『経済セミナー』(1999 年 7 月号) 00.3.8版 ネットワーク・エコノミックス (4) ボトルネック独占の経済理論 甲南大学経済学部 依田高典 はじめに 今回はネットワーク産業の「ボトルネック独占」について考察しよう。ボト ルネックをどう扱うかが現代規制論の最も重要なテーマである。ここで一つ謎 掛けをしよう。英国の鬼才デレク・ジャーマンの遺作『ウィトゲンシュタイン』 は面白い映画だ。そのラスト・シーン、瀕死の哲学者に友人の経済学者が「お とぎ話」をする 1。「昔々世界を論理そのものにしようと夢見る若者がいた。大 変頭の良い彼はその夢を実現した。それは美しかった。地平線まで音なくきら めく氷原のように、不完全性も不確実性もない世界。若者は探検に出かけるこ とにした。一歩踏み出した途端彼は仰向けに倒れた。『摩擦』のことを忘れて いたのだ!若者は創造物を眺め涙にくれた」。私はボトルネック独占問題を考 える際、この「おとぎ話」を思い出す。 さてネットワーク産業の特徴は垂直的に様々なプラットフォーム階層がある ことだ。図1のような簡単な電気通信ネットワークを考えてみよう。既存通信 事業者(例えば NTT)がネットワークを統合している。一番下のレベルには情報 を電気信号に変換する電話や FAX のような「端末装置」がある。そこから電 話回線という「伝送路」が電気信号を制御・管理する「交換機」まで張られて いる。交換機は大雑把に整理して「市内」と「市外」という二つのレベルに分 類できる。現代では長距離電話は競争的産業である。新規通信事業者 (NCC)は 通常市内と市外の交換機間の「接続点」まで自前の回線を引いている。ここで いう「ボトルネック施設(Bottleneck Facility)」とは市内交換機から端末装置まで の「市内通信回線網」のことである。NCC は NTT のボトルネック施設を利用 しなければ、エンド・ツー・エンドのサービスを完結できない。ところが、NCC 1 経済学者とはケインズである。荒唐無稽な設定ではある。ケインズはウィトゲンシュタイン よりも5年早く死んでいるのだから。しかし、アレゴリーは良くできていると科学哲学者野家 啓一氏も誉めている。ここでいう経済学者をラムゼー・ケインズ・スラッファの三位一体と考 えれば、この設定も許されるだろう。 1 と NTT は長距離通信サービスでしのぎを削るライバルではないか。このよう な条件下で、「公正競争」が成立するのだろうか。少し考えてみれば、同じこ とがパソコン産業でも起こっていることが分かる。マイクロソフト社は Windows によって基本ソフト(OS)を事実上独占している。その上、同社はワー プロ・表計算・インターネット閲覧の各応用ソフトも提供している。 Windows 上で走る応用ソフトを提供するライバル各社は開発力や価格競争力で圧倒的に 不利ではないか。これがボトルネック独占問題なのである。今回から3回にわ たって、ボトルネック独占について考察しよう。今回は基本論点について、次 回はアクセス・チャージについて、次々回はテレコム改革について解説する。 <図1挿入> 第1節 ボトルネック独占の基本論点 先ず本節でボトルネックをめぐる基本論点について解説しよう。初めにいわ ゆるエッセンシャル・ファシリティ (不可欠施設 )の法理について説明する。垂 直統合の誘因は効率性の向上と競争制限の追求に分けることができる。 <図2挿入> 1.1 エッセンシャル・ファシリティ法理 ボトルネック独占問題は、 (1) ボトルネック独占企業の競争的市場への参入 を認めるべきか否か、(2)ボトルネック市場をどのように開放するべきかという 問題に帰着する (cf. Armstrong et al 1994) 。この問題は米国の反トラスト政策に おいてしばしば「エッセンシャル・ファシリティ(Essential Facility:以下 EF)」 法理とも呼ばれてきた。以下、解説しよう(cf. Perry 1989, Vogelsang and Mitchell 1997, Sidak and Spulber 1998, 佐藤 1999, 木村 1999)。 EF 法理とは、(1)複製不可能な EF の所有者は第三者とそれを共用する義務が あり、(2)その共同使用を拒絶してはならず、 (3)もし拒絶すれば独占行為 (シャ ーマン法 2 条違反)になるというものである。従って、EF の所有者はその利用 者 に 対 し て 、「 イ コ ー ル ・ ア ク セ ス (Equal Access) 」「 非 差 別 的 料 金 2 (Nondiscriminatory Tariff)」「アンバンドリング (Unbundling:別建て売り)」を約 束しなければならない 2 。歴史上代表的な事例を挙げると、鉄道の交換接続点 (1912 年 U.S. v. Terminal Railroad)、電力の送電設備(1973 年 Otter Tail Power. v. U.S.)、電話の市内交換網 (1983 年 MCI v. AT&T)のような自然独占的設備に EF 法理が適用された。近年 EF が広く解釈され、CPU のような技術情報の「知的 財産権」(1998 年 Intergraph v. Intel)にも EF 法理が及んでいる。 EF 法理の関連論点は「市場閉鎖(Foreclosure)」理論である3。同理論によれば、 ボトルネック独占事業者が EF の独占力を「梃子(Leverage)」として、別の市場 にも「優越的立場」を濫用、競争相手の一部または全部を同市場から撤退させ るという。ハーバード学派はこの理論に立ち、1950 年セラー・キーフォーバー 法・ 1968 年合併ガイドラインのような厳格な構造的規制をひいて来た4。 1.2 ボトルネック独占の誘因 一方でボトルネック独占・他方で競争的サービスを提供する企業にとっての 誘因とはどのようなものだろうか。この問題は従来産業組織論で「垂直的統合 (Vertical Integration)・垂直的制限(Vertical Control)」として論じられてきたもの である5。ボトルネック独占の誘因には大別して「効率性誘因」と「競争制限的 誘因」とがある。ここでは主に垂直的統合の場合について解説しよう (cf. Perry 2 林(1998)は、イコール・アクセスに関連して次のような分類を設けている。 イコール・アクセス(Equal Access):設備を保有する事業者相互の接続 イコール・フッティング(Equal Footing):設備を保有する事業者と保有しない事業者との乗入れ 再販・小売分離(Wholesale/Retail Distinction):設備を保有する事業者が他の事業者に設備機能を 切り売りする際の取引形態 3 EF 法理と梃子理論の相違に関して言えば、前者が正当な私的財産権の行使としては他者の請 求を許諾/拒絶できるにもかかわらず提供義務を課せられている点、後者がある市場における支 配力を他の市場に拡張して及ぼすそれ自体不公正な取引方法である点である。以上、千葉大学 木村順吾氏からご教示頂いた。 4 ボーク(R.H.Bork)、ポズナー(R.A.Posner)のようなシカゴ学派は、(1)二つの市場の関連性が希薄 な場合、(2)二つの関連した垂直的市場間の要素投入比率が固定的(非代替的)である場合、EF 法 理はあたらないとハーバード学派の「市場閉鎖理論」を批判している。 5 「垂直統合」とは企業が垂直的な関係にある部門を企業の内部に統合すること(ex.メーカーに よる流通部門の所有)、「垂直的制限」とは所有関係は独立しているが垂直的な関係にある企業 の間で一方の企業が他の企業の行動に課す制約のこと(ex.メーカーが各小売の販売地域を制限) である。また、供給独占者による競争的産業への「前方統合」と需要独占者による競争的産業 への「後方統合」との間で誘因は必ずしも対称的ではない。Salinger (1989)、長岡・平尾(1998) 参照。 3 1989, Tirole 1988, 佐々木 1995, 井口 1995, 長岡・平尾 1998) 6。 先ずボトルネック独占の「効率性誘因」であるが、従来「規模・範囲の経済 性」「取引費用の節約」「垂直的外部性の内部化」「ただ乗り防止」「不完備契約 対策」等が指摘されてきた。簡単にコメントしよう。 ・規模・範囲の経済性:垂直的統合とボトルネック独占によって様々な効率 性を追求できる。それは単に技術的規模・範囲の経済性のみならずネットワー クの一元的設計・管理の経済性、ネットワーク外部性の享受、資金調達・研究 開発の優位性をも含む(cf. Greenwald and Sharkey 1989)。 ・取引費用の節約:特定企業間の取引だけに有効な「資産特殊性」のために 発生する「機会主義」や「ホールドアップ問題」つまり事後的に取引相手から 不利な条件を押し付けられるリスクを回避する (cf. Coase 1937, Williamson 1989)。 ・垂直的外部性の内部化:下流企業の中間投入財の需要増大によって上流企 業 の 利 潤 増 加 に つ な げ る こ と 。 例 え ば 「 二 重 マ ー ク ア ッ プ (Double Marginalization)」つまり垂直の各段階で独占的マークアップが数珠つながりに なるリスクを回避する (cf. Spengler 1950)。 ・ただ乗り防止:説明や補修のような販売サービスを他業者に任せて、販売 サービス抜きで廉価販売するような業者のただ乗り行為を排除。 ・不完備契約対策:全ての将来の状態に関する契約を書くことができない場 合、履行義務を明確に特定する費用が膨大に掛かることへの対処 (cf. Hart and Holmstrom 1986)。 続いてボトルネック独占の「競争制限的誘因」であるが、従来「可変的要素 結合比率」「価格圧搾」「参入障壁」「ライバルの費用上昇」等が指摘されてき た。簡単にコメントしよう。 6 以下のような垂直的制限を通じて、垂直統合と同等または近似の効果を得ることが可能であ る(cf. 井口 1995)。 (1)価格制限: 再販売価格維持:メーカーが販売業者に対して販売価格を指示する行為 (2)非価格制限: (2.1)専売店制(排他的取引):メーカーが自社の製品のみを取り扱う専売店を通して製品を流 通させる行為 (2.2)テリトリー制(顧客制限):メーカーが販売業者に営業地域を制限する行為 (2.3)抱き合わせ販売:抱き合わせる財(Tying good)を他の財(Tied good)の販売と結び合わせる ことを条件とする行為 (2.4)一店一帳合制:小売店の仕入先を特定の卸売業者に限定する行為 4 ・可変的要素結合比率:中間投入物の要素結合比率が可変的である場合、結 合比率の操作を通じて競争制限を狙う(cf. McKenzie 1951, Westfield 1981)。 ・価格圧搾(Price Squeeze):垂直統合企業が自社の内部価格と他社への販売価 格を価格差別化する戦略の隠れ蓑とする (cf. Stigler 1951, Perry 1978)。 ・参入障壁:垂直的複数の段階への参入の方が一つの段階への参入よりも大 きな最低資本額を必要とする(cf. Bain 1956, Aghion and Bolton 1987)。 ・ライバルの費用上昇(Raising Rival’s Cost):市場を圧迫することによって、 ライバルへの中間投入財価格を上昇させる(cf. Salop and Scheffman 1987, Ordover, Saloner and Salop 1990)。 第2節 ボトルネック独占の社会厚生 ボトルネック独占を論じるのが我々の課題であるが、それが社会厚生上どの ような長所と短所があるのかを考察しよう。先ず先駆的な研究として、クール ノー・エコノミデス&サロップのモデルを紹介しよう。次に、モデルを拡張し てボトルネック独占の社会厚生を論じよう。 <図3挿入> 2.1 クールノー・エコノミデス&サロップ・モデル 図4のように、簡単なネットワークを考えよう。二つのローカル・ネットワ ーク「A」「B」があり、それぞれ二つのコンポーネント「A1」「A2」「B1」「B2」 から構成される。「A」と「B」はゲートウェイ「SA」「SB」で接続されている。 第1回(4 月号)でも紹介したように、「A1A 2」は市内電話・「A B」は長距離電話 とも解釈できるし、「A B」は補完的複合財とも解釈できる。さて、各コンポー ネントの所有形態と社会厚生との間にはどのような関係があるだろうか。この 問題を論じたのが、クールノー (Cournot 1838) と エ コ ノ ミ デ ス & サ ロ ッ プ (Economicds and Salop 1992)である。 <図4挿入> 5 括弧「」を一つの所有構造とみなすと、クールノーはネットワークの (1)垂直 分離「A」 「B」と(2)垂直統合「A&B」の社会厚生を比較すると、(2)垂直統合の 方が望ましいことを発見した。つまり、補完財の垂直統合は金銭的外部性を内 部化し、補完財の最終価格を低下させ、社会厚生上プラスとなる。エコノミデ ス&サロップはクールノー・モデルを発展させ、コンポーネントの (1)分離分割 「A1」「A2」 「B1」 「B2」、(2)完全統合「A1&A2&B1&B2」、(3)コンポーネント合成 「A1&B1」 「A1&B2」 「A2&B1」 「A2&B2」7、(4)分割型垂直統合「A1&B1」 「A2&B2」 の社会厚生を比較すると、最も望ましいのは(3)コンポーネント合成、逆に最も 望ましくないのは (1)分離分割、中間的なのが (2)完全統合と(4)分割型垂直統合 「A1&B1」「A2&B2」であることを発見した 8。つまり、補完財の多様なブランド の水平間競争が補完財の最終価格を低下させ、社会厚生上プラスとなる。逆に、 コンポーネントをバラバラに所有すると、金銭的外部性を内部化できず、補完 財の最終価格を上昇させ、社会厚生上マイナスとなる。 2.2 ボトルネック独占への拡張 さて我々の興味関心はボトルネック独占問題にある。ボトルネック独占の社 会厚生の望ましさについて考察しよう。「A」を中間財産業(ex. 川上部門・ハー ド部門・市内電話 )、「B」を最終財産業 (ex. 川下部門・ソフト部門・長距離電 話)とする。ここでは図 5 のように、(1)統合型ボトルネック「A1 &A2 &B1」 「B2」、 (2)分離型ボトルネック「A1 &A2」「B1」「B2」、(3)分離分割「A1」「A 2」「B1」 「B 2」、 (4)分割型垂直統合「A1 &B1」 「A2 &B2」、(5)非対称型垂直統合「A1 &B1」「A2」 「B2」の5つの産業構造を考える 9。以下、先ず規模・範囲の経済性を除外した 粗社会厚生を比較し、次に規模・範囲の経済性を考慮した純社会厚生を比較す る(cf. 依田 1999)。 7 コンポーネント合成の具体的所有形態のイメージが湧きにくいが、例えば、それぞれ 50%ず つ×2 持つ株主が4人存在するような場合を考えられよう。(この指摘は京都大学大学院桑原鉄 也氏による。) 8 エコノミデス&サロップは他に「A」 「B」両側を限界費用規制する場合、片側だけを限界費 用規制する場合も考察している。勿論両側規制は社会厚生上最善であるが、(3)コンポーネント 合成の方がなお片側規制よりも社会厚生上望ましいことが興味深い。 9 最終財産業は競争サービスと考えているので、「B」の統合は考慮しない。またコンポーネント 合成が可能ならば、ボトルネック独占は瑣末な問題になるので、ここでは取り上げない。 6 <図 5 挿入> 初めに固定費用・共通費用を社会厚生から除外しない「粗社会厚生」を考え よう。二つのメカニズム「水平間代替性」と「垂直間補完性」がポイントであ る。「水平間代替性」とは要するに中間財産業の内部で競争が働くかどうかと いうことである。図 6a のように、中間財産業の「ボトルネック独占」と「水 平分割」が考えられる。エコノミデス&サロップ・モデルが示唆するように、 ボトルネック独占では独占的中間財価格が、水平分割では競争的中間財価格が 設定されるので、水平分割の方がボトルネック独占よりも望ましい 10。「水平間 代替性」の見地から、 (3)分離分割・ (4)分割型垂直統合・ (5)非対称型垂直統合 が(1)統合型ボトルネック・(2)分離型ボトルネックよりも望ましい。 「垂直間補完性」とは要するに二重マークアップ問題を回避できるかどうか ということである。消費者が需要するのは、一つ一つのコンポーネントではな くて、複合財としてのシステムである。補完的コンポーネントの間には、片方(ex. A1)の値段が下がれば、システム(ex. A1 B1)の値段が下がり売れ行きが伸び、派 生的にもう片方(ex. B1)の売行きも伸びるという関係がある。図 6b のように、 もしも一企業が補完的コンポーネントを統合すれば、コンポーネント毎別々に マークアップを設定するのではなく、システム総体にマークアップを設定する ので、システムの価格は下がるだろう。「垂直間補完性」の見地から、 (1)統合 型ボトルネックと(4)分割型垂直統合では2つのシステムで、 (5)非対称型垂直 統合では1つのシステムで垂直間外部性が内部化され、 (2)分離型ボトルネック と(3)分離分割では垂直間外部性の内部化は起らない。 <図 6 挿入> さて以上の水平間代替性と垂直間補完性を考慮に入れると、表1 a のように 粗社会厚生を順序付けることができる。各システムに対する需要代替性 (競争強 度)の大小によって順序は異なってくるが、一番良い産業構造は (4)分割型垂直 統合、一番悪い産業構造は (2)分離型ボトルネックである。その他の産業構造に 関してはケース・バイ・ケースであるが、印象としては (5)非対称型垂直統合> 10 勿論ボトルネック施設の分割それ自体が直接競争効果を持つことはまれである。そこで、ヤ ードスティックや相互乗り入れのような政策的誘因付けを実施する必要があろう。 7 (1)統合型ボトルネック>(3)分離分割の順序である。 次に「規模・範囲の経済性」を考慮に入れた純社会厚生について考察しよう。 規模の経済性は固定費用に、範囲の経済性は共通費用に起因する。規模の経済 性が期待できるのは(1)統合型ボトルネックと(2)分離型ボトルネック、範囲の経 済性が期待できるのは2つのシステムで(1)統合型ボトルネック・(4)分割型垂直 統合、1 つのシステムで(5)非対称型垂直統合である。 水平間代替性、垂直間補完性と規模・範囲の経済性を全て考慮に入れた純社 会厚生の順序を決定するのは非常に複雑な作業になるが、大雑把に分類すると 表1b のようになる。一番良い社会厚生は(4)分割型垂直統合、その次に良い社 会厚生は(1)統合型ボトルネックと(5)非対称型垂直統合、一番悪い社会厚生は(2) 分離型ボトルネックと(3)分離分割である。 <表1挿入> 第3節 ボトルネック独占の規制 前節でいささか退屈な議論が続いて恐縮である。我々の興味関心はあくまで 一方でボトルネック独占・他方で競争的であるような「支配的企業 (Dominant Firm)」である。統合型ボトルネック独占は、何の規制もない場合、分割型垂直 統合よりも劣るが、分離型ボトルネックと分離分割よりは優れることが判った。 統合型ボトルネック独占の長所は垂直間補完性と規模・範囲の経済性が機能す ること、短所は水平間代替性が弱いことである。第1節の議論との関連でいえ ば、ボトルネック独占する支配的企業は生産効率性に優れるが、競争制限的リ スクが付きまとうということになる11。そこで、本節では「構造的規制」と「行 動的規制」の観点からボトルネック独占に対する規制を考えよう。 <図7挿入> 3.1 ボトルネック独占の構造的規制 11 鬼木(1994)も同様のことを指摘している。ボトルネック独占の規制の課題とは「競争市場の 利益」(ex.価格引下げ・サービス向上・新サービス導入)と「大規模経営の利益」(ex.規模・範囲 の経済性・ネットワーク外部性・ユニバーサルサービス・標準化・研究開発)のバランスをどこ に求めるかである。 8 「構造的規制(Structure Regulation)」とは、規制産業のさまざまな事業活動に 従事するための資格要件を公開して、規制産業の構造を設計する規制のことで ある。(次々回詳しく考察するが、)1980、90 年代電気通信産業ではボトルネッ ク独占企業に対して構造的規制が実施された。米国では、1982 年 AT&T と司法 省の修正同意審決で長短分離・地域分割・業務規制を決定した。1996 年以降電 気通信法によって、相互参入を旨とした新たな局面に突入している。英国では、 80 年代支配的事業者 BT と新規参入事業者マーキュリーの間の「複占政策」が 実施された。90 年以降複占政策は廃止された。日本では、民営化・自由化後一 貫して NTT の分離分割をめぐって論争があったが、1996 年純粋持株会社方式 の再編成が合意された。 電気通信産業におけるボトルネック独占の具体的問題は、支配的企業が技術 的・会計的情報を専有するために、(1)公正接続条件をめぐる協議期間の長期化、 (2)接続料金の算定根拠に関する紛糾、(3)ネットワーク改造費用の負担問題が避 けられないということである(cf. 木村 1999)。そこで、公正競争条件を実現し、 イコール・アクセスの確保と競争制限行為防止のためには、「垂直分離・上下 分離」のような構造的規制が必要であるという識者の見解も多い(cf. 鬼木 1994)。 前節の議論から言えるように、構造的規制でボトルネック独占問題を完全に 解決することはできない。先ず長短分離によって分離型ボトルネック独占に移 行する場合を考えよう。米国型構造規制がこれにあたる。内部価格と外部価格 を差別化する「価格圧搾」のような競争制限的リスクを避けることはできるが、 垂直的外部性や範囲の経済性のような効率性における劣化が避けられない。ボ トルネック独占を完全規制産業として、「公正報酬率」や「価格上限(Price Cap)」 を政府が監督することができるが、自律的な競争を通じた産業の発展を期待す ることはできなくなる。分離分割を伴う構造的規制は、通常 10 年を超す長時 間の法廷闘争に及ぶことが多く、その間に産業の技術的環境も一変してしまう。 次に複数の垂直統合企業による競争を考えてみよう。英国型構造規制がこれに あたる。この型の産業構造の社会厚生は一番高い。しかし、ボトルネック独占 の定義からして、ボトルネック施設を代替する「競争的接続事業者 (CAP)」や 「バイパス事業者」を育成することは現実的に困難な場合が多い。 3.2 ボトルネック独占の行動的規制 9 「行動的規制(Behavior Regulation)」とは、ある活動に従事する資格要件を備 えた企業が行う事業戦略(ex. 参入・料金・投資・兼業・規格標準化)に関して政 府が行政的に介入する規制のことである。ボトルネック独占事業者に対する行 動規制は、「非対称的規制(Asymmetric Regulation)」と呼ばれる。非対称的規制 の意義として、 (1)独占的価格の防止、 (2)規制費用の削減、 (3)競争の促進、(4) 規制の透明化、(5)過渡的な規制緩和などをあげることができる(cf. 浅井 1997)。 具体的には、規制緩和により新規事業者の参入を促進すること、支配的事業者 の会計の区分・開示、競争事業者との間の接続に関する命令・裁定、接続に関 する基本ルールの設定がこれにあたる。米国の AT&T は市場占有率とボトルネ ック独占性(1984 年長短分離)によって支配的事業者認定を受け、公正報酬率規 制(1989 年まで)・プライスキャップ規制(1989 年から)・業務範囲規制によって MCI やスプリントのような新規通信事業者に比べて厳しい規制を受けていた12。 日本でも、NTT 民営化後の日本の電気通信政策は、(1)NTT に対抗する NCC の 参入を認め、(2) 限定された数の NCC の保護育成、(3)NCC の成長による NTT への効率化の動機付けとすることであった(cf. 佐藤 1994)。 行動的規制の問題点は「裁量型規制」になりやすいことである。規制行政の 大幅な権限を政府に与えるので、競争が持つ効率化・情報発見機能を阻害する 傾向が出てくる。行政指導は法的根拠を持たない場合が多く、「管理下の競争」 「手錠付きの競争」に陥りやすい (cf. 奥野・鈴村 1993)。 むすびに ザラザラした大地へ ボトルネック独占はネットワーク産業の宿命的問題である。ボトルネック独 占による効率性向上も期待できるが、競争制限のリスクは避けられない。構造 的規制によっても、行動的規制によっても、ボトルネック独占を完全にコント ロールできる答えを経済学者も政府も持っていない。構造的規制と行動的規制 を相互に使い分けて、慎重にボトルネック施設の開放を進めて行くしかないだ ろう。その際、重要なことは「ルール型規制」の徹底である。権限の範囲と限 12 例えば、AT&T が料金変更を行う場合「通常の規制」(一定期間−90 日または 45 日前−に詳 細な料金算定資料を付して料金申請を行うこと)を受ける必要があったが、新規通信事業者が料 金変更を行う場合「規制の簡素化」(14 日前までに簡単な資料を付して申請を行うこと)または 「規制の差控え」(届出のみ)を受けるだけでよかった。その後 AT&T は 1995 年国内サービス・ 1996 年国際サービスにおいて支配的事業者認定を解かれた。 10 界を法制度に明記し、それを厳しく運用することが必要である。「制度として の安定性」のために、ルール型規制を通じた「普遍性・透明性・機会の公平性」 の追求が重要である(cf. 奥野・鈴村 1993)。 現在のネットワーク産業の特徴は急速な産業環境の変化である。 (1)デジタル 化・大容量化・双方向化等の「技術革新」、(2)通信/放送やインフラ/コンテント の「サービスの融合」、(3)多国籍化・合従連衡による「グローバル化」、(4)「ス ピードの経済性」、(5)「世界的な政策潮流」のような全ての環境変化 (cf. 電気 通信審議会 1996)を正確に予想して政策を設計することは事実上不可能であろ う。産業構造に関する制度設計はモデルで描くような「完全性・確実性」の世 界ではなく、モデルでは描けないような「不完全性・不確実性」の世界に属す る問題である。 ウィトゲンシュタインは摩擦なき氷原が如き論理言語に関する前期哲学を捨 て、ザラザラした大地が如き日常言語に関する後期哲学へ進むことを宣言した という。「われわれは全く摩擦のない、ツルツルした氷原の上に迷い出た。そ こでは諸条件がある意味では理想的なのだが、まさにそのためにわれわれは先 へ進むことができない。われわれは先へ進みたい。そのためには摩擦が必要で ある。ザラザラした大地へ戻れ!」 (次回は「アクセス・チャージの経済理論」です。) 11 参考文献 浅井澄子(1997)『電気通信事業の経済分析』日本評論社. 依田高典(1999)「ボトルネック独占の経済理論」甲南経済学論集 39.4: 103-134. 井口富夫(1995)「協調行動と垂直的取引制限」新庄浩二編『産業組織論』有斐閣: 151-176. 鬼木甫(1994)「ネットワークとしての電気通信産業」南部・伊藤・木全編『ネットワーク産業 の展望』日本評論社. 木村順吾(1999)『情報政策法』東洋経済新報社. 奥野正寛・鈴村興太郎(1993)「電気通信事業の規制と政府の役割」奥野・鈴村・南部編『日本 の電気通信:競争と規制の経済学』日本経済新聞社. 佐々木實雄 (1995)「垂直的取引制限と流通系列」植草益編『日本の産業組織』有斐閣:143-167. 佐藤一雄(1999)『アメリカ反トラスト法』青林書院. 佐藤治正(1994)「電気通信政策の行方」永井進編『現代テレコム産業の経済分析』法政大学出 版局. 電気通信審議会(1996)『日本電信電話株式会社の在り方について:答申』. 長岡貞男・平尾由紀子(1998)『産業組織の経済学』日本評論社. 林紘一郎 (1998)『ネットワーキング情報社会の経済学』NTT出版. 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