俺の愛した異世界で - タテ書き小説ネット

俺の愛した異世界で
八乃木 忍
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
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︻小説タイトル︼
俺の愛した異世界で
︻Nコード︼
N7797BZ
忍
︻作者名︼
八乃木
︻あらすじ︼
イジメと虐待によって、色のある少年期を奪われた挙句、大人
になっても社畜として苦悩する男がいた。
男は目を覚ますと不思議な空間に居り、子供になっていて、そこ
で出会った人物に、異世界に行けると告げられる。
灰色の少年期を後悔した男は﹃来世では好きな様に生きる﹄と心
に決めた。
そうして異世界へと転生した倫理観の少し歪んでいる男は、異世
界ライフを満喫するのであった。
1
※人が死んだりします。
※あとがきにおまけを書いていますが、読まなくても問題無いです。
※修行や旅の話を好まない方は第七章から読んでみてください。
※現在、加筆編集中です。
2
プロローグ
﹁あぁ∼、疲れた......﹂
我が家である四階建てアパートの二階の一室へと帰宅した俺は、
シャワーを浴びてからベッドに倒れこんだ。
目を瞑って、今日やった事を思い出す。
仕事、仕事、仕事、仕事、それと、ほんの少しの遊び時間。
俺は毎日が嫌だった。充実していなかったからだ。
毎週日曜日にインターネット掲示板に行っては、俺と同じ境遇に
いるやつらと傷を舐め合う、そんな休日。
そして、月曜日から土曜日の夜遅くまで働き続ける。
残業代なんて出ない。﹃それが普通だから﹄と言われる。
でも、今はまだマシな方だ。
子供の頃は、毎日のように石を投げつけられ、エスカレートして
いったその行為は、高校に入った頃には根性焼きをされるまでにな
った。
親は助けてくれなかった。むしろ逆で、俺を傷つけた。
俺がクラスメイトに付けられた丸い跡が三つぐらいで、親からは
四つも印を付けられている。
それだけではなく、刃物で切られた事もあった。
切り傷は数え切れない程、体の至るところに残っている。
俺は毎日、殴られ、蹴られ、押し付けられ、掛けられ、罵られ、
無視された。
誰も俺を見ようとはしなかった。助けようとしなかった。
誰の視界にも、俺は映っていなかった。
3
いや、映そうとしなかった。
痛々しいから、関わりたくないから、飛び火を喰らいたくないか
ら、面倒くさいから......理由は様々だろう。
俺はそんな奴等を見ても、何も思わなかった。
きっと俺も、あの立ち位置にいたら同じことをするだろうから。
でも、俺をいじめる奴等だけは許せなかった。
同じ痛みを味わわせて、殺してやりたかった。
だが、我慢している内に慣れていって、何時の間にか俺は、﹃我
慢すればすぐに解放される﹄と思い込んだ。
体の傷を残したまま、俺は高校を卒業して地元を離れた。
すると、世界は一変した。全てが新しく見えた。
だけれども、そんな夢も四年で終わった。
俺はとある企業に誘われるがまま就職し、現在進行形で後悔して
いる。
入社した会社は黒い。詳しくは言いたくはないが、黒いのだ。
俺の人生は滅茶苦茶だ。
もう、死にたいとさえ思っている。
﹃我慢すれば解放される﹄なんて考えを持った俺がバカだった。
過去の自分と話せるのなら、すぐに警察に駆け込むべきだと、助
けを呼ぶべきだと言ってやりたい。
どうして俺はあんな歪んだ結論を導き出したのだろうか。
過去の自分を殴ってやりたい。﹃後悔﹄は、後味が悪い。
俺は今日も、昔の胸糞悪い出来事を思い出しながら眠る。
思い出したくて思い出している訳ではない。
俺の味わった憎悪が、怒りが、そうさせる。
4
そんな俺に転機が訪れるなど、この時の俺は知る由もなかったわ
けだ。
︱︱︱︱︱︱
アパートの一室に、一人の男が侵入した。
窶れた顔と瞳には狂気を滲ませ、息を荒くして大量の脂汗を額か
ら流している。
部屋の中を進んでいき、男はベッドの前で立ち止まる。
ベッドには、パンツ一枚で鼾をかいて寝る、二十代後半の青年が
いた。
男は、青年の体中についている傷を見て、顔をしかめる。
その傷は、男が付けた物だった。
青年がまだ小学校の高学年だった頃に、男が毎日のように付けた
傷だ。
切り傷や丸い点を見て、男は弱々しく口を開いた。
﹁ごめんな......﹂
男は寝ている青年に向かって謝罪の言葉をかける。
5
﹁俺のせいで、痛い思いさせちまって......﹂
男は青年の頬を撫でると、キッチンへと向かい、包丁を手に持つ。
男は手に持った包丁を撫でながら、青年に話しかける。
﹁でも、許せない。なんでお前だけが幸せそうな顔で寝てやがる﹂
弱々しかった震えた声は消え、憎悪に満ち満ちた、暗い声で呟い
た。
男は、青年の胸に包丁を突き立てる。
﹁お前、母さんが恋しいって言ってたよな。待ってろ、今、会わせ
てやる。俺も後から行く、心配すんな﹂
そして、男は、包丁を押し込んだ。
銀色の刃物は、肉を貫き、障害物によって一度動きを止められる。
だが、男が力を入れると、障害物は進行を許し、心臓を貫いた。
青年の鼾が止み、部屋には男の呼吸音だけが響く。
﹁はぁッ......はぁッ......!﹂
息を整えることもせず、男は自分の喉に血に濡れた包丁を突き立
てる。
男の息は急激に荒くなっていき、十数秒後、呼吸音が途絶える。
まるで、今まで動いていた機械が動力源を失った様に、パタリと
消えた。
アパートの一室。
そこに残ったのは、
6
心の傷をそのまま現すかのように、胸に穴を開けた青年と、
自分の不幸を嘆くかのように口を開き、体液を振りまいた男だ。
そうして死んだ青年︱︱シャルルの、異世界での物語が始まる。
7
出会いは偶然で・前編
目を覚ました俺の視界は、空色に塗りつぶされていた。
他の色は何もなく、ただ、青いだけ。
吸い込まれてしまうのではないかと思わせる程に、澄んでいて、
果てがない。
背中全体が何かに触れている感触で、自分が寝転がっている事に
気づく。
体を起こし、辺りを見回して口があんぐりと開いた。
視界いっぱいに広がるのは、草原。
どこまで続いているのかも分からない、障害物も一切ない、ただ
の平原だった。
﹁なんだ、これ﹂
ここで初めて声を発して、気づく。
俺の声ではなかった。元ある自分のよりも、もっと幼い声。
二次性徴にも入ってないであろう若々しい声だ。
﹁あーあー⋮⋮なんで、なんだ、これ﹂
手のひらを見てみると、予想通り、小さかった。
立ち上がって自分の体を隅々まで確認するが、若いだけでなく、
俺のものでもなくなっていた。
黄色人種であるはずの俺が、白い肌になっているのだ。普通では
ない。
そして、なぜだか俺は、裸だった。
もちろんの事、息子も小さくなっている。
8
推測で、幼稚園、保育園児ぐらいの体の大きさだ。
アレが付いているからには男児だろう。
状況を飲み込もうと、もう一度体を倒した。
整理しよう。
俺はさっきまで、一人暮らしのアパートでぐーすか鼾をかきなが
ら寝ていたはずだ。
その前は、同僚と居酒屋で飲み会をしたぐらい。
目覚める前の俺は、ごく一般社会人だ。いや、ブラック企業に捕
まったから、一般ではないのか。
それは置いておいて、成人男性の平均身長ぐらいの背だった俺が、
幼稚園児並に小さくなっている。
これは由々しき事態どころではない。
﹁はぁ⋮⋮﹂
ついたため息も、いつものおっさんぽい物ではなかった。
一体、何がどうなっているんだ。
もしかして、寝ている間に心臓麻痺でもくらって、天国にでも送
られてしまったのだろうか。
いや、俺みたいな人間が天国に行けるとは思っていないが。
﹁やぁ、少年﹂
﹁お!?﹂
不意に、後ろから声をかけられ、肩に手をぽんと乗せられた。
反射的に飛び退いたが、バランスを失い尻から崩れる。
俺に声をかけたのは、笑顔を浮かべる背の高い男だった。
9
︱︱男だという事は分かるのに、人相がはっきりしない。
はっきりと見えていない⋮⋮というよりは、認識できていないと
いう方が正しいかもしれない。
まるで、そこだけ次元が違っている様に錯覚させられている。
例えるなら、美少女ゲームの主人公の様に、どんな顔をしている
のか分からない感じだ。
おかしい。
さっき、辺りを見渡した時は誰もいなかったはずだ。
だが、今俺の目の前には人間が立っている。
﹁お困りの様子だね﹂
男は眉根を寄せながら言った。
先ほどは間抜けな声が出てしまったが、それはもうどうでもいい。
﹁こ、困っているのは確かだ⋮⋮何か、知っているのか?﹂
﹁まぁ、少しだけね﹂
﹁⋮⋮俺に今何が起こっているのか、説明はできるか?﹂
﹁さぁ? そこまでは﹂
知っていると言っておきながら、﹃さぁ?﹄ときた。
胡散臭い。臭すぎる。なるたけ関わりたくない。
﹁︱︱ここはね、君からすれば異世界ってやつだよ﹂
逃げようと、踵を返したところで男が唐突に話し始めた。
﹁君は突然、ここに呼び出された。理由なんて知らないし、方法も
知らない。でも、君に言うことがあるとすれば、今この場所には平
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原しかないから、逃げることはできないって事かな。奥へ行っても、
ここに戻ってくるよ﹂
未だ混乱する俺を尻目に、男はペラペラと言葉を発する。
異世界だなんて、いきなり言われても意味がわからない。
一昨日やった十八禁美少女ゲームに出てきた様な場所か?
しかし、奥へ行ってもここに戻るなんて、それこそファンタジー
だ。
それが本当に起こったというのであれば、こいつから本格的に話
を聞こう。
考えがまとまれば、行動は早い。俺は、小さな脚を動かした。
何もない平原を進んでいく。
一歩一歩の感触が気持ち良いと感じられる柔らかい草は、俺の足
あとすら残さなかった。
歩き続けた結果、男の言うとおり、来た場所に戻ってきた。
男は退屈そうに座っていたが、俺の姿を見つけると、立ち上がっ
て近づいてくる。
俺は無意識に身構えてしまう。
﹁やぁ、どうだった? ここには僕達と、平原と、空意外何もない
んだ﹂
﹁......らしいな﹂
﹁それじゃ、自己紹介をしよう。僕の名前はアダム、よろしくね﹂
アダム。見た目どおり、異国人の名前だ。
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﹁俺は︱︱﹂
自分の名前を名乗ろうとした時、舌が痙攣した。
それだけでなく、声も出なくなった。
喉がつまっている感覚とは全く別だとは言えるが、例えることの
出来ない感覚。
何故だ? さっきまで普通に喋れていたのに。
﹁ああ、ごめんね﹂
思い出したようにアダムが言う。
﹁理由はわからないんだけど、ここに来た人は自分の名前を名乗れ
ないんだよ﹂
ここに来た人? つまり俺以前にもここに来た人がいるという事
か?
そう問い詰めようとしたが、舌が痙攣して未だに喋れないでいる。
﹁前の来客からは百年ぐらい経っているから忘れちゃってたよ﹂
だが、聞くまでもなくアダムは答えを出した。
俺は喋れない間に何かできることはないか考えるが、平原しかな
いこの空間では何も出来ない。
今はこの男の話を聞くのが得策か。
とりあえず俺は、喋れるようになるまで、座って待つことにした。
﹁あー、あー、テステス﹂
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待って数分で声を出せるようになった。
男は俺の声に気付いて、閉じそうになっていた目をぱちりと開け
た。
﹁よし、それじゃ、君は僕に質問があるから答えてあげるとしよう﹂
﹁たくさんありすぎて困っているぐらいだ﹂
﹁出来る限り答えるよ﹂
......思えばこの男、さっきから笑顔を崩さない。
ずっとにこにこしているのだ。
まるでその表情が張り付いて離れなくなってしまった様に。
気味が悪いが、気にしないでおこう。
今は、聞かなくてはならない事が山ほどある。
﹁何故俺は名を名乗れない﹂
﹁過去は捨てろという神からのお告げなんじゃない?﹂
なんじゃない? じゃねえよ。
まあ、名乗れ無くなった程度で困る事はない。
それよりも重要な事があった。
﹁お前はだれだ﹂
﹁僕かい? 僕は、そうだな、神と天使の間ぐらいにいる奴、かな
? 神様補佐みたいな﹂
﹁それじゃあ、ここは天界か何かなのか?﹂
﹁違うよ。異世界と君の世界をつないでいる空間だ。でも、この空
間から次の世界へ行くには特別な力を使わないといけないから、ど
れだけ歩いてもぐるぐる廻るだけなんだ﹂
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なるほど、つまり俺はまだ異世界と俺の世界との間にいるわけか。
﹁なら、ここから俺の世界へは帰れるのか?﹂
﹁残念ながら、一方通行だよ﹂
﹁俺は異世界へ行く以外に方法がないんだな?﹂
﹁いや、ここで僕が消してあげてもいいけど﹂
﹁遠慮しておく﹂
世界から一?飛び出してしまえば最後、次の世界へ移るしかない
という事か。
ここで消えるのは、論外だ。
俺はまだまだ生きてみたい。
それに、殺されるならヤンデレの妹って決めてるんだ。
妹なんていないけど。
﹁それじゃ、次だ。俺はなんで小さくなっている?﹂
﹁分からない。でも、身長や年齢は肝の大きさによって定められる
んだ﹂
﹁⋮⋮﹂
肝の大きさで体のサイズを決められてしまったのか、俺は。
つまり俺の肝っ玉は、保育園児並ってことか。
薄々気づいていたことだが、ショックがあるな。
﹁ま、まあ、それは分かった。それで、俺がこれから行く異世界っ
てのはなんだ、剣と魔法の世界か?﹂
﹁よく知っているね、そうだとも。剣術、魔術、錬金術とか、そう
いうので溢れている世界さ﹂
﹁俺はそれを使えるのか?﹂
﹁使えるとも﹂
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それを聞いて、なんだかワクワクしてきた。
年甲斐もなく興奮している。
剣術、魔術、錬金術、小さい頃から夢見たものを使えるというの
だ、仕方がない。
しかも、来世は異世界か。
素晴らしいじゃないか。
ガキの頃は親父に殴られる毎日、大人になっても上司に扱き使わ
れる毎日だった。
来世ってことは、新しい人生を歩んでいけるって事だ。
しかも、前世の記憶つきで。
だからこそ、俺は決心する。
社畜の様な生活は送らない。
俺は、生きたいように生きることにする。
﹁あ、そうだ!﹂
アダムは突然声を上げ、満面の笑みで言う。
﹁君にはプレゼントをあげよう﹂
﹁プレゼント?﹂
﹁魔力と身体能力をあげるよ﹂
﹁魔力っていうと、魔術を使うために消費するあれか﹂
﹁説明ありがとう。そうだけど、君の今の体じゃあ、魔術を二回使
用したぐらいでバテるね。君は百年ぶりの来客だから、特別だよ﹂
﹁技術はくれないんだな﹂
﹁それは自分の体で覚えないと、どうしようもないでしょ?﹂
こうして、俺はプレゼントを貰った。
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並みの魔術師よりも高い魔力をくれたとアダムは言っていた。
子供でそんな大量な魔力を持ってパンクしないのか、と聞いてみ
たが、魔力の総量は無限に増えるらしい。
そして身体能力も得た。
だが、これには限界があるそうで、成人男性に少し劣るぐらいの
能力を貰った。
この体でそれだけの能力を得られるのであれば充分だろう。
﹁それでアダム、言語とかも違うんだろ?﹂
﹁当たり前だよ。しばらくここに居させてあげるから、僕が教えて
あげる﹂
アダムという男、意外と面倒見が良い奴なのか、それとも久しぶ
りの来客者だから張り切っているだけなのか。
どちらにせよ、言葉を教えてくれるのであればありがたい。
知らぬ土地に知らぬ言葉、知らぬ文化に知らぬ人、そんな状況に
陥った時、俺はどうなるやら。
ちなみに、文化や土地は自分の目で確かめろと言われた。
あとは、自分の名前を考えるだけだ。
名乗って恥ずかしくない名前にしたい。
異世界だし、相手は﹁厨二乙﹂等とは思わないと思うが、こっち
が恥ずかしくては意味が無い。
自分では思いつかないので、アダムに聞いてみる。
﹁そうだね、シャルルでいいんじゃないかな﹂
軽いノリで提案された名前だが、いいだろう。
女っぽい感じがしなくもないが、漂うイケメン臭が気に入った。
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俺は今日からシャルルだ。
﹁姓はどうすればいい?﹂
﹁お勧めを授けよう﹂
こうして、俺の名前はシャルル・クレアシオン・リテレールとな
った。
︱︱︱︱︱︱
その後すぐに、俺はアダムから言語を習う事になる。
全部で四言語だそうだ。
一体どれだけかかるのやら。
気が遠くなりそうだ。
そう思っていたが、思ったよりもアダムの教えが上手く、三言語
は簡単に覚えられた。
本の音読と、覚えた単語をメモした紙を見ながら聞くアダムの読
み聞かせがかなり効いたようだ。
ここにいると、時間の流れが分からないのでどれくらい掛かった
かはわからないが。
時間の流れも分からなければ、腹も減らないのだ。
現段階でつまる事なく喋れるようになったのは、イルマ語とベラ
ート語だ。
イルマ語は人間とその他、ベラート語は獣人が使うらしい。
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獣人と聞いて思い出したのが、俺がハマっていたRPGだ。
ヒロインが獣人族で、可愛らしいネコ耳と尻尾があったなあ。
次の世界にもそういうのがいるのだろうか。
期待が膨らんで仕方がない。
それはいいとして、残りの二言語は発音がかなりハードだ。
ディガル語とシスカ語だ。
文字も特徴的で覚えるのには時間がかかる。
ちなみに、本や紙と鉛筆はアダムが手から突然出したものだ。
神様補佐は大体なんでもできる。
︱︱︱︱︱︱
どれくらい経ったかは分からないが、結構な時間をここで過ごし
たと思う。
言語もバッチリ覚えたから、後は、旅立つだけ。
なんだか、名残惜しい気もする。
アダムは軽薄い態度で話してくるが、面倒見は良かった。
言語も教えてくれたし、疲れた時は話し相手になってくれた。
話はほとんどが今までここに来た人の事だった。
話によると、皆が皆混乱してたらしく、﹃異世界? ワッツ?﹄
となっていた奴が多数だったとか。
中には俺みたいに、次の世界で困らない為の準備をしていく奴も
居たらしい。
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中には逆に、ここで消えたいと願う者もいたんだと。
この空間にいる奴はアダムの意志で簡単に消すことができるのだ
そうだ。
﹃流石は神様補佐だな﹄と褒めたが、アダムの意志でこの空間に呼
び出すことはできないらしい。
﹁そういえば、お前は何で俺が百年ぶりってわかったんだ? ここ
には時間の感覚なんてあまりないんじゃないのか?﹂
﹁僕は感じるんだよ﹂
﹁そうか。それじゃ、俺が来てどれくらい経った?﹂
﹁百五十日ぐらいかな﹂
﹁ぐらいって、曖昧だな﹂
一ヶ月以上もここにいた感覚はないんだが、そんなにいたのか。
まあ、時間のことはあんまり気にしなくてもいいようだ。
ここでは歳を取らないらしい。
そういえば、俺の体は何歳なんだろうか。
﹁なぁ、アダム。俺の年齢、わかるか?﹂
﹁五歳だね﹂
﹁俺の肝は五歳同等か﹂
俺が言うと、アダムが肩に手を乗せてきた。
気にすんな、と言わんばかりの顔だ。
まあ、俺は肝は小さいけど、心は広い。
これぐらいは気にしないのだ。
気にしないのだ。
しかし、そうか、五歳か。
五歳の時、俺は何をしていたっけ。
19
母さんっ子だったからな、ずっとベタベタして迷惑かけていたか
もしれない。
母さんはいつも笑顔で俺のことを撫でてくれていた。
母さんはいつも優しい声で話をしてくれた。
男らしいのもいいが、そんな風になれたらと思わなくもないな。
そういえば、親父は一人でもちゃんとやっているだろうか。
仕事はちゃんと見つけただろうか、お酒はもうやめただろうか。
煙草はもうやめただろうか、もう暴力はあんまり振るっていない
のだろうか。
思えば、俺の世界にはまだ未練がある。
未練タラタラだ。
だが、ここはケジメをつけなくてはならない。
戻れないし。
そして選択肢は二つ。
新しい人生か、ここで散るか。
もちろん最初に決めた通り、新しい人生に決まっている。
その為にアダムに世話になったのだから。
それに、俺は異世界を見て廻りたい。
きっと俺の世界にはなかった物があるはずだ。
うぅむ、またワクワクしてきた。
﹁アダム、俺はそろそろ行こうと思う﹂
﹁⋮⋮そうかい。あんまり変な人に絡んじゃダメだよ﹂
﹁俺にそんな度胸はないよ。見てみろよ、この体のサイズを﹂
﹁ははっ、そうだったね。それじゃ、気をつけるんだよ。あとプレ
ゼントがもう一つある﹂
20
﹁何だ?﹂
﹁秘密﹂
﹁そうかい﹂
そして、俺とアダムは固い握手を交わした。
アダムの温かくて優しい手が、俺の不安を拭う。
俺は自然と笑顔になっていただろう。
﹁じゃあな﹂
﹁じゃあね﹂
別れを告げると、目の前が真っ白になる。
何も見えない。
だが、手に残った温かさはまだ感じる。
視界が白から黒に変わった。
俺は、手の温もりを抱きながら、意識を手放した。
︱︱︱︱︱︱
夢。
温かい腕に抱かれていて、心地が良い。
﹁こうされるのが好きだったわよね?﹂
懐かしい声、優しい声。
小さいころ、毎日のように聞いた声。
21
大きくなって、また聞きたいと毎日願ったあの声。
それが、俺の耳に届いている。
うん、俺、こうされるのが好きだった。
いい匂いがする。
俺に優しい声をかける人を俺は抱きしめた。
強く、強く、抱きしめた。
愛おしくて、嬉しくてたまらないはずなのに、すごく悲しくて。
嬉しさと悲しさが入り混じっていて⋮⋮でも、はっきりわかる。
ずっとこうしていたい。
だが、そんな願いは聞いてくれなかった。
俺を包む白い世界は、暗くなっていく。
どんどん、遠ざかっていく。
﹁待って、母さん!﹂
必死に手を伸ばしても届かない。
母さんはずっと、遠くにいる。
薄れる意識の中、母さんは言った。
﹁また会えるから﹂
それを聞いて、俺は安心してしまった。
︱︱︱︱︱︱
22
﹁⋮⋮夢だったのか﹂
目を覚ました。
手も、胸の奥もまだ温かい。
﹁ははっ、母さん、元気そうだった﹂
涙をこらえながら、一人で呟く。
あれはアダムからのもう一つの贈り物だろうか。
だとしたら、﹁余計なことを!﹂と一喝してやりたいところだ。
﹁あ、そういえ︱︱﹂
異世界に来たことを思い出し、顔を上げ、俺は絶句した。
俺は道のど真ん中に居た。
道の両端にはびっしりと並んだ露店や、俺の横を通り過ぎる、多
くの人が全て見える。
羽が生えていたり、犬や猫の耳がついていたりと、色んな種類の
人がいた。
だが、無音だ。
誰もが口を動かして何かを話しているのだが、何も聞こえない。
五感が機能するまでタイムラグがあるのだろうか。
とりあえず、俺はこの道を進んでいく事にした。
石造りの道、石造りの家、並んだ露店、行き交う人々。
ゲームの平面では見れなかった物が、立体となって俺の視界に広
がっている。
23
恐くて仕方がなかった。
違う世界、違う言葉、違う文化。
恐いに決まっている。
だが、それ以上に、興奮していた。
ゲームで見た種族、ゲームで見た武器、ゲームで見た風景。
自然と口元が緩む。
だが、ここで俺は周りからの視線に気づいた。
道行く人がちらりと見るだけだが、変なものを見るような視線f
s。
顔に何かついてるかと思い、顔をいじっても何もない。
なら、他のパーツに。
そう思って、下を向いた。
俺は、裸だった。
何もついていなかったのだ。
俺のムスコ以外は。
俺はパニックになり、急いで路地裏に逃げ込んだ。
体を隠せる、マント代わりになる物は何かないかと近くの木箱を
探る。
ていうか、初期装備全裸って⋮⋮アダムよ、何故服をくれなかっ
た。
心の中で愚痴を垂らしながら、俺は木箱を片っ端から確認した。
中には、売るためのものであろう草や砂しかなかった。
残りの箱はあと一つ。
この中にあればいいのだが。
そう思い、木箱に手を伸ばした時だった。
﹁てめぇガキィ! そりゃ俺らが先に目ぇつけてたんだぜぇ?﹂
24
﹁うぐっ⋮⋮﹂
首を掴まれ、足が宙に浮く。野蛮な目で睨みつけられ、完全に身
動きが取れなくなった。
指先が震えるのが分かる。今にも泣き叫びそうだ。
ああ、裸で混乱していたとはいえ、盗みなんて考えるんじゃなか
った。
﹁おい、殺すなよ? 売るから、そいつ﹂
﹁わぁってるよ﹂
後ろから現れたもう一人の男が下卑た笑みを浮かべながら言った。
え、何、売るって、何を? そいつ⋮⋮俺?
異世界に召喚されて間もなく、奴隷落ちってやつですかぁ?
あぁ、もったいない。俺のクソみたいな人生を捨てて、やり直せ
ると思ったのに。
次こそは楽しい人生を送れると思ったのに。
後悔と、不安のせいでにじみ出た涙を堪えようと、俺は目を瞑っ
た。
25
出会いは偶然で・前編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁なぁ、アダム﹂
﹁なんだい?﹂
﹁イヴって知ってるか?﹂
﹁君こそ、イヴを知っていたんだね﹂
﹁アダムとイヴって、俺らの世界でよくある話しなんだ﹂
﹁へぇ、僕とイヴがそんなに有名だったなんて、驚きだ﹂
﹁イヴは今どこにいるんだ?﹂
﹁また違うところさ。彼女は僕とは違う役目を担っているんだ﹂
﹁離れ離れは寂しいか?﹂
﹁いいや、空間を越えて会いに行けるからね﹂
﹁どのくらいのペースで会ってるんだ?﹂
﹁十四日に一回ぐらいかな﹂
﹁結構少ないな﹂
﹁うん、そのぐらいの方が良いんだ﹂
﹁ん? 何でだ?﹂
﹁寂しがったイヴは、激しいんだ﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
﹁僕の身が持たなくなるほどに、激しい。まぁ、僕の身は壊れない
けど﹂
﹁⋮⋮そっか﹂
﹁いやぁ︱︱﹂
26
﹁もういい﹂
﹁⋮⋮⋮⋮どうして涙目なんだい?﹂
﹁うるせぇ﹂
27
出会いは偶然で・後編
五秒ぐらいだろうか。
特に抵抗することもなく目を瞑っていたのだが、何も起こらない。
それどころか、話し声すらも聞こえなくなった。
恐る恐る、目を開ける。
俺の胸ぐらを掴む盗賊の喉には、剣が刺さっていた。
喉を貫通した剣先は壁にめり込んで、男は口から血を吐いている。
死にきれていないのか、小さく呻いているが、それもしばらくし
て止む。
﹁うああぁあ!﹂
死んだ盗賊を観察していると、叫び声が路地裏に響いた。
声の方向に足を進めると、血塗れた剣を持った人間が一人立って
いた。
それを囲むように、四人の男の体が転がっている。
﹁大丈夫か?﹂
剣を持った人はこちらに振り向き、近づいてくる。
フードを深くかぶっていて顔は見えないが、声からして男だ。
この男は人を殺してもなんとも思っていないのだろうかと疑問に
思う。
俺の心臓がバクバクしているのが、触れていなくてもわかった。
俺はそれぐらいにビビっているのだ。
でも、きっと、この世界ではこれが普通の事なんだろう。
28
ファンタジー物のゲームなんかで良く見るし。
ここは俺も割り切らなければならない。
もう一度死体を見る。
首から血を流して目を開けたまま動かない。
鼻を突く生臭い鉄の臭いに吐き気を催したが、堪えた。
﹁怪我はないか?﹂
口元を抑えて蹲っていると、男が近寄ってきた。
恐がられないように、なるべく優しく話しかけてくれるのがわか
る。
言語は、イルマだ。
それだけで種族は判断できないが、悪い人ではなさそうだ、助け
てくれたし。
﹁だいじょうぶです﹂
俺もイルマ語で返事をする。
男の口元が少しだけ緩んだ。
男は俺の頭に手を乗せて、尋ねる。
﹁坊主、服はどうした﹂
﹁ありません﹂
﹁親は﹂
どうなんだろうか。
こっちの世界ではいないのだろうか。
それとも、誰か肉親がいる設定で召喚されたのだろうか。
それだったらわざわざ道の真ん中に召喚されないよな。
29
なら、そういうのはないんだろう。
﹁いません﹂
言うと、男は顎に手を当て静止した。
何を考えているのだろう。
何でもいいが、服がほしい。
﹁坊主、名前は?﹂
しばらくして、男が口を開いた。
俺の名前は、なんだったっけ。
ミドルとラストネームが思い出せない。
結構長かったし、名前を貰ったのが一ヶ月以上も前だ。
ここで時間をかけても無駄な気がしたので、下の名前だけ名乗っ
ておく。
﹁シャルルです﹂
﹁シャルルか、良い名だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁お前親がいないんだったな。俺についてくるか?﹂
これは誘拐か?
アメあげるからついておいで、的なノリで誘われている気がして
ならない。
初対面の相手には警戒したほうがいいな。
﹁すみませんが、しょくぎょうのほうは⋮⋮﹂
﹁冒険者だ﹂
﹁いっしょにたびをしようと、そういういみですか?﹂
30
﹁そうだ﹂
親が居ないから保護してあげる、という事だろうか。
危険を伴うが、この話には乗れる。
俺はこの世界を見て廻りたい。
端から端まで、世界の隅々まで、俺は自分の目で見て廻りたい。
どのくらいの年月が掛かるかは分からないが、それが俺の今の夢
だ。
この男に付いて行けば、色んな事を知れる、色んな物を見れるだ
ろう。
早速、都合のいい男の登場か。
しかし、罠という可能性も大いにある。
親のいない子供をホイホイ誘って、奴隷として売るとかこの世界
にはありそうだ。
でも、まずは踏み込む事から始めるべきだろう。
恐いが、この男を少しだけ信用してみよう。
怪しい素振りがあれば、逃げる。
﹁いっしょにいきます﹂
﹁⋮⋮そうか。よし、まずはこれを着ろ﹂
そう言って、男が俺に着せたのは子供サイズの外套だ。
フードも付いている。
なんだか中二心を擽られるな。
﹁俺はエヴラール・ジルーストだ﹂
﹁よろしくおねがいします、エヴラールさん﹂
握手を交わした後、エヴラールは最初に殺した男の元へ早足で歩
31
いて行き、喉から剣を抜き取った。
エヴラールは剣に付いた血を払い、鞘に収めると、付いてくるよ
うに促した。
剣の一本は背中、もう一本は腰に差してある。
俺は駆け足でエヴラールの横に並ぶ。
そして、二人で路地裏を出た。
﹁うあ﹂
突然明るい場所に出たからか、日差しがさっきの二倍は強い気が
する。
目も開けられないので、フードを被る事にした。
上からの光を遮れても、下はまだ無防備だ。
石造りの道は太陽光を充分に吸収していて、足が焼けそうになる。
足をバタバタさせていると、突然エヴラールに持ち上げられ、肩
に乗せられた。
﹁すまなかった、裸足だったな﹂
﹁いえいえ。それよりも、どこにいくんでしょう?﹂
﹁服屋だ﹂
まさか、俺の服を買ってくれるというのか。
いい人なんじゃ⋮⋮いやいや、まだ油断できない。
服を買ってあげて、油断させて、という作戦かもしれん。
服屋に着いた。
石造りの建物に大きな窓が一つあるだけの外見。
見た目は殺風景だが、中には結構な数の服がある。
32
デザインはほとんど似たような物ばかりだったが、服だけではな
く、タオル、ハンカチ、靴、その他アクセサリーも置かれていた。
﹁なんでも選んでいい、買ってやる﹂
﹁え、いいんですか﹂
﹁ああ、裸じゃ不便だろう﹂
﹁は、はい﹂
うむ、お言葉に甘えさせていただくとしよう。
とはいえ、俺はあまり服やオシャレに興味が無い。
それに、どうせ外套で隠れてしまうのだから、どんな物でも変わ
らないと思う。
あまり高いのを買って困らせるのも嫌だ。
安めの白い布地のシンプルなシャツを二枚。
皮の靴を一足。ダボダボのズボンを二枚。
そして、トランクスっぽい下着三枚を持って、エヴラールに渡し
た。
いざ必要な物を買い揃えようとすると、最低限でもこれだけは必
要になる。
これだけ買ったのだ。
エヴラールには苦い顔をされるかと思ったが、違かった。
彼は俺の買おうとした物を見ると、﹁足りんな﹂と呟いて他の商
品にも手を出していった。
黒い外套、靴を返却してブーツ、大きいタオルを二枚、小さいタ
オルを三枚、首巻き二枚、そしてワンショルダーバッグと腰巻きポ
ーチを店員のもとへと持っていった。
な、なんだ、これは。
33
沢山買って、恩を着せて、﹁買ってやったんだから言うこと聞け
や!﹂なんて言われたりするのだろうか。
俺が選んだ物だけでも結構な量だったのに。
恐い、恐すぎる。
何が起こっているんだ。
混乱する俺を尻目に、エヴラールは買ったものをバッグに詰め込
んで、俺に渡してきた。
言われるがまま、俺は渡されたものを装備した。
シャツ、ズボン、ブーツ、バッグ、ポーチ、首巻き、外套。
防御力はかなり低いが、動きやすいし、何よりも、裸じゃなくな
った。
﹁エヴラールさん、ありがとうございます﹂
﹁気にするな。それよりも、次だ﹂
﹁つぎ?﹂
﹁昼食だ﹂
服の後は食べ物で釣ろうと⋮⋮いや、今は変に疑うのはやめよう。
疲れるし、ストレスになるだけだ。
俺はまた、エヴラールの肩に乗せられ、昼食を取りに向かった。
料理店に到着。
外はまだ明るい。
俺はエヴラールの肩から降りて、店に入る。
店の中にはあまり人がいない。
お昼時だと思うのだが。
34
もしかして、二食文化なのだろうか。
とりあえず、適当な席に座った。
すぐに店員が来て、エヴラールが何かを注文した。
異世界初の食べ物は何でしょうね。
楽しみです。
﹁それで、シャルル。お前は何故あんな所にいた?﹂
﹁ふくをさがしていました﹂
﹁捨てられたのは最近か?﹂
﹁たぶん﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
なんだか、哀れみのこもった温かい目で見られている、気がする。
捨てられた子供をそういう目で見るのは仕方がない事だ。
でも実際、される側になると、案外居心地が悪いものだな。
話題を変えよう。
﹁エヴラールさん、ぼうけんしゃなんですよね?﹂
﹁ああ﹂
﹁エヴラールさんのことを、ききたいです﹂
﹁俺の事、か⋮⋮何から話そう⋮⋮﹂
エヴラールは一考すると、遠い目をしてぽつぽつと語りだした。
彼には妻と息子と娘がいて、家族円満だった。
だが、ある依頼で家を出てから帰っていないらしい。
依頼を終えた後も、街から街へ旅しているんだと。
旅ももうすぐ三年になろうとしている。
家族はとっても心配している事だろう。
35
﹁ほれで、ぼくをひろったんでふね?﹂
話の途中で届けられた料理を口に含んだまま聞いた。
一番最初に届いた料理は、手羽先のような物だった。
甘辛いソースがかかっていて、外はカリッ、中はジューシーとい
う完璧な焼き加減だ。
ベリーデリシャス。
﹁ああ。息子と、重ねてしまってな﹂
寂しい笑みを浮かべながらエヴラールが俺の質問に答えた。
すげえ嫌だ。
拾われた理由が死んでもいない息子の姿と重ねてしまったからっ
て、居心地悪いな。死んでいても居心地悪いだろうけど。
まあ、悪い人ではなさそうだし、俺はこの人に付いて行くことに
するけどな。
話に夢中になっていて気づかなかったのだが、エヴラールは今フ
ードを被っていない。
今になって初めて顔を見て驚いた。
かなりの美形だ。透き通るような茶色い瞳と茶色い髪が良くマッ
チしている。
ドレスを着せれば凛々しい女性に見える事でしょう。
﹁どうした、顔に何か付いているか?﹂
﹁いえ。それよりも、ここはどんなまちなんですか?﹂
﹁ここは商業国ザロモンのリースだ﹂
東南に位置する商業国ザロモン。
数多くの商人と冒険者が訪れる国。
36
品を売り切れるまで売れる商人、安く冒険者必需品を買い揃えら
れる冒険者。
この二者が、国を動かしていると言っても過言ではない。
そのため、警備はかなり厳重だが、それをかい潜れる盗賊からす
れば宝の山だ。
そして、この国は五つの街で出来上がっている。
装備品の街エルンスト、雑貨品の街アサモア、食品の街ノイナー、
装飾品の街オルフ、そして冒険者の街リース。
エルンストには各種の珍しい装備品が集結し、アサモアでは多種
多様な雑貨品を購入でき、ノイナーでは様々な食品、オルフでは装
飾品や衣類を揃えられる。
リースには、数多くの宿屋が建設されていて、冒険者協同組合も
リースに位置する。
以上は全てエヴラールの言葉だ。
冒険者協同組合とは、ゲームで言う所の冒険者ギルド。
そして、今俺らがいる街はリースだそうだ。
リースを明日発つ予定で、出発前に街の徘徊をしていたら殺され
そうになった俺を見つけたのだとか。
しかしまあ、今思えば五人の盗賊を一瞬で皆殺しにしたエヴラー
ルさんは、かなりの凄腕じゃあなかろうか。
旅の仲間入りと同時に、弟子入りもしたい。
この世界では子供を容赦なく殺す人がたくさんいるらしいから、
剣術は学ばないといけないだろう。
気づけば、届いた飯はほとんど俺がかっ食らっていた。
エヴラールもほっこりした目で俺を見ている。
この人はダメ親父だが、善人ではあるだろう。
37
﹁そういえば、エヴラールさんのたびのよていとか、ききたいです﹂
﹁道筋の予定は特にない。気ままに、行きたい方に行っているだけ
だからな﹂
﹁なるほど﹂
﹁だが、この国は明朝に発つつもりだ﹂
明朝か。
なら、一晩は時間がある。
まだこの世界には知らないことがたくさんある。
一晩で聞けるだけの話は聞いておこう。
外を見ると、既に空は橙色に染まっていた。
そんなに話し込んでいた感じはしないのだがな。
﹁シャルル、そろそろ宿に戻る﹂
﹁はい﹂
返事をし、支払いを既に済ませたエヴラールの後に続いて店を出
た。
もう夕方だというのに、外はまだ人で溢れかえっている。
ぼうっと町の人々を見ていると、突然に肩車をされた。
﹁お腹いっぱいか?﹂
﹁はい、ありがとうございました﹂
﹁そうかそうか﹂
肩の上からだとエヴラールの表情は見えない。
にしても、この肩の乗り心地は最高だな。
38
︱︱︱︱︱︱
目を覚ますと、既に朝だった。
どうやら、肩に乗せられたまま眠ってしまったらしい。
何故だろう。身体能力はアダムから貰ったはずなんだが。
それとも、精神的疲労だろうか。
やっぱり慣れない場所で無理に動こうとするのはあまり良くない。
もう少しゆったりしてもいいだろう。
体を起こし、周りを見渡す。
ベッドの上で寝ていたらしい。
エヴラールの姿はない。
もしかして、捨てられてしまっただろうか。
案外食うやつだったから、手には負えないと。
⋮⋮いや、それはないだろう。
大体、捨てるよりも売ったほうが良いだろうし。
まあいい、捨てられた時はその時だ。
二度寝だ二度寝。
今度は、物音で目を覚ました。
勢い良く起き上がり、音の正体を確かめる。
エヴラールが、剣の手入れをしていた。
39
﹁起きたか。手入れが終わったら朝食を取りに行く。もう少し待っ
てくれ﹂
﹁は、はい﹂
捨てられたわけではなかった。
なんとなく安心して、胸をなで下ろす。
尤も、これから売られる線が消えたわけではないが。
とりあえず、俺は洗面所に向かい顔を洗うことにした。
洗面器はない。あるのは桶と蛇口だ。
桶に水を溜め、その水で顔を洗うと、一気に目が覚めた。
やはり、一日は顔を洗うことから始めるものだろう。
俺はエヴラールの剣の手入れが終わるまで、ベッドに座って待っ
ていた。
﹁剣の手入れはしっかりしないと、切れ味が落ちる﹂
手入れをしながら、エヴラールが静かに言った。
二日に一回はこうして手入れをしているらしい。
剣士は大変だな。
俺の目標は魔術師兼剣士だ。
魔術の本か何かをエヴラールにお願いしてみよう。
あればの話だが。
なかったらどうすればいいんだ。
ていうかまず、魔術師ってこの世界にいるのか?
魔術って言葉が存在したから何処かにいるはずだがな。
﹁エヴラールさん﹂
40
﹁なんだ?﹂
﹁魔術師って、いますか?﹂
﹁ああ、当たり前だ﹂
当たり前らしいです。
まあ⋮⋮ですよねぇ。
﹁魔術の教本とかって売ってますか?﹂
﹁もちろんだ。だが、安くはない﹂
﹁そうなんですか﹂
﹁欲しいなら買ってやる﹂
﹁欲しいです﹂
﹁わかった﹂
ここまでくれば、もう遠慮はしない。
必要最低限の物はお願いする。
遠慮こそが日本人の美徳らしいが、この世界にそんなものはない
のだ。
遠慮していたらキリがないしな。
﹁よし、行くぞ﹂
エヴラールは立ち上がり、腰と背中に剣を差した。
俺はエヴラールの横に並んで、部屋を出た。
俺らがいた部屋は宿の二階だったらしい。
一階に下りると、時計があった。
長い針と短い針、そして十二個の数字がある。
現在の時刻は七時だ。
41
﹁エヴラールさん、時計ってどうやって動いてるんですか?﹂
﹁良くは知らないが、魔術の一種らしい。魔力を送れば勝手に時間
を合わせてくれる﹂
﹁へえ⋮⋮﹂
この世界には電気って物がないのだろう。
おそらく外にあった電柱も魔術の一種だろうな。
電気の代わりが魔力。
分かりやすい。
時計をじっくり見た後に宿屋を出た。
まだ朝早いというのに、既に人がたくさん密集している。
商人が大声を上げ、朝っぱらから競り合っているところもある。
驚いていると、エヴラールにまたもや肩車をされた。
これではぐれる心配はなくなるから安心して街を観察できる。
そうして俺らは、料理店へと向かった。
42
出会いは偶然で・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁エヴラールさん﹂
﹁なんだ?﹂
﹁エヴラールさんはどうして二刀流なんですか?﹂
﹁⋮⋮格好いいからだ﹂
﹁何少し照れてるんですか。堂々としましょうよ。二刀流、格好い
いですよ、実際﹂
﹁ああ、お前に励まされるとは思わなかった﹂
﹁えっへん﹂
﹁シャルルも将来は二刀流を目指すか?﹂
﹁ええ、もちろん。やっぱり、格好いいじゃないですか﹂
﹁そうか⋮⋮この格好良さが分かるか⋮⋮﹂
﹁ちょっと嬉しそうですね。⋮⋮そういえば、剣は両手で握った方
が、強いんじゃないですか?﹂
﹁ああ、そうだ。だから、そこは遠心力や体重の掛け方、力の入れ
方でカバーする。硬い敵が出てくれば、一本だけ抜けばいい﹂
﹁なるほど。エヴラールさんは二刀流で無双したりするんですか?﹂
﹁ああ、昔に暴れまわった事があった﹂
﹁へぇ。エヴラールさんは、暗躍する暗殺者みたいなイメージです
けど﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁何で黙るんですかぁ⋮⋮!﹂
﹁すまない﹂
43
﹁謝られると余計に傷つきます⋮⋮でも、気にしないでください。
暗殺者、格好いいですよ、実際﹂
﹁暗殺者がか⋮⋮?﹂
﹁はい﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮嬉しそうですね﹂
44
異世界の術で・前編
朝食を終え、今は街の書店へ向かっている。
朝食に何を食べたかと聞かれれば、答えてあげるがなんちゃらら。
この世界にもコーヒーなる物があり、すり潰して粉状にしたコー
ヒー豆を、コーン状にした濾紙に入れて、そこにお湯を注ぎ込む。
味の違いはあまりないが、俺が普段飲んでいたのよりも濃い気が
する。
でも、コーヒーが飲めたのでよし。
今の体にコーヒーが影響を与えないかが心配だが。
朝食中に話した事といえば、エヴラールの娘と息子の話だ。
娘は俺と同い年の五歳、息子は俺より一つ下の四歳だそうだ。
娘の名前はエレノア、息子はラウール。
﹃離れていても二人共愛している﹄とエヴラールは言っていた。
なら、帰ってやれよ⋮⋮。
いや、帰られたら困るが。
娘は小さい頃から元気で、はいはいが出来るようになってからは
家中をうろつき回ったりしていたらしい。
将来はきっと、元気な剣士になるだろうと言っていた。
女剣士⋮⋮この世界では普通なのだろうが、もしも俺に娘ができ
たら剣士などにはさせぬ。
娘が願ってもだ⋮⋮!
まあ、エヴラールの子供の話は他にもあるが、これはここまでに
しよう。
書店の中は、書店という割にガランとしていた。
棚が本で埋まっているわけでもなく、使用されてすらいない棚が
45
三つはある。
使われている棚は全部で六で、計九つの棚が並んでいる。
しかし、使われている六つの棚がフルではない。
我らの世界で書店といえば、夢が詰まっている場所と言っても良
かったよ。
﹁ほら﹂
カルチャーショックに心を揺さぶられている間にエヴラールが本
を買ってくれていた。
受け取ろうと手を差し出した時、一瞬躊躇してしまった。
それは遠慮からではない。本のサイズでだ。
小学校で使う国語辞典の二倍の厚さはあるかもしれない。
幅や長さはマッ○ブックぐらいだろう。
受け取り、予想通りの重さに腰が引けた。
これを持ち歩かなくてはいけないのか。
いや、トレーニングだと思えば、これもまた良いことなのだろう。
肌身離さず持ち歩くことにしよう。
エヴラールから貰ったものだしな。
このサイズの本だ、きっと高かったに違いない。
﹁ありがとうございます、エヴラールさん﹂
﹁構わない﹂
俺は本を両手に店を出た。
店を出ると、またエヴラールが肩車をしてくれた。
これなら重いものを持っていても楽だ。
これじゃあトレーニングにはならないが。
46
街の出口まで、肩に乗せられたまま移動した。
出口の近くにあった馬屋で馬を一匹購入し、街を出た。
予想通り、冒険者の街リースは国の端に位置していたようだ。
エヴラールの手に持つ磁気コンパスを上から覗く。
南。
リースは南にあったようだ。
そして恐らく、エヴラールは南へ向かっている。
俺は肩から下ろされ、馬に乗せられた。
エヴラールは俺の後ろに乗ると、馬を走らせた。
人生で二回目の乗馬。
一回目は、農業体験だかなんだかで試しに乗った時だ。
小学生ぐらいの頃だったから、ビクビクしながら乗っていた気が
する。
あの後、足を震わせながら、馬には二度と乗らないと誓ったっけ
な。
そんな誓いも忘れていればなんてことはない。
あの時は馬が歩く程度だったのだが、今回は走っている。
風が顔を打って目を開けられない。
なので、フードをかぶり、留め具で固定した。
少しはマシになったが、薄目を開けられる程度だ。
エヴラールの目は全開で、キリリとしている。
男の俺から見てもかっこいいんだよなぁ、この男。
⋮⋮ノーホモ。オーケイ?
47
︱︱︱︱︱︱
馬に揺られて何時間が経過しただろうか。
辺りはもう既に、オレンジ色に染まっている。
平坦な街道をただ走ってきただけだったので、とてつもなく暇だ
った。
一つ、二つと村を通り過ぎ、途中の村で休憩を取り、今六つ目の
村の入り口で止まっている。
馬から下りて、少しストレッチをする。
関節を曲げる度に音がした。
ストレッチを終えると、馬を引きながら歩いて何処かへ向かう。
﹁エヴラールさん、今晩はここで?﹂
﹁ああ、宿を取る﹂
﹁宿屋があるんですか?﹂
﹁当たり前だ﹂
宿屋ってのは街にしか無いイメージだったのだが、村にもちゃん
とあるらしい。
野宿もしてみたかったのだが、エヴラールの話によれば、寝てい
る間に魔物に襲われたり、通りすがりの盗賊に物を盗まれたりされ
るらしいので、野宿は極力避けるんだと。
だが、エヴラールは最後にこう付け足した。
気配だけで起きれるから対処はできるがな、と。
なら、何故いけないのか。
48
俺がいるからだ。
複数人に襲われ、エヴラールが一人を相手にしている間に俺が人
質にでも取られれば、俺らの荷物はすべて消える。
エヴラール一人なら何処でも野宿できるが、俺がいると宿の方が
安心できるだろうし。
宿に泊まる事には俺も不満はない。
馬を馬屋に預け、今は宿の部屋。
一人部屋だから、ベッドは一つだけだ。
俺を拾ってくれたのが美少女冒険者だったらなあ、と思わなくも
ないが、エヴラールでも大丈夫だ。
勘違いするな、俺はホモではない。
エヴラールはといえば、もう既に眠りについている。
最後の言葉が、﹁シャルルも早く寝た方がいい﹂だった。
それからは、規則正しい寝息を立てて寝ている。
まだ七時だというのに。
早く寝たほうがいいとの事だが、俺は今夜からやるべき事がある。
魔術教本を熟読しなくてはならない。
机の上に魔術教本を広げ、目次からしっかりと読む。手書きでは
ないようだ。
読む前にバッグからクラッカーに似た硬いパンを取り出して食べ
る。
晩飯はこれだけで足りる。
読み始めて二時間が経過した。
魔力と魔術の項目は全て読んだ。
49
簡単にまとめると、魔力というのはこの世界何処であっても存在
しているらしい。
石、土、水、火、木、動物、人間、魔物等、有機物、無機物問わ
ず、あらゆる物に魔力が備わっている。
そして、意志を持つものは魔力を使い、魔術なる物を使用できる。
魔術とは、呪文により魔力に働きかけ、魔力を具現化させる物だ
そうだ。
無詠唱で使う者もいるらしいが、かなり少数だと書いてあった。
それから、魔術は全てで六つの系統が存在する。
火、水、土、風、聖、そして闇。
聖魔術は治癒や解毒魔術。
闇魔術はあまり詳しく書かれていなかったが、人を眠らせたりで
きるらしい。
二時間掛けて得た情報はこれだけだ。
ダラダラと長いことが書かれていた割に、要約するとこんなにも
少ない。
しかし、世界の常識を知れたのだから、決して小さい事ではなか
ったと思いたい。
現在時刻は二十一時。
あと一時間だけ読むことにしよう。
土魔術のページ。
﹃土神﹄と呼ばれる神の力の一部を具現させた物で、砂、土、岩な
どを自在に操る力だ。
一例として、﹃土壁﹄を挙げよう。
50
﹃土壁﹄は地面の土を増加させ、板状に地面から伸ばし壁を造る魔
術、と書いてある。
﹃完全詠唱﹄と﹃通常詠唱﹄と﹃省略詠唱﹄が記載されている。
﹃省略詠唱﹄は﹃通常詠唱﹄の半分くらいの長さだ。
詠唱時間を短縮できる代わりに威力が落ちてしまうのだとか。
﹃完全詠唱﹄は﹃通常詠唱﹄の二倍の長さ。
つまり﹃通常詠唱﹄は﹃完全詠唱﹄を省略させたもの、そして﹃
省略詠唱﹄は省略された詠唱を更に省略させたものだ。
魔術発動に集中や瞑想はいらない。
詠唱すれば出てくるシステムだ。
システム的には、詠唱で魔力に働きかけて具現化なのだから、無
詠唱なんて無理なんじゃないだろうか。
詠唱が引き金だとするなら、無詠唱は引き金がないのと一緒だ。
だが無詠唱魔術師は存在していると記載されている。
そこについては、後で考えよう。
時計を確認すると、二十二時十分前だ。
今すぐにでも外に出て魔術を使ってみたいが、体も重くなってき
た。
馬に乗っていただけなのに、疲れてしまった。
俺はベッドに倒れ込むと、すぐに眠りに落ちた。
︱︱︱︱︱︱
51
翌朝、七時きっかりに目を覚ます。
エヴラールは何処かに出かけているらしい。
俺は体を起こし、顔を洗い、服を変える。
エヴラールを待っている間、俺はまた魔術の教本を読む。
土魔術の続きだ。
土壁の通常詠唱だが、単語が並んでいるだけのシンプルな物だ。
だが、完全詠唱は二倍の長さ。
そして、単語の文字列ではなく、文章となっている
読んでいる内に右腕が疼いてきた、覚醒するかもしれん⋮⋮!
中学生の頃から憧れていたファンタジーだ。
今すぐに外に出て、魔術を使ってみたい。
俺はバッグから紙切れとペンを取り出し、書き置きをして外にで
ることにした。
外にはあまり人がいない。
朝から盛んなリースとは大違いだが、いい場所だ。
静かで、風の音も鳥のさえずりも聞こえる。
空気も澄んでいて気持ちがいいし。
俺は元々、人口密度の高い場所よりも、こういった田舎の方が好
きなのだ。
﹁すぅ、はぁ⋮⋮﹂
深呼吸をし、少し体を伸ばす。
まずは、魔術を使っても被害がでない場所を探さなくては。
人がいなくて、開けている場所なんかがあればいい。
俺は村をゆっくりと歩きまわり、求めていた場所はすぐに見つか
52
った。
誰もいなくて、広い場所だ。
あるのは地面に生えた芝生だけ。
﹁よし﹂
魔術教本を広げ、土壁のページまでめくる。
まずは土壁から試そう。
詠唱はそこまで長くないが、少し緊張してきた。
完全詠唱は長ったらしいので、通常詠唱にする。
﹁⋮⋮土神、大地、友垣、委託、寛大、包容、摂理! 守れ、土壁
!﹂
言い終えた瞬間に、俺のいる場所から1メートル前方に土の壁が
出来上がった。
近寄り、触れてみると、ざらりとした土の感触が手に伝わるが、
手に土はくっつかない。
﹁おお⋮⋮﹂
俺は素直に感動していた。
魔術を使えたのだ、この俺が。
レベル1のものでしか無いが、魔術だぞ、魔術。
中学生の頃に憧れ、真似しかできなかったものが、こうして実際
にできている。
童貞を守れば魔法使いになれるというのは本当だったか。
俺は興奮を抑えきれず、もう一度使うことにした。
詠唱し、さっきと同じような土の壁ができあがる。
53
二回目の使用で変な感覚に気づく。
自分から何かが︱︱おそらくは魔力が吸いだされる感覚があった。
さっきは緊張と興奮であまり感じなかったが、今ははっきりと感
じた。
足の底から地面に魔力が流れていく感じだ。
確かなものにする為に、もう一度使用する。
何事も無く土の壁は出来上がった。
魔力が吸い出されるタイミングも分かった。
﹃友垣﹄を唱えた後だ。
そして、﹃摂理﹄から吸い取られる感覚が失せた。
﹃友垣﹄のコマンドで何かが始まり、﹃摂理﹄のコマンドで何かが
終わる。
何かとは恐らく、魔力に働きかける動作だろう。
まあ、なんであれ、魔術が使えるなら問題はない。
しかし、そうすると本当に無詠唱というのは不思議だな。
﹃友垣﹄と言わなければ魔術の形成が始まらないのなら、無詠唱で
どうやって魔術を形成するんだ。
俺は不思議に思い、土の壁を脳内でイメージする。
イメージで魔術を使える例もあると、とあるゲームにも書いてあ
ったからな。
土壁は確か、高さは5メートルぐらいだったろうか。
幅もたしか同じぐらいだ。
イメージ、イメージ。
そして、足の裏に魔力を込めてみた。
54
魔力を込める時のイメージは某忍者漫画のチャクラコントロール
だ。
その瞬間、俺の足の裏から魔力が吸い取られた。
そして、先ほど土の壁があった位置よりも、一?手前に土の壁が
出来上がった。
﹁⋮⋮えっ﹂
どういうことだ。
俺はイメージをして、足の裏に魔力を込めただけ。
詠唱はしていない。
だが、土壁が出来た。
これは、アレじゃないか。
無詠唱魔術。
こんなにあっさりとできてしまった。
いや、偶然という可能性もある。
俺はもう一度、高さ5メートルの土の壁をイメージし、足の裏に
魔力を込めた。
だが、今回は何も起きなかった︱︱という事はなく、俺の魔力は
吸い取られ、土壁が出来上がってしまった。
﹁おいおい⋮⋮﹂
こんなに簡単に出来てしまっていいのか。
数十分前まで魔術なんて一回も使ったことなかった俺が。
なんだか突然恐くなった。
55
そんな事を思っている合間に土壁は崩れて消えた。
消える時はどんなシステムなのだろうか。
術者の意識が他へ行くと消えるのか、それとも時間が経てば消え
るのか。
﹁シャルル!﹂
考えこんでいると、誰かが俺の後方で叫んでいた。
シャルルって人の名前だな。
喧嘩とかかな。
だとしたら早くここから去らねば。
﹁よっこら︱︱﹂
﹁シャルル!﹂
うーん、シャルルって俺じゃないか。
呼び慣れてないから忘れていた。
しかもこの声、エヴラールだ。
俺は振り返り、エヴラールを探す。
エヴラールはこちらに小走りで近寄ってきていた。
心配そうな顔をしている。
書き置きをしたとは言え、五歳の子供が一人で外に出るのはやは
り危ないかもしれないな。
心配もするだろう。
﹁エヴラールさん!﹂
俺が手を大きく振りながら叫ぶと、エヴラールは先ほどよりも走
る速度を上げる。
56
俺の前に来たエヴラールは少しだけ息が荒れていた。
﹁シャルル、怪我はないか?﹂
﹁はい、何も問題ありません。心配をかけました、ごめんなさい﹂
﹁いや、いい。だが、次からは一人で外に出るな﹂
﹁分かりました﹂
まあ、当たり前だったな。
五歳の子供を一人で出歩かせる親はいないだろうし。
次からは気をつけよう。
﹁ところで、何をしていたんだ?﹂
﹁えっと⋮⋮魔術の練習をしていました﹂
﹁⋮⋮魔術が使えたのか?﹂
エヴラールは表情を少し曇らせ、聞き返してきた。
﹁はい、土壁を﹂
﹁何度使った﹂
詠唱で三回、無詠唱で二回だったか。
﹁五回です﹂
﹁疲れはないか? 目眩は? 吐き気は?﹂
﹁いえ、何も感じませんが⋮⋮﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
言うと、エヴラールは顎に手を当てて黙ってしまった。
最初に会った時もそうだが、この人は考え事をする時、顎に手を
当てる。
57
その姿は﹃考える人スタイリッシュバージョン﹄と言い換えてい
いだろう。
略して﹃考えるスタバー﹄だ。
⋮⋮何処かのチェーン店みたいだからやめよう。
﹁シャルル、帰るぞ﹂
﹁え、あ、はい﹂
数分後、エヴラールが突然言った言葉に俺は頷いた。
俺はエヴラールの肩に乗せられ、宿に向かう。
58
異世界の術で・前編︵後書き︶
設定上、魔術の使い方はイメージではなくもっと別の物なのですが、
シャルルに気付かせるタイミングと方法を逃しました。今探してま
す。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁エヴラールさん﹂
﹁なんだ?﹂
﹁エレノアさんを僕にください﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁こ、ここ、子供に向けて、そ、そんな殺気のこもった目線を送る
のは、どど、どうかと思いしゅ﹂
﹁すまなかった。だが、冗談でもそんな事を言うな﹂
﹁冗談ではありません⋮⋮! 僕は本気です⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ごめんなさいぃ!!﹂
﹁⋮⋮まあ、シャルルが俺よりも強くなれば、考えてやらないでも
ない﹂
﹁僕は今、絶望しています﹂
﹁安心しろ、また違う娘を探せばいい﹂
﹁そうですね﹂
﹁本気では無かったのか?﹂
﹁うぐっ、ご、ごめんな、ざいぃ⋮⋮っ﹂
59
異世界の術で・中編
宿の部屋に着くと、ベッドに腰を掛けるように言われた。
俺が言われた通りに座ると、エヴラールは窓際の椅子に座った。
﹁それで、シャルル。魔術に興味があるのはいいが、一人で勝手に
出かけて練習をするな。いいな?﹂
﹁はい﹂
﹁これから行く村や街でもそうだ﹂
﹁わかりました﹂
エヴラールの言う事には従ったほうがいいだろう。
かなり強いし、俺よりもこの世界の事を知っている。
﹁そういえば、シャルル﹂
﹁なんでしょう?﹂
﹁魔術を使ったのは今日が初めてか?﹂
﹁はい、そうですが⋮⋮﹂
﹁初めてで五回、か⋮⋮シャルル、お前には魔術の才能があるかも
しれない﹂
土壁を五回使っただけで魔術の才能があると言われても困る。
確かに俺はアダムから魔力をもらったが、技術は自分で身に付け
ろと言われた。
魔力の量だけで才能まで計ってはいけないだろうに。
﹁魔力総量の多い奴等は、技さえ磨けば強くなれる。俺達はこれか
ら長旅をするんだ。お前は自分で身を守れなくてはいけない。せめ
て、盗賊を倒せるぐらいには強くならなくちゃな﹂
60
﹁なるほど、わかります﹂
これは一理ある。
エヴラールだって俺と二十四時間一緒にいれるわけではない。
俺だって一人で外を歩きたいしな。
﹁だから、お前を鍛えてやる。魔術は教えられないが、武術と体術
は教えられる﹂
﹁鍛える? 何処でですか?﹂
﹁この村でだ。丁度友人を見かけてな。しばらくはこの村に居るつ
もりだ﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
俺は深く頷いた。
断る理由はないだろう。
どちらにせよ、エヴラールの言う事には断れない。
﹁そうだな⋮⋮明日から始めよう﹂
﹁はい!﹂
明日から武術、魔術、それと体術の特訓だ。
なんだか疼いてきた。
明日と言わずに今すぐにでも始めてもらいたかったが、エヴラー
ルが明日と言うのであれば、明日でもいい。
﹁もうすぐ十三時だ。村でも回ってみるか?﹂
﹁はい、是非とも﹂
しばらくこの村に滞在するのだ。
何処にどの店があるのかぐらいは把握しておかないとダメだろう。
61
俺はエヴラールの肩に乗せられたまま、村を見て回った。
ライヒという村らしい。
長い歴史を持つ村なのだとか。
今の村長は五十代目だと村の人がドヤ顔で言っていた。
自然豊かで、静かな村だ。
村人の表情も穏やかで、忙しくする者はいない。
肩に乗る俺を見かけると笑顔で手を振ってくれる。
﹁エヴラールさん。この村にはどのくらい居るつもりですか?﹂
﹁早くて一ヶ月、遅くて半年だ﹂
﹁結構ゆっくりしていくんですね﹂
﹁ああ、この旅は急ぐものでもないからな﹂
﹁なるほど﹂
最低でも一ヶ月はここに居ると言うのであれば、村人と良好な関
係を築いておいた方が良いかもしれない。
困った時に助けてくれる人がいるというのは大きなプラスだ。
俺は別に人と会話する事に苦なんて感じないからな。
それと、この世界は一日二食が常識らしい。
腹が減ったら菓子かなんか食えばいいんだと。
まあ、俺は前の世界でも、昼には﹃お昼パック﹄を食べるぐらい
だったからな。
一日二食でも問題ないだろう。
俺達は村をぐるりと廻った後、料理店で夕飯を取り、宿に戻った。
62
この村には雑貨店、装飾店に料理店ぐらいしか無かった。
装備屋があれば良かったが、ないものは仕方がない。
次の街までどのくらいか聞こうと、エヴラールの方を向くが、奴
は既に寝ていた。
の○太くん並の早さだ。
一、二、三、カクン、で寝れたらどれだけ楽なことか。
まあ、俺も特にやることがないので着替えて寝ることにするが。
︱︱︱︱︱︱
翌朝、目を覚ますと、エヴラールは部屋にいた。
剣の手入れをしている。
俺はいつもの様に顔を洗い、エヴラールのいる場所へ戻る。
﹁おはようございます﹂
﹁おはよう、シャルル。早速だが、服を変えてこい。走り込んだ後
に朝食だ﹂
﹁はぁい﹂
朝からランニングなんて、人生で初めてな気がする。
中学、高校と帰宅部に所属していたからな。
運動系の趣味なんてスケボーぐらいだった。
まあ、そんなスケボーも板を親父に折られて、やらなくなってし
まったがな。
63
それでなくとも、止めていたかもしれない。
俺は毎日怪我をしていたし、スケボーをやる体力なんてほとんど
無かった。
......嫌なことはもういい。黒い記憶を思い出すのは、極
力避けよう。
スケボーで思い出したが、魔術でスケボーを作ったら楽しいんじ
ゃなかろうか。
氷のスケートボードとか出来ちゃったりするんだろうな。
今度作ってみよう。とびっきり格好いいのを。
﹁よし、行くか、シャルル﹂
着替え終えた俺に向かって、エヴラールが言った。
﹁はい!﹂
俺は威勢の良い返事をして、エヴラールの後に続く。
︱︱︱︱︱︱
あれから三週間が経過した。
俺は走り込み、腹筋、そして腕立てを日毎に五回ずつ増やして行
った。
最初は三十回から始まり、今は百回。
百回以上は回数を上げないそうだ。
64
俺はアダムから貰った能力のせいか、走り込みもあまり息を荒ら
げる事無くできたし、腹筋も腕立ても思ったほど辛くはなかった。
百回以上は余裕で出来そうだが、我が師はそれをしないと言うの
で、それでいいだろう。
馬術の練習もちゃんとした。
自分で手綱を握り、馬を歩かせ、止める訓練だ。
最初は俺もビビっていたが、慣れてしまえばどうという事はない。
走らせるのはまだ恐いが、歩かせるのは出来た。
そして本日より、剣の稽古が始まる。
俺はまず、軽めの剣で素振りをした。
慣れてくれば一段階大きく、重い剣で素振りをする。
回数は五十から始まり、重くする度に五回ずつ増やしていく。
俺は走り込みと腕立てに腹筋、それと素振りを一週間やった。
朝起きてすぐと寝る前にだ。
元々強化されていた身体能力が上がっていくのを感じた。
そして、俺の待ち望んだ日がやってくる。
﹁今日から剣技を教える﹂
﹁はい﹂
この四週間、剣の稽古と言っておきながら、俺がしてきたのは素
振りばかりだった。
いや、あれも稽古の内なのだろうが、物足りなかったのだ。
﹁その前に、色々と教えなきゃな﹂
65
そう言って、エヴラールが話したのは、流派の事だった。
この世にはメジャーな物で雷霆、烈風、そして碧水の三つの流派
が存在するらしい。
雷霆流は攻撃に特化した流派。
烈風流は速さを極める流派。
碧水は防御を中心とした流派。
我が師エヴラールはその三つとも使えるらしい。
右の剣で雷霆流、左の剣で碧水流なんて事ができるんだと。
器用なことで。
エヴラールの指導の元、俺は雷霆の練習から始めた。
構えや踏み込み等が、それぞれの流派で違うから、一つずつ練習
していかないといけないらしい。
これは余談だが、我が師には二つ名がある。
その二つ名が﹃黒豹﹄だ。
中々似合った名前だと思う。
エヴラールは外出時には黒いコートを着ているし、攻撃も異常な
までに速い。
彼を黒豹と呼んだ奴はセンスがあると思う。
俺もいつかは有名になって二つ名が付けられたりするのだろうか。
﹃鎌鼬のシャルル﹄とか﹃瞬撃のシャルル﹄とか。
クッ、右腕が疼くぜ⋮⋮。
︱︱︱︱︱︱
66
二ヶ月が経過した。
俺は雷霆、烈風、碧水、それぞれの流派の基礎を叩きこまれた。
相手の流派、踏み込み、距離、使用してくる技によって自分の流
派を瞬時に切り替える特訓もされていた。
これは俺が特に意識して会得した物ではなく、師匠エヴラールが
俺に無意識の内にそうさせるように稽古をつけてくれたと言う。
だが、俺にはまだ別々の腕で別々の流派を使うことは出来ない。
我が師の器用さに驚きだ。
もちろん、俺は師匠と打ち合いをするが、師匠は打ち合いでは剣
を一本しか使わない。
﹃俺に剣を二本抜かせた時、お前は一人前になれる﹄と言っていた。
燃えるぜ。
俺は目標があれば伸びるタイプなのだ。
褒められるとか、罵られるとか、そういうのは関係なく、目標が
あれば伸びる。
これは昔から変わらない。
むしろ褒められるのは好かない。いや、慣れていないから好かな
いんだ。
褒められると多分、俺は調子に乗る。だから、これでいい。
エヴラールは何だかんだで厳しいから、俺にピッタリの師匠だ。
フォローしておくが、エヴラールが普段厳しく接してくるわけで
はない。
あくまで、修行の時だけだ。
普段は優しい人なのだ。俺の憧れる、人を助けられる強い人だ。
67
エヴラールは困っている人を見ると、すぐに助けに行く。
道に迷っていたら、案内してあげたり、物をなくしていたら、見
つかるまで探したり。
そんな行動でエヴラールが得をするわけではないのだ。
相手が感謝して、エヴラールが感謝される。それだけの小さな事。
だけど、エヴラールは人を助ける時、いつも笑顔だ。
まるで自分が助けられた側かの様に、笑うのだ。
人の幸せは自分の幸せだとか、そういう事を考えられて、言えて、
実行できる人は格好いいし、強い。
だからエヴラールはたくさんの人に慕われている。
最近、エヴラールを見ていて思う。
﹃俺もこうなりたい﹄と。
俺の様なゴミみたいな存在が、エヴラールの様な人になれるのか
は分からないが、物は試しと言う。
︱︱︱︱︱︱
一ヶ月後。
俺は三つの流派の技を三段まで覚えた。
雷霆、烈風、碧水の一段から三段だ。
最大で六段まであるので、俺はまだ中人レベルだ。
ちなみに、俺は今まで剣術ばかりしていたわけではない。
魔術の方も、昼に練習している。
わかった事もちゃんとある。
68
一、魔力を送り込めば送り込むほど、術の威力が上がる。
二、地面に魔力を送り込めば、地面から魔術を発動させられる。
手が空中にある状態で送り込めば、空中で発動。
三、魔術は決められた術があるが、オリジナルの技も作れる。た
だしこれは、術式を組める者と無詠唱で術を使えるものに限られる
と推測される。
四、違う属性の魔術同士を組み合わせられる。
五、イメージできれば何でも作れる。イメージできない物は不可
能。もちろん生物も不可能だ。
俺はまだ実験を進めているが、今のところはこれだけだ。
魔術の実験で一番感動したのは、岩でハンドガンを作れたことだ。
いや、本物ではないんだがな。
恐らくだが、銃の構造も俺の知識にあったのなら作れただろう。
引き金を引いて銃弾を飛ばせただろう。
だが、俺にはその知識がなかったから、断念。
生物が作れないのと一緒だ。
内蔵、肉、脳、血管、その他の生物にとって必要なものをイメー
ジできないから生物も作れない。
まあ、それはそれだ。
今この瞬間、俺の腰にはハンドガンが下げられている。
使い道はないが、かっこいい物はかっこいい。
さて、そろそろ稽古の時間だ。
そう思って、エヴラールと宿を出ようとした時、俺の耳を劈く音
が鳴り響いた。
フライパンの底を金属のおたまで叩いた音が、大音量でスピーカ
ーから流れている様な音だ。
俺は耳を押さえるが、頭に直接音が響くように振動が伝わって来
69
る。
しばらくして音が止み、辺りに静寂が訪れる。
俺はゆっくりと立ち上がるが、頭の痛みでよろけ、壁に背中を打
ち付けてしまう。
エヴラールは険しい表情で俺の元に駆け寄り、俺の肩に手を乗せ
た。
﹁いいか、シャルル、絶対に外に出るな。俺は用があるが、お前は
何があっても出るんじゃないぞ﹂
俺は黙って頷き、とりあえず了承する。
エヴラールは険しい表情のまま、宿の部屋を出て行ってしまった。
揺れる視界のせいで吐き気がする。
外に出るなと言われたが、気になって仕方ない。
あそこまで強張った表情のエヴラールは初めて見た。
きっと、何か、大きなことがあるに違いない。
ビッグイベントだ。
﹁うぅ、気持ち悪い﹂
俺は立ち上がって、危うい足取りで宿を出た。
エヴラールが何処に行ったのかは知らないが、ぶらついていれば
エンカウントするだろう。
そう思って、村を歩きまわり、村の入口で足を止めた。
エヴラールと何かが戦闘をしていた。
その何かは、大きな体の⋮⋮多分魔物だ。
魔物の後ろには二つの体が転がっている。
70
﹃オォォオオオォオ!﹄
魔物が叫ぶと、エヴラールの動きが一瞬止まる。
その隙に魔物が太い腕をエヴラールに向かって振り下ろすが、エ
ヴラールがギリギリで躱す。
そして、エヴラールは自分の横を通り過ぎた腕を、切り落とした。
魔物の叫び声がまた響き、俺は耳を押さえる。
だが、エヴラールは怯むこと無く追撃を加えた。
右の剣で胸を刺し、左の剣で首を切り落とした。
魔物は腕と首、それと胸から血を流している。
エヴラールは剣を抜き取り、血を払うと、鞘に収めた。
感想を一言で言うなら、カッコ良かった。
攻撃を紙一重で躱すムダのない動き、そして反撃で腕を切り落と
した所なんか、もう⋮⋮!
ああ、俺もやってみたいよ、あんな感じの事。
その為には、早く、もっと強くならないといけないな。
と、一人で興奮していると、エヴラールがオーガの死体を火魔術
で焼き、此方に向かって歩き始めたので、俺は先に宿に戻った。
宿に戻ってきたエヴラールは、落ち着いた様子だ。
先ほどは遠くからで気付かなかったが、右耳が流血している。
あの叫び声を近くで聞いたせいで、鼓膜が破れたか。
﹁エヴラールさん、大丈夫ですか? 耳から血が﹂
﹁心配ない、片方は聞こえるからな﹂
﹁そうですか⋮⋮何処へ行っていたんですか?﹂
﹁オーガが出たから、倒しに行っただけだ。心配するな、片耳なん
て安い﹂
71
オーガ、か。
食人鬼って奴だっけ。
凄い迫力だったな。
俺だったら腰が引けてやばかったかもしれない。
エヴラールは何事も無かったかのように、俺との修行を開始しよ
うとした。
俺に異論は無いので、大人しく付いて行く。
こうして、ライヒ村オーガ襲来事件は何の被害もなく幕を閉じた
のである。
72
異世界の術で・中編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁エヴラールさん﹂
﹁なんだ?﹂
﹁黒豹って二つ名、格好いいですね﹂
﹁そうか?﹂
﹁はい、とっても﹂
﹁⋮⋮アルフという、友人が付けた名だ﹂
﹁その人、中々上手いですね﹂
﹁女に言い寄られる肉食獣という嫌味も篭っている﹂
﹁その言葉は僕への嫌味に聞こえますね﹂
﹁シャルルはまだ若い、これからだ﹂
﹁そうですよねぇ∼、僕、格好いいですからねぇ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ち、沈黙は、肯定なんですよ?﹂
﹁目を泳がせるな、冗談だ。お前は格好いい﹂
﹁ですよね、ですよね。でも、格好いいと大変じゃないですか? 言い寄られて迷惑じゃありません?﹂
﹁俺に言い寄る人は、妻が上手くあしらう﹂
﹁凄いですね﹂
﹁炊事も料理も掃除も子育ても出来る﹂
﹁万能ですね﹂
﹁だが、少しどじな奴だ﹂
﹁THE・嫁﹂
73
異世界の術で・後編
俺は魔術と剣術を勉強している。
いつかは体術も教わるが、今はこの二つだ。
だが、俺は勉強だけをしていた訳ではない。
ソーシャライズだってちゃんとしていた。
この村にも友人が出来たしな。
どいつも大人だが。
だが、そんなお友達の方々ともお別れだ。
エヴラールが村を出ると言っていた。
五ヶ月ぐらいはここに居た為か、少し名残惜しい気もする。
でも、そろそろ旅を進めたいと思っていた頃だし、丁度いいだろ
う。
今は二十二時。
明朝にはこの村を出る。
友人への挨拶はまだ済ませていない。
俺は今まで世話になった人の顔を思い出しながら、眠りについた。
明朝、いつも通りの時間に目を覚ます。
午前七時だ。
エヴラールは剣の手入れを丁度終えていたようで、腰には既に二
本の剣が差してあった。
﹁起きたか。おはよう、シャルル﹂
﹁おはようございます﹂
74
挨拶をしながら、俺は洗面所に向かう。
顔を洗い、うがいをして、朝食を取りにエヴラールと宿を出る。
この宿とも、今日でおさらばだ。
宿主のケヴィンとは結構仲良くなった。
顔を合わせれば世間話ぐらいはしたし、この人には雑学を教わっ
た。
効率のいいGの排除方法なんかも聞いたのだ。
この世界にはスプレーなんてものは無いからな。
﹁気をつけてけよ、シャル坊﹂
﹁はい、ケヴィンさんもお元気で。息子さんと仲直り、ちゃんとし
てくださいよ?﹂
﹁わあってるって﹂
軽い挨拶を済ませ、俺は宿を後にした。
いつも朝食と夕飯を取りに来る料理店、ここともお別れだ。
ウェイトレスのお姉さんのリリーとも仲良くなれた。
俺にタダでデザートとかをくれたり、頬についたソースとかを拭
きとってくれたり。
店を通りすがる時に少し立ち話をしたりした。
優しいお姉さんだった。
朝食後、店を出る前にリリーに抱きしめられた。
大きな二つのメロンパンに顔が埋まる。
もちろん、匂いは嗅ぐさ。
スゥ⋮⋮。
スゥ⋮⋮。
75
﹁気をつけていってらっしゃい﹂
﹁っはぁ⋮⋮はい、ありがとうございます。リリーさんもお元気で﹂
俺はリリーと二つのメロンパンと挨拶を終え、料理店を後にした。
またいつか来よう、メロンパンに誓う。
別れの挨拶を済ませた後、俺達は村の出口にある馬屋で前に預け
た馬を引き取った。
村の入り口にある馬屋と出口にある馬屋は経営者が一緒なのだ。
そういえば、馬にはまだ名前をつけていなかった。
旅の友となるのだ、名前ぐらいはいいだろう。
そうだな、どうするか。
﹁フーガ﹂
﹁ヒヒーン﹂
俺の声に馬が反応した。
よし、今日からお前はフーガだ。
俺はエヴラールとフーガと共に、ライヒ村を出た。
︱︱︱︱︱︱
ライヒ村を出てから約一週間。
俺達は朝から夕方まで、途中休憩を入れながら移動した。
夜はもちろん宿で過ごした。
76
一週間の移動の末、俺とエヴラール、そしてフーガは一つの国に
辿り着いた。
レイノルズ中立国。
何処に位置するのかを理解してもらうためには、まずこの世界の
大陸について知るべきだろう。
この世界には、三大大陸と呼ばれている三つの大陸がある。
ルーノンス大陸、ヴェゼヴォル大陸、そしてエクデフィス大陸だ。
ルーノンス大陸とヴェゼヴォル大陸は細い陸地によって繋がって
いる。
ルーノンスは北に、ヴェゼヴォルは南に。
そして、二つの大陸を繋ぐ細い陸地の真ん中に位置しているのが、
レイノルズ中立国だ。
レイノルズは二つの大陸の中立的立場にあり、二つの大陸が戦争
を起こさないようにバランスを保つ役割を果たしている。
バランスを保つだけでなく、二つの大陸を行き来する関所にもな
っている。
何故バランスを保つ必要があるのか。
それはヴェゼヴォル大陸の頂点に立つのが魔王だからだ。
ヴェゼヴォルにある全ての国は魔王の支配下だ。
魔王が一声、﹁向こうの大陸をインヴェイドだぜ﹂と言えば、戦
争が始まる。
だから、この国はかなり重要な立ち位置にある。
俺達がこの国に来たという事は、俺とエヴラールとフーガはこれ
からヴェゼヴォル大陸に渡るという事だ。
魔王と魔人の地。
77
恐すぎる。
まあ、でも、エヴラールがいれば大丈夫だろう。
⋮⋮大丈夫だよな? 黒豹のエヴラールさんや。
いや、大丈夫だから行くのか。
そう、心配は無用なのだ。
しかしまあ、行くぜヴェゼヴォル! と意気込んではみたのだが、
この国にしばらく居るらしい。
ヴェゼヴォルへと行く前に俺の剣術の練習を再開するんだと。
再開、と言っても俺は別にサボっていたわけではない。
宿を取った村では寝る前と朝にしっかりと練習をしていた。
だが、今までは反復練習みたいな物で、これからは四段に移行す
るという意味だ。
今はまだまだノーマルモード。
あと一段上がれば、ハードモードになるだろう。
俺は魔術も剣術も極めるつもりだ。
どこで使うのかは分からないが、強くて損はしないだろう。
そして俺達は今、レイノルズ中立国のサンズという街にいる。
冒険者ギルドが近くにある街だ。
エヴラールに﹁冒険者になってみたい﹂と言ったところ、三流派
四段まで行けば登録してくれるとの事だ。
冒険者登録に条件はないのだが、これはケジメや段落というやつ
だろう。
我が師匠エヴラールは特級冒険者だ。
この世界の冒険者は六階級でランク付けされている。
特級はまぁ、所謂S級冒険者という奴だ。
78
我が師は昔、パーティを組んで色々と派手な事をやっていたらし
い。
そこも今度詳しく聞こう。
夕食後、俺達は宿を取った。
今まで来たどの村のよりも大きな宿だが、リース程ではない。
﹁シャルル、早めに寝ておけ、明日の朝から始めるぞ﹂
﹁はい﹂
明朝から訓練再開だ。
俺はイメージトレーニングをしながら眠りについた。
翌朝、いつもより一時間早い六時に目を覚ました。
エヴラールは既に剣を腰と肩に差している。
俺はエヴラールに挨拶をすると、顔を洗いに洗面所へ向かう。
﹁よし、行くか﹂
﹁あ、はい﹂
着替え終えた俺は外へ出るように促された。
外へ出ると、いつもより空気が冷たい事に気づく。
七時と六時でこんなにも差があるのか。
俺は深呼吸をし、準備運動を済ませてからエヴラールと一緒に街
の端から端まで走りこみをする。
最低で四周回は休みなく走る。
最初はエヴラールに二周ほど遅れを取っていたが、今では一周遅
79
れで終えることができる。
エヴラールは凄い。息も切らさないし、早いのだ。
比べて俺は、走り込みの後は息も切れ切れで死にそうな顔になっ
ている事だろう。
走り込みを終えた後は朝食だ。
俺とエヴラールは街の料理店へと向かう。
料理店の中にはあまり人がいなかった。
まだ早すぎたのだろうか。
ていうか、朝食を料理店で取るのもあまり多いケースではないの
かもしれないな。
﹁シャルル、いつものでいいな?﹂
﹁はい﹂
﹃いつもの﹄とは、俺が来る度に頼んでいるメニュー、コーヒーと
パンと卵である。
少し味の薄いコーヒー、焼きたてでふわりとしているパン、そし
て少ししょっぱいスクランブルエッグだ。
何故スクランブルエッグがしょっぱいか。
それは塩の入れすぎ等ではない。
この世界の卵、それ自体が日本の卵よりも辛いのだ。
﹁どうぞ﹂
コーヒーとパンが俺の前に置かれる。
この店のウェイトレスは男の人だ。残念。
﹁そういえば、言わなくてはいけない事があった﹂
80
パンを口に含んだ俺に、エヴラールが思い出したように言った。
﹁決して悪い意味ではないが、シャルル、お前は、異常だ﹂
﹁え?﹂
﹁いや、だから悪い意味ではない。成長速度が異常、という意味だ﹂
﹁⋮⋮ふむ﹂
まあ、そうだろうな。
俺は身体能力をアダムから貰っている。
たしかに、俺の剣術の習得や、体力の伸びは普通ではない。
だが、それでも俺はエヴラールには届かない。
アダムは一般成人男性の身体能力をデフォルトステータスとして
くれた。
そこから更にステータスを伸ばした今でも、エヴラールには及ば
ないのだ。
つまり、剣士は一般成人男性の倍以上のステータスを有している
という事だ。
エヴラールの話しによれば、俺はいつかエヴラールを抜くらしい
が、どうだろうか。
きっとエヴラールは俺よりも遥か高い位置にいる。
経験値も違う。
俺がエヴラールと同じ技を使えるようになっても、同じ速さで走
れるようになっても、俺は負けるだろう。
﹃経験﹄というのは侮れない。
どのステータスよりも重要かもしれないのだ。
﹁シャルル、俺が剣の三段まで行くのにどのくらい掛けたと思う?﹂
81
﹁二週間か、三週間ぐらいでしょうか?﹂
﹁いいや、一年だ﹂
﹁えっ?﹂
エヴラールはそれから剣術を完璧に自分のものにするまでの話を
聞かせてくれた。
俺はそれを聞きながら、コーヒーを啜る。
︱︱︱︱︱︱
エヴラールの話によれば、雷霆、烈風、碧水、三つの流派の六段
を取るまでに四年は掛けたらしい。
三流派の三段まで一年、そしてそれぞれの流派六段まで一年ずつ
で、四年。
それでも世界では短い方だと言う。
師匠エヴラールは、周りの大人から天才児だと言われ育てられた。
それからは、更に上を求め、三つの流派を同時に使う事を考えた。
そして、片手で雷霆流、片手で烈風流を使う特訓を始めた。
天才と言われたエヴラールでも完全なものにする為に一年は掛け
たのだとか。
俺が異常だと言われた理由は、そこからだ。
天才児でも三年は掛けた三つの流派を、俺は三ヶ月で三段まで習
得した。
82
あと一年で俺は六段まで行けるだろうとエヴラールは言った。
そして、違う流派をそれぞれの手で使う事も、半年かそれよりも
短い期間で使えるようになると言われた。
この話を総合すれば、なるほど、俺の成長速度は異常だ。
天才児と呼ばれた男よりも速いスピードで技を習得している。
どこかの漫画にもあるように、スペシャルの上はアブノーマルだ
しな。
ああ、ちなみに、体術の方だが、俺はそちらもちゃんと教えても
らった。
ほとんどが手首を掴んで返す技や、相手の重心を利用して投げる
技等のカウンター技で、自分から殴りつける技なんかは教えてくれ
なかった。
ともかく、異常な俺にエヴラールはこう言った。
﹁お前は強くなるが、慢心はするな。足を掬われるぞ﹂
﹁はい、肝に銘じておきます﹂
﹁よし、そろそろ行くか﹂
﹁はい﹂
エヴラールは代金を払い、店を出た。
俺はその後に続く。
店を出ると、いつもの様に肩車をしてくれた。
にしても、この街は人が多い。
種族も色々いて変な感じだ。
まさに、ファンタジー。
竜の顔をしたあいつなんか最高⋮⋮と、ここで気づいた。
冒険者の鎧とは違う、綺羅びやかで、紋章の入った鎧を着てる人
83
たちがたくさんいる。
﹁エヴラールさん、あの人達、騎士ですか?﹂
俺は鎧を着た人間の一人に指を向けて聞いた。
エヴラールは俺の指した方向を一瞥すると、返事をする。
﹁ああ、そうだ﹂
﹁へえ。じゃあ、偉いんですか?﹂
﹁偉くはないが、強い﹂
﹁だらけたりしていないんですね﹂
﹁言っただろう、この国は爆弾のようなものだと﹂
俺の読んでいた漫画では、ああいう騎士ってのは市民を見下して
弛んでいた。
だが、この世界、というか国では違う。
適当な騎士のいる国もあるのかもしれないが、この国は説明した
通り、戦争が起こらないようにしっかりと見守らないといけない。
ただの小競り合いでも、大きくなれば大変だからな。
なんせ、違う大陸ではまだ戦争している所があるらしいし。
俺が街を眺めているうちに、エヴラールの足が止まった。
目の前にあるのは、大きな木造の建物。
大きな木の看板には、こう書かれている。
﹃ジルースト道場﹄。
ジルーストって何処かで聞いたな。
何処だったか⋮⋮思い出せない。
﹁エヴラールさん、ここは?﹂
﹁昔に通っていた道場だ。経営者が祖父だったんだ﹂
84
思い出した、ジルーストってエヴラールのラストネームだったな。
道場を経営していたのだし、おじいちゃんも強かったのだろうか。
エヴラールは俺を肩から下ろし、付いて来いと一声。
俺は言われたとおり、エヴラールにぴったりとくっついて道場の
中に入った。
中に入ると、広い玄関、小さな窓口、それと大きな木製の扉が目
に入った。
窓口には屈強そうな男が一人いて、扉の奥からは﹃えいっ﹄や﹃
せいっ﹄といった掛け声が聞こえる。
稽古中ということだろう。
エヴラールは窓口まで行き、男に何かを言うと、俺の方に戻って
きた。
﹁中に入るぞ﹂
﹁はい﹂
扉を開き、中へと入る我が師匠の後に、俺も続く。
道場の中にはむわりとした空気が漂っていて、汗臭かった。
稽古をしているのは、全員が十代かそれ以下の者達だろう。
大人もいるが、あれは恐らく先生の方々だろうな。
俺の師匠は先生の一人に何かを言うと、稽古中の生徒たちを集め
た。
俺達はしばらく棒立ちになっていたが、突然エヴラールが外套を
脱ぐように言ってきた。
俺は言われたとおりにする。
85
脱ぎ終わると、木剣を二本渡された。
エヴラールは何も言わずに、俺の背中を押した。
押された方向は、生徒たちの集まっていた場所。
生徒の顔を見ると、なぜだか全員が俺の顔を捉え、眼には敵意が
見える。
エヴラールの方を振り向くと、親指を突き立てられた。
なんなんだよ。
﹁では、シャルル君、道場の真中まで行ってくれるかい?﹂
﹁え? あ、はい﹂
生徒に何かを説明していた先生が俺に向かって言った。
俺は困惑しながらも、言われたとおりに真中まで移動する。
俺が真中に着くと、生徒達は立ち上がり、道場の壁に並んで座っ
た。
他の先生もそこにいる。
だが、一人だけが違った。
俺と同じぐらいの背丈をした、茶色の髪の毛の少年が、俺の方ま
で歩み寄ってきていた。
俺との距離が一畳分くらいになると、少年は足を止めた。
少年は俺を睨み、俺は苦笑いを返す。
少年の手には一本の木剣。
一本を両手で握っている。
俺の手には二本の木剣。
右と左で一本ずつ握っている。
86
この状況はまさか⋮⋮戦わされるのか? この少年と。
それはマズイ。
こいつの敵意は丸見えだし、きっと俺よりも段は高い。
多分、こいつは俺よりも強い。
そんな奴といきなり戦うなんて、無理だろうに。
エヴラールは何を考えている。
﹁用意!﹂
困惑しているうちに、先ほど俺に声をかけた先生が声を発した。
﹁始めッ!﹂
掛け声と同時に振り上げられる先生の手。
そして、手が振り上げられたと同時に床が鳴った。
少年がこちらに向かって突っ込んできていた。
俺は反射的にそれを避け、少年との距離を取る。
うん、やっぱりか。
目的は分からないが、エヴラールは俺とこの少年を戦わせる為に、
俺をここまで連れてきた。
予想するに、俺の腕試しとか、そのへんの適当な理由だろうがな。
まあ、そんな事はいい。
とりあえず、早く勝つか負けるかしてしまった方が、話は早い。
勝つか負けるか⋮⋮勝たねばならないだろう。
負けた時﹁勝てなかったから、失格﹂とか言われて、四段以上は
取らせてもらえないかもしれない。
なるべく相手を傷つけないように勝たなくてはな。
相手は子供だし。
87
って、俺も子供じゃん。
﹁せいッ!﹂
少年はいつの間にか間合いを詰めていて、横薙ぎを繰り出してい
た。
俺は右に持った木剣で横薙ぎを叩き、左に持った木剣で少年の胸
を一突きする。
少年はよろけたが、体勢を立て直し、またこちらに向かって飛ん
できた。
少年は俺の目の前まで来ると、突然しゃがみこんだ。
俺は反射的に後ろに飛ぶ。
少年が行ったのは、下段の横薙ぎ、足払いだ。
最初の頃はよく騙されて、エヴラールに何度も足を取られたもの
だ。
そのおかげで今こうして避けられたわけだが。
うん、じゃあ、今度はこっちが攻める番か。
俺は数歩下がって、両手の木剣を構えた。
﹁よし﹂
小さく呟いて、床を蹴る。
一瞬で間合いを詰めるが、少年の反応は遅い。
防御の姿勢にも入っていないし、回避の姿勢でもない。
胴、胴、小手、面。
四コンボを決めてやった。
88
﹁そこまでッ!﹂
俺が構えを解くと、先生が叫んだ。
うぅむ、これで終わりか。
あっけないものだったな。
最初は勝つ自信なんてなかったんだが、こんなにもあっさりと勝
ってしまうとは。
まだレベル50のコイ○ングの方が強かったかもしれない。
俺は息を一つ吐き、エヴラールの元へと戻った。
﹁お見事﹂
﹁ありがとうございます﹂
戻った俺に頭を撫でながら褒めてくれたのはエヴラールだ。
本当にいい人やで⋮⋮。
89
異世界の術で・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁リリーさぁん﹂
﹁はいはい、どうしたの?﹂
﹁リリーさん、良い匂いですねぇ﹂
﹁そうなの? 自分では分からないけど﹂
﹁試しに抱きついてみてくださいよ、僕に﹂
﹁子供なのにむっつりさんだね。仕方ない⋮⋮ぎゅー﹂
﹁⋮⋮ほら、やっぱり良い匂いです。甘くて、安心する匂いです﹂
﹁私が良い匂いだなんて、初めて知った﹂
﹁きっと、通りすがる男どもはさり気なく鼻を﹃すん﹄とさせてま
すよ﹂
﹁そんな事はないと思うけど⋮⋮﹂
﹁今、店内にいる男性の全員が肩をビクリと震わせたはずです﹂
﹁分かるの?﹂
﹁分かります﹂
﹁困ったなぁ⋮⋮﹂
﹁安心して下さい、僕が大きくなったら必ず貰いに来ますから﹂
﹁あら、それは頼もしい。でも、私には許嫁がいるの﹂
﹁あぁもうダメだ。もう生きるの嫌になって来た。マジ病み﹂
﹁冗談よ?﹂
﹁わぁぁい!﹂
﹁⋮⋮少年の様な笑みを浮かべるのはとても可愛らしくて好きだけ
ど、喜ぶ理由が男性のものね﹂
90
﹁少年も青年も男性も男だという事に変わりはないんです﹂
91
﹃成功﹄は﹃努力﹄で・前編
勝負を終え、現在位置は道場の壁際。
俺とエヴラールは稽古を再開した生徒たちの様子を眺めていた。
さっき負かした茶髪の少年、カイと言うらしい。
そのカイは時折俺を睨みつけてくる。
なんだか少し居心地が悪い。
﹁ところで、エヴラールさん。どうして僕を戦わせたりなんか﹂
﹁ここの道場を使うためだ﹂
﹁どういう事ですか? 使うだけなら頼めばいいものを﹂
﹁自由に使うには、道場の生徒よりも強く無くてはならない。あそ
こで負けていれば、シャルルも生徒入りだったな﹂
わざと負けたりしていなくて良かった。
これで俺はちゃんと練習できるわけか。
大体、生徒より強くなくてはならないって何だ。
生徒より弱い者に我が道場を使う権利はないと?
そうすると、道場で一番強い生徒が俺の相手をしたって事か?
⋮⋮いや、恐らく同じ五歳の中で一番強い相手、だろうな。
五歳児と十歳児を戦わせるわけがないし。
﹁さて、始めるか﹂
何やかんや考えていると、エヴラールが俺に向かって言った。
俺は両手に木剣を握る。
貸してもらったのは約十二畳のスペースだ。
俺はエヴラールから距離を取り、二本の木剣を構えた。
92
今日も俺の稽古が始まる。
半日、俺はずっと、剣の稽古をしていた。
四段からはレベルが上がり、習得は容易ではない。
予想だが、二週間以上はかかりそうだ。
難しいだけじゃなく、どうにもこの道場はあまり落ち着かない。
俺とエヴラールの打ち合いを見学する奴が結構多い。
生徒達の稽古が終わった後も俺達は稽古を続けていた。
だが、生徒の中には、残って俺達の練習を見学していた奴もいた
のだ。
皆が皆真剣な表情をしていて、俺達の打ち合いを観ていた。
恐らく、エヴラールから何かを吸収したいのだろう。
真面目なのはいいことだ。
エヴラールは強いし、学べることもたくさんあるだろう。
見るだけでも参考になるものだからな。
翌日、俺は早朝トレーニングの後、街を見て回ることにした。
もちろん、エヴラールと一緒にだ。
サンズという街は、どうやらリースの様に、冒険者が集まる街ら
しい。
剣や杖を装備した人がたくさんいて、種族もまばらだ。
エヴラールから聞いた話、この世界には十の種族がいるらしい。
93
じゅうじん りゅうじん
きょじん
しょうじん
くうじん
くじん
かいじん
みじん
かじん
獣人、竜人、巨人、小人、空人、駆人、海人、魅人、鍛人、そし
て人間だ。
じゅうじん
獣人は聴覚や嗅覚、そして体術に優れる。動物の耳や尻尾が特徴
りゅうじん
だ。
竜人は火魔術に優れ、剣を扱うのも上手いらしい。成人すると竜
きょじん
に変体できるのだとか。
巨人は人間より一回り大きい種族。力は二倍、防御力も二倍だ。
しょうじん
棍棒や斧で戦う。
小人は成人しても、人間成人男性の三分の二の丈にしかならない
くうじん
種族だ。
空人は鳥の羽を背中に生やした種族だ。風魔術を得意とし、争い
くじん
事はあまり好まない。
駆人は強い足を持った種族だ。魔術は殆ど使えないが、槍術と足
かいじん
技が基本の体術に優れる。
海人は片頬にある鱗が特徴的な種族。水魔術を得意とし、水中で
みじん
も呼吸が可能。三股槍を使う種族だ。
魅人は尖った耳とスラリとした体型が特徴的で、百二十年以上生
かじん
きるとされている。聖魔術を得意とする。
鍛人は土魔術を使う。酒豪で二百年は生きるらしい。
そして人間。人間は全ての属性の魔術を使えるが、ある一定値を
越えられない。十六歳で成人だそうだ。
それと、もう一つエクストラで、半神というのも存在する。
姿形は人間と全く一緒だが、人間よりも優れた力を持ち、百年以
上は生きる。
優れた力というのは、魔力総量が異常に多かったり、力が異常に
強かったりとか、そういうのだ。
俺は半神なのかとエヴラールに聞いたが、絶対に違うと言われた
94
が、理由を教えてはくれなかった。
半神の髪色は統一されていて、俺の髪色が黒だからとか、そうい
うことだろうか⋮⋮って、それは単純すぎるか。
︱︱︱︱︱︱
サンズには道具屋、武器屋、防具屋が一軒ずつしかない。
だが、それぞれがかなり大きい。
冒険者ギルドは俺の世界で言うスーパーマーケットぐらいの大き
さ。
そして普通の道具屋などはコンビニ二軒分の大きさしかないのだ
が、サンズの道具屋などは冒険者ギルドと同等の大きさがある。
武器屋に入れば、冒険者で溢れていた。
皆が皆、防具や武器とにらめっこをして、品定めをしている。
俺もエヴラールも武器は買わない。
俺は練習用の刃の潰れた剣しか持っていないが、四段になるまで
買ってもらえないし、エヴラールはいつも手入れをしている昔から
の愛剣二本以外は持たないという。
今のうちに買う武器を見ていた方がいいだろうし、俺も一つ一つ
見ていた。
だが、前の世界で実物の剣なんて見たことも無かったため、どれ
が良くて悪いのかわからない。
俺達は適当に目を通した後、店を出た。
95
街を見て廻った後の夕方。
俺達は道場で剣の修業をする。
今日もギャラリーは多数、そして静か。
道場に響くのは剣と剣のぶつかる音、そして時折漏れる、俺の呻
き声だ。
修行が一段落付いた後、俺は壁際で休憩をとる。
すると、生徒の一人が俺の近くに来た。
カイだ。
﹁おい、おまえ﹂
カイは俺の目の前に立ち、声を掛けてきた。
﹁なんでしょうか﹂
﹁名前は﹂
﹁⋮⋮シャルルです﹂
﹁そうか。僕はカイだ、よろしくシャルル﹂
そう言って、カイはマメの出来た手を差し出してきた。
俺はカイの差し出した手に自分の手を重ね、握る。
﹁こちらこそ、よろしくお願いします﹂
なんだ、ただの挨拶か。
今のこいつには敵意も見えないし、同い年なんだから仲良くはし
たい。
96
﹁それじゃ、僕は帰るよ。また明日﹂
﹁お疲れ様でした﹂
カイは荷物を背負い直すと、道場を去った。
﹁シャルル、今日はもういいだろう﹂
﹁わかりました﹂
九時頃、エヴラールが今日の稽古の終わりを告げる。
俺は肩に乗せられ、二人で宿へと戻る。
最近では宿へ戻ると、水浴びをした後にすぐにベッドに寝転ぶ。
エヴラールは稽古のレベルを上げてきている。
もうすぐこの街を出るのかもしれない。
ヴェゼヴォルは厳しいところだと聞いた。
俺が強くなれないと移動が出来ないから、少しだけペースを上げ
たのだろう。
︱︱︱︱︱︱
一ヶ月が経過した。
毎日同じように過ごしたが、最初の頃と違う点はカイとよく話し
ていた事だ。
今では友達と呼べる仲だろう。
97
そして二週間程前に俺は四段に到達した。
予定通りの期間だったが、恐らく最初のペースでやっていたら二
週間では出来なかっただろう。
エヴラールには本当に頭が上がらない。
そして今日、俺は遂に冒険者登録をしに行く。
そのために今、冒険者協同組合⋮⋮冒険者ギルドへと足を運んで
いるのだ。
冒険者協同組合、俺らの世界で言う冒険者ギルド。
冒険者ギルドは助けの欲しい人が依頼する場であり、冒険者が依
頼を受ける場所。
ギルドは中立している訳ではなく、どちらかと言えば冒険者寄り
だ。
元はといえば、冒険者が金を得る手段として立ち上げたのが冒険
者ギルドの始まりだと、この世界では言われている。
冒険者ギルドの上層部は半分が引退した冒険者らしいし。
つまりは、依頼主と冒険者の間を取り持つ機関ではなく、冒険者
が手を取り合う場所なのだ。
そして、俺は今その冒険者協同組合の窓口に居る。
もちろん、冒険者登録の為だ。
﹁シャルル・リテレール様で間違いありませんね?﹂
﹁はい﹂
﹁では、登録致します。腕を差し出してください﹂
窓口のお姉さんに言われ、腕を向ける。
お姉さんが俺の手首に羽ペンで何かを書込むと、俺の手首を中心
98
に、黄色い輪が広がる。
そして輪は縮まり、俺の手首に紋様が残る。
﹁登録が完了致しました。確認させて頂きます。シャルル・リテレ
ール様、男性、五歳、五級冒険者。間違いありませんか?﹂
五級冒険者、というのは冒険者の階級の事だ。
五から一、そして一級の上の特級まで昇級できる。
簡単に言えば、F級からS級まであるという事だ。
﹁はい、問題無いです﹂
﹁では、良い一日を﹂
登録を済ませ、登録料の銀貨一枚を置いた後、軽く頭を下げてか
ら受付を去る。
ロビーのベンチではエヴラールが待っていた。
俺はエヴラールの元へと駆け寄り、手首を見せる。
﹁よし、できたか﹂
﹁はい、おかげさまで﹂
この世界のお金の仕組みもわかってきた。
銅貨、大銅貨、銀貨、そして金貨の四つがこの世界の通貨だ。
日本円に換算するなら、銅貨は十、大銅貨は百、銀貨は千、金貨
は万の単位だ。
袋詰のパンが大銅貨一枚ぐらいなので、そのぐらいで合っている
だろう。
今の俺は五級冒険者。
こなすクエストの数ではなく、実力に合わせて階級が上がる。
99
昇級試験なるものが一ヶ月に一回行われるのだ。
普通の依頼には階級制限があり、五級が受けられる依頼は五から
四級までの依頼。
四級は五から三級、三級は五から二級、二級は五から一級、そし
て一級は五から一級だ。
特級クエストを受けるには特級冒険者にならないといけない。
しかしまあ、昇級試験では五級冒険者でも一級の昇級試験が受注
可能。
それで死んでも自業自得となる。
﹁自分の実力も測れないようじゃ冒険者はやっていけない﹂とはエ
ヴラールの一言だ。
冒険者になった今、俺に必要な物は武器だ。
俺達が今向かっているのは武器屋。
俺の剣を買いに行くのだ。
この街の武器屋は前にも言った通り、かなり大きい。
俺は今、片手剣の置かれている二階にいるのだが、ここにいる片
手剣使いは皆盾を持っている。
双剣士という道はなかったのだろうか。
やはり、両手で剣を扱うのはそれだけ難しいという事だろう。
﹁おっ﹂
剣を見て回っていると、俺の興味を引く剣があった。
前の世界での﹃怪物を狩る者﹄というゲームで俺が良く使ってい
100
た剣によく似ている。
まあ、﹃氷⃝︻雪月花︼﹄の事だな。
あれは太刀だから刀身の長い武器だが、俺の目の前にあるのは﹃
氷⃝︻雪月花︼﹄の半分の長さしかない。
高い位置にあったのでエヴラールに頼んで取ってもらう。
﹁これが欲しいです﹂
﹁使いやすそうか?﹂
﹁はい、なぜだか良く馴染みます﹂
﹁そうか、分かった﹂
そしてエヴラールは同じ剣を二本取り、カウンターまで持ってい
った。
値段はなるべく見ないようにしている。
この先、遠慮しまくりになると、支障がでそうだからだ。
何も知らない俺は図々しくいなければならない。
この世界のことをもっと知らなければならないのだ。
購入は無事に終了し、俺は剣を二本渡される。
エヴラールは背中と腰に差しているので、俺も真似して同じ位置
に差す。
我が師匠はフード無しのコートだが、俺はフードの付いたコート
だ。
それ以外は全く一緒の姿になった。
エヴラールもなんだか嬉しそうだし、これで良かったのだろう。
101
そして数日後。
俺達はこの街、国を去る。
ルーノンス大陸を越えてヴェゼヴォル大陸へと向かうのだ。
出る前に、カイに挨拶をしなくてはいけない。
カイは朝早くから道場に来ているはずなので、道場へ向かった。
思った通り、朝から一人で素振りをしている。
﹁おはようございます、カイ﹂
﹁む? シャルルか。今日はどうした?﹂
﹁実は、もうこの国を出ることになっていまして﹂
﹁⋮⋮そうか気をつけていけよ﹂
﹁はい、お元気で﹂
﹁ああ、シャルルもな。⋮⋮次会った時は必ずお前を倒すからな﹂
﹁望むところです﹂
言いながら、握手を交わす。
短い間だったが、こいつとはかなり仲良くなれた。
カイには剣術の才能もあるし、次会った時が楽しみだな、本当に。
俺とカイは短く﹁じゃあ、また﹂と言って別れた。
この街では道場と宿を行き来していただけなので、カイ以外の知
り合いはいないと言ってもいい。
だから、挨拶もこれだけで充分。
道場の外で待つエヴラールと合流し、馬屋まで向かった。
もちろん、エヴラールの肩に乗せてもらった。
102
馬屋でフーガを引き取り、門をくぐった。
フーガは相変わらず元気そうで良かった。
俺達二人と一匹は、ヴェゼヴォルへの一?を踏み出す。
103
﹃成功﹄は﹃努力﹄で・前編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁エヴラールさん﹂
﹁なんだ?﹂
﹁竜人って、竜に変体出来るんですよね?﹂
﹁ああ﹂
﹁どんな風にですか?﹂
﹁体がそのまま竜の体質になったり、羽や尻尾が生えたり、火魔術
が強化されたりだな﹂
﹁巨大な竜になる訳ではないんですね﹂
﹁ああ、体の大きさは、元の体の大きさよりも少しだけ大きくなる
程度だ﹂
﹁へぇ﹂
﹁中には、それを好まない者もいる。特に女性はな﹂
﹁ああ∼、竜になったら、可愛くないですもんね﹂
﹁﹃尻尾だけ生やして、他は人のまま﹄という姿を妻に頼む者もい
るそうだ﹂
﹁それはとても良い﹂
﹁俺もそう思う﹂
﹁エヴラールさん⋮⋮﹂
104
﹃成功﹄は﹃努力﹄で・後編︵前書き︶
未成年飲酒は法律で禁止されている。真似してはいけない。
105
﹃成功﹄は﹃努力﹄で・後編
ヴェエヴォル大陸からは、地形がいきなり変わる。
ルーノンスは草木の生い茂る大陸、ヴェゼヴォルは荒地の広がる
大陸だ。
ここからはフーガは走らせない。
ゆっくりと、焦らずに行かなければならない。
地形が荒いということもあるが、魔物の出現数がかなり増える。
魔物に関しては、エヴラールからすれば余裕で、倒すのは容易だ。
だが、俺とフーガがいる。
俺は実戦経験も何もない青臭いガキで、フーガは馬だ。
危険な状況に陥る前に、ハプニングを避けなければならないのだ。
俺達は今、南東に向かっている。
目的地は﹃氷王﹄と呼ばれる者が統一する国だ。
もちろんの事、魔王の傘下である。
︱︱︱︱︱︱
途中の村や街で宿を取りながら約一ヶ月の移動で、﹃氷王﹄が統
括する国アルフに到着した。
途中、魔物に遭遇したりもしたが、エヴラールが難なく撃退して
いった。
106
時折、実戦経験を積ませるために、雑魚は俺が片付けたりもした。
魔物が巨大なサソリや蛇だったために、殺すのに躊躇はなかった.
.....多分。
ちなみに、この国の名前は﹃氷王アルフ﹄が自分の名前をつけた
だけだ。
この世界には国の名前を人の名でつける事が多い。
たまに言いにくい国名があったりするのだ。
ヴェゼヴォルは基本的に気温が高い。
だが、ここアルフの気温は門をくぐった瞬間から急激に下がる。
沖縄から北海道に瞬間移動した気分を味わうことができるわけだ。
俺もエヴラールも外套を着ている為にあんまり寒くはなかったが、
フーガは少しだけ震えている。
すぐに馬屋に連れて行ってやろうという決断が下るのには数秒も
なかった。
旅の途中、野営した事もあったが、その時はフーガと一緒に寝た
事もある。
俺達二人と一匹は仲良しなのだ。
フーガを馬屋に預けた後、宿を探す。
色々と見て回って気づいた事があった。
通貨についてだ。
レイノルズにいた頃は貨幣しか見なかった。
おそらく、ルーノンス全体では貨幣を使っているだろう。
だが、ここでは貨幣ではなくなっている。
107
この国に来るまで幾つもの街と村を通ったが、全然気付かなかっ
た。
﹃宿の宿泊料、一晩十枚﹄と表示されているのだ。
﹁エヴラールさん、十枚ってどういう事でしょう?﹂
俺は気になることがあると眠れない質だから、すぐに質問をして
しまう。
些細な質問でも、エヴラールはいつも答えを出してくれる。
﹁ヴェゼヴォルでは使うお金が変わるんだ﹂
﹁枚、というと、紙幣とかですか?﹂
﹁紙幣を知っているのか。その通りだ﹂
なるほど、つまりヴェゼヴォル大陸では貨幣ではなく紙幣を使う
と。
なんでこう、ややこしいんだろうか。
普通のRPGみたいに﹃ゴールド﹄でいいだろうに。
まあ、いい。
とにかく、俺達はアルフに着いた。
だが、目的がない。
旅なのだからそれでもいいのかもしれないが、やることがないと
暇だろうに。
︱︱という心配も杞憂に終わった。
翌日、俺はエヴラールと国王のいる城を尋ねる事となった。
理由はわからない。
ただ、エヴラールは付いて来いとだけ言った。
108
アルフ城は氷で出来た城だった。
某ネズミさんの遊園地の⋮⋮いや、それよりも大きい城だ。
なんとなく魔力を感じるから、氷王様が造ったものなのだろうか。
城の門前まで行くと、門番が警戒の視線を送ってきたが、エヴラ
ールの顔と右手の甲を確認するとすぐに引っ込んでいった。
一体、エヴラールの手の甲には何があるというのだ⋮⋮。
言うことを聞かせる魔法陣とかだったらやばい。
﹁はぁ⋮⋮。白いな﹂
城内だというのに、吐く息は白かった。
それだけ寒いということなのだろう。
⋮⋮にしても、この城は広い。広すぎる。
これだけ広ければ舞踏会なんか普通にできてしまう。
それで上の階もあるのだから、五十人で鬼ごっこはできる。
ていうか、俺は今国王の城にいるんだよな。
なんで、どうやってだ。
今更ながら混乱してきた。
﹁エヴラールさん、ここって国王の城ですよね?﹂
﹁ああ、アルフの城だ﹂
﹁⋮⋮なんで入れたんですか? 僕達﹂
﹁アルフは俺の友人だ﹂
﹁ああ、なる︱︱ん? 国王と知り合い?﹂
109
﹁昔一緒にパーティを組んでいたんだ﹂
﹁ほぇぇ⋮⋮すごいですね﹂
知らなかった。
まさかエヴラールが国王とパーティを組んでいたとは。
実はエヴラールって俺が思う以上にすごい人なんじゃないのだろ
うか?
今思えば、彼は特級冒険者だし、二つ名が付くぐらいに有名だし。
お、俺はこんな人の弟子なのか⋮⋮。
﹁どうも、お久しぶりです、エヴラール様﹂
俺が怖気づいていると、騎士の一人がやってきた。
ヘルメットで顔が見えないが、声からして男だろう。
﹁久しぶりだな。アルフの所まで案内してくれるか?﹂
﹁はい、もちろんです。では、こちらへ﹂
騎士の案内の元、俺達が辿り着いたのは一つの大きな扉の前だ。
﹁アルフ様、エヴラール様を連れて参りました﹂
﹁むむっ!? エヴラール!? 入ってくれ!﹂
﹁どうぞ﹂
騎士が扉を開け、中が少しずつ見えるようになる。
途端、俺は騎士に引かれ、エヴラールから遠ざけられた。
エヴラールが剣を抜くと、水が瞬時に氷る様な音と共に、氷の龍
がエヴラールを襲った。
エヴラールはそれを碧水流の防御技で弾いた。
流石の反応速度と対応だ。
110
俺だったら一瞬で氷の龍にやられていただろう。
﹁全く、相変わらずだな﹂
﹁弾いてしまう君も、相変わらずだね﹂
扉の奥から聞こえてくる男の声はどこか爽やかだ。
珍しい事に、エヴラールも頬を緩ませている。
エヴラールに腕を取られ中に入ると、広々とした空間で腕を広げ
た男が立っていた。
﹁やあ、久し振りだね!﹂
﹁ああ、久しぶりだな﹂
﹁⋮⋮ん? そこの子は?﹂
﹁こいつはシャルル⋮⋮俺の弟子だ。実はこいつの事で訪問したん
だ﹂
⋮⋮え? 俺のことだったの?
なんでもっと早く言ってくれないんですかね、エヴラールさんは。
実はサプライズ好きのお茶目さんだったり?
﹁どうも、シャルルです﹂
﹁いらっしゃい。僕はアルフ。それでエヴラール、この子がどうし
たんだい?﹂
アルフを一言で説明するなら、﹃爽やか﹄だ。
水色の髪に、頬にある鱗、そしてこの寒さの中でラフな格好をし
ている。
﹁ああ、実はシャルルには剣術を教えている。だが、魔術も教えて
やりたい﹂
111
﹁ほう?﹂
﹁初めて魔術を五回も使用したのに、平気だった。持っている才能
は伸ばしてやりたい﹂
﹁本当かい? それは面白いね﹂
﹁ああ、だからお前にしばらく預ける。こいつの先生をやってくれ﹂
ふぇ? エヴラールさん、俺今すごく寂しい事を言われた気がす
るんですが。
初めてで魔術五回ってそこまで凄い事なのだろうか?
いや、多分、普通では無いのだろう。
俺はアダムに高い初期ステータスを貰っているからな。
でも、預けるというのはどういうことだろうか。
﹁もしかして仕事かい?﹂
﹁ああ﹂
﹁なるほど、そういう事ならいいだろう。僕も暇していたしね﹂
﹁頼む﹂
勝手に話が進んでいく中、俺は頷くしかない。
俺に拒否権はないし、仕事があるなら仕方がないだろう。
とにかく、俺はアルフに預けられる事となった。
︱︱︱︱︱︱
﹁それじゃあ、まずは戦闘だね﹂
112
エヴラールが城を去った翌日、アルフが言った。
﹁せ、戦闘?﹂
﹁そうだよ。君を教えるんだから、君の力を知らないと意味が無い
じゃないか﹂
﹁ああ、なるほど、そうですね﹂
俺が納得すると、笑顔を浮かべながらアルフが俺に近づいてきた。
さて、どうしたものか。
今まで実戦も剣術でやってきたから、魔術での戦闘なんて初めて
だ。
正直、うまく出来る自信がない。
まあ、でも力量を計るだけだからうまく出来なくてもいいんだろ
うけど。
﹁それじゃ、よろしくね﹂
そう言ってアルフは手を差し出してきた。
俺はそれを握る。
握手を交わすと、アルフは俺から十メートル程離れた位置まで歩
いて行った。
魔術だから遠距離でやりあうのだろう。
俺は二本の剣を離れた位置に置いた。
実は握手した時に襲ってくるのではないかと疑ったが、そこまで
の無礼はないらしい。
﹁うん、行くよ? 準備はいい?﹂
﹁はい、何時でもどうぞ﹂
113
俺が返事をすると、アルフは頷き、右腕を上げた。
出来上がったのは氷の刃。
刃は形を変え、三股槍となる。
魔術の本で見た、﹃氷槍﹄だ。
氷槍は俺に向かって飛んでくる。
俺は﹃土壁﹄を展開し、防御。
その時、アルフが少し驚きの表情を浮かべた。
俺はその隙を突こうと、掌に﹃炎矢﹄を出現させ、アルフに向か
って発射。
だが、あっさりと﹃水壁﹄によって防がれてしまう。
俺は怯むこと無く炎矢を三発同時に放つ。
アルフは飛んできた方向に水壁を再度展開させた。
これでアルフの九時から十二時の方向の視界が閉ざされた。
俺は未だ水壁が広がっている所まで走り、魔術が解けたところを
狙おうとした。
だが、水壁は突如、氷槍へと変化する。
真正面から氷槍に突っ込む形になった俺は、自分の足場に高さ数
十センチの土壁を造った。
丁度、氷槍が飛んできた頃に俺は土壁に躓き、地面に回転した。
すぐに体勢を立て直し、反撃しようとした︱︱が、目の前には波。
俺の身長の二倍以上ある高さの水の波が、俺を飲み込んだ。
﹁ごおっ﹂
口の中に水が入り、すぐに吐き出す。
それと同時に空気も吐き出し、すぐに息苦しくなってしまう。
114
俺は水の波を全て凍らせ、分解。
俺が氷の塊から抜け出せた頃に、俺の足は停止する。
︱︱氷に足を固められていた。
﹁チッ!﹂
抜けだそうと、足に魔力を流し氷を溶かすが、また固まり、溶け
て、固まる。
俺は蟻地獄にはまった気分を味わった。
気づけばアルフが俺の目の前にいた。
その手に持った氷の三股槍を俺の胸に向ける。
﹁残念﹂
﹁はい、負けました﹂
罠が二重三重と重なっていた。
きっとあのまま氷を溶かせていても、次の手で終わっていただろ
う。
俺は潔く負けを認める。
﹁でも、すごいよ。うん、素晴らしいね。流石、エヴラールに鍛え
られただけはあるよ﹂
﹁エヴラールさんには頭が上がりません﹂
エヴラールが鍛えてくれなければ、俺は瞬殺だったと言ってもい
い。
最初の氷槍に反応もできずに終わっていたかもしれなかった。
いい師匠を持った俺はなんて幸せ者なんだ。
115
そして、新しい先生のできた俺はなんて幸せ者なんだ。
だが、俺の幸せを満たすことは出来てはいない。
何故かって、そりゃあ⋮⋮エロゲがやりたいからさ。
積まれたエロゲやギャルゲがまだ残っているというのに⋮⋮。
いや、そのことは忘れよう。
うん、忘れよう。
﹁それで、シャルル君。詠唱はしてなかったよね?﹂
﹁はい、そうですけど﹂
﹁素晴らしい、素晴らしいよ! 無詠唱魔術師というのは数少ない
人材だ。僕は無詠唱を使うのに十数年はかけたというのに、君はそ
の若さで⋮⋮いやぁ、将来が楽しみだね!﹂
﹁は、はあ⋮⋮﹂
褒められた俺よりも、何故だかアルフの方が嬉しそうにしていた。
教えるのが好きな人なのだろう。
それに、﹃僕も暇していたしね﹄なんて言っていたから、暇つぶ
しでもあるんだろうし。
王の暇つぶしに付き合えるなら、それだけで光栄だ。
﹁それじゃあ、今から修行開始だ!﹂
﹁えっ、今からですか!? 戦ったばかりじゃないですか!﹂
﹁でも君、魔力は有り余っていそうじゃないか﹂
﹁そうなんですけど︱︱﹂
﹁なら決定だ! さあ、付いてきたまえ!﹂
そうして、俺はアルフに腕を引っ張られ、無理矢理に修行をさせ
られた。
116
︱︱︱︱︱︱
一ヶ月が経過した。
俺はアルフの元で修業を重ね、魔術の腕を上げた。
アルフにもらった評価は一級。
無詠唱を使えるだけで高得点だが、戦闘のセンスもあると言われ
た。
ちなみに、アルフは特級の魔術師だ。
特級までたどり着くには知識、魔力、戦闘経験、実績、戦闘能力
が必要となる。
俺には知識も、戦闘経験も、実績もない。
戦闘能力も特級の方々からすれば、ムシケラだろう。
俺の得た力については追々。
とにかく、エヴラールが帰ってきた事により、旅を再開できるわ
けだ。
出発は翌日。
出発前夜に、エヴラール、アルフ、そして俺の三人は宴会で開く
ことになった。
途中、ちょっとしたノリで酒を飲んでみたら止まらなくなり、途
中からの記憶がなくなっている。
117
翌日、城門でアルフに挨拶をする。
アルフにはお世話になった。
魔術だけでなく、うまい飯も食わせてくれたし、久しぶりに風呂
に入った。
水浴びばかりじゃ、どうにも満足できなかったからな。
﹁それじゃ、アルフさん、またいつか﹂
﹁うん、いつでも遊びに来てね。シャルルもエヴラールも﹂
﹁はい﹂
﹁ああ﹂
俺とエヴラールが重ねて返事をし、アルフは満足そうな笑顔を浮
かべる。
俺はアルフの姿が見えなくなるまで手を振り続け、城を離れた。
城を去り、俺達は馬屋まで向かった。
馬屋では元気なフーガが待っていた。
出発前にしっかりと愛でてやり、満足させる。
俺達に会えなくて寂しかっただろうからな。
俺とエヴラールはフーガを引き取ると、ヴェゼヴォル大陸の旅を
続けた。
118
﹃成功﹄は﹃努力﹄で・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁もぉ、きいてくらはいよ、え?らーるさぁん、あるふさぁん﹂
﹁何だ﹂
﹁なんだい?﹂
﹁ぼくぅ、ふーがとちゅーしちゃったんですよぉ! はじめてが、
うまって、ひどいじゃないですかぁ!﹂
﹁気にするな。馬は数に入れなければいい﹂
﹁そうそう、僕の初めてなんか、ケルベロスとだったんだから﹂
﹁あっはっはっは! けるべろす! それは、けっさくじゃないれ
すか!﹂
﹁どうだ、アルフに比べたら馬なんてマシな方だろ?﹂
﹁ああ、拙い⋮⋮自分で自分の傷を抉った⋮⋮エヴラール、助けて
⋮⋮﹂
﹁シャルルの為だと思え﹂
﹁それで、ぼくぅ、けんしとまじゅつし、りょうほうになって、さ
いきょーになるんれす﹂
﹁ああ、お前ならなれる﹂
﹁そうだね、才はある﹂
﹁かっこいいふたつなとか、つけられちゃってぇ⋮⋮へっへっ﹂
119
﹁エヴラールのは黒豹だね﹂
﹁ああ、お前が付けたんだろう。シャルルが褒めていたぞ﹂
﹁ほら、言った通り、格好いい二つ名だっただろう?﹂
﹁あぁ、めろん、ぱん⋮⋮﹂
﹁ふふっ、シャルル、寝ちゃったね﹂
﹁ああ。もう二度と飲ませないようにしよう﹂
﹁若い頃のエヴラールを思い出すよ﹂
﹁あの頃は、自由に騒いでいたな⋮⋮﹂
﹁ったく、エヴラール、何だい、その遠い目は。僕たちは過去を語
り合う歳でも無いと思うけど?﹂
﹁⋮⋮付き合え﹂
﹁仕方がない。乾杯﹂
120
し、静まれ......俺の腕よ......怒りを静めろ!!
俺がこの世界に来てから二年が経過したと思う。
エヴラールと出会い、修行をし、レイノルズでカイに出会った。
冒険者となり、レイノルズを出て、ヴェゼヴォル大陸へと渡り、
アルフに出会い、魔術の修行を重ねた。
最初は順調だった。
焦ること無くゆっくりと旅を楽しんでいた。
だが、最近になって問題が発生した。
俺は一年の実戦経験を積み、エヴラールとの修行も重ね、剣術三
流派の五段を完璧にモノにした。
しかし、五段をモノにして以降、俺の剣術の成長が止まったのだ。
更に一年も修行を続けていたというのに、五段から六段へ上がれ
ない。
六段は基本的に、今まで覚えた技の最終型、集約形だ。
俺は一段から五段まではマスターしているのに、六段まで上がれ
ない。
雷霆六段は強撃に全てを掛けたもの、烈風六段は速撃に、碧水六
段は防御に全てを掛けたものだ。
エヴラールが考えるには三つの理由があるそうだ。
一、身体がまだ完全に出来上がっていないから。
二、三つ使えるが故に、一つのものに全てを掛ける事が出来ない。
三、単純に経験と練習不足。
理由を聞いてから納得はしている。
121
一つ目、俺の精神はもう大人だが、身体はまだ七歳だ。
無理な運動を身体に制御されているのかもしれない。
二つ目、俺は元々器用な方ではないから、切り替えが未だに上手
く出来ていないのだろう。
そして三つ目、俺はこの世界にきて二年しか経っていない。
戦闘経験も知識も浅いのだ。
納得はしている。
しているが、何故か俺は焦っている。
俺にも理由は分からないが、力を求めようとしているのだ。
多分、俺の身体に潜むダークサイド的な何かが完全な力を手に入
れようと疼いてるのかもしれないな。
まずい⋮⋮いるのであれば、祓わなければ!
﹁シャルル、何をしている?﹂
両手を合わせ、﹃南無阿弥陀仏﹄と唱えているのをエヴラールに
見つかり、声をかけられる。
﹁魔術詠唱の練習です﹂
この世界に仏教は存在しないので、適当に誤魔化した。
まぁ、かといって、俺が仏教徒という訳ではないのだが。
﹁お前は無詠唱で出来るだろう?﹂
﹁出来ても、詠唱ぐらいは覚えておきたいんですよ﹂
﹁そうか﹂
詠唱を覚えておきたいなんて、全くの嘘なんだがな。
122
しかし何故だろう、エヴラールを騙すと胸が痛む。
俺は案外いい人なのかも知れないな。
⋮⋮自分で何言ってんだ俺。
話は変わり、俺達は今、魔王が統括する国﹃ジノヴィオス﹄にい
る。
国の中心にあるのは大きな魔王城。
黒いオーラが出ているわけでも、不気味な外見でもない。
魔王が住んでいる城という感じはしない。
俺は今、一人で買い物に出かけている。
エヴラールが許可してくれた。
我が師の肩が恋しいが、もう乗せてはくれないのだ。
七歳だし。
﹁これください﹂
小腹が空いたので、露店で苺の入った甘いパンを買うことにした。
手持ちの紙幣は十枚。
パン一つは二、三枚だ。
俺はお金を払い、早速パンを頬張った。
口の中に苺の酸味と甘みが広がり、それを調和するパンの味。
ものすごく美味いのだ。
﹁ん∼、うんめぇな。ブルーベリーっぽいのも今度買っ︱︱﹂
﹁︱︱うかな⋮⋮は? な、何が起きてるとですか﹂
123
俺は混乱して、思わず間抜けな声を漏らす。
さっきまでパンを楽しく食べていたというのに、俺は気づけば大
広間の様な場所にいた。
アルフと最初に会った部屋よりも大きな場所だ。
﹁おい、お前﹂
﹁ぶっ!?﹂
突然後ろから声がして、思わず吹き出してしまった。
戦闘体勢に入り、飛び退きながら声のあった方へと顔を向ける。
そこにいたのは、仁王立ちをして異様なオーラを纏っている背の
高い男だ。
﹁悪い反応ではない。だが、キレがないな﹂
﹁⋮⋮誰ですか? 僕に何のようですか﹂
﹁質問は一つずつするもんだぜ。まあ、寛容な俺様は答えてやる。
俺様は魔王ジノヴィオス、わかるよな?﹂
﹁ま、魔王!?﹂
意味がわからない。
どうして国に入ったばかりの俺が、魔王の目の前にいるんだ。
﹁お前をここまで転移させたのは、俺だ。俺はこの国にいる人間を
何時でも好きな場所に転移させる事が出来る﹂
﹁あ、ありえない。初心者雑魚プレイヤーである俺が、いきなりラ
スボスの間へ来るなんて⋮⋮!﹂
﹁らすぼす? ぷれいやー? よく分からないが、とにかく俺は魔
王だ。お前を呼び出した理由は幾つか聞きたいことがあるからだ﹂
﹁聞きたい、こと?﹂
124
魔王が直々に聞くこととは何だろうか。
もしかして、本命は俺じゃなくてエヴラールだったり。
そちらの方が可能性は高い。
エヴラールの詳細を聞くつもりなのかも。
⋮⋮等という考察は次の言葉でぽっきり折られる。
﹁お前のことでだ﹂
﹁お、俺ですか?﹂
﹁ああ、お前に異常性が見えた﹂
異常性。
エヴラールにも言われた事だ。
成長速度や語彙、魔術量など。
﹁異常⋮⋮魔術量、とか?﹂
﹁それもあるが、別の理由だ。お前の名前、なんという﹂
﹁シャルルです﹂
﹁シャルル、今俺様と会話しているのはお前だろう。だが、もう一
人、お前の中に眠っている者がある﹂
﹁眠っている? どういう事でしょう?﹂
﹁寛容な俺様は一から説明してやる﹂
一々上から目線な魔王さまの説明は主に、人間の魂についてだっ
た。
この世界では、肉体が魂の器とされている。
一つの器には魂が一つ。
それが普通だ。
だが、俺の中に異常が見えた。
125
魂が二つ存在している事だ。
今現在、身体を動かし、脳を働かせているのが俺。
だが、俺の他にもう一人、この器に魂が入っているらしい。
こういうケースは百年前にもあったそうだ。
﹁これを持っていろ﹂
そう言われて渡されたのは、黒く光る宝石の様な物だ。
ずっと見つめていると、吸い込まれてしまうのではないかと錯覚
する何かがある。
﹁お前を呼び出した理由はこれだけだ。また明日ここに転移させる。
いいな?﹂
﹁はいさ﹂
返事をすると、一瞬で景色が変わり、俺は元いた場所に戻ってい
た。
俺は黒い宝石をコートの内ポケットに入れ、宿へと戻る。
にしても、魔王は城から俺の体内の魂を察知したのか。
国の何処にいても好きな時に転移させる事ができるという事は、
この国全体が見えるという事か。
流石は魔王だな。
きっとエヴラールよりも強いんだろう。
だが、一度だけ戦ってみたいとは思う。
そしてできれば、魔王の能力も吸収できればと思う。
﹁随分遅かったな﹂
126
宿に戻った俺に、エヴラールが言った。
﹁ええ、ちょっと色々見て回っていまして﹂
﹁そうか。お前も大きくなったし、色々見て回り、知ることは大事
だな﹂
﹁はい。それで、エヴラールさん、お願いがあるんですが﹂
実は前々から思っていた。
剣術、魔術、色々習った。
剣術は今ではどうしようもないし、今までの練習を繰り返すだけ
だろう。
魔術もまだまだ勉強できる事がたくさんあるが、氷王から一級判
定を貰えば焦る必要もないだろう。
だが、物足りないものが一つだけある。
﹁なんだ?﹂
﹁もう少し攻撃性の高い体術を教えていただきたいです。駄目です
か⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮いいだろう﹂
﹁ありがとうございます!﹂
エヴラールの承諾を得た事で、俺は今日から体術の訓練を開始す
る事になる。
今まで習ってきた体術は、カウンターや防御だ。
自分からはあまり攻撃をしないものばかり。
だが、俺は自分から攻めることも大事だと思う。
俺はRPGゲーム等ではステータスをATKとSPDに全てを振
る。
攻撃と速さは最大の防御だ。
だから俺は、自分から発言して頼んだ。
127
図々しくすると、決めていたしな。
︱︱︱︱︱︱
体術の訓練後、俺は宿に戻ると、﹃治癒魔術﹄で痣や痛みを治す。
慣れない動きや力の入れ方で疲れてしまった。
痣や傷は治癒魔術で簡単に治せてしまうから、特に問題はない。
だが、内面の疲れは治癒魔術では取れないのだ。
俺は静かに眠りについた。
はずだったが、
﹁こんにちは、お兄さん﹂
そんな声が俺の耳に届いた。
気が付けば、俺は白い空間の真中にいた。
そして俺の真正面に立つ⋮⋮俺。
いや、俺ではない。
金色の髪、向日葵色の瞳、そして子供の身体を持った、今世の俺
と同じ姿のやつだ。髪色を除いては。
﹁⋮⋮お前は、俺の中にいるもう一つの魂ってやつか﹂
﹁そうだよ﹂
俺は自分の体を見下ろす。
前の世界にいた頃の体になっていた。
懐かしくも感じるが、いい気分ではない。
128
そして服装がこの世界のものだという事が違和感を感じさせる。
﹁僕はお兄さんとずっと一緒にいたんだよ﹂
﹁⋮⋮そうだろうな﹂
﹁僕は五歳まで意識を持っていたんだ。だけどね、お兄さんが突然、
僕の体に入ってきたんだよ﹂
﹁な、なに? なんだって?﹂
﹁だから、僕は五歳まで自分の体が使えたんだけど、お兄さんが入
ってきてから見るだけになったんだ﹂
﹁⋮⋮﹂
ま、待ってくれ。
それが意味するのはつまり、アレだ。
俺が思っていたものとは違う。
つまりは、俺は︱︱こいつの体を乗っ取ったことになる。
五歳まで意識があったという事は、それまではあいつがこの体を
使っていたんだ。
だが、五歳︱︱俺がこの世界に来た時から、体の主導権が俺に移
り変わった。
だからあいつは見るだけの日々を過ごしてきた。
俺は、だから、体を⋮⋮あいつから奪ったことになる。
俺は新しい体を神から授かったものだと思っていた。
この世界に生きるための新しい体を。
魔力を宿した新しい体を。
だが、実際は違う。
俺の魂がこの体を器にして動かし、元々いた魂は主導権を失った
のだ。
129
﹁お兄さん、僕はそれでも構わないんだよ﹂
﹁なんでだ? お前は体を奪われたんだぞ? 俺に﹂
﹁いいんだ。きっとあのまま僕がこの体を使っていても死んでいた。
見たでしょ? 僕がどんな状態だったか﹂
﹁⋮⋮過去に何があったんだ? お前の両親は︱︱﹂
﹁教えない﹂
俺の言葉が遮られる。
その声には、決意があった。
誰にも語らないという、強い意志を感じた。
だから俺は、追求はしない。
﹁僕の体はお兄さんにあげる。でも二つだけお願いがあるんだ﹂
﹁ああ、何でも聞こう﹂
﹁死なないでほしい。それから、楽しませてほしい﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
﹁約束だよ? 指切りしよう﹂
俺達はゆっくりと歩み寄り、指切りを交わす。
俺は誓った。
絶対に死なないと。
元々の体の主であったこいつに、ひどい目にあったこいつに、俺
が出来る事を代わりにしてあげたい。
最初の願いが﹃死なないで﹄であるならば、俺は絶対に生きてみ
せる。
⋮⋮楽しませる方法は分からないが、そちらも努力しよう。
﹁約束だ﹂
﹁うん、約束﹂
130
そして、俺は夢から覚める。
目を覚ますと、いつもよりスッキリしていた。
肩の重みが消えた気がする。
﹁︱︱絶対に生きよう﹂
俺は改めて口にした。元々死ぬ気なんて微塵もないが、生きる為
の努力をしようと思う。
エヴラールは相変わらず俺よりも先に起きていて、剣の手入れを
していた。
﹁おはようございます﹂
﹁おはよう⋮⋮どうした、晴々とした表情をしているな﹂
﹁そうですか?﹂
﹁ああ、今まで見たことないくらいに、スッキリしている﹂
﹁ちょっと、覚悟した事があるだけです﹂
﹁そうか﹂
エヴラールは短く返事をすると、また剣の手入れを始めた。
俺は外の空気を吸おうと、外着に着替えてから宿を出た。
と、思ったが、扉を出て足を踏み出せば、魔王城だった。
朝っぱらから呼び出すとは。
﹁シャルル、どうだった﹂
﹁やっぱり、あの石はそういう物だったんですね﹂
﹁ああ。とにかく、話はできたようだな﹂
﹁おかげさまで﹂
131
あの石がなければ、この事実に気づかずにのうのうと暮らしてい
た事だろう。
気分がスッキリした事もあるし、魔王には感謝だ。
﹁俺の用事はそれだけだ。またいつか会おう。その石は⋮⋮お前に
やる﹂
﹁本当にそれだけなんですかい。まあ、いいですけど。多分、二度
と会いませんよ﹂
﹁むっ、何故だ﹂
﹁もう来ませんから!﹂
﹁フハハッ! そうか、そうかッ﹂
そして、俺は宿の前まで転移していた。
きっと魔王とはまた会う。
勝負を仕掛ける予定もあるし。
﹁二度と会わない﹂と言っておきながらひょこっと現れればドッキ
リ大成功だ、きっと。
そうして、俺は散歩をした後、エヴラールと体術の訓練をした。
話は変わり、魔王の統括するこの国は、ヴェゼヴォルの真中に位
置している。
俺達はレイノルズから時計回りに移動して、ここに辿り着いたわ
けだ。
そして、そのままヴェゼヴォル大陸を一周する予定だったが、予
定変更を修行中に伝えられた。
ルーノンス大陸の王国から、重要な仕事の依頼が来ているらしい。
だから、俺はヴェゼヴォル大陸一周を諦めることにした。
132
だが、まあ、ヴェゼヴォル大陸半周は良い経験になった。
アルフとの出会いもその一つだが、実戦経験を積めたのも大きい。
後のほうから、ヴェゼヴォルの魔物はルーノンスの魔物よりも強
いと聞いた。
道はあまり整備されていないし、荒れた環境で育ったから、ルー
ノンスの魔物よりも気性が荒いんだと。
兎にも角にも、俺達はルーノンス大陸へ戻る事となった。
133
し、静まれ......俺の腕よ......怒りを静めろ!!︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
134
挿話 ﹃魔王﹄︵前書き︶
ただのおまけ。読まなくても問題なし。
135
挿話 ﹃魔王﹄
魔王ジノヴィオスは、シャルルとの二度目の対話を終え、王座に
腰を下ろした。
﹁あの石、渡して良かったのですか?﹂
何処からとも無く突然現れた、紫色の髪に金色のメッシュの女が
言った。
露出度の高い服装からは想像も出来ない優しさに満ちた声と、表
情と、言葉遣いに違和感を覚えずにはいられない。
だが、背中から生える翼は、物語の中でみる悪魔のものだった。
﹁良いんだ。もう一人との対話も大事だろう。それで精神の安定に
繋がるなら、それでいい﹂
﹁⋮⋮精神の安定、ですか﹂
﹁ああ。アイツは、﹃白﹄過ぎる。そして、﹃不安定﹄過ぎる﹂
ジノヴィオスは息を吐き、女に差し出されたワイングラスを受け
取ると、さっそく口に付けた。
本来するべきではない飲み方︱︱一気飲みをしたジノヴィオスは、
女にグラスを突き出し、無言でもう一杯と伝える。
何なら瓶で飲めばいいのに。ジノヴィオスの使い魔の一人がそう
言った時、魔王は﹁行儀がワリィだろ﹂と答えた。
魔王のくせに、何を言うのか。
﹁まあでも、しばらくはあのエヴラールと一緒にいるんだろうよ。
例えシャルルがすぐに暴走しようとも、エヴラールならそうなる前
に殺すだろ﹂
136
﹁そう、ですかね⋮⋮。エヴラールさんが情の移った相手を殺せる
のでしょうか?﹂
﹁あいつなら殺る。絶対に殺る﹂
﹁何故、断言出来るのですか?﹂
﹁あいつは友人や党の仲間を殺したことがある人間だ。ガキ一人殺
すのに躊躇なんかしないだろうよ﹂
ジノヴィオスがそう言うと、女はこれ以上何も言わずに、口を閉
じた。
タイミングを見計らったかのように、もう一人、女が姿を現す。
紫の髪に、黒いメッシュの入った女。もう一人の女と同じ様に、
背中からは翼を生やしている。
露出度の高い服装がお似合いで、視線もどこか誘惑的だ。
﹁それよりも、彼、すごい可愛い﹂
﹁シャルルか?﹂
﹁そう。食べちゃいたいくらい﹂
黒メッシュの女は舌なめずりをしながら言った。
獲物を見つけた野獣でも、ご馳走を前に出された時の貧乏人でも
ない舌なめずり。
これは、百パーセントのエロスだ。
﹁今度会わせてやる﹂
﹁ふふっ、楽しみね﹂
﹁それよりも、戦ってみたいぜ!﹂
いつの間にかいた赤メッシュの女が活発的な声で言う。
突然響いた大声に、ジノヴィオスと二人の女は耳を押さえた。
137
﹁いきなり大声を出すな﹂
﹁すみません!﹂
ジノヴィオスが言うも、反省の色はなく、謝罪の声も大きかった。
どこのばくおんポケモンだと突っ込みたくなるところだが、異世
界人の魔王にそんな突っ込みが出来るはずもなく。
ジノヴィオスに出来る突っ込みは、精々下の方ぐらいだろう。
﹁それにしても心配ねぇ﹂
﹁ああ。﹃教会﹄の人間と接触しないことを祈るばかりだ﹂
おそらく、祈る先は神ではなく、邪神や魔神なのだろう。魔王な
のだから。
だが、祈りというのは大体が死亡フラグという奴で、失敗フラグ
という奴で、特に相手が邪神であるなら、尚更だ。
それに気づいたジノヴィオスは、﹁あっ﹂と声を漏らす。
金メッシュの女はジノヴィオスの珍しい声に首を傾げた。
﹁どうしました?﹂
﹁いや、魔王の俺が祈るのは邪神だろ?﹂
﹁まあ、そうなりますね﹂
﹁なら、逆に実らないんじゃないかと思ってよ﹂
﹁⋮⋮﹂
全員が、黙った。理解し、確かにそうだと驚いたわけではない。
馬鹿な事を考えていた魔王に、全員が呆れていたのだ。
この見た目で天然ボケはちょっと無い、と思う女三人。
﹁今、失礼な事考えなかったか? お前ら﹂
﹁いえ、気のせいですよ﹂
138
﹁それにしても心配ねぇ。あの子、早々に始末されたりしないかし
ら﹂
﹁ま、今のアイツなら大丈夫だろうよ﹂
ジノヴィオスはグラスに入ったワインを流し込み、空になったワ
イングラスを金メッシュに持たせると、立ち上がって、王の間の扉
に向かって歩を進めた。
﹁さて、動くか﹂
呟いた魔王の後を、六人の羽を生やした女が着いて行く。
某クエストでも、ここまでのパーティメンバーは連れて行けない
というのに。
男と、魔王の接触。そして、男と、少年の接触。
重なる出会いによって、物語は始まり、終わりへの道を描き始め
た。物語ではなく、少年の愛した物の終わりが。
139
孤児院で・前編
帰りはいつもより少しだけペースを上げた。
そのおかげで、約一ヶ月でレイノルズに戻ることが出来た。
しかし、レイノルズでゆっくりと休むわけではない。
エヴラールの王国からの呼び出しがあるからだ。
お偉いさんの呼び出しに早めに応じるのは、何処の世界でも変わ
らない。
王国はレイノルズから真っ直ぐ北に向かった場所にある。
だが、エヴラールは途中で俺を友人の所へ預けるというのだ。
シャルルを仕事には巻き込みたくない、と言っていた。
危ない仕事をしているとも言っていたし、やはり子供である俺を
連れては行きたくないのだろう。
行っても足手まといにしかならないと思う。
だから俺はエヴラールに従う。
レイノルズを出て約二週間、街にやってきた。
最初に訪れた商業国ザロモンと王制国の間ぐらいに位置している
街だ。
王制国とか街とか村とか国とか、俺も最初は混乱していた。
だが、紙に書けば覚えるのは簡単だった。
このルーノンス大陸には五つの国がある。
140
何故、街ではなく国なのか。
街の規模は、前世の東京都のあきる野市と八王子市と奥多摩町、
それと檜原村を足したぐらい。
国の規模は、東京都全体だ。
村は様々な大きさがあるが、八王子市以上の規模はないだろう。
そして、王国の規模は普通の国よりも大きいのだ。
だが、これらはあくまで、ルーノンスでの話だ。
ヴェゼヴォルでは基準が変わる。
そちらはまだ把握していないが、感覚的に、ルーノンスで言う街
がヴェゼヴォルでは国になるのだろう。
今いるのは、キュリスという街だ。
大きくもなく、小さくもなく、可もなく不可もない普通の街。
この街にエヴラールの友人がいると言う。
どんな人なのか楽しみだ。
フーガを馬屋に預けてから、しばらく歩いて、一つの建物の前で
エヴラールが深呼吸をした。
心なしか、エヴラールは少し緊張しているように見える。
建物の門は閉まっていた。
門の隣には、﹃アメリー孤児院﹄と書かれた木の板がある。
⋮⋮孤児院?
預けるって、俺を、孤児院に?
いやいや、早とちりは良くないな。
﹁すまない、エヴラールだ﹂
141
俺が一考している間に、エヴラールは門を開けて、扉を叩いてい
た。
しばらくして扉から顔を出したのは、女の人だ。
金色の髪に白い肌と豊満な胸、柔らかい笑顔を浮かべたその人は
まるで、そう、女神だった。
﹁あら、久しぶりね、エヴラールさん﹂
﹁ああ、久しぶりだな﹂
﹁とりあえず、中に入って﹂
﹁すまない、邪魔する﹂
緊張した面持ちのまま、エヴラールは中に入っていく。
俺も駆け足でエヴラールの後を追った。
孤児院の中は幼稚園に似た構造をしていた。
なんだか少しだけ良い匂いもする。
幾つかの部屋を通り過ぎたところで、女神の足が止まった。
﹁どうぞ﹂
促され、部屋に入る。校長室の様な部屋だ。
ソファが向い合う様に配置され、ソファの間にはテーブルが置か
れている。
窓際には、書類の置かれた机があった。
エヴラールが右側のソファに座ったので、俺はその隣に座った。
女神は俺達とは反対側のソファに腰を下ろした。
素晴らしい。
142
素晴らしいよ!
何がって、座るときに見えた胸元だよ!
﹁それで、エヴラールさん、今日はどうしたの?﹂
﹁ああ、コイツなんだが⋮⋮﹂
﹁もしかして、息子さん?﹂
﹁いや、息子ではないんだが、まぁ、息子のように思っている。俺
の弟子だ﹂
エヴラール、今の言葉には感動したよ。
お前に拾われてよかったと、俺は思うぜ。
⋮⋮という感動は一先置いておいて、初対面の相手なのだから、
自己紹介をしなくてはならない。
この世界の礼儀作法とかはよく分からないので、立ち上がり、頭
を下げた。
﹁どうも、初めまして。シャルルと申します﹂
﹁あら、ご丁寧にどうも。私はアメリー、よろしくお願いします、
シャルル君﹂
﹁よろしくお願いします、アメリーさん﹂
自己紹介を終えると、アメリーは柔らかい笑顔を浮かべてエヴラ
ールに向き直った。
﹁それで、シャルル君がどうしたの?﹂
﹁しばらくここに置いておきたい﹂
ですよねー。
わかってました。
143
﹁あら、何故? 仕事?﹂
﹁まあな、王国からのだ⋮⋮危険になると思うから、シャルルは連
れて行きたくない﹂
﹁そういうことなら、喜んで引き受けるわよ﹂
﹁すまないな⋮⋮﹂
交渉成立、か。
エヴラールと離れる事になるが、ここに居るという事は、俺は毎
日女神の神聖なる胸を拝めるという事だ。
ありがとう、エヴラール。
﹁さて、俺はもう行くとするよ﹂
﹁あら? もう行ってしまうの? そんなに急ぎ?﹂
﹁ああ、休憩は向こうで取る﹂
﹁そう⋮⋮﹂
王国からの呼び出しはそこまで重要なのだろうか。
まあ、仕事に真面目なのはいいことだ。
元社畜としては、あまり見たくない光景だが。
エヴラールは立ち上がり、部屋を出ようとしていた。
俺は慌ててエヴラールの後ろにつく。
見送りはしなければならない。寧ろしたい。
門の前まで、言葉を交わすこともなく歩いた。
エヴラールは振り向き、俺の頭を撫でる。
﹁元気でやれよ。アメリーの言う事は絶対に聞け。いいな? 絶対
だぞ。鍛錬も怠るな﹂
144
﹁はい、わかってます。エヴラールさんもお元気で﹂
エヴラールは微笑を浮かべて、俺の頭から手を離す。
アメリーに視線を向けると、軽く頭を下げた。
﹁行ってらっしゃい、エヴラールさん﹂
﹁ああ、行ってくる﹂
そして、エヴラールは馬屋の方へと歩いて行った。
少しだけ寂しいな。
エヴラールの姿が見えなくなると、俺は扉の前で待っているアメ
リーの元まで駆け足で近寄った。
アメリーは柔らかい笑顔を浮かべて俺の頭を撫でた。
﹁寂しい?﹂
﹁⋮⋮少しだけ﹂
俺が答えると、アメリーが抱きしめてくれた。
柔らかいものが顔を包んで、少し息苦しくなったが、いい匂いが
して、安心した。
女神の力は凄いな。
﹁さて、それじゃあシャルル君、付いてきて﹂
﹁わかりました﹂
残念!
もう少しあの柔らかい感触と安心感を味わっていたかったが、実
145
に残念だ。
胸の感触を思い出しながら連れて来られた先には、子供がたくさ
んいた。
ロリとショタがたくさんおるで。
俺が部屋に入ると、子どもたちの視線が俺に集中した。
残念ながら、見られて興奮する性癖は︱︱ないとは言い切れない
が、今は効かない。
この世界に来てから俺はずっと賢者モードなのだ。
多分、シャルルのせいだろう。
シャルルとはこの体の元々の所有者の事だ。
どうやら、俺の付けた新しい名前は、シャルルと一緒だったらし
い。
﹁アメリーさん! そのこだれー?﹂
﹁くろかみ!﹂
﹁みて! 剣だよ! 剣!﹂
しばらくの静止の後、子どもたちが騒ぎ出した。
﹁どうも、皆さん初めまして、名前はシャルル、年齢は七歳です﹂
集められた子どもたちの前で、俺は自己紹介をした。
子どもたちは俺に視線を集め、興味を示している。
ほとんどの子達が明るい表情をしているが、暗い顔をした子もい
る。
﹁うん、それじゃあ、私はお洗濯しなくちゃいけないから、皆はシ
146
ャルル君と話していてね﹂
﹁えっ?﹂
﹁シャルル君、よろしくね﹂
そう言って、俺にウィンクをするアメリー。
確かに美しい。
ウィンクで俺の心が奪われるかと思った。
でも、俺に子供の世話をしろって言うんですかいな⋮⋮。
困惑する俺の苦笑を気にすることもなく、アメリーは部屋から出
て行ってしまった。
﹁シャルルお兄さん! その剣触ってもいい?﹂
﹁ねえ、お兄さんどこから来たの?﹂
﹁一緒に遊んでー!﹂
子どもたちが同時に喋りだし、何を言っているのかわからなくな
る。
名前と年齢だけじゃ、相手は知れないのは当然だ。
インタビューの時間と行こうじゃないか。
﹁よし! 俺に質問がある人は並んでください! 順番にお話をし
ましょう!﹂
俺が言うと、子どもたちは慌てて列を作り出した。
数秒で長い一列が出来上がり、俺のサインを待つファンの様だ。
少しだけ、有名人気分を味わう事にしよう。
﹁では、一番目、僕はシャルル、君は?﹂
﹁僕はポール! お兄さん、その剣触ってもいい?﹂
﹁ダメだよ、危ないからね﹂
147
﹁えー、お兄さんは大丈夫なの?﹂
﹁ちゃんと鍛えたから﹂
﹁へえ﹂
こうして、一人目のポールから、二人、三人と順番に会話をし、
最後の一人まで話し終えた。
俺より下の年が、数十人いて、年上が十数人、同い年が七人ぐら
いだ。
暗い雰囲気をした子どもたちには、俺から話しかけた。
ネガティブな感情は周りにも影響を与える。
俺がどうにか助けてあげたいという気持もあり、なるべく優しく
話しかけた。
皆が俺の剣とペンダントに興味を持った。
ペンダントというのは、魔王に貰った黒い宝石の事だ。
丁度いいサイズだったので、ペンダントにした。
皆との会話も終わったので、アメリーの洗濯を手伝おうと思い、
部屋を出た。
何処にいるかはわからないので、それっぽい場所を探す。
アメリーは、庭にいた。
おばさん二人とアメリーで洗濯をしている。
洗濯機のないこの世界、洗濯はもちろんの事手洗いだ。
手洗いは手が荒れるから、女性にはあまりお勧めしない。
﹁アメリーさん﹂
﹁あら、シャルル君、どうしたの?﹂
148
﹁お手伝いに来ました﹂
﹁遊んでいても良かったのに﹂
﹁いえ、騒がしいと肩が凝ってしまって﹂
﹁ふふっ、おじさまみたいよ?﹂
これでも中はおっさんなんです。
すみません。
と、ここで視線を感じた。
おばさん達だ。
俺とアメリーを微笑ましい物でも見るかのような温かい目で見て
いた。
﹁どうも、初めまして、シャルルです﹂
俺は自己紹介をして、おばさん二人に頭を下げた。
初対面の相手への挨拶は大事だ。
﹁おやおや、よく出来た子だねぇ。私はバルバラさ。よろしく﹂
﹁私はカーラさ﹂
﹁よろしくお願いします、バルバラさん、カーラさん﹂
おばさん二人への挨拶を終えたとこで、アメリーに向き直る。
泡が顔に付いているので取ってあげた。
子供のために一生懸命、そんな印象を受ける。
﹁僕は何をしましょうか﹂
﹁そうね⋮⋮じゃあ、干すのを手伝ってくれる? シャルル君の服
も洗っちゃうから、脱いでね﹂
﹁はい、わかりました﹂
149
俺は言われたとおり、下着以外の服を脱いでアメリーに渡すと、
カーラさんが新しい服をくれた。
ショートパンツに少しぶかりとしたシャツだ。
いつもぶかぶかの長いパンツを履いていたので、ショートパンツ
は懐かしい感じがする。
新しい服に着替え、服を干そうとしたが、物干し竿が高いので今
の俺の背じゃ届かない。
なので、土魔術で足場を造ることにした。
﹁⋮⋮はい、どうぞ﹂
驚いた顔をしながら、濡れた服を渡された。
魔術を使ったことに驚いたのか、無詠唱なのに驚いたのか、それ
は分からないが気にすることでもない。
俺は普通に受け取り、服を干した。
使うのは木製の洗濯バサミだ。
この世界にプラスチックはない。
約一時間後、洗濯を終えた俺は、アメリーに最初に入った校長室
の様な部屋に呼び出された。
アメリーは既にソファーに腰を掛けていて、お茶を啜っていた。
﹁いらっしゃい。シャルル君もお茶でいい?﹂
﹁お構いなく﹂
お茶を用意するアメリーのお尻をちら見しながら、ソファーに腰
150
を下ろした。
お茶を淹れる姿にも品があるこの人は本当に凄い。
おっぱいも凄い。
﹁はい、どうぞ﹂
﹁ありがとうございます﹂
出されたお茶に礼を言い、早速口をつけ︱︱ようとし、カップを
下ろした。
もう少し冷ましたほうがいいと思う。
﹁シャルル君、あなたとも話をしないといけないね﹂
﹁話⋮⋮?﹂
﹁うん、私達、お互いを知らないから﹂
﹁なるほど﹂
お互いの事を知ろうという事か。
だが、俺の話すことは少ない。
違う世界から来たと話すつもりはないからな。
﹁シャルル君はどうしてエヴラールさんと旅をしているの?﹂
﹁拾われたから、ですかね﹂
﹁拾われた⋮⋮。親は?﹂
﹁知りません。五歳より前の記憶がないので﹂
シャルルは過去を語らない。
だから、俺はシャルルの五歳より前の出来事を知らない。
無理に聞き出すこともないから、記憶が無いと言えばいいだろう。
﹁そう、なの﹂
151
﹁まあ、特に気にしているわけでもないですし、大丈夫です﹂
﹁それで、その後はずっと旅を?﹂
﹁はい、最初は︱︱﹂
俺はライヒ村からここまでの経緯を話した。
アメリーは時々相槌を打つだけで、特に喋ることはなかった。
俺が話し終わると、アメリーはくすりと笑う。
﹁どうしました?﹂
﹁あまりにも楽しそうだから﹂
﹁楽しかったですよ﹂
言われてみれば、興奮を抑えることはできていなかったかもしれ
ない。
年甲斐もなく騒ぐのは恥ずかしいが、俺にとってこの世界での出
来事は大きいのだ。
魔術、剣術、種族や魔物、新しい物がたくさんあった。
興奮するなと言われる方が難しいだろう。
﹁次は私の番ね?﹂
﹁はい﹂
アメリーは、昔を思い出すようにぽつりと話し始めた。
彼女は小さな村で生まれた普通の子供だった。
魔法に興味をもった頃、彼女は自分の才能に気づいた。
魔力が周りの人よりも多かったのだ。
それを知ったアメリーは早速、魔術の勉強をした。
特に興味をもったのが、聖魔術。
アメリーの母は病で寝たきりだった為に、聖魔術に惹かれたとい
152
う。
治癒魔術を使って母の病気を治せるかもしれないと、アメリーは
治癒魔術を猛勉強した。
だが結局、どの治癒魔術でも母を治す事はできず、最終的には亡
くなってしまったそうだ。
それから父の励ましと応援により、独り立ちをした。
冒険者を始め、出会ったのがエヴラール達のパーティ。
アメリーは、母を救えなかった自分の力を、パーティの仲間に使
おうと決意した。
後に、﹃女神アメリー﹄という二つ名で呼ばれるようになった。
パーティで数々のクエストを熟し、パーティメンバーの全員が特
級級冒険者となった後、エヴラールはパーティにいた女性と結婚。
それを期にパーティはリズムよく解散し、皆が新しい目標のため
に動いた。
そして最終的に出来上がったのが、この﹃アメリー孤児院﹄だ。
﹁エヴラールさん、パーティメンバーと結婚したんですね﹂
﹁ええ、幼馴染だと言っていたわね﹂
幼馴染と結婚か。
いいなぁ、俺も家が隣の美少女幼馴染が欲しかったなあ。
﹁シャルル君、これから晩御飯をつくるの。手伝ってくれる?﹂
﹁勿論ですとも﹂
気づけば、時刻は既に五時半を過ぎていた。
晩飯の準備には丁度いい時間だろう。
153
約四十人の子供がいるわけだし。
晩御飯は子どもたちと一緒に食べた。
いつもはエヴラールと酒場や食堂で静かに食べていただけだから、
こういうのは久しぶりだ。
騒がしい食卓も、悪くないと俺は思う。
﹁アメリーさん、きょうもおいしいです!﹂
﹁ありがとう、シャルル君も手伝ってくれたのよ?﹂
﹁えー! 僕も手伝いしたかったー!﹂
口をとがらせる子供、笑顔で食べる子供、相変わらずの暗い表情
で食べる子供、頬に食べ物を詰めてハムスターの様になっている子
供。
この孤児院にはたくさんのタイプの子供がいる。
明日、改めて皆と話をするとしよう。
食後、俺は剣の手入れを庭でする。
ここは星がよく見えて綺麗だ。
欠けた月も、また味よの。
この剣も、愛剣と呼べるぐらいには長く使っているだろう。
エヴラールに買ってもらった剣。俺の宝物だ。
前の世界でやっていたゲームでも、これに似た剣は長い間使って
いたし。
154
﹁シャルル君﹂
俺が剣を見つめていると、後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこには赤髪の少女がいた。
155
孤児院で・前編︵後書き︶
﹁お名前は?﹂
﹁クロエだよ﹂
﹁お幾つですか?﹂
﹁七さ∼い﹂
﹁同い年ですね。クロエさんはこの場所、好きですか?﹂
﹁うん、好きだよ。アメリーさんは優しくていい人だから﹂
﹁アメリーさん、美人ですしね﹂
﹁うん。皆アメリーさんが大好きなんだ∼﹂
﹁好かれるでしょうね。アメリーさんには包容力がありますから﹂
﹁ほうよー?﹂
﹁心が大きいって事です﹂
﹁へ∼﹂
﹁クロエさんは、アメリーさんの様になりたいですか?﹂
﹁うん、アメリーさんみたいになれたら、すごいだろうなぁ⋮⋮﹂
﹁じゃあ、おっぱいも大きくならないとですね﹂
﹁うん! 頑張る!﹂
156
孤児院で・後編
真っ赤な髪が印象に残っていたので、名前は覚えている。
﹁こんばんは、クロエさん﹂
俺が挨拶をすると、クロエはポニーテールを揺らしながら、首を
横に振った。
﹁﹃さん﹄はいらないよ、同い年なんだから﹂
﹁なら、俺もシャルルでいいよ﹂
﹁うん、それでね、シャルル⋮⋮実はお願いがあって﹂
﹁何?﹂
多分、剣を触らせてくれとか、そういうのだろう。
魔術は誰にも見せていないから、魔術に関して聞かれることはな
いだろう。
﹁私と、お友達になってください﹂
﹁いいよ﹂
即答してしまった。
わかっている、分かっているさ。
俺は友だちが少ない。
二人目の同い年の友人だ。
べ、別に嬉しくなんかないんだからね!
それに、断れるわけがないのだ。
上目遣いでこんな事を言われて、断れる方がおかしい。
157
﹁えっ、本当!? ありがとう! よろしくね、シャルル!﹂
﹁ああ、よろしく﹂
こうして俺は、同い年の友達二号が出来たのだ。
カ、カイの事を忘れかけていたなんて、そ、そんな事はないぞ⋮
⋮。
﹁それじゃあね、シャルル﹂
﹁ああ﹂
俺と友達になるためだけに来たらしく、クロエは院内に戻ってい
った。
俺は剣の手入れを再開する。
﹁ふぁあ⋮⋮眠い﹂
まだ十時ぐらいだというのに、もう既に眠くなっていた。
早寝が習慣となってしまっている。
悪いことではないからいいのだが。
手入れを終え、院内に戻り、アメリーの元へと向かった。
寝室には二段ベッドが並んでいて、皆がそこで寝るわけだが、空
きがあるかは分からない。
確認と承認の為に、アメリーを探した。
アメリーは院長室︱︱最初に来た校長室の様な部屋にいた。
158
﹁あら、シャルル、丁度いいわ、いらっしゃい﹂
﹁なんでしょう?﹂
﹁寝室よ﹂
﹁なるほど﹂
向こうも、俺の寝床についてはちゃんと考えてくれていたようだ。
俺はアメリーに手を引かれ、廊下を歩く。
どの部屋にも明かりは点いていない。
十時が消灯時間なのだろう。
連れて来られたのは、予想通り寝室で、四つの二段ベッドが置い
てある。
その一つ、左手側奥のベッド、空いているスペースがあった。
二段目じゃなく、一段目だ。
空いているのはいい。
それはいいことだ。
だが⋮⋮全員女の子だ⋮⋮。
﹁あ、あの、アメリーさん⋮⋮﹂
﹁ごめんね、ここしか空いてなくて⋮⋮﹂
﹁は、はあ⋮⋮これは流石にマズイんじゃ?﹂
﹁いつか調整するから、しばらくはこれで我慢して? お願い﹂
﹁わかりました﹂
お願い、だなんて言われては答えは﹁イェス﹂一択じゃないか。
少し困った表情もされてしまったし。
アメリーにはあまり迷惑をかけたくない。
159
それに、エヴラールに言われたしな。
﹁アメリーの言う事は絶対に聞け﹂って。
﹁ごめんね、シャルル君﹂
﹁いえいえ、大丈夫です﹂
それに、俺はまだ七歳だ。
えっちな事なんてまだ知らないのだ。
﹁それじゃあ、おやすみなさい、シャルル君﹂
﹁はい、おやすみなさい﹂
アメリーの優しい声に、笑顔で返事をした。
俺の返事を聞くと、アメリーは満足気な笑顔を浮かべて部屋を出
た。
俺はため息を漏らし、ベッドまで足を運んだ。
ベッドはあまり柔らかくなかった。
宿の物よりランクは下がる。
だが、文句を垂らす程ではない。
何はともあれベッドだしな。
﹁シャルル∼﹂
俺がベッドの端に腰を下ろすと、頭上から声が聞こえた。
先ほど聞いたばかりの声だ。
﹁上にはクロエか﹂
﹁うん、そうだよ﹂
160
﹁お邪魔します﹂
﹁いえいえ、丁度よかったよ。なんだか寂しかったから﹂
﹁そうか﹂
年端もいかない子供の下で寝る、か。
なんだか⋮⋮興奮する。
﹁おやすみ、クロエ﹂
﹁うん、おやすみ﹂
俺は周りの子達の寝息を聞きながら、眠りについた。
︱︱︱︱︱︱
翌日、目を覚ますと、体に何かが纏わり付いているのを感じた。
温かくて柔らかい、何かが、俺の体に絡みついている。
﹁んん⋮⋮﹂
﹁⋮⋮こ、これは﹂
俺は眼を見開いた。
俺に纏わりついていたのは、クロエだった。
﹁ヘイ、グッモーニン、クロエ? ヘロー?﹂
﹁ん∼、あと、もう少し⋮⋮﹂
161
困った。すごく困った。
このままだと、俺の息子がウェイクアップしてフィーバーだ。
﹁クロエ! おはよう!﹂
﹁ん∼?﹂
﹁やあ、おはよう、クロエ﹂
﹁⋮⋮ん、おは︱︱んなっ!? 痛っ!﹂
クロエは突然飛び上がり、頭をベッドの底に打ち付けた。
頭を抑え、悶えている。
しかし、何をそこまで驚くのか。
自分で俺のベッドに潜り込んだというのに。
﹁大丈夫か?﹂
﹁うぅ、大丈夫﹂
﹁説明を求む﹂
﹁わ、わからないよ⋮⋮起きたら、目の前にシャルルがいて⋮⋮﹂
﹁無意識って事か?﹂
﹁多分、寝ている間に⋮⋮﹂
つまり、寝ている間に起き上がり、俺のベッドに潜り込んだと。
どうすればそうなるんだ。
夢遊病とかだろうか?
﹁とりあえず、服を直して﹂
﹁え? あっ! シャルル、見ないで!﹂
﹁へいへい、見てませんよ﹂
レディーのはしたない姿を凝視するほど、できてない男ではない。
俺は紳士なのだ。
162
目を隠すために閉じた指に隙間が空いているのは、指が勝手に動
くからであって、俺のせいではなく、指のせいなのだ。
﹁クロエ、朝食ってどうするんだ﹂
﹁え、えっと、アメリーさんが作ってくれるよ﹂
﹁そっか﹂
なら、俺はアメリーの手伝いをしなくてはならない。
未だに服の乱れたクロエを尻目に、部屋を出た。
朝食をつくるのだから、厨房にいるんだろう。
﹁おはようございます、アメリーさん﹂
﹁おはよう、シャルル。早いのね﹂
﹁習慣です﹂
そういえば、まだ六時ぐらいだ。
クロエには悪いことをしたな。
後で謝っておこう。
﹁それで、僕は何をしましょうか﹂
﹁朝から手伝い?﹂
﹁はい、暇ですし﹂
﹁そう、なら、パンを焼いてくれるかしら﹂
﹁お任せください﹂
朝食の準備を終えた頃、子どもたちが起きてきた。
だが、クロエの姿が見えない。
心配になり、寝室に戻った。
163
﹁クロエ?﹂
クロエは、彼女のベッドで、毛布を頭から被り丸まっていた。
そこまで恥ずかしい思いをさせてしまっただろうか。
﹁ごめんな、クロエ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁俺が礼儀知らずなばっかりに。本当にごめん﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁朝食、もう出来たからおいで﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁クロエの分、残しておくからお腹が空いたらおいで﹂
感じた恥ずかしさは、そう簡単に拭えるものではない。
しばらく俺とは顔を合わせたくないのだろう。
それに、夜にベッドに潜り込んだ時点で気づくべきだった。
エヴラールに野宿をさせてもらえなかった理由が分かった。
俺は丸まっているクロエを置いて、部屋を出ることにした。
流石に俺とはいたくないだろうし。
後で出てきたら、また謝ろう。
食堂では、子どもたちが既に食事を始めていた。
俺も手前の空いた席に座り、自分の分のパンと卵を取る。
準備中にコーヒーはないかと聞いたが、ココアしかないそうなの
で、ココアをアメリーから受け取った。
俺はココアを啜りながら、今後の予定を立てることにした。
164
︱︱︱︱︱︱
俺は勉強に参加しなくてもいいと言われたので、今日は参加しな
い。
やる事があるからだ。
まずは、街を見て回らなくてはならない。
住んでいる街を知らないというのは、流石にダメだろう。
それに、トレーニングもしなくてはいけない。
一日も怠るなとエヴラールに言われている。
走り込みに素振り、後はソロでクエストだ。
クエストは独断になるが、冒険者なのだからやってもいいはずだ。
お金もいるし、経験値も必要だから。
ソロでクエストをするのは初めてになるが、まあ大丈夫だ、きっ
と。
﹁さて﹂
本日の予定は、トレーニング、観光、クエスト、アメリーの手伝
いで決定だ。
俺は早速、庭に行き、着慣れた服に着替える。
着替えは庭で行ったが、まだ子供だから大丈夫さ、それくらい。
着替えた後、子どもたちに授業をしているであろうアメリーの元
へ向かった。
勉強部屋にノックをしてから入った。
165
アメリーは俺に気付き、授業を一旦中断し、俺の元へ寄って来た。
﹁少し外に出てきます﹂
﹁気をつけてね、危ない人には付いて行っちゃだめよ?﹂
﹁わかってます、エヴラールさんにも散々言われました﹂
﹁あの人らしいわね。うん、それじゃ、行ってらっしゃい﹂
﹁はい、行ってきます﹂
アメリーに許可を貰ったところで、クロエが授業に出ていること
に気がついた。
クロエは勉強に集中している。
邪魔をするわけにはいかないので、そのまま部屋を出た。
孤児院を出ると、俺は早速走りこみをした。
真っ直ぐ、行き止まりまで走る。
走り込みの後は、適当な空き地を見つけて素振りだ。
剣はちゃんと二本持ってきた。
治安は良さそうだが、万が一がある。
素振りを終えれば、観光だ。
町の入口まで走り、順番に回る。
この街は、どこからどこまでもが普通だった。
道具屋があり、武器屋があり、防具屋があり、冒険者ギルドがあ
り、住宅街、その他もろもろがある普通の街だ。
特記すべき事もない、普通の街。
石畳の道路、木と石で出来た家、人の数も多くなく少なくない。
166
観光を終えた頃には、時刻は一時を過ぎていた。
小腹が空いてきたので、エヴラールに貰ったお小遣いで菓子パン
を買って食べた。
食べながら、冒険者ギルドへ向かう。
冒険者ギルドは、中々に賑わっていた。
何があったのかは知らないが、騒いで踊って飲んで食っている。
特に気にすることでもないので﹃依頼掲示板﹄まで向かった。
﹁どれにしよう﹂
俺はまだ五級冒険者なので、報酬のいいクエストがない。
とりあえず、候補として三つだ。
ゴブリン討伐、オーク討伐、ゾンビ討伐。
どれか一つ選ぶのは面倒なので、今日はゴブリン、明日はオーク、
明後日はゾンビで行こう。
俺はゴブリン討伐の依頼紙を掲示板から剥がしてカウンターまで
持っていった。
俺が右腕を突き出すと、カウンターのお姉さんが何かを書き込ん
だ。
書き込まれた文字は光の輪となり、見えなくなった。
これで依頼受理完了だ。
俺はゴブリン討伐依頼の紙に目を通した。
﹃森でゴブリンが大量発生。なるべく多く処理願う﹄との事だ。
森とは街の東側にある森林だろう。
俺は早速、森へと向かった。
167
森に入ってから五分、早速ゴブリンを発見した。
緑色の肌にボロボロの服、出っ張った腹に尖った耳、裂けた口か
ら覗く牙に皮の帽子。
まさにゴブリンだ。
俺は気配を殺して近づき、陰から魔術で仕留める。
﹃氷槍﹄を三本形成、魔力を送り込み速度を調整、そして発射。
氷槍は、見事に三体のゴブリンの胸を貫いた。
そして、俺の手首には﹁3﹂を表す文字が浮かび上がる。
手首には討伐数が表示されるのだ。
仕組みは分からないが、魔術である事には間違いない。
︱︱︱︱︱︱
良いテンポでゴブリンを片付けていき、クエスト開始から一時間
で手首には﹁32﹂を表す文字が浮かび上がっていた。
一体で銅貨一枚だと書いてあるので、銅貨三十二枚、つまり大銅
貨三枚と銅貨二枚だ。
俺からしてみれば、これは良い収入だ。
七歳が三百二十円も貰えるのだから。
俺はギルドへと戻り、カウンターへと向かった。
カウンターのお姉さんに手首を見せ、依頼完了だ。
手首を見せた時、お姉さんは一瞬表情を崩したが、すぐに営業ス
168
マイルを浮かべた。
まあ、七歳の子供が三十二のゴブリンを退治したのだから、仕方
がないだろう。
孤児院に戻った頃には二時を過ぎていた。
俺は皆へのお土産にリンゴを買った。
リンゴだけでは物足りない気がするので、帰り道に思いついた料
理を作ろうと思う。
アメリーに許可をもらい、厨房を使用させてもらう。
用意するものはリンゴ、砂糖、塩、白ワインの四つだけだ。
まずはリンゴを洗う。
そして四等分に切り、芯を取る。
全部で十五個のリンゴだが、すぐに終わらせる。
刃物の扱いには慣れた。
次に芯を取り除いたリンゴを少し深い容器に重ならないよう並べ
る。
砂糖と塩をまぶして、白ワインをかけて天火に入れる。
数分したら出して、容器の汁を捨てて粗熱をとって冷凍庫で冷ま
す。
冷凍庫はないので、魔術でミニ冷凍庫を造った。
全身氷製冷凍庫だ、かっこいい。
一時間半ぐらい冷やせば、大丈夫だろう。
自作冷凍庫から出し、食堂まで運ぶ。
全部運び終えた頃には、程よく溶けて、食べやすくなるだろう。
さて、完成したのが、リンゴシャーベット。
169
俺は前の世界で一人暮らしをしていたのだが、簡単に作れるデザ
ートを探していた。
そこで出会ったのが、コイツだ。
リンゴは、友人が実家から送られてきたのをおすそ分けしてくれ
ていて、使い道に困っていたのだ。
アップルパイもタルトも作るのがダルそうだったので、シャーベ
ットを作ることにしたのだ。
俺の週一デザートだった。
全部運び終えると、まだ勉強に励む子どもたちの所へ向かう。
﹁こんにちは、アメリーさん﹂
﹁厨房で何をしていたの?﹂
﹁それを見せに来ました。子どもたちを食堂に連れて行ってもいい
でしょうか? 休憩って事で﹂
﹁うん、構わないけれど⋮⋮﹂
﹁そうですか﹂
アメリーからの許可は得た。
後は子どもたちを連れて行くだけ。
﹁よし、皆さん、食堂に行きましょう。おやつを用意しました﹂
俺がそう言うと、子どもたちは喜びの声を上げて立ち上がった。
部屋を出ると、俺の後ろに子どもたちが付いてくる。
食堂に到着し、子どもたちを座らせる。
子どもたちは﹁なんじゃこれ、ただのリンゴじゃん﹂という目で
リンゴシャーベットを見ている。
残念だったな、ただのリンゴじゃないんだな、これが。
170
﹁さあ、食べてください?﹂
子どもたちは先ほどまでのテンションを失い、落胆した表情でリ
ンゴにフォークを刺す。
﹁⋮⋮﹂
食堂に沈黙が訪れる。
自然と顔が強張ってしまう。
この世界の子どもたちの口に合わない時はどうすればいいんだ。
そんな不安がこみ上げてきた。
﹁お、美味しい﹂
沈黙を破ったのは、クロエの声だった。
それに続くように、他の子たちも絶賛の声を上げる。
﹁シャルル! これ美味しいよ!﹂
朝は顔も合わせてくれなかったクロエが、頬を染めながら言った。
俺はとりあえず、笑顔を返しておく。
まあ、俺も最初食べた時は感動したものだ。
こんな簡単に美味いものが食えるのかと。
皆が楽しそうに食べる中、俺は一つ取り、口に運ぶ。
リンゴの食感と汁が口内に伝わり、甘みと酸味が舌を刺激する。
久しぶりに食べたせいか、いつもより美味く感じた。
うん、やっぱり美味しいな。
171
﹁シャルル君、こんなのどこで覚えたの?﹂
いつの間にか、後ろにはアメリーが立っていた。
﹁記憶の片隅にあっただけです﹂
インターネットの事は口に出さないほうがいい。
この世界に無い物はなるべく言わないほうがいいだろう。
だから、適当に誤魔化しておく。
﹁へえ⋮⋮これ、私にも教えてくれる?﹂
﹁もちろんですよ﹂
こうして、我らがおやつ会は成功したのであった。
︱︱︱︱︱︱
おやつ会から数週間後の朝、俺は縁側で魔術を使って遊んでいた。
氷でハンドガンを作ったり、粘土でグレネードを作ったり。
内部は作っていないのだが、外見はそっくりそのままだ。
﹁ねぇ、シャルル、それ何?﹂
ハンドガン模型とグレネード模型を指差し、クロエが聞いた。
この世界に無い物の話を避ける為、俺は適当にごまかす。
172
﹁なんだろうね、何となく思いついた﹂
﹁へぇ∼﹂
クロエはあまり興味を示さぬ様子で、間の抜けた返事をした。
﹁クロエさ、夢とかある?﹂
丁度、話し相手が欲しかった頃だったので、適当な話題を振って
みた。
﹁夢? う∼ん、世界一の女剣士になりたいかなぁ﹂
﹁お、女剣士、か⋮⋮なんでだ?﹂
﹁特に理由はないかな⋮⋮﹂
うむ、予想するに、本能だろう。
彼女の真っ赤な髪が示すのは、彼女が竜人族であるということだ。
竜人族は剣を使う事に長ける。
そんな単純な理由で、剣士になりたいと思ったのかもしれない。
﹁そういえば、シャルルは剣士だよね?﹂
﹁まあ、そうだね﹂
﹁私に剣の使い方教︱︱﹂
﹁ダメだ﹂
俺は即答する。
﹁えぇ、なんで?﹂
﹁教えられる程、力を身につけていないから﹂
﹁どういうこと?﹂
173
﹁教える人は教える事柄を三倍知らないといけないんだ﹂
俺が言うと、クロエは顰めっ面を浮かべた。
納得できていないのだろう。
﹁まぁ、なんだ、その内な﹂
﹁その内っていつ?﹂
﹁俺が強くなったら﹂
まあ、その頃には、クロエは自分で先生を見つけて剣術を覚える
だろう。
だが、クロエは目を輝かせながら、﹁わかった!﹂と返事をする
のであった。
無邪気さが引き立たせる幼さ。
幼さが引き立たせる可愛さ。
ロリって素晴らしい。
﹁シャルルは夢があるの?﹂
﹁ん∼、そうだな、たくさんある﹂
﹁たくさん? どんなの?﹂
﹁世界を旅すること、強くなること、特級冒険者になること、魔王
を倒すこと、他にもある﹂
﹁ま、魔王様を倒すって、そんなの無理だよ?﹂
クロエが心配した様子で俺の顔を覗きこんだ。
﹁やってみないと分からないさ﹂
そう、やってみないと分からない。
174
第一目標がアルフとエヴラール、そして第二目標が魔王だ。
最初に魔王を倒すなんて事は流石に言わない。
ステップバイステップ、階段は一段ずつ登った方がいい。
﹁それじゃ、俺は少し出かけてくるよ﹂
今はお昼すぎだ。
トレーニングは朝に終わらせたので、これからクエストを受けに
行く。
﹁分かった、行ってらっしゃい﹂
﹁ん、行ってきます﹂
俺は軽くクロエの頭を撫でてから、院内を出た。
今日の冒険者ギルドはそこまで盛り上がってはいなかった。
煩くても煩くなくても関係ない。
俺は掲示板まで駆け寄り、オーク討伐依頼の紙を剥がした。
昨日の手順でクエストを受理し、ギルドを後にする。
昨日、ゴブリンが出た森の奥にオークがいる。
どうせオークなんて豚顔の人が少し大きくなったぐらいだろうと
思っていのだが、俺が目にしたオークは、
﹃オオオォォオォオ!﹄
なんて雄叫びを上げていて、高さは2メートル半ぐらいだ。
武器は棍棒だけだが、ゴブリンの持っていた物の倍はある。
175
陰から仕留めてやろうと思っていたのだが、道端で偶然オークと
出会ってしまい、正面からの戦闘となる。
オークは威嚇をするだけで、襲ってくる様子が無かったので、先
制攻撃を仕掛けようと両手に一本ずつ﹃氷槍﹄を造形。
速度は音速、強度は鉄レベルに調整。
そして、オークに飛ばした。
オークの両足に氷槍が貫かれた。
奴はまた雄叫びを上げ、棍棒を振り下ろした。
﹁げっ!?﹂
苦し紛れの攻撃かと思ったが、棍棒は地面を砕いた。
俺は後ろに飛び距離を取る。
そして、地面伝いに魔力を送り込み、オークを氷漬けにする。
そのまま体内まで凍らせ、分解すれば、仕留めることができる。
﹃オオオオオォォォオオ!!﹄
だが、オークの雄叫びが森に響いた。
ただの雄叫びが、氷を砕き、オークに自由を与えた。
﹁クソブタがッ!﹂
俺はオークが嫌いだった。
えっちな漫画でオークが使用されていたからだ。
オークが悪いわけでは無いのだが、嫌ってしまったものは仕方が
ない。
それに、俺はああいうのを好まない。
176
囲んで皆でとか、取られちゃうとか、ああいうのが大嫌いだ。
オークは氷から開放されたが、辛そうな表情だ。
両足の穴からは血液が流れ出ている。
﹁可哀想に﹂
俺は両手を地面に付け、魔力を送り込む。
先ほどのよりも強度と密度を上げた。
更に闇魔術も混ぜ、眠気を誘う。
外を凍らせた後は、中だ。
全ての毛穴から体内に進入するように魔力を送り込む。
体中に俺の魔力が送り込まれ、凍結と分解のコマンドを送る。
一瞬でオークの体は氷と化し、粉々に砕ける。
細かい氷の粒となったオークを火魔術で溶かし、蒸発させ、完全
に消す。
﹁⋮⋮つまらないな﹂
最初に氷を砕かれた時は少しビビったが、それだけ。
特に苦労することもなく倒せた。
ゴブリンよりも強いとされているが、こんなものか。
しばらく歩いて、二体目のオークと遭遇。
次は違う戦闘法で仕留めることにした。
オークの背後に駆け寄り、二本の剣を引き抜いた。
両足の腱を切り、太ももの裏を抉る。
177
体制を崩して背がほぼ同じになったところで頭を切り落とした。
﹁魔術で倒すより早いな﹂
剣での戦いに慣れているため、魔術で倒すよりも早い。
だからこそ、魔術で倒す必要がある。
﹁次は土で試そう﹂
三体目のオークとの遭遇。
土魔術で銃弾を形成。
速さは音速、強度は鉄。
そして、発射。
風切り音が鳴った。
土の銃弾はオークの体内に侵入したが、貫通はしなかった。
威力と強度が足りなかったか。
それに、心臓にも当たっていない。
オークは胸の痛みに顔を歪めている。
俺はもう一度、同じように銃弾を形成し発射した。
土の銃弾はオークの頭部に侵入したが、やはり貫通はしなかった。
だが、まあ、これで仕留めることが出来る。
二体ぐらいまでなら瞬殺だろう。
﹁さて︱︱﹂
次の獲物を探そうと立ち上がった時、後ろに気配を感じた。
振り向いた時、俺の目の前には、斧を高らかに振り上げるオーク
178
がいた。
179
友達の誕生日で・前編
﹃オオオォオオオ!﹄
鼓膜が敗れてしまうのではないかと心配するぐらいの雄叫びをオ
ークが上げた。
俺は反射的に剣を抜き、距離を取る。
振り下ろされた棍棒は地面を砕き、砂塵を飛ばす。
﹁あぶねぇ!﹂
一瞬の出来事に、手と額から汗が流れる。
もう少し周囲を警戒するべきだった。
俺は剣を収め、自分への怒りも込めて、オークの頭に土弾を撃ち
込んだ。
正直、ちびるかと思った。
次からは気をつけようと、決意した瞬間である。
︱︱︱︱︱︱
一時間ほどの狩りを終え、手首を確認する。
﹁45﹂を表す文字があった。
どうやら、張り切りすぎたようだ。
180
﹁ふう⋮⋮﹂
早速、冒険者ギルドに戻り、カウンターのお姉さんに手首を見せ
る。
お姉さんは一瞬だけ表情を変えたが、やはりプロ。
営業スマイルを浮かべてしっかりと報酬をもらった。
オークは一体倒す毎に銅貨五枚。
報酬は5×45で銅貨二百二十五枚。
今日の収入は二千二百五十円。
ゴブリンとはえらい違いだ。
俺は孤児院へ戻り、いつもの様にアメリーの手伝いをし、食事を
取り、就寝した。
翌朝、目を覚ますとクロエが目の前にいた。
今朝はホールドされていないので、ゆっくりとベッドを抜け出し
た。
そして、早朝トレーニングを済ませ、アメリーの手伝いをする。
﹁そういえば、もうすぐクロエの誕生日なの﹂
﹁ん? 僕より一個上だったんですか﹂
﹁いいえ、次の誕生日で同い年になるの﹂
誕生日が近いから同い年であると言ったわけだ。
まあ、細かいことは気にしなくていいだろう。
181
﹁それで、人族が誕生日を祝うのは四歳、八歳、十六歳だけなのだ
けれど、竜人族は七歳、十四歳、十八歳なの﹂
この世界では、毎年誕生日を祝うのではなく、決められた歳にお
祝いをする。
そして、人族は十六歳で成人、竜人は十八歳で成人だったか。
﹁なるほど、では、お祝いをするわけですね﹂
﹁ええ。だから、欲しい物、したい事をシャルル君から聞いてくれ
ないかしら?﹂
﹁わかりました、任せて下さい﹂
アメリーだと遠慮してしまう、だから俺から聞いた方がいい。
剣が欲しいとか言い出しそうだ。
その時は刃の潰れた剣で我慢してもらおう。
アメリーの手伝い︱︱洗濯や掃除に皿洗いを済ませ、クエストに
向かう。
今日はゾンビ退治だ。
バイ⃝ハザードとかに出てくる奴だったらどうしようか。
近づくなんて出来ない。
﹁まあ、魔術があるし﹂
便利な便利な魔術で倒せば問題はないが、やはり油断は禁物。
今日は昨日よりも警戒して行こう。
森の更に奥にゾンビはいた。
182
禿げた頭はしわしわで、顔の肉が腐敗し歯がむき出しになってい
る。
片目と鼻は潰れていて、腕が外れかかっていた。
気づかれないように遠くから土弾を頭に撃ち込んだ︱︱のだが、
奴はまだ倒れない。
ゾンビってのは頭を潰せば死ぬんじゃなかったっけか。
しかし、もう一度頭に撃っても、倒れなかった。
仕方がないので、氷らせて分解する。
地面に魔力を送り込み、ゾンビに魔力の管を繋げた。
ゾンビは足から氷っていき、全身を覆う氷が出来上がる。
体内まで魔力を浸透させ、分解。
今度は仕留めることが出来たようだ。
しばらくしても、リスポーンする気配はない。
二体目のゾンビと遭遇。
実験の為、足だけを氷らせ、分解した。
すると、見る見るうちに足は生え、腐敗した足が姿を表した。
今度は腕と頭を壊したが、結果は同じ。
要するに、全身を同時に壊さなければならないのだろう。
次は腕以外の部分を氷らせ、崩した。
そして、腕から体と頭、足が新しく生えてきた。
どこかのパーツが残っていれば、そこから再生出来るようだ。
183
ゾンビを30体倒した頃、疲れを感じた。
走る事もしなかったはずだが。
もしかして、魔力切れだろうか。
体内まで氷らせるのには、頭を土弾で貫くよりも魔力を使う。
筋肉から骨までが氷ることをイメージしなくてはならないので、
時間がかかる。
魔力が尽きた時、何が起きるかわからない。
今日のクエストはここまでにしよう。
途中で買った菓子パンを食べながらギルドへ戻り、いつもの様に
クエスト完了手続きを行う。
カウンターのお姉さんが驚いた顔をしたが以下省略。
ゾンビは一体大銅貨一枚、百円だ。
三十体倒したので、大銅貨三十枚。
円に換算して三千円だ。
野口さん三枚なのです。
俺は気分よく孤児院へ戻り、勉強中の子どもたちと一緒に勉強す
ることにした。
早めにクエストを終えたので、することがなくなったのだ。
この世界の事を知る機会でもある。
俺は静かに教室へ入り、影を薄めてアメリー先生の話に耳を傾け
た。
内容からして、歴史だろうか。
英雄や魔神の話をしている。
子どもたちは真面目にアメリーの話を聞いていて感心するね。
184
歴史は古い順からやっているらしく、今は五千年前の話をしてい
る。
魔神と英雄様の戦いらしい。
強大で邪悪な力を持った魔神は世界を支配していたが、英雄に倒
され、人類は自由を得た。
たった一人の英雄が魔神を倒したとされているらしいな。
パーティを組んで倒したわけではないらしい。
歴史の後は算数。
算数は既に会得しているので、部屋から出ようとしたのだが⋮⋮。
﹁シャルルぅ∼﹂
怠けた声で呼び止められた。
俺は声の主に歩み寄る。
﹁どうしたクロエ﹂
﹁私、算数は苦手で⋮⋮﹂
俺が尋ねると、クロエが後頭を掻きながら言った。
﹁ああ、教えてほしいのね﹂
﹁う、うん﹂
﹁いいですとも﹂
﹁ありがとう!﹂
ということで、俺は赤毛の少女クロエさんに算数を教えることに
なった。
いい機会なので、クロエの欲しい物も聞いておこう。
185
﹁なぁ、クロエ﹂
﹁なに?﹂
クロエはペンを動かしながら言った。
俺はクロエの計算の間違いを指しながら言う。
﹁今欲しい物とかってあるか?﹂
﹁ん∼、特にないかなぁ。街には行ってみたいけど﹂
﹁街? 中央区か? 中央区ならアメリーさんと行けるだろ﹂
﹁ううん、アメリーさんだと遠慮しちゃって﹂
﹁なるほどな﹂
つまりは、街ではしゃぎたいと、そう言っているのか。
欲しい物が無いのなら無いでいいのだが、街ではしゃぎたいか⋮
⋮。
アメリーに許可を貰う必要があるだろうな。
算数を教えた後は、晩飯の準備。
作っている間、アメリーにクロエのしたいことを報告した。
﹁うぅん⋮⋮それは難しいわね﹂
﹁何故ですか?﹂
﹁彼女は竜人族、そして子ども。捕まえて売ろうとする人も、少な
くはないはずなの﹂
この世界には奴隷商が存在する。
竜人が奴隷として売られることは今までに一度も無かったとエヴ
186
ラールが言っていた。
だから、高値で売れるクロエを奴隷として売る為誘拐されるとい
う危険性があるわけか。
﹁でも、僕が護衛すれば問題はないですよね?﹂
俺は、クロエに楽しんで欲しい。
親に捨てられたという哀しみは、大きいはずだ。
表には出さないで、へらへらしていても、本当は寂しいのだと断
言できる。
寂しくないのなら、夜に泣いたりなんかしないだろうよ。
﹁でも、シャルル君だけじゃ︱︱﹂
﹁僕はエヴラールさんの弟子ですよ。それに、僕が外出していた理
由は冒険者協同組合で依頼を受けに行く為だったんです﹂
﹁なっ!?﹂
﹁ゴブリンを三十二体、オークを四十五体、ゾンビを三十体倒しま
した。僕なら充分出来ると思いますが﹂
﹁⋮⋮﹂
俺が言うと、アメリーは黙ってしまった。
難しそうな顔で、料理を続けている。
返答を待つため、俺も手伝った。
晩飯を作り終えた頃、アメリーが俺の肩に手を乗せて言う。
﹁絶対に守れるわね?﹂
﹁はい﹂
﹁それじゃあ、任せてみるわ⋮⋮﹂
﹁ありがとうございます!﹂
187
承諾を得た俺は、勢い良く頭を下げた。
そして、アメリーと一緒に食堂まで晩飯を運んだ。
皆で一緒に食べ、俺とアメリーで片付けた。
途中、﹁気分が良さそうだね﹂とクロエに聞かれたが、﹁なんで
もない﹂と答えておいた。
流石に俺達だけで外出が出来るとは思っていないだろうから、驚
かせてやろうと思う。
食事の後はいつもの様に眠りについた。
188
友達の誕生日で・後編
数日後、クロエの誕生日。
朝は俺のトレーニングがあるので、昼から連れ出すつもりだ。
アメリーの許可も取ってある。
俺としては、今すぐにでも連れて行きたいのだが、トレーニング
は怠れない。
剣だけではなく、魔術の方もまだまだ特訓しなくてはいけないの
だ。
昨日、魔術が切れそうになるのを感じたからな。
魔力総量は、魔術を使えばスキルポイントがMPに振られるので、
しっかり増えていく。
そして、昼。
俺は勉強しているクロエを呼び出した。
﹁どうしたの、シャルル?﹂
﹁ああ、ちょっと付いてきて欲しいんだ﹂
﹁えっ、でも勉強が⋮⋮﹂
﹁それは大丈夫﹂
﹁ど、どういうこと?﹂
混乱するクロエの手を引き、孤児院を出て、街の中央区まで歩く。
途中で自分の腹が減ったので、パン屋で二つの揚げパンを購入し、
クロエと食べた。
ここの揚げパンは美味いのだ。
クエスト帰りに食べていたパンがこいつだ。
189
﹁美味しいね∼﹂
﹁ああ、美味い﹂
先ほどまで顰めた面をしていたが、今は頬を赤らめパンを頬張っ
ている。
誘拐犯が使う、甘いもので子どもを釣るという手は意外と効果的
だったのかもな。
パンを食べながら移動し、中央区まで辿り着いた。
人が多いから、逸れる可能性もある。
﹁クロエ、俺の手を離すなよ?﹂
﹁う、うん﹂
女の子と手をつなぎながら街を回る。
これってデートじゃないのだろうか。
生まれてこの方、異性とデートなんてした事がない。
残念ながら、俺の初デートはドキドキするものではないがな。
なんというか、幼女だと妹と出かける気分になってしまう。
﹁どこ行きたい?﹂
﹁わ、わかんないよ、いきなり言われても﹂
﹁んじゃ、順に回るか﹂
俺が観光した順に見ていこう。
ゆっくり見れなかった場所もあるかもしれない。
まったりと行こうじゃないか。
190
街をゆるりと歩いていただけなのだが、クロエの瞳は輝いている。
遊園地に来た子どものようだ。
だが、さっきから気になる。
時々、クロエを嫌な目で見るやつがいる。
クロエは俺が絶対に守らなくてはならない。
﹁シャルル∼、良い匂いだね∼﹂
たしかに、良い匂いだ。
甘味ではなく、魚だ。
秋刀魚に近い香ばしい匂い。
﹁食べたいか?﹂
﹁えっ、でも⋮⋮﹂
﹁金ならあるから大丈夫。それに、俺も食べたいしな﹂
﹁じゃ、じゃあ、いただこうかな﹂
﹁うむ﹂
クロエは俺にも遠慮がちなので、肩の力を抜いてもらわないとい
けない。
誕生日なのだから、彼女の好きな様にやるべきなのだ。
食べ物や小物ぐらいなら、俺のお金で足りる。
秋刀魚の様な焼き魚を書い、歩きながら食べる。
口から串を刺してあり食べやすいようにしてある。
隣を見ると、美味そうに頬張るクロエ。
あまりにも幸せそうな顔で食べるので、こちらまで嬉しくなる。
次に俺らが入ったのは、装飾品店だ。
191
やはり年頃の女の子、アクセサリーには興味津々だ。
﹁良さそうなのあったか?﹂
﹁うん、この髪留めが⋮⋮﹂
クロエが指さしたのは、ライラックの様な白い花のデザインのピ
ン留め、それと橙色のゴム留めだ。
きっと、どちらもよく似合うだろう。
ライラックは昔に母さんが教えてくれた。
たしか白いライラックの花言葉は﹁友情、思い出﹂﹁無邪気、若
さ﹂﹁若いころの思い出﹂だったか。
俺の母さんは花が好きだったのだ。
忘れた花もあるが、覚えてる花も多い。
クロエは未だに二つの髪留めを眺めている。
俺はこっそりとピン留めとゴム留めの会計を済ませた。
﹁クロエ、行こう﹂
﹁⋮⋮う、うん﹂
俺がそう言うと、悲しそうな顔をした。
女の子の悲しそうな顔も俺は好きだよ。
店を出て、他の場所も回った。
そろそろ疲れてきた頃だろうし、休憩を取る事にした。
ベンチに座り、一息つく。
﹁何か食べる?﹂
192
﹁ううん、お腹いっぱい﹂
言いながら、クロエはお腹を擦ってみせた。
﹁そっか⋮⋮なあ、クロエ﹂
﹁なに?﹂
﹁目、瞑ってて﹂
﹁なんで?﹂
﹁眉毛にゴミが付いてる﹂
そう言うと、クロエは素直に目を瞑った。
勢いでキスをしそうになったが、俺の理性がブロックしてくれた。
俺はポケットからさっき買った物を取り出し、クロエに握らせた。
違和感を感じたクロエの眉がぴくりと動く。
﹁もう開けていいよ﹂
クロエは目を開き、掌の物を確認した。
﹁こ、これ⋮⋮﹂
﹁誕生日おめでとう﹂
﹁し、シャルル⋮⋮ありがとう!﹂
髪留めを握りしめ、嬉しそうに笑うクロエ。
﹁付けてみ﹂
言うと、クロエは前髪をライラックのピン留めで留め、肩の下ま
で伸びた髪をゴム留めで結んだ。
193
顔がよく見えるようになり、可愛らしさが増した。
素晴らしい、スプレンディッド、グレイト、アメイジング!
今すぐキスしてあげたいぐらいに可愛い。
﹁よく似合ってるぞ﹂
﹁えへへ、ありがとう⋮⋮﹂
褒めてやると、クロエは頬を赤らめ後頭を掻いた。
︱︱︱︱︱︱
街を適当にぶらりと回った後、孤児院に戻った。
アメリーが一番にお出迎えをしてくれた。
俺とクロエを一緒に抱きしめ、甘い匂いが俺の鼻を突く。
スゥ、スゥ、スゥ⋮⋮。
﹁おかえりなさい、二人共﹂
﹁ッはぁ⋮⋮はい、ただいま戻りましたアメリーさん﹂
﹁ただいま、アメリーさん﹂
挨拶を交わすと、アメリーは立ち上がり、俺達の頭を撫でた。
﹁シャルル君、今日もお手伝いしてくれる?﹂
﹁もちろんです﹂
﹁クロエちゃん、遊び部屋で皆が待っているわ﹂
194
﹁分かりました∼﹂
クロエはスキップで遊び部屋まで向かった。
俺は晩飯の準備をするのだが、今日はいつもより豪勢だ。
アメリー氏大奮発。
そして、作り終えたご飯を二人で食堂まで運ぶ。
いつもより量が多いので、少し大変だ。
まあ、これもクロエの為。
文句などありはしないさ。
豪華な料理を見た子どもたちは目を輝かせ、涎を垂らしていた。
いつもの飯だって美味いのだが、やはり少しだけ違う所があると、
気分も変わる。
﹁クロエちゃん、お誕生日おめでとう﹂
アメリーが女神のような笑顔を浮かべながら、祝いの言葉を言っ
た。
それに続くように、他の子供達もクロエの誕生日を祝う。
クロエは少し照れくさくなったのか、後頭を掻いて、赤らめた顔
に苦笑いを浮かべている。
その後、皆で楽しく騒がしく飯を頂いた。
幸せそうな顔で食べ物を頬張るのは、クロエだけではなく他の子
供達も一緒だった。
食べている途中、アメリーが自作の服を渡していた。
クロエは嬉しそうに何度もお礼を言っていたな。
195
晩餐会も終わり、皆が寝静まった頃、俺は一人抜け出し庭で剣の
手入れをしていた。
刃毀れのない、まだまだ綺麗な剣だ。
素振りをしても、いい音がなる。
﹁エヴラール、どうしてるかな﹂
俺の剣を買ってくれたエヴラール。
今は仕事で王都にいるが、何時になったら迎えに来てくれるのだ
ろうか。
俺にはまだまだ見たいものがある。
ヴェゼヴォルの西側もまだ行っていないのだ。
﹁ああ、愛しきかな日本酒⋮⋮﹂
この世界の事もそうだが、前の世界でやり残したこともある。
﹃やり残したこと﹄はむしろ割り切れるのだが、﹃やってきた事﹄
は中々忘れられない。
これでも俺は酒豪なのだ。
酒が恋しい、飲みたい。
この世界での人間の成人は十六歳。
今の俺は七歳。
あと九年も待たなくてはならないとはな。
﹁シャルル?﹂
196
俺が縁側で酒飲みたさに苦悩していると、後ろから声をかけられ
た。
振り向くと、髪を解いたクロエがいた。
﹁どうしたんだ、クロエ﹂
﹁起きちゃって、そしたらシャルルがいなかったから⋮⋮﹂
﹁悪いな、剣の手入れをしてただけだ﹂
俺は言いながら、剣を鞘に収めた。
﹁ほら、もう寝な﹂
﹁⋮⋮目が覚めちゃった。少しお話しよ?﹂
﹁おう、いいぞ﹂
俺が言うと、クロエは俺の隣に座ってきた。
俺達はしばらく月を眺めていた。
うさぎは見えないが、どこの世界も月は美しい。
﹁シャルル、今日はありがとう﹂
突然、クロエが礼を言ってきた。
﹁どういたしまして﹂
﹁シャルルは⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
﹁シャルルはいつか、ここを出て行っちゃうんだよね?﹂
クロエは眉を顰め、俺の顔を覗き込んだ。
友達が離れていくのが寂しいのだろう。
197
だが、俺に此処に長居するという選択肢はない。
俺はクロエの頭に手を乗せ言う。
﹁まあ、離れ離れにはなるけど、俺達はずっと友達だ。それに、俺
はクロエの事を忘れたりなんかしない﹂
﹁⋮⋮本当? 忘れない?﹂
﹁本当だ、忘れない﹂
﹁私、ずっと髪留め大事にするから、だから、また会ってもすぐ気
付いてくれる?﹂
﹁ああ、約束する﹂
言うと、小指を突き出してくるクロエ。
指切りというやつか。
子供の頃もしてこなかったな。
昔のことを少し思い出しながら、クロエの小指に自分の小指を重
ねた。
﹁えへへ、それじゃぁ、私もう寝るね?﹂
﹁ああ、おやすみ﹂
﹁おやすみなさ∼い﹂
俺は部屋に戻るクロエを見届けた後、魔術で遊ぶことにした。
クロエ人形でも作ってやろう。
198
友達の誕生日で・後編︵後書き︶
﹁シャルル! 見て、この服可愛いねぇ﹂
﹁ふりふりの桃色のドレスかぁ﹂
﹁大人になったら、こんな服を着てみたいなぁ﹂
﹁クロエには、白のドレスを着て欲しいなあ﹂
﹁白⋮⋮? それじゃあ結婚式みたいだよ?﹂
﹁白と赤って、すごく合うよ﹂
﹁赤?﹂
﹁そう、髪の毛﹂
﹁うぅ⋮⋮この髪の毛は、好きじゃない﹂
﹁何でだ? 俺は好きだぞ。すごい綺麗だ﹂
﹁でも、赤って恐いよ⋮⋮。赤色の髪は私だけだし⋮⋮﹂
﹁黒い髪もあんまりいないよ。ずっと旅してきたけど、誰一人とし
て見てないからね﹂
﹁じゃあ、一緒だね、私とシャルルは﹂
﹁そうだな、一緒だ﹂
﹁⋮⋮赤と黒も、すごく似合うと思う﹂
﹁そうか? 黒のドレスは悪者っぽいぞ?﹂
﹁むぅ⋮⋮﹂
199
新しい目標で・前編
クロエの誕生日から数日後、俺はいつも通りクエストを済ませた
後に、パン屋でパン達と睨めっこをしていた。
苺ジャム入りか、葡萄ジャムか、蜜柑ジャムか⋮⋮。
どれも程よく甘くて美味しい。
﹁くぅぅ、どうするよ、俺﹂
頭を抱えながら三つのパンと睨み合う。
最終的に俺は、苺ジャムが中に入ったパンを買うことにした。
今日は苺ジャム、明日は葡萄ジャム、明後日は蜜柑ジャム。
完璧な計画だ。
俺はドヤ顔のまま会計を済ませた。
店を出て、しばらく歩いていた。
すると、顔の良い青年に話しかけられる。
﹁こんにちは、坊や。悪いんだけど、道を教えてくれないかな?﹂
﹁僕もあまりこの街には詳しくないのですが、出来る範囲でなら﹂
﹁構わないよ。それで、教会を探しているんだけど、知っているか
い?﹂
教会。
街の中心部にある建物だ。
入ったことはないが、何度か通り過ぎたことはある。
﹁それなら、街の中心にあります﹂
﹁中心⋮⋮? すまない、案内してもらえるかな?﹂
200
﹁いいですよ﹂
道案内ぐらいならすぐに済ませられるので、問題はない。
俺は青年の探す教会まで案内してあげることにした。
︱︱︱︱︱︱
﹁︱︱チッ﹂
路地裏に響いたのは、青年の舌打ち。
俺は教会に案内するため、近道である路地裏を通ったのだが、突
然後ろから刃物で攻撃された。
俺は瞬時に剣を一本抜いて自分の身を守った。
﹁⋮⋮舌打ちしたいのは僕ですよ。何の真似ですか﹂
俺は青年の刃物を弾き、睨みつけた。
﹁僕はね、魔眼を持っているんだ﹂
﹁魔眼?﹂
﹁そうだよ、魔眼。特別な眼のことさ。僕には君の魔力が見える﹂
青年は服の下に隠していた短剣を抜いて、言葉を続けた。
﹁君は異常だ、その若さでそれだけの魔力量を備えている。だから
ここで消えてもらう、よッ!﹂
201
その瞬間、俺の目の前から青年の姿は消えた。
支離滅裂。意味不明。魔力量と異常と消えてもらう事がどう関係
しているというのだ。
ふざけないでほしい。何故、こんな事で襲われなければならない
のか。
多少の混乱を覚えながらも、俺は二本目の剣を抜き、上を見た。
青年は短剣を俺の頭上に刺そうとしている。
俺はバックステップで躱し、距離を取る。
そして足から地面へと魔力を流した。
﹁僕には魔力が見えるんだってば﹂
青年はそう言うと、上に飛んだ。
﹁うわっ!﹂
俺の振り下ろした剣が空振った。
﹁なるほど、地面は誘導するためだったか﹂
俺は魔力を流した後、青年の飛ぶタイミングを見計らって先に上
に飛んだ。
だが、青年は空中で体をゴムの様に曲げ、俺の攻撃を避けたのだ。
﹁面白いね﹂
青年は呟いた。
﹁面白い﹂か、一理ある。
202
正直、ゾンビもオークも弱い。
こんなものかと落胆したこともあった。
だが、今は俺の攻撃を避けれる奴が目の前にいる。
きっと、これは危機的状況だ。
俺は死ぬかもしれない。
しかし、俺は少しだけ、面白いと思ってしまっている。
俺は青年との距離を一瞬で詰め、左の剣で横薙ぎを繰り出した。
青年は体制を低くし、紙一重で剣を避けた。
俺は右の剣を青年の頭目掛けて振り下ろしたが、青年は獣の様な
動きで躱す。
﹁君、気付いてるかい?﹂
青年に話しかけられ、俺は首を傾げた。
﹁口元が綻んでいるよ﹂
﹁⋮⋮これは失礼。ですが、あんたも同じですよ﹂
﹁ふふっ、久しぶりなんだ、面白い人間は﹂
青年が言葉を終えた頃には、奴は俺の後ろにいた。
人間の動きとは思えない早すぎる動きに、俺は冷や汗を垂らした。
﹁君の負けだよ﹂
そして青年は、俺の喉元に刃物を突きつける。
﹁⋮⋮そのようですね﹂
203
潔く負けを認めるつもりはないが、とりあえず言っておいた。
とりあえずだったのだが︱︱
﹁でも、生かしてあげよう﹂
﹁え、マジ?﹂
予想外の言葉に聞き返してしまった。
﹁うん、大マジさ、君は僕を楽しませてくれたからね。僕はこれで
去るけど、次会う時までには強くなってよね。君はまだまだ弱いけ
ど伸びしろはあるから、頑張って。そうだ、助言として⋮⋮速さを
手に入れたいなら、ここから真っ直ぐ西に行った獣人の森へ行くと
いい﹂
青年はそう言って、路地裏から去ろうとした。
未だ剣を構える俺に振り向き、不吉な笑みを浮かべて言う。
﹁次会うときは、殺し合いだから﹂
青年の気配が完全に消えた後、剣を収めて肩の力が抜けた。
まさか自分がニヤけていたとは、思ってもみなかった。
だが、楽しかったのは事実。
次に会う時までに俺はもっと強くならなくてはいけない。
また新しい目標が増えたなあ⋮⋮。
にしても、仕事で殺さなくてはならないと言っていた。
それなのに俺を生かしたという事は、上司か誰かから文句を言わ
れる事は間違いないだろう。
204
そもそも、俺の存在自体を隠すつもりなのか⋮⋮?
俺と再戦したいだけが為に⋮⋮?
うぅん、わからん。
そういえば、最後に青年が言っていた獣人の森とは何だろうか。
名前からして獣人の住む森なのだろうけど。
﹁獣人の森、行くか﹂
俺は獣人の森とやらに行く事を決定した。
エヴラールは置いていこう、うん。
そして、俺は今後のプランを立てながら家路に着く。
孤児院に戻り、アメリーに一対一の面会を求めた。
夜に話をしようと言われたので、それまではお手伝いだ。
いつも通りに手伝いを済ませ、皆で食事を取った。
その後、院長室へと足を運ぶ。
﹁こんばんは、アメリーさん﹂
﹁こんばんは、シャルル。それで、どうしたの?﹂
﹁実はですね、獣人の森へ行くことになりまして⋮⋮﹂
﹁どうして? エヴラールさんはどうするの?﹂
﹁理由は特に無いです。エヴラールさんにはアメリーさんから上手
く言ってもらいたくて﹂
俺が言うと、彼女は眉を寄せて難しそうな顔をした。
そこまで難しい問題ではないが、優しいアメリーだから悩んでし
205
まうのだろう。
子供一人に旅をさせてもいいのかと。
世間知らずな俺が一人で旅というのは確かに心配ではあるが、ノ
ープランで行くわけではない。
これから組み立てていく予定だ。
﹁エヴラールさんにはお世話になったんでしょう?﹂
﹁分かってます。ここで別れれば、不義理で失礼で迷惑なのも﹂
﹁なら、どうして︱︱﹂
﹁僕は決めてるんです。やりたい事をやると。結果、不義理だと罵
られようとも﹂
﹁本当に? 後悔しない?﹂
﹁寂しいとは思いますが、これ以上世話になるのも気が引けるんで
す。アメリーさんにも、エヴラールさんにも﹂
﹁そんな、私達は別に迷惑だなんて思っていないのよ?﹂
﹁分かっています。でも、行かなきゃ﹂
﹁⋮⋮わかったわ。ただし、旅の計画を私に立てさせてくれればだ
けれど﹂
しばらくしてから、彼女が人差し指を立てながら言った。
旅の計画は大人であるアメリーに任せたほうがいいだろうし、出
された条件はこちらとしてもバッチコイだ。
﹁わかりました﹂
﹁それじゃ、もう寝なさい﹂
﹁はい、おやすみなさい、アメリーさん﹂
﹁おやすみなさい、シャルル﹂
こうして俺は無事にアメリーからの許可を貰ったのだった。
206
︱︱︱︱︱︱
次の日の夜、俺がこの街を出ることをクロエに告げた。
クロエは突然涙ぐんで、俺に抱きついてきた。
﹁どうした?﹂
﹁寂しいよ⋮⋮行ってほしくない﹂
﹁ごめんな、でも俺の夢の話は前にしたよな? 俺は世界を旅した
いんだ、色んな場所に行って、色んな事学んで、色んな物食べてっ
てさ﹂
﹁⋮⋮私も、シャルルと一緒にいきたい﹂
﹁ダメだ﹂
俺が言うと、クロエはそれ以上何も言わずに、黙って俺を抱きし
めた。
俺達はいつの間にか眠りについていた。
翌朝、まだ寝ているクロエを起こさないようにベッドから抜けだ
した。
いつもの様にトレーニング、クエスト、手伝いを終え、勉強会に
参加した。
歴史の授業だ。
過去にあった事件の話をしている。
子どもに話す事なので濁してある部分もあったが、最強と謳われ
た大魔術師の話だ。
207
昔、とある大魔術師がいた。
彼女は底なしの魔力総量と、数多くの混合や複合した魔術を使っ
て戦った天才だった。
戦争のある土地に行っては、数多くの人々を助け、崇められてい
た。
だがある日、彼女に異変が起こった。
苦しそうに泣き叫び、大量の魔力を放出し始めたのだ。
場所は街の中央、数多くの人がいた。
その場にいた人々の腕が突然はじけ飛び、頭が潰れ、街中が混乱
した。
この事件での死者は五十人以上、負傷者は百人を越えた。
大魔術師は虐殺の後に魔力を空にし、変死。
魔力の暴走によるものだとされたが、魔力暴走の原因は不明。
そして、この事件は﹃魔術師ヘーデ事件﹄と呼ばれるようになっ
た。
﹃魔術師ヘーデ事件﹄を始めとし、十数年に一度、魔力が全くない
状態で発見される死体が増えたようだ。
死体の状態に関連性は無かったそうだ。
﹁ふむ⋮⋮﹂
俺はこの事件に興味を持った。
魔力の暴走には何かトリガーがあるのだと考えた。
ストレス、疲労、第三者が関与している可能性等。
理由も無しに魔力が暴れ、周りに被害を及ぼすなど理不尽過ぎる。
俺は魔力暴走の事を考えながら、庭に出て剣の手入れを始めた。
夜になり、アメリーと院長室で面談をする。
アメリーは俺のステータスを知らない為、色々聞いてくる。
﹁どんなクエストをしてきたの?﹂とか、﹁剣術はどのくらい使え
208
るの?﹂とか、﹁魔術はどれくらい使える?﹂とか。
エヴラールと会った日とか、エヴラールの肩の乗り心地とか、エ
ヴラールにはちゃんと食べさせてもらっていたかとかも聞かれたが、
全部正直に答えたからエヴラールに悪い印象を与えることは無いだ
ろう。
数日後、アメリーに旅の準備が出来たと知らされた。
209
新しい目標で・後編
﹁旅の準備が出来たって、随分早かったですね﹂
﹁まあ、西に真っ直ぐ進むだけだもの。でも、手は抜いていないわ
よ﹂
﹁手は抜いていない?﹂
俺が聞くと、アメリーは豊満な胸を張り言う。
﹁シャルル君には護衛がつくの﹂
﹁ご、護衛?﹂
﹁ええ、私の知り合いだから安心して﹂
﹁は、はあ⋮⋮﹂
一人旅を想像していたが、やはり子供一人では心配だったのか。
アメリーの人の良さが伝わってくる。
﹁出発は明朝よ、シャルル君も準備する物があるなら今日中にね﹂
﹁は、はい、ありがとうございました﹂
礼を告げると、アメリーは女神スマイルを浮かべて俺の頭を撫で
た。
そして、アメリーは勉強部屋へと向かって行った。
俺は早速、街に繰り出す。
食料も積まれている事だろうが、お菓子はないだろう。
今のうちにたくさん買っておこう。
そう思い、俺はパン屋でお気に入りのパン達を大量に買った。
210
パンの後は、服屋へ向かった。
エヴラールは指貫グローブをしているのだが、俺は素手だ。
でも、指貫グローブは俺の右腕の封印が解かれる可能性があるの
で、止めておく。
俺が買うのは、黒い革の手袋だ。
手にフィットして握りやすいし、特殊な皮で出来ているので寒さ
も暑さも防ぐ優れ物だ。
今の俺の装備は﹃フード付き黒布外套﹄﹃黒布の首巻き﹄﹃ダボ
ダボ黒布ズボン﹄﹃ダボダボ黒布服﹄﹃黒皮防寒防暑グローブ﹄﹃
茶色皮紐付きブーツ﹄だ。
攻撃力は相変わらず低そうだが、動きやすいので満足している。
服装はエヴラールを真似ていたりするのだ。
師弟関係にあるのだから、お揃いでも問題あるまい。
そして、最後に向かうのは、小物屋。
俺が買うのは、洗濯桶だ。
旅の途中、洗濯は必要になる。
アメリーが用意していないとは思えないが、念の為だ。
二つあっても差し障り無いだろう。
孤児院に戻り、夜。
剣の手入れを縁側でしていた。
隣には何故かクロエがいる。
彼女はここ最近、手入れの様子をじっと見ているのだ。
折角なので、俺が明朝に出発することを告げる。
﹁クロエ、俺明日の朝に出るから﹂
﹁へぇ⋮⋮へえっ!? えっ!? な、なんで! いきなりだよ!
211
どうしてもっと早く言ってくれなかったの!﹂
﹁俺も今日の昼頃に言われたんだよ﹂
﹁そ、そんなぁ⋮⋮﹂
クロエは頭を落とし、暗い表情になった。
そっとしておいてやろうと、俺は剣の手入れを続けた。
しばらくして、クロエは顔を上げ、俺の手を握る。
﹁シャルル! 私との約束、忘れないでねっ!﹂
﹁約束? なんだっけ?﹂
﹁えっ⋮⋮﹂
俺が恍けると、クロエは泣きそうな顔になった。
泣きそうな顔も最高に可愛い。
もっと意地悪してやりたくなるのを必死に堪えて、クロエの頭に
手を乗せた。
﹁冗談だよ、分かってるって﹂
﹁うぅ、本当?﹂
﹁ああ、クロエの事は忘れない、絶対に﹂
﹁うん⋮⋮﹂
そして、会話が途切れる。
俺から言うことがないのと同じように、彼女にもあまり言うこと
がないのだろう。
﹁あれが楽しかったね﹂﹁これが楽しかったね﹂なんて話題にして
も、寂しくなるだけ。
だから、彼女も話題を探すのに困っているのだろう。
﹁クロエ、今夜一緒に寝るか?﹂
212
手入れを終えて、剣を鞘に収めながら聞いた。
﹁うん﹂
クロエは即答し、後頭を掻いた。
女の子と一緒に寝る、いい響きじゃないか。
して、俺はクロエと一緒に夜を過ごしたのであった。
子供の身故、やましい事はしてないでござる。
︱︱︱︱︱︱
翌朝、珍しくクロエが早起きをしていた。
髪は既に整っていて、いつでも外に出られるような格好だ。
まさかとは思うが、付いてくるわけではあるまいな。
﹁おはようクロエ、どうしたんだ今日は、早いな﹂
﹁うん、お見送りしようと思って﹂
﹁見送るだけか?﹂
﹁うん、見送るだけ﹂
との事なので、俺は安堵の息を吐く。
俺は洗面所へ向かい、顔を洗って、首の下まで伸びた髪の毛を切
った。
ハサミはないが、ナイフはある。
213
前世では床屋に行くのが面倒で、自分で切る事を覚えてしまった。
ハサミじゃないので少し下手にはなるが、格好悪くはならないか
ら問題はない。
それに、その内慣れるはずだからな。
身支度をした後は、院長室へ向かう。
アメリーはコーヒーを啜っていた。
﹁おはようございます、アメリーさん﹂
﹁おはよう、シャルル君。昨日は良く眠れた?﹂
アメリーが笑顔で尋ねてきた。
﹁ええ、とっても﹂
幼女を隣にし、内心ドキドキしていた事は内緒だ。
﹁そう、準備はできているの?﹂
﹁今からでも出れますよ﹂
﹁なら、行きましょう﹂
俺はアメリーに続いて孤児院の外に出た。
俺の後ろにはクロエがいる。
孤児院前の道には幌馬車が停めてあった。
アメリーが幌の中に顔を入れ、誰かと会話をする。
しばらくして、馬車から顔を出したのは銀色の髪を短く切った、
胸の大きい色白の美女だった。
銀髪の美女は俺の顔を見ると突然抱きついてきた。
214
﹁あああんもうっ、なんだこの子はぁぁ!﹂
耳元で叫ばれ、耳を押さえる。
﹁アメリー! この子は私が息子にするよ!﹂
﹁やめなさい、ヴェラ、困っているでしょう﹂
ヴェラと呼ばれた銀髪の人は俺に頬ずりをして、体中をべたべた
触ってくる。
整えたばかりの髪の毛をわしゃりと撫でて、俺を持ち上げて下し、
両手を握られる。
﹁ど、どうも、シャルルと申し︱︱﹂
﹁そうか! そうかぁ! シャルルかぁ! いい名前だな! シャ
ルル、私の息子にならないか?!﹂
﹁な、なりませ︱︱ふごっ﹂
突然視界が真っ暗になり、顔中を柔らかい感触が覆う。
良い匂いがするし、とても柔らかい。
﹁ふご、んぐっ!﹂
昔、友人と話していた時に、﹁胸に顔を埋めて窒息死するのが夢
なんだ﹂なんて言っていた事もあったが、この夢が叶われようとし
ている今この時、俺は全力であの言葉を撤回したいと思った。
良い匂いで柔らかくて気持ちいいのだが、とにかく苦しい。
﹁ん⋮⋮む⋮⋮﹂
215
あ、死ぬかも。
そう思った時、俺は光を見た。
女神が俺を救ってくれたのだ。
銀髪の女は女神の腕の中で暴れている。
﹁ヴェラ! もうすぐでシャルル君が死んでいるところだったわ!﹂
﹁︱︱ハッ! む、息子を殺すところ、だった⋮⋮?﹂
﹁危うく窒息して死ぬ所だったし、彼はあなたの息子ではないの!﹂
﹁何を言うんだアメリー! 彼は今この時この瞬間から私の息子と
なり大きくなれば私と結婚してあわよくば子供なんか作っちゃって
家族円満楽しい生活を送って私は彼と共に死ぬの!﹂
﹁シャルル君が納得していないでしょう!?﹂
﹁何を言っているんだ!? シャルルはちゃんと承諾してくれるは
ずだ! ねえ、シャルル!?﹂
ヴェラは興奮した様子で俺に視線を送ってくる。
俺はゆっくりと顔を逸し、何も聞かなかった、何も見なかった事
にした。
﹁えっ、シャルル!? ちょっと! 私の目を見て! 見ないとお
姉さん死んじゃうから! 自害しちゃうから! いいの!? 死ん
じゃうよ!?﹂
ヴェラの声を無視して、後ろから聞こえる鼻をすする音でクロエ
の方に顔を向ける。
クロエが怯えた表情で俺達から距離を取り、涙を目尻に溜めて震
えている。
今にも泣きそうなクロエだが、彼女の目にはヴェラはどう映って
いるのだろうか⋮⋮。
216
俺はゆっくりとクロエに近寄り、頭に手を乗せた。
﹁どうした、クロエ﹂
﹁あ、あの人、こ、恐いよ⋮⋮!﹂
﹁ああ、うん、あぁ⋮⋮とっても恐いな。ああいう人には絶対に関
わっちゃいけないぞ?﹂
﹁シャルル! 聴こえてるよ! 私は耳がいいんだよ?!﹂
耳がいいのだと主張するヴェラは無視して、クロエの頭を撫でる。
少し安心したのか、体の震えは止まったようだ。
皆が落ち着いた所で、ちゃんと自己紹介をする。
俺はヴェラから少しだけ距離をとって言う。
﹁どうも、シャルルと申します﹂
﹁⋮⋮ええと、この人が私の言った護衛の人よ。獣人族のヴェラ、
とっても強いから安心して﹂
むすりとした表情でそっぽを向くヴェラの代わりに、アメリーが
言った。
獣人族と言われて気が付いたが、彼女には銀色の毛の尻尾と立っ
た耳がある。
混乱と焦りで見逃していた。
毛色や耳と尻尾の形から連想できるのは狼だ。
俺は耳を凝視しながらヴェラに歩み寄り、握手を求めた。
﹁よろしくお願いします、ヴェラさん﹂
﹁⋮⋮どうせ、どうせ﹂
217
だが、彼女は体育座りのまま地面を見て、ブツブツと何かを言っ
ている。
拗ねているのだろうか。
そこまでの事をしたのか、俺は。
少しだけ、罪悪感を感じてしまった。
この人は俺に興味を持っているので、あの手を使う事にした。
大サービスだ、これは。
俺は座っているヴェラに後ろから抱きつき、なるべく子供っぽい
声で言う。
﹁よろしくね、ヴェラおねえちゃん!﹂
﹁︱︱ッ!?﹂
ヴェラは目を見開き、立ち上がった。
電撃でも受けたかのような表情で俺を見ると、正面から抱きつい
てきた。
﹁ごめんよぉ、拗ねてしまって! お姉ちゃんが悪かった! ごめ
んなぁ!﹂
⋮⋮チョロいぜ。
俺は某ノートに名前を書いて裁きを下す漫画の主人公がする﹁計
画通り﹂の時の顔になるのを我慢しながら、ヴェラの背中を擦って
やった。
ヴェラが俺を開放した後、クロエの元に向かい、挨拶を済ませる。
﹁じゃあ、行ってくる﹂
218
﹁うん、行ってらっしゃい﹂
俺はクロエの頭を撫でてから、アメリーの方へと向かう。
﹁アメリーさん、行ってきます﹂
﹁行ってらっしゃい﹂
﹁......最後に、お願いなんですけど﹂
﹁何?﹂
﹁胸、触ってもいいですか?﹂
﹁......シャルルはえっちね。やっぱり、そういうのに興味
を持つ年頃なのかしら。仕方がない、いいわよ﹂
胸を触る許可を戴いた、あっさりと。
多分、俺が子供だからだろう。
きっと、俺が大人の姿だったら断られていただろうな。
いやあ、素晴らしい、素晴らしいな、子供の体。
﹁では、お言葉に甘えて......﹂
俺は恐る恐る、アメリーの胸へと手を伸ばす。
ふわり。
擬音で表すならこうだろうな。
では、少し力を入れてみようじゃないか。
ぷにょ。
擬音で表すならこうだろうな。
似ている物を挙げるならば、マシュマロだろうか。
219
だが、マシュマロよりも柔らかい。
もう少し力を入れてみようじゃないか。
むにゅり。
擬音で以下略。
ふむ、この、服越しからでも伝わる柔らかさ。
そして、布の感触と胸の柔らかさが作るこの独特な触り心地。
なんて素晴らしいんだろうか。
アメリーの胸は大きいから、彼女の肉は俺の指の間を抜ける。
昔、擬似おっぱいを試したことがある。
薄手のゴム手袋に空気を入れて服の上から揉んだり、80キロで
走る車の窓から手を出したり。
そんなのとは、比べ物にはならなかった。
なによりも、温かみがあるのだ、生のおっぱいは。
今度は、力を入れたり、抜いたりして、胸を揉みしだく。
力を入れた時の少し押し返してくる感触には感動すら覚える。
俺の掌、指の間で形を変える肉の塊に、涙が出そうになる。
﹁しゃ、シャルルくん......?﹂
﹁はい﹂
﹁そろそろ良い?﹂
﹁......すみませんでした﹂
﹁い、良いの﹂
アメリーの方に視線を移すと、アメリーは困ったように苦笑して
いたので、そろそろ自重しなければならない。
ていうか、クロエが見てる前で何をやってるんだ俺は......
220
。
ついつい、興奮してしまった。
これだから童貞は......。
﹁それと、アメリーさん﹂
﹁何?﹂
﹁ありがとうございました。僕が出世したら、お礼させてください﹂
﹁そんな大げさな⋮⋮﹂
﹁エヴラールさんにも、お礼を言っておいてもらえますか? 直接
言えていないのが失礼だとは分かっています。でも﹂
﹁分かったわ、ちゃんと伝えておく﹂
﹁ありがとうございます......ではアメリーさん、行ってき
ます﹂
俺は頭を地面に叩きつける思いで下げ、ヴェラと共に御者台に座
った。
馬車は動き出し、俺はアメリーとクロエの姿が見えなくなるまで
手を振った。
アメリーも何事も無かったかのように、俺に笑顔で手を振ってく
れたのは、幸いだった。
﹁ねえ、シャルル﹂
﹁何ですか、ヴェラさん﹂
﹁私のも揉むかい?﹂
﹁今はいいです﹂
こんな会話から、俺の獣人の森への旅が始まる。
221
挿話 ﹃青年﹄︵前書き︶
ただのおまけ。読まなくても問題なし。
222
挿話 ﹃青年﹄
﹁ねぇねぇ、聞いてくれる? ﹃教会﹄にも報告する事なんだけど
さ﹂
顔の整った好青年は、狂気的とも無邪気とも言える表情で、隣に
いる男に語りかけた。
男は面倒くさそうに﹁うるせぇな、なんだよ﹂と問い返す。
青年は流れる街の景色に目をくれる事なく、嬉しそうに話し始め
た。
﹁僕、今日出会ったんだ﹂
﹁出会った?﹂
﹁そう! ﹃魔神﹄に!﹂
﹁︱︱何!?﹂
男は目を見開き、驚きを露わにする。
青年はそんな男の様子を見て、より一層表情を明るくさせた。
﹁まだまだ弱い。戦ったけど、雑魚だったよ。それでも、将来有望
だね﹂
﹁戦ったのか!?﹂
﹁うん。戦っちゃった﹂
﹁クッソ。俺も相手したかったなぁ。魔神っていうからには、それ
なりの見た目なんだろうな?﹂
﹁いいや、ガキだったよ。五歳か六歳ぐらいじゃないかな﹂
﹁はぁ!? なら﹃決行﹄まで長ぇじゃねぇか﹂
﹁そうなるね。﹃教会﹄は彼に厳しくするだろうねぇ⋮⋮。一体ど
んな試練を与えるんだろ﹂
223
﹁さぁな。やっぱ、親しいやつを殺すのは確定だろ﹂
﹁だね、それも目の前で! あっはっはっ!﹂
青年が笑うと、それに釣られるように、男も笑った。
﹃教会﹄を名乗りながらも、その笑いは、﹃悪魔﹄のそれに近かっ
た。
二人は道の真ん中にいた為、視線が注がれる事になってしまった
が、そんなのはどうでも良いと言った感じだ。
高らかに、狂ったように、笑い声を上げた。
﹁︱︱っはぁ、お腹痛い﹂
しばらくして、二人は息を整える。
目尻には涙がにじみ出て、笑ってはいけないシリーズを見た後の
ようになっている。
﹁それで、戦った後、どうしたんだ?﹂
﹁逃してあげるついでに、獣人の森へ行くよう教えたよ﹂
﹁まぁ、必須だな﹂
﹁いやぁ、成長が楽しみだ。ここまで心が踊るとはね⋮⋮!﹂
﹁かぁ、ずりぃなぁ。クッソ。俺も会いたかったなぁ﹂
男は本当に悔しそうに、アイドルの握手会を仕事で潰された時の
様に、苦い表情をした。
青年はそんな男を見ても、表情は笑顔のまま。
喜びに満ちた表情のまま、青年は﹁でも﹂と付け足す。
﹁会うと惚れちゃうよ? 彼、﹃無味無臭﹄で﹃白紙﹄で﹃純粋﹄
だから﹂
﹁いいねぇ。穢したくなるねぇ﹂
224
﹁それは教会の一員として、問題ある発言だと思うよ﹂
﹁いーんだよ、気にすんじゃねぇ。俺らはそういう組織だろうがよ﹂
男が言うと、青年は﹁そうだね﹂とだけ答え、嬉しそうに笑った。
青年はただ、楽しくて仕方が無かったのだ。
青年の所属する﹃教会﹄なんてのはどうでもよく、彼個人が純粋
に楽しんでいるのだ。
クリスマスプレゼントを期待する子供のように。ただ、楽しみで
仕方が無い。
﹁ああ、そういえば﹂
唐突に、青年が口を開く。
﹁彼、﹃魔王﹄と接触したみたいだね。﹃魔王﹄から魔石を貰って
いたよ﹂
﹁チッ、あの野郎。見つけるの早いな﹂
﹁まあ、計画に変更は無いと思うよ。計画には﹃魔王﹄や﹃吸血鬼﹄
の妨害だって考慮されてるはずだからね﹂
﹁たしかに、あいつらじゃ、止められねぇか﹂
先ほどまでの嬉笑は、嘲笑に変わっていた。魔王の接触が何の意
味も成さなかった事に対して。
そして、これからも、魔王が何をしたところで、﹃終末﹄は免れ
ないだろうと。
魔神。教会。青年。終末。白紙。計画。魔王。吸血鬼。
シャルルは、その全てを知る事になる、﹃選ばれた人間﹄なのだ。
﹁いや、本当。楽しみだな⋮⋮もっと、成長してくれよ?﹂
225
青年は聞こえるはずもないのに、シャルルに語りかけた。
子供が楽しくて笑顔になるように、爽やかで、自然な笑顔で。
﹁へぶしっ!⋮⋮あぁ、ったく、シャルルさんの体は花粉症持ちで
すかぁ?﹂
そう。シャルルに聞こえているはずもない。
声は届かずとも、言葉の念というのは存在するのかもしれない。
﹃嘘から出た真﹄といった言葉があるように。
シャルルは、青年のその後を知ることも、興味を示すこともなく、
アメリーやクロエと獣人の森﹃ビャズマ﹄へ旅立つまでの時間を過
ごした。
﹃魔神﹄は、青年との接触により、本格的に、動き出したのだ。
226
犬耳尻尾で・前編
旅を始めてから二週間は、平坦な道を行くだけだったので、特に
何事も無く終わった。
寝泊まりは宿を借りたのだが、森に入れば野宿になる。
だが、﹁シャルルは私が絶対に守る、命に変えてもだ﹂とヴェラ
が言うので安心は出来るが、俺に命を懸ける程の価値があるのかは
疑問だ。
森へと侵入すると、道が少し荒くなる。
魔物の数も少なくはないが、ヴェラが一瞬で片付けてしまう。
彼女は反っている短剣を使っているのだが、斬撃が全く見えない
のだ。
速さが尋常ではない為、目の前から消えたかと思えば魔物の前に
いて、魔物の前にいたかと思えば目の前にいる。
そのくらい早い。
﹃種族固有魔術﹄という物らしく、獣人族は皆使える﹃瞬速﹄とい
う魔術だ。
人間以外の種族が﹃種族固有魔術﹄を使えるらしい。
竜人族の変体も種族固有魔術なのだとか。
森で確認した魔物はゴブリンやオーク、ウォームにトロール、あ
とはファンガスぐらいだった。
魔物は定期的に獣人の方々が排除しているから、強大な魔物はい
ないのだ。
夜はテントで眠るのだが、見張り番は無しで二人で一緒に寝る。
ヴェラ云わく、﹁寝ていても魔物の気配は察知できる﹂らしい。
彼女はエヴラールとパーティを組んでいたと言っていたので、彼
227
女も歴戦の冒険者なのだろう。
﹁寝ていても魔物を殺せる﹂とも言っていたヴェラなら安心して眠
れるのだ。
﹁フーガ、元気にしてるかなぁ﹂
﹁フーガ? 友達か?﹂
俺の独り言をヴェラが拾う。
﹁フーガはヴェゼヴォルで一緒に旅した馬なんです。人懐っこくて
可愛いやつだったんですけど、エヴラールさんと行ってしまって﹂
﹁そうか⋮⋮でも、馬に名前を付けることはお勧めしない﹂
﹁何故です?﹂
﹁その、不慮の事故が起こった時にクるものがあるぞ﹂
﹁⋮⋮なるほど﹂
名前を付ければそれだけ同情してしまう。
事故で死んだ場合、哀しみを負う可能性が大きいから、馬にはな
るべく名前を付けないほうが良いという事か。
⋮⋮うわ、フーガが死んだ時を思うと涙が出そうになってきた。
﹁もう可愛いなぁシャルルはぁ! そんな哀しい顔しちゃって!﹂
ヴェラは手綱を片手で持ち、片手で俺の頭を勢い良く撫でてきた。
顔に出したつもりは無いのだが、無意識の内に眉を寄せていた様
だ。
俺はもう少しポーカーフェイスを練習しないといけないな。
﹁ヴェラさん、あとどれくらいで着きます?﹂
﹁ヴェラお姉ちゃんと呼べと言っているだろう⋮⋮まあ、二週間は
228
掛かるだろうな﹂
二週間か。
二週間で何が出来るか。
魔術の研究でも進めようか。
︱︱︱︱︱︱
魔術の研究を始めてから数日、俺はとてもとても便利な魔術の使
い方を覚えた。
イメージに名前を付けて保存するというのをパソコンでした事が
ある人はたくさんいるだろう。
俺も﹁虹画像﹂で検索してはフォルダに保存していた。
それと同じで、魔術にも名前を付けてフォルダから引き出すこと
に成功したのだ。
﹃氷槍﹄はすぐに出せるが、﹃体内まで氷らせる魔術﹄は時間が掛
かる。
だが、﹃体内まで氷らせる魔術﹄に﹃氷壊﹄という名前を付けて
みよう。
すると、すぐにイメージが出来て発動させる時間を大幅に短縮出
来る。
辞書に付箋を貼る様な物だ。
﹃イメージ﹄という言葉に﹃名前﹄という付箋を貼る。
それと一緒。
だがしかし、使用魔力は変わらない。
229
まあ、そこは魔力増強でなんとか出来るから問題はない。
﹁ステータスが見れないのが辛い⋮⋮外の空気でも吸ってくるか﹂
俺に後ろから抱きつきながら寝ているヴェラを起こさないように、
腕から抜けだそうとするが、脚を絡められ完全ホールドされる。
そして次第に力は強まっていき⋮⋮
﹁痛い! 痛い! ヴェラさん! 痛い!﹂
﹁んぇ? どうしたのシャルル?﹂
﹁背骨、肋骨、骨盤、その他もろもろが砕けるかと思いました!﹂
﹁おっと、ごめんよシャルル⋮⋮お姉ちゃんを許してくれ⋮⋮なん
ならぶってもいいんだ、お姉ちゃんを許してくれ⋮⋮﹂
﹁わかりました、わかりましたから、もう一回寝てください﹂
面倒なのでもう一度寝るように促した。
﹁シャルル! 私をぶってもいいんだ!﹂
ヴェラは頬を染めながら言った。
なんだこの人は、ドMだったのか?
バトルジャンキーなイメージがあるからドSだと思っていたが。
﹁ぶちません、寝てください﹂
﹁⋮⋮お姉ちゃんは残念に思う﹂
﹁何でですか!﹂
﹁ぶってくれないからだ!﹂
﹁ぶてばいいんでしょ! ぶてば!﹂
しつこいので、ほっぺたを抓ってやった。
230
流石に殴る事はしない。
魔物であればいくらでも殴ったかもしれないが、美女を殴るのは
気が引ける。
﹁ありがとう、シャルル⋮⋮﹂
俺が頬から指を離すと、満足そうな顔でまた眠りについた。
そして俺も、背中の大きな果実の感触を味わいながらぐっすりと
眠った。
︱︱︱︱︱︱
二週間後、何事も無く獣人の森の中心にある獣人の村﹃ビャズマ﹄
に辿り着いた。
ビャズマは幻想的な場所だった。
巨大樹を中心に円状に木が配置され、木の上に家が建ててある。
ツリーハウスというやつだ。
木と木は橋で繋がれ、行き来できるようにしてある。
高度もあるし、落ちればただでは済まないが、こんな場所で暮ら
してみたいと子供の頃思った。
﹁ア⃝ターを思い出すなあ⋮⋮﹂
某青い人がたくさんいる映画を思い出しながら呟いた。
あれは3D版と通常版を見たので良く記憶している。
231
﹁ようこそシャルル! 獣人の故郷、ビャズマへ!﹂
俺が映画のことを思い出していると、両手を広げたヴェラが高ら
かに叫んだ。
その声は耳の良い獣人達に届いたのか、数人の獣人が駆け寄って
きた。
それはもうとっても速く。
﹁ヴェラ、おかえり﹂
駆け寄ってきた獣人の三人の内の一人である二十代後半ぐらいの
男が、獣人の使うベラート語で言った。
そして、男の一?後ろに下がっている二十代前半くらいの男女が
頭を下げた。
﹁うん、ただいまお父さん﹂
ヴェラもベラート語で返す。
どうやら、あの二十代後半ぐらいの男はヴェラの父らしい。
すっげぇ若い。
いや、若く見える。
ヴェラから聞いた話、獣人は若い見た目を五十年程保つらしい。
六十歳になっても、人間の四十歳ぐらいの見た目なのだとか。
そんな若く見えるヴェラパパは一度頷いてから、俺の方を見た。
﹁それで、ヴェラ、この子は?﹂
﹁ああ、お父さん、私の婚約者だよ﹂
﹁こ、婚約者!?﹂
驚いたのはヴェラパパだけではなく、後ろの男女も驚いた顔をし
232
ている。
だがもちろんの事、撤回させていただく。
﹁ごめんなさい、それはヴェラさんの冗談です。僕はシャルルと申
します﹂
俺はベラート語で自己紹介をして深々と頭を下げた。
ここから先は言語をイルマ語からベラート語に切り替える。
すると安堵の息を吐いたヴェラパパがヴェラに怒鳴る。
﹁心臓に悪いからやめんかい!﹂
﹁違うんだお父さん! シャルルは恥ずかしがり屋なだけで! 私
達は契まで結んだんだ!﹂
﹁結んでません﹂
ヴェラの言葉をすぐに否定した。
誤解というものは早めに解かないといけないのだ。
﹁シャルルと言ったかな? ベラート語を話せる上に、礼儀正しい
子だね。俺は村長兼族長のティホン、娘がいつも迷惑をかけてすま
ない﹂
﹁いえいえ、面白くていい人です﹂
﹁聞いたかいお父さん? ヴェラさんが好きだってさ?﹂
﹁言っとらん﹂
ヴェラの戯言をティホンが蹴った。
ヴェラは拗ねて体育座りをしてしまった。
面倒なので、今は放っておく。
ていうかこの人、村長の娘だったのか。
偉い人じゃないか。
233
﹁それで、シャルル君、この村に何の用事かな?﹂
﹁はい、力を求めて来ました。ヴェラさんみたいに速くなりたいん
です﹂
﹁なるほど、しかしあれは我々の魔術によるものなのだが⋮⋮﹂
﹁はい、承知の上です。ただ、体術を教えてくれればと思います﹂
初対面の相手にいきなりこの様な事を言うのは図々しいかもしれ
ないが、俺は遠慮は捨てる。
子供の間に欲しい物を手に入れたい。
大人になってからじゃあ、遅い気がする。
﹁分かった、ヴェラには良くしてもらっているようだし、考えてみ
よう﹂
﹁ありがとうございます!﹂
俺はティホンに頭を下げた。
顔を上げると、視界の隅に体育座りのヴェラが映った。
本当に面倒な人だな⋮⋮。
﹁ヴェラおねえちゃんっ﹂
俺は歩み寄り、後ろから抱きついた。
そして、耳元で囁く。
﹁今晩、一緒に寝てください⋮⋮﹂
﹁ッ!?﹂
ヴェラは目を見開き、俺の方を見る。
顔が近付き過ぎて俺の鼓動が少し早くなったが、子供の無邪気な
234
笑顔を保つ。
﹁シャルルゥゥウウ!﹂
ヴェラは突然立ち上がり、俺を持ち上げると、涙を流しながら喜
びの歌を歌い始めた。
聞きなれない言葉、ベラート語だ。
ヴェラの歌声と重なって聞こえてくるのは、こそこそと聞こえる
ベラート語での話し声。
ティホンの後ろに立っていた男女だ。
﹁まさか、ヴェラ様をあれだけで立ち直らせるとは⋮⋮﹂
﹁あの少年は一体⋮⋮﹂
ヴェラの様な美人に頬ずりをされたりするのは構わないのだが、
時々死にかける。
しかしまあ、高位な人に懐かれているのはどうしたものか。
﹁では、シャルル君、ここにいても始まらないから、まずは家に来
るといい﹂
﹁いいんですか?﹂
﹁もちろんだ﹂
そう言われ、俺は素直にティホンの家へと赴く事となった。
向かう途中、視線が集まるのが見えた。
俺にではなくヴェラにだ。
ヴェラは長い間故郷に帰っていなかったと言っていたし、ビャズ
マでは英雄的存在らしい。
ヴェラだけではなく、エヴラールのパーティは皆が功績を残して
235
いて有名だと聞く。
エヴラールの偉大さに感心していると、俺はティホンの家に着い
た。
ティホンの家は周りの家よりも一回り大きかった。
流石は村長だ。
﹁お帰りなさい、アナタ⋮⋮あら、ヴェラ! お帰りなさい!﹂
そう言って、ヴェラとティホンを出迎えたのは、大きな胸をお持
ちで、銀色の髪を長く伸ばし、温厚そうな雰囲気を漂わせる女性だ
った。
察するに、ヴェラの母だ。
ヴェラとヴェラママは抱き合って、再会を喜ぶ。
そして、ヴェラの母は俺を見ると、表情を変えた。
ヴェラの母は突然姿を消した︱︱かと思いきや、俺の目の前にい
た。
危険を察知した俺はすぐに身構え、次の行動を予測。
予想通り、俺の脚を狙った攻撃。
俺は後ろに飛び、ドアを破壊し家を出た。
家から飛び出た俺に、周りの視線が集まる。
﹁ぐ⋮⋮っ﹂
立ち上がろうとした俺の首は持ち上げられていた。
ヴェラの母の瞳には恐怖の色が見える。
﹁ちょっとお母さん!﹂
﹁何をしているんだ!﹂
236
ヴェラとティホンの声が重なって聞こえた。
俺の首を絞める手は少しずつ強くなっていき、唾液が俺の首を伝
うのが分かった。
﹁ッ、はぁッ! ぜェ、はァ⋮⋮!﹂
そろそろ死ぬんじゃねえかと思った頃、俺はヴェラ母の手から解
放された。
ヴェラは血相を変えて俺の元へ駆け寄ると、背中を擦ってくれた。
﹁大丈夫?! シャルル!﹂
﹁はァ、だ、大丈夫です、びっくりしただけ⋮⋮っはぁ、ですから﹂
﹁お母さん! 一体どうしたって言うの!﹂
俺の背中を擦りながら、ヴェラはヴェラ母に向き直り怒鳴った。
ヴェラ母は肩で息をしながら、ティホンに宥められている。
﹁どうしんだリアナ、突然襲いかかったりなんか⋮⋮相手は子供だ
ぞ﹂
﹁ごめんなさい、でも、彼は⋮⋮!﹂
ヴェラの母︱︱リアナは俺に恐怖心を露わに睨み付けてくる。
一体何だと言うんだ。
彼女は初対面だし、獣人族に対して悪いことをした覚えはない。
﹁気分を害してしまい、申し訳ありませんでした⋮⋮次からは土産
の一品をお持ちいたしますので、どうか⋮⋮﹂
俺は額を地面に擦り付ける思いで土下座をした。
237
この世界に土下座なるものが有効なのかは知らないが。
﹁⋮⋮﹂
俺は全身全霊で謝っているのだが、反応がない。
それどころか、誰も言葉を発しない。
不審に思い顔を上げると、皆が俺に視線を集中させ目を見開いて
いる。
﹁⋮⋮?﹂
俺は首を傾げた。
もしかして、土下座ってこの世界では無礼なのか?
そんな馬鹿な、自分の額を地面に擦り付けるというまさに自虐的
行為。
これが相手への侮辱になるとは思えない⋮⋮。
﹁シャルルは可愛いなあぁ!﹂
突然ヴェラが俺に抱きつき、顔が胸に埋まる。
﹁ヴェ、ヴェラさっ、苦しっ⋮⋮﹂
﹁お姉ちゃん、でしょ。それまで放してあげないよ﹂
﹁ヴェラ、お姉、ちゃん﹂
﹁良く出来ました!﹂
いや、良い匂いがして、柔らかくて気持ちがいいんだが、昇天だ
けは御免だ。
もう少し優しくして欲しいものだな、全く。
238
ヴェラの胸から解放された俺は、リアナに視線を向ける。
彼女は俺の方を見て、複雑な表情を浮かべた。
俺は改めて、リアナに謝ることにした。
﹁本当に、すみませんでした!﹂
頭を下げると、リアナが俺に歩み寄ってきた。
土下座のほうが良かったもしれない。
また襲われる危険性も考慮して身構えた。
ヴェラも少し警戒しているように思える。
﹁顔を上げて⋮⋮私が悪かったのだから﹂
リアナの暖かい手が頬に触れた。
顔を見ると、目尻に涙を溜めて悲しそうな笑顔を浮かべていた。
﹁本当に、ごめんなさい⋮⋮﹂
リアナが俺に謝る。
﹁その、貴方から何か悪いものを感じたの⋮⋮﹂
﹁もしかして、これですかね?﹂
悪いものと言われてピンと来た、魔王から貰ったペンダントを見
せてあげた。
リアナは後ずさり、頷く。
﹁そ、そう、それ⋮⋮! 一体どこで手に入れたの?﹂
﹁友人に貰った物です﹂
﹁⋮⋮大事な物?﹂
239
﹁はい、とっても、とっても、大事な物です﹂
魔王の名前は伏せておいた。
色々と面倒なことになりそうだからだ。
そして、このペンダントは︻たいせつなもの︼に部類される。
これは俺とシャルルが会話するために必要な物だ。
あいつとのコンタクトは重要。
ヴェラが言っても、エヴラールが言っても、俺はペンダントを手
放さないだろう。
﹁そう⋮⋮なら、仕方ないわね﹂
俺がペンダントを服の内に隠すと、リアナは俺の頭を撫でた。
少し震えている。
獣人族は敏感だから、邪悪な魔力を感じ取りやすい。
多分、その中でも彼女は特別感じ取りやすい方のだろう。
というか、敏感過ぎるんだ。
魔物の気配を一瞬で察知するヴェラでさえ、こいつを何とも思わ
なかったのだから。
︱︱︱︱︱︱
皆が落ち着いた後、俺は余った家を貸してもらった。
村長の家に泊まるのは少し気不味い。
リアナも俺と離れている方が安心できるだろうし。
240
俺が貰ったのは一人で住むには大きすぎる家だった。
リビング、玄関、寝室、バルコニー、そして浴室まであった。
浴室があるのは珍しい。
宿にも無いのだ、浴室というのは。
荷物を整理した後は、村長の家で夕飯を一緒にという話だ。
リアナの事が心配だが、村長に誘われたら断れない。
俺は早々に整理を済ませ、村長の家へと足を運んだ。
途中、俺を見てはひそりと話す姿が見えたが、無視して村長の家
に着いた。
ノックをしようとすると、ヴェラが突然扉を開き、抱きついてき
た。
﹁あぁん、もう待ってたよぉ!﹂
﹁⋮⋮におい、ですか﹂
﹁そうだよ、シャルルの匂いはもう完全に覚えたからね。ナニの大
きさまで知っちゃったんだから﹂
﹁匂いはまだ分かりますけど、ナニは理解できません! なんで知
っちゃったんですか!﹂
﹁ふふふ、秘密だよ﹂
そう言って、俺をお姫様抱っこすると、椅子に座らせてくれた。
テーブルの上には食事が並んでいて、俺の鼻を刺激する。
ただ、肉が多いな、うん。
全員が席に着き、食事を始める。
ティホン、リアナ、ヴェラは昔話や近況報告で盛り上がっている。
俺は黙々と食事を進めるが、隣に座るヴェラの皿の上を見て気付
いた。
241
彼女は野菜だけ避けている。
野菜はちゃんと食べないといけない。
肉だけじゃバランスが悪い。
ビタミンが不足するとビタミン欠乏症になる。
かと言って、野菜だけでもダメだ。
ベジタリアンが健康的かと言われれば、そうではない。
脳、心臓、血液に影響が出る。
ベジタリアンの子供のIQが鉄分不足のせいで低下していた事例
もある。
まあ、とにかく何事もバランスが重要なのだ。
俺はフォークでヴェラの野菜を刺し、ヴェラの口元まで運ぶ。
﹁はい、お姉ちゃん、あーん﹂
﹁あーん﹂
予想外なことに、ヴェラは素直に食べてくれた。
しかし、リアナとティホンは驚いた顔をしている。
﹁どうしました?﹂
﹁ヴェラは野菜嫌いで、俺達が言っても頑なに食べようとしなかっ
たんだ⋮⋮それをたったそれだけの行動で食べさせてしまうとは⋮
⋮﹂
俺が尋ねると、ティホンが答えた。
自分で言うのも恥ずかしいが、ヴェラは俺に良く懐いているよう
だ。
初めて会った時からこんな感じだったが、最近ではかなり素直で
助かる。
242
その後、俺も会話に混ざり楽しく夕飯時を過ごした。
243
犬耳尻尾で・前編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
では、ショートストーリーをどうぞ。
﹁暇です、ヴェラさん﹂
﹁お姉ちゃんと呼べと言っているだろう﹂
﹁気が向いたら。あーあー、暇ですよー﹂
﹁仕方がない、お姉ちゃんと﹃しりとり﹄をしよう﹂
﹁いいですね﹂
﹁寝間着﹂
﹁木﹂
﹁気合﹂
﹁胃﹂
﹁イカ﹂
﹁蚊﹂
﹁会長﹂
﹁兎﹂
﹁うま﹂
﹁魔﹂
﹁撒き菱﹂
﹁死﹂
﹁シャルル、やる気無いのかい?﹂
﹁いえ、そんな事ないですよ。続けましょう﹂
﹁うん﹂
﹁僕の勝ちです﹂
﹁⋮⋮はっ!﹂
244
犬耳尻尾で・中編
ティホンと食事をした次の日の朝。
俺はベッドの上でヴェラにお願いごとをした。
﹁あっ、お、お姉ちゃ⋮⋮んっ、はぁ、んぅ﹂
﹁そうか、ここがいいんだねシャルル﹂
ヴェラは意地悪な笑みを浮かべ、俺の気持ちのいい所に触れる。
掌と指を使って俺の体を刺激している。
﹁くっ、あぁ⋮⋮もう、ゆるひて﹂
﹁ふふ、シャルルは可愛いな﹂
快感が俺の体を覆い、今にも昇天しそうな思いだ。
ヴェラの動きは徐々に激しくなっていき、俺の喘ぎが寝室に響く。
﹁ヴェラさんっ、もっと、もっと強くしてくださ⋮⋮っ!﹂
﹁お望みとあらば! ほら! ほら!﹂
﹁っく、ふぁ⋮⋮!﹂
ヴェラは恍惚な表情で、手を激しく動かしている。
指が俺の感じやすい部分に当たる度に、体が跳ね上がってしまう。
﹁さあ、これでフィニッシュだよ!﹂
﹁っ⋮⋮! はぁ、はぁ⋮⋮﹂
ラストスパートで俺の全体が快感の渦に呑まれた。
ヴェラのテクニックがここまでとは知らなかった。
245
今度もう一回してもらおう。
﹁ありがとうございました。まさかヴェラお姉ちゃんがここまで上
手だったとは知りませんでしたよ。最高な揉み療治でした﹂
﹁いやいや、私はとっても良い物が見れて聞けたから、して欲しい
時はいつでも言ってくれるといいさ﹂
リアナ云わく﹁筋肉が凝り過ぎている﹂らしく、実際にヴェラに
マッサージしてもらったのだが、言われた通り凝っている部分は多
かった。
リアナがヴェラに頼んだ理由が分かった気がする。
彼女のテクニックは一級品だ。
マッサージの後は、村長の家へと向かう。
体術の師匠を紹介してくれるのだ。
ヴェラではないのかと聞くと、ヴェラでは甘やかしてしまうとの
理由でいけないそうだ。
ヴェラの技術はハイレベルだが、俺は甘やかして欲しくはない。
普段はそれでもいいのだが、力を付ける時は厳しいほうがいい。
エヴラールはマネジメントも上手いし、動きの良し悪しも判断で
きる良き師匠だった。
﹁こんにちは、ティホンさん﹂
﹁お早うシャルル、昨日はよく眠れたか?﹂
﹁はい、それはもう﹂
昨晩は久しぶりの風呂でほっこりしたのだ。
ぐっすりでない訳が無い。
いつの間にか隣で寝ていたヴェラの事など気にせず眠れたさ。
246
﹁朝食を取っていくといい、紹介はその後だ﹂
﹁ありがとうございます。⋮⋮ぼうっとしてないでください、ヴェ
ラお姉ちゃん﹂
未だ恍惚な表情を浮かべるヴェラの手を引き、村長の家へと足を
踏み入れる。
キッチンではリアナが朝食を作っていた。
俺達三人は席に着く。
﹁おはよう、シャルル君﹂
﹁おはようございます﹂
俺の前に朝食の乗った皿を置いたリアナが挨拶をした。
リアナとは昨晩、和解できたと思う。
俺に恐怖を見せることもなくなったし。
堪えている可能性もあるが、それは考えないようにしよう。
﹁いただきます﹂
四人が揃った所で、食事を始める。
今気づいたが、テーブルは一つ、椅子は四つ。
つまり、この家族は四人家族か。
だが、昨日からもう一人の姿を見ない。
﹁あの、もう一人の家族の方は?﹂
﹁ああ、私の妹なんだけど、今は友達の家だよ﹂
俺の質問にヴェラが答えた。
妹がいるらしい。
ヴェラもリアナも美人だから、きっと妹も美人なのだろう。
247
見るのが楽しみだ。
談笑しながら朝食を終え、寛いでいると客が訪れた。
ティホンが対応し、家の中へ入れる。
入ってきたのは茶色の髪をした男。
もちろん獣人なので、尻尾と獣耳がある。
俺と視線が合うと、男は俺の手を引っぱった。
﹁シャルルゥゥゥ!﹂
後ろからヴェラの叫び声が聞こえるが、追ってくる気配はない。
ちらりと後ろを見ると、ティホンに取り押さえられていた。
男に連れて来られた先は村の中央から離れた平地だ。
俺は魔力を体全体に巡らせた。
﹁そいじゃ、自己紹介。俺はバフィト、お前に体術を教える事にな
った﹂
﹁えと、僕はシャルルです。よろしくお願いします﹂
頭を軽く下げると、手を差し出された。
俺はそれを握ろうとするが、
﹁︱︱シュッ!﹂
予想通り、バフィトは俺に攻撃を仕掛けた。
魔力で強化された視覚と聴覚で、中段と上段に同時に飛んできた
拳を躱す。
248
一瞬でバフィトは俺の背後に回り込んだ。
俺は屈み、回転して足払いをするが、難なく避けられるてしまう。
脚に魔力を集中させ、加速。
一瞬で間合いを詰めて腕に魔力を集中、正拳突きを繰り出した。
かなり早いパンチだったが、手首を捕まれ、重心を崩される。
﹁ぐッ!﹂
頬に衝撃。
俺は吹っ飛び、背中に衝撃が伝わり、前方に飛ばされる。
気づけば俺の腹には拳がめり込んでいた。
﹁かはァッ!﹂
頬と背中と腹が痛む。
意識が遠のく思いだが、耐えた。
そして痛む箇所に魔力を送り、心の中で﹁治癒﹂と唱える。
痛みが少しずつ引いていき、息も整ってきた。
﹁無詠唱⋮⋮﹂
バフィトがぽつりと呟いたのが聞こえた。
無詠唱よりも驚くのはこいつの動きだ。
一瞬で回りこんで、気づけば攻撃が当たっている。
ヴェラより速いかと聞かれればそうではないと思うが、それでも
速過ぎる。
俺もこのぐらい動ける様になりたいが、種族固有魔術のコピーは
出来なかった。
まあ、俺は人間だから仕方がない。
249
﹁速すぎですよ、バフィトさん﹂
﹁いや、ガキのくせに数回は俺の動きに反応したお前も中々だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁まあ、実力は分かったから教える物も絞れたな﹂
そして、本日より俺の体術強化特訓が始まった。
︱︱︱︱︱︱
﹁いってぇ﹂
翌朝、体を起こした俺の第一声。
思った以上にハードな特訓で全身が筋肉痛だ。
﹁おはようシャルル、今日も私が揉んであげるからね﹂
口元を綻ばせながらヴェラが言った。
断る理由も無いので軽い気持ちで頼んだのだが⋮⋮。
﹁あいでででで! 痛い! 痛いです!﹂
予想以上に痛かった。
昨日は程よく気持ちのいいマッサージだったので、喘ぐ余裕があ
ったのだが、これは叫ぶしかない。
痛がる俺の姿を見て鼻息を荒くするヴェラも危ない。
ドMだと思っていたが、ドSでもあるらしい。
250
困った人だ、本当に。
マッサージの後は村長宅で朝食を取った。
リアナの作るご飯は美味しいので、俺は満足。
今日もヴェラの妹はいなかった。
朝食後は昨日の平地でバフィトと特訓だ。
俺は準備運動を挟みながら移動していた。
﹁おい、そこの黒髪﹂
そんな時、後ろから声をかけられた。
振り向くと、銀色の髪を短く切った、ヴェラと顔立ちの似た少女
が俺に指を指していた。
﹁なんでしょう?﹂
﹁私はお姉ちゃんの妹だ。だから、お前にお姉ちゃんをお姉ちゃん
と呼ぶ資格はない﹂
まあ、予想通りヴェラの妹だった。
俺がお姉ちゃんと呼ぶのはヴェラしかいないし。
ていうか、何なんだ。
いきなり﹃資格はない﹄とか言われてもな。
こっちだって呼びたくて呼んでいる訳ではないというのに。
﹁いや、でも僕そう呼べって言われて︱︱﹂
﹁お姉ちゃんをお姉ちゃんと呼びたかったら、私と勝負をしろ﹂
﹁断ります、別に呼びたいわけじゃ無いので。では、また今度﹂
﹁んなっ!?﹂
251
正直、今はそんな場合ではない。
ヴェラの妹との交流はそれはもう楽しみで仕方がないが、バフィ
トが待っている。
﹁私に勝てたら今日一日、何でもしてやるぞ﹂
﹁ん? 今何でもするって⋮⋮? 分かりました、その勝負受けて
立ちましょう﹂
﹁ど、どうしたんだ、いきなり⋮⋮まぁいい、私に付いて来い﹂
そう言うヴェラ妹の後ろに続いた。
言い訳させてもらうなら、﹁本能だから﹂としか言いようがない。
異性に﹁何でもする﹂と言われて断れる男はいないだろうよ。
いたらそれは、まあ、ソッチの方なんだろう。
して、俺が連れて来られたのはバフィトの居る平地だった。
﹁あれ、バフィト、何でここに?﹂
ヴェラ妹がバフィトに尋ねた。
﹁リラ様、自分は昨日からそちらのシャルルの先生をしているので
す﹂
どうやら、彼女の名前をリラというらしい。
﹁えっ、そうだったのか⋮⋮まぁいい、今日はこのシャルルと戦う
んだ﹂
﹁それまた何故です?﹂
﹁お姉ちゃんをお姉ちゃんと呼んでいるのが気に食わないから、か
な?﹂
252
﹁分かりました、ではご武運を﹂
会話を終えたバフィトは俺達から数十メートル離れた場所まで下
がった。
俺とリラは対面し、リラは俺を睨みつけ、俺は苦笑を返す。
﹁バフィトー! 合図を出してくれ!﹂
リラがバフィトに向かって叫んだ。
バフィトは腕を前に伸ばし、静止する。
俺とリラを交互に見てから、腕が上がった。
その瞬間、リラが俺の目の前から消えた。
こんな子供でも一瞬で視界から消えるという芸当が出来るという
のか。
﹁おっと﹂
俺は予め全身に魔力を巡らせて、視覚と聴覚を強化させていたの
で、後ろから迫る攻撃を回避。
姿勢を低くし、戦闘態勢に入る。
253
犬耳尻尾で・後編
飛んでくる攻撃を躱していると、隙を突かれて額に拳が当たった。
視界が揺れてリラを見失う。
﹁あがぁッ!﹂
腹に数発の突き、そして顎を蹴り上げられた。
俺は仰向けに倒れ、﹁何でもしてやるぞ﹂の一言で意識を繋ぐ。
頭と腹に治癒を施し、視界がはっきりとしてくる。
立ち上がろうとした時、顔面に足の裏が直撃し、俺は後方に飛ば
された。
受け身を取り、立ち上がってリラの対処法を考える。
正攻法では勝てない。
だが、魔術で直接攻撃しては、リラが傷付く。
﹁ぐっ⋮⋮!﹂
リラの攻撃をぎりぎりで躱せずに、肩に当たる。
まだ子供だというのに重い攻撃だ。
流石はヴェラの妹だな。
俺は脚に魔力を集中させ、走りだした。
俺の後をリラが追う。
攻撃を躱しながら逃げまわり、周囲を確認してから立ち止まった。
リラの腕が俺の顎を目掛けて飛んでくるが、リラが突然バランス
を崩し、凄い勢いで転倒しそうになった。
俺はリラを正面から抱きとめ、首にナイフを突き付けた。
254
今日は二本の剣を家に置いてきたので、これは旅の途中で買った
ナイフだ。
腿に常備してある。
﹁な⋮⋮﹂
リラは絶句している。
何が起こっているのか分かっていない様な顔だ。
﹁僕の勝ちですね﹂
バフィトに目をやると、ゆっくりと頷いた。
俺がしたのは簡単な事だ。
走り回っている間に地面に石を置いただけだ。
全部違う大きさの物。
それに躓くように位置取りをし、リラの攻撃を誘っただけだ。
俺はリラを傷付けることなく勝利した訳さ。
﹁いやぁ、何でもしてくれるんですよね∼、楽しみです、何をさせ
ましょうかぁ⋮⋮﹂
﹁今のは偶然転んだだけだ! 無しだ!﹂
﹁いいえ、シャルルの勝利です、リラ様﹂
リラの抗議をバフィトが蹴った。
バフィトには俺のした事が見えていたのだろう。
俺にウィンクをしてきた。
何て良い人なんだろうか⋮⋮。
﹁むぅ⋮⋮仕方がない、お前の勝ちにしよう﹂
255
意外とすんなり受け入れたな。
もう少し粘るかと思ったが。
﹁約束通り、何でも言うことを聞いてやる﹂
﹁そうですね、僕の訓練の後にしましょう﹂
﹁分かった、じゃあ後で﹂
そう言い残し、リラは村の中央へと走っていった。
俺はバフィトへ振り向き、苦笑交じりに聞く。
﹁村長の娘が僕の言う事を何でも聞くそうですよ?﹂
﹁度が過ぎていなければ、仲を深める為の遊びとして多めに見るさ﹂
﹁度が過ぎればどうなるんです?﹂
﹁賢いお前なら分かるだろ﹂
一瞬だけ殺気を感じた。
まあ、タダでは済まないだろうな。
村長の娘に手を出したとあらば、全員で俺を殺しに掛かるだろう。
トラブルはなるべく避けたいので、程よく楽しめる物にしておこ
う。
﹁じゃあ、訓練を開始する﹂
﹁はい、よろしくお願いします!﹂
訓練後、俺はティホンの家へと向かった。
ノックをすると、リアナが友好的な笑顔を浮かべて迎え入れてく
256
れた。
﹁ふがっ﹂
突然視界が真っ黒になり、女性独特の良い香りが鼻を刺激した。
柔らかいものが俺の顔を覆って、俺は今とても幸せ。
幸せすぎて死ぬんじゃないかと思う。
﹁っぷはぁ! ヴェ、ヴェラさん⋮⋮!﹂
﹁どう? 死ななかったでしょシャルル! ギリギリ死なないよう
にするからね、これからは!﹂
﹁ギリギリって、もう少しお手柔らかにお願いしますよ﹂
後頭を掻きながら中に入ると、リラがソファで寛いでいるのが見
えた。
俺はゆっくりと歩み寄り、下衆い笑いを作って見下すように言う。
﹁来ましたよ﹂
﹁ひっ⋮⋮そ、その顔はやめろ!﹂
本気で怖がっているのか、肩が小刻みに震えている。
怖がる女の子もまた可愛いものだな。
しかし、あまり遊びすぎるとトラウマを植え付ける可能性がある
ので、ここらで止めておく。
いつもの笑顔を浮かべて、俺はこう告げた。
﹁では、リラ様、あなたの本日一回目の私からの命令は⋮⋮﹂
﹁⋮⋮命令、は?﹂
俺は焦らしたまま暖炉前に胡座をかき、膝を叩いた。
257
﹁こちらに座っていただきましょう﹂
﹁はぇ?﹂
俺が言うと、リラが間抜けな声を出した。
﹁そ、それだけか?﹂
﹁はい﹂
﹁そうか、変なやつだな⋮⋮﹂
言いながら、リラは俺の膝と膝の間にちょこんと座る。
俺の鍛えられた体のせいなのか、リラが子供だからなのか、軽く
感じる。
こんな軽い体でどうやってあのパンチを繰り出したのか、不思議
に思う。
これだけでは物足りないので、俺はしがみつくように抱きついた。
リラの体温、匂い、心臓の鼓動を感じる。
人生で初めてやったが、気持ちが良いものだな。
人肌は何故だか安心するものだ。
俺はいつの間にか寝ていたようで、鼻を刺す食べ物の匂いで目を
覚ました。
リラも一緒に寝てしまったらしく、今も静かに寝息を立てている。
俺は膝の裏に腕を回し、お姫様抱っこでソファまで運んでやる。
男っぽい口調だが、寝ている時は普通の女の子だ。
いや、耳と尻尾があるから普通では無いな。
﹁シャルルはリラの方が好みか?﹂
258
リラの寝顔を見つめていると、ヴェラが話しかけてきた。
﹁いいえ、僕は何でもいけますよ、同性でなければ。ヴェラさんも
魅力的だと僕は思います﹂
﹁シャルルはいい子だなぁ!﹂
そう言って後ろから抱きついてきた。
今までは正面から抱かれていたので気付かなかったが、ヴェラは
匂いも嗅いでいる。
すんすんと嗅いでは頬ずりの繰り返しだ。
顔にはヴェラの柔らかいほっぺた、背中にはヴェラの柔らかいお
っぱい。
最高だね。
﹁ご飯が出来ましたよ﹂
しばらくして、リアナが機嫌の良さそうな声色で言った。
もうしばらくリラの寝顔を見ていたいが、ご飯ならば起こさない
といけない。
﹁リラさん、起きてください﹂
声をかけながら頬を軽く叩く。
﹁ふぁぁ∼﹂
リラは欠伸をしながら体を起こし、俺の顔をしばらく見てから立
ち上がった。
そして、テーブルへゆっくりと歩いて行く。
259
全員が席に着いた所で、夕飯を頂いた。
︱︱︱︱︱︱
翌朝、ヴェラにまたマッサージをお願いし、ヴェラと共にティホ
ンの家へと向かう。
朝食を済ませ、バフィトと訓練をした後は暇な時間が出来る。
折角なので、村を適当に歩く事にした。
ティホン宅は村の中央︱︱大樹のすぐ側に作られている。
そこから時計回りに移動しよう。
数時間歩いて休憩を取る。
気付いた事と言えば、この村には店が一つもない。
獣人の方に聞いた話、食料は自分で確保する物らしい。
まあ、獣人の彼らならば狩りなど余裕だろう。
獣人の方々で思い出したが、ここには犬耳だけがいる訳ではない
ようだ。
俺が今まで見てきた獣人はどちらかと言えば狼だが。
ティホンの家から東側は犬耳が多く、西側は猫耳が多いと言った
感じだ。
﹁さてと、帰るか﹂
する事も無くなったので、家に帰ることにする。
260
﹁よっこら︱︱﹂
﹁んにゃっ﹂
座っていた石から腰を上げた俺の背中に誰かがぶつかった。
振り返ると、猫耳と尻尾を生やした獣人さんがおられた。
茶色のショートヘアにくりりとした眼の美少女だ。
リラと同い年くらいのロリである。
﹁大丈夫ですか?﹂
﹁大丈夫⋮⋮。あなた、人間⋮⋮?﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮珍しい﹂
﹁お邪魔してます﹂
﹁黒髪⋮⋮触って、いい?﹂
﹁あ、どうぞ﹂
俺が少し屈むと、猫耳は俺の頭を撫でた。
髪の毛を指に巻いたり、くしゃりと掴んでみたりしている。
黒髪ってのは、この世界では珍しい方なんだとエヴラールもアメ
リーもヴェラも言っていた。
俺からすれば真っ赤な髪や水色、金色の方が慣れないのだが。
﹁ありがとう⋮⋮﹂
猫耳は満足したのか、俺の頭から手を離すと、どこかへふらりと
行ってしまった。
﹁慣れなきゃいけないのかねぇ﹂
261
黒髪というだけで視線を向けられるのはよくある事だが、未だに
慣れないでいる。
だが、俺は慣れなければならないのだろうな。
面倒だが、この世界で生きていくにはそうするしかない。
その後、俺は家に帰り、魔術で遊んだ。
262
唐突な訪れで・前編
夕食後、寝ようと思いベッドに倒れこんだ時、誰かが家のドアを
ノックをした。
重い瞼を持ち上げ、剣を一本持ち、扉を開けた。
そこにいたのは、夕方に会った猫耳の少女だった。
﹁どうしたんですか﹂
﹁匂いで⋮⋮わかった⋮⋮﹂
﹁あ、はい、それは分かります。何の用でしょう?﹂
﹁今晩⋮⋮泊めてほしい﹂
﹁はい?﹂
俺はいつ美少女が家に泊まりに来るフラグなんて建てたんだ。
リラならまだ分かるが、この猫耳は夕方に初めて会ったというの
に。
﹁⋮⋮だめ?﹂
﹁⋮⋮どうぞ﹂
困っているようなので、仕方なく中に入れた。
ビャズマの夜は冷えるから、外に居させても悪いし。
﹁一先ず座ってください、色々聞きたいことがあるので﹂
俺が言うと、彼女は黙って頷いた。
俺はキッチンへ向かい、コップにお湯を注ぐ。
ちなみに、魔術で作ったお湯だ。
そして棚からココアパウダーを取り出し、スプーン三杯を入れた。
263
﹁どうぞ、冷めないうちに﹂
﹁ありがとう⋮⋮﹂
彼女は俺からコップを受け取ると、息を吹きかけた。
﹁それで、どうしたんですか? 家出とかですか?﹂
﹁⋮⋮そう。どうして⋮⋮分かったの?﹂
家出少女、俺氏の家に泊まる。
困りました、困りましたぞ。
これは相手の家族と色々と揉めてしまう可能性があるんじゃなか
ろうか。
﹁まぁ、理由は聞きません、今晩だけですからね﹂
俺が言うと、彼女は黙って頷く。
﹁とりあえず、名前を聞かせてください﹂
﹁⋮⋮ニーナ﹂
﹁ニーナさんですか。僕はシャルルです﹂
﹁﹃さん﹄は⋮⋮いらない。ニーナで⋮⋮いい﹂
﹁分かりました﹂
﹁敬語も⋮⋮いらない﹂
注文が多いお方だ。
まあ、お望みとあらば敬語はやめて差し上げよう。
しかしまあ、泊めてあげるのはいいが、ベッドが一つしか無い。
なら、選択肢は二つだ。
264
俺がソファで寝て、ニーナをベッドで寝かせるか。
俺とニーナで一緒に寝るかだ。
俺としては、二人で一緒に寝たいものだが、会ったばかりの人と
それはマズイ。
なら、俺はソファで寝るべきだろう。
﹁シャルル⋮⋮リラの匂い⋮⋮する﹂
﹁ああ、リラの家には飯を食べに行ってるからな﹂
﹁そう⋮⋮﹂
そして、彼女はココアを啜る。
⋮⋮絡み辛い。
猫耳で無口系なのね。
いや、助かると言えば助かるが。
にゃーにゃー煩くても嫌だしな。
﹁話題が無いので聞きますけど、何で家出なんか?﹂
﹁お父さんと⋮⋮喧嘩。お父さん⋮⋮魚⋮⋮全部食べた﹂
﹁魚で親子喧嘩って⋮⋮まあ、わかりました。ここに来たのはいい
んですけど、匂いでバレないんですか?﹂
﹁⋮⋮盲点﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
それって一番大事な事だと思うのだが。
この村で家出なんかしても、すぐに見つかってしまうだろうに。
まぁ、俺の場合は結界でも張ればいいわけだが。
﹁とりあえず、僕が何とかしたのでしばらくは見つからないでしょ
う﹂
﹁⋮⋮ありがとう﹂
265
﹁いえいえ﹂
ニーナはまだ飲んでいるようなので、俺は外に出た。
外の空気を吸いたい気分なのだ。
目を閉じて、耳を澄ます。
聞こえるのは風の音と、虫の鳴き声。
﹁気持ち良いな﹂
﹁⋮⋮いい﹂
﹁⋮⋮いたのか﹂
﹁⋮⋮いた﹂
いつの間にか隣にニーナがいた。
俺はなんというか、気配察知能力皆無だな。
これも俺の弱点だ。
克服しなければならないだろう。
﹁ココア飲み終わりました?﹂
﹁うん⋮⋮ありがとう﹂
ということなので、俺は中に入り、ニーナのコップを洗う。
そしてニーナを寝室に案内し、ベッドに寝かせた。
俺はまた外に出て、夜の風を浴びながら、魔術で遊んでいた。
翌朝、ソファで寝ていた俺の上に、ニーナがいた。
猫のように丸まって、俺の上に乗っている。
﹁ニーナ、起きてください﹂
﹁んにゃぁ?﹂
266
ニーナは猫らしい声を上げると、目を擦り、俺の上から退く。
﹁おはようございます﹂
﹁⋮⋮おはよう﹂
﹁一つお聞きしてもよろしいですか?﹂
﹁何⋮⋮?﹂
﹁何で僕の上に乗っていたんでしょう?﹂
﹁⋮⋮わからない﹂
﹁あ、そうですか﹂
わからないって何ですか⋮⋮。
気になりますが、面倒なので、追求はしない。
﹁そういえば、ヴェラは来てないな﹂
辺りを見て気づいたが、今日はヴェラがいなかった。
いつもは朝起きると俺をがっちりとホールドしているのだが。
﹁ニーナ、僕はリラの家に行きますけど、一緒に来ますか?﹂
﹁行けない。匂いで⋮⋮ばれる﹂
﹁大丈夫ですよ、僕が何とかしますから﹂
﹁⋮⋮何とか?﹂
﹁はい、何とかです﹂
﹁なら⋮⋮行く﹂
簡単に信用されてしまったが、結果オーライ。
俺はニーナの手を取り家を出た。
俺がする﹃何とか﹄というのは単純な事で、俺の魔力をニーナに
267
張り巡らせる。
匂いも気配も魔力も完全シャットアウト︱︱ではなく、俺の物が
二つになる感じだ。
同じ魔力が二つという不可解な点を見つけられない限りは、ニー
ナが匂いで見つかることはない。
そして俺が触れていないといけない為、ニーナには辛い思いをさ
せてしまうだろう。
食事中は地面を伝って送り込めば良いだろう。
俺の消費魔力量が大きくなるが、切れる事はないだろうし。
﹁おはようございます﹂
ティホンの家にノックをして、挨拶をする。
ドアを開けたのはヴェラで、すぐに抱きついてきた。
﹁おはようございます、ヴェラお姉ちゃん﹂
﹁おはよぉシャルルぅ、昨晩は寂しくなかった? お姉ちゃんの温
もりが恋しいとか思わなかった? 思ったよね? ごめんねぇ、
リラが一緒に寝ようって言うからぁ⋮⋮許してくれ! 今晩はちゃ
んと一緒に寝てあげるから!﹂
抱きつくヴェラを引きずりながら家に入り、ティホン、リアナ、
リラに挨拶をした。
ティホンは何故だが武装をしている。
短剣に皮の鎧や皮のグローブなんかをしている。
﹁何かあるんですか、ティホンさん?﹂
﹁ああ、魔物がたくさん出たらしくてな、今から討伐に向かう所だ﹂
﹁魔物?﹂
﹁ヘルハウンドの群れだ﹂
268
ヘルハウンド、火を吐く黒い犬だと本に書いてあった。
単体で三級、群れで二級の魔物だ。
ヴェゼヴォルで数回相手にしたが、近づかなければ敵ではない。
まあ、族長が出るのだし安心だろう。
俺は大人しくしていよう。
﹁バフィトさんも出るんですか?﹂
﹁ああ、まぁな。ヴェラも出る﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
つまり、今日の訓練は休みか。
やる事が無くなってしまった。
リラやニーナの相手でもしてやるか。
﹁それで、シャルル、何故お前はニーナと手を繋いでいるんだ?﹂
する事を考えていると、リラが尋ねてきた。
﹁ニーナは家出中なんです﹂
﹁それとお前とニーナが手を繋ぐのと、どう関係があるんだ?﹂
﹁それは秘密です﹂
自分が魔術を使えることは知られたくない。
エヴラールだけでなく、アメリーやヴェラにもあまり知られない
ほうがいいと言われている。
理由は聞けなかったが、俺もそれには賛成だ。
この世界において魔術と剣術、そして体術まで身につけようとし
ていようものなら﹃中途半端者﹄のレッテルを貼られかねない。
一つの事を極める事が重要視されているのだ、この世界では。
269
﹁ほら貴方、早く食べちゃいなさい﹂
﹁おう、すまんな﹂
リアナがティホンを促す。
ティホンは朝食を口に詰め込むと、急ぎ足で家を出て行ってしま
った。
それに続くようにヴェラも俺から離れて家を出た。
﹁ほら、シャルル君達も食べちゃって。ニーナちゃんの分もあるか
ら安心して﹂
﹁ありがとうございます﹂
礼を告げて椅子に座る。
一旦、床を伝ってニーナに魔力を張ってから手を離した。
﹁いただきます﹂の掛け声と共に、俺達四人は食事を始めた。
食後、俺はまたニーナの手を取り、魔力を張る。
家に結界でも張ればいいんじゃねとか思うかもしれないが、それ
ではリアナやリラの匂いが突然消えたことになる。
族長兼村長の妻と娘の気配がいきなり消失したとあらば、村が騒
ぎかねない。
﹁それじゃあ、僕達はこれにて失礼します。ニーナの親が訪ねても
白を切ってくださるとありがたいです﹂
﹁分かった、任せて﹂
リアナにお願いし、俺達は二人で家に帰る。
家には結界を張っているので、リラックス出来るのだ。
270
やりたい事もあるしな。
家に着いて、俺はニーナをソファに座らせた。
ココアを差し出し、隣に座る。
﹁ニーナ、親とはちゃんと仲直りしろよ?﹂
俺は考えさせすぎないように気軽に言った。
﹁⋮⋮わかってる﹂
﹁うん、ならいいんだ﹂
親との喧嘩は子供の間によくある事だが、大人になって笑い話に
出来る。
だが、仲直り出来なければ笑い話でもなんでもない。
まあ、これはただの魚での喧嘩だから、仲直りなんてすぐだろう
がな。
﹁︱︱ぐ﹂
立ち上がろうとした俺に突然眠気が訪れ、俺の意識は途絶えた。
271
唐突な訪れで・後編
俺は真っ白な空間にいた。
俺と対面して座る一人の少年が笑顔を浮かべている。
﹁シャルルか﹂
﹁おはよう﹂
﹁おう﹂
毎度毎度、この呼び出され方は少しだけイラッと来るものがある
な。
﹁それで、今回はどうした?﹂
﹁特に何も無いんだ、ただ少し話がしなくて﹂
﹁おう、いいぞ﹂
体が動かせないこいつは、退屈する事が多いらしい。
何か大きなイベントを待っているそうだが、今は平和なので仕方
がない。
俺も何か楽しいことがしたいのだが、周りが強い人だらけで何も
起こらないのだ。
ワイバーンなんかが襲ってきたら面白いんだがなあ。
﹁最近、暇だって良く思︱︱いや、面白い事、あるみたいだよ﹂
﹁え?﹂
俺の意識は現実へと引き戻される。
現実へと帰った俺が最初に聞いたのは、ドアを叩く音。
誰かが家のドアをノックしている。
272
﹁まさか⋮⋮﹂
さっきのシャルルの呼び出しによって、結界が壊れてしまったか。
ニーナが不安そうな表情で俺を見ている。
シャルルが言った面白い事ってこれか。
俺からしたら、ただの面倒事でしか無いんだが。
﹁何の御用で︱︱﹂
﹁人間のガキィ! てめぇうちの娘を勝手に連れ出して何してんだ
!? あ!?﹂
鬼の形相で俺に怒鳴る三十代くらいの獣人男性。
とても面倒そうな奴が来た。
娘思いの良い父親の様だが、耳元で怒鳴られるのは勘弁だ。
﹁あー、はい、とりあえず中に入ってください。娘さんが居ますん
で﹂
苦笑を浮かべながら、中に入るよう促し、ニーナと対面させる。
ニーナの父はニーナを抱きしめ、謝り始めた。
﹁ごめんな、ごめんな、ニーナ⋮⋮父さんが魚を食べ過ぎたばっか
りに﹂
﹁⋮⋮お父さん﹂
﹁クソガキに何か悪いことされなかったか?﹂
失礼な。
まるで俺が家出少女を家に入れて獣の様に貪っている野郎みたい
じゃないか。
273
なんたる侮辱か!
紳士であるこの俺に⋮⋮。
﹁クソガキじゃない。シャルル。シャルル、何も悪いことしてない﹂
見てくださいこの娘。
とってもいい娘でしょう?
﹁お、おう、そうか⋮⋮シャルル、娘が世話になった﹂
困った表情でニーナの父が俺に振り向き、礼を言った。
意外とあっさりしているんなら、こちらとしても楽でいい。
﹁じゃあ、帰るぞニーナ﹂
﹁待って⋮⋮もう少し⋮⋮ここにいる﹂
﹁は? 何を言って︱︱﹂
﹃ガアアアアアァァァァアアァア!﹄
ニーナの父の声を遮ったのは、聞いたこともない音だった。
聞いたこともないが、聞いたことあるもので、近いものに例える
とすれば、雷鳴。
だが、雷鳴よりも威圧感がある。
俺達三人は慌てて家を出た。
頭上には太陽光を遮る影。
見上げて目に映るのは、赤茶けた鱗に、爪のある大きな翼、爪の
ある長い尻尾、トカゲの様な顔に、二本の脚、その眼は俺達を怯ま
せる程に凶悪で、全長は10メートルを超えるであろう︱︱奴の名
は、ワイバーンだ。
274
﹁ワイバーンだああああああああ!﹂
数瞬の沈黙の後に、村の彼方此方から悲鳴が上がった。
俺は急いで家に入り、二本の剣を持ち出す。
外に出ると、既に数人の獣人が応戦していた。
中にはニーナの父の姿も見える。
涙を流して震えているニーナを家の中に入れ、村全体を覆う程の
ドームを形成した。
硬度、強度を最高まで高める。
ここまでしたのに、俺の魔力はまだ尽きない。
疲れも感じない、怠けもない。
﹁いける﹂
俺は土魔術で足場を作りながらワイバーンの背中に飛んだ。
二本の剣を振り下ろすが、鱗が弾く。
今度は土と氷の槍をぶつけるが、結果は同じ。
﹁まじかよっ!﹂
ワイバーンは俺を振り落とそうと暴れだした。
俺は落とされないようにがしりとしがみつく。
﹁氷解﹂
呟くと、俺の体から魔力が流れ出た。
そして、ワイバーンの体は内側から氷り、砕け散る。
断末魔の叫びを聞くこともなく倒してしまったが、俺の魔力は残
275
り十分の二と言ったところだ。
ワイバーンの体積の分だけ魔力が吸い取られたのだから、当たり
前ではある。
﹃ガァァァアアァァァアア!﹄
ドーム上に下りて、一息した俺の耳に届いた声。
﹁嘘だろ﹂
先ほどのワイバーンよりも大きな奴が、俺を睨みつけていた。
魔力は残り少ない、剣は鱗を通らない。
倒す方法を考えながら、ワイバーンをおびき寄せる。
奴の狙いは仲間を殺した俺だ。
口元を拭うと、自分がニヤけている事に気付いた。
﹁ぷっ﹂
この状況で笑っている自分が可笑しくて、吹き出してしまう。
俺はニーナやリラからワイバーンを充分に遠ざけた所で急停止し、
迎え討つ。
全速力で奴に向かって走り、右眼に剣を刺した。
﹃ガァァアアァァア!﹄
悲痛の叫びが響き渡り、思わず耳を抑えてしまった。
俺は顔から振り落とされ、背中を強打する。
すぐに﹃治癒﹄を施し、痛みを消す。
気付いた時、俺の目の前にワイバーンの足の裏が視界いっぱいに
276
広がった。
奴は俺を踏みつけようとしている。
俺は寝たまま地面に手を付け、強度を鉄に設定した、先端の尖っ
た土の柱を形成。
ワイバーンの体重と勢いもあったせいか、土の柱は奴の足を貫い
た。
俺は立ち上がり、今度は左眼を潰す。
﹁お邪魔します﹂
俺は口を開いて叫ぶワイバーンの口内に侵入した。
舌に手を付け、この前保存しておいた魔術を使う。
﹁針山地獄﹂
呟くと、無数の氷の針がワイバーンの頭部と口内を内側から貫い
た。
これは夜中に魔術で遊んでいた時に、ウニボールを思い出して作
った技だ。
ワイバーンの口内から出ると、イメージ通り、セーブデータ通り、
硬いウニボールを口に入れて噛み、トゲトゲが口を貫通した様にな
っている。
﹁いやぁ、芸術だね﹂
俺は腰に手を当て声を漏らした。
ここまで大きい﹃針山地獄﹄は初めてやったから、少し心配だっ
たが問題はないようだ。
これなら針を作り出すだけだから、消費魔力量は﹃氷解﹄ほど多
くはない。
277
﹁ふぅ⋮⋮﹂
俺が休んでいると、数人の獣人が駆け寄ってきた。
﹁怪我はないか?﹂
﹁大丈夫か? 意識は?﹂
その内の二人が俺に声をかけた。
﹁これは一体⋮⋮﹂
死んだワイバーンを見て一人が呟いた。
﹁疲れましたが、それ以外に問題はないです。怪我も治しましたの
で﹂
﹁⋮⋮﹂
俺が言うと、声をかけてきた二人の獣人が顔を見合わせた。
﹁それと、この土の防御もう解きますけど良いですか?﹂
﹁あ、ああ、構わない﹂
俺が魔力を抜き取ると、ドームが粉々に崩れた。
言葉通り、粉の様になったので、家が下敷きにされる事はない。
もちろん俺達は落っこちるが、家の上、橋や道に着地する。
﹁はぁ、疲れた﹂
俺はどすりと地面に座り込み、息を吸い込む。
278
久しぶりの戦闘で中々に楽しめた。
二体も倒せたのは俺としても嬉しい。
魔術も使えることがバレたのは悔しい点だが、今の俺じゃ剣だけ
では倒せない。
魔術のバリエーションも増やさなければいけないしなぁ。
﹁シャルル⋮⋮怪我、ない?﹂
﹁ニーナか、大丈夫だよ﹂
いつの間にか付いた癖で頭を撫でてしまうが、ニーナは目を細め
て抵抗を見せない。
女の子は髪の毛を触られると嫌がると聞いたが、この世界では違
うようだ。
﹁クソガキ、お前は一体⋮⋮﹂
後ろから声を掛けられ、振り向くとニーナの父がいた。
何が起こっているのか分からないという顔をしている。
﹁はい? 何か悪いことでも⋮⋮?﹂
﹁いや、何でもない。とにかく、助かった。お前の処遇はティホン
さんに任せよう﹂
﹁処遇? え、僕何か悪いことしたんですか!?﹂
俺の質問に返事をする事無く、ニーナの父は去ってしまった。
まさか、ワイバーンって村の人が倒さなくちゃいけない的な仕来
りがあったり?
いや、村を襲う魔物は村の人が倒すって言う方がそれっぽいか。
どうしよう、俺ってば変なことに首突っ込んじゃったか?
279
﹁ニ、ニーナ、俺、追い出されるんじゃ⋮⋮?﹂
﹁心配ない⋮⋮お父さん、怒ってなかった﹂
﹁そ、そうか﹂
その後、俺はティホンの帰りを待つために、ティホン宅へと向か
った。
︱︱︱︱︱︱
﹁ふむ、なるほど﹂
若い獣人がティホンにワイバーン襲撃を大まかに説明した。
ティホンはしばらく黙りこみ、何かを考えているようだ。
俺の処遇とやらを決めているのだろう。
頼むから、追放は無しにしてくれよ。
﹁よし、シャルル、褒美をやる。何が欲しい?﹂
﹁へっ?﹂
予想外の言葉に間抜けな声が出てしまった。
﹁褒美、ですか?﹂
﹁そうだ、褒美だ。村を救ってくれたのだから、当たり前だろ? それにワイバーン二体が、村を襲うなんてのも、珍しい話だ。それ
なりの物をやるぞ﹂
280
俺は後頭を掻きながら考える。
いきなり褒美と言われても何も思い浮かばない。
ニーナとリラを嫁にください、ぐらいしか思いつかない。
考えこむ俺の姿をティホン宅に集まった獣人達が凝視する。
心なしか、あまり大事にはしないでくれという視線を感じるな。
﹁欲しい物は特にありません﹂
﹁いや、それでは示しがつかないだろ﹂
﹁僕が欲しいのは﹃力﹄なんです、物ではありません。だから、バ
フィトさんの稽古で充分間に合ってます。それに、毎日朝食と夕飯
を頂いているのに、褒美だなんて⋮⋮﹂
﹁謙虚な奴だな。もっと、何か、嫁にくれーとかねえのか?﹂
﹁くれるのなら貰いますけど﹂
﹁ヴェラ、聞いたか?﹂
ティホンは口の角を釣り上げて、ヴェラに視線を移す。
どうやら、リラは貰えないようだ。
そりゃ、結婚できる年齢でもないしな。
ヴェラといえば、鼻息荒く俺の方を見ている。
﹁え、いいんですか?﹂
﹁⋮⋮お前、欲しいのか?﹂
お前そりゃあ欲しいに決まってんだろ。
銀髪で巨乳で美人なんだぞ。
⋮⋮とは言わない。
﹁冗談です。では、貸しを一つって事でどうでしょう?﹂
﹁貸し?﹂
281
折角、褒美をくれると言うのだ。
貰わないのは勿体無いと俺は判断した。
なら、貸しを作って将来俺が困ったときに利用させてもらえばい
い。
﹁はい、貸しです﹂
﹁⋮⋮なるほど、いいじゃねえか。うむ、いいだろう﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺とティホンの会話が終わると、獣人達が胸を撫で下ろした。
そこまで緊張する会話だっただろうか。
俺はそこまでエグい事をする奴に見えたのだろうか。
心外だなあ。
﹁さて、解散!﹂
ティホンが言うと、獣人達は立ち去った。
部屋の隅から嫌なオーラを感じたので目をやると、ヴェラが体育
座りをしていた。
282
唐突な訪れで・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
283
俺の友人と友人の姉が修羅場すぎる・前編
ワイバーンの襲撃から半年ほどが経過した。
﹁ニーナ、そろそろ良いか?﹂
﹁だめ⋮⋮﹂
俺はベッドの上で、ニーナと言葉を交わした。
何故﹃そろそろ良いか﹄と尋ねたのか。
それは、俺の腹の上で、ニーナが丸まって寝ているからである。
それに、匂いを嗅がれている。
別に重くないから、そこは問題ない。
だが、そろそろ朝食に行かなければ⋮⋮。
﹁ニーナ、夜にまたやらせてあげるから、な?﹂
﹁⋮⋮しかたない﹂
ニーナは残念そうに、俺の腹から退く。
俺の腹はベッドじゃないんだから、毎朝これは少しキツイな。
俺も、男だし。
いやいや、別に? 別に幼い女の子が俺の上で丸まって寝ている
のに興奮しているとかそういうんじゃないよ? 俺は紳士だからそ
んな端ないことは考えないよ? なんていうの? ニーナの将来を
思っての事だからね?
﹁シャルル⋮⋮どうしたの?﹂
﹁ハッ! なんでもない!﹂
ニーナが俺の顔を覗きこんできた。
284
俺は咳払いをし、ベッドからおりて、着替えを始める。
﹁⋮⋮ニーナ、頼むから、今は部屋から出てくれ﹂
﹁どうして⋮⋮?﹂
﹁俺がニーナの着替え中に、そんな風に見ていたら嫌だろ?﹂
﹁⋮⋮なるほど﹂
ニーナは納得した様子で、部屋から出た。
俺はすぐに着替えを済ませて、洗面所へと向かう。
顔を洗ったら、ティホン宅へ行く。
最近では、ニーナも朝飯をティホン宅で取るようになった。
リアナは﹃多いほうが賑やかでいいじゃない﹄と言っていた。
リアナがそう言うのなら、異議はない。
﹁おはようございます、ヴェラおね︱︱むぐっ﹂
﹁はぁぁぁんシャルルぅ、今日も良い匂いだねぇ! ニーナの匂い
が混ざっているけど、それでもシャルルの匂いは私の鼻を満たして
る! ありがとうシャルル!﹂
﹁ぷはぁ⋮⋮どういたしまして⋮⋮﹂
言わずとも分かるように、これを毎朝されている。
最近では苦しくなる前に解放してくれるので、ありがたい。
おっぱいの感触を味わう余裕が出来たので、ありがたい。
﹁おはようございます、リアナさん﹂
﹁おはよう﹂
俺はリアナに挨拶をして、朝食の準備を少しだけ手伝う。
本当は一から手伝いたいのだが、朝はニーナのせいでいつも遅れ
てしまう。
285
飯を食うだけなんて、なんだか申し訳ない。
俺は食べ物の乗せられた皿をテーブルまで運んだ。
この世界では、パンの皿、野菜の皿等に分かれて、好きな分だけ
取る洋風システムなのだが、この家庭では、リアナが﹃誰が、どれ
を、どのくらい食べるのか﹄を決める。
俺とニーナのは、バランスが取れているが、ヴェラやリラの皿は、
野菜が多めに乗せてある。
ヴェラにはいつも﹃あーん﹄をしてあげないと食べてくれない。
リラはヴェラ程野菜嫌いではないのか、眉を寄せて黙々と食べる。
﹁お姉ちゃん、あーん﹂
﹁あーん﹂
ヴェラは幸せそうな顔で、俺の差し出した野菜を口に入れた。
もう野菜だという事すら忘れているのではなかろうか?
まぁ、栄養を取ってくれるのであれば、それでいい。
﹁ご馳走様でした﹂
﹁えぇ、もう終わり? もっとシャルルに﹃あーん﹄ってしてほし
かったよ⋮⋮!﹂
﹁夕食まで待たないと駄目ですよ﹂
俺は全員分の皿をシンクへと運んで、リアナの代わりに洗ってあ
げた。
料理は手伝えないから、皿洗いは俺がやると、半ば強引に頼んだ。
皿洗いは得意なんだ、意外と。
俺は皿洗いを終えた後、バフィトと訓練をした。
286
︱︱︱︱︱︱
訓練後、リラに頼み事をされた。
修行に付き合って欲しいというものだ。
まぁ、やることもないので、了承した。
場所はバフィトと訓練をする場所。
バフィトが俺とリラの様子を眺めていながらの修行。
なんだろう、あの人暇なのかな。
﹁よし、シャルル、行くぞ﹂
﹁はい、いつでも﹂
最初はリラが攻め、俺が受けだ。
カップリングではないぞ。
俺が構えると、リラも右脚を後ろに下げて構えた。
俺も魔力を全身に張り巡らせる。
そして、音を発する事もなく、リラは俺の正面に突っ込んできた。
しかも、正拳突きだ。
正面から突っ込んで正拳突きって、それはないだろ。
俺はエヴラールから教わったカウンター技で、リラを地面に叩き
つける︱︱事はせず、地面に直撃する寸前に片手で支えた。
﹁む⋮⋮﹂
287
リラは不満気に、俺を睨み付けてくる。
﹁正面から来るからですよ﹂
﹁かなり速い接近だから、当たると思った﹂
﹁過信は駄目ですよ﹂
言いながら、リラを立ち上がらせる。
すると、突然俺の体が地面に倒れた。
リラは俺を見下ろしながら言う。
﹁油断もいけないぞ﹂
﹁気をつけます﹂
苦笑気味で答えてしまったが、リラは俺に手を差し伸べた。
立ち上がって、土埃を払う。
﹁さて、両者一本。続けましょう﹂
﹁ああ﹂
結局、俺達は日が沈むまで組手をしていた。
夜になり、何時も通り夕飯を食べて、何時も通り帰宅し、何時も
通りニーナが家に来る。
追い返そうとすると、泣きそうな顔になるので、入れてあげた。
ニーナが俺の使っているベッドの匂いを嗅いでいる間、俺は風呂
にはいる。
何故、ベッドの匂いを嗅ぐのかについては、追求していないので
分からない。
288
別に、ニーナは俺に好意を持っているわけでもないようだし。
おっと、別に鈍感系主人公を狙っているわけではない。
これはちゃんと聞いたことだ。
あれは数週間前の事⋮⋮
﹃ニーナ、俺の事好きだろ﹄
﹃うん⋮⋮﹄
﹃⋮⋮うん、そう答えると思ってた。まぁ、なんだ、それは友達と
してだよな?﹄
﹃うん⋮⋮シャルルは⋮⋮私の友達⋮⋮。初めての⋮⋮男友達⋮⋮。
だから⋮⋮少し⋮⋮特別﹄
⋮⋮という会話があった。
べ、別に悔しくなんかないんだからねっ!
特別だって言われただけでも、最高に良い気分なんだからっ!
と、色々な事を考えながら、俺のバスタイムは終わる。
着替えてベッドに直行すると、ニーナがベッドの端にちょこんと
座っていた。
足をぶらぶらさせて、にこにこしている。
﹁どうした、ニーナ。上機嫌だな﹂
﹁うん⋮⋮いっぱい⋮⋮嗅いだ⋮⋮。ご馳走⋮⋮さま?﹂
﹁⋮⋮お粗末さまでした﹂
幼女にベッドの匂いを嗅がれ﹃ご馳走様﹄と言われるせいで、俺
は何か新しい物に目覚めそうな気がする。
ロリコンなのは、昔からだ。
だが、これはまた、別のものだな。
娘をもった気分だ⋮⋮等と考えていると、誰かがドアをノックし
289
た。
俺は剣を一本持ちだして、誰かを確認する。
﹁誰ですか﹂
﹁リラだ﹂
リラがこんな時間に何のようだ。
﹁今開けます﹂
俺は扉を開け、リラを入れる。
リラは特に挨拶をする事もなく、奥へと入っていく。
ベッドに座るニーナの前に立ち、何かを耳打ちした。
ニーナが頷くと、リラは俺のベッドにダイブをする。
﹁⋮⋮何やってんすか?﹂
﹁すぅぅぅぅ﹂
﹁⋮⋮あの﹂
﹁すぅぅぅぅぅ﹂
﹁⋮⋮エクスキューズミー?﹂
﹁すぅぅぅぅぅぅ⋮⋮っはぁぁ﹂
何してんだこの娘は。
何をしているんだ⋮⋮。
﹁本当だな、ニーナ﹂
﹁⋮⋮でしょ﹂
驚いた顔をするリラに、ニーナは得意気に返事をした。
何が﹃本当﹄で何が﹃でしょ﹄なんだ。
290
俺は今、引き攣った笑いをしている事だろう。
﹁シャルル、お前、良い匂いだな﹂
﹁お褒めにあずかり光栄です、リラ様﹂
﹁うん、シャルルには、﹃リラ﹄と呼ぶことを許可する。あと、堅
苦しい敬語もいらないぞ﹂
いきなり何でしょうか。
彼女らには、匂いで何かを判断する能力でもあるのですかね?
獣人族、恐るべし。
﹁まぁ、そう言うなら、リラと呼ぶけど、他の人達は怒らないかな
?﹂
﹁大丈夫だ。文句を言う奴は私が黙らせるぞ。それに、言う奴もい
ないと思う。お前は村を救ったのだからな﹂
﹁そっか﹂
年の割に、物分かりの良い娘だな。
しっかりしている。
正直、ヴェラよりも族長の素質があるんじゃなかろうか。
等という失礼な考えは、今はしまっておこう。
﹁よし、今晩は三人で寝るぞ﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁じゃあ、二人で寝台を使ってくれ﹂
﹁何を言ってるんだ? シャルルもこっちだ﹂
そう言って、何時の間にかポジショニングをしたニーナとリラが、
二人の間をぽんぽんと叩いている。
二人の間で寝ろという事だろうか。
291
俺の体はまだ小さいから、可能だ。
だけど、体は子供、頭脳は大人! なのだから、流石に幼女二人
に挟まれて寝るというのは︱︱
﹁分かった、寝るよ﹂
俺のお口はとても正直。
てへぺろ。
翌朝、俺は締めあげられる感覚で目を覚ます。
首に何かが巻き付いていて、力がこもっている。
﹁お、おい! し、しぬ、死ぬっ!﹂
﹁はむっ﹂
﹁ひゃいっ!?﹂
途端、俺の耳が甘噛された。
男らしくもない変な声をあげてしまったではないか。
背中がぞくりとして、ピンク色の感情が込み上げてくる。
耳を甘噛されて、首を絞められている。
なにこれ、マニアック。
﹁に、ニーナ! 起きて、た、助けて!﹂
俺は目の前で安らかな寝息を立てて眠る少女を起こそうと、出来
るだけ大声で叫んだ。
だが、﹁シャルルは⋮⋮食べられにゃい﹂と意味不明な寝言を言
うだけで、起きる気配がない。
292
あ、死ぬかも。
と、そう思った時、家のドアをぶち破って、何かが勢い良く飛ん
できた。
そして、俺はリラの腕から解放される。
﹁大丈夫!? シャルル!!﹂
ドアをぶち破ったのは、ヴェラだったようだ。
俺の肩を掴んで、心配そうに問いかけてくる。
﹁だ、大丈夫です⋮⋮死ぬかと思いましたが、お姉ちゃんのおかげ
で、なんとか﹂
﹁良かったよぉ、シャルルが死んだら私も死んじゃうからね﹂
ヴェラは可笑しな発言の後、リラを叩き起こして、説教を始めた。
長すぎてほとんど覚えていないが、説教のシメは、﹁次は私も一
緒に寝るから!﹂だった。
293
俺の友人と友人の姉が修羅場すぎる・後編
ワイバーン襲撃から数年、俺は十歳になっていた。
年齢の確認は、手首に触れて﹁状態﹂と唱える事で可能。
これは最近ヴェラに教わった物だ。
俺はこの数年で速さと力を身につけた。
剣術に進展はないのだが、それは仕方がない。
何はともあれ、俺はリラと競走をして互角という所まで来た。
バフィトだけでなく、ティホンまでもが俺に稽古を付けてくれた
のが良く効いていると思う。
リラやニーナだが、彼女らとも良好な関係を築けていた。
ニーナの父は最初、俺の事を警戒していたが、子供らしさをアピ
ールし、警戒を解いた。
ニーナは俺の借りた家に良く泊まりに来る事がある。
匂いを良く嗅がれるのだが、理由は敢えて聞いていない。
リラも時々泊まりに来るが、彼女が来ると右と左から﹁くんかく
んか﹂をされて俺のSAN値はピンチだ。
今日、俺はこの獣人の森を去る。
体術のレベルが、バフィトに﹁一人前だ﹂と認められる程に成長
したからだ。
この地で得られる力を身に付けた以上、俺がここに居る理由もな
い。
森を出るまではヴェラが護衛をしてくれる。
その後の事はヴェラも適当にやると言っていた。
それはつまり、俺に付いてくる事もあれば、何処か別の地へ行く
という事もある。
294
まあ、俺としては何方でもいいのだが。
﹁じゃあ、僕はもう行きます﹂
﹁気をつけていけよ﹂
別れを告げる俺の頭をティホンが撫でる。
ティホンとは何故だか話が合って、仲良くなったのだ。
まあ、中は子供ではないのでそのせいだろう。
﹁リラ、ニーナ、元気にな﹂
﹁うん、シャルルもな﹂
﹁シャルルも⋮⋮元気で﹂
リラに続いてニーナが言った。
俺は二人の頭を同時に撫でる。
これも本格的に癖になった。
気付いたら撫でているレベルだ。
﹁リアナさん、お世話になりました﹂
俺はリアナに深々と頭を下げる。
﹁いいのよ、あなたは息子同然だから。気をつけてね﹂
﹁はい﹂
俺が頷くと、リアナが俺の顔を胸に押し付けた。
むしろ挟まれた。
甘い匂いがして、なんだか安心する。
﹁シャルルー、もう行くよー﹂
295
﹁はーい﹂
馬車の御者台からヴェラが声をかけてきた。
俺は皆に頭をもう一度下げると、ヴェラの隣に座った。
手綱を叩きつける音がなり、馬が歩き出した。
︱︱︱︱︱︱
四週間と数日の移動の末、俺達が辿り着いたのは﹃ロンズデール
王国﹄である。
ロンデルーズ王国は、エヴラールの行っていた国だ。
あれから数年経ったので、エヴラールはもういないだろうとヴェ
ラは言う。
それはその通りだろう。
流石に二年も掛かる仕事をエヴラールが引き受けるとは思えない
し。
さて、この王国だが、観光するにはデカすぎる。
一日では終えられないほどだ。
まあ、一つの国だから当たり前だが。
国や街ってのは壁で囲まれていて、出入りには門を通る。
王国だけあって門番の数は見た限り十人を超えている。
門も立派だし、この国を襲うにはかなりの勢力がいるだろう。
って、何で襲うこと考えてんだ俺は。
296
馬を預け、荷物を背負って宿に入る。
流石は王国というだけあって、大きな宿だ。
今まで泊まった物で一番大きい。
カウンターのおじさんから鍵を預かり、部屋に向かう。
取った部屋は一人用なのでシングルベッドだ。
人と寝るのは慣れているので問題はない。
荷物をおいて休憩をした所で、ヴェラが話を切り出す。
﹁さて、シャルル。この後はどうするつもりだ?﹂
﹁とりあえず討伐依頼等で経験を積みます﹂
﹁あぁ、それはいいかもね。ここの組合は世界で一番充実している
から﹂
﹁へぇ∼、それは楽しみです。それで、ヴェラお姉ちゃんは?﹂
﹁私はねぇ⋮⋮﹂
ヴェラはしばらく考えこむ。
時々、俺の方をちらりと見てくるのが気になる。
﹁別に、僕は一人でも大丈夫ですよ?﹂
﹁うぅん⋮⋮シャルルが大丈夫でも、私が大丈夫じゃないんだよ⋮
⋮。シャルルと離れるだなんて、考えただけでも吐きそうだ﹂
どんだけだよ。
そこまで執心されると流石に引くなあ。
そして、かなり、かなり長い時間悩んだ末、ヴェラは顔を上げて
真剣な表情で俺と目を合わせる。
﹁私はシャルルを一人にする事にしたよ⋮⋮強くなりたいなら、孤
297
独が一番だ﹂
﹁それ、子供に言うことではないと思います﹂
﹁真面目な話、私はそれが個人の力を高める為の近道だと思うんだ。
私もエヴラールも、あのアメリーさえも孤独をくぐり抜けて来た﹂
これを言うのは失礼かもしれないが、アメリーも孤独だった時が
あったとは意外だ。
エヴラールとヴェラは何となく想像できるが。
あのアメリーがねぇ⋮⋮。
﹁だから、お姉ちゃんはシャルルに独り立ちをさせてみようと思う﹂
﹁はい、分かりました、分かりましたけど⋮⋮何でお姉ちゃんが泣
いてるんですか﹂
﹁だってシャルルゥ! シャルルと離れるなんて! 心の中に穴を
開けるような物だよぉ!﹂
﹁よしよし﹂
俺はヴェラの頭を撫でてやる。
すると、ヴェラはすぐに泣き止んだ。
俺がビャズマで身に付けたのは乱暴な事ばかりではない。
ヴェラを落ち着かせる技も身に付けたのだ!
﹁今晩も一緒にご飯食べて、一緒に寝ましょうね﹂
﹁シャルルはいい子だなぁ!﹂
今度は俺が抱きしめられ、頭を撫でられる。
﹁こんなに大きくなって⋮⋮﹂
まるで久しぶりに会う育った息子に語りかけるかの様な優しい声
298
でヴェラが言った。
その声に俺は思わずドキリとしてしまう。
気づけば俺もヴェラを抱きしめていた。
﹁下の方も成長したのかな?﹂
﹁台無しですよ!﹂
俺は久しぶりに怒りを表に出し、声高らかに叫んだ。
夜、近場の飯屋でヴェラと食事をした後、飲み過ぎてベロンベロ
ンになったヴェラに肩を貸して宿に戻った。
ヴェラに水を飲ませてから、少し座らせる。
俺はその間に水浴びを済ませた。
ヴェラは座りながら頭を鹿威しの様に動かしている。
俺はヴェラをお姫様抱っこし、ベッドに寝かせる。
彼女は俺よりも体が大きいが、俺は女性一人持ち上げる力はある
ようで。
一分もせずに本格的な眠りへと落ちたヴェラ。
俺はベッドの端に座り、しばらく魔術で遊ぶ。
俺の魔力はこの数年でかなり増えた。
とりあえず使えば増える仕組みなので、使えばいいのだ使えば。
一通り満足した所で俺も寝転ぶ。
特に疲れていたわけでもないが、俺はすぐに眠りについた。
299
翌朝、俺は未だ寝ているヴェラを起こさないよう、なるべく静か
に筋トレを始めた。
筋トレの後は、また魔術で遊ぶ。
最近は氷や土でフィギュアなんか作っちゃったり。
俺の中で一番の上出来は、この氷のク⃝リャフカフィギュアだ。
数カ所が歪になっているが、80パーセントは再現出来ただろう。
後、フィギュアでは無いのだが、某黒の死神のマスクなんかも作
ってしまった。
すごくカッコいい。
いやぁ、ほんと、ヘ⃝さんカッコいいなぁ⋮⋮。
﹁おはよぉシャルル。ご機嫌だねぇ﹂
マスクを見ながらニヤけていると、いつの間に目を覚ましたヴェ
ラに声を掛けられた。
﹁おはようございます。機嫌はとても良いですよ∼﹂
﹁そうかいそうかい、それは良い﹂
言いながら、ヴェラは立ち上がり、俺が予め用意した水を飲み干
した。
﹁シャルルとも、今日でお別れだね﹂
﹁今日行くんですか?﹂
﹁うん、そうだよ。行く先も見つかったからね﹂
﹁そうなんですか⋮⋮﹂
﹁寂しい?﹂
﹁ええ、まあ。何だかんだで長い付き合いですから﹂
俺が言うと、ヴェラは後頭を掻いて苦笑する。
300
﹁そう言われると、離れたくなくなるなぁ﹂
﹁ダメですよ、一度決めたんですから﹂
俺は立ち上がって、剣を腰と背中に差す。
﹁エヴラールと同じとこなんだねぇ﹂
﹁はい、尊敬してますから﹂
﹁私は?﹂
﹁もちろん、してます﹂
エヴラールもヴェラも俺の尊敬の対象だ。
エヴラールの剣術と攻撃力と面倒見の良さ、ヴェラの体術と速さ
と面倒見の良さは俺の目を惹く。
二人共、俺の目標だ。
﹁そういえば、シャルル﹂
﹁はい?
﹁結局、私の胸は触らなかったね。別れる前に触る?﹂
﹁......はい﹂
ヴェラも胸は大きい。
興味がある。
女の人は皆胸の感触が違うと聞く。
男として、試さない手はないだろう。
﹁さあ、どうぞ﹂
ヴェラが手を後ろにまわした。
二つの山が俺に﹃触って﹄と語りかけてきているようだ。
301
というか、もうヴェラの表情が﹃触って﹄と言ってるようなもん
だ。
手を後ろに回して、笑顔で胸を突き出してくるのだから。
﹁では......﹂
俺はヴェラの大きな胸に、慎重に触れた。
ふわりという感触は一緒だ。
アメリーのとは、変わらない。
だが、次に力を入れた時、俺は気づいた。
かたさが違う。
アメリーのよりも、弾力がある。
俺の手を押し返す力が、アメリーのよりも強いのだ。
気付けば俺は、両手を二つの胸に押し当てていた。
そして、十本の指に力を込める。
柔らかいのに、押し返してくる。
なんだか、気持ちが良い。
﹁シャルルは胸が好きなんだね......﹂
ヴェラが俺の頭を撫でてきた。
そんな彼女は恍惚としている。
なんだかそれが艶かしく思えてしまった。
胸の間に挟まれるのとは、違う感覚だ。
﹁好きなだけ、触るといい﹂
﹁......はい﹂
302
ヴェラの言葉に、返事をしてから、また手を動かし始めた。
結局、俺は数十分程、ヴェラの胸を揉んでいた。
胸の弾力を楽しんでいたのだ。
俺の理性クンが﹃これ以上は拙い﹄と語りかけてくれたおかげで、
俺はヴェラの胸から手を離す事が出来た。
﹁それじゃあ、準備するかなぁ﹂
満足した表情のヴェラが、ストレッチをしながら呟いた。
準備とは、旅の準備だろう。
俺は手伝いをしながら残りのヴェラとの時間を過ごした。
準備が終わり、ヴェラを門まで見送る。
馬屋で馬を引き取り、ヴェラが御者台に乗る。
﹁ふぅ⋮⋮それじゃあシャルル、元気でいるんだよ﹂
﹁はい、ヴェラさんもお元気で。それと、色々とお世話になりまし
た﹂
俺は深々と頭を下げる。
俺の頭にヴェラの手が乗った。
優しく撫でられ、少しだけ寂しくなってしまう。
別れには慣れたものだと思っていたが⋮⋮。
﹁じゃあ、また会おう﹂
303
﹁はい、ありがとうございました!﹂
ヴェラは片手をひらひらと振りながら、門を抜けて国を出て行っ
てしまった。
304
海老で鯛を釣る・前編
ヴェラを見送った後、俺は国の事を調べることにした。
言い方を変えれば、観光だ。
近場の噴水広場に地図があったので目を通す。
現在位置は国の南西にある﹃ウェベール﹄という街の西側だ。
うむ、ウェベール観光と行こうじゃないか。
まずは適当にぶらつく。
住宅地は無く、宿や店ばかりが並んでいる。
壁の近くだからか、国民が住むようには出来ていないらしい。
宿に泊まるのは大体が冒険者や商人。
彼らは自分を守る術を持っているから、壁の近くに宿があるのは
当たり前のシステムだろう。
夕方までウェベールを歩いたが、あるのは宿と店、休憩所に公園
や賭博場だ。
地面や階段は石だが、建物は殆どが木造だ。
まあ、これは大体どこでも一緒だな。
俺は空腹を感じ、近くの飯屋に入る。
まだ六時ぐらいだが、人は結構いる。
騒がしく無いのでここで晩飯を食べることにした。
カウンターに座り、照り焼きを注文。
しばらくして、注文した物が俺の前に置かれ、首巻きを外して食
べ始める。
フードは基本取らない。
行儀が悪いのは分かるが、黒髪だと色々厄介なのだ。
305
六歳ぐらいの頃、攫われそうになったりしたし。
ていうか、シャルルは元々金髪だったそうだが、俺が乗り移って
から髪色が変わったらしい。
魔力の変化とかが関係しているのかもしれないな。
もう少しこの世界の人間の構造について知る必要があるかも。
そんな事を考えている内に、食事を終える。
料金を支払い、店を出た。
外はもう暗かったが、人はまだ多い。
王国は夜も盛んなのだ。
﹁帰るか﹂
俺は首巻きを元の、鼻より高い位置に戻し、宿に向かって歩を進
めた。
宿に着くと、俺は水浴びをして、髪を風と火の混合魔術﹃温風﹄
で乾かす。
俺はベッドの端に座り、土魔術でア⃝カフィギュアの作成を始め
る。
最初はプラグスーツバージョンだ。
作成後は、ヴェラの残った匂いに包まれながら眠った。
変態チックだが、ヴェラが寝たベッドなのだから仕方がない。
これは仕方がない事なのだ。
翌朝、俺はトレーニング後に食事を済ませて、冒険者ギルドに向
かう事にした。
306
冒険者ギルドはウェベールには無い。
町人に聞いた所、隣町に一つ目の冒険者ギルドがあるそうだ。
この国には冒険者ギルドが三つあると聞いた。
一つ目はさっき言った通り、ウェベールの東隣りにある街に。
二つ目は国の東側に、三つ目は国の北側にある。
東、西、北とで、線を引けば三角になる。
西のだけでなく、他の二つの冒険者ギルドにも足を運ぶつもりだ。
これから冒険者ギルドへ向かう訳だが、歩きではない。
ここロンズデールには、客馬車なる物がある。
二頭の馬が、大人十人は乗れる大きめの馬車を引く。
街の端から端を真っ直ぐ行き来するだけの馬車で⋮⋮もうバスと
言った方が早いな。
料金さえ払えば乗れるし、降りたい所で御者に声を掛ければ降り
られる。
俺は早速見つけた客馬車に乗り込み、料金を払った。
幌はないので、外が見える。
俺は街を観察しながら目的地まで待った。
そして、隣街へと到着。
街と街の線引きはそこまではっきりしている訳ではない。
建てられた5メートル程の看板だけが目印だ。
馬車は街を越えずUターンする。
俺は御者に声を掛けて馬車から降りた。
軽いストレッチをしてから、看板の前まで行く。
看板には﹃グレーズ﹄と書かれている。
グレーズという街らしい。
307
﹁あの、すみません。冒険者協同組合は何処にありますか?﹂
俺は通りすがった男性に声を掛けた。
﹁ああ、それなら真っ直ぐ行けばあるよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
礼を告げて、俺は徒歩で冒険者ギルドへと足を運んだ。
﹁でっけぇ﹂
到着した俺の第一声。
今まで見たどの冒険者ギルドよりも大きい。
出入りをする人も多く、凄く賑わっている。
中に入ると、外観通り広く、二階まである。
カウンターには人がたくさんいて、依頼掲示板も大きいのが多数
設置されている。
ここで説明しておくと、冒険者ギルドで出来るのはクエストの受
注だけではない。
銀行や郵便局の様な事もしている。
金や物を預けたり、手紙を出したり。
利用するだけの物もお金も無いので、今の俺には関係ない。
俺は依頼掲示板に目を通し、どのクエストにしようか考えるが、
どれも雑魚ばっかだ。
やはり昇級をしたい。
ワイバーンは確か一級の魔物。
あのぐらい骨がある方が、俺としては楽しめて良い。
308
﹁失礼、お姉さん﹂
俺は案内人に声を掛けた。
﹁如何なされましたか?﹂
﹁昇級試験はいつ頃貼られますか?﹂
﹁明朝になります﹂
﹁ありがとうございます﹂
明日の朝とは、パーフェクトタイミングだ。
今日は雑魚でも狩って、明日は一級に昇格だ。
﹁じゃ、今日はオークにしよう﹂
俺はオーク討伐依頼の紙を剥がし、カウンターに持っていった。
︱︱︱︱︱︱
後日、俺は早速ギルドへと向かい、昇級試験の紙を手に取る。
一級への昇格試験だ。
内容はドラゴン一体の撃退。
ドラゴンの戦闘力なんて知らないが、強大なんだろうよ。
シャルルさんの退屈を晴らしてやろうじゃないの。
カウンターに紙を置き、手首を差し出す。
受付人が俺の手首を確認すると、苦笑交じりに言う。
309
﹁シャルル様の現在の階級は五です。本当にこちらの試験を受けま
すか?﹂
﹁はい﹂
俺は短く答える。
﹁お前まだガキなんだし、本当に大丈夫か?﹂って事だろう。
どのクエストにも命の保証なんて無いわけだからな。
一級の魔物ともなれば、瞬殺もありえる訳だし。
﹁では、此方へ﹂
後ろから声を掛けられた。
振り向くと、笑顔を浮かべた女性が立っていた。
﹁え、何か?﹂
﹁案内致します﹂
﹁案内?﹂
﹁はい、ドラゴンはヴェゼヴォル大陸にしか居られませんので、転
移魔術でヴェゼヴォル大陸のドラゴンの巣までお送り致します﹂
﹁⋮⋮なるほど﹂
ドラゴンってのはヴェゼヴォルにしか居ないのか。
一回も遭遇しなかったが。
まあ、エヴラールが比例的安全な道を選んだのだろうな。
にしても親切だな。
自分の足で行くのかと思っていたが、転移魔術なんて物を使って
くれるらしい。
俺は案内人の後に続く。
310
ギルドの裏の更に奥、石造りの部屋に入った。
部屋の地面の中央には魔法陣の様な物が書かれていた。
魔法陣は淡い青色の光を発している。
﹁そちらに魔法陣の中央で両足を揃えていただきますと、転移致し
ます。帰りも同様です﹂
﹁分かりました﹂
俺は言われた通り魔法陣の真中で両足を揃える。
すると、目の前が真っ黒になり、浮遊感を感じる。
視覚が回復し、周りが見えるようになった。
俺はゴツゴツとした暗い空間にいた。
上下左右、岩ばかり。
歩を進めると、足音が空間に響く。
察するに、洞窟だろう。
ドラゴンの巣とか言っていたし。
﹁さて、何処にいるかなぁ﹂
俺はゆっくりと歩き、ドラゴンを探す。
足音も寝息も聞こえない。
嫌に静かで恐怖感と不安を募らせる。
だが、この感覚を楽しいと思ってしまう自分が何となく嫌だ。
ドMではないのだ、決して。
﹁おっと﹂
洞窟を真っ直ぐ進み、突き当りを右に曲がった所で、寝ているド
ラゴンを発見した。
311
全長は約20メートル。
ワイバーンをそのまま巨大化させた様な容姿だが、相違点は手と
角があるという事。
手には爪が生えていて、角が鼻の上に生えている。
寝ているのでゆっくり近づいて殺ってしまおうか。
⋮⋮と、上手くは行かない。
俺とドラゴンの距離が10メートル程になった時、奴は目を覚ま
した。
高位な魔物は察知能力に長けていると聞くが、寝ていても有効と
はなぁ。
﹃グアアアアアァァアアァァアァア!﹄
冷や汗を垂らす俺にドラゴンが威嚇した。
耳を劈く悲鳴が洞窟内に響く。
﹁うるせえ!﹂
俺が叫ぶと、ドラゴンは俺をギロリと睨みつける。
物凄い威圧感に腰が引ける思いだが、頬を叩いて気合を入れる。
どうせあの鱗は剣を通さない。
最初から魔術で戦おう。
俺は﹃氷槍﹄を十本、ドラゴンに放った。
だが勿論のこと鱗により破壊される。
ドラゴンは羽を動かした。
風で飛ばされそうになるが、土魔術で足を固定。
その間にドラゴンは俺に接近し、口を大きく開ける。
312
俺は昔にした様に、口の中に入り、﹃針山地獄﹄を使った。
しかし、針は肉を貫いたものの、鱗を貫通しなかった。
鱗を通らなければ、脳にも届かない。
ていうか、氷じゃなくて土魔術を使えば良かったか。
今度土バージョンも作っておこう。
無駄な魔力を消費してしまった。
俺は口内から出て、第二の手、原始的撃退を遂行する。
硬度、強度をマックスまで上げた直径5メートルの丸い岩を、ド
ラゴンの顔目掛けて発射。
﹃ドラゴン は かみくだく を くりだした﹄。
奴の﹃かみくだく﹄は見事に岩を破壊した。
﹁お前の顎と歯おかしいだろ! 金属を噛み砕いてるようなもんだ
ぞ!﹂
﹃ガアアアアァァアアァアア!﹄
﹁ごめんなさい!﹂
謝りながら、土魔術で硬度、強度マックスの弾丸を二百発分形成。
回転を加えて顔に集中砲火した。
奴は羽でガードするが、流線型の弾丸は羽を貫く。
今度はしっかりと鱗にめり込んだ。
俺は指を鳴らす。
すると、爆発音が連続して鳴り響いた。
﹃グアアアアァァァアアアアア!﹄
ドラゴンの悲痛の叫びが俺の耳を劈く。
ドラゴンは顔の至る所から流血している。
目も抉れて視界は塞がれている事だろう。
313
顎も半分が破壊されて、舌も半分無くなった。
凶暴性をアピールしていた角は跡形もなく消えた。
もう二百発、頭部に浴びせる。
同じように鱗は剥がれ、肉は潰れ、脳漿を露わにする。
そして、ドラゴンの脳漿目掛けて三本の氷槍を発射し、とどめを
刺した。
手首を確認すると、﹃1﹄を表す文字が浮かんでいた。
ドラゴンの撃退に成功したようだ。
俺が何をしたかと聞かれれば、土魔術で作った貫通性の高い銃弾
を火魔術で爆発させただけの話だ。
炸裂をどう表現すれば分からなかったので爆発にしてしまったが、
むしろこっちの方が効果的だっただろう。
﹁帰ろ﹂
俺は踵を返し、魔法陣へと歩いて行った。
314
海老で鯛を釣る・中編
﹁お、おめでとうございます。本日よりシャルル様は一級冒険者と
成ります﹂
カウンターに戻り、クエスト完了手続きを済ませた。
案内人と受付人は少し動揺を見せていたが、理由は分からない。
五級が一級に昇格するのが珍しかったりするのだろうか。
いや、それとも俺の年齢か。
十歳で一級の冒険者ってのは、流石に珍しいのだろう。
﹁では、シャルル様、ドラゴンの死体を売却されますか?﹂
﹁ああ、はい、勿論﹂
﹁畏まりました。現在、組合員が死体の状況を確認していますので、
待合室で少々お待ちください﹂
﹁分かりました﹂
﹁此方です﹂
受付人に返事をすると、案内人が後ろから声を掛けてきた。
案内人の後に続き、待合室へ入室する。
ソファが向い合って置かれてあり、間にはガラスのテーブルがあ
る。
観葉植物が部屋の隅に飾られていて、外から差し込む日差しが影
を濃くする。
﹁椅子におかけになってお待ちください﹂
案内人に言われ、俺は右手側のソファに座った。
何となく目に入った手袋を見ると、所々傷が付いていた。
315
買い換え時かもしれない。
エヴラールに初めて買ってもらった大切な物だが、もう小さくな
っているしな。
買い換える物を頭の中にリストしていると、部屋のドアを誰かが
ノックした。
案内人がドアを開け、入ってきたのは厳つい体躯をした男だった。
﹁初めまして、グレーズ冒険者協同組合会計のマルコです﹂
そう言って、握手を求められる。
俺は立ち上がり、フードと首巻きと手袋を取り外し、笑顔で握手
を交わす。
﹁初めまして、シャルルです﹂
﹁先ほど、組合員がドラゴンの状態を確認致しました⋮⋮えー、座
って話をしましょう﹂
俺はまたソファに腰を下ろし、マルコと対面する。
そして、見た目に似合わない口調でマルコが話しだす。
﹁ドラゴンは羽が損傷し、頭部が失われていましたので、そちらは
買い取ることが出来ません。羽、頭部以外の部位に目立った外傷は
ありませんので、買い取ることが出来ます。値段は、そうですね⋮
⋮⋮⋮金貨千二百枚になります﹂
そ、そんなにするのか。
日本円に換算して一千二百万円。
家が買えちゃうよ。
﹁では、お願いします﹂
316
﹁分かりました。シャルル様の預金額に金貨千二百枚を追加致しま
すので、引き出す際は受付人にお申しください﹂
﹁はい、よろしくお願いします﹂
﹁では、失礼します﹂
そう言ってマルコは軽く会釈をしてから部屋を出た。
俺も肩を回してから、部屋を出た。
そのまま宿に戻り、俺は休憩を取った。
思えば、ポケットマネーはそこまで無い。
明日にでも買い物をしようか。
外套、手袋、ブーツにズボンやシャツ、タオルも汚れてしまって
いる。
どれもエヴラールに貰った物で、服が小さく感じてからは着てい
ない。
今着ている服は全部、ティホンに貰った物だ。
他の街も見て廻りたいし、やることは少なくない。
休憩後、俺は街に繰り出す。
服屋を探し、昔着ていた物と同じものを一着ずつ購入。
新しい服を早速着た。
古い物は他に用途があるかもしれないので、取っておく。
服屋を出ると、二人の子供が鬼の形相をした男に追われているの
が目に入った。
俺は何となく三人の後を追いかけてしまう。
子供達が路地裏に入った所で、怒る男は足を止めた。
路地裏は危ないので、良い判断だ。
だが、子供達は路地裏を進んだ。
俺は引き返す男とすれ違い、子供の後を追う。
317
路地裏の細い道を進むと、左右正面に分かれ道。
右の道から音が聞こえたので、右へ進んだ。
俺は加速し、子供達の姿を捉える。
だが、子供達は慣れた足つきで奥へ奥へと進み、光の射す方へ飛
び出した。
俺も警戒をしながら、子供達が出た場所へと進む。
﹁⋮⋮これは﹂
そこは、開けた場所だった。
左右に真っ直ぐ道があり、道端には数多のテントが並んでいる。
人の数も多いが、誰もが布切れの様な服を着ている。
この場所を一言で表すなら、﹃スラム街﹄だ。
﹁誰だお前、見ねえ顔だな﹂
﹁ガキがこんなとこにくるたぁな﹂
俺が呆然と突っ立っていると、二人の男に声を掛けられた。
一人は髪を肩まで伸ばしたひょろ長い男。
もう一人は体中に傷のある厳つい男。
﹁あ、いえ、あの、偶然、迷い込んでしまって﹂
﹁迷い込む? お前ここに来たばっかか?﹂
厳つい男が俺に尋ねた。
﹁はい、つい先日⋮⋮﹂
﹁そうか、なら帰んなぁガキ。ここはお前の様な奴が来る場所じゃ
ねえ﹂
318
﹁⋮⋮分かりました﹂
帰るように言われたので、大人しく返事をする。
俺は踵を返し、路地裏に戻った。
スラム街。
前世、テレビで何度も見たが、実際に目にするのは初めてだ。
俺はまだ関わりたくない。
仕組み、事情、掟、その他諸々、俺は何も知らないからだ。
自分の身に危険が訪れる事は特に按じていない。
ただ、俺が手を出して向こうに迷惑がかかる可能性を考慮してい
るのだ。
どうするべきか考えながら、俺は宿に戻った。
剣の手入れをしてから、フィギュアを作り、気づけば夜になって
いた。
飯屋で食事を済ませ、魔術で遊んでから眠ることにした。
翌朝、俺はトレーニング後にギルドへ向かった。
一級ともなると、遠征する事が多くなる。
暇人である俺は遠出しても特に問題はない。
ドラゴンぐらいの強さの敵がいないか、依頼掲示板に貼られてい
る紙に目を通す。
﹃緊急、フィボルグ出現。撃退求む﹄と書かれた紙に手を伸ばした。
﹁︱︱ッ﹂
刹那、俺の意識は闇に沈んだ。
319
︱︱︱︱︱︱
目を覚ますと、俺は暗い部屋にいた。
石造りの鉄臭い部屋。
俺は自分の体を見る。
金属製の首輪、金属製の手錠、金属製の足枷、鎖は壁に繋がれて
いて俺を部屋から出さないようにしている。
シャツとズボンは身に着けている。
だが、外套、首巻き、手袋とブーツは部屋には無いようだ。
﹁はぁ、また面倒事か﹂
俺はどうやら、拉致されたらしい。
何者かは分からないが、俺に気づかれる事なく背後に立ち、俺を
眠らせた。
かなりの腕前の持ち主だろうな。
最初は気配察知能力なんて皆無だった俺だが、その能力も獣人の
森で鍛えられていたのだ。
野生の勘ってやつがまだまだ足りてないな、俺。
﹁目覚めたようだの﹂
一人で反省していると、部屋に誰かが入ってきた。
その人物が入ると、壁にあった明かりが全て灯る。
顔が見えるようになり、俺は息を呑む。
320
﹁これはとんだ美人さんで⋮⋮﹂
その人物は、美しかった。
金色の長い髪は腰の辺りまで伸びていて、切れ長の眼をした女の
瞳は真紅色。
真っ白な肌はゴスロリ調のドレスに包まれ、幼さの残る顔に挑発
的な笑みを浮かべている。
年齢は十代後半くらいに見える。
﹁さて、早速だが、お主がシャルルかの?﹂
挑発的な笑みを浮かべたまま尋ねてきた。
こんな人に知られるほど有名なった覚えはない。
﹁そうですが﹂
﹁聞いておるぞ、年若にしてたった一度の昇格試験で五級から一級
まで上り詰めたそうな﹂
﹁⋮⋮まぁ、そうですが﹂
一体どこからそんな情報が漏れたんだ。
ギルドってのは、そんな簡単に客の情報を流してしまう様な場所
なのか?
﹁冒険者協同組合を疑う顔をしておるが、心配はない。此方がそれ
なりの地位にいるから掴めた情報じゃ﹂
﹁はぁ、そうですか⋮⋮﹂
﹁なんじゃ、気の抜けた返事じゃの﹂
﹁すみません、状況が飲み込めていない物で﹂
321
いきなり気絶させられて、目覚めたら手錠、足枷、首輪を付けら
れていたら混乱もする。
なるべく顔には出さないようにしているが。
﹁状況が飲み込めていない。なるほど、なるほど、その割にお主は
冷静じゃの?﹂
﹁だから状況が飲み込めてないからですよ。マズイ状況にいたら興
奮状態にでもなると思います﹂
﹁はんっ、いけ好かぬ餓鬼じゃの、お主は﹂
にしても、古風な喋り方だ。
﹁此方﹂とか普段聞かないぞ。
年若く見えるというのに。
だが、これもまた味よのぅ?
﹁して、シャルル。気付いておるかは知らぬが、お主は魔術を使え
ぬ状態じゃ﹂
﹁全然気付いてませんでした﹂
試しに﹃氷槍﹄を使おうとするが、魔力が抜け出る気配さえ無い。
﹁此方がお主を連れてきた理由は一つじゃ。此方の餌になってもら
う﹂
﹁⋮⋮はい?﹂
思わず聞き返してしまった。
餌とかマズイだろう。
カニバリズムはこの世界でも犯罪です!
﹁勘違いするでない。此方が欲しいのはお主の血じゃ。まあ、世間
322
知らずの餓鬼だ、知らないのも無理ないの⋮⋮さて、シャルルや、
此方が何者だか予想を立ててみ﹂
この美少女が何者か。
まあ、俺の疼く右腕が言うには、簡単な答えだ。
金髪、真紅色の眼、白い肌、古風な喋り⋮⋮導き出される結論は。
﹁吸血鬼様ですか?﹂
﹁ほほう、正解じゃ﹂
見事に正解した俺選手!
優勝賞品は美少女吸血鬼に血を吸われる事です!
⋮⋮あんまり嬉しくないのは、何故だろうか。
﹁正解した褒美に質問してもいいですか﹂
﹁良いぞ﹂
﹁組合は僕が攫われる所を目撃しているはずです。何故、手出しを
しなかったのでしょうか? 組合は犯罪を見逃さないはずですが﹂
﹁眠ったお主を此方が背負った場合、どう見えると思う?﹂
﹁⋮⋮流石に、親子や姉弟には見えないと思いますが﹂
﹁そうじゃろうの。髪色も、顔つきも違う。だが、﹃党﹄なら問題
はないじゃろ?﹂
﹁⋮⋮それなりの地位にいるって言ってましたよね。なら、部下に
は顔が知れているのでは? 流石に、﹃高い地位の人が党を結成さ
せる﹄事はしないと思いますが。そもそも依頼なんか受けるのかす
らも疑問ですが﹂
﹁なんじゃ、此方はお主が今のこの姿で組合に赴いたとでも? 一
般人のお主がそんな格好で出歩くというのに、高地位の此方が何故
外套を着ないと思ったのじゃ?﹂
﹁外套じゃその眼はごまかせないと思いますが﹂
323
﹁目元を覆えばよいじゃろう﹂
ギルドの出入りは自由。中には組合員がいるが、怪しくない限り
は何かを問いただされる事はない。
だからと言って、子供を背負う外套姿なんて、どっからどう見て
も︱︱普通だ。
いや、普通なのだ。俺の場合は、普通になる。
そもそも、俺がギルドにいる事自体がイレギュラーだが、そこは
置いておいて⋮⋮俺は外套を着ているのだ。
顔も隠しているし、そもそも俺自体が怪しい存在だ。
その怪しい存在が怪しい存在に背負われていた場合、傍から見れ
ばどう映るだろうか?
仲間だと思わえるだろう。
それなら︱︱いや、まて、まだだ。
先ほどまで依頼を選んでいた奴がいきなり眠るなんてありえない。
﹁どうやって僕を攫ったんですか?﹂
﹁おそらくお主はこう考えている。﹃いきなり眠るなんてありえな
い﹄と。だが、いきなり眠らせる必要性がどこにあるのじゃ?﹂
﹁どういう意味ですか?﹂
﹁しばらく立たせてやればいい。その後は少し体を浮かせて、机ま
で移動させてやればいい。会話する仕草を見せた後は、お主を机に
突っ伏すように寝かせるだけじゃ﹂
﹁体を少し浮かせて⋮⋮って﹂
﹁吸血鬼の力なら簡単な事だの﹂
不自然ではない支え方、不自然ではない歩かせ方、不自然ではな
い寝かせ方をするには、周りの眼を見る﹃眼﹄と﹃力﹄がいる。
それをこの吸血鬼様は俺にやったというのだ。
寝ている俺の体を動かすなんて、けしからん奴だ。
324
﹁まぁ⋮⋮それは分かりましたが、僕の血なんて美味しくないです
よ﹂
﹁そうかのう? なら、味見をさせてもらうぞ﹂
そう言った吸血鬼は、舌なめずりをしながら俺に近づいてくる。
俺の前に膝を付き、体を密着させた。
首筋に息が当たって擽ったい。
そして、俺の首筋にちくりと、何かが刺さる感触が伝わる。
痛いかそうでないか聞かれれば、痛い。
何かが吸われる感覚を味わうと同時に、全身から力が抜けていく。
俺はそのまま意識を失った。
325
海老で鯛を釣る・後編
﹁お目覚めか?﹂
意識を取り戻した俺の聞いた最初の声。
艶かしさと幼さを掛け合わす不思議な声。
声の主は、金髪、白肌、紅瞳、ゴスロリ服の吸血鬼。
﹁すまないの、美味すぎて吸いすぎてしまったわ﹂
﹁いえいえ、お気になさらず﹂
俺はいつも通り、笑顔を浮かべて返事をした。
﹁⋮⋮小僧、それをやめぬか﹂
﹁それ?﹂
﹁その仮面の様な笑みと言葉遣いじゃ。普段はそうではないのじゃ
ろう?﹂
﹁普段からこうですよ﹂
﹁と言う事は、普段から仮面を付けているのか。難儀な奴じゃ﹂
吸血鬼は挑発的な笑みをまた浮かべる。
﹁お主はもう少し砕けて話しても良い。建前ばかりの言葉等、話し
ていて詰まらぬわ﹂
いきなり拉致されて警戒しないほうがどうかしているだろ。
砕けて話してもいいと言うなら、そうさせてもらうが。
﹁吸血鬼様のお望みとあらば﹂
326
﹁うむ、素直でよろしい。素直な奴は好きじゃ﹂
﹁それで、いつになったら俺を解放してくれる?﹂
﹁早速その質問か、正直な奴じゃ。まぁ、しばらくは家に帰れない
と思え﹂
﹁家なんて無いからそこら辺は問題ない。けど、長年ともなると俺
も困る。ていうか、運動ぐらいはさせてくれよ、体が鈍る﹂
俺には目的と目標がある。
それに、トレーニングをサボるといけない。
このままお天道様の光を浴びずに座っているだけなんて、考えた
だけでも吐きそうだ。
﹁注文の多い奴じゃ。手錠と足枷は外してやるが、しかし、抵抗な
んてしよう物ならまた付けるぞ。ああ、それと、庭にも出て良い、
走り回っても良い。飯も寝床もちゃんとやろう﹂
﹁それはありがたい﹂
﹁此方の主食はお主じゃ、そこは忘れるでない﹂
うぅむ、折角食べてくれるなら性的な意味で食べて欲しいものだ。
血を吸われて気絶は目覚めが悪いのだ、意外にも。
﹁忘れないよ、約束しよう﹂
俺が言うと、吸血鬼は俺の手錠と足枷を外してくれた。
宣言通り、首輪は外してくれなかった。
未だ魔術は使えないので、この首輪に特殊な能力でも付いている
のだろう。
﹁そういえば、名前を聞いてなかったな、吸血鬼﹂
﹁おっと、これは飛んだ失礼じゃった。此方はヴィオラじゃ、宜し
327
く頼むぞ、シャルル﹂
﹁ヴィオラか、年齢聞いてもいいか?﹂
﹁分からぬ、覚えておらぬ、少なくとも千年以上生きた魔王よりは
年上じゃろうの﹂
千年以上だと。
おば様だったのか、コイツ。
まあ、不死身の怪物と言われる奴らだしな。
他の妖怪もいるのだろうか。
そいつらも探してみたいものだな。
﹁此方はもう寝る。お主は好きにして良いぞ。食事なら食堂に行け
ば幾らでもあるからの﹂
﹁分かった、お休み﹂
ヴィオラは俺を一瞥すると、欠伸をしながら部屋を出た。
俺は座り込み、深呼吸をする。
首輪の効果をどうにかして外したい。
だが、無理やり外せば爆破するとかありそうなので、今は放置。
俺が今することは、腹ごしらえだ。
早速、部屋を出るが⋮⋮道がわからない。
右も左も長い廊下で、扉が並んでいるだけ。
﹁手当たり次第やってみるか﹂
俺はまず、右に進むことにした。
一つ目の部屋は物置。
二つ目の部屋も物置。
三つ目の部屋は、俺が目覚めた部屋と同じような窓もない石造り
328
の部屋。
だが、鉄の臭いはしない。
四つ、五つと片っ端から扉を開けたが、食堂なんて何処にもなか
った。
廊下の突き当り、また分かれ道。
右の方から誰かが来る気配があった。
俺は警戒しながらゆっくりと歩を進める。
﹁⋮⋮お見つけ致しました、シャルル様﹂
俺と顔を合わせた女性が言った。
その女性はじとりとした眼に、薄い茶色のショートヘアの美人さ
んだ。
頭には犬耳の様な物がある。
服装がメイド服なので、尻尾は隠れて見えない。
ヴィオラは地位の高い人間らしいし、メイドぐらい居ても普通だ
ろうな。
しかし、獣人のメイドとは珍しい。
﹁あ、どうも、食堂を探しているのですが⋮⋮﹂
﹁案内致します﹂
そう言って、歩を進めるメイドさん。
俺は揺れるスカートを凝視しながらその後に続く。
既にメイドにも話を通しているとはな。
感心感心。
﹁此方です﹂
329
しばらく歩いて、俺が連れて来られたのは、大きな洋風の扉の前
だ。
メイドは扉を開けると、ドアの側に立って、俺が入るのを待って
いる。
俺は居心地の悪さを感じながら、食堂へ足を踏み入れた。
目の前に映るのは、テーブルクロスの掛けられた長いテーブル、
そして並べられた椅子だ。
テーブルの上にはキャンドルがあり、天井にはシャンデリアなん
かがある。
壁には絵画などが掛けられていて、高そうなツボなんかも飾って
ある。
﹁うへぇ⋮⋮﹂
﹁何か食べたい物があれば、お申し付けください。直ちに料理人に
作らせますので﹂
まあ、メイドが居れば料理人も居るよな。
しかしまぁ、食べたい物ねぇ。
お腹は空いているのだが、いざ何が食べたいかと聞かれると、答
えに困る。
﹁な、なんか、適当な物で﹂
﹁畏まりました、少々お待ちください﹂
そう言い残し、メイドは厨房の方へと消えていった。
俺は椅子に座り、だだっ広い空間で一人、食事を待つ。
﹁酒、飲みてぇな﹂
330
一人呟く。
煙草は吸わない方だったので、特に気にすることでもない。
酒にハマっている訳でもないのだが、理由もなく飲みたくなる時
があるのだ。
この世界に来る前日は、たしか、同僚と飲み会に行っていたから
な。
何気なく、首輪に手を触れてみる。
見た目はただの金属製の首輪。
だが、魔力か何かを抑えつける効果がある。
不思議だ、魔術というのは本当に不思議だ。
﹁思えばこの家、窓がねえな﹂
先ほど通った廊下を思い出す。
壁には窓が一つも無かったのだ。
日光は避けるべき物なんだろうな。
日浴びの刑を嫌がるくらいだし。
そういえば、日光、銀の他に弱点があったはずだ。
十字架、炎、ニンニク、あとはなんだったか......。
﹁お待たせいたしました﹂
吸血鬼の弱点を思い出していると、先程のメイドが厨房から姿を
表した。
食事をお盆の上に乗せてきている。
流石に俺一人にカートは使わないか。
﹁厚めに切った牛肉を焼いた物と、馬鈴薯を潰し牛酪と故障で味付
331
けした物です﹂
牛酪とは、バターの事。
馬鈴薯とは、ジャガイモのことである。
まあ、ステーキとマッシュポテトだな。
﹁それから此方が生の球萵苣と蕃茄になります﹂
球萵苣はレタス、蕃茄はトマトだ。
ステーキ、マッシュポテト、そしてサラダか。
悪くないが、米がないな。
﹁白米ってありますか?﹂
﹁御座います。ご所望ですか?﹂
﹁はい、お願いします﹂
俺が言うと、メイドはまた厨房へと戻っていく。
その間に俺はマッシュポテトをスプーンで掬い上げ、口に運んだ。
馬鈴薯自身の甘さと、牛酪の甘さが掛け合わさって美味しい。
これは絶品だ、うむ、旨い。
さて、次はステーキだ。
俺はナイフを肉に通す。
肉は抵抗すること無く、ナイフの進行を肉底まで許した。
口の中に運び、噛む。
じゅわり、と肉汁が広がり、口の中を肉の味で満たす。
﹁んまぁ∼!﹂
いやぁ、美味い、美味いよ、コレ。
この世界に来てこんなものを食べたのは初めてだが、最高だな。
332
﹁白米になります﹂
いつの間にか戻ってきていたメイドがステーキの隣に置いた。
﹁ありがとうございます。いやぁ、美味いです、美味いですよ、こ
の肉!﹂
﹁後ほど料理人にお伝え致します﹂
メイドが笑顔で答える。
今まで無表情だったから、これは不意打ち。
不覚にもどきりとしてしまった。
俺はメイドから顔を逸らし、ステーキと白米に集中する。
まずは、白米だけを食べてみよう。
スプーンで掬い、口に運んだ。
⋮⋮うぅむ、白米の得点は低いだろう。
ぱさりとしている。
見た目も、日本でいつも食べていた丸く太った米ではなく、細長
い痩せた米だ。
カリフォルニア米がこんな感じだと聞いたことがある。
だが、不味くはないから良し。
俺はステーキと一緒に白米を口に入れる。
うむ、やはり米と肉は良い。
米と肉は確かにいいが、野菜もちゃんと食べる。
レタスは日本で何時も食べていた物と一緒、シャキシャキした食
感がたまらない。
トマトは酸味が少し強いが、肉との相性は抜群。
333
ドレッシングなんて無くてもいけるな。
﹁くすっ﹂
微かに笑う声が聞こえた。
声の方を見ると、メイドさんが笑顔だった。
﹁どうかしましたか?﹂
﹁いえ、失礼致しました。あまりにも美味しそうに食べるもので⋮
⋮なんだか、微笑ましくて﹂
そう言って、また笑顔を浮かべる。
母性溢れる女性を前にすると、何時も以上に緊張する。
﹁こちらこそ、がっついてすみません。こういう食事は普段しない
ので﹂
俺は苦笑いを浮かべながら言った。
まぁ、今は子供の姿だから、微笑ましく映る姿は仕方がないだろ
う。
﹁そういえば、メイドさん、お名前は何ですか?﹂
﹁失礼ながら名乗らせていただきます、マイヤです。主であるヴィ
オラ様の女中をしております﹂
﹁改めまして、自己紹介。冒険者シャルルです、よろしくお願いし
ます、マイヤさん。僕は何でもない人間なので、あまり謙らないで
欲しいです。大人にそういう事されると、何だかむず痒くて﹂
俺は苦笑しながら自己紹介を終えた。
マイヤは笑顔のまま答える。
334
﹁畏まりました﹂
俺はマイヤと少しばかり世間話をしながら、食事を終えた。
335
海老で鯛を釣る・後編︵後書き︶
現在、サブタイトルの一新を考えておりますが、どうでしょうか。
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
ああ、それと、エイプリルフールは午前までですよ。
336
シャルルとヴァンパイア・前編︵前書き︶
﹃此方﹄は﹃こなた﹄と読みます。
﹃こちら﹄でも﹃こち﹄でも無いです、ごめんなさい。
337
シャルルとヴァンパイア・前編
後日、マイヤに案内された寝室でどでかいベッドで眠った俺は、
寝室の隣にある洗面所で顔を洗っていた。
﹁なぁっ!?﹂
俺は思わず声を上げてしまった。
理由は、俺の瞳が真っ赤になっていたからだ。
﹁なんじゃこりゃ。俺は遂に闇の力でも目覚めさせたのか? あれ
か? 夢が現実にってやつか?﹂
俺は一人ぶつぶつと呟く。
どうしよう、どうしよう。
これって吸血鬼に影響されてしまったのだろうか?
だとしたら、俺もやばいんじゃ⋮⋮。
﹁ま、いいや、それもそれで面白い﹂
吸血鬼になれたのなら、それはそれで良い。
それも何か面白いイベントが起こりそうだ。
シャルルを楽しませることもできよう。
﹁さて、飯でも食いに行くか﹂
部屋から出ればマイヤに会えるだろうし、彼女は何か知っている
かもしれない。
この眼の変化についても聞いてみよう。
338
﹁おはようございます、シャルル様﹂
﹁うおっ!?﹂
ドアを開けた俺を驚かせたのは、マイヤだった。
まだ朝六時ぐらいだというのに。
メイドは早起きだな。
﹁お、おはようございます。早いですね﹂
﹁これでも女中の長なのです﹂
﹁長ですか、凄いですね。マイヤさんは何でも出来そうですからね
ぇ﹂
﹁いえ、そのような事は﹂
もしかしたら、体術だって俺より上かもしれない。
彼女は獣人族だし、ありえなくはない。
強いメイド、良いと思います。
﹁では、ご案内致します﹂
﹁え、何処へ?﹂
﹁ヴィオラ様が朝食をご一緒にと﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
今日も俺は血を吸われる訳か。
あれはなんというか、気持ち良いのだが、気持ち良さを感じて気
絶するから、なんとも言えない感情がこみ上げてくる。
﹁あ、そうだマイヤさん。僕の眼を見てください﹂
﹁眼、ですか?﹂
339
俺が頼むと、マイヤが顔を寄せてきた。
甘い匂いが鼻を突く。
思わずキスしそうになるのを理性で押し殺した。
﹁ご心配なさらないで下さい、悪い影響は御座いません﹂
顔を離したマイヤが笑顔で言った。
悪い影響は無い、か。
﹁悪くなくても、何か影響はあるんですか?﹂
﹁はい、御座います。傷の治りが早くなります。このまま吸われ続
ければ、腕一本持って行かれてもへっちゃらですね﹂
﹁人間離れじゃないですか⋮⋮﹂
﹁いえ、吸血を長期間されなければ、元に戻ります﹂
一瞬、面白いと思ってしまったが、これはシャルルの体だ。
俺が好き勝手して良い訳じゃない。
それに、不死身になんかなったら面白く無い。
スリルが無くなるのだ。
﹁それではシャルル様、行きましょう﹂
﹁はい﹂
マイヤが歩き出したので、俺はその後に続いた。
食堂に入ると、手前の椅子に座っているヴィオラが、テーブルに
突っ伏す姿が目に入った。
俺はヴィオラの目の前に座り、挨拶をする。
﹁おはよう﹂
340
﹁うむ、良い朝じゃ﹂
﹁の割に、冴えない面だな。毛布が恋しいって顔してる﹂
﹁む、そこまで分かりやすかったかの?﹂
﹁て事は、当たりなのか﹂
俺が苦笑しながら言うと、ヴィオラは挑発的な笑みを浮かべた。
多分だが、普通の笑顔が挑発的なのだろうな。
それとも、いつも人を馬鹿にしているか。
﹁吸血鬼の餌はの﹂
何の前置きもなく、ヴィオラが話し始める。
﹁血液でもあるが、感情でもある﹂
﹁感情?﹂
﹁そうじゃ。絶望、焦燥、嫌悪、軽蔑、嫉妬、殺意、悲しみ、怒り、
憎悪、罪悪感、劣等感、それらを好むのじゃ﹂
ネガティブな感情ばっかりじゃねえか。
心の中でツッコンだ所で、目の前に朝食が運ばれた。
小声でマイヤに珈琲をお願いした。
俺は朝食を食べながら、ヴィオラの話に耳を傾ける。
﹁﹃餌﹄と言う事は﹃取り込む﹄と言う事じゃ。此方ら吸血鬼は元
々は﹃無﹄。知っておる事は人の血を吸うことだけじゃった。無、
つまりは白紙。此方らはその白紙の心に、吸血する事によって、感
情と知識を吸い上げた。結果として、どうなると思う?﹂
﹁知識を得ると同時に、白い紙が黒い感情に塗りつぶされた?﹂
﹁その通りじゃ。お主、本当に十歳の小増か?﹂
341
口の中が朝食の柔らかいパンで一杯なので、首を縦に振る。
﹁まぁ良い、話を続けよう﹂
そう言って、ヴィオラはパンを一口食べた。
吸血鬼なのに、食べ物を食べるのか。
ていうか、パンで大丈夫か?
酒とパンは神の血と肉とかって聞いたことあるぞ。
﹁黒い感情で埋め尽くされた此方らは、当然、その感情の塊となっ
た。吸血鬼は全てに絶望し、焦燥し、互いを軽蔑しあい、人間を嫌
悪し、笑うものを妬み、殺意の赴くままに殺し、罪悪感に潰され、
果報者を憎悪し、劣等感に悲嘆した。じゃが、ある時、一人の人間
が吸血鬼に自ら歩み寄り、こう囁いたのじゃ﹂
ヴィオラはワイングラスの水を飲み干し、口角を釣り上げる。
﹁﹃球蹴りは楽しいぞ。誰かと寄り添い合えるのは幸福だ。初めて
見る物には好奇心を擽られる。嫉妬の情には憧憬も混じっているの
だぞ。湯に浸かるのは快感だ。飯を食えば満足する。寒い夜は毛布
が愛おしくなる﹄とな。吸血鬼は混乱した。いきなり現れた男が、
意味の分からぬ事をベラベラと喋るのじゃ、混乱もしよう。だが、
それから吸血鬼は新しい感情を覚えていったのじゃ﹂
熱弁していたヴィオラは背もたれに背を預け、全身から力を抜い
た。
そして、マイヤにより新しく注がれた水を再度飲み干す。
﹁まぁ、此方が何を言いたいかと言うと、その時現れた男の髪の色
が黒だったのじゃ。だからお主に興味を持った。それだけが言いた
342
かった﹂
﹁﹃吸血鬼に新しい感情を教えた男の髪色が黒だった。だからお前
を拉致した﹄で良かっただろ!﹂
﹁いやぁ、すまぬ、回り諄い方が好きでの、許せ﹂
そう言って、高らかに笑うヴィオラ。
俺は後頭を掻きながら、珈琲を啜る。
回り諄い方が好き、だなんて面倒な性格だな。
こいつと会話するのは疲れそうだ。
﹁いやぁ、久しぶりに喋ったのぉ、お主が来るまで相手をしてくれ
るのはマイヤばかりじゃった﹂
マイヤさん、ご愁傷様でした。
﹁お喋りはこの辺にして、主食をいただこうかの﹂
主食とはつまり、俺の血だ。
ヴィオラは立ち上がり、俺の側まで歩み寄る。
俺も腰を上げ、ヴィオラと対面した。
﹁なぁ、俺が抵抗したらどうする?﹂
﹁抵抗? そうじゃの⋮⋮こうする﹂
そう言って、俺の眼を真っ直ぐ見てくる。
数瞬後、俺は地面に膝を付いた。
俺の意志ではない、勝手にだ。
声も出ない、目も逸らせない、体も動かせない状態だ。
ヴィオラは俺の顔に両手で触れ、親指で撫でる。
そして、俺の首筋に顔を寄せ、牙を立てた。
343
俺は快感を得ながら気絶する。
数日後、俺は吸血鬼と夕飯を食べることになる。
夜までずっと魔力強化に取り組んでいた。
俺はマイヤに案内されて食堂へと通される。
食堂では、ヴィオラがワインを飲んでいた。
お前そんなの飲んで大丈夫かよ。
﹁来たな、小僧﹂
ヴィオラは俺を一瞥すると、グラスのワインを飲み干した。
﹁なんじゃ、物欲しそうに。飲みたいか?﹂
﹁⋮⋮ああ、お願いするよ﹂
﹁マイヤ、持って来い﹂
しまった。
つい、口が滑った。
未成年飲酒、ダメ、絶対。
﹁とりあえず座れ﹂
ヴィオラが俺を座るように促す。
俺はヴィオラと向かい合うように座り、一息吐く。
﹁今日は頼んじゃったから飲むけど、次からは誘わないでくれよ。
344
禁酒中なんだよ、俺﹂
俺がヴィオラに告げると、ヴィオラは楽しそうに笑った。
﹁なんじゃ、お主、まるで酒の味を知っているかのようではないか
!﹂
﹁知ってるから頼んだんだろ﹂
﹁おお、そうじゃった⋮⋮小僧が酒なんか飲んではいかぬぞ?﹂
﹁じゃあ誘うなや!﹂
ヴィオラは高らかに笑う。
しばらく笑い続け、息を落ち着かせると、表情を変える。
相手を威嚇するような眼。
猛獣よりも鋭い眼光だ。
﹁はっきりさせておくが、此方はお主よりも上の上の上のもっと上
じゃ。対等などとは思うでないぞ?﹂
﹁それはどうだろうな? お前は俺を殺せる。なら、俺もお前を殺
せるんじゃないか?﹂
﹁ぷっ、ハッハッハッ! それは面白い! 此方はお主よりも全て
において優れておるというのに、お主が此方を負かすとな!﹂
楽しそうに、本当に楽しそうに笑うヴィオラ。
笑ってりゃ、普通の女なんだがな。
美人だし、肌は白いし、しかも金髪だし。
﹁なぁ、ヴィオラ、気付いてるか?﹂
﹁何がじゃ?﹂
﹁俺の血液には俺の魔力がたくさん入ってる。つまり、俺はここか
らでもヴィオラを爆発させる事だって出来るんだぞ?﹂
345
﹁何を言っておるんじゃ?﹂
﹁そうだな、見せたほうが早い﹂
俺は立ち上がり、テーブルから離れる。
途中、俺の指先とヴィオラのワイングラスを極細の魔力の線で繋
いだ。
俺は両手を広げ、種も仕掛けもない様に見せる。
そして、魔力を送り︱︱ワイングラスが割れる。
﹁⋮⋮ほう﹂
ヴィオラは興味深そうに割れたワイングラスの欠片を拾った。
俺の魔力は感じないはずだ。
俺が魔力の線を消したのだから。
﹁こういう事だ。お前が俺に首輪を付けているように、俺もお前に
首輪を付けれる﹂
﹁⋮⋮面白い、面白いぞ、小僧﹂
そう言うヴィオラの表情は引き攣っていた。
では、最大の疑問である︱︱何故、俺が魔力を使えたのかについ
て。
先日、首輪の仕組みを解明するために色々と模索していた。
そこで、俺は魔力が体内でなら操作できる事に気づく。
そして実験だ。
魔力を自分の中で溜めてから、一気に放出させた。
346
体の中ではしっかりと魔力の塊が作れたのに、外に出したら消え
てしまった。
つまり、体の中で魔力の操作はできるが、外には出せないという
ことだ。
なら、答えは簡単。
首輪が放出される魔力を吸収していたのだ。
俺はそこで、ふと﹃主人公が力を暴走させて、封印を強制的に開
く﹄というシーンを思い出す。
某忍者漫画に良くあったりする。
よく読んでいたので、イメージは鮮明に出来た。
俺は体内に大きな魔力の塊を作り出し、一気に放出させた。
だが、結果は失敗。
今度は魔力を爆発させるのではなく、魔力を放出し続けた。
そう、ナ⃝トの赤いチャクラが漏れだすように。
その結果、許容量を超えた魔力が首輪の効果を破壊し、首輪が割
れてしまった。
首輪を外すことに成功はしたが、バレてしまえば、強力なのがあ
った場合そちらを付けられてしまう。
だから、俺は土魔術で似たような首輪を形成し、自分の首に付け
ているのだ。
そして、俺は先日の首輪破壊実験を思い出しながら、あざ笑うよ
うに言う。
﹁どうだ、ヴィオラ、これは手品じゃないぞ?﹂
347
シャルルとヴァンパイア・中編
﹁小僧⋮⋮此方に首輪を付けおったな﹂
﹁俺の血液をくれてるんだから、それぐらいはいいだろ?﹂
俺は後頭を掻きながら言う。
ワイングラスはたしかに割ることが出来た。
そして、ヴィオラの体を爆発させることだって出来る。
だが、俺に彼女を爆発させる気は微塵もない。
﹁⋮⋮気に入った﹂
俺が席に戻ると、ヴィオラが小さく言う。
﹁気に入ったぞ、小僧﹂
﹁そりゃどうも﹂
俺はグラスの水を飲み干し、乾いた口の中を潤す。
余裕を見せて、大口を叩いてみたのはいいが、内心では正直ビビ
っていた。
悟られることが無かったのは、俺のポーカーフェイススキルが上
がっていたからだろうか。
うん、普段から練習しておいて良かった。
しかし、もっと磨かなくてはな、このスキル。
﹁シャルル様、どうぞ﹂
﹁ありがとうございます﹂
マイヤがワイングラスを俺の前に置いた。
348
普通のワイングラスの半分ぐらいのサイズだ。
まぁ、俺はまだ子供だから仕方ないだろう。
俺は早速、赤ワインを口に含む。
喉に通すと、久しぶりの感触に涙が出そうになる。
﹁どうした小僧、そんなに辛かったか?﹂
﹁いや、感動してるんだ﹂
﹁ハッハッハッハッ! 小僧、お主、一体何者じゃ?﹂
ヴィオラが笑いながら尋ねてきた。
﹁どういう事だ?﹂
﹁﹃子供に憑依する大人なのか?﹄ということじゃ﹂
﹁面白い冗談だな﹂
俺は尤もであるヴィオラの質問に、思わず笑ってしまう。
嘲笑やごまかしではなく、中身が大人だという事に対して笑って
いるのだ。
理由はもちろん、名探偵さんを思い出すからだ。
たくさん作られたコラ画像やMADがフラッシュバックする。
﹁冗談ではないぞ、真面目に聞いておる﹂
﹁バーロー、そんな訳ないだろ﹂
﹁そうか、そんな訳はないか⋮⋮まぁ良い。何であろうと、お主は
お主じゃ﹂
ヴィオラはそう言って、また楽しげに笑った。
本当によく笑う女だ。
可愛らしい笑顔は、嫌いじゃない。
349
その後、適当な世間話をした後、部屋に戻って眠った。
翌日、目を覚ますと、俺は温もりのある何かを抱きしめていた。
言わなくても分かるだろうが、ヴィオラだ。
何故かは知らないが裸である。
男たるもの、見るものは見なくてはならない。
ヴィオラの体は⋮⋮成人している割には小柄で、細身。
華奢な体躯と表現するのが一番だろう。
胸も大きすぎず、小さすぎずと言ったところか。
無防備な寝顔も可愛い。
寝ていれば普通の女の子だ。
思わず、頬を撫でてしまったが、起きる気配はない。
起きる気配がないなら、男は何をする。
答えは一つ。揉む。
何処を? 胸をだ。
俺は寝ているヴィオラの胸に手を伸ばす。
ヴィオラの胸は少しだけ俺の手からはみ出るが、大人の体であっ
たならば、丁度いい大きさと言えるだろう。
そして、全裸である為、俺は生でヴィオラの胸に触れている。
衣服の上から揉んでいる場合には無かった新たな感触、それは︱
︱指に吸い付くのだ。
弾力は⋮⋮そうだな、ヴェラのよりも硬い気がする。
だが、柔らかい事に変わりはない。
揉んでいて気持ちがいい。
350
ここまでしても、ヴィオラは目を覚まさない。
吸血鬼は朝に弱い。
これは、弱すぎるだろう⋮⋮。
ん? でも、起きられたら困るか。
﹁お前には眠り姫がお似合いだな﹂
眠っていれば可愛いのに、という意味を込めて呟いた。
俺はヴィオラの胸から手を離して、体を起こし、部屋を後にする。
向かう先は庭だ。
トレーニングをしなくてはならない。
結構な間サボっていたからな。
ヴィオラの家の庭には、野生動物がいる。
樹林に囲まれた、広い草原を俺は走れるだけ走る。
腕立て伏せ、腹筋運動はもちろんの事、反復横跳びなんかもやっ
ている。
﹁シャルル様﹂
休憩中、マイヤに後ろから声を掛けられた。
﹁おはようございます、マイヤさん。今日はいい天気ですね﹂
今日の空は快晴。
仰向けに寝ると、真っ青な空が視界いっぱいに広がる。
﹁朝食をお持ちしました﹂
﹁えっ、そんなに気を使わなくても⋮⋮﹂
﹁友人からの差し入れ、という事で受け取ってもらえないでしょう
351
か?﹂
﹁⋮⋮そう言うなら﹂
そういう言い方はずるいと、俺は思う。
俺はマイヤに籠を手渡された。
開くと、中にはサンドイッチ。
﹁おお、美味そうです﹂
俺は一つ手に取り、口に運ぶ。
味からして、トマト、レタス、ハム、胡椒が入っているのは分か
るが、他に何か、隠し味がある気がする。
なんだろうか⋮⋮甘いような、塩っぱいような、クリーム状のソ
ースだ。
﹁これ、何が入ってるんですか? 蕃茄、球萵苣、薫製は分かった
んですけど⋮⋮﹂
﹁秘密です﹂
マイヤが口に指を当てて、笑顔で言った。
胸がきゅんとなるってこういう事だろうな。
きっと、漫画だったら俺の顔の横らへんに﹃きゅん⋮﹄とかって
書かれるに違いない。
いや、というか﹃どきっ⋮﹄かもしれん。
﹁どうしました?﹂
﹁いえ、すごく美味しいです、これ﹂
﹁ありがとうございます﹂
マイヤさんの可愛さに見とれてただなんて言えないので、ごまか
352
しておく。
俺はサンドイッチを全部食べ終えると、マイヤと一緒に食堂へ向
かう。
珈琲を飲むためだ。
俺の一日は珈琲を飲んでから始まると言っても過言ではない。
珈琲はブラックでも美味しければ、ミルクだけを入れても美味し
い、なんならミルクと砂糖を入れても美味い。
ココアも確かに美味しいのだが、やはり珈琲の香りと独特の苦味
が癖になる。
﹁どうぞ﹂
﹁ありがとうございます﹂
マイヤが厨房で入れてくれた珈琲を受け取る。
今日の気分はブラックコーヒーなので、ブラックで飲む。
立ち上る湯気が、俺の心を落ち着かせる。
一度香りを楽しんで、口に含む。
⋮⋮美味い。
﹁シャルル様は本当に珈琲がお好きなのですね﹂
﹁はい、昔から飲んでいましたので﹂
マイヤの言葉に頷くと、俺は一度カップを置いた。
﹁そういえば、ヴィオラが僕の部屋で寝ていたんですが、あれは何
故でしょう﹂
﹁予想ですが、ヴィオラ様も人肌が恋しいのだと思います﹂
﹁マイヤさんは寝てあげないんですか?﹂
﹁主従関係にありますので﹂
353
そこらへんは﹃主従関係﹄ってのが働いて、規制がかかるのか。
しかしまぁ、どこからどこまでがアリでナシなのか、俺にはまだ
線引きが分からない。
﹁そうですね⋮⋮そのような事は性奴隷の役目だと思われます﹂
﹁性奴隷?﹂
﹁はい、私もあまり詳しくはないのですが﹂
なるほど、性奴隷が存在するのか。
いや、まぁ、奴隷がいるという話は聞いたし、性奴隷がいるのは
普通だろうか。
﹁ふわぁぁ﹂
欠伸をしながら食堂に入って来たのは、ヴィオラさんである。
眠そうに目をこすって、寝癖のついた金色の髪に手櫛をかけてい
る。
﹁おはようございます、ヴィオラ様﹂
マイヤはヴィオラの何時も座る椅子を引く。
ヴィオラは引かれた椅子に座り、髪を背もたれの外側にやる。
マイヤは常備している櫛でヴィオラのグルーミングを開始した。
﹁朝は本当に弱いんだな﹂
俺がカップを持ち上げて言った。
﹁此方は、吸血鬼じゃからの﹂
354
眠そうにヴィオラが答えた。
こちらの世界でも、吸血鬼ってのは夜行性なんだと。
﹁小僧、今日も瞳は紅じゃの﹂
﹁ああ、かっこ良くて気に入ってる﹂
﹁そうか、なら良い﹂
まあ、人間離れは御免だが。
しかし、この赤目はカッコいい。
俺の中二心を擽るのだ。
昔、写輪眼のカラコンを何度も買おうとした事があった。
金の節約のために、結局は一度も買わなかったのだが。
﹁そうだ、ヴィオラ。奴隷について聞きたい﹂
﹁奴隷? なんじゃ、お主奴隷が欲しいのか﹂
﹁いいや、奴隷制度は好きじゃない﹂
﹁革命でも起こすか?﹂
﹁いいや、俺にそんな勇気はない。世間について学ぶだけだ﹂
﹁なんじゃ、面白くないの﹂
奴隷制度が嫌いなのは、奴隷が扱き使われるってイメージが強い
からだ。
この世界でそんな事がないってんなら、俺はそれでいい。
もしも酷いようであるなら、俺も動くかもな。
⋮⋮世界に影響を与えるってのは、色々と危ないかもしれないが。
﹁まぁ良いわ、聞かせてやる﹂
﹁ありがとう﹂
髪を整え終わったヴィオラは、マイヤに食事を頼んでから話し出
355
す。
﹁奴隷には色んな奴がおる。家計に苦しくなり自分から落ちる者、
家族に売られる者、騙されて売られる者、そこは個々事情がある。
奴隷となった者は、商品として扱われる。つまりは、丁寧に扱われ
るという事じゃ。だが、それは奴隷商の下での話、売られた後は所
有者によって扱いが変わるのじゃ。高値の奴隷を見せる付ける貴族、
物運びを手伝わせる商人、冒険者に戦闘役として買われるなど、そ
こも様々﹂
長い言葉を連々と並べた後、運ばれた水を飲み、また話を続けた。
﹁奴隷の中には、性奴隷も存在する。性欲を満たすために買われる
奴隷じゃ。性奴隷は奴隷になる前の人物を売った側が決める。自分
から落ちた場合は本人が性奴隷になるか否かを、家族に売られた場
合は家族が決めるのじゃ﹂
﹁性奴隷も命令されれば戦うのか?﹂
﹁当たり前じゃ。奴隷とはヤれない、性奴隷とはヤれる、ぐらいの
違いじゃよ﹂
子供に向かってヤれるとか言って、通じると思っているのだろう
か。
いや、俺には通じるのだが。
まあいい、奴隷の話はこれで終わりだ。
俺に奴隷を買う気なんてないのだが、この世界の情報は一つでも
多く欲しい。
﹁奴隷のことは分かった。でも、本日一番の疑問がある﹂
﹁なんじゃ?﹂
﹁何でヴィオラは俺の隣で寝ていたんだ?﹂
356
﹁そんなの、人肌が恋しいからに決まっておる﹂
何言ってんだこいつ、みたいな顔で言われた。
お前こそ何言ってんだ⋮⋮。
﹁なんじゃ? 嫌じゃったか?﹂
﹁いや、別に。ヴィオラみたいな美人ならむしろ大歓迎だよ﹂
﹁ハッハッ! 褒めても何もでんぞ?﹂
そうして、ヴィオラは楽しそうに笑った。
357
シャルルとヴァンパイア・中編︵後書き︶
﹁マイヤさん﹂
﹁はい﹂
﹁歳をお聞きしてもよろしいですか?﹂
﹁繊細さに欠ける質問だと思われます﹂
﹁ごめんなさい﹂
﹁いえ。それに、質問された所で、答える訳でも御座いませんので﹂
﹁秘密主義ですか?﹂
﹁はい、女中ですので﹂
﹁なら、ヴィオラも知らないんですか?﹂
﹁ええ﹂
﹁主なのに?﹂
﹁はい﹂
﹁秘密主義なんですね﹂
﹁はい、女中ですので﹂
﹁マイヤさん﹂
﹁はい﹂
﹁胸を触っても良いですか?﹂
﹁どうぞ﹂
﹁即答ですね﹂
﹁触られるだけであれば、問題はありません。ヴィオラ様には何度
も触られております﹂
﹁そうですか、では⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮柔らかいですね﹂
﹁はい、女性の胸ですから﹂
﹁素晴らしい﹂
﹁お褒めにあずかり光栄です。⋮⋮⋮⋮ですが、いつまで揉んでい
358
る御つもりで?﹂
﹁あと少しだけ﹂
﹁仕方がないですね⋮⋮﹂
359
シャルルとヴァンパイア・後編
半年が経過した。
俺は毎朝、毎晩、血を吸われ続けた。
そのせいか、切り傷は一瞬で治る程になった。
今日、俺はヴィオラに頼んで手合わせを願った。
自分の力を試す訳ではなく、俺の体が鈍らないようにだ。
俺とヴィオラは、だだっ広い彼女の庭にの中央で向き合っている。
俺は肩を回して準備運動をする。
ヴィオラはといえば、悠々としている。
﹁よーし、ヴィオラ、攻めてくれ﹂
﹁なんじゃ? お主は受けじゃったか﹂
﹁そうじゃねぇよ! 俺は攻めでも受けでもあるよ! ⋮⋮って、
何言わすんじゃ!﹂
﹁カッカッカッ、冗談じゃ、行くぞ?﹂
﹁おう﹂
俺は身構え、全身に魔力を注ぎ、集中する。
ヴィオラは足に力を入れると、一瞬で俺との間合いを詰めた。
そして、拳が目の前を通り過ぎる。
ギリギリ反応できるぐらいだが、気を抜けば当たる様な攻撃だ。
左から、右から、そして下から飛んでくる拳を躱し、間合いを取
る。
だが、ヴィオラは一瞬で詰め寄る。
下段への蹴りを後退して躱し、正面から拳が飛んでくる。
最小限の動きで拳を避けて、ヴィオラの方へ踏み込む。
アッパーを繰り出すが、ひらりと躱された。
360
﹁やるのう?﹂
ヴィオラが挑発的な笑みを浮かべて、数歩下がった。
俺も後ろに下がり、様子を見る。
ヴィオラは気付けば、後ろに居た。
﹁げっ﹂
おいおい、嘘だろ、獣人と同格の速さだぞこれ。
そう心の中で愚痴り、俺は体を回転させて避け、裏拳でヴィオラ
の顔面を狙った。
だが、勿論俺の拳は空を切る。
ヴィオラはまた後ろに回っていたが、俺はバックステップと共に
肘を突き出す。
俺の肘はヴィオラの服を掠った。
﹁チッ﹂
﹁小僧、今のは悪くなかった。じゃが、まだまだ甘いわ﹂
ヴィオラは体を左右に揺らし始める。
俺は目を凝らしてヴィオラの動きをしっかりと見る。
右からか、左からか。
そして、ヴィオラは動いた。
﹁がはァッ!﹂
途端、俺の腹に熱が伝わる。
口からは、血液を吐き出した。
腹を見てみると、刺さっていた。
361
ヴィオラの綺麗な白い腕が、俺の腹を貫いていた。
﹁あ、がぁ⋮⋮っ﹂
ヴィオラは挑発的な笑みを浮かべたまま、俺の腹から腕を引き抜
いた。
俺の腹部からは血液が流れ出す。
俺は手で抑え、流れてる鮮血を止めようとするが、血は隙間から
こぼれ出す。
﹁どうじゃ?﹂
倒れる俺を見下しながら、ヴィオラが聞いてきた。
﹁なに、が⋮⋮﹂
﹁痛み、じゃよ﹂
そんなの、痛いに決まってんだろ。
血は止まらないし、苦しいし。
そう伝えようとするが、上手く声が出せない。
﹁まぁ、少しすれば治る、安心せい﹂
治るのは分かっている。
今の俺の状態は、腕一本はすぐに生え変わるレベルだとマイヤが
教えてくれた。
だが、苦しい。
苦しくてたまらない。
﹁痛いのは嫌じゃろう? 此方はお主より強いじゃろう? じゃが、
362
此方より強い奴はおる。お主は其奴と対峙するやも知れぬ。その時、
お主はこの痛みを味わい、最後には死ぬやもしれんのじゃ﹂
ヴィオラは俺の傷口を舐めだした。
俺の腹から流れ出る血を飲んでいる。
頬を紅潮させ、色っぽさ溢れる見た目だが、腹の痛みで俺の中か
らピンク色の感情が消えている。
画面越しだったら、それはもうビンビンにオッキさせただろうよ。
﹁じゅるっ⋮⋮んー、お主の血は美味いの﹂
ヴィオラは満足すると、口元を拭ってまた話し始めた。
﹁痛いのが嫌じゃったら、痛いのが恐いのなら、お主はもっと強く
ならねばいかぬぞ?﹂
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮わ、かって、んだよ﹂
﹁そうか、なら良い。しかしまぁ、苦しんで悶えている暇があるの
であれば、治癒でもすれば良いじゃろ﹂
﹁⋮⋮あっ﹂
痛みのせいで完全に忘れていた。
俺は声に出さなくても治癒が使えるんだったな。
﹁⋮⋮っ﹂
俺は腹に手を当て、﹃治癒﹄と頭の中で言う。
温かい感触が伝わり、俺の痛みは徐々に消えていく。
傷口も塞がっていき、穴の空いた服だけが残った。
﹁ふぅ⋮⋮痛かった﹂
363
﹁当たり前じゃ、痛いに決まっておる。まぁ、此方のせいでは無い
じゃろう。お主が弱いのがいけないのじゃ﹂
﹁へーへー、すいやせんしたー﹂
俺は適当に返事をして、立ち上がる。
この日、俺の目標に、ヴィオラが追加された。
俺は服を着替え、庭に戻って寝転んだ。
晴天の空の下、寝転ぶのは気持ちがいい。
目を瞑れば、風の音、草木が揺れる音、そしてマイヤの足音まで
もが聞こえる。
まあ、マイヤの足音が聞こえたのは、マイヤが俺に近づいて来て
いたからだが。
﹁シャルル様、甘い物をお持ちしました﹂
寝転ぶ俺の顔を覗きながら、マイヤが籠を差し出した。
俺は体を起こして受け取り、蓋をあける。
﹁美味そうです、ありがとうございます、マイヤさん﹂
俺は中に入っていた物を取り出して、口に運ぶ。
カリっとした食感の後の、ふわりとした食感が面白いこの食べ物。
表面には砂糖が掛かっていて、甘くて美味しい。
﹁やっぱ美味いですね、甘瓜麺麭﹂
この世界にもメロンパンの様な物が存在し、甘瓜麺麭と言う。
364
果実から作られる為、メロンパンとは味が少し変わるが、それで
も思い出すのだ、あの味を。
﹁マイヤさんみたいなお母さんが欲しいです。これからはお母さん
って呼びますね﹂
﹁それではお尻を引っ叩くかも知れませんよ?﹂
﹁それもある種のご褒美だと思います﹂
﹁あら、そちらのご趣味がお有りでしたか?﹂
﹁冗談です﹂
俺が言うと、マイヤがくすりと笑った。
うん、今日も美しい笑顔です。
﹁ヴィオラと話がしたいんですけど、良いですか?﹂
﹁ヴィオラ様なら現在、自室に居られるかと﹂
﹁案内、お願いしても?﹂
﹁勿論です﹂
俺は立ち上がって、ヴィオラの部屋へと向かうマイヤに続く。
揺れるスカートをガン見しながら歩いた。
ヴィオラの部屋は最上階にあり、浴室も兼ねている。
マイヤがノックをすると、ヴィオラが扉を開けた。
﹁なんじゃ、お主か﹂
﹁話をしよう﹂
﹁お主からとは、珍しい事もあるもんじゃの。まあ良い、入れ。マ
イヤも茶を入れろ﹂
﹁はい﹂
365
俺はヴィオラの部屋に足を踏み入れ、マイヤがヴィオラの命令に
返事をする。
部屋の真中にある丸いテーブルには二つの椅子があり、その片方
に座れと言われた。
﹁それで、話とはなんじゃ?﹂
﹁この世界には大陸が三つあると聞いた。ルーノンス、ヴェゼヴォ
ルは知ってる。あと一つはエクデフィスだったな。あそこはどんな
所なんだ?﹂
﹁そーんな事か﹂
ヴィオラが詰まらなさそうに背中を背もたれに預けた。
丁度、マイヤがお茶を差し出してくれる。
ヴィオラは茶を一口飲むと、話を始めた。
﹁エクデフィス大陸は、現在、緊張状態にある大陸じゃ﹂
﹁緊張?﹂
﹁そうじゃ、何処かの国と国が対立し、戦争に発展しようとしてお
る。現在は様子見程度じゃが、いつ戦争が始まるかは分からぬ。そ
して、ルーノンスとヴェゼヴォルはエクデフィス内での争いには一
切介入しない﹂
﹁何故?﹂
﹁海を超えた先にあるからという理由もあるが、下手をすればルー
ノンスとヴェゼヴォルまでもが戦争を始める事の方が主な理由じゃ
な﹂
なるほど、ルーノンスとヴェゼヴォルのバランスを保つので精一
杯で、エクデフィスには構ってられないという事か。
俺が思ったよりもこの世界はピリピリしているらしい。
何時平和が崩れるか分からないって事か。
366
暇があれば、エクデフィスにも行ってみよう。
﹁まぁ、ルーノンスとヴェゼヴォルの間で戦争が起きる可能性は少
ないだろうの﹂
﹁何でだ? 二つの大陸は繋がっている事もあって、いつ戦争が起
きても可笑しくないんじゃなかったのか?﹂
﹁組織間の争いはあっても、大陸を巻き込む程にはならんじゃろ。
あの魔王を見たじゃろ?﹂
﹁⋮⋮ああ、なるほど﹂
あの魔王、オーラがやばい割に適当そうだったからな。
戦争なんて面倒だから勝手にやってくれ、とか言いそうだ。
まぁ、別にヴェゼヴォルの治安は特別悪い訳ではなかったから、
魔王もそれなりに政治に手を出しているんだろうけど。
﹁それで、ヴィオラ、本題なんだが﹂
﹁本題? こっちはついでじゃったのか﹂
﹁まぁな。んで、本題ってのはさ⋮⋮俺のこと、いつ開放してくれ
るんだ? って話﹂
﹁⋮⋮ほう?﹂
退屈そうな表情をしていたヴィオラが、眉を吊り上げる。
﹁お主、此方の元から離れたいのか?﹂
﹁そうは言ってない。ていうか、ヴィオラと離れても特に何も思わ
ない。俺が惜しいのはマイヤさんだけだ﹂
﹁なんだと? カッカッカッ! マイヤ、シャルルを落としよった
な!﹂
ヴィオラが楽しそうに笑い、マイヤを一瞥する。
367
マイヤは頭を下げるだけで否定をしなかった。
否定をしろ、否定を。
﹁俺は別に落とされてない。元々、母性溢れる女性に惹かれる質な
んだよ。それよりも、話を戻そう﹂
﹁お、そうじゃったな⋮⋮うむ、お主、目的でもあるのか? 此処
を出て何をしたい﹂
﹁目的は無いが、目標はある。その為に、俺は強くならなくちゃい
けない。これは目的じゃないけど、願望で、旅がしたいんだ。ルー
ノンス、ヴェゼヴォル、それとエクデフィスもな。色んな経験をし
たいんだよ、俺は﹂
﹁やはりお主は小僧じゃのう﹂
﹁小僧で結構、俺はやりたい様にやる﹂
俺は背もたれに体重を乗せると、お茶を啜った。
やはり、マイヤの入れる紅茶は美味いな。
﹁嫌いじゃないの、お主のその姿勢。悪くない。だが、忘れるなよ。
欲に目をくらますな﹂
﹁分かってるよ。んで、俺はいつ解放される?﹂
﹁明日でいいじゃろう﹂
明日、か。
意外とあっさりだな。
あと半年は残されるかと思ったが。
まぁ、早いのなら早いで良い。
﹁分かった、俺は明日に此処を出る﹂
﹁うむ、良かろう。じゃが、お主とは連絡を取りたい﹂
368
そう言いながら、ヴィオラは立ち上がって、棚の中をあさりだし
た。
﹁おっ﹂という小さな声を漏らすと、棚から何かを取り出す。
淡く光る小さな宝石の様な物だ。
﹁ほれ、受け取れ﹂
ヴィオラは蒼い宝石を俺に差し出す。
俺は警戒しながら手に取るが、特に何も感じない。
ピアスに丁度良さそうなサイズだな。
﹁安心しろ、それは連絡用の道具じゃ。遠くからでもお主と会話が
出来る様になっておる。魔力を通じて声を届ける事が出来るのじゃ﹂
なるほど、携帯電話みたいな物か。
この世界には時計もあれば電話みたいな物もあるのか。
魔力って素晴らしい。
﹁ありがとう、貰うよ﹂
俺は戴く事にするが、仕舞いどころに困る。
これだけ小さければ、すぐに無くしてしまいそうだ。
﹁ヴィオラ、これを耳飾りにしてくれるか?﹂
﹁うむ、任せろ﹂
俺は貰ったばかりの小さな石をヴィオラに返した。
ピアスにすれば、無くす心配は無くなるだろうし。
﹁それじゃ、俺は出発の準備する⋮⋮っても、剣以外に持ってく物
369
が無いんだけどな﹂
﹁食料を好きなだけ持って行くと良い﹂
﹁ありがとう﹂
俺は礼を言って部屋を出た。
何故かマイヤが付いて来たので何事か尋ねると、身支度を手伝っ
てくれるらしい。
マイヤが居れば心強いな。
俺の準備は、食料をバッグに詰め込むだけで終わる。
クラッカー類と少しの肉しか入っていないが、大丈夫だ。
水は魔術で出せるので問題はない。
帰りはどうやら、魔法陣があるらしく、そこに乗れば元居た街に
戻れるらしい。
便利なこって、嬉しい限りです。
翌日、朝食を取った後に、すぐに出る事にした。
俺は剣を差して、バッグを担ぐ。
外套もちゃんと装備しているし、大丈夫だな。
﹁それじゃ、ヴィオラ、世話になった﹂
﹁いやいや、此方こそ。美味い血に感謝じゃ﹂
俺はヴィオラに礼を告げると、マイヤに向き直る。
﹁マイヤさんも、色々お世話になりました﹂
﹁此方こそ、我が主の話し相手になって頂き感謝致します。では、
気を付けてくださいね﹂
370
マイヤは俺に深々と頭を下げた。
俺は思わず苦笑するが、別れなんだし、させたいようにさせよう。
挨拶を終えた後は、案内された魔法陣に乗り、グレーズへと帰還
した。
371
シャルルとヴァンパイア・後編︵後書き︶
登場人物紹介とか、用語集とか載せた方がいいんですかね?
372
挿話 ﹃吸血鬼﹄︵前書き︶
ただのおまけ。読まなくても問題なし。
373
挿話 ﹃吸血鬼﹄
時間は、シャルルがヴィオラと接触する前に遡る。
とある一室にいるのは、ヴィオラとジノヴィオス。
テーブルを挟むようにして、ヴィオラは挑発的な笑みを浮かべ、
ジノヴィオスは面倒くさそうに顔を合わせる。
こなた
﹁そろそろ、此方が接触しても良い頃じゃろう﹂
﹁何の目的で?﹂
﹁護衛、監視、そして見極めることじゃ。血の味も確かめておきた
いしのう﹂
﹁本命は血じゃないだろ?﹂
ジノヴィオスは吐くように尋ねたが、ヴィオラは答えを出さなか
った。
隠しておきたかったから、というわけではなく、どちらも本命だ
ったというのが事実だ。
だが、この状態で﹃吸血鬼﹄として﹃私情﹄を挟めば、ジノヴィ
オスは怒るに違いない。
﹁俺様はあいつを守る事にした。お前が何かをしようってんなら、
俺様は黙ってないぞ﹂
﹁なんじゃ、情でも移ったか? らしくないの、魔王や﹂
﹁そうじゃない。﹃魔神﹄にならない限りは、って意味だ。あいつ
がなろうってんなら、俺はすぐに殺しにかかる﹂
﹁そうか、そうか﹂
挑発的に、不敵に笑いながらも、ヴィオラは疑問に思った。
魔王である奴が、非情である奴が、無敵である奴が、何故、敵と
374
成り得る相手をしばらく生かそうと考えているのか。
義務感による名目の監視、そして、吸血。そこに﹃興味﹄が加わ
った。
シャルルという人間がどういった存在なのか。どういった風に言
葉を発するのか。どういった表情をするのか。
今直ぐにでも会いに行って、対話をしたい気分だった。
﹁疼くのう⋮⋮﹂
﹁相手はガキだぞ。欲情なんかしてもなぁ﹂
﹁お主の頭は年中桃色か﹂
﹁その通り﹂
﹁清々しいのう⋮⋮﹂
ヴィオラは呆れたように肩をすくめる仕草をすると、ティーカッ
プに口をつけた。
空になっていた事に気づいていなかったらしく、言葉の通り、テ
ィーカップに口をつけるだけとなった。
﹁全くもって、不愉快じゃの﹂
﹁何がだ﹂
﹁用心すべきは﹃教会﹄だけではない、という事じゃ﹂
﹁⋮⋮﹃執行者﹄か﹂
ここに来て、別の組織の名前が出された。
これが意味するのは、﹃執行者﹄という組織が動きを見せたとい
う事。
のんびりと過ごすシャルルは未だに自分が複数の組織から狙われ
ている事を知らない。
むしろ、﹃教会﹄という言葉を覚えているかどうかも怪しい。
375
﹁﹃執行者﹄は﹃教会﹄とは違う。奴らは殺しにかかるじゃろうの﹂
﹁確かにな。あいつらの目的は﹃教会﹄とは真逆だ。だが、幸いな
事に、﹃魔神﹄の特定が出来ているのは俺様達と﹃教会﹄だけだ﹂
﹁何故そう言えるのじゃ?﹂
﹁俺様は魔王だぞ。それぐらいはな﹂
得意気に言うジノヴィオス。しかし、ヴィオラの反応は薄い。
興味がないわけではなく、当たり前だから、といった感じだ。
二人の付き合いは百年なんてものではないのだから、それぐらい
は分かって当然なのかもしれない。
﹁にしても、心配だ。お前の吸血が何か悪影響を与えるかもしれな
い﹂
﹁心配しすぎじゃ。﹃魔神﹄を愛しすぎじゃろ、お主や﹂
﹁そんな事はない﹂
﹁顔に書いてあるぞ。﹃愛しすぎて心配だ﹄と﹂
﹁そんな事はない﹂
﹁何故隠す必要があるのじゃ﹂
﹁︱︱ああ、そうだよ!﹂
たしかにその時、プツンと何かが切れる音がした。
ジノヴィオスはタガが外れた様に立ち上がって、まくし立てる。
﹁俺は愛している! そりゃあ守るべき対象だ、愛さなくてどうす
るよ! 大体な、俺様はあいつの事を一目みた時から﹃コイツだ!﹄
って思ったんだよ! クソ、あの真っ白な奴を見たら、お前だって
愛しちまうんだからな!﹂
ジノヴィオスの目は、真剣そのもの。自分は無実だと主張する犯
罪者よりも、その瞳は真面目だった。
376
もちろん、そんなジノヴィオスの姿を見たヴィオラは、ドン引き
である。
顔をひきつらせ、金色の糸を出した巨大化したダンゴムシみたい
な物を見るかの様な目だ。
﹁⋮⋮そ、そうか。此方がお主のように思うかは置いておいて、人
の好みにとやかく言う趣味はないからの。好きにすると良い﹂
﹁オイ、誘導しといてそりゃねえだろ﹂
﹁乗ったのはお主じゃろ﹂
ジノヴィオスは咳払いをしてから、浮いた腰を下ろした。
恥をかいた、というよりも、魔王として、吸血鬼の挑発に乗って
しまった事が屈辱である様子だ。
﹁もうお主の愛は聞いた。それだけ興味深い男なら、会わなければ
ならないのう。此方も興味が湧いた﹂
﹁そうか。精々惚れないように頑張るこった﹂
﹁余計なお世話じゃ﹂
ヴィオラはそう告げると、席を立って魔王の元を去った。
自分の城に戻ったヴィオラは、太陽光にあてられたせいか、気だ
るさに襲われ寝台に体を倒した。
見た目年齢十代後半の細い体からは、彼女が人一人を簡単に殺せ
る力を持つことなど想像も出来ない。
長枕を両足と両腕で包み、寝台の上を転がる。
﹁どんな奴じゃろうの⋮⋮﹂
そう呟いたヴィオラの表情は、遠足を楽しみにする小学生のよう
377
だった。
378
はじめての一級依頼・前編
グレーズへと戻った俺は、半年前にウェベールで借りていた宿へ
と戻った。
﹁あの、半年前に二⃝一の部屋を使用させて頂いたシャルルです。
突然消えて申し訳ありません、預かっている荷物とかありませんか
?﹂
宿の受付人のおっちゃんに尋ねると、おっちゃんは﹁待ってろ﹂
と言って、カウンターの奥にある部屋へと姿を消した。
すぐにおっちゃんは戻って来た。
手には俺のバッグがあった。
﹁これだ、部屋の掃除中に見つけてな。預かっておいた﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺は深々と頭を下げて、バッグを受け取る。
おっちゃんに預かってもらっていたお礼として銀貨を一枚渡した。
渋られたが、笑顔で強引に押し付けてやった。
礼は渋られるとあまり気分が良くないので、貰われたほうがあり
がたい。
一方的だが、後味が悪いのは嫌いなんだ。
俺は宿を出た後、グレーズで宿を取ろうと客馬車に乗る。
グレーズに到着し、客馬車から降りて、通りすがりの者に宿の居
所を聞いた。
冒険者協同組合から一番近い物はあまり空いていないらしいが、
物は試しだ。
379
俺はとりあえず、グレーズのギルドに近いとされる宿へと足を運
んだ。
着いてみれば、言われた通り、中には人がたくさん居た。
俺はカウンターへと向かい、空き部屋がないか尋ねる。
﹁ああ、一人部屋が一つだけ空いてるぜ﹂
﹁なら、それを取ります﹂
﹁分かった﹂
値段は銀貨二枚。
宿の一人部屋でこの値段は、高いほうだ。
やっぱり、ギルドが近くにあると高くとられちゃうのかね。
前世でも、周りに施設が揃っているアパートやマンションなんか
は家賃が高かったし。
まぁ、でも、金なら心配ない。
無くなったら依頼を受注しに行けばいいのだから。
だが、出来るだけのセーブはしたい。
無駄なことにお金を使うのはやめる。
俺は受付人から鍵を受け取り、部屋へと向かう。
四○四の部屋だ。
部屋の鍵を開け、中に入る。
とっても、普通だ。
洗面所と水浴び場、シングルベッドと机と椅子だ。
これは一泊銀貨一枚程度だろう、普通。
ん? 日本のビジネスホテルでは一泊二万円ぐらいで、換算して
金貨二枚。
でも、銀貨二枚って事は、二千円で一泊できるって事だ。
380
俺の世界の感覚で言えば、安い方なのか。
十年も暮らしていると、こっちの環境に慣れてくるなぁ。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
荷物を置いて、一息つく。
まだ昼前だし、やれる事はたくさんある。
だが、これと言って予定が無い。
とりあえず、ギルドで金稼ぎかな。
一級の依頼もやってみたいし。
遠征は嫌だけど。
俺は考えをまとめた所で、立ち上がって部屋を出た。
黒い外套を着てフードを深く被り、剣を腰と背中に差す何時もの
格好。
ブーツにはナイフが仕込んである。
あ、ちなみに、腿にもナイフが隠してあります。
用途は色々だ。
剣じゃあ長すぎる場合にナイフを使う。
この世界にはハサミが無いからな。
紙だってペーパーナイフを使うし。
ナイフの話は置いておき、ギルド内へと入った俺は、早速、依頼
掲示板の前に立つ。
俺の目に映るのは、というか、此処に立つ全員の目に映るであろ
う依頼には、こう書かれてあった。
﹃山賊、海賊、他盗賊が手を組み、王制国を落とすとの情報が有り。
念を押したい故、一級以上の冒険者に協力を求む。締め切りは明日
までとす﹄
381
これは、なんというか、大変だな。
念を押したいってのは、騎士団だけじゃ物足りないって事だろう
な。
しかし、そうか、盗賊が手を組むとなると、かなりの大軍になる。
一千は優に超えるだろうな。
俺は一級依頼紙を手に取り、カウンターに持っていった。
受付人は俺の年齢と階級のギャップに一瞬表情を歪ませたが、す
ぐに営業スマイルを浮かべる。
ご武運を、という言葉に礼を言って、ギルドを出た。
依頼によると、明日にロンデルーズ王城まで来て欲しいとの事だ。
王城は国の真中、街を幾つか越えた先だ。
俺はその後、夕方までトレーニングをしてから夕飯を食べた。
宿に戻り、フィギュアを作成すると、すぐに眠りについた。
翌日、朝食を取り、トレーニングを軽く済ませる。
疲れてしまってはどうしようも無いからだ。
サボったわけではないし、大丈夫だろう。
俺は自分に言い訳をしながら、客馬車に乗り込み、王城を目指し
た。
数度、乗り継ぎをして、王城に辿り着く。
結構な時間が掛かってしまった。
何時かは分からないが、昼は過ぎているかもしれない。
それよりも⋮⋮
382
﹁でっけぇ﹂
城が大きい。
アルフの城よりも大きいのだ。
ネズミさんのいる夢の国に出てくるのよりも大きいんじゃなかろ
うか。
いやぁ、素晴らしい、グレイト、スプレンディッド、エクセレン
ト。
これだけの城、良く建てられたもんだ。
いや、魔術があるから簡単なのかも。
城を眺めた後は、城門を通ろうとしたのだが、二人の門番に止め
られた。
銀色の鎧に紋章が入っている。
騎士団の人だな。
﹁子供がこんな所で何をしている。家へ帰れ﹂
まぁ、そうなるよな。
俺は依頼紙を取り出し、笑顔で門番に見せてやる。
﹁依頼を受注したんです。通してくれますか?﹂
俺が言うと、門番が顔を見合わせる。
俺から紙を奪い取り、二人で依頼紙を凝視した。
﹁⋮⋮本物だ。通れ﹂
門番の一人が俺に告げ、俺は差し出された依頼紙を受け取る。
383
俺は笑顔で礼を告げて、城に続く門と橋を歩いた。
途中、十人以上の騎士と通りすがって、不思議そうな目で見られ
た。
そして、城の玄関に通される。
中に入ると、再度、依頼紙の確認が行われた。
厳重なのは納得出来る。
これぐらいやっておかなければ、城一つ落とされる事もありえよ
う。
﹁案内致します﹂
確認を終えた後、一人の男性が俺に近寄ってきた。
茶色い髪をした使用人の様な人だ。
騎士ではない。
俺は使用人の後に続き、一つの部屋へと通される。
中はだだっ広く、机が一つ置かれていて、部屋の端と奥にはソフ
ァが置かれている。
﹁冒険者様をお連れしました﹂
使用人が奥のソファに座る人物に告げた。
その人物は立ち上がると、俺の元へ近寄る。
﹁これはこれは、よく来た﹂
社交的な態度で声をかけてきたのは、茶色の顎髭を生やした厳つ
いおじさんだ。
ムキムキで強そう、というのが第一印象。
だが、魔力はそこまで感じられない。
384
威圧感も無いし、温厚そうな人だ。
﹁すまんが、種族を聞いてもよろしいか?﹂
﹁に、人間です﹂
俺が笑顔で答えると、ムキムキおじさんは驚いた顔をする。
﹁そ、それは誠か? 年はいくつだ?﹂
﹁十です﹂
﹁その若さで⋮⋮何時の世にも天才はいるもんだなぁ﹂
そう呟いて遠い目をするムキムキおじさん。
俺はとりあえずフードを外し、挨拶をする。
﹁シャルルと申します。連合した盗賊の抗戦依頼を遂行すべく来ま
した﹂
﹁これは丁寧に感謝致す。我はロンデルーズ騎士団長のグスタフだ。
さぁ、腰を掛けるといい﹂
﹁ありがとうございます﹂
言われた通り、壁際にあるソファに座った。
いい具合に柔らかく、いい具合に硬い。
座り心地抜群だ。
柔らかいだけが良いソファではないのだ。
しばらくして、もう一人男が入ってくる。
真紅色の髪の毛をしていて、俺の体よりでかい大剣を背中に差し
ている。
眼帯を付けているが、上下から切り傷が覗いている。
ゴリマッチョの竜人族だ。
385
二人のゴリマッチョに一人のか弱い少年。
ああ、酷い光景だ。
﹁ようこそ、ロンデルーズ騎士団長のグスタフだ﹂
﹁特級冒険者、レノスだ﹂
﹁さぁ、腰を掛けて他の者を待とう﹂
﹁ああ﹂
レノスは短く返事をすると、俺の隣に座った。
⋮⋮なんで?!
ソファは他にもあるよね?!
何で俺の隣なの?!
うわぁ、やばいよ、凄い感じるよ、威圧感を。
アメリーさん、エヴラールさん、ヴェラさん、助けて、漏れそう。
﹁⋮⋮レノスだ﹂
俺が怯えて冷や汗を拭っていると、レノスが自分の名前を言った。
これは、あれか、自己紹介。
﹁ぼ、僕はシャルルです。い、一級、冒険者、やってます﹂
﹁そんなに硬くなるな、同業者だろう﹂
﹁は、はい﹂
そんな事言われても、僕はおじさんが恐くて仕方ないよ。
と、口には出せない事を思いながら、俺は外套の内ポケットから
ハンカチを取り出し、冷や汗を拭う。
﹁種族は?﹂
﹁に、人間やってます、すごく、ひ弱です、はい﹂
386
﹁⋮⋮人間? 階級は?﹂
﹁い、一級、です﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
レノスは短く言うと、顔を強ばらせた。
⋮⋮恐い。
ごめんなさい、怒らせましたかもしれないです。
泣きそうです。
﹁すまない、恐かったか? 冷や汗をかいているぞ﹂
﹁い、いえ、そんな事はないですぞ?﹂
しまった、口調が⋮⋮。
そう思って口元を押さえるが、レノスは笑顔で言う。
﹁動揺が見え過ぎている。まぁ、いいんだ、慣れたからな。この見
た目だ、恐がられるのも無理ない﹂
そう言うレノスは何だか、悲しげだった。
彼にも気苦労があるのだろうな。
会う人皆に恐がられるというのは、流石にストレスだろう。
すまない事をしたな。
﹁⋮⋮すみませんでした﹂
﹁はっはっ、何故謝る?﹂
﹁見た目で人を判断するのは良くないと、反省したからです﹂
俺は笑顔を作って答えた。
ここからは、仮面状態に入る。
説明しよう!
387
仮面状態とは、ヴィオラが俺に﹃仮面は外せ﹄と言った時に思い
付いた物である。
基本的に、素の表情を隠す為のスキルなのだ!
スイッチが入った俺は、基本ビビらない質だ。
だから、今はビビってない。
ビビってないよ、ほんとに。
﹁ていう事は、最初に見た時﹃恐い人だな﹄と思ったんだな?﹂
﹁まぁ、正直に言うと、思いました﹂
﹁うむ、素直が一番だ。それでいい﹂
レノスは言いながら、俺の髪を掻き回した。
おかげで、俺の黒髪がぼさぼさになってしまった。
﹁珍しいな、黒髪﹂
﹁良く言われます﹂
﹁瞳は綺麗な向日葵色だ﹂
﹁はい。でも、調和がとれてないですよね﹂
﹁いや、俺は良いと思う﹂
俺の髪は黒で、目は向日葵色だ。
黒に黄色なんて、アンバランスだと思うのだが、レノスは褒めて
くれた。
俺の髪と目を褒めたのは、レノスで五人目だ。
最初はエヴラール、次がアメリー、続いてクロエ、そしてヴェラ、
五人目がレノスだ。
その後、俺達は他愛のない話をしながら他の冒険者達を待った。
388
はじめての一級依頼・前編︵後書き︶
友人に﹁本編よりあとがきのが面白いのなwww﹂と言われ落ち込
んでたら数日後。
それは置いておき、各話を五千文字以内にして分割しているのは、
一話一話をスッキリと読み終えてほしいからなのですが、前編・中
編・後編の接合を御意見されるのであれば、実行致します。
そうすると、次回からは前編後編で分けることはなくなりますので、
一話辺り五∼八千文字ぐらいになるかと。
389
はじめての一級依頼・後編
部屋に十人ほど集まった頃、俺達は庭に案内された。
庭でしばらく待たされる間、茶菓子を用意されたので、俺は戴く
だけ戴いた。
マカロンやマフィンをメイドさんが運んで来てくれる。
そして、正午になった頃に、グスタフと一人の女性が壇上に立つ。
グスタフは一度、咳払いをしてから、庭に集まる冒険者達を見渡
した。
俺の場所から数は把握出来ない。
﹁ロンデルーズ騎士団長のグスタフだ! 集まりに感謝する!﹂
﹁ロンデルーズ騎士副団長のウルスラです﹂
グスタフの隣に立つ女性、ウルスラと言うらしい。
胸の大きさは鎧で隠れていて分からないが、多分、大きい。
顎の下ぐらいまでしか無い金色の髪の毛。
鋭い眼は厳しい女性という印象を付ける。
男勝りで真面目そうな見た目だ。
それでも、美人に部類される方だろう。
﹁では、概要を説明する!﹂
グスタフの声で、集まった冒険者の話し声が止む。
彼の話しによれば、ある伝で、盗賊が連合を組んで王国を落とそ
うと言う計画がある、という話があった。
諜報員を散らばらせた結果、北から盗賊の軍が、騎乗して迫って
きている様だ。
390
敵の数は、諜報員の情報を元に推定して二万から三万。
列になっている訳ではないが、塊になって進んでいるそうだ。
うーん、二万から三万、か。
一万って結構な差になると思うんだけど。
﹁では、作戦の計画に協力する者は、私に付いて来て下さい﹂
ウルスラがそう告げると、数人の冒険者がウルスラの元へと寄る。
俺もウルスラの元へと駆け寄った。
え? 作戦? 知ったことじゃないね!
目的はウルスラのおっぱいだ⋮⋮!
ウルスラの後に続き、俺達が入れられたのは、先ほどの待合室の
様な場所だ。
グスタフが地図をテーブルに広げて、何かを書き始めた。
ロンデルーズ王制国の位置を囲ったのだ。
地図は初めて見る。
何だかんだで、今まで見る機会が無かった。
ロンデルーズが、ルーノンス大陸の真中に位置しているのは知っ
ていたが、東の方に川が通っているのは初めて知った。
ロンデルーズから東北に行くと、国があり、東南にも国がある。
そして、西北と南にも国が存在している。
南の方は、商業国ザロモンだ。
他の三つは、まだ行ったことがない。
ロンデルーズから真っ直ぐ東に進めば、獣人の森とは別の森があ
る様だ。
﹁これが、敵軍の位置です﹂
391
そう言って、ウルスラが、北の方に逆三角形を書き、ロンデルー
ズに向かって矢印を引いた。
これは、盗賊軍が北から此方に向かって進軍しているという事を
表しているのか。
なら、陣形を組むのは簡単じゃなかろうか。
﹁まずは、どう対抗すべきか、意見を求めます﹂
司会進行、ウルスラ。
この場に集まった冒険者は十人だ。
俺も入れて十一人だが。
意見云々の前に、質問がある。
俺は挙手をして、発言の許可を得ようとした。
視線は俺に集まり、皆が怪訝な顔をする。
ウルスラは無表情だったが、眉がつり上がっている。
だが、すぐに表情を戻し、俺を指した。
﹁相手の到着はどれくらいになりますか?﹂
﹁⋮⋮早くて七日だと予測されます﹂
ふむ、一週間。
準備の時間はそれなりにある。
今日、ここで作戦を決めてしまえば、俺達の準備は万全になるか
もしれない。
﹁七日か。ならば、もう少し数を増やす事が可能ではないだろうか
?﹂
﹁いいえ、今から準備出来る方々のみを集めたいので﹂
392
一人の冒険者に、ウルスラが答えた。
確かに、今からならまだ数が増えるだろう。
多いに越したことはない。
多い、で思い出したが、こちらの数を把握していない。
俺はまた挙手をし、ウルスラが指す。
﹁こちらの数はどうなんでしょうか?﹂
﹁騎士団は総勢一万。集められた冒険者は現在集計中ですが、百を
超えると思われます﹂
数字的には、こちらの負けか。
約一万と百が味方、敵は二万から三万。
なるほど、勝算はそこから来ているわけだ。
勝算の無い戦いなんて挑まないからな、普通。
﹁これでは、正面からの応戦は無理になるな﹂
﹁元々、正面から突っ込むという意見は無いだろう﹂
二人の冒険者が言葉を交わした。
まぁ、そこまで自信家でも馬鹿でもない集まりなら、大丈夫だろ
う。
会議は多分、スムーズに行く。
﹁待ちぶせが確定されたなら、どう待ち伏せるかだ﹂
﹁うむ、確実性のある陣形では無ければならない⋮⋮﹂
﹁正面を囮にし、迂回して後ろから精鋭で攻めるのはどうだろうか﹂
﹁いいや、それでは横から漏れるだろうに﹂
うーん⋮⋮何故この人達はすぐに攻めの話へ持って行くんだろう
393
か。
相手の部隊への対策とか、罠とか色々あるだろうに。
という事で、俺は再度挙手をする。
﹁敵は皆、騎兵部隊なのでしょうか?﹂
﹁はい、情報によれば﹂
なら、対処法は色々ある。
馬の足を防ぐ罠なんて、たくさんあるのだから。
﹁馬なら、魔術師が有利か﹂
﹁騎士団で魔法が使える者はどれくらいだ?﹂
﹁二千人程度です﹂
冒険者の質問に、ウルスラが答えた。
﹁ふむ、剣士で前を固め、後方から魔術で攻撃する手が有効だろう﹂
一人の冒険者が地図に指を当てながら言った。
攻撃云々の前に、やることがだな。
﹁⋮⋮何か言いたげですね﹂
俺の視線を察知したのか、ウルスラが俺に声を掛けた。
視線が俺に集まる。
だが、会議で視線を集める等、慣れているさ。
これでも会社員なのだからな。
﹁攻撃をどうする、という話も良いと思いますが、罠や足止めの設
置も視野に入っているのか、疑問に思いました。それだけです﹂
394
﹁⋮⋮罠、ですか?﹂
ウルスラが眉根を寄せ、問い返してきた。
﹁はい、罠です。別に、直接相手に害を加える罠でなくても、足を
止める程度の罠だけで効果はあると思います﹂
﹁それはそうですが⋮⋮罠の買い取りには、それなりの費用を使い
ます。魔術罠となると、余計に﹂
魔術罠なんて物があるのか。
初耳だ、今度見てみよう。
まぁ、それは置いておいて、騎士団なのだから、金ならいくらで
もあるはずだ。
なんなら、国のピンチとか言って国王に請求すればいいし。
ていうか、この場合、国王自ら資金を援助するべきなんじゃない
か?
ケチな王様なのか、騎士団が少ない費用で戦いを終わらせたいの
か。
理由は分からないが、予算は少なめだという事か。
﹁確かに、費用は使うでしょう。でも、そこまでの値段にはならな
いと思いますが?﹂
﹁馬の足を止める罠となると、爆破罠になります。針や撒菱では、
効果は得られません﹂
なるほど、魔術の罠しか使えないという前提の元で、﹃それなり
の費用﹄と言ったわけか。
だが、馬の足止めに魔術罠は無駄遣いってやつだ。
﹁落とし穴ではダメなのですか?﹂
395
﹁一週間という時間で、二万の軍勢を抑えるだけの落とし穴を作る
のは、難しいかと﹂
まぁ、確かに、それなりの深さが必要になるからな。
一日に、一つの穴を三人で掘るとするなら、三千人の騎士を落と
し穴の作成に回せば、三百の落とし穴が出来る。
だが、三百だけじゃあ、二万の軍勢は抑えられない。
結局、一万人を導入したとしても、千の落とし穴じゃ足りないし
な。
﹁まぁ、分かってました。落とし穴ではなく、地面に杭を打つのは
どうでしょう﹂
﹁杭ですか?﹂
﹁はい、馬の足止めにもなりますし、一週間もあれば充分な数の杭
を打てると思います﹂
﹁ですが、それだけの量の木材、何処から買い取るのですか﹂
﹁別に、木材にする必要性なんてありません。石材を使います﹂
﹁石材ですか⋮⋮なるほど﹂
石材であれば、魔術でいくらでも作れるから、お金で買う必要は
ない。
騎士団の二千人の魔術使用者だけでなく、冒険者の中にも魔術を
使える者はいるはずだ。
俺も魔力はあり過ぎているぐらいなので、幾らでも作れそうだ。
﹁馬の足止めは分かりました。ですが、馬の足止めをどう利用する
のですか。と言うより、どう奇襲するのですか?﹂
ウルスラは副団長というだけあって、進行が早いし、聞くべき質
問はちゃんと聞いている。
396
理解できない事があるのであれば、ちゃんと聞く。
これは大事な事だろう。
﹁奇襲は遠距離攻撃で行います。弓や魔術で、軍の進みが止まって
いる所に撃ちこめば、かなりの数をそこで減らせます﹂
﹁数を減らしたところを正面から叩くんだな?﹂
一人の冒険者が俺に尋ねた。
正面から、というのは間違っていない。
だが、それでは確実ではない。
﹁正面と、側面です﹂
﹁側面?﹂
﹁はい。兵の配置はこの様にします﹂
俺は地図の上に乗っていたペンで、盗賊軍の進行先に﹃U﹄の字
を書いた。
そして、Uの少し上に、ぎざぎざの線を書く。
﹁この陣形の前線、つまりは北部に弓兵と魔術師を配置して、奇襲
をかけます。そして、罠を突破した軍は曲線の内側に進み、僕達の
前方と側方からの攻撃を受けます。どうでしょうか?﹂
俺が言葉を終えてから、しばらくしたが、部屋は静かなまま。
誰も口を開かない。
作戦のシミュレーションでもしているのだろうか。
﹁⋮⋮賛成です﹂
﹁ああ、これで良いだろう﹂
﹁うむ。念には念を入れ、壁上にも百人程待機させるべきだろう﹂
397
﹁門の外と内にも守りを入れるべきだ﹂
﹁北だけではなく、東西南の門も、念の為、警戒した方が良い﹂
皆、俺の作戦に賛成したのか、念入れの話をし始めた。
まぁ、反対が無いのなら、それはそれでいいんだが。
その後、会議は落ち着いた雰囲気のまま終わった。
結果として、東西南北、全ての門に兵を配置する事になり、それ
以外の兵は、陣形に加わるという事になった。
国内からの攻撃も考慮し、国内の警備は冒険者に依頼するとも話
していた。
念には念を入れるべきだから、正しい選択だろう。
会議の後は、団長と副団長が、冒険者と騎士団員に作戦の内容を
説明し、解散という形になった。
集合は明日で、冒険者の半数が集まり次第、罠の設置を開始する
のだそうだ。
俺は宿へ戻り、水浴びをしてからフィギュアを作成し、眠りにつ
いた。
398
はじめての一級依頼・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、何でも何時でも歓迎しております。
399
よろしい、ならば戦争だ・前編
六日後、予測通り、明日には盗賊軍が到着するという知らせが入
った。
俺たちの準備は万端。
兵の配置は完了済み、陣形も既に取り、配置された兵はその場で
キャンプをしている。
テントは張れないので、魔術師が石造りのシェルターを作り、そ
の中で寝る形となった。
俺は寝る前にウルスラに呼ばれ、ウルスラのシェルターに入る。
中にはウルスラを含め、四人の女性がいた。
誰もが鎧を着ている。
たしか、女性はほとんどを壁内の警備に回しているはずだったの
だが。
﹁今晩は﹂
俺はフードを外して、挨拶をした。
﹁呼び出しに応じて頂き感謝致します、シャルル殿﹂
ウルスラ副団長は堅苦しい喋り方をする。
でも、嫌いじゃない。
それも、一つのエロスだ。
﹁この三人は護衛です、気にしないでください﹂
そう言われたので、俺は護衛三人に軽く会釈をする。
400
﹁さぁ、座ってください﹂
ウルスラは部屋の端にある椅子を引いて、俺を机の前に座らせる。
机の上には紅茶が置かれてあり、湯気が立ち上っている。
﹁シャルル殿の分も用意致します﹂
﹁ありがとうございます﹂
ウルスラが護衛の一人に一瞥すると、護衛が反対側の机に置かれ
ているカップに茶を入れて、俺の前に置いてくれた。
﹁ありがとうございます﹂
﹁熱いので、お気をつけ下さい﹂
そう言って護衛がカップを置き、元いた場所に戻った。
堅苦しいな、本当に。
上司も堅苦しければ、部下もそうか。
グスタフみたいに、ひょうひょうとすれば良いのに。
﹁では、本題に入ります﹂
ウルスラは紅茶を一口含んでから言った。
﹁私は単純に、貴方に興味があります﹂
﹁ん?﹂
目を見て真っ直ぐと言われたので、思わず吹き出しそうになる。
俺に興味があるって、うーん、俺にそんな要素は⋮⋮あり過ぎた。
あり過ぎだよなぁ、ガキの癖に戦に口出しするんだもんなぁ。
401
それは、興味も持つよな⋮⋮。
﹁失礼でなければ、質問をしても宜しいですか?﹂
﹁ええ、もちろんです﹂
﹁種族は人間だと、団長からお聞き致しました。あれは誠ですか?﹂
﹁まぁ、事実です。良く勘違いされますが、純な人間ですよ﹂
俺が答えると、ウルスラが腕を組んだ。
目をつむって何かを考えているようだ。
﹁では、次の質問をしても宜しいですか?﹂
﹁はい、聞かずにどんどんしてください﹂
﹁承知致しました。その黒い髪は地毛でしょうか?﹂
﹁まぁ、はい、地毛ですね﹂
﹁さ、触っても、いいでしょうか?﹂
この質問は意外だ。
厳しそうな見た目に、堅苦しい性格の女性がこんな事を聞くとは
な。
だが、美人に髪を触られるのなら、本望という奴だ。
﹁もちろんです﹂
俺が笑顔で答えると、ウルスラは恐る恐るといった感じで、俺の
頭に手を伸ばす。
俺の頭に手を乗せると、口元が緩んだのが見えた。
﹁乗せるだけですか? 好きにしていいですよ﹂
﹁す、好きに⋮⋮ですか? で、では、撫でても、宜しいでしょう
か?﹂
402
﹁勿論です﹂
俺が答えると、ウルスラはゆっくりと、手を左右に動かす。
子供が好きなのかもな。
普通、ここまで嬉しそうにしないし。
今のウルスラの表情は、猫を撫でる猫好きという感じで、何時も
の表情からは考えられない程に緩んでいる。
しばらく撫でさせてあげたが、止まる気配がない。
護衛達も、苦笑を浮かべ始めている。
こ、これは、副団長としての威厳が危うい。
﹁あの、ウルスラさん⋮⋮?﹂
﹁も、もう少しだけ、もう少しだけ、お願いします⋮⋮! これだ
けで明日は一日中働けそうな気がするんです!﹂
﹁は、はい﹂
気迫に押された俺は、されるがままとなった。
別に嫌では無いし、問題はない。
これで一つ、ウルスラに貸しを作れるな。
⋮⋮我ながら、考え方が汚いな。
結局、護衛が声を掛けてくれたおかげで、我を取り戻したウルス
ラは、俺に何度も謝った。
俺は苦笑気味に﹁いいですよ﹂と何度も言うのだが、何時か謝罪
させてくださいと言われたので、﹃貸し﹄を作る事にした。
騎士団の副団長に貸しを作れた事には、満足できる。
403
﹁それでは、おやすみなさい﹂
結局、用事はそれだけだった様で、俺は挨拶をしてシェルターを
去った。
俺が向かう先は、自分のシェルターだ。
ウルスラは後方に配置され、俺は奇襲兼側面攻撃部隊に配置され
た。
まぁ、魔術が使える事を考えれば、普通だろう。
俺は剣術戦よりも、魔術戦の方が優れていると思うし。
それに、軍が攻めてくるって事は、派手な魔術を使えるって事だ。
人を殺す事に抵抗が無い、と言えば嘘になるが、殺さなけりゃ殺
される。
これは昔に割り切ったことだから、大丈夫だとは思う。
前方まで戻った俺は、自分のシェルターに入り、石造りの寝台に
腰を下ろす。
硬い場所で寝るのは、何時の間にか慣れていたので、問題はない。
俺は剣を懐に抱えて眠りについた。
︱︱︱︱︱︱
翌日、戦が始まる。
シェルターは全て粉々になり、元の平地に戻る。
敵の距離が近くなったら、斥候が高速で戻ってきて、伝達をする
手筈だ。
404
数十分待って、昼前に斥候の姿が見える。
斥候が奇襲部隊の最前線に何かを告げ、後方まで一気に伝わって
いく。
数分もすれば、姿が見えるようになるとの事だ。
﹁来た﹂
敵軍の前衛の姿が見えた途端、攻撃が始まる。
敵軍に向かって飛んで行くのは、魔術や弓。
そして、遠くからでも分かるように、杭によって進軍を妨げられ
ている様だ。
その間に、弓や魔術で人が倒れていく。
開始早々、こちらはノーダメージで、相手にダメージを与えられ
た。
転がる馬や人の死体と杭を抜けて、次の部隊が攻めてくる。
それにも魔術と弓の雨を浴びせる。
だが、向こうの進軍は止まらない。
前が倒れれば、新しく後ろから現れ、それが倒れても、また現れ
る。
やはり、数というのは侮れない。
俺は手を掲げ、空中に銃弾を作る。
弾数は五百。
流線型の弾丸に、回転を加える。
音速での一斉射撃。
風を切る音と共に、弾丸が俺の上から消える。
今のでどれくらい仕留める事が出来たのかは分からないが、少な
くはないと思う。
405
魔力は温存したいので、範囲魔術は使わない。
魔力が尽きれば、魔術は使えない。
つまり、俺も剣で攻めるはめになる。
剣での殺生はあまりしたくないものだ。
死体の山を越えた盗賊軍は、かなり血の気に溢れている。
怒号の声は徐々に大きくなり、距離も縮まっていく。
そして、遂に、盗賊軍の前衛が奇襲部隊を通過した。
奇襲部隊は側面攻撃部隊へと変わる。
盗賊軍の前衛を側方から攻め、次々と倒していく。
俺は銃弾の雨を振らせ、時々、﹃氷槍﹄を使う。
盗賊軍が後方部隊︱︱騎兵部隊、歩兵部隊と接触したと、伝達が
入る。
此方の軍にも被害が出ているようだが、目に見える限り、盗賊軍
は劣勢だ。
だが、それは目に見える限りでしかない。
実は盗賊軍も﹃三部隊に別れての、前と左右からの攻撃でした﹄
なんて落ちだったら、此方も拙い。
そちらの警戒にも兵を回しているが、来られてしまえば、余裕で
はなくなる。
数時間の攻撃を続け、盗賊軍の勢いが落ちる。
先ほどまで突撃ばかりの奴等だったが、中には退却しようとして、
後方から来る味方に潰されている奴等なんかも目に入る。
それを見るからに、リーダー格は上手く統御できていない様だ。
406
まぁ、所詮はただの盗賊の集まりだったという事だ。
俺は止むこと無く銃弾で攻撃していたが、魔力が半分以上は残っ
ている。
不思議と疲れを感じないのは、集中しているからだろう。
敵の攻撃が当たらないよう、注意しながら、相手を攻撃する。
こういう動きは簡単に聞こえても、やるのは難しい。
そんな時、俺の隣で戦っていた魔術師が倒れた。
頭に剣が刺さっている。
おそらく、自棄になった盗賊が投げた物だ。
飛んでくる剣にも注意しないと、俺も今の様に終わる。
俺は死んだ魔術師の、開いたままの眼を閉ざしてやった。
戦況はこちらが優勢。
かと言って、先ほど倒れた魔術師の様に、犠牲者が少ないわけで
もない。
俺達に今、出来る事は、早くこの戦いを終わらせること。
敗北ではなく、勝利で。
﹁怯むな! 押せ! 押せ!﹂
盗賊が叫ぶ。
﹁俺達が落とすは王国! あと少し前進した先にあるものだ!﹂
一人の盗賊が叫ぶと、周りの者も雄叫びを上げ始めた。
勢いを取り戻しつつあるが、こちらの陣形は崩れない。
しかし、魔術師達の魔力は切れ始めている。
俺は平気だが、側面からの攻撃が減ると同時に、向こうも突撃の
407
勢いを取り戻してしまう。
弓兵には頑張ってもらっているが、魔術師にも頑張ってもらわな
いと困る。
いざとなったら、俺も範囲魔術を使う事になるが、それは避けた
い。
味方も巻き添えにする事は、避けられないのだ。
俺は弾丸を撃ち続ける。
夕刻、盗賊軍が下がり始めた。
勝算を無くして、撤退しようとしている。
だが、此方の攻撃は止まない。
今度は、側面と後方からの攻撃を盗賊軍が喰らう。
向こうも反撃をしてくるが、やはり勢いはない。
まぁ、ここまで押されれば、逃げたくもなるだろう。
だが、逃しはしない。
俺達の攻撃は止まらないのだから。
そんな時、一人の目立つ奴を目にした。
盗賊なのに、黒色の鎧を着ている。
奴の手には、大剣が握られていて、血で塗れている。
馬に乗っていないから、馬はやられたのだろう。
だが、見るからに、盗賊軍の討伐数は、こいつがトップだ。
鎧には傷ひとつ無く、返り血だけが付着している。
劣勢だというのに、笑っている。
おそらく、こいつは地位の高い奴だ。
俺は奴に向かって銃弾を浴びせた。
408
だが、鎧に届いた銃弾は、全て粉々になった。
﹁なんだ?﹂
初めての体験に、首を傾げる。
竜の鱗にも埋まるような銃弾が、鎧程度に粉々にされた。
﹁もしかして⋮⋮﹂
もしかすると、対魔術鎧か?
RPGにも、魔力を無効化する鎧は出てくる。
それを、こんな場所で目にするとはな。
なら、あいつを倒すには、物理しかない。
俺は確信を得るために、もう一度銃弾を放ったが、結果は変わら
なかった。
黒鎧は、近づく騎士と冒険者を次々と切り捨てていく。
鍛えられた騎士に、一級以上のベテラン冒険者を切り捨てる。
それは、簡単なことじゃない。
それが出来るあいつは、強い。
﹁援護お願いします!﹂
俺は剣を二本抜いて、黒鎧に向かって走った。
途中で襲ってきた盗賊は、殺さない程度にあしらった。
俺の援護をしてくれる人が、俺の道を開けてくれる。
俺を視界に捉えた黒鎧は、大剣を振るった。
地面に這うようにして避け、大振りの隙を狙って一気に距離を詰
409
める。
ヘルムまで着けているから、厄介だな。
﹁しっ﹂
鎧に剣を振るが、当然の事、剣は弾かれた。
ヘルムの隙間を狙い、突きを繰り出すが、頭だけで避けられる。
そして、次の攻撃が飛んでくる。
余裕を持って躱し、再度、隙を狙って剣を振る。
今度は、膝を狙った。
勿論、ここにもアーマーがあるが、衝撃で足を折るのを目的に、
思いっきり剣を叩き込んだ。
だが、金属音と共に、俺の剣が弾んだ。
今気付いたが、ヘルムに隙間があるのなら、剣を使う必要性は無
くなるんじゃなかろうか。
ヘルムの隙間を狙って、魔術で細い針を飛ばす方法がある。
五十も撃てば、一つは当たるだろうよ。
思いつけばすぐだ。
五十の氷の針を形成し、高速で飛ばした。
だが、おかしな事に、俺の飛ばした針は全て散った。
ヘルムの隙間も見逃さず、魔術を打ち消すってのか。
強いな。
だが、その方がいい。
面白みがある。
銃弾と爆発で死ぬドラゴンなんかよりは、面白いかもしれない。
俺は剣を一本、鞘に収めた。
410
一本の剣を両手で握り、相手の攻撃を誘った。
向こうは、防御力による過信のせいで、考えも無しに斬りつけて
くる。
俺は右から飛んでくる剣を、屈んで躱す。
屈んだ時の力をバネの様に利用し、右脚で地面を蹴って、左脚を
軸に、一回転した。
﹁っらぁ!﹂
強撃系の剣術流派、雷霆流の、今の俺が使える最強の技を使った。
遠心力を利用し、全体重を剣に乗せる技﹃雷霆刃﹄だ。
流派の名前をそのまま付けただけの技名で、単純な動作だが、威
力は大きい。
普通にビンタするのと、回転した勢いを乗せてビンタするのとで
は、痛みが違う。
俺の放った雷霆刃は、黒鎧男のヘルムを捉えた。
残念ながら、ヘルムが割れる事はなかった。
だが、罅が入った。
俺の最初の狙いは罅を入れる事ではない。
ヘルムが揺れたせいで、男の頭も同時に揺れる。
その時、ヘルムに頭を打ち付ける。
体が倒れる程の衝撃だ。
脳震盪ぐらいにはなる。
黒鎧は地面にドサリと倒れこんだ。
今は動かないが、後でまた動き出すだろう。
俺はヘルムの罅に向かって、もう一度、雷霆刃を放った。
411
ヘルムは罅から割れていき、男の顔を露わにする。
気絶しているので、相手の抵抗はない。
俺は気絶した黒鎧の男を陣形の中まで引きずり、近くに居た騎士
の数人に、殺さずに本部に持っていくように伝えた。
何故、最初に気絶させる事を目的としたのかと聞かれれば、答え
は一つ、確実に倒すためだ。
罅が入ったのは、俺が技の威力を把握しきれてなかった為に起こ
ったハプニングだ。
まぁ、結果オーライだ。
もしも、気絶する事がなかったら、相手の油断は消える。
﹃奴には鎧を壊す手段がある﹄という考えが浮かべば、相手も本気
を出さずにはいられない。
あの大剣を振り回し、何人もの鎧を着た騎士と、百戦錬磨の冒険
者を狩ったのだから、弱くはないはずだ。
手こずる可能性も増加する。
それもそれで面白いのだが、今は戦の途中。
そういうのは、一対一の決闘でやりたい。
﹁ふぅ︱︱﹂
気を抜いて、息を一つ吐いた瞬間、俺の左腕が落ちた。
血が溢れ出てくる。
痛いを通り越して、熱い。
熱した鉄を押さえつけられている感覚だ。
﹁あぁぁああぁああぁあぁぁ!!﹂
俺は激痛に咆哮した。
412
よろしい、ならば戦争だ・後編
俺の腕を切り落としたのは、敵の盗賊だ。
反った剣で、俺の左腕を切ったのだ。
俺は激痛に表情を歪めていることだろう。
上腕から下は地面に転がっている。
﹁いてぇ⋮⋮!﹂
俺は、俺の腕を斬り落とした盗賊を睨みつける。
右手に一つの弾丸を形成、そして発射。
弾丸は奴の胸を貫き、奴は倒れる。
﹁⋮⋮ん?﹂
左腕を確認すると、元通りだった。
袖は無いのだが、腕がちゃんとある。
先ほどまで地面に転がっていた腕は、消えていた。
⋮⋮まぁ、あれだ。
吸血された時の副作用だ。
そういえば、今の俺は腕一本持って行かれても、元通りになるん
だった。
突然の出来事に忘れていました、てへぺろっ。
しかし、治ったは良いにせよ、俺が腕を切られて、痛みを味わっ
た事に変わりはない。
俺の油断が招いた事だ。
戦において、気を緩める事で死する事もありうる。
413
次からは気を付けなければならないだろう。
これは今回の反省点だ。
俺は立ち上がって、戦闘に参加する。
銃弾を作って放つだけの、単純作業。
それでも、助けになるのだから、無駄ではない。
︱︱︱︱︱︱
空が完全に橙色に染まった頃、戦は終わりを告げる。
敵の軍に立ち上がる者がいなくなった。
つまり、俺達は勝利したのだ。
だが、まだ気を抜いてはいけない。
不意打ちとかもあり得るのだから。
とりあえず、俺達奇襲部隊は、後方へと下がる。
本隊に合流して、騎士団長の決断を耳にしなくてはならない。
戦闘に参加した部隊を撤退させ、他の部隊に警戒網を巡らせて任
せるのが、俺的にはありがたいのだが。
﹁シャルル殿、お疲れ様でした﹂
﹁おお、ウルスラさん、昨夜ぶりだというのに、懐かしい感じがし
ます﹂
﹁私もです﹂
414
本隊と合流し、ウルスラと挨拶を交わした。
ウルスラは断りなく、俺の頭を撫でている。
そんなに気に入ったのかね、この娘は。
﹁して、今後の事ですが⋮⋮一先、戦闘に参加した方々は休ませ、
他の者達に警戒を任せるという事になっています﹂
﹁わかりました﹂
俺の望み通りだ、ありがたい。
﹁シャルル殿もお休みになられてください﹂
﹁では、お言葉に甘えて、失礼します﹂
﹁ああ、シャルル殿、三日後の正午に騎士団本部への訪問をお願い
してもいいですか? 本日、戦闘に参加した皆さんに声をかけます
が﹂
﹁もちろんです。では﹂
俺は頭を下げてから、王国へ戻る事にした。
正直、疲れている。
魔力はまだ残っているのだが、精神的に来るものがあった。
早く宿に戻って寝たい、そんな気分だ。
宿に戻った俺は、水浴びをした。
﹃水浴び﹄と一言で片付けていた事だが、説明すると、魔術でお湯
を作って、桶にためて、体を流している。
普通は水しか使わないのだが、俺の場合は無詠唱ですぐに出せる
ので、こっちの方が良い。
自分の家を買う機会があれば、風呂場とかも作ってしまおう。
415
宿に風呂は無いからな。
水浴びを終えた俺は、髪を温風で乾かして、ベッドに倒れ込んだ。
剣の手入れは明日の朝やろう。
にしても、あの鎧の男は固かったな。
もっと他に、スムーズに倒せる方法があったかもしれない。
俺は、今日の出来事を振り返りながら、眠りについた。
翌朝、怠い体を起こして、トレーニングに出た。
いつもよりは軽めのトレーニングだ。
あまり頑張り過ぎるといけないからな。
確か、ウルスラに呼ばれたのは二日後だったか。
それまでは特に用事があるわけじゃない。
街を適当にぶらつこう。
そう思って、俺は着替えて宿を出た。
街を歩いていて、思い出した。
スラム街の事を。
半年前、子供を追いかけて、偶然立ち入ったスラム街。
今はどうなっているのだろうか。
気になって、俺はスラム街へと歩を進めた。
細い裏路地を抜けて、光のある方へと出る。
そこには、前にあった光景が映っていた。
開けた場所で、左右に真っ直ぐ道があって、道端に数多のテント
が並んでいる。
人の数は多く、皆布切れの様な服を着ている。
416
俺は唾を飲んで、スラム街を見て回る事にした。
スラム街といえば、暗い雰囲気があるイメージだったのだが、意
外にも楽しそうだ。
子供たちは遊びまわっているし、大人たちも笑い合って、談笑し
たり、トランプをしたりしている。
皆、体は汚れているが、楽しそうだ。
﹁おい、ガキ、何処から来た、何しに来た。ここはお前の来るよう
な場所じゃねえぞ﹂
周りを見ながら歩いていると、一人の大男が俺の目の前に立った。
﹁いえ、少し、散歩をしていただけです﹂
俺が答えると、大男は眉を顰めた。
﹁こんな場所を散歩たぁ、物好きな奴だな。それとも、ここにいる
奴等を馬鹿にしに来たのか?﹂
﹁馬鹿に? いえ、違いますよ。世間知らずのクソガキが、世間を
知るために国を歩き回っているだけです﹂
﹁プッ、ハッハッハッハッ! そうか、そうか。まぁ、好きなだけ
観て行きな﹂
大男は友好的な笑顔から、威圧するような表情になり、﹁だが﹂
と付け加えた。
﹁ここにいる奴等に手を出した時には、クソガキだからって容赦は
しねえぞ﹂
﹁承知致しました﹂
417
俺が頷くと、大男はテントの中に消えた。
まぁ、元々、人をいじめる趣味なんてないし、馬鹿にするほど性
格は悪くない⋮⋮と思いたい。
﹁とりあえず、端から端まで回ってみるか﹂
呟いて、歩を進める。
俺がそんなに珍しいのか、道行く人が俺を見てくる。
居心地はあまり良くないが、視線には慣れている。
﹁︱︱けほっけほっ﹂
ふと、俺の耳に、子供の咳き込む声が聞こえた。
咽るとか、そういうのじゃない。
聞いたことのある、嫌な咳だ。
風邪や、そういう部類のもの。
だけど、この世界において、風邪を引いて咳き込むのを耳にする
のは、珍しい。
風邪なんて、治癒魔術で治せてしまうからだ。
早計な気がするが、スラム街という事もあるし、医者にも魔術師
にも頼れないのかもしれない。
どうしても気になるので、咳のするテントの方へ向かった。
﹁あの、失礼します﹂
﹁⋮⋮何方ですか?﹂
テントの中から、女性の声が聞こえた。
咳をしたのは、子供だ。
おそらく、この女性は子供の母だろうな。
418
﹁何方か、と聞かれれば⋮⋮そうですね、通りすがりの冒険者です。
少し気になる事があるので、入っても宜しいでしょうか?﹂
﹁⋮⋮どうぞ﹂
許可を戴いたので、俺はテントの中にお邪魔することにした。
テントの中には人物が二人。
一人は茶色の髪の毛の、少し窶れている女性。
一人は黒い髪の毛の、苦しそうに毛布の上に寝ている幼女だ。
女性は病気の子供の手を、固く握っている。
﹁⋮⋮どうも、初めまして、シャルルです﹂
﹁どんな人かと思えば、小さな冒険者だったのね﹂
優しい声が、俺の耳に響く。
こんな所にも母性溢れる人が⋮⋮辛いよぉ。
﹁は、はい、すみません、いきなりお邪魔して﹂
﹁いいのよ。それで、どんな用なの? シャルル君﹂
うっ、声を聞く度に胸が苦しくなるん。
リアナの方が膨よかだが、こちらの女性は何かでリアナを越えて
いる。
﹁せ、咳をするのが聞こえまして⋮⋮それで、不可解に思ったんで
す﹂
﹁うーん⋮⋮ほら、こんな場所でしょ? 頼れる物も人も無いの﹂
女性が笑顔で答えた。
まぁ、予想通りといった所か。
419
﹁少し、見せてもらってもいいですか?﹂
﹁でも、あまり近づくと移っちゃうかもよ?﹂
﹁大丈夫です﹂
﹁そう、貴方が大丈夫ならいいけど﹂
との事なので、俺は苦しそうに寝転ぶ幼女に歩み寄る。
額に触れ、思わず手を引っ込めてしまう。
思ったよりも重症だ。
汗も滝のように流しているし、息も荒い。
これをエロいと言う人もいるだろうが、実際目の前にすると、ど
うにもそうは思えない。
俺はもう一度、額に触れて、治癒をかける。
徐々に、幼女の息は整っていく。
熱も引いていくし、このままかけ続ければ、大丈夫だ。
﹁お、母さん⋮⋮﹂
幼女が声を発した。
吐息と咳以外の声を、初めて聞いた。
俺の治癒はちゃんと効いているようだ。
幼女の母は、目を見開いて、驚いている。
目尻に涙をためて、娘の手をぎゅっと握る。
﹁よし、後一日もすれば、良くなるとは思います﹂
俺は額から手を離して、茶髪の女性に告げた。
420
﹁シャ、シャルル君⋮⋮こ、このお礼は、一体、どうすれば良いの
か⋮⋮感謝してもしきれないわ﹂
﹁お礼はいりません。僕は手を添えて、魔術を使用しただけです。
まだ治ったという保証もないですから﹂
﹁いいのよ⋮⋮ありがとう、ありがとう﹂
茶髪の女性は、涙を流して、お礼を言った。
うーん、こういうのは苦手だ。
俺はやりたいようにやっただけだし、むしろ助けさせてくれた事
に感謝だ。
俺に幼女は見捨てられないのさ。
﹁では、また明日来ます﹂
﹁⋮⋮気を付けてね﹂
俺は一礼して、幼女と母のテントを出た。
俺はスラム街での散歩を続けた。
421
大人だからこそ、恋しいのだ
翌日、俺はトレーニングの後に、スラム街へと足を運んだ。
通りすがる人に挨拶をしながら、風邪を引いた子のいるテントへ
と向かった。
俺が﹁すみません﹂と声をかけると、幼女の母は﹁どうぞ﹂と言
って、俺を招き入れた。
俺がテントへ入るや否や、幼女の母は頭を下げてきた。
﹁昨日は本当にありがとう﹂
﹁いえいえ、本当に良いんですって﹂
お礼を何度もされるのは、あまり好きじゃない。
なんというか、照れくさい。
子供の方に目をやると、視線があった。
幼女は俺をじっと見つめたまま、動かなず、喋らない。
﹁自己紹介が遅れたわね。私はマリア、この娘はカレン﹂
幼女の母、マリアが、優しい声で名乗った。
ああ、あなたが聖母様だったか⋮⋮。
﹁マリアさん、カレンの様子はどうですか? 僕、ちゃんと治せて
ましたか?﹂
﹁見ての通り、もう元気よ﹂
マリアはカレンの頭を撫でながら答えた。
422
﹁そうですか、安心しました⋮⋮﹂
ほっとして、気の抜けた声が出てしまった。
うう、カッコ悪い。
﹁シャルル君は、不思議な子ね﹂
﹁何故です?﹂
﹁まるで自分の事のような、安心した表情をするんだもの﹂
マリアがくすりと笑う。
えぇ、嘘だろ。
そんな露骨に安心してたか?
うわぁ、﹃クールに去るぜぇ⋮⋮﹄みたいに終わらせたかったの
に⋮⋮。
﹁⋮⋮ま、まぁ、子供が好きなだけです﹂
﹁シャルル君も子供じゃない﹂
マリアが楽しそうに笑った。
その笑顔を見ただけで、俺の心は満たされた。
良いことをした、という事を実感した気がする。
それよりも、マリアさんの笑顔は、やばい。
どの位かって聞かれると、この人の為なら死んでもいいんじゃな
いかって思えるぐらいに。
胸が、きゅっとする⋮⋮。
もしかして:恋?
﹁その......ま、まりあさんお礼、が⋮⋮欲しいです﹂
﹁ええ、もちろん﹂
﹁⋮⋮あ、頭を⋮⋮な、撫でて欲しい、です﹂
423
どもりながら言った要求。
俺の顔が熱くなるのが分かった。
マリアは優しく微笑んで、俺の頭に手を乗せた。
そして、優しく、優しく、撫でてくれた。
﹁か︱︱っ﹂
出そうになった言葉を、飲み込んだ。
流石に、人の母を﹃母さん﹄と呼ぶのは、どうかと思う。
ていうか、俺はなんてイヤなやつなんだろうか。
ロリコンでマザコン、酷すぎるだろう。
﹁シャルル君⋮⋮?﹂
﹁はい?﹂
﹁どうして泣いてるの?﹂
気付けば、俺は目から酒を流していた様だ。
自分がマザコンでロリコンという、酷い性癖を知った嫌悪感から
来たのか、それとも、ただ、母が恋しいだけなのか。
俺には分からない。
けど、俺の目から酒が零れ続ける。
ああ、クソ、塩っぱい酒だなぁ⋮⋮。
﹁うぐっ⋮⋮うぅ⋮⋮﹂
聞こえたのは、嗚咽。
⋮⋮俺のものだった。
﹁⋮⋮よしよし﹂
424
嗚咽を鳴らしながら涙を流す俺を、マリアは優しく抱きしめてく
れた。
優しくて、暖かくて、懐かしい。
昨日会ったばかりなのに、そんな事を感じてしまう。
俺はしばらく、涙と鼻水を垂らしながら、マリアの胸で泣いた。
泣くだけ泣いた後は、恥ずかしくて帰ってしまった。
それも、逃げるように。
格好悪いが、俺はまだ子供だし、大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、その日は寝た。
翌朝になって、トレーニングをした後、スラム街に戻るかどうか、
考えた。
様子が気になるのと、恥ずかしくて行きたくないのとで、葛藤し
た。
結局は、どうしても気になって、行くことにした。
ここで行かなかったら、明日も、明後日も行けなくなる気がした
からだ。
真っ直ぐと、マリアのいるテントに向かった。
名を名乗って、テントに入ってすぐに、俺は頭を下げる。
﹁昨日はすみませんでした!﹂
数秒して、俺の頭に手が乗った。
誰の手かなんて、すぐに分かる。
マリアだ。
425
﹁顔を上げて。いいのよ、誰でも恋しいものはあるのだから。泣き
たい時は、泣けばいいの。我慢してたって、仕方ないじゃない﹂
俺は言われた通り、顔を上げた。
マリアは、優しく微笑んでいた。
﹁シャルル、私は何時でも、受け止めてあげるから﹂
その言葉で、涙がこみ上げてきた。
だが、二度目は無い。
俺は我慢した、自分の腿を抓って。
﹁ありがとう、ございます⋮⋮マリアさん﹂
﹁こちらこそ、ありがとう、シャルル﹂
マリアに礼を言われると、何だか照れる。
﹁⋮⋮お、お兄さん⋮⋮ありがと、ございます⋮⋮﹂
俺が口元を押さえてニヤけるのを我慢していると、カレンが怖ず
怖ずと礼を言ってきた。
﹁どういたしまして、カレンさん﹂
﹁うん、それじゃあシャルル、自分たちの事を話し合いましょう﹂
マリアの提案で、俺達は自分たちの事を話し合った。
俺は、五歳より前の記憶が無く、エヴラールと出会い、旅をして、
孤児院や獣人の森へ行った事を話した。
カレンは興味津々といった様子で、俺の話を聞いてくれていた。
426
俺の次は、マリアが話を始めた。
マリアは、冒険者をしていた夫を亡くしてから、スラム民になっ
たそうだ。
詳しい話はあまり教えてくれなかった。
話したくない事は聞くべきではない。
カレンはといえば、何も話さなかった。
始終無言で、話そうともしない。
ずっとマリアの背中に隠れていた。
まぁ、彼女からしたら、俺はただの不審者だから仕方がない。
﹁ごめんね、この娘、人見知りで⋮⋮﹂
﹁いえ、いいんですよ。では、話は後ほど﹂
俺は立ち上がって、マリアに一礼する。
﹁何処へ行くの?﹂
テントを出ようとする俺に、マリアが尋ねた。
﹁用事があります﹂
﹁そう、気を付けてね﹂
﹁はい﹂
俺はまた一礼してテントを出た。
正午に騎士団本部へ行かなくてはならない。
何処なのかは知らないが、聞けば教えてくれるだろう。
俺はスラム街を出て、表通りへと向かった。
427
一番最初に見かけた男の人に、道を聞く。
﹁すみません、騎士団本部は何処でしょうか?﹂
﹁あー、あれなら王城の隣だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺は礼を言って、客馬車を待ち、王城へと向かった。
男の言った通り、本部は王城の右隣にあった。
本部の前にも、番人がいる。
まぁ、当然だが。
﹁止まれ﹂
本部の前まで歩いた俺に、番人が声を掛けた。
﹁手首を﹂
言われて、俺は手首を見せてやる。
すると、男は頷いて、﹁通れ﹂とだけ言った。
仕事熱心なのは良いが、時にはヒューモアだって大事なんだぜ。
俺は本部へ入り、近くにいた人に、ウルスラの居場所を尋ねた。
どうやら、彼女は副団長室にいるようだ。
にしても、この騎士団本部、思ったより大きくない。
区役所と同じくらいだろう。
もっと立派な物を想像していたがな。
それに、武器は預けさせられると思っていた。
本部という場所に、武器を持った人を入れるとか、現代社会じゃ
考えられないぞ。
428
少し落胆した俺は、案内のもと、副団長室へと足を運ぶ。
ノックをして、﹁シャルルです﹂と名乗ると、ドアはすぐに開い
た。
﹁どうぞ、シャルル殿﹂
ウルスラが無表情のまま、俺を招き入れる。
今は仕事モードか。
まぁ、部下の前では威厳を保ちたいのだろう。
彼女にも、立場というものがあるのだし。
副団長室は、アメリーのいた院長室を一回り大きくした様な部屋
だ。
家具の配置なんかも、ほとんど一緒。
﹁どうぞ、お座りください﹂
部屋を見回していると、ウルスラが促した。
俺はウルスラと対面するようにソファに腰を下ろす。
﹁用件はなんですか?﹂
﹁早速ですか﹂
﹁洒落た冗談でも言ったほうが良かったでしょうか﹂
﹁いえ、結構です。こちらも早めに用件は済ませておきたいので﹂
﹁僕はもう少しウルスラさんと居てもいいと思っていますけどね﹂
﹁う⋮⋮い、今は勤務中ですので、その⋮⋮﹂
冗談だったのだが、ウルスラは目を泳がせて動揺している。
意外と初なのか、この人。
429
それとも、子供に弱いだけなのか。
そうすると、彼女はショタコンという事に⋮⋮。
﹁まぁ、冗談です﹂
﹁⋮⋮こほんっ、えー、今回の用件は、報酬についてです﹂
切り替えが早くて助かる。
流石は副団長だ。
後は、俺の言葉に動揺を見せなければ、満点なんだが。
﹁今回、シャルル殿には、策を提案した分の報酬を加算致します。
あの陣形は強力なものでした。あれが無ければ、負けていた可能性
さえあったでしょう。ですので、他の方々よりも報酬は高めです﹂
﹁それは何だか、ずるい事をしている気分ですね﹂
﹁功績を残した者が他の者よりも多く貰うのは、当たり前の事です。
﹃自分だけ﹄と心配しておられるのであれば、気にしないでくださ
い。他にも、盗賊を狩った人数が多い者等に高めの報酬を与えるつ
もりですので。まあ、シャルル殿の報酬が一番高くなる事に変わり
はありませんが﹂
実績をあげた者が、実績の分だけ褒美を貰える。
何処の世界でも変わらないな。
﹁ちなみに、どれくらいでしょうか?﹂
﹁金貨五百枚になります﹂
﹁ご、五百⋮⋮﹂
﹁はい。今回の依頼は、死傷者が把握しきれない程出ました。それ
だけ難易度の高い依頼でしたので、このぐらいには成りますでしょ
う﹂
430
五百万円。
この世界においては、高い。
日本では、﹃百万なんて一ヶ月で無くなるんだよ﹄と言われてい
るが、この世界で万の単位は大きい。
ドラゴンを売った時のお金とも合わせて、俺の預金額は金貨千七
百枚になる。
買いたいものを、買いたい放題だ。
﹁それから、魔術無効化鎧の盗賊を捕えた報酬も御座います﹂
﹁ああ、あれですか⋮⋮﹂
俺が剣術で倒した、魔術を無効化する黒鎧を着た奴だ。
俺が倒したから俺が報酬を貰うのか。
﹁こちらは懸賞金の掛かっていない盗賊でしたので金貨二百枚にな
ります﹂
﹁分かりました﹂
懸賞金が掛かっていなくても二百枚か。
それだけ強い奴だと判断されたんだな。
実際、そこまで強くなかったのだが。
﹁冒険者協同組合への預金額への追加という形で問題無いですか?﹂
﹁はい、寧ろそれがいいです﹂
﹁畏まりました。本日中には、振込が終わるかと﹂
﹁本日中って、随分と早いですね﹂
﹁はい、我々は⋮⋮金持ちですので﹂
ウルスラが苦笑気味にそう言った。
彼女の性格上、堂々と言えることでもないんだろうな。
431
俺だったら﹃富豪ぞ? 我、富豪ぞ?﹄とか言うかもしれないが。
﹁なるほど、分かりました。では、宜しくお願い致します﹂
﹁はい、お任せ下さい﹂
俺とウルスラは立ち上がって、握手を交わした。
予想外の柔らかさに、思わず俺の口元が緩む︱︱のと同時に、ウ
ルスラの口元も綻んだ。
﹁し、失礼しました﹂
ウルスラが口元を隠して謝ってきた。
顔は真っ赤になっている。
﹁いえ、良いんですよ。ウルスラさんの手も柔らかくて、温かかっ
たので﹂
﹁そ、そうですか⋮⋮こほんっ、それでは、また何時か逢う日を楽
しみにしています﹂
ウルスラが軽く頭を下げた。
俺も頭を下げて、副団長室を出る。
市場へと戻ってきた俺は、食べれる物を大量に買った。
魔術で手押し車を作って、そこに食料を積み上げて、運んでいる。
向かう先は、スラム街。
子供たちが盗みを働いている事から、食べ物は盗んでいる物がほ
とんどなのだろう。
432
畑をつくれる環境でもなかったし。
それに、スラムを見て回った時も、畑らしき物は見当たらなかっ
たからな。
きっと、余計なお世話だとか、色々言われるに違いない。
でも、俺は助けてやりたい。
子供が盗みなんて、俺が現代人だったから﹃いけない事だ﹄と感
じているだけで、きっと、この世界でスラム街の子供が食べ物を盗
むのは﹃普通﹄なんだろう。
だから、俺のやっている事は、お節介だ。
悪く言えば、迷惑だ。
だが、やっぱり子供に盗みなんて、して欲しくない。
そんな事を考えながら、スラム街に到着した。
まだ、配ったりはしない。
まずは、マリアに相談だ。
彼女が止めてと言うのなら、俺は止める。
﹁いいんじゃないかしら、皆喜ぶと思うわ﹂
だが、マリアがくれた答えは肯定的なものだった。
そんなマリアに、食べたいものを聞いた。
マリアは柔らかい笑顔で、﹁麺麭と林檎を二つ、お願いできる?﹂
とオーダーした。
俺は注文通り、テントの外に置いてある手押し車から取った麺麭
と林檎をマリアに手渡す。
﹁もう一つは、カレンにお願い﹂
﹁分かりました﹂
もうワンペアは、カレンに渡した。
433
﹁⋮⋮ありがと、ございます﹂
﹁いえいえ。水も飲みますか?﹂
﹁⋮⋮は、はい⋮⋮お願い、します﹂
俺は頷き、魔術で湯飲み茶碗を作り出し、そこに魔術で水を注ぐ。
水魔術の水が飲めることは、検証済みだ。
味は、水道水。
﹁マリアさんも如何です?﹂
﹁お願いします﹂
マリアにも同じ様に、水をあげた。
﹁では、僕は中央にいますので、まだ欲しかったら来てください﹂
﹁分かったわ﹂
俺はテントから出て、手押し車をスラム街の中央まで押した。
魔術で土台を作り、小さい背をカバーする。
﹁らっしゃっせー! シャルル商店っせー! 無料っせー!﹂
俺が魔術で作ったメガホンで、人が集まるように声をかける。
が、皆不審がって近寄ろうとしない。
仕方がない。
﹁へい! そこの兄ちゃん! 林檎いりゃっすかー? へーへー、
どーぞー!﹂
俺は横を通り過ぎた男に、林檎を投げ渡した。
434
次はあそこのオジサンに。
そして、お姉さんに。
通りゆく人たちに、食べ物を渡した。
﹁おいガキィ! 何してる!﹂
いくつか目の林檎を投げた時、俺に向かって怒鳴る声を耳にした。
435
得がなくてもやりたいならやる、そう決めた
﹁おいガキィ!﹂
俺に向かって怒鳴るのは、俺がスラム街に来た時に俺に注意を促
した大男だ。
大男はズカズカと俺に向かって歩いてくる。
拙い、トラブルだ。
漫画ではない、いざこざの方だ。
﹁何でしょうか?﹂
﹁何でしょうかじゃねえぞ! これは何の真似だ!﹂
﹁配給、ですかね﹂
﹁ふざけんな!﹂
土台に立つ俺の胸ぐらを大男が掴んだ。
まぁ、土台に立っていても、大男と同じくらいの高さにしかなっ
ていなかったし。
﹁最初に言ったはずだ、此処にいる奴等に手を出すなと⋮⋮!﹂
﹁手は出してませんよ。僕が投げた物を、彼らが受け取っているだ
けです﹂
﹁だから! それに毒とかが入ってる可能性もあるって言ってんだ
!﹂
﹁無いですよ。なら、僕が目の前で毒味しましょう﹂
俺は林檎を一つ手に取り、丸かじりした。
噛んで、飲んで、全部食べ終えた頃、大男は俺を手放す。
436
﹁悪かった⋮⋮﹂
﹁いえ﹂
﹁貧民街でこんな事する奴見たの、初めてだからよ﹂
﹁そうなんですか?﹂
﹁得のねぇ事は、誰もしねぇ﹂
なるほど。
ボランティアなんて、自分に利益が無いから糞食らえってか。
俺だって、前世ではボランティアなんてガキの頃したぐらいだ。
それか、鬱っぽくなった時に、海岸のゴミを拾ったりとか。
でも、やりたい事はやると決めた今、ボランティアぐらいしよう
と思える。
﹁僕は得、ありますから﹂
﹁⋮⋮何だ?﹂
﹁子供たちが、盗みをしなくなる。それだけで、俺の心は晴れます﹂
﹁プッ、ダッハッハッハッハッ! 面白いガキだな!﹂
﹁良く言われますよ、面白い事なんて言ってないのに﹂
﹁良く言われるだろうよ、お前は。まあいい、俺にも林檎、くれる
か?﹂
﹁どうぞ。薫製や野菜も、水もあります。欲しい人は来るように声
を掛けてくれませんか?﹂
﹁じゃあ、薫製と水を貰う。欲しい人、そりゃあ全員だろうよ﹂
﹁どうぞ。全員分あると思いますよ﹂
俺は予め作っておいた湯のみに、水を注いで、大男に手渡した。
﹁ありがとよ﹂
大男は礼を言って、周りの呼び掛けを始めた。
437
人はどんどん集まり、俺の動く手も早まる。
水を一々渡すのが面倒なので、水桶に水を溜めて、コップを作れ
るだけ作っておいた。
掬って飲んでください、ってね。
俺の買った食料は、どんどん消えていく。
果物も野菜も薫製も、なくなっていく。
水は俺の魔力に依存しているので、当分尽きることはない。
﹁よし、あなたで最後ですね﹂
最後に俺から食べ物を受け取った少年は、俺に礼を言って去って
いった。
どうやら、全員に配り終えたようだが、食料は少しだけ余った。
﹁皆さん、これ、あげます。食べて下さい﹂
俺はパンと蜜柑とトマトだけを取り、手押し車を放置した。
皆が俺に礼を言って、頭を下げる。
俺はパンを食べながら、マリアのテントへ向かう。
﹁マリアさん、全員に配ってきました﹂
﹁おいで﹂
テントに入った俺に、マリアが手招きをした。
俺が近づくと、マリアは床を叩いて、座るように促す。
﹁えらいね⋮⋮﹂
マリアは柔らかい声で、そう言って、俺の頭を優しく撫でる。
438
﹁でも、こういうのは、今日だけ。良い?﹂
﹁何故です?﹂
﹁此処の人たちは、此処の人たちの力で生きていかなきゃいけない
から﹂
﹁⋮⋮ですが﹂
﹁子供たちに盗みをしないよう、ちゃんと言っておくから﹂
﹁⋮⋮分かりました﹂
ここまで言われては、仕方がない。
それに、マリアに逆らえるとは思ってない。
﹁でも、困っている人がいたら、助けるのよ? 私も、シャルルが
困っている時は助けるから﹂
﹁はい﹂
俺が返事をすると、マリアがまた、俺を抱きしめた。
マリアの腕の中は、心地が良い。
徐々に眠くなってくる。
眠気が深くなっていく俺の耳に響くのは、マリアの優しくて温か
い歌声だ。
俺はマリアの腕に抱かれながら、意識を手放した。
︱︱︱︱︱︱
翌朝、俺は習慣となった早起きのおかげで、早朝に目を覚ます。
439
体を起こして、苦笑する。
どうやら、俺達は川の字で寝ていたようだ。
カレンが、俺とマリアの間で静かな寝息をたてて寝ている。
俺は二人を起こさないように、静かに立ち上がって、寝ている間
に外されたであろう俺の側にある剣を手に取る。
昨日は水浴びして無いから、しないといけないな。
俺はテントを出て、朝の澄んだ空気を吸う。
数度の深呼吸の後、表通りに出て、準備運動の後にランニング。
素振りと筋トレを済ませた後は、獣人の森で体術を習った頃にや
れと言われたストレッチをする。
もうストレッチというか、瑜伽だけどな。
﹁さて、宿に戻ろう﹂
呟いて、宿の方へと歩を進める。
宿のおっちゃんは早起きで、俺の姿を見かけると、挨拶をしてく
る。
俺は爽やかに挨拶を返すと、部屋に戻ってタオルと着替えを持っ
て、おっちゃんとの交渉へGOだ。
﹁オッチャン、裏庭使わせてもらってもいいですか? 貸し切りで﹂
﹁銀貨一枚﹂
﹁大銅貨五枚で勘弁﹂
﹁金持ちのガキがなーにケチってんだ﹂
﹁ガキから金を巻き上げるのもどうかと思います!﹂
﹁しゃーねー、大銅貨七枚だ﹂
﹁かしこまりー﹂
俺はポケットから大銅貨を七枚取り出し、おっちゃんに渡した。
440
﹃たかが大銅貨二枚の差、何が違うんだ。たった二百円だぞ。コン
ティニュー二回しか出来ねぇじゃねえか﹄と、そう考える人もいる
かもしれない。
だが、考え方がダメだ。
この世界においては、二百円の価値は﹃う○い棒二十本﹄になる。
﹃どっちも同じじゃねえか﹄と、そう考える奴もいるだろう。
だが、考えてもみたまえ。
同じ値段のパンツでも、女の子の履きたてと洗いたてじゃ、価値
が変わるんだ。
分かるか? う○い棒二十本とコンティニュー二回では、値段が
一緒でも、価値が違うんだよ!
何が言いたいかというと、こっちは物価が安いから二百円も中々
大きな金だって事だ。
小食な人なら、一日二百円で朝と晩の飯が食えるんだ。
お金の話は終わりにしよう。
裏庭に通された俺は、魔術を使って、人が三人寝れる程の幅と長
さ、そして膝下の高さの穴を掘る。
石で穴の底と側面、それと周りを固めた。
そして、火と水の混合魔術で、お湯を作り出す。
イメージとしては、四十度のお湯だ。
お分かりいただけただろうか?
そう、お風呂である。
俺は全裸になって、湯に浸かった。
﹁あぁぁぁ∼﹂
生き返るわ。
心の中で呟き、空を眺める。
441
青くて綺麗な空だ。
アダムに初めて会った時を思い出す。
あいつは元気にやってるだろうか。
それとも、退屈しているだろうか。
案外、あの空間からこっちが見れたりして。
ていうか、神様の補佐なんだからそれぐらいは可能だろうな。
﹁オッチャァァン!﹂
﹁なんだよ! 朝だぞ! うるせえな!﹂
﹁来てみてくださいよ∼!﹂
﹁ったく⋮⋮﹂
不満そうな声を漏らす割に、こちらに来てくれるオッチャン。
宿のおっちゃんはいい人ばかりだ。
﹁な、なんじゃこりゃ﹂
﹁お風呂ですよ、オッチャン﹂
﹁知ってるよ﹂
﹁入りますか、オッチャン﹂
﹁でもなぁ、これから客来るからよぉ﹂
﹁受付は娘さんに任せれば大丈夫ですよ、オッチャン﹂
﹁おお、その手があったな﹂
おっちゃんは掌をぽんと叩いて、宿の方へと戻っていった。
﹃おーい! 受付任せていいかー?﹂
﹃はァ? 自分でゃれょ!﹄
﹃小遣いは弾むぞ﹄
﹃マヂィ? ぢゃあ、やっちゃぉぅヵな﹄
﹃頼んだ﹄
442
オッチャンとオッチャンの娘との会話が聞こえる。
吸血される様になってから、魔力を体に巡らせなくても五感が鋭
くなった気がする。
耳だけじゃなく、目も凝らせば凝らすだけ、よく見えるし。
﹁よし、来たぞぉシャルル﹂
﹁いらっしゃいませ∼﹂
おっちゃんは早速、全裸になって湯に浸かった。
﹁あぁぁぁ∼﹂
やっぱりオッサン同士、同じような声を漏らす。
﹁どうです? 風呂は﹂
﹁何年ぶりだろうなぁ、最高だなぁ﹂
この世界の人は、お湯に浸かる事をしない。
しても、貴族の方々の娯楽や趣味の一部だ。
凡人に浴室を作るなんて勿体無い事は出来ないし、誰もが混合魔
術を使えるわけじゃない。
俺は無詠唱で出来るから、問題ないが。
﹁いやぁ、シャルル、おめぇ魔術が使えたのか﹂
﹁はい、使えますよ∼﹂
﹁へ∼、そりゃ便利だろうなぁ﹂
﹁便利ですよ∼﹂
俺達二人共、気の抜けた声で会話をしている。
443
やっぱり風呂はいいな。
最高だ。
そして、結構な時がたった。
⋮⋮まぁ、結果だけを伝えよう。
のぼせた。
444
ネトゲはソロじゃつまらない
数日後、ギルドに赴いた俺は、パーティに誘われた。
魅人、駆人、竜人と空人の四人のパーティだ。
ちなみに、この世界でパーティは﹃党﹄という。
党は、同じ階級の者同士でないと組めない。
だが、魅人の男が突然﹃お前、一級だろ?﹄と聞いてきた。
隠すことでもないので﹃はい﹄と答えると、仲間を引き連れて俺
を勧誘した。
俺は最初、断ろうかと考えたが、これも経験の内だと思い、承諾
した。
﹁駆人のケイっス!﹂
﹁魅人のアランだ﹂
﹁空人のダモン﹂
﹁竜人のルーカスだ! よろしく!﹂
俺の承諾を聞いた四人の男が名乗った。
茶髪の体育会系の男がケイ。
金髪の爽やかな男がアラン。
薄茶髪の無口そうな男がダモン。
そして、赤毛のボディビルダーの様な男がルーカスだ。
﹁人間のシャルルです。よろしくお願いします﹂
俺はフードを外すことも無く、挨拶をする。
ケイ、アラン、ダモン、ルーカスの順に握手を交わすと、早速酒
場に連れられた。
445
酒場にはあまり人がいない。
昼過ぎだからだろう。
昼から飲む奴なんて飲兵衛ぐらいだ。
﹁歓迎会は明日の夜だ。今はシャルルについて聞こうじゃないか﹂
皆がテーブルに着いてすぐ、アランが切り出した。
まあ、知らない奴とは組みたくないだろうし、当然だろう。
﹁僕の事と言っても、話すことなんてあまり無いですよ?﹂
﹁それでも良い﹂
﹁分かりました、では⋮⋮﹂
俺は五歳より前の記憶が無く、殺されかけた時に師匠に出会って、
修行をしながら旅をして、独立してから一級冒険者になった事を話
した。
孤児院や獣人の森の話、それとエヴラールの名前は伏せた。
向こうが俺の事を知らなかった様に、俺もこいつらの事を知らな
い。
まだ、探り合っている感じだ。
剣術と魔術が使える事も話した。
趣味は魔術で人形を作ること。
好きな食べ物はたくさんあるので伝えなかったが、嫌いな食べ物
は花野菜と答えた。
花野菜とは、ブロッコリーのことである。
将来の夢は色々あるから省略すると伝えた。
﹁今度は、皆さんの事を聞かせてください﹂
446
俺の言葉に四人が頷いて、アラン、ケイ、ルーカス、ダモンの順
に話をした。
アランは剣士で、現在二十三歳。冒険者は十二歳から始めたらし
い。
普通の家庭で育って、十四で独立。
その後は色々な人とパーティを組んで、一級まで上ったそうだ。
他の三人とパーティを組んだのは、四年前らしい。
ケイは戦士。
十九歳、冒険者は十歳から始めた。
冒険者を始めると同時に独立。
アランと出会うまではソロだったそうだ。
ルーカスは剣士。
二十六歳、冒険者は十二から始めた。
独立は十歳で、ケイと同じ。
ルーカスも、アランと出会うまではソロだったらしい。
最後は、ダモン。
ダモンも剣士で現在二十二歳。
冒険者は十五から始めた。
最初はパーティを組んでいたが、アランの方に移ったらしい。
﹁よし、こんなもんだろう﹂
ダモンが話し終えた後、アランが手を叩いて、何時の間にか頼ん
でいた骨付き肉を齧った。
俺の前にも、肉が置かれている。
話に夢中になっていて気付かなかった。
447
﹁この後は仕事に行こうと思う。どうだ?﹂
﹁いいんじゃないっスかね﹂
﹁そうだな、シャル坊の力も見てみたいし﹂
﹁異論はない﹂
アランの提案に、他の三人が賛同の声をあげる。
ていうか、ルーカスの奴、早速俺の事をシャル坊とか呼びやがっ
た。
そんな風に呼ばれたのは何年ぶりだろうか。
﹁シャルは、異論あるか?﹂
シャルって、略された。
まあ、いいけど。
﹁遠征じゃなければ、無いです﹂
﹁安心しろ、日帰りだ﹂
良かった。
遠征は駄目だ。
スラムの人たちに会いに行けなくなる。
﹁で、どんな依頼を受けるつもりですか﹂
﹁ホブゴブリンの群集を、俺達五人だけで殲滅する﹂
ホブゴブリンの群集、か。
王都の近くに湧くなんて、珍しいこともあったもんだ。
﹁何体ぐらいいるんでしょうね﹂
﹁さあ、依頼紙には五十以上見たと書いてある?﹂
448
﹁五十⋮⋮?﹂
異常だな。
ホブゴブリンは群れをつくっても少数だ。
五十なんて、普通じゃない。
﹁シャル、いけるか?﹂
﹁いけますよ﹂
﹁ほう﹂
俺が即答すると、アランが口角を釣り上げた。
﹁よし、決定だ。今から行くぞ!﹂
アランがテーブルに代金を叩きつけて言うと、他の三人も﹁おう
!﹂と返事をした。
すると、四人が俺の方に視線を向けてくる。
お前も掛け声上げろって事か。
仕方ないな。
﹁おう!﹂
︱︱︱︱︱︱
五人で酒場を出た後、俺達は王国を出て、王国の東隣にある平原
で寝転がった。
449
しっかりと整備されているのか、芝生はあんまり伸びてなくて、
寝心地は良い。
芝生の上で寝るのは、本当に気持ちいい。
獣人の森に行ってから日向ぼっこも趣味の内になった。
﹁あ∼、気持ち良い、眠い。ですけど、何で俺達は寝てるんですか
ね、アランさん﹂
﹁待ち伏せだ待ちぶせ。あいつら森にいるってんで、こっちにおび
き寄せてんだよ﹂
アランが言うには、森で戦うのはちまちまして面倒だから、平原
に出てきたとこを五人で潰すらしい。
ホブゴブリンホイホイだ。
﹁おっ、早速来たっスよ﹂
視力の良いケイが、ホブゴブリンの姿を捉えたようだ。
ケイの声を聞いた全員は起き上がって、戦闘の準備を始める。
俺は二本の剣を引き抜き、軽く振って、準備運動をする。
アランは背中に差している長剣を抜いて、横に構える。
ルーカスは大剣を地面に刺して、仁王立ちをしている。
ダモンは羽を使って、俺達の上空を飛び回っている。
ケイは武装をしていない。
動きやすそうな格好ではあるが。
俺が準備運動を終えた頃、ホブゴブリン達との距離は500メー
トル程に迫っていた。
すると、俺以外の四人が、群れに向かって切り込みに行った。
450
﹁えっ?﹂
一人置いてかれた俺は、間抜けな声を漏らしてしまった。
アランが手で、﹃来い﹄と合図を出している。
俺は剣を両手に群れに向かって走りだした。
走っている間に、勝手に陣形が出来た。
五人で広い﹃Y﹄の字を作っている。
右にルーカス、左にケイ、上空にダモン、真中にアラン、そして
アランの後ろに俺だ。
ホブゴブリン達との距離はどんどん短くなっていく。
そして、数十秒して、ケイとルーカス、それとダモンがホブゴブ
リン達と接触した。
ルーカスは大剣を振り回し、ケイが脚だけで敵を倒していき、ダ
モンは剣を刺す。
振り回された大剣は、ホブゴブリン共の体を切り裂き、真っ二つ
にする。
地面に残るのは、多数の上半身と下半身。
ケイの方は、派手とはいえないが、それでも倒し方が刳い。
脚で頭をふっ飛ばしたり、胸に窪みを作ったりして倒している。
ダモンは上空から頭を刺したり、切り裂いたりして、脳漿をまき
散らす死体をつくる。
俺がケイとルーカスを観察している間に、アランがホブゴブリン
と接触した。
ムダのない動きと剣捌きで、敵を綺麗に倒していく。
綺麗と表現したのは、ルーカスやケイがする様に、死体の損傷が
大きくないからだ。
451
胸や頭を一突きにしたり、喉を的確に、流れるように切り裂いて
行ってる。
涼しい顔でやるもんだから、数に威圧されたりしてないんだろう。
だから、ここまで余裕があるんだ。
なら、余裕のある俺も真似してみようじゃないか。
そう思って、アランの様にやろうとするが、走りながら、間合い
を取りながら、後ろと横に気をつけながら流れ作業をするのは、意
外と難しい。
ホブゴブリンだって素手じゃないし、攻撃して来ないわけじゃな
いんだ。
そして気になるのが、時々アランが俺をちら見してくる事だ。
こいつ、試してるな。
﹁チッ﹂
少しムカついて、思わず舌打ちをしてしまった。
﹁︱︱っしゃ!﹂
気を取り直して、俺はホブゴブリン達の急所を狙って剣を振るう。
喉、腕、腕、肩、頭、喉、腹、肩、喉、腕。
六回急所を外して、殺し損ねた。
感覚を掴んでいけばいい。
大丈夫だ、落ち着け。
喉、喉、肩、腕、肩、腹、頭、腕、腕、胸。
また、六回も急所を外した。
その次も、その次も、四回以上の当たりが出ることは無かった。
難しいな。
452
﹁シャル!﹂
そんな時、アランが俺の名を呼んだ。
そして、剣を振りながら俺にこう言った。
﹁殺すことを躊躇うな! 剣で肉を切る感触に恐れるな! 青臭い
ガキに冒険者は務まんないぞ!﹂
躊躇う? 恐れる? ハッ!
冗談抜かせ、俺は恐がってねえよ。
とうの昔に、この世界ではこういうもんなんだって割り切ってる
よ。
⋮⋮ったく。
﹁そんな事分かってますよ!﹂
﹁そうか! がんばれよ! 後輩!﹂
⋮⋮へいへい、頑張りやすよ、先輩。
そう心の中で返事をした後、俺は剣を握り直す。
そして、また、剣を振るった。
喉、喉、喉、頭、腕、頭、胸、肩、喉、肩。
今度は三回のハズレ。
再度、剣を振るう。
頭、頭、肩、喉、胸、喉、喉、腕、頭、頭。
今度は二回のハズレだ。
⋮⋮認めるのは悔しいが、俺は少しばかり躊躇ってのをしていた
453
らしい。
魔術だと、遠くからだったり、自分で感触を味わうわけじゃない
から直ぐに殺せるのだが、剣となると、肉を切り裂く感覚を剣伝い
に味わう。
だから、俺も心の何処かで躊躇していたんだろうな。
元は、俺だって、日本という平和ボケした国に暮らしていた一人
の社会人にすぎない。
﹃殺す﹄という行為に躊躇していたのは、仕方がないことだろう。
まあ、魔術で殺ってる時点で、純粋な常識人という訳でもなかっ
たのだろうな。
だから、アランの一言で、躊躇いを払う事ができた。
︱︱︱︱︱︱
三十分程、ぶっ続けで剣を振り回し続けて、ホブゴブリンの群れ
の殲滅に成功した。
エヴラールに体力トレーニングを散々されたせいか、あまり疲れ
てはいない。
それでも、手は震えている。
自分では分からないが、精神的に疲れたんだろう。
ここまで長時間、魔物を殺し続ける事はなかったし。
いや、孤児院にいた頃は三十体以上の魔物狩りをしていたんだが、
あれは休みも入っていたし、魔物に囲まれた状態じゃなかった。
それに何より、今まで狩りはほとんど魔術で行っていた。
ヴェゼヴォルにいた頃に相手にした魔物は剣で相手したのだが、
454
一日に数体会うか会わないか程度だったからな。
﹁シャル、おつかれ﹂
﹁お疲れ様です、アランさん﹂
死体で埋まった芝生に座り込んで、一休みしていた俺の肩にアラ
ンが手を乗せた。
﹁疲れたか?﹂
﹁体力的には全然﹂
﹁体力的には、か﹂
そう言うと、アランは俺の隣に座った。
他の三人といえば、ホブゴブリンの死体を集めている。
まとめて燃やすんだろう。
肉食の魔物をおびき寄せてもいけないからな。
﹁そういえば、シャル。どうして魔術を使わなかった? 使えるん
だろ?﹂
﹁まあ、使えますけど⋮⋮使うとつまらないから、ですかね﹂
﹁つまらない?﹂
﹁はい、五十体ぐらいなら、直ぐですよ﹂
これは本当だ。
ホブゴブリンはドラゴンの様に硬い鱗を持つわけでも、強大な力
を持っている訳でもないから、巨大な岩を何個か降らせればホブゴ
ブリンハンバーグでも出来るだろうな。
﹁ったく、﹃つまらないから﹄ってだけの理由で無理してたのか?﹂
﹁無理なんてしてません﹂
455
﹁はっはっ、嘘いえ。手が震えてんじゃねえか﹂
﹁む⋮⋮﹂
腕を組んで隠していたつもりだったが、アランには分かるようだ。
ったく、困った困った。
﹁ていうか、アランさんこそ、何で風魔術を使わなかったんですか
?﹂
魅人は風魔術を得意とする種族だったはずだからな。
﹁ん? それじゃあ︱︱﹂
アランは何時もの爽やかな顔で、こう続ける。
﹁つまらないだろ?﹂
456
ペナルティ・前編
あの後は冒険者協同組合で、依頼完了手続きをした後、明日の夜
に酒場で待ち合わせをし、解散となった。
俺は、特にする事もないので、スラム街へと足を運んだ。
最近では、皆が俺を見る度に笑顔で挨拶をしてくれる。
昨日なんか、スラムの子達と鬼ごっこをした。
両足を縄で結ばれるというハンデ付きだったが、楽しかった。
鬼ごっこなんて中学に上がってからやってなかったし。
マリアのテントの前まで来た俺は、名乗ってからマリアの返事を
待ち、中に入る。
中ではいつもの様にマリアが笑顔で座っていた。
その膝でカレンが寝ている。
俺はしゃがみ込んで、カレンの顔を覗く。
寝ていても起きていても、天使みたいな子だ。
今は閉じているが、普段はビー玉の様な綺麗な瞳をしている。
長めの睫毛は可愛さを引き立て、小さい口が子どもっぽさを強調
する。
透き通るような白い肌は見ただけで滑らかそうで、長い黒髪は艷
やかだ。
可愛いと綺麗を同時に兼ね備えた幼女、それがカレン。
カレンは時折、大人っぽい雰囲気を出す。
色気とかではなく、大人っぽいんだ。
何でも見透かすような眼をしている時がある。
何年も生きてきた様な眼をする時がある。
不思議な娘だ。
457
﹁そういえば、マリアさん、失礼な事を聞くようですが⋮⋮外には
出ないんですか?﹂
﹁ふふふ、何時か聞くと思ってた﹂
﹁ごめんなさい﹂
﹁ううん、いいの。そうねぇ⋮⋮私は外に出ないんじゃなくて、出
れないの﹂
﹁え?﹂
マリアは正座を崩して、脚を横に置いて、セクシーポーズの様な
状態になる。
その時にマリアが擦る部分を見て、俺の心臓が跳ね上がった。
﹁ま、マリアさんっ!﹂
﹁シー﹂
顔を寄せた俺の唇に、マリアが人差し指を当てた。
そ、それは反則だ⋮⋮。
って、それどころじゃない。
俺が思わず声を上げた理由は、マリアの踵骨腱が切られていたか
らだ。
﹁マリアさん⋮⋮一体⋮⋮﹂
﹁罰なの。仕方がない事だから﹂
﹁な、治します﹂
﹁ダメ。言ったでしょう? 罰だって﹂
﹁ですが︱︱﹂
﹁罪は、自分で背負うものなの。与えられた罰はしっかりと受けな
ければならないわ﹂
458
脚を正座に戻しながら、マリアが俺の言葉を遮った。
罪だとか、罰だとか、一体彼女の過去に何があったのかは知らな
い。
だが、これでは歩けやしないじゃないか。
踵骨腱、よく知られている方なら、アキレス腱。
アキレス腱は人体の中で最も大きい腱だ。
歩くために必要な腱なのだ。
﹁⋮⋮そんな悲しい顔をしないで、シャルル。私は外に出れなくて
も、幸せだから。貴方がこうやって毎日顔を見せてくれるだけで、
カレンがいるだけで、私は幸せなの﹂
そう言いながら、マリアは俺を抱きしめる。
深い慈愛に満ちた、笑顔と声と、抱擁。
俺はこれで癒やされた。
癒やされたんだ。
何かしてあげたい。
俺は、マリアに何かしてあげたい。
﹁んぅ⋮⋮﹂
そんな時、カレンが小さく声を漏らした。
俺はマリアから離れ、立ち上がる。
﹁それでは、少し外の空気を吸ってきます﹂
俺は一礼して、テントを出た。
気分転換をしようと、スラム街を歩きまわる。
子供が戯れ合う声、大人達が談笑する声、なぜだか全てが俺の耳
に入って来て、脳内でミキサーにかけたように混ぜ合わさって、吐
459
き気がした。
﹁おい! がきんちょ!﹂
がきんちょ。
俺をこう呼ぶのは、あの大男しかいない。
名前をバルドという。
俺は足を止めて、後ろに振り返る。
バルドがニカリと笑って立っていた。
﹁こんにちは﹂
﹁おう、どうだ調子は﹂
﹁まあ、普通です。そう言うバルドさんはどうです﹂
﹁俺は最高に気分が良いぜ﹂
﹁へえ、何かあったんですか?﹂
﹁ちょっと、遊びに勝ってな﹂
﹁まーた博打ですか﹂
﹁まあな﹂
そう言ってバルドはガハハと笑った。
﹁どうだ、がきんちょ、やらないか?﹂
バルドは俺の肩に手を置いて誘ってきた。
ここはハッテン場では無い。
だから、このやらないかは﹃博打をやってみないか﹄という意味
だ。
未成年の博打は禁止されているが、スラムでは関係のない事。
だから、俺は誘われている。
460
﹁子供を博打に誘わないで下さい。行きますけど﹂
﹁おっしゃ! じゃあ、俺は用事あっから! 夜に博打天幕で待っ
てるぞ!﹂
﹁はい﹂
俺が返事をすると、バルドは機嫌のいい足取りで、何処かへ行っ
てしまった。
博打天幕というのは、博打をするために設けられた天幕だ。
ここのオッチャン共は、博打が好きだからな。
オッチャン共は酒も好きだし、酒でも買って行ってやるか。
スラム街を出て、市場にやって来た俺は、近くにいた男に声をか
ける。
﹁すみません、お願いがあるんですが﹂
﹁何だ?﹂
﹁これで、僕の代わりに酒を買ってきてくれませんか?﹂
俺は掌の銀貨四枚を見せる。
安い酒なら瓶一本あたり、銀貨一枚だ。
﹁何本だ?﹂
﹁四本です﹂
﹁ダメだな。ガキが飲むもんじゃねえ﹂
﹁では、銀貨一枚、謝礼金として﹂
﹁二枚だ﹂
﹁分かりました﹂
461
俺は男に銀貨六枚を渡した。
六枚を確認した男は、酒の売っている店へと歩き出した。
俺はその後を追う。
男は瓶を四本買い、路地裏へと向かった。
俺もその後に続く。
路地裏で二人きりになり、男が俺に瓶を四本渡した。
﹁じゃあ、二枚もらってくぜ﹂
﹁ありがとうございました﹂
俺は頭を下げて礼を言った。
男はそのまま表通りに出て、何処かへ消えた。
数十秒待ってから、俺も表通りに出る。
外套の内に酒を隠して、スラム街へと向かった。
早速、博打天幕に行って、博打を打っているオッチャン達に挨拶
をした。
そして、俺が酒を出すと、オッチャン達は歓喜の声をあげる。
﹁がきんちょ! やるじゃねえか!﹂
﹁えっへん﹂
俺は酒瓶を並べて、土魔術で湯のみを作った。
ただ飲むだけじゃつまらない。
これは、ゲームだ。
﹁勝った人が一杯飲めます。いいですね?﹂
俺がオッチャン四人に目配せをして、確認を取る。
462
オッチャン達は﹁面白え﹂と言って、乗ってきた。
そうでなくてはな。
︱︱︱︱︱︱
夜遅くまで博打戦争をしていた俺達は、酒瓶四本を平らげ、勝者
が俺という形で戦争の幕を閉じる。
飲んだ杯数は俺が一番少なかった。
十杯ぐらいだったか。
おかげで、俺はあんまり酔っていない。
シャルルの体は酒に強いらしい。
俺の前の体も酒には強かったが。
今の博打天幕では、オッチャン四人が大の字になって寝ている。
鼾がうるさくて、ここで寝るのはダメそうだ。
酒臭いし。
﹁そういえば、俺って寝なくてもいいんだっけ﹂
ヴィオラから聞いた話だと、俺は一週間ぐらい寝なくても大丈夫
なんだそうだ。
昼行性と夜行性が合わさって、昼も夜も眠くならない状態らしい。
今まで普通に寝てきたんだが、﹃寝ようとしなければ起きていら
れる﹄という意味だろうか。
今晩試してみよう。
463
﹁⋮⋮月が見たい﹂
そう呟いた俺は、テントを出た。
まだ人の声が聞こえる。
夜遅くまで働いてる奴もいるだろうからな。
俺はスラム街の中央へ行き、魔術で椅子を作って、フードを脱い
で月を眺める。
今宵は満月。
だからといって、狼に変身したりはしない。
俺は狼男ではなく、吸血鬼なのだ。
数時間して、周りの音は虫のなく声だけになった。
ひぐらしは鳴いてない。
夜の冷たい風が、俺の頬を撫ぜる。
こんな時に魔術が便利だ。
体に魔力を巡らせて火魔術で温める。
月見なんて、日本ではしなかった。
時間も無ければ、興味も無かったし。
だが、改めて見ると、月ってのは綺麗だな。
月だけじゃなくて、星もそうだ。
俺のいた所は都会で、夜も明るかった。
そのせいで、星なんて見えやしなかった。
異世界に来て初めて知ったよ。
夜の空は、綺麗なんだな。
464
︱︱︱︱︱︱
翌日、俺はトレーニングの後に、ギルドへと赴いた。
受ける依頼を選んでいると、視界にアランの姿が映った。
俺はゆっくりと近づいて、声をかける。
﹁こんにちは、アランさん﹂
﹁ん? シャルか。どうしたんだ?﹂
﹁依頼を受けにきまして﹂
﹁昨日無理したのに、また遊ぶつもりか?﹂
﹁体力の回復が早いんですよ﹂
吸血鬼様のおかげで、とは言わない。
﹁そうか。なら、どうだ、俺と一緒に来るか?﹂
﹁何処へ?﹂
﹁盗賊退治だ﹂
﹁⋮⋮行きます﹂
﹁よし、決定だな﹂
ということになった。
俺達は二人で受付まで行き、受注手続きを済ませる。
﹁付いて来い﹂
465
アランが爽やかに微笑んで言った。
言われた通り、アランの後に続く。
国を出て、森に入った。
ここの森は薄暗いとか、不気味な雰囲気はない。
ピクニックなんかに最適な場所だ。
魔物さえいなければ。
アランは森の奥へと進んでいく。
俺も黙ってアランの後を追いかけた。
そして、数十分歩いて、アランが足を止める。
目の前にあるのは、洞窟だった。
洞窟の前で二人の男が胡座をかいて談笑している。
﹁盗賊の隠れ家、ですか﹂
﹁正解だ﹂
俺とアランは茂みに隠れながら近付き、二人の様子を伺う。
こっちには全然気づいていないようで、下品な笑い声を上げてい
る。
﹁シャルル、狙えるか﹂
﹁お任せを﹂
俺は二つの弾丸を掌に作り出し、音速で飛ばす。
風切り音と共に、銃弾が俺の掌から離れた。
回転のかかった銃弾は、二人の男の頭を貫いた。
二人は首を垂らして動かなくなる。
466
﹁無詠唱か⋮⋮どうやってんだ﹂
﹁魅人の方々も、風魔術を無詠唱で使えるじゃないですか﹂
﹁そうなんだが、他の魔術を使ってみようとしても、上手くいかな
い﹂
魅人には種族固有魔術がない変わりに、聖魔術と風魔術を無詠唱
で使えると聞いた。
魔力総量も人間よりも多いらしいし。
﹁まあいい、掃除と行こうじゃないか﹂
﹁はい﹂
俺達は茂みから出て、洞窟へと進入する。
中からは笑い声が聞こえてくる。
匂いもする。
これは⋮⋮多分、葡萄酒だ。
俺達は洞窟の奥へと進んでいき、笑い声の聞こえる扉の前で止ま
る。
﹁シャル、少しばかり遊びをしよう﹂
﹁遊び?﹂
﹁剣を使うな。魔術は使ってもいいが、飛ばしちゃ駄目だ。いいな
?﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
魔術をゼロ距離で使えってことか?
ビャズマで習った体術と合わせれば出来ないことはないが⋮⋮。
﹁合図を出したら突撃だ﹂
467
そう言って、アランは指を三本突き立てる。
アランはゆっくりと、一本ずつ折り曲げていく。
最後の人差し指を曲げた瞬間、俺達はドアを蹴破った。
﹁あ?﹂
扉の近くに居た盗賊の一人が、俺達の姿を見て首を傾げる。
刹那、盗賊の首が百八十度回転した。
アランの蹴りによって。
﹁何だてめえら!﹂
敵襲だとやっと気付いた数十人の盗賊達が剣を抜く。
﹁敵だ!﹂
﹁殺せ!!﹂
﹁オラアァ!﹂
盗賊共は大声でがなり、俺達に向かって剣を振るう。
だが、俺にはそんなの見え見えで、避けるのに苦労なんてしない。
左からの斬撃を躱して、お返しに相手の足を払う。
相手がよろめいて、俺の方に倒れてきた。
︱︱閃いた。
俺は倒れてきた盗賊の頭を鷲掴みにして、使った。
針山地獄を。
サイズは直径10センチ。
頭からはみ出ない程だ。
俺が手を離すと、盗賊はその場に倒れた。
468
脳を潰された盗賊は呻き声すらあげない。
人間は脆い。急所が多い割に、急所を守る部位が弱い。
こんなに簡単に、人の命はなくなる。
魔術が使えるからとか、そういうのは関係ない。
後頭部にハンマーでも叩きつければ死ぬのだから。
﹁てめえ!﹂
俺みたいなちっこいのに仲間が殺られたのが悔しいのか、奴等は
より一層怒りを露わにする。
だが、遅い。遅すぎる。
避けて、頭を掴んで、魔力をほんの少し消費すれば、一人倒れる。
それを何度か繰り返して、敵の数は目で数えられる程にまで減っ
た。
全部で十六人だ。
一人、また一人と殺していく。
この殺し方なら、相手の死体は綺麗なままだ。
俺の精神的ダメージも軽減される。
血を見なければ簡単に殺せるなんてのも、無情な気がするが。
頭だけじゃなくて、胸にも使ってみよう。
そう思って、相手の間合いに踏み込んで、胸に掌を当てた。
当然の事、相手は倒れる。
﹁ひぃっ! 死神っ!﹂
生き残っている盗賊の一人が叫んだ。
そうか、相手にはそう見えてしまうのか。
触れただけで死んでしまう様に見えるんだな、きっと。
469
意外とピッタリかもな、その呼び方。
黒いコートを着て、フードを深く被って、触れられた奴は命を刈
り取られる。
悪くないけど、むず痒い。
黒歴史を思い出す。
朝起きて﹃今日も、日差しが俺を殺そうとしてきやがる⋮⋮﹄っ
て言った記憶とか。
夜中に散歩して﹃今宵、俺の闇の鎌に刈られるのは誰だろうか⋮
⋮﹄って呟いて補導された記憶とか。
あの頃、人目につく場所でやらなくて正解だったな。
もしも目撃している人が多かったなら、俺は今﹃忘れろ忘れろ!﹄
と転げまわって盗賊に殺されているかもしれない。
﹁シャル、あとは親玉だけだ﹂
﹁そうですね﹂
アランの声で、俺は黒歴史の追憶から引き戻される。
親玉と思わしき盗賊は、始終胡座をかいて、欠伸をしていた。
抵抗する気が無いらしい。
﹁何故、抵抗しない?﹂
アランが親玉に尋ねた。
﹁飽きたんだよ﹂
﹁飽きた?﹂
﹁ああ、飽きたんだ﹂
そう言って、親玉がまた欠伸をする。
470
﹁⋮⋮飽きた、か。吹き溜まりは、面白くなかったか?﹂
﹁最初は、面白かったさ。でも、飽きちまったんだよ。飽きる、そ
れが人間ってもんだろ?﹂
﹁違いないね。でも何故、飽きた後、盗賊以外の道を探さなかった
んだ?﹂
﹁俺みたいなゴミに出来る事なんざ、生まれた時から﹃盗み﹄と﹃
殺し﹄しか無かったんだよ。ガキん頃から冷めちまった俺には、綺
麗な景色も汚え絵画にしか見えねえのよ﹂
きっと、子供の頃から盗みと殺しをして、荒んだその目には、美
しい物も美しく映らなくなってしまったんだ。
いや、目というより、心だろう。
綺麗な景色で感動しなくなったんだ。
それは、とても悲しい事だ。
綺麗に映るはずの物が、汚い物にしか見えなくなってしまった。
そんなコイツに残されたのは﹃習慣﹄しか無かったんだ。
﹃盗む﹄﹃殺す﹄、それだけをインプットされたロボットの様に。
この世界には、そういう場所で、そういう風に育って、落ちぶれ
る奴がたくさんいる。
きっと、前の世界にもいたんだろうが、こういう事を耳にしたの
はこの世界にきて初めてだった。
﹁だから、殺せよ﹂
﹁いいや、お前は生きる。俺達の金になるんだよ﹂
生き残りたい人がいる中、死にたいと願う人間も居る。
多分、この盗賊は死にたいと思ってるんだろうな。
471
自分の中に汚え物しか無くて、それが嫌で、死にてえんだろうな。
俺も昔、死にたいと思った事があった。たくさんあった。毎日思
った。
でも、今考えれば、俺のあの時の悩みなんて、コイツらからすれ
ば鼻で笑うようなものなのかもな。
﹁おい、そこのガキ﹂
﹁はい﹂
﹁堕ちんなよ﹂
﹁はい?﹂
﹁俺もガキん頃、躊躇なく殺しまくった。その結果が、これだ。だ
から、お前は堕ちんなよ? さっきのお前は昔の俺を思い出させる。
誰かに操られている様に人を殺してた﹂
盗賊は一度アランを一瞥してから、また俺の方に向きなおる。
﹁俺みたいにはならないでくれ。首をちょん切られる前の、俺から
の頼みだ﹂
親玉は、過去の自分と話すような、悲しみと哀れみの混じってい
る複雑な表情と声色で言った。
俺も昔の自分に似た奴と出会ったら、こんな表情をするのだろう
か。
﹃助けを呼べ﹄と、﹃我慢するな﹄と、こんな表情で言うのだろう
か。
﹁⋮⋮引き受けました﹂
俺が返事をすると、親玉は立ち上がって、手首をくっつけた状態
472
で腕を差し出してきた。
﹃私が犯人です、逮捕してください﹄の様なポーズだ。
その後、俺達は親玉を騎士団本部まで連行した。
盗賊︱︱というか、指名手配されている奴を騎士団に渡すと、懸
賞金を貰える。
この親玉が率いていた盗賊はかなり有名な奴等で、村を荒らすだ
けでなく、人攫いにまで手を出したという。
かけられた懸賞金は金貨二百枚。
俺はウルスラに俺の口座に振り込んでおくように頼んだ。
アランはその場でもらっていたが。
しかしまあ、今更だが、じわじわくる。
俺の肩に伸し掛かる物があるのだ。
思えば、俺は盗賊軍との戦中にもたくさんの人を殺した。
今更罪悪感を感じているのか、俺は。
この後も、俺はたくさんの人を殺すだろう。
ああ、これがマリアの言っていた、罪ってやつか。
マリアは背負わなければいけない物だと言っていたな。
なら、この罪はずっと俺の肩に伸し掛かるのか。
気が重い。
﹁どうした、シャル﹂
﹁何でもありませんよ﹂
﹁⋮⋮重いか?﹂
﹁は? 何も持ってませんけど﹂
﹁ああ、そうだった、そうだったな、シャル﹂
473
こいつ、エスパーかよ。
﹁それじゃあ、組合へ行こうか﹂
﹁はい﹂
返事をし、アランの後に続く。
ギルドへと着いた俺達は、依頼完遂手続きを済ませて、報酬金を
預金した。
俺が殺した人数は二十三人、アランが殺した人数は三十一人だっ
た。
すっかり忘れていたゲームはアランの勝ちに終わった。
その後は解散して、燦々と輝く太陽光に照らされながら、俺はス
ラム街へと向かった。
474
ペナルティ・後編
﹁こんにちは、カレン﹂
マリアのテントを訪れた俺は、マリアに挨拶をした後に、カレン
に挨拶をした。
﹁⋮⋮こんにちは﹂
カレンは少しの間を空けて、ちゃんと挨拶を返してくれた。
この娘はあまり喋らない娘だ。
人見知りなんだろうな。
マリアの前では良く笑って、良く喋るらしいし。
﹁カレン、林檎食べるかい?﹂
﹁⋮⋮ありがと、ございます﹂
カレンは例を言いながら、俺の差し出した林檎を受け取った。
最初は遠慮して全然貰ってくれなかったんだが、最近では貰って
くれるようになった。
進歩してるってことなのかな。
﹁マリアさんもどうぞ﹂
﹁ありがとう﹂
マリアに林檎を渡してから、マリアとカレンと対面するように座
り込む。
今日は、カレンと話をしてみようじゃないか。
475
﹁カレンは、大人びているね﹂
﹁⋮⋮大人、びてる?﹂
﹁年の割に静かだし、時々、大人っぽい表情をする﹂
﹁⋮⋮わかりません﹂
﹁そっか、分かんないか﹂
まあ、自分の事が分からなくなる事はあるさ。
分からないなら問い質すこともない。
﹁⋮⋮ごめん、なさい﹂
﹁え、いやいや、謝ることじゃない。別に大丈夫だよ。皆あると思
うからね、自分の事が分からないって時﹂
俺が言うと、カレンが頷いた。
ふと、マリアが俺に視線を送っているのに気づく。
﹁何ですか?﹂
﹁いいえ、言っていることが歳不相応だと思っただけ﹂
しまった。
カレンを慰めるためとはいえ、少しぶった事を言ってしまった。
自重しよう。
﹁受け売りなんですよ、師匠の﹂
俺が笑顔でそう返すと、マリアは﹁そう﹂とだけ言って、林檎を
齧った。
なんだか、彼女には色々と見透かされている感じがする。
まあ、マリアにならあらゆる所を見られても大丈夫だがな。
むしろ、見て欲しいくらいだ⋮⋮⋮⋮今のは、冗談。
476
﹁シャルル、少し疲れた顔をしているわ﹂
﹁そうですかね? 何時間も走れそうなくらい元気ですけど﹂
﹁子供が強がるものではないわ﹂
﹁これでも僕は一級冒険者なんですよ∼﹂
﹁⋮⋮そうね﹂
俺は、嘘を付くのは上手いほうだと思っている。
上司に笑顔でペコペコ頭下げて、言いたくもない事を言ったり、
世辞をたくさん言ってきた。
だから、俺は笑顔を作るのは上手いほうだと思っているし、嘘を
見破られる自信だって無い。
だけど、マリアは俺の嘘を、笑顔を、偽物だと疑っている気がし
てならない。
直接疑っていると言われたわけではないが、態度、視線、質問が、
遠回しに俺にそう伝えているのだ。
本当に、困った人だ。色々な意味で。
︱︱︱︱︱︱
あの後、晩飯の後に、川の字になって寝た。
なんとなく、カレンの胸を後ろから揉んでしまったが、俺は無罪
だ。
俺は悪くない、このいけない腕が悪いのです!
八歳の女の子の胸は、ぺったんこだったけど、それでもほんの少
しの膨らみと柔らかさがあって、最高だなぁ、だなんて思ってない
477
ぞ。
﹁カレン、ごめんね﹂
﹁⋮⋮?﹂
とりあえず、謝っておいた。
カレンには﹁いきなりなんだ?﹂って顔されたが、謝った。
謝って俺の罪が消えるわけじゃない。
ああ、分かっている。
俺が、俺の意思で幼い女の子の胸をモミモミした事実は、謝った
からと言って消えるわけではないのだ。
﹁何でもないんだ⋮⋮ごめん﹂
﹁⋮⋮﹂
カレンは、怪訝そうな顔で俺を見る。
俺は思わず苦笑し、顔を逸らしてしまう。
突然募る、罪悪感。
﹁そうだ、カレン。一緒に買物をしないか?﹂
﹁かい、もの⋮⋮?﹂
﹁そう。洋服とか、食べ物とか﹂
﹁⋮⋮お母さん﹂
カレンがマリアの方に顔を向ける。
許可を取ろうとしているわけではない、表情的に。
これは、困っている表情だ。
俺に誘われるのはそこまで迷惑だっただろうか。
それは少し︱︱いや、かなり悲しい。
478
﹁いいんじゃない? 行って来なさい、カレン﹂
﹁⋮⋮わかった⋮⋮行って、きます⋮⋮﹂
﹁行ってらっしゃい﹂
マリアはそう言うと、俺に手招きをした。
俺はマリアの元まで歩み寄り、耳を寄せる。
﹁カレンをよろしくね﹂
﹁はい﹂
俺は返事をして、カレンの手を取ってテントを出た。
カレンの手は小さくて、柔らかかった。
﹁カレン、手を離さないでね﹂
﹁⋮⋮はい﹂
俺とカレンは手を繋いで市場へと向かった。
俺はまず、カレンの服を買ってやる事にした。
今の格好はみすぼらしい。
これで買い物は少し危ない。
俺が奴隷でも連れて歩いているのかと思われる。
スラムの人たちが奴隷の様だと言っているようで悪いと思うのだ
が。
服屋へと入った俺は、カレンに好きな物を選ばせた。
カレンが持ってきたのはスカートと、白地の開襟シャツだ。
この世界にオシャレなプリントがある服なんてのはない。
479
シャツも開襟シャツもズボンもスカートも、背広やドレスも存在
するが、ジーンズは存在しない。
靴も、皮で出来た物ばかりだ。
もちろん、スニーカーなんてのは無いし。
前世での俺の私服はシャツにジーンズにスニーカーという、何の
変哲も無い物だった。
だが、こっちに来てからは、ブーツにぶかっとしたズボン、そし
てだぼだぼのシャツとコート。
⋮⋮だぼだぼ、か。
幼女に、だぼだぼシャツ⋮⋮。
ハッ!
﹁カレン、腰巻きと服だけじゃなく、こっちも買ってあげる﹂
俺はシャツと綾織服地のショートパンツを手に取り、カレンに渡
した。
そして、店内にあるたった一つの試着室で、カレンに着替えるよ
うに言った。
俺は布と肌がこすれる音に耳を澄ませながら、カレンが着替え終
わるのを待った。
﹁⋮⋮シャルルお兄さん、これ⋮⋮大きすぎ、ます﹂
﹁いや、とても⋮⋮最高だ⋮⋮。最高だけど、腰巻きと服を着なさ
い⋮⋮﹂
﹁⋮⋮はい﹂
俺は感動していた。
ここまでの破壊力があったとは。
カレンの格好はダボダボとしたシャツのおかげで、ショートパン
480
ツが隠れてしまっていた。
そのせいで、カレンはまるで、ダボダボシャツを一枚着ているだ
けの幼女になってしまうのだ!
素晴らしいが、あんな姿で町中を歩かせるわけにはいかない。
俺は吐いた血を拭い、一人、勝ち誇った顔で、カレンを待った。
待っている間に、会計は済ませておく。
次にカレンが出てきた時、彼女は綾織りのスカートと、白地の開
襟シャツという、現代の女学生スタイルだ。
これはこれで、最高だ。
素晴らしいね。
﹁⋮⋮こしまきの、下に⋮⋮短いの、履いたら⋮⋮すーすーしない、
ですね﹂
﹁そっか。カレンは賢いなぁ﹂
店を出て、カレンの頭を撫でる。
スカートの下にショートパンツを履いたらしい。
まぁ、正しい選択だな。
どこかのお姉さまみたいに、自販機にキックを食らわせる娘には
育ってほしくないものです。
﹁⋮⋮この、履き方⋮⋮知って、ました⋮⋮から﹂
﹁え? 腰巻きの下にズボンを履くのを?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁誰に聞いたの?﹂
﹁⋮⋮聞いて、ません⋮⋮ずっと、知ってました⋮⋮﹂
ん? どういう事だろうか。
481
﹁色々、知ってる、んです⋮⋮昔から、ずっと⋮⋮﹂
﹁知ってる?﹂
﹁⋮⋮はい。皆の、知らない言葉、とか⋮⋮知識、とか⋮⋮﹂
﹁例えば?﹂
俺が聞くと、カレンは少し考えてからこう続ける。
﹁くりーむしちゅー⋮⋮﹂
それを聞いた時、俺の中で時間が止まった気がした。
この世界では、英単語を聞かない。存在もしない。
ギルドも﹃協同組合﹄だし、パーティも﹃党﹄だ。
だから、人と話す時はなるべく英単語を口に出さないように気を
付けていた。
口が滑りそうになって協同組合をギルドって言いそうになった事
もあった。
だが、カレンは英単語を発した。
彼女は﹃クリームシチュー﹄と言ったのだ。
この世界にないはずの言葉を。
それが意味する事は、まぁ、そういう事だ。
﹁カレン、日本を知ってる?﹂
﹁えっ﹂
いつも物静かなカレンが、驚いた声をあげた。
目を見開いて、手を震わせている。
482
﹁な、なんで⋮⋮お兄、さん⋮⋮﹂
﹁知ってるんだな?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
だそうだ。
なら、答えは一つだ。
彼女は俺と同じ︱︱違う世界から来た者だ。
483
関わり
俺達はあの後、飯屋に寄った。
俺はマッシュポテトとグリルドチキンを頼んだ。
カレンも同じものを注文した。
先に水が運ばれ、俺は一気に飲んで、話を切り出す。
﹁さて、カレン。話をしよう﹂
﹁⋮⋮話?﹂
﹁そう。カレンがさっき言った言葉についてだ。あれはこの世界で
習った物? それとも生まれた時から知っていた物?﹂
﹁⋮⋮生まれた時、から⋮⋮です﹂
﹁そっか。じゃあ、カレンには、記憶があるの?﹂
﹁⋮⋮記憶?﹂
﹁そう。前の世界の記憶﹂
﹁⋮⋮?﹂
カレンは首を傾げて、何言ってんだこいつって顔をした。
隠しているのか、それとも本当に無いのか。
﹁俺はカレンと一緒だから、隠さなくてもいいよ﹂
﹁⋮⋮?﹂
また、首を傾げた。
可愛い。可愛いよ、とても。
その小首を傾げる仕草は俺の胸にグッと来る。
だけど、今はそんな場合じゃない。
﹁じゃあ、記憶は無いんだね﹂
484
﹁⋮⋮何のことか⋮⋮わからない、です⋮⋮﹂
﹁ううん、もういいんだ、忘れて。ただ、俺も同じ言葉を使えるっ
て事を教えたかっただけ﹂
﹁同じ⋮⋮言葉⋮⋮﹂
カレンがそう呟くと、丁度料理が運ばれた。
グリルドチキン二人前。
カレンは一人で食べきれるだろうか。
マッシュポテトもあるのに。
まあ、もしもの時は俺が食べてやろう。
﹁カレン、アメリカって知ってる?﹂
俺はチキンをかじりながら尋ねた。
すると、カレンはこくりと頷く。
もしも、本当にカレンの記憶が無いと言うのであれば、カレンは
記憶喪失ということになる。
こちらに来る途中なのか、こちらに来る前になっていたのか、そ
れは分からない。
だが、カレンは前世の記憶を失ってしまった。
いや、待て、確認する方法があった。
﹁カレン、アダムって知ってる? 会ったことある?﹂
﹁⋮⋮無い、です。名前は⋮⋮知って、ます⋮⋮﹂
そうか。なら、カレンは変な空間と異世界に来る間に事故を起こ
して、記憶をなくしたのか。
でも、たしか、記憶喪失って時間が経つに連れて記憶が蘇る事が
多いんじゃなかったか。
485
ああ、しかし、カレンもその内の一人という訳にはならないか。
もしも、記憶を取り戻したら、その時カレンはどうやってマリア
と接するんだろうか。
この世界をどう思うのだろうか。
記憶喪失。なった事ある人にしか気持ちは分からないんだろうな
⋮⋮。
﹁シャルルお兄さん、は⋮⋮何で、知ってるんですか⋮⋮?﹂
﹁秘密。それから、シャルルお兄さんじゃなくて、シャルルかシャ
ルでいいよ﹂
﹁⋮⋮じゃあ、シャル⋮⋮。シャル⋮⋮﹂
﹁はいはい?﹂
﹁⋮⋮読んだ、だけ⋮⋮です⋮⋮﹂
そう言って、カレンは微笑んだ。
不覚にも、ドキリとした。
これは初めての経験だな。
今まで母性ある女性の笑顔には何度か胸を高鳴らせたが、幼女相
手にするのは初めてだ。
﹁そういえば、カレンは黒髪だね。俺と一緒だ﹂
﹁⋮⋮黒髪⋮⋮珍しい⋮⋮ってお母さんが、言ってました⋮⋮﹂
﹁俺も今まで一度も見たこと無いな。俺とカレン以外の黒髪は﹂
今まで旅をしてきた限りでは、黒髪を持つ人を見たことがない。
もしかしてだが、黒髪を持つのは転生した者だけなのだろうか?
そういえば、カレンが転生者って事は、カレンの体も彼女の物で
はないという事か。
記憶の無い彼女に俺のペンダントを渡すのは、混乱を招きそうだ
からやめておこう。
486
飯を食べた後は、晩飯を買っていった。
カレン、マリア、それと俺の分。
炭火焼きした豚肉を三つ、それと桃を三つだ。
﹁マリアさん、カレンに服を買ってあげたんですが、良くお似合い
でしょう?﹂
﹁ええ、そうね。とても似合っているわ﹂
そう言いながらマリアがカレンの頭を撫でる。
カレンは気持ちよさそうに目を細めて、マリアの胸に顔を埋めて
いる。
﹁さあ、食べましょう。まだ温かいですよ﹂
俺はマリアとカレンに皿の上に乗せた肉と、コップに入った水を
渡し、﹁いただきます﹂の掛け声と共に食事を始めた。
言わなくても分かるだろうが、皿もコップも魔術で作った物だ。
︱︱︱︱︱︱
夜になり、俺は酒場へと向かった。俺の歓迎会だ。
既に四人は集まっていて、飲み物と食べ物まで頼んでいる。
どうやら、俺は遅刻らしい。
いや、この時間に来いとかいう約束はしていないから、遅刻もク
ソもないのだが。
487
俺はアラン達の座るテーブルに行き、挨拶をする。
﹁こんばんは、皆さん﹂
﹁おう、来たか。シャル﹂
アランが空いている椅子を引いて、俺に座るよう促す。
﹁遅えぞシャル坊! もう飲んじまってるよ!﹂
﹁すみません、集合時間が分からなくて﹂
﹁そうっスよ、ルーカスさん。遅刻もへったくれもないっスよ﹂
ケイがフォローを入れてくれた。
﹁もう遅刻の話は良い! 飲め! 飲め!﹂
そう言いながら、ルーカスが俺に酒の入ったコップを渡してきた。
﹁未成年です、僕﹂
﹁いいんだよ、歓迎会なんだから﹂
俺の言葉をアランが拾った。
そうだよな、歓迎会なら仕方ないよな、うん。
未成年飲酒、ダメ、絶対。
俺が酒を受け取ると、アランがコップを持ち上げた。
俺達もコップを掲げ、声を合わせて言う。
﹃かんぱ∼い!﹄
早速、俺はコップいっぱいの酒を一気飲みした。
488
それを見た他の四人が﹁おおぉ∼﹂と声を漏らしている。
クックックッ、社畜のワイにはこんなん余裕やで。
﹁ぷはぁッ! かぁ∼、余裕ですよ、余裕﹂
﹁いい度胸じゃねえか、シャル坊! 俺と勝負だ!﹂
﹁いいでしょう﹂
﹁樽を持って来ぉい!﹂
樽⋮⋮だと⋮⋮!?
これは拙い。前の俺の体ならまだしも、今の俺の体は子供のもの
だ。
そこまで耐えられるだろうか⋮⋮。いや、しかし、受けて立った
からには、勝たなくてはな。
いいぜ、やってやるよ。
﹁ほれ、シャルル﹂
アランが俺に酒の入ったコップを渡してくれた。
ルーカスも、ケイから受け取ったようだ。
俺達は睨み合い、コップの端に口をつける。
﹁ドン!﹂
そして、アランがスタートの合図を出した。
俺はコップを傾け、喉に酒を通す。
グビグビという体に悪そうな音が鳴るが、それを無視してコップ
を空にする。
俺とルーカスは同時にコップをテーブルに叩きつけた。
﹁やるじゃねえか、シャル坊。もう一杯だ!﹂
489
ルーカスがケイから、おかわりを受け取る。
俺もアランからもう一杯貰い、構えて、またスタートする。
これを十数回繰り返して、ルーカスが倒れた。
﹁げぷッ⋮⋮おえェ⋮⋮﹂
﹁ぼ、僕の勝ち、ですね、ルーカスさん⋮⋮けぷっ﹂
俺は、大量の汗を流しながらテーブルに突っ伏すルーカスに勝利
を宣告した。
ルーカスは親指を立てて、ニカリと笑う。
俺も額から流れ出る汗を拭い、笑顔で親指を立てた。
その瞬間、ルーカスがテーブルに嘔吐物をまき散らした。
﹁おい、ルーカス! 何をやっている!﹂
嘔吐物がダモンの腕に付着し、ダモンがルーカスの背中を叩いた。
そのせいで、ルーカスの嘔吐は勢いを増す。
﹁おえぇぇぇ﹂
﹁嘔吐が赤紫色っス! ルーカスさんが葡萄酒を口から造ってるっ
スよ!﹂
﹁ケイ、それは造ってるんじゃない! 飲めないんだからな!﹂
珍しく、ダモンが騒いでいる。いつも静かに俺達のやり取りを見
ているだけなのだが。
﹁シャルは大丈夫か?﹂
アランが俺の背中を擦りながら聞いてきた。
490
﹁大丈夫ですよ。ていうか、ルーカスさん弱いですね﹂
﹁ああ、アイツは酒好きだが、酒に弱い﹂
﹁挑んでくるから強いのかと思ってました﹂
﹁ガキに威厳を見せたかっただけだろ﹂
威厳を見せるどころか、弱さを露呈しただけだったな。
ていうか、シャルルの体は本当に強いな。
吸血鬼の影響もあるのかもしれん。ヴィオラは酒にかなり強かっ
たし。
﹁うわあ! ルーカスさんが自分の嘔吐物に溺れてるっス! ダモ
ンさん助けてやってくださいっス!﹂
﹁バカ言うな! 自分で助けたらどうだ! そんな嘔吐物まみれの
奴なんかに触れたくない!﹂
﹁おえぇえごぼっ﹂
自分の嘔吐物に溺れてる奴なんて初めて見たぞ。
なんだこれ、血の海地獄かよ。
﹁ったく、仕方ない﹂
溺れそうになっていたルーカスを助けたのは、アランだった。
ゲロまみれのルーカスに肩を貸して、床に寝かせた。
そして、口に水を無理矢理流し込んだ。
﹁おぼっごっおっ﹂
﹁ちょっ、アランさん! それ死んじゃいますから!﹂
口どころか、鼻にも水が流れこんで、ルーカスは息もできない状
491
況だ。
ルーカスは白目をむいて指先をピクピクと動かしている。
﹁おっと、これは拙いな﹂
死にそうになっているルーカスを見て、アランが水を流すのをや
めた。
そして、アランはルーカスの胸に手を当てた。
見る見るうちにルーカスの表情は穏やかになっていき、最終的に
は鼾をかいて眠り始めた。
治癒魔術か。本当に便利だな、魔術って。
そう思いながら、自分にも治癒魔術をかける。
火照っていた体が冷めていくのを感じた。
回復を終えると、アランとケイとダモンが、ルーカスの周りに座
り込んで何かをしていた。
ルーカスの顔を覗きこむと、顔に落書きがされてあった。
右頬に﹃俺の素晴らしき上腕二頭筋は全てを魅了する﹄、左頬に
は﹃筋肉の素晴らしさを語るには、一時間じゃ足りねえ。二日は用
意しな﹄と、額には﹃彼女募集中。豚でも可﹄と書かれている。
俺は羽ペンを受け取り、鼻の下にたくさんの線を引いて、鼻のて
っぺんに﹃俺の鼻毛は一本金貨一枚だ、出直しな﹄と書いてやった。
俺達は顔を見合わせると、ルーカスの筋肉を叩きながら笑いあっ
た。
492
関わり︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
現在、PCの故障により、更新が止まっております。4月下旬には
再開できるかと思われます。
493
友
二年が経過し、俺は十二歳になった。
パーティメンバーとも仲良くなり、数々のクエストを熟してきた。
そして、俺達は今、緊急依頼を受けて馬車で移動中。内容はフェ
ンリルの討伐だ。
昨日、フェンリルの出没によって、一つの村が壊滅したらしい。
フェンリルは巨大で獰猛な狼だ。村一つ潰すのなんて簡単だろう。
俺達が今向かっているのは、昨日フェンリルが現れたという村だ。
アランが御者台に座り、他は荷台に乗っている。
荷台ではルーカスとケイが会話をしている。
﹁ケイの妹は今何歳だ?﹂
﹁九歳っス﹂
ルーカスの質問にケイが答える。
﹁仲は良いのか?﹂
﹁何年も会ってないんで今は分かんないっスけど、昔は仲良しだっ
たっスよ﹂
﹁そうか。俺にも弟が居てな。喧嘩ばかりしていた﹂
﹁どうせ何時もルーカスさんが吹っ掛けてたんでしょ? 分かるっ
スよ、オレには﹂
﹁まあ、何時も俺からだったな⋮⋮でも、何年も会ってないと寂し
くなるもんだ。アイツは元気にしてんのかね﹂
﹁あ∼、分かるっス。オレも最近会いたくなってきたんスよねぇ。
ダモンさんは一人っ子だったっスか?﹂
494
ダモンは口元を押さえながら、首を縦に振る。
どうやらダモンは、馬車酔いするらしい。
冒険者としては致命的だ。
普段は空を飛ぶから馬車には慣れていないんだと。
﹁大丈夫っスか? ダモンさん⋮⋮。背中擦るっスよ?﹂
ダモンが首を横に振った。
﹁そうっスか。拙い時は言ってくださいっス﹂
ケイはこのパーティの中で一番気配りが出来て、優しい奴だ。
戦う時は容赦なく潰すが、普段は温厚な人なのだ。ただ、時々天
然発言をする。
この前なんか任務中に﹃魔物って下着でおびき出せるんスかね?﹄
とか言っていたし。
魔物は喰らうだけの生き物だから、下着なんかじゃ誘き出せない。
誘き出すのなら、肉でも置いておかなければいけないのだ。
﹁いやあ、今日も良い天気っスねぇ∼。シャルルは日向ぼっこ好き
っスか?﹂
﹁好きですよ﹂
﹁良いっスよねぇ∼、日向ぼっ﹂
ケイの言葉が途中で途切れた。
何時もの事だから、心配することではない。
何故言葉が途切れたのか。
ケイは、寝たのだ。喋っている途中に。
俺には真似出来そうにない。
495
﹁ケイは呑気だな﹂
ルーカスが呟いた。
確かに、ケイは何時も笑顔でのんびりとしている。
だが、それが周りに元気を与えているのだ。
﹁ダモンさん、大丈夫ですか?﹂
俺はダモンの背中に触れ、治癒魔術をかける。
かけ続けるのは魔力の無駄なので、一定時間ごとに治癒魔術をか
けてあげているのだが、揺れる度に吐き気を催している様なので、
効果は薄い。
そんなこんなで、数時間の移動の末、俺達は目的地に辿り着いた。
到着するやいなや、ダモンが﹃すううううっはああああっ! や
っぱシャバの空気は旨いな!﹄と喜んでいた。
確かに、空気はおいしいのだが、見た目は最悪だ。
建物は全壊していて、血がそこらへんにこびり付いている。
死体が無いって事は、死んだ奴は全員食われたって事を示してい
る。
﹁一体じゃないな﹂
アランが瓦礫を拾いながら言った。
﹁最低でも三体はいたはずだ。一体で村の破壊が出来ても、肉を喰
らい尽くすなんて無理だ﹂
﹁それは、異常ですね。そもそも、何でこんな場所にフェンリルが
496
現れたんでしょうか﹂
フェンリルってのは、普段こんな場所には現れない。
ヴェゼヴォルの南端か、西端に生息している。
﹁⋮⋮人の仕業だろうな﹂
﹁人? 人にフェンリルが操れるものでしょうか﹂
﹁操る必要は無い。ここに呼び出して、逃げる。それだけで村は終
わりだ﹂
﹁呼び出す⋮⋮召喚魔術ですか﹂
﹁ああ﹂
召喚魔術。
名前の通り、何かを召喚する魔術だ。
魔物、人間、食べ物、家、岩、船、その他何でも呼び出すことが
出来る。
だが、召喚する物によって、消費する魔力が違うので、召喚でき
る物は個人によって異なってくる。
残念な事に、俺に召喚魔術は使えなかった。
詠唱も分からなければ、イメージも出来ないからだ。
﹁愉快犯ですかね﹂
﹁分からない﹂
アランの表情は険しい。いつもの爽やかなものではない。
それだけ拙い物がこの事件には絡んでいるのだろう。
愉快犯だったとしても、そうでなかったとしても、タチが悪い。
犯人が捕まっていないのも痛い点だ。
ヘタすれば王国の中で召喚魔術を使用される可能性もある。
497
﹁さあ、フェンリルを探そう﹂
アランの言葉に全員が頷き、散開する。
しかし、辺り一帯を隈なく探したが、手がかりすら無かった。
一度集合して、皆で休憩を取る。
﹁まずは休む。それからまた探す。全員それでいいな?﹂
﹁了解っス﹂
﹁分かった﹂
﹁異議なし﹂
ケイ、ルーカス、ダモンが同時に返事をした。
俺は返事をすることもなく、辺りを見回す。
気配がする。何かを感じ取れる。視線を感じるのだ。
﹁シャルル、どうした﹂
﹁⋮⋮全員、構えて下さい。何か居ます﹂
﹁そうっスかね? 自分の野生の勘は反応してないっスけど﹂
俺の言葉にケイが首を傾げる。
無理もないな。人間である俺より、駆人であるケイの方が気配の
察知には敏感なはずだ。
でも、俺は獣人に鍛えられた勘と、吸血鬼の影響が合わさって、
敏感な状態だ。
これはもう勘というよりも、確信に近い。
何かがいる。そして、俺達を狙っている。
﹁ケイ、構えろ﹂
﹁了解っス﹂
498
アランの言う事は素直に聞くケイさん。
まあ、俺はガキだから仕方ない。
そう思ってケイに視線を移した瞬間、俺の全身を不快感が走り抜
けた。
﹃グルアアァァァァ!!﹄
俺の背後から聞こえた咆哮。
それを聞いた時、全員の表情が変わった。
俺はすぐに後ろに振り向き、息を呑む。
﹁︱︱拙い﹂
そう、これは、拙い。フェンリル一体の大きさは、俺達五人の体
を合わせても足りないぐらいだ。
ドラゴンやワイバーン程大きいわけではない。それでも、二階建
てアパート一軒分の大きさはある。
一体なら、何も思わなかった。﹃ドラゴンより弱そうだし楽勝だ
な﹄ぐらいのことしか思わなかっただろう。
でも、奴等は三体居た。二階建てアパート三軒が俺達五人の前に
立ちはだかっているのだ。
﹁全員奴等から後退して距離を取れ! 散らばるなよ! 一体ずつ
処理していく!﹂
パーティリーダーのアランが早くも決断を下す。
俺達は言葉通り後退し、戦闘態勢に入った。
俺は剣を抜いていない。魔術のほうが効率が良いからだ。
今回は、遊んでられない。一人ならまだしも、仲間が居る。
俺が遊びたいが為に怪我をさせては後味が悪い。
499
﹁シャルル! 弾幕!﹂
アランのオーダーは、銃弾の弾幕。
俺は銃弾を三百発形成し、一体に集中砲火した。
﹃ガルアッ!﹄
﹁なっ!?﹂
驚きの声をあげたのは、俺だ。
フェンリルが吠えた時、俺の銃弾は全て消えたのだ。
弾き飛ばされたとかではなく、消滅した。
俺は再度銃弾を形成し、発射するが、結果は同じ。
これは、魔術が効かない相手って奴だ。
﹁アラン! 魔術は無理です!﹂
﹁分かった! いつもの陣形で攻める!﹂
いつもの陣形とは、右にケイ、左にルーカス、前方上空にダモン、
後方右に俺、後方左にアランの五角形の陣形だ。
まずは、ダモン、ケイ、ルーカスが三方向から同時に攻撃する。
その時、ケイとルーカスが俺達の後ろまで吹っ飛んだ。
俺とアランは足を止め、ルーカス達の所まで走る。
﹃グルアアァァァ!﹄
ダモンはフェンリルの眼に剣を刺して、俺達の方まで後退した。
﹁あいつら、連携してんのか!?﹂
500
ダモンが冷や汗を垂らしながらアランに尋ねる。
そう、あいつらは連携した。
攻撃されそうになったフェンリルを守るように、他の二体がケイ
とルーカスを攻撃したのだ。
これは、とてつもなく異常だ。
魔物は普段連携なんてしない。かばい合う事もしない。奴等は自
分が逸早く相手を喰らうことを考えている。
だが、奴等は真ん中のフェンリルを守ったのだ。
﹁居ますね﹂
﹁何がだ、シャルル﹂
﹁こいつらを召喚した奴が近くに居ます。俺達を見てますよ、絶対﹂
﹁クソッ﹂
アランは悔しそうに唇を噛んだ。
遊ばれている様な気がしているんだろう。俺も一緒だ。不愉快で
たまらない。
﹁ケイ! ルーカス! 大丈夫か!﹂
アランは声をかけながら、ルーカスに治癒魔術をかけた。
俺もケイの頬を軽く叩きながら、治癒魔術をかける。
﹁あぁ、クソッ、やられた﹂
ルーカスが頭を押さえながら起き上がる。
口元についた血を拭うと、立ち上がって剣を構える。
﹁油断したっス。ありがとうっス、シャルル﹂
501
﹁どういたしまして﹂
ケイも立ち上がって、数回跳ねて、深呼吸をした。
ルーカスの方に視線を移すと、姿が変わっていた。
体中が硬そうな鱗に覆われ、口からは牙が覗いている。
鼻も爬虫類独特の物になり、野生の鋭さを増した瞳がギラギラと
光る。
竜の体に変体したのだ。竜人族の固有魔術﹃竜化﹄は全てのステ
ータスを増加させる物だ。
﹁ぶっ潰してやるっス﹂
そう言って、ケイは地面を踏みつけた。
瞬間、地面が割れて、俺達に破片が飛んできた。
﹁ケイ! 気をつけろ!﹂
﹁あ、ごめんっス﹂
ダモンの怒声に謝るケイには反省の色が見えない。テヘペロして
やがる。
普段、ケイが地面を踏んでも、地面が凹む程度なのだが、今回は
地面が割れた。
これは駆人族の固有魔術﹃鉄脚﹄だ。元から強い脚を更に強化さ
せる魔術。
速さは獣人族の﹃瞬速﹄には劣るが、破壊力は抜群だ。
﹁こういう時、俺達魅人は困る﹂
﹁同感だ﹂
アランの悔しむ声に賛同したのはダモンだ。
502
ダモンは羽を生やして空を飛べるのだが、実はこれ、空人の固有
魔術で﹃飛行﹄という。
強化されるわけでもなく、ただ飛べるだけだから不便だとダモン
は言っていたが、飛べない俺達からしたら羨ましいものだ。
魅人であるアランも、風魔術と聖魔術を無詠唱で使えるだけの能
力なので、魔術の効かないのが相手では種族固有魔術なんて無いよ
うな物だ。
﹃グルアァァァァl!!﹄
三体のフェンリルが挑発するように吠えた。
向こうからは来ないのは、やはり異常だ。
あそこまでハイランクの魔物ともなると、自分の強さを信じてい
るから、ガンガン襲ってくる。
あいつら躾けられているのか?
﹁よし! 陣形はさっきと一緒だ! 行くぞ!﹂
アランの掛け声と共に、フェンリルの方へと走って行く。
陣形はさっきと一緒の五角形だが、今回はダモンが低空飛行をし
ている。
そして、フェンリルの目の前で、急上昇した。
ダモンの剣はフェンリルのもう片方の眼を貫いた。
他の二体を見てみると、前足の片方が無くなっていた。
可哀想に。ルーカスとケイに奪われてしまったか。
﹁シャルル、行くぞ!﹂
俺は真ん中のフェンリルの右前足、アランは左前足を切断した。
厳密に言えば、切断ではなく、削ぎ落とした。骨を通らないのは
503
承知しているから、前足の肉を削いだのだ。
フェンリルは前のめりに倒れ、苦痛の唸り声をあげる。
そして、ダモンがフェンリルの頭を切り裂き、脳漿を撒き散らせ
た。
アランは胸に剣を刺して、俺は喉を掻っ切る。
フェンリルは呻き声をフェードアウトさせながら絶命した。
他の二体は既に両前足が無くなっていて、可哀想な姿になってい
る。
俺はケイの方に、アランはルーカスの増援に回った。
ダモンは既にケイの援護に回っていた。
﹁オラッ!﹂
ケイはフェンリルの顎目掛けて蹴りを放った。
すると、フェンリルの顎が砕けて、だらしなく舌を垂らす。
俺は跳躍して、フェンリルの舌を切り取った。
ダモンは脳天に剣を刺し、ケイが蹴りだけで喉を潰した。
もう一体のフェンリルは︱︱頭が取れていた。
首をより上が綺麗に切断されていたのだ。
ルーカスの大剣は血に塗れて、赤く光っている。
壊滅した村は、また静かになる。
俺達は息も上がらせていない。
俺は剣に付いた血を払ってから、鞘に収めた。
﹁ご苦労だったな、皆﹂
504
集合した俺らにアランが言った。
俺達はハイタッチをして、その場に座り込む。
﹁最初は拙いと思いましたが、案外楽でしたね。ルーカスさんの竜
化、すごく格好良かったです。あんな太い首を真っ二つですからね。
ケイさんの蹴りも凄かったですね。顎とか喉とか潰すんですもん﹂
﹁ハッハッ、褒めても何も出ねえぞ﹂
﹁そうっスよ、照れるだけっスからやめて欲しいっス﹂
そう言いながらも、二人共﹃でへへ﹄とした表情だ。
﹁⋮⋮ぐうッ!? あがぁッ、ああッ!﹂
ほんわかとした雰囲気の中、突然、アランが呻きだした。
目を見開いて、苦しそうに胸を押さえて、顔を地面にこすりつけ
ている。
﹁ど、どうした! おい! アラン!﹂
﹁お、まえらッ! はなれッ、ろッ!﹂
アランがそう言った時、ケイの脚が飛んだ。
﹁へ⋮⋮?﹂
ケイが自分の脚を見て、間抜けな声を漏らす。
その時、ルーカスの腕が飛び、ダモンの羽が千切れた。
﹁あぁぁッ! いでえぇッ!﹂
﹁ぁぁあッ!!﹂
﹁あ、脚! オレの脚がないっス!﹂
505
ルーカスは腕を押さえて苦悶し、ダモンが地面にうつ伏せになっ
て拳を強く握りしめている。
ケイは腰を抜かして脚を押さえて歯を食いしばっている。
気付けば俺の両腕も無かった。
だが、問題ない。ゆっくりずつだが、勝手に治る。
俺は深呼吸をして、アランに聞く。
﹁アラン、俺はどうすれば良い﹂
﹁お、れを! 殺せッ!﹂
まあ、分かっていた。分かっていたよ。そう言うと思っていたさ。
この現象を俺は知っている。何年か前、孤児院に居た頃、アメリ
ーの歴史の授業を聞いた時に知った話だ。
アランが今起こしているのは︱︱魔力暴走だ。
このままでは、俺達の腕や脚だけでなく、頭も持っていかれる。
﹁だけど、俺には出来ないよ⋮⋮﹂
﹁やれッ! お前は何時迄もガキじゃ居られねえ! この世界では、
躊躇すれば死ぬ! 自分を守りたいなら他を切り捨てる覚悟も必要
だ!﹂
アランが汗を滝のように流し、胸を押さえながら、苦しそうな声
で俺に説教を垂らす。
﹁お前は殺らなきゃいけない! お前しか居ないんだよ!﹂
﹁出来るわけ⋮⋮出来るわけないだろ! 俺はお前を兄弟みたいに
思ってたんだぞ!﹂
﹁お前なら出来る! 俺を兄弟の様に思ってんなら、苦しんでる俺
506
を楽にしてくれよ!﹂
﹁ふざけんな! 他の道が︱︱!﹂
﹁ふざけてんのはお前だ! 今更探しても遅い!﹂
﹁だけど︱︱!﹂
﹁自分の腕を見ろ! 治ってんなら出来るはずだ!﹂
自分の腕を見ると、アランの言った通り、右腕は治っていた。
他の奴等を見渡す。全員が苦悶して、呻き声をあげている。
﹁治癒魔術で治して他の奴等にやらせようってか!? そんな事し
てる間にお前死ぬぞ! 死ぬのはお前だけじゃない! 俺の仲間も
死んでしまう! 頼むよシャル! 俺にこれ以上罪を背負わせない
でくれ!﹂
俺だって、罪なんか背負いたくない。吐き気がするし、肩が重く
なる。
そう思いながらも、俺は右手の指でアランの喉に触れていた。
触れただけで分かる。アランの魔力が凄い勢いで漏れだしている。
アランは荒々しく息をして、汗を流して、歯を食いしばっている。
とても苦しそうだ。
﹁シャル⋮⋮楽しかったぜ﹂
﹁⋮⋮俺もだよ、アラン﹂
﹁顰めっ面は止めろ。別れは笑顔だ﹂
そう言って、アランは爽やかな笑顔を見せる。
別れは笑顔。いい言葉だ。
俺も笑顔を見せて、アランに魔力を送る。
﹁その笑顔、最高だ。お前の笑顔を見ると安心するよ。それじゃあ、
507
シャル、あの世で待ってる﹂
﹁きっと長くなるけどな。そしたら一緒に飲もう﹂
﹁ああ。ありがとうな、シャル﹂
﹁こちらこそありがとう、アラン﹂
俺とアランは、笑顔で別れた。
アランはそのまま、動かなくなる。
漏れだしていた魔力も、急激に勢いを失った。
俺は悶えている他の三人の元へ歩み寄り、失った部分を治癒魔術
で治した。
それを終えた俺はアランの元へ行き、おぶってやった。
アランは大人だから当たり前だが、重い。
﹁⋮⋮シャルル﹂
﹁何ですか、ルーカスさん﹂
﹁⋮⋮何でもねえ。ありがとう﹂
﹁⋮⋮礼を言われるような事なんて、何一つしてません﹂
俺はアランを馬車まで背負っていった。
荷台に寝かせ、布をかぶせる。
﹁帰りましょう、皆さん﹂
﹁俺が御者をやろう﹂
﹁分かりました﹂
御者はダモンに任せ、俺達三人は荷台に座った。
俺は魔術でコップを作って、水を注いで飲んだ。
﹁⋮⋮﹂
508
ルーカスも、ケイも、ダモンも、一言も発さない。
ダモンは俺達に背中を見せているから、どんな表情をしているか
は分からない。泣いているのだろうか、無表情なのだろうか。
ルーカスは難しそうな顔をして腕を組んでいる。時折俺の方をチ
ラ見しては目を逸らしている。
ケイは膝の上に置いた拳を握りしめて涙を堪えている。別に耐え
なくてもいいのに。
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
なぜだか、謝ってしまった。
﹁⋮⋮なあ、シャル坊、そうじゃねえ。そうじゃねえよ、シャル坊。
誰もお前を責めない。お前は正しい選択をした。俺達の命を救った
んだ﹂
﹁⋮⋮そう、ですね﹂
﹁でも、俺は少し驚いてる。ガキが人を殺して、友を殺して︱︱無
表情なんだからな。ああ、いや、責めているわけじゃない。ただ、
もしも我慢してんなら止めろって事だ。ガキが我慢なんかするもん
じゃねえ﹂
俺が無表情か。鏡が無いから分からなかった。
俺は薄情だな。友人を殺して無表情って、何だそれ。
何だよそれ⋮⋮。
﹁⋮⋮⋮⋮クソッ、クソッ! クソッ!!﹂
魔力暴走って何なんだよ。何の前触れもなく来たじゃねえか。理
不尽だろ。日本のホラー映画かっつーの。
509
﹁クソッ!﹂
何でアランだったんだよ。どうして俺が殺さなきゃいけなかった
んだよ。そもそも何で発生したんだよ。
﹁クソッ!!﹂
重いし、痛い。胸の辺りが苦しくて心臓を握りつぶしたい気分だ。
﹁クソッ!!!﹂
何で俺は無表情だったんだよ。何で俺は友達を殺せたんだよ。何
で俺はアランを殺せたんだよ。何で、何で、何で。
今更、疑問と困惑と怒りが湧いてくる。
さっきはほんの少しの躊躇をしただけで、その後アランを殺せた
ってのに、今更怒っているのだ、俺は。
﹁⋮⋮はぁ⋮⋮何か、疲れました﹂
﹁寝てもいいぞ﹂
﹁そうします﹂
俺は腕を組んで、眼を閉じた。
瞼の裏にアランと過ごした日々が映しだされる。
だから、眠るのはやめにした。
﹁どうした、寝ないのか?﹂
﹁やっぱ止めます﹂
気を紛らわそうと、外の景色を眺める。
橙色の光が俺達を照らしているせいか、ケイの目尻が赤く見える。
510
冷たい風が俺達の間を吹き抜けて、アランに被せられた布が飛び
そうになる。
俺は慌てて押さえ、飛ばないように、アランの剣を布の端に乗せ
た。
今、アランの顔を見たくはない。そりゃあ死んだ友人の顔なんて、
見たくないさ。
俺達はギルドへと帰還し、依頼完遂手続きを済ませた。
その後はグレーズのギルドの隣にある墓地に、アランを預けた。
ギルドの隣には大きな墓地がある。それだけ任務中に死ぬ冒険者
が多いって事だ。
俺はルーカス達と別れて、林檎の入った袋を片手にスラム街へと
足を運んだ。
テントに入ると、いつもの様にマリアが笑顔で迎えてくれた。
だが、俺はこの笑顔には甘えない。甘えるわけにはいかない。
俺は今日、何も無かったかのように笑顔をつくり、途中で買って
いった林檎を渡した。
これは俺の罪だ。俺の記憶だ。ずっと残る傷だ。塗る薬も、飲む
薬もない。傷のありかも分からない、厄介な傷だ。
俺はこの傷を一生刻んで、この罪を一生背負わなくてはいけない。
俺は誰にも寄りかかるわけにはいかない。これは全部、俺の罪だ。
これは俺が会社で働いていた頃、上司に無理矢理なすりつけられ
た罪ではない。
俺が自分で選択し、自分で背負うと決めた罪だ。
俺はこの世界では、やりたいようにやる。だから、俺は背負いた
い物も背負う。
511
きっと、マリアに言えば、﹃肩を貸すことは出来るの。私が少し
だけ支えてあげるわ﹄とか言うに違いない。だから、俺はマリアに
は言えない。
﹁シャルル、何をぼうっとしているの?﹂
﹁師匠の事を考えていました。僕の師匠は家族と離れて仕事をして
いたんですが、そろそろ家に帰ったのかなぁと心配になりまして。
それと、僕とヴェゼヴォルを旅した馬、フーガも﹂
俺はマリアに笑顔でそう言って、宿屋に戻った。
久しぶりの宿屋だ。オッチャンに挨拶をしてから部屋に入り、ベ
ッドに倒れこむ。
一人っきり。部屋には誰もいない。
だから、俺は、
泣いた。
512
歩を失った聖母と、友を失った少年は
何日ぐらい経っただろうか。
俺はずっと、ぼうっと過ごした。何をしたかも覚えていないくら
いに、呆けていた。
腹は減っていないから、食事はとっていたんだろうけど。
それはともかく、俺が呆けるのを止めた理由は、来客があったか
らだ。
ルーカスと、ケイと、ダモンの三人。
﹁シャル坊、元気か﹂
﹁元気ですよ﹂
﹁無表情で元気ですよって言う奴がいるかよ﹂
﹁それもそうですね。じゃあ、元気じゃないです﹂
俺がそう言うと、ルーカスは後頭を掻いて、黙り込んだ。
﹁シャルル、ちゃんと食べてるっスか?﹂
﹁多分、食べていたかと﹂
﹁あんまり自分を責めちゃいけないっスよ。これが冒険者の世界っ
て奴っスから﹂
﹁分かってます﹂
﹁シャルルが元気になった時、妹を紹介するっスよ﹂
﹁それは楽しみです﹂
妹を紹介してくれるのか。美少女だと良いな。きっと、体育会系
の喋り方で、ポニテで茶髪なんだろうな。とても楽しみだ。
﹁その、なんだ、ガキにはまだ早すぎたかもしれないが、こういう
513
もんだ﹂
ケイの次は、ダモンが話しかけてきた。普段、ダモンから話しか
けてくる事はない。今回はスペシャルだ。
﹁俺も今まで何人もの友人を失った。落ち込んでいる奴に言うのも
なんだが、こういう事はこの後もたくさん起こる。覚悟しておけ。
それが嫌なら冒険者なんか止めろ﹂
﹁止めませんよ﹂
﹁そうか﹂
﹁とりあえず、皆さん座ったらどうですか﹂
俺はベッドの端に座り、座るよう促した。
全員が椅子に腰を下ろした時、ルーカスが切り出す。
﹁俺達の党は解散だ。頭が居ねえんじゃ、どうしようもねえ﹂
ルーカスはパーティ解散を宣告した。頭ってのは、アランの事だ
ろう。
パーティリーダーが居ないのなら、解散だろうな。アイツ以外の
リーダーは考えられないし。
﹁今夜、お別れ会でもしようや。もちろん、来てくれるよな? い
つもの場所だぞ﹂
﹁はい﹂
俺が返事をすると、三人は部屋を出て行った。
足音が完全に消えるのを確認すると、俺はベッドに横になる。
俺達のパーティも解散か。俺とあいつらとの付き合いは、二年だ
った。
514
たったの二年だが、俺らの絆ってのは深かったと思う。
毎日顔合わせて、その度に笑い合って。この世界にきて一番楽し
んだんじゃないかって思うぐらいだ。
思い出したらまた、肩が重くなってきた。
その後、特に何をすることもなく、窓から見える雲を眺めて過ご
した。
何時の間にか、外からは橙色の光が差し込んできていた。俺は立
ち上がって服を変えると、宿を出る。
途中、オッチャンに心配そうな顔で具合を尋ねられたが、笑顔で
大丈夫だと伝えた。
酒場に着くと、既に三人ともテーブルにいて、時化た顔つきで酒
を飲んでいる。
﹁こんばんは。また僕が最後みたいですね﹂
そう言って、俺は椅子を引き、腰を下ろす。
﹁いいんスよ。シャルルの遅刻した数なんて二桁も無いじゃないっ
スか﹂
﹁そうだな。ガキの癖に律儀なとこがある。たまに下品だしな?﹂
ルーカスが俺の事を下品だと言った。
これは多分、俺がアランと繰り広げていた下ネタトークによるも
のだろう。
﹁最近の子は進んでるんですよ﹂
515
小学生で性行為をする事例が発生しているらしいから。
﹁ほれ、シャル坊。何を食べるんだ? 今回は俺達の奢りだ﹂
﹁皆さん気を使いすぎです。割り勘でいきましょうよ﹂
﹁お前がそう言うんなら﹂
ルーカスは心配しすぎだ。俺は確かに落ち込んでいるが、他人に
気を使わせるのは好きじゃない。
﹁ダモンさんの炭火焼き美味しそうですね∼、いただきますっ﹂
俺はいたずらっぽく、ダモンの注文した豚肉を口に放り込んだ。
﹁んまい∼﹂
﹁俺から飯を横取りか、良い度胸だ﹂
﹁あっ、そっちの手羽先も美味そうですね﹂
﹁おい!﹂
﹁ふが?﹂
﹁貴様ッ! 俺の手羽先を!﹂
﹁うわあ、ダモンさん大人げないっス∼、子供に怒ってるっスよ∼﹂
﹁ぐぬぬ⋮⋮﹂
このパーティのいじられキャラはルーカスとダモンだ。
会う度こんな調子で、最初は疲れたいたが、最近では癒やしとも
言える。
何だかんだで、最後は笑い合うのだ。
一緒にいるだけで楽しい。それが仲間だと、こいつらから教わっ
た。
﹁皆さん、ありがとうございました﹂
516
﹁何だよいきなり。そういうのはまだ早えよ﹂
﹁そうっスよ! 宴はまた始まったばっかりっス!﹂
﹁そうだな。礼は別れに言うもんだ﹂
﹁そうですよね、すみません。じゃあ、楽しんで行きましょう!﹂
俺の言葉に全員が賛同し、俺達は今後の自分達の成就を祈って、
乾杯をした。
宴の後、俺は皆にお礼と別れの言葉を告げて、宿へと戻った。
ケイは酒も入っていたせいか、大声で泣いて、﹃俺っ、楽しかっ
たっス! あ、あ⋮⋮ありがどうございまじだっズゥ!﹄と言って
いた。
その後、ケイはルーカスの服の袖で鼻水を拭いたのだが、ルーカ
スが怒ることは無かった。
そして、泣きながら何処かへと走って行った。
ケイは気遣いが出来て、優しい奴だった。
パーティの癒やしとも言える存在で、元気な声と表情は、俺達に
も元気を与えていた。
ダモンは﹃じゃあな﹄とだけ言って、早足で俺達の元を去った。
去りゆく背中を見ていると、ダモンが目元を拭ったのが見えて、
何だか少し嬉しく思うも、寂しくなった。
ダモンは何だかんだで何時も俺達にサポートを入れていたし、助
けてくれていた。
羽が生えているからパシリを頼まれた事もあったが、その時も文
句を言いつつもやってくれた。
517
ダモンは一言多いが、良い奴だった。
ルーカスは俺の頭を撫でながら、﹃元気でいろよ、シャル坊。強
くあれ。そんで、弱いやつは助けてやれ﹄と言ってくれた。
俺が﹃弱い僕がルーカスさん達に助けられたように、ですね﹄と
言うと、ルーカスは照れくさそうに後頭を掻いて、﹃じゃあ、また
な﹄と言って帰ってしまった。
ルーカスは子供である俺にたくさん世話を焼いてくれた。
道端で困っている人を見ると助けずにはいられない質の人で、い
きなり何処かへ消えたと思ったら、人助けをしている事が多々あっ
た。
そんなルーカスを俺とアランでサポートしていた。ルーカスは見
た目で恐がられてしまう事が多かったからだ。
俺達のパーティは良い奴ばかりが集まっていて、俺の﹃居場所﹄
って感じがした。
だが、その居場所も今日で無くなる。二度と会えなくなるわけで
はないが、それぞれ新しい目標を作るらしいから、しばらくは会え
ないだろう。
寂しくなるな。
﹁でも、なんかスッキリした﹂
ルーカス達と会って、少し気分が軽くなった気がする。
肩の荷が降りたとまでは言わないが、気分は少し晴れた気がする。
アランを殺した罪は拭えないが、いつまでも止まっているわけに
はいかない。
俺は進まなくてはいけない。もっと先に。
目標があるからだ。エヴーラル、アルフ、ジノヴィオス、アメリ
ー、ヴェラ、ティホン、ヴィオラ、マリア、アラン、ケイ、ルーカ
518
ス、ダモン。皆が俺の目標だ。
エヴラールも、アメリーも、マリアも、パーティの皆も、人助け
が好きだった。
道端で見かける困っている人に手を差し伸べる、そんな人達だっ
た。
俺は、そこから始めるべきだと思う。
強くなる、倒せるようになる、そういうのは後回しにして、まず
はそこからだ。
人助けがしたい。たくさんの人を助けたい。
命令されてやるのではなく、自分の意思で、助けたい。
俺の目標はこの時固まった。
俺は翌日、ギルドへと足を運んだ。
人助けの為の、第一歩として、﹃組織﹄を立ち上げる事にした。
組織とは、冒険者ギルドを縮小させた様な団体だ。
個人や団体が﹃冒険者協同組合に来る冒険者﹄ではなく﹃組織﹄
に依頼をする。
野良の冒険者に依頼できない物を組織に依頼するわけだ。
組織に所属している人たちならば、野良の冒険者よりも信用でき
る。ってエヴラールが言ってた。
エヴラールなんか、エヴラール個人に依頼が来るほどに信用され
ているからな。
立ち上げる為にはいくらか払わなければいけないが、金はあるか
ら問題ない。
﹁組織を立ち上げに来ました﹂
﹁畏まりました。書類をお渡し致しますので、こちらへ﹂
519
俺は案内人に、ドラゴンを売った待合室とは別の部屋に通される。
ソファに座り、いれられた茶を啜った。ギルドの組員がいれてく
れる茶は美味い。
茶を飲みながらのんびり待っていると、部屋に人が入って来た。
メガネを掛けた細身の女性だ。細身だが、胸は結構ある。ヴェラ
やアメリー程ではないが。
顔から受ける印象は﹃おっとりとしていそう﹄だ。
俺は立ち上がって、手を差し出す。
﹁どうも、シャルルです﹂
﹁あぁ、あなたがシャルルさんでしたか⋮⋮。私は組織管理科所属
のジネットと申します﹂
﹁よろしくお願いします﹂
俺達は握手をして、向かい合うようにソファに座る。
俺は名前を知られるほどに有名だったのか。恥ずかしい。
と、俺が照れている間に、ジネットは手に持っていた黄みがかっ
た紙を俺の前に広げた。
﹁規則をお読みになられた後、同意の場合は署名をお願いします﹂
アカウント登録みたいなものか。規則を読むのは好きじゃないが、
仕方がない。
面倒に思いながらも、俺は紙に目を通す。
大きな規則は全部で五つ。
一、組織の統率者は一級冒険者以上である事。
二、組織は冒険者協同組合の統御下にある為、組合からの命令は
厳守する事。
520
三、構成員の不祥事は統率者が全責任を負う事。
四、組織間で争う場合、組合に申請をする事。
五、組織の解散時、組合に申請をする事。
細かい規則は省略だ。後で規則書を貰えるらしいから、後で読め
ばいいだろう。
俺は組織名の欄に﹃Nameless﹄と記入した。
統率者はもちろん俺。同意のサインも入れた。
﹁どうぞ﹂
俺が紙を差し出すと、ジネットが首を傾げた。
﹁組織名の所なのですが、何処の文字でしょうか? 出来ればイル
マ語で記入して頂きたいのですが⋮⋮﹂
﹁すみません、それで登録していただけませんか? 読み方はネー
ムレスですので﹂
﹁ねーむれす、ですね、畏まりました﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁登録料として、金貨百枚を頂きますが、宜しいですか?﹂
﹁はい。預金額から引いておいて下さい﹂
﹁畏まりました﹂
﹁それでは、よろしくお願いします﹂
俺が言うと、ジネットが頭を下げた。
俺は待合室を出て、依頼掲示板の前まで行く。
が、やる気が無いので、やめた。ギルドで依頼を受けるのは、し
ばらくやめよう。思い出が蘇る。
拠点はその内作ればいいし、今日は暇だ。
521
そう思って、スラム街へと向かった。
マリアのテントへ行き、カレンとマリアに挨拶をする。
﹁こんにちは、二人共﹂
﹁久しぶりね、何かあったの?﹂
﹁いえ、別に。あ、カレン、俺の買った服着てくれたのか﹂
﹁⋮⋮はい。⋮⋮可愛い、ので⋮⋮﹂
可愛いのは服じゃなくてカレンだよぉ、もぉ。
カレンの今の格好は俺が買った開襟シャツとスカートだ。
ぶかぶかのシャツは俺が保管している。マリアに見られたら大変
だ。
ショートパンツはカレンがスカートの下に履きたいというので、
カレンが持っている。
﹁あっ、そうだ﹂
俺はマリアを見て、思いついた。
俺が前からマリアにしてあげたかった事。それは、マリアを外に
連れ出すことだ。
きっと、長い間出ていないだろうからな。
﹁マリアさん﹂
﹁どうしたの?﹂
﹁失礼します﹂
そう言って、俺はマリアの膝の裏に手を通して、背中を腕で支え
て、体全体を抱き上げた。
魔力を体全体に巡らせれば、軽すぎると感じるぐらいになる。
522
﹁えっ? えっ?﹂
マリアは困惑して瞬きばかりしている。口元は笑っているが、困
っているとも言える。
苦笑と笑顔の間ぐらいの顔だ。どんな笑顔でもマリアは美人であ
る。
﹁行きますよ∼﹂
﹁ちょっと、シャルル!?﹂
俺はマリアを抱えてテントを出た。
陽の光を浴びたマリアは、目を細めて腕で隠す。
﹁⋮⋮太陽﹂
﹁そうです。太陽ですよ、マリアさん﹂
俺はマリアに笑顔を向けて、歩き始めた。
スラム街の皆の視線が集まって、マリアが照れくさそうに、苦笑
する。
そして、マリアは俺の首に腕をまわしてきた。
﹁ありがとう﹂
マリアの俺の言葉が、俺にしみる。
﹃ありがとう﹄と心から、笑顔で言われるのがここまで嬉しいもの
だとは思わなかった。
俺がこれで得をするわけではない。でも、嬉しかった。
マリアが喜んでくれているのが伝わって、俺まで嬉しくなってい
るのだ。
523
﹁どういたしまして﹂
﹁その笑顔は少年みたいで可愛いわ﹂
﹁ありがとうございます。マリアさんのおかげですね﹂
﹁私は抱き上げられているだけよ?﹂
﹁美人を抱えるのは、どんな男でも嬉しいですよ﹂
﹁ふふっ﹂
マリアは笑って、空を見上げる。
﹁久しぶりの空だわ﹂
﹁何色に見えますか?﹂
﹁青よ。あなたには何色に見えるの?﹂
﹁青です﹂
俺が言うと、マリアは目を閉じて深呼吸をする。
俺は女神様を抱き上げているのだろうかと疑うほどに、今のマリ
アの表情は美しかった。
綺麗で、清らか。マリアはもう女神だな。うん、女神だ。
﹁街へ行きましょう﹂
﹁こんな格好で?﹂
﹁嫌ですか?﹂
﹁いいえ、シャルルと一緒なら、行きたいわ﹂
そんな嬉しい事を言ってくれるマリアと一緒に、俺達は街へ繰り
出した。
視線を浴びているのが分かるが、視線には慣れている。
マリアもそうなのか、全然気にしていない。
今のマリアは目を輝かせて、まるで新しい物でも見る子供の様だ。
俺の口元が自然と緩む。
524
しばらく歩いて、俺達は街を抜けた。
俺がマリアを抱えて連れて行ったのは、街の南端にある高台だ。
ここは見晴らしが良いのだが、あまり人が来ない。
俺は大好きでよく来るのだがな。
今は日が落ちている頃で、青春の色が俺達を覆っている。
俺は魔術で椅子をつくり、マリアを座らせた。
﹁⋮⋮世界は、美しいわね﹂
﹁当たり前ですよ。僕が愛した世界ですから﹂
﹁私もこの世界が大好きだわ。そして、カレンもシャルルも大好き
よ。カレンはもちろん、シャルルだって、私の子どものように愛し
ているわ﹂
﹁それは⋮⋮いえ、僕も、マリアさんが大好きですよ﹂
﹁ふふっ、ありがとう﹂
その後は、会話もなく、落ちてゆく夕日を眺めた。
マリアの表情は本当に幸せそうで、俺の心も満たされた。
俺、得したなぁ。
525
義兄妹
数日後の昼頃、スラム街へと向かった俺は、すぐにマリアのテン
トへ向かった。
俺が中に入ると、マリアが柔らかい笑顔で迎えてくれる。
﹁こんにちは、マリアさん﹂
﹁こんにちは﹂
﹁カレンも、こんにちは﹂
﹁⋮⋮こんにちは﹂
うむ、カレンは今日も目を合わせて挨拶をしてくれた。
仲良し度はちゃんと上がっている様だ。
最初の頃の様に、警戒されている訳ではない。
﹁なんだか、カレンとシャルルは兄妹みたいね﹂
﹁兄妹、ですか?﹂
﹁髪の色も同じだし、雰囲気もどことなく似ているわ。血は繋がっ
ていないのに、不思議ね﹂
﹁⋮⋮似てますかね? カレンは大人しくて、人見知りな感じがし
ますけど﹂
﹁性格の話ではないわ。うーん、なんと言えばいいのかしら⋮⋮と
にかく、似ているの﹂
転生してきた者は、雰囲気が似るのか?
やっぱり、普通とはオーラが違うのかも。
﹁カレン、シャルルとお外に行ってきたら?﹂
﹁⋮⋮どうして?﹂
526
﹁運動が必要よ。私のせいで、全然お外に出れなかったじゃない﹂
﹁お母さんの⋮⋮せいじゃ、ない⋮⋮﹂
﹁ふふっ、カレンは優しい娘ね﹂
そう言って、マリアがカレンの頭を撫でる。
﹁行って来なさい﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
返事をしたカレンは、立ち上がって、俺の元に寄って来た。
上目遣いで、俺の方を見てくる。
﹁どうした?﹂
﹁⋮⋮シャルは⋮⋮兄、みたいだって、お母さんが⋮⋮分かる気が、
します⋮⋮﹂
﹁俺も、カレンは妹みたいだって思えるよ、なぜだか。さぁ、行こ
う、カレン﹂
﹁⋮⋮はい﹂
カレンは返事をし、俺の差し出した手をとった。
俺はカレンの手を握り、一緒にテントを出る。
スラム街を出て、街へと繰り出す。
今日のカレンの服装もスカートと開襟シャツだ。
心配せずとも、洗濯はしている。
誰がって、俺がだよ。おっと、勘違いしないで欲しい。
俺は別にカレンの着た服に触れたくて洗っているわけではなく、
人助けの一貫としてやっているだけなのだ。
決して、断じて、やましい気持ちなどない。
服の匂いを嗅ぐなんて、十回ぐらいしかしてないからな。
527
﹁カレン、ごめん﹂
﹁⋮⋮何が、ですか?﹂
﹁何でもないけど、ごめん﹂
俺の謝罪に、カレンは首を傾げる。
ああ、可愛い。
可愛いので、肩車をしてあげた。
﹁さあ、デートだ、カレン﹂
﹁で、で、でーと⋮⋮﹂
﹁どうした?﹂
﹁⋮⋮な、なんでもない、です﹂
なんだ、いきなり。
カレンは普段から落ち着いているから、困惑するような声はあま
りあげないのだが。
⋮⋮もしかして、アレか? 前世のカレンはデートをしたことの
無い初な奴だったのか?
いやいや、流石にないだろう。
俺が前の世界に居た頃は、小学生からデートをしているのが普通
みたいになっていたんだぞ。
まあ、それはいいとして。
﹁カレン、何処か行きたい場所ある?﹂
﹁お母さんと、シャルが⋮⋮昨日、行った場所⋮⋮﹂
﹁分かった﹂
カレンの要望により、俺はマリアと夕日を見た高台へと向かった。
今は昼なので、綺麗な夕日が見れるわけではない。
528
でも、それでも、世界は美しい。
昼でも、俺の眼に映るのは、建造物と、壁と、草原と、青空と、
雲と太陽だ。
日本では絶対に見れなかった景色だ、これは。
カレンは俺の肩に乗っているので、表情が分からない。
でも、一言も発さないから、感動しているのだろうか。
﹁なあ、カレン﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁日本語話せるか?﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
その言葉を聞いて、俺は言語をジャパニーズへと切り替える。
﹃どう思う?﹄
﹃とても⋮⋮綺麗だと、思います﹄
﹃日本語のほうが慣れてそうだな﹄
﹃分かり、ませんが⋮⋮こっちの方が、楽です⋮⋮﹄
﹃そっか。なら、しばらく日本語は話さないほうがいいな﹄
﹃え、何で⋮⋮ですか?﹄
﹃イルマ語を綺麗に喋れるようになったら許そう﹄
﹃⋮⋮分かりました﹄
﹃でもまあ、たまには、俺が付き合ってあげるさ﹄
﹃ありがとうございます⋮⋮。この言葉、には⋮⋮懐かしさを、感
じるんです。おかしい、ですよね? お母さんも⋮⋮この言語を、
知らないのに﹄
﹃いや、俺も、懐かしさを感じる。日本語で喋ったのは何時ぶりだ
ろうなぁ﹄
529
十二年ぐらい、話していないんじゃなかろうか。
独り言も基本、イルマ語だったし。
日本語で話せる相手がいるのは、俺にとっても幸いだったな。
﹃そういえば、今日は祭りがある。フェスティバルだ。行くか?﹄
﹃はい﹄
﹃よし、しゅっぱーつ﹄
俺はカレンを肩に乗せたまま、隣町まで歩いて行った。
︱︱︱︱︱︱
歩いて行ったせいか、今夜祭りのある街、﹃パハーレ﹄に着いた
頃には、既に日は落ちていた。
祭りは既に始まっており、普段から騒がしい露店が、より盛況に
なっている。
大道芸人なんかもいて、日本の夏祭りなんかよりも盛り上がって
るな。
﹁カレン、どうだ?﹂
俺がイルマ語で聞いた。
﹁すごい、です⋮⋮目が、ちかちかして⋮⋮違う世界に、来たみた
い、です⋮⋮﹂
530
まあ、実際、カレンは違う世界にいるんだけどね。
﹁さあ、何か食べよう。お腹が空いただろ?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁何が食べたい? 何でも言ってくれ﹂
俺がそう言うと、カレンは一つの店を指差した。
あれは⋮⋮焼き鳥だ。
タレの味が日本のと少し違うが、それでも似ている。
多分、昔この世界に転生した人が普及させたものだろうな。
もしかしたら、街灯なんかもそうかもしれない。
俺は焼き鳥を十本購入し、カレンと二人で食べきった。
カレンは小食なのだが、今回ばかりはよく食べる。
雰囲気に呑まれているようだ。
まあ、それでいい。楽しめる時に楽しんだほうが良い。
思い出ってのは、誰にも必要だ。
それをいらないと投げ出すのは、人の自由だが。
﹁カレン、パレードだ﹂
﹁ぱれーど⋮⋮でぃず︱︱﹂
﹁待って﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁消される﹂
﹁⋮⋮ごめん、なさい﹂
﹁仕方がないさ﹂
そう、しょうがない。
﹃パレード﹄という言葉を聞いて﹃アレ﹄を連想するのは、きっと
ほとんどの人がそうだ。
531
でも、この世界のパレードはアレのパレードよりも華やかではな
い。
派手なのは一緒だが。
それにネズミさんも出てこないしな。
しかしまあ、アレがパレードと繋がる事は知っていても、アレが
何なのかまでは覚えているのだろうか。
パレードという単語から何となく出てきてしまっただけなのかね。
﹁カレンは行ったことあるの?﹂
﹁わからない、です⋮⋮なんと、なく⋮⋮﹂
﹁何となくかあ。う∼ん﹂
前の世界にある物をたくさん連想させれば、カレンの記憶は元に
戻るのだろうか。
それは、良いことなのか、悪いことなのか⋮⋮俺には判断できな
いな。
カレンの前世の記憶が思い出したい物なのか、そうでないのかが
分からないから。
﹁⋮⋮シャルは、懐かしい感じが、します⋮⋮お兄ちゃん⋮⋮みた
いな、とことか⋮⋮﹂
﹁それは、どんな感じだ?﹂
﹁⋮⋮いつも、シャルが来ると、嬉しくて、悲しい⋮⋮です⋮⋮﹂
うぅむ、前世のカレンには兄がいたのだろうか。
カレンは、俺に兄の面影でも見ているのか?
だとしたら、やめて欲しいものだ。
俺は人に﹃会いたい﹄と思わせるような雰囲気なんか持ち合わせ
ていない。
俺に重ねられたカレンの兄が可哀想だ。
532
﹁俺は、カレンの兄にはなれない﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁でも、俺達は家族みたいなものかもな。マリアさんも、俺の事を
息子のように思っているって言ってたし。だから、俺はカレンの義
兄にはなれるのかもな﹂
﹁義兄⋮⋮なら、シャルは、お兄ちゃん⋮⋮﹂
﹁いいや、お兄ちゃんは止めて欲しい。それは俺に対して言う言葉
じゃないから。シャルでいいよ﹂
カレンは俺の事を﹃お兄ちゃん﹄と呼んじゃいけない。
カレンに兄がいたのなら、カレンが﹃お兄ちゃん﹄と呼ぶべき相
手はそいつであって、俺でいいはずがないのだ。
俺にそう呼ばれる資格なんて無いしな。
カレンの様な可愛い女の子に﹃お兄ちゃん﹄と呼ばれて悪い気に
なるわけではない。
むしろ凄く嬉しい。妹のいなかった俺からしたら、可愛い妹に﹃
お兄ちゃん﹄と呼ばれるだなんて、昔から夢見ていたことだ。
でも、それはそれ、これはこれ。
﹁よし、カレン、ごちゃごちゃした事は後で考えて、今日は遊びつ
くすぞ!﹂
﹁はい⋮⋮!﹂
︱︱︱︱︱︱
533
パレードを観て、飲んだり食ったりし、芸人達のパフォーマンス
を楽しんだ後は、スラム街へと戻った。
へとへとに疲れたカレンは、帰る途中に、俺の背中で眠ってしま
った。
時刻は二十三時を過ぎているから当たり前か。俺も正直、眠いし。
﹁ただいま戻りました﹂
﹁お帰りなさい﹂
俺はカレンを下ろして、マリアの隣に寝かせた。
﹁それじゃ、僕は行きます﹂
﹁あら、ここで寝ないの?﹂
﹁宿に荷物があるので﹂
俺は宿で荷物をまとめなくてはならない。
スラム街に引っ越してくるのだ。
マリアは許可してくれた。
﹁そう。おやすみなさい﹂
﹁おやすみなさい﹂
一礼してからテントを出て、宿へと戻った。
オッチャンが半開きの目と眠そうな声色で挨拶をしてくれた。
﹁オッチャン、珈琲飲んだらどうです?﹂
﹁さっきから飲んでるよ、ったく﹂
﹁あと一時間ですよ。頑張ってください﹂
﹁わあってるよ﹂
534
この宿屋は二十四時に受付を終了する。
その間の出入りは自由だが。
﹁それじゃ、お先に﹂
﹁おう、おやすみ﹂
俺は部屋へと入り、引っ越しの荷物をまとめた。
スラム街のほうが良い。宿代を払う必要はなくなって、マリア達
と寝れるようになるからな。
そして、俺は水浴びをしたあと、ベッドに倒れこんだ。
俺は深呼吸をし、目をゆっくりと瞑った。
翌日、スラム街へと足を運んだ俺は、目を見開いた。
目の前に広がっている光景に混乱と焦りを覚え、腹の奥から何か
が込み上げてくる。
﹁なんだよこれ﹂
俺は、ぽつりと呟いた。
535
義兄妹︵後書き︶
ハハッ!
38話以降のサブタイトルは良いアイデアが思いつき次第変えるつ
もりです。
536
棺を背負いし
目を覚まして、体を起こす。
最近まで感じていた怠さが徐々に抜けていくが、肩の重みは残っ
ている。
朝起きる度に思い出す、アランの笑顔。
あの笑顔を思い出す度に、あの時の感触を、気持ちを、鮮明に思
い出す。
﹁はぁ⋮⋮﹂
そして、俺の一日はため息から始まる。
このままではいけない。俺はこの異世界で楽しむ事を決意したの
だ。
だが、こんな気分じゃ楽しいもんも楽しめない。
﹃カレンの胸を触るやつの台詞ではない﹄という自分自身への突っ
込みに、思わず苦笑する。
俺はいつもの様に外に出る準備をし、トレーニングをする。
朝食を取った後は、宿に戻ってオッチャンに挨拶をし、昨日まと
めた荷物を背負って宿を出た。
まあ、荷物といってもリュックサック分の物しか無いのだが。
金はギルドに預けているし。
俺はこれからの事に期待をふくらませながら、スラム街へと向か
った。
いつもの様に細い路地裏を通って。いつもの様に手土産を持って。
俺はいつも通りだった。だが、それは俺であって、スラム街は別
だ。
537
スラム街は違ったのだ。いつも通りではなく、包まれていた。
何に? 炎だ。そう、炎だ。
スラム街は、赤い海に飲まれていた。
﹁なんだよこれ﹂
それを目にした俺は、呟いた。
腹の奥底から何かが込み上げてくる感覚。
ああ、これを味わったのは人生で何度目だろうか。
と、そんな事を考えている場合ではない。
俺はスラムの人たちを助けるために歩を進めた︱︱が足に何かが
引っかかって、転んでしまった。
﹁ってて⋮⋮⋮⋮なっ、おい、嘘だろ⋮⋮﹂
俺がつまずいたモノは、人だった。
いいや、死体だ。焼死体だ。異様な臭いを放ち、黒焦げになった
人の形をした肉だ。
﹁︱︱おええっ!﹂
俺はその場で嘔吐し、焼死体をもう一度見た。
その焼死体は︱︱バルドだった。
俺はあんぐりさせそうになった口を、歯を食いしばって止める。
焼けている事に衝撃を受けているのもそうだが、それよりも大事
な点があった。
バルドは喉から血を流していたのだ。まるで、刃物で切られた様
に、綺麗に裂けている。
﹁クソッ﹂
538
俺は唾を吐いて、魔術を使う。
スラム街一帯の上空に水の塊を出現させ、衝撃をあまり生まない
高さから落とした。
火は消え、白い煙が上がる。
俺は立ち上がって、更に死体を見つけた。
進んでもう一つ、そして、もう一つ。
全ての死体は喉を切られていた。
﹁誰が、誰がッ!﹂
これは他殺だ。火事で死んだわけではない。
切り口もこげていた事から、喉を切ってからスラム街を燃やした
事が分かる。
俺は全速力でマリアの元へ走った。
途中、引き返そうとも思った。
死んでいるのなら、見たくない。
もう、ショックを受けるのはごめんだと、そう思って。
だが、俺はほんの少しの期待をしてしまった。
まだ生きているかもしれないと。
しかし、現実とは上手くいかないものである。
マリアは、焼けていた。
俺は膝から崩れ落ち、頭を押さえた。
痛いからだ。頭痛がする。腹痛もする。
そして、俺はまた嘔吐した。
﹁っ⋮⋮カレン⋮⋮カレン⋮⋮!﹂
539
俺はカレンだけでも救いたい。
カレンだけでも生きていれば、俺は救われる。
そんなはずはないのだが、混乱した俺は、そう思い込んだ。
﹁しゃる⋮⋮﹂
﹁カレン!?﹂
マリアの死体から声が聞こえた。
あまり見ないようにと目を逸らしていたのだが、視線をやって気
づく。
マリアは、何かを庇うように動かなくなっていた。
まさかと思い、俺は、マリアをゆっくりと退かした。
﹁ああ⋮⋮﹂
俺は安堵の息を漏らし、マリアが守った娘を抱きしめた。
傷の少ないその体を、俺は強く抱きしめた。
﹁良かった⋮⋮﹂
場違いな言葉だ。自分に嫌悪感を覚える程に、苛立たしい。
カレンは、気絶しているのか、動かない。
息はしているし、鼓動も感じるから、気絶しているだけか。
この状況でここまで冷静に分析できる自分が、嫌になる。
俺はカレンをおぶって、他にも生きている人がいないかを探した。
最終的に分かった生き残りは、カレンだけだった。
逃げた人もいるのかもしれない、たまたまスラム街にいなかった
人もいたかもしれない。
540
その人達は助かっただろう。そう思うことにした。
俺は宿へと戻り、ベッドにカレンを寝かせた。
オッチャンに事情を短く説明し、カレンの面倒を見てもらった。
その後は全速力で騎士団本部へと走って行き、副団長室に突撃し
て、事情を説明した。
ウルスラはすぐに動いてくれた。騎士団の知り合いがいてよかっ
たと思う。
﹁よし、よし、よし﹂
俺は、冷静だ。冷静に対応している。
何をすべきか、しっかりと分かっている。
大丈夫だ。俺は、大丈夫だ。
﹁シャルル殿﹂
本部を出ようとした俺に、ウルスラが声を掛けてきた。
﹁何ですか?﹂
﹁残ったモノの処理は騎士団に任せて、お休みになられてはどうで
しょう。酷い顔色です﹂
﹁いえ、お別れが済んでませんので﹂
﹁⋮⋮承知致しました。三十分後には騎士団が着くかと思われます﹂
﹁分かりました。ありがとうございます﹂
ウルスラに頭を下げてから、スラム街へと向かった。
541
スラム街へと着いた俺は、歩きまわって、知り合い全員の亡骸を、
目に焼き付けた。
そうしなければいけないと、何となく思ったからだ。
涙は出ていない。鼓動も早まっていない。至って冷静だ。
だから、見つけた焼死体の全てを治癒魔術で元に戻した。
治癒魔術で命までは戻せないが、それでも死体は綺麗なままの方
がいいだろうし。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
息を一つ吐き、最後にマリアの所へ向かう。
マリアの体は、後ろが焼け、前は喉の切り傷だけという異様なも
のだ。
そのせいか、表情が見える。
穏やかとは言い難いが、苦しそうではない。
安心している様にも思える。
﹁マリア⋮⋮カレンは、俺が責任をもって守るから﹂
動かない、喋らないソレに俺は話しかけた。
﹁マリアが守ったカレンを、俺は絶対、命に変えてでも、守るから。
だから、どうか、心配しないで欲しい﹂
マリアが聞いているはずもないのに、俺は約束をした。
一方的だから、約束というか、誓いになるが、どっちでもいい。
俺は必ず守ってみせる。
﹁でも、マリアは﹃命に変えてでも﹄って言葉、嫌ってそうだな﹂
542
一人呟いて、焦げてしまっていたマリアの背中を治癒魔術で治し
た。
︱︱︱︱︱︱
三十分程して、騎士団が到着した。
俺は火傷を治した事をウルスラに説明してから、宿へと戻った。
部屋では、カレンが眠っていた。
ベッドの側にはオッチャンがいる。
オッチャンは腕を組んで、眉を真ん中に寄せている。
﹁ありがとうございました、オッチャン﹂
﹁おう、いいってことよ。それじゃ、俺は行くぜ﹂
﹁はい。本当に、ありがとうございました﹂
﹁⋮⋮お前もしっかり休めよ﹂
そう言い残して、オッチャンは受付へと戻っていった。
オッチャンの娘の﹃ぉこづヵぃ、ゎすれなぃでょ!﹄という大声
が俺の部屋まで届いた。
﹁ったく⋮⋮﹂
俺は椅子をベッドの側に置き、腰を下ろした。
自分に治癒魔術をかけて、身体的な疲れを取る。
﹁はあ⋮⋮﹂
543
辛すぎる。アランの次は、スラムの皆と来た。
俺には疫病神でも憑いているのではなかろうか。
⋮⋮でも、俺の辛さは、今は吐き出していいもんじゃない。
今、一番辛いのは、カレンだ。おそらく。
親を失った時の悲しみと、喪失感を、俺はよく知っているつもり
だ。
まあ、そこには個人差があり、誰もが俺のように感じるわけでは
ない。
人はそれぞれ違う価値観を持っているから、理解なんてものはし
あえない生き物だ。
感情だと、余計にそうだ。自分と相手に同じ経験があったからと
いって、相手が自分の様に感じるとは限らない。
﹁お母、さん⋮⋮お母さん⋮⋮﹂
だが、この寝言で辛さが伝わる。
カレンの寝言は、悲痛だ。
汗を流して、苦しそうにマリアを呼んでいる。
俺はカレンの小さな手を取り、固く握った。
震えるその手を、俺はずっと握った。
夜の間もずっと眠っていたカレンは、朝になって目を覚ました。
俺は最近になって感じるようになった眠気に負けそうになったが、
カレンの寝言を聞く度に、目が冴えてしまっていた。
﹁おはよう、カレン﹂
﹁⋮⋮しゃる⋮⋮﹂
544
カレンは、目をこすって、辺りを見回す。
自分が目覚めるべき場所にいない事に気付いてカレンは目を見開
いた。
﹁お母、さん⋮⋮お母さんは!﹂
起き上がろうとしたカレンを、手を引っ張って座らせた。
﹁⋮⋮カレン、マリアはもういない﹂
思わず、ストレートに言ってしまった。
﹁っ⋮⋮﹂
俺の言葉を聞いて、カレンが俯く。
それ以降は、口を開かなくなった。
ただ、手は震えて、力んでいる。
転生者であるせいか、状況が飲み込めているのかもしれない。
﹁我慢はするな﹂
俺がそう言うと、カレンは嗚咽混じりに泣き始めた。
最初はこらえるように泣いていたが、最終的には声を上げて泣い
てしまった。
俺はカレンが泣き止むまで、優しく抱きしめた。
︱︱︱︱︱︱
545
しばらく泣き続けたカレンは、落ち着きを取り戻し、俺のあげた
水をちびちびと飲み始めた。
カレンの目元は赤くなり、涙の通った後が残っている。
俺はバッグからタオルを取り出し、水で濡らしてからカレンの顔
を拭った。
﹁カレン、気分は﹂
﹁⋮⋮あまり、良くない、です⋮⋮﹂
﹁だろうな。なら、外へ行くか﹂
俺が提案すると、カレンは無言で首を横に振った。
まあ、落ち込んでいる時に出かける気分になるはずもないか。
だが、こういう時は外に出たほうが良い。
なんとなくだが、そう思う。
ということで、俺はカレンをお姫様抱っこで無理矢理連れ出すこ
とにした。
外出を拒否したわりには、抵抗しない。
一体何を考えているのかは分からないが、抵抗しないのなら好都
合。
俺はカレンと一緒に街へ繰り出した。
途中でカレンを下ろし、手を繋いで歩かせた。
甘やかしてやりたいが、カレンは恥ずかしそうにしていたから、
こっちのが良い。
﹁⋮⋮どこ、いくんですか⋮⋮?﹂
546
適当にぶらついていると、カレンが尋ねてきた。
﹁目的はないよ。ただ、歩いてるだけ﹂
﹁⋮⋮そう、ですか﹂
﹁何処か行きたいの?﹂
俺が聞くと、カレンが首を横に振った。
まあ、元々俺が強引に連れ出しただけだし、行きたい場所がある
わけもないけど。
﹁俺はカレンの面倒を見るつもりだ。カレンが俺と離れたいと思っ
た時まで、そうするつもり﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁嫌じゃない?﹂
﹁⋮⋮嬉し、です⋮⋮﹂
嬉しい、か。
﹁カレン﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁俺達は家族だ。言いたいことははっきり言え﹂
﹁⋮⋮わかり、ました﹂
俺にカレンの悲しみを消せるほどのことが出来るとは思えない。
俺はそんな大層な存在じゃない。せいぜい、和らげるので精一杯
だ。
むしろ、それすら出来ないクズかもしれない。でも、俺はやれる
だけの事はやってみようと思う。
カレンは俺の、家族だから。
547
﹁腹が減った! 食いに行こう!﹂
俺はカレンの手を引いて、飯屋へと向かった。
︱︱︱︱︱︱
散歩して、飯食ってと、今日やった事はそれぐらいだ。
カレンの表情は相変わらず暗いが、それでも、朝に比べて少しは
晴れている気がする。
夜になり、オッチャンに裏庭を借りて、風呂をつくった。
カレンとお風呂である。月夜の下の、幼女と露天風呂。
いつもの様に﹃Fooooo!﹄なんてテンションにはならない。
マイサンも、今は元気を無くしている。
ていうかこの頃、マイサンには元気がない。
どうしたのだろう。
﹁気持ちが良いだろ、カレン﹂
﹁⋮⋮はい﹂
俺はなるべくカレンに目を向けないようにしている。
カレンも俺も裸だ。今は萎えているとはいえ、いつ、俺の息子が
暴走するかは分からない。
と、そんな気遣いも水の泡となった。
俺はカレンと距離をとって湯に使っていたのだが、カレンが俺の
隣に座ってきた。
548
そして、俺の肩にカレンの頭が乗る。
﹁⋮⋮カレン? どうした?﹂
﹁⋮⋮シャルと、近くが、良いです⋮⋮シャルの、側が、良い⋮⋮﹂
﹁大丈夫、俺はカレンの側にいる。カレンが俺と離れたいと思うそ
の時まで、ずっと側にいるさ﹂
﹁⋮⋮お風呂⋮⋮懐かしい⋮⋮﹂
懐かしいか。そうか、そうだよな。お風呂ぐらい入ったことある
よな。
俺も風呂に入った時は感動したもんだ。
俺達はその後、飽きるまで露天風呂に浸かっていた。
時刻は深夜一時。
俺の瞼は今にも閉じそうになっているが、カレンの眼は冴えてい
るようだ。
さっきたくさん寝たから、当たり前だろう。
でも、カレンより先に寝るのもどうかと思う。
なので、俺は椅子に座ってコーヒーを飲んでいるわけだ。
﹁⋮⋮シャル﹂
ベッドに座るカレンが、声を掛けてきた。
﹁ん?﹂
﹁⋮⋮シャルも、お母さん、いないんですか⋮⋮?﹂
﹁まあ、そうだね﹂
﹁⋮⋮お父さんも⋮⋮?﹂
549
﹁⋮⋮そうだね﹂
俺は立ち上がって、体を伸ばしながら答えた。
親父は俺のいた世界で生きているとは思うが、この世界にはいな
いし。
﹁⋮⋮寂しい、ですか?﹂
﹁たまにね﹂
俺がそう返すと、カレンが立ち上がって、俺の前に立った。
カレンはゆっくりと自分の腕を俺の背中にまわした。
幼い娘に正面から抱かれてしまっているこの状況。どうしてこう
なった。
﹁⋮⋮いっしょ⋮⋮です﹂
﹁そうだな﹂
﹁⋮⋮でも、シャルは、強い⋮⋮私は、まだ、痛くて、苦しくて、
悲しい⋮⋮です﹂
﹁俺は別に強くなんか無い。俺も最初はそうだった﹂
﹁⋮⋮どうして、今は⋮⋮平気、なんですか⋮⋮?﹂
﹁人間は、そういう風に出来てるんだ﹂
﹁わかり、ません⋮⋮﹂
﹁その内分かる。だから、今は安め﹂
﹁⋮⋮はい﹂
俺はカレンの頭を撫でてから、ベッドへと促した。
カレンは横になって、目を閉じる。
俺は剣の手入れをして、カレンが眠るのを待った。
﹁⋮⋮うぐっ⋮⋮うっ⋮⋮﹂
550
数分後に聞こえたカレンの嗚咽で、俺は剣を鞘に収める。
剣をベッドの脇に立てかけて、俺もベッドに横になった。
俺はカレンをの頭を抱き寄せて、頭を撫でる。
そうしている内に、俺まで眠くなり、泣いているカレンを抱きな
がら寝てしまった。
551
少年と魔人が戯れるとき・前編
数週間もすると、カレンは落ち着きを取り戻した。
子連れの親を見ては眉を顰めるリアクションはあるものの、泣く
ことはない。
前世のカレンが何歳だったのかは知らないが、それなりに歳はあ
るようだ。
そして、俺達が今しているのは、拠点探し。
その内大きくなるであろう俺の組織の拠点の設置だ。
家としても機能させてしまおう。
﹃シャルル荘﹄みたいに、アパートっぽい感じで。
俺が真っ先に頼るのは、ウルスラだ。
不動産屋なんかもあるが、騎士団のコネを使ったほうが何かと便
利だと思うし。
ズルいから止めるなんて選択肢、俺には無い。
こういう時は、使えるモノは全て使ったほうが良い。
安上がり程いいモノはない。
﹁こんにちは、ウルスラさん﹂
﹁ん? シャルル殿ですか。⋮⋮そちらのお方は?﹂
﹁義妹です。しばらく僕が面倒を見ることになりまして﹂
﹁そうですか。それで、本日は何用でしょう?﹂
﹁組織を立ち上げたんですよ。その報告と、相談ですね﹂
﹁シャルル殿が組織を立ち上げたのは、組合員から聞きました。ど
れほどの成長を遂げるのか、楽しみです﹂
ウルスラが少しだけ口元を緩ませて、期待の眼差しを向けてきた。
552
ビッグになるつもりはあるが、あまり期待されると失敗した時に
申し訳なくなるな。
﹁して、相談とは?﹂
﹁本拠の設置をしたいんです。出来れば、自分の家としても機能で
きるように﹂
﹁なるほど。でしたら、良いツテがございます。少々お待ちくださ
い﹂
そう言ってウルスラは机の引き出しから紙とペンを取り出して、
何かを書き始めた。
ウルスラはサインの様な物を入れた後、紙を丸めて紐でとめた。
﹁どうぞ﹂
ウルスラは丸めた紙を、俺に手渡した。
﹁これは?﹂
﹁紹介状です。私からと分かれば、安くもしていただけるでしょう。
場所は⋮⋮案内人を付けましょう﹂
﹁ありがとうございます﹂
頼れるお姉さん、ウルスラ。
実際は俺より年下だが。
﹁では、先に外でお待ちください﹂
﹁分かりました﹂
ということなので、俺は騎士団本部の外で待つことにした。
カレンに目をやると、緊張した様子だ。
553
緊張していても可愛いな、カレンは。
服装はいつものだが、やはり黒髪は目立つな。
俺と同じ様にコートを着せたほうがいいだろうか。
﹁カレン、コート着たい?﹂
﹁⋮⋮シャルと、一緒、ですか?﹂
﹁そうだな﹂
﹁欲しい、です⋮⋮﹂
﹁分かった﹂
不動産に行った後にでも買ってやるとしよう。
﹁シャルル殿﹂
ふと、名前を呼ばれて後ろを振り返る。
ウルスラの隣には、男性が立っていた。
二十代前半の若い男だ。
顔は⋮⋮イケメンだ。
王子系の顔をもう少しモブに近づけた感じの顔をしている。
﹁案内人を務めさせて頂きます、アントンです﹂
﹁シャルルです。よろしくお願いします﹂
頭を下げ合って、挨拶を済ませる。
﹁では、案内お願いします﹂
﹁畏まりました﹂
俺達はアントンの後ろに続いて、不動産屋へと向かった。
554
数十分後、俺達は一つの石造の建物の前で止まった。
アントンが扉を開けて、中に入れてくれた。
建物の中は⋮⋮受付にしか人がいない。
そこまで広いわけでもないし。
アントンは受付のお兄さんの所まで行くと、何かを伝えた。
俺も受付まで行き、会釈をする。
﹁こんにちは﹂
﹁どうも、こんにちは。ウルスラ様の紹介でお尋ねになられたとお
聞き致しましたが、紹介状はお持ちでしょうか?﹂
﹁こちらです﹂
俺はウルスラに貰った紹介状を受付の兄ちゃんに手渡した。
兄ちゃんは紹介状に目を通すと、こくりと頷いて、俺に座るよう
促した。
﹁初めまして、自分、ホラーツと申します﹂
﹁初めまして。僕はシャルルです﹂
軽く握手をかわしてから、本題に入る。
﹁お探しの物件は、組織の本拠地に使用でき、且つ、寝食が出来る
家としても機能させる事が可能な家とありますが、間違いないでし
ょうか?﹂
﹁間違いないです﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
555
ホラーツは引き出しから書類の束を取り出すと、ペラペラとめく
り始めた。
﹁あっ、ありました﹂
すごいな。今ので読めたのか。
一枚一枚を見るのに、一秒も掛からなかったぞ。
﹁築五年で、部屋数は二十の、四階建て。応接室や休憩室が一階に
御座います。居間、食堂、調理場が二階、三階と四階には十部屋ず
つの個室があります。建物、土地代含め、金貨五千枚になります﹂
四階建てで五千万円。
日本に比べればかなり安いと思う。
今の俺の貯金額は四千万円。
二年の間、アラン達と依頼をこなし、金貨千枚ほど稼いだ。
そして、フェンリルの一件で金貨百枚の報酬を貰い、フェンリル
の死体を売ったことによって、金貨四千枚に達した。
金貨があと千枚足りない。一級依頼をこなすしか無いか。
﹁今はまだ足りないんですが、すぐに用意できると思います。とり
あえず、家を見てみてもいいですか?﹂
﹁はい、もちろんです﹂
ホラーツはそう答え、アントンに視線を移す。
﹁アントン、ここだ。案内してあげてくれ﹂
﹁分かった﹂
556
アントンはホラーツの差し出した紙切れを受け取り、頷いた。
二人は知り合いだったようだ。
﹁では、こちらへ﹂
﹁カレン、行くよ﹂
俺はカレンの手を引いて、アントンの案内の元、これから買うこ
とになろうであろう家を見に行くことになった。
建物に着くまでには、徒歩で数十分ほどかかった。
騎士団本部とギルドの間に位置しているから、丁度いいな。
とりあえず、三人で中に入った。
まず、俺達の目に映るのは、広いロビーだ。天井も高い。
五十人は収容できるであろう広いロビーの両側の壁には、扉がつ
いている。
右側の扉は休憩室、左側の扉は応接室だった。
ロビーの一番奥には階段があり、三人でゆっくりと上っていく。
階段は螺旋でもなんでもなく、普通の階段だった。
二階に上がってすぐに、食堂がある。
食堂の隣に調理場があり、さらに奥に、居間があった。
食堂は二十人ぐらいは余裕で入れるスペースがある。
調理場もファミレスのキッチンと同じぐらいの大きさで、楽しく
料理ができそうだ。
居間の部分だけは違う木で出来ており、周りの色よりも明るくな
っている。
三階へと続く階段は居間にあり、そこから三階へと向かう。
三階にあるのは、広い廊下とドアだけだった。
557
一定の間隔をあけてドアが並んでいて、ドアは合計十個。
四階も同じ作りになっていた。
屋根裏部屋まであったのは、驚きだ。
じっくり見て回った後は、不動産屋へと戻った。
ホラーツがアントンに礼を言い、銀貨を数枚手渡した。
俺はその間に先ほど座った椅子に座る。
﹁如何でしたか?﹂
﹁条件通りですね。今直ぐ購入したいところですが⋮⋮あと千枚、
足りなくて﹂
﹁そうですか。では、半年間、保持していましょう﹂
﹁いいんですか?﹂
﹁はい。ウルスラ様からの紹介とあらば、一年の保持でも可能にな
ります﹂
﹁いえいえ、そんな、半年で充分ですよ﹂
﹁そうですか。気が変わったらいつでもお越しください﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺は頭を下げてから握手を交わし、不動産屋を出る。
アントンの後に続いて騎士団本部へと戻り、ウルスラに経緯を話
した。
﹁なるほど。では、シャルル殿は金貨千枚が必要なのですね?﹂
﹁まあ、はい。これから稼ぎに行くつもりです﹂
﹁そうですか⋮⋮。そうですね⋮⋮いい仕事があれば、紹介致しま
す﹂
﹁それはありがたいです。本当、何から何まで世話になってすみま
せん﹂
﹁いえ、シャルル殿には、こちらもお世話になったので﹂
558
俺はウルスラに何もしてあげれていないと思うが、そう言うので
あれば、それでいい。
どっちみち、こちらには得しか無いからな。
﹁それじゃあ、僕は冒険者組合で受けれる依頼があるか見てきます
よ﹂
﹁分かりました。お気をつけて﹂
﹁ありがとうございました﹂
一礼してから、騎士団本部を去る。
⋮⋮しかし、どうしたものか。
依頼を受けるのは、問題ない。だが、それは俺一人であればの話
だ。
俺にはカレンがいる。彼女を守らなくてはいけない。
俺にできるか? カレンを守りながら依頼をこなすなんて⋮⋮。
正直言って、自信はない。俺にそこまでの力があるとは思えない。
俺はいわば、青二才なのだ。
﹁カレン、俺は金稼ぎに行かなきゃいけないんだけど、どうしよう
か﹂
﹁私も、一緒に、行きます⋮⋮﹂
﹁でも、危ないぞ?﹂
﹁⋮⋮約束﹂
﹁ああ、そうだったな、ごめん﹂
俺はカレンの側にいる、そう約束したっけな。
﹁じゃあ、とりあえずギルド行こう﹂
﹁はい⋮⋮﹂
559
俺はカレンと手を繋ぎながら、ギルドへと向かう。
帰りに服屋に寄って、フード付きの外套を買ってやった。
これで視線対策もバッチリ。
ギルドに着いた俺達は、まず、依頼掲示板へと向かった。
一級依頼の欄から報酬の良さそうのを絞りだす。
といっても、一級依頼はそこまで多くない。
残ったのは二つだ。
一つ目は、﹃竜狩りの党員になって欲しい﹄という物。
もう一つは、﹃ワイバーンを無傷で捕獲して欲しい﹄という物だ。
最初の奴と二つ目の奴の難易度に差がありすぎる。
とにかく、竜狩りはダメだ。カレンがいる状態でのパーティへの
参加は論外。
ワイバーンの無傷で捕獲も、今の俺には出来ない。
さて、どうするか⋮⋮。
と、二つの紙と睨めっこをして悩んでいる時だ。
俺の視界が一瞬ブラックアウトし、再度、光を取り戻す。
﹁な、何が起きてるとですか⋮⋮って、此処かよ!﹂
此処は、エヴラールとヴェゼヴォルを旅した時に訪れた場所、魔
王の間だ。
同じ方法で同じやつに転移させられたらしい。デジャヴュ。
その肝心の俺を転移させた奴は、魔王の間の奥の王座に、頬杖を
ついて足を組んでいる。
自信にあふれたその表情と瞳は俺を捉え、紫色の髪をなびかせて
560
いる。
室内なのに何故なびいているのかと聞かれれば、アイツが団扇で
扇がれているからだ。
アイツの隣にいる、背中に黒い羽の生えた女性に。
﹁また会ったな﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
﹁なんだ、その不機嫌そうな顔。魔王に会えるなど、早々ないこと
なのだぞ﹂
﹁そうですね⋮⋮で、何のようですか。ていうかどうやって転移さ
せたんですか。僕、魔王様の国にいませんでしたよ﹂
﹁その石があるだろう。それは俺とお前を繋ぐ物でもある﹂
﹁気持ち悪い﹂
ポロリと、本音がでる。
﹁貴様、魔王との繋がりを罵るか﹂
﹁すみません、噛みました﹂
﹁わざとだ﹂
﹁すみません、かみまみた﹂
﹁わざとだ﹂
ごまかせませんでした。
まあ、それは置いといて。
﹁何の用ですか?﹂
﹁贈り物だ﹂
﹁贈り物?﹂
﹁ああ。シャルル、お前、女は好きか?﹂
﹁好きですよ﹂
561
﹁なら、丁度いい贈り物がある。可愛らしくて、従順な女だ﹂
﹁え? 女の子をくれるんですか?﹂
﹁そうだ﹂
どういうことだ。
いきなり呼び出して、女の子をくれるって⋮⋮何を企んでいる。
俺に何を求める気だ。
﹁欲しいか?﹂
﹁そりゃ、欲しいですよ⋮⋮﹂
﹁なら、こいつらを倒してみろ。しばらくすれば生き返るから、遠
慮無く殺れ﹂
そう言って、魔王は指をならす。
すると、五つの黒い炎が空中に浮かび上がり、人へと変わってい
った。
﹁戦えと?﹂
﹁うむ﹂
﹁⋮⋮いいですが、この娘を安全な場所にお願いします﹂
﹁良かろう﹂
魔王は、普通に返事をした。
何故だろう。カレンが転生者である事には触れていない。
興味が無いのか、わざと放置しているのか、分からない。
﹁結界を張った。ここなら安全だろう﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺は魔王に礼を言って、肩を回す。
562
戦わされる相手である、五人︱︱いや、団扇で仰いでいた奴も参
戦するようだから、空中にぷかぷか浮かぶ六人を見てみる。
一番左の女は、紫色の髪に茶色のメッシュが入っている。
口を固く閉じて、眠そうな眼で俺の事を凝視している。
その隣の女は、紫色の髪に水色のメッシュが入っていて、目を閉
じて腕を組んでいる。
その隣は、紫色の髪に真っ赤なメッシュが入っていて、活発そう
な雰囲気を醸し出し、シャドーファイティングをしている。
更にその隣は、紫色の髪に緑色のメッシュが入っていて、空中で
寝転がっている。
そしてその隣は、紫の髪に金色のメッシュが入った、おっとりと
した雰囲気の女だ。慈悲の眼を向けられている気がする。この人が
さっき魔王を団扇で扇いでいた女だ。
そして一番右の女が、紫色の髪に、黒いメッシュが入った女。色
気のある笑みを浮かべ、唇に指を乗せて、俺にウィンクをしてきた。
ちなみに、全員に羽が生えている。
﹁可愛い子ね、ここで殺すのはとても勿体無いわ﹂
﹁まだ子どもじゃ∼ん。良いの∼? 魔王様∼﹂
黒いメッシュの女に続いて、緑のメッシュの女が言葉を発した。
﹁構わない。それよりも、挨拶をしろ﹂
魔王が言うと、六人の女は左から順に挨拶を始める。
﹁⋮⋮土の、魔人⋮⋮アルスグラ﹂
﹁水の魔人、リータエル﹂
﹁火の魔人! フラーメズ!﹂
563
﹁風の魔人∼、ガレリーゼ∼﹂
﹁癒の魔人、エリエフです﹂
﹁闇の魔人、アルクラドよ。私達は魔王様の使い魔﹂
長い! 多い! 覚えられない!
アルスグラ、リータエル、フラーメズ、ガレリーゼ、エリエフ、
アルクラドなんて覚えられるわけ無いだろ! まったく!
﹁どうも。僕はシャルルです﹂
俺は頭を軽く下げて、全身に魔力を行き渡らせる。
アルスグラが先に動き、戦闘は開始した。
564
少年と魔人が戯れるとき・前編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
565
少年と魔人が戯れるとき・後編
六人の魔人との戦闘が開始し、俺はすぐに後退する。
アルスグラは土の砲弾を数十個作り出し、俺に飛ばしてきた。
俺は最小限の動きで避け、相手の次の動きに集中する。
アルスグラはまた、砲弾を飛ばしてきた。
そして、砲弾に続いて、フラーメズの火の矢が飛んでくる。
全ての攻撃を避けて、相手の出方を伺う。
次は、リータエルの、水の槍での攻撃だ。
水の槍に続いて、砲弾、矢、氷の槍と、次々に飛んでくる。
エリエフとアルクラドは俺達の動きを目で追っているだけだ。
うぅむ、どうしよう。剣を使って戦うか、最初は魔術で様子を見
るか。
魔王の使い魔ってことだから、それなりには強いんだろう。
なら、安全性の高い魔術で戦うべきか。
俺は、﹃氷槍﹄﹃炎矢﹄﹃弾丸﹄を同時に使用した。
使い魔達はそれぞれ独自の防御を作り、俺の攻撃を防いだ。
音速で飛んだ鉄を防ぐとはな。防御は硬いようだ。
仕方がない。突っ込むか。
﹁ちょっ、シャルル君!? 素手で良いの!?﹂
アルクラドが敵である俺に心配したような表情を向けてきた。
まあ、そんなのどうでもいい。
素手の方が動きやすいのだ。
566
避けれる、殺せる。一石二鳥。
そんな突っ込む俺の右斜前方から火矢、左斜から氷槍、正面から
は土の砲弾が飛んできた。
ガレリーゼは何時の間にか俺の後ろに回りこんでいて、飛行した
状態で両手を俺に伸ばしている。
俺は前方に﹃土壁﹄を展開し、それを使って後転して、ガレリー
ゼの背中に乗る。
﹁え∼?﹂
腑抜けた声を抜かすガレリーゼの頭を掴み、﹃刈り取り﹄を使う。
﹃刈り取り﹄は盗賊を殺す時に閃いて使用した﹃針山地獄﹄の縮小
版を頭に使うものだ。
脳をめった刺しにされたガレリーゼは、黒い炎となって消えた。
俺は地面に落ちるが、勢いを落とすこと無く、前に進む。
土壁を崩し、フラーメズとアルスグラに水を浴びせた。
フラーメズは水をすぐに蒸発させたが、アルスグラは怯んでいる。
だが、アルスグラは怯みながらも、攻撃を回避しようと上昇した。
俺はリータエルに土の弾丸を飛ばすが、水の壁に防御される。
俺は踏み台を作り、アルスグラの足首をつかむ。
そして、﹃氷結﹄を使用し、アルスグラを氷らせ、分解する。
残りは水のリータエルと、火のフラーメズ、それと癒と闇の魔人
だけだ。
フラーメズは空中から火炎放射機のように、俺に火を浴びせてく
るが、土の壁でガードする。
止む気配がないので、地面に魔力を巡らせ、長く太い土の針を生
567
やした。
針の一本がフラーメズの左腕を捉えたが、リータエルは無傷だ。
フラーメズが左腕を押さえている今がチャンスだと、そう思って
フラーメズに向かって飛ぼうとした時、フラーメズの左腕が生えて
きた。
まさかと思い、エリエフの方を見ると、エリエフはフラーメズに
向かって手を伸ばしていた。
即死させないと、エリエフが回復させてしまうのか。
そんな俺の一瞬のよそ見を突いて、リータエルが氷槍を俺に向か
って飛ばしてきた。
俺は胸に飛んできた氷槍を避けるように体をそらすが、右肩に刺
さってしまった。
﹁ぐッ⋮⋮!﹂
未だに痛みには慣れない。
俺は肩に刺さった氷槍を溶かし、﹃治癒﹄を使う。
傷口はふさがり、痛みが引いたが、次に俺を襲うのは、数多くの
炎矢だ。
俺はすぐに土壁を展開し、自分を守る。
炎矢の雨が止むと、俺は二百発の弾丸を形成し、それぞれのタイ
ミングを少しずつずらして発射した。
だが、どれも防御されてしまった。
しかし、これで良い。
俺は石をリータエルに向かって、投げた。
勢いのないそれは、リータエルの水の壁の中に留まった。
568
次の瞬間、石が爆発し、水の壁は飛沫をあげる。
リータエルは思わず顔を隠したが、それが命取りになった。
俺は獣人族の種族固有魔術﹃瞬速﹄の劣化コピーを使用し、一瞬
でリータエルの元に移動する。
そして、リータエルの肩に触れ、﹃氷結﹄を使って、リータエル
を撃破。
残りは三人。
未だにアルクラドは参加していない。
舐めプなのか、何なのか。
まあ良い、あと一人に的を絞れるなら、好都合だ。
俺はフラーメズを左右から水で攻撃し、左右を防いでいるところ
で、上下にも水の攻撃をする。
フラーメズは水に飲み込まれ、俺は﹃水槽﹄を使った。
﹃水槽﹄は水の中に閉じ込めるだけのシンプルな技だが、氷らせて
保存もできる。
まあ、フラーメズならすぐに溶かしてしまうだろうが。
蒸発させられる前に、俺はフラーメズの頭上に巨大な岩を形成し
た。
フラーメズは頭上にあるそれを見て、苦笑する。
俺はそんな苦笑にお構いなく、岩を落とした。
よし、あとは⋮⋮
﹁お二人だけですね﹂
エリエフもアルクラドも、冷や汗を垂らして、顔をひきつらせて
いる。
569
﹁すごいわね、シャルル君⋮⋮﹂
言いながら、アルクラドがゆっくりと俺に近づいてくる。
俺は身構えて、腰の剣を握る。
俺の数歩前でアルクラドは止まり、俺の目を真っ直ぐと見てくる。
そのまま動かず、ただ俺の目をみているだけだ。
行かないならこっちから︱︱
﹁へっ?﹂
俺が剣を抜こうとした時、突然、全身から力が抜け、俺は地面に
倒れた。
何だ? 何が起こった?
力が徐々に抜けていく。これは⋮⋮眠気だ。
尋常じゃないほどの眠気に襲われている。
そうか、闇魔術。たしか、人を眠らせたりするんだったか。
目と目があっただけで効果があったとは。
﹁目と⋮⋮目が⋮⋮あう⋮⋮瞬間⋮⋮﹂
﹁シャルル君、残念ね。私に勝ったらなんでも言う事聞いちゃおう
と思ってたのに﹂
﹁なん⋮⋮だと⋮⋮!?﹂
なんでも言う事を聞く? 俺が勝てば?
なんでも。なんでも。なんでも言う事を、聞いてくれる。
俺の原動力は安かった。その一言で、俺の目は冴え、立ち上がる
力をくれた。
今の台詞は墓穴を掘るに等しい言動だったぞ、アルクラド。
﹁あら、よく立ち上がれるわね﹂
570
﹁なんでも、言う事聞くって、言いましたよね?﹂
﹁ええ、言ったわ﹂
﹁俺の、使い魔に、なるって命令も、聞いてくれるんですよね?﹂
そう言うとアルクラドが魔王に振り向き、どうするか尋ねた。
魔王は﹁それ以外なら何でも聞いてやれ﹂と言って、ケラケラと
笑う。
何が面白かったんだよ。
﹁そういう事らしいから、使い魔になる以外の言うことなら聞いて
あげる。性的なのも聞いてあげちゃうわ﹂
子どもに言う言葉ではないな。
って、ああ、そうか、アルクラド達は俺の中身が大人だって知っ
てるのか。
しかし、性的なものも聞いてくれるのか。
どうしようかな∼。
﹁⋮⋮随分嬉しそうね⋮⋮?﹂
﹁男ですから﹂
﹁ふふっ、なら、早く倒してみなさい﹂
そう言って、アルクラドが挑発するように、唇に指を乗せた。
ううん、倒したい気持ちは山々だが、目を合わせないで倒す方法
を見つけなくてはいけない。
目をつむって戦うのは、不可能だ。俺に第三の目なんてない。
面倒だし、左右上下から潰してしまおうか。
ズルいと思ってあえて使わなかったが、こうなってしまっては、
仕方がない。
571
考えをまとめた俺は、床に手を付け、魔力を部屋中に行き渡らせ
る。
反応されて逃げられないように、壁からアルクラドへ到達するま
でのスピードは音速。
強度は念の為、鉄レベルに調整。
後は目を合わせないようにアルクラドの位置を特定するだけだ。
﹁ふふっ、シャルル君﹂
ふと、俺の耳元で囁く女の声が聞こえる。
背中には柔らかい感触、首には柔い腕が絡みついている。
﹁うッ⋮⋮!?﹂
今の﹃うッ﹄は﹃ふぅ﹄に繋がるものではなく、異常なまでに押
し寄せる睡魔によるものだ。
冗談じゃない。触れただけでも眠気を誘うっていうのか。
落ちそうになる意識を、﹃なんでもしてあげる﹄の為に繋ぎ止め、
自分の太ももにナイフを刺した。
痛みのおかげで、意識がはっきりとしてくる。
﹁うそ!? 今ので落ちなかったの!?﹂
驚きの声をあげるアルクラド。
そんな彼女の腕を掴み、魔力を送った。
逃げようとするので、力を込めて引っ張り寄せ、肩を抱き寄せる。
ついでに足も絡ませて、完全密着状態。
俺の意識は朦朧とし始め、まるで三日間睡眠なしで働いた後の様
だ。
572
﹁ちょっ、嘘でしょっ!?﹂
﹁嘘じゃないよ﹂
﹁んあぁっ! 耳元で喋らないで!﹂
⋮⋮よし、魔力を全身に送り込んだ。
﹁氷結﹂
俺が唱えると、アルクラドの体は一瞬で氷り、粉々になった。
俺の完全勝利。特に流れが変わることもなかった。
俺はすぐに治癒魔術で太ももを治し、立ち上がる。
﹁あとはエリエフさんだけですね﹂
﹁いえ、私は戦闘のために存在しているわけでは御座いません﹂
﹁じゃあ、僕の勝ちですか?﹂
﹁そうなりますね﹂
﹁魔王様は?﹂
俺がそう言うと、魔王が俺に向かって指を向けた。
次の瞬間、俺の腹を何かが通る。
自分の腹を見ると、穴がぽかりと開いていた。デジャヴュ。
すぐさま﹃治癒﹄で治し、穴をふさぐ。
今ので分かった事は、﹃今の俺では魔王には勝てない﹄という事
だ。
何をされたのかすら分からなかった。
さすがと言うべきか。
﹁くぅ∼疲れました! それで、女の子は?﹂
﹁これだ﹂
573
魔王がエリエフに何かを手渡し、エリエフがそれを持ってくる。
俺が渡されたのは、一枚の札だ。
俺の知っている言語では書かれていないが、文字がズラリと並ん
でいる。
札の中央には魔法陣が描いてある。
﹁何ですか、これ﹂
﹁家に帰ったら、裏に書いてあるのを詠唱しろ﹂
﹁裏?﹂
札の裏を確認すると、イルマ語で呪文が書かれてあった。
俺が貰うはずは女の子であって、札ではなかったはず。
何かは分からないが、宿に戻ったら使ってみよう。
﹁もう女の子はいいです。アルクラドさんの復活はまだですか﹂
﹁焦るなガキ。お前、どうせ前世では童貞だったんだろう﹂
﹁お察しの通りでございます⋮⋮﹂
女の子と会話する暇すらなかったよ、俺には。
だから童貞だったのだ。仕方がないことなのだ。
﹁もうアルクラドさんも今度でいいんで帰ってもいいですか? も
う夕方ですし﹂
﹁ああ、良いぞ﹂
カレンの姿を探して、辺りを見回すが、どこにもいない。
おかしいな。
後ろを向こうとした時、背中から何かに抱きつかれる。
﹁おお、カレンか。まったく、お茶目なやつだな﹂
574
振り向いて、頭を撫でてやる。
しかし、表情はどこかしら寂しそうだ。
﹁どうした?﹂
﹁怪我⋮⋮、だいじょぶ、ですか?﹂
﹁怪我? ああ、肩の⋮⋮。大丈夫だよ、魔術で治したから﹂
﹁ん⋮⋮﹂
カレンは短く返事をして、俺の胸に顔をうずめた。
そうか、そうだよな。
家族を失ったばかりだっていうのに、同じ家族である俺が怪我し
たら、心配もするよな。
﹁ごめんな﹂
﹁ん⋮⋮へいき、です﹂
カレンはそんな事を言いつつも、体を少し震わせている。
引き続き頭を撫でて、しばらくすると、俺達二人は元いたギルド
の依頼掲示板前に転移していた。
﹁疲れたか?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁じゃあ、今日はもう飯食って帰ろう﹂
﹁⋮⋮シャル⋮⋮おんぶ﹂
﹁仰せのままに﹂
俺は体勢を低くし、カレンを背中におぶる。
宿に着いた頃にはカレンは既に眠っていたので、ベッドにカレン
を寝かせた。
575
俺はベッドの端に腰をおろし、ため息を一つ。
﹁札の奴はカレンが起きてからでいいか⋮⋮﹂
俺は机にあるコップに魔術で水を注ぎ、口に含んだ。
魔力総量もかなり増えた。体力も、技術も身についてきた。
あとは経験が必要だ。もっと多くの経験が。
今後の予定としては、組織の地盤を固め、依頼をこなす。
メンバー集めにはあまり力を入れたくない。
入りたいと思ったやつをいれればいい。
とりあえず、俺は剣の手入れをする事にした。
夜になり、カレンが目を覚ます。時刻は八時。
遅めだが、これから飯を食べに行こう。
﹁カレン、顔を洗っておいで﹂
﹁ん⋮⋮﹂
カレンは目を擦りながら、洗面所へと向かった。
とてとてと歩く姿は、見ていて危なっかしい。
﹁シャル⋮⋮タオル⋮⋮﹂
洗面所から声が聞こえた。
洗面所に置いていたタオルは干していたんだった。
ちなみに、﹃タオル﹄の様に、二人でいる時は英単語も使ってく
る。
576
俺としては、長い間聞けなかった言葉を聞けて嬉しく思う。
そんな事を考えつつ、洗面所にいるカレンにタオルを手渡す。
﹁ありがと、ございます⋮⋮﹂
﹁いやいや、こちらこそ悪かったね、忘れてた﹂
カレンは顔を拭い終わると、洗面所にタオルを畳んで置いた。
﹁じゃあ、行こうか﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁何食べたい?﹂
﹁⋮⋮らーめん﹂
﹁⋮⋮それは、ちょっと難しいかなぁ﹂
晩飯に何を食べるかを話しながら、二人で飯屋へと向かった。
577
少年と魔人が戯れるとき・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
578
自信の身を守るのは他か自か・前編︵前書き︶
待たせたな!
579
自信の身を守るのは他か自か・前編
翌朝、トレーニングを済ませた後、宿へと戻った。
最近では、カレンもトレーニングを手伝ってくれる。
腕立て伏せの時に背中に乗ってくれたり、腹筋運動の時に足を支
えてくれたり。
走り込みの時はカレンをお姫様抱っこして走っている。
最初は慣れなかったが、最近では余裕のよっちゃんだ。
トレーニングの話は置いといて、今から俺達は魔王に渡された札
が何なのかを確かめる。
札の裏には手順が書いてある。丁寧な字だ。
まず一、呪文を記憶する。
二、札を広い場所に置く。
三、詠唱する。
スリーステップの簡単な手順だ。
俺はまず、呪文を記憶する。
そこまで長くないから、覚えるのは簡単だ。
次に、札を広い場所に置く。
ベッドを壁際に寄せて、スペースをつくり、札を置いた。
そして、俺は詠唱を始める。
﹁人を象り 人であらず 従順であるが故に 冷酷になりて 全て
を砕き 塵へと変える 感情 理性 人格 其れ等は全て妨げにあ
り 真を見つけし時 乙女は主を知る﹂
580
ぐあっ、右腕と古傷がうずくぜ⋮⋮!
止めろ、止めるんだ、俺にあの頃の痛々しさを思い出させないで
くれ⋮⋮。
カレンも俺と目を合わせようとしてくれない。
泣きそうだ。
テンションを下げる俺の事など構わず、俺の体から魔力が逃げて
いく。
魔力の行き先は、部屋の真ん中に置いた札だ。
札が光を放ち、カリカリという異音をたてる。
しばらくすると、異音は止み、光も収まっていった。
だが、俺の体からは魔力が抜け続けている。
数分間、魔力を抜かれ続けた後、札が再度光を放った。
眩しくて、思わず顔を隠す。
光が収まり、流れだす魔力も止まり、俺は顔から腕をどかした。
﹁なっ︱︱﹂
俺の目の前に立っていたのは、少女だった。
見た目は十代前半の、ロリ顔、ロリ体型だ。
肩の下まで伸びたプラチナブロンドの髪は透き通る様で、見ただ
けでサラサラしているのが分かる。
そして、少女の背中にあるのは、肩甲骨ぐらいの大きさしかない
小さな羽だ。
それよりも、少女は裸だ。何かを着せないと。
魔王から貰ったものが召喚札だったとは。
先に言ってくれれば色々準備が出来たってのに。
﹁ああ、えっと、服、着る?﹂
581
﹁︱︱我が主のお望み通りの行動を実行致します。着ろと命じるの
であれば、着させて頂きます﹂
﹁あ、あるじ? 何を言ってるんでしょう?﹂
﹁︱︱自分は名も無き自動人形です。貴方様によって作られました﹂
オートマトンキター。
﹁俺が作ったってどういう事?﹂
﹁︱︱あちらの札には術式が組まれており、貴方様の魔力によって
作動し、形成されました。よって、この姿も主の望んだものとなっ
ております。お気に召しましたか﹂
﹁最高だよ。......えーっと、とりあえず、君は俺の使用人
みたいな感じ?﹂
﹁︱︱使用人とも呼べれば、奴隷とも呼べます﹂
﹁うん、使用人だね。まあ、とにかく、俺の命令は絶対なんだな?﹂
﹁︱︱はい﹂
﹁なら、俺が戻ってくるまでここで待っててくれ。誰かが戸を叩い
ても、誰も入れちゃいけないよ、いいね?﹂
﹁︱︱はい﹂
﹁何かあった時、カレン⋮⋮この黒髪の娘は絶対に守ってくれ﹂
﹁︱︱はい﹂
﹁よし、じゃあ、任せた﹂
俺が言うと、自動人形さんは俺に頭を深々と下げた。
な、なんだこれ。不思議な感覚だ。
﹁カレン、絶対に外に出たらだめだぞ﹂
俺はカレンに向き直り、頭を撫でる。
582
﹁ん⋮⋮気を付けて、ください﹂
俺は宿を出て、自動人形の服を買いに服屋へと向かった。
適当にシャツとズボンを購入し、急いで宿へと戻る。
棒立ちになっている自動人形にシャツとズボンを手渡した。
あ、もちろん、ぶかぶかだ。ぶかぶかにしない訳が無い。
﹁とりあえず、これを着てくれ﹂
﹁︱︱はい﹂
自動人形は俺から服を受け取ると、袖を通した。
﹁そうだ、名も無きって言ってたよな。どう呼んで欲しい?﹂
﹁︱︱主の望むままに﹂
﹁⋮⋮じゃあ、今からお前の名前は﹃ノエル﹄だ﹂
俺の好きなゲームからとったとは言えない。
﹁︱︱畏まりました﹂
﹁それと、﹃主﹄って呼ぶのもだめ。﹃ご主人様﹄と呼びなさい﹂
﹁︱︱はい、ご主人様﹂
くぅ∼、初めて言われたよ、ご主人様なんて!
最高に気持ちが良いじゃないか!
﹁よ、よし、合格だ⋮⋮﹂
う∼ん、自動人形。素晴らしいと思いますね。
そういえば、ノエルは戦闘は可能なのかね。
583
﹁ノエル、戦闘については何か組まれているのか?﹂
﹁︱︱はい﹂
﹁何が出来る?﹂
﹁︱︱自分に使えるのは拳と脚と体しか御座いません﹂
﹁つまり、近接戦闘しか出来ないと﹂
﹁︱︱はい。防御も堅いです﹂
﹁魔術は一切使えないのか?﹂
﹁︱︱はい。存在そのものが魔力によって作られております故、魔
術を使用するために自分の魔力を消費すれば、形は崩れてしまわれ
ます﹂
﹁原動力は?﹂
﹁︱︱ご主人様の魔力です。定期的に供給をしてくだされば、存在
を維持できます﹂
自動人形のバッテリーは俺の魔力で、俺が充電してやらないと消
えちまうってことか。
なら、俺が死んだらノエルも死んでしまう訳だ。
死ねない理由がまた出来てしまった。
﹁ノエルの力を見たい。森へ行こう﹂
﹁︱︱了解致しました﹂
俺達三人は、ノエルの戦闘力を計るため、王国の東にある森へと
向かった。
最初に見つけたのが、オークだ。
﹁よし、ノエル、あのオークを殺れ。近づいてくる敵は全部排除し
ろ﹂
﹁︱︱畏まりました、ご主人様﹂
584
そう言って、飛ぶように走って行ったノエルを茂みから観察した。
ノエルはオークに向かって一直線に走って行く。
数十歩の距離を近づいた時、ノエルは地面を蹴り、オークの頭に
ドロップキックを食らわせた。
ただのドロップキックの様に見えたが、オークの頭は潰れ、肉の
塊へと変わった。
ノエルの後ろに、もう一匹のオークが近づいてくる。
ノエルは跳びかかって来たオークの腹に正拳突きを当て、腹に穴
を空け、アッパーカットで顎を砕いた。
倒れたオークの頭を踏みつぶして、血まみれになったノエルは、
無表情のまま俺達の元へと戻ってくる。
隣を見ると、カレンが小刻みに震えていた。さすがにこの殺し方
は衝撃的過ぎたか。
﹁ノエルは、派手だな﹂
﹁︱︱お気に触りましたか?﹂
﹁いや、そうじゃないが、もう少しマシな方法は無かったのか⋮⋮
?﹂
﹁︱︱マシ、ですか?﹂
﹁そう。見ててくれ﹂
﹁︱︱はい﹂
俺は剣を一本抜き、新しく出現したオークと対面する。
オークは雄叫びをあげながら、俺に向かって突っ込んできた。
俺はオークの振った混紡を、体勢を低くし避ける。
振り終わりの大きな隙を狙い、オークの頭に一突き入れる。
俺が頭から剣を抜くと、オークがゆっくりと地面に倒れた。
ノエルの元へと戻り、剣を拭ってから鞘に収めた。
585
﹁こうだ﹂
﹁︱︱やってみます﹂
森の奥へと少し進み、オークを見つける。
ノエルはオークに向かって走り、心臓に蹴りを入れた。
だが、胸にはぽかりと穴が空き、血が溢れ出る。
﹁︱︱申し訳ありません。次こそは﹂
﹁いや、良い。そういう風に出来てんだろうな、きっと﹂
攻撃力にステータスを全振りした感じだろう。
出来ないのなら、無理してする必要もない。
これはこれで戦えるのだから、問題はないだろうし。
寧ろ、俺より強いんじゃなかろうか?
朝起きたら首より上が潰れてました、なんてことがあったらどう
しよう。
﹁さて、ノエルの力は分かったことだし、今から組合へ行く﹂
﹁︱︱冒険者協同組合でしょうか?﹂
﹁そう。少し金が必要だから﹂
﹁︱︱力の限りを尽くさせて頂きます﹂
一々大げさだな。
可愛らしくて宜しい。
﹁ノエル、カレンをおんぶしてやってくれ。お姫様抱っこでもいい
ぞ﹂
﹁︱︱では、失礼致します﹂
ノエルがカレンをお姫様抱っこしている状態で、俺達はギルドへ
586
と向かった。
︱︱︱︱︱︱
ギルドは相変わらず賑わっていて、そこら中から笑い声が聞こえ
る。
俺は依頼掲示板の前に立ち、新しい依頼がないかを探す。
﹁シャルル殿﹂
掲示板を睨む俺の後ろから、誰かが声を掛けてきた。
俺は振り向き、声の主を確認する。
﹁ああ、アントンさんですか。こんにちは﹂
﹁こんにちは﹂
﹁こんな所で会うなんて、奇遇ですね﹂
﹁実は、副団長が大事な話があるとの事で、お呼びに参りました﹂
﹁なるほど﹂
アントンがノエルを一瞥する。
﹁新しい娘ですか。シャルル殿も隅に置けませんね。流石、副団長
を陥落しただけの事はあります﹂
﹁陥落した覚えはないですよ。それに、フードの娘は僕の妹で、銀
髪の娘は⋮⋮親戚ですから﹂
﹁そうでありましたか。とんだご無礼を。しかし、副団長は大変シ
587
ャルル殿を気にかけているようです﹂
﹁⋮⋮母性本能じゃないでしょうか﹂
﹁なるほど。言われてみればそうですね﹂
ウルスラを陥落できる男がいるのだろうか。
仕事熱心なウルスラを口説き落とせる奴は、かなりのプロだぞ。
落とし神様ならやってくれそうだが。
﹁では、参りましょう﹂
俺達はアントンの後に続き、騎士団本部へと向かった。
副団長室にノックをして、ウルスラの返事を待ち、入室する。
﹁わざわざすみません﹂
﹁いいえ、構いませんよ﹂
﹁そうですか、ありがとうございます。では、シャルル殿、よけれ
ばお座り下さい﹂
促され、俺はウルスラの机の前にある椅子に腰を下ろす。
そして、ウルスラは一枚の紙を俺に渡してきた。
何かの依頼状だ。
﹁これは?﹂
﹁魅人の国からの依頼状です﹂
﹁これがどうかしたんですか?﹂
﹁信頼できる冒険者に依頼したいそうです。最初は騎士団への依頼
だったのですが、急遽、冒険者にして欲しいと頼まれました﹂
﹁それで、信頼出来るのが僕と?﹂
﹁はい。私の知る限り、最も信頼できる冒険者はシャルル殿です﹂
588
そこまで言われると恥ずかしいな。
﹁しかも、魅人の王からの依頼です。報酬金も弾みます﹂
﹁魅人の王が冒険者に一体何を依頼したんですか﹂
﹁詳細は向こうに着いてからとの事ですが、報酬金なら、依頼状の
下に記載されております﹂
どれどれ。依頼を完遂した者に、金貨一万枚⋮⋮か。
金貨一万枚!? 日本円に換算して一億円だぞ!?
﹁こ、これ、詐欺とかじゃないですよね?﹂
﹁いいえ、王の署名がありますので、間違いないでしょう﹂
﹁な、なんてこった⋮⋮﹂
必要である金貨千枚を遥かに上回る金額だぞ。
この世界においては、一生遊んで暮らせるレベルだ。
しかし、報酬が大きいという事は、それだけリスクを伴うという
事だ。
カレンのいる今、大きなリスクを背負うのは、気が引けるな。
﹁緊急依頼なので、明後日の夜までには完遂できないといけないよ
うですが﹂
ウルスラが情報を付け加える。
緊急依頼って事は、それだけ重要であり、重大な依頼だってこと
だ。
今直ぐに解決しなければいけないような、王からの依頼。
国のことではない⋮⋮なら、身内に何かあったか、だな。
﹁受けましょう。この報酬金はおいしいです﹂
589
﹁ありがとうございます。では、準備が整い次第、声をかけてくだ
さい。すぐに魅人の国へお連れ致しますので﹂
﹁転移ですか?﹂
﹁はい﹂
﹁向こうにも冒険者協同組合はあるんですか?﹂
﹁御座います。お金に困る事はないかと﹂
﹁なるほど。では、少し宿に戻ります﹂
﹁承知致しました﹂
俺は一礼してから騎士団本部を去る。
宿へと戻り、タオルや着替えの入ったバッグを背負って、オッチ
ャンにいない間の宿代を前払いした。
帰ってきたら、すぐに休めるように、部屋はとっておきたい。
﹁どっか行くのか?﹂
﹁ええ、ちょっと、遠征に﹂
﹁そうか。気を付けてけよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
挨拶を終え、騎士団へと戻る。
ウルスラに準備が出来たと告げ、ウルスラの後に続き、騎士団本
部の裏にある部屋へと向かう。
部屋の中央には淡い青色の光を発する魔法陣がある。
ギルドの裏にあった部屋にもこんなのがあったな。
﹁ここには、団長と私が許可を得たものしか入れないようになって
います。誰にも許可を出したことがないのですが﹂
﹁じゃあ、僕が初めて許可を得たわけですか﹂
﹁そうなりますね。では、お気をつけて﹂
﹁色々と面倒をかけてすみませんでした﹂
590
﹁いえ、困ったときは、お互い様です﹂
ウルスラとの挨拶を済ませ、俺とカレンとノエルは魔法陣の上に
のり、エルフの国へと向かった。
591
自信の身を守るのは他か自か・前編︵後書き︶
詠唱を考える時は賢者でした。
592
自分の身を守るのは他か自か・後編
俺とカレンとノエルが転移した先は、魔法陣の上。
魔法陣を取り囲むのは、無地の壁だった。
扉の近くには、誰かが立っている。数は二、遠目からでは性別を
判断できない。
俺達はゆっくりと、壁に背を預けてこちらを見ている人物に近づ
く。
刹那、二人の内の一人が、俺に向かって跳躍した。
バネの様に柔らかい跳躍ではなく、鋭さを帯びている。これは、
攻撃の意だ。
何となくそうだろうと思っていた俺は、すぐに身構える。跳躍し
てきた奴の顔が見えた。性別は男。
相手の武器はレイピアだ。俺に向かって、綺麗に、真っ直ぐ伸び
てくる。
俺はすれすれで躱し、手首を蹴り上げる。
レイピアは宙を舞い、寝技をかけようと腕を捉えようとするが、
俺はすぐにバックステップをする。
もう一人の方が、魔術を使ってきた。氷の槍が飛んできたのだ。
二対一、俺一人でやるか、ノエルに指示を出すか。いや、ノエル
にはカレンを守ってもらわなくてはならない。後者は無しだ。
レイピアを拾い上げた男は、また、俺に攻撃をしかける。
横に躱し、顎に裏拳をあてた後、腹に膝をいれる。
﹁ッ︱︱ッ︱︱!﹂
593
呻き声をアッパーカットで遮った。
次に、飛んできた氷の槍を土壁で防ぎ、すぐに崩して、空いてい
る左手からハイドロポンプを魔術師に向かって放つ。
立ち上がろうとしたレイピア男を胸に足を置いて静止し、魔術師
を﹃水槽﹄に閉じ込めた。
だが、魔術師は水に溶け、レイピア男は砂となって消えた。
﹁ノエル! カレンと自分の身を絶対に守れ! 最重要命令だ!﹂
﹁︱︱了解致しました﹂
ノエルに指示を出し、すぐに部屋全体に魔力を張る。姿は見えな
いが、反応があった。
一人は俺と数歩近い場所に、一人は俺よりも10メートルは離れ
た位置にいる。
おそらく、近くにいるのがレイピア男だ。透明になれるとか、反
則だろ。
俺は、腿のナイフを魔術師だと思われる方に投げ、剣を一本抜い
てレイピア男のいるであろう位置に横薙ぎを繰り出す。
もちろん、どちらも当たらなかった。ギリギリで避けられるよう
にしたからな。
俺は二人を水槽に閉じ込め、二人の体内に俺の魔力を送る。
また、二人共水になって消えた。変わり身の術か何かだろうか。
消えた二人の反応を示した場所は、部屋の隅だった。
突然の移動⋮⋮転移か。部屋のどこかに転移魔法陣が刻んであり、
何らかの方法で二人は転移を使っているのか。
だが、不可視化は何が原因だ? ただの魔術か?
アルフはそんな魔術は教えてはくれなかったが、魅人の秘伝魔術
とかならありえるかもしれない。
594
アランも秘伝魔術があるなどと教えてはくれなかったが。
不可視化はひとまず放っておこう。魔力の網に引っかかるから、
何処に居るかは反応できる。
だが、転移は厄介だ。魔法陣を潰しておくか。
考えをまとめた俺は、すぐに床に注意を注ぎながら走り、それっ
ぽい物がないかを探す。
途中、飛んでくる攻撃を躱し、防いで、見つけた魔法陣の数は八
つだ。
部屋の四隅と、四つの壁際に一つずつだ。
﹁ノエル、部屋の隅と壁際の中心を足で潰してくれ。少し手加減を
しろよ?﹂
﹁︱︱了解致しました﹂
俺が命令すると、ノエルはすぐに動いた。ノエルは俺の言った場
所に凹みを作り、カレンの側へと戻った。
これで転移は無い。閉じ込めることは可能になるだろう。
俺は水槽に魔術師とレイピア男を閉じ込める。思った通り、二人
が消える事はなくなった。
俺はアルフに教わった魔力を吸収する技を使い、二人から魔力を
奪っていく。
一定値奪ったところで、二人の姿が見えるようになった。
やはり、不可視化は魔術だったらしい。俺も透明人間になれたら、
あんな事やこんな事がたくさん⋮⋮。
っと、そろそろ二人が死んでしまう。事情聴取もしなくてはいけ
ないので、俺はすぐに水槽から二人を解放してやった。
﹁ゲホッ、ゲホッ!﹂
595
﹁ハァッ、ハァッ、ハァッ!﹂
苦しそうだが、手首と足首に土の手錠をはめ、拘束する。
しばらくして、二人の息が整う。
﹁いきなり攻撃してすまない。我々は依頼をした者だ﹂
レイピア男が謝罪を口にした。
﹁何故、依頼者が俺達を攻撃したんですか?﹂
﹁それは︱︱﹂
﹁次にお前はこう言う! ﹃力を試させてもらった﹄と!﹂
﹁︱︱力を試させてもらった﹂
先に言われても自分の言葉を最後まで言う辺り、レイピアっぽい。
今のは⋮⋮全然上手くないな。恥ずかしい。
とりあえず、依頼主であるというのであれば、拘束しているわけ
にもいかない。
俺はすぐに手錠を外してあげた。
﹁いきなりの無礼、すまなかった﹂
﹁いえ、良いんですよ﹂
﹁では、案内しよう﹂
魔術師の顔は、未だローブで見えないが、口元が少し綻んでいる。
謝罪も無しな上に、ニヤけるとは、なんたる無礼者か!
まぁ、俺は気にしないから良いのだが。
ともかく、俺達三人は、レイピア男と魔術師の後に続き、無地の
壁の部屋を出た。
596
俺達が出た先は、神殿の様な場所だった。老廃した神殿ではなく、
真新しく、白い神殿の様な場所だ。
﹁こ、ここは?﹂
﹁ただの廊下だ﹂
﹁廊下!? ここが!?﹂
﹁ああ。俺も最初は神殿か何かだと思った﹂
いや、だって、廊下だとは思わないぞ、普通。
白い柱がずらりと並んでいて、床はピカピカの大理石。
広さは、数百人が前ならえをしても入るくらいだ。
﹁王宮ですか? ここ﹂
﹁そうだ。中に入ればもっと驚くぞ﹂
レイピア男が歩き出し、俺達もすぐに後を追う。長い廊下の先に
は、大きな扉がある。
それを魔術師とレイピア男が二人がかりで開け、俺達を中へと招
いた。
﹁ようこそ、魅人の王宮へ﹂
レイピア男が両手を広げながら言った。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
俺も、カレンも、言葉を失った。
カレンが王宮に来て、言葉を失うのは分かる。
だが、俺はアルフの城に行ったことがある。国王の城にだ。
597
そんな俺でも言葉を失うほどに、広く、高い場所だった。
光る床、赤いカーペットの道、魅人の像に、横幅のありすぎる階
段、そして多くの大きな扉。
アルフの城なんかとは比べ物にならない位、大きかった。
ここだけで暮らせそうな気もするのに、更に上階が存在するのだ
から、たまげたものだ。
﹁カ、カレン、これは、驚いたね﹂
﹁⋮⋮はい。童話の、城みたい、です⋮⋮﹂
ああ、そうだ、某ガラスの靴の童話の城もこんな雰囲気だったろ
うか。
だが、あれよりも品性がある気がする。実際に目にしているから
そう感じているだけかもしれないが。
﹁レイピアさん、すごいですね、ここ﹂
﹁レイピアさんじゃねえ、ティズだ﹂
﹁ティズさんですか。そういえば、挨拶がまだでした。僕はシャル
ルです。よろしくお願いします﹂
﹁また失礼な事をしたな。改めて、俺はティズ。よろしく﹂
俺の差し出した手を、ティズが握る。
ティズには失礼だが、未だにエヴラールに勝る握手の心地よさを
持つ男を知らない。
﹁好きなだけ見ていけ⋮⋮と、言いたい所だが、時間が無いんだ。
構わないか?﹂
﹁はい、大丈夫ですよ。さっさと話を済ませましょう﹂
﹁助かる﹂
598
俺達三人は、階段を登り、二階、三階、四階、五階、六階とを過
ぎ、七階で足を止めた。
俺とノエルは平気だが、カレンの息はきれている。
だが、急いでいるらしいからな。ここで一休みというわけにはい
かんだろう。
ということで、俺はカレンを背負うことにした。
ちっとも成長していない胸が背中に当たり、心地が良い。
﹁シャル⋮⋮今、失礼な事、思った⋮⋮?﹂
﹁えぇ? いいえ。失礼なことだなんてそんな﹂
﹁⋮⋮あやし﹂
すると、俺の首に巻かれたカレンの腕に、少しだけ力が入る。
﹁⋮⋮白状﹂
﹁う⋮⋮すみません、胸が小さいなって思いましたごめんなさい﹂
﹁⋮⋮成長は、これから⋮⋮⋮⋮多分﹂
﹁大丈夫だよ。俺は小さいのも大きいのも普通のも大好きだから﹂
﹁ほんと⋮⋮?﹂
﹁ああ、本当だ﹂
﹁なら、いい⋮⋮﹂
何がいいのかは知りませんが、許してくれたようです。
そんなこんなで、俺達は王の間へと辿り着く。
他のよりも大きい扉が開かれ、カーペットの先にある王座につい
た人物と、俺の目があう。
俺達はティズに促され、王に近づいてゆく。
不可解な事に、兵士やら護衛やらが数人程度しかいない。
警戒が薄すぎるのではなかろうか。それとも、自分たちの戦力に
599
それだけの自信を持っているという事か。
まあ、どっちでも良い。俺には関係のないことだ。
王の前まで来たティズと魔術師は、片膝をついた。
真似しようと思ったが、立場を考える。相手はたしかに王だが、
その前に依頼主だ。
立場的には俺のほうが上。客が神様だなんて考えは俺には無い。
こちらが断ろうと思えばいつだって仕事を放棄できるのだから。
﹁僕はエルネスト。魅人の国、エスキューデの王だ。君は?﹂
俺が片膝をつかなかった事を指摘することもなく、王座に座る人
物が名乗った。
エルネストは、サラサラとしてそうな金髪の、爽やか過ぎる、見
ているだけで涼しくなる感じのイケメンだ。
敗北感を胸に、俺も名乗る。
﹁一級冒険者のシャルルです﹂
﹁ここにいるという事は、二人を倒したという事なんだね?﹂
﹁はい、そうなりますかね﹂
﹁そうか⋮⋮なら、任せられそうだ﹂
そう言って、エルネストは王座からおりはじめた。
ティズに耳打ちをして、ティズが短く頷く。
﹁付いて来てくれ﹂
エルネストが俺達に手招きをした。
言われた通り王についていき、俺達が通された場所は、王の間の
右側にあった廊下を抜けた先にある部屋だ。
600
ソファに座らされ、メイドの一人がお茶の入ったティーカップを
三人分、ガラスのテーブルの上に置いた。
ノエルが先に口をつける。
﹁︱︱危険物は混入されていません﹂
ノエルが俺に耳打ちをしてくれた。
﹃出された物をホイホイ飲むな、食べるな﹄とはエヴラールの台詞
だ。
エヴラールも冒険者になりたての頃、拉致されそうになったらし
い。
全員ポキリと殺して解決したそうだが。
﹁では、仕事の話をしよう﹂
早速、エルネストが切り出す。
﹁僕からの依頼は、誘拐された娘の奪還だよ。そして、誘拐した奴
等の首を飛ばして欲しい﹂
﹁娘?﹂
﹁ああ、僕、若く見えるだろう? これでも七十歳なんだよ。魅人
は年をとっても老けないからね﹂
ああ、そういえば、百二十年とか百三十年とか生きるんだったか。
﹁なるほど。それで、誘拐というのは? 王の娘を誘拐なんて、普
通では出来ませんよ﹂
﹁確かに、王女が誘拐されるなんてバカバカしい話だ。だから、こ
の依頼は秘密裏にしている。国の者達は一切知らない。国の混乱を
招く。だから、護衛部隊も動かせない﹂
601
まあ、王女が誘拐されたなんて話が公に出れば、国民が混乱する
だろう。
だが、国の混乱は建前で、実際は、王女が誘拐された事を知って、
誘拐された王女を奪取しようとする輩が現れるのを阻止するためだ
ろうな。
﹁それを僕達に依頼するという事は、誘拐犯も特定できていない、
という事ですね?﹂
﹁恥ずかしながら⋮⋮﹂
﹁誘拐犯の特定、奪取を二日以内にやれと?﹂
﹁そうなるね。出来れば、今日中に﹂
﹁そもそも、王女には護衛すらいなかったのですか?﹂
﹁いたさ。一日中見張られていたんだ。陰からね。朝と昼は十数人
の男が、夜から朝にかけては十数人の女が見張る﹂
﹁そんな中でどうやって攫われたんですか?﹂
﹁分からない。見張りは全員が口を揃えて﹃突然消えた﹄としか言
わなかったんだ﹂
﹁見張りも共犯だという事は?﹂
﹁ありえない。全員の動きが僕に分かるようになっている﹂
うぅん、不可能じゃあないだろうか。突然消えた娘。手がかりは
無いに等しい。
それなのに、誘拐犯を特定だって? ムリだろう。
﹁無茶な依頼だというのは分かっている。だが、必ず見つけて欲し
い。僕の大事な娘なんだ⋮⋮﹂
﹁国よりも大事な娘ですか?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁答えは﹂
602
﹁⋮⋮ああ、そうだよ⋮⋮国よりも大事だ﹂
﹁分かりました、引き受けましょう。ただし、この事態ですから、
報酬は増やしてもらいますよ?﹂
﹁ああ、構わない。何だって払う。娘さえ帰ってくれば、なんだっ
て⋮⋮!﹂
よし、決定だな。仕事は引き受けた。完遂しないわけにはいかな
いな。
﹁とりあえず、城内と王女の部屋の調査が自由にできる許可が欲し
いです﹂
﹁分かった。国にいる間の食料も、寝床も提供する﹂
え、そこまでしてくれるのか。
提供された物は好都合でしかないから、ありがたいのだが。
﹁ありがとうございます。必ず、王女をお見つけ致しましょう﹂
﹁感謝致します﹂
俺達は立ち上がり、退室しようとするが、エルネストに呼び止め
られ、足を止める。
﹁これを﹂
手渡されたのは、複雑な紋章の入ったメダルだ。
﹁これは?﹂
﹁これを見せれば、何処にでも通してもらえる﹂
﹁なるほど﹂
603
こうして、俺達は誘拐された王女を探す事になった。
604
挿話 ﹃自動人形﹄
いつもと同じ様に、対面しながらヴィオラとジノヴィオスは話し
合っていた。
だが、形は同じでも、二人の表情は違っていた。ヴィオラの顔か
ら挑発的な笑みは消え、ジノヴィオスには怒りすら見える。
みじん
﹁お前の送った魅人は死んだ。どうするつもりだ?﹂
ジノヴィオスが重い声でヴィオラに問う。
ヴィオラは眉をぴくりと動かし、しばらく黙り込んだ。
﹁﹃教会﹄はあの魅人が監視役であると特定し、事故を装って殺し
やがったんだ。これの意味が分かるか?﹂
﹁分かっておる。分かっておるさ⋮⋮﹂
二人は何も、焦っているわけではない。ただ、気の抜ける状態で
もないというだけだ。
﹃魔神﹄を取り巻く環境は変化する。それも、じわりと、指の先か
ら体の肉を刻んでいくように。
﹁それだけじゃない。奴らはシャルルの居場所さえも奪ったんだ。
﹃教会﹄はそろそろ動き出す。だからよ、俺様はまたあいつと接触
しようと思う﹂
﹁何か、策があるのか?﹂
﹁ああ。とうの昔に準備したモンだ﹂
﹁ほう?﹂
﹁今度は、頑丈で、ずっと側にいれる様な護衛だ。シャルルも見た
目を好むだろうよ﹂
605
﹁つまり、胸が大きくて包容力があって上品で慈愛を持ち合わせて
いるのだな?﹂
﹁ん? アイツが好きなのは子どもだろ?﹂
﹁何を言っておる。奴は胸が好きなんじゃ。いっつもいっつもマイ
ヤとデレデレしておったからのう﹂
二人の持つ、シャルルの守備範囲情報は異なっていた。だが、ど
ちらも正しい。
シャルルの守備範囲は限定的なものではない。﹃どれが﹄好きと
こなた
いうわけなのではなく、﹃それも﹄好きという事なのだ。
﹁⋮⋮見た目を幼女にしてしまったんだが﹂
﹁もっと情報を集めてから行動に出んかい! 何故、此方に聞かな
かったのじゃ!﹂
﹁いや、自分の目に自信があったもんでよ⋮⋮﹂
﹁愚かじゃの⋮⋮﹂
二人はため息をつくと、腕を組んで考え込んだ。果たして、シャ
ルルが幼女を好むのかどうか。
ジノヴィオスは﹃勘﹄を頼って、シャルルの性癖を見抜いたつも
りだったが、一緒に過ごした事のあるヴィオラがそうではないと言
っている。
ヴィオラが見てきたものは、マイヤに懐くシャルルだった。胸を
触ったり、膝枕をしてもらったり、抱きついたり、一緒に食事をし
たり。
護衛対象であるシャルルに特別な感情を抱いたわけではないが、
自分ではなくマイヤばかりを相手にしていた事に腹を立てた事は、
ヴィオラの嫌な思い出だ。
﹁あのさ﹂
606
﹁なんじゃ?﹂
﹁別にアイツの好む容姿にする必要なんて、無いんじゃねえのか?﹂
﹁⋮⋮たしかに、そうじゃの﹂
﹁⋮⋮俺様達は何をやってたんだ⋮⋮﹂
元々、護衛役として送るだけなのだから、容姿をシャルルの好み
にする必要性など、微塵もないのだ。
好みであれば、シャルルの居心地も良いのだろうが、それは返っ
て意識させてしまう。
だから、別にこのままでもいいのでは、という結論に至った。
⋮⋮結局、シャルルはノエルを気に入ってしまったわけなのだが。
この一週間後、シャルルは魔王の使い魔との戦闘を終えた後、ノ
エルを召喚する札を貰う事になる。
シャルルはまだ、知らない。ノエルの作られた理由も、魔王がシ
ャルルにノエルを送った理由も。
シャルルはまだ、知らない。アランの死んだ理由も、スラム街が
焼き崩された理由も。
︱︱シャルルが、この世界に降り立った理由も。
607
囚われの姫・前編
まず、俺達が最初にしたことは事情聴取だ。
城内にいる奴等に聞いて周り、誘拐された日の状況をメモに書き
込んだ。
メモは以下の通り。
名前はアリア。
年齢は十六歳。
お淑やかで美しく、清らか。
アリアの風魔術は世界一ィィィィ!
行動は⋮⋮
いつもの時間、朝の八時に、メイドに起こされ起床。
朝食を摂った後は、算術、言語の授業を受け、昼食後に、作法、
魔術、護身術の授業を受けた。
算術の授業中にしたあくびの回数は二十三回。
言語の授業中にしたあくびの回数は十五回。
作法の授業中には三回のあくび。
護身術と魔術の授業中は一度もあくびをしなかった。
咳の回数はあわせて二十六回。
くしゃみの回数は十二回。
汗の拭われた布は三枚。
護身術の授業中に転んだ回数は十回。
その日も風魔術は素晴らしかった。
護身術の授業の後は、入浴。
右腕から洗い始めた。
608
右脚から湯に入り、十数分後に湯を出た。
寝間着の袖に右腕から通す。
着衣後、生菓子の一切れを食べた。
その後、歯を磨き、小さな灯りをつけたまま就寝。
寝返りを打ったあと、突然消失。
以上だ。
見て分かるように、ここまでしっかりと見張られているのだ、ア
リアという王女様は。
だというのに、誘拐が成された。誘拐犯はかなりのプロだという
事になる。
俺の目標は本日中、なるべく早くに見つけ出すことだ。
アリアの救護は早ければ早いほど良い。
遅くなると、穢される可能性が上がる。
今も、その可能性は充分にあるが。
聞き込みは一先これで切り上げる。
次はアリアの部屋に手がかりがないかを探す。
その為に、俺達はアリアの部屋へと案内されている。メイドさん
に。
メイドさんはアリアの部屋を解錠し、俺達を中へと入れてくれた。
アリアの部屋は、お嬢様の部屋という感じだ。
一人にはもったいなさすぎる程のベッドに、その他の大きな家具。
窓の数は一つと少いが、大きめだ。
ウォークインクローゼットなんかは、そこが寝室でいいんじゃな
いかと思うぐらいに広い。
609
﹁すぅぅぅ⋮⋮っはぁ﹂
う∼ん、良い匂いだ。流石は王女様の部屋。
もう少し嗅いで⋮⋮いや、カレンの視線が刺さる。やめておこう。
さて、消失したのは、ベッドの上。
なら、ベッド周辺とベッドから探るのが一番だろう。
﹁ノエル、寝台の上に怪しい物がないか探してくれ﹂
﹁︱︱了解致しました﹂
流石に、女の子のベッドの上に乗るのはマズい気がしたので、ノ
エルに任せた。
俺とカレンで、ベッドの周辺を探す。
だが、メイドが綺麗にしたのか、チリひとつないな。
ベッドの下にも⋮⋮何もない。
﹁︱︱ご主人様﹂
﹁何かあったか? 魔法陣とか﹂
﹁︱︱いいえ﹂
﹁ふむ、そうか﹂
消失という事なら、やはり転移魔術だが、魔法陣は無いようだ。
ベッドの上にそんなものがあったら、アリアが気づくだろうしな。
その後、部屋中隈なく捜索したが、手がかりの一つも見つけられ
なかった。
やはり手がかりを見つけるのは難しいか。
610
頼れるのは人と情報だな。
ということで、俺は再度聞き込みをする。
聴きこみを開始して数十分、カレンの腹の音が鳴った。
カレンはお腹をおさえて眉根をよせる。
﹁シャル⋮⋮お腹、すきました⋮⋮﹂
﹁確かに、俺もだ。おやつにするか﹂
﹁はい⋮⋮﹂
俺達はメイドさんに食堂の場所を尋ねた。
どうやら、一階にあるらしい。またあの階段を下りなくてはなら
ないとはな。
面倒に思いながらも、俺達は階段を下りる。
カレンは軽く息をきらし、ノエルは平然としている。
俺もトレーニングを毎朝しているから平気だが。
一階にいた違うメイドさんに食堂に案内してもらい、厨房まで行
き、メダルを見せてパンとスープを三人分貰った。
食堂に戻り、長いテーブルの角に座る。
﹁いただきます﹂
﹁いただき、ます⋮⋮﹂
﹁︱︱いただきます?﹂
俺とカレンは合掌し、ノエルは首を傾げる。
﹁ノエルは飯が食えないのか?﹂
﹁︱︱いいえ。可能です。しかし、魔力を動力とする私達には不要
です﹂
611
﹁そうか。まぁでも、食べ物ってのは腹を満たすだけじゃない﹂
﹁︱︱精力の為に存在するわけではないのですか?﹂
﹁そうでもあるが、他の趣旨もある。食べれば分かるさ。食べてみ﹂
﹁︱︱ご主人様が仰るのであれば﹂
ノエルはスプーンを手に取り、スープを掬い、口に運ぶ。
﹁︱︱美味しいとは、この時の為に使う言葉なのですね﹂
﹁そうだね。気に入った?﹂
﹁︱︱はい﹂
うん、良かった。ノエルにはもう少し人間らしくいてほしいのだ。
人形だからといって、乱暴に扱うのはよくない。
いやしかし、このスープ本当に上手い。
野菜の煮汁から作っているのか、野菜の甘味がそのまま舌に伝わ
る。
喉越しもさっぱりしていて、飲みやすい。
パンも、かなり上品だ。
固くなく、柔らかすぎず、程よいもちりとした食感が良い。
﹁お、シャルルじゃないか﹂
食事を楽しむ俺に声を掛けたのはティズだった。
﹁ティズさん、こんにちは﹂
﹁どうだ、気に入ったか?﹂
﹁はい。とても美味しいですよ﹂
﹁そうかそうか。俺も初めてここの飯を食った時は感動したもんだ﹂
﹁流石は王宮ですね﹂
612
﹁だな﹂
言いながら、ティズはコップに水を注いだ。
﹁そういえばティズさん。僕と戦った時に突然消えるあれ、転移魔
術ですよね?﹂
﹁ああ、そうだ﹂
﹁仕組みとか教えて下さいよ﹂
﹁はっはっ、そりゃあ教えらんねぇな﹂
そう言って、ティズはコップに入った水を飲む。
ティズといえば、レイピアだ。
俺は今回の戦いで、レイピア使いを初めて見た。
﹁ティズさんはレイピア一筋ですか? レイピア使いなんて珍しく
て﹂
﹁剣はあまり振らねえし、魔術なんかは一切わからねぇ。レイピア
が一番かっこいい武器だろ﹂
﹁僕も興味ありますね﹂
﹁そうか? 縁がありゃぁ教えてやるよ﹂
﹁楽しみです﹂
﹁じゃあ、俺は行くわ。仕事があるんだ﹂
﹁はい。後ほど﹂
ティズは席を立ち、手を振りながら食堂を去った。
俺達も丁度食事を終え、厨房まで皿を持って行き、お礼を言う。
食堂を出て、俺達は聞き込みを再開する。
数時間後、城の中をほとんど歩きまわり、何処に行こうか迷った
時に、窓から塔が見えた。
613
気になったので足を運んでみると、入り口に十人以上の衛兵がい
た。
俺はメダルを見せ、塔へと入る。
塔の中にも無数の衛兵がいた。
塔の中は窓があり薄暗いわけでもないが、空気は重かった。
﹁あの、すみません﹂
俺は近くにいた衛兵に話しかける。
﹁ここって何ですかね?﹂
﹁拘禁施設です﹂
刑務所か。道理で、ここまで重苦しい空気が漂っているわけだ。
﹁王宮の隣に犯罪者を拘禁するのは何故ですか?﹂
﹁この国では、王宮が最も防御力の高い場所であり、最も攻撃力の
高い場所です。万が一にも脱獄囚が出た場合、すぐに対処できる様
にしてあります。国への被害を抑えるのも目的ですね﹂
なんというか、意外と大胆というか、極端というか⋮⋮。
どこまでも爽やかという訳でもないのか。
﹁施設内を案内致しましょうか?﹂
﹁えっ?﹂
﹁興味がお有りなようでしたので﹂
﹁⋮⋮じゃあ、お願いします﹂
興味が有るのは事実なので、お言葉に甘えて、案内をお願いした。
衛兵の話しによれば、この刑務所、もとい拘禁施設は、犯罪者の
614
レベルを階層毎に分けているらしい。
一層から五層までは衛兵の事務所の様な場所になっている。
六層から十五層までは自由刑を受けた囚人、十六層から二十五層
までは終身刑を受けた囚人。
そして、四層飛んで、三十層に、死刑囚がいる。
前世では、死刑囚は拘置所に入れられ、死刑を執行されるまで飯
を与えられ、散歩の時間をもらい、映画鑑賞をさせてもらえると聞
いた。
だが、拘禁施設では、死刑囚は身体の自由を完全に奪われ、光す
ら見せてもらえないらしい。
飯は液状にした物を飲まされるだけだと衛兵は言っていた。
色々と説明を受けている内に、俺達は最上層に来ていた。
衛兵は一つの牢の前で足を止めた。
﹁現在の死刑囚は彼女だけです﹂
牢の中にいたのは、小さな女の子だった。
十歳にも満たないであろう座高に、白と銀の合間の色をした肩ま
でしかない髪、褐色の肌。
目と口と両手足には革製の拘束具がつけられている。
﹁こ、こんな小さな娘が死刑囚?﹂
﹁はい。街の中央で、突然魔力を放出し始め、十七人を殺害、二十
人を負傷させました﹂
﹁魔力暴走⋮⋮?﹂
﹁はい﹂
﹁あれを止める方法があったのか!? どうやって止めた!?﹂
﹁詳しい話は聞いておりません﹂
615
こうして魔力暴走を起こした少女が、生きて囚われているという
事は、魔力暴走を止める方法が存在しているという事だ。
今更知った所で俺の友は返ってこないが、これから身近で起こっ
た場合に止めてやりたい。
衛兵が知らないのなら、エルネストに聞くまでだ。
それよりも⋮⋮
﹁魔力暴走が原因だというなら、彼女に非はない。何で死刑なんだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮依頼を完遂した後、王に掛けあってみてはどうでしょう
か。報酬として彼女を戴く事は可能かと思われます﹂
﹁⋮⋮﹂
普通、こんな事を言うだろうか。
きっと、コイツも納得してないんだろう。
幼い娘が、何の非も無く死に追いやられる事に。
それに﹃戴く﹄という表現。それは、この国に彼女の居場所はも
うないという事を表している。
殺戮者となったこの少女は、もうこの国にいる事が出来ないのだ
ろう。
だから、俺が国の外に連れ出すしか無い。
衛兵はそう言っているのだ。
﹁⋮⋮彼女は、親も殺害したそうです。そんな彼女が、生きたいと
願うかは分かりませんが︱︱﹂
﹁その時は彼女のしてほしい事をしますよ﹂
﹁⋮⋮そうですか﹂
とりあえず、今は死刑囚の事は忘れて、依頼に集中しよう。
王女さえ救出できれば、死刑囚の娘も助けられる。
616
王女さえ救出できれば、エルネストに掛け合うことが出来る。
﹁では、そろそろ行きましょうか﹂
﹁はい﹂
衛兵の言葉に返事をして、適当な世間話をしながら一層まで戻り、
衛兵に礼を言ってから塔を出た。
数十分後、聞き込みで分かったのは、俺と戦闘した二人が、アリ
アの先生だという事だ。
世界一の風魔術使いを教えるのだから、やはり手だれなのだろう。
俺と戦った時は手を抜いていたのかね。
まあ、それはどうでもいいが、手がかりがまだ見つけられない。
なので、今は休憩室でカレンを休ませる事にした。
カレンが休んでいる間も、俺は考える。
どうやって消えたのかは、転移魔術だとして考えよう。
問題は﹃いつ消えたのか﹄ではなく﹃いつ細工をされたか﹄だ。
転移魔術には何かしらの細工がいる。
詠唱だけでは細かい部分の設定が出来ないとアルフが言っていた。
召喚魔術も論外だ。人の召喚が出来ないという世界の掟があるら
しい。
アリアに触れることが出来、アリアに細工が出来る人物。
容疑は使用人と教師の全員にかけられる。
執事、メイド、教師、護衛。この中から犯人を絞り出さなくては
ならないのか。
でも、集団なのか、個人なのかが分からない。
617
なんなら、使用人全員が共犯だという事もありえなくはない。
﹁そういえば⋮⋮王女様の、部屋で⋮⋮紙切れ、見つけました⋮⋮﹂
﹁紙切れ?﹂
カレンの差し出した人差し指第一関節大の紙切れを受け取る。
ざらついたこの世界の紙だ。それ以外に特に何も感じられない。
﹁ノエル、ベッドの上にも紙切れがあったか?﹂
﹁︱︱はい。かなり小さいものでしたが﹂
紙切れか。寝る前に勉強をしたり、本を読んでいたりするのなら、
不思議ではない。
だが、俺のメモに読書や勉強の記録はない。
なら、この紙はどこからだ? 服を着替えているから、勉強の時に偶然身体に付着した可能性は
低い。その後、運動もしているしな。
俺は今までの事を思い出しながら、考える。
ベッドの上と、周りに落ちていた紙切れ。
疑いのある使用人、教師、護衛。
いつ細工をされたのか。
転移魔術に必要とされる物。詠唱では不可能。召喚魔術は論外。
アリアに触れる事が出来る。転移魔術の細工が出来る。
集団か、個人か。はたまた使用人全員が共犯か。
⋮⋮なるほど。そういう事か。犯人は最初から分かっていたよう
なものだったんだ。
犯人の目星はついた。後は、確証を得るだけ。
今すぐにアイツの場所を探り出し、尾行してやらなくてはならな
618
い。
﹁ノエル、この部屋でカレンと待機だ。変な真似をする奴が現れた
らすぐに拘束しろ﹂
﹁︱︱了解致しました﹂
﹁カレン、俺はちょっと出てくるけど、いい子にな﹂
﹁⋮⋮いって、らっしゃい﹂
﹁うん、行ってきます﹂
俺はカレンの頭を撫でてから、休憩室を後にする。
見かけた使用人全員にアイツの居場所を聞き出し、歩きまわって、
やっとアイツに遭遇する。
アイツの尾行を開始して数十分、アイツは城の外へと出た。
更に歩き続け、魅人の国を出て十数分の場所にある位置で止まっ
た。
アイツが手をかざすと、その場所に、扉が現れた。
アイツが中へ入ると、扉は消えてなくなった。
俺はアイツが消えた場所まで行き、扉のあった位置に手を伸ばす。
感触がある。何もないはずなのに、何かがある。
これは、不可視化の魔術か。ここに建物らしきものがあるが、見
えないようになっている。
俺は不可視化された建物に微弱な魔力を流し込み、形を把握する。
長方形の建物。二階建てで、地下がある。中にいる人は三十人程。
部屋数は、十八。
おそらく、ここがビンゴだ。この中に王女様がいる。
普通、建物を不可視化させるなんてしないし、アイツがここに来
た時点で、この建物は怪しくなる。
どうする。扉を開けて中に入るか? だが、センサーの様な物も
619
設置されている可能性もある。
色々と小細工のできるアイツだ。それぐらいはするだろう。
やはり、奇襲か。最低でも、二人の協力が必要になる。
ノエルはダメだ。カレンの護衛を頼んでいる。
今はとりあえず、城に戻ろう。
考えをまとめた俺は、建物の位置をメモに入れ、すぐに城へと戻
った。
620
囚われの姫・前編︵後書き︶
﹁全然ハーレムじゃねえじゃん!﹂って方々、これからですよ、こ
れから。
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
621
囚われの姫・中編
城に戻った俺は、最初に依頼を受けた部屋で、エルネストに事情を
説明した。
﹁なるほどね⋮⋮﹂
聞き終えたエルネストは、顎に手を当てながら頷く。
﹁どうですか?﹂
﹁ありえる話ではあるね。建物の不可視化は普通じゃ出来ないけど、
彼なら出来そうだ﹂
﹁普通じゃ出来ない?﹂
﹁不可視化の魔術は魔力消耗が激しいんだ。僕でも半日持つか持た
ないかだと思うよ﹂
なるほど。魔力の消耗が激しい⋮⋮か。
﹁アイツの魔力ってどのくらいなんでしょうね?﹂
﹁分からない。奴の素性は誰も知らないんだ﹂
王なのに、部下の素性を知らないってどうなんだろうか。
でも、魔力の消耗が激しいというのであれば、可視化されるタイ
ミングが現れるはずだ。
﹁夜に可視化される可能性は大きいと思いますか?﹂
﹁⋮⋮奴でも、流石に一日中というわけにもいかないだろうし、夜
から朝にかけては可視化されているかもしれないね﹂
﹁なら、奇襲は夜中ですね﹂
622
﹁奇襲?﹂
﹁そうです。奇襲です。堂々と真正面から行っても、相手の手の内
が分かりません。その間に王女様が違う場所に転移される可能性だ
って出ます﹂
﹁それは分かるよ。そうじゃなくて、人手はどうするんだい? 一
人じゃ無理だし、君は僕の部下の全員を疑っているわけだろう?﹂
﹁⋮⋮正直に申しますと、そうですね。だから、困っているわけで
す﹂
俺がそう言うと、エルネストが考え込んだ。
娘の命がかかっている件だ。エルネストも軽率な発言は出来ない
のだろう。
それ以前に、王だから軽率な発言をしないのは当たり前だろうが
な。
﹁不在証明があれば、君は満足かい?﹂
不在証明。アリバイの事だ。
エルネストがアリバイを証明できるやつであれば、奇襲を依頼で
きるのかどうか。
これは転移が関わっているわけだから、エルネストと一緒に居た
場合でも王女様の誘拐に加担する事は可能だ。
なんなら、アリアから気を逸らす為にエルネストと一緒にいたと
いう事もありえる。
﹁不在証明というか、王女に近付く事すら出来なかった人物なら信
用出来るかと思います﹂
﹁うん、なら、彼らが最適だ﹂
エルネストは笑顔で、ソファから立ち上がり、﹁すぐ戻る﹂と言
623
って部屋を出て行った。
協力者の確保はおそらくこれで出来るだろう。
とりあえず、俺は先ほどメイドさんにいれてもらった紅茶を啜り、
手筈を練っておく。
十数分後、部屋の扉が開かれる。
入室してきたのは、もちろん、エルネスト。
だが、彼一人ではない。エルネストの後ろにも何人かの男達が付
いている。
男達は整列をして、手を後ろに組んだ。
全員、布で顔を隠しているからテロリスト集団の様だ。
エルネストはソファに腰を下ろし、冷めた紅茶を口に含む。
﹁彼らは僕の部下なんだけど、半年ぐらい牢に入っていたんだ﹂
﹁部下なのに牢ですか?﹂
﹁そう。あれは、彼らの内の一人が庭に落ちていたアリアのパンツ
を拾った事が全ての始まりだった⋮⋮﹂
﹁その話は長くなりますか?﹂
﹁うん﹂
﹁困ります﹂
﹁分かった。話を戻すよ。それでね、彼らは、いつも僕の側に置い
ている護衛部隊や精鋭部隊とは別の、暗殺部隊なんだ﹂
道理で顔を隠しているわけだ。
しかしまぁ、暗殺とは、これまた穏やかじゃないね。
﹁彼らは僕から離れて対象を暗殺する事が目的なんだけれども、治
安が良いから暇していたらしい﹂
624
﹁だから、半年間牢に入れても問題がなかったと?﹂
﹁うん。それに、必要な時に出せばいいだけだからね﹂
﹁なるほど﹂
﹁だから今、出したんだ。彼らには君に協力するように伝えてある﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁いや、いいんだ。兎にも角にも、作戦が思い付いんたんだろう?
余裕を感じられるよ﹂
﹁まぁ、そうですね﹂
﹁教えてくれるかい?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
作戦はかなりシンプルな物だ。夜中に可視化されている状態が前
提で、まず、暗殺部隊には正面に待機していてもらう。
俺と、誰か一人、パートナーになった人で、アリアが囚われてい
る部屋を見つけ出す。
位置が把握できたら、パートナーが正面に戻って、アリアが何処
にいるかを見つけ出したと報告させる。
あとは暗殺部隊が各方位から攻撃をしかけて戦力を分散。
その間に俺がアリアを救出するだけの簡単な物だ。
だが、簡単が故に、相手の対処が及ぶ可能性もある。
その時は俺が建物ごと破壊して、更に混乱を煽る。
しかし、それはなるべくしたくない。
ともかく、王女の救出を再優先に考えたのがこれだ。
失敗しない様に、残り三つの対処法が残っているが、早めの救出
を考えるならこれが一番効果的だ。
﹁ふむ、悪くはないかな﹂
作戦を聞き終えたエルネストが頷いた。
625
﹁確かに、これが一番簡単で、早くて、効果的だ﹂
﹁失敗しても、王女様を救出する為の他の方法も考えてあります﹂
﹁念には念を入れるべきだからね。うん、よし、じゃあ皆、頼んだ
よ﹂
エルネストが暗殺部隊に声をかけると、暗殺部隊は音もなく部屋
を出た。
﹁それでは、自分も行きます。期待して待っていて下さい﹂
﹁うん、大いに期待しているよ﹂
エルネストはそう言って、爽やかに笑いながら、俺に手を振った。
俺は部屋を出て、すぐに城の外に出る。外は既に真っ暗で、他の
建物には明かりが灯っている。
気配を感じて横を見ると、暗殺部隊の奴等が立っていた。
驚いて肩がびくっとする。幽霊でも見たのかと思った。
闇夜に溶けるとはこの事だろう。あいつらの姿はほとんど見えな
い。
俺は首巻きで顔の半分を隠して、フードを整えた。
﹁では、今晩はよろしくお願いします﹂
俺は挨拶をしてから、アリアの囚われている建物へと向かった。
︱︱︱︱︱︱
夜の森は不気味で、動物の鳴き声すら聞こえず、風の通りすぎる
626
音、風に揺られる木々の音だけしか聞こえなかった。
木の上から建物を見張っていた俺と暗殺部隊は、夜中になるまで
会話の一つもしないまま、時間を過ごした。
現在の正確な時刻は分からないが、体内時計を頼るのであれば、
深夜一時から二時頃だ。
その頃になると、建物が可視化され、窓からは光が漏れる。
俺とエルネストの読みは当たったようだ。
俺は隣にいた暗殺部隊員の服の袖を軽く引っ張り、その隊員は隣
にいた隊員の袖を引っ張る。
作戦開始の合図を音なく伝えるためだ。暗闇の中なので、視線を
送るのは出来ない。
合図が全員に渡った事を知らせる為に、合図が最後尾から返って
くる。
俺は隣にいる隊員の肩を二回叩き、二人で建物の屋根へと音なく
下りる。
明かりの灯っていない窓を屋根の上から覗きこみ、中に人が居な
いかを確認する。
音を立てないようにゆっくりと、慎重に窓を開け、中へと侵入し
た。気分は蜘蛛男。
俺達が入った部屋は、物置で、木箱が積まれているだけの部屋だ
った。
この部屋に用はないので、俺達は廊下へと出て、王女の在処を探
す。
ちなみに、ブーツを布でコーティングしているので、足音の軽減
は出来ている。
二階にあった九つの部屋全てを見て回ったが、どの部屋にもアリ
アは居なかった。
627
捜索中、誰とも遭遇しなかったのは幸いだ。
下の階からは賑やかな笑い声が聞こえるので、宴会でも開いてい
るのだろう。
どうせ、王女様の拉致に成功した事を祝福しているんだろうな。
クックックッ、俺達に救出される事も知らずに、呑気な奴等だぜ
⋮⋮と心の中で嘲笑しながら、俺達は侵入した窓から外へ出る。
一階では宴会。二階の部屋には居なかった。となると、地下が存
在するはずだ。
まずはそちらを先に回って、居なかったら一階で探す事にする。
ということで、俺達は裏口から建物内に侵入した。
裏口も物置だったが、地下への入り口はないので、用はない。
俺達は廊下へと出て、様子をうかがう。
宴会が開かれているのは居間か食堂らしいので、それ以外の部屋
を見て回ったが、どれもハズレだった。
まあ、たしかに、王女を隠している部屋には見張りをつけるだろ
うな。
王女は居間にいるのか、それとも居間に入り口のある地下に閉じ
込められているのか。
宴会が開かれている様では、居間へは行けないな。
もうアリアの居場所は特定できた様な物だ。奇襲を開始しても問
題ないだろう。
そう考えた俺は、パートナーの肩を三回叩いた。
パートナーはすぐに外へ出て、仲間に奇襲を始める事を伝えた。
俺はその間、天井に張り付いて待機する。
しばらくして、裏口の方から木箱が派手に崩れる音がした。
居間から二人の男が出てきて、裏口部屋へと向かう。
628
﹁うわあぁあっ!﹂
﹁おい! おい!﹂
部屋に入った二人の断末魔の叫びが、建物内に響いた。
居間での笑い声は途絶え、途端に空気が張り詰める。
居間にいた数人が裏口部屋へと行った時、二階で何かが崩れる振
動で建物が揺れた。
勢い良く階段をあがる音がし、すぐに喧騒が加わる。
二階と裏口部屋での戦闘が始まった時、今度は一階にあった他の
部屋でも何かが崩れた。
居間にいた残りの奴等がそちらに向かい、居間にいる人の数は二
人になった。
俺は天井を伝って、二人の真上に移動し、ゆっくりと降下する。
背中を向け合って警戒する二人の間に下りた俺は、二人の後頭部
を鷲掴みにし﹃刈り取り﹄を使った。
脳を潰された二人は、声を発することもなく倒れる。
俺は居間を見渡し、地下への入り口を探す。
居間の真ん中の床に扉を見つけた。あそこが地下の入口で間違い
ない。
俺はすぐに扉を開け、地下へと下りる。
埃っぽく、薄暗い。女の子を閉じ込るには適さない空間だ。
階段を下りると、広い空間に出た。
薄暗くて奥までは見えないが、人の気配を感じる。
俺はゆっくりと歩を進めた。
目がすぐに暗闇に慣れ、周りが見えるようになる。
629
先ほどまでは暗くて見えなかったが、この地下室、壁と地面は点
々だらけだ。
まん丸い穴がたくさん空いている。
数十歩程進んだ時、部屋の壁に設置されていた松明が一気に灯さ
れる。
部屋の奥には、檻があった。鉄で出来た檻の中に、白いドレスを
着た金髪の女の子が閉じ込められている。
檻の前には、アイツが立っていた。
﹁いらっしゃいませぇ﹂
奴は気味の悪い笑みを浮かべながら、歓迎の言葉を口にした。
﹁お邪魔します。魔術師さん﹂
魔術師とは、俺が王宮に転移した時に戦った魔術師の事だ。
﹁いやぁ、見つかっちゃったねぇ﹂
﹁お喋りの時間はないんで、さっさと王女さん返してもらうよッ!﹂
言いながら、俺は二本の剣を抜いて、魔術師に斬りかかる。
だが、次の瞬間、魔術師は俺の真後ろに立っていた。
背中に強い衝撃が伝わり、俺は檻に向かって飛ばされた。
鉄柵に身体を打ち付けられ、肋骨の何本かが折れる。
すぐに﹃治癒﹄で治し、血を吐き捨てた。
﹁だ、大丈夫ですかっ!?﹂
檻の中の少女、アリアは、鉄柵にしがみつきながら心配の声をあ
630
げた。
﹁平気です。それよりも、王女様は檻の真ん中で頭を守りながら座
っていてください﹂
﹁えっ、あっ、はいっ!﹂
俺の言葉に返事をしたアリアは、俺の言われた通りに、檻の中心
で丸まった。
情報通り、素直でいい娘だ。
なら、もっと頑張らないといけないな。
さて、王女様を助けるためには魔術師を何とかしなければいけな
い。
今、あいつは俺の真後ろにいた。その時、床に魔法陣はなかった
はずだ。
なのに、あいつは転移する事が出来た。
また新しい仕組みでも使ってきたか。困ったな。
俺が後頭を掻いた時、魔術師は俺の上空に転移し、氷槍を飛ばし
てきた。
俺は土壁で防御して、すぐに魔術師から離れるが、今度は俺の後
ろに転移をした。
俺は右手の剣を逆手に持ち替え、後ろを突く。
だが、攻撃が当たることはなかった。
部屋中に魔力を流し、目を凝らしても、やはり魔法陣らしきもの
は見当たらない。
一体どうやって転移をしている。
詠唱で転移は出来ないはずだ。
口はにやけたままで詠唱をした様子もなかったし。
631
何だ。何をしている。考えろ。目を凝らせ。魔術師を捉えろ。
俺が魔術師にいた場所に目をやった時、魔術師は既に俺の背後に
いた。
右肩が突然熱を帯びて、俺は右肩に触れる。
ヌチョリ、という嫌な感触が、俺の手に伝わった。
腕を確認すると、綺麗に切り落とされていた。
俺はすぐに治癒を使い、腕を再生させる。
俺が後ろに振り向いた時、魔術師はそこにはいなかった。
途端、両腿と腹を何かが貫き、俺は地面に両手をつく。
続けて、両手の甲と両ふくらはぎに氷の針が貫通し、地面と俺と
が固定された。
﹁哀れだねぇ。跪くってどんな気持ちだい? 俺に見下される気持
ちはどうだい?﹂
魔術師が俺を嘲笑する。
﹁弱い者いじめっていうのはねぇ、弱者が更なる弱者にする事なん
だよぉ。俺は弱者だ。かなり弱い。だからぁ、俺は弱い者いじめが
大好きなんだぁ﹂
﹁俺が、お前より、弱いって、遠回しに、言ってんのか﹂
﹁あっはっはっはっ! 声が震えてるじゃん! そんなに痛いぃ?
愉快、愉快、愉快だなぁ!﹂
魔術師の声を、言葉を、表情を見て、学生の頃での出来事がフラ
ッシュバックする。
体育館裏、教室、男子ロッカー、男子便所、様々な場所で味わっ
た苦痛を思い出してしまう。
632
この世界に来てここまで殺意が湧いたのはいつ以来だ。
俺の学生時代を潰した、あのクズ共に似てる。
いや、こいつはそれ以上のクズだ。
いじめる人間は、優越感に浸る為にいじめを行っているのだろう。
だが、こいつは悦楽を得るために人を苦しめるのだ。
﹁ほら、立ちなよ。もっと殺意を見せてくれぇ﹂
俺は火魔術で、俺の自由を奪う氷を溶かし、治癒で穴をふさぐ。
剣を拾い上げ、首を鳴らして、深呼吸をした。
息を吐きながら、俺は小さく呟く。
﹁面倒くせぇ⋮⋮﹂
633
囚われの姫・中編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
634
囚われの姫・後編
﹁お前、面倒くせえ﹂
そう言って、俺は石造りの冷たい地面に座り込む。
﹁面倒?﹂
﹁そう。面倒なんだよ、そういうの﹂
﹁はぁ?﹂
﹁お前の転移の仕組み、分かったよ﹂
﹁へぇ、それは面白い。言ってみぃ﹂
コイツの転移の仕組みは簡単だ。
最初に部屋に入った時に見た点々、アレはただの穴ではなく、一
つ一つが魔法陣になっている。
気付いたのは、俺が地面に四つん這いになった時だ。
穴の一つ一つに魔法陣が刻まれているのなら、コイツの転移でき
る範囲は、この部屋全体になる。
別段遠くまで移動するわけではないから、直径数ミリ程度の魔法
陣でも効果が現れたし、魔力の消費も抑えられたのだろう。
﹁普通、戦いに夢中になってそういうのには気付かないんだけどな
ぁ﹂
ネタ明かしを聞き終えた魔術師が納得のいかない声色で言った。
﹁俺の師匠の教えだ﹂
﹁流石はエヴラールだなぁ﹂
﹁なっ!?﹂
635
﹁あっはっはっはっ! 何今の顔! 最高!﹂
﹁何で俺の師匠がエヴラールだと知っている!?﹂
﹁ん∼、秘密ぅ﹂
﹁おい︱︱!﹂
俺の言葉を聞き終えずに、魔術師はケタケタと笑いながら、どこ
かへ消えていった。
仕組みがバレたから逃げたのか、それとも、俺が生かされたのか
は分からないが、これで戦闘が終了したと見て間違いないだろう。
しかし、何だったんだ。何故、俺がエヴラールの弟子だと知って
いた。
その事を知っているのはアメリーぐらいだ。
なのに、アイツはそれを知っていた。
アイツとアメリーに接点があるとも思えないし、何処から仕入れ
た情報なのだろうか。
﹁はぁ、まぁいいや﹂
俺はため息をつきながら、アリアを閉じ込める檻に近付く。
このアリアという娘からはエルネストの面影を感じる。
アリアのは腰まで伸びているが、髪の毛は同じ金色。
透き通るような碧色の瞳と白い肌も一緒だ。
二人共、大人っぽい目つきをしている。
親がイケメンであれば、娘も美人か。
魅人はイケメンばかりだな。
アランもティズも顔立ちが整っていた。
﹁えーっと、大丈夫ですか?﹂
636
檻の中で丸くなるアリアに声をかけた。
﹁は、はい⋮⋮﹂
﹁乱暴とかはされていませんか?﹂
﹁いいえ、大丈夫です﹂
﹁そうですか。今、出しますから﹂
俺はそう言って、檻の入り口と鍵を探すが、どこにも見当たらな
い。
仕方がないので、鉄柵に触れて火魔術を使用する。
だが、鉄柵は溶けるどころか、熱くもならない。
﹁ま、魔術を無効化するようです。私の風魔術も使えませんでした﹂
アリアが鉄柵に近寄って、風魔術を使ってみせた。
﹁なるほど。分かりました﹂
鉄柵が魔術を無効化しているのか、それとも、魔力を吸収してい
るのか、鉄柵の効果によって対処法が変わる。
一応、どちらも試してみよう。
俺は魔力を一気に流し込み、オーバーロードを図るが、こちらは
無意味。
俺の残った魔力の半分以上が持って行かれた。
続けて剣術を使うが、鉄に弾かれるだけで終わった。
﹁ふむ⋮⋮﹂
﹁あの⋮⋮檻を破壊する必要があるのでしょうか?﹂
﹁へ?﹂
﹁床に穴を空ければ、それで良いのでは⋮⋮?﹂
637
﹁そこに気づくとは⋮⋮天才ですか⋮⋮﹂
という事で、床に穴を空けて王女様を救い出すことに成功しまし
た。
﹁参りましょう、アリア王女﹂
﹁⋮⋮こ、腰が抜けて、歩けません﹂
アリアはそう言って、俺から目を逸らす。
腰が抜けたというか、座りっぱなしで力が入らないだけだと思う
が。
﹁分かりました﹂
俺は頷き、アリアの膝裏と背中を支えて抱き上げた。
良い匂いが鼻を突く。素晴らしい。
﹁僕の首に捕まって下さい。落ちますよ﹂
﹁わ、わ、分かりました⋮⋮﹂
アリアは赤面しながら、俺の首に腕を回す。
手で支えればいいのに。
俺みたいな庶民に抱きつくのは、嫌じゃないんだろうか。
いや、きっと大らかなお嬢さんなのだろう。
俺は一人納得しながら、地下室を上がった。
そのまま建物を出ると、外で暗殺部隊が待機していた。
﹁全員殺したんですか?﹂
﹁いや、拘禁施設に持っていく。聞くこともあるしな﹂
638
俺の質問に、パートナーだった奴が答えた。
﹁そうですか。それでは、帰りましょう﹂
俺がそう言うと、隊員が俺の前と後ろと左右につき、それ以外が
夜の森へと消えた。
王女の近くで護衛する者と、周りを警戒する者で別れたのだ。
陣形を組んだ俺達は城へと向かって歩を進めた。
しばらく歩いて、俺があくびをした時、アリアが口を開いた。
﹁あの⋮⋮﹂
﹁はい﹂
﹁名前をお聞かせ下さい﹂
﹁そういえば名乗っていませんでした、申し訳ない。自分はシャル
ルです﹂
﹁シャルル様⋮⋮ありがとうございました﹂
﹁⋮⋮どういたしまして﹂
報酬が目的だったとはいえ、良いことをしたのに変わりはない⋮
⋮よな?
うん、大丈夫。俺は良いことをした。罪悪感はないぞ。
﹁顔をお見せ下さい﹂
﹁両手が塞がっているものでして﹂
﹁⋮⋮では、私がお取りになられても?﹂
﹁どうぞ﹂
アリアは迷いなく、俺のフードに右手を伸ばす。
639
﹁黒い髪、珍しいですね⋮⋮﹂
﹁よく言われます﹂
アリアは次に、俺の首巻きに手を伸ばす。
首巻きが顎の下まで下ろされた。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ノーコメントと来たか。
どうやら顔は、お気に召さなかったようだ。
おっと、勘違いしないで欲しい。
シャルルは決して見た目が悪いわけではない。
俺がどうかについては今は忘れるとして、シャルルは違うのだ。
シャルルは格好いいぞ。これは本当だ。
と、自慢げに話しても俺の顔ではないので、どうしようもない。
お気に召さなかった様だが、アリアは気を使ってか、俺の首に両
腕を回し直した。
すみません、気を使わせてしまって。
かたじけない。
城へと戻った俺は、アリアをエルネストの元に届けた。
二人の感動の再開を邪魔しないためにも、近くに居たメイドさん
に、カレン達のいるゲストルームまで案内してもらった。
カレンは既にベッドで眠っていて、ノエルが椅子に座ってカレン
を見守っている。
640
﹁︱︱お帰りなさいませ、ご主人様﹂
部屋に入った俺に、ノエルがすぐに反応した。
ああ、なんていい響きなんだろうか。
﹁ノエルもお疲れ様。カレンはどうだった?﹂
ベッド兼用ソファに座りながら尋ねた。
﹁︱︱私と、会話をしていました﹂
﹁ノエルと?﹂
﹁︱︱はい﹂
﹁どんな?﹂
﹁︱︱秘密にするようにと、カレン様に申し付けられました。シャ
ルル様が命じるのであれば、記憶した通りの会話をお話いたします
が﹂
﹁いや、いいよ。秘密だってんなら、それでいい﹂
﹁︱︱そうですか﹂
﹁俺はもう寝る。その間、もう少し頑張ってくれるか?﹂
﹁︱︱ご主人様に与えられた魔力はまだ尽きておりませんので、問
題はないです﹂
﹁そうか。なら、頼む。おやすみ﹂
﹁︱︱お休みなさいませ﹂
身体をソファに倒した俺は、すぐに眠りについた。
︱︱︱︱︱︱
641
翌朝、目を覚ました俺は、思わず苦笑する。
ベッドで寝ていたはずのカレンが、俺の隣で寝ていた。
二人用には作られていない、ただのベッド兼用ソファの端っこで、
落ちないように俺に抱きつきながら静かに寝息を立てている。
ノエルの方は、模範的な姿勢で椅子に座っている。
目を閉じているから、魔力切れか。
﹁全く⋮⋮﹂
呟いて、カレンの頬を指の裏で撫でる。
柔らかくて、滑らかで、ここちの良い肌だ。
こんな娘が俺みたいな奴と一緒にいてもいいのかと思うが、俺は
マリアと約束している。
﹁おかあ、さん⋮⋮﹂
寝言を言うカレンを、ベッドまで運んだ。
その時、扉がノックされる。
﹁シャルル様、お目覚めでおられますか?﹂
昨晩、部屋まで案内してくれたメイドの声だ。
俺は剣を腰に下げてから、扉を開ける。
﹁お早う御座います、シャルル様。朝食の用意が出来ておりますの
で、食堂までお越しください﹂
﹁はい。すぐに向かいます﹂
俺は一応客だから、部屋まで運んでくれるという事はない。
まあ、食事は食堂でするものだよな。
642
とりあえず、カレンを起こさなくてはいけない。
﹁カレン、朝だよ﹂
﹁んぅ⋮⋮﹂
カレンは声をかけながら軽くゆすれば、すぐに目覚めるから、起
こすのに苦労しない。
カレンが目をこすって体を伸ばす間、俺はノエルに魔力を送る。
﹁︱︱おはようございます、ご主人様﹂
﹁おはよう、ノエル﹂
俺は挨拶をして、洗面所へと向かった。すぐにカレンが俺の後を
追う。
桶に水魔術で水を入れ、顔を荒い、うがいをする。
顔を拭った後は、ブラシでカレンの黒い髪を整えた。
よし、これで準備万端だ。
﹁さあ、朝飯だ朝飯﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁︱︱朝飯です、朝飯﹂
﹁何だ、ノエルは食べ物が気に入ったのか?﹂
﹁︱︱はい。歯に伝わる抵抗感と、舌を刺激する感覚が素晴らしい
です﹂
﹁そうかそうか。食べ物を愛するのは良い事だ﹂
と、そんな雑談をしながら食堂へと向かった。
643
食事を済ませた後は、ティズに案内されて、王の間に通された。
エルネストが王座の前の階段の下に立っており、その隣にはアリ
アもいた。
﹁おはようございます﹂
﹁おはよう﹂
﹁お早う御座います﹂
俺の挨拶に、エルネストとアリアが同時に返してくれた。
﹁シャルル君、早速だけれど、お礼を言いたい。本当にありがとう﹂
﹁有難うございました﹂
礼を言ったエルネストとアリアが頭を下げた。
﹁頭を上げて下さい。自分は依頼を受ける、そして報酬を受け取る。
それだけの事です﹂
﹁いいや、感謝してもしきれない⋮⋮本当にありがとう﹂
﹁⋮⋮どういたしまして﹂
﹁それで、報酬だったね。あの部屋へ行こう﹂
切り替えの早い王様に続いて、俺達も部屋へと向かう。
エルネストと俺が対面するようにソファに座ると、メイドがお茶
を出した。
俺は一口含んでから、話を切り出す。
﹁確か、報酬は金貨一万枚でしたよね?﹂
﹁うん、そうだったね。もっと払っても良いと思っているけれど﹂
﹁いえ、確かにお金は欲しいですが⋮⋮最初の報酬と合わせて、付
け足して欲しい報酬があります﹂
644
﹁何だい?﹂
﹁死刑囚がいましたよね。魔力暴走を引き起こした﹂
﹁ああ、うん⋮⋮死刑囚サラの事だね? 白髪の小さい娘﹂
﹁はい。彼女を引き取りたいのですが、駄目でしょうか?﹂
﹁⋮⋮﹂
俺の持ちかけに、エルネストが黙りこむ。
顎に手を当て、何かを考えだした。
死刑囚を外部に渡らせるのは、確かに、王としてはマズい行為か
もしれない。
そりゃあ、考えもするはずだ。
﹁まあ、構わないよ。僕は﹂
﹁えっ﹂
﹁僕はね、元々彼女を囚えるつもりなんて無かったんだ。けれども、
民衆はそうはいかない。彼女に被害にあった人もいるし、家族を殺
された人もいる。表面上、彼女を囚えておかなければならなかった
んだ。居場所を無くしてしまったし、街にいても彼女が辛かっただ
ろう。それで、彼女の処遇を考えていたんだけれど⋮⋮君がそう言
ってくれるのなら、此方としては好都合だよ﹂
まあ、たしかに、魔力暴走だから仕方ないでは済まされない問題
だ。
死人も怪我人も出ている中、彼女に非はないからといって何もし
ない事に不満を覚える輩も大勢出るだろう。
再発したらどうすんだとか、人殺し呼ばわりされてハブられてい
ただろう。
だから、王の選択は間違ってはいなかった。
他のやり方があったとは思うが⋮⋮。
645
﹁心配しなくても、彼女にはちゃんと食事を与えていたよ。彼女が
望むなら拘束だって解くつもりだった。けれども、彼女は一言も言
葉を発さなかった。眠ろうともしなかったから、目隠しで無理矢理
眠らせようと思ったんだけど、それでも眠らなかったらしい﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
﹁君は、彼女も助けるつもりなのかい?﹂
﹁まあ、はい。生きたいと思うなら、僕が生かします。死にたいと
願うなら︱︱まあ、とにかく、ありがとうございます﹂
﹁いや、此方こそ有難う﹂
俺とエルネストは立ち上がって、握手を交わす。
カレンの方に目をやると、アリアと会話をしていた。
アリアから話しかけてくれている様だが、カレンも悪い気はして
いなさそうだ。
二人が会話中なので、俺達もしばらく雑談を交わす事にした。
﹁報酬を受け取ったらすぐに帰るのかい?﹂
﹁はい。観光はまた別の機会に﹂
﹁なら、騎士団副団長に転移出来るように話を通さないとね﹂
﹁はい、お願いします﹂
転移は便利だ。普通の移動には一ヶ月ぐらいかける。
世界を旅するのは、俺達の地盤を固めてからでも問題はないだろ
う。
カレンも、もう少し成長が必要だし。身体的に。
﹁それで、質問があるのですが良いですか?﹂
﹁どうぞ﹂
﹁魔力暴走をどうやって止めたかについて、お聞きしたい﹂
﹁うーん、残念だけど、力になれそうにない﹂
646
﹁な、何故ですか﹂
﹁魔力暴走を止めたのは、あの裏切り者なんだ﹂
あの魔術師、魔力暴走を止める方法も知っているのか。
転移魔術を使える事もそうだが、あいつはかなりレベルの高い魔
術師らしい。
﹁そうですか⋮⋮﹂
﹁ごめんよ﹂
﹁いえ、お気になさらず﹂
﹁⋮⋮ところで、彼女は妹かい?﹂
エルネストが、カレンを指さして尋ねた。
﹁義妹です﹂
﹁⋮⋮燃えるね?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
こうして、俺の魅人王女救出依頼は完遂とされる。
647
囚われの姫・後編︵後書き︶
気付いた方も居られるかと思いますが、この囚われの姫は二人の事
を表してます。
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
648
鬼の涙・前編
﹁確かに受け取りました﹂
俺はエルネストから金貨一万枚の小切手を受け取った。
小切手を内ポケットにしまい、二人で部屋を出る。
俺達が向かうのは、拘禁施設だ。
城を出て、隣に建てられた塔へと入り、最上階まで階段を使って
上がっていく。
途中、檻の中の囚人達がエルネストを睨みつけていた。
ここにいる犯罪者は国に不満を持った者が多いと、衛兵に教わっ
た。
エルネストを気に入らない奴が反発心から犯罪を起こす。
前王が好戦的だったのに対し、エルネストは温厚だ。
そのギャップに悩む者もいるのだろう。
それでもエルネストは国の姿勢を崩さないと言っていたが。
そんな事を考えている間に、最上階まで着いた。
檻は開いており、サラの拘束は解かれていて、目隠しも外れてい
る。
椅子に座っており、手に持ったコップに入った水を生気のない眼
でじいっと見詰めているだけで、俺達には何の反応も示さない。
﹁サラ、我らが王がお見えになられている﹂
衛兵がサラに声を掛けて、やっとサラが顔を上げる。
サラはゆっくりと腰を上げ、片膝をついた。
649
﹁いや、もうそれは良いよ﹂
エルネストが言うと、サラが小首を傾げる。
﹁君はもう僕の国の民ではなくなった﹂
エルネストの言葉に、サラが視線を落とした。
﹁でも、君には居場所がある。ここではなく、別の場所だけれども﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁この少年︱︱シャルルが、今日から君を預かる﹂
サラの虚ろな眼が俺に向けられる。
彼女はゆっくりと立ち上がり、俺の目の前まで来ると、頭を下げ
た。
礼儀は中々になっているようだ。
﹁さて、転移魔法陣まで案内しよう﹂
﹁あ、はい、よろしくお願いします﹂
俺達はサラを連れて、カレン、ノエルと合流してから、最初に転
移してきた場所まで歩いた。
カレンは連れてきたサラを一瞥はしたものの、何も聞かずに俺に
付いて来た。
後で二人に説明が必要だろうな。
﹁それではシャルル、またいつか﹂
﹁はい。お元気で﹂
﹁君もね﹂
650
エルネストと挨拶を終えて、俺達は転移魔法陣に乗った。
その時、アリアが扉を開けるのが見えたが、景色は一瞬にして変
わる。
アリアは俺達に何か用事でもあったのだろうか。
慌てている様子だったが、多分、俺達にもう一度礼を言いたかっ
たとか、その辺のことだろう。
そういう事にしておこう。じゃないと、夜も眠れない。
とりあえず、帰ってきた事を告げようと、騎士団の副団長室の扉
をノックする。
ウルスラは﹁どうぞ﹂と短く答えた。
俺は扉を開けて、軽く会釈をした。
﹁ウルスラさん、こんにちは。ただ今戻りました﹂
﹁あっ、シャルル殿でしたか。お帰りなさいませ。どうでしたか?
今回の依頼は﹂
﹁まあ、何とか完遂してきましたよ。報酬も受け取りましたし﹂
﹁流石ですね。⋮⋮して、その魅人の娘は?﹂
﹁色々ありまして、預かることになりました﹂
﹁そうですか。シャルル殿は色々あり過ぎですね﹂
﹁ははっ、これからもっと色々あるかもしれませんね﹂
﹁ですね﹂
ウルスラはそう言って、﹁ふふっ﹂と笑った。
最近、ウルスラの表情が柔らかくなった様に思う。
何か良いことがあったのかもしれないな。
﹁それでは、僕はこれで。色々とお世話になりました﹂
﹁いえいえ、お役に立てたのなら幸いです﹂
651
俺は軽く頭を下げてから、副団長室を後にした。
そのまま宿へと戻り、全員が荷物を置いて落ち着いた所で、サラ
を椅子に座らせる。
﹁さて、早速だけど、望みを聞こう﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁気力がないな。そんなに絶望してるのか?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁死にたいか? 生きたいか?﹂
﹁⋮⋮﹂
どの質問にも無反応。ただ、虚空を見つめて、口を閉じている。
喋る気力すらないのか。さっきはお辞儀してくれたのに。
まあ、心を落ち着かせるには、それなりの時間を要する。
何もしないというのは問題だが、気分転換でどうにかなる問題で
はない。
幼いサラに、彼女の傷は大きすぎる。
幼すぎるサラに、彼女の罪は重すぎる。
﹁まあ、答えが出たら言ってくれ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁でも、俺はそんなに待たない。しばらくしても答えが出せなかっ
たら、問答無用で殺す。いいな?﹂
少しの間を置いて、サラは軽く頷いた。
﹁よし、じゃあ、早速家を買おう。異論はないな?﹂
﹁ん⋮⋮﹂
652
﹁︱︱ご主人様の仰せのままに﹂
﹁⋮⋮﹂
異論はないようなので、俺は幼女三人を連れて、不動産屋へと向
かった。
﹁それと、ノエルは道行く人に気をつけろ。力の加減を覚えなさい。
しっかりと抑えるんだよ。いいね?﹂
﹁︱︱了解いたしました﹂
よし、これで肩ドンして脱臼させるという事故は避けられるだろ
う。
︱︱︱︱︱︱
一先、ギルドに寄り、小切手を使用して、預金額を金貨一万枚追
加した。
ギルド員に俺が記入するための小切手をもらい、金貨五千枚と記
入し、署名の欄にサインを入れた。
支払いの準備が出来たので、不動産屋に行った。
﹁こんにちは、ホラーツさん﹂
不動産屋に入った俺は、カウンターで作業をするホラーツに声を
かけた。
﹁お、シャルルさん。いらっしゃいませ﹂
﹁資金の用意が出来たので参りました﹂
653
﹁お早いですね﹂
﹁大きな依頼を受けてきましてね﹂
俺は言いながら、小切手をホラーツに手渡した。
﹁はい、確かに﹂
ホラーツは小切手を受け取ると、奥へと入っていった。
すぐに戻ってきて、鍵を手渡される。
﹁ご購入いただき、誠に有難うございました﹂
﹁これだけですか? 他の手続きなどは?﹂
﹁⋮⋮? ありませんよ?﹂
﹁あ、そうですか﹂
あっさりとした物だったな。
もう少し色々書類が出てくるかと思ったが、これで良いらしい。
まあ、面倒なのを省けるのなら、俺はそれで嬉しい限りだが。
兎にも角にも、こうして俺は家の購入に成功したわけだ。
だがしかし、まだ問題は残っている。
家具の購入だ。
流石にスッカラカンの場所に住むのは良くないだろう。
﹁それじゃあ、僕はこれで。ありがとうございました﹂
﹁いえいえ。またお越しください。お茶ぐらいは出しますので﹂
俺は﹁はい、また来ます﹂と返事をし、会釈をしてから店を出た。
さて、これから向かう先は、家具屋だ。
カレン、ノエル、そしてサラを引き連れて買い物に行くわけだ。
654
おっさん
幼い女の子を三人引き連れる幼い男の子か⋮⋮。
カッコの中さえ分からなければ、微笑ましい光景と呼べるだろう。
そんな事を考えながら、俺はホラーツの店の近くにあった家具屋
へと着く。
不動産屋の近くに店を設置するのも、一つの商法ってやつなのだ
ろうか。
突然浮かんだどうでもいい疑問を抱えながら店の扉を開けると、
扉の上部に付いていた鈴が鳴った。
﹁いらっしゃい!﹂
俺を歓迎したのは、若い男性の活気のある声。
並べられた商品の奥にある扉から姿を現したのは、やはり若い男
だった。
刈り剃られた茶色の髪をした、程良い筋肉を持つ男だ。
﹁こんにちは﹂
俺が挨拶をすると、男はあからさまに怪訝な表情を浮かべた。
子どもを引き連れた子どもが買い物に来た事を変だとでも感じて
いるのだろう。
だが、一応は店員。すぐに表情を活気のあるものに戻す。
﹁らっしゃい! 今日はどんなのをお探しで?﹂
﹁これを全部﹂
俺は予め用意しておいた、必要な家具一式を記した紙切れを渡し
た。
655
﹁⋮⋮これを全部? ちゃんと支払えやすか?﹂
﹁問題ないです﹂
﹁⋮⋮もしかして、良家のお方がお忍びか何かで?﹂
﹁いいえ、ただの冒険者ですよ﹂
﹁そうですか。でもうち、全部俺一人で作ってるんで、結構かかり
やすぜ?﹂
﹁大丈夫ですよ﹂
俺が短く答えると、男は﹁分かった﹂とだけ言って、奥の扉へと
消えてしまった。
男は﹃全部俺一人で作ってる﹄と言っていたから、ここに並んで
いる商品は全てあの男が作った物という事になる。
それぞれデザインの異なる棚、寝台、戸棚、食卓、机、椅子、そ
の他諸々が並べられていて、店内は家具職人の展覧会の様だ。
﹁ここに載ってるもんは全部揃ってやすんで、柄は好きなのを選ん
でくだせえ﹂
俺が家具を見物している間に戻ってきていた職人が、リストを俺
に返した。
﹁いやぁ、どれも自信作でやすから、気に入ったのがあればすぐに
申してくだせえ﹂
﹁分かりました。ありがとうございます﹂
俺は既に買うものを絞っていたので、その中から更に選別する。
﹁カレンは気に入ったものあった?﹂
俺同様、様々な柄の家具に興味を持ったらしいカレンは、薄茶色
656
い木材が使用されている棚と向き合っていた。
﹁あった⋮⋮﹂
﹁どれ?﹂
﹁これ、これ、これ⋮⋮これ︱︱﹂
カレンは淡々と気に入った家具に指を向けていった。
テーブル、椅子、ベッドや戸棚だけでなく、木彫のクマにもマー
キングをしたようだ。
カレンは俺と趣向が似ているのか、選んだ物は俺の選んだ物とほ
とんど一致している。
﹁うん、まぁ⋮⋮全部買っちゃおうか﹂
﹁ほんと⋮⋮!?﹂
カレンが珍しくも表情を明るくする。
﹁どれも必要な物だし、元々俺が買おうと思っていた物でもあった
しな﹂
﹁ありがと、ございます⋮⋮!﹂
﹁うむ﹂
カレンがはしゃぐとは、珍しい。家具を買いたいという願望があ
ったのだろうか。
スラム育ちだから、そういう事を夢見ていたのかもしれない。
前世で生まれた願望である可能性も大いにあるわけだが。
﹁えっと、職人さん?﹂
﹁店長と呼んでくだせえ!﹂
﹁店長、あれとあれとあれ︱︱﹂
657
俺はカレンが選択した家具を、店長に指でさし示して伝えた。
店長は一度で全部記憶したらしく、言われた通りの家具を次々に
裏へと運んでいく。
ベッドさえも一人で持ち上げていたのは驚きだ。
﹁力持ちですね、店長﹂
﹁職業が職業でやすからね。力がいるんでやすよ﹂
店長が笑顔で答えた。
俺が﹁へぇ﹂と短く返して、会話が終わる。
俺は店長の仕事が終わるのを待つことにした。
﹁カレン、楽しそうだな﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁そうかそうか﹂
言いながら、カレンの頭を撫で回す。
もう片方の手でノエルを手招きし、耳を近づけるように促した。
﹁サラを見守ってあげてくれ﹂
﹁︱︱了解いたしました﹂
﹁頼んだ﹂
今のところ、俺からサラに話しかける予定はない。放置プレイだ。
﹁終わりやしたぜ﹂
ノエルが入り口の方で呆けるサラの元まで近寄った丁度その時、
店長が息を整えながら裏から顔を出した。
658
﹁後は運び出しだけでやすが、住居はどこでしょう?﹂
﹁ああ、家具は後払いですか﹂
﹁そうでやす。運び出しの途中で破損する場合もありやすんで﹂
﹁なるほど。それで、住居はこちらに地図を書いておきました﹂
俺はもう一枚、紙切れをポケットから取り出して、店長に渡した。
﹁分かりやした。あんまし多くないんで、明日の昼から始めて、夕
方には終わると思いやす﹂
﹁お手数をかけます﹂
﹁いえいえ、商売でやすから﹂
﹁それでは、よろしくお願いします﹂
﹁またいらしてくだせえ!﹂
活気あふれる店長の笑顔に励まされたような気がした俺は﹁また
来ます﹂と言って店を出た。
ノエルとサラは無表情だが、カレンは上機嫌だ。
今にもスキップをしそうである。
そんなカレンを見て、俺まで上機嫌になってくる。
﹁おい嬢ちゃん、道歩く時は気をつけろや﹂
上機嫌に歩を進める中、後ろから不愉快な声が聞こえた。
首を回して後ろを確認すると、ノエルが男にいちゃもんを付けら
れていた。
面倒極まりないが、ノエルの方に歩み寄る。
﹁うちのがどうしましたか?﹂
﹁あ? んだてめぇ﹂
659
﹁こいつの主です﹂
﹁てめぇが主なら躾けぐらいちゃんとしろや! 肩がぶつかって脱
臼したんだよ!﹂
出たよ、不良特有の難癖。
﹁見せてみてください﹂
俺は一言告げてから、男の肩に触れる。
⋮⋮だ、脱臼していた。
ノエルにぶつかった男の肩が脱臼していた!
﹁ノエル、何をしたんだ?﹂
﹁︱︱ただ肩と肩が接触しただけです﹂
﹁ありえないだろ! 力を抑えろって言ったじゃん!﹂
俺はノエルを一喝してから、男の方に向き直る。
﹁すみません、本当に。これで許してください﹂
俺はポケットから金貨一枚を取り出し、男に手渡した。
﹁い、いや、金が欲しいわけじゃなくて、ちゃんと駄目な事を教え
て欲しかったというか︱︱﹂
﹁いや、本当にすみませんでした。受け取ってください。お詫びで
す﹂
﹁いやだから、俺は別に金を要求したわけじゃねえんだ。躾をちゃ
んとしろと︱︱﹂
﹁いや、僕からのお詫びの気持ちです。こちらに責任がありました
ので﹂
660
﹁そ、そうか、なら、受け取っておく。すまないな﹂
﹁こちらこそ、すみませんでした﹂
俺と男は頭を下げ合って、そのまま別れた。
﹁︱︱ノエル、お仕置きが必要だな﹂
﹁︱︱おし、おき?﹂
その後、俺達は家ではなく、宿の部屋へと戻った。
︱︱︱︱︱︱
﹁︱︱ご、ご主人、さまっ⋮⋮あっ、んぅっ⋮⋮はあっ、もうっ、
ゆるひて、く、くらはい⋮⋮!﹂
﹁いいえ、許しません﹂
﹁︱︱ゆ、ゆるっ、つ、次からはぁっ⋮⋮! お、きをつけ、いた
します、ので⋮⋮んんっ、うぅ⋮⋮﹂
﹁本当? 反省した?﹂
﹁︱︱はいぃ⋮⋮﹂
俺がノエルから手を離すと、ノエルは糸の切れた糸あやつり人形
の様に力なく床に座り込む。
カレンも、俺とノエルとのやりとりを黙ってみているだけだった。
﹁全く、手間をかけさせる﹂
﹁ん⋮⋮しゃる、上手⋮⋮﹂
﹁そう? カレンにもやってあげようか?﹂
﹁⋮⋮遠慮、します⋮⋮﹂
661
カレンが俺から目をそらし、俺は思わず笑いをもらしてしまう。
にしても、ノエルには肉付きがあり、痛覚も存在していた。
血も流れているようだし、脈拍もうっていた。
もしかすると、人体を改造したものなんじゃないだろうか?
そう思わされる程に、肉付きが人間のものに近かった。
﹁ノエル、そんなに良かったか? 俺のマッサージ﹂
﹁︱︱お、おじょうず、でした﹂
﹁ふふっ、そうかそうか。次にして欲しい時はまた言う事だな﹂
﹁︱︱いいえ、遠慮させてもらいます﹂
俺がノエルにした事は、別にえっちな事ではない。
ちょっとばかし、ツボを刺激しただけだ。
ご褒美とも言えるし、お仕置きとも言える。
俺はマッサージなんて出来なかったのだが、ビャズマにいた頃、
ヴェラに教えてもらったのだ。
俺をマッサージしたお礼としてヴェラにもマッサージをしろとの
事で、喘ぎ声混じりのレクチャーを受けた事があった。
長年使っていなかったが、腕は衰えていないようだ。
兎にも角にも、俺達はその後食事を摂って、眠りについた。
662
鬼の涙・前編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
663
鬼の涙・後編
翌朝、トレーニングを済ませ、朝食を摂った後に購入した家へと足
を運んだ。
ただし、手ぶらではない。箒、雑巾、バケツを所持している。
空いている手で鍵を開けて、中へと入る。
﹁よし、じゃあ、掃除するぞ﹂
ハウスダストの飛び交う小汚い家なので、家具が運ばれる前に掃除
を終わらせてしまいたいのだ。
﹁ん⋮⋮﹂
﹁︱︱分かりました﹂
﹁⋮⋮﹂
サラは返事なし。まあ、別に手伝うことを強要することはしない。
したくないのなら、座って待っていればいいだけだし。
﹁んー、俺は二階をやるから、カレンとノエルで三階をやってくれ﹂
﹁︱︱了解いたしました﹂
﹁わかった⋮⋮﹂
返事をしたノエルとカレンは、すぐに階段を上がっていった。
カレンだけでなく、ノエルまではしゃいでいる様に見えるのは、気
のせいだろうか。
まあ、楽しんでいるのなら、俺としても嬉しい限りだが。
さて、俺は掃除を始めなくてはならない。
664
二階には食堂と調理場と居間がある。
掃除機が無いので、雑巾がけをしなくてはならない。
面倒で仕方ないが、雑巾がけは得意分野だ。
前世でいじめられていた俺は、掃除はほとんど俺一人に押し付けら
れていた。
雑巾、箒、黒板消し、窓ふきのエキスパートと呼ばれてもいいほど
の数をこなしてきた。
それらを強要され、拒否をすれば殴られていたからだ。
理由としては自慢できる物ではないが、結果だけを見れば自慢して
もいい物だろう。
まさかこんな所でいじめられた事が役に立つとは思わなかったな。
過去の嫌な記憶を思い出しながら、バケツに水をいれ、雑巾を濡ら
して絞る。
無心で床を拭き続け、いつの間にか二階の床を全て拭き終えていた。
新しい雑巾を出し、調理場のカウンターにコンロやオーブンの掃除
を済ませたが、カレン達はまだ終わっていないらしい。
その間に、俺は一階のロビーの掃除を終わらせる。
箒をかけ、雑巾で拭く。扉や窓もしっかりと拭き、一息ついた所で、
扉がノックされる。
俺はすぐに扉を開け、来訪者を中へと招く。
﹁どうも、店長﹂
﹁持ってきやしたぜ﹂
店長は親指で後ろにある手押し車を指した。
手押し車の上には注文した家具の一部が乗っている。
﹁あと数回往復して、仕事は完了でやす﹂
665
﹁いくら払えばいいですか?﹂
﹁無事に終わるかわかりやせんぜ?﹂
﹁先に知っておきたいので﹂
﹁わかりやした⋮⋮えぇと、銀貨十四枚でやすね。送料は無料にし
ときやす﹂
椅子を六、食卓を一、机を二、寝台を二、戸棚を二、全部で一万四
千円。
質も良いのに、こんなに安くて良いのだろうか。
﹁送料は基本いくらなんですか?﹂
﹁距離によりやすけど、最低でも銀貨五枚でやすね﹂
﹁なるほど﹂
﹁ほいじゃ、家ん中に運びやすんで﹂
﹁僕も手伝います﹂
﹁お客さんは座っててくだせえ﹂
﹁いえいえ、早く終わったほうがいいですから﹂
﹁⋮⋮負けてくれとか言わないでくだせえよ?﹂
﹁言いませんよ﹂
俺は手押し車に乗っている戸棚を担ぎ上げ、家の中へと運ぶ。
﹁部屋まで運びやすか?﹂
﹁いえ、玄関まででいいです﹂
﹁そうでやすか。お客さんも力持ちでやすね﹂
﹁いえいえ、それほどでも﹂
俺よりも力持ちなのがいるしな。
俺と店長は世間話をしながら、テンポよく家具を運び終える。
店長が店に家具を取りに行き、戻ってくるのを繰り返し、三時頃に
666
全ての家具がロビーに置かれる。
﹁予定よりも早く終わりやした。お客さんのおかげでやす﹂
﹁いえいえ。それと、僕のことはシャルルでいいですよ﹂
﹁分かりやした、シャルルさん﹂
﹁では、代金です﹂
俺は袋から金貨二枚を取り出し、店長に渡した。
﹁お釣りは大丈夫ですよ。心づけです﹂
﹁ありあとやした! またお越しくだせえ!﹂
﹁はい。お疲れ様でした﹂
代金を受け取った店長は手押し車を押して店へと帰っていった。
さて、後はロビーに置かれた家具を部屋に置くだけだ。
﹁ノエル、手伝ってくれ﹂
仕事を終えて下に下りてきていたノエルに声をかけた。
﹁︱︱了解いたしました。どちらまでお運びいたしましょう?﹂
﹁付いて来たまえ﹂
俺は戸棚を担ぎ、ノエルが寝台を軽々しく持ち上げ、階段をのぼっ
ていく。
俺の部屋は四階の一番広い角部屋だ。
ノエルに指示をだしながら、寝台と戸棚、机と椅子を俺の部屋に運
んだ。
同じセットを隣の部屋に運び、食卓と椅子四つは食堂に置いた。
家具の配置も完了し、寝る事もできるし、服の収納も出来るように
667
なった。
家で食事が出来るようには⋮⋮まだなっていなかったな。
フライパンや冷蔵庫も必要だ。
次に向かうべきは、雑貨店か。
ダ⃝ソーが近くにあれば、色々と便利なんだがなぁ。
﹁それじゃあ、俺は出かけてくるから、皆は家具を綺麗にしておい
てくれ﹂
﹁ん⋮⋮私も、行きます⋮⋮﹂
﹁留守番を頼みたいんだけど⋮⋮﹂
﹁⋮⋮行きます﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
しばらく沈黙が続き、遂にカレンが動き出す。
俺の体に腕を回し、胸に顔をうずめた。
そして、上目遣いでカレンが言う。
﹁だめ⋮⋮?﹂
﹁いや、駄目とは言ってないよ! むしろ全然オッケー! うん、
一緒に来るといい!﹂
全く! カレンさんはいつこんな事を覚えたのかしら!?
これで私が断れるわけないじゃないですか!
﹁さあ、行こう、カレン! 一緒にお出かけだ!﹂
﹁⋮⋮しゃる⋮⋮私以外に、騙されないで、ください⋮⋮ね?﹂
﹁はい、ごめんなさい﹂
668
︱︱︱︱︱︱
夕刻、日用品の購入を済ませた後は、皆で外食をした後に、家へと
戻った。
さて、ここに来て気付いたのだが、ベッドが二つしかない。
これはつまり、二人一組になって寝なければならないという事だ。
﹁カレンは誰と寝たい?﹂
﹁しゃる﹂
﹁さいですか﹂
即答されてしまったので、ノエルとサラが一緒に寝る形になったが、
大丈夫だろうか。
ノエルはこちらから話しかけないと何も言わないし、サラは不景気
な状態だ。
部屋の雰囲気は暗くなるに違いない。
明かりはちゃんと購入したので、視覚的には問題ないが。
﹁よし、じゃあ、今日はもう寝よう。おやすみ﹂
﹁︱︱おやすみなさいませ、ご主人様﹂
﹁ノエル⋮⋮おやすみ⋮⋮﹂
﹁︱︱はい。おやすみなさいませ、カレン様﹂
うむ。よきかなよきかな。
ノエルとカレンの仲良し度は少しずつ上がっているようだ。
カレンがサラを視界に入れないようにしているのは、俺がそうして
いるからだろう。
サラには少し、厳しい事をさせているかもしれない。
669
だが、サラの落ち込み度までくると、慰める手はない。
追い込まれた人間は、自分で這い上がる意外に道がないのだ。
俺達の手は、サラには届かないのだから。
﹁ノエル、頼んだぞ﹂
小声でノエルにサラの事をお願いし、俺達は眠りへとついた。
しかし、眠ったはずの俺は、白い世界へと飛ばされた。
﹁やあ、お兄さん﹂
﹁シャルル君、今俺寝てるんだけど﹂
﹁ごめんね。でも、退屈なんだ﹂
シャルルは退屈になる度に俺を呼び出して、話し相手にさせる。
まあ、俺はシャルルと会話するのは嫌いではないから良いのだが。
﹁つい最近、魔術師やレイピア使いと戦ったばかりだろ﹂
﹁う∼ん、でも、どちらもあっさりと終わって⋮⋮僕はこう、緊張
するような、すごい戦いがしたいんだ﹂
﹁戦うのは俺だけどな﹂
﹁ああ、視界が共有されるからすっかり忘れてた﹂
﹁まあ、でも、そうだなぁ⋮⋮心配しなくても大丈夫だ。敵はその
うち現れる﹂
﹁どういう事?﹂
シャルルの表情は明るくなり、食いついてくる。
670
﹁勘でしかないが、俺はかなり大きな物︱︱組織と戦っている気が
する。というか、遊ばれていると言ってもいい﹂
﹁何故そう言えるの?﹂
﹁俺が昔路地裏で殺されそうになったのを覚えているか?﹂
﹁うん。魔眼を持っている男だよね﹂
﹁そうだ。これも勘だが、あいつと、スラムを襲った奴、それと転
移の魔術師は、何か関連していると思う﹂
﹁何でそう思うの?﹂
﹁答え合わせはそのうちできるさ﹂
俺がそう言うと、意識が現実へと引き戻される。
いつの間にか朝になっていて、寝た気分がしないが、体は休まった
ようだ。
俺は洗面所で顔を洗い、シャルルとの会話を思い出す。
路地裏で俺を襲った奴、スラムを襲った奴、そして転移魔術師の関
連性。
確定的な証拠があるわけではないが、あいつらには繋がりがあると
見て間違いない。
俺の中では、考えがまとまっている。
まあ、だからといって、あいつらの本部を探し出し、襲うという事
はしない。
今の俺ではあいつらには勝てないだろうから。
だから、俺は力がほしい。
あいつらは俺を弄んでいるだけだ。﹃今﹄は。
でも、いつ俺の家族に危害を加えるか分からない。
その時、守れるようでなければいけない。
カレンを失った時、俺はきっと立ち直れなくなる。
まあ、確信なんてものはなく、﹃きっと﹄でしかないのだが。
671
カレンはまだ眠っているようなので、俺は一人でトレーニングを始
めることにした。
カレンの奴、昨日はしゃぎすぎたせいで、疲れたんだろう。
あのはしゃぎっぷり、おそらくだが、成人はしていない。
十代前半か後半か、そこまでは判別できないな。
そうだ。トレーニングの帰りに食材を買っておこう。
しばらくは自炊をして様子を見る。
もしかしたら、カレンも料理が出来るのかもしれない。
トレーニングを終え、家に帰ると、ノエルが扉の前にいた。
﹁おかえりなさいませ、ご主人様﹂
そう言って、ノエルが頭を下げる。
メイド喫茶なんて行ったことがないので分からないが、それなんか
よりも素晴らしき物なのではなかろうか。
接客ではないのだから、当然か。
いや、接客だからこそ優れている場合もある。
⋮⋮まあ、そこは俺に判断できるとこではないので、置いておこう。
﹁ただいま﹂
俺は笑顔で挨拶を返し、ノエルを引き連れ二階へと上がる。
﹁︱︱ご主人様、そちらは?﹂
672
ノエルが俺の手に持つ袋に視線を送りながら尋ねた。
﹁食材。朝飯は俺が作ろうと思ってね﹂
﹁︱︱料理なら自分も出来ますが﹂
﹁いや、久しぶりに料理がしたい気分だ﹂
﹁︱︱ご主人様は料理も心得ているのですね﹂
﹁簡単な物を作れる程度だよ﹂
ノエルと会話を交わしながら、俺は食材をカウンターに並べた。
使用するものだけを選び、他は昨日購入した小型の貯蔵庫に入れる。
この貯蔵庫には後でドライアイスでも作って入れておこう。
さて、俺が選んだ食材は卵、ひき肉、トマト、玉ねぎ、そしてジャ
ガイモだ。
卵をといで、塩と胡椒で味をつけたら、玉ねぎとトマトはみじん切
りにし、ジャガイモは小さめに切る。
フライパンに油を注ぎ、ひき肉、玉ねぎ、トマトを炒め、ひき肉の
色合いがよくなった頃に、一旦ボウルへと移す。
炒めた具の内の半分をフライパンへと戻し、といだ卵をかけ、蓋を
してしばらく待つ。
俺の好きな半熟になった頃に、蓋を外し、皿に移せば完成だ。
これはスペインらへんで作られているという料理らしく、簡単で美
味だったので、前世でも良く作っていた。
ケチャップをかければ更に美味くなる。
﹁ノエル、カレンとサラを呼んできてくれ﹂
﹁︱︱はい﹂
俺は皿を食卓に並べ、オーブンでパンを焼いておく。
パンが焼き終わった頃、カレンが食堂に顔を出す。
673
カレンに少し遅れてサラが来た。
サラは眠そうでもなければ、冴えているわけでもない。
普段の無表情とあまり変わらない。
まあ、とにかく、全員が揃ったところで、手を合わせる。
﹁いただきます﹂
﹁いただき、ます⋮⋮﹂
﹁︱︱いただきます﹂
﹁⋮⋮﹂
サラは食べ物を前にしても、無言、無表情。
仕方がないといえば仕方がない。
サラの事は後でどうにかするとして、まずは目先の食べ物である。
ここの食材は前世にあった物と味が異なるから、同じ作り方だと味
が変わるかもしれない。
調整も兼ねて、味見をする。
⋮⋮んー、少し、塩っぱいかもしれない。
次に作る時は塩の量を減らしたほうが良さそうだ。
﹁⋮⋮おいしい﹂
﹁え、ほんと?﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁ケチャップつけたらもっと美味いよ。今度つくってみる﹂
﹁けちゃっぷ、ですか⋮⋮? 売ってない⋮⋮?﹂
﹁売ってないよ。だから、作らないと﹂
﹁私も、手伝う⋮⋮つくりたい、です⋮⋮﹂
﹁良かろう﹂
674
会話をする俺とカレンだが、ノエルは黙々と食べ物を口に運んでい
る。
サラは少し食べたところで、フォークを置いてしまった。
食欲がないのなら、それでいい。
食べるように強要する事はない。
﹁⋮⋮サラ、ちゃんと︱︱﹂
﹁いいんだ﹂
サラに食いつこうとしたカレンの声を遮る。
﹁⋮⋮なんで、ですか?﹂
﹁放っておけ﹂
﹁⋮⋮ん﹂
カレンは素直に頷き、食事を再開する。
サラは視線を落とし、落ち込んでいるようには見えるが、やはり無
表情。
もうそろそろ、俺も傷ついてきた頃だなぁ。
﹁よし、この後はサラと俺とで依頼を受けに行く﹂
俺の言葉にも、サラは反応をしない。
﹁だから、カレンとノエルには留守番をお願いするよ﹂
そう言って、俺はカレンの頭を撫でる。
カレンは何かを察したのか﹁ん﹂とだけ言って、コップに口をつけ
た。
675
﹁サラ、着替えてこい﹂
命令はしっかりと聞くのか、サラは席を立って、部屋へと戻ってい
った。
俺も水を飲み干してから、部屋へと戻る。
トレーニング用の服から、外出用の服装に着替え、剣を二本装備す
る。
コートのフードをなおし、首巻きを浅めに巻いて、サラと一緒にギ
ルドへ向かった。
︱︱︱︱︱︱
今回、俺が受けた依頼は﹃山賊の討伐﹄だ。
数年前に結託した賊は全滅させられたが、その戦いに参加しなかっ
た賊や、新たに出来た賊が、最近また活発に行動をするようになっ
た。
サラと共に森を歩きまわって約一時間、俺はアジトらしき洞窟を発
見する。
俺は作戦を考えるわけでもなく、正面からアジトへと侵入した。
もちろん、罠に襲われるが、全部氷らせてしまった。
﹁な、なんだてめぇ!﹂
﹁ガキが何しに来てんだ!﹂
﹁仕方ねえ、殺せ!﹂
俺を見つけた山賊共が大声で叫ぶ。
山賊は俺を包囲し、じわりじわりと歩み寄ってきた。
676
﹁はぁ⋮⋮﹂
ダメダメ、全然駄目だ。
相手の能力もわからないのに、包囲する時点で駄目。
じわりじわりと恐怖を煽っているのかは知らないが、もたもたして
いるのも駄目。
その前に、ガキだと思って舐めてかかっているのも駄目だ。
このまま全方位に氷槍か、土の弾丸でも飛ばせば全員が死ぬだろう。
でも、それではつまらない。
少し遊んであげよう。
﹁おらあっ!﹂
まず一人が、剣を振り下ろした。
俺は紙一重で躱し、頬に平手を食らわせる。
﹁あ?﹂
動きが止まった山賊の腹に膝を入れ、顎を肘で突く。
倒れそうになるのを手首を引いて止め、引いた時の勢いに乗せて、
頬を蹴りつける。
気絶した山賊を土の魔術で拘束し、俺を囲む山賊の方へと転がした。
この動作を終わらせるのに五秒もかけなかったのは、ビャズマで体
術を教わったおかげだろう。
﹁すみません、手が滑りました﹂
状況を理解しようとしている山賊に更なる挑発をかける。
単細胞な彼らは怒声を上げながら、俺に襲いかかってきた。
だが、同時はまずいだろうに。
677
俺が右からの攻撃を避けると、攻撃は左から攻撃してきた敵に当た
る。
後ろからの攻撃を良ければ、正面から来た敵に当たる。
そういえば、リーダー格はここにはいないようだから、奥で酒でも
飲んでいるのだろうか。
そんな事を考えながら、襲いかかる敵の頭に触れる。
俺に触れられた敵は、一瞬にして動きを止め、その場に倒れていっ
た。
﹁な、なんだこのガキ!﹂
﹁なんだよあれ!﹂
﹁くそ! 冗談じゃねえ!﹂
情けない声を上げながら、洞窟の外に逃げようとする奴に土の銃弾
を食らわせる。
奥に逃げた奴はリーダーでも呼びに行っているだろうから、放って
おこう。
サラにちらりと目をやると、視線は俺に釘付けにされていた。
無表情がほんの少しだけ崩れ、口が少し開いていたのは意外だ。
まあ、でも、計算通り。
勘違いしてもらっては困るが、サラに見られる事が主目的ではない
からな。
俺はマゾではない。決して、マゾではないのだ。
マゾで思い出したのだが、サドやマゾ等の異常性欲の名前は、作家
の名前から取っている事が多い。
サディズムやサディストという言葉は、加虐的な小説を書いた作家、
サド侯爵から来ている。
678
マゾヒズムやマゾヒストは、被虐的な小説を書いた作家、ザッヘル
マゾッホの名にちなんでいる。
そして、少女を意味するロリータという言葉だが、これはナボコフ
の書いた﹃ロリータ﹄という小説から来ている。
﹃ロリータ﹄は中年男の異常なまでの少女愛を描いた作品である。
と、そんな事を思い出している間に、俺はどうやら山賊を全員倒し
てしまっていたらしい。
死体の山が俺を囲んでいて、サラは小刻みに振るえて地面に腰をお
ろしていた。
サラは、恐怖している。
﹃恐怖﹄は﹃生きたい﹄と願う人間だけが感じるものだ。
俺はアジトの奥へ進むが、どうやら抜け道から逃げてしまったらし
い。
後は誰かが処理してくれるだろうから、大丈夫だろう。
賊のほとんどは俺が倒してしまったし。
﹁さて﹂
俺は息を一つ吐いてから、サラに向き直る。
﹁サラ、お前をここに連れてきた理由が分かるか?﹂
﹁⋮⋮﹂
サラは震えながらも、首を横に振った。
﹁うん、えっとね、お前を殺すためだ。流石に、街の中で殺す訳に
はいかないし、埋葬にもお金がかかる。ここなら、死体を放ってお
ける﹂
679
﹁⋮⋮!﹂
サラが、始めて大きな反応を示した。
虚ろな目は俺を捉え、今にも泣き出しそうである。
﹁さぁてと、どう殺してやろうかなぁ﹂
俺は一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄り、サラを煽る。
サラは後ずさる事もなく、ただ震えていた。
腰が抜けて動くことも出来ないのだろう。
﹁あ∼、どうしよう、悩むなぁ∼﹂
今日の晩飯なににしようか、悩むなぁ∼。
﹁ふふっ﹂
俺がサラに微笑みかけると、地面に液体が滲んでいった。
せ、聖水だ⋮⋮。
失禁したサラは、瞳から涙を零し始める。
やっと、泣いてくれた。やっとだ。
俺がもう一歩歩み寄った時、サラはゆっくりと地面にひれ伏した。
そこには彼女が聖水があったのにも関わらず、サラは平伏している。
﹁生かして、ください⋮⋮﹂
サラの喉奥から絞り出された、か細い声が俺の耳に届く。
680
﹁生かしてください⋮⋮﹂
真意を伝えるために土下座までして、命を乞う。
サラはどれだけ絶望しようと﹃生きたい﹄と願った。
﹃死にたい﹄と、ここで言わなかった。
辛いなら、ここで黙って俺に殺されていればいいというのに、こう
して彼女は、命乞いをしている。
﹁生かして⋮⋮ください⋮⋮﹂
サラは耐えようとしている。
背負おうとしている。
生きようとしている。
なら、それで良いのだ。
﹁サラ、顔を上げろ﹂
俺はサラの前に膝をついて、サラの顔を持ってきていたハンカチで
拭う。
﹁答えが出たじゃないか﹂
少し急かす形になったが、これでサラの出せなかった答えが出た。
最初から出ていたのかも知れないが、絶望がサラの本心を押さえて
いたのだろう。
﹁全く。土下座が出来るなら、少し横にずれてからすればいいのに﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
﹁そう。謝罪の時は﹃ごめんなさい﹄だ。感謝の時は﹃ありがとう
ございます﹄。寝る時は﹃おやすみなさい﹄。朝起きて顔を合わせ
681
たら﹃おはようございます﹄。食べる時は﹃いただきます﹄だ﹂
﹁うぐっ⋮⋮ごめんな、さい⋮⋮っ⋮⋮﹂
﹁泣け泣け。どんどん泣け。悲しい時、辛い時は泣けばいいんだよ。
んで、嬉しい時は笑えばいいし、不愉快な時は睨みつけてやればい
い﹂
サラは枷が外れたように、大声を出し、溢れる涙を遠慮無く流した。
俺がサラを抱きしめると、サラは倍の力で俺を抱きしめ、顔を俺の
胸に埋めて泣き叫ぶ。
﹁そうだ、これでいい。感情を抑える必要なんてないんだ。絶望だ
けを見据えることなんてしなくていい。世の中まだまだ見てない物
がたくさんある。楽しい物がたくさんある。それを見ないで死んじ
ゃうなんて、勿体無いだろ﹂
﹁ご、ごめんっ、な、さいっ⋮⋮!﹂
﹁俺達と楽しい事をたくさんしよう。綺麗な物をたくさん見よう。
死ぬことを考えるのはそれからだ﹂
俺はサラが泣き止むまで、頭を撫でながら﹁もう大丈夫だ﹂と声を
かけ続けた。
682
鬼の涙・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
683
幼女だけど愛さえあれば関係ないよねっ
俺はその後、泣き疲れて眠ってしまったサラを背負いながら、家
へと戻った。
サラをベッドに寝かせ、ノエルに側にいてあげるよう頼み、俺は
帰りに買っておいた、近所にお近づきのしるしとして配る物を両手
に抱え、カレンと一緒に家を出た。
左隣の家に住むのは、息子さんのいるご家族だ。
互いに自己紹介を済ませた所で、干しイカと干しイカのタレ三種
類、それと酒を贈呈した。
﹁どうやって手に入れたの?﹂と聞かれた時は﹁父からです﹂と言
ってごまかした。
左隣は⋮⋮家というか、店だ。
看板には﹃鍛冶屋﹄と書いてある。
ノックをしてしばらく、一人の少女が顔を出す。
﹁はいよー、どちらさーん?﹂
顔を出した少女は、健康的に焼けた肌をした、幼い女の子だ。
若干眠そうな目をしていて、瞳は透き通る様な茶色。
髪色も薄い茶色で、肩の下までしか伸びてないであろう髪の毛は
頭の両側でまとめられている。
お隣さんには茶髪のツインテール幼女、なるほど、なるほど。
﹁えと、隣に引っ越してきたシャルルと申します﹂
﹁カレン、です⋮⋮﹂
﹁私はエリカ。よろしくー﹂
684
﹁よろしくお願いします、エリカさん。⋮⋮えと、親御さんは?﹂
﹁いや、うちだけ﹂
﹁お出かけ中ですか?﹂
﹁いや、一人暮らしだよ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ああ、えっと、鍛人の方でしたか。すみません﹂
﹁うん⋮⋮ま、まあ、慣れてるからいいよー﹂
﹁えっと、これ、お近づきのしるしに﹂
どうやら成人しているようなので、干しイカとタレ三種と酒のセ
ットを贈呈した。
﹁おぉ、お酒ー! ありがとう!﹂
﹁いえいえ﹂
﹁ところで、シャルルは剣士だよねー。うちの店、見ていかない?﹂
カレンの方に目をやると、﹃見たい﹄という顔をしていたので、
お願いする事にした。
エリカは快く俺達を招き入れた。
鍛冶屋の壁には、たくさんの武器が掛けられていた。
大剣から槍まで、様々な武器が揃えられている。
でもたしか、鍛冶屋の仕事は金属を鍛え加工するとこまでで、売
るのは別じゃなかったっけ。
そんな疑問をぶつけてみると、エリカは﹁お隣さんだから特別ー﹂
と答えた。
お隣さんの特権ってやつだ。
﹁特注って受け付けてますか?﹂
﹁んー、受け付けてるよー。普通より高くなるけど﹂
﹁金なら問題無いです。一つ作って欲しい剣があります。紙と筆あ
りますか?﹂
685
﹁ちょっと待っててー﹂
エリカは作業場の奥にある扉へと入っていき、数分して戻ってく
る。
﹁どうぞー﹂
差し出された紙と羽ペンを受け取り、紙に図案を描く。
長大な刀身、片刃、柄、鍔、全てをイメージ通りに描いた。
俺が作って欲しいのは太刀である。
﹁んー、特徴的だねー﹂
﹁どうでしょう? 作れそうですか?﹂
﹁まぁ、他にも注文があるから、一ヶ月くらいはかかるかなー﹂
﹁それでいいです。注文します﹂
﹁わかった。お代は後払いでいいよー﹂
﹁分かりました。では、僕はもう行きますね﹂
﹁はいはーい。また来てねー﹂
よし、挨拶はこれぐらいでいいだろう。
俺は家へ帰り、サラの様子を見る。
最近、あんまり睡眠が取れていなかったのだろう。
﹃眠ろうとしないんだ﹄とエルネストが言っていたし。
久しぶりに安眠が出来ているのなら、邪魔はしちゃいけない。
﹁ノエル、お疲れ様。はい、差し入れ﹂
俺はキッチンから持ってきた林檎をノエルに投げ渡す。
﹁︱︱ありがとうございます﹂
686
ノエルは律儀にお辞儀をして、林檎にかじりついた。
﹁カレンも、サラとは普通に接してやってくれ﹂
﹁しゃる⋮⋮何か、したんですか⋮⋮?﹂
﹁まあ、少しだけ﹂
﹁⋮⋮﹂
カレンは返事をしなかったが、優しく微笑み、眠るサラの頬を撫
でた。
ああ⋮⋮今の雰囲気はマリアっぽくて、いけないな。
俺は何処からかこみ上げてきた気持ちを紛らわすために、部屋を
出た。
胸の辺りが締め付けられる様な錯覚に襲われ、思わず壁にもたれ
てしまう。
⋮⋮痛いなぁ。
︱︱︱︱︱︱
家具を揃えたり、日用品を確保したりと忙しなく過ごし、やっと
落ち着いた一週間が過ぎた頃の昼過ぎ、我が家に来訪者が訪れる。
扉の前に立っていたのは、ウルスラだった。
﹁どうも、シャルル殿﹂
﹁こんにちは。初来訪ですね、どうしたんですか?﹂
﹁用事ついでに遊びに来ました﹂
687
﹁どうぞ上がって下さい﹂
ウルスラを招き入れ、ロビーにつくった客間に通した。
﹁家の中を見て回りますか?﹂
﹁はい、是非お願いしたいです﹂
との事で、俺は家の中を案内した。
途中ぼそりと﹁住もうかな⋮⋮﹂という独り言が聞こえたが、聞
かなかった事にした。
何故だかは分からないが、ウルスラと暮らしたら危ない気がする。
ウルスラがではなく、俺が危険な目にあう気がするのだ。
ウルスラに隅々まで見せたので、客間へと戻り、俺とウルスラが
ガラステーブルを挟むようにしてソファに腰を下ろす。
カレンがお茶を用意し、ウルスラの前に置いた。
﹁そういえば、用事があるとかなんとか﹂
﹁ああ、それですが⋮⋮実は、シャルル殿に依頼したいと申される
方がおられまして﹂
﹁僕にですか? 僕、宣伝も何もしてないんですけど﹂
﹁いや、あの⋮⋮実は、その、私が勝手に、シャルル殿の素晴らし
さを語っていたというか、自慢していたというか⋮⋮すみません﹂
﹁いえいえ、責めるつもりはありません。宣伝になったのなら、そ
れでいいですよ、僕は﹂
ていうか、俺の素晴らしさを語るって、どんな事を話したのだろ
うか。
﹃副団長が自慢するやつなら相当すごいんだろうな﹄という過度な
期待を散りばめられてしまった気がする。
688
﹁それで、依頼内容は?﹂
﹁直接話したいとの事でした。ですが﹃どこへ行けば話せるのか分
からない﹄と。シャルル殿は顔すら割れていませんから﹂
﹁そういえばそうでした。その依頼主にこの家に来るよう伝えても
らえませんか?﹂
﹁この家、ですか? ここは生活するための家なのでは?﹂
﹁いえ、窓口兼用として働かせます﹂
﹁危険です。組織間抗争が勃発した場合、この家が襲われるかもし
れませんよ?﹂
﹁大丈夫ですよ﹂
﹁根拠は⋮⋮?﹂
﹁ありませんが、襲われたら殺す。それだけです﹂
﹁⋮⋮そうですね、それだけです。では、そういう事で﹂
﹁お願いします﹂
依頼の話の後はしばらく談笑していたが、ウルスラの仕事が残っ
ているとの事で本部に帰ってしまった。
俺はティーカップを片付け、サラのいる部屋へ行く。
サラは既に目覚めていて、俺の姿を見つけると肩をびくりと震わ
せた。
そんなに恐がらせてしまっただろうか。脅しが効きすぎたか⋮⋮?
﹁えっと、あの⋮⋮﹂
反省していたところに、サラが声をかけてくる。
﹁⋮⋮すみませんでした﹂
﹁ん? 何が?﹂
﹁失礼なことばかりして⋮⋮﹂
689
﹁あー、いいよ、気にすんな。今日からサラも家族の一員だ。遠慮
はしないでいい。失礼とかそんなの気にしないでいいよ﹂
﹁で、でも︱︱﹂
﹁シャルが、良いって、言った⋮⋮。なら、それで良い⋮⋮。﹃で
も﹄は⋮⋮なし⋮⋮﹂
そう言いながら、カレンがサラの頭を撫でる。
サラは震える声で﹁はい﹂とだけ言って、気持ちよさそうに目を
細めた。
俺は二人を部屋において、一階へと下りる。
ノックの音はしなかったが、来客だ。
俺は扉を開け、訪問者を確認する。
﹁扉の前で突っ立ってどうしましたか?﹂
﹁えぇと、ここがシャルル様のお宅でよろしいのでしょうか?﹂
﹁そうですが﹂
﹁えぇと、依頼に来ました、タイラーです﹂
﹁どうぞ、中へ﹂
俺は依頼人タイラーを招き入れ、客間へと通す。
今度は俺が茶を用意し、タイラーの前に置いた。
﹁して、依頼とは?﹂
タイラーが茶を一口飲んだところで、早速切り出した。
﹁実は⋮⋮自分の経営する料理店を繁盛させたくて⋮⋮﹂
﹁売れてないんですか⋮⋮店は王都にあるんですよね?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁では、早速見に行きましょう﹂
690
﹁えっ、引き受けてくださるんですか?﹂
﹁引き受けて欲しいから依頼しに来たんですよね?﹂
﹁そ、そうですが、まだ詳細も話していないので⋮⋮﹂
﹁まずは店を見てから聞きます。百聞は一見にしかず、です﹂
﹁分かりました。案内します﹂
俺はタイラーに続いて、タイラーの経営するレストランへと向か
った。
向かったのだが⋮⋮
﹁地味ですね﹂
﹁す、すみません﹂
ものすごく地味だ。
建物は石製で、石の灰色のまま。
看板は目立つわけでもなく、チョコンと置かれているだけだ。
インパクトに欠けていては意味が無い。
﹁こりゃあ、客も来ないわけですよ⋮⋮﹂
﹁す、すみません、本当に﹂
﹁料理の方はどうなんですか? 従業員の数は?﹂
﹁料理には自信があります! ですが、従業員は僕ともう一人しか
いなくて⋮⋮﹂
﹁二人だけで経営してたんですか?﹂
﹁はい⋮⋮客が来なかったので、二人で足りていたというか⋮⋮﹂
﹁少し、時間をください﹂
﹁はい⋮⋮﹂
どうしようか。店の位置は道路脇だから、人が通らないわけでは
ない。
691
必要なのは、注目だけだ。
しかし、例え人を集める事が出来たとしても、サービスがままな
らないようであれば、すぐに客足も減るだろう。
先にすべきは⋮⋮従業員の確保か。
﹁まずは、従業員の確保から始めます。募集の紙を掲示板にでも貼
っておけば、その内来るでしょう。給料の方は、そうですね⋮⋮時
給は最低でも大銅貨九枚でどうでしょう﹂
﹁うぅ、ぎりぎりです⋮⋮﹂
﹁なら、大丈夫です。周りの店の従業員募集の年齢基準が分かりま
すか?﹂
﹁十六より上がほとんどです﹂
﹁なら、年齢制限を十四歳より上にします﹂
﹁十四? 十六ではなく⋮⋮?﹂
﹁そのぐらいが仕事をしたいと思っている時期だと思います。﹃親
へのお知らせは任意﹄とでも書いておけば、こっそり仕事をする人
も入ってくるでしょうし﹂
成人していなければ仕事をできないという国法はない。
にも関わらず、周りの店は従業員を十六歳以上にしている。
なら、それ以下の年齢、特に十四、十五歳の子は﹃あと数年で仕
事が出来る﹄と楽しみに思っている事だろう。
そこへ現在の年齢でも出来る仕事が見つかれば、飛び込んでくる
はずだ。
﹁募集の紙は見やすく作って下さい。そして、高くも無く、低くも
無い位置に貼って来て下さい。今日の助言はここまでです。数日後
にまた来ます﹂
﹁えっ? そ、それだけですか?﹂
﹁あー⋮⋮入りたいと言ってきた人たちは、自分の目で見定めて雇
692
用するか決めて下さいね﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
﹁それでは、また﹂
俺は軽く会釈をしてから家へと戻った。
気付けば既に夕方で、キッチンからは野菜を切る音が聞こえてく
る。
ノエルだろうかと思いキッチンを覗いてみたのだが、手際よく料
理をしていたのはカレンだった。
﹁カレン、ただいま﹂
﹁ん⋮⋮おかえり、なさい⋮⋮﹂
カレンは包丁を動かしながら挨拶を返した。
﹁料理できたんだな﹂
﹁⋮⋮何故か、できます⋮⋮習った事は、ないのに⋮⋮﹂
前世では料理の出来る娘だったのか。もしかしてカレン、意外と
女子力高いんじゃ⋮⋮?
クッ、いい加減な男に嫁に出すわけにはいかんな⋮⋮。
﹁カレンはきっといいお嫁さんになる﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁カレン? 手が止まってるぞ、どうした?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁カレンさん? おーい﹂
﹁シャルも⋮⋮きっと、いい旦那さんに⋮⋮なれます⋮⋮﹂
﹁お、おう、そうか?﹂
﹁ん⋮⋮﹂
693
﹁あ、ありがとうございます﹂
照れ隠しの礼を言うと、カレンは料理を再開した。
カレンが動きを止めた時は驚いた。俺が突然スタンド使いになっ
たのかと思ってしまったぞ。
﹁⋮⋮手伝おうか?﹂
﹁いい。シャルは、サラを⋮⋮﹂
俺は﹁分かった﹂と短く返して、サラのいる部屋へと向かった。
ノックをするとノエルが扉を開けて、俺を中へと入れる。
﹁︱︱お帰りなさいませ、ご主人様﹂
﹁ただいま、ノエル。サラはどうだ? 具合は良くなったか?﹂
﹁だ、大丈夫です﹂
﹁そうか、なら良かった﹂
いつもの癖で、サラの頭を撫でようと手を伸ばすが、サラが肩を
震わせて目を閉じた。
このまま手を引き戻すのも気恥ずかしいので、隣にいたノエルの
頭に乗せ、軽く撫でる。
ノエルの髪にはあまり触れたことがないのだが、触れる度に驚か
される。
本当に人形なのかと疑う程に綺麗で、滑らかだ。
﹁︱︱ご主人様。如何なさいましたか?﹂
﹁いや、何でもない﹂
﹁︱︱食べ物の匂いがします﹂
﹁カレンが料理をしてる。手伝ってやってくれ﹂
﹁︱︱邪魔にならないでしょうか?﹂
694
﹁その時は黙って見てればいい。見てるだけでも勉強になるから﹂
﹁︱︱分かりました﹂
ノエルは無表情で返事をし、階下へと下りていった。
部屋に残ったのは、俺とサラだけ。
﹁サラは俺のことが恐いか?﹂
﹁こ、こわくないです⋮⋮よ?﹂
﹁嘘つけ。俺が触れようとしたら凄く恐がってたじゃないか﹂
﹁う⋮⋮ごめんなさい⋮⋮﹂
﹁俺はとても傷ついた。心がとても痛いよ﹂
﹁ほ、本当にごめんなさい⋮⋮!﹂
﹁ではお仕置きとして、サラは今晩俺と寝なさい﹂
﹁えっ?﹂
﹁サラと、俺と、カレンと三人でだ﹂
﹁わ、わかりました⋮⋮﹂
﹁うむ。では、晩飯へ参るぞ﹂
俺はサラを連れ、キッチンへと向かう。
料理は既に出来上がっていて、ノエルが食堂へ鍋を運んでいると
ころだった。
この匂いには覚えがある⋮⋮かなり昔に、前世で食べた事がある
物だ。
一向に思い出せないので、鍋を覗いてみる。
そこにあったのは︱︱肉じゃがだった。
肉じゃがを最後に食べたのはいつだっただろうか。
母さんがまだ生きている時だったか。
ご飯との相性が抜群だったんだよなぁ。
﹁シャル⋮⋮泣いてる⋮⋮?﹂
695
﹁ん? 泣いてないぞ?﹂
﹁泣きそう⋮⋮﹂
﹁いや、ちょっと、懐かしくてな﹂
﹁⋮⋮ん﹂
会話を交わしながら全員が席へとつき、﹃いただきます﹄の後に
食事を始めた。
肉じゃがの味は、最高だった。
久しぶりに食べたからというのもあるのかもしれないが、そうで
なくてもかなり美味いだろう。
野菜の甘味はよく出ているが、甘すぎず、辛すぎずといった、丁
度いい味だ。
昔食べたものには春雨があった気がするが、無くても美味いもの
だな。
﹁美味い。美味いよ、カレン⋮⋮!﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁︱︱確かに、これは絶品です。私の情報には入っていない料理で
すが、素晴らしいです。この口に広がる甘さと程よい辛さの対比が
まるで手を取り合って踊る⋮⋮﹂
ノエルは喋り続けた。何を言っているのかも分からなくなるほど
に喋りに喋った。
料理評論家にでもなればいいのではと思うぐらいの語彙を使いカ
レンの肉じゃがを褒め称えるノエルを止めたのは俺だったが、止め
ていなければ、後数時間は喋り続けていたのではないだろうか。
時折息切れを起こしていたのが人間らしくて興味を惹かれた。
今度、ノエルを色々と調べてみるか。
そんなこんなで夜になり、サラとカレンとノエルが水浴びをして
696
いる間、俺は剣の手入れを済ませる。
俺も含めた全員が水浴びをした後は、魔術を使って髪を乾かして
就寝する。
俺とカレンの間にサラが入るはずだったのだが、ノエルが一人だ
けというのも可哀想なので、俺、サラ、ノエル、カレンの順番でベ
ッドに横になった。
俺はサラに抱きつくでもなく、普通に、本当に普通に眠りについ
た。
︱︱のだが、朝目覚めると、サラを抱きしめていたわけである。
寝ていたんだから仕方ないよねっ!
697
シンフォニアは幕を閉じる︵前書き︶
サボっていたわけではないんです!
休暇です! サボりではなく、休暇なのです!
698
シンフォニアは幕を閉じる
三日が経ち、王都中央広場にある掲示板へと足を運んだ。
そこには、俺の言った通り、高くもなく、低くもない位置に貼り
紙があった。
﹃タイラー料理店、従業員募集! 十四歳以上! 時給大銅貨九枚
!﹄と書いてある。
必要な事だけを書いたシンプルな物だが、これで充分だ。寧ろこ
ちらの方が良い。
ここで細かい話を載せても、足を運んでもらえるかは分からない。
まずは、店に来てもらう事が必要なのだ。
募集の貼り紙を確認した俺は、料理店へと向かう。
貼り紙を掲示板に貼ったのが俺が助言をしたその日だというので
あれば、三日は経っているわけだから、さすがに一人は雇用できて
いるだろう。
従業員は最低でも七人欲しい。キッチンに四人、給仕に三人は必
要だ。
やる事を考えながら料理店へと着いた俺は、扉をノックする。
﹁シャルルです﹂
名を告げると、扉が開けられる。顔を出したのは、男性だった。
優しそうな雰囲気の男性で、チャームポイントは額のほくろだ。
﹁どうぞ、中へ﹂
店の内装を見たのは今この時が始めてなのだが、予想通り地味だ。
六つのテーブルと椅子が置かれているだけで、壁には時計がかけ
699
られているが、装飾は無い。
だが、木目が見えているのは中々にいい味だと思う。これは活か
したい。
外装、内装をどうしようか。塗色するのは気が進まない。
木の色を活かし、且つ人が集まるように視線を集める⋮⋮。
どうすべきかと考えていると、タイラーが奥の扉から出てきた。
﹁どうも、シャルルさん﹂
﹁こんにちは。どうですか、従業員の方は﹂
﹁面接をして、四人新しく雇用出来ましたが⋮⋮皆若く、経験が浅
いようで⋮⋮﹂
﹁経験はこれから積ませれば問題無いです﹂
﹁そうですかね⋮⋮?﹂
﹁はい。ともかく、これで店員の数は計六人ですか?﹂
﹁そうなりますね﹂
﹁割り振りは決めてありますか?﹂
﹁はい。決めました。四人のうちの一人が、料理には自信があると
の事で調理を。他の三人には接客を任せました。僕と彼︱︱マーク
の二人も調理です﹂
俺は先ほど俺を出迎えた男性、マークを一瞥する。
マークは俺の視線に気づくと、会釈をしてきた。
なるほど、料理が出来そうな顔ではあるな。
﹁少し料理を味見してもいいですか?﹂
﹁はい、もちろんです﹂
マークと共にキッチンへと向かうタイラーに続いて、俺もキッチ
ンへと足を踏み入れる。
調理道具は一通り揃えてあり、充分と言える。掃除もしてあるか
700
ら調理場は問題ない。
俺はマークとタイラーの料理する姿を見ながら、黙って待ってい
た。
しばらくして、皿に乗せられた食べ物がキッチンにあるテーブル
に置かれる。
麺の上に赤いソースがかけられていて、白い湯気が立ち上ってい
る。
﹁いただきます﹂
手を合わせて、フォークを手に取る。
フォークに麺を絡ませ、一息吹きかけてから口へと運んだ。
これは⋮⋮ミートソースパスタか。美味い。
缶ではなく、生トマトからソースを使っている為、酸味が少し強
いが、甘みもしっかりと口内に広がる。
しかし、普通より美味い程度だから、料理だけで客を集めるのは
さすがに不可能か。
﹁ごちそうさまでした。美味しかったです﹂
﹁お粗末さまでした﹂
ソースもパスタも平らげ、タイラーとマークに礼を言うと、二人
は満足気に微笑んだ。
﹁して、他の従業員は?﹂
﹁もうすぐ来ると思います﹂
﹁こんにちはー﹂
噂をすればなんとやら。挨拶をしながら裏戸から入って来たのは
701
一人の少年だった。
︱︱︱︱︱︱
俺はタイラーに三日間店を閉めてもらうようにお願いし、四人の
少年を鍛えた。
少年達は若いこともあってか、飲み込みが早く、俺の期待をふく
らませるばかりだ。
そして今日、遂に店を開けるわけだが、店を開けたところで、客
には従業員が増えたなんて分かるはずがない。
まずは、店の中に入れる。そこからだ。
その為には客の注意を引かなければならない。
どうやって引くのか、どうすれば興味を持つのか。
やはり大きく出るのは、看板とチラシだろう。
看板、チラシ、呼び込み、それらもそうだが、広告というのも大
きくなる。
街の中央にある掲示板には店の宣伝紙を貼ることを禁止されてい
る。
そんな事を許可すれば、街中の店の紙が貼られる事になるからだ。
だが、従業員募集が許されているのは、街の景気付けの為だろう。
さて、そんな事情があるわけだが、その看板やチラシで客の興味
を引くにはどういった内容の物を書かなければならないのか。
そこは俺の提案するところではない。タイラー達が自分で考えて
やる事だ。
702
広告の話についてはアテがあるから手伝う事にしよう。
﹁宣伝紙を配るのはいいですが、配った後で紙に目を通した客が、
﹃ここに行きたい﹄と思うようにしなければなりません。それをど
うするかは自分で考えて下さい。重要なのは、客の目線になる事で
す﹂
﹁分かりました﹂
﹁そして、広告ですが、掲示板に宣伝紙は貼れません。では、どこ
に貼ればいいのか。そこについてはアテがあります。ですが、交渉
するのは僕ではなく、タイラーさんです﹂
﹁ぼ、僕ですか⋮⋮﹂
﹁はい。﹃貰う﹄と﹃与える﹄が重要な言葉になるでしょう。意味
は深く考えないほうがいいですよ、そのまんまですから﹂
﹁分かりました、頑張ります﹂
﹁僕が手助け出来るのはここまでです。僕がこれ以上何かしたら、
タイラー料理店ではなく、シャルル料理店になってしまいますから﹂
﹁その通りですね﹂
﹁では、付いて来て下さい﹂
俺はタイラーを連れ、客馬車に乗った。
向かう先はオッチャンの宿だ。
オッチャンの宿はギルドに近いため、人の出入りが激しい。
オッチャンに広告を貼ってもらえるようお願い出来れば、タイラ
ーの店への出入りはそれなりには増えるだろう。
まぁ、そこもタイラー次第。タイラーの店が繁盛しなければ、依
頼は失敗。すれば成功し、報酬を貰える。
それだけのことである。
﹁オッチャン、仕事相手を連れてきました。金の話ですよ、オッチ
ャン﹂
703
﹁ガキが何いってんだよ、ったく﹂
﹁こちらの方、タイラーさんです。話があるそうで﹂
﹁ど、どうも、タイラーです﹂
タイラーは軽く頭を下げ、挨拶をする。対するオッチャンは﹃宿
主だ﹄といって豪快に笑った。
タイラーの顔を見ると、どうすればいいのか分からない様な顔を
していた。
全く、笑っているオッチャンを見たぐらいで慌てるなよな。
﹁んで、金の話だっけ? とりあえずこっち来いや﹂
オッチャンは受付の奥にある扉へ入ると、俺らを手招いた。
俺はタイラーと共に中へ入り、扉の側にあった椅子に座る。
タイラーはオッチャンと対面するようにソファに腰を掛けた。
この世界において﹃話し合い﹄といえばこのスタイルである。
﹁んで、タイラーさん、何の話だ?﹂
﹁自分、料理店を営んでいる者でして⋮⋮自分の料理店の広告を出
させていただきたく、お訪ねしました﹂
﹁広告?﹂
﹁はい。もちろん、広告料は払います。宿主さんの店に広告を貼る。
自分は客を得る。宿主さんは広告料を貰う。如何でしょう?﹂
タイラーが言うと、オッチャンは黙り込んだ。腕を組んで何かを
考えている。
しばらくして、俺の方にちらりと目をやった。
俺は何の素振りも見せずに、オッチャンの出す答えを待った。
﹁⋮⋮よし、分かった。その話乗った﹂
704
﹁本当ですか!?﹂
﹁ああ。こっちは﹃行ってみろよ﹄って言えば、金を貰えるんだろ
? いい話じゃねえか﹂
﹁有難うございます!﹂
タイラーは嬉しそうに笑い、俺に振り向く。
﹁シャルルさんも、有難うございました!﹂
﹁どういたしまして﹂
その後、お礼を言い続けるタイラーに﹁成果が出てから礼を言え﹂
とオッチャンが言ったことによって、タイラーは口を閉じた。
しかしその表情は未だに柔らかいものである。
﹁お世話になりました﹂
タイラーが宿の前でもう一度頭を下げた。俺は手で、顔を上げる
よう伝える。
﹁七日後にでも伺いますので﹂
﹁分かりました﹂
﹁では、また﹂
タイラーは客馬車へ乗り、店へ戻っていった。
俺はオッチャンに挨拶をしてから、家へ徒歩で帰った。
気付けばもうおやつ時だ。何かおやつでも︱︱とそう思った時、
キッチンからは甘ったるい匂いが漂ってきた。
誰が料理しているのかと覗いてみると、そこにはカレンとノエル、
そしてサラがいた。
三人仲良く料理とは、微笑ましい。
705
﹁ただいま﹂
﹁おかえり、なさい⋮⋮﹂
﹁︱︱お帰りなさいませ、ご主人様﹂
﹁お、おかえりなさい﹂
カレン、ノエル、サラの順番で挨拶を返してくれた。
なんというか、心に響くものがある。
ロリって素晴らしい。
﹁何作ってるんだ?﹂
﹁あっぷるぱい⋮⋮﹂
﹁ほぇぇ、カレンはそんな事もできたか﹂
﹁ん⋮⋮サラも、頑張った⋮⋮﹂
﹁二人共ようやった。楽しみである﹂
言いながら頭を撫でてやると、カレンはナチュラルに受け入れて
くれたが、サラの方は恥ずかしそう︱︱というか、恐がってそうだ。
カレンと一緒に寝かせ、俺への警戒心を薄れさせる作戦は、どう
やら俺が抱きしめてしまったことによって失敗してしまったようだ
⋮⋮!
だが、私は諦めない。いつかサラを恐がらせないようにしてみせ
ようぞ。
そんな決心を一人でしていると、カレンがオーブンを開けた。
カレンが一人で取り出そうとしているので、俺は厚手の布を横取
りし、カウンターの上まで運んだ。
﹁カレンがもう少し大きくなったら任せられるけど︱︱﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁胸じゃない。そうじゃない﹂
706
カレンが胸を押さえて顔をしかめている。
女の子は胸の大きさを気にしすぎな気がする。
おっぱいの大きさで女を選ぶ男も多少なりともいるだろうが、大
事なのはそこではないと俺は思っている。
﹁いやぁ、いい匂いですねぇ﹂
食欲をそそる甘い匂いが、俺の腹を鳴らす。
俺は引き出しからナイフを取り出し、小分けに切った。
アップルパイのピースを皿に乗せ、三人に配る。
俺の分もしっかりといただき、皆で食卓についた。
﹁いただきます﹂
合掌から始まるおやつタイム。
俺は出来たてのアップルパイにナイフを通していく。
あまり抵抗をせずに、ナイフの侵入を許す柔らかさだ。
そんな柔らかいアップルパイをフォークで掬い上げ、口に運んだ。
サクリとした食感の後に、程よく柔らかくなったリンゴの食感が
伝わる。
砂糖の甘味とリンゴの甘み、その甘味を和らげるパイ生地。
いやぁ、素晴らしいね、アップルパイ。素晴らしいね、カレンさ
ん。
﹁美味い。三人共ありがとう。俺にこんな美味いもの食わせてくれ
て﹂
﹁おおげさ⋮⋮﹂
﹁︱︱私はほんの少しお手伝いをしただけです。ほとんどカレン様
707
とサラ様のお手柄かと﹂
﹁い、いや、そんな、私は全然﹂
﹁サラも、頑張った⋮⋮えらい⋮⋮﹂
﹁あぅ⋮⋮﹂
サラは褒められる事に耐性がないのか。なるほど、覚えておこう。
しかし、本当に、微笑ましい光景だな。
家族が増えると色々トラブルが増えるのではないかと思ったが、
ここまで仲良く出来ているのなら大丈夫だろう。
それに、仲良くなるのに喧嘩は付き物。寧ろ、少しぐらい喧嘩し
たほうが丁度いい。
﹁シャル、頬がゆるゆる⋮⋮﹂
﹁︱︱たしかに、今にも垂れそうです﹂
﹁だ、大丈夫ですか?﹂
アッハッハッハッ! 私は幼女三人のやりとりを見て喜んでいる
だけだ! 心配はいらない!
とは言わない。
﹁気にしないで、この菓子が美味すぎるだけ﹂
まあ、そんなこんなで、俺の楽しい時間は過ぎていくのであった。
︱︱︱︱︱︱
708
一週間後、約束通り、俺はタイラー料理店へと赴いた。
店の前には看板があり、値段の書かれたオススメメニューなどを
載せていた。
あれだけ美味いというのに、平均額が銀貨五枚。
安くて美味い店を目指しているわけか。
外装を見た後は、店内に入った。中の光景を見て思わず﹁おぉ﹂
と声を漏らしてしまった。
席は全て埋め尽くされ、従業員はひきしまっていて、小気味がい
い。
﹁いらっしゃいませ︱︱って、シャルルさん!﹂
俺の鍛えた従業員の一人、ビクターは、俺を目にするとすぐに駆
け寄ってきてくれた。
﹁繁盛してるね﹂
﹁はい、おかげさまで﹂
﹁それはお前の台詞じゃないけどな﹂
﹁えへへ、そうでした﹂
﹁んー、席は空いてないよね⋮⋮どうしよう?﹂
﹁どうぞ奥まで入っていってください!﹂
﹁お、すまんの﹂
お言葉に甘えて、俺は休憩室まで行くことにした。
中ではタイラーがゆったりと金を数えている。
﹁どうも﹂
﹁これはこれは、シャルルさん! いらっしゃいませ!﹂
﹁いやぁ、賑わってますな﹂
﹁はい、おかげ様で。収入も増えました﹂
709
身も蓋もない。それだけ警戒が解かれているということだろうか。
﹁それで、シャルルさん。報酬の件ですが、如何いたしましょう?﹂
﹁んー、そうですね⋮⋮金ではなく、﹃宣伝﹄をお願いできればい
いです﹂
﹁宣伝、ですか﹂
﹁はい。俺の組織を﹂
﹁なるほど、分かりました。任せて下さい﹂
まあ、元々、これが狙いだった。
最初の依頼人は誰でも良かった。
俺が依頼を完遂し、報酬として俺の組織の宣伝をさせる。それが
目的だったのだ。
その依頼人が飲食店の経営者だったのは、運が良かったといえる。
﹁それじゃあ何か注文しましょうかね⋮⋮マークさんのオススメで
も﹂
﹁畏まりました。すぐに注文を届けますので﹂
タイラーは金を机に置いたまま、調理場の方へ行ってしまった。
警戒が薄いなぁ。
⋮⋮まあ、何はともあれ、俺は依頼を完遂した。
これを期に、俺の組織は名を馳せていく事になる。
710
物語は始まりを告げる
異世界に来て、十年の時が流れた。
異世界に来た当初、俺の体は既に五歳になっていたので、身体年
齢は十五歳である。
いやはや、時が過ぎるのは早いものだ。
振り返ってみれば、たくさんの出来事があった。
エヴラールという剣士に出会い、弟子入りをした。
俺はエヴラールに剣術を習い、独自に魔術を勉強した。
勉強をしながら村と村とを旅し、レイノルズという中立国に入国。
そこでカイという少年に出会い、異世界にて初めての同い年の友
人をつくったわけだ。
レイノルズにあった冒険者協同組合︱︱いわば冒険者ギルドで、
俺は冒険者登録をし、今もその冒険者を続けている。
レイノルズを抜けた先にある大陸、ヴェゼヴォル大陸へと上陸し
た俺とエヴラール、そして愛馬のフーガは、荒野で魔物と遭遇しな
がらも、氷王統括国アルフに到着した。
その国王アルフは、魔術の天才で、エヴラールの友人だ。
エヴラールが仕事の為に俺をアルフの元へ預け、俺はその間アル
フから魔術を教わった。
エヴラールが仕事から帰った後、俺達はアルフを出て旅を続けた。
そうして辿り着いたのが、魔王統括国ジノヴィオス。
禍々しい雰囲気などは全然なく、魔王城はただの黒い城に見えた。
そこで俺は、魔王と接触したわけだ。
俺は魔王に黒く透ける不思議な石を貰い、宿へ戻った。その石を
711
今でも大事に持っている。首飾りにして。
魔王から石を貰った夜、俺は自分の中に眠るもう一つの魂、シャ
ルルと出会った。
シャルルの話によれば、今俺が使用している体はシャルルという
少年のものだったが、俺がこの世界に降り立った時から体の支配権
を俺に奪われたという。
まあ、つまり、俺は新しい体を神から授かったのではなく、人の
体を乗っ取って新しい人生を歩んでいるわけだ。
だが、シャルルにも色々事情があるらしく、﹃それでも構わない﹄
と彼は言っていた。
シャルルとの接触により、俺は改めて﹃生きよう﹄と決意したの
だ。
俺達の計画はヴェゼヴォル大陸の一周だったのだが、エヴラール
がルーノンス大陸︱︱俺が最初にいた北に位置する大陸の王国から
の呼び出しで、一周を諦め、半周でヴェゼヴォルを去る事になった。
この目的はいつか遂げるとしよう。
さて、急ぎの移動で俺達はルーノンスへと戻ったのだが、危険だ
からと言って、俺はまたエヴラールの友人に預けられる事となった。
そこで、エヴラールと別れてから、長い間会っていない。
我が師匠は今も元気でやっているだろうか。
⋮⋮まあ、とにかく、俺が預けられたのは孤児院だった。
エヴラールの友人、女神アメリーと出会い、竜人の活発少女クロ
エと出会った。
アメリーにはたくさん世話になり、クロエとは夢の話までする仲
になった。
クロエは剣士を目指すと言っていたので、今頃どこかで剣でも振
っているのだろう。
アメリーは孤児院を経営している事もあり、遊びに行く暇などな
712
いのかもしれないな。
だから今度、俺から赴いてみようと思う。
孤児院のある街キュリスの路地裏にて、見知らぬ青年から襲撃を
受けた俺は、戦闘に負けるも生きる事を許され、﹃次会う時までに
は強くなってくれよ﹄という約束と﹃獣人の森へ行くといい﹄とい
う助言により、俺は孤児院を去ることになった。
俺はアメリーの友達︱︱エヴラールやアルフの友達でもある獣人
のヴェラと共に、獣人の森へと向かった。
獣人の村ビャズマは、俺の事を快く迎えてくれた。
少々の拒絶反応を見せられたが、それもあっさりと解決した。な
んというか、成り行きで。
獣人は、最も体術に長ける種族だ。早い動き、重い攻撃、そして
鋭い眼。
そんな能力を持つ獣人の一人、バフィトから、俺は体術の訓練を
受けた。
というか、バフィトに鍛えてくれるようお願いしたのだ。
俺は体術と剣術の鍛錬を続けながら、ヴェラの妹であるリラ、そ
してリラの友人ニーナとも仲良くなり、平穏な毎日を送った。
ワイバーンに襲われるなんて事件もあったが、特に被害が出るこ
ともなく、俺が一人で倒してしまった。
とにかく、バフィトに﹃一人前だ﹄と認められた時を持ってして、
俺は獣人の森を出る事にした。
次に俺が向かったのは、エヴラールが仕事で向かっていた王国、
﹃ロンデルーズ王国﹄だ。
ルーノンス大陸の中央にあり、大陸で最も大きい国。
俺が行った時は、もちろんの事エヴラールはいなかった。
獣人の森では数年間過ごしたのだから。
713
ロンデルーズ王国にある冒険者協同組合で、﹃昇級試験﹄と呼ば
れる冒険者が昇級する為の試験を受けた俺は、あっさりと一級昇級
試験を合格してしまい、一級冒険者となった。
十歳という年齢で一級冒険者となった俺は、とある人物に目をつ
けられてしまう。
そもそも、人というか、鬼だ。
冒険者協同組合で仕事を探していた俺は、その鬼に拉致される事
になる。
可愛らしい少年である俺を拉致したのは、吸血鬼ヴィオラだ。
それから俺は、ヴィオラの食事にされてしまう。
皆さん知っている通り、吸血鬼の食事は血液だ。
ヴィオラに半年間もの間、血を吸われ続けた俺は、吸血された時
の副作用によって、腕をもがれてもすぐに再生する体になってしま
った。
今では副作用の効果が切れてしまったわけだが。
ヴィオラから解放されて、王国へと戻った俺は、スラム街を見つ
けることになった。
俺の想像していたどんよりとした雰囲気は感じ取れたが、それで
も、スラムの人たちは自由に生きていて、幸せそうに思えた。
俺はそんなスラム街で、マリアという女性とその娘、カレンに出
会った。
マリアは傷だらけの俺の心を包んで、癒してくれた優しい人だ。
それから俺は、マリアとカレンと暮らすことになった。
しばらくして、偶然にも俺はカレンが同じ転生者である事を知っ
てしまった。
だがしかし、カレンには前世の記憶を無くしてしまっていたのだ。
仕方なく、カレンへの追求を止める事にした。
714
冒険者協同組合へ赴いた俺は、パーティに誘われることになった。
駆人のケイ、魅人のアラン、空人のダモン、そして竜人のルーカ
ス。
その四人のパーティに俺が加わることになり、皆で仲良く依頼を
熟していたのだが、ある事件により、俺にとって兄弟の様な特別な
存在であったアランが死亡した。
リーダーを失ったパーティは解散する事になり、俺はまたソロプ
レイヤーに戻ってしまった。
アランとパーティを失ったばかりの俺に降りかかった、災厄。
いや、俺にではなく、スラム街の人たちに起こった災難だ。
スラム街は壊滅していた。焼滅したのだ。事故ではなく、誰かの
手によって、スラムの皆は殺された。
もちろん、そこにはマリアも含まれている。
マリアの死体を発見した時、俺はマリアが何かを抱きしめている
事に気づいた。
そこにいたのは、カレンだった。
親も居場所もなくしたカレンを、俺は保護する事に決めた。
しばらくして、カレンも落ち着きを取り戻した頃、俺は家を探す
ことにした。
騎士団の副団長であるウルスラという女性を頼り、不動産屋を紹
介してもらった。
そこにお目当ての物件があったので、買おうとしたのだが金が足
りず、仕事を受けることにした。
冒険者協同組合で、俺は魔王に呼び出される事となる。
経緯は良く覚えていないが、魔王の使い魔と戦うことになり、俺
は勝ったのだ。
そこで、魔王から一枚の札を貰う事になった。
715
家に帰り札の裏に書いてある呪文を唱えると、一人の少女が現れ
た。
少女はいわゆる、自動人形というもので、俺に仕えてくれている。
名前が無かったので、俺が勝手にノエルと名づけた。
気を取り直して、ウルスラに仕事を紹介してもらったわけだ。
依頼内容は、魅人の王国の拉致された王女アリアの救出。
アリアの拉致られ方は異常で、寝ている間に突然消えたというも
のだ。
まあ、俺は僅かな手がかりと、勘と予想で犯人を割り出し、何だ
かんだで救出に成功した。
魅人の国王エルネストから報酬金をガッポガッポと貰い、サラと
いう少女を報酬として引き取った。
サラは魅人王国の監獄にいた少女で、事故によって殺戮の罪を犯
したサラは死刑囚として収容されていた。
サラとはちょっとした問題があったが、何とか解決し、平穏な生
活を手に入れた。
﹁︱︱と、今までの経緯がこれだ。平穏な生活を送りながら、依頼
を熟して地盤を固め続けて来た。んで、俺は十五歳になったわけだ
が﹂
﹁シャル、誰と話してるの⋮⋮? ぼーっとしてたし⋮⋮﹂
心配そうに俺の顔を覗き込む、こちらの少女がカレン。
腰まで伸びた黒い髪は手触りが良く、白い肌は触っているこちら
が気持ちよくなる程に滑らかだ。
黒い瞳は何もかもを見透かしているのではないかと思わさられる
程に澄んでいて、長い睫毛が可愛さを引き立て、小さな口が子供ら
716
しさを強調する。
﹃可愛いのに綺麗な娘だな﹄⋮⋮それが初めてカレンを見た時の印
象だった。
﹁思い出を振り返っていただけ﹂
﹁ん⋮⋮﹂
一年ぐらい前からカレンの言葉遣いが堅苦しさを無くした。
最初の頃は敬語が入り混じっていたのだが、今ではこうして普通
に話しかけてくれる。
嬉しいような、寂しいような、年上としては複雑な気分だったが、
俺も慣れてしまったようで、特に気にかけることも無くなった。
胸は昔に比べて多少なりとも成長したが、大きいとは言えない。
まだ十三歳だし、これからだろう。
そもそも、俺は小さいのも大きいのも大好きだ!
﹁︱︱ご主人様、依頼が来ております﹂
感情の薄い声でそう言うと、いつもの無表情で俺に依頼状を手渡
してくれたのが、ノエルだ。
肩の下まで伸びたプラチナブロンドの透き通る様な髪は、見ただ
けで繊細だというのが分かる。
実際に触ってみても、細くて指通りが良い。
顔も整っていて、丸くて可愛らしい眼を持っているが、いつも無
表情で笑顔を見せない。
ロリ顔、ロリ体型、そこに魅力があるのは確かだが、もう一つの
特徴はやはり﹃羽﹄だ。
ノエルの背中には、肩甲骨と同等の大きさをした小さな羽が生え
ている。
翼をもがれた天使の様で、痛々しくも感じるが、それが逆に美し
717
いとも感じられる。
ノエルは自動人形なので、成長はしない。飽く迄、身体的な意味
では。
﹁塗装の依頼か⋮⋮報酬は少ないけど、やってみるか﹂
﹁︱︱私も、塗装作業には興味があります﹂
まあ、こう言う様に、ノエルは無表情だが、無関心ではない。
料理に興味を持つし、食事に興味を持つ。服に興味を持つことも
あれば、魔物の血液に興味を持つことさえあった。
﹁じゃあ、明日にでもやってみるか﹂
﹁︱︱はい﹂
ノエル、そしてカレン、二人は特に問題はないのだ。
それはサラにも言えた事⋮⋮だった。
不思議な事に、サラは成長をしなかった。
中身ではなく、外見がだ。
当時会った時は十歳ぐらい。
﹃ぐらい﹄というのは、俺にもサラにも知るすべが無いからだ。
とにかく、サラはその十歳の見た目から、変化しないのだ。
考えられる原因はただ一つ、﹃魔力暴走﹄だろう。
﹃魔力暴走﹄は体内から勝手に魔力が流れ出る。それも、すごい勢
いで。
流れでた魔力は周りに被害を与える。頭を吹き飛ばしたり、腕を
引きちぎったり。
魔力が空になるまで放出すると、魔力を失った者は外傷も内傷も
なく、死ぬ。
アランも魔力暴走を引き起こしたせいで、俺の手で殺めなくては
718
ならなくなったのだが、サラの場合は、止めるすべを知っていた者
がいて、そいつがサラの魔力暴走を止めた。
その時の影響なのか、魔力暴走を起こした事自体が問題なのかは
分からないが、もしかしたらサラは一生、幼女体型で過ごさなくて
はならないのかもしれない。
﹁お姉ちゃん、お腹空いた⋮⋮﹂
お腹を擦りながら空腹を告げるこちらの少女がサラ。
肩まで伸びた色の抜けた髪はおそらく魔力暴走の影響か。
褐色の肌には艶があり、彼女の全身に頬ずりしたい気分になる。
体のパーツはまだ幼く、小さくて、少し叩いただけでも壊れてし
まうのではないかと思うほど華奢に見える。
大人しそうな碧い瞳は、彼女の雰囲気を和らげている。
﹁サラ、お手伝いする⋮⋮?﹂
﹁うん﹂
サラは頷くと、カレンと一緒に調理場へと向かっていった。
サラも俺が引き取ったばかりの時は敬語で話していたな。
遠慮しがちな所もあったし。
だが、そこはやはり慣れ。長い間一緒に暮らしていれば、自然と
遠慮等薄れてしまう。
特に俺らは歳が近かった事もある。
当初は﹃シャルルさん﹄と呼ばれていて、慣れていく内に﹃パパ﹄
と呼ばれないか心配に思ったが、見事に﹃お兄ちゃん﹄と呼ばれる
ようになったので安心だ。
いや、しかし、サラは成長しないから、もしかしたら俺がパパに
なれる年齢になったその時にはパパと呼ばれてしまうのでは⋮⋮?
719
そ、そんな事があったらお兄ちゃんは、お兄ちゃんは⋮⋮! そ
れでも嬉しいよ⋮⋮!
そうすると、﹃お姉ちゃん﹄と呼ばれているカレンは﹃ママ﹄と
呼ばれ、俺とカレンが夫婦に。
なんということでしょう。
﹁︱︱ご主人様﹂
ノエルが唐突に口を開く。
﹁ん、ん?﹂
﹁︱︱膝の上に座るというのは、どういった物なのでしょうか?﹂
﹁⋮⋮さぁ? 座ってみればいい﹂
いきなりなんでそんな事を聞くのかは分からないが、ノエルは疑
問に思ったことはすぐに声に出すタイプだ。
ノエルが興味を示した物は与えていきたい。
甘やかさない程度にだが。
俺はノエルに視線をやりながら、膝の上をぽんぽんと叩く。
﹁︱︱失礼します﹂
﹁おう﹂
ノエルは律儀に語を掛けながら、俺の膝の上に座った。
一番最初に浮かんだのは﹃軽いな﹄という事。
二番目が、﹃オー、ベリーソフト、アメイジング﹄だ。
軽いのに、柔らかさが伝わる。
自動人形であるノエルだが、肉付きがあるのだ。
もちろん、血液も出す。唾液もあれば、涙もあるだろう。
720
﹁︱︱よく分かりません﹂
座った側であるノエルの感想はこれだ。
﹁まぁ、だろうな﹂
﹁︱︱ご主人様の方を向くと、どうなるんでしょう?﹂
﹁へ? いや、それは、拙いかなぁと﹂
﹁︱︱何故ですか?﹂
そう尋ねたくせに、ノエルは体を俺の方に向け、座るというか、
俺の膝の上に跨っている感じになってしまった。
いや、これは色々と拙い。
俺は紳士だ! 俺は紳士だ! 俺は紳士だ!
イェスロリ! ノータッチ!
ふぅ⋮⋮。
﹁ノエル、おりてくれるか?﹂
﹁︱︱何故ですか?﹂
﹁何故抱きつくんですか?﹂
﹁︱︱あ⋮⋮﹂
﹁あ?﹂
﹁︱︱暖かいです﹂
やめてぇ、これ以上俺を苦しめないでぇ⋮⋮。
小さなお胸が俺のお胸に触れてるよぉ⋮⋮。
吐息が耳にかかるよぉ、声がすぐ近くで聞こえるよぉ⋮⋮。
俺の息子が暴走してしまう⋮⋮落ち着いてくれ、マイサン。
ノエルを抱きしめながら寝たことはある。
721
そりゃああるさ。寝るだろ、普通?
でも、この体勢には耐性がない。なんつって。
⋮⋮ノエルも息をしているんだよな。
鼓動もしっかりと伝わって来る。
ここまで意識しながら密着したことがなかった。
でも、なんというか、心地いいな。
誰かに抱きしめられるのは、誰かとくっついてるのは、やっぱり
心地が良い。
﹁︱︱ご主人様﹂
﹁ん⋮⋮?﹂
﹁︱︱暖かいです﹂
﹁それ聞いたよ﹂
﹁︱︱お腹すきました﹂
﹁お前もか。ほれ、台所行くぞ﹂
ノエルは俺の膝から退くと、何事も無かったかのように台所の方
へ歩いて行った。
俺は深呼吸をしてから、ノエルの後を追った。
何故って? ハハッ、これで息子も落ち着けばいいなと思っただ
けさ。
︱︱︱︱︱︱
夕方を過ぎた頃だ。俺の家の扉が叩かれる。
722
俺は剣を片手に持ち、扉を開けた。
扉の前に立っていたのは、登山用のサックを背負った一人の女性
だった。
﹁名無しさんのお宅はここでしょうか?﹂
﹁はい。依頼ですか?﹂
﹁そうです﹂
﹁どうぞ、中へ﹂
依頼状を届けられる事が多々あるが、こうして直接依頼に来る人
も居る。
顔を見て話せるので、こちらの方がありがたいと言えば、ありが
たい。
ちなみに、俺が﹃名無し﹄と呼ばれる理由は、名前を名乗らない
事から来ている。
失礼な奴だと思われるかもしれないが、ちょっとした事情がある
のだ。
依頼人を客間へと通し、ソファに座るよう推め、ノエルが茶を出
す。
これが依頼人へのもてなしだ。名前も名乗らない無礼者なもので
ね。
﹁何でもやってくれると聞いていたので、厳つい大人の方かと思っ
ていました﹂
依頼人の女性が微笑みながらそう言った。
﹃何でもやってくれる﹄⋮⋮たしかに、俺は人殺しも、盗みもやっ
てきた。
殺してきた人間は犯罪者ばかりだし、俺は別にどうとも思ってい
723
ない。
盗みというのも、正確には﹃奪還﹄だったから、罪悪感なんて感
じていない。
言い訳くさいが、俺はそういう人間になってしまったのだから、
仕方がないのだ。
﹁期待はずれでしたか? こんな若造で﹂
﹁いいえ。依頼さえ完遂してくれれば、誰でもいいんです﹂
依頼を完遂出来るほどの実力さえあれば、という意味だろう。
つまり、俺はそれだけの実力があると聞かされているのか。
自分で言うのもなんだが、俺は巷で良い評判を貰っているらしい
からな。
﹁私、アデーレと申します﹂
﹁どうも﹂
俺は名前を告げずに差し出された手を握る。
﹁して、依頼とは﹂
﹁聞くからには、必ず完遂してくれると約束してくれますか?﹂
﹁報酬によります。依頼内容と報酬さえ釣り合っていれば、それで
いいです﹂
﹁迷宮探索で金貨五百枚。どうですか?﹂
金貨五百枚。日本円に換算して五百万円。
ただの迷宮でそこまで金を積むとは思えない。
それだけリスクを伴うという事か。
こうなると、遠征って事になるのかね。
724
﹁まあ、それが最低額として、内容によっては追加してもらいます。
それで受けましょう﹂
﹁分かりました﹂
アデーレは頷くと、カップに口をつけた。
一息置いてから、アデーレは依頼内容を話しだす。
彼女の話によれば、タートという迷宮の最深部に特別な魔石があ
るらしい。
魔力が篭った石、というのは当たり前だが、付与効果がある。
その効果が、﹃無限燃焼﹄だ。
何故それを必要としているのか、目的などは話さなかった。
かと言って、こちらから聞く事でもない。
﹁タートはどこに位置するんですか?﹂
依頼内容を聞き終えた俺は、迷宮の位置を尋ねた。
﹁この王国から北へ行けば、望まずとも分かるでしょう﹂
﹁⋮⋮分かりました。その依頼、引き受けましょう﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁前金は金貨五十枚でいいですよ﹂
﹁分かりました﹂
アデーレはその金貨五十枚を所持していたらしく、サックから金
貨を取り出すと、テーブルの上に積み上げた。
俺は一枚一枚数えていき、枚数を五十枚確認した。
﹁確かに。依頼は必ず完遂致しましょう﹂
﹁お願いします﹂
725
アデーレは深々と頭を下げ、俺の家を出て行った。
俺は金貨の袋に詰め込み、倉庫に入れた。
外は既に街灯が光を灯していた。
俺は背伸びをしてから二階へ上がり、夕飯を作るカレン達に混ざ
っていった。
726
物語は始まりを告げる︵後書き︶
まあ、なんていうか、ここからが本編です。
今までは﹃地盤﹄というか、﹃プロローグ﹄というか、﹃説明﹄と
いうか、﹃伏線﹄というか⋮⋮
それと、現時点でシャルルに好意を抱いているヒロインは二人です。
727
迷宮は笛を鳴らして人を呼ぶ・前編
依頼を受けたその夜、俺は居間に全員を集めた。
集めずとも、自然にそうなっていたはずだが、大事な話があると
いう意味合いも兼ねてそうする事にした。
カレン、サラ、ノエルは真面目な顔で、俺に視線を注いでいる。
﹁皆さんお察しの通り、大事な話があります﹂
俺は前置きをしてから、簡潔に依頼内容を話した。
重要なのは依頼が危険だという事ではなく、俺がしばらく家を開
けなければいけないというところにある。
俺もこれまでは何度か遠征をしてきたが、その時は三人を連れて
行った。
カレンは意外にも頑固で俺と離れたがらないから、仕方なく連れ
て行っていたのだが、今回ばかりはそうはいかない。
まず、目的地がはっきりとしていない。
依頼人であるアデーレはどこにその迷宮があるのかを教えてはく
れなかった。
危険なのか安全なのかを把握できていない以上、連れて行くわけ
にはいかない。
次に、迷宮探索はそれなりの時間を要する。
長くて数ヶ月は帰れないだろう。
そんなに長い間家を空にするわけにはいかないのだ。
ちなみに、出発は明朝にする。
728
カレンは苦い表情をするが、それでも、頷いてくれた。
ノエルもサラも、留守番に対して文句はないようだ。
﹁お兄ちゃんがいない間の依頼はどうすればいいの?﹂
サラが尤もな質問を尋ねてきた。
いつもの遠征なら家には誰にもいないから、依頼を受けないのは
当たり前だが、今回はサラ達が家に残るので依頼は受けたほうがい
いのかという事だろう。
﹁訪問者の場合は帰るように伝えてくれ。依頼状は保存しておけば
いい。他に質問は?﹂
確認するが、誰も声を上げないので、会議はこれで終わりだ。
夕飯も食べたので、後は風呂に入るだけである。
俺の家には、風呂が二つある。
一つは庭に、露天風呂を作った。
もう一つは一階の流し場だ。
浴槽なんて物は売っていなかったので、家具職人の﹃店長﹄に頼
んだ。
店長の家具屋には常連となってしまっている。
おかげで、割引してくれる事も多々あるが。
格安値段で買った浴槽は、人が十人は優に入れそうな程に大きい
物だ。
風呂は焚いているわけではなく、俺が魔術で熱湯を浴槽にためる
だけ。
毎回温度調整をするのは面倒なので、熱湯の魔術には﹃風呂水﹄
と名づけた。
729
ノエルとサラ、そしてカレンが上がるのを待ち、俺は居間で一人、
氷人形をつくる。
普通、人形といえば、土魔術を使うべきなのだろうが、魔術の師
匠であるアルフの専門が氷魔術であった為、俺もそれに影響されて
しまい、氷魔術を使った方が造形しやすい。
俺がカレン人形を作り終えた頃、三人が二階に上がってきた。
風呂あがりの少女たちが、俺のデザートだ。
見るだけで満腹である。
俺はカレン人形をテーブルの上に置き、一階へ下りた。
体を洗った後、湯船に浸かる。
﹁あぁ∼﹂
自分の気の抜けた声が風呂場に響く。
﹁俺は残り湯を飲むほどの変態ではない﹂
何となく、ひとりごとを呟いた。
その時、浴場の扉が開かれた。
布で前を隠しながら、無言で湯船に入って来たのはカレンだ。
さっき入ったばかりだというのに、一体どうしたのだろう。
﹁どうした?﹂
﹁⋮⋮なんでもない﹂
﹁そっか。何でもないか﹂
﹁ん⋮⋮﹂
730
カレンは短く返事をすると、俺の右隣に並んだ。
頭を俺の肩に乗せ、目を瞑る。
﹁シャル⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
﹁⋮⋮ありがとう﹂
﹁何が?﹂
﹁いろいろ⋮⋮﹂
何が言いたいのかは分からないが、こうしていると思い出す。
カレンを引き取ったその日も、俺の作った露天風呂に一緒に入っ
たっけ。
あの頃に比べて、カレンの体は成長した。
カレンだけでなく、俺の︱︱シャルルの体もだ。
十五歳の体だが、中身はオッサンである。
何故だか募る罪悪感。
﹁シャル⋮⋮約束、やぶらないでね⋮⋮?﹂
﹁大丈夫だよ。すぐ戻るから﹂
カレンの言う約束というのは、カレンを引き取った日に交わした
﹃カレンが離れたいと思うその日まで、ずっと側にいる﹄という物
だ。
亡くなったカレンの母さん、マリアとも交わした約束⋮⋮﹃カレ
ンを守り続ける﹄というのも、守らなくてはいけないし。
俺の中ではただの口約束ではなく、誓いに似たものだ。
その後も俺達は会話をする事なく、満足するまで風呂に浸かった。
731
明朝。俺が目を覚ますと、三人は既に起き上がっていた。
食卓には朝飯が用意され、モーニングコーヒーが湯気を立ち上ら
せている。
基本的に、朝食はサラとカレンが作っている。
﹁おはよう﹂
俺が挨拶をすると、それぞれが挨拶を返してくれた。
いつも通りの朝。いつも通りの風景。いつも通りの挨拶。
いつも通りが一番幸せに感じられる。
﹁いただきます﹂
俺は朝食のパンを齧り、コーヒーを啜る。
静かで、平和な朝である。
独りではなくなった今、余計な刺激を求める事はしない。
ワイバーンが襲ってこねえかな、などという期待はしたくないの
だ。
朝食を食べ終え、俺はいつもの外着⋮⋮フード付きの外套、黒い
薄布の手袋、緩いパンツ、革のブーツ、そして首巻きを着用し、武
器を装備していく。
腰と背中には愛剣を差し、腿とブーツ、その他いろんなところに
ナイフを仕込む。
﹁じゃあ、行ってきます﹂
﹁気を付けて⋮⋮﹂
﹁︱︱行ってらっしゃいませ﹂
﹁行ってらっしゃい、お兄ちゃん﹂
732
しおらしい挨拶などは省き、いつも通りに別れを告げた。
俺は踵を返し、外に出た。
朝の冷たい風が吹き抜け、気分は爽快。体調は良好。
朝飯も食べたし、コーヒーも飲んだ。
完璧なコンディションだ。
﹁よし﹂
俺は王都の出口門へ向かって、歩を進めた。
出口の近くにある馬屋で馬を借り、手綱を引いて王国を出る。
騎乗して、久しぶりの感覚に多少の不安を覚えながらも、馬を歩
かせた。
俺はそのまま街道に添って北へと向かった。
︱︱︱︱︱︱
北に進み続け二週間後の昼ごろ、俺はタートという街に辿り着い
た。
門番に迷宮があるか尋ねると、もちろんと自慢気に返された。
どうやら、俺は目的地に着いたらしい。
一安心した俺は、馬屋に馬を預け、宿を探しに行く。
とりあえず、一番近くにあった宿屋に入った。
﹁宿主、タートって迷宮はどこですか?﹂
733
﹁街の最北部にある﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺は礼を言って、宿を出た。
泊まるなら、迷宮に近い宿やがいい。
探索を再開する度に長い道を歩くのも嫌だからな。
俺は欠伸をしながら北に進み、一つの建物を発見した。
石造りで、そこまで大きくはない。コンビニ店サイズだ。
地下に下りて行くタイプの物なのだろう。
人の出入りは多く、怪我をした者が地面に血痕を残していった。
ここが、迷宮タートか。
とりあえず、俺はこの近くで宿を取る事にした。
だが、どの宿も満室。俺と同じ考えを持つ奴が多いのは、当たり
前のことである。
仕方なく、少し離れた位置にあった宿に泊まる事にした。
ここも一部屋しか空いていなかったらしく、俺が最後の客となる。
俺は代金を払って、部屋の鍵を受け取った。
部屋に入った俺は、荷物を置き、休む事もせずに部屋を出た。
施錠を確認し、そのまま迷宮へと向かう。
事前情報収集は必要ないと判断した。
迷宮に入ろうとした時、門番に引き止められる。
冒険者でないと入れないらしいので、俺は手首にある冒険者の印
を見せ、許可を得てから中に入った。
迷宮内は薄暗く、空気が乾燥していた。
土臭かったり、血なまぐさかったりするのではないかと思ったが、
734
意外にも無臭。
ファ○リーズを使っているわけではなさそうだがな⋮⋮。
俺は火魔術で視界を照らしながら奥へと進んだ。
多くの分かれ道に、多くの行き止まり。
頭の中で地図を描いていきながら、次の階層へ行く道を探し出し
ていく。
それを繰り返し、地下二階に辿り着く。
ここで初めて、俺は魔物と遭遇した。
首の無い歩く鎧。手には大剣を握っている。
俺と奴との距離は十数メートル。
雑魚であれば、この距離では気配の察知すら出来ず、俺に狙撃さ
れるのだが、奴は俺の存在に気づき、こちらに向かって歩いてきた。
俺は待ち伏せる事をせずに、奴の前に立ちはだかる。
獲物を見つけた奴は、俺との間合いを詰めると、剣を振り下ろし
た。
俺は余裕を持って躱し、魔物の腹に触れる。
そうして俺は﹃氷結﹄と念じた。
魔物は一瞬にして氷の彫刻となり、一瞬にして、氷の砂となる。
俺は粉々になった魔物を火魔術で溶かし、歩を進めた。
その後も多くの魔物に遭遇するも、適当に始末して、地下五階ま
で辿り着いた。
進むに連れて魔物が強くなっていた気がしたが、どれも一撃で倒
していたので良く分からない。
そしてこの地下五階からは迷宮の見た目ががらりと変わる。
735
薄暗かった洞窟内は炎で照らされ、見やすくはなったものの、温
度が一気に上がった。
俺は首巻きを外し、内ポケットにしまう。
酸素切れが無いか不安だが、どこからか空気が入ってこれる大穴
でもあるのかもしれない。
まあ、無かったとしても、風魔術で空気でも作ってやればいいだ
けの話だが。
いらぬ心配をしながら探索を続け、首なし騎士と遭遇した。
いつもの様に体に触れて凍らせようとするが、触れる直前で俺は
手を引っ込める。
危ない。あのまま触っていたら、やけどしていたかもしれない。
鎧は鉄で、この階層の温度は高い。
手袋をしているとはいえ、蒸された鉄に触れるものではないだろ
う。
となると、氷魔術は使えなくなってくる。
土魔術を使うしかないか。
俺は地面を伝い、俺と奴とを魔力の糸で繋ぐ。
俺が﹃土だるま﹄と念ると、首なし騎士の体は土に覆われていき、
名前通り、だるまの様な形になった。
だるまとなった首なし騎士は、土の外装によってスクラップにな
る。
編み出してみたはいい物の、使う機会があまりなかった技だ。
それにしても、雑魚が相手ではつまらないな。
このままでは、最深部まで簡単に着いてしまうんじゃないだろう
か。
736
⋮⋮いや、油断は禁物。今まで偶然踏んでこなかっただけで、ト
ラップがあるかもしれないのだから、気を付けなければ。
そう自分に言い聞かせ、一歩を踏み出した時、足元がへこむ感覚
が伝わる。
俺は咄嗟に後退したが、俺の反応は正解だった。
壁からは、十本程の槍が突き出ていたのだ。
あのまま反応できずにいたらと思うと、背筋が凍る。
﹁き、気をつけよ⋮⋮﹂
この迷宮において、というよりも、魔物が相手にならない俺にと
っての一番の敵は、﹃油断﹄と﹃罠﹄だ。
これからは足元にも気を付けて進まなくてはな。
と、ここで、俺の腹が空腹を知らせた。
探索に夢中で気付かなかったが、俺は長い間ここにいたんじゃな
かろうか?
そもそも、地下五階まで来ているという事は、かなりの道を進ん
できた事になる。
先がどのくらい続くのか検討もつかないので、俺は一度引き返す
事にした。
脳内マップを辿って、入り口に戻ってくる。
俺が迷宮から出た時、辺りには薄暗くなっていた。
﹁なんだ、まだ夕方か⋮⋮﹂
そう呟き、宿屋へと戻った。
受付を通り過ぎた時、宿主と目が合う。
737
﹁お前、こんな早くから探索行ってたのか?﹂
﹁え? 早くって、もう夕方⋮⋮﹂
﹁何言ってんだ? まだ朝早い時間だぞ﹂
﹁⋮⋮あぁ﹂
どうやら俺は、昼から次の日の朝まで迷宮に篭っていたようだ。
なんというか、自分に呆れた。
夢中になりすぎというレベルの話ではない。
それまで良く腹が鳴らなかったものだ。
いや、というより、集中しすぎていたのだろう。
最後の油断は集中力の低下から来たものだと信じたい。
だからといって、今後油断するわけではないが。
﹁⋮⋮えっと、じゃあ、おやすみなさい﹂
﹁え、寝るのか?﹂
﹁はい。寝てないもんで﹂
俺は軽く会釈をしてから、自分の部屋へと戻った。
靴を脱ぎ、服を替え、軽く水浴びをしてから髪を乾かし、ベッド
に倒れこむ。
直後、俺は睡魔に意識を刈り取られてしまい、翌日の夕方まで眠
る事となってしまった。
738
迷宮は笛を鳴らして人を呼ぶ・後編
今日は探索を止め、ゆっくりと過ごす事にした。
まずは朝食。コーヒーとブレッドから始まるのが、俺の朝だ。
その後は街の様子見も兼ねて、走り込みをする。
この街の特徴といえば、冒険者ばかりを見かけるという事だ。
途中で聞いた話によれば、この街は迷宮の近くにつくった事によ
って栄えた街らしい。
街の南部や中央部に町民が住み、北部は冒険者ばかりとなってい
る。
その為、街の北部の施設は飲食店や宿屋、装備屋ばかりである。
走りこみを終えた俺は宿屋の裏庭を借りて、剣の素振りを始める。
毎日、欠かさずにやってきた事だ。
これをやらないと、身が引き締まらない。
相変わらず、俺の剣術は進歩を遂げないが。
来年から本気出す。
筋肉トレーニングを済ませた後は、部屋に戻って机と向き合った。
ペンを握り、紙に線を引いていく。所々にマークも付け、見た魔
物、階層の雰囲気などを記した。
俺は昨日頭の中で描いていた地図を、実際に、紙に描き写した。
忘れないうちに目に見える物にして残すのは、大事なことだと思
う。
夕方まで寝ていたせいか、地図を描き終えた頃には、外は既に暗
くなっていた。
739
俺は外に出て、近くの飲食店へ入った。
適当な席に座り、焼き魚なんかを注文してしまったり。
食事はすぐに運ばれ、俺は串焼き魚を頬張る。
正直言って、あんまり美味しくはない。
もう少し北に行けば、美味い魚が食えるのかもしれないが。
﹁ふぅ﹂
味はどうであれ、腹が満たされる事に変わりはない。
俺は一息ついてから、料理店を後にした。
この後はどうしようか。
仕事も意外に早く終わりそうだし。
とりあえず、明日、探索を再開しよう。
考えをまとめた俺は、散歩をした後、宿へと戻った。
寝る前に、魔術で土人形を作る。
魔力は魔術を使えば使うだけ、しっかりと増えていく。
ステータス画面なんて物は、ゲームではないのだから見えるわけ
がないのだが、実感できる物だ。
ステータスの上昇は。
﹁寝るか⋮⋮﹂
カレン人形、ノエル人形、サラ人形を作り終えた俺は、ベッドに
倒れこみ、眠る事にした。
740
︱︱︱︱︱︱
翌日、俺は迷宮への探索を再開させる事にした。
地図を片手に、迷宮の奥へと進んでいく。
地図のおかげで、迷う事なく第五階層まで辿り着くことが出来た。
やはり、ここは温度が高くて気持ちが悪くなる。
首巻きは外さずに、水と風の混合魔術で体を冷やす。
この階層の魔物は﹃土だるま﹄で片付ける。
手間はあまりかけたくない。
さっさと仕事を終わらせて、カレンの元へと戻りたい。
だからといって、焦る事もしてはならない。
気を抜けば、いつの間にか串刺しって事もありえるのだから。
俺は地図を描き足していきながら、第六階層に辿り着いた。
温度、湿度、それに視覚的変化も見られない。
第五階層とほとんど変わらないのか。
少し安心しながらも、歩を進めてしばらく、第六階層の魔物と遭
遇する。
トカゲの様な顔に、トカゲの様な体。
だというのに、二足歩行をしていて、手にはハンドアックスを握
っている。
爬虫類独特の目が俺を捉えた。
﹁お、リザードマン。初めて見た﹂
呑気に呟いて、リザードマンとの間合いをはかる。
741
先手を取ろうと、一歩踏み出した時、リザードマンが一歩下がっ
た。
知能は他の魔物よりも高いのか。
だが、遠距離攻撃なら、どう反応する。
﹃土弾﹄を作り出し、頭を狙って高速で飛ばす。
普通の人間なら反応出来ない早さだ。
そう。人間になら反応できない。
しかし、このリザードマンには反応が出来たようで、首を軽く傾
げて避けた。
リザードマンは軽く唸ると、斧を振り上げながら接近してきた。
俺は振り下ろされた斧を躱し、リザードマンの体に触れようと手
を伸ばすが、リザードマンの左手が俺の右手を捉えた。
俺は軽々と持ち上げられ、地面に叩きつけられる。
﹁ぐっ⋮⋮﹂
思わず呻き声を上げてしまった。
物理的な痛みを受けたのは、久しぶりだ。
油断した。一階層進むだけでここまでレベルが違ってくるとは。
俺は反省しながら体を起こそうとするが、腹を蹴り上げられ、体
が宙に浮く。
続いて、背中に衝撃が伝わった。
背中が直接攻撃を受けたわけではなく、剣が盾となってくれた。
それでも、俺が受けたダメージが大きい。
舌打ちをしながらリザードマンの足を掴み、﹃土だるま﹄と念じ
742
る。
リザードマンの足は徐々に土に覆われていく。
隙を狙って立ち上がった時、リザードマンは片足を失っていた。
俺が切ったわけではない。という事は、自分で斬り落としたとい
う事だ。
⋮⋮嘘だろ。ここまで知能が高くなるのか。
﹃ガァァァァァアアア!﹄
リザードマンが耳を劈くような悲鳴をあげた。
痛みに声を上げたのかと、そう思った。
それならまだマシだった。
だが、奴が行った行為は、仲間を呼ぶ事。
奴の背後からぞろぞろと数体のリザードマンが現れた。
数は⋮⋮全部で四。倒せないわけではないが、痛みを伴うのは絶
対か。
﹁はっはっ、困ったなぁ﹂
何故だか俺は、この状況を嬉しく思っていた。
雑魚ばっかりを相手にしてきて﹃つまらない﹄と、そう思ってい
たのだ。
それは俺の中にいるシャルルも同じなようで、きっとこの状況を
楽しんでいるだろう。
いいじゃないか、四対一。最高だ。
一体目のリザードマンが跳躍してくる。
俺は斧を躱し、足を払った。
追撃を加えようとしたが、もう一体のリザードマンの攻撃が飛ん
でくる。
743
その攻撃も躱し、背後からの攻撃も躱した。
俺はすぐに二本の剣を引き抜き、横から伸びてきた斧を剣でいな
した。
次の攻撃は、上から。リザードマンがジャンプ斬りをしたようで、
俺はそれを剣で受け止める。
﹁あちゃー、これは失敗﹂
剣で受け止めずに、躱すべきだったか。
こうしている間にも、他の奴らからの攻撃は飛んでくるわけだか
らな。
そうなる前に、俺は剣を伝って相手に魔力を送り込んだ。
﹃氷結﹄と念じると、リザードマンの手は凍って粉々になる。
丁度その時、右から斧が飛んできたが、剣で弾き、首を切り裂く。
一体目。
背後からの攻撃を右の剣で受け止め、左手の剣で頭蓋に一撃を入
れる。二体目。
すぐに剣を引き抜き、振り返りざまに後ろにいたリザードマンに
剣を振るう。
優に躱されてしまうが、それでいい。
一体が後退した事によって、俺の相手は二体になる。
右前方にいる奴は上段の攻撃、左前方にいる奴は下段の攻撃を繰
り出した。
盗賊よりも良いチームワークだ。リザードマン一体でも盗賊団壊
滅が出来そうな気がする。
心の中でリザードマンを褒めながら、両方の剣を受け止め、俺の
両手は塞がる。
俺は上段の斧の力を利用し、軽く体を浮かせて回転する。
744
回し蹴りを右前方にいたリザードマンに食らわせ、怯んだところ
に首を切り裂いた。三体目。
俺は二体のリザードマンとの距離を取り、剣についた血を振り払
う。
リザードマンの警戒も極限まで強まっているのか、手を出してこ
ない。
こちらから行くのは嫌な気もするが、仕方がない。
俺は地面を蹴って、一瞬で間合いを詰める。
胸を突こうと右の剣を伸ばすが、リザードマンは片手で剣を受け
止めた。
俺の動きが止まった隙を狙って、左から斧が飛んでくる。
俺は斧を左の剣で受け止め、斧を持つ手を蹴りあげた。
そのまま腕を切り落とし、喉に一突き。これで四体目。
﹁お前で最後だな﹂
﹃シネ﹄
﹁え?﹂
﹃ヨクモ、オレノナカマヲ﹄
﹁⋮⋮ごめん﹂
思えば、最初に攻撃したのは俺だったな。
喋れる事さえ知っていれば、道を退いてくれたかもしれない。
いや、﹃喋れることさえ知っていれば﹄なんてのは、言い訳だな。
魔物は獰猛で、低能だと決めつけていたのは俺だ。
怒られて、殺されそうになっても当然だろう。
﹃ガァァァァアア!﹄
745
俺に非があったのは事実。
だからといって、何があるわけでもない。
俺は、突進してくるリザードマンの攻撃を躱し、回転を加えた斬
撃で首を斬り落とした。
五つの死体が、俺の目の前に転がっている。
だからなんだ、という話だ。
これで心を痛めるほど、俺の心は綺麗ではない。
というよりも、この世界ではこれが普通だ。
路地裏に死体が転がっている事だってある。
﹁ふぅ∼﹂
俺は息をひとつ吐き、探索を再開した。
︱︱︱︱︱︱
その後も俺は出会うリザードマン全てを瞬殺した。
仲間を呼ばれるのは、面倒だと思ったからだ。
戦っている間、﹃楽しい﹄と思ったのは事実だが、優先すべきは
依頼の完遂。
遊んでいる場合ではない。
そんなこんなで第七階層まで辿り着いた。
温度は先ほどよりも少し上がったぐらいで、それ以外の変化は見
当たらない。
746
見落としている部分さえなければの話だが。
﹁ふぁぁ﹂
飽きているせいか、欠伸が出てしまった。
これではいけない。もっと気を引き締めないと。
俺は気合を入れ直すために、頬を強く叩いた。
⋮⋮痛い。
頬をさすりながら歩を進める。
そして、また魔物と出会った。
第七階層の魔物は、ゴーレムだ。
節々の岩の隙間からは溶岩が溢れでている。
第一印象は固そう。次の印象は、熱そう。
小並感が出ているが、そう見えるのだから仕方がない。
固そうで熱そうなゴーレムは、俺の気配を察知した辺りから、動
かなくなった。
それまではゆっくりと移動していたのだが、何故だろう。
もしかして、戦わなくても通してあげますよとでも伝えたいのだ
ろうか。
﹁そ、それじゃぁ、失礼しま︱︱﹂
好意に甘えて横を通り過ぎようとした時、ゴーレムの腕が突然動
き、咄嗟にしゃがみ込んだ俺の頭上を通り過ぎた。
﹁ですよねー⋮⋮﹂
分かってはいたが、期待せずにはいられなかった。
747
戦わなくていいなら、それだけ楽な事はないし。
俺はゴーレムから距離を取り、﹃土弾﹄を飛ばすが、粉々に砕け
散った。
固そうな印象はそのまんまだな。
熱いというのも、横を通り抜けようとした時の熱気で十分に伝わ
ったし。
﹁土だるま﹂
念じるのではなく、久しぶりに魔術を声に出した。
それで何が変わるのかと聞かれれば、何も変わりはしないのだが。
呟いた直後、俺の体から勝手に魔力が流れ出る。
地面を伝ってゴーレムの足元まで伸びた魔力の糸は、ゴーレムの
体へと侵入していく。
触れているのとは違うため、時間は多少伸びてしまうが、近づい
て無駄なリスクを負うよりはマシだろう。
さっきとやっている事が違うって? まあ、気にしないでくれ。
﹁そろそろかな﹂
魔力が全身に行き渡り、一瞬にして岩に変わり、砂と化す。
溶岩さえも残さなかったな。芸術って奴かね。
でも、やっぱり、氷結の方が綺麗だ。
散る時の煌きが美しい。
使えない物は仕方がない、ここは我慢だ。
748
数時間の探索を終え、俺は第九階層まで辿り着いた。
腹時計を頼るのであれば、今は午後六時頃。
そろそろ戻った方がいいだろう。
前みたいにトラップに殺されそうになっても嫌だし。
﹁ん∼﹂
手足を伸ばすと、関節が音を鳴らした。
歩きっぱなしで疲れたという事はないが、精神的な苦労はあった。
気を張り詰める事にあまり慣れていないせいだろう。
修羅場という物を経験した事があまりないからな。
俺は踵を返し、魔物を粉々にしながら第一階層まで戻った。
そのまま飲食店へ向かい、食事をした後は宿に帰った。
ロビーの時計を見ると、午後十時。
部屋に戻って水浴びをして寝るとしよう。
ふと、ロビーの窓に目をやると、赤毛のポニーテールが通り過ぎ
ていった。
赤毛とは、珍しい。こんなところに竜人族がいたなんて。
まあいい、気にする事のほどでもないだろう。
そう思った俺は、すぐに部屋へと戻った。
︱︱︱︱︱︱
翌日、朝に地図に描き足しを入れてから、探索へ向かった。
749
とりあえず、遊び半分でリザードマンのパーティと戦闘した。
昨日戦ったおかげで、動きを読めるようになった。
リザードマンとの戦闘のおかげで気が引き締まった。
﹁よし﹂
俺は剣に付着した血液を振り払ってから、探索を再開する。
魔物を倒していきながら、難なく第九階層に到着した。
第九階層の魔物はリザードマン、ゴーレム、それと首なし騎士だ。
三種の魔物が協力とまではいかないが、同時に攻撃をしてくるの
はかなり厄介で、俺でも倒すのに時間がかかってしまう。
面倒になった時は土魔術バージョンの﹃針山地獄﹄を使えばいい
だけなのだが、崩落の危険も考慮してやめておいた。
ちなみに、今までに出会った﹃党﹄︱︱パーティは、十数グルー
プ。
もっといるはずだが、道に迷っていたり、既に屍になっていたり
するのだろう。
俺はソロだから、通りすがりのパーティを手助けする事もあった。
余計なお世話だとも思うが、そのまま無視して死なれたとあって
は、罪悪感を感じる。
正直、心の重荷は増やしたくない。これ以上は、もう。
第九階層の地図を埋めていき、一時間ほど経過した頃、俺は遂に
階下へ繋がる階段を見つけた。
当たり前だが、階を進んでいく程に見つけるのが難しくなってい
くのだ。
やっとの思い、という感じだ。
﹃たすけて﹄
750
下へ向かおうとした時、声が聞こえた気がした。
小さすぎて不確かではあるが、幻聴だとは思えない。
誰かが助けを呼んでいる。きっとそれは俺の助けではないのかも
しれない。
でも、それでも、﹃たすけて﹄の声には応えなくては。
ほんの小さな助けを求める声を聞いて、俺の体はすぐに動いた。
751
迷宮は笛を鳴らして人を呼ぶ・後編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
752
引き寄せられた糸・前編
時はシャルルが第九階層の中盤で、三種の魔物と戦っていた時に
遡る。
三人の少女は、第九階層の探索を進めていた。
一人は赤い髪の毛を後ろに結び、ライラックのピン留めで前髪を
留めている、大剣を両手で持つ少女。
一人は銀髪の髪の毛を短く切った、犬耳とふさふさした尻尾を生
やした少女。
一人は茶髪のショートカットの少女。猫耳と猫の尻尾が生えてい
る。
﹁それにしても、暑いな、ここは﹂
﹁たしかに⋮⋮﹂
銀髪の少女が言うと、茶髪の少女が賛同した。
赤毛の少女は大剣を肩に担ぐと、目をつむって唸り始めた。
しばらくして、赤毛はきょとんとした調子で口を開く。
﹁暑いかなぁ?﹂
﹁お前は竜人族だから、暑さに強いだけだろう﹂
﹁あはは、そうでした⋮⋮﹂
銀髪の指摘に、赤毛が苦笑しながら後頭を掻いた。
二人のやりとりをぼーっと眺めていた茶髪は、足を止め、振り返
った。
そこには誰がいるわけでもないのだが、茶髪は呟く。
﹁懐かしい⋮⋮﹂
753
﹁どうした?﹂
﹁匂う⋮⋮﹂
茶髪の﹃匂う﹄という言葉を聞いて、銀髪は目を瞑る。
彼女らは獣人族。嗅覚、聴覚に優れた種族だ。
茶髪の言う﹃匂う﹄というのは、遠くの誰かの匂いを嗅ぎとった
という事。
しかし、銀髪は何も感じなかったのか、目を開け、首を傾げた。
﹁何も匂わないぞ?﹂
﹁でも⋮⋮これは⋮⋮﹂
﹁気のせいだろう。先に進むぞ﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
銀髪に促され、茶髪は頷く。
三人は探索を再開し、歩を進めていく。
数多くの行き止まりに当たり、獣人の二人が唾でマーキングをす
る。
同じ道を二度通らない様に、印を付けなければ、迷宮は進めない。
シャルルは獣人の様に鼻が効くわけでもない為、地図を使ってい
るが、地図を描くことも読むことも出来るシャルルには、何の苦で
もない。
少女達が幾度目かの行き止まりの空間に入った時、壁から三体の
ゴーレムが現れた。
高低がある肌の表面は湯気を立ち上らせ、岩と岩の隙間からは溶
岩が溢れでている。
体術を使う二人の獣人と、大剣を使う竜人。この三人にとって、
ゴーレムは難敵だった。
754
いつもなら相手をせずに逃げるところだが、運悪く、空間の入り
口からは四対のリザードマンと二体の首なし騎士が姿を現した。
﹁こ、これは拙いな﹂
﹁絶体絶命⋮⋮﹂
﹁大丈夫だよ! 頑張ろう!﹂
赤毛は冷や汗を垂らしながらも、二人を元気づける為に張り上げ
た。
二人の獣人は顔を見合わせ、静かに頷く。
頑張らなければ生き残れないなら、頑張るしか無い。
目的を持つ三人は、こんな所で死ぬわけにはいけないと、自分を
奮い立たせた。
﹁よし、全員蹴散らすぞ!﹂
﹁おーっ!﹂
﹁おー⋮⋮!﹂
掛け声に合わせ、三人は動き出す。
動きの鈍いゴーレムは相手にせず、最初の標的を絞る。
二人の獣人はリザードマンを一体ずつ、大剣を使う赤毛は首なし
騎士を相手にする。
銀髪は近くにいたリザードマンに目星をつけると、獣人の種族固
有魔術である﹃瞬速﹄を使って、一瞬にして懐に入り込む。
銀髪の右拳がリザードマンの腹を貫いた。リザードマンは苦悶の
表情を見せながらも、銀髪に向かって斧を振り下ろす。
銀髪はすぐに腕を引き抜き、斧を躱した。攻撃の際に出来た隙を
狙い、銀髪は追撃を入れる。
右肩に回し蹴りを入れ、顎に拳をめり込ませる。リザードマンが
755
怯んだところで、腰に差していた短剣を引き抜き、喉を切り裂いた。
茶髪は銀髪とは違い、最初から短剣を引き抜いた状態で戦う。
リザードマンの攻撃を躱しながら、打撃を入れ、隙が出来た所に
剣を通していく。
右腕を切り落とし、腹に蹴りを入れてから、右腿を切り裂いた。
リザードマンは深い傷を負いながらも、攻撃を止めない。
﹃瞬速﹄で近づいた茶髪の首を左手で掴み、地面に叩きつけようと
するが、その腕はいつの間にか切り落とされていた。
両腕と片足を無くしたリザードマンは為す術もない。茶髪の短剣
が頭蓋を貫き、リザードマンは地に伏せた。
赤毛は一メートルは優に超える刀身の大剣を振り回す。
赤毛は、大剣を振り回しているだけでなく、正確に関節を狙って
くる。
首なしの騎士、つまり、急所である首は既になくなっている。
体に当てたところで相手は鎧の塊だ。ふらついて、それだけ。
だが、鎧にも弱点がある。膝や肘の隙間だ。
赤毛は大剣で四肢を切り落としていき、首なし騎士を行動不能に
する。
手際よく切り落とし、すぐに二体の騎士はだるま状態になった。
再生をする事は無いため、赤毛の勝ちと言える。
二匹のリザードマン、そして二体の首なし騎士を片付けた。
残りは二匹のリザードマンと三対のゴーレムだけだ。
そう思って三人が振り返った時、ゴーレムの数は先ほどとは違っ
ていた。
三対だったゴーレムは、九体にまで増えている。
逃げなくてはと入り口に目を向けた時、三人は唖然とした。
756
三対のゴーレムが入り口を塞いでいたのだ。まるで、ゴーレムが
意思疎通を行い、獲物を逃さなようにと網にかけるように。
﹁どうする?﹂
赤毛が二人に尋ねる。
﹁分からない。窮地という奴だ﹂
﹁⋮⋮絶体絶命﹂
会話を交わしている間にも、リザードマン達は動き出す。
ゴーレムの後ろにリザードマンが付き、ゴーレムを盾としている
ようだ。
迷宮というのは、人を呼び、命を喰らうと言われている。
迷宮が三人の少女を食らおうと、牙を剥いたのだ。
赤毛たちが突破口を見つけようと思考を巡らせている間にも、ゴ
ーレムとリザードマンは三人の少女に歩み寄っていく。
リザードマンがゴーレムの動きに合わせている為、ゆっくりでは
あるが、何もしなければいつかは襲われてしまう。
斧に切り裂かれるか、ゴーレムに溶かされるか。
そんなのはゴメンだと、赤毛は大剣を握り直す。
自分の持てる全ての力を注ぎ、ゴーレムに大剣を振るった。
大剣はゴーレムの体に侵入した。だが、侵入しただけで、剣が通
り抜ける事は無かった。
剣は徐々に赤色に変色し、ドロドロに溶けていく。
赤毛は剣を引き抜こうとするが、微動だにすらしなかった。
赤毛は諦めたようにへたり込み、膝を抱えてしまう。
757
﹁諦めるな。突破口は必ずある﹂
励ますように銀髪が言うが、赤毛は肩を震わせるだけで、反応を
示さなかった。
その間も、茶髪はゆったりとしていた。
いつもの雰囲気といえばそうだが、安心感というのもあるように
見える。
膝を抱えている赤毛に、そんな茶髪の様子は見えるはずもなく、
赤毛はピン留めを握りしめながら、祈るしかなかった。
﹁たすけて⋮⋮﹂
誰でも良いから、自分をこの場から救って欲しかった。
そんな思いから零れた言葉に、情けなさを覚える。
自分は竜人の剣士なのに、震えて、助けを乞うしかないなんて。
﹁ふむ﹂
誰も赤毛を責めることはせず、銀髪は顎に手を当て、思い出すよ
うに目を瞑る。
﹃匂う﹄のだ。銀髪にも、茶髪の言っていたように、嗅ぎ取れた。
懐かしくて、好きだった匂いだ。
だが、子供の頃の記憶だったからか、鮮明には思い出せない。
﹁来る⋮⋮﹂
銀髪に思い出せなくても、茶髪には匂いの主が誰なのか分かった
ようで、安堵しきったその表情は艶かしいとも言える。
リザードマンと三人との距離があと数歩というところ。リザード
マンは殺る気満々で、斧を振り上げて準備をしている。
758
銀髪は匂いの主が誰なのかを思い出そうとしたまま、赤毛は座り
込んだまま、茶髪はゆったりとしながら、匂いの主の登場を待った。
リザードマンの斧が振り下ろされ、銀髪が躱そうと身構えた時、
リザードマンは動きを止めた。
動きを止めたというよりは、石像と化したのだ。何の前触れもな
く、一瞬にして。
ゴーレムも同様、最後に見た状態のまま、石と化している。
﹁間に合って良かった。でも、今の登場って主人公っぽくてカッコ
良かったな⋮⋮これからは様子見とかしちゃったりして⋮⋮そして
颯爽と現れるヒーロー⋮⋮なるほど⋮⋮﹂
ブツブツと何かを言いながら石造の後ろから現れたのは、フード
付きの外套を着て、首巻きで顔の半分を隠し、腰と背中に剣を差し
た人物だ。
手袋を着用した手でゴーレムに触れると、ゴーレムは砂となって
消えてしまった。
茶髪はその人物が誰なのかを知っていた。
あの時も自分を守ってくれて、ずっと会いたかった親友。
感情を抑える事もせずに、茶髪はフードの男に飛びついた。
﹁シャルル⋮⋮!﹂
突然の事に肩をビクリと震わせるシャルル。助けに来たら、いき
なり抱きつかれたというのだから、仕方がない事ではある。
シャルルは力づくで茶髪を引き剥がし、腕を組みながら三人の少
女に目をやった。
759
﹁おお⋮⋮ニーナ、リラ、クロエ。久しぶりだな﹂
三人とも印象深かった為に、シャルルが思い出すには数秒の時間
で良かったらしく、明るい声でそれぞれの名を告げた。
シャルルは茶髪のニーナと銀髪のリラを素通りし、赤毛の少女ク
ロエの元へと歩み寄る。
﹁クロエ、大丈夫か?﹂
﹁誰⋮⋮?﹂
ニーナのシャルルの名を呼ぶ声も聞こえなかったらしく、クロエ
は震える声で尋ねた。
﹁どうも、シャルルです﹂
﹁ふぇ?﹂
状況が理解できていないのか、クロエは目をぱちくりさせながら、
辺りを見回す。
いつの間にか砂と化していたゴーレムを目にして、クロエは更に
混乱する。
﹁久しぶり﹂
﹁しゃ、シャルル⋮⋮?﹂
まだ半信半疑といった様子のクロエに、シャルルは首巻きを外し
て微笑んだ。
それでも足りないかと思い、完全に思い出させる為に、フードと
手袋も外し、クロエの頭に手を乗せた。
﹁俺でーす﹂
760
無邪気な笑みがクロエの波打つ感情を和らげる。
恐怖と情けなさに染められていた心は徐々に自分の色を取り戻し、
安定しつつあった。
シャルルは昔の笑顔で、昔してくれた様に頭を撫でてくれた。
懐かしさと愛おしさに自然と涙が零れ出てしまう。
まだ小刻みに体を震わせながらも、腕を伸ばしてシャルルの首に
巻きつけた。
﹁久しぶり⋮⋮﹂
クロエが鼻声で告げると、シャルルの腕がクロエを優しく包んだ。
この時シャルルは微かに匂いを嗅いでいたのだが、気の抜けたク
ロエが気づくことはなかった。
しばらくして、クロエは寝息を立て始める。
シャルルの人を安心させる力は、彼が育てたものなのか、生前の
母親譲りの物なのか、それとも、この世界においてのシャルルの物
なのかは分からない。
どちらにせよ、人を安心させる事が出来るというのは、シャルル
にとって嬉しい事でもあるはずだ。
シャルルは困った様に後頭を掻くと、クロエを背負ってニーナと
リラに向き直った。
﹁二人も、久しぶり﹂
﹁仲睦まじいようで何よりじゃないか﹂
顔を背けながらリラが言った言葉に、シャルルは苦笑する。
﹁幼馴染っていうのかね﹂
﹁幼馴染?﹂
761
﹁孤児院にいた頃の友達でさ﹂
﹁そうか。そういえば言っていたな。帰ってこない親友がいたと。
寂しがっていたぞ?﹂
近いうちに挨拶に行くつもりだったのだが、迷宮探索をしている
という事は自立しているという事だ。
行ったところで、クロエは既にいなかっただろう。
それでも、アメリーにはしっかりと土産の品でも届けなければい
けないのだが。
﹁ニーナも、来るのが分かっていたみたいだったし。やっぱり匂い
なの?﹂
﹁そう⋮⋮匂いで分かった⋮⋮﹂
相変わらずのゆったりした口調に、シャルルは懐かしさを覚える。
﹁シャルルは⋮⋮いい匂い⋮⋮だから⋮⋮すぐ分かる⋮⋮﹂
﹁いやぁ、後ろから抱きつくというイタズラが出来ませんなぁ﹂
﹁したいなら⋮⋮させるよ⋮⋮?﹂
﹁えっ、本当? じゃあ、後でお願いしちゃおうかなぁ﹂
﹁んにゃ⋮⋮!?﹂
ニーナとしては、﹃遠慮しとく﹄という答えが返ってくるのを期
待して︱︱というより、シャルルならそうするはずだと思っていた
為の言葉だった。
まさか話に乗るとは思ってもみなかったのだ。
確かに、昔のシャルルであればすぐに断ったであろう。
だが、時は人を変えるとも言う。
色々な人と触れ合って、考えや性格に多少の変化が現れる事は普
762
通の事だ。
特に、人格を組み立てていく途中の段階で暴力を受け、罵倒され
る事しかなかったシャルルにとって、異世界での人との関わりこそ
が、本当のシャルルの人格の構成だと言っても過言ではない。
だが、それでも性根というのは変化を遂げないのか、シャルルは
こう言う。
﹁冗談だよ﹂
﹁⋮⋮意地悪﹂
ニーナは猫耳をピクピクとさせながら拗ねてみるが、正直﹃して
欲しかった﹄と残念に思う。
久しぶりの再開を喜ぶ暇があればそうしたであろう。しかし、迷
宮では魔物は無限に湧き出てくる物で、すぐに切り替え無くてはな
らない。
シャルルはクロエを背負ったまま、器用に手袋を装着すると、微
笑しながらも真剣な面持ちで口を開く。
﹁今から地上に戻る。リラは俺の前を、ニーナは俺の後ろを歩いて
くれ。魔物の匂いを嗅ぎとったら、すぐに位置を割り出す事は可能
か?﹂
﹁可能⋮⋮﹂
シャルルの問いに、ニーナが答えた。
﹁よし。なるべく魔物との遭遇は避けたい。地図はリラにやるから、
魔物がいたら別の道筋を探してくれ。どの道にも魔物がいるという
のであれば、それで構わない。だけど、手は出すな。絶対に﹂
﹁何故だ?﹂
﹁巻き込まれるからだ﹂
763
﹁⋮⋮了解した﹂
リラは納得したように頷くと、シャルルから地図を受け取り、地
上までの道を先導した。
自分のマーキングと、地図。二つの物を頼りに、安全な道を通っ
て行く。
しかし、ここは魔物との遭遇率が高い第九階層。
いつまでもどちらかの道が開いているというわけではない。
﹁シャルル、どちらの道を行っても魔物と遭遇する﹂
Y字路の真ん中でリラが告げた。
﹁分析できるか?﹂
﹁えーっと⋮⋮右の道にはリザードマン一と、首なしが一、ゴーレ
ムが複数。左の道にはゴーレムが一、リザードマンが複数、それと
首なしが複数﹂
あらましではあるが、道を選ぶのには十分だ。
﹁左へ行く﹂
﹁左の方が魔物が多いぞ?﹂
﹁リラ達はゴーレム苦手だろ﹂
﹁う⋮⋮﹂
倒すのはシャルルなのだから、関係はないのだが。
それでも、苦手意識のある魔物と会わないようにというシャルル
の配慮なのだろう。
リラは地図を見ながら、歩を進めていった。
764
しばらくして、魔物と遭遇する。
リラの言うように、ゴーレムは一体。リザードマンが五体、首な
し騎士が三体だ。
﹁どうするんだ?﹂
﹁んー、まあ、ちょっとね。少し下がってて﹂
リラは言われたように、数歩下がって、魔物達と距離を置く。
途端、手前にいた首なし騎士が、四本の針に串刺しにされていた。
おそらく、魔術を使って地面から生えた物だが、リラ達にそれを
知る術はない。
首なし騎士に続いて、手前から次々に魔物が串刺しになっていく。
最後のゴーレムは串刺しになるのではなく、砂となって消え散っ
た。
﹁シャルル、何をしたんだ?﹂
﹁魔術を使っただけだよ﹂
﹁やっぱり、お前は凄いな。また遠くへ行ってしまったのか⋮⋮﹂
﹁遠く?﹂
﹁いや、何でもない。行くぞ﹂
リラは、シャルルが獣人の村ビャズマを去ってから、ワイバーン
の襲撃から村を救ったシャルルに圧勝できるようにと、己の力を磨
き続けた。
だが、自分でも倒すのに時間をかけた魔物達を瞬殺していくシャ
ルルに劣等感を感じていたのだ。
シャルルが使っているのは魔術で、リラは体術なのだから、シャ
ルルの方が簡単に魔物を倒せるのは仕方がない話ではあるが、それ
でも自分が劣っていると思ってしまう。
765
﹁リラ﹂
歩きながら、シャルルが名を呼ぶ。
﹁何だ﹂
﹁後で体術勝負といこうじゃないか﹂
﹁⋮⋮望むところだ﹂
リラは微笑しながら答えた。
まったく、姿は変わっても、中身は変わらないな。
そんな事を思わずにはいられないリラであった。
﹁シャルル⋮⋮私とも⋮⋮﹂
﹁ニーナもか? 仕方ないなぁ﹂
そう言いながらも、シャルルは嬉しそうに笑ってみせた。
シャルルも、実際なら、父親になれる歳だ。
リラやニーナの成長を見れるという事に嬉しさを覚えるのは、父
性からなのかは分からない。
シャルルはクロエとも戦ってみようと思った。
雑談を交わしながら、地上に辿り着いた。
近況報告や昔話ではなく、魔物の話や迷宮の話、泊まっている宿
や美味い飯屋の話をしていたのは、﹃そういう話はゆっくりと﹄と
いう暗黙の了解だろう。
シャルルはリラ達の泊まる宿の部屋へ入ると、寝台にクロエを寝
かせた。
クロエが途中から起きていたことにもシャルルは気づいていたの
だが、何も言わないという事は﹃そうしていたい﹄という事なのだ
ろうと考え、寝ている事にしようと思ったのだ。
766
﹁ふぅ∼﹂
﹁はぁ∼﹂
﹁にゃ∼﹂
シャルル、リラ、ニーナの三人は一息つき、椅子に腰掛ける。
シャルルは背中の剣だけを壁に立てかけた。
﹁クロエが起きたら、積もる話でもしようじゃないか﹂
シャルルの提案に全員が頷いた時、リラとニーナ、目覚めていた
はずのクロエの意識は闇へと溶けた。
緊張が解れたせいで眠くなった︱︱というわけではなく、シャル
ルの使用した人を眠らせる闇魔術、﹃睡魔﹄によるものだ。
﹁ククク⋮⋮﹂
シャルルは下卑た笑みを浮かべ、立ち上がる。
そして、眠っているリラに近づき⋮⋮柔い頬に指先を埋めた。
﹁あ∼、癒されるわ∼﹂
シャルルは、飽きるまで三人の頬を弄んだのであった。
767
引き寄せられた糸・前編︵後書き︶
三人称、読みにくかったと思われる方もいることでしょう。
サーセン︵・ω<︶
768
引き寄せられた糸・中編
どうも、シャルルです。目覚めたリラによる顔面への正拳突きを
喰らい、鼻血を出したまま正座をさせられているとです。
﹁リラ様、本当にすみませんでした﹂
﹁こちらこそ、悪かった。見慣れていないから敵だと勘違いした﹂
﹁次からは気をつけます﹂
リラに殴られたのは、仕方が無い事ではある。
目覚めたら目の前にいる半覆面フード男がいて、自分の頬を触っ
ていたとあっては、怒るのも無理ない。
俺だったら﹃キャアアアァァァア﹄と叫びながら殺してしまうか
もしれない。
﹁その鼻血を止めたらどうなんだ?﹂
﹁はい﹂
俺は正座したまま鼻に手を当て﹃治癒﹄と念じた。
獣人族の族長の娘、つまりは最強の獣人のその娘のパンチを正面
から喰らったわけだから、俺の鼻は折れていて当然。
だが、治癒さえ使えば、骨折しても腕がもげても治せるのだ。
﹁にしても⋮⋮﹂
リラもニーナもクロエも雰囲気が変わった気がする。いいや、確
実に変わっている。
皆、昔会った時は小さくて、ロリロリしていたというのに、今の
リラの胸を見てみろ。
769
流石はヴェラの妹だ。これはまだまだ成長が期待できそうですね。
さて、リラというのは、俺を見下ろす少女のことである。
肩までしかない長さの銀色の髪。親譲りの白い肌に、銀色の円な
瞳。
可愛らしくはあるのだが、族長の娘としての威厳を保とうとして
いるのか何なのか、眉根を寄せる事が多い。
そもそも、威厳も何も、その犬耳と柔らかそうなしっぽで全て和
らいでしまっているのだが⋮⋮これはリラには黙っておこう。
﹁シャルル⋮⋮跡が付いてる⋮⋮﹂
こちらのゆったりした少女がニーナ。
眠そうな眼をしているが、眼光は中々に鋭い。
体術使いにとって髪の毛は邪魔でしかないのか、ニーナもショー
トカットだ。
リラとニーナは昔から仲が良かったし、双子に見えなくもない。
だが、決定的な違いは、茶色の髪の毛だという事だけではなく、
ニーナには猫耳と猫の尻尾が生えているところだ。
ニーナは猫耳をピクピクとさせながら、手ぬぐいで俺の鼻の下を
拭ってくれた。
﹁ありがとう、ニーナ﹂
いつもの癖で、ニーナの頭に手を置いてしまう。
だが、ニーナは抵抗を見せることもなく、気持ちよさそうに目を
細めた。
﹁クロエ姫も、お目覚めですか?﹂
﹁うぅ⋮⋮﹂
770
膝を抱えて涙目になっているのが、クロエだ。
竜人族の特徴である、真っ赤な髪。その前髪にはライラックのピ
ン留めが目に見える。
今は俯いているが、普段は元気に溢れた顔をしている。
クロエと一緒にいるだけで、こちらまで元気になってくるのだ。
ライラックのピン留めは、俺が昔、孤児院に世話になっていた頃、
クロエの誕生日にあげた物だ。
長年大事に扱ってくれているらしい。﹃いや、新しく買ったんだ
よ﹄とか言われてもショックなので、聞くのはやめておこう。
﹁まあ、そう落ち込むことじゃないよ、クロエ﹂
俺はクロエの頭に手を乗せ、なるべく優しい声で話しかけた。
どうやら、一人だけへたり込んでしまった事を気恥ずかしく思っ
ているらしい。
﹁でも、でもぉ⋮⋮﹂
﹁あの状況なら仕方が無い。リラとニーナは匂っていたから余裕が
あっただけで、そうでなければ同じ様になっていたと思うぞ﹂
﹁ほんと⋮⋮?﹂
﹁シャルルさんが言うんだから間違いないです﹂
俺が言うと、クロエは涙目ながらも笑ってみせてくれた。
やっぱり、元気少女クロエには、笑顔が一番似合う。
﹁もう夕飯時だし、飯を買いに行ってくる。ここで待っててくれる
か?﹂
﹁一緒に⋮⋮行く⋮⋮﹂
771
そう言い出したのはニーナだ。
別に、ニーナが来たところで問題があるわけでもない。
連れて行かない理由はないだろう。
﹁分かった。二人はどうする?﹂
﹁私はここで待っている﹂
﹁私も﹂
リラに続いて、クロエも待機する事にしたそうだ。
﹁じゃあ、行こうか﹂
﹁うん⋮⋮﹂
俺はニーナを引き連れ街へと繰り出した。
夕時の迷宮周辺は、冒険者区域の様になっているにも関わらず、
人は多くない。
おかげで、窮屈な思いをする事はないのだが。
﹁シャルル⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
﹁背負って⋮⋮﹂
﹁その心は?﹂
﹁匂い⋮⋮﹂
まあ、だろうとは思っていました。
うむ、ニーナの頼みなので、聞く他ないだろう。
俺は片膝をつき、ニーナが乗りやすいように姿勢を低くした。
ニーナの体は俺の背中に押し付けられ、柔い腕は首の周りに巻き
つけられる。
772
俺が立ち上がると、落ちないようにと力を強めてきた。
Oh⋮⋮この背中に触れる柔らかい感触は⋮⋮。
何というか⋮⋮成長したなぁ。
﹁シャルル⋮⋮﹂
﹁ひゃいっ?﹂
耳元で囁かれたせいで、変な返事をしてしまった。
﹁⋮⋮いい匂い﹂
﹁うん、ありがとう﹂
ニーナもリラも俺の匂いが好きだというが、正直言って意味がわ
からない。
俺はまだ水浴びをしていないというのに。魔術で体を冷やしては
いたから、汗臭いという事はないと思うが。
そんな心配をしていると、ニーナの腕に僅かな力が加わった。
押し付けられていた物が、もっと押し付けられて、何というか、
もう⋮⋮ごっつぁんです。
﹁シャルルは⋮⋮親友⋮⋮。会えて⋮⋮良かった⋮⋮﹂
﹁俺も会えて嬉しいですよー﹂
昔の友人に会えるというのは、俺にとっても良いことだろう。
この数年間で俺が落とした物が何なのか、見つけられるかもしれ
ない。
それは落とした物なのか、作られた物なのか、それは分からない
が⋮⋮。
兎にも角にも、俺とニーナは肉の甘ダレ串焼きを購入して、宿屋
へと戻った。
773
宿に戻った俺が目にしたのは⋮⋮俺のベッドの上でバタバタして
いたクロエとリラだ。
リラは﹃匂いだぁ﹄と、クロエは﹃シャルルだぁ﹄と言いながら。
うん、意味がわからないよ!
リラならまだしも、どうしてクロエまで!
﹁あの、お二人さん?﹂
﹁匂いだぁ﹂
﹁シャルルだぁ﹂
﹁エクスキューズミー?﹂
﹁はっ!﹂
﹁えっ!?﹂
リラとクロエが同時にこちらに振り向く。
﹃いつからそこにいたの﹄と言いたげな顔だ。
では、答えてしんぜよう。
﹁﹃匂いだぁ﹄﹃シャルルだぁ﹄辺りからですね﹂
﹁勝手に人の心を読むな!﹂
﹁勝手に人の心を読まないでよ!﹂
リラとクロエの声が重なる。息ぴったり。素晴らしいじゃない。
﹁心を読むも何も、顔にそう書いてあったよ﹂
﹁む⋮⋮﹂
﹁うぅ⋮⋮﹂
774
二人が狼狽える間も、ほんわかニーナさんは俺の背中に張り付い
たまま離れてくれない。
別に重いわけでも疲れたわけでもないが、いつまでも﹃くんかく
んか﹄されるのはむず痒い。
俺はルイズではないのだ。
﹁さて、飯でも食いながら、皆の話でも聞かせてよ﹂
そういう事で、俺は三人から旅の話を聞きながら、甘ダレのかか
った串焼き肉をいただく事にした。
︱︱︱︱︱︱
三人の話を聞くには、行動を共にしていたリラとニーナがクロエ
に出会ったのは、一年前だそうだ。
偶然にも、ロンデルーズ王国の冒険者協同組合で出会った三人は、
パーティを組み、色々な依頼を熟してきたらしい。
三人の冒険者階級は三級。普通に考えれば、この歳で三級はかな
りのレベルだ。
確か、三級への昇級試験では、ウルクの討伐が必要だったな。
俺の剣術の師匠エヴラールがオーガと戦った時は、片耳から出血
するだけの軽傷で済んだが、オーガよりも強いウルクだ。
それなりにリスクもあっただろう。
オーガ? スライム? そんなのレベル十で楽勝だろ!
そう思う人も多々いるだろうが、それは違う。この世界において、
775
スライムは剣を弾き、オーガは雄叫びを上げただけで鼓膜を破く事
が出来る。
適当にやっていれば、死ぬ可能性だって出てくる。
まあ、それは良い。三人が強いのは分かりきったことだ。
一年間同じパーティで過ごしてきた三人は、美少女三人組のパー
ティという事もあり、有名になったそうだ。
そして今回は、パーティに迷宮探索を依頼されたらしい。
この迷宮に眠る魔石を取ってきてほしい、との事だった。
パーティに依頼するというのは珍しい事ではないのだが、何か引
っかかる。
﹁依頼人の名前ってなんだった?﹂
﹁それは秘密だ﹂
﹁リラ、そこを何とか﹂
﹁ダメだ﹂
ククク⋮⋮断るというのか⋮⋮。
いいだろう、ならば俺は、この手を使おう!
﹁⋮⋮もっと感謝されてるかと思ってたよ。皆を助けた事﹂
﹁アデーレって人だよ、シャルル!﹂
リラよりも先に答えたのは、クロエだった。
クロエは軽くリラを睨みつけると、俺に笑顔を向けた。
﹁依頼人がどうかしたの?﹂
﹁実は、俺の依頼人もアデーレって人なんだよ﹂
﹁へぇ! すごい偶然!﹂
776
偶然⋮⋮か。本当にそうだろうか。
一つの依頼を二つのグループにさせる事は少ない。
依頼掲示板に貼られているならまだしも、アデーレは直々に依頼
をしに来ていたのだ。
ダブルブッキング? ⋮⋮いや、あのアデーレという人物の雰囲
気からしてそれはない。断定していい。
﹁どうしたの⋮⋮?﹂
ニーナが俺の顔を覗きこんできた
俺は笑顔をつくって、ごまかす。
﹁いや、何でもない。んー、そうだなぁ、依頼人が一緒なら、俺達
四人で協力していくか?﹂
﹁それは良い案だな﹂
賛同の声を上げたのは、リラだ。
﹁シャルルがいれば心強い。正直、私達だけではあの迷宮の攻略は
難しいと思っていたんだ﹂
﹁なら、決定だな﹂
﹁よろしく頼むぞ、シャルル﹂
俺は差し出された手を握り、四人で協力する事に決めた。
﹁⋮⋮いつまで手を握っているつもりだ?﹂
﹁ごめん﹂
﹁揉むなっ﹂
﹁柔い﹂
﹁お、おい⋮⋮﹂
777
﹁気持ちいい﹂
﹁い、いい加減にしろっ﹂
手を引かれ、直立していた俺は前のめりに倒れてしまった。
まずい、このままでは⋮⋮ラノベ主人公のラッキースケベが!?
だが、ああいうのは大体、殴られ、蔑まれた目で見られる事が多
い。
シャルルさんはドMではないですのことよ!
俺はすぐに右足を前に突き出し、体を支えた。
だが、目の前にはリラの胸。このままでは接触すると思い、体を
捻らせなんとかリラを躱す。
︱︱が、俺の視界は真っ暗になった。一体、何が起きている。
﹁シャルル⋮⋮大胆⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
殴られる事はありませんでしたが、一晩中﹃くんかくんか﹄の刑
を受けました。
シャルルさんは紳士ですから手を出していませんよ。
⋮⋮本当に、出していませんからね!
778
引き寄せられた糸・中編︵後書き︶
御意見、御感想、駄目出し、評価、何でも何時でも歓迎しておりま
す。
779
引き寄せられた糸・後編
後日、俺、リラ、ニーナ、クロエの四人は、迷宮探索に行くこと
にした。
地図を見ながら難なく第九階層まで進み、今から第十階層の階段
を下りるところだ。
﹁ゴーレムがいなければいいなぁ⋮⋮﹂
階段を下りながら、クロエがぽつりと呟いた。
どうやら、ゴーレムに相当のトラウマを植え付けられたようだ。
﹁いたとしても、すぐに消えるから問題ないよ﹂
﹁シャルルは苦手なもの、なさそうだね﹂
﹁まさか。俺にだってあるよ﹂
そりゃあ、俺だって人間だ。苦手な物の百や二百はある。
弱点を晒すつもりはないので、ここで語る事はしないが。
﹁そういえばリラ。ヴェラさんは元気でやってるのか?﹂
﹁多分な。最後に見た時は元気すぎたぐらいだ﹂
﹁今度、会いに行ってみようかな﹂
ヴェラはリラの姉で、色々と世話を焼いてくれた人だ。
テンションが高くて、意味の分からない発言も多々あるが、戦い
においてなら、尊敬せざるを得ない。
﹁ニーナのお父さんも元気?﹂
﹁たぶん⋮⋮元気⋮⋮﹂
780
﹁寂しがってそうだね﹂
﹁うん⋮⋮お父さんは⋮⋮過保護⋮⋮﹂
﹁止まれ、魔物だ﹂
先導していたリラが魔物を感知したらしく、静止の合図を出した。
第十階層の魔物さんは⋮⋮ウォームだ。
巨大化したミミズのような体をしていて、円形の口を持っている。
人サイズならまだ可愛いもんだ。だが、こいつの体積は、そんな
もんじゃない。
俺達四人の背丈を合わせても、ウォームの方が大きく見えるだろ
う。
女子の反応を見てみようと、リラ達に目を向けるが、全員殺る気
満々だ。
気持ち悪そうにする仕草もせず、リラは腕を組み、ニーナは剣を
抜き、クロエは昨日購入した剣を構えている。
﹁デカイけど、恐くないの?﹂
﹁ふっふっ、硬くなければこちらのものだ﹂
リラが余裕の笑みを浮かべながら言った。
彼女たちもストレスを溜めている事だろうし、ここは任せてみよ
う。
﹁俺は見てるから、頼んだ﹂
﹁任せろ⋮⋮ッ!﹂
最初に出たのは、リラだ。瞬速で近づき、顔らしき場所に蹴りを
入れる。
781
﹁おお⋮⋮﹂
思わず声を漏らしてしまった。
いや、予想通りといえばそうなのだが、ウォームの顔が勢い良く
横に動いたのだ。
小さい体でよくもまあ、あんな力が出せるものだ。
﹁それじゃあ、私達も行こうか﹂
﹁うん⋮⋮﹂
クロエに続き、ニーナもウォームへの攻撃に加わる。
ニーナとリラの蹴りが、ウォームの顔を挟んだ。ウォームは口か
ら液体をぶち撒ける。
﹁いっくよーっ!﹂
クロエの方に目をやると、尻から尾が生えていた。真っ赤な鱗の
尻尾だ。
あれは竜人族の種族固有魔術である﹃竜化﹄で、竜の体に変体す
る事ができる。
かといって、ドラゴンの様に、巨大化するわけではないので、二
足歩行の竜のようになるのだが。
しかし、尻尾しか生えていないのは何故だろう。
中には全身の竜化を嫌うという竜人族がいるらしいが、そういう
事なのだろうか。
ここから見えないだけで、手腕も竜化させているのかもしれない
が。
﹁はぁっ!﹂
782
掛け声と共に放たれた斬撃。クロエの大剣はウォームの胴体に切
り込みを入れた。
勢いに乗せて回転したクロエは、そのまま追撃を加える。
次の斬撃は、ウォームの胴体を真っ二つにした。切り込みではな
く、切れたのだ。
流石、パワフル竜人族。
ウォームの体からは緑色の体液が溢れ出るが、すぐに氷の粒とな
って消えた。
俺は三人の元へ駆け寄り、ウォームの体に触れる。
﹁シャルル、ありがとう﹂
俺に礼を言ったのは、クロエだ。
﹁ん?﹂
﹁汚れずに済んだから﹂
﹁ああ、それ。気にしないで﹂
体液を瞬時に凍らせたのは、俺だ。
女の子三人が緑色の液体にまみれるのを見たくないというのと、
俺がその緑色の体液自体を見たくなかったというものだ。
シャルルさんはこれまで、虫型の魔物は氷結で殺していたので、
変な色の液体には耐性がないのですよ。
赤色なら、そこまで気にしないのだが、緑や紫となると、気持ち
悪い。
﹁よし、行こうか﹂
俺は消え散ったウォームを確認してから、皆に声をかけた。
俺達は再度、リラの先導の元、迷宮を探索する。
783
︱︱︱︱︱︱
どうやら、迷宮の魔物はウォームで最後らしく、それまでに出て
きた魔物に新しいのはいなかった。
そして、俺達は今、第十二階層の大きな扉の前にいる。
第十二階層にだけは、魔物が一匹もおらず、真っ直ぐな道を進ん
だ先に巨大な扉があった。
扉はどれだけ力を入れても開かない。俺達四人が力を合わせても、
ビクリともしないのだ。
魔術は通さないようなので、魔術での破壊もできなさそうだ。
扉を開けるヒントはひとつ。扉に刻まれた文字だ。
おさなご
﹃幼娘が婦人になるには、どれ程の年月が必要か、我は知りたい。
気になって、扉を開けられんぞ﹄
つまり、女の子が大人になるには、どのくらいの年月が必要かを
答えればいいんだな。
これは声に出せばいいのだろうか、それとも見せてやらなくては
ならないのだろうか。
困ったな。これは流石に実演できないし⋮⋮。
﹁シャルル、答え分かった?﹂
﹁多分ね﹂
﹁私達にも分かるかな?﹂
﹁どうだろ﹂
784
俺は答えが分かったのだが、クロエ達に答えられるかどうかは難
しいところだ。
リラにも、ニーナにも答えられないかもしれない。
﹁シャルルはもう答えを見出したのか。早いな﹂
﹁リラにも分からないかも﹂
﹁⋮⋮少し考えさせてくれ﹂
そう言って、リラは目を瞑った。
俺は正直、分かってほしくないのだが。
﹁ダメだ⋮⋮クロエ達はわかったか?﹂
﹁ううん、さっぱり﹂
﹁同じく⋮⋮﹂
やはり、ニーナにも分からなかったようで。
リラ達は諦めたのか、俺に視線を向けた。
﹁シャルル、答えは何だ?﹂
﹁⋮⋮答えは﹃一月﹄だ﹂
俺が言ってしばらく、扉は音を立てながら開かれた。
まさか本当にこんな物だったとは。
誰だよ、この迷宮つくったの。
﹁ねぇ、シャルル。どうして一月なの?﹂
﹁説明しなきゃダメ?﹂
﹁言いづらい事なの?﹂
﹁あまり言いたくはないかな﹂
785
﹁そっか。ならいいや﹂
この問題の答えを説明するのはあまり好ましくない。
相手が男ならまだしも、女の子に説明するのはなぁ⋮⋮。
﹁行くぞ﹂
リラの声により、俺達四人は扉の奥へと踏み出す。
中は、広い空間だった。広いだけでなく、高い。
後ろに目を向けると、扉が音を立てながら閉じられていった。
だが、今はそんな事よりも、もっと重要な物がある。
目を向けるべきは、閉じ込められた事実ではなく、空間の奥で仁
王立ちをしている魔物だ。
異様なまでの威圧に、数秒ほど静止してしまった。
俺達は戦闘態勢をとりながら、ゆっくりと魔物に近づいていった。
徐々に姿が鮮明になっていく。
筋骨隆々の人の体に、凶暴な牛を顔。それだけを見ればミノタウ
ロスなのだが、腕の数は聞いたものとは違う。
全部で六本。その全ての手には斧が握られている。
ああ、強そうだなぁ。俺一人で相手したいなぁ。
でも⋮⋮リラ達は殺る気満々だ⋮⋮。ここで﹃俺一人で戦わせて
くれ﹄なんて言ったら、骨を折られかねない。
﹁俺が前を受け持つけど、異論はない?﹂
﹁いや、それでいい﹂
﹁そうだね。シャルルなら安心だよっ!﹂
﹁気を付けて⋮⋮﹂
786
よし。正面からやりあえば、攻撃の手は俺に集中するはずだ。
その間に他の三人が殺っちまえばいい。
だが、その前にやるべき事がある。
俺は剣を収めて、ミノタウロスに近づいた。
﹁なっ、丸腰で何を!﹂
﹁リラ達はそこで待機。俺が戦闘を始めたら、リラ達もすぐに来て
くれ﹂
﹁お前は一体何を考えているんだ!?﹂
﹁いいから﹂
不満そうな顔のリラを放置し、俺はミノタウロスの前に立つ。
ミノタウロスの凶悪な目は俺を映し、鼻を鳴らした。
﹁話をしにきた﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁話せるんだろ? 話そうぜ﹂
﹃何故、そう思った﹄
﹁勘、かな﹂
リザードマンが人間の言葉を話せた時点で、この迷宮のボスが話
せる事はすぐに分かる。
迷宮が人間から命を奪うというのなら、知識だって、奪うかもし
れない。
なら、迷宮の最深部、最も力の溜まる場所にいるコイツは、他の
魔物よりも流暢に話せるはずだ。
﹃何用だ。何故、斬りかからない﹄
﹁言葉が通じるからな。話を聞いてくれるかもしれないと思って﹂
787
ミノタウロスは返事をしなかったが、代わりに俺が言葉を続けた。
﹁お前は魔石の番人なのか?﹂
﹃そうだ﹄
﹁その魔石、譲ってくれるか?﹂
﹃貴様、ふざけているのか?﹄
﹁いいや、本気だ﹂
﹃⋮⋮悪いが、それは出来ない。呪いだ。嫌でも我は貴様を殺しに
かかる﹄
﹁そっか﹂
交渉決裂。魔石を取る手段はひとつ、こいつを殺す事だ。
俺は二本の剣を抜き、姿勢を低くした。
俺が地面を蹴ると同時に、俺の視界の両端にリラとニーナが映っ
た。
リラとニーナは短剣を振るうが、ミノタウロスの斧に受け止めら
れてしまった。
俺もミノタウロスを挟むように斬りかかるが、こちらも二本の斧
で止められてしまう。
ミノタウロスの自由な二本の腕が動いた。狙いはリラとニーナ。
二人は攻撃を避けると、隙を狙って打撃を入れようとする。
が、軌道先に斧が現れ、二人はすぐに脚を引っ込めた。
ミノタウロスの意識がリラとニーナに向いた時、俺は下から滑り
込み、腕を二本切り落とした。
そのまま体に斬りかかるが、やはり斧で守られる。
俺は剣を伝って斧に魔力を送り込み、氷結を使用した。
斧が消えてなくなり、素手だけとなる。
そのまま腕を切り落とそうと剣を振るが、別の斧に止められてし
788
まった。
次の瞬間、リラとニーナは吹っ飛んだ。いや、投げられたのだ。
斧を防いだ隙を狙い、素手で頭を掴んで二人を遠くへやった。
おそらく、クロエの存在に気づいてのことだろう。
丁度二人が投げられた時、クロエの大剣が振り下ろされたのだ。
ミノタウロスは二本の斧を使い、クロエの斬撃を受け止めた。
これでコイツに残された腕は、素手の二本だけになる。
俺は力を込めて、ミノタウロスの体に切りかかった。
もちろんの事、ミノタウロスは防御しようとする。
これで腕を切り落とせる︱︱はずだった。
﹁嘘だろっ!﹂
俺の剣を、奴は手で受け止めたのだ。白刃取りなんてされたのは、
初体験ってやつだ。
これはこれで、良い経験といえるだろう。
だが、死んでは意味が無い。俺の剣はそのまま掴まれ、俺は地面
に叩きつけられた。
肺から空気が逃げ出す。俺はすぐに治癒を施した。
クロエの方に目をやると、クロエは押されていた。
竜化しているというのに、上にいたのはクロエだったはずなのに、
今はクロエが下にいて、ミノタウロスの斧を受け止めている。
俺は地面を蹴り、クロエを地面と大剣の間から抜き取った。
﹁はぁッ⋮⋮はぁッ⋮⋮﹂
クロエの息は上がっている。あのまま続けていれば、自分の大剣
789
に押しつぶされていただろう。
腕が竜化させられていないのに気づくが、今はそんな場合ではな
い。
クロエに一瞬の治癒を施してから、すぐにミノタウロスの元へ戻
った。
リラとニーナは瞬速と蹴りや殴りを繰り返すが、どれも素手で受
け止められていた。
時には金属音が鳴り、時にはリラかニーナの呻き声が聞こえる。
俺もすぐに戦闘に参加しようと、投げ捨てられた剣を拾い上げた。
俺も劣化版の瞬速を使い、ミノタウロスの足元に切りかかった。
二本の剣は軽々と止められてしまった。その時、リラとニーナが
地面に叩きつけられた。
二人はそのまま身動きを取らなくなってしまった。気絶しただけ
だろう。
俺は攻撃を仕掛けるふりをし、リラとニーナを抱きかかえる。
クロエの元に寝かせ、軽く治癒を施してから、すぐにミノタウロ
スと対峙した。
﹁これで、一対一だ。楽しくやろうぜ﹂
﹃これは命のやり取りだ。楽しく等とよく言えた物だな﹄
﹁きっと、この世界に来る前から俺は壊れてたんだろう、よッ!﹂
瞬速を使い、ミノタウロスの頭上に飛ぶ。剣を振り下ろすが、斧
に防がれる。
背後に飛び、防がれ、正面に飛び、防がれ、横に飛び、防がれ、
滑り込んで下段攻撃を繰り出すが、あっさりと止められてしまった。
﹃人間。何故貴様は、この状況で笑っていられる﹄
790
﹁すまん。無意識なんだ﹂
俺は口元を拭い、薄笑いを消した。
このまま剣で相手していても倒せなさそうだ気がする。
土の銃弾二百発でも撃ちこめばそれで終わりそうなんだが、それ
ではつまらないし。
⋮⋮よし、良いこと思い付いたぞ。
﹁ふッ!﹂
俺は剣で斬りかかり、それは斧で防がれた。斧に氷結を使用し、
ミノタウロスを丸腰にした。
俺は奴から五歩程の距離を取り、剣を収める。腰と背中に差して
いた鞘も、地面に置いた。
その場で軽く数回飛び、体術の構えを取る。体が軽い。これで、
今までよりも早く動ける。
﹃いいだろう。受けて立とう﹄
俺が何をしたいのか察したミノタウロスは、俺とは別の構えを取
った。
目を合わせ、互いに動きを読み合う。
足や肩の僅かな動きに注目し、相手の行動を予測。俺も奴も、そ
れをしているせいで、最初の一歩が踏み出せないでいた。
リラとニーナも既に目を覚ましていたが、戦闘に加わろうとはし
なかった。
空気は読める人たちだ、それでいい。
だが、このままこうしていても、埒が明かない。
俺から先に動くことにしよう。
791
﹃瞬速﹄
そう念じ、一瞬で間合いを詰める。
腹に突きをいれようとするが、ハエを叩くかのごとく弾かれた。
左から奴の手が伸びてくる。屈んで避け、手首を掴んだ。
そのまま相手の肘に膝蹴りを入れる。
腕は力なくぶらりと下がった。
人間相手なら、骨を折るのに膝なんか使わなくても、捻ったり、
手を使えば簡単に折れる。
それだけ脆いのが、人間の体だ。
だが、ミノタウロスは人間の体をしていても、まだ魔物。
体を破壊するにはそれなりの力がいる。
﹁おぉ!?﹂
突然体が浮き上がり、世界が逆さまになる。
足首を捕まれ、体を持ち上げられたのか。
﹁ごおッ⋮⋮!﹂
途端、腹を潰される感覚におわれ、口から胃液が吹き出る。
ミノタウロスは俺を掴んだまま回転すると、遠心力に任せて俺を
投げ捨てた。
俺は受け身をとり、腹に治癒を施す。
瞬速で近寄り、頭上に踵を落とす。腕でガードされるが、反動を
使って後転し、地面に足をつき、すぐに跳躍した。
脇腹と膝に蹴りを入れ、体を回転させ、顎に向かって踵を入れよ
うとするが、また足首を掴まれた。
792
だが、狙い通りである。
掴まれた瞬間に、空いている左足を使い、俺の足首を掴む腕をへ
し折った。
これで、奴の腕は二本だけになった。やっと、フェアだな。
﹃クックックッ⋮⋮ハァーッハッハッハッ!﹄
﹁何だよ、楽しそうじゃん﹂
﹃我がここまでやられたのは始めてだ! 楽しくて仕方が無い! だが、そろそろ終わりにしようじゃないか! 人間!﹄
﹁仰せのままに﹂
全身に魔力を流し、自分の体をフル稼働させる。
瞬速を使い、肩、脚、体、脇腹に蹴りを入れる。
﹁ぐッ⋮⋮!﹂
突然飛んできた拳を、躱せずに腕で受け止めてしまった。
これを狙って自分への攻撃を許していたというのか。
いいじゃないか。いいじゃないか。
﹃ハアッ!﹄
体を駆け巡った痛みに、思わず目を見開いた。
口から出たのは胃液ではなく、血液。
痛みに悶える暇すら与えられず、次は顔面に拳を喰らった。
刹那、俺の体は地面に打ち付けられ、世界が回転した。
何度か地面と衝突した後は、俺の背中を壁が受け止めた。
俺は壁に背を預けながら立ち上がり、ミノタウロスの方に目を向
793
ける。
どうやら俺は、数十メートルも飛ばされたらしい。
脇腹が痛む。口の中は鉄の味がするし、歯が何本か抜けた。
殴られた左頬は腫れ上がり、左目がぼやける。
血と歯を吐き出して、治癒を使い傷ついた骨を治す。
痛みはまだ残るが、治癒なんてしている場合ではない。
ミノタウロスは俺に向かって突進してきていた。
重低音が鳴り響き、空間全体が揺れている。
奴の突進は早い。だが、瞬速を使えば避けられないわけではない。
しかし、ここで左右に躱しても、反撃なんて出来ない。
なら、俺の取るべき行動は、正面からしかないだろう。
俺とミノタウロスとの距離があと数歩という時、全てがスローに
なった。
俺は一歩踏み込み、地面を蹴って、軽く跳躍する。
そのままミノタウロスの頭に手を乗せ、頭上で逆立ちをする。
ミノタウロスは俺の下を抜けて行き、俺は頭から手を離し、地面
に着地した。
ミノタウロスは壁と激突し、壁に大穴を作った。
奴は一瞬動きを止める。俺はその隙を見逃さない。
スローだった世界は元に戻る。
俺は瞬速でミノタウロスの肩に乗ると、顎を掴み、力に任せて自
分側に引っ張った。
ミノタウロスは頭を半回転させ、涎をまき散らす。
ゆっくりとミノタウロスは倒れていき、ズシリと音を立てた。
﹁はァ⋮⋮はァ⋮⋮﹂
794
目が痛む。体の節々が痛む。
頭が痛む。心臓が痛む。
﹁たのしか︱︱﹂
俺は、言葉を終えること無く、そのまま意識を落とした。
795
引き寄せられた糸・後編︵後書き︶
いつも戦闘描写には力を入れているんですが、加筆が必要な部分が
あれば仰ってください。
796
エキサイトメント・前編
﹁やぁ!﹂
意識を失ったはずの俺は、白い空間にいた。
漫画などでいう﹃精神世界﹄のようなものだ。
俺の目の前に立つのは、金色の髪に、向日葵色の瞳をした、好青
年。
こいつが、﹃シャルル﹄だ。
﹁牛人間との戦いは面白かったねッ!﹂
シャルルは目を輝かせながら、俺に詰め寄った。
たしかに、楽しかったのは事実だ。
見ているだけのこいつからしたら、余計に楽しいだろう。
いや、自分で動くから楽しいのか。
﹁まあ、気絶してるけどね、今﹂
﹁それは仕方が無いよ、お兄さん。あれだけ体に負荷を与えたんだ
から﹂
身体に魔力を巡らせ、全力で動かすというのは、かなりの負担に
なる。
集中している間は何も感じないが、気を抜いた後に一斉に襲いか
かる痛みが尋常ではない。
ほんの少し力を引き出す程度であれば、身体への負担は少ないし、
痛みを感じないが。
﹁特にあの六本の腕! まさか素手の方が強かったなんてね!? 797
いやぁ、本当に凄かった。お兄さんが素手で戦うと決めた時も、僕
は嬉しく思ったよ! こう、久しぶりの緊張感がたまらなかった⋮
⋮!﹂
﹁そ、そうだな﹂
﹁次は話に聞いたユニコーンやフェニックスも相手にしたいね!﹂
﹁戦うのは俺だけどな﹂
﹁僕とお兄さんは一心同体! 同じ話だよ!﹂
﹁まあ、何であれ、お前が満足してくれて良かったよ﹂
俺がそう言うと、シャルルは笑顔で﹁うん!﹂と答えた。
無邪気な笑みをするシャルルさんですが、考える事は意外にエグ
い。
ドラゴンはこういう倒し方もなんたら、サキュバスを拷問だのな
んだの。
俺はサドではないのだ。完全なノーマル、ニュートラルなのだ。
﹁それで、お兄さん﹂
突然話題が変わり、シャルルは嫌らしい笑みを浮かべてこう言っ
た。
﹁いつ、女の子に手を出すのかな? 本命は誰なのかな?﹂
﹁マセガキが。俺は紳士ですよ? 手を出すだなんてそんな﹂
﹁あれだけ密着されて、あれだけ可愛い娘がたくさんいて、毎晩一
緒に寝て、それでいて何も出来ないって⋮⋮もしかして、勃起不全
?﹂
﹁お前どこでそんな言葉覚えたの? 俺この世界に来てそんなの習
ってないよね?﹂
﹁お兄さんの知識が少しだけ流れ込んでくるんだよっ!﹂
﹁え!? そんなの初耳なんだけど!?﹂
798
﹁だって、初めて言ったし﹂
このマセガキ。何を考えてやがる。手を出すだの何だの。
俺は紳士ですぞ。性的な接触はしないのです。
﹁お兄さんには呆れるよ。口づけすらしてないんだもん。もしかし
て、男に興味があったり?﹂
﹁ねぇよ。いや、可愛ければ無いこともないんだが⋮⋮﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
聞いておいてドン引きとは、失礼な奴だな。
いや、事実として、男の娘ならいけない事もないんだ。
﹃それってホモじゃん?﹄と、そう思う人もいるが、それは断じて
違う。
男の娘とは男の娘という性別であり、男ではないのだ。
だから、男と男の娘をカップリングさせても、それはボーイズラ
ブにはならない。
秀吉用の更衣室があったりするだろう? つまりそういう事だ。
﹁クロエさん達がお呼びのようだから、また今度話そうね﹂
﹁おう﹂
俺が短く答えると、視界が真っ暗になった。
意識は現実へと戻されたようだ。
何か、温かくて、柔らかいものを後頭に感じる。
それに、頭を撫でられているらしい。
俺は瞼を開け、自分の置かれている状況を確認する。
﹁おはよう、シャルル﹂
799
俺を見下ろしながらそう言ったのは、クロエだ。
胸が見えるという事は、俺はクロエの膝の上に寝ているのか。
何気なく、クロエの胸に手を伸ばした。
着痩せするタイプなのだろうか。触ってみると、大きいことが分
かる。
﹁成長したな﹂
﹁えへへ、そうかな?﹂
﹁うん。もう少しすれば、大人の女性に仲間入りだ﹂
﹁シャルルは大人の女性が好き?﹂
﹁特に好みはないよ﹂
そう言いながら、体を起こす。
ふと視線を感じ、気配のする方に目を向けると、リラが呆れきっ
た目で俺を見ていた。
﹁リラ様のお胸もご立派になられています﹂
﹁そんな事は聞いてないっ!﹂
﹁すみません。⋮⋮それで、魔石はどうしたんだ?﹂
俺達はまだ、ミノタウロスを倒した場所にいた。
ミノタウロスの死体はまだ始末されていない。
﹁ニーナが持ってるぞ﹂
﹁これ⋮⋮﹂
ニーナが俺に見せたのは、手に収まるくらいの大きさをした赤い
球体だ。
七つ集めても神龍は呼び出せそうにないな。星がないし。
800
﹁無限燃焼だっけ? 燃えるのか?﹂
﹁発動させるのは⋮⋮依頼人⋮⋮﹂
﹁あー⋮⋮﹂
たしか、魔石の付与効果は初回発動時に送った魔力の主にしか反
応しないんだったっけ。
付けるのも消すのも、最初に魔力を送った人にした操作できない
って事だ。
それにしてもこの魔石、綺麗だな。真っ赤なのに、透き通ってい
る。
﹁んじゃ、俺はちょっと片付けて来ます﹂
そう言って、俺はミノタウロスの死体へ歩み寄った。
死体に触れ、俺の魔力を流していく。
﹃氷結﹄と念じ、ミノタウロスの体は砂と化した。
他に、切り落とした腕も氷結で片付け、俺は三人の元へと戻る。
﹁戻る時はどうすればいいんだろ。このまま戻るの?﹂
﹁多分。この場所にそれらしき魔法陣が見当たらなかったからな﹂
﹁そっか。とりあえず皆、俺に寄ってくれ﹂
俺が手招きをすると、三人は素直に俺に近寄ってきた。
まず、リラとニーナの頭に手を乗せ、﹃治癒﹄と念じる。
傷が治ったのを確認したら、次はクロエだ。
﹁よし、行こうか﹂
俺の掛け声により、全回復した俺達は、迷宮ボスの間を後にした。
801
︱︱︱︱︱︱
俺はその後、宿屋へと戻った。
クロエ達は別の宿を借りているらしく、宿の前で別れ、後で集ま
る事にしている。
外は既にオレンジ色。この時間帯になると、眠くなってくる。
﹁ふぁ∼。あぁ⋮⋮報酬はどうしようか﹂
アデーレに何かの意図があったのかは知らないが、俺とリラ達に
依頼をした。
もしかしたら、もっといたのかもしれない。
となると、報酬はどうなる。俺とリラは協力したわけだから、報
酬は半分に分けるのだろうか。
金がたくさん必要、というわけでもないのだが、仕事上受け取ら
ないと様にならない。
まあでも、今月の収入はそれなりにあったし、金貨五百枚ぐらい
別に譲っても問題ないか。
俺の家族は金を浪費するわけではないし、預金だってたくさんあ
るからな。
﹁暇だ⋮⋮﹂
やる事もないので、剣の手入れをする事にした。
手入れはこまめにやっている。いざという時に剣が折れても困る
からだ。
802
実は、家には日本刀も置いているのだ。この世界にそんな物はな
いので、オーダーメイド。
まだ使ったことはないが、今度試してみようと思う。
コンコン。
丁度手入れを終え、剣を鞘に収めた時、ドアがノックされた。
俺は剣を壁に立てかけ、扉を開けた。
予想通り、リラ達だ。三人共バッグを背負っている。
﹁どうしたんだ、その荷物﹂
﹁今日からこの宿に泊まる事にした﹂
﹁部屋は? 俺の部屋で最後だったはずなんだが﹂
﹁心配するな。隣の部屋を譲ってもらった﹂
流石は族長の娘。無理矢理というか、横暴というか。
まあでも、仲間は近くにいた方がいいから、これでいいのだ。
﹁荷物置いたら勝手に入ってきてくれ﹂
﹁分かった﹂
リラは返事をし、隣の部屋に入っていった。
呆れながらも、俺はベッドに腰掛ける。
十秒もしない内に俺の部屋の扉は開けられ、リラ達が入ってきた。
荷物を置くだけだから、そうだよな。
﹁この後、どうする?﹂
色々な意味を込めて、リラに尋ねた。
リラは腕を組み、椅子に腰を下ろす。
803
﹁そうだな。まず、今晩は三人で飯を食う。王国に帰ったらアデー
レに報告をして、報酬を受け取り、シャルルと私達で分ける。その
後はその時決めればいい﹂
﹁報酬はやっぱり、分けたほうがいいのか? そっちには三人もい
るんだろ?﹂
﹁シャルルは⋮⋮もっといる⋮⋮﹂
﹁えっ?﹂
﹁女の子が⋮⋮三人も⋮⋮シャルルを合わせて⋮⋮四人⋮⋮﹂
獣人族の嗅覚、恐るべし。そこまで嗅ぎ取られるとはな。
だが、それで気を使われても困る。
だからといって、﹃いやいやあなたが﹄みたいなやり取りをする
のは好ましくない。
それなら素直に山分けって事で修めればいいか。
﹁ニーナさんには敵いませんね﹂
﹁えっへん⋮⋮﹂
﹁じゃあ、そういう事で。飯食いに行こうか﹂
話を終えた俺達は、飲食店へ向かった。
途中、異様にクロエに視線が集まるなと思ったら、クロエの服に
二つの穴が空いている事に気づいた。
竜化した時に翼が貫通したせいだろう。
﹁クロエ、背中﹂
﹁あっ、本当だ⋮⋮﹂
俺の指摘に気づいたクロエは、ポーチから何かを取り出した。
クロエはそれを広げて見せる。どうやら、代えの服らしい。
804
竜化する事は珍しくないのかもしれないわけだし、持ってくるの
は当たり前か。
クロエは代えの服を重ねて着たらしい。
まあ、こんなところで着替えるわけにはいかないからな。
さて、これで気になる視線もなくなった。
その後は昔話に花を咲かせながら夕食を取り、宿へ戻ってそれぞ
れの部屋で寝た。
朝起きたら隣にニーナがいた事に関しては、あまり追求しないで
いただきたい。
︱︱︱︱︱︱
俺達は数週間かけて、王国へと戻った。
とりあえず三人は宿を取ると言っていたが、引き止める事にした。
俺の家には使っていない部屋がたくさんある。
客用として寝台も購入しているし、リラ達が宿を取る必要はない
と考えた。
それに、カレン達にも紹介してやった方がいいかもしれないし。
﹁いや、しかし︱︱﹂
﹁そういう事なら、お願いします﹂
リラの声を笑顔で遮ったクロエ。
凄い威圧感だ。これが、竜人の威圧か⋮⋮。
805
リラも反論出来ずに、口を閉じてしまった。
﹁よし、じゃあ行こうか﹂
客馬車に乗って、四人で俺の家へ向かう。
何故かは分からないが、俺まで緊張してきた。
クロエとリラの緊張がこちらにも移ってしまった。
ニーナはいつもの様に、ぼーっとしているのだが。
客馬車を乗り継ぎ、俺の家に到着する。
近所の鍛冶屋からは鉄を打つ音が聞こえる。
どうやって三人を紹介しよう。
いや、別に悪いことをしているわけではないから、普通に紹介す
ればいいんだよな。
だが、何だ。この罪悪感。何かを裏切ってしまった感じだ。
⋮⋮こんな所で止まっているわけにもいかない。
俺はノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開けた。
﹁︱︱お帰りなさいませ、ご主人様﹂
俺が扉を開けてから、ノエルが挨拶をするまでの間は僅か五秒。
ノエルさんは相変わらず足がお早い。
﹁︱︱そちらの方々は?﹂
﹁友達﹂
﹁︱︱お茶を用意致しましょうか?﹂
﹁頼んだ﹂
ノエルは一礼して、客間へ歩いて行った。
俺は三人を中に入れ、客間で待つように伝えた。
806
現時刻は三時。カレンはおそらく、二階でおやつでも作っている
のだろう。
俺は二階へ上がり、調理場を覗く。
やはり、カレンとサラが仲良く料理をしていた。
カレンもサラもエプロンを着けている。
後ろから抱きしめてモフモフしてクンカクンカしてスーハースー
ハーしたい⋮⋮。
﹁ただいま﹂
そう言った俺の声に、カレンはすぐに反応した。
俺の体に飛びつき、無邪気な笑顔を向けてくる。
﹁おかえり、なさい⋮⋮﹂
﹁元気にしてたか?﹂
﹁ん⋮⋮﹂
﹁そうかそうか﹂
カレンの頭を撫でながら、サラの方に目をやると、視線が重なっ
た。
﹁おかえり、お兄ちゃん﹂
﹁ただいま。何作ってるんだ?﹂
﹁ちーずけーき、ってお姉ちゃんは言ってた﹂
﹁それは楽しみだ﹂
チーズケーキの作り方まで知っているとは。
恐るべきカレンの女子力の高さ。
あ、そういえば、客を待たせているんだった。
807
﹁えっと、それで、実は、俺の友達が遊びに来てて﹂
﹁ん⋮⋮何人⋮⋮?﹂
﹁三人﹂
﹁わかった⋮⋮全員分、用意する、から⋮⋮シャルは⋮⋮下で、待
ってて⋮⋮﹂
﹁ありがとう﹂
俺が礼を言うと、カレンはこくりと頷いて、俺の体から離れてい
った。
二人が天火を確認しているのを尻目に、俺は階段を下る。
客間では、リラ達がノエルと会話をしていた。
﹁お前は一体、シャルルの何だ? 奴隷か?﹂
﹁︱︱ご主人様が望むのであれば、私は奴隷にもなりましょう。で
すが、今はただの使用人です﹂
﹁シャルルは⋮⋮偉い人⋮⋮?﹂
﹁︱︱ご主人様は立派な方です。私が奉仕するのはあの御方だけだ
と決めています﹂
﹁シャルルの事は大好きなの? 世界で一番?﹂
﹁︱︱はい﹂
お、おい、止めろよ恥ずかしい。
なんて思いながらも、聞き耳をたてる俺。
なんて気持ち悪いんだろう。
どうせリラ達には気付かれているので、すぐに顔を出すことにし
た。
﹁変なこととか聞くなよな﹂
﹁言われちゃいけない疚しい事でもあるのか?﹂
808
﹁いや、全然﹂
首巻きを取り、外套を脱ぎながら答える。
実際、隠さなくてはならない事なんてない。
俺は紳士的に過ごしてきたし。
胸を揉んでいる時点でそう疑われるのも仕方が無いわけだが、カ
レン達には悪い事なんてしていない。
一緒に寝たり、お風呂に入ったりはしたが、それだけだ。
﹁ノエル、カレン達の手伝い、お願いできるか?﹂
﹁︱︱かしこまりました﹂
本当は俺も手伝ったほうがいいのだが、リラ達を放置するわけに
もいかないし。
ノエルに任せれば、安心安全だ。
﹁えーっと、まぁ、さっきのが、ノエルだ。ちょっとした事情で使
用人になった﹂
﹁ちょっとした事情⋮⋮?﹂
三人が同時に声を上げた。正直、突っ込まないでほしいのだが。
魔王と接触した事はあまり言いたくはない。
﹁まあ、ちょっとした事情﹂
﹁それで、後の二人は?﹂
﹁リラは慌てんぼさんだな⋮⋮っと、噂をすれば﹂
カレン達三人が、階段を下りる音を耳にした。
すぐにカレン達は顔を出し、ケーキの乗った皿を差し出してくれ
る。
809
カレンはお盆をノエルに手渡すと、俺の膝の上に座った。
﹁あの、カレンさん?﹂
﹁なに⋮⋮?﹂
﹁いえ、何でもないです﹂
身長差はあるから前が見えないという事はないが、膝の上に人を
乗せるのは本当に慣れない。
下りてくださいと言える雰囲気でもないし。
本当は立って紹介したかったんだが、このままでする事にしよう。
みじん
﹁俺の膝の上に乗っているのがカレンだ。魅人の方がサラ﹂
﹁はじめ、まして⋮⋮シャルの⋮⋮お嫁さん、です⋮⋮﹂
その時、場の空気が凍りついたのは、言うまでもない。
810
エキサイトメント・前編︵後書き︶
三、四日ほど更新が止まるかもしれません。
こういう話を書いて欲しい、なんて意見がありましたらお気軽にど
うぞ。
それよりも、カレンの話し方、どうしようかなぁ⋮⋮。
このままでいいよね!!!
811
エキサイトメント・後編︵前書き︶
お待たせしました∼
812
エキサイトメント・後編
しばらくの静寂が、沈黙が、体に針を刺されるように痛い。
正直言って、何で誰もが固まっているのかなんて、俺には良く分
からない。
俺は完全な独身、そして、どどど童貞だ。
﹁シャルルさんは独身ですよ? もう、カレンさんったら、お茶目
ですね﹂
﹁シャル⋮⋮あんなこと、まで⋮⋮して⋮⋮﹂
﹁えっ、あんな事ってなんですか!? 俺は何もしてませんよ!?﹂
俺はそう問い詰めたが、カレンは頬を赤らめ俯いてしまった。
クロエの、リラの視線が刺さる。冷めた目で、じとりと睨まれた。
こ、これはこれで、興奮するものが⋮⋮って俺は何を考えている
んだ。
﹁クロエさん、リラさん、これは誤解です! シャルルさんは正真
正銘独身なんですよ!﹂
﹁必死になるところが怪しいな﹂
﹁ホントに違うんですよぉ⋮⋮﹂
﹁冗談だ。そもそも、シャルルはまだ結婚できる年齢じゃないだろ
?﹂
﹁あっ、そうでした⋮⋮﹂
人間の結婚できる年齢は十六歳。そして俺はまだ十五歳だ。
結婚するにはあと一年は必要になる。
いや、だからといって、誰かと結婚するつもりなんて無いのだが。
813
﹁まあ、シャルルの取り乱す姿を見れただけでも、良しとしよう﹂
﹁うん、そうだね。シャルルがそんな風に反応するところは初めて
見たかも﹂
リラとクロエが顔を見合わせ、俺が取り乱した事を喜んでいらっ
しゃる。
誤解を解けたのならそれでいいのだが、これはこれで何だか悔し
い。
まあでも、これで面倒な事は避けられた︱︱
﹁これで⋮⋮シャルルと⋮⋮結婚できる⋮⋮﹂
胸をなでおろした矢先、飛んだ発言をしたのは、ニーナだった。
安心なんかさせねえぞという世界の悪意を感じる。
もうやめてください⋮⋮。俺は今にも部屋の隅で体育座りしたい
気分です。
﹁む⋮⋮﹂
露骨にカレンが嫌そうな顔をした。俺が苦笑いを返すと、カレン
はニーナを睨みつけた。
威嚇しているつもりなのだろうが、威圧感の欠片もない睨み。可
愛らしいことこの上ない。
そんな目で睨まれたら、俺は喜ぶこと間違いなしだ。
カレンに睨まれたニーナは、カレンを睨み返した。虎や豹を連想
させる鋭い視線は、カレンの肩をびくりと震わせた。
戦う者と、そうでない者の差が、こんな場所で見られるなんてな。
﹁しゃ、しゃる、は⋮⋮私といた⋮⋮時間の方、が⋮⋮長い、です
814
⋮⋮﹂
震えた声で放たれた言葉だが、ニーナにはダメージを与えたよう
で、軽く目を泳がせている。
たしかに、俺とニーナが一緒にいたのは二年ぐらいだった。
対してカレンとは、五年近く一緒にいる。共に過ごした時間とい
うのは、大きなステータスになりうる。
まあ、﹃そういう事﹄なんだとしたら、勝利の旗は、カレンに上
げられるだろう。
だが、待て。俺はここで、フラグブレイクをしなくてはならない。
俺はフラグを見る能力なんざ持っていないが、俺には見える。恋
愛フラグが⋮⋮!
自信過剰、自意識過剰な考えだが、俺はどこぞの男性IS操縦者
さんではないのだ。
﹁まぁまぁ、二人共、落ち着いて。俺はお母さんっぽい人じゃない
と結婚できないから、ごめんよ﹂
満面の笑みをつくりながら俺はそう告げたのだが⋮⋮ドン引きさ
れた。
それはそうじゃ。ドン引きもされよう。﹃うわ、コイツマザコン
かよ﹄とか思われたに違いない。
それでも俺は構わない。争いを生むのは良くないのだ。
﹁⋮⋮更生、させる﹂
﹁︱︱え? なんだって?﹂
﹁更生、させる⋮⋮!﹂
カレンに、固い決意の篭った視線を向けられて多少怯む俺。
﹃え? なんだって?﹄の使えなさを痛感した。
815
クソ! あの少年はこれで何でもかんでもごまかしたっていうの
に!
﹁按ずるなカレン君。君が大人になったなら、私はその時に考えよ
う。約束する! それまでは誰とも結婚しないと!﹂
﹁⋮⋮ほんと⋮⋮?﹂
﹁俺は約束は破らない﹂
﹁⋮⋮⋮⋮うん⋮⋮そうだ、ね⋮⋮﹂
カレンを何とか納得させる事が出来た。これがお兄ちゃんパワー
だ。
長年一緒に過ごし、互いを分かり合えるからこその説得力という
ものかもしれない。
対するニーナは、まだ不満気な顔だ。口をとがらせ拗ねている様
にも見える。
﹁ニーナも一緒だ。大人になって、まだその気持ちが残っていたな
ら、俺は一生懸命考える﹂
﹁⋮⋮なら⋮⋮決定事項⋮⋮﹂
大人になっても、ニーナの気持ちは残り続けると、彼女はそう言
っているのだろう。
だが、はっきり言って、その可能性は低い。恋心が枯れるのなん
て、ほんの一瞬だ。
ロマンなんて求めても、期待なんてしても、簡単にへし折られ、
壊される。現実はそういうものだ。
そんな考えは口には出さず、俺は笑顔で二人の頭に手を乗せた。
乗せたというよりは、もう既に乗っていたというのが正しい。
人の頭に手を乗せるという行動が、体に染み付いてしまった。
816
ヴェラに会った時に思わずやりかねない。これからは意識しよう。
﹁よし。この話はこれで終わりだ。カレンの作った菓子でも戴こう
ぞ﹂
﹁⋮⋮どうぞ⋮⋮食べて、ください⋮⋮﹂
勧められるがまま、リラ、ニーナ、クロエの三人はおそるおそる、
ケーキにフォークを伸ばす。
ケーキの一片が口に運ばれ、三人は静止した。
これは二択。美味くて驚いているのか、口に合わなかったのか。
前者である事を願うばかりだが、そんな願いは意味をなさなかっ
た。
結局、女の子ってわけよ。
﹁美味いな﹂
﹁そうだね、食べたこともない味﹂
リラに続いて、クロエが感想を述べた。
この世界においてのチーズケーキは、ケーキというよりも、プリ
ン状のものだ。
味も食感も形状も、全てがカレンの作ったもの、つまりは前世の
物とは違っている。
前の世界の知識で残っているのは、発祥地が古代ギリシャだとい
う事ぐらいだ。
たしか、最も古いチーズケーキの記録が古代オリンピックにて選
手たちに振る舞われた物だったか。
﹁ニーナ、どうだ?﹂
﹁⋮⋮美味しい﹂
﹁そっか、そっか﹂
817
カレンが作った物を褒められるのが嬉しくて、俺の頬が勝手に緩
んでしまうのが分かる。
なんていうんだろう。娘を褒められて喜ぶお父さんの気分だ。
自分の未来は親バカまっしぐらである。
何気なく、ノエルに視線を向ける。サラは、ノエルの後ろに隠れ
て出てこようとしない。
過去の事故のせいなのか、彼女は外に出る度にビクビクして、人
の視線を異様に恐がる。
リラ達は俺の友達だから、警戒心は解いて欲しいのだが、無理に
言うのもいけない。
﹁カレン、ちょいと隣に移動してくれるか?﹂
察してくれたのか、カレンが黙って俺の膝から退き、俺の隣に座
り直した。
﹁サラや、ほれ﹂
俺は足を開き、その間を軽く叩いて、そこに座る様に伝える。
サラはおどけながらも、俺の言うとおりに座ってくれた。
しかしながら、視線は落としたままで、肩が小刻みに震えるのが
分かる。
﹁大丈夫だ、サラ。三人とも良い奴だから﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
サラも最初は俺達︱︱というより、俺に怯えていた。
だが、一緒にいる内に、サラも慣れてしまったようで、今では平
818
気でいる。
要するに、何事も慣れだという事だ。
まあ、この三人に慣れたところで、根本的な解決にはならないか
ら、そこも後々対処しなくてはならないのだが。
そもそも、何で俺は今まで克服法を実践してこなかったのだろう。
忙しかったといえば、嘘ではないが、言い訳ではある。本当に、
何故なのだろうか。
﹁サ、サラです⋮⋮よろしく、お願いします⋮⋮﹂
﹁ああ、こちらこそ﹂
﹁よろしくね、サラさん﹂
﹁⋮⋮よろしく﹂
サラの肩は震えているままだが、顔を上げる程度の余裕は出来た
ようだ。
﹁サラ、安心しろ。クロエ達が牙を剥いても、俺が倒してやるから
な﹂
﹁お兄ちゃん⋮⋮あ、ありがとう﹂
﹁おう﹂
リラが、俺を睨んでいる。今のは微笑ましい会話だったに違いな
い。
⋮⋮ああ、分かっています、分かっていますとも。
﹁勝負はまた今度な﹂
﹁なっ︱︱いつの間に読心術なんて覚えたんだっ!﹂
﹁フッフッフッ⋮⋮フゥーハハハ!﹂
﹁くっ⋮⋮!﹂
819
犬歯をむき出しに、悔しそうな顔をするリラ。
読心術なんて俺が使えるはずがないのだが、リラは勘違いをして
いる。
俺には何でも出来るとでも思っているのだろうか。
嬉しい半面、面倒くさいイメージだな、それは。
大体、リラは感情や思考が表情に出るタイプだという事を自覚し
ていないのが問題だ。
勝負ついでに教えてやるとしよう。
と、そんな感じで、俺達の挨拶や自己紹介は終わり、ノエルも含
む全員で、ケーキを堪能した。
え? 俺は場違いだって?
ふん! 知ったことか!
︱︱︱︱︱︱
日が落ちた頃、カレンとサラは晩飯の準備を始めた。
その間に三人組は、好きな空き部屋で荷物を整理している。
俺は客間に残って、俺がいない間に溜まった依頼やその他の書類
を流し読みする。
﹁︱︱ご主人様﹂
﹁なんだ?﹂
﹁︱︱アデーレ様からです﹂
ノエルに手渡された手紙を開封し、目を通した。
820
依頼が完了した際の報告を何処でするか。その場所が書かれてい
る。
時間は夕刻以降ならいつでも良いらしい。
なら、今から行っても問題はないという事か。
﹁ちょいと出かけてくる﹂
﹁︱︱お休みになられないのですか?﹂
﹁いや、明日休むから良い。それよりも、リラを呼んできてくれる
か?﹂
﹁︱︱かしこまりました﹂
ノエルが上の階へ上がってしばらく、リラを引き連れて戻ってき
た。
リラは不満げも疑いもなく、﹁なんだ?﹂と首を傾げている。
﹁整理中悪いんだが、少し付き合ってくれるか?﹂
﹁何処へ行くんだ?﹂
﹁アデーレの所だ﹂
アデーレの名を聞いた途端、リラの顔が強張る。
流石に、警戒せざるをえない。何を企んでいるのかも分からない
のだから。
﹁少し、準備をさせてくれ﹂
﹁分かった﹂
リラは緊張した面持ちのまま上に戻っていった。
準備というのは、武装の事だろう。向こうが襲ってこないなんて
保証はないわけだから、武装するのは当たり前だ。
俺は外着と武装がイコールしているので、準備も何もない。
821
依頼品の魔石と、武器と、警戒心さえ忘れなければ、何かがあっ
てもすぐに対処出来るはずだ。
家には冒険者が二人と、超怪力使用人が一人。家を守るには十分
過ぎる程だろう。
なんて事を考えている内に、リラが戻ってきた。
背中には短剣、服装は軽装の、体術スタイルだ。
リラの力を一番引き出せるのはこの装備で間違いない。
まあ、リラを連れて行く理由は、戦わせる為ではなく、その﹃嗅
覚﹄なわけだが、これは言わないでおこう。
﹁よし、行こう﹂
ノエルに留守番を頼み、家を出る。向かう先は、アデーレが指定
した、とある宿屋だ。
歩いて数十分、手紙に書かれた通りの場所に着く。木造の三級宿
屋といった感じだ。
宿主に手紙を見せ、アデーレの部屋を聞き出す。
﹁二階突き当りの部屋だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
礼を告げて、言われたとおりの部屋まで足を運び、扉の前で立ち
止まる。
﹁リラ、中に人は﹂
﹁一人だけだ。アデーレの匂いで間違いない﹂
﹁窓際、天井、隣の部屋は﹂
﹁窓際無し、天井無し、隣の部屋には男女一人ずつ。寝ている様子
だ﹂
822
近くに誰かが潜んでいることはないようだが、まだ油断は出来な
い。
警戒しつつも、扉を三回ノックし、﹁朝焼け、満潮、沈み、巡り﹂
と小声で唱える。
これは、パスワードみたいなものだ。この扉は魔術でコーティン
グされ、指定された言葉でないと開かないようになっている。
手紙に書かれている言葉で、手紙を持つ者︱︱依頼を受けた者に
しかパスワードは分からない。
合言葉を誰かに教えればそこまで、というわけでもなく、結局、
アデーレは内側から外を見ることが出来るので、俺達にしか扉は開
かないという事だ。
これは昔、アルフに教えてもらった魔術だ。俺の家にもその手の
魔術を使用している為、不法侵入対策はバッチリである。
﹁お久しぶりです、名無しさん﹂
﹁お久しぶりですね、アデーレさん﹂
﹁おや、リラさんもご一緒でしたか﹂
﹁皆で協力したので、報酬は山分けする事になりまして﹂
﹁そうですか。とりあえず、座ってください﹂
促されるが、俺は座らずに、リラだけを座らせた。
俺は立ったまま、話を進める事にする。
急襲には一瞬でも早く対応できた方がいい。
﹁んで⋮⋮こちらが、取ってきた魔石です﹂
ポケット
俺が隠しから無限燃焼の魔石を取り出し、手のひらに乗せると、
アデーレが目を輝かせた。
823
﹁本物かどうか見せましょう﹂
俺は手のひらの魔石に、剣の柄を叩きつけた。音が響く程に、力
強く。
だが、魔石が割れる事も、ヒビが入る事も無かった。
本物と偽物を見分ける為には、こういった手段を使う。
偽物であれば、地面に叩きつけただけでも割れる。
だが、本物は割れない。凝縮された力が石の強度を増加させるの
だ。
﹁これで依頼は完了です﹂
﹁はい、ありがとうございます!﹂
﹁それで、質問なんですが、いいですか?﹂
﹁もちろんです﹂
﹁複数の人間、または党に同じ依頼を頼んだのは何故ですか? 禁
じられているわけではありませんが、それは非常識ってもんです。
それはあなたも知っている事ですよね?﹂
﹁⋮⋮は、はい﹂
アデーレの表情からは喜びの色が消え、焦りが見え始めた。
後は、あの言葉が出てくるまで、尋問すればいい。
アデーレに拒否権は無い。口にはしていないが、拒否をすれば、
魔石が手に入らなくなる事ぐらいは、アデーレにも分かっている。
﹁では、何故﹂
﹁どうしても欲しかったんです。その魔石が﹂
﹁なら、もっと別の組織に依頼すれば良かった話ですよね。俺の組
織よりも大きく、有名な組織なんてたくさんあります。そもそも、
党に依頼する事自体めずらしい事です﹂
﹁名無しさんの組織は依頼を失敗した事が一度も無い事で有名です。
824
党への依頼に関しましては同様、リラさん達の活躍の噂を︱︱﹂
﹁﹃活躍の噂﹄程度で、どうしても欲しかった魔石を依頼したんで
すか? 俺の組織に依頼した理由とは違ってるじゃないですか。俺
の組織に依頼したのは、﹃一度も失敗した事がない﹄という実績を
信頼して。なのに、リラ達に依頼した理由が﹃活躍した噂﹄だなん
て、曖昧な﹂
﹁い、いえ、それは、少しでも手に入れる可能性を上げようと⋮⋮﹂
﹁だから、それならリラ達の党ではなく、もっと実績のある組織に
頼めば良かったじゃないですか。その報酬額なら、大手組織も快く
請け負ってくれるでしょうに﹂
ここに来て、﹃断られると思ったから﹄なんて発言は、自殺行為
だ。
大きな組織でも、小さな組織でも、断られる確率に大差はない。
断られる時は断られるし、請け負ってくれる時は請け負ってくれ
る。
そもそも、その話なら、俺の小さな組織の方が断られる確率が高
くなる。
大きな組織なら、組織員も多く、空いている手もあるだろうが、
小さな組織なら、人員不足で断られる可能性だって出てくるのだ。
﹁うぅ⋮⋮﹂
徐々に、アデーレの目尻に涙が滲んでいく。唇を震わせ、今にも
折れそうな顔だ。
背筋を悪魔に撫でられたような、冷たい感覚と同時に、体の奥が
熱くなる。
涙目の女性⋮⋮た、たまらない。
い、いやいや、待て待て、俺はサドではない。うん、決して、い
たってノーマルだ。
825
﹁さぁ、もう本当の事を言って、スッキリしちゃってくださいよ﹂
俺がそう言った、その時、何かがポキリと折れる音がした様な気
がした。
﹁わ、分かりました⋮⋮っ﹂
そう言ったアデーレは、鼻声だった。
アデーレは鼻にかかった声のまま、ぽつぽつと話し始める。
﹁頼まれたんです⋮⋮リラさん達の党と、名無しさんの組織に同時
に依頼をしろと⋮⋮。だから、依頼したのは貴方達だけという事に
なります⋮⋮﹂
﹁そうですか。んで、誰に頼まれたんですか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹃教会﹄という組織です﹂
キターーーッ! そうだ、そうだ、俺の引き出したかった言葉は
それだ。
﹃教会﹄⋮⋮ずっと昔から、引っかかっていたワードだ。
後は、教会に関しての情報を引き出すだけ。
﹁リラ、窓を閉めてくれ。アデーレさん、扉の鍵魔術をもう数段階
上げる事が出来ますか?﹂
﹁か、可能です﹂
﹁その前に確認したいんですが、﹃教会﹄の人間に触られたりしま
したか?﹂
﹁いえ。接触どころか、顔も見せてくれませんでした﹂
﹁分かりました。では、お願いします﹂
826
リラもアデーレも、俺の言葉通りに動いてくれた。
俺は部屋全体に魔力を巡らせ、強度を可能な限り上げる。
アデーレが扉にかけた鍵魔術の上に、俺の鍵魔術もかけ、二重で
ロックした。
これが教会の連中に破られないとは限らないが、気休め程度には
なるだろう。
﹁教会について教えてください。何を言われたんですか?﹂
﹁は、はい⋮⋮。私が依頼する先で悩んでいた時、突然外套を着た
二人組に、名無しさんと、リラさんの党に依頼をする様に言われま
した。そうすれば、依頼は必ず完遂されるだろうと⋮⋮﹂
﹁二人組は男でしたか?﹂
﹁声から判断するなら、男性でした﹂
﹁その後連絡は?﹂
﹁ありません。ただ、別れ際に聞こえた二人組は﹃絶望を味わう﹄
﹃決行まで数年﹄等と言っていたような気がします﹂
﹃絶望を味わう﹄か。⋮⋮奴らは、予測していたんだ。俺の目の前
でリラ達が死ぬ事を。
リラ、ニーナ、クロエの三人が魔物に殺されるのを俺が目にする
と、そう予測した。
実際、三人は何度か死にかけていたし、俺が一歩間に合わなけれ
ば、死んでいたかもしれない。
つまり、奴らの予測には、ほんの少しの誤差しか無かったという
事だ。
﹃決行まで数年﹄に関しては、さっぱり分からん。
何の決行なのか、何が数年なのか⋮⋮まだ、情報が足りていない。
﹃教会﹄について、もっと情報を集める必要があるだろう。
827
﹁なあ、あいつが教会の奴だという可能性は無いのか?﹂
リラが耳打ちで尋ねてきた。
﹁無いとは言い切れないけど、その可能性は低いと思う。教会の人
だというなら、こんな情報を流したりはしないだろうし﹂
﹁もしもこれが全部嘘で、私達を欺く為だったらどうするんだ?﹂
﹁大丈夫だ、問題ない﹂
念の為の策は既に講じてある。抜かりはない⋮⋮と思う。
いや、大丈夫だ。一石二鳥の策を、手段を取ったのだから、心配
はいらない。
﹁教会について、他に知っていることはありますか?﹂
﹁すみません⋮⋮﹂
﹁いえいえ、ありがとうございました。それで、報酬金の方はどち
らに?﹂
﹁机の上の箱に詰めました。確認してください﹂
たしかに、机の上には長方形の箱が置かれていた。
アデーレから受け取った鍵を使って、解錠し、中に金貨がある事
を確認すると、すぐに閉じた。
枚数の確認は必要ない。どうせ全額入っているだろうし。
﹁どうぞ、無限燃焼の魔石です﹂
﹁ありがとうございました⋮⋮! これで思う存分料理ができます
!﹂
﹁どういたしまして﹂
俺は手を伸ばし、握手を求める。
828
アデーレは何の警戒もせずに、俺の手を握った。
鍵魔術のせいで、アデーレの魔力は半分ぐらいになっている︱︱
というのが、何となく分かる。
魔力の使い方に慣れてくると、色々な使い方が見えてくるから、
面白いのだ。
﹁それでは、俺達はこれで。おやすみなさい﹂
﹁ありがとうございました。おやすみなさい!﹂
こうして、無限燃焼魔石獲得依頼を完遂する事が出来た。
教会。
必ず︱︱潰してやる。
829
エキサイトメント・後編︵後書き︶
ラブコメ展開を考えるのは苦手だと、今更気付かされました。
よ∼し、七夕だし、君の知らない物語でも聞くか∼。
830
吸血鬼は笑う・前編
依頼完了から数日。リラ、ニーナ、クロエの三人も落ち着き、カ
レン達とも馴染めていた。
コミュニケーション能力の高さに驚くばかりだ。
昼下がり、溜まった依頼を完遂させようと、優先順位付けをして
いる最中、ワイングラスを指で弾くような音が脳に響いた。
何事かと思い、辺りを見回すが、掃除中のノエルも、雑談を交わ
すリラ達も、音に気づいていない様子だ。
こなた
﹃此方じゃ﹄
と、懐かしい声が脳に直接届いた。
﹁お前、直接脳内に⋮⋮!﹂
﹃もっと他に言うことがないのか? 数年ぶりに此方の声を聞いた
というのに﹄
﹁すみません。で、どちら様ですか?﹂
﹃お主、本気で言っているのなら、家もろとも破壊するぞ﹄
﹁嘘ですごめんなさい許してくださいヴィオラ様!﹂
﹃うむ、此方は寛大だからな。許そう﹄
寛大なら﹃家もろとも破壊する﹄なんて事言わないだろ。
という突っ込みは飲み込んで、庭へと逃げ込んだ。独り言だと思
われても嫌だしな。
﹁んで、何のようだ?﹂
﹃お主、家族がおるじゃろ?﹄
﹁何で知ってる︱︱は愚問か。まぁ、いるけど。それがどうかした
831
のか?﹂
﹃家族の身を按じるなら、一つの場所にとどまるのは危険じゃ﹄
﹁⋮⋮それは、教会に関係している事か?﹂
﹃⋮⋮どこまで知っておる﹄
途端に、ヴィオラの声が重たくなった。
挑発的な笑みが消えるのが、容易に想像できる。
﹁実を言うと、何も知らない。ただ、教会が俺に何かをしようって
のは分かる。それも、直接的じゃなく、間接的に﹂
﹃そうか。まだ、触り程度なのじゃな﹄
﹁って事は、ヴィオラは色々知ってるんだな﹂
﹃知っておるが、教えられぬ﹄
﹁はぁ⋮⋮ったく、どいつもこいつも隠し事してよぉ。流石のシャ
ルルさんも心労溜まるっての﹂
﹃なら、少し此方が負担してやろう。待っておれ﹄
そう言い残して、ピアスにしている通話魔石から魔力が途切れ、
ヴィオラとの通話が終了した。
待っておれ、って⋮⋮来るってこと、だよな?
久しぶりに会うと思うと、なんだか緊張してきた。
ため息をつきながら、家の中に入り、作業に戻る。
最近依頼の量が増えて、忙しい。討伐や殺害依頼なら簡単なのだ
が、ペット探しや人探しは疲れる。
その疲れを代わりに請け負うのが俺らの仕事なのだが、なんせ俺
の組織で働けるのは、俺だけだ。
リラ達を勧誘するという手段もあるが、彼女らにも目的ってのが
あるらしいし。
832
そういえば、ヴィオラは﹃一つの場所に留まるのは危険だ﹄と言
っていたな。
それはつまり、この家を去れって事だろうか。カレンとサラを連
れて、どこかへ逃げろと。
う∼ん⋮⋮まぁ、カレンにもサラにも﹃能力﹄があるから、襲撃
に対しては問題ない。
だが、野宿や長旅を嫌がらないかが心配だ。馬車の居心地が良い
物とは言い難いし。
﹁︱︱ご主人様﹂
﹁ん? 何だ?﹂
﹁︱︱お疲れの様子です。少し休憩なされては﹂
﹁いや、問題ない﹂
うん、仕事のし過ぎで疲れるのには慣れているからな。
って、あの頃の事を思い出すと、ヘコんできた。
あの会社、まだ働いてる奴いるのかな。過労死問題で潰れてたり
して。
﹁︱︱甘いものでもお持ちいたしましょうか?﹂
﹁⋮⋮お願いするよ﹂
ノエルは礼儀正しく一礼して、二階へと上がっていった。
折角気遣ってくれたのだ。無下にするわけにもいかない。
﹁︱︱どうぞ﹂
﹁早ッ!﹂
書類を置いて、肩を鳴らしている間にノエルが戻ってきていた。
仕事の早さは随一。使用人コンテストなるものがあれば、ノエル
833
は一位を取れる事間違いなしだ。
ノエルが持ってきてくれたのは、カレンの作った大学芋。
ありきたりな表現になるが、外はカリッと、中はふわりとしてい
る。
やっぱり、カレンの作るお菓子は美味い。どの店に出ている物よ
りも美味しく感じる。
﹁シャルル、そろそろ私と勝負してくれ﹂
大学芋を頬張る俺の横にぬるりと現れたリラが、期待に満ちた表
情をしながら言った。
焦らしに焦らしてきた事だし、そろそろ相手をしてやらないと、
拗ねられるかもしれない。
﹁今日の夕方でいいか?﹂
﹁ああ、もちろんだ。それにしても、やっと相手をしてくれる気に
なったか﹂
﹁うん、まぁ、焦らしプレイといってだな﹂
﹁ぷれい? なんだ、それは﹂
﹁何でもない。そんな事より、準備運動を済ませた方がいいんじゃ
ないか?﹂
﹁そうだな、分かった﹂
この世界には英語が存在しないので、リラの疑問は尤もである。
だが、俺の世界の言葉を教えて、何か悪影響を与えるかもしれな
い。
口が滑ってしまった俺に非があるが、何とかごまかせた。
834
そんなわけで夕方。書類をまとめた俺は、リラを引き連れ庭へ向
かった。
四肢を伸ばして軽い準備運動を済ませ、リラと対面した。
﹁分かっているとは思うが、﹃瞬速﹄を除いた魔術の使用は禁止だ。
それ以外は自由でいこう﹂
﹁あいよー﹂
体術のみを使った戦い。魔術さえ使わなければ、腕を折るも、脚
を折るも自由って事だ。
リラが右足を後ろに下げ、構えを取る。対する俺が棒立ちになっ
ているせいで、リラが怪訝そうな顔をする。
﹁⋮⋮どうした、構えないのか?﹂
﹁必要ない﹂
﹁そうか。後悔するなよ﹂
それを一切りに、会話が途切れる。観戦者はニーナ、クロエ、ノ
エルの三人。
カレンとサラは夕飯作りでもしているのだろう。
今日の夕食はなんだろうか、と気抜けた疑問に思考を巡らせてい
た時、リラが一瞬にして視界から消える。
すぐさま地面の影に目を向ける。リラは上空から先手を取ろうと
しているようだ。
ゆらりと躱し、リラが地面に拳を付けた瞬間、リラがその場から
消える。
気がつけば背後。リラの槍のような肘が空気を貫いた。俺はまが
い物のまがい物の﹃瞬速﹄でそれを躱し、リラの側面に周りこむ。
右腕を振りぬくが、リラは影のように消え、俺の懐に飛び込んで
835
きた。リラの右ストレートを、左手を犠牲にし受け止め、右手で手
首を掴んで引き寄せる。
そのまま右腕を折り肘打ちを狙うが、リラは弓のように体を反ら
し、俺の肘を押さえて膝を叩きつけようとしてきた。
俺はすぐさまリラの手首を手放し、一歩後退して膝蹴りを躱す。
しゃがみ込んで、体を支える一本の脚を掬おうと、足払いをするが、
完全にタイミングの読まれた後転で躱された。
リラの動きは昔に比べてかなり早くなっている。なのに、目で追
えているし、反応できているのは、俺が人間の域を出てしまったと
いう事なのだろうか。
いやいや、それは考えすぎか。エヴラールでも、このぐらいなら
躱せるはずだろう。
﹁よそ見をする、なッ!﹂
リラの一声で、思考が遮られる。迫ってきた拳を瞬速で回避する
も、本物の瞬速によって、すぐに背後を取られる。
それで決めるつもりだったのだろう。強力な一撃は空気を切り裂
き、地面を砕いた。
﹁お、俺の庭ァ!﹂
﹁按ずるべきはそこじゃないだろう﹂
これでは埒が明かないだけでなく、俺の庭が崩壊しかねない。
こうなれば︱︱奥の手を使うしか無いだろう。
﹁ククク⋮⋮俺の本気を見せてやる﹂
﹁今まで手抜きだったとでも?﹂
﹁ククク⋮⋮すぐに思い知るさ﹂
836
瞬速を連続使用、背後に側面に目の前に、右へ左へ現れては消え
る。リラは集中しすぎて、隙がほとんどない。
だが、そこが仇となる。目の前に移動し、手を叩く。敏感になっ
たリラは当然目の前に意識を向け、攻撃かと勘違いした。そこで背
後に移動し、後ろから︱︱胸を揉んだ。
﹁えっ?﹂
何が起きたのか分からないといったご様子のリラさん。そこに追
加攻撃をすべく、胸を更に数度揉む。これはおそらく⋮⋮Cカップ。
成長途中なので、まだ大きくなる可能性もあるだろう。
ふと、犬耳が視界に入る。俺は百人一首のプロごとき素早さで耳
に手を伸ばした。︱︱柔らかい。そして、滑らかだ。
毛の向きにそって撫でても、逆に撫でても、あまり抵抗感を感じ
ない。右手は胸に、左手は耳に。傍から見た俺は犯罪者だ。
﹁や、めろっ⋮⋮!﹂
﹁降参したら止めるよ﹂
﹁くっ、だれ、が⋮⋮こうさんっ、ふわぁっあぁ⋮⋮!﹂
﹁ククク。何だ、感じているのか?﹂
﹁ちがっ︱︱! んぅっ⋮⋮﹂
﹁体は正直だな⋮⋮もうこんなに⋮⋮﹂
﹁あぁ⋮⋮!﹂
人生で一度は言ってみたいセリフ、言わせたいセリフ。今、ここ
で二つ、実践できました。後で﹃異世界でやりたい事リスト﹄に完
了したというチェックを入れておこう。
﹁ほら、言ってごらん。こうさんです、って﹂
837
﹁こ、こうさんっ、する⋮⋮﹂
﹁よろしい﹂
リラの体から手を離すと、その場にへたり込んでしまった。冷た
い視線を感じ、観客たちにおそるおそる目を向ける。
ニーナとクロエと目があった。が、クロエはすぐにそっぽを向い
た。見なかったことにしよう。そんな心の声が聞こえた様な気がす
る。
ニーナは何とも思わなかったのか、俺と目があったまま、何も行
動を起こさない。しばらくして、猫らしく小首を傾げられた。
﹁⋮⋮な、何ですか﹂
﹁私には⋮⋮?﹂
﹁意味わかんねぇよ!﹂
﹁私の耳も⋮⋮気持ちいい⋮⋮。多分⋮⋮﹂
﹁多分って、そこは自信を持とうよ﹂
相変わらずマイペースなニーナ。油断すると、相手に持って行か
れそうな気さえしてくる。
頭を掻きながらリラに手を差し伸ばすと、普通に手をとってくれ
た︱︱なんて事はなく。
﹁いででででででで!﹂
﹁仕返しだっ! シャルルの馬鹿っ! このまま潰してやるッ!﹂
﹁あぁあっ、ごめんなさい! 痛い、痛い! 快感と痛みって不釣
りあ︱︱﹂
﹁何が快感だ! そんなの知らないっ! 知らない!﹂
﹁あっ﹂
リラが言葉の最後に更に力を込めた瞬間︱︱ボキリ。そんな音が
838
した。
︱︱︱︱︱︱
﹁当たり、まえ⋮⋮﹂
寝る前、一連の出来事をカレンに話したら、当たり前だと言われ
た。
うん、まぁ、そうだろうな。あれは犯罪的行為だった。俺の奥の
手は、封印する事にしよう。今度は全身骨折するかもしれない。
﹁でも⋮⋮珍しい、ね⋮⋮﹂
﹁ん、何が?﹂
﹁シャルが、手を出すの⋮⋮﹂
実を言うと、そうでもない。クロエの胸も触ったことがあるし、
アメリーやマイヤ、ヴェラの胸も揉んだ事がある。
俺ってやっぱり、モラルに欠けてるんだな。改めてそう実感した。
﹁あぁ、リラ、すんげぇ怒ってたなぁ﹂
﹁うん⋮⋮目も、合わせなかった⋮⋮﹂
﹁明日ちゃんと謝らないとなぁ﹂
謝って許してもらえる事ではないのだが⋮⋮少ない希望に賭けて
みよう。
つか、こんな事するぐらいだったら、最初からやらなければ良か
839
った。
⋮⋮にしても、変な感じだった。胸を触って、耳を触って、喘ぎ
声を聞いた時、心の奥から何かが湧き出る様な感じがした。
﹃ずっとこうしていたい﹄﹃ずっと聞いていたい﹄とさえ思ったし、
あわよくばあのまま襲ってやろうなんて考えが一瞬過った。
それは絶対にダメだ。俺が誰かとそういう関係を持つなんてのは、
絶対にあっちゃいけない。
というのが、俺の持っていた決意だったはず。
なのに、あの感情が、欲望が湧きでたのは、何故だったのだろう。
自分の本性の現れだと思うと、自分を殺したくなる。
よくわからないが、最近苛々も良く溜まるようになっているし、
明らかに体が変だ。
﹁シャル、どうしたの⋮⋮?﹂
﹁何でもない。ほれ、もう寝るぞ﹂
﹁うん⋮⋮﹂
その日は考える事を止め、頭を真っ白にして眠りについた。
翌朝、走り込みをしようと玄関へ向かった時、扉がノックされた。
覗き穴を確認すると、そこには誰も立っていない。
剣に手をかけ、扉を開けると、上から何かが降ってきた。
﹁︱︱なんだ、ヴィオラか﹂
俺の目の前に降り立ち、挑発的な笑みを浮かべていたのは、数年
前に俺を拉致してくれよった吸血鬼だ。
840
糸のような金色の髪と、血を連想させる真っ赤な鋭い瞳。
真っ白な肌は手触りが良さそうで、千年以上も生きた者とは思え
ない若々しさだ。
見た目年齢は十代後半だというのに、服装は黒のゴスロリ。
千年以上のオバサンが着るものではないが、金髪との相性が良い。
﹁うっすい反応じゃの。もっと無いのか?﹂
﹁すみませんね、つまらない男なもんで﹂
﹁自覚があったのか﹂
﹁うん、まぁな。って、こんな話はさておき、とりあえず入ってど
うぞ﹂
﹁邪魔する﹂
ヴィオラを中へ入れ、客間へと通す。ヴィオラはノエルを見つけ
るやいなや、体中ベタベタと触り始めた。
﹁流石はジノヴィオスじゃの﹂
﹁ん、魔王と知り合いだったのか?﹂
﹁それなりの長い付き合いじゃよ﹂
﹁ふぅん。世界ってのは、意外と狭いもんだな﹂
﹁誰もがお主に集まるだけじゃ﹂
﹁ん? 何で?﹂
﹁何でもない。それよりも、この人形を愛用しているようじゃの?﹂
﹁ちゃんとノエルって名前がある。人形って呼ぶなよな﹂
﹁これは失敬、主様﹂
皮肉をこめた言葉に若干の苛立ちを覚えつつも、腰を下ろすよう
に促した。
ヴィオラの手から解放されたノエルは、早速茶をいれはじめる。
相変わらずの無表情で。
841
﹁ほいで、俺の心労を負担するって話だったか?﹂
﹁そうじゃったの﹂
﹁つまりどういう事だってばよ?﹂
﹁こうするんじゃよ﹂
ヴィオラは俺の座る長椅子に、俺の上に乗るようにして膝立ちに
なった。
見下ろされる形になったので、自然と顎が上がる。
﹁いい男になったの﹂
﹁そりゃどうも。ヴィオラさんも相変わらずの美人さんで﹂
﹁なんじゃ、口説いておるのか?﹂
﹁口説き落とされる程軽い人じゃないだろ﹂
﹁分かっておるではないか﹂
軽口を叩きながら、ヴィオラが静かに顔を動かした直後、俺の首
筋にチクリとした痛みが走る。
何かが流れ出るような、抜けていくような感覚。それが何故だか
気持ちよかった。
﹁シャル⋮⋮?﹂
呼び掛けられたので、声のした方に視線を動かすと、カレンとサ
ラ、そして三人衆は俺が吸血される光景を見ていた。
しゃべるな
﹁か、れん︱︱﹂
﹁ひゃへうあ﹂
﹁⋮⋮﹂
842
体が、頭が、快感を与える人物をしっかりと認識しているのか、
素直に言う事を聞いてしまう。
気持ちよさが増すに連れ、意識が遠のいていく。
瞼が閉じかけた瞬間、首筋から針を抜かれた様な感覚で一気に目
が覚める。
俺を見下ろすヴィオラの口端からは、透明な糸が引かれていた。
艶めかしく煌めいて、いやらしく見える。
﹁美味かったぞ﹂
﹁お、おう⋮⋮﹂
﹁なんじゃ、だらしないのう﹂
﹁んな事言われても⋮⋮﹂
ヴィオラは俺の上からおりると、対面した長椅子に腰を掛けた。
カレン達のいた方に目を向けると、そこには誰一人残っていなか
った。
﹁あぁ、なんか、楽になった気がする﹂
﹁それはよかった﹂
背負っていた岩を取り払われた気分。今ならどんな仕事もこなせ
そうな気がする。
これで、溜まった書類もすぐに消え行くだろう。
﹁飯食ってくか?﹂
﹁良いのか?﹂
﹁うちの家族が了承すれば⋮⋮﹂
﹁相変わらず正直じゃのう。じゃが、朝食はもう既にとった﹂
﹁そうか。俺はこれから食ってくるけど、ヴィオラはどうする?﹂
﹁ここで寝る﹂
843
﹁分かった﹂
朝には弱い吸血鬼のヴィオラ。だというのに、わざわざ来てくれ
たのだ。好きな様にさせよう。
まあ、元より、俺にヴィオラをどうこう出来るだけの力はないの
だが。
欠伸をしながら長椅子に寝転がったヴィオラを尻目に、二階へと
上がる。
俺の姿を見つけたカレンが、すぐさま駆け寄ってきた。心なしか
寂しそうな顔だ。
﹁おはよ⋮⋮って、どうしたカレン﹂
﹁金髪の人、誰⋮⋮? 恋人⋮⋮?﹂
﹁えっ、なんでそうなる﹂
﹁みたい、だった⋮⋮から⋮⋮。抱き合って⋮⋮なにか、してた⋮
⋮﹂
﹁あー、んー、まぁ、説明は飯を食いながらにでも﹂
苦い表情をするカレンを引いて、席に座らせる。
リラは昨日から調子を変えず、ニーナはゆとりのある雰囲気で、
クロエは凄いものを見た中学生の様に気恥ずかしそうに頬を掻いて
いた。
サラはカレンを心配しているが、ノエルは変わらず無表情だった。
とりあえず、朝飯を食べながら、ヴィオラが吸血鬼である事を説
明し、俺の血を吸いに来た事を教えた。
心労云々に関しては、伏せてある。カレン達に気遣わせても、こ
ちらの気が引ける。
カレンが事情を理解し、ほっとした様な表情をした事で、誤解は
解けて一件落着。そうなるはずだったのだが⋮⋮
844
﹁シャルル様、お久しぶりです﹂
ヴィオラのメイド、マイヤ︱︱お母さんっぽい人の登場によって、
カレンの目尻には涙がにじみ出るのであった。
845
吸血鬼は笑う・前編︵後書き︶
正直言って、地盤固めに時間かけすぎって感じしますわ。
力を手に入れる過程をすっ飛ばせるチート設定の便利さを思い知っ
た。
んで、ここが悩みどころですね。
座するか、可愛い子に旅をさせるかの二択。
どっちも書きたい自分は、頭を抱えるばかりでございます。
話は変わり、﹃シャルルさんの異世界でやりたい事リスト﹄って書
いた方がいいですかね?
846
吸血鬼は笑う・中編
意外な登場に、思わず腰が上がってしまう。
マイヤはヴィオラのメイドさん。茶髪の髪に、犬耳と尻尾が特徴
の優しい雰囲気を帯びている人だ。
マイヤはてっきり留守番をしているのかと思ったが、ヴィオラに
ついてきたのか。
﹁マ、マイヤさんも来てたんですか﹂
﹁いけませんでしたか?﹂
﹁いえ、そんな事は⋮⋮﹂
マイヤは食卓の方を一瞥すると、くすりと笑ってみせた。
﹁随分男前になられたようで、安心しました﹂
﹁まぁ、大人の階段はまだ上ってませんけれども﹂
﹁そうなのですか? てっきり私は⋮⋮﹂
﹁勘弁してください﹂
﹁ふふ、すみません。それでは、私は下でお待ちしております﹂
﹁分かりました﹂
マイヤは律儀に一礼してから、階段を下っていった。
俺は息を一つ吐き、椅子にかけ直す。
皆の視線が俺に注がれているわけではないが、雰囲気は﹃あの人
は誰﹄といった感じだ。
﹁⋮⋮見ての通り、あの人はヴィオラの女中。昔世話になったんだ
よ﹂
﹁そもそも、どうして吸血鬼様とシャルルに接点が生まれたの?﹂
847
黙々と食事をしていたクロエが疑問の声を上げた。
﹁俺にもよく分からない。向こうから接触してきたんだが、何故な
のか、明確な理由を説明されてないんだ﹂
﹁シャルルは怪しい人とも仲良くするんだね﹂
﹁邪険に扱って怒らせたら、俺の首が飛ぶかもしれないだろ。相手
はあの吸血鬼様なんだから﹂
そう答えると、クロエは納得したのか﹁へぇ﹂と短く相槌を打っ
て、パンを齧った。
リラの方に目を向けると、サラと話をしているようで、何だか楽
しそうだ。
サラも慣れてきたのか、笑顔を見せるようになってきた。
ニーナはノエルと会話をしていて、ゆったりとした口調と淡々と
した喋り方が交差しているのは、中々にシュールだ。
クロエとカレンも、ぎこちなくはあるが、それなりにコミュニケ
ーションは取れている⋮⋮と思う。
女子同士がどんな会話をするのかなんて、未だに俺はよく分かっ
ていないから、判断しづらいな。
と、そんなこんなで、俺は会話を見守るだけのまま、朝食を終え
るのだった。
朝食の後は、朝だというのに既に起きていたヴィオラに驚かされ
る。
眠そうに髪をほぐし、リンゴをかじっていた。
848
﹁早起きだな﹂
﹁話があるんじゃよ﹂
﹁わざわざ起きてする事か?﹂
﹁お主の血のせいで目覚めたとも言えるの﹂
﹁俺の血?﹂
﹁質問の前に座れ﹂
ヴィオラ様の仰せの通りに、ソファに腰を下ろした。
偉そうな話し方は昔から変わらないらしい。
まあ、事実として偉いから、仕方が無い事ではあるが。
﹁んで、俺の血で目覚めたってどういう事だ?﹂
こなた
﹁その前に質問しても良いかの?﹂
﹁はい、どうぞ﹂
﹁何故お主は主である此方には普通の口調なのに、女中であるマイ
ヤには敬語なんじゃ?﹂
まあ、そりゃあ普通そう言うだろう。ヴィオラの方が地位が高い
のにタメ口で話して、それよりも下の地位の人に敬語で話す。
おかしい事ではある。失礼な事であり、悪いことであるのかもし
れない。
でも、ヴィオラの見た目は女子高生ぐらい。対してマイヤの見た
目は成人女性だ。年齢もそうだと思うが。
﹁見た目のせいかな。ヴィオラの方が若く見えるし。気分を害した
なら、マイヤさんとは普通に接するけど﹂
﹁うむ、気分を害した。普通に接しろ﹂
﹁分かったけど、何でマイヤさ⋮⋮マイヤは今まで指摘して来なか
ったんだろうか﹂
﹁敬ってくれる人が少なかったからじゃろうの。これ以上はマイヤ
849
の過去話になるから言えないが﹂
﹁ふぅん⋮⋮﹂
マイヤの立場上、そりゃあこき使われる立ち位置にいるわけだが、
他の女中もいるわけだし、敬ってくれる人がいないというのは無い
んじゃないかと思う。
ああ、でも、それは現在の話で、過去はそうではなかったのか。
もっと、下の地位にいたのかもしれない。
獣人族が女中になるというのも、珍しい話なんだがな⋮⋮。
﹁話が逸れたな。俺の血がどうのこうのって、何なんだ﹂
﹁⋮⋮お主、自分がどれ程の力を持っていると思う?﹂
﹁何だ、突然﹂
﹁正直に答えろ。自分の破壊能力は、どこまであると思う﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
俺の能力か。実際のところ、結構あると思うな。
今までは自分に制御をかけて、剣術やら体術やらで倒してきたが、
魔術を使えば色々出来るし。
魔力総量もアダムに貰った分と、小さい頃から育ててきた分があ
るから、普通の人よりも多い。
﹁そうだなぁ⋮⋮大きく見積もっても、国一つは十秒ぐらいで落と
せるんじゃないかな﹂
﹁自分に力がある事は自覚しておったんじゃな﹂
﹁そりゃぁ、自分の能力ぐらい把握してないと﹂
﹁⋮⋮じゃが、不正解じゃ﹂
﹁え? あ、うん⋮⋮流石に調子乗りすぎたか⋮⋮﹂
﹁そうじゃない。お主は自分が大陸一つを破壊できる事を自覚しろ﹂
﹁ふぅん、そっか⋮⋮えっ? 今何て?﹂
850
﹁お主には大陸一つを破壊できる力があると言っておるのじゃ﹂
そんな馬鹿な話があるわけない。俺の魔力だけで大陸全体に魔力
を流し込めるとは思えない。
そりゃあ頑張れば、移動して、流して、壊してを繰り返してれば
出来ない事もないかもしれないが、必ず妨害が入る。
俺より強い奴は必ず現れて、俺を殺しに来る。大陸の破壊なんて
不可能だ。
﹁ヴィオラさんや、それは流石にありえないと思うぜよ?﹂
﹁ありえるんじゃよ、お主の場合はな﹂
﹁な、何でっ! それじゃあ俺はバケモンじゃないか⋮⋮﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
ヴィオラは一度頷くと、俺の腕を引きちぎった。だがしかし、一
瞬にして、俺の腕は再生する。
﹁これを見ても、お主がまだ人間の域にいると?﹂
﹁それは吸血の副作用が︱︱﹂
﹁違うの。ここまで早く再生はせん。お主が無意識の内に﹃治癒魔
術﹄を発動させたんじゃ。お主は既に、半不死身といえる。怪我を
したら治す、というのがお主の体では当たり前になっておるのじゃ﹂
﹁違う⋮⋮俺は意識的に、ちゃんと、自分の意思で治してる⋮⋮﹂
﹁お主は既にこちらの域なのじゃよ、シャルルや﹂
﹁そんなの、違うだろ⋮⋮﹂
体から力が抜け、持ち上がった腰が再度落ちる。頭が痛くなって
きた。頭の中から、頭蓋を割って何かが出てくるような、そんな感
覚が襲う。
851
﹁自覚しろ。お主が何なのかを。いいや、﹃何に成り得る﹄のかを﹂
﹁⋮⋮何に、なるんだ。俺は﹂
﹁教会は﹃魔神﹄と呼んでいたかの﹂
﹁⋮⋮そうか、そうか﹂
段々分かってきた。魔神、そうか。教会⋮⋮ああ、そうか。
教会は俺を殺そうとしていたわけではないんだな。
いいや、違う。当初は殺すつもりだったのか。だけど、路線を変
えたんだ。
少しずつだが、つながってきた。だけど、まだ足りない。
﹁なあ、ヴィオラ﹂
﹁なんじゃ﹂
﹁魔神の復活には、何がいる﹂
﹁お主、勘がいいの﹂
﹁違う。ありきたりなんだよ﹂
﹁ありきたり?﹂
﹁そんな事はいいから、答えてくれ﹂
﹁⋮⋮黒い感情をいい具合に積んでいく事じゃ﹂
﹁いい具合⋮⋮﹂
俺は結局、踊らされていたのか。ずっと、計画の上にいたっての
か。
なら、スラムの人は俺のせいで死んだも同然じゃないか。
﹁⋮⋮まさか、アランも、犠牲の一人だったんじゃねぇだろうなぁ
?﹂
﹁お主、少し落ち着け。言っている事が飛んでおる。順番に︱︱﹂
﹁いいから、答えてくれよ⋮⋮﹂
﹁だから、落ち着けと言っておるじゃろ﹂
852
﹁俺は落ち着いてる。だから、教えてくれ﹂
﹁⋮⋮はぁ、そうじゃ﹂
﹁⋮⋮少し、外の空気吸ってくる﹂
異様なまでの痛みが充満する頭を押さえながら、縁側に腰を下ろ
す。
話をまとめると、俺の今までの異世界での﹃自由﹄はあって無か
ったような物という事だ。
おそらく、全ては孤児院にいた頃出会った青年から、始まったの
かもしれない。
いいや、もっと前か。あの時の奴の言葉はあまり覚えていないが、
初対面の喋り方では無かった様に思える。
最悪の場合、俺はこの世界に降り立った時から、ずっと﹃教会﹄
のおもちゃだった事になる。
全ての出会いが仕組まれたもので、その中に偶然なんてものは無
かったのか?
だとすると、滑稽だな。別れを惜しんだ事自体、今じゃ無駄だっ
た様に思える。
全てが俺ではなく、﹃魔神﹄の為だったのか。魔神を目覚めさせ
る為に、俺はずっと何かを奪われてきた。
⋮⋮魔神? いや、待て。俺の中に魔神がいるとするなら、それ
は一体どうやって知れ渡ったんだ?
何故、見えないはずの魔神が眠っているなんて言える。
魂を可視化する魔眼なんて存在しないはずだ。⋮⋮なら、魔神っ
てなんだ?
⋮⋮もしかして、魔神ってのは、あるのではなく、なる物なのか?
疑問は出たなら、知っている人に聞けばいい。俺はすぐにヴィオ
853
ラの元に戻った。
﹁なあ、魔神ってのは、俺の事だよな?﹂
﹁そうじゃな﹂
﹁俺は既に魔神になっているのか? それとも、これからなるのか
? あるいは俺の中に眠っているのか?﹂
﹁⋮⋮そうじゃの、﹃成り得る﹄という話であって、なっている訳
でも、なる訳でも、眠っている訳でもない﹂
﹁そうか、なら、俺になる意思さえ無ければならないんだな﹂
﹁それが難しいところじゃ。お主、出身は違う世界じゃろ﹂
﹁えっ、なっ、お前知ってたのか!?﹂
﹁そうなんじゃな。なら、そういう事じゃ。魔神を﹃作る﹄のに与
えられた条件が、異世界からの魂⋮⋮つまり、この世界には、お主
以外にも魔神に成り得る人間がいるという事じゃ。しかし、最初に
目を付けられたのはお主じゃ。計画はお主を中心に組み立てられる。
変更はありえない﹂
﹁でも、俺か、俺以外の異世界からの魂を持つ人間を殺して、新し
く訪れる魂を狙うという可能性もあるんだろ?﹂
﹁あるの。じゃから、お主には常に護衛がついておった﹂
そうか、そうか。俺の周りに常に強い人間がいたのは、そういう
事だったのか。
そして、エヴラールがいない時を狙って、あの青年は俺に接触し
てきた。
俺は誰かに守られて生きてきたのか。この十五年もの間。
まだ不透明な点はあるが、﹃教会﹄が俺と俺の家族に害があると
いう事だけは分かった。
﹁お主、金はあるんじゃろ?﹂
﹁ある﹂
854
﹁なら、今すぐ家を出ろ。お主はずっと放置されていたが、そろそ
ろ教会も狙いに来る頃じゃ﹂
﹁成人するから、か﹂
﹁そうじゃな﹂
﹁⋮⋮荷物をまとめる事にする。それと、ヴィオラ、頼みがある﹂
俺が振り返りざまに言うと、ヴィオラはこの先俺が何を言うのか
が分かっているかのように、挑発的に笑った。
﹁何じゃ?﹂
﹁俺と一緒に旅をしないか?﹂
︱︱︱︱︱︱
俺はすぐに全員を居間に集め、まず第一に、リラに謝った。
クズらしい行為だった。謝って済むなら警察はいらねぇと言われ
ても仕方が無いぐらいの。
﹁別に良い。外道ではあるが、あれも一つの勝ち方だ﹂
﹁リラ様⋮⋮!﹂
﹁様付はやめろ、気色悪い﹂
﹁ありがとうございます!﹂
﹁お礼をいうところか!?﹂
﹁我々の業界ではご褒美です﹂
お許しをもらえたところで、本題に入る。
855
まず、魔神の話は伏せ、旅に出る事を伝えた。リラ、ニーナ、ク
ロエの三人が俺に同行するかは自由。
そして、サラも残りたければ残っていいと。ノエルは命令遵守だ
から、サラと残る様に言えば残るかもしれない。
カレンは、﹃残れ﹄と言って残るような娘じゃないから、あれこ
れ言うのは止めた。
それぞれにそれぞれの選択があったというのに、全員が同行する
という。
﹁何で? 危ないぞ?﹂
﹁元々、私達は旅をしていたんだ。シャルルと一緒に行こうが、何
も変わらない﹂
というのがリラ達三人組の答え。
﹁私はお兄ちゃんと一緒じゃないと、何にも出来ないから﹂
﹁︱︱同じく。私の存在意義はご主人様にあります﹂
というのが、サラとノエルの答え。
﹁やくそく⋮⋮﹂
というのが、カレンの答えだ。
正直な所、リラ達には残っていてほしかった。
俺と一緒に来るという事は、それだけ危ない目に付き合わされる
という事だ。
まあ、その辺を伝えていないから、俺が悪いのだが⋮⋮。
﹁吸血鬼様も行くんですか?﹂
856
自然にその場にいるヴィオラに、クロエが尋ねた。
﹁シャルルに頼まれたからのう﹂
﹁心強いですっ!﹂
﹁⋮⋮素直な娘じゃな﹂
素直なのは全員に言えたことだが、この中で最も活発なのは、ク
ロエだろうな。
何だかんだでいつも笑顔を振りまいているし。
﹁それで、出発はいつなんだ?﹂
﹁早くて二日後、遅くて四日後だな﹂
﹁そんなに急ぎの用があるのか﹂
﹁無い。でも、早いほうがいいかなぁと﹂
﹁適当だな﹂
﹁大丈夫、計画はちゃんと立てておくから﹂
﹁そうか、分かった﹂
﹁他に質問のある人﹂
﹁︱︱はい﹂
俺の隣にいたノエルが手を上げる。
﹁何だ?﹂
﹁︱︱仕事の方はどうなされるのですか?﹂
﹁⋮⋮出張中とでも書いておけばいいんじゃないかな。はい、他﹂
見回してみるが、誰も質問はないらしい。
﹁んじゃ、解散。各自持ち物を整理しておくように﹂
857
俺が言うと、全員がそれぞれの部屋へと戻っていった。
早くて二日後、遅くて四日。その間に済ませなければならない事
がたくさんある。
この王国では、色んな人に出会った。
別れの挨拶も最低限しなくてはならないだろうし、その他色々と
調達しなくてはならない。
そんなこんなで、俺達は旅に出る事になったのである。
内心不安はいっぱいだが、あまり表に出さないようにして行こう。
858
吸血鬼は笑う・中編︵後書き︶
こんな話書いて欲しいってのあったら、頑張らせていただきます。
859
吸血鬼は笑う・後編︵前書き︶
お待たせしました。
が、今回はあまり進展ないです。
860
吸血鬼は笑う・後編
王国でたくさん世話になった人、ウルスラ。騎士団の副団長、仕
事に生きる女といった雰囲気の落ち着き払った女性だ。
事件の後始末や、アドバイス、情報提供なんかをしてくれた人で、
今住んでいる家も、ウルスラの紹介した不動産屋で見つけたものだ。
﹁シャルル殿、お気をつけて﹂
王国に出る事を伝えると、特に何かを言われるでもなく、ただの
一言別れの言葉を告げられた。
ダラダラとしていても名残惜しい。この程度の挨拶がちょうどい
いのだ。
﹁ウルスラさんも、お元気で。これ、僕が作ったウルスラさんの人
形です。良かったらどうぞ﹂
﹁ありがとうございます。大事にしますね﹂
﹁こちらこそ、色々とお世話になりました。ありがとうございまし
た﹂
フィギュア
ウルスラは恥ずかしげに笑い、人形を受け取ってくれた。
﹁シャルル殿、こちらの紹介状をお受け取りください。各大国の騎
士団での知り合いです﹂
﹁そんな、いつも貰ってばかりで、こんな事まで︱︱﹂
﹁私が好きでやっている事です。どうか受け取ってください﹂
﹁そこまで言うなら⋮⋮﹂
俺は複雑な心境で幾つかの巻かれた紹介状を受け取り、外套の隠
861
しにしまった。
本当に、いつもいつも、ウルスラには貰ってばかりだ。御礼とし
て何か役に立とうとしても、﹃そこにいてください﹄としか言われ
たことがない。
﹁では、お気をつけていってらっしゃいませ﹂
﹁本当に色々とありがとうございました﹂
もうこれ以上何かを言うと、日が暮れるまでこの場所に居座りそ
うなので、俺は踵を返し、副団長室を出ることにした。
何の御礼も出来ていない事が悔しく、情けない気もする。
次戻ってきた時は、ちゃっかり結婚とかしてしまっているかもし
れないな。
その時は嫌というほど世話を焼いてやろう。
未来の企みを考えながら、次に俺が向かったのは、タイラー料理
店。貧乏飲食店だったのだが、依頼を受けて俺が手伝いをした事に
よって、今は繁盛している店だ。
だが、タイラー料理店には感謝もしている。俺がこの依頼を受け
なければ、報酬として提示した﹃俺の組織の宣伝﹄も上手く行われ
ていなかったかもしれない。
俺の組織に依頼がやって来るようになったのも、ほとんどタイラ
ーのおかげといえる。
﹁タイラーさん、今日も繁盛っすね﹂
顔パスで事務室まで入り、タイラーに会釈をする。
﹁ええ、常時満席です﹂
﹁そりゃ良かった。あれ、従業員また増えました?﹂
862
﹁はい。一人面接を通しました。ビシビシ鍛えていきたいと思いま
すよ﹂
﹁頑張ってください。ってそうだ、実は僕、王国を去る事になしま
して﹂
﹁へぇ⋮⋮えっ!?﹂
﹁旅をね、したいんですよ﹂
﹁な、なるほど⋮⋮そうですか。⋮⋮少し、待っていてもらえます
か?﹂
﹁え、はい﹂
タイラーが意気揚々と事務室を出てから数分で、タイラーは戻っ
てきた。
タイラーは椅子に腰を下ろし、得意気に言う。
﹁長持ちする食料を箱詰め、瓶詰めしていますので、どうぞ持って
行ってください﹂
﹁えっ、いや、こちらには、資金がたくさんあるのでそこまでは︱
︱!﹂
﹁いえいえ、我々からの御礼の気持ちという事で、お願いします﹂
﹁で、ですが⋮⋮﹂
﹁シャルルさんにはたくさんお世話になりました。これぐらい受け
取っても、バチは当たらないと思いますよ﹂
﹁⋮⋮負けました。もらいます﹂
テンパッて資金がどうの何て事を口走ってしまった。
ここまで押されてしまえば、貰うほかないだろう。
御礼とまで言っているのだから、むしろ、貰わないと失礼だ。
﹁数時間ほどしたら、シャルルさんの家に運びますので﹂
﹁いえいえいえいえ、流石にそこまではさせられないです。荷台に
863
でも積んでおいてくれれば、大丈夫ですので。本当に、大丈夫なん
で﹂
﹁そ、そうですか、分かりました﹂
捨てたはずの遠慮の気持ち。欠片がまだ生きていたようだ。
﹁それじゃあ、後ほど取りに戻ってきますね。他にも行く所がある
ので﹂
﹁分かりました﹂
俺はタイラー料理店を後にし、家具屋へと向かった。
今は閉店中で、新しく家具を作っているらしい。
とりあえず、ノックをして、店長が出てくるか試してみる。
﹁︱︱お、シャルルさんでやすか﹂
﹁どうも、ちょっくら挨拶に﹂
﹁どうしやした?﹂
﹁王国を去るので、挨拶を﹂
﹁そうでやすか⋮⋮お得意さんがいなくなるのは、寂しいもんでや
すよ﹂
﹁僕も、割り引いてくれる腕の立つ職人に会えないのは、寂しいで
すね﹂
﹁あ、そうだ、ちょっと待っててくだせぇ﹂
店長は扉を開け放ったまま、中に戻っていってしまった。
また出てきた店長の手には、三セットの刀架があった。
﹁これ、持ってってくだせぇ。塗装は終わってないですやすが﹂
﹁⋮⋮も、もらいます。ありがとうございます。僕からはこれを﹂
﹁これは⋮⋮金槌でやすか!﹂
864
﹁はい。僕の加工付きですよ﹂
﹁ありがとうございやす! 使わせていただきやす!﹂
この金槌は、知り合いに作ってもらったものだ。
俺の魔力での補強もしてあるので、ゴブリンと金槌で対峙しても
壊れないようになっている。
﹁それじゃ、戻ってきたらまた寄りますね﹂
﹁はい、いつでもお越しくださいやせ! それと、お気をつけて!﹂
﹁店長もお元気で﹂
手を振ってくれる店長に、手を振り返しながら家具屋を去る。
俺の知り合いはこれぐらいしかいないので、他に回る所は隣人し
かない。
隣人の一家に別れを告げ、息子さんに木剣をプレゼントし、次の
隣人に挨拶に行く。
俺のお隣さんは、鍛冶職人のエリカだ。
健康的に焼けた肌をした、鍛人の女性。見た目は子供、中身は大
人。
若干眠そうな目をしていて、瞳は透き通る様な茶色。
髪色も薄い茶色で、肩の下までしか伸びてないであろう短めの髪
の毛は頭の両側でまとめられている。
﹁よっす﹂
﹁おー、シャルルー。どしたのー?﹂
﹁旅に出るんで、挨拶と、点検のお願いかな﹂
言いながら、俺がエリカに差し出したのは、エリカに特注して作
ってもらった太刀だ。
当然の事ながら、この世界に太刀なんてものは存在せず、両刃の
865
剣ばかり。
太刀に憧れていた事もあり、注文しまくりの納入しまくりで完成
させた太刀。数週間に一度のペースでエリカに調整を頼んでいるの
だ。
﹁旅? なんでー?﹂
﹁夢をかなえるため﹂
﹁そっかー、実は私も出張しなきゃいけなくてー﹂
﹁うん?﹂
﹁ついでにって事で護衛お願いしてもいいかなー?﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
﹁それにさー、それの点検出来るの、あたしだけだよー?﹂
﹁それも、そうなんだが⋮⋮﹂
そうすると、護衛対象が増える事になる。ヴィオラもいるし、三
人衆もいるから、問題はないのか⋮⋮?
いや、でも、俺と同行して、飛び火を食らわせても後味が悪い。
断っておくべきなのか。
でも、エリカには色々としてもらったし、この程度の依頼、受け
てもいいだろう。
﹁ちなみに、行く先は?﹂
﹁軍事国バーゼルトだよー﹂
﹁⋮⋮よし、分かった。その依頼、引き受けよう﹂
﹁わーい、ありがとー﹂
﹁出発は明後日だから﹂
﹁分かったー、準備しとくー﹂
こうして、パーティにエリカが参加した。事実として、俺の太刀
を点検できるのは、作った本人であるエリカだけだ。
866
それに、ヴィオラもいれば百人力というやつだろうし、エリカと
は途中で別れるわけだから、危険は半減だと思う。
とりあえず、俺はタイラー料理店に戻った。援助物資を受け取り
に行かなくてはならない。
気軽な気持ちで戻ってきたのだが、手押し車に積まれた箱の数を
見て、冷や汗が流れるのが分かった。
﹁こ、こんなに﹂
四列四行、二段重ねの箱。三列三行のツボや瓶。ここまであれば、
当分何も買わなくて済むぞ。
﹁遠慮せずにどうぞ﹂
﹁わ、わかりました、ありがたく頂戴します﹂
﹁では、道中お気をつけて﹂
﹁タイラーさんも元気で。騙されないように気をつけてくださいよ
?﹂
﹁分かっていますよ﹂
冗談交じりに笑い、タイラーと握手を交わす。善意を善意で返し
てくれたタイラー。
やっぱり、良い人だ。だからこそ、騙されないように気をつけて
欲しいものだな。
﹁それじゃあ、いつかまた﹂
﹁ええ、また﹂
タイラーとの別れの挨拶を済ませ、俺は手押し車を押しながら、
家へと戻った。
車は裏庭に通し、土魔術で土室をつくり、その中に放置する。
867
生物は入っていないだろうし、保存方法はこの程度で問題ないだ
ろう。おまけで氷を添えておけば、信用性はアップかな。
﹁都合の良い知り合いを持っておるではないか﹂
不意に、縁側の方から声が聴こえる。視線を移すと、ヴィオラが
薄着で寝っ転がっていた。
まるで自分の家のようにリラックスしている。ここまでナチュラ
ルになれるのは、流石というべきか。
﹁うるせぇな、変な言い方すんなよ﹂
﹁分厚い仮面じゃのう﹂
﹁マイヤぁ! ヴィオラがいじめる∼!﹂
﹁よしよし⋮⋮﹂
マイヤに抱きつき、ついでに匂いも嗅ぐ。宥めるように優しく撫
でるその手は、温かくて、心地よかった。
うん、やっぱり俺は、こういう人には弱いらしい。もう少し、自
分の感情を押さえつける訓練も必要かなぁ。
﹁そういえば、カレン様が探していましたよ﹂
﹁あ、分かり︱︱分かった﹂
危うく敬語が出るところだったが、何とか押さえたぞ。ヴィオラ
にガミガミ言われるからな。
﹁お主は切り替えが下手くそじゃな﹂
﹁うるせぇ!﹂
一つ、捨て台詞を置いて、カレンを探しに庭から家内へ上がる。
868
二階へ上がると、やはりカレンは台所にいた。
エプロンを着て、黒髪を後ろで一つにまとめている。
﹁よう﹂
﹁あ、シャル⋮⋮﹂
﹁俺を探してたって?﹂
﹁ん⋮⋮でも、もう大丈夫⋮⋮﹂
﹁そっか。⋮⋮何つくってるんだ?﹂
﹁夕飯の、からあげ⋮⋮。シャルは、からあげ⋮⋮好き?﹂
﹁大好物だね﹂
﹁よかった⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
うん、今日も変わらない昼下がりだ。
うるさいのよりも静かな方が、俺は好きだしな。
︱︱︱︱︱︱
準備だなんだで慌ただしく時間が経ち、出発の日。早朝の風が心
地よく吹き抜け、眠気を拭い去る。
今日の移動は朝から夕方まで、翌日からは朝から昼までのゆっく
りとしたペースで馬車を進める。
誰かが監視している可能性も考慮したが、ヴィオラが心配ないと
いうので、大丈夫なのだろう。
家にはしっかりと鍵をかけ、扉には出張中の看板を掛ける。後は
869
エリカが出てくれば、出発出来るのだが。
﹁エリカ︱、起きてるかー?﹂
と、三回目になる呼びかけ。今までどおり、エリカが答えること
はなかった。
何か事件に巻き込まれたのかと思い、魔術で解錠し、家の中に進
入する。
不法侵入? ははっ、今更だな。
﹁おい、エリカ、上がるぞ﹂
一階にはいないようなので、二階にあがる。入ってきた事を知ら
せる為に、わざと大きく足音を立てているのだが、反応がない。
扉を一つ一つ開け、エリカの居所を探すが、三つある扉の内の二
つは外れだった。なら、角にあるのが正解か。
﹁おい、エリカ︱︱って寝てんじゃねえ!﹂
﹁んー?﹂
﹁んー? じゃないっすよ。今日、出発の日なんですが﹂
﹁えー、あと二十分ー﹂
﹁俺は幼馴染を起こしに来る幼馴染役ですか? 違いますよ、俺は
起こされる側ですよ﹂
﹁なにそれー?﹂
﹁良いから起きてくれ﹂
﹁あたしをどうか、攫って行ってください⋮⋮﹂
﹁へいへい、じゃあ、そうさせていただきますよ﹂
お前は何処のジュリエットだと、心のなかで突っ込みながら、寝
間着のエリカを背負う。
870
﹁荷物は﹂
﹁そこー﹂
寝台の脇に置かれている大きめのリュックサックと、棺桶サイズ
はある長方形の箱。人一人背負って、更に大きな木箱とリュックサ
ックを持てと。
ひとまずエリカを下ろし、リュックサックを前に背負う。エリカ
をもう一度背負い、箱をバランス良く持てば完璧︱︱ってそんなわ
けはない。
﹁リラー﹂
少し大きめの声で、リラの名を呼ぶ。リラはすぐに、階段を上が
って俺のもとまでやって来た。
﹁エリカを、この娘を背負ってくれるか?﹂
﹁彼女も連れて行くのか﹂
﹁依頼でな、仕方なく﹂
﹁分かった、任せろ﹂
エリカをリラに背負わせ、箱を手にして家を出た。
まずは、エリカの紹介をしたいのだが、エリカはリラの背中で二
度寝をしてしまった。
他人の背中で寝れるのは、ある種の才能なのではないだろうか。
﹁よし、行くぞー﹂
馬車は二台。片方は俺が、片方はマイヤが手綱を締める。俺の隣
にはカレン、荷台にはリラ、エリカ、そしてノエルの三人。
871
マイヤの隣にはヴィオラが座り、荷台にはサラ、ニーナ、クロエ
の三人がいる。
どうしてこうも、女の子ばかりなんだ。エヴラール、バフィト、
カイ、誰でもいい、助けてくれ⋮⋮。
ちなみに、食料などは荷台に積み直した。さすがに手押し車と馬
車を連結させるわけにはいかなかったからな。
荷台にいる者には窮屈な思いをさせる事になるが、御者ができる
のは俺とマイヤ、それとヴィオラだけだ。旅の途中で全員に教えて
おこうと思う。
﹁眠そうだな﹂
﹁ん⋮⋮﹂
隣にいるカレンは、馬車に揺られているせいか、眠気を煽られて
いるようだ。気持ち悪いとか思わないのだろうか。
俺が初めて馬車に乗ったときなんかは、尻が痛くなったり、目眩
がしたりと散々だった。まあ、慣れればどうという事はないのだが。
﹁ふわぁぁ、あぁ﹂
荷台の方から、脱力しきった欠伸が聞こえてくる。どうやら、エ
リカが目覚めたらしい。
﹁あれー、シャルルー?﹂
﹁何だ﹂
﹁御者台にいるのー?﹂
﹁そうでございますよ﹂
﹁そっかー⋮⋮あれ、君たちはー?﹂
エリカがリラ達の存在に気づいたようで、それぞれが挨拶をはじ
872
めた。うん、挨拶は大事だ。これから一緒に旅をするのだから、険
悪な仲になられても困る。
⋮⋮今度はエリカが俺のことを忘れたように、リラ達と雑談を始
めた。うん、雑談は大事だ。仲を深めるならやはり話す事だな。
とまぁ、出発は、上手くいった。後は、道中変なものに絡まれな
い事を祈るだけ。
祈る先が誰なのかは、俺にも分からないが。
873
吸血鬼は笑う・後編︵後書き︶
﹁良いことをすると返ってくるんだよ﹂と言われて育ってきました。
この言葉を私に言った人は心のなかで﹁︵絶対とは言ってない︶﹂
とか思っていたのかもしれませんね。
次から新章突入。ゆーったりといこう、ゆーったりと。
874
トラベラーズ
俺達の最初の目的地は、軍事国バーゼルトだ。エリカを無事にバ
ーゼルトまで届けるという依頼がある。
バーゼルトの後は、ロンデルーズ王国を避けながら移動を繰り返
す。逃避行ともいえる旅だ。
旅が始まって二日目、俺達は一つの村で足を止めた。昨晩は野営
だったが、今晩は宿を取ろうと思う。
俺達が宿を取る村の名前は、ボルン村。夕刻とはいえ、人が少な
すぎる気もする。国と国との間にある村なのだから、それなりには
人がいてもいいはずなのだが。
﹁ヴィオラ、ここで宿を取るのは嫌なんだが。すんげぇ怪しい﹂
﹁問題はないじゃろ。嫌な奴がおったら殺せばいい﹂
﹁危険は避けたいんすよ﹂
﹁慎重になりすぎるとお主が持たんぞ。此方もおるのじゃ、お主は
もう少し肩の力を抜け﹂
そんな事を言われても、追われている身だし、連れがいるし。ま
あでも、ヴィオラもいるし、誰が来ようともぶっ飛ばしてくれそう
な気はする。
⋮⋮いつまでも考えすぎてちゃいけないな。少しは他人に寄りか
かってみよう。
﹁分かった。今日はここに泊まるか﹂
﹁うむ﹂
ということで、俺達はボルン村の宿を探し、宿泊する事にした。
宿にも人は受付人以外おらず、他の客の気配もない。どうしてここ
875
まで人がいないのだ。
﹁あの、この村静か過ぎませんか?﹂
支払いが終わった後、受付のおじさんに尋ねた。おじさんは薄笑
いを浮かべながら、口を開く。
﹁昼はたくさん人がいるんだぜ。夕方に皆帰っちまうだけだ。旅人
もあんまり来ねぇしな﹂
﹁なるほど﹂
﹁まぁ、こんだけ静かなら、ぐっすり寝られるだろ﹂
﹁たしかに、そうですね﹂
どちらにせよ、俺は眠れないのだが。
﹁ほれ、鍵﹂
おじさんに鍵をもらい、二階の部屋に向かう。部屋は二つ借り、
俺とヴィオラは寝ないので、それぞれ好きな様に分けるよう言った。
特に相談をするでもなく、部屋割りは数秒で決まった。片方はリ
ラ、ニーナ、クロエ、エリカの四人。もう片方にはカレン、サラ、
クロエ、そしてマイヤの四人だ。
エリカの分の代金は依頼完了の際に報酬と一緒に渡すという事に
なっている。払ってくれるなら、後払いでも問題はない。
﹁晩飯、どうしようか﹂
﹁宿の食堂でいいんじゃないー?﹂
俺の独り言をエリカが拾った。
876
﹁皆もそれでいいか?﹂
俺が全員に確認を取ると、揃って頷いた。なんか、女子校の修学
旅行みたいだ。この場合、俺は教師の立ち位置か。
修学旅行⋮⋮人生でも一度も行っていない気がする。記憶にない
し、行ってないんだろうな。小学生の頃の林間学校の記憶は薄っす
らと残っているのだが。
⋮⋮なんで俺、未だに前の世界の事考えてんだろ。
︱︱︱︱︱︱
食後、しばらく雑談を交わし、就寝するという事になり解散した。
俺はカレンを寝かせつけてから、宿の屋根に上がった。おじさんに
許可は貰っている。
屋根の上にはヴィオラがいた。仰向けになり、鼻歌を歌っている。
﹁シャルルか。お主も大変じゃのう。娘を持った気分か?﹂
﹁どうだろうな。そういえばヴィオラは娘とかいないのか﹂
﹁此方は男と交わった事すらないぞ。一度もな﹂
﹁は? はぁ? 何千年も生きておいて、一度もないって? そり
ゃぁ冗談きついぜヴィオラさん﹂
﹁愛した人とするのが普通じゃろう。此方は今までで一度も誰かを
愛した事などない﹂
愛した人とするって⋮⋮時代のギャップを感じる。この十年間で
﹃性行為は結婚してから﹄とか聞いた事ないんだが。
877
俺の時代では十代のほとんどの女が経験済みだというのを聞いた
ことがある。未成年淫行で捕まる人が未だ絶えないのだから、事実
なのかもしれない。
俺はてっきりヴィオラはもう経験済みなのかと思っていた。この
世界の人間が皆こんな考えを持っている⋮⋮というわけではなさそ
うだ。
ヴィオラが生まれたのは四桁も前の年。ヴィオラだけが古い考え
を持っているのかもしれない。あの魔王はやりまくってそうだった
し。
﹁ヴィオラさん、やっぱオバサンですね﹂
﹁殺すぞ﹂
﹁ひっ﹂
瞳に本物の殺気が篭っていた。ヴィオラは視線だけで人を殺せそ
うだな。キッとしてバタリ。
﹁まぁオバサンがどうのはいいとして﹂
﹁おい﹂
﹁話があるんだよね﹂
﹁はぁ⋮⋮なんじゃ?﹂
﹁いや、ほら、俺が力を持ってるとか何とか言ってただろ。何とな
こころ
く分かるんだけどさ、もう少し砕いて話して欲しいっつーか﹂
きおく
﹁別に難しい話ではないじゃろ。お主が覚醒︱︱﹂
﹁だぁぁっ! やめて、覚醒とかやめて! 俺の邪気眼が古傷がが
がァ!﹂
﹁お、おぉ、どうした。頭を打ち付けては近所に迷惑じゃ、やめい﹂
クッ、ヴィオラの奴、俺に精神攻撃を仕掛けてきているな。油断
できない奴だ。常時構えていないと⋮⋮。
878
﹁話を戻すが、お主が⋮⋮暴れた時、お主の魔力は肥大化し、大陸
を滅ぼす事が出来るという話じゃ﹂
﹁だからその大陸ってのがさ、飛躍しすぎてて良くわかんねぇのよ﹂
﹁大陸は大陸じゃ。お主が﹃世界なんて壊れてしまえ﹄と願っただ
けで、大陸はぽーんっと荒地に変わるじゃろう﹂
﹁ふぇぇ﹂
﹁まぁ、尤も、そうなる様な事があれば、崩壊する前に此方がお主
を殺してやるがな﹂
﹁その為の同行⋮⋮監視か﹂
﹁ノエルだけでは心許無いのでな﹂
﹁⋮⋮ああ、そういう事﹂
ノエルは監視の為に魔王がくれた物だったって事か。つまり、ノ
エルには俺が暴走した時に俺を殺すよう設定されているわけだ。
﹁マイヤも事情を知っているのか?﹂
﹁当たり前じゃ﹂
﹁もしかして、マイヤって俺より強い?﹂
﹁そうじゃの。体術だけで言うなら、お主では敵わぬ。剣を使って
も互角じゃろうの﹂
﹁えっ、恐い﹂
﹁お主は魔術の程度だけ高すぎる。魔術を使えば余裕じゃろ?﹂
﹁うん、まぁ﹂
たしかに、魔術を使えば、俺はかなり強い。自分で言うのも何だ
が、凄く強い。ゴブリン千体なんてぽいっと殺れる。
だからこそ、魔術はあまり使っていない。一瞬で死なれても面白
くないし、経験値がたまらない。剣術で勝ちたい相手がいる。越え
たい人がいる。
879
﹁でも、魔王には一瞬で殺されたなぁ﹂
魔王ジノヴィオスと対峙した事もあったが、指を向けられただけ
で腹に穴が空くという意味の分からない攻撃を喰らった。
あれが頭だったら、今頃俺は土の中だろう。正直言って魔王には
勝てそうもないが、俺は必ず届いてみせる。
﹁ていうか、俺が大陸を壊せる力を持ってるなら、魔王もそんぐら
いできるんじゃないの?﹂
﹁奴も無限の体力、魔力を持っているわけではないのじゃ。精々国
一つを崩壊させる程度じゃろう。だからといって、お主が勝てる相
手ではない。魔力肥大化後のお主でも、勝てるかどうか﹂
﹁とどのつまり、技術面で俺は負けていると﹂
﹁そうじゃな。お主は此方にも勝てん。お主は魔力があるだけの青
二才じゃ﹂
そりゃあ俺は十年しかこの世にいないし、千年以上戦ってきた相
手に比べれば、俺はじゃがいも同然だろう。
関係ない事だが、ゲームでも芋ってばかりだったからな。きっと、
俺は生まれながらのジャガイモだったのだ。好きなお菓子もじゃが
○こサラダ味だった。
﹁︱︱なぁ、ヴィオラ、なんだあれ﹂
何気なく視線を移した俺は、宿の入り口を村人が囲んでいるのを
目にした。松明を手に、入り口の前に立っている。
﹁⋮⋮分からぬ﹂
﹁カレン達のところに戻ってくれるか﹂
880
ヴィオラは小さくうなずき、窓から静かに部屋に戻っていった。
その間、俺は屋根の上から下の様子を伺う。
松明を持った村人が全部で⋮⋮十二人か。一体何をしている。何
を始めようといているんだ。
俺が気配を消しながら様子を見てしばらく、村人たちが左右に揺
れだした。手に持った松明の火の様に、ゆらゆらと、揺れ始めた。
その顔に生気がなく、不気味としか言いようがない。ゆらゆらと、
ゆらゆらと、揺れ動いている。挙句の果てには、ブツブツと何かを
唱え始めた。
何なんだあれは⋮⋮気持ちが悪い。なんか悪い宗教団体か? 怖
すぎる。
﹁︱︱なっ﹂
思わず、口から声が溢れる。村人たちが突然、殺し合いを始めた
のだ。手に持った松明で焼き殺し、隠し持っていた斧で頭をかち割
り、生気のない表情のまま、殺しあっている。
その内の数人は宿の扉を強く叩き、﹁あぁあぁ﹂とうめき声をあ
げている。何なんだ、これ。
どうする。ここで飛び出てやめさせるべきか、それとも変な狙い
を付けられないように大人しくしているべきか。
一人なら前者、だが、今は後者だ。目の前で人が死ぬのを見るの
はいい気分じゃないが、ここはひとつ、我慢︱︱
﹁おい、お前らなにしてんだ! やめろ!﹂
できなかった。俺は屋根から下りて、乱闘を止めようと剣を抜き、
振り下ろされた斧を弾こうと振るうが、すり抜けた。斧がすり抜け、
軌道の先にあった村人の頭をかち割った。理解が、追いつかない。
881
﹁ちょっ、待てって、待て!﹂
声を上げても、聞く耳持たずといった様子で、殺し合いを続けて
いる。すり抜ける相手なんて、止められるわけがない。
俺は尚も声を上げるが、殺し合いは止まらなかった。結局、道端
には十二の死体が倒れ、宿の前は血だまりと化していた。
﹁何なんだ⋮⋮﹂
次の瞬間、消えた。死体も、血も、武器も、何もかもが。まるで
全てが夢だったかのように瞬きをしただけで消えた。
俺の幻覚だったのか? いや、ヴィオラにも見えていたのだから、
それはない。集団幻覚というわけでもなさそうだし。
一体、何だったんだと、何度も何度も思い返している内に、夜が
開けた。
俺はおじさんの朝食を取った後、おじさんの元へ向かう。
﹁おじさん、昔この辺で事件とかありませんでした?﹂
﹁あったぜ﹂
﹁⋮⋮殺し合い、とか?﹂
﹁ああ。やっぱり、お前さんも見たんだな﹂
﹁見ましたよ、はっきりと﹂
﹁⋮⋮昔な、ここいらに宗教団体がいたんだよ。人を集めて、悪魔
を呼びだそうとか、悪魔の子を孕ませようとか考えてた奴らだ。最
終的にはよ、そいつら悪魔の生贄だなんだ言って殺し合いを始めた
んだ。それからだ、ほとんどの人たちが違う村か王国に逃げちまっ
882
たよ。亡霊が出るようになったからな﹂
嫌な話だ。イカれた宗教団体ってのはここにもあったんだな。だ
が、亡霊になったという事は、悪魔を呼び出す生贄には失敗したん
だな。生贄なら魂も喰われているはずだし。
俺は幽霊なんてもの信じていなかったのだが、見た以上は信じる
他無い。それに、ここはそういうので溢れている世界だ。今更疑っ
ても仕方が無い。
﹁お話、ありがとうございました﹂
﹁おう﹂
俺はおじさんに礼を告げ、食堂に戻る。ヴィオラが食後すぐに出
るという提案をしたらしく、全員がそれを飲み込んだ。俺にも異論
はない。
全員一度部屋に戻って、準備をする。俺は全員が出発の準備をし
ている間、受付人の元へ戻った。
﹁ここに教会ってありますか?﹂
﹁あるぜ。村の東部だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
俺は二階にあがり、ヴィオラに﹁出かけてくる﹂と一声掛け、宿
を後にした。
この村は東部に行くに連れて、雰囲気が禍々しくなっていく。薄
暗く、気味が悪い。
そんな空気の中、ぽつりと建っている建物があった。おそらく、
ここが教会だろう。
俺はフードを脱ぎ、異臭漂う教会の中に入る。最初に目に入った
のは、祭壇の前で膝をつき、祈りを捧げる神父のような男だった。
883
俺は神父の元に歩み寄り、祈りが終わるのを待った。
﹁祈りを捧げに来たのですか?﹂
﹁いーや。悪魔を見に来た﹂
﹁⋮⋮どうして分かったのですか?﹂
﹁宗教団体とか悪魔っつったら大体が教会なんだよ。ゲームではそ
うだった﹂
﹁げーむ?﹂
﹁まぁ、当てずっぽうって事﹂
﹁カマをかけられましたね﹂
﹁カマかけって程度でもない。そっちが勝手に口を割っただけだ﹂
﹁そうですね⋮⋮。一つ、新しい情報を付け足してあげましょう﹂
神父はゆっくりと立ち上がり、振り向きざまにこう言った。
﹁私の趣味は、人を殺す事です﹂
﹁それ、神父のセリフじゃないね﹂
﹁私は、気づいたのです。神はいないのだと。それからです、私は、
目覚めました。本当の快楽を見つけたのです﹂
﹁うーん、言っておくけど、神はいるぞ。神の使いに会った事があ
るんだ。ただ、神は傍観者で、慈悲がない。情もない。ただ作って
壊すだけのゲームの作成者に過ぎないんだ﹂
﹁⋮⋮つまり、私達は盤上の上で動かされている駒に過ぎない、と
?﹂
﹁いいや、柵の中で生かされてる家畜だよ。いつ食べられるのかは
神のみぞ知るって事だ﹂
俺は神を信じていなかった。神がいるのなら、何故この世界には
こんなにも負が溢れているのだと、ずっと思っていたのだ。
だが、俺はアダムに出会った。アダムは神と天使の間にいる存在
884
だと言っていたから、神はいるのだろう。
だからといって、その神に祈りを捧げたところで、神は何もして
くれない。俺が何度祈っても、俺をいじめていた奴らの四肢は残っ
たままだった。頭蓋も潰れなかった。挽き肉に出来なかった。
だから、神は産み落とし、奪って、見ているだけの存在なのだろ
う。奴は現実でシム○ティを楽しんでいるのだ。
﹁⋮⋮天国は、あるのでしょうか?﹂
﹁さあ? あると思うぞ。まぁ、どう足掻いてもお前は地獄落ちだ
ろうけどな﹂
﹁そうですね。なら、潔く地獄に落ちてきます。最後に人と話せて
良かった。ありがとう﹂
﹁どういたしまして。あっ、そうだ、地獄の王様に会ったら伝えて
欲しい事がある﹂
﹁なんでしょう?﹂
﹁﹃悪魔っ娘とイチャイチャしたいです﹄って、頼めるか?﹂
﹁分かりました﹂
﹁それと、地獄で出世したら、俺が地獄に行った時の口添えをお願
いするよ。これも何かの縁だし﹂
﹁⋮⋮地獄に落ちるのを、認めているのですね﹂
﹁ま、多少はね﹂
﹁そうですか⋮⋮、では、承りました。またいつか会いましょう﹂
﹁はいよ﹂
俺が次に瞬きをした時、神父は既にいなくなっていた。光となっ
て消えたわけでも薄れたわけでもなく、いきなり消えた。
ふざけるなリアル。少しは演出をしろ、演出を。これだからクソ
ゲー呼ばわりされるんだよ。ほんと、神はゲーム作りの才能無いな。
﹁はぁぁ﹂
885
ため息をつき、床に手を付ける。魔力を送り込み、﹃氷結﹄と念
じる。
椅子も床も氷となって砕け、柱だけが残った。いいや、柱だけで
はない。そこには白骨も、埋められていた。
教会に入る前に臭った異臭は、これだったか。幽霊の原因もこれ
だと見るべきか。
とりあえず、俺は魔術で教会の外に出来るだけ穴を掘り、土魔術
で作った触手を使って骨を穴の中に埋めた。
宗教の特別なマークがあるわけではないので、十字架か何かを立
てる様な事はしない。俺は教会の床を埋め、宿に戻った。
﹁シャル⋮⋮どこ、いってたの⋮⋮﹂
﹁死んだ人助け﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁ま、気にしなくていいよ。準備は出来たか?﹂
﹁ん、出来た⋮⋮﹂
﹁じゃあ、行こうか﹂
準備が出来たそうなので、俺達は馬屋で馬車を引き取り、ボルン
村を出た。
ボルン村が見えなくならない程度の距離から、俺は手綱を締めた
まま後ろを振り返る。
村は︱︱跡形もなく消えていた。
﹁⋮⋮良かった﹂
俺は安堵の息を吐き、心配そうに俺の顔を覗き込むカレンの頭を
撫でた。
886
トラベラーズ︵後書き︶
忙しくて更新頻度が落ちてます。文章の質も落ちていると思います。
でも、一応投稿。
887
幸せと辛いって字、潰れてると読み間違えるよね
霧のごとく消えた村を発った次の日、俺達は次の村を見つけられ
ず、野宿をする事になった。
シェルターは俺の魔術で用意し、馬と馬車の見張りは俺とヴィオ
ラが雑談をしながらする。
ヴィオラは吸血鬼である為、夜は基本寝ていなくてもいい。俺は
ヴィオラに吸血された時の副作用として眠気の一切を感じない。
とりあえず、俺はカレンを寝かしつけてから、馬車の元へと戻る。
その間、俺とヴィオラの二人になる。月を見上げるヴィオラは、幻
想的で、神秘的とも言える。吸血鬼なので、神秘ではないのだが。
不意に、吸血の副作用で敏感になった俺の聴覚が、僅かな物音を
捉えた。距離はあるし、動きはないが、向こうから攻めてきても困
る。
音の正体を確認しようと、俺は物音のした方へ向かった。茂みと
木々を抜けると、水の流れる音が聞こえてくる。
人影が見える。誰かが水浴びでもしているのだろうか。しかし、
こんな夜中に一体誰が。
と、距離を詰め、俺とそいつの目が合った瞬間︱︱
﹁キャアアアアアアア﹂
﹁うわあああああああ﹂
﹁アアアアアアアアア﹂
﹁あああああああああ﹂
﹁アアアアアアアアアアアアアァァァッ!﹂
﹁あああああ⋮⋮って、何やってんだ殺人神父﹂
888
急に叫ばれたせいで反射的に俺も叫んでしまった。まさか水浴び
をしていたのが昨日の神父だったとは。それにしても、叫び方がキ
ャーって⋮⋮女子でもこんな反応しないぞ。
聞いた話では女子は覗かれたら﹃死ねふざけんな殺すぞオラァ!﹄
とか言い始めるらしい。女子力というのは創りあげられたものでし
かないというのか⋮⋮。
今度リラ達の風呂を覗いてみよう。うん、そうしよう。いや、別
にやましい気持ちがあるわけじゃないよ。ただ、本当にそうなのか
検証するだけであって、別に覗きたいわけではないのだよ。
﹁あ、つーか、何でいるんだよ? 成仏したんじゃなかったのか﹂
﹁未練が残っていまして﹂
﹁なんだよ﹂
﹁世の中には経験出来ていない事がたくさんあります。ええ、それ
はもう、たくさん。殺人ばかりしてきたものですから、わたくし、
未だに息子を使ったことがないんです﹂
﹁うん、それで?﹂
﹁あなたの後ろを貰えないでしょうか?﹂
﹁イアッー!﹂
いきなり現れて未練が残ってるとかほざきだして、挙句の果てに
は自分はヴァージンだから俺のヴァージンを捧げろと。冗談じゃな
い。掘られるくらいなら掘る方がマシだ⋮⋮ん?
﹁冗談です。むしろ私を突いてください﹂
﹁死ねよクソ野郎。テメェの腐ったケツなんか誰が欲しがるんだよ。
阿部さんも遠慮するぜ、そんなの﹂
﹁アベ⋮⋮? まぁいいです。私はいつでもあなたの後ろを狙って
いますよ。では﹂
﹁あっちょっ﹂
889
俺の制止も聞かずに、ホモ神父は一瞬で姿を消す。言葉の通り、
一瞬で。
まったく、神父ともあろう男がホモだとは、世の中何があるか分
かったものではないな。実はシスターさんが百合百合でした、みた
いな事もありそうだわ。
﹁どうした、お主や﹂
﹁ヴィオラか⋮⋮いやぁ、幻影を見ただけさ﹂
﹁幻影? お主、無理しすぎてはおらぬか?﹂
﹁いえいえそんな。シャルルさんはピンピンですよ。色んな意味で
ね。HAHAHA﹂
﹁お主がそんな冗談を言うとは珍しい事もあったものだ。ちぃとこ
っち来い﹂
冗談は言わないだけで、頭の中ではたくさん思っているのであり
ますよ、ヴィオラ様。言うと好感度が下がるからね!
男子との会話で下ネタはかなり盛り上がるが、女子が相手だとそ
うはいかない。白い目を向けられ、雑菌扱いされる。
あっ、雑菌扱いで思い出したんだが、アレは中学生の頃の話だ⋮
⋮いや、止めておこう。よし、下ネタは極力控えないとな、うん。
と、一人そんな決意をした時、ヴィオラの額と俺の額が接触する。
顔が目の前に迫り、あとちょっとでキスが出来そうだ。
﹁おい、何してんだ。シャルル的にポイント低いかも﹂
﹁熱があるか見ただけじゃ﹂
﹁自然治癒力が化物レベルの奴が風邪をひくと⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮うるさい、もう良い﹂
意味がわからない。どこで俺が間違った言葉を言ったのかは分か
890
らないが、ヴィオラ様はお怒りの様子で逃げるように馬車の元へ戻
っていってしまった。
﹁解せぬ⋮⋮口づけしとけば良かった﹂
﹁私としますか?﹂
﹁⋮⋮死んでくれ、クソ神父﹂
﹁もう死んでます﹂
その後馬車に戻ってみても、ヴィオラに相手にしてもらずに日が
昇ってしまった。
︱︱︱︱︱︱
次の日の朝、全員が起きた事を確認すると、早々に馬を歩かせた。
平坦な道をただ進み、途中で休憩を挟みながらも自分たちのペース
でしっかりと軍事国バーゼルトへ近づいていく。
軍事国バーゼルトの情報はあまり持っていない。というよりも、
調べようとしなかったのが大きい。王国を出る前に一度バーゼルト
の事を調べておくべきだったかと、今更後悔している。
﹁シャル⋮⋮、リンゴ⋮⋮﹂
﹁美味しいか?﹂
﹁ん。シャルも、食べて⋮⋮﹂
俺が﹁あー﹂と口を開くと、カレンがリンゴを食べさせてくれた。
ふむ、これはたしかに美味い。歯ごたえは良好。甘い果汁も噛む度
891
に出てきて、まさに生で食べる為に存在しているリンゴだ。
﹁美味し⋮⋮?﹂
﹁うん、美味い。もう一個﹂
﹁ん、口⋮⋮﹂
⋮⋮いやぁ、幸せだ。うん、幸せ⋮⋮だから、俺はこの幸せを、
守っていかなきゃいけない。守りたい。
また不幸な日々を送るのは嫌だ。一人は寒くて、寂しくて、辛く
て、痛い。守るためには俺が誰かを強く恨む事もしちゃいけない。
抑えなくてはいけないのだ。
だが、問題ない。感情のコントロールは、小さい頃からやってき
た事だ。今更したって、どうって事ない。
︱︱今の君は自由なの?
不意に、頭の中に声が響く。これは、シャルルの声だろうか。
︱︱自由に生きるんじゃなかったの?
違う⋮⋮幻聴だ。無視しよう。
︱︱君は本当は恨めしいんだ。周りにいる誰もが、憎らしくてた
まらないんだ。
違う。俺は大事な家族を守りたいだけだ。
︱︱そんなのは建前だ。正直になって。嫌なら殺してしまいなよ。
自由になれる。
違う。これが俺の選んだ自由だ。
﹁⋮⋮︱︱ル⋮⋮︱︱シャル?﹂
﹁んっ? お、なんだ?﹂
﹁前⋮⋮﹂
カレンに肩を揺さぶられ、遠のいた意識が現実へと引き戻される。
892
前、と言われカレンの指差す方を目にすると、そこには三人の男が
仁王立ちをしていた。俺は馬を止め、御者台から降りて男達の元へ
と向かう。
三人の男。三人共同じポーズで、同じキノコ頭。左の奴は小太り
で、右にいる奴はやせ細っている。真ん中にいる奴はノッポさんだ。
絵に書いたようなトリオがこんな所に現れるとは、逆に珍しいぞ。
﹁あの、すみません。通行の邪魔なのですが⋮⋮﹂
﹁邪魔をしているのだ﹂
ノッポがそう答えると、左右の凸凹がうんうんと頷く。
﹁迷惑行為、ダメ、絶対﹂
﹁ふんっ、俺達はお前らの様な幸せ者を潰しに来たのだ﹂
﹁あー⋮⋮﹂
いつだったか⋮⋮半年ぐらい前に聞いたことがある。道の真中で
仁王立ちをして、リア充を困らせている三人衆がいるのだとか。
そうすると、俺はリア充に見られているという事か。それはそれ
はありがたいな。
﹁それで、どうしたいのですか?﹂
﹁黙って俺達に殴られてくれ。何があっても手を出さないという約
束も込みだ﹂
﹁いいですよ﹂
﹁なに、本当だな?﹂
﹁はい。バッチコイってもんです﹂
俺がそう言い終わるやいなや、ノッポの手が早速伸びる。餌を前
にした蛇、という程鋭くはないが、早さはある。
893
が、反射的に拳を避けてしまった。腕が俺の目の前を通りぬけ、
ノッポが前のめりになる。そのまま鳩尾に膝を入れてやりたいとこ
ろだが、ここは我慢といこう。
﹁何故避ける!?﹂
﹁避けないとは言ってない﹂
﹁クッ、お前ら、やっちまうぞ!﹂
ノッポの言葉により、仁王立ちのままだった凸凹が殴りかかって
きた。二人が殴り合わないように、前方と後方から少しずらしてき
ている。
しゃがみこんでパンチを躱すも、すぐに膝が二つも迫ってきた。
上は既に空いているので、しゃがみ込んだ際の勢いを利用してバッ
ク転で躱す。が、ノッポに足を掬われてしまった。
尻を付きそうになるのを右手で止め、右手を軸にそのまま後ろへ
回転した。
﹁なぁにぃ!?﹂
﹁来いよノッポ。お遊戯はまだ終わってないんだろ?﹂
﹁お遊戯⋮⋮だと⋮⋮?﹂
﹁ん? 違うのか?﹂
﹁違う! 俺達は本気でお前ら幸せ者を恨んでいる! 全ての幸せ
者に迷惑行為をするのが、俺達の使命だ! あわよくば別れさせて
やりたい!﹂
﹁ただの僻みじゃねぇか⋮⋮﹂
﹁僻みじゃない。恨みだ。幸せ者は不幸者を蔑み、馬鹿にする。俺
達がそうされた様に⋮⋮お前ら幸せ者は高台から俺達を見下ろすん
だ⋮⋮﹂
なるほど。この三人は意思を同じくして集ったと。果報者を不孝
894
者にするのが、こいつらの目的。実際のところ、こいつらのせいで
別れたカップルの数はそう少なくはない。⋮⋮たしか。
﹁行くぞお前ら! このガキを潰す!﹂
ノッポの叫びと共に、三人が襲いかかってきた。俺はどの拳も避
けずに、全部、体で、顔面で受け止めた。
踏ん張る事もしていなかったせいで、数メートルほど後退してし
まう。痛かったが、傷も痛みも一瞬で癒えてしまう。
﹁何故避けなかった。同情でもしたか?﹂
﹁しないよ、そんなの。誰がお前らみたいな奴らに同情なんかする
んだよ﹂
﹁なんだと?﹂
﹁ノッポさんよ、左右を見てみなよ⋮⋮お前はそれでも自分が不幸
だって言うのかよ? 一緒に過ごしてくれる、自分の意見に賛同し
てくれる、そんな仲間がいて、お前はまだ自分が不幸だって言うの
かよ?﹂
こんな人を説教するような事、俺の柄じゃないんだがなぁ。
今更ながら、自分の言ったことに気恥ずかしさを覚え、思わず頭
を掻いてしまう。穴があったら入りたい。何で俺、こんな事言っち
まったんだ⋮⋮うぅ⋮⋮。
﹁⋮⋮こ、これからは兄貴と呼ばせてください!﹂
﹁えっ!?﹂
﹁俺達三人は、兄貴の言葉に感動しましたぁ!﹂
いやいや、早いよ、堕ちるの早すぎだよ。寝取り漫画でももう少
し粘るよ。あっ、なるほど。これが最近流行りのチョロインか⋮⋮。
895
・・・・
﹁兄貴、俺達、悪い方ばっかり見てて、良いことが全然目に入って
ませんでした⋮⋮恨みってのは、恐いもんですね⋮⋮﹂
﹁そうだな﹂
﹁兄貴、俺達、もうやる事無くなっちまいました⋮⋮﹂
・
﹁まずは迷惑行為を止めなさい。そして、あなた達三人でやりたい
事を見つけなさい。俺もちゃんと、後押ししてあげるから﹂
恥ずかしさをごまかす意も込めて、ちょっとふざけてみたのだが、
俺の眼の前にいる三人衆は口から﹁おっかぁ⋮⋮﹂と漏らしていた。
⋮⋮聞かなかったことにしよう。
﹁付いて来たいならきなさい。ただ、馬車に空席はありませんよ﹂
﹁俺達は地獄の底まで付いていきます! 移動なら俺達の馬がある
ので大丈夫です!﹂
﹁分かりました。なら、俺の連れに紹介しますから、馬を連れて馬
車に戻って来なさい﹂
﹁はい!﹂
と、素直に返事をするノッポ。手のひら返しとはこの事か。⋮⋮
きっと誰も、いなかったんだろう。誰も、言ってくれなかったのだ。
ただの言葉、されど言葉。三人の繋がりを気付かせる人が、今ま
で現れなかったのかもしれない。おそらく、俺でなくてもこの三人
衆は﹃兄貴と呼ばせてください!﹄とか言ったに違いない。
偶然、ただの偶然初めてが俺だっただけなのだ。でも、それでも、
俺は人を救えただろうか。偶然でも人を救えたのなら、俺はとって
も幸せだ。
﹁おい、どうした﹂
896
俺を出迎えたのは、リラ。心配に思ってくれたのか、荷台からわ
ざわざ降りてきたらしい。
﹁いや、あの三人が仲間になった﹂
﹁大丈夫なのか、それ⋮⋮﹂
﹁問題ない。裏切るようなら殺す﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
﹁まぁ、大丈夫だろ、多分﹂
﹁む、服が乱れてるぞ、しっかりしろ﹂
リラは説教じみた顔で、俺の服についた皺を伸ばし、埃をはたい
てくれた。面倒見がいいのは、ニーナと友人になれている時点で分
かりきっている事だが、これが姐御肌という奴だろうか。話を無理
やり逸らされた気もするが、気にしないでおこう。
うーん、にしても、いいなぁ、
お姉ちゃん。俺も欲しかった。シャルルは過去を話してくれない
から、実はシャルルにもいたりするのかもしれない。
﹁ありがとう﹂
﹁気にするな。それよりも、戻ってきたようだぞ﹂
リラの視線の先にあるのは、凸凹ノッポの三人衆。馬車ではなく、
馬に乗っているし、移動は俺達よりも早くできるだろう。三人衆の
使い道は色々あるな。
﹁おーい、皆さーん、新しいお仲間の紹介ですぞー﹂
わざわざ荷台にいる連れを降ろさせ、一応顔と名前だけは覚えて
もらう。全員が出てくる前に、俺は三人衆に馬から下りるようジェ
スチャーした。
897
﹁はい、左からどうぞ﹂
﹁ポーロです﹂
﹁トニーです!﹂
﹁フ、フランクです﹂
小太りがポーロ、ノッポがトニー、そしてガリがフランクか⋮⋮。
三人衆でも長いからな、何か略称を⋮⋮。
﹁よし、お前ら三人合わせてポトフだ。いいな?﹂
﹁兄貴が言うなら!﹂
﹁俺達ぽっとっふ∼﹂
﹁ポットッフ∼﹂
ポーロに合わせてフランクが口ずさむ。仲間が三人増えた事によ
り、一段と騒がしくなった。⋮⋮実は、もう一人付いて来ている奴
がいるのだが、皆には黙っておこう。
﹁さて、出発しますか﹂
男四人と女子多数、そして一体の幽霊は、また歩を進めた。
それぞれが何を思うのか、それは俺の知る所ではない。
思いなんてのは知らないが、この幸せが続くなら、俺は何だって
する。そう、何でも。何でもするさ。
⋮⋮ん?
898
幸せと辛いって字、潰れてると読み間違えるよね︵後書き︶
遅くなりました。スランプってやつですかね。ネタが無いです、テ
ヘペロ☆
しばらく日常系が続くかもしれません。かもしれません。はい。
899
運動会の応援は耳に残る︵前書き︶
今回も日常パート。
900
運動会の応援は耳に残る
ポトフ三人衆を引き連れ、俺達は移動を始める。俺の隣にはカレ
ンではなく、クロエが座っていた。
サラが﹃お姉ちゃんと一緒にいたい﹄と控えめにお願いしていた
ので、カレンお姉ちゃんはクロエと交代してサラと一緒にいる。
﹁シャルル、私って、すごく薄いと思う﹂
クロエが何の前置きもなくそう告げた。唐突に話題を振られる事
には慣れている為、問題はない。
﹁髪が?﹂
﹁髪はサラサラだよ! そうじゃなくて、影が!﹂
﹁いやいや、そんな事ないだろ。ほら、クロエは竜人族だし﹂
﹁それだけ?﹂
﹁他にもあるよ﹂
﹁例えば?﹂
﹁え∼っと⋮⋮﹂
クロエの個性は、その、なんだ。赤毛なところ、も竜人族である
事だし、変体できるのも竜人族って事だし⋮⋮。
﹁げ、元気なところ?﹂
﹁どうして疑問形なの。それに、それはリラで足りてると思う﹂
﹁あっ! スパッツ履いてるのは、シャルル的にポイント高いかも
!﹂
クロエはスパッツを何着も持っていて、寝る時以外は常にスパッ
901
ツを着用しているのだが、これも個性の一つだろう。
スパッツ︱︱別名をレギンス。伸縮性があり、脚にフィットする
長いパンツの事だ。スパッツは肌着なので、もちろん上からはスカ
ートを履いているわけだが、俺的には生足よりもポイントが高い。
黒い生地で強調される太もも。見ているだけで撫で回したくなる。
それはもう、手綱を放り投げて今すぐにでも。
﹁服装が個性だとか言われても、私ぜんぜん嬉しくないよ!﹂
﹁いいか、よく聞け。服装というのは人の性格を表していると言っ
ても過言ではない。だらしない奴はだらしないし、小奇麗な奴は小
奇麗な格好をする。髪型も然りだ。そしてクロエ、君は後ろで髪を
結んでいるのに合わせてスパッツを履いている。あとはわかるな?﹂
﹁ちっとも分からない﹂
なん⋮⋮だと⋮⋮!?
女子にはポニーテールに合わせたスパッツの素晴らしさが伝わら
ないというのか⋮⋮!?
﹁世界の終わりみたいな顔やめてよ! 私が悪いことしたみたいだ
よ!﹂
﹁⋮⋮あっ! もう一つあった。クロエは素直だ!﹂
﹁それ、カレンちゃんにも、ニーナにも当てはまる事だと思うけど
⋮⋮﹂
﹁いーや、カレンはお姉ちゃん素直、ニーナは妹素直だ。クロエは
幼馴染素直な﹂
﹁意味が分からないよ!?﹂
﹁言葉のままだろ。何がわからない﹂
﹁素直の前にくる幼馴染とか妹とか⋮⋮﹂
﹁カレンは面倒見の良い系の素直、ニーナは甘えてくる系の素直、
クロエは幼馴染系の素直だ﹂
902
﹁どうして幼馴染だけ幼馴染って単語が説明みたいになってるの⋮
⋮﹂
全く、クロエめ、質問ばかりだな。カレン、ニーナ、クロエ。左
から順にクール、スイート、ポップの簡単な話だろう。
しかし、これ以上細かく言うと、クロエにドン引きされる事間違
いなしだ。俺は紳士シャルル、下品な話はしないのさ。
﹁ま、とにかく、クロエにも個性はあるんだよ。やったねクロエち
ゃん!﹂
﹁むぅ⋮⋮なんか、無理やり本を閉じられた気分⋮⋮﹂
﹁その本は十八禁だから、もう読んじゃだめだよ﹂
﹁え、うん⋮⋮﹂
不毛なやり取りをしている間に、村が視界に入る。先にポトフ三
人衆に馬をあずけさせ、俺達はその間に荷物の確認と整理を済ませ
る。異常はないので、二台の馬車を馬屋にあずけた。
早速宿を取り、荷物を置いて落ち着いたところで全員に休むよう
に伝え、俺は服を整えてから、宿を出て村を散策する事にした。
次の村へ、次の村へと行く度に、村の温度が下がっていっている
気がする。この世界に四季はなく、季節感を味わいたいならどこか
の土地へ行かなくてはならない。
冬は北、夏は南、春は東、秋は西。今俺達が向かっているのは北
なので、進行するに連れて寒さが増していくのだ。
﹁シャルル﹂
しばらく歩いて小腹がすいたなと感じた頃、後ろから名前を呼ば
れる。
振り返ると、そこには神父がふわふわと浮いていた。俺は前に向
903
き直り、歩きながら問い返す。
﹁なんだよ﹂
﹁いや、わたくし、道中暇してたもんで。シャルルさんに話しかけ
ても無視するし⋮⋮﹂
﹁仕方ないだろ。お前に話しかけたら俺が変人扱いされる﹂
﹁もう既にされているではないですか?﹂
﹁ぐぬぬ⋮⋮﹂
そう言われると、返す言葉もござらん。正直、カレンに好かれて
いる事は俺でも分かる。しかしながら、他の娘たちの心情は良く分
からない。
おそらく、﹃変人﹄だとは思われているだろう。それがマイナス
に繋がっているのか、プラスに繋がっているのかは分からないが。
﹁あ、ていうか神父さんよ﹂
﹁はい?﹂
﹁﹃教会﹄とかって組織、聞いたことある? もしくは﹃魔神﹄と
か﹂
﹁⋮⋮﹂
軽い気持ちでぶつけた質問だったのだが、神父の顔が険しくなる
のを見て、思わず歩く足を止めてしまった。
﹁何か、知ってるんだな?﹂
﹁⋮⋮シャルルさんこそ、よく知っていますね﹂
﹁お前どうせ死んでるし、影響ないと踏んで言っておくが⋮⋮俺、
教会に狙われてるらしいんだ﹂
﹁あなたが、ですか⋮⋮﹂
﹁ああ。だから、情報が欲しい。出来るだけ多くの情報が﹂
904
神父はしばらく考え込んだ後、意を決したように頷き、口を開く。
・・・・・・
﹁教会は、魔神を産み出そうとしている組織です。魔神の器を探し、
育成する。それが、彼らの目的。組織員のほとんどが魔術師で構成
されていると聞いています。それも、無詠唱を使える魔術師が二桁
もいるのだとか﹂
﹁話し方から察するに、人伝に聞いた話なんだな?﹂
﹁はい﹂
なるほど。神父でも詳細な情報を持っていなかったようだ。やは
り、裏でこそこそ動いている組織なのか。
しかし、ほとんどが魔術師で構成されているとは初耳だ。しかも
無詠唱ときた。厄介だな。
﹁それと、魔神関連ならば⋮⋮﹃処刑者﹄という組織も聞いたこと
があります﹂
﹁処刑者⋮⋮?﹂
ここに来て新しい組織の情報。今までに一度も聞いたことがない、
ヴィオラも教えてはくれなかった事だ。
﹁魔神の誕生を防ぐ組織です。平和的解決ではありません。器を、
殺す事が、彼らの目的です﹂
﹁殺す⋮⋮。教会は傍観し、捕獲、利用するのが目的。処刑者は魔
神が誕生する前に殺すのが目的⋮⋮か﹂
﹁そうなります﹂
これもまた初耳だ。俺を狙っているのは教会だけじゃなかったと
いう事。そうなると、処刑者と教会に限らないかもしれない。
905
これからは堂堂として向こうからの襲撃を受けるのか、隠れてこ
ちらから先手を取れるタイミングを見つけるか。
早期決戦を望むなら、前者だろう。向こうは俺が名乗れば必ず探
しだして殺りに来るはずだ。そうなると、向こうのタイミングが分
からないから、後手に回る事になってしまう。
ヴィオラの力を過信しすぎるのも問題だ。ヴィオラは一人しかい
ないわけだし、向こうは遠距離型、それでいておそらく大規模。
俺なら全方位防御も可能だが、そうすると攻撃に転じれない。失
礼だが、リラやニーナでは力不足だろう。
﹁⋮⋮わたくしは、喧嘩を売るのはやめた方がいいと思います﹂
﹁同感だ。これじゃあ影と戦うようなものだからな﹂
﹁あ、見てくださいシャルルさん。あそこの女の人、おっぱいデカ
イですね﹂
﹁おぉ⋮⋮﹂
たしかに、デカイ。俺の目なら分かる。ノーブラだ。歩く度に揺
れているだけでなく、おそらく布と擦れているのがいけないのか、
突起物が若干浮き出ている。
﹁︱︱って、今はシリアスな時なんですよ神父さん。止めてくださ
いそういうの﹂
﹁きゃっ、ケダモノッ﹂
﹁うぜぇ⋮⋮﹂
︱︱︱︱︱︱
906
﹁お、お兄ちゃん﹂
﹁はいはい、何ですかサラさん﹂
一度宿に戻った俺に、サラが駆け寄ってくる。指をお腹の前で絡
ませ、もじもじし始める事数十秒、サラが裏返った声でこう告げる。
﹁一緒に、お散歩しようっ﹂
﹁イーヨー﹂
どこかのフランケン風に言ってみたが、ネタが通じない。サラが
苦笑して首を傾げてしまっている。しかし、いきなり一緒にお散歩
とはどうしたんだ。
カレンの方を一瞥するも、何食わぬ顔をしている。シャルルさん
は分かっているんですよ。あなたが何か吹き込んだんでしょう?
とは言わずに、サラの手を引いて宿を出る。サラの頭を軽く撫で
てから、俺はサラの前に屈みこんだ。
﹁肩のるか?﹂
﹁え、う、うん⋮⋮!﹂
サラの股の間に頭をつっこみ、しっかり捕まった事を確認して持
ち上げた。サラは何の影響か、背丈が伸びない。精神的には成長す
るが、肉体的な成長をしないのだ。
つまり、彼女はもう少し経てば合法ロリに⋮⋮。
﹁お兄ちゃん﹂
﹁はいはい﹂
﹁最近疲れてるね﹂
907
﹁んぁ? そう?﹂
﹁うん⋮⋮無理してる気がする⋮⋮。お兄ちゃんは一人じゃないよ。
お姉ちゃんもいるし⋮⋮その、わ、わ、私も、いるから⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ああ、そうだな﹂
自分で疲れているだとか、無理をしているだとか、そういう事は
意識にない。まず、自然治癒のせいでほとんど疲れないし、吸血の
副作用もある。
問題を一人で背負っているわけではない。ヴィオラにもちゃんと
相談はした。情報収集だって人に頼っているつもりだ。
だが、ずっと起きている事が、悩んでいる事が、無理をしている
様に見えていたなら、カレンを含めた仲間たちには悪いことをした
な⋮⋮。
﹁それで、サラさん。一体お姉ちゃんに何を吹きこまれたのかな∼
?﹂
﹁う⋮⋮お兄ちゃん、いじわるだ⋮⋮﹂
﹁フハッ! どうとでも言え! さあ、言わないと太ももスリスリ
しちゃうぞ!﹂
﹁へ、変態、お兄ちゃん変態っ!﹂
﹁は、反対! 暴力反対!﹂
頭頂部をぽこぽこ殴られるのではなく、鋭いチョップを受けてい
る。どこでこんなチョップの仕方を覚えたのかは知らないが、かな
り痛い。
﹁⋮⋮お兄ちゃんがいけないと思う﹂
﹁俺もそう思う。すまんかった﹂
﹁反省してね﹂
﹁うん。する。それで、一体お姉ちゃんには何を⋮⋮?﹂
908
﹁え⋮⋮うぅ⋮⋮お兄ちゃんとの距離がある気がするって言われて
⋮⋮一緒に話でもしてきたらって⋮⋮﹂
﹁なるほどね﹂
たしかに、言われてみればサラは俺から距離を取っている気がす
る。まあ、俺がサクサク人を殺すのをほぼ初対面の時に見せたわけ
だから、警戒されているのだろうか。
流石に数年一緒に過ごしてずっと警戒していたって事は⋮⋮ない
だろう。あったとしたら、それはサラにとって大きなストレスだ。
ここは聞いてみるしかないな。
﹁ちなみに、どうして俺に距離を置いていたんだ?﹂
﹁⋮⋮わからない。でも、なんか、一緒にいると、胸の辺りがきゅ
ぅってするの。それが変な感じで⋮⋮。今も、きゅぅってしてる⋮
⋮﹂
﹁⋮⋮ふぅん。カレンには言ったの?﹂
﹁うん。もう少しすれば勝手に分かるって言ってた。だから、それ
まではこのままで居ようかなって思ったんだけど、もっと近くにい
ればすぐに気付けるよってお姉ちゃんが﹂
﹁それで、今日思い切って誘ってみたわけだ﹂
﹁迷惑、だったかな⋮⋮?﹂
﹁いや、全然。嬉しいよ、俺は﹂
⋮⋮困ったなぁ。きゅぅって、それ、心臓病かな。どうしよう、
治癒魔術で治るといいんだけど。
それとも、成長しないのと何か関係があるのか。過去に起こした
魔力暴走が関係しているのかもしれない。
ポジティブ思考をするなら︱︱少女漫画的表現をしているのか、
だ。俺は恋をした事がないから、﹃きゅぅ﹄とか﹃きゅん﹄とかが
どういった物なのかが分からない。
909
どこかの団長は、﹃恋愛感情はただのバグ﹄だとも言っているか
らな。俺はバグだとしても素晴らしいものだと思うけれど。
﹁あ、サラ、何か食ってくか?﹂
﹁ううん、大丈夫。お腹いっぱいになると、お姉ちゃんに怒られち
ゃうから﹂
﹁そうだな、うん、そうだ﹂
意識すると、唐突に舌が回らなくなる。どうしてラノベ主人公は
あそこまで鈍感になれるのだろうか。羨ましい限りだ。
﹁ねぇ、お兄ちゃんはさ⋮⋮お姉ちゃんの事、好き?﹂
﹁それはどういう意味で?﹂
﹁異性として﹂
﹁はあ⋮⋮まぁ、そりゃあ⋮⋮うーん⋮⋮ヒミツ﹂
﹁どうして?﹂
﹁⋮⋮自分でも、分からない。俺には、分からないんだ。俺は案外、
冷淡なのかもしれない﹂
正直言って、俺がカレンの事をどう思っているのかなんて、良く
分からない。好きではあるが、異性としてなのか、家族としてなの
か、両方なのか。
自分の事ではっきりしている事なんて、﹃教会を潰したい﹄、そ
の願望だけだ。異世界でやりたい事なんてのも、﹃世界一周﹄とい
うありきたりな物だ。
﹁お兄ちゃん﹂
﹁ん?﹂
﹁私は、お兄ちゃんが貰ってくれて、とっても嬉しいよ? お兄ち
ゃんも、お姉ちゃんも、ノエルさんも、暖かかった。一緒にいると、
910
ふわふわして、気持よかった。お兄ちゃんは、優しい人だよ⋮⋮暖
かくて、優しい人⋮⋮誰がなんと言おうと、お兄ちゃんは、優しい
よ﹂
子どものくせに、色々と励まそうとしやがる。本当に、困った奴
だな。
﹁サラは本当にいい娘だなぁ。もう⋮⋮お兄ちゃんは、お困りだよ
⋮⋮﹂
ダム
サラの小さく、柔らかな手が、俺の頭を優しく撫でた。俺はサラ
が成長していた事を実感し、今にも涙腺が崩壊しそうだが、堪える
事によって黙りこんでしまう。
サラも、何も言わずに、ただただ俺の頭を撫でてくれた。成長し
た娘を見て感動する親の気持ちが、少しだけ、分かった気がする。
911
運動会の応援は耳に残る︵後書き︶
更新遅くなってすみません。
私がどれだけ日常・ラブコメを描くのが苦手なのか、お分かりいた
だけただろうか⋮⋮?︵心霊写真並感︶
エタる事はないです。
多分、おそらく、Maybe、Probably。
912
バーゼルト︵前書き︶
またまたお待たせしました。
913
バーゼルト
着きましたよ着きました。ええ、やっと着いたんです。
え? どこにって? そりゃあもちろん︱︱︱︱どこ、なんだろ
うな。
本当にもう、ここは一体どこなんだろうか。俺達はたしかに軍事
国バーゼルトに向かっていたはずなのだ。
軍事国だ、軍事国⋮⋮ならず者の国であるはずがなかったんだが、
ここは完全に、そういった人間の集まりだ。
昼間っから酒を飲んで騒ぎ散らし、道のど真ん中で斬り合う奴な
んかもいる。無法地帯というべきだろうか。
道には残飯が散らばり、何日も放置されていたのか、悪臭を放っ
ている。
ひと目を気にせず立ちションベンをしている輩も目に入るし、俺
の連れには毒だ。
建物は石造りの頑丈そうなものだが、汚物をつけられ見るに耐え
ない姿だ。
俺の想像していた綺麗且つ防御感のある場所とは全くもって異な
っている。
﹁エリカさーん、こりゃあどういう事でしょう?﹂
﹁し、知らないよー⋮⋮聞いた話では、綺麗でちゃんとした所って
ことなんだけどさー⋮⋮﹂
俺の投げた質問に、エリカが弱々しく答えた。
たしかに、そうなのだ。俺が聞いた話でも、軍事国バーゼルトは
しかと統制されている国だと。
だが、この有り様は何だ。統制のとの字も見えない。
914
﹁やはり、そうじゃったか﹂
ヴィオラが意味ありげに呟いた。全員の視線がヴィオラに注がれ、
ヴィオラは諦めた様に肩をすくめる。
﹁どういう意味だ?﹂
﹁王が死んだという噂が流れていたんじゃが、曖昧且つ不確かな情
報だったせいか、言わんでも良いかと思っての﹂
﹁噂? 王が死んだのに、噂で済むのか?﹂
﹁そこなんじゃ。王が死んだら大騒ぎになるはずなのじゃが⋮⋮誰
かが情報操作をしたんじゃろう。おそらく、王の替え玉でも使って
の﹂
﹁迷惑な話だな﹂
王が死んだという事実を隠す理由⋮⋮メリットは何だ。
隣国と仲が悪いだなんて話は聞いたこともないし、わざわざ替え
玉なんて事をしないでも、普通に継承すれば良かったのに。
﹁まあ、知りたければ王に会うしかないじゃろう﹂
﹁知りたければ、ねぇ⋮⋮﹂
正直な話、とても知りたい。好奇心というのは抑えようとしても
駆り立てられるもので、知りたいという欲求を抑えるのにはかなり
の労力がかかる。
だが、王と会うなんて事、安安と出来ることでもない。
ヴィオラの地位を盾にすればできないでもないが、王の存在を隠
す程なのだから、それは難しいだろう。
﹁とりあえず、宿探しだ。治安の良さそうなとこがいいから、中央
915
に行ってみようか﹂
全員を引き連れ、なるべく争いの輪を避けながら中央へと向かう。
絡まれる事もなく中央に辿り着いたが、余計に人がごった返して
足元に汚い水たまりを作ってしまいそうだ。
﹁ご主人様、大丈夫ですか? 抱っこしましょうか? おんぶです
か?﹂
﹁⋮⋮いえ、大丈夫です﹂
既にお姫様抱っこの構えをとったノエルが俺の横に現れるが、遠
慮しておく。
女の子に抱かれる少年の図は、後々ヴィオラに馬鹿にされる光景
になる事間違いなしだ。
﹁シャルルや、掲示板を見てみ﹂
ヴィオラの言うとおり、中央広場にでかでかと構えられた掲示板
に目を向ける。
ここで、人が群れていた理由に気づく。あの張り紙のせいだ。
﹁闘技場にて大会を開催⋮⋮優勝者は王に謁見が許される。賞金は
金貨二百枚⋮⋮﹂
俺は全員が内容を理解できるように、張り紙に書かれていた事を
そのまま声に出した。
この大会に出場すれば、俺は王に会えるわけだ。
俺の﹁気になります!﹂も解消され、賞金も貰える。
出るべきか、目立たぬ様に控えるべきか。
916
﹁シャルル⋮⋮出場⋮⋮する⋮⋮?﹂
ニーナが耳をピクピクをさせながら首を傾げた。本当に鼻の効く
お嬢さんだな。
﹁⋮⋮いや、出ない。目立つ行為はあまり取りたくないからな﹂
﹁名前⋮⋮変えて⋮⋮出ればいい⋮⋮﹂
﹁でもな、やっぱり控えた方がいいと思って﹂
﹁別にいいんじゃないか? お前は戦うのが好きだろ。心労解消と
して出ればいい﹂
獣人の二人が出場を推してくる。何故だ。逆に出たくなくなる。
﹁カレン、俺出ないほうがいいよね? ね?﹂
﹁やりたい、ように⋮⋮やればいい、と、思う⋮⋮﹂
﹁ふぇぇ⋮⋮﹂
俺を止める人はいないというのか。少しの希望を含ませながら、
ポトフ三人衆に視線を送るが、サムズアップを返された。
俺が求めてるのはエンカレッジメントじゃないのに⋮⋮。
﹁まあ、その髪色をどうにかすれば何とかごまかせるじゃろ﹂
﹁俺の特徴って髪の色だけなの⋮⋮﹂
﹁そう言われても、お主の顔はぼやけて良く分からん﹂
﹁衝撃の事実。カレン、俺の顔ってぼやけてる?﹂
﹁⋮⋮かっこいい、と、思う﹂
目を逸らしながら言われても説得力の欠片もないんだよ、カレン
ちゃん。
ああ、俺の顔ってモザイクかけられてたんだ。何かすごく悲しく
917
なってきた。
⋮⋮いや、まてよ。エロゲ・ギャルゲの主人公というのは顔が隠
れている割にモテる。
逆に言えば、顔が隠れているからこそモテているのでは⋮⋮!?
くっ、俺がモテるのは、シャルルの顔がギャルゲの主人公顔だっ
たからか⋮⋮!
﹁こほん。まあいい。とりあえず、髪は違う色に染めて、出場して
みるよ﹂
﹁少しは暴れに暴れてすっきりしてこい﹂
﹁後は任せたぞい、ヴィオラ﹂
俺はそう言い残して、全速力で大会の開催される闘技場なる場所
へと走った。
強い奴とやりあえると思うとウズウズして、口元が緩んで仕方が
無い。
シャルル。面白いこと、見つけてやったぞ。これで少しは満足し
てくれよな。
︱︱︱︱︱︱
﹁参加は無料でございますが、命の保証はいたしません。全ては参
加者当人による責任であり、我々運営側は一切の責任を負いません。
此等を把握の上でご参加になられますか?﹂
﹁問題無いです。参加します﹂
918
闘技場の入り口は参加者用と観客用に分かれており、俺が参加者
用の窓口から参加登録を済ませた。
命の保証をしない、という事は、逆に言えば殺ってしまっても問
題ないという事だ。
これで、手加減は必要ないという事になるが⋮⋮やはり、手加減
はするべきだろうな。
フェアな戦いが決闘というのであって、アンフェアノールールは
ただの喧嘩だ。
﹁大会の開始時刻は明日の正午です。尚、不戦敗になった場合、金
貨五十枚の支払いをしていただきますので、ご理解の程、よろしく
お願い致します﹂
﹁分かりました﹂
俺は窓口の女性に礼を言ってから、闘技場なる場所を出た。
流石、人がサクッと死ぬ場所。受付も淡々としていらっしゃる。
とりあえず、俺はピアスに触れ、ヴィオラとの通話を念じた。会
話をしながら、中央へと戻る。
﹁なんじゃ、もう終わったのか﹂
﹁ああ。開始は明日だから今日は明日の準備って事になる﹂
﹁活き活きとしておるのう、お主や﹂
﹁そうか?﹂
﹁今までで一番楽しそうな声じゃ。お主はおなごよりも、血の方を
好いとるようじゃの﹂
﹁拙者は童貞故、女子といると息苦しいだけでござる﹂
﹁そうかい童貞や、早く帰ってこい。宿の名はウラモじゃ﹂
﹁ス⃝モ?﹂
﹁ウラモじゃ﹂
﹁ああ、ウラモね、分かった、了解﹂
919
某ショッピングモールに名前が似ているが、気にしないでおこう。
とりあえず中央にまで戻ってきたが、ウラモとかいう宿屋はここ
からでは見えない。
﹁あの、すみません。ウラモという宿屋をご存知でしょうか?﹂
﹁北に数分歩いたところにあるよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
近くを通りかかった男性に声を掛け、ウラモの居場所を探す。
北に数分、と言われたので、とりあえず北に進んでみたはいいが、
人混みが拙い。
群衆の中心で汚物をぶち撒ける事だけは避けたい。
人酔いは治癒で治せないのが痛いところだな。
﹁あった⋮⋮﹂
宿を見つけた頃には既に人の波にもみくちゃにされた後。
俺は街中のオアシスへと跳び込むように足を踏み入れた。
﹁うぷっ⋮⋮あ、ポトフ⋮⋮﹂
﹁兄貴!﹂
ポトフ三人衆が俺の肩を支えながら、二階へと連れて行ってくれ
る。
﹁すまないな⋮⋮﹂
﹁兄貴のためならこれくらい何てことないっすよ!﹂
﹁お前らは舎弟に昇格だ⋮⋮﹂
﹁ありがとうございます!﹂
920
素直な舎弟を持って、俺はいい気分だ。涙が出そうになるね。
だなんて事は口に出さずに、ポトフ三人衆の借りた部屋へ連れら
れる。
どうせ女子組の部屋は満員だろうし、これで良かったのかもしれ
ない。
俺は窓際にある椅子に腰を下ろし、息を落ち着けた。
﹁カレンたちは?﹂
﹁隣の二部屋です﹂
﹁そうか。俺は⋮⋮今夜はここで過ごす事にするよ﹂
﹁ホントですか!?﹂
﹁ああ。お前らとも話してみたいしな﹂
俺が言うと、ポトフ三人衆は目を輝かせた。
とりあえず、ヴィオラに俺はポトフ三人衆の部屋にいる事を伝え、
背を伸ばした。
力を緩めると一気に脱力し、背もたれに体重を預ける。
﹁空が青いな⋮⋮﹂
そんな詩的な言葉を呟いてみても、外の喧騒は修まらない。
統制された国がどうしてこうも堕落してしまったのか⋮⋮私、気
になります!
︱︱︱︱︱︱
921
皆で夕食をとった後、各自解散する事となった。
俺がカレンたちの部屋を通りすぎようとした時、不意に袖が引っ
張られる。
反射的に足を止め、数歩後ろに下がった。
﹁どうした、カレン?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁まぁ、何だ⋮⋮サラもいるんだろ? 今日ぐらいは一緒に寝てや
れ﹂
﹁ん⋮⋮分かった⋮⋮﹂
﹁悪いな。お休み﹂
﹁おやすみ、なさい⋮⋮﹂
俺はカレンの頭を軽く撫でてから、その場を去った。
カレンのしょんぼりとした顔がフラッシュバックされる。
俺はポトフの部屋に飛び込み、そのまま地面に体を叩きつけた。
﹁うわぁぁぁぁぁああぁん! うわぁぁああぁん!﹂
﹁あ、兄貴!?﹂
地面で転がり始める俺を見て、ポトフ三人衆が駆け寄ってくる。
俺は転がるのを止め、仰向けになって笑ってみせるが、ひきつっ
ている事ぐらいは自分でも分かった。
﹁お兄ちゃん離れ計画だ⋮⋮これは、お兄ちゃん離れ計画なのだ。
そして、俺の妹離れでもあるのだ⋮⋮分かるか?﹂
﹁はあ⋮⋮なんとなく、分かります﹂
﹁ううっ⋮⋮﹂
﹁兄貴!? 泣かないでください!﹂
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ダメだ。カレンが俺から離れていくと考えただけで目が滝に変わ
ってしまう。
だが、ここは抑止して、しっかりと俺にならなくてはならない。
俺は何事も無かったかのように立ち上がり、完璧なる笑顔を作っ
てみせた。
﹁冗談だ。昔こういう事をする物語の主人公がいてな。どんなもん
かと試してみたんだ﹂
﹁そうでしたか⋮⋮びっくりさせないでくださいよぉ﹂
ポトフが揃いに揃って安堵の息を漏らす。
俺は椅子に腰を落ち着かせ、三人衆を好きな所に座るよう言うと、
ポトフ三人衆は揃って一つの寝台で寄り添い合った。
汚い絵面︱︱元い、仲よさげに座っているこいつらを見て、少し
羨ましく思う自分がいた。
﹁さて、お前らの話、聞かせてくれ﹂
﹁いやぁ、これは長∼くなりますよ?﹂
﹁構わない。俺はどうせ眠くならないから、好きなだけ話してくれ﹂
﹁分かりました! 自分らの出会いはですね︱︱﹂
カット! 本当に長いので、要約しよう。
ポトフの物語は、フルト村という小さな村から始まる。
まず、リーダー格のトニー。彼は背が高く、気の優しい性格から
か、女を惹きやすい男だったらしい。
だが、そのせいか、友だちの一切ができず、付き合う女も彼に飽
きては変な噂を村中にばらまいて、金を巻き上げてはトニーを道端
に捨てる事をしていたらしい。
二度言うが、気の優しい性格だった彼は、五度も同じ事をされた
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そうだ。悪い言い方をすればバカである。
次にガリ男のフランクと小太りのポーロ。二人はガズ村という所
で育ったらしい。幼馴染で、小さい頃から一緒に遊んでいたそうだ。
・・・
しかし、そのせいか、﹃デブとガリ﹄等というコンビ名を付けら
れ、凸と凹で同性愛者だとバカにされたいた。
それからもイジメはエスカレートし、耐えられなくなった二人は
両親の援助の元村を出て、尚も二人で支えあって旅をした。
とある日、まともな装備も持たぬまま森へ立ち入り、魔物に襲撃
された。そこを救ったのが、偶然通りかかったトニーである。
彼もまた、まともな装備を持っていなかった。それどころか、素
手で魔物を倒したんだと。
それから三人は力を合わせ、幸せを恨みながら、果報者狩を始め
たそうだ。
﹁俺達は全力で兄貴を支えます。盾となり、矛となり、馬となりま
しょう﹂
堅っ苦しい言葉で締め、途端に真面目な顔をするポトフ三人衆。
俺は指先で頬を撫で、咳払いをする。
﹁完全に信用したわけじゃないからな﹂
﹁分かってます。でも、俺達は本気です﹂
﹁まぁ、肩の力を抜け。あんまり堅くなるな。正直言って、俺がそ
こまで大きな事をしたとは思えない。だから、お前らの忠誠心は逆
に怪しく感じちまうんだ﹂
﹁今まで見えなかった物が見えるようになる。それって、凄く大き
い事だと思います。気づけなかった繋がりが、糸が、見えるように
なった事、それは俺達にとって大事な事なんです﹂
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﹁そう、か⋮⋮﹂
俺は返す言葉を失った。ここまで純粋に物事を見れる人間がいる
事に、素直に驚いていた。
人を恨んでいたのも、彼らが純粋だったからこそだ。
近くにあったのに、透明だった物に気づけた。それだけで救われ
たのだと、彼らは言っているのだ。
﹁話、聞かせてくれてありがとな。寝てもいいぞ?﹂
﹁では、お先に。お休みなさい﹂
﹁ああ、おやすみ﹂
俺は明かりを消し、椅子に座り直す。
外の冷たい風に当てられながら、友情というものがどれだけ綺麗
なものなのかを考える。
だが、俺にはやっぱり考えられなかった。
人との友情を作った事がないから、感じた事がないから、俺は︱
︱透明だから。
誰かと友だちになったとは言えども、友情という物をしんみり味
わった事なんて一度もないし、ありがたいと思った事もない。
俺の心は塗りつぶされているのか、空っぽなのか、良く分からな
い。
そして、俺はもう二度と考えようとしないのかもしれない。
自分を知るのは、恐いから。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n7797bz/
俺の愛した異世界で
2014年10月10日20時01分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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