ、なるべく殺さないで!﹂
セトルはそう言いながら霊剣で三人を薙ぎ倒す。もちろん峰打ち
だ。今ここでこの人たちの命を奪ってしまえば、自分は兄と犠牲と
いう点で同じことをしていることになる。仕方のない時はあるだろ
うが、今はそうじゃない。
﹁⋮⋮﹂
わかってくれたのだろうか。ひさめの無言無表情ではよくわから
ない。だが、忍刀を反したところを見ると大丈夫そうだ。
﹁ひゃあっ!?﹂
サニーは短い悲鳴を上げながら剣を扇子で挟むように受け止めて
いた。彼女の扇子は戦闘用の特殊な物。そこいらの剣ではまず斬れ
ない。しかし、女性で術士である彼女にこの状態を押し負かすだけ
の力はなかった。
﹁ざ、ザンフィ!﹂
すると、彼女の脇から茶色いものが飛び出し、兵士の顔面にタッ
クルをくらわす。兵士が揺らいだ隙にサニーは脱出し、術の詠唱を
始める。
﹁︱︱澄み渡る明光、壮麗たる裁きを天より降らせよ、ディザスタ
ー・レイ!!﹂
上天の光球から放たれる無数の光線が兵士たちに降り注ぎ、その
ひしゅうれんぶ
数を一気に減らした。もちろん加減はしているので死者はいない。
﹁︱︱はあぁ! 飛蹴連舞!!﹂
セトルはその技を飛び上がり二段蹴りのみで済まし、最後の一人
が床に叩きつけられるのを見送った。
﹁が⋮⋮ワース⋮⋮師団長⋮⋮﹂
487
そのままその兵士も意識を失い、この場に立っているのはセトル
たち三人だけとなった。
﹁甘いよ。世界が分かれても、争いがなくなることはないんだから
⋮⋮﹂
セトルはもう聞こえていないのを承知でそう語りかけた。
ひさめが踵を返し、梯子に手をかける。
﹁出口⋮⋮二人が来てる﹂
﹁二人?﹂
サニーが首を傾げるが、ひさめは答えないまま梯子を登り始めた。
セトルたちもそれに続くが、ひさめの最後に言ったことが非常に気
になった。
488
083 合流
梯子を上った先は洞窟のようになっていた。
外への出口はすぐそこにあり、久しぶりに感じる日の光がそこに
見える。出てみるとそこには波打つ真っ青な世界が視界全体に広が
った。
﹁海だ⋮⋮﹂
セトルは呟き、辺りを見回す。ここはどこかの海岸のようだった。
水面に突き出た岩礁に波が打ちつけられ、白い水飛沫を飛ばしてい
る。潮の匂いを纏った風がセトルたちを弄ぶように吹きつける。
﹁ん∼何か気持ちいい♪﹂
久しぶりの開放感にサニーは思いっきり背伸びをした。
﹁それで、これからどうすればいいんだって、あれ?﹂
セトルが答えは返ってこないと知りつつひさめを振り向くと、そ
こにはもう彼女はいなかった。
﹁いた。あんなところに⋮⋮﹂
セトルたちが開放感に浸っている間に、ひさめは崖を蹴りながら
上へとスピーディに登っていた。二人も慌ててついていこうとする
が、流石にこの崖を彼女のようには登れない。
﹁きつい∼﹂
サニーは悲鳴を上げながらもしっかりとセトルの後についていっ
た。
そして、ようやくセトルが上まで辿り着き、サニーに手を貸して
引き上げる。
﹁⋮⋮遅い﹂
意外にもひさめは待っていてくれた。
崖の上には草原が広がっている。位置は恐らく首都とティンバル
クの丁度中間といったところだろう。
﹁ひさめ、二人っていうのは︱︱﹂
489
セトルがそれを訊ねようとした時、その二人は向こうから現れた。
﹁セトルー! サニー! 無事かいなー?﹂
聞き覚えのある声だ。三人が一斉にそちらを見ると、藤色の忍び
装束を着た見覚えのありすぎる少女と、茶髪で長身のやはり見覚え
のありすぎる青年が手を大きく振りながら駆けてきた。
﹁しぐれ!? それにアランも!?﹂
驚きに目を見開いてサニーはその二人の名前を呼んだ。
? ? ?
﹁で? 二人とも何でここに?﹂
手頃な岩に腰を下ろし、セトルは二人がここにいる理由を訊いた。
あの後、落ち着ける場所まで移動し、まだ日は高かったがそこで
キャンプをすることにした。
﹁何で? わからねぇか?﹂
﹁?﹂
質問を質問で返すアランにセトルとサニーは首を傾げた。
﹁誰かさんたちが村から勝手にいなくなったからよ、俺が追いかけ
てきたんだ。セトルの無事を確認し、あんな置手紙だけ残したサニ
ーを連れ戻しにな﹂
ああ、ととりあえずセトルは納得し、地面に敷いた敷物の上に座
っているサニーを見る。彼女はあたふたと明らかに動揺し、顔の前
で手を無茶苦茶に振っている。
﹁サニー、親には言ってきたとか言ってたけど、許可はもらってな
かったんだ﹂
﹁え? いや⋮⋮それは⋮⋮その⋮⋮﹂
手を振るスピードを増してサニーは言い訳を考えているようだが、
思いつかずしゅんと萎れる。
セトルは溜息をつくと、今度はひさめに一方的に話しかけている
しぐれに目をやる。
490
﹁何となく察しはつくけど、しぐれはどうしてここにいるの?﹂
﹁ああ、うちはソルダイでアランに会ってな。そんで頭領の許しも
ろて一緒に来たんや。んで、首都まで来たんはええんやけど、二人
がどこにおるかわからへんでな、首都中を捜してたところに、ひさ
めから式神が届いたんやー♪﹂
と嬉しそうに言いながら彼女はひさめに馴れ馴れしく頬擦りをす
る。ひさめは特に抵抗する様子はなく、ただ無表情のままそれを受
け入れていた。だが、ほんの少しだけ頬が赤くなって見えたのは気
のせいだろうか。
﹁やっぱり⋮⋮。ひさめが﹃二人が来てる﹄って言うから、てっき
り他の四鋭刃の生き残りかと思ったよ﹂
﹁そうだ! 何でアルヴァレスの残党のひさめがあたしたちを助け
てくれたの?﹂
サニーが一番訊きたかった疑問を思い出したように口にすると、
しぐれは頬擦りを止めてキョトンとした表情をする。
﹁な∼に言ってんのや、サニー。前にひさめはアキナに戻ったって
手紙に書いたやん? 今は償いのために世界中回ってるんよな!﹂
唐突に振られたにも関わらず、ひさめは無表情のまま頷いた。
﹁手紙に? えっと、ん? ? ! ?? あっ!?﹂
必死に記憶の中を探ったサニーは、思いだしたのかハッとする。
だが、
﹁そ、そんなこと⋮⋮か、書いてなかったわよ⋮⋮﹂
﹁嘘や﹂
誤魔化そうとしたサニーにしぐれは呆れたように目を細めて言っ
た。
﹁残念だな、サニー。俺が覚えてるよ。まあ、サニーが忘れてたん
なら、セトルが知らないのは当然だな﹂
皮肉めいた笑みを浮かべながらアランは、メシにするか、と言っ
て立ち上がり、向こうで荷物から材料などを取り出して夕飯の支度
に取りかかる。
491
﹁サニー⋮⋮﹂
白けた視線でサニーを見るセトル。彼女はそんなセトルに必死で
適当な言い訳を並べ立てるが、彼の視線は変わらない。
﹁でも、それじゃあまだわからないよ。ひさめがあの場所を知って
たのはいいとして、何で来たのか、何で助けたのか、僕はそれが知
りたい﹂
﹁せやなぁ、何でやろうか?﹂
本人が目の前にいるのに三人は直接訊こうとせず考え込んだ。直
接訊いたところで答えてくれないような気がするからだ。すると︱︱
﹁⋮⋮頭領の命令で、独立特務騎士団の動向を探ってたんや﹂
意外にも彼女は自分から答えてくれた。なぜ今になって喋ったの
か、と思ったが、彼女の視線はしぐれに向けられていたので、彼女
の存在が大きな理由だと思われる。
﹁うち、世界が分かれるんは嫌やから⋮⋮﹂
どういう心境の変化だろう。ついこの前までアルヴィディアン殲
滅に加担していたはずなのに。
アルヴィディアンは滅んでもいいが、世界が分かれるのは嫌だ。
ということだろうか? いや、彼女がしぐれに懐いているところ
を見ると、恐らくアキナにもある程度は解け込んでいることだろう。
︵みんなと別れたくないってことかな?︶
それがセトルの最終的に考えついた推論である。しぐれとの様子
を見ていると、それはあながち間違いではなさそうだ。
﹁それで僕たちが捕まったのを見て助けてくれたってこと?﹂
一応セトルは訊いてみると、彼女は静かに頷いて見せた。
﹁じゃあ、しぐれもワースさんの目的知ってるの?﹂サニーが訊ね
る。
﹁ひさめの式神で教えてくれたんや。あと、うちの頭領も知ってる
し、アランにも教えたわ﹂
二人の様子はいつもと変わらないが、それを知ってどう思ったの
だろうか。
492
﹁本当に、兄さんがそんなことすると思った? ああ、兄さんって
のはワースのことで︱︱﹂
﹁知ってるて! 全部アランから聞いた。でもセトルの本当の名前
だけは覚えてなかったみたいや。教えてぇな﹂
セトルの本名をアランに覚えてもらってなかったのはちょっとシ
ョックだったが、セトルとしてのこの時間ではどうでもいいことだ
った。
セトルは少し間を置いて、小さく息を吐いて答える。
﹁セルディアス・レイ・ローマルケイトだよ﹂
﹁な、長いなぁ⋮⋮うちもセトルでええか?﹂
結局はそうなるだろうということは予想していたから、セトルは
頷き、本題を訊く。
﹁それで、兄さんのことどう思った?﹂
﹁⋮⋮最初はやっぱ信じられへんかったなぁ。アルヴァレスの方が
まだ現実的や。でも、実際セトルが捕まってる言うやん﹂
﹁俺も正直、半信半疑だ﹂
とアランが簡単な料理を運んできた。
﹁セトルから聞いた使命からすると、やっても不思議じゃないかも
しれねぇが、俺たちは本人から直接聞いたわけじゃないんだ。でも、
お前が真実だと言うんならそうなんだろうな﹂
皆の分を配りながらアランはセトルに微笑んだ。
﹁真実さ。そして、たくさんの人が犠牲になるのもまた、真実。僕
は絶対に兄さんを止めるつもりだ﹂
沈黙の時が流れる。料理はすでに配り終えていたが、誰も手をつ
けようとしない。やがて沈黙に耐えきれなくなったのか、アランが
掌に拳をバンと打ちつける。
﹁よーし、そういうことならアランお兄さんも手伝っちゃうよ。な
あに、村のことなら心配するな。適当に理由をつけておけばいい。
﹃二人はまだ見つかりません﹄とか﹂
﹁それじゃあ心配かけるだけだよ﹂
493
﹁そうか。まあ、とりあえず食え。このことはそれから考えよう﹂
はにかんだ笑みを浮かべながらアランは、どうぞ、と言わんばか
りに両手を広げて、目の前に並べられた料理を勧める。すると、サ
ニーの腹が小さく鳴る。
﹁あ、あはは、そういえば今日逃げるばっかでなんも食べてないん
だった﹂
彼女は音を誤魔化すようにさっとパンを取って被りついた。それ
を引き金に、皆もそれぞれの料理に手をつけ始める。
何でもない談笑の中、やはりひさめだけは無口無表情のままだっ
た。
494
084 聖森の街で
聖森スルト。
この森の奥深くには、テュールとはまた別の神を祀ってある祠が
あるらしい。だが、それを見た者は誰もいない。森の深部は地元の
人も近づくことを許されない聖域とされているからだ。
その神聖な空気が漂うアースガルズ地方最大の森の中に、自然を
最大限に活かした小さな町がある。
それがティンバルクだ。
この町は珍しい遺跡やその自然のために、観光地もしくは療養地
として広く知られている。
セトルたちはこの町の土を踏みしめていた。
王都に戻ればワースの部下に見つかる可能性があったため、彼ら
は一旦ここに身を隠すことにしたのだ。
﹁で、結局ひさめはどこ行ったの?﹂
不機嫌そうに眉を吊り上げてサニーは誰にとなく言った。彼女が
イライラしているのも無理はない。スルトの森に入る直前、いつの
間にかひさめがいなくなっていたのだ。
しぐれだけがひさめがいなくなる時に会っているのだが、彼女に
訊いても﹁敵の行方を調べに行く言うてたわ﹂とだけで具体的にど
こへ行くかは聞かされていないようだ。
﹁やから、うちもそれはわからへんねん。そんな心配せんでも、ひ
さめやったらきっと無事やから﹂
﹁そういうんじゃなくて⋮⋮あーもう、もういいわよ!﹂
苛立ちは残っているが、サニーは諦めたように肩を落とした。
﹁ん? あれは⋮⋮!?﹂
その時、何かを見かけたアランが急に走り出した。なぜかザンフ
ィもそれを追ってサニーの肩から飛び降りる。
﹁アラン?﹂
495
不思議に思ったセトルが彼らを目で追うが、丁度近くの家の影に
隠れて見えなくなった。
﹁?﹂
三人は顔を見合わせ、とりあえずアランを追った。
アランとザンフィーが消えた角を曲がると、彼らはその先の分か
れ道の前で立ち止まっており、アランは顔だけをキョロキョロと右
往左往させていた。
﹁アラン、何かあったの?﹂
近づいたセトルが尋ねる。後ろの二人も怪訝そうにアランを見て
いた。アランは三人ではなく、遠くの方を見詰めながら呟くように
答えた。
﹁ああ、いや何か、今シャルンがいたような気がしたんだが⋮⋮﹂
﹁シャルンが?﹂
言われて、セトルたちも周囲を見回してみる。だが、そこにかつ
て一緒に世界を旅した仲間の姿は見られなかった。
﹁おらへんやん?﹂
﹁きっとアランの気のせい。シャルンがこんなところいるわけない
もん﹂
ザンフィを肩に乗せ、何の根拠もなくそう断言してアランを嘲笑
うサニー。
﹁ひょっとしてアラン、シャルンに会えないから寂しいの?﹂
﹁ば、バカ! そんなわけないだろ!﹂
明らかに動揺するアランにサニーは、今さら何を、というような
顔をする。
﹁⋮⋮とにかく、シャルンはいないみたいだし、宿かどこかで今後
のことを考えようよ﹂
セトルは肩を竦め、皆を宿へと促した。
町の宿屋は北側の入口の近くにある。木でできた古い入口のアー
チから見て右側である。その木造二階建ての宿屋はそこそこ大きく、
一階は酒場も兼ねており、この町に立ち寄る行商人や観光客などで
496
賑わっている。
宿屋の姿がセトルたちの視界に入ったとき、その入口の扉が開い
た。
﹁あ⋮⋮﹂
四人ともそこから出てきた人物を見て呆けたように口を開ける。
﹁あれ、シャルンとちゃう?﹂
﹁ほら! やっぱ気のせいじゃなかったぜ♪﹂
﹁キキ♪﹂
オレンジ色のショートヘアーに、青を基調とした露出の高い動き
やすい服。見間違えるはずはない、シャルン・エリエンタールその
人だ。手には紙袋を抱えており、買い物をしているのだろうと思わ
れる。
︵⋮⋮まさか盗んだわけじゃないよね︶
彼女は元々義賊だったため、セトルは少し心配した。
﹁シャルーン!﹂
サニーが声を上げて手を振るが、彼女はこちらに気づかず、北の
アーチから町の外へと足早に出ていった。
﹁あ、行っちゃう!?﹂
﹁追おうぜ!﹂
アランとサニーは仲間を追って駆け出した。
﹁あ、二人とも⋮⋮﹂
はぁ、とセトルは溜息をついた。気持はわからなくもないが、今
行くと彼女を巻き込んでしまうかもしれない。彼女が自ら関わって
くるかどうかはわからないが。
しかし、二人が行ってしまった以上、ついていくしかないだろう。
しぐれはそんなセトルの横顔を見て考える。
︵これって⋮⋮もしかしてチャンス!?︶
﹁せ、セトル、う、うちらは町でも見て回らへんか? その⋮⋮二
人だけで⋮⋮﹂
彼女は顔を赤くして、どこかもじもじしながらそう言うが、既に
497
横にはセトルはいなかった。
﹁⋮⋮。セトル待ってやー!﹂
498
085 仲間を追って
シャルンを追ってティンバルクの外に出たセトルたちは、スルト
の森を駆けているうちに街道を外れ、帰る道を見失っていた。つい
でにシャルンまでも見失い、実は絶体絶命である。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁何でみんなあたしを見るのよ!﹂
周囲からの冷たい視線を受けたサニーが怒鳴る。迷子=サニー。
三人の中ではそういう方程式が公式化されているため、ついつい彼
女の方を見てしまう。
﹁ごめん、つい⋮⋮﹂
今回は彼女だけのせいではないので、とりあえずセトルは素直に
謝った。
﹁おっかしいな、確かこっちの方だと思ったんだが⋮⋮﹂
アランが辺りを見回すが、似たような草木が延々と並ぶだけで他
に変わったものは見あたらない。
﹁しゃあないわ。うちが式神飛ばして帰り道探すわ。ちょい待っと
き﹂
しぐれはそう言うと、懐から数枚の御符を取り出し、それに念を
込めて空へとばら撒く。すると、その御符は一斉に鳥の形へと変化
し、それぞれが羽ばたいて四方八方に散っていく。それらはティン
バルクを見つけ次第、帰ってくるだろう。
﹁しぐれって、あんなに式神持ってたんだ﹂
感心したように言うセトルに、しぐれは頬を僅かに染めて頭を?
く。
﹁今回は頭領にたくさん持たされたんや。何かあるたびに連絡する
ようにって﹂
499
﹁じゃあ、式神が戻るまで俺らは待機ってことか﹂
とりあえず永遠に森を彷徨い続けることはなくなったのだが、ア
ランは手を頭の後ろで組み、非常に残念な様子で近くの木に凭れか
かった。
﹁ま、そいうことや。そや、待ってる間暇やし、ゲームでもやらへ
ん?﹂
そう言ってしぐれはその場に座り込むと、自分の荷物の中から少
し小さめのカードの束を取り出す。
﹁﹃ハナフダ﹄いうてな。うちらアキナの伝統的な遊びの一つなん
や﹂
﹁へえ、変わった﹃トランプ﹄だな﹂
興味を持ったのか、アランがすぐに寄って来て、しぐれからカー
ドを取り上げる。一通り見ると、それをサニーに回す。
﹁ホントだ。数字じゃなくて花が描いてある﹂
﹁ん∼、確かに﹃トランプ﹄を元にしたもんやけど、遊び方とかち
ゃうし⋮⋮﹂
カードには桜や梅、牡丹といった様々な花がそれぞれ四種の絵で
描かれており、カードの枚数は四十八枚しかなく、彼らの言う﹃ト
ランプ﹄よりも少ない。
﹁じゃあさ、試しに?ポーカー?でもしよ♪﹂
﹁やからサニー、遊び方が︱︱って聞いてへんし⋮⋮﹂
見ると、そこには既に三人が輪をつくり、サニーがカードを配っ
ていた。その輪から外れたところにしぐれは座っている。
﹁ほら、しぐれもやろうよ﹂
﹁えーと、うちはええわ。最初は三人でやりぃ。何や見てる方が面
白そうやし﹂
しぐれはあえてこの間違った﹃ハナフダ﹄を見守ることに決めた。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮これ揃ってんのか?﹂
500
自分の手札の絵のバラバラさにアランは眉を顰める。一方、セト
ルとサニーは何の疑問も持ってないように真剣に手札を見詰めた後、
それぞれが三枚のカードを伏せる。
﹁三枚チェンジするよ﹂
﹁あたしも三枚♪﹂
と言って、それぞれが山札から言った枚数分のカードを引く。ア
ランは頭に疑問符を三つほど浮かべて手札を睨んでいる。
﹁何の花か全くわかんないんですけど? せめて文字があって欲し
いぜ﹂
﹁チェンジしないの?﹂
﹁⋮⋮します﹂
とりあえず似たような絵のカードを二枚残して、アランはカード
を一枚ずつ交換していく。
﹁僕から先に見せるよ。︱︱?マツ?のツーペア﹂
﹁ふっふーん、あたしなんか?サクラ?と?ヤナギ?のフルハウス
よ!﹂
︵?サクラ?と?ヤナギ?のフルハウス⋮⋮︶
二人があまりにも馴染んでいるため、しぐれは腹を抱えて必死に
笑いを堪える。
﹁意味わかんないんだけど⋮⋮。ていうか、何でそんなに普通にや
ってるの!? 俺思ったんだけど、こんな遊び方するもんじゃない
気がするぜ﹂
そんなアランの手札を、今にも噴き出しそうにしながらしぐれが
覗く。
﹁アランは?坊主?︵ススキ︶のフォーーカードやん♪ くぷぷぷ﹂
﹁?坊主?って何だよ!? 花なのか!?﹂
﹁アランすごいじゃん☆﹂
﹁すごいの!?﹂
しばらくそんな意味不明のゲームが続く︱︱かと思いきや、意外
にも式神の一体がすぐに帰ってきた。それはしぐれの掌の上に泊ま
501
る。
﹁? えらい早いなぁ。実はけっこう近くやったんちゃう?﹂
﹁まあ、シャルンのことは諦めて帰ろう。アランもそれでいい?﹂
セトルが確認の意味で言ってきたことに、アランはどこか渋々と
頷いた。
﹁じゃあ、出発!﹂
﹁サニーは迷わないでね﹂
大手を振って歩くサニーに、セトルが念を押すように言うと、彼
女は頬を膨らましてセトルを睨んだ。
日もだいぶ傾いてきた。あの程度の時間で式神が戻ってきたのな
ら、暗くなる前にティンバルクへ戻れるだろう。
502
086 隠れ里
﹁ここ⋮⋮どこだ?﹂
アランは呆然と、目の前に広がる村の光景を見て呟いた。
式神を辿ってついた場所は、ティンバルクではなかった。そこは
?村?というのもどうかと思われるほどに小さな集落で、スルトの
森のどこかだというのは、まだ森を抜けていないはずなので明らか
である。
﹁人はいるみたいだね﹂
うっそう
少し警戒しつつ、セトルが村の周囲を見回す。古びたアーチを入
口に、おんぼろの家々が並ぶ。村の周りには鬱葱と生い茂った森の
木々が高々と伸びており、村の雰囲気を暗いものへと変えている。
人の気配はあるのだが、外には誰も出ている様子はない。
﹁も、もしかして、﹃お化け村﹄とかじゃないわよね﹂
セトルの背中に隠れながらサニーが震えた声で呟く。暗所や幽霊
などが苦手な彼女にとって、この村はもの凄く不気味に見えている
ことだろう。セトルにしても、十分ここは不気味に見えている。
そこへ他の式神たちが戻ってきた。
﹁えっと、ティンバルク見つけたみたいやけど⋮⋮帰る?﹂
﹁いや、ちょっと調べてみようぜ。何か気になるしよ﹂
アランが言うと、サニーがこれ以上ないくらいびくっと肩を震わ
せる。
﹁ええ!? あたしは早く帰りたいんだけど﹂
﹁サニー、怖いのか?﹂
﹁こ、怖くないわよ! いいわ。アランがどうしてもって言うんな
ら、少しだけ調べることを許す﹂
急に強気になりながらも、足下は震えているサニーにセトルは苦
笑した。
﹁とにかく、そこの家の人にでも話を聞いてみよう﹂
503
セトルが自分たちのいるアーチのところから一番近いボロ屋を指
す。そして言ったままに四人はその家へと歩み寄り、セトルが代表
してノックとあいさつをする。
﹁すみません! 誰かいません︱︱!?﹂
その時、急激に殺気が膨れ上がったの感じ、皆はバッと後ろを振
り返った。そこには、いつの間にか十人ほどの村人と思われる人た
ちが自分たちを囲んでいるところだった。彼らは皆、手に刃物や鈍
器を握っており、そして彼ら全員が、
﹁は、ハーフ⋮⋮﹂
とサニーが呟いた通りだった。男性も女性も老人も子供も、確か
にその目はハーフ特有の?赤い瞳?をしている。それらには恐怖と
憎悪が込められており、中には怯えで震えている人もいた。
サニーの肩の上でザンフィが毛を逆立てて威嚇する。
︵何なんだ?︶
セトルがいつでも剣を抜ける体勢をとる。しかし、アランは降参
するように両手を上に挙げて、一歩前に出る。
﹁えーと、何か知りませんけど、俺らは怪しい者ではありません﹂
すると、ハーフの男性が憎々しげに答える。
﹁そんなことは関係ない。アルヴィディアンとノルティアンがよく
もこの村に足を踏み入れやがったな﹂
﹁⋮⋮そういうことか﹂
セトルは一人だけ納得したように手を剣の柄から離す。そしてア
ランの前まで歩み出ると、そのハーフの男性を見る。
﹁わかりました。僕たちはすぐにここから消えます﹂
﹁あ、青い目⋮⋮﹂
セトルの瞳を見た村人たちがざわざわと騒ぎ始める。気持悪がる
ような者もいるが、自分たちと同類のように彼を見る者もいた。
﹁セトル、どういうこと?﹂
﹁ここは︽ハーフの隠れ里︾ってことだよ﹂
先程とはまた別の恐怖を感じているサニーに、セトルは顔だけ彼
504
女に向けて答えた。
﹁だ、ダメだ! 青目のキサマが何者かは知らないが、見られた以
上、生かしてはおけない!﹂
男が鈍器を構えると、他の村人たちも殺気をさらに膨らまして、
それぞれの手に持っている得物を構える。
﹁何かヤバイって、これ。セトル、どうするん?﹂
村人たちが徐々に輪を縮めて迫ってきたので、しぐれは後ずさり
ながら縋るようにそう言う。
じりじりと迫ってくる村人たち。後ろの家からもフライパン片手
のハーフ女性が飛び出てきたため、完全に逃げ場はない。
﹁仕方ない⋮⋮﹂
セトルは何かを決断して、胸の前で両掌を向かい合わせる。する
ハーティライト
と、そこに青白い輝きが生まれ、それが爆発的に村全体を包んだ。
﹁︱︱神霊術、︽温安の麗光︾﹂
強く、優しく、温かい光。セトルがもう何度も見せている光だが、
今までのものとは違い、きちんと制御がされている。恐らく、記憶
が戻ったためと思われる。
光が収まったとき、村人全員が不思議そうな顔をしていた。もう
誰からも殺気のようなものは感じない。傷を治し、気持ちを落ち着
かせる、これがセトルの神霊術なのだろう。
﹁何だ、今の⋮⋮何をしたんだ?﹂
﹁どうやら、落ち着いたようですね﹂
微笑むセトルを見る村人たちの視線は、皆怪訝なものだった。そ
の時︱︱
﹁やっぱり⋮⋮もしかしてと思ったけど、今のはセトルだったのね﹂
村人の輪の向こうから見覚えのある顔の女性が歩み寄ってきた。
オレンジ色の髪に青を基調とした服、そしてハーフの瞳をしたその
女性は、
﹁シャルン!﹂
である。彼女は村人たちの輪を抜け、呆れたような顔でセトルた
505
ちを一人ずつ見る。最後にアランを見ると、手の甲を腰にあてて溜
息をつく。
﹁それで、何しに来たの?﹂
﹁それが道に迷ってよ﹂
﹁ふーん。まあいいわ﹂
怪訝そうにしながらも、シャルンは村人たちに視線を向ける。
﹁こいつらはわたしが何とかするから、みんなは帰ってくれる﹂
彼女に言われ、村人たちはしばらくざわざわと議論するが、やが
てそれも収まると、一人が代表して彼女に言う。
﹁わかった、シャルンに任せよう。私たちも何か変な気分だし﹂
﹁ありがとう﹂
シャルンが礼を言ったあと、村人たちは解散し、それぞれの家の
中に帰っていった。また殺気立って襲ってくる可能性はなくはない
が、今日のところは大丈夫だろう。
誰もいなくなったところで、シャルンが改めて訊ねる。
﹁さあ、話してもらうわよ。何でここにいるのかを﹂
506
087 エリエンタール邸
ある程度の事情を話したところで、セトルたちはシャルンの家へ
と案内された。彼女は元々ここの住人で、エリエンタール家はこの
村を拠点として活動していたらしい。家はその時のものを使ってお
り、外れにある少し大きめなものだった。
誰も口には出さないが、ボロ屋であることは変わらず、しかも何
年も放置していたためか他の家よりもだいぶガタがきている。
エリエンタール家が大所帯だったことで、セトルたち五人が入っ
てもまだ広く感じる。
﹁大体の事情はわかったけど、まだ何か隠してるわね﹂
ワースたちのことは彼女に話さなかった。それを見抜かれてそう
言われたが、四人とも口をつぐんで何も言わなかった。言えば、巻
き込んでしまう。ハーフ全員が必ず犠牲になる道をワースが進もう
としていると言えば、彼女なら一人でも阻止するために動くはずだ。
﹁まあいいわ。言いたくないなら無理には訊かない﹂
シャルンはボロボロの大テーブルに頬杖をついて小さく息を吐く。
﹁あの戦いの後からずっとここに住んどるん?﹂
空気が気まずくなってきたので、しぐれが話題を変える。ええ、
とシャルンは頷く。
﹁ソテラのちゃんとしたお墓も造らないといけなかったし、それに
村のみんなが心配だったから﹂
﹁でも手紙くらいよこそうぜ﹂
﹁そんな余裕ないわよ﹂
残念そうに舌打ちしてアランは天井を仰いだ。
たとえ手紙を出す余裕があったとしても、シャルンは書くつもり
はなかった。考えなかったわけではないが、特に書くこともないし、
書いてどうするという話だった。
﹁ソテラのお墓、ここにあるん?﹂
507
﹁この家の裏よ﹂
﹁そんなら行ってみるわ。セトルも行こや﹂
しぐれは椅子から立ち上がると、セトルの手をとった。セトルも、
ああ、とどこか曖昧に頷くと、そのまま立ち上がる。
﹁アランは?﹂セトルが訊く。
﹁俺は⋮⋮後で行くよ。あんまり大勢で行くのも何かあれだろ﹂
アランは少し考えたあと、微笑みを浮かべてセトルの誘いを断っ
た。
﹁あ、あたしも行く﹂
とサニーは三つの意味で墓参りに行くことに決めた。一つは純粋
に墓参り。本当に少しの間しか会ってないが、それでもシャルンの
友人だから自分にとっても友人のようなもののはずだ。
二つは、単純にセトルとしぐれだけにはしたくない。
三つ目は、これも単純にアランとシャルンを二人きりにしてやろ
うというおせっかいな配慮だ。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
三人が出て行ったあとは、会話が途切れて沈黙が続いた。それで
もアランは何か言おうとして、とりあえず思いついたことを訊いて
みる。
﹁お前、仇をとった今、目標とか何かやることってあるのか?﹂
﹁前にアキナで言ったでしょ? わたしはわたしと同じハーフの人
を護りたい。ハーフということで苦しんでいる人を救いたい﹂
﹁だからまずはこの村から⋮⋮ってことか﹂
シャルンは頷いた。だが実際、さっきの様子からしてあまりうま
くはいっていないようだ。セトルについては混乱していたが、自分
たちには明らかな憎悪を向けられていた。どれだけアルヴィディア
ンやノルティアンに虐げられてきたのか、それでよくわかった。い
や、こちら側としては完全にわかってあげることはできないのかも
しれない。
508
﹁ありがとう﹂
﹁ん? 何が?﹂
唐突にそう言ってきたシャルンに、アランは首を傾げた。
﹁ソテラのこと﹂
つまり墓参りのことを彼女は言っているのだろう。
﹁いいってことよ。実際、一緒にいた時間はないにも等しいけどよ、
何となく他人じゃない気がするんだ﹂
﹁ずっと一緒だったわ。わたしと共にいた﹂
ソテラの遺品であるイアリングを、彼女はいつも大切に持ってい
た。そして時々眺めては、何かを語りかけていたのを覚えている。
﹁そう⋮⋮だな﹂
アランはどこか曖昧に微笑んだ。そして、今度は彼女の方から話
題を持ちかける。
﹁ところで﹂
﹁な、何だ?﹂
﹁セトルって記憶戻ったの?﹂
? ? ?
ソテラの墓はシャルンの家の裏道を進んだ先にあった。立派、と
は言えない粗末な墓標だったが、それがシャルンの手作り感を滲み
出している。
あれからしばらく経ったあと、夜闇の中アランはその墓の前に立
っていた。
仕方がないのでシャルンの家に泊めてもらうこととなったのだが、
彼はこっそりと抜け出すようにこの場に来ている。
墓には、セトルたちがその辺で摘んだのだろう小さな花が供えら
れている。自分は何も持って来てはいないが、別に構わないだろう。
手を合して黙祷していた彼は、ゆっくりと目を開き、独り言を、
いや、ソテラに語るように呟く。
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﹁俺は正直迷っている。セトルには言うなと言われてるが、シャル
ンにも本当のことを伝えた方がいいと思うんだ。ハーフの存亡、い
や、この世界の存亡か。どちらにせよ、俺たちが負けると、あいつ
も消えちまう。だったら、本当のことを言って力を貸してもらった
方がいいんじゃないか? あんただったら、やっぱり動くだろ? あいつも同じだ。同族のために必死になる。そんなあいつを、俺は
支えてやりたい⋮⋮﹂
そこで彼の呟きは終わった。と思えば、今度は自分の頭を激しく
?き回し始める。
﹁だー俺何言ってるんだ! あー、こんなの誰か︵特にサニー︶に
聞かれたらめちゃくちゃ恥ずいじゃねえか! ああ、誰もいなくて
よかった﹂
﹁ごめん、聞いちゃった♪﹂
﹁︱︱ブッ!?﹂
突然後ろからの声に振り向くと、そこには聞かれると後々めんど
うなサニーの姿が。
﹁サニーさん、何でここに?﹂
﹁ま、迷ってきたんじゃないわよ!﹂
流石にそれはありえないだろう、と思ったが、本当に迷ったんじ
ゃないかと思う自分もいる。
﹁さっきここに来た時、髪留め落としちゃって。だから探しにきた﹂
見ると、確かに彼女のポニーテールの青い球状の髪留めが片方足
りない。
﹁ああ、これだろ。そこに落ちてたから拾っておいたぜ。だから今
聞いたことは全部忘れてください﹂
差し出された髪留めを受け取りながら、サニーは笑って首を振っ
た。
﹁無理。もう聞いちゃったから♪﹂
﹁そこをなんとか﹂
﹁無理﹂
510
そのまま彼女は踵を返して、家の方に戻っていく。アランは手を
コネながら彼女の後に続く。
﹁今度何かおごりますんで﹂
﹁無理だって﹂
﹁サニー様、そこをなんとか﹂
﹁あーもう、うるさいうるさいうるさい! 無理なもんは無理。た
ぶん言わないから安心して﹂
﹁たぶんじゃだめだー!?﹂
その後、しぐれに知られた。
511
088 ハーフの傷
次の日、村中がやけに慌しくなっていた。
何事かと思い外に出てみると、村人たちが一軒の家の前に集まっ
ているのが目に入った。どうやら自分たちとは関係ないらしいこと
にほっとしつつ、セトルたちもそこへ駆け寄る。
﹁何かあったんですか?﹂
セトルが訊くと、村人たちが一斉にこちらを振り向いた。昨日ほ
どの殺気はないものの、明らかな嫌悪感でセトルたちを睨んでいる。
﹁何だ、お前らまだいたのか﹂
﹁はい。でもすぐに出ていきます。それより何かあったんですか?﹂
出ていくと言いながら首を突っ込んでくる青目の少年に、ハーフ
の男性は訝しげに眉根を寄せ、仕方ないといった様子で答える。
﹁この家の子供の病気が悪化したんだ。俺たちハーフは、子供のこ
ろは体が弱いからな﹂
男性は心配そうに家の中を見る。すると、シャルンが玄関に群が
る彼らを押しのけて中に入った。
﹁おい、シャルン!﹂
アランも続こうとするが、それは村人たちによって遮られた。先
程の男性が憎々しげに言う。
﹁お前は入るな。だいたい、お前たちが来たから病気が悪化したん
じゃないのか?﹂
﹁そんなわけないやん。うちらをバイ菌みたいに言わんといて﹂
しぐれが腰に手をあてて眉を吊り上げる。
﹁フン、たいして変わらんよ﹂
﹁何やて!﹂
今にも怒りを爆発させそうになったしぐれを、セトルがどうにか
なだめる。
﹁その子は大丈夫なの?﹂
512
サニーが訊く。自分の治癒術でどうにかなるのであれば、助けた
い。しかし、たとえそうでも、中に入れてもらえるかどうかはわか
らない。それでも、彼女の助けたいという気持ちは強い。
﹁フン、薬があれば治るらしいが、それも王都にしかないんじゃど
うしようもない﹂
﹁王都にあるんなら行けばいいじゃねぇか?﹂
アランの言う通り、簡単なことだ。だが、ここに集まった誰もが
その言葉に視線を下げた。王都に行くというのが、それほど嫌なこ
となのだろうか。否、そうなのだろう。彼らはそういうところで差
別を受け、ここに集まった者たちだ。他の町に近づきたくない気持
ちが強いのだ。
そんな彼らを変えようと、シャルンがここで頑張っているが、ど
うも一度受けた心の傷はそう簡単には治らないようだ。
﹁何だよ、見殺しにするってことかよ!﹂
﹁アラン、この人たちが行かないのなら、僕たちが行けばいいさ﹂
怒鳴るアランをセトルが静止させ、そう提案する。だが、それに
も村人たちは嫌な顔をする。
﹁フン、信用できるか﹂
﹁彼らは信用できるわ。それに、そういうことならわたしも一緒に
行くから﹂
家の中から出てきたシャルンが、話を聞いていたのか男性に向か
ってそう言う。
﹁⋮⋮﹂
集まったセトルたち以外の誰もが渋い顔をして彼女を見ていたが、
やがて諦めたように男性が息をつく。
﹁こいつらを信用することはできないけど、シャルンなら信用でき
る。任せて大丈夫か?﹂
﹁本当は、あなたたちが行けるようにならないとだめなのよ﹂
﹁⋮⋮すまない﹂
セトルたちのあまり見たことがない、優しい口調で話すシャルン
513
に、村人たちは全員で頭を下げた。
シャルンは薄らと微笑むと、身を翻してセトルたちの横を通り過
ぎる。
﹁行くわよ﹂
﹁シャルン、ええんか?﹂
慌てて彼女について行きながら、しぐれが確かめるように言う。
﹁わたしが行かないと、どんな薬がいるのかわからないでしょ﹂
﹁確かに﹂
これで少しの間だが、シャルンと行動を共にすることになった。
王都に行くということは、独立特務騎士団に見つかるかもしれない。
もしそうなってしまうと、彼女にワースたちがやろうとしているこ
とを話さないといけなくなる。
できればそうならないことを祈るセトルだった。
514
089 ウェスターの頼み
︱︱セイントカラカスブルグ。
壮麗なシルティスラント城を頂上にして階段状に建物が並ぶその
都市は、先の事件の混乱も薄く、事件前となんら変わらない活気を
見せている。
薬屋は街のほぼ中腹のやや西寄りにあった。今はサニーたち女性
陣で薬を買っているところだ。
セトルとアランは店の外で、辺りを警戒しながら待っている。ど
ういうわけか、この街に独立特務騎士団の姿は見当たらない。
︵王都を離れたのか?︶
それしか考えられない。恐らく、ワースたちは秘密裏に動いてい
るはずだ。王にも伝えてはいないだろう。だから、この街にいない。
ワースたちのやろうとしていることは知られるとまずい、という
わけではないはず。パニックになるのを避けるため、ワースはあえ
て秘密に行っているのだ。それが彼、ガルワース・レイ・ローマル
ケイト︱︱セトルの兄のやり方である。
企んでいることは世界の滅亡や征服ではなく、世界の維持・救済
である。
︵だけど、世界を分けるやりかたは間違ってる︶
必ず止める。もし記憶を失わず、セトルとして旅をしなかったら
そんな風には考えなかったかもしれない。ただ兄の言うことに従い、
何の疑問も持たなかっただろう。
しかし、止めるといっても肝心のワースたちの行方がわからない。
今はひさめの情報を待つしかないだろう。
何だかんだ考えていると、三人が薬を買って店から出てきた。シ
ャルンが大事そうに薬の入った紙袋を抱えている。
︵そういえば、シャルンと一緒に王都に来たのは初めてかな︶
﹁お待たせ。薬の在庫がこれで最後やってん、ホンマ危ないところ
515
やったわ﹂
店を出てセトルたちを見るなりしぐれは、運がよかった、とでも
言いたげな笑みを浮かべる。
﹁うん、よかった。それじゃあ、戻ろうか﹂
セトルも微笑むと、そう言って皆が頷くのを確認する。その時︱︱
﹁おや、皆さんこんなところに集まって何をしているのですか?﹂
何となく会うような気がしていた人物の声が、通りの向こうから
聞こえた。
﹁あ、ウェスターだ﹂
サニーがそこに落ちてあった物のように彼の名を口にする。青み
がかったグレーの長髪を後ろで結ったその男︱︱ウェスター・トウ
ェーン。顔立ちが整っており、歳は二十代のように見えるが実は四
捨五入すると四十歳になる。
彼は青緑色のロングコートを翻し、眼鏡の奥のノルティアンの瞳
でセトルたちを面白いものを見つけたように見ている。
﹁酷いですねぇ。もっと感動してくれてもいいじゃないですか﹂
﹁いや、おっさんに会っても別に感動とかないから﹂
アランに軽く否定されるが、それはいつも通りの皮肉めいた笑み
で受け流し、
﹁おや、アランもいたのですか﹂
﹁いた! さっきからいた、ここに!﹂
﹁いやぁ、私はてっきり、シャルンの後を追って行方不明になって
いるのかと思っていました﹂
軽い冗談で反撃する。
﹁そんなわけないだろ! って、それじゃ俺がシャルンのストーカ
ーでもしてたような言い方じゃねぇか!﹂
﹁違うの?﹂
サニーがいたずらな顔で小首を傾げる。
﹁最低ね﹂
シャルンは彼から顔を背けた。
516
﹁だからちがーう!﹂
周囲︵主にサニー︶から言葉でつつかれまくるアランは放ってお
いて、セトルがまじめな話を進める。
﹁ウェスターこそ、どうしてここにいるんですか﹂
﹁?﹂
今のセトルの言葉に、ウェスターは僅かな違和感を覚えた。そし
て、すぐにその正体がわかり、眼鏡の位置を直して口元に笑みを浮
かべる。
﹁今まで?ウェスターさん?と言っていたのに、変わりましたね、
セトル。記憶が戻ったからでしょうか?﹂
﹁え、まあ、そんなところです﹂
﹁そのマントはワースからの贈り物ですね。意外と似合ってますよ﹂
ウェスターが言うと、それはお世辞にしか聞こえない。しかし、
この様子からして、ワースのことはまだ知らないようだ。
﹁私はただ通りかかっただけですよ。ここは裁判所に続く道ですか
らね﹂
スペルシェイパー
ウェスター・トウェーンは一人で様々な肩書きを持っている。﹃
弁護士﹄を始め、﹃王の相談役﹄﹃元将軍﹄﹃具現招霊術士﹄﹃霊
導技術者﹄﹃サンデルク大学霊導学部学部長﹄、たぶん他にもいろ
いろ。とても一度の人生とは思えない生き方をしている。
先の蒼霊砲事件も、彼の霊術と召喚術がなければ勝利できなかっ
たことだろう。
﹁ふむ、ここでシャルンと会ったことはある意味幸運でしたね﹂
と、彼は突然意味ありげなことを言い出す。
﹁わたしに何か用?﹂
﹁ええ、実は会ってもらいたい人がいるのですが﹂
すると、シャルンがピクリと反応した。直感的に何かを感じたよ
うだ。シャルンは頭の中でその人物のことを予想しつつ、﹁誰?﹂
とそっけなく訊いてみる。
﹁あなたの、本当の父親と母親です﹂
517
﹁!?﹂
驚いたのは、セトルたちの方だった。シャルンの何となくの予想
があたってしまった。
﹁そう⋮⋮﹂
彼女は慌てることなく、どこか悲しそうな表情のまま顔を伏せた。
﹁シャルンの家族ってエリエンタール家の人やなかったん?﹂
恐らく、皆が思っているだろう疑問をしぐれが言うと、それに答
えたのはウェスターではなくなぜかセトルだった。
﹁たぶん、エリエンタール家の人たちは本当の家族じゃないんだ。
ハーフ同士が結ばれても、必ず子はハーフってわけじゃない。寧ろ
アルヴィディアンとノルティアンの場合と同じで、ハーフが生まれ
る確率はゼロに近いんだ。だから、いろんなところから集まって家
族のようなものを作ってたんだと思う﹂
少し長々と言ったが、皆はそれをポカンとして聞いていた。それ
はセルディアスの記憶が戻ったことによる知識だが、皆にとっては
ありえない光景だったようだ。
ただ一人、ウェスターだけは特に驚いた様子も見せず、その通り
です、と相槌を入れる。
﹁セトルが頭良くなったように見える!?﹂
サニーが悔しがるように頭を抱えた。
﹁ふむ、元々バカではなかったのでしょう﹂
どこか馬鹿にしているようなウェスターの言葉にセトルはむっと
するも、言い返すことはしなかった。たぶん、負けるから。
﹁なあ、会うのって今じゃねえとだめか?﹂
未だに顔を伏せているシャルンに代わってアランが言う。今は薬
を届ける方を優先させないといけない。
﹁いえ、実は彼女を捜す依頼はもう何年も継続中でして、こちらと
しては早く会ってもらいたいのですが、まあ、言わなければまだ待
ってくれるでしょう。何かあるんですか?﹂
﹁うん。実はこの薬を︱︱﹂
518
サニーがウェスターに事情を話す。ウェスターがシャルンに対し
て何かを思い入れがあるように見えたのはそういうことだったのだ
ろうと、セトルは納得した。
彼は一通り聞き終わると、ふむ、と呟き、顎に手をあててシャル
ンの方を見る。
﹁わかりました。そういうことなら先にそれを済ましてください。
といっても、会うかどうかはあなた次第です。会いたくなければ無
理に会うことも︱︱﹂
﹁会うわ﹂
シャルンはウェスターが言い終わらない間に力強く答えた。
﹁会って文句を言ってやるわ。わたしをこんな目にあわした人に、
わたしがこれまで感じてきたことを全部言ってあげる﹂
﹁はは、ええ、それがいいでしょう。どうせなら他に誰もいないと
ころで一発ぶん殴ってもいいかもしれませんね♪﹂
すごく物騒なことを言っているウェスターに、シャルンは、そう
ね、と頷いて見せた。
﹁そのために、一度村に戻らないと﹂
セトルたちも頷き、一行は一度ハーフの隠れ里に戻る。
そして、再びここへと戻ってくる。シャルンの本当の両親という
ものに会いに︱︱。
519
090 シャルンの両親
ハーフの隠れ里に戻り、薬を子供に飲ませるとすぐに効果が表れ
た。薬さえ飲ませれば元々たいした病気ではなかったのが幸いだっ
た。
王都とこの村、普通なら往復で十日はかかるところを、その半分
で移動できたのは奇跡に近かった。おかげで戻って来た時には皆完
全にダウンし、シャルンの家で二日ほど休養をとった。
その間、村の人たちも少しばかり自分たちのことを信頼してくれ
たみたいで、もう憎々しげな言葉は言われなくなった︵それでも睨
まれることはあったりする︶。
そして再びセイントカラカスブルグに戻り、まずはウェスターの
家を訪ねた。
﹁ふぇ∼、でけ﹂
完全な上流階級の立派な邸を前にして、アランが感嘆の声を発す
る。セトルやサニーは初めてではないので、特にこれといって新し
い感想はなかった。
﹁どや? びっくりしたか、アラン?﹂
なぜかしぐれが誇らしげに言うと、玄関の扉が開いた。
﹁おやおや、アランの顔が前よりアホっぽく見えるのは私の気のせ
いでしょうか?﹂
﹁⋮⋮うるせぇよ﹂
邸から出てきたウェスターがいきなりからかうようにそう言うが、
アランはそれ以外反応することをしなかった。したら負けだと思っ
たのだろう。
﹁それで、どこに行けば会えるのかしら?﹂
早速本題に入るシャルン。早く会いたいという気持ちはあるよう
だ。
﹁わかりました、案内しましょう。向こうにはもう伝えてあるので、
520
いつでも会う準備はできていますよ﹂
言うと、ウェスターは先頭を切って歩き始めた。一体どこに向か
うのか、それはたぶん彼のことだから訊いても﹁ついてからのお楽
しみです﹂などと言いそうなので、あえて誰も訊かなかった。
? ? ?
ウェスターに案内された先、そこを見て皆は目を丸くした。
﹁何で⋮⋮城?﹂
セトルが呟く。そう、ここはかのシルティスラント城の城門前で
ある。
﹁お城の中にシャルンのパパとママがいるの?﹂
訝しげに尋ねるサニーに、ウェスターは微笑みながら、ええ、と
頷く。
﹁ここに⋮⋮わたしの⋮⋮﹂
シャルンが拳を握り、力を込める。彼女にとって場所などどこで
もよかった。文句を言って、一発殴れればそれでよかった。
しかし、城の中を進むにつれてどうもおかしいことに、セトルた
ち城へ来たことがある者は感じていた。
真紅の絨毯をこのまままっすぐ進んで行くと見えてくる場所、そ
れは謁見の間である。
シャルンだけはそのことに気づいていない。
謁見の間の大きな扉の前でウェスターは一言断り、両脇に立って
いる兵士に目配せだけで扉を開けるよう指示を出す。
中に入り、シャルンは明らかに自分が場違いなところに来たとい
うことにようやく気がついた。
﹁え⋮⋮⋮?﹂
謁見の間には、シルティスラント国王ウートガルザ・リウィクス
とロキ王妃が豪奢な玉座に座り、その横に大臣︱︱はおらず、代わ
りに重そうな鎧を全身に纏った正規軍の将軍、ウルド・ミュラリー
521
クとその副官、アトリー・クローツァが並んでいる。
﹁どういう⋮⋮こと?﹂
シャルンは意味がわからなくなっていた。夢でも見ているような
感覚だった。しかしこれは現実。その現実を、ウェスターの口から
認識させられる。
﹁あの方たちが、あなたの本当の御両親です﹂
ウェスターが指したその人たちは、言うまでもなく、王と王妃で
ある。
﹁え⋮⋮あ⋮⋮﹂
﹁ええぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇええぇぇ!?﹂
口をぱくつかせるシャルンの後ろで、サニーが大声で仰天する。
﹁シャルンの親って⋮⋮王様やったん!?﹂
﹁みたいだね。城に入ってから何となくそうじゃないかと思ってた
けど⋮⋮﹂
ここまで来るのに、しぐれもセトルも何となく想像していたが、
実際にそうだとやはり驚くものである。よくよく見ると、ロキ王妃
の髪の色がシャルンそっくりだ。
﹁今度からシャルン王女様って呼ばねえと﹂
﹁アラン、それはやめて﹂
落ち着いたのか、シャルンは王と王妃の前に出る。驚きを完全に
消しさったのか、前に出た彼女はどこか堂々としている。
﹁まず確認させて、本当にわたしの両親なの?﹂
王と王妃を睨みながら、シャルンは確かめた。できれば、違うと
言ってもらいたかったのだが、残念ながら二人は静かに頷いた。
王が言う。
﹁そうだ。あれは十数年前になる。生まれたばかりのお前を、私た
ちはハーフという理由で捨てた。﹃王家にハーフは生まれない﹄と、
そういうことにしなくてはいけなかったんだ。言い訳にしか聞こえ
ないだろうが、私たちは最後まで反対した﹂
ウートガルザ王は隣のロキ王妃を見、彼女が頷くのを確認してシ
522
ャルンに視線を戻す。
﹁だから何? 今さらわたしと会ってどうするっていうの? わた
しが、あなたたちのせいでどんな目に遭ったのか知らないくせに⋮
⋮今さら﹂
﹁今さらではない﹂
そう言ったのはウルドだった。
﹁あの後、陛下はすぐにあなたを捜された。だが、そこにはもうあ
なたはいなかったのだ﹂
﹁その時私が捜すように頼んだのが、ウェスターだ﹂
セトルたちがウェスターを振り向く。すると彼は眼鏡の位置を直
し、
﹁まあ、そういうことです。最も、見つからなかった責任を感じて
私は軍を辞め、シャルン捜索を今まで行ってきたわけですが。いや
ぁ、あの頃は私も若かったですねぇ♪﹂
といつものどこか不敵な笑みを口元に浮かべてそう言った。アラ
ンが呆れ顔になる。
﹁あんた本当は何歳だ?﹂
﹁おや、人に年齢を訊くとは失礼ですよ、アラン﹂
﹁こいつは⋮⋮﹂
溜息をつくアランは置いといて、シャルンが再び口を開く。
﹁そんなことはどうでもいいわ! わたしの本当の家族はエリエン
タール家のみんな、あなたたちじゃない!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
実の娘に否定された二人は、悲しい顔をしてお互いの顔を見合わ
せた。
﹁シャルン⋮⋮﹂
﹁セトルたちは何も言わないで﹂
シャルンにはそう言われるが、セトルは実際に何を言ったらいい
のかわからなかった。こういうとき兄さんならどうするだろうか。
523
やはりただ見守るだけかもしれない。
﹁シャルン⋮⋮今さらだが、私たちの元へ帰る気はないか?﹂
﹁!?﹂
﹁お前が戻ってくれること、それが私たちの願いだ﹂
﹁﹃王家にハーフは生まれない﹄じゃなかったの?﹂
嘲るような笑みを顔に貼りつけて、シャルンは王に向かって言う。
﹁それはもう昔のことにする。今の時代、ハーフの王族もいるべき
だと私は思う﹂
﹁⋮⋮﹂
シャルンは沈黙した。即答できなかった。
︵ハーフの王族が必要? どうせみんなから非難されるに決まって
るわ︶
それは思い込みではなく、彼女の経験からする紛れもない事実で
ある。ただでさえ﹃ハーフ﹄は周りから差別を受ける存在。それが
王族になるなど、ほとんどの人が認めるわけがない。
だがその反面、そうなることでハーフ差別をなくす運動が今以上
にやりやすくなるだろう。人々の中にハーフの人権を叩き込むには、
それも必要かもしれない。
しかし、今は恨みしかない生みの親の元へ転がり込むことは、ど
うしても抵抗がある。
﹁⋮⋮考えさせて﹂
王の願いに彼女はそれだけ告げると踵を返し、謁見の間を走って
出ていった。
即決はできない。しばらくは迷うことになるだろう。本当は自分
が王女になることが一番いいことだというのはわかっている。本当
の両親、世界中のハーフたち、それに自分にとっても。
だけど怖かった。人々から非難されることもそうだが、王女とし
ていろいろな責任を負うことが怖かった。
だからすぐには答えは出ない。
﹁シャルン!﹂
524
サニーとしぐれが彼女を追おうとするが、それをアランが手で制
した。
﹁今は一人にしてやるべきだ。俺たちが首をつっこむことじゃない﹂
﹁せやけど⋮⋮﹂
しぐれは何か言おうとして黙った。本当はアランが一番追いかけ
たいはずなのに、彼はここに踏みとどまっている。
セトルが頷く。
﹁そうだね。これはシャルンと王様たちの問題だろうから。僕たち
は僕たちの問題を片づけないと﹂
ワースを止める。それが今自分たちがやらなくてはいけないこと。
すると︱︱
﹁たぶん、そのことで君たちに話があるんだが﹂
セトルたちの前で、真紅のコートを纏ったアトリーが深刻な表情
をしてそう言ってきた。
﹁ワースのこと、何か知っているのでしょう?﹂
眼鏡のブリッジを押さえながらウェスターも珍しく真剣な顔をし
てセトルたちに言う。
これはもう、全て話すしかないだろう。セトルはそう思い、今知
っていることを彼らに話す決意をした。
﹁わかりました。お話します﹂
525
091 これからの旅
﹁︱︱なるほど、あいつはそんなことを考えていたのか。まったく、
どうしようもない﹂
腕組をしたままセトルの話を聞いていたアトリーはやれやれとい
うように首を振る。ウルドも彼に同意して頷く。
﹁そうだな。行動を起こすにしても、もう少し見てからでもよかっ
たはずだ﹂
この話はその場で行ったため、ウートガルザ王も聞いていた。ロ
キ王妃はシャルンが去った後、横の扉から出ていったようだ。王は
先刻のシャルンのことで頭がいっぱいかと思いきや、彼は完全に頭
を切り替えてこの話に耳を傾けていた。流石は王といったところだ
ろう。
﹁彼らの居場所はわかっているのですか?﹂
ウェスターが眼鏡を押さえながら訊くと、しぐれが首を横に振っ
た。
﹁わかってへんよ。うちらアキナで探ってんねん。見つかったらう
ちのところにも式神が来るはずや﹂
﹁兄さんたちの最終目的地ならわかるよ。僕の故郷?幻境の村?テ
ューレン、こっちで言う?幻影の村?ミラージュのことだよ﹂
﹁でしたら、こちらはあまり動かない方がいいでしょう。ミラージ
ュへ行く方法もわかりませんし。︱︱しばらくは私の邸を使ってく
れてかまいません﹂
ウェスターのその厚意は、拠点のないセトルたちにとって非常に
助かるものである。事情を知らないシャルンの家を拠点にするわけ
にもいかないし、セトルはどうしようかと考えていたところだ。
アランがそのウェスター邸の映像を頭の中で蘇らせる。
﹁あのでかい邸か⋮⋮。サニー、迷子になるなよ﹂
﹁ならないわよ! ⋮⋮たぶん﹂
526
﹁もう二、三回ほどなってますからね♪﹂
﹁うぐ⋮⋮﹂
あまり知られたくないことをウェスターにさらっと言われて、サ
ニーは半歩下がる。
﹁軍の方でもワースの行方を追うつもりだ。何かわかったら連絡し
よう。行くぞ、アトリー﹂
﹁ああ、一応﹃語り部﹄を捜していてくれませんか。彼の協力が必
要になるかもしれません。
﹁わかった﹂
ウルドは了承すると、早速アトリーをつれて謁見の間を後にした。
﹁ウェスター、お前はどうするんだ?﹂
ウートガルザが玉座に座ったまま親友兼相談役のウェスターに尋
ねる。
﹁私は彼らと共に行動するつもりですよ、陛下﹂
﹁それがいいだろうな。ウェスター、シャルンのことも頼むぞ﹂
﹁わかっていますよ﹂
それを確認するとウートガルザは立ち上がり、ロキ王妃と同じよ
うに横の扉の奥に消えていった。
﹁ウェスターが一緒なら心強いね、セトル﹂
スペルシェイパー
﹁ああ、うん⋮⋮そうだね﹂
具現招霊術士であるウェスターが仲間として戦ってくれるのなら、
サニーの言う通りこれ以上心強いことはない。それはわかっている
のだが、セトルは今さらながら他人を巻き込むことに気が引けてい
る。だから曖昧な返事をしてしまった。
﹁一度私の邸に向かいましょうか﹂
ウェスターが促し、一行は彼の邸へ向かうことにした。シャルン
も捜さないといけないだろうが、それはもう少し後からでもいいだ
ろう。
? ? ?
527
シャルンはすぐに見つかった。
城門の前に立って彼女は海の方を眺めていた。そしてセトルたち
が後ろに来たとわかると、彼女は船が往来している海を見詰めたま
ま口を開く。
﹁全部、聞いたわ﹂
一瞬、何を言っているのかわからなかったが、セトルはすぐに先
程謁見の間で話したことだと理解する。出ていったあとすぐに戻っ
てきたのか、謁見の間の外にずっといたのかわからないが、そこで
の会話を聞かれてしまったようだ。
﹁何を?﹂
とぼけるつもりはないが、一応訊いてみた。
﹁ワースのこと。放って置いたらこの世界がどうなるか、みんなが
どうなるかを﹂
﹁知って、どうします? 我々と共に来ますか? 私としてはそう
してくれた方がありがたいのですが﹂
ウェスターは眼鏡の位置を直し、その奥のエメラルドグリーンの
瞳に彼女の姿を映す。一緒にいた方がありがたいというのは、王に
彼女のことを頼まれたからだろう。
﹁そうね⋮⋮。王女の件はソテラと一緒に考えてみたけど、やっぱ
りすぐに答えは出そうにないわ。だから、またあなたたちと旅をす
るのも悪くないかもしれないわね﹂
﹁ソテラと一緒にって?﹂
シャルンの言葉の中に出てきた謎な部分にサニーが小首を傾げる。
そこでシャルンはこちらを振り返り、手に持った見覚えのあるイア
リングを皆に見せる。それはソテラの形見のイアリングだった。
﹁村を出るときは、いつも持ってきてるの。持っていると、ソテラ
が近くにいるような気がするから﹂
静かに目を伏せるシャルン。
﹁答えを出すためにも、一緒にいていいかしら?﹂
528
それが今の彼女の答えだった。アランが即答する。
﹁もちろんだ! 寧ろ歓迎さ。な、セトル﹂
﹁いや、僕は⋮⋮うん、そうだね﹂
少し迷ったが、セトルは仕方ないというように微笑んだ。
﹁またこの六人で旅できるんやな!﹂
しぐれは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。しかし、これからす
ることを旅と言っていいのだろうかは疑問だ。実際、しばらくはこ
こから動けないわけだし。
そんな彼らに知らせが届いたのは、それから数日後のことになる。
529
092 極寒の拠点
ニブルヘイム地方。年中極寒の雪国であるその大陸に、今セトル
たち一行は訪れていた。
ブルーオーブ
この大陸には大きな町である﹃フラードル﹄があるのだが、彼ら
はそこには向かわず、ウェスターの船号で海岸沿いを探索していた。
実はこの前、ウェスター邸にひさめの式神がやってきた。彼女に
よって伝えられた情報は、ここニブルヘイムの海岸付近にワースの
施設があるというものだった。︽アブザヴァルベース︾。ワースの
部下たちはその施設をそう呼んでいるらしい。
ようやく入ってきた貴重な情報だったため、セトルたちは時間を
無駄にするわけにはいかないと、すぐにそこへ向かって出発したの
だ。なお、中に潜入したひさめは他の情報を得る前に負傷し、どう
にか脱出はできたものの、今はアキナで療養中であるとのこと。援
護は期待できない。
捜索を開始して僅か一時間、ついにそれらしいところを見つけた。
海岸線の岩礁地帯にドーム状の建造物があった。船を大岩の影に隠
し、中に潜入する。
正面に見張りはいなかった。それどころか近づくと扉も自動で開
いていた。蒼霊砲も自動だったが、今のシルティスラントの技術で
はありえないことだ。ワースたちテュールの民ならそれも可能とい
うことだろう。
﹁すごい技術ですね。実に興味深い﹂
慎重に通路を進みながらウェスターが言う。
﹁たぶんスラッファさんの知識・技術だと思う。こういうのはあの
人の得意分野だから﹂
セトルは昔のことを思い出す。テューレンにいたころ、スラッフ
ァは古代技術を真似して様々な物を作っていた。彼の武器である弓
も、見た目は木製だが少しばかり改造しているようだ。
530
セトルは通路の角で一旦止まる。そっと角から向こうを覗いてみ
ると、二人の独立特務騎士団兵が何やら雑談をしている。一人は巨
漢の大男で、もう一人はごく普通の体格だが、大男のせいでやけに
小さく見える。
﹁どうするの?﹂
サニーが訊くが、ここまで来たからには退くわけにはいかない。
答えは一つだ。
﹁突破しよう﹂
﹁おーし、賛成だ﹂
セトルとアランが同時に角から飛び出す。兵士が二人に気づいた
ときにはもう遅かった。腹に凄まじい衝撃が走ったと思うと、兵士
二人はがくりとその場に崩れた。
﹁ふう﹂
アランが息をついて笑いながら仲間たちを手招きする。
﹁﹃殺さず﹄はなかなか大変でしょう?﹂
ウェスターが指で眼鏡を持ち上げながら皮肉めいた笑みを浮かべ
る。
﹁この人たち程度ならそうでもないよ︱︱!?﹂
その時、アランがのしたはずの巨漢の兵士が意識を取り戻してセ
トルに襲いかかった。大剣を大上段に構え、セトルの背の倍はあろ
うかという高さから斬りつけようとする。
﹁危ない!﹂
しぐれが飛んだ。飛んで巨漢の兵士の顔面に蹴りを入れる。だが、
仰け反っただけで倒れない。巨漢なだけにタフだ。
﹁ザンフィ!﹂
サニーが指示を出すと、彼女の足下から黒茶色い物体が飛び出し、
兵士の顔面に張りつく。さらに引っ掻き回す。
﹁うぐっ⋮⋮﹂
最後にシャルンのトンファーが兵士の腹に食い込み、呻いたあと
今度こそ倒れた。
531
﹁ふむ。見事なコンビネーションですねぇ﹂
一人戦っていないウェスターが感心したように言う。
﹁あんたは何かしたんかい!﹂
﹁いやですねぇ、しぐれ。私は力を温存しているんですよ。老体は
スペルシェイパー
体力がないので♪﹂
﹁?具現招霊術士?がよう言うわ﹂
しぐれは呆れたような顔をする。シャルンが振り向く。
﹁早く行くわよ﹂
階段を上り下り、上り下り、と複雑な構造をしている内部を突き
進み、やっとのことで最奥の部屋に辿り着いた。
そこは雰囲気的に倉庫のような感じだったが、置いてあるものを
見てセトルたちは目を瞠った。
﹁セイルクラフト⋮⋮﹂
最大二人乗りの霊導飛行機械︱︱セイルクラフトが何機も並べら
れていた。しかもいつでも飛び立てる状態で。と︱︱
﹁ようこそ、アブザヴァルベースへ。なんてね﹂
聞き覚えのある声。振り向くと、そこにはスラッファが口元に笑
みを浮かべて立っていた。持っている弓は下しているが、彼の腕な
らその状態からでも一瞬で矢を放つところまで持っていけるだろう。
﹁スラッファさん、兄さんはどこに?﹂
﹁言うと思うかい?﹂
フフ、と余裕の笑みのスラッファ。しばしの沈黙が降りる。それ
はそうだ、彼がワースの居場所を言うはずがない。知らない、とい
うことはまずないだろう。当然知っていて隠しているのだ。と思っ
たのだが、
﹁﹃ライズポイント﹄だよ。今、ガルワースとアイヴィがそこに向
かっている﹂
前髪に隠れてない方の目をつむって眼鏡のブリッジを押さえ、意
外にも簡単に教えてくれた。つまり、ワースはここにはいないとい
うことだ。
532
﹁ライズポイント⋮⋮マインタウンから遥か東の海上にある小さな
島ですね﹂
﹁何でウェスター知ってんの?﹂
サニーが首を傾げる。
﹁前に本で読んだことがあります。ほら、ノックスに見せてもらっ
たものです﹂
何となく納得できた。ノックスと訊いてしぐれが僅かに嫌な顔を
する。本当にアレが嫌いなのだろう。
﹁さて、僕がここに残っている意味はわかるかい?﹂
唐突にスラッファが訊いてくる。武器を所持しているところから
見ると、答えは一つ。それをシャルンが言う。
﹁ここに攻め込んでくるだろうわたしたちの足止め、もしくは始末
かしら? だからわざわざ行き先を話した﹂
﹁なるほど、どうせ俺らを消すんなら何を言っても問題ないってこ
とか。六対一なのにたいした自信だな﹂
アランがそう言いながら長斧を片手でくるくると器用に回す。ス
ラッファは余裕の笑みを消さずに言う。
﹁90点。ああ、もちろん100点中のね。足止めは正解だ、始末
は別に言われていない。行き先を言ったのは、こそこそと隠れる必
要がないからさ﹂
アランの言葉ではないが、たいした自信である。だが、ワースに
はそれだけの実力がある。セトルはそれを嫌というほど知っていた。
﹁君たちが来ることは、アキナの侵入者がいたからわかっていた﹂
スラッファの口から出た言葉にしぐれが反応する。
﹁まさか、ひさめをやったのって⋮⋮﹂
﹁僕さ。でも大丈夫。急所は外しておいたから死んじゃいないはず
だ﹂
﹁!?﹂
しぐれは手を強く握りしめた。友人を怪我させた張本人が目の前
にいる。しかも彼の言葉は、あのひさめを相手に手を抜いて戦った
533
ように聞こえる。実際そうなのだろう。
﹁さてと︱︱﹂
そう呟くと、スラッファは弓を構えて矢を放った。その一瞬のモ
ーションは見えなかった。矢は神速とも言える速度でセトルたちに
向かって飛んでくる。誰も、それに気づいていないように反応がな
い。否、実際に矢が飛んでくるという危機感をまだ感じられずにい
るのだ。︱︱セトル以外は、だが。
飛んでくる矢を、セトルも一瞬の動きで剣を抜いて弾いた。矢は
高く打ち上げられ、離れた鉄の床に突き刺さる。そこでようやくサ
ニーたちは何があったのか理解したようだ。もっとも、どうもウェ
スターにはわかっていたようだった。
﹁流石だ、セルディアス君。やはり厄介なのは君だね﹂
たぶん、スラッファは防がれるとわかっていて矢を放ったのだろ
う。全く動揺していない。
﹁み、見えへんかった⋮⋮﹂
目を丸くしているしぐれに、セトルが一言、
﹁集中すれば見えるよ﹂
と簡単なアドバイスと言えるのかどうかわからないことを告げる。
後ろの自動ドアからガチャリという音がした。
﹁な、何!?﹂
その音にサニーが本気で驚く。たぶん今のはドアのロック。これ
でスラッファをどうにかしないかぎり後ろのドアは開かないだろう。
534
093 神弓の射手
スラッファは三本の矢を同時に放った。もちろん一瞬でだが、今
度は皆それを躱すことができた。セトルのアドバイスのおかげかど
うかは知らないが、見えないものではない。
すぐに前衛組三人が走り、後衛組が霊術の詠唱を始める。スラッ
ファは向かってくる三人にそれぞれ神速の矢を放った。セトルは先
程のように剣で弾き、アランとしぐれはぎりぎりで躱すが、それぞ
れ脇腹と左腕を掠める。
セトルの振り下ろした?霊剣?レーヴァテインをスラッファは弓
を床と平行にさせて防ぐ。ガキン、と衝突音が響く。セトルの霊剣
を受けたにも関わらず、スラッファの弓は傷一つついていない。
﹁⋮⋮?神弓?ケルクアトール﹂
﹁よく覚えているね。いや、思いだしたのかな﹂
組み合った状態でスラッファは矢を弦に引っ掛けて引く。咄嗟に
セトルは後ろに跳んだ。そしてすぐに身を沈める。頭上を矢が通り
抜ける。
直後、アランとしぐれがほぼ同時に刃を振るった。だが、どちら
も空を斬っただけに終わる。そこにスラッファの姿はなかった。
﹁二人とも、上です!﹂
ウェスターに叫ばれて上を見ると、積み上げられたコンテナの上
でスラッファが弓を引いているところだった。すぐにその場から飛
び退る。だが、読まれていたのか矢の軌道は二人が飛び退った場所
に向かっていた。
﹁うっ⋮⋮﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
矢が、二人の足に一本ずつ刺さっていた。そこを中心に赤いもの
が染みていく。
﹁︱︱スラッシュガスト!!﹂
535
ウェスターの霊術が完成する。真空の刃がコンテナの上の︱︱空
気を切り刻んだ。スラッファは別のコンテナに飛び移っていた。し
かし、そこで間髪入れず残り二人の霊術が発動する。
﹁︱︱フィフスレイ!!﹂
﹁︱︱ダークフォール!!﹂
正面からサニーの五つの光弾が、頭上から漆黒の塊が襲いかかる。
霊術がちゃんと発動したのを確認すると、二人は急いでアランとし
ぐれの元に駆け寄る。
スラッファはまず頭上に向けて矢を放った。それは闇の中に消え
ていく。刹那、凄まじい電撃のような青白い閃光が弾け、シャルン
の術を消滅させた。次はサニーの光弾だが、彼は弓を持っていない
方の片手を前に翳すと、そこに虹色の力場が発生した。
︵神霊術!?︶
ヘブンリーミュラル
セトル、いや、一通り話してあるから皆わかっているだろう。光
弾は力場の前に虚しく消滅した。
﹁あらゆる霊術・霊術付加を完全に防ぐ神霊術、︽神壁の虹︾。君
たちはもう知っているだろう? 僕に霊術は効かな︱︱!?﹂
その時、コンテナの上に立っているスラッファの真下からセトル
が飛び出し、剣で彼の弓を弾いた。手放すことはしないものの、ス
ラッファに大きな隙が生まれる。そこをセトルが今の勢いで斬りつ
ける。鮮血がほとばしった。が、咄嗟に受け身を取られそこまで深
い傷を与えることはできなかった。
怯むことなくスラッファはセトルの腕を掴んで軽々と投げ飛ばし
た。華奢な体形からは考えられない馬鹿力だが、それはセトルも同
エリクスピリクル
じなので今さら驚く者はいない。さらに追い打ちをかけるように弓
を射る。
﹁︱︱ライトニングアロー!!﹂
迫りくる矢は青白い閃光を帯びていた。それは高密度の雷霊素で
ある。常人が少しでも掠れば即死物だ。セトルは空中でありえない
体勢から技を放つ。
536
ひくうしょうはざん
﹁︱︱飛空衝破斬!!﹂
飛刃衝をさらに進化させた裂風が吹き荒れ、雷矢を吹き飛ばす。
矢も神弓の一部なので斬り裂くことは不可能だった。これによって
軌道を変えられた雷矢は天井に突き刺さり、青白い閃光を爆発させ
て大穴を開ける。外から雪が中に入ってきた。
﹁︱︱スカーレットレイン!!﹂
フレアスピリクルライトスピリクル
セトルが着地すると、スラッファはもう次の攻撃を仕掛けていた。
火霊素と光霊素が混ざり合ってできる輝く炎を纏った無数の矢が頭
上から降り注ぐ。神弓だから成せる技である。この空間に逃げ場は
ない。
﹁︱︱荒れ狂う風よ、怒りに身を任せ、彼の地へと集え⋮⋮ヴィン
トフォーゼ!!﹂
部屋の中心から巻き上がるように吹き荒ぶ風が出現する。
﹁皆さん、なるべく中央へ!﹂
ウェスターが叫ぶ。言われた通り皆はそこへ飛ぶ。彼の術によっ
て傷つけられることはないので躊躇はしない。即行で紡いだ高速詠
唱のため威力は半減だが、スラッファの分散した矢の雨の一部に穴
を開けることは容易だった。次々に矢が床に刺さっていく。まるで
畑から矢がなっているようだった。
ふう、とスラッファが息をつく。
﹁この技、防がれるとけっこう困るんだよね。何せ矢を大量に使う
もんだからもう余りがなくて⋮⋮﹂
ぶつぶつと、もう自分は攻撃できません、みたいなことを言って
いるが、それで安心するわけにはいかない。スラッファから余裕の
表情が消えていないからだ。
﹁さてと、僕が矢の回収をしている間は兵たちに任せようと思う﹂
そう言うと、再び後方の自動ドアからガチャリという音がする。
ドアが開き、いつからいたのか独立特務騎士団兵が雪崩れ込んでく
る。相当の数だ。この施設にいる全員が集まっているのかもしれな
い。
537
﹁ま、マジかよ⋮⋮﹂
アランが冷汗を垂らす。燃えている矢畑のせいでお互い戦いづら
い状況にあの数。流石のセトルたちでも不可能に近い。
﹁あーもう、ヤバいわよこれ!﹂
﹁流石にうちもこんなに相手できへんわ﹂
焦るサニーとしぐれの横でセトルとシャルンは絶体絶命を感じな
がら舌打ちする。
﹁仕方ありません。アレで逃げましょう。都合よく天井が開いてい
ます﹂
こんな時でも一人冷静に見えるウェスターが安置されているセイ
ルクラフトを指して言う。炎の矢畑のおかげで時間を稼げている今
が逃げるチャンス。セトルたちは頷くこともせずウェスターの案に
賛同し、一気にセイルクラフトへ駆け乗る。
﹁僕が逃がすと思っているのかい?﹂
まだコンテナの上にいるスラッファが不敵な笑みを浮かべ、一本
だけ残っている矢を弦にかける。
﹁そう思っていることを願いたいものです﹂
ウェスターがどこか皮肉めいた笑みを浮かべそう答え、セイルク
ラフトを起動させる。他の皆が乗った機体も発進し、先導するウェ
スター機の後についていく。
一機、二機、三機と、それぞれが無事に穴からアブザヴァルベース
の外へ抜け出せた。スラッファは引いていた矢を戻す。
﹁ガルワースの読み通りだな⋮⋮逃げられた。︱︱すぐに奴らを追
え!﹂
その後、数機のセイルクラフトがセトルたちを追って飛び立った。
? ? ?
セトルたちは南東に向かって飛んでいる。このままワースたちの
いるライズポイントへと向かうのだ。しかし、簡単に行かしてくれ
538
るわけがない。後ろから追手が来ている。
﹃数は⋮⋮五機ですか﹄
セイルクラフト同士の通信機からウェスターの声が聞こえる。
﹃どうです、セトル。振り切れそうですか?﹄
﹁わからない。でも気をつけた方がいいよ。たぶん向こうには︱︱﹂
セトルが言い終わる前に白いエネルギー弾が横を通り過ぎる。
﹃⋮⋮霊導砲装備ですか。やっかいですね﹄
﹃くそ、こっちは反撃できねえのか?﹄
通信機からアランが訊ねてくる。セトルは自分が乗っているセイ
ルクラフトの機能を調べてみるが、そんな物は搭載されていないよ
うだった。
﹁無理みたいだね﹂
先程の一発は威嚇だったのだろう。セトルたちが止まらないのを
見て、五機の追手から次々と霊導砲が発射される。
上下左右、不規則に動いてエネルギー弾を躱し続ける。だが、こ
のままではあたるのも時間の問題だ。追手との距離が徐々に縮まっ
ていく。
﹁あーもう! 向こうばっかずるいわよ!﹂
セトルの後ろを飛んでいるサニーがこちらに聞こえるくらいの声
で喚いているが、そんなこと言ってもどうにもならない。セトルが
何か決心したような顔をする。
﹃せ、セトル、何を⋮⋮﹄
通信機越ししぐれの驚く声がする。セトルは急旋回して一人敵の
方へ飛んでいった。
﹁セトル、ダメ!﹂
サニーが叫ぶ。
ヘブンリーミュラル
セトルはちらりと後ろを向き、
﹁︱︱神壁の虹﹂
前に向き直って神霊術を発動させ、巨大な虹色の障壁が飛んでく
るエネルギー弾を全て弾く。そのまま全弾を防ぎながら敵陣に突っ
539
込んでいった。
﹁ダメエエエェェェェェエェェッ!!﹂
セトルが突っ込んだ刹那、青白い光が後ろで爆発し、景色を染め
上げた。離れたところからでもかなりの破壊力を感じる。
﹁セトル︱︱︱︱︱︱!!﹂
540
094 兄を追って
セトルは目覚めた。
ここはムスペイル地方の町、ヴァルケンの宿屋だった。心配そう
にセトルを覗き込んでいたサニーが歓喜と安堵の声を上げる。
﹁セトル、よかったぁ。死んじゃったかと思ったよ﹂
﹁そうですよ。無茶はしないでください。サニーなんて、あなたが
︱︱﹂
﹁そこ! 黙ってて!﹂
真っ赤な顔のサニーにウェスターは眼鏡の位置を直して笑った。
彼女は何をしたのだろうか?
何となく、あの後のことを思い出してきた。敵を撃破したあと、
どうにか皆のところに戻ってはきたが、町についた途端気を失った
ようだ。
セトルはベッドに横たわったまま辺りを見回す。アランたちがい
ない。もしかすると敵に? そのセトルの疑問がわかったのかウェ
スターが言う。
﹁三人には物資の補給に行ってもらっています。ほとんどをブルー
オーブに置いてきましたからね。ああ、ブルーオーブとは連絡を取
ってますから御安心を﹂
それを聞いて安心した。セトルは上半身を起こすと真剣な表情で
二人を見る。
﹁ライズポイントへは普通に行くことができない。行くには、闇精
霊の洞窟の南西にある遺跡に行く必要があるんだ。そこに転移陣が
あると聞いている﹂
セルディアスの頃に知った知識の中にそう刻まれてあることを思
い出した。ついでにもう一つのポイントも簡単に入れないことを思
い出す。
﹁セトル⋮⋮物知りになった?﹂
541
サニーが不満そうに、どこか悔しげに呟く。
﹁ふむ、そうですか。ではアランたちが戻り次第出発しましょう﹂
頷くセトルにサニーがまた心配そうな顔で言う。
﹁セトル、起きたばかりだけど大丈夫なの? その、無理しないで
よ。もう少し寝ててもいいんだから﹂
セトルは静かに首を振る。
﹁いや、今行かないと、兄さんには追いつかないと思うから。行く
よ﹂
﹁そう⋮⋮そうよね﹂
俯きながらも納得してくれた彼女にセトルは優しげな微笑みを見
せた。と、部屋の扉が開いてアランたちが帰ってきた。
﹁あ、セトル起きたんや﹂
セトルが目覚めたことに気づいたしぐれが安堵の笑みを浮かべる。
その横でシャルンが、おはよう、と素気なく言うが表情は優しかっ
た。アランが買ってきたものの中から何かを取り出す。
﹁さあ食え、セトル。食って力つければもう倒れることはないぜ♪﹂
と、彼はどこか楽しむような笑みを顔に貼りつけて南国フルーツ
をセトルの顔に押しつける。鬱陶しかったので腕を払う。
そしてベッドから立ち上がり、皆を見回す。
﹁行こう。もたもたしてられない﹂
542
095 神槍の振い手
ライズポイントは上空には乱気流が、海上は大渦が取り囲んでい
る小さな島にある。そのためセイルクラフトで特攻しても、気流に
捕まって墜落し海の藻屑となる。
セトルの記憶の通り、闇精霊の島の南西に小さな遺跡があった。
本当に小さい上に森の中にあったため、よく探さないと発見は難し
い場所だった。
中に入るとすぐに転移霊術陣が輝いており、一行は頷き合って陣
に飛び込んだ。
転移した先、ライズポイントの内部は︱︱まるで異空間のようだ
った。黄金色の宇宙が延々と広がっている。サニーやしぐれが思わ
ず、綺麗、と呟いてしまうほど美しい光景でもあった。その中を半
透明な床が支える柱などなく浮いているように続いている。見えな
いもの、空気や重力感などは外の世界と変わらない。
﹁素晴らしい光景ですね。今度ピクニックにでも来ますか?﹂
ウェスターが冗談めいた笑みを浮かべて、興味深げに周囲を見回
す。
﹁あんたはこういうところでメシを食うのが趣味なのか?﹂
﹁ははは、いやですねぇ、アラン。冗談に決まっているでしょう。
こんな何もないところは私の趣味ではありませんよ﹂
笑い飛ばすウェスター。しぐれが同意する。
﹁まあ、綺麗やけど景色に変化あらへんしなぁ﹂
中の異世界っぷりにはセトルも素直に驚いた。ここがワースの言
っていた繋留点、世界を繋ぎとめるポイントの一つ。もっと古代技
術を駆使した施設か何かだと予想していたが、ここまで神がかって
いるとは思わなかった。だが、よく考えるとアルヴィディアとノル
ティアを一つにしたのはテュール神なのだから、寧ろこんな光景の
方が納得だ。
543
﹁ここにあのワースがいるのね。入れ違いになったってことも考え
た方がいいかもしれないけど﹂
シャルンがもっともなことを言うが、セトルには確信があった。
﹁いるよ。僕にはわかるんだ。何となくだけどね﹂
﹁じゃあさくっと行って、一発ぶん殴って、セトルのお兄さんの目
を覚まさせよう!﹂
サニーが拳を天に向かって突き上げる。おー、とは言わないもの
の、皆はそれに頷いた。
道はほぼ一本道だった。進んでは転移陣で移動しを繰り返す。ど
んどん下層へと下っているようだった。上に通ってきたと思われる
床が見える。正直、床と重力がなければ上下左右全くわからない空
間だったことだろう。
ガー
ディ
アン
もちろん邪魔がなかったわけではない。独立特務騎士団兵︱︱で
はなく、蒼霊砲にいたような守護機械獣たちだった。途中に破損し
て転がっているものがあったが、それはワースがやったもので間違
いないだろう。
﹁あれは⋮⋮﹂
何度目かの転移を行った先で、セトルは青い巨大な光柱が下方に
向かって伸びているのを見つける。その根源はこの道をずっと行っ
た先にあるらしく、ここが最下層だということがわかった。
﹁あそこに兄さんがいる﹂
兄弟の繋がり、とでもいうやつだろう。何となく、それでいては
っきり兄がいるということがわかる。
﹁行きましょう﹂
ウェスターが促す。
罠などないとわかっていながらも、最後の一直線をこれまで以上
に慎重に進んで行く。そして、ついにワースを見つけた。
円形状の広い床の端、光柱の根源に向かって何かの儀式をするよ
うに両手を掲げていた。その後姿には凄まじいまでの存在感と威圧
感を感じる。
544
彼の三歩後ろにはアイヴィが立っていた。彼女が先にこちらへ気
づく。
﹁ワース、来たみたいよ﹂
アイヴィがこちらを振り向く。その手には刀身の付け根に天使の
翼のような装飾がされてある槍を握っている。
﹁ああ、わかっている。解除までもう少しかかりそうだ。その間は
任せる﹂
﹁わかったわ﹂
ワースはそのままに、アイヴィだけがこちらに向かってくる。蒼
眼が強い意志を表している。
﹁アイヴィさん、そこをどいてくれ⋮⋮と言っても無駄なんだよね﹂
﹁ええ、ワースの決定はテュール神の決定よ、弟君﹂
彼女は微笑んだ。弟君という呼び方はテューレンのころのものだ。
嫌な笑みではなかった。とても温かく優しいもの。彼女らは悪人で
はないからそう見えるのだろう。自分たちが世界にできる最善の方
法を実行しているだけだ。
︵でも、それは間違っている︶
世界の分離、そんなことをしてまで種族を分ける必要などない。
ウェスターが前に出る。
﹁もう少し待ってみる、ということはできなかったのですか?﹂
﹁そうや、これからって時やったのに。あのソルダイの人たちだっ
て協力し合ってたんやで!﹂
しぐれは自分が復興作業を手伝っていた村のことを思い出す。多
少のいがみ合いはあったものの、この一ヶ月をうまくやってきたの
だ。
﹁わたしたちも悩んだのよ。一ヶ月、世界の様子も見てきた。そう
して出した結論よ。もう変えられないわ﹂
﹁世界の様子を見たんでしょ? なのに何でそうなるのよ!﹂
﹁気づいたからよ、サニーちゃん。それは一時的なものだってね。
前にスラッファも言ったでしょ?﹂
545
確かに、そんなことを言っていたような気がする。
﹁それで虐げられてるハーフは全滅? ふざけないで﹂
シャルンがトンファーを抜く。
﹁テューレンみたいに、ハーフだけの居場所を作ることができれば
いいでしょ?﹂
﹁できればってことは、失敗する可能性があるってことじゃねえか﹂
アランが吐き捨てるように言う。
﹁もう少しお話しててもいいけど、どうやらそうも言ってられない
みたいね﹂
アイヴィは持っている槍を構えた。あれも、ただの槍ではないだ
ろう。
﹁?神槍?フェイムルグ⋮⋮みんな、気をつけて﹂
﹁言われなくてもわかってるよ﹂
ニッとアランが唇を吊り上げる。
アイヴィは走った。人間離れしたスピードで一気にセトルたちと
の距離を縮める。槍の間合いに入るまで一秒とかからなかった。
﹁はあっ!﹂
神槍の凄まじい突きがセトルに襲いかかる。躱せない、そう直感
が告げレーヴァテインで受け止める。
金属音。尋常じゃない衝撃に手が痺れる。次の瞬間、体が浮いて
いた。ふんばりも虚しく衝撃に突き飛ばされる。床を転がり、危う
く黄金の宇宙へ放り出されるところだった。
アイヴィの両脇からアランとしぐれが挟み打ちを仕掛ける。だが、
アイヴィは体を回転させて槍を振り、強風を伴って二人を吹き飛ば
す。
﹁みんな!﹂
サニーが叫ぶ。シャルンが正面から攻めようとするが、槍を突き
つけられ咄嗟にバックステップする。
﹁︱︱蒼き地象の輝き、アクアスフィア!!﹂
ウェスターの詠唱が響く。青光の霊術陣がアイヴィの足下に出現
546
ヘブンリーミュラル
し、水の奔流が噴き上げて水珠を形成する。神壁の虹は使われてい
ない。確実に捉えた︱︱はずだった。
﹁何!?﹂
次の瞬間、水の珠が真っ二つに裂けた。その中から槍を縦回転さ
せているアイヴィが現れる。彼女の顔には余裕の笑みが浮かんでい
る。
﹁くっ⋮⋮澄み渡る明光、壮麗たる裁きを天より降らせよ、ディザ
スター・レイ!!﹂
サニーが叫ぶと、頭上に巨大な光球が出現する。そこから無数の
光線を発射させてアイヴィを狙う。が、アイヴィはそれら全ての光
線を槍で弾き飛ばした。よく見ると、槍には虹色のオーラが纏って
ある。
﹁何で⋮⋮﹂
﹁神霊術を、付加させてるんだ﹂
驚愕しているサニーに、セトルが立ち上がりながらそう言った。
﹁スラッファさんは僕と同じで呪文系統、アイヴィさんは付加系統
の神霊術を使うから﹂
﹁そ、そういうことは先に言っといてよ!﹂
セトルは足の裏を爆発させたような勢いで疾走する。サニーたち
の横を通り過ぎる瞬間に、ごめん、と謝ったが、たぶん聞こえては
いない。
セトルは高く飛び上がり、蒼眼を煌かせて霊剣を叩き下ろすよう
に振るう。アイヴィは空中にいるセトルに向かって槍を突き出す。
剣と槍とではリーチが違いすぎた。着地したセトルから鮮血がほ
とばしる。直前で咄嗟に槍の軌道を変えたのだが、右肩を掠めてし
まった。
﹁剣で戦うなら、ワースくらい強くないとわたしには勝てないわよ、
弟君﹂
事実、その通りだった。リーチが違う以上、彼女は絶対に剣の間
合いに入ってこない。神霊術で戦おうも、この前の追っ手を蹴散ら
547
した術は使えない。使った後の疲労が酷く、指向性など関係ないあ
の術でサニーたちを巻き込まない自身はない。そもそも、彼女が使
わしてくれるはずがない。ならば︱︱
﹁︱︱飛刃衝!!﹂
セトルは剣を振って裂風を引き起こす。アイヴィは横に跳んでそ
れを躱す。しかし、そこにはしぐれが待っていたかのように白刃を
振るっていた。槍の刀身でギリギリ受け止める。
﹁反応ええなぁ﹂
﹁ふふ、ありがと♪﹂
組み合った状態での力と力の競り合い。当然、しぐれに分はなか
った。その後半秒で彼女は床に背をつけられる。直後、彼女はしぐ
れにとどめを刺そうとはせず身を翻す。
金属音が高鳴る。アランの長斧がアイヴィの槍と組合い、しっか
りと押さえていた。アランならば力で勝っている。その間にセトル
が剣の間合いにアイヴィを入れる。
一閃。胴を真っ二つにするような勢いで剣を薙ぐ。わかっていた
ことだが、彼女は真っ二つにはならなかった。剣閃に合わせて体を
引く。しかし、今ので緑色の軍服が裂け、そこから赤いものが流れ
る。
﹁いい仲間を持ったわね﹂
そう言いつつ、彼女は槍を下げてアランの長斧を床に叩きつける。
さらにそのまま槍を床に突き立て、その反発力を利用して高く飛び
上がる。
﹁︱︱ロックプレス!!﹂
ヘブンリーミュラル
詠唱が速い。空中で逆さの状態になっている彼女の前に大岩が出
現し、重力も力に変えてセトルたちに落下してくる。﹃神壁の虹﹄
ライトスピリクル
を使う暇がない。だが、避けられないことはない。三人はそれぞれ
こうりんせん
三方に散って大岩を躱す。砕けた破片が飛散する。
﹁︱︱光燐閃!!﹂
気づくと、既にアイヴィは着地して槍を薙いでいた。光霊素が付
548
加して白い鱗粉を撒き散らしている槍が、横薙ぎにセトルへ襲いか
かる。レーヴァテインで受け流しつつ飛んで躱し、目で、彼女には
気づかれないようにサニーへ合図を送る。
﹁!﹂
サニーはその合図を受け取ると、すぐにセトルが何をしたいのか
わかった。頷き、セトルと鼓動を合せるように息を吸い、詠唱を始
める。
﹁聖霊の輝き、その御心のまま彼の者の剣とならん︱︱﹂
セトルの周囲を囲うように、いくつもの光の点が現れる。その中
から一斉に眩い輝きを放つ槍が回転しながら飛び出し、彼にその矛
先を向けた状態で停止する。
﹁︱︱時霊の雨の加護を受け、今こそ穿て﹂
セトルの掲げたレーヴァテインを、周囲を取り囲んでいた輝槍が
次々に貫いていく。一つ、また一つ貫くごとに、彼の霊剣は輝きを
増していく。
﹁連携!?﹂
せいれいこううしょう
流石のアイヴィも顔から余裕が消えていた。
せいれいこううしょう
﹁︱︱聖霊光雨衝!!﹂
﹁︱︱聖霊光雨衝!!﹂
剣を刺突の構えにし、一瞬でアイヴィとの間合いを詰めたセトル
は、連続して突きを放った。残像が鮮明に残るほど素早く突きださ
れ続けるそれは、まるで百の刃を同時に突き出しているように見え
る。
だが、流血は起こらなかった。アイヴィに躱した様子はないし、
槍で防いでいる様子もない。それなのに先程から特殊な武器同士が
ぶつかり合う金属音が、雨音のように聞こえている。
刹那、セトルは連携で力を増したはずの霊剣を弾かれた。突然の
ことで手を放してしまい、レーヴァテインは天高く舞って床に叩き
つけられる。
﹁兄さん⋮⋮﹂
549
セトルは、アイヴィの前に立つ実の兄を忌々しげに睨んだ。あの
攻撃をこうも簡単に防がれた。
ワースの澄んだ蒼眼にセトルの姿が映る。
﹁完了だ。これ以上の戦いは無用。アイヴィ、次へ行くぞ﹂
﹁ワース兄さん!﹂
セトルが叫ぶ。今しがたの瞳に込められた忌々しさは消えていた。
﹁セルディアス、オレたちを止めようと思うのならそうするといい。
半端だが、神霊術を扱えるお前がオレとは違う考えを持っている。
それもテュール神の意向なのかもしれない。だが、オレたちはここ
で止まるわけにはいかない。わかるな?﹂
今のワースを前にすると、風はないのにもの凄い風圧を受けてい
るような感覚に陥る。それだけの存在感と威圧感を彼は持っていた。
﹁⋮⋮わからないよ﹂
﹁そうか。まあ、それでもいい。何度も言うが、オレはお前を殺す
つもりはない。だが、これ以上邪魔をするというのなら、オレも本
気で相手をしてやる﹂
言うと、彼らを転移霊術陣が包んだ。
﹁逃げるのですか?﹂
挑発的にウェスターが言う。だが、ワースは彼のことなど空気の
ように無視し、セトルに対して言葉を続ける。
﹁イクストリームポイントで待っている。来るのなら、正面から全
力でぶつかってこい﹂
﹁ワース⋮⋮﹂
﹁いいんだ、アイヴィ。これがオレの決断だ﹂
そのまま二人の姿は一瞬で景色に溶けていった。
﹁逃げられちゃった﹂
サニーがポカンとして呟く。連携を防がれた辺りから、何が起こ
ったのかわからなくなっているようだった。
﹁完了って言ってたけど、ワースは何をしていたの?﹂
シャルンがトンファーをしまいながら訊く。セトルは光柱の根源
550
の方を向いて顎をしゃくった。
﹁な、なくなってるやん! これどういうことなん?﹂
﹁兄さんの神霊術とスピリチュアキーを使って、世界を繋いでいる
一柱を外したんだ﹂
セトルは諦めたように皆の方を向く。こうなってしまっては、今
の自分では修復不可能だった。
﹁スピリチュアキーって、蒼霊砲の鍵のことじゃねえのか?﹂
その単語に聞き覚えのあったアランは確かめるようにそう言う。
﹁本来、スピリチュアキーは繋留点をロックするためにテュール神
が作ったものなんだ﹂
﹁でもそれっておかしくない?﹂
サニーが疑問を投げかける。
﹁蒼霊砲って、ここができる前に造られたんじゃ⋮⋮?﹂
﹁それよりも前から、繋留点はあったということでしょう﹂
眼鏡の位置を直してウェスターが考えを述べる。セトルは頷いた。
﹁うん。元からこの世界は一つだったんだ。それを遥か昔に二つに
分け、そしてまた戻した。それを今度は兄さんが二つに分けようと
している﹂
﹁ふむ。あなたが言うのなら本当でしょう。何となく、連鎖が起こ
っている気がしますね﹂
﹁考えるのはあとにして、一度ここから出た方がいい﹂
ワースたちがいなくなった以上、もうここにいる必要はない。そ
うですね、とウェスターは頷き、一行はライズポイントを後にした。
551
096 語り部再び
﹁あーあ、結局こうなるんかい⋮⋮﹂
学術都市サンデルク。復興作業の続いている通りを歩きながらし
ぐれは大きく溜息をついた。
イクストリームポイントの場所はセトルにもわからなかった。そ
こで語り部であるノックスを頼ることにしたのだ。一度王都に行き、
軍が把握しているはずのノックスの動向を聞くと、今はサンデルク
にいるということがわかった。
﹁さて、どうやって捜したもんかね﹂
アランが頭の後ろで腕を組む。サンデルクは広い。しかも復興の
ため大勢の人が外に出ている状況だ。見つかるかどうかわからない。
﹁大丈夫ですよ。騒がしいところをあたっていけば見つかります。
ほら、あそことか﹂
ウェスターが前方を指差す。見ると、道の真ん中に人だかりがで
きていた。わーわーと何かイベントでもあるかのように騒いでいる。
﹁喧嘩⋮⋮じゃないわね。何かあったのかしら?﹂
﹁何や嫌な予感がしてきた﹂
しぐれは感じた悪寒に身震いする。と、騒ぎに混ざってどこか幻
想的なメロディが聞こえてくる。
﹁これ、何の音?﹂
周囲の風景と全く噛み合わない曲にサニーは眉を顰める。
﹁バイオリン⋮⋮ですかね。どうやら当たりのようです﹂
人だかりの前まで来ると、騒ぎの中心にいた青年がすっくと立ち
上がる。ディープグリーンの長髪、太陽のような模様が入った白い
コート、自己陶酔的な仕草、もう間違うはずはなかった。
﹁おお! セトル君、しぐれ君、サニー君にシャルン君じゃないか。
わざわざボクに会いに来てくれるなんて嬉しいよ。ハハハハハ♪﹂
両手を大きく広げ、彼を避けるように退いていく人ゴミの中を歩
552
いてくる。手には年代物を感じさせる小さなバイオリンを持ってい
る。
︵この人は相変わらずだ︶
セトルは心の中で嘆息し、キザっぽく前髪を払う彼を見る。アラ
ンが自分は呼ばれなかったこととシャルンを呼ばれたことに苛立ち
を覚えて言う。
﹁おいこらノックス、俺らもいるんだが﹂
﹁おや? セトル君は雰囲気変わったかい? マントのせいかな﹂
﹁空気扱い!?﹂
アランがノックスの肩を強く掴んだ。ノックスは焦るようすもな
く白々しく彼を見る。
﹁やだなぁアラン君、ちゃんと見えてるよ。そんなに怒らないでく
れ、ボクはボクのハニーたちの名を呼んだまでさ。それとも、君も
ボクのハニーに加えてあげようか♪﹂
﹁却下﹂
即答で断るアランにノックスは、ははは、とキザっぽく笑った。
﹁何をしてたんだ?﹂
セトルが訊く。意味無く人を集めていたわけではないかもしれな
い。
﹁いやなに、町の人たちを励まそうと路上演奏をしていたのさ。ほ
ら、ボクは演奏家だから﹂
﹁初耳や! 美食家やなかったんかい!﹂
﹁そりゃ言えないさ。なにせこのバイオリンは三日前に手に入れた
ものでね﹂
﹁ド素人やん!﹂
しぐれはコレと話していると思わずつっこみたくなる衝動が湧い
てくる。周囲の人々の様子からすると、はっきり言って迷惑そうだ。
﹁お騒がせしました。皆さんはそれぞれの仕事に戻ってもらってけ
っこうです﹂
ウェスターが周囲の人に呼びかけこの場を収拾する。町の人々は
553
ザワザワしながらも、彼に従ってそれぞれ散っていく。
﹁でも、ちゃんと弾けてたよね、バイオリン﹂
﹁当たり前さ、サニー君。ボクに弾けない楽器なんてないのさ♪﹂
間違いなくはったりだろうが、実際バイオリンは素人とは思えな
い腕だった。
﹁それより、ボクに用があって来たんじゃないのかい? たぶん、
独立特務騎士団のことかな?﹂
﹁知ってたんだ。それなら話は速いよ﹂
馬鹿みたいにおちゃらけているようで、その実しっかり要点は理
解しているところはセトルも感心していた。
﹁記憶の戻ったセトル君もそそるものがあるねぇ♪﹂
ニコニコとした笑みを浮かべて本気ともとれる言葉を言うノック
ス。セトルは嘆息した。前言撤回、話は速くなさそうだ。
﹁記憶が戻ったことまで知ってるなんて﹂
﹁まあ、風の噂と、君の雰囲気から察したのさ♪ 流石はボクだね、
当たっていたよ﹂
ノックスは誇らしげに胸を張る。放っておくと話が脱線した方向
に猛進していきそうなのでさっさと本題を進めることにする。
﹁簡潔に言うよ、イクストリームポイントの行き方を知っていたら
教えて欲しい﹂
セトルが要件を言うと、ノックスの表情は一瞬で真面目モードに
変更された。
﹁もちろん知っているよ。だけど、まずは君たちの状況を聞かせて
もらおうかな﹂
皆は顔を見合わせた。頼る以上、やはり知ってもらった方がいい。
そういうことで、彼に今までのことを一通り説明した。
﹁⋮⋮へぇ、独立特務騎士団が消えたのは知ってたけど、そんなこ
とになっているとは流石のボクも予想外だよ﹂
説明を聞いて、彼はさして驚いた様子はしなかった。だが、いつ
ものように面白そうな顔もしていない。
554
﹁それで、イクストリームポイントはどこにあるのですか?﹂
眼鏡を煌かせてウェスターが本題を尋ねる。ノックスは思い出す
ようにこめかみを指で押さえ、そして答える。
﹁ビフレスト地方の真西海上にあるよ。ライズポイントに行ったの
ならわかると思うけど、簡単には入れない。いや、実質侵入は不可
能かな﹂
﹁どうして? どっかに入口とかないの?﹂
侵入不可能という言葉にサニーは首を傾げた。
﹁ライズポイントは何らかの理由で中へ入る必要があったから入口
を作った。だけど、イクストリームポイントは違う。入る必要がな
いから周囲を強い結界で覆われているのさ﹂
﹁それだと、ワースたちも侵入できねえんじゃないのか?﹂
そうなると当然アランの言った疑問が出てくるが、それにはノッ
クスではなくセトルが答えた。
﹁兄さんたちには転移術がある。テュールの民以外、中に入ること
はできない仕掛けになってるんだと思う﹂
﹁なんだ、それならこっちにはお前がいるじゃねえか﹂
﹁バカね。セトルが転移術を使えるならわざわざ船やセイルクラフ
トなんて使わないでしょ?﹂
問題解決、と思っていたらしいアランはシャルンから冷たく指摘
を受け、ああそうか、と納得して萎れる。セトルも頷いた。
﹁そういうことだから、何か別の方法を考えた方がいいよ﹂
皆はその場で頭を悩ますが、道の真ん中で通行の邪魔になると気
づき、脇に寄ってから再度悩ます。
と、ノックスが閃いたように口を開く。
﹁ウェスター、精霊との契約はもう解消してしまったかい?﹂
﹁いえ、まだですが⋮⋮!? なるほど、そういうことですか﹂
ウェスターは一人だけハッとしてノックスの考えを理解した。精
霊の力を借りても転移などはできないはずだが。
﹁何かわかったんやったらうちらにも教えてえな﹂
555
﹁精霊の力を一箇所に集中させ、それを一気に放ち結界を一時的に
破るということです。簡単に言えば、蒼霊砲のマネごとですね﹂
﹁ホンマにそんなことできるんかい?﹂
﹁負担は大きいですが、やってやれないことはないでしょう。まあ、
破れるかどうかは、実際に結界を見てみないとわかりませんが﹂
ウェスターは所持している精霊との契約の証である指輪を取り出
し、全て揃っているかどうか確認する。
﹁根源・統括、その両方が揃っているんだからかなりの威力になる
と思うよ。僕が保障するんだから間違いないさ♪﹂
ノックスは元の表情に戻ってそう自信満々に言う。なぜか無性に
不安が込み上げてくるのはなぜだろうか?
﹁となると、船で行った方がいいかもしれませんね。セイルクラフ
トでは集中できませんし﹂
船で行くのなら、もう一度王都に戻らなければならない。だが、
ウェスターのブルーオーブ号はまだ王都に戻ってない。これから数
日待たなくてはいけなくなる。セイルクラフトとの速度の差がここ
で仇になってしまった。
﹁言っとくけど、残念ながら今回はボクは同行しないよ﹂
﹁今回も、や。⋮⋮って、どないしたん? いつものあんたやった
ら喜んでついてくるのに﹂
予想外のノックスの言葉にしぐれだけではなく皆が驚きの表情を
する。
﹁歴史を動かす青い瞳を持つ者同士が対立しているんだ。語り部の
ボクは直接関わるわけにはいかないからね。ボクがいないからって
寂しがったらだめだよ﹂
﹁誰が!﹂
眉を吊り上げてついしぐれは大声で叫んでしまった。行き交う人
々の視線が刺さる。
﹁やれやれ﹂
人々の視線など感じていないようにウェスターは肩を竦めた。
556
097 擬似蒼霊砲
王都セイントカラカスブルグ。
ノックスと別れたセトルたちはその日のうちに到着した。まだ昼
過ぎ、セイルクラフトはスラッファが改造したらしく、さらにスピ
ードが速くなっているようだ。
わかっていたことだが、ウェスターの船はまだ戻っていない。か
といってただ待つだけなのは時間を無駄にしているようなものなの
で、セトルたちは入りづらいシャルンを城門に残して王城に行き、
船の手配ができないか尋ねてみることにした。
﹁なるほど、それならばすぐにスレイプニル号を手配しよう﹂
事情を説明すると、正規軍将軍であるウルド・ミュラリークは即
座に了承してくれた。
﹁助かります﹂
ウェスターが元部下に軽く頭を下げる。
﹁あなたにそうされると、悪い気がしないな﹂
ウルドは、堅かった口元をフッとほころばせる。しかしそれも一
瞬で、すぐにアルヴィディアンの瞳に強い意志を宿して皆を見回す。
﹁船の用意ができるまで少し時間がある。その間に準備をしておく
といい﹂
﹁ありがとうございます﹂
セトルが代表して礼を言い、ウルドが去った後、皆は輪になって
これからのことを考える。
﹁さて、船の準備ができるまでですが︱︱﹂
﹁はいはーい! 自由行動がいい!﹂
ウェスターが何か言おうとして、それをサニーが元気よく遮った。
﹁却下します﹂
﹁即答!? 何でよ!﹂
﹁そんな時間はありませんし、サニーが迷っては明日になってしま
557
います﹂
﹁そ、そんなことないわよ⋮⋮あ、あたしが何度も同じところで迷
うはずが⋮⋮﹂
サニーは目を泳がせながら反論する。しかし、その反論はもれな
く無視され、ウェスターが先程言いかけた話の続きをする。
﹁必要な物資を調達次第、港で待機していましょう。今は一分一秒
が惜しい、そうでしょう?﹂
セトルが頷く。
﹁うん、それでいいよ﹂
﹁異議なし﹂
アランもそれに賛成して小さく手を挙げる。しぐれがサニーを見
る。
﹁サニーもそれでええな?﹂
﹁あーもう、いいわよ⋮⋮﹂
残念そうにサニーは言う。万が一、このまま王都見学などできな
い体になってしまうことを考えての提案だったのだが、それを言う
と怒られそうだ。
ウェスターが眼鏡の位置を直す。
﹁では、シャルンと合流しましょうか﹂
? ? ?
霊導船スレイプニル号で四日目の昼、セトルたちの前にようやく
それらしいものが見えてきた。
空は晴天、海は穏やか、そんな中に石灰石でできているような白
い島が浮かんでいる。その周囲には乱気流や大渦といった自然のバ
リケードではなく、時々虹色に光を反射している透明な壁が張られ
ているのがわかる。
﹁行きますよ。皆さんは下がっていてください﹂
船首に立つウェスターに指示され、セトルたちは数歩下がって彼
558
を見守る。
ウェスターは深呼吸をすると、精霊との契約の証である指輪を一
つずつはめ、それぞれの精霊を呼び出す言霊を唱えていく。
各精霊たちが円形の陣を取って船の前方に現れる。上から右回り
に、センテュリオ、コリエンテ、アイレ、エルプシオン、オスクリ
ダー、レランパゴ、ティエラ、グラニソである。
﹁あの壁を破るのだな?﹂
センテュリオが確認するようにウェスターに言う。
﹁そうです。できますか?﹂
﹁やってみよう。だが、我らが直接関われるのはここまでだ。後は
そなたたちの力だけで進むしかない﹂
﹁⋮⋮わかりました。では、お願いします﹂
スピリクル
ウェスターが言うと、精霊たちは互いに対なす相手と向きあい、
それぞれの体からそれぞれの色の霊素を放出し、中心にそのエネル
ギーを集める。
スピリクル
ウェスターが槍を天に掲げ、一瞬の間を置いて前方に振り下ろす。
すると、それを合図に霊素のエネルギー体から凄まじい光線が放た
れる。穏やかだった海を割り、青空に浮かぶ雲を全て吹き飛ばした。
船体が大きく揺れる。どこかに掴まっていないと振り落とされそう
だ。
光線がイクストリームポイントのバリアに衝突。凄まじい閃光と
轟音、バリアが虹色の波紋で揺らめいているように見える。
どのくらい経つだろう。正確には数秒しか経ってないだろうが、
皆はその数秒が、時が止まったかのように長く感じられていた。
ピキッと罅が入るような音がする。
バリアに光の裂け目が入ったかと思うと、次の瞬間、ガラスを砕
いたような音がし、イクストリームポイントを囲ってあったバリア
が虹色の結晶となって粉砕される。しかし、それは前方の一部だけ、
時が経てば元に戻ってしまうだろう。それまでに決着をつけなけれ
ばならない。
559
﹁やった!﹂
緊迫していたしぐれの顔が緩む。
﹁戦いはこれからなんだ。気を引き締めていかないと﹂
﹁わ、わかってるって﹂
セトルに言われ、しぐれは表情を引き締め直す。今さらだが、セ
トルの方がメンタル面で忍者に向いている気がする。
船から降り、セトルたちはイクストリームポイントの上に立った。
白く見えたのは石灰石などではなく、何か特別な鉱石のようだっ
たが、今は調べている余裕はない。
﹁あそこ、転移霊術陣があるわ﹂
少し進んだところでシャルンが指差す。そこには確かに大きめの
転移陣が輝いていた。
ガーディアン
﹁またライズポイントみたいな変な空間に行くんやろか?﹂
﹁たぶん、そうだと思いますよ。強力な守護機械獣もいるでしょう
し、気をつけて進みましょうか﹂
言うと、ウェスターが真っ先に転移陣に足を踏み入れた。光に包
まれ、彼の姿が消える。セトルたちは頷き合い、ウェスターに続い
て転移陣の光に包まれた。
560
098 改める決意
イクストリームポイント内部。
転移した先の景色は、やはりライズポイントと似ていた。違うこ
とといえば、向こうが黄金色の宇宙だったのに対し、こちらは澄み
きった青色ということである。しかし、そんな異界の景色などより
も、セトルたちは目の前の光景に驚愕していた。
﹁な、なんや⋮⋮これ⋮⋮﹂
大きく目を見開き、しぐれは震える声で呟いた。皆も、それぞれ
コロサス
が自分の目を疑っている。彼らが見ているもの、それは︱︱
﹁巨像の群れ⋮⋮嘘だろ﹂
コロサス
アランの顔が引き攣る。何かの冗談だと思うも、現実にそこには
何十体もの超巨大守護機械獣﹃巨像﹄が︱︱全て破壊されていた。
コロサス
﹁ねえ、何であれが壊れてるのよ。元からかな?﹂
サニーはもちろん、ここにいる全員が巨像の強さを知っている。
蒼霊砲で一度遭遇したとき、全くと言っていいほど歯が立たなかっ
たのを覚えている。一体だけでもどうしようもないそれが、そこに
何十体も転がっている。やはりここで何かが起こり、元々こうなっ
ていたのかもしれない。
だが、それをウェスターが否定する。
﹁いえ、見たところ破壊されたのはつい最近、それも数時間前とい
ったところでしょう。爆発とかではないようですし、切断された痕
が残ってますから恐らく︱︱﹂
﹁兄さんの仕業だろうね。こんなことできるのは、兄さんしかいな
い﹂
セトルもウェスターと同じ考えだった。ここにはワースたちしか
入れないのだから、やったとすれば、彼らしかいない。
﹁これを倒すなんて、あなたの兄さんは化け物かしら?﹂
﹁⋮⋮うん。兄さんの強さは尋常じゃないんだ。正直、僕たちでも
561
勝てるかどうかわからない﹂
苦微笑して言ったシャルンの言葉をセトルは否定しない。寧ろ肯
定して自分の兄の強さを改めて思い知る。暗い顔をしていると、サ
ニーが寄ってきて顔をぐいっと近づける。
﹁勝つの、絶対に﹂
﹁うん、そうだね﹂
やや弱気になりそうだったセトルを、彼女は一気に立ち直らせた。
そんなセトルを見てしぐれが微笑む。
コロサス
﹁さ、行こや。もたもたしてると逃げられてまう﹂
頷き、セトルは前方を向いた。巨像の残骸の先に、永遠に続いて
コロサス
いそうな青く透明な床の道が伸びている。この先何がいるかはわか
らない。もし、まだ動く巨像が襲ってきたら、ワースと会う前に全
滅、ということになってしまうかもしれない。そうならないために
ガーディアン
も、慎重に急いでセトルたちは進むことにした。
しかし、守護機械獣はいなかった。否、いたのだが、それらは全
ガーディアン
て破壊されていた。間違いなくワースたちの仕業なのだが、何を思
って守護機械獣を一掃したのかわからない。まるで自分たちが辿り
つきやすいようにしているみたいである。
そして、何事もなく最深部へ続く転移陣の前に到着した。
﹁もぬけの殻、だったらどうしましょうねぇ♪﹂
﹁ここまで来て何言ってんだ、ウェスター。いてもらわねえと困る﹂
緊張感のないウェスターの言葉に、アランは嘆息する。
﹁いるよ﹂
とセトルが言う。
﹁前にも言ったけど、僕にはわかる。この先に絶対兄さんがいる﹂
﹁流石セトルやな﹂
褒めるようにしぐれが言うと、セトルは一歩前に出て皆を見回し
た。
﹁この先に行ったら、もう引き返せない。兄さんは本当に強い。み
んな、無理に戦う必要はないんだ。引き返すなら、今しかない﹂
562
それはセトルの最後の確認だった。皆は少しの間沈黙し、そして
ウェスターが火口を切る。
﹁引き返す? ご冗談でしょう。何のために我々はここにいるんで
すか?﹂
続いてアランが言う。
﹁お前一人じゃ絶対に勝てない。でも、みんなで戦えば絶対に勝て
る。そうだろ? それに、これは俺たちのための戦いでもあるんだ﹂
﹁そう。この戦いが終わらないと、わたしのやりたいことができな
くなるから﹂
と、シャルンも頷いてそう言った。
﹁うちもアキナ代表として⋮⋮って言いたいけど、たぶんうちもみ
んなと同じ気持ちやと思う。セトルを放っておきたくないんや﹂
﹁そうよ。セトルって放っといたら一人で戦いそうなんだもん。あ
たしは、セトルの力になりたい。だから、一緒に戦おうよ﹂
しぐれとサニーも、それぞれの決心をセトルに告げる。セトルは
もう一度皆を見回した。思わず微笑みが浮かぶ。
﹁わかった。じゃあ、行こう﹂
563
099 神剣の担い手
ライズポイントと全く同じ造りの円形状の広い床、それに金色の
光柱。端にある転移陣の上に六つの光が降臨し、セトルたちが上層
から転移してきた。
﹁遅かったな﹂
その瞬間を待っていたかのように声をかけられる。
﹁兄さん﹂
セトルは光柱のまん前に立つ三人の蒼眼者たちを見、彼らの方へ
と歩き出す。アイヴィとスラッファを従え、ワースが腕組をした状
態で言う。
ガーディアン
﹁ポイント内の掃除はしておいたんだ。もう少し早く来るかと思っ
ていた﹂
確認する前にワースは自分から守護機械獣を一掃したことを告げ
る。皆は中央辺りで止まり、その理由をウェスターが訊く。
﹁なぜわざわざそのようなことをしたんですか?﹂
﹁待っていると言った。全力で来いとも言った。そのためにはあれ
らは邪魔だった。それだけだ。それに、オレはまだここを完了させ
ていない。お前たちが来るとわかっていたからだ﹂
言うと、ワースは何かを取り出した。それは剣のような形をした
掌サイズのアクセサリーみたいな物だった。だが、ただのアクセサ
リーではないのは明白。薄ぼんやりと発光し、強大な力を秘めてい
るのがわかる。
ワースはそれを、セトルに向かって投げた。といっても攻撃では
ない。ふわっとアーチを描き、セトルの掌の上に落ちる。
﹁これは⋮⋮スピリチュアキー!?﹂
手に取ったそれは間違いなくあのスピリチュアキーだった。セト
ルは驚きの視線でワースを見る。
﹁兄さん、まさか﹂
564
考えを改めてくれた? そう思ってしまったセトルだが、すぐに
それは儚い夢だったことを知らされる。
﹁勘違いするな、セルディアス。今からの戦いはそのキーを賭けた
勝負だ。お前たちが勝てば、そのままそれを持って帰るといい。だ
が、オレが勝った時は返してもらう。ああ、言っておくが、破壊し
ようとしても無駄だ。それは絶対に壊れないからな﹂
く、とセトルは唸る。そして渡されたキーを大事にしまうと、剣
の柄に手を置いた。
﹁ねえ、このまま逃げちゃうってのはどう?﹂
サニーが無茶な提案を考えなしで言う。
﹁無駄だと思うぜ﹂
アランも武器を構えつつそう言う。
﹁向こうには転移術があるからな。逃げてもすぐに捕まっちまう﹂
﹁せやな。うちらは戦うしかないんと思う﹂
しぐれも忍刀を抜いて頷いた。
ワースは腕を組み直す。まだ戦いを始める気はないようだ。
﹁まあ、そういうことだ。オレたちからは逃げられはしない。逆に、
オレたちは簡単に逃げられる。それは不公平だろう? だから、キ
ーはお前たちが持つべきだ﹂
﹁すいぶんとフェアな心持ちですね。見直しました﹂
皮肉めいた笑みを浮かべるウェスター。ワースはどこか優しげな
微笑みから見下すようなことを言う。
﹁ちなみに戦うのはオレだけだ。この二人は絶対に手を出さないと
誓おう﹂
ワースは目配せだけで二人を下がるように言う。アイヴィとスラ
ッファは何も言わず、目を閉じて邪魔にならないと思われるところ
まで下がる。
﹁余裕ね。フェアが望みなら、そっちも三人でくればいいんじゃな
い?﹂
シャルンはそう言っているが、ワース一人だけでも十分公平にな
565
ることをセトルは知っていた。いや、それでもまだ彼の方が実力は
上かもしれない。正直、後ろの二人が参戦しないのはありがたい。
誓ったからには、たとえワースが殺されそうになっても介入してこ
ないだろう。それが彼らなのだ。
ワースが剣を抜く。その場面を皆は初めて見た。壮麗な輝きを放
つ洗練された片刃剣、絶対的な存在感を見せつけているそれが、ワ
ースの体の一部となったかのように軽々と一振りされる。
﹁オレはオレに下されたテュールの意志を遂行する。セルディアス、
最後の勝負だ!﹂
﹁!?﹂
ワースが消えた。
転移ではない。目にも映らぬスピード、つまり神速の領域。セト
ルは剣を構え、辺りを見回すが、気配すら感じない。いや、感じて
いる暇などなかった。刹那、セトルの眼前に剣を振るうワースが現
れる。咄嗟の反応でセトルはそれを剣で受けた。
が、それは防いだうちには入らなかった。斬られはしなかったも
のの、凄まじい衝撃の勢いでセトルは砲弾のように吹き飛んだ。勢
いが収まらない。セトルはいつまでも床と平行に飛んでいき、転移
陣の横を通り過ぎて床の外へと放り出された︱︱かのように見えた。
セトルもそう思った。しかし、見えない壁にセトルは衝突し、呻い
た後その場に崩れ落ちる。
﹁セトル!﹂
サニーが叫んでいるようだが、聞こえない。あまりのダメージに
声が届かない。目がくらむ。危うく気絶しそうだった。
﹁この!﹂
しぐれが鋭く輝く忍刀の刃を袈裟切りに振るう。だが、ワースは
それを最小限の動きで躱すと、身を低くして足払いをかける。
﹁なっ!?﹂
ふわりと体が浮く感じがしたと思うと、下から何かの衝撃が与え
られしぐれ高く打ち上げられた。
566
こうりんついじんげき
﹁︱︱光輪墜刃撃!!﹂
恐らく蹴り上げられたしぐれに、高速で回転する光の円盤が追い
打ちをかけるように飛んでくる。刀を立てて受け止める。火花が散
り、しぐれはさらに弾き飛ばされ、何メートルもの高さから落下す
る。
その間、ワースと組み合いになっていたアランが、彼女を助けに
向かおうとするも、ワースに押し返され背中から倒れる。
しぐれが床に叩きつけられる。呻いたあと気絶したのだろう、彼
女は動かなくなった。
﹁︱︱紅蓮の神火にて穢れし魂を浄化せよ、パイロクラズム!!﹂
ワースを中心に捉えてウェスターの火属性の上級霊術が発動する。
逃げ場のない巨大な赤い霊術陣。その中で吹き荒れる業火がこの場
を紅蓮地獄と化せる。もちろん、味方には効果がないようになって
いる。
炎が完全にワースを呑みこんだ︱︱はずだったが、一瞬で広がっ
た虹色の輝きにより、ウェスターの術はあっけなく消し飛んだ。
﹁ウェスター、この程度の霊術がオレに効かないことくらいもうわ
かっているだろ?﹂
輝きを収め、その中央にいたワースが嘲るようにそう言う。だが、
スペルシェイパー
ワースが視線の先にウェスターの姿はなかった。
術発動中の移動。具現招霊術士と呼ばれるウェスターだからこそ
成せる業。そのウェスターはワースの後ろを取っていた。
﹁当り前です。僅かな間の目くらましとして使っただけですよ﹂
構築した槍を、敵の脳天目がけて思い切り突き出す。
それが、後ろを見ないままのワースに、ひょいっと首だけの動き
スピリクル
で躱された。空気を貫いた槍を左手で掴まれる。次の瞬間、彼の左
手が青白く輝いたかと思うと、ウェスターの槍は霊素の粒子となっ
て飛散した。
﹁フ、オレの力の前では無駄なことだったようだな﹂
﹁︱︱ッ!?﹂
567
驚愕するウェスター。これも神霊術なのだろうか?
ワースが反撃しようとする前に、アランが体を90度回転させて
長斧を振るう。
﹁よくわからねえ術使うけどよ。だからって俺らは負けねえ!﹂
大きく一閃。遠心力を味方にしたそれがスパッとワースの胴体を、
ではなく、アランの長斧の方が真っ二つになった。
﹁嘘だろ⋮⋮﹂
アランの表情が絶望に染まる。ワースは剣を振り上げてアランの
長斧を簡単に両断したのだ。切断された長斧がもの凄く回転しなが
ら飛んでいく。
ワースは床に剣を突き立てた。そして体を横に向け、呆然とする
右のアランと左のウェスターにそれぞれ掌を向ける。その掌に青白
い光が集中し、半秒としない間に光線となって発射された。
﹁しまっ!﹂
﹁くそっ!﹂
二人は同時に光線の直撃を受ける。
﹁がああぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁ!?﹂
アランが悲鳴を上げながら光に呑み込まれる。ウェスターは咄嗟
のところで防御陣を張るが、すぐに破られ、光に呑み込まれた。
魔皇昇礫破!!﹂
まこうしょうれっぱ
焦げたような煙を上げて二人は床に転がった。
﹁アラン! はあああ! ︱︱
動かないアランを見たシャルンがトンファーを振り回してワース
に飛びかかる。しかし、技を出す前に腕を掴まれた。
﹁加減したから死んではいないはずだ。とりあえずは安心していい﹂
その言葉はつまり、これでも手加減しているということだった。
シャルンは掴まれてない方の腕でトンファーを叩きつける。が、や
はりワースはそれを受けることなくシャルンを投げ飛ばした。背中
を強打して彼女は床を転がる。
﹁⋮⋮﹂
ワースは剣を取って後ろで立てる。すると、剣と剣がぶつかる衝
568
撃音が響き渡る。
﹁セルディアス、オレに対して一度でも背後からの攻撃が成功した
ことがあったか?﹂
﹁ない﹂
そこにはサニーの治癒を受けて回復したセトルがいた。
﹁サニー、みんなを頼む!﹂
セトルは振り向かずに叫ぶと、彼女は大きく頷いてまず治癒霊術
の詠唱を始める。
剣同士が弾き合い、兄弟は互いに向き合い対峙する。
﹁はああぁぁぁぁ!﹂
セトルは走った。霊剣レーヴァテインを刺突の構えに取り、兄に
向って突進する。だが、既にワースはそこにはいなかった。いつの
間にかセトルの背後に回っている。それに気づいたセトルは体を回
転させて剣を薙ぐ。ワースはかがんでそれを躱すと、握り拳を下か
らセトル顎を突き上げるように打ち放つ。
﹁がはっ!?﹂
セトルが宙を舞う。ワースの追撃は来ない。空中で体勢を立て直
し、綺麗に着地を決めて膝をつく。殴られた顎を押さえ、兄を睨み
つける。
﹁︱︱万物に宿る生命の輝き、リスタレイション!!﹂
その時、サニーの霊術が完成する。床面全体を覆う青光の霊術陣
が、輝きと共にセトルたちの怪我や痛みを治していく。
セトルがぐらつきながら立ち上がる。
﹁これ以上、みんな傷つけるわけにはいかない﹂
レーヴァテインを中段に構え、それに力を込める。すると、レー
ヴァテインはアルヴァレス戦の時のように強く輝き始めた。
﹁これで、終わりにする!﹂
セトルは足の裏を爆発させたような勢いで疾走した。
今度はワースも避けようとはしない。避けられないのかもしれな
い。
569
走りながら霊剣を下段に構える。掬い上げた後、目にもとまらぬ
こうりゅうめつがせん
連続斬撃。それがセトルの秘奥義︱︱
﹁︱︱光龍滅牙閃!!﹂
である。
﹁︱︱甘い!﹂
その時、ワースの剣が紅く輝いた。明らかにセトルよりも強大な
輝きを放つその剣が掬い上げられるレーヴァテインとぶつかり合う。
セトルの輝きは蒼、ワースは紅。その両者が激しく衝突する。
周囲の景色が変わった。青い宇宙だった背景が暗くなり、戦場と
なっている床が赤くぼんやりと輝きだす。
ワースの影響だ。
そして半秒。
セトルのレーヴァテインに異常が発生した。
﹁な!? まさか⋮⋮﹂
パキン、とできれば聞きたくない音がセトルの手の先から鳴る。
ありえないことだ。こんなことが起こるはずがないと思っていた。
霊剣レーヴァテインが、折られた。
打ち負けたセトルは吹き飛び、ワースはその場で高く飛び上がる。
飛んだ先で剣を天に掲げ、その輝きを何倍にも膨れ上がらせる。
﹁セルディアス、オレの剣の名を覚えているか?﹂
言われ、仰向けに倒れているセトルはハッとした。上半身を起こ
し、恐らくは神霊術で宙に浮いている兄・ガルワースを見る。
﹁⋮⋮?神剣?デュランダル﹂
別名﹃テュールの剣﹄とも呼ばれるそれが、ワースの持つ剣であ
る。
神剣。
霊剣で打ち勝てる物ではなかった。
﹁その通り。今度は加減はなしだ。この一撃で全ての決着をつけよ
う﹂
ワースは掲げた剣を下に向ける。そのまま紅い光に包まれたワー
570
りゅうせいさんこうざん
スは隕石のような勢いで降下する。
ヘブンリーミュラル
﹁︱︱流星燦煌斬!!﹂
セトルはすぐさま﹃神壁の虹﹄を発動させる。だが、紅い流星が
着弾した瞬間、それを呑み込むほどの大爆発が起こった。辺りが真
っ赤に染め上げられる。
その光を浴びながら、アイヴィとスラッファは眉一つ動かさずに
戦いの顛末を見届け、そして結果を口にする。
﹁ワースの勝ちだな﹂
﹁そうみたいね。わかってたことだけど、彼が負けるはずがないわ。
わたしたち二人がセルディアス君についたとしても勝てないでしょ
うから﹂
爆光が晴れると、そこにはやはりワースしか立っていなかった。
セトルを含め、皆は倒れたまま動かない。
ワースがセトルに歩み寄る。
﹁く⋮⋮﹂
﹁まだ生きているようだな﹂
引き攣ったセトルの顔をワースは悲しそうに撫で、スピリチュア
キーを抜き取った。
彼はしばらくセトルを眺めた後、アイヴィとスラッファの方を向
く。
﹁ポイントの切断を開始する﹂
571
100 新たなる剣
負けた⋮⋮一太刀も与えられなかった。
圧倒的な実力差。
⋮⋮勝てるわけがなかった。
オレは死んだのかな?
︵⋮⋮セトル⋮⋮︶
初めて兄さんに反発した結果がこれだ。
︵⋮⋮セトル⋮⋮︶
目の前が真っ暗だ。何も見えない。もう、世界は分断されたかな
? でも、オレにはどうすることもできない。
︵⋮⋮セトル⋮⋮︶
? 誰? ︵⋮⋮セトル︶
さっきから⋮⋮セトル? 僕の名前!?
﹁セトル!﹂
? ? ?
セトルは目を覚ました。そして最初にその蒼い瞳に映ったのは、
自分のこちらでの名前を呼び続けているサニーの姿だった。
﹁サニー⋮⋮?﹂
呟くと、彼女の涙を浮かべた悲しそうな顔がパッと輝いた。まだ
頭がぼんやりする。ここはどこだろう? とりあえずベッドに寝か
されていることだけはわかる。首を少しだけ動かして辺りを見ると、
どこか豪奢に見える広い部屋の中だった。いくつもの真っ白なシー
ツのかかったベッドが置かれ、無駄に高そうな家具がそこいらに置
いてある。
︵天国? 違う︶
572
﹁僕は⋮⋮生きてるのか?﹂
よく見ると、他の仲間たちもそこにいた。皆、心配していた顔を
安堵の表情に変えている。
﹁セトル!﹂
﹁よかったわぁ、痛いとこあらへん?﹂
サニーとしぐれが抱きつかんとばかりの勢いで詰め寄る。
﹁ちょ、二人とも⋮⋮﹂
﹁銀髪の王子様がようやくお目覚めだ﹂
戸惑うセトルにはにかんだアランが皮肉じみたことを言う。その
横でウェスターとシャルンが肩を竦める。
﹁やれやれですね﹂
﹁やれやれね﹂
? ? ?
なぜ自分たちは助かったのか。その現在の状況を、しばらくして
部屋に入ってきたウルドとアトリーが説明してくれた。
自分たちはワースと戦った。
自分たちは彼に敗れた。
自分たちを置いてワースはそのままポイントを切断して消えた。
自分たちはかけつけたウルドたちによって保護された。
自分たちは今セイントカラカスブルグの王城の一室にいる。
要するに自分たちは助かり、ワースたちには逃げられた。振り出
しに戻ったということだ。いや、絶対的な力の差を見せつけられ、
振り出しどころか行き詰ってしまった。
﹁一応、これは拾っておいたが、もう使えないだろうな﹂
ウルドはそう言って、セトルにレーヴァテインの成れの果てを渡
す。刀身が真っ二つに砕け折られ、輝きも消え、今では何の力も感
じない。
完全に剣が死んでいた。
573
これを直せるような鍛冶師はまずいない。いたとしても、レーヴ
ァテインではワースのデュランダルには勝てない。
完全なる敗北。この剣がそれを痛々しく表現していた。
剣を渡した後、ウルドとアトリーは仕事があると言って部屋を出
ていった。
﹁これから、うちらはどうすればええん?﹂
俯き加減でしぐれが言う。
﹁しばらくは様子見でしょう。ワースがどこに行ったのかわからな
いこの状況です。闇雲に捜し回るわけにもいきませんし﹂
﹁そうだな。アキナの人たちも捜索してくれてるんだろ? だった
ら待ってればいつか尻尾を掴めるさ﹂
アランは笑う。だが、それは希望や安心ではない、負の意味が窺
える笑顔だった。
﹁でも、今のわたしたちじゃ、アイヴィとスラッファはともかく、
ワースには絶対に勝てないわ﹂
シャルンが地雷を踏んだ。真実だが、それは絶対に言わない方が
いいことだ。サニーが無理に力を入れて反論する。
﹁そ、そんなことないわよ! 今度は勝てる。ねえ、セトル﹂
話を振られたセトルは少し間を置き、そして言う。
﹁はっきり言って、シャルンの言う通りだよ。今の僕らじゃ兄さん
には逆立ちしたって勝てない。それが現実さ﹂
皆が俯く。先の戦いでそのことを嫌というほど思い知ったのは皆
同じだ。だが、セトルは︱︱
﹁だけど、僕は諦めない。ポイントが切断されても、それだけじゃ
まだ世界は分かれることはない。それをするには一度テューレンに
戻る必要があるんだ。まだ少し時間はある。たとえ剣では勝てなく
ても、説得ならできるかもしれない。可能性がある限り、僕は一人
でも戦う﹂
﹁セトル⋮⋮﹂
サニーはそんなセトルの思いを聞いて呟き、そして顔に明るさを
574
取り戻す。
﹁そうだよね! くじけるなんてあたしらしくない。セトル、あた
しも一緒に戦うよ。みんな一緒なら、今度こそ何とかなるかも﹂
そのサニーに続き、アランが、
﹁後ろに同じ﹂
と腕を組んで笑う。今度は希望が含まれている笑顔だ。
﹁うちもや。負けっぱなしは性に合わへん﹂
としぐれが拳を握る。ウェスターが眼鏡を煌かした。
﹁私は、特に反対するつもりはありません。必要とあればこの老体、
骨身を惜しみませんよ﹂
シャルンが額に手を置いて溜息をつく。
﹁みんな、何て馬鹿なの? でも、わたしもこのまま終わらすつも
りはないわ。答えを出すまで一緒させてもらうから﹂
皆の思いを聞き、しかしセトルは複雑だった。今のこの状態では
ほぼ確実に無駄死にするだけである。できるなら皆をこれ以上巻き
込みたくはない。
︵と言っても、聞かないか︶
セトルは半ば諦めて微笑した。その時︱︱
﹁いい感じに士気が上がってるねぇ♪ ここいらでボクの出番かな
?﹂
と最悪に聞き覚えのありすぎる声が部屋に入ってきた。振り向く
と、やはりそこには皆の確信通りの人物が立っていた。
﹃ノックス!﹄
皆で彼の名を叫ぶ。ディープグリーンの長髪にいつもの変なコー
ト、なぜか手には薔薇の花束が握られている。
﹁いやぁ、みんなでボクの名前を呼んじゃって、そんなにこの天才
のボクを待っていたのかい?﹂
﹁誰がや! てか、何であんたがここにおるんや!﹂
﹁うん、しぐれ君、君はいつも同じ反応だねぇ。フフフフフ﹂
﹁気持ち悪い笑いすな!﹂
575
いつも通り、コント紛いな会話から始まった。ノックスはしぐれ
の怒鳴り声を軽くあしらってセトルのベッドに歩み寄る。
﹁これは、ボクからのお見舞いさ﹂
そう言って彼は笑顔でセトルに薔薇の花束を渡そうとする。
﹁いりません﹂
﹁照れなくてもいいんだよ、セトル君♪﹂
﹁いりません! 何で薔薇なのかも意味不明だし﹂
? ? ?
﹁それで、ここへは何しに来たんだ?﹂
とりあえず落ち着いたのかそうでないのかよくわからない状況で、
セトルは本題を切り出す。
﹁酷いなぁ、セトル君。せっかくボクが心配してお見舞いに来てあ
げたのにぃ﹂
﹁⋮⋮﹂
つっこみはしない。すればまた話が脱線するどころか転移してし
まう。周囲からの冷めた視線をあてられ、しょぼんとして真面目な
顔になり、
﹁レーヴァテイン﹂
とまずは一言。皆がセトルのベッドの上に置かれてある折れた剣
に注目する。
﹁それ、そのままじゃ使えないよね? 使えたとしても、ワースの
神剣には勝てない。つまり、こちらも神剣を入手するしかないんだ
よ﹂
﹁神剣を⋮⋮?﹂
サニーが僅かに首を傾げる。セトルが眉を吊り上げた。
﹁神剣はこの世に一本しかないんだ。手に入れるなんて不可能だ﹂
するとノックスは少しオーバーに肩を竦める。
﹁作ればいいんだよ、セトル君。そのレーヴァテインと︱︱﹂
576
彼は懐から何かを取り出してセトルに渡す。
﹁その精霊石﹃ダイヤモンド﹄でね﹂
それは無色透明に輝く精霊石だった。すごく不思議な力を感じる。
﹁⋮⋮﹂
セトルは渡されたダイヤモンドを見詰め、ノックスに問う。
﹁誰が? どうやって?﹂
﹁精霊神さ﹂
﹁!?﹂
彼の口から出た単語にセトルは驚く。しかし、驚いたのはセトル
だけではなく、ウェスターも眼鏡の奥から目を見開いていた。
﹁何なの、それ? 普通の精霊とは違うんだよね?﹂
聞き覚えのないそれにサニーが小首を傾げる。ノックスが、フフ
フ、と勿体つけるように笑っている間に、ウェスターが眼鏡を押さ
えて答えた。
﹁精霊の神、つまり精霊神です。全ての精霊の頂点に立つ、確か⋮
⋮時空を司る精霊だったかと﹂
﹁ボクの説明を盗らないでくれよ﹂
しょんぼりするノックスは仕方なくその続きの説明を始める。
﹁精霊神、時と空間の精霊﹃ピアリオン﹄は、スルトの森の最深部
にある石碑の前で会うことができるのさ。資格がないとだめだけど
ね。その資格を持っているのが、このボクと召喚士のウェスター、
それに霊剣を持つセトル君だけ。行くなら三人で、だね♪﹂
彼の真面目な顔は、今や崩れ去っていつものようになっていた。
﹁何であんたにも資格があるんや﹂
﹁ボクは語り部兼石碑の番人だからさ﹂
﹁⋮⋮﹂
誇らしげに胸を張るノックス。セトルは思った。たぶん皆も思っ
ただろう。﹃番人なら放浪するな!﹄と。まあ、言ったところでし
ょうがないのはわかっている。寧ろ、あえてつっこまない方が正解
だろう。
577
﹁神剣が、手に入る⋮⋮﹂
セトルは膝の上辺りに置かれてある変わり果てたレーヴァテイン
を見た。そして何か決意したような顔をすると、その顔のままノッ
クスを向く。
﹁案内、頼める?﹂
元々そのつもりだっただろうノックスは即答した。
﹁愛しいセトル君の頼みなら全然オーケーだよ♪ ああ、でもしぐ
れ君やサニー君が来れないのはボクとして残念なかぎり⋮⋮﹂
﹁うち資格なくてよかったわぁ﹂
心の底からほっとしたようにしぐれはそう言った。
﹁そっちは三人で行くとして、わたしたちは何をすればいいのかし
ら?﹂
シャルンが意見を求めるようにアランを見る。
﹁そうだな。俺は武器が折られたし⋮⋮マインタウンにでも行って
調達してきた方がいいか。そういや、ウェスターも武器が破壊され
てなかった﹂
﹁ああ、私なら大丈夫です。まだたくさんありますので﹂
セトルは彼の余裕から何となくそんな気がしていた。
﹁みんな自由行動でええんちゃう? うちも一度アキナに帰りたい
し、サニーの迷子さえ気をつければ﹂
と、ここで皆の視線がサニーに移る。
﹁な、大丈夫よ。は、はぐれないようにアランといればいいんでし
ょ﹂
僅かに頬を膨らませてサニーはしぶしぶそう言った。
﹁時間がない、さっそく行こう﹂
セトルがレーヴァテインを大事にしまい、ベッドから立ち上がる。
︵神剣さえ手に入れば、あとは︱︱︶
微かに表情を暗くするセトルを、ノックスが皆の中ら目を眇めて
見ていた。
578
101 二本目の神剣
セイルクラフトで聖森スルトまで行き、セトルたちはうっそうと
茂る森の、神秘的な空気を感じながら道なき道を歩いている。
先頭をノックスが歩き、後ろの二人を導く。そのノックスに、セ
トルは訊いておきたいことが一つあった。
﹁語り部は、関わらないんじゃなかったっけ?﹂
すると、ノックスはニコニコと笑いながら体ごとこちらを向き、
そのまま後ろ向きに歩く。
﹁直接にはだよ、セトル君。それにボクが語るのなら、逆転勝利み
たいな美しく素晴らしく面白い話の方がいいんだ﹂
両手を広げて楽しそうに笑うノックス。彼らしい考えだが、はた
してそれでいいのか? とセトルは思った。
﹁ほら、見えてきたよ﹂
前を向いたノックスが指差す。そこには周囲の木々の五分の一程
度の高さの石碑があった。近くまで行き、よく観察すると、石碑に
はエスレーラ言語ともムスペイル言語とも違う見たことのない文字
の羅列が刻まれていた。
﹁ふむ、この石碑からも不思議な力を感じますね﹂
ウェスターが顎に手を持っていって文字の意味を探ろうと顔を近
づけた。その時︱︱
﹃フ、面白い者たちが来たな。そこの霊剣士、霊剣を石碑の前に掲
げろ﹄
頭の中に若い男性の声が響く。そのような事態はもう慣れている
が、口調がどこか他の精霊たちよりも砕けている。セトルはその予
想外の口調に慌てることもなく、言われた通り折れたレーヴァテイ
ンを石碑の前に掲げた。すると、霊剣は宙に浮き上がり、強い光を
放つ。
その眩さに目を庇っていると、再びあの声が頭の中に直接流れ込
579
んでくる。
﹃ここへ来たということは、私の力が必要となったということだな﹄
光が消え、セトルたちが目を開けると、そこには無色の輝きが浮
いているレーヴァテインの上にあった。
それがだんだんと姿を変えていく。
輝くような金髪の美男子で、奇怪な紋様が描かれてある白い神衣
を着ている。その下は真紅の服に黒いスパッツ、厚いブーツを履い
ている。一見、人と何ら変わりないような容姿だが、彼が人ではな
いことは、宙に浮いていることと全体的に薄ぼんやりと輝いている
ことでわかる。
絶対的な存在感、それは神々しいの一言だった。
﹁あなたが精霊神ピアリオンですね?﹂
ウェスターが確認の意味で訊くと、
﹁違うな﹂
と精霊は答えた。その声は、耳で聞こえていても頭に響いている
ように感じられるものだった。
﹁?﹂
誰もが、ノックスまでもが精霊の言葉に眉を顰める。
﹁確かに私はこの世界では﹃ピアリオン﹄と呼ばれているが、﹃神﹄
ではない。私は﹃王﹄だ。お前たちの言い方ではつまり﹃精霊王﹄
ということになる。ああ、だが安心しろ、神なんかよりずっと格上
だ﹂
﹁⋮⋮﹂
何を言っているんだこの精霊は。セトルはこの精霊に呆れてしま
った。たぶん、こんなことは普通一生ありえないことだろう。ただ、
言っていることが嘘か真かはわからないが、彼にはそう言うだけの
力があるように感じる。
ルビー色の瞳がレーヴァテインを捉える。
﹁折れた霊剣からすると、神剣を求めてここへ来たようだな﹂
﹁はい﹂
580
セトルが頷くと、ピアリオンは薄く微笑んだ。
﹁ならば問おう。お前はなぜ神剣を欲する?﹂
﹁兄さんと対等に向き合うため、その力として神剣の力が必要なん
です﹂
﹁お前の兄⋮⋮なるほど、ガルワースのことだな。お前は、奴がし
ていることが間違いと思うか?﹂
﹁それは、わかりません。少し前までは、そう思っていました。だ
けど、兄さんに負けて、僕の方が間違いだったのかもと思ったりも
しました。でも、それでも、僕の考えは変わりません。どちらが正
しいかは、今決められることじゃないから。戦いが終わった後が全
ての始まり。そこから世界を正しい方向に導くのが、僕たちの役目
だと思います﹂
﹁割りと好きな答えだ。⋮⋮最後の問いだ。お前はこの世界が好き
か?﹂
﹁はい﹂
セトルは大きく、力強く頷いた。それを見て、ノックスとウェス
ターが微笑む。ピアリオンは、そうか、と言って満足げな顔をする。
﹁ダイヤモンドを出せ﹂
﹁え!?﹂
セトルは思わず驚きの声を上げた。てっきり力を見せるために戦
わなければならないと思っていた。だが、この後かもしれないと覚
悟を決めつつ、ダイヤモンドをピアリオンに差し出す。
ピアリオンがセトルの心を読んだかのように言う。
﹁安心しろ。今は力を見せる必要はない。時間もないようだし、元
より、霊剣がこれでは戦いようがないだろう?﹂
それを聞いてほっとするセトルを見て、ピアリオンは僅かに口元
を吊り上げ、そして真剣な顔になって宙に浮かしてある霊剣とダイ
ヤモンドに両手を翳す。
﹁では、始めるぞ。少し下がってろ﹂
言われた通り、セトルたち三人は数歩下がった。
581
と、ピアリオンの両手の先、剣と精霊石に輝きの爆発が起こる。
とても目を開けていられるような光ではない。目を瞑っても、庇っ
ても、光は入りこんでくる。だが、不思議と痛くはない。
そして、前方に凄まじい力の渦を感じた。
見えないのだが、なぜかはっきりと目の前で起こっている状況が
わかる。この輝きが渦巻き、その中心にレーヴァテインとダイヤモ
ンドがある。やがてその二つも光の粒子に還元され、再び集まって
一つの、剣の形をした輝きになる。
もう、大丈夫だ。光が薄れ、セトルたちはゆっくりと目を開いた。
﹁あ⋮⋮﹂
ちりば
輝く剣が次第にその姿をはっきりさせていく。精霊石︵たぶんダ
イヤモンド︶が鏤められている洗練された両刃剣。つい目を奪われ
てしまいそうなほど美しく、レーヴァテインのときとは比べものに
ならない強い力を感じる。
それが、ゆっくりとセトルの前に降りてくる。セトルがそれを手
に取ると、自分の中に凄まじい力が流れ込んでくるのを感じた。そ
れは一瞬のことで、すぐに剣を見詰める。
﹁これが、神剣⋮⋮﹂
見た目よりもずっと軽く、そして何年も使い込んでいるように手
に馴染む。
﹁?神剣?ミスティルテイン。それがこの神剣の名だ。私がたった
今つけてやった﹂
﹁⋮⋮﹂
余計なことを言わなければ、と思いながらセトルは数回振ってみ
た。やはり、まるで自分の体の一部のようにしっくり馴染んでいる。
すると、ピアリオンが一つの提案を出してきた。
﹁そっちの眼鏡は召喚士だな。どうだ、私と契約をしないか? 召
喚術でならお前たちの力になることができるぞ? それに、私と契
約することで神剣もさらに強力になる﹂
﹁いいのですか?﹂
582
ウェスターが訊くと、ピアリオンは口元を緩ませる。
﹁私はテュールの意志とは別の次元の存在だ。だが、世界を分かて
ば、私の世界にも被害が及ぶのだ。わかっていると思うが、契約を
するということは儀式として力を見せてもらう必要がある。お前た
ちの時間は限られているが、どうする?﹂
ウェスターはセトルを見た。今の決定権は彼にあるのだ。
﹁契約しよう。僕には少しでも力が欲しいし。それに、たぶんすぐ
終わるから﹂
セトルは神剣をチラリと見、そしてピアリオンを向く。
﹁この私を前にたいした自信だな。いいのか?﹂
﹁はい﹂
セトルは返事をすると、今しがた手に入れた神剣を構える。後ろ
でウェスターも槍を構築した。
﹁相手は精霊神、いや、精霊王だったか。フフ、甘く見ない方がい
いよ、セトル君﹂
と言うノックスは何も構えていない。この戦闘には不参加するつ
もりなのだろうか? だが、それはそれで今のセトルからすれば問
題なかった。
﹁まあ、ボクも援護くらいはできると思うから、存分に戦うといい
さ♪﹂
不参加ではないようだ。彼はゆっくりと銃をホルスターから抜く。
﹁準備はいいか? 始めるぞ。手加減はしてやるつもりだ﹂
583
102 神の階
ピアリオンが地面に降り立ち、始まりの合図を言った瞬間、セト
ルが消えた。刹那、ピアリオンの背後に神剣を振り被ったセトルが
出現する。ウェスターとノックスはその一瞬の出来事に驚愕した。
今までのセトルならここまでの動きはできなかったはずである。
これが神剣のもたらした力ということだろう。
﹁ほう、それほどなら神剣を持つに相応しいな﹂
ピアリオンはそう呟くと、後ろを見ないままセトルの一閃を横に
スッと移動しただけで躱した。
しかし、空気を斬りながら、セトルはもう次の攻撃の準備に取り
掛かっていた。神剣に青白い輝きを纏わせる。
神霊術付加である。
﹁はぁ!﹂
神剣を横にいるピアリオンに向かって薙ぐ。が、
﹁︱︱ディレイ﹂
ピアリオンが呟いた途端、セトルの動きが急激に遅くなった。
﹁あれは﹂
ノックスが銃を撃ち、セトルからピアリオンを引き離す。
﹁ディレイ、対象の周りに流れる時間を遅める時霊術ですね﹂
ウェスターが眼鏡を押さえて敵の技の分析をする。
﹁こ⋮⋮の⋮⋮﹂
セトルの蒼眼が煌いた。次の瞬間、セトルにかかっていた霊術が
消え、周りの時間が通常に戻る。
すぐにピアリオンの姿を捜した。それはどこにも見当たらなかっ
た。
﹁どこに⋮⋮﹂
﹁上です!﹂
ウェスターに言われ、セトルはバッとその場から飛び退いた。一
584
瞬前までいた場所に、上空にいたピアリオンが放った光線が直撃す
る。小規模な爆発が発生し、セトルは腕をクロスさせてその衝撃波
から身を守るが、吹き飛んでしまう。
﹁︱︱白銀の氷柱に抱かれ砕けよ、アブソリュート・クラッシュ!
!﹂
アイススピリクル
ピアリオンの着地と共にウェスターの霊術が発動。ピアリオンを
中心に白い霧のようなものが発生し、刹那、周囲の氷霊素が巨大な
氷となってピアリオンを包み込んだ。そして、パリンと爽快な音を
立てて崩れる。が、そこにピアリオンの姿はなかった。舌打ちする
ウェスター。
﹁何だ?﹂
セトルの前の空間に歪みが発生する。そして渦巻くような歪みか
ら、ゆっくりとピアリオンが姿を現していく。
﹁空間転移。流石は時と空間を司る精霊だね﹂
ノックスが面白いものを見ているようにニヤける。ピアリオンの
顔がはっきり見えてくると、彼は余裕の笑みで口元を歪める。
﹁どんなに頑張ろうと、お前たちは私を傷つけることはできな︱︱﹂
ピアリオンは言葉を途中で止めた。そこにいたセトルが、青白い
そうてんひじんげき
オーラを神剣に纏わせて振り払っていたからだ。
﹁︱︱蒼天飛刃撃!!﹂
剣から放たれた凄まじい裂風が、青白い光を纏ってピアリオンに
迫り来る。通常の飛刃衝に神霊術を付加させた奥義だ。
ピアリオンは目の前に迫る危機に眉一つ動かすことなく、フッと
目を閉じて言う。
﹁私が話しているんだ。最後まで聞くのが礼儀だろう﹂
﹁あなたに傷をつけないと契約はできない。隙があれば攻撃するだ
けです﹂
セトルの言い分を聞き、ピアリオンは目を半開きに開く。もう裂
風はすぐそこまで来ている。彼は片手を前に掲げた。と、見えない
力場のようなものがセトルの裂風を完全に弾き消し飛ばした。
585
﹁な!?﹂
驚愕するセトル。今のは全力で放ったはずだ。それなのにこうも
簡単に防がれるとは。他の精霊たちとは格どころか次元が違う。
ピアリオンは石碑の前に立ち、ふわっと宙に浮き上がる。そして、
満足げに微笑んだ。
﹁だから言った通りだろう。だが、まあ合格だ﹂
﹁え⋮⋮?﹂
セトル、ウェスター、ノックス、三人ともピアリオンの言葉に目
を点にする。
﹁だから、合格だと言ったのだ。力を見れればそれでいいんだ。何
も私を倒す必要はない。何せそれは不可能だからな。召喚士、さっ
さと儀を済ませろ﹂
セトルたちは顔を見合し、石碑の前に集まった。
﹃何だ、あのいいかげんな精霊は?﹄
集まるなり、セトルが小声で不満をノックスにぶつける。しかし
ノックスは、そうだね、とただ笑うだけである。
﹃とにかく、ああ言ってくれているのですし、契約の儀を済ませて
しまいましょう﹄
ウェスターがそう言い、ピアリオンに向き合って一歩前に出る。
﹁我、召喚士の名において、時の精霊ピアリオンと盟約する⋮⋮﹂
天から一条の光が伸び、その中にピアリオンが消えていく。精霊
の契約、だいぶ久しぶりである。流石にこれは他の精霊たちと同じ
︱︱ではなかった。
﹁!?﹂
恐らくはダイヤモンドの指輪としてウェスターの掌に残るものと
思われたのだが、ピアリオンの無色透明な輝きは、ウェスターでは
なくセトルの神剣ミスティルテインに宿った。
﹁セトル、どういうことです?﹂
﹁僕に聞かれても⋮⋮﹂
珍しくウェスターが睨むようにセトルを見ている。精霊が自分の
586
元に来なかったのがよっぽど不満なのだろうか。すると、神剣から
ピアリオンの声が頭に流れてくる。
﹃私が宿ることでミスティルテインが強化すると言っただろう。フ
フ、そうふて腐れるな、召喚士。指輪がなくとも、どこにいようと
も召喚術には応えてやるさ﹄
﹁そうですか。それなら、まあいいでしょう﹂
納得したウェスターが眼鏡の位置を直したその時、ゴゴゴ、と地
鳴りのような轟音がし、半秒後に大地がこれまでにないほど大きく
揺れ始めた。まるで星全体が揺れているような大きさである。
﹁地震!? これは、まさか⋮⋮﹂
立っていることなどできず、セトルは地面に膝をついた。
﹁遅かった!?﹂
同じように膝をついたウェスターが叫ぶように言う。この地震は
もう全てが遅く、ワースは既に世界分離を実行していることを現し
ているのだろうか?
﹁いや﹂
ノックスが尻餅をついたような体勢で否定する。
﹁まだ﹃神の階﹄が見えていない。たぶん、これはそれが出現する
前兆﹂
揺れはほんの数秒で収まったが、それがもの凄く長く感じられた
のは言うまでもない。
﹁収まった⋮⋮﹂
﹁前兆とはどういうことです、ノックス?﹂
三人は立ち上がり、ウェスターがノックスの揺れている間に言っ
た言葉について訊く。ノックスは真面目な顔で、
﹁上を見てごらん﹂
と天を指差す。
﹁上?︱︱ !?﹂
ノックスに言われた通り上を見た二人は驚愕に目を見開いた。空
が、まだ昼間だというのに夜のように暗くなっている。だが、そう
587
いう色になっただけで太陽はあり、周りは普通の明るさを保ってい
る。しかし、二人が驚愕したのはそんなことではなかった。
﹁何ですか⋮⋮あれは?﹂
ウェスターが見ている先、暗い空の中に、一本の光の軌跡のよう
なものがずっと伸びていた。
﹁あれが、﹃神の階﹄だよ﹂
答えたのはセトルである。その時、ミスティルテインが輝き、ピ
アリオンが石碑の前に姿を現す。
﹁いよいよもって時間がないな。あれが出たということは、テュー
ルの使徒どもは既にテューレンにいるということになる﹂
天を仰いでそう言うと、彼はセトルたちを向いて次の道を示す。
﹁テューレンへは、﹃絶巓の神殿﹄より行くことができる。鍵は神
剣だ。急げ﹂
そして輝きに戻り、ミスティルテインへと戻っていく。
﹁﹃絶巓の神殿﹄⋮⋮聞いたことありませんね。何かの例えでしょ
うか?﹂
﹁⋮⋮﹂
ウェスターが顎に手をあてて考え込むその後ろで、セトルは一人
暗く深刻な表情をして僅かに俯いていた。
︵みんなには言うべきか。でもこれ以上は⋮⋮︶
セトルは迷っていた。もう自分だけの問題ではないことはわかっ
ているのだが、できれば皆を、仲間をこれ以上危険な場所に連れて
行けない。テューレンに行って、たとえ兄を倒すことができても、
そこから無事に戻って来られる保証はない。自分たちが来られたの
だから戻れるという甘いものではないのだ。
︵どうしよう⋮⋮︶
﹁⋮⋮﹂
そのセトルの悩みを探るようにノックスが真剣な表情で見詰めて
いるのを、セトルは気づいてはいなかった。
﹁ここで考えても仕方ありませんね。一旦戻りましょうか﹂
588
ウェスターが思考を中断して息をつくと、ノックスが思わず殴り
たくなるようないつもの笑みを顔に貼りつけて言う。
﹁あー、ウェスター。僕はティンバルクに残るよ。ちょっと調べた
いことがあるからさ。あと僕の愛しのセトル君、何か気づいている
ようなら、ちゃんとみんなに言った方がいいよ♪﹂
﹁︱︱ッ!?﹂
心を読まれた!? セトルはそんな驚きの表情でノックスを見る。
だが、それでウェスターにも気づかれてしまった。
﹁セトル、何か知っているのですか?﹂
﹁あー、えっと⋮⋮みんな揃ってから話すよ﹂
とりあえず今はそう言っておくことにした。
︵﹃絶巓の神殿﹄、僕はそこを知っている。ノックスの言う通り、
やっぱりみんなには話すべきだろうな︶
ウェスターが、そうですか、と今はそれで納得し、突き詰めるよ
うなことはしなかった。
そして、セトルたちはティンバルクにノックスを残し、首都セイ
ントカラカスブルグに戻った。
589
103 幻影に通じる場所
﹁﹃絶巓の神殿﹄はニブルヘイム地方の最北端の山頂にある﹂
ウェスターの邸に皆が揃ったところで、セトルは自分が知ってい
ることを話した。そこは元々テュールの民がシルティスラントと行
き来する場所で、セトルもそのことは教わっていた。こちらに来る
ときタイミングがずれなければ、セトルもそこに転移したはずなの
だ。
ただ、通るには神剣の力と神霊術が必要。ワースはその二つを持
っている正統なテュールの使徒である。
﹁ニブルヘイムって、あの寒いとこだよね? あーもう、何でそん
なとこにあんのよ﹂
頬を膨らませるサニーに、肩の上に乗っているザンフィが鼻を押
しつける。彼女はザンフィの喉を撫でてあげた。
神剣を造りに行くのにだいたい四日、皆が揃うのに二日。だから
サニーたちと会うのは六日ぶりということだ。本題を話し始める前
に彼女たちがこの間に何をしていたのか聞いた。というより、聞か
された。
アランは言っていた通りサニーを連れてマインタウンへ行き、そ
こで新しい武器を手に入れた。すごくいいものを鍛冶師のカザノヴ
ァから譲ってもらったらしい。その後はサニーの要望でアスカリア
に戻り、両親にこっぴどく叱られてきたという。
しぐれはアキナに戻って現状報告。そして負傷したひさめのお見
舞い。
シャルンは城で王様と王妃様に個人的に会い、その後ハーフの村
にあるソテラの墓参りをしていたらしい。意外とセトルたちの近く
にいたようだ。
﹁やはり、セトルは知っていたのですね﹂
﹁まあ、唯一の帰り道だから﹂
590
﹁おっし、そうとわかれば早速乗り込むぜ!﹂
気合いを入れるようにアランは拳を顔の前で握る。それに頷いて
シャルンがセトルに確認する。
﹁セトル、あとどれくらい時間があるの?﹂
﹁三日、いや、もっと少ないかも。とにかく、時間がないことは確
かだ﹂
セトルは窓の外、暗い空に光る軌跡を見上げる。繋留点が切り離
されているが、まだ兄を止めることができれば何とかなるはず。
﹁急いだ方がええな﹂
しぐれも、美しくも不気味な空を眺めてそう言う。
﹁では、準備ができ次第向いましょう﹂
591
104 覚悟と決意
︱︱スキルドの月19の日。
暗い空を覆い隠す曇天。
降り注ぐ豪雪。
一寸先も見えないような白い闇。
天候は最悪だった。まるで自分たちをテューレンへ行かせないよ
うにするように。
セトルたち一行はニブルヘイム地方最大の都市であるフラードル
に、半ば避難するような形で留まっていた。
宿屋の主人が言うには、今日の夜には雪はやむそうだ。そういう
ことで、絶巓の神殿には明日の早朝に乗り込むことになった。
その夜、宿屋の主人が言った通り雪はやんだ。というよりは弱く
なった。
夜空から舞い降りる穏やかな白い氷の結晶は、街の明かりの中で
とても神秘的に見えた。
宿屋の二階、その廊下の窓からセトルは外の風景を眺めている。
前にもこうしていたような記憶がある。あれは確か氷の精霊との契
約前、その時外は吹雪いていた。
今も前と同じだ。
︱︱やることがない。
だけど前と違って落ち着かない。だからこうして宿屋の中をうろ
うろしている。剣でも磨く︱︱その必要はない。今持っている剣は
?神剣?ミスティルテインだ。磨く意味ははっきり言って無い。暇
つぶしにはなるかもしれないが。
雪も穏やかになってきたし外にでも出てみようか、と思い始めた
ころ、タイミングを計ったようにサニーが声をかけてきた。
﹁ねえ、セトル。外行ってみない? とっても綺麗なんだよ﹂
592
﹁サニー⋮⋮。うん、いいよ。どうせ今は暇だから﹂
セトルは優しく微笑んだ。彼女の明るい声と笑顔は、決戦前の緊
張を振り払ってくれるようだ。いつも肩の上に乗っているザンフィ
がいない。部屋にでも置いてきたのだろうか。
﹁決まり! あたしいい場所見つけたんだ﹂
﹁辿りつけるの?﹂
﹁ば、バカにしないでよね﹂
唇を尖らすサニーだが、宿屋を出てから実際にそこまで辿り着く
のに一時間ほどかかった。そして着いてから気づいたが、そこは宿
屋のすぐ裏手の高地だった。
展望台のような広場になっており、しゃれた街灯の明かりの下に
は雪の降り積もったベンチが置かれてある。後ろには雑貨屋等が並
んでおり、今は夜遅いためか全て閉店している。
恐らく、夕刻にしぐれたちと買い出しに行った時に見つけたのだ
ろう。
そこから見える景色はまさに絶景だった。
街灯の明かりだけの薄暗い街並みは白銀に染まり、その白銀が天
からちらちらと舞い踊っている。見ているだけで胸がほのかに温も
る気がする。
セトルは手摺に被った雪を払い、そこに肘を預けて景色を見下ろ
す。正面に背の高い時計塔があり、ほとんど音を出さず静かに時を
刻んでいる。すぐ下には一時間前に旅立った宿屋が見える。
ここにはセトルとサニーの二人しかいない。近くに人の気配も感
じない。静寂が支配している無音の空間を、サニーが明るい声で破
った。
﹁やっぱりこの地方って寒いよねぇ。アスカリアも雪は振るけどこ
んなに寒くはなんないし﹂
サニーは首を竦めて笑い、ひらひらと舞い落ちる白い雪片を掌で
受け止める。雪はたちまち彼女の手の体温で溶けて消える。
﹁そうだね。二年しか経験してないけど、確かにこっちの方が寒い﹂
593
﹁二年かぁ⋮⋮。セトルってさぁ、初めて村に来たときのことって
覚えてる?﹂
美しい街並みを見下ろして、サニーは呟くようにそう訊く。
﹁ぼんやりと、かな。あの時は目覚めたばかりで頭がぼーっとして
たから。でも、サニーに名前をもらった時のことははっきり覚えて
るよ﹂
﹃セトル﹄、この名前は彼女が自分にくれたもの。今はもう全て
を思い出して本名もわかっているが、なぜか彼女、いや、仲間たち
やこのシルティスラントでセトルとして知り合った人々には、﹃セ
トル﹄と呼んでもらいたい。
﹁あたし、あの時は本当にびっくりしちゃってさ。嵐の中に人が倒
れてて、その人が記憶喪失で。助けてあげたかったけど、どうした
らいいかわかんなくって⋮⋮﹂
﹁でも、結果的に僕は記憶を取り戻した。サニーのおかげだよ﹂
サニーは照れたように頬を紅潮させて首を振った。
﹁あ、あたしじゃないよ。セトルが自分で思い出したんじゃない﹂
﹁違う、サニーがいなかったら、いや、サニーだけじゃないな。み
んながいなかったら僕の記憶は戻らなかったと思う。それどころか、
あのまま死んでいたかもしれない﹂
そんなことない、と言いたかったサニーだが、あそこで自分がセ
ひ
トルを見つけてなかったらと思うと何も言えなくなった。最悪、馬
車で轢いていたかもしれないのだ。
﹁⋮⋮そのみんなって﹂
﹁もちろん、今宿屋にいるみんな。それにノックスやアスカリアや
アキナの人たち、国軍の人たち、あと、兄さんたちも﹂
セトルは天を仰ぎ見た。厚い灰色の雲に隠れているが、そこに神
の階があるんだということは感じでわかる。
﹁三人のこと、怨んでるわけじゃないのね﹂
サニーも同じ様に灰色の空を見る。セトルは彼らの顔を思い浮か
べるように目を閉じ、そして答える。
594
﹁そう、今でも大好きさ﹂
ゆっくり目を開き、彼女の方を向く。
﹁だから、絶対に止めないといけない。兄さんたちは兄さんたちの
正義で動いてるんだろうけど、僕にだって、僕の正義がある。僕は
この世界を、サニーのいる世界を守るよ﹂
言った後で照れ臭くなってセトルは彼女から顔を背ける。寒さで
白くなっている頬が僅かに紅潮している。
凍える風が吹き銀髪が揺れる。
﹁ありがと﹂
﹁え?﹂
予想外の返答にセトルは再び彼女を見る。くさい、とか何とか言
って茶化してくるだろうと思って覚悟していたのが拍子抜けである。
﹁だってセトルが守るって言ってくれたんだもん。お礼言わなきゃ﹂
サニーは嬉しそうに微笑みながら口元に持ってきた両手に白い息
を吹きかける。セトルはなぜか言葉に詰まった。気持的には﹃あり
がとう﹄と言いたいが、何となくそれは変な気がした。
﹁セトルの故郷、ミラ⋮⋮テューレンだっけ? どんなところなの
?﹂
興味津々と目を輝かせながら問うサニー。?幻境の村?テューレ
ン。セトルが生まれ育った本当の故郷。雰囲気、風景、良くしてく
れた人々、その全てをしっかりと記憶に刻まれていることを確認し、
セトルは昔を懐かしむ感じで答えた。
﹁いいところ、とはちょっと言えないかな。アスカリアに比べたら。
︱︱気温は一緒くらいだけど、年中薄暗くて人も少ない。村の中心
にちょっとした広場があって、そこに時計台があるんだ。僕が小さ
い頃兄さんとよく上ったのを覚えてるよ﹂
﹁あ、やっぱりあれって時計台なんだ。﹃弔いの岬﹄でミラージュ
を見た時からそうじゃないかなって思ってたけど。あんな感じ?﹂
サニーは前方に見えるフラードルの時計塔を指差す。上から下ま
でさっと観察した後、セトルは、はは、と苦微笑しながら否定する。
595
﹁全然違うよ。テューレンのはもっと大きいし、三角屋根じゃなく
て屋上があったし。雪が降らないから三角屋根にする必要がないだ
けなんだけどね﹂
﹁ふーん。早く行ってみたいな﹂
﹁旅行じゃないんだよ。ゆっくり見ている暇なんてない﹂
希望を抱く彼女に軽く水を差す。
﹁終わってから見ればいいじゃん♪﹂
﹁⋮⋮﹂
セトルは困ったような顔をする。終わってから⋮⋮。ずいぶんと
強気だな、とセトルは思った。そういう楽しみの目標があればまた
違うのかもしれないが、複雑な気分だ。
︵みんな無事に終わらせる⋮⋮やっぱりこれしかないな︶
セトルの中である決断が下されようとしている。そこにサニーが
いつも以上に明るい声をかけてきたので、その決断はしばし先送り
となる。
﹁セトルってさ、全部終わったらどうすんの? やっぱり故郷に残
る? あれだったらさ、またアスカリアで暮らしなよ! うん、そ
れがいいって!﹂
﹁勝手に決めないでよ﹂
セトルは小さく溜息をつく。
﹁まあ、僕は兄さんと二人暮らしで親はいないし、それもいいかな
って思うけど、そういうのは全部終わってから考えることにするよ﹂
﹁う∼ん、セトルらしい⋮⋮のかな? あたしはアスカリアでのん
びり暮らすつもり。たぶんアランもそう。そんで、シャルンは王女
になって、しぐれはアキナの頭領になって、ウェスターはまた軍に
戻ったりなんかりして♪﹂
人の未来を勝手にすばらしくするサニーに、セトルはただ笑った。
そして、決意した。
︵そうだ。みんなにはそんな未来が待っているかもしれないんだ。
ここで死なせるわけにはいかない︶
596
﹁あれ? アランが出てきた﹂
サニーの言葉に釣られて下を見ると、アランが宿屋の前に立って
キョロキョロとしているのが見えた。
﹁あたしたちを捜してるんじゃ⋮⋮。セトル、もう帰ろっか﹂
﹁⋮⋮﹂
セトルは俯いて沈黙した。
﹁セトル?﹂
そのセトルに何かを感じたのだろう。サニーは不安げに眉を顰め
てセトルの顔を覗き込む。
﹁だ、大丈夫よ。今度は迷わないから!﹂
無理に笑顔を作るが、彼女の心から不安が消えない。とてつもな
く嫌な予感が血液に混ざって体全体に循環しているような感じがす
る。
﹁ごめん、サニー。宿には一人で帰ってくれないかな﹂
﹁え?﹂
突如、セトルを中心とした青白い強い輝きを放つ霊術陣︱︱いや、
転移陣が出現する。
実は元々転移術は使うことはできた。アスカリアからも最初は転
移して行こうと考えていたのだ。しかし、そこにサニーが来た。今
はわからないが、少なくともあの時は自分一人の転移で精一杯だっ
た。常に仲間たちと行動を共にするには持っていても仕方のない力。
だから使えないことにしていた。
このことは当然兄も知っていない。
転移陣の輝きから衝撃は生まれなかったが、サニーは爆発的に出
現したそれに驚いて吹き飛んだように尻餅をついてしまう。
﹁本当に、ごめん﹂
陣の輝きの中心でセトルが呟く。
︵行ってしまう!︶
サニーは思った。
︵セトルがあたしの前からいなくなってしまう!︶
597
思った途端、彼女の目が潤み、小さな雫が頬を流れた。
﹁⋮⋮いや﹂
小さく呟く。が、それはセトルには聞こえない。
﹁約束するよ。僕は絶対にこの世界を守る。これ以上みんなを危険
な目に遭わせたくないんだ。みんなにはすばらしい未来がある。僕
はそれを失ってほしくない﹂
セトルは顔を上げて優しく微笑んだ。光の風が銀色の前髪を掻き
揚げる。
﹁ありがとう、サニー。おかげで、僕一人で行く決心がついたよ﹂
﹁⋮⋮いや﹂
﹁君は、平和になった世界でのんびり暮らすといい﹂
﹁いや!﹂
陣の輝きの強さが増す。
﹁さよなら﹂
﹁いやあぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!﹂
サニーはセトルを掴もうと手を伸ばす。だが、その前にセトルは
空気に溶けるように消え、同時に陣の輝きもなくなる。
彼女は力なく地面についたまま、誰もいなくなった空間を虚ろな
涙目で見ていた。しんしんと降る雪が彼女の頭に積もっていく。
しばらくしてアランが来るまで、彼女はそこから動こうとしなか
った︱︱。
598
105 絶巓の神殿
︱︱絶巓の神殿。
その入口である山の洞窟前にセトルのセイルクラフトが着陸した。
セトルの転移霊術で行ける範囲はそれほど遠くない知っている場所
か、見えている場所に限られているため、サニーの前から消えた後
の転移先は街のすぐ外になった。
入口の両脇には二本の巨大な柱が立っており、中は土ではなく鉱
石のタイルが敷き詰められた道が続いている。
﹃これでよかったのか?﹄
フラードルより少しだけ強い雪が降っている中、ミスティルテイ
ンが喋った。否、ミスティルテインに宿っている時空の精霊ピアリ
オンが、直接セトルの頭に話しかけてきたのだ。
﹁はい。これでいいんです。あなたが僕ならどうしました?﹂
歩き出し、精霊に訊くような質問ではないことを承知しながらも
セトルは訊いてみたかった。
ピアリオンは全く考える様子はなく即答する。
﹃私も一人で行くだろう。私は絶対に負けないからな。だが、お前
は違う。いくら神剣を手に入れたとて、向こうも同じ神剣使いだろ。
勝てる保証は何もない﹄
﹁僕は勝ちます﹂
﹃自信過剰だな。早死にするぞ?﹄
セトルはその言葉に少しムッとしつつ、神剣を抜いてピアリオン
と対峙するように話をする。
﹁それを言うなら、あなただって自信過剰です﹂
﹃違うな。私が負けないのは絶対の真実だ。なぜならこの世界も私
の物だからだ﹄
セトルはこの精霊の馬鹿さ加減に思わず笑った。
﹁はは、面白いことを言いますね。まるでテュール神をも超えてい
599
るような言い方だ﹂
﹃その通りだが、何か?﹄
﹁⋮⋮﹂
もはやセトルは何も言えなかった。しばらく沈黙し、最後に一言
だけ、
﹁それなら僕は勝てますね﹂
と皮肉げに言って神剣を鞘に納める。
黒に近い灰色一色の暗い通路内、コツコツと靴音を響かせながら
どこまでも続いていそうな階段を登っていく。神殿は山頂にあるか
らもっと登る必要があるだろう。
ピアリオンもそれ以上話しかけようとはせず、セトルは無言のま
ま山頂を目指す。
? ? ?
靴音だけを虚しく響かせながら約一刻、セトルは遂に神殿を前に
した。
古びた、お世辞にも美しいとは言えない建造物がそこにある。あ
ちらこちらに風化した痕や罅割れが見られ、つつけば音を立てて崩
れてしまいそうだ。
︵まあ、そう簡単に崩れたりはしないだろうけど︶
常雪の国の山頂なだけあって、そこにいるだけで体が凍りついて
しまいそうなほど寒い。だが、セトルは寒さを顔には出さず神殿内
に足を踏み入れた。
いくつもの柱が均等な間隔で並ぶ通路をまっすぐに進み、やがて
大きな円形の部屋に出る。部屋は殺風景で、あるものは前方の壁に
直接彫られている男性とも女性とも言えないような巨大な石像。そ
の彫刻は両手を胸の前で交差させ掌を柔らかく内側に向けている格
好で、顔は目を閉じたまま微笑んでいるように見える。
セトルはそれが何なのか知っていた。故郷の村にもあったからだ。
600
だが、これは村にあったものよりも遥かに巨大で、神々しい印象を
受ける。
思わず呟いてしまう。
﹁テュール神⋮⋮﹂
﹃ほう、あれがテュールなのか。フフフ、はじめましてと言ってお
こうか﹄
あれっきり黙っていたピアリオンが見下すような口調で言う。
﹁あれは石像だよ﹂
﹃知っている。だがな、石像からこちらを見ているかもしれないん
だぞ?﹄
﹁脳内会話じゃ聞こえないだろ﹂
﹃それもわかっている﹄
ピアリオンの考えていることは意味がわからない。セトルはそれ
以上会話をしようとはせずに部屋の中央を見た。そこの床面には霊
術陣のような奇怪な文様が描かれていた。読めない文字の羅列が円
を形成し、その中心には何やら小さな長方形の穴が穿たれている。
セトルがその描かれている陣へと歩を進めようとした時、一つの
轟音が高らかに上がり、部屋の中で反響した。ほぼ同時に、セトル
の足下の床を小さな何かが抉る。
︵霊導銃!?︶
セトルが知る中でその武器を使う者は一人しかいない。前方を睨
みつける。霊導銃を撃った犯人がテュール神の石像の影からぬっと
姿を現した。
﹁フフ、セトル君、たった一人でどこへ行こうと言うのかな?﹂
﹁ノックス⋮⋮何のつもり?﹂
ノックス・マテリオ。つい最近別れたばかりの星の語り部である
彼が、今セトルの目の前に立ち、いつも通りの陶酔的な笑顔のまま
銃口をセトルの眉間に狙いつけている。
﹁あれ? 何でこの短期間の間にボクがここまで来れたのか、とか
訊いてくれないわけ?﹂
601
﹁あなたのことだ。近道や一気に来れる転移陣を知っていてもおか
しくない﹂
﹁ピンポ∼ン、大当たりぃ♪ でも残念だなぁ、もっと驚いてくれ
ると思ったのに﹂
ノックスは大げさな動作をしながら徐々にセトルに近づいていく。
しかし銃口は依然セトルの眉間を捉えたままだ。
﹁⋮⋮﹂
セトルはそんな彼を無言で睨みつける。なぜここにいるのか、な
ぜ自分に銃を向けているのか、そんなことはどうでもいい。ただ、
彼からは見ただけではわからないものの、はっきりと殺気に似た気
配が伝わってくる。邪魔をしてくるなら、戦うしかないだろう。
﹁そんな怖い顔をしないでくれよ。せっかくの綺麗な顔が台無しに
なっちゃう﹂
﹁もう一度訊くよ。何のつもり?﹂
セトルは神剣の柄に手を持っていく。ノックスは、はぁ、と溜息
を一つ。そして立ち塞がるように陣の前で止まる。目を細め、今ま
で見たことないくらいの真面目な顔になる。
﹁他のみんなはどうしたんだい?﹂
﹁今訊いてるのは僕だ!﹂
﹁その様子だと、置いてきたんだね。別れも告げずに﹂
﹁⋮⋮サニーには言った﹂
セトルはどこか悲しそうに少しだけ俯いて言った。
﹁ボクがここにいるのは簡単なことだよ。君を一人では行かせない
ためさ﹂
﹁何?﹂
セトルは顔を上げて再びノックスを睨みつける。
﹁この前から何か悩んでるように見えてね。もしかしてって思った
んだ。︱︱はっきり言おう、いくら神剣の力を手に入れても君一人
の力じゃ彼らには絶対に勝てない﹂
ノックスにそう言われ、セトルは神剣を握る手に力を込める。
602
﹁そんなこと︱︱﹂
﹁あるさ﹂
そんなことない、と言おうとしたところをノックスに遮られる。
く、と呻き、神剣を抜いた。
﹁邪魔をするなら、あなたでも容赦はしない﹂
と言っても流石に命まで取るつもりは毛頭ない。それは自分の信
念に反するからだ。
﹁もうすぐ君を追ってみんなが来るだろうから、ボクはその時まで
足止めをさせてもらうよ。もちろん、全力で﹂
ノックスの表情から軽薄さが一切なくなった。
603
106 セトルVSノックス
セトルは中段に神剣を構え、間合いを詰める隙を窺う。
ピアリオンは黙ったまま何も言ってこない。ここではあくまで中
立を決め込むつもりなのだろう。
ノックスもすぐには撃とうとはせずにセトルの動きを窺っている
ようだ。一発目を撃った瞬間の僅かな隙をつくつもりだったが、ど
うもそう簡単にはいかないらしい。
じりじりと互いの睨み合いが続く。
霊導銃、それもノックスほどの使い手だ。苦戦は覚悟しなければ
ならない。
︵迂闊に飛び込めばやられる︶
銃と剣では間合いが全く違う。しかもノックスの霊導銃は連射可
能な上に弾切れは起こらない。かなり厄介である。
︵神霊術を︶
セトルが左手で剣を構えたままそっと右手を開いて意識を集中さ
せる。しかしノックスはそれを見逃さなかった。セトルに動きがあ
ったとみて即座に銃の引き金を引く。発射された緑色に輝く弾丸が
まっすぐにセトル目がけて飛んでくる。
セトルは右手に意識を集中させつつノックスから目を離さなかっ
たため、すぐに対処行動を取ることができた。神剣で銃弾を弾き、
ヘブンリーミュラル
続けて連射された霊導弾は右手に集中させていた神霊術を﹃神壁の
虹﹄として発動させ、その虹色で全てを防いだ。
術を解くと、ノックスの姿が消えていた。いつの間にか横に回っ
ていたのだ。しかも一丁だった銃が二丁に増えている。
ダークスピリクル
﹁︱︱フ、次は防げまい、ディマリッシュトリガー!!﹂
ヘブンリーミュラル
二丁の銃口から放たれたのは漆黒の弾丸。恐らくは闇霊素ででき
ているものだ。それなら神壁の虹で防げるのだが、残念ながら解い
たばかりで間に合いそうにない。
604
避けられないとも悟り、セトルは弾丸を神剣で弾くことにした。
それ以外に方法はない。が、黒い弾丸はセトルの直前で炸裂し、無
数の小さな黒弾となって様々な方向から襲いかかってきた。
﹁チッ!﹂
と舌打ちし、セトルはもの凄い勢いで回転を始める。それで大方
弾き飛ばしたが、僅かに叶わなかったものがその場爆発を起こす。
耳が痛くなるほどの爆音が鳴り響き、セトルの姿は爆煙によって隠
されどうなっているかわからない。
﹁⋮⋮﹂
ノックスは銃を下げないまま爆煙が晴れるのを見守る。
やがて晴れた爆煙の中からほとんど無傷の状態のセトルが姿を見
せた。神剣に透明なオーラが纏ってあり、セトル自身もそれに驚い
ているようだった。
﹁精霊神は君の味方のようだね﹂
精霊神⋮⋮ピアリオンのことだ。中立の立場から見守るのではな
かったのだろうか。
そのピアリオンが神剣ミスティルテインから喋る。
﹃私は別に何もしていない。今のは神剣が持ち主を守っただけだ。
それと、私は?王?だと言っただろう。?神?だと格が下がってし
まうではないか﹄
普通は逆だろ、と言いたいが今はそれどころじゃないし、何かも
う彼の思考について考えるのは負けな気がしてきた。
﹁とにかく、僕はここで止まっているわけにはいかない。それに、
僕はこれ以上仲間と戦いたくはないんだ。おとなしく退いてくれな
いか?﹂
﹁ん∼、セトル君に頼まれると頷きたくなるけど、残念その頼みは
聞けないな﹂
真面目な顔を崩してそう言うノックス。セトルはそんな彼を睨ん
でから、
﹁先に謝っておくよ⋮⋮ごめん﹂
605
と言って足下に転移霊術を展開。輝きを増して転移した先はノッ
クスの背後。
﹁︱︱!?﹂
ノックスが気づいた時には既に遅かった。体に痛みと浮遊感を覚
える。セトルは神剣の柄で振り返ろうとするノックスの突き飛ばし
たのだ。さらに右手を前に翳し掌を広げて力を集中させる。青白い
輝きが掌の中心に集い、それが弾丸のように発射されノックスに追
テュラーブレッド
い打ちをかける。
﹁︱︱蒼煌破!!﹂
ノックスは空中で何とか二丁の霊導銃を構え、飛んでくる青白い
弾丸に向けて引き金を絞る。
﹁︱︱く、クリムゾンロアー!!﹂
銃が咆哮する。放たれた二本の赤い光線の融合体がセトルの弾丸
と激突。少しの押し合い圧し合いの後、大爆発を引き起こす。
セトルは腕で爆風から顔を庇い、吹き飛ばされないようにふんば
りを利かす。しかし空中にいたノックスはなすすべなく吹っ飛び、
神殿の壁が陥没する勢いで背中から叩きつけられた。そのまま力な
くずり落ちるが、まだ意識はあった。
﹁こりゃ、アバラ何本折れたかな、ハハハ⋮⋮﹂
自嘲気味に力のない笑みを浮かべるノックス。口の中を切ったの
か、口から血が流れている。
セトルは剣を納め、ゆっくりとノックスの方へと歩み寄っていく。
﹁さあ、もう終わりだよ。すぐにフラードルにでも転移させるから、
早く治療してもらった方がいい。長距離転移は難しいからティンバ
ルクには送れないけど、それは許して﹂
﹁フ、その必要はないな﹂
﹁?﹂
何を言っているんだ? どう見ても自分一人では動けそうにない
のに。ノックスは、やってやった、と言わんばかりの顔をセトルに
向ける。
606
まさか、と思った時、そのまさかが現実になった。
﹁セトル︱︱︱︱︱︱!!﹂
叫び声を響かせながら走ってくるサニーの姿が見えた。
607
107 仲間の想い
﹁みんな⋮⋮﹂
セトルの前にフラードルに置いてきたはずの仲間たちが集合した。
皆が皆、一人で勝手に向かったセトルに対し怒りの表情を︱︱では
なく心配そうな顔をしていた。
サニーがセトルの前に立つ。
﹁サニー⋮⋮!?﹂
パァン!!
聞くだけでも痛みを覚えてしまいそうな音が神殿内に強く反響し
た。サニーがセトルの頬に平手打ちをくらわしたのだ。セトルは当
然として、そこにいた誰もが彼女の行動に目を見開いた。
﹁セトル、何で一人で行っちゃうのよ!﹂
俯いたサニーが震えるほど拳を強く握り締めて今にも泣きそうな
声で言う。セトルは赤く腫れた頬をさすりながら顔を伏せる。
﹁それは言ったはず︱︱﹂
﹁我々を危険な目に遭わせたくない。今さら何を言っているのです
か﹂
間髪入れずにウェスターが怒りを交えて言う。
﹁私たちは覚悟を決めてここにいるのです。あなたは皆の覚悟を踏
みにじっているのですよ﹂
﹁⋮⋮﹂
セトルは黙った。それはわかっているから言い返せない。
﹁って、よく見れば何でノックスがここにいるんや!? ついでに
その怪我は?﹂
しぐれが壁に凭れかかっているノックスに気づいてどこか大げさ
にびっくりする。
608
﹁ははは、やっぱりしぐれ君が一番に気づいてくれたよ。それより
シャルン君、﹃ヒール﹄をかけて欲しいんだけど﹂
大怪我をしているノックスに頼まれ、シャルンは頷いてすぐに彼
の治療を始めた。その間にノックスはここで起こったことを皆に説
明した。
﹁そいつは大手柄だったぜ、ノックス♪﹂
話を聞いたアランがまだ治療中のノックスの肩をバンバンと叩い
た。
﹁い、痛い痛い⋮⋮アラン君、もっと優しくしてくれないかな﹂
叩かれることについては受け入れている。
﹁バカ﹂
とそのやり取りを見ていたシャルンは小さく呟いた。
その横で、セトルはサニーの説教を延々と受けていた。
﹁あたしがどれだけ心配したと思ってんのよ!﹂
﹁だから、ごめん⋮⋮﹂
﹁バカだよ⋮⋮セトルはバカ。バカ、バカバカバカバカバカバカバ
カバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ!!﹂
遂には泣きだし、彼女はセトルの胸を鎧越しに何度も叩き始める。
﹁あーあ、泣かした。お兄さんも殴りたかったけど、サニーがみん
なの分殴ってるから勘弁してやるよ﹂
アランがセトルの頭に手を置き、くしゃくしゃと銀髪を掻き乱す。
﹁今度勝手なことをしたら許さないわよ﹂
シャルンの冷たい視線が突き刺さる。しぐれが頷いた。
﹁せや、セトルはセトルだけのもんやないんやから。もう一人で行
くなんて言わんといて﹂
セトルは皆を見回した。心配そうだった顔は消え去り、その下に
あった怒りが浮き上がってきている。
﹁フフ、セトル君。これでもまだ一人で向かうつもりなのかな?﹂
ノックスが勝ち誇った笑みをセトルに向ける。戦いには負けはし
609
たが、結果的には彼の勝ちである。
セトルは少し間を置いて答えた。
﹁いや、そんなことしたらサニーに殺されちゃうよ。わかった、み
んなで行こう。その代り約束して欲しい。絶対に無茶はしないでく
れ﹂
﹁その約束はあなたもしてもらいたいですね﹂
ウェスターが肩を竦めてセトルにもその約束をさせようとする。
セトルはしぶしぶな感じで、わかった、と頷いた。
﹁あなたも来るの?﹂
シャルンがノックスを見る。
﹁ん∼、行きたいけど、セトル君との戦いでボロボロなボクは足手
纏いかな。遠慮するよ。ああ、セトル君、フラードルまでお願い﹂
ノックスは珍しく断ると、いつもの顔でセトルに言う。転移させ
ろということだろう。セトルは仕方ないと言った様子で息をつき、
ノックスを中心に転移陣を展開させる。
﹁それじゃあ、みんなー御達者で! ボクは君たちのこと忘れない
よ♪﹂
﹁縁起悪いこと言うなや!﹂
いつも通りしぐれがつっこんだところで、ノックスは輝きと共に
消えていった。
それを見送ってセトルたちは中心に描かれてある陣に歩み寄る。
﹁この中心に神剣を刺せば、テューレンへの道が開くんだよね﹂
﹃その通りだ﹄
ピアリオンに確認を取り、セトルは神剣ミスティルテインを抜い
た。そして皆を振り返る。
﹁みんな、覚悟はいいかい?﹂
セトルの最後の問いかけに、皆は順番に答えていく。
﹁うちはアキナの代表や。絶対に世界を分けさせへん。ひさめもそ
れを望んでるはずや﹂
しぐれに続いてウェスターが言う。
610
﹁そうですね。なら私は今だけ軍代表になりましょうか。ワースの
バカげた行為を止めてみせます﹂
続いてシャルン。
﹁わたしは王女として世界を、みんなを守らないといけない。そう、
決めたから﹂
﹁俺はどこだってついて行ってやるぜ。お前を守って、道を開けて
やるのは俺の役目だ﹂
アランが言った後、最後に涙を拭いたサニーが明るい笑顔を見せ
ながら言う。
﹁セトル、あたしたちは帰るために行くの。絶対、一緒に帰ろうね﹂
﹁うん﹂
皆の覚悟を聞き、セトルは陣に向き直って神剣を高く掲げた。そ
して勢いよく中心に開いた穴の中に剣を差し込む。すると、中心か
ら描かれた文様に沿って輝きが走り、立派な転移霊術陣となって神
殿内を青白く照らす。
﹁僕は絶対に兄さんを止めてみせる。みんな、行こう!﹂
おー! とときの声を上げる皆を陣の輝きが包み、六つの光が天
に向かって飛び上がるように消えていった。
611
108 幻境の村
薄暗く静かな村の広場に巨大な霊術陣が出現する。青白い六つの
光が降ってきたかと思うと、それは六人の人の姿に変わる。
アンバーカラーの瞳を持つアルヴィディアンが二人、エメラルド
グリーンの瞳を持つノルティアンが二人、赤い瞳のハーフの女が一
人、そして蒼き瞳を持つテュールの民が一人の計六人である。つい
でにリスに似た小動物が一匹ノルティアンの少女の肩に乗っている。
﹁テューレン⋮⋮帰ってきた﹂
辺りを見回して、銀髪蒼眼の少年︱︱セトル・サラディン、もと
いセルディアス・レイ・ローマルケイトが物懐かしそうに呟く。
?幻境の村?テューレンはシルティスラントとは空間がずれた場
所に存在し、セトルたち﹃テュールの民﹄はシルティスラントのこ
とを﹃下界﹄と呼んでいる。空間に何らかしらの歪みが起きた時、
テューレンの村が下界から見られることがある。それが?幻影の村
?ミラージュと呼ばれた。
周りの家々の造りはシルティスラントのサンデルク似だが、それ
らを形成している鉱石はシルティスラントにはないものである。
下界からミラージュとして見た時にもわかる時計台が広場の先に
立っている。フラードルにあった時計塔よりも二倍は背の高いそれ
の屋上から、光の軌跡がずっと天に伸びている。
あそこが﹃神の階﹄の入口だ。
そしてその最上部にはセトルの兄、ガルワース・レイ・ローマル
ケイトがいるはずである。
時計台の扉の前に誰かがいる。
まさかワースたち︱︱ではないようだ。たった一人、それも白い
鬚をたくわえた老人である。その老人がセトルたちに気づくと、青
い瞳の目を驚きに見開いてよぼよぼとしながら駆け寄ってきた。
﹁せ、セルディアス! セルディアスじゃな!﹂
612
﹁ただいま、ゲーンズバラさん﹂
ゲーンズバラと呼ばれた老人は表情を喜びと驚きで満たし、微笑
むセトルの顔をよく見ようと手を伸ばしてくる。
﹁おお、セルディアス⋮⋮ガルワースは死んだと言っておったのに
⋮⋮よく生きていてくれた﹂
﹁やっぱり兄さんはあそこにいるんですね?﹂
﹁ああそうじゃ、こりゃあいつも喜ぶわい。おお、背もちょっと伸
びたかの?﹂
ゲーンズバラはセトルの銀髪をくしゃくしゃと撫で回す。セトル
はそれを嫌がりながらも懐かしそうに笑っていた。ところで︱︱
﹁あー、感動の再会のところ失礼ですが、その方はどちら様で?﹂
ゴホン、と咳払いをしてから蚊帳の外になりかけていた仲間たち
を代表してウェスターが言う。
﹁ああ、紹介するよ。この人はゲーンズバラさん。テューレンの村
長をしているんだ﹂
そしてセトルはゲーンズバラに向き直り、仲間の紹介を簡単にし
た。
紹介の途中、騒ぎ︵?︶を聞きつけて村の人たちが次々と家から
出てきた。当然、全員蒼い瞳をしている。
﹁おい、ローマルケイトんとこの弟だぜ﹂
﹁ホント生きてたのね、よかったわ﹂
﹁セル兄ちゃんだー!﹂
﹁また大きくなっちゃって﹂﹁後ろのやつらは誰だ?﹂﹁まさか帰
ってくるとはなぁ﹂﹁下界の人間か?﹂﹁ハーフがいるぞ、珍しい
な﹂﹁つーか何でいるんだ?﹂﹁別にいいだろそんなの﹂﹁セル兄
ちゃんただいまー﹂﹁おかえりでしょ﹂
ワイワイガヤガヤ、嬉しさと怪訝が混ざり合った言葉が祭りの時
のような賑わいを生む。彼らはサニーたち下界の住人を罵るような
ことはなく、寧ろ歓迎しているみたいだ。
613
﹁すごい、こんなに青い目の人が⋮⋮﹂
﹁何や別の世界に来たみたいや⋮⋮ってそうやったな﹂
サニーとしぐれはシルティスラントではありえない光景に感動し
ていた。シャルンやアランも声には出さないが驚嘆しているようだ
った。
ゲーンズバラが一番年上であるウェスターにおじぎをする。
﹁こやつが大変お世話になりました。皆さん、どうですかな? こ
れから私の家でお茶でも﹂
﹁それはいいですねぇ♪ と言いたいところですが、そうはいきま
せん﹂
﹁? どういうことですかな?﹂
怪訝そうに首を傾げるゲーンズバラにセトルが答えた。
﹁僕⋮⋮オレたちはこれから兄さんを止めに行かないといけないん
だ﹂
それを聞いて周囲が驚き騒めく。
﹁ガルワースを止めるじゃと!? おぬし、それがどういう意味か
わかっておるのか? テュールの意志に反することになるんじゃぞ
!﹂
﹁わかってます。わかってますけど、テュールの意志に反している
わけじゃない﹂
﹁どういうことじゃ?﹂
セトルは左手をゲーンズバラに差し出した。上に向けた掌に青白
い神霊術の輝きを灯す。さらに周りが騒がしくなる。
﹁それは神霊術!? なぜおぬしが⋮⋮﹂
神霊術とはテュールの民の中でもテュールの加護を受けている者、
つまり神の使徒のみが使用できる力である。神に叛こうとしている
セトル、もといセルディアスには使えるはずがない。それに元々試
練すら受けていないセトルには使えなかったはずなのだ。
﹁神霊術が使えるから、オレの考えはテュールには反してないと思
います﹂
614
﹁うぅむ、しかしガルワースたちも使えとったしの⋮⋮﹂
その点に関してはセトルにもわからなかった。一体何のつもりで
テュールは反する考えを持つ両者に力を与えているのか。それは神
のみぞ知るということだろうか。
﹁神霊術ってそんな意味があったの?﹂
﹁いや、聞いてねえよ﹂
そのことを知らなかったシャルンがアランに訊くが、アランも知
らない。当然だ、その意味を知っている仲間はサニーだけだろうか
ら。
﹃簡単なことだ﹄
︱︱!?
突然頭の中に直接声が響いてきた。神剣ミスティルテインに宿っ
ている精霊、ピアリオンのものである。
﹃テュールは試している、もしくは迷っているんだ。そりゃあ神だ
って迷うことくらいあるだろう。私ですらそうだからな。つまりだ。
もうテュールの意志など関係はない。お前たち兄弟の意志が世界の
方向を変えるんだ﹄
ピアリオンは、やはり自分を神の上をいく存在だと主張しながら
まともなことを言っている。
﹁この声は⋮⋮もしや精霊神﹂
﹃?王?だ﹄
そのやり取りはもうどうでもいい。セトルは二・三首を振ってピ
アリオンの意味不明な思考を頭から振り払い、ゲーンズバラを見る。
﹁そういうことですから、時計台に入る許可をください﹂
﹁う∼む﹂
ゲーンズバラはしばらく唸るように考え、やがて意を決したよう
に答える。
﹁わかった。我々はここで世界がどう変わるかを見守ろう。だが、
気をつけるんじゃ、神の階が発動したことで時計台の中は異空間に
なっておる。閉じ込められたらお終いじゃ﹂
615
ありがとうございます、とセトルたちは礼を言い、蒼眼の人々に
見送られながら時計台の大きな扉の方へ歩き始める。
﹁セルディアス!﹂
ゲーンズバラのやけに通る声が背中にぶつかる。セトルは歩みを
止めずに首だけで振り向いた。
﹁おぬしたちも、ガルワースたちも、皆が無事で帰ってくることを
わしらは願っておるぞ﹂
無茶を言わないでください、とは言わなかった。ただ無言で手を
挙げて答えた。
セトルたち一行が時計台の中に消えた後、残された人々はそれぞ
れの家に戻っていく。その中でゲーンズバラだけは時計台を見詰め、
﹁どうかテュールよ、両者共に慈悲を⋮⋮﹂
と祈るようにぽつりと呟いた。
616
109 行く手を阻む者たち?
時計台の中に入ると扉が自動的に閉じた。
中の光景は、ゲーンズバラの言っていた通り異空間となっていて、
セトルの知る時計台の内部構造は欠片も感じさせない。
異空間。ライズポイントやイクストリームポイントのように宇宙
が広がり、半透明の道が延々と上に向かって伸びている。ただ景色
の色が全体的に暗く、しかも荒れた海のように渦巻き流れている。
見ているだけで酔ってしまいそうだ。
もうその風景について誰も何も言わない。ただ、引き締めた表情
で目の前を睨むように見ている。そこには︱︱
﹁やあ、案外遅かったじゃないか﹂
﹁スラッファさん⋮⋮﹂
入口先のだだっ広い床の中心に、神弓ケルクアトールを携えたス
ラッファ・リージェルンが先の通路を塞ぐように立っていた。
﹁その様子だと、俺らが生きていたと知っていたな﹂
早速アランが新しい、前よりも強力になった長斧の武器︱︱バハ
ムートを構える。
﹁まあ、正直ここまで来ることも予測済みだよ。︱︱それが二本目
の神剣だね﹂
スラッファはセトルがいつでも抜けるようにしている神剣を眼鏡
の奥の蒼い瞳に映す。
﹁そこを退いてくれ︱︱るわけないですよねぇ?﹂
眼鏡を押さえたウェスターが不敵な笑みを浮かべながら言う。
﹁当前﹂
﹁スラッファさん、力ずくでもそこを退いてもらうよ﹂
神剣を抜こうとするセトルを、しかし、しぐれが手で制した。
﹁待ち。セトルはまだ戦う時やあらへん。あいつはうちに任せて先
に行くんや﹂
617
﹁しぐれ! でも⋮⋮﹂
﹁大丈夫、心配せんでええ。ワースならともかく、あいつやったら
うちでも何とかなるはずや﹂
スラッファは肩を竦めてゆっくりと首を振る。
﹁僕も甘く見られたもんだ﹂
呟くように言い、スラッファは神弓の矢を力一杯に引き絞る。キ
シキシと年季を感じさせる音がピタリと止まり、鉄色に光る矢の先
端がセトルたちに狙う。
﹁何してるんや! セトル早よ行きぃ!﹂
しぐれが忍刀を横向きに構える。彼女の武器もまた新しくなって
いる。アキナに戻った時に頭領から預かった忍刀﹃梅澤﹄である。
サニーがいやいやと首を振って抗議する。
﹁しぐれ、やっぱり一人じゃ無理よ。みんなで戦わないと﹂
﹁ワースを止められるんはセトルだけや。ここで体力を消耗させた
らあかん﹂
そこにスラッファの矢が空気を貫きながら飛んでくる。
でも、とまだ渋っているセトルを彼女は怒鳴りつけた。
﹁セトル、行くんや! 行けえぇぇぇ!!﹂
言葉と同時に矢が床に刺さり、青白い電撃が周囲に弾け爆煙が上
がる。スラッファの得意弓術﹃ライトニングアロー﹄だ。
けさ
皆は散り散りに飛んで躱した。しぐれは爆煙の中から飛び出し、
スラッファに袈裟斬りを放つ。が、それは神弓で受け止められてし
まう。でも、それで十分だった。
﹁わかった。しぐれ、ここは任せたよ!﹂
セトルがそう叫んでしぐれ以外の仲間たちと組み合った二人の横
を通り過ぎていく。セトルたちが抜けていった時点で、スラッファ
は諦めたように意識をしぐれだけに集中させる。
﹁不思議やな。うちなんて構ってへんで追いかけたらええやん。さ
せへんけど﹂
﹁彼らの始末は、この先にいるアイヴィに任せることにしたんだ﹂
618
ギリッと、少ししぐれが押される。
﹁そら、たいへんや、早ようちも、追いかけんと、な!﹂
しぐれは大きく後ろに飛び退った。
﹁君一人で僕に勝てるとでも?﹂
﹁一人やあらへんよ﹂
﹁何?﹂
ヘブンリーミュラル
そこでスラッファは気がついた。自分の足下に中規模の霊術陣が
出現しているのを。既に発動直前。﹃神壁の虹﹄を使う暇はないだ
ろう。
﹁︱︱アクアスフィア!!﹂
陣から噴き上がった水の球体が一瞬にしてスラッファを包み込む。
﹁やれやれ、あなた一人で戦えるわけないでしょう。援護しますよ﹂
晴れた爆煙の中から現れたのは、三叉の槍を構えたウェスターだ
った。彼はセトルたちとは行かず、ここに残って霊術を唱えていた
のだ。
水の球体が収縮し、爆散する。その勢いで中にいたスラッファが
吹き飛ぶが、彼は空中で一回転して綺麗に着地した。
﹁まさか不意打ちとは。僕としたことが﹂
何事もなかったように立っているが、やはりダメージはしっかり
と残っているようだ。
﹁隙をつけば防げないようですね。しぐれ、簡単に作戦を言います。
スラッファに神霊術を使われないように全力を叩きこんでください﹂
作戦なのかどうか怪しい考えをウェスターは前に立つしぐれに告
げる。
﹁流石ウェスターや。それめっちゃわかりやすいわ﹂
口元に笑みを浮かべ、しぐれはスラッファに飛びかかった︱︱。
619
110 行く手を阻む者たち?
異空間となった時計台内部。しぐれとウェスターを残し、上へ上
へと駆け登っていた一行は、中間地点と思われる広い場所で立ち止
まった。
﹁何? 何か飛んで︱︱!?﹂
サニーの目に遠く映る黒い影。それが凄いスピードで近づいてく
る。
バサッと翼を羽ばたかせる音と獣の咆哮と共にセトルたちの前に
舞い降りたのは、巨大なドラゴンだった。巨大な翼、何でも切り裂
いてしまいそうな鋭い爪と牙、そして銀色に輝く鱗にルビー色の鋭
い目。
﹁﹃ファフニール﹄だ! ということは⋮⋮﹂
﹁その通りよ、セルディアス君﹂
ドラゴン︱︱ファフニールの背中かから緑色の人影が飛び出し、
すたっと半透明の床に着地する。それは緑色の騎士服を着た茶髪の
女性、アイヴィだった。
彼女は神槍フェイムルグを片手に、顔を寄せてきたファフニール
を撫でる。
﹁スラッファは⋮⋮そこにいない二人が相手してるのね。いいわ﹂
彼女はファフニールを撫でる手を止め、その手で何かを合図する。
すると、ファフニールが翼を大きく広げ羽ばたき始めた。物凄い強
風が吹き荒れる。そのままファフニールは宙に浮くと、咆哮を上げ
てどこかに飛び去った。
﹁え? 何で?﹂
アイヴィの行動を不思議に思ったサニーが声を上げる。
﹁あの子が戦うにはここは狭すぎるし、真上に続いている道は邪魔
になるからいない方がいいの﹂
﹁でも、それじゃ僕たちが有利だ﹂
620
﹁どうかしら? ここから先は進ませないわよ。竜騎士アイヴィ・
ファイン、全力で参る!﹂
アイヴィは神槍を構え、足裏を爆発させて飛びかかってくる。
彼女がファフニールを下げたのはチャンスだ。セトルは素早く神
剣を抜き、迫り来るアイヴィを迎え討つ。
金属音が異空間内を高らかに高らかに鳴り響く。
だが、それは剣と槍によるものではなかった。
﹁アラン!?﹂
セトルの前に割り込んだアランがアイヴィの神槍を長斧・バハム
ートで受け止めていた。アイヴィはバックステップで後ろに下がる。
﹁ここでお前に戦わせたらあの二人の行動が意味ねえ。先に行けよ。
ここは俺とシャルンで食い止める﹂
﹁アラン⋮⋮ありがとう!﹂
セトルは顔を引き締め、サニーの手を引いて走った。
﹁通さないわ!﹂
とアイヴィが二人に向かって行こうとした時、頭上から黒い塊が
落ちてくる。それを飛び退って躱し、術者の方を見る。
﹁追わせない﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
その間にセトルとサニーはもう遥か向こうを走っていた。アイヴ
ィは追うのは無理だと判断したのか、戦意を全て目の前の二人だけ
に向ける。
﹁案外あっさり通してくれたな。わざとだろ?﹂
アランが探るように目を細めてアイヴィを見る。彼女は、ふう、
と息を吐き、神槍を立てる。
﹁何のことかしら?﹂
﹁とぼけなくてもいいわよ﹂
シャルンが凄みを利かせて睨めつけると、アイヴィはやれやれと
いうように首を振って見せた。
﹁セルディアス君だけは通してもいいって言われてたんだけど、サ
621
ニーちゃんも行っちゃったわね。まあ、何とかなるでしょ﹂
﹁それ、どういうこと?﹂
﹁⋮⋮ワースの神霊術だけじゃ、﹃テュールマター﹄を制御しきれ
ないみたいなの。わたしたちの仮の力じゃ役に立たないし、だから
セルディアス君の力が必要なのよ﹂
﹁何だと!﹂
それじゃあ、セトルを先に行かせたのはまずかったかもしれない。
アランは、くそっ、と舌打ちし拳を握った。﹃テュールマター﹄と
か﹃仮の力﹄とかっていう聞きなれない言葉は気になるが、今はそ
んなことよりセトルの身が心配になった。
﹁さあ、お喋りは終わりよ!﹂
? ? ?
﹁え? じゃあ、あの二人の神霊術って⋮⋮﹂
半透明の床を駆けながら話を聞いていたサニーがセトルを見る。
セトルも、そうだよ、と頷いて走りながら彼女の方を向く。
﹁アイヴィさんとスラッファさん、あの二人の力は兄さんから借り
ているものなんだ。しかも今はそのほとんどを兄さんに返してるだ
ろうから、アランたちだけでも勝てない相手じゃない。それでも強
いことには変わらないけど﹂
そう、だからって勝てる保証はない。アイヴィ・ファイン、スラ
ッファ・リージェルン、彼らの素の強さも尋常ではないのだ。だが、
今は仲間たちを信じるしかない。信じることしかできない。皆の行
為を無駄にしないためにも、一刻も早く兄の所へ辿り着かなければ
ならない。
その時、前方に強い光が見えた。
﹁出口だ!﹂
セトルとサニーは走る勢いのまま光の中に飛び込んだ。すると景
色が一変し、元のテューレンの時計台の屋上に二人は立っていた。
622
元々あった扉の場所が光に変わっている。あそこから出てきたの
だ。
そしてすぐ目の前、光の道が暗い空にまっすぐ延びている。これ
が﹃神の階﹄。これの先に兄、ガルワース・レイ・ローマルケイト
がいる。
﹁サニー、ずいぶん走ったけど休まなくて大丈夫?﹂
光の道を目の前に、セトルはサニーを気遣ってそう言う。そのセ
トルはあのくらいでは息切れ一つすることはない。
﹁うん、まだ大丈夫。でも、まさかこれずっと歩いてくの?﹂
どこまで続いているかわからない光の道を見てサニーは面倒そう
な表情をする。セトルは苦笑する。
﹁まさか。そんなことしてたら日が暮れるどころじゃないよ。それ
に、これって乗れないしさ﹂
セトルは光の道に一歩足を置いてみる。だが足は光をすり抜け、
時計台の床についた。
﹁じゃあ、どうすんの?﹂
﹁こうするんだ﹂
セトルは神剣を抜き、光の根元に突き刺した。よく見ると、そこ
には穴が開いていて、それを中心に絶巓の神殿にもあったような陣
が描かれている。カチリ、と何かが合ったような音がすると、次の
瞬間には描かれていた陣が輝きを持ち、立派な転移霊術陣と化した。
神剣を穴から抜き、鞘に納める。
﹁後でみんなが来るだろうから、このまま発動しっぱなしにしてお
いた方がいいね﹂
そう言うと、セトルは最後の確認をするためにサニーをまっすぐ
見る。
﹁行くけど、準備はいいかい?﹂
準備とは心の準備である。
﹁いいに決まってるでしょ!﹂
﹁それじゃあサニー、僕の傍へ﹂
623
言われ、サニーは陣の中に入りセトルの隣に立つ。そしてそっと
彼の腕を掴んだ。
セトルは一つ深呼吸すると、顔を引き締めて光の先を見る。
二人は一つの光に包まれ、神の階に沿って飛び立った。
624
111 行く手を阻む者たち?
スピリクル
止むことを知らない矢の猛攻にしぐれは苦戦していた。スラッフ
ァの矢筒は既に空。なのに矢での攻撃が止まらない。
スラッファが何もない状態から弓を引くと、そこに霊素が集まっ
て一本の矢となる。ウェスターと同じ、いやそれ以上の能力である。
スピリクル
ウェスターの槍は元々あったものを霊素分解してそれを再構築する
スピリクル
だけだが、彼のはただの霊素を矢の形に凝縮しているのだ。周囲の
霊素全てが矢となるのだから、攻撃は永久的に止まらない。
余裕の笑みを口元に浮かべ、彼は矢を射続ける。
﹁どうした? そこからでは刃は届かないぞ?﹂
﹁くっ﹂
矢を躱しながらしぐれは反撃の機会を窺っている。だが︱︱
︵近づけへん!︶
忍刀が武器である彼女にとって間合いを詰められなければ何にも
ならない。舌打ちし、また飛んできた矢を躱す。
このままではこちらの体力が消耗するだけだ。そうなるといずれ
やられてしまう。
﹁︱︱七色に輝く断罪の剣、受けよ、ブリリアントソード!!﹂
スラッファを中心に白く輝く霊術陣が展開される。ウェスターの
術である。陣の上空に七つの光が点々と現れ、そこからそれぞれ違
う色に輝く光の剣が降り注ぐ。光属性のようだが、実際は無属性の
上級霊術だ。
だが、剣が突き刺さったところにスラッファの姿はなかった。彼
は素早くその場から離れていたのだ。そこでウェスターの脳裏に疑
問が生まれた。
﹁なぜ、前のよう神霊術で防がなかったのですか?﹂
﹁無駄な力の浪費を避けるためだよ﹂
今のスラッファが神霊術をほとんど使えないことをウェスターは
625
知らない。スラッファもわざわざ教えるような真似はせず、いつで
も使えるような口調で言葉を返した。
ウェスターのおかげで僅かに隙ができた。スラッファが矢を放つ
けいげつ
前にしぐれは三つの手裏剣を取り出し、それらを同時に投げた。
フレアスピリクル
﹁︱︱忍法、桂月!!﹂
途端、それに火霊素が纏い、炎の巨大手裏剣となってスラッファ
を襲う。スラッファは素早く矢を放ちそれらをいとも簡単に撃ち落
とす。が︱︱
﹁!﹂
手裏剣に隠れるようにしぐれが迫っていた。逆袈裟切りに忍刀を
振るう。スラッファは咄嗟に後ろに飛んで紙一重のところで躱す。
服が僅かに裂ける。
ヘブンリーミュラル
タイミングよくウェスターが術を発動させる。スラッファの足下
で小規模な爆発が起こる。
避けられない。
スラッファは仕方なく残っている神霊術の力全てで﹃神壁の虹﹄
を発動、爆発を完全に防ぎきる。
もう神霊術は使えない。だが、そのことを知らない相手にとって
はいい脅しになっただろう。実際、ウェスターは続けて詠唱を始め
ることはなく慎重に様子を窺い始めた。
そのウェスターは思考を全力で巡らせていた。
︵神霊術、使えなくなったのかと思いましたが、そうではないよう
スピリクル
ですね。⋮⋮確か先程、無駄な力の浪費を防ぐ、とか言ってました
ね。神霊術があの矢と違って霊素を使わないものだとしたら⋮⋮弾
数は無限ではないのかもしれません。それなら︱︱︶
ウェスターは再び霊術の詠唱にとりかかった。
︵あたるまで攻撃を繰り返せばいい!︶
スピリクル
その様子を横目で見ていたスラッファは舌打ちする。振り下ろさ
れるしぐれの剣撃を弓で受け、その状態から霊素の矢をほぼ零距離
で放つ。
626
矢が出現したのと同時にしぐれは体勢を低くした。一瞬後に頭上
を矢が通り過ぎていく。
﹁い、今のは危ないわぁ﹂
﹁近いとやりにくいから離れてくれない?﹂
スラッファは弓を持っている手に力を入れ、組み合った状態から
しぐれを突き飛ばす。
﹁︱︱ロックバインド﹂
黄色の霊術陣が足下に広がるのを確認。スラッファはすぐさま後
ろに飛んだ。さっきまでいた所に巨大な岩塊が突き上がる。ほんと
うにギリギリのところだった。
︵避けた? まさかもう⋮⋮いや、そう考えるのは早すぎますね︶
スピリクル
ウェスターは瞬時に次の詠唱にとりかかる。だが、前方に矢が接
近。詠唱を中断してその場から離れる。
﹁どうやら、早急に終わらした方がよさそうだ﹂
スラッファは眼鏡の位置を整え、右手を天に掲げる。莫大な霊素
が急速にその掌上に収束していく。
︱︱あれはやばい。
スピリクル
ウェスターとしぐれは直感的にそう悟った。
スラッファは掌上に集まった霊素を矢の形に形成していく。でき
あがったのは虹色に強く輝く矢。それを弓にかける。
﹁この一撃が、僕の最大の攻撃さ。防ぐ自身があるならやってみる
といい!﹂
? ? ?
激しい衝突音と火花が異空間内に弾ける。
競り合うバハムートとフェイムルグ。リーチはほぼ同じ。双方共
に互角︱︱ではない。?神槍?と言われるフェイムルグの方が僅か
に勝っているようだ。
だが、僅かに、である。
627
﹁へっ、安心したぜ。俺の新しい相棒は神槍相手に何とか戦えるよ
うだな﹂
冷や汗が一滴、頬を伝う。アランは顔に不敵な笑みを貼りつけ、
誰でもない自分の武器である長斧に向かって話しかけるようにそう
言う。
﹁やるわね。わたしも本気でいかないとやられるかも﹂
両者は弾かれたように飛び、距離を取ったところで互いに睨み合
いを開始する。時が止まったかのように動こうとしないアランとア
イヴィ。次の攻撃のチャンスを探る。まず間違いなく、先に動いた
方がアウトだ。
しかし、こちらには仲間がいる。
﹁︱︱邪なる魔槍にて貫け、ブラッディソード!!﹂
シャルンの闇属性上級霊術が発動。アイヴィを囲んだ闇色の陣か
ら無数の槍が出現し、その全てが彼女に襲いかかる。
その間にアランは彼女との間合いを詰めるために走る。
それを視界の片隅に確認し、アイヴィは襲い来る無数の槍たちの
対処を考える。四方八方から来るそれに対抗するには、神霊術しか
ない。
迷いなくフェイムルグに神霊術を付加させ、彼女は超人的な動き
げっしょうれつがせん
で全ての槍を撃ち落とした。だが︱︱
﹁︱︱月翔烈牙閃!!﹂
フレアスピリクル
既に間合いに入っていたアランが真上から一閃する。アイヴィは
かろうじてそれを受け流すが、次は火霊素を付加させたバハムート
の掬い上げるような一閃が飛んでくる。何とかそれもフェイムルグ
で受けるが、勢いが強すぎて彼女の体が宙に浮いてしまう。すかさ
ずアランは飛んだ。まだ火の消えていないバハムートを三日月に一
閃する。
﹁終わりだぁぁぁ!﹂
その時、アイヴィの口元が不敵に歪んだ。
﹁アラン!?﹂
628
シャルンが叫ぶのと同時にアランも気づいた。神槍の切っ先がア
ランの左胸、つまり心臓目がけて迫ってきている。こちらの攻撃が
届くより速い。空中では、避けることができない。
バキン!
鎧の砕ける音、そして噴きだす鮮血。
時間がゆっくり流れていくような感覚に陥りながらアランは落下
していく。何が起こったのかは、わかっている。でもどうしてそう
なってしまったのかはわからない。死が近いせいか、不思議と痛み
は感じない。
床に叩きつけられた。シャルンが叫びながら駆け寄ってくる。
﹁アラン!?﹂
﹁げほっげほっ!﹂
シャルンに頭を支えられ、アランは激しく咳き込んだ。まだ生き
ている。鎧のおかげで槍が心臓まで達してなかったのだろう。
﹁すぐに回復を︱︱﹂
﹁させないわ﹂
やはりアイヴィが邪魔をしにくる。シャルンは詠唱をやめないま
まトンファーを構えた。突き出される槍を、トンファーで真上に弾
く。軌道をずらされた槍の切っ先がシャルンの髪を掠り、はらりと
何本か斬り落とされる。
﹁器用なことするわね﹂
治癒術を唱えながら片手で妨害を躱す。それにはアイヴィも素直
に感心したようだ。
﹁︱︱ヒール!!﹂
そして発動。眩い優しい光がアランを包み、傷をみるみる癒して
いく。
﹁サンキュー、シャルン﹂
術が終わり、アランは起き上がりながら一突き。アイヴィを飛び
629
退かせる。完全回復とまではいかないものの、戦うには問題ない。
﹁一人ずつ倒れてもらうのは難しそうね﹂
アイヴィは目を閉じ、体の前でフェイムルグを立てる。何の真似
かは知らないが、何か大きな攻撃を仕掛けてくる予感が二人にはし
た。
﹁やらせねえ! いくぞ、シャルン!﹂
﹁ええ!﹂
二人は同時に走った。何をしようとしているのか知らないが、さ
せてはならない。疾風のごとく二人はアイヴィに迫る。だが︱︱
﹁遅いわ。︱︱ダルクロウゼン!!﹂
630
112 神の階
神の階最奥部。
転移した二人の目に最初に飛び込んできたのは、宙に浮く卵状の
物体だった。水晶のように透明で、薄ぼんやりと発光している。神
秘的で凄まじい存在感がある。
﹃ほう、あれがテュールマターとかいうやつか﹄
﹁そうだよ﹂
ピアリオンの声に、セトルはなにげなく普通に返した。しかしサ
ニーは、聞き慣れない単語に首を傾げる。
﹁﹃テュールマター﹄って、何?﹂
﹁テュールの力を宿した神聖な物質だ。これがなければ、世界を一
つにすることはできなかったし、また二つに分けることもできない﹂
答えは前方から返ってきた。
﹁兄さん⋮⋮﹂
マターの下、そこにセトルと同じ銀髪蒼眼の青年が立っている。
ガルワース・レイ・ローマルケイト。通称ワースだ。
﹁セルディアス、いつも同じ反応だな。まあ、お前が生きていたこ
とは知っていた。だから、オレはここでお前を待っていたんだ﹂
﹁待っていたのなら、何であの二人に邪魔を?﹂
﹁ここに来ていいのはセルディアス、お前だけでよかったってこと
だ。まあ、そううまくはいかなかったようだがな﹂
ワースはサニーを見やる。睨みつけているわけではないのに、そ
の眼光には凄みがあった。
﹁兄さん、今ならまだ間に合う。世界を二つに分けるなんてやめる
んだ﹂
﹁そうよ。そんなことしてもしょうがないでしょ!﹂
サニーもセトルと一緒に説得しようと声を上げる。
﹁しょうがなくはない。これが世界のためなんだ。お前たちこそ、
631
諦めたらどうだ?﹂
﹁嫌だ﹂
一言でセトルは断る。
﹁オレ、いや、僕はこの世界が、今のこの世界が好きなんだ。人は
変わる。変わっていく。アルヴィディアンもノルティアンもハーフ
も、そして僕たちも、みんなで協力し合える。だから、兄さんは早
まりすぎなんだ﹂
セトルの横でサニーが大きく頷いた。ワースは短く笑う。
﹁フ、やはりもう話し合いではダメなようだ。︱︱オレは二つの世
界を望む。お前たちはこのままの、一つの世界を望んでいる。これ
がテュールの意志なのかどうかはわからない﹂
ワースは剣を抜いた。神テュールに与えられた?神剣?デュラン
ダル。
﹁これが本当に最後の戦いだ。勝った方が、望む世界を創造する。
それでいいな﹂
セトルとサニーも、それぞれの武器を構えた。それが、肯定の証。
632
113 衝突する神剣
神の階出現により下界はパニックに陥っていた。
軍がそれをどうにか抑えている状況だ。
事情を知らない者は﹁世界の終りだ!﹂と叫び、知る者はただ祈
るしかなかった。
王室、アスカリア、アキナ、そこにいるほとんどの者たちが不安
な表情で天に走る光の軌跡を見上げていた。
? ? ?
その光の軌跡の最奥部。そこに世界の運命を決める兄弟が対峙し
ている。
﹁サニーは下がってて﹂
精霊神ピアリオンが宿る?神剣?ミスティルテインを片手にセト
ル・サラディン、またはセルディアス・レイ・ローマルケイトは、
もう片手で後ろの少女に下がるよう示す。
﹁セトル、でも﹂
ヘブンリーミュラル
サニー・カートライトは心配な顔をする。だが︱︱
﹁サニーの攻撃呪文は﹃神壁の虹﹄を纏っている兄さんには効かな
い。僕一人でやるしかないんだ﹂
﹁セトル⋮⋮わかった。でも回復がいるときはいつでも言ってね!﹂
そう言って彼女は数歩下がる。実際、セトルの言う通りである。
後方支援しかできない自分が前にいても、ただ邪魔になるだけだ。
セトルは彼女とは逆に数歩前進する。
﹁行くよ、兄さん﹂
﹁ああ、もう前置きの言葉はいらない﹂
サニーの視界から、二人の姿が消えた。と思った時、離れた場所
で剣撃音、そしてセトルとワースが組み合った状態で現れる。
633
ひじんしょう
二人は互いに飛び退り、同時に剣を振り上げ、同時に振り下ろす。
﹁﹁飛刃衝!!﹂﹂
裂風同士の衝突。
それを突き抜け、セトルはワースに刺突の構えで突進する。が、
あっさり飛んで躱される。高速回転する光の円盤が頭上から飛んで
くる。それをセトルは神剣で受け、弾く。
また、両者が消える。剣撃音だけが辺りに響く。
サニーは何もしないでただ彼らの戦いを見ていた。いや、何もで
きないから呆然としていた。実際、今も何が起こっているのかさっ
ぱりわからない。これが神剣所有者同士の戦いなのだろう。自分が
ついていけるはずがない。
神速の領域での戦い。
剣を振り、躱され。剣を振られ、こちらも躱す。まだ互いに傷一
せんこうめっついが
つ負っていない。
﹁︱︱閃光滅追牙!!﹂
エリクスピリクル
セトルが回転斬りに加えて突きを放つ。だが、ワースはそれをい
とも簡単に捌き、横薙ぎに一閃する。そこに雷霊素が集中。神剣が
じんらいせん
電撃を帯びる。
﹁︱︱刃雷閃!!﹂
セトルはそれを大きく後ろに飛んで躱す。と、目の前には既にワ
ースが迫って来ていた。セトルは身を捻り、彼の顔面に向かって蹴
りを入れようと飛び上がる。だが、向こうも同じように蹴りを繰り
ひしゅうれんぶ
出していた。
﹁﹁飛蹴連舞!!﹂﹂
足技のクロスカウンター。互いにこれが一発目。同じ技で力も差
して変わらない。だが、経験の差で技のキレはワースが上。セトル
の方が僅かにダメージが大きい。
床を滑り、セトルは蹴られた頬を押さえて立ち上がる。
︵流石兄さんだ。でも、初めて一撃入れられた︶
前にみんなで戦った時もそうだ。結局兄に一矢報いることなく全
634
滅した。しかし今回は違う。神剣のおかげだろうか。
﹁強くなったな、セルディアス﹂
そう言える分、ワースはまだ余裕だ。ゆっくりと掌をセトルに向
ける。青白い神霊術の輝きがそこに集い、そして︱︱バカでかい光
線となって放たれる。
速い。とてもじゃないが避けられない。
その時、横から衝撃は入った。サニーが飛び込んでセトルを突き
飛ばしたのだ。彼女の足にワースの光線が直撃。
﹁うくっ!!﹂
顔を引き攣るサニー。彼女はそのまま床を転がった。
﹁サニー!﹂
セトルが駆け寄る。サニーの両足は焼け、自分では立てないほど
酷かった。
﹁セトル、大丈夫だった?﹂
﹁それはこっちの台詞だよ。下がっててって言ったのに﹂
﹁でもそれじゃ、セトルがやられてた。︱︱あたしなら大丈夫だか
ら。早くワースを﹂
セトルは頷き、ワースを睨む。
﹁続けよう、兄さん﹂
﹁そうだな。それに、下もそろそろ終わるころだろうし﹂
635
114 それぞれの決着
﹁︱︱エレメンタルブラスター!!﹂
スラッファの虹色の矢は放つと同時に巨大化。強い輝きを放ち、
凄まじいスピードでまっすぐにしぐれとウェスターに襲いかかる。
大きすぎて躱せるものではない。
﹁ウェスターは下がっとき。うちがなんとか防いでみる﹂
前に出ようとするしぐれを、しかしウェスターは手で制した。
﹁その必要はありません。ここは任せてください﹂
虹色の爆発が起こった。
勝利を確信した表情でスラッファは踵を返そうとする。が、煙の
中に浮かぶ人影に眼鏡の奥の瞳を驚愕させる。人影は立っている。
それもウェスター・トウェーンと雨森しぐれだけではない。その前
にもう一人何者かが立っていた。
﹁精霊か﹂
ウェスターは召喚士でもある。スラッファはすぐにそうだとわか
った。
﹁精霊王だ。間違えるなそちらのメガネ﹂
その声はウェスターでもしぐれでもない。あの精霊のものだ。煙
が晴れると、神衣を纏った金髪の美青年がウェスターたちの前にい
た。彼はルビー色の瞳を愉快げに細める。
﹁おい、召喚士。とどめはお前が刺せ﹂
﹁ええ、そのつもりです。ですから、少しの間だけ時間を稼いでく
れませんか?﹂
眼鏡の位置を直してウェスターが頼む。しぐれは彼らの後ろで呆
然としていた。これが精霊神ピアリオン。今、どうやってスラッフ
ァの攻撃を防いだのかさっぱりわからなかった。
﹁フ、いいだろう。だが、私がここにいられる時間はあと一分もな
いぞ?﹂
636
﹁十分です﹂
それを聞くとピアリオンは唇を不敵に歪ませた。そして、一瞬で
スピリクル
スラッファの目の前に移動する。
﹁な!?﹂
驚きつつ、スラッファは霊素の矢を?神弓?ケルクアトールにか
ける。それを至近距離で放つ。だが、ピアリオンはその矢をまるで
止まっているものを掴むように簡単にキャッチした。
﹁何!?﹂
またも驚くスラッファ。これはまともに相手をするべきではない。
咄嗟に横に跳び、術者であるウェスターを狙う。飛んでいく輝き
の矢は、突如開いた空間の穴の中に消えていった。
﹁そうか! 時と空間を統べる精霊の神、ピアリオンだな﹂
そこでスラッファはようやくアレが何の精霊なのか理解した。神
の力を返している自分が、神相手に勝てるはずがない。
﹁﹃王﹄だと言っている。覚えろ、メガネ﹂
﹁僕もメガネじゃなくて﹃スラッファ﹄っていう名前があるん︱︱
!?﹂
完全にピアリオンのペースに呑まれていたスラッファは、いまさ
スピリクル
らながらウェスターがやろうとしていることに気づいた。
霊素が、異常に集まっている。上級術以上の霊術を使うつもりだ。
止めようとしても、恐らくピアリオンがそれを許さない。︱︱ま
ずい。
﹁︱︱万物を司る霊素の囁き、我が名において神威の力となせ﹂
雪がそのまま輝いたような神秘的な光がウェスターの周りで吹き
荒れる。
﹁︱︱終わりです、ゲシュペンド・ウィスペル!!﹂
唱えたと同時にピアリオンが消える。強い光が放たれたと思うと、
スラッファは真っ白な世界の中にいた。
︵⋮⋮やられたね︶
輝きの流れがスラッファに集う。次の瞬間、締めつけられるよう
637
な凄まじい力が彼にかけられる。絶叫するスラッファ。爆発が起き、
白の世界は崩壊して元に戻る。
スラッファは倒れていた。もうピクリとも動かない。
﹁やったんか?﹂
﹁そのようです。生きていたとしても、もう動けないでしょう﹂
ウェスターは眼鏡を押さえて答える。
﹁ほんなら早よセトル追わんと!﹂
﹁ですね。行きましょう﹂
? ? ?
ダークスピリクル
黒いものがアイヴィの足下で渦巻いた。それは闇霊素の集まりだ
った。
﹁︱︱ダルクロウゼン!!﹂
阻止しようと飛び込んだアランとシャルンだが、既に遅かった。
﹁うわっ!﹂
﹁なに!﹂
アイヴィが?神槍?フェイムルグで床を突いた途端、渦巻いてい
た黒が膨れ上がり、巨大な薔薇の花のような形を作った。それが、
二人を包み込む。エネルギー体でできている薔薇だ。触れれば痛い
︱︱では済まない。黒薔薇の中、アランとシャルンの悲鳴が上がり、
その悲鳴もやがて聞こえなくなる。
薔薇が霧散する。その中心に槍を立てたアイヴィが立っている。
強い技を使ったためか、彼女は息を切らしていた。顔も疲労の色が
濃い。
﹁終わったわね﹂
これで自分の役割は終えた。あとはワースの下に向かうだけ。き
っと向こうも、自分が着くころには終わっているだろう。そう思い、
踵を返す。だが︱︱
﹁どこに⋮⋮行くってんだ?﹂
638
肩に籠手をはめた手が被さり、アイヴィは足を止める。見ると、
そこには血まみれのアランが。
﹁すごいわね。まだ意識があるなんて﹂
﹁頑丈なもんでね。俺たちは﹂
アランは血に濡れた顔に笑みを貼りつける。
走り来る足音がした。
誰のものかはわかる。ここにいたもう一人だ。アイヴィはアラン
を振り払って足音の方に槍を向ける。
金属音。
シャルンのトンファーがアイヴィの槍を受け止めた。やはり彼女
も血まみれで瀕死の重傷なのに立ち上がっている。
﹁おとなしく寝てなさい。そんな体でわたしに勝てると思ってるの
?﹂
﹁思ってるわ。そっちこそ、ずいぶんつらそうじゃない。さっきの
技、かなり疲労するみたいね﹂
﹁⋮⋮いいわ。今度こそとどめを刺して上げる﹂
アイヴィは神槍に力を入れてシャルンを弾き飛ばす。そのまま槍
ダークスピリクル
を突き上げ、床に叩きつけられたシャルンに振り下︱︱す前に彼女
は横に飛んだ。
アランの長斧︱︱バハムートが空気を貫く。
﹁そいつは、こっちの台詞だぜ!﹂
﹁!?﹂
アランの持つ長斧の刃が、真っ黒に変化している。さらに闇霊素
しょうは
が闘気のように纏っている。
﹁︱︱翔破﹂
横薙ぎに一閃。黒い奇跡が描かれ、アイヴィの神槍を弾く。アラ
こくりゅうせん
ンは一度長斧を思いっきり後ろに引き、そして︱︱
﹁黒龍閃!!﹂
闘気が竜の形に変化し、昇竜のように刃を掬い上げながらアラン
は飛び上がった。黒い竜が、アイヴィを食らう。次の瞬間、鮮血が
639
舞った。
悲鳴もなく目を見開いていただけのアイヴィは、全身の力が抜け
たように膝が折れ、その場に崩れた。
﹁⋮⋮や、やるわね。少し⋮⋮あなたたちを⋮⋮侮ってたのかも⋮
⋮しれないわ﹂
血だまりの中で、アイヴィは無念そうに囁く。それをアランとシ
ャルンは立ったまま黙って見ていた。
﹁ワース⋮⋮ごめんなさい⋮⋮︱︱﹂
そしてゆっくり目を閉じるアイヴィ。そこには涙が浮かんでいた。
それを見届けたアランも、糸が切れた操り人形のように倒れた。
﹁アラン!﹂
シャルンが駆け寄る。実はシャルンの血は彼女を庇ったアランの
ものだった。だから彼女は掠り傷程度しか負っていない。
﹁アラン、しっかりして! ごめん、わたしを庇ったばっかりに。
今、治すから﹂
治癒術の詠唱を始めるシャルン。
﹁さ、サンキュー。俺たちも⋮⋮早く⋮⋮セトルんとこ⋮⋮行かね
えとな。こんなとこで寝てる場合じゃねえ﹂
この後、二人は登ってきたウェスターとしぐれと合流する。
640
115 運命の分かつ時
尻餅をついたセトルの首に、剣の切っ先が向けられる。
﹁セトル!?﹂
まだ自分の治療を終えてないサニーが叫ぶ。治癒術で自分を治す
のは難しいのだ。
﹁どうした、セルディアス。神剣を持ったとしてもこんなものなの
か?﹂
く、とセトルは呻く。ワースは強い。それも圧倒的だ。神剣を持
っていなくたって、彼の力はセトルより一枚も二枚も上手だ。とて
もじゃないが、勝てる相手ではない。
︱︱今までならば。
﹁そんなわけないよ﹂
キン、と突きつけられた?神剣?デュランダルを弾く。
そしてセトルは飛び起きるように後ろに大きく跳躍する。
﹁ほう﹂
とワースは感嘆の声を上げる。セトルはミスティルテインを構え
直す。次の瞬間、両者同時に地を蹴った。一瞬で距離が縮まり、再
び神剣同士の激突が始まる。
周囲の空気を劈くような剣撃音。
﹁兄さん、本当にテュールは世界分離を望んでるの?﹂
﹁テュールの意志はオレたち自身だ。それに、話し合いは先程終わ
ったはずだ!﹂
ガキン、とセトルの剣が弾かれる。できてしまったその隙にワー
スの掌底が打ち込まれる。咄嗟に身を捻って躱し、セトルはその捻
った遠心力のまま剣を一閃。しかし、ワースもそれを躱す。
サニーの治療が終わった。足が動くようになる。でも、どうしよ
うもない。
641
自分の力は非力すぎる。ここまでついてきといて何もできないな
んて悔しい。
だから、セトルは一人で行こうとしたのだろうか。自分では、足
手纏いになるから。
︵あたし、お荷物だよね⋮⋮︶
手に持った扇子を強く握る。セトルを庇っただけじゃ役に立って
るとは言わない。それで自分が怪我して⋮⋮その時のセトルの顔は
すごく悲しそうだった。
すると、ザンフィが肩に登って来て鼻を頬にあててきた。
まるで自分の不満と不安をわかってくれたようだ。
︵そうだ! 何かしなくちゃ、役に立たなくちゃ、ここまで来た意
味がないじゃない︶
サニーは扇子をバッと広げた。
自分にできることを、
セトルの助けになれることを、
ここにいる自分がやらなくてどうするというのだ。
﹁あたしの最高の霊術、ぶつけてみるね﹂
肩のザンフィに微笑む。ザンフィをそれに答えるように鳴いた。
﹁︱︱漆黒の闇を屠る裁きの煌きよ﹂
ヘブ
サニーの詠唱が聞こえ、セトルとワースは同時に彼女の方を振り
向いた。
﹁何かするようだな﹂
ンリーミュラル
ワースはそう言うが、別に止めようとはしない。自分は常時﹃神
壁の虹﹄によって霊術から守られている存在だ。彼女がどんな上級
霊術を唱えようとも、無駄なこと。
﹁サニー!﹂
セトルは止めようと叫ぶが、彼女の詠唱は止まらない。
﹁︱︱我が声に応え、天界より降り注がん﹂
﹁セルディアス、余所見をしている余裕はないぞ﹂
642
振り下ろされたデュランダルを、セトルは寸でのところ受け止め
た。
︵あのサニーの詠唱⋮⋮聞いたことない︶
これは彼女に賭けてもいいかもしれない。とセトルは少し思った。
たとえそれが兄に効かなくとも、何らかしらの隙を生んでくれるか
もしれない。
﹁︱︱運命に縛られし者を、解き放て﹂
詠唱が、完成を迎える。
﹁あたしの想い、届いて!︱︱ ジャッジメント・オブ・フェイト
!!﹂
空が、割れた。
いや、光の亀裂が入ったのだ。
そこから、巨大な光の柱が落ちる。それは、目を見開いて上空の
それを見詰めていたワースを呑みこんだ。
近くにいたセトルには聞こえた。中で、もの凄い反発音が繰り返
されている。
光が止んだ。ワースは︱︱まだ立っている。
それを見た瞬間、セトルは走った。走って、サニーの術を防いだ
反動で動けないワースを、初めて本当の驚愕の表情を見せている兄
を、刺突の構えに持ったミスティルテインで突き刺した。
﹁がはっ! ⋮⋮ば、バカな⋮⋮﹂
吐血するワース。セトルが剣を抜くと、彼はその場に倒れ︱︱な
かった。
﹁⋮⋮こんなものでは、終われない﹂
﹁な!?﹂
ワースはセトルの腕を掴み、怪我を負っているとは思えない力で
投げ飛ばした。勢いが止まらない。床と水平にどこまでも飛んでい
きそうだ。
しかしまずい、このままでは神の階から落ちてしまう。
﹁セトル!﹂
643
サニーが叫ぶ。が、彼女にも、セトル自身にも、どうすることも
できなかった。
だが、落ちる寸前で腕が何かに引っ掛かった。いや違う。誰かに
掴まれたのだ。
﹁あっぶねえ∼。おい、セトル、大丈夫かよ?﹂
腕を掴んでくれたのは、ボロボロになっている親友兼兄貴分のア
ラン・ハイドンだった。彼の横には、シャルン・エリエンタール、
ウェスター・トウェーン、雨森しぐれ、みんないる。
みんな傷だらけだが、無事だった。セトルは安堵しながら立ち上
がる。
﹁みんなー!﹂
サニーとザンフィが駆け寄ってくる。これで全員揃った。今度こ
そ兄、ガルワース・レイ・ローマルケイトを︱︱
﹁ワースは⋮⋮どこや?﹂
しぐれが眉を顰める。皆の視線の先に、ワースの姿はなかった。
ただ、テュールマターだけが存在感を顕にしている。
﹁上です!﹂
ウェスターの声に、皆は一斉に上空を見やる。
﹁なに⋮⋮あれ⋮⋮?﹂
シャルンが驚きの声で呟く。
そこには、赤黄色の強い輝きを放つワースが、まるで太陽神でも
降臨してきたように浮かんでいた。神々しすぎる。セトルの刺した
傷は、なぜか塞がって血の染みさえ見当たらない。
﹁兄さんの⋮⋮本気だ﹂
セトルは一人、そう呟くように言って前に出る。
﹁セトル、どうするつもりですか?﹂
ウェスターが訊く。
﹁決まってる。僕も本気をぶつけるよ﹂
﹃ああ、アレをやるのか。力に押し潰されるなよ﹄
戦闘時は口を挟まないはずのピアリオンの声が頭に流れる。言わ
644
れずとも、そんなことは絶対にない。
皆が心配そうな顔をして見ている。
次の瞬間、セトルに青白い、ワースと同じくらい強い輝きが纏っ
た。?神剣?ミスティルテインを構える。
上空から、ワースの声が降る。
﹁セルディアス。世界の存続と分離を賭けた最後の勝負だ。負けた
方は、間違いなく消滅するだろう﹂
ワースのあの位置、負けて消滅するのはセトルだけではない。仲
間たちも皆、巻き添えになってしまう。負けるわけにはいかない。
﹁行くよ、兄さん。いや、ガルワース!﹂
﹁いいぞ。来い、セルディアス!﹂
645
116 激戦の行方
大気が揺れる。
それに連動して、神の階自体も揺れている。
そして、赤と青の輝きが、ぶつかる。
両者相手に向けてそれぞれの神剣を突き出すと、纏っていた輝き
が剣を通じて直線状に発射される。それは蒼霊砲の主砲にも引けを
取らない威力を秘めていそうなほど凄まじい。
赤黄色い光線を放ち、ワースが叫ぶ。
﹁︱︱インディグネイト・ファイナリティ!!﹂
青白い光線を放ちつつ、セトルも叫ぶ。
﹁︱︱エターナル・レディアンティ!!﹂
二色が中空で激突する。
目を開けていられないほどの激しい閃光。
凄まじい力の衝撃と爆風。
皆は、立っているのがやっとだった。
﹁く⋮⋮﹂
セトルが、僅かに押され始めてきた。青が赤に呑まれていく。だ
めだ。このままでは力負けしてしまう。そうなるとみんなが⋮⋮世
界が⋮⋮。
﹃慌てるな。落ち着け。お前はまだ全開じゃない﹄
ピアリオンの声。確かにそうだ。自分は焦りすぎている。落ち着
いて、力を極限まで引き出すのだ。
赤の浸食が止まり、再び均衡が取れた状態に戻る。
だが、それでもワースまでは届かない。
︵兄さんの力⋮⋮やっぱりすごい︶
この状態が続くと、先に力尽きるのはこっちだ。だが、自分はこ
れ以上力を出せない。今だってどうにか振り絞っているのだ。
と、肩に温かいものが置かれた。
646
﹁がんばれ、セトル。俺らがついてるぜ﹂
アランの手だった。さらに、そこへ皆の手が触れる。
﹁うちらじゃ力不足かもしれへんけど、想いの強さやったら負けへ
んよ﹂
﹁想いが強さに、ですか。なら、我々の強さも受け取ってくれませ
んか﹂
﹁一人だったわたしがもう一人じゃないように、セトルだって一人
じゃないのよ﹂
しぐれ、ウェスター、シャルン、皆の手から、温かさと強さが伝
わってくる。そして︱︱
﹁セトル、負けたら許さないわよ! 一緒に、一緒にアスカリアへ
帰るんだから!﹂
⋮⋮サニー。
皆の想いが、力に変わる。
セトルの最高の神霊術﹃エターナル・レディアンティ﹄。その青
白い輝きが何倍にも膨れ上がった。
今度は、赤が呑まれ始める。
その光景を、ワースは薄らと笑みを浮かべながら眺めていた。
﹁そうか⋮⋮。テュールよ。あいつに、いや、あいつらに賭けてみ
るということか。セルディアス。いい仲間を持ったものだ﹂
青白い神霊術の光が迫る中、ワースは感覚を研ぎ澄ませた。
﹁︱︱アイヴィ、スラッファ、⋮⋮まだ微かに生きているようだ。
オレは消えるかもしれないが、その時はあいつを頼んだぞ﹂
そして、彼は光に呑まれた。
? ? ?
二つの閃光が消え、衝撃の揺れも収ま︱︱らなかった。
647
﹁何で!? どうしてまだ揺れてるのよ!?﹂
慌てるサニー。その彼女に、セトルが冷静な声で言う。
﹁テュールマターが暴走してるんだ。このままだと、ここは崩落し
てしまう﹂
﹁何やて!?﹂
﹁おい、セトル、何とかなんねえのか?﹂
切羽詰まった表情で問いかけるアラン。すると、セトルは力の暴
走が起こっているテュールマターへと歩み寄っていく。
﹁どうするつもり?﹂
シャルンがオレンジの瞳に微かな不安を宿して訊く。
﹁僕の神霊術でどうにかなると思う。どの道、これを使わないと世
界は不完全に分離して消滅するんだ。やってみるよ﹂
﹁そして、力を使い果たしたあなたは霊素に分解されて消えてしま
う、ということですか﹂
﹁﹃︻︽︱︱ッッッ!?︾︼﹄﹂
ウェスターとセトル以外の皆が一斉に驚きの表情をする。
﹁ダメよセトル! そんなのダメ!!﹂
駆け寄ろうとするサニーだが、その動きが唐突に止まった。
皆の足下に、青白い光を放つ霊術陣が現れる。
﹁う、動けへん⋮⋮セトル!﹂
しぐれが叫ぶ。見間違えるはずない。これは転移霊術だ。しかも
強制転移させるつもりだ。体が金縛りにあったように動かない。
﹁自分が犠牲になるってのかよ!﹂
﹁違うよ、アラン。僕だって消えるつもりはない。でも、結果的に
消えるかもしれないってことだよ﹂
アランたちを向いたセトルは、実に清々しい顔をしていた。セト
ルはウェスターを見る。
﹁私は何も言いません。非情かもしれませんが、世界が助かるなら
それでよしと思っています﹂
﹁それでいいよ、ウェスター﹂
648
ウェスターは表情を隠すように眼鏡を押さえて、言う。
﹁ですが、あなたも助かるのなら、断然そちらの方がいい。ですか
ら、待ってますよ﹂
セトルが頷くと、ウェスターは光に包まれて消えていった。
﹁セトル、一つだけ約束﹂
シャルンが言う。
﹁わたしは、もうソテラの時と同じ気持ちにはなりたくない。だか
ら、必ず生きて帰って﹂
﹁セトル! 生きて帰んねえと、アランお兄さんが地獄の底まで追
いかけてぶん殴ってやる﹂
﹁⋮⋮それは痛そうだね﹂
セトルは苦笑。そして、アランとシャルンの二人も光に包まれる。
﹁みんなも、うちも、セトルのこと大好きや。せやから、消えるな
んて許さへん﹂
﹁しぐれ⋮⋮﹂
俯いていた彼女が顔を上げると、大粒の涙で顔がくしゃくしゃに
なっていた。
﹁また、会えるんや。やから、さよならは言わへんよ﹂
﹁うん。僕も言わない﹂
しぐれも、転移の光に包まれた。
そしてセトルは、最後の一人に振り向く。
﹁サニー⋮⋮僕は⋮⋮﹂
﹁いい。セトルは何にも言わないで。言いたいことがあるなら帰っ
て来てから聞くから﹂
彼女はしぐれのように泣いてはいないものの、その大きなエメラ
ルドグリーンの双眸は潤んでいた。
﹁あたしも言いたいこといっぱいあるから、助かった世界で、アス
カリアで、全部話すから﹂
ついに彼女からも涙が零れた。
﹁最初は、セトルが﹃ただいま﹄で、あたしが﹃おかえり﹄って言
649
うの﹂
セトルは彼女に言われた通り何も言わない。ただ、彼女の言葉を
聞いている。
﹁だから、約束して。ぜったい、ぜったい、ぜ︱︱ ったいに帰っ
てくるって!﹂
そこで、言葉は終わる。セトルは微笑み、うん、とは言わずに頷
いた。それを認め、サニーもまた、笑う。
そして、彼女も転移した。
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117 テュールの使徒
残されたセトルは暴走するテュールマターと向き合い、それに向
かって両手を翳す。
﹁はあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!﹂
残っている神霊術を使う気力を振り絞り、セトルはマターに力を
干渉させる。外部から止めようとするのなら、破壊するしかない。
だが、それは絶対に不可能な上、もし破壊できたとしても、それで
は世界は助からない。
だから、内部から鎮圧させるしかない。
﹁う⋮⋮ぐっ⋮⋮﹂
凄まじい力の反発を受ける。このままでは気力が尽きる前に身が
持たない。と︱︱
﹁肩の力を抜け、セルディアス﹂
ありえない声が聞こえた。
﹁兄さん!?﹂
セトルの肩に手を優しく乗せた声の主は、ボロボロの状態で立っ
ているワース、もとい、ガルワース・レイ・ローマルケイトだった。
﹁兄さん、何で生きて⋮⋮﹂
﹁お前がそう望んだから、だろ﹂
確かに、できれば死んでほしくないとは思っていた。ワースは、
たった、たった一人の肉親だから。
﹁勝負はお前の勝ちだ。だから、オレは全力でお前をサポートしよ
う﹂
そう言って、ワースもマターに手を翳し、力を干渉させる。我な
がら最後まで弟思いのバカ兄貴だな、と彼は思い、薄らと口元に笑
みを浮かべた。
﹁オレたちはテュールの使徒だ。神の望まない結果を出すわけには
いかない﹂
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力の反発が緩む。
﹁いける⋮⋮いけるよ、兄さん!﹂
﹁馬鹿。最後まで気を抜くな﹂
ワースの言う通り、力の反発がまた増す。それも、先程よりも強
く。
﹁一気に行くぞ、セルディアス!﹂
﹁わかったよ、兄さん!﹂
辺りが真っ白な光に包まれた︱︱。
? ? ?
しばらくして、
地上から見える空に架かった光の橋︱︱﹃神の階﹄が、
上層部の方から、
まるで幻だったかのように消えていった。
ただ一つ、大きな輝きを放つ星だけを残して︱︱。
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118 繋ぎとめた世界で
︱︱セトル。
あたしたちのあの戦いから、一年が経ったわ。
セトルは、結局帰って来なかったよね。でも、あたしは消えちゃ
ったなんて思ってないよ。いつまででも、待ってるつもり。
でも、セトルのおかげで世界は救われたんだよ。
今、あたしたちノルティアンも、アルヴィディアンも、そしてハ
ーフも、みんながみんな力を合わせて頑張ってる。
しぐれはアキナの次期頭領だってさ。フラードルで話した通りだ
ね。
ウェスターは軍には戻ってないみたい。でも、世界復帰には全力
で力を貸してるよ。
ノックスは⋮⋮よくわかんないけど、やっぱり世界を放浪してん
でしょ。
正式に王女と認められたシャルンは、ハーフの差別をなくすため
に世界を奔走中。アランもその手伝いってことでアスカリアにいな
いのよ。
なんだか知らないけど、アランには軍から声がかかってるみたい。
アランの実力があれば将軍になることも夢じゃないってさ。その将
軍が二人もいなくなっちゃったから、ウルドさん一人で大変みたい。
あたしは、結局アスカリアで平凡に暮らしてる。みんな頑張って
るのに、って言わないでよ。あたしだってそれなりに頑張ってるん
だから。
この前だってミセルが︱︱︱︱。
︱︱。
? ? ?
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届くことのない手紙を書いていたサニーの下に、ドアを勢いよく
開けて父・ルードが、酷く慌てた様子で部屋に入ってきた。
咄嗟に手紙を机の引き出しに隠すサニー。そこには書き溜めた沢
山の手紙が詰められていた。
﹁どうしたの、パパ?﹂
﹁サニー! さっきイセ山道で︱︱︱︱﹂
その後言った父の言葉に、サニーは驚愕し、家を飛び出した。
彼女は走る。
表情に驚きと歓喜の色を全面的に表して、走る。
ただひたすらに、父親の言っていたイセ山道に向かって。
今日は道に迷わない。迷ってなんかいられない。
だって、だってそこには︱︱
父に言われた場所に辿り着いたサニーの前には︱︱何もなかった。
息を切らし、肩で息をする。
︱︱何もない。誰もいない。
もしかしてからかわれたんじゃ⋮⋮。そう思った。
パパに聞いた話では、この辺りに光の柱が落ちたって⋮⋮。
何度辺りを見回しても、やはり、何もないし、誰もいない。
﹁あは、あはは⋮⋮﹂
力なく、酷く残念そうに、彼女は笑った。
︵そうよね。そんなこと、あるわけないよね︶
パパの様子からして、からかいではなかったと思う。だったら、
たぶん見間違えだろう。
そう思い、彼女は踵を返した。帰ったらパパを怒鳴りつけてやる。
と、その時︱︱
じゃり、と彼女の後方で誰かが立ち止まる音がした。
︵誰? まさか⋮⋮ううん、でも︱︱︶
振り向くのが怖い。もし違ってたら。そう思うと、振り向く勇気
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が湧いてこない。このまま走って逃げてしまおうか、と考えた時、
後ろの人物が声を発した。
﹁︱︱ただいま︵・・・・︶﹂
﹁!?﹂
彼女の中で恐怖が去り、確信が生まれる。体が震える。瞼が熱く
なる。目から液体が漏れる。
︱︱こんな顔は見せられない。
彼女は服の袖で涙を拭き、小さく息をついて自分を落ち着けせ、
そして、言う。あの日、あの日に交わした約束。何度も夢に出てき
た、その言葉を︱︱
﹁︱︱おかえり、セトル!﹂
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118 繋ぎとめた世界で︵後書き︶
これにて完結です。
ここまでこんな黒歴史にお付き合いくださった物好きゲフンゲフン
! 読者様に心の底から感謝を^^
∼幻影の彼方∼︼を終了させていただ
できればこの後書きを見ているのは作者だけという事実であること
を祈りつつ、︻ILIAD
きます。
もしかすると、この作品のキャラを他の作品に再利用することも充
分考えられます。主にシャッフルとかで︵笑︶
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n6832ba/
ILIAD ∼幻影の彼方∼
2012年9月6日03時51分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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