特集 ⿓⾺と⻑崎 > JR東海オリジナル⻑崎さるくコース03 > 出島和蘭商館跡 【ページ公開⽇:2010年4⽉7⽇】 ・こちらのページに掲載している写真は全てイメージです。現地へ来訪される時期や、当⽇の天候等によって景観は異なります。 ・掲載の情報(料⾦、開催期間等含む)については公開⽇時点のものとなりますので、その後変更されている可能性があります。あらかじめご了承ください。 鎖国時代、海外との交易を許されていた⻑崎。その⻑崎貿易のメインの舞台となった のが『出島』だろう。しかし、その『出島』の繁栄は、鎖国の終わりとともに⾊あ せ、明治以降になると出島周辺の埋め⽴てが急激に進み、1904(明治37)年の⼯事 によって、海に浮かぶ扇形の原型は失われてしまった。 しかし、1996(平成8)年、市街地のなかに埋もれてしまったこの歴史的⽂化遺産 を甦らせようとする計画が本格的に動き出した。⻑崎市の尽⼒により、19世紀初頭 の建造物25棟の復元や扇形の輪郭を表すための護岸⽯垣を復元する短中期復元計画 がスタートし、現在では鎖国時代の『出島』での⽣活をうかがい知ることができる観 光スポットとなっている。“⿓⾺の商い”を巡る今回のさるくコースのしめくくりとし て、この『出島』を散策してみたい。 出島といえばオランダ⼈を連想するが、最初の住⼈はポルトガル⼈だったという。江 ⼾幕府はカトリック教徒だったポルトガル⼈の布教を禁⽌するため、その居留地を制 限する必要があった。そこで1636(寛永13)年、⻑崎の有⼒な町⼈に命じ、約1万 5000平⽅メートル、サッカーグラウンドにして約2⾯分という⼈⼯の島を築かせた ようだ。これが出島の始まりであるといわれている。 その後、本格的な鎖国令の始動によってポルトガル⼈の来航が禁⽌。出島は⼀時期無 ⼈の島となったそうだ。その後の1641(寛永18)年、平⼾にあったオランダ商館を この島に移転。それ以来、1859(安政6)年までの218年間、この島を舞台にしたオ ランダとの交易が続けられたという。 コース全体マップに戻る>> 現在の出島は、当時の⼤きさや様⼦が想像できそうなくらいに復元さ れている。やはり現地を訪れると、数字だけではイメージできない島 の狭さが実感できる。この空間にオランダ船が来航していない期間 は、商館⻑(カピタン)、次席商館員をはじめ約15⼈が勤務していた という。通常任期は1年程度だが、なかには14年以上も滞在した商館 ⻑もいたそうだ。⻑い間住み慣れた故国を離れて⽇本で⽣活すること は、さぞかし不安も⼤きかったのではないだろうか。 そんな当時のオランダ商館員達の気持ちを想像しながら、復元された 部屋を眺めていく。商館⻑(カピタン)の事務所や住居として使⽤さ れていたのがカピタン部屋である。各部屋では、商館⻑の交代式の様 ⼦や『阿蘭陀冬⾄』と呼ばれていたクリスマスのパーティーなどが再 当時のクリスマスの様⼦を再現したカピタン部屋。 現されており、テーブルの上には、少ない物資のなかで⼯夫してつく られた本国に近いクリスマス料理が並んでいたりする。きっと彼らの ⼼を慰めるうえで、⾷事は⼤きな存在だったのだろう。 オランダ船が出島沖に碇をおろすと、数⽇間検査が⾏われ、その後荷物は 『⽔⾨』を通っていくつもの蔵に納められたという。江⼾時代の初期にオラ ンダから輸⼊していた主なものは⽣⽷、オランダに輸出していた主な品は銀 であったといわれている。その後、時代を経るにつれて貿易品⽬は増え、中 期以降には、羅紗、ビロード、胡椒、砂糖、ガラス製品、書籍などの輸⼊ や、銅、樟脳、陶磁器、漆製品などの輸出が⾏われていたそうだ。 幕末になると、本格的な武器の輸⼊がはじまり、ここで登場したのが、坂本 ⿓⾺と彼が率いる海援隊であった。海援隊の活動を記録した『海援隊商事秘 記』には、1867(慶応3)年9⽉、⻑崎・出島のオランダ商⼈ハットマンか らライフル銃を約1300挺購⼊したと記されている。⿓⾺らが購⼊したライフ ル銃は、出島にあった約40mの巨⼤な⽯造倉庫に保管されていたといわれて いる。現在『旧⽯倉』としてその⼀部が復元されているのだ。ハットマン商 再現されたカピタン部屋の内部。 畳の部屋にテーブルなどの洋式家具が置かれている。 会は旧⽯倉の前⾯、現在広場のあるあたりに建っていたという。もしかして ⿓⾺本⼈や、ハットマンとライフル銃の購⼊契約を結ぶ際に活躍した陸奥宗 光などの隊⼠が商談のためにこの地を何度も訪れたのではないか……。⽯倉 の古い⽯に⼿を触れていると、そんな想像が膨らんでくる。 復元された現在の出島を歩いていると、鎖国時代の出島での⽣活が浮かんで くるほど丁寧に再現されている。しかしこれはまだ、復元計画の途中に過ぎ ないという。⻑期復元整備計画によると、前を流れる中島川の振り替えに よって⼟地を当時の⼤きさにまで広げ、四⽅に⽔⾯を確保した完全な扇型の 島を復元することが最終⽬標だそうだ。過去の歴史だけではなく、その⼟地 の今と昔を愛する街の⼈々の思いにふれる…。これも、徒歩で街をゆっくり と巡る“さるく”ならではの醍醐味かもしれない。 ⿓⾺らが購⼊したライフルが保管されていたとされる⽯倉を 再建した『旧⽯倉』
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