2008 日印韓合同 スダルシャン・パルバッド登山隊 Mt. SUDARSHAN・PARBAD(6507m)EXPEDITION 報 告 書 C2(5800m)からのスダルシャン・パルバッド(6507m) 遠峰山岳会(埼玉県山岳連盟) 隊 名 後 援 日印韓スダルシャン・パルバッド登山隊 ・埼玉県山岳連盟 ・埼玉県山岳連盟海外登山委員会 登山隊留守本部 遠峰山岳会・代表 天野 賢一宅 埼玉県川口市 ◆ 目的 ①インドヒマラヤのガンゴトリ山域・スダルシャン・パルバット峰 6507mの登頂をめざす。 ②海外登山の次期リーダーを養成する。 ③海外登山のタクティクスを計画実践 ④高所登山における環境問題調査(氷河後退・地球温暖化状況など) 登山口ガンゴトリからスダルシャン・パルバッド 聖地・ガンゴトリ寺院にて登頂祈願 スダルシャン頂上にて ガンゴトリの激流のガンジス河沐浴場 ガンゴトリからゴーモックまで18kmのキャラバン <ヒマラヤ峰に登頂成功 県内登山家ら日印韓合同チーム> インド北東部のヒマラヤ山脈スダルシャン・パルバッド峰(6507 メートル)の登頂を目指し ている日印韓の合同登山隊(山際登志夫隊長)の留守部隊本部(川口市)に入った連絡によると、 同登山隊は19日午後3時20分(現地時間)に同峰登頂に成功した。 山際隊長は「体調を崩して下山した隊員もいるが、全員無事で予定通り帰国する」と衛星電話 で伝えてきたという。 日本人の登山隊が同峰登頂に成功したのは、1988 年に富山県の登山隊が登頂して以来20年 ぶり四度目。同隊は24日、帰国する予定。 同合同登山隊は埼玉県山岳連盟加盟の遠峰山岳会主催で、山際隊長ら日本人六人とインド人、 韓国人各一人の計8人編成。 出発から帰国まで二週間の日程で8月9日、成田を出発した。13日に標高 4600 メートルで ベースキャンプを張り、登頂を目指していた。 BCにて 下山前の登山隊 6300m付近からバギラティー方面 怪峰シブリン 夕焼けのインドヒマラヤ(C2 より) BC に集まるアイベックスの群れ <遠征隊準備会と高度順化訓練> 2 月の顔合わせ会を振り出しに、ポプラにて準備会を重ね富士山には 3 回の高度順化訓練で山頂にテント 泊した。装備の点検準備会は川越の岩井田事務所をお借りして実施した。 2/3インドからの参加隊員と(池袋) 6/21-23 韓国から辛・丁さんと合同富士登山 装備点検・仕分け準備会 7/30(川越・岩井田事務所にて・加藤事務局長・天野会長支援の下で) ■遠征報告<日程> 《スダルシャンパルバット登頂記録》 登山隊長 山際登志夫 多くの皆さまからご助言やご支援を頂いた「2008スダルシャン・パルバッド登山隊」は 3名の登頂という成果を得て全員無事に帰国しましたので報告させていただきます。 〈計画と準備〉 当初の計画立案は昨年5月にガンゴトリからシブリンBC(タポバン)に行った時に現地ガイド に周辺で6000m級・短期でも登れる山として SAIFE 山(6166m)を進められて検討し ていた。今年に入りインド登山財団(IMF)が114山を開放して申請などの簡略化や通常は登 山専用Xビザ必要なのが観光ビザでOKとなった。その中に SAIFE の隣の「スダルシャン・パ ルバッド6507m」がありこの山に変更を2月頃に決定し具体的な計画立案となった。 最大の課題は夏休みの2週間で登頂可能かどうかであった。通常はデリーから登山口のガンゴト リまで3泊で移動する行程を1泊半でチャータ車を手配して移動することで、何とか登頂が見え てくる日程を計画をした。 (デリーからガンゴトリまで約600km) その後、準備会を数回重ねて食料・装備・医療面を中心に計画を仕上げて装備点検会も行った。 最終的には隊員は日本から5名、インドから2名、韓国から1名の8名となった。富士山頂上で 宿泊しての高度順化訓練は回を重ね、最終回は出発の1週間前に実施した。また壮行会は大宮で 盛大に開催して頂き決意を新たにした。 緊急用のGPS衛星携帯電話はインドでは手配が難しいとの情報で、日本でレンタルして持込む ことにした。 (IMF玄関) (IMFのインディラ・ガンジー記念プレート) 〈インド現地での準備〉 インド登山財団(IMF)と現地ウトランチャル州への登山許可の取得はインド在住の2隊員(宮 澤副隊長・RAJEEV 隊員)が担当した。手続き上ではインド入国後に直ぐに IMF への隊長が挨 拶と説明が必要なところを「宮澤副隊長への委託書」をIMFに送付して代行を許可してもらい デリーでの滞在時間を短縮した。 またデリーの日本大使館への挨拶と緊急時のヘリコプター手配も宮澤副隊長にお願いした。隊員 が加入したIHI保険(デンマークの海外保険で高所登山もカバーされる)証のコピーを提出し て了解を得ること出来た。また連絡官(リエゾン・オフィサー)も RAJEEV 隊員(インド登山 学校上級卒業生)が最終的には兼任させてもらえることになった。途中のウッタルカシで IMF からの登山許可書類を持って現地ウトランチャル州の州政府4機関に申請・届けをするのは半日 費やして RAJEEV 隊員が行った。 また現地で「ガス缶」や食料なども現地調達をして日本からの物資を最小にするように図った。 登山のエージェントの選定・交渉はコストやガイドの経験などから現地のウッタルカシに事務所 を置く「MOUNT SAPPORT 社」に依頼することにしたが、追加の登山ガイとしては RAJEEV 隊員のインド登山学校時代の友人(BOK さん)をアッサムから呼び寄せ登頂の強力なガイドと なった。 〈日程〉 8月9日成田発時は個人重量制限30kg以内(特別申請要)で収めて全員無事にデリーに到着。 (デリー宮澤邸 3泊した) デリーからウッタルカシ往復チャーターバス) その夜はインド料理専門店バサントのレストラン「サハラ」で夕食。その後に韓国からの辛隊員 をデリー空港に迎えて全隊員が宮澤邸にそろった。 10日朝5時にはデリーを出てウッタルカシまでの560kmをチャータしたマイクロバスで 15時間掛り移動した。夜に到着後エージェント(登山旅行社)に挨拶・打合わせをした。 11日はウトランチャル州の4行政関連機(州の行政府・警察・消防・登山学校)に申請・届け を行い、予定より半日遅れで登山口のガンゴトリに到着しガンゴトリ泊となった。 〈登山活動〉 12日 いよいよガンゴトリからゴーモックまでの18kmのキャラバンとなりゴーモックで 最初のテント泊となった。 キャラバン隊の構成は 隊員8名・ガイド2名 コック1名・コック助手2名・ハイポータ3名・ローポータ28名にロバ4頭 (登山口の関所) (ゴーモックへの巡礼道) (キャラバンのロバの渡渉) 13日 朝5時に出て11時頃にようやくBC(4600m)に入った。午後は5000mくら いまで偵察を兼ねて高度順化を図ったBCでの食事は連日ベジタリアン(菜食)となった。コッ クに確認すると聖地なので肉や卵・玉ねぎ・にんにくは持ち込みは禁止されているからとの回答 で焼きソバ・焼き飯・スープとインドの豆粉の天ぷらの繰り返しとなつた。 (ゴーモックのテント場) (ベースキャンプ) (ベースキャンプのテント) 14日 早朝に宮沢副隊長からテントに同宿の辛隊員の様子がおかしいとの連絡。声を掛けても 起きなくて、応答が悪く、反応も悪い。顔も浮腫み高山病(脳浮腫)と判断。デカドロンとダイ アモックスを投薬して早々に宮澤副隊長・RAJEEV とポータ1名が伴いゴジュバサまで千mを 下山した。宮澤・辛隊員はその後BCには戻らなかった。この日は鈴木隊員は体調不良でBC滞 在となりC1(5300m)建設は山際・風間・平野とガイド・ハイポータで行った。しかし、 ガイドのラクシュマンは前日に足を捻挫してBCで静養となりスタートからトラブルが続いた 日であった。BCは内野副隊長が今後も滞在して指示を出してもらうことになった。 (キャンプ2 5800m) (キャンプ1 5300m) 15日 鈴木も加わりアタック隊4名(山際・平野・風間・鈴木)がそろった。 この日はC1に上がりテント泊。高度順化のために高度を上げる時は100m/1時間のペー スを守ってガイドらの早いぺースの後をゆっくりと登った。 ラジーブ隊員は辛さん・宮澤さんを送りこの日にBCに戻った。 8月15日 BCからC1へ登山高度表 5400 5200 5000 4800 4600 4400 4200 10:19 10:40 11:19 12:20 12:58 13:24 14:38 15:13 17:00 16日 C1からC2は雪の斜面を氷河に沿い登り、雪上にC2建設を行いC1まで下山した。 ラジーブ隊員はこの日にC1に登って来た。この日も高度順化のためにペースは1時間で100 mで登る。 8月16日 C1からC2へ登山高度表 5900 5800 5700 5600 5500 5400 5300 5200 5100 5000 8:05 9:00 9:55 10:25 11:30 12:40 13:15 17日 C1からC2(5800m)に上がり泊。この間は隊員・ガイド共に高山病の症状も無く食 欲も落ちなく順調である。 (C1からC2へのクレバス帯を通過) 18日 今回のシュダルシャン登攀核心部のアイスと雪の70度程度の傾斜の長さ150m位 の壁に FIX ロープ工作を行った。アイスクライミングの終了点の6000mまでアタック隊四 名も上がり高度順化した。彼らが持ち込んだFIXロープは「虎ロープ」で滑りが悪く苦労した。 19日 いよいよ唯一のアタック日。予備日のない背水の陣であった。21日には下山のために ポータの前日BCへ登ってくる手配も終え、ガンゴトリから移動のジープやデリーまでのバスの 手配もGPS携帯電話で手配を済ませた。RAJEEV 隊員はリエゾンとしての役割から、非常時 に備えて頂上アタック隊には参加せずにC2に留まるとの判断をした。 前夜 11 時30分に起床し食事を終えたがガイドの二人の準備が遅れ、ようやく2時にテントを 出て登攀開始となった。 (最初の核心部アイスクライム終了点) (雪壁の登攀 右のピークが山頂) 最初のアイスクライムと雪壁登攀は行動毎に大きく息を数回しないと次に行動が出来ない。 ようやく雪の稜線に出たころには太陽が輝き初めての青空の向こうに初めて頂上が見えた。 (岩稜の登攀開始点) (岩はもろくて落石に悩まされた) この後に続く岩稜帯はかなり崩壊が激しく落石がFIXロープで誘発して起き隊員めがけて降 ってくる。ここを越えると傾斜のある雪稜が続き、その後に頂上までの広い雪原登攀になる。 (6200m付近) (6300m付近) この頃、山際のペースが落ちてきて高山病(肺水腫)の症状が出てきた。これ以上の無理は危険 と判断して6300m付近で断念しそこから単独で下山。残る3名(風間・鈴木・平野)とガ イド二名で頂上に向い15時20分登頂した。 (頂上直下) (頂上にて 平野隊員・ボク・ラクシュマン) アタック隊はC2に暗くなった20:30頃に無事に帰還し衛星携帯電話で留守本部の天野会長 に登頂報告を入れた。予定外に遅くなったので5800mに3泊目となった。 山際の容態は悪かったが、ダイアモックスとバイアグラを投薬してから少し落ち着いてきたので、 夜間にクレバス帯の氷河上を降りるより明朝に下山する方が良いと判断した。 、BC で連日の雨に悩まされ内野副隊長は苦労されたが、この日はBCも好天に恵まれ内野副隊 長はC1まで往復し登頂隊が登るのを見ることができていた。 〈下山〉 20日 途中でC2,C1を撤収しながらBCまで下山しBC隊の歓迎を受けた。この日にロー ポータ11名がBCに登ってきて下山のキャラバン隊がそろった。ローポータは「ダブル(二倍 の荷物を持つ)」希望が多くやむなく人数を減らした。 21日 ゴーモックまで氷河モレーンの土砂と岩の悪路を下った。インドメンバーはガンジス河 源流のゴーモックの水を汲んでいた。ゴーモックはインドの聖地で氷河末端から流れ出る水はイ ンドでは最高のお土産となり、冠婚葬祭時などにはこの水を少しづつ飲むそうである。 ゴーモックからガンゴトリまでは18kmのトレッキングルートになるが、単調なルートは疲れ た体にはきつい下山路となった。ガンゴトリには午後2時過ぎに到着した。 〈ウッタルカシまでのアドベンチャー〉 この日にウッタルカシまで94km移動しないと予定通りにはデリーに戻れないので、雨の中を 早々に四輪駆動車に分乗して出発。例年は8月中旬には明けるモンスーン明けが今年は遅れてい て雨模様の日々が続き、雨は道路山側から落石や倒木を流し、何度かドライバーが先に行くのを 拒否する場面や落石から逃げる場面もあった。道路をまたぐ倒木の時は隊員の多くは帰国航空券 をあきらめたが一kmほど先のトンネル工事の重機の出動を交渉して倒木を排除してもらって 切り抜け、夜のウッタルカシに運よく到着できた。 この時期は道路崩壊も時々あり先に下りた辛・宮澤隊員は三日間不通後にトラックで移動した。 ウッタルカシでは翌日の早朝移動に備えて、夜にエージェントに費用支払いを済ませた。 〈デリー経由帰国まで〉 22日 朝四時に起床してマイクロバスに積み込み五時発で、デリーまでの560kmを揺られ て宮澤邸に戻った。この夜は久しぶりの日本食とビールで隊の成功を祝った。 23日はデリー市内の世界遺産観光や買い物を楽しみ、IMFに見学と挨拶で訪問した。夜には 機内の人となり、熟睡して成田に帰国した。 24日 早朝に成田空港に到着。天野会長・小茂田さん・岡野さんの出迎えを受け、朝食を取り ながら簡単に報告してから車に分乗して帰宅した。 参考:今回の一人当たりの費用は、登山許可申請費が65000円とエージェント費、移動費、 ホテル費、食事代など総額で800USドル、JAL航空券17万円であった。 <登山隊 登攀ルート図> 右の C1 方面から氷河を上がり、クレバス帯を通過してC2(青円部)を望む、 6300m 付近から登攀ルートを俯瞰。 スダルシャンの登攀路を望む 青円内は頂上アタック前日ルート工作中の 2 名 <登山活動中の SpO2・血中酸素濃度と心拍数データ> 100 90 80 60 50 40 30 20 10 10日 11日 12日 13日 14日 標高(m) 15日 内野 宮澤 風間 鈴木 平野 辛 ラジーヴ 16日 17日 18日 5700 5700 5700 5700 5700 5200 5200 5200 5200 4500 5200 5000 4500 4500 4500 4300 3900 3900 3660 3100 3048 0 山際 ボク 1300 SpO2(%) 70 20日 140 山際 内野 宮澤 風間 鈴木 平野 辛 ラジーヴ ボク 120 心拍数 100 80 60 40 20 10日11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 5700 5700 5700 5700 5700 5200 5200 5200 5200 4500 5200 5000 4500 4500 4500 4300 3900 3900 3660 3100 3048 1300 0 20日 標高(m) <辛、宮澤の行動記録> 辛氏と宮澤は BC より下山したので以下に行動を報告する。 副隊長 宮澤 喬雄 8月14日 6 時、同じテントで宿泊中の辛氏が起きないので声をかけたが、ぶつぶつうわ言を 言うだけで目を覚まさない。顔は腫れており、明らかに高度障害の兆候であった。 すぐに隊長に報告し、医療担当の平野氏の診断を仰ぐ。 この状態ではすぐに高度を下げる必要ありとの判断で、即時下山を決定。 同宿のよしみで宮澤が同行し、ボジュバサまではリエゾノフィサーのラジーブ氏とポーター1 名にサポートをお願いする。 8時30分 BC 発、辛氏はふらふらの状態でゴームックまでの急な下りはアプザイレンし、3 人でやっとのことでゴームックまでたどり着く。途中の休憩では辛氏はすぐにうとうとしてしま う状態であった。 ゴームックよりポーターは BC に引き返し、ラジーブ氏にボジュバサまでサポートしてもらう。 ゴームックからボジュバサまでは20分に1回の休憩で、到着は17時になってしまった。 辛氏には相当つらい行動であったと思うが、とにかく自分の足で歩いてくれたのには助かった。 ゲストハウスのベッドで2時間ほど熟睡し、辛氏も落ち着いた様子であった。 8月15日、この日はインドの独立記念日で、ゲストハウスではインド国旗を掲揚し、職員は 全員国歌を歌って独立記念日を祝っていた。 ラジーブ氏は早朝 BC へ戻り、辛氏、宮澤はガンゴトリへ下った。 辛氏は大分体調を回復した様子であったが、顔のむくみは全く引いていない。SpO2 は44 であった。 9時ボジュバサ発、17時ガンゴトリ着。 雨の中を15kmの下りは辛氏にとって相当につらい行動であったに違いないが、とにかく高 度を下げるのが一番の薬であると判断し、頑張ってもらった。 宮澤も久しぶりに30kgを背負っての下りはきつかった。 8月16日、ガンゴトリ停滞 辛氏の顔のむくみは依然引かないが、SpO2は61まで回復。1日中ベッドでうとうとし、 食事の時だけ食堂にでかける。BC で分けてもらった日本食がとても旨かった。 ウッタルカシからの道路ががけ崩れで普通となり、町には観光客は全くいなく、土産物店も開 店休業の様子であった。 8月17日、ガンゴトリ停滞 辛氏の体調は回復した様であった。顔のむくみも少し引いており、SpO2は72に回復。 道路は閉鎖のままで、町は閑散としている。 雨の晴れ間に1時間ほど町を散歩する。ホテルのすぐ近くに高さ20m程の滝があり、ガンガ 河の全流が雨季の水を集めて轟音をたてて流れ落ちていた。これは見ものであった。 本隊との連絡が全く出来ず、上の様子は判らないのが不安であり、BC に引き返すのも辛氏の 状態からは無理と判断し、道路が回復次第ウッタルカシへ下ることにした。 もうひとつの理由は食事である。ガンゴトリは聖地であるため、肉類、卵、玉ねぎは全く手に 入らない、ガソリンストーブの燃料も尽きてしまったが、ガソリンも売っていない。 食堂のメニューは油こいベジタリアンしかない。しょうがないので、食堂で宮澤が塩で味付け した野菜いためを作らせてもらった。あっさりした塩味の野菜炒めに舌鼓をうった。 驚いたのは料理している最中に食堂の前にインド人がたくさん集まってきて料理するの見て いる。おそらく道路封鎖で暇をもてあました町の人々が集まってきたのだろう。 8月18日、ガンゴトリ∼ウッタルカシ 辛氏の状態は昨日よりよくなっている様子。顔のむくみも昨日より引いているが完治したわけ ではな い。 今日も道路封鎖は続いているが、がけ崩れ現場より上の途中の町からトラックが1台登ってき た。うまくいけばこのトラックに乗せてもらえそうだ。 9時にバス停のある広場に行ってみると、おんぼろの幌つきトラックが荷を降ろしている。 広場にはインド人が沢山集まり、このトラックの出るのを待っている。 10時出発、埃だらけの荷台に50∼60名のインド人と私達を含めて3人の外国人が乗り込 む。身動きも出来ないほどつめこまれ、ひざを抱えてやっと座れる状態で出発した。94kmを この状態で揺られるのはたまったものではないが、これしか足がないので我慢する。 途中でがけ崩れの現場で停車、道路の半分以上が土砂で埋まっているのをブルドーザで取り除 いている最中であった。2時間後に開通、19時薄暗くなったウッタルカシに到着。 体がこわばってホテルまでの5分がとても長く感じた。 早速ホテルのとなりのガイド事務所に行くと、本日3名が登頂に成功したとの連絡が入ってい た。誰が登頂したのかは判らなかったが、とにかくうれしい知らせであった。 8月19日、ウッタルカシ滞在 辛氏の顔のむくみも治り、ほぼ完治した様子。 3時間ほどウッタルカシを散歩する。食堂でタンドリチキンに舌鼓を打つ。 トラックに同乗していたインド人にも何人か会ったが、9 時間も一緒に揺られていた仲間なの で親友のように挨拶し、握手を求めてきたのは嬉しかった。 8月20日、ウッタルカシ滞在、本隊帰還。 ウッタルカシ近郊を4時間ほど散策。渓流つりに絶好の支流を見つけたが、残念ながらつり道 具なし。 夜、本隊が帰還、登頂成功を喜び合った。 <装備担当 風間隊員報告> 装 備 担 当 か ら の 報 告 風 間 進 1. 幕営用具について 幕営用具については、反省点が多々あった。事前打ち合わせをしっかりすべきであった。①事前 の打ち合わせ、②現地での打ち合わせ、ともに不十分であったため、一歩間違えば前進不能に陥 るところであった。 ①について ガイド2名と高所ポーター3名は自分たちの寝るテントは持参してくるであろうと判断して、わ れわれは用意しなかったが、彼らも我々が用意するものとして用意していなかった。ただ、リエ ゾンオフィサーのラジーブさんが、自分用に IMF でラフヒューマテントを1張りレンタルして おいてくれたので、事なきを得た。 ②について 高所ポーターに荷上げを頼んだにもかかわらず、メスナーテントのポールが BC においたままと なってしまい、使用不能となってしまったこと。また、アタック当日のツェルトの所在がわから ず、持たずに出発したこと。 当初計画としては、 《C1》= ICI スタードーム 4∼5 人用 アライエアライズ 3∼4人用 メスナーテント 2∼3人用 の3張りを用意した。合計で収容人員は9∼12人。余計な荷物はツェルトに包むとすれば、隊 員9名分としては十分な広さである。(ガイドと高所ポーター5人分は用意していない) 《C2》= エスパース 3∼4人用 を用意した。C2に上がる隊員が増えた場合には、エアライズまたはメスナーの C1用のいずれ かを撤収して C2に上げる方針であった。C2にあがる隊員がおそらく4人、増えても 6 人と考 えていたので、十分な広さである。 (ここでもガイド・高所ポーター5人分は用意していない) 実際には、急遽ドタバタ遣り繰りをして 《C1》= スタードーム 4人用 ガイドと高所ポーター4 人(C2に上げる) アライエアライズ3人用 風間・平野・鈴木の3人 (C1 専用とする) ラフューマテント3人用 山際・BOK の2人 (C1 専用とする) 《C2》= スタードーム 4人用 山際・風間・平野・鈴木4人(C1より上げる) エスパース 4人用 ガイド2人とラジーブ計3人(C2専用とする) に変更して事なきを得た。 ※当初、テントは3張りで足りるのではないか、との意見があったが、直前で、余ってもよいの で4張り持参することとしたこと、加えて、ラジーブさんが自分用のテントを念のため確保持参 してくれていたこと、この幸運が2つ重なっていたので、何とか遣り繰りができ、今回のアタッ クも叶った、と言っても過言ではない。 洗濯ものでも干せるかなと用意した、細引きは天候も悪かったことと、日程が詰まって、その余 裕もなかったので、使用できなかった。 スコップ・スノーソーは C2で使用した。テントが夏用フライであったため、強風でフライが巻 き上げられるのではないかとの心配から、フライの下場が隠れるまで、スノーブロックを2段位 積んだ。 たわしは靴やザックの雪落としとして使用した。ランタンは鈴木さんの電池式を使用したが、こ れは快適であった。ただ温かみがないのが難点といえば難点である。 2. 炊事用具について コッフェルについては、テント同様、ガイド・高所ポーターの分を用意していなかった。 しかたなく、風間の個人のコッフェルの大きい方を彼らに渡し、問題解決。 ガスボンベは15本用意し、10 本を BC から上に上げた。C1 に2本、C2に4本ずつ配した。 C1では水が取れたので雪解かしでは使わなかったことと、暖房に一切使用しなかったことで、 4本は手付かずで余った。これは計画通り、余るくらいでよいのではないか。 おたま、漏斗、コンロ敷きについては大変便利であった。生水は飲まないすべて沸かして飲むと いう原則にしたがって、コッフェルから水筒やペットボトルへの何度も入れ替えたわけだが、こ ぼさずに、手短かにできてよかった。1L と 2.5L の PLARYPUS 製の耐熱ビニール水筒は、水や お湯をためて置くのに大変便利であった。お湯を注ぐだけのメニューにしたため、まな板は使用 しなかった。洗面器がわりに用意したバケツも、顔を洗う余裕がなく、使用しなかった。 3. 生活用具について ビニール袋については、当初包んできた袋が破れたり、汚れたものを入れたり等々用途はたくさ んある。軽いものだし、もっとあってもよかったように思う。 ガムテープや工具類は、必要な事態が起こらなかったので、使用しなかった。だが用意はすべき であろう。 トランシーバーについては、BC∼C1・C1∼C2の連絡で威力を発揮した。また、イリジウム 衛星電話はレンタル料金も通話料金も高いが、持参してよかったと思う。日本との連絡や、緊急 連絡用としては欠かせないものだろう。今回も辛さんや山際さんの様態如何によっては、ヘリ要 請にも使用できた。あれば心強い。 双眼鏡については、肉眼で見えるので必要はなかった。高度計については、現在地の高度が即座 に判り、BC・C1・C2に特定に役立ち大変便利であった。ガイドが登頂の日に頼むから1台貸 してくれといわれ、貸したくらいである。 4.登攀用具について ロープは、こちらで 50mを2本用意、現地ではガイドが2本用意した。なにしろ上までフィッ クスの張り通しなので、これでは何本あっても足らないだろう。登りはなくてもよさそうなとこ ろもあったが、何しろ急傾斜、下りが怖そう。ズルっといったら絶対に止まらないこと請け合い。 さいわい雪面は凍っていないので、蹴り込めばバケツが掘れる。慎重クライムダウンなら大丈夫 か。いずれにしてもロープはあればあるだけ使うし、なければないなりにやる。なければ 50m 2本でやりくりしてもよかったが、あればあったでよかったのではないか。 フィックスは現地で購入した。8 ㎜の 110mのトラロープ2本であった。確かにトラロープは伸 びがないので、ユマーリングや懸垂下降は楽だが、流れは、ちょっとゴツゴツ感があり、スムー スではない。キンクもひどそうだ。いずれにしろ、トラで懸垂はみんな始めてとのことであった。 支点としては、主にスノーバーとアイススクリューを使用、スクリューはカラビナ共々2本ほど 残置してきたようだ。下降が遅くなってしまったので、やむを得ないと解釈すべきか?高い物な ので、隊費で弁済した。 岩場では残置支点を利用したので、ロックハーケン・アイスハーケンのたぐいは使用しなかった。 またユマーリングの際の片手はピッケルで十分なので、バイルは必要なかった。 旗さおは有効だった。なにしろ氷河といってもだだっ広いただのガラ場、どこがルートだかわか らない。要所要所で旗を立ててもらったので助かった。回収後は宮沢さんに寄贈、次回行く人に は役に立つはず。 以上 <食料 鈴木隊員報告> 食糧についての報告 鈴木 直樹 1.キャラバン、BCでの食事 インドでコックを雇ったため、食事の準備は全て整えてもらった。 主な食事は、チャパティー、カレー、焼そば、コーンフレークなど。 これにチャイなどの飲み物が付いてくる。 BCの場所は聖地なので、肉や卵は無くベジタリアン食となった。 (キャラバン途中・ゴーモック) (BCでの夕食風景) (弁当のチャパティ) 食堂のテントもあったが、倉庫とインドの方々の寝室も兼ねていたので、天気がよければ、テ ントの外にマットを広げて食事した。 下山時のBCで、内野氏が持参したお楽しみ食のそーめんをコックに茹でてもらったところ、 茹で過ぎで美味しさが半減。茹で加減を自分で確認すべきだったと思う。 BCを起点とする行動時の昼食(行動食)は、チャパティにカレーを挟んだお弁当と、紙パック 入りのマンゴージュースをコックに用意してもらった。水はC2以外は谷川の水を使用した。 (BCのキッチンテント) (C2での水作り) (BCでのポータ食事風景と食堂テント) 2.C1、C2での朝食、夕食 日本で食糧計画を立てる際、1回の食事量を以下のように計算した。 ・アルファ米1食分を 100g として計算。 (お湯を入れる前の重さ) ・丼ぶりの食事 アルファ米6食分(600g) ÷ 8名 = 0.75食/1人 ・そば、うどんの食事 そば、またはうどん4食分 ÷ 8名 = 0.5食/1人 +アルファ米4食分(400g) ÷ 8名 = 0.5食/1人 = 計 1食/1人 8名分を用意した食糧であったが、BC到着の翌日に辛氏が高山病で下山、宮澤氏も付き添 いで下山、内野氏はBCに滞在、ラジーヴ氏がインド人ガイドと共の行動となり、C1以上へ は4名分に減らして荷揚げする事となった。荷揚げ分は、予備食も含め少し多めの量にした。 高所では食欲が無くなるとの話を聞いていたのだが、アタックメンバーの4名は全員食欲が落 ちず、多めに荷揚げした食糧でも足りない状況となった。特に、C2入りした 17 日には、餅 入り煮込みうどん と 親子丼の2食分を1度の夕食に食べてしまう程であった。余った食糧を 荷下げしたくない という思いもあったのだが、これがのちに後悔する事となる。頂上アタッ ク日には、C1まで下山する予定であったが下りられず、C2に泊まる事になった。この時に は、食糧を食べ尽しており、残っているのは各自の行動食とコーヒーなどの飲み物だけになっ ていた。予備食を考え、多少の荷下げがあったとしても食糧に余裕を持たせた方が良いのでは なかったか、と思うのが反省点である アルファ米は、300g ごとにビニール袋に詰めていった。調理時は、密閉プラスチック容器にア ルファ米とお湯を入れ、蓋をして待つ。 通常、市販のアルファ米1パックは2食分で 200g 入り。今回は、尾西食品からの支援により、 10kg をまとめ買いさせて頂いた。煮込みうどん に入れる餅を焼くための網を持って行ったが、 ガスコンロではうまく焼けず、お湯で煮込んで食べた。 3.行動食 日本から準備したものは、ご支援頂いた行動食はキャラバンの前に各隊員に全て配り、各自の 管理で食べるよう ポカリスエット ソイジョイ ぶどう糖 ミキバイオC(ビタミンC) ミキエコー(アボガドオレイン酸・ビタミンE) ミキバイオプロティーン(大豆タンパク) の他、嗜好に合わせて各自が準備したものを持って行った。 インドでは、ナッツ類、ビスケット、チョコレートなどをウッタルカシで購入した。 4.ご支援頂いた食糧品 (順不同、敬称略) ◆大塚製薬株式会社 ・ポカリスエット 粉末 1 リットル用 25袋 ・ソイジョイ プレーン 24本 ・ソイジョイ ストロベリー 24本 ◆日本ジフィー食品株式会社 ・中華丼の素 35食 ・オニオングラタンスープ 30食 ◆株式会社オガサワラOM ・脳はぶどう糖 5g入 100袋 ◆三基商事株式会社・代理店ペガサス バイオC,ミキエコー、ミキバイオプロティーン 行動食として 8 名分 ◆尾西食品株式会社 ・アルファー米(白米 10kg) 割引の価格でのご支援 ◆ICI 石井スポーツ 太田高林店 ・岳食そば・うどん 等 割引の価格でのご支援 ◆ミヤコスポーツ 太田店 各メーカー様への支援のご依頼 ◆塩谷さん(埼玉県岳連 海外登山委員会)個人での購入品を提供 ・八海山 一升瓶(日本酒) 1本 ・フリーズドライ味噌汁 80食(マルコメ社製、京懐石シリーズ) 5.その他、所感 各キャンプでの水場 BC:テント場から 10m 程下に氷河から流れ出る川あり。水は少し白く濁っていた。 C1:ガンゴトリ氷河の支流の支流、上部氷河の末端。5∼6m 程下に氷河からの水が流れて いた。 C2:支流の氷河の上部。テント場付近の雪を溶かして水を作った。C1からC2へ登る氷 河上に何箇所か水の流れがあり、水を汲む事ができた。 飲み物 オニオングラタンスープ、フリーズドライ味噌汁は多少かさばるが、軽いので多めに持って 行った。具も多く大変好評であった。 コーヒー用の粉ミルクと砂糖は重かったが、甘いものが飲みたい時に良かった。 食事の量など 19 日の登頂日は、C2に食糧が残ってなく行動食とコーヒー、お茶で過ごした。 C2の撤収の荷を考えると、食糧の荷下げを無くしたいと考えていた。 しかし、不測の事態も考えると少しは食糧を残しているべきであったと反省する。 今回は、初めてのヒマラヤ遠征であった。登山期間(BC以上の行動)は短かかったが、良い 経験になった。次回、遠征に参加する機会には、この経験を活かしたいと思う。 (リシケシからウッタルカシ途中のCAMBAのヒルトップホテルでの食事は往復で利用した) <医療担当 平野隊員報告> 1.医療品セットの数について 今回、我々は医療品を BC、C1、C2 にそれぞれ1セットずつという考えから、3セットに分 け持ち込んだ。しかし、BC で辛氏が高山病となり下山する時に1セットを持参した。この結果 1セット分の医療品が足りなくなった。大きなトラブルがでなかったが予備も含め、少なくとも 4セットは用意する必要があったと思われる。 2.抗生物質について 下痢気味となる隊員が多く見られた。下痢の対症療法として、抗生物質は大量に持ち込んだほ うがよい。また、下痢予防として入山前には火の通っていない食材の摂取は避けることや歯磨き にもミネラルウォーターを使うなど気をつけた。 3.ダイアモックスについて 今回登頂した風間、鈴木、平野のうち、風間氏は予防薬として計画的にダイアモックスを服用 していた。鈴木氏も BC に入山して高度障害がでた時から服用を始めた。平野は今回の遠征で終 始服用しなかったが特別、高度障害はでなかった。風間氏はダイアモックスの影響と見られる指 先のしびれがあったようだ。ダイアモックスが高山病対策として効果を発揮していたのかどうか は判然としなかった。 4.バイアグラについて アタックの途中、体調不良のため撤退した山際氏が肺水腫とみられる症状を示し、C2にてバ イアグラとダイアモックスを服用した。服用後、咳などの症状の改善が見られ、服用の効果は大 きく見られた。 5.パルスオキシメーターについて 今回、パルスオキシメーターを3台持ち込み、起床時や夕食時などに測定し隊員の体調の変化 を記録した。個人差や測定時の条件が常にばらばらであるため、一概には判断できないところも あったが、高度障害の程度を判断するものとして重宝した。BC 入りをした翌朝、辛氏が一人で は起き上がれないほどの高山病(脳浮腫)になってしまった。辛氏の血中酸素濃度の測定値は下 山判断の有力な指標として役立ち、下山後の回復状況の把握にも威力を発揮した。 以上 下山後デリー帰還途中のヒルトップホテルにて(8隊員とボクさん) <会計 内野副隊長報告> ス タ ル バ ン ・ パ ル バ ッ ト 登 山 隊 会 計 明 細 2 0 0 8 /8 /2 6 日 作 成 項 目 金 額 円 換 算 IM F 申 請 費 総 額 25 50 ( 7 名 分 ) + 50 0 = 3 5 ,7 万 円 そ の 他 環 境 維 持 分 担 金 30 50 $ ウ ト ラ ン チ ャ ル 州 65 00 0 R p 5 0 0$ 含 む 1 6 ,3 万 円 申 請 費 用 合 計 ガ ス カ ー ト リ ッ ジ 6 5 ,0 0 0 円 /人 の 支 払 い 52 万 円 15 00 R p 宮 沢 氏 車 代 ・ 空 港 ― レ ス ト ラ ン 50 00 R p デ リ ー ー ウ ッ タ ル カ シ 18 00 0 R p ウ ッ タ ル カ シ ー デ リ ー 18 00 0 R p デ リ ー 市 内 観 光 70 00 R p 車 チ ャ ー タ ー 代 フ ィ ッ ク ス ・ ロ ー プ 55 00 R p 11 0 m x2 ク ラ イ ミ ン グ ・ ロ ー プ & 20 00 R p 車 チ ャ ー タ ー 代 22 0 m ス ノ ー バ ー ク ラ イ ミ ン グ ・ ロ ー プ 19 00 R p 小 計 5 8 ,9 0 0 R p ガ イ ド 会 社 支 払 い 17 02 6 4R p 計 ガ イ ド 8 0 0 R p /日 2 2 9,16 4R p 8 0 0 ド ル /人 の 支 払 い ガ イ ド 2 名 ハ イ ポ ー タ 5 0 0 R p /日 ハ イ ポ ー タ ー 3 名 ポ ー タ 2 0 0 R p /日 コ ッ ク コ ッ ク 4 0 0 R p /日 キ ッ チ ン ボ ー イ 2 名 サ ブ コ ッ ク 3 0 0 R p /日 ロ ー ポ ー タ ー 11 名 馬 ガ ン コ ド リ 公 園 入 場 料 外 国 人 1 7 5 R p /日 印 度 人 2 5 R p /日 環 境 費 2 0 0 0 R p /隊 4 頭 上 記 ガ イ ド 会 社 支 払 に 含 む 医 療 関 係 ・ 薬 代 ダ イ ア モ ッ ク ス 10 00 円 デ カ ト ロ ン 24 70 円 薬 品 30 47 円 バ イ ア グ ラ 12 00 0 円 食 料 関 係 日 本 食 調 達 1 名 16 00 0 円 装備費 テント修理費 47 23 円 郵送料 85 0 円 ビニール袋 53 4 円 テ ン ト マ ッ ト ・ ハ ーケ ン 36 33 円 赤テープ 61 9 円 カ ラ ビ ナ 残 置 補 償 ・薬 20 00 円 ア イ ス ス ク リ ー 補 償2 本 90 00 x2 = 18 0 00 円 郵 送 料 ( 清 水 さ ん へ) 65 0 円 同(辛さんへ) 85 0 円 お土産代 食事関係 行き 8 /1 0 朝 食 ・ レ ス ト ラ ン マ ン ゴ ー ・ ガバ 44 5R p 9人 10 0R p 昼 食 ・ ヒ ル ト ップ H 16 08 Rp 夕食・レストラン 62 0R p 1 ル ー ム 4 00 Rp x 5 室 20 00 Rp 8 /11 ・ 朝 食 ・ レ ス ト ラ ン 52 5R p ビスケット 37 0R p ビール・ラム酒 76 0R p 夕食・レストラン 13 50 Rp 宿 泊 代 1 ル ー ム 40 0R p 20 0 0 R p ウッタルカシ 9人 ガンコドリ 食料関係・帰り 8 /2 1 ・夕 食 45 0R p ウッタルカシ 1 ル ー ム 4 00 Rp X5 室 20 00 Rp ウッタルカシ ウ イ ス キ ー ・ ビ ー ル代 80 0R p 8 /2 2・朝 食・ヒ ル ト ッ プ H 14 50 Rp 昼 食 ・ チ ャイ 8 /2 3 ・昼 食 ? ラ ジー ブ 払 い 15 00 0 円 カ ツ 丼 (メト ロ ポ リタ ン ・さ く ら ) デリーハート入場料 90 Rp その他 <高所登山における環境問題調査(氷河後退・地球温暖化状況)> ネパールヒマラヤの氷河の後退や氷河湖の発達による洪水災害の恐れなどは知られているが インドヒマラヤの氷河の状況はあまり知られていない。 昨年 5 月のシブリンBCトレッキング時に、ガイドはガンジス河源流のゴーモック氷河末端は毎 年10m 後退していると説明していた。 今回は1年ぶりに訪問してその状況をつぶさに確認できた。 C1からC2に移動の途中の氷河は川幅が狭いこともあるが3年で数百メートル後退してい るとガイドのボクさんは話していた。 氷河全体の縮小も大きくインドヒマラヤ全体で氷解してる量は膨大と予測できる。 2007年5月 河原でサドーが沐浴、氷河端も近い 2008年8月 河原は消えて氷河端は後退している。 河の右奥の大きな石が位置の指標となる。 (C1上の氷河は細くなり、氷河上の川が成長) (C1からC2の氷河上の小川の流れは多い) <インドモンスーン時期の登山について> 例年はガンゴトリ地域のモンスーン明けは8月中旬との情報もあり、期待して行ったが今年 は遅れ気味とのことでモンスーンの只中での登山になった。 デリーからリシケシまでは道路整備も進められていて、工事中の場所も多いがほぼ舗装路であ った。 リシケシからデリー平原も終わり山域に入る。舗装されていない谷間も登ったり下ったりでカ ーブの連続で雨が降るとぬかるみ泥の中の走行となる。山側の谷川が土石流が流れ込み通行止め は日常茶飯事の地域である。 デリーからの移動日は比較的天候は良くて、現地で3週間ぶりに晴れたと言っていた。 帰りのガンゴトリからウッタカシ間のジープ移動はこの遠征の最大のアドベンチャーだった かもしれない。 落石や倒木が道路を塞ぐ中で何とか帰国予定の飛行機に乗れた時にはほっとした。 (帰国後、インド北部で洪水があり多くの人命が失われとの報道が流れていた) 今回は2週間で6507mの頂上を踏めたのは、かなりの幸運もあった。この時期のこの地 域に入られる計画を今後立てれれる場合は事前に道路・天候の情報収集を行いことをお勧めした い。 ◆ 登山エージェント:MOUNT SUPPORT 社 インド・ウトランチャル州ウッタルカシ市 エージェント隣接ホテルから積込み エージェント会社の玄関 ◆ 登山隊構成 <役 割> <氏 隊 長 渉外 名> <年齢><住 山際登志夫 (58) 所><所属山岳会><勤務先><登山歴> 川越市山田 910-7 遠峰山岳会 本田技術研究所 二輪開発センター エルブルース・マッターホルン・モンブラン・キリマンジェロ・ケニア山・ キナバル・メンヒ・コウジスク・アラリンホルン・カラパタール 副隊長 会計 内野 安登 (68) 所沢市荒幡 38 エコー山の会 アイランドピーク、メラピーク、キリマンジェロ、カラパタール 副隊長 在印渉外 宮澤 喬男 (65) B7/1 VasantVihar・Newdelhi India インド・ナピーノ kk(インド・ニューデリー在住) インドヒマラヤ山域に精通 隊 員 食料担当 鈴木 直樹 :浦和渓稜山岳会 (46) 富士見市東みずほ台 2-32-2-B105 オールラウンドに強い隊内で随一の精鋭 隊 員 装備担当 風間 進 :浦和渓稜山岳会 隊 員 医療担当 (60) さいたま市西区西遊馬 1813-1-7-301 日本の主たる岩壁ルートを制覇 平野 晃司 (28) 熊谷市江南中央 2-9-11 センターヒルズ 102 :遠峰山岳会 埼玉県農林総合研究センター 最若手のホープ 隊 員 在韓 辛 鐘 遠 (56) 韓国京畿南市亭子洞 lifeAp108-1601 :韓中研山友会 韓国学中央研究院教授 マッキンレー2 回 隊 員 印渉外 RajeerTaliyen (28)J-88 Katwaria Sarai, Newdelhi-110016 India :インド登山学校卒・上級クラス (兼任:リエゾン・オフィサー) <登山ガイド> WALLAMBOK LYNGDOH 29歳 アッサム在住 登山経歴 インドラサン(6221m) トリシル (7074m) サイフェ (6167m) RAMJAK (6318m) LAXMAN SAN 45歳 ウッタルカシ在住 登山歴 スダルシャン・パルバッド(6508m) サイフェ (6167m) などガンゴトリ山域中心に活動 <キャラバン隊構成>(ポータ・ロバは移動日のみ) ガンゴトリ→BC:隊員8名 登山ガイド2名 ハイポータ3名 コック1名 サブコック2名 ポータ28名 / 総勢44名+ロバ4頭 BC→ガンゴトリ:隊員6名 登山ガイド2名 ハイポータ3名 コック1名 サブコック2名 ポータ11名 / 総勢 25名 <ハイポータ> ・アッタル シンラナ ・ハリーズ ラナ <コック> ビベックラマ 38歳 <ローポータ> ・ジェンナ ラナ キッチンスタッフ ・アラメース バハルート・デルバトル ハドル ・ビルバハルド ・ワンミースケーシ ・ワンミース ケーシ ・ ビンバルラルド・ラルバール カルカ・ディパクサイ ・ ギスマルト サイ ・ランバハルード 他 ◆ 協賛・支援を頂いた団体 ・ 日本ジフィーズ食品株式会社 ・ 尾西食品株式会社 ・ ミヤコスポーツ 太田店 ・ ICI 石井スポーツ 太田高林店 ・ 大塚製薬株式会社 ・ 株式会社オガサワラOM ・ 株式会社アライテント ・ 三基商事・KK ペガサス (全員ネパール人) ◆ 協賛・支援を頂いた個人 ・岩井田 正昭 (あゆむ山の会) ・清水富子 (辛教授の友人) ・高木 清 (本田技術研究所・二輪開発センター) ・加藤 富之 (深谷山岳会) ・塩谷寿子 (大宮山岳会) ・天野 賢一 (遠峰山岳会) ・牧野要雄 (浦和渓稜山岳会) ・宇津木 英一 (本田技術研究所・汎用開発センター) ◆ 壮行会(2008・8・1)参加者 (敬称略) 埼玉県山岳連盟 森下 健一郎会長 海外登山委員会 天野 賢一 会長 ・大山 大宮山岳会 塩谷 あゆむ山の会 岩井田 浦和渓稜山岳会 牧野・山下・風間・鈴木 遠峰山岳会 天野・菅野・藤井・伊藤・桜井・小茂田・中館・黄・ 二本松・岡野・平野・山際 韓国・韓中研山友会 頂上を目指して BC から C1 へ 辛 最初のアイスクライム Mt. SAIFE C2からC1に下山 C1 から C2 へ <報告会・祝賀会2008・10・26 さいたま市民会館うらわ> ■報告会 14:00∼15:00 司会 天野賢一 01.開会 02.挨拶 隊長 山際登志夫 03.隊員紹介 〃 04.遠征隊報告 風間隊員 スライド・ビデオ映写 05.謝辞 副隊長 内野安登 06.閉会 ■祝賀会 15:00∼16:30 司会 天野賢一 01.開会 02.乾杯 03.お祝いの言葉 埼玉県山岳連盟理事長 村岡正巳 名誉会長 田中文男(日本山岳協会会長・アジア登山協会会長) 埼玉県山岳連盟会長 森下健七郎 副会長 石倉昭一 04.歓談 適宜スピーチを依頼 スライド・ビデオ映写 05.祝辞 埼玉県山岳連盟副会長 柳原政一 06.閉会挨拶乾杯 埼玉県山岳連盟副会長 福田靖 (二次会・魚民浦和駅西口店) 日本山岳協会・埼玉県山岳連盟 「田中賞」受賞 埼玉県の登山活動で年間の最優秀登山活動表彰制度として「田中賞」が あり、2008年度は「2008スダルシャン・パルバッド登山隊」が 受賞しました。 2007.5のガンゴトリからのスダルシャン・パルバッド (埼玉新聞の 2008 年 9 月のクリック記事)
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