KURENAI : Kyoto University Research Information Repository Title Author(s) Citation Issue Date URL タイの奴隷制に関する覚え書 石井, 米雄 東南アジア研究 (1967), 5(3): 601-614 1967-12 http://hdl.handle.net/2433/55423 Right Type Textversion Journal Article publisher Kyoto University タ イ の 奴 隷 制 に 関 す る覚 え書 石 ま え が 井 き 米 雄 柑 紀 に 入 って,軽減措 置が とられ た後で さえ, タイの旧社 会 は, 出 自また は職業 によ って , 年 間 3カ月 とい う莫 大な賦役義務 を諜せ られ 公的 ・私 的権 利 の享有 に明瞭 な差 のあ る,二 てい たので あ って, その身 分は, はなはだ し _ つ の社会集 団 に分 かれ て いた.1 ) この うち」・ 2 / q l udi( F J 5 ) ), 下層 の集団 は phr ai 層 の集 団 は pl y 4 ( 局 ) と呼 ばれ る。 p hudiは, そのなか に i 武 く奴隷 的で あ った. 「自由民 」 に課 され たI , i chaonai(Eや1u7 E J )と khunhang (6 uuul ヾ )の † 役義 務 は,munnai3J純 7f Jと呼 ばれ る在 郷 の y 下級 役人 の課す経絡 によ って加 重され ,人 民 は苛酷 な生活 が 強 い られ て いたO 農民 た ちが , 2層 を含む。 前者 は王 族 で あ って,国王 との l j ]地 を捨 て ,森 林 の 申-逃散 して,過重 な課 血縁 上 の親疎 ,生母 の身分 な どに よ って, さ 役 の軽減 を官 に訴 えた記 録 も,年代 記 に見 え らに 5階級 に細分 され る。王 族 の階級 は,也 l udiの私民 ( phr ai て い る 。2'また,有 力 な pl 代 を経 るに したが って下 降 し, 5代 を もって s o m 王 族 た る身分 を失 うO こC / )制度 は,一夫 多妻 こ と, さ らに は, 自由民 よ り課 役負担 の軽 い 制 の王 族 身分層 の過 度 の膨脹 を抑 制 す る作m を もって いた もの とい えよ う。後者 ,す なわ 7 W ; 紺) とな って , そ の庇護 下 に入 る 奴隷 に身 を落 とす ことが しば しばで あ った こ と も,布 告 な どの 内容 か ら知 るこ とがで きる。 屯 ノー { ち khunnang層 は ,bandas ak( i J 汀 即 行n 6 7) 1 9世紀 中葉 に渡 タイ した ,欧米人観 察者 によ と呼 ばれ る一 種 の爵位 によ って ,整 然 と階級 j3 iに達 す る と報 告 され た 「本 って,全人 H O 付 け られ た官 僚 群で あ る。 khun nang の も 自由民 」 の大群 は,の ち に至 って奴隷 廃止 の つ爵 位 は,そ の官職 と相即 不離 の関係 を もつ。 措 置が と られ るにいた るまで ,減少 の きざ し したが って ,官職 にあ る者 の一 身 に属 す る も を示 さなか った ので あ るO ので あ り,世 襲 され る ことはな い。Chaonai ・ 9 66年 5月 か ら1 967年 の 4月 にか 筆者 は ,1 khun nangの 2層 によ って構成 され る phu- けて タイに派遣 され,東 南 ア ジア研究 セ ンタ di階級 が,旧制 度下 に おけ るタイの支 配層で ∼, タイ ・ビル マ調査計画 の一環 と して,主 あ った。 と してバ ンコ クの国立 図書 館 および田立文書 被支 配層 で あ った phr aiは, それが 享受 ,「自 由 民」 t hai晶 )と・ r 不 摘 民」 館 所蔵 の根本史料 を利 用 して ,賦役労 働制 の で きる 自由 の 多寡 に し たが って 解体 に関す る研究 を行 な ったが,本 稿 は, そ ( r at s adon r 7 野 ( t hat7 り 7 甜) の 2層 に 区分 され る。 「自由民」 の準 備 の一環 と して同研究 と密接 に関連 す る 7世 紀 にお いて年 間 6カ月 ,1 9 と言 って も,1 され た もので あ る。 タ イC j )奴隷 制 の t axo no mi eを 目指 して 執 筆 -1 6 7- 6 01 東 南 ア ジ ア研 究 第 5巻 第 3号 に成 立 した 「三 印法典 」 は Ⅰ アユ タヤ期以 前 タイ国 に関す る,1 7世紀 以来 の欧米人 の記 録 は,一致 して 「奴隷 」( Sl aves ,l eses cl aves , di eSkl aven)の存在 に言 及 して い る 。3) これ 2 ノ はタイ語 で t hat( y n甜) または kha (6 u 7 )と タイ0 )奴隷 制考 察上 もっとも重要 な文 献で あ る 「奴隷法 」 そ の他 の法 制史料 を含 んで い るので,奴隷制 に つ いてのべ るに先立 ち, まず 「三 印法典 」 の 史料価値 の検 討 をお こな ってお きた い。 1 . 「三 印 法 典 」 と は Kotmai tra sam 呼 ばれ る,一群 の複合 的 な不 自由民 の階層 を hatが いつ タイ族 社 会 に 発 生 したか , 指 す。 t , n とい う問題 につ いて は,今 日 2説 が分 かれ て J 7 日那 7a73 J 銅 J の訳 で あ って, ラ duang 9m3 805年 に編 修 され ーマ 1世王 の勅命 によ り,1 対立 して い る。 す なわ ち, ダム ロ ン親王 とか た法典 を指 す。正本 chabapl uang(i 前 Jm討つJ ) れ の後継者 で あ るタイ人歴 史家 は,すべ て, と して作成 され た s amut t hai khao甜3J諭 ? 臼6 u7つ 奴隷制 は クメール族 の制度 で あ って, ス コー (白地 の タイ式横型折 本) の各 帖 の 2ペ ー ジ タイには奴隷 は存在 せず , クメール の影響 の 目に, 3個 の朱 印5) が押捺 され てい るこ とか 濃厚 なアユ タヤ朝 に至 って , は じめて タイ族 ら, 「三 印法典 」 と通称 され て い る。 の社会 に導入 され た, との説 を とって い る。4) W. A. 良.Wood も A hi s t o r yo f Si am( 1 9 24) の 中 で , この ダム ロ ン親王 の見 解 と同一 の立 場 を とって い る。 ber t こ れ に 対 し フ ラ ンス の 法 制 史 家 Ro その序文 の 末 尾 に, 「書 記 に命 じ, 墨 を uang もって 3部 の 写 本 を 作 り, hong khr 乙ノ く y (門別 L F 7 5 ' が) に 1部 , hol uang (閃か粥∂つヾ) に 1部 ,s am l uang s amr apl ukkhun ( 何1討抑∂ 29 2年 の ラーマ ・カム- ン王 刻 Li ngat は, 1 ?面 前 L I ∂m / u)に 1部 をそれ ぞれ保 管せ しめ U † 文 に, kha (奴隷) が, 家 畜 とな らんで財産 た」 とあ る ことによ って,われ われ は 「三 印 のひ とつに数 え られ て い る ことなどの理 由か 法典 」 正本 ( chabap l uang i ) uu粥∂つJ) の原 ら, ダム ロ ン親王 の説 を批判 し, ス コー タイ 位 置を知 る ことがで きる。 しか しなが らこれ に も奴隷 は存在 した と主 張 して い る。 らはその後 なん らか の理 由で散逸 して しま っ しか しなが ら両 者 の相違 は, きわめて限 ら れ た史料 の解釈 の違 いによ るもので あ り,結 論 は新史料 の発 掘,近 隣諸民族 との比較 な ど 今後 の研究 にまつべ き点 が多 くの こされて い る。 q _ ′ た。 1908年 偶然 の ことか ら, l aks ana wi wat q ・ / q q / yt u . t / J ? つ7nl帖 と,1 aks anal akpha 討∩抄f7J. q J J ∂ni 晶 n7 1帖の計 2帖が発見 され , これ を 契機 と して各所 で発見 が相次 ぎ,翌 1 909年 まで に Ⅲ 三 印 法 79帖が回収 され た。その結果 ,正本 はそれ ぞれ 典 アユ タヤ時代 (1 350-1 767) には い る と, 41帖 よ り成 る ものが 3部作成 され た ことが あ q _ ノ 767年 の, ビル マ軍 に に作成 され た写 本 は ,1 き らかにな ったが ,1 aks anat hat∂∩抄t uu Q J m打 q ノq6 ' omas ak y v 5 ' 3 J 何∩戸 ) の正本 は, 今 日に と phr よ るアユ タヤ攻 撃 の際 , その大半 が焼失 ない いた るまで発見 され て いない。 史料 の状況 はやや好転 す る。 しか しこの時代 その後 , 「三 印」 を欠 く以外 は,本 の寸 法 , し散逸 して しま って お り,現在 に伝 わ って い るの は きわめてわず か にす ぎないので史料 と 書体 か ら通巻 番号 にいた るまで ことご と く一 1 ) 1 7世紀 の欧文資料 と,( 2) ラタナ コ して は ,( 致 す る第 4番 目の写 本 が発見 され た。 これ は - シ ン朝 の初期 に作成 され た タイ語 写 本-1 と chabap r ong s ong Oui T l那 附 せ( 副本) と 呼 くに法典- が 中心 となろ う。 なかで も1 805年 ばれ る。 この副本 は, おそ ら く正本 の写字牡 602 -1 6 8- 石 井 :タイの奴 隷制 に関す る憶 え害 らと同一 の グル ープ の筆 に な る もの と推 定 さ の こ とは, Ur t ext に加 え られ た 変 更 け 人き れ て い る。今 日まで に発 見 され たか ぎ りの副 さを 自 ら制 限 す る条件 で あ る と見 られ よ う。 apheiす なわ ち 適法 yut t i さ らに 慣 例 pr 本 は不完 全 で あ るが , 既 発見 分 の 叫 こ, 正 aks ana t hat と 本で は見 る こ とので きな い l t ham と考 え るタイ人 の通 念 よ りす j lば, ラ phr ommas ak を含 ん で い るた め, その 発 見 ーマ 11 日 二 王 に とって は,回 復 に価 す る苦 口の が きわ め て市大 な意味 を もつ こ とに な った。 栄光 で あ るべ きアユ タヤ諸 王 の制 定 した法 典 す なわ ち この結 果 , 三 印法 典 の t extが ほぼ 荏 ,根本 か ら退 け た とは考 え られず ,そ の 姿 完 全 な形 で 回復 され た ので あ る 。6) 勢 は あ くまで も古法 の復 原,後人 の 手に よ る 2. 「三 印法 典 」 は プ 不 当な改 ざん部 分 の復 旧 に あ った と見 るべ き 三蔵 の 結 集 をお こな で あ ろ う。 したが って , そ の成 立 は ラタナ コ って,仏 教教 団再 建 の基 礎 を きず い た ラー マ - シ ン期に入 って か らの ことで あ る とは 言え , 1仲 王 が ,法 律 を整 備 して ,俗 界 の秩 序 の回 注 意深 くこれ を利用 す るな らば ,か た りC / )程 復 を はか ろ うとい う実 践 的 目的 を もって編 修 され た もの で あ る 。 度 に まで , アユ タヤ法 の大綱 に接近 す る こ と 序 文 の記 述 に よれ ば, こ が可能 で あ る と考 え られ る。 7 ) 1名 よ り成 の法 典は, 書記 , 法 官 , 学者 計 1 る編 修委 員 会 が , まず 当時伝 承 され て いた法 Ⅲ 典 を底 本 と し, そ の重復 部分 を削 り,誤 りを 奴 隷 の伝統 的 区分 1 . アユ タヤ時 代 の奴隷 制 にかん して は, 正 し,項 目別 に 分類 整理 して 山来上 が った も Ni c ol as Ger vai s e ( 1 688), De l a Louber e の を, つ ぎに国王 日身 が , 「将 来 この国 を統 ( 1 693)8 )な ど, 同時代 の外 国 人 旅 行者 の記 録 治 すべ き国王 の利益 とな るよ う, 不 自然 な部 によ って , そ の大 要 を知 る ことがで き る。 し L / aJ 7 品∂u 分 を道理 にか な うよ うに 改 め 品 L か し, よ り体 系 的 な知見 を得 よ うとすれ ば , l nuu露甜 13 J )」 て成 立 した もので あ る。したが 7 現在 の と ころ三 印法 典 以上 の質 料 を 見 出す こ って , 「三 印法 典 」 と, そ 0 )成 ; T . の基 礎 とな とはで きな い。 申で も 「奴隷 法 」 ( Phr aaya- った ところの 舌法 典 との問 に は,多 かれ少 な kan t hat附 か れ 異 同が あ る もの と考 えな けれ ば な らな い。 & 歳 mFm 9) は, 奴 隷制 度 の研 究 上 , もっ と も重要 な文 献 といえ よ う。 各 l aks anaに の こ され て い る 巨 用は ,Ur t ext 2. 「奴 隷 法」は, たが いに 独立 したつ ぎ 成_ l T Lの時期 を示 す もので あ るか も知れ な いが , の四 つ の部 分 を含 む。 す なわ ち, それ以 上 の もので はな い こ とを,利用 に あた ( a) って は注 意 しな けれ ば な らな い。 1 359年 末 年 ( 1 547A. D. ) の層 O ) ) 1 387年 亥 年 ( 1 575A. D. ) の層 「三 印法 典 」 の Ur t extが 現 存 して い な い ( C) 1 557年丑 年 ( 1 7 45A. D. ) の層 u L 両者 を照合 して その異 同 を明 らか にす ( d) I J BEで あ るが , 作業 開始 か ら原稿 る こ とは 不L , ( a)に先 立 つ と ころの前 文 は 「ここに s i nt hai 完 了 まで に費 した時 間 が 8カ月 に足 りな い こ も ノ 1 262年 亥年 ( 1 455A. D. ) の層 10) 奴隷 ,男 女 の捕 虜 奴隷 な どに かん す る訴訟 の QJq と, n D那 露 um 品 (36条r律), 附 紺 懲ut yt y列 v FgF7Wn o 7拙 机 ∩ l(旧令), 附 缶 JIWr l D 7 (勅 令), y 原 因 につ いて述 べ よ う」 とい う文 に は じま るC これ に続 いて「使 うこ とので きる 7種 の奴 隷」 粥 3 J r( 新 令) な ど, 事項 別 に整理 され て と 「使 うことので きな い 6種 の奴 隷 」 につ い い ない ま まの雑 令が ,後半 に か た ま って現 わ て の解説 が ,パ ー リ語 原 文 の語 釈 の形 式 を と れ て い る こ とな どの事 実 は,編修 作業 が か な って行 なわ れ て い る。 この うち の 「使 うこ と り急 が れ た もので あ る こ とを推 定 させ る。 こ ので きる 7種 の奴 隷 」 は伝 統 的 な奴 隷 の分 類 閃踊 7 -1 69 - 6 0 3 第 5巻 第 2号 東南 ア ジア研 究 と して基 本 的 な 重要 性 を もつ もので あ って , な奴 隷 の分 類 を検討 して み よ う。 以 下 に そ の a層 の 冒頭 で もふ た た び繰 り返 され て い る。 原 文 を対 照 して か か げ る。 そ こで まず この両 者 を比 較 しなが ら,伝 統 的 \ パ ー リ 貢 吾 ちq 別uu つnL uyつ7 ! 晶 I i . ・ ・ . . . l ll I 1 / 3 J 7 列1 uV n 可 耶7 甜∩7 4 ≡7 q 7 uunlや ( )! ]DH' I : 7 7寸 a 文 前 i ・ . : T ? i I i +晶 J i , ' J . ) . zJ L J : I 7 0 ' 競 蒜u I :i "J i jl ・ ' : i 晶< ・ ::E J l J ・ :J t ・ ′ P u nm 諭 m抄 7 蒜 3 J l "m' ur / 7 u競 壷 1 3 J 7 u那 m y7 品1 u m ' u q 那1 nu5 7 7 ] ' I . ' l i - ・ I I U j J ' i 7 uL , 晶 7品 m抄n ' 7 u 7 m L ' 1. I l ∼ ; ・ . I I . ・ .J L i ・l ; i) . ・ ; ・ 1 . r J . ] 烏 . I . ; / 丁さ; . 7日, ・ ・ ) . , ・ 什I HL . ; j 信; ij . } ・ ・ L r J . I E h!) : " ・ . ・ 7 ; 州 J . ・ 1 1 ;I , . i I I D: ; I . : l i dl ・ , . l ・ . . l , i-( l r , I . d , 7 1 1 J J ぶJ) i ; L l . 晶 l H諭 l } . i L lこ ′ I ; 了: : ) . l ・ l i 1 . . ・ , I ; JL L j I 汀晶 L n列V l nl可 層 J 晶 : 事 、 , J J ・ , 読. L I E , I , 中 uこ 比叩J 関内7可 7 m田 口 7 石野7 . : I : ノ アL i , ・ lP i : , ・ : : ) . 言右目 言・ I JI . :i . m L T I J 7品 ) こ JLこL uu I 山 um沙甘q c J / はu 奴 隷 と した者 」 とあ るのが , a層 で は 「飢 ( 1 ) s i nt hai奴隷 。 前 文 で は 「財 貨 を も って 回磨 した奴 隷」 とあ るが , a層 は 「財 貨 を 鐙 の時 」 とな って い る点 が異 な る。 も って 」 とい う文 言 を欠 く。 ま た奴 隷 を指 ( 7 ) 「捕 虜 奴隷 」。前 文 は 「軍 旗 を なび かせ て hatm y が あて られ す語 と して前 文 で は t 乙 ノ て い るの に対 して , a層 で は kha9 日 が用 出陣 し,捕 虜奴 隷 と して得 た者 」 とや や冗 長 で あ るが , a層 は 「捕 虜 と して得 た奴 隷 」 い られ て い る点 が異 な る。 と簡 潔 に表 現 して い る。 以 上 の比 較 に よ って, 「使 う こ とので きる ( 2) 「金 主 の家 にお い て 出生 した ,奴 隷 の子 」。 dent i c alで あ る。 両 者 の文 言 は ま った く i 7種 の奴 隷 」 は ,多少 の表 現 上 の差 を の ぞ け ( 3 ) 「父母 に 由来 す る奴 隷 」。前 文 で は父 母 の ば ,前 文 , a層 と も互 い に ほ とん ど一 致 し, つ ぎの通 りで あ る こ とが 明 らか とな った。 す 「側 か ら」 とな って い る点 が異 な る 。11) なわ ち , ( 4 ) 「贈与 され た奴 隷 」。 前 文 で は 「贈与 者 を もつ奴 隷 」, a層 で は 「第 3着 に よ り贈与 ( I ) s i nt hai奴 隷 され た奴 隷 」 とな って い る。 ( 2 ) 奴 隷 の子 ( 5 ) 「罪 に定 め られ た者 を苦 しみ か ら救 う(罪 ( 3) 父母 よ り相 続 した奴 隷 m T7 7 を購 う) こ とに よ って得 た奴 隷 」O前 っi †† ∩6 u:前 っ罰 とい うわ ず か な 違 い の ほ か は両 ( 4 ) 贈 与 され た奴 隷 ( 5 ) 飢僅奴隷 者 は ま った く一 致 す る。 いわ ゆ る 「司法 奴 ( 7 ) 捕 虜奴隷 3. 「三 印法 典 」 の Urtext あ るい は,同法 i i参 照) 隷 」 で あ る。 (後 述 vi 典 編 修 の 当時 , す で に失 わ れ て い た古 法 典 の ( 6) 前 文 で は 「米 価 が騰 貴 した時 ,扶 養 して 60 4 - 1 70 - 石 井 :タイの奴隷制 に関す る覚 え書 に,上 述 した 7種 類 の奴 隷 の それ ぞれ につ 腰 奴隷 」, 「 負債 奴 隷 」 と訳 す こ と も 可 能 で あ いて ,別 別 の規 定 が定 め られ て いた か ど うか るが , こ こで は 原語 を その まま片巨 、 て 「 s i n につ いて は推 測 の域 を 出な いが , 「奴 隷 法 」 t hai奴 隷 」 と呼 ぶ こ とに した い。 中 「s i nt hai奴隷 」 にかん して は, 「奴 隷法」 212)の 冒頭 に あ る 「まず s i nt hai奴 隷 か ら 述べ よ う (傍点 筆者 )」 とい う 1節 は, 7種 2に,三 つ の 「月 軌 、 」 の方 式 に ついて定 義 が 類 の 奴隷 の うち,少 な くと も二 種類 以 上 の奴 な され て い る。 これ は 「 s i nt hai奴隷」 に一) 隷 にかん す る法 律 が存在 して いた こ とを示 唆 いて の 明文 の規 定 と して基 本的重 要性 を もつ 1 67年 (1 805 して い る もの と言 え よ う。 小 暦1 ので ,以 下 に全 文 を訳 I l i ' ]して お こ う O 『 phr at hammas atに もとづ き, 3種 類 の奴 A.D.) の 口付 を もつ 「勅 令 」 ( phr ar at cha- 毎t y T a)22に, 「捕 虜 奴隷 律 banyat附 彰m l ( Phr ar at chakammot phr aayakan l aks ana 町n c l約 5 7 附 t hatchal oei yvl甜 1 myW彰L紺 )を考正 隷 の腰 い につ いて述 べ よ う。 ひ とつ, 身 価 (の最高額 )以 下 で の煩 い。 y u 7 紬 ∩7訂前 yE 7 J ひ とつ, 身価 (の最高 額 ) で の煩 い. 。 ひ とつ,磨 った 0 )ち使 役 しな い購 いO ( chamr a 前 古)し賜 え り」 とい う文言 の あ る と ころか ら,少 な くと も「捕 「身 価 (の最 高額 ) 以 下 で の購 い」 とは, 買戻 条 件 付 の売 買 で あ って, (そ G )契紬 二は) 虜奴 隷 」 にかん す る規 定 が もうけ られ て い た 売主 と保証人 とが要 る。 も し ( 奴 隷 が) 逃 亡 ことはほ ぼ確 実 で あ ろ う。 しか しなが ら 「三 印法 典 」所 収 の「奴 隷 法」 は,上述 した( a) ,佃) ,( C) ,( d) の 各層 の いず れ し,失 践 した時 は, (買主 はその奴 隷 の) 読 主 と保 証人 を追 及 す る ことがで きる。 「身 価 (の最高 額) で の煩 い」 とは, ( 奴隷 を とって も, こ とご と く s i nt hai奴 隷 のみ の) 身 価 い っぱ い の価格 で磨 う ことで あ って, の規 定 に終 始 して い る。 この理 由 と して は, 保 証 人 を たて ないo 売主 は,奴 隷 の逃 亡,失 「三 印法 典 」成 立 の頃 まで に, 奴隷 の均 一 化 錠 につ いて責 任 を問 われ る ことが な い。 i nt hai奴隷 が進行 し,実質 的 に は すべ て s 「磨 ったの ち使 役 しな い購 い」 とは,磨 っ と同様 の取 扱 い を うけ るよ うに な った こ とが た後 で 買主 が利子払 いに切 り換 え た り. また 原 因で は な いか と思 わ れ る 。13) そ こで , まず , i nt hai奴 隷 に タイの奴 隷 制 の 中 核 を なす s 奴 隷 の ほ うか ら利子払 い を願 い出 た りな ど し て,買主 が 奴隷 を使 役 しな い こ とを 言 う. 』 つ いて 「奴 隷 法 」 の 内容 に即 しなが ら検 討 し 以 上 の定 義 か ら, わ れ われ は 「 s i nt hai奴 たい。 隷」 が , は っき りと二 つ の カテ ゴ リーに区分 Ⅳ け され て い る ことを知 る。 す なわ ち,( 1 ) 身価 Si nt l l ai奴隷 の最 高額 よ り低 い価格 で煩 われ る 1 . 本稿 で 「si nt hai 奴 隷 」 とは , t hat u 裾を指 す 。thatsin thaiは, 奴 隷 と, ( 2) 身価 の最 高額 い っぱ いの 価格 で購 われ る奴 隷 s i nt hai7 7 7評言 で あ る。 前 者 を 「 khaif ak 奴 隷 」, 後 者 を ふ つ う 「売 買奴隷 」と訳 され る 。 14) しか し, よ 「khaikhat奴 隷 」 と呼 ぼ う。khaif ak とは りタイ語 に 即 して見 るな らば, t haiとは, 買戻 条件 付売 買 の意味 で あ る。 売主 は, つ ね 「債 務者 が ,債 権者 に対 し債 務 の弁済 をお こ に売 買 の 目的物 で あ る奴 隷 を買 い戻 す権 利 を な って,債 権 者 の下 に あ る担保 物 権 を請 け戻 留 保 して い る。 これ に 対 して khaikhat は す」 こ とで あ り15),s i nt haiとは ,「( 担保物 永 代 的売 買 で あ る。 売主 は khaikhat した 件 の請 け戻 しに際 し)債 権者 に支 払 われ るべ 奴 隷 の 行 為 につ いて何 ら責 任 を問 わ れ る こと き金 銭 債 務」 を意味 す る 。16) したが って 「回 が な い 。17) - 171 - 6 0 5 東 南 ア ジ ア研 究 第 5巻 √ 第 3号 2. khaifak す なわ ち 買戻条件付 売 買 は, 人 の 「物 」で あ り,象 ,馬 ,午 ,水牛 ,家屋 , 売 ) の中心 売 買 の- 形式 で は あ るが,khai( 田畑 な どと並 んで ,主人 の財産 の中に数 え ら 的 内容 をなすべ き財産 権 の移動 は, ここで は れ る。主 人 は,殺 す こと以外 の あ らゆ る権 限 不完全 に しか行 なわれ ない 。 「kl l aif ak 奴隷」 を 「khaikhat奴隷 」 に対 し行 使 で きた。な は, いぜ ん と して 「売主 に 属 す る人 ( phu ぜ な らば 「奴隷 は金主 の権 限 の下 に あ る ( L Ju 1 8 )奴隷 の khon t han)」と呼 ばれ るので ある 。 L lらI A 討n 凱L n u7 肌川 ) 」 か らで あ る。 2 2 ) 所有権 は買主 の もの とはな らず ,奴 隷 の身柄 Bowr i ng は, 「khai khat 奴隷 」 の大半 は一 時 的 に預 け られ るにす ぎな い。経済 的効 が,両親 によ って売 られ た未 婚 の女 子で あ っ 果 につ いてみ るな らば ,khaif ak は,売 買 と て, そ の数 は 少 なか っ た と 報 告 してい る。 ak 奴隷 い うよ りはむ しろ 質 に近 い。 khaif 「khaikhat奴隷」は,売主 が保 証人 を立 て の労 働 は 「売価」, 換 言 すれ ば 「貸 金」 の利子 る必要 が なか ったので , 売 られ た 奴隷 の 手島 ak 奴隷 が とみ な され る。 したが って khaif 3 ) は,機 会 を うか が って は逃亡 した, とい う。2 買主 ( naingoen 「金主 」 と呼 ばれ る) の家 khaikhat奴隷 は,後 には ま った く消滅 して で働 か ない場合 が あれ ば,利子 の支払 いが要 しま った 。24) 求 され るOこれが上述 の 「購 って使 役 しないJ 4. khaifak と khaikhat とを区別 す る 奴隷一 利 子払奴隷 ( t hatphuk dok) で あ る. 指 標 は, 「売買 」 の価格 が, その奴隷 の 「身 khaif ak 奴隷 は, 簡便 な 金融手段 と して 価 」 の全 額 で あ るが, それ以下 ( 基本 的 には 広範 囲 に行 なわれ た制度 で あ る。 タイの奴隷 車額) で あ るか とい う点 に あ る。 この場 合, を 「回頗 」 の可能 不可能 の別 に も とづ いて, 「身価 」 とは,次節 にのべ る法定 身価 の最高 r edee mabl es l ave と i r r edee mabl es l ave 額 を意味 す る もので あ って,男 子 について は に分 け, khaif ak 奴隷 を前 者 とす る ことが 1 4タムル ン (-56バ ー ツ),女 子 について は 1 2 9 ) , この分類 は khaif ak 奴隷 の本質 あ るが 1 タムル ン (-48バ ー ツ) と定 め られ てい たo を見誤 ま らせ るお それ が あ る。 なぜ な らば, V Luk t hat:子 奴隷 khaif ak 奴隷 の金主 - の 隷 属 は売 買 の 目的 で はな く,債 務支払 の担保 で あ り,金 利確保 1 . 奴隷 の子 は,原則 と して,親 奴隷 の主 とい う手段 的意味 しか有 して い ないか らで あ 人 の所有 に属 す る。 おそ ら くは家畜 の生 ん だ ak 奴隷 は, khaif ak とい う,一 る。khaif 子 が, その家畜 の持主 の所有 とな る ことの類 種 の債 務契約 の結 果 と して発生 す る もので あ 推 で あろ う。 奴隷 の子 は, つね に l uk t hat って,金融 の一方 式 にす ぎない とい う点 を忘 hat とも kha ∂nm 甜 (子奴隷 ) と呼 ばれ, t V とも呼 ばれ る ことはない。 れ て はな らない。 タイの奴隷 の大 部 分 を 占め た この khaif ak 奴 隷 につ いて報 告 した欧米 上述 した s i nt hai奴隷 の場合 には, 金主 人 が, しば しば s l ave とい う語 の 使 用 に 抵 (-買主 ) が売主 に支払 う金額 ,別言 すれ ば, 抗 を感 じて い る とい うの も khaif ak 奴隷 の 本質 か ら見 れ ば 当然 の こと と言 え よ う。20) 3. 「khaif ak 奴隷 」 が ,「t hai khr ung 売主 がその奴隷 を購 うときに金主 に弁済 すべ き金額 は金主 と売主 との間 の取 り決 め に よ っ て,決定 され る。 その額 が法定 身価 の最高 額 t hatkhr ung ( 半 自由人 ・半 奴隷 )」2 1 )と呼 ば に達 す るか, それ 以下 で あ るか に よ って, れ ,金主 の権 限 が大 幅 に制限 され てい るの に khaikhat奴隷 と khaif ak 奴隷 の区分 が発 対 し,「khaikhat奴隷 」 に対 す る主 人 の権 生 した こ とは上述 の とお りで あ る。 これ に対 限 は絶大 で あ る。 「khaikhat奴隷 」 は,主 uk t hat は, 出生 の瞬 間か ら死 に至 る して l 606 -1 72- 石 井 :タイの奴 隷制 に関す る覚 え書 5 82 83 8 4 8 8 7 8 8 8 9 8 1 6 1 0 9 日 H 63 一 9 0 1 4 0 1 6 1 1 2 1 3 1 5 1 4 4 山 6 6 1 84 5 一 6 8 0 2 7 9 1 40L 8 1 9 2 8 7 6 一 7 8 4 7 1 6 4 5 77 7 77 C O9 0 9 9 0 4 1 1 2 3 6 78 69 67 9 9 9 9 6 4 9 1 14 2 5 3 1 6 565 59 0 60 57 58 9 6 8 2 3 4 3 9 1 2 0 5 0 5 2 2 1 5 3 2 12 5 ︰ 3 単位 ツ :バ - 単位 ツ ・バ ー . である カテゴリ ー 。 1 kth i の が特別 と th て いであ の違 at u a っ として取り扱われる理由 表1 kth l 身価 年齢 2 の男女 は u at 別 ・ , ている っ 。 8 バ にお いて ,26 40 才 男子は で最 ツの開きが見られる ー 。 女手は の身価より高く に女子 ( 14 56 バ ツ) タ ムルン ー ,( 高額 に達し 男子 表 の身価は これによると である つね。 ,最高額 才が最高 48 12 バ 30 21 で タ ツ) ムルン -二 - とな 。 色 .ノ (ph k P rom an raaya -前 まで「賠償金定率法 l k th が それぞれ の身価 ua at u ,l l i と th この点が at s n u , ならな い ld)」 werge 年齢別 男女 た の「人命賠償金 ・ ,(kh められた身価を にしたが の年齢性別 っ , に支払わなければ てその主人すなわち所有者 kth 1 k として適用される したが て u っ 。 を回磨しようとする者は Fn阿つ) に定 この表 th at,かれ 宗 7 3J ) 」25,に定められ 附 かむ∩7㌢附 留 ( k masa 6 0 7 73 - 1 - 2 9 12 9 0 0 9 9 3 94 95 9 6 97 98 99 44 4 2 5 6 7 8 9 8 7 6 0 h 6 " 3 1 0 2 4 7 8 5 6 2 0 9 8 6 9 8 7 0 才 2 525354 6 4 6 令 価 格庭 年 令 価格 令価 格律 令 価 格庫 令 価 格し 年 才 1 81 82 83 10 -llLl ? 令厄 格 令庵 格 年 価格. 年 m 令 年 55 j5 5 8 5 6 6 1- 3 て 6 4- 6 ;8 ≪Pro masak≫による女子 の身価 表 2 ≪phr o mmas ak≫ に よ る男 子 の身 価 表 1 東 南 ア ジ ア研 究 第 5巻 第 3号 2. I nk t hatは,父母 の 身分 , 出生 の場 「飢 鐘 の時 ,扶養 して奴隷 と した者 」 は,そ 所等 の条件 によ って,異 な った取扱 いを うけ れ 自体 で はなん ら特別 の カテ ゴ リーを成 す も る。基本 原則 は,( 1 ) 奴隷 の子 は母方 の身分 に ので ないので ここで は取 り上 げない。 「司法 2 )出生 した 子 が 自動 的 に l uk 規定 され る,( 奴隷 」 につ いて は, 「官有 奴隷 」 の節 で 触 れ t hat とな るのほ,母 が khaikhat奴隷 で あ る場合 にか ざ る, とい う 2点 で あ る。 以下 , る ことと し,最後 に の こった 「捕 虜 奴 隷 」 各 種 の事例 につ いて検 討 しよ う。 chal oeiL町かy とも言 う) につ いてのべ よ うQ 3 . 両親 が共 に khaikhat奴隷 で あれ ば, uk t hat と して主 人 の所有 とな る その子 は l ことは言 うまで もないが, この場 合,両親 の 属 す る主 人 が別人 で あ る ときには,母方 の主 人 が子 の所有権 を得 る。 「あたか も放 たれ た 牛 の子 がすべ て,雌牛 の主 人 の物 とな るよ う に 。」26) ( t hatchal oeim刑 部討 yあ る い は 簡 単 に 2. 「反逆 法 phr aayakan At c hayal uang 附影 了 か y n 7 T ∂ 7y77 1aW J 70は, 戦場 で 捕獲 した 「象 ,局 ,人 ( phukhon),武器 ,財 貨 」が, すべ て国王 に属 す る もので あ って, これ らを み だ りに処分 す る ときは,斬 首 ,財産 没収 を ha含 む重刑 に処せ られ る 旨さだめて い る。c l o ei とされ るの は 戦 闘員 にか ぎ らず , 占領 自由人 の男 が,第 3者 に属 す る khaikhat 地 の全住民 が 投 致 され , 強制 的 に 移住せ し 奴隷 と私通 して 出生 した子 は,母方 の主 人 に め られ た。 こ う した 強制移住 は kan kwat 属 す る。主 人 は, その男 に対 し,奴隷 の妊娠 khr uam Tnつ751 F 7 7つ と呼 ばれ る. こう した 強 によ って主人 の蒙 った損失 の補償 を要求 す る 権 利 を もた ない。 L / 制 移住 の 目的 は,( I ) 戦争 によ って不足 を きた 2) 相手国 か ら労働力 した 自国労働 力 の補充 ,( 自由人 の男 が,khaikhat奴隷 を妻 と して 要 る時 には,一般 にその女 奴隷 を購 って 自由 人 の身分 と してか ら結婚 す るので ,子 の帰属 の問題 は発 生 しないのが普通 で あ る。 しか し, 自由人 の男 が,主人 の同意 を得 て女奴隷 と同 棲 して い る うちに も うけた子 , あ るい は婚 姻 関係 を保 った ままで , 自由人 で あ る妻 を奴隷 と して第 3者 に売 りその間 に出生 した子 は, 奴隷 で あ る母方 の主人 に属 す る。 khaif ak 奴隷 を 母 と して 出生 した子 は, 母 の売買価格 が法定価格 の半額 を越 えないか を奪 ってその潜在 的戦争能 力 を低下 せ しめ る, ( 3) 論 功行 賞 と して 自軍 の将兵 に配分 す る こと な どにあ った もの と考 え られ る 。27) chal oeiにかんす る 「三 印法典 」 の記 載 は あま りに断片 的 にす ぎ,それ のみ によ って捕 虜奴隷 の実態 を うかが うことはで きない。 Del aLoubとr e( 1 69 3) は, 奴隷 発生 の原 因のひ とつ と して,戦 争 によ る捕虜 をあげて 7世 紀末 におけ る捕 虜奴 い るが, この記述 は1 隷 の 存在 を 証拠立 て る もの と 見 られ よ う。 ぎ り,母方 の主 人 に属 す る ことは ない。主人 chal oeiの取扱 い は 必 ず しも苛酷 な もので は なか った ら しい。 法典 によれ ば,主 人 の 中に は,たかだか,母 奴隷 の妊娠 中の労働不能 に II J 対 す る補償 金 ( khapuai kan 戸 ) 7 uつ ymF )を要 hal oeiの子 を僧籍 に入 れ ,就 学 の機 会 を はc 求 で きるに とどま る (「奴隷 法 」74)0 l e goi x が, 与 えた者 もあ った とい う。28' Pal 国王 は,都 へ泣致 され た chal oeiに対 し,米 , Ⅵ Chal oei:捕 虜 奴 隷 金銭 ,住 居 の建築資材 を与 えてその定住 をた す け,chal oeiた ちは, 定着 後 ,頭 領 を互選 1 . さきに述 べ た奴隷 の伝統 的 7区分 の う して秩 序 あ る生活 を送 り,や がて タイ人 とか ち,相続 によ る財 産権 の承継 ,贈与 によ る財 わ らぬ利益 を享受 す るよ うにな った, とのべ 産権 の移転 によ って獲得 され た奴隷 ,お よび て い るの も c hal o eiの実 態 を反 映 す る もの と 6 0 8 -1 7 4- 石 井 :タイの奴 隷制 に関 す る覚 え書 782- 1 809) の は, よ うや くラーマ 1世王 (1 して興 味深 い 029) Bo wr i ng は ,1857年 当時,タイに強制 移住 治世 に入 ってか らの ことで あ った 。32) この新 hal oeiの人 口をつ ぎのよ う させ られて いた c たな措 置 によ って,これ まで の 閉鎖 的 な c ha- に推 定 して い る。 l oei階級 は次 第 に解 体 の方 向へ と向か うこと にな った ので あ る。 表 3 Bo wr i ng ( 1 85 7 ) の推定による c hal o e i人 口数 Mal ay Co c hi nChi ne s e Pe guans Lao s 戦闘員のみ) Bur me s e( 計 4. 捕 虜 奴隷 との 関係で触 れ て おかな けれ ば な らないの は , 山 地民 奴隷で あ る。 ここで 5 , 0 0 0 人 1 0, 0 0 0人 1 0 , D O O人 2 0 , 0 0 0人 1 , 0 0 0人 山地 民奴隷 とは, ラオス, カ ンボジアの 山 岳 部 に住 む未 開 の kha 族 を略取 して 奴隷 と し awf ur d は,バ ンコ た ものを指 す。 John Cr クで 散見 した kha 族 奴隷 につ いて 報 告 して 46 , 0 0 0 人 Cr awf ur d1 828)。この種 の奴隷 は c haい る( J.Bowr i ng,Thek i n gdo m andPe o Pt e .I .Lo ndo n,1 8 5 7. o fSi am,vol xt r a1 bgal e 1 oeiとは呼 ばれ ない. お そ ら く e 皮,特殊 の カテ ゴ リ-を成 す もの とみ な され 3 . chal oeiの大半 は国王 に直属 した。 功 てい た と思 われ るが ,詳細 は不 明で あ る 。33) 績 の あ った王 族 ・貴族 等 に配 分 され た場 合で 1 Ⅶ 官有奴 隷 と私有 奴隷 l l auChi wi t( Bowr 1 も, それ はつ ね に bau c mg 1 857),kho nl uang ( Bas t i an 1 867) す な さて,以上述 べ て きた各 種 の奴隷 を, その wr i ng に わ ち 「国王 の僕 」 と呼 ばれ た。 Bo 所有主 が国家 (-国王 ) で あ るか ,私人 で あ よれ ば ,マ ライ人 とモ ー ン人 は水夫 と して用 るか によ って 分類 すれ ば , 「私 有 奴 隷 」 と い られ ,月 8バ ー ツの手 当を受 け,船 長 に な 「官有 奴隷 」 の二 つ の カテ ゴ リーを も うけ る 者 に属 す るの は二 種 の s i n れ ば20-30バ - ツを与 え られ て い た とい う. ことがで きる。 コー チ シナ人 とラオ人 ,およ びマ ライ人 , モ ukt hatす なゎ ち奴隷 の 」 ′ で あ t hai奴隷 と 1 - ン人 の一 部 は兵 卒 と して 用いられ ,年 3カ hatl uang m 訂閃銅 Jと呼 ば れ , る.後者 は t 月 の勤務 期 間 中には,月 4バ - ツの給与 の ほ f 冊i T ] で述 べ た か ,米 の支給 を受 けた。 これ らの諸 民族 の 中 ほか,裁判 の結 果 と して奴隷 に され た いわ ゆ で もマ ライ人 とコーチ シナ人 は,廉直 の ほ ま "r ] ]法奴 隷」 の る 「司法奴隷 」 が含 まれ るO 「 oeiは集 団的 に居 住 して れ が高 か った。 chal 内容 は多 岐 にわ た り,債 務支払 不能 とな った お り, アユ タヤの マ ライ人 コロニ ー,バ ク ラ 債 務者 また はそ の保証人 で ,裁 判 の結 果 ,奴 ッ トの モ ー ン人 コロニ ーな どが 知 ら れ てい 隷 と して最高値入 札者 に売 られ た者 ,同 じ く る 。30) 債 務者 に引 き渡 され た者 , 前 chal oeiの大 半 が これ に属 す る 刑 罰 のひ とつ と し chal oeiは,khaikhat奴隷 と同 じ く回唐 て奴隷 に売 られ ,その売上 代金 が国家 に帰属 をみ とめ られ て い なか った。 かれ らは 「苛酷 す る者 ,訴訟 事 件 に敗 訴 し,原告 に対 し揖告 な待遇 に耐 えかね て,金 を工面 し, ( 主人 に) 賠 償 を命 じられ たが,履 行不能 とな り,奴 隷 身価 を払 (って 自由 を頗 ) お うと して も,お とされ た者 ,何 らか の理 由 によ って体 刑 も し oeiで はないか と 前 は戦場 で捕 え られ た chal くは罰 金刑 に処せ られ た者 を,第三者 が腰罪 い って,受 け入 れ られ なか った」 ので あ る。31) 金 を支 払 ってその罰 を煩 い, 自分 の奴隷 と し chal oeiに, 自由 を煩 う 道 がひ らかれ たの た者 , な どを含 む 。34) ー1 7 5- 6 0 9 東 南 ア ジ ア研 究 第 5巻 第 3号 て売 られ た若 い ジャ ワ人 の男 女 1 3名 につ いて Ⅷ Kha phr a:寺院奴隷 言 及 し, 「シャム国政府 は この不 届 きな慣行 を奨励 してい るので あ る。 聞 けば ,近 年 400 chal oeiと司法奴隷 の一 部 は,寺 院 に寄 進 さ れ ,寺 院領 の 田畑 の耕 作 にあた った。 この種 i , / の奴隷 を kha phr a6 u7 抑3 ' 影 と 呼 ぶ。 kha 人 以上 もの 中国人 が,同国人 の手 で誘 拐 され , 9世紀初 頭 まで 回 phr a の身分 は世 襲 され , 1 い る と 言 う。」 と報 告 して い る。 Cr awf ur d 腰 がみ とめ られ なか ったので ,khaphr aは一 は同一 の報 告 の 中で , タイの高官 の家 で見 か 種 の カス トを形 成 して いた。 kha phr a の生 けた 5人 の若 いア フ リカの ニ グ ロにつ いて述 活 は,僧侶 を支持 す るための農業労働 を主 と し,重労働 は少 な く,む しろ他 の奴隷 よ りも べ てい る36)の は貴重 な証言 で あ る。 ●●■ ●●●●●● ■ 0に, 「ジ ャ ンクの船上 か ら救 「奴隷 法 」 1 楽 で あ った と見 られ るが , その地 位 は きわ め った ( 奴隷) と同 じよ うに,奴隷 の主 人 は絶 て低 く,人 々か ら厭 われ ていた 。35) 対 権 を もつ ( 3 品 シャムへ連 れ て こ られ,奴 隷 と して売 られ て 別品 q 2 J 71 1 7削閃3 4 1 au7品 1比蒜 か 露1 L m」 (傍点 筆者) とあ る ところか ら見 て, Ⅸ 輸 入 奴 隷 かれ らは回腰 をみ とめ られず ,主 人 の絶対 権 以上 の奴隷 の ほか, これ らとは ま った くカ に服 して使役 され る奴隷 で あ った と推定 され テ ゴ リーを異 にす る異民族 の輸 入奴隷 が あ る る。 この種 の奴隷 は ,s i n t hai 奴 隷 と も, ことを指摘 してお きたい。「奴隷 法 」1 0,およ l uk t hat とも,chal oeiと も異 な った特別 の, び5 2にい うと ころの 「ジ ャ ンクの船 上 か ら救 ext r a1 egal e な カテゴ リーを形成 してい た も った ので あろ う。37) ( -購入 した)」奴隷 I ( L ノC 甘つ E J 3 nL L の n 那打 7 L J 7 7 が それで あ る。 タイに奴隷 が ,いつ頃 か ら, む どのよ うな形 で輸入 され, それが何 に使役 さ び す れ て いたか につ いて の研究 は,現在 まで行 な 1 . 以上 ,20世紀 の初頭 まで タイに存続 し れ わて いないが ,1 822年,タイを訪 れ た英 国人 た各種 の奴隷 につ いて略述 して きたが, これ JohnCr awf ur d, ジャワ島のサ マ ラ ンで , 中 を図 に示せ ば,つ ぎの よ うに整理 で きるであ 国 の ジャ ンクに略取 され , タイ人 に奴隷 と し ろ う。 r khaiT ak 奴隷 「s i nt hai奴隷 十 一phukdok 奴隷 ( 1 ) 私 有 奴 隷 -t 1 -khaikhat奴隷 l -t hatl uang ( 2) 官 有 奴 隷 r - -khaphr a( 寺院奴隷) 一 一輸 ( 3) 特 殊 奴 入 奴 隷 隷- -kha嬢 (山地民奴隷) 61 0 - 7 6 - 1 -t hatc hal o e i(捕虜奴隷) 一司 法 奴 隷 石 井 :タイの奴 隷制 に 関す る覚 え書 ( 2. これ らの奴 隷 は , しか しなが ら, その q q 0q ノq 1 r 12 糾FguP 7 ㌢討1 unyl 3 J qq ノ 冴3 J 別L 関や懲7円 丁懲∩7 i m ? 重 要 度 に お い て , たが い に著 しい 相 異 を示 すO / q 郎つ y J U7, m. F T .2505.pp. 382-3 87. Q_ノ rJ F 7 1 ) その 数 に お い て圧 倒 的 な優 勢 を示 す の は , ( 3) た とえ ば, De l a Louber e, p.77, の私 有奴 隷 で あ る。 タ イの奴 隷 が ,人 口の宛 Pal l egoi x p. 298. に達 す る と 言 わ れ る と き, そ の 大 半 は s i n 4) 5 7 0 1 描 珊l uf m VpP.20-21 . † ak 奴 隷 と 1 uk t hai奴 隷 , と りわ け khai f 5) 旧 制 度 下 にお け る大 顕 官 の官 印 で あ る t hatに よ って 占め られ て い た と 見 て差 し支 q U J T 7野甜関 phrarat chas imy 勺/ え な か ろ う。 khaif ak 奴 隷 , す なわ ち買戻 田 訂朔日 † 条 件 付 で売 買 され た奴 隷 は ,言 葉 を か えて言 え ば ,売 主 が金主 つ ま り買主 に対 して負 った (sam 債 務 の抵 当 , お よ び 利 子 の 代 りと して ,金 主 1 u 日 ), ∩ ( samuhanayok phrakhochasi附 hak l ahom a -日「 "〟), buakaeo 紺, 7 u F d l ) uu ?un L ? '( kosabodilny7 ak奴 が これ を 占有 す る人 質 で あ った 。khaif の 3種 の 印。 隷 は , タ イの農 民 に お け る も っ と も普 及 した 6) 「三 印法 典 」 の R.Li ngat に よ る厳 密 金 融 の- 形 式 とみ な され て い た とい え よ う。 939年 にバ ン コ クの クマ サ ー ト な校 定 本 は ,1 それ な らば タ イの農 民 の 「 [ コに , この よ うな多 大 学 か ら刊 行 され た 。詳 細 は参 考 文 献( l J を参 : ! リ ノ J 、 【 、 ミ o 数 の負 債 者 の群 が発 生 した の は い か な る理 由 に よ る もので あ ろ うか。 多 くの著 者 は , ア ユ 7) タ ヤ朝 末 期 か ら ラタ ナ コー シ ン王 朝 に か け て / F .LLかm7 myV. F T .2478.pp.2 4-27. ,"Ther ec ons t r uct i on Pr i nc eDhaniNi vat タ イ に導 入 され , タ イ政 府 の有 力財 源 と して heChakriDynas t y, り J∫∫, ofRama Ioft 隆盛 を誇 った公 認 トバ ク場 が , タ イ人 の射 幸 vol .XL HI ,p. 24. 心 を刺 激 した結 果 で あ る と主 張 す る。 しか し, 8) Ger vai s e p.1 45 f . Del a Loubとr e, アユ タヤ朝 末 期 以 降 ,金 納 化 の傾 向 を た ど っ p. 77. or v6e制 と,村 落 レベ ル で の農 民 支 配 に 絶 たc 9) 以下 「三 印法 典 」 の 引用 はす べ て Li - 大 な権 力 を ふ る った munnai階 級 に よ る農 ngat校 定 本 の綴 字 に した が う。 民 の搾 取 が ,農 家 負債 , ひい て は奴 隷 の大 量 10) 酉 暦換 算 は Phi phat Sukat hi t の計 発 生 の 原 因 とな ったで あ ろ う と考 え られ るが , ] ・ ; 算 に基 づ く。 いず れ も Ch1 1 1a mani 暦 q屯 / 品 . ; : i " ・ : I l:・ ・ 1 ・ I T ・ 一 ・ ・ ミ } :7 "l ! ・ . ・ ・r : 7 ・ ・ "J '・ I iZ J この 問 題 につ い て は, 別 の機 会 に論 ず る こ と と した い。 r 6, L か封 5, y V . R.2 506 ( 1 963). 注 補 古内露 n/ C.f. 1, J ;A ; I e sesll ) Li ngatの訳 で は , そ れ ぞ れ "l eurmai t r edes es c l avesquis ontvenusal 1) 旧 制度 下 の タイ の社 会 組 織 につ い て は , つ ぎの文 献 が基 本 的 で あ る。 par eetmer e" お よ び "l eses cl avesquivi - Aymoni er1 901, Bas t i an 1 867, Bowr i ng ennentdespとr eetmとr e' ' とな って い るo 1 857, Crawf ur d 1828, Del aLouber e1 693, c. f .Li ngat1 931,pp. 294-296 l egoi x1 854, Wal es1 934. Di l oc k1 907, Pal 1 2) 以下 の節 区分 は,す べ て Li ngat校 定 本 に した が う。 m 07 m - , 7 m W , nr封附 8 品 Jy 抑P T 約 13 J L 粛uTIOJ耶 T = J l。 Ji 冊 _ 7. ・ , ・ ' J yb W 影∩7 yJn相 1 3) Li ngat1 931,p. 42f . 彰uF ) T, 刑. F l .2 471. 1 4) es cl avesachet 6S ( Li ngat ),Gekauf t I 1〕即T7 7 7, }; lL ; ! 、 : . ・ . l H J J 7 ; : J I J I' 7 7 . 1 7 - 17 Skl aven ( Di l oc k) 7 - 611 東南 ア ジア研 究 1 5) 禦 紺 仰 流 露 , m u7 u i nT訂∩9約 第 5巻 第 3号 36) Cr awf ur d p.1 48. 1臥 37) Li ngatp. 45n. 抑Jq U JuF ) 5 ' ,M. F T .2 474.p.1 44. 1 6) I bi d. ,p. 375. 参 考 文 献 1 7) た だ し売 却 後 1カ月 以 内 は,売主 は責 1. 三 印法典 の諸刊 本 任 を 問 われ た。 ( 「奴 隷 法 」 44) 「奴隷 法 」 5に 1 8) ,「寛大 使役 し,売主 に属 す る人 に危 害 を加 えて は な らぬ」 とあ る。 1 9) た とえ ば Bowr i ng 1 857, Vol .1, p.1 91. 20) Car lBoc k は, khaif ak 奴 隷 を他 s l ave)か ら区別 の カテ ゴ リ- に属 す る奴 隷 ( して s l avede bt orと呼 ぶ 。( CarlBoc k1 884, p.1 59. )Er nes tYoung は bonds er vant sと い う訳 語 を用 い て い る。( Er nes tYol ユ ng1 907, p.1 27. ) な お Bowri ng,p.1 94参 照。 21) 「婚 姻 法 色 . ノ/ = J 三 印法典 には各種 の刊 本 が あ るが, 大 別 し 849年 に NaiMotAmat ayakunに て ,(A) 1 よ って は じめて 上 梓 され た NaiMo t本 を底 本 とす る系統 と,(B)の ちに発 見 され た 「正 本 」「副 本」 に もとづ く校 定 本 の 2系統 とが あ る。 (A)の史料 価値 が (B)にお と る ことは,言 うまで もな いが (A)本系統 の諸 刊 本 も,今 世 紀 に入 って近 代 的法典 が整 備 され るまで,久 し く法 律実 務 家 の典 拠 と して用 い られて きた もので あ るだ けに,数 々の特 徴 をそ なえて お 節付O J 甜?L 3 J y J47. り,今 日で もこれ を無視 す る ことはで きな い。 22) 「奴 隷 法 」42. 1 ) A本 系統 23) Bowri ng p.1 91. a. ブ ラ ドレ-本 : 24) Di l oc k p.37. .. ′ L J L ] ( ・ ; ・ D L j j dm J ji W 晶 目 前 ∫ 25) プ ラ ドレ一本 , ラー ブ リ一本 で は, g 77 ] E / t i l ・ d i" I 2L e w nF朋7 1 m 句. P T .1 235 ( 1 873) † Kr ommas ak nT3 J . P l nの とな って い る。 : ≦ 【 : ≦ 】 26) 7 帽 つせ つ可mrHp 0 7 7節かu7" p.31. 27) 可5 7 閃3 n ym討つ帽 5 7 3 J 紺 ? 2505.p. 347. F I E 国 i J の. y V I eu即 , W. PT. 。9卵割1yi j 蒜L か (プ ラ ドレ-法典 ) と して も 258 っと も広 く 普 及 して い た。 筆者 は 小 暦 1 0版 を利 用 した。 ( 1 896)年 の第 1 c . /l′ 句 柱 閥阿22・ b. ル ア ング ・ダ ム ロ ン本 : 28), 附 甜 御 。9閃m u即 7別 封 5 ) つ寸と 討3 J4.p. 290f.しか し主 人 に よ って はか 関か つ品 の 引用 か らもあ き らか で あ る。 29) Pal l egoi x,vol .1,p.321. 乞 ノq 7 珊t y t y 3 2 ) Lo c .c i t . 33) Li ngatp. 45n. 3 4) I b i d. ,pp. 46-47. 1 /q q 智 明・ q J の ・ 9約品 影∩7- 柳 I , 晶H 用 品J : t 1 . 7L J 重 1症 二 流 J n ミ J な り苛 酷 な取扱 いを した者 もあ る こ とは注31 30) Bo wri ng pp.1 89-1 91. ・ q 3n 附uF の 22・ TM mJ 57 7( 3 q J ), mm ∫ 3 ' . L q.1 1 4 (1 895) 本書 の特 徴 は ,上 記 の プ ラ ドレ一本 の 内容 全 部 に,現 行 の諸法 令 を加 え, これ らを項 目 別 に再 排 列 した もので ,巻頭 の 内容 目次 は , 各条 文 の 内容 を簡 潔 に示 し,検 索 に きわ めて q ノ E L と ヽ 有 益 で あ る。 筆 者 は第 2版 5 ' ・ P T ・i . 1 6( 1 897) 3 5) Del aLouber ep・11 7,y v T甜 7 甘i l Wt y阿 を利 用 した。 / J , 22. 討 1弛 5 3 J L 卵 L か3 J7 . p.1 64,Wal espp. C. ラ, - ブ リ親王 本 :q / ( : 斗 く Jq 60-61. n ㌻3 J 卵3 juy7町LI F削 ぎ ∩ 盲 ) y ほ, † 6 1 2 一一 1 178 l l- 古井 :タイの奴 隷制 に 関す る覚 え 苦 nDm 1u2 ほ訂 7 m … nl , 朋抑m , 描 ・ 1 20 1円 1 .附 純 郡 , 刑凧 2473(1 930)) 1939年 , R.Li ngato j努 力 に よ って , よ う ( 1 901) ふ つ う ∩9閃3 n- 甘 u ぎ(ラ- ブ リ法 典)と通 † 称 され て い る もの。 本 書二 は , (1)タ イ 法 曹 タト や く,正 本 お よ び 副本 を底 本 とす る三 i 二 田去典 全巻 の 厳 密 な 校定 本 が 作成 され バ ンコ クひ Jク 封仮され た。 これ に よ って マ サ ー ト大 J 芋か らL ブ リ親王 が ,簡潔 で は あ るが , 重要 な 内容 を 三 印法 典研 究o j扉 が研 究 者 の 前 に大 き く聞 か もつ脚注 を随 所 に 加 え て い る こ と , ( 2)当 朽 れ る こ と とな った の で あ る。 廃I Lされ て い た 条文 が削 除 され ,廃 l I 二 年月 で _ j a. クマ サ - 卜大 学 本 ノ q g q J 閃77nE naU?懲7万J3 ' 3 JF n野田㌻ 比f J u q J nl TはIE 7寸, ′ が 明 示 され て い る こ と,( 3)三 印法 典 以 前 に作 / qー q 成 され た未 公 刊 の ∩か閃3 J 扉 晶 と nF 揃 蒜 O . J b 討7 描丁可 の 2編 を 第 1巻 の末 尾 に 収 録 して い 6' c ∴ t L, .・ . . 骨 ・ ・ ・ J ・ : 丁 と ・ : ・ . i , . I ; ・ : - ミr ・ 血 l I. ・ I . { む 11 66 y/ B J mf g ) 7Ni 38・ i ]um討つJ m y73 p) つ、 7 .3 r Tu Q j u即 .( 1 939) は3 J .yJ る こ とU )3点 が特 徴 と して数 え られ るO 筆 者 は , 第 1巻 につ いて は初 版 と同年 に刊 行 され 本 校定 本 は ,現 存 す る7 9帖uj r l : _ ) , ド(司l t 去省 所 た 第 2刷 ,第 2巻 につ いて は初 版 を利 用 した。 d. P.K.P.S.本 37帖,国 立図書 館 所 蔵 本 42帖) を底 本 と 蔵本 1 P.K. P.S.とは ,Pr achum Kot maiPr a- し, 正本 を欠 く部 分 (「賠 償金 定率 法」と 「奴 cham So k (年 次 法 律 集 成 )の 略 で ,1 935年 以 E d 色 ノ 6 ' 降 Sat hi en Lai l ak T. m. 7 1.はt ? i / 1 ∂1 E J 罰nyO l らに よ って 刊 行 され 今日に及 ん で い る もの を 隷 法 」につ ′ 、、 て. ' =副本 : =よ って い る。 本 . 黒 土, / )み な らず 原本 の忠 実 な 復 頂 を 目指 し, 内容 C 古 綴 字 を そ の ま ま 保存 して い るの で , 言 詔を史 家 に も貴市 な 質料 とな って い る。 指 す。 三 印法 典 は この 第 1運, 第 2巻 お よ び b. クル サ バ 第 3巻 の 1部 を 占 め る。 2) B本 系統 か胴 L. : ∩7F F 77戸は 甜 57 1 , ウヤ l 仁本 ・刊 本 に もとづ く三 印法 典 出版 の試 み ・ 1 二 jj・ ・ ・ ・ J ∴・ JI. II・ . ・ 1 J J・. - ・ ・ ' " は, 1 928年 の , フ ラ ンス人 Bur nay に よ る 〔 J .Bur nay,"Text edel al o主 La- ksaPaMor ado kd' apr esl emanus c r i tVaj i - o urnalo fSi am So c i e t y( jSS), ran叩 a. "J ⅩⅩⅠ ト2,pp. 11 7-1 51 〕1 930年 , Bur nay は , R. Li ngatと」洞 して 「雑 削 ( 前y o J 諭 i ・ J:こ: ) , , 7・ W.FT .2505.( 1 962) 前 沙Ojq / i l F5 7 ∩)の テ キ ス ト刊 行 に は 「相続 法 」( じま る。 一 本 / t 詰 ) (a)の クマ サ ー ト本 は ,入 手 酢 雄 とな って 久 しか った が , よ うや く1 962年 「タイ語 文 叢 告」 のy J と-〕と して , タ イ文 雄 省 の外 郭 機 関 us aphaか ら 5冊本 で あ る OngkankhaKhur と して再 刊 され l m L 単 に利 用 で き るよ うに な っ た。 しか し本 宮 は同 「叢 告」 の性 格 上 , 学井_ I の校 定 本 を上 梓 し 〔 Jean BurnayetRo ber t 一 般 知 識 人 を 対 象 と して い る・ J jで , タ7 サ - I , o i sSi amo i s e s,Co dede1805 Li ngat( ed. ), ト本 の特 徴 で あ る皿持主( 異 本 とu j校 合 )が , ま A. D.XIV:Lo l l sdi u e rs e s,t e xt e.Bangkok, った く削 除 され て しま って い るの が 情 しま れ (1 930)〕, これ を 時 を同 じう して LuangPr adi t る。 2. 奴 ぎ折 at hammas a痛 ′ 主,phr 5 沙O JQ C J 的Fq c / j 5汀 3 J円 1討my な ど 7編 c i j印 i l i l :本 を刊 日 門銅 品 房抄題禦 ・ ・ : . ・ l l I J : ・ ・ ・ . ・ : , T∴ A , . ; . ・ ・ l r : : !T l 法 I ・7こ・ , ・ J :. : : ・ r ・: =・ - 隷 1 7 9 ・ 1 . : ! ・ ;1 7 JJ・. ・ ・・二]・: , ,) ・ l A ・ JIr ・ ・ ・ . : ・ / , ・ ' : : . ・ ; ト・ ・ ! l : ; I r 亡 タ 川 り (句. P T . )1 242.1 04p. t 罰3 J 門uJnS朋? † 61 3 東南 アジア研 究 第 5巻 第 3号 SamuelJ.Smi t h( t r . ) Si ame s edo me s t i ci ns t i t ut i o ns .Ol dandne wl aws o ns l av e r y.Bangkok,1 880.6 4p. この 2冊 は合本 で 出版 されて い る。三 印法 87 4 典 中の 「奴隷法」 その他 の関係法令 と,1 年 の 「奴隷廃止」措 置に関連 して公布 された 4. 欧語 文 献 Aymoni er , Et i enne.Le Camb o dge I ll l e sPr o v i nc e ss i amo i s e s .Pari s ,1 901. Bas t i an,Adol f .Re i s e ni nSi am i m Jahr e1863.Jena,1867. l .Te mpl e sande l e ♪hant s lt he Boc k,Car んでお り,そのまま利用す ることは危 険で あ nar r ai i v eo faj o urne yo fe xPl o r at i o n pp e rSi am and Lao s .Lont hr o u ghu る。「奴隷法」の翻訳 と して は,つ ぎの Li ngat don,1 884. t hの英訳 は多 くの問題 を含 法令 を含 む。Smi eki n gdo m and Bo wr i ng,Si r John. Th によ る仏訳 のほ うが よい。 " Lo i ss ur l es es c l aves "i n R.Li ngat , s .London,1 857. Pe o Pl eo fSi am.2γol L' e s c l av a gePri v ddamsl ev i e uxdr o i ts i as ,1 931.pp. 293 13 5 8. mo i s .Pari I nvent ai r e de s manus c r i t s Bur nay, ∫." I I -3,pp. 1 3 511 62. So c i e t y,XXI o ur nalo fane mb as s y Cr awf ur d,John.J t ot he c o ur t so f Si am and Co c hi n Chi na.London,1828.( r epr.1 967) Del aLouber e.A n e w h i s t o ri c alre l a- 3. タイ語 文 献 ○ 1町7Ll 3 7 7恥 の7 mざ l ∩5 ' 3 J y V T. U / 前脚 Jepm 言. J. 1. 可7l W7 J7u LI : , l 舶 I J I I l T , r ・ , r "m u・ I l J 抑Ty q J u即′ , M. J q.2 471( 1 92 8). 0 q t i o no ft heki n gdo mo fSi am.London, uT何7 , nT3 J mT. Q J E J 7 1 5 nT門, nT3J抑JV q J 6 / i , 訂,甜u甜 肌卵 t紺 7(沌 1 693. ad n, 論 即紺 1 ) ?? Di l oc k,Pr i nz. Di e Landwi r t s c ha fti n 州T< q , J uF ) T, 附. 飢 2 50 5( 1 962). qノ ⊂ 寸 亡 可 UT別 a, 5 1 . 日. 一 句 4 ,/ anWT75 1 57uP T 3 ' 1 m 附JG q U , uF ) 訂, 凡打.1 873. ( Engl i s ht i t l e:Di c t i o nar yo ft heSi aey) me s el an gua ge .Dr.B.Bradl / 比討マ ∩7 卵,㌻. / I - : I:/- = : I , :I -: ; : I :L ・ -二 - - 丁 2 J H e J W∂ P m3 J L u別のu 附 q , u即 , y V . F T .2 478( 1 935 ). { ' 比i Wn7 の,5 ' . J晶 H・ , ( i. l. "t D/ - q _ ′ … 叩q ! ∫ I ・ "J (i , DI , J I J ・ l f J L , ,1 ・ . 7 ・ . L J , 紬 u附 , M・ F l ・2480( 1 937)・ 4/ p q T aJ7 nF,露 7,品 6 1 4 i bi ngen,1 90 7. Si am.Tt e s c l av a ge♪ri v d dams Li ngat ,Ro be r t .L' l ev i e ux dr o i ts i amo i s .Pari s ,1 931. Pal l e goi x,Mgr .De s c yi Pt i o ndur o yaume Thaio u Si am.2 vol s .Par i s ,1 854. Smyt h, H.War i ngt on. Fi v eye ar si n Si am.2vol s .Lo ndon,1 898. Wal e s ,Quar i t c h.An c i e ntSi ame s ego u e r nme ntandadmi ni s t r at i o n.London, 1 93 4.( r epr .Ne w Yor k,1 965) Woo d W.A.R.A hi s t o r yo f Si am. e HJ / 勺 yvyvm 7J L. 附 6 u y q 7 F T ,H m Juul Jと t m 仰 紺 nn 町 1 , nJo ur nalo f Si am j ur i di que ss i amoi s r ) ? " 1 .M . 250 6( 1 96 3). - 180 - Bangko k, 1 933. eki ngdomo ft heye l Yo ung,Er ne s t .Th Z o wr o b e .London,1907.
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