いわゆる鞭打ち損傷患者1症例に対する鍼灸治療

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報 告
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いわゆる鞭打ち損傷患者1症例に対する鍼灸治療
松本 毅*
三村澄美*
形井秀一**
**筑波技術短期大学附属診療所
**筑波技術短期大学鍼灸学科
The Effectiveness of Acupuncture and Moxibustion for Whiplash Injury
Takeshi MATSUMOTO 1), Sumi MIMURA 2), Shuichi KATAI 2)
Tsukuba College of Technology Clinic 1)
Tsukuba College of Technology 2)
A b s t r a c t
Over a fairly long period , we have been observing the recovery progress of a patient who, complaining of stress
induced headaches stemmins from whiplashinjury,chose to abandon conventional medicine in favor of acupuncture
and moxibustion.
This patient had been experiencing head-aches as a result of rehabilitation, TENS treatment and psychological
stress, and other causes. However, immediately after acupuncture and moxibustiontreatment, the headaches would
either disappear entirely, or their severity would be greatly reduced. As a result, the patient was able to easily
resume ordinary daily activities which had previously been severely restricted. We cannot help but conclude that
,
there is astrong connection between the acupuncture treatment and the patient s return to a normal life.
Ⅰ.はじめに
ると報告した。
今回、筆者らは、強い頭痛を有するバレリュー
土屋ら1)は、いわゆる鞭打ち損傷を臨床的に頚
椎捻挫型、バレリュー型、根症状型、混合型、頚
型の鞭打ち損傷患者に長期に亘り鍼灸治療を行い、
仕事の復帰までに至ったので報告する。
髄損傷型の5タイプに分けた。そのうち、頚肩部
の張り感や運動時痛などを主訴とした頚椎捻挫型
Ⅱ.対象と方法
は、比較的短い治療期間で改善されるケースが多
くみられるが、頭痛、嘔気、眩暈などの自律神経
1.症例
症状を持つバレリュー型や、上肢にシビレや痛みなど
患 者:Y.S.39才、女性、医師。
の愁訴を持つ根症状型、あるいは、それらの混合
初 診:1993年9月22日
型は、治療が長期化するケースも少なくない。
主 訴:頭痛。
このことは、鍼灸治療においても同様の傾向を
示し、筆者2)もバレリュー型や混合型は長期化す
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(住所)〒305-0821 茨城県つくば市春日4-12-7
身 長:148㎝、体重:46㎏、
血 圧:112/70 ㎜Hg。
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松本 毅、他
既往歴及び合併症:特記事項なし
診断病名:頚椎捻挫及び腰椎捻挫 (1993年8月13日、O整形外科)
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3.治療方法
触診上の過緊張を緩和する目的で以下のような
鍼灸治療を行った。
現病歴:1993年8月12日、緩いカーブをぬけた交
初期の段階では頸部や頭部などの自覚症状のあ
差点内で先頭車両右折待ちのため停車中、左斜め
るところには直接治療を行わず、上肢と下肢のお
後方から追突された。
もに圧痛や硬結のある経穴に棒灸を1穴5分程度
事故による外傷はなかったが、直後から、軽い
で軽く発赤するぐらい行った。
頭痛,左手のシビレ感、吐き気が出現した。翌13
また、40㎜20号鍼を使用し、切皮程度(約2㎜)
日早朝、激しい頭痛が出現したため、O整形外科
の深さで10分間置鍼を行った(Fig.2)。5回治療後、
を受診し、頚椎捻挫及び腰椎捻挫と診断される。
頚肩部の強い緊張が軽快したため、頸部の筋の過
鎮痛のために内服薬と坐薬を処方され、カラー固
緊張部に直接単刺を行う治療を加えた。
定を行ったが、激しい頭痛は軽快せず、一週間後
その後、93年9月28日に、右目深部の痛みを訴
の22日にO整形外科に入院した。入院中、単純X
え始めたので、同側後頸部(風池穴)より患者が
線検査等を行ったが、頭痛の原因がはっきりせず、
目の奥の痛みを訴える部分にひびきを感じられる
MRI検査で頸部軟部組織の微細な出血のみが指摘
深さまで(約40㎜)刺入し雀啄を加えた。
された。その後、頭部砂嚢固定とアイシング、鎮
治療頻度は週1∼2回で、94年2月26日の退院ま
痛剤の投与が続けられたが軽快せず、
入院約1ヶ月後の9月22日、本人の希
望により、O整形外科で鍼灸治療を
開始した。
初診時の自覚症状と所見:頭部全
体に締め付けられるような強い痛み
があり、僧帽筋部と胸鎖乳突筋部に
圧痛・硬結・緊張が見られたが、右
僧帽筋部の緊張は左同部より強く、同
時に自覚的な凝り感も訴えた(Fig.1)。
現 症:上・下肢の知覚及び腱反射
はすべて正常。バビンスキー反射
(―)
。
頸部の可動域等の検査は安静固定
されていたため行わなかった。
2.評価方法
一日を朝、昼、夜の3回に分けて、
患者に頭痛の強さを自己評価させ、毎
日数値を記録してもらった。
頭痛の強さは0∼10のペインスコア
で評価し、耐えがたい痛みを10、眠
れないくらいの痛みを5以上として、
朝、昼、夜の3回の数値の平均でそ
の日の頭痛の強さを示した。
Fig.1 体表触診所見および自覚症状
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報告
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Fig.2 治療部位
でに32回、治療終了の95年4月25日までに77回の
ため、入院1ヶ月後の9月22日に鍼灸治療を開始し
治療を行った。
た。
鍼灸治療により直後に頭痛の改善が見られたの
Ⅲ.経過
で、鍼灸治療開始9日後の10月1日から服薬は中止
し、鍼灸治療のみとなった(Fig.4)。
Fig.3に経過を示した。太い黒矢印で示したとこ
ろが鍼灸治療を行った日である。
事故日の1993年8月12日は事故直後から軽い頭
痛が出現、8時間後には激しい頭痛に変化した。
その後、症状は軽快せず、事故の1週間後の、
8月20日に、O整形外科に入院した。
入院後は、頸部を動かしたり起きあがると頭痛
この時期にはまだ、不用意な寝返り、面会時の
会話、MRI検査のための外出やTENSなどの治療
行為により頭痛が誘発された。しかし、それらは
鍼灸治療により軽快した。
Fig.5は、頭痛の程度の変化と1日の活動時間の
推移及び治療の別を月平均で表にしたものである。
頭痛の程度を月の平均値でみると事故があった
が生じるため、頭部砂嚢固定及び冷湿布を行い安
8月は5.8、9月∼10月頃は4.1ぐらいだったが、11
静を保っていた。
月には2.9以下に軽快し、1994年1月には1.7に低下
事故後から、8月、9月は数種の鎮痛剤をほとん
ど毎日使用し、9月には、ステロイド剤を1週間服
用した。
した。
頭痛の軽減と共に活動時間も増加し、94年2月
26日に退院、3月1日からはリハビリをかねて週1
薬剤で自覚症状はある程度軽減したが、患者は
日3時間程度の仕事を始めた。94年6月には1日の
長期服薬することを望まず、鍼灸治療を希望した
活動時間は11時間30分となり、事故1年後の1994
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松本 毅、他
年9月には受傷以前の仕事量の8∼9割まで回復し
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Ⅴ.考察
た。
しかし、1994年11月下旬に2回目の軽い追突を
鞭打ち損傷の5型のうち、最も多い、いわゆる
受けた。そのため、1ヶ月間ぐらいは頭痛が強く
頚椎捻挫型は、高松ら3)や内山ら4)は、およそ3
なったが、その後は再び順調に軽減した。そして、
ヶ月以内には90%近くが「症状の消失」、「苦にな
95年4月には頭痛が消失し、本人も納得して95年4
らない程度」まで改善、もしくは症状固定になる
月25日に鍼灸治療は終了とした。
と報告している。しかし、内山は6ヶ月以上の長
期の治療を要するのは2.6%あるとも報告してい
Fig.3 毎日の頭痛の変化(93年8月、9月)
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報告
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る。それらは、高松の報告のようにバレリュー型
経学的検査や単純X線検査では異常所見が見られ
や頸髄損傷型などが多い。
ず、頭部外傷並びに、眼、鼻などの症状もなく、
今回のように頭痛を主訴とするバレリュー型で
MRI検査で、頸部軟部組織の微細な出血が指摘さ
は、江川ら5)、兵頭6)は、神経ブロックや精神安
れたのみであった。また、心理テストは行わなか
定剤などの薬剤処方や耳鼻科、心療内科などの多
ったが、担当医は精神的問題は指摘しておらず、
角的アプローチが必要になると述べている。
抗うつ剤等の投与もなかったので心理的要因は少
今回の症例は服薬しても症状の改善が十分でな
いため服薬することを希望せず、鎮痛効果を期待
して、鍼灸治療を行った。
ないと考えられる。
これらのことより、本症例は、間中7)の報告の
緊張型頭痛と判断する事が適当と考えた。 間中
この症例の頭痛は、拍動性ではなく、頸部の神
は「いわゆる鞭打ち損傷による頭痛は頭蓋内の痛
Fig.4 毎日の頭痛の変化(93年10月、11月)
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松本 毅、他
覚刺激以外の5つの機序が複合して出現したもの
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としている(Fig.6)。
である(Table.1)。頭痛は、緊張型頭痛をベース
今回の症例は鍼灸治療で頸部や頭部の筋収縮を
としている」と指摘している。そして、緊張型頭
緩和することにより、間中の指摘する緊張型頭痛
痛の発生機序として、「頸部外傷による疼痛や精
の発生原因の悪循環を断ち切り、それが頭痛など
神的ストレスによる筋収縮」を指摘しており、「そ
の症状改善を紹来し、いわゆる鞭打ち後遺症の改
れが循環不全、発痛物質産生の悪循環を完成する」
善につながったのではないかと推察する。
① 血管の拡張(=血管性頭痛)
② 神経・筋の緊張(=緊張性頭痛)
③ 頭蓋外の痛覚刺激(例=頭蓋内血腫)
④ 頭蓋外の痛覚刺激(例=神経痛性頭痛)
⑤ 頭部、眼・耳鼻・歯疾患の放散痛
⑥ 心因性機序
Table.1 頭痛の発生機序による頭痛分類
間中7)を参考
Fig.5 活動時間と頭痛の推移および治療
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報告
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心因性
要素
頸部 外傷
被害者意識
脳損傷の心配
occipital
tunnel
syndorome
過冷
頭蓋内
の病変
筋収縮
循環不全
血管性
頭痛
ストレス
筋収縮性頭痛
疼痛
発痛物質
産生
打撲部
痛
頭部外傷
Fig.6 筋収縮性頭痛の悪循環
間中7)を参考
鍼灸治療は遠隔部に取穴し行った。急性期の炎
しかし、患者は服薬を望まず、Fig.3およびFig.4
症のまだ残っている状態では局所に直接治療を行
に示すように鍼灸治療により頭痛に対して直後効
わないのは、他の疾患と同じであるが、今回の症
果が見られたため、患者は安心して日常生活上の
例は慢性期においても局所の治療に不快感を訴え、
行動を積極的に行えるようになり、それが社会復
直接行うと症状が増悪する傾向にあった。そのた
帰につながったと考える。
め局所以外の治療穴を探して触診したところ今回
この症例は、整形外科的治療で効果が上がり難
のFig.2で示した所に圧痛や反応があり、そこに刺
かったバレリュータイプのいわゆる鞭打ち損傷患
鍼してみるとFig.3およびFig.4で示したように明確
者が症状を克服して社会復帰する過程で、鍼灸治
に効果が表れたので、その後もその治療穴で鍼灸
療が一定の役割を担うことができる可能性を示す
治療を行った。
一例であると考える。
頭痛に対する遠隔部の鍼灸治療では、矢幡8)や
松井9)のように比較的良い効果を上げている報告
Ⅵ.まとめ
が多いが、鞭打ち損傷の頭痛を主訴としている論
強い頭痛を主訴とし、服薬を望まない、いわゆ
文は見当たらず、効果についての比較や作用機序
る鞭打ち損傷の患者に長期に亘り鍼灸治療を行っ
についても不明な点が多いため、これからの課題
た。その結果、頭痛に対して直後効果が見られ、
としたいと思う。
痛みの軽減とともに患者の日常の活動時間が延長
本症例は1年6ヶ月の長期に亘り鍼灸治療を行っ
し、患者は社会復帰に至った。
た。そのため、本症例の頭痛その他の鞭打ち損傷
後遺症の改善が鍼灸によるか自然経過であるか評
価が難しいところである。
本論文は、第44回全日本鍼灸学会学術大会で発
表した。
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松本 毅、他
全日本鍼灸学会雑誌 49巻1号
と災害外科,43(2);507∼509,1994
参考文献
1)土屋弘吉ほか:いわゆる鞭打ち損傷の症状に
6)兵頭正義:むちうち損傷,ペインクリニック
(特別企画)
ついて,災害医学,11;376∼387,1968
2)形井秀一,松本毅ほか:いわゆるムチウチ後
7)間中信也:頭頚部外傷後遺症の病態(頭痛を
遺症に対する上下肢刺鍼の効果について,日
中心として)
,脊椎脊髄ジャーナル, 5(12);1029
本経絡学会誌,23(1);49∼54,1996
∼1034,1992
3)高松徹ほか:むち打ち損傷患者の検討,整形
8)矢幡一巧:頭痛に対する治療研究,日本経絡
学会誌,8(9);68∼69,1981
外科と災害外科,43(2);490∼493,1994
4)内山政二ほか:鞭打ち損傷の不定愁訴と治療
9)松井純子:頭痛の遠隔部治療,東洋医学とペ
インクリニック,5(1);28∼29,1975
期間,東日本臨整会誌,6;428∼430, 1994
5)江川正ほか:むちうち損傷の治療,整形外科
要 旨
私達は頭痛を主訴としたいわゆる鞭打ち損傷で、服薬を継続せず鍼灸治療を希望した症例に長期に亘り
鍼灸治療を行い経過を観察した。
この症例は、リハビリやTENSなどの治療や精神的なストレスなど様々な原因により頭痛が惹起される。
しかし、鍼灸治療により直後に頭痛が消失もしくは減弱し、その結果、痛みのために制限されていた日常
生活上の行動をスムーズに行えるようになった。それが症例の社会復帰につながったものと考えた。
Key Words:頸椎捻挫,バレリュー,頭痛,鍼灸治療,ADLの改善