個別要素法を用いた行動シミュレーション技術に関する研究

個別要素法を用いた行動シミュレーション技術に関する研究
清野純史*
1.
研究の目的
潜在的な津波リスクを有する地域は,国内外に多数存在する.津波による人的被害を抑制するの
に最も効率的な対策は,津波が襲来する前に避難を完了することである.そのためには,迅速な情
報提供体制の整備,安全な避難路・避難場所の確保と周知,自力での避難困難者への補助等,事前
の備えが不可欠である.通常,事前の備えは予測に基づいて行われる.すなわち,津波が発生し,
避難が行われた際に,何が,いつ,どこで,どのように起こるのかを予測しなければならない.こ
のような予測の重要性は既に広く認知されており,住民による避難訓練や図上訓練,防災マップの
作成といった活動が避難路や避難場所の整備に反映されている.しかしながら,これらの活動には
現実の災害と同じ時間スケールと多大な労力を要することから,シナリオや対策法を数多く試すこ
とはできない.そのような目的には,コンピュータを用いたシミュレーションが最も適しており,
活用されることが望まれる.
現在,津波避難シミュレーションモデルは多数提案されているが,本研究では通路幅や歩行速度
の違い,あるいは出口付近の混雑による滞留を再現することが可能な個別要素法に基づく避難シミ
ュレーションモデル 000 を利用する.この避難シミュレーションは,建物内や地下街などの閉鎖的空
間のみを対象に行われてきたので,ここでは,複数の建物郡から構成される地区レベルにおける津
波避難行動に拡張して用いる.このモデルでは,各避難者の持つ特性(歩行速度など)や地域特性(道
路幅員など)を変化させることで,避難者の避難特性を考慮した避難行動分析が可能となる.
ここでは,ケーススタディとしてインドネシア・スマトラ島パダンの海岸に面した一地区を取り
上げ,対象エリアにおいて住民に対するアンケート調査を行い,シミュレーションに必要なデータ
の収集を行った.
2.
研究の方法
解析には個別要素法(Distinct Element Method)を用いた.DEM による避難行動モデル 1)2)0 は,部
屋などの空間から最短出口に向かったり,階段の平面形状を想定し,そこを使用して避難するよう
な単純かつ局所的な対象空間での避難行動を再現したもので,障害物が存在したり経路が複雑な解
析対象空間において各個体要素が各時間毎に目標点を決定し,障害物を滑らかに回避したり,他の
人間とすれ違ったり,前方の人間を追い越したりする基本的な人間行動をできるだけ現実に即して
再現できるモデル 4)5)をとなっている.
パダンの航空写真と地図,および現地調査から作成した解析モデルを図 1 に示す.図の横方向が
540m,縦方向が 380m である.図中の左部が海側,青線が家屋および道路の境界線,赤点が避難住民
の初期位置を示している.避難者総数は 2,103 人である.避難場所は現地で建物階数を調査し,ま
た対象地区の住民への聞き取り調査から図中枠で囲んだ建物(スーパーマーケット)を設定した.
この地区は住宅と小規模な商店が連なっており,他に多くの住民が避難できるような建物は見当た
らなかった.住民が一斉に避難を開始すると仮定し,10 分間のシミュレーションを行った.また,
避難場所の建物内で上層階に上がるために,避難者は最も近い避難路(エスカレータもしくは階段)
を利用すると仮定した.さらに,この建物の 2 階に上がった時点で避難完了とした.歩行速度は,
郡集歩行を観察した過去の調査結果を参考に表1に示す平均,分散および最小値,最大値を用いて
正規乱数により求めた.また,避難場所が複数ある場合や,避難場所に向かう経路が複数ある場合,
必ずしも全員が同じ経路を選択するとは限らない.そこで,あらかじめ各避難者が通り得る経路が
複数指定されており,その中から確率的に進む経路が選択されるようにした.
*
京都大学・大学院工学研究科・教授
図1
3.
解析モデル
得られた成果
図 2 に得られた避難完了者数の累積曲線を示す.避難開始から 10 分後の避難完了率は 91.4%(1923
人)であり,10 分間でほとんどの住民が避難できることが分かった.このことから,ここで避難場
所としてこのスーパーマーケットを指定することは,津波による人的被害を低減するに有効である
ことが分かる.しかしながら,避難者が最も近い避難路に向かうように設定したため,図 3 で見ら
れる様に図中上側のエスカレータ付近で混雑が発生している.また,図 1 中央付近の住民に対して,
避難建物までの直線的な経路がなく,避難に時間を要している.
そこで改善策として,(a)避難建物内での適切な誘導が行われると仮定し,利用する階段を分散さ
せた場合,(b)新しく道路を設けた場合について,それぞれ 10 分間のシミュレーションを行った.
対策(a)では避難建物内で左上部の階段に避難者が集中しないように,階段付近で図 4 に示したよう
な経路を設定する.ただし,図中で各矢印の分岐において,それぞれの避難者がいずれかの経路を
選択する確率は等しくする.すなわち分岐点において進み得る経路が 2 通りある場合は,どちらも
選択される確率は 2 分の 1 である.また,対策(b)を取り入れた場合の解析モデルを図 5 に示す.
シミュレーションの結果得られた避難完了者数の累積曲線を図 6 に示す.図中,赤線が対策導入
前(図 2 の再掲),黄緑線が対策(a),青線が対策(b)に対応している.対策(a)の場合,図中上側階段
付近における混雑が解消し,解析時間 300 秒あたりから避難完了者数の増加する割合が大きくなっ
た.解析時間 600 秒での避難完了率は 94.5%となり,現状モデルよりも避難完了率が良くなってい
る.一方,対策(b)の場合,解析時間 600 秒での避難完了率は 95.2%となり,こちらも現状モデルよ
りも避難完了率が改善されている.
このように新たな道路の建設は今後の防災対策として望ましいものであるが,実現には費用や用
地の面で困難も多いと考えられる.しかしながら,当面の対策として,避難建物内で避難者の適切
な誘導が有効であることが分かる.
図2
避難完了者数の累積曲線
図4
避難建物内の経路選択
図6
4.
謝
図3
避難開始から 10 分後の避難建物内の様子
図 5 対策(b)で新たに設ける道路
避難完了者数の累積曲線(現状と対策後の比較)
辞
本研究は飛島株式会社より委託されたものである.研究に当たってお世話になった飛島株式会
社・三輪 滋氏および池田隆明氏を始めとする関係各位に深甚の謝意を表す次第である.
参 考 文 献
1) 清野純史・三浦房紀・瀧本浩一・中島庸一,個別要素法を用いた群衆行動シミュレーション,地域安全学会
論文報告集 No4,pp.322-327,1994.
2) 清野純史・三浦房紀・末松美香,DEM を用いた被災時の群集流挙動に関する研究土木学会中国四国支部研究
発表会講演演説概要集,pp.3-4,1995.
3) 清野純史,三浦房紀,瀧本浩一:被災時の群集避難行動シミュレーションへの個別要素法の適用について,
土木学会論文集,No.537/I-35, pp.233-244, 1996.
4) 清野純史,三浦房紀,八木宏晃:個別要素法を用いた被災時の避難行動シミュレーション,土木学会論文集,
No.591/I-43,pp.366~378,1998.
5) 清野純史,土岐憲三,犬飼信広,竹内 徹:避難行動シミュレーションに基づく地下街の安全性評価,土木
学会論文集,No.689/I-57,pp.31-43,2001.