Page 1 Page 2 タ イ の奴隷制に関す る 覚 え書 ま え が き 世紀に入っ

KURENAI : Kyoto University Research Information Repository
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タイの奴隷制に関する覚え書
石井, 米雄
東南アジア研究 (1967), 5(3): 601-614
1967-12
http://hdl.handle.net/2433/55423
Right
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Journal Article
publisher
Kyoto University
タ イ の 奴 隷 制 に 関 す る覚 え書
石
ま
え
が
井
き
米
雄
柑 紀 に 入 って,軽減措 置が とられ た後で さえ,
タイの旧社 会 は, 出 自また は職業 によ って ,
年 間 3カ月 とい う莫 大な賦役義務 を諜せ られ
公的 ・私 的権 利 の享有 に明瞭 な差 のあ る,二
てい たので あ って, その身 分は, はなはだ し
_
つ の社会集 団 に分 かれ て いた.1
) この うち」・
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下層 の集団 は phr
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層 の集 団 は pl
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局 ) と呼 ばれ る。 p
hudiは, そのなか に
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く奴隷 的で あ った. 「自由民 」 に課 され たI
,
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chaonai(Eや1u7
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)と khunhang (6
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)の
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役義 務 は,munnai3J純 7f
Jと呼 ばれ る在 郷 の
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下級 役人 の課す経絡 によ って加 重され ,人 民
は苛酷 な生活 が 強 い られ て いたO 農民 た ちが ,
2層 を含む。 前者 は王 族 で あ って,国王 との
l
j
]地 を捨 て ,森 林 の 申-逃散 して,過重 な課
血縁 上 の親疎 ,生母 の身分 な どに よ って, さ
役 の軽減 を官 に訴 えた記 録 も,年代 記 に見 え
らに 5階級 に細分 され る。王 族 の階級 は,也
l
udiの私民 (
phr
ai
て い る 。2'また,有 力 な pl
代 を経 るに したが って下 降 し, 5代 を もって
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王 族 た る身分 を失 うO こC
/
)制度 は,一夫 多妻
こ と, さ らに は, 自由民 よ り課 役負担 の軽 い
制
の王 族 身分層 の過 度 の膨脹 を抑 制 す る作m
を もって いた もの とい えよ う。後者 ,す なわ
7
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紺)
とな って , そ の庇護 下 に入 る
奴隷 に身 を落 とす ことが しば しばで あ った こ
と も,布 告 な どの 内容 か ら知 るこ とがで きる。
屯
ノー
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ち khunnang層 は ,bandas
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汀 即 行n
6
7)
1
9世紀 中葉 に渡 タイ した ,欧米人観 察者 によ
と呼 ばれ る一 種 の爵位 によ って ,整 然 と階級
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iに達 す る と報 告 され た 「本
って,全人 H O
付 け られ た官 僚 群で あ る。 khun nang の も
自由民 」 の大群 は,の ち に至 って奴隷 廃止 の
つ爵 位 は,そ の官職 と相即 不離 の関係 を もつ。
措 置が と られ るにいた るまで ,減少 の きざ し
したが って ,官職 にあ る者 の一 身 に属 す る も
を示 さなか った ので あ るO
ので あ り,世 襲 され る ことはな い。Chaonai
・
9
66年 5月 か ら1
967年 の 4月 にか
筆者 は ,1
khun nangの 2層 によ って構成 され る phu-
けて タイに派遣 され,東 南 ア ジア研究 セ ンタ
di階級 が,旧制 度下 に おけ るタイの支 配層で
∼, タイ ・ビル マ調査計画 の一環 と して,主
あ った。
と してバ ンコ クの国立 図書 館 および田立文書
被支 配層 で あ った phr
aiは, それが 享受
,「自 由 民」
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hai晶 )と・
r
不 摘 民」
館 所蔵 の根本史料 を利 用 して ,賦役労 働制 の
で きる 自由 の 多寡 に し たが って
解体 に関す る研究 を行 な ったが,本 稿 は, そ
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野
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hat7
り
7
甜) の 2層 に 区分 され る。 「自由民」
の準 備 の一環 と して同研究 と密接 に関連 す る
7世 紀 にお いて年 間 6カ月 ,1
9
と言 って も,1
され た もので あ る。
タ イC
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)奴隷 制 の t
axo
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eを 目指 して 執 筆
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7-
6
01
東 南 ア ジ ア研 究
第 5巻 第 3号
に成 立 した 「三 印法典 」 は
Ⅰ アユ タヤ期以 前
タイ国 に関す る,1
7世紀 以来 の欧米人 の記
録 は,一致 して 「奴隷 」(
Sl
aves
,l
eses
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aves
,
di
eSkl
aven)の存在 に言 及 して い る 。3) これ
2
ノ
はタイ語 で t
hat(
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n甜) または kha (6
u
7
)と
タイ0
)奴隷 制考
察上 もっとも重要 な文 献で あ る 「奴隷法 」 そ
の他 の法 制史料 を含 んで い るので,奴隷制 に
つ いてのべ るに先立 ち, まず 「三 印法典 」 の
史料価値 の検 討 をお こな ってお きた い。
1
. 「三 印 法 典 」 と は Kotmai tra sam
呼 ばれ る,一群 の複合 的 な不 自由民 の階層 を
hatが いつ タイ族 社 会 に 発 生 したか ,
指 す。 t
,
n
とい う問題 につ いて は,今 日 2説 が分 かれ て
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7
日那 7a73
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銅 J の訳 で あ って, ラ
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805年 に編 修 され
ーマ 1世王 の勅命 によ り,1
対立 して い る。 す なわ ち, ダム ロ ン親王 とか
た法典 を指 す。正本 chabapl
uang(i
前 Jm討つJ
)
れ の後継者 で あ るタイ人歴 史家 は,すべ て,
と して作成 され た s
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khao甜3J諭
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奴隷制 は クメール族 の制度 で あ って, ス コー
(白地 の タイ式横型折 本) の各 帖 の 2ペ ー ジ
タイには奴隷 は存在 せず , クメール の影響 の
目に, 3個 の朱 印5) が押捺 され てい るこ とか
濃厚 なアユ タヤ朝 に至 って , は じめて タイ族
ら, 「三 印法典 」 と通称 され て い る。
の社会 に導入 され た, との説 を とって い る。4)
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A.
良.Wood も A hi
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24)
の 中 で , この ダム ロ ン親王 の見 解 と同一 の立
場 を とって い る。
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こ れ に 対 し フ ラ ンス の 法 制 史 家 Ro
その序文 の 末 尾 に, 「書 記 に命 じ, 墨 を
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もって 3部 の 写 本 を 作 り, hong khr
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1部 , hol
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2年 の ラーマ ・カム- ン王 刻
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ngat は, 1
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u)に 1部 をそれ ぞれ保 管せ しめ
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文 に, kha (奴隷) が, 家 畜 とな らんで財産
た」 とあ る ことによ って,われ われ は 「三 印
のひ とつに数 え られ て い る ことなどの理 由か
法典 」 正本 (
chabap l
uang i
)
uu粥∂つJ) の原
ら, ダム ロ ン親王 の説 を批判 し, ス コー タイ
位 置を知 る ことがで きる。 しか しなが らこれ
に も奴隷 は存在 した と主 張 して い る。
らはその後 なん らか の理 由で散逸 して しま っ
しか しなが ら両 者 の相違 は, きわめて限 ら
れ た史料 の解釈 の違 いによ るもので あ り,結
論 は新史料 の発 掘,近 隣諸民族 との比較 な ど
今後 の研究 にまつべ き点 が多 くの こされて い
る。
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1908年 偶然 の ことか ら, l
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つ7nl帖 と,1
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n7 1帖の計 2帖が発見 され , これ を 契機
と して各所 で発見 が相次 ぎ,翌 1
909年 まで に
Ⅲ 三
印
法
79帖が回収 され た。その結果 ,正本 はそれ ぞれ
典
アユ タヤ時代 (1
350-1
767) には い る と,
41帖 よ り成 る ものが 3部作成 され た ことが あ
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767年 の, ビル マ軍 に
に作成 され た写 本 は ,1
き らかにな ったが ,1
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何∩戸
) の正本 は, 今 日に
と phr
よ るアユ タヤ攻 撃 の際 , その大半 が焼失 ない
いた るまで発見 され て いない。
史料 の状況 はやや好転 す る。 しか しこの時代
その後 , 「三 印」 を欠 く以外 は,本 の寸 法 ,
し散逸 して しま って お り,現在 に伝 わ って い
るの は きわめてわず か にす ぎないので史料 と
書体 か ら通巻 番号 にいた るまで ことご と く一
1
)
1
7世紀 の欧文資料 と,(
2)
ラタナ コ
して は ,(
致 す る第 4番 目の写 本 が発見 され た。 これ は
- シ ン朝 の初期 に作成 され た タイ語 写 本-1
と
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l那 附 せ(
副本) と 呼
くに法典- が 中心 となろ う。 なかで も1
805年
ばれ る。 この副本 は, おそ ら く正本 の写字牡
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石 井 :タイの奴 隷制 に関す る憶 え害
らと同一 の グル ープ の筆 に な る もの と推 定 さ
の こ とは, Ur
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ext に加 え られ た 変 更 け 人き
れ て い る。今 日まで に発 見 され たか ぎ りの副
さを 自 ら制 限 す る条件 で あ る と見 られ よ う。
apheiす なわ ち 適法 yut
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さ らに 慣 例 pr
本 は不完 全 で あ るが , 既 発見 分 の 叫 こ, 正
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hat と
本で は見 る こ とので きな い l
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ham と考 え るタイ人 の通 念 よ りす j
lば, ラ
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ak を含 ん で い るた め, その 発 見
ーマ 11
日
二
王 に とって は,回 復 に価 す る苦 口の
が きわ め て市大 な意味 を もつ こ とに な った。
栄光 で あ るべ きアユ タヤ諸 王 の制 定 した法 典
す なわ ち この結 果 , 三 印法 典 の t
extが ほぼ
荏 ,根本 か ら退 け た とは考 え られず ,そ の 姿
完 全 な形 で 回復 され た ので あ る 。6)
勢 は あ くまで も古法 の復 原,後人 の 手に よ る
2. 「三 印法 典 」 は
プ
不 当な改 ざん部 分 の復 旧 に あ った と見 るべ き
三蔵 の 結 集 をお こな
で あ ろ う。 したが って , そ の成 立 は ラタナ コ
って,仏 教教 団再 建 の基 礎 を きず い た ラー マ
- シ ン期に入 って か らの ことで あ る とは 言え ,
1仲 王 が ,法 律 を整 備 して ,俗 界 の秩 序 の回
注 意深 くこれ を利用 す るな らば ,か た りC
/
)程
復 を はか ろ うとい う実 践 的 目的 を もって編 修
され た もの で あ る
。
度 に まで , アユ タヤ法 の大綱 に接近 す る こ と
序 文 の記 述 に よれ ば, こ
が可能 で あ る と考 え られ る。
7
)
1名 よ り成
の法 典は, 書記 , 法 官 , 学者 計 1
る編 修委 員 会 が , まず 当時伝 承 され て いた法
Ⅲ
典 を底 本 と し, そ の重復 部分 を削 り,誤 りを
奴 隷 の伝統 的 区分
1
. アユ タヤ時 代 の奴隷 制 にかん して は,
正 し,項 目別 に 分類 整理 して 山来上 が った も
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の を, つ ぎに国王 日身 が , 「将 来 この国 を統
(
1
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)な ど, 同時代 の外 国 人 旅 行者 の記 録
治 すべ き国王 の利益 とな るよ う, 不 自然 な部
によ って , そ の大 要 を知 る ことがで き る。 し
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分 を道理 にか な うよ うに 改 め 品 L
か し, よ り体 系 的 な知見 を得 よ うとすれ ば ,
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)」 て成 立 した もので あ る。したが
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現在 の と ころ三 印法 典 以上 の質 料 を 見 出す こ
って , 「三 印法 典 」 と, そ 0
)成 ;
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.
の基 礎 とな
とはで きな い。 申で も 「奴隷 法 」 (
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った ところの 舌法 典 との問 に は,多 かれ少 な
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か れ 異 同が あ る もの と考 えな けれ ば な らな い。
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歳 mFm
9)
は, 奴 隷制 度 の研
究 上 , もっ と も重要 な文 献 といえ よ う。
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anaに の こ され て い る 巨
用は ,Ur
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2. 「奴 隷 法」は, たが いに 独立 したつ ぎ
成_
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Lの時期 を示 す もので あ るか も知れ な いが ,
の四 つ の部 分 を含 む。 す なわ ち,
それ以 上 の もので はな い こ とを,利用 に あた
(
a)
って は注 意 しな けれ ば な らな い。
1
359年 末 年 (
1
547A.
D.
) の層
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)
) 1
387年 亥 年 (
1
575A.
D.
) の層
「三 印法 典 」 の Ur
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extが 現 存 して い な い
(
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557年丑 年 (
1
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45A.
D.
) の層
u L 両者 を照合 して その異 同 を明 らか にす
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BEで あ るが , 作業 開始 か ら原稿
る こ とは 不L
,
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a)に先 立 つ と ころの前 文 は 「ここに s
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完 了 まで に費 した時 間 が 8カ月 に足 りな い こ
も ノ
1
262年 亥年 (
1
455A.
D.
) の層 10)
奴隷 ,男 女 の捕 虜 奴隷 な どに かん す る訴訟 の
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D那 露 um 品 (36条r律), 附 紺 懲ut
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7拙 机 ∩
l(旧令), 附 缶
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(勅 令), y
原 因 につ いて述 べ よ う」 とい う文 に は じま るC
これ に続 いて「使 うこ とので きる 7種 の奴 隷」
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新 令) な ど, 事項 別 に整理 され て
と 「使 うことので きな い 6種 の奴 隷 」 につ い
い ない ま まの雑 令が ,後半 に か た ま って現 わ
て の解説 が ,パ ー リ語 原 文 の語 釈 の形 式 を と
れ て い る こ とな どの事 実 は,編修 作業 が か な
って行 なわ れ て い る。 この うち の 「使 うこ と
り急 が れ た もので あ る こ とを推 定 させ る。 こ
ので きる 7種 の奴 隷 」 は伝 統 的 な奴 隷 の分 類
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3
第 5巻 第 2号
東南 ア ジア研 究
と して基 本 的 な 重要 性 を もつ もので あ って ,
な奴 隷 の分 類 を検討 して み よ う。 以 下 に そ の
a層 の 冒頭 で もふ た た び繰 り返 され て い る。
原 文 を対 照 して か か げ る。
そ こで まず この両 者 を比 較 しなが ら,伝 統 的
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奴 隷 と した者 」 とあ るのが , a層 で は 「飢
(
1
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hai奴隷 。 前 文 で は 「財 貨 を も って
回磨 した奴 隷」 とあ るが , a層 は 「財 貨 を
鐙 の時 」 とな って い る点 が異 な る。
も って 」 とい う文 言 を欠 く。 ま た奴 隷 を指
(
7
) 「捕 虜 奴隷 」。前 文 は 「軍 旗 を なび かせ て
hatm y が あて られ
す語 と して前 文 で は t
乙
ノ
て い るの に対 して , a層 で は kha9
日 が用
出陣 し,捕 虜奴 隷 と して得 た者 」 とや や冗
長 で あ るが , a層 は 「捕 虜 と して得 た奴 隷 」
い られ て い る点 が異 な る。
と簡 潔 に表 現 して い る。
以 上 の比 較 に よ って, 「使 う こ とので きる
(
2) 「金 主 の家 にお い て 出生 した ,奴 隷 の子 」。
dent
i
c
alで あ る。
両 者 の文 言 は ま った く i
7種 の奴 隷 」 は ,多少 の表 現 上 の差 を の ぞ け
(
3
) 「父母 に 由来 す る奴 隷 」。前 文 で は父 母 の
ば ,前 文 , a層 と も互 い に ほ とん ど一 致 し,
つ ぎの通 りで あ る こ とが 明 らか とな った。 す
「側 か ら」 とな って い る点 が異 な る 。11)
なわ ち ,
(
4
) 「贈与 され た奴 隷 」。 前 文 で は 「贈与 者 を
もつ奴 隷 」, a層 で は 「第 3着 に よ り贈与
(
I
) s
i
nt
hai奴 隷
され た奴 隷 」 とな って い る。
(
2
) 奴 隷 の子
(
5
) 「罪 に定 め られ た者 を苦 しみ か ら救 う(罪
(
3) 父母 よ り相 続 した奴 隷
m T7
7
を購 う) こ とに よ って得 た奴 隷 」O前 っi
††
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u:前 っ罰 とい うわ ず か な 違 い の ほ か は両
(
4
) 贈 与 され た奴 隷
(
5
) 飢僅奴隷
者 は ま った く一 致 す る。 いわ ゆ る 「司法 奴
(
7
) 捕 虜奴隷
3. 「三 印法 典 」 の Urtext あ るい は,同法
i
i参 照)
隷 」 で あ る。 (後 述 vi
典 編 修 の 当時 , す で に失 わ れ て い た古 法 典 の
(
6) 前 文 で は 「米 価 が騰 貴 した時 ,扶 養 して
60
4
-
1 70
-
石 井 :タイの奴隷制 に関す る覚 え書
に,上 述 した 7種 類 の奴 隷 の それ ぞれ につ
腰 奴隷 」, 「
負債 奴 隷 」 と訳 す こ と も 可 能 で あ
いて ,別 別 の規 定 が定 め られ て いた か ど うか
るが , こ こで は 原語 を その まま片巨 、
て 「
s
i
n
につ いて は推 測 の域 を 出な いが , 「奴 隷 法 」
t
hai奴 隷 」 と呼 ぶ こ とに した い。
中
「s
i
nt
hai奴隷 」 にかん して は, 「奴 隷法」
212)の 冒頭 に あ る 「まず s
i
nt
hai奴 隷 か ら
述べ よ う (傍点 筆者 )」 とい う 1節 は, 7種
2に,三 つ の 「月
軌 、
」 の方 式 に ついて定 義 が
類 の 奴隷 の うち,少 な くと も二 種類 以 上 の奴
な され て い る。 これ は 「
s
i
nt
hai奴隷」 に一)
隷 にかん す る法 律 が存在 して いた こ とを示 唆
いて の 明文 の規 定 と して基 本的重 要性 を もつ
1
67年 (1
805
して い る もの と言 え よ う。 小 暦1
ので ,以 下 に全 文 を訳 I
l
i
'
]して お こ う
O
『
phr
at
hammas
atに もとづ き, 3種 類 の奴
A.D.) の 口付 を もつ 「勅 令 」 (
phr
ar
at
cha-
毎t
y
T
a)22に, 「捕 虜 奴隷 律
banyat附 彰m l
(
Phr
ar
at
chakammot phr
aayakan l
aks
ana
町n
c
l約 5
7
附
t
hatchal
oei yvl甜 1
myW彰L紺 )を考正
隷 の腰 い につ いて述 べ よ う。
ひ とつ, 身 価 (の最高額 )以 下 で の煩 い。
y
u
7
紬 ∩7訂前 yE
7
J
ひ とつ, 身価 (の最高 額 ) で の煩 い.
。
ひ とつ,磨 った 0
)ち使 役 しな い購 いO
(
chamr
a 前 古)し賜 え り」
とい う文言 の あ る と ころか ら,少 な くと も「捕
「身 価 (の最 高額 ) 以 下 で の購 い」 とは,
買戻 条 件 付 の売 買 で あ って, (そ G
)契紬 二は)
虜奴 隷 」 にかん す る規 定 が もうけ られ て い た
売主 と保証人 とが要 る。 も し (
奴 隷 が) 逃 亡
ことはほ ぼ確 実 で あ ろ う。
しか しなが ら 「三 印法 典 」所 収 の「奴 隷 法」
は,上述 した(
a)
,佃)
,(
C)
,(
d)
の 各層 の いず れ
し,失 践 した時 は, (買主 はその奴 隷 の) 読
主 と保 証人 を追 及 す る ことがで きる。
「身 価 (の最高 額) で の煩 い」 とは, (
奴隷
を とって も, こ とご と く s
i
nt
hai奴 隷 のみ
の) 身 価 い っぱ い の価格 で磨 う ことで あ って,
の規 定 に終 始 して い る。 この理 由 と して は,
保 証 人 を たて ないo 売主 は,奴 隷 の逃 亡,失
「三 印法 典 」成 立 の頃 まで に, 奴隷 の均 一 化
錠 につ いて責 任 を問 われ る ことが な い。
i
nt
hai奴隷
が進行 し,実質 的 に は すべ て s
「磨 ったの ち使 役 しな い購 い」 とは,磨 っ
と同様 の取 扱 い を うけ るよ うに な った こ とが
た後 で 買主 が利子払 いに切 り換 え た り. また
原 因で は な いか と思 わ れ る 。13) そ こで , まず ,
i
nt
hai奴 隷 に
タイの奴 隷 制 の 中 核 を なす s
奴 隷 の ほ うか ら利子払 い を願 い出 た りな ど し
て,買主 が 奴隷 を使 役 しな い こ とを 言 う.
』
つ いて 「奴 隷 法 」 の 内容 に即 しなが ら検 討 し
以 上 の定 義 か ら, わ れ われ は 「
s
i
nt
hai奴
たい。
隷」 が , は っき りと二 つ の カテ ゴ リーに区分
Ⅳ
け され て い る ことを知 る。 す なわ ち,(
1
)
身価
Si
nt
l
l
ai奴隷
の最 高額 よ り低 い価格 で煩 われ る
1
. 本稿 で 「si
nt
hai 奴 隷 」 とは , t
hat
u
裾を指 す 。thatsin thaiは,
奴
隷 と, (
2)
身価 の最 高額 い っぱ いの 価格 で購 われ る奴 隷
s
i
nt
hai7
7
7評言
で あ る。 前 者 を 「
khaif
ak 奴 隷 」, 後 者 を
ふ つ う 「売 買奴隷 」と訳 され る 。 14) しか し, よ
「khaikhat奴 隷 」 と呼 ぼ う。khaif
ak とは
りタイ語 に 即 して見 るな らば, t
haiとは,
買戻 条件 付売 買 の意味 で あ る。 売主 は, つ ね
「債 務者 が ,債 権者 に対 し債 務 の弁済 をお こ
に売 買 の 目的物 で あ る奴 隷 を買 い戻 す権 利 を
な って,債 権 者 の下 に あ る担保 物 権 を請 け戻
留 保 して い る。 これ に 対 して khaikhat は
す」 こ とで あ り15),s
i
nt
haiとは ,「(
担保物
永 代 的売 買 で あ る。 売主 は khaikhat した
件 の請 け戻 しに際 し)債 権者 に支 払 われ るべ
奴 隷 の 行 為 につ いて何 ら責 任 を問 わ れ る こと
き金 銭 債 務」 を意味 す る 。16) したが って 「回
が な い 。17)
-
171 -
6
0
5
東 南 ア ジ ア研 究
第 5巻 √
第 3号
2. khaifak す なわ ち 買戻条件付 売 買 は, 人 の 「物 」で あ り,象 ,馬 ,午 ,水牛 ,家屋 ,
売 ) の中心
売 買 の- 形式 で は あ るが,khai(
田畑 な どと並 んで ,主人 の財産 の中に数 え ら
的 内容 をなすべ き財産 権 の移動 は, ここで は
れ る。主 人 は,殺 す こと以外 の あ らゆ る権 限
不完全 に しか行 なわれ ない 。
「kl
l
aif
ak 奴隷」
を 「khaikhat奴隷 」 に対 し行 使 で きた。な
は, いぜ ん と して 「売主 に 属 す る人 (
phu
ぜ な らば 「奴隷 は金主 の権 限 の下 に あ る (
L
Ju
1
8
)奴隷 の
khon t
han)」と呼 ばれ るので ある 。
L
lらI A
討n
凱L
n
u7
肌川 )
」 か らで あ る。
2
2
)
所有権 は買主 の もの とはな らず ,奴 隷 の身柄
Bowr
i
ng は, 「khai khat 奴隷 」 の大半
は一 時 的 に預 け られ るにす ぎな い。経済 的効
が,両親 によ って売 られ た未 婚 の女 子で あ っ
果 につ いてみ るな らば ,khaif
ak は,売 買 と
て, そ の数 は 少 なか っ た と 報 告 してい る。
ak 奴隷
い うよ りはむ しろ 質 に近 い。 khaif
「khaikhat奴隷」は,売主 が保 証人 を立 て
の労 働 は 「売価」,
換 言 すれ ば 「貸 金」 の利子
る必要 が なか ったので , 売 られ た 奴隷 の 手島
ak 奴隷 が
とみ な され る。 したが って khaif
3
)
は,機 会 を うか が って は逃亡 した, とい う。2
買主 (
naingoen 「金主 」 と呼 ばれ る) の家
khaikhat奴隷 は,後 には ま った く消滅 して
で働 か ない場合 が あれ ば,利子 の支払 いが要
しま った 。24)
求 され るOこれが上述 の 「購 って使 役 しないJ
4. khaifak と khaikhat とを区別 す る
奴隷一 利 子払奴隷 (
t
hatphuk dok) で あ る. 指 標 は, 「売買 」 の価格 が, その奴隷 の 「身
khaif
ak 奴隷 は, 簡便 な 金融手段 と して
価 」 の全 額 で あ るが, それ以下 (
基本 的 には
広範 囲 に行 なわれ た制度 で あ る。 タイの奴隷
車額) で あ るか とい う点 に あ る。 この場 合,
を 「回頗 」 の可能 不可能 の別 に も とづ いて,
「身価 」 とは,次節 にのべ る法定 身価 の最高
r
edee
mabl
es
l
ave と i
r
r
edee
mabl
es
l
ave
額 を意味 す る もので あ って,男 子 について は
に分 け, khaif
ak 奴隷 を前 者 とす る ことが
1
4タムル ン (-56バ ー ツ),女 子 について は 1
2
9
)
, この分類 は khaif
ak 奴隷 の本質
あ るが 1
タムル ン (-48バ ー ツ) と定 め られ てい たo
を見誤 ま らせ るお それ が あ る。 なぜ な らば,
V Luk t
hat:子 奴隷
khaif
ak 奴隷 の金主 - の 隷 属 は売 買 の 目的
で はな く,債 務支払 の担保 で あ り,金 利確保
1
. 奴隷 の子 は,原則 と して,親 奴隷 の主
とい う手段 的意味 しか有 して い ないか らで あ
人 の所有 に属 す る。 おそ ら くは家畜 の生 ん だ
ak 奴隷 は, khaif
ak とい う,一
る。khaif
子 が, その家畜 の持主 の所有 とな る ことの類
種 の債 務契約 の結 果 と して発生 す る もので あ
推 で あろ う。 奴隷 の子 は, つね に l
uk t
hat
って,金融 の一方 式 にす ぎない とい う点 を忘
hat とも kha
∂nm 甜 (子奴隷 ) と呼 ばれ, t
V
とも呼 ばれ る ことはない。
れ て はな らない。 タイの奴隷 の大 部 分 を 占め
た この khaif
ak 奴 隷 につ いて報 告 した欧米
上述 した s
i
nt
hai奴隷 の場合 には, 金主
人 が, しば しば s
l
ave とい う語 の 使 用 に 抵
(-買主 ) が売主 に支払 う金額 ,別言 すれ ば,
抗 を感 じて い る とい うの も khaif
ak 奴隷 の
本質 か ら見 れ ば 当然 の こと と言 え よ う。20)
3. 「khaif
ak 奴隷 」 が ,「t
hai khr
ung
売主 がその奴隷 を購 うときに金主 に弁済 すべ
き金額 は金主 と売主 との間 の取 り決 め に よ っ
て,決定 され る。 その額 が法定 身価 の最高 額
t
hatkhr
ung (
半 自由人 ・半 奴隷 )」2
1
)と呼 ば
に達 す るか, それ 以下 で あ るか に よ って,
れ ,金主 の権 限 が大 幅 に制限 され てい るの に
khaikhat奴隷 と khaif
ak 奴隷 の区分 が発
対 し,「khaikhat奴隷 」 に対 す る主 人 の権
生 した こ とは上述 の とお りで あ る。 これ に対
限 は絶大 で あ る。 「khaikhat奴隷 」 は,主
uk t
hat は, 出生 の瞬 間か ら死 に至 る
して l
606
-1
72-
石 井 :タイの奴 隷制 に関す る覚 え書
5
82
83
8 4
8 8
7
8
8
8
9
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6
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日
H
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一
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77 7 77
C
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6 78
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59 0
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57 58 9
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単位
ツ
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-
単位
ツ
・バ
ー
.
である
カテゴリ
ー
。
1
kth
i
の
が特別
と
th
て
いであ
の違
at
u
a
っ として取り扱われる理由
表1
kth
l
身価
年齢
2
の男女
は
u
at
別
・
,
ている
っ
。
8
バ
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いて
,26
40
才
男子は
で最
ツの開きが見られる
ー
。 女手は
の身価より高く
に女子
(
14
56
バ
ツ)
タ
ムルン
ー
,(
高額
に達し
男子
表
の身価は
これによると
である
つね。
,最高額
才が最高
48
12
バ
30
21
で
タ
ツ)
ムルン
-二
- とな
。
色
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k
P
rom
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まで「賠償金定率法
l
k
th
が
それぞれ
の身価
ua
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u
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と
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この点が
at
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u
,
ならな
い
ld)」
werge
年齢別
男女
た
の「人命賠償金
・
,(kh
められた身価を
にしたが
の年齢性別
っ
, に支払わなければ
てその主人すなわち所有者 kth
1
k
として適用される
したが
て
u
っ
。 を回磨しようとする者は
Fn阿つ)
に定
この表
th
at,かれ
宗
7
3J
)
」25,に定められ
附
かむ∩7㌢附
留 (
k
masa
6
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"
3
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才
2
525354
6
4
6
令 価 格庭
年
令 価格
令価 格律
令 価 格庫
令 価 格し
年
才
1
81 82 83
10
-llLl
?
令厄 格
令庵 格 年
価格.
年
m
令
年
55 j5 5 8 5 6 6
1- 3 て 6
4- 6 ;8
≪Pro masak≫による女子 の身価
表 2
≪phr
o
mmas
ak≫ に よ る男 子 の身 価
表 1
東 南 ア ジ ア研 究
第 5巻 第 3号
2. I
nk t
hatは,父母 の 身分 , 出生 の場
「飢 鐘 の時 ,扶養 して奴隷 と した者 」 は,そ
所等 の条件 によ って,異 な った取扱 いを うけ
れ 自体 で はなん ら特別 の カテ ゴ リーを成 す も
る。基本 原則 は,(
1
)
奴隷 の子 は母方 の身分 に
ので ないので ここで は取 り上 げない。 「司法
2
)出生 した 子 が 自動 的 に l
uk
規定 され る,(
奴隷 」 につ いて は, 「官有 奴隷 」 の節 で 触 れ
t
hat とな るのほ,母 が khaikhat奴隷 で あ
る場合 にか ざ る, とい う 2点 で あ る。 以下 ,
る ことと し,最後 に の こった 「捕 虜 奴 隷 」
各 種 の事例 につ いて検 討 しよ う。
chal
oeiL町かy とも言 う) につ いてのべ よ うQ
3
. 両親 が共 に khaikhat奴隷 で あれ ば,
uk t
hat と して主 人 の所有 とな る
その子 は l
ことは言 うまで もないが, この場 合,両親 の
属 す る主 人 が別人 で あ る ときには,母方 の主
人 が子 の所有権 を得 る。 「あたか も放 たれ た
牛 の子 がすべ て,雌牛 の主 人 の物 とな るよ う
に 。」26)
(
t
hatchal
oeim刑 部討
yあ る い は 簡 単 に
2. 「反逆 法 phr
aayakan At
c
hayal
uang
附影
了
か
y
n
7
T
∂
7y77
1aW J 70は, 戦場 で 捕獲 した
「象 ,局 ,人 (
phukhon),武器 ,財 貨 」が,
すべ て国王 に属 す る もので あ って, これ らを
み だ りに処分 す る ときは,斬 首 ,財産 没収 を
ha含 む重刑 に処せ られ る 旨さだめて い る。c
l
o
ei とされ るの は 戦 闘員 にか ぎ らず , 占領
自由人 の男 が,第 3者 に属 す る khaikhat
地 の全住民 が 投 致 され , 強制 的 に 移住せ し
奴隷 と私通 して 出生 した子 は,母方 の主 人 に
め られ た。 こ う した 強制移住 は kan kwat
属 す る。主 人 は, その男 に対 し,奴隷 の妊娠
khr
uam Tnつ751
F
7
7つ と呼 ばれ る. こう した 強
によ って主人 の蒙 った損失 の補償 を要求 す る
権 利 を もた ない。
L
/
制 移住 の 目的 は,(
I
)
戦争 によ って不足 を きた
2)
相手国 か ら労働力
した 自国労働 力 の補充 ,(
自由人 の男 が,khaikhat奴隷 を妻 と して
要 る時 には,一般 にその女 奴隷 を購 って 自由
人 の身分 と してか ら結婚 す るので ,子 の帰属
の問題 は発 生 しないのが普通 で あ る。 しか し,
自由人 の男 が,主人 の同意 を得 て女奴隷 と同
棲 して い る うちに も うけた子 , あ るい は婚 姻
関係 を保 った ままで , 自由人 で あ る妻 を奴隷
と して第 3者 に売 りその間 に出生 した子 は,
奴隷 で あ る母方 の主人 に属 す る。
khaif
ak 奴隷 を 母 と して 出生 した子 は,
母 の売買価格 が法定価格 の半額 を越 えないか
を奪 ってその潜在 的戦争能 力 を低下 せ しめ る,
(
3)
論 功行 賞 と して 自軍 の将兵 に配分 す る こと
な どにあ った もの と考 え られ る 。27)
chal
oeiにかんす る 「三 印法典 」 の記 載 は
あま りに断片 的 にす ぎ,それ のみ によ って捕
虜奴隷 の実態 を うかが うことはで きない。
Del
aLoubとr
e(
1
69
3) は, 奴隷 発生 の原
因のひ とつ と して,戦 争 によ る捕虜 をあげて
7世 紀末 におけ る捕 虜奴
い るが, この記述 は1
隷 の 存在 を 証拠立 て る もの と 見 られ よ う。
ぎ り,母方 の主 人 に属 す る ことは ない。主人
chal
oeiの取扱 い は 必 ず しも苛酷 な もので は
なか った ら しい。 法典 によれ ば,主 人 の 中に
は,たかだか,母 奴隷 の妊娠 中の労働不能 に
II
J
対 す る補償 金 (
khapuai
kan 戸
)
7
uつ
ymF
)を要
hal
oeiの子 を僧籍 に入 れ ,就 学 の機 会 を
はc
求 で きるに とどま る (「奴隷 法 」74)0
l
e
goi
x が,
与 えた者 もあ った とい う。28' Pal
国王 は,都 へ泣致 され た chal
oeiに対 し,米 ,
Ⅵ Chal
oei:捕 虜 奴 隷
金銭 ,住 居 の建築資材 を与 えてその定住 をた
す け,chal
oeiた ちは, 定着 後 ,頭 領 を互選
1
. さきに述 べ た奴隷 の伝統 的 7区分 の う
して秩 序 あ る生活 を送 り,や がて タイ人 とか
ち,相続 によ る財 産権 の承継 ,贈与 によ る財
わ らぬ利益 を享受 す るよ うにな った, とのべ
産権 の移転 によ って獲得 され た奴隷 ,お よび
て い るの も c
hal
o
eiの実 態 を反 映 す る もの と
6
0
8
-1
7
4-
石 井 :タイの奴 隷制 に関 す る覚 え書
782- 1
809) の
は, よ うや くラーマ 1世王 (1
して興 味深 い 029)
Bo
wr
i
ng は ,1857年 当時,タイに強制 移住
治世 に入 ってか らの ことで あ った 。32) この新
hal
oeiの人 口をつ ぎのよ う
させ られて いた c
たな措 置 によ って,これ まで の 閉鎖 的 な c
ha-
に推 定 して い る。
l
oei階級 は次 第 に解 体 の方 向へ と向か うこと
にな った ので あ る。
表 3
Bo
wr
i
ng (
1
85
7
) の推定による
c
hal
o
e
i人 口数
Mal
ay
Co
c
hi
nChi
ne
s
e
Pe
guans
Lao
s
戦闘員のみ)
Bur
me
s
e(
計
4. 捕 虜 奴隷 との 関係で触 れ て おかな けれ
ば な らないの は , 山 地民 奴隷で あ る。 ここで
5
,
0
0
0
人
1
0,
0
0
0人
1
0
,
D
O
O人
2
0
,
0
0
0人
1
,
0
0
0人
山地 民奴隷 とは, ラオス, カ ンボジアの 山 岳
部 に住 む未 開 の kha 族 を略取 して 奴隷 と し
awf
ur
d は,バ ンコ
た ものを指 す。 John Cr
クで 散見 した kha 族 奴隷 につ いて 報 告 して
46
,
0
0
0
人
Cr
awf
ur
d1
828)。この種 の奴隷 は c
haい る(
J.Bowr
i
ng,Thek
i
n
gdo
m andPe
o
Pt
e
.I
.Lo
ndo
n,1
8
5
7.
o
fSi
am,vol
xt
r
a1
bgal
e
1
oeiとは呼 ばれ ない. お そ ら く e
皮,特殊 の カテ ゴ リ-を成 す もの とみ な され
3
. chal
oeiの大半 は国王 に直属 した。 功
てい た と思 われ るが ,詳細 は不 明で あ る 。33)
績 の あ った王 族 ・貴族 等 に配 分 され た場 合で
1
Ⅶ 官有奴 隷 と私有 奴隷
l
l
auChi
wi
t(
Bowr
1
も, それ はつ ね に bau c
mg 1
857),kho
nl
uang (
Bas
t
i
an 1
867) す な
さて,以上述 べ て きた各 種 の奴隷 を, その
wr
i
ng に
わ ち 「国王 の僕 」 と呼 ばれ た。 Bo
所有主 が国家 (-国王 ) で あ るか ,私人 で あ
よれ ば ,マ ライ人 とモ ー ン人 は水夫 と して用
るか によ って 分類 すれ ば , 「私 有 奴 隷 」 と
い られ ,月 8バ ー ツの手 当を受 け,船 長 に な
「官有 奴隷 」 の二 つ の カテ ゴ リーを も うけ る
者 に属 す るの は二 種 の s
i
n
れ ば20-30バ - ツを与 え られ て い た とい う.
ことがで きる。
コー チ シナ人 とラオ人 ,およ びマ ライ人 , モ
ukt
hatす なゎ ち奴隷 の 」
′
で あ
t
hai奴隷 と 1
- ン人 の一 部 は兵 卒 と して 用いられ ,年 3カ
hatl
uang m 訂閃銅 Jと呼 ば れ ,
る.後者 は t
月 の勤務 期 間 中には,月 4バ - ツの給与 の ほ
f
冊i
T
]
で述 べ た
か ,米 の支給 を受 けた。 これ らの諸 民族 の 中
ほか,裁判 の結 果 と して奴隷 に され た いわ ゆ
で もマ ライ人 とコーチ シナ人 は,廉直 の ほ ま
"r
]
]法奴 隷」 の
る 「司法奴隷 」 が含 まれ るO 「
oeiは集 団的 に居 住 して
れ が高 か った。 chal
内容 は多 岐 にわ た り,債 務支払 不能 とな った
お り, アユ タヤの マ ライ人 コロニ ー,バ ク ラ
債 務者 また はそ の保証人 で ,裁 判 の結 果 ,奴
ッ トの モ ー ン人 コロニ ーな どが 知 ら れ てい
隷 と して最高値入 札者 に売 られ た者 ,同 じ く
る 。30)
債 務者 に引 き渡 され た者 ,
前
chal
oeiの大 半 が これ に属 す る
刑
罰 のひ とつ と し
chal
oeiは,khaikhat奴隷 と同 じ く回唐
て奴隷 に売 られ ,その売上 代金 が国家 に帰属
をみ とめ られ て い なか った。 かれ らは 「苛酷
す る者 ,訴訟 事 件 に敗 訴 し,原告 に対 し揖告
な待遇 に耐 えかね て,金 を工面 し, (
主人 に)
賠 償 を命 じられ たが,履 行不能 とな り,奴 隷
身価 を払 (って 自由 を頗 ) お うと して も,お
とされ た者 ,何 らか の理 由 によ って体 刑 も し
oeiで はないか と
前 は戦場 で捕 え られ た chal
くは罰 金刑 に処せ られ た者 を,第三者 が腰罪
い って,受 け入 れ られ なか った」 ので あ る。31)
金 を支 払 ってその罰 を煩 い, 自分 の奴隷 と し
chal
oeiに, 自由 を煩 う 道 がひ らかれ たの
た者 , な どを含 む 。34)
ー1
7
5-
6
0
9
東 南 ア ジ ア研 究
第 5巻 第 3号
て売 られ た若 い ジャ ワ人 の男 女 1
3名 につ いて
Ⅷ
Kha phr
a:寺院奴隷
言 及 し, 「シャム国政府 は この不 届 きな慣行
を奨励 してい るので あ る。 聞 けば ,近 年 400
chal
oeiと司法奴隷 の一 部 は,寺 院 に寄 進 さ
れ ,寺 院領 の 田畑 の耕 作 にあた った。 この種
i
,
/
の奴隷 を kha phr
a6
u7
抑3
'
影 と 呼 ぶ。 kha
人 以上 もの 中国人 が,同国人 の手 で誘 拐 され ,
9世紀初 頭 まで 回
phr
a の身分 は世 襲 され , 1
い る と 言 う。」 と報 告 して い る。 Cr
awf
ur
d
腰 がみ とめ られ なか ったので ,khaphr
aは一
は同一 の報 告 の 中で , タイの高官 の家 で見 か
種 の カス トを形 成 して いた。 kha phr
a の生
けた 5人 の若 いア フ リカの ニ グ ロにつ いて述
活 は,僧侶 を支持 す るための農業労働 を主 と
し,重労働 は少 な く,む しろ他 の奴隷 よ りも
べ てい る36)の は貴重 な証言 で あ る。
●●■ ●●●●●● ■
0に, 「ジ ャ ンクの船上 か ら救
「奴隷 法 」 1
楽 で あ った と見 られ るが , その地 位 は きわ め
った (
奴隷) と同 じよ うに,奴隷 の主 人 は絶
て低 く,人 々か ら厭 われ ていた 。35)
対 権 を もつ (
3
品
シャムへ連 れ て こ られ,奴 隷 と して売 られ て
別品 q
2
J
71
1
7削閃3
4
1
au7品 1比蒜
か
露1
L
m」 (傍点 筆者) とあ る ところか ら見 て,
Ⅸ
輸
入
奴
隷
かれ らは回腰 をみ とめ られず ,主 人 の絶対 権
以上 の奴隷 の ほか, これ らとは ま った くカ
に服 して使役 され る奴隷 で あ った と推定 され
テ ゴ リーを異 にす る異民族 の輸 入奴隷 が あ る
る。 この種 の奴隷 は ,s
i
n t
hai 奴 隷 と も,
ことを指摘 してお きたい。「奴隷 法 」1
0,およ
l
uk t
hat とも,chal
oeiと も異 な った特別 の,
び5
2にい うと ころの 「ジ ャ ンクの船 上 か ら救
ext
r
a1
egal
e な カテゴ リーを形成 してい た も
った
ので あろ う。37)
(
-購入 した)」奴隷
I (
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甘つ
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3
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L
の
n
那打
7
L
J
7
7
が それで あ る。 タイに奴隷 が ,いつ頃 か ら,
む
どのよ うな形 で輸入 され, それが何 に使役 さ
び
す
れ て いたか につ いて の研究 は,現在 まで行 な
1
. 以上 ,20世紀 の初頭 まで タイに存続 し
れ わて いないが ,1
822年,タイを訪 れ た英 国人
た各種 の奴隷 につ いて略述 して きたが, これ
JohnCr
awf
ur
d, ジャワ島のサ マ ラ ンで , 中
を図 に示せ ば,つ ぎの よ うに整理 で きるであ
国 の ジャ ンクに略取 され , タイ人 に奴隷 と し
ろ う。
r khaiT
ak 奴隷
「s
i
nt
hai奴隷 十
一phukdok 奴隷
(
1
) 私
有
奴
隷 -t
1
-khaikhat奴隷
l
-t
hatl
uang
(
2) 官
有
奴
隷
r
-
-khaphr
a(
寺院奴隷)
一
一輸
(
3) 特
殊
奴
入
奴
隷
隷-
-kha嬢 (山地民奴隷)
61
0
-
7
6
-
1
-t
hatc
hal
o
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i(捕虜奴隷)
一司 法
奴
隷
石 井 :タイの奴 隷制 に 関す る覚 え書
(
2. これ らの奴 隷 は , しか しなが ら, その
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重 要 度 に お い て , たが い に著 しい 相 異 を示 すO
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.2505.pp.
382-3
87.
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7
1
)
その 数 に お い て圧 倒 的 な優 勢 を示 す の は , (
3) た とえ ば, De l
a Louber
e, p.77,
の私 有奴 隷 で あ る。 タ イの奴 隷 が ,人 口の宛
Pal
l
egoi
x p.
298.
に達 す る と 言 わ れ る と き, そ の 大 半 は s
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4) 5
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描 珊l
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.
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ak 奴 隷 と 1
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hai奴 隷 , と りわ け khai f
5) 旧 制 度 下 にお け る大 顕 官 の官 印 で あ る
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hatに よ って 占め られ て い た と 見 て差 し支
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7野甜関
phrarat
chas
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勺/
え な か ろ う。 khaif
ak 奴 隷 , す なわ ち買戻
田 訂朔日
†
条 件 付 で売 買 され た奴 隷 は ,言 葉 を か えて言
え ば ,売 主 が金主 つ ま り買主 に対 して負 った
(sam
債 務 の抵 当 , お よ び 利 子 の 代 りと して ,金 主
1
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日 ),
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(
samuhanayok
phrakhochasi附
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紺,
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ak奴
が これ を 占有 す る人 質 で あ った 。khaif
の 3種 の 印。
隷 は , タ イの農 民 に お け る も っ と も普 及 した
6) 「三 印法 典 」 の R.Li
ngat に よ る厳 密
金 融 の- 形 式 とみ な され て い た とい え よ う。
939年 にバ ン コ クの クマ サ ー ト
な校 定 本 は ,1
それ な らば タ イの農 民 の 「
[
コに , この よ うな多
大 学 か ら刊 行 され た 。詳 細 は参 考 文 献(
l
J
を参
:
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リ
ノ
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、
【
、
ミ
o
数 の負 債 者 の群 が発 生 した の は い か な る理 由
に よ る もので あ ろ うか。 多 くの著 者 は , ア ユ
7)
タ ヤ朝 末 期 か ら ラタ ナ コー シ ン王 朝 に か け て
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.2478.pp.2
4-27.
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タ イ に導 入 され , タ イ政 府 の有 力財 源 と して
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り J∫∫,
ofRama Ioft
隆盛 を誇 った公 認 トバ ク場 が , タ イ人 の射 幸
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.XL HI
,p.
24.
心 を刺 激 した結 果 で あ る と主 張 す る。 しか し,
8) Ger
vai
s
e p.1
45 f
.
Del
a Loubとr
e,
アユ タヤ朝 末 期 以 降 ,金 納 化 の傾 向 を た ど っ
p.
77.
or
v6e制 と,村 落 レベ ル で の農 民 支 配 に 絶
たc
9) 以下 「三 印法 典 」 の 引用 はす べ て Li
-
大 な権 力 を ふ る った munnai階 級 に よ る農
ngat校 定 本 の綴 字 に した が う。
民 の搾 取 が ,農 家 負債 , ひい て は奴 隷 の大 量
10) 酉 暦換 算 は Phi
phat Sukat
hi
t の計
発 生 の 原 因 とな ったで あ ろ う と考 え られ るが
,
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算 に基 づ く。 いず れ も Ch1
1
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この 問 題 につ い て は, 別 の機 会 に論 ず る こ と
と した い。
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R.2
506 (
1
963).
注
補
古内露 n/
C.f.
1,
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;
I
e
sesll
) Li
ngatの訳 で は , そ れ ぞ れ "l
eurmai
t
r
edes
es
c
l
avesquis
ontvenusal
1) 旧 制度 下 の タイ の社 会 組 織 につ い て は ,
つ ぎの文 献 が基 本 的 で あ る。
par
eetmer
e" お よ び "l
eses
cl
avesquivi
-
Aymoni
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901, Bas
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867, Bowr
i
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ennentdespとr
eetmとr
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' とな って い るo
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d 1828, Del
aLouber
e1
693,
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ngat1
931,pp.
294-296
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854, Wal
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934.
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k1
907, Pal
1
2) 以下 の節 区分 は,す べ て Li
ngat校 定
本 に した が う。
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07 m
- ,
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m
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3) Li
ngat1
931,p.
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471.
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4) es
cl
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),Gekauf
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611
東南 ア ジア研 究
1
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第 5巻 第 3号
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37) Li
ngatp.
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T
.2
474.p.1
44.
1
6) I
bi
d.
,p.
375.
参
考
文
献
1
7) た だ し売 却 後 1カ月 以 内 は,売主 は責
1. 三 印法典 の諸刊 本
任 を 問 われ た。 (
「奴 隷 法 」
44)
「奴隷 法 」 5に
1
8)
,「寛大 使役 し,売主
に属 す る人 に危 害 を加 えて は な らぬ」 とあ る。
1
9) た とえ ば Bowr
i
ng 1
857, Vol
.1,
p.1
91.
20) Car
lBoc
k は, khaif
ak 奴 隷 を他
s
l
ave)か ら区別
の カテ ゴ リ- に属 す る奴 隷 (
して s
l
avede
bt
orと呼 ぶ 。(
CarlBoc
k1
884,
p.1
59.
)Er
nes
tYoung は bonds
er
vant
sと
い う訳 語 を用 い て い る。(
Er
nes
tYol
ユ
ng1
907,
p.1
27.
) な お Bowri
ng,p.1
94参 照。
21) 「婚 姻 法
色
.
ノ/
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J
三 印法典 には各種 の刊 本 が あ るが, 大 別 し
849年 に NaiMotAmat
ayakunに
て ,(A) 1
よ って は じめて 上 梓 され た NaiMo
t本 を底
本 とす る系統 と,(B)の ちに発 見 され た 「正
本 」「副 本」 に もとづ く校 定 本 の 2系統 とが
あ る。
(A)の史料 価値 が (B)にお と る ことは,言
うまで もな いが (A)本系統 の諸 刊 本 も,今 世
紀 に入 って近 代 的法典 が整 備 され るまで,久
し く法 律実 務 家 の典 拠 と して用 い られて きた
もので あ るだ けに,数 々の特 徴 をそ なえて お
節付O
J
甜?L
3
J
y
J47.
り,今 日で もこれ を無視 す る ことはで きな い。
22) 「奴 隷 法 」42.
1
) A本 系統
23) Bowri
ng p.1
91.
a. ブ ラ ドレ-本 :
24) Di
l
oc
k p.37.
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25) プ ラ ドレ一本 , ラー ブ リ一本 で は,
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7節かu7" p.31.
27)
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2505.p.
347.
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か (プ ラ ドレ-法典 ) と して も
258
っと も広 く 普 及 して い た。 筆者 は 小 暦 1
0版 を利 用 した。
(
1
896)年 の第 1
c
.
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句
柱
閥阿22・
b. ル ア ング ・ダ ム ロ ン本 :
28), 附 甜 御
。9閃m u即 7別 封
5
)
つ寸と
討3
J4.p.
290f.しか し主 人 に よ って はか
関か
つ品
の 引用 か らもあ き らか で あ る。
29) Pal
l
egoi
x,vol
.1,p.321.
乞
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7
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.
33) Li
ngatp.
45n.
3
4) I
b
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d.
,pp.
46-47.
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30) Bo
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91.
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J
),
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q.1
1
4 (1
895)
本書 の特 徴 は ,上 記 の プ ラ ドレ一本 の 内容
全 部 に,現 行 の諸法 令 を加 え, これ らを項 目
別 に再 排 列 した もので ,巻頭 の 内容 目次 は ,
各条 文 の 内容 を簡 潔 に示 し,検 索 に きわ めて
q
ノ E
L
と
ヽ 有 益 で あ る。 筆 者 は第 2版 5
'
・
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1
6(
1
897)
3
5) Del
aLouber
ep・11
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y阿 を利 用 した。
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22. 討
1弛 5
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. p.1
64,Wal
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C. ラ,
- ブ リ親王
本 :q
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古井 :タイの奴 隷制 に 関す る覚 え 苦
nDm 1u2 ほ訂
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…
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,
朋抑m , 描 ・ 1
20
1円 1
.附 純 郡 , 刑凧 2473(1
930))
1939年 , R.Li
ngato
j努 力 に よ って , よ う
(
1
901)
ふ つ う ∩9閃3
n- 甘
u
ぎ(ラ- ブ リ法 典)と通
†
称 され て い る もの。 本 書二
は , (1)タ イ 法 曹 タト
や く,正 本 お よ び 副本 を底 本 とす る三 i
二
田去典
全巻 の 厳 密 な 校定 本 が 作成 され バ ンコ クひ
Jク
封仮され た。 これ に よ って
マ サ ー ト大 J
芋か らL
ブ リ親王 が ,簡潔 で は あ るが , 重要 な 内容 を
三 印法 典研 究o
j扉 が研 究 者 の 前 に大 き く聞 か
もつ脚注 を随 所 に 加 え て い る こ と , (
2)当 朽
れ る こ と とな った の で あ る。
廃I
Lされ て い た 条文 が削 除 され ,廃 l
I
二
年月 で
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a. クマ サ - 卜大 学 本
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naU?懲7万J3
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n野田㌻
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7寸,
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が 明 示 され て い る こ と,(
3)三 印法 典 以 前 に作
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成 され た未 公 刊 の ∩か閃3
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扉 晶
と nF
揃 蒜
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描丁可 の 2編 を 第 1巻 の末 尾 に 収 録 して い
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)3点 が特 徴 と して数 え られ るO 筆 者
は , 第 1巻 につ いて は初 版 と同年 に刊 行 され
本 校定 本 は ,現 存 す る7
9帖uj r
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:
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)
,
ド(司l
t
去省 所
た 第 2刷 ,第 2巻 につ いて は初 版 を利 用 した。
d. P.K.P.S.本
37帖,国 立図書 館 所 蔵 本 42帖)
を底 本 と
蔵本 1
P.K.
P.S.とは ,Pr
achum Kot
maiPr
a-
し, 正本 を欠 く部 分 (「賠 償金 定率 法」と 「奴
cham So
k (年 次 法 律 集 成 )の 略 で ,1
935年 以
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らに よ って 刊 行 され 今日に及 ん で い る もの を
隷 法 」につ ′
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=副本 :
=よ って い る。 本 .
黒 土,
/
)み な らず
原本 の忠 実 な 復 頂 を 目指 し, 内容 C
古
綴 字 を そ の ま ま 保存 して い るの で , 言
詔を史
家 に も貴市 な 質料 とな って い る。
指 す。 三 印法 典 は この 第 1運, 第 2巻 お よ び
b. クル サ バ
第 3巻 の 1部 を 占 め る。
2) B本 系統
か胴
L.
:
∩7F F
77戸は
甜
57 1 ,
ウヤ
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仁本 ・刊 本 に もとづ く三 印法 典 出版 の試 み
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- ・
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は, 1
928年 の , フ ラ ンス人 Bur
nay に よ る
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ト2,pp.
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1
962)
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7
∩)の テ キ ス ト刊 行 に は
「相続 法 」(
じま る。
一 本
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第 5巻 第 3号
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この 2冊 は合本 で 出版 されて い る。三 印法
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典 中の 「奴隷法」 その他 の関係法令 と,1
年 の 「奴隷廃止」措 置に関連 して公布 された
4. 欧語 文 献
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