花咲く旅路 - タテ書き小説ネット

花咲く旅路
修一
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︻小説タイトル︼
花咲く旅路
︻Nコード︼
N7807T
︻作者名︼
修一
︻あらすじ︼
どこででも見かける、ごくごく普通のファンタジー小説です。
1
01︳旅は道連れ
ガラガタゴトゴロ、鉄の車輪がわだちを刻む。やや上等な程度の
荷馬車には、バネなどのサスペンションなんて気のきいたものは備
わっておらず、道に転がった大き目の石を蹴飛ばすたびにガタン尻
が跳ね上がっていた。
丈の低い木がまばらに生える平原の道を北へ北へと駆ける馬車は、
ほどほどの年季を重ねるうちに常にどこかしら気難しさを抱える身
体になってしまったようだ。運転手が出立前に点検と軽い手入れを
していたものの、本日は少々車軸のご機嫌が悪い様子。
それでも馬車はきびきびと、焦げ茶色の毛並みをした壮年の馬2
頭に引っぱられて軋みに多少のグチを込めながらも、この白雲浮か
あふっ﹂
ぶ晴天の下を走り続けている。
﹁くぁぁ⋮⋮
絶え間無く尻に伝わる振動も、慣れてしまえばどうって事ないも
のなのか、御者台にて手綱を握る年の頃40過ぎほどの恰幅のよい
おじさんが、眠気をこらえてあくびをひとつ。どうやら今の彼にと
って最大の敵は、積荷を狙う盗賊でも人を襲う獣のたぐいでもなく、
見晴らしのよい平坦な道らしい。
この隠れるところが地面の下くらいしかない場所で、盗賊なんて
待ち伏せできるわけも無し。さらにこの道は地方の主幹道路なため、
何か事件でもあればすぐさまお国の兵隊さんがすっ飛んでくる。
ともあれこの日和で、さらに腹の中には昼に食べたパンとチーズ
2
と青リンゴが詰まっているとあれば、ちょいと昼寝が恋しくなる程
度に気を抜いてしまっても仕方ないとするのが人情か。
﹁あぁ、だめ。 たまらん﹂
さらに馬車を走らせる事しばし。車輪が何かを踏んづけた、とい
った前触れの類も何も無く突然に、かぶっている麦わら帽子が落っ
こちるんじゃないかというくらいガクンと、御者台のおじさんが前
に傾いた。
完全に眠気に首をつかまれていたのだろう、すぐに肩をはねあげ
て目を瞬かせたところで、いよいよ己の限界を悟ったのか手綱さば
きでゆるやかに馬の足取りを緩め、道の脇の草原に停めてしまった。
﹁ごめんよお兄さん、ちょっと休憩させてもらっていいかね﹂
﹁いいですよ﹂
﹁悪いねえ。 今日中には絶対着くからね﹂
馬車の幌の中におわす、声からして若い男性という意味だろう、
お兄さんに許しを得るや、3人くらいは楽々座れそうな幅の御者台
に太ましい体を横たえたおじさん。かぶっていた帽子を顔に載せあ
っさりと意識を手放してしまった。
察するに旅の共はおじさんと馬2頭とお兄さんが1人だけのよう
だが、よほどおじさんは警戒という言葉に縁がないのか、はたまた
お兄さんが信頼を得ているのか。目的地までどれほどもない場所で、
馬車に積み込んでいるであろう価値のある荷や金銭の類をほったら
かしたまま、おじさんはグゥグゥといびきをかいている。
3
﹁今日もあったかいね、ジョン﹂
﹁ワフン!﹂
旅の共には、さらに犬が1頭いたようだ。幌の尻にある革の幕か
らのそのそと出てきたお兄さんの腕の中には、馬の護衛犬と思しき
そこそこ大きな白犬がおとなしく納まっている。
犬の体毛と対比のきいた黒い牛皮の首輪には、ジョンという名前
とともに馬車のオーナーの名前だろうか、ミリオンダラー商会とい
う名前の焼印がなされている。車体にもまったく同じ、しかし何倍
もの大きさの焼印があるので間違いだろう。
﹁もうすぐお別れだなあ。 帰っても忘れないでよ、僕の事﹂
﹁クゥゥン﹂
ふさふさの白い毛並みを、皮の手袋ごしに手のひらで堪能するお
兄さん。おじさんからは親しみを込めてお兄さんと呼ばれているが、
その風貌を見た限り、年は10代の折り返し地点に差し掛かるかど
うかといっただろうか。
精悍さよりもまだまだ遊び足りない少年の色が顔に強く残ってお
り、変声期が完全には終わっていないであろう喉仏のでっぱりから
も、むしろお坊ちゃんと呼んだほうがしっくりきそうだ。
お兄さんの毛並み、もとい髪の毛は、この地方で最も一般的な黒
髪を耳や眉が隠れないようにざっと切りつけた、なんともおしゃれ
に無頓着なもの。穏やかに犬を愛でる双眸には同じく黒い色の虹彩
4
が輝いている。
と、首から上はなんとも荒事に向いていそうにない柔らかげな若
者だが、首から下はいささか事情が異なっている模様。
上下浅黄色の麻の服は、おしゃれ着に不慣れな地方の男性が着る
ものとしては一般的。皮の手袋も、火を焚くためのまき割り等で使
われるありふれた物。にかわで固められた黒茶色の皮の胸当てと膝
当て、おろしてまださほど使い込まれていなさそうな甲の部分が石
で補強された革靴までは、まあ頑丈なファッションで押し通せるだ
ろう。
だが、馬車の荷台に転がっている、彼の物と思しき革の鞘にくる
まれた刃渡り60センチ少々の剣までくると、もはやアクセサリー
として持ち歩くには物騒すぎた。
同じく転がっている、背負うにはちょうどいいくらいの麻袋と、
胸当てと同じ素材の皮の兜と盾も考えに入れると、彼の身の上はど
うも荒事に関わりのある旅人といったところらしい。衣服の下に隠
された、やわな顔立ちを裏切るギュッと引き締まった体つきもその
印象を後押ししている。
﹁んーっ。 僕たちも寝よっか﹂
﹁ワフ﹂
陽光満ちる平原は、時間の流れも街中のそれに比べて穏やか、と
錯覚してしまいかねない和やかさ。お兄さんの提案にあくびと紛う
返事を返したジョンもまぶたが重たげな様子で、漏れ日の差す馬車
の荷台に再びもぐりこむや、先に眠りこけてしまった。
5
﹁おやすみぃ、ジョン﹂
愛すべき忠犬の体温を武装越しに感じながら目を瞑ると、追いか
けて寝息を立て始めたお兄さん。野外にあって安らぎを乱すものの
無い静かな時を羨むように、青空高く飛ぶ鳥がピロロロロロとひと
つ鳴く。
足元に生えた青草をモシュモシュと食む馬達のたてがみや、いさ
さか無用心に眠るおじさんのやや生え際が寂しくなった髪を、平原
にそよぐ南風が揺らしていた。
*
﹁おぉい、お兄さんお兄さん。 見えてきたぞう﹂
すっかりと寝入っていたお兄さんが、おじさんのはつらつとした
呼び声に目を覚ますと、先ほどまでの晴れ渡った青空とはうってか
わり、いつの間にか辺りは日暮れの赤で満ちていた。
ジョンは先に目を覚ましていたらしく、おじさんの荷物だろうか、
ふぁい﹂
大の男がひとりくらいは入れそうな大きな麻袋の前でおりこうさん
に座っていた。
﹁ふわわわ⋮⋮
6
しゃんとしない視界を叱り付けるように、あくびで濡れた目頭を
手の甲でこしこし擦りつけると、御車台へとつながる幌の幕をめく
り上げておじさんの背中越しに顔を出すお兄さん。まだ遠目ゆえに
小さな、しかし確かに立ち並ぶ建物らをその瞳に捕らえ、気だるげ
だった彼の顔が俄然喜びで塗り上がる。
﹁あれが、ハライソの街﹂
﹁ワン!﹂
脇に擦り寄って相づちを打つジョンの頭を撫でつけながら、お兄
さんはただじっと前を見すえている。これまでの旅を思い返してこ
み上げるものがあるのか、吐く息は先のあくびよりずっと熱を帯び
ていた。
やっぱり何といってもあの森だね﹂
﹁どんなところなんですか、ハライソって﹂
﹁そうだなぁ⋮⋮
おじさんの指差す先にあるのは、徐々に色濃くなってくるそれは
それは壮大な緑色の群れ。なるほど街の左右に広がっている森の幅
たるや、街の入り口まで馬の足で十数分ほどの距離があってもなお
視界に収まりきらない雄大さだ。一体どれほどの時を費やせばここ
質も量も国1番って話だよ。
までの規模になるのか、自然の力は計り知れない。
﹁街一番の産業が材木だからな。
王都の貴族様もここの木で作った家具じゃなきゃ、って方が結構い
るんだ﹂
と、にこやかに語る情報通なおじさんだったが、ここでどうした
7
事か口元と眉をへこませる。
﹁まぁ、そのかわり魔物も住み心地良いんだろうな。 森の討伐依
頼はひっきりなしだとさ。 お兄さんも食いっぱぐれる事は無いだ
ろうね﹂
﹁ハハッ、なるほど﹂
﹁何でかは知らんが、森の奥に行くほどヤバいのが出るって話だか
らなぁ。 こいつは覚えといてくれよ、お兄さん﹂
魔物、なんと穏やかならぬ単語だろうか。ふたりの会話から察す
るに、お兄さんの仕事はやはり武器を振り回すものらしい。おじさ
んもそんな彼の今後を案じてか、じっと目を見て言い含めた。
﹁まっ、あとはベッピンが多いってとこだ。 やっぱ都会だからか
ねえ﹂
あっはっはっ、と今度は弾けた明るい笑い。愉快な話題を好む男
たちに混じった声高なジョンの鳴き声も、ワンワンといかにも楽し
げだ。
﹁お兄さんはアレだな、女は知っているのかい﹂
﹁え? あー、えっと。 いやぁー、ハッハッハッ﹂
どうにかしてこの話題を切り抜けたいというのが見て取れる、曖
昧極まる濁しぶり。明言を避けているが、両の耳がカッとサクラン
ボ色にほてりだしたところから考えると、彼の女性に関する歩みは
いたって清らかなものなのだろう。
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﹁お兄さんなら女の子の方が放っておかないだろ? いやぁ、羨ま
しいねえ﹂
﹁いや、あの、僕まだ女の子と付き合った事とか無くって﹂
﹁ムハハハッ。 なんだい、じゃあミリアお嬢様にも手ぇ出してな
いのかい?﹂
﹁なっ、出して無いですよそんな。 そういうんじゃないですから、
ミリアとは﹂
ここぞとばかりに追い討ちをかけられ、ますます顔の血行を良く
したお兄さん。話題に上った女性、おそらくはこの馬車のオーナー
たるミリオネア商会のご息女だろう、ミリアお嬢様とは知らぬ仲で
も無いようだが、歳相応の青いうろたえぶりは女慣れという言葉と
は程遠い。
﹁もったいないねえ。 お嬢様と一緒になりゃあ、色々﹂
﹁もう勘弁してくださいって、お願いですから﹂
紅色顔で白旗を振る少年に、ちょっとつつき過ぎたかとおじさん
も突撃槍の切っ先を収めた。この手の話題にはとんと免疫が無いの
か、夜へ近づく気温と絶え間無い馬車の風に肌を晒しているのにも
関わらず、お兄さんの額にはじんわり汗すらにじんでいる。
パシィッ! ガラガラガラガラガラ
すまんすまん、とひとつまみの反省がこもった謝辞を手向けると、
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おじさんの握る手綱が緩めにパシンとひと鳴りして、馬の歩みに喝
を入れる。ブルルッと唸る2頭のたくましい足取りに車輪が追いす
がり、ハライソの街並みはどんどん大きくはっきりとなってきた。
﹁さあ、もうすぐ着くぞう﹂
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02︳ようこそ森の街
日も沈みかけたこの時分、馬車に揺られる日々を経て、やって来
ましたハライソの街。今まで通った平原の眺めとはうってかわって
木々が居並ぶ広大な森を、その街は一辺から食いかじるように広が
っている。
翼の無い身では街の全てを見渡すすべは無いものの、夜が来る前
に巣へと急ぐ頭上の鳥達の目を借りることができたなら、人は視界
の端から端を埋め尽くす緑色に引っ付いたコブのようなものと語る
だろう。
新芽の頃にありがちなクセのある青臭さはなりを潜め、鼻に目に
伝わってくるのは町中に漂う、ただただ澄み渡った緑の雰囲気。木
はまさに売るほどあるため、街を形作る建物はそのほとんどが木造
建築だ。
お兄さんとおじさんと犬のジョンと馬車うま達が仲良く歩んでき
た大通りは、一旦街の南側から中に入って緩やかに折れ曲がり、西
側から出て森の外辺を這うようにずうっと長く伸びている。
しかしながら彼らの旅の道連れはここまでのようで、街への出入
りを管理しているであろう一律した鎧兜の警備兵らが立っている簡
素な丸太小屋の前で、名残惜しげに言葉を交わしている。
﹁楽しかったよお兄さん。 体に気をつけてな﹂
男ふたりの握手はがっちりと、築いた縁と同じだけの固さで結ば
れる。お兄さんの足元では、ジョンがズボン越しに彼の膝へと鼻頭
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を押し付けていた。別れの時を察しているのだろう、涙こそ見せて
いないがその目が声が泣いている。
彼を愛しみ別れをいと惜しみ服によだれで大染みを付ける。少し
ラッシュさ
でも彼に何かを残そうとする、そんな大いにしんみりとしたマーキ
ング。
﹁こちらこそ、7日間ホントにお世話になりました。
んにもよろしく伝えてください。 ジョンも元気でね﹂
﹁クゥゥン﹂
この場の誰よりも寂しげなジョンが、頭を撫でるお兄さんの匂い
にもっと浸っていたいのか、しゃがんだ彼のお腹へぐりぐりと顔を
押しこんでくる。
実のところ、彼らは旅中ではそれなりに清潔さを心がけていた様
子だが、それでも避けようの無い汚れが衣服や髪、肌の表面に現れ
ていた。道半ばの宿場町で水を浴びるくらいはしていただろうが、
このところはそれもできなかったようで、1日ぐらいでは積もらな
いであろうじめっとした汗のにおいが首筋に付きまとっている。
だが、この場で最もにおいの機微に敏感なはずの白犬は、そんな
ことはお構いなしと言わんばかりの積極さ。お兄さんのへそをむさ
ぼらんばかりの勢いだ。
﹁旦那様にはちゃんと伝えとくよ。 ミリアお嬢さんにも何か言っ
とかなくていいかい?﹂
﹁もー、勘弁してくださいって﹂
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過ぎ去って久しい時代を振り返るかのように、おじさんのからか
いが飛び出した。照れ入る少年のうぶな反応が面白いのか可愛いの
か、別れ際とも思えない和やかさが流れる。そこにいるのは大人と
子供ではなく、冗談を許しあう男ふたりだった。
﹁次のひとぉー﹂
色沙汰に転ぶ話題をぶったぎる入出管理の兵士の声が、一行にい
よいよ別れの時を告げた。しかし笑う彼らの声には、湿っぽさなど
ありはしない。いつ何とき災いに足を掴まれるか分からない、まし
てやお兄さんは荒事で糧を得る身。あるいは今生の別れとなるかも
じゃ、そろそろ﹂
しれないふたりだったが、きっとまた会えるさと、お互いの幸運を
信じあう。
﹁ははは、ごめんごめん。
﹁はい、ありがとうございました﹂
最後にまたと頷きあって、おじさんが先んじて馬を引き、街中へ
と続く道をまっすぐに歩いていく。馬車の尻についていくジョンは、
手の代わりにパタパタと白い尾を振りながら、何度もお兄さんの方
へ振り返っていた。
﹁さって、こっからひとりか﹂
後に残ったのは、明日への希望をいっぱいに詰め込んだ背負い袋
をしょって立つひとりの若者だけ。かくして彼は兵士さんからのお
呼びがかかるまで、とたんによそよそしさを増した風を受けながら、
じっと立って待っているのだった。
13
*
﹁この街は初めてかね?﹂
あっさりと街に入っていったおじさんに対し、お兄さんは街のす
ぐ外に建つ簡素な詰所に案内され、勧められるまま落ち着かない物
腰を椅子に据えていた。本の2、3冊でも並べればいっぱいになる
だろう小さな木製のテーブルを挟んで相対するのは、この道に入っ
て結構な時を過ごしているだろう、豊かなヒゲを口の周りにたくわ
え貫禄と年かさを備えた兵士さんだ。 ﹁はい、初めてです﹂
﹁ここじゃ最初に身分証を作るのが決まりなんだ。 君は文字は書
けるかね?﹂
さすがに兵士さんは手馴れている様子で、幾度となく繰り返した
であろうやり取りをなぞるように、言葉少ないお兄さんから聞きた
いことを淡々と聞き出していく。
決して威圧するわけでない、つとめて穏やかに対応する兵士さん
だが、それでも国家権力の一端に属する人と話すと緊張せずにはい
られないのか、お兄さんいささか顔の筋肉がつっぱっている模様。
﹁ええ、大丈夫です﹂
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﹁そうか。 じゃあすまんが、こいつの枠で囲ってあるところを埋
めていってくれ﹂
すいっと机を滑るのは、数箇所の書き込み欄が記された入領管理
書という名の薄茶色の紙。どうぞと言わんばかりに付けペンと黒イ
ンクの壺も差し出され、お兄さんさっそく挑みかかる。
﹁⋮⋮ えっと、これで良かったですか﹂
﹁ホイホイ、ええと﹂
縮こまりっぱなしのこの少年をどうにかしてほぐしてやりたいの
だろう、外見にそぐわない陽気な対応。後ろ暗いところが無くとも、
その土地に根を張った権力集団に自分の顔を知られているというだ
けで、ヤンチャ心に枷がかかるものだ。案外この入領管理書とやら
を書かされるのも、出入りする人間の把握より、そういったところ
に目的があるのかもしれない。 ﹁ふんふん、ふん。 コルファーンさん15歳、人間族男性﹂
左から右へ、文字の上を目が走る。手がうまく言うことを聞いて
くれなかったのか、節々で字がかすれていたり、また反対にインク
が滲んでいたりとせわしない。それすらも慣れているのだろう、こ
のベテランは平然と読み進めている。
なるほどお兄さんの名前はコルファーンというらしい。大人にな
りきれていない風貌も、15という若さなら納得だろう。
﹁出身は国内のカナン村で、一般階級。 配偶者は無しと。 間違
15
いは無いね?﹂
﹁はい﹂
名前欄の右の空き枠を指さす兵士さん。ところで、コルファーン
少年が無しの字を丸で囲った配偶者の記入欄の下には、配偶者の名
前を書き込む所だろう、いやに大きな空欄がある。人の名前が8行
くらいは並べられそうなそこには、手元が狂ったのだろうペン先で
引っかいた跡があるが、これくらいの失敗は流してくれるらしい。
公文書のわりにおおらかだ。
﹁よし、あとはここにインクで指紋を。 ああ、インクはちょっと
でいいから﹂
右手の親指がインクの水面をちょんと揺らし、言われたとおりの
場所に押し付けられた。手袋を脱いだ若者の手は村育ちの力に満ち
うん、ありがとう。 こいつで手を拭いて﹂
た男らしく、農具を振るったであろう跡が固い皮として残っている。
﹁⋮⋮
紙と入れ替わるように渡された、黒い汚れがそこかしこに付いて
いる古布で、インクの余韻色濃い親指を拭う。どうもと兵士さんに
布を返してから待つことしばし。書類を眺めつつ何やらいじってい
た兵士さんより、子供の手のひらから少しはみ出すくらいの大きさ
の、薄い木板を差し出された。
﹁こいつが身分証。 街中でたまに見せるように言われるから、な
くさんようにな。 でもまあ、なくしたら街の詰所で再発行できる
から﹂
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上側に身分証、下側にハライソ入領管理所と焼印された木板には、
兵士さんの字だろうか、コルファーンという名前と共に、今日の日
付と数字の14が記されている。字は一旦針のようなもので跡をつ
けてからペンでなぞったのだろう、やたらくっきりとしている。水
を被っても読めなくなる事はなさそうだ。
しかも木板はがっちりと身が詰まっており、大きさのわりにがっ
しりとした重みがある。かなり質が良さそうな木でこしらえられて
いるのは、さすが木材の特産地と言うべきか。
﹁よし、これで手続きはおしまい。 お疲れさん﹂
行っていいよと言われて、椅子から尻を離したコルファーン。緊
張を強いられる面倒な手続きも喉元過ぎればなんとやら、温かいス
ープと宿のベッドが遠からぬ所に見えてきて、疲れた旅人の目元が
ほっと緩んでいる。
﹁じゃ、失礼します﹂
部屋の隅の棚に置かれていた荷物一式を受け取り、晴れて街への
立ち入りを許された少年は一礼して詰所を後にした。手続きをして
いるうちに日はすっかりと落ちきっており、戸をくぐれば外にはう
すぼんやりとした夜の闇が漂っていた。
﹁さっ、早いとこ入ってくれ。 宿は大通りに沢山あるからな﹂
街の門に控えていた兵士さんからのアドバイスに礼を返すと、コ
ルファーンは背負い袋の紐のすわりを直して、街の灯をあてにしな
がら言われた通りに大通りを歩き出した。はふぅと息をつきながら、
初めての街を見渡し進む。
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大通りは一番の繁盛どころであり、また街の顔でもあるためか、
どこも小奇麗に掃き清められていた。立ち並ぶ建物の灯にあぶられ
て空はほんのり黄色く色づき、さほど気を配らずとも道行く人々の
賑わいが聞こえてくる。
﹁まーずは宿屋かなあ﹂
行かねば得られぬ今夜の寝床に想いをはせて、くたびれた足取り
にもう少しだと活を入れる。寄る辺の無い旅の身にとって、しばし
の付き合いになるだろう良き宿を、彼は果たして見つけられるのだ
ろうか。
18
03︳僕のみなと︵前書き︶
いまだに女性キャラが登場しませんが、この作品はソッチ系の小説
ではありません。
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03︳僕のみなと
﹁ごめんくださーい﹂
ハライソの街を歩むこと2分ほど。コルファーン少年が寝床を求
めて押し開いた戸は、大通りで最初に目に付いた宿屋のもの。旅の
疲れを一刻も早く癒したい心がそうさせたのだろう、特に客へ向け
てアピールする事も無い2階建てのこじんまりとした建物だが、こ
こで良いやと言わんばかりに逡巡する様子も無く突入した。
看板に刻まれた屋号は、老鷹の止まり木亭。店の名にこそ老の字
が入っているが、建物そのものの頭にその字を乗せるほどの歴史は
培っていないようで、おそらくここ20年のうちに商いを始めたと
見て間違いない。
﹁へぇい、いらっしゃい﹂
戸を開いた客の目に映るのは、ロウソクのぼんやりとした灯りに
照らされた、彼の鳩尾くらいの高さのカウンターと、その内の椅子
に座るおじいさん。宿のマスターであろうご老体は、齢を映すはげ
上がった頭や沢山の皺を刻んだ面持ちをしており、歩んできた年月
を感じさせる。みなぎる力こそ感じさせないが、腰も曲がっておら
ず耳も健常でまだまだお達者。
﹁ひとりなんですが、おいくらですか?﹂
人差し指を立てて客が問うのは、最も気になる値段設定。とはい
え、この老人がよほどの悪意を持ってぼったくろうとしていない限
りは、庶民派と言って良い金額であろう事はたやすく察しがつく。
20
宿の顔となるロビーを見渡せば、空間を演出しているのは地元産
とおぼしき木製の椅子やテーブル、照明である錫のロウソク立て。
おまけに店のシンボルだろう、カウンターから客をじっと眺めてい
るひと抱えほどの大きさの鷹の置物も木彫りで、どれも高級志向と
いう単語とはなじみの薄い素朴さだ。
﹁ありがとうございます。 わたくしどもは1泊15ゼゼ頂戴いた
しております﹂
ゼゼ、とは耳慣れない言葉だが、文脈から察するにこの辺りで用
いられている通貨の単位だろう。一夜の屋根を求めるのに15とい
う額が高いか安いかは分かりかねるが、コルファーンの平然とした
様子を見るに、彼にとっては驚くような額ではない模様。
﹁連泊はできますか?﹂
﹁へぇ。 3泊以上なら1日14、1週間以上なら1日13になり
ます﹂
大口の客到来のチャンスに、自然マスターの顔がにこりと緩む。
目じりの下がった人の良さそうな風貌は、前歯の並びが1本飛んで
なんとも愛嬌がある。
﹁じゃあ、とりあえず1週間お願いします﹂
﹁ありがとうごぜぇます。 失礼ですが、文字は﹂
﹁あ、大丈夫です。 書けます﹂
21
﹁へぇ、これは失礼を。 ではこちらにご記帳をお願いいたします﹂
どう低く読んでも60歳より若い事はないだろうが、マスターの
受け答えは淀み無くしっかりしていた。ただ、右手のききが思わし
くないのか、ご新規のお客さんへ宿帳を両手で差し出したが、良く
見れば右だけがふるふると震えている。
﹁えーと⋮⋮ はい、これでお願いします﹂
本日ふたたび名前を記す運びとなった旅人だが、今度は緊張する
ような局面でもなく、さらさらと宿帳に付けペンを滑らせた。連れ
の無い旅のため、当たり前だがお求めになるのも1人部屋。
﹁へぇ結構です。 では申し訳ありませんが、お先に91ゼゼ頂戴
いたします﹂
﹁はい﹂
飛び込みの宿で前払いというのも、部屋が気にいらなければ危険
な賭けとなりそうだが、そこはコルファーンも自身の中で何かしら
勝因を見出しているのだろう。事実、宿の門構えやロビーは清潔と
いう感想をしかと抱かせるもので、床や調度にも埃っぽさは無く、
大はずれはなさそうだ。おひとよしそうな少年なので、あれよあれ
よというままに、という可能性も無くはないが。
ともあれ意を決した旅人が皮の胸当てをずらしがちに懐をまさぐ
り、服から取り出したのはずしりと重みを感じる革袋。きっちりと
閉ざされたその口を紐解けば、中には相当な量の金属製の硬貨が詰
め込まれていた。手袋を右だけ外して、指で数えながらちゃりちゃ
りと摘まみ上げていく。
22
﹁ええと、91でしたね﹂
ちゃりちゃりと革袋を探りカウンターへと取り出されたのは、都
合10枚の硬貨。そのうち9枚が赤、1枚が白色をしており、おそ
らくそれぞれ10、1の価値だと思われる。袋の中は赤色と白色が
ほとんどで、あとは価値の知れない銀色が数枚ばかり混じっている。
﹁はい、ちょうど頂きます。 お部屋は3番にどうぞ﹂
広がった貨幣の群れを目で数え終え、頷いたマスターから差し出
されたのは、部屋番号の3が記された木板と、その先にぶら下がっ
た真鍮製の鍵が1本。手袋の中で温まっていた手のひらに鍵の身体
が横たわり、ひんやりと硬質な感触を伝える。
﹁あ、すみませんがお湯と布を持ってきてもらえますか。 身体を
拭きたくって﹂
部屋に向かおうとする足を止め、コルファーンが所望するのは清
拭用品。旅路の疲れをベッドに落とす前に、まずは身体の垢を湯に
落とそうという心積もりのようだ。
﹁へぇ、承りました。 すぐお持ちしてよろしいでしょうか?﹂
﹁お願いします。 あ、おいくらになりますか?﹂
利益を求めるお店とあらば、沸かした湯もただではない。燃料と
なる薪や沸かす手間、土地によっては水自体にも値段が付く。森林
に擁されたこの街が木に困ることは無いだろうが、その他について
はどうだろうか。
23
﹁いえいえ、わたくしどもは拭き布と、その日の1杯目の湯のお代
は頂いておりません。 2杯目からは、桶1杯で1ゼゼ頂戴いたし
ます﹂
﹁わぁ、サービス良いんですね﹂
﹁へへ、ありがとうございます﹂
小粒といえど積もればそこそこの収入になるであろう湯を、1日
に1杯だけとはいえ無料での提供とは、なかなか心にくいサービス。
お客もこれは当たりの宿を引いたかと気を良くした様子で、よろし
くお願いしますとにこにこ顔で言い残し、今度こそ己の部屋へと向
かった。
*
﹁ふぅぅぅぅ﹂
しばしの住まいとなる3号室のドアを開け、暗い視界にいささか
難儀しながらも円テーブルに鎮座するロウソク立ての元へと辿り着
く。すぐ脇の皿に置かれた火打ち石とほくちを手に取り、暗い中で
も危な気無い手つきで火種を起こすと、部屋にロウソクの光を染み
こませコルファーン少年まずひと息。
じんわりとした光に姿を現わした部屋は、1人部屋にするには少
24
しもったいない気もする広さ。テーブルの位置などを多少窮屈にす
れば、もうひとつくらいはベッドが置けそうだ。調度品の類は見ら
れないが、物の整頓に役立ちそうな戸付きの棚が実用性重視と言い
たげに置かれている。
﹁いいとこだね、こりゃ﹂
窓の外に見えるのは、宿の内庭にしつらえられた井戸や物干し、
水浴び用と思われる屋根付きの窮屈な小屋が2つほど。洗濯や水浴
びができるほど水があるというのは、泊まる身にとってありがたい
事だろう。
くつろぎの空間をひと通り眺めると、コルファーンは腰物をテー
ブルに、盾と荷袋をベッドの脇に置いて、まずは防具を脱ぎ始めた。
手袋、胸当て、膝当て、靴と次々に脱ぎ去り、手入れをしようとい
うのか床の上にひとつずつ並べていく。
身を包むものがシャツとズボンだけになったところで、椅子に座
ってお湯の訪れを待つ。じっとしているのも退屈なのだろう、旅の
友である荷袋を足元へたぐり寄せると、固く結わいであった紐をほ
どいて中をさぐり始めた。
コンコンコン
﹁失礼します、お湯をお持ちしました﹂
﹁あっ、はーい。 どうぞー﹂
コルファーンが荷袋の中から全く同じデザインの上下の着替えを
取り出し、痛みが無いかあらためているところでお呼びがかかった。
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木戸を隔てて投げかけられた男性の声に、洗濯済みの着替えをベッ
ドにばさり放り出すと、ドアの近くまで歩み寄る。
カチャリ
﹁へぇ、失礼します﹂
許しを得て開かれたドアの向こうから現れたのは、先程顔を見知
ったマスターだった。その足元にはほかほかと湯気の立つ桶がたた
ずみ、その手には白く洗い上げられた布が畳まれ座っている。
礼して部屋の中に入ると布をテーブルの上に、桶を床に置く老人。
中身の満ちた桶はそこそこ重たい物なのだが、彼は水面をひどく揺
らすことも無く楽々運んでいる。見た目に油断していると痛い目を
見る、充実した体力の持ち主のようだ。
﹁すみません。 そういえば、こちらで食事はいただけますか?﹂
思い出したようにくるるると小さく震える空きっ腹をもてあまし
て、腹ぺこ少年がたずねてみた。昼飯からこっちご無沙汰の燃料を
よこせと、健康的な内臓が訴えかけている。
﹁へぇ、申し訳ありません。 うちでは食事はお出ししていないん
ですよ﹂
得られたのは残念な回答。無理言って頼めばパンくらいは出てき
そうだが、成長を続ける若々しい彼に必要なのはもっとガツリとし
た食べ物だろう。物見遊山では無いものの、来訪初日くらいは土地
のごちそうにありつきたいところ。
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﹁もしよろしかったら、向かいの酒場にどうぞ。 わたくしの息子
がやってましてね、食事もできますよ﹂
﹁そうですか、ありがとうございます。 行ってみます﹂
界隈の勝手分からぬ旅人に、伸びた救いは縁の繋がり。たとえそ
れが身内の欲目であっても、ひとりの人間が自信を持って薦めてく
れた店であるのは間違いない。此度の宿のように全くの飛び込みで
大魚を釣り上げようなどと、楽観しないのが賢明か。
﹁へぇ、ではこれで。 お済みになりましたら桶は廊下に出してお
いてください﹂
長話してお客様の空きっ腹の不興を買う前に、マスターが来た時
と同じく一礼して部屋から退散する。残ったコルファーンは胃の中
よりもまずは身だしなみを整えようと、さっそく乾いた布を桶に沈
め、汗と埃が乗った上着をもそりもそり脱ぎ始めた。
﹁あぁ、気持ちいいや﹂
ぎゅっと絞った布を汗ばんだ顔に当てれば、温まった湯の熱とみ
ずみずしさが染み渡る。布に湯を多めに含ませて髪の毛を、また絞
ってから南下して首筋、肩、胸、わき、腹、背中と、その侵攻はと
どまるところを知らない。攻める手はそれだけでなく、身体中に散
見される刺し傷や切り傷の跡をも狙い打つかのように、ためらい無
くごしごし攻め立てる。
上半身を拭い終えてしまえば、お次の標的は下半身。そのさらに
後には、守りを預けるコルファーンの防具達が待ち構えている。腹
の音も無視できないのか急ぎ気味にズボンの紐をほどく少年の湿っ
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た肌を、僅かに開けた窓からの夜風がすうっと冷ましにかかってい
た。
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04︳よき出会い
ミチリ、と肉を裂く音をあごで感じる。噛みしめるほどに口の中
を満たしていくものは、かつてその身を駆け巡っていた血の生臭さ
でも、引きちぎられ糧になり果てた獣の怨嗟でもなく。
﹁んんん、んまい!﹂
香辛料と岩塩をまぶされてこんがりと焼き上げられた鶏もも肉の
香ばしさだった。
﹁アッハッハッ、兄ちゃん本当に美味そうに食うねぇ﹂
建物中にあまねく満ちている、食べ物の香りと飲兵衛衆の笑い声。
老鷹の止まり木亭のマスターから薦められた向かいの酒場は、推薦
人自身の営む宿と同じく気取ったところの無い店だった。
カウンターの真ん中辺りに陣取ってえびす顔で食べ進むコルファ
ーンにとっても、心のお気に入り手帳に登録される良店のようだ。
﹁ホント美味しいです、この肉﹂
脂の汚れもいとわず大ぶりな骨付きのもも肉を大胆にかぶりつく
と、身肉の芯から薄ピンクの肉汁がじわりにじみ出る。軟骨まです
っかりとかじりとって、コルファーンが添え物のちぎりキャベツで
口を新しくしていると、店主とおぼしき男性がすぐさま新しい皿を
差し出した。
﹁鶏だけじゃないぞ、うちの肉料理は﹂ 29
次のお勧めも肉料理との事だが、まず印象付けられるのは野菜の
緑だ。白く茹で上がった肉は豚だろうか、真ん中からぱきりと半分
に折られたキュウリに薄切りにしたそれをぐるぐると3重に巻きつ
け、上に薄茶色のソースをかけてある。都合2本分のキュウリと肉
の塊の下に敷かれた、ちぎりレタスの絨毯も目に鮮やか。
﹁これもここの名物ですか?﹂
﹁ああ、ドングリをたっぷり食って育った豚のさっぱり巻きだ。 こいつもガブッといってくれ﹂
言われるがままにフォークを突き刺してかじりつくと、ボリボリ
としたキュウリの小気味良い食感と豚肉のコクが同時にやってきた。
ソースはどうやらゴマダレの様子。
﹁うん、これもうまい。 いくらでもいけますね﹂
紛れも無い肉料理だが、名前の言葉通りしつこさのまるで無いさ
っぱりとしたこの一品。キュウリの青々しい潤いが豚肉を、豚肉の
甘い脂身がキュウリを互いに引き立てあっている。
﹁よぉーしできたぞぅ、うちの1番人気だ﹂
レタスまで食い尽くしてもまだまだ余力を残しているコルファー
ンの胃袋に、思い切り必殺の一撃をおみまいしようと、満を持して
店主が新たなひと皿を繰り出した。
﹁これはパン、ですか?﹂
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﹁おお、うちのお袋直伝のサンドイッチだ﹂
さあ喰らえとぶつけられたのは、宿屋のマスターの奥さんより受
け継がれたボリュームたっぷりのサンドイッチ。指を押し返すふっ
くらとした弾力の丸パンを半分に割り、間に分厚く切ったハムとチ
ーズ、レタス、輪切りのトマトが挟み込んである。
﹁はぐッ⋮⋮ むふぅー﹂
大口を空けて思い切り良くかじりつけば、ハムとチーズの塩味、
レタスのシャッキリとした食感にトマトの酸味が次々に攻めかかっ
てくる。ソースも何も付けていないシンプルな味はいやみのかけら
も無く、肉も乳製品も入っているのにさっぱりとしていて後を引く。
夢中でもぐもぐ咀嚼を続け、あっという間にたいらげた元腹ペコ
の旅人。野菜も交えていてどぎつい重さのメニューでは無かったと
はいえ、結構な健啖家ぶりだ。
﹁ほい、こいつはサービスだ﹂
塩気を補充した後は、甘い物のひとつでも欲しいところ。ごちそ
うをボディにもらい倒したコルファーンが足にきているところを目
ざとく捉えた店主が、にくい心配りをとどめの一撃として皿に乗せ
ぶつけてきた。
先ほどまでの食事皿よりずっと小さなそれに乗っているのは、琥
珀色のとろみを纏った何粒かの木の実だった。息もつかせぬ猛ラッ
シュにもはやギブアップ寸前な満腹の旅人が、ひと粒摘まんで口に
運ぶやいなや。
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﹁甘い、蜂蜜ですかコレ﹂
苦味や渋味よりもずっと舌に合う甘味に、指についた蜂蜜を舐め
取りながら少年が喜びの声を上げる。砂糖や蜂蜜はそれなりの贅沢
品として扱われる物で、一般の人の口に入る事も無いわけではない
が、こうもストレートに食する機会は珍しい。
香ばしい甘さが嬉しい自家製の木の実の蜂蜜漬けにすっかりまい
ったコルファーンちゃん。今日は色々美味しい物を食べたが、おそ
らくこれが1番のお気に入りとなった事だろう。森の恵みにただひ
たすら感謝して、皿に残った蜜もすくい取って堪能した。
*
﹁ふぅ、ごちそうさま﹂
コルファーンが木のコップに入った水をギュッと飲み干し、手の
甲で口の周りを拭ってご満悦に息をつく。ハライソの街は木材だけ
にあらず、豊かな森の恵みが支える食べ物の数々も忘れることはで
きないと、彼は胃袋で思い知った事だろう。
﹁兄ちゃん良く食うねえ。 こっちの飯は初めてかい?﹂
﹁ええ、初めて食べました。 住んでたところが結構南の方なんで﹂
作り手にとって出す物をことごとく美味いうまいとパクパク食べ
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てくれるのは、何と心地の良いものか。いつしかぐっと距離の縮ま
った歳の差大きなふたりを、カウンターや近くのテーブル席に座る
他のお客さん達もニコニコと眺めている。
﹁おい親父ぃ、今日はえらいご機嫌だなァ﹂
﹁若いヤツはやっぱ可愛いか? ダハハハハハ!﹂
﹁坊主、この親父はいつもはこんなんじゃないぞぅ。 もっとこう、
なんというか、荒々しくてなぁ﹂
陽気な酒場の気の良い男達がはやしたて、若く新しい友の訪れを
歓迎していた。どちらかといえば可愛い部類の容姿をしたコルファ
ーンに、酒も入って気が大きくなった大人達が敵意を覚えるわけも
無く、垣根を感じさせない言葉が投げかけられる。
そんな中、コルファーンと空き椅子をひとつ挟んだ席にてひとり
酒盃を傾けていた男性が、コルファーンの腰にぶら下がった得物を
見つめていた。
﹁おぬし、剣を扱われるのかな﹂
﹁ええ、あなたは?﹂
﹁これは失礼、それがし名をモサク・コンドウと申す﹂
モサクと名乗ったその御仁は歳も40にかかろうかという風体で、
大きな木のジョッキの半分まで満たされた麦酒をグイッとひと息に
飲み干して一礼する。そのふるまいたるや、なんとも凛々しき男ぶ
りだ。
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﹁コルファーンといいます。 苗字をお持ちという事は、貴族のお
方でしょうか﹂
﹁いや、わしはここより西の島国ジパングより参ったいちさむらい。
家名は持っておるがさして貴き身分では無い。 かような丁寧さ
は無用じゃ﹂
楽になされよと言われて、コルファーンの肩がすっと下りた。知
らず緊張していたことを気付かされてホッと笑う少年に、ニコリと
モサクが目尻を落とす。
ちなみに、まだまだ世に不慣れな少年はモサクの言葉をそのまま
受け取っているが、ジパングでのさむらいという身分は他国では騎
士のそれにあたり、十分高貴な身分とされている。
﹁見たところ傭兵の風では無さそうだが、狩り人かな?﹂
﹁はい。 今日村からこっちに出てきたばかりです﹂
狩り人。世にはびこる魔物や獰猛な獣を打ち倒して褒賞を得る屈
強な戦士達、という風に世間一般で認知されている人々だ。実際の
ところはそんな華々しい仕事ばかりではなく、害虫駆除や人探し、
先刻までのコルファーンのように商人の護衛など、地味な仕事で日
銭を稼ぐ事も多々ある。
酒場の英雄譚で語られるような勇者もいるため、世間からはおお
むね好意をもって迎え入れられているが、高みに羽ばたくきっかけ
が掴めずくすぶっているチンピラも掴み取りできるくらいおり、大
人気の職業とまでは言いがたい。
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﹁そうであったか。 わしも狩り人として身を立てておる﹂
武を練りこんでいるであろう事は聞かずとも分かるその体つき。
首も腕も固い筋肉に包まれており、腰に下がった得物を抜かずとも
相当な戦いぶりを見せつけるだろう。どこもかしこも強そうな人だ
が、その目だけはしんと穏やかな静けさをたたえて少年を見据えて
いる。
﹁おうお兄さん、この人は凄いぞ。 腕も立つしそりゃあ立派なお
方さ﹂
店主いわく、この国でも有数の実績を持った狩り人パーティのひ
とりらしい。確かに服装こそコルファーンと同じくシャツにズボン
と気楽なものだが、若き少年には身に帯びる事いまだかなわない、
歴戦の風格とでも言うべき何かを漂わせている。
コルファーンと同様にモサクが腰に携えているのは、彼の祖国ジ
パングにて独特の体系で発達した片手剣、刀だ。無骨なつくりの鞘
はいたる所に傷があり、共にかいくぐったであろう戦いの日々の一
端がうかがえた。
﹁なるほど。 もしよろしければ、この辺りの事を色々と教えてい
ただきたいのですが﹂
﹁うむ、わしの未熟な経験からで良ければお教え致そう﹂
いまだ剣を抜いたところを見ていないので、コルファーンの腕前
の程は不明だが、少なくともその知識や経験がモサクに及ぶとは思
えない。グイグイと酒を流し込みながらも、まるで酔った気配の無
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い先人に、若き狩り人がここぞとばかりに教えを請う。
閉店時間にまだまだ余裕を持った時間帯、明日への希望を抱いた
少年が大人を質問攻めにする様を肴に、飲兵衛達の酒がことさらす
すむ。
﹁コルファーン殿、明日は多忙かな?﹂
﹁いえ、何も﹂
1時間は続いただろうか、余人は口を挟めない狩り人達の会話は、
モサクの思い立ったようなひと言で流れを変える。
﹁もしよければ、明日わしと共に街や森を巡らぬか? これも何か
の縁、おぬしの剣筋を見たくもある﹂
﹁あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!﹂
モサクの提案で、コルファーンの明日の予定が決まった。熟練の
狩り人から1日共に行動して学べるとあって、感激しきりでつい声
も大きくなる。
﹁よかったなぁ兄ちゃん。 モサクさん、こいつは俺のおごりでさ
ぁ﹂
ジョッキを空にしたまま熱心に狩り人としての心得を説いていた
モサクの前に、なみなみと麦酒の注がれたコップを差し出した店主。
コルファーンの吉事を我が事のように喜ぶ彼の心意気に、待ち合わ
せなど明日の段取りを話し合っていた武人も、かたじけないと口を
つけた。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n7807t/
花咲く旅路
2012年10月18日14時51分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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