(所要時間2時間コース) 船上にて ・ 横須賀新港について (国際港である。輸入品を陸揚げする港) ・ 御所ヶ崎 日本武尊の伝説の話 等 桟橋を下りた海岸にて ・ 砂浜は砂鉄である。 (※磁石で実際に見せると実感として分かる) ・ 猿島の位置を東京湾の地図などを見せながら把握してもらう。 (咽喉の地) ・ 東京湾は100㎡に 300 人(流域人口)という、過密な人口を抱える珍しい海。 ・ 横浜ランドマーク・ベイブリッジ・住友重工ドック、中央公園(平和モニュメント)・大楠山など周辺 の景色も簡単に説明。 ・ 猿島の名称(猿はいない) ・ 猿島の歴史(幕末、明治、昭和に砲台が造られた) 戦後、荒れた時期があった。 ・ H19に国から横須賀の所管となった。 ・ 明治の桟橋跡 今は3段だが、10段ほど砂に埋まっている。 (埋め立てによる海流の変化・地震による隆起などで砂浜が広がった?!) 海軍軍港碑 ・ 明治10年 ここまでを軍港として北西の夏島、東南の端猿島と、その範囲をさだめた標識。 島で一番古い近代土木施設。 ※ トベラ、 イソギク 猿島看板前にて 杖の話 ・ 島の概要 ・ ルート確認 ・ トイレについて・帰りの時間確認 トイレはコース内にありません ・ 管理塔の設計(建築家仙田満氏)、太陽光発電、エコトイレの話など・・。 電気灯機関舎 ・ 煉瓦造りの煙突は、貴重な明治の遺構。 要塞なので周囲の丘より低い。 ・ イギリス積み(オランダ積み) ※モルタルがいつ塗られたのかは分からない。 ・ 建物は、柱がないのが特徴である。 関東大震災にも耐えた。 ・ 蒸気タービンは貴重で、当時ドイツ製のものを使用。 ※ウラジロチチコグサ、ナガミヒナゲシ (帰化植物が植えている) ・ ・ 伝声管のブロック 流水路・桝 ※女郎蜘蛛の巣がこの当りに ※ ツワブキ、フウトウカズラ 1 ・ ハンドホール・電纜線埋設土管 第二砲台下塁道にて ・ 外から、分からないように幹道は掘って造られた。 幅4.5㍍、 深さ9.5㍍(最深部) ・ ブラフ積み石垣 (石は鋸山から切り出した房州石) ※ ラセイタソウ、カラスザンショウ、テイカカズラ ・ ・ この上に、明治時代の第二砲台(24センチ加農砲4門が・・)幕末には大輪戸台場が・・。 猿島第二砲台は、明治14年11月に起工、明治17年6月に竣工。 1門ごと胸檣と横檣が設けられた4門編成の露天砲台である。 (大輪戸台場跡は、帰りに通るので、その際説明。) ・ 兵舎の斜め上の窓は、明治32年につくられた観測所付属室。 兵舎 ※明治17年竣工 フランス積みレンガ造り ・ 兵舎と呼んでいるが、正しくは兵隊が使っていた部屋。 (明治期は兵が常駐していない) ・ 幅5㍍、奥行き14㍍ 70㎡の広さ。およそマンション1戸分の広さ。 ・ 内部は、ボールト構造の天井で、フランス積みの煉瓦壁の上に漆喰が塗られている。 ・ 太平洋戦争時には畳を敷き、20人ほどが寝泊りしていた。 ・ 伝声管で連絡をとった。 窓があるのは兵舎。 弾薬庫 ※明治17年竣工 フランス積みレンガ造り ・ 兵舎同様、内部は、フランス積み煉瓦壁の上に漆喰が塗られている。弾薬格納室と作業場なの か2部屋に分かれている。ここは砲側弾薬庫といい、弾薬本庫(トンネル内)より弾を必要に応じ 運んでいた。 ・ 楊弾井が、手前の部屋の角にある。 弾を砲台に揚げる人力エレベーター? ・ 部屋に平行して造られている通路(?)のようなスペースは何??? ①換気用(火薬を湿気させない)? ②サボタージュ監視用通路? ③爆風抜き? 弾薬庫前塁道にて(反対側トイレ跡) ・ 弾薬庫入り口左上に弾を揚げたと見られる石の遺構がみられる。 ・ 煉瓦積みの説明。(フランス積み・イギリス積み) ※この場所では、両方の積み方が見られる。 ・ 強度を保つには、目地を揃えないことが最も大切とか・・。 ※芋目にしない。 ・ 明治17年に竣工したフランス積みの煉瓦は元武士によって造られた。 (東洋組西尾分局士族授産所製と刻印) ・ イギリス積みは、小菅集治監製。 (桜のマークの刻印) ※トイレ: 糞尿の処理は当番制だった。 畑にまいたり海に捨てたり・・。 塁道にて ・ 戦後、武装解除のため第 3 砲座にて不発弾の爆破処理が行われたため、右側の石垣が崩れ塁 道を埋めた。それを左右に整理し積み上げた房州石が両脇に並ぶ。 ・ 塁道左崖上には、松の木がなくなり淡竹(はちく)が増えた。 ・ ボードの下には、昭和のころの塁道の踏み石が。 その10㌢ほど下には、明治の塁道が残る。 ※ ヤナギイチゴ、ミゾシダ、ホシダ 2 ・ ・ ・ ・ トンネル手前右側の石垣はブラフ積みだが、古くからの築城の技術などが生かされ、独特の曲 線で積み上げられている。まるで城の石垣のよう。 トンネル手前左側切通しには、350万年前の海底地すべりの跡という地層が露出している。 トンネル手前左崖には、島頂の探照塔へ向け電纜線用の鉄製フック、埋設土管がみられる。 また、その下の窪みは、雨水を集めた防火用水。 トンネル ・ 幅4㍍、高さ4.3㍍、長さ88.7㍍ ロマネスク様式ボールト構造のフランス積み煉瓦造り隧道。 ・ フランス積みの建築物で現存するのは全国に4ヶ所という。(長崎小菅ドック、富岡製糸場 等) ・ 煉瓦積み道路トンネルでは、日本一古い。 (明治17年6月30日竣工) ・ 煉瓦の色の濃淡は、焼き方が均一でないから。(焼成温度が違う) これが景観的には美しい。 ・ トンネルに沿って、左側には2階建ての地下室が12部屋ある。要塞の司令所、観測所、弾薬本 庫、兵舎、倉庫、などがあったと考えられる。 ・ トンネル中ほど左の入口は、司令所から島頂に通じる階段となっている。司令所の窓を開けた 目の前は、横須賀海軍工廠だったという。 ・ トンネルは、坂になっている。途中で下り勾配がきつくなるが、左右の煉瓦積みは平行。見事な 職人技がみてとれる。 トンネルをでたところ ・ 明治26年に建設された第一砲台跡。 (フランス カネー社製 27㌢加農砲2門が設置された) ・ 右手の上を見ると、気根が空中を覆っている独特の風景。 (気根は空中の空気を吸っている) ・ その先には隠れトンネルが。(出口が直角に曲がり船から見えないように土塁が造られた。) ・ この辺りに江戸末期に造られた亥の崎台場があった。現在はなんの痕跡も残っていない。 ・ ちなみに、幕末の台場、明治の砲台とも、一度も船に対し実践で使われることはなかった。 ・ 昭和の砲台を造るために、明治の弾薬庫を通路にした。入口の煉瓦積みは、美しいアーチ型。 安山岩のキーストーンを1つ抜けば崩れ去るという。(センター下がキーストーン) ※ イヌビワ、ヤブニッケイ、キジョラン 高角砲座のところ ※アカメカシワのところから、横浜・東京方面が望める。運がよければスカイツリーも。 ・ 昭和16年に、8センチ(75ミリ)高角砲が設置された砲座跡。島には4門が設置された。 ・ 横須賀はあまり空襲を受けていないが、終戦間際の7月18日に千葉沖の空母ベニントンからの 艦載機(爆撃機ヘルダイバー、戦闘機ヘルキャット)によって横須賀海軍工廠に停泊中の長門を ターゲットに最大の空襲があった。 当時、猿島には、100人程の兵がいて応戦をした。猿島を含め周辺72門の高角砲が迎え撃っ たが、打ち落としたのは1機だったという。 この空襲で、猿島では2名戦死者がでたとのこと。 (砲弾の破片がバラバラ草むらに落ち怖かったとか・・) ・ ここには、大きなオオバヤシャブシの木があるが、これは大砲を隠すために植えられたという。 また、一説では、自分の根が肥料をつくっているから成長が早く、荒れ地に強く、急傾斜地の崩 れ防止に植えられたとも。 ・ 西側には、隠れ波止場があった。現在は石垣が崩れている。 海蝕洞窟について (日蓮洞窟とも・・) ・ 対岸の景色を簡単に説明してもいいかも・・。 (横浜・東京方面、海ほたる、スカイツリー) 3 ・ ・ ・ ・ 縄文時代に波の力でつくられた海蝕洞窟である。 弥生時代の土器、土師器、須恵器、石器、骨角器、また古墳時代の貝塚が発見されている。 建長5年(1253)に日蓮聖人が布教のため安房から鎌倉への途中、海が時化て遭難。白猿の 案内でこの洞窟に避難したという伝説がある。白は神(仏?)を、猿はその使いを意味するとか。 一説には、江ノ島の洞窟とつながっているとか・・。 ※ 上に上がり、小休止、水分補給の時間をとる 〇ここで、龍本寺に縁起として伝わる日蓮聖人の猿島伝説を話す。 ※カクレミノ、ガクアジサイ キジョラン・アサギマダラ ・ 春から夏場には、美しいアサギマダラが飛んでいる。 日本で唯一、渡りをする蝶である。秋になると西南諸島、台湾へと1000キロの渡りをして冬を 越す。幼虫はキジョラン(有毒)の葉を食べる。身体に毒を含むことで外敵から身を守る。 卯の崎台場跡 ・ 対岸の景色を眺めながら・・(富津、東京湾観音、第一海堡、第二海堡を確認) ・ ここは、幕末の台場跡 (台場の絵と位置を図で確認、幕末の大砲写真) 卯とは東を指す。 ・ 明治末期には、第一海堡・第二海堡、猿島、観音埼、富津そして第三海堡で東京湾口の守りを 固めた。 ・ 嘉永6年ペリー来航の折、ペリー艦隊はこのあたりの水深を調べた。海図を作るためだった。 その際、猿島をペリーアイランド、大津湾をサスケハナ湾、走水港をルビコン港と命名。 ・ 東京湾海上交通センターと浦賀水道の話など。50メートル以上の船は決められた航路を通らな くてはいけない。(幅1.4キロ、長さ14.8キロの航路、右側通行) 猿島の植物 猿島の森の景観はうっそうとしたタブノキの林に代表されます。この景観は三浦半島に残された数 少ない原生林ともいえます。猿島の森床には、アスカイノデを代表とする、シダ植物がたくさん生育 しています。(空中の湿度が高く、多くの下草類の生育に適している) また、島の周縁には、潮風に強い海岸植物がみられます。(トベラ、アシタバ、ハチジョウススキ) ※290種余の植物(この内24種がシダ類)が確認されていますが、三浦半島にあるものばかりで特 筆すべきものはない ※ヤナギイチゴ、イラクサ、アオキ 防空指揮所・探照塔台座 ・ 時間を見ながら、一休み? ・ 猿島で一番高いところ。約40メートル。戦後は木が伐採され見晴らしが良かった。 ・ 監視所は、戦後テレビアニメ仮面ライダーの、ショッカーの基地として使われていた。 ・ 監視所の裏側にトンネルからの階段が通じている。その脇には司令所・観測所があった。 ・ 探照灯はスピーカー下の広場の真中あたりに設置されていた。四角く基礎が残っているという。 ・ このあたりから、縄文早期(約10000年~7000年前)の土器や手製斧、石皿片、などが発見 された。対岸の平坂貝塚、田戸貝塚と同時代であり、水面が40㍍ほど低く陸続きであったこと 4 から、尾根伝いに行き来があったと推測できる。 (猿島は半島の先端だった) ※平坂貝塚からは、日本で最古の男性の人骨が発見されている。9,500 年程前のもの。 ※クマノミズキ、カラスザンショウ 12.7センチ高角砲台座跡 昭和20年に本土空襲への対応策として2基据えつけられた。最大射高9,440㍍ 1分間に 24発の射撃速度であったという。 B29には対応できなかったようだが、艦載機はこれを恐れた。 周辺の高い山には、同じ砲座跡がいくつか残る。(砲台山 等) 猿島の鳥 猿島の野鳥は35種類が記録されている。留鳥が多く、メジロ、ウグイス、ヒヨドリ、キジバトなどに代 表される。 ヤブツバキの花の蜜を好むメジロは島内で最も多く見かける野鳥の一つです。 第二砲台カノン砲座跡 ・ 明治25年に、清を敵国とみたて24㌢加農砲4門が置かれた。その1門があった場所。 (第2砲台 第4砲座の胸墻(きょうしょう)が、道の左に残る。(※コンクリート片)) ※クズ、センニンソウ、ヤブツバキ 大輪戸台場跡 ・ 弘化4年(1847)4月に工事をはじめて11月に完成したと書かれている。 ・ 水面より直立20間余りとあり、海抜36㍍のところに造られた。6門の大砲が配備された。 ・ いずれも房総半島の方向に向けて設置された。 ・ 安政の大地震(1855)で、がけ崩れが起こり、大砲は大津陣屋に引き上げたという。 春日神社跡 ・ 小原台(防衛大学)、御所ヶ崎 (日本武尊の伝説)の説明など・・。 ・ 幕末に台場が出来るまでは、猿島は信仰の島であった。 ・ 島に公郷村の鎮守があるため、享和元年(1822)に対岸に拝殿を設けたという。この拝殿は、 現在の春日神社とは全く反対で、猿島に向かって参拝するように出来ていたという。 ・ 明治17年に猿島砲台が完成した際に、陸軍が公郷村から600円で猿島を買ったので、神社は 三春町に移された。 ※資料から推測すると、春日神社は現在の発電所あたりである・・との教育委員会の意見あり。 管理塔前 ・ 終了挨拶 ・ 時間があれば展示スペースを案内する。 ・ およそ時間であれば、帰りの船の待つ場所へ案内。 5
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