ワルラスと進歩

ワ ル ラス と進 歩
御 崎
I
加
代 子
は じaめに
本稿 の 目的 は, レ オ ン ・ワル ラ ス ( L 6 o n W a l r a s , 1 8 3 4 - 1 9 1 0 ) が
, そ の経 済
学 形成過程 にお い て 「
進 歩 す る社 会 」 の分析 を指 向 しつつ , な ぜ 一 般均衡 理論
とい う静 的 な モ デ ル を構築 す るに至 ったのか とい うこ とを考 察 す るこ とであ る。
教科書的な解釈 に よれば,ワ ル ラスが純粋経済学 を構築す る際 に念頭にあ っ
たのは,静 態経済 の分析 であ り,そ のため の静学的なモデルが一般均衡理論 で
1)
ある。
しか し,ワ ル ラス を進化主義者 として位置づ けようと試みる Jolink(1996)
でも強調されているように,ワ ル ラスの経済学体系 (純粋経済学,応 用経済学,
社会経済学)を 統一的に理解 しようと試みれば,こ の ような解釈 をその まま受
け入れるこ とはできな くなって しまう。なぜな ら後者 2つ が動的な要素 を扱 っ
ているため,糸屯粋経済学 との関連づ けが不可能になってしまうか らである。
果味深 いことに,こ の ような問題は,Morishima(1977)の ように,そ の研
究対象 を純粋経済学 のみに限定 しても生 じる。 『
純粋経済学要論』 (初版187477,以 下 『
要論』 と略記)に は,静 的な一般均衡理論のみならず,動 態経済を
扱 った 「
進歩する社会 の価格変動 の法則」が最後部 に含 まれるか らである。こ
の法則の位置づ けについては,ジ ャッフェ=森 鳴論争 (1980)の核心 に もなっ
た。「
進歩する社会 の法則」の重要性 を強調 し,ワ ル ラスの念頭にあったのは成
長 モデルの構築 であると主張 した森鳴に対 し,ジ ャッフェは,こ の法則が 『
要
論』 の 「コー ダ」にす ぎず,静 的な一般均衡理論にワル ラス純粋経済学のエ ッ
1)例 えば,Schumpeter(1954)。
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彦 根論叢 第 308号
セ ンスが あるこ とを主張 した (Jaff0 1980,Morishima 1980)。
またさらに,ワ ル ラスの一般均衡理論 その ものにつ いての従来 の解釈,特 に
その静的 な枠組み を強調す るジャ ッフェの解釈 に異議 を唱え,そ の現実的動学
『
的枠組 み を強調す る Walker(1996)の 研究 もある。 そ もそ もワル ラスの 要論』
に展開 された一般均衡理論 が,時 間の存在 しない静学的 な体系 として理解 され
一
るようにな った背景 には,模 索過程 にお いて,均 衡 が成 立す るまで 切 の交換
・生産活動 が行 われな い と言 う非現実的 な仮定 があ る。 しか し Walker(1996)
純粋経済学要論』 の形成過程 に焦点 をあて,こ の
は,初 版 か ら第 4版 までの 『
条 件 付 き取 引証 書 (written
よ うな非 現 実 的 な仮 定 を象 徴 す る い わ ゆ る 「
は,第 4版 以降 に導入 された こ とを指摘 した。通説 とは逆 にワル ラス
pledge)」
は,当 初,不 均衡過程 につ いての現実的な議論 に興味 を持 って いたのであるが,
晩年 になってか ら,抽 象的 ・形式的アプ ロー チヘ の傾 向を強め て い った とい う
のが,ウ オー カー の考 え方 である。
本論文 ではこれ らの研究 をふ まえ,ワ ル ラスの純粋経済学構築 の思想的背景
に言及 しつつ,彼 が いかに進歩 とい う概念 に支 えられ て, 自 らの思想 を純粋経
済学 に結晶 させ て い ったか を明 らかにす る。
H 純
粋経 済 学設立 の 2つ の 動機
『
要論 』 は,一 見 矛盾す る二つ の部分 に よ って構 成 され て い る。
ひ とつ は,第 II編か ら第 Ⅵ編 (第 4版 )ま でに展 開 され た,交 換,生 産 ,資
一
本 形成 お よび信 用 ,貨 幣 の理 論 で あ り,の ちに 般均衡 理論 と呼 ばれ るよ うに
な った部分 であ る。 ワル ラ ス は この 中 で,市 場 の参加 者全 員 が 与 え られ た所得
ー
制 限 の も とで満 足 を最 大化 し(主体 的均衡 ),全 ての 市場 にお い て財 とサ ビス
の 需給 が均衡 して い る こ と (市場均衡 )を ,運 立 方程 式 の 形式 で表現 し,未 知
数 と方程 式 の数 が 一 致 す る こ とに よ って,均 衡解 が 存在 す る と考 え た。 彼 は こ
の よ うな議論 を理 論 的解 決 と呼 び,こ の よ うな議論 に よ り説得 力 を持 たせ るた
2)Walker(1996)に
た。 ( p . 2 7 1 )
呼 んでい
よれ ば , ワ ル ラ スは模 索過 程 の分 析 を d y n a m i c t h e o r y と
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め に , 市 場 の 解 決 と呼 ば れ る議 論 を導 入 した。 こ れ は 実 際 の 市 場 に お い て どの
ように均衡解 に到達するか とい うことを描写 した もので, い わゆる模索過程
のである。 ここでは, 任 意の不均衡状態から出発
( t a t O n n e m e n t )呼ばれるも
と
め
して交換 の 当事者 に よる競 り上げ競 り下げ を通 じて,均 衡 が確 立 され る。 ここ
で均衡価格が成立す るまで実際 の経済活動 は一切行 われず,時 間の経過 を伴 う
条件 の変化 は一切考慮 されない とい う仮定 に よって,ワ ル ラスのモデルは時間
の存在 しない静学 として位 置づ け られ るよ うになった。
経済的進歩 の条件 と結果」 であ り,こ こ
もうひ とつの部分 は,同 書第VIl編「
4)
には,「進歩す る社会 の価格変動 の法則」 と呼ばれ るものが含 まれて い る。
「
進歩す る社会 にお いては,労 働 の価格す なわち賃金 は 目立 って変化せ ず,土
地用役 の価格す なわち地代 は 目立 って上昇 し,資 本用役 の価格すなわち利子は
目立 って下落す る。 …進歩す る社会 にお いて,純 収入率 はめだって下落す る。」
(Walras,L,1988,p.597.久武訳,p.412.)
この法則 の意義 を最初 に取 りあげ たのは,Morishima(1977)で
あ ろ う。彼
は,ジ ャ ッフェや他 の 多 くのワル ラス研究者が,『要論』の第 II編か ら第 VI編の
一般均衡理論 を,最 も重視 して きた事実 を指摘 し,そ れに対 して,第 VIl編
をワ
ル ラス体系 の 中核 と位 置づ け,「進歩す る社会 の価格変動 の法則」 を重視 した。
そ して ワル ラスが意図 して い たのは,静 態 モデル ではな く成長 モデルの構築 で
ある とい う独 自の解釈 をうちだ し,『要論』の究極的 目標 は,現 実 の資本 主義経
済 の運行 の仕方 を検討す るこ とであるこ とを主張 して,ワ ル ラスの静的 なモデ
も指摘 されて い るように, こ こで価格 を叫ぶのは,交 換 の 当事者 たち
競 り人」 は存在 しない。 さらに言 えば,
であ り,一 般 に信 じられて い るよ うに,特 定 の 「
全 ての人間が価格受容者 だ とは い えな いの であ る。 この 問題 につ いては稿 を改め議論す る
3)Walker(1996)で
予定 であ る。
進歩」とは,「 人 口が 増加 しつつ あ るときに生産物 の稀少性す な
4)ワ ル ラスが ここで言 う 「
わち生産物 の最後 に満 たされた欲望 の強度が減少す るこ と」 であ る。 それは (狭義 の)資
要論』第36章)。 この法則
本 の 量 の増加 が,人 口増加 を超 える こ とに よって可能 とな る (『
につ いての詳細 は,御 崎 (1996a)を 参照 され た い。
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ル にユー トピアの表現 を見 いだす ジャッフェ と対 立 した。
この問題 を,ワ ル ラスが純粋経済学 を設立す る以前の思想的な背景 に までさ
かの↓
Fっ て考察す ると,興 味深 い こ とがわか る。 この 2つ の要素 は,ワ ル ラス
が純粋経済学 の構築 を決意 した 2つ の動機 にほか ならないの である。
「自伝 ノー ト」 に よれば,ワ ル ラスが数学的な純粋経済学 の設立 を決意 した
の は,1860年 最初 の経済学上 の著作 『
経済学 と正 義』 を執筆 した ころである。
一部 は まさに これ (『
「
経済学 と正義』)を 書 いてい るときに,ま た一部 はこれ
を出版 した後 に,私 は人 口 と富が増大す るにつ れて地代 と地価 が上昇す る事 実
と,農 業,工 業お よび商業生産 に関 して 自由競争 の制度 を採用す るこ とに よっ
て最大 の効用 が得 られ ると言 う事実 を,数 学的 に証明すべ き二つの事実 として
認識 し,数 学 の形式で創設すべ き純粋 お よび応用経済学 を直感 したの である。」
(Walras,L,1965,p.2,御 崎 訳,1991,p,8.)
すなわち人 口増加 と資本蓄積 にともなう地代 と地価 の上昇 と自由競争の効率
性 の証明が,純 粋経済学設立の 2つ の動機 であった。前者は,「進歩する社会 の
価格変動 の法則」 として,後 者は,一 般均衡における各人の効用最大化 として,
それぞれのちに 『
要論』 に結実するこ ととなった。このように 『
要論』の中で
一見矛盾 して存在する2つ の部分は,そ の ままワル ラスが純粋経済学を設立 し
ようとした 2つ の動機 に対応 しているのである。
1.進 歩する社会
『
経済学 と正義』 (1860)の中でワル ラスは,父 オー ギュス トが 『
社会的富の
理論について』 (1849)の中で述べ ていた 「
資本 と収入の価値変動の法則」を再
び取 りあげている。これは,『要論』における「
進歩する社会 の価格変動 の法則」
の原型 とも言 うべ き法則である。 この法則によって,オ ー ギュス トが主張 しよ
うとしたのは,価 値 の原因を稀少性に求めれば,資 本蓄積 と人 口増加にともな
って上昇するのは,地 代 と地価だけであ り,賃 金は一定,利 潤は低下するとい
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うこ と,そ の結果,進 歩す る社会 にお いて有利 となるの は,地 主だけであ り,
土地 を国有化すれば,人 々の経済的不平等 はな くなるとい うこ とである。
この土地 国有化 こそが,ワ ル ラス父子 の 「
科学的社会主義」 の 中核 をなす も
ので あ った。注 目すべ きことは,ワ ル ラスが,こ の法則 を当時 「アポステ リオ
リに認識で きるもの」 (Walras,L.1860,p。159)と して とらえてい たことであ
り,こ れに先験的 な根拠 を与 えるこ とこそが 自らの使命 だ と考 えたことが,純
粋経済学設立の動機 につ なが ってゆ くこ とである。
この法則 は リカー ドと同時代 人 である父オー ギュス トに とって, 日新 しい も
のでは なか ったであろ デ。 しか しヮル ラス父子はそ こか ら,資 本所有 を擁護 し,
土地 国有化 のみが労働者 を困窮 か ら救 うこ とを主張 しようとした。 しか しこの
よ うな主張は,同 時代 人か らは受け入れがたい もので あ った。父 の社会主義 を
法則」 を説得力 の あるかたちで
科学的」 な ものにす るためには,そ の 「
真に 「
示す こ とが息子 ワル ラスの切迫 した課題 となったので ある。 この ように ワル ラ
スに とって,純 粋経済学 の 出発″
点にあるのは,「進歩す る社会 の法則」とい う動
的 で,経 験的な経済秩序 の把握 である。
2.自 由競争 の効率性
ワル ラスは,『経済学 と正義』を当時 の社会主義者 の大御所 プルー ドンにあて
て書 い たに もかかわ らず,そ の 出版後,本 人か らは反応 を得 られなか った。 そ
の一 方 で,ワ ル ラスの進むべ き道 を決定す ることに なる コメン トを,ラ ンベ ー
ル ・ベ イ とい うサ ン シモ ン主義者 か ら受 け取 って いた。 それは, 自由競争 が価
格 と生産量 を決定す るひ とつの方法 ではあるが,そ れが最 良 であ ることは誰に
よって もまだ示 されて い ない とい うこ とであった。 これに対す るワル ラスの答
要論』 の 中で示 された一般均衡 モデル におけ る各人の満足 の極
えが,の ちに 『
大 である。
ワル ラスはこの ことにつ いて,晩 年,次 の ように説明 して い る。
5)こ の法則 とリカー ドとの関連性 の 問題 につ いては,Morishima(1989)も
参照 の こ と。
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「自由競争は,そ れが組織され行使 され うる場合 には,用 役 と生産物の効用の
最大量を得 るとい うことです。 この効用の最大量は,稀 少性あるいは満足させ
られた最後の欲求の平均強度 に対 して価値が比例すると言 うことの結果 として
生 じたものです。
」
(Walras,L,1987,p.508.神
印山
寄訳 ,1991,p.27,)
これは,言 うまで もな く限界効用均等 の法貝Jを指 して い る。 ワル ラスは,こ
の法則 の確 立によって,限 界革命 の担 い手 の一 人に名 を連ね るこ とになったの
であるが,こ れは,そ れ まで父 オー ギュス トの強 い影響 の下 に経済学 を学ん で
きたワル ラスの経済理論 を,父 よ りも優 れ た ものに した点で もあ った。すなわ
ちオー ギュス トは,「進歩す る社会 の法則」を述べ る際に,稀 少性 と言 う概念 を
使 ったが,そ れは絶対需要 と絶 対供給 の比率 として考 え られて いた。 ワル ラス
は,そ の稀少性概念 に限界効用 と言 う新 しい意味 を付 け加 え,そ れが一般均衡
0
理論 の完成へ とつ なが ったので ある。
ワル ラスが この ような法貝Jの確 立に闘志 を燃や し続け た背景 には,資 本所有
を否定す る当時 の社会主義者へ の批判があった。ワル ラスは,「進歩す る社会 の
法則」 によって,資 本所有 が正義 に反 しない (経済的不平等 を拡大 しない)こ
とを示 す だけでな く,資 本所有 を前提 とす る市場 とい うものが いかに効率的 な
の
要論』の第 V編 (第
もので あるか,そ の有利 さを示す必要 があったのである。 『
4版 )「資本 形成お よび信用 の理論 」 にお いて,資 本財市場 の 自由競争 につ い
て,彼 は次 の ように言 って い る。
「
経済学者 が主張は して きたけれ どもまだ証明 しなか った重要 な真理が,社 会
主義者 が否定す るところで あるに もかかわ らず,つ いに確 立 されたので ある。
す なわち, 自由競争 の機構 は,一 定 の条件 と一定 の限界内にお いて,貯 蓄 を狭
義 の資本 に転化 し, また用役 を生産物 に転化 す る自動的機構 であ り, 自動調整
6 ) そ の格 間 の過程 に関 しては, J o l i n k ( 1 9 9 1 ) を参 照 の こ と。
7 ) ワ ル ラスのマル クスに対す る市場 の有利 さをめ ぐる議論 につ いては, 御 崎 ( 1 9 9 2 ) を参
照 の こ と。
ワルラスと進歩
181
者 であ る。 この ように して,交 換 お よび生産 に関 して と同様 に,資 本形成 お よ
点を我 々 に与 えて く
び信用 に関 して も,純 粋経済学 の結論 は応用経済学 の 出発″
れ る。前者に関 して も後者に関 して もこの結論 は また,社 会経済学 が しなけれ
ばならない仕事 を明確 に示 して くれ る。交換 と生産 とに関す る自由競争 は,全
ての交換者 に対 し,全 ての用役 と全 ての生産物 の交換比率 がただ一 つ しかない
と言 う条件 の もとに,用 役 と生産物 の効用 の最大 を獲得 させ る。資本形成お よ
び信用 に関す る自由競争 も同様 に,全 ての貯 蓄形成者 に対 して,純 利子 と資本
との比率 がただ一 つ であ るとい う条件 の もとに,新 資本 の効用 の最大 を獲得 さ
せ る。 これ らの条件 は,正 義 にかな うだろ うか。 これが社会的富 の分配 の道徳
論 の答 えるべ き問題 である。 そ して,こ れに答 えて始 めて社会的富の生産 の経
済理論 は,農 業 に,工 業 に,商 業 に,銀 行 に,そ して投機 に, 自由競争 の原理
の適用 を思 い切 って細部 に まで押 し進め て行 くことがで きる。」
i式
訳, p . 3 1 0 。
)
(Walras,L.1988,p.425.久
IH 進 歩 と均衡一 資本形成
この ように,ワ ル ラスが純粋経済学に取 りかか った背景 には,進 歩 の概念 の
定式化 と,主 体 的均衡 によって表現 された, 自由競争 の効率 性 の証明 と言 う問
題 が あ った。 しか しこの進歩 と均衡 とい う異な った性質 をもつ二つの概念 を,
要論』体系 の 中で取 り扱 うこ とはで きるので あ ろ うか ?
同じ 『
この ような問題 を考 える上 で有効 なのが,『要論』 第 V編 (第 4版 )「資本 形
成お よび信用 の理論 」 におけ る資本形成 モデ ルの考察 である。す でにワルラス
一
は,そ れ以前 の章 で交換 と生産 の理論 を展開 して い たが,こ こでは同 じ 般均
「
衡 モデルの枠組 みの 中で,純 貯蓄 の存在 と新資本財 の生産 とい う 進歩す る社
会 」 の条件 を取 り扱お う とす るので ある。
しか しこの資本形成 モデ ルは,動 学 モデル としての現代 の成長分析 とは違 っ
て,時 間の経過 につ れての動 きを求め るべ き変数 が含 まれ て いない こ とが しば
8)純 収 入率 の均 等 がはた して,新 資本財 の最大効用 を もた らすか どうかにつ いての問題 は,
Walker(1996)chap.10で 論 じられて い る。
182
彦 根論叢 第 308号
一
しば指摘 され る。 この モ デ ル にお い て は,あ る 点 におけ る新 資本財 の価格 の
みが 問題 とされ,所 与 の 条件 が均 衡 に達 す るまで変 更 され な いの であ る。
「前 と同様 に,こ の場合 も交換 の均衡 お よび生産 の均衡 に到達 した とき と同 じ
一
方法 で,す なわ ち 定 の期 間 中,問 題 の任 意 に定 め た与件 を不変 であ る と仮定
し,こ れ らの 与件 の変化 の影響 を研 究 す る 目的 で与件 を変数 とみ る こ とは後 に
譲 って,ま ず 資本 形成 の均衡 に到達 す るこ とが 問題 であ る。 なお また,資 本 形
成 にお い て は,生 産 にお い て用 役 が生 産 物 に変 形 され たの と同様 に,用 役 の新
資本 へ の変 形 が行 われ る。 あ る純収 入率 と用 役 の あ る価格 が 叫ばれ生産 物 お よ
び新 資本 の あ る数 量 が 製造 され る とき, も しこの率 と価格 と数 量 が均衡 におけ
る率 と価 格 と数 量 で な い な らば,他 の率 と価 格 を叫 ば なけれ ば な らな い だけ で
な く,生 産物 と新 資本 の他 の数 量 を製造 しなけれ ば な らな い。」
(Walras,L.1988,p.377.久 武 訳 ,pp。280-281.)
ではこの ような不均衡状態か ら均衡 へ は, どの ように至 ることがで きるので
あ ろ うか。Walker(1996)で 指摘 されて い るよ うに,ワ ル ラスはこの資本形成
モデ ルにお いて も,第 4版 以降,「取引証書」の導入に よって,均 衡状態 にお い
てのみ実際 の生産 ・交換活動 が行 われ るこ とを強調す る。彼 は,次 の ような文
を先 の 引用 の直後 に付 け加 えて い る。
「この第 1の 困難 を解決す るために,新 資本 を製造す る企業者は これ らの生産
物 の次 々 に現れ る数量 を取引証書 (bons)で代 表 させ ,そ れは最初 に偶然 に決
定 され,次 に販 売価格 と生産 費 を超 えて い るか否かに従 ってこれ を増加 または
減少す るこ とに よって,販 売価格 と生産費が均 等 になるよ うに至 らしめ ると想
定す れば よい。 また地主,労 働者 お よび資本家 も,同 様 にその用役 の次 々 に現
れ る数量 を取引証書 で代表 させ ,そ の数量 は最初 に偶然 に叫ばれた価格 に対応
し,次 には価値尺度財 であ らわ した新資本額 の需要 が供給 を超 えて い るか否に
一
従 ってその価格 を引 き上げ または引 き下げて,つ いには需要 と供給 が 致す る
ワルラスと進歩
183
と想定すればよい。第 2の 困難すなわち新資本の生産に要する時間の経過に関
す る困難は,生 産物の場合 と同様に生産が即時に行 われると仮定す ることに よ
って取 り除 か れ る。」
(Walras,L.1988,p.377.ク
市式訳 ,p.281.)
す なわち ここでワルラスは生産期 間 を全 く捨象 して しまうので ある。 これに
よってワル ラス ・モデル は静学 モデ ル として位 置づ け られ るようにな ったので
あ り,他 の経済学者 を彼 の資本理論か ら遠 ざけ るこ とに もな った。
驚 くべ きこ とに,ワ ル ラス 自身 は,経 済が進歩的 であって も,な お もそれ を
静態的 に取 り扱 うこ とができると考 えて い た。
「この よ うに して,資 本形成 の均衡 は まず原理上成 立す る。次に考察 され る一
定 の期 間 にお いて問題 の与件 に何 らの変化 もない とすれば,こ の期 間中に集積
され るべ き貯蓄 と提供 され るべ き新資本 との相互 の 引 き渡 しに よってこの均衡
は有効 に成立す る。 この場合 に,新 資本 は考察 された期 間の次 の期 間 にお いて
な って もな
しか働 きをしないのであるか ら,経 済状態 は進歩的 (prOgressif)に
お静態 (statique)のままである。」
武訳, p p . 2 8 1 . )
(Walras,L.1988,p.377.久
つ まり,ワ ル ラスは,資 本財 の量が均衡 に至る間一定 であるとい う仮定を基
本 に, これか ら生産 されるべ き新資本財 の均衡量,そ れに対する純貯蓄,従 っ
て資本 ス トックの均衡量を決定 しようとす るのである。すなわち新資本財の生
一
産 を想定 しつつ,均 衡 に至る過程において資本 ス トックの量 も 定 であ り,新
の
資本財が全 く存在 しない と考 えるのである。 しか しこれは,資 本 ス トックの量
が実際にず っと一定 であるとい う意味ではな く,均 衡 が成立 した後の次の期間
に入るまで影響 を与えない と言 うことである。変化 は移 り変わる均衡 のつ なぎ
静態」は,通 常の意味 とは違ってお
目にのみ現れる。従 ってワルラスのい う 「
9 ) こ の ようなワルラスの資本理論 を, 静態 モデル ととらえるか, 一 時均衡 モデル として と
らえるか とい う問題 については, 根 岸 ( 1 9 8 5 ) を参照 の こ と。
184
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り, 進 歩 とは矛盾 しな い もの として とらえ られ て い るの であ る。
ワル ラスは,こ の ように均衡 の連続 を経済 と考 えてい る (van Witteloostuijn,
一
ワル ラスの資本形成 モデルにおけ る均衡 を 「
A.and Maks,JA.H.1990)。
時的均衡」 と位 置づ けた森鳴が,ジ ャ ッフェ との論争 にお いて,強 調 したよ う
に,ワ ル ラスはここで 「
時間 を通 じて可変的な均衡 」 を考 えて い るのである。
しか しここで注 目すべ きなのは,そ の均衡 の連続 がその まま現実経済に対応
経済的進歩 の条件 と
要論』第 7編 「
す るのではない とい うことである。彼は 『
動態」 の定義 をす る。
結果」 の最初 の章 にお いて,次 の ように 「
「
最後 に,現 実 に ます ます接近す るために,一 年 を期 間 とす る市場 の仮定 か
ら常設市場 (marchёpermanente)の仮定 に,す なわち静態 の仮定 か ら動態 (1'
問題 の基本的与件が
6tat dynamique)の仮定 に移 らなければな らない。 ………・
各瞬間 にお いて変化 して い るもの と考 えよう。 ……… あ らゆ る時間,あ らゆ る
瞬間にお いて,運 転 資金 の諸部分 の一部 が消滅 した り再 び現れた りして い る。
人的資本,狭 義 の資本,貨 幣 も同様 に消滅 し再現す るが,そ の速度 はは るかに
遅 い。 土地 資本 だけが,こ の更新 が行 われない。 この ような ものが常設市場 で
あ る。 それは常 に均衡 へ の傾 向 を示 して い るが,決 して均衡 には達 し得 ない。
その理 由は,常 設市場 は模 索によってのみ均衡 に向か うもので あ り,こ の模索
が終 わる以前に問題 の全 ての与件,例 えば所有量,生 産物 と用役 の効用,製 造
係数,収 入 の消費に対す る超過額 ,運 転資金 の必要 な どが変化 して再 び模 索が
始 まるか らである。 この点にお いて,市 場 は湖水が風に よって動 か されてその
」
水 が常 に静 止 しようとしなが ら決 して これに到達 しないの と同様 である。
(Walras,L.1988.p.579,久
武 訳 ,p,399。)
この ように,ワ ル ラスの動態 と言 う概念には,均 衡 には決 して達 し得ない と
言う考え方が含 まれている。 この ような考え方は,例 えばアソシアシオン時代
における彼の論文か ら見 いだす ことがで きる。天体 の法則 とは違って,社 会 の
法則には,人 間の 自由意志が働 くので,あ るがままの法則を追求す ることは不
ワルラスと進歩
185
可 能 だ とか つ て 彼 は 主 張 した ( 御崎 1 9 9 6 b ) 。そ れ に よ っ て彼 が 意 味 す る の は ,
自由競 争 は す で に 存 在 す る秩 序 で は な く, 人 間 が 決 して到 達 で きな い 極 限状 態
だ と い う こ とで あ る。
実際,『要論』 において も,ワ ルラスは次の ように述べ ている。
「ある人はい う。『しか し,絶 対的自由競争は厳密にいえばひとつの仮説にすぎ
ない。現実 においては, 自由競争は無数の撹舌し
原因によって妨げられていると
故 に, どの ような方式でもあらわし得ない撹乱要因を取 り除いた 自由競争その
ものだけを研究することは,好 奇心を満足する以外 には何 らの利益 もない と』
と。 この反対論の内容 の空虚なことは 自明である。今後科学がどの ように進歩
してもこの撹乱要因を交換方程式および生産方程式に導入 し表現するこ とがで
きない と仮定すると一 これを主張するのはおそらく軽率 であ り,た しかに無益
である一われわれが確立 した方程式は少な くとも生産 の 自由と言う一般的なそ
して優れた準則に導 く。 自由は一定の制約の もとで最大効用を獲得する。それ
ゆえこれを妨げる原因は最大効用に対する障害である。そしてこれらの原因が
どの ようなものであろうとも,で きる限 りそれを除去することが必要 である。
」
武訳,pp.251-252.)
(Walras,L.1988,p.334-335.久
ワルラスのい う自由競争あるいは均衡 は,理 念的状態であ り,そ こには不確
実性な ど人間の 自由意志にかかわる要素が入 り込む余地がない。それはここで
言う 「
撹舌し
要因」に分類されるべ きものであろう。 しか しワルラスは,ジ ャッ
フェの主張 とは違って,そ の ような理念的状態のみに興味があったのではない。
その均衡 の連続 をもって,現 実の動態経済へ接近 しようとしたか らである, し
か しその均衡がいかに移動するのか,あ るいは不均衡 の状態からいかに均衡 に
達するのか と言 う問題 についての考察 は,つ いにワル ラスによってはなされな
かったのである。
彦根論議 第 308号
IV 結 論
「
ワル ラスは純粋経済学 に取 り組む際,経 験的 に とらえられ た 進歩す る社会 」
の分析 を出発点 としたが,同 時 に,均 衡 とい う理念的な概念 を使 って 自由競争
を取 り扱お う とした。 そ して両者 の接続 には成功 して いない。 そ うい うわけで,
『
要論』 には,ジ ャッフェ と森鳴 の論争 で も扱 われた,経 験的な要素 と理念的
な要素 が併存 して い るので ある。
ワル ラス経済学 を 「
進化主義経済学」 とい う言葉 で とらえようとした Jolink
「
「
(1996)の言葉 を借 りれば,こ の ような要素 を 進歩」と 完全性 (perfectibility)」
い う言葉 で表現す るこ とがで きよ う。 ワル ラスの経済学 が,「進化主義的」であ
「
「
る理 由のひ とつ は,そ れが対象 として い る 進歩」 が単 なる 改善」 のみで終
わるのではな く,究 極 的 にはユー トピア状 態 に至 るこ とが想定 されて い ること
にあ るとい うのが, ジ ョリン クの考 え方 であ る。従 ってワル ラスの純粋経済学
は,単 に進歩 の描写 だけ を目的 としてい るのではな く,そ の過程 にお いて不断
に接近す るべ き完全性 の提示 と言 う目的 ももって い る。具体 的 には,19世 紀 フ
ランスが,農 業段階 か ら工 業段階 とい う新 しい経済段階 に移行す るにあた って
の,ひ とつの組織形態 として 自由競争制度 を提示す るとい う役割 を,ワ ル ラス
は 自らの純粋経済学 に与 えて い ると考 えられ るので ある。
この ように ジ ョリン クは,ワ ル ラスにおけ る進化 あるいは進歩 とい う概念 を,
歴史的な次元 で とらえようとし,そ の文化 史的 な意味合 い を探 ろ う として い る
『
が,ワ ル ラスの経済学体系 の 中では小学宙にす ぎない 要論』 の世界にお いて
も,こ の進歩 と完全性 とい う概念 は,前 者 が,資 本 ス トックの増加 とい う経済
的なター ムか らとらえられ た進歩,後 者 が,均 衡 に対応す ると言 う形 で,確 か
に存在 して い るのであ る。
Walker(1996)は ,ワ ル ラスが現実 には均衡状態に た ど り着 くこ とは決 して
ない こ とを強調す るこ とに よ り, 自 らの経済学 の 目標 が不均衡分析 にあると実
は信 じて いたのだ と主張 し,後 期 のワル ラスが理 念的な傾 向を強めて い ったこ
と断定 したが,こ れはあ ま りに も一 面的な解釈 であろ
堕落 (decline)」
とを 「
ワル ラス と進 歩
187
う。少 な くともワル ラスに とって,一 般均衡理論 は現実 の経済 を描写,分 析す
るため の単 なる道具 ではな く,そ れ以上 の意味 を持 った ものだったか らである。
彼 は19世紀 当時 の社会主義 とバ スチアを代表 とす るフランス正統派経済学 の 自
由放任主義 の両方 を批判的に接収 して,全 く新 しい経済学 を作 ろ う とし,そ れ
を社会改革 の基礎理論 に しよ うとして い た。 それが ワル ラスが 目指 した 「
科学
的社会主義」 の意味す るところで ある。彼 に とっては必要 だったのは,現 実 の
描写 ではな く,そ れ を越 えた もので あ り,そ れ こそが, 自由競争制度 の もとで
の一般均衡 の概念 であ る。人間はそこに至 ろ う として も決 して至 るこ とはない
が,そ れ を提示す るこ とは,現 実社会 の改革 と進 歩 に とって必要不可欠な もの
であった。
そ して資本形成が もっ とも効率 的 に行 われ る自由競 争市場 は,資 本所有 を否
定す る同時代 の社会主義者 たちへ のア ンチテー ゼで もあ り,公 正 な分配 と矛盾
す るこ とな く生産力 の増大 を保証す るシステム を探求 して いたワルラスのひ と
つの答 えであった。
この ように ワル ラスの 「
科学的社会主義 」 に とって,必 要不可欠 だったのが
均衡分析 であ る。 それは歴史の 中の,人 間 の意志 に左右 されない不変 の事実 を
対象 とす る。 それによって こそ,所 有制度 な どの道徳的議論 が可能になると彼
は考 えたか らである。 しか しそれは,ワ ル ラスが社会 の変化 を考慮 しなか った
こ とを決 して意味す るもの ではない。
(1)Jolink,A.(1991)二
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(2)Jolink,A.(1996)分
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(4)御 崎加代 子 (1991)「レオ ン ・ワル ラス 自伝 資料」 『
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10)ワ ル ラスの 「
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188
彦
(5)御
根論叢 第 308号
経済学史学会年報』第30
競争 ・企 業者」 『
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(6)御
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(7)御
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経済 セ ミナー 』no.491.
経済学 ・社会経済学 ・応用経済学 」 『
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(8)御
(9)御
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ア シオ ン」 『
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(12)Morishima,M。
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(18)Walras,L.(1965)Cθ
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(19)Walras,L.(1988)ご
ワル ラ ス と進 歩
Walras on Progress
Kayoko酌
Iisaki
This paper ailns to clarify 、 vhy Walras constructed his static
theory of general equllibriunl,though he first intended to analyze a
progressive society.
Some researchers focused On whether Walras's real interest、
vas
in a stationary or a progressive economy.The formation process of
his 垣,〃
タ
2夕
彦タ
%な sho、vs that he 、vas first interested in the latter to
prove the increasing values of land and of rent in a progressive
society.′rhen he reached a static approach to sho、 v the efficiency
of free competition.This is because he、 vanted to sho、v the basis of
argument about nOt only justice but also efficiency in his 、
vork.
That caused some antinomy in his capital formation theory.
Walras described economy as a series of equllibriums.It rnust be
noted that these equilibriums are supposed never to be reached in
reality.However it is fallc10us to assume that his static analysis is
meaningless just because it is unrealistic and ideal.For Walras's
airn as a scientific socialist consisted in formulating the perfection
as a guide to social reforrn in a progressive society.