2010.10.1 vol.31 - 神戸大学課外活動団体ホームページ一覧 - kobe-u

ごあいさつ……………………………………………………………………… 2
守成からチャレンジへ…高田 嘉英/就任のご挨拶…朴木佳緒留
神戸大学大学院人間発達環境学研究科社会貢献レポート………………… 5
ヒト、生物学、科学…高見 泰興/地域コミュニティの科学活動への支援…伊藤 真之
神戸大学ニュース……………………………………………………………… 6
チベットの未踏峰に登頂/日本の大学TOP100 /神緑会(医学部同窓会)学術講演会/神戸大
学応援団総部50周年/ EU初代大統領学生向け講演/出光佐三記念シンポジウム/祝 創業50
周年のフジッコ
同窓会情報……………………………………………………………………… 7
平成21年度 卒業・修了祝賀会(新正会員歓迎会)…米田 勍/キャリアデザインと教員採用
二次試験対策セミナー…宮嶋 昭周/「教育実習事前実習」について…牧坂 浩一
ホームカミングデイ…………………………………………………………… 11
卒業生のみなさん! ホームカミングデイに参加しよう!…鈴木正二郎/第4回ホームカミング
デイ…米田 勍/ホームカミングデイに参加して…但馬 房子/第4回神戸大学ホームカミング
デイと三九会(教 昭和39年卒同期会)…戸田 紘
随 想…………………………………………………………………………… 17
学部・大学院の名称の意味は…靑木 務/ NIEのすすめ…塚西 徹/一日一題…松尾 冀/能楽 観世流「風韻会」のクラブを通して…西田美惠子/国防総省外国学校と日本語教育…赤野 達哉
支部・同期会だより…………………………………………………………… 22
<支 部> 紫陽会東京支部の活動…赤井 紀男/大阪支部の活動…奥村 幸男/神戸支部報告
…香川 守正/姫路支部同窓会報告…米田 淳二
<同期会> 教育学部初等科第1期生(A 1)同期会…小田喜代治/5回生 第29回 うずし
お会…宮崎 昌大/三・四会への思い…大﨑 謙介/9回生の皆様へ 来年は大学
卒業後50周年…坂本達明/特殊教育科「伊藤隆二先生を囲む会」…栗木 典子
評議員会報告・資料…………………………………………………………… 27
平 成22年度 評議員報告/平成21年度 事業報告/平成22年度 事業計画/平成21年度 財
務報告/平成22年度 予算及び決算/平成22年度 評議員一覧
事務局情報……………………………………………………………………… 30
慶弔/協力支援要請及びご協力感謝/会員寄贈図書―その後の状況/最近の学生の動き(神戸大
学概覧2010より)/事務局便り「あじさいの小径」/編集後記
2010.10.1
31
vol.
ごあいさつ
守成からチャレンジへ
紫陽会会長 高 田 嘉 英
宮崎県で流行する口蹄疫。但馬牛を
誇るわが県も油断できません。感染拡
大防止のためとはいえ、愛育の家畜を
埋却せねばならぬ畜産農家の方々の心
情を思うと胸が痛みます。一日も早い
終息を願うばかりです。
会員の皆様、お元気でお過ごしで
しょうか。平素は紫陽会運営に多大の
ご支援・ご協力を賜り、ありがとうご
ざいます。
まず、紫陽会にご指導、ご助力をい
ただきました靑木務前学部長が定年退
官され、後任に朴木佳緒留学部長が就
任されましたこと、ご報告します。
大学では、福田秀樹学長のもと、世
界トップクラスの研究・教育機関と卓
越した社会貢献・大学経営を目指す「神
戸大学ビジョン2015」もチェンジか
らチャレンジの時代に入り、着実に成
果を挙げています。
特に「持続可能なグリーンで安全・
安心な地球環境の構築」という最重要
課題に挑戦するプロジェクトが立ち上
がろうとしています。ポートアイラン
ドに総合研究拠点を整備し、全学の先
端融合研究を展開するとか、国際化の
拠点大学として若い研究者育成の留学
制度強化などその一例ですが、期待に
胸が高鳴ります。
しかし、それには経済的基盤が必要
です。同窓会として、どのような協力
が可能か、知恵を出し合っていく必要
がありますが、まずは、これまでもご
協力いただいております大学基金への
ご支援をお願いしたいと思います。
石の上にも3年。故難波会長の後を
受け、同窓会運営に関わってきました
が、
「功無きを愧ず」の歩みに内心忸怩
たるものがあります。守成の難しさを
体験しながら、これまでの事業等を踏
襲しているのが現実です。組織は人為
的共同体です。会員の皆さんのご協力
がないと成り立ちません。以下、運営
上の報告や課題につき申しあげます。
第一に、教育現場に立つ人材の減少
が、圧倒的多数の教職経験者の会員と
の連携弱体になるのは否めません。し
かし、発達科学部生でも教職志望者や
すでに教育現場で活躍している人材の
いることを認識し、サポートしたいと
思います。時に、「教育の伝統が生き
ていますね」と言われ、うれしくなる
こともあります。
21年 度 の 高 校 生 へ の 発 達 科 学 部
オープンキャンパスには3000名が参
加しました。暑い8月の午後2時間、
2日間にです。全学部で一番だったそ
うです。もうひとつ、神戸大学応援団
総部創立50周年記念委員会が学生生
活の充実度意識調査をしています。
「大
いに充実している」と応えた発達科学
部生は47.5%で他学部生を抜いて突
出しています。厳しい就職困難の時代
ですが、学生たちが多方面で頑張って
いるデータもあります。
時に先輩OBから、「発達科学部は
どんな研究、教育をしているのか」と
問われることがあり、答えに窮するこ
とがあります。教育学部卒、発達科学
部卒の区分だけでなく、同窓生として
相互理解の努力も必要と考えます。卒
業生の連携強化の場をつくりたいもの
です。好評の卒業祝賀会だけでなく、
会誌等にも学生諸君の積極参加が期待
されます。本年も教職志望者への教育
実習前実習、採用試験向け講義など講
師派遣をしました。社会貢献活動の学
生への協力、キャリアサポートなどに
努めたいと思います。
2005年の「キーワード 人間の発
達」、2008年の「発達科学への招待」
などは、学部理解を深めるのに参考に
なります。ここでは、参考までに序文
を紹介しておきます。
―「発達科学」は心理学でも、教育
学でもない。また行動学や環境学で
も な い。「 発 達 科 学 」 は 個 人 と 人 類
の 発 達(Development)、 そ し て 人
の発達の基盤となり、またその支え
ともなる環境のよりよき開発・発展
(Development) に つ い て、 深 く、
広く考究することを意図した学問であ
る。もとより、その外延と内包は考え
れば考えるほど広く、深甚である。―
本年度から入学手続き日の二日間、
役員総出で新入生、保護者と個人面談
しました。同窓会理解、入会につなが
ればと期待しています。
第二に、前号でも申しましたが、同
窓会は母校への愛情と感謝に支えられ
ます。ここで出会い、ふれあい、学ん
だことが自己形成として結実している
ことを再認したいものです。同士感
情、絆を持続させていただきたいと思
います。会員の高齢化、厳しい現実に
より、支部の会、同期会など集いも困
難と思いますが、情報交換と相互扶助
を大切にしてください。同窓会も可能
な限り支援させていただきます。
第三に、組織は人為的共同体と申し
ました。役員の高齢化も進んでいま
す。人材ご紹介などにもご協力をいた
だければ幸いです。
すでに発達科学部の卒業生も4000
人を超えました。人材発掘、組織化が
必要です。
同窓生で各地、各界で活躍されてい
る方の情報等もお知らせください。
以上につきまして、本年度は「紫陽
会未来像検討委員会」(仮称)を立ち
上げ、皆様のご意見と改革への知恵を
いただきたいと考えています。
最後に、神戸大学は一つ。学部別同
窓会の連合体である「学友会」は高崎
正弘会長を中心に、各同窓会の成立過
程や歴史・伝統を認め合いながら協働
していくことが進行中です。
学校教育をとりまく厳しい状況に対
しまして、会員の皆様の豊かな経験と
知恵でご支援を願います。知価社会で
はいかに創造的に自己実現を図りなが
ら、共生していくかが重要と聞きます。
春と夏のデュエット6月から山滴る
季節に移ります。皆様のご健勝をお祈
りします。
(6月30日記)
ごあいさつ
就 任 の ご 挨 拶
ほうのき か
お
る
人間発達環境学研究科長 朴木佳緒留
紫陽会の皆様におかれましては、ま
者が多く、効率や成果を優先するよう
動のうちに終了しました。同名の書物
すますご清栄のこととお慶び申し上げ
な昨今の風潮とは異なる気風をもって
も刊行していますので、関心のある方
ます。
います。この気風は教育学部の時代か
はお申し出ください。
さて、私儀、平成 22 年4月1日付
で発達科学部長、人間発達環境学研究
ら変わらず、「伝統の力」が感じられ
ます。
平成 21 年度は大学院GP(正課外
活動の充実による大学院教育の実質
科長、総合人間科学研究科長に就任い
障害共生の場である喫茶「アゴラ」
化)、現代GP(アクションリサーチ
たしました。この場をお借りし、学部、
(A棟6F)は、この春で 3 年目を
型ESDの開発と推進)の二つの事業
大学院の近況報告もかねて就任のご挨
迎えました。昨年度 11 ヶ月間の集客
の最終年でした。各々、成果があり、
拶を申し上げます。
は一般 387 名、 学生 747 名で、壁面
前者は 11 月の学術 weeks などとし
ご承知のように平成 19 年度に総合
を使った展示も岸本准教授の壁画コン
て、後者は学部横断のサブコースとし
人間科学研究科を改組し、人間発達環
セプト展、関講師の写真展、「あごら
て新たな展開を始めています。外国人
境学研究科が設置されましたが、今春
とその仲間たち展」と賑やかでした。
研究者の来訪も増え、平成 21 年 3 月
(平成 22 年 4 月)には人間発達環境
6 月に開催した育友会(新入生の保護
にはノーベル平和賞の受賞者であるモ
学研究科としては、はじめての博士後
者対象)では、会の締めくくりとして
ハメド・ユヌス氏を迎えてシンポジウ
期課程修了者 10 名(博士・学術 6 名、
「アゴラ」でお茶を召し上がっていた
ムを開催するなど学部、研究科は外に
教育学、理学各 2 名)を送り出しま
だきましたが、大変に好評で、激賛し
向かう活動を強めてきました。サイエ
した。同時に、博士前期課程修了者
てくださった方もおられました。
ンスショップ事業(科学技術振興調整
84 名、総合人間科学研究科博士後期
研究科サテライト施設の「あーち」
費によるクロスネット)は本年度が終
課程修了者 6 名、同博士前期課程修
には毎年 2 万人(のべ人数)を超え
了年になります。県内の地域連携によ
了者 2 名、発達科学部の卒業者 280
る利用者があり、平成 21 年度には神
る人材育成と科学振興を目的としてお
名の総勢 366 名が巣立ちました。卒
戸市の「市民福祉奨励賞」を受賞しま
り、サイエンスカフェが定着した地域
業式当日には、紫陽会により祝賀会を
した。「子育て支援を契機とした共生
も現れました。以上のいずれにおいて
開催していただき、華やかな旅立ちと
のまちづくり」というコンセプトは浸
も、学生、院生の主体的活動を求めて
なりました。
透し、卒論や修論の研究の場ともなっ
おり、彼らが研究室、大学の枠を超え
ています。
て知見を深め、力をつけることを期待
言うまでもないことですが、教育機
関にとっては卒業者、修了者を出すこ
これらのことは、発達科学部 1 年
とはこの上ない喜びであります。近
生の必修科目である「発達科学への招
しています。
紫陽会におかれましては、今後とも
年、学生特に博士後期課程の修了者の
待」において紹介し、
「人間」や「発達」
後輩を見守っていただきたく、また時
就職は厳しく、手放しで喜べない現実
を考える契機としています。同授業で
には、後輩との協働関係を楽しんでい
もありますが、そうではあっても、彼
は、例年、学生主催によるシンポジウ
ただきたく、お願いを申しあげます。
らは未来への希望を紡ぐ存在です。発
ムを実施していますが、280 名の 1
貴会のますますのご発展を祈念し、
達科学部、人間発達環境学研究科の学
年生が一堂に会して、司会やシンポジ
就任のご挨拶とさせていただきます。
生たちは、人間らしくありたいと願う
ストを務める姿は圧巻で、今年度も感
神戸大学大学院人間発達環境学研究科社会貢献レポート
ヒト、生物学、科学
人間環境学専攻 環境基礎論講座 進化生態学 高 見 泰 興
たようだった。性の進化を知ることが
ろ直視し理解
性差別の解消に直接つながるとは思わ
することが必
ないが、市民が科学的知識を身に付
要であろうと
け、自分で考えるためのきっかけにな
考 え、「 性 の
るようであればと思った。
起源と進化」
私の専門は性の進化だけではなく、
という話をし
昆虫を用いたさまざまな研究をしてい
た。個体間で
る。8 月 18 日には、和歌山県立海南
遺伝子を交換
高等学校の 2 年生 18 人を神戸大に迎
する性という
えて、昆虫の比較形態学の講義と実習
しくみが、も
を行った。比較形態学の基本的な解説
ともとは変動
の後に、あらかじめ採集・冷凍してお
する環境下で
いた 20 種の昆虫を、自ら触り、つま
生きのびるた
んで動かし、顕微鏡で拡大して観察・
めに有利で
比較するという機会を提供した。スー
あったと考え
パーサイエンスハイスクールで生物学
私たちヒトは生物である。しかし、
られること、そして性のしくみができ
を学ぶ生徒であっても、多くのナマの
一般のヒト達は生物のことをどれだけ
ると、子への物質的投資がアンバラン
昆虫に触れることは初めてのようで、
知っているだろうか? 高校までの理
スになり(小さな精子と大きな卵)、
最初はおっかなびっくりであったが、
科科目には「生物」が必ず含まれてい
繁殖をめぐる争い(性淘汰)を通じて
次第に慣れてわいわいと実習を楽しん
るのに、卒業生たちの現実はそう甘く
性差が進化したことを解説した。同席
でいた。まとめの時間にはなかなか鋭
ない。以前、私よりずいぶん年上の
された社会学の先生の話題は私のもの
い質問も出て、実物に触れることが発
知人に、「生物が生きて動いているの
とは対極的であったが、それぞれの話
想や理解にいかに大切であるかを改め
は、さまざまな物質が化学反応を繰り
題を元に時間が足りないほど活発な議
て感じた。 返している結果です」と言ったら、
「え
論が行われたのは幸いだった。
サイエンスカフェの様子(伊藤真之先生撮影)
はなく、むし
ヒトは生物であるがゆえに、他の生
えっ!そうなの!」と真顔で驚かれた
その後、西宮市男女共同参画セン
物に対して興味や嫌悪感を感じやすい
ことがある。科学を超えた存在を信じ
ターの市民講座で同様の話をする機会
ような気がする。市民が科学を理解す
る心を否定するつもりはもちろんない
を得た。暑い盛りの 8 月 5 日に、40
るうえで、良くも悪くも生物学がその
が、科学教育の現実について考えさせ
名ほどの参加者に対して 1 時間半ほ
心に入り込むきっかけになればと思
られた出来事であった。そのようなこ
どのトークを行った。前回の話題に加
う。
ともあり、私はこの一年で何度か生物
え、「ヒトという種全体を眺めれば男
学の啓蒙活動を行った。ここではその
女の違いは確かにある、だからといっ
内容についてご紹介したい。
てそれを元に
2009 年 2 月 26 日 に、「 持 続 可 能
個人が差別さ
な男と女」と銘打ったサイエンスカ
れて良いはず
フェで話題提供をした。このカフェの
がない」とい
目的は、男女差別の無い社会について
うメッセージ
一般市民が情報交換と議論をすること
を伝えた。参
である。人間社会での差別を生む原因
加者の中に
の一つとして性別があることは、歴史
は、生物学や
的にも明らかである。そのため、性を
科学そのもの
区別すること自体が悪であると考える
を「 胡 散 臭
人もいる。しかし、ヒトが生物として
い 」「 邪 魔 」
の性というしくみを備えることは事実
と考える方も
である。私は、もし性差別のない社会
いて驚いた
を作ろうとするならば、問題の根源に
が、大多数の
ある生物としての性を無視するので
方には伝わっ
昆虫の体の作りを解説中(岸田壮平氏(海南高校教諭)撮影)
神戸大学大学院人間発達環境学研究科社会貢献レポート
地域コミュニティの科学活動への支援
人間環境学専攻 環境基礎論講座 宇宙物理学・科学教育 伊 藤 真 之
1.はじめに
られたものです。現在では日本でも数
に参加しています。これまで、サイエ
現 代 の 社 会 は、「 高 度 科 学 技 術 社
多く開催されています。地元灘の酒蔵
ンスカフェの企画・運営の他、南あわ
会」、「知識基盤社会」などと特徴づけ
を改修した木造のホールを始めとし
じ市のシカの被害への取組とコミュニ
られ、環境問題などに取組む上でも、
て、特徴ある喫茶店、博物館のカフェ、
ティづくりへの支援、理科実験教室や
科学が重要な役割を果たします。その
美術ギャラリーなど、地域のさまざま
天体観望会の開催、小規模ビオトープ
一方で、人々の科学技術への関心の低
な魅力ある会場をお借りして開催を続
づくり、兵庫県生物学会と協力した高
下が問題となっています。
け、最近70回を数えました。
校生の研究発表会の開催など幅広い活
私たちの研究科には、地域の環境問
2007年からは、「大学コンソーシ
動を展開してきました。
題の研究など、地域社会に関わる取組
アムひょうご神戸」と(財)ひょうご科
サイエンスショップは2009年度に
の蓄積がありました。これを活かし、
学技術協会が主催する「サイエンスカ
発達支援インスティテュートの一部門
新しい時代に即応したシステムとして
フェひょうご」の企画・運営をお手伝
として位置づけられました。これらの
発展させたいという願いから、2005
いしています。年に5、6回程度のペー
取組は、持続可能な発展のための教育
年、ヒューマン・コミュニティ創成研
スで、これまでに、西宮、尼崎、豊岡、
(ESD)のフィールドとしても活用
究センターの発足を機に市民科学への
篠山、洲本、明石、姫路など県下の各
されています。
大学の支援の在り方を実践的に研究す
地で開催してきました。
4.ひょうごサイエンス・クロスオー
るプロジェクトとして取組を始めまし
た。課題解決型の取組に加えて、「文
3.神戸大学サイエンスショップ
バーネット
化としての科学」の地域コミュニティ
2007年度には「神戸大学サイエン
これらの取組の発展として、2008
への広がりも重視しています。
スショップ」が開設され、自然環境論
年度には、
(独)科学技術振興機構「地
コースの教員を中心に取組が始まりま
域ネットワーク支援」を受けて、兵庫
2.サイエンスカフェ神戸
した。サイエンスショップはヨーロッ
県における科学コミュニケーション関
まず、市民と科学者などの専門家の
パで生まれたもので、科学に関わる社
係者のネットワーク「ひょうごサイエ
対話の場として、2005年から「サイ
会の課題について相談を受け、助言
ンス・クロスオーバーネット」が発足
エンスカフェ」を始めました。カフェ
や、調査・研究を行う機関として大学
しました。連携自治体としての兵庫県
などのカジュアルな場で、科学者と市
などに設置されています。神戸大学の
のほか、兵庫県立人と自然の博物館な
民がカップを片手に科学に関する話題
サイエンスショップは社会や学校にお
ど、現時点で約20の機関が参加して
を語り合う双方向コミュニケーション
ける広い意味の科学教育への支援も重
活動を進めています。
の試みで、イギリスとフランスで始め
要な取組とし、学生、大学院生も活動
5.むすび
科学が人々の日常の生活に根づき、
専門家と市民の対話と協働が行われる
地域社会づくりへの貢献を目指してゆ
きたいと思います。
参 考: サ イ エ ン ス カ フ ェ 神 戸 http://scicafe.h.kobe-u.ac.jp/
神戸大学サイエンスショップ
http://www.h.kobe-u.ac.jp/
scishop/
ひょうごサイエンス・クロスオーバー
ネット
http://www.hscn.jp/
スーパー・コンピュータをテーマとしたサイエンスカフェ
会場は三宮の喫茶店
大学ニュース
チベットの未踏峰に登頂
く、整形外科医を目指されたようであ
EU初代大統領学生向け講演
21年11月、前号で支援をお願いし
る。ラスカー賞受賞はノーベル賞への
4月26日、EU(欧州連合)大統領、
た神戸大学・中国地質大学(武漢)合
過程と受け止めたい。
ヘルマン・ファンロンパイ氏が神大で
同カンリガルポ山群学術登山隊はKG-
講演した。演題は「変化する世界にお
2峰6805m(現地住民がロプチンと
けるEUと日本」。EUと日本が通商・
名づけた)の初登頂に成功した。多く
外交・気候変動・ネットワークセキュ
の苦難を克服しての偉業を心より祝福
リティで連携を強化するべきと強調さ
したい。12月26日に神大で登頂報告
れた。学生の質問にも答えた。
会・祝賀会が行われた。学友会(同窓
EUインスティテュート(EUIJ)は
会連合体)は神戸大学の声価を高らし
EUから財政支援を受け、EUに関する
めたことを褒賞し、会長代理で高田会
教育・学術研究を展開する。神大、関
長が伝達、挨拶した。
学、阪大、京大、関西大が参加。神大
なお、神戸大学山岳会・山岳部によ
に事務局を置く。
る「山と人」第18号「ロプチン峰初
山中教授と会長
登頂」に詳細な記録がまとめられてい
る。
日本の大学TOP100
21年10月24日、週刊東洋経済が、
興味ある特集をだした。財務力・教
育力・就職力等の総合力で見る独自の
大学ランキングである。「本当に強い
大学」総合ランキングで神大は12位
(56.1ポイント)。1位は東大(67.8
p)。「大きく順位を上げた大学として
は21位から12位にアップした神戸大
学」のコメントがある。科学研究費補
助金が約199億の東大、神大は26億
と雲泥の差だが、教育研究充足実績は
東大の33.8に対して神大が36.6と凌
駕している。一喜一憂することはない
が参考になる。
因みに法人化された国立大学評価初
の順位付け(運営費交付金に反映)で
は奈良先端科学技術大学院がトップ、
神大は14位。(3.25朝日他)
神戸大学応援団総部50周年
22年5月3日、ANAクラウンプラ
ザホテル神戸で応援団総部50周年記
念式典が開かれ、600人を越す参加者
で盛り上がった。記念誌「宇宙を股に」
によると、1960年4月、当時「たこ
あし大学」と呼ばれる中で、真の総合
大学としての一体感を求めて有志が辛
苦して創部したという。当時の設立趣
意書の発起人代表は経営4名、経済2
名、そして教育の田中八郎氏が名を連
ねている。初代団長の大学への愛情あ
ふれる挨拶、チアリーダーの原点とも
いうべきバトン・トワラーの中に現職
女性教頭の発見、吹奏楽部OB会長蔭
山慎吾(教育昭和52年卒)氏は式典
で挨拶されたが、現職首席人事主事で
ある。半世紀にわたるバトンの継承に
団結力を再認し、頭が下がる。中村茂
隆(発達科学部名誉教授)氏作曲の学
歌も定着しすばらしかった。
中に物事の多くの核心を秘めている。
しかも、気取らず飾らない。自然に対
する感性がゆったりと流れ、忙しさの
中に「小休止の思想を与えてくれる。
」
―
(略)
なかなかの俳人である。ギリシャ
問題など多事多難、ご活躍を祈る。
出光佐三記念シンポジウム
2月3日、神戸大学公開シンポジウ
ム「出光佐三の経営理念と日本型資本
主義」が開催された。六甲台講堂が神
戸大学出光佐三記念六甲台講堂として
新装なったこと、出光興産創業者の出
光佐三氏が神戸大学前身の神戸高等商
業学校を卒業して100年となることか
ら、あらためてその経営理念に思いを
はせ、今後の日本企業の経営のあり方
について考えるべく催されたものであ
る。紫陽会からも10名が参加し、出
光佐三氏の人間尊重の精神や大家族主
義といった理念にふれた。
神緑会(医学部同窓会)学術講演会
祝 創業50周年のフジッコ
22年 2 月13日、 神 戸 国 際 会 議 場
昆布の佃煮、煮豆の「おまめさん」、
で、京都大学物質―細胞総合システム
カスピ海ヨーグルトなどでおなじみの
拠点 iPS細胞研究センター 山中伸
フジッコ株式会社が創業50周年を迎
弥教授(神大医学部昭和62年卒)の
えた。
「iPS細胞の可能性と課題」と題する
創業社長の山岸八郎氏は教育・発達
講演があった。高田会長・礒野副会長
科学部の前身である兵庫師範昭和26
が参加した。2006年の新型万能細胞
年の卒業であり、現紫陽会の相談役で
の開発にいたる苦心をユーモアを交
ある。氏はこれまで、大学関係の諸事
え、分かりやすく話された。あらゆる
組織や臓器の細胞になる可能性をもつ
業・諸活動に深い理解と支援を尽くさ
応援団総部 50 周年記念
れた。50周年を祝し、全国ブランド
iPS細胞がやがて難病治療開発につな
としてますます発展されることを祈念
がる日が近いことが予感され、感動し
します。
た。スポーツマンの先生は怪我が多
以下、神戸新聞5月22日の論説サロ
ンから引用。―俳句は、簡潔な言葉の
同窓会情報
平成21年度 卒業・修了祝賀会(新正会員歓迎会)
米 田 勍(昭和35年卒)
3月25日午後1時30分、紫陽会主
和んだ頃合いを見計らって乾杯の発声
今年は少し趣向を変えて料理にス
催の卒業・修了祝賀会は発達科学部の
に導く、東野副会長ならではの音頭で
ポットを当ててみたい。
体育館で今年も開会された。
一気に和やかに打ち解けた会食へと移
ここ数年は舞子ビラにお願いし、料
行していった。
理のクオリティの細やかな注文にも応
えて頂いて、参加者の皆さんに大いに
楽しんでいただけている様子である。
オードブルや寿司・サンドイッチなど
が盛り合わせられた各種の大皿類にも
満遍なく手が伸び好評の様子であった
が、会場脇にずらりと並んだ明石焼
き、ローストビーフ、そば、アイスク
リームなど数々の屋台は行列の絶え間
がないほどの大盛況ぶりであった。
高田紫陽会会長からは、神戸大学に
心ゆくまで大いに語り、大いに食べ
学んだこと及び同窓会の強い絆が、こ
学生達の挙動は落ち着いていて好ま
かつ飲んでいつの間にか予定の時間を
れからの困難な時代に活躍する皆さん
しく、相変わらず女性は袴姿が目立つ
過ぎていた。それでもゼミなどのグ
にとって大きな力になるだろう。「一
中、実用を重視したワンピースやツー
ループが演壇に集まっては入れ替わ
人で見る夢は夢でしかないが、みんな
ピースも散見され、衣装にも変化が見
り、立ち替わり記念写真を撮って名残
で見れば現実になる」というオノヨー
られる。
を惜しむ光景がしばらくは続いた。
コの言葉を餞に贈りたい。一人だけの
力では何も出来ない。何人かで夢を現
実にし、よりよい社会を作って欲し
い。そのとき大切なのは「怯まない、
揺るがない、諦めない」実践力である
と小田実の言葉で激励とともに紫陽会
への歓迎の挨拶。
続いて、靑木学部長からは不況の時
代に巣立つ若者たちに、逆境こそ人を
鍛え育ててくれるのだと、理化学研究
所時代などご自身の経験を話されて餞
とされ、また紫陽会には祝賀会などの
支援に対する丁重な感謝のご挨拶をい
ただいた。
新手の手品を披露し、十分雰囲気が
同窓会情報
キャリアデザインと教員採用二次試験対策セミナー
宮 嶋 昭 周(昭和34年卒)
に支援している発達科学部は
ある。
素晴らしい学部だと思う。
彼等が自分自身のキャリア
講義の冒頭、上記の自主セミナーに
をデザインするために、紫陽
出席したかを尋ねたが、予想に反して
会が少しでも役立つならうれ
学生たちからの反応は鈍く意外な思い
しいことではないか。これか
をした。しかし、スタートしたばかり
ら もCSCの 機 能 充 実 に で き
の自主セミナーの存在が学生の間に
る限り支援をしていきたいも
浸透するにはそれなりの時間が必要
のである。
で、CSCの日常的な相談業務の拡充
や広報活動など、長期的な視点からの
今年も発達科学部キャリアサポート
5月21日(金) 定刻より少し早い
CSC経営戦略のために大学当局の全
センター (以下CSCと略する)からの
13時10分 頃、B棟104教 室 に 入 る と
面的な支援が欠かせないと強く感じ
依頼で、教員を目指す学生に教育現場
30人ほどの学生がすでに着席してい
た。もちろん、我々もできるだけの応
が求める教師像について述べる機会を
た。女子学生の方が半数以上を占めて
援はするつもりである。
得た。
いたが、巷でよく見かける華美軽薄と
講義していて気になったことは、教
は大違いで、むしろ地味すぎる印象さ
員志望にひたすら向き合おうという使
え覚えた。
命感めいたものが今年の学生には乏し
教育学部が発達科学部へと学ぶ範囲
と幅を広げてから、卒業生が活躍する
いように思われたことだ。学ぶ内容が
分野も当然多岐にわたっている。平成
暦を少し戻すが、昨年度末の1月
多彩になり、進むべき進路の選択肢が
20年度の卒業生(大学院修士課程・博
29日、すでに2次試験に合格してい
多い現在の学生にとって、教員志望は
士課程前期修了生を除く)296名の進
る学生が次年度に教員を志望する学生
一選択肢なのかもしれない。しかし、
路状況をみると、進学が57名、就職
を対象に自主セミナーを開くので…、
子どもと共に学ぶことで味わう楽しさ
が239名で、その内訳は企業160名、
との案内をCSCの宮村聡子さんから
や喜びは教育界ならではのもので、是
官公庁12名、教員20名、その他47名
いただいたので学部を訪れてびっくり
非この世界に飛び込んでいってほしい
(学部ホームページによる)ということ
した。
と願うばかりである。
だった。
自分たちがクリアーした2次試験問
だからこそ、発達科学部にしかない
この教員20名という数字を、教育
題・面接試験の形態や内容等々、伝え
CSCの存在意義は大きいものである
学部出身者という目でみてしまうと、
る側も受け取る側も真剣そのもの。ド
ことを強調しておきたい。
なんだたった7%弱しか就職してくれ
アの開け閉めから着席の仕方、姿勢や
ていないのかということになるのだ
仕草、発言する時の目線や声量…、
以下は、彼らへの応援lectureの要
が、教育関連の出版・情報・相談・支
ちょっとした癖にいたるまで具体的に
旨である。
援の分野に従事する卒業生を加えると
指摘してくれていた。また、それをき
① 現場は広い視野から物事を理解
20%弱と数字は跳ね上がる。
ちんとメモする様子を目の当たりにす
し、協調して実践する人材を求めて
また、商社、金融、製造…と教育界
ると、仲間内の勉強会にありがちな甘
いる。発達科学部で学んでいる諸君
と無関係に見える分野に進出していて
えがあるのではと言う懸念は完全に消
の学びの環境に申し分はない。自信
も、人間の心身の発達を学ぶ学部の出
し飛んだし、わが後輩たち、なかなか
を持って採用試験に臨んでほしい。
身者らしく、人間を大切にみる目で、
やるなあとすっかり感心してしまっ
② 子どもにとって「望ましい学びの
それぞれが直面する課題について対処
た。
環境」とはどのようなものかを考え
してくれるに違いない。
今までは学生同士が適当な場所で開
てほしい。
発達科学部は、教育学部を源流とし
いていたようだが、これからはCSC
「 生 き る 術(す べ)」、「 学 ぶ 術(す
て進展している学部であることをこん
の事業の一環として実施されるとのこ
べ)」を学ぶ、時間と空間がそこに
なことからも実感されよう。
とで、この自主セミナーの充実が期待
学部玄関を入ってすぐ左にある談話
される。
室(Dルーム) の隣がCSCである。人
会誌30号にも書いたが、CSCに教
援」する教師の姿勢は「望ましい学
間の発達とその環境について横断的総
員採用試験に関する情報や資料が蓄積
びの環境」を形成する両輪である。
合的に学ぶ学生たちに、在学中から将
されることが重要で、その兆しを感じ
④ 美しい日本語の遣い手でありた
来の自分をデザインすることを組織的
ることができたことは喜ばしいことで
い。理にかなった振る舞いができる
は必要である。
③ 子どもに「共感」し、子どもを「支
同窓会情報
大人でありたい。
ることを知ってもらいたい。
し、まとめていくという本来の意
子どもは教師の言動に感化され
⑥ 二次試験対策で重要なのは、受
義はもちろんだが、正しい筆順で
ることが多い。「望ましい学びの環
験しないと分からない情報の蓄積
丁寧に文字を書いてほしいからで
境」の中心に教師がいることを忘
である。ここがCSCの弱点であっ
ある。新出漢字の指導にあまり時
れてはならない。
たように思う。これからも、面接
間を取ることができない現在、教
⑤ 「望ましい学びの環境」は子ども
の形態、課題や質問の内容等々を
師がいい加減な文字の書き手では
にとって居心地のよいものでなけ
第一線で活躍している先輩からの
困るからだ。
ればならない。
情報として後輩たちに残していっ
集団を共に形成する仲間への連
てほしい。
発達科学部で学んだ優れた人材
帯感を高め、集団への帰属意識を
⑦ ④と関係することだが、板書の
が、これからも教育界を支え続けて
強めるために、「特別活動」なかで
大切さについて話しておいた。学
いってくれることを願うのは私だけ
も「学級活動」は非常に有効であ
習の流れに気付かせ、思考を促進
ではない。
参考 発達科学部とその周辺にある就職支援ネットワーク一覧
神戸大学キャリアセンター http://www.kobe-u.ac.jp/campuslife/employment/
神戸大学生協 http://seagull.coop.kobe-u.ac.jp/recruit/
就職活動支援組織 神戸大学job-navi (学生自身が就活セミナーを企画) http://home.kobe-u.com/jn-web
発達科学部キャリアサポートセンター http://www.h.kobe-u.ac.jp/cs-center/
神戸大学東京オフィス (東京方面でのOB・OG情報の提供) http://www.kobe-u.ac.jp/info/tokyo-office/
発達科学部ホームページ http://www.h.kobe-u.ac.jp/2047→学部案内→卒業生の進路
(学生進路調査票を基にしたデータ)
「教育実習事前実習」について
大学生が各学校に教育実習に行く前に、教育現場で経験したOBが講師となる事前実習講義も3年目を迎えた。
講義内容にも次々と工夫され学生たちからも、大いに感動を受けた感想が寄せられている。
月日
講 義 内 容
講 師 名
4/16
学級経営について
副会長 宮嶋昭周
4/16
道徳の授業について
評議員 牧坂浩一
4/16
小学校の学習指導
副会長 戸田 紘
4/22
子どもの生活指導
副会長 東野修明
4/23
現在の家庭と小学生
評議員 福井 紘
4/23
学校における人権同和教育
会 長 高田嘉英
牧 坂 浩 一(昭和52年卒)
教育実習前実習
ですから、もう四半世紀も前のことに
ついて」の講座を通じて鶴甲学舎との
で「道徳の授業に
なります。
縁が続いていることになります。
ついて」の講座を
その後、神戸市に戻りましたが、平
今年は4月16日(金)の5時から
担当させていただ
成6年から6年間、神戸市教委の仕事
道徳授業に関する実習前実習を担当さ
いて、今年で3年
につき、ここでも同様の講座を数回担
せていただきました。この講座は小学
目になります。
当しました。10年前からは学校現場
校で教育実習を予定している学生、約
発達科学部がまだ教育学部だった時
で管理職勤務。この4月から、また市
60人が受講しました。若くて体力が
代、「初等教育の研究」という講座が
教委勤めとなり、この実習前実習を担
あるとはいえ、既にそれまで何コマか
あり、当時附属住吉小学校の教官とし
当したというわけです。
の90分講義を受け、それから更にア
て道徳を研究していた私は、やはり「道
四半世紀の間、断続的に都合10回
フター5の講義は体力・気力が必要な
徳の授業について」という講義を年に
近く同様の講座に関わっているという
ことだったろうと思います。
1回担当していました。その頃は大講
のも何か不思議な気がします。教育実
にもかかわらず、さすがは神戸大学
義室で200名くらいの学生に話をした
習は附属住吉小学校で受け、卒業5年
生。ほとんどの学生の皆さんが(1~
ように記憶しています。昭和50年代
後の5年間は、その附属住吉小で勤務
2名うつぶせている人、隣とおしゃべ
の終わりから60年代の初めにかけて
しました。その後は、「道徳の授業に
りをする人はいましたが)熱心に学ん
同窓会情報
でいました。事前に担当の先生からご
指導があったのでしょう、服装はいわ
ゆる「リクルートスタイル」で身だし
なみも整っていました。四半世紀前に
比しても、ずっとまじめな態度だった
と思います。
講義の初め、自己紹介の際に「私は
25回生だが、あなたたちは何回生で
すか?」と尋ねたところ、きょとんと
した顔をしていたので、少し意外に感
じたのですが、私の学生時代と違い、
今は回生表示をしていないので無理も
ないことです。おそらく彼らは58回
生くらいかと思います。自らとの年代
格差は著しいものがありますが、見て
いて可愛らしくさえ感じられました。
さて、「道徳の授業について」の講
義の概要は下記の通りです。
1 道徳教育でめざすこと
2 道徳教育の進め方
・道徳の時間で
・道徳授業の基盤となること
3 授業の実際
・指導案の書き方 ・指導資料(道
徳教材)
・指導上の留意点
4 授業の評価
5 道徳授業に関する課題
「テレビ道徳」
「押し型道徳」
「反
省道徳」
「説教道徳」
「月曜道徳」
「生活指導道徳」…
道徳の授業づくりについては、教育
実習だからと、安易に伝えるわけには
いきません。1時間の道徳授業は他の
教科等や子どもの生活とのかかわりに
おいて成り立つものだからです。学生
としては、「とりあえず、授業の形が
整うようマニュアルを教えてくれれば
いい」と考えているかもしれません
が、入口の入口だからこそ、道徳授業
・教育活動全体で
たかったのです。
指導案の書き方や指導の具体につい
ては、授業場面を想定し、学生を小学
校2年生に見たてた模擬授業を行いま
した。模擬授業といっても正規の形式
をとる時間がありませんでしたので、
おおまかに授業を流す程度の略式のも
のでしたが、講義に活動場面を設定す
ることで学生の学びも活性化したよう
に思います。前述しましたとおり、聡
明な後輩諸君は、瞬時に模擬授業の目
的や場の空気をつかみ、想定発問に対
しても、児童役として卒なく発言して
いました。
神大教育学部・発達科学部の同窓生
として、また神戸市教員の一人とし
て、彼ら彼女らのような優秀な学生さ
んたちが、一人でも多く神戸市の教員
採用試験を受け、合格して教壇に立っ
てくれれば、どんなに素晴らしいこと
かと、正直感じた次第です。
の基礎基本をしっかり理解してもらい
10 30
12 00
TEL: 078-803-5414 FAX: 078-803-5024
E-Mail: plan-hcd@office.kobe-u.ac.jp
http://www.kobe-u.ac.jp/alumni/HCD.htm
10
ホームカミングデイ
卒業生の皆さん!
ホームカミングデイに参加しよう!
前紫陽会副会長 鈴 木 正二郎(昭和28年卒)
ホームカミングデイは、野上智行前
学長の発意で行われるようになったと
承知している。
野上智行前学長が教育学部・発達科
学部出身の学長だということで、紫陽
会が中心になって、全学部に呼びかけ
て『学長を励ます会』を立ち上げた。
そして、年1回程度『学長を囲む懇談
会』を開き、学長を物心両面で支えて
来た。ある懇談会の中で、前学長が次
のような話をされたことがあった。
「私は欧米の大学を幾つか訪問した
が、欧米の大学は卒業生が母校を大事
にし、自分の今日あるは母校大学のお
の案内文に書かれていた趣旨。
神戸大学は平成 16 年4月に国立
大学法人神戸大学として新たな出発
をしました。この機会に発展しつつ
ある母校を知っていただくため『第
1回神戸大学ホームカミングデイ』
を本年9月 30 日(土)に開催いた
します。
爽秋の1日を懐かしの母校で旧友
や在学生、教職員との交流のひとと
きをお過ごしいただければ幸甚に存
じます。
◎ホームカミングデイの案内方法
かげであると考え定期的に寄付を続け
2006(平成 18)年の第1回は、
ている卒業生が多いということを聞い
1951(昭和 26)年卒業生
1961(昭和 36)年卒業生
1971(昭和 46)年卒業生
1981(昭和 56)年卒業生
た。中には卒業後 20 年目にまとまっ
た寄付を受けるという大学もあった。
それぞれ日本とは桁違いの寄付が集ま
り、それによって一流大学としての充
実した大学運営が出来ているのだと
語ってくれた人もいた」
この話は雑談の中での話であるが、
野上前学長は神戸大学も、卒業生と大
学とがもっともっと緊密な関係になら
なければならないと考えられたことと
思う。大学と卒業生を結び付ける一つ
の方法として、毎年ホームカミングデ
イを実施し、卒業生が母校へ来ること
により母校への理解と愛着を深めても
らいたい。そう考えられての発案だっ
たと思われる。『学長を励ます会』の
世話をしていた者として前学長のお考
えはよく理解出来るところである。 そのホームカミングデイはどのよう
に行われているのか少し詳しく記して
みよう。
第1回神戸大学ホームカミングデイ
は、2006(平成 18)年9月 30 日(土)
に行われた。
今年は第5回神戸大学ホームカミン
グ デ イ と な り、2010( 平 成 22) 年
に案内状が送付され、
2007(平成 19)年の第2回は、
1952(昭和 27)年卒業生
1962(昭和 37)年卒業生
1972(昭和 47)年卒業生
1982(昭和 57)年卒業生
に案内状が送付された。
以上のように、10 年毎の卒業生に
1年ずつずらせて案内状が発送される
ことになっている。
さらに、2009 年の第4回からは、
10 年毎の卒業生に加えて、前年度卒
業生にも案内状が発送されている。
神戸大学ホームカミングデイへの案
内状が発送されるのは、順次繰り下が
りながら特定の年の卒業生になるが、
神戸大学卒業生には、案内状が届く届
かないにかかわらずホームカミングデ
◦同窓会代表挨拶
◦記念講演
◦その他音楽演奏等
○昼食時 全体会
ティパーティ
六甲台本館前等
(今年はアカデミア館)
○午後 学部主催の行事
発達科学部の行事
◦キャンパスツアー
発達科学部の学舎・設備等の
見学(大学からの説明あり)
◦記念講演会
◦全体懇談会(生協食堂)
◦期別懇談会(生協食堂ほか)
○行事の他、特別展示・見学・イベ
ント等がある。
◦神戸大学史特別展
◦社会科学系図書館見学(登
録有形文化財)
◦山口誓子記念館見学
◦ホームカミングデイ市 ・
「ビジュアル版神戸大学物
語」
・日本酒「神戸の香」
・神戸大オリジナルグッズ
等を販売している。
(六甲台講堂前庭)
○第7回留学生ホームカミングデイ
留 学生ホームカミングデイは神
戸大学全体のホームカミングデ
イより2年前から開催されていた
が、神戸大学ホームカミングデイ
が行われるようになってからは、
同時に開催されるようになった。
イの日に大学を訪れて欲しいというの
が大学の意図であり、その日は大学を
開放しているのである。
◎ホームカミングデイの主な内容
10 月 30 日(土)に開催される。
○午前 全体会
◎ホームカミングデイの趣旨
出 光佐三記念六甲台講堂(登
第1回神戸大学ホームカミングデイ
◦学長挨拶
記念式典
録有形文化財)に於いて開催。
◎母校を訪問して、神戸大学の充実ぶ
りを見て欲しい
ホームカミングデイの概要は以上の
ようであるが、ホームカミングデイの
一日を利用して母校神戸大学を訪問さ
れることを強くお勧めする。
神戸大学の施設設備が年々充実して
いることを確かめていただきたいし、
11
ホームカミングデイ
十年以上も大学を訪れていない卒業生
にとっては隔世の感がある程、様変わ
りしている部分も発見できることと思
う。以下ぜひ見てほしい施設を幾つか
列挙してみる。
A 全学的施設
◎神戸大学百年記念館
大学構内の最南端にあって、すばら
しい展望の地に建設されている。
2001(平成 13)年1月 27 日(土)
に竣工記念式と祝賀会が開催された。
神戸大学創立九十周年記念事業の一
環として行われた同窓生からの募金を
もとに建設された施設で、神大会館と
留学生センターの二つの部分から成り
立っている。神大会館には、六甲ドー
ムと呼ばれるドーム型の多目的ホール
があり、講演会や研究発表会に利用さ
れている。留学生センターはその名の
通り多くの国から来日している留学生
の拠点となっている。
設計者は神戸大学工学部の卒業生で、
当時神戸大学工学部教授だった狩野忠
正氏で、
「鳥」をイメージして設計され、
神大会館と留学生センターが両翼とし
て伸びやかに広がっている。中心部で
ある2階のプラットホームからは神戸の
街並みと大阪湾が眺望出来る。
山口誓子記念館
◎出光佐三記念六甲台講堂(登録有形
文化財)
2006(平成 18)年に、当時の野上
智行学長の発意により、神戸大学基金
(30 億円)案を策定し、神戸大学全
卒業生や各種企業に呼びかられた。
出光佐三記念六甲台講堂 内部
◎社会科学系アカデミア館
神戸大学正門(六甲台)すぐ西側の
7階建の建物で、放送大学兵庫学習セ
ンターとの複合棟である。
平成 15 年の竣工で、社会科学系の
総合研究施設と大学生協のカフェテリ
基金創設記念事業としては、
ア・ショップ・和風レストラン等があ
○六甲台講堂の再生
る。今年のホームカミングデイの昼の
○社会に向けた「知」の有効活用
行事はアカデミア館1階のカフェテリ
○先端医学・生命科学の世界的拠点
アの利用が予定されている。
整備
○海事・海洋研究の国際的拠点構築
の四つの事業が掲げられた。
四つの事業のうち、六甲台講堂の再
生が先ず実行された。
卒業生から拠出された寄付の上に、
神戸大学百年記念館・山口誓子記念
館・出光佐三記念六甲台講堂の三つの
施設は、それぞれ一見の価値があり、
神戸大学の充実ぶりを感じることが出
来るのでぜひ見学を。
出光興産株式会社から多大なご支援を
またアカデミア館は卒業生も自由に
いただいたことを顕彰し、創業者出光
利用出来る施設なので、立ち寄られる
佐三[1909(明治 42)年、当時の神
ことをお勧めする。
戸高等商業学校卒業]の名を冠した。
B 発達科学部の施設
2009(平成 21)年 10 月 31 日の
第4回神戸大学ホームカミングデイの
◎発達科学部学舎前庭の各種銘石碑
記念式典で、六甲台講堂「再生」工事
○『神戸大学発達科学部』の銘石碑
完成披露が行われた。
[2000(平成 12)年8月設置]
ここで、六甲台講堂の歴史を振り
返ってみることにする。
紫陽会が寄贈したもので、発達科
学部の玄関前に設置されている。
1935(昭和 10)年3月 31 日
神戸商業大学講堂として竣工
神戸大学百年記念館
◎山口誓子記念館
西宮市苦楽園に居住していた俳人山
講堂の壁画三部作「富士」「光明」
「雄図」(中山正實作)が完成
1946(昭和 21)年7月5日
口誓子翁は神戸大学とも縁が深く、神
~ 1952(昭和 27)年4月 10 日
戸大学の最初の名誉博士号が授与され
連合国最高司令官総司令部(GH
た方である。
山口誓子記念館は、阪神・淡路大震
災で全壊した山口誓子邸の復元を意図
Q)により接収されていた(接収
中も入学式等の式典での利用は許
されていた)
して建てられ、建材の一部には旧邸の
2009(平成 21)年 10 月 31 日
素材がそのまま用いられていて、静寂
六甲台講堂「再生」工事完成披露
な数寄屋造りの日本家屋が復元されて
いる。
12
1938(昭和 13)年 10 月 ○『神戸大学 教育学部』顕彰碑
[1996( 平 成 08) 年 3 月 26 日
設置]教育学部が組織上なくなり、
発達科学部として再生した年の卒
業式の日に神戸大学教育学部がこ
の地に存在したことを顕彰する碑
の除幕式を行った。
ホームカミングデイ
◎ヒューマンコミュニティ創成研究セ
ンター
発達科学部学舎本館入り口右側に設
置されている。
2005(平成 17)年5月 25 日に開
所式が行われ、直ちに、
『神戸大学 教育学部』顕彰碑
地域組織・NPO・NGO・企業・
行政・学校と連携して、人間の発達
支援にかかわる実践活動を行ってい
る方々とともに、
多量・多元的なコミュ
ニティの創成に資する実践的研究
が開始された。
『神戸大学 教育学部』顕彰碑の
右前にある『沿革概要』 ○『神戸大学大学院 教育学研究科
(教育学専攻科)』顕彰碑
[1998( 平 成 10) 年 3 月 25 日
設置]最後の卒業生の卒業式の日
に除幕式を行った。
◎発達ホール(Dルーム)
◎卒業生著作の寄贈図書
趣旨
紫陽会会員は、卒業以来各方面で
活躍してきている。その証しの一つ
として、会員による著書も多岐にわ
たり、多数に上っている。これらの
著書を母校神戸大学発達科学部図
書室に寄贈することにより、業績の
集約を図り、かつ、資料として相互
に活用したいと考えた。さらに、こ
れら先輩の著書を目にすることによ
り、在学生が何かを感じ取ってくれ
れば、会員としては望外の喜びであ
る。
発達科学部学舎本館入り口左側に設
置されている。
2005(平成 17)年3月 11 日に開
所式が行われた。
学生が自由に利用できる施設で、勉
学・研究交流・パソコン利用等大いに
活用されている。自動販売機もあり砕
け雰囲気が学生にも喜ばれている。
ヒューマンコミュニティ創成研究セ
以上の趣旨で、1996(平成8)年
から卒業生著作図書の寄贈が開始さ
れ、現在では 230 冊の図書が寄贈さ
れている。書架も二つ紫陽会が購入し
ている。
発達科学部2階にある図書室の正式
名称は『神戸大学付属図書館人間科学
系図書室』という。
センターと発達ホール(Dルーム)の
大学を訪問して紫陽会会員の活躍ぶ
施設内備品の購入には、紫陽会からも
りの一端に触れるのも意義あることで
支援している。
ある。
以上幾つかの施設を紹介したが、こ
れらは私の印象に残ったものである。
○『神戸大学 養護教諭特別別科
(養
大学を訪問されたらそれぞれの想いが
護教諭養成課程)』顕彰碑
ありそれぞれの発見があることと思
[1998( 平 成 10) 年 3 月 25 日
う。母校訪問を強くお勧めする次第で
設置]最後の卒業生の卒業式の日
ある。
に除幕式を行った。
~生誕 200 年記念~
Chopin Music Concert
阪本公美ピアノリサイタル
(発達科学部 H12 年卒業)
以上の顕彰碑はいずれも発達科学部
玄関左側前庭に設置されている。
現在は存在しない教育学部・教育学
研究科・養護教諭特別科ではあるがそ
れぞれの顕彰碑の前に立つことによっ
2010.11.6 ㈯ 3:30pm
入場料 3,000 円
兵庫県立芸術文化センター
神戸女学院小ホール
てこの地で学んだ想いを新たにするこ
とが出来ることと思う。
後援 / ショパンの会、神戸大学発達科学部同窓会(紫陽会)
13
ホームカミングデイ
第4回ホームカミングデイ
米 田 勍(昭和35年卒)
平成21年10月31日(土)第4回神
れて、514席をほとんど埋め尽くした
戸大学ホームカミングデイが開催され
参加者も、久方ぶりの母校は感慨一入
た。前回までは9月末の土曜日であっ
であっただろう。
たが、企業の決算期であったり、大学
同窓会代表として髙﨑正弘学友会会
では学期間の休みで学生が不在など時
長挨拶、講演「神戸から始まった挑戦」
期不適切との声が多く聞かれた。5月
金丸恭文氏(S53工学部)と続き、軽
案や六甲祭(大学祭11月)同時開催
音楽部のジャズ演奏で締め括られた。
案なども検討の末、今回からは1ヶ月
ずらせ、問題がなければそれで続行す
ティパーティ
学部企画
(六甲台本館前)
ることとなった。
対象は、卒業生(含元留学生)・元
六甲台講堂横に待機の専用バスで発
教職員・現役学生(含留学生)
・教職員・
達科学部へと移動、学部企画にのみ参
名誉教授・寄付者である。そして、地
加の方々と合流する。
域住民も参加可能とされている。
靑木学部長案内のキャンパスツアー
従って、全卒業者が対象ではある
で震災対策工事の完了した学舎を一
が、案内状送付は経費面から、卒業後
巡、図書館では紫陽会会員による著書
55・45・35・25年 目 と そ の 春 の 卒
が専用書架に整然と大量に並ぶのを見
業者と特定され、今回は、昭和29・
学、大会議室に導かれる。
39・49・59年度及び平成20年度の卒
業生が該当する。
記念式典
しゃれたバルーン天幕2基の下に用
(六甲台講堂)
意されたオードブルや軽食のテーブル
を思い思いに囲み位置に付く。
土曜の朝NHKでお馴染みの朝山く
みさん(H11経済学部フリーアナ)が
司会、高田嘉英学友会副会長(紫陽会
記念講演会
(大会議室)
「伝統文化にひらかれた
教育未来史の創造」溝邊和成氏
(昭和56卒兵教大大学院教授)
全体懇談会
(生協食堂)
会長)の発声により先ずはビールで乾
杯、パーティは始まった。
福田秀樹新学長から「出光佐三記念
六甲台講堂」との新名称や登録有形文
野上前学長にもご出席頂いて、それ
化財であることなど神戸大学基金創設
ぞれの回生ごとに席を囲み、大いに食
記念事業として再生され新装成った講
べ大いに飲み且つ大いに語り合い、い
堂のお披露目があり、開催の挨拶へと
続いた。中山正實画伯(T 8神戸高商
卒)による雄大な壁画三部作も修復さ
応援団によるエールや学歌斉唱など
つの間にか学生時代に舞い戻っての楽
と、昨年まで極めて少数だった男子部
員が大幅に増え、活気溢れるパフォー
マンスに雰囲気は最高潮に。団員の学
生をも交え和やかな歓談が続く。
周辺には、大学のロゴ入りオリジナ
ルグッズや出版物、農学部の特産物そ
の他学生による種々の屋台が点在、賑
わいを見せていた。
-:留学生 ( 張 軼蓉さん ) による太極拳の演技:-
14
ホームカミングデイ
しいひとときであった。
参 加 者 ア ン ケ ー ト 集 計[ 回 答 数
・メディアに登場
終了後、学内で或いは場所を変え
277]から興味深い項目を拾ってみた。
・研究の質の向上
43(11%)
て期毎の懇談会に別れていった。
① 企画形態[記念式典と学部企画]
・教育の質の向上
34( 8%)
後日大学発表の参加者数
・今回の形式でよい 219(78%)
・学生の質の向上
32( 8%)
46(11%)
式典
茶会
学部
合計
② 開催時期
全体
463
353
1125
2273
・10月末の土曜日
115(42%)
発達
41
31
73
114
・10月末の日曜日
25( 9%)
平成22年10月30日(土)開催予定
・9月末の土曜日
11( 4%)
参加応募方法など詳細は神戸大学の
(合計は延べ人数と考えられる)
第3回の参加者数
式典
茶会
学部
合計
全体
366
308
842
1754
発達
54
45
90
146
③ 神大は在学時と比べ変わったか
・変わった
第5回ホームカミングデイ
ホームページを御覧下さい。
225(81%)
④ どう変わったか
・イメージや学風
126(31%)
ホームカミングデイに参加して
但 馬 房 子(昭和29年卒)
母校への招待状を手にして、懐かし
た。
迎え、又春休みには、巡回といって劇
いあの頃の友に逢えるという、それが
教養課程中女子学生は少なく全学部
や音楽で、児童養護施設(当時は戦災
先ず心に浮かんだことでした。
合せて、10名程でしたが、すぐに親
孤児も多かった)を廻り共に楽しい時
昭和29年卒、新制2回生、半世紀
しくなり、女子グループが出来て講義
を持つ活動をしたり、子供会員と共
以上も昔の大学生です。参加に心を決
の無い時は芝生に集まり話したもので
に、飯盒炊さん、海水浴をしたりと、
めました。
す。今もそのお付合いは続いていま
活動場面は多彩で楽しいものでした。
久しぶりに降りたJR六甲道駅プ
す。「大学は友人を作るところ」と言っ
このような活動は、子供を身近に知
ラットホームから、昔は、くっきり六
た人がいましたが、私は、その4年間
り、将来教師として児童を理解してい
甲の山脈、そして大学の姿が望めたの
で、今に至る友人、先輩、後輩の方々
く上で、基礎を作ってくれたと思って
ですが、すっかり住宅群に隠されて見
との縁をつないでいるという幸運に恵
います。
えません。バスで学校へ。当時は歩く
まれています。
全体会の後、各回生のテントに別
のみ。しかしそれが、往復の道で、友
大学に入って間なしに「児童文化研
れ、懇親会となりましたが、そこでも
と語り歩きをしながら、明日へ希望を
究会」に入部して、そのご縁は今も続
同期の方と会えたのは、お二人だけで
広げていたと思います。
いています。この子供会と私の縁は古
した。そこへ、童研先輩の鈴木正二郎
受付けを済ませ講堂へ入る。学生の
く、小学生の頃に始まっています。当
先生を始め、童研のメンバーが沢山参
頃見た壁画も明るく輝いて見え、その
時の私はまだ小学4年生。戦争に突入
加して下さって、年次を越えて、にぎ
中に知った顔を求めたが見付けること
した年でしたが、土曜日の午後、楽し
やかに楽しい集まりとなりました。
は出来ませんでした。講演を聞きなが
そうに「今日は大学でお兄さん達が遊
その後、発達科学部校舎へ、バスで
らも、学生時代のことが、よみがえっ
んでくれる日」と言いながら、グルー
移動しました。このなじみのない名前
てきます。
プで、山の上の大学を目指す友を羨ま
の学部が、何を目指しているのかを知
私達の世代は、ここに来てようやく
しく思いました。
る良い機会です。
くらしも落ち着き、未来を語り合うこ
その後、神戸を離れた私には、その
校舎の施設を案内して頂き、その後
とが出来るようになりましたが、まだ
思いだけが残りました。
大会議室で、兵庫教育大教授 溝邊和
講堂は接収され、階段教室での入学式
大学に入って間の無い或る日、誘わ
成先生の「伝統文化にひらかれた教育
であったと記憶しています。校門に至
れるままに、学生集会所(今は無い)
未来史の創造」の演題で講演をおきき
る坂道の途中に進駐軍の施設があり、
の部屋をのぞいた時、「お母さんが来
しました。
昼食時に子供達の食事風景が見られ、
た!」と喜んで迎えてくれた子供達、
神大教育学部の変遷、御影師範・姫
美味しい匂いも流れ、食べることがま
劇中人物の母親役としてスカウトされ
路師範・明石女子師範等の教育学部へ
だそれ程豊かになっていない私達を羨
たのです。それ以来、子供会の一員と
の流れ、戦後の時代の変革と共に形成
しがらせたが、当時の男子学生の中に
なり、毎週子供達と劇、音楽を練習し、
された教育の現状と未来への発展、
は、復員姿も交じっていた時代でし
春秋の子供大会には、近隣の小学生を
2014年あたりに、実践に根差した教
15
ホームカミングデイ
育変遷史の編さんを考えていられる
を目指す為には、変革が必要だとい
学生達と懇談してみたいと思いまし
ことも話された。
う認識は、大事なことです。それが
た。
私は、就職した学校で、師範の流
教育現場で、どう生かされていくの
本年この会に参加出来て、人生の
れをくむ先輩の先生方から指導助言
かです。
終盤に、大学での過去と未来を思い
を頂いて、教師として、現場で教え
一人学生の母親の方が参加してお
描けた貴重な一日となりました。
て来れたと、今改めて思うことです。
られて、「医学部受験に失敗して、こ
会を作り上げて下さった多くの
その後、会場を変えて懇親会とな
の学部へ入ったのですが、息子が何を
方々に感謝いたします。
りました。発達科学部の現況を話し
目指しているのか、よくわかりませ
有難うございました。
て頂きました。
ん。今晩よく話を聞くつもりです。」
未来へ向けて、教育の変動、発展
と言われたが、私も在籍している
第4回 神戸大学ホームカミングデイと三九会
戸 田 紘(昭和39年卒)
同窓会、同期会を通して母校に集う
いう決断をされるのである。英語がで
で話された。同氏が引用された先哲・
ことの意義を考えてみた。それは人生
きなくてもソロバンと謹厳実直さで周
及川平治先生の~ 「新教育の/幕を開
における現在までの軌跡、現在の立ち
囲の信頼を勝ち取り成功をおさめられ
かん/私の凡てを捨てて」 ~に感銘を
位置の確認と進むべき方向性の確認に
たとのことである。
覚えたのである。溝邊氏が、系統性を
あると思う。加えてパラレルに母校が
式典後に開催されたティーパー
重視した教科教育と生活に基盤を置く
歩んだ軌跡、現在の姿、将来の姿に想
ティーで、同氏の傍に寄る機会があっ
経験主義教育の融合・再構築に教育の
いを馳せることにあると思う。
た。上場会社のトップ、眼光鋭く他者
未来像を描かれていることに賛意と敬
10月31日(土)は秋日和、六甲台
との会話は穏やかではあるが、立居振
意を表したものである。
に生い茂る幾多の巨大なる楠、ヒマラ
舞に一部の隙も緩みもなかった。氏の
発達科学部が、学校教育の枠を大き
ヤ杉が紅葉の季節をものともせず、
挑戦が継続であることを思わせるに十
く踏み出し「人間の発達」を探求する
青々として、ホームカミングデイの参
分な一こまではあった。
学部であることは、見学、説明、数々
加者を迎えてくれる。わが三九会は午
午後2時、発達科学部主催行事が、
の冊子等を通じて理解できる。しか
前の式典を自由参加、午後の学部主催
鶴甲キャンパスで開催された。三九会
し、教育学部の発展的解消のうち、解
行事から正式参加することになってい
からは15名が参加した。例年開催し
消のみが実現してしまうのではないか
る。
ている「三九会」を、ホームカミング
という一抹の不安がどうしても残って
記念式典が、NHKアナウンサー住
デイにドッキングさせたのは、幹事諸
しまう。このことは、キャンパスが赤
田氏の司会で始まる。会場は、卒業生
氏の配慮によるものであった。
塚山から鶴甲に移転したことよりも、
の浄財で改装なった多機能型文化ホー
キャンパスツアーでは、靑木発達科
数倍重く心にのしかかってくる。発達
ル、六甲台講堂で、まさにそのこけら
学部長が直々に案内して下さった。そ
科学部が学校教育に優れた人材を送
落としの場となったのである。
の後、約80名の参加者が、学部の大
り、それを目指す若者が多数存続する
記念講演では金丸恭文氏(S53年
会議室に集合した。高田嘉英会長(紫
というシステムが、明確に認識可能と
工学部卒、フューチャーアーキテクト
陽会)は、
なれば安心できるというものである。
社代表取締役)が「神戸からの挑戦」
1)大学は一つにならなければならな
全体行事とのからみで、三九会のメ
という演題で話された。同氏の凄さは
たった二人でベンチャー企業を立上
げ、20年足らずのうちに上場会社に
成長させられたことである。まさに「挑
戦の人生」を歩まれているのである。
16
い。
2)紫陽会の難波前会長の功績を忘れ
てはならない。
3)大学に対して、同窓会としての支
援を忘れてはならない。
ンバー相互の懇親が十分でなかったの
は残念だった。発達科学部の未来が鶴
甲キャンパスから神戸の街が180度見
渡せるように、視界良好ならんことを
願い、靑木学部長をはじめ、お世話下
しかし、それでも氏は御祖父の挑戦さ
以上の三点を、強調された。
さった大学、学部の関係者のご尽力に
れたリスクには遠く及ばないと言われ
講演会では兵教大教授・溝邊和成氏
感謝しつつ、再開を期し三九会一同帰
る。その挑戦とは、幕末の下級武士の
(教育学部S56年卒)が、「伝統文化
路についたのである。
家柄に生れ、志を立て15歳で渡米と
に開かれた教育未来史の創造」の演題
随 想
学部・大学院の名称の意味は
前発達科学部長 靑 木 務
本年の3月末日を
用試験を受ける学生が約2割程度とい
す。というのは、どのような研究であっ
もち、神戸大学を去
う問題点があった。一方、専門教育と
ても、教育と結びつけて話せる場合が
り、現在は「悠々自
教養教育とが区別されているのは教
多いからである。
適の生活」の予定で
育・研究上問題であるなどとして、神
私が教育学部に赴任して担当してい
あった。しかし、ま
戸大学では教養部の改組も計画されて
た分野は、
「技術科の木材加工」と「家
だ研究室の後片付け
いた。そこで、両者の問題点を解消す
庭科の住居」である。発達科学部では、
が済まずに、7月になっても、週に2
るために、発達科学部と国際文化学部
人間環境科学科の生活環境論講座で、
回は研究室を訪問する日々である。私
に改組されたのである。当時、学部の
住環境を担当した。日本は木の国であ
の専門分野に関係する先生を採用しな
改組などにはあまり関心がなかった筆
り、主に木造住宅に住んでいたため、
いため、私が使っていた機械・装置・
者は、学部名称はどのようなものでも
「温湿度環境」や「音環境」について
本・その他諸々を処分して、部屋を
同じだよと考えていた。しかし、現実
の研究は教育学部時代でも行ってい
空っぽにする必要があることによる。
は異なっていた。
た。また、見た感じ、触り心地、にお
なお、在職中は、定年の日まで学部長
発達科学部の一期生を迎えて、講義
いなど視覚・触覚・嗅覚などの住宅内
であったため、ほとんど手づかずの状
が開始されると、しばらくして、私の
環境と材料の関係についてのデータや
態であった。
所属していた環境学科の学生から以下
資料も集積していたため、発達科学部
私の先輩で、某大学の研究所の所長
のような不満の言葉を聞くことにな
に改組して、教育・研究上、特に困る
で定年した教授曰く。「立つ鳥跡を濁
る。
「教育学部とどこがどう違うの」
「教
ことはなかった。
さずというように、学者たるもの、定
育学部に入学したのではないのに、教
ただ、我が学部・研究科の内容を表
年の日には研究室を空っぽにするのが
育の話ばかりだ」「人間の発達や環境
すキーワードは、「人間・発達・環境」
常識だ」とのたまう。少人数の研究所
の話など一言も触れられていない講義
である。私にとって問題となったの
の所長と、学部の学部長では仕事の量
が多い」などである。
は、これらの中で「発達」という言葉
が違うのだと屁理屈をいえども、「す
教育学部とはいいながら、先生にな
についてである。学校教育での発達以
べて君が悪いのだ」となる。本や資料
る割合が減少したことにより、教員養
外、考えたことがなかったというより
などを収納するために、大学から歩い
成大学の統合の話が議論されていたこ
も、ほとんど念頭になかったといって
て5分の所にマンションを購入した話
とがある。割合が少ないといって、我
よい。研究はもちろんのこと、教育に
を聞いて、さすがに大変だったねと同
が学部のときとは事情が異なる。教員
ついても若干とまどったものである。
情されるしまつであった。段ボール箱
採用試験を受けても、採用定員の減少
幸いなことに、私の出身大学の恩師
にして約 150 個を京都の実家に配送
により、先生になれない状況にあった
が、「人間発達と木質環境」なる研究
したが、実家も物であふれていて、整
からである。
をグループで取り組んでいるのを聞い
理にどれぐらいかかることやら。当
その際、元教育学部の先輩として、
ていた。また、生活環境の同僚である
然、マンションは物だらけで、足の踏
発達科学部の現状について、ある大学
城教授が、高齢者研究に取り組もうと
み場もない。
に講師として招かれた。その某大学側
しており、その一員として住宅問題を
それはさておき、本題に入る。「学
からは、「一般学部になったメリット
担当することになったことである。そ
部・研究科の名前には意味がある」と
は何か」「学部名称が変わることの意
こで、少しずつ、人間の発達について
いっても、多くの人は「そんなの当た
味」などの質問がなされた。大会議室
考えていくことになる。
り前のことではないか」というかもし
における質疑応答では、我が学部の実
4月以降に、ゲストティーチャー
れない。皆様もご存じのように、私た
情を踏まえて、まじめに答弁をした。
として、「人と住宅の環境」について
ちの学部の前身は、教員養成系では全
学部長室での少人数での話では、私の
話をしたとき、「学部・学科・コース
国でトップのレベルにあった教育学部
本音として、「教育学部という名称が
の名前には意味があり、それに即して
である。ただ、卒業する学生の就職先
使用できるのなら、名称変更するより
卒論の研究内容を説明できないようで
は、神戸大学の他学部と同じように、
もよい。研究面では、特にメリットが
は、就職の面接で苦労するよ」と話し、
一般企業を希望する人が多く、教員採
多い」などと強調したことを思い出
若干の賛同を得た。
17
随 想
N I E の す す め
前神戸新聞社NIE顧問 塚 西 徹(昭和37年卒)
⑴ 活字離れを防ぐ
若者の活字離れ
がいわれて久しい。
読書週間に実施さ
れた調査で、「1カ
月間に1冊も本を読
まなかった」が半数を超し、話題になっ
た。過去の調査と比べると、読書離れ
は進んでいる。
また、日本新聞協会が行った調査で
は、新聞の未購読者や家庭が急増して
いる。
しかし、一方で、
「朝の読書」運動や
NIE(Newspaper In Education)活動
によって、活字離れを防ぐ取り組みが
着実に広がってきている。
朝の読書運動は、授業前に 10 分程
度自分が読みたい本を読む活動で、
1988 年に千葉県の女学校で始まった。
98 年に朝の読書推進協が発足し、感想
文を求めない自由さが受け入れられ、
全国的な運動に広がった。
「みんなでや
る、毎日やる、好きな本でよい、ただ読
むだけ」の4原則を大事にしている。
多くの実施校では、
「読書好きになっ
た」「落ち着きが出てきた」「他人を思
いやる気持ちが育ってきた」などの効
果が表れている。
また、NIE 実践も、以前から社会科
や国語科を中心に行われてきたが、
1989 年より新聞界と教育界の共同活
動として推進するようになって以来、
全都道府県に急速に広がってきている。
高度情報化社会を迎え、ますます多
メディアへの対応が迫られる時代と
なったが、あらためて新聞という活字
メディアを大事にしたい。
テレビやインターネット、携帯電話
などはファストフード・メディアで、
新聞はスローフード・メディアだとも
いわれる。テレビやインターネットは、
映像や即時性などで優れている。一方、
活字メディアの代表である新聞には、
詳報性、一覧性、確認性などの特性が
あり、また信頼度も高い。
何よりも新聞は、自分のペースで読
むことができ、読み返すこともできる。
この読み手の能動的、主体的な行為は
とても重要で、積み重ねによって、読
み取る力、総合的な言語力、社会の動
18
きへの興味・関心などがはぐくまれる。
さらに学習意欲が増し、学習態度や
学習習慣が身に付き、総合的な学力、
生きて働く学力、つまり、「生きる力」
が培われる。
⑵ 新学習指導要領とNIE
2008 年3月に新学習指導要領が告
示され、新聞各紙に、「脱ゆとり路線
くっきり」
「ゆとり教育を転換」といっ
た見出しが躍った。そして、一部前倒
しで先行実施されてきたが、いよいよ
2011 年度から小学校、12 年度から
中学校で完全実施される。
内容が盛りだくさんな中、学校週5
日制のもとで教育課程をどう編成する
か、学校現場には創意工夫が求められ
ている。手厚い指導体制など、条件整
備も不可欠である。
学習指導要領改訂の一番の目玉は、
「言語活動の充実」で、新指導要領の“1
丁目1番地”ともいわれている。
改訂後も貫かれている「生きる力」
を育てるために、
「言語力」「言葉の力」
を付けることを最重要視しているわけ
である。言語力を養うには、国語で「読
む・書く・聞く・話す」の基本をしっ
かり教える。そして、各教科でも言語
活動を重視する。教育活動全体を通し
て身に付けた「総合的な言語力」によっ
てこそ、思考力、判断力、表現力といっ
た「活用能力」が育つのである。
新指導要領を精読すると、各教科の
指導で「新聞」が学習対象として、よ
り明確に位置づけられている。NIE 活
動にとって絶好の“追い風”となった。
この機に、教育課程に具体的に組み込
み、NIE 実践に果敢に挑戦してほしい。
⑶ 実践校制度の利用
NIE 実践校になると、新聞社の協力
によって、一定期間新聞が無償で配置
される。そうすれば、授業で新聞を「丸
ごと活用」できる。各紙の「読み比べ」
もできる。また、新聞記者に、ゲスト
ティーチヤーとして協力してもらえ
る。そして、新聞を活用した授業は、
あらゆる教科・領域で展開されるよう
になった。子どもたちは自然に新聞に
親しむようになり、児童・生徒の新聞
の閲読習慣が、小・中・高校の校種を
問わず定着している。
NIE 実践校の先生の集まりでも、最
初はテレビ欄しか見なかった子どもた
ちが、変わっていく様子が報告されて
いる。「新聞を進んで読む姿が見られ
るようになった」「自分の考えを書い
たり発表したりすることができるよう
になった」「調べ学習の態度が身に付
いてきた」「記事について友人や家族
と話すようになった」「ふるって投書
欄に投稿する生徒が現れてきた」など。
朝の読書と NIE が協調して、具体
的には「読書タイム」の中に、「NIE
タイム」を組み込む学校も増えてきた。
関心を持った記事を切り抜き、輪番で
その要点と自分の意見を述べるという
オーソドックスな取り組みだが、継続
することにより、読む力、考える力、
まとめる力、発表する力、コミュニケー
ションカなどが向上している。
そして、「読む力」があらゆる能力
の基となり、学習習慣や学ぶ意欲を喚
起することにつながることも実証され
つつある。
⑷ メディア・リテラシー
こうした取り組みによって、生活に
必要不可欠な「メディア・リテラシー」
がはぐくまれていく。まとめれば、
「情
報を建設的かつ批判的に読み解き、自
ら考え、判断し、自分の考えを表現し
ていく力」である。慌ただしい現代社
会の中で、テレビ、ラジオ、新聞、雑
誌、インターネット、携帯電話などか
ら、情報のシャワーを浴び続け、その
情報に振り回されている。時には鵜呑
みにし、時には鈍感になったりしてき
ているのではないか。多様で雑多な情
報の中から、取捨選択し、自分でよく
考えて判断し、行動することができる
ような力を身に付けることが、今日強
く求められている。
後になりましたが、前学長の野上智
行先生には、激務の中兵庫県 NIE 推
進協議会会長を務めていただいたこと
に心から感謝申し上げます。
塚西 徹 略歴
昭和37年、教育学部教育心理科卒
元県小学校長会会長代行
前県NIE推進協議会コーディネーター
「教育春秋 やさしく 強く」出版
随 想
一 日 一 題
岡山県立津島児童学院長 松尾 冀(昭和43年卒)
子どもの虐待死
車いす登校と学習権
親を選べない子
子どもの虐待死事件が報道されるた
報道によると、N県で車いす登校を
児童相談に長年携わってきて、「子
びに「もっと早く保護できなかったの
希望した新中学生の女子生徒が町教委
どもは親を選べない、これもこの子の
か」との論調を耳にする。一見正論で
から入学を拒否された。
運命なのか」と思わずにはいられない
もっともな世論だが、果たしてそう簡
当然のように非難の声が上がり、彼
悲惨な事例に出合うことが少なくな
単に論じていいものか。
女の学習権を保障せよと、裁判所も入
かった。ある時、非行相談で面接した
あれは今からおよそ 30 年前、小学
学を認める仮処分の決定を下した。し
ひとり親家庭の女子中学生のせりふに
校入学を控えた女の子が母親に連れら
かし、彼女に最適な教育の場は「特別
ハッとさせられた。「勝手に生んで、
れて児童相談所にやってきた。再婚し
支援学校」であると、町教委は抗告し
勝手に捨てて…」。同感してしまい、
た新しい父親がこの子にいやらしいこ
た。それだけの教育設備や人材をそろ
職務である誓約書(反省文)を書かせ
とをする、この子がかわいそうだから
えた自負心があってのことだろうと、
る手が一瞬ひるんだことを思い出す。
施設に入れてもらいたい、との相談で
私は町教委の信念に感心させられた。
ご両親にはそれぞれ大人の言い分が
あった。今なら「性的虐待」と分類さ
教育者の信念こそが子どもを変える、
あって別れたのだろうが、幼かった彼
れるたぐいの犯罪だ。結論としては親
今どき最も再認識していただきたい真
女にしてみれば「そんなのかんけー
の希望通り施設入所となった。当時は
理であるから。
ねー、私を何だと思ってんの」、こう
まだ「親権」が絶対視されていた時代
今から 12 年前、校内暴力や学級崩
した割り切れない悲しみを募らせて小
であったのだ。
壊で教育現場がすさみきったころ、文
学校から中学校へと過ごしてきたのだ
なぜ、当事者である「親」は不問の
部科学省は「心の教育」を説き、「心
ろう。
ままで温かな家庭に残り、罪なき被害
を育てる場として学校を見直そう」と
本当に子どもは親を選べず、運命と
者である子どもが家庭から離され、不
の答申も出た。教育現場の反応は教材
してあきらめさせる以外ないのだろう
安に満ちた施設に入れられねばならな
もなく戸惑うばかりであった。
か。
いのか。こんな理不尽がまかり通る「児
そんなとき、ある中学の先生のつぶ
1994 年「子どもの権利条約」(通
童福祉」でいいのか。この疑問と自責
やきを耳にした。校内暴力には「波」
称)が批准された。第 12 条ほかで子
の念とが、その後の私の児童福祉観と
がある、今年の波は穏やかだ、原因は
どもの「意見表明権」等を定めている。
実践とを方向づけたと言っていい。
よく分からないが昨年見られなかった
子ども自身に影響を及ぼす事項に関し
虐待死事件での論調「もっと早く施
今年の光景として…。そこで語られた
て、子どもに意見を表明する機会を与
設に保護しておれば…」、単純にこれ
のが「車いす登校」の生徒と友達の話。
えよ、大人はそれを考慮(尊重)せよ、
を正論としたのでは子どもは浮かばれ
「茶髪だ、たばこだ、と生徒指導を悩
締約国は国内法を整備せよと、簡単に
ない。「親子分離」を即「子どもを施設」
ます彼らが、意外と車いすの手助けを
言えばこうした内容の条約・条文であ
と連想してしまうのでは悲しい。
よくやってくれるんですよ」。無論証
る。
もっと早く家庭から隔離され、保護
明できる話ではないが、「波」と無関
親の離婚(再婚)は子どもに大きな
され、行動を矯正してもらうべきは子
係ではない話と思えた。今回の車いす
影響を与える「重大事項」である。な
どもではなく、犯罪的虐待に及ぶ「親」
報道を耳にしその話を思い出した。
らば、離婚等に際しての公的手続きや
自身だったのではないか。
その後町教委は抗告を取り下げ、
「彼
様式において、子どもは親権者を誰に
視点をずらして発想を柔軟にし、児
女の学習権を保障するために」と入学
したいのか、親の離婚(再婚)をどう
童福祉や教育を直視してゆくことを、
を認めた。果たしてこれで納得してよ
思っているのか等々、これらを確認し
このシリーズにおける私の主題にした
いのだろうか。
尊重することは締結国としての責務で
いと思っている。
学習権を保障されたのは彼女だけで
はないだろうか。
はないのだ。むしろ、彼女を受け入れ
決して「子どもは親を選べない」の
る中学のすべての生徒が「心の教育」
ではなく、逆に「親を選ぶ」機会を持
という大切な学習権を与えられたの
たせてやるべき子が確実に増えつつあ
だ。信念の町教委がそのことに気づき、
るのだ。親もうかうかしてはおれない。
新たな信念で学校教育に取り組むこと
子どもから信頼され真の「親」と認め
を期待したい。
られるべく、まさに、親としての生き
方が問われようとしているのではない
( 山陽新聞夕刊 2009.8.4)
◇筆者紹介(まつお・のぞむ)神戸
大教育学部(昭 43 年卒)。1969 年
岡山県入りし、心理判定員として児
童福祉に携わる。2008 ~ 05 年度に
県中央児童相談所長を務め退職。06
年度から県立津島児童学院の指定管
理者となった社会福祉法人旭川荘に
採用され現職。倉敷市出身。63 歳。
( 山陽新聞夕刊 2009.8.11)
だろうか。
( 山陽新聞夕刊 2009.8.18)
19
随 想
能楽 観世流「風韻会」のクラブを通して
西 田 美惠子(昭和46年卒)
大阪駅の第一ビルに神戸大学凌霜会
導を頂いておりました。
多数集まっています。それぞれがシテ
の部屋があります。そこで「風韻会」
謡会の参加者の最高年齢は九十歳。
やワキをつとめ、十時から四時半ぐら
OB の凌霜謡会が年に二回、開催され
私達の現役の頃、紋服袴姿の OB の
いまで延々たる謡会、その後に懇親会
ています。
所作一つ一つ感心しておりましたが、
を合わせ一日中です。謡いは齢を重ね
その敬意は今なお変わるものではあり
るほどに味わい深く、絞り込まれた声
ません。
量と謡い込む闊達さには毎回感動です。
歴史的に古く、全学部対象の観世流
のお能のクラブです。大学紛争時にも、
袴姿の宇治正夫師匠が六甲台の部屋を
京都や滋賀・奈良、遠くは鎌倉から
訪れ、「鉢木」や「葵上」などの御指
の先輩諸氏、また女性は教育学部卒が
その生き方の奥深さに学びたいと思
います。
国防総省外国語学校と日本語教育
国防総省外国語学校日本語科助教授 赤 野 達 哉(平成10年教育学研究科修了)
20
私が神戸大に籍を置いたのは教育学
は、準学士(外国語学)の学位が与え
校をご紹介します。
研究科の2年間だけなので、こういう
られます。就学期間は、最長の学科で
DLIFLCは、日米関係が風雲急を告
ところに書かせていただくのはおこが
ある日本語、中国語、韓国語、アラビ
げる1941年11月に、サンフランシス
ましいのですが、会からのご依頼があ
ア語の4学科でも、通常の教育では4
コにある基地内で、秘密裏に作られた
りましたので、紙面を汚させていただ
年以上かかる全課程を64週間で終了
日本語学校がもとになっています。日
きます。暫くお付き合いください。
するという、「超」がつく詰め込み教
系人の教授数人が、日系2世の兵士
私は現在、カリフォルニア州モント
育が行われています。学生は軍の任務
を教えたのですが、開戦後、米国政府
レーの、モントレー陸軍基地(Presidio
としてこの学校で学んでいますので、
によって、収容所に強制連行された
of Monterey)内にある、米国国防総
授業を休むときも、所属する部隊の許
他の日系人と同じように、教官も学
省 外 国 語 学 校(Defense Language
可が必要になりま
Institute Foreign Language Center,
す。因みに、学長に
DLIFLC)で、日本語の教官として勤
は現役の陸軍大佐が
務しております。もともと私は、大阪
なるのが慣例で、司
市立高等学校の地歴・公民科の教諭で
令官を名乗ります。
したが、渡米後、日本人学校や日本語
日本語学科は学
補習校で教えた経験を生かし、昨年
生30人 ほ ど、 教 官
12月から、こちらでお世話になって
12人 の 小 さ な 学 科
おります。この学校は、大使館の駐在
です。人数が多いの
武官や、日本をはじめ、NATO各国や
は、多くの語学兵を
韓国などの同盟国の軍隊と米軍の連絡
養成する必要がある
を担当する士官、或いは、米軍が展開
ア ラ ビ ア 語、 韓 国
している各地の語学兵などを養成する
語、中国語の各学科
学校で、学生のほとんどは、職務命令
で、それに、イラン
で学んでいる軍人です。ちなみに私の
やアフガニスタンで
身分は、連邦政府(国防総省)職員、
話される言語を教え
陸軍軍属です。
る学科やスペイン語
DLIFLCは方言を入れると40以上の
学科などが続きま
言語を教える、全米で最大の外国語大
す。
学で、1日6-7時間、対象となる言
機密上の問題があ
語の授業だけが行われます。米国では
りますので、大まか
数少ない「国立大学」で、カリフォル
な話しかすることは
ニア州から短期大学としての認可を受
できませんが、簡単
けており、正規の課程を修了した者に
にこのユニークな学
2009 年クリスマス。サクラメントの自宅にて。妻、長女、長男(双
子)、愛犬と。
随 想
生も、ミネソタ州の基地に移転させら
る4つの要素、読む、書く、聞く、話
必要はなく、素直に口語文法で教える
れます。しかしそこで学んだ日系人の
す、それ以外に文法もあり、さらに日
とおりに、5種類で教える方が、本当
兵士たちは、言われなき差別と戦うた
本語の場合には、漢字の学習も加わり
は理解しやすいはずです。
めに、敵兵と間違えられる危険を省み
ます。50分の授業で、タスクを効果
私と同じクラスを教える、広島大学
ず、太平洋戦線の文字通り最前線で、
的に組み込むのは容易ではありませ
大学院で日本語を修めた中国人の同僚
諜報活動、暗号解読や捕虜の尋問など
ん。DLIFLCでもやはり、教育理論と
も、同じ意見です。口語文法が確立さ
に活躍し、後に「ヤンキー・サムライ」
実践をどれだけ近づけるかは、大きな
れているのに、屋上屋を架す必要はな
と呼ばれ、尊敬されるようになりまし
課題なのです。
いと思うのです。私たちは既成の教科
た。
さて私が今、外国語としての日本語
書を使いながらも、国語教育の用語も
1946年に学校は、このモントレー
を教える立場で強く感じていること
効果的に使って、学生の理解を助けよ
陸軍基地内に落ち着いた後、国防総省
は、既成の日本語教材に、国語として
うと試みています。
外国語学校となりました。その頃は、
日本語を学んだ者にとって、違和感を
他にもあります。「実用的な口語」
冷戦期の国際関係を反映して、ロシア
覚える内容が多い、ということです。
という観点からかもしれませんが、
「~
語、ドイツ語、中国語などが重視され
これは、DLIFLCで使用している教材
しちゃう」「~しちゃって」というよ
ました。そして、友好国の言語も次々
が、ということではなく、一般に流通
うな東京方言、「たり」を1回しか使
と加えられ、現在のような大所帯にな
している日本語教材全般に対して言え
用しない不完全な文、不要な二重敬語
りました。
ることです。
なども日本語教科書には散見されま
日本語は、友好国の言葉ということ
例えば、日本語教育では、動詞の活
す。ひどいものになると、動詞「くれ
もあって、一般的な語学兵の養成はあ
用を教える際に、必ず「て-form」と
る」を、話者を介さない例文(たとえ
りません。学生の殆どは在日米軍や大
いう言葉が出てきます。動詞の連用形
ば、「田中君が山田君に本をくれた」)
使館などに赴任予定の士官です。自衛
に助詞の「て」をくっつけて覚えさせ
で紹介するような、明らかな誤りも見
隊幹部学校に留学する者や自衛隊で教
るというコンセプトです。これは、大
受けられます。日本語教科書には文科
官になる者もいます。平均年齢は相対
学や語学学校の日本語を教える教室で
省による検定がないので、誤りを訂正
的に高く、日本語を全く知らなかった
普通に使用されているものですが、な
する機会が少ないからでしょう。
という学生が多いです。ハーバード大
ぜこのような用語を、あえて日本語教
日本語教科書や教育内容の改善は、
学や士官学校を卒業した秀才や、複雑
育のために作ってしまったのか、理解
現場任せでは不可能です。なぜなら日
な飛行術をマスターしている飛行機や
に苦しみます。学生は「て」を含めて
本語教師の多くは、私同様、必ずしも
ヘリコプターのパイロットが、奇怪な
動詞の活用形だと思い込みますので、
国語の専門家ではないからです。
文字や文法構造を覚えるのに四苦八苦
そういうことでも混乱を招きかねませ
また昨今は、米国内でも不況の影響
しています。
ん。その他、
「る-verb」
「う-verb」
「い
もあって、日本語教育の熱が冷めてい
DLIFLCで は、 実 践 的 な 語 学 を 教
-adjective」「 な-adjective」 な ど、
ます。ところが、日本語講座が閉鎖さ
授し、即戦力になる語学兵や士官を
耳を疑うような用語が、日本語教科書
れる一方で、中国や韓国は、自国文化
養成することを主眼としていますの
にはたくさん出てきます。
を広げるために、莫大な資金を投じ
で、教材や授業の開発に力を入れて
私は大学で日本語を学んだ家内か
て、中国語や韓国語の講座を増やして
います。たびたび行われる教官対象
ら、初めてこの奇妙な用語を聞いたと
いるようです。国語教育者も研究者
の研修会で繰り返し強調される重要
き、全く意味が分かりませんでした。
も、そして文科省も、いろんな意味
なコンセプトが、TBI(Task Based
日本語学習者に対して、一般の日本人
で、もっと海外での日本語教育に関心
Instruction)です。ここでいうタス
が聞いて理解できないような特殊な用
を持っていただきたいと思います。
ク と は、Authentic Material、 つ ま
語を使用することは、日本語教育に
私は神戸大で教育内容論を研究した
り、日本人が日本人のために作った素
とって決して良いことではありませ
経験を生かし、今後は、DLIFLCでの
材(具体的には、日本国内で放映され
ん。一般人に日本語のことを尋ねたく
教育実践を通じて、日本の言葉と文化
ているテレビ番組、映画、日本の新聞・
ても、この異形の文法用語が、コミュ
を正しく伝える教材開発ができればと
書籍、日本語の地図、新幹線などの時
ニケーションを妨げることになるから
考えております。
刻表、各種広告・チラシなど)を使っ
です。
とりとめのない話になってしまい恐
て構成される、実践的で、意味のある
ある日本語教科書では、動詞の活用
縮です。このあたりで筆を置かせてい
活動で、ドリルなどの単なるPractice
形を3種類にしか分類しません。五段
ただきます。何か質問がございました
とは違うものです。学生はみんな大人
活用を「タイプⅠ」、上一段活用と下
ら、私は神戸大学卒業生ネットワーク
です。その大人を動かすような、現実
一段活用を「タイプⅡ」、そしてサ変、
に登録しておりますので、気軽にお問
的で、興味深いタスクを授業に組み込
カ変を「タイプⅢ」に分けているだけ
い合わせください。末筆乍ら、同窓生
むということが、DLIFLCでは要求さ
です。コンセプトは分かりますが、わ
の皆様のご健勝とご活躍を、心よりお
れています。しかし、語学教育におけ
ざわざ無理やりに3つの枠に押し込む
祈り申し上げます。
21
支部・同期会だより
紫陽会東京支部の活動
総会・懇親会を開催しています。昨年
赤 井 紀 男(昭和38年卒)
度は2月20日(土)に、OBや現職
を含め23名で、学部長の靑木務様と
会長の高田嘉英様を来賓として迎え、
道頓堀ホテルで開催しました。その席
上、大学の活躍の現状や同窓会の様子
についてお話をお伺いいたしました。
総会の中では、昭和58年経営学部
卒で、前大阪市教育委員会指導部特別
支援教育担当課長で現大阪市立柴島中
学校校長の林田国彦様にご講演をし
ていただきました。「大阪市のめざす
特別支援教育―ユニバーサルデザイン
の創造-」というテーマで、世界的な
2009年度の活動としての秋の総会
で参加いただいた方もあり、新しい人
動向から各学校園に期待されること等
・懇親会は、神戸大学東京六甲クラブ
の参加も増えてきました。是非、本誌
と、具体例をまじえてお話をいただき
でS51音楽科卒の鈴木香代子さん、
を読まれた方で、関東在住の方は、下
ました。最後は、全ての教職員が全て
S59音楽科卒の村上江里加さんの指
記に示しますメールアドレスにご連絡
の生徒に気配りと目配りのできる体制
導の元、皆での合唱、そして会食、大
いただきたくお願い致します。
づくり、教職員の努力が評価される関
変楽しい会となり、とりわけ今年は平
係づくりと話され、ソフトな話し口調
成卒の新しい同窓生の参加があり今後
今年も10月16日(土)にH12卒の
の中にも熱い思いが伝わってくる有意
の発展を期待できる会となりました。
吉田雄一さんに「お菓子のおもちゃ開
義なご講演をいただきました。
全学部の会であります木曜会、紫陽
発物語」の話をして頂き楽しい会にし
大阪支部は、大阪市の小学校に勤務
会担当は今年4月22日、教育学部卒
ますので多くの参加者を期待していま
する教員を中心に活動していますが、
の神戸在住の落語家「露の団六」師匠
す。
昨今会員数が停滞しているのが悩みで
に来て頂き「ダウン症のお兄さんのお
話」と落語をお聞きし大変有意義な会
を持ちました。
す。その要因はさまざまですが、同窓
連絡先:守谷市薬師台3-7-3
赤井紀男
意識や同窓会への期待感が様変わりし
メール:[email protected]
のではないかと考えています。また、
てきていることが大きく影響している
学校では教職員の同僚性が薄らいでき
ているという声が聞かれます。今後大
大阪支部の活動
また、教育学部S41卒の岸本肇さん
奥 村 幸 男(昭和49年卒)
(東京未来大学教授、神戸大学名誉教
授)が、2009年11月7日ドイツ文化
会館で、青野原俘虜収容所の調査研究
(神戸大学・小野地域連携事業)に関
する講演会があり演者の一人として、
第一次世界大戦中に播州平野の一角に
囚われていたドイツ兵とオーストリア
兵の生活とスポーツ活動について発表
されました。紫陽会東京支部の会員は
同窓会名簿や参加していただいた方々
からの横の連絡で把握している方、約
700名となっていますが、毎年の同窓
会では20 ~ 30名の参加となっていま
す。昨年度は、会誌「紫陽会」を読ん
22
大阪支部は、毎年2月の終わりに、
阪支部の活動が継続し、さらに発展す
るよう知恵を集め、ひいては学校現場
の同僚性が高まり、教育の活性化に結
びつくよう努めていきたいと思いま
す。
支部・同期会だより
神戸支部同窓会報告
香 川 守 正(昭和49年卒)
神戸支部は、毎年、開催しており、兵
庫区の夢野中学校、笹教頭先生(平成
22年度夢野中学校長昇任)のお世話で
牡丹園で実施いたしました。数年前か
ら気楽に参加できる同窓の場をとの話
が出て、小規模ながらにぎやかに学生
時代の話に花が咲いたりしています。
紫陽会本部から高田会長に出席いた
だき、福田秀樹新学長が意気軒昂ガン
バっている状況など大学の近況をお聞
きし、「日本の本当に強い大学100」
のうち12位にランクされていること
など、頼もしいお話も聞かせていただ
きました。
ホームカミングデイにぜひ参加し
て、新しくなった大学のキャンパスを
じかに感じてもらいたい、などの依頼
事項も話され、うなずきながら聞いて
いました。
次に宮嶋副会長がお話され、話の最
後に大学の四季を写真に撮った卓上カ
レンダーのことを連慮がちにお話され
ました。そのときに我々参加者も初め
てその存在を知り、その場に居合わせ
た会員たちがそれぞれの思いで、購入
することもできました。今頃は職場の
机の上に飾られていることでしょう。
ちなみに人文科学図書館の写真が6月
を飾っています。
同窓会として管理職だけの参加にな
らざるを得ない状況ですが、それぞれ
の職場に働いている同窓会を誘うこと
でより多くの先生方が参加される同窓
会を実現できたらと思っています。
個人的には、自分たちが学んだ技術
科の免許を取ることができなくなって
しまい、さびしい思いでいます。神戸
市内の中学校の技術・家庭科の免許外
の先生が授業を苦心しながら続けてい
るなど、非常にさびしい感がぬぐえな
いのも本音です。同窓会というからに
は、教育学部で存在していた教科がな
くなっているのをさびしく思っている
同窓生たちがいることを知ってもらい
たくて書かせていただきました。教育
の現場ではとても苦労していること
は、なかなか知ってもらえないのが現
実です。
(土)、姫路キャッスルホテルにて行い
ました。白鷲教育会会長の田中種男
様、神戸大学発達科学部長靑木務様を
お迎えし、同窓会員総勢約50名が出
席して、和やかで懐かしい、有意義な
ひとときをすごしました。
今回の教育講演会は、神戸大学第1
回生で、数々の高等学校にて英語科の
教鞭をとられ、紫陽会姫路支部長も務
めていただきましたOBの黒田権大先
生に、「15年戦争と空襲体験」と題し
てご講演いただきました。
黒田先生は、65年前の姫路空襲でご
家族を失うという悲惨な経験をされ、
退職後は、各地で姫路市戦災死没者遺
族会の会長として、姫路空襲を語り継
ぐ会の語り部としてご活躍されていま
す。当時の様子を記録した貴重な写真
パネル等をご披露いただきながら、私
たちの今の生活が、このような数々の
犠牲のもとに築かれていることに、改
めて気づかせていただきました。
姫路支部同窓会報告
米 田 淳 二(昭和53年卒)
紫陽会姫路支部では、例年2月上旬
に総会、教育講演会並びに懇親会を開
催しています。
平成21年度は、平成22年2月6日
姫路支部では、ここ数年、総会参加
者が横ばい傾向にあり、出席者も一部
の継続参加の方に偏る傾向のあること
が課題となっております。今年度は、
懸案となっていた支部同窓会名簿の整
理に着手し、今年度中の発行に向けて
準備を進めています。これらの取り組
みを契機として、同窓会の活動がさら
に盛り上がることを願っております。
23
支部・同期会だより
教育学部初等科第1期生(A 1)
同 期 会
小 田 喜代治(昭和28年卒)
たった。
いる方。家から会社まで1時間20分ほ
鈴木氏は、さらに①
ど公共機関で通勤し、社員に模範を示
問題に直面する度に工
し社員教育をしている社長さん。その
夫して前進したこと②
社長さんの会社は、リーマンショック
多方面の方に接し学ぶ
や円高に立ち向かい大きな収益を上げ
ことが多かったこと たという話など、幅広い報告が続いた。
③やりがいを持って同
傘寿を迎えた今日普段は何も考えず
窓会活動が出来たこと
に身体を動かしていることが有難く思
等得るところが多かっ
われた。熱意を燃やして趣味や仕事に
たと結んだ。
励んでいる方のなんと若々しいこと。
平成21年12月23日坂東紋次氏と世話
食事をしつつ近況報告をする。白内
人間は生き方によって大きな差のでる
係をし例年のように木曽路 神戸ハー
障で手術をしたとか、緑内障で治療を
ことを味わった。「趣味は財産」「健康
バーランド店で同期会を行った。この
受けたとか、股関節の手術・腸からの
は宝」をひしひしと感じた。時間は誰
会では毎年発表者を決め、30分程度の
出血での入院など病に打ち勝った話が
にも平等に与えられているもの。自分
話を聞くことにしている。本年は、長年
あった。
は何をすることが有効な時間の使い方
紫陽会の副会長を務めた鈴木正二郎氏
「同期会には、ぜひ参加して皆さん
なのか。持てる宝を活かし生きていこ
から「紫陽会を通じて学んだこと」と
と話し合いたい」と家族が心配される
うと強く感じさせられた。
題しての話を聞いた。
なか「若し悪くなったら救急車頼む
来年は、岸本健氏の彼独特の「私の
会 報『 紫 陽 会NO,30』 の「 難 波 昭
よ」と話しつつ参加した方もあった。
リラックス法」を聞き、人生の幅を広
前会長の功績」を資料として、最近
同期会を思う心には感動させられた。
げたく楽しみにしている。趣味を活か
20年間の紫陽会の充実発展が紹介さ
このような話から、早期発見・早期治
し、人生を楽しみ持てるパワーを社会
れた。その内容は、先輩各師範学校同
療の必要性を学んだ。
に還元していこうと心に誓い帰路につ
窓会との連携・教育学部から発達科学
今も国際日本語学校の校長さん。看
いた。
部への移行期の紫陽会の対応・神戸大
護専門学校で講師をしている方。趣味
皆さん、次回もお元気なお顔を見せ
学各同窓会の連合体である神戸大学学
を活かし日々楽しく暮らしている方。
てください。
友会における紫陽会の活躍等多岐にわ
ボランテイアでパソコンの講師をして
5回生
第29回うずしお会
宮 崎 昌 大(昭和32年卒)
平成22年5月21日(金)
に明石海峡大橋を部屋から
望めるシーサイド・ホテル
舞子ビラ神戸で、うずしお
会 を 参 加 者24名( 男 子18
名・女子6名)で開催しま
した。幹事は毎年名簿順で
決めており、今年は永山・
馬殿・藤原千・山本・宮崎
の5名で務めました。
会の冒頭4月に逝去され
た藤谷忠さんへの黙祷を捧
げ、藤谷さんを偲ぶ話を友
人より聞きました。
今年は相互に自由に話
24
うずしお会 平成 22 年5月 21 日 於 シーサイドホテル舞子ビラ神戸
支部・同期会だより
し合いを持ってもらう時間を増やしま
なりました。後期高齢者ということが
いつまでこの会を維持できるか心配に
した。それぞれに有意義に話し合って
言われるようになり、その年齢になっ
なります。
もらいました。
たかと感じざるをえません。
しかし、話し合っている中で、地域
今年特に気になったのは、体調不良
神戸市の小学校に勤務する人で始
の活動や、大学・保育所などで活動し
を訴える方が多くなって来たことで、
まったこの会も、ここ数年神戸市以外
ている人は、意欲旺盛で、皆元気です。
近況報告の中でも体調不良で出席でき
で小学校と限定しないで参加を呼びか
人間は何か目標を持って生活していく
ないという文言が多く見られるように
けられ、参加人員も増えていますが、
ことが必要だと痛切に感じとられました。
9回生の皆様へ
『三· 四の会』への思い
来年は大学卒業後50周年
大 﨑 謙 介(昭和34年卒)
“花も嵐も踏み越えて、行くが男の
生きる道…”神大教育学部4年課程
34年卒、神戸市に就職した連中(女
性も含む)で「三・四の会」なるもの
がバブルの頃から出来上がり、3月4
日には必ず演会いや宴会を開催、商売
で困ったときなど智恵袋がたくさんい
て、大助かりしたことを思い出す。
阪神・淡路大震災で聞き上手の筆
頭小山晃一君を家屋倒壊で失い、ガ
ン・循環器不全・肝不全などで次々と
減少、はなれた人物も含め20を超え
ていた同期はただいま12名、寄ると
“次の紳士は”の話になってきたが
Viva73歳!
ところで、この頃“人間が一番オモ
ロイ”と思う。顔が、動きが、行動が、
態度が、においがその人物を表してい
るのが面白い。心と健康を害してる人
物は、すぐこれらに現れるのもいたし
方ないことかと。
さて、“仲がいい”、何を称して言う
か聞いてみる。ケンカしない・無害・
本音が言える・共に苦労などその人間
坂 本 達 明(昭和36年卒)
が出る。「三・四の会」12人は仲がい
いのか、全員教員、会がずっとつづい
ているのはそれなりにと思う。
38年間の生業を支えてくれた学校
の役割を考える。
1、知識・知恵を身につける。
2、得意なこと・苦手なことを知る。
3、友だちをつくる。
4、失敗の経験をする。
5、疑問の解決方法を知る。
6、本物に出会う。
7、いろいろな年齢の人に出会う。
8、たっぷり遊ぶ。
「三・四の会」の連中が担任した児
童が、その時、成長してから、特に6
を感じてくれていることを切に願う。
「三・四の会」平成22年度の集合と
宴会予定は9月29~30日、
3月4日だ。
無理せず、飾らず、ありのままで楽
しみたい。
9回生の皆様、お元気でしょうか。
私たち9回生は、来年、大学卒業後
50周年を迎えます。そこで、『神戸大
学卒業50周年記念の会(仮称)』をし
ようという計画が、全学部それぞれの
有志から持ち上がりました。私たち
は、今まで、30周年、40周年、45周
年としてきましたが、いよいよ一番の
大節目を迎えます。ひょっとすると、
これが最後となるかもしれません。
ぜひ、この機会に出来るだけ多くの
皆様にお集まりいただいて、過去を振
り返り、今を確かめ、これからの元気
に向けて、お互いに交歓できればと
願っています。
昭和32年入学を基本に、4年課程・
2年課程を問わず、卒業年も問わず、
同じ時期に過ごした仲間が集い共に語
りあいたいと思います。
まだ、具体的なことは、煮詰まって
いませんが、日時と場所は決まりまし
た。各学科・各サークルでの集いの計
画もこれにあわせていただければ幸い
です。当日は、神戸大学のホームカミ
ングデイにもあわせています。従って、
開会までは大学の企画に参加すること
も可能です。
予告
『神戸大学卒業50周年記念の会(仮称)』
日時:平成23年10月29日(土)
16時から
場所:ラッセホール(神戸・元町)
2009 年度三四の会恒例の旅行での一こま 淡路海峡公園で
なお、具体的な内容等が決まりまし
たら、できるだけ早く、ご案内状を差
し上げたいと思います。
前回、前々回にご参加いただいた
25
支部・同期会だより
方々には、こちらで連絡先を把握して
いますので、案内状を差しあげます。
この度、節目なので参加を検討した
いと思われた方、案内状だけでもほし
いなと思われた方は、下記の担当まで
氏名・学科・住所等ご一報ください。
ご連絡はできるだけ早い目にいただけ
るとありがたいです。
9回生の皆様、ぜひこの機会に、お
誘いあわせのうえご参加いただきます
よう、ご連絡をお待ちしています。
連絡先
日高敬了 078-752-3108
田中英僖 078-923-8324
東山 明 0798-47-6968
小田富也 06-6357-0273
坂本達明 078-792-7128
※電話またはFAXでお願いします。
新しい空気を入れなさい」と言われた
ろう」「伊藤隆二」を検索してくださ
ことが忘れられないという話、「誕生
い)。
日ありがとう運動」から先生を知った
これを機会に、同窓会を開いたり、
ことや先生の感化によって「ドーマン
冊子を作ったりしてはどうかというお
のフィラデルフィア能力開発研究所」
話しを伊藤先生からいただきました。
まで行ったことなど、懐かしい話題が
今後、なんらかの形で、同窓生がより
提供されました。そして伊藤先生はそ
交流を深めることができればと思いま
の時の様子を鮮明に覚えておられ、参
す。
加者の話にひとつひとつコメントされ
ました。
特殊教育科「伊藤隆二
伊藤先生は、杖こそ持っていらっ
先生を囲む会」
しゃいますが、今もお元気で、他にも
栗 木 典 子(昭和57年卒)
大学で客員教授として講義をされてい
青森の弘前学院大学や横浜の関東学院
るそうです。
26
平 成21年12月19日( 土 ) 恩 師 の
過去に書かれた本や論文は数多くあ
伊藤隆二先生がくらしき作陽大学に、
りますが、現在はそれらのほとんどが
集中講義のために来校されたのを機
「滝乃川学園」で「伊藤隆二著作文庫」
に、「伊藤先生を囲む会(於:倉敷ア
として一カ所に保管され、自由に閲覧
イビースクエア)」を開催しました。
できます。東京に行くことがあれば是
集まったのは昭和46年卒19回生から
非立ち寄ってほしいとのことでした。
昭和57年卒30回生の17名で、大学や
また、最近出版された本「伊藤隆二著
高等学校、特別支援学校・学級、行政
作集」(全3巻)岩崎学術出版社、生
機関で活躍されている方々や地域や
涯の代表作とも言える本「人間形成の
NPOなどの支援をされている方々な
臨床教育学研究」「続人間形成の臨床
どでした。中には久しぶりに顔を合わ
教育学研究」(風間書房)を紹介され
すメンバーもあり、お互いの姿の変わ
ました。
りように話も弾みました。伊藤先生独
現在伊藤先生は、「平和省」の設置
特の懐かしい口調で、熱意のこもった
を呼びかけ世界平和の実現に貢献した
ご挨拶の後、参加者はそれぞれに学生
いと考えておられるそうです。世界中
時代の思い出話から現在に至るまでの
の平和省が手を携えて武器をすべて捨
報告、今後の抱負などを話していきま
てようと主張し、みんなが支え合うこ
した。その中では、当時、先生から
とによって平和交流が盛んになる…そ
「子どもに『させる』のではなく『す
んなことを念頭におき「平和省をつく
る』ようにしむけることが大事」とか
ろう」という運動を提唱しておられま
「毎朝一番に、教室の窓を開け放ち、
す(インターネットで「平和省をつく
滝乃川学園
〒186-0011
東京都国立市谷保6312
(JR南武線「矢川」駅下車徒歩8
分)
TEL 042-573-3950
評議員会報告・資料
平成22年度 評議員会報告
紫陽会の恒例の行事で、総会に代わる評議員会が、平成22年8月21日(土)午前10時より、今年も舞子ビラ
神戸において開催されました。
猛暑が続く中での開催となりましたが、遠くは東京、そして県下各地から34名のご出席を得て、窓外に明石
海峡大橋の雄大な景色を見ながら、年に一度の会議は滞りなく終了しました。
ここに評議員会の概要を報告し、併せて関係資料を掲載します。
■ 評議員会
午前10時より戸田紘副会長の総合司
会で平成22年度評議員会は始まった。
先ず、物故者の黙祷から始まり、次
に高田嘉英会長から開会と会長の挨拶
があった。 高田嘉英会長の開会の挨拶
神戸大学学歌がCD化されているの
で広めたいこと、発達科学部長が靑木
務氏から、朴木佳緒留氏に引き継がれ
たこと、福田秀樹学長のもと、神戸大
学が世界トップ10を目指して頑張って
いること、難波昭前会長から引き継いで
3年、紫陽会の将来像を検討したいこ
と、そして、母校への愛情と感謝の気
持ちを深めてほしい等の話があった。
続いて、議事に進み、議長には39
年卒の原戸浩三氏が選ばれる。なお、
出 席 者 数 は34名、 委 任 状 提 出 は58
名、計92名であるとの報告があった。
議事は、P28 ~ 30に掲げている、
① 平成21年度事業報告、
② 平 成21年度会計決算報告(財産目
録・運用資産・基本財産)案審議
及び監査報告、
③ 平成22年度人事案審議、
④ 平成22年度事業計画案審議、
⑤ 平成22年度運用財産予算案審議、
⑥ 平成22年度基本財産予算案審議 がそれぞれ審議され、原案通り承認さ
れた。
なお、会計監査の鈴木正二郎氏より
監査報告があり、承認された。
議事の中では、会費収入が減ってき
ていること、大阪支部や県教委、加西
支部の役員が交代したことが報告され
た。また、発達科学部の卒業生代表が
評議員会等に出席されない状況がある
ことも報告された。大きな課題である。
次に、報告・依頼事項に移った。先
ず、会長より大学がよく頑張っている
とのこと、昨年の発達科学部の「オー
プンキャンパス」には、生徒2600名、
保護者600名が参加したこと、学力的
にも高水準にあり、就職先も大企業を
始め、多方面にわたるとの報告があっ
た。東洋経済新聞が調べた日本の大学
トップ100では、財務・教育力等の総
合点から母校はベスト12位にランク
されているとのこと、さらに司法試験
合格率(平成21年度)でも、一橋大、
東京大、京都大に続いて4位だったそ
うである。応援団総部創立50周年行
事に参加されたときには、文字通り神
戸大は一つと感じたこと、附属学校が
発達科学部附属ではなく、神戸大附属
として出発したこと、中等教育学校も
伊藤篤教授が校長として就任し、発足
するとのことである。
他にも報告依頼事項として、「神戸
大学学友会」や、「神戸KUC」の活
動のこと、
「紫陽会寄贈図書」のこと、
「第5回ホームカミングデイ(10 /
30実施予定)」等の話題が出た。
各分野代表の報告等では、神戸支部
総会が今年は11月22日に開かれると
の連絡があった。
閉会挨拶は宮嶋副会長よりあり、改
装された杮落としの部屋で実施できた
のは舞子ビラの好意であった、今後と
も同窓会発展のために頑張っていきた
い、ありがとうございましたとの挨拶
があった。
■ 懇 親 会
午後は靑木務前発達科学部長と朴木
佳緒留現部長、武田俊春事務長をお迎
えして、栗木剛評議員の軽妙な司会で
懇親会は始まった。
最初に高田会長は、前と現の学部長
のご臨席に御礼を述べ、「なごやかな
会に」との挨拶をした。
朴木学部長は挨拶の中で、初めての
朴木佳緒留新発達科学部長による挨拶
女性学部長であるが、多様な人がなる
という意味において喜んでいること、
そして学部の現状や展望を述べると共
に紫陽会の支援に対して感謝の言葉が
あった。
乾杯は、参会者中、最高齢の小寺澤
福代相談役が、誕生してから大きく成
長した紫陽会が今後ますます発展する
ように祈念し、音頭をとった。
小寺澤福代相談役による会の
発展を祈念しての乾杯の音頭
そして、各テーブルの歓談にあわせ
て、各分野代表から活動報告など、近
況報告があった。
中西播地区の金岡成晃幹事は、昭和
天皇のご逝去の日が偶然第1回の同窓
会になったこと、赤塚山校舎から鶴甲
校舎に引っ越し作業を体験したことな
どの思い出を話された。
姫路支部の高岡保宏支部代表から
は、組織を強くしていくことが大切で
あり、今後も元気をもらえる会にした
いとの発言があった。他にも、組織づ
くりの大変さ、東京支部の活動、世代
交代の問題等々の考えさせられる話題
が短時間の内に次々と語られ、興味深
い意見交流の懇親会になった。
最後に、東野副会長の「やる気・根
気・元気を大切に」との言葉をもって
閉会した。 (文責 磯野 武之助)
27
評議員会報告・資料
平成21年度事業報告
(第1号議案)
平成21年
4 月 1 日 本年度組織・諸会議準備
7日入学式 福田秀樹新学長(講演 山中伸弥京大教授)
学友会 事務引継(高田・宮嶋・岩
戸)
8日 武田敏春新事務長着任、来所
15日 学友会会計監査(岩戸)
17日 教育実習前実習(高田・戸田)
22日ホームカミングデイプロジェクト委
員会(米田)
23日新学長を歓迎する会
教育実習前実習(牧坂)
24日教育実習 前実習(宮嶋・福 井・東
野)
5月13日 KUC小委員会(宮嶋)
15日 神大御影会(宮嶋)
19日 2 0年度決算・21年度予算案検討
26日 幹事会打合わせ
6 月 1 日 20年度会計監査(鈴木・濵岡)
4日 KOBEuniversitySTYLE編集委員会(米田)
11日KUC運営委員会(宮嶋・藪下・岩
戸)
19日 教 職 採 用 試 験 対 策 セミナー(宮
嶋)
22日幹事会準備委員会
学友会常任幹事会(宮嶋)
23日 会誌「紫陽会」第30号編集会議
26日学友会幹事会(高田・宮嶋・東野)
高田会長、
学友会副会長に選任
27日 紫陽会21年度幹事会
7 月 1 日 会誌「紫陽会」第30号編集開始
8月20日 KUC行事 進水式(7名参加)
25日 紫 陽会 評議員会 準 備・役 割分担
(役員)
30日 紫
陽会21年度評議員会(舞子ビラ)
9月 4 日 学友会常任幹事会(宮嶋)
17日 KUC運営委員会(岩戸)
10月16日会誌「紫陽会」第30号発行・発送
準備
19日 学友会幹事会(高田・宮嶋・東野)
28日学部支援基金委員会(於KEC)
(高田・
東野・宮嶋・磯野)
25日 海 事科学部90周年記念式典参加
(高田)
31日 第4回神戸大学ホームカミングデイ
11月11日 叙勲受賞者へ祝詞・記念品料発送
20日 KOBEuniversitySTYLE編集委
28
員会(米田)
26日KUC運営委員会(宮嶋・藪下・岩戸)
12月1日 平成20年度新会員名簿発行
4日 神戸支部総会(高田・宮嶋)
11日 役員会 規約・細則検討
18日大 学 公開シンポジウム「大 学は 地
球環境問題にどう取り組むべきか」
(高田・宮嶋)
21日 学友会常任幹事会(高田・宮嶋)
24日 事務局会議
26日神大・中国地質大合同カンリガルポ峰
初登頂報告会(高田)
平成22年
1 月 7 日仕事始め
2月 3 日大学公開シンポジウム「出光佐三の経
営理念と日本型資本主義」
(6名)
6日 姫路支部総会
9日 学友会幹事会(高田・宮嶋)
13日神緑会総会 学術講演会山中伸弥京
大教授(高田・磯野)
19日KUC新春講演会
講師福田学長
20日 大阪支部総会(高田)
3月 8 日学友会常任幹事会(高田・宮嶋)
14日大学入学手続き会場に紫陽会ブース初開
設(高田・東野・宮嶋・米田・磯野・岩戸)
18日 K
UC運営委員会(宮嶋・藪下・岩戸)
25日大学卒業式(高田)
・紫陽会主催卒業
記念祝賀会(役員)
26日後期入学手続き会場に紫陽会ブース開
設(高田・東野・宮嶋・米田・磯野・岩戸)
平成22年度事業計画
(第4号議案)
平成22年
4月 1 日 本年度組織・諸会議準備
2日 朴木佳緒留 新研究科長来所
7日入学式 (講演 ノーベル物理
学賞受賞者小林 誠 本学経営協
議会学外委員)
8日 木本孝美 新社会連携課長来所
16日 教育実習前実習(宮嶋・牧坂)
19日 教育実習前実習(戸田)
22日 教育実習前実習(東野)
23日 教育実習前実習(福井・高田)
26日 (EU大統領 神戸大学訪問、講演)
5月 3 日神大応援団総部創立50周年記念
行事(高田)
6日名簿DB更新作業~(米田・横尾)
10日 評議員会名簿作成~(宮嶋)
11日 KUC講演会(吉田外科病院前院長)
17日 叙勲受賞者に祝詞・記念品料発送
19日 紫陽会幹事会資料作成~
20日KOBEuniversitySTYLE編集委
員会(米田)
21日 教職採用試験対策セミナー(宮嶋)
25日 学友会幹事会(高田・宮嶋)
6 月 1 日 会誌「紫陽会」第31号編集会議
8日 平成21年度会計監査(鈴木・濵岡)
23日ホームカミングデイプロジェクト
委員会(米田)
24日 KUC運営委員会
26日 紫陽会幹事会
7 月 1 日 会誌「紫陽会」第31号編集開始
8 月 1 日 紫陽会評議員会準備
18日KUC見学会(神戸市立博物館;ボス
トン美術館所蔵「浮世絵展」)
21日 紫陽会評議員会(舞子ビラ)
9月未 学友会常任委員会
未「紫陽会未来像検討委員会」(仮称)
10月1日 会誌「紫陽会」第31号発行
30日第5回ホームカミングデイ(午後;
学部行事)
11月13・14日 神戸大学六甲祭
22日 神戸支部総会
未 KUC講演会
未KOBEuniversitySTYLE編集委
員会(米田)
12月1日 新会員名簿発行
未 会長・副会長・事務局会議
平成23年
2月未 姫路・大阪他支部総会
3月未「社 会貢 献 賞・優 秀 論文表彰」
(仮称)
25日平成 2 2年度卒 業式・紫陽会主催
祝賀会
その他参加行事・事業
・教育学部史・写真集 販売促進
・他学部同窓会との交流
・各地区支部同窓会・同期会行事
・学部支援その他
・卒業予定者の就職サポート
・大学基金
・準会員サポート
・学友会・神戸KUC
・関係団体行事
・会員研修の企画
・大学企画事業・研究発表会
・(株)学術事業会
・定例役員会(会長・副会長・事務局)
評議員会報告・資料
平成22年度 評議員一覧(第3号議案)
本部役員
担当
役 職
相談役
顧 問
総括
総務
〃
事業
研修
〃
組織
総
務
担
当
事
業
担
当
研
修
担
当
組
織
担
当
会計
監査
会 長
副会長
〃
〃
〃
〃
〃
常任幹事
〃
〃
幹 事
〃
〃
〃
常任幹事
〃
〃
〃
幹 事
〃
〃
常任幹事
〃
〃
〃
幹 事
〃
〃
〃
常任幹事
〃
〃
〃
幹 事
〃
〃
〃
〃
幹事東京
〃 大阪
〃 県教委
〃 阪神
〃 丹有
〃 神戸
〃 東播
〃 中西播
〃 淡路
〃 但馬
監 査
氏 名 朴 木 佳緒留
武 田 敏 春
豐 田 和 子
小寺澤 福 代
鍵 本 昌 三
山 岸 八 郎
吉 田 武 男
上 田 保 一
前 垣 哲 二
川 﨑 チヨ子
松 本 緑
田 中 種 男
上 田 正 巳
内 山 弘
高 田 嘉 英
浦 崎 矞 雄
宮 嶋 昭 周
磯 野 武之助
東 野 修 明
戸 田 絋
米 田 勍
大 﨑 謙 介
柳 原 弘 一
岩 戸 恵 子
大 西 範 明
開 發 邦 宏
山 城 芳 郎
大 川 和 則
佐 藤 敬 子
東 郷 賢 治
阿知波 登美子
藪 下 修 男
歳 内 治 夫
小 林 昌 人
船 寄 俊 雄
関 田 不二男
前 田 賢 一
原 戸 浩 三
山 崎 健
山 口 かつみ
中 林 稔 堯
上 野 理 生
安 井 創一郎
足 立 貴世子
横 尾 能 範
小 石 寛 文
中 家 崇 夫
田 中 啓 三
徳 弘 邦 夫
八 木 勲
佐 谷 章 子
藤 田 大 輔
赤 井 紀 男
奥 村 幸 男
檜 本 由 広
土 居 克 己
杉 本 昌 治
香 川 守 正
松 田 進
金 岡 成 晃
中 嶋 長 史
小 山 時 雄
鈴 木 正二郎
濱 岡 吉 孝
支 部 長
卒年
─
─
明9
明16
兵20
兵26
30初
兵16
兵18
兵20
青22
兵23
青25
28数
34教
31国
34教
42国
32初
39初
35理
34初
32初
43国
34美
H10修
50初
H1初
32初
35初
49養
48初
43教
54社
54初
26初
33初
39初
51社
44初
46特
52初
53初
兵25
38衛
42心
H7修
28国
35社
39初
46初
60衛
38理
49教
59初
27技
32初
49枝
33初
44理
34初
33初
28初
30初
師範学校代表
支部
氏 名 卒年
東京
赤
井
紀
男
38
大阪
奥
村
幸
男
49
県教委 檜
本
由
広
59
尼崎
山
本
昭
三
26
西宮
塚
西
徹
37
芦屋
山
口
晋
41
伊丹
岩
﨑
浩
明
38
宝塚
武
田
義
彦
50
川西
土
居
正
典
42
神戸
香
川
守
正
49
明石
生
島
淳
伍
33
三木
岩
崎
良
則
46
加小
堀
井
洋
一
43
多西
丸
山
隆
義
45
加西
菅
野
忠
彦
41
加印
片
山
眞
澄
44
姫路
髙
岡
保
宏
37
神崎
太
田
美
孝
50
赤相
西 田 美恵子
46
揖龍
玉
田
泰
之
35
佐用
豊
福
秀
則
33
宍粟
森
本
悦
生
27
香美町 田
中
啓
夫
42
豊岡
川
見
正
明
36
養父
西
谷
博
幸
45
朝来
田
中
實
33
新温泉 井
上
和
也
38
丹波
荻
野
正
裕
29
多紀
中
西
節
42
三田
酒
井
隆
56
洲本
小
森
基
弘
41
津名
田
中
一
平
52
南あ
近
藤
智
37
出身
御影
御影
姫路
明石
明石
青年
青年
県兵
県兵
兵庫
兵庫
兵庫
兵庫
教育学部初等科代表
氏 名 伊 藤 眞 三
欠
員
欠
員
垣 田 ひろ子
岩 槻 公
乾 悦 子
谷 口 博
上 田 保 一
欠
員
川 﨑 チヨ子
高 木 修 治
足 立 貴世子
山 岸 八 郎
卒年
11
16
17
25
25
16
20
25
25
26
教育学部教科代表
教科
国語
英語
社会
数学
理科
技術
音楽
美術
体育
家政
特教
幼児
教育
心理
衛生
養教
修士
氏 名
赤 司 久
花 尾 道
徳 弘 邦
中 嶋 上 月 義
土 居 克
柁 山 邦
秦 修
高 田 義
岡 本 和
栗 木 典
石 川 晴
嶋 津 一
小 石 寛
田 原 美
大 平 曜
中 家 崇
明
之
夫
孝
昭
己
夫
己
弘
子
子
実
恵
文
生
子
夫
卒年
38
35
35
45
H1修
27
31
39
61
43
57
H4
36
42
40
53
H14
発達科学部代表
コース
発基
障教
児発
初教
教科
成学
健発
自環
生環
社環
数情
音表
造表
身行
氏 名 中 植 満美子
小 河 晶 子
吉 田 直 子
是 澤 憲 伺
小 林 由貴子
赤 堀 方 哉
田 中 黎 子
平 山 義 浩
田 内 秀 樹
横 山 哲 朗
加 藤 野 得
小 林 とき子
中 島 良 二
坂 田 真己子
卒年
H14
H9
H9
H9
H9
H9
H9
H9
H9
H9
H9
H9
H9
H9
【発達科学部各学科・各コースの説明】
人間発達科学科(7 コース)人間環境学(4 コース)
発達基礎論(発基)
障害児教育学(障教)
児童発達論(児発)
初等教育学(初教)
教育科学論(教科)
成人学習論(成学)
健康発達論(健発)
卒年
26
27
28
28
29
29
30
30
31
31
32
32
33
33
34
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
元
2
3
4
5
6
7
8
氏 名 関 田 不二男
松 本 信 子
田 中 秀 穂
坂 東 紋 次
谷 垣 隆 哉
奥 村 郷之助
岩 本 しず子
濵 岡 吉 孝
小 林 雄 策
稲 垣 富 照
佐 藤 敬 子
白 岩 卓 巳
大 西 茂 昭
五ノ井 正 光
岩 木 正
岡 崎 昭
松 本 輝 夫
西 勝 彦
小 嶋 良 平
福 井 絋
児 玉 祥 伍
近 藤 愼 治
本 岡 秋 次
佐 賀 博
粟 田 富 夫
松 山 満
湯 川 哲 三
平 本 秀 範
森 木 誠
藪 下 修 男
丸 山 明 夫
藤 枝 聡 司
青 木 荘一郎
牧 坂 浩 一
高 谷 雅 文
川 本 京 子
細 川 佳 宏
出 山 公 一
栗 木 剛
姫 野 俊 幸
山 本 淑 子
嶋 田 隆 之
岡 野 武 士
桂 健 一
堂 本 明 徳
大 川 和 則
気 賀 諭 志
河 田 文 子
國 賀 直 子
中 嶋 勇
牛 留 章 博
吉 本 賢 一
池 谷 つるの
回生
B1
B2
B3
A1
B4
A2
B5
A3
B6
A4
B7
A5
B8
A6
B9
A7
A8
A9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
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は本部役員一覧と重複
人間・表現行動学科(3 コース)
自然環境論(自環)
音楽表現論(音表)
生活環境論(生環)
造形表現論(造表)
社会環境論(社環)
身体行動論(身行)
数理・情報環境論(数情)
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事務局情報
叙勲おめでとうございます
平成21年11月と平成22年4月に、政府より発表されましたとおり、下記の正会員の方々が、栄えの叙勲を受
章なさいました。心よりお慶び申し上げます。本会の規定によりささやかではありますがそれぞれに記念品を
お贈りし、敬意を表しました。皆様方からご丁重なお心のこもったお礼のご挨拶をいただきました。
受章されました皆々様のますますのご活躍とご健勝を心よりお祈りいたします。
平成21年秋の叙勲者
平成22年春の叙勲者
瑞宝小綬章 福 田 穣 様(教育学部・昭31年卒)
瑞宝小授章 田 中 照 晃 様(教育学部・昭36年卒)
瑞宝双光章 乾 一 雄 様(教育学部・昭27年卒)
瑞宝双光章 大 月 民 義 様(教育学部・昭32年卒)
久 實 一 郎 様(教育学部・昭29年卒)
中 川 孝 一 様(教育学部・昭27年卒)
熊 田 進 様(教育学部・昭26年卒)
野 垣 重 行 様(教育学部・昭30年卒)
阪 田 康 様(教育学部・昭28年卒)
舟 川 肇 様(教育学部・昭27年卒)
桜 井 丞 様(教育学部・昭31年卒)
前 田 一 忠 様(教育学部・昭33年卒)
田 中 実 様(教育学部・昭33年卒)
安 田 吉 明 様(教育学部・昭30年卒)
都 染 健次郎 様(教育学部・昭26年卒)
中 西 利 夫 様(教育学部・昭30年卒)
お悔やみ申しあげます
今年も残念ながら、会誌第30号発刊以降、以下の方々の訃報に接しました。心よりご冥福をお祈りし、謹ん
でお知らせいたします。
誌面をお借りしまして、これまでに数々のご協力をいただきました皆様方に深甚の敬意と感謝を捧げたいと
存じます。
物故正会員一覧
会誌第30号掲載以降の物故者と、その後判明し
た物故者をお知らせいたします。
中 村 一 三 教育学部 昭和29年 平成21年7月
宮 木 孝 明 教育学部 昭和30年 平成22年1月
(卒業修了年次順・敬称略)平成22年8月現在
垂 井 良 一 教育学部 昭和29年 平成22年7月
氏 名 出身母体 卒業年次 逝去年月
下 山 弘 教育学部 昭和30年 平成21年4月
中 村 昭 治 御影師範 昭和11年 不 明
久 下 信 生 教育学部 昭和31年 平成21年1月
木 村 訂 兵庫県師範 昭和14年 不 明
門 田 明 教育学部 昭和32年 平成21年9月
笹 倉 美 好 兵庫県師範 昭和15年 不 明
藤 谷 忠 教育学部 昭和32年 平成22年4月
石 倉 勝 己 兵庫県師範 昭和17年 平成22年1月
小 谷 岩 夫 教育学部 昭和33年 平成20年9月
渕 上 巌 兵庫師範 昭和18年 不 明
藤 本 英 彦 教育学部 昭和34年 平成22年1月
古 倉 美智代 明石師範 昭和18年 平成20年10月
檀 上 伊津枝 教育学部 昭和34年 平成21年7月
國 谷 八 朗 兵庫師範 昭和20年 平成17年11月
箸 方 庸 雄 教育学部 昭和36年 平成21年1月
八十川 和 子 青年師範 昭和20年 平成20年6月
生 田 正 典 教育学部 昭和45年 不 明
徳 山 喜 重 青年師範 昭和22年 平成15年10月
三 上 知 子 教育学部 昭和46年 平成21年1月
藤 田 孝 子 青年師範 昭和24年 平成21年7月
山 本 絹 子 教育学部 昭和53年 平成21年7月
西 村 浩 教育学部 昭和26年 平成21年3月
鈴 木 順 子 教育学部 昭和57年 平成21年11月
石 原 勝 教育学部 昭和27年 不 明
稲 本 和 子 発達科学部 平成11年 平成20年3月
下 村 貢 教育学部 昭和28年 平成22年5月
平成22年 鈴 木 健 嗣 発達科学部
平成22年7月
編 入 学
福 本 弘 司 教育学部 昭和29年 不 明
陶 山 昭 教育学部 昭和29年 平成19年
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城 野 文 雄 教育学部 昭和29年 平成18年10月
*漏れている方に気付かれましたら、事務局までお知らせください。
事務局情報
会員の皆様のご協力・ご支援を
昭和 55 年 3 月までにご卒業・ご修了の皆様方へ
特別維持会費納入のお願い
神戸大学が国立大学法人神戸大学へと衣替えして6年、大
なお、事務処理上、全会員の皆様に振込用紙を同封してい
学運営に関わる予算が激減し、我が発達科学部からも財政面
ますが、すでにご協力いただいています方につきましてはご
での逼迫が伝えられてきます。
放念くださるようお願いいたします。
紫陽会としましても、会報でお知らせしてきましたように、
毎年・大学・学部への支援を可能な範囲で行ってまいりまし
記
た。
1. 神戸大学卒業・修了30年を経過した方
この支援事業を継続していくために、ご卒業・ご修了30年
①昭和55年3月の卒業生・修了生
目の皆様に「特別維持会費」の納入をお願いしてまいりまし
②昭和55年3月以前の卒業生・修了生のうち、現在ま
たことは、皆様ご承知のことと存じます。
でに納入のない方
本年は、昭和55年3月までにご卒業・ご修了の方々にお願
③1口 1,000円 できるだけ5口以上(原則1回)
いすることとなりました。
2. 各師範学校卒業生のうち、現在までに納入のない方
何かとお願いばかりで恐縮に存じますが、この趣旨をご理
1口 1,000円 何口でも結構です。
(原則1回)
解くださいまして、納入にご協力くださるようお願い申しあ
3. 原則1回にこだわらず、協力してくださる方
げます。
任意の金額で結構です。
同封しました所定の振込用紙に、必要事項をご記入の上、
お振り込みください。
学部支援基金御協力のお願い
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事務局情報
会員寄贈図書-その後の状況-
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平成8年の「紫陽会会誌17号」で、
「あなたの著書を大学図書館へ寄贈さ
れませんか」と呼び掛けてから今年で
14年目を迎えました。
その間226名の寄贈者により、230
冊の著書が大学図書館の「専用書架」
に収納されました。
以下今年度分の著書をご紹介しま
す。
めた。
・「印南野だより」
―日本文学館出版大賞
特別賞受賞作品―
和田和薫
(兵庫青年師範 昭和24年卒)
万葉の地いなみ野より発信される
古今東西の光放てる文学エッセイ。
・
「児童虐待おかやまから116人の提
代表 松尾 冀
言」
(神戸大学教育学部 昭和44年卒)
児童虐待について、専門家から門
外漢まで、様々な立場での提言を集
約したもの。
・「~教育春秋~やさしく 強く」
塚西 徹
(神戸大学教育学部 昭和37年卒)
神戸新聞の教育コラムを9年間担当
し、時折々の教育問題を中心に執筆、
その集大成として出版。
・「退職。日本百名山を登る」
河津幹夫
(神戸大学教育学部 昭和34年卒)
退職後、日本百名山を完登した。
その登山の記録をエッセー風にまと
改めてご協力いただいた方々にお礼
を申しあげます。
担当 東野修明(昭和32年卒)
「寄贈図書」の送り先は「紫陽会事
務局」まで下記の「著書寄贈票」に
ご記入の上、著書に添えてお送り下
さい。
卒業生の足跡を残すためにも、今
後とも会員皆様方の積極的なご寄贈
をお願いします。
紫陽会会員寄贈図書
事務局情報
事務局便り 「あじさいの小径」
○ ハヤブサと聞くと、エンジンの音
轟々と…と、メロディが口に出る年
代の人は少ないだろう。かつて、海
軍の零戦と並ぶ、陸軍の名機だった
隼だ。この隼の設計に携わった一人
に、日本宇宙開発の父といわれた糸
川英夫博士がいたことをご存じだろ
うか。
2003年5月に打ち上げられた小
惑星探査機「はやぶさ」が目指した
のが、「イトカワ」だったとは不思
議なご縁としか言いようがない。
往復60億㎞という気が遠くなる
距離もそうだが、長径535mの極小
小惑星の表面を3ヶ月にわたって写
真撮影と観測、タッチダウンを2回
も成功させ、今年の6月、予定通り
の地点へ無事帰着させた技術力はま
さに神業としか思えない。
青少年の理数離れが急速に進ん
でいると報じられて久しい。食糧自
給率もままならない資源貧困国であ
る我が国にとって、技術立国の再構
築こそ、これから目指すべき道だろ
う。改善改良する技術力が大切なこ
とはいうまでもないが、違った次元
からの発想でものを生み出す創造力
を育てるには、失敗を許容する時間
と心のゆとりが必要だ。
今の日本にそれはあるのだろう
か。暗いニュースが多い昨今、「は
やぶさ」の成果は一筋の光明であ
る。
「早寝早起き、朝飯食って、なんで
なんでで子は育つ。」周
うるさがってはいけない。
○ 雨の季節が一番似合う花の代表は
紫陽花だ。ところで、六甲の名花「シ
チダンカ」をご存じだろうか。シー
ボルトが「日本植物誌」で紹介した
日本固有のアジサイのひとつだが、
なかなか発見されず幻のアジサイと
いわれていたものだ。
1959年、神戸市立六甲山小学校
の職員だった荒木氏が六甲山の谷で
発見して以来、株分けで増やされ各
地で栽培されている。
筆者も数株栽培して久しいが、
六甲山森林植物園で見る「シチダ
ンカ」の美しい青色ならぬピンクと
あっては、いくら七変化の紫陽花の
一種でも、「シチダンカ」を栽培し
ているとはいえない。一念発起して
客土工事をしたのが五、六年前か。
近所の真砂土の露頭から採取した土
と鹿沼土を混ぜ合わせ、株の根元の
土を総入れ替えした。
ブルーな梅雨をスカイブルーで過
ごせるのも、「シチダンカ」ブルー
のおかげである。
○ わかりやすい授業を心がけること
には何ら異論はない。しかし、親切
すぎるがあまり、考える芽まで摘み
取ってしまっては何をかいわんやで
ある。
近頃の学習参考書のなかには、重
要箇所を色刷りしてあったり、赤で
アンダーラインが引いてあったりし
てあるものがあるそうな。
そういえば、教科書に池にいる生
き物の例としてザリガニが出ている
からと、教材屋にザリガニの注文が
急増したことを聞いたことがある。
生態系を無視して全国一律にザリガ
ニを求めるなど、これはもう喜劇で
ある。
自然から学ぶことが多い理科学習
で、教科書に出ているからと地域の
自然を無視することが黒板理科につ
ながり、考える力をそぎ、思考の幅
をせばめてしまう。
学習指導要領の見直しが、理数科
教育の改善につながれば…、と願う
ばかりである。考えさせるというこ
とは時間がかかるものなのだ。
おからのようなスカスカ脳でな
く、粘度の強い濃密な脳の持ち主を
育てたい。
○ 8月のある日、岐阜市在住の方か
ら電話があった。要約すると、「病
を得て休学していた息子が先日帰ら
ぬ人となった。生前、発達科学部に
強いあこがれを持ち、復学を強く望
んで闘病していたが望み叶わず、さ
ぞや残念だったことと思う。神戸大
学で学ぶ事、そして、その大学が研
究成果をあげ発展していくことを願
い、大変遅くなったが本人の意志で
もある同窓会費の納入手続きをさせ
てもらった。」ということだった。
お聞きしていて、胸が熱くなり、
声が詰まってしまった。
学業半ばにして倒れた鈴木健嗣さ
んの神戸大学に対する熱い思いを、
会員諸氏共々ありがたくお受けしよ
うではないか。
○ PDFと書いてもなじみがない3
文字だと思われるだろうが、パソコ
ン機能の一つで、情報量を圧縮して
くれるので、たとえば市バスの系統
図などに活用されている。
私どもも、この会誌「紫陽会」31
号からPDF形式を利用してホーム
ページ上で会誌を公開する予定にし
ている。紫陽会に心を寄せて頂いて
いる方々、特に海外在住の方々に喜
んで頂けると思う。 (SYOSYU)
問い合わせ・宛先 〒 655-0011 神戸市中央区下山手通6-2- 19
神戸大学同窓会紫陽会事務局 会誌編集担当
電話 078-371-6322 FAX 078-371-6306
Email [email protected]
皆様の投稿をお待ちしています。
地区・支部・教科回生コースの動向や会合について
随想・意見・論評・歴史地誌・趣味等々について
編集後記
帯夜の連続でした。
今 年 の 夏 は、 猛 暑、 酷 暑、 熱
立 場 で、 こ の 暑 い 夏 を 過 ご さ れ
会 員 の 皆 様 方 も、 そ れ ぞ れ の
たことと思います。
お待たせしました、会誌三十一
号をお手元にお届けします。
今 回 は 第 五 回 を 前 に し て の、
面を使いました。
「ホームカミングデイ」に少し紙
ら、 神 戸 大 学 初 の 女 性 学 部 長、
学部では、靑木 務前学部長か
朴 木( ほ う の き ) 佳 緒 留 新 学 部
長が四月に着任されました。
す る と と も に、 新 学 部 長 の ご 活
靑木前学部長のご功績に感謝
す。
躍に大いに期待したいと思いま
成 さ れ た「 紫 陽 会 」 も、 今 年 で
先輩たちの大変なご努力で結
十五年目を迎えます。
時 代 の 流 れ と と も に、 課 題 も
山 積 し て お り、 八 月 二 十 一 日 の
評 議 員 会 で「 紫 陽 会 未 来 像 検 討
委員会」を立ち上げることにな
りました。
て、 皆 様 方 の 積 極 的 な ご 意 見 を
今後の同窓会のあり方につい
どしどし事務局までお寄せくだ
さるようお願いします。
い た 方 々 に 感 謝 し、会 員 皆 様 方
最 後 に、今 回、 ご 投 稿 い た だ
るご活躍をお祈りいたします。
─編集子一同─
の ご 健 康 と ご 多 幸、そ し て 更 な
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