次の噴火に備える 1977年有珠山噴火30周年記念フォーラム開催 平成19年8月7日㈫、町公民館において町民ら約110名が来場し、1977 有珠山噴火30周年記念フォーラム−北海道洞爺湖サミット開催決定記 念事業−「1977年噴火後30年のまちづくりと次の噴火に備える」(有珠 火山防災会議協議会)が開催されました。 有珠山は、20世紀の間に4回噴火。1977年噴火から30年間のまちづく りを振り返り、自然との共生、環境、減災等について議論され、また、 火山と共生するこの地域の今後のまちづくりについて、様々な提言が なされました。 開会行事では、主催する協議会会長菊谷秀吉伊達市長より、「次世代 に受け継いでいくための大事な30周年フォーラムだと思っている。」と、 期待のあいさつが述べられました。 フォーラムは、北大名誉教授岡田弘氏が、特別講演者勝井義雄氏、 記念講演者池谷浩氏両名の紹介を兼ねた冒頭プレゼンで開会。 パネルディスカッション等も含め8名の方に出演いただき、貴重な意 見や提言が述べられましたので、ご紹介いたします。 冒頭プレゼン 北海道大学名誉教授 壮瞥町防災学識アドバイザー 「今考えても、 1977年噴火はと ても難しかっ た。今、同じこ とが起こったら やはり迷うこと が多かっただろ う。そのことは何を意味するか は次の噴火の時もそうであろう。 いろいろ準備をしても難しい。 でも、やはり準備をしておかな ければいけない。多分そう言う ことだろう。」と切り出した。 1977年噴火で死ぬかもしれな い体験に遭遇。「銀沼火口の開口 に遭遇した。現地に行って、火 口のない所に火口が開いた。こ の時だけは命からがら逃げた。」 と。 岡 田 弘 氏 1977年噴火の時、壮瞥温泉地 区のみが火山灰にのみ込まれた。 火山の問題は泥流、土石流であ る。1977年噴火ではいろいろ学 んだが、残された難しい課題が ある。しかし、それをどうやっ て解決するかということは、20 世紀4回の噴火から方向性は見え ている。従って、その道を進む しかないと考える。 また、地元からの持続的な情 報なども使って、この社会を安 全なまちづくり、そのための人 づくり、そのようなものを重視 していきたい。 この地域では、エコミュージ アム活動が進んでいるが、一方、 世界的に見るとユネスコが「ジ オパーク」という計画を進めて −4− いる。 世界遺産と対応するような、 地質遺産「ジオパーク」という 計画がこれから進むことになる と思う。 そのような中で、この有珠山 地域は特別な熱い眼差しで関係 していくことになると思う。 長い展望の中で、30年を考え て、これからの道を切り抜いて いく一端になればと思っている。 特別講演 「有珠山噴火の歴史とまちづくり−これまでと今後−」 北海道大学名誉教授 勝 1977年噴火は 我々にいろんな 経験や教示を与 えてくれた。 この経験と研 究から2000年噴 火では1万2千人 の避難者や、一人も犠牲者を出 さなかったなど、対応は素晴ら しいものがあった。 防災対策は学者だけではなく、 地元行政、住民が一体となって 取り組まなければならない。 防災対策を立てるためには将 来の噴火予測が必要となるが、 井 義 雄 氏 過去の噴火の詳細データ、現在 人もいる。2000年噴火が有珠山 の観測、地形、地域環境などを 噴火だと思っている。 勘案して、どのような噴火が、 私が一言いいたいのは、将来、 災害が起こるかをまとめている。 山頂噴火もあり得るということ。 火山は破壊もするが、恵みを 山頂噴火があった場合、文政 与えてくれる。明治43年の噴火 (1822年103名の犠牲者)の時の 後、温泉が湧出した。 ような、火砕流も念頭において、 災害はできるだけ小さく、恵 この火山との共生を図っていた みはできるだけ享受するという だきたい。 共生の仕方をしていかなければ 山頂噴火をまちづくりの基本 ならいということを教えられた。 に据えていただきたい。 山頂噴火はとても大きく、昭 和新山の時の100倍の火山灰の量 である。 1977山頂噴火の年に生まれた 記念講演 「活火山と共生するまちづくり」 砂防地すべり技術センター理事長 池 火山と共存す るまちづくりに おいて、大切な ことが2点。 一つは、火山 噴火は必ずある ということ。も う一点は、火山は決して災害だ けをもたらすものではなく、恵 みも我々に与えてくれるという こと。 この2点が共存するまちづくり の基本ではなかいかと考えてい る。 災害について、誰も人が住ん でいなければ災害にはなりづら いが、災害になるのは、やはり 人間生活がそこに広がっていっ たからということが潜んでいる。 人間生活と自然現象、こうい うものが変化していることを 我々人間が充分理解して、これ からどうなるのかという予測を 踏まえながら、安全と自然を享 受できるまちづくりを考えてい くことが、そこに住む人たちの 課題となる。 もう一つの大きな課題は、人 口の少子高齢化である。 まちづくりの際に、自然の状 態とその変化、今後の予測にも う一つ、人間社会の実態と変化 という二つの面から見ていただ きたい。 火砕流や土石流だけでは単な る現象であり、そこに人間生活 があることによってラップした 所で災害が起こる。これが災害 の基本である。 日本には絶対安全な所はない。 危ない所に住んでいるという意 識を持つことが重要。いざとい −5− 谷 浩 氏 う時に、その危なさを人間側が どう回避して、災害を最小限に していくか、これは人間が考え なくてはいけない。 災害が長期化した場合、食、 病院、学校など、いろんな課題 が出てくる。 これは火山災害と共存してい くためには必要なことである。 ハザードマップもあれば安全 ではなく、どう活かすかが課題 である。 まちづくりの基本は、人、地 域力。そして、観光客に優しい 地域づくりを考えることである。 パネルディスカッション 「次の噴火に備えた地域づくり」 コーディネーター パ ネ リ ス ト 伊 大 佐 阿 藤 和 明 氏(NPO法人防災情報機構会長、元NKH解説委員) 島 弘 光 氏(北海道大学有珠火山観測所長) 藤 徹 氏(室蘭地方気象台次長) 部 正 義 氏(有珠火山防災会議協議会事務局 伊達市総務部総務課主幹) 三 松 三 朗 氏(三松正夫記念館館長) コーディネーター 伊藤和明氏 有珠山は、日 本の活火山の中 でも頻度が活発 な火山である。 20世紀をとっても、大体30年周 期で噴火し、1977年から2000年 では23年で噴火した。 この地域は北海道でも有数の 観光地。豊かな温泉、美しい風 景、火山の恵みをたっぷり受け て発展してきたが、活動する火 山と隣り合わせところにある。 次の噴火が何処で起きるか分 からないが、その地域の人々が どのように備えるかが大変重要 なことなのではないか。 次の噴火に備えた地域づくり について、議論を深めていきた い。 パネリスト 三松三郎氏 幸いにして、 二度の噴火を体 験した。出来れ ば次の噴火にも 遭いたい。噴火にあったことを 災難だとは思わないという立場 で話したい。 1977噴火について、私は運が 良かっただけだと思っている。 この前日、昭和新山で火まつ りが行われていた。関係者らが 留守の間、午前9時12分、見事に 噴火した。 この時、一般住民が必要な情 報はなく、火山情報しかなかっ た。 1977年噴火でしっかり失敗し たことが、2000年噴火に結びつ いたのかと思っている。 2000年噴火について、町の対 応を評価する。 避難勧告について、職員が一 軒一軒避難指示が出ていること を、避難場所が分かる紙を配っ て歩いた。 避難所では、避難者ら自ら維 持する体制を確立した。 また、逐一町長らが来て、対 話集会を行っていただいた。 画期的だったのは、自衛隊が 航空撮影した地域のビデオを提 供していただき、毎晩、集会で その映像を見て、安心を保った ということである。 一番のクリーンヒットは、一 時帰宅・避難解除である。全て 駄目ではなく、カテゴリー的判 断をして、柔軟な対応をしてい ただけた。 このシステムは、全国で使っ ていただきたい。 −6− パネリスト 佐藤 徹氏 有珠山の監視 と火山情報の移 り変わり、今後 の予定等につい て話しをしたい。 昭和23年(1956年)に、当時 の壮瞥村神社に地震計を設置し て観測をしたのが始まり。 2000年噴火以降、有珠山、昭 和新山を取り囲むように観測点 を9点設けて有珠山を監視してい る。 平成14年3月、火山監視情報セ ンターが発足し、業務を開始。 北海道は札幌で、道内全ての火 山観測を24時間体制で行ってい る。 気象庁では、防災レベルを表 すために、新たに「噴火警戒レ ベル」を導入した。 現在、観測情報を火山情報、 臨時火山情報、緊急火山情報の 三つに分けて情報発信している が、防災メッセージとしての物 足りなさ、情報の判断レベルが 分かりづらいとのことから、付 加することとなった。 このレベル導入に当たっては 自治体と細かな調整をした上、 ハザードマップにも盛り込まれ るようになるし、防災計画へも 盛り込まれるようになると、住 民にも十分周知されるようにな る。 パネリスト 大島弘光氏 大学が、噴火、 火山予知に対し てどのような貢 献ができるかと 言えば、やはり噴火予知の確立 を図ることになるだろう。 有珠山の活動には幾つかの特 徴がある。一つは激しい有感前 兆地震活動があること。 今回、とんでもないことが観 測された。それは、著しい震源 の移動である。震源は火口が開 いた反対側の南側に動いた。 震源が真横に動いた後に、西 山で噴火した。何が分かったの かというと、一つ謎が深まった ということ。 新山の隆起について、レーザ ーによって三次元的に隆起の形 をつかまえられた。地形変動に ついて、地列の解析から、新山 の隆起が真っ直ぐ進むのではな く、段階的に進んでいることが 捉えられた。77噴火、昭和新山 の噴火の場合も、同様である。 活動が終わった後、新山が沈 降を始めるが、その過程も二次 元的に捉えることができた。 噴火について、水蒸気爆発、 軽石爆発、サージ等についても 新しい知見が得られれば良かっ たのだが…。 最後に噴火後の沈降について、 今後どのような形で隆起に転じ ていくのかを捉まえるのかは今 後の課題である。 大学の観測所がどのように地 元と関わっていくか。私たちが できることは、一緒になって何 かをやる、考えるということが、 唯一のことと考えている。 パネリスト 阿部正義氏 1977年8月の 噴火を受けて、 1981年に協議会 が設立。同年10 月、有珠火山防災計画を策定。 1995年、有珠火山防災マップ ができた。2000年噴火の時はこ のハザードマップを元に協議さ れ、避難区域の拡大等、役立つ ものになったと思っている。 協議会の成果が表れてきたの は2000年噴火である。2002年に ハザードマップの改訂、有珠山 行政資料のマップ、有珠火山防 災職員マニュアルの作成、2003 年、有珠山地域防災マップ作成、 有珠山地域ガイドブックを作成 した。 2003年、「有珠山とともに」と いう教育ビデオも作成。英語、 子ども、日本語版の3種類を作成 し、英語版は世界で使用され、 役立っている。 2006年に豊浦町も同会へ加盟。 また、陸上自衛隊第71戦車連隊、 海上保安部、室蘭開発建設部等 にも加盟いただき、磐石な体制 となった。 協議会が目指す将来像として、 今後も担当者同士日頃から連携 し、災害時にスムーズな対応が 出来るようにと思っている。 災害復旧が一段落すると、防 災についてのトーンが下がって しまうが、山が静かな時こそや らなければならないことがある だろうと思っている。 特に、有珠山は20年から60年 間隔で噴火する。次世代に正し く継承していく必要があること から、防災教育は必要だと考え ている。 −7− パネリスト 三松三郎氏 頭にあること は噴火にどう対 応するか。 火山との共生 という意味で、有珠山は邪魔な もの、嫌なものと思っていたの では何も解決策はない。 火山はフグであると思ってい るのが私の提言。極めて美味し いが、致死毒を持っている。 防災専門家との関係、大学の 先生にも毒の処理をしていただ いて、素人である住民はその指 図に従って行動することをしっ かり胸に止めたい。 人間の活動と火山の活動は全 く関係がないことを改めて考え ておきたい。 減災文化の構築が必要である。 火山は活きている。 20XX年噴火に備えて、自分の 命は自分で守る。 よその災害を、我が身として おく必要がある。 コーディネーター 伊藤和明氏 大事なことは 平常時に何をし ておくかという こと。 過去の例からいって、有珠山 はあと20年すれば危険期に入っ てくるのではないかと思う。 もっと早く噴火するかもしれ ないが、自然が相手だから分か らない。 火山を利用した地域の活性化 と防災整備を天秤にかけて、火 山といかに付き合っていくか、 共生していくのか、この周辺地 域では問われているのではない か。
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