秋保温泉のあゆみ③近代(明治~終戦)表紙

秋保温泉のあゆみ
秋保温泉のあゆみ
年
年
年頃
明治5年
8月1日、湯元郵便局取扱所、
「佐勘」脇に開設
御湯の脇に「どぶ湯(共同湯)」と「滝の湯(目の湯)」があった
年 号
明治
20
年
廃藩置県(1871)により湯浴み御殿取り壊しに
1872
明治
30
1899
1916
1914
1913
1912
大正
年
年頃
年
大正5年
大正3年
大正2年
大正元年
佐竹新聞店河北新報新聞各戸配布開始
秋保石材電気軌道(株)と改称、全線電化工事実施
秋保温泉に電灯つく
長町~湯元間 馬車鉄道開通(秋保石材軌道(株)
)
覗橋流出、湯元部落孤立
秋保石材軌道(株)設立(秋保石の運搬と湯冶客の輸送のため)
1900
1922
大正
年
1926
秋保電気軌道(株)に社名変更、
全線電化営業開始(長町~湯元間)
湯元駅を秋保温泉駅に改称
(*1)
1923
大正
12 11
1925
大正
14
「佐藤屋旅館」
佐藤屋旅館」創業
1887
明治
32
1897
明治
33
15
旧秋保町とその他
旧秋保町とその
とその他のあゆみ
河北新報創刊(不偏不党・東北振興標榜)
この工事において、長袋出身の沼田
俊平氏が電気技師として活躍
秋保村最初の大量輸送機関となる
*1
大正天皇崩御、仙台市電開業、
1934
1933
1932
1931
1930
昭和
昭和9年
昭和8年
昭和7年
昭和6年
昭和5年
秋保温泉郵便局で電話交換開始
秋保電気軌道(株)経営の旗立遊園地を湯元に移転し、大衆向け
休憩所温泉クラブとして開業(のちの「あきう荘」
)
磊々峡開発始まる(湯元青年団奉仕作業)
湯元の臨潭渕を磊々峡と命名(東北帝国大学教授小宮豊隆氏)
秋保電気軌道(株)がバス運行(長町~秋保温泉間)
秋保温泉のあゆみ
秋保温泉のあゆみ
1937
昭和
年 号
1941
1942
旧秋保町とその他
旧秋保町とその
とその他のあゆみ
秋保大滝 東北新風景十景に入選
満州事変勃発(柳条湖事件)
年
年
年
秋保大滝が文部省より「名勝」に指定
支那事変。 仙山線全線開通
二口渓谷姉滝が天然記念物に指定
昭和
年
12
仙台空襲、市中心部全焼
8月 日太平洋戦争終結
月8日、太平洋戦争開戦
昭和
17 16 12
年
秋保電気軌道(株)から秋保電気鉄道(株)に改称
東京から学童疎開始まり、秋保温泉も受け入れる
昭和
19
15
1944
1945
20
この近くにどぶ湯があったそうです
流される前の覗き橋
秋保石材軌道株式会社時代の
秋保電鉄が廃止になり宮城交通のバスが走
るようになりました。
お客様を見送っている風景。みんな笑顔です。
湯元青年団により磊々峡を整備しまし
た。そのお陰で今の磊々峡の遊歩道があ
るのですね。
秋保電鉄「秋保温泉駅」前で遊ぶ子供たち
昔は車の往来も少なく安心して遊でいたの
でしょう。
昭和19年に疎開してきた子どもたちで
す。親から離れての生活は心細かったでし
ょうね。(学童疎開)
その子供たちが昭和51年に同じ旅館
で