榛名山東麓 榛名山東麓 調査者 久保 誠二、鷹野 智由、湯浅 成夫 1.地域の概況 榛名山は群馬県のほぼ中央部にある複合成層火山で、山頂にカルデラを有する。古墳時代に噴火 したが、現在は活動をしていない。山体は高い峰の集まる主部と、それを取り巻く山麓緩傾斜地よ りなる。 調査地域は図1-1に示すように、榛名山南東部にあたり、側火山の一つ相馬山東端付近から利根川 に至る、東西約10㎞、南北約5㎞の範囲である。北西部が山地で、その直下から山麓緩斜面が東に広 がっている。地域東部にはJR上越線、関越自動車道、県道高崎―渋川線がほぼ南北に通っている。 山麓下部は宅地化や耕地化が進んでいるが、上部は耕地や山林が大部分を占めている。地域の南西 部には陸上自衛隊相馬ヶ原演習場がある。行政区分は大部分が北群馬郡榛東村と吉岡町で、一部が 渋川市、前橋市、高崎市に属している。 調査は地形・地質部門のみで実施された。なお、本報告書は現地調査に加え、久保ほか(2011) を参考にしている。 2.地形・地質 (1)地形 ア.概況 調査地域は大きく山地と山麓緩斜面に分けられる。北西部の山地は大島(1986)の主成層火山の 一部にあたり、後カルデラ期に形成された溶岩ドームの一つ、相馬山の一部がかかっている。山麓 緩斜面は調査地域の大部分を占め、標高約600m付近に始まり末端は標高150m前後である。 図1-1 調査地域図 ―125― 図2-1 吾妻山東面の特異な地形 図2-2 高塚付近の舌状丘 左が山頂、右が山麓側 図2-3 陣場・高塚付近の舌状丘地形図 榛東村発行1/2500地形図による。つつじヶ丘団地は舌状丘上に建設されている。 図2-4 舌状丘の分布 破線は開発により消失した舌状丘 ―126― イ.吾妻山周辺 吾妻山は主成層火山の本体から東にはみ出たような形で分布している。吾妻山の東面から北面に かけては、多数の短く急な谷が、山腹をガリ状に刻んでいて、榛名山の他の地域には見られない独 特な地形を呈している(図2-1) 。南面は榛名白川の支流、八幡沢や午王頭川の上流による深く険しい 谷が発達し、谷壁には所々に露岩が見られる。 相馬山溶岩ドームの南東端が、調査地域の北西にわずかにかかっている。 山頂は山腹と異なり、緩い起伏のある緩斜面となっている。この斜面の大部分はゴルフ場建設の ため人工改変されているが、改変以前の50,000分の1地形図を見ても比較的平坦な高原であった。こ こは上野平と呼ばれている。平坦面は東西約2㎞、南北約0.7㎞のほぼ楕円形で、その中央部をえぐっ て、ウツボ沢が西南西から東北東へ流れている。 ウ.山麓緩斜面 山麓緩斜面には北から茂沢川、午王川、滝沢川、自害沢川、八幡川、染谷川、榛名白川などの河 川が、西から東、または北西から南東に流れていて、川と川の間に緩い傾斜の平坦面がひろがって いる。 森山(1971)は榛名白川から水沢の間を相馬ヶ原扇状地と呼んだが、調査地域はほぼこの地域に 相当する。ここは単純な扇状地ではなく、形成時代を異にした扇状地や、火砕流台地よりなる。 更新世末の陣場火砕流による火砕流台地は、主に滝沢川と染谷川の間に分布しているが、かなり の部分が完新世の扇状地堆積物(滝沢礫層)に覆われている。午王川と滝沢川に挟まれた地域の大 部分は6世紀中葉に流出した二ッ岳第2火砕流にる火砕流台地で、上有馬では火砕流の末端が利根川 の沖積平野を覆って扇状地状にひろがっている。午王川より北は、更新世中期の有馬礫層によって 形成された扇状地である。 エ.舌状丘 (ア)小丘群とその成因 山麓緩斜面上には多くの小丘が群をつくって分布している。これらは 流れ山と呼ばれてきたが、これは岩屑なだれによって形成されたという意味を含んでいる。先年刊 行された「群馬県の貴重な自然・地質編」において、久保(1990)は流れ山と記述したが、今回の 調査で多くの小丘が小規模火砕流の岩塊・火山灰流(block-and-ash flow;荒牧 1979)によって 形成されていることが明らかになった。地質の項で述べるように、この火砕流堆積物を陣場火砕流 堆積物と称する(久保ほか 2011)。小丘の多くは陣場火砕流によって形成されており、流れ山とは 成因が異なる。したがって流れ山の名称は適当ではない。 (イ)舌状丘 陣場火砕流による小丘は単独の場合は殆どなく、多くは数個の小丘が集合して分 布している。地質から判断して小丘群は陣場火砕流の各ユニットの末端部に形成されている。個々 の小丘の形態は先を山麓側に向けた舌状で、おおむね斜面の傾斜の方向にのびている(図2-2) 。小丘 が分岐したり、重なったりする場合もある。規模は、長さ100∼400m、幅50∼150m、比高2∼25m である。上流側への傾斜は緩く、下流側ではやや急である。側面はさらに急傾斜の場合が多い。こ うした火砕流末端部に形成された舌状の小丘を舌状丘と呼ぶ(久保ほか 2011)。大縮尺の地図では 舌状丘の形態や集合状態が良く現れている(図2-3)。 (ウ)分布 舌状丘の分布は相馬ヶ原演習場の上端から利根川近くまで及んでいる(図2-4) 。比較的多く見られ るのは、榛東村桃泉(相馬ヶ原演習場の北東縁) 、水出、広馬場、新井、吉岡町南下、陣場、大久保 などである。関越自動車道より東の吉岡村漆原付近にも分布していたが、現在ではすべて失われて いる。 オ.流れ山 流れ山は高崎市内金古付近に数個分布する。それぞれ孤立していて、舌状丘のように分岐したり 重なったりすることはない。底形は楕円ないし円に近い楕円で、形と大きさは残存状態からの推定 である。比較的保存の良い諏訪明神のある流れ山は、比高が約7mである。 ―127― (2)地質 ア.概要 地質図を図2-5に、層序表を表2-1に示す。調査地域の地質は大部分が更新統と完新統で、一部に榛 名山の基盤の新第三系が分布する。 新第三系は、榛名白川の支流栗の木沢に、火砕岩、および溶岩よりなるガラメキ層が小規模に露 出している(野村ほか 1990) 。 更新統には主成層火山の一部やラハール堆積物、有馬礫層、相馬山溶岩、陣場火砕流堆積物、上 蟹沢岩屑なだれ堆積物、陣場ラハール堆積物がある(久保ほか 2011)。ウツボ沢湖成層は更新世末 から完新世にかけての堆積物である。完新統には、滝沢川礫層、二ッ岳第1火砕流堆積物、二ッ岳第 2火砕流堆積物、八木原ラハールがある(久保ほか 2011)。 イ.主成層火山期の堆積物 吾妻山は大島(1986)の主成層火山の一部にあたる溶岩、火砕岩の互層と、主成層火山形成期の ラハール堆積物よりなる(中村ほか 2005) 。前者は主に吾妻山の南部を中心に、後者は溶岩、火砕 岩の互層を取り巻くように分布している。 主成層火山期の山麓堆積物が、午王川の谷底に点々と見られる。泥炭を挟む水域の堆積物である が、露頭が狭く詳細は不明である。 ウ.有馬礫層 扇状地性の亜角礫∼亜円礫からなる礫層で、主に午王川の北側に分布する。図2-6に有馬礫層を示 す。層厚は20∼100m。午王川以南では残丘状に点在する。中期更新世の礫層である(パリノサーヴェ イ株式会社 2005)。 エ.相馬山溶岩ドーム、および関連層 (ア)相馬山溶岩 相馬山溶岩ドーム構成岩で、青灰色のデイサイトよりなる。溶岩ドームの南 東端が分布しており、部分的に著しく破砕している。 図2-5 地質図(久保ほか 2011による) ―128― 表2-1 層序表 図2-6 有馬礫層 有馬付近の午王川 AG:有馬礫層 TB:主成層火山形成期の山麓堆積物 (イ)陣場火砕流堆積物 相馬山溶岩ドームが発生源と考えられる火砕流堆積物で、従来陣場岩 屑なだれ堆積物とされてきた(例えば早田 1990) 。この堆積物は、一般に長径50㎝以下の相馬山溶 岩起源の岩塊と、間を埋める同質の岩片および粗粒∼極粗粒サイズの火山灰よりなり(図2-7) 、岩塊・ 火山灰流の特徴を備えていて、火砕流堆積物である。山麓緩斜面に分布する小丘の大部分は、本層 よりなっている。 陣場火砕流堆積物は相馬山溶岩ドーム南東側直下より、東方山麓まで広く分布する。地質図上で の面積は比較的狭いが、ボーリング資料などによると、滝沢川礫層下に広く潜在している。層厚は 上野平南西部で70m+、山麓中部で10m±である。 (ウ)上蟹沢岩屑なだれ堆積物 内金古付近の上蟹沢川沿いに分布し、内金古橋付近では流れ山 をつくっている。粘土化した火山灰質の基質をもち、相馬山溶岩起源の岩塊や、褐色の凝灰角礫岩 岩塊を含む。後者は3mを越えるものもある。陣場火砕流とほぼ同時期に堆積した。 ―129― 図2-7 陣場岩屑なだれ堆積物 栗の木沢水源 図2-8 陣場ラハール堆積物 花水沢 図2-9 ウツボ沢湖成層 ウツボ沢 図2-10 滝沢川礫層 桃泉付近の午王頭川 P:泥炭層 PS:極薄層平行層理砂岩層 図2-11 二ッ岳第1火砕流堆積物と 二ッ岳第2火砕流堆積物に挟まれた 二ッ岳軽石層 塔ノ辻付近の滝沢川 FPF-1:二ッ岳第1火砕流堆積物 FPF-2:二ッ岳第2火砕流堆積物 FP:二ッ岳軽石層 図2-12 二ッ岳第2火砕流堆積物 有馬付近の午王川 ―130― オ.陣場ラハール 陣場火砕流堆積直後に発生したと考えられるラハール堆積物である。地表では榛名白川の中流や、 支流の花水沢などに分布するほか、午王頭川や滝沢川に沿っても露頭が見られる(図2-8)。また、ボー リング資料などによると、東側緩斜面の地下には広く潜在する。一般に相馬溶岩礫を30∼80%含む。 層厚は80∼10mである。 カ.ウツボ沢湖成層 下部に二枚の泥炭層を挟む湖成層で、上野平のウツボ沢一帯に分布する。本層は浅間―板鼻黄色 軽石層(YP)を挟んだ厚さ40㎝のローム層に重なり、泥炭層中には浅間―総社軽石層(As-Sj)が挟 まれる。したがって、更新世末から完新世初期の堆積物である。層厚は12m+。図2-9はウツボ沢湖 成層である。 キ.滝沢川礫層 本層は最上部のローム層に重なる完新世の礫層である。亜角礫∼亜円礫よりなり、粗粒砂層や泥 炭層を挟む(図2-10)。滝沢川と染谷川に挟まれた山麓緩斜面に広く分布し、扇状地を形成している。 ク.二ッ岳噴出物 6世紀初頭に噴出した二ッ岳第1火砕流堆積物(FPF-1)と、中葉に噴出した二ッ岳第2火砕流堆積 物(FPF-2)とが分布する(新井 1979) 。どちらも軽石に富んだ火砕流である。滝沢川より北の地 域では、両者の間に二ッ岳降下軽石層(FP)の活動がある。 (ア)二ッ岳第1火砕流堆積物(FPF-1) 二ッ岳の北部、および東部を広く覆うが、調査地域で はFPF-2に覆われて露出範囲が狭く、滝沢川上流部の谷沿いに見られる。FPF-1は滝沢川礫層を覆う。 (イ)二ッ岳降下軽石層(FP) 新井(1979)によれば二ッ岳から北東に広く分布し、先端は仙 台付近に達している。滝沢川付近がほぼ分布の南限で、滝沢川の上流ではFPF-1とFPF-2に挟まれて、 厚さ10㎝のFPが観察される(図2-11) 。 (ウ)二ッ岳第2火砕流堆積物(FPF-2) 二ッ岳の北部、東部、および南部を広く覆う(図2-12) 。 調査地域では午王川と滝沢川に挟まれた山麓緩斜面を中心に分布し、火砕流台地を形成している。 滝沢川上流ではFPF-1を覆うが、午王川では主成層火山期堆積物や滝沢川礫層に重なる。層厚は 10m+。 ケ.八木原ラハール堆積物 二ッ岳火砕流以後に発生したラハール堆積物である。八木原駅付近の平坦面に分布する。FPF-1、 FPF-2に由来するやや円磨した軽石と、軽石起源の砂よりなる砂礫層である。上越線複線工事や関越 高速道路建線の際に見られたが、現在露頭は消失している。 3.保全(保護)の現状 調査地域の標高600m以下は大部分は耕地、および宅地で、北西部の標高600m以上はは大部分が 山林である。地質では榛名火山の形成過程を知る上で重要な地域といえる。特に陣場火砕流による 舌状丘はかなり残されており、人工改変のあまり進んでいない林業試験場構内や山子田付近のもの は、保存の対象にしたい。現時点で特に環境保存の対策はとられていない。 旧東京電力株式会社送変電建設センター中幹立替高崎事務所には、送電線西上武幹線の鉄塔工事 に伴うボーリングコアを見せていただき、東京電力株式会社送変電線建設センターには、このデー タの使用を許可していただいた。また、旧榛名ゴルフ場内の調査許可をいただいた榛東村財務課、 2,500分の1地形図の使用許可をいただいた同村建築課、ともに調査を行なった鈴木幸枝氏、中島正 裕氏、宮沢公明氏、協力いただいた群馬大学吉川和男教授、飯島静男氏、竹本弘幸氏に感謝の意を 表します。 (久保 誠二・鷹野 智由・湯浅 成夫) ―131― 文 献 新井房夫(1979):関東地方北西部の縄文時代以降の示標テフラ層,考古学ジャーナル,157;4152. 荒牧重雄(1979)噴火の様式.岩波講座地球科学7,火山,岩波書店,72-78. 久保誠二(1990):榛名火山東麓の流れ山群.群馬県の貴重な自然 地形・地質編、群馬県林務部, 38-39. 久保誠二・鈴木幸枝・中島正裕・宮沢公明(2011):榛名火山南東麓の地質.群馬県立自然史博物 館研究報告(15) ,115-127. 森山昭雄(1971):榛名山東・南麓の地形―とくに軽石流の地形について―.愛知教育大地理学報 告,36・37:107-116. 中村庄八・久保誠二・山岸勝治・新井雅之・吉羽興一(2005):表層地質図「榛名山」,同説明書. 群馬県農業局農業基盤整備課,2-32. 野村 哲・小林 豊・渡辺将哲・海老原充(1990):群馬県榛名火山の基盤.群馬大学教養部紀要、 24:79-92. 大島 治(1986):榛名火山.日本の地質3「関東地方」,共立出版,222-224. パリノサーヴエイ株式会社(2005):茅野遺跡における自然科学分析.史跡茅野遺跡(一)遺構編, 榛東村教育委員会,56-90. 早田 勉(1990):群馬県の自然と風土.群馬県史編さん委員会編「群馬県史」通史編,1:37-129. ―132―
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