フランス人身損害賠償と Dintilhac レポート

〈共同研究〉
「グローバル下の日本民法典」
フランス人身損害賠償と Dintilhac レポート
― 非財産的損害の賠償が示唆するもの ―
住 田 守 道
慰謝料請求権の性質の議論を考える上では、非
第一章、はじめに
財産的なものを財産的に把握する矛盾的側面の理
我が国の人身損害賠償は、昭和 30 年代後半よ
解4) も含めて明らかではない点がある 5) が現在
り多発する交通事故を契機として多数の問題が提
検討が及んでいない。ただ損害の内容の分析・確
起される中で発展してきたが、損害の算定におい
定という問題関心から、その先に見出し得る事柄
ては算定基準の確立に向けて動いてきた結果、算
について考察するにとどまる。また以下に見られ
定基準に見られる慰謝料額は一定の水準に達し高
る権利論との関係についても専ら不法行為におけ
額化の要請はあまり聞かれなくなった一方で、適
る損害論の側で受け止められ得る示唆に言及する
正な評価が要請されている1)。また以前より交通
にとどまることを正直に申し上げておく。
事故の算定基準の硬直化が批判されてきた。これ
に対して提唱される具体的対応策は一つではない
(制裁を語る論者間でもその理論の妥当範囲が同
第二章、フランス法の現状
(Dintilhac レポートを巡って)
一であるかは検討を要する)が、損害の内容拡充
の問題は一つの方向性を示すものである2)。
ところで、適正化のためには現在の実務状況を
3)
1、Dintilhac レポートまでの経緯
フランスの場合は長年にわたり精神的損害(以
も、現状を相対化し問題点
下では非財産的損害)の賠償を広く肯定してきた
を洗い出すことも重要な作業である。それらのた
こともあって、従来の交通事故や薬害で認められ
的確に把握すること
めにも同様の制度を有する外国の動向を分析し検
た損害の種類は多様であり、2005 年の Dintilhac
討視角を得ることは無益ではない。本稿では、現
(以下、
氏のワーキンググループによるレポート6)
在のフランス法の一つの到達点と評価し得る一つ
2005 年レポートとする)にはそれらが反映される
のレポート(2005 年に司法大臣に提出)を対象と
と共に新たな損害項目が用意された。そこでこれ
して、フランスでは現在どのような内容の非財産
までの経緯を簡単に述べておく7)。
的損害が賠償の対象とされているかを明らかにし
1970 年頃までのフランスでは、人身侵害におけ
た上で、我が国の賠償対象としての損害の内容把
る損害賠償の裁判実務では、包括的な算定が行わ
握の手がかりを示すと共に、そこで見られる損害
れることが多かった。その場合、個別の損害の存
の多様性に理論的な見地から光を当てて、それが
在が明らかにされた上であっても金銭的に評価さ
物語るものが何かについて考察する。ここでは非
れた算定結果が一括されていた。だがこれでは、
財産的損害の多様性が最も鮮明に現われる直接被
社会保障給付主体の求償問題への対応に大きな困
害者の非・死亡事例を対象とする。
難が生ずる。内訳が示されないため求償の対象と
2009 No. 40
フランス人身損害賠償と Dintilhac レポート(住田) 149
なるはずの損害項目に対応した賠償額が不明であ
害、第二のタイプは固定以後のもので、④永久的
るからである。そこで 1973 年に社会保障法の改
機能欠損、⑤楽しみの損害、⑥永久的美的損害、
正
8)
がなされ、裁判官にとって損害に一定の区別
⑦性的損害、⑧家族形成に関する損害、⑨例外的
の必要性が生じた。これ以後今日までの展開は、
永久的損害、第三のタイプは症状固定が観念され
区別を前提とした非財産的損害の種類の増加とま
ない⑩進行性の病気に関する損害である。これら
とめることができる。価値観の変化や医学の発展
の非財産的損害の大半は交通事故や薬害を中心に
等によるものであると一応述べることができる。
従来の裁判実務で承認されてきたものである
しかし、先の法改正の条文の不備もあって、2003
(1970 年以降の一連の損害の承認の経緯について
年の破毀院大法廷判決は社会保障給付主体に有利
は公表済みの別稿に譲る)。列挙された損害の内
な立場をとり、条文上列挙された損害に明確な定
容を簡単に示しておくと、①人的領域における症
9)
義を与えつつ 、それとは異なる非財産的な損害
状固定までの障害、すなわち「症状固定以前の生
を採用した原審判断を、法律違反とした 10)。これ
活の質、日常生活上の通常の喜びの喪失」
、②肉
は社会保障給付が填補していない損害項目部分に
体的・精神的苦痛およびそれに付随する支障(「症
対する求償を認めることを意味し(背後に社会保
状固定以前に被った肉体的精神的苦痛の全体」)、
11)
)、2003 年
③症状固定以前の身体上の外見の変化、④人的領
に出された Lambert-Faivre 氏(リヨン第三大学名
域における生理的機能侵害・永続的苦痛・生活の
誉教授)を主幹とする WG のレポートに反するも
質の喪失・生活条件上の支障・自立性の喪失(「肉
のであった。また曖昧なこの判決が楽しみの損害
体的・精神感覚的(psychosesoriel)・知的潜在性
障財政安定化という政策判断がある
を狭く理解する立場と解される状況にあって
12)
、
の決定的減少」)、⑤日常的なスポーツやレジャー
その後の判例 13) はそのような解釈をとっておら
活動の遂行不可能性に関連する特定の楽しみの損
ず(楽しみの損害を今までどおり広く解する)
害(「余暇活動を行う能力の決定的な変化」
)、⑥
14)
症状固定以後の身体上の外見の変化、⑦性的領域
、破毀院の再構成の意図は判例に影響を有さな
かったと言われる
15)
。
における損害(性器への侵害における外形上の損
これについて改めて検討がなされる機会が与
害・性的行為における楽しみの喪失、生殖困難に
えられることになった。社会保障給付に対応し
関する損害)
(「性的機能の一部ないし全部の変
た損害か否かの確定および財産的損害・非財産
化」)、⑧通常の家族生活の計画実現の機会や可能
的損害の区別に依拠した損害項目の一覧表
性の喪失(
「人生の個人計画の実現の不可能・困
(nomenclature)作成の要請がなされ、2005 年に
難」)、⑨非定型の損害(
「他の損害項目の名義で
Dintilhac 氏(破毀院第二民事部長)の WG が作
は考慮されない特殊な損害」、一般条項的なも
成したレポートが司法大臣に提示されたためであ
の 21))、⑩症状固定が想定できない進行型の病気
(その後、2006 年に求償に関しては改正立
る 16)
(例えば HIV・C 型肝炎など)22)に関する損害(「程
法
17)
がなされた)
。かような経緯で作成されたレ
ポート
18)
は、現在の実務において重要な基準を
提供している 19)。以下では、本稿の関心に従い非
財産的損害の部分を扱うことにする。
度差はあれ短期間に症状が発生する危険を有する
外的因子による感染の認識から生ずる損害」)。
よりわかりやすく整除すると、③⑥が美的損害
を症状固定で区切ったもの、④は①②に対応する
症状固定後の非財産的損害でありながら、更に後
2、2005 年レポートにおける非財産的損害
レポートの中で認められている 10 種の非財産
的損害は以下のとおりである
20)
。症状固定を軸に
遺症として将来残るものを包含する。逆に⑤⑦は
症状固定前では①で捉えられており、やや複雑で
ある。
3 つのタイプに分類することができる。第一のタ
以前のレポートや民法改正準備草案(2005)と
イプは症状固定までの期間に属するもので、①一
の基本的な相違点は③⑨⑩にある。⑩は実務では
時的機能欠損、②耐え忍ぶ苦痛、③一時的美的損
特定のウィルスに感染した被害者に承認されたも
150 社会科学研究年報
のをより一般化したものである。③⑨が新たに提
しも個別項目立てを要請するわけではないことに
案されるものだが、③は症状固定後には同一の内
注意―例えば HIV 感染の場合)。
容の損害項目が認められており、なぜ固定以前で
次に項目立ての意味であるが、フランスの学説
は認められなかったのか疑問であるとされ提示さ
による個別項目立てのメリットの分析によれば、
れるに至っている 23)。⑨は「実用主義的配慮」か
以下の点が注目されている 26)。損害の明確な決定
ら考案された非定型の損害である。被害者の性質
に関連する利益には、まず適正な賠償(被害者の
(日系人の後遺症、すなわち脊椎の損傷により御
視点)に関するものがあり次の三点が挙げられる。
辞儀ができなくなることが出身国では大きな無礼
①損害評価(包括的な評価だと詳細が不明で検証
となることが例に挙げられる)や事故の性質(テ
が困難)
、②満足的機能、③後訴での請求可能性。
ロや災害といった例外的な出来事に関連する「特
その他の視点としては、とくに司法行政的観点か
有の損害」)に由来するものが念頭に置かれてい
ら裁判官の包括評価を助長させないためにという
る 24)。
点が付け加えられる。これに対する批判的見解と
このレポートは現在のフランスの到達点を示す
しては、技巧性(人為性)を指摘するものや端的
ものであるが、学説には疑問を呈するものもない
に違和感を表明するものがあり、統一化論の論者
わけではない。例えば、⑨は何か、⑤には客観的
は、重複賠償・損害の「インフレ」などを懸念し
側面と主観的側面とかがあるがどのように算定す
て損害項目の整除を行う(単一の項目で捉える論
るのか等について不明であるとされ、多くの疑問
者も存在する)27)。
の声が一時的には予想されるとの指摘がある
25)
。
このような議論状況下で、Dintilhac 氏は、同
なお、2009 年に開催された人身侵害を専門とする
一状況にあるすべての市民の取扱いの平等性の確
弁護士集団によるシンポジウムでは、今日の実務
保の点に重きを置いている。そこでは裁判官の判
(行政裁判所を除く)は 2005 年レポートを採用す
断の詳細を提示させることを通じて、裁判所間の
ると説明されると共に、この損害の内容に関する
格差を是正(損害→基準表の作成)させる意図が
詳細な報告がなされている。
見られる 28)。なおこの狙いは、民法典準備草案に
見られる事実審裁判官の専権事項に対する「法的
3、個別項目立ての理由・その意味
枠付け」の企図 29)と帰一するところがある。
上記レポートに即して行われる実務の展開に関
する 2009 年のシンポジウムの議論を素材にした
考察は次節で行うとして、ここでは個別項目立て
第三章、人身侵害における
損害項目の位置付け
の意味をまずレポート作成者の視点から考えてみ
たい。
まずこれらの項目立ての原因であるが、①直接
1、法源としての「権利」から見えるもの―項目
立てのモデルの提供
被害者の非・死亡事例で最初に認められた非財産
現在の実務を指導する上記レポートについて
的損害の賠償である pretium doloris が厳密な項
は、2009 年に人身侵害を専門とする実務家集団に
目(「肉体的」苦痛)であったことを出発点とし
よるシンポジウムで詳細な報告がなされている。
つつ、②苦痛という共通の性質で把握可能な上記
ここでは非財産的損害の各種項目の根拠付けに関
損害を「苦痛の原因」の形態で把握することで区
する議論を取り上げてみたい。シンポジウムでは
別を可能とさせ、また③実務で採用されるそれぞ
各損害の内容の検討を行っており、その中でそれ
れの算定要素が異なることが項目の相違を特徴付
ぞ れ の「 法 源 Droit-source」 を 明 確 に し て い
けていると見ることができる。その背景には、裁
る 30)。上記①②③④⑤⑩はほぼ共通している(世
判官に過不足なく賠償を命じさせる全部賠償とい
界人権宣言 3 条・民法 16 − 1 条 31)が法源とされ
う法的な要請がある(ただ損害と認識される要素
る)32)。それ以外は個別の規定が挙げられており、
すべてを勘案することを要請するものだが、必ず
例えば、⑦は 1946 年憲法前文 11 条、世界人権宣
2009 No. 40
フランス人身損害賠償と Dintilhac レポート(住田) 151
言第 24 条 33)である 34)。
害するということを確認することが有益であり、
このような現象が何を意味するのかを明らかに
各項目に対してその法源を明らかにしつつ、損害
するためには関連する学説史的検討が必要であろ
算定の合理化の努力をし始めることが望まれると
うが 35)、従来の損害論の展開の中では見出されな
する、と。このようにして先に見たとおり法源を
かったこの法源という視点については今後の展開
提示している。
を待つ必要があると考えられる(法源と言えばか
つてはフランス民法 1382 条が挙げられており
36)
、
また別の文献には興味深い説明が見られる。例
えば美的損害に関して、「…美に対する権利(le
この問題には権利論の展開や民法と人権規範との
droit à la beauté)を持たないが、醜くされない権
関係に関する研究の検討を要するように思われ
利(le droit de n être pas défiguré)を有する」40)。
る
37)
)。そこで本稿ではこのような論じ方から、
これは先の法源としての権利論から見た損害と対
損害項目立てに対してはいかなる示唆を獲得でき
比すれば、より具体性があり、各損害に対する権
るかという視点から分析を加えておきたい。ここ
利アプローチとなり得ること、その内容は個別に
では個々の損害項目が、ある観点から共通する利
詳細に吟味すべきことを示している。
益として把握され得るということが示される。鑑
以上に見られる権利侵害や利益侵害といった概
定に由来する一時的・永久的という区別を排除す
念規定の法的な意味、権利の内容、権利の細分化
るという観点(例、フランス民法典改正準備草案)
現象に対する評価は課題となり得るが、ここでは
以外に、整除のための利益の取捨選択を支える識
裁判所の判断(あるいは学説による内容提示)を
別根拠を提供する。この議論は非財産的損害立て
通じての項目立ての内容が意味する事柄について
の背後にあって把握のための一定の方向性を示唆
考えてみたい。非財産的損害の概念は苦痛あるい
する。すなわち、実務上の展開の到達点としての
は喪失(privation)で捉えられる 41) が、苦痛の
2005 年レポートの 10 項目立てに対して、学説の
原因に位置づけられる一定の不利益に目を向ける
統一化論の一部の主張(1 項目立て)が見られたが、
とき損害はその裏返しとして諸利益の存在を想起
その間にあって、権利論の観点からこれらを整除
せしめる。それを総合するならば、私的生活(非
する、項目立ての一つのモデルを提供する視点で
経済的活動)領域において人はどのような利益を
ある(これは一方では個別損害項目立てに懐疑的
有し活動するものと想定されるのかを法の一局面
な学説(技巧性の指摘あるいは違和感を表明)の
から問うことになる(生きる喜びを有し家族形成
真の理由と位置づけられるもののように思われ
の計画実現の可能性を有する…など多面性を有す
る)。ここでは究極的には権利のカテゴリーを列
る個人、その集約的表現としての人間像)42)。と
挙する規範においてどのように法的な利益が立て
きに賠償の行き過ぎに対して、
「主観的権利のイ
られているかという面から把握し直すことにな
ンフレによる人の自己破壊」の懸念を語り得る 43)
る。
ことになるのは必ずしも個別の損害の分析のみに
囚われない視点を有するためであろう 44)。
2、個別項目の内容から見出されるもの―損害論
3、若干の対比(日本分析の課題)
からみた人間像
既に見たように人身侵害から生ずる苦痛が対象
仮に上記のような視点から、人身侵害の不法行
だとしても、損害の形態とは直結しなかった(苦
為法の損害論から見た人間像を語る視点を見出す
痛の原因)。ところで、現在の学説上、損害は「利
ことができるとしても、それはあくまでフランス
益侵害」とされ、一部の学説では損害を「権利侵
法に根ざした理解にとどまる(日系人の損害に見
38)
害」と定義付ける(とくに 2003 年レポート )。
られたように、非財産的損害の決定は文化・環境
これに関しては次のような指摘がある 39)。学説や
的要因に依存する側面も見られることに注意)。
判例において、侵害された権利が積極的に語られ
では、日本法ではどのような理解を得ることがで
ることはほとんどないが、人身侵害がある権利を
きるだろうか。
152 社会科学研究年報
かつて我が国の議論では、逸失利益中心の人身
る権利論 50) など関連する検討対象は多数存在す
損害賠償に対して、
「人間を、収入を生み出す機械」
るが、本稿ではフランスの現状分析より、不法行
と見る、あるいはそのように同視することでしか
為に基づく損害賠償法のうち非財産的損害論の見
正当化できないとする見解が見られた 45)。この一
地から切り取られた利益主体としての人間像を問
面性を肯定せずとも、実務における慰謝料の高額
うという検討視角を見出した。算定結果(あるい
化が見られる現在では、この認識はある程度相対
は苦痛の次元)だけに目を奪われるとき、このよ
化された感があるが、それでは現在の状況(特に
うな視点は明らかにならない(上記の認識も慰謝
実務において現在でも通説であるとされる填補
料という手段があってこその話である 51) が、手
説 46))において非財産的損害側の視点に焦点を当
段の存在のみでは説明にならず、損害の内容の確
てればどのような理解が浮かび上がるのだろう
認からの帰結である)。このような視点が有意義
47)
非財
なものになるとすれば、それは再検討を促す点に
産的損害の賠償場面では、まずもって実務家(と
あるように思われる。すなわち現状の硬直化が動
くに裁判官)にこの問いかけがなされるであろう。
かし難いものになっており新たな損害の主張さえ
もしフランスと異なるのであれば、文化的背景や
有効でないとすれば、損害賠償に携わる者は一体
価値の相対思考の指摘で事足りるとするのではな
どのような論拠でそのような判断を下し得るのか
く、実質的理由が求められる。研究者の側で認識
が問われる(民法の守備範囲 52) を問う問題でも
を問題とするならば(慰謝料の細分化を行わない
ある)。そこで、構想されている利益主体像を問
傾向がある日本 48)では困難が予想されるが)、そ
いただすことは、裁判官の評価に大きく依存する
れが可能である場合には日本法における判例の積
算定過程において、認識を明らかにする一端緒と
み重ねを認識する作業を必要とする。この問いは
なるものと考える。
か。実践主体の評価視点の上に成り立つ
損害論における学説史的検討だけでは十分には答
そこで日本法の検討に目を転ずると、第一の課
え得ないものである。いずれにおいても現在の方
題は、日本の現状分析が可能である場合はその作
法の妥当性の根拠提示が求められる。
業を具体化し、可能でないとすればその原因およ
なお、先の視点は損害論の理論的な観点と無関
びその背後に見える考え方を探り現状の長所短所
係ではないであろう。「喪失」の確定にあたって
を明らかにすることが、状況を把握し相対化した
は、人身侵害そのものから生じた肉体的・精神的
上で自覚・再考するために重要となろう。
苦痛に限定されるべきかそれを経由して喪失した
第二に、示唆を発展させ応用するために、人間
別の非財産的な利益をも対象に置くかという問題
像を語る場合の意味はさらに掘り下げて考えるべ
となる。さらに、例えば、差額(利益状態比較)
き事柄である。例えば、不法行為法の他の視点と
説的思考の下では、「不法行為がなければ被害者
の関係、民法全般での視点(民法改正論議では「人
が現在置かれたであろう仮定的事実状態と、不法
概念の拡張・分節化」として直接あらわれている)
行為がなされたために被害者が置かれている現実
との両立可能性を示すだけでよいのか否かという
の事実状態との差」という定式の前半部分の確定
問いがある 53)。
問題として如何なる利益を構想するのかに関わっ
てくるであろう(最終的には個別具体的判断か規
注
範的評価の視点 49) より損害の推定を導くか否か
1)齋藤修「総論・交通事故慰謝料の理論と展望」交通
法研究 33 号 7、17 頁(2005)。
2)制裁的慰謝料の論者の認識に実務の慰謝料の硬直化
を批判する点が含まれているとすれば(例えば、後藤
孝典『現代損害賠償論』177、238 頁(1982、日本評
論社))、硬直化を打破するために内容拡充の方向を探
ること(淡路剛久『不法行為における権利保障と損害
の評価』164 頁(1984、有斐閣)参照)はその立場か
らでも不当ではないはずであるし、同 151-158 頁のよ
の問題の前段階の問い)。
第四章、終わりに
損害項目立て(本稿では非財産的損害)の議論
については民事手続法との関係、不法行為におけ
2009 No. 40
フランス人身損害賠償と Dintilhac レポート(住田) 153
うに、塡補的慰謝料と制裁的慰謝料を二元的に構成す
る考えもありうる)
。その場合には、この議論は内容
を拡充した後に何をそこに見出するのか、なお制裁を
求めるとすればそれは何に由来するものかを問うこ
とにより、議論内容や論者の立場がよりクリアになる
と思われる。なおアメリカ連邦裁判所の判決を扱う樋
口範雄「制裁的慰謝料論について―民刑峻別の「理想」
と現実」ジュリスト 911 号 20 頁(1988)から、訴訟
費用の回復や不法な行為から得た利得の吐き出しの
考慮など、損害の拡充ないし算定が不十分なために懲
罰的損害賠償が主張されるという側面の存在を窺う
ことができる)
。
3)植林弘『慰謝料算定論』209 頁(1963、有斐閣)。
なお柔軟性を求められる損害賠償額決定過程におい
てその意義は一層大きいと思われる(領域は異なる
が、窪田充見『過失相殺の法理』130-131 頁(1994、
有斐閣)参照)
。
4)これを法律的解決の限界としつつそれでも金銭賠償
の手段をあえて選択しなければならないことの認識
が重大であり議論の出発点であるとする見解(清水誠
『時代に挑む法律学―市民法学の試み』298、306 頁
(1992、日本評論社))がある一方で、マルクス主義経
済学の商品化論の立場から、不法行為法の金銭賠償主
義を人間性否定として批判的に捉えるものが見られ
る(邦語文献としては、阿部昌樹「法的思考様式と日
常的道徳意識―不法行為における金銭賠償の原則を
めぐって」
(棚瀬孝雄編『現代の不法行為法―法の理
念と生活世界』
(1994、有斐閣)所収)30 頁以下参照)、
他に、小島武司・C・アティアス・山口龍之『隣人訴
訟の研究』156 頁以下(1989、日本評論社)小林直樹
『法の人間学的考察』367 頁(2003、岩波書店)も参照。
5)例えば、制裁的要素の位置付けのほか、贖罪の側面
(潮見佳男『不法行為法』263 頁(1999、信山社)、吉
田邦彦『不法行為等講義録』13 頁(2008、信山社))、
規範意識や金銭支払いの意味の問題(星野英一編『隣
人訴訟と法の役割』102、120、170 頁(1984、有斐閣)、
和田仁孝「交渉的秩序と不法行為訴訟」
(前掲・
『現代
の不法行為法』所収)103 頁、瀧川裕英『責任の意味
と制度』206 頁(2003、勁草書房)、抑止的効果の実
証性(内田貴『契約の時代』200 頁(2000、
岩波書店))
に関する慰謝料側での検討(松代隆「慰謝料の改革」
(加藤一郎編『交通災害の抑止と補償』
(1988、ぎょう
せい)所収)79、81 頁)、損害の対象が「苦痛」に限
定されるか否か、
そもそもなぜ「苦痛」構成なのか(参
考として岩田新「無形損害の評価方法」法律時報 6 巻
8 号 3 頁以下(1934))、賠償とは何か等の諸問題及び
その相互関係。また、人権との関係(例えば、渡辺洋
三「現代不法行為論」法律時報 52 巻9号 8 頁以下
(1980)、さらに非財産的損害の賠償手段は、究極のと
ころで人間性を豊かにするのかそれとも人間性否定
に導くものか、という問い(「個人の尊厳」に関連す
る問題)も成り立ち得る。
6)Groupe de travail présidé par J.-P.DINTILHAC, Rapport du
groupe de travail chargé d'élaborer une nomenclature
des préjudices corporels,juill.2005,Doc.fr.(以下、J.-P.
DINTILHAC(dir.)…で引用する).
7)詳しくは拙稿「人身損害賠償における非財産的損害
論―フランス法を検討対象に―」法学雑誌第 54 巻 1
号 301 − 332 頁、同 2 号 600 − 635 頁、同 3 号 172 −
212 頁(2007-2008)参照。
8)社会保障法典旧 397 条 1 項(後の L376-1 条)
:「第
三者が完全に責任を負う場合、あるいは被害者と責任
が分割される場合でも、機構(caisse―注:社会保障
給付主体のこと)は被害者が被った肉体的・精神的苦
痛、美的及び楽しみの損害に相応する個人的性格の損
害賠償金部分を除き、被害者の肉体的完全性に対する
侵害を賠償する、第三者の負担する賠償金部分につき
決定される限度で、自己の負担する給付の償還を求め
ることができる。…(省略)」
(社会保障法典旧 470 条
も同様。)
9)判決は、いわゆる「楽しみの損害」を「生活条件に
おいて感じる諸支障から生ずる個人的性格の主観的
損害」と定義付けている。これに対して原審は、「楽
しみー機能損害」という生理的機能の喪失と楽しみの
喪失を一括した損害項目を採用していた。なお法条文
上、明確にされているのは「楽しみの損害」である(条
文番号等は異なるが、内容は維持されている。前脚注
の法条文を参照)。
10)Cass.ass.plén.,19 déc.2003,Bull.civ.,2003,ass.plé.,no
8,p.21 et s.;Y.LAMBERT-FAIVRE,note,D.,2004,p.161 et s.;
P.J OURDAIN ,note,JCP,2004. Ⅱ .n o 10008,p.133 et s.;
P.JOURDAIN,obs,RTD civ.,2004,p.300 et s.;Y.DAGORNELABBE,Le préjudice fonctionnel d'agrément est-il un
préjudice d agrément ?(Cass.Ass.plén.,19 décembre
2003),PAF.,2004,no 182;H,GROUTEL,Il y a《préjudice d
agrément》et《préjudice d agrément》! ,Resp.civ.
assur.,2004,no 9. 例えば、Y.DAGORNE-LABBE 氏の評釈は
判決に対して批判の論拠を 4 点挙げる。①求償権の代
位的性格、②全部賠償原則の違反、③根拠条文は楽し
みの損害概念を限定していない、④「楽しみー機能損
害」(原審採用)の個人的・非財産的性質。
11)過失相殺の場合(ただし本件では問題となっていな
い)が念頭に置かれるが、現行法理
(例えば、山野嘉郎
「人身事故における過失相殺の在り方―フランスにお
ける立法及び判例を素材にして―」交通法研究 24 号
78 頁以下(1996))の下では、責任分割(減額)を伴
うのは交通事故の 3%にすぎないとされる(Y.LAMBERTFAIVRE,note,op.cit.,p.166)。
12)Y.DAGORNE-LABBE,op.cit.,p.13;PH.STOFFEL-MUNCK et
C.B LOCH ,La chronique de semaine,Responsabilité
civile,JCP.,14 septembre 2009,no 1,p.39(par C.BLOCH).
13)ex. Cass.2e civ.,19 avr.2005,Bull.civ.,2005, Ⅱ ,no 99;
JCP.,2005, Ⅳ ,2379.
14)F R .TERRÉ ,P H .S IMLER et Y.L EQUETTE ,Droit civil.Les
obligations,10e éd.,2009,Dalloz,no 708.
15)v. PH.STOFFEL-MUNCK et C.BLOCH,op.cit.,p.39.
154 社会科学研究年報
16)J.-P.DINTILHAC(dir.),op.cit., p.1 et s.;J.-P.DINTILHAC,
La nomenclature et le recours des tiers payeurs,Gaz.
Pal.,2007,doctor.,p.218 et s.
17)2007 年度社会保障財政に関する法 25 条は、注8)
掲載の条文を「第三者に対する機構の代位の訴えは、
個人的性格の損害を除き、基金が負担した損害を賠償
する賠償金上にのみ、項目毎に行使するものであ
る。・・・(省略)
」とする。
18)これは 2003 年のレポートとほぼ同一の内容である
(Y.LAMBERT-FAIVRE et S PORCHY-SIMON,Droit du dommage
corporel,6e éd,2009,no 96-2)。
19)S.STANKOFF,La réparation du préjudice corporel par
le juge judiciaire,Gaz.Pal.,2008,doctr.,p.803;D.
BANDON,La reforme du recours des tiers payeurs, un an
après,Gaz.Pal.,2008,doctr.,p.1492;C L .B ERNFELD et
FR.BIBAL,Les fiches pratiques de l'Anadavi,Objectif et
mode d'emploi,Gaz.Pal.,2009,doctr.,p.179. 司法大臣通
達はこれの参照を推奨するにとどまる(Y.L AMBERT FAIVRE et S PORCHY-SIMON,op.cit.,nos 96-4 et 141;encore
P.JOURDAIN,Les principes de la responsabilité civile,7e
éd,2007,Dalloz,p.152)が広く利用されているようであ
る(v. PH.MALAURIE,L.AYNÈS et PH.STOFFEL-MUNCK,Droit
civil,Les obligations,4e éd,2009,Defrénois,no 246)。
20)J.-P.DINTILHAC(dir.),op.cit.,p.37 et s.;複数の実務
家の共同作業による説明として Gaz.Pal.,2009,doctr.,
p.198 et s.
21)PH.MALAURIE,L.AYNÈS et PH.STOFFEL-MUNCK,op.cit.,no
246 はこの損害項目ゆえに、一覧表は開かれたものと
なっているとする。
22)例えば HIV 感染被害の場合、「抗体反応検査陽性お
よび明らかな症状の発生により引き起こされる、生活
状況におけるあらゆる不都合を包含」する「感染特有
の 」 損 害。 具 体 的 内 容 は、「 血 清 反 応 陽 性 段 階 で、
HIV による感染を理由に被った精神的障害の全て:生
存の期待の減少、将来についての不安、起り得る身体
的・精神的苦痛の恐怖、孤立、家族的・社会的生活の
混乱、性的な、そして場合によっては生殖の損害。更
に、明白な症状段階では、既出のあるいは発生するで
あろう諸々の個人的損害。すなわち耐え忍ぶ苦痛、美
的損害、楽しみ損害」である。その他の事例では適合
的な内容を個々で確定してゆくことになる。
23)J.-P.DINTILHAC(dir.),op.cit., p.38.
24)J.-P.DINTILHAC(dir.),op.cit., p.41.
25)v. PH.STOFFEL-MUNCK et C.BLOCH,op.cit.,p.40.
26)X.P RADEL ,Le préjudice dans le droit civil de la
responsabilité,nos 391 et s.
27)前の脚注の見解も含め、拙稿・前掲
「人身損害賠償に
おける非財産的損害論(三)
」
180 頁以下およびそれの補
足として、技巧性の指摘につき、J.LE GUEUT et A.MARIN,
Le deuxième colloque juridique international du
comité eupopéen des assurances(Naples et Sorrente,
30 septembre-3 octobre 1961)
,RIDC,1962,p.589;H.
M A R G E A T , L a r é p a r a t i o n d e s p r é j u d i c e s《n o n
2009 No. 40
é c o n o m i q u e s》e n d r o i t c o m m u n , R e v. g é n . a s s .
terr.,1973,p.605;encore R.S AVAT I E R ,Traité de la
responsabilité civile en droit français,t.2,2e éd(Librairie
générale de droit et de jurisprudence,1951),no 534.
28)J.-P.DINTILHAC,Pour une nomenclature unique,Gaz.
Pal.,2008,doctr.,p.843.
29)拙稿「人身損害賠償における非財産的損害論(3)
」
205 頁注 53 参照。
30)CL.BERNFELD et FR.BIBAL,op.cit.,p.179 及びそれ続く個
別の損害項目の検討における「法源」欄参照。
31)世界人権宣言 3 条:「すべて人は、生命、自由及び
身体の安全に対する権利を有する」。民法 16 − 1 条:
「何人も自己の人体を尊重される権利を有する。人体
は不可侵である。人体、その構成要素およびその産物
は、財産権の対象としてはならない」。なお後者の援用
については、Y.LAMBERT-FAIVRE et S PORCHY-SIMON,Droit
du dommage corporel,6e éd,2009,no 128 も参照。
32)②の中で、子供の年齢に応じた再創造行為及び遊戯
に専念する権利として、1989 年児童の権利に関する
条約 31 条が挙げられている。また⑩は民法の援用が
ない。その理由は不明である。
33)1946 年憲法前文:
「国家はすべての人々、とくに子
供、母親および老齢の勤労者に対して、健康の維持、
物質的保障、休息と余暇を保障する。年齢、身体的ま
たは精神的状態、経済的状況を理由として労働するこ
とができないすべての人は、公共団体から先存にふさ
わしい手段を有する」。世界人権宣言第 24 条「すべて
人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇
を含む休息及び余暇をもつ権利を有する」。
34)その他、⑥は人権および基本的自由の保護のための
条約(ヨーロッパ人権条約)8 条、⑧は、人格的発達
の側面については同条約 8 条だが、婚姻権および家族
形成の権利の側面については同 12 条、世界人権宣言
16 条、という具合である。⑨は内容不確定のためか
複数の規定が挙げられている。
35)損害論に与える人権論の影響(ex.P H .le TOURNEAU ,
(avec C.B LOCH ,C H .G UETTIER ,A.G IUDICELLI ,J.J ULIEN ,D.
KRAJESKI,PH.STOFFEL-MUNCK),Droit de la responsabilité
et des contrats,7e éd(2008,Dalloz),no 1500)が検討
されるべき課題となろう。なお必ずしもフランスの話
ではない上に、本稿でみる議論は従来の不法行為法に
おける権利論とは次元を異にしているが、星野英一
「私法における人間」
(『岩波講座 基本法学 1―人』
(1983、岩波書店)所収)144 頁以下、特に 156 頁以
下では「民法における人間の再発見・回復」が語られ
ている。
36)H.MARGEAT,op.cit.,p.595.
37)後者の手がかりとなるフランスの議論として、大村
敦志『法源・解釈・民法学 フランス民法総論研究』
356-357 頁(1995、有斐閣)
、大村敦志『20 世紀フラ
ンス民法学から』180 頁以下(2009、東京大学出版会)、
幡野弘樹「ヨーロッパ人権条約がフランス家族法に与
える影響―法源レベルでの諸態様―」日仏法学 24 号
フランス人身損害賠償と Dintilhac レポート(住田) 155
77-79 頁(2007)、フランスの特性の分析として樋口
陽一「民法と憲法」同 24 号 34 頁以下、民法 16 条の
議論では、北村一郎「フランスにおける生命倫理法の
概要」ジュリスト 1090 号 121 頁(1996)
。また法制史
研究として水林彪「近代民法の本源的性格−全法体系
の根本法としての Code civil」民法研究 5 号 1 頁以下
(2008)等が見いだされる。
38)G r o u p e d e t r a v a i l p r é s i d é p a r Y. L A M B E R T F AIVRE ,Rapport sur l indemnisation du dommage
corporel,juin 2003,p.9 et s.;encore Y.LAMBERT-FAIVRE et
S PORCHY-SIMON,op.cit.,no 86. 本稿では詳細な検討はで
きないが、この理解の前提にあるのは dommage と
préjudice の区別論である。それによれば、dommage
は 事 実 に 属 し、préjudice は 法 に 属 す る、 と さ れ、
「préjudice は事実(dommage)から権利(réparation
賠償)への移行を示すものである」。医学鑑定と法的
評価の区別に対応する視点であるが、論者によって
は、財産的損害をも含める包括的評価を可能とする損
害項目を用いることを防止する役割を担わせる、因果
関係論を展開させる等、様々である。なお同レポート
については、拙稿「人身損害賠償における非財産的損
害論(3)」204 頁注 50。
39)CL.BERNFELD et FR.BIBAL,op.cit.,p.179.
40)J.C ARBONNIER ,Droit et passion du droit sous la Ve
République,(2008,Champs essays),p.159.
41)v. GR.MAITRE,La responsabilité civile à l épreuve de l
analyse économique du droit,,2005,LGDJ,no 286.
42)「個人的損害(préjudice personnel)」と呼ばれるカ
テゴリーに含められる上述の損害は、être と avoir の
うち、前者に関わるものである(v. Y.LAMBERT-FAIVRE,Le
dommage corporel entre l être et l avoir, Resp.civ.
assur.1997,n o 31;Y.L A M B E R T -F A I V R E et S P O R C H Y SIMON,op.cit.,nos 128 et 152)。
43)J.HAUSER,obs.,RTD.civ.,1996,p.871;PH.le TOURNEAU
op.cit.,no 1308. とくに、「wrongful life」訴訟での損害
賠償を肯定する場合において「生まれない権利」とい
うことが語られ、本文のように評価されることがあ
る。なおこれに関する議論では「賠償を命じることは、
主観的権利の先存の肯定である」、あるいはそこまで
述べなくても何らかの「利益」が語られている(ex.
L.AYNES ,Préjudice de l enfant né handicapé,D.,2001,
p.495;encore J.-L.A U B E R T ,Indemnisation d une
existence handicapée qui,selon le choix de la mère,n
aurait pas dû être(à propos de l arrêt de l Assemblée
plénière du 17 novembre 2000),D.,2001,p.489;P.
JOURDAIN,note Cour de cassation,ass.Plén.17 nov.2000,
D.,2001., jurisprudence,p.336. 大村・前掲『20 世紀フ
ランス民法学から』294 頁及び樋口陽一「人間の尊厳
vs 人権?―ペリュシュ判決をきっかけとして―」民
法研究 4 号 38 頁以下(2004)も参照)。
44)矛盾や重複の有無などを分析しその整合性を考察す
る中で一定の像として認識結果が現われる。民法の体
系の中で他に適切な領域が存在しない場合、損害論は
このような議論を検討する場として機能する(損害論
については、高橋眞『損害概念論序説』226 頁以下
(2005、有斐閣)参照)
。この点を明確にするためには民
法の体系を押さえそのあり方を検討する必要がある。
45)逸失利益(あるいは賠償額全体の比重)および請求
権の相続を問題にする場面において、例えば、末川博
「判批」法学論叢 22 巻 3 号 153 頁以下(1929)、西原
道雄「生命侵害・傷害における損害賠償額」私法 27
号 113 頁(1965)、シンポジウム「生命侵害の損害賠償」
私法 29 号 13、38 頁[篠原弘志・山本進一]、90 頁以
下[星野英一](1967)、倉田卓次・好美清光・田邨正
義・西原道雄「座談会 いのちの値段」法学セミナー
372 号 48 頁[好美]
(1985)、森島昭夫『不法行為法
講義』354-355 頁(1987、有斐閣)
。
46)東京地裁民事第 27 部裁判官の認識として、高取真
理子「慰謝料増額事由」
(『民事交通事故訴訟損害賠償
額算定基準 下巻 2005(平成 17 年)』(日弁連交通事
故相談センター東京支部)所収)37-38 頁。
47)拙稿「人身損害賠償における非財産的損害論(三)」
195-196 頁参照。
48)実務では、死亡慰謝料以外に傷害慰謝料と後遺障害
慰謝料の区別が存在するとしても、他の要素はそのい
ずれかにおいて主張されているにすぎない。この点、
わが国の判例は一般に精神的損害を細分化すること
なく慰謝料として取り扱うとされ、これに対応する学
説の(被害者・加害者の諸事情を斟酌して公平の観念
から定めるべきとする)理解の下では、細分化してと
らえようという発想は出てきようがない、とされる
(淡路・前掲『不法行為法における権利保障と損害の
評価』163 頁。また吉村良一『人身損害賠償の研究』
77 頁(1990、日本評論社)参照)
。更に言えば、斟酌
されるべき要素が実際に評価要素になっているかを
認識することは困難であるとされる(例えば、淡路剛
久「生命侵害の損害賠償」(星野英一編集代表『民法
講座 第 6 巻 事務管理・不当利得・不法行為』
(1985、
有斐閣)所収)364-365 頁)。
49)潮見・前掲『不法行為法』222 頁。
50)権利論との関連について一言しておく。権利と利益
との相違や権利生成の構造・機能はともかくとして
も、これには、不法行為における権利侵害論の位置付
け(権利侵害要件の位置づけを巡る展開(区分論との
関連性を有する)と、権利(また法源)という観点か
ら見た不法行為法に関する民法と憲法の関係が提起
される。後者は少なくとも損害項目に関する議論では
従来見られなかったものでありこれからの理論的深
化に注目したい(法源の次元と損害項目の次元で語ら
れる権利の視点の相違にも注意)が、前者では先にみ
た損害=権利侵害の議論が従来の議論(例えば中田裕
康「侵害された利益の正当性―フランス民事責任論か
らの示唆―」
(一橋大学法学部創立 50 周年記念論文集
刊行会編『変動期における法と国際関係 一橋大学法
学部創立五十周年記念論文集』
(2001、有斐閣)所収)
337 頁以下)とは次元の異なる問題でありさらなる検
156 社会科学研究年報
討を要する。日本法の同種の問題、とくに権利侵害と
損害との関係は解明され尽されたとは思われない(前
田達明『民法Ⅵ 2(不法行為法)』302 頁(1980、青林
書院)、高橋・前掲『損害概念論序説』195 頁、若林
三奈「法的概念として「損害」の意義(三)
」立命館
法学 252 号 384 頁(1997)、前田陽一「不法行為にお
ける権利侵害・違法性論の系譜と判例理論の展開に関
する覚書」
(能見善久・瀬川信久・佐藤岩昭・森田修
編『民法学における法と政策』
(2007、有斐閣)所収)
447 頁など参照)
。この問題を考える上で参考となる
素材を提供すると思われる。
51)最近の文献
(ex. M.FABRE-MAGNAN,Droit des obligations,
2-Responsabilité civile et quasi-contrats,2007,
PUF,p.85)に限った話ではないが、非財産的損害の賠
償の文脈では金銭的評価ができない利益の侵害の場
合にその性質から加害者の免責を導くことの不当性
が語られる。
52)星野・前掲「私法における人間」158 頁。
53)不法行為法の中では過失相殺の類推適用場面(とく
に最高裁平成 8 年判決)に見られる問題として、窪田
充見『不法行為法』401 頁(2007、有斐閣)参照(こ
れは標準人を構想することの意味を考えさせる議論
2009 No. 40
を提供する)
。不法行為に限定しない議論では、例え
ば広中俊雄「近代市民法における人間」
(同『民法論集』
(1971、東京大学出版会)所収)274 頁以下や松坂佐
一「法と人間」(同『民法解釈の基本問題』(1985、名
古屋大学出版会)所収)437 頁以下、現代を語るもの
として「座談会 法における人間像を語る」法律時報
80 巻 1 号 4 頁以下[瀬川信久]
(2008)および民法改
正論議関連で、一例であるが、内田貴『債権法の新時
代―「債権法改正の基本方針」の概要』21-22 頁(2009、
商事法務)は、本稿の議論とは次元を異にすることは
明らかである。さらに、個別の領域の研究の蓄積を基
に、学問において人間を語る角度や意義については、
深い考察を要する大きな課題である(社会科学の総論
的なものとして例えば、川島武宜「社会科学における
人間の地位」
(同『近代社会と法』
(1959、岩波書店)
所収)、大塚久雄『社会科学における人間』
(1977、岩
波書店)の第Ⅳ章「社会科学における人間論の課題」
等が従来の議論で興味深いものである)が、現在では
法社会学会編『法主体のゆくえ』法社会学 64 号(2006)
に見られるように、
「法主体」検討の課題と共に根本
的な疑問が提示されている。