2.B型およびC型肝炎ウイルスとその感染(152k) - 日本医学会

●ウイルス肝炎!![ II ]分子レベルからみた肝炎ウイルス
2.B 型および C 型肝炎ウイルスとその感染
三代
俊治*
B 型肝炎ウイルス(HBV)及び C 型肝炎ウイルス(HCV)の分子系統樹を眺めなが
らフと脳裡に浮かんだ考えを言葉にしてみると……この地球上に現存する「生きとし
生けるものたち」の全ては natural selection の勝利者として今ここに生き残ってい
る.ヒトやその他の動物ばかりではない.植物もそうである.ウイルスもそうである.
重要なことは,彼らが「単なる勝利者ではない」ことである.現存する生物全体は「排
他的な勝利者ではなく共存的な勝利者としてここにいる」
のである.もし生物―甲
(例
えばヒト)と生物―乙(例えばウイルス)が相互に排他的な競争者であったとしたら,
甲乙の片方あるいは両方が絶滅してしまったであろう.しかし,両者ともに生き残っ
ているという現実がある.一種の「馴れ合い」の関係が両者間に成立している…….
世界全体で約 10 億人が HBV,約 3 億人が HCV に感染しているといわれている.し
かしそれによって人類が絶滅することはない.個体において感染が持続しがちな HBV
と HCV は,集団としての人類全体においても持続感染してきた.ウイルスの暴走をく
いとめる細胞内分子メカニズムと免疫システムが宿主側にある一方で,宿主から排除
されることを回避するメカニズムがウイルス側にはあって,その力関係が拮抗ないし
妥協してきたからこそ,両者は共存し続けてきたのである.裏を返せば,ウイルスと
宿主との間のこのような interaction を分子レベルで全解明することにより,この 21
世紀中にヒトはウイルスと永遠に訣別することが可能になるかもしれない.
Hepatitis B and C virus infection
SHUNJI MISHIRO Department of Medical Sciences, Toshiba General Hospital
みしろ・しゅんじ:東芝病院研究
部長.昭和48年東京大学医学部卒
業. 昭和52年自治医科大学助手.
昭和54年東京大学医学部第一内
科無給医局員.昭和57年特殊免疫
研究所主任研究員.平成6年現職.
主研究領域/肝炎ウイルス.
*
Key words
B
型肝炎ウイルス
(H
B
V
)
C
型肝炎ウイルス
(H
C
V
)
肝癌
ウイルス
宿主
ウイルス肝炎 29
まるからである.しかし,ときに重症肝炎あ
はじめに:肝炎ウイルス番付
るいは劇症肝炎を起こすこともあり,その比
私作した肝炎ウイルス番付をご覧頂きたい
率が HAV より HEV のほうが若干高い印象が
(図 1)
.東西の横綱である B 型肝炎ウイルス
あるゆえ,HEV を HAV より若干上方に配置
(HBV)
とC 型肝炎ウイルス
(HCV)
については
した.
後で詳述するが,D 型肝炎ウイルス
(HDV)
が
これら 5 種類の「確定した」肝炎ウイルス
なぜ大関の位置にいるのか?それ は,HDV
の ほ か に も,GBV-C!
HGV や TTV!
TLMV!
には 3 種類の genotype があり,
そのうちの中
SENV などといった新規のウイルスが新たな
南米に多い genotype 3 が重症肝炎を惹起し
「肝炎ウイルス候補」
として登場してきた.し
やすいから,
というのが一般的な説明である.
かし,これらのウイルスがヒトに肝炎を起こ
しかしこれには異論もあり,同時感染してい
す力は前述の 5 種に比べれば明らかに低い.
る HBV-F と HDV-3 との組み合わせのほうが
よって「幕下」あるいは「番付外」という格
問題なのだ,とする説もある.いずれにせよ,
付けになる.
HDV は HBV の サ テ ラ イ ト・ウ イ ル ス で あ
り,B を切り離して D を論ずることはできな
い理屈である.よって,横綱である HBV に
引っ張られて HDV は大関になった.
1.肝癌ウイルス:HBV,HCV
HBV と HCV が東西の横綱である理由は,
HDV の下に A 型肝炎ウイルス
(HAV)
とE 型
肝炎ウイルス
(HEV)
を配置した理由は,この
2 つのウイルスは持続感染することなく,通
常 self-limited の急性肝炎を惹起するにとど
この二つのウイルスには,その持続感染者に
肝癌を惹起する力があるからである.即ち,
「肝癌ウイルス」だからである.
その証拠を示せ!ということであれば筆者
Clinical impacts
Liver cancer
番付
Severe hepatitis
Self-limited
幕下
GBV
図1
30 第 123 回日本医学会シンポジウム
TTV
TLMV
肝炎ウイルス番付
SENV
Nationwide HB vaccination
A
lncidence of HCC
(per 100,000 )
started in July
1984
0.5
0.5
0.1
0.1
6
7
8
9
Age at diagnosis
Children born 1974∼1984
lncidence of HCC
(per 100,000 )
6
7
8
9
Age at diagnosis
Children born after 1984
Chang, et al. N Engl J Med 1997;336:1855―1859
B
HCV=肝癌ウイルス:臨床疫学的証拠
C型慢性肝炎
インターフェロン治療
肝機能正常化(ウイルス消失)
肝癌発生阻止ないし遅延
Nishiguchi, et al. Lancet 等
図2
HBV と HCV が肝癌ウイルスであることの間接証明
A : HBV ワクチンによる感染予防で肝癌発生が抑えられ,B : HCV に対する抗ウイルス剤治療
が奏効すれば肝癌発生を遅延ないし阻止し得る.
は迷わず 2 枚のスライドを示す(図 2).まず
紛れもなく 20 世紀ウイルス肝炎学がもたら
HBV については,台湾の陳定信先生らのスタ
した快挙の一つである.
ディである
(図 2 A)
.台湾では HBV による小
次に HCV については,
日本のスタディがあ
児肝癌が多発していたが,B 型肝炎ワクチン
る(図 2 B).C 型肝炎罹患者をインターフェ
接種が開始された 1984 年以降に生まれた小
ロンで治療することで,ウイルスが消失する
児においては,肝癌の発生率が激減した.ワ
か,あるいはウイルスは消えなくてもトラン
クチンによるウイルス感染予防によって肝癌
スアミナーゼが低く抑えられれば,肝癌の発
も予防された.史上初の
「癌予防ワクチン」
で
生を遅延あるいは阻止することができるとい
ある.この仕事は台湾での成績ではあるが,
う,現在では有名な仕事である.抗ウイルス
ウイルス肝炎 31
B
A
2.1kb mRNA
preS2
3205
preS1
155
S
2848
2.5kb
mRNA
SPÀ
GRE
SP¿
2800
2449
3215/1
(EcoRl)
2400
2307
2000
P
DR1
(A)n
800
832
1200
1600
pAε
EnhÀ
CP↓
5′
C
HBV
DNA
400
Enh¿
5′ XP
DR2
5′
1901
1835
1814
preC 1620
1374
X
0.7kb
mRNA
pregenome 3.5kb mRNA
図3
HBV の構造とゲノム
A:ヴィリオンの断面モデル図.B:ゲノムの遺伝子マップ
治療によって発癌を防ぎ得るのならば,上述
数多あるが,一点だけといわれれば,次の点
した HBV の場合と同じ理屈で,HCV も発癌
を強調したい.図 4 の分子系統樹で示す如
ウイルスであるといえる.
く,HBV ないし類似のウイルス(hepadnaviruses)が,霊長類のみならず鳥類や齧歯類か
2.HBV のゲノム
らも見つかっている.このことは,HBV の起
源が実に古いということだけでなく,その長
HBV を構成する分子を図 3 に示す.図 3 A
い時間の中で宿主との間に共存共栄の関係を
は HBV ウイルス粒子の断面モデル図である
築くに至ったことを示唆している.極論すれ
が,表面には HBs 抗原蛋白が脂質に埋没して
ば,HBV はすでに「われわれの体の一部」な
存在する.その内側にはコア蛋白で構成され
のである.
た殻があり,その中に HBV genome DNA が隠
されている.この非常に短い環状二本鎖の
HBV DNA は,ゲノム全体を非常に効率よく
3.進化のエリート“e-plus HBV”
使って,4 種類の蛋白をコードしている(図
HBV は連綿たる母児感染という縦糸(=垂
3 B)
.HBV のゲノムは長い時間をかけてここ
直感染)で世代間を伝承されてきた.そして
まで進化してきた.
昔は一本鎖の RNA だった
この縦糸で次世代に伝わっていくのは HBe
に違いない.われわれは今,進化しきった
抗原産生能力を持った“e-plus HBV”であっ
HBV の姿を見ているのである.
て,e-minus HBV では断じてない.
長い歴史の
HBV ゲノム解析によって得られた知見は
32 第 123 回日本医学会シンポジウム
中で揉まれ続けて進化してきた HBV が現時
PreS1/S2+S
A*
2
1
100%
4
B*
5
human HBV
*genotypes
F*
17 16
100% 15
6
8
88% 100%
C*
7
3
9
99%
D* 10 99%
99%
100% 66%
11
58%
12
50%
70%
Ch195
85%
46%
68%
100%
E*
81%
14 13
0.05
19 99% 18
gorilla
48%
(GoHBV)
64%
Ch256 Ch258
23
orangutan
99%
24
chimpanzee
(OuHV)
25
(ChHBV) 20 22
21
図4
gibbon
(GiHBV)
woolly monkey
(WMHBV)
26
Birds
Rodents
HBV あるいは類似ウイルス(総じて hepadnaviruses)の分子系統樹
HBV genome を見る限りヒトとゴリラ!
チンパンジーを区別し得ないから,共通祖先にすでに
HBV は感染していた可能性がある.さほどに HBV の起源は古い.
点までに獲得し得たエリート像こそ,この
“e-
主からも排除されがちであるゆえ,世代を超
plus HBV”なのである.
えて子々孫々伝承されていくことはない.感
しかし,変異しないウイルスはない.感染
染経路はもっぱら水平感染である.
宿主の中で平和共存していたエリート HBV
にもやがてゲノム上の各所で変異が起こりは
じめ,一つ一つの変異が蓄積されていくにつ
4.未だ進化途上にある HCV
れ性質も変化していく.こうした変異株ある
HCV の歴史は,HBV のそれに比べればはる
い は ミ ュ ー タ ン ト の 中 の 一 つ に“e-minus
かに浅く,したがって宿主によく adapt し得
HBV”がある.これは,HBe 抗原をコードす
たという地点までは未だ到達していない.そ
る遺伝子の中に点突然変異やフレームシフト
の証拠に,HCV の血中ウイルスタイターは
が起こったり,プロモーター領域内に変異が
HBV
(
“e-plus”
)
のそれに比べれば遥かに低
起こったりしたがために,HBe 抗原の産生が
い.HCV が HBV の到達し得た段階にまで進
ストップないし低下したミュータント HBV
化するためには,何十万年もの長い時間が必
のことである.このウイルス株に初感染した
要なのではなかろうか.従って,ちょうど
人が劇症肝炎を起こしやすいことは,真弓先
HBV の「落ちこぼれ」である“e-minus HBV”
生(自治医大)や小俣先生(東京大)のグルー
と同様に,HCV は母児感染や針事故などと
プからも報告されている.
いった「ごく少量の血液」を介した感染経路
このようなミュータントは,一般 に wild
type と比較してウイルス複製能力も弱く宿
では感染し難いし,宿主との間の平和共存も
難しい.
ウイルス肝炎 33
(年)
1995
1993
1991
1989
1987
1985
1983
1981
1979
1977
1975
1973
1971
1969
1967
1965
1963
1961
1959
1970年代末からの
肝癌死亡急増は
HCVが原因
HBV
HCV
20∼30年前に何があった?
戦後の混乱期!
0
5,000
10,000
15,000
20,000
25,000
30,000
35,000(人)
年間肝癌死亡者数
日本肝癌研究会
図5
日本における肝癌死のトレンド
では一体どのようにして HCV は,
過去から
ブームの時期にあたっており,当時 15∼25
現在まで世代間を伝承されてきたのだろう
歳だった人の約 5% がヒロポン!(メタアン
か.まれに存在する垂直感染
(母児感染)
のみ
フェタミン)を服用していたが,やがてそれ
によって細々と命脈を保ってきたのであろう
は内服から注射へと投与法が変わっていっ
か.
た,と.よって,最初は覚醒剤使用者という
集団の中で HCV のスプレッドが起こり,
やが
5.人為が HCV をスプレッドさせる
てそれが輸血(当時は売血制度で,後に「黄
色い血」問題が起こる)やその他の医療行為
1980 年頃から急増し始めたわが国の肝癌
(当時はディスポ器具が皆無に近かった)に
死の原因は HCV である
(図 5)
.
HCV に感染し
よって一般社会へ広がっていった.つまり,
てから肝癌が発生するまでには 20∼30 年か
現今の高齢者における HCV 感染の蔓延は,
かるが,1980 年の 20∼30 年前のわが国は
「戦
「戦後社会からの負の遺産である」
と吉澤先生
後の混乱期」
にあった.それと HCV 感染との
関係には一体どういう関係があるのだろう
か.
は説明している.
戦争も人為.輸血も人為である.現今の輸
血はずいぶん安全になってきているが,戦争
吉澤先生
(広島大)
や溝上先生
(名古屋市立
は違う.ベトナム戦争後の米国でも覚醒剤が
大)
によれば,
その頃はわが国の第一次覚醒剤
流行した.アフガン戦争後にはウクライナで
34 第 123 回日本医学会シンポジウム
も覚醒剤使用者が増加し,その結果,米国で
る訳である.集団に対して有用なワクチンと
は HCV 抗体陽性率のピークが 40 歳前後,ウ
いう武器を持たないわれわれは,HCV 感染者
クライナのそれは 30 歳前後となっている.
一人一人からウイルスを消していく努力をし
これらのことから,HCV のスプレッドをプロ
なければならない.
モートしているのは断然「人為」ではないか
といえる.では,人類が HCV に別れを告げる
ためには,戦争反対を叫ぶしかないのであろ
うか?
7.HCV とインターフェロンと宿主因子
最後に,折角「分子レベルからみた肝炎ウ
イルス」という稿題を頂戴 し た の で,HCV
6.HBV と HCV の終焉
のインターフェロン治療の問題点の一つであ
るところの「なぜ効く人と効かない人がいる
垂直感染がメインの感染ルートである
のか」という疑問に対して,
「感染宿主の遺伝
HBV に対しては,極めて有効なワクチンが存
子多型が分子レベルで関与している」可能性
在し,ワクチン接種で母児感染をブロックす
について触れておきたい.
る こ と に よ っ て HBV を 人 類 か ら 永 遠 に
体外から投与されたインターフェロンが血
eradicate することが可能であり,実際それは
中をめぐった後,標的細胞表面の受容体に結
すでに射程圏内に入っている.ゆえに,HBV
合すると,細胞内シグナル伝達系が作動し,
の歩んできた長い歴史はもうじき終焉する.
最終的には核内の interferon-inducible genes
しかし,HCV についてはワクチンが未だな
(=インターフェロンによって発現誘導され
く,またエンヴェロープ蛋白上の抗原エピ
る遺伝子群)の発現増強が起こる.そうした
トープが高速度で変化する等の理由により,
遺伝子の一つに MxA があり,
この遺伝子から
有効なワクチンの開発がなかなか困難であ
作られる蛋白には抗ウイルス作用がある.わ
る.では,どうやって HCV の感染連鎖を断ち
れわれは,
この MxA 遺伝子のプロモーター領
切ればよいのであろうか.覚醒剤中毒などの
域内の単塩基多型(single nucleotide polymor-
社会的要因を除去することはもちろん大事で
phism)がインターフェロン治療の効果に関
あるが,それだけであろうか?
係していることを見いだした.現在までに
方策がないわけではない.感染源たる宿主
MxA 以 外 に も い く つ か の 遺 伝 子(の 多 型
からウイルスを消せばよいのである.すでに
性)が,
「効く!
効かない」に関与していると報
使われているインターフェロンや,これから
告されている.
使われるようになる新規の抗ウイルス薬を投
病原体のみならず,宿主をも分子レベルで
与することによって,
一人の HCV 持続感染者
見ていくということが,感染症研究の今後の
から HCV を消せば,
感染源が一つ減ったこと
方向性の一つになるであろう.
になる.
「治療」が同時に「予防」にもつなが
ウイルス肝炎 35